●世界最高性能の再使用ロケット・エンジンの開発に成功ロケットが航空機のように宇宙を飛び交う。そんなSFのような、そしてかつて一度砕かれた未来が、ついに現実のものになるかもしれない。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙科学研究所(ISAS)では、何度でも使用できる観測ロケットを開発する構想を持っており、現在はその前段階として、機体形状の検討をはじめ、再使用ロケット・エンジンや軽量タンクなど、再使用観測ロケットの実現に向けて必要となる技術の実証が行われている。そのうち、最も難しい技術のひとつである、再使用ロケット・エンジンの技術実証試験が完了したことを受け、2015年6月15日に報道関係者向けに説明会が開かれた。今回は、再使用観測ロケット計画や、現在進められている技術実証プロジェクトの概要、そしてこの研究の先に待つ未来について見ていきたい。○再使用観測ロケットISASは現在、超高層の大気の観測や天体観測、微小重力実験などを行う目的で、小型の観測ロケットを年に1機から2機ほど打ち上げている。観測ロケットというのは、H-IIAロケットなどの大型ロケットのように地球の周回軌道に人工衛星を投入するのではなく、高度150kmから300kmほどまで上昇し、観測や実験を行った後、そのまま海上に落下する。この到達高度150kmから300kmというのが絶妙で、気球では高すぎて到達できず、逆に人工衛星にとっては低すぎるため、観測ロケットでしか到達できないという大きなメリットがある。また、システムとして小回りが利くため、実験提案から打ち上げまで短期間で実現可能で、理学・工学それぞれの実験でさまざまな研究成果が挙げられている。しかし、ロケットや観測機器は使い捨てることになるため、打ち上げのたびにロケットと観測機器を新たに製作する必要があり、実験や観測が失敗した場合に修理して再挑戦といったこともできない。また、観測ロケットの需要は高く、現時点でも1年間に10回程度の実験が求められおり、さらにもっと多くの利用需要が眠っているとも考えられている。さらに、観測機器や実験試料の回収をしたい、観測する方向を自在にコントロールしたい、もっとゆっくり飛んでほしい、もっと低く、あるいは高く飛べ……といった多くの要求があるという。そうした需要に応えるために計画されているのが「再使用観測ロケット」である。その名の通り、今までのように1回ごとに機体を使い捨てるのではなく、まるで航空機のように何度も再使用できる観測ロケットだ。観測ロケットが再使用できるようになれば、実験装置を繰り返し使用できるため、今までより高価で精密な装置が積みやすくなり、試料を回収できることで地上の高性能な装置で分析ができるようにもなる。また、今まではロケット内の実験データを電波で地上に送ったりしていたが、機体内の記録装置に保存できるので、大容量のデータが得られるという。そして何より、機体を毎回造り直す必要がないため、高頻度の打ち上げができるようにもなる。現在の検討では、再使用観測ロケットは全長13.5m、直径3.0m、打ち上げ時の質量は11.5tになるという。現在の使い捨て型の観測ロケットと比べると大きくなるが、これは地上に帰還するための推進剤を積む必要があることなどが関係している。ロケット・エンジンは底部に4基あり、そのうち1基が故障しても安全に帰還できるようにするとされる。最大到達高度は100kmから150kmで、打ち上げ頻度は1日に2回以上を目指すとされ、同一の機体で、メンテナンスしつつ、100回以上の再使用を可能にしたいという。開発費は70、80億円ぐらいが見込まれており、また打ち上げ1回あたりの運用費は数千万円ほどで、これは1機あたり数億円かかる現在の使い捨て型観測ロケットからすると約10分の1ほどになる。現時点では再使用観測ロケットそのものには予算は付いておらず、いつ運用が始まるかなどの目処は立っていない。ただ、その前段階にあたる技術実証プロジェクトには予算が付き、2010年度から研究が行われている状況にある。○再使用観測ロケット技術実証プロジェクトところで、宇宙開発が好きな方なら、かつてISASが「RVT」という小さなロケットの飛行実験を行っていたことを憶えておられるかもしれない。RVT(Reusable Vehicle Testing)は1990年代後半から開発が始まり、2000年代の前後に複数回、垂直に離陸して上昇した後、垂直に地面に着陸するという飛行実験を行っている。再使用観測ロケット技術実証プロジェクトは2010年度から始まったが、そこにはRVTで得られた知見が多く活かされており、再使用観測ロケットはまさにこのRVTの直系の子孫にあたる。再使用観測ロケット技術実証プロジェクトでは、再使用観測ロケットの実用化に向けて必要となる、さまざまな技術要素の研究開発が行われている。プロジェクトにはJAXAを中心に、三菱重工業などが参画している。その中で開発されているもののひとつが、再使用ロケット・エンジンだ。再使用観測ロケットでは、まずフルパワーで上昇し、続いてエンジンを止めて慣性飛行を行い、そして着陸のためにふたたびエンジンに点火し、最終的には停止さたりと、何度も始動と停止を繰り返さなくてはならない。さらに、推進力を降下速度や姿勢に合わせて調整する必要もあるなど、通常のロケット・エンジンとはまったく違う動きを要求される。また1回限りではなく、簡単なメンテナンスだけで、何度も使えなくてはならない。成尾助教は「スペース・シャトルのロケット・エンジンの設計寿命は55回とされている。しかし、実際には宇宙から帰ってくるたびに、エンジンを機体から降ろして、全部分解して点検するようなことをしていた。そこで私たちは、簡単な点検だけで100回再使用できるようなエンジンの開発を目指すことにした。スペース・シャトルから得た教訓というのは、単に再使用ができるというだけではだめで、頻繁に運用できなければ、結局はコストを下げることができない。私たちの開発したエンジンでは、航空機のようにロケットを繰り返し運用ができると考えている」と説明した。同プロジェクトで開発されたエンジンは、推進剤に液体酸素と液体水素を使用する。推力は40kNで、また22%から109%の間で自由に可変させる(スロットリング)ことが可能だという。エンジンの開発はプロジェクト開始と同じ2010年度から始まっており、設計や製造、部品単位での試験が繰り返された後、2014年度にエンジンのシステム全体の性能を確認する試験が実施された。この試験は、短時間の燃焼の1回の打ち上げに相当する量の負荷をかけられる「寿命加速試験方法」という手法を使用して行われ、今年2月までに、エンジンの起動と停止の累積回数は142回を記録、累積燃焼時間は3785秒にも達している。これにより、100回の打ち上げに相当する負荷に耐えられることが実証されたという。またその中で、垂直離着陸時や、飛行を中断しなければならない時などに推力を制御する性能と、応答性も実証され、さらに最短で24時間後に再打ち上げが可能な能力を持つことも実証されたという。エンジン以外にも、たとえばタンクの中の推進剤の動きを制御する技術も必要となる。飛行中のタンク内の推進剤はちゃぷちゃぷと揺れ動いており、そのままロケット・エンジンに送り込もうとすると空気が混じってしまい、エンジンが破壊されることもある。そこで推進剤の液面を制御し、推進剤がしっかりエンジンに送り込まれるようにしなくてはならない。またロケット・エンジンのノズルには、高度によって(周囲の大気圧によって)最大の性能が出せる最適な形というのがあるため、飛行中にノズルの大きさを変えられる仕組みも必要となる。さらにエンジンなどが故障した際に、ロケットの判断でミッションを中断し、地上まで安全に帰還させるシステムも必要となる。その他にも、機体の形状をどうするか、軽くて頑丈な推進剤タンクをどうやって造るかなど、いくつもの技術開発が進められている。これらが実際の再使用観測ロケットで採用されるかはまだわからず、別の技術を使うかもしれないし、あるいは運用を続ける中で改良が加えられるため、後々になってから実装するといったことが考えられている。今年度には、新たに着陸脚の試験や、センサー類の試験なども予定されている。また、まだ具体的な日程や場所は未定なものの、実機よりやや小型の模型を使った滑空飛行試験も計画されているという。今はまだ再使用観測ロケットそのものを開発する予算は認められていないが、もし開発が決定され、予算が付けば、最短で4年間で開発できるとしている。稲谷教授は冗談交じりで「2020年の東京オリンピックの会場の上空で飛ばせるようにしたい」と語った。●「ロケットの次のゴール」を迎えるか、または「詐欺師ペテン師の世界」か○再使用観測ロケットにまつわる疑問点この再使用観測ロケットについては、いろいろと疑問点がある。まず、なぜ燃料に液体水素を使うのか、という点だ。水素は密度が低いため、たくさん積もうとするとタンクの大きさがかさばり、機体のサイズや質量がどうしても増えてしまう。また水素エンジンはスピードは出せるが、大きなパワーは出しにくい。最終的に第一宇宙速度(秒速7.9km)ものスピードを出さなくてはならない人工衛星打ち上げ用ロケットにとっては、スピードが出せるという点が大きなメリットとなるが、単に高度100km前後まで飛んでそのまま戻ってくる観測ロケットにとっては不向きだ。しかも帰還のための推進剤も積まなければならないため、タンクの大きさも、衛星打ち上げロケットより割合としては大きくなる。にもかかわらず再使用観測ロケットで採用された理由は、開発した技術を、より将来のロケットに活かしたいためだという。また、最近の世の中が水素社会になりつつあり、液体水素を使うロケットと接点があることから、それらの大学や企業などと共同研究ができるメリットもあるという。再使用することで本当に安くなるのかという疑問もある。スペース・シャトルは安価に運用するために部分的な再使用方式を採用したが、再使用のためのメンテナンスにかかる費用が非常に高くなってしまったという歴史がある。再使用観測ロケットはスペース・シャトルとは異なり完全再使用で、また機体の規模も目的も異なるが、同じ轍を踏まないとは限らない。これについて、小川准教授は「部品レベルで検討した結果、運用費用について、10分の1ぐらいは確実に安くなるという試算が出ている」と、低コスト化への自信を語った。もうひとつ、なぜ垂直離着陸方式を採用したのか、という点だ。米国では「スペースシップトゥ」のように、航空機に吊られて上空まで上がり、そこからロケット・エンジンで高度100kmまで上がり、飛行機のように滑空して帰ってくるという機体がある。またスペース・シャトルも打ち上げは垂直に上がっていくが、帰還時には翼で舞い戻ってくる。これに対しては、1日に複数回飛ばすことを考えると、垂直離着陸式の方が手間がかからないのではないかと考えられていること、また日本には広い場所がないので、滑走路などを確保するのが難しいという問題があり、垂直離着陸方式であればその点を解決でき、また既存の発射施設を使える利点もあることが挙げられていた。○さらにその先の未来へ現在、世界のロケットは、機体を再使用することで打ち上げコストを引き下げようという動きが主流になりつつある。たとえば米国のスペースX社は、ロケットの第1段を再使用することを目指し、「ファルコン9-R」ロケットの試験を繰り返している。また米国のユナイテッド・ローンチ・アライアンス社は、打ち上げ後に第1段のロケット・エンジンのみを分離し、パラシュートで降下させて空中で回収し再使用する「ヴァルカン」ロケットの開発をすると明らかにしている。フランスでも、第1段エンジン部分だけを分離し、プロペラを展開させて飛行機のように帰還し再使用する「アデリン」というシステムの開発が行われている。さらに米国のブルー・オリジン社では、まさにISASの再使用観測ロケットのように、液体酸素と液体水素を推進剤とする垂直離着陸型の再使用ロケットの開発が進められており、今年4月には高度約100kmへの飛行に成功している。一方日本では、現在三菱重工業とJAXAが共同で、H-IIAロケットやH-IIBロケットの後継機となる「新型基幹ロケット」の開発を進めているが、今のところ再使用化の計画はない。はたして、この再使用観測ロケットと新型基幹ロケットが融合し、新型基幹ロケットの第1段が地上に舞い戻ってくるような日はくるのかということは、誰でも期待を抱くところだろう。質疑応答でも当然、そうした質問が飛び出した。それに対して稲谷教授は「スペースX社のように、新型基幹ロケットの1段目を再使用にする可能性はありうるだろう。そのときに、このエンジンでやってきたことは役に立つだろうとは思う。ただ、今のところ新型基幹ロケットはそのような設計開発はされていないと思うし、思考実験としてやったらどうなるか、ということは、(三菱やJAXAで)考えてられているとは思うが、まだ形になるような話にはなっていないと思う。将来とりうるチョイスのひとつとは思うが、これはなかなか難しいところで、スペースX社がやっているから日本も同じことをするのか、あるいはもっと先を行くべきのか、国の税金を使っていることなので、どういう道を行くのかはしっかり議論した上で決めるべきことだと思う」とのことであった。また小川准教授は会見後、「これからのロケットは再使用化が主流になると思われるか」という質問に対して、「たしかに、世界はふたたびロケットの再使用化に向けて動き出しているようだ。ただ、私たちはさらにその先の未来を見据えて、私たちのやり方が世界の主流になるようにやらなければならないと思う」と語った。さらにその先、というのは、完全な再使用ロケットのことだ。ファルコン9-Rやヴァルカン、アデリンは部分的再使用、つまり機体の一部を再使用しているにすぎない(スペース・シャトルも同様)。しかし、本当に航空機のようにロケットを飛ばしたいのであれば、当然ながら航空機と同じように、ロケットの機体すべてを再使用することが望ましい。そうした機体の構想は古くからあり、ロケットの全段をそのまま再使用する単段式ロケットや、2段式ながら上段が別々に帰還して再使用できるロケットなどが考案され、たとえばNASAでは、1980年代から90年代にかけて、X-30やDC-X、X-33、ヴェンチャースターといった機体の開発が行われた。しかし、どれも技術的な障壁にぶち当たり、結局実現することなく消えている。だが、それから技術も発達し、またスペースX社などがロケットを実際に再使用することを試みつつあり、完全再使用の衛星打ち上げロケットの開発に、ふたたび挑むべき時代がやってきているのかもしれない。稲谷教授は「誰でも行ける宇宙旅行や、太陽発電衛星の建設といった事業が経済的に成り立つためには、1日に何十回も飛べたり、機体を1000回ほど再使用できたりできる航空機のようなロケットを実現し、今より打ち上げコストを2桁ほど下げないといけない」と語る。また稲谷教授は「最終的にはスペース・シャトルよりも、もっと良いものを造りたい。たとえば羽田空港では、1日1000回ほど飛行機の離発着がある。再使用観測ロケットが目指しているのは1日10回程度であり、まだ2桁も少ない。それでも飛行機のように運用できるロケットが実現できないはずはない。それをゴールとして、若い人も含めて、そうしたロケットの実現に向けた活動が活発になればと思う」と期待を語った。○『「ロケットの次のゴール」または「詐欺師ペテン師の世界」』ところで、稲谷教授は今から10年前、2005年のお正月に、ISASニュースに『「ロケットの次のゴール」または「詐欺師ペテン師の世界」』と題した記事を寄稿している。その主張は今回の説明会と変わわらず、宇宙旅行や太陽発電衛星の建設などを実現するには打ち上げ費用を安くすることが重要であり、そのためには高い頻度で繰り返し打ち上げができる、使い捨て型のロケットとはまったく異なる思想のロケットが求められることが解説されている。そのユニークな題名は、稲谷教授と、糸川先生の弟子でもあった長友信人名誉教授との間で交わされた、「もし再使用ロケットを造ろうとお金を集めるも、失敗に終わった場合、詐欺師やペテン師の仲間入りをしてしまうことになる」という内容の会話から採られている。ちなみに長友教授もまた、考えが時代の先を行きすぎていたため、山師と呼ばれることがあったという。この記事が書かれた2005年というと、スペース・シャトルの後継機となるはずだった新型シャトルの計画はすべて消え、また2年前にはスペース・シャトル「コロンビア」の事故も起き、スペース・シャトルは失敗作だったという見方が広がり、再使用ロケットというものの実現性に疑いの目が向けられていたころだ。一方でロシアは、半世紀近く形の変わらない古めかしい使い捨てロケットを使い、安価に、そして安定した打ち上げを続けていた。それを背景に、当時は「ロケットを安くするには、使い捨てロケットを大量生産してコストダウンすることが正解」という風潮が強かった。あれから10年が経った今、世界のロケットはふたたび、やり方はさまざまなれど、機体を再使用する方向へ舵を切りつつある。そしてその流れはおそらく止まることはないだろう。もし将来、稲谷教授を詐欺師やペテン師などと呼ばねばならない日が来るとしたならば、それは日本のロケット産業の敗北を意味することになろう。
2015年06月25日そのニューズが流れたとき、多くの人々の反応は「またか」であった。2015年5月16日、ロシアのプラトーンM/ブリースMロケットが打ち上げに失敗し、墜落した。ロケットにはメキシコ合衆国の通信衛星「メクスサット1」が搭載されていたが、ロケットもろとも完全に失われることになった。また、つい最近の4月末には、国際宇宙ステーションへの補給物資を積んだプラグリェースM-27M補給船が問題を起こし、ミッションが失敗に終わっており、ロシアの宇宙開発にとって悪夢のような日々が続いている。それでなくとも、プラトーンMはここ数年、頻繁に失敗を起こしていた。最近では2014年10月に、衛星を予定していた軌道に投入することに失敗(衛星側で軌道修正は可能とされる)、さらに奇しくも今回から1年前の2014年5月16日には、今回とよく似た状況の失敗を起こしている。またそれにとどまらず、プラトーンMは2000年代後半からはほぼ年に1機から2機のペースで失敗しており、例えば2014年は8機中2機が、また2013年は10機中1機が、2012年は11機中2機が、墜落したり、目的の軌道へ衛星を投入できなかったりといった失敗を起こしている。かつてプラトーンMは、非常に大きな打ち上げ能力と、高い打ち上げ成功率を武器に、人工衛星の商業打ち上げ市場において、欧州企業とほぼ二分するほどのシェアを誇っていた。米国や日本の企業の衛星を打ち上げたことも一度や二度ではない。ほぼ毎月のように巨大なロケットが飛んでいく様は、かの地においては日常の光景であり、それはロシアの宇宙技術の高さの象徴でもあったが、今や斜陽化の象徴と化してしまった。○ロケットの第3段に異常メクスサット1を搭載したプラトーンM/ブリースMは、バイカヌール現地時間2015年5月16日11時47分(日本時間2015年5月16日14時47分)に、カザフスタン共和国にあるバイカヌール宇宙基地の200/39発射台から離昇した。予定では9時間13分にわたって飛行し、静止トランスファー軌道という、静止軌道に乗り移るための暫定的な軌道で衛星を分離することになっていた。しかし、ロシア連邦宇宙庁(ロスコースマス)の発表によると、打上げから497秒(8分17秒)後、高度161kmの地点で何らかの異常が発生したという。この時点ではまだ軌道速度は出ていないため、加速を失ったロケットと衛星は地球に向かって落下をはじめた。ロスコースマスではすぐに調査委員会が立ち上げられ、原因の究明が始まった。今回の打ち上げを手配した、民間のインターナショナル・ローンチ・サーヴィシズ(ILS)社でも独自の調査委員会が立ち上げられ、調査が行われている。またロシアのインテルファークス通信やイズヴェースチヤ紙などは、専門家の見解として、第3段に装備されている、姿勢制御用の小型ロケット・エンジンに問題が発生した可能性があると報じている。プラトーンMの第3段ロケット・エンジンは「RD-0212」と呼ばれており、メイン・エンジンの「RD-0213」と、4基のノズルからなるヴァーニア・エンジンの「RD-0214」の2種類のエンジンから構成されている。RD-0214は、ロケットの飛行の制御を行う、ステアリング(舵)として使われるエンジンだ。ただ、5月28日現在では、まだ決定的な原因、今後の対策などは、公式には発表されていない。また問題が発生した後に、ロケットや衛星がどのような結末を迎えたかは定かではない。機体の大半は燃え尽きたと考えられているが、燃え残った部品などが地表に落下した可能性もある。実際に、部品が落下すると想定されたロシア連邦南東の、モンゴルと国境を接するザバイカーリスキィ地方の南西にあるクラスナチコーイスキィ地区に向けて、ロシア非常事態省のヘリコプターが飛んだとされる。ただ、今のところ地表に落下したことを示す痕跡は見つかっていないという。ロケットの行方がわからなくなったことと、今回の打ち上げがプラトーン全シリーズ通算404機目であったことに引っ掛けて、Twitterでは「#404RocketNotFound」というハッシュタグが作られ、にわかに盛り上がりを見せていた。無粋なことは承知でネタの解説をすると、「404」というのは「Webページ(のファイル)が見つかりません」ということを意味するエラー・メッセージだ。たとえば昔にお気に入りに入れたページを久しぶりに見に行こうとしたら、「404 Not Found」と表示されて見られなくなっていた、ということを経験した人は多いだろうが、あれがまさにそれである。○メクスサット1今回の積み荷であったメクスサット1は、メキシコの通信・運輸省が運用する通信衛星で、米国の航空・宇宙大手のボーイング社によって製造された。またメクスサット1は別名「センテナリオ」とも呼ばれている。センテナリオ(Centenario)とはスペイン語で「100周年」を意味する単語で、1910年から1920年にかけて起こったメキシコ革命から100周年を記念して打ち上げられた衛星でもあった。無事に軌道に投入されていれば、音声やデータ、映像やインターネットなどの通信サーヴィスを提供することになっていた。打ち上げ時の質量は5325kgという大型衛星で、おまけに直径22mの展開式アンテナを持っているため、より大きく感じられる。設計寿命は15年が予定されていた。計画ではメクスサット1を含めて合計3機の衛星が打ち上げられ、国防や政府機関の通信、災害時の緊急通信などの用途で使われる予定だったが、1号機が失敗したことで計画の見直しは必至だ。米国の宇宙開発ニュース・サイトのSpacePolicyOnlineによると、衛星本体の設計と製造には3億ドル、打ち上げには9000万ドルが支払われたとされる。ただ、これらには保険が掛けられており、ほぼ全額が戻ってくるという。また、どうして最近失敗が続いているプラトーンMで打ち上げることを選んだのかという問いに対しては、ILS社との今回の打ち上げ契約は、まだそれほど失敗が目立って増えてはいなかった2012年に結ばれたものであり、またその解約には6000万ドルの違約金がかかるのだという。したがって、契約締結後の2012年以降にプラトーンMの打ち上げ失敗が増えたからといって、別のロケットに乗り換えるという選択は容易ではなかったようだ。
2015年05月29日新型基幹ロケットは、現在運用されているH-IIAロケットやH-IIBロケットの後継機として、さまざまな人工衛星や探査機などの打ち上げを担う。初打ち上げは2020年に予定されている。連載の第1回では、新型基幹ロケットがなぜ開発されるのかについて紹介した。第2回では、新型基幹ロケットがH-IIAからどう変わり、どのようなロケットになるのかについて紹介したい。○新型基幹ロケットはH-IIAからどう変わるのか新型基幹ロケットとH-IIAロケットを見比べたとき、最も目立つ違いは背の高さだ。H-IIAの全長は53mだが、新型基幹ロケットでは63mと、実に10mも伸びている。一方、直径もH-IIAの4mから、H-IIBの第1段機体に近い5mへと太くなっている。以前は機体直径は4.5mから5mの間で検討しているとされていたが、最終的に5mで固まったようだ。打ち上げ能力は、固体ロケット・ブースターを装着しない状態で太陽同期軌道に3t、静止トランスファー軌道には2tで、固体ロケット・ブースターを最大の4本まで装着すると、静止トランスファー軌道に6.5tまでの衛星を打ち上げることができるとされる。第1回で触れたように、H-IIAは太陽同期軌道に対しては能力が過剰で、逆に静止トランスファー軌道に対しては不足していたが、新型基幹ロケットではこれが改善されている。また、衛星フェアリングが大きくなっている点も重要な点だ。最近の静止衛星は大型化が進んでおり、他国の新型ロケットも軒並み大型フェアリングを採用しつつある。つまり新型基幹ロケットは、H-IIAよりも多種多様な衛星の打ち上げに対応できるようになっている。次に、ロケットの各部分について見ていきたい。○第1段―新開発のロケット・エンジン新型基幹ロケットの第1段には、新しく開発される「LE-9」というロケット・エンジンが、ミッションに応じて2基、もしくは3基が装着される。第1段エンジンの装着数を変えられるロケットというのはあまり例がない。この仕組みの利点としては、打ち上げたい衛星の質量に合わせて、最も効率の良い構成を選択することができる。しかし、エンジンを取り付ける部分や配管をその都度変えることになるので、設計は複雑になり、また製造や組み立ても手間がかかるようになる。LE-9エンジンは、H-IIAやH-IIBに使われているLE-7Aエンジンとはまったく違う技術が使われる。最も異なるのはロケット・エンジンを動かす方式で、LE-7Aでは二段燃焼サイクルという方式が用いられていたが、LE-9はエキスパンダー・ブリード・サイクルという方式が使われる。液体ロケット・エンジンは、ターボ・ポンプという強力なポンプを使ってタンクから燃焼室に推進剤を送り込み、そこで燃焼させ、発生したガスを噴射して推力を発生させている。多くの液体ロケットは、このターボ・ポンプを駆動させるためのタービンをガスで回しているが、どのような仕組みでこのガスを発生させるのか、またタービンを回した後のガスをどう処理するかで、液体燃料ロケットエンジンは大別される。二段燃燃焼サイクルは、まずプリ・バーナーと呼ばれる小さな燃焼室でガスを作る。そのガスはターボ・ポンプのタービンを回転させ、さらにその後、主燃焼室に送られて燃焼され、推力の発生に使われる。つまりガスを無駄にすることがないため、効率の良いエンジンになる。しかし、その分設計が複雑になり、またエンジンの各部分に高い圧力がかかる、開発や製造、取り扱いが難しい。一方、エキスパンダー・ブリード・サイクルはプリ・バーナーを持たない。主燃焼室やノズルの壁面に推進剤を流して冷却し、その際に発生するガスを使ってタービンを回すのだ。また、タービンの回転に使ったガスはそのまま外部へと捨てられる。これにより、効率では二段燃焼サイクルよりは劣るものの、プリ・バーナーがないためエンジンの構造が簡単になり、構造が簡単ということは造りやすく、信頼性も高いエンジンとなる。エキスパンダー・ブリード・サイクルはすでに、H-IIの第2段エンジン「LE-5A」や、H-IIAやH-IIBの第2段ロケット・エンジン「LE-5B」で使われており、日本にとっては技術も実績もある技術だ。ただ、ロケットの第1段エンジンとして使うためには、エンジンを大型化し、大推力化、つまりパワーをたくさん出せるようにしなければならない。エキスパンダー・ブリード・サイクルの大型・大推力エンジンというのは過去に例がないため、開発が順調に進むかどうかが今後の注目すべき点だ。LE-9の推力は公表されていないが、LE-9の基となった技術実証エンジン「LE-X」の推力は、海面上で1217kN(124tf)、真空中で1448kN(148tf)に設定されているため、これに近い値になると思われる。○固体ロケット・ブースター―SRB-Aを改良第1段の下部の周囲には、固体燃料を使う固体ロケット・ブースターが装着される。ミッションに応じて0から4本を変えられるようになっている。0から4本とはなっているが、ロケットのバランスを考えると、1本や3本はなく、実際は0、2、4本から選択することになる。このブースターについては「改良型」と記載されており、おそらくまったくの新開発ではなく、H-IIAやH-IIBで使われている「SRB-A」を改良したものが使われることになるのだろう。想像図を見る限りでは、H-IIA、H-IIBの外見上の特徴でもあったブレスやスラスト・ストラット(SRB-Aと第1段機体を結合している数本の棒状の部品)がなくなっており、結合方法が見直されている。ブレスやスラスト・ストラットを使う結合方法が用いられた理由は、SRB-Aのモーター・ケースに炭素繊維強化プラスチックが使われていることにあった。炭素繊維強化プラスチックは高い強度と軽さを併せ持つ材料だが、応力集中に弱い。ボルトなどで直接第1段機体と結合してしまうと、その部分に力が集中するため、壊れてしまうのだ。そこでモーターの上部にアルミ合金製のキャップをかぶせ、そこに斜めの支持棒(スラスト・ストラット)取り付けて力を受け止め、ロケット全体を引っ張り上げるようにする方式が採られている。だが、新型基幹ロケットでは「簡素な結合分離機構」を用いることで、ブレスやスラスト・ストラットが不要になったようだ。どのような技術が使われているのか、今後の情報に期待したい。○第2段―LE-5B-2を改良今回公開された概要で、以前までの完成予想図と最も大きく変わっているのがこの第2段だ。従来は第2段に「LE-11」という新開発のロケット・エンジンが使われていることになっていた。LE-11はLE-9と同じエキスパンダー・ブリード・サイクルを採用し、すでに原型エンジン試験の試験も行われていた。だが、今回公開された概要では「改良型2段エンジン1基または2基(検討中)」と記載されていることから、H-IIAやH-IIBで使われている「LE-5B-2」エンジンの改良型であり、新型のLE-11ではないことが示唆されている。実際に、今年3月4日にはJAXAが「新型基幹ロケット上段エンジンの開発」として、LE-5B-2エンジンの改良開発を行う契約を出していることがわかっている。また「1基または2基」というのは、第1段のように打ち上げる衛星に合わせて装着数を変えるということではなく、現時点ではエンジン基数の設定を保留にしている、ということだ。ただ、どちらになるにせよ、影響は限定的であるため、設計の手戻り(やり直し)は回避できるという。これが「LE-5B-2の改良で十分」ということなのか、「LE-11の開発に関して何らかの事情や問題が生じたため」なのか、あるいは「最初はLE-5B-2改良型を使い、開発が完了次第LE-11に切り替える」ということなのかは、今のところ明らかにされていない。(次回は4月25日掲載です)
2015年04月23日宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2015年4月10日、「新型基幹ロケット」の開発状況について発表し、ロケットや射場施設に関する概要の最新情報を公開した。新型基幹ロケットは、現在運用されているH-IIAロケットやH-IIBロケットの後継機として、さまざまな人工衛星や探査機などの打ち上げを担う。初打ち上げは2020年に予定されている。今回は新型基幹ロケットの概要や、これまでの経緯、今後の課題などについて、全3回に分けて紹介したい。○新型基幹ロケットとは新型基幹ロケットは、JAXAと三菱重工が中心となって開発が行われている大型のロケットだ。一部のメディアでは「H-III」と呼ばれたりもしているが、公式にはまだ決まっていない。初打ち上げは2020年度に予定されており、いずれは、現在運用されているH-IIAロケットやH-IIBロケットの後継機として、地球観測衛星や情報収集衛星、科学衛星や惑星探査機などの打ち上げを担うことになっている。H-IIAはこれまでに28機が打ち上げられ、そのうち27機が成功し、さらに直近の22機は連続成功を続けている。また、H-IIAを基に開発されたH-IIBは4機中4機すべてが打ち上げに成功しているなど、高い実績を築いており、ロケットとしての信頼性も確立されつつある。であれば、このままH-IIA、H-IIBを使い続ければ良いのではと思われるかもしれないが、そうはいかない事情がある。JAXAや三菱重工では、この新型基幹ロケットの開発目的について、「自律性の確保」と「国際競争力のあるロケットと打ち上げサーヴィスを持つこと」の2点が挙げられている。「自律性の確保」とは、他国に頼ることなく、日本だけの力でロケットを打ち上げる能力を持ち続けるということだ。そのためにはH-IIAやH-IIBを使い続けるだけではなく、ロケットを造る技術を、新しい世代の技術者に継承していかなければならない。H-IIAはゼロから新規に開発されたわけではなく、先代のH-IIを改良したロケットだ。H-IIBもH-IIAの改良型であり、新開発された要素はさらに少ない。H-IIの開発は1980年代から始まっており、当時現役だった技術者たちは、そろそろ現場を離れる時期にきている。技術とは、設計図や部品だけあれば良いというものではなく、人の知識や経験といった要素も欠かせない。それらが継承されないと、いずれ日本から大型の液体燃料ロケットを造る技術が失われてしまうことになる。そこで、H-II開発の経験を持つ人たちが現役である間に新しいロケットを開発し、それを通じて彼らが持つ知識や経験を次の世代に伝えていこうというわけだ。もうひとつの「国際競争力のあるロケットと打ち上げサーヴィスを持つこと」とは、言い換えると「安くて信頼性のあるロケットを造る」ということだ。H-IIAやH-IIBには、打ち上げ価格が高いという欠点がある。三菱重工は打ち上げ価格を公表していないが、H-IIAの標準型で100億円、商業用の静止衛星を打ち上げる際に使われる、固体ロケット・ブースターを4本持つH-IIA 204という構成であれば110億円ほどとされる。しかし他国では、H-IIAとほぼ同じ能力で価格は半額という安価なロケットが登場してきており、国内外の企業から人工衛星の打ち上げを受注する際に不利な状態が続いている。そこで新型基幹ロケットの打ち上げ価格はH-IIAの約半額を目指すとされている。また、H-IIAの打ち上げ能力には、目標の軌道によってやや過剰であったり、また逆に不足していたりという問題がある。H-IIA標準型では太陽同期軌道に4t、最大構成では静止トランスファー軌道に6tの打ち上げ能力を持つ。太陽同期軌道は、地球を南北に回り、なおかつ太陽光の差し込む角度が一定となる軌道で、地球の観測に適しているため、地球観測衛星や偵察衛星がよく打ち上げられている。ただ、日本の地球観測衛星である「だいち2号」や情報収集衛星は約2tほどしかなく、H-IIAの4tという打ち上げ能力はやや過剰である。もうひとつの静止トランスファー軌道というのは、通信衛星などの静止衛星が打ち上げられる静止軌道の、ひとつ手前の軌道のことだ。多くのロケットは静止軌道に衛星を直接投入することができないため、この静止トランスファー軌道に衛星を投入している。静止衛星の質量は、小さいものでは2tほどだが、大きいものであれば7tもある、H-IIAの最強型でも打ち上げられない衛星が出てきている。つまり、H-IIAよりも価格を下げつつ、打ち上げ能力を各軌道に合わせて最適にしたロケットが必要となっているのだ。○これまでの経緯H-IIAの後継機を造るという話は、JAXAが設立された2003年の時点ですでに持ち上がっていた。しかし、その直後の同年11月29日にH-IIA 6号機の打ち上げが失敗し、新型ロケットよりもまずはH-IIAの信頼性を高めることが優先されたこと、またそれと関連し、ロケット・エンジンやブースターの改良に力を注ぐことになったことにより、開発決定は先延ばしにされた。その後もJAXA内で研究が続けられ、2012年度からは概念検討が行われた。2013年6月4日に新型基幹ロケットの開発を行うことが決定された。翌2014年3月25日には、開発を担う企業に三菱重工が選ばれ、2014年4月からロケットの概念設計が開始された。そして2015年2月25日から3月11日にかけて、ロケットや地上設備などの各システムの技術仕様や基本設計以降の開発計画の妥当性について審査する「システム定義審査」が行われ、その結果「基本設計フェイズ」への移行は可能との判断が下された。続いて3月17日から19日にかけて開催された「プロジェクト移行審査」において、「システムの全体仕様が定義ができる段階にあること」が報告され、審議の結果、正式に「プロジェクト」に移行することが決定された。2015年度に入った今現在、新型基幹ロケットのシステム全体としては「基本設計」を行う段階に入っている。また並行して、ロケット・エンジンやブースター、機体構造、電気系統などの、部品や要素単位の試験や、実際にロケットに搭載されるものの設計も2014年度から続けて行われている。さらに、新たに開発されるロケット・エンジンの試験を行うため、試験設備の改修も行われている。(次回は4月23日掲載です)
2015年04月21日米SpaceXは4月14日(現地時間)、国際宇宙ステーション(ISS)に物資を運ぶ補給船「Dragon」を搭載したFalcon9ロケットをフロリダ州ケーブカナベラルより打ち上げた。「Dragon」には約2000kgの物資が積み込まれており、4月17日(現地時間)にISSに到着する予定。一方、注目を集めたロケットの再利用実験は失敗に終わった。ロケットの第1段部分を海上の無人船に着陸させることを目指し、ロケットを船まで誘導することはできたが、着陸の際に横方向の力を受け止めきれず倒れてしまったという。同社は今年1月にも同様の試験を実施しており、その時はロケットが甲板上に激しくぶつかってしまい失敗していた。
2015年04月15日○KSLV-IからKSLV-IIへ2020年に韓国の月周回探査機と月探査ローヴァーを打ち上げることになっているのは「KSLV-II」というロケットだ。しかし、現在KSLV-IIはまだ開発中で、実機は存在していない。KSLV-IIは、韓国航空宇宙研究院(KARI)が2011年から開発を行っているロケットで、名前は「Korea Space Launch Vehicle」(韓国の宇宙ロケット)の頭文字からとられている。KSLV-IIは、2009年から2013年にかけて打ち上げた「KSLV-I」(愛称「羅老号」)の後継機にあたる。また羅老号は第1段にロシア製の機体やロケットエンジンを用いていたが、KSLV-IIはすべて韓国で開発、製造されるという。韓国のロケット開発への取り組みは、1989年10月にKARIが設立されたところから始まる。KARIではまず、KSR-Iと名付けられた固体燃料を用いた小型観測ロケットを開発し、1993年に2機が打ち上げられた。続いて、KSR-Iを2機上下につなげたようなKSR-IIが開発され、1997年と1998年に1機ずつが打ち上げられた。そして1997年、KARIはKSR-IIIの開発に着手した。KSR-IIIはそれまでのI、IIとは違い、液体燃料を使うロケットであった。推進剤に液体酸素とケロシンを使い、ガス押し方式のエンジンサイクルを採用、推力は13トンであった。KSR-IIIの開発は難航し、また性能も低いものであった。結局2002年に1機が打ち上げられたのみで引退している。当初韓国は、このKSR-IIIを発展させ、人工衛星を打ち上げられるようにした「KSLV-I」ロケットを開発するつもりだった。しかし海外から技術を導入するという形に大きく転換され、2004年にロシアのGKNPTsフルーニチェフ社との間で契約が交わされた。その結果KSLV-Iは、同社ロシアが開発、製造する第1段と、韓国が開発、製造する第2段とフェアリングを持つ形状へと変化した。ロシアから提供されることになった第1段機体は、ロシアの最新型ロケットである「アンガラー」の第1段をそのまま流用したものだった。ところが当時、アンガラーはまだ開発段階で、ロケットエンジンの燃焼試験が行われている程度であり、実機は影も形もなかった。実際にアンガラーが初打ち上げを迎えたのは2014年のことであった。当初、KSLV-Iの打ち上げ予定は2007年とされたが、アンガラーの開発が遅れたことで、当然ながらKSLV-Iの打ち上げも遅れることになった。KSLV-Iは羅老号と名付けられ、2009年8月25日に1号機が打ち上げられた。しかし衛星フェアリングの片方が分離できず打ち上げ失敗、2010年6月10日には2号機が打ち上げられたが、今度は第1段ロケットが爆発し、再び打ち上げは失敗した。この2号機の打ち上げ失敗の原因が韓国側とロシア側のどちらにあるかを巡り、両社は揉めることになる。なぜなら、当初の契約ではロシアからのケットの提供は2機まで、ただしロシア側の原因で打ち上げが失敗した場合にのみ、無償で3機目が提供されることになっていたためだ。爆発という突発的に起きる事象に対して、ロケットに搭載されていたセンサーやカメラから分かることは限られており、数少ない手がかりや憶測から、韓国とロシアの両者は責任のなすり付け合いを始めた。例えば韓国側は分離用に使われていたロシア製の爆発ボルトが原因ではないかとし、ロシア側はロケットが飛行経路を外れた際に自壊処理をさせるために搭載されている韓国製の指令破壊装置が原因ではないかと主張していた。2011年になり、ロシアは結局3機目の機体の提供に同意し、2013年1月30日に打ち上げられた。ロケットは順調に飛行し、搭載していた人工衛星STSAT-2Cを軌道に投入、打ち上げは成功した。ロシアから技術を導入することが決定された当時、韓国はKSLV-Iを発展させ、打ち上げ能力を強化したKSLV-IIやIIIを開発することを考えていたようだ。また韓国は、アンガラーの技術を手に入れることを目論んでいたともされる。しかしロシアは、単にロケットの完成品を売り込むことを考えており、組み立てや整備といった作業に韓国側が立ち会うことはできなかったとされる。ロシア側から技術が得られないことが明確になったため、2009年ごろにKSLV-IIを独自開発に切り替える決定が下されている。これが現在開発中のKSLV-IIである。○KSLV-IIKSLV-IIの全長は47.5mで、直径は第1段が3.3m、第2段が2.9m、第3段が2.6mと、徐々に細くなっている。打ち上げ能力は高度700kmの太陽同期軌道に1,500kgほど、また月への打ち上げ能力は550kgほどになるとされる。太陽同期軌道というのは地球の観測に適した軌道のひとつで、多くの地球観測衛星や偵察衛星がこの軌道に打ち上げられており、韓国の「アリラン3号」、「アリアン5号」などもこの軌道に乗っている。アリラン3号は日本のロケットで、アリアン5号もロシアのロケットで打ち上げられているが、両機と同じ1,500kg未満の衛星であれば、KSLV-IIが完成すれば、自力で打ち上げることがができるようになる。総開発費は1兆9,572億ウォンが予定されている。ロケットは3段式で、全段に液体燃料を用いる。第1段には75トン級のロケットエンジンを4基装備し、第2段には第1段と同じ75トン級エンジンを1基のみ装備、そして第3段には7トン級ロケットエンジンを装備する。75トン級エンジンは推進剤に液体酸素とケロシンを使用し、エンジンサイクルはガス発生器サイクルであるという。またノズルの壁面にケロシンを流して冷却し、さらにその後燃焼室に送り込んで燃焼にも使用する、再生冷却方式を採用しているとされる。なお、第2段に装着されるエンジンは、高真空環境に合わせて、ノズルの開口比が第1段用よりも大きくなっている。韓国は羅老号の開発時に、この75トン級と同じ推進剤、同じエンジンサイクルの30トン級エンジンの開発を行っていた。これはウクライナのユージュノエ社からの技術供与があったとされる。この30トン級エンジンは、将来的に羅老号の第2段に搭載し、打ち上げ能力を増したロケットを造ろうという計画があった。もし実現していれば、これがKSLV-IIと呼ばれるロケットになっていただろう。しかし計画は中止され、30トン級エンジンの開発も打ち切られ、この75トン級エンジンへ引き継がれることになった。75トン級エンジンは2009年ごろから開発が始まっており、2017年までの完成を目指すという。現在までに部品単位での試験や、燃焼器のみでの燃焼試験が実施されている。また2015年6月には新しいロケットエンジンを試験設備が完成することから、エンジン全体の燃焼試験も開始される見込みとされる。開発完了は2017年6月に予定されている。一方の第3段用7トン級ロケットエンジンは、推進剤に第1段、第2段と共通の液体酸素とケロシンを使用し、エンジンサイクルはガス押し式を採用している。すでに2014年3月に燃焼器のみでの燃焼試験を実施しており、今年6月にはエンジン全体の燃焼試験を実施するという。(次回は3月12日に掲載予定です)
2015年03月10日UHA味覚糖は3月9日、同社のキャンディ「ぷっちょ」を燃料とするハイブリッドロケットの打ち上げに成功し、その模様を動画で公開した。「Candy Rocket Project」と名付けられたこのプロジェクトは、UHA味覚糖と秋田大学秋田宇宙開発研究所の和田豊 所長、和歌山大学宇宙教育研究所の秋山演亮 所長、国立天文台チリ観測所の阪本成一 教授が立ち上げたもの。今回打ち上げられたロケットは、「ぷっちょ」約20個が詰まった筒状の燃焼器に酸化剤を入れ、「ぷっちょ」が溶けながら燃えてガス化したものが噴射される力を利用するという仕組みで、3月7日に打ち上げを2回実施し、2回とも成功を収めた。1回目の最高到達点は248mで、2回目は計測不能だった。同社は打ち上げにあたり「Candy Rocket Project」の特設ウェブサイトを開設。同ウェブサイトでは打ち上げの模様を含めた、同プロジェクトの軌跡をまとめた動画のほか、ロケットの仕組みや専門家へのインタビューを見ることができる。
2015年03月09日UHA味覚糖は3月4日、キャンディを燃料として使ったハイブリッドロケットを打ち上げることを目的とした「Candy Rocket Project」を秋田大学、和歌山大学、国立天文台チリ観測所と共同で立ち上げ、3月7日にロケットの打ち上げを実施すると発表した。ハイブリッドロケットとは固体燃料と液体の酸化剤、2種類の推進剤を組み合わせたエンジンシステムを搭載したロケットのこと。一般的なハイブリッドロケットでは、樹脂やゴム、ワックスなどが固体燃料として使用されるが、同プロジェクトでは同社のソフトキャンディ「ぷっちょ」を使用する。その仕組は、「ぷっちょ」が詰まった筒状の燃焼器に酸化剤を入れると、キャンディが溶けながら燃え始め、ガス化したものが勢い良く噴射される力を利用するというもの。1本のロケットでつかう「ぷっちょ」の数は約20個で、ロケットを空高く飛ばすためには「ぷっちょ」を十分に燃やす環境をつくることが重要となる。同ロケットの開発には秋田大学秋田宇宙開発研究所の和田豊 所長、和歌山大学宇宙教育研究所の秋山演亮 所長、国立天文台チリ観測所の阪本成一 教授らが協力した。今回の打ち上げにあたりUHA味覚糖は「Candy Rocket Project」特設ウェブサイトをオープン。ハイブリッドロケットの仕組みや、専門家へのインタビューのほか、打ち上げの模様の映像を随時紹介していく予定となっている。
2015年03月05日外国人旅行客にも人気の下町・谷中。揚げたてコロッケを頬張りながら町をぶらぶらするもよし、古い昭和風情の喫茶店でのんびりお茶するもよし。職人の手作り雑貨をみたり、安ウマな食堂でごはんを堪能したり…。今回は、地元民に聞いた「おすすめデートプラン」をご紹介します。●千駄木からスタート!まずは千代田線・千駄木駅で下車。2番出口から不忍通りを道灌山下方面に歩いて「すずらん通り」へ。たくさんの飲み屋が並ぶ飲兵衛横丁の風景を眺めながら「谷中よみせ通り商店街」へ。まずは昭和5年創業の「ヤマネ肉店」へ。揚げたてのメンチカツorコロッケを頬張ながら、そのまま少し歩いて「谷中銀座商店街」に向かいます。大勢の人で賑わうお店を彼とぶらぶら練り歩きましょう。ランチはユニークなチョイスをしてみては。「夕焼けだんだん」脇にある「ザクロレストラン」は異国情緒溢れるお店。幸せランチ(1,000円(税込み))は、信じられないほど色々なイラン/トルコ/ウズベキスタン料理が食べられます。(と、HPにも書いてある! )珍しい水タバコも楽しめるので、カップルでトライしてみても面白そう。●午後はお散歩~サイクリング、そして夜はしっぽり腹ごなしに「夕焼けだんだん」周辺のお店めぐりを。レトロな雑貨や道具を扱うお店などがあり、彼との会話も自然と弾みます。デザートやお茶を…となれば、「山陽食品」の店頭でところてんをワイルドに食べたり、「やなか珈琲 谷中本店」で美味しい焙煎珈琲を買って飲みながら歩くのも楽しいですよ。続いて「よみせ通り」を根津方面に進むと「tokyobike gallery 谷中」があります。ここは谷中発の世界ブランドになりつつあるトーキョーバイクのショウルーム。可愛い自転車たちに触れ、彼とそれぞれに好きな自転車をレンタルしちゃいましょう。近くにある谷中墓地の広大な敷地をゆっくり走り、東京芸大キャンパス脇を走って上野恩賜公園まで。ひときわおしゃれなスタバがあるので、ここで休憩してもいいですね。自転車もすぐ脇に置けるのでオススメです。ひと休みしたら再び東京芸大脇を通り、谷中六丁目の交差点から言問通り、根津観音通りへと移動し、ギャラリー「りんごや」へ。かつて八百屋だった木造家屋の風情あふれる店内で、展示を眺めながら紅茶をいただくと、穏やかな気分になれます。近辺にはいくつかギャラリーや職人直売のお店があるので、ぶらぶらすると掘り出し物が見つかるかもしれません。さらに根津から千駄木方面に向かう通称「へびみち」へ。小さなお店を眺めたり、一本東側の道路沿いにいくつかある革製品の工房をのぞいてみるのも楽しいです。浅草から上野近くに靴や鞄などの職人学校がある関係で、卒業生が谷中にアトリエを構えるケースが多いそうですよ。いろんな場所を走りまわったら、そろそろいい時間。自転車を返却し、隠れ家小料理屋「五十蔵(いすくら)」でシメ。古民家を改築し、おばあちゃんの家に来たような気分になれるお店です。和食と日本酒に舌鼓を打ちながら、彼と更けゆく下町の夜を楽しんでください。風情ある町並みが楽しい谷根千エリア。付き合い始めのカップルでも、デートがマンネリ化してきたカップルでも、きっとまた「もう一度行きたい」と盛り上がるはず。冬のデートプランにぜひ!
2015年01月25日欧州の主力ロケット「アリアン5」は、世界各国の商業衛星を数多く打ち上げ、現在世界で最も成功している商業ロケットである。しかし、米スペースX社のファルコン9ロケットの台頭や、2020年以降に世界各国で新型ロケットが続々と登場することなどから、その地位が脅かされつつある。その挑戦に立ち向かうべく、欧州は2014年12月、アリアン5の後継機となる、新型の「アリアン6」ロケットの開発を決定した。今回は、商業ロケットの雄とも呼ばれるアリアン・ロケットの歴史から、アリアン6ロケットの概要、その開発を巡る経緯と現状、そして将来について、全4回に分けて紹介したい。○商業ロケットの雄アリアン宇宙開発と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、米航空宇宙局(NASA)の存在だろう。探査機で太陽系の星々を探索したり、スペースシャトルを飛ばしたり、そして人間を月へ送り込んだのもNASAだ。では、私たちが普段利用している通信衛星や放送衛星を打ち上げているのもNASAなのかといえば、実はそうではない。米国にNASA、日本にJAXAがあるように、欧州には欧州各国が共同で設立した欧州宇宙機関、通称ESAがある。そのESAが開発したロケット「アリアン」、そしてアリアン・ロケットを運用するためにフランスに設立されたアリアンスペース社が、その問いの答えだ。アリアンスペース社は、商業打ち上げの市場において、世界で最も成功している企業だ。商業打ち上げとは、衛星通信や放送を事業として行っている企業から、そのための人工衛星の打ち上げを受注し、ロケットで宇宙まで送り届けることをいう。もっとくだけた言い方をすれば「ロケットを使った商売」だ。アリアンスペース社は世界の商業打ち上げ市場において50%以上のシェアを持ち、米国や日本の企業の衛星も数多く打ち上げている。アリアンという名前は、ギリシア神話に登場するクレーテー王ミーノースの娘、アリアドネーに由来する。アリアドネーは愛するテーセウスが怪物ミノタウロスを倒すため迷宮(ラビュリントス)へ赴く際、迷わずに帰って来られるよう、糸玉を渡す。テーセウスはその糸を垂らしつつ迷宮を進み、ミノタウロスを討った後、その垂らした糸を辿って無事に帰還を果たす。難問を解決する鍵という意味で使われる「アリアドネの糸」という言葉は、この話が由来となっている。そのアリアドネーの名前をロケットに付けた背景には、「ヨーロッパ」と呼ばれるロケットの開発における手痛い失敗があった。○ド・ゴール主義と宇宙開発1945年に第2次世界大戦が終わった後、米国とソヴィエト連邦は覇権を競って対立を始め、それ以外の国々は米ソどちらの側に付くかを迫られ、世界は大きく2つに分けられた。冷戦の始まりだ。第2次世界大戦においてフランスは、ナチス・ドイツに1度はその国土を奪われながらも、最終的には取り返し、戦勝国となった。戦後は英国と同様、多くの植民地が独立を始めたことで、かつてほどの威信は失われたが、冷戦によって欧州大陸が真っ2つに引き裂かれていく中で、大きな存在感を示し始めた。フランスは、基本的には米国側に付きつつも、米国とも、もちろんソ連とも距離を置いた第三極としての地位を目指し、政治、経済はもちろん、軍事や科学・技術の面でも、独自の路線を歩むことになったのだ。ナチス・ドイツとの戦争中は亡命政府を率い、戦後は首相、大統領としてフランスを立て直したことで知られるシャルル・ド・ゴールの名を取り、ド・ゴール主義と呼ばれるこうした方針は、例えば核兵器を独自に開発したり、核ミサイルも独自に配備したりし、さらにはフランス自身が設立に関与した北大西洋条約機構(NATO)からすらも距離を置くという徹底ぶりだった。そして、それは宇宙開発も例外ではなかった。「米ソが核兵器を持った、ならばフランスも持つ」ということは、「米ソがロケットを造った、ならばフランスもだ」ということに他ならなかった。フランスは第2次大戦後すぐにロケットの研究を始めており、米ソと同様にドイツのV-2ミサイルの分析や、ドイツ人技術者を交えて発展型のV-2を開発する検討も行った。だが、米ソとやや異なるのは、早々に硝酸とケロシン、あるいは四酸化二窒素と非対称ジメチルヒドラジンといった推進剤を使うロケットの開発に挑んだ点だ。これらの組み合わせは常温で保存ができるため、極低温の液体酸素を使うV-2よりも、ミサイルに向いているという特長がある。まずは小型の観測ロケットを開発して打ち上げを重ね、1957年から1958年にかけて実施された国際地球観測年プロジェクトにも参加し、観測機器の打ち上げを行っている。その最中の1957年10月4日、ソ連は人工衛星スプートニクの打ち上げに成功する。続いて1958年1月31日には、米国も人工衛星エクスプローラー1の打ち上げに成功する。フランスにとっては「米ソが人工衛星を打ち上げた、ならばフランスもだ」ということになる。1961年、フランスの宇宙開発を担うフランス宇宙科学センター(CNES)が設立され、人工衛星の打ち上げを目指した「ディアマン」ロケットの開発が始まった。ディアマンは第1段と第2段に四酸化二窒素と非対称ジメチルヒドラジンを推進剤として使い、第3段は固体燃料ロケットを採用した。そして1965年11月26日、アルジェリアにあるアマギールという町から、人工衛星アステリクスを積んだディアマンAが打ち上げられた。初打ち上げながら見事に成功を収め、フランスはソ連、米国に次ぐ、世界で3番目の衛星打ち上げ国となった。アルジェリアが打ち上げ場所として選ばれた背景には、選定当時はフランスの植民地であったことが大きい。しかし1962年にアルジェリアが独立したことで、しばらくは打ち上げは続けられたものの、次第に打ち上げ場所を変えざるを得なくなり、依然としてフランスの植民地であった、南米ギアナのクールーという町に新しくギアナ宇宙センターが造られた。ここは現在でもアリアン・ロケットの発射基地として使われている。ディアマンAは1965年から1967年にかけてアマギールから4機が打ち上げられ、続いて1970年から1975年にかけて、クールーから性能を向上させたディアマンB、ディアマンBP4が合わせて8機打ち上げられ、ディアマンは運用を終えた。○ヨーロッパ・ロケットディアマンと並行して、フランスは欧州各国が共同で開発する大型ロケットの開発にも関与していた。そのロケットの名は「ヨーロッパ」という。ヨーロッパの開発の中心に立ったのは英国だった。英国は1950年代後半、米国からアトラス・ロケットの技術を導入し、ブルー・ストリークと名付けられた準中距離弾道ミサイルの開発を進めていたが、予算の関係で1960年に開発は中止される。その後、無用となったブルー・ストリークを人工衛星を打ち上げるロケットの第1段に転用しようという案が出され、次第に欧州全体を巻き込み、英国、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダが参加、欧州ロケット開発機構(ELDO)という機関まで設立された。英国にとってはブルー・ストリークが無駄にならないばかりか、ロケットの第1段を提供することで開発の主導権が握れ、何より人工衛星を打ち上げられるというおまけが付く。一方フランスにとっては、ディアマンよりも大型のロケットを独自に開発する手間が省けるという利点があり、またディアマンの技術を持っていることで、開発において発言権も確保できた。ただし、ディアマンの開発と打ち上げも並行して進めることで、独自性もしっかり確保していた。こうして欧州を挙げて開発が始まったヨーロッパだが、しかし完全な失敗作であった。第1段のブルー・ストリークのみの試験打ち上げは成功したものの、第2段より上を積んだ打ち上げに移行すると、途端に失敗が続いた。英国は開発の途中で見切りをつけて、計画から離脱する有様だった。その後はフランスとイタリアが主導し、改良型のヨーロッパ2を開発、1971年11月5日に打ち上げたがこれも失敗に終わる。結局、ヨーロッパは一度も人工衛星を打ち上げることができないまま、これを最後に計画は中止された。翌1972年1月、米国のリチャード・ニクソン大統領は、毎週1機の頻度で、これまでより安価に人や衛星を飛ばすことができる新しい宇宙輸送システム「スペースシャトル」を発表する。もしそれが本当に実現すれば、フランスの、そして欧州独自のロケットは不要になるかもしれない。しかしフランスは立ち止まらず、新しいロケットの開発計画を立ち上げる。欧州各国による共同開発という体制は変わらなかったが、ヨーロッパ開発での反省からフランスが主導する形を採ることを決めた。この新型ロケットには「アリアン」という名前が与えられた。そこに、無残な結果に終わったヨーロッパの開発という「迷宮」からの脱出を目指す意図が含まれていたことは、想像に難くない。(次回は1月24日に公開予定です)参考・・・・・
2015年01月23日ロシアは12月23日、新型の大型ロケット「アンガラーA5」の打ち上げ試験に成功した。アンガラーA5はこれが初飛行で、またアンガラー・ロケットが人工衛星を軌道に乗せたのも初めてのことであった。アンガラーはソ連崩壊直後の1992年に、ロシアだけの力でロケットを造り、ロシアの地から打ち上げることを目指して開発が始まった。資金難と技術の衰退から、22年間にも及ぶ苦難の道を歩むことになったが、ようやくついにその努力は実を結んだ。今回は、アンガラーの概要と開発の歴史、そして今後の展望について、3回に分けて解説したい。○ロシア連邦が初めて開発したロケット「アンガラー」アンガラーはGKNPTsフルーニチェフ社が開発したロケットで、設計から製造に至るまで、すべてロシア国内で実施され、部品もロシア製、そして打ち上げもロシアの地からのみ行える、真の意味で「ロシアのロケット」といえる初めての機体だ。アンガラーは、「ユニヴァーサル・ロケット・モジュール1(URM-1)」と呼ばれる第1段を、1基のみ使ったり、あるいは3基、5基、7基まで束ねたり、また上段を組み替えたり、さらに追加で第4段を搭載したりと、その構成を柔軟に組み替えられるようになっている。言い換えれば、アンガラーという名のロケットは、小型ロケットでもあり、また中型ロケットでもあり、あるいは大型ロケットでもあり、そして超大型ロケットにもなれるというわけだ。こうした仕組みはモジュラー式、あるいはモジュラー・ロケットと呼ばれている。アンガラーのURM-1のロケットエンジンには、RD-170から派生したRD-191が装着されている。RD-170はソ連末期に開発された超大型ロケット、エネールギヤの第1段エンジンとして開発されたもので、きわめて高い性能を持つ。RD-170は燃焼室とノズルが4つあり、一見すると4基のエンジンを束ねたように見えるが、これで1つのエンジンである。そのRD-170から派生したエンジンの1つに、RD-170を半分にして燃焼室とノズルを2つにしたRD-180があり、米国へ輸出され、アトラスVロケットの第1段として使われている。RD-191はRD-180をさらに半分にして、燃焼室とノズルを1つにしたものだ。推力はもちろんRD-170の4分の1になってはいるが、エンジンの燃費や、エンジンの質量と出せる推力の比率などは、RD-170譲りの高い性能を持つ。URM-1の上にはURM-2が搭載される。URM-2は、現在運用されているソユース2.1bロケットの第3段ブロークIから派生したもので、ロケットエンジンもブロークIで使われているRD-0124エンジンの改良型の、RD-0124Aが使われる。RD-0124/RD-0124Aは液体酸素とケロシンを推進剤とするエンジンだ。また静止衛星の打ち上げ用として、URM-2の上にプロトーン・ロケットでも使われているブリースMや、新開発のKVSKやKVTKと呼ばれる上段も搭載できる。KVSKとKVTKには、米国のエアロジェット・ロケットダイン社が製造しているRL10エンジンをロシアで生産したRD-0146エンジンが搭載される。RF-0146は液体酸素と液体水素を推進剤として使用するエンジンで、四酸化二窒素と非対称ジメチル・ヒドラジンを推進剤とするブリースMのエンジンよりも性能が良い。アンガラーの中でもっとも最小の構成はアンガラー1.2で、他に中型ロケットのアンガラーA3、大型ロケットのアンガラーA5、そして超大型ロケットのアンガラーA7といった構成が造られる予定だ。アンガラー1.2はURM-1を1基、その上にソユース2.1bの第3段であるブロークIを載せた構成をしている。地球低軌道(高度200km、軌道傾斜角63.1度、以下同)に3.80tの衛星を投入することができ、現在運用されているローカトやドニェープルといったロケットを代替する予定だ。かつては、第2段にブリースKMを搭載した、さらに打ち上げ能力が小さいアンガラ1.1と呼ばれる構成も提案されていたが、現在では中止されている。中型ロケットのアンガラーA3はURM-1を3基束ねて使用し、そのうち両脇の2基を第1段として、中央の1基を第2段として使用する。そしてその上にURM-2を第3段として搭載する。地球低軌道に14.6tの衛星を投入する能力を持ち、また第4段にブリースMやKVSKを搭載した場合は、静止トランスファー軌道(高度5,500km x 36,000km、軌道傾斜角25度、以下同)にブリースMは2.40t、KVSKは3.60t、静止軌道への直接投入であれば、ブリースMは1.00t、KVSKは2.00tの打ち上げ能力を持つ。アンガラーA3は、現在運用されているソユースやゼニートといったロケットを代替する予定だ。大型ロケットのアンガラーA5はURM-1を5基束ねて使用する。中央の1基が第2段で、その周囲を取り巻くように4基の第1段が装着される形だ。その上にURM-2が載り、また第4段にブリースM、あるいはKVTKが搭載される。3段式であれば地球低軌道に24.5tの打ち上げ能力を持つ。また第4段を搭載した場合は、静止トランスファー軌道にブリースMは5.40t、KVTKは7.50t、静止軌道への直接投入であれば、ブリースMは3.00t、KVSKは4.60tの打ち上げ能力がある。アンガラーA5は、現在運用されているプロトーンMを代替することを目指している。また、有人宇宙船を打ち上げられるように改修を施したアンガラーA5Pの開発も検討されている。そして超大型ロケットのアンガラーA7はURM-1を7基束ねて使用する。中央の1基が第2段で、その周囲を取り巻くように6基の第1段が装着される形だ。その上にはアンガラーA5と同じく第3段と、必要に応じて第4段にKVTK-A7が搭載される。3段式であれば地球低軌道に35.0tの打ち上げ能力を持つ。また第4段にKVTK-A7を搭載した場合は、静止トランスファー軌道に12.5t、静止軌道への直接投入であれば7.60tの打ち上げ能力を持つ。現在のロシアにはアンガラーA7に匹敵するほどのロケットはなく、将来的に大型の宇宙ステーションの打ち上げや、月や火星への有人飛行などで使うことが予定されている。○自力でロケットを打ち上げられなくなったロシアロシアは現在、アンガラーA5の実用化を真っ先に進めている。これは現在、ロシアの大型衛星打ち上げにおいて主力として活躍している、プロトーンMの代替を急いでいるためだ。1991年12月25日にソヴィエト連邦が崩壊し、直後に成立したロシア連邦は、宇宙開発において大きな問題に直面した。有人宇宙船や静止衛星の打ち上げに使っているバイコヌール宇宙基地はカザフスタン共和国のものになり、またロケットや人工衛星、有人宇宙船に使われている部品のいくつかを造っている工場の多くがウクライナ共和国のものになったことで、ロシアは独力での宇宙への輸送手段を事実上失ったのだ。その結果ロシアは、バイコヌール宇宙基地を引き続き利用するためにカザフスタン政府に、年間100億円以上もの賃料を払い続けることになり、またウクライナからの部品購入に際しては、たびたび値段が吊り上げられ、それを受け入れざるを得なかったとされる。こうした問題は金銭で解決できることではあり、現に今日に至るまで金銭で解決されてきたが、ロシアの安全保障を他国の意思に依存せざるを得なくなってしまったことが何よりの問題であった。当時、大型の軍事衛星や通信衛星などを打ち上げに使われていたのはプロトーンとゼニート・ロケットだったが、プロトーンはカザフスタンのバイコヌール宇宙基地からしか打ち上げられず、また機体の一部にウクライナ製の部品を使っていた。ゼニートに至ってはより悪く、バイコヌールからしか打ち上げられない上に、ロケット自体がウクライナ製だった。そうした背景から、ロシアだけの力でロケットを造り、ロシアの地から打ち上げることが求められたのは必然だった。1992年、ロシア政府は新型ロケットの開発を決定する。しかしそれは、20年以上に及ぶ苦難の歴史の始まりでもあった。(次回は12月27日に掲載予定です)参考・・・・・
2014年12月26日インド宇宙研究機関(ISRO)は2014年12月18日、新型ロケット「GSLV Mk-III」の試験打ち上げを実施した。人工衛星を軌道に乗せない打ち上げではあったが、ロケットは順調に飛行し、ミッションは成功した。またロケットの先端には、インドが開発中の有人宇宙船の試作機「CARE」も搭載されており、再突入とパラシュート展開などの試験も行われ、こちらも成功した。今回は、このインドの最新鋭ロケットGSLV Mk-IIIと、有人宇宙船の開発計画について、2回に分けて解説したい。○GSLV Mk-IIIへ至る苦難の道GSLV Mk-IIIは、インド宇宙研究機関(ISRO)が中心となって開発した大型ロケットだ。GSLVという名前はGeosynchronous Satellite Launch Vehicleの頭文字から取られている。少し意訳すると「静止衛星の打ち上げに特化したロケット」という意味になる。名前にMk-IIIと入っているということからも分かるように、以前にISROは、初代のGSLVと、その改良型であるGSLV Mk-IIの2種類のロケットを開発したことがある。両者は打ち上げ能力こそ他のロケットと比べると低いものの、中型の静止衛星の打ち上げであれば十分な性能を持っており、インドにとっては、自力で静止衛星を打ち上げられる能力を持つ意義は大きかった。GSLV1号機の打ち上げは2001年4月20日に行われたが、失敗に終わる。ロケットの第3段が予定より早く停止してしまい、計画より低い軌道に衛星を投入してしまったのだ。衛星側のスラスターで挽回することも検討されたが、結局は実現しなかった。2003年5月に行われた2号機、そして2004年9月の3号機の打ち上げには成功したが、2006年7月10日に打ち上げられた4号機では、4基あるブースターのうち1基が離昇直後に故障し、ロケットは飛行経路を外れて爆発した。2007年9月の5号機の打ち上げでは、ふたたび計画より低い軌道に衛星を投入してしまうが、今度は衛星側でリカヴァリーが可能だったため、ISROでは成功と位置づけている。ここでGSLVには、大きな改良が加えられた。第3段に、インドが自力で開発したCSと呼ばれるロケットエンジンが装備されたのだ。それまでのGSLVではロシア製のKVD-1Mと呼ばれるエンジンが使われていたが、CSによってロシアへの依存から抜け出し、完全にインドの力だけでGSLVを飛ばすことを目指した。CSはKVD-1Mと同じ液体酸素と液体水素を推進剤として使用しており、また性能も瓜二つだ。CSエンジンを積んだGSLV Mk-IIと名付けられた。GSLV Mk-IIの1号機、GSLV全体では6号機にあたるロケットは2010年4月15日に打ち上げられたが、まさにMk-IIの肝である第3段エンジンが点火2.2秒後に故障、打ち上げは失敗した。ISROはMk-IIの開発を続けつつ、在庫として残っていた従来型のGSLVを打ち上げることにした。しかし同じ年の12月25日に、GSLVの7号機として打ち上げられた従来型GSLVは、離昇直後にブースターが故障したため指令破壊され、失敗に終わった。そして4年近い運用停止と改良期間を経た後、2014年1月5日にGSLV Mk-IIはふたたび打ち上げられ、今度は成功を収めた。今後も打ち上げは続けられる予定だが、安定して成功し続けられるかはまだ未知数だ。一方で、昨今の静止衛星が大型化する流れの中で、GSLV Mk-IIの打ち上げ能力では力不足であることは、ISRO自身が何よりも認識していた。しかしGSLV Mk-IIをさらに改良したところで、大きく能力を向上させることは難しい。そこで2002年に、まったく新しい大型ロケットを開発することが決定された。それがGSLV Mk-IIIだった。○世界第一級の性能を持つGSLV Mk-IIIそのような背景から、GSLV Mk-IIIは名前こそ受け継いでいるものの、初代GSLVやMk-IIとはまったく異なる姿かたちをしている。全長は43.43m、中心部分の直径は4m、打ち上げ時の質量は640tで、日本のH-IIAロケットと見比べると、全長は短く、一方で横幅は長いため、恰幅の良い格好をしているように見える。打ち上げ能力は地球低軌道に8,000kg、静止トランスファー軌道に4,000kgで、これはH-IIAの標準型や、米国のデルタIVロケットの最小構成の機体、米スペースX社のファルコン9ロケットとほぼ同等だ。打ち上げ能力だけでいえば、世界第一級の性能を持っているといっても良い。ロケットはまず両脇に大型の固体燃料ロケット「S200」を持ち、それらに挟まれる形で液体燃料を使うコア・ステイジの「L110」を持つ。その上に上段「C25」が載っており、さらにその上に衛星が搭載される。見た目はH-IIAや欧州のアリアン5ロケットといった機体と似てはいるが、実は両脇の固体ロケットのS200こそが、他のロケットでいうところの第1段に相当し、まずこの2基のS200だけに点火されて離昇し、中心のL110は空中で点火されるという、少し変わった飛行プロファイルを持つ。S200は燃料に末端水酸基ポリブタジエン(HTPB)を用いるコンポジット推進薬を使っている。S200は1基あたりが全長が25.75m、直径が3.2mとかなり大型で、これほどの固体燃料ロケットを造ることができるというのは、インドがこの分野において高い技術力を持っていることを示している。L110はヴィカス(Vikas)と呼ばれるロケットエンジンが2基並べて(クラスタ化されて)装着されている。燃料にはUH 25と呼ばれる、非対称ジメチル・ヒドラジン(UDMH)を75%、ヒドラジンを25%の比率で混ぜたロケット用燃料が使われており、酸化剤の四酸化二窒素との組み合わせで燃焼する。ヴィカス・エンジン自体はPSLVの第2段や、従来のGSLVのブースターや第2段として使われた実績があるが、燃料にはUDMHが使われており、UH 25が使用されるのはこのMk-IIIが初めてとなる。C25はCE-20と呼ばれるロケットエンジンを1基装備している。燃料には液体水素、酸化剤には液体水素が用いられており、この組み合わせは性能が高いという特長を持つが、一方で開発や運用は難しく、前述のようにGSLV Mk-IIの1号機が失敗する原因ともなった。C25は現時点でまだ開発中で、今回の試験打ち上げでも実機は搭載されなかった。GSLV MK-IIIは2002年5月にインド政府によって計画が承認され、開発が始まった。当初は2009年の完成を目指していたとされるが、まずロケットの構成を固めるのに4年かかったとされ、その後も新しく開発する必要のある技術が多いことから、開発はかなり難航したようだ。例えばS200は直径3.2m、全長25mもあり、スペースシャトルの固体ロケットブースター(SRB)に匹敵するほどの巨大なもので、そう簡単に造れるものではない。またL110におけるロケットエンジンのクラスタ化も、インドにとっては初めての試みであった。遅れはしたものの開発は進められ、ようやく今回の初打ち上げにこぎつけた。参考・・・・・
2014年12月24日中華人民共和国は2014年11月21日、地球観測衛星「快舟二号」を搭載した「快舟」ロケットの打ち上げに成功した。快舟ロケットは昨年9月25日に、1号機が突如として打ち上げられ、以来その正体をめぐって、さまざまな憶測がなされてきた。衛星の快舟二号もまた同様に、昨年快舟ロケットの1号機で「快舟一号」が打ち上げられ、今回がその2機目となるが、やはり当初は謎に包まれていた。本稿は、公開されている情報などから、快舟ロケットと、快舟一号、二号の正体を推測したい。○彗星の如く現れた快舟ロケットと快舟一号快舟ロケットが初めて打ち上げられたのは、2013年9月25日のことだ。このとき、打ち上げ前はもちろん、打ち上げ後も、中国はその姿かたちや性能については、ほとんど明らかにしなかった。だが「謎のロケットが打ち上げられるようだ」という情報は、打ち上げの3日前である9月22日に、中国の宇宙開発ファンらによって知られてはいた。きっかけとなったのは「NOTAM」だった。NOTAM(ノータム)とは、通常、ロケットの打ち上げを行う際に発行される航空情報のことで、そのロケットが飛行する経路と時間などを通知し、その周辺を飛行する予定の航空機などに注意を呼びかけるものだ。NOTAMは中国に限らず、どこの国のロケットの打ち上げでもほぼ必ず発行され、また発行しなくてはならないと国際的に定められてもいる。この快舟ロケットの打ち上げも、中国当局によってNOTAMが発行されていた。だが、それを見つけた宇宙開発ファンは、あるおかしなことに気がついた。くだんのNOTAMが示していたのは、「9月25日の昼ごろ、ある2箇所の区域への進入を、高度を問わず制限する」ということであり、これは酒泉衛星発射センターから南の方角にロケットを打ち上げた場合に、ブースターや第1段、第2段、フェアリングなどの投棄物が落下する場所だと解釈することができる。しかし妙なことに、発射センターに一番近い落下区域が、センターからわずか170kmほどしか離れていなかった。酒泉衛星発射センターからは通常、「長征」というロケットが打ち上げられている。長征ロケットにはいくつか種類があり、その中で打ち上げ後にもっとも早く地上に落下するのは、長征二号Fロケットのブースターだ。だがそれでも、発射センターから300kmから400kmほど離れたところに落下する。つまりくだんのNOTAMは、長征ロケットではない、より小型の衛星打ち上げ機やミサイルの打ち上げのものであるということを示していた。実は、このようなNOTAMが発行されたのはこのときが初めてではなく、2012年3月16日にもよく似た内容のものが出されていた。このときは酒泉衛星発射センターから南に約130kmの区域に第1段か、もしくはブースターが落下すると見られ、そしてやはり「長征にしては落下地点が発射センターに近すぎる。小型ロケットの打ち上げではないか」と話題になった。しかし、打ち上げ予定日である17日を過ぎても何の発表もなく、また軌道上に新しい物体は確認されなかったことから、打ち上げが中止になったか、あるいは失敗したか、はたまた軌道には乗らない弾道飛行だったかと様々な見方が出されたが、当の中国自身は沈黙し続けたため、結局現在に至るまで謎のままである。だが、2013年9月のときは、NOTAMの通知通りロケットが打ち上げられ、衛星も軌道に投入された。中国政府や国営メディアは「小型ロケット『快舟』によって、災害観測を目的として人工衛星『快舟一号』の打ち上げに成功した。データは国家リモート・センシング・センターによって利用される」と短く発表したのみで、ロケットや衛星の写真や性能などは明らかにされず、より多くの謎を残すこととなった。○快舟一号快舟一号が打ち上げられたのは、北京時間2013年9月25日12時37分(日本時間2013年9月25日13時37分)のことで、つまりまさにくだんのNOTAMの告知通りの打ち上げであった。打ち上げ成功が発表されたのは、その約30分後のことだった。さらにその後、米戦略軍が運用する「宇宙監視ネットワーク(SSN:Space Surveillance Network)」は、軌道上に快舟一号と思われる物体を検知し、その日の夕方ごろにはCelesTrakやSpace TrackなどのWebサイトを通じて軌道要素が提供され始めた。それによれば快舟一号は近地点高度276km、遠地点高度293km、傾斜角96.65度の軌道を回っているとされた。この軌道は地球観測衛星としてはやや低く、放っておくと大気の抵抗で軌道が下がって大気圏に再突入してしまう。その後9月27日に、快舟一号は近地点高度299km、遠地点高度306kmの軌道へ乗り移ったことが確認され、快舟がスラスターを装備していること、そしておそらく今後も定期的に軌道を補正し、長期間に渡って運用し続ける意図があることが推定された。多くの専門家は、快舟一号は実態は軍事衛星であると疑い、その姿かたちが明らかにされないのと同様に、撮影された画像も出てくることはないだろうと見ていた。だが予想に反し、早くも10月には快舟一号が撮影した画像が一般に公開された。また2014年3月27日には、この月の8日に消息不明となったマレーシア航空370便の捜索のため、消息を絶ったと思われる海域を撮影した画像が公開されている。画像は電子光学センサ(デジタルカメラ)によって撮影されたもので、分解能は1mほどであった。この数値は、昨今の地球観測衛星の性能と比べると高いとはいえないが、災害観測の場合、ある特定の地域の詳細な画像を撮影するのであれば航空写真の方が手っ取り早く、逆に衛星は広範囲を撮影する方が適しているため、そもそもそれほど高い分解能は必要ない。画像が公開されたことで、中国の発表通り、災害観測を目的とした衛星であることが証明された。もちろん、だからといって軍事目的という側面を持っていることを否定するものではない。結局は衛星の画像をどう使うかという話であり、中国にとっては、むしろ軍事目的に使わない方が妙な話だ。快舟一号の開発はハルビン工業大学が担当したとされ、同大学のWebサイトでは、快舟一号の打ち上げ成功を祝う記事が大々的に掲載された。もっとも、衛星の写真や詳細なスペックは明かされていない。いわゆる「大学衛星」ではあるが、ハルビン工業大学は中国人民解放軍と距離が近く、軍事関連の研究開発を行っていることが知られており、その点でも快舟一号が軍事目的という側面を持っている可能性は大いにあろう。ハルビン工業大学は過去に試験一号と試験三号という、質量200kgほどの小型衛星の開発を手がけており、試験一号は2004年に、試験三号は2008年にそれぞれ打ち上げられている。特に試験一号は地球観測衛星であったとされ、その成果が快舟一号の開発に役立てられたことは想像に難くない。この間、快舟一号は定期的に軌道を上げており、2014年12月現在もまだ活動しているようだ。ただ、軌道の上がり方を見る限り、推力の大きな通常の化学スラスターを用いていると思われ、また快舟一号が比較的小型の衛星であることを考えると、おそらくそう遠くないうちに燃料がなくなり、運用を終えるものと思われる。(次回は12月20日に掲載する予定です)参考・・・・・
2014年12月19日小惑星探査機「はやぶさ2」を打ち上げるH-IIAロケット26号機がついにその姿を現した。打ち上げが延期されている間、ロケットはVAB(大型ロケット組立棟)の中で出番を待っていたが、12月3日0時より、予定通り機体移動を開始。およそ25分で、500mほど離れた第1射点への移動を完了した。打ち上げは同日13時22分04秒に実施される予定だ。現在(10時半)の射場の天候は晴れ時々曇り。風はほとんど感じられず、非常に穏やかだ。すでに天候不良で2回の延期があった「はやぶさ2」の打ち上げであるが、今日は全く問題なさそうだ。さて、その26号機であるが、いつもとちょっと違うのは、第2段の塗装が白色になっていることだ。通常、この部分の色はオレンジ色。今回、塗装が白くなっているのは、「基幹ロケット高度化」プロジェクトで開発された技術が適用されたからである。このオレンジ色の正体は断熱材だ。H-IIAロケットの推進剤は第1段も第2段も液体水素と液体酸素の組み合わせであるが、これらの物質の沸点は極めて低く(水素はマイナス253℃、酸素はマイナス183℃)、蒸発を抑えるためには、極低温を維持する必要がある。断熱材は、そのためのものだ。しかし、液体水素は特に沸点が低くて蒸発しやすい。燃料タンクを断熱材で覆っていても蒸発してしまい、打ち上げの直前まで、蒸発した分を補充しているほどだ。第2段の場合、軌道上でも蒸発する分があるのだが、通常、搭載衛星を分離するまでの時間は30分間ほどと短いため、あまり大きな問題にならない。ところが26号機の場合、地球を1周してから2回目の燃焼を行うため、稼働時間が長い。そのため、白色塗装で太陽からの熱の入射を抑えて、蒸発量を下げる必要があるのだ。この白色塗装は21号機で実証実験が行われており、"本番"として適用したのは今回が初のケースとなる。白色塗装によって、水素の蒸発量を25%削減できるということだ。また、軌道上を飛行中にターボポンプを定期的に冷やす必要があるのだが、この冷却には液体酸素が使われる。冷却のために流した液体酸素は、第2段の推進には寄与しないので無駄になってしまうが、冷却の方式を変えたことで、この予冷で消費される液体酸素の量を60%削減できるそうだ。H-IIAロケットで静止衛星を打ち上げる場合、従来は、衛星側のエンジンを使って、頑張って軌道修正をする必要があった。しかし、商業打ち上げで競合する欧州のアリアン5ロケットは赤道上に射場があるため、衛星側の軌道修正の負担が小さい。これが、H-IIAで商業打ち上げを受注する際の大きな障壁となっていた。そこで考えられたのがH-IIAロケットの"高度化"だ。軌道面の修正は、遠地点側で行えば効率が良く、より衛星の負担を減らすことができるようになる。しかし、そのためには第2段の稼働時間を5時間程度にまで延ばす必要があり、推進剤の蒸発をなるべく抑えなければならない。この技術を今回適用したというわけだ。三菱重工業(MHI)は2013年、商業打ち上げで高度化を適用する初のケースとして、カナダTELESATより通信放送衛星「TELSTAR 12V」の打ち上げを受注した。今回の26号機の打ち上げは、その試金石にもなっているのだ。
2014年12月03日○ソ連製ロケットエンジンNK-33この原稿を執筆している11月18日現在、まだ失敗の原因は断定されていない。しかし、アンタレスの第1段に使われているAJ26というロケットエンジンが原因ではないか、と疑われている。AJ26は、ソヴィエト連邦で開発、製造されたNK-33というエンジンを輸入し、アンタレス用に改修したものだ。アンタレスの第1段には、AJ26が2基装備されている。NK-33が製造されたのは今から約40年ほども前のことだ。設計が、ではない。今回のアンタレスに使われていたNK-33が、40年前に製造されたものなのだ。1960年代、ソ連は米国のアポロ計画に対抗し、人間を月に送り込むためにN1(エヌ・アジーン)と呼ばれる超巨大ロケットを開発したが、NK-33はその過程で生み出された。N1開発の先頭にいたのは、ソ連宇宙開発の父とも呼ばれる人物のセルゲーイ・コロリョーフであった。N1開発がフルシチョーフ首相から許可されたのは1964年のことだったが、コロリョーフは1958年ごろから、すでに構想を暖めていたとされる。N1は全長105m、最大直径17.0mと巨大で、打ち上げ時の質量は274tもあり、打ち上げには強力なロケットエンジンが必要であった。そこでコロリョーフは、ニコラーイ・クズネツォーフという技術者にN1用エンジンの開発を打診する。しかし、クズネツォーフと彼の設計局は航空機用エンジンの開発を専門としており、ロケットエンジンを手がけるのは初めてのことだった。なぜコロリョーフは、ロケットに関しては門外漢だったクズネツォーフを頼らねばならなかったのだろうか。それは当時のソ連の宇宙開発の内情に原因がある。当時、コロリョーフの他に3人のキーパーソンがいた。天才的なロケット技術者のヴラジーミル・チェロメーイ、宇宙ロケットよりミサイルに強い関心を持つミハイール・ヤーンゲリ、そしてロケットエンジンの専門家ヴァレンティーン・グルシュコーだ。彼らの間では多かれ少なかれ派閥争いが起こっており、特にコロリョーフとグルシュコーとの間には個人的な遺恨もあったことから、エンジンに関して協力を得ることができなかったのだ。クズネツォーフらによるエンジンの開発は1959年ごろから始まり、約10年の苦難の末、NK-15というエンジンを完成させる。N1は第1段に実に30基ものNK-15を使い、第2段にも大気の薄い環境に合わせて改造したNK-15Vを8基使う。ちなみに、アポロ計画で使われたサターンVロケットは、N1と大きさや質量もよく似ているが、第1段にはエンジンを5基しか装備していない。この差は純粋のエンジンの能力の差であり、NK-15エンジンの推力が1.5MNであるのに対して、サターンVに使われたF-1エンジンの推力は6.8MNと、4倍以上もの違いがある。NK-15は航空機エンジン屋が試行錯誤の末に完成させたエンジンであったが、F-1エンジンは予算も人材も、そして時間も十分に与えられた状態で造られたエンジンであった。N1計画が進む中で、クズネツォーフはNK-33とNK-43という、NK-15の改良型エンジンを開発した。NK-33とNK-43は、N1Fという改良型のN1で使用することを計画していたが、N1が4回打ち上げのすべてに失敗したことから、N1Fは結局造られることなく、計画はすべて中止されることになる。N1の部品は解体されるか、公園の屋根などに転用されるなどしたが、一方ですでに製造されていたNK-33とNK-43は、価値があると判断されたためか、倉庫に保管されることになった。その後、たびたび新しいロケットに使おうとする動きはあったようだが、実現することなく、約30年もの間眠り続けた。冷戦の終結やソ連崩壊、ロシア連邦の誕生を経て、1990年代中ごろに米国の技術者がこの倉庫にやってきた。NK-33とNK-43の総生産数は200基ほどとされるが、この時点で倉庫に眠っていた数は、正確には不明だ。ただ100基以上は残っていたとされる。米国ではそのうちの1基を米国に持ち帰り、試験を行った。その結果、極めて高い性能を持つエンジンであることが明らかになる。前述のようにエンジンの推力自体はF-1エンジンには遠く及ばないものの、ロケットエンジンにとっての燃費のような数値である比推力と、エンジンの推力と質量との比率が高く、その数値は世界最高で、米国でさえこれに匹敵するエンジンは開発できていない。クズネツォーフは、大推力の大型エンジンを造ることはできなかったが、小型ながら高い効率を持つエンジンを造ることには成功したのだ。そして1990年代中ごろ、米国のロケットエンジン・メーカーであるエアロジェット社は、ロシアから34基のNK-33を購入した。当時、ロシアは資金難に喘いでおり、少しでも外貨が欲しかったのだ。購入価格は1基あたり110万ドルと伝えられており、これはロケットエンジンとしては、何よりこれほどの性能を持つエンジンとしては、破格の値段だった。余談だが、当時は日本にもロシアから購入の打診が来ており、中止されたGXロケットの第1段に使うという構想もあったという。事故後の報道では、AJ26はNK-33を「改良」したエンジンだとするものもあったが、実際のところNK-33には、アンタレスに装着するために電気系統などに手を入れ、またエンジンを振って推力の方向を変えるためのジンバル機構を装着するなどの改修が行われただけで、「改良」という言葉から連想されるような、例えば米国の技術でエンジンの性能を向上させる、といったようなことは行われていない。つまりNK-33をそのまま使っているといってよい。40年来のエンジンをそのまま使うということに対しては、その間に部品が腐食するなど、劣化しているのではないかという懸念がなされてきた。40年の間の保管状態がどの程度のものであったかは明らかにはなっていないが、おそらく万全ではなかったはずである。また、今回の事故との関連は不明だが、2011年6月9日にはAJ26の燃焼試験中に、燃料漏れによる火災事故が起きている。さらに今年5月22日には試験中に爆発し、エンジンが全損する事故も起きている。後者の事故に関する詳細は発表されていないが、やはりエンジンに問題があったとされる。今回の失敗では、おそらくはエンジンのターボポンプが原因ではないかとする説が濃厚となっている。ターボポンプはその名のとおりポンプ、つまりロケットの推進剤をロケットエンジンの燃焼室に送り込む役割を持つ。燃焼室は高い圧力になるため、そこに推進剤を送り込むためには、燃焼室よりもさらに高い圧力で押し込んでやらなければならない。そのためにポンプを駆動させるタービンは猛烈な勢いで回転する。少しでも欠陥があれば、そこから爆発的に破壊が始まる。ただ、仮に部品の腐食や劣化が原因であったとしても、アンタレスに搭載される前に試験や検査を受けており、なぜそこで見抜けなかったのか、という問題もある。(次回は11月22日に掲載します)参考・・・・・
2014年11月21日2014年10月28日、国際宇宙ステーションへの補給物資を搭載したアンタレス・ロケットが打ち上げに失敗し、大爆発を起こした。その原因として、今から約40年前に製造された、ソ連製のロケットエンジンが疑われている。本稿では、アンタレス・ロケットと、その第1段のソ連製ロケットエンジンの概要、現時点での原因の調査状況、そして今後の動きについて解説したい。○アンタレス、墜落米オービタル・サイエンシズ社は米東部夏時間2014年10月28日18時22分(日本時間2014年10月29日7時22分)、無人のシグナス補給船を搭載したアンタレス・ロケットを、ヴァージニア州ウォロップス島にある中部太平洋地域宇宙港(MARS)から打ち上げた。シグナスの船内には、国際宇宙ステーション(ISS)に向けた補給物資として、約2,290kgもの水や食料、実験機器などが搭載されていた。しかし、離昇から約6秒後にロケットの下部で爆発が起き、地上へ墜落して、さらに大爆発を起こした。アンタレスやシグナス、補給物資はすべて失われ、発射台の周囲は火の海となった。事故後、真っ先に心配されたのはISSに滞在している宇宙飛行士のことであった。だが、ISSへの補給は、アンタレス/シグナス以外にも、スペースX社のファルコン9ロケット/ドラゴン補給船や、ロシアのソユーズ・ロケット/プログレス補給船、また日本のH-IIBロケット/「こうのとり」が存在する。実際に事故の約9時間後には、カザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地から、ISSへの補給物資を搭載したプログレスM-25M補給船が打ち上げられ、6時間後に送り届けられている。やりくりに多少の変更は生じるかもしれないが、宇宙飛行士の生命にかかわるほどの問題にはならない。むしろ不幸だったのは、実験機器や衛星を預けていた企業や大学、研究機関などだ。その中には日本の千葉工業大学・惑星探査研究センターも含まれている。保険は掛けられていただろうが、新たに代替機を造るには時間がかかり、また時間は保険では戻ってこない。アンタレスが打ち上げられたのは今回が5機目だったが、皮肉なことに、多くのメディアがトップニュースとして報じたことで、過去4回の打ち上げよりも高く注目される結果となった。○アンタレス・ロケットとシグナス補給船ギリシア神話において、英雄オリオンはあまりにも傲り高ぶったことから、生みの親であるガイアからサソリを送り込まれ、尾の毒針に刺され死んでしまう。彼を殺したサソリはその功績により、天へと上がり、「さそり座」が生まれたとされる。そのさそり座の中でも、ひときわ明るくて赤く輝く星が「アンタレス」だ。アンタレスという名前は、ギリシア語で「火星に対抗するもの」を意味する。ギリシア神話で火星は「アレース」、それに対抗するもの(アンチ)というところから、アンタレスというわけだ。条件が整えば、赤い惑星としておなじみの火星とアンタレスとが並び、両者が赤さを競い合うように輝くことから、その名がつけられたとされる。その名を冠するアンタレス・ロケット(正確にはアンタリーズと発音する)は、米国のオービタル・サイエンシズ社(以下オービタル社)によって開発された。オービタル社は1982年に設立された会社で、設立当初は小さなベンチャー企業ではあったが、現在では数多くのロケットや人工衛星を製造する、大手企業のひとつにまで成長した。アレースはかつて、米航空宇宙局(NASA)の新型ロケット、エアリーズ(Ares)の名の由来となり、オリオンもまた、現在NASAが開発中の新型宇宙船オライオン(Orion)の名の由来となっている。オービタル社がロケットにアンタレスと名付けたことに、もちろん深い意味はないのだろうが、1980年代から官が支配する宇宙開発に挑戦し続けてきた同社の、強い対抗心が見えてくるようだ。同社がアンタレスを開発した背景には、NASAが2006年に立ち上げたCOTS計画がある。これは民間の企業に、宇宙ステーションなどへの人や物資を輸送を担わせようとするものだ。COTSとは「商業軌道輸送サービス」(Commercial Orbital TransportationServices)の頭文字から取られているが、より一般的な「商用オフザシェルフ」(Commercial Off-The-Shelf)という言葉の頭文字にも掛かっている。もともとNASAでは、1980年代に、小型ロケットと小型衛星の開発や打ち上げに関して、民間に委託する計画を始めていた。実際に補助金も出され、多くの起業家が挑戦した。その中で成功し、生き残った企業こそ、こんにちのオービタル社でもあった。まずNASAは、ISSに貨物を輸送する無人補給船と、それを打ち上げるロケットの開発、運用を民間に委託することにした。そして2006年に、新興のスペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ(スペースX)社と、同じく新興のロケットプレーン・キスラー社に契約を与えた。だがロケットプレーン・キスラー社はその後経営難に陥ったため契約は破棄され、それに代わって2008年に選び直されたのがオービタル社だった。スペースX社とオービタル社はともにNASAからの資金援助を受けつつ、ロケットと無人補給船の開発をはじめた。だが、両社が開発したロケットには大きな違いがある。スペースX社のファルコン9ロケットとドラゴン補給船は、ともに同社内で設計、製造された。もちろん米国の厚い宇宙産業の下地があってこそ可能だったことだが、ともかく開発はすべて自社内で完結している。それに対してオービタル社のアンタレス・ロケットは、ほとんどが他社で開発、製造されれたものを組み合わせて造られている。例えば第1段のタンクはウクライナのユージュノイェ社から購入しており、またその設計はウクライナのゼニート・ロケットのものを短くしたものだ。そこにロシアで約40年間保管されていたロケットエンジンを装着する。そして第2段には米国のアライアント・テックシステムズ(ATK)社が製造する固体ロケット・モーターを装備している。この第2段はもともと大陸間弾道ミサイルのLGM-118ピースキーパーで使われていたもので、その後アジーナIIやトーラスXLなどのロケットにも使用されたキャスター120というロケットモーターからさらに派生したものだ。またシグナス補給船も、貨物を搭載する部分はスペースシャトルで使われていた多目的補給モジュール(MPLM)が基になっており、製造もMPLMと同じくフランスのタレス・アレーニア・スペース社が手がけている。バッテリーや太陽電池、スラスターなどが載るサーヴィス・モジュールも、多くが既製品を流用して構成されている。対照的な両社ではあるが、一概にどちらが優れているかといえることではない。単純にアプローチが違うというだけで、既製品をまとめあげるというのも大変な技術が必要なものだ。アンタレスの1号機は米東部夏時間2013年4月21日17時ちょうど(日本時間2014年4月22日6時ちょうど)に打ち上げられた。この1号機は純粋にロケットの性能を確かめることを目的としており、頭の部分にはシグナス補給船と同じ質量を持つダミーのペイロードと、4機の超小型衛星が搭載されたのみであった。ロケットは順調に飛行し、打ち上げは完璧な成功に終わった。続く2号機は同年9月18日に打ち上げられた。この2号機ではシグナスの試験機を搭載しており、ロケットからの分離後、ISSへと飛行し、結合、物資の補給、そして大気圏への再突入までを予定通りこなした。3号機は2014年1月10日に打ち上げられた。この号からシグナスの実運用機を搭載し、NASAとの契約に基づいたISSへの商業補給ミッションを担うことになる。アンタレスもシグナスも問題なく飛行し、ミッションをこなした。また、第2段には性能を向上させた新しい固体ロケットが搭載され、従来型がアンタレス110、この3号機からはアンタレス120と呼ばれている。同年7月13日には4号機が打ち上げられ、こちらも成功している。今回の打ち上げは、アンタレスにとって5機目、シグナスにとっては4機目であった。また第2段がさらに強化されたアンタレス130の初打ち上げでもあった。これまで順風満帆な歩みを続けてきたアンタレスだが、ここにきてついに最初のつまづきを経験することになった。(次回は11月21日に掲載します)参考・・・・・
2014年11月20日国際宇宙ステーション(ISS)に物資を送る米国の無人補給機「Cygnus」を積んだ米国の民間ロケット「Antares」が10月28日午後6時22分(現地時間)に米バージニア州にあるアメリカ航空宇宙局(NASA)の施設から打ち上げられたが、発射してすぐに爆発した。「Cygnus」には約2.3tの物資のほかに、千葉工業大学が開発した、ISSから流星の長期連続観測を行うための超高感度カメラなどが搭載されていた。NASAとOrbital Sciences Corporation(Orbital Sciences)は19億ドルで計8回の打ち上げを契約しており、今回はその3回目だった。NASAによれば、けが人はなく、建物などへの被害は発射場の周辺に限定されるという。「Antares」を開発したOrbital Sciencesは「現時点で詳細はわかっていない。速やかに調査を開始し、原因の解明と再発防止に努める」コメント。今後、詳細が判明し次第公表していくという。
2014年10月29日10月7日、種子島宇宙センターにて次期静止気象衛星「ひまわり8号」を搭載したH-IIAロケット25号機の打ち上げが実施された。10月5日から6日にかけて通過した大型台風18号の影響を危惧する声もあったが、無事打ち上げに成功した。H-IIAロケット25号機は打ち上げ後、第1段および第2段を順次切り離し、およそ30分後に「ひまわり8号」を分離した。「ひまわり8号」は今後テストを実施した後、地上約3万5800kmで気象観測ミッションに従事することとなり、2015年より7年間の運用を計画している。また、2016年には「ひまわり9号」が打ち上げられる予定となっている。
2014年10月07日川崎重工は9月26日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の小惑星探査機「はやぶさ2」を搭載する予定のH-IIAロケット用衛星フェアリングを種子島宇宙センターに向けて出荷したと発表した。同フェアリングは直径4メートルのシングル・タイプ(4S型)で、種子島宇宙センターで打ち上げを行う三菱重工業に納入され、同社のH-IIAロケットに組み込まれることとなる。これまで同社はH-IIAの前身となるH-IIロケット向けフェアリングを7機、H-IIAロケット向けに複数のタイプを合計25機製造してきているほか、H-IIBロケット向けや、イプシロンロケット向けにもフェアリングを製造してきた。なお同社は今後も、これまでの実績と技術力を活かし、日本の衛星打ち上げビジネスに貢献していく方針としている。
2014年09月26日日本人宇宙飛行士も珍しくない時代になりました。しかし、宇宙ロケットというのは一朝一夕でできるものではありません。アメリカ、ロシア、日本など、わずかな国だけが製造できる最先端技術の結晶です。ロケットに関する面白い話をご紹介します。■カウントダウンは映画からロケットが発射する際に「10、9、8……」とカウントダウンが行われますが、これがどこから始まったのかご存じでしょうか。実は映画なのです。1929年に公開されたフリッツ・ラング監督の『月世界の女』です。この映画の中でカウントダウンが初めて使われ、それが実際のロケット発射時でも使われているのです。ちなみに月世界の女は無声映画ですが(笑)。■最初にロケットで宇宙に行った生き物は!?一番最初に宇宙に送られた生物は「ミバエ」だと言われます。第二次世界大戦後にアメリカがドイツから接収した技術を使って、V2ロケットを打ち上げた時にトウモロコシの種に付いていたのです。これは宇宙線被爆の実験のために打ち上げられました。アメリカは1949年にはアカゲザルを同じくV2ロケットに乗せて打ち上げました。このアカゲザルはアルバート二世という立派な名前でしたが、残念ながらパラシュートの故障で生きて戻っては来られませんでした。当時宇宙開発でアメリカとしのぎを削っていた旧ソ連も動物を打ち上げています。「地球は青かった」で有名なガガーリンの前に、10匹以上の犬を使って実験したと言われています。一番有名なのは1957年に衛星軌道上を回った「ライカ」です。ライカもかわいそうに地球には戻れませんでした。今なら動物愛護団体が決して許さないでしょう(笑)。■日本の執念! 原因を究明せよ!日本のロケット開発の歴史は開発者、研究者たちの血と汗の結晶です。1999年11月15日にH2ロケットが墜落した時の原因究明に賭けた執念はまさに鬼気迫るものでした。H2の第1段ロケット『LE-7』は芸術品とも呼ばれるエンジンでした。この世界に誇るエンジンが不調を起こし、発射から3分59秒後に噴射を停止。泣く泣く信号を送ってロケットを爆破しました。爆破されたエンジンを回収して原因を究明すべくNASDA(宇宙開発事業団、今はJAXAに統合)とJAMSTEC(海洋研究開発機構)が動き出します。NASDAでは、ロケットの墜落地点の正確な予測、JAMSTECは1万1,000メートルまで潜れる『かいこう』を使って探します。と言っても広く、深い海が対象のため、なかなかうまくいきません。しかし、ついにエンジンの台の部分が見つかります。NASDAはこの位置からエンジン落下地点の再計算を行います。そしてついに12月24日、エンジンを見つけることに成功したのです。小笠原諸島の北西約380キロの地点でした(水深は約3,000m)。日本の技術者の執念がつかみ取ったクリスマスプレゼントでした。LE-7エンジンを回収して調査した結果は、H2Aロケットの『LE-7Aエンジン』に生かされています。この回収調査のおかげでLE-7Aエンジンは高い信頼性を誇るものになったのです。■日本の打ち上げ拠点「種子島」の話鹿児島県の種子島は日本の「ケープ・カナベラル」。日本のロケット発射の最前線です。種子島がなぜロケット発射場に選ばれたかご存じでしょうか。静止軌道衛星(地球から見ると止まってるように見える)を打ち上げるのに最も安くすむのは赤道上から打ち上げることです。静止軌道衛星は、気象観測などにニーズが高いですから、これを安価に打ち上げられることを考えなければなりません。また、地球の自転速度を利用することを考えると赤道上が一番です。(自転速度の最も速い)赤道上では秒速464m。(地球が西から東に自転しているため)東向きにロケットを打ち上げるのであれ、このスピードをロケットの速度に足すことができるのです。しかし、残念ながら日本の国内に赤道は含まれていません。できるだけ、赤道に近く、周囲の民家が少なく、(東に向かって打ち上げるため)東側が開けていること、インフラを整備しやすい場所ということで種子島が選ばれました。ちなみに種子島は意外に大きな島です。横浜市とほぼ同じ面積あります。(高橋モータース@dcp)
2012年12月03日一心に天を目指して昇っていくロケットの発射シーンは力強く、これを実際に見ると大きな感銘を受けます。ロマンのない話で大変恐縮ですが、この「ロケット」、いくらぐらいするのでしょうか? 調べてみました。アポロ計画は1961年から1972年にかけて実施されたもので、6回の有人月面着陸に成功するという華々しい成果を挙げました。このアポロ計画は、「1960年代中に月面に人間を立たせてみせる!」というアメリカの威信を賭けて推進されたプロジェクトでした。1966年にNASAはこの壮大な計画に対し「13年間で227億1,800万ドルになる」と予算報告をしています。専門家の推定によれば、実際にかかったのは1969年当時換算で約254億ドル、2005年換算で約1,350億ドルと推定されています。2005年の円ドルレート(1$=約113円)で計算すると、15兆2,550億円になります。ちなみにサターンロケットにかかった費用(宇宙船を含む)は合計830億ドルと見積もられています。日本円で9兆3,790億円(1$=約113円)。ちなみにアポロ計画(およびアポロ応用計画)では、合計23基のロケットが打ち上げられました。これを単純に割ると、1基あたり4,077億8,260万円になります。1981年から2011年にかかて運用されたスペースシャトルは「宇宙往還機」として花形でした。往還機は使いまわしするので安くつくという話で始まったのですが、結果はうまくいきませんでした。この30年間、計135回の打ち上げで費やされた費用は2,090億ドル。1$=80円で換算すると16兆7,200億円で、単純に割ると1回あたり1,238億5,185万円になります。ただ、2010年のNASAの公式発表によれば、1回のミッションにかかるコストは約7億7,500万ドルとのこと。1$=約80円計算で約620億円になります。ちなみにスペースシャトル自身の製造コストは、エンデバー号の製造時で約18億ドルとのこと。1$=約80円計算で約1,440億円になります。結果として高くついてしまったスペースシャトルですが、その果たした役割は非常に大きく、決してその成果が貶められていいものではありません。日本の国産ロケットは非常に優秀です。安定していて信頼性も高く、ペイロードも大きい、世界に誇れるロケットです。現在運用されているのは最新型の『H-IIB』(エイチツービー)と呼ばれるものですが、この価格はいくらでしょうか。JAXA(宇宙航空研究開発機構)に伺ってみたところ、「2009年(平成21年)に打ち上げられた試験機1号機が約147億円。2号機以降の価格は開示していませんが、それよりも下回る価格でしょう」ということです。というのは、製造は三菱重工が行っていて直接の価格は公示されていないのです。ちなみにH-IIBは3号機まで打ち上げが完了しています。また、1つ前の世代のロケットH-IIAの価格をJAXAに伺ったところ「1機あたり約100億円弱。2号機以降の価格はそれよりも安価」なのだそうです。アメリカの盛大なお金の使い方を見ると、日本は非常に着実に、確実にロケットを打ち上げているように見えますね。(谷門太@dcp)【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月26日昭和のレトロな商店街でまったりと店番中の猫が表紙の「吾輩は看板猫である」東京下町編が2012年4月25日に発売された。前作『吾輩は看板猫である』(2011年3月発売)の昭和レトロな店でまったりと店番をする猫たちの姿に「笑っちゃう」「脱力する」「癒される」とねこ好きさんたちに反響があり今回は第二弾。写真提供:文藝春秋両国・上野浅草・深川・都電荒川線沿線・柴又・立石とディープでレトロな街に住むアイドルねこさんたちに会える本だ。写真提供:文藝春秋ザ・カワイイというねこではなく、おばあちゃん家にいるような看板ねこさんたちが集結。そののほほんとした様子についつい癒されてしまう。写真提供:文藝春秋そしてこのねこさんたちはすべて、看板猫なので、この本を手に持って、レトロな東京の街を散策するのも楽しそう。東京スカイツリーオープンまであとわずか。スカイツリーを見に行きがてら、ねこさんに会いに行くというのもいいかも。ちょっとディープなねこさん本は手にとって見る価値あり!お問い合わせ:文藝春秋 tel.03-3288-6152 公式サイト 著者:梅津有希子1976年北海道生まれ。楽器メーカーに勤務後、FMラジオ局、編集プロダクションを経て2006年よりフリーランスの編集者、ライターに。多数の女性誌やWEBメディアで、ペット、美容、健康、料理ほか幅広いジャンルを取材・執筆している。著書に『吾輩は看板猫である』(文藝春秋)、『Weare ブサかわねこ』(角川書店)など。「別冊マーガレット」の吹奏楽マンガ『青空エール』(作者/河原和音)の監修も務める。 看板猫募集中! ブログを見る
2012年05月04日東武鉄道は20日、とうきょうスカイツリー駅にてリニューアルオープン式典を行った。東京スカイツリータウンの玄関駅として、先進性と下町の伝統を生かしたデザインの駅に生まれ変わった。今回のリニューアルで改札口が増設され、浅草駅寄りの正面改札はこの日から供用開始。コンコースには、澄川喜一氏のデザインによる駅パブリックアート「TO THE SKY」が設置されている。ホームの膜屋根は、1897年カーネギー社製のレールなど、改修前のホーム屋根の骨組を生かしたデザインで、自然光を取り入れた明るい空間に。東京スカイツリータウンにも導入される地域冷暖房システムを駅コンコースの空調に活用するなど、快適に利用できる駅となった。鉄道利用や東京スカイツリータウン観光の案内を担う「ステーションコンシェルジュ」も配置されるという。リニューアルオープン式典には、東武鉄道代表取締役社長の根津嘉澄氏、東京タワースカイツリー取締役社長の鈴木道明氏、駅パブリックアート「TO THE SKY」をデザインした澄川喜一氏らが出席。東京スカイツリー公式キャラクター「ソラカラちゃん」や押上・業平橋地区活性化協議会キャラクター「おしなりくん」も駆けつけ、とうきょうスカイツリー駅のリニューアルを祝った。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年04月21日東京の下町・上野をぶらぶらと歩いていると、次々に目に入ってくる「ホッピー」の文字。やけに愉快な印象を受ける字面ではありますが、下町の居酒屋にはビールよりも、デカデカと「ホッピー」の文字が大きく扱われています。そんなに人気なのでしょうか。あまりお酒に詳しくない私ですが、好奇心だけは人一倍旺盛。そのまま居酒屋に入って、突撃取材して参りました。お姉さん、ホッピー一杯ください!そして目の前に差し出されたのは、大きめのグラスに大量の氷、そしてレトロなパッケージが印象的なホッピーの黒ビン。あの、これってどうやって飲めばいいんですか?「ホッピーはアルコール成分が0.8%しかない、ビール風の低アルコール飲料なんですよ。なので、このまま飲むというよりも焼酎で割って飲むのがポピュラーですね」それすら知らなかった私は、言われるがままに「焼酎おかわり(180円)」(安すぎる!)を追加注文して、ホッピーと合わせてグルグルとかき混ぜてゴクリ。おお、乾いたノドに染みこむ清涼感と、ビールの苦味がグイグイ胃袋に流されていきます。後からくる焼酎の香りも良い感じ。焼酎割りということで、微炭酸になって非常に飲みやすい!ただ、当然ながら思っていたよりもビールに近いテイストですね。あの、やっぱりすごい人気なんですか?「うちのお店では、一番売れていますよ。なんたってホッピーひとつで焼酎、泡盛、梅酒など何でも割れて、3杯はいけますからね。庶民の味方ですよ。ちなみに、市販のりんご酒、桂花陳酒で割って飲むと、あら不思議!なんとファンタの味がするんですよ。ぜひ、一度試してください」ええー!?ホッピーがファンタに!?そんなファンタジーまで!?すごーい!いやはや、そんなところが下町のサラリーマンから、女性にまで幅広く受け入れられている理由なんですね。ちなみに、補足するとホッピーはビールがまだまだ高級品だった大正末期ごろに、代用品として登場したのが初めだとか。その後も「ノンアルコールビール(ノンビア)」ブームにも支えられて、現在も根強い人気が。女優の小雪さんがイメージキャラクターを務める「ハイボール」に続いて、「ホッピー」がメジャーになる日も近いかもしれませんね。ちなみに、お酒に弱い私はホッピーの焼酎割り、梅酒割りをそれぞれ3杯程飲んだところで完全にダウン。店長さんにまで心配されるほどつぶれてしまいました。安くて簡単に酔える「ホッピー」、お財布が寂しいときに飲みましょう。(柿次郎/オモコロ)【関連リンク】ホッピービバレッジ株式会社ホッピーの販売元。予想外にとてもポップなサイトデザインです!お酒の「新ジャンル」にふさわしい名前は?最近はノンアルコール飲料「キリンフリー」がバカ売れしているそうですね。誰も食べたことがない新しいおつまみを考えたい塩こんぶを混ぜた、もやしいためがおすすめなので一度お試しを。
2009年07月07日