2022年6月26日 06:00
全盲の弁護士と音楽家の夫婦 子どもたちの笑顔は心に映って
こうして、誠さんは猛勉強を重ね、3回、4回と挑戦を続けた。
「何度もくじけそうになりました。この先もずっと受からないのでは、という不安にも苛まれました」
それでも’06年、5回目の受験で誠さんは、ついに司法試験合格を果たす。その喜びを真っ先に伝えたくて、誠さんが電話した相手は、当時すでに交際していた亜矢子さんだった。携帯電話を握りしめる彼の頰を温かな涙がつたっていた。
■なんの恩返しもできず逝ってしまった母。いま、かけがえのない人は亜矢子さんだった
亜矢子さんは’75年、千葉県で生まれ、2歳のときに静岡県に移り住んだ。予定日より2カ月も早いお産。
しかも、双子の妹として生まれた亜矢子さんの出生時の体重は、わずか1千200g。誕生後、すぐ保育器に入れられたが、その際の高濃度の酸素によって網膜が損傷し、視力を失ってしまう。
5歳のとき。母が「この子にも何か楽しみを見つけてあげたい」と、通っていた盲学校の先生にピアノを教えてくれるよう、頼み込んでくれた。以来、彼女のかたわらには、いつもピアノがあった。
中学からは、その後、誠さんも進学する筑波大附属盲学校に。ところが、当初は6畳間に3人の生徒が寝起きするプライバシーのない寄宿舎での生活になじめず、不登校にも。