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初めての出産、初めての育児、今までに経験したことのないドキドキとワクワクでいっぱいでした。「不安なこともあるけれどきっと楽しいこともいっぱいある」「里帰り出産だからきっと母が心の支えになってくれる」と、そんな風に考えていました。退院の日をそんな思いで迎えると……、母の言動に衝撃を受けることになったのです! 自分が社会に出て、親になって初めて母の異常さに気がつきました。初めての出産は里帰りすることに長女が生まれたときの話です。初めての出産ということもあり、私の実家へ里帰りをすることになりました。出産予定の病院は私が生まれた病院、しかも出産予定日は私の誕生日と同じ日でした。きっと母も感慨深いものがあるだろうな、なんて思いながら私は出産の日を心待ちにしていました。 そして、ついに出産のときがやってきました。 出産予定日になったばかりの真夜中、陣痛が来たため、前もって休みを取っていた夫と一緒に急いで病院へ向かいました。病院へ到着したあと、陣痛は次第に激しくなり、今までに経験したことのない痛みに襲われる一方、子宮口はまったく開かず、気づいたら陣痛室のベッドは血まみれに……。 陣痛から約32時間後、もしかしたらもうこのまま出産は終わらないのではないかと思うぐらいの壮絶な体験を経て、ついに赤ちゃんと対面することができました。 いよいよ迎えた退院の日その後1週間の入院期間を順調に過ごし、ついに退院の日がやってきました。「この世に生まれてきたばかりの赤ちゃんを、病院の外に連れ出して本当に大丈夫なの?」と心配になるくらい赤ちゃんは小さくて、私がこの小さな命を守らなくてはと大きなプレッシャーを感じました。 退院の日は、夫の両親も遠方から実家に来て、赤ちゃんの誕生をみんなでお祝いする予定でした。私は入院をしていたので準備は母に任せてあり、夫は私の誕生日のお祝いも兼ねてケーキを買って帰ろうと提案してくれました。 前もって母には帰る時間を伝えてありましたが、その日、病院は忙しく、退院の手続きが遅くなりました。さらに帰る直前に赤ちゃんが3回もうんちをしたため、病院を出発する時間が30分ほど遅れてしまいました。 母のやさしい言葉を期待していたきっと子育ての先輩である母なら「出産お疲れさま」「大変だったね」「大丈夫だよ」と労いの言葉ややさしい言葉をかけてくれるに違いありません。そう思い、私は帰りの車の中で母に電話し、30分くらい遅れる旨を伝えました。 すると母は「は!? なんで!!?」「時間管理ができてないんじゃないの??」「配慮が足りない!」「義家族をおもてなしする気あんの!?」と、電話越しにとめどなく暴言を吐き続けたのです。 私は予想外のことにショックを受け、母が電話の向こうでひたすら文句を言い続ける中、何も言わずに電話を切りました。産後で情緒不安定だったこともあり、電話を切ったあと、車の中で私は号泣。そんな私の姿を見て夫はびっくりしていました。 私は夫に泣きながら母から電話口で言われたことを話しました。そして、「ケーキを買って帰るのはやめよう」と夫に伝え、赤ちゃんに必要な物を買うのもあきらめて、急いで実家へと帰りました。 実家へ帰ると母はまさかの…そして、実家に着くと、なんと母は何の準備もせず座って笑いながらのんびりとテレビを見ていました。私たちが家に到着して30分ほどたったころ、母は急いでお祝いの食事の買い物に行き、買い物から帰ってくると慌ててテーブルセッティングをし始めました。あれだけ私に「時間管理がー」とか「配慮がー」とか言っていたのに……。 結局、気をつかった夫が両親に頼んでくれたらしく、義両親がお祝いのケーキを買ってきてくれました。私は大泣きして目を腫らしたまま義両親を迎えることに。退院前にはまったく予想もしていなかった、なんとも気まずく胸がムカムカするお祝いになりました。 自分が母親になって初めて親のありがたみや大変さがわかるのだろう。そして親はいつまでも頼りになる存在で、子どもには無償の愛を注いでくれるものだろう。私はそう信じて疑いませんでした。しかし、親には親の考え方や接し方があると気づいたのは、自分が母親になったときでした……。私はわが子が大人になっても無償の愛を注ぎ続けたい、そして、大人になっても子どもに寄りそえる母親になりたい、そう強く思った出来事でした。 著者:たつこ6歳、3歳、2歳、0歳(10カ月)の4児の母。現在、実家で夫と子ども4人と実の両親と同居中。夫の自営業をお手伝いする形で仕事をするかたわら、自身もネット関連の仕事を始める準備中。監修者・著者:助産師 松田玲子
2022年10月18日今年、女の子を出産しましたが、想像もしていなかった出産となりました。待望の子どもだったため、楽しみでとてもわくわくしていました。おなかの中ですくすく育ってくれて妊婦健診では毎回順調。大変だったエピソードばかり見ているけれど、このまま出産もスムーズにいくのでは!?と淡い期待をしていました。しかし、そんな私に、まさかの出来事が……! 私の出産体験をご紹介します。便器に座ろうとした瞬間…!?初めての妊娠で心配していましたが、妊婦経過では順調でした。里帰り後の妊娠37週の健診では「まだ生まれないかな」と言われたので、「出産予定日近くに生まれるかなぁ」と思っていました。 妊娠37週4日。寝る前に仕事終わりの夫とLINEをしたあと、22時ごろ、そろそろ寝ようかなと思っていると、生理痛のようなおなかの痛みが。妊娠中は便秘で腹痛がよくあったため、特に気にせずお手洗いへ。すると、便器に座ろうとした瞬間……。 「あ、尿漏れした」と思いました。尿漏れもよくあったのでここでも特に気にせずズボンをおろすと、少量の出血とおりもののようなものが出ていました。おしるしかと調べていると、ナプキンでは防ぎきれない量の水のようなものが出てきました。病院へ電話し、入院準備を持参して、病院で検査してもらうことに。 検査の結果は…検査の結果、破水していたようで即入院となりました。病院に着いてからおなかの痛みはありましたが、痛みが来る間隔は等間隔になりません。翌日朝の診察で、破水しているため感染症が心配と言われ、バルーンを入れて、午後に陣痛促進剤を打つことになりました。痛いと噂のバルーンですが、もともと便秘で朝からおなかが痛かったので、その痛みにかき消されてよくわからないまま終わりました。 その後はバルーンが抜けるまで待機。なかなか子宮口が広がらず、5時間後の14時に陣痛促進剤を開始し、その1時間後にバルーンが抜けました。陣痛促進剤を開始してからはひたすら痛みに耐え、悶絶していました。 17時ごろの診察で、「子宮口はまだ4cmだね。今日は生まれないから陣痛促進剤は一旦中止して、明日の朝また開始しましょう。体に薬が残っているから痛みはあるかもしれないけれど、基本的には和らぎます。でもこのまま自然と陣痛になるかもしれないからね」と言われました。私はやっとこの痛みから開放される!と喜んだのもつかの間。痛みはどんどん強くなり、朝まで耐えることに……。 出産後、ホッとしていた私と、焦る先生眠れぬ夜を過ごし、翌日8時ごろ、別の種類の陣痛促進剤を開始しました。1時間後には陣痛が数分間隔になり、痛みがまた強くなりました。11時ごろ、子宮口が8cmになったためやっと夫が立ち会うことができました。 12時ごろ、子宮口は全開大になり、お産の体勢に。前日の夜から食事もとれず細切れ睡眠だったためもう体力はほとんど残っていません。限界がきてしまい、「寝る→痛みで起こされ、いきむ→寝る→起きて、いきむ」の繰り返しでした。13時ごろ、気がつくと周りにたくさんの助産師さんと先生が……。 「次で産むよ!」と急に言われ、最後の力をふりしぼり、出産しました。やっと生まれたことで安心していましたが、ここからが大変だったのです。無事に出産できたはずが、先生がすごく焦っていました。通常は自然に胎盤が剥がれず、出てこないとのこと。「子宮口が閉じる前に頑張ってとるからね! 痛いけれど我慢して!」と、胎盤用手剝離という処置がとられ、子宮をぐりぐりとされました。 最初は我慢できるかなと思いましたが、思いのほか時間が長くつらく感じました。横に赤ちゃんがいるのに痛くて見る余裕もありません。このままどうなってしまうのだろうと、とても不安でした。無事にすべて取り除いてもらいましたが、1.7Lの出血をしたため、そのまま分娩室で朝まで過ごすことに。疲れと大量出血でぼーっとしてしまい、そのあとの記憶はあいまいです。 横には赤ちゃんがいるのに助産師さんがおなかを押すたびにごぼっと出血をし、恐怖だったのは今でも覚えています。翌日も貧血の数値が悪かったので、輸血をするかもしれないと言われていました。しかし、ゆっくり休んでいたおかげか、回復し、輸血は回避できました。 その後の入院中も、普通に歩くことができたので驚かれました。助産師さんに、「この量の出血だと起き上がることもできない人が多いけれど、身長が高いから大丈夫だったのかな? でも本当に急に倒れることもあるから無理しないで!」と言われました。 みなさん心配してくださって、退院まで至れり尽くせりでした。このまま退院したくないと思うほどでした。 予想外のことだらけの初めての出産でした。痛みと引き換えに愛おしいわが子に出会えて幸せだなと毎日感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:Tama/女性・主婦。アラサー専業主婦。結婚5年目で今年女の子を出産。不妊治療を経ての妊娠だったので、不妊治療の体験談や出産、子育てに関する記事を執筆予定。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年10月15日私が長男を妊娠中のころのお話です。妊娠初期を過ぎて体調が落ち着いた妊娠5カ月ごろ、病院で性別を確認してもらうことができました。義母に早く報告したくて、私はウキウキしながら性別を伝えました。すると、義母から信じられないことを言われたのです……!!妊娠5カ月で、性別が判明!私が長男を妊娠中のころのエピソードです。妊娠5カ月のころ、病院で性別を確認してもらうことができました。その日の夜、義母に早く報告したくてウキウキしながら会いに行きました。義父母にとっては初孫です。孫の誕生をとても楽しみにしてくれていたため、義母に性別を早く報告したかったのです。 「お義母さん、性別わかりましたよ!」と私が言うと、「ほんと??」と義母。私は、「はい! え~と、男の子です!」と言いました。すると義母は……。 義母の反応に絶句「え、ほんと?」とまた聞き返すのです。 私は「はい! 男の子でしたよ」と再度伝えました。すると今度は、義母は「えー、なんで?? やだ私は女の子かと思ってたー。女の子がよかったのにー!!!」と言ったのです。 私は思わず絶句してしまいました……。義母は「どうした?」とよくわかっていない様子。けれども私はしばらく絶句したままでした。 あれから13年…本当にショックすぎて、言われた瞬間も、帰りもずっと無言でした。夫はその会話は聞いていなかったようで「どうしたの?」とずっと聞いてきていましたが、私は放心状態。帰って泣きながら夫に話しました。そのあと夫が義母に怒りの電話をしたようですが、私は13年たった今もまだ忘れられません。 男の子でも女の子でも、一緒に喜んでもらえると思っていたので、思ってもいない言葉をかけられショックが大きかったです。 もう、義母は覚えていないかもしれませんが、きっとわたしは一生忘れられないと思います。義母はそこまで深く考えて発言したわけではないと思いますが、私のように深く傷つくこともあるのだなあと実感。特に妊娠中や産後の状態はセンシティブになっている時期でもあります。このことを教訓として、私も発言には気をつけたいと思った出来事でした。 著者:虎ママ13歳、9歳の2人の息子の母です。今現在反抗期真っ只中の中2男子と、小3男子の子育てに毎日奮闘しています。
2022年10月14日第2子妊娠中のことです。第1子に比べると出産準備が簡単になりがちで、わが家では戌の日の安産祈願さえも省略してしまいそうな雰囲気でした。それでもなんとなく行かなければいけない気がして、ひとりで安産祈願へ。すると思いがけない出来事が待っていたのです……!安産祈願を夫に提案したけれど……第2子の妊娠5カ月、最初の戌の日のことです。不定期な休みの夫と、私の休みがちょうど重なったので、上の子を連れて安産祈願に行かないかと提案しました。しかし、上の子は3歳で騒ぎたい年ごろなのに加えて、世間はコロナ禍……。無理していくことはないんじゃないかと却下され、夫と子どもは散歩に行ってしまいました。 第1子のときは、安産祈願で有名な神社まで車で1時間ほどかけて行ったのに、第2子には何もしてあげないのは何となく気が引けました。とはいえ、ひとりで遠くへ行くのは不安だったので、氏神さまへごあいさつに行くことに。 どこからともなく現れたのは!予約もせずに行ったので、社務所には誰もいません。本殿の前で気持ちばかりのお賽銭を入れて「第2子も無事に生まれますよう、見守ってください」と祈願しました。 一礼して本殿を去ろうとすると、どこからともなく猫がやってきて、私を見上げました。私が鳥居に向かって戻って行こうとすると、しばらくついてくるのです。駐車場まで戻ると、次第に猫は離れて行きました。 「戌の日なのに……」散歩から帰ってきた夫にこの話をしたら、「戌の日なのに犬じゃなくて猫!」と言って笑っていました。しかし、神さまが寄り添って見送ってくれたようで、私にとってはとてもうれしい出来事でした。 祈願に行く前は、家族が安産祈願に消極的なことがさみしく感じられてモヤモヤしていましたが、猫のおかげで母と胎児だけのささやかな祈願が、いい思い出話になりました。その後、第2子を無事出産したので、子どもが大きくなったらこの話を聞かせてあげたいなと思っています。 監修/助産師 松田玲子著者:柳 蓮花4歳、0歳の2児の母。第2子出産を機に退職し、現在は在宅ワークの道を模索しつつ、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年10月13日初めての出産後、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころでした。それから毎月妊娠検査薬とにらめっこをして約半年、待ちに待った陽性判定が! ですが、順調にいくと思っていた妊娠は思いがけない結果となってしまい……。改めて妊娠・出産は奇跡なのだと感じずにはいられなかった体験談をご紹介します。考え始めた2人目私が長男を出産したのは20代前半のころで、授かり婚だったため、1人目を妊娠するにあたり妊活をすることはありませんでした。できれば長男にきょうだいを作ってあげたいこともあり、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころです。 ちょうどそのころになると2人目の話をするママも多く、実際に妊娠するママ友もおり、自分も2歳差で産めたらいいなと思っていました。 待ちに待った陽性判定2人目を考え始めてから、毎月生理が来るたびに落胆していましたが、避妊をやめてから半年後、妊娠検査薬で待ちに待った陽性反応が! 妊娠5週にあたる日に産婦人科へ行き、正常妊娠であることを確認できました。 このままいけば長男と2歳半、2学年差での出産予定。ですが、胎嚢の大きさが小さめで、排卵日がずれているのかもしれないと医師から言われたことが少し気になりました。 2週間後に再診。しかし……初診から2週間後、妊娠7週で再度受診したときのことです。心拍が確認できるころでしたが、あるはずの心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見当たりません、あるのは大きくなった胎嚢のみです。ここで医師から私が告げられたのは「流産の可能性がある」ということでした。 ただ、翌週になれば心拍が確認できるかもしれないということで、1週間後に再診になりました。つわりもありましたが、長男の妊娠時と比較してラクだったのを覚えています。 初診から1カ月。結果は……妊娠8週に再度受診しましたが、やはり大きくなっているのは胎嚢のみで心拍は確認できませんでした。もう1週様子を見ることになりましたが、妊娠9週になっても心拍は確認できず……。胎嚢も崩れてきており、「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」の診断がおりました。 このまま自然排出を待つより手術してしまったほうが良いということで、翌週には流産の手術をしました。幸いにも私の場合、他の病気などが原因ではありませんでしたが、医師の話によれば経産婦でも半分近くの方が流産を経験しているそうです。 流産から3カ月経ち再度妊娠しましたが、「また流産するのでは……」とヒヤヒヤしていたのは忘れられません。結果として長男と3歳差で次男を出産し、その後に次男と2歳差で長女を出産しました。自分とは無縁だと思っていた流産を経験し、妊娠そして出産は奇跡なんだと改めて感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月09日義母は、身長が私とほぼ同じです。そんな義母に、妊娠前から「ごはんちゃんと食べてるの?」、妊娠中には「もっと食べなきゃ!」「産後は、痩せてると育児できないよ」と、会うたびに体重のことを指摘され、嫌な気分になりました。「義母と、親しくしたいけれど、嫌なことは嫌だ」と正直に私の気持ちを夫に伝え、義母との良好な関係性を築けるように義母と私の間に入ってもらいました。私の体重を気にする義母……義母は、身長150cm、40kg前後の私に「体重何kgくらいあるの?」と会うたびに聞いてきます。ごはんはしっかり食べているし、保育士をしているのでよく体を動かすこともあり、さらに体質も関係しているのか私は太ることができません。 義母は妊娠前・妊娠判明直後、産後も私に体重を聞いてきましたが、それが大きなストレス。保育士をしていることもあり、子育てをしていくだけの体力はしっかりあると思っていました。産後、子どもを見にきたときの義母からのひと言目は「何kg増えたの?」でした。 体重で決めつけられるのが苦痛妊娠中のことです。安定期に入り、義実家にも妊娠したことを報告しました。すると、「私は、産後痩せちゃって子どもをお風呂に入れられなかったのよ。だから太ったほうがいいのよ!」と、痩せていると子どもを支えられないと、義母は決めつけてきました。 義母は、過去の自分の経験から心配しているのだと思いますが、考えを押し付けられているように感じました。「最低でも42kgはないと、子育てしていけないよ!」と具体的な数字まで出してきましたが、体重や体調は人それぞれ。妊娠中は、義母に会うのが嫌になってしまいました。 我慢できず、夫に打ち明けた結果せっかくのうれしい出来事の妊娠・出産なのに、体重のことばかり気にする義母に、私は会いたくなくなってしまいました。夫に「私は、義母に体重を指摘されることがすごく嫌だ。仕事では保育士をしているし、痩せているけれど子育てはちゃんとできるよ!」と義母に対する怒りをぶつけました。 夫は、そのことを義母にそれとなく伝えてくれたようで、息子が1歳になった今でも時々言われますが、子育てを楽しむ心の余裕ができたこともあり、以前ほど気にならなくなりました。 義母との関係を悪化させたくなく、体重の指摘、義母の経験を押し付けられることを我慢していました。体力や体重は人それぞれという考え方はない義母。我慢しすぎず、もっと早く夫に伝えればよかったなと思いました。息子が生まれ、義母と会う回数が増えました。良好な関係を築いていくために、私が我慢すればいいと考えていましたが、夫に頼ることもときには大切であると実感しました。 著者:白田 よう保育士として働いていたが、出産を機に退職。やんちゃな男の子を育てながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年10月05日いよいよ2人目の出産が近づいてきた妊娠37週。産婦人科の先生からは「もういつ生まれても大丈夫」と言われ、陣痛を待つ日々が続きました。しかし出産当日、あろうことか陣痛を放置し、入院費用を安く済ませようとした私の恥ずかしい失敗談をご紹介します。入院費用が無駄になったママ友第2子妊娠中のときのこと。出産したばかりのママ友に会いに行きました。「陣痛が来たと思って、夜中11時に入院したの。そしたら痛みが消えちゃって、病院の朝ごはん食べてそのまま帰ったんだよ」と、出産前の体験談を話してくれました。 彼女の通う産婦人科は、午前0時から翌日午前0時までの24時間で1日分の入院費がかかる仕組み。ママ友は数時間病院にいただけで、2日分の入院費約2万円を支払ったというのです。 そこで私は自分が通う産婦人科の入院費用のシステムを調べることもなく、「とにかくギリギリまで家で耐えよう」というおかしな思考に。 陣痛なのかわからない…我慢すべし!1人目の出産時は陣痛促進剤で陣痛を起こしたため、陣痛が来る前から病院でスタンバイ。痛みがあると、すぐに助産師さんに相談できる状況でした。家で陣痛を待つのは第2子が初めて。 出産予定日前日の午前4時。腰に重い痛みが出てきました。陣痛の間隔をアプリではかるものの、10分だったり、20分だったり。まれにかなり強い痛みがありましたが、起きてきた上の子の朝ごはんを作ったり、洗濯をしていたりすると痛みを忘れることも。 「こんな朝早くに行ったら、早朝の追加料金がかかるかもしれない。これは陣痛じゃない……」。間隔がバラバラという理由だけで、陣痛ではないと自分に言い聞かせ、家で我慢していました。 病院に着いたときには子宮口8cm午前10時を過ぎても、痛みは続いていました。でも間隔は、5分のときもあれば15分のときも。「外来も始まった時間。追加料金もないはず」と思った私。一度病院に電話をしてみると、電話口の助産師さんからすぐ来るようにとの指示。病院へ着き、器械を20分ほどつけて陣痛の確認。子宮口の開きもチェックしてくれました。 すると、助産師さんは焦った様子。陣痛は4~5分間隔、子宮口は8cmも開いていたのです。私はすぐに分娩台へ。点滴の処理が終わるのを待って、助産師さんから「はい、いきんで」の声が掛かります。5回いきんだら、第2子がこの世に誕生していました。病院に到着して約1時間後の話です。 「もう少し入院が遅かったら、家や道端で生まれてたよ。3人目は気をつけて」。そうやさしく注意してくれた助産師さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。入院代をケチろうと軽く考えていた私。子どもと自分にとって、非常に危険な行動をしてしまいました。陣痛か迷ったら、まずは病院へ電話をして相談するべきだったと後悔しています。 ※入院のタイミングは産院の指導に従いましょう。また、出産前に何か気になるとこがある場合は、産院に連絡し、指示を仰ぎましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2022年10月04日2人目の妊活中、マタニティ用品や育児グッズは1人目のときの物をまた使えばいいので、妊娠・出産に向けて特に何か準備が必要だとは考えていませんでした。しかし、実際に2人目を授かってみると、予想しなかった問題が生じたのです。つわりがつらい!1人目のときはつわりがほとんどなかったのですが、2人目を妊娠すると、つわりがつらく、ひどい船酔いのような状態が何週間も続きました。 そのころ、上の子はまだ幼稚園入園前。1日中遊びの相手をするのが大変で、一時保育を利用してみたいと考えました。ところが、それまでに一時保育の利用経験がなく、預けられる施設を探すところからのスタートになってしまいました。 一時保育の予約がとれない!?近所で見つけた施設は、事前に利用登録が必要でした。なんとか登録手続きを済ませたものの、いざ利用の予約を入れようとすると「すみません、その日は一時保育の枠はいっぱいです」と、思いがけない回答が……。 つわりの具合を見ながら、どうしてもつらいときだけ預けようと思っていたのですが、予約は早めに入れておかないとすぐいっぱいになってしまうようです。結局、思ったようには利用することができませんでした。 早めの情報収集と利用登録を!当時住んでいた地域は子どもが多く、保育園や幼稚園の入園は激戦状態。一時保育も例外ではなく、「使いたいときに使うためには、複数の施設に利用登録しておいたほうがいいよ」と、あとになってママ友から教わりました。 妊娠前は特に一時保育の必要性は感じていなかったのですが、何かあったときのためにもっと早くから情報収集をして利用登録を済ませておけばよかったです。 1人目のときは妊娠経過が順調だった人も、2人目以降も同様とは限りません。実家が遠方など頼れる人が近くにいない場合は、不測の事態に備え一時保育等を利用できるよう準備しておくことをおすすめします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:奥田美紀2児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月03日第3子の妊娠中、おなかの子に先天性の疾患があることがわかり、帝王切開で出産することが決まりました。もともと里帰りではなく、産後は義母にきてもらう予定でしたが、今回は帝王切開なので入院が9日間。自然分娩のときと比べると4日ほど長いうえ、しかも産後は生まれた赤ちゃんの治療もありバタバタすることが予想されていました。義母や上の子たちが大変な思いをしないためにはどうしたらいいのか、私は悩んでいました。今までと違う入院中の生活上の子たちを産んだ病院は家から車で10分ほどの場所だったので義母や上の子たちは毎日お見舞いにきてくれていて、義母や上の子たちが困っていることを聞けたので都度対応できました。 しかし今回は家から車で1時間近くかかる場所、さらにこども病院なので感染症予防の観点から病棟への立ち入りが制限されており、上の子たちは病棟に入ることができません。つまり大人が2人以上いるときしかお見舞いにこられないので、夫が仕事の休みのときにしか義母と会うことができないのです。 義母の心配事入院中、義母が困っても即座に対応することは難しかったので、私は前もって義母に心配なことがないか電話で聞いてみました。いろいろと話し、伝えられることはその場で伝えましたが、義母は特に「子どもウケする献立作り」と「子どもが体調を崩したときの対応」に不安を持っているようです。 こういったことは非常に複雑で、電話で教えたところで、すべて記憶してもらうのは難しいもの。そこで私は「上の子たちの説明書」を作ることにしました。 上の子たちの説明書ノートを1冊用意し、上の子たちの普段の1日の流れから書き始めました。食事についてはあまり細かいことを書きすぎると義母が大変だと思ったので、「好きな物、嫌いな物」と「食べる量の目安」や「各自の食器」だけにしました。 体調不良時の対応については「病院に行く目安」や「かかりつけの病院」だけでなく、「常備薬や体温計、保険証等の場所」も書くようにしました。その他、「トイレの対応」や「DVDプレーヤーの使い方」など詳しく書いていき、それぞれ項目にインデックスをつけて、「上の子たちの説明書」の出来上がりです。 忙しい入院中に大活躍張り切りすぎたかなとも思いましたが、結論から言うと「上の子たちの説明書」は大活躍でした。産後すぐ、生まれた赤ちゃんは容体が急変して手術となり生死を危ぶむ状況が続いていたので、私はとても日常の困りごとに対応できる状態ではなかったのです。 何度か家族全員でお見舞いに来てくれましたが、病棟を離れられる時間は限られていましたし、上の子たちも場の雰囲気を察してか機嫌が悪く、とてもゆっくり相談にのることができる状態ではありませんでした。義母からも「あれのおかげで連絡が取れなくても不安がなかった」と絶賛されました。 今回のことで、子どもたちに関する情報を記録し、共有しておくことの大切さを思い知りました。今は特に子どもたちと離れる予定はないのですが、何か起こってからでは準備が間に合わないので、このとき作った「子どもたちの説明書」を常にアップデートしながら備えておこうと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療的ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院で農学を学んだ経験から食についても執筆。
2022年10月02日耳の聞こえないパパ・ととちゃんとママ・ゆうこさんが、家族の日常を公開しているYouTubeチャンネル「みゆみゆチャンネル」。今回は、パパと5歳の娘さん・かいちゃんが、初めて2人だけで回転ずしデートしたときの様子をご紹介します。ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 みゆみゆチャンネルとは耳が聞こえないパパ・ととちゃん、ママ・ゆうこさん、22歳の長女と高校3年生の次女、小学生の3女・かいちゃんの5人家族。ととちゃんとゆうこさんはステップファミリーで、長女と次女はゆうこさんの連れ子、3女のかいちゃんは2人の実子です。長女はすでに結婚していて、もうすぐママになる予定なのだとか。2人の出会いは、職場だったそう。もともと、ゆうこさんは手話通訳として働いていましたが、当時はあまり手話がじょうずではなく、ととちゃんに仕事と手話の両方を教えてもらうなかで、惹かれていったそうです。そんなお二人が作りあげるYouTubeチャンネルの「みゆみゆチャンネル」には、ととちゃん、ゆうこさん、かいちゃんの3人がメインで登場します。今回この記事でご紹介する動画では、現在小学生のかいちゃんが5歳のときに、ととちゃんと2人で外食に行く様子が紹介されています。手話と口話(聴覚に障害を持つ方が、相手のくちびるの動きを読み取り、口の形をまねながら言葉を発する方法)で織りなす、2人の独特な会話のテンポに注目です。 パパと娘だけで初めての外食 動画はパパ・ととちゃんと、娘・かいちゃんがお出かけの準備をしているところから始まります。 髪を結んでもらったかいちゃんが、鏡でチェックして「かわいい」とパパに感謝の気持ちを伝える姿にほっこりします。 そして、回転ずしチェーン「スシロー」に到着! ここで、かいちゃんが階段で最後の数段を踏み外してしまうのですが、ととちゃんは耳が聞こえないので気づかずに進んでしまいます。 そして、入り口の発券機で止まったととちゃんは、ようやくかいちゃんが泣いていることに気づきます。 「落ちたの?」と聞くととちゃんに、「階段の所でぐるぐるって」と答えるかいちゃん。 階段で転んでしまい、泣いていたかいちゃんですが、呼び出し番号についての音声案内が流れると、聞こえないととちゃんに「まだご案内の準備ができていません、だって」などとしっかり伝えてサポートします。 かいちゃんのこの行動について、動画のコメント欄には「自分の感情が高ぶっているときに、順番がいつ来るかパパがわかるように、自分のわかる範囲で伝えているのすごい、賢い」と称賛コメントが届いていました。自分の状況や周りの環境について、しっかりと手話で伝えられるのはすごいことですよね。 感情的にならずに、しっかり気持ちを伝える5歳児 その後、少し落ち着いたかいちゃんは、ととちゃんに「なんで見てくれなかったの? ととちゃんが手を繋いでくれなかったから転んじゃったんだよ」と、自分の気持ちをしっかりと伝えていました。 この行動にも「このくらいの小さい子って、転んで痛かったら大泣きすると思うんだけど、パパに転んで痛かったこと、パパが見てくれなかったこと、自分が何をして欲しかったか(手を繋ぐ)を伝えられるってすごい」と称賛の声が。 しっかり者だけど、かわいさもあるかいちゃん しっかり者のかいちゃんは「2本あるお醤油は、軽いほうから使ってね」とパパに説明します。 さらに、ととちゃんに「あんまり、たくさん食べないでね。お皿が天井までついちゃうし、お金をいっぱい払わなきゃいけなくなっちゃうから」と心配するかいちゃんの姿にほっこりします。 手話を教えてもらいながらパパと会話 手話と口話を混ぜて、ととちゃんと会話をするかいちゃんですが、たまに手話を間違ってしまうことも。そんなときは、ととちゃんがやさしく教えてくれます。 かいちゃんが手話と口話でパパと話す姿について、コメント欄には「最初は、女の子のしゃべり方が少し独特だなぁって思っていたけど、お父さんに口の動きとかが伝わりやすいようなしゃべり方にしてるのかなって気づいたときに、本当にこの子は賢くてやさしい子なんだなと思いました」と、かいちゃんのやさしい心づかいに気づいた方から温かい言葉が寄せられていました。 動画は食事を終えた2人がお店を出て終了ですが、かいちゃんの育児や手話のこと、そして今回ご紹介した動画について、ママ・ゆうこさん、パパ・ととちゃん、かいちゃんに取材しました。 かいちゃんはどのように手話を覚えていったのでしょうか。ゆうこさん:自然と生活の中で覚えたように思います。赤ちゃんのころ、私と夫が会話している揺れる手をじっと見つめていることがよくありました。2人のお出かけの様子を見てどう感じられましたか?ゆうこさん:転んで目を離したパパに怒り泣きながらも、パパの助けになっている姿に、ママがいるときといないときでは見せる顔が違うことに驚きましたし、誇らしく思いました。 パパ・ととちゃんには、育児で大変なことを聞いてみました。 育児で大変だったことはありますか?ととちゃん:あまり大変だった記憶はないのですが、妻が家にいないと、泣いている声がわからないので、子どもを寝かせたまま別の部屋へ行くのが難しいことがあります。そばを離れる場合は、数分おきに覗いて子どもの様子を確認しなくてはならないことが唯一大変だった気がします。また、かいちゃんに、パパ・ととちゃんのことについて聞いてみました。 かいちゃんにとって、ととちゃんはどんなパパですか?かいちゃん:ととちゃんはママよりやさしいけど、怒るとママより怖い! パパの耳が聞こえないことについて、どう思う?かいちゃん:よく分からない。 このかいちゃんの答えに、ママ・ゆうさんは 「娘は生まれたときから、ととちゃんと一緒にいて、手話は自然に身につけたコミュニケーション方法なので、疑問に思うことがないのではないのでしょうか。また、今後成長するにつれて、自分と誰かを比べるようになると、少し他の家族とは違うということに気づくのではないかと思います。いろいろな人がいるということを良い形で学んでほしいなと思いますし、将来困っている人に気軽に声かけと手助けができる人になってほしいなと思います」と話してくれました。 ゆうこさん、ととちゃん、取材にご協力いただきありがとうございました! かいちゃんの行動には、視聴者から称賛の嵐でしたが、ゆうこさんは特にパパの耳が聞こえないことについて、かいちゃんに話をしたことはないそうです。かいちゃんがある程度言葉を理解するようになった時点で、「世の中にはさまざまな障害を持つ人がいるから、困っていたら助ける」ということを簡単に伝えたそうです。自分で考えて、行動に移せている5歳のかいちゃんは本当にすごいですね! 「みゆみゆチャンネル」では、3人の日常動画が投稿されています。大きくなったかいちゃんにも見られるので、こちらも併せてチェックしてみてくださいね♪ 著者:ライター 廣瀬尚子二児の母。女性誌の編集を経て、フリーランスに。広告やアパレルブランドの撮影、雑誌やWEBマガジンの執筆などを手がける。
2022年09月29日職場の同僚のMahoさんとRisaさん。一緒に仕事をする中でお互いに惹かれあい、お付き合いをスタートさせました。現在Risaは妊娠中。この秋に出産予定だそうです。YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、そんなお2人の正直な気持ちや家族の在り方について、ありのままの姿を動画で紹介されています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 職場の同僚であるMahoさんとRisaさん。最初は仕事仲間として接していたそうですが、徐々にお互いを意識するようになったと言います。 Mahoさんから見たRisaさんは、「誰とでもすごく仲良くなって、みんなを巻き込んで仕事ができる人」ずっと尊敬していたのだそうです。一方、「Mahoはとにかくいっぱい笑う人。一緒にいて楽しいんです」とRisaさん。いつしか仲の良い同僚という関係を越え、自然とお付き合いが始まったのだそうです。 今回は、同性であるMahoさんとRisaさんの妊活の流れについて紹介します。お2人は妊活プロセスに4つのステップを踏んだと言います。いったいどんなステップだったのでしょうか。 ステップ1:どうして子どもを持ちたいと思ったのか「ビジョンのすり合わせ」 Risaさん(写真左)とMahoさん(写真右) 最初のステップは話し合い。「どんな人生を歩んでいきたいか」「どういう家族を作っていきたいか」について話し合ったそうです。 仕事柄、資料を作ってプレゼンをすることが多いというお2人。資料を作成し、ディスカッションを重ねたと言います。しかも、宿泊をして、「考える時間」「考えをシェアする時間」などを設けたのだとか。まるで合宿みたいだったと、当時を振り返り笑い合います。 Mahoさん:私は今の状況に感謝した上で、自分自身で幸せになるための意思決定をし、幸せを最大化したいと考えています。「私個人」「私とRisa」「Maho Risa Family」としてもっと幸せを増やしたい。そして両親や友だち家族という広い単位でも幸せを増やしていきたいと思っています。 子どもに関しては、「自分が幸せになるだけでなく、子どもも幸せにできないと一歩踏み出してはいけない」と思っていました。でも、Risaと一緒に過ごしていく中で、「Risaとだったら、絶対に子どもを幸せにできる」という確信を持てたんです。Risaさん:Mahoの考えと重なる部分はもちろんあります。私は自分だけでなく、いろんな人との関わりの中で幸せを感じるタイプなので、その関わりを広げていきたいと思っています。私自身、家族との関係があまり良くなかった時期もあったのですが、祖母が亡くなった出来事を通じて、家族との関係が良くなっていきました。そのときに改めて家族との繋がりを感じ、「自分は自分でいいんだ」と安心しました。そして、家族の重要性を実感できたんです。 昔から子どもは持ちたいと思ってはいましたが、その時のパートナーの性別次第で「自分が絶対に産みたい」というところまでは考えていませんでした。Mahoと出会ってファミリープランを話す中で、「できれば2人子どもが欲しいね」という話になり、「それぞれ1人ずつ産むなら年齢の高い私から妊活を始めよう」ということになりました。 お互いの気持ちを言語化し、改めて考えを確認し合ったお2人。「家族でも話さないと理解しきれないことがある。きちんと話す場を作って想いや考えを言語化してシェアすることが大事だと思う」そう、力説されていました。 ステップ2:リアルな情報で具体的なイメージを。「同性カップルの子育て事情を情報収集」 すり合わせの次は情報収集! 「同性カップルで子どもを持つのはどういうことか」をイメージすることが重要だと考えたお2人は、本や動画などで情報収集を始めます。 Risaさん:同性カップルで子どもを育てている人が周りにいないから「実在するのか……?」という所からのスタートでした。Youtubeなどで見つけて動画で実際の様子を見ることができたのは本当に良かったです。 Mahoさん:もちろんネガティブな事例に関しても調べました。将来子どもが悩んだりする事例も勉強して、どう改善していこうか考えました。 生まれた子ども側の視点も学んだことで、「最初から真実を全て子どもに伝えていこう」と考えたというお2人。他にも、同性パートナーが子どもを持つことを支援している団体にも話を聞いたり、法律の観点や方法などについても調べたりと、いろいろな人の話を聞くうちに、お2人の中で子どもを持つということがよりリアルになっていったと言います。 現在は、同じように事例がなくて悩んでいる人がいたら、このMaho Risa Familyチャンネルがサポートになればいいなと考えているのだそう。 ステップ3:最初、親に反対されたけれど……。「家族や友達への報告・共有」 3つ目のステップは家族・友人への報告。なるべく早く家族や友人へは報告するようにしたそうです。その真意とは……。 Mahoさん:子どもを育てるとき、子どもの成長のために私たちだけでなくいろいろな大人に関わってサポートしてもらいたいと考えています。そのため、早めに周囲に報告することが大切だと思っていました。 Risaさん:私たちの想いや方法を理解して受け入れてもらうには時間がかかると思っていました。そのこともあって、早めに伝えることにしたんです。 理解してもらうのに時間がかかると予想したからこそ、早く伝えたというお2人。当初、Mahoさんのご両親は難色を示していたそうです。「よくわからないから」「どういう方法か知らないから」という理由だけでなく、「子ども(私)や孫のことが心配だったからなのでは」とMahoさんは話します。 Mahoさん:(子どもを持つことが)悩まずただハッピーなことばかりとは思っていないんです。自分たちにとっても子どもにとっても、同性カップルであるからこその悩みはあると思います。でも、「それ以上の幸せを作っていきたい」という気持ちを伝えていったことで、親には徐々に理解してもらえるようになりました。 時間をかけてお2人の気持ちを伝えていったことで、今ではご両親も理解していて、孫の誕生をとっても楽しみにされているのだとか。 友だちは「子どもを持つのも、選択肢としてあるのは当然のこと」と、自然に受け入れてくれたそうです。むしろ、「2人は子どもどうするの?」と友だちから聞かれたこともあったとか。「妊活している」と話すと応援してくれたそうです。そんな友だちに、お2人はとても感謝をしていると言っていました。 ステップ4:そして、いよいよ!「妊活スタ―ト」 いよいよ妊活を決意し、いろいろな選択肢の中から実績が豊富なデンマークの精子バンクを選択。なんとドナーの候補は1,000人以上! 血液型や身長、性格、直筆の手紙などさまざまな情報から精査して、ドナーを選んだそうです。 Risaさん:将来子どもに伝えていくときに、父親についての人柄など、情報が多ければ多いほど良いなと考えたんです。 Mahoさん:子どもが18歳以上になった時に、「望めば父親に会いに行ける」という選択ができるようなドナーを選びました。 子どもが選択できる選択肢をなるべく多くしたいと考えたとお2人は言います。そして、ドナー決定後、Risaさんは毎月妊活にチャレンジ。5回目で赤ちゃんを授かることができたそうです。話し合いを始めてからここまでおよそ1年半。「子どもに将来『こういう想いで授かったんだよ』と説明できるので(話し合いなどを経たのは)よかったと思っています」と、笑顔で話されていました。 ◇◇◇ Mahoさん、Risaさん、ステキなお話をどうもありがとうございました! 動画を拝見していて、お2人が心から信頼し合い、納得できるまで話し合いを重ねて今があること、自分たちだけでなく子どもの将来も考えながら妊活に挑戦したことが伝わってきました。 会社の同僚として出会い、互いに惹かれ合ってMaho Risa Familyとして新たな一歩を踏み出されているお2人。キラキラした笑顔を見ていると、将来もし悩むことがあったとしても、Maho Risa Family一丸となって乗り越えていけるはずと思わずにはいられません。 今の世の中には、さまざまな「家族のカタチ」があります。多様化の時代、どんなカタチの家族も幸せになれる社会になるといいですね。 YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、お2人の日常生活の様子、妊娠経過についてなど、さまざまな動画を投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年09月27日私は4回出産を経験しましたが、妊娠中や産後に身内に不幸があり、葬儀がおこなわれることがありました。まさかの出産予定日直前に夫の祖母が亡くなり、臨月の状態で葬儀への参列をどうするべきか悩んだことも。また、次男が生後2カ月のときには義父が他界。小さい子どもを連れて葬儀に参列することになったのですが……。ここでは、妊娠中や産後に葬儀があった際、私がどのように対応したのかをお話しします。まさかの出産予定日に葬儀が……私は長女の出産予定日1週間前に、2歳の長男を連れて実家に帰っていました。すると、実家に帰って2日後に夫の祖母が危篤という連絡がありました。今動くべきか悩みましたが、夫はもちろん、私まで本当にかわいがってもらっていたので、どうしても会いたくて病院へ行くことに。その後、義祖母は息を引き取り、まさかの出産予定日に葬儀が執りおこなわれることが決まりました。 義両親や親戚も、私が臨月ということは知っていたので、無理に参列しなくてもいいと言っていただきました。ただ、本当にお世話になった義祖母と最後のあいさつがしたいという気持ちがあり、夫や母と相談することに。 お通夜だけ参列することに夫は義祖母にとっては初孫で長男ということもあり、本当にかわいがられていました。その義祖母をきちんとお見送りしたい気持ちと、私に何かあったらすぐに動かないといけないことから、臨月の私には安静にしておいてほしいと夫から言われました。 けれど、私も最後に会いたいと言うと、お通夜だけということで話がまとまったのです。おなかの大きい私はなんとか入るサイズの黒い服を探し出し、長男を連れて、母と一緒にお通夜へ。ただ、本当に義祖母にあいさつだけをして、短い時間で帰ることにしました。 出産予定日より1週間遅れて出産結局、出産予定日当日に陣痛は来ず。その後、祖母の初七日が終わった1週間後に陣痛が来ました。長男は夫の実家にあずけ、長女を出産。義祖母のことが一段落するタイミングだったので、夫も無事出産に立ち会うことができました。あのとき無理に動いてお葬式まで参列していたら周りに迷惑をかけていたかもしれないと思うと、あの判断は間違っていなかったと思います。 それから時が経ち、次男を授かり出産。次男が生後2カ月のときに義父が亡くなり、葬儀がありました。私はもう動ける状態だったので、長男の妻としてバタバタしながら、次男への授乳やお世話をして本当に大変でした。 妊娠中や、小さい子どもを連れての葬儀は本当に大変です。特に妊娠中となると、地域によっては風習があり、生まれてくる子どもに影響があるかもと心配されることもあります。私の場合は運良く4回とも家で陣痛が始まりましたが、急な葬儀の対応なども含め、妊娠中は自分の体調を考え、ベストな状態を整えておくことが大事だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月18日約10カ月間のマタニティライフ。この時期にしかできないことをたくさん楽しみました。そのなかで、私が唯一どうしようか悩んだのがマタニティフォトです。悩みつつも思いきって撮影してよかった! 私のマタニティフォト体験談をご紹介します。妊娠期間を楽しむために情報収集!結婚するときに、ウエディング関連の情報収集として使っていたインスタグラム。妊娠がわかってからは、マタニティの情報収集として使っていました。インスタグラムでは、マタニティライフを楽しんでいるママさんがたくさんいます。 妊娠期間だからこそ楽しめることをしたくて、インスタグラムで入手した情報を参考に、毎月のマタニティ記録撮影や生まれてくる赤ちゃんのためにベビーグッズをハンドメイドしていました。 マタニティフォトが気になる…安定期に入り主治医から許可が出てからは、マタニティヨガやマタニティビクスにも参加しました。体を動かすと気分もリフレッシュできてよかったです! そのころ、インスタグラムで見つけて気になったのが、マタニティフォトでした。 しかも、フォトスタジオで妊婦のときと、赤ちゃんが生まれてから、同じ構図で比較撮影してもらうというものです。ただ、アラフォーでパンパンのおなかを出して撮影……。「少し恥ずかしい。でもやってみたい!」と私の葛藤が続きました。 思いきってやっておいて大正解!悩んだ結果、後悔したくなかったので撮影をお願いすることに。新婚旅行で着たドレスをマタニティドレスに作り直し、撮影にも持参しました。撮影当日には体調を気遣って室温や時間配分なども考えてくださり、安心できました。赤ちゃんが生まれてから、再度スタジオで妊娠時に撮影した構図と同じ位置で比較写真を撮影してもらいました。 出来上がった写真を見て、パンパンのおなかを出すのが恥ずかしくてもお願いして本当によかったです! 思いきってやっておいて大正解でした。2回の撮影で約5万円でしたが、衣装の無料貸し出しがあり、背景も何種類か選べたのでお得だったと思います。 楽しめることは何でもやっておきたい性格の私ですが、どんどん丸くなっていく体を写真に残すのは少し抵抗がありました。恥ずかしさもあり迷っていましたが、思いきって撮影してよかったです。大きなおなかと同じ構図で生まれた赤ちゃんを抱っこしている写真との比較は感動ものです! 大切にアルバムに残しています。 監修/助産師REIKOイラスト/おもち著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年09月10日私は4人の子どもを育てていますが、下の3人の妊娠中はにおいつわりで苦しい思いをしました。私は妊娠すると嗅覚が異常に鋭くなるらしく、今まで大丈夫だったほとんどすべてのにおいで気持ち悪くなってしまいます。そしてその状態は出産まで続くのですが、周りの人にはなかなか理解してもらえず、妊娠中は耐えて耐えての毎日でした。そのときの体験談をお話しします。※コロナ禍前の体験談です。 こんなにおいまでダメになる一番ダメだったにおいが排水溝のにおいで、一番キツいのがお風呂タイムでした。お風呂に入るたびに吐きそうになりながら、鼻息を止めて上の子をお風呂に入れる毎日。シャンプーや洗濯の洗剤、柔軟剤、ソープ類など何から何までダメになり、大好きだった香水やアロマオイルなどのにおいも受け付けなくなりました。 また、玄関を開けて家に入ったときのにおいでさえ気持ち悪くなるくらい、追い詰められていた時期もあります。洗剤やシャンプーに関しては、2人目の妊娠時にいろいろ試して大丈夫な物を見つけられたのが救いでした。 同居ゆえのつらさ自分たちが使う物はなんとかできるのですが、義父母の発するにおいはどうしようもなく、このことでかなりつらさを増していました。義母の洗濯の洗剤や柔軟剤のにおいが強烈で、部屋のほうまで漂ってきて地獄でした。 また、キッチンを共有しているので、そこでの洗剤や義母が洗ったタオルの柔軟剤のにおいが手を拭いただけで付き、具合が悪くなっていました。幸い、食べ物のにおいはわりと平気だったので、料理はできたのが救いかなとは思います。 私がとったせめてもの対策家の中のにおいが基本的に無理なので、体力と相談しながら出かけるようにしていました。家のお風呂以外は不思議と大丈夫だったので、温泉や自分の実家に行ったときには、束の間のにおいからの解放を味わったものです。 また妊娠中でも使用できる薄めたアロマオイルをスプレーしたりして、不快なにおいをごまかしたり、マスクをしたりもしました。他にもドラマを観たり、友人とおしゃべりをしたりして気をそらすことも効果的でした。 においつわりは目に見えにくいので、苦しいのは自分だけで、周りからは理解されにくいのがつらいところだと思います。今さらですが、もっと自分とおなかの赤ちゃんが快適に暮らせるように、家族にお願いしてもよかったのかなとも思います。妊娠中は無理をしたり我慢したりするよりも、工夫することが大事だと思った体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKOイラスト/キヨ著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年09月08日不妊治療を経て授かった第二子妊娠中、安定期に入ったころ、数カ月前に市の乳がん検診のお知らせが届いていたのを思い出しました。クリニックを受診すると、右にも左にもシコリがあると先生から説明を受け、すぐに大きな病院で精密検査を受けるように言われました。安心して出産に臨めるようにと、精密検査を受けることにしたのですが……。 「右にも左にもシコリがあります」なかなか思うように妊娠できなかった私ですが、3年の不妊治療を経て、第二子を授かることができました。それまでに3度の流産もあり、不安な日々を送っていました。安定期に入り、数カ月前に市の乳がん検診のお知らせが届いていたのを思い出し、クリニックを受診。すると右にも左にもシコリがあると先生から説明を受け、すぐに大きな病院で精密検査を受けてほしいと言われたのです……。 翌週に精密検査を受けたところ「おそらく良性の可能性が高いけど、安心して出産に臨めるように細胞検査をしましょう」と言われました。 2週間後に検査結果を聞きに行ったら、右は良性。左は悪性。すぐに全摘をして産後は抗がん剤治療が必要かもしれないと言われました。「なんで今このタイミングなんだろう。おなかの子におっぱいがあげられなくなってしまう……。せっかく妊娠したのに手術なんてして、おなかの子は大丈夫なのか……」と不安で涙が止まりませんでした。 次女の誕生そして妊娠28週で手術をして左胸は全摘しました。赤ちゃんも一緒に頑張ってくれて、手術は無事に終わりました。病理検査の結果、産後2週間で抗がん剤治療をして、それが終わったらホルモン治療を10年することに決まりました。その後妊娠39週4日で、無事に女の子を出産しました。 わが子は破水せず卵膜に包まれたまま生まれました。これは「幸帽児(こうぼうじ)」と呼ばれ、8万人〜10万人の確率で生まれると言われている非常に珍しいパターンだそうです。日本でも海外でもとても縁起がいいと言われていて、幸福に恵まれると言われているようです。私は娘が「お母さんは病気になったけれど、私は大丈夫だよ!」と言ってくれているような気がしてなりませんでした。その後娘は右だけになってしまった私のおっぱいを2週間だけ飲み、その後は育児用ミルクで元気いっぱい育っています。 かわいいわが子2人のために乳がんが判明したときは「なんでよりによって今なんだろう……」と何度も泣きました。しかし私の治療計画だと、ホルモン治療で生理を先10年止めないといけなかったので、乳がんが先に見つかっていたら第二子には会えなかったかもしれません。おなかに赤ちゃんがいたから、この子のためにも頑張らないといけない!と思い、手術も乗り越えられた気がします。母乳をあげられた期間はとても短く切なさも感じましたが、育児用ミルクを次女にあげるうれしそうな長女の姿を見ると、これもよかった! と思うようになりました。 現在は抗がん剤治療中で育児と治療の両立に苦戦していますが、かわいいわが子2人のために周りに助けてもらいながら頑張っています。まさか自分が38歳で妊娠中に乳がんになるとは思いませんでした。定期検診は本当に大切なのだなと実感しています。 著者:幸20才(前夫との子)、0才(現在の夫との子)の2児の母。現在育児休暇中(看護師)。今の夫と結婚してなかなか子どもに恵まれず、不妊治療するも、流産し、3度目の正直で43才でやっと授かり出産。
2022年08月31日現在0歳娘の育児に奮闘中のママです。初産でしたが、自分でもびっくりするくらい脅威のスピード出産でした! 出産2日前の健診で、先生から「もう子宮口が3・4cm開いてるから、案外スルッと生まれてきちゃうかもね〜!」と言われてはいましたが、まだ出産予定日より10日以上前だったので、まさか2日後にスルッと生まれてくるとは……!? 私の驚きの出産体験談を紹介します。 これは便意だよね…?妊娠38週3日目の夕方ごろからなんとなく便意を感じ、夜にかけて何度かトイレで踏ん張りましたが、まったく便が出ないか、出てもほんの少しでした。普段から便秘のことがよくあり、この日も 「今日も出ないなぁ」くらいに思っていました。 でも、間隔があいてはいるものの、何度も便意らしきものが続くので、「これはもしかして便意ではなく軽めの陣痛なのでは?」と疑問に思い、夜ごはんを食べたあたりで病院に念のため電話しました。 「定期的に便意のような軽い痛みがあるんですけど、これって陣痛なんでしょうか……?」と連絡したところ、「もし痛みの間隔が狭まってきて定期的に来るようだったらまた連絡してください」と言われ、電話を切りました。 病院に連絡した際に「その痛みは陣痛ですよ!」とは言われなかったのと、出産予定日まで10日以上あったので、その日はそこまで気にせず、テレビを見たり普段通りの生活をしていました。 そんなこんなで夜中0時を過ぎてしまったため、お風呂に入るのが面倒くさくなり「明日の朝に入ろうかなぁ」とも思いましたが、夫に「一応今日入っておいたほうがいいんじゃない?」と言われ、「そうだね〜」なんて言いながらシャワーを浴びました。 シャワーを浴びて寝る準備も終え、夜更かしは良くないと思いつつもリビングでくつろいでいると、またあの便意らしきものがやってきました。夕方よりも少し痛みが増してきているような……? まだ陣痛ではなく便意だと思っている私は、またトイレへ直行。踏ん張ってみるものの、やっぱり出ません。あきらめてリビングに戻ると、またあの痛み! 「便意がこんなにあるのになんで出ないのー!」と思っている間に、気づけば間隔もだいぶ狭まり痛みも増してきました。 え? もう産むの!?ここにきてやっと、「便意じゃなくてこれはやっぱり陣痛かも」という気持ちが強くなり、寝室に行って夫を起こしました。起こしたあと、まだ少しあきらめきれない私はもう1回トイレへ。すると下着が少し濡れていたため、「破水した!?」と急いで病院へ電話。このとき午前2時半ごろでした。 登録していた陣痛タクシーを呼び、待っている間にだんだんと痛みが。でもこのときはまだ耐えられる程度の痛みでした。タクシーで病院へ向かう途中、車中で 「これが陣痛か」と確信できるような痛みに初めて襲われました。 病院に着き、痛みに耐えながら分娩台へ。助産師さんが子宮口を確認し、そして「はい、じゃあもう産むよ〜!」とのこと。「え? もう?」と思っている間にも着々と分娩の準備は進み、もうすぐあの「ひっひっふぅーーーう」が始まろうとしている中……。夫が呑気に「書類どこー?」と、病院から提出するよう言われた書類が見つけられなかったようで、私のバッグを持って現れました。 陣痛に耐えながら、「これ!」と書類が入ったファイルを少しイラッとしながら渡す私。書類を無事に提出した夫がこちらへ戻ってきました。事前の説明でも、コロナ禍のため分娩時以外の付き添い不可、「病院に来てもなかなかすぐ分娩にはならないのでいったんご主人には帰ってもらうことが多いですね」と聞いていたので、夫もまさかもう産む体勢に入っているとは思っておらず、「え? もう?」と言いながら立ち会い着を着ていました。 陣痛と便意は似ているのかも!?そして順調に「ひっひっふぅーーーう」を頑張り、子宮口が全開大になって必死にいきんでいると何かが出そうな感覚が。それを言わずにはいられなかった私は、いきみながら「便が出そうですー!」と自己申告しましたが、助産師さんは「いいのいいの、赤ちゃんもうちょっとだよー!」と何も気にすることなく分娩は続きました。 そして、出産予定日より10日早く、少し小さめではありましたが、娘が無事に生まれてきてくれました。元気な泣き声が聞こえたときは本当にうれしかったです。 このときなんと午前3時半前! 病院に着いていったい何分で生まれたんだろうという脅威のスピード出産体験でした。ちなみに、分娩中に便が出たかどうか特に確認しなかったので、本当のところはわかりません。 あの日、夜シャワーを浴びておいてよかったし、私が必死で陣痛に耐えているときの「書類どこー?」は今となっては笑い話。何より危うく自宅トイレで出産することになったかもしれないと思うと、無事に病院で出産できて本当によかったです。スピード出産ではありましたが、陣痛の痛みには心が折れそうだったので、早く出てきてくれた娘を褒めてあげたいです。 出産は人それぞれとは聞いていましたが、「なんで事前に誰も陣痛と便意が似てるって教えてくれなかったの?」と思いました。経産婦さんは1人目より分娩時間が短いと聞くので、先のことはわかりませんが、もし2人目ができたときにはいったいどんなスピード出産になるのだろうと、今からドキドキです。 監修/助産師 REIKO 著者:yurimama0歳の一児の母。初めての育児に毎日奮闘中。世の中のママさんたちのすごさをあらためて実感しているところです。どこにでもいる普通の会社員で、現在は育児休業中。
2022年08月29日息子は現在、自宅から車で8分ほどで行ける前夫の家に住んでいます。前からきょうだいがほしいと言っていましたが、前夫と離婚してしまったため、一人っ子。現在の夫と息子は、オンラインでゲームを共有したり、一緒に旅行やカラオケへいったり、仲良しです。しかし、息子は料理の専門学校へ通ってから調子を崩し、休学。その後は今の夫と息子が疎遠になり、私とも会わなくなりました……。息子は1カ月に1回、私のツケで親戚の美容室に行くため、その親戚から上の子の近況を聞いています。そんな中、私は現在の夫との子どもを妊娠。そして息子と携帯ショップへ行ったときに事件は起こりました……。現在の夫との子を妊娠現在の夫との子を妊娠して安定期に入ったため、前の夫と暮らしている息子に伝えようと会う日を決めました。母親である私が直接伝えたかったのです。しかし、先に親戚の美容室の人が息子に伝えてしまいました。 息子は驚いていたようですが、お兄ちゃんになるからと、休学していた料理の専門学校に復学してお母さんを手伝うと、意欲的だったとのことです。 携帯ショップへ行くとある日、息子が携帯の調子が悪いと言うので、携帯ショップへ一緒にいくことになりました。すると、20万円もする携帯がほしいとだだをこね始めました。そんな高い携帯は買ってあげられないこと、ただでさえギガMAXで、通信料合わせ月々携帯代が2万円もかかっていることを伝えました。 また、ゲームばかりやっているからと注意すると「ゲームは中学からの繋がりある大事な仲間とやっている。そんなふうに言うな。どうせ俺なんてもういらないんでしょ」とブチ切れ……。引きとめましたが「俺歩いて帰る」と、無視して帰っていってしまいました。 20歳の誕生日には前の夫に事情を話すと、「俺からフォローする」とのこと。もうすぐ20歳でも、息子としては、今の夫との義きょうだいを受け入れるのは複雑な心境なのかもしれないと、2人で話しました。 現在、息子は料理学校で奮闘中です。就職先がきまったら、私と仲直りしたいと、きっかけ作りを考えていると前の夫から聞きました。11月に20歳の誕生日を迎えるので、そのときには、盛大なお祝いをして、息子が私にとって大事な息子であることを伝えたいと思います。そして、その後生まれた弟と会ってほしいと考えています。 前の夫には、その事を伝えており、今後も上の息子のフォローをしていき仲直りできるよう仲裁役をしてくれるとのこと。現在の夫も理解ある人で、上の子と、下の子、きょうだい顔合わせできることを望んでいます。その日が来るのを私は今、心待ちにしています。 著者:幸20才(前夫との子)、0才(現在の夫との子)の2児の母。現在育児休暇中(看護師)。今の夫と結婚してなかなか子供に恵まれず、不妊治療するも、流産し、3度目の正直で43才でやっと授かり出産。
2022年08月29日2人目の妊娠中、妊娠7カ月のときでした。コロナ禍ということもあり、県外にひとり暮らししている母のところに里帰りをするか、出産後に手伝いに来てもらうか迷っている矢先のことでした。週に1~2度電話で話していましたが、突然電話がつながらなくなり……。心配で実家に行った私たちの目に映ったものは!? 私の妊娠中の衝撃エピソードを紹介します。 ひとり暮らしの母の安否がわからなくなり…私は9年前、結婚を機に実家を離れて隣県に嫁ぎました。そこから実家の母はひとり暮らしをしていました。私の5つ下に弟がいますが、弟は18年前から東京で暮らしており、ほとんど実家にも帰っていなかったので、母は長い間ひとりで暮らしていました。 私は1人目の息子を産んでから、2人目も欲しいと思っていましたがなかなかできず、6年目でやっと待望の2人目を妊娠することができました。母も2人目を切望していたのもあって、2人目ができたときは母も大変喜びました。 当時6歳の息子が幼稚園の年長で、出産後は里帰りするか、手伝いにきてもらうかといったことをよく電話で話していました。18年前に東京に出た弟も、実家近くで再就職することになり、あと1週間後には東京から帰ってくる矢先の出来事でした。 その日、私はいつも通り母に電話しようと、午前と午後に電話をかけたのですが、まったくつながらず、買い物にでも出かけているのだろうと思っていました。弟も同じ日、母に何度か電話をかけていました。ちなみに母は、今どき珍しく携帯電話を持っておらず、連絡手段は家の電話のみでした。さすがにもう家にいるだろうと思って再び電話してもつながらず、とても心配になりました。 「何かおかしい」。私も弟も何か直感のようなものを感じました。どうしたらよいかわからず、夫にも相談した結果、「一度警察に連絡してみよう」ということになりました。 警察からの連絡で、窓越しにカーテンの隙間から家の中を見たところ、電気が点いていて、ビールが1缶机にあり、全裸で横たわっている……とのことでした。「酔っ払っているだけなのか、病気で倒れているのかわからないので、窓を割って安否を確認してもよいか」と警察の人から言われました。 私と警察官が電話でやりとりをしている間に、母は目を覚ましたものの、警察の呼びかけには反応できないままだったので、私たちは急きょ実家に向かうことになりました。 変わり果てた母の姿に絶望実家に着いた私たちの目に飛び込んできたのは、下着も身に着けていない全裸の母の姿でした。警察の人の呼びかけで目は覚ましたものの、体は起こせず、呂律も回らない状態の母を見て、「脳の病気だ」と直感しました。119番をしてもらい、女性の警察官と協力して下着と服を着せ、救急車を待ちました。 病院での診断名は、「脳梗塞」でした。その日は入院手続きやら何やらでバタバタして気を張っていましたが、気持ちが落ち着くのと同時に「もう母とは意思疎通できなくなるのかも……」という不安に襲われました。待望の2人目の赤ちゃんのお世話も一緒にできないかもと思うと、すごく悲しい気持ちになり、ショックで何日も涙が止まりませんでした。 子どもの成長を一緒に見守ってほしいその後、母の病状は落ち着きましたが、「要介護4」となり、特別養護老人ホームに入所しています。コロナ禍なので、生まれた娘は1度だけしか直接母に会わせられていません。会話はなんとかできますが、新しいことはあまり理解できない母。それでもオンラインでの面会を重ねるたびに、娘の存在も理解してくれるようになりました。 今となっては、あのとき命だけでも助かり無事に娘と会わせることができてよかったと心から思います。実家に遊びに行き、娘や息子と一緒に遊んだり世話してもらったりすることは叶いませんが、成長する姿を見せていくことはできるからです。 妊娠中も出産後も何が起こるかわかりません。母が倒れたときは、絶望して下ばかり向いていましたが、現実を受けとめ、前向きに子育てを楽しみたいです。そして、今ある幸せを大切にしていけたらと思っています。 監修/助産師 REIKO 著者:けいあみママ8歳、1歳の二児の母。一人目を出産する前までは、小学校教諭として働いていたが、現在は専業主婦として毎日家事、育児にと奮闘している。
2022年08月29日元ホストでニートだった夫。妊娠がわかったとたんに初めて真面目に就活して正社員に。妊娠を誰より喜び、娘の誕生を待ち望んでいました。いよいよ破水すると、夫は大慌て。病院へ着いてからは痛みが増し、終始泣き叫んでいた私。そんな私のドタバタな出産エピソードです。ホストだった同級生と再会同級生でもある夫とは、彼がホスト時代に再会し、その数年後付き合い始めました。そして付き合って2年目となる年に妊娠が判明。当時仕事にもついていなかった彼ですが、生まれてくる自分の子どものために、初めてまじめに就活し、正社員となりました。 毎日のようにおなかに話しかけてくれて、夢に女の子が出てきたからと、性別がわかる前から名前を決めていたくらいの親バカでした。高校時代から問題を起こしてばかりで、母泣かせのやんちゃだった人です。 家族が職につけと説得しても私が説得しても職につかなかったのですが、父親になるとわかった途端、迷わず職につくことを決めました。その姿を見て、私は彼を信じてこの子を出産しよう、と決意しました。 ドタバタと焦り始めた夫に義母は…そんな私たちはお金がなかったので、妊娠後期は夫の実家に引っ越してお世話になりました。出産予定日は、夫の誕生日。夫と絆の深い子であることは間違いありませんでした。焼肉やスクワット、階段の昇り降りなど、あらゆる陣痛ジンクスを試しましたが、夫の誕生日には生まれてきませんでした。 毎日今か今かと待っている夫。ある日の夜中、私は何か異変を感じてトイレへ……。 おしっことは違う意図しない水が流れてくる感じがします。色は薄いピンク色でした。「破水だ」と私はすぐそう思いました。初産婦だけれどいろいろな本も読んでいたので、間違いないと思ったのです。 病院からはつらくても自分で電話するように言われていました。トイレの中で落ち着いて電話しなきゃと思っていると、私の様子を気にした夫が、「どうした? 生まれるか?」と焦って聞いてきました。「うん、破水したみたい」というと大きな声で「かーちゃん! 破水した! 生まれる! 俺……」と、ドタバタしはじめました。義母は大爆笑。「あんたが焦ってどうするの」と。 夫は私のバッグを持ってウロウロ……。「俺、車まわしてくるから」と夫が焦っているおかげで、私は落ち着けました。「待って、まず病院に電話するから。落ち着いて」。病院へ電話すると入院になるから荷物を持ってくるように指示され、夫が病院へ連れていってくれました。 「もう無理ー! 」痛みのあまり泣き叫んだ私夫はすぐ生まれると思ったのか、緊張しながらもワクワクしている様子。病院で助産師さんに、「子宮口は全然開いてないから。旦那さん、今日は帰って。朝もまだ生まれないだろうから、仕事に行って大丈夫! 午後から休んでも遅くないから!」。夫は目が点になりながら「え? 仕事? 仕事に行って大丈夫なんですか?」と、またあたふた。 夫は自宅へ帰り、その後、助産師さんの言うとおり仕事に行きました。しかし仕事に集中できるわけもなく、上司には「奥さんのそばにいてやれ」と言われたそうで、早退してすぐ病院へ駆けつけてくれました。 陣痛はなかなかこず、その日の夕方やっと弱い陣痛が始まったくらいでした。弱いとはいえ、経験したことのない痛みに、痛いと泣き叫び、義母と実母と夫に支えてもらいながら子宮口が開くのを待っていました。1時間が何十時間にも思える苦しい時間でした。 その日は満月で、たくさんのお産があったのか、ナースコールを押してもしばらく反応なし、ナースステーションももぬけのから。夫は何度も助産師さんを呼びに行ってくれましたが、いなくてイライラ。 小さな個人病院、お産が重なれば仕方ないこととはいえ、なかなか誰も来てくれないことに私もイライラと痛みで暴言を吐いていました。「もう無理ー! おなか切って! 無理ー」。バレーボールをずっとやっていた私は声が大きく、未だに家族には「誰よりもでかい声で泣き叫んでいた」と笑われるくらいです。 やっと来てくれた助産師さんは、「子宮口が全然だねー。まだまだかかるわー」と言ってまたいなくなりました。「もうやだー、痛いー!」。その繰り返しで、私は夕方から朝まで泣き叫び続けました。 妊婦さん全員が私を指さして…朝になると助産師さんの数が増えました。先生に診察してもらうために、歩いて行くように言われたときは絶望しました。母の手を借りてやっとの思いで私は待機室へ。 夜通し泣き叫んだ私は、誰が見ても今にでも倒れそうな姿だったのだと思います。数人の妊婦さんがいましたが、助産師さんが「それでは順番に先生の診察をおこないます」と言った瞬間、そこにいた妊婦さん全員が、私を指して「先に診てあげてください。私たちは大丈夫です」と譲ってくれました。 余裕がなかった私はお礼も言えず、頭だけ下げて先生のところに向かいました。そこで先生に「どうする? 陣痛促進剤を打つかい?」と言われて、「もう無理です。それ以外、考えられません」と即答し、陣痛促進剤を打ちました。 朝の9時に陣痛促進剤を打つと、急激に痛みが増して涙と鼻水と汗で私の顔はべちゃべちゃに。夫は必死で私の顔を拭いてくれてました。昼ごはんは天丼で、「こんなの食えるかー!」と激怒してしまった私。もう私を止められる人は誰もいませんでした。 感極まって泣く夫に全員が笑ったのはお産が重なったのもあり、私はLDRには入れずそのままこの部屋でと言われ、いきむためにつかむようなものもない状態でした。 どうしたらいいかわからず、「もう無理、無理ー! 出して!!」と弱音ばかりの私。助産師さんに「赤ちゃんに全部聞こえているんだから、そんなこと言わないの!」と言われ、とてもつらい時間でした。 やっと出産というとき、1回いきんだだけで、出てきてくれた赤ちゃん。私はもう放心状態。夫は感極まって声を出して泣いていました。義母が「まったく、泣き虫なんだから」と夫にハンカチを渡したら、全員が笑いました。なんと夫は漫画のようにメガネの上から涙を拭いていたのです。義母はそれを見て感動しながら「しょーもないねー」と夫のメガネを外し、涙を拭いてあげていました。その姿を見て私もほっこり。 「23時間、あれだけ大声で最後まで泣き叫んで怒っていた妊婦さんは、なかなかいない」と言われたぐらいでした。体力が人並み以上にあったからなし得た出産だったように思いますが、夫の漫画のような笑える行動が、笑顔と感動を与えてくれたことも間違いありません。 彼の夢の通り女の子だったので、そのまま夫が言っていた名前をつけました。その長女も11歳。夫が正社員となったのも11年目ということになります。ちゃらんぽらんだった自分を変えてくれた娘。その娘には感謝しかないと、夫は娘のために歯を食いしばってくれています。 バイトすら続かずニートだった人が、他人に頭を下げたり、どんなことがあっても投げ出さずに家族を守ってくれる夫に変わりました。今では夫には頭が上がりません。娘がいなかったら夫は今ごろどうなっていたか、私も夫も想像がつきません。変わらないといけないと自分を奮い立たせたら、人は変われるのだと私は改めて思いました。 やんちゃで喧嘩っ早い人でしたが、おちゃめで誰より人間味のある人でもあり、結婚して12年たちますが、飽きずに楽しく過ごせています。今では3姉妹の父ちゃん、家族をとても大事にしてくれるやさしい父ちゃんに成長しました。心も体もでっかくね。 監修/助産師 松田玲子著者:おはな 3姉妹とオス二匹のワンコの母ちゃん。ほぼワンオペ育休中。破天荒な夫を支える鬼嫁です。
2022年08月28日「まさか鮮血が出るなんて……」「まさか濃厚接触者になるなんて……」と、そんなドタバタの妊娠初期を過ごした私の体験談を紹介します。 鮮血が流れ出てきて…結婚2年目、妊活の末に無事妊娠。半ばあきらめていた中での妊娠は、驚きと幸せでいっぱいでした。妊娠3カ月に入り、健診のたびに大きくなるわが子に愛情がわいてきたころのことです。仕事が終わり、帰宅して入浴していると、なんとお風呂場が真っ赤に! パニックになって突っ立っていると、生理のときのような鮮血がポタポタと出てきました。「あ、流産したかも……」と、泣きながら産婦人科の先生に電話を入れ、ひとまず安静を言い渡され、翌日に受診することに。 エコー画像を見て大号泣次の日、恐るおそるエコー画像を見ていると、白くピクピクと動いているものが……。「赤ちゃんは無事ですよ!」と言われ、号泣しました。「胎盤が完成するまではよくあることだよ。でも、次また鮮血が出たら自宅療養ね!」と言われ、とりあえず安心して帰宅。夫にもエコー写真を送り、「赤ちゃん無事だったよ!」と報告しました。 一難去ってまた一難…「一件落着……」と思っていたら、まさか! 職場で新型コロナのクラスターが発生。夫と私は、職種は違うものの同じ職場で働いています。その夫が帰宅すると「喉が痛い」と言い始めたのです。とりあえずマスクをしてもらい、夫を別の部屋に隔離していたところ、「熱が39.7度ある」と連絡が! 「終わった……」と思い、上司に連絡。私は症状がなかったことから、おなかの子を1番に考えて、実家に避難させてもらいました。その後、無事に夫の症状も改善し、私は症状が出ることなく職場に復帰することができました。 「まさか鮮血が出るなんて……」「まさか濃厚接触者になるなんて……」と、そんなドタバタの妊娠初期を過ごしました。今、おなかの子は無事にすくすくと育っています。何が起こるかわからない妊娠・出産は、本当に奇跡の連続なんだなと実感しました。 監修/助産師REIKO 著者:とまと妊活の末、無事妊娠。現在妊娠4ヶ月の妊婦です。
2022年08月28日現在、生後5カ月の息子がいます。切迫早産を乗り越えた矢先、別の理由で約1カ月早めに出産。そんな私の体験談を紹介します。※新型コロナ感染症が「5類感染症」に移行する前の体験談です。 自分は大丈夫だろうと油断していたそのとき、私は妊娠37週0日でした。その2日前、実家には普段は夜勤などが多く、あまり会うことのない実父がいました。実父は、会社の集まりでごはんに行っていたらしく、酔っていました。食事をしていたところから歩いて帰ってきた実父は、「寒いんだよなぁー。なんか寒気するんだよなぁー。喉も少し痛いし」と冗談交じりに笑いながら話していました。 「コロナじゃないよね、こわいなー」など他愛もない会話をして、私はその日に自宅へ帰宅。次の日、私は喉が痛くなりました。ただ喉が痛いだけで、熱などはなかったこともあり、「のど飴を舐めていればなんとかなるだろう」と、そう思っていたのです。 お医者さんの言葉に自分を責める…次の日の朝、頭痛がすることに気づきました。熱を測ると37.5度。「あぁやってしまった」と思いました。すぐ病院を探したのですが、早くても翌日しか空いていなかったため、できるだけ体を休めることに集中しました。 しかし夕方になるにつれて熱は高くなり、39.2度にまで達していました。そして、なんだか胎動が弱く感じたのです。実母に連絡したところ、「すぐに産婦人科に電話しなさい」と言われました。そのとき、すでに22時ごろだったと思いますが、電話をすると「すぐに来てください」と言われ、病院へ行きました。 いろいろな検査をしてわかったことは、新型コロナが陽性であること、そして羊水が少ないこと、赤ちゃんが危険な状態であること、ということでした。産婦人科の先生はこう私に告げました。「今から緊急帝王切開になります。ただ、ここの病院では受け入れることができないので、約1時間ほどかかりますが、対応しているこちらの病院に行ってください」と。おなかの子は大丈夫なのか不安になった私は、自分の行動を振り返り、自分を責めました。 防護服の先生に囲まれての出産1時間かけて向かった病院には、防護服を身につけた先生方がいました。夜中0時ごろに病院へ着き、約2時間半おなかの具合を検査して3時ごろにオペ室へ。私が覚えているのは、真っ白な部屋とおなかを触られる感覚。そして、息子が生まれてきたときの小さい泣き声と、うっすらと見えた息子の体です。 そこから12日間は感染対策のため、息子に会うことはできず、術後の痛みに耐える日々でした。ただ、息子に再会してからは、痛みなんて忘れるほど幸せな毎日を過ごせています。 新型コロナが流行っている中での妊娠・出産は、もともと不安なことが多くありました。しかし不安な中でも、どこかで「自分は大丈夫」と思っていたのかもしれません。結局、最後の最後でかかってしまい、新型コロナは本当に身近に潜んでいる病気なのだと実感しました。おなかの子や子どもを守るためにも、必要最低限の対策を講じたうえで生活していかないといけないと感じました。 感染したときは家族が力になってくれて、そして病院の先生たちが助けてくれました。そのことに感謝し、今後のことをしっかり考えて過ごしていきたいと思っています。あのときの痛みを忘れさせてくれるくらい、子どもは本当にかわいいです。これからも、かわいい息子と幸せな日々を過ごしていこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:そら22歳で一児の母。犬2匹と一緒に幸せに暮らしています。
2022年08月27日私が12歳のころの話です。弟は2歳、姉14歳と歳の離れた3人きょうだい。弟は毎日パワフルで一瞬でも目を離せばイタズラ三昧、動きが速く私も姉もいつも追いかけていたように思います。この日は弟が風邪を引き微熱があったので、母と私で小児科に連れて行きました。まさか、こんな衝撃的なことが起こるとは思ってもみなかったのです……。 風邪を引いた弟風邪を引いた機嫌の悪い弟を、母と何とかあやしながら病院に到着しました。弟はおとなしく待っていられず、ぐずったりして大変だった記憶があります。病院はとても混んでいたので、今思えば長い待ち時間は2歳の弟には苦痛だったのかなと思います。やっとの思いで診察が終わると、たしか1週間分ぐらいの薬をもらっていました。そして、薬が甘くておいしいのか、弟は嫌がることなく飲んでいました。 家に帰ると、雨がポツポツ降ってきました……。薬をダイニングのテーブルの上に置き、母に言われて2人でほんの一瞬洗濯物を走って取り込みにいきました。2人で一気に取り込んだので、かかった時間は2、3分程度だったと思います。 弟が持っていたのはまさかの…!しかし、その目を離した隙に、素早い弟はダイニングの椅子を登って、薬ボトルを手に持っていました。そして中身をよく見たら、なんと空っぽ! 母はもう大慌てです。その姿に、弟はびっくりしてキョトンとした顔……。母は小児科に電話をして、もう一度弟を連れて小児科へ向かいました。そしてすぐに診察室へ通されました。 何をするのかと思ったら、鼻からチューブで飲み込んだ薬を出すことになりました。私は暴れる弟を母と看護師さんと一緒に押さえました。「かわいそうだなぁ」という気持ちと、「ちゃんと見てあげていたら……」というごめんねの気持ちでいっぱいの中、無事、薬は取り出されました。 大人になった今…母と私はすぐに、涙と鼻水でいっぱいの弟を抱っこしたりしてなぐさめました。その後も日に日に行動範囲が広がる弟。母は弟の手の届かない場所(食器棚の上の方)を探しては、薬や危ないものを隠すということを繰り返していたように思います。 いま第一子妊娠中の私は、この、弟の衝撃の出来事を思い出しました。そしてこれから自分の子どもには同じことが起こらないよう、気をつけないと、と思っています。 ※家の中には乳幼児が誤って飲んだり食べたりするかもしれない、危険なものがたくさんあります。触られて困る物は高いところに置く、ボタンや硬貨・電池など口に入りやすい物を出したままにしないなど、整理整頓とこまめな掃除で誤飲を防ぎましょう。また、家の中で事故やケガをすることもあります。浴槽の水を抜いておく、高いところに登れないように階段に柵を取り付けるなど、事故やケガの対策もしっかりおこないましょう。著者:ゆずの実第一子妊娠中のワーママです。
2022年08月27日初めての出産で、母親学級とか健診とか、とにかく初めてのことだらけで毎日不安でした。そのため 出産予定日近くになったらすぐ入院できるように用意周到で待っていた私。しかし、まさかの事態に……!? 私のオドロキの出産体験談を紹介します。 いつ生まれてもいいように入院セットを準備当時、結婚してすぐに長女を妊娠したのは33歳のとき。高齢出産に近い年齢ということを病院から言われたこともあり、妊娠中は不安でいっぱいでした。そこで私は、出産予定日近くになると、いつ入院してもいいように家の玄関に入院セットを準備万端にして置いておきました。 出産予定日3日前の朝、夫を送り出した直後、何度かもよおしたくなる感覚に襲われたので病院に電話で相談。「破水しているかもしれないので急いで病院に来るように」と言われました。すぐにタクシーを呼び、入院セットをもって夫と自分の母に連絡。自宅からタクシーに乗って病院に向かいました。 破水後もなかなか陣痛が来ず…車椅子に乗り陣痛室へ運んでいただくと、横になりいろいろ処置をしてもらいました。結局破水はしていたものの、陣痛はなかなか来ません。そこで、破水後はバイ菌が入りやすいため、陣痛を促すことに。陣痛促進剤の点滴を打ちましたが、なかなか陣痛が来ません。私が通っていた産院の陣痛室のベッドは、担架型の小ぢんまりした窮屈なベッドでした。また、個室ではなくパーティションで仕切られています。 その後、何人も妊婦さんが到着し、陣痛が来て苦しそうにしながら分娩室に運ばれていきました。「私の番はいつ?」と、悶々としながら過ごしていました。陣痛促進剤の点滴を打ってもまったく陣痛が来なかったため、結局3日間も陣痛室にいることに……。 さすがに「これ以上陣痛が来ないと、自然分娩は難しい」ということになり、帝王切開になると産院から言われた途端に、陣痛が始まりました。あの3日間は本当に長かったです。 陣痛が来てすぐのスピード出産!?そして、どういうわけか出産予定日のドンピシャの日に出産。3日間も陣痛室にいたわりには、出産時間は短かかったようです。また、赤ちゃんは3,400gと大きめだったのもあり、助産師さんや産婦人科医、新生児担当の小児科医の先生方が名前を覚えてくださいました。 3日間も陣痛室にいて、担架のようなベッドに寝ていたなんてなかなか体験できませんし、そして子どもが出産予定日に生まれたのも私にとっては驚きでした。初めての出産は、私にとって貴重な思い出となっています。 監修/助産師REIKO 著者:しらたま21歳 18歳 16歳 11歳 4人の子どもの母。3年前はフルタイムでバリバリ仕事していましたが 、今は更年期障害と戦いながら仕事をパートに切り替えました。働きながら子育てのことなどを交えて執筆しています。
2022年08月26日元女子・井上健斗さんと元女子・翔さんが運営する『ジーピットチャンネル』では、LGBTQに関する動画を公開しています。今回は、1児のパパ・健斗さんと3児のパパ・翔さんが、「子どもにトランスジェンダーだと告白されたらどうする?」というテーマでパパトーク!ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 元女子の健斗さんは女性のパートナーと、彼女の連れ子を育てている1児のパパ。翔さんは3児のパパ。 動画では、FtM(Female to Male/性自認が男性のトランスジェンダー)の健斗さん(画像左)が、同じくFtMである翔さん(画像右)に、「子どもからトランスジェンダーだと告白されたらどうする?」と質問。その様子を対談形式でご紹介します。子どもに「トランスジェンダーです」と、告白されたら?健斗:僕、悩んでることがあるんです。考えちゃって寝れなくなる時があるの。もし、自分の子どもが大きくなって「トランスジェンダーです」って告白してきたらどうする? 翔:え〜! 悩むなぁ……。 健斗:もちろん我々、否定はしないよね。受け入れると思う。でも自分が通って来た道だけど、戸惑うかな。気持ち的にはかなり複雑だけど、色々教えられることはあるよね。 翔:かなり複雑ですね。教えられることはあるけど、大変なのを知っているから……。 健斗:子どもに「僕ね、翔ちゃんと同じトランスジェンダーかもしれなくて。女の子として生きたい」って言われたら、実際に何て言う? 翔:うん。(小さめの声で)いいんじゃない……?(こういう反応だと思います) 健斗:1発目で「いいんじゃない」って言う? 翔:うん。けど、痛いことしなきゃいけないし、時間もかかるし、しっかりマイナスポイントも説明する。 健斗:普段、仕事でトランスジェンダーの人の相談を受けていると、親御さんから反対された話をいっぱい聞くじゃないですか。全国いろんな所から、年齢もバラバラで、家庭環境によって対応が全然違う。 口を聞いてくれなかったり、勘当されて荷物をまとめてゴミとして出されたり、今すぐ出て行けって追い出されたり、可哀想な人をたくさん見ている。 でも、その気持ちもわからなくは無い。我々は当事者だから状況をわかっているけど、何も知らない状況でいきなり言われたら親はびっくりすると思う。 僕、自分がもし異性愛者だったら、「まさかうちの子がLGBTじゃ無いでしょ」ってカミングアウトは受け入れられないかもしれないなって思う。 子どものパートナーが「トランスジェンダー」だったら? 翔:もし子どものパートナーがトランスジェンダーで、結婚を前提にお付き合いをしていたらどうします? 健斗:トランスジェンダーとか関係なく、人となりを見るかな。「あなたが選んだんだったらいいよ」って言うと思う。あまり口は挟まない。 でも、自分が異性愛者だったら、色眼鏡で見ちゃいそう……。詳しく聞いちゃいけないのかな?とか、色々考えて遠慮してドギマギしちゃいそう。 翔:僕は、自分が異性愛者で何も知らない状態だったら逆に聞いちゃうかも。「どういう治療してるの?」とか興味持っちゃう。 健斗:素敵~♡ そういう人いいよね!「ごめんね、失礼なことあったら。でも、聞いていい?」って、ガツガツ聞いてくれると喋りやすいよね。 カミングアウトしたときに、嬉しかった反応は?動画はここで終わりですが、健斗さんが実際に周囲にトランスジェンダーだと告白したときに、嬉しかった対応を教えてもらいました。 「伝えてくれてありがとう」まず、一言目にこれを言われると、カミングアウトで緊張しているので、本当にホッとしました。次の言葉が出しやすいです。 「今まで通り変わらないよ」気持ち悪いとか、嫌われるんじゃないかと不安なので、一番安心する言葉かもしれません。 「わからないんだけど、聞いていい?」素直に疑問に思うことを聞いてくれること。わからないことは人それぞれだと思うのですが、この会話で確実に理解が深まったり、すり合わせができるので良い関係性だと思います。 「何かあれば協力するから、これからも気軽に言ってね」嬉しいを通り越して、感謝の気持ちが溢れました。 親子で相談に来る人も。第三者に相談してみようトランスジェンダーの人からの相談を受けている健斗さんと翔さんによると、最近では親子で相談に来る人も増えているそう。1人ではなく、パートナーや友人、トランスジェンダーの人同士などと相談しに行くと良いようです。 健斗:トランスジェンダー当事者の悩みと、親の悩みは別物。家庭内で話し合うとぶつかることも多いです。当事者は小さなころから、トランスジェンダーについてネットで調べたり、たくさん情報を持っている。でも、親御さんはほとんど情報を持っていないことが多いんです。第三者が入ることによって、ちゃんと情報をキャッチしてスムーズに話し合うことができることがあります。悩んでいる方は、第三者に相談してみてみるといいと思います。 健斗さん、翔さんありがとうございました! 自分の子どもからトランスジェンダーだと告白されることは、どんなママさんパパさんにもあり得ることかもしれません。皆さんは、もし子どもから告白されたらどう対応しますか? 元女子・健斗さんと元女子・翔さんが運営する「ジーピットチャンネル」では、さまざまなLGBTに関する動画が投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。 著者:ライター 廣瀬尚子二児の母。女性誌の編集を経て、フリーランスに。広告やアパレルブランドの撮影、雑誌やWEBマガジンの執筆などを手がける。
2022年08月26日入籍日をいつにするのか相談していた休日、突然の腹痛。世間的に新型コロナウイルスが流行し始めていたこともあり、救急車を呼びましたが、なかなか搬送先が決まりませんでした。ようやく決まり、病院に搬送されたのですが……。私にとって衝撃の体験が待ち構えていたのです。 救急車を呼んだが…仕事の長期出張を控えた前日、朝から腹痛があり、冷やしたのかと思い温めて寝ていたのですが、腹痛が治らず酷かったため、救急車を呼ぶことに。しかし、新型コロナウイルスが流行し始めていたこともあり、なかなか病院が決まりませんでした。搬送されない時間が刻々と過ぎ、ようやく搬送された病院でMRIを行ったところ、「急性虫垂炎」で、手術はできないからと転院搬送されることに……。 卵巣を摘出というショック転院した病院では急性虫垂炎ではなく「卵巣のう腫疑い」とのことで緊急手術をすることになりました。おなかを大きく切らない腹腔鏡手術の予定だったのですが、腹腔鏡で中を確認すると卵巣茎捻転により卵巣が壊死していることがわかりました。そこで、開腹手術にて卵巣の一方を摘出し、一方も腫れがあったため一部切除することに……。 奇跡に感謝これから結婚、という時期に卵巣を摘出したり一部切除したりすることになり、破談になるのではという不安がつのるばかりでした。しかし「子どもができなくても一緒になりたい」と彼は言ってくれて、結婚しました。彼(現夫)には感謝しかありません。 数年前に子宮頸がん検査にて卵巣の腫れや子宮筋腫がある、との指摘があったにもかかわらず、定期検診に行くこともなく終わっていました。産婦人科への受診はハードルが高いものの、検診を受けることの重要さを感じた出来事でした。手術後、年齢的にも自然妊娠は難しいと言われていましたが、妊活を始めてすぐに妊娠が判明しました。今はその奇跡にも感謝しながら過ごしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO著者:madder7歳、3歳2児の姉妹の母。旅行代理店で10年間勤務した後専業主婦に。 在職中に取得したチャイルドマインダーの資格を活かした育児を実践中。
2022年08月25日よく行く公園で見かけた衝撃的なお母さんのエピソードです。息子が2歳の頃のことです。外遊びが大好きな息子といつもの公園を訪れていると、小さな女の子を連れたお母さんがやってきて、周りを巻き込み、ビックリしてしまうような振る舞いをし始めたのです……!! 子どもたちで賑やかな公園息子が2歳の頃のこと。よく行く公園には、対象年齢が6歳から12歳の遊具がメインで置いてあります。地元の園児や小学生たちに人気の公園で、その日もたくさんの子どもたちで賑わっていました。難しそうな遊具でも、息子はそんなのお構いなし。私は、これはさすがに危険過ぎる! というような状況になりそうな時以外は、他の子どもたちの妨げになっていないか気にしつつ見守りながら、好きなように遊ばせていました。 衝撃のお母さん、現る!するとそこに、同じ年ごろの女の子を連れたお母さんがやってきました。ちょうど女の子が遊具の階段を上り始めたとき、後ろから鬼ごっこをしている小学生の子どもたちが階段めがけて走ってきました。女の子の横を小学生たちが上ろうとしたとき、お母さんは、バッと両手を広げて小学生の子どもたちの行く手を遮り、言いました。 「お兄ちゃんたちさぁ、今小さな子が階段上ってるんやから、ちょっと待ってあげてよ!」 「ごめんね」などの一言もなく、なかなかの剣幕でそう言い放ったのです。その姿に私は驚いてしまいました。 私も反省息子もよく小学生の子に混ざって遊ぶことがあるので、確かにひやひやしたりもしますが、みんなの遊具ですし、そもそも遊具の対象年齢ではないのはその女の子なのです。小学生たちも、階段までは走ってきたけれど、女の子に気付くと足をゆるめている様子は見られました。そのような中でかなりの剣幕で言い放つ姿は、なかなかインパクトが強かったです。その後も、そのお母さんは戸惑う小学生たちに構うことなく、女の子のために小学生たちに指示、注意などをして遊具を取り仕切り、帰っていきました。 この時見かけたお母さんを見て、いろいろな考えの方がいるんだなと驚くと共に、わが子も対象年齢でない遊具で遊ばせていたことを振り返り反省しました。そして遊具の対象年齢を含め、公共の場での振る舞い方には気をつけなければいけないなと改めて感じたのでした。 著者:madder7歳、3歳2児の姉妹の母。旅行代理店で10年間勤務した後専業主婦に。 在職中に取得したチャイルドマインダーの資格を活かした育児を実践中。
2022年08月25日私には30年来の幼なじみがいます。中学からは別々だったのですが、ずっと文通やメールを続けていました。専門学校を卒業後、彼女は地元へ、私は地方へと離れ離れだったのですが、偶然が重なり合うという、衝撃的な体験をしました。 私の幼なじみ私には幼稚園のころから30年ぐらいずっと仲良くしている幼なじみの女友だちがいます。幼稚園、小学校が同じでクラスも一緒になったことがあり、放課後になるとよく自転車でどちらかの家に行き、暗くなるまで遊びました。ときには彼女の妹や祖父とも一緒に話をしたり、彼女の家に遊びに行くといつも家族が温かく迎えてくれました。中学、高校は別々でしたがよく文通でやり取りをしていました。高校でお互い携帯を持つようになっても文通は続けていました。学校から帰宅してかわいい便箋がポストに入っていると、すごくうれしかったのを覚えています。お互い専門学校に進学して、卒業後、私は地方へ、彼女は地元に残りました。あまり会えなくなって寂しくなりましたが、文通やメールで近況報告をしたり、私が帰省した時にご飯を食べに行ったりしていました。 入籍を伝えると…月日が経ち、私は26歳の時に結婚。夫と初めて出会った日がクリスマスイブだったのと、ちょうどその日が大安だったので12月24日に入籍することになりました。入籍した後に家族や友人に電話やメールで報告をしました。もちろん彼女にもメールで伝えると……、なんと「実は私も今日入籍したの」と返信が来てびっくり!! まさかのうれしい偶然に2人して喜び合いました。 そして3カ月後、私は6月に海外挙式をするための準備をしていました。式場は1年前に予約し、憧れのチャペルでの挙式を心待ちにしていました。そんなある日1通の封筒が自宅に届き、見ると結婚式の招待状で差出人は彼女でした。いつ式を挙げるんだろうとわくわくしながら中を確認すると、6月。私の結婚式と2日違いでした。ジューンブライドなので6月に結婚式をする人は多いと思うけれど、この偶然はうれしさと、結婚式に出席できず彼女の晴れ姿が見られない悲しさが混ざって複雑な気持ちになりました。結婚式には出られなくてもせめてものお祝いの気持ちを伝えたく、彼女の好きなキャラクターの電報を贈りました。お互い結婚式は無事に終わり、電報も彼女に喜んでもらえたので良かったです。 5年後にはなんと!?さらにそこから5年後、私は第1子を妊娠しました。病院に予約の電話をするのも、診察台に上がるのも緊張続きでしたが、超音波で赤ちゃんの心臓がピコピコ動いているのを見て心がホッと温かくなったのを覚えています。それからは1カ月に一度、赤ちゃんの様子が見られる健診を励みに仕事に行きました。特に朝の通勤時のバスがつわりや貧血でつらく感じました。しかし、学生さんが席を譲ってくれたり、仕事場では椅子に座ったまま朝礼を受けさせてもらったり、上司や同僚にも産休にはいるまで支えてもらいました。 家族には妊娠がわかったときに、そして彼女を含め仲の良い友人には安定期に入るころに報告しました。するとなんと彼女も妊娠中だったのです。ただ彼女とは週数が1カ月違いなので出産も1カ月違いだねと話していました。それが、実際には私が長女を出産した2日後に彼女も女の子を出産。1カ月近く早くの出産になったため、赤ちゃんはしばらくの間病院に入院していましたが、退院後グングンと成長していきました。 そして今は…出産後しばらくして夫の転勤で私の地元に戻ることになったので、お互いの子どもたちが小さいうちから親子で遊べるようになりました。今では子どもたちも小学生、私は2児の、そして彼女は3児の母です。これからも親子で仲良くしていけたらうれしいです。 人生の大切な節目が大切な友人と重なるのは喜びも2倍で、そして全て偶然だったので本当に衝撃的でした。子どもにもこれから先出会う友だちとの縁を大切にしていってほしいです。著者:madder7歳、3歳2児の姉妹の母。旅行代理店で10年間勤務した後専業主婦に。 在職中に取得したチャイルドマインダーの資格を活かした育児を実践中。
2022年08月24日第2子妊娠中、妊娠9カ月、突然の出来事が起こりました。それまで大きなトラブルもなくほぼ順調に来ていたのに突然の体調不良。そしてお尻の辺りがひんやりしました。破水したのかと思ったのですが……!? 真夜中に起こった衝撃の体験を紹介します。腹痛と寒気が…第2子出産を機に退職することを決めていた私。あと1週間で有休消化に入ろうとしていた妊娠9カ月のことです。3連休の週末初日、上の子と自宅で遊んでいるときになんだか腹痛と寒気を感じるようになりました。仕事に行っていた夫の帰宅までは、なんとかごまかしながら子どもの相手をしていました。 しかし、夜には発熱。翌朝は体温が下がったものの、水様便を伴う腹痛があり、その日は自宅でゆっくりしていました。そして夕方には次第に体温が上昇、その夜事件は起こりました。 お尻がひんやり!?夜中も何度か腹痛で目が覚め、そのたびにトイレへ行ってはまた寝る、を繰り返していましたが、深中の2時ごろ、お尻の辺りがひんやりして目が覚めたのです。1〜2時間おきに繰り返す腹痛とお尻の湿った感じ……。まさか、陣痛と破水?! 慌てて布団をめくると、なんと水様便が漏れてしまっていたのです。とりあえず出産に備えて購入していた夜用ナプキンを当て、おしりの下にバスタオルを敷いて寝ることに。そのあとも何度か腹痛で起きましたが、徐々に治まり、翌日にはナプキンも不要な状態になりました。あのときは本当に焦りましたが、その後は何事もなく、胎児は妊娠39週5日までおなかにいました。 無理は禁物だと実感あと1週間で有休消化という状況で、まだ会社のデスクは散らかったままでした。さらに、引き継ぎしたいことや関係先へのあいさつなどやることがいろいろ残っており、焦りやストレスがたまっていた私。そんなストレスなどが原因となって体調を崩してしまったようです。幸いにも早産にはならなかったものの、無理は禁物と思い知らされました。 第1子産休の時に引き継ぎで苦労したので早めに取り組んだつもりでしたが、もっともっと余裕が必要だったかなぁとも反省しました。何事にも無理をせず、ストレスをためないように心がけることが大切だなと思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:柳 蓮花4歳、0歳の2児の母。第1子出産後はフルタイムで仕事をしていたが、第2子出産を機に退職。在宅ワークの道を模索しつつ、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年08月23日私は不妊治療の経験者です。結婚前から、子宮腺筋症などを患っていることがわかっていたので、「自分の体に問題があり、妊娠できないんだ」と思いながら治療を進めていました。しかし、体外受精にまで進んだとき、思いもよらないところに不妊の原因があることが判明したのです。 夫を誘ったけれど私は生理痛がひどく、経血もとても多いです。ついた病名は「子宮腺筋症」、そして排卵しにくい体質である「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」。医者から言われたのは、「30歳になるまでに妊娠しないと、不妊治療が必要になる可能性がある」という、当時20代半ばだった私にとってはショッキングな話でした。その後、29歳のときに結婚。お付き合いのころから、夫には自分の体のことを説明していました。そのため、結婚とほぼ同時に治療をスタート。はじめは町の産婦人科にかかり、タイミング法から試しました。 ホルモン剤を飲み、医者からの指定された日に夫を誘い……。念の為、夫の精子も調べてもらいましたが、特に異常はありません。治療を半年ほど続けましたが、まったく妊娠できません。それどころか、検査で片方の卵管が詰まり気味なこと、腟内で動いている精子が少ないことの2点が指摘されました。「やっぱり原因は私の体か……」と、絶望的な気持ちの中、医者からは大きな病院で人工受精にトライしたほうがいいと、転院を進められました。 2回の転院2つ目に選んだ病院は、体外受精までおこなっている大学病院です。この病院でも私・夫の検査をおこないましたが、夫側には特に不妊の要因は見つかりません。「私の体のせいで……。本当に申し訳ない……」。そんな気持ちの中、人工授精にチャレンジしましたが、ここでもかすりもしません。 通院のたびに先生が変わること、そして病院で、幸せそうな妊婦さんや子ども連れが目に入ってしまうことがどうしても耐えきれず、私はまた転院することを決意しました。最後に選んだのは、不妊治療専門の病院です。病院の評判がよく、医師が1人であること、なにより子どもやおなかの大きな妊婦さんを見なくてすむところに魅力を感じました。 この病院に通い始めたころ、ついに私は30歳を迎えてしまいました。「もしかしたら、もう子どもを持てないかも……」マイナスな気持ちを抱えながらも、それでも気持ちを奮い立たせて通院を続けていました。この病院でも、何度か人工授精にチャレンジしてみることにしました。「精子の状態はまったく問題ない」と言われながら、4回チャレンジしても成果が出なかったので、悩みながらもついに体外受精へと踏み切ることにしました。今までの治療と比べて、かかる費用は桁が違います。「私の体のせいで、お金を余計に使わせてしまって本当にごめんなさい」という気持ちでいました。 衝撃の事実が…!体外受精では、体内から取り出した卵子に、精子をふりかけて受精させます。今までの夫の精子の成績であれば問題なく進むはずだと医師からも説明を受けました。採卵直前での精液検査も無事クリア。あとは私の卵子の状態だけ……。「どうか質のいい、妊娠できる卵子が採れていますように」。そう祈りながら、受精結果を待っていました。採卵から2日後、受精の進捗が伝えられました。 「体外受精では、受精が確認できなかったので、急きょ、精子を直接卵子に注入する顕微授精に切り替えました。そして、精子側に受精する能力に問題がある可能性が高い。受精障害です」と医師は言いました。予想外の言葉に、私たち夫婦はとても驚きました。「今までの精液検査で問題なかったのに、どうして……」。実は人工受精や採卵前の精液検査では、精子の奇形率や運動率などはわかりますが、「本当に受精できる能力があるのか」はわかりません。体の外で受精をするとき、人の目で確認することで、初めてわかることなのだそうです。その後、私は一度の移植で妊娠し、無事元気な男の子を出産しました。私たちの不妊の一番の原因は、最後に見つかった「男性側の受精障害」にあったのです。 ついつい女性側に問題があると考えてしまいがちだった不妊治療。しかし、原因はどこにひそんでいるのかわからないものだと思った出来事でした。あのとき顕微授精に切り替えてもらってよかったなと思っています。 著者:坂本ゆう約3年の不妊治療を経て、2022年に男の子を出産。「人と比べず、マイペースに!」をモットーに、初めての育児に日々奮闘。育児の傍ら、保育士試験や不妊症・不育症ピアサポーターの研修にも挑戦中!
2022年08月23日8歳と6歳の男の子、4歳と生後2カ月の女の子、4人の母しています。毎日バタバタしておりますが、1番下の子が生後1カ月過ぎたころ、ほっこり&衝撃を受ける出来事がありました。 次女が生まれると…!?生後2カ月の次女ちゃん。みんながそのかわいさに癒され、抱っこの取り合い、ミルクをあげる係の奪い合い、隣で寝たいなど、ちやほやされる毎日でした。 しかし、1カほど月経つと、上の子たちも赤ちゃんに慣れてきて、赤ちゃんがぐずっても男の子たちはゲームに夢中!「姫(次女)ちょっと見て〜!」の私の声も届かず……。泣 うるっと感動そんなとき、私が助けを求めているのを聞いた当時3歳8カ月の長女は、次女に歌を歌ってあげたり、リボンをつけてあげたり、本を読んであげたりと忙しそうに、そして一生懸命にあやしてくれていました。 その様子を見守っていた私はうるっと感動! ……したのも束の間で、よーくみると自分のスナック菓子も「あーん!」としているではありませんか。びっくりしてすぐに止めましたが、チビママしてくれる長女のやさしさに感動して、さすがに怒ることはできなかったほっこりエピソードです。 今では長女から、次女へ「まだ〇〇ちゃんらミルクなんだからね。もう少ししたらごはんたべられるよ〜!」とおやつをあげることはなくなりました。それでもやさしいチビママは健在です。 著者:こた8歳、6歳、4歳、生後3カ月の4児ママです。普段は看護師、現在育休中です。子沢山エピソード沢山あります。わいわい賑やかな毎日です〜。
2022年08月23日