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スタジオジブリのアニメーション映画『火垂るの墓』が、2025年7月15日より、動画配信サービス『Netflix』で独占配信されることが決定。国内での配信は初ということで、注目が集まっています。『火垂るの墓』がネトフリで国内配信へ1988年に公開された同作。直木賞受賞作家である野坂昭如さんの短編小説を、スタジオジブリの高畑勲監督が映像化した作品です。野坂さんの実体験をもとに描いた『戦争の悲惨さを訴える作品』として、国内外から注目を集めており、多くの人の心に刻まれている作品ともいえるでしょう。2024年9月には『Netflix』にて、海外での配信が開始。日本国内での配信を望む声が多数上がっていました。(C)野坂昭如/新潮社, 1988国内での配信が決定したことについて、映画の著作権を持ち、原作小説を刊行している新潮社コンテンツ事業室の矢代新一郎室長は、以下のように思いを述べています。夏が来る度に見ようと思う、そして誰か大切な人に勧めたくなる。今や、世界中でそんな評価を得ているようです。あの日から80年も経つのに、未だ戦火がやまない時代にあって、国籍、人種、民族問わず多くの方々の心にじわりと染み渡っていることを、嬉しく思います。『火垂るの墓』の国内配信が決定したことが明かされると、ネット上でも大きな話題に。さまざまな反応が上がっています。・ぜひ、若い世代の人たちに観てほしい。観たことがない人もいるんじゃないかな。・何度観ても胸が苦しくなる内容だけれど、最高傑作であることは間違いないと思う。・『Netflix』で観られるのは嬉しい。『火垂るの墓』以外の作品も配信されたらいいな。・配信されたら、必ず観る。戦争について考えるきっかけになると思う。・絶対に一度は観るべき。もう一度観たいという気持ちにはなれないけれど…。観るか観ないかの選択は、自由です。あまりに悲痛な物語に、心が苦しくなって、涙を流す人も多いといわれています。それでも、同作が配信という形で広がるのは、平和の尊さを後世に伝えていくためにも、大切なことだといえるでしょう。同作の配信をきっかけに、戦争や平和について考える人が、増えていくかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2025年05月15日竹野内豊主演『雪風 YUKIKAZE』より特報映像と3種類の第1弾ポスタービジュアルが解禁された。太平洋戦争時に活躍した駆逐艦の実話を基に、ほぼ無傷で終戦を迎えた「雪風」の知られざる史実を描く本作。この度特報が解禁。「雪風」艦長が「今、我々の役目は、一人でも多くの命を救うことです。『雪風』はずっとそうしてきました」という象徴的な台詞にある通り、戦うために出撃しながら、最後は必ず人を救い、還ってくる。さらに戦後は武装を解いて「復員輸送船」としての航海を続け、外地に取り残された人々、約13,000名を日本に送り届けた。「雪風」艦長・寺澤一利役の竹野内豊、先任伍長・早瀬幸平役の玉木宏、若き水雷員・井上壮太役の奥平大兼ほか、戦火に立ち向かう乗員たち。早瀬の妹・サチ役の當真あみ、寺澤の妻・志津役の田中麗奈、志津の父・葛原芳雄役の益岡徹、帝国海軍軍令部作戦課長・古庄俊之役の石丸幹二、そして、実在した第二艦隊司令長官・伊藤整一役の中井貴一。豪華キャスト演じる登場人物が次々と映し出される。主題歌は、シンガーソングライターのUruが書き下ろした「手紙」。Uruは「遠い昔を生き現代の私たちに時代を繋いでくださった方々への感謝や、自分の家族や経験に想いを重ねながら作った楽曲」であり、「何気ない日々をより大切に大切に生きようと思わせてくれたこの作品に、寄り添うことのできる曲になってくれたら嬉しい」とコメント。主演の竹野内も、Uruの主題歌に対して、「『つなぐ』という言葉が胸に響きます」、「命は奪うものではなく、つなぐもの。そのような真心あるメッセージが、Uruさんの優しい歌声と共に、多くの人々の心に届きますよう願っております」とメッセージを寄せた。併せて解禁された第1弾ポスタービジュアルは3種類。「たった80年前、海は戦場でした。」、「生きて帰る。生きて還す。」、「必ず、この海から救い出す」それぞれのコピーとともに、本作を象徴的に表したビジュアルとなっている。コメント全文Uru(主題歌)この『雪風 YUKIKAZE』という作品を通して、今日私たちが日常生活を送れていることは決して当たり前ではないということや、自分がここに生きていられるのは、先人たちが繋いできてくれた命や生活があるからなのだと再認識しました。「手紙」は、この作品を契機に、遠い昔を生き現代の私たちに時代を繋いでくださった方々への感謝や、自分の家族や経験に想いを重ねながら作った楽曲です。何気ない日々をより大切に大切に生きようと思わせてくれたこの作品に、寄り添うことのできる曲になってくれたら嬉しいです。竹野内豊(主演)Uruさんの「手紙」に綴られた「つなぐ」という言葉が胸に響きます。先祖代々長い歴史の中で、大切に受け継がれた命。命は奪うものではなく、つなぐもの。そのような真心あるメッセージが、Uruさんの優しい歌声と共に、多くの人々の心に届きますよう願っております。『雪風 YUKIKAZE』は8月15日(金)より全国にて公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:雪風 YUKIKAZE 2025年8月15日より全国にて公開©2025 Yukikaze Partners.
2025年04月22日今年台湾で、太平洋戦争末期に日本に徴兵されて東南アジア戦線に送られた台湾人日本兵の運命を描いたドラマ「聴海湧」(日本語タイトル:「波の音色」)が放送されて話題を呼んだ。戦争という深刻なテーマを扱った作品ながら、ネットには「一気に見た」「涙が止まらない」という感想があふれ、「今年最高の台湾ドラマ」とそのクオリティを評価する声も多い。評判を聞き、主人公らに過酷な運命を強いた日本人としては複雑な気分になることも覚悟して視聴したところ、どんな立場の登場人物も表面的に描くことのない内容に驚いた。5話というミニシリーズながら、サスペンスの要素も盛り込みつつ、一気に見せるストーリーテリングも秀逸だ。どうしてこんな作品づくりが可能だったのか? 台湾で開かれた「TCCF クリエイティブコンテンツフェスタ(Taiwan Creative Content Fest)」取材の機に、本作の孫介珩(スン・ジエホン)監督にインタビューを実施。お話から見えてきたのは、歴史、戦争、アイデンティティーというセンシティブなテーマに正面から向き合い、ドラマで自分たち台湾人の物語を語ろうという姿勢。日本でも、過去を語り継ぎ未来につなげるために映像作品で何ができるか、考えるきっかけになるマスターピースではないだろうか。きっかけは表情の読めない台湾人の写真孫介珩監督――「聴海湧」の主人公は、日本軍に徴兵されてボルネオに送られ、捕虜の監視員となる台湾人日本兵の三兄弟。彼らは思いがけず虐殺事件に巻き込まれ、戦犯として裁かれることになります。台湾人、日本人、戦犯を裁くオーストラリア人、中華民国の外交官、さらにボルネオの原住民に至るまで、どの立場のキャラクターについてもしっかり調べて描き込まれたことが分かるすばらしい作品だと思いました。まず、このドラマを製作したきっかけから教えてください。孫介珩監督(以下、孫)台湾では、中学、高校の歴史の授業で台湾光復(日本による統治が終了し、中華民国の統治下に入ったこと)について学ぶ時、必ず目にする写真があります。台北の中山堂で、日本と中華民国が降伏文書を取り交わしている場面です。写真を見て、戦争に負けて降伏する日本人がつらかったのは想像できます。向かいにいる中華民国の代表は当然、うれしかったでしょう。8年におよぶ戦争の末、台湾を取り戻したのですから。しかし、彼らの背景に写っている、式典の参列者はどうでしょう? ぼやけていて表情は分かりません。笑っているのか、泣いているのか、想像もできません。その日、式典に参列するまで、彼らは日本人でした。式典が終わって中山堂を出た時には、中華民国の国民になっていた。国籍も、身分も、社会で使用する言語も、法律や制度も、すべて変わってしまったのです。でも、人は簡単に変われない。何もかもが急に変わってしまったあの時、台湾人は何を思い、どんな経験をしたのか?彼らのどんな思いが、その後数十年にわたって続く台湾人のアイデンティティーの問題につながっていくのか、とても興味が湧きました。――ドラマの構想を練り始めたのはいつ頃ですか?孫5年前、VRのイベントに参加するため中山堂に行った時です。建物の保存状態がよく、学生の頃にここの写真を見たことがあると思い出しました。第二次世界大戦後の世の中の変化に、台湾人はどのように直面したのか?中山堂に立ち、あらためてそれを考えたことが、このドラマを作るきっかけになりました。いろいろな資料を読むと、さまざまな職業の人が、この頃、どんな変化を経験したのか書いてありました。たとえば作家は日本語から華文へと使う言語を変えなくてはいけなかった。庶民も同じで、異なる背景を持つ台湾人が、それぞれ異なる変化の問題に直面していました。その中に、非常に珍しい職業がありました。それが台湾人日本兵です。中には、捕虜の監視員をしていた者もいた。それがこのドラマの主人公です。戦争が終わった時、彼らはほとんどが外国、つまり東南アジアにいました。そして捕虜の監視員たちは、戦時中に日本軍の命令で捕虜を監視・虐待したため、そのまま現地で戦争犯罪に問われたのです。東南アジアで開かれた裁判は、すべて英語で進められました。日本人の弁護士は日本語を話しましたが、英語も日本語も台湾人日本兵にとって母語ではありません。台湾語で自分を弁護することは不可能でした。しかもその時、彼らの国籍は日本なのか中華民国なのか分からないという異常な状況でした。これは極端なケースですが、なぜ台湾人の間でアイデンティティーの問題が生まれ、今日に至るまで長い間議論されているのか、ドラマという形で視聴者に理解してもらうには、いい例だと思いました。ドラマで“台湾の物語を語る”意義――歴史ドラマ、特に戦争を扱ったドラマは、台湾でも人気のジャンルとは言い難いと思います。資金集めなど企画段階で苦労はありませんでしたか?孫資金集めは確かに大変でした。まず、題材が特殊です。しかも、台湾人のアイデンティティーという、現在でも議論を呼ぶテーマを扱っている。この問題を語りたくない人たちが出資してくれることはありません。次に、コストのかかる歴史ドラマ、しかも戦争ドラマであるということ。この2つの理由で、資金を回収できるのか不安を覚えた人は多かったと思います。キャスティングについても、三兄弟は10代から20代の若い俳優に演じてもらいたかったのですが、この年齢層で実力のある俳優は台湾には少ない。かといって年齢層を上げて名のある俳優を起用するつもりはなかったので、出資者を見つけるのは簡単ではなかったのですが、なんとか公共電視(台湾公共テレビ)に出資してもらえることになりました。第二次世界大戦後、台湾では戒厳令が布かれたため、その後、数十年にわたって台湾人日本兵の話を語ることができなくなりました。しかも、台湾で教えられる第二次世界大戦の歴史は、中華民国の立場から見た歴史――つまり中国大陸における抗日戦争の歴史だったのです。台湾に50年におよぶ日本統治時代があったことは、何世代にもわたって台湾の人々が記憶している事実であり、戦時中20万人もの台湾人が戦場へと動員されましたが、数十年もそのことを語ってはいけなかった。特に、戦争経験のある台湾人日本兵たちは、生き残って台湾に帰っても経験を語ることはできず、当時の国民党政府に管理されました。軍事訓練を受けた者が行動を起こすことを恐れたためです。「第二次大戦中、日本人のために戦った」などと言うことは、もっと不可能でした。1990年になってやっと、中央研究院や学者たちが生き残った台湾人元日本兵を訪ね、急いで当時の出来事を記録し始めましたが、すでに長い年月が過ぎて記憶も細切れになっています。このドラマのスタッフたちの中にも、祖父母の世代は家で当時のことを語ったことがないという人が多かったですね。あえて語らなかったのです。でも、何があったのかを知りたいという理由で、製作に参加してくれた人も多くいました。台湾ではいわゆる教育改革を経て、台湾の歴史、地理、社会が教科書に記載されるようになりました。私はそんな教育を受けた第一世代です。大人になり、台湾で起きたことを作品として語るべきではないか、第二次世界大戦や、過去の歴史に対する認識をもっと多様にするべきではないかと思ったのです。――何十年も語ることができなかった話だということでしたが、公共電視が出資したというのは、そのような題材を扱う作品であることが評価されたからでしょうか?孫確かにそういう面はあると思います。公共のテレビ局として「聴海湧」のようなドラマをサポートし、異なる立場、異なる考えを示すことで、国民に自分と違う立場の人がどんな考え方を持っているのか理解しようとしてもらおうという考えから、最終的に出資しようと考えてくれたのだと思います。立場の違う人々の視点を大切に描く――公共電視の公式サイトで公開されていたこのドラマのメイキング・ドキュメンタリーを見たのですが、脚本家をはじめ、スタッフが若くて驚きました。皆さんで日本語の書籍を調べたり、専門家の方に話を聞きに行ったりするなどして、脚本執筆に取り組む様子が収められていましたね。脚本開発の過程について教えてください。孫脚本執筆には、調査や資料探し、専門家への取材も含めて3年かかっています。時間をかけたのは執筆以上に、そこに取りかかるまでの準備でした。台湾人の視点だけで語りたくはなかったからです。台湾人の口述、回顧録はもちろん大事な史料ですが、オーストラリアの裁判所を尋ね、当時の台湾人や日本人の戦犯に対して行われた裁判の記録を読みました。日本やオーストラリアの戦争の記念館、ボルネオの森、原住民の集落など、物語と関係のある様々な場所に赴きました。できるだけ違う立場の人々から話を聞き、史料を集め、それらを検討してドラマのストーリーとして描けそうな内容を選び出したのです。――膨大な材料の中から、全5話にストーリーをまとめるのは大変な作業だったと思います。必ず語りたかった軸は何でしょうか?孫一番大事にしたのは、もちろん主役の三兄弟の運命です。「主人公は1人でいいじゃないか」「1人にフォーカスしたほうがイメージしやすい」という意見もあったのですが、当時の台湾人の姿は1種類ではありませんでした。3人の中で一番年長の新海輝(しんかい・あきら)は小さい頃から日本人に囲まれた環境で育っているので、日本に対する親しみが強いという設定。歴史的に台湾には、彼のような人が大勢いました。ドラマでは、輝の父親は日本人が経営する製糖工場で働いており、そこで育った輝は、いつか自分も本物の日本人になりたいという気持ちを持っているという設定にしました。一番年下の木徳(きとく)は、家が貧しかったという単純な理由で従軍を志願した設定です。当時の台湾の水準に比べてかなり高給だったうえ、政府は連戦連勝だと宣伝していたため、危険も少ないと考えた。真ん中の志遠(しおん)は少し特殊で、好きな女性が日本人だったために志願したという設定です。娘が台湾人と一緒になることを望まない彼女の家族に自分を証明したいという個人的な理由で志願します。国のため、家族のため、誰かのため。3人を主役にすることで、当時の台湾の若者の姿を反映させることができました。そして最後に伝えたかったのは、どんな劣悪な環境でも、信念を持っていれば、人は善良さを保つことができるという願いです。――毎話エンディングにかけて緊迫感が増し、どんどん次のエピソードが見たくなりました。演出やストーリーテリングの部分でこだわったことはありますか?孫おっしゃった緊迫感というのは、脚本の段階で工夫した面もあるのですが、俳優たちの演技が担った部分が大きいと思います。田中という日本軍指揮官を演じた塚原大助さん、弁護士の渡辺を演じた松大航也さんは、日本から来て出演してくださった俳優です。撮影現場では、私はカットをかけるたび「どう思う?」「どうだった?」と聞き続けました。監督1人の視点で作り上げた役を演じるのではなく、俳優も一緒に役を作ってもらいたかったからです。このドラマには、日本人、台湾人、オーストラリア人など、さまざまな人が登場しますし、立場が全員違います。私はこの作品を、俳優の口をとおして監督の思いを語らせるようなドラマにはしたくありませんでした。印象深かったのは、最後の法廷シーンの撮影です。26分間ワンカットで撮影したのですが、最後には俳優たちが皆、泣いていました。その後、皆さんがおっしゃっていたのは、1つの法廷の中でお互いが影響し合う、演技の魔法のようなものを感じたそうです。――このドラマを見て一番印象深かったのは、どの立場の人物の主張も、それぞれ筋が通っていると感じられたことでした。孫それが脚本執筆の段階から、視聴者に伝えたかったことです。戦時下では、多くの人がやむを得ない状況に追い込まれていました。日本軍の指揮官として、上層部の命令に従うしかなかったという言い分も正しい。大勢の仲間が捕虜となって殺害されたのだから、オーストラリア人が監視員たちを恨むのも正しい。では、台湾人はどうだったのか?何か間違ったことをしたのだろうか?俳優ひとりひとりが自分の役に入り込んで演じてこそ成立する場面だったと思いますし、やり場のない感覚に、視聴者も胸がしめつけられたと思います。主演俳優が1か月東京に滞在“日本の社会で暮らす台湾人”を体験――メイキングのドキュメンタリーを見ると、三兄弟を演じた3人は、日本で語学などのレッスンなどを受けていらっしゃったようですね。孫撮影が始まる前、1か月間、東京の狛江に滞在してもらいました。結構な出費になるので、行かせる価値があるかどうか何度も話し合いましたが、劇中の5分の3から5分の4は主役である彼らが話す場面でした。もちろん、植民地である台湾と内地の差はあるとはいえ、学校でも家の外でも使っていた言葉は日本語。丸暗記しただけのたどたどしい日本語ではよくありません。少なくとも、俳優たちには自信を持ってセリフを言ってほしかったので、東京で生活しながら先生のもとで学んでもらうことにしました。現在の狛江と80年前の台湾は全然違いますが、日本の社会で暮らす台湾人の感覚を体験してほしいという狙いもありました。ちょうどコロナ禍が終わったばかりで、航空券も宿も安いいいタイミングでした。とても価値のある投資だったと思っています。――日本では台湾旅行や台湾の食べ物などが大人気です。交流が盛んになるのは喜ばしいことですが、どんな歴史の延長線上に今の台湾と日本があるのか、知らない人が増えていると感じます。このドラマが日本でも視聴できるようになり、改めて歴史を知るきっかけになればいいと思います。孫台湾人の話ではありますが、日本軍の指揮官、弁護士などを通して、当時の日本人の戦争に対する見方をある程度は盛り込んだつもりです。今、台湾と日本はとても友好的な関係にあり、観光も好調ですし、文化交流も盛んです。80年前はどうだったのかというと、双方の関係はもっと特別で、戦線では同じ側で戦っていました。その後、歴史の流れで分かれてしまいますが、当時の台湾と日本の関係が現在とどのように違うのか、ぜひドラマを見ていただければと思います。――最後に、あらためて日本の読者にメッセージをお願いします。孫戦争とは、人類の社会における極めて異常な災難です。戦争を経験した人々の深い悲しみを鎮めるには、何世代にもわたる長い時間がかかります。第二次世界大戦のあと、台湾ではそれまで違う陣営にいた人々が努力して1つの島で生きてきましたが、戦争によって生まれたアイデンティティーの問題は、今なお激しい議論を呼ぶテーマです。そこで、聞かずにはいられません。日本ではどうでしょうか? あの戦争は今日の日本の社会に何を残しましたか? 原因について、過程について、結果について、戦争経験者とその子孫たちについて。「聴海湧」には異なる経歴を持つさまざまな人物が登場します。日本の皆さんにも、その中に、ご自身の家族の物語を見つけていただけたらと思います。現時点で「聴海湧」の日本における放送・配信は未定であり、プラットフォームを探している最中とのこと。また、台湾では劇場で全5話を一気に鑑賞するマラソン上映が「没入感がある」と観客に好評とのことで、終戦から80年となる来年2025年に日本で同様の企画上映が実施できないかどうか、劇場や美術館など関心を持ってくれる上映施設とのコラボレーションを希望していると語ってくれた。孫介珩監督プロフィール歴史学の学士号と政治学の修士号を取得し、修了後はニューヨークで映画制作を学ぶ。2019年にドキュメンタリー「恁」、2020年に短編映画「第一鮪」を発表。後者は新人の育成を目的にした短編映画賞「金穂奨」で最優秀脚本賞を受賞、台北映画祭で最優秀短編映画賞と最優秀助演男優賞にノミネートされた。(新田理恵)
2024年12月15日映画『雪風 YUKIKAZE』が、2025年8月15日(金)に全国公開される。主演は竹野内豊。太平洋戦争中、戦場を支えたある1隻の船映画『雪風 YUKIKAZE』で描かれるのは、平和な海がかつて戦場だった時代。太平洋戦争の渦中から戦後、さらに現代へと繋がる激動の時代を背景に、懸命に生き抜いた人々の姿とその運命を壮大なスケールで描き出す。小型の駆逐艦「雪風」にフォーカスタイトルの「雪風」は、太平洋戦争中に実在した一隻の駆逐艦の名。駆逐艦とは、「大和」や「武蔵」といった誰もが知る戦艦に比べると遥かに小型だが、軽量で小回りが利く分、艦隊の前線に躍り出て魚雷戦を仕掛け、戦いの先陣を切る役目を担っていた。しかし、太平洋戦争ではその機動性ゆえ、戦闘や護衛に加えて兵員や物資の輸送、上陸支援、沈没艦船の乗員救助などに駆り出され、“海軍一の働きもの”や“海の何でも屋”として活躍、そして消耗していった。主力だった甲型駆逐艦38隻のうち、ほぼ無傷で終戦を迎えたのは「雪風」ただ一隻だったという。主演・竹野内豊が「雪風」の艦長に映画『雪風 YUKIKAZE』では、竹野内豊が演じる「雪風」の艦長・寺澤一利を主人公に物語を展開。様々な資料や史実を基に生み出されたオリジナルキャラクターの寺澤は、いわゆる一般的な軍人像とは一線を画す、澄み切った人間性の持ち主だ。そんな寺澤が戦場となった海を前にどう生き抜くのか、彼の勇姿に注目したい。映画『雪風 YUKIKAZE』登場人物/キャスト主人公・寺澤一利…竹野内豊「雪風」艦長。絶えず冷静に指示を下し、時には型破りな判断で激戦をくぐり抜ける。早瀬幸平…玉木宏下士官・兵を束ねる「雪風」の頼れる先任伍長。荒っぽい駆逐艦乗りたちの兄貴分として、熱くなると艦長にさえ物申すことも。井上壮太…奥平大兼「雪風」の若き水雷員。ミッドウェイ海戦において、沈没した巡洋艦から海に投げ出され、「雪風」に命を救われた乗員の1人。その後「雪風」乗り組みとなり、早瀬の部下となる。早瀬サチ…當真あみ幸平の妹。歳の離れた兄の無事を祈りながら懸命に生きる少女。寺澤志津…田中麗奈一利の妻。幼い1人娘を育てながら、「雪風」の艦長である夫の帰りを毅然とした態度で待ち続ける。伊藤整一…中井貴一大日本帝国海軍・第二艦隊司令長官。天一号作戦(沖縄水上特攻)で「大和」と運命を共にした実在の司令長官として知られる役柄。【作品詳細】映画『雪風 YUKIKAZE』公開日:2025年8月15日(金)監督:山田敏久脚本:長谷川康夫出演:竹野内豊、玉木宏、奥平大兼、當真あみ、藤本隆宏、三浦誠己、山内圭哉、川口貴弘、中林大樹、田中美央、田中麗奈、益岡徹、石丸幹二、中井貴一製作プロダクション:デスティニー配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/バンダイナムコフィルムワークス(共同配給)
2024年12月13日堤真一と山田裕貴がW主演する映画『木の上の軍隊』の公開が決定した。太平洋戦争終結から80年を迎える2025年に公開される。1945年太平洋戦争末期。沖縄・伊江島で日本軍は米軍との激しい交戦の末に壊滅的な打撃を受けていた。宮崎から派兵された上官・山下一雄(堤)、地元沖縄出身の新兵・安慶名セイジュン(山田)は敵の激しい銃撃に追い詰められ森の中に逃げ込み、大きなガジュマルの木の上へ登り身を潜める。連絡手段もなく、援軍が現れるまで耐え凌ごうと彼らは終戦を知らぬまま2年もの間、木の上で孤独な戦争を続けていた。やがて極限状態に陥った2人は――。本作は、作家・井上ひさしが生前やりたいこととして記していた原案を基に、こまつ座にて上演された舞台「木の上の軍隊」の映画化。太平洋戦争末期、沖縄で終戦を知らずに2年間、ガジュマルの木の上で生き抜いた日本兵2人の実話を基にした物語だ。堤が演じる山下一雄は、戦争下の厳しく恐ろしい上官。木の上の生活で変わっていく様を、悲惨さの中にユーモアを交えて演じきる。山田が演じる安慶名は、沖縄で育ち、一度も島から出たことがない純朴な新兵だ。本作は、全編を沖縄で撮影、木の上のシーンは実話と同じく伊江島で、実際に生えているガジュマルの木を活用。沖縄出身の平一紘が監督を務める。堤は「この作品は、ただ戦争はいけないということだけでなく、戦争によって変わっていく人間の価値観や、今の時代にも通じるその時代ごとの世代間のギャップなど、色々なことが描かれています」と説明し、「沖縄が戦争で大きな被害を受けたことは知っていましたが、長い年月が経った今だからこそ、細かいことまでつまびらかにしていかなくてはならない、とあらためて感じました。まだ映画は完成していませんが、題材そのものも含めて、日本だけでなく、まだ争いがおこっている世界中でも観ていただきたいです」とコメント。山田も「作品を通して僕も知らなかった沖縄の歴史を知ることができ、こういう時代があったから、今があるのだとあらためて感じることができました。この事実を知ってもらい、この作品がひとつ考えるきっかけになればいいなと思っています。それは日本にとどまらず、世界中の人にも、一人でも多くの方に観てもらえたら幸せです」と語っている。『木の上の軍隊』は2025年7月、新宿ピカデリーほか全国にて公開予定(※6月13日沖縄先行)。(シネマカフェ編集部)■関連作品:木の上の軍隊 2025年7月全国にて公開※6月13日沖縄先行©️2025「木の上の軍隊」製作委員会
2024年12月11日竹野内豊を主演に迎え、太平洋戦争中に活躍した実在の駆逐艦を舞台に描く映画『雪風 YUKIKAZE』が2025年8月に劇場公開されることが決定、ファースト・カットと超特報が解禁となった。本作は、太平洋戦争の渦中から戦後、さらに現代へと繋がる激動の時代を背景に、懸命に生き抜いた人々の姿とその運命を、壮大なスケールで描く。タイトルの「雪風」とは、実在した1隻の駆逐艦の名。「大和」や「武蔵」といった戦艦などに比べると、はるかに小型で軽量、高速で小回りの効く駆逐艦は、艦隊の前線に躍り出て魚雷戦を仕かけ、戦いの先陣を切るのが本来の役目だった。しかし太平洋戦争では、その機動性ゆえに戦闘及び艦隊護衛に加え、兵員や物資の輸送、上陸支援、沈没艦船の乗員救助などに駆り出され、“海軍一の働きもの”“海の何でも屋”として、数々の過酷な戦場で活躍、そして消耗し、次々と海に沈んでいった。「雪風」©2025 Yukikaze Partners.主力だった甲型駆逐艦38隻のうち、激戦を生き抜き、沈むことなく、ほぼ無傷で終戦を迎えたのは「雪風」ただ1隻。戦争下でこの艦は、敵の攻撃で海に投げ出された他艦の兵士たちを、ときには敵味方関係なく救い続けた。生きて帰り、生きて還す――それが「雪風」にとって戦う意味となった。さらに戦後は「復員船」として航海を繰り返し、外地に取り残された約13,000名を日本に送り返した。200名強の乗員が一度にその二倍三倍もの人々を救い、故郷に戻し続けた“縁の下の力持ち”「雪風」。その後も賠償艦として、連合国側に引き渡され、再び駆逐艦としての役割を果たし、まさに戦争の後始末を背負い続けた「雪風」。そして大阪万国博覧会が開かれた1970年。日本の戦後復興を見届けるように、その姿は異国の海に消えていった。そんな伝説の“不沈艦”「雪風」を、本作では、史実に基づいたフィクションとして甦らせる。「雪風」の艦長・寺澤一利を演じるのが、映画やドラマに欠かせない、日本を代表する俳優である竹野内。竹野内豊/photo:Maho Korogi絶えず冷静に指示を下し、時には型破りな判断で激戦をくぐり抜けてみせるリーダーシップと、一般的な軍人像とは一線を画す、澄み切った人間性。様々な資料を基に生み出されたオリジナルキャラクターを、竹野内が見事なまでに演じ切る。本作は2024年5月から6月に撮影を終え、現在はポストプロダクション中。解禁となったファースト・カットでは竹野内が演じる「雪風」艦長・寺澤一利を捉え、さらに製作中の本編映像を使用した、壮大なスケール感とヒューマン・ドラマを予感させる超特報もお披露目されている。■竹野内豊/「雪風」艦長・寺澤一利役コメント戦争を経験していない自分が史実に基づく人物を演じることは、様々な不安もありましたが、気を引き締めて役に挑みました。2025年に日本は終戦80年を迎えます。昨今、残念ながら戦争を身近に感じる時代になり、変わりゆく日本の景色の中で本作が世に送り出されることにも必ず意味があるのだろう、と信じたいです。平和な未来を築き、美しい日本を守ってゆくには、私達は何を想い、何を大切にしていかなければならないのか。この映画が一人ひとり、少しでも多くの皆様方の心に届き、考えるきっかけになれば幸いです。『雪風 YUKIKAZE』は2025年8月、全国にて公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:雪風 YUKIKAZE 2025年8月全国にて公開©2025 Yukikaze Partners.
2024年12月10日-太平洋戦争下の日系カナダ人について学び、世界平和について考える-京都外国語大学(京都市右京区、学長:小野隆啓以下 本学)は、企画展示 「BROKEN PROMISES 破られた約束」を10月1日(火)から10月16日(水)にかけて実施します。「PAX MUNDI PER LINGUAS ー言語を通して世界の平和をー」を建学の精神に掲げる本学で、第2次世界大戦期の日系カナダ人の一人ひとりの物語や当時の情勢について学ぶことで、今後の世界の平和について考えます。また、本学はカナダへ移民を多く送り出した和歌山県美浜町と連携協定を締結しており、本学国際貢献学部グローバル観光学科 河上幸子教授ゼミ「そよかぜ班」の学生らがカナダ移民を輩出した移民母村である美浜町三尾地区を拠点として、パンフレット作成や高校での平和学習ワークショップなどの継承活動、国際シンポジウムでの研究発表や地域の方・他大学との交流などの地域連携活動を中心に、カナダ移民史の次世代継承を目的とした研究活動を続けています。その「そよかぜ班」によるパネル展示「Soyokaze ~三尾からカナダへ、100年先へつなぐ物語~」、京都府立大学松田法子研究室監修・制作の「三尾の民家建築とカナダ移民」に関する研究成果についても同時展示します。「BROKEN PROMISES 破られた約束」は、日系カナダ人の没収財産の全記録「敵性財産資産管理局」関連の公文書をデジタル化してインターネット公開したカナダのビクトリア大学の研究プロジェクト「不正義の風景(Landscapes of Injustice)」の研究成果をもとに、バンクーバーにある「カナダ日系博物館(Nikkei National Museum)」が制作した博物館展示。河上幸子本学教授が代表を務める科研共同研究の一環として組織された「BROKEN PROMISES 破られた約束」日本巡回展示実行委員会(和泉 真澄 同志社大学教授/河原 典史 立命館大学教授/河上 幸子 本学教授)がコーディネートを行い、滋賀県平和祈念館、カナダ・ミュージアム (和歌山県美浜町)での開催に次いで、本学と同志社大学にて実施します。【展示概要】日時2024年10月1日(木)~10月16日(水)場所京都外国語大学 1号館1階 南側通路(京都市右京区西院笠目町6)同時展示「Soyokaze ~三尾からカナダへ、100年先につづく物語~」(京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科 河上ゼミ「そよかぜ班」展示)「三尾の民家建築とカナダ移民」(監修・制作:京都府立大学松田法子研究室)主催「BROKEN PROMISES 破られた約束」日本巡回展示実行委員会共催科学研究費基盤研究(B)「出移民史を通じた次世代育成のための地域密着型パブリック・ヒストリーの構築」(研究代表者:河上幸子 京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科 教授)同志社大学アメリカ研究所部門研究3「Transient Subjects/Unsettled Settlers」協力京都外国語大学、同志社大学、特定非営利活動法人日ノ岬・アメリカ村、美浜町役場備考本学での展示後、11月22日~12月24日まで同志社大学で巡回展示を実施。「BROKEN PROMISES」ウェブページ: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年10月04日2024年9月16日、スタジオジブリ作品『火垂るの墓』(英題:Grave of the Fireflies)が、動画配信サービス『Netflix』に登場。日本を除く190以上の国と地域で、配信が開始されました。直木賞受賞作家である野坂昭如さんの短編小説を、スタジオジブリの高畑勲監督が映像化した、同作。野坂さんの実体験をもとに描いた『戦争の悲惨さを訴える作品』として、多くの日本人に知られています。海外配信が開始されたというニュースは日本でも話題になり、Xでは『火垂るの墓』が一時トレンド入り。「外国人の反応が気になる」という声が、多数上がりました。「戦争を知らない世代は必ず観るべき」などといわれる一方で、トラウマになるほどに心を痛めてしまう人もいるこの作品は、世界の人たちには、どう受け止められているのでしょうか。Witness a timeless classic, Grave of the Fireflies is now playing only on Netflix! pic.twitter.com/vCUvUqCNeI — Netflix Anime (@NetflixAnime) September 16, 2024 『火垂るの墓』が配信されたことを知った外国人たちは、Xでこのようなコメントを投稿していました。・一度観たけれど、もう一度観ることはできないよ。・史上最高の戦争映画だと感じるよ。信じられないほど悲痛。だけど、真の傑作。・この映画は、永遠にあなたの心に残るでしょう。・今まで観た中で最も衝撃的で、悲しい映画の1つ。・正直オススメはしない。つらすぎて、1日が台なしになった。・映画を観てこんなに泣いたのは初めてです。誰もが一度は観るべき映画だけど、もう一度観たいとは思えない…。コメントを読んでいると『火垂るの墓』を観て感じる想いは、どの国の人も共通していることが分かります。もちろん賛否両論はありますが、どちらにしても『戦争の痛みを受け止めた結果、出てきた想い』であることは間違いないでしょう。海外の人たちの感想を読んだ日本人からは「感じることは同じなんだな」「全世界に公開した意義は確かにある」「涙が出た」といった声が上がっていました。世界中の誰もが、当たり前のように1日をスタートさせて、大切な人たちのそばで平和に暮らせることを、願っているはず。『火垂るの墓』の配信は、人々が本当の意味で幸せに生活していくためにはどうすればいいのかを、改めて考えさせる、1つのきっかけになったことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年09月19日山崎賢人と浜辺美波が共演する映画『アンダーニンジャ』の公開が決定。映像とビジュアルも到着した。太平洋戦争終結後、日本へ進駐したGHQが最初に命じたのは「忍者」組織の解体だった。それにより全ての忍者は消滅したかに見えたが、彼らは世界中のあらゆる機関に潜伏し、現代でも暗躍していた。その数は約20万人と言われている。忍者組織「NIN」に所属する末端忍者・雲隠九郎(下忍)。暇を持て余していた彼はある日、ある重大な“忍務”を言い渡される。それは戦後70年以上に渡り地下に潜り続けている、ある組織の動きを調べること。その名は「アンダーニンジャ」。忍術、知略、そして最新テクノロジー。全てを駆使した、かつてない戦いがいま、始まる――。本作は、「ヤングマガジン」(講談社)連載の現代社会に潜む新たな忍者像を描いた花沢健吾の同名漫画が原作。昨年にはTVアニメ化もされ、そのリアリティのある描写や、どんどん引き込まれていく世界観やストーリーから、絶賛する声が後を絶たない人気漫画。主演の山崎が演じるのは、忍者組織「NIN」の末端であり、ある重大な忍務を任されることとなる謎の忍者・雲隠九郎。全く新しい忍者アクションに挑む。浜辺が演じるのは、本作のヒロインであり、忍者たちの戦いに巻き込まれていく女子高生・野口彩花。山崎と浜辺は今回が初共演だ。山崎は「原作を読んでいた時に『九郎は何を考えているんだろう』と掴めない印象があったので、声のトーンや表情も含め、すごく意識しました。足技やちょっと人間離れしている忍者独特のアクションもたくさんありますのでご期待ください」と呼びかけ、「撮影はめちゃくちゃ楽しかったですし、本当に面白い作品ができているなという達成感があるので、早くスクリーンで観たいです!」と完成に期待。浜辺は「山崎さんとは初めてご一緒させていただきましたが、本当に穏やかで、私が何をやっても受け入れて笑ってくださる優しい方でした」と共演した印象を明かし、「素晴らしいキャラクターたちの魅力が詰まった忍者アクションコメディ映画になっているのではないかなと思います。野口は原作とは少し変わっている部分もありますが、その中でも皆さんに愛して頂けるようなキャラクターになったらいいなと思いながら全力で演じましたので、楽しんでいただけたら嬉しいです」とメッセージを寄せている。公開されたスーパーティザー映像では、本編映像が初公開。雲隠九郎の闘う場面や、野口の何かを探す様子など、本作の世界観を先取りできる映像となっている。また、トレードマークである忍者専用のパーカーを身に纏う雲隠九郎のティザービジュアル、どこか不機嫌で、気の強さを感じさせる野口のキャラクタービジュアルも同時公開。浜辺は約9年ぶりに金髪姿の役を演じる。なお、脚本・監督は『銀魂』『ヲタクに恋は難しい』「今日から俺は!!」シリーズの福田雄一が務める。『アンダーニンジャ』は2025年1月24日(金)より全国東宝系にて公開。※山崎賢人の「崎」は、正しくは「たつさき」(シネマカフェ編集部)
2024年08月29日太平洋戦争終結から79年が経ち当時の様子を語れる人が少なくなっているなか、自分史編集者である河野初江(らしくラボ)は、敗戦時に中国にいた家族がソ蒙軍から逃れて引揚列車で張家口を脱出する経緯を再現した本『蒼天からの十六通の手紙 戦時下の張家口を生き抜いた家族の物語』(前田郁子 著)を編集し、2024年8月15日、静人舎より刊行しました。『蒼天からの十六通の手紙 戦時下を生き抜いたある家族の物語』本書は、敗戦時に2歳だった著者・前田郁子が、母に連れられソ蒙軍から逃れて引揚列車で張家口を脱出する経緯を多くの資料や証言をもとに再現したもので、命をかけての「引揚げ」のさなかに出会った数々の悲惨な出来事や、「邦人を守る」との使命感のもと命を賭してソ蒙軍と戦った兵士のこと、敗戦国の国民に対し現地の人々が温情ある態度で接してくれたことが詳細に描かれています。「日本人に危害を与えてはいけない」とラジオで中国国民に対し中国国民政府・蒋介石総統が呼び掛けてくれたことで多くの日本人が救われたと著者の前田郁子氏は言っており、本書には、その蒋介石のメッセージ「以徳報怨」も収められています。書店またはアマゾンでご注文ください。【本の概要】『蒼天からの十六通の手紙 戦時下の張家口を生き抜いたある家族の物語』前田郁子・著/河野初江・編集/静人舎・発行2024年8月15日 初版第1刷刊行四六判・並製・272頁 1,650円(税込)ISBN 978-4-909299-26-0<本書「はじめに」より抜粋>昭和20年、敗戦で一変する平穏な生活──10月出産予定の身重のカホルは、6、4、2歳の三人の子どもを連れて、夫は肺炎で入院中の8歳の長男に付き添い、ソ蒙軍から逃れて引揚列車で張家口を脱出する。敗戦から5日目の夜である。飢えや渇きに苦しみ寒さに震え、時には銃声におののきながらの逃避行だ。過酷な環境の中で、時には死とも向き合う。本書は、著者の母・カホルが、戦時下の中国から幼馴染のヨシエに送った十六通の手紙をもとにした物語である。「私にとっては、この手紙を手にすることで、やっと〈終戦〉と〈戦後の苦しい生活〉の終了を迎えたような気がしました」〈目次〉一章旅立ち二章北京からの手紙三章張家口からの手紙四章終戦五章引揚げ六章収容所暮らし七章帰国の途に八章帰国〈資料〉中国国民政府・蒋介石総統の終戦メッセージ「以徳報怨」 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年08月20日太平洋戦争時の放送の黒歴史を、アナウンサーの視点から赤裸々に描いた映画『劇場版 アナウンサーたちの戦争』が、8月16日(金) に公開される。NHKで昨年夏に放送された同名ドラマを再編集した作品だ。主役は、名調子のスポーツ実況中継で人気を博した天才アナウンサー、和田信賢。森田剛が演じている。和田アナをはじめ、当時の関係者はすべて実名で登場、驚くほどドラマチックな作品だが、これは実話である。『劇場版 アナウンサーたちの戦争』まだテレビもネットもない時代。一般国民にとって、ラジオが発する“生の言葉”は最も重要な情報源だった。太平洋戦争についても、1941年12月8日に放送された「帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり……」という臨時ニュースで開戦を知り、1945年8月15日の玉音放送「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び……」で終戦を受けとめた。その重要な両方の放送に関わっていたのが、和田信賢アナ(森田剛)と若手の館野守男アナ(高良健吾)だ。和田信賢は34年(昭和9年)にNHKの前身である社団法人日本放送協会に入局した、アナウンサーの新規採用第1期生だ。25人いた同期のなかでも、天才とよばれた才能で、以降、プロ野球の初放送、小説の朗読などを名調子で語り、人気は全国にひろがった。最も話題になったのは、名横綱双葉山が70連勝を前に敗れた一番のアナウンスだ。天才肌ではあるが、昼間からお酒を飲み、アナウンサー室のソファーで高いびきをかくという、バンカラな豪傑タイプ。やるときはやって、キメてみせるので、皆からの信頼は厚い。一方、後輩の館野守男は、まだ20代。「国家の宣伝者」を自認している真面目な熱血漢だ。ふたりは、戦争が始まると、日本軍の戦況を伝える番組を担当。力強い声と言葉で勝利のニュースを電波に乗せ、番組も大人気となる。この映画は、そんな彼らを中心に、アナウンサーという職業に誇りと夢を持っていた当時の関係者たちが、どのように戦争に翻弄され、加担していったか、その秘話といっていいエピソードを、後に和田の妻となる女性アナウンサーの草分け・和田実枝子(橋本愛)の語りで綴っていく。もちろん、それはきれいごとではない。戦争が進むにつれ、国民の士気高揚のため、ラジオ放送は戦果ばかり大げさに語り、都合の悪いことは隠蔽するようになっていく。それも、ラジオを武器とした「電波戦」のひとつ。さらに、場合によってはフェイクニュースを流し、敵を混乱させるという謀略作戦も使われた。アジアへの戦線拡大に呼応して、放送局は次々と開設された。占領地の日本化を目的としたプロパガンダがその役割だ。和田の先輩・米良忠麿アナ(安田顕)、今福祝アナ(浜野謙太)、長笠原栄風アナ(渋川清彦)など重要なアナウンサーたちがアジア各地につぎつぎと赴任していった。館野もまた、3万人が犠牲となったインパール作戦に派遣され、“地獄”をみる。「虫眼鏡で調べて望遠鏡で喋る」、ていねいな取材が和田の信条だった。学徒出陣がきまった母校早稲田の野球部員たちを取材。主将の朝倉(『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』でも特攻隊員を熱演した水上恒司!)をはじめ、部員たちの心の内を知り、苦悩する。1943年10月、明治神宮外苑競技場(後の国立競技場)で開催された出陣学徒壮行会、ラジオ実況をまかされた和田は……。毎年、この季節になると、戦争のことが語られるが、ラジオと戦争をテーマにしたドラマは、これまで観たことがなかった。夢の機械も悪魔の拡声機になる──、メディアからの痛切な自己批判である。文=坂口英明(ぴあ編集部)【ぴあ水先案内から】池上彰さん(ジャーナリスト)「……戦争は戦地でだけ戦われていたわけではない。アナウンサーたちにも戦争はあったのです。」池上彰さんの水先案内をもっと見る()(C)2023 NHK
2024年08月05日太平洋戦争下の広島県呉市を舞台に、つつましく生きる人々の日常を丁寧かつコミカルに描く、こうの史代の漫画『この世界の片隅に』。これまでに度々アニメ化・ドラマ化されてきた名作がミュージカルとなって、本日5月9日(木)に東京・日生劇場で開幕する。音楽を手掛けるのは、シンガーソングライターとして「手紙~拝啓 十五の君へ~」などのヒット曲を放ったのちの2014年に一切の活動を休止し、アメリカの音楽大学に留学したアンジェラ・アキ。当時からミュージカル作家になる夢を語っていた彼女が、オファーが来る前から原作漫画を読んでいて大好きだったという本作で、10年ぶりの活動再開を果たした。アンジェラ自身が本作の楽曲を歌ったアルバムが、開幕に先駆けて既に発売されており、聴いた上でミュージカル観劇に臨むという楽しみ方もできそうだ。脚本・演出は、『四月は君の嘘』『のだめカンタービレ』でも漫画のミュージカル化に携わってきた上田一豪。自身が主宰する劇団TipTapでもオリジナルミュージカルを作・演出し続けている上、『キューティ・ブロンド』『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』『ネクスト・トゥ・ノーマル』など翻訳ミュージカルの演出でも確かな手腕を発揮している実力派だ。広島市から呉市に嫁いでくる「ボーっとした」主人公・すずをWキャストで演じるのは、有名ミュージカルのヒロイン役をほとんど総なめにしてきた昆夏美と、歌手として活動する傍ら舞台俳優としても読売演劇大賞・杉村春子賞に輝くなど高い評価を得ている大原櫻子。すずの夫・周作役には海宝直人と村井良大、すずの友人・リンに役は平野綾と桜井玲香、周作の姉・径子役には音月桂と、演技力・歌唱力ともども申し分ないキャストが揃った。時系列に沿って淡々とエピソードが綴られていく原作を、果たして2~3時間の物語にどうまとめ上げるのか。そして自己主張が決して激しいとは言えない登場人物たちは、一体どんな形で歌うのか。予想はつかないが、ミュージカルへの情熱と実績を併せ持ったこの面々なら、ミュージカルならではの『この世界の片隅に』を作り上げてくれるに違いない。「アンジェラ・アキ sings『この世界の片隅に』」全曲FLASH文:熊田音子昆夏美さん・大原櫻子さん×海宝直人さん・村井良大さんインタビューも掲載中!()<公演情報>ミュージカル『この世界の片隅に』原作:こうの史代音楽:アンジェラ・アキ脚本・演出:上田一豪出演:浦野すず:昆夏美/大原櫻子(Wキャスト)北條周作:海宝直人/村井良大(Wキャスト)白木リン:平野綾/桜井玲香(Wキャスト)水原哲:小野塚勇人/小林 唯(Wキャスト)浦野すみ:小向なる黒村径子:音月桂白木美貴子 川口竜也 加藤潤一飯野めぐみ 家塚敦子 伽藍琳 小林遼介 鈴木結加里 高瀬雄史 丹宗立峰中山昇 般若愛実 東倫太朗 舩山智香子 古川隼大 麦嶋真帆桑原広佳 澤田杏菜 嶋瀬晴大村つばき 鞆琉那 増田梨沙【東京公演】2024年5月9日(木)~5月30日(木)会場:日生劇場【全国ツアー公演】6月6日(木)~6月9日(日) 北海道公演 札幌文化芸術劇場hitaru6月15日(土)・16日(日) 岩手公演 トーサイクラシックホール岩手大ホール(岩手県民会館)6月22日(土)・23日(日) 新潟公演 新潟県民会館大ホール6月28日(金)~30日(日) 愛知公演 御園座7月6日(土)・7日(日) 長野公演 まつもと市民芸術館7月13日(土)・14日(日) 茨城公演 水戸市民会館グロービスホール7月18日(木)~21日(日) 大阪公演 SkyシアターMBS7月27日(土)・28日(日) 広島公演 呉信用金庫ホールチケット情報:()公式サイト:
2024年05月09日明治学院大学国際平和研究所では2024年2月17日(土)に「硫黄島強制疎開80周年記念シンポジウム」を開催します。本シンポジウムでは、太平洋戦争時から80年も故郷に帰れないなかで、島民の歴史や記憶を未来にどのように受け継いでいくのか、市民社会や国がこれから何ができる/何をすべきなのか、みなさまと一緒に考えます。【シンポジウム詳細】日時 :2024年2月17日(土)14:00~17:00場所 :明治学院大学 白金キャンパス 3101教室開催方法:対面(※後日YouTubeでの配信あり)参加費 :無料申込方法:不要■おもな内容○開会挨拶渋谷正昭(小笠原村長)○第1部基調講演 「硫黄島強制疎開80周年にあたって」滝口悠生(小説家・硫黄島民3世)奥山登喜子(硫黄島民1世)○第2部島民各団体の紹介パネルディスカッション伊藤謙一(硫黄島帰還促進協議会副会長/硫黄島民2世)高橋淑子(全国硫黄島島民の会会員/硫黄島民3世)奥山登喜子滝口悠生○オーガナイザー・司会石原 俊(明治学院大学社会学部教授/全国硫黄島島民3世の会会員顧問)■問い合わせ先明治学院大学国際平和研究所E-mail: prime@prime.meijigakuin.ac.jp TEL : 03-5421-5652シンポジウムの詳細は下記のポスターをご確認ください。シンポジウム ポスター(表面)シンポジウム ポスター(裏面)□■明治学院大学について■□創設者は“ヘボン式ローマ字”の考案や和英・英和辞書『和英語林集成』の編纂、聖書の日本語訳完成などの業績があるヘボン博士。建学の精神である「キリスト教による人格教育」と学問の自由を基礎とし、ヘボン博士が貫いた“Do for Others(他者への貢献)”を教育理念としています。広く教養を培うとともに、各学部学科において専門分野に関する知識・技能および知的応用能力を身につけた人間の育成を目指します。2023年は創立160周年を迎え、2024年には本学初の理系学部「情報数理学部」を開設します。 明治学院大学 白金校舎 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年12月21日小学校の定番の宿題である、音読。国語の教科書を声に出して読むことで、漢字の正しい読み方などを確認でき、読解力も高められるといわれています。親は子供の音読を聞くことで、国語の授業でどんなことを勉強しているのか、知ることができるでしょう。息子の音読3人の兄妹を育てる、はんまま(hanma_ma)さんは、毎日長男の音読の宿題を確認しています。ある日、長男は教科書の新しい物語を読むことになりました。しかし、読み進めるうちに、だんだんと読むことがつらくなってきて…。親子で話の内容に号泣…!長男が読んだのは『ちいちゃんのかげおくり』という戦争文学でした。1982年に発行された、あまんきみこさんの作品で、1986年頃から小学3年生の国語の教科書に掲載されているため、知っている人も多いでしょう。あらすじは、両親と兄と幸せに暮らしていた、幼いちいちゃんが戦争により家族を失い1人ぼっちになって、悲しい結果を迎えてしまうというもの。戦争を知らない子供たちに、戦争によって起こる悲劇をやさしい言葉で伝えています。長男は主人公のちいちゃんが自分や、まだ幼い妹弟に重なり、思わず感情移入をしたのかもしれませんね。はんままさんも、長男の声がだんだんとかすれていくのを聞いて、つられて涙が滝のように流れてしまったそうです。投稿には多くのコメントが寄せられていました。・小学生の時に読みました。弟がそばで黙って聞いていたのを思い出します。・この話すごく覚えてます!今でも教科書にあるのですね。娘が読む時、私も目から滝が出そうです。・分かります…!親の立場で聞くと、ちいちゃんと自分の娘を重ねてしまい、涙が止まりませんでした。平和な日本で暮らしていると、戦争がもたらす恐怖や悲しみを想像する機会はほとんどありません。物語の音読を通して戦争について考え、家族でいろいろな話をするきっかけになるのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2023年11月22日ロウ・イエ監督最新作『サタデー・フィクション』が11月3日(金・祝)より公開。太平洋戦争開戦前夜の上海を舞台にした本作から本編冒頭映像が解禁された。諜報員という裏の顔をもつミステリアスな人気女優の主人公ユー・ジン役には、ハリウッドでも活躍する中国を代表するコン・リー。日本軍の暗号通信の専門家・古谷三郎に扮するのは、中国でも高い人気を誇るオダギリジョー。さらに、オダギリさん演じる古谷の護衛・梶原には出演映画の公開が続く中島歩。そのほか、海外ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」「ストレンジャー・シングス 未知の世界」で知られるトム・ヴラシア、『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』のパスカル・グレゴリー、台湾の国民的人気俳優マーク・チャオら国際色豊かなインターナショナルキャストが名を連ねている。今回解禁となるのは本編の冒頭映像。映画は、舞台演出家のタン・ナー(マーク・チャオ)と人気女優ユー・ジンが舞台「サタデー・フィクション」のリハーサルをする場面から始まる。演出とともに、俳優も務めるタン・ナーが酒場に入ると、テーブル席で静かに佇むユー・ジン演じる主役・秋蘭を見つけ、話しかける。舞台の外では恋人同士でもあるタン・ナーとユー・ジンの2人が意味深長な会話のやりとりをしていると、そこにサングラスに葉巻をくわえた怪しい男性が登場し、タン・ナーから「もう一回やりなおし」の声がかかるところでリハーサルが中断される…、という場面。ロウ・イエ監督お馴染みの手持ちカメラで演者たちの様子を追い、さらに舞台の中で生演奏されているジャズも相まって、監督ならではの臨場感のある世界に引き込まれるようなオープニング。ちなみにこの舞台はロウ・イエ監督が「上海に関する小説のうちで、好きな作品の一つ」と語る、横光利一の「上海」が原作。ユー・ジンとタン・ナーは互いに惹かれあう中国共産党の女性闘士と日本人男性の役を演じている。『サタデー・フィクション』は11月3日(金・祝)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋、アップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:サタデー・フィクション 2023年11月3日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋、アップリンク吉祥寺にて公開©YINGFILMS
2023年10月30日1941~1945年に起こった太平洋戦争は、各地で幾度となく戦闘が行われ、多くの人が命を落とした悲しい歴史。また、日本への原子爆弾(以下、原爆)の投下も、忘れてはならない出来事として刻まれています。1945年8月6日に広島県、そして同月9日に原爆によって多くの人が命を落とし、日本は実戦による唯一の被爆国となりました。終戦から78年が経過した2023年現在も、原爆が投下された日になると、各県で犠牲者を追悼し、平和を祈る式典が行われています。日本人妻が、アメリカ人夫に勇気を出して戦争の話を切り出した理由アフリカ系アメリカ人の夫であるボビさんと結婚し、2人の間に生まれたジョセフくんを育てている、日本人のチコ(chiko_0913.2022)さん。チコさんは、長崎県に原爆が投下された8月9日を迎えるたびに、あることを考えるといいます。それは、「もしかしたら、自分はこの世に生まれていなかったかもしれない」ということ。祖父らは、原爆の投下候補地であった福岡県北九州市周辺の出身でした。もし北九州市に原爆が投下されていたら、チコさんは生まれていなかった可能性があるのです。チコさんは、ある想いからボビさんに太平洋戦争、そして原爆についての話を切り出すことにしました。戦時中、チコさんの祖父とボビさんの大叔父は、軍に所属して敵対する身でした。両者ともに、戦時中は異なる信念を持っていたはず。そして、直接戦争を経験していないチコさんとボビさんも、同じ歴史を学びながらも、国によって異なる価値観を持っていることでしょう。それをよく分かっていたため、夫婦間でこの話をすることに、勇気を要したというチコさん。しかし、あえて歴史について話すことにしたのは、息子のジョセフくんのためでした。「日本とアメリカ両方の血を引くからこそ、息子にはお互いの国の歴史観を教えていかないと」まだ幼いジョセフくんも、勉強に励むことで、いつか戦争のことを知る日が来るでしょう。かつては敵対していた国に生まれた2人が結ばれ、ジョセフくんが生まれたのは、平和あってのもの。だからこそ、チコさんは祖父の想いや、こうして家族が巡り合うまでの歴史を伝えていきたいと思ったのです。国際結婚をしたチコさん一家ならではのエピソードに、漫画を読んだ人からは「涙が出た」「戦争というものについて、考えさせられる」といった声が寄せられています。「原爆だけでなく、戦争で亡くなったすべての人たちが、少しでも安らかに眠れますように」という世界平和の願いを込めて、漫画を描いたチコさん。1945年に幕を下ろした太平洋戦争以降、幸いなことに日本では戦争が起こっていません。しかし、平和な日々がいつまでも続く保証はないでしょう。過去をしっかりと学び、次の世代に語り継いでいくこと。それが、私たちにできる平和を守るための努力ではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2023年08月10日明治学院大学法学部の佐々木雄一准教授が研究成果として『近代日本外交史 幕末の開国から太平洋戦争まで』(中公新書)を刊行しました。詳細URL: 『近代日本外交史 幕末の開国から太平洋戦争まで』(中公新書)◆本リリースのポイント・研究成果をコンパクトにまとめた最新の近代日本外交史論・1850年代から1945年にわたる日本外交の歩みを、国際秩序との関わりを軸に通観・国際秩序や外交・安全保障について、その参考となる知見を歴史的視座から考察し、提供◆研究内容明治学院大学法学部の佐々木雄一准教授が、著書『近代日本外交史 幕末の開国から太平洋戦争まで』(中央公論新社)を刊行しました。明治学院大学での日頃の研究・教育の成果をふまえて、1850年代から1945年までという長期にわたる日本外交の歩みを、国際秩序との関わりを軸に通観したものです。佐々木准教授は博士学位論文を基にした初めの著書、『帝国日本の外交1894-1922 なぜ版図は拡大したのか』(東京大学出版会、2017年)が近年を代表する近代日本外交史研究の一つとして既に学界内で定着しており、以来、近代日本の外交や戦争に関する著作・論文を多数発表してきました。今回の著作は、そうした最先端の研究の知見をコンパクトにまとめ、広く世の中に伝えるべく執筆されたものです。昨今の国際情勢を受けて、国際秩序や外交・安全保障について日本でも論じられる機会が増えました。本書は、歴史的視座からその参考となる知見を提供しています。また、世界史や東アジア史の視点をふまえた近代日本外交論であり、高校で「歴史総合」科目が導入されるなど近代日本と世界の歩みをどのように総合的に理解するかが注目されるなか、現在の研究や大学教育の水準を知ることができます。◆書籍情報著者 :法学部・佐々木雄一書籍名 :『近代日本外交史 幕末の開国から太平洋戦争まで』発行日 :2022年10月20日出版社 :中央公論新社IBSNコード:ISBN978-4-12-102719-1◆研究者プロフィール東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。2022年4月より明治学院大学法学部政治学科准教授。専門分野は日本政治外交史。これまでの研究成果についての詳細は以下をご確認ください。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月09日萩原聖人と村上淳がW主演、沖縄本土復帰50周年の節目に太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台に描く『島守の塔』が、7月22日(金)より全国公開決定。『ハケンアニメ!』も話題の吉岡里帆、朝ドラ「ちむどんどん」に出演した池間夏海、映画『ひめゆりの塔』に出演していた香川京子らが共演する。太平洋戦争末期、県民の4人に1人、約20万人が犠牲となった日本国内唯一の地上戦「沖縄戦」。「命(ぬち)どぅ宝、生きぬけ!」と叫んだ2人の官僚と、「沖縄戦」に翻弄される沖縄県民。それぞれの苦悩と生きることへの奮闘を描いた本作。戦中最後の沖縄県知事として赴任し、軍の命令に従いながらも県民の命を守ろうとした島田叡(あきら)役には、映画やドラマへの出演だけでなくマルチに活躍している萩原聖人。職務を超えて県民の命を守ろうと努力した警察部長の荒井退造役には、日本映画界に欠かせない村上淳と、実力派俳優の共演が実現。また、島田の世話役の県職員・比嘉凛を吉岡里帆。凛の妹で看護学徒隊の比嘉由紀を池間夏海が、現代の凜を香川京子が演じ、監督・脚本は『地雷を踏んだらサヨウナラ』『長州ファイブ』などの作品で知られる五十嵐匠が手掛けた。本作は、新型コロナウィルス感染拡大により、1年8か月の撮影中断を経て満を持して公開が決定。これを受け、萩原さん、村上さんと五十嵐監督からコメントが到着した。萩原聖人コメント東日本大震災を知らない世代がいるように、時間の流れは速く、次の時代を作っていきます。この作品で語られていることは僕自身も詳しくは知らない事が多かったです。どんなに時間が早く過ぎても決して忘れてはならない事が描かれた映画です。正に今、そんな時代だからこそ、沢山の方に観ていただけたらと心から思っています。村上淳コメントこの作品が伝えるべき"核"となるメッセージはスクリーンにあります。この作品に参加できたことを誇りに思います。五十嵐監督の優しい執念のようなものに守られた作品だなと思います。画に写るすべての役者たちの"顔"がいい。フレームの外の気配。この作品がどうみなさまに写るのか。どうぞよろしくお願いいたします。五十嵐匠(監督・脚本)コメント映画『島守の塔』を監督するため、3年間沖縄に通い、数多くのガマにも入りました。ガマの暗闇の中、沖縄戦で何か月もそこで息をこらしていた多くの沖縄の人々のことを思いました。ひめゆり平和祈念資料館では修学旅行の女子生徒がひめゆり学徒隊の日記を読み、ボロボロ涙を流していました。日本兵と共に南へ下った何万人もの人々が摩文仁で命を落とし、その道々に今でもその人々が立っているような錯覚を覚えました。沖縄では「戦争が終わっていない」と思いました。現在、ウクライナで戦争が起こっていますが、製鉄所の地下で息をひそめるウクライナの人々がガマの中の沖縄の人々とダブってしまいます。過去の歴史に何一つ学んでいない人間の愚かしさと悲しさを思います。映画「島守の塔」は、コロナ禍のため、撮影途中で中止になり、完成が危ぶまれました。しかし、1年8カ月の延期の末、この作品を「必ず、世に出す」という、スタッフ・キャスト、そして製作委員会やサポーターの皆さんの強い意志が映画『島守の塔』を生み落としました。奇跡のような映画だと思っています。『島守の塔』は7月22日(金)よりシネスイッチ銀座、8月5日(金)より沖縄、兵庫、栃木に公開後、全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:島守の塔 2022年度順次公開予定
2022年05月26日太平洋戦争で国内唯一の地上戦が行われ、戦後はアメリカ統治下にあった沖縄。5月15日、’72年に本土復帰を果たしてから50年を迎えた。苦しんできた沖縄の人々に心を寄せ、訪問を望まれていた昭和天皇はご訪問直前に体調を崩され、その思いを遂げることはできなかった。昭和天皇のお気持ちを継承されたのが上皇陛下と美智子さまだ。上皇ご夫妻が初めて沖縄を訪問されたのは、本土復帰の3年後。皇太子ご夫妻として沖縄国際海洋博覧会に出席されるためだった。この訪問中、沖縄戦で犠牲になった女子学生をまつるひめゆりの塔へ拝礼された際に、潜んでいた過激派から火炎瓶が投げられるという事件が起きている。上皇ご夫妻はそれでも日程を変更なさらずご公務を完遂された。その後も、上皇ご夫妻はさまざまな形で沖縄に心を寄せられ、ご訪問は11回を数える。ご在位中、最後のご訪問となった’18年には、多くの県民がご夫妻を笑顔で迎え、感謝の気持ちを表した。上皇ご夫妻の沖縄へのお心は、天皇皇后両陛下と愛子さま、秋篠宮ご一家に引き継がれている。そんな、皇室と沖縄の“ちゅら”交流史を写真で振り返る。【’75年】ひめゆりの塔を訪問された上皇ご夫妻。供花のあと、過激派が火炎瓶を投じ、ご夫妻の前に炎が上がった。【’82年】上皇ご夫妻は’63年から沖縄の小中学生の「豆記者」を招かれ、ご一家で交流を続けてこられた。この行事は、平成は天皇皇后両陛下と愛子さま、令和になってからは秋篠宮ご一家が担われている。【’97年】天皇皇后両陛下は’97年にご夫妻そろってご訪問。沖縄戦没者墓苑や平和の礎を巡られ、戦争犠牲者を悼まれた。また、全国農業青年交換大会にご臨席。農業生産団地ではゴーヤやクルクマの花などを興味深くご覧になっていた。【’16年】両陛下、中学3年生の愛子さまでお招きになった豆記者とご歓談。【’18年】沖縄ご訪問時には必ず最初に糸満市の国立沖縄戦没者墓苑に供花される。ご拝礼を終え、遺族にお声がけを。ご訪問中、日帰りで与那国島へ。日本最西端の碑をご覧に。【’19年】皇嗣となられた秋篠宮さまは、紀子さま・悠仁さまと赤坂東邸でご交流を。
2022年05月21日太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描いた「シベリア・シリーズ」により、戦後美術史に大きな足跡を残した画家・香月泰男(1911-74)の全容をたどる回顧展『生誕110年 香月泰男展』が、2月5日(土)より練馬区美術館にて開催される。山口県三隅村(現・長門市)に生まれた香月泰男は、1931年に東京美術学校に入学。1942年に軍隊に入り、帰郷した1947年以降は、故郷にとどまって身の回りのものをモチーフに造形的な挑戦を繰り返した。1950年代後半に黒色と黄土色の重厚な絵肌に到達した香月は、極限状態で感じた苦痛や郷愁、死者への鎮魂の思いをこめて太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描き、「シベリアの画家」として評価を確立していった。同展では、「シベリア・シリーズ」をほかの作品とあわせて制作順に展示。シベリア・シリーズは入隊から復員までを時系列に並べて紹介するのが一般的だが、実際の制作の順序は、主題の時系列とはおおきく異なっていたという。敢えて制作順に並べることで、ひとりの画家が戦争のもたらした過酷な体験といかに向き合い、考え、描き続けたかを浮かびあがらせる狙いだ。戦争が遠い歴史となり、その肌触りが失われつつある今、自身の「一生のど真中」に戦争があり、その体験を個の視点から二十年以上にわたって描き続けた、「シベリアの画家」香月泰男の創作の軌跡にあらためて迫る。《釣り床》1941年東京国立近代美術館蔵《山羊》1955年 香月泰男美術館蔵《復員〈タラップ〉》1967年 山口県立美術館蔵《青の太陽》1969年山口県立美術館蔵【開催概要】『生誕110年 香月泰男展』会場:練馬区立美術館会期:2022年2月6日(日)~3月27日(日)※会期中展示替あり(前期は3月6日まで、後期は3月8日から)休館日:月曜(3月21日は開館)、3月22日(火)時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)料金:一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円美術館公式サイト:
2022年02月01日主演・柳楽優弥、有村架純、三浦春馬が共演した『映画 太陽の子』のBlu-rayとDVDが2022年1月7日に発売されることが決定した。太平洋戦争末期に存在した「F研究」と呼ばれる“日本の原爆研究”。本作はその事実を基にした青春グラフィティだ。監督・脚本は『青天を衝け』の黒崎博。柳楽、有村、三浦、そして田中裕子、國村隼、イッセー尾形、山本晋也、ピーター・ストーメアがキャストとして参加している。黒崎監督の「もっとほかの国の人たちとも、たくさんこの映画を共有したい」という想いから、本作はキャストのみならず、日米スタッフのタッグが実現。音楽には『愛を読むひと』のニコ・ミューリー、サウンドデザインに『アリー / スター誕生』のマット・ヴォウレスと、ハリウッドスタッフが参加。さらに主題歌を福山雅治が担当し、バラード『彼方で』で物語を彩る。発表されたBlu-rayとDVDは豪華版を含めた4形態で発売。豪華版は本編ディスクの他、三方背ケースやフォトブックレット、特典ディスク付きの仕様でまさに永久保存版だ。特典ディスクには撮影の舞台裏やキャスト・監督のインタビューなどを収めたメイキングや貴重な各種イベント映像が収録された特典映像も多く収録されるという。また豪華版を対象とした先着予約購入特典として「オリジナル一筆箋」が用意されている。さらにAmazonや楽天ブックスなどの店舗別予約購入特典で「L判ブロマイド3枚セット」もプレゼントされるので、ぜひチェックしてほしい。■リリース情報『映画 太陽の子』豪華版Blu-ray:7,480円(税込)BIXJ-0374豪華版DVD:6,380円(税込)BIBJ-3504通常版Blu-ray:5,280円(税込)BIXJ-0373通常版DVD:4,290円(税込)BIBJ-3503<Blu-ray&DVD豪華版・共通特典>【仕様・封入特典】・三方背ケース ・ブックレット【映像特典】・メイキング・イベント映像集・予告集※特典ディスクはDVDとして付属。
2021年10月08日主演・柳楽優弥、有村架純、三浦春馬が豪華共演する太平洋戦争末期の青春グラフィティ『映画 太陽の子』。この度、本作が11月12日より全米公開決定。さらに、3人それぞれの想いを秘めた表情が胸に迫る新ビジュアルが解禁された。全米ではロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコなどでの公開を予定。併せてインターナショナル版予告とビジュアルも解禁、科学の行く末にあるものが希望なのか絶望なのか、緊迫感あふれる映像になっている。全米公開が決定したことを受け、プロデューサーの森コウは「製作当初から多くのアメリカの方に見ていただきたいという気持ちがあり、今は公開が本当に待ち遠しいです。手応えは既に感じていて、賞レースに絡む可能性を高く持っていると思います。アメリカ人の原子爆弾の捉え方は日本とは全然違うものですが、意識としては同じくとても高いもので、間違いなく興味を引くものだと思っています」とコメント。「しかし、最も重要なのはその興味の部分ではなく、実際に作品をご覧いただいて、ストーリーや俳優のみなさんの演技がアメリカでどう評価されるのか。そこに期待しています」と展望を語った。また、公開2週目を迎えた本作から、新たなビジュアルが登場。激動の時代の中で、“原爆研究”の密命を受けた科学者の石村修(柳楽さん)は、研究の葛藤を秘めながら決意を感じさせる表情を見せ、石村兄弟が密かに思いを寄せる思われ人・朝倉世津(有村さん)は優しいほほえみにわずかな切なさを感じさせ、戦地から帰郷し束の間の休息に心を休める弟の石村博之(三浦さん)は、空を仰ぎ遠くを見つめる。各キャラクターそれぞれの想いと迫りくる時代のうねりが交錯し、胸に迫る新ビジュアルとなっている。なお、この新ビジュアルが使用されたA5サイズのポストカードが8月21日(土)より全国の公開劇場にて、数量限定での配布が決定している。『映画 太陽の子』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:映画 太陽の子 2021年8月6日より全国にて公開©︎2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ
2021年08月17日太平洋戦争後、約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉を描く映画『ONODA』(原題)。現地時間7月8日、本作が第74回カンヌ国際映画祭 ある視点部門でのオープニング作品として公式記者会見が行われ、小野田役の遠藤雄弥と津田寛治がリモートで参加した。昨今の状況とスケジュールの都合により、カンヌ入りが叶わなかった2人。しかし今回、カンヌ国際映画祭での特例として、日本人としては初めてのリモートで記者会見に参加することができた(2018年のジャン=リュック・ゴダール以来、カンヌ国際映画祭としては2度目)。津田さんは「日本の映画界では、撮影が始まる前に資金が調達できずに撮影までいかない企画もあり、撮影が始まったとしても途中でお金がなくなって完成できないというような映画がたくさんあります」と日本映画の現状を述べた上で、「フランスの映画の制作の現場が日本と大きく違うところは撮影の環境です。この作品の現場ではケータリングが出て、スタッフもキャストも同じ暖かい食事を一緒に食べるんです。なんと、彼らは撮影中も週休2日制なんです!そして、撮影現場に自分たちの子供や家族も連れてくるんです。最後には、彼らは2週間ごとに家族を交えて撮影現場でパーティ(みたいなもの)をしているんですよ。楽しいじゃないですか。(笑)日本もそういう映画の制作現場が増えたらいいなと思います」と日本との違いに驚いたことをユーモアを交え明かし、会場のメディアからは思わず拍手も起こった。今回会見に参加してみて、「カンヌに来られたんだなと思えて、幸せな気持ち」(津田さん)、「画面越しですがスタッフに会えてうれしい」(遠藤さん)と感想を語る2人。記者から、特に津田さんは自在した小野田さんに容姿がそっくりと賞賛され、それぞれ役作りを問われると、遠藤さんは「11キロ痩せて現場に行ったら、監督に痩せ過ぎと言われて。ピーナツバターや食パンを毎日食べて体型を調整した」と明かす。一方、幼少期、実際に小野田さんの帰還を見ていたという津田さんは「母から、戦争が終わったことを知らずにジャングルにいた人と言われた。本当にビックリした。でも、今作で資料などを読み、あの高度経済成長期時代に大和魂を持って帰ってきたと知って感動した。だから誇りをなくさないように小野田さんを演じました」と語り、約1年かけて13kgの減量をして撮影に挑んでいたことを回顧した。そして本作の監督、フランス出身であるアルチュール・アラリは、なぜ小野田さんを描こうと思ったのか、その製作理由を問われると、「彼(小野田さん)の揺るぎない信念に私は引き寄せられた」と回答していた。『ONODA』(原題)は秋、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)■関連作品:ONODA(原題) 2021年秋、全国にて公開©bathysphere - To Be Continued - Ascent film - Chipangu - Frakas Productions - Pandora Film Produktion - Arte France Cinéma
2021年07月09日遠藤雄弥と津田寛治がW主演、太平洋戦争後、約30年目に生還した小野田旧陸軍少尉の人間ドラマを映画化する国際共同製作『ONODA』(原題)が今秋に日本公開が決定した。実在の人物である小野田寛郎(おのだ ひろお)旧陸軍少尉は、太平洋戦争の終戦を知らず、任務解除の命令を受けられないまま、フィリピン・ルバング島にて孤独な日々を過ごし、約30年後の1974年、自身が51歳で日本に帰還した。この史実を基に、小野田が生き抜いた孤独と壮絶な日々を描いた人間ドラマが、このたび長編映画として完成。長編デビュー作『汚れたダイヤモンド』(2016)でフランス批評家協会賞・新人監督賞のほか数々の賞を総なめにし、社会派の作品を得意とする新鋭実力派監督アルチュール・アラリが全編日本語での演出にこだわり、徹底したリサーチと演出力で鬼気迫るドラマを作り上げた。フランス、ドイツ、ベルギー、イタリア、日本の合作で、遠藤雄弥と津田寛治がW主演キャストを始め、全キャストを日本人俳優で固め、満身創痍の撮影に挑んだ。『ONODA』(原題)は2021年秋、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ONODA(原題) 2021年秋、全国にて公開©bathysphere - To Be Continued - Ascent film - Chipangu - Frakas Productions - Pandora Film Produktion - Arte France Cinéma
2021年06月01日終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」の放送が決定。妻夫木聡と蒼井優が夫婦役で共演し、太平洋戦争末期に行われた、生体解剖の実話を基にしたドラマを描く。1945年5月。西部帝国大学医学部・助教授の鳥居太一は、教授の指示のもと、米兵捕虜の手術を手伝うが、それは人体実験手術であった。教授に恐ろしい手術の中止を進言するが却下され、8名の捕虜が死亡。戦犯裁判で死刑判決を受けた太一は、凶行を止められなかった自分と向き合うことになる。一方、妻・房子は、裁判の中でゆがめられた真実を明らかにし、事件の首謀者にされた夫を死刑から救おうと奔走する――。本作は、熊野以素の「九州大学生体解剖事件70年目の真実」を原作としたドラマ。死刑判決を受けて自分自身と向き合う医師と、その判決に異議を唱え公正な裁きを求めて奔走する妻。苦悩の果てにたどりついたありのままの真実とは…?人間の狂気と正気を描き出すヒューマンサスペンス。主演の妻夫木聡が演じるのは、捕虜の実験手術に関わる西部帝国大学医学部助教授・鳥居太一。教授に中止を進言したが手術は続行され、終戦後に戦犯となってしまう。「"自らの責めは自らが負わねばならない" 罪とは何か、生きるとは何か、ひたすらに自分と向き合い続ける日々です。人間は愚かな生き物であります。しかし、誰かを思いやる温かい心になれるのもまた人間です。人としてあるべき姿とは何か、今一度この時代に問いかけられているような気が致します」と語る妻夫木さんは、「時代や環境が変われど、一つ一つの命の重みに変わりはありません。作品を通じて、命の尊さを感じて頂ければ」とメッセージ。太一の妻で、死刑判決を受けたことに納得せず、夫を救出するために奔走する房子を蒼井優が演じる。「胸が締め付けられるようなシーンがたくさんありますが、妻夫木さんが演じられる太一を信じ、最後の最後まで丁寧に演じて行けたら」と言い、「タイトルに見合う作品になることを期待しながら、精一杯頑張ります」と意気込んでいる。2人のほかにも、死刑囚棟の同じ房で太一と生活することになる元軍人役で永山絢斗、捕虜の実験手術を実行する西部帝国大学医学部第一外科教授役で鶴見辰吾。そして、山西惇、辻萬長、中原丈雄、若村麻由美らの出演も明らかになっている。終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」は8月13日(金)22時~NHK総合にて放送。※75分単発(cinemacafe.net)
2021年05月26日公開中の映画『スパイの妻<劇場版>』における東出昌大(32)の演技が話題だ。太平洋戦争前夜を舞台にした本作。東出が演じるのは蒼井優(35)演じる主人公の福原聡子の幼なじみで憲兵の津森泰治だ。津森は貿易会社を営む福原優作(高橋一生・39)とその妻・聡子夫婦と懇意にしていたが、国家機密を正義のため世に知らしめようとする優作たちを追い詰めていく。東出の冷徹な演技に対し《馴染みの好青年から冷徹な仮面を被った軍人へ変貌する東出さんの演技が素晴らしい》《怖い雰囲気がよく出ている》《東出の不気味さが良い》とネット上では称賛の声が上がっている。本作で第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を獲得した、監督の黒沢清(65)も、東出を評価。『スパイの妻』の舞台あいさつで、東出について「僕は大好きなんです。ご本人嫌がるかもしれないんですけど、“怪しい”んです。妖の“妖しさ”もあって。あらゆる面の“あやしさ”を持っている」と語った。今年1月に唐田えりか(23)との不倫が報じられ、8月には杏(34)との離婚を連名で発表した東出。本作のほかにも、出演作の公開を控えるが、スキャンダル発覚からそれほど時間をおかず多くの作品に出演する姿勢には、まだなお疑問の声も多い。《こんなに出てこられるのは、ちょっとまだ無理》《東出昌大が復帰してるのほんと謎》《渡部は、奥さんが許しているからいいけど、普通に出ている東出は不快極まりない》「元妻の杏さんも、8月の離婚後、来秋のTBS系日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』へ出演が決定するなど徐々に活動を増やしています。しかし、杏さんは3歳の双子の女児、2歳の長男を一人で育てており、育児と芸能活動を両立していくには苦労も多いでしょう」(芸能レポーター)加えて不倫相手であった唐田もメディアには姿を見せていない。今年7月、本誌は唐田の姉に取材。「女優復帰は厳しいのではないか、という声もあります」という記者の問いに、「このまま引退ということはないはずです。それでは本人はもちろん、家族も悔しすぎます」と答えている。しかし、復帰の目途ははまだたっていなさそうだ。これについても《唐田は復帰できないのに東出は仕事がある意味が分からない、不祥事があると女性は干されるのに男性は仕事があるのか》と、当事者二人の露出の差に疑問の声が上がる。二人の女性を裏切った東出に対する世間の目はまだまだ厳しいようだ。
2020年11月27日蒼井優を主演に迎え、黒沢清監督がメガホンを取った映画『スパイの妻<劇場版>』の配信トークイベントが10月7日、渋谷ユーロライブにて開催された。本作は太平洋戦争開戦間近の日本を舞台に、時代に翻弄された夫婦の愛と正義をかけたミステリーエンタテインメント。高橋一生演じる、恐ろしい国家秘密を知った夫を支える妻・聡子を日本映画界を牽引する女優の蒼井が演じる。先日行われた第77回ヴェネチア映画祭では銀獅子賞(監督賞)を受賞し、日本人作品としては17年ぶりの快挙を達成。トークライブには、黒澤監督、蒼井、高橋の3名が参加し、現在の心境や撮影の裏側を語った。イベント当日、ヴェネチアから到着したトロフィーを掲げて登場した黒沢監督。「ヴェネチア映画祭のコンペティション部門に選ばれただけで、もう十分幸せだったんですが、おまけにこのような賞をいただけて…。そのニュースを聞いたときは『やった』と思いつつ、実感がなかったんですが、このトロフィーが届いて、なにやら映画の歴史に名前が刻まれたんだなという感慨がわいてきました」と受賞の喜びを語る。さらに、この日初めてトロフィーを目にしたという蒼井は「人生でこんな近くで(トロフィーを)見ることができるなんて……。触れる距離にあるんですけど、(おそれ多くて)全然、触ろうと思わないというか、すごい“圧”があります」とリアルな心境を明かした。今回のトークイベントは事前にファンから集められた質問や、同時進行でTwitterから寄せられた質問に3人が答える形式で開催。劇中では1940年代の衣装が登場することから、お気に入りの衣装を尋ねられた高橋は、蒼井がポスターで着用している黄色のワンピースを挙げ「かわいかった」と語った。イベントでの黒沢監督の語り口について、ライブ配信のTwitterでは「監督が優しい!」というコメントが多く寄せられたが、蒼井は「今回で(一緒に仕事をするのは)3本目なんですが、初めて監督が神戸の出身で、関西人なので笑いをなるべく大切にされていると伺って…。現場では寡黙なイメージがあったので意外でした」と黒沢監督の意外な一面を明かす。続けて、蒼井と高橋に互いの印象や魅力を尋ねると、高橋は「夫婦役は2度目だったんですが、お芝居に関しては全幅の信頼を置いているので、楽しみで仕方がなかったです」と笑顔で振り、蒼井は「尊敬してる先輩なんですが、一緒に何かを作るということをさせていただけるのがありがたいです。すごい先輩であることを知りつつ、一緒に歩んでくださることに感謝しています。できればまた共演したいです!」と再共演を熱望した。高橋は本作について「見方によっていろんな捉え方ができる映画。根幹にあるのは、人が人を思うということ、人間的に生きていくための根源的なテーマが随所にまぶされている作品だと思います」と語り、蒼井さんは「人によってはホラーよりも怖い映画だと思います。夫婦の映画でありながら、ミステリーであり、謎がたくさんあって、見る人の数だけ答えがあります。ぜひ劇場で面白さと恐ろしさを楽しんでください」とメッセージを送る。最後に黒沢監督が、改めて蒼井さん、高橋さんについて「すさまじいお芝居を見せてくれる」と絶賛。「時に剛速球を、時にはすごい変化球が見ている方に飛んでいくので覚悟してご覧ください。それはみなさんを傷つけるのではなく、必ず心の中に刺さっていくと思いますので、どうか真正面から受け止めてください」と語り、トークライブは幕を閉じた。『スパイの妻<劇場版>』10月16日(金)全国公開
2020年10月08日黒沢清監督が蒼井優を主演に迎え、スーパーハイビジョン“8K”で撮影するドラマ「スパイの妻」がこのほど完成したことが分かった。1940年、太平洋戦争前夜の神戸。福原聡子(蒼井優)は満州へ赴いていた夫・優作(高橋一生)の帰りを待ちわびていた。ところが帰国後、幼なじみの憲兵・津森泰治(東出昌大)から呼び出され、夫が満州から連れ帰った女の死を告げられる。嫉妬心に駆られた聡子は、夫の行動を疑う中、彼が持ち帰った重大な秘密を目にしてしまう――。本作は、戦争という時代のうねりに翻弄されながらも、自らの信念と愛を貫く女性の姿を描くラブ・サスペンスドラマ。主演の蒼井さんと高橋一生が夫婦役で共演するほか、坂東龍汰、恒松祐里、みのすけ、玄理、東出昌大、笹野高史らが出演している。今回の完成を受けて、神戸の貿易商の夫をもつ福原聡子役を演じた蒼井さんは「この時代の女性を演じるのは今回が初めてだったのですが、思い描いたところに自分が行けているのか、どこか感覚が凝り固まっているのではないか、と常に自分を疑いながらの撮影でした」と慎重に撮影を行ったよう。また「黒沢監督は、立ち位置と動きを決めてくださって、そこからどうするかは、演じる側の俳優に委ねられるため、終始『正解は何だろう?』と思いながら演じていました。正解を当てに行くというよりは、不正解を知っていくことで役を形作っていくことができたように思います」とふり返っている。今回、初めての黒沢組参加となった聡子の夫役の高橋さんは「監督の世界観は非常に明確でしたので、動きの指示や細かな機微において、提示されたものの中でどれだけの事が出来るか、楽しみながら取り組むことができました」と参加した感想を語る。さらに「この時代の人間を演じるならではの、現代的な口調ではない台詞群を、どう解釈して出力するかという作業は、個人的にも面白い体験でした。また、撮影終盤には、大掛かりでクラシックなオープンセットを前に、百人以上のエキストラの皆さんが行き交う中で、1カットの非常に長いお芝居をやらせていただきましたが、各部署のスタッフの方々が動いていることを感じてここに参加させていただいていることの感謝と興奮がありました」と言い、「蒼井さんはお芝居で会話が出来る方なので、とても安心して刺激的な経験が出来たと思っています」とコメント。演出を手掛けた黒沢さんは「何より主演俳優二人が渾身の演技でこの時代のリアリティを体現してくれたこと、そして各スタッフたちがそれを支え、超濃密でどこか神秘的な8K映像が見る者をたちまち1940年代の日本へといざなってくれたこと、全てが最高のかたちで結びつきました。このような幸運な経験は、私の長いキャリアの中でも初めてのことです」と自信をみせている。「スパイの妻」は6月6日(土)14時~BS8Kにて放送。(cinemacafe.net)
2020年05月21日太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。その学徒たちの遺品や資料を集めた『ひめゆり平和祈念資料館』は、いまから30年前の’89年に設立された。全国でも珍しい、戦争関連の民間による博物館だ。《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『生きるも死ぬも一緒よ』と言っていたのに……。水が欲しくても、一滴も飲めずに一人で死んでいったんじゃないかと思うと、何年たっても辛い。だから、戦争はどんなことがあっても絶対ダメなんです》戦争体験を語っているのは、資料館の前館長で学徒隊の生き残りの一人、島袋淑子さん(91)。現在、自らの体験を語る“証言員(戦争体験者の語り手。資料館では戦後生まれの語り手のことは説明員という)”は6人しかいない。全員が90歳を超えている。’18年までの7年間、資料館の館長を務め、自らの戦争体験を語ることで、戦争を知らない世代に平和のバトンをつないできた。この日も、島袋さんの74年前の悲惨な光景が目に浮かぶような語りに、平和学習のため資料館を訪れた宮古島市立下地小学校の児童は、ぐんぐん引き込まれていった。島袋さんは1928年(昭和3年)、沖縄県北部の本部町伊豆味に生まれる。両親の愛情を一身に受けて育った島袋さんの将来の夢は、学校の先生になることだった。島袋さんは勉強に励み、沖縄師範学校女子部に合格。太平洋戦争が勃発した翌年の’42年(昭和17年)4月、14歳で晴れて師範学校の女学生となる。「憧れていたテニス部に入部したけど、1年生は球拾いばかりだったから、すぐにやめてしまったの。楽しかったのは英語の授業。先生が大好きで、授業がある日は、前日から楽しみにしていました」青春を謳歌していた師範学校時代。しかし、戦争の影は、学生生活に色濃く影を落としていた。「セーラー服は、布がたくさんいるからという理由で、私が入学した’42年から“へちま襟”の制服に変わりました。自由だった髪形も、1年生は二つ分けのおさげ、2年生は三つ編み、と厳しく決められて。大好きだった英語の先生は、出征してしまわれ、やがて、英語授業も『敵国の言葉だから』と廃止されました。でも、すべて“お国のため”と信じて疑いもしなかった……」天皇は神様で日本国民はその子ども。日本は特別な国なのだから、そのために命をささげるのは名誉なことだ、という“軍国教育”をたたき込まれ、島袋さんも“軍国少女”になっていたからだ。’44年(昭和19年)10月、那覇は大空襲を受け、焼け野原に。沖縄戦は、すぐそこまで迫っていた。「いよいよ敵が沖縄に上陸する。今日かぎりで学校は閉鎖するので看護要員として軍に協力せよ」’45年(昭和20年)3月23日、校長は、島袋さんら学生を一堂に集め、そう訓示を述べた。島袋さんは、師範学校3年生で17歳。すでに学校では、包帯の巻き方やギプスの当て方などを教わっていた。その夜、島袋さんを含む222人の女学生は、18人の教師に引率され、一晩かけて、歩いて南風原の沖縄陸軍病院に向かった。もんぺ姿で頭巾をかぶり、肩から救急カバンをかけた。「このときは、まだ戦争の本当の恐ろしさを知りませんでした。敵も病院には攻撃しないだろうし、1週間もすれば戻れるだろう、と。林間学校に行くみたいな気分で、『いよいよ国に奉仕ができる』と意気込んでいたんです」陸軍病院といっても、土を掘って作った壕の中に、ベッドを何台も並べただけの場所だった。「はじめは、水をくみに行ったり、おにぎりを配ったりするのが仕事でしたが、4月1日、米軍が沖縄本島に上陸してしばらくすると、血や泥だらけの負傷兵が、どんどん運ばれてきて、その看護に追われました」5月25日、米軍が迫ってきたので、さらに南に下れ、という命令が。民間人を犠牲にしても、時間を稼いで本土決戦を遅らせようという日本軍の戦略だった。「自力で歩けない患者は置き去りでした。青酸カリ入りのミルクが配られたという話も、戦後、生き残った兵士から聞きました」島袋さんらも壕を出て、敵の攻撃をくぐり抜けて、沖縄本島の南にある伊原第一外科壕に移った。現在のひめゆり平和祈念資料館から歩いて5~6分の距離だ。6月17日、島袋さんらがいる伊原第一外科壕の入口に大きな爆弾が落とされた。島袋さんは、食料調達のため外に出ていて免れたが、壕の中にいた学友の多くが犠牲になった。「昨日まで一緒に働いていた学友の一人が、おなかをやられて腸が飛び出していました。みー、みー、と言って水を欲しがって……。先輩が、ガーゼに浸した水をあげたら、しばらくして『天皇陛下万歳』と言って亡くなったんです。当時の教育の力なんですね」6月18日、アメリカ軍が間近に迫り、ひめゆり学徒隊に解散命令が下った。壕から追い出された女学生にとって、ここからが本当の地獄だった。「重傷で歩けない人は置いていくから、君たちは黙って出ていけ。軍から、そう言われました。友達がいるから残りますと言っても、ダメだと言われて……。歩けない友達は、『どこ行くの?行かないで』と言っていました。だからウソをついたんです。『本部から集合命令が出たから行ってくるね』って」島袋さんらは、動けない学友のために、水筒にありったけの水を入れ、枕元に置いて数人の友達とともに壕を出た。雨のように降り注ぐ砲弾から逃げまどっているうちに、島袋さんも米軍の砲弾で手足を負傷。もう逃げられないと思った島袋さんは、同じようにケガを負った学友と2人で、手投げ用の小型爆弾“手榴弾”で自決を試みる。「捕虜になるくらいなら自決せよ」と教えられていたからだ。「友達と私の間に手榴弾を置いて爆発させるつもりでした。でも、もう手榴弾が爆発する、となった瞬間、私は怖くなって、わぁっと放り投げてしまったんです」生き延びた島袋さんは、6月26日、米軍の捕虜となる。「捕虜になったのは自分たちだけ。情けない、と思っていました。だから、米兵に名前を聞かれたら、『死ぬことなんか怖くない、私を殺せ!』と抵抗したんです。バカでした。軍国少女だったんです」6月23日に、日本軍司令官の牛島満中将の自決によって終結した沖縄戦。犠牲となった県民の数は20万人ともいわれ、4人に1人が亡くなった。戦後、島袋さんは改めて教師を養成する文教学校に通い、’46年4月、中学校の先生になった。教師として子どもたちに接するなかで、島袋さんが常に肝に銘じていたことがある。それは、「間違っていることは間違っている。正しいことは正しい」と、言える人に育てよう、ということだった。「私たちは、どんなことがあっても日本は勝つと教えられ、そこに疑問を持つことも許されませんでした。教育って、恐ろしいものなんです」島袋さんは、その後、結婚・出産を経ても教師の仕事を辞めることはなかった。しかも、その間、自らの戦争体験を、生徒に語ったことはない。「長い間、自分の子どもにも、辛くて話せなかった。亡くなった友達が、よく夢に出てきました。『あんたたち、どこに行っていたのよ!捜したのよ!』と、言おうとして言葉にならず、声を出して家族によく起こされました」心の傷を抱えながら生きていた島袋さん。転機が訪れたのは、戦後37年たった’82年のことだ。師範学校女子部と第一高女の卒業生でつくる“ひめゆり同窓会”で、資料館を作ろうという計画が持ち上がったのだ。戦後生まれの人が増え、戦争の記憶も風化し始めたことに危機感を感じてのことだった。同級生たちは、街頭に立って募金を集めたり、講演で協力を呼びかけたりして、約2億円の寄付を集めた。自ら寄付をした同窓生も続出した。資料館の敷地の購入から、壕に入っての遺品集め、そして運営まで、すべて元ひめゆり学徒の手によって行われた。’89年6月23日、ひめゆり平和祈念資料館が開館する日。島袋さんらは気が気ではなかった。「ご遺族に、『なんであんたたちだけ生き残ったのか』と、責められるのではないか。消息がわからない人のことを聞かれたら、なんて答えたらいいんだろう、って」元学徒隊のメンバーとは、「あるがままに話すしかないさー」と、事前に相談し合ったという。「でも、実際に開館したら『あなたたちが生きてくれたから、資料館ができたのよ。ありがとう』と言ってくださって。それでやっと、私たちは生きていていいんだと思えるようになったんです。戦争の夢を見ることも少なくなりました」資料館が開館してからは、元学徒隊が毎日交代で3人ずつ資料館に通い、“証言員”として説明にあたった。しかし、年月とともに証言員は減っていき、現在残っているのは、島袋さんを含めた6人。’15年からは、この6人の負担を減らすため、体験を語る回数を減らしている。資料館で島袋さんが証言に立つのは、月に2回だ。《自分たちの味方でさえも見殺しにする、それが戦争です。私自身も、目の前に転がっている死体をまたいで水をくみに行きました。よけようとして回り道すると、弾が飛んできて当たるかもしれないからです。戦争は、人間を人間でなくします。だから、みなさんは、戦争は絶対ダメ!と言える大人になってください》子どもたちを前にすると、島袋さんの口調は、自然に熱を帯びていく。学徒隊の生き残りが少なくなっていくなかで、こうした貴重な体験を、次世代にどう伝えていくのか。「いま説明員を務める方々は、学生時代から戦争と平和について研究を続け、卒業したらここで働きたいと思ってくれた。それは本当にありがたいことです。私以上に戦争について研究してくれているので心強いと感じています。戦前のことを思うと、私はただ国の言うことを信じていましたので、反省するんです。だからこそ、今度、平和憲法が変えられたりして戦争の準備が始まったら、そのときは、私は牢に入れられても、ダメだと言い続けます。それが、戦争を体験した者の責任です」
2019年06月24日NHKが、特集ドラマ「マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束~」の制作開始を発表。岸惠子、清原果耶、林遣都、安藤サクラら出演者も発表された。本作は、太平洋戦争の中で最も凄惨を極めたフィリピン攻防戦の渦中、辛くも生き残った女性たちが書き残した戦争体験を基に描く、終戦の日関連の特集ドラマ。凛子と綾が営む駅前の小さな写真館は、綾が亡くなり、平成の時代に入り、店をたたもうとしていた。そんなところに、昭和20年のマニラ空襲で亡くなったはずの綾の弟から一通の手紙が届く。フィリピン人社会に紛れ込み溶け込むことで生きてきた弟が、綾の住所を探し出し送ってきたのだ。そして、凛子の胸にあのルソン島の日々、そして、凛子と綾だけの秘密がよみがえってくる…というあらすじだ。「豊饒の海」「地を渡る舟」を手掛けた長田育恵が描く本作では、戦後の昭和・平成を生き抜いたヒロイン凛子を、岸惠子と清原果耶がリレー形式で演じるほか、渡辺美佐子、山口まゆ、林遣都、大東駿介、福田転球、伊東四朗が出演。さらに、連続テレビ小説「まんぷく」でヒロインを演じた安藤サクラが、同作後初のNHKドラマに出演。伊東さんの娘役を演じる。特集ドラマ「マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束~」は8月8日(木)22時~NHK総合テレビにて、8月中にBSプレミアムで89分版を放送予定。(cinemacafe.net)
2019年05月11日