「がんのママをささえ隊」女性医師 企画のきっかけは後輩の死
その後、1年間の予備校生活を経て、九州大学医学部に進学。大学で、現在の夫と知り合った。医学部の同級生だった彼は、卒業後に北海道で研修医になるという。
「私も北海道に行く」
25歳になった’05年春、医師としてのスタートは、広大な北の大地だった。当初は家庭医を目指し、総合内科で研修を受けた金城さんだが、研修医3年目にして乳腺外科に異動し、手術や病棟担当として働いた。’08年、付き合ってきた彼と28歳で結婚、翌年、長男が生まれる。充実した日々の中、“修業”は転機を迎える。
「消化器外科医の夫が、名古屋のがんセンターに移ることになって。
ここは乳腺外科も一流です。私はレジデント(初期研修を終えた後期研修医)というポジションで、所属できることになりました」
その職場では「子育て中のママさんレジデント」は、金城さんが第1号だった。名古屋での3年目。32歳の金城さんは、病理診断の部署に異動した。大好きな診察や手術はできない。そんななか、悲しい出来事が起きる。’12年2月、金城さんは大学時代の後輩の葬儀に参列した。