さみしさは“人とのつながり”では満たされない/月読寺・小池龍之介さん(前編)
たとえば、何か足りないという渇望感を抱いたとき、食欲に走る人は多いですよね。性欲もそう。セックスの快楽も一時的には満たしてくれます。
このように、さみしさの代替行為は実はたくさんあるのです。しかし、私たちはそれらよりも、人とつながることで他人から受け入れられたり、重要な存在として扱われたりするほうが、よりレベルの高い永続的な満足が得られると思いがちです。
――俗に“人のぬくもり”と言われるものですね。
そのため、“さみしさ”は人間関係において足りてない状態を指すことが多いんです。だから、多くの人は誰かと会ったり、電話したり、メールしたり、SNSに投稿したり、そういった“人とつながる”ことでさみしさを解消しようとします。
でも、人間関係によって得られる満足も、食欲や性欲と同じで、すぐに消えてしまう一時的・刹那的なものにすぎないんです。
人から愛情や承認を受け取ると、脳内ではドーパミンが分泌されるので、一瞬は満たされます。
ただその快感は長持ちせず、すぐに色あせてしまうので、また満たし直さなければいけないという、すごくあやうい零細企業の経営のように“自転車操業”で回っているんです。満たされると感じるほど、
余計にさみしくなってしまう
――自転車操業を続けてしまった場合どうなってしまうのでしょう?
快感が切れてしまったあとは、「もっと愛されたい」