9月3日、元モーニング娘。の後藤真希(32)が自身のブログを更新。前日の2日に出演した日本テレビ系『誰だって波瀾爆笑』で松浦亜弥(32)と不仲だったことを告白していたが、当時の状況や現在の関係について改めて説明した。番組のなかで、後藤は松浦とのエピソードを披露。中野サンプラザのライブで同じ楽屋になった際、松浦に直接「私さ、あなたの事が嫌い」と2人しかいないときに伝えたと明かした。また松浦にも「私も嫌い」と言われ、お互い嫌いなところを言い合ったという。だが嫌いながらも互いの仕事に対しては尊敬していることが分かると、その後は意気投合。「何故か知らないけど仲良くなっちゃった」と明かし、松浦との仲の良さを強調。結婚などの報告もいち早く知らされたという。そうした放送が話題となるなか、後藤は3日にブログを更新。「あややとの事がたくさんニュースになっている。。。誤解なきように、、、」と前置きしつつ、「当時本人とはなかなか話す機会もなかったし、お互い近寄らない感覚な2人でした」と当時の2人の関係性について説明した。そのうえで「そのうち一緒に居る機会も増え、あややの仕事に対する真面目な姿勢も感じ、思っていた事を言い合えて仲良くなる事が出来ました」とつづった後藤。「こんな風に良くも悪くも気持ちを伝えたハローのメンバーってまっつー位しかいないかも」と続け、特別な存在であることを明かした。
2018年09月03日歌手の松浦亜弥(32)が第2子を出産したことが31日、わかった。夫で3人組ユニット・w-inds.の橘慶太(32)が、自身のインスタグラムで発表した。橘は、家族4人の手を重ねた写真を添えて、「家族が増えました」と報告。「父親として沢山の事を学び、成長して良い音楽を届けられる様に頑張ります」と決意をつづり、「これからもどうぞよろしくお願い致します」と呼びかけた。2人は2013年8月に結婚し、2014年12月に第1子となる長女が誕生。今月7日に、橘は自身のツイッターで「私もうすぐ二児の父親になります」と、松浦の第2子妊娠を明かしていた。
2018年07月31日歌手の松浦亜弥(32)が第2子を妊娠していることがわかった。夫で3人組ユニット・w-inds.の橘慶太(32)が7日、自身のツイッターで「私もうすぐ二児の父親になります」と明かした。松浦亜弥橘は「w-inds. Fes お陰様でめちゃめちゃ盛り上がりました!出演アーティストが皆んなスキルが高くてかっこ良くていい子達過ぎでさらに大好きになりました!足を運んでくれた皆様、本当にありがとうございました!」と、7日に開催した「w-inds. Fes」について参加アーティストやファンに感謝。続けて、「そして、私もうすぐ二児の父親になります。今後もどうぞよろしくお願い致します」と妻・松浦の妊娠を報告した。2人は2013年8月に結婚し、2014年12月に第1子となる長女が誕生した。
2018年07月08日「記者会見の前日、小室さんは所属するエイベックス本社を訪れて、松浦勝人社長(53)に引退を報告したそうです。それまでの数日間、社内では何度も会議があり、小室さんのマネージャーも会議室にこもっていたので、何か大きなことがあるなとは思っていましたが、まさか引退発表とは思いませんでした」(エイベックス関係者) 1月19日、日本列島に激震が走った。小室哲哉(59)が引退を発表したのだ。 「僕なりのですね、この騒動のけじめとして、引退を決意しました」 疲弊しきっての引退発表。会見直後から続々と出てきたのは、不倫という“私事”で消えていく小室の才能を惜しむ世間の声だった。 《こんなことで引退なんて……。納得できない!》 ツイッターでもこうした声が何千と並んだ。だが“涙の会見”では、小室が進んでは明かさなかった“未来の夢”があるという。「引退」について《自発的な音楽活動は本日をもって終了します》と語った小室は、じつは同時にこうも語っていたのだ。 《望まれるのであれば、期待に応えるべく、最低限のことは全うしていきたいと思っています》 この言葉の真意を語るのは、小室の全盛期から親交がある音楽関係者だ。 「あれは、『小室哲哉』という名前を表に出しての“自発的な音楽活動”からは身を引くけれど、名前を出さない裏方としての活動は続けていくという“宣言”です。もともと彼のプロデュース業は裏方の仕事がメインで、本来は名前を出さなくてもできる仕事です。そして彼自身、生活費やKEIKOさんの治療費を稼がねばならず、すでに決まっている仕事も数多くあります。もちろん、騒動の責任を取って引退したいという彼の気持ちは本物。でも彼はそれですべての仕事を投げ捨てるような人間でもありません。自分が必要とされていて、そこから勝手に逃げるわけにはいかないこともわかっている。その苦しい気持ちが、あの言葉にこめられているんです」 実際のところ、小室には直近だけでも仕事が山積みだ。 「1月24日には、浅倉大介さんとつくった新ユニット『PANDORA』の新曲が発売されます。これは現在放送中の『仮面ライダービルド』(テレビ朝日系)の主題歌にもなっています。そのライブも、1月26日に東京・六本木ミッドタウンで行われる予定です。大阪でもライブが予定されているんですよ」(芸能プロ関係者) 前出・音楽関係者がさらにこう言う。 「ぼくも記者会見を見ていましたが、小室さんが何回か涙を流したのは、大好きな音楽活動をやめなければならない悔しさについて語ったところでした。彼は、“必ず復帰する”という決意を胸に秘めているんです。もともと彼は天才特有の“気分屋”なところがあって、突発的な思いつきで物事を決めてしまうことがある。今回の“引退”もそうです。彼には、逮捕された詐欺事件で作った億単位の巨額借金もまだ残っているし、何よりあの涙が雄弁に語っていたように、本当は曲を作りたくてたまらないんです」 08年、巨額詐欺事件で逮捕された小室を支えたのは、KEIKOだった。いまも、苦境を支えてくれた妻に“恩返し”をしたい小室の気持ちに揺らぎはない。そのために必要なのは、何よりも小室自身の復活だ。前出・音楽関係者は断言する。 「近い将来、新曲を引っ提げて彼が復帰を遂げることは間違いないと思っています」 そのとき、小室の復活ステージの隣には、KEIKOに立っていてほしい――。
2018年01月23日秋元康がプロデューサーを務め、メンバーの9割が演技経験ゼロという新劇団「4ドル50セント」が旗揚げされることになり、8月23日(水)に記者会見が行われた。秋元さんが、以前から親交のあるエイベックスの松浦勝人社長から、新たなプロジェクトの発足を依頼されたことをきっかけに動き出した今回のプロジェクト。「いままでにやってこなかったこと」として劇団プロジェクトを構想し、自らトータルプロデュースを務め、脚本には近年、高い評価を集めている「劇団 鹿殺し」の丸尾丸一郎を起用。劇団員は現時点で女性21名、男性20名の計31名。最年少メンバーは15歳で最年長は27歳。昨年秋の1か月ほどの応募期間で約5,000名の応募があり、容姿や演技力だけでなく、キャラクターなども加味しながら31名を選出した。劇団名「4ドル50セント」は、1960年代を代表する歌姫ジャニス・ジョプリンが27歳で死んだとき、傍らには赤いマールボロがあり、手には釣り銭と思われる4ドル50セントが握られていたというエピソードに由来。秋元さんは「彼女が握りしめたかったものは、もっと違ったものだったと思う」と語り、ジャニスがつかめなかった夢をつかむという思いを込めて命名した。秋元さんは、劇団による演劇という今回の企画について「いつかやってみたいと思っていた」と長い間、温めてきた企画であったと明かす。「僕にとっては原点で、AKB48も最初は劇団でやろうと思っていた。そういう意味で原点に戻りました」と語った。劇団のめざす方向性については「懐かしい、汗くさい、泥にまみれたものができたらと思っています」と語った。先述のとおり、31名の約9割が演技経験ゼロ。現役の植木屋やファストフードの店員だった者、新聞配達員などバラバラの個性が集合している。また、劇団としての活動に加え、31名の中から全8名による派生ユニットも結成されることになっており、メディア向けのPR活動を行なうほか、ボーカルダンスユニットとしてパッケージのリリース、単独ライブも予定しているという。今後、11月3日(金・祝)~5日(日)の日程で、秋元さんの原案を丸尾さんが脚本化した舞台「18クラブ」をプレ公演として青山スパイラルホールにて上演。2018年2月には新宿・紀伊国屋ホールにて旗揚げ公演が行われる予定。「クラブ18」は、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリクス、ジム・モリソン、エイミー・ワインハウスなど、27歳で死んだロックミュージシャンたちの総称である「クラブ27」をもじったもので、西東京市田無で夢も目標もない女子高生たちが「18クラブ」を結成するというドラマ。丸尾さんは「立ち入り禁止の田無タワーにのぼる、へんてこな物語になると思います」とその一端を明かした。今後、劇団メンバーたちは劇団での活動に加え、各人の特性に合わせて、TVや映画、バラエティなどでも活動していくことになるという。(text:cinemacafe.net)
2017年08月23日元モーニング娘。の藤本美貴(32)が自身の公式ブログに歌手の松浦亜弥(31)とのやりとりを公開し、自身の妊娠説を否定した。Google検索ランキング2位に「藤本美貴」がランクインするなどして話題となっている。 17日、藤本は「あややとミキティ」というタイトルでブログを更新。松浦から「妊娠してたの?おめでと~!」とメールが来たという藤本は、「してねーよ」と返信。 「なんかネットニュースでみたけど!?」と松浦からの質問に対し藤本は「ちょっとお腹出てる感じになっただけだよ」とツッコミ。その返しに松浦も「出てただけかよ!」と返ってきたというコミカルなやり取りが公開された。続いて、藤本は「妊娠していません」と妊娠説を否定し、「いつ何時もお腹出るように見えないように気をつけます」と誓っている。 藤本は数日前に自身のインスタグラムに投稿した写真から妊娠説が浮上しており、一部のネットニュースなどに取り上げられていた。 藤本と松浦はハロー!プロジェクトからソロ歌手としデビューし、2006年にはアイドルユニットGAMを結成していた。
2017年08月18日「AKB48」グループや“坂道シリーズ”の「乃木坂46」「欅坂46」のプロデューサーであり、グループの全楽曲の作詞を手掛け、各グループの冠番組の企画構成やドラマの脚本なども手掛ける秋元康が、新たに劇団プロジェクトを立ち上げることが分かった。秋元さんは、高校時代から放送作家として活動し、「ザ・ベストテン」の番組構成をはじめ、「とんねるずのみなさんのおかげでした」の企画構成、雑誌の連載など、多岐にわたり活躍中。作詞家としては、美空ひばり「川の流れのように」をはじめ、中島美嘉「WILL」ほか、数々のヒット曲を生み、2008年11月、ジェロ「海雪」で第41回日本作詩大賞受賞。アイドルグループの総合プロデューサーとしてもその手腕を見せ、48グループおよび公式ライバルグループである「坂道シリーズ」や、かつては「おニャン子クラブ」のプロデュースを担当した。今回、秋元さんが新たにプロデュースするのは、“劇団”。演劇や歌、ダンスを中心とする劇団をプロデュースし、今春には秋元さんオリジナル脚本・演出の旗上げ公演を実施するという。秋元さんは、「旧来から親交があった松浦勝人(※エイベックス・グループ・ホールディングス代表取締役社長CEO)から、新しいプロジェクトの依頼があり、2人で話し合った結果、劇団をつくろうという話になりました。性別を問わず15歳以上の役者志望の方々を全国から募集し、『やってみなきゃわからない』という挑戦的な気持ちをコンセプトに劇団を発足致します」とコメントを発表。本日9月28日より特設サイトがオープンしており、劇団員募集の要項が公開。募集対象は15歳以上の男女で、自薦・他薦は問わないようだ。12月には劇団員の発表があり、2月には都内劇場にて公演を実施予定である。これまでも世の中に新しいエンターテインメントのムーブメントを巻き起こしてきたavex・松浦勝人と秋元さんのタッグに、期待せずにはいられない。オーディション応募期間は9月28日(水)~10月31日(月)。(text:cinemacafe.net)
2016年09月28日サイバーエージェントは11月6日、サブスクリプション型音楽ストリーミングサービスの提供開始に向けて、エイベックス・デジタルとの共同出資による新会社を設立すると発表した。サイバーエージェントがアプリケーション開発と運営、エイベックス・グループが配信楽曲数増加に協力することで、サービスを展開していく予定だ。新会社の名称は未定だが、11月下旬の設立を予定している。新会社の代表取締役会長にはエイベックス・グループ・ホールディングスの松浦勝人 代表取締役社長CEOが、新会社の代表取締役社長にはサイバーエージェントの藤田晋 代表取締役社長が就く。エイベックス・デジタルはエイベックス・グループ・ホールディングスの100%子会社。
2014年11月06日●ライナーノーツで貸しレコード店に大行列ペルノ・リカール・ジャパンは5月27日、東京都港区の六本木アカデミーヒルズ49にて、「シーバスリーガル18年ゴールドシグネチャー・ビジネスセミナー2013」を開催した。セミナーでは、「CHIVAS18 Gold Signature Awards 2013 presented by GOETHE 審査員選考部門」を受賞した、エイベックス・グループ・ホールディングス 代表取締役社長 CEOの松浦勝人氏が登壇。創業から約20年で音楽ソフト市場No.1の地位を獲得するに至った同社の歴史を紐解きながら、自身の理念や価値観を紹介した。本稿では、業界裏話が多数明かされた講演の様子を簡単にご紹介しよう。○ライナーノーツで貸レコード店に行列松浦氏の実業家としてのキャリアは、日本大学経済学部在学中に創設した株式会社ミニマックスから始まるという。学生時代に貸レコード店「友&愛」でアルバイトをしていた同氏は、その経営者から共同出資による新会社設立を持ちかけられる。父親から800万円の出資を取り付け、友&愛経営者の出資金800万円と合わせて資本金1600万円でミニマックスを立ち上げた。ミニマックスでは、貸レコード店「友&愛」の上大岡店を経営する。扱っていたレコードのほとんどはダンスミュージック。半ばそちらの専業店として差別化を図るが、「レコード自体はどこで借りても同じもの。さらなる付加価値を付けなければビジネスとしては成り立たない」(松浦氏)との考えから、仕入れてきたレコードにライナーノーツ(音楽の紹介文)を付けてレンタルをはじめた。「レコードの見た目はどれもほとんど違いがなく、ラベルにも曲名や作曲者名などの基本情報しか書いてないため、お客さんはどれを借りてよいのか判断しづらい。どんな音楽なのか紹介してあげたら便利だろうと、ライナーノーツを作りはじめた」(松浦氏)このライナーノーツが会員の支持を得て、上大岡店は圧倒的な売上げをあげる。当時の人気について松浦氏は「店舗は13坪と非常に狭いうえに2階にあった。オープン前はお客さんが来るか心配だったが、オープンして間もなく人でいっぱいになった。あるとき、利用客が途絶えたと思ったら、階段下で大家さんが入場制限していた」と振り返る。次第に、その人気ぶりを知った友&愛 他店の経営者が偵察に来るようになる。しかし、「当時の貸しレコード店経営者はあくまで経営者でしかなく、ほとんどは音楽に詳しくなかった」(松浦氏)ことから、「良いレコードを仕入れられないし、ライナーノーツがポイントと知っても、それを作ることができなかった」(松浦氏)という。そこで、他店舗からレコードの仕入れも頼まれ、1枚500円のライナーノーツを付けて卸すようになり、大きなビジネスになっていった。○気付いたらレコード会社にレコード卸し業のような仕事を始めて間もなく、友&愛の他店の店長たちから、新会社設立を持ちかけられたという。このとき設立されたのがエイベックス・ディー・ディー株式会社。松浦氏はそのときの想いを「自分の会社があったので、別に新会社に参加する必要もなかったが、しつこく誘われたので仕方なくやることにした(笑) 」と回顧した。当時は、ちょうどレコードからCDに移る過渡期にあり、エイベックス・ディー・ディーでは海外から多くのCDを輸入し、それを貸しレコード店に卸していた。アメリカやイギリスのみならず、ドイツやイタリア、ベルギーなどからも購入。あまりにもたくさんのCDを買うため、「自分でレーベルも持っているのではないかと勘違いされ、販売権の売り込みを受けた」(松浦氏)。売り込みを受けるうちに、「権利を買ってCDを出してみようという気になった」(松浦氏)という。これがレーベルとしての始まりになる。しかし、「うまくいった前例が1つもなかった」こともあり、周囲から大反対を受けた。「貸しレコード店のメンバーからも、エイベックス・ディー・ディーのメンバーからも絶対にやめろと言われた。それでも若かったからやってしまった(笑)」と勢いに乗って音楽出版事業を始めたことを明かした。>> 「ジュリアナ東京」収録曲、実は……●「ジュリアナ東京」収録曲、実は……○コンピレーションアルバムに自作曲を織り交ぜる音楽レーベルとして、「SUPER EUROBEAT」シリーズなどのコンピレーションアルバムを国内にリリースした松浦氏。このあたりから松浦氏の商才がさらに輝きはじめる。松浦氏は、コンピレーションアルバムの中に自分たちで制作した曲を混ぜてリリース。さらに、当時絶大な人気を誇ったディスコ「ジュリアナ東京」や「マハラジャ」と提携し、店名をCDタイトルに掲げたアルバムも販売する。ディスコ店名CDは、実際の店舗で流れている曲を収録したアルバムとして売り出したが、CD制作の前にエイベックス・ディー・ディーが作った曲を店舗で流してからそれを収録するという手法をとり、自作曲の普及を図った。さらにこれらのCDには各ディスコ店の入場チケットも添付。「普通にチケットを買うより、CDの方が安かった」(松浦氏)と言い、こちらも売上増を後押しした。なお、このとき自作曲の作曲者やエンジニアを務めていたのは、貸しレコード店のメンバー。自作曲にはジュリアナ東京で頻繁に流されていたバブル時代を象徴するものなどもあるが、「そのほとんどは、身内だけで作ったもの。エイベックス・ディー・ディーがあった町田に急造した8坪のスタジオで制作していた」(松浦氏)だという。松浦氏はこの当時の裏話として、「当時はトランスが流行しはじめたため、印象的なワンフレーズを作れば、それを繰り返すだけで一曲ができた」こと、「このときの作曲者がその後、浜崎あゆみの曲を作ることになって大ヒットをいくつも生み出した」こと、「作曲者が日本人名だと拒絶されるので、外国人っぽい名前にしていた」こと、「ジュリアナ東京のCDでは9%のロイヤリティをジュリアナ東京に支払っており、一番利益が大きかったであろう」ことなども明かし、会場を笑いに包んだ。○CDのCMを流した革命児松浦氏は業界に革命を起こしている。それは、CDを告知するTVCMを流したこと。SUPER EUROBEATやジュリアナ東京のCDを紹介するCMを深夜にしつこいほど流した。「当時の音楽は、ドラマやCMとのタイアップで売り込むケースがほとんど。しかし、ダンスミュージックがふさわしいタイアップはあまりない。ならば、自分たちでCMを作って流すのが、世間に認知される方法として一番簡単なのではないかと考えた。当時は音楽”作品”をCMで流すのは御法度という風潮もあったが、思い切ってやってみたところ、翌日から売上げがものすごく伸びた」(松浦氏)その後、CD購入者を無料で招待するダンスイベント「avex rave」を東京ドームで開催。ディスコブームの中、「スーパーお立ち台」などが大きな話題を呼び、5万人が集まった。現在では決して珍しくない、CD購入者を対象とした特別イベントだが、avex raveが初の試みだったという。「この当時の社員は30人から50人くらい。会社の所在地はまだ町田市。そんな企業が5万人も集めたのは感慨深かった。ちなみにスーパーお立ち台に上がれるチケットは非売品で、社員がディスコに行って、かわいい女性に配っていた(笑)」(松浦氏)>> ELT、浜崎あゆみ、EXILEのデビュー秘話●ELT、浜崎あゆみ、EXILEのデビュー秘話○ELT、浜崎あゆみ、EXILEのデビュー秘話こうして音楽レーベルとしての足固めを進めていった松浦氏。小室哲哉らの活躍で、"エイベックス"という企業がその後大きくなっていったのはご存知のとおりである。そうした中、松浦氏は1997年から自身でもアーティストのプロデュースを始める。その理由については「小室さんが威張って仕方がなかったから(笑)」と笑いを誘った後、「小室さんがいなくなったときの会社への影響度を考えて」と経営リスクを考慮しての選択だったことを明かす。「やり方は見ていたので自分でもできるのではないかと思えた」と、当時の心境を語った。講演では、自身がプロデュースしたアーティストのデビュー秘話も紹介。Every Little Thingに関しては、「ある日、持田香織が”TRFになりたい”と、母親と一緒にやってきた。歌声がZARDのようだったので、『友&愛』上大岡店の元店長で、当時、某スタジオの電話番をしていた五十嵐充(後にELTにメンバー入り)に曲を作らせ、毎週日曜日に収録してデモテープを送らせた。小室さんや織田哲郎さんには採用してもらえなかったが、いけるかもと思い、自分でプロデュースすることにした」と説明。浜崎あゆみについては、「元々は、かわいいと評判だったベルファーレの店員。芸能事務所にも所属していたが、エイベックスでやりたいと言い、事務所をやめた。当時すでにドラマやグラビアにも出ていたので、1年間ニューヨークに行かせて、昔のイメージを断ち切り、アイドルっぽさが表に出ないようにした」と明かした。さらに、EXILEのリーダーHIROについても「ZOOのメンバーとして活躍していたが、それ以前から『友&愛』上大岡店の常連客として付き合いがあった。ZOOの解散後にプロデュースのお願いに来たので、『最終的にものにできるかどうかは自分次第』と忠告した上で、チャンスをあげた。TRFでダンサーとボーカルの仲が悪くなっていくのを見ていたので、ダンサー中心でユニットを組まないと、将来的に後ろに追いやられる可能性があるというアドバイスもした(笑)」と、デビューのきっかけを振り返った。こうした例を挙げた後、松浦氏は「ご覧のように内輪でのプロデュースが多い。よく見れば身近なところにも才能があるということ(笑)」とコメント。そしてプロデュース成功の秘訣については、「最後までアーティストを信じてあげること」との考えを示した。○映画を映画館だけで流していても儲からないエイベックス・グループは、2009年にNTTドコモとともに動画配信サービス「BeeTV」をスタート。スマートフォンの普及に合わせて急激に会員数を伸ばし、音楽CDの売れない現代において同社の売上げを下支えしている。BeeTVを始めた経緯について松浦氏は次のように語る。「CDが売れなくなることも見越して、映画の配給にもチャレンジしてきたが、成功したのはレッドクリフなどごくわずか。映画は、やりはじめると引き込まれてしまうが、ビジネスの仕組み的にもうからない。そこで、映画館以外で流せるスクリーンを探し、行き着いたのが携帯電話だった。当時はまだフィーチャーフォンしかなかったが、すでに海外ではiPhoneが発売されており、スマートフォンが普及することは間違いない情勢だった」BeeTVは貸しレコード屋と同じ会員ビジネス。松浦氏にとっては経験のある分野。「まずは会員を増やさないと話にならない。コンテンツよりも、会員を増やすことを優先して、サービスの拡充を図った」と注力ポイントを語った。さらにエイベックス・グループでは昨年、ソフトバンクモバイルとともに動画配信サービス「UULA」も開始。BeeTVと同様のサービスをソフトバンクユーザーに対しても開始している。○常識を知らないから革新を続けてこられたこうした講演の締めくくりに、松浦氏は、「時代や環境が移り変わっても変わらないこと」と題して、以下の3つの考えを紹介した。誰もやらない。だからエイベックスがやるいつも、すべてに疑問を抱く「何でだろう?」業界の常識は非常識特に強調したのが、「業界の常識は非常識」。音楽業界初の試みを続けてこられたのは、「常識を知らなかったからというだけ」と理由を分析する。しかし、「知らなかったからこそ自由に挑戦できた」と続け、昨年開始したUULAに関しても、「ドコモと一緒にやっているのに、ソフトバンクと始めるなんて考えられないと言われたが、これも携帯キャリア業界の常識を知らなかったからこそできたこと」と振り返る。そのうえで、「現在はエイベックスの常識が業界の常識という雰囲気になり、非常識なことがやりづらくなっている。若手も過去のやり方に倣っているような風潮があり、保守的になりつつある。そんな状況のなかで怖いのは、まったく異なる業界から挑戦してくるケース。例えば、IT出身の企業が音楽業界で革新を起こすなんていうのも今後十分に起こりうる話」と語り、聴講者に対してチャレンジを促しつつ、エールを送った。
2013年06月02日エイベックス・エンタテインメントとソフトバンクによる合弁会社の株式会社UULAが、12月よりソフトバンクのスマートフォン向け総合エンターテインメントサービス“UULA”(ウーラ)を開始することを9日に発表した。その他の写真“UULA”(ウーラ)は、ソフトバンクのスマートフォンを対象に、映画や海外ドラマ、ライブ映像など、配信サービスでは最多の5万コンテンツ以上を月額490円で配信、見放題のサービスとなるようだ。ソフトバンクの孫正義社長は、この日行われた“SoftBank 2012 Winter-2013 Spring”の記者発表会で、エイベックスの松浦勝人CEOと揃って登壇し、本サービスの開始を発表した。“UULA”の名前の由来について孫社長は、「松浦さんにぜひ本気で取り組んで欲しいと考える中で、会議中に『松浦の浦(うら)だ!』と思い、“UULA”(ウーラ)に決めたんです」と吐露。また、松浦CEOは、「この20数年間でたくさんのムーブメントやブームを仕掛けてきた自負はあります。このサービスで、ソフトバンクと共にムーブメントを仕掛けていきたい」と述べ、孫社長も、「松浦さんと画期的なコンテンツを作っていきたい」と今後の展望を語った。
2012年10月09日松浦亜弥が10周年記念ベストアルバム発売とライブ開催今年8月に自らのブログで子宮内膜症を患っていることを明かし、歌手活動を休止していた松浦亜弥が、12月にベストアルバム「松浦亜弥10TH ANNIVERSARY BEST」発売、そしてライブ開催と歌手活動を再開する。「松浦亜弥10TH ANNIVERSARY BEST」は14歳でデビューしてからの10年間でリリースした全作品の中より16曲をセレクト。さらに、松浦が憧れるシンガーソングライターの竹内まりやに、25歳の松浦の為の曲を作ってもらい収録した。松浦亜弥よりコメント今回は10周年記念アルバムです。『あやや』こと松浦亜弥はファンの皆様に支えられ、育て、愛情をたくさん注いでい ただきここまでやってきました。そんな皆様と私自身の歴史をまとめたものになっています。14歳でデビューし、今年で25歳。そんな私の、歌声や曲の内容なども、こうして並べて聞いてみると少しずつではありますが成長していたんだと、なんだか嬉しく、そしてちょこっと恥ずかしくも感じております。選曲に関しては、これまでのLIVEを振り返ったり、ファンの皆様から人気の高い曲で構成しました。そして、ここ最近は歌手活動は少しお休みしていましたので、10年を締めくくる1曲を!ということで、2008年に竹内まりやソングミュージカル『本気でオンリーユー』で主役を務めさせていただいてから親交のある、歌手としても、一人の女性としても本当に憧れ!竹内まりやさんに25歳の松浦亜弥が歌う曲を作っていただきました。demoをいただいた時には嬉しくて嬉しくて嬉しくて。まりやさんに、恋に傷つき少し女々しい女性にしていただきました(笑)どうぞお楽しみに!!そんな楽曲も含まれたアルバム。みんなで作り、過ごした10年分の松浦亜弥です。是非、たくさんの方に聞いていただきたいです。今後とも応援よろしくお願いいたします。と、ファンへの感謝の気持ちと久しぶりの歌手活動再開の喜びを語っている。(松浦亜弥、公式サイトより)また、ライブが12月8日(木)、12月9日(金)を東京(COTTON CLUB)で、12月21日(水)を名古屋(Blue Note)で開催される。詳しくは松浦亜弥公式サイトまで。元の記事を読む
2011年11月13日