一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。次も同じ状態が続くようなら退会しようと決めていた、デイサービス予定日の前日。おしりの状態が悪化していることを理由に、義母はデイサービスをお休みすると言いだしました。そんなわけで、1回も通うことなくあっさりデイサービスの退会が決定しました。まる子さん的には予想通りの展開で、特に落胆することもありませんでした。義母がデイサービスに通うことになって、まる子さんの家の玄関先には手すりが設置されました。しかし、デイサービスの退会が決定したため、不要になった手すりを撤去することに。すると、ご近所さんから「家族構成が変わった」と勘違いされてしまい、そんなふうに思われることもあるのか! とまる子さんは驚き、義母は家の中で元気に過ごしていることを伝えました。 モヤモヤが止まらない… 義母から大学病院を転院したいという話が出たので、早速担当医に相談してみることに。 担当医から言われたことを義母に報告すると……? いろいろと理由を並べて、結局「転院はしなくていい」という結論に。 ※ちょっとわがままな義母のときは「女王」、攻撃的な義母のときは「女玉」と表現しています 夫が改めて義母と話したところ、何年も持病の薬を飲んでいないという衝撃の事実がわかりました。 夫からの言葉を聞いて、自分の負担は軽くなるけど素直には喜べませんでした……。 若いころからの持病の経過観察のため、定期的に大学病院を受診している義母。しかし、大学病院の付き添いはとにかく手間がかかって大変です。それを心配してくれたのか、ある日義母から「まる子さんの負担を減らすためにも、近くの病院に変わったほうがいいと思う」と提案され、早速次の受診時に担当医に相談しました。 答えは、採血できる近くの病院なら転院は可能。持病が再発しないよう、治療の継続は必要……ということでした。それを義母に伝えたところ「できてすぐの新しい病院は信用できない」「こんなおばあさん診てくれるの?」など、ネガティブな発言が飛び出します……。そして、最終的には「まる子さんがお仕事を休んで付き添ってくれるから、転院はしなくていいわ」と自己完結。 私の負担を減らすための提案だったのでは……? しかも、夫が話をしたところ、圧迫骨折をしてから飲む薬が増えたため、たくさんの薬を一緒に飲みたくないという理由で、勝手に持病の服薬をストップしていたらしく……。それなら、もう通院自体が必要ないのでは? という結論に。それを聞いて、今までずっと仕事を休んで代理受診までしていたのに……と、私の中でモヤモヤが込み上げてきてしまいました。 --------------代理受診までしてもらっていた薬なのに、飲まれていなかったというのは衝撃的でしたね……。今後のためにも、かかりつけ医に事情を話して相談してみたほうがいいかもしれません。何はともあれ、何事もなくてよかったですね。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。>>次の話 シニアカレンダー編集部では、自宅介護や老々介護、みとりなど介護に関わる人やシニア世代のお悩みを解決する記事を配信中。介護者やシニア世代の毎日がハッピーになりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター まる子
2024年03月07日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。以前おこなった介護区分変更申請の結果は「要介護1」。でも、デイサービスに行かなくなった義母にとって、特に大きな変化はありませんでした。そんなある日、「今年の冬は越せそうにない」と、遠方に住むまる子さんの義兄を呼び出していた義母。ずっと横になっている義母を見て、義兄が何を思ったのか、まる子さんはふと気になってしまったのでした。黄色い、長い、バーナーナー!息子とともに、新型コロナウイルスのワクチン接種をしてきたまる子さん。覚悟はしていたものの、今回も発熱や頭痛といった副反応が出てしまいました。義母には、事前に接種日を伝えていて、熱が出る前にいろいろと動いてはずなのですが、結局は悪寒や頭痛と格闘しながらお世話をするハメに……。接種を翌日に控え、再度義母に説明しました。本当ですか、それ……?やっぱり……。申し訳ないと、本当に思ってくれていますか……!?「申し訳ない」って言えばいいと思っていません……?仕方なく家事をしていると、スマホにも呼び出しが……。昼になり、悪寒が強くて料理をする気にはなれず、簡単にピザで済ませることに。この状況で、それを言いますか……?このタイミングで、なぜその話……。※女玉:通常の義母(女王)よりもブラックな状態な義母のこと過去の経験から、今回もきっと副反応の症状が出ると思い、自分なりに準備はしていたはずでしたが……。前回の接種時とは義母の状態が違っていて、今は歩行器で歩くのがやっと。それを見越して準備しておけばよかったと、後悔することに。シャッターの開閉、部屋の換気、洗濯、朝食の支度……と、腕の痛みや倦怠感に耐えながら、結局いつも通りのお世話をしていた私。事前に接種日を伝えたときには、自分でやれると言っていたと思うのですが。そして、私が悪寒に苦しみながら自分の食事を準備していると、横にやって来て「生協で何を買ったのか」と、「今??」と思うようなことを話しかけてきた義母。なんとか「バナナ」と声を絞り出しますが、聞き返されてしまったので、もう一度「バナナ!」と声を大きくして言います。が、さらに聞き返されたので、「黄色い、長い、バーナーナー!」と力の限り叫んでおきました。なぜか体調不良の中、義母とコントのようなやりとりを繰り広げることに……。--------------準備は万端! と思っていても、意外と抜けていることは少なくありませんが、つらい中で結局いつもと同じようなお世話をすることになってしまい、大変でしたね。介護は、する側の健康があってこそだと痛感します。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年03月07日母が他界するまで、2年ほどですが介護を経験しました。頭は最後までしっかりしていましたが、足腰が弱ってしまい自力で入浴や排泄ができなくなった末の介護でした。期間としては短いかと思いますが、それなりに大変でつらいと感じた経験をお話しします。要介護認定がなかなか出ず…母はもともと誰かのお世話になることが大嫌いな性格でした。若いころから働き者で、介護生活に入る直前まで家事をきり盛りし、年間の家族行事や家計のすべてが常に頭に入っているという人でした。ポジティブで気が強く、頭はしっかりした母でしたが、若いころに無理をしたために足腰だけはどんどん弱っていきました。「せめて訪問入浴だけでも」と思い、兄弟で相談して要介護認定を受けることにしました。ところが、もともと誰かに頼ることが大嫌いな母は、ケアマネジャーさんが訪問してくれるたびに質問に対してウソの回答をします。そのため、一向に要介護認定が下りませんでした。そんなある日、母が倒れて緊急入院をしました。夜中のトイレが心配だったために寝るときに介護おむつの装着をすすめていましたが、意地でも自分でトイレに行こうとして転倒したようです。冬の寒い時期で、数時間廊下で倒れていたために体が冷えて熱を出し、1週間ほどの入院になりました。そして、退院後ようやく素直になった母は、要介護認定を受けることができました。復帰を目指して努力する母母は無事に訪問入浴を受けるようになったのと同時に、介護の割合は少しずつ増えていきました。デイサービス(食事や入浴など日常生活上の支援や生活機能向上のための機能訓練などを受けられる施設)も利用し、家族の事情に合わせてショートステイ(短期間施設に入所し、日常生活全般の介護を受けることができるサービス)やロングステイ(長期入所介護)も利用するように。母はすっかり主婦業から遠ざかっていましたが、それでも常に復帰を考えていて歩行訓練をするなどポジティブでした。高齢者とは思えない力強い母との格闘久しぶりに家族がそろい、母も交えて団らんしていたときのこと。突然母が「トイレに行ってみる」と言いだし、自分で歩くと言って聞きません。当時、廊下やトイレには手すりを設置していましたが、それを使っても自力では難しいほど足は弱っていました。それでも、自分で行くと言い張ります。ちょうど他の家族が買い物に出たときで、私ひとりで母を止めるのが大変でした。支えようとすると、高齢者とは思えない力で私を振り切るのです。母が亡くなったのは、その半年後でした。直接の死因は腎不全でしたが、元の暮らしに戻れないことへのショックも要因ではないか、と今も思っています。まとめ認知症の家族の介護も大変ですが、頭がしっかりしていて自分が置かれた状況を理解している人の介護は、また違うつらさがあると感じました。どのような状況でも、介護は決してラクではありません。それでも、本人がショックを受けるのを見るのは子どもとして何よりつらいものだと痛感しました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/いしいウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月06日現在施設に入所している80代後半の父は、75歳のときに体調を崩しMRI検査を受けたことをきっかけに初期のアルツハイマー型認知症と診断されました。あまりに唐突なことで今ひとつ現実を受け入れられなかった私たち家族でしたが、今後のことを考えるとしなければならないことが山積みでした。服薬開始と要介護認定まず、「ごく初期の段階なので今でしたら薬でアルツハイマーの進行を遅らせることも可能かと思われます。どうされますか?」と医師から提案があり服薬することとなりました。また、そのころ父は「デイサービス(食事や入浴など日常生活上の支援や生活機能向上のための機能訓練などを受けられる施設)へ行きたい」と言うようになりました。理由はそれまでお付き合いのあった近所の方たちが通われていることを知ったからです。定年後は自治会などの活動を通して人付き合いも頻繁にありましたが、数年前より一緒に活動されていた方たちの高齢化もあり、段々とそれらの活動から遠のき、家に引きこもるようになっていました。それが寂しかったのか、父もデイサービスに行けば友人ができるかもと期待をしていたようです。医師からも「他人と関わりを持ったり、適度な刺激を受けたりすることは認知症の方には良いことですよ」とアドバイスをいただき、メインの介護者となる母にも父をデイサービスに通わせるという方向で話を進めました。デイサービスを利用するには要介護認定を受け、ケアマネジャー(居宅支援事業所:要介護者の在宅介護に関する相談や計画、連絡・調整を総合的に引き受ける事業所)を決定し、ケアプランを作成してもらう必要があります。そこで、住所地を管轄する地域包括支援センター(高齢者と高齢者を支える人をサポートする拠点として設置された施設)へ相談に行き、要介護認定を受けられるかどうかを決定するために認定審査を受けることとなりました。ケアマネジャー決定!?数日後、市から派遣された調査員の方が認定審査に来て、それから約1カ月後に市から介護保険証が届き、「要支援1」の判定が出ました。次にケアマネジャー(居宅支援事業所)を決めることとなるのですが、ここで父が周囲を驚かせる行動に出たのです。介護認定さえ出ればデイサービスに行けると思っており、旧知の方が多く通っている近所の介護施設に「私をここのデイサービスに通わせてほしい」とひとりで直談判に行ってしまったのでした。後に知ったことですが、その施設で父のことを知る近所の方が働かれていて、幸いその方が窓口で騒いでいる父に気付き話を聞いてくださったそうです。その方は、デイサービスを利用するにはケアマネジャー(居宅介護事業所)を決める必要があることを説明してくださり、「今すぐ通いたい」の一点張りで話の通じない父をなだめて、担当者に話をつなげてくださったのでした。その後、担当の方から母宛てに電話があり「こちらの施設には居宅介護支援事業所もありますので、よろしければケアマネジャーを引き受けさせていただくことも可能です。デイサービスの利用については、ケアマネジャーが決まり次第、一度ご本人様ご家族様とお会いしてから調整させていただくという方向でいかがでしょうか」とのお話がありました。いざ! デイサービスへこのような経緯で、担当のケアマネジャーさんが決まりました。デイサービスの利用に向けてプランを作成していただく際に「Yさん(父の名前)の場合、身体的には自立(介助の必要がない)、認知症もまだ初期の段階ですよね。私どものデイサービスは介護度の高い方が多く通われていて、会話を楽しむとか、友人作りとなると難しいかもしれません。よろしければ他のデイサービス事業所を検討してみませんか?」とのお話がありました。しかし「いや、俺はそちらのデイサービスに行きたいんだ」とまたしても一点張りの父。ケアマネジャーさんも一度言いだしたら聞かない父の性格をすぐに見抜き「それでは、お試しに週1回通ってみましょうか」となりました。が、結局3カ月後には父の意思により利用終了となりました。ケアマネジャーさんが言われた通り、自分が望むようなコミュニケーションを取れる方との出会いは難しかったようです。「それでしたら今度は身体機能を維持するためにリハビリ中心の半日型のデイサービスに通ってみませんか?」と提案していただき、そちらは要介護度の低い方が多く、利用者同士の関わりもあり、体を動かすことが好きな父にとって居心地がよかったようで数年間お世話になりました。まとめ認知症と診断されてから介護サービスにつながるまでに、いくつもの手続きがあったり、さまざまな職種の方と会ったり、用語、介護保険の制度を理解していかなければならなかったりして、大変なことがたくさんありました。実体験として、介護が必要となったときにはまずは「住所地を管轄する地域包括支援センターへ相談!」が良いなと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ブルームーン(53歳)30代でシングルマザーになり、50代で再婚。
2024年03月04日「2024年度の介護報酬の改定では、物価上昇が激しいので引き上げられるとしても、介護保険財政の厳しさから小幅なものになると覚悟をしていました。しかし、まさか削減されるとは……。経営的に厳しい状況で仕事をしている小規模訪問介護事業者にとって死活問題です」“訪問介護崩壊”への警鐘を鳴らすのは、介護事業者『NPOわかば』(世田谷区)理事長の辻本きく夫さんだ。6月からの改訂で、特別養護老人ホームや老健の介護報酬が増額されるにもかかわらず、在宅介護に欠かせない訪問介護の介護報酬が減額となった。「その背景には、7.8%という高い収益率があったからです。しかし、そこには同じ建物に多くの利用者がいて、移動時間などなく効率的に生活援助できるサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)が訪問介護に含まれていることも要因の一つと見られています」(全国紙記者)辻本さんは“収益率7.8%”という数字をはじきだした介護事業経営実態調査に懐疑的だ。「客観性に欠けるものだと、昔から私個人は感じてきました。調査アンケートに答えた人ならわかると思うのですが、回答を記入するのに3〜4時間はかかります。つまり、アンケートの段階で、人員にも時間的にも余裕がある事業者が選別されている。収益率がこれほど高ければ、人員不足や経営難に陥ることはないはずですが、周囲を見渡してもそんな余裕のある経営をしている事業者はありません」こう語るように、訪問介護事業所は経営的に厳しく、待遇面でも他業種に比べ劣るという。「介護保険サービスが開始された当初、1件の介護時間が平均2〜3時間で、1日3、4件くらい回り、訪問ヘルパーさんの月収は25万円ほどでした。しかし、制度改定のたびに生活援助サービス時間が削減され、1回あたりのサービス時間が短くなり、またデイサービスの送り出しなど短時間のサービスが多用されるようになったため、現在では1サービスあたりの労働時間が平均40分ほどになってしまいました。このため、ヘルパーは短時間のサービスを1日7〜8カ所回ることになりました。同じ時間働いても、移動時間や待ち時間が占める時間が長くなり、月収は18万円くらいまで下がっています」(辻本さん)介護コンサルタント業務を請け負うスターパートナーズ代表の齋藤直路さんが補足する。「事業所によって違いはありますが、待機時間や移動時間に報酬は発生しないケースもあります。また、約束をキャンセルされるケースもあります。キャンセル料を設定することや、それを原資としてヘルパーへの手当として充当することも可能ですが、慣習的に行われておらず、ヘルパーへの補償もないのが実情です」もともと低賃金やきつい仕事であるため、慢性的に人材不足だという。2024年の介護職員の有効求人倍率は、施設介護職員が3.79であるのに対し、訪問ヘルパーは15.53。つまり、15社が求人しても、集まるのはようやく1人なのだ。結果、訪問介護事業所には若手が定着しないため、高齢化の一途を辿っており、4人に1人が65歳以上、平均年齢も54.7歳なのだ。高齢者でも活躍できる職場といえば聞こえはいいが、実際は「辞めたい」と言われても、人材不足のために慰留しているケースもあり、80代でも現役というのは珍しくない業界だ。静岡県の訪問介護事業所『てんまるっと』の村松幸男さんは、高齢者だからこそのメリットにも目を向けている。「たしかに杖をついているヘルパーが、杖をついていない利用者の訪問介護をしているケースもあります。うちでは84歳のヘルパーが最高齢です。1日100kmくらい車移動をするので、体力的にきつい部分もありますが、利用者の信頼を得ています。やはり高齢者の気持ちは高齢者がわかる。そのため、60歳以上のヘルパーを募集しています」使命感を持って介護現場に臨んでいるが、やはり訪問介護の経営は厳しいという。「介護保険だけでは収益を上げることは難しいので、介護保険外のオリジナルサービスを組み入れるなどして工夫しています。訪問介護を始めて3年ですが、まだ赤字が続いているためです」(村松さん)■介護離職する人の数は年間10万人と増えて真面目に働く業者が、経営難に直面しているのだ。東京商工リサーチの1月17日の発表によると、2023年、《「訪問介護事業者」の倒産は過去最多を大幅に上回る67件に達した》。その大半が小規模事業者だという。前出の辻本さんが語る。「世田谷区で調査したところ、訪問介護事業者の7割が、危機に直面している20人以下の小規模事業者でした。すでに60代、70代のヘルパーに支えられているため、若い人が入らず、このまま高齢化が進めば10年後には生き残れるのかどうか……」その影響は、私たち家族の在宅介護に及ぶのだ。「訪問介護は人材不足で、都内であっても一人の利用者を一つの事業所だけで見ることは難しい状況です。私はケアマネをしていますが、午前にA事業所、午後にB事業所と、どうやって人材を集めるのかが腕の見せどころとなっています。当然、希望の日時にサービスを入れることは難しく、利用者の施設入所や死亡によってサービスが空くのを待つこともあります。ほとんどの事業所で新規の利用者を受け入れることは難しくなっています。介護報酬が削減され、訪問介護が崩壊すれば、状況はますます悪化し、家族の負担が増すことになります」(辻本さん)ヘルパーは呼んでも来ない、なかなか予約が取れない、おむつや食事など、いままで訪問介護に頼っていた多くの生活支援なども、介護する家族にのしかかる。介護離職する人の数は年間10万人と増えている。在宅介護のため働きに行けなくなり、「破産」する家庭が急増することにーー。介護者や家族の悲痛な叫びを、国はどのように聞くのか。
2024年02月29日今回は、物語をクイズ形式で紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。介護を押しつけ海外旅行をした夫主人公は義母の介護をしながら仕事をしています。主人公が夫に協力を求めても、夫は介護をしようとしません。しかも夫婦の共同貯金を全額引き出し、夫は勝手に海外旅行に行ってしまいました。夫の海外旅行中、義母の容体が急変したため慌てて夫に連絡する主人公。しかし実は、浮気相手と海外旅行を楽しんでいた夫は…。主人公が必死に連絡しているのに「邪魔をするな」と連絡を断ったのです。結局夫が帰国したときには、義母は亡くなっており通夜も葬式も終わっていました。主人公は「お義母さん亡くなりました。遺産の話をしましょう」と伝えます。義母の遺言状出典:Youtube「Lineドラマ」「実子の相続権が優先される」と主張してくる夫。そんな夫に主人公は義母の遺言状の内容を伝えました。ここでクイズ遺産がもらえると信じている夫。遺言状の内容とは?ヒント!生前、義母は夫のことを「甘やかしすぎた」と考えていました。遺言状の内容出典:Youtube「Lineドラマ」正解は…正解は「夫が相続する遺産はなかった」でした。相続権のある実子が相続する割合が多いことは主人公も知っています。しかし「遺言状を残していた場合は別」ときっぱり夫に伝える主人公。義母が用意した遺言状には「息子には1円も相続させない」と記されていました。遺産の相続ができず、浮気の慰謝料まで請求された夫は「は?」と絶句するのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2024年02月26日高齢化社会を迎えた日本では、介護を受けている高齢者が多数います。私の父親もその寸前までいきました。老いた親の世話はさまざまなことをしなければならないため、大変だと感じた私の経験談です。病魔は突然襲ってくる2012年3月、父親が突然「足が痛い」と言いだしました。何かねじったのではないかと、自分はそれを聞いて思っていました。ですが、数日経過しても痛みが治まらないようで、病院で診てもらったところ、手術をしなければ治らないとのことでした。幸い痛みもそんなにひどくなかったのでよかったのですが、数日後に入院となりました。術後の経過は良好で、退院後はいつも通りすたすた歩ける状態に戻ったのです。再発を機に要支援2にところが、その翌年の2013年9月、再発してしまいました。今度は痛みも強く、杖を突いた父を初めて見て、ショックを受けたものです。その後は再発を繰り返し、手術は数回に及びました。2020年ころには、ついに「要支援2」の認定を受けることになりました。「要支援2」は、要介護の一歩手前です。自力でトイレや風呂、歯磨きなどはできるものの、歩くのもやっとの状態。食事も自分で作るのが好きな父でしたが、すでにそれもできずに家族の作る料理に頼るようになっていきました。手伝いだけでも大変な介護要支援2となった父親の世話を、母と2人で分担しました。一番不安だったのは、「要介護になったらどうしよう」ということでした。自力でトイレや風呂ができなくなったら、これまで以上に大変になるのでは……という不安が大きかったのです。現在、父親はホスピス(終末期患者の痛みや症状を緩和することを目的とするケア)で病魔と闘っています。そこに入所したことで、父親の10年にわたる介護からは、解放されました。今では、安心して眠れるようになったことが一番の幸せです。私の場合は、何とか負担も少なかったのが幸いでした。それでも、介護は本当に心身ともにくたびれるものだと実感しています。まとめ私の場合には、母親と介護を分担できていたので、さほどの負担はありませんでした。また、たまに来るヘルパーの方にも助けていただきました。介護はとても過酷なものだと思うので、決してひとりで抱え込まないことが大切だと実感しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/佐藤よしきウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月26日皆さんは、介護の経験はありますか?今回は「義母の介護に口出ししてくる義姉」にまつわる物語とユーザーからの声を紹介します。(CoordiSnap編集部)イラスト:エトラちゃんは見た!義母が入院夫と共働きで暮らしている主人公。あるとき、1人暮らしをしていた義母が怪我をして入院します。医者からは、退院しても1人で暮らすのは難しそうだと言われました。しかし主人公夫婦は自宅で介護をする余裕はなく、施設への入居を検討することに。ところがその話を聞きつけた義姉が怒り出して…。口を出すだけの義姉出典:エトラちゃんは見た!「老人ホームに入れるなんてひどい」と主人公夫婦を責める義姉。いままでろくに義母の面倒を見てこなかった自分のことは棚に上げて「老人ホームは絶対ダメ」と命令してきました。そこで主人公は、義姉の指示通りに施設への入居を断念。そして退院当日、義母を義姉宅に送り届けてもらったのです。主人公に介護を押しつけるつもりだった義姉は、慌てて主人公に電話をかけてきましたが…。電話は繋がらず、渋々義母を自宅で預かることにした義姉。しかし、そこで義母の症状を目の当たりにするのでした。読者の感想自分は何もせずに口を出すだけの義姉に呆れてしまいました。どうしても意見を押し通したいなら、義姉が義母の面倒を見るのが当然だと思います。(40代/女性)今まで義母の面倒を見てこなかったのにもかかわらず、老人ホームを検討した主人公夫婦を責める義姉は自分勝手だなと思いました。これからは義母の介護をしっかり責任もってみてほしいです。(30代/女性)
2024年02月23日私の実家は三世代同居が当たり前の田舎で、介護の必要な家族がいたら家族(特に嫁や娘)が担当するのが当たり前で、「福祉サービスなどを使うのはもってのほか」という考え方が当たり前とされていました。それは想像以上の大変さでした。自宅で家族が介護する大変さ私の実家の祖父母は仲が良く、祖父が病死した後、祖母は家の中に引きこもるようになりました。歩かずに寝てばかりいるようになったある日、亡くなった祖父を探したり、子どものころに仲良しだった人の名前を大声で呼んだりするようになりました。病院に連れて行った結果、アルツハイマー型認知症(認知症の一種で、脳の一部が縮んでいくことにより物忘れなどが生じる病気)と診断されました。私は仕事があったため、母が中心になって介護を引き受けていましたが、昼間寝てしまうと夜ウロウロ歩き回ったり、食事をさせてもそれ以上に食べたがり、部屋中に失禁したりと、そのたびに祖母を探したりなだめたり掃除をしたりと、母も私も疲れ果てていきました。そのころは、「介護は嫁か娘の仕事」という考え方が根付いていた地域に住んでいたため、限界まで我慢してしまったのだと今では思います。祖母の入院を機に施設へある日、祖母が高熱を出したため病院に行くと、肺炎と診断され、そのまま入院となりました。祖母がいるときとはまったく別の家のように静かになったわが家で、母も私も久しぶりにぐっすりと眠りました。母は親戚に何を言われてもいいという覚悟で、退院後の祖母を施設に入所させました。そして毎日、祖母のところへ通っていました。その数年後、祖母は施設で亡くなりました。家族が救われた認知症になった祖母の介護は、いつ終わるのか出口が見えないこともあって、家族だけが担うには肉体的にも精神的にも負担の大きなものでした。症状にもよりますが、家族に介護の必要な人が1人いたら、世話をするのはひとりというわけにはいきません。介護施設に入所させてからは、私の母は毎日祖母のもとへ通っていました。少なくとも夜は何の心配もなく眠れるようになったことで、介護施設で働く方々のおかげで私たち家族は救われたのだと今でも思っています。まとめ福祉サービスを使うのは恥ずかしいという考えがあった土地柄、施設に家族を預けるという母の決意は思い切ったものだったと思います。でも、もし祖母が認知症でなかったら、家族に迷惑をかけるのは嫌だと考えたに違いないと私は思っています。家族全員が自分の心身の健康を守るためにも、自分たちだけで何とかしようと思わず、「施設や福祉サービスを使うのは恥ずかしいことではない」ということを、身をもって学びました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。文/吉田三子ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月23日今回は、物語をクイズ形式で紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。介護を押しつける夫主人公は義母の介護をしながら仕事をしています。主人公が夫に協力を求めても、夫は介護をしようとしません。しかも突然、夫は海外旅行に行ってしまいます。介護を主人公に押しつけ、海外で趣味のサーフィンに興じる夫。そんななか、義母の容体が急変してしまいました。義母の容体が急変出典:Youtube「Lineドラマ」主人公は夫に「大変よ。お義母様が!」と伝えますが…。慌てる主人公に対し、夫は衝撃の発言をしたのです。ここでクイズ夫の衝撃発言とは?ヒント!夫は主人公が話を大袈裟にしていると思っています。夫の衝撃発言出典:Youtube「Lineドラマ」正解は…正解は「バカンスを楽しんでるのにじゃまするな」でした。「早く帰国させたくて話を盛ってるだろう」と言い放つ夫。主人公が説得しても聞く耳をもちません。夫は「救急車を呼ぶなりすればいい」と主人公に対応を丸投げし…。「邪魔をするな」と連絡を断ったのです。しかし夫が帰国し、連絡がついたときには義母はもう亡くなっていました。「お義母さんは亡くなりました」と主人公は夫に伝えます。しかも通夜も葬式も終わっており、夫は「は?」と驚くのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2024年02月17日人間誰しも、老いからは逃げることができません。歳をとるほど身体機能が衰えていくのは、有限の命を持つ生き物として、仕方のないことといえるでしょう。いつか必ずやってくる老い。社会で生きる多くの高齢者をサポートするため、多くの介護士がプロフェッショナルとして活躍しているのです。新人の介護士たちが教育係にいわれた『ひと言』介護施設で働いている、ジッピー(@zippy_desu)さんがX(Twitter)に投稿したのは、自らの仕事にまつわるエピソード。プロとして職に就いた介護士も、仕事を始めたばかりの頃は、先輩からさまざまなことを教わって成長していく必要があります。ある日、新人の介護士が集まる中、教育担当者はこのように呼びかけました。みなさん、初日のレポートを提出してください。そのひと言を聞いて、新人たちはざわつきました。なぜならば、新人たちはレポートの提出が必要なことを、誰一人として知らなかったのです。彼らは、あせりながらこう思ったことでしょう。「自分が聞き落としていたのかもしれない」「忘れてしまったら怒られるのかも」…と。場がざわつく中、レポートの提出を求めた教育担当者は、このように告げました。提出物なんてものは元からありません。今みなさんが感じたことが、認知症の方々の気持ちです。この気持ちを忘れないように。※写真はイメージ加齢によって発症する病気の代表格といえる、認知症。歳をとるほど発症率が上がっていき、65歳以上になると5~6人に1人が罹患するといわれています。主な症状はその名の通り、認知機能の低下。ついさっき起こった出来事を忘れてしまうなど、物忘れが多くなってしまいます。教育担当者が求めた、レポートの提出は真っ赤なウソでした。新人たちが忘れたわけではなく、一度たりともレポートの提出について告げられていなかったのです。「覚えていない」という不安やあせりは、認知症の当事者が日々感じているもの。その気持ちを身をもって体感してもらうため、教育担当者はウソをついたのでしょう。これから何度も向き合っていくであろう、認知症の人の気持ちを、新人たちに実感させた教育担当者。その対応に、ネットからは称賛の声が上がりました。・ハッとさせられた。自分も理解しているつもりでも、実際はできていないのかも。・言葉の説明だけでは理解できないことも多い。身をもって実感するって本当に大事だ。・「なるほど」と納得させられた。これが続くとなると、当事者は本当につらいんだろうな。人と接する上で大切なのは、相手の気持ちを感じ取ること。しかし、自分が経験したことのない立場の人の気持ちは、理解するのが困難です。介護も、人と人とのコミュニケーション。今回のエピソードによって、多くの人が、他者を理解する大切さを再認識させられました。[文・構成/grape編集部]
2024年02月12日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。次も同じ状態が続くようなら退会しようと決めていた、デイサービス予定日の前日。おしりの状態が悪化していることを理由に、義母はデイサービスをお休みすると言いだしました。そんなわけで、1回も通うことなくあっさりデイサービスの退会が決定しました。まる子さん的には予想通りの展開で、特に落胆することもありませんでした。モヤモヤが止まらない…義母がデイサービスに通うことになって、まる子さんの家の玄関先には手すりが設置されました。しかし、デイサービスの退会が決定したため、不要になった手すりを撤去することに。すると、ご近所さんから「家族構成が変わった」と勘違いされてしまい、そんなふうに思われることもあるのか! とまる子さんは驚き、義母は家の中で元気に過ごしていることを伝えました。義母から大学病院を転院したいという話が出たので、早速担当医に相談してみることに。担当医から言われたことを義母に報告すると……?いろいろと理由を並べて、結局「転院はしなくていい」という結論に。※ちょっとまがままな義母のときは「女王」、攻撃的な義母のときは「女玉」と表現しています夫が改めて義母と話したところ、何年も持病の薬を飲んでいないという衝撃の事実がわかりました。夫からの言葉を聞いて、自分の負担は軽くなるけど素直には喜べませんでした……。若いころからの持病の経過観察のため、定期的に大学病院を受診している義母。しかし、大学病院の付き添いはとにかく手間がかかって大変です。それを心配してくれたのか、ある日義母から「まる子さんの負担を減らすためにも、近くの病院に変わったほうがいいと思う」と提案され、早速次の受診時に担当医に相談しました。答えは、採血できる近くの病院なら転院は可能。持病が再発しないよう、治療の継続は必要……ということでした。それを義母に伝えたところ「できてすぐの新しい病院は信用できない」「こんなおばあさん診てくれるの?」など、ネガティブな発言が飛び出します……。そして、最終的には「まる子さんがお仕事を休んで付き添ってくれるから、転院はしなくていいわ」と自己完結。私の負担を減らすための提案だったのでは……? しかも、夫が話をしたところ、圧迫骨折をしてから飲む薬が増えたため、たくさんの薬を一緒に飲みたくないという理由で、勝手に持病の服薬をストップしていたらしく……。それなら、もう通院自体が必要ないのでは? という結論に。それを聞いて、今までずっと仕事を休んで代理受診までしていたのに……と、私の中でモヤモヤが込み上げてきてしまいました。--------------代理受診までしてもらっていた薬なのに、飲まれていなかったというのは衝撃的でしたね……。今後のためにも、かかりつけ医に事情を話して相談してみたほうがいいかもしれません。何はともあれ、何事もなくてよかったですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年02月12日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。義母が積極的に動かなくなってしまい、介護の負担は増すばかり……。なんとかならないものかと、何げなく介護福祉センターからもらった資料を眺めていると、そこに「要介護区分の変更」という一文を発見! これだと思い、早速手続きをしたところ、運良く訪問調査員がすぐに来てくれて、前回よりも悪化している状況をわかってもらえました。ある日、義母から食事に出したゆで卵はいつのものか聞かれ、先週買ってきたものだと答えると、それがあたって気持ち悪くなったと言われました。賞味期限まではまだ4日もあるのに……と、納得できずにいると、納戸の中にヨーグルトを発見……。どうやら、義母の中では冷蔵庫と納戸は同等みたいです。 心身ともに、もう限界…! 朝、義母の部屋に行くと、ちょうど着替えているところでした。 勝手に手を出すと怒るのに、何もしなくても怒られるなんて……。 そういえば、息子には最近の出来事を話していませんでした。 想像力豊かな息子には、きつかったみたい……。ごめんね。 すかさず夫がフォローに入ります。 ※王子:まる子さんの息子 心身の限界を感じ、地域包括支援センターへ向かうために予約の電話を入れました。 あれ? 担当者によって言うことが変わっている……? 早速、義母への聞き取りがスタート。 よかれと思ってしていることも、「大きなお世話」になっているなら、もう私は頼まれたこと以外はやらないと決めていました。でも、義母にとっては「大変なところは察して助けて」となるようで、結局を文句を言われてイライラしてしまいます。 さすがにもう限界! ……そう思い、夫とともに地域包括支援センターへ行くことにして、予約の電話を入れました。その日はたまたま担当者がお休みとのことで、いつもと違うスタッフに話を聞いてもらったところ、なんだかトントン拍子に話が進んで、すぐに居宅介護支援事業所から担当者が来ることに。 義母はドヤ顔ではって生活していることを話しましたが、聞いていた担当者は絶句……。今の状況を見ると「要介護2」に相当すると思うと話してくれましたが、ちゃんと認定が下りるまでは少し控えめのケアプランを立てることになりました。今困っているのはトイレとお風呂、そして洗面所までの移動。これが解決して、最低限の生活ができるようになればいいなと思います。 --------------いつもと違う担当者だと、話が通じなかったらどうしようと不安になるかもしれませんが、まる子さんのように逆に話が進むこともあるかもしれないと思うと、とにかくいろいろな人と話をするのもいいかもしれません。介護区分が変更になって、大きな負担にならないようにサポートが受けられるといいですね。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 シニアカレンダー編集部では、自宅介護や老々介護、みとりなど介護に関わる人やシニア世代のお悩みを解決する記事を配信中。介護者やシニア世代の毎日がハッピーになりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター まる子
2024年02月10日親の介護を体験したことがないときは、その大変さは想像すらしていませんでした。しかしいざ自分が介護するようになって、その大変さが身にしみてわかりました。母の認知症による性格の変化や、介護で大変だったことなどについてお話しします。性格や行動パターンが変化した母母の認知症が進行し、服の着替え、食事、入浴などが思うようにできなくなり、私が日々介助することに。認知症は母の性格まで一変させてしまい、物忘れが激しくなって昨日のことすら覚えていない有様でした。それでも子ども時代のことは鮮明に覚えており、たまに過去の体験談を私に話すのです。また人をひどく疑うようになり、財布を盗んだと私を責めるようになりました。そんなことをするはずがないと諭しても聞く耳を持ちません。そして後から必ず財布が出てくるのですが、なくなった理由は単に置き忘れでした。食器棚など本来置くべき場所でないところに置くので、自分でも置いたことがわからなくなってしまうようでした。外に出たがることが頻発また、母は異常なほどに外出をせがむようになり、1時間置きくらいに外に連れて行ってくれと言いだすように。こちらが食事をしていたり、掃除をしていたりしてもお構いなしです。ある日、あまりにも頻繁に外出を求めるので無視していたところ、自分でドアの鍵を開けて外に出て行ってしまいました。それに気付いて急いで外に出て辺りを見渡しましたが、どこにもいなくて焦ったものです。結局母は自分で家に帰ってきましたが、どこに行っていたのか母自身もわかっていませんでした。休みのない介護は仕事より過酷「介護疲れ」という言葉がありますが、自分自身が親の介護をするまでは他人事だと考えていました。しかし、いざ自分事になってみると、外で働くより大変であることに気付いたのです。その理由の1つは、仕事と違って休みが存在しないこと。母に食事を食べさせるのはひと苦労ですし、服の着替えも大変でした。人間というのは、自分で何かをする意思を持たなくなると、体が重々しくなってしまうようです。母を少し布団から移動させるだけでも、意外と体力を使います。介護はすべての動作が腰にくるので、自分自身も腰痛になってしまいました。そうなれば腰に力が入らなくなるので、今まで通りの介護ができなくなります。これまで以上に自身の体力面にも注意しなければと感じます。まとめ認知症が進行するにつれて、母の性格が変化していきました。怒りっぽくなったり物忘れが激しくなったりして戸惑ったものです。また日常生活のサポートをするのも大変で、少し母の姿勢を移動させるだけでも、思いの外、私の体に負担がかかります。介護スタッフの方はこんなに大変な仕事を日々続けているのだと、尊敬の念しかありません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/鈴木祐希ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月06日子育てと家族の介護が重なる「ダブルケア」に直面する人が、全国に少なくとも29万3千700人いることが、1月22日、毎日新聞の調査でわかった。社会変化による日本の女性たちの苦しい現状が浮き彫りに!首都圏に住むA子さん(50代)もその一人。40代半ばで不妊治療を経てやっと子どもを授かった。子どもはまだ5歳で、子育てと仕事の両立に忙しい日々を過ごすなか、地方に住む両親の介護に直面することに。「母は認知症で、父が世話をしていたところ、父にがんが見つかって入院することになってしまったのです。A子さんは一人っ子で、『全部自分で親の面倒を見なければならない』と思い込み、会社を辞めたうえで子どもを連れて実家に帰ろうとしたのです」そう語るのは、A子さんから相談を受けたNPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さん。「私のところに相談に来る介護者は、全部ひとりで背負い込もうとしています。しかし、よく話を聞くと、デイサービスやホームヘルプなど、介護保険のサービスを使っていないケースが多く、うまくサービスを利用すれば、生活が成り立つケースがほとんどなのです」(川内さん、以下同)A子さんの母は要介護1で、介護サービスはまだ未利用。そこで、ケアマネジャーにケアプランの作成を依頼し、週3回デイサービスに通い、週1回ホームヘルプを受けるというプランを立ててもらい、見守りを兼ねたお弁当の宅配を利用した。父も母につきっきりで介護をする必要がなくなり、自分の病気の治療に専念できたという。「たいていは親の介護の体制を整えることで解決しますので、育児を優先してお子さんとの時間を大切にしてほしいと伝えています。また仕事も辞めるのではなく、身近にある公的支援、民間支援をおおいに活用してほしいですね」一人で背負って、金銭的、精神的に破綻する前に、使える制度を見てみよう。■介護と仕事を両立するために使える公的制度が充実パートもバイトも申請可「介護休業」は要介護状態にある家族1人につき3回を上限として、通算93日まで、介護による休業を申請することができる制度。「介護休暇」は、介護する家族が1人であれば年に5日まで(2人以上は年10日まで)、1日または時間単位で取得でき、ほかにも、短時間勤務や残業免除などもある。なかでも知らない人が多いのは、パートやアルバイトでも申請できるということ(雇用形態にもよる)。パートやアルバイトであっても職場の「就業規則」を確認して、人事や総務などに相談してみよう。都内に住むB子さん(40代)はかつて、末期がんの父(当時70代)の世話をするために、介護離職をしようとした。上司に「会社を辞めます」と告げると、「うちの会社は介護や育児の期間中に利用できる制度がたくさんあるから何か使ってみたら?」と勧められたそう。「家族会議をするため、ひとまず介護休業を取得して、当時保育園に通う娘を休ませて、2人で実家に帰りましたが、家族でよく話し合った結果、母と姉たちがいるので、私はそばにいなくてもいいという結論に達しました。父は退院後、通院しながら抗がん剤治療を受けることになり、介護サービスを使いました。身の回りのことは最期まで自分でできたので、当初の予定より早めに復職しました。あのとき会社を辞めなくてよかったです」(B子さん)だが、要介護認定を受けても介護サービスを受けない人が案外多いと川内さんは言う。ケアマネジャーにつながると、親の体調の変化や要介護度に応じて必要な支援を提供してくれるので、家族でケアをしようなどと思わないことだ。「遠距離介護のA子さんは介護休業を取得しなくても、仕事と介護が両立できるようになりました。じつは新型コロナの影響で、ケアマネジャーと家族との会議もオンラインで済ませられるようになったんです。頻繁に帰省するのは金銭的にも負担が大きいので、航空会社の介護割引を活用するなど、民間支援も上手に利用してみてください」■遠距離介護で役に立つ民間サービスも増加「病院の付き添い」「宅食」たとえば、家族の代わりに看護師が病院を受診する際の付き添いを行ってくれるサービスもある。費用は全額自己負担で事業者によって金額は異なるが、帰省の旅費と比べると低コストで済む。このほかにも、ビデオ通話でいつでも実家とつながれる便利なツールも。「今回の毎日新聞の調査は、子どもは未就学児が対象だったので、実際のダブルケア人口はもっと多いことが推測されます。特に晩婚、晩産化が進み、40代半ばでの出産も珍しくなくなってきました。50代以降のダブルケアは今後も増えることが予想されます。子育てはお金がかかるので、仕事は絶対に辞めてはいけません」一人で抱え込まず、介護者同士の口コミや「地域包括支援センター」などで情報収集しながら、介護を乗り越えよう。
2024年02月05日父ががんで亡くなるとき、新型コロナウイルスの蔓延で病院に受け入れてもらえず、最後は自宅で介護をすることになりました。実際の家での介護は想像以上に厳しい環境です。家で介護をする際にいろいろ環境改善を試してみましたが、特に役に立ったものを紹介します。病人の声がなかなか聞こえない家族で自宅介護をしていて大変だったことはたくさんありますが、一番問題だなと思ったのは、病人の声が届かないということでした。介護ベッドの上の父が、何かしら用があって母のことを呼んでも、声もほとんど出ない、音を立てる体力もないので誰にも気付かれないような状態になってしまうことが何度もありました。介護ベッドは1階の部屋に置いてあったのですが、同じフロアの別の部屋にいても父の声はまったく聞こえません。声を出して叫んでいる父もそのたびに体力を削られました。それ以降、母が近くにいる、もしくは物音を立てずに1階の別の部屋にいるということになったのですが、あまりにも負担が大きく、また、眠ることもほとんどできなくなったため母の体力も限界に近くなってしまいました。そこで、私は父のベッド周りの環境を見直してみることにしました。自宅介護の必須アイテム「呼び出しチャイム」いろいろやってみましたが、一番役に立ったのは「呼び出しチャイム」の導入です。呼び出しチャイムは、本来、後付けできる玄関用のチャイムです。本体と子機がセットになっていて、本体のボタンを押すと子機からチャイム音が流れます。子機は、壁のコンセントに挿しておけばすぐに使え、電池はいりません。わが家では、子機を追加で1台購入して、1階のリビングと2階の廊下のコンセントに挿し、一番大音量でチャイムが鳴るように設定しました。病人は指で押す力も弱く、いちいち探すことも大変なので、介護ベッドのフレームにパスケースに付いているような伸縮性のある長いリールを結び、その先に呼び出しボタンをくくり付けたものを父の手元に置いておくようにしました。これだと、父もすぐに押すことができ、もし落としてしまうことがあってもすぐに引っ張り上げることができます。これで、父がベッドでボタンを押すと家中にチャイム音が鳴り、近くに誰もいなくても、誰かが必ず気付くという環境ができました。介護する側もされる側もラクにチャイムを導入して、家の環境は大きく変わりました。誰かが四六時中父の近くにいる必要がなくなり、夜は、誰か1人が起きていればいいので毎日母はきちんと眠ることができるようになりました。介護される側の父も、誰かを呼び出したいときにすぐに来てもらえるようになったので体力の消耗もなくなり、体調は安定状態になりました。チャイム1つでここまで変わるのかといったくらいの変化で、本当に導入してよかったと思えたものの1つです。まとめ介護は想像する以上に過酷な環境です。「人を呼ぶ」という普段当たり前にしているコミュニケーションですが、それが体力的にできなくなっていくとき、スムーズにコミュニケーションを取り続けられるかどうかで、その後のストレス量が大きく変わっていくと感じました。介護する側もされる側も、できる限り穏やかに日々を過ごせるような工夫が必要だと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/大木玲イラスト/やましたともこウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月20日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。義母が積極的に動かなくなってしまい、介護の負担は増すばかり……。なんとかならないものかと、何げなく介護福祉センターからもらった資料を眺めていると、そこに「要介護区分の変更」という一文を発見! これだと思い、早速手続きをしたところ、運良く訪問調査員がすぐに来てくれて、前回よりも悪化している状況をわかってもらえました。心身ともに、もう限界…!ある日、義母から食事に出したゆで卵はいつのものか聞かれ、先週買ってきたものだと答えると、それがあたって気持ち悪くなったと言われました。賞味期限まではまだ4日もあるのに……と、納得できずにいると、納戸の中にヨーグルトを発見……。どうやら、義母の中では冷蔵庫と納戸は同等みたいです。朝、義母の部屋に行くと、ちょうど着替えているところでした。勝手に手を出すと怒るのに、何もしなくても怒られるなんて……。そういえば、息子には最近の出来事を話していませんでした。想像力豊かな息子には、きつかったみたい……。ごめんね。すかさず夫がフォローに入ります。※王子:まる子さんの息子心身の限界を感じ、地域包括支援センターへ向かうために予約の電話を入れました。あれ? 担当者によって言うことが変わっている……?早速、義母への聞き取りがスタート。よかれと思ってしていることも、「大きなお世話」になっているなら、もう私は頼まれたこと以外はやらないと決めていました。でも、義母にとっては「大変なところは察して助けて」となるようで、結局を文句を言われてイライラしてしまいます。さすがにもう限界! ……そう思い、夫とともに地域包括支援センターへ行くことにして、予約の電話を入れました。その日はたまたま担当者がお休みとのことで、いつもと違うスタッフに話を聞いてもらったところ、なんだかトントン拍子に話が進んで、すぐに居宅介護支援事業所から担当者が来ることに。義母はドヤ顔ではって生活していることを話しましたが、聞いていた担当者は絶句……。今の状況を見ると「要介護2」に相当すると思うと話してくれましたが、ちゃんと認定が下りるまでは少し控えめのケアプランを立てることになりました。今困っているのはトイレとお風呂、そして洗面所までの移動。これが解決して、最低限の生活ができるようになればいいなと思います。--------------いつもと違う担当者だと、話が通じなかったらどうしようと不安になるかもしれませんが、まる子さんのように逆に話が進むこともあるかもしれないと思うと、とにかくいろいろな人と話をするのもいいかもしれません。介護区分が変更になって、大きな負担にならないようにサポートが受けられるといいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年01月11日私は夫と義母と3人で暮らす、アラフォーの専業主婦です。以前は介護施設でヘルパーの仕事をしていましたが、結婚を機に退職。今は義母の介護に追われる日々です。義母の介護を押し付ける夫私が介護の資格を持っているからか、夫は義母の介護を当たり前のように私に押し付けます。平日は、「残業だった」と言って夜遅くに帰宅し、土日も夫が家にいることは少なく、理由をつけてどこかへ出掛けていきます。そして、私が何か意見をすれば、「こんな高級マンションに住めているのは誰のおかげなんだ」と怒ります。義母との仲は良好ですが、私を気づかってくれない夫にはうんざりしていました。義母の遺書に書いてあったことある日、義母が高熱を出し、私はずっと側で看病をしていました。しかし夫は、「接待ゴルフだから」と言って朝早くから出掛けたのです。私は「信じられない」と思いながら、義母の看病を続けました。すると、義母があまりにも苦しそうな表情をしたので、私はすぐに救急車を呼び病院へ。病院で診てもらうも、すぐに義母は息を引き取りました。私は急いで夫に連絡をしたのですが、「お義母さん今息を引き取ったよ…」「お前帰ったら覚悟しとけよ」「え…?」私は夫が何を言っているのか理解できず……最初は義母を亡くしたショックが大きいのだろうと思いました。しかし、夫は「5千万円の遺産のことを知っていたのだろう」と言い、義母の遺書に、遺産はすべて私に譲ると書いてあったことがわかったのです。夫は「ふざけるな」と怒り狂い、いろいろな話を持ち出して私を責め立てました。その勢いで、この日は接待ゴルフではなく、浮気相手と一緒だったことも暴露したのです。夫と立場が逆転その後、遺書に書いてあった通り、遺産はすべて私がもらい、夫からは慰謝料をたっぷりもらって離婚しました。私は実家に戻り、両親のために実家をバリアフリーに改装しました。その一方で、高級マンションに住む夫は、アパートへ引っ越したようです。その1カ月後、私は実家の近くの介護施設に就職が決まりました。毎日、「天国にいる義母はどうしているかな」と考えながら、介護の仕事に励んでいます。--------------これまで義母に尽くしてきた恩返しが、意外な形で届きましたね。施設の人だけでなく、天国の義母からも、「毎日一生懸命介護してくれてありがとう」と言う声が聞こえてきそうですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年01月04日家族の介護をするのは当たり前だと考えていましたが、それが現実になるとすごく大変でした。祖母と祖父の介護を家族と一緒にしたことで、介護の大変さをわずかながら学ぶことができたのはとても良い経験だったと思います。そんな私の体験談です。自分ではない人を支える大変さ私が学生時代、祖母が急病で倒れてしまいました。当時はまだ学生だったので、完全に介護だけに集中することは私自身はできません。そのため、母と父が中心となって介護をしていました。私は授業が終わればすぐに帰宅して母と交代し、祖母の介護をできるだけ手伝っていたのを覚えています。祖母は下半身が動きにくくなってしまいベッドで横になっていることが多かったので、私はトイレの介助や立ち上がって移動する際の支えになるなど、主に負荷が少ないものでした。とはいえ、やはり自分以外の体を考えてあれこれと気をつかうのはとても大変です。母と父は交代で祖母の介護をしていましたが、夜などは特に大変だろうと感じました。自分の祖母といっても、やはり自分の体を自由に動かせなくてイライラしている人の介護は疲れます。家族だからこその甘えもあるのかもしれませんが、介護をされる現実を受け入れられずに傷ついているのだろうと考えると、祖母にひどいことを言われてもなかなか注意ができないことも……。祖母の後は祖父の介護が祖母の介護を手伝っている間に私は社会人になったのですが、その数年後に祖母が亡くなりました。それから数年後、今度は祖父が病気になって介護が始まったのです。祖母よりも自分で体を動かすことができるだけラクでしたが、母も父も大変そうでした。私自身は会社の仕事と介護の両立をするために忙しく、介護疲れでイライラしてしまうことも。家族の皆が疲れている状態だったので、家の中がぐちゃぐちゃだったことを覚えています。介護からの解放祖父が少しでも回復できるように食事にも気を付けて、動けなくなったときには夜中も交代で介護をしてトイレや食事の介助をしていた状態がずっと続きました。仕事と夜中の交代での介護、家族皆が協力をしているので自分ひとりが疲れているからといって休むこともできません。数年ほど続いた祖父の介護は、祖父が亡くなるまで続き、葬儀後には家族全員がぐったりしていました。祖母が亡くなったときも、祖父が亡くなったときも寂しさで涙が出ましたが、大変な介護から解放されたという感覚もあったことを覚えています。まとめ実際に介護を経験してみて、「介護は家族の精神を消耗する」ということがわかりました。ですが、介護をすることで小さいころは頼れる大人だった祖父母が今度は私を頼ってくれるのがうれしかったという思いもありました。家族がきちんと祖父母の介護に向き合えたので、いろいろとしてあげたかったという思いは今でもあるけれど後悔はしていません。祖父母の介護を通じて、改めて「介護は他人事ではない」と感じました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/黒川涼音ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月04日親の介護について検討し始めたきっかけは「介護できる人がいなかった」施設への入居を検討し始めるきっかけとなった出来事について尋ねたところ、「介護できる人がいなかった」が最も多くなっています。次いで、「看病が必要な病気を発症した」「物忘れがひどくなった」と続き、、発病や認知症の進行がきっかけで施設への入居を検討し始めた日とが多いことが分かりました。そのほかに、「住環境がバリアフリーに対応していなかった」「本人が入居を希望した」「1人でトイレに行けなくなった」などの回答も多く集まっています。次に、家族が施設に入居することに対して過去にどう思っていたか聞くと、49.5%が「前向き」と答えました。理由としては、「プロに介護を任せる方が良いと思ったから」「医療体制が整っているから」「一人暮らしより孤独ではないだろうから」「食事の世話や健康管理をしてもらえるから」などが多く挙げられました。一方で、「前向きではなかった」と回答した人は3割弱という結果に。理由は、「本人が嫌がっていたから」「本人が家庭での介護を望んでいたから」「自分たちで対応できると考えていたから」「発病するまで施設への入居が必要な状況になることを想定していなかったから」などでした。家族の施設入居を決断したことについて満足しているか尋ねると、8割が「満足している」と回答しました。「発作時にすぐ対応してもらえ、命を救われたと感じている」「体調の変化を見逃さずにケアしていただける」「本人が入居生活に満足している」という声が多く挙がっています。「どちらともいえない」や「満足していない」と回答した人の理由は、「施設への入居に葛藤がある」「入居が少し早かったと思うときがある」などでした。注意すべき家族の6つの行動「あじのさしみ」同社では、アンケート調査の結果を参考に、年末年始の帰省時に注意すべき家族の6つの行動を選定し、「あじのさしみ」という合言葉を作成しました。家族の介護について漠然と検討している人が、年末年始の帰省時に久しぶりに家族の様子を見て、より具体的に検討すべきタイミングかどうかを判断する基準として、参考にすることができるとのこと。あ……味付け(料理)が変わったじ……時間感覚が合わないの……(薬の)飲み忘れが多いさ……作業が並行できないし……食欲が低下しているみ……身だしなみに無頓着になった調査概要調査期間 :2023年11月13日(月)~2023年11月26日(日)調査対象/世帯数:ライクケアが運営する介護付有料老人ホーム等の入居者の家庭190世帯調査機関(調査主体):ライクケア調査方法(集計方法、算出方法):インターネット調査ライクケア(マイナビ子育て編集部)
2023年12月21日日々の生活に介護と育児の両立は、私にとってまるで綱渡りのような挑戦でした。私が体験した介護と育児のダブルケアの現実を率直にお伝えします。認知症と診断された父私の父が少しずつ日常生活に不安定さを見せ始め、医師から「認知症」の診断が下された瞬間、私たちの日常はがらりと変わりました。父は頼りにしていた存在であり、その変化は私たち家族にとって衝撃的でした。私は当時、小さな子どもを育てていました。育児自体が大変なのに、さらに父の介護が加わり、ストレスは日に日に増していきました。日中の育児、夜間の父のケア、そして仕事……。すべての責任を背負いながら、心身ともに疲弊していく過程がつらかったことを覚えています。介護と育児のダブルケア介護の道はトラブルや困難がつきものでした。施設探しの際には、安心できる場所を見つけることに難航しました。また、父の認知症の進行に伴う行動の変化や、医療面での問題にも直面。しかし、これらの問題に向き合い、解決策を模索することは、家族としての成長をもたらしました。困難な状況の中で、家族の絆も強化されたように感じます。兄弟姉妹や夫との協力が、私たちの日常を支えてくれました。認知症の父に対する理解と、子どもへの愛情を分けることは、私たちにとっての生きる力でした。最後の別れ父の最期が訪れた日は、私たちにとって忘れられない瞬間でした。病室には静けさが広がり、ただ時が過ぎるのを待つばかりでした。父は静かに息を引き取り、その瞬間、部屋には穏やかな平穏が広がったのです。私たちは手を取り合い、感謝の気持ちと深い悲しみに包まれました。父が苦しむことなく、家族の中で安らかに旅立てたことに、心からの感謝を捧げました。長い介護の道のりが終わり、父は苦しみから解放されました。その後、家族で父の遺体を整え、最後のお別れの準備をしました。心から感じる悲しみがありながらも、父への愛情と尊敬の気持ちが満ちていました。父の最期をみとることができたことは、家族全員にとって大きな誇りでした。葬儀の日、親戚や友人、父の友人たちが集まり、父の人生を称える言葉や思い出を分かち合いました。私たちは共に涙を流し、笑顔を見せながら、父の人生を祝福したのです。父が私たちに残してくれた思い出や教訓を胸に、私たちは前向きに生きる決意を固めました。まとめ介護と育児のダブルケアは大変な道のりでしたが、家族の絆とサポートが私たちを支えました。困難に立ち向かうことで、新たな力を見つけることができました。同じような状況にいる方々へ、希望と勇気を届けられたらと思います。文/桜井美咲※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年12月20日皆さんは、家族の介護をした経験はありますか?今回は義家族の介護を押しつけられた女性のエピソードと、感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!介護を手伝わない父両親と姉と暮らす4人家族の主人公。母は看護師として、夜勤のある生活を送っています。そんなある日の出来事です。父が突然、主人公にとっては祖母である父の母と一緒に暮らすことになったと言ってきました。祖母は思うように体が動かなくなっていたため、介護が必要な状況でした。母は祖母の介護のため、夜勤のない病院に転職するのですが、仕事をしながら介護をする忙しい日々に母はだんだん痩せていってしまい…。母からは笑顔が減っていって…出典:エトラちゃんは見た!主人公や姉も介護を手伝いますが毎日手伝うことはできず、母からは少しずつ笑顔が消えていきました。そして主人公が高校生になった年に、祖母は息を引き取ります。祖母との別れを悲しみながらも、母の負担が減ることに安堵する主人公。しかし次は父の兄が病気になり…。「介護には女手が必要だろう。親族で女手があるのはウチだけなんだ」と母に押しつける父。父は相変わらずまったく手伝わず、苦労が絶えない母なのでした。読者の感想介護はする人にとっては大きな負担ですよね。それが自分の親族ではなく義家族なら、精神的な負担はさらに大きいものになると思います。(30代/女性)父の家族なのにもかかわらず、まったく手伝わない父に怒りがわきました。介護は抱え込んでしまいがちですが、つらいときはつらいと声をあげて、周りの人を頼ってほしいなと思います。(40代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2023年12月18日皆さんは介護の経験はありますか?今回は老人介護施設にまつわる物語とその感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!入居者の女性が弱音を…主人公は老人介護施設で働いています。そこへ1人の新人が入ってきたのですが、言葉遣いが丁寧ではないため、主人公はいつもハラハラしながら見守っていました。そんなある日、主人公がお世話をしている入居者の女性が、体調を崩した後から急に弱音を吐くようになってしまったのです。女性を励ましたのは意外な人物出典:エトラちゃんは見た!主人公が優しく声をかけても、女性は寂しそうに俯くばかりです。しかしそんなある日、例の新人が女性のお世話をするために部屋に入ってきました。そして女性がいつものように「私はもうダメなんだね」とポツリと呟いたときです。新人は「100歳を超えてるんだから、体にガタが来てあたりまえじゃないですか」と返事をしたのです!そんな返答が帰ってくるとは思わず、主人公と女性は固まってしまうのでした…。読者の感想新人のまさかの言葉に、女性がこれ以上落ち込まないか心配になりました。あまりにもまっすぐな言葉で、ショックを受けてしまいそうですね。(30代/女性)新人教育は相性もありますが、難しいことが多いですよね…。こんなことを言われたら、誰でも驚いて呆然としてしまいそうだと思いました。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(愛カツ編集部)
2023年12月14日介護にまつわる費用負担を軽減してくれる介護保険は、デイサービスや訪問介護サービスなどのほか、要介護者が安全に暮らすために住宅に手すりを付ける工事などでも利用することができます。数年前、私も介護保険を利用して母のために家に手すりを付けました。すると、母に思いがけない変化が……。このときのことをお話しします。もう待てない。言うこと聞いて!当時、母は紙パンツを嫌がって使用しておらず、ポータブルトイレ(持ち運び可能な簡易型トイレ)も拒絶。いつもふらふらしながら、母の部屋から少し離れたトイレに歩いて行っていました。調子が悪いときには、立ち上がれずに赤ちゃんのようにハイハイして向かって行きます。「もう手すりを付けないと、母はひとりでトイレに行けなくなる」と感じた私は、母に介護認定を受けてもらい、介護保険を使って早く手すりを付けたいと思いました。しかし母は「介護認定など必要ない」と、まったく聞く耳を持ちません。介護保険を使うにはまず介護認定を受ける必要がありますが、これから先の介護には、いろいろとお金がかかります。とにかく介護認定を受けてもらおうと、兄とともに、何度も何度も母を説得しました。その結果、しぶしぶですが、何とか母の了解を得ることができました。母の生活を180度変えた、手すりの力母の介護認定の結果は要介護2でした。早速、介護保険の住宅改修を使い、母がトイレに行くときのために、台所、廊下、洗面所、トイレの中に手すりを付けてもらいました。母の部屋の中の手すりは置くタイプです。さらに庭に出るための階段付きの手すりもレンタルしました。工事を伴わない移動可能な手すりは福祉用具貸与で、要介護2の場合は車椅子のレンタルも可能になるので、こちらもレンタルすることにしました。すると、あれほど介護認定や、手すりなど必要ないと拒絶していた母の態度が180度変化したのです。初めて手すりを使ったときの母のセリフは忘れられません。「ラクだねー、ラクだねー、お前が付けてくれたの? ありがとう」と、満面の笑みです。また、しばらくすると何年も屋内にこもりきりだった母が、手すりをつたって庭に降りるようになりました。さらに驚くことに、「車椅子があるから、どこかにお出かけしたい」とまで言うようになったのです。今まで何度誘っても、外出したがらなかったのに。もしかしたら、移動の不自由さや大変さをうまく私に伝えられなかっただけで、外に出たくなかったのではなく、出られなかったのかもしれません。私だけ? 介護保険はチンプンカンプンしぶる母を説得して介護認定を受けたかいがありました。今では手すりを使ってトイレに行くことが、母の毎日の運動にもなっています。現在は、要介護2から3に介護度が上がって、常時紙パンツをはいていますが、自分で手すりにつかまりながらトイレに行けるということは、母のプライドを保ち、また在宅での生活を可能にし、私の負担も減らしてくれています。ただ、初めて介護保険の相談をして感じたことは、素人には介護保険の仕組みを理解するのはとても難しいということです。今回の住宅改修にしても、介護保険外サービスになりますが、介護予防住宅改善というサービスもあるようでした。また、手すりも固定ではなく移動可能なものとなると、福祉用具として貸与できます。ケアマネジャーに詳しく説明を聞き、介護サービス利用の手引きをよく読み込まないと、理解できないことも多くありました。そして、仕方のないことですが、手すりを使える状態になるまでに、自治体への申請手続きなどがあり、自費での工事よりはるかに時間がかかります。これを高齢になってから利用しようと思うと、なかなか大変かもしれないと感じました。まとめ両親が安全に生活できるように、早く手すりを付けようと私は一生懸命でした。それなのに両親の強い拒絶にあって、「勝手にして!」と思ったこともありますし、本人たちの言うように、手すりも介護認定も必要ないのかと自信をなくしたときもあります。介護保険は素晴らしい制度ですが、時間もかかりますし、利用するほど金銭の負担も増えます。それでも、要介護2の時点で手すりを付けられたから、母は転倒もせず、寝たきりにもならずに済んでいるのではないかと思っています。介護される母、介護する私も、ともに介護初心者。周りの方の助けを借りながら、母には1日でも長生きしてもらいたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年12月05日5年間にわたり、車で1時間半かけて実家に通い両親の介護をしていた私。自分も年齢による体力の限界を感じつつ、アルツハイマー型認知症の父と車椅子生活の母を介護する日々は悩みの連続でした。2023年に2人とも他界しましたが、父が要支援と認定されてから自宅介護生活が軌道に乗るまでについてお話しします。要支援認定で介護サービス利用開始当時81歳だった父に要支援認定が下りて、私はほっとすると同時にこれから始まる介護生活への不安を感じて複雑な思いでした。そこでまずは地域包括支援センターの担当者と打ち合わせをし、週2回のデイサービス通いで外部と触れ合う機会を設け、週1回の訪問ヘルパーで掃除を利用することに。結果的にはこのデイサービスが外交的な父に合っていて、認知症の進行が緩やかになったように思えます。また、訪問ヘルパーの掃除は、父よりも母に抵抗があったようです。高齢とは関係なく片付けや掃除がまったくできない母でしたが、家に入っていろいろ触られるのは嫌だったのかもしれません。私が「トイレだけでもきれいにしてもらえればいいじゃない」と何時間もかけて説得し、ようやく掃除がしてもらえる! 私の念願がかなった!と思いました。他にも介護サービスには、タクシー利用時の半額補助、介護に関連するリフォーム、お弁当宅配、おむつ費用補助などがあり、さまざまなサービスが割安で受けられたので、私はできる限り利用しました。父の身の回りを把握介護サービスを利用し始めると同時に、父の身の回りを把握することにしました。私が実家を離れてから25年以上が経過し、また家の中が片付いていないことも重なり、書類1つ探すのも大変でした。父の身の回りとは、例えば、銀行関連、会社員時代のOB仲間、ご近所・地域、親戚、習い事、などなど……たくさんありました。特に父は人や地域とのつながりが退職後も多く、それぞれの仲間がいるので私が把握することにかなり時間がかかったのです。父は自分では認知症ではないと思っているので、なぜ娘が把握する必要があるのかといぶかしがり、毎回説明に1時間以上かかり、ひと苦労でした。そしてすべての状況を知るために関連がある人のご自宅や集まりがあるときに合わせて一度顔を出してあいさつし、 私の連絡先をお伝えしました。自宅で自分らしい生活に介護サービスを利用したり、父の身の回りに関する情報を把握し始めたりしてから、3カ月が経過しました。父はすっかりデイサービス通いに慣れ、楽しくなってきたようでした。笑顔で送迎してくれて楽しい1日が過ごせるので、デイサービスのある朝はお迎えが来るのを楽しみにしていました。これには私もさすがプロ!と感心しました。また、自宅で自身の力で暮らしていたことで、父の尊厳も守られていたようです。デイサービスに通っていることは「サークルの集まりに参加する」と思っているようでした。私は「サークルではなく介護保険を使って通っているんだよ」と強く訂正しましたが、今思えば、その必要はなかったのかもしれません。認知症患者には否定してはいけないことを後でヘルパーさんから学びました。まとめ「介護」の入り口に立っていたときが、何をどうして良いのかわからず、精神的には一番つらかったように思います。介護サービスを利用し、プロの意見を聞き、また相談に乗ってもらうことがいかに重要かとわかりました。また、父の身の回りの情報については、本人に聞かないと不明な部分も多く、聞き出すまでが難しかったです。このことで父娘の衝突があり、怒鳴ったり泣いたりしてしまったこともありましたが、そんなときも相談できる相手がいて非常に助かりました。やはり介護のプロの力はすごいなと身をもって感じました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/まるさかな(50代)50代の主婦。夫と息子の3人暮らし。猫、音楽、B級グルメ好き。夫の転勤、パート勤務、不妊治療を経て出産・育児でひと息ついたと思ったら、両親の介護に突入。
2023年12月04日義母が糖尿病で入院することになりました。そこから始まった義母の介護についてお話しします。ほぼ寝たきりの状態に義母は、突然血糖値が上がりました。それにより脱水症状がひどくなり、意識はもうろうとした状態に。ほぼ1週間寝て過ごしていました。おむつを替えるだけでもひと苦労入院中、義母は常におむつを装着する状態になってしまい、私よりはるかに体格が良い義母のおむつを、日に何度も替えることになりました。思い通りにおしりを上げてくれるわけではないので、体をあっちに向かせたりこっちに向かせたり、本当におむつ1つを替えるだけでも重労働でした。一筋縄ではいかない介護ごはんの時間は、ずっと寝ていたのでベッドを起こしても、また横になろうとするので、座らせるだけでひと苦労です。インスリンを打った後からの食事なので、ごはんを食べないといけないのですが、思うように口を開けてくれず、これまた大変で……。私は3人の子どもの育児をしてきましたが、義母は体格が良いし頑固な性格もあり、義母の介護は一筋縄ではいかないことだらけでした。まとめ介護をする上で、おむつを変えることも食事の介助をすることも、着替えをさせることも本当に大変です。さらに、床擦れしないように数時間ごとに体勢を変えてあげないといけないので、本当に心身ともに休まらず……。きちんと自身のケアもしないと、介護する側がダウンしてしまうものだと思いました。(30代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月30日3年に1度のペースで見直される介護保険制度。次回の見直し時期である2024年度の最大の焦点は、介護保険サービスの自己負担割合だという。これまで約9割の人が実際の費用の1割の負担で介護サービスを受けることができたが、2割負担の対象者を増やすことが議論されているのだ。介護施設のコンサルタント業務を請け負う、スターパートナーズ代表の齋藤直路さんは解説する。「一時は、自己負担を“原則2割”にしようという動きもありました。しかし、それではほとんどの利用者の介護費用が2倍になってしまうので、あまりに影響が大きい。その結果、介護サービスの利用控えが出れば、介護施設の事業者にとっても死活問題となります。利用者、事業者、双方からの反発も強く、“原則2割負担”は見送られそうです。代わりに、2割負担となる人の範囲を広げる方向で、議論は進んでいます」現在、65歳以上で、年収約280万円以上の人が2割負担となっている(年収約340万円以上の人が3割)。来年から、2割負担の基準はどう広がりそうなのか。「後期高齢者医療制度と同様、第1号被保険者(65歳以上)の上位所得30%を目安に、2割負担に引き上げられそうです。早ければ2024年8月ごろには、自己負担割合が変更されると予測しています」後期高齢者医療制度の2割負担の基準は、年金収入やその他の所得を合わせ、単身の場合は年収200万円以上、2人以上の場合は年収320万円以上。介護サービスの自己負担2割の基準も、これに準じたものになりそうだ。■世帯分離すれば「高額介護サービス費」の上限が下がる可能性自己負担2割の対象拡大をうけて、「『世帯分離』を検討してほしい」と語るのは、「お金と福祉の勉強会」代表の太田哲二さんだ。「親子が同居するなどして、親と子が同一の世帯である人も多いでしょう。しかし、介護保険料など社会保障に関する費用は、所得の高い世帯ほど負担が大きくなる。世帯を分ければ、親の収入のみで計算されるため、社会保障にかかる費用が安くなる可能性があるのです」なかでも、介護にかかわるのが、「高額介護サービス費支給制度」。1カ月の介護保険利用額が、設定された上限額を超えた場合、市区町村に申請することで超過分が払い戻される制度だ。世帯分離することで上限額が下がり、返金額が増える可能性がある。たとえば、世帯に住民税が課税対象の収入の人が一人でもいる場合、上限額は月4万4400円(ただし、介護を受ける人が年収約770万円以上の場合、上限額は月9万3000円に上がる)となる。一方、世帯の全員が住民税非課税の収入の場合、上限額は2万4600円まで下がる。年金200万円(基礎年金と本人の厚生年金の合計が約80万円、遺族厚生年金約120万円)を受給している80代母と、合計の年収が600万円の50代子夫婦が同一世帯だと、上限額は月4万4400円。しかし、世帯分離すれば上限額は月2万4600円まで下がる。単身世帯の場合、年金約155万円未満から住民税非課税。遺族年金や障害年金はこの計算に含まないため、母の収入は約80万円とされ、世帯分離で “住民税非課税世帯”になるためだ。ファイナンシャルプランナーの内山貴博さんが解説する。「上限額を月2万4千600円まで下げたとしても、自己負担が1割なら、要介護3以上で支給限度額近くまで使った場合でないと、恩恵はありませんでした。しかし、2割の対象が広がった場合、世帯分離によって高額介護サービス費の上限額を下げるメリットは大きくなりそうです」たとえば、2割負担で要介護1を支給限度額まで使うと、月3万3530円の自己負担額が発生するが、世帯分離で高額介護サービス費の上限額を2万4600円まで下げておくと、8930円が返金される。同様に、要介護2の場合、世帯分離することで月1万4810円、年間17万7720円ものお金が返ってくることに。逆にいえば、2割負担になった場合、世帯分離しないと約18万円損することになる。世帯分離には、どのような手続きが必要なのだろうか。「役所で『世帯分離したい』と申し出ると、『住民異動届』などの書類が渡されます。書類に記入し、運転免許証など身分証明できるものを提示すれば手続き可能。所要時間も5分ほど、費用は無料です。ただ、理由を問われた場合『介護費用を安くしたい』と言うと、『受け付けられません』と断られることも。『親と生計を別にしたので』と話すとスムーズに手続きできるでしょう」(前出の太田さん)年金収入や、その他の収入、同一世帯の子供の収入など、それぞれの事情によって、世帯分離の恩恵があるかは左右される。必ず、事前に市役所の窓口などで、世帯分離をした場合、どうなるか確認をしたうえで判断してほしい。目まぐるしく変わっていく介護保険制度。絶対に損をしないために、“世帯分離”という技を知っておいてほしい。
2023年11月01日数年前に実家の父が急死して、要介護3の母が家にひとりになってしまいました。ケアマネージャーと相談してデイサービス、ホームヘルパーなどの介護サービスを利用しようと思いましたが、本人が嫌がりました。父が急に亡くなって、母もショックを受けているのだろうと思い、私がしばらく同居することに。結局、私は同居に疲れ果てて家に帰るのですが、その原因は……。夜中に大音量でテレビを見る母と眠れない私母が要介護認定を受けていることはもちろん承知していましたし、同居する前も毎日のように実家に通って家事を手伝っていたので、自分では母の状態をほぼ理解しており、うまくやっていけると思っていました。しかし24時間一緒にいるとなると話はまったく別だったのです。母は昔からテレビが大好きで夜更かしタイプでしたが、同居を始めたときには昼間はうつらうつらしていて夜になると起き出すという完全な昼夜逆転生活になっていました。聴力もかなり低下していて、テレビの音量をどんどん上げてしまい、気付いたら音量が90を超えていたということもしばしば。ただでさえ、同じことを何度も聞かれたりささいなことで何十回も呼ばれたりしてイライラしていた私は、昼夜を問わず大音量のテレビの音を聞かされて、ますますイライラするようになりました。2階で眠っていても、夜中に目覚めた母が急に大音量でテレビをつけて、何度も起こされます。せめて昼間はデイサービスを利用してほしいと思っても、母は外に出たがりません。ひとまず、私の睡眠不足を何とかしなければ。そう思ってネットで調べてみると、高齢者の音に困っている人のためのスピーカーがあることを知りました。私は、早速近くの電器店に行きました。高齢者向けテレビスピーカーを購入全国展開している大きな電器店に行ってみると、目的のスピーカーはフロアの隅のほうに何種類か置いてあるくらいで、一度は通り過ぎてしまいました。あまり需要がないのかな?などと考えつつ売り場を見てみると、Bluetoothで連携するものやコードのあるもの、首に掛ける形状のものなどがありました。価格も数千円から数万円とさまざまです。電器や機械が不得意な私はかなり悩みましたが、結局、テーブルの上に置いてテレビとコードでつなぎ、ダイヤルで音量操作するタイプのスピーカーを選びました。コード式は足に引っ掛けて転んでしまう危ない側面もありますが、要介護3の母はほとんど歩けないので危険性は少ないと判断。音量をダイヤルで回すシンプルさと、昔からなじみのあるコード式、そして税込み3,000円ほどという価格の安さが購入の決め手となりました。家族だけでなく、近所も巻き込む音問題スピーカーを母の前のテーブルに置くと、音量は少し改善されました。しかし、気が付くと母がテレビのリモコンで音をさらに大きくしてしまったり、スピーカーのボリュームを動かしてしまったり。私がテレビとスピーカーの両方から音が出るように設定してしまったので、聞きづらかったようです。私も何とか夜眠れるように工夫しました。耳栓を装着したり、家の中でも静かな場所を探したり、夜は車で寝れば良いかと真夜中に布団を持って車で寝ようともしました。でもある日、あまりのテレビのうるささに、母を大声で怒鳴りつけてしまったのです。「もう限界」と、夜は家に帰ることを兄に相談したところ、朝と夕、介護に入ってくれることになりました。このままだと私が壊れると思ったようです。しかし、私が出て行った後にご近所から夜間のテレビの音で眠れないと苦情がありました。注意する私がいなくなったので、どんどん音が大きくなっていたようです。後からわかったのですが、スピーカーからのみ音が出るように設定すれば、本人だけに良く聞こえるようになるようでした。そこですぐに設定変更し、音量ダイヤルを固定しました。そのおかげで現在は騒音の問題はひとまず収まっています。まとめ介護というと、排泄や家事などを思い浮かべますが、私が今回苦しんだのは、思ってもいなかった「音」というトラブルでした。自分の家だけでなく、周囲の家にも迷惑を掛けてしまうため、音は大きな問題でした。私は何かあったときのためにご近所の方と電話番号を交換していたので、苦情が来た際、早めに対応できてよかったです。今回のことで、ひとりでは在宅介護は難しいと実感。自分が元気なうちから相談できる人をなるべく多く持つこと、日ごろから介護の情報に敏感でいること、いつか介護される自分のためにも、母を通していろいろなことを学んでいきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年10月29日みなさんは、介護のことで悩みはありますか?今回は同居している義母を介護している女性のエピソードを紹介します。義母の介護でストレス夫から予想外の言葉が…!激しい夫婦喧嘩に発展妻の怒りはピークに不満は募るばかり…義母の面倒を見ている主人公ですが、夫からは労いの言葉をかけてもらえなかったようです。怒りとショックのあまり、やりきれない気持ちになってしまうでしょう。周囲にも相談するといいかもしれません。※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。(Grapps編集部)
2023年10月28日私は義母の介護するため、泣く泣く仕事を辞めました。いまは献身的に介護をしていますが、夫は感謝どころか偉そうな態度ばかりとってきて……。だんだんと介護疲れが増し、ひとりで面倒を見るには限界を感じ始めました。私は義母の介護するため、泣く泣く仕事を辞めました。献身的に介護をしていますが、夫は感謝どころか偉そうな態度ばかりとってきて……。自分の親なのに手伝うことすらせず、他人の手を借りることも許しません。しかしだんだんと介護疲れが増し、ひとりで面倒を見るには限界を感じ始め……。 夫のありえない態度にブチ切れ!このままでは自分がおかしくなると思い、介護サービスの利用をお願いしました。当初、夫は利用を拒否していましたが、私が不機嫌で態度が悪いと家庭を平穏に保てないのでは? と問うと、あっさり許可を出しました。自分が面倒なことはすべて避けるのです。 夫は介護の大変さもわからないのに、他人の助けに甘えるなどと言ってきます。その上、無職になった私に「自分が養っているのだから生意気を言うな」と暴言まで吐くのです。 それから1年。夫の態度はさらに悪くなっていきました。あるときは、山奥にある義母がかつて住んでいた家をリフォームすると言い出し……。私が片付けを拒否すると、自分の主張を受け入れられないのかと苛立ち始めます。「稼いでいる俺が一番偉いんだよ」「お前は黙って俺の言う事だけ聞いていろ」どこまでも奴隷のように扱ってくるため、さすがにキレました。「あんたより稼いでいるから聞かない」 あまりにも腹が立ち反撃スタートあまりにも「稼いでいる人間が偉い」 と強調するので、空き時間を利用して投資の勉強をしていました。今では夫より稼げるようになり、貯金残高は1000万以上に。仕事をしていたとき、金融関連の資格をとろうと学んでいたことも役立ちました。 私が外で働き、夫が主夫になって介護をしたほうがいいのでは?と提案しましたが、夫は断固拒否。仕事を辞めたくないなら離婚してほしいと迫ると、イヤイヤながらも離婚を選択しました。私はすぐ行動を起こし、家を出ることに。 その半年後に義母は他界。そのころ私は再就職し、バリバリ働いていました。株もまだすこし続けており、収入は離婚時よりさらに上がりました。夫も私の真似をして株に手を出しましたが、借金までしてつぎ込んだお金はすべて水の泡になったようです。 私が出て行ったあと…ついでに離婚後のことを聞いてみると、やはり自分で義母を介護することはできず、施設に入れたそうです。人には面倒をみさせておいて、結局はそういうことになるなんて……。今はあくせく働いて借金を返す日々だそうです。 私は仕事を生きがいに、楽しい毎日を送っています。次に出会うなら、自分を支えてくれるようなやさしい男性がいいですね。 ◇ ◇ ◇ 夫はいろいろと才覚のある妻に対して劣等感を抱いており、妻が仕事をやめた途端、威張り散らすようになったのかもしれませんね。気持ちよく生活するためにも夫婦協力し、お互いの良いところに目を向けながら生活したいものですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年10月23日