文:八木 奈々写真:後藤 祐樹古い時代に著された古代日本の様子が分かる“古典”や、誰もが知る“名作文学”や“世界文学”……みなさんは読んだことはありますか? 長い歴史をもち、今もなお全世界で愛読されているこれらの作品達には何か特別な魅力があるはずです。ただ、難しい言い回しが多く使われていたり、どこか堅苦しいイメージもありますよね。実際、昔に書かれた本は原文のままではなかなか読み進めることが難しいものです。写真はイメージです。でもその言葉の問題ひとつで、読まないまま人生を終えるのはあまりにもったいないほど、面白い物語がたくさんあるのです。そこで今回は、“現代訳”や“超訳”“新訳”といった、現代を生きる私達にもわかりやすい現代の言葉を用いて訳された古典・名文学の本をご紹介させていただきます。1.角田光代『源氏物語』(上・中・下)これまでにも名だたる文豪が現代語訳に挑んだといわれる「源氏物語」。その中でも恋愛小説の名手と謳われる人気小説家・角田光代さんが訳を手掛けた本作では、原文への忠実さよりも疾走感のあるストーリー展開が印象的です。一冊がかなり分厚く読み始めるのには少し勇気がいりますが、作者や第三者の声が魅力的に訳されていて、当時の人が興奮とともに読み進めたように現代の私達でも物語に没入できる工夫がたくさん凝らされていて、個人的には一番読みやすい現代語訳でした。登場人物は多く名前も立場も変わっていくので、文化の違いに戸惑ったり呆れたり感心したり……と感情は大忙し。今思い出しても幸せな読書体験でした。歴史の苦手な私が教養や常識としてでなく、純粋に物語として源氏物語を楽しむことができる日が来るなんて……。あとがきや解説でも40ページ超あり、さらに内容の理解を助けてくれます。こんなに複雑かつ洗練された物語が千年も前に書かれていた事に改めて驚かされました。下巻まで辿り着かせてくれた角田光代さんの訳文力に感謝。みなさんも瑞々しく表現された源氏物語の世界観に引き込まれてみませんか?2.林真理子『私はスカーレット』美しいスカーレットの波乱万丈の半生を描く、マーガレット・ミッチェルの名作“風と共に去りぬ”をスカーレットの一人称小説にアレンジした、この作品。風と共に去りぬはご存じの方も多いかと思いますが小説の他、映画や舞台などで多くの人に愛されてきた名作です。南北戦争時代がテーマの今作は胸が苦しくなる描写も多々ありますが、今作は原作よりもエンタメ感が強く今こそ読んでほしい大河ロマンのような一冊となっています。物語の冒頭ではまだ16歳の主人公。自分の欲に忠実に、感情が先走ったような行動をとってしまうのも、林真理子さんの訳では妙に納得してしまいます。絶対に嫌な女のはずなのにだんだん惹かれていくのは、欲しいものを全力で勝ち取りにいく正直さと、自分の価値に対して絶対的な自信をもっている部分に私自身が憧れを重ねているからかもしれません。読後は自分でも引くほどに彼女の虜になってしまいました。原作よりも遥かに自意識過剰な可愛いスカーレットを身近に感じられる今作は私の中でかなりお気に入りの一冊になりました。原作や映画版を御覧になった方もそうでない方も、間違いなく楽しめる最高のエンターテインメント小説です。いやあ……私もスカーレットのように生きてみたい。3.清川あさみ / 最果タヒ『千年後の百人一首』清川あさみさんが糸と布とビーズで紡ぎ出した百の情景に、最果タヒさんが添えた情感豊かな言葉の世界。詩集×刺繍。ため息が出るほど美しいという表現はこの作品のためにあるのかもしれません。言葉が絵となり、詩となり、そしてまた言葉で書き表された“うた”がこんなにも心にスッと入ってくるとは……。悠久の時を越えて、三一音の感情が私達読者のあらゆるところを刺激してきます。私の中にある百人一首の記憶は、子供の頃、意味を考えるよりも暗記することに必死になっていたことくらい。もし、あのとき、こんな素敵な百人一首の本と出会えていたら……なんて考えてしまう方も多いかもしれません。分かるようで分からないようで……でもきっとまた捲りたくなる日が訪れる気がする本作品。読後は百人一首の新訳というよりも、千年前の歌に閉じ込められた想いが、“新作詩”として眼の前に蘇る感覚に包まれました。百人一首に興味のある方はもちろん、そうでない方もぜひ一度だけ、一頁だけ……でいいので触れてみてください。固まった心を解してくれる心の柔軟剤のような一冊です。私のお守り。■「古事記」に隠されたエピソードと不朽の魅力辞書を引かずとも現代を生きる私達がすらすらと読める古典・名文学は他にもたくさんあります。実は、あの“古事記”ですら、くすっと笑えてしまうエピソードがたくさん詰まっているのです。読んだ人のみぞ知る不朽の名作の魅力に心ゆくまで親しんでみてください。ゆっくりと、古(いにしえ)の時代に想いを馳せながら……。■「TheBookNook」についてこの連載は、書評でもあり、“作者”とその周辺についてお話をする隔週の連載となります。書店とも図書館とも違う、ただの本好きの素人目線でお届けする今連載。「あまり本は買わない」「最近本はご無沙汰だなあ」という人にこそぜひ覗いていただきたいと私は考えています。一冊の本から始まる「新しい物語」。「TheBookNook」は“本と人との出会いの場”であり、そんな空間と時間を提供する連載でありたいと思っています。次回からはさらに多くの本を深く紹介していきますのでお楽しみに。
2024年03月22日平安時代の時代性そのものや、その関連作品に注目が集まる昨今。当時の恋愛に欠かせなかった和歌にフォーカスをあて、その内容から恋愛観を考察します。平安時代の恋愛はどんなふうに育まれたの?キホンを知れば和歌への解像度が上がるはず!恋愛の社会的位置付け世は摂関政治全盛期。貴族階級の女性の多くは、東宮(皇太子)や天皇に輿入れするよう親に仕向けられる。一方、后の世話をするような中流階級や、それ以下の身分の女性は、婿を取るというシステム。男性は複数の女性の家に通うため、女性はそのまま実家で子育てなどもする。自分の生活が恋愛によって定まるといえるほど、恋愛の社会的位置付けは高かった!平安のマッチング条件女性が外に出て男性と出会うということがほとんどない時代。お互いに顔がわからないなか、まずは男性が女性に和歌を送り、そのやり取りから恋愛に発展する。成人(13~16歳頃)を迎えた女性のもとにはたくさんの和歌が届き、高貴な身分の女性の場合は、両親が相手を吟味。中流階級以下の女性の場合は、自由恋愛!宮中の男性は中流階級の女性との恋愛を楽しむ傾向にあった。当時の恋愛の実らせ方貴族階級の女性の場合、親が相手をジャッジするが、その基準は和歌の上手さというより相手の家柄や役職。一方、中流階級以下の女性の恋愛成就は、和歌の上手さが決め手に。気の利いた歌を返せることが、恋心をくすぐるカギ。この時代は、女性がすぐになびくより、ツンデレくらいが男性に好まれたよう。何度か和歌をやり取りして、お互いよければ男性が女性の家を訪ね、顔合わせへ。恋における和歌の重要性男女の交流が和歌から始まるように、和歌は恋に必要不可欠。その優劣によって恋の行方が変わってくるため、代筆を頼む人もしばしば。そもそも和歌には恋にまつわるものが多く、和歌そのものが恋のためにあるといってもいいほど。会えるか会えないか、ドキドキしている時にこそ有効で、『和泉式部日記』が、和泉式部と敦道親王の恋の成就で終わっていることからも、察せられる。『源氏物語』に見る平安恋愛のレアケース『源氏物語』は、絶世の美男子・光源氏を主人公とした恋愛小説。天皇の息子である光源氏は、年齢も身分も様々な女性たちと恋をする。「なかでも有名なのは、藤壺と紫の上です。藤壺は光源氏の父帝の后であることから、道ならぬ恋。藤壺の姪の紫の上は幼い頃から目をかけ、ずっと愛し続けた正妻です。ほかにも『源氏物語』のなかには、個性豊かな女性が数多く登場します。男性ではなく女性からのアプローチなど、当時の恋愛スタイルとは少し違うレアケースを、物語に収録された和歌から読み解いていきましょう」(津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授・木村朗子先生)心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花【夕顔】寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔【光源氏】夕露に紐とく花は玉鉾のたよりに見えしえにこそありけれ露の光やいかに【光源氏】光ありと見し夕顔のうは露はたそかれ時のそら目なりけり【夕顔】かなり稀な女性からのアプローチ。それほど源氏が美しかった?1首目は、夕顔という女性が光源氏を初めて見た時に「あなたは光源氏様では?」と送った歌。通常、最初の和歌は男性から送るため、珍しいケース。その歌に「近寄って見たらどうですか?」と返す源氏。二人は恋愛関係になるが、「実物の私はどうですか?」という源氏に、夕顔は「思ったほどではない」とツンデレな返答でいい女ぶりを発揮!影をのみみたらし河のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる【六条御息所】袖濡るる恋ぢとかつは知りながら下り立つ田子の身づからぞ憂き【六条御息所】なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがへのつま【葵の上に取りついた六条御息所】つれない光源氏を想うあまり、生霊になって取りついてしまう。六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)とも恋愛関係だった光源氏。しかし、最初の正妻・葵の上の懐妊や、新しい恋人・夕顔との逢瀬で、足が遠のいてしまう。御息所は「(光源氏が)つれない」「袖濡るる(=涙に暮れる)」と、苦しい胸の内を嘆く。やがて無意識のうちに生霊となり、葵の上に取りついて「私の魂を衣のすそに結び付けて」と訴える。光源氏、罪な男…。木村朗子(さえこ)先生津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授。専門は日本古典文学、女性学。『百首でよむ「源氏物語」』(平凡社新書)、『紫式部と男たち』(文春新書)など和歌や平安文学にまつわる著書多数。※『anan』2024年2月21日号より。イラスト・カシワイ取材、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2024年02月21日千年前の恋愛をひもとく…恋の和歌で、平安女子考察。和歌には平安女子の恋のリアルが詰まっている。794年の平安京への遷都から、約400年続いた平安時代。戦のない平和な時代として知られるが、宮中の女性にとっては芸術方面で活躍できる時代でもあったという。「当時、宮中には天皇の后候補が複数暮らしていて、その周りには女房と呼ばれる世話役の女性がたくさんいました。女房には和歌、漢詩、音楽といった芸術方面に秀でた人物が選ばれ、彼女たちが優れているほど、后候補の格が上がるとされていたのです」と話すのは、津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授の木村朗子先生。そんななか頭角を現したのが『枕草子』の作者である清少納言や、『和泉式部日記』の作者の和泉式部、『源氏物語』の作者の紫式部。「清少納言は一条天皇の后・定子に仕えた女房で、和泉式部と紫式部は定子亡き後、一条天皇の后・彰子に仕えた女房です。彼女たちのように文才のある女房は、主人の和歌を代筆することもありました。和歌の多くは恋愛の場面でやり取りされ、どれだけ上手い歌であるかが、相手を惹きつけるカギとなったからです」女房は和歌だけでなく恋愛にまつわる散文も書くようになり、作中には恋の和歌が数多く登場する。「和歌の魅力は、五七五七七という31文字のなかに『二人はどんな関係なのか』と楽しい想像を膨らませる種があるところ。ここでは『和泉式部日記』から、平安時代の恋の移ろいが感じられる和歌を紹介します」『和泉式部日記』に見る恋の育み方『和泉式部日記』は、和泉式部と、次期天皇候補の一人であった敦道親王との恋の顛末が書かれた回想録。「和泉式部は中流階級の出身なので、身分違いの恋。そんな二人の恋の始まりや駆け引きなどが詳細に綴られていて、平安時代の恋はどんなステップを踏み、育まれていったのかが時の経過とともにわかります」和泉式部が歌人だったこともあり、『和泉式部日記』には敦道親王と交わした和歌が多数収録されている。「紫式部は和泉式部の和歌を、素直な詠みぶりで実にいいと評している。言語的に理解しやすいのが魅力」恋の始まり和泉式部と敦道親王。和歌を得意とした二人の、なんとも巧みな、恋の始め方。そもそも和泉式部は、敦道親王の兄の為尊(ためたか)親王の恋人だったが、為尊親王は若くして亡くなってしまう。憂う彼女に、使者を介して橘の花の枝を贈った敦道親王。その返事として和泉式部がこの歌を詠み、二人の恋が始まる。薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると【和泉式部】おなじ枝に鳴きつつをりしほととぎす声は変はらぬものと知らずや【敦道親王】敦道親王からのアプローチに大胆な返歌でハートを鷲掴み。橘の花は、『古今和歌集』の一首で“昔の恋人の袖の香り”と詠まれたことから、和泉式部は敦道親王が「為尊親王を懐かしんでいるのでしょうね」と言いたいことに気づき、「橘の花に託すより、あなたの声が彼と同じか直接聞きたいわ」と誘うような歌を送る。親王の返歌も「兄弟なので似ている」、つまり“好きな気持ちも同じ”と積極的!恋の駆け引き歌を返す間や内容で、ツンとデレを使い分け。和泉式部の立ち回りの上手さが印象的。和泉式部は敦道親王の返歌を粋だと思う一方、軽々しく応えるのもどうかと思い、しばらく歌を返さずにいる。ヤキモキした親王は再び歌を送り、それに情熱的に応える和泉式部。こうして和泉式部が返歌をする関係に。うち出ででもありにしものをなかなかに苦しきまでも嘆く今日かな【敦道親王】今日のまの心にかへて思ひやれながめつつのみ過ぐす心を【和泉式部】ヤキモキしている敦道親王とちょっとウワテな和泉式部。親王は、「自分の恋心をあなたに伝えなければよかった。あなたがつれないので今日は苦しい」と訴えている。対する和泉式部は、「私を想っているのは今日だけなのでしょう。私はずっとあなたを想っているのに」とまた大胆!和泉式部の歌にある「ながめ(眺める)」は、恋煩いしている時によく使われる言葉。切ない想いが込められている。語らはばなぐさむこともありやせむ言ふかひなくは思はざらなむ【敦道親王】なぐさむと聞けば語らまほしけれど身の憂きことぞ言ふかひもなき【和泉式部】会いたい、でもまだ会えない…。揺れる気持ちを吐露。親王から届く歌により、恋人を亡くしたさびしさがなぐさめられるような気持ちになる和泉式部。そんななか親王から「直接会ってなぐさめたい」と、歌だけのやり取りから関係を進めませんかとお誘いが。和泉式部は「そう聞くと会いたい」としながらも「恋人の死を悲しみながら浮気する自分を憂えている」と、揺れる気持ちを伝えている。会えた喜びこの時代の“会う”ことのハードルの高さと、達成された時の双方の喜びが凝縮。ついに敦道親王が和泉式部のもとを訪れる。御簾越しに見た彼はうわさにたがわぬ美しさ。「恋人のようなことはしないから、そばに行きたい」と言う親王。和泉式部はやんわり制するが、親王は御簾の内側に滑り込み…。恋と言へば世のつねのとや思ふらむ今朝の心はたぐひだになし【敦道親王】世のつねのことともさらに思ほえずはじめてものを思ふ朝(あした)は【和泉式部】一夜を共にした二人は熱烈な歌を交わし合う。結局、一夜を共にした二人。それを想起させるのが明け方に帰ったことを指す「朝」という言葉。夜通し男女が過ごす=性的関係があったことを暗示する。すぐに親王から「恋なんてありふれているのに、今朝の自分はこれまでにない気持ちだ」と熱烈な歌が寄せられ、和泉式部も「こんな物思いをするのは初めて」と情熱的にリアクション。深まる想い互いに気持ちが深まるにつれて、不安や独占欲も肥大。和歌にもその様子が表れる。その後も二人の恋は盛り上がり続けるものの、敦道親王は高貴な身分のため気軽に出歩くことができず、せっかく訪ねても和泉式部が就寝中など会えない日々が続く。不安を訴える和泉式部に親王は自分の想いを伝えるが…。大水の岸つきたるにくらぶれど深き心はわれぞまされる【敦道親王】今はよもきしもせじかし大水の深き心は川と見せつつ【和泉式部】想いの深さを水の深さに例えた一首に掛詞で応戦。この歌が詠まれたのは梅雨時。親王は大雨で増水した川の水を見て「岸に到達するほどの水より、あなたを想う心のほうが深い」と送る。恋心の深さを水の深さで表現するのは和歌の習わし。対して和泉式部は「そうは言っても今は来てくれないのでしょう。嬉しくないわ」とピシャリ。「岸」が「来し」に、「川」が「彼(か)は」に掛けられている。揺らぐ想い楽しさばかりでない恋愛に、振り回される心。時に素直に、まっすぐな想いを込めていく。和泉式部は恋多き女とウワサされた人物。ある日、親王が彼女の家へ行くと、男の車が止まっていたため、親王は憤る。それは和泉式部の家に住んでいた別の女性の恋人の車だったが、親王はこの一件を根に持ってしまう。つらしともまた恋しともさまざまに思ふことこそひまなかりけれ【敦道親王】あふことはとまれかうまれ嘆かじをうらみ絶えせぬ仲となりなば【和泉式部】浮気を疑われている!?でも別れたくない!しばらく親王からの連絡が途絶えたのち、届いたのがこの一首。「つらい、恋しいとか、いろいろ考えて心に暇がない」。つまり、あなたのことで頭がいっぱいだということ。それに対して和泉式部は「二人の仲が絶えてしまわないなら、会えるとか会えないとか嘆かない」と返事。何があっても別れたくないという気持ちを伝えている。日記の結末は…敦道親王は、乳母に外歩きを叱られ、和泉式部を自邸の女房にするべく呼び寄せる。しかし、同居している正妻は和泉式部が親王の恋人だと知っていたので怒り心頭。実家に帰ってしまうというところで『和泉式部日記』は終わっている。その後、敦道親王も早くに亡くなり、再び独り身になった和泉式部は、“彰子サロン”のメンバーとなる。木村朗子(さえこ)先生津田塾大学学芸学部多文化・国際協力学科教授。専門は日本古典文学、女性学。『百首でよむ「源氏物語」』(平凡社新書)、『紫式部と男たち』(文春新書)など和歌や平安文学にまつわる著書多数。※『anan』2024年2月21日号より。イラスト・カシワイ取材、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2024年02月20日多くの作品が親しみのある現代語に訳され、初心者でも読みやすくなっている古典文学。その魅力や楽しみ方について、古典文学愛好家である、書評家・三宅香帆さんと翻訳家・イザベラ・ディオニシオさんが語ります。最初にハマる古典はやっぱり『源氏物語』。三宅香帆(以下、三宅):私が古典に興味を持つきっかけとなったのは、実は氷室冴子先生の『なんて素敵にジャパネスク』という少女小説なんです。イザベラ・ディオニシオ(以下、イザベラ):ライトノベルズや漫画は入り口にぴったりですよね!三宅:平安時代が舞台の話ですごく面白かったんですが、未完で終わってしまって。その続きが読みたすぎて、あとがきに元ネタになっていると書かれていた『大鏡』や『源氏物語』に手を出して。大学では国文学を勉強して、がっつりと読むようになりました。イザベラ:私は子供の頃からギリシャ神話に興味があって、それをテーマにした児童書を読んでいたんです。でも、だんだん原文で読みたくなって。高校はクラシック系の学校に入り、ラテン語や古代ギリシャ語を中心に勉強しました。三宅:え~、すごい!イザベラ:イタリアの高校は、日本の専門学校に近い感じなんです。それで古典作品をいろいろ読み漁って、古代ギリシャやローマの日常生活とか恋愛事情を知りました。三宅:それで、なぜ日本の古典に興味を持ったんですか?イザベラ:大学に入る時に、軽い気持ちで日本文学の講義をとったんですよね(笑)。でも、歴史から学んでいくうちに、どんどん古典文学にハマっていって。最初に読んだのは『源氏物語』でした。『源氏物語』は女性キャラが魅力的。三宅:やっぱり、日本最古の恋愛ロマンスですもんね!イザベラ:のめり込みましたね。登場人物を知り合いに例えたりして、友達と楽しんでいました。三宅:『源氏物語』は盛り上がりますよね!私も大学生の時に、ドラマ化するならこの役はあの俳優さんがいいとか、勝手に配役を妄想してました(笑)。イザベラ:主人公の光源氏よりも、女性キャラクターの方が個性的だし、断然、色鮮やか。だから、想像力を掻き立てられるんですよね。三宅:『源氏物語』って読む時の年齢によって感情移入するキャラが替わりませんか?最初は自分がまだ子供だったということもあって、雲居の雁がかわいくて好きだったんですが、大人になった今は朧月夜のような主体的な女性に惹かれる。嫉妬深くて、生き霊を飛ばす六条御息所も、最初はただただ怖い!って思ったけれど、嫉妬しちゃいけないと思うからこそ、生き霊になってしまった気持ちも今なら少しはわかる。イザベラ:確かに。「自分は身分も教養も容姿も申し分ないはずなのに、なぜ私じゃなくてあの子を選ぶわけ?なんで振り向いてくれないの?」って思ってしまうとか…ね。怨念で死に追いやってしまうのはどうかと思いますが(笑)。三宅:そんな簡単なものじゃないんですよね、恋愛は(笑)。イザベラ:恋愛はケミストリーだから、いくら高スペックな女性でも、必ずしも恋が上手くいくとは限らない。作者の紫式部は当時からそういうことをわかったうえで、確信的に書いていたんですよね。三宅:最愛の妻とは子供ができず、若い愛人にサクッとできてしまう話もすごいなぁと思いました。現代の話だと言ってもまったく違和感ないし、なかなか深いですよね。読み比べも楽しい。人気作家が手がける『源氏物語』『源氏物語』1角田光代 訳2017年に満を持して出版された、最も新しい角田訳。原文に忠実ながらも非常に読みやすく、昔も今もつながる感情を重視し、小説としての面白さが存分に堪能できる。この秋、待望の文庫化。10/6発売。¥880/河出文庫『全訳 源氏物語 新装版』1与謝野晶子 訳少女の頃から『源氏物語』を愛読してきた与謝野晶子が晩年に書いた54帖全訳の決定版。与謝野版の出版により、一般にも広く普及されるようになった。その現代語訳は格調高い筆致が特徴。¥836/角川文庫『潤一郎訳 源氏物語』1谷崎潤一郎 訳文豪・谷崎潤一郎による現代語訳は、京都の女語りを意識した流麗な雅文体。原文の雰囲気を生かして、継ぎ目のない長文で主語も入らないため、初めて『源氏物語』を読んでみようと思う読者にはやや難しい。¥1,100/中公文庫『新源氏物語』上田辺聖子 著もともと『週刊朝日』に連載されていたもので、男性にもわかりやすい物語を目指して、原書を大幅にリライト。田辺の創作が少し加えられているうえ、会話を多用しているので現代小説のように読める。¥990/新潮文庫(写真・左)三宅香帆さん書評家。1994年生まれ、高知県出身。京都大学大学院修士課程修了。著書に『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない』ほか多数。いつか『更科日記』を現代語訳することが夢。(写真・右)イザベラ・ディオニシオさん翻訳者、エッセイスト。イタリア出身。大学時代より日本文学に親しみ、2005年に来日。著書に『平安女子は、みんな必死で恋してた』『女を書けない文豪(オトコ)たち』『悩んでもがいて、作家になった彼女たち』。趣味はごろごろしながら本を読むこと。※『anan』2023年10月11日号より。写真・福森クニヒロ黒川ひろみ取材、文・野尻和代(by anan編集部)
2023年10月09日歌舞伎を観るならまずはコレ。尾上右近さんおすすめの古典歌舞伎10演目をご紹介します。【連獅子(れんじし)】歌舞伎といえば毛振り!勇壮な姿に釘付け。文殊菩薩の霊山。獅子頭を手にした狂言師の右近と左近が現れ、親獅子が我が子を谷底に突き落として這い上がってきた子だけを育てるという、獅子の子落とし伝説を厳かに舞い始める。舞い終えたふたりが胡蝶に誘われ場を去ると、現れたのは法華宗の僧と浄土宗の僧。旅の道連れとなるが、互いの宗派を知った途端、言い争いに。そのとき一陣の風が吹き、親子の獅子の精が現れる。毛振りを見ると清々しい気持ちになります。歌舞伎のジャンルのひとつとして、踊りで物語を表現してゆくのが舞踊。「基本的に舞踊は、始まって終わるまでに物語が完結するうえ音楽劇的な要素もあり、誰にでも観やすいジャンルだと思います。その中でも『連獅子』は、多くの人が歌舞伎と聞いてイメージする“毛振り”があり、華やかさや迫力も含め、観て面白い演目だと思います。獅子はもともと能に端を発していますが、それが毛を振るというのは歌舞伎にしかない演出。あの毛を振る間の歌舞伎俳優の心境というのは、ど派手なパフォーマンスを見せてやろうというのではなく、心静かに経を唱えているような感覚。僕は、あれこそ歌舞伎の自己犠牲の美学が一番凝縮した姿だと感じます。そこに子に試練を与える親獅子の厳しさが重なりますし、親獅子に食らいついていく子獅子の姿には、生や芸を受け継ぐことの重みを感じる。でも、そこに不思議な命の高揚感があり、だからこそご覧になる方々は清々しい気持ちになるのではと思っています。また同じ『連獅子』でも演じる方によって全然違うので、見比べるのも面白いと思います」(尾上右近さん)【春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)】踊るうち徐々に興に乗ってゆく娘の変化に注目。江戸城の大広間。正月の祝いの余興にと奥づとめの弥生が殿様に舞を所望された。最初は恥ずかしがって逃げるが、お局らに引き戻されてしまう。ようやく観念すると、さまざまな舞を次々と披露する。徐々に舞が興に乗るなか、弥生が手にしたのは獅子頭。いつしか獅子頭が弥生を翻弄し始め、姿を消した彼女に代わり、獅子の精が姿を現す。僕にとって絶対外せない特別な演目です!右近さんが幼いときに観て、歌舞伎に魅了されるきっかけとなったのがこの演目。「これがあるから自分は歌舞伎をやっていると言っても過言ではないので、これを挙げないと自分としては納得できない」と言うほど特別なもの。「弥生は、最初はお殿様に所望されて仕方なく踊り始めますが、殿様に見られているという高揚感も手伝って、徐々に興に乗って踊りに気持ちが集中していきます。この弥生の見られている高揚感と緊張というのは、演じている役者の心境とぴったりリンクしますし、ひとりで30分の大曲を踊り切るわけで、役者にとって孤独な闘いでもあり、それだけ覚悟のいる演目でもあります。歌舞伎の舞踊の中ではストーリー性が薄いこともありエンターテインメント性より芸術性が強いかもしれませんが、歌舞伎の芸術としての側面を味わうには最適なはず。初めてご覧になるなら、ぜひ僕が挑戦するときに観てほしいです。絶対後悔させませんので」【京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)】美しい女性が釣り鐘を前に大蛇に豹変。恋に狂った清姫が大蛇となり僧を鐘ごと焼き殺した伝説が残る道成寺で、鐘供養が行われることに。そこに鐘を供養させてほしいと訪ねてきたのは美しい白拍子(男装の舞妓)。女人禁制ながら、修行僧たちは舞の披露を条件に寺へ招き入れる。さまざまな舞を披露するが、次第に白拍子の様子が変わり鐘に登ったかと思うと蛇の正体を見せるのだった。細部にまで日本の美が詰まっている総合芸術です。「1時間近くをひとりで踊り通すわけで、役者にとっては『鏡獅子』同様、心境的には自分との闘いのような演目ではあるんです。ただ、華やかで美しい衣装に鬘があって、大道具があって、役者がいて、音楽があって、小道具もすべてキラキラしていて、細部まですべてに日本の美が詰まっていて、それらが互いに引き立て合って、観る者を作品の世界に引き込んでくれる。役者ひとりの力で魅せる芸術ではなく、歌舞伎が総合芸術であることを実感してもらえる演目だと思います」赤の振り袖に烏帽子をかぶっての、能を取り入れた静かで厳かな舞から始まり、引き抜きという手法で一瞬にして浅葱色の衣装に替わったり、小道具も次々と持ち替えて、さまざまな踊りを見せていく。「視覚的にも聴覚的にも起伏がたくさんあって、観る人を飽きさせないようにと考えて作られていますし、この作品の時代背景や設定などを知らなくても楽しめる演目だと思います」【弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ) 白浪五人男(しらなみごにんおとこ)】美しい娘だと油断するなかれ。その正体に驚き。呉服問屋・浜松屋を、従者を連れた美しい娘が訪れる。品物を選ぶ最中に娘が万引。それを番頭が見咎めるが、その品は他で買ったものと判明。無実の罪を着せられたと従者の男が店に法外な金を要求。仕方なく金を渡すが、じつは娘は男で、すべてがゆすりの芝居だった。娘は開き直ると着物を脱ぎ刺青を見せ、盗賊の弁天小僧菊之助と名乗るのだった。女形の楽屋裏での姿を想像してもらえれば(笑)。「ヤンチャ小僧って、周りは手を焼きながらも、かわいいなって思ったりしますよね。弁天小僧は、まさにそのかわいさとかっこよさが共存した存在。しかも女性の格好をしているときは本当に綺麗だから、その後の展開を知らずに観た人は、男がやっているのに女形って本当に綺麗だなと感じると思うんです。それが後で服を脱ぎだし裸になっちゃうのだから、驚きますよね(笑)。弁天小僧が男に戻る場面は、女形の役者が楽屋に戻った状態と同じなわけで、女形の裏で見せる素の顔というかバックステージを見ているような感覚も楽しんでいただけるはず。男が女性を演じる女形という存在をうまく利用した話だと思います」正体がバレた弁天小僧菊之助が、開き直って自分の素性を明かす場面での「知らざぁ言って聞かせやしょう」は、歌舞伎屈指の名ゼリフ。「難しい知識は必要なく、これが名ゼリフといわれているんだ、と思って楽しんでいただければと思います」【夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)】蒸し暑い夏の夜、はずみで起きた哀しい惨劇。武士の玉島兵太夫に大恩のある魚売りの団七は、兵太夫の息子・磯之丞の恋人で遊女の琴浦が男たちに絡まれているのを助ける。老侠客の三婦の家に匿われた琴浦だったが、団七の使いを騙る団七の義父・義平次が彼女を連れ去ってしまう。それを知り義平次を追いかけ琴浦を取り返した団七だったが、揉み合ううちに義平次を斬ってしまう。芝居の随所から夏の暑さを感じる作品です。劇中の主人公・団七のセリフに、「悪い人でも舅は親」というものがあるが、どんなにはずみで犯した過失であっても親殺しは世の大罪。「あってはいけないことではあるけれど、団七の、一度走り出したら止まれない男の性みたいな部分は多くの方に共感していただけるのではないかと思います。義理と忠義を立てようと奔走する団七を邪魔する舅がいなくなり、ほっとする気持ちと同時に、本人が望まない結果となった団七をかわいそうにも思う。いろんな感情が湧き上がる作品です。団七は多少無理でも男を立てることを優先しようとするけれど、義父の義平次は、泥水をすすってでも必死に生きるのが男だという、ふたりの価値観の違いも面白いですよね。また、夏の暑さだとか、遠くから聞こえてくる祭り囃子だとか、季節を感じる描写が芝居の随所にあり、湿度と汗でベタベタするような夏の夜の空気感を体感してもらえるところも面白い作品だと思います」【東海道四谷怪談(とうかいどうよつやかいだん)】みるみるうちに面相が醜く変わり恐ろしい姿に。色男の民谷伊右衛門は、産後の肥立ちが悪く、ことあるごとに主君の仇討ちを迫る妻の岩を疎ましく感じていた。その矢先、隣家の金持ちの伊藤家から孫娘との縁談を持ちかけられ、承諾した伊右衛門の元に伊藤家から毒薬が届く。血の巡りの薬と騙され飲んだ岩の顔はたちまち醜く変わり、非業の死を遂げる。その後、伊右衛門は岩の亡霊に悩まされ…。江戸時代生まれのホラーは怖いけどすごく哀れ。「江戸時代にもホラーというジャンルは存在して、当時から少しでも涼しく感じたいということで、夏に上演され喜ばれてきたジャンル。ゾクッとする怖さを楽しむ人がいるのは、今とまったく同じです。この物語の中心人物であるお岩様は、信じていた夫に騙されて殺されて、本当にかわいそうな女性です。夫の伊右衛門に薬と偽られ毒薬を飲んでしまい、髪をすく間にどんどん髪が抜けていく描写などは、怖いけどすごく哀れ。そのぶん恨みも深いのか、お化けになって登場するお岩様は本当に怖いので、ホラー好きな人なら喜んでいただけるのではないでしょうか」また、伊右衛門はお岩を死に至らせたばかりでなく、内職の手伝いに雇った小仏小平も殺害。そのふたりの幽霊が同時に現れる場面では、一人の役者が二役を一瞬で演じ分ける早替わりの演出も。「舞台の上に幽霊を登場させる演出の面白さもあれば、仇討ちのエピソードなどもあり、見どころの多い作品です」【め組の喧嘩(めぐみのけんか)】火消しと力士の意地の張り合い。喧嘩は迫力満点!品川宿、隣り合わせた座敷で飲んでいた力士たちと鳶の面々が、ひょんなことから小競り合いに。そこに割って入ったのは町火消しの「め組」の鳶頭・辰五郎。場は収まるが、鳶は武士に召し抱えられた力士より格下だと言い放たれる。面子を汚された辰五郎は仕返しを決意。妻と子に別れを告げ、彼を慕う鳶たちを率い、真剣勝負の場に乗り込んでいく。江戸の華といわれる“喧嘩”を堪能できます。「火消しと力士それぞれが自分たちの主張を曲げず、意地の張り合いから、それぞれのプライドをかけての命懸けの喧嘩に発展していきます。火事と喧嘩は江戸の華といいますが、それを嫌というほど堪能できる演目。これぞまさに“江戸っ子”というものが随所に描かれているので、そこを楽しんでもらえると思います」描かれるのは、ひたすら喧嘩の場面だが、「大人が本気で喧嘩している姿って、はたから見ていると面白いんですよね」とも。「力士たちへの意趣返しをしようと決意した鳶たちが勢揃いする場面がありますが、その迫力は本当に圧巻のひと言。鳶頭の辰五郎を筆頭に、手桶の柄杓でおのおの水盃をして威勢よく駆け出していく姿は無条件にかっこよく、観ていて気分が高揚すること間違いなし。出てきすぎじゃないの?と思うくらいたくさんの鳶がそこに登場するのも面白く、お祭り騒ぎ感も満載。わかりやすく見応えのある作品です」【義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) 川連法眼館(かわつらほうげんやかた)】親への恋しさゆえ武将に化けた子狐の情愛に涙。兄・源頼朝に謀反を疑われた源義経は川連法眼の屋敷に匿われていた。そこに家来・佐藤忠信が訪ねてくるが、そのすぐ後、静御前を伴い忠信が来たとの知らせが入る。義経の命により忠信の真偽を確かめようとした静の前に正体を現したのは狐。鼓にされた父狐と母狐への恋しさゆえ、鼓を持つ静の供をしていたという。憐れんだ義経は狐に鼓を与える。あっと驚くようなアクロバット的演出も。『義経千本桜』は、兄・源頼朝から謀反を疑われ追われる身となった源義経の物語を背景に、戦によって思わぬ境遇となった人々を主人公にした、複数の物語で構成される壮大な作品。「タイトルロールでありながら、どのお話も主人公は義経ではなくその周りに生きる人々。なかでもこの場面は、狐が主人公で、その狐が人間の姿に化けて言葉をしゃべるというところが面白いです。しかも描かれているのは狐ではあれど親子愛で、どの時代もどの人にも伝わるテーマ。また義太夫という、ナレーションを兼ねた音楽に乗った音楽劇的な要素もあれば、“ケレン”と呼ばれるあっと驚くようなアクロバット的な演出もあり、見どころが多い演目。物語のラストは、狐の視点で大団円を迎えるので観ていて爽快感がありますしね。また、物語の時代背景や前後のエピソードを知らずとも、このお話単体で楽しめるので、初めて歌舞伎をご覧になる方にはぴったりだと思います」【俊寛(しゅんかん)】孤島に残された俊寛の深い悲しみが胸に迫る。平清盛打倒の謀略で孤島に流された俊寛僧都、藤原成経、平康頼。侘しい島暮らしの中、成経は海女・千鳥を妻に迎えた。そんなおり島に赦免船が。喜ぶ彼らだったが、使者の瀬尾は千鳥の乗船を拒む。当惑する中、瀬尾から妻が清盛に殺されたと聞いた俊寛は絶望。瀬尾を討ち、その罪で島に残る代わりに千鳥を船に乗せるよう懇願。俊寛は、ひとり島から涙で船を見送る。徐々に遠ざかっていく船を見送る俊寛に注目です。「舞台の真ん中に大きな岩があって、浜辺があって、海が見えて、そこに突然大きな船がやってくる…。あえてリアルを追求せず、デフォルメされた大胆な構図のセットで歌舞伎をやるということに、驚く人もいるのではないでしょうか。終盤、どんどん潮が満ちていく中、ひとり岩の上に取り残された俊寛が、仲間が乗る船を見送るシーンがあります。このとき船は舞台上に出すことなく、俊寛を演じる役者の目線を通して、徐々に遠ざかっていく船の姿を想像させる演出になっています。セットと役者、そしてそれを観る観客の想像力を借りることで、孤島にひとり残された老人がこれから直面する現実の悲しさを強烈に印象づける、極めて演劇的な作品だと思います」それゆえ、俊寛を演じる俳優によって、作品の印象がガラッと変わってくるのも面白いところ。「この作品に限ったことではないですが、さまざまな俳優で比べて観られるのも歌舞伎の面白さです」【実盛物語(さねもりものがたり)】どんでん返しに次ぐどんでん返しで飽きさせない。平家全盛の世。平家の武将・実盛と瀬尾は源氏方の木曽義賢の妻が産む子の詮議に訪れる。そこに運ばれてきたのは源氏のシンボル・白旗を握る女の片腕。それは源氏方の娘・小万の腕で、元源氏方の実盛が平家に白旗が渡るのを恐れ切り落としたもの。小万の子・太郎吉が母に悪態をつく瀬尾に刃を向けると瀬尾は自らを討たせ、小万はかつて己が捨てた娘だと告白する。「そんなわけあるか!」と心の中でツッコんで(笑)。「物語の舞台が源平合戦の時代であったりするので、フォーマルな堅い演目のように感じるかもしれませんが、描かれているのは登場人物たちの心の話。ここに登場する武士たちは、みんなが庶民と何ら変わらないことを思っていて、我々と何ら変わらない行動を取るので、親近感を持ってカジュアルな気持ちで楽しんでいただける演目だと思います。また、切り落とした片腕を死体に繋いだら、死んだ人が息を吹き返すという馬鹿馬鹿しい展開もあるので、『そんなわけあるか!』と心の中でツッコみながら楽しんでいただければと思います(笑)。そしてもうひとつの見どころは、最後に出てくる馬。中に人が入っているんですが、結構大きく迫力があるので本物かと驚く方もいるはず。しかもちゃんと芝居をする馬で、尻尾を揺らしたりブルッと震えたりする仕草は結構リアル。その馬に実盛が乗りますが、高さも乗り心地もまるで本物みたいなので注目していただければ」おのえ・うこん1992年5月28日生まれ、東京都出身。清元節宗家の家に生まれながら、7歳から歌舞伎の舞台に立ち、名子役として評判に。2005年に二代目尾上右近を襲名。現在は、歌舞伎の舞台のほか、ドラマや映画、バラエティ、現代劇やミュージカルなど幅広く活躍。’15年からは自主公演『研の會』を主催し、数々の大役に挑戦。11月には歌舞伎座への出演も決まっている。※『anan』2023年10月4日号より。写真・小笠原真紀スタイリスト・三島和也(Tatanca)ヘア&メイク・西岡達也イラスト・momo構成、取材、文・望月リサ(by anan編集部)
2023年10月01日映画『碁盤斬り』が、2024年5月17日(金)に公開される。主演は草彅剛、監督は白石和彌。古典落語をベースにした本格時代劇『碁盤斬り』映画『碁盤斬り』は、古典落語として長く親しまれてきた「柳田格之進」をベースにした本格時代劇映画。愛する者を守り誇り高く生きる武士の尊厳と、ある冤罪事件により引き裂かれた男と娘、親子の情愛を描いた感動のリベンジエンタテインメントだ。主演・草彅剛が誇り高く生きる浪人に主人公・柳田格之進…草彅剛謂れのない嫌疑をかけられ、藩を離れた浪人。亡き妻の忘れ形見の娘とともに貧乏長屋で今日の米にも困る暮らしをしている。落ちぶれても武士の誇りを捨てない、実直な性格の持ち主。囲碁にもその人柄が表れ、嘘偽りない勝負をモットーにしている。あるきっかけで隠されていた真実が明かされたことにより、娘のために命を賭けた仇討ちを誓うことに…。演じるのは、映画『サバカン SABAKAN』や『ミッドナイトスワン』で主演を演じてきた草彅剛。白石和彌が“自身初の時代劇の主役に”と熱望したことにより、草彅と初タッグを組む。絹…清原果耶格之進の一人娘。冤罪事件の真相を知り、格之進に「復讐をしよう」と必死に訴える。仇討ち決行のため自らが犠牲になる道を選ぶ。このほか共演として、中川大志、奥野瑛太、音尾琢真、市村正親、斎藤工、小泉今日子、國村隼と実力派俳優が勢揃いする。監督は白石和彌メガホンをとるのは、映画『孤狼の血』や『死刑にいたる病』などで知られる映画監督・白石和彌。脚本は、映画『日本沈没』や『凪待ち』などを手掛けてきた加藤正人が務める。この2人のタッグにより、疑心と陰謀渦巻く中、堅物なヒーローが囲碁を武器に死闘を繰り広げる、愛する者を守ろうとする武士の誇りを描くリベンジドラマが誕生する。サイン入り碁盤や小道具展示、限定コラボメニューも5月8日(水)から5月31日(金)までの期間、東京・銀座の「ジョーカフェ(J_O CAFE)」にて劇中小道具や衣装の展示を開催。草彅剛、清原果耶、中川大志といった主要キャストのサイン入り碁盤や、映画で実際に使用された衣装、碁石、格之進の身を護った笠、刀といった品々を間近に目にすることができる。また、稲垣吾郎ディレクションによるカフェ「ジョーカフェ」および、イタリアンベースのレストラン「ビストロジョー(BISTRO J_O)」では、映画『碁盤斬り』をイメージしたコラボレーションメニューを提供する。「ビストロジョー」では、碁石の白と黒をスタイリッシュに表現した、黒トリュフ香るニョッキや伊勢海老の黒カレーを用意。一方「ジョーカフェ」では、大人の味わいに仕上げた和風の黒胡麻プリンや、竹炭パウダーを加えた濃厚チャコールラテを楽しめる。書き下ろし小説発売本作の脚本を担当している加藤正人による書き下ろし小説『碁盤斬り 柳田格之進異聞』は、2024年3月6日(水)に発売。小説ならではの登場人物の細かな心情の描写はもちろん、劇中でも登場する若き日の格之進の姿をより掘り下げたエピソード、映画のラストの“その後”も描かれるなど、脚本を担当した加藤ならではの内容に仕上げている。新宿駅西口で特大ビジュアル展示新宿駅の西口改札外通路では、4月15日(月)から5月26日(日)までの期間限定で『碁盤斬り』のビジュアル展示を実施。全9枚のビジュアルを組み合わせ、高さ約3メートル、横幅15メートルにわたる特大サイズとなっている。映画『碁盤斬り』あらすじ浪人・柳田格之進は、謂れのない嫌疑をかけられた上に妻も喪い、故郷の彦根藩を追われ、娘の絹とともに貧乏長屋で暮らしている。落ちぶれても武士の誇りを捨てておらず、とりわけ嗜む囲碁にもその実直な人柄が表れ、正々堂々と嘘偽りない勝負を心掛けているのだった。そんなある日、旧知の藩士により、悲劇の冤罪事件の真相を知らされた格之進と絹は、復讐を決意する。絹は仇討ち決行のために、自らが犠牲になる道を選び…。父と娘の、誇りをかけた闘いが始まる!【作品詳細】映画『碁盤斬り』公開日:2024年5月17日(金)出演:草彅剛、清原果耶、中川大志、奥野瑛太、音尾琢真、市村正親、立川談慶、中村優子、斎藤工、小泉今日子、國村隼監督:白石和彌脚本:加藤正人音楽:阿部海太郎配給:キノフィルムズ小説:『碁盤斬り 柳田格之進異聞』(文春文庫)■ジョーカフェ 小道具展示期間:5月8日(水)~5月31日(金)場所:ジョーカフェ住所:東京都中央区銀座2-4-6 銀座Velvia館 9F■コラボレーションメニュー期間:5月8日(水)~5月31日(金)場所:ビストロジョー/ジョーカフェ住所:東京都中央区銀座2-4-6 銀座Velvia館 9F〈ビストロジョー〉・GOBAN deニョッキ~黒トリュフと白いチーズクリーム ランチ 4,000円、ディナー 7,800円※コース料金+300円でセレクト可能・GOBAN deごはん~伊勢海老 黒カレー 3,800円 ※ディナーのみ、アラカルトとして提供〈ジョーカフェ〉・GOBAN de プリン 600円・GOBAN de ラテ (ホット / アイス)650円
2023年03月04日元宝塚歌劇団の瀬戸かずや、綾凰華が出演する朗読舞踊劇 Tales of Love「阿国-かぶく恋、夢の果て-」が東京・サンシャイン劇場にて上演される。日本古典の名作を「朗読×日本舞踊」 のコラボレーションで、朗読劇の枠を超えた、五感と想像力を刺激する新たな感動体験を届ける「朗読舞踊劇 Tales of Love」の最新作。シリーズ第2弾となる本作は、歌舞伎の始祖ともいわれる伝説の女性・出雲阿国と希代の傾奇者として名高い名古屋山三、そして阿国を支えた女形・三十郎の、三者三様の姿を濃密に描く恋物語だ。演出はシリーズ第一弾に引き続き、劇団「柿喰う客」の中屋敷法仁。主演の阿国役、その彼女を支える三十郎役をWキャスト&スイッチキャストで演じるのは元宝塚歌劇団瀬戸かずや、綾凰華。また稀代の傾奇者とされる名古屋山三役には、人気実力派声優として活躍する竹内栄治、土屋神葉、石谷春貴、高木渉が日替わりで出演。さらに卓越した表現力で、若手舞踊家のトップとして日本舞踊界を牽引する花柳幸舞音 、藤間涼太朗が舞踊を担う。公演は9月28日(水)から10月2日(日)まで東京・サンシャイン劇場にて。チケットは8月30日(火)よりチケットぴあにて抽選受付がスタート。一般発売は9月10日(土)10:00より。公演回事に配役、また出演キャストが異なる本公演、キャスト組み合わせ等は公式ホームページ等にて確認を。<ストーリー>一人の女芸人が、その踊りの才により頭角を表した。彼女の名は阿国。希代の傾奇者として名高い名古屋山三は、 駆け出しの阿国を見染め、共に風雅の芸を極める夢を見る。異なる二人の才能がぶつかり合い、新たな芸が芽吹き始めたその前夜、山三は家のため他家に仕官することになり、さらには武士としての義理を立てるため命を落としてしまう。人気も凋落し、傷心する阿国の元に残ったのは浮浪児から拾い上げ弟子として育てた少年、三十郎ただ一人。阿国は、三十郎を己と瓜二つの女役に仕立て上げ、己は男役として山三に成り代わり、濃密な男女の恋愛を描いたかぶき踊りを上演する。いつしかこのかぶき踊りは大評判となり、阿国は三十郎と共に各地を巡業する旅に出る。男として阿国を深く愛しながらも、師弟という関係を壊さぬよう、ひたすらに女形に徹する三十郎。一方、阿国は名声を得てもなお山三を忘れられず、その幻影に徐々に心を蝕まれていく――
2022年08月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵が2月25日、東京・東銀座の歌舞伎座で取材に応じ、3月5日から全国14ヶ所で上演する「市川海老蔵 古典への誘(いざな)い」への意気込みを語った。「伝統芸能を分かりやすく、多角的に味わっていただきたい」と海老蔵が企画した本公演。河竹黙阿弥の七五調の名せりふに彩られた世話物の人気狂言『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』にて、海老蔵が5年ぶりに弁天小僧を演じる。耳心地の良い音楽、色彩豊かな衣裳など、物語だけではない見どころ満載の人気演目だ。さまざまなフィールドで活躍を続ける海老蔵だが「土台は古典」と断言し、先代から受け継ぐレガシーに対し、厚い敬意と思い入れ。弁天小僧は若い娘に化けた男性という役どころで、「変化(へんげ)物に惹かれますね。『えっ』って純粋な驚きもありますし、動じず太々しい男の姿は美しいなと」。弁天小僧といえば「知らざあ言って聞かせやしょう」の名台詞でも知られ、「自宅で練習しているせいもあって、(息子の)勸玄も真似している」と目を細めた。また、劇中でともに躍動する日本駄右衛門、南郷力丸ら盗賊たちは「自分流の生き方を貫いている。彼らの姿からエネルギーのエッセンスを感じもらえれば」と魅力を熱弁。「どんな女性が出てくるか楽しみにしてもらえれば。最近、背がちょっと伸びたので、いかに小柄に見せられるか……」と笑いを交え、見どころをアピールした。「コロナ禍で稽古がしづらいのも、古典をやるチャンスが増えている理由。昨年9月、10月に続き『古典への誘い』に挑むにあたり、「世の中と同じで、当時の緊張感に比べると、少しゆるみが出てしまう可能性も。そこは不安材料なので、緊張感を持ち続けたい」と背筋を伸ばし、「(昨年の公演で)絆と仲間意識、そして助け合う気持ちを手に入れた。どの公演もつぶさず、感染者も出さずに、歌舞伎を待ち望んでいた皆さんに還元できたことで、信頼も得た」と誇らしげ。一方で「来てくださるお客さまを減らさざるをえない状況もあり、現実的にもっと考えないといけない」と鋭く指摘した。取材・文・撮影:内田涼公演情報市川海老蔵 古典への誘(いざな)い出演:市川海老蔵 / 市川男女蔵 / 中村児太郎 / 大谷廣松 / 市川九團次 / 片岡市蔵 / 市川右團次演目:一、『舞妓の花宴(しらびょうしのはなのえん)』長唄囃子連中二世藤間勘祖振付二、河竹黙阿弥 作『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』一幕二場浜松屋見世先の場稲瀬川勢揃いの場企画:市川海老蔵制作:株式会社3Top制作協力:全栄企画株式会社/株式会社ちあふる協力:松竹株式会社【石川公演】2021年3月5日(金)・6日(土)会場:石川県こまつ芸術劇場うらら 大ホール2021年3月7日(日)会場:金沢歌劇座【富山公演】2021年3月8日(月)会場: オーバード・ホール【神奈川公演】2021年3月10日(水)会場:神奈川県民ホール 大ホール【山梨公演】2021年3月12日(金)会場:YCC県民文化ホール 大ホール(山梨県県立県民文化ホール)【長野県】2021年3月13日(土)会場:まつもと市民芸術館 主ホール【神奈川公演】2021年3月14日(日)会場:相模女子大学グリーンホール 大ホール【東京公演】2021年3月16日(火)会場:文京シビックホール 大ホール【埼玉公演】2021年3月17日(水)会場:大宮ソニックシティ 大ホール【山口公演】2021年3月19日(金)会場:防府市公会堂【福岡公演】2021年3月20日(土)会場:北九州芸術劇場 大ホール【大分公演】2021年3月21日(日)会場:iichiko総合文化センター【宮崎公演】2021年3月23日(火)会場:宮崎市民文化ホール 大ホール【鹿児島公演】2021年3月24日(水)会場:川商ホール(鹿児島市民文化ホール)
2021年03月02日名画と呼ばれる映画は何年たっても色あせることがありません。特に、恋愛映画に登場するテクニックは今でも十分使えるものが多いのです。今回は、クラシカルな恋愛映画に登場する実践可能な恋のテクニックを紹介しましょう。「プリティ・ウーマン」に学ぶ「いい女」になるための努力プリティ・ウーマンは1990年に公開されたロマンティック・コメディ。大富豪と美しいコールガールの恋の行方にハラハラドキドキした方も多かったことでしょう。この映画の主人公のビビアン・ワードは、若く美しいのですが、教養がありません。でも、彼女は生まれや仕事を言い訳にせず、実業家のエドワード・ルイスに釣り合うよう、マナーを学びます。「努力が恋愛テクニック?」と思う方もいるかもしれませんが、「自分の為に努力してくれる人がいる」と知れば、相手はグッくることでしょう。しかも、映画のラストシーンで、ビビアンは学ぶことの大切さを知り、高校に通い直そうと決意してドアを開けると、エドワード・ルイスが迎えにくるのです。自分を成長させようとする努力が恋を実らせた、と示している訳です。なかなか二人の関係が進展せず悩んでいるなら、自分磨きの姿を相手見みせてはいかがでしょう?「ローマの休日」に学ぶ自然体の美しさローマの休日は、1954年に日本公開されたラブロマンスの傑作です。映画の中で二人は結ばれませんが、恋愛が成就するテクニックはたくさんちりばめられています。1つは、ヒロインが自然体であることです。ヒロインは一国の王女様ですが、休日を満喫している様子はどこにでもいる普通の女の子であり、新聞記者のジョーはそこに惹かれていきます。無理に背伸びをせず、ありのままの自分でいることが相手を一番惹きつけるといいことを、この映画は教えてくれるんですね。そして、映画のラストシーンで、ジョーは王女にふたりで取った写真を手渡します。これは、「王女のことを記事にしない」という約束を守ったということを現しています。それを見た王女は密かに涙を流します。二人は結ばれることはありませんでしたが、短い恋は生涯忘れられない思い出になることを予想される素敵なシーンです。約束を守るというのは、人として当たり前のことのように思えますが、恋愛でも重要なんです。恋をしているときは、相手との約束は必ず守りましょう。「フレンチ・キス」に学ぶ潔さフレンチ・キスは1995年に公開されたコメディタッチのラブロマンス映画です。この中で、主人公のケイトは別れた恋人を取り戻すため孤軍奮闘、アメリカからフランスまで渡るのですが、最後はあっさり身を引いてアメリカに帰ろうとしてしまいます。「ここまできて、引き下がるの?」と思うかもしれませんが、その潔さが別の幸せを運んで来て、映画はハッピーエンドで終わるんです。恋はなかなか思い通りにいかないもの。時には相手にすがってしまいたくなるときもあるでしょう。しかし、このときぐっと気持ちをこらえて潔い態度を取ることで、恋が成就することもあるのだとこの映画は教えてくれます。クラシックな恋愛映画のテクニックはさりげない「名画」と呼ばれるクラシックな恋愛映画に登場するテクニックはさりげないものが多いんです。直接的に相手の心を掴むというより、自分を高めることで相手が自分から目が離せなくなる、という感じですね。だからこそ、誰でも実践できやすくもあるので、ぜひまねしてみてくださいね。
2021年01月06日展覧会「古典×現代2020ー時空を超える日本のアート」が、東京・六本木の国立新美術館にて2020年6月24日(水)から8月24日(月)まで開催される。古典×現代作品で迫る日本美術の“豊かさ”「古典×現代2020ー時空を超える日本のアート」は、日本の古い時代の美術と現代美術を合わせて紹介することで、日本美術の豊かさと魅力を新しい視点から探る展覧会だ。古典と現代の作品計8組会場では、葛飾北斎や尾形乾山、伊藤若冲といった江戸時代以前の巨匠による作品を、しりあがり寿、皆川明、河内倫子といった現代日本を代表するクリエイターの作品と組み合わせた8組を展示。中には、横尾忠則や菅木志雄らの作品も登場する。世界観や主題、造形、制作方法など、時代を超えた共通点を探る。光をあてるのは“古き”と“新しき”の共通点だけではない。北斎を代表する〈冨嶽三十六景〉をもとに、ユーモアや社会批評的な視点を加えて再解釈したしりあがり寿の〈ちょっとおかしなほぼ三十六景〉など、インスピレーションやパロディを通して、過去の美術に現代的な息吹を注ぐ作家たちの姿にも焦点を当てる。デザインや陶芸など幅広く紹介また本展では、狭い意味での美術に限らず、多彩な分野に目を向け、日本の創造性の豊かさを横断的に紹介。近世以前からは、仙厓義梵の墨絵《円相図》や若冲の鮮やかな花鳥画《紫陽花白鶏図》といった絵画だけでなく、尾形乾山の装飾的な陶芸や、江戸時代の僧・円空が手掛けた木彫りの仏像などを展示する。一方現代のクリエイターは、ミナ ペルホネン(minä perhonen)のデザイナー・皆川明や、日本の新国立競技場コンペで出した“古墳スタジアム案”などで知られる建築家・田根剛をはじめ、美術だけでなく建築やデザインの領域からも選出されている。新作やインスタレーションもそうした現代のクリエイターが生み出す、新作や新しいインスタレーションにも注目。破天荒で大胆な作風で知られる江戸時代の絵師・曾我蕭白に着想を得た新作を出品する横尾忠則をはじめ、古典作品に多彩なかたちで応答する現代作家の世界に触れることができる。展覧会概要展覧会「古典×現代2020ー時空を超える日本のアート」会期:2020年6月24日(水)〜8月24日(月)※当初3月11日(水)〜6月1日(月)の開催を予定していたが変更会場:国立新美術館 企画展示室2E住所:東京都港区六本木7-22-2休館日:毎週火曜日開館時間:10:00〜18:00※入場は閉館の30分前まで観覧料:一般 1,700円(1,500円)、大学生 1,100円(900円)、高校生 700円(500円)、中学生以下 無料※( )内はおよび20名以上の団体券※障害者手帳を持参の方(付添1名を含む)は入場無料※都合により掲載作品が出品できない場合あり※会期中、一部作品の展示替えあり※最新情報は公式サイトを確認【問い合わせ先】TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
2019年12月16日昭和50年から、多くの古典芸能ファンに親しまれてきた「第46回NHK古典芸能鑑賞会」が、今年も東京・渋谷のNHKホールで開催される。日本の伝統芸能の各ジャンルを代表する方々の出演で、一夜限りの贅沢な舞台が繰り広げられる。【チケット情報はこちら】幕開きは箏曲で宮城道雄作曲の「越天楽変奏曲」。昭和3年、昭和天皇即位の大典の奉祝曲として作られた大合奏曲だ。雅楽の「越天楽」を主題にしており、令和に改まった年に相ふさわしい作品を、牧瀨裕理子ほか宮城合奏団の演奏で堪能できる。続いて、舞踊・清元「四季三葉草」。「式三番叟」を「四季三葉草」ともじった題名にし、四季の草花を詞章に詠み込んだ曲で、歌詞は「とうとうたらり」や「おおさえおおさえ」など、「三番叟」の定型句に、さまざまな草花をあしらい、洒落のきいたものだが、舞踊としては、ほかの「三番叟物」同様、品格を保った御祝儀的色彩の濃い作品となっている。今回は、芸術院会員の花柳壽應の翁、花柳壽輔の三番叟、花柳ツルの千歳という配役にて、素踊りで演じられる。次は、大蔵流の狂言「髭櫓」。新天皇が即位した際に行われる大嘗会にまつわる、夫婦の喜劇だ。立派な髭ゆえに大嘗会の犀の鉾の役を任された夫だが、妻と夫婦喧嘩となり、怒った妻は近所の女たちに加勢を頼み、夫の髭を剃ってしまおうと計画する。人間国宝の山本東次郎演じる夫を中心に、おおらかな笑いが繰り広げられる。そして最後は、文楽座特別出演による歌舞伎「義経千本桜・川連法眼館の場」で締めくくる。狐が親を思う情愛を描いた名作「川連法眼館の場」は、人形浄瑠璃文楽を先行作品として歌舞伎で繰り返し上演されているが、今回は一夜限りの豪華な舞台として、歌舞伎俳優と文楽座の共演が行われるのが、大きな話題だ。次々と大役を勤め、芸域を広げる尾上菊之助の忠信、立役・女方ともに芸を極める中村時蔵の義経に、文楽太夫の最高峰、豊竹咲太夫の浄瑠璃、華麗な撥さばきをみせる鶴澤燕三の三味線という配役が見どころだ。取材・文:七海友信
2019年08月20日ロエベ(LOEWE)より限定古典小説セット「ロエベ クラシックス(LOEWE Classics)」が登場する。普遍的に愛される古典から学べることや、本を読む時間の大切さ、本を読む姿の絶対的な美しさを称えたプロジェクトの一環として登場する「ロエベ クラシックス」では、ロエベのクリエイティブ ディレクターであるジョナサン・アンダーソンによって選ばれた6冊の古典小説をセットで販売。ラインナップには、エミリー・ブロンテによる悲劇『嵐が丘』や、15世紀のスペインで生まれた名作『ドン・キホーテ』などの名作が並ぶ。全ての本は布で装丁され、帯にはロエベの数々のヴィジュアルの撮影を担当してきた写真家スティーブン・マイゼルの過去のファッションエディトリアルからピックアップしたフォトグラフを使用。また、オリジナルデザインのスペシャルボックスに6冊を収納することで、インテリアとしても存在感を発揮してくれる。【詳細】ロエベ クラシックス販売店舗:ロエベ銀座、カサ ロエベ表参道店、公式オンラインサイト「LOEWE.COM」価格:74,520円(税込)<古典小説一覧>(括弧内は表記言語)『嵐が丘』(英語)、『ドン・キホーテ』(スペイン語)、『ドラキュラ』(英語)、『ドリアン・グレイの肖像』(英語)、『ボヴァリー夫人』(フランス語)、『闇の奥』(英語)
2018年08月27日サラ・ベルナール、ヘレン・ミレンといった世界の名女優が演じてきた古典劇『フェードル』に、大竹しのぶが挑む。演じるのは、義理の息子への破滅的な想いに身を焦がす女性だ。その激情をいかに表現し、今に何を伝えるのか。大竹の言葉に、古典だから味わえる面白さがあることが、早くも見えてきた。舞台『フェードル』チケット情報これまでにギリシャ悲劇やシェイクスピア劇を経験してきた大竹にとっても、古典は久しぶりとなる。持ちかけたのは、数々の賞を獲得した『ピアフ』などでタッグを組んでいる演出の栗山民也。「普通に劇場で準備してるときに、いきなり、『古典やろうよ』と言われて(笑)。私もずっとまたやりたいなと思っていたので、ぜひという感じでした」。古典劇に惹かれるのは、そこに「演劇の原点がある」と感じるからだ。今回の『フェードル』も同様である。「書かれている台詞の言葉に力があって、愛はとことん愛、憎しみはとことん憎しみ、というふうに中途半端なことがないんです。それだけのエネルギーを持った言葉を発するにはやはりこちらも強くないと。だから演劇の原点だなと想いますし、『フェードル』はとくに、登場人物それぞれが自分の発した言葉に翻弄されていくところが、すごく面白いなと思うんです」。『フェードル』は、17世紀のフランスの劇作家ジャン・ラシーヌが、ギリシャ悲劇『ヒッポリュトス』から題材をとって創り上げた作品。国を出たまま行方不明となっている王(今井清隆)を夫に持ちながら、義理の息子(平岳大)への思慕に狂わんばかりのフェードル。ついにその恋心を告白するも、王が突然帰還し、さらに息子には別に思う娘(門脇麦)がいることがわかり、運命は悲劇へと向かっていく。「改めて、人間って昔も今も何ひとつ変わっていないんだなと思います。たとえば不倫の恋をしてしまうこともそう。それを、“私はもう死んだほうがいい。死ぬの、死ぬの、死ぬの!”というふうに激しく描かれているので、きっと笑えると思うんですね。古典といっても難しい話ではなく、まさに今の私たちと同じ人間の話であって。人間って本当に愚かだなって笑ってもらえればいいなと思います」。演じる側としても古典は「アドレナリンがどんどん出てきて楽しい」ときっぱり。「だから、そのエネルギーを、たとえば闘牛を観て興奮するのと同じような感覚で観てもらえればいいなと(笑)。それぐらいエネルギーが放出されている舞台にしたいと思います」。人間が本来持つ激烈を見せつけられることで、生き方をも揺さぶられるかもしれない。公演は4月8日(土)から30日(日)まで東京・シアターコクーンにて。その後、新潟、愛知、兵庫を巡演。取材・文:大内弓子
2017年02月27日NHK出版は10月24日・25日にかけて、全国の20代~60 代の男女を対象に「好きな古典」と「読みたい古典」の調査を実施した。有効回答数は215。同調査は11月1日の「古典の日」に合わせて実施したもの。古典の日は、国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするために、2012年9月5日に設けられた。まず「あなたの好きな古典は何ですか?」と尋ねたところ、1位は「源氏物語」、2位は「徒然草」、3位は「奥の細道」だった。男女別に見ると、女性は日本の現存する最古の和歌集「万葉集」や日本最古の物語「竹取物語」、男性は日本最古の歴史書「古事記」や「太平記」が人気のようだ。「読みたい古典は何ですか?」という質問でも、源氏物語は1位。2位の「日本書紀」に大きく差を付け、圧倒的な人気をみせた。上記の「好きな古典」で上位に入った「徒然草」は3位、「奥の細道」は4位。女性が読みたい古典の2位には「万葉集」「徒然草」を抑え、「雨月物語」がランクインした。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月31日例えば、「初めてのデートでは、絶対にお泊りはダメ!」。…聞き古された言葉ではあるが、恋愛において長いこと言われてきた、いわゆる“古典的法則”は、思っている以上に効果的だったりする。その法則の共通点は全て、男性側が思わず「結局、俺のことどう思っているのだろう?」と気になってしまうように仕向けること。つまり恋愛を成功させるには、“妄想させる女になる”ことが肝心なのだ。「古典的法則その1」では、初デートで男性をより惹きつけるポイントについて考えてみたいと思う。■01.初デート、好印象の下地作りは“夜スタートで短時間”知り合って日が浅いうちのデートは、良くも悪くも相手に気を使うため、長時間一緒にいると疲れてしまうことが多い。例えば遊園地やドライブは、全てのスケジュールが上手く進めばいいけれど、人ごみ・行列・渋滞…と不確定要素が多く、イライラしてしまうことや、会話が持たない可能性が高くなる。それらを考えると初デートに限っては、無難だが、やはり“夜スタートのお食事デート”がベストだと言える。一緒にいる時間をストレスなく、楽しく過ごせる可能性が高くなることに加え、「もう少し一緒にいたいなぁ」とお互いが物足りなさを感じるくらいの方が、次回のデートにもつながりやすい。■02.“物足りなさ”を与え、“また誘いたくなる女”になる食事の後、2軒目にバーへ…なんていうのも素敵な流れ。特に話が盛り上がった日には、お互いうれしさと期待で気持ちも高揚し次へ行きたくなる。ただ、ここで肝心なのが「引き際」なのだ。初デートでは、きちんと帰ることが重要。しかも、できる限り電車があるうちに!“もうすぐ終電だ…どうしよう、彼はどうするつもりだろう…”のドキドキは、せめて2回目以降にとっておきたいもの。キスは3回目、お泊りは5回目以降…と、あまりに細かく「恋愛マニュアル」的なものに従う必要はないが、「初デートでは、電車のあるうちに帰る」は、守った方が良い法則のひとつなのだ。男の人は誰でも手に入るものには重きを置かないし、すぐに飽きてしまう。「え、帰っちゃうの」「まだ一緒にいたかった」と思わせ、「どうして帰ったんだろう」「次はどうしよう」と“妄想”させ、また誘わせること。特に恋愛においては、男性に“物足りなさ”を感じさせることが非常に大切だ。「そんなの当たり前」とこれが普通にできている人は問題ないが、初デートでつい朝まで過ごしてしまうことが多いという人ほど、恋人になってからはもちろん、付き合う前から「好きな相手に振り回されてしまう」と悩んでいることが多い。男性に、“苦労して手に入れた”という実感を与えてあげられるのも、いい女の証。恋人募集中の人は、まずは自分の初デートの傾向と引き際について、改めて振り返ってみては?!目指すのは“妄想させるオンナ”。試してみて。次回は、「気になる彼と連絡が続く●●なメールとは?(古典的法則その2)」。お楽しみに。(Sahyu)
2012年02月15日