特別展「世界が妙だ! 立石大河亞+横山裕一の漫画と絵画」が広島市現代美術館で開催される。会期は、2016年10月28日(金)から2017年1月22日(日)まで。立石大河亞のコマ割り絵画を含む油彩、60年代から80年代に制作した漫画原画、そして、横山裕一が初期に手がけた絵画、新作漫画『アイスランド』、本展のために描き下ろした漫画原画を紹介する「世界が妙だ! 立石大河亞+横山裕一の漫画と絵画」。我々の世界を参照しながらも、現実を引きずることなく、もうひとつの世界を大胆に提示する。不条理に満ちた、妙な世界の住人が繰り広げる意味不明な会話、 ナンセンスな行為など、一見“なんでもあり”の状況がもたらすユーモア。現実と距離のある世界観に触れることで、自分たちが今いる世界を見つめ直す良い機会をあたえてくれる。立石大河亞立石大河亞(タイガー立石/立石紘一)は、1963年、第15回読売アンデパンダン展に出品し、美術家としてのキャリアをスタートさせた。65年からは漫画を描き始め、ほどなく新聞や雑誌に連載をもつまでになり、漫画家としての地位を確立する。ミラノへと拠点を移した69年には、漫画の手法である「コマ割り」を絵画にもちこみ、ストーリー性や時間的要素を取り入れた絵画を手がけた。横山裕一横山裕一は、漫画家、イラストレーターとして活躍。ベニヤ板にペンキで風景や人物を描きながら、自身の絵画のスタイルを模索する日々の中、イラストの仕事を通じて、2004年に『ニュー土木』で単行本デビューを果たす。「ネオ漫画」 と称される横山の漫画に明確なストーリー展開はなく、複数の登場人物による非友好的かつ目的不明な行為、謎の物体が移動、変形する様子を描写することにより、純粋な時間の流れが表される。【概要】世界が妙だ! 立石大河亞+横山裕一の漫画と絵画会期:2016年10月28日(金)〜2017年1月22日(日)会場:広島市現代美術館住所:広島県広島市南区比治山公園1-1開館時間:10:00〜17:00 ※入場は閉館30分前まで。休館日:月曜日(ただし1月2日、1月9日は開館)、年末年始(12月27日〜1月1日)、1月4日(水)、1月10日(火)観覧料:一般 1,030(820)円、大学生 720(620)円、高校生・65 歳以上 510(410)円※中学生以下無料※11月3日全館無料※ ( )内は前売り及び30人以上の団体料金
2016年10月03日開業以来45年の人気、モツ焼き店「江戸っ子」テレビにもよく出ている、庶民派の食通行きつけのお店です。東京・立石で開業以来45年の人気を誇るのが、モツ焼き店「江戸っ子」。「京成立石」駅からすぐです。下町情緒たっぷりのお店は16時の開店直後すぐ満席になり、外のベンチにお客さんが列を作っていることも。ふわりと漂うモツ焼きの香ばしい匂いをかぎながら待つ時間も楽しみの一つです。リタイア世代が散歩がてらやってきてオープン直後から酔っぱらっていたり、昼過ぎから他のお店をはしごして、2軒目の人もいたり。そういった常連さんだけではなく、仕事帰りの会社員や、評判を聞いて遠くから訪れる人など、年代・性別問わず大勢のお客さんが集います。人情あふれる交流ができる呑んべ横丁かなりご年配のおじさまとも、ひじが触れるほどのカウンターで隣同士になれば初対面でも思わず会話が弾みます。出会いを求めに行く横丁とは一線を画す人情あふれる交流に、心があたたかくなるはず。もつ焼きや煮込みは各360円、特製ハイボールは350円など、リーズナブルでボリュームたっぷりのメニューがズラリ。おいしさについついお酒も進みそうですが、飲み過ぎると「もうやめときなさい」とおかみさんに止められることも。そんなお母さんのようなおかみさんに会いに行くのも、「江戸っ子」の魅力です。初心者向け度★★☆フレンドリー度★★★コスパの良さ度★★★スポット情報スポット名:立石横丁 江戸っ子住所:東京都葛飾区立石7-1-9電話番号:03-3694-9593
2016年10月02日男児をいつまで女風呂に連れて行けるのだろう出典 : こんにちは。『〈マンガとQ&Aで楽しくわかる〉1人でできる子になるテキトー母さん流 子育てのコツ』の著者、立石美津子です。公衆浴場に息子を連れて行くとき、何歳まで一緒に女風呂に入れるか…母親にとっては悩むところですよね。この夏休み、お子さんを連れて旅行に行ったご家族も多いのではないでしょうか。そんな中、先月ネット上のある投稿が話題になりました。夏休みに温泉に行ってきた。 旅館の料理はとても美味しくて、 観光地も想像以上に楽しくて満足な旅行だった。しかし、ひとつ不満が残っている。旅館の大浴場(女湯)に男児が入ってきたことだ。男児といっても小さな子供ではなく、声変わりの済んだ小学校高学年らしき少年だった。母親らしき女性と2人で入ってきたのだが、小学生なんてひとりで風呂に入れるだろうに、何故、他の女性客もいる女湯に連れてくるんだ 私は入湯してからまだ5分ほどだったが、 気持ち悪いのですぐにあがってしまった。本当は母親に非常識ではないかと声をかけたかったのだが、 家族水入らずの旅行に水を差すような真似はできなかった。小さな子供なら微笑ましく見ていられるが、 小学校高学年男児を受け入れることはできない。(太字筆者強調)-----はてな匿名ダイアリー, 2016/08/15, 【追記】女湯に小学生男児は入ってこないでほしいということ。小学校高学年らしき少年と母親が一緒に女湯に入ってきたことに対する違和感を表明した匿名ブログです。このブログに対しては賛否両論さまざまなコメントが集まり、中には、「子どもが障害児やトランスジェンダーかもしれないじゃないか」という反論もありました。一方で、ブログを書いた方が追記した「事情があるなら貸し切り風呂を使ってほしい」、「父親と一緒に入れば良い」という意見も理解できます。どちらが正しいとは簡単に言い切れませんが、私にとっても他人事ではない話題だったため、興味深く読みました。なぜなら私にも知的障害のある高校生の息子がおり、夫のいないシングルマザーであるからです。今回の記事では、そんな息子と一緒に温泉旅行に行った際の工夫を紹介しながら、障害児が社会で生きていくために出来ることを考えていきたいと思います。見た目は大人、頭脳は子ども?障害のある子を持つ母のジレンマUpload By 立石美津子男児を女湯に同行していい年齢制限については、全国一律の基準がありません。考え方はばらばらで、公衆浴場条例によって自治体ごとに年齢制限を設けています。たとえば、北海道だと12歳までなら母親と男児が女風呂に入ることを許されます。ですが、京都に行けば7歳が上限年齢なので、ダメだと言われるのです。参考: 弁護士ドットコム, 2013/03/22, 銭湯の「女湯」に男児、何歳までOK? 地方で異なる「年齢制限」地域ごとの基準が違う上に、人によって子どもの見た目に対する印象にはギャップがあるのが難しいところ。温泉でも年齢を証明するものを提示するわけではありませんから、何となく見た目が大きな子どもは、各家庭の自己判断で「一緒に入る・入らない」を決めているのが実態だと思います。ここに、周囲の人が感じる印象と、親の思いのズレが生じやすく、投稿のようなトラブルが起こります。障害児のいる家庭の場合も同様で、家族は「可愛い幼子」と思ってはいても、世間から見たら立派な男性に見える、という事態は当然起こります。特にダウン症児など違い、パッと見でわからない自閉症児は“健常児”と思われます。障害者手帳を見せて「ママと一緒に入ってもいいですよ」なんて配慮も特にありません。私の息子も先日、東大病院で受けた検査では「精神年齢5歳8ヶ月」の結果でした。頭の中はまだ幼児ですが、もう高校生なので周囲から見れば身体は立派な男性です。Upload By 立石美津子かといって、夫がいない身としては、誰かに息子を男風呂に連れて行ってもらうこともできません。こうして我が家は、息子が小学校4年生になる頃から、家族旅行で一緒に大浴場に連れて行けなくなってしまいました。息子の「一人男湯デビュー」に向けて、特訓開始!Upload By 立石美津子すっかり大きくなった息子とも一緒に、温泉旅行を満喫するにはどうしたらいいか。考えた私は、息子の「一人男湯デビュー」に向けて練習を行うことにしました。家族風呂などの貸し切り風呂がある温泉旅館も最近は増えてきていますが、お盆休みやお正月休みは予約が埋まってしまい、家族旅行の時に都合よく貸切風呂が使えるとは限りません。それに、大浴場のほうが広々していて気分がいいです。せっかくの旅行、息子にも大浴場でゆったり温泉気分を味わわせたかったのです。そこで、放課後ディサービスで普段お世話になっているスタッフにお願いして、近所の銭湯で次のルールを息子に教えてもらいました。・走らない・泳がない・潜らない・タオルを浮かべない・身体を洗ってから浴槽に入る何度か通ううちに息子もだんだんとルールを理解し、守れるようになっていきました。いよいよ夏の家族旅行、一人で男湯に向かった息子の成果はいかに出典 : 事前に近所の銭湯で予行練習もして準備万端!家族旅行で「浴場に一人で行く」ミッション決行の日となりました。事前練習はしたものの、「中でパニックを起こしたらどうしよう…」「奇声を出したらどうしよう…」「泳いだらどうしよう…」などと、あれこれ心配になってきました。かといって、愛の手帳や愛のワッペンを裸の身体に付けることは出来ません。そこで、もしものトラブルに備えて、こんなものを作って息子に持たせることに。Upload By 立石美津子Upload By 立石美津子障害があることを説明するためのネックストラップです。文房具コーナーの名札コーナーに売っている名札紐に、別で買った白い札を付けて作りました。誰かが引っ張ると紐が外れる安全な構造にもなっています。もし、何かあっても「親切な見知らぬおじさんが助けてくれる」と願って、息子を男湯に送り出しました。結果は……無事成功!Upload By 立石美津子トラブルもなく、息子は30分くらいしてから無事部屋に帰ってきました。こうして息子は、温泉旅館でも一人で男湯に行けるようになりました。障害者が生きていく上で、本人が出来ること、社会が出来ること出典 : 「障害者差別解消法」も施行されましたが、まだまだ日常生活の中では、障害があると実質的にサービスの利用が制限される場面は多々あります。周りに迷惑をかけることを恐れて、レストランでの食事や飛行機・新幹線の利用を諦めている障害者の家族はたくさんいるのが現状です。温泉宿もそれと同じだと思うのです。とはいえ、「障害者だから許してください」と胡座(あぐら)をかいてしまい、堂々と女風呂に大きな子どもを連れて行っては、周りの人に不快な思いをさせてしまいます。ですから、障害者とその家族の側にも創意工夫が必要だと思います。かといって、障害が重いとルールの理解も難しく、いくら訓練しても出来るようにならないケースもありますし、子ども一人でお風呂に入ることは出来ないという問題は残るでしょう。そこで解決法を考えてみました!温泉旅館でペット同伴可能など、差別化を図る取り組みをしている経営者もいますが…是非、「シングルマザー+障害児で父親に頼めない人」のために、男の子と一緒に男湯に入ってくれるヘルパー的な男性スタッフを置いてほしいと思います。そうすれば、もっと温泉を楽しめる人が増えると思うのです。(シングルファザー+女児でも同じニーズがありそうですね)見た目と実年齢のアンバランスのある人たちが社会の中で生活していくときにぶち当たる様々な困難。温泉に限らず、当事者と家族の側で出来ること、社会の側で出来ること、どちらも考えていくことが大切です。皆さんはどんな苦労をしていますか?そして、この提案をどう思いますか?出典 :
2016年09月06日息子にとって「近寄りがたい存在」だった祖父が天国へ。こんにちは。『〈マンガとQ&Aで楽しくわかる〉1人でできる子になる「テキトー母さん」流 子育てのコツ』の著者の立石美津子です。3年前から膵臓がんを患っていた私の父が、6月17日天国へ旅立ちました。享年82歳でした。昭和1ケタ生まれ。終戦の時は中学1年生だった頑固な父。子どもの授業参観日や運動会などの行事には一切顔を出すことなく、仕事一筋だった父。私の息子が自閉症とわかっても、障害に対する理解もあまりなく、息子がパニックを起こしたり、ひと時もじっとしていられずに歩き回ったりする様子を見て、よく怒鳴り散らしていました。Upload By 立石美津子そんな父に対して、孫である息子は「近寄りがたい人」、「怖い存在」と思っていたようです。今回は、父の死に際して息子がどのように反応したかをお話しながら、自閉症児が人の“死”をどう受け止めているのかを考えたいと思います。葬儀への参列は、息子にとって初めての経験。出典 : 父の入院先である緩和病棟に何度も見舞いに行き、葬儀、告別式に参列したこの一週間。自閉症児の息子の脳にとっては、予期せぬこと、初めての人、場所の連続でストレス満載だったと思います。そもそも、子どもが「人の死の場に立ち会う」経験をすることは、あまりありません。私も50歳を過ぎてからは、結婚式に呼ばれるよりもお葬式にいく回数の方が増えましたが、子ども時代に葬儀に参列することはありませんでした。このように葬儀はただでさえ子どもにとって馴染みのない場面なのですから、初めての事が苦手な自閉症の息子が落ち着いて葬儀に参列など出来ないことは容易に想像できました。実際、息子が葬儀や告別式に参列することに対して、私の母も「走り回ってみんなに迷惑をかけるから、来させないでほしい」と反対していました。けれども私は、ヘルパーを付けて息子を葬儀に参列させました。焼き場で焼かれて骨になって、それを箸で拾うところまで全ての過程を含め、この一連の人の死の場に立ち会うという、またとない機会を息子に体験させたかったのです。涙する家族。ウロウロと歩きまわる息子。Upload By 立石美津子私たち家族は、父の死に目には会えず、病院に駆け付けたとき身体は冷たくなっていました。みんな号泣していました。そんな状況なのにも関わらず、息子は病室内をウロウロと歩き回り、ファンタジーの世界に没頭しているのか、場にそぐわない笑みまで浮かべていました。看護士が「どういうお祖父様でしたか?」と尋ねても、「怒る人、怖いおじいちゃま」と言葉を飾ることなくそのまま答えていました。病院の近くにある実家に寄った時も、玄関に付いている「立石信義(=祖父の名)」の表札をいつ変更するのかということばかりを気にしていて、一切涙をすることはありませんでした。こういう態度を見て「やっぱり自閉症なんだなあ」とつくづく思いました。「お祖父ちゃまが死んで悲しくない?悲しい?」息子に問うてみるUpload By 立石美津子周りが泣いているのにも関わらず自分の世界に没入する息子。「自閉症児がする典型的な態度だが、だからといって、息子が人の死に対して何も感じていないはずはない。」そう考えた私は、葬儀までの一週間の間、息子に何度か質問してみました。はじめに、「おじいちゃまが死んで悲しい?」と聞くと、息子はオウム返しに「悲しい」と答えました。続けて「おじいちゃまが死んで悲しくない?」と聞くと、これまたオウム返しに「悲しくない」と答えます。いつもこのパターンで、相手の言ったことをリピートするのです。聞き方を変えて、選択肢を与えながら「お祖父ちゃまが死んで悲しい?悲しくない?」と問えば、本心が聞き出せるかというとそうでもないのです。この質問の仕方ですと、印象に残りやすい後者のフレーズ「悲しくない」を機械的にリピートすることが予想されました。そこで順番を入れ替えて「お祖父ちゃまが死んで悲しくない?悲しい?」と、淡々と聞いてみました。こういう風に、意図的に文中の言葉を選ばなくてならない状況にさせて意思確認をすると本心が言えることを、自閉症の息子を15年間育ててきた経験上、私はわかっています。すると息子は、「悲しくない」と答えました。はっきりとした意思を持って前者のフレーズを選んだのです。息子は何かと自閉症を理解できない父からよく怒鳴られていたので、それは正直な気持ちだったのかもしれません。いつまでも裏表のない子どもなのです。でも、いつも通っているプールでコーチから「お祖父様、亡くなったんだね」とお悔やみを言われたときには、「大変なことが起こった」と答えていたらしいです。彼にとっての「祖父の死」というのは、そんな感じ方だったのです。私たちから見たらそっけない態度ですが、心の中ではきっと色んなことを感じていたのだろうと思います。私の葬儀のとき、息子はどんな態度をするのでしょうか?順番的には私が先に死ぬのですから、いつかその時はやってきます。その後、一体誰が息子を支え育ててくれるのだろうか。そんなことを思うと、とても暗い気持ちになってしまいます。生きている間にこうして息子にできるだけ多くの体験をさせ、社会との関わりを増やしていく。母である私ができることは、それぐらいしかないのかもしれません。出典 :
2016年08月22日相模原で起きた障害者殺傷事件に寄せて出典 : 月26日未明、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で元職員の男が刃物を持って侵入して入所者らを次々に刺し、19人が死亡、26人が負傷する事件が起こりました。逮捕された容疑者は、「障害者は不幸を作ることしかできません」「安楽死にすればいい」などといった発言を犯行前後にしており、私も、知的障害のある子を持つ母として、非常に悔しい思いで、涙が出てしまいました。テレビやインターネット上でも、この容疑者の言動や人格の異常さを非難する声が多く見られますが、そうした意見を目にするなかで、私にある問題意識が浮かんできました。この犯人を「異常な心理を持つサイコパス」とし、“別世界の人“と見てしまうだけでよいのだろうか?実際にこんな事件を起こさなくても、同じような考え方の根っこを、まだまだ世間や私たちは持っていないだろうか?そしてそのような考え方を子どもたちが持つきっかけを、私たち大人が与えてはいないだろうか?今回の記事では、『1人でできる子に育つテキトー母さん流子育てのコツ』の著者、立石美津子が、障害のある人への排除の問題と、インクルーシブな共生社会に向けた考え方をお話します。世間にまだまだはびこっている、「障害者差別」の考え方出典 : 近年は障害者差別解消法の施行やインクルーシブ教育の浸透によって、以前よりも障害者に対する偏見は改善しているようにも見えます。しかし、障害者に対する差別的な姿勢は、世間からまだまだ消えていないように私は思います。今回の事件の報道のあり方にもそれが表れているでしょう。今回の事件で、殺された被害者の実名や写真が何日経っても報道されないことについて、私は疑問に思っていたところ、以下のような記述を発見しました。県警は26日の事件発生以降、被害者名を「A子さん19歳」「S男さん43歳」などと記号化して公表している。非公表の理由は「(現場が)障害者施設で障害者という条件のため。遺族による強い希望もあり、そのような判断をした」という。私はここで、「何がなんでも被害者名を報道すべきである」ということを言いたいわけではありません。被害者名が公開されれば、自宅に報道陣が押し寄せ、その友人や近所の人にも取材が行き、出身の学校まで報道陣が押し寄せます。ご遺族の方が公表を拒否したというのも、無理はないことでしょう。ですが、今回の神奈川県警の発表で気になるのは、事件が”障害者施設で障害者という条件”で起こったため、実名を非公表にしたという、その理由付けです。障害者施設での事件だからということを理由として、通常とは異なる「例外対応」をすることそれ自体が、障害者を特別扱い、あるいは差別しているように思います。本来なら、事件報道における実名・写真の公表が、被害者の障害のある無しに関わらずどうであるべきかを考えた上で、犠牲者一般に対して同様の原則を適用すべきでしょう。こうした報道姿勢にも、「障害者の生きる世界は、自分たちとは違う特殊な世界」という差別の考えが、無意識下に働いてはいないだろうかと、懸念を覚えます。大人の無意識な言動が、子どもの考えの根っこをつくる出典 : こうした私たち大人がつくりだす障害者に対する差別的な姿勢は、子どもの考え方にも大きく影響していると思います。私は、知的障害のある自閉症の息子を育てる母として、また学校や塾の教師として、さまざまな先生、保護者の方々と関わってきました。子どもたちが最初に障害のある人とかかわる場面は、多くの場合学校だと思います。残念なことに、「障害のある子どもが一人でもいると通学、通園させたくない」と望んだり、特別支援学級が併設されていない小学校をあえて選ぶ保護者の方がおられる現状を、私は見てきました。「我が子を勉強させるために通わせているクラスに障害のある子がいて、学習環境を妨害されたら困る」とその方が思うのは、親心としてはある種自然なことかもしれません。事実、障害のない子が授業中に迷惑をこうむってしまう場面はあると思います。しかしだからといって、障害児の存在そのものを否定する言動や、「障害児は絶対排除」という姿勢を親が子どもの前で見せてしまうと、今回の犯人と同じ考え方の種を植え付けてしまうのではないでしょうか。「障害者は絶対排除」とまではいかなくとも、障害者に対する差別的な考えを、親も無意識のうちに子どもに植え付けてしまう可能性は十分あります。たとえば、我が子を褒めようとするときも、出来ていない友達と比較して「あの子は努力しなかったから○○になったのね。その点あなたは頑張っているから○○できたね」などと言えば、“弱者を馬鹿にする考え”がついてしまうのです。相模原で起きた事件の容疑者も、26年前は人の子として生まれ、可愛い天使のような赤ちゃんだったのでしょう。容疑者がどのような環境で幼少期を過ごしたのかは定かではありませんが、少なくとも私たち大人の考え方は、純粋な子どものその後の価値観に大きく影響しているのです。人間は全員が健常者として生まれ育つわけではない出典 : 私が特別支援学校の教員免許をとるとき、授業でこんな話を教授から聞いたことがあります。「鉢植えに100個の種をまいたら全部同じようには成長はしない。種のまま芽が出ないこともあるし、途中から成長スピードが変わるもの、曲がってしまうものがある。人間も生物だから同じこと。全員が健常者として生まれ成長するわけではない。」これは「1人ひとり成長の凸凹はあって当然」というメッセージなのだと解釈しています。私は一人の親として、また教師として、いつもこの言葉を胸に留めています。学校という教育の現場で、障害のある子どもとない子どもが一緒に過ごすことで、「世の中には色んな人が存在するんだ」ということを子どもたちは身をもって体験することができると私は思っています。そのような環境で、「背が高い子、低い子、眼鏡をかけている子、かけていない子、色んな人がいるよね。走るのが早い子、遅い子、給食をおかわりする子、しない子。人間はみんな一人一人違っていて、得意なこと苦手なことがあります。○○君はじっと座っていることが苦手で、歩くことが得意なのよ。」というように、大人が子どもに働きかけていけば、子ども同士が関わりあうなかで、「多様な人が共に生きること」「鉢植えの中には色々な種があること」を学んでいくのです。誰だって障害者になりうる。だから、社会でもっと支えあおう出典 : できれば我が子には障害のない方が良い、と願うのは親として自然なことかもしれません。新型出生前診断でダウン症児だと分かると、90%の妊婦が中絶をしているという現実もあります。しかし、新型出生前診断で分かる障害は一部の障害だけで、視覚障害や聴覚障害、自閉症などの発達障害はわかりません。さらに、出産時の事故で子どもが脳性まひになることもあれば、障害なく生まれてきても、交通事故に遭ったり病気で脳にダメージを受けたりして、障害児になる可能性もあるわけです。また、親を含めた大人自身が、事故や病気、鬱病や統合失調症などの精神疾患によって、障害者になる可能性だってあります。そんなとき「あなた(の子ども)の存在は大変な税金がかかり迷惑をかけている。最初から生まれていなければよかった」と言われたら、どのように感じるでしょうか?生きている限り、誰がいつ障害者になってもおかしくはありません。だからこそ、同じ鉢植えの中の者同士、互いの存在を認め合い、支え合って生きていく必要があります。障害者を“自分とは関係のない人”として、そして今回の事件を“異常な人がやったこと”と他人ごとにせず、私たち自身の障害者に対する考え方を、もう一度見直す必要があると思います。Upload By 立石美津子一人でできる子になるテキトー母さん流子育てのコツ
2016年08月08日『〈マンガとQ&Aで楽しくわかる〉1人でできる子になる 「テキトー母さん」流 子育てのコツ』(立石美津子著、日本実業出版社)の著者は、子育てに関する著者、講演家として精力的に活動している人物。教育現場での経験に基づいた講演には定評があり、自身が自閉症児を育てる母親でもあります。前作『『1人でできる子が育つ「テキトー母さん」のすすめ』も話題を呼びましたが、新作である今回も、テーマにしているのは子育てにおける“テキトー”の重要性。というのも、著者が“テキトー”を強調することには大きな理由があるのです。■子育てはテキトーなくらいがちょうどいい子育て経験のある方ならおわかりになると思いますが、子どもに向き合って一生懸命になればなるほど、「いいママにならなくちゃ」「いい子に育てなくちゃ」という“いいママプレッシャー”にがんじがらめになってしまうもの。理想を追い求め続け、つい完璧主義になってしまうわけです。事実、かつては著者もそうだったといいます。しかし、そんな状態だと、親も子どもも不幸になってしまって当然。そのことに気づいてから、“テキトー”な子育ての重要性を実感したというのです。つまり“テキトー”とは“いいかげん”ということではなく、肩の力を抜いた“ちょうどよい状態”だということ。そして、そのような考え方をもとに、本書では6歳までの子育てアドバイスを紹介しています。■ちょうどよい状態のテキトー母さんタイプとはいえ、“テキトー”になるのは、そうそう簡単なことではありません。そもそも、どんな人が「テキトー母さん」なのか、基準がよくわからないという方もいらっしゃることでしょう。では、どうすればちょうどいい「テキトー母さん」になれるのでしょうか?著者によれば、テキトー母さんとは次のような人だそうです。(1)期待しない人期待しすぎてハードルを上げると、子どもも親もしんどくなってしまってしまうもの。だからこそ、過度に期待しない人になることが大切だというわけです。(2)くらべない人親としては、つい他の子のことが気になってしまいます。とはいえ、よその子やきょうだいとくらべずに、子ども自身の昔といまを比較することができる人になることも重要。(3)あるがままを受け入れる人たとえいい子でなかったとしても、わがままをいっても、子どものあるがままを受け入れることが大切。つまり、世界中を敵に回してでも子どもの味方になる人になるべきだということ。■子育ての成功は子どもが自分を好きか否かでは、子育てに成功と失敗はあるのでしょうか?このことについて著者は、「子育てが成功したかどうかは、その子が“自分のことが好きかどうか、自尊感情が育っているかどうか”に尽きるのではないか」と記しています。よくないのは、親が自分の理想像を追って「まだうちの子にはこれが不足だ。あれもできない、これもできない」と引っ張りまわしたり、追い立てたりしてばかりいる状態。そんな状況のなかにいると、子どもは「どうせ自分なんかダメな人間なんだ……」と自分自身を好きになれず、人生を楽しめなくなってしまうというのです。いってみればテキトー母さんは、その逆。親の価値観を一方的に押しつけることなく、子どもにないものを嘆くこともせず、あるがままをすべて受け入れる子育てだということ。そうやって育てられた子どもは、大人になったとき、他人を妬んだりすることなく、「自分は自分、生きているだけで幸せ」と思えるようになるといいます。そして、人生でどんな壁にぶち当たったとしても、乗り越えられる力がつくとも言います。つまりテキトー母さんになると、子どもも親も幸せになれるということです。■テキトー子育てなら自分自身も苦しまない著者は幼児教育の仕事を通じ、30年以上にわたり、多くの子どもたちと接してきたそうです。そしてそんななかで、「こうあるべき」「こうあらねば」と、子どもに自分の理想を押しつけ、子どもの成長の芽を摘んでしまっているママを数多く見てきたのだといいますしかし、立派な花を咲かせようと鉢に水をやりすぎてしまうと、根腐れして枯れてしまうもの。子育ても同じで、あれこれ手をかけすぎると、子どもの可能性を潰してしまうということです。だからこそ著者は、「どこへ出しても恥ずかしくない子に育てなきゃ」「人に迷惑をかけない、いい子に育てないと」、だから、そのために「自分もいいママにならないと」という完璧な子育てを目指し、子どもだけではなく自分も苦しめているママに、「テキトー」な子育ての大切さを伝えたいのだそうです。*Q&A形式になっているのでわかりやすく、自分の子どもに当てはめて考えることができるはず。子育てのストレスに悩んでいる方にとって、本書は大きな力になってくれることでしょう。(文/作家、書評家・印南敦史) 【参考】※立石美津子(2016)『〈マンガとQ&Aで楽しくわかる〉1人でできる子になる 「テキトー母さん」流 子育てのコツ』日本実業出版社
2016年08月02日女優の多部未華子(26)が韓国映画のリメイクとなる『あやしい彼女』(2016年4月1日公開)で主演を務め、初共演の女優・倍賞美津子(68)と"二人一役"を演じることが6日、発表された。主人公は、周囲から煙たがられている73歳の老婦人・瀬山カツ(倍賞)。シングルマザーとして娘を育て、望むような人生を送れなかったある日、娘とケンカし、家出した先で目にした写真館に引き寄せられる。店を出ると、そこには20歳に戻った美しい自分(多部)の姿が。若者に戻り、名前を節子と変えたカツが「歌手になる」という夢を取り戻し、人生をやり直す様を描く。若返ったカツあらため節子を演じる多部は、「おばあちゃん…バンド…ボーカル…初めてのことがたくさんあります」としながらも、「コメディなのでとにかく楽しく、愉快に面白く演じられればいいなと思います」と意欲的。「水田(伸生)監督は、たくさんのスタッフキャストに愛されている監督だと聞いていますので、はじめから安心感でいっぱい」と数々の初となる演技を前にも落ち着きを見せ、「話し合いながら一緒に、いけずで愛らしい節子(カツ)を作り上げていけたら…と思っています」と意気込んでいる。一方の倍賞は、「多部さんとは顔形は違うけれど、演技の中でふとした時のしぐさや動きの癖を合わせるだけでなく、私たちが演じる主人公の気持ちやバックグラウンドを共有できれば、繋がって、同一人物だということが伝わると思います」とアピール。「カツのように、この年になったら『ああ、やり直せればよかったのに』と思う失敗はたくさんあるものです」と自身を重ね合わせ、「年配の方々にとっても『私たちにもこういう経験があったなぁ』と共感してもらえると同時に、昔の思い出に浸りつつ一時のいい夢をみんな持てるんだよ、という明るいメッセージが込められていると思います」と感慨深げに語った。『謝罪の王様』(2013年)や『舞妓Haaaan!!!』(2007年)を手がけてきた水田監督は本作でメガホンを取りながら、「憧れの大女優、倍賞美津子さんの愛情キラキラあふれる芝居に、そして多部未華子さんのかわいくも切れ味抜群の芝居に、毎日しびれまくっています」と興奮気味。9月末にクランクインしており、11月初頭にクランクアップを予定している。本作は、韓国で2014年1月に公開(日本での公開は同年7月)され、約865万人を動員し、興行収入約627億ウォン(約62億7,000万円)を記録した映画『怪しい彼女』が原作。2015年1月には中国で、『20歳よ、もう一度』のタイトルでリメイク版が上映(日本での公開は同年6月)され、こちらも約1,160万人を動員、興収は約3億6,500万人民元(約70億円)を突破した。(C)2016「あやカノ」製作委員会 (C)2014 CJ E&M CORPORATION
2015年10月06日