LITALICO発達ナビがお届けする新着記事一覧 (121/132)
砂遊びが大好きなのに…Upload By モンズースー長男は砂遊びが大好き。でも、砂が手に付くのは不快なようでした。雨上がりや奥深くの少し湿った砂はすぐに手に付いてしまいます。それが許せない長男は、砂遊びの最中に何度も何度も手を洗いに行くのです。砂場と手洗い場を行ったり来たりするので、好きな砂遊びがなかなか集中できません・・・。手を1人で上手に洗えない不器用さもあり、砂遊びを楽しめずに終わりの時間が来てしまうと、満足できずに毎回号泣して暴れました。Upload By モンズースーそんな長男も、楽しく遊ぶ上級生の様子は気になるようでした。最近では洋服を汚さずに遊ぶよう指導する幼稚園も多いみたいですが、長男の通う支援の幼稚園は自由に遊ばせてくれます。砂に全身埋もれても、泥に水に漬かってもOK!長男はそんな楽しそうな遊びに参加したいけど、できずにいるように見えました。そんな様子に気付いた先生。上手な誘導で少しづつ砂遊びの幅を広げてくれたのです。最初は裸足で乾いた砂の上に立つところから始め、足を砂に埋めたり、砂の山に登ったりして遊んでいるうちに、あまり手を洗いに行かなくなりました。そんな長男が、今では全身泥まみれになって遊んでいます。パンツまでドロドロになり、学校でシャワーを借りて着替えてから帰ります。洗物は増えますが、楽しくのびのび遊べるようになったことが嬉しいです。毎回どろだらけの洗濯物を楽しみにしています。
2016年11月11日私の障害が娘にバレた!でもちょっと誤解しているようで…出典 : 娘がアスペルガーと診断されたのは小4のとき。その2年後に私も同じアスペルガーと診断されました。不登校でもあった繊細な娘には、ショックが大きいだろうと思い、告知はまだしていません。私は、自分がアスペルガーの診断を受けた後、張り切ってアスペルガー症候群の関連本を何冊か買い込んできては、部屋に思いっきり放置していました。それを見つけた娘がビックリした顔で「ママってメンヘラちゃんやったん!?」と詰め寄ってくるではないですか。私「ちょっと待て。メンヘラちゃんってなに?」娘「ママ、手首切ったりしてない?大丈夫!?」どんな斜め上の誤解なんだ(笑)。娘の解釈に驚きつつも、アスペルガーにそんな印象を持っていたことにショックを受けました。よく考えてみると、こういう誤解の仕方ってインターネットのサイトを見てる人にありがちなことなんですよね。そして内心「参ったなぁ、君も一緒なんだよ。こんな誤解してちゃダメだよなぁ」とため息をついたのでした。そう、娘への告知をのばし延ばしにしているうちに、自分の方が先にバレてしまったのです。これはどうしたものか…と、けっこう悩みました。そうだ!私の体験談を娘にシェアしてみよう!出典 : そこでまず私が思いついたのは、「そうだ、私を通してアスペルガーのことを理解してもらおう。そうすればいつか告知したときも自分のことを理解しやすくなるはず」というアイデアでした。それからというもの、特性がらみの困りごとを、日常会話にさりげなく取り入れるようになりました。「会社で上司に次々とやることを言われたんだけど、覚えきれなくて困った」「仕事で話しかけられても、周りがうるさいとその人の声だけじゃなくて全部聞こえるからわからなくなる」「一緒に買い物行ったとき、目の前にあったものをママは見つけられなかったでしょ?あれも特性なんだよ」「2つ以上のことを一緒にやろうとすると混乱する」人間関係の困りごとも話しました。「どうしてかわからないけど、いつも何ケ月か勤めると周りの人に嫌われてるんだよね」「嫌われていると思ったら、心のシャッターが下りるのよ」「空気が読めなくて変な人と思われてるみたい」解決法は教えてあげたくてもなかなか教えられませんでした。だって私自身、何も解決していないから。ただ、障害者職業センターで習ったことや、感動したことは「落ち着いて練習したら、失敗したことを上手に謝ることができたよ」などと伝えていました。娘は「ふーん」と聞き流しているように、そのときは見えました。今度は娘が自分を疑いだし…しかしそこで思わぬ本音が。出典 : そんなある日、突然娘が「ママ、私ってアスペルガーなの?」と聞いてきたのです。私の話にいろいろ思うところもあったのでしょう。嘘がつけない私は、あたふたとして「うーん、そうかもしれないなぁ」と言ってしまいました。でも、娘はそれ以上突っ込んできませんでした。「ねぇ、もしアスペルガーだったらどう思うの?」と私が聞くと「障害者にはなりたくない」と言ったのです。私自身は障害者手帳も取って、障害者として生きていく決意を娘にも明らかにしていたのに、この言葉はショックでした。気になりながらもよくよく聞いてみると、娘にとっての障害者は「言葉で意思の疎通ができない人」のことだったようです。彼女は保育所の年長のとき、保育所の先生がボランティアでやっているダンス教室で、予告なしに重度の障害を持った子と引き合わされました。話しかけても反応してくれない、無言で笑いながら抱き付いてくる、その様子に強い恐怖を感じてしまったようでした。このことを私の支援者に相談したのですが、「その引き合わせ方に問題がありましたね。言葉で言い聞かせるよりも、これからの人生での中でゆっくり理解していくしかないと思いますよ」と言われました。そして、娘の支援者・主治医などと相談した結果、もう少し彼女の自己肯定感が上がってきて、アスペルガーだということを冷静に受け止められる時期が来るまで、告知はしないことになったのです。これから娘に聞かれたら、「お医者さんに聞かないとわからない」と答えるよう、アドバイスされました。障害名は関係ない。1人の人間をあるがまま受け止める素直さに感動出典 : 娘はきっと、自分がアスペルガーだとわかっている気がします。時には疑い、時には否定しながらも、心のどこかではわかっている。でも認めたくないという風に見えます。そんな彼女ですが、ある日私のことをこう言ってくれました。「ママは自分のことアスペルガーって言うけれど、私にとっては『ママはこういう人』というだけで、『ママはアスペルガー』だとはいちいち思わないよ」障害名が付いた特性持ちの人ではなく、1人の人間として見てくれている…。この言葉は涙が出るほど嬉しかったです。今では誰よりも私の特性を理解し、さりげなく助けてくれるようになりました。その力を活かし、いつか自分の特性を深く理解して、助けを求められるような人に育ってくれたらいいな、と願っています。
2016年11月11日「疲れた…」楽しいはずの場所やイベントも、息子にとっては頭の痛くなる場所になっていた出典 : 音に敏感に反応する、と聞くとどんなイメージを抱きますか?特定の音にすぐ反応してしまう、いつもイヤーマフをしている、などでしょうか?息子にも音に対する過敏さがあるのですが、どうやらちょっと違うようなのです…。発達障害児の息子とお出かけをすると、1時間も経たないうちに「疲れた」「もう帰る」と真っ青な顔をして座り込んでしまうことがよくあります。そのたびに、「ええ!?まだ1時間も経ってないんだけど!!」と、家族の怒りが爆発することもしばしば。息子のこの疲れやすさには、聴覚過敏が大きく関係しているということに、途中で気付きました。疲れてくると、いつも耳を塞いで路上に座り込みます。ぐったりと脱力してしまった息子の顔を見ると真っ青で、しきりに頭痛を訴えるのです。後で落ち着いてから話を聞いてみると、「太鼓の音で頭が割れそうだった」「人の歌声のせいで頭痛がした」「機械の音が嫌だった」など、音のせいで頭が痛くなっているということがわかってきました。かと思えば、ケロッとしたりゲラゲラ笑ったり…他にも大きな音やうるさい場所はたくさんあるのになぜ?出典 : 息子は耳が敏感で、それがお出かけ先で彼を疲れさせてしまうということがわかったため、私はいつも耳栓やイヤマフなどのグッズを欠かさず携帯しています。少しでも大きな音が周りにしていたら、息子に「耳栓する?」と聞いています。また、その場にいることを決して強要しないようにもしています。特に、お祭りや花火などは危険です。ただでさえ人が沢山いて、視覚・触覚の刺激が息子にとって辛いことに加え、太鼓やお囃子、花火の爆発音などは9割アウトです。お祭りはまず楽しめない前提で、なるべく行かないか、すぐに帰れる体制を整えてから出かけています。ところがこんなに聴覚過敏に悩まされている息子ですが、とんでもない大音量でもケロッとしていたり、むしろゲラゲラ笑っていたりすることもよくあるのです。例えば、目の前を駆け抜ける救急車や消防車のつんざくようなサイレン音。工事現場の重機の音。映画館の大音量の音楽を聞いても疲れる様子は見られません。また、公文の教室で周りの子どもがワイワイ騒いでいる環境でも、あまり気にせず集中して勉強ができます。周囲の音を気にしてオロオロしているのは私だけ。息子は大人でさえもうるさく感じる音を、全く意にも介していないことがよくあるのです。一体これはなぜなのでしょう。えっ!?そうだったの?息子が嫌がるのは特定の音じゃなかった出典 : どうも息子の聴覚過敏は音量そのものが問題ではないような気がする…、そう思った私は、ある日息子に聞いてみたのです。「息子くんはどんな音を聞くと頭がガンガンするのかな。教えておいてもらえると助かるな」すると、息子はこう言ったのです。「どの音がダメ、とかじゃなくて、不安な気持ちになったときに、周りの音で頭が痛くなる」これ、実は私にとってすごい発見でした。息子は特定の音が嫌だったわけでもなく、音量が大きいことが辛かったわけでもなかったのです。聴覚過敏は、「不安な気持ちでいっぱいいっぱいになっている」ときに生じるパニックの一形態だったのですね。ですから、息子の聴覚過敏への対応は、「嫌いな音・大きな音を取り除くこと」ではなく、「不安になる状況を取り除くこと」が大切なのだとわかったのでした。排除すべきは「音」じゃなく「不安」だった!出典 : 聴覚過敏は不安が高まったときに出てくる症状なので、まずどこかに出かける際は不安要因を特定することが大切です。例えば、息子が9割方座り込んでしまうお祭り。これは、人の多さや屋台で並ぶことなどのストレスが積み重なっているのが原因で、聴覚過敏が発動します。コンサートや発表会などは、「じっとしなければならない」というストレスが限界にまで達し、ステージ上の音に耐えられなくなります。また、次の見通しが立たないような状況でも、聴覚過敏が発動しやすくなります。病院などに連れていくと、受付の放送の音すら嫌がることがよくあります。これは、病院という場所で何をされるかわからないため、極度の不安状態に陥っているためだと思われます。聴覚過敏に対応するためには、まず不安要因を特定すること。不安な気持ちが和らげば、少々の音も耐えられることが多いです。それでも不安やストレスでいっぱいになってしまうことはあるでしょうから、外出時は必ず耳栓やイヤマフは忘れないように携帯しましょう。
2016年11月10日発達の遅れがあった息子を保育園に入れたい!でも心配事は尽きなくて…出典 : 保育園や幼稚園にお子さんを通わせるとき、「みんなと一緒に過ごせるだろうか?」「問題を起こさないだろうか」と不安になったことはありますか?そんなとき、助けとなるのが加配の先生です。加配とは:生まれつきの発達障害などで、他児と同じように保育園の生活を送ることが難しい子に、配慮を加え、生活を支えること。我が家では息子が年少の時から加配の先生を付けて頂きました。今回はその経緯と息子の成長、頼む時の注意点などをご紹介したいと思います。現在小2で支援級に通う広汎性発達障害の息子は、年少(3歳)のときから年長まで、公立の保育園に加配(介助)の先生のサポートを受けながら通っていました。息子は指示が通りにくく、気が散りやすい特性があります。周りとのコミュニケーションをとるのが苦手なので、療育の先生方からも「集団生活を送るには介助の手が必要」というご意見をもらっていたのです。保育園について療育の先生に相談したところ、「医師の意見書や書類があれば、公立の保育園などでは介助の先生を希望すれば申請ができる」とのことだったので、加配の実績がある園を探し、見学してから申し込むことにしました。入園申し込みの際は、かかりつけの精神科の医師に「集団保育が可能なこと、介助が必要である」という書類をいただき、申請書類に添付をしました。うちの場合は愛の手帳(療育手帳)も持っていたので、手帳のコピーもあわせて添付しました。認可保育園では加配保育は本来「障がい児3名に付き加配保育士1名」といわれています。ですが、(中略)グレーゾーンの子ども達が現場に増えてきて、もはや厳密にそんな基準が守れなくなってきています。加配の先生がいてくれて良かった!成長の助けとなった3つのポイント出典 : その後、ご縁あって4月から保育園への入園が決まり、園生活が始まりました。実際に加配の先生についてもらったことで、良かった点を3つご紹介します。出典 : 入園当初はオムツをはずせなかった息子。フォークやスプーンも上手に使えないなど、生活に困ることがいろいろありました。介助の先生は、トイレの時間になると声かけをし、時間排泄への誘導を促してくれました。その後も息子の成長に合ったトイレトレーニングを根気よく考えてくださり、担任の先生の協力もあって園・家庭の双方で協力した結果、4歳の時にはやっとオムツが外れました。また、入園当初は物にしか興味がなかった息子も、加配の先生との関係作りからスタートし、先生を介したお友達との関係作り、お友達と息子の関係作りと、スモールステップを経て、人との関係が楽しめるようになっていきました。他のお子さんとのトラブルがあった際も間に入り、相手の気持ちを想像するのが苦手な息子と、気持ちを一緒に考えたり、謝る練習をしたり、丁寧にコミュニケーションのやりとりの練習を繰り返し行い、成長を援助してくださいました。Upload By たっくんママ園での様子を共有してもらうときは、連絡帳を使ってやりとりしていました。他のお子さんは、園であったことを家に帰ってからママにお話するようですが、言葉の遅れがあった息子は、思いだして話すことが難しかったので、連絡帳を見ることで園生活の把握をしていたのです。息子にはこちらから「今日は○○公園までお散歩にいって、滑り台をしたんだね」「鉄棒頑張ったんだね」など私のほうから連絡帳をみて息子に話しかけ、一緒に振り返りをしていました。連絡帳のおかげで、息子の頑張りを家でも褒める機会ができたのは良かったです。また「週末は○○に家族で行きました」「おまるでのおしっこが1回が成功しました」「祖母の家に帰ったときに悪いことしても謝れませんでした」…などの、家庭や外出先での様子を私も連絡帳に書き、情報の共有を図っていました。Upload By たっくんママ手先を使った細かい動作などが苦手な息子は、同世代の園児のお友達よりも苦手なことやできない事がたくさんあったのですが、こうした劣等感を持ちやすい場面でも、加配の先生がいてくれたおかげで、できる範囲からちょっとずつチャレンジさせてもらいました。例えば工作の時間では、息子のできる範囲で始めは作り、できた部分を褒めてくださいました。そして、回を重ねるごとに少しづつできる範囲を広げながら、その都度褒めてくれるので、達成感や自己肯定感を育むことができました。それを実感するエピソードがあります。運動会でのかけっこに参加していた息子。レースではビリだったのですが、戻ってくるなり「お母さん、僕早かったでしょ~」とニコニコの笑顔で報告してくれたことがありました。これは息子が、自分を周りと比較せず自分が頑張ったのか、そうでないのかという基準で物事を考えられるようになった証だと思いました。加配の先生を付けてもらうときのコツ、把握しておいた方がいいこと出典 : 我が家の場合は、翌年4月からの枠にむけ、自治体の一斉申し込み締め切りの12月に申請をしました。もし加配を付けてもらいたい場合は、医師からの書類が必要だったので申請にあわせたスケジュールを組むことが大事だと思います。申請の順番は、①診察予約②診察・相談・書類申請③書類発行という流れだったので、病院の混み具合や定期診察のタイミングによっては診察予約自体で数ケ月待つことも考えられます。もし仕事と合わせて4月からの入園を希望する場合は、それぞれの自治体に沿った保育園の申請時期に間に合うよう、病院にかかる時間や書類発行までに余裕を持ってスケジュールを組むと、安心だと思います。ちなみに、うちの自治体は12月が申請時期でした。また我が家の場合は、保育園の申請理由が就労であったため、ファミリーサポートの一時保育なども利用して、就職活動をし、12月の申請時期に就労内定をいただくことができました。年齢や自治体の状況によって変わってくるとは思いますが、保育園の入園要件には「保育に欠ける」という部分が大前提なので、申し込む場合は自分がどの要件で申請になるのか、窓口などで相談してみてもいいかもしれません。保育園に入園できる条件(保育園情報BOX)出典 : 私立の保育園・幼稚園の場合は加配について方針がバラバラなようです。ちなみに、公立の保育園のほか、公立の幼稚園でも加配を付けられるところもあります。園の考え方や、その年に在籍するお子さんの状況によって変わることもあるので、とにかく希望の園には事前に見学に行って、●園全体で今まで加配の付いていたお子さんはいるのか●いるとしたらどのような感じでついているのか?ということを確かめておくと安心できると思います。園によって、マンツーマンだったり、数人に1人もしくはクラス全体に1人だったり、加配はいないなど、色々なケースが考えられます。電話で見学予約のときに、「介助の先生つきで、園に通っているお子さんはいますか?」と伺ってみて、「そいういうお子さんはうちの園にはいません」と回答するところは、選択肢から外してもいいかもしれません。最後に、入園してからも加配の先生との関係は全てお任せではなく、積極的に連絡帳などでコミュニケーションをとることをお勧めします。迷っていたら、相談だけでも!出典 : いかがでしたか?我が家の場合は、加配の先生と担任のおかげて楽しい園生活を送ることができ、とても感謝しています。もし、お子さんが苦手なことなど困りごとがある、園など集団生活に入れたいけど、不安も大きい…とお考えの方は、療育やかかりつけの先生に相談するなど、1度検討してみてはいかがでしょうか?
2016年11月10日発達障害の娘、フレンドリーなところは長所でもあるけれどUpload By SAKURA広汎性発達障害の娘は、初めて会った子でもどんどん近づいていき、ぐいぐい話しかけます。お店などのキッズスペースに行くと、必ず大きな声で自己紹介。娘の行動は間違っているわけではありませんが…いきなりこれをやることで、必ずと言っていいほどその場を凍りつかせます。よく言えばフレンドリー…しかし、空気が読めないという発達障害の特徴でもあります。どんどん話しかける娘の行動に、周りのお友達は引いてしまい…Upload By SAKURAUpload By SAKURA娘にとっては、自己紹介が終わればもうはい!これでもうみんなおともだち!「いっしょにあそぼー!」「なにやってるのー?」「ねえ!なまえは?」と相手が嫌がってもお構いなしで話しかけていきます。Upload By SAKURAUpload By SAKURAしかし、娘の度が過ぎる行動は、他のお友達から浮いてしまい…そんなしつこい娘を避けるように、娘の周りの子たちはいなくなってしまいます。「あれ?なんで?どこいくの?」と言う娘を見るとなんだか痛々しい気分になります。「1人で遊びたかったのかもね」「いきなりだったからびっくりしちゃったかもね」とフォローの言葉をかけますが、親としては内心悲しく…凹む日もあります。しかし、このフレンドリーさは娘の長所!これから先、良いこともあると信じて、今は周囲の状況を理解できるように促す日々です!
2016年11月09日学校でのストレスが思わぬ方向で現れた息子。どうしよう…出典 : 小学校入学直後から「学校いかれへん!」となったショックで、まるで赤ちゃん返りしたかのように母親から離れられなくなった息子は、気に入らないことがあると、暴れるようになりました。「学校に行ってみようよ」「あかんで!」「お風呂に入ろう」「いらん!」「もう寝る時間だよ」「起きてる!」…何を言っても反抗、途方に暮れる日々が夏休みまで続きました。学校には付き添い通学で少しずつ慣れることにしましたが、ゼロ歳の妹の世話や家事もあり、日々を過ごすだけで精一杯です。少し気力があれば学習のフォロー、また2年生からの特別支援学級入級への手続きをしなければ…と、くたくたで笑顔も出ない状態でした。そんなとき、9月に家族と訪れた病院の待合室でふと目についたのが、花風社の『自閉っ子、こういう風にできてます!』という本でした。この本を見て、「もしかして、息子もこんなふうに世界を見てるのかも?」と思ったのを覚えています。児童精神科の医師に聞いてもはっきりと答えてもらえなかった、「自閉症スペクトラム」の世界観に触れ、その謎が初めて少し解けたように感じたのでした。私はそれから少しずつ、自閉症について気になることを、本で調べるようになりました。1冊の本が、息子とのコミュニケーションを変えてくれた出典 : 夢中になって読んだ本の1つが、『伸ばそう!コミュニケーション力―不器用でも、体力なくても、友だちいなくても、今日からできるワクワクトレーニング』(花風社)です。このを読んだとき、息子を観察してうっすら感じていた「言葉のやりとりも学習も、全て『身体が動くかどうか』がキモかもしれない」という思いを強くしました。中でも「ボールの投げ合いっこ」という遊びにピンときました。私はさっそく息子と試すことに。「投げるでー、取ってや!」と声をかけて、投げてみました。すると、反抗的だった息子がこちらを向いて取ってくれたのです。今度は「お母さんに向かって投げ返して。」と言うと投げ返してくれました。息子と向き合えている、考えるより先に体が動いてる、いいかも!と直感で思いました。だんだん慣れてきたら「今から100回、投げ合いっこしよう」と伝え、始まりと終わりをくっきりさせました。狙いはコミュニケーション力で、ボール投げの上達ではありません。「お母さんがつかみやすいように投げ返してね。」こちらも子どもの真正面に、とりやすい球を投げるようにしました。このように、「やりとりする経験」がただただ楽しくて、夢中で積み重ねられる。遊び×スポーツにこんな力があったのかと、目からうろこでした。まずは「楽しさ」を大事に!ってことであんなモノもこんなモノも投げてみる出典 : ボール投げで使うのは、ボールだけではありません。投げるものはその時々で決めます。百円ショップのボール、ビーチボール、タオル、赤ちゃん用のやわらかい布のボール、ムササビのぬいぐるみ、紙飛行機というときもあります。いろいろ面白がって投げてるうちに、「次はこれ」と、息子自身が自分でボールを決められるようになってきました。テレビを見るのをやめてほしいな、宿題をやってほしいなというときも、とりあえず投げてみる。まずは楽しく、注意をこちらに向ける。それから話をすると、少しこちらの話を聞いてくれるようです。小3の現在、ペットボトルをバットに見立てて打ち返すことを思いつき、やってみるようになりました。うまくできなくてもパニックにならずに「次投げて!」と言えるようになった息子。クラスメートとのチームプレーにはまだまだほど遠いですが、コミュニケーション力は伸びてきていると感じています。コミュニケーション力がついてきたら、いろいろな力が伸びてきて…出典 : 九九の暗唱の宿題も、キャッチボールを組み合わせ、交互に言いながら投げ合いっこをする、というスタイルにアレンジ。これは大人も脳トレになります。他のアプローチもいろいろ試したので、これだけのおかげとは言えませんが、だんだん本も読めるようになりました。おそらく眼球コントロールに慣れたのだと思います。以前は読み飛ばしが多く、意味が理解できずイライラしていたのですが、正直ここまで成長するとは、想像できませんでした。また、1度だけ怒りながら投げ合いっこしたこともあります。その日はどうしても私の気持ちが収まらないことがありました。一緒に遊んで切り替えようと思ったものの、やはり言いたいことを言わずにはいられなかったのです。私:「どんなに嫌なことがあっても、暴れれば『やらなくて済む』って思ったら、間違いだからね!」と思いっきり強いボールをなげます。息子:「アタマではわかってるけど無理やねん」ボールが返ってきました。私:「それでも自分で自分を止められるようにならなきゃ」とまたバシッ。半泣きになりながら全力で投げ返す息子。ずいぶん強い球を受けられるようになったな、叱ってるのに褒めたくなった、不思議な時間でした。身体を使ったコミュニケーションは、親子だけのものじゃない出典 : キャッチボールを通じて、息子と少しずつコミュニケーションが図れるようになってきた私は、進級時に新しく担任になった先生にもこのことを伝えました。「時間のあるときに、息子とボール遊びしてもらえませんか?言葉じゃなく身体で感じるほうが、ぐっと関係を結びやすいタイプです」と。その後、ゴム縄くぐり、片足立ち、押し相撲など他の遊びも、思い立ったらすぐ、いろいろやるようになりました。遊ぶときは親も本気で競います。お互い運動音痴なので、笑えます。できないこと、困ることはまだまだたくさんありますが、1つひとつ積み上げていけばなんとかなるかも。難しいボールが取れた時の息子の「どや顔」を見ていたら、そんな気がしてきます。
2016年11月08日中学生のADHD息子との朝は、いつも闘い!Upload By かなしろにゃんこ。毎朝アニメキャラの髪型のような、派手な寝ぐせのあるADHDの息子。不器用なので、寝ぐせ直しのスプレーや櫛を使って上手に寝ぐせを直すことがもともと苦手なのですが、息子は寝ぐせの場所を教えてあげても直そうとはしません。「身だしなみ」が面倒くさくてたまらないようなのです。ヒゲも生える年頃ですから、身だしなみを気にして欲しい親心から口うるさく言ってしまいますが反抗期の誰にも指図されたくない気持ちと重なって注意すると過剰に反抗してきます。息子流!?身だしなみに対する考え方は…Upload By かなしろにゃんこ。集団生活では、周りに不快感を与えないための身だしなみもマナーだと伝えると、「学校に行くだけで、そんなの関係なくね?」「見た目がよくないだけで文句を言うヤツのほうが悪い」「そんな小さいことにこだわっていたくない」と、あぁ言えばこう言う…言っても言っても聞き入れてもらえませんでした。高校生になると、色気が出てきたのか!? 徐々に自分から格好を気にするようになりましたが、オシャレ度はまだまだな息子なのでした。
2016年11月08日自分の物を使われると激しく怒る娘。それは食卓の座席ですら許されない!出典 : わが家には8歳の娘と6歳の息子がいます。共に自閉症スペクトラムの診断が下りていますが、娘はアスペルガー、息子はAHDHの傾向が強く、そのタイプは全く違います。娘と息子の関係は、最近とても良好になってきました。両極思考の激しい娘が、今まで「敵」に分類していた息子を「味方」に入れてくれたことで、家の中に2人の笑い声が響くようになったのです。もちろん、お互い余裕がない時には罵り合い、ケンカになる事もあります。その中でも、娘の口からよく飛び出すのが「お姉ちゃんの物に触らないで!!!」という言葉です。例えば娘が勉強している最中、息子が食卓の娘の座席にちょっと腰をかけたときなどは、その瞬間に「そこはお姉ちゃんの席!自分の席に座ってちょうだい!」と怒りモードに突入してしまうのです。娘の怒りの対象は息子だけでなく、母親である私以外の人物が娘の物を使用したときに、強いストレスを感じます。「これ使わせてね」ときちんと断りを入れてからだと、何とか許そうとはするのですが、「いいよ」と答える時の娘の顔はひどく歪んでいます。「今使っていないんだからいいでしょ?」と諭してみますが、「そういう問題じゃない」という答えが返ってきます。どうして自分の物に他人が触れるということに、そこまでストレスを感じるのでしょうか?思考回路がそっくりな私と娘。そして、思い当たった2つの答え出典 : ちなみに、私と娘は思考回路がそっくりで、なにか物事が起こった時に、同時に同じ言葉を発することがよくあります。そこでまず私が、自分の物を他人に使われて猛烈に嫌だと感じるのはどんな時なのか?、想像してみました。思いついた答えは2つありました。出典 : まず1つ目は、物に対する思い入れが強すぎるということです。私も娘も色に対するこだわりが強いので、全く同じものでも色が違うだけで、その物の扱いが変わってきます。例えば色違いの毛布が2枚あるとします。気に入った色の毛布に包まれると、それだけでとても幸せな気分になりますが、気にいらない色の毛布は、包まれることを想像するだけでとても居心地が悪く、手に取ろうとも思いません。両極思考が激しいので例え同じ毛布でも、色によって大切な宝物になるか?どうでもいい存在になるのか?が、決まってきます。そして宝物となった毛布は、それが目に入るだけで自分を幸せにしてくれる大切な存在となるのです。娘にとって、その気持ちを理解してくれるのは思考回路が似た私だけであり、自分と同じように大切に毛布を扱ってくれる母親に使われるのは構わないようです。しかし自分と同じように、大切に毛布を扱ってくれない他人に手を伸ばされるのは、とても心配なことなのだと思います。出典 : 警戒心が強く、嗅覚過敏も合わせ持つ娘。大切な毛布が元の状態で返してもらえるのか、汚れたり傷つけられたりしないか、いつもと違う匂いがついてしまわないか、常に見張っていなければなりません。色にこだわりのない人からは「どっちでも一緒でしょ」とよく言われますが、私たちにとっては雲泥の差があるのです。毛布の例を挙げましたが、私と娘は、家にある全ての物にこの「大切な宝物」か「どうでもいいもの」なのかの判定を行っています。色、形、匂い、思い出…。様々な要素が判定材料となり、他人に触れられたくない「大切な宝物」は山のように存在します。私は子育てをしているうちに、自分のことより子ども優先の生活になったので、最近マシになりましたが、娘は宝物に囲まれて幸せな反面、常にそれが壊されないか気にかけなければならず、苦しいだろうな…と思います。出典 : つ目に、自分の安全地帯を他人に侵されたくない、という気持ちがあります。警戒心が強いタイプの私は、ここなら大丈夫という「安全地帯」を常に探して生きているような気がします。例えば、ショッピングモールでトイレに行く必要があったとき。特にこだわりのない方なら、1番近いトイレに入り、その時に空いている個室を何のためらいもなく使われることでしょう。しかし、私にとっては1度利用した経験のあるトイレこそが安全地帯で、その他のトイレはよくわからない不安に満ちた場所です。よほどのことがない限り、いつも決まった場所のトイレに足を運び、右から何番目の個室を使う、というのも決まっています。当たり前のことですが外とは違い、自分の家というのは全て知った場所、全て使ったことのある物ばかりなので、私の人生の中で最大の安全地帯です。私も娘も極力外出を避ける傾向にありますが、それは安全地帯である家の中で過ごすことで、未知の場所に対するストレスに左右されず、のびのびと息ができるからだと思います。出典 : 家の中でも、「自分の場所」「自分の物」というのはきちんと決まっています。お風呂上りに使うバスタオルも家族で色分けしてありますので、洗濯が追いつかずに誰かのものを使わなければならないときは、それが例え大切なわが子のタオルであっても、かなり躊躇します。自分がいつも座っている定位置というのは、家の中でもとりわけ安心できる場所です。そこから見える景色、その椅子に座った感触、右側にあるもの、左側にあるもの、全てをきちんと把握してあるからです。私と娘にとっては大切な「安全地帯」ですが、夫や息子にはもちろんその境界線が見えるはずもなく、「今は使っていないのだから構わないだろう」とあっさり侵略してきます。大切な安心できる場所が誰かに荒らされている(ように私たちの目には映る)のを見た瞬間、やはり大きなストレスがかかり、怒りに直結してしまうのだと思います。2つの理由は娘にも当てはまっていた。では、どうすればその辛さは楽になるのだろう?出典 : 理由に見当がついたところで、さりげなく娘に「こんな風に思うことある?」と、私が思いつく2つの理由を例に出し、聞いてみました。すると娘は「よくぞわかってくれた!やっぱりママは私の唯一の理解者だ!」と満面の笑顔でしたが、このままでは周りも娘自身も生き辛く感じることでしょう。長時間一緒にいる家族だからこそ、理解し合い、譲り合って過ごせたら、お互いが楽になるはずです。まずは私が架け橋となり、息子には「これはお姉ちゃんが大切にしているものだから、触らないようにしようね」と、どれがお姉ちゃんにとっての宝物なのかを教えるようにしています。他人の感情をくみ取るのが苦手な息子にとっても、一番身近なお姉ちゃんの感情を学ぶことはとても良い経験になってくれると思います。いずれは人と共有できるように…出典 : そして娘には、●この感覚は、皆が持っているわけではないということ●物を大切にし過ぎるあまり、大切な人を傷つけてしまわないようにすること●「これは私にとってとても大切なもの」と自分で他人に伝えられるようになれればいいことを話している最中です。これから少しずつ娘が許容範囲を広げ、自分の「安全地帯」に誰かを招き入れることができるように、「ここは絶対に人を入れたくない場所」を1つに絞り、皆と共有できる場所を増やせるよう、工夫を重ねていきたいと思います。
2016年11月08日「伝えたい!」子どもの指差しが言葉につながる出典 : 「指差し」とは、興味のあるものや、欲しいものに対して人差し指を向ける子どもの行動です。指差しの仕方は、子どもによりさまざまで、子どもによっては人差し指ではなく中指を使ったり、手全体を使ってものを指し示したりする場合もあります。指差しには、子どもが育っていく上で大変重要な役割があります。まだ十分に言葉を話すことのできない子どもにとって、指差しは大切なコミュニケーションの道具です。指差しは、発語と深いかかわりがあります。言葉が出る前から始まるので、「ことばの前のことば」と言われる場合もあります。指差しは、子どもがさまざまな力を獲得したことを示す目印となります。例えば、何かに興味をもつ力や、共感する力、他人の意図を読み取る力などです。相手と目を合わせて笑う、という二者間の関係しか持つことのできなかった子どもは、指差しを使って「自分と相手ともうひとつ」という三者の関係を持てるようになります。そのような関係の広がりは、その後の子どもの育ちにも大きく関わってきます。Upload By 発達障害のキホン身につける力とともに変わる指差しの意味出典 : 子どもは生まれたその瞬間から、さまざまな力を身につけていきます。指差しが出始めてからも、子どものコミュニケーション力は育ち、それととともに、指差しの種類も増えていきます。あまり細かい分類にこだわる必要はありませんが、指差しのステップについて知っておくことで、子どもが指差しをしたときに、どのような力を身につけているのかを知る手がかりになります。赤ちゃんを抱っこして「○○だよー」と声をかけると、大人が視線を向ける物に自分も目を向け、一緒に見ることがあります。これは、相手が興味を持っている方向を察して、その方向には何かがあると推測する力が身についたことのサインです。これができるようになると、もう少しで指差しが出るようになります。自分の興味関心のあるものを見つけたときに指をさすことを、「自発の指差し」といいます。それまでは「相手と自分」という2つの関係だけで満足していた子どもが、周囲の環境や物に対して関心をもつようになると、この指差しが出るようになります。自分の欲しいものに対して「あー」などと声を出しながら、しきりに指をさすことを、「要求の指差し」といいます。子どもが自身の興味のある物を見つけたときや心を動かされたときに、指差しを使って、「僕の好きなものがあるよ!見て!」と大人に教えることを、「感動の指差し」といいます。このとき子どもは、「あー」「うー」などと声を出したり、大人のほうを見たりしてアピールをします。叙述の指差しや定位の指差しとも呼ばれます。感動の指差しをするとき、好きなものという「対象」を相手と「共有する」力を身につけている状態だといえるでしょう。その説明については下に述べます。「○○はどれ?」と聞かれたときに、その答えを指すことを、「応答の指差し」といいます。これができる頃には、「~持ってきて」などの言葉による簡単な指示を理解して行動できるようになります。対象物が目の前にないときにも、そちらの方向を指差すことができるようになります。例えば、「お母さんはどこ?」と聞かれると、目の前にいない母親の方向を指差すなどです。指差しの習得とともに育つ、「共有する」力子どもは、人や物などの他者とのかかわりの中で育っていきます。乳児期のはじめの段階では、「物と自分」、「大人と自分」という2つの関係でしかやりとりをすることができなかった子どもは、やがて「自分と大人ともうひとつ」というように3つの関係をつくることができるようになります。Upload By 発達障害のキホン例えば、大人と子どもの前にバナナがある光景を考えてみましょう。大人がバナナだね、と言いながらその方向を見ます。すると、子どもは大人が見たのと同じようにバナナを見ます。ここで、バナナを中心として、「大人」「子ども」「バナナ」という三角形ができます。大人の目と子どもの目が、同じバナナに注目している状態です。これを「三項関係」といい、子どもが発達しているかどうかを見るときの大切なパラメーターとされています。感動の指差しをする頃には、この三項関係が成立している状態です。「あっ、ちょうちょがいたよ」と言うかのように指差しを使い、自らの心を動かされたものを大人と共有しようとします。他の人と何かを共有することで、その子どもの世界はより広がりを持つようになります。指差しが出ないときに確認したい4つのポイント出典 : 乳幼児健診の検査項目にもあるように、指差しは子どもの発達を確かめるための指標とされています。この記事を読んでおられる方の中には、1歳半健診などでお子さんの指差しが出ないと指摘され、心配されているご家族もいるのではないでしょうか。先ほどの章で、指差しが出るために必要な力について述べました。さまざまな力が獲得されてこそはじめて出る指差しですが、この章では、指差しが出ないときに確認したいポイントについてお伝えします。聴覚機能に問題がある場合には、音がよく聞こえていないために、相手からの呼びかけに応じる指差しが出ないということが考えられます。聴覚機能に問題がある場合には、聞こえを改善する治療のほかに、視覚的な手段を使ったコミュニケーションをとる方法についてサポートを受けるといった対応が望まれます。1歳半、3歳の乳幼児健診のときにも、耳の聞こえのチェックが行われますが、耳の聞こえは家庭生活の中で見つかることも多いです。心配なときには、以下のチェックリストを参照して、聴覚に問題がないか確認してみるとよいでしょう。赤ちゃんの耳のきこえ チェックリスト|栗原市ホームページお子さんが指差しをできず悩まれている方は、大人が指をさした方向を見るかどうかを確認してみましょう。これは、相手が「そちらの方向を見ている」という意図を感じ取って、大人が見る視線の先に何かがあると期待する力です。言いかえれば、相手が何に関心をもっているのかを理解する力です。この力がある場合には、大人が指をさした方向に目を向けたり、大人が見ている方向を同じようにして見ることができます。この力がまだ弱い場合には、大人が指をさしたとき、大人の指のさす方向に目を向けずに、指そのものを見たり、大人が何かを見ているときにも、それに気がつかなかったりします。子どもが何かを発見したり、何かに興味関心をもっているときの行動に注目してみましょう。自分の興味関心のあることを他の人に伝えたいという気持ちが指差しとなって現れます。しかし、子どもの中に「相手に何かを伝えたい」「相手と何かを共有したい」という気持ちが弱いと指差しが出ないことがあります。言葉の意味の理解が弱い場合には、「りんごはどっち?」など相手からの呼びかけに対して応じる指差しが出ないことがあります。子どもが、身の回りの言葉をどれくらい理解できているかどうか、生活の中で注意してみてください。例えば、子どもの興味関心のあるおもちゃや絵本、食べ物などを「持ってきて」などと簡単な指示をして、子どもの反応を見てみるとよいでしょう。そのときに、実際に何かを持ってきたり、探す素振りをする場合には言葉の意味は理解できていると考えられます。指差しが出ないことと、発達障害の関連はあるの?子どもの指差しが出ないことで、発達障害ではないかと心配されることもあるかもしれませんが、指差しをしないからといって必ずしも発達障害であるわけではありません。発達障害の一つである自閉症スペクトラム障害の子どもの中には、周囲にあまり興味を持たない傾向があり、指差しがなかなか出ないという子どももいます。しかし、実際に発達障害があると診断されるかどうかは、他者とのコミュニケーションがとりにくい、人と気持ちを交わすことが難しい、活動の対象や興味の幅が限られるなどといった、複数の診断項目にどの程度該当するかによって決まるため、指差しの有無だけで直ちに発達障害と診断されるわけではありません。子どもの指差しがなかなか出ない場合でも、発達障害だとすぐに自己判断するのではなく、前述の4つのポイントを意識して子どもの発達状態を探り、必要に応じて専門家のアドバイスを受けながら子どもとの関わり方を工夫してみましょう。指差しを引き出すための工夫出典 : ここでは、子どもの指差しを引き出すための工夫についてお伝えします。周囲の環境を整える方法と、お子さんへの関わり方を工夫する方法の、大きく2つがあります。◇テレビの長時間視聴は避け、子どもが他人と関わる時間を増やすテレビをつけていると子どもが集中して静かになるので、子育て中の親にとってテレビは便利な道具でもあります。しかし、だからといって、テレビをあまりに長時間見せていると、子どもの発達が妨げられるおそれもあると言われています。テレビからは一方的な情報が流れてくるので、子どもは受け身になってしまいます。テレビから受動的に情報を受け取っているときには、人とやりとりを行うのは難しいです。子どもがテレビを長時間視聴することは避け、他人と直接やりとりする機会を増やすことを意識しましょう。他人と一緒に楽しい時間を過ごすことで、愛着関係が形成され、より相手に何かを伝えたいという気持ちを促すことができます。ただ、テレビ番組を見ながら、歌や踊りを覚えることもあります。絶対にテレビを見せてはいけないと、かたくなになるのではなく、一緒に踊ったり、歌ったりしながら、親子がともに楽しむコミュニケーションのツールとして活用すると良いでしょう。◇五感を使った体験ができる環境を作る具体的にものにふれたり、身体を使った遊びや活動を行ったり、見たり、聞いたり、味わったりと、五感の器官を十分に使って世界にふれあうことのできる環境を作り、子どものやりとりや遊びを豊かで楽しいものにすることを意識しましょう。豊かな生活体験の中で引き起こされる、相手に自分の感じていることや考えを伝えたいという思い、それが指差しを引き出していくきっかけになります。◇指差ししながら声かけする絵本に描かれている絵を、人差し指でさしながら読んであげましょう。そのときに、りんごや車などのモノの名前や形がはっきりと描かれている絵本を選ぶことがポイントです。はっきりと子どもの耳に届きやすい声で、スキンシップを交えながら読んであげてください。大人の動作を真似して、指差しをしやすくなると言われています。◇子どもの好きな遊びを一緒にやってみる誰かに何かを伝えたいという気持ちを育てるためには、人と一緒に遊ぶ楽しさを味わうことが一番です。子どもの作る世界に大人が入っていってみることを心がけましょう。例えば、ミニカーを一列に並べている子どもがいるとします。たとえ、保護者の方が「その遊びの楽しさがわからない」と思ったとしても、まずは一緒に同じことをしてみてください。楽しさそのものがわからなくても、お子さんは、保護者の方が同じことをしていると気がつきます。ミニカーを「はい、どうぞ」と言いながら手渡すなど、やり取りの中で積極的に声をかけることも効果的です。このように子どもの遊びに積極的に関わっていくと、最初は一方的だったとしても、次第にコミュニケーションが生まれていきます。また、他には、子どもの様子から思っていることを予測して声かけをしてあげたり、ボディタッチなど体のふれあいを通した遊びを取り入れましょう。信頼関係を築くことは、やりとりを行いたいという前向きな気持ちを促し、指差しを引き出すきっかけとなります。◇2つのものの中から選ばせる2つのものを示して子どもが主体的に選択できる機会を作ってあげるといいでしょう。例えば、りんごとみかんを見せて「りんごとみかん、どっちがいい?」「大きいクッキーと小さいクッキー、どっちがいい?」などです。選ばせるときには、「どっちがいい?」「どちらで遊ぶ?」などと、好きなものを指を使って選びとるような課題がよいでしょう。2つの差し出されたものから自分の指を使って、ひとつを選ぶという経験は、大きい小さい、高い低い、長い短いという対比の概念の理解にもつながっていきます。指差しが出なくて心配なときは、専門機関に相談してみましょう出典 : 乳児期の子どもの発達には個人差があります。時間がたてば、指差しが出てくることもあり、心配が取りこし苦労だったという場合もあります。しかし、専門機関に相談してみることで、子どもの発達に関するアドバイスをいただいたり、より専門的な支援が必要と判断された場合に適切な専門機関を紹介してもらえたりします。気になることがあるときには、以下のような専門機関を訪れてみるとよいでしょう。小児科は子どもの病気の診療だけではなく、子どもの発達に関する悩みごとの相談にも乗ってくれます。より子どもの発達に詳しい専門機関などの情報も持っており、地元の専門機関を紹介してくれる場合もあります。行政や自治体が実施主体となって行っている事業です。子育て中の親子が気軽に集い、交流や子育ての不安・悩みを相談できる場を提供することを目的として各地域に設置されています。無料で相談をすることができます。0~17歳の児童を対象として、育児の相談、健康の相談、発達の相談など、さまざまな相談を受け付けています。必要に応じて、発達検査を行う場合もあり、無料で医師や保健師、心理士、言語聴覚士などから支援やアドバイスをもらうことができます。基本的に予約制なので、あらかじめお住まいの市町村のHPなどを見て確認するようにしましょう。乳幼児健診は、各市町村の保健センターなどで行われているもので、、子どもの心身の発達状態の確認や、病気の早期発見や予防をするための検査です。保護者が普段の子育てで疑問に思っていることや、なかなか話す機会がない不安などを専門家に相談できる場でもあります。また、乳幼児健康診査は、同じ月齢期の赤ちゃんを育てる保護者も来ており、子育てを同じくする人と情報交換できる場所でもあるので、上手に活用しましょう。児童発達支援とは、小学校就学前の6歳までの障害のある子どもが主に通い、支援を受けるための施設です。日常生活の自立支援や機能訓練を行ったり、保育園や幼稚園のように遊びや学びの場を提供したりといった障害児への支援を目的にしています。児童発達支援は、支援が必要であると認められた、未就学の障害のある子どもが対象の福祉サービスです。自治体に申請を出し、受給者証を取得することで、1割の自己負担でサービスを利用することができます。以下のリンクから、全国の子どもの発達支援を専門に行っている施設や機関を検索することができます。児童発達支援事業所の施設一覧 | LITALICO(りたりこ)発達ナビ専門機関に相談する前には、普段の生活の中でのコミュニケーションの様子や好きな遊びなど、子どもの様子をメモしておくとよいでしょう。普段の子どもの様子を伝えることは、専門家が子どもの発達段階を把握するために役立ちます。そうすることで、生活の中で取り入れられる工夫や気をつけるべきことについて専門家から教えてもらいやすくなります。まとめ出典 : 子どもの指差しの役割や種類、また指差しが出ないときに確認したいことや、引き出すための工夫についてご紹介しました。指差しは、言葉を話すことのできない子どもにとって大切なコミュニケーションの道具です。指差しを使って、「自分と相手ともうひとつ」というように関係を広げ、自分の想いを他者に伝えていきます。子どもの指差しが出るためには、物や人とのかかわりの中からさまざまな力を得ていることが必要となります。指差しが出ないときには、まずは子どもがどのようなことに興味があるのか、好きなのものは何か、と子どもの世界に寄り添いながら、その経験を豊かなものにしてあげましょう。
2016年11月07日小学生になると出される宿題。一体何のためにやるもの?出典 : みなさんは「宿題」と聞くとどんなイメージを抱きますか?嬉しいもの?イヤなもの?イヤだけどやらなくちゃいけない?我が家は長男の宿題に本当に悩まされました。嫌がる子どもに、無理に取り組ませる宿題。そのたびに子どもも親もヘトヘトになると、「一体何のためにここまでしなくてはいけないのだろう…」と思うことも。今回は1冊の本をご紹介しながら、子どもに合った家庭学習のありかたについて、考えてみたいと思います。現在小5の長男は、読み・書き・計算に困難さを持った「学習障害」と診断を受けています。それでも就学相談の時点では、IQが平均以上ということ、言語性が高くおしゃべりが達者だったことなどから、普通級への就学を勧められ入学しました。学校では、音読や漢字の書き取り練習、計算の宿題が毎日出されます。読み書きと計算が苦手な長男は宿題を前にするたび大泣きし、自分の頭を自分で叩きながら取り組んでいました。このように、私たち親子が学校生活の中で1番苦しんだのが、宿題だったのです。親の思い込みが、子どもを追い詰めていた出典 : このままではいけない…と思った私はその後、就学相談や担任の先生と相談をしたり、通級学級に入級したり、宿題の量を減らしてもらったりなどの対策を取りましたが、状況は一向に変わりませんでした。当時の私は、「宿題はみんなしなくてはいけないものなのだ。」と考えていました。担任の先生からも「量は減らしていいので、みんなと同じものをやってください。」と言われたこともあり、「みんなはもっとやってるんだよ、減らしてもらったのだからわがまま言わずにがんばりなさい!」と、大泣きする長男叱り、やらせていたのです。しかし、心の中ではずっと思っていました。音読や漢字の書き取り・計算は本当に彼にとって、毎日しなくてはならないものなのだろうか?もっと、彼に合ったやり方、彼に合った課題や目標でもいいんじゃないだろうか…?と。そんなとき出会った運命の本。私たち親子を救ったその内容とは…出典 : そんなとき、出会ったのが『宿題なんかこわくない』という本でした。『この世から宿題がなくなったら、親も子もどんなに楽しい時間を過ごせるだろう。宿題が引き起こす親子バトルの相談を受けるたびに思います。勉強が子どものストレスでなく、楽しいものにするために、我が子に合った方法をこの本から手に入れてください。』(NPO法人福祉広場理事長池添素さん)図書館で手に取った1冊の本。その裏表紙にあったこの一文に、理解者をやっと見つけたような救われた気持ちになりました。本に教わったのは「子どものための」学習のありかた出典 : 私はすがる思いでこの本を読み込みました。内容を一部ご紹介します。『宿題ができないからといって、その子が怠けているとは限りません。宿題ができないのには、理由があります。そして宿題ができなくても、勉強がまったくできないわけではありません。宿題のことを、そんなに重大に考えないでください。』『苦労して宿題をさせても、それに見合うほどの学習効果があるわけではないし、苦しいイメージばかりが増えて、子どもをますます勉強から遠ざけてしまうことさえあります。』では、なぜ先生は宿題を出すのでしょうか。『お母様方は先生に当然の要求のように「学力をつけてください」とお願いします。(中略)先生もまた「学校としての成績を上げよ」と教育委員会や校長から命令されて、さらに宿題を課していきます。その結果、親も先生も「宿題をやらなければならない」と子どもを追い込んでしまうのです。』本来なら、子どものために、子どもに合わせて用意されるべき家庭学習が、大人の都合で「宿題」として出されているのかもしれませんね。出典 : もしそうなら、子どもに合わせた形で用意してあげてもいいのではないでしょうか?この本では、学校でよく出されている漢字/計算/音読の宿題について、子どもたちが苦手意識を持つのはなぜか?を、丁寧に解説しています。そして、学習のやり方次第で、子どもたちが「できた!」という満足感を持ち、学習効果をあげることができる、ということも教えています。さらに、「学習障害的な傾向の子どもたち」「ADHD的な傾向の子どもたち」「自閉症スペクトラム障害の子どもたち」それぞれの特性に合わせた課題の設定の仕方、支援の方法も説明されています。『勉強をその子ができる形にしてやることで、子どもは自然に力を伸ばすことができます。また、時期がくれば自然と力を伸ばすこともあります。だから、子どもを勉強に合わせるのではなく、勉強を子どもに合わせてやればよいのです。小学校に入学し、気を張って1日を過ごして帰ってきた子どもに追い打ちをかけるのではなく、家に帰ったらほっこりさせてやりたい。だから、まずは「宿題なんかできなくても大丈夫」と考えてあげてほしいのです。』宿題への考え方を変え、長男に合った方法を試すことに。すると大きな変化が出典 : この本に勇気付けられた私は、宿題に対する考え方を変えました。そして、教育相談や検査機関の医師と相談を重ねた結果、長男に合う学習方法や環境を見つけることができたのです。その様子については、以下の記事をご参照下さい。その後、特別支援学級へ転学した長男は、彼のペースに合わせた学習を用意してもらい、自信をもって毎日取り組んでいるようです。宿題についても、担任の先生と相談をして「タブレット学習」「漢字の読みカード」「ビジョントレーニング」をさせてもらっています。始めるときも以前のように大泣きせず、「おやつの前にさっさとやっちゃうね~!」と、自分から取りかかるようになりました。当時は長男に無理をさせてしまいましたが、努力ではカバーしきれないことを無理にさせるのは、足が不自由な人に「みんなは100メートル走なのに、あなたは50メートルにしてもらったのだから、がんばってみんなと同じように走りなさい!」と言っているのと同じことなのだと、今は反省しています。「子どもを勉強に合わせるのではなく、勉強を子どもに合わせてやればよい」それがこれほどの効果をあげるとは、正直驚くほどです。もちろんそのためには「学校に全部おまかせ」ではなく、「先生とよく相談をする」「家庭で用意できることは用意する」といった、家庭での努力も必要です。学校では、大勢のそれぞれ個性の違った子どもたちをまとめながら、先生方は日々努力して下さっています。そのことに感謝をしながら、自分の子どもに合った学習方法や支援について相談・お願いをしていく姿勢が大切だと思います。親として大切にしたいのは、子どもの頑張りを理解すること出典 : 先日、私のブログでこの本の紹介をしたところ、あるお母さんからこんな嬉しいコメントを頂きました。「宿題なんかこわくない。今読んでます!息子の事をわかりたいと思っていても、やはりどこかで自分基準でしかわかってあげられてないなぁ~と、つくづく感じます。今日もなんやかんやありましたが、なんだかとても息子が愛おしい!息子はこんな風に生活してるんだ!と抱きしめてあげたい気持ちになりました。素敵な本を、紹介していただき、ありがとうございます!」子どもなりに頑張っていることに気が付くことで、愛おしさが募ってくることってありますよね。たくさんの親子が、毎日をストレスなく楽しく過ごせるように。この本が、その助けとなることを祈ります。
2016年11月07日4月からの就学先、親子の願い通り特別支援級に決定!でも周りの反応は…出典 : 我が家の娘は来年から小学生になります。就学先を決める就学相談の結果、「特別支援学級固定制が望ましい」との判定を受け取りました。娘はもともと、「人が少ないクラスがいい」と強く希望していました。私は娘の兄が過ごしていた通常学級を例に出しながら、・支援学級は、通常学級とは違った形の少人数のクラスだということ・支援学級でも、通常学級で一緒に過ごす機会などもあることなどを何度も聞かせ、意思の確認を行っていました。希望通りの結果になり、娘もホッとした様子でした。しかし私たちが喜んでいる一方で、特別支援学級へ就学になったことを周囲の人に伝えると、中には「え?!そうなの…(お気の毒に)」といった感じの反応をもらうことが何度かありました。どうも「特別支援学級に行く」ということは、「みんなと一緒では勉強についていけないかわいそうな子」というイメージでとらえられているようです。特に娘の場合は、「そんな風には見えないのにそれまた何で?」「やっていけそうなのに、どうしてわざわざそんな所に入れるの?」と疑問に思われているようでした。確かに一見すると問題なさそうに見える娘。でも本人に希望を聞いてみると出典 : 確かに娘は一見何の問題も「無さそうに見える」タイプかもしれません。発達検査の数字を見ると、大きな凸凹がありますが総合値は107と知的能力は平均的です。生活面も自分のことは自分でそれなりにできていますし、問題がないというよりむしろしっかりしているように見えます。たぶん、就学相談で私が特に何も言わなければ、通常学級への就学が決まっていたことでしょう。でも、そんな娘に、どんな学校に行きたいか聞いたときのことです。私「どんな学校がいい?」娘「人が少なくて、静かな学校がいい。」私「どうして人が少ないほうがいいの?」娘「だって、うるさいと疲れるでしょ?それに、お友達がいっぱいだったら困っても先生に言えない。」私「そうなんだねー。あと、先生が『〇〇してください。』って言ったときはどうかな?言われたとおりにできそう?」娘「んー。私は言われたことと違うことをしたり、何を言われたか分からなかったりするでしょ?いっぱい人がいたら教えてもらえなくて嫌だ。…ねえママ、いっぱいって何人くらい?幼稚園のクラスより多いの?」私「30人とか、35人とかかな?今のクラスより多いねぇ。」娘「人が少ないクラスは?」私「多くても多分8人くらいかな。」娘「8人!?そんなら絶対少ないクラスの方がいい!」迷いがなかったわけではない。それでも「娘を支援級に」と考えた理由出典 : 娘は、自分が大勢の中にいるとき、時には一対一でも指示が受け取りにくいことやうるさいのが苦手なことなど、自分がどんなことに困っているのかを幼いながらも自覚していたのです。私はそんな娘を頼もしく思いましたし、こうして一緒に確認することができたのは、私が支援級を希望する大きな動機にもなりました。私はそんな彼女が出来るだけ楽しく、心を壊すことなく通学できるということを最優先に考えました。そして娘が個性を持ったまま伸び伸びと成長するためには、通常級は厳しい環境になるというのが私の結論でした。娘は独特な感性を持っていると同時に、とても繊細な一面があります。ちょっとユニークな彼女が周りに溶け込めなかったとき、その自覚と感情などが言葉に繋がって、私に伝えられるようになったときはもう傷は相当深いものになることや、ちょっとしたことが二次障害に直結するだろうということは、私も主治医も予想するに難くありません。もちろん私も決して迷いがなかったわけではありません。「考えすぎかも」「過保護で心配性すぎかしら」と思ったこともありました。支援級だと送り迎えが必要だったり、自立活動などの時間が入るため勉強が遅れがちになるであろうことや、中学でも支援級だと内申がつかない可能性なども耳にします。それでも私が「娘を支援級に入れたい」と思ったのは、そこが娘にとって一番居心地のいい環境だと考えたからです。大切なのは、「子どもにとって」一番過ごしやすく、能力を最大限発揮できる環境を選択するということだと思います。子どもにとって過ごしやすい環境であれば、それだけトラブルや問題を回避することができ、親のストレスもそのぶん減らせるのではないでしょうか。支援級や支援学校に入ることは、本当に「かわいそうなこと」なのだろうか?出典 : おそらく私と同じように色々な心配をし、さまざまな葛藤や思いの中をグルグルと彷徨いながら、たくさんの考えを経て就学や進路を決めている保護者の方はたくさんいると思います。これだけの思いを経て出した選択なのに、「支援級」や「通級」「支援学校」などに通うことは本当に「かわいそうなこと」なのでしょうか?残念ながら、周囲の方々の中には「支援級」「通級」というものをご存じない方や、正しく理解していない方もまだまだ多数いらっしゃるかと思います。私も、私の親世代の方にはなかなかどういうものかを伝えることができず、最終的に「昔でいう障害児学級みたいなものだよ。」と説明したことがあります。でもそうすると「この子たちは『障害児』ではないでしょう?昔はこんな子いっぱいクラスにいたのに…」などとまた一から堂々巡りの説明に疲れてしまいました。他にも、その必要性を感じていながら我が子を支援学級や支援学校にへ入れることをためらい、家族の理解も得られず、ひとり我が子や学校と向き合い続けてる方もいらっしゃるでしょう。私のように周りの反応にモヤモヤしてしまったり、凹むこともあるかもしれません。ですが、それぞれに考え抜いて出した結論に、自信を持って良いと思うのです。私たちの結論や期待に十分沿えることができる教育環境であって欲しいのはもちろん、通級・支援級・支援学校に対する正しい理解や認識が広まり、子どもたちが、そしてその親たちが何の引っかかりもなく当たり前の選択としてそれらを選べる社会であってほしいと思います。
2016年11月06日とある夏休みの日…パパからのうれしい提案!夏休みのある日、帰宅した夫が息子たちにUpload By ラム*カナこんな約束をしました。「いい子にしてたら」…、ADHDの長男にはイマイチ伝わりにくい表現な気もしますが、当の本人はそれを聞くなり大喜び!Upload By ラム*カナ自信まんまんに、自分に「いい子認定」した長男でしたが、私は振り返りました、その日1日何があったかを…Upload By ラム*カナつい、本音が駄々もれ…(笑)(だって!1日色々あったんだもの!)自称「いい子」の長男によると…Upload By ラム*カナ堂々とすっとぼけるという大技を披露…(もちろん、基本いい子なんですけども!)。翌日、無事にプールを満喫した長男。でも親はもうクッタクタ…Upload By ラム*カナプールというのはわんぱく男子たちを連れていく場所として、非常に神経を使う場所です。人混みですし、危険な場所もいっぱいで、親は1秒たりとも目が離せない状況になります。夫も私も付きっきりで1日を過ごし、くたくたになりました。Upload By ラム*カナでも、とても満足そうに過ごしていた息子たちにとっては楽しい1日!きっと今日は日記も楽しいことが書けるだろう!と、長男に言ってみました。Upload By ラム*カナえ、なになに。素敵な文章思いついたのかな?Upload By ラム*カナ親の頑張りが、いとも簡単に集約されてしまう「一行」日記なのでした。
2016年11月05日「切り替え」が苦手な子は何に困っているの?出典 : アナログゲーム療育アドバイザーの松本太一です。欲しい商品が売り切れだったり、急に雨が降ってきたり…私たちの日常は予期しないアクシデントであふれています。そんなとき「まぁいいか」と諦めたり、次の行動に気持ちを切り替えたりすることで私たちは対応していますが、この切り替えがとても苦手なのがASD(自閉症スペクトラム症候群)の人たちです。特にASDと診断されているお子さんと関わる場合は、見通しが立たないことによる不安やパニックの恐れから、「急な予定変更をしてはいけない」と言われています。親御さんの多くは、その言葉に従ってできるだけ急な予定変更が起きないようにしていますが、実際には時間がないなどの理由で予定変更せざるを得ないこともしばしば。予定を変えられてしまったお子さんは、見通しが急に立たなくなりパニックを起こしがちです。こうなってしまうと後が大変。落ち着かせるのに一苦労です。ちょっとしたお出かけや集団行動のたびにパニックになっていては、行動範囲や選択肢も自ずと限られてくるのではないでしょうか。では、どうすればお子さんがパニックを起こさずに、楽しく外出や集団行動を楽しめるようになるのでしょうか?不安の原因は「次にどうしたらいいのか?」がわからないこと出典 : そもそも、なぜ急な予定変更をしてはいけないのでしょうか?それは、変更によって予め意識していた先の見通しが崩れてしまうからです。ASDのお子さんは特にそのことに強い不安を感じる傾向があります。見方を変えれば、急な予定変更があったとしても、変更後に何が起きるのか?お子さんが明確な見通しを持つことができれば、不安感を減らすことができるのです。見通しを補ってくれるのが具体的な事前の説明出典 : お子さんに見通しを持ってもらうために必要なのは説明です。「なぜ変更をするのか」「変更した後はどうするのか」を丁寧に説明します。例えば、当初遊ぶ予定だったゲームが、途中で時間が足りなくなって遊べなくなるとします。その時は、「今日はすごろくで遊ぶ予定でしたが、時間がなくなってしまったので、代わりにパズルで遊びます。このパズルは、ヘビの体をつなげていって、たくさんカードを集めた人が勝ち、というゲームです。」と言った風に、変更の理由と変更した後に何をするかを具体的に伝えます。言葉の説明に加え、実際にゲームのパッケ-ジを見せるなど、変更後に使う課題や道具などを見せてあげると、より理解しやすいでしょう。具体的に見せられるものがなければ、新たな予定や次に行う行動を表に書いて見せるのも効果的です。Upload By 松本太一こうした説明により、変更後の見通しが明確になるためお子さんが不満を抱いたり、不安を感じる可能性は減ると思います。それでも納得できないときは、子どもたちに選んでもらおう出典 : 具体的な説明をしても、お子さんが納得しなかったときには、次の手段としてお子さん自身に判断を任せてみましょう。「すごろくをやると時間が足りないので、ゲームの途中で終わってしまいます。パズルなら最後までできます。どちらにしますか?」といった風に、選択肢を示した上で、それぞれの選択をしたときに予想される結果も説明しておきます。多くの場合、お子さんは当初の予定にこだわって、最初にプレイするはずだったゲームを選ぶと思います。結果的にはゲームの途中で終了時間が来てしまいますが、予めお子さん自身に判断させるステップを踏んであるので、ゲームが途中で中断するという見通しが立っており、納得しやすいのです。自分で見通しを立てられるようにするためには?出典 : 急な予定変更に直面することは、社会に出ればもっと増えてくるでしょう。上で紹介した、お子さん自身に判断を任せるというやり方は、お子さん自身が急な予定変更に直面したとき、自分自身で新たな見通しを立て、不安にならずに済む力を身につけてもらうことも狙いとしています。そうした意味から、個人差はあるものの、自分の置かれた状況を客観的に把握できる小学生中学生以上のお子さんに対しては、最初にご紹介した大人が丁寧に説明をする方法より、むしろ本人に判断を任せてしまう方法をお勧めしています。
2016年11月05日発達障害の子が起こすパニック。みんな長男のように激しいものかと思いきや…発達障害の子がよく起こすパニック。それは、自分の思い通りにならなかったり、いつもと違う生活に混乱したりしたときに現れ、冷静でいられなくなってしまう状態を指します。Upload By モンズースー長男のパニックは派手でした。泣いたり、怒ったり、話が聞けなくなったり、次の行動に移せずその場から動けなくなって大暴れ。赤ちゃんの頃はよくえびぞりになって大騒ぎ。私が考えていた「パニック」は派手なイメージだったのですが、支援を受ける子どもたちのパニックは、それぞれ違ったものでした。大声や奇声を発する子自分を叩いたり、壁に体をぶつけたり、自分を傷つけてしまう子他者を叩いたり、物を投げたり、噛み付いたりして、他者を傷つけてしまう子…中には固まって言葉が出ない子や、1人片隅で延々泣いてしまう子もいました。このような静かなパニックは、集団の中では見逃されることもあるかもしれませんね。今思うと長男も、1時期壁に頭を打ちつけるなどの自傷行為がありました。当時は理由がわからなかったのですが、今思うと環境の変化などでパニックになっていたのかもしれません。パニックの原因もさまざまですが、パニックの現れ方も色々あるのだな…と思いました。
2016年11月04日不登校のまま中学生になった娘。熱心なA先生の行動は娘に伝わらず…出典 : 小2から不登校の娘は現在中学2年生で、アスペルガー症候群の診断が出ています。小学生の頃からずっと不登校なので、中学へ入学するときには「登校するよう本人に促さないでほしい」「学校からの連絡は月に2回程度にしてほしい」などの依頼を、事前に私からお願いしていました。ところが入学してからすぐに、担任のA先生が自宅に訪ねてきました。30歳くらいの熱心な数学の先生で、毎日発行している手書きの学級通信や宿題のプリントを持参し、月に何度か私と1時間くらい話をして帰るようになりました。「学校に来てください」とは言わないものの、「何かきっかけがあったらいいんですけどね」「外出できましたか?」と、グッドニュースばかり期待する一方的な姿勢に、私はだんだん疲れてきました。また、クラスの子が書いてくれる連絡プリントに「待ってるよ!」「どうして来ないの?」という言葉があるのも気になりました。こちらは行く気がないのに、こうして毎日書いてもらう負担を考えると「そのうちクラスの子に不満が生まれるのでは?」と気がかりですし、娘に見せても心が重くなるだけだろうと考えると、正直気が進みませんでした。連絡プリントも最初は「生徒の教育のためですので」と言われたものの、なんとかお願いしてやっとやめてもらうことができました。娘はA先生が来ている間、寝室に閉じこもって出てきませんでした。そして、4月の終わり頃「もうA先生が家に来るのが辛い」と言ったのです。私は、「申し訳ありませんが、娘がA先生に来ないでほしいと言っているので、私が学校に行かせていただきます」と申し出ました。A先生は残念そうでしたが、その後は距離が遠ざかり、3ケ月に1度学校で話す程度になったのでした。その印象はまるでイノシシ!?言葉と態度でまっすぐぶつかってくれたB先生出典 : 娘が中1のとき、もう1人印象に残っている先生がいました。その先生は体育のB先生です。見た目も性格も豪快ですが、女性の先生です。新しく中学校に入学した生徒の中に、いまだ1度も学校に登校していない生徒がいる、ということで気にかけて頂いたようです。B先生は、学校で問題を起こしやすいやんちゃな子など、いろんな生徒をよく気にかけていました。私が学校で初めて会ったときも、「ああ、お母ちゃん、会えてよかった!りさ(娘)は元気?あの子だけ1回も会ってないから気になってるねん」と強烈な陽のパワーを感じさせてくれました。私は学校で会ったのか人や話したこと、帰ってからいつも娘に報告していました。その日、B先生の印象が強烈だったことを伝えましたが、娘の反応は「あ、そう」と薄いものでした。出典 : ところがその後、地元のお祭りで偶然B先生とお会いしたのです。B先生は私を見つけるなり、側にいるのが娘だとすぐ気付いたようでした。そしてすぐ駆け寄ってきてかと思うと「りさ~!やっと会えた!!」と満面の笑顔で娘をハグしてきたのです。娘はビックリしていましたが、まんざらもない様子でした。後に、「ママ、あの先生面白いな」とニコニコしていました。B先生は家庭の事情もあって娘が2年になるときに退職されました。その後も、私のスマホにはよくメッセージを送って下さり、私とお茶したり、そのついでに家に寄ってもらったりしていました。娘はそのたびにとても喜びましたが、B先生は長居もせず「今日は帰るわな」といつもさっと帰っていきました。娘は「B先生にまた会いたい」と今でも言っています。これだけ特定の先生と信頼関係を築けたのは初めてで、先生の本音丸出しの態度に安心したのかな…と思います。娘の抱いていた「先生」へのイメージが変わるきっかけになったのも、B先生のおかげかもしれません。そして中学2年生。B先生のおかげで少し先生と距離が近くなった娘は…出典 : 先生との関わりで、ほんの少しだけ「先生」というイメージに対して肯定的になっていた娘。中学2年生になり、担任の先生はC先生になりました。娘は中学2年生になるとき、学校にお願いして「個別の教育支援計画」を作って頂きました。その際、C先生にも同席してもらいました。C先生は静かでおとなしい先生でしたが、支援計画では一生懸命取り組んで下さいました。娘は、C先生が若い女性だったので親しみを持ったようです。たびたび学校に足を運び、満足そうな表情で帰ってくる私を見ていたのでしょうか。娘も担任が変わったのを機に、家庭訪問を受け入れるようになっていきました。今でも仲良しな担任のC先生。一緒に料理をしたのは、いい思い出に!Upload By ヨーコC先生ともなじんできたある日のことです。自宅に訪問に来てくれていた先生に「最近娘が料理にハマっているんです」と伝えると、「じゃあ、私と一緒に何か作ろうか?」とC先生のほうから提案してくれました。ラッキーなことに先生は家庭科の先生だったのです。それを聞いた娘は喜んで、たくさんある料理本をめくりながら、「あれがいい、これがいい」と盛り上がりました。その日、先生とパンを作ることを決めた娘。先生はレシピ本のコピーを持って帰りました。Upload By ヨーコお待ちかねの料理を作る日です。先生は家で1度予習して指導のポイントを考えてきてくれていました。粉をスプーンで測る方法、現在の時間から10分後は何分なのか計算する方法、弱火ってどれくらいか、火にかけるとき鍋の柄は自分が立つ方向と逆に向けることなどなど…。パン生地のこね方も丁寧に教えてもらい、娘の目は尊敬の色でいっぱいでした。そうして出来上がったパンは、みんなで頂きました。とてもおいしかったです。娘は先生に「学校の家庭科では、どんな料理してる?」と聞いていました。学校と同じメニューを家で作ろうか?と考えているようです。その後も、2か月に1回程度、先生から私あてで連絡が来るようになりました。そのたび、娘は「先生と料理楽しかった。またいっしょにやりたいなぁ。先生次いつ来るの?」と楽しそうに聞いてきます。不登校のままでも大丈夫。そう思えるようになってきたのは、先生方のおかげ出典 : 娘は、現在も不登校のままです。しかし、先生方の柔軟な対応や温かな姿勢により、信頼関係を結ぶことができつつあります。これは大きな変化であり、社会とのつながりにもなっています。こうして娘は、関わりが増えるたびだんだんと、先生に心を開くようになっていきました。不登校であっても、自分の学校があるというのは娘の心の支えになっていると、感じています。
2016年11月04日パニックを起こしませんように…息子との外出は緊張しっぱなし!出典 : 発達障害と診断の出ている6歳の息子にとって、「初めての場所」は1番緊張感の高まるシチュエーションです。行動の見通しが立たない場所に突然連れて行かれると、パニックになって支離滅裂なことを言い出したり、大きな声をあげてその場にいる人たちを困らせたりしてしまうのです。私はいつの間にか、息子を初めての場所に連れていくとき、とても緊張するようになりました。「どうか大声をあげませんように…」「走り回って収拾がつかないことになりませんように…」「あの状況にパニックを起こすかもしれない、先に予告しておこうか…」出かける前は、前日から様々な状況を考え、1人でうんうんと唸るのが常です。ですから、息子といざ外出する頃には、私は疲れ果てています。目は血走り、緊張で汗ばんだ手で息子の手をぎゅうっと握っているような状態なのです。周囲に迷惑をかけてはいけない…息子が失敗するたびについ手が出てしまう私出典 : ふと気付いたら、習い事や療育先でもつい先回りしていた私。先日、公文に行った時のことです。教室のドアを開けたとたんいつも騒ぐ息子に、「ドアを開けたらしゃべらない、大声出さない、走らない。お約束だよ」と事前に言い聞かせました。息子はパニックのとき、周囲のお友達から白い目で見られると、余計パニックがひどくなるので、教室に入っても落ち着いて過ごして欲しかったのです。ところが、ドアを開けた瞬間キャーッと騒ぎ出す息子!とっさに止めに入ろうとしたら「お母さん大丈夫ですから!」と先生に止められてしまいました。「そんなにしなくても大丈夫。私たち、プロですから」「お母さん、ちょっと外に出ていて大丈夫ですよ。息子くんは落ち着いたらちゃんとできますよ。」先生からはこう指摘されましたが、私は「息子が教室で騒ぎ、パニックになれば授業は進行できない。そうなればみんなの迷惑になる…。」という思いが拭えませんでした。しかも、パニックになった息子を止められるのは私しかいない。みんなが授業に参加できるように私が動いているのだ、とすら思っていたのです。正義感でいっぱいの私、息子を厳しく見つめる目は徐々に変化し…出典 : 習い事や外出先でいつも息子の行動を監視していた私を見て、あるとき息子がいいました。「お母さん、こっち見ないで」「見ないでってば!!」「こっち見るな!!!」と、パニックを起こすようになりました。なぜなのか本人に聞いてみると、「お母さんの目がどんどん怖くなる」と言うのです。発達障害の子というのは、そもそも人の目を見ることがあまり好きではありません。息子も、療育を受けるまではなかなか視線が合わず、今でも人の目を見るのが怖いために挨拶することが苦手です。そんな息子が「どんどん怖くなる」と言った私の目。「息子がパニックになってしまったらどうしよう」「みんなに迷惑をかけたらどうしよう」と緊張するあまり、私の目は息子をじっと監視する目になっていたに違いありません。周囲からの言葉で気付かされたのは、「人を信頼する」ということ出典 : こんな風にガチガチに緊張し、血走った目で息子を監視する…そんな私を見て、これまで沢山の方々がいろいろな言葉をかけてくださいました。「子どもなんてこんなものだよ~」「よくいるよ、こういう子」こうした言葉は、息子が発達障害ではないかと悩んでいたときは、とても辛く感じました。けれども今は、なぜかこの言葉が、ガチガチになっている私をその都度救ってくれるのです。それから、「私はプロなんだから、こっちに任せて。お母さんはその辺でゆっくりしていて」という言葉も本当にありがたいと感じるようになりました。それまでは「私しかこの子を止められない!」と自分を過信していましたが、親は人を信用する力を養うことも大切だな、と最近は感じます。習い事や療育先で親が先生を信頼できるようになると、子どもも先生を信頼する傾向があるようです。息子は、先生が信頼できるようになることで、パニックも起こさずに落ち着いて過ごすことが増えてきました。親ができる範囲は限られているのだから、プロを信頼して委ねよう…と、少し解放された気持ちになりました。大変な毎日の中で、ついつい怖い目になっていた私。いろいろな人に気付きをもらったおかげで、少しずつ子離れの必要性を感じ始めています。
2016年11月03日言葉が遅れていた長男。やっと少しずつ話し始めた!7歳になる長男は、重度の自閉症という診断を受けています。最近まで言葉がほとんど喋れなかったため、長男と意思の疎通をはかることが困難でした。Upload By シュウママ気持ちを口にしてくれない長男に、私や家族は歯がゆい思いをしていました。けれど、少しずつ指差しをしたり目線が合うようになったりするようになり、ぽつりぽつりと単語のようなものも出始めました。ある日、私の袖を引っ張り、キラキラと輝くイルミネーションを見て「きれい」と教えてくれました。次第に「ごはんを食べる前は、いただきますってするんだよ」と伝えると、手をパチンと合わせ、「いただきます」と言うなど、ごく簡単なやり取りもできるようになりました。7年もの間、私が一方的に叩き続けていた心のドア。長男がこのドアをやっと少し開け、私を招き入れてくれたように感じうれしかったです。Upload By シュウママたくさんの言葉を覚えたこと。その喜びを夫と共有したい!物の名前がわかるようになってきた長男は、身の回りの物の名前もぽつりぽつりと口にするようになりました。学校からの帰宅時「脱いだ靴下は洗濯機に入れようね」と伝えていると「せんたっき」という言葉が自然と出るようになり、「寝る前はテレビを消してね」と伝えれば「テレビ」といつの間にか口にするようになりました。単語が出てくるにつれて、私は長男がどの程度の言葉を獲得しているのか確認したくて、あちこち指差しました。「あれは何?」「それは何?」長男は「とけい」「あし」など、覚えた言葉を次々と答えてくれます。たどたどしい喋り方がまた愛おしく、何度も何度も繰り返して言わせました。Upload By シュウママそんな時、夫が仕事から帰ってきました。夫の帰宅はたいてい9時過ぎ。長男は既に寝てしまっている時間になることが多いです。そのため、夫はこの数日で長男の言葉数が増えたことを知りません。私は言葉を話す姿を見てもらいたくて、夫の前でついさっきの質問と全く同じことを長男に聞きました。「手はどこかな?」「足はどれ?」「時計はどこ?」Upload By シュウママけれど、長男は答えようとしませんでした。ただじっと私の顔を見つめています。そんな長男の姿を見た夫が言いました。Upload By シュウママはっと長男の顔を見直すと瞳は怒りにみちていました。同時にとても悲しげで、私は胸をつかれました。Upload By シュウママ幼いと思い込み、傷つけてしまった長男の気持ちわかりきったことを何度も聞かれることを、彼は小さな体で精一杯拒絶しようとしていたのです。苛立ちを言葉にして表現できないため、答えずに私を無言で睨みつけるという方法をとるしかなかったのです。彼は感情を抑えているとき、ぎゅっと小さな指を握り拳をつくります。その時も、堅く結ばれた握り拳が私の目の前にあったことを覚えています。「ボクは芸を仕込まれたサルじゃない!ボクは赤ちゃんじゃない!」そんな叫びが聞こえた気がしました。Upload By シュウママ自閉症があり発達がゆっくりだからといって、長男の感情を置き去りにすることは決して許されないことだったのです。私は反省しました。大切な長男の尊厳を踏みにじっていたんだと……。言葉が口から出ない間にも、子どもの心は育っていた行動が幼いがゆえ、私自身も長男が7歳であることを忘れてしまうことがあります。身長や体重と違い、心の成長は測ることができません。特に言葉の遅い子どもは、表出する言語が少なく判断する材料も少ない分、なかなか成長に気付けないのかもしれません。でも行動が変わっていても、言葉が喋れなくても、長男は7年分ちゃんと成長していたのです。もし、彼が本当に1歳の幼児であったなら、無邪気に親の言葉に従っていたかもしれません。でも言葉が出ない=赤ちゃんではないということを、息子の無言の抵抗が教えてくれました。7年の月日の中で長男が味わい、感じた景色は、産まれてまもない赤ちゃんのままではなく、私が思っていたよりもずっと広がりがあったのです。少なくとも、誇りという確かなものをちゃんと手にしていたのだと気付きました。「どうか、ぼくたち自閉症の子どもを幼いと思いこまないで!」彼の小さな心の叫びが、すこしでも届けばと切に願います。
2016年11月03日5歳になった広汎性発達障害の娘、次第に周りの子たちとの違いがハッキリしてきて…滑舌が悪く赤ちゃん言葉で、マイワールドが強い広汎性発達障害の娘…3~4歳の頃の娘は、周りとの発達の差もあまり目立たず、年上の子たちから「可愛い~!」と言われていました。Upload By SAKURAしかし5歳にもなると、周りの同級生の子たちとの差がはっきり開いてくるようになりました。Upload By SAKURAそんな娘も、気づけば来年は小学生。進路はどうする??Upload By SAKURAそんな5歳の娘は、早生まれのため来年は小学1年生になります。同年代の周りの子たちは、はっきりとしゃべるようになり、意思の疎通もきちんとできています。しかし娘はいまだに会話もきちんと成立せず…日々の療育や言語訓練も頑張っていますが、周りの子に追いつくことはできていません。娘に合った進路は支援学校?支援学級?それとも普通学級…?発達外来の主治医の先生、言語訓練の先生と長い間話し合ってきた結果、小学校は普通小学校の普通学級に通い、「支援の先生」を付けてもらうことに私たち夫婦は決めました。Upload By SAKURA夫婦でしっかり話し合って決めた進学先。でも周りは…Upload By SAKURAUpload By SAKURA「普通学級で、支援の先生付き」と夫婦で決断したものの…娘を心配する身内や親戚から、「このままで普通の小学校に行けるの?」「この子は本当に大丈夫なの?」と、言われることが増えてきました。この子を心配してくれているからこその、良かれと思っての発言だとはわかっていても、考え抜いて決めた結果に口を出されると、ちょっと困ってしまうことがあります。いろいろ言われることもあるけれど…娘のことを誰よりもわかっているのは私たち!Upload By SAKURAそんなとき私たちは、その場は笑顔で「そうですね~」とかわして、後から夫婦でお互いの考えを改めて再確認しています。私たちは、娘にできることは何でもします!でもこちらが焦っても何も変わらないということは、長い療育生活の中で痛いほどわかっています。色々言われ、うっとおしく思ったりもしますが、言いたい人には言わせておけばいい。今後どうしていくか、決めるのは娘の親である私たち夫婦です。娘のことを1番わかっているのも私たち。周りと違ってもいい。ゆっくりでもいい。家族一丸となって、この子が笑顔でいられる方法を選んでいきたいと思っています。Upload By SAKURA
2016年11月02日初めまして、この記事に目を留めて下さりありがとうございます。これを読まれている皆様は発達障害との縁が多少なりともある方だと思います。お子様への接し方が分からない。学校などの集団生活になじめない。他人と考え方・感じ方が異なるため誤解されやすい。抱えていらっしゃる悩みごとは様々だと思います。そこで発達障害当事者である私が、自分の障害とどのようにして付き合い、受け入れ、いまの仕事をしているかについて書かせていただきました。今回は、私の幼少期の学校生活についてです。「障害」を周りの大人たちが認識したのは小学生のとき出典 : 小学生のころ、私は自分自身に障害があることを認識しておりませんでした。私の異常を最初に気づいたのは周囲の大人達で、小学1年生のときでした。この時期になっても未だに私だけ読み書きができなかったためです。私は文字の形を認識することができず、平仮名が書けませんでした。ようやく書けるようになっても、文章を書くことはとても難しかったです。作文の宿題が出ると、机に向かって書こうとするのですが、2~3時間頑張ってやっと2~3行書けたぐらいでした。読解については、文字を1文字ずつしか読めず、意味も理解できませんでした。例えば「がっこう へ あるいて いく」なら「が、つ、こ、う、へ、あ、る、い、て、い、く」か「が、つこう、へある、いていく」としか読めず、単語の認識ができなかったようです。さらに算数も、数字の意味や計算の仕組みを理解する事ができませんでした。1+1すらできなかったそうです。自分の努力と適切な支援のおかげで、勉強ができるようになった出典 : 私の様子を担任の先生から指摘され、手を尽くして原因を調べた母は、「発達障害」の存在を知りました。当時はまだあまり知られていない障害でしたが、運よく発達障害を研究している機関を見つける事ができました。そこで私に下された診断は学習障害(LD)。でもこのとき私はまだ、自分に障害があるということをきちんと認識できていませんでした。研究機関に通って母と医師が何やら話しているものの、私は内容が自分に関することだとは思いもせず、退屈だったので同じ部屋内で遊んでいました。しかしこの診断があったことで、母は「根気よく繰り返し、できなくてもイライラせずに、できた事があれば必ず褒める」という教育方針のもとで私を勉強させてくれました。最初なかなか進歩は見られませんでしたが、学校の授業で漢字が出てきてから変化が見られました。例えば「つき」という平仮名だけだとその意味がわからなかったのですが、漢字の「月」は三日月の絵が崩れて漢字になったという成り立ちを見ながら教えてもらうことで、漢字の形と意味を理解できました。漢字を覚えたことがきっかけで、「文字を組み合わせて単語をつくる」ということもだんだんと理解できるようになり、これをきっかけに文章も徐々に読めるようになりました。作文はやはりかなり苦手で、宿題はいつも母が隣で手助けをする必要がありました。しかし、私が強く「書きたい」と思ったことについては、周囲が驚くほど筆が進んだそうです。算数については、数を数字以外のもので視覚化する事で分かるようになりました。例えば先ほどの1+1は、りんごを用意して実際に数える事で理解できました。ただし、文章問題は問題を読み解く必要があるため、できるようになるまでかなり時間がかかりました。このように私は、苦手なことを他の子どもたちとは違う方法で勉強することで、学習の遅れを補うことができました。いじめもあった。でも得意なことをがんばることで、周りに認めてもらえた出典 : 同級生達を始めとした人間関係ですが、小・中・高のどこでも入学してから数ヶ月の間よくいじめられていました。幸い私の周りには助けてくれる大人たちがたくさんおり、大事には至りませんでした。ただ、担任の先生は私の扱いに困っていたようで、よく怒られていたのを覚えています。でも私自身は何が問題で怒られているのかさっぱりわかりませんでした。何が原因だったのか、はっきりとした事は不明ですが、私は授業中に逃げ出して行方不明事件になる一歩手前まで大騒ぎになった事がありました。このように、後先考えず衝動的に行動するところが、恐らく周りから見て異質に見えたのではと思います。このように書くと「発達障害のある子どもは学校になじめないんだ」と思われるかもしれませんが、そんな事はありません。そして、私自身の得意分野が周りに認められたことも、同級生たちとの関係が良くなった一因でした。小学校3~4年生のころ、クラスメイトの誕生日カードを作る宿題がありました。私はこの宿題に夢中になり、夜中の12時頃まで絵を描き続けて、本来は作る必要のない表紙の絵まで描いたそうです。そのとき母は「学校の成績ではあまり重要ではないことに時間を割いて…」と思ったそうですが、夢中になって完成させたカードはクラスメイトの間で好評になり、同級生たちと仲良くなるきっかけになりました(ちなみに誕生カードを贈ったクラスメイトとは、特に親しい間柄ではありませんでした)。何かを作りだすと夢中になり、図工や美術の科目で良い評価を受けることは、その後もたくさんありました。こういった経緯で、周りから見た私は「変わり者だが、すごいやつ」という認識になっていき、次第に同級生たちから認められるようになっていきました。周囲には「障害は完治した」と思われた。でも自分の心の中には違和感があった出典 : 多くの支援と私自身の努力により、学校の成績や友達関係などの問題は解決していきました。これにより、先生も母も「学習障害は完治した」と思ったそうです。特に母は、障害に対する忌避感も重なって、私に「障害がある」とハッキリと伝えることはしませんでした。これでめでたしめでたし…のように見えて、実はそうではありませんでした。確かに目に見えて明らかな問題は解決しましたが、私は他人と打ち解けることが苦手で、周りとは何とも言えない壁を感じ続けていました。例えるなら私と他人の間には常にガラスの壁があり、わかり合えず、私の声は向こう側に届いていないようでした。この壁に、長い間私は1人で悩まされていました。「障害は完治した」という周囲の認識は、成人してからの私の生活にも大きな影響を与えることになります。障害を受け入れた今、保護者や学校に思うこと出典 : 障害があっても、今後も社会で生きていく以上、学校など何かしらの社会的な集団に所属しておく必要はあると思います。でも自我が確立していない幼少期に、所属している集団で自分の存在を認めてくれる人がいないと、本人が自分を認められず、社会で生きていくことは困難になってしまうかもしれません。ありのまま生きる姿を、「障害」としてではなく「個性」として接してくれる人がいれば、その子にしかない才能を発揮して力強く生きてくれるでしょう。私はいじめも経験しましたが、個性の一部として周囲の人に受け入れられていたため、自分を異常だなどと追い込んだり、できないことや失敗したことを障害のせいにすることはありませんでした。そこで、発達障害のお子さんを持つ親御さんへ、発達障害の当事者としてお願いがあります。どうか皆さんには、お子さんの最大の理解者になって欲しいと思います。良くいわれている事だとは思いますが、発達障害=悪いことではありません。だから、悔やむことも、恥じ入ることも、責められることも何一つありません。悪い方向に傾くのか良い方向に傾くのか、それはこれからの行動次第です。いじめや学習障害を乗り越えた私ですが、自分自身に障害があるとは認識しておらず、障害と向き合うことをしていませんでした。このことが将来に影響を及ぼすこととなります。次回は私が大人になってから仕事をするにあたり、ぶつかった困難についてお話します。
2016年11月02日話を聞くのが苦手な息子。その理由を聞いた母はショックを受ける…ADHDの息子リュウ太は、何を伝えてもすぐに忘れてしまいます。1度にたくさんのことを覚えることも苦手です。ある日、少しでも話が息子の耳に入るようにと思い、丁寧にゆっくり説明していると…Upload By かなしろにゃんこ。息子は「早く話して!早く早く!」と急かせてきました。前置きはどーだっていいから、早く本題を話せ!という様子です。あるとき息子に「なんでそんなに急かすの?」と聞いたら「お母さんの話し方が遅くて気持ち悪い!」と言われました。ガ―――――ン!人の話を聞けない理由に、「話すスピード」が関係していたUpload By かなしろにゃんこ。でも「気持ち悪い」というのは母親がキライという意味ではありませんでした。相手の話すスピードが、自分の聴きたいスピードと異なると、「気持ち悪く感じる」ようです。話を聞くのが苦手な理由には、こんなこともあるのかと驚きました。伝えたいときは丁寧さよりも「回数」でカバーUpload By かなしろにゃんこ。”せっかちさん”な息子と話すときは、早く話終わらせなくちゃと気を遣うため、伝えたいことの半分も伝えられなかったりします。でも長い話を我慢させて聞かせても頭に入っていかないだろうと思いまして、短く説明して伝える回数を増やすようにしました。息子も自分のそんな特性をわかってきたようで、「覚えていられないから悪いけど再度言ってくれ」と頼んできます。「あたしゃ秘書じゃないからイヤだよ!」と思うこともありますが、こういうフォローが必要なのがADHDなのかな…と最近諦めました(笑)。いつも読んでいただきありがとうございます。
2016年11月01日ストレスがチックになって出る長男。でも、今年の春から始まったチックはいつもと違い…出典 : 新学期や行事の前後など、周りの様子が普段と違うようなとき、大人でさえもストレスを強く感じるケースがあるかと思います。ましてやストレスに敏感な発達障害の子どもたちは、日々思いがけないストレスに晒されていることが少なくありません。保育園に通っている長男も例外ではなく、ナイーブな性格も手伝ってか、だいたい「そろそろかな」という時期には毎年「チック」が現れるようになりました。長男のチックは主に、口でいろいろな音を立てるタイプと、首をすくめるタイプが合わせて出ていました。ひっきりなしに音が出ているものですから、何か話しかけているのかと間違われ、周囲の人から「何?」とよく聞き直されることもしばしば。そんな状態であっても普段は1ケ月、長くても2ケ月もすれば自然に治まるので、あまり気にせず「今はストレスを多く感じているんだな…」とだけ認識し、見守るようにしていました。しかし、春に出はじめたチックはなかなか治まらず、秋まで半年間続きました。私は、できるだけストレスの原因を取り除こうとしましたが、その原因が何なのか?察するのは難しく、やはりただ見守ることしかできなかったのです。療育の先生が誘ってくれた絵本作り。自由な発想から生まれるそのストーリーとは出典 : そんなある日、いつもの療育先で個別の指導を受けていたときのことです。長男が紙で本を作っている様子見てピンと来た先生が、ある提案をしてくださいました。先生「ねえねえ、今日は絵本を作ってみない?」先生からの提案に、嬉しそうに応じる長男。1枚の紙に切り込みを入れ、先生があっという間に3ページの本を作ってくれました。そして「タイトルは何がいい?」「この本は誰のお話?」など、長男のイメージを引き出しながら本を作ろうとしています。長男は主人公を猫に設定し、猫には自分の名前を付けました。タイトルは『しろねこのAくんの本』。「最初は森から始まる?海から始まる?」という先生からの質問に答えたり、ときには自分から「公園に行きたい」などとストーリーを提案したりしながら話を進めていきます。自由な発想で構成されたそのストーリーは、突然家でごはんを食べるシーンになったり、急に宇宙の話になったり、かと思えば次のページで「ぎゅうにゅうをのみました。 おしまい」なんていう展開もありました。こうして、読み聞かせも絵本も大嫌いだった長男は、意外なところで絵本との接点を得ることができました。話を想像してそれを相手に伝えることに一生懸命取り組んだ長男。その姿は本当に楽しそうで、とても印象的でした。絵本作りがすっかり大好きになった長男。それと同時にある変化がUpload By OKASURFERその後、すっかり絵本作りにハマってしまった長男。自宅でも出先でも、紙とペンを持ち歩き、時間を見つけては「えほんかく」と言うようになりました。「かく」とは言っても、実際に書くのはほとんど周りの大人で、私たちは長男大先生のイメージ通りに作品を起こす、アシスタントに徹しています。「ねこ 15にん かいて」など、アシスタント泣かせの大先生ではありますが(笑)。彼がイメージをがんばって言語化しているのだから…と、私たちもできるだけ彼の思う絵を描けるよう、無い画力を振り絞る日々です。さてこの頃、思いがけず不思議なことに気付いたのですが、あれだけ長く続いていたチックがピタッとなくなっていたのです。絵本との因果関係はさすがにわかりませんが、全てではないにしろ、彼の中にあったものを絵本という形で吐き出すことで、ストレスを発散できていたのかもしれません。長男をストレスから救った魔法出典 : いまだ自作以外の絵本が嫌いで、読んでも聞いてもくれない長男ではありますが、思わぬところでストレスを減らす『魔法の本』に出会うことができました。思いを吐き出す、イメージを膨らませるひとつの手段として、これからも楽しく取り組んでいけたらいいな、と考えています。
2016年11月01日年長に進級した息子。間もなく登園を渋るようになり…出典 : 歳の息子にはADHDの診断が出ています。これまでは毎日元気に幼稚園に通っていたのですが、登園を渋り出したのは進級後、しばらくしてからのことでした。幼稚園に行く時間になると私にしがみつき、「ママと一緒にいたい」と泣くようになったのです。1学期の間は、なんとかなだめて登園させたり、時々休ませたりすることが続きました。「担任の先生が怖い」それが、息子が登園を渋っている理由でした。何度か担任の先生とお話しをしましたが、「息子さんを特別きつく叱ったりはしていません」「むしろよくできる方なので叱る原因がありません」という回答でした。先生とあまり相性が良くないのかな?合わない人と過ごすのも人生経験、そこから何かを学べればいいかな?と思い、息子にもそう言って聞かせましたが、「怒られるかもしれないから行きたくない」と、相変わらず登園渋りは続くのでした。息子の様子を見に授業参観へ。そこで見えたのは、家庭の方針に応じて対応を変える先生の姿だった出典 : そんな中、幼稚園の授業参観がありました。私は息子の登園渋りの原因を探ろうと、先生とのやりとりを観察することに。息子は先生の話を一語一句聞き逃すまいと、必死でお話しを聞き、うなずき、返事をしています。工作の課題を与えられると、自分の行動が間違っていないか必死に周囲のお友だちを見回し、「このやり方で合っている」と確信すると、遅れないように必死に作業を行っていました。失敗を極端に恐れる、という特性を持っている息子らしい行動だな…と思いながらその様子を眺めていました。一方、行動がゆっくりなお友だちもクラスにはいて、先生は彼らに声をかけていました。「いつまでやってるの!?もうみんな終わってるよ!」「早く〇〇しましょう!みんなが待ってくれてるでしょ!」「まだこんなところをやっているの?間に合わないよ!」そのお友だちのご両親は、「みんなと同じ速度で行動ができるよう、きちんと躾けてほしい」という方針だそうで、事あるごとに先生から注意を受けるのです。そのお友だちと席が近かった息子は、先生の言葉をずっと聞いていました。私はこの様子を見た瞬間、息子がなぜ「先生が怖い」というのかがわかりました。お友達が怒られるたびに苦しんでいた息子出典 : 発達障害を抱える人の中には、他人との境界が曖昧なため、知らない人が怒られていても、自分が怒られているかのように恐怖を感じ、悲しみ、怒りを覚える特性を持つ人がいます。わが家の娘や息子も、そのタイプに当てはまります。進級してからずっと、お友だちが怒られる姿を見て、自分が怒られているかのように受け止めていたのです。息子が登園を渋る理由が腑に落ちました。話を聞いてみると、頭では「自分が怒られているのではない」とわかっているようですが、「次は自分が怒られるかも知れない」「早くしないと怒られる」という恐怖から、必死に気を張って過ごしていたのです。一日中注意を受けているお友だち、それを隣で聞いている息子…私が想像するよりも、うんと苦しかったのかもしれません。私は息子の登園渋りの原因を、担任の先生にお伝えしました。その後、そのお友だちと席を離してもらうなどの策を講じてもらいましたが、息子の登園渋りがなくなることはありませんでした。いろんな習いごとに挑戦し、その中でたくさん怖い先生にも出会ってきましたが、これほどの拒絶は初めてでした。園をやめることを決意した息子。怒られることがそんなに嫌だった?出典 : 学期に入ると、家を出る足が動かなくなり、ついに息子は幼稚園へ行くのをやめました。毎日家で穏やかに過ごしている息子と、時々幼稚園の話をします。私「家にいたって、ママにたくさん怒られるのに怖くないの?」息子「そりゃ怖いよ!ママは鬼みたいだもんね~!」私「幼稚園の先生よりママの方が怖いんじゃない?」息子「う~ん、ママは僕のことを大好きだって知ってるからいいの。僕のために怒ってくれてるんでしょ?幼稚園の先生はそうじゃなかった。あのクラスにいるのは厳しかった。2度と行かない。」きちんと言葉にはできませんが、息子なりにいろいろと感じていたのでしょう。もし、進級後からきちんと先生との信頼関係が築けていたら、「この先生が言うのなら」と思えていたら、事態は変わったのかもしれません。レールから外れることは怖い。それでも私が子どもたちの笑顔を大切にする理由出典 : 現在、息子はまだ幼稚園に籍を置いています。幼稚園との交渉はまだ続いていて、先生方はなんとか息子が以前のように幼稚園に通えるようにとあれこれ策を講じ、「今幼稚園を辞めてしまったら、この先どうするんですか!?小学校は?中学校は?」と心配して下さっています。進学、就職…そのレールから外れずに、何とか耐えていくこと。それが正しい道なんだと、園の先生方は口を揃えておっしゃいます。確かにそのレールから外れた先に何があるのか、私にもわかりませんし、わからないから怖い。それでも、子どもたちの心を殺してまでもレールにしがみつくことは、私にはできませんでした。先生に請われ、渋る息子を1度だけ幼稚園に連れて行ったことがあります。笑顔で駆け寄ってきてくれるたくさんのお友だちを眺めていると、この子たちのように息子も幼稚園生活を満喫できたら、どんなに幸せだっただろうと思います。それでも、教室の片隅に目を向けると無表情で佇んでいるお友だちもいて、息子もきっとこんな風に過ごしていたんだろうと胸を締め付けられる思いがしました。息子は黙って私にしがみつき、俯いたまま顔をあげようとしませんでした。親の理想と子どもの現実。うまく行かないことだらけ。それでもきっと、心地よく過ごせる場所が見つかるはず。合わない場所から離れるのは悪いことではない。笑って過ごせる場所を探していけばいい。それが“自分らしく生きる”ということなんだよ、そう信じて、子どもの笑顔を見守りながら前に進んで行きたいと思います。
2016年11月01日「何でも出来るけど、何にも興味が無い」そんな中高生時代編集部:前回、何かに熱中していても「1番じゃなきゃダメ、これじゃなきゃダメ」という気負いはあまりない、とお話を伺いました。現在従事されている義足の開発に関しても同じなのでしょうか。遠藤:うーん、そうですね。義足に関しては、友人とのエピソードが大きいですし、あの足を作りたいと思って今も研究開発していますが、だからといって「できなかったらどうしよう」ということは思っていなくて。「ただロボットを作る」ということでも僕はきっと楽しめると思うから「(義足が)できなかったらどうしよう」というのはあまり考えていないです。編集部:なるほど。遠藤:なんというか、失敗経験があまりないからかもしれません。もっと丁寧にいうと、人生の中で負け戦をしてきていないんです。学力もスポーツも特別困ってこなかった、ある程度要領よく進んできた方だと思います。編集部:中高生の中で、「僕はなんでもそこそこできるから、何も興味がないんだよね。」という子ども達にも出会うのですが。遠藤:ああ、僕も中高生の時はそんな感じだったと思います。成功体験って楽しいじゃないですか。成功すると嬉しいし、楽しい。遠藤:だから、周囲の人から「君はこれが得意だよね」と言われることや、「特別面白くないけど人より出来ること」を伸ばしたり磨いたりするのもいいですけど、やっぱり「自分が楽しいと思えること」を選んだほうがいいと思います。出来る出来ない、得意不得意という軸ではなく、「自分が楽しいかどうか」を軸に考える。もちろん楽しいと思えるものは段々変化していくと思いますけど、"今は"それをやる、という事です。そして楽しいと思える取り組みは、長続きすると思います。最初から志が高くなくていい。「ちょっとGoogleしてみる」ぐらいから始めてみる出典 : 編集部:出来るかできないかではなくて、「自分が楽しいと思うかどうか」なんですね。遠藤:そうですね。ただ、楽しいことを見つける機会が学校の中には少ないのだろうと思ってます。編集部:そんなときはどうすればいいのでしょう?遠藤:それこそ「LITALICOワンダー」(LITALICOのIT×ものづくり教室)みたいな。今流行りですよね。プログラミングとか。義務教育のお陰でこんなに識字率が高いですし、学校教育はそれはそれでいいと思いますが、学校の授業で自分を伸ばせる機会がないなら、部活でもいいし、部活がないときは習い事でもなんでもいいので、次から次へと色々な経験を試せる機会があるといいと僕は思います。編集部:いろいろ試せる機会がある。いいですね。遠藤:ロボットを作るとか、ものをつくるのは楽しいですよ。学歴社会の中で苦労したことがないって言いましたけど、それは僕が沼津(静岡県の沼津市)という田舎にいたからだと思います。受験戦争なんて無くて、大学も推薦でしたし。田舎だったからのびのびとしていられたのかもしれませんね。編集部:「これが面白い、もっと知りたい」と思ったときに、まっすぐになれないこともあると思うんです。「本当にこれがやりたいのだろうか」って。遠藤:わかります。特に進路を決めるときなんて、そうかもしれませんね。でも、とりあえず期間を設けてやってみたらいい。一定期間どっぷりやってみて、つまらなかったらそれ以降やらなくていい、そう考えています。編集部:ああ、そう思うと、取り組むハードルが低く感じられますね。遠藤:うん、意外とやってみると楽しいこともありますし。やってみる前からやめてしまうのは勿体無いですよね。とりあえずGoogleで調べる、楽しそうだったらもうちょっと調べる。その「ちょっと調べる」を終えるまで、続けるかどうか判断するのを先延ばしにしてみるといいと思います。親御さんも、お子さん自身も急いで決めなくても良いのではないでしょうか。ワンダー出来るからやるのか、楽しいからやるのか。人それぞれの判断基準がある編集部:「出来る!」にも、もともと得意な事と、努力して上手に出来る事とあると思います。出来る!を伸ばそうと思った時に、「磨きをかける」方法やモチベーションの置き方にアドバイスなどいただけますか?遠藤:うーん、出来る事で得意であっても、やりたくないなら、やらなくていいのでは(笑)。周囲が「伸びるよ、もっと伸ばしてみよう」と言ってくれる事もあると思いますけど、自分が楽しいかどうかで選べばいいと思っています。そうすれば自然と困難なことも超えていけますから。編集部:なるほど。遠藤:例えば、毎回為末(元陸上競技選手の為末大さん)を例に出しちゃうんですけど(笑)、為末は「世界で勝つ」ということが一番の目的だったからこそ、種目を400メートルハードルに転身する決断が出来たんだと思います。僕の場合は「義足をやりたい」ということなんです。それが、やりたい。「足がないという人にテクノロジーで何かを生み出す」という基準で、義足以外に最適な方法があったら変えるかもしれないけれど、僕は義足が好きだから、今はやりたい。為末も僕も、共通しているのは、自分の中での優先順位があって、それに沿ってやることをやっている、という事です。結局、「自己満足できるか?」ということかもしれませんね、いくら人のためとはいっても。編集部:すごくわかりやすい例えでした。「一番になりたい」という目的と「順位とかではなく、これそのものがやりたい」という目的のどっちが良いという事ではなく、その決断や選択に「自分が納得しているかどうか」という事なんですね。遠藤:そうですね。それでも興味関心にひっかかるものを見つけられない、というのは触れている情報量がまだまだ少ないからだと思うんです。編集部:情報量が少ない、ですか。遠藤:はい、Googleで検索しても日本語の情報量では限りがあるとは思いますけど、それでも「情報を増やす」という事をしている子ども達や若い人は少ないのかな、と。「得意なことを深めろ」とはよく言われるけど、フィールドを広げることも、大事だと思いますね。それはGoogle検索でも充分ですし、学校以外で何か経験出来る機会をつくるのも良いと思います。無理に夢中にならなくてもいいけれど、気になることは「ちょっと調べてみる」、そこまでやると興味関心は広がっていくのではないでしょうか。株式会社Xiborgソニーコンピュータサイエンス研究所プロフィール
2016年10月31日みなさんの周りにも、こんな人いませんか?出典 : 「うっかりさん」それは…いつも探し物に追われ、忘れ物をしてはあたふたとして、貴重な人生の時間を「あれがない、これがない」と言って浪費してしまう。なんだか大変そうにしていたかと思えば、ぽわ〜んと考え事をして、上の空で壁や電柱に頭をぶつけたり、電車で駅を乗り過ごし、いつの間にか知らない土地に降り立っている…そんな不思議人間です。もしかしたら、「うっかりさん」は、いつもうっかりミスや失敗ばかりで、親や先生・上司からの注意や叱責が続いたり、自分でも「なんでこんな簡単なことができないんだろう」なんて落ち込んで、自信を無くしがちかもしれません。でもね、本当はそんな「うっかりさん」は人間味溢れる、豊かな世界観を持った魅力的な人物でもある可能性が高いのです。そんな愛すべき「うっかりさん」の、長所やいいところに気づき、ミスや失敗を減らすために、親や周りの人達ができる接し方のコツと、うっかりを予防する、自分でも簡単にできる自己管理の工夫はあるんです今回は、「うっかりさん」の魅力を引き出すポイントを、自分自身のうっかりとつき合いながら、「うっかりさん」な子ども達を子育て中の、楽々かあさんこと大場美鈴がお伝えします。うっかりさんの短所を長所に「凸凹変換」すると…?Upload By 楽々かあさんそもそも、「うっかりさん」って、なんでうっかりしてしまうのでしょう?それは、こうした理由があるからかもしれません…。・頭の中がいろんな雑多で膨大な情報でいっぱいで、処理が追いつかない(いわば、「脳のメモリ不足」状態)・目や耳から入って来る情報を、そのまま無選別に受け取り過ぎてしまう・今するべきことの優先順位がつかない・あれも、これも、それも、同じように気になってしまうから、ついつい手元がおろそかにでもこれは、見方を変えれば「好奇心旺盛」とも言えるんです。「うっかりさん」の長所をみてみましょう。●要る情報と要らない情報の区別は苦手だけど、一見無関係な情報同士が結びついて、アイデアやひらめきを得やすい●発想力や想像力が豊かで「クリエイティブ」そして、ミスや失敗ばかりの「うっかりさん」の最大の魅力は、その「親しみやすさ」です。思い出してみて下さい。「うっかりさん」の代名詞、マンガ「ドラえもん」の主人公、のび太君を…!彼は、できないことが多くて、失敗ばかりだからこそ、世代も国境も超えて幅広く愛され、親しまれる人気者になれたのではないでしょうか。「うっかりさん」は、そんな不思議と憎めない、人間味溢れる魅力が満載なのです。出典:Facebook記事「凸凹変換表」(初出:2015.12.25)「凸凹変換表」の無料ダウンロードは、楽々かあさん公式HPより。上の空のうっかりさんを「今、現在」に戻す、接し方のコツと声かけUpload By 楽々かあさんでは、そんな「うっかりさん」の子育てをしたり、学校や職場で上手にフォローしながらつき合っていくには、どうしたらよいでしょう?いつもお空にぽわ〜んと浮かんでいる「うっかりさん」が、地に足をつけて現実の世界でやっていくためには、「今、現在」に気づかせ、何を優先して行動すれば良いのか、具体的に思い出せるようにするのがポイントです。【気づかせる声かけの例】●「今、何してたんだっけ?」「今◯時だけど、大丈夫?」●「どうすればいいんだっけ?」「こういう時、いつもはどうしてるの?」●「今やることはAと、Bと、Cだけど、どれから始める?」こんな声かけで、うっかりさんはハッと我に返ったり、大事なことを思い出したり、優先順位をつけて具体的な行動に移ることができます。そして、ミスや失敗の多い「うっかりさん」なので、親や周りの人は、つい小言を言いたくなってしまいますが、周囲からの注意や叱責が続いてしまうと、余計にうっかりが増えてしまいます。出典 : 「うっかりさん」は、同時にあれもこれもとテキパキ処理するのが苦手かもしれませんが、ひとつひとつ順番に確実にやってゆくことは得意だったり、全体像を把握してから具体的な部分に入ることで、頭の整理整頓ができて動きやすくなります。●1つのことが終わってから、次の指示を出す●やることを順番に、箇条書きやリスト、チェック表にして、伝言メモ、ホワイトボードなどに書いてあげる…などで伝える情報を絞って整理し、伝え方を工夫すると、落ち着いて行動することができます。また、最初に完成図やお手本を見せてあげると、イメージしやすいタイプもいます。うっかりミスや失敗続きで、成功体験が少ないと、本人は「なんでこんな簡単なこともできないんだろう」と、落ち込んでしまって、自信がなさそうにしているかもしれません。ほめるハードルを少しだけ下げ、「ここまではできているね」と、できている部分に気づかせたり、「忘れ物がなかった」「遅刻しなかった」と、頑張れた部分を褒めたりすると、自信につながります。「うっかりさん」は、一見他の人ができて当たり前のようなことも、本人にとっては、ものすごく努力が必要なことがあるからです。例えギリギリセーフでも、なんとか時間どおり目的地に着けた時などには「間に合って助かったよ」など、さり気なく感謝を伝えてあげると「次も頑張ってみよう」という意欲が出てきます。もう忘れない!記憶力を道具で補い、うっかりを予防Upload By 楽々かあさんそして、「うっかりさん」が自分自身でもできる、「うっかり忘れを予防する簡単な工夫」があります。つい忘れてしまうのは、先述の通り感性豊かな「うっかりさん」が受け取る、圧倒的な情報量に対して、脳のメモリが不足気味だからです。道具を工夫して、外部メディアにデータを移し、「覚えなくては」「気をつけなくては」という負担を減らせば、情報処理が追いつき、スッキリ動きやすくなります。【やることを把握する工夫】●カレンダーやスケジュール帳に、やることを書き出したふせんを貼る●スマホアプリのTODOリストなどで、優先順位をつける【記録する工夫】●買い物メモなど、メモ魔になる●書くことが負担の場合には、スマホやデジカメで写真を撮って記録する習慣をつける【思い出す工夫】●スマホや家電製品のアラームやキッチンタイマー、リマインダーをセットして活用する出典 : 【ミス・失敗の対処への工夫】●もし失敗しても「こうすればOK」という対処法を書いたカードや、手順表・工程表を作って貼っておく【なくしもの、探し物を減らす工夫】●よくなくすものにはヒモをつける●大事なものだけを入れる専用のBOXを作る●「習い事セット」や「打ち合わせセット」など、用途別に専用バッグをそれぞれ用意し、必要なものは入れっぱなしにしておくうちの子ども達には、登校時刻や宿題開始のアラーム、「OKカード」や手順表、ヒモ付きのハサミや連絡帳のタグなどを使って、学校や日常生活の工夫をしてきました。自分の「うっかり」と上手につき合うことで、「せっかくいいこと思いついたのに、紙と鉛筆が見つからなくて忘れちゃった」なんて勿体ないこともなく、クリエイティブな長所も活かすことができます。参考情報:「WatchMinder」海外にはADHD等の子・方のための、メッセージ付きバイブレーション機能のある腕時計型リマインダーなどもあるそう。出典:Facebook記事「OKカード」(初出:2013.11.9)うっかりは最大の魅力!?人間味あふれる愛すべき「うっかりさん」出典 : こうして、自分でも工夫しながら、周りの人の理解や協力を得られると、うっかりミスを少しでも減らし、ひとつひとつ宿題や仕事をこなして、小さな「できた!」の成功体験を積み重ねることができます。そして、親や周りの人たちが、「うっかりさん」の当たり前の頑張りや、できていることに気づいて認めてあげることで、失っていた自信を回復することができます。すると…自信がついた「うっかりさん」は、最大の魅力を発揮することができるんです。それは、うっかりしていて、ミスや失敗が多いという、自分の欠点を長所として受け容れられるということ。「うっかりさん」のうっかりは、実は、欠点であるにも関わらず、一番素敵なところでもあるのです。どんな人でも長所と短所はセットで持っているものですが、一見完璧そうで、誰にも隙を見せない人の前では、大抵の人は緊張してしまって、心を開くことができません。そこへゆくと、人間味溢れる愛すべき「うっかりさん」は、周りの人の気持ちを和ませ、安心させ、話しかけやすい親しみを感じさせます。できないことも多い「うっかりさん」が、自分なりに一生懸命がんばっている姿は、人に勇気や希望を与えることができます。でも、自分に自信がないと、せっかくの素敵なうっかりを隠し通して、完璧を演じようと頑張り過ぎてしまうかもしれません。「うっかりさん」は、そのままでも充分素敵なんです。「うっかりさん」のうっかりを、周りの人も、そして、「うっかりさん」自身も、家宝のように大事にしてあげて下さいね。次回の楽々かあさんコラムは「あわてんぼさん」編の予定です。お楽しみに!参考書籍:著書「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる108の子育て法」記事で使用のイラストは、「楽々かあさん公式HP」より無料ダウンロードできます
2016年10月31日1日1枚ずつ学校に上着を忘れてきてしまう息子は、ある日とうとう…Upload By 鈴木希望Upload By 鈴木希望Upload By 鈴木希望Upload By 鈴木希望小学校に上がってからADD(注意欠陥)の傾向が目立ってきた息子。忘れ物や失くし物はしょっちゅうです。上着を置きっぱなしにしても、「夕方は暖かかったから…」という理由ならわかるんですけどね(笑)その日の朝に「もう上着は1着もないから!」と、私が念を押したのが印象に残っていたようです。「だからって一気に全部着てこなくても…」という私の言葉に、息子は「覚えてるときに全部着て帰らないと、また忘れたときに困るでしょ?」と、自分の特性を把握しているからこその行動でもあったのでした。
2016年10月30日絵本との付き合い方はさまざま。自由に作れば、なお楽しい!Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子絵本に全く興味のなかった娘。それが変化し…出典 : 高2の娘には、発達障害の診断が出ています。今回は、3,4歳の頃のお話。娘はもともと絵本に全く興味を持たなかったのですが、療育センターでの読み聞かせがきっかけとなり、3,4歳の頃にはすっかり「本好きの子ども」になっていました。この頃の娘のお気に入りがコチラ。出典 : 出典 : 出典 : 子どもが夢中になる絵本がもう1つ!手作り絵本のつくりかたUpload By 荒木まち子もう1つ、絵本をご紹介します。これは保健師さんに教えてもらったもので、牛乳パックを使って作るオリジナルの小さな絵本です。スマホやiPadなどもなかった当時、娘と公共交通機関を使っての移動に、私はとても苦労していました。外の眺めを楽しめるバスや電車はまだ良いのですが、窓が真っ暗な地下鉄や長時間拘束される飛行機などでは退屈し、暇を持て余す娘。乗客のいる中で泣いてぐずる子どもを相手にするのは、周囲の目もありとても辛いですよね。お菓子や飲み物でごまかすのにも限界があります。移動中、タイミング良く寝てくれたときなどは、本当にラッキーでした。そんな時、娘を夢中にさせたのがこの「手作りマイ絵本」でした。雪印メグミルクのHPで詳しい作り方がご覧になれます。牛乳パックで作ろう!ミニ絵本出典 : これは丈夫で小さく持ち運びにも便利なので、電車の中や飛行機の中でとても重宝しました。・お気に入りのキャラクターの絵を描いて眺めるもよし・好きな図鑑のページをチョイスして貼ってもよし・シールを貼って遊ぶもよし・スケジュールボードとして使ってもよし…などなど、使い方は自由自在!字が書けなかった娘も、自分なりにストーリーを考えて楽しそうに作っていました。好きなものを集めたマイ絵本、皆さんもお子さんと一緒に作ってみてはいかがでしょうか?
2016年10月30日「これ買って!」と言ったことがない、ADHD長男の誕生日は…我が家のADHDの長男は、普段から物欲があまりありません。おもちゃを欲しがることもあまりなく、何か遊びたいことを思いついたら積み木やブロックを駆使して自分で作ります。お菓子も服も、私が買ってきたもので満足します。そんな息子なので、誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントも、前もってリクエストしてくることがありません。そんな長男の7歳の誕生日が近付いてきたある日…Upload By ラム*カナひゃ、ひゃっこ!?なになに、なにが欲しいの!?Upload By ラム*カナUpload By ラム*カナUpload By ラム*カナ珍しく、欲しいものが聞けるかな?とわくわくしてみたけど、なかった。結局なかった。100個、とか言ってみたかっただけだった!!ただ、毎回「じいちゃんたちにきてほしい」と言うので、ささやかな誕生会を開きました。家族みんなでそろってバースデーパーティ。長男へ内緒で用意したプレゼントは…Upload By ラム*カナ長男は、みんな揃って楽しい時間を過ごすことが一番のプレゼントになるみたいです。しかし実は、夫と水面下で誕生日プレゼントを用意していました。Upload By ラム*カナUpload By ラム*カナUpload By ラム*カナ今乗っている自転車は、幼児サイズで長男には小さくなっていました。しかも、その自転車は私の父がどこからかもらってきたもので結構古かったんです。周りのお友達から「なんで自転車小さいの?」「なんで自転車汚いの?」と聞かれたりもしていたんですが(笑)、当の長男は別に何も思っておらず…(その鈍さが長所にもなっていると思います)。でも、このタイミングで買ってあげようということになり、夫と相談しながら購入しました。プレゼントを見てとても喜んでくれた長男。何より、Upload By ラム*カナと、目をハートにしていました。カ…カゴ欲しかったんだ…!!まぁ、何入れるって拾った釘とか草ですけどね。かわいいものです。
2016年10月29日転校を機に変化に戸惑う小4の娘。大きな壁となったのは方言だった出典 : 歳でアスペルガー症候群と診断された娘は、小学校高学年から続いたいじめにより、神経性食欲不振症、不登校、被害妄想、幻聴幻覚、解離などの二次障害が現れ、現在は入院中です。今回はこの二次障害のきっかけとなった、小学生時代のお話です。娘は赤ちゃんの頃から元気がよく、明るくて三枚目タイプ。いつも楽しい事をして、家族を笑わせてくれていました。ところが、幼稚園に通う頃になると、お友達との関わりが少し苦手なように見えました。けれどもずっと1人で過ごすことはなく、小学校低学年の頃までは、お友達と遊ぶこともできていました。仲の良いお友達もいて、いじめられた事はありませんでした。娘が小3を終えた3月末に、主人の転勤で関東から九州へ引っ越しをしました。転居してまず驚いたのは、方言でした。その口調は怒っているように思え、なんだか叱られているような気がするのです。言葉に慣れるのには、かなりの時間がかかりました。そんな中、引っ越し後に初めて登校した小4の始業式で、みんなの前で自己紹介をした娘は、「言葉が変っちゃ!」と笑われてしまいました。出典 : しかし、標準語が変だと言われても、どうしようもありません。みんなが方言で話す中、方言を知らない娘は標準語をからかわれ、その上なぜか「組長」とあだ名をつけられ、それ以来いじめの対象になったのでした。まもなく、娘は、「学校に行きたくない!」と言いだしました。理由を聞くと、「言葉が変だと言われるし、給食の量が多すぎて食べられないから嫌だ」と言うのです。どうやら、毎日給食が食べられず、昼休みまでかかって食べている様子。この学校では給食を完食しないといけない規則で、時には5時間目まで食べているそう。前の学校では、食べられない時は残しても良かったので、給食が嫌いではなかったのですが…。以前の学校でも、言葉で表現する事が苦手な娘でしたが、からかわれても言いたい事が言えず、加えて給食の時間も嫌で仕方なく、事態は深刻でした。私は毎朝、祈るような気持ちで娘を学校に送って行きました。どうか、娘がみんなと仲良くなれますように…今日1日、楽しく過ごせますように…。あのときの、とても寂しくて辛そうな娘の後ろ姿は、今でも忘れられません。2週間くらい一緒に登校すると、そのうち娘は1人で登校できるようになり、私はホッとしました。けれどもそれは、すべての事の発端(神経性食欲不振症、不登校、被害妄想などのきっかけ)であった事を、当時の私は知る由もありませんでした。漢字練習で気づいた、担任の厳しさ。相談を持ちかけるもその返答は…出典 : 不安な1年が過ぎ、娘は5年生になりました。担任の先生は教育にはとても熱心で、毎朝10分間テストから、1日が始まるようでした。ある日帰宅した娘が、必死になってノートに何か書いていました。よく見ると、朝の漢字テストで間違えた漢字を書いているようでした。その夜、寝る時間になっても、娘はまだ漢字を書いていたので驚きました。「どうしたの?」と尋ねると、「漢字を1000回書かないといけない…。」との返事。聞くと、明日までに間違えた漢字を1000回書いて提出しなければいけないようです。しかも、間違えた漢字1文字ごとに1000回なので、2文字間違えると2倍の計算です。娘は、徹夜で間違えた漢字を1000回書き、翌朝眠そうに登校しました。私は、どうしても納得できず後日、連絡帳に「いくらなんでも多すぎるのではないか?」と書いて担任に訴えましたが、何の返答もありませんでした。出典 : 他にも娘の事で相談したかった私は、その後担任との面談を申し出ました。面談では、漢字練習の目的や、前の学校では給食は残しても良かった事、クラスの子どもたちにからかわれている事などを相談しました。しかし担任の言葉は、私の期待と全く異なるものだったのです。「漢字を1000回書くのが嫌なら、間違えなければ良いのです。給食は、この学校では完食しなければいけない規則になっています。いじめられるのは、いじめられる側に問題があるのです。」この冷たい言葉に驚きを隠せませんでした。教育熱心なのはわかりますが、子どもの側に立って考えず、自分の理念だけを押しつける態度に、私は打ちのめされ失望したのでした。担任は6年生も持ち上がりだったために状況は改善されず、娘はますますクラスから孤立していきました。私は、その後何度も担任に相談をしましたが、状況は変わりませんでした。母親1人の意見など通らないのだと、このとき痛感した私は、出張先の主人に相談しました。すると主人は、すぐに東京から市の教育相談室に電話をかけてくれたのです。教育相談の方からは、「担任のしている事はおかしいから、直接校長に話をして下さい」とアドバイスされ、やっと校長との面談が決まったのでした。夫婦で校長と面談。話し合いで見られた変化は、担任教師の態度だけだった出典 : 校長との面談は、放課後に校長室で行われました。母親の私だけでは話も聞いて貰えないだろうと考え、当日は 東京から主人にも来て貰い、2人揃っての参加です。娘の担任は、出席するか分からないと聞いていましたが、部屋に入ると、校長の後ろに立っていました。その様子は、普段私に見せている態度とは うって変わって、とても小さくなっているように感じました。私たちはこれまでの経緯を、校長に伝えました。校長は頷いて私たちの話を聞いた後に、担任にそのような話があったのかどうかを確認しました。すると担任は、まるで私たちの話を今初めて聞いたかのような顔をして、驚いて見せたのです。これには呆れてしまいました。これまで何度となく相談してきたにも関わらず、私の訴えはなかったことにされたのでした。校長との面談後も、大きな状況の変化はありませんでした。漢字練習は改善されましたが、給食は全校生徒が頑張って食べているので、娘にも完食するようにして欲しいと念を押されたのです。いじめについては、標準語をからかわないようにクラスの児童に注意するとの事でしたが、結局、娘にとっては 仲間はずれにされたり、陰でいじめられ、辛い思い出ばかりの学校生活となりました。小学校の卒業式を迎え、子どもたちに願うこと出典 : 月、娘は小学校の卒業式を迎えました。慣れない土地で、言葉や方言に戸惑いながら、校則の違いにも翻弄され、同級生の中にもうまく入れずにいましたが、娘なりにとても頑張ったと 私は心の中で拍手をしていました。「辛かった経験をバネにして、どうか今後も力強く生きて欲しい。あなたの頑張りは、きっと道を開くはず。大丈夫!人生で役に立たない事は、何1つないのだから…。」卒業証書を受け取る娘に、私はエールを送っていました。教師が、クラスの子どもたち1人ひとりをきちんと受け入れて理解し、その子に合わせて対応をする事は、とても容易な事ではありません。教師と生徒、お互いの心が繋がり、信頼関係を築く事は、更に難しい事だと思います。子どもが十人十色なら、大人の教師だって同じこと。教師によって、考えや指導の仕方も異なる事でしょう。けれども、教師の偏った考えで、数10人の子どもたちを支配する…そんな事があってはならないと思います。親として、大切な我が子を学校に預けている以上、楽しく元気に学校生活が送れるようにと望むのは、当たり前だと思います。出典 : 子どもたちが自分の力を発揮でき、それぞれの道を進んで行けるよう、私たち親だけでなく、学校や教師も変化していかなければならないと思います。娘のように、自分が辛くてもその気持ちをうまく表す事ができない子どももいます。こうした子どもたちは、抑えていた気持ちが身体や心に様々な症状として現れてしまいます。そうなる前に、周りの大人が変化に気づき、症状が大きくならないうちに、子どもたちを守らなければならないと思います。それは、学校に行きたくないと言えない子も言える子も、どちらも。娘は、現在 二次障害で入院しています。どうか、娘のように二次障害で苦しむ事のないよう、いま辛い気持ちを抱えたまま闘っている全ての人たちが、大切な存在として守られることを、願ってやみません。
2016年10月29日豪雨の日、やっと着いた幼稚園で長男のこだわりが炸裂!発達に遅れがあり、支援を受けられる幼稚園に通う長男。その日はものすごい雨でした。幼稚園の配慮により、子ども達が濡れないようにと、普段使わない入り口を解放してくれたのです。Upload By モンズースー思い返せば、普段使っている園児用の昇降口以外から、入ったことがなかった長男。しかも抱っこされての登園も初めてでした。今まであまり気にしなかったのですが、長男は登園方法にこだわりがあったのです。いつもと違う入り口、いつもと違うだっこでの登園に納得ができず癇癪を起こしたのでした。やりなおしをすれば癇癪は治まることが多いのですが、この日は豪雨。外でうろうろしていると身体が濡れ、体調を崩してしまうかもしれません。先生と一緒に長男の気持ちを切り替えようと、色々試したのですが努力もむなしく、けっきょく豪雨の中、門まで戻って登園をやり直したのでした。Upload By モンズースーその後、長男のこだわりによる癇癪はだんだん減っていきました。癇癪を起こしても、気持ちの切り替えが早くなり安定して生活できる日も増えました。長男の幼稚園には、同じ理由(急な予定の変更やルーティンが崩されること)で泣く子が毎年いるそうです。以前、療育先のママ友から「こだわりは2歳がピーク、年齢と共に減っていくよ」と聞きました。この先、長男の考え方がもっと広くなって、生活が楽しく送れるようになってくれたらいいな…と思っています。
2016年10月28日不登校の娘が中学へ進学。さて、何から準備すればいい?出典 : アスペルガー症候群の診断が出ている娘は、小2から不登校です。6年生の夏休みが終わり、もうじき卒業を考えなくては…と思った私は、早めに中学校へ見学に行こうと考えました。小学校の先生に「娘が小学生のうちに、中学を一緒に見学したい」と希望したところ、なぜかスクールカウンセラーと面談することになりました。9月になり、娘が通う予定の中学校に、まずは私だけで伺いました。ちなみにそこは私の母校でもあります。スクールカウンセラーの方はとても話しやすい雰囲気で、不登校の経緯、肌の過敏性のために制服は着られないかもしれないこと、本人に通学の意思はないけれど「1日だけ行ってみたい」と言っていること、私もそれで了承していることを話しました。娘が行く気になったときに、すぐ受け入れてもらえるよう、登校した場合の打ち合わせを、今度は保健教諭や生活指導の先生とすることに。カウンセラーの方の話によると、空いた教室を使って別室登校している生徒がいること、その子たちは休み時間を外して登下校しているとのことでした。不登校の子たちの様子やスクールカウンセラー室の様子がわかり、なかなか有意義な訪問となりました。いよいよ中学の校長先生と面談。これまでの経緯を伝えると、思いもよらぬ言葉が…!出典 : その後、卒業式を目前に控えた2月に、私1人で中学校の校長と面談をすることになりました。不登校の経緯、発達診断の結果、学校への要望をまとめた資料を持参して、以下のことを話しました。●小学校3年のときに支援学校に転籍したけども、それが決定的な心の傷になって学校へ完全に行かなくなったこと●勉強は全くしていないこと●心が辛いと身体症状が出ること●本人には通学する意思がなく、私もそれを認めていることすると、校長先生からこんな言葉を投げつけられました。「子どもはどんどん成長するからねぇ、刺激を与えないとこのままではだめだね。お母ちゃん、1人で考えてない?市の教育サポートセンター行ってる?勉強はさせてないの?まったく?そりゃあかんわ~。でもお母さん、学校に通わせる義務はあるんですよ。まぁ、子どもさんが無理なときはしょうがないですけどね。通信制っていいはるけど、そんな簡単に入れませんよ。学校への希望に、勉強や学校の話はしないでくれって書いてますけど、これは無理ですなぁ。小学生じゃないんだから、ちゃんと刺激も与えないといけませんし。甘いことは言ってられませんよ。小学校じゃないんですからね。本当は支援学級に入ってもらった方がいいんやけど。欠席連絡はね、担任と話し合ってください。担任が納得せんと、私らは何も言えませんから。」出典 : そして、最後に感覚過敏があって着られる服に限りがあることを話すと、「それはお母ちゃん、甘やかしすぎやわ。週に1回くらいは靴下と靴履かせてどこか通わせなぁ」こうして、校長先生のあまりにも一方的な言い方に、私はすっかり落ち込んでしまい、それから3日間寝込んでしまいました。その後、すがる思いで普段相談に乗ってもらっている親の会へ、校長先生との話を相談しに行ったのです。私が参加しているのは「登校拒否を克服する親の会」です。参加して4年ほどですが、ここには大阪府の組合に参加している教員、現役の先生なども参加し、親たちを支援してくれているのです。娘のことをよく知る教育相談のA先生に、中学校での話をするととても驚き、「これはひどい。僕も同席してまた一緒に話しに行こう」と言ってくれました。2度目の話し合い。すると、中学校側の態度に変化が出典 : 中学校の始業式の前日に、A先生についてきてもらい、中学校へ話し合いに行きました。前回、校長先生と話したのがよかったらしく、学年主任をはじめ、学年の先生全員が出席する中での話し合いとなりました。小学生のときから私が更新しながら作っている、「不登校の軌跡と娘の特性、学校へのお願い」という資料を回覧してもらいながら、資料の内容を口頭でも説明しました。この資料には時系列で以下の内容を書いています。【生育歴】・家庭環境(幼少期〜現在まで)・人生の大きな節目(離婚やいじめなど)、その時の娘の気持ちなど・娘の学校との関わり(小1~現在まで)【学校に把握しておいて欲しいこと、お願い】・発達障害の診断が出ていること、神経症で通院していること・欠席の連絡はしない(行くことがあれば連絡する)・学校からの連絡は月2回程度にしてほしい・子どもと会ったときには登校刺激をしないように・役員の仕事はできない(親も障害があること、コミュニケーションが苦手で繊細であること)出典 : この資料は、毎回説明するのが大変なので、娘が小学生の頃からずっと私が書き溜めていたものです。子どものことや家庭環境を1から説明し、理解してもらうことは、大変な労力が必要です。先生方は、口をはさむこともなく、時々質問を挟みつつも黙って真剣に私たちの話を聴いてくれました。校長先生と最初に話した時には、「単なる甘えでは?」という否定的な印象がありましたが、この資料と話し合いにより、少しだけ理解が深まっているようでした。学校の方針としては、私の希望通り娘のペースで、娘が会いたいときに担任やスクールカウンセラーなどに会ってみる、登校刺激、勉強刺激はしないということで、小学校と同じようなペースで過ごせそうでひと安心しました。A先生は、私が学校への希望を言い忘れていることを指摘したり、先生方に「お母さんとの間に誰か立つ必要があれば私がやりますし、みんなでこの子のことを考えていきたいと」言ってくれました。A先生のおかげで、落ち着いて話すことができて、本当によかったです。学校との連携は、1人で抱え込まないで。早めの相談でスムーズな入学準備を出典 : 我が家は母子家庭ですが、こうした学校との連携の際は、親の会の情報によると「学校は母親の話を割引いて聞くから、親の会の支援員や夫と一緒に話し合いの場を持つと良い」のだそうです。その理由は、「母親は子を思うあまり、感情的で大げさに話をする傾向がある」と思われているからだそう。また学校にもよると思いますが、話し合いの場では主に付き添いの人(夫や支援員)の方が、話が通りやすいそうです。中学進学については、主治医からもアドバイスをもらいました。「学校の先生は、学校に来てもらうことを前提に考えているので、娘さんの辛さがどこから来ているのか?丁寧に説明しないとわかってもらうのは難しいでしょう。学校から要望があれば、私が学校の先生と直接話します。」と言ってもらい、ホッとました。A先生は、小学校と中学校の引継ぎについても教えてくれました。以下は、私の住んでいる地域の場合の例です。●小学校と中学校の引き継ぎが行われるのは、小学校の卒業式の次の日●中3の担任がそのまま中1の担任になる●この場で、いわゆる問題のある児童などの報告も行われ、それを踏まえてクラスや担任を決める●正式なクラス分けは4月3日頃に決まる●この時期に小学校へ「中学校と話し合いの場を設けたい」と依頼すると学校側もタイミングが良いこれからこうした話し合いに行く親御さんは、覚えておくと役立つこともあるかと思います。最初にしっかり話し合っておくことが、トラブルを防ぎ、親と子の不安軽減にも大きく役立ちます。辛いこともあるかもしれませんが、しっかり準備して臨みたいものですね。
2016年10月28日