障害児ママの葛藤第3話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。3話目、3歳半健診で発達相談を案内されたあとのお話です。 3歳半健診、その結果は…?!この3歳半健診のとき、座っていることができず走りまわり、踊り狂い、床に寝転ぶ息子。一方、周りの静かな子どもたち……。 あれ、うちの子、やっぱり普通と違うかも? あーが自閉症だという診断を受けることが怖くて怖くて、「じゃない」情報ばかり気にしていたように思っています。発達障害にありがちな ●電車の時刻表とか種類をたくさん覚えている⇒ 違った! よかった!(でもキャラクター図鑑大好き、キャラ全部覚えてる) ●言葉が出ない ⇒ 言葉は出てる! よかった!(でも全部独り言) ●運動が不得意な子が多い ⇒ 運動は得意! よかった!(でも手先は不器用) ●おむつが取れない子が多い ⇒ 取れてる! よかった!(取れてるだけで、たびたび漏らしている) などなど。なんか書き出すと、私ってどれだけチキンな母親なんだろう……(涙)。 発達相談▶保健師相談 市の発達相談が受けられるのは、なんと3カ月待ち! 期待しすぎたのが悪かったのかもしれませんが、市の発達相談はテストなどをするわけでもなく、病院に紹介状書いて終わり。とてもあっさりしたものに感じました。 児童精神科…そんなに待つの? いろんな友だちに聞いてみたところ、自治体によってかなり違うみたいですが、うちは8月に児童精神科へ電話をしたら、12月に予約を取り直すように言われ、「早期療育とは!?!?!?」となりました。 当時第二子を妊娠中で、12月には出産も控えており、バタバタすることは容易に想像がつく……。どうなる……!? わが家に救世主、現る!はい、救世主登場!私はここまで、あーの育児の悩みを相談できる専門の方に巡り会うことができていなくて、とにかくあーについて専門家の方と話してみたかったんです。 あーのこんなところはどうなのか、あんなところは何なのか、こんなところに困ってます……と。夫婦2人で話していてもどん底へ落ちて行くだけな気がして。 だから、救世主様の登場に、どれだけ救われたかわからないっ……!!! よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月25日障害児ママの葛藤第2話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。2話目は、夫のネガティブ発言に激怒したり、療育について知った頃のお話です。 夫の「うちの子は異常なんだ」発言に…いやー、怒ってばっかだったな、このころ。今もだけど(笑)。夫にも、子どもにも、まったく余裕なかったです。 もしかしたら今、あーがこんなに言うことを聞かないのは、私があのときこんなこと言ったかもしれん、とか私があのときスマホに夢中だったからかもしれん、とか私があのときばあばに預けちゃったせいかもしれん、とかあれこれ考えては焦っていました。 「療育」という選択肢 Uくんが療育に通っているという事実は、今後のわが家の動向にもかなり影響が出てきます。ありがとう、Uくん母! うちの子、普通…じゃない? 母の葛藤 感情的に大きな声を出しても、あーの心の奥に届いている感じはまったくしませんでした。ただただ、叱られているからおびえているだけ。 でも、無理な要求をしているつもりでもなく、必要以上な「良い子」を求めているつもりもなく、話しかけたら答えてくれるとか、ただ「普通」の行動をしてほしかっただけだったんです。 大人からしたら理解できない、いや、他の子どもからしても理解できないであろう反復行動を延々繰り返す遊びを「もうやめようか?」と提案したら大かんしゃくを起こしたりとか、とにかく普通の言葉が通じない長男にほとほと疲れてしまっていた。 3歳半ばでしたが、1歳・2歳のイヤイヤ期が永遠に続いている感じで、終わりは来るのかと毎日憂うつでした。よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月24日障害児ママの葛藤第1話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。1話目は、赤ちゃん期のお話です。 自閉症スペクトラム児の赤ちゃん期は…?あーは本当に敏感な子で、自分は泣いていなくても、他の赤ちゃんが泣いてたらつられて泣いちゃう「つられ泣き」のほかに、予防接種で腕をまくられただけで泣いたり、お風呂上がりに服着させられるので泣いてたり……とにかく一日中泣いていたように思います。 あれ…この子、育てづらい? 特に2歳〜就園前3歳前半は、文字通り戦争の日々でした……。今思えば、そんなに怒ったって当時の長男には届かなかったのに、とにかく頭に血がのぼりっぱなしだったな。 このころになると、あーの同級生にもぽつぽつ弟や妹が生まれ始めたんですが、「うちは子どもひとりなのに、なんでこんなに大変なんだろうか」「私のキャパが狭すぎるせいなのか!?」と悶々としていたように思います。 もしかして、自閉症かも? 一番悩ましくてつらかったのは、あーというより、夫との関係だったかもしれないな。 夫はやさしくて誠実で真面目なんですが、その分心配性で大げさなんですよね。私は夫から「大丈夫だよ!」の一言が欲しいんですけど。 で、私が「大丈夫だよ!」と言うと「楽天的だね、もう少しまじめに考えなよ」って返されたりね……。よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月23日『わが子が生きやすい世界』って何だろう?姪っ子から学んだこと自閉症と知的障害を持つわが家の息子ほぺろうは、人とコミュニケーションを取ることが苦手です。目も合わなければ応答もままならず、他人との「やりとり」はほぼできません。それ故ひとり遊びが多く、人と関わりながら遊ぶことはあまりないです。普通に見ればコミュニケーションの取りにくさは「扱いにくさ」でもあると思うのですが、そんなほぺろうのことをすごくかわいがってくれる人がいます。それは...私の姪っ子!現在中学生の彼女はほぺろうが生まれたときからかわいがってくれているのですが、その様子はほぺろうの障害が判明して特性が出るようになっても全く変わらないのです。Upload By ぼさ子「扱いにくいとか思わないで、普通に接してくれるのありがたい」と思う私に、姉(姪っ子の母)は「特に意識してないだけだよ~。近所の子ども達にもこんな感じだもん」と言うけれど、いやいや、それってすごいことだよ!Upload By ぼさ子ところが姪っ子の場合はもともと子ども好きとは言え、ほぺろうに対して「障害があるから」とか「可哀想だから優しくしよう」などという考えではなく、誰に対してもいたって普通。ボランティアとも違う、その姿勢はまさに...Upload By ぼさ子特に意識してないのは、イコール『当たり前に受け入れている』から。『わが子が生きやすい世界』...。もちろん成長の努力は惜しみませんが、『いろいろな境遇を当たり前だと思ってくれる世界』を私は望んでいるのだと姪っ子を見ていて気づきました。『自分とは違う存在・考え方があって当たり前』というボーダーレスな社会であって欲しい...。それが『多様性社会』であり、障害者に限らず、すべての人にとって生きやすい世界なのかもしれません。目標は『メガネの存在』!?私達はメガネをかけている方々の存在に何の違和感も持っていません。今その存在を特に意識していないのは、視力に不自由を抱える多くの人達が『必要性』を訴えてきた歴史の成果なのだと思います。もしメガネがなければ、今も彼らは視覚障害者として就職も普通の生活も困難だったかもしれません。それが今では、メガネはおしゃれアイテムだったりモテ要素だったり...。メガネの存在は『当たり前』であり、『ノーマライゼーション』を体現してくれた実例ではないでしょうか。Upload By ぼさ子障害者が生きやすい社会は、誰もが生きやすい社会最近読んだ、とある記事の一説に『障害者が生きやすい社会は、健常者にとっても生きやすい社会である』とあり、感銘を受けたと同時にすごくハッとさせられました。というのも、ほぺろうの将来を憂いてネガティブだったころの私は、自分達親子の存在がただただ世の中の迷惑にならないように身を小さくして生きていかなければ...と思っていて「自分達の必要を望むことはワガママ」「周りに合わせるのが義務」と考えてきたからです。でも、この言葉に触れて私は「そうか、障害が社会の役に立てるなら堂々と訴えてもいいのかも!」という前向きな力をもらうことができました。社会にとって役立つ『当たり前』になったとき、その必要を訴えてきた障害の存在も『当たり前』になっているかもしれません。今の私にできることまだまだ発展途上ではあるけれど、今は昔より発達障害への理解や支援が進んでいて、私やほぺろうもその恩恵をありがたく受けています。きっとそれは、ご本人や親御さん、支援関係者の皆さんなど発達障害に悩んできた先輩達が声を上げ続けてくれていたおかげに他ならないのだと思います。私の存在は地球に対して“砂一粒”くらいのちっぽけさですが、ほぺろうや将来の誰かに繋がったらいいなと願い、ほぺろうの記録や情報を発信し続けていこうと思います。そして『わが子が生きやすい世界は、みんなも生きやすい世界』を叶えるには、いろいろな境遇が『当たり前』として受け入れられることを望みつつ、他人に望むだけでなく私自身もいろいろな境遇を受け入れる気構えが必要なのだと思います。Upload By ぼさ子
2021年01月20日フツウの学生時代から一変就職先から告げられた「辞めてほしい」名古屋市で生まれた石橋さんは、義務教育を経て高校に進学した。成績がすこぶる優秀だったというわけではないが、勉学でつまずいたり、校内で問題を起こしてしまうようなタイプではなかったという。「学生時代を振り返ったんですけど、特になくて。例えば先生に呼び出されるようなタイプでもないですし、赤点を取っていたタイプでもなかったんです。何人かの友達に『学生時代、俺ってどうだった?』って聞いてみたんですけど、別に普通だって」(石橋さん)大学受験にも合格。「困っている人の役に立てれば」と、医療・福祉系の学部を選んだ。より広い視野で社会福祉を学ぼうと、セミナーに参加するため米・ハワイの大学まで足を運ぶなど、向学心はむしろ人一倍強かった。そんな石橋さんが異変に気付いたのは、愛知県内の病院に就職してからだった。「普通の人と比べると物覚えが遅いとか、向こうから指摘をされて。これだけミスもあるし、病院としては正直辞めてほしいっていう話がありました」(石橋さん)Upload By 桑山 知之「グレーゾーンかもしれない」就職後に自閉スペクトラム症の診断石橋さんの就職先は、病院にある「医療相談室」だった。ソーシャルワーカーとして、入院患者や家族の希望を聞き取るほか、家族間や金銭的な悩みなどにも応えるといった、あらゆる問題を調整する業務にあたっていた。複数の入院患者のことを同時並行で進めなければならず、またそれが次から次へと続くわけだが、石橋さんが受け持つ患者の数は先輩と比べて少なかったという。「先輩たちは10人とか15人を同時に担当していたんですが、僕は正直なところ5人でも回せていなかったんです。5人分の困りごと、例えばこの人はこれが困っている、家族さんの背景はこうで、この家族さんにはここの支援機関だとか。人によって別のところと話さなきゃいけないし、この人は市役所のこの部署と話さなきゃいけないしとか、同時にやっていくのが困難だったっていうのは確かにあります」(石橋さん)Upload By 桑山 知之そして就職から半年以上が経ったある日、石橋さんはパニック発作を起こした。「当時、僕がパニック発作って分からなくて、病院に行っても原因が分からなかったんです。それで、精神科に行ってみたら、それはパニック発作ですねって言われて。もしかしたら発達障害があるかもしれない、“グレーゾーン”かもしれないって」(石橋さん)「次に何をしなきゃいけないのか、複数が同時に来ると分かんなくなってしまう」という、自閉スペクトラム症の特性のひとつとされる「同時処理困難」があった石橋さん。困っている人の役に立ちたいと夢見た医療の道だったが、促されるような形で退職したのだった。Upload By 桑山 知之職場からの「キミがいなくなっても困らない」――ミスをまとめた書類も発達障害はグラデーション状に広がっており、白か黒かといったはっきりとした判別が難しい。むしろ中間部分である「グレーゾーン」の方が多いとも言われている。自身も当事者であるライター・姫野桂さんの著書『発達障害グレーゾーン』(扶桑社)などにもあるように、発達障害の傾向はあっても、診断までは出ないというケースは全国的にも多く見られている。今回インタビューに応じてくれた石橋さんは、精神科にかかった後、自閉スペクトラム症の診断こそ出たものの、日常生活では特に困難さがあるわけではなかった。自分のことを周囲にどのように理解してもらうかを悩んだ末、勤務先の病院にも、障害のことを思い切って打ち明けた。すると、衝撃的な言葉が返ってきた。「(勤務先の病院に)言われたのは『キミがいなくなっても病院は次の人が入ってくるんだから、病院としては困らない』と。日本全国で大学卒業する人が誰もいないんだったら別だけど、そんなことはない。毎年入ってくるんだから、キミがいなくなっても病院としては困らないって。使えないから切ればいいっていうのは理解できるんですけど…」(石橋さん)石橋さんを辞めさせるためなのか、勤務先では石橋さんの仕事上のミスや当時の状況を事細かに同僚が書き起こし、ファイルにまとめていた。「何度も同じミスがあり、すべてに他者の確認作業と修正が必要」「他の作業をしていると、やることが抜ける」「相手の置かれている状況が想定できない」――。石橋さんは、退職を選ばざるを得なかった。Upload By 桑山 知之誰も取りこぼしたくない実体験を通して知った弱者の気持ち現在、石橋さんは再び職に就くためにLITALICOワークスで就労移行支援を受けようとしている。そこには、昔からブレずに抱いている思いがある。「誰も取りこぼしたくないっていうのはありますね。社会的に不利に追い込まれてる人とか、そういう人が不利益を受けるんじゃなくて。ひとり親、障害者、高齢者、親がいないお子さん……。そういう人たちが不利な状況になりやすい社会にはしたくないなって思うので、そういう人たちも幸せを感じられるような世の中にしていきたいなっていうのは漠然とありますね」(石橋さん)かつての勤務先で自身の発達障害を打ち明けても相手にされず、辞めるよう促された過去。石橋さんの心の中で、より強い思いが湧き上がった。「そういったことを言われた経験を踏まえて思いましたね。弾き出されるときって、こんなに露骨に弾き出されるんだなって。実体験としてすごく思いました。だからこそ社会の中で誰ひとり取りこぼしたくないし、自分の力が役に立てる場所でやっていきたいです」(石橋さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月17日切り替えが苦手で集団行動が遅れがちUpload By スガカズ長男はWISC-IVの結果で処理速度が低いことがわかっています。また、注意散漫、過集中といった特性もあり、学校で次の行動に移るときに時間がかかります。なかなか次の行動に移れないとき(特に教室を移動する授業)は、クラスメイトや先生が声をかけてくれることがあるのだそうです。学校で見かけた長男とクラスメイトのトラブルUpload By スガカズ1年前のある日、私は当時小3だった次男の忘れ物を届けに学校へ行きました。すると廊下で小6の長男がクラスメイト2人となにやら揉めていました。クラスメイトに何か言われており手をひっぱられています。長男は何も言わず泣きそうになりながら拒んでいました。体操服に着替えていること、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴っていたことから、「長男の行動が遅れているからクラスメイトが呼びに来たんだな」と理解しました。長男は次の行動に移るときに無理やり促されるのを嫌います。私はクラスメイトとのやりとりを見て「長男にとって大事な経験だ。今私が間に入るよりも、後で話を聞いてアドバイスした方が冷静に話し合える」と思い、後ろ姿を見つめていました。「病気(障害)だから仕方ない」長男の発言に腹を立て…Upload By スガカズ放課後、長男が帰ってきたので私は廊下でのやりとりについて聞きました。概ね私の予想通りで、体育館に行く途中で考えごとをしていたそうで動きが止まっていたそうです。長男がなかなか動こうとしないので、クラスメイトが「早く来て!」「遅い!」と強い口調で促していたそうです。「それは大変だったね。注意されていたとき、あなたはどんな気持ちになったの?」と聞くと、「オレは、できることとできないことの差がハッキリしている。だけどクラスの女子が無理やりオレをひっぱって連れて行こうとしたんだ」「オレ、病気だから行動がゆっくりでも仕方ないのに!」と怒り口調で答えました。私は長男が強めに促されてイヤだった気持ちは理解しますが、「仕方ない」という言葉に腹が立ち、思わず長男を叱ってしまいました。「障害だからいいでしょ」と許してもらおうとしたり、「仕方ない」からといって諦めたりするのは間違っていると思います。大事なのは、「障害に対して自分がどう向き合えばいいか」「言ってくれた相手とトラブルにならないためにどうしたらいいか」を考えて行動することだと言いました。このとき長男は「言われたのは自分の方なのに」と納得した様子ではありませんでした。どうすれば分かってもらえるのか?と考えたときに、長男に促す側の気持ちを体験してもらうことだと思いました。無視されたり開き直られたらどんな気持ちになる?Upload By スガカズUpload By スガカズその日の夜、きょうだいが全員そろったときに長男に話しかけられました。私は話しかけられていることを理解していましたがそれに反応せず、きょうだいの相手をしていました。何度も何度も話しかけていたのに長男は無視されたので、私に怒りました。怒っている長男に対して私は、「今、どんな気持ち?」と聞きました。子どもたちに話しかけられても対応できないときに「ごめんね」「ちょっと待ってね」「〇〇の後話きくね」と言うように私は気をつけていること、「〇〇だから仕方ないでしょ」という風に言ってないこと、もし「仕方ないでしょ」と言われたり無視されたらどんな気持ちになる?と長男に言いました。「…イヤな気持ちになる…」と長男は答えました。クラスメイトが声をかけてくれる(行動を促してくれる)のはありがたいことで、その行動に対して何も言わずに嫌がったり怒ったり「病気だから仕方ない」と言うのは間違っているともう一度言いました。Upload By スガカズその後聞いていなかったときや無意識で起こったことに「ごめん!」というセリフが出たり言葉で説明したりする場面が見られるように。私は素直に反応してくれたことが嬉しくて「気づいてもらえてお母さんうれしいよ」と言いました。もちろんすべてが好ましい反応にはなりませんが、気をつけようと思い言葉に出すことは、より良い生活を行うために必ず必要になってくることで、一歩前進したと言えます。中1の現在、できないことに対して「自分で解決策を考える」姿も…Upload By スガカズ中1になった現在は、どうしてもできないことに対して、考える場面も見られます。できない理由を言葉にして、私にお願いすることもあります。「どうしたらいいのか分からない」と、そのままにしてしまう場面も沢山ありますが、自分の障害を「仕方ない」と諦める前に、人に相談したり自分なりの案を試してほしいと思います。
2021年01月04日発達が気になる子の就園。サポートは受けられる?出典 : 発達が気になる子どもが保育園や幼稚園に入園する際、集団生活についていけるかどうか、お友達と関われるかどうかなど、不安に思うこともあるかもしれません。また、園生活が始まってから、気になる様子が見られ始めるという場合もあります。就園前や就園してから、必要な配慮を依頼することはできるのでしょうか。また、発達が気になる子どものサポート制度はあるのでしょうか。幼稚園や保育園では「障害児保育」を実施していたり、「加配」の先生をつけられたりする場合があります。このコラムでは、そうした制度について解説します。特別な配慮が必要な子どもを受け入れる基準は、自治体や園によってさまざまです。例えば、以下のような基準があります。・障害者手帳の保持者・特別児童扶養手当対象者・医師等による診断を受けていることなど例えば東京都練馬区では、(1)申込みに必要な書類一式、(2)『心身状況表』、(3)『主治医等見解書』、(4)身体障害者手帳、愛の手帳、精神障害者保健福祉手帳等を所持している場合は、障害の程度が分かるページのコピーの提出が必要です。入園に関すること(練馬区)ほかにも市区町村独自の基準を設けているところがあるので、詳細はお住まいの自治体に問い合わせて確認する必要があります。また、園ごとに受け入れ人数が決まっていることも多いです。希望する場合は、申し込み期日などを確認しておきましょう。「加配制度」とは、他児と同じように保育園の生活を送ることが難しい子に大人がつき、生活面や集団参加をサポートしてくれる制度のことです。保護者からの申請によって加配をつけられる園が全体の約4割、申請がなくても保育所独自に加配を行っているケースが2割程度あります。また、私立の園では自治体の補助金等による加配を実施している割合が高くなります。補助金をどのように分配して使用するかは園によって異なるため、私立の園では公立の園と比べ、申請を出しても加配をつけられないケースが多いようです。公立・私立問わず、申請を出しても加配をつけられるかどうか、どのような配慮を受けられるかどうかは園によって異なります。加配を申請する際はまず園に問い合わせて、今まで加配制度を利用した子がいたかどうか、その際はどのような配慮を行なっていたかなど確かめると良いでしょう。保育所における障害児保育に関する研究報告書(みずほ情報総研)埼玉県 私立幼稚園等特別支援教育費補助金加配の先生とは?出典 : 加配の先生とは具体的に、どのような支援をしてくれるのでしょうか。詳しく説明します。加配の先生は配慮の必要な子どもに対して、それぞれのケースにあわせた支援を行います。具体的には、以下のようなサポートがあります。・身辺自立の支援例えば食事でスプーンやフォークをうまく使えない場合や自分でトイレに行けない場合などに、サポートを行います。加配の先生と家庭で連携しながらトイレトレーニングを行い、オムツを卒業できたという声もあります。・お友達との関わりや集団参加をサポートうまく友達と遊ぶことができずトラブルになってしまうときや、集団参加が苦手で周囲の子と同じように行動できないときなど、加配の先生が介入してサポートします。友達と遊ぶときのルールや声かけの仕方など隣について教えることで、少しずつ自分の力で関わったり集団参加できるようになっていけるケースが多くあります。・保護者とのコミュニケーション子どもの発達や家庭での関わりなど、保護者は子育てについてさまざまな不安を抱えていることも多いでしょう。そんなとき、担任の先生のほか、加配の先生に相談できることがあります。客観的なアドバイスを受けられることで保護者が状況を整理できたり、悩みに寄り添ってもらえる安心感があるでしょう。また、多くの自治体では発達支援に理解の深い専門家が施設を巡回しており、加配の先生は専門家の助言にもとづいた支援を行っています。加配の先生は、子どもの数に対してどの程度ついてくれるのでしょうか。半数近くの自治体で、具体的な基準は決まっていません。「障害の程度を問わず一律の配置基準を設けている」という自治体もあれば「障害の程度により基準が異なる」という自治体もあります。障害の程度を問わず一律の基準を設けているところだと、「3人もしくは2人に保育士1人」という基準を定めている自治体の割合が多く、約3割の市区町村では子どもとマンツーマンになるよう基準を定めています。申請方法や費用は?出典 : 公立の園には多くの場合加配制度があり、私立の場合も自治体から補助金を受けて実施している場合があります。自治体によって補助額は異なるため、自治体ごとに確認する必要があります。加配を支援する補助金には、「療育支援加算」と「障害児保育加算」があります。「療育支援加算」は障害児保育を行う園に適用され、「障害児保育加算」は小規模保育、事業所内保育、家庭的保育といった地域型保育を支援します。なお、加配制度を利用するのに保護者の自己負担はありません。加配制度の申請方法は、自治体によって異なります。ここでは一例として、とある自治体における申請方法を記載します。①診察予約②診察・相談・書類申請③書類発行具体的な申請方法については、お住まいの自治体に問い合わせて確認してみてください。小学校でも加配制度を利用できる?出典 : 加配制度を利用して園に通い、卒園後に小学校でも同じようなサポートを受けることはできるのでしょうか。小学校で配慮を受けるには、特別支援学級や特別支援学校に通うという選択や、通常学級に在籍しながら通級や特別支援教室を利用して必要な支援を受けるという選択があります。ほかにも、通常学級で個別のフォローを受けられる場合があり、フォローする大人は「加配」「補助教員」「支援員」「民間ボランティア」など、呼び方や役割が少しずつ異なります。例えば授業に集中しにくい子に付き添って声かけをしたり、友だちとコミュニケーションを取るのが難しい子の仲立ちをしたり、LDのある子に代読や代筆をする、と言った形で、学習や集団生活のサポートを受けることができます。ただし自治体で人員と予算を検討するため、親が加配の希望を伝えても難しい場合があります。逆に親が希望を出さない場合でも、学校判断で申請されることもあります。自治体によって手厚い人員が確保できる場合とそうでない場合があるため、差があるのが現状です。また、放課後や土曜日など家庭保育が難しい場合に子どもを預かる「放課後児童クラブ」においても、厚生労働省の出しているガイドラインで「配慮を要する児童を可能な限り受け入れに努めること」という記載があるものの、加配制度の有無や基準は各自治体に委ねられています。放課後児童クラブ運営指針解説書(厚生労働省)支援をうまく活用して、お子さまの発達をサポートしよう出典 : 配慮の必要な子どもをサポートする制度には、事業所に通って日常生活の自立支援や機能訓練を受けられる「児童発達支援」や、園や学校に支援員が訪問して集団生活への適応をサポートする「保育所等訪問」もあります。医療機関や療育センター、市町村の保健センターなども、園と連携をとって必要な配慮についてアドバイスをしてくれる場合があります。園の外の支援も、うまく利用してみてください。まとめ障害や特性があり特別な配慮が必要な子どもは、加配制度を利用することができます。ただし、利用できる基準や申請方法等は自治体によって大きく異なるため、必ずお住まいの自治体に問い合わせてみてください。まずは、かかりつけ医や療育の先生に相談してみても良いでしょう。児童発達支援や保育所等訪問など他のサービスも利用しながら、お子さまの園・学校生活をサポートしていきましょう。
2020年12月28日家事に子育てに自分の仕事に、頭がパンク寸前だったUpload By かなしろにゃんこ。発達障害がある子どもを持つと、危険な遊びをする子どもを見張ることや、宿題をなかなかやらない子を促すこと、しつこさの特性から就寝前の本読みが1冊で終わらないことなど...何かと子育てに時間をとられてしまいます。中でも明日の学校の準備を促して子どもと一緒に準備をするときは苦痛です。ダラダラとヤル気のない子を励ましながら教科書やノートを選ぶのを見守るのはハッキリ言って憂鬱な時間です。夕飯の片づけをしなくちゃ、学校から持ち帰ったお知らせを確認しなくちゃと親はやることがいっぱいで頭の中がゴチャゴチャ。パンク寸前なんてこともしょっちゅう。夜になってから「図工で牛乳パック使う」と息子に言われたときなんか、「前日に言われても困る~」と慌てて牛乳を買いに行き…そんな急な用事も度々発生します。仕事をしていたので、急ぎの仕事に対応する日は深夜2時に寝るなんてことが続き、完全に寝不足で精神状態も不安定になっていきました。忙しいときに限って、問題は起こるのです...Upload By かなしろにゃんこ。日々の疲れで体調がボロボロなときに限って、学校で息子のケンカ問題が発生。担任の先生との面談などもあり、今後の息子の育て方、指導方針をどうするか悩み、心に張った糸がブツン!と切れて「もうイヤ――――!!!消えてしまいたい!!!」と思うことがありました。そんな状態のときは、学校でイヤなことがあった息子のグチを受け止めることも励ますこともできなくなってしまいます。「お母さん忙しいからグチばかり言わないで!」とか「自分でもどうしたらいいか考えてみようよ」と子どものSOSにキツク返してしまったり無理を言ってしまったりします。こうなると親子関係はギクシャクしていって親子でイライラしっぱなし。話しかけるときもお互い思いやりのない言葉を投げてしまい、親子ケンカへと発展します。Upload By かなしろにゃんこ。このままではダメだ!イライラしてばかりの自分を振り返ってみるとあるとき、こんなんじゃいけない!なんでイライラしてしまうんだろう!?と思い、心の中を整理してみよう!と一日の行動を書き出してみました。書き出して初めて、一日中家事、育児、仕事ばかりで、ほっと一息入れる時間を持っていないことに気づきました。これでは人はダメになるよね…だって笑ったり、何かに感動して涙したり、ポジティブな思考をする時間がないものね…。Upload By かなしろにゃんこ。そこで、育児や仕事はやらずに過ごすことは難しいけれど、せめて家事に優先順位をつけて、やらなくてもいい家事をつくろう!と考えました。週に2回夕飯をつくらない日をつくろう!掃除の回数を減らして、代わりに大掃除は家事代行に頼んでしっかり掃除してもらおう!と、家事を減らすことにしました。母親で妻であっても”家事をする人”ではないですから、すべて自分で抱え込むこともないのです。一生懸命やろう!とすればするほどうまくいかないことが起こるときは「休みなさい」の合図だと思うことにしました。『夕飯つくりません宣言』で心に余裕が!?Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。家事を減らしたら、「今日は夕飯の支度をしなくていい」などと思えて、朝から心に余裕が持てるようになりました。息子と向き合える心の余裕も出て、仕事にも焦らず向き合えるように。仕事も疲れすぎたら減らすことにしたら、追われるプレッシャーを感じることがなくなって、息子と楽しくドラマを観る時間もできました。この「親子でドラマを観る時間」をとったことで、思春期で親子関係が多少ギクシャクしているときにも、好きなドラマの話で繋がって関係を修復することができたように思います。主婦には100の家事があるといいますが、一人の人間が一日にできることって限りがありますよね。家事のこだわりをなくして、緊急性がないものはやらないという決まりをつくりました。物をどんどん捨てて断捨離が進めば掃除もしやすくなるように、家事をどんどん減らして行動も断捨離です。Upload By かなしろにゃんこ。現在も仕事が忙しい日は家族に「今日は夕飯つくりません」とLINEで宣言をすると心が落ち着くので続けています。落ち着くと気分が良くなって、結局夕飯がつくれちゃうこともあります。気まぐれですね(笑)家事代行さんに頼むと本当に楽です!普段気になっているけれどなかなか掃除ができない部分をキレイにしてもらえるだけで、気分がよくなります。そういう私も以前、副業で家事代行をしたことがあります!利用者側の気持ちも、キレイにしてあげよう!という家事代行さんの気持ちも分かるんです。多少汚れているお部屋のほうが「やるぞ!」という気持ちになります。(笑)こうした生活の中で、ごくごく当たり前のことですが家族と笑える時間をつくることで何か問題があったときに乗り越える力に繋がると感じたのでした。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月08日一人息子は発達障害夢はお寿司屋さん上口さんが30歳の頃、男の子を出産した。名前は悠樹くん。平成元年生まれで、偶然にも筆者と同い年だ。当時は今から30年以上前、今ほど発達障害への認知や理解は進んでおらず、典型的な症状でなければ見過ごされることが多かったという。今では発達性協調運動障害(DCD)という存在も知られるようになったが、悠樹くんが通っていた保育園では「手足の協調的な運動が難しい」と言われていた。段差に気付かず転んでしまうことは日常茶飯事で、穴に落ちてしまったり、保育園でのハサミを使った工作もとても苦労していた。しかし検診に連れていくとそれほど問題視はされず、「長い目で見ましょう」とあまり指摘されなかった。「ずっと親としては気になっていたんです。本を読んでみたり、発達障害者支援センターに相談に行ったりしてました。例えば、小学校に入ると集団登校ってありますよね。うちの子だけがどこかちょっと外れてるんですよ。ちょっと外れた動きをして、一生懸命高学年の人が手をつないでとか」(上口さん)Upload By 桑山 知之違和感を覚えながらも、しばらくやり過ごした。元々、底抜けに明るい子だった悠樹くんだったが、できないことが生活の中で多いことから、少しずつ暗くなっていった。学力こそ低くなかったものの、生きづらさを確かに抱えていたのだった。「小学5年のときに(診断を)受けました。あのときはもう混み合ってて、1年ぐらい待ってようやくWISCを受けて、ADHDとアスペルガーの混合型っていう、今だとまた違った診断名なんでしょうけど、その頃はそう診断されましたね」(上口さん)中でも特に辛かったのが発達性協調運動障害だという。近年その認知は徐々に広がっているが、これまでは「不器用」「運動音痴」という言葉で見過ごされてきたことが多い。悠樹くんにとってできないことも多々あったが、一方で悠樹くんは料理が大好きだった。家庭科の成績はいつも良く、時には上口さんに手料理を振舞った。悠樹くんの夢はお寿司屋さん。特に手先の技術を要する職業だった。Upload By 桑山 知之大学入学直後、拒食症に…上口さんによれば、中学ではいじめにも遭ったという悠樹くん。それでもなんとか高校へ進み、キャンパスライフを夢見て愛知県内の大学へと進学。一人暮らしを始めた。しかし、入学から1カ月後の5月には下宿先から一歩も出られなくなってしまった。「とにかく夢いっぱいだったので、スーパーでアルバイトもして、サークル活動もして。それで単位を取らないといけないじゃないですか。必修科目だとかいろんな履修登録をしないといけないんですね。それがうまくできなくて呆然となって、学校の中で自分一人でポツンといるような気持ちになって、それでもう学校も行けなくなって、バイトも辞めちゃって。結局、体重が30kg台になったときに、もう持たないと思って(悠樹くんを)家に連れて帰りました」(上口さん)Upload By 桑山 知之料理があれだけ大好きだった悠樹くんが、拒食症になってしまったのだった。「僕は何にも役に立ててない」と自分のことを責めもした。それでも程なくして、働く母親の上口さんを支えるため、「これからは僕が毎日夕飯をつくってあげる」と意気込んだ。その明るい性格から、買い物先の八百屋や近所の美容院の人からすぐに気に入られていたという。しばらくして余裕が生まれると、悠樹くんは自身が通っていた保育園でアルバイトを始めた。「うちの子はアルバイトをやってもすぐクビになるというか、なかなか合格しないんですよ。そうしたら、自分が行ってた保育園がおいでって言ってくださって。大学の中にある保育園なんですけど、そこで調理の経験をして、それをボランティアで半年ぐらいしてるうちに、今度は『僕、栄養士になりたい』って」(上口さん)Upload By 桑山 知之幸せな専門学校生活から一転、鬱に栄養士になるために名古屋・栄にある専門学校へ通い始めた悠樹くん。これまでと違い、同世代だけではなく少し年齢が上の“人生の先輩”がいたこともあり、「息子の人生の中で一番幸せだった」期間は1年以上続いたという。「初めて友達っていう存在がいっぱいできて。みんなで飲みに行って、今日まだ帰ってこない!って。親としてやっと普通の悩みっていうか。あれは嬉しかったですね。すごく楽しく過ごしていました。あのまま行けばよかったってすごく思います」(上口さん)クラスメイトには自身の発達障害についても打ち明け、周囲や先生は悠樹くんを受け入れてくれた。しかし、専門学校2年で実習が始まると、壁にぶち当たった。病院での厨房実習だった。運動障害によって真っ直ぐ歩けないため色んなものにぶつかった。手先が器用でなく、作業をすべてやり直しもした。きっと強迫観念もあったのだろう。「もう僕はできない、働けない」と落ち込み、悠樹くんは実習1日でドロップアウト。学校に行けなくなり、鬱状態に陥って自殺未遂を繰り返した。ベランダに飛び降りるための椅子が置いてあったり、紐が結び付けてあるなどした。夜中に自殺してしまうのではないかと、上口さんは悠樹くんの部屋の前で一夜を過ごしたこともあった。Upload By 桑山 知之「もう9年前ですね。その日は私が出張中で。だから私は現場にいなかったんですよね。(出張先は)京都だったので、何で日帰りしなかったのかなって思うんですけど、一泊しちゃったんです」(上口さん)2011年5月、悠樹くんは自宅マンションのベランダから飛び降りて自ら命を絶った。21歳だった。悠樹くんの携帯電話に残された遺書には、こう記されていた。「発達障害の人たちが生きやすい社会を願って」。Upload By 桑山 知之息子の自殺当事者が生きやすい世の中に「こんなことをお話ししていいのかわからないんですが、私はうちの子を育てながら『この子いつかいなくなる』って思ってたんですよ。電車の階段を落ちて骨折したり、自転車に乗ったら倒れちゃって病院で脳の検査とか、そんなことがしょっちゅうあったんです。『この子っていつまで一緒にいてくれるんだろう』って思ってました。だから、それが現実になったんだなって」(上口さん)悠樹くんの死後、「何かをやらないと潰れてしまう」と感じた上口さん。その中で、発達障害の当事者会に参加した。悠樹くんの話をすると周りは皆、親身に耳を傾けてくれた。県外にも足を運び、大阪でNPO法人「発達障害をもつ大人の会(DDAC)」広野ゆい代表(48)と出会った。Upload By 桑山 知之「広野さんの言葉で『自分が動いちゃいけない。自分と周りの環境があってその一番真ん中に自分がいなきゃいけない』っていうのがあって。引き寄せられて自分が動いたらいけないって言われて、なんかすごく救われたんですね。周りでいろんなことが起こるけれども、そこから動かないで距離を保ちましょうっていうことだと思うんですよね。私の場合は、悠樹の思い出との距離」(上口さん)当事者同士の交流が必要だと改めて感じた上口さん。実家を売り、駅近の物件を購入。こだわったのは、発達障害の当事者が集まりやすく、そして働きやすい居場所。「やめた方がいい」「無謀だ」と言われてもあきらめなかった。上口さんは2014年3月、ブックカフェ「Co-Necco」をオープンさせた。Upload By 桑山 知之「うちは職員も3分の1は障害のある方々で、発達障害や精神障害や身体障害などいろんな障害のある方々なんですね。最終的な目標は、障害者が対等に、それぞれの得意なことを生かした働き方っていうのかな、そんな職場をつくりたいですね」(上口さん)お店を開きたかったという悠樹くんの夢。上口さんが、悠樹くんの思いを形にして早6年半以上。定期的に開く交流会なども好評で、愛知県内だけでなく全国から“居場所”を求める客であふれる。決して無謀なことではなかった。「子どもを亡くす親って、何か子どものためにやりたいって思うもんなんです。そのときに、なんとなく当事者会が一番しっくり来た。自分も当事者ですからね、子どもを亡くしたっていう当事者ですから」(上口さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月06日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。 ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気付いたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月29日むっくんの異変私がむっくんの様子に違和感を覚えたのは、不登校を決断する3週間前でした。もともと家で癇癪をよく起こす子でしたが、その頻度が激増!四六時中イライラしており、以前は穏やかにやり取りできていたことにも、激しい反応を示すようになりました。Upload By ウチノコそんな様子に、私は「小学校ではどうだろう?」と不安を覚え学校での様子を先生に確認するも、穏やかに過ごせているとの返答。イライラもパニックも家庭内のみで、この時点では学校への行き渋りもありませんでした。異変の理由?その後も大荒れが続くむっくん。そんな時少し前から運動会の練習が始まったと聞きました。「それだ!!」年間行事の中で運動会の練習はむっくんと最も相性の悪い行事です!おそらくそのストレスを家庭で吐き出しているのだとようやく納得。Upload By ウチノコ先生の話では、練習は嫌がりつつも何とか参加しているとのことで、私はむっくんが学校でとても頑張っていることを知りました。「むっくんは疲れていて、自己コントロールが困難になっているのだな...期間限定だし仕方ない、耐えよう」と家で極力休めるよう心がけることにしました。学校に行きたくないしかしその週末に、むっくんは初めて「学校に行きたくない」と言い出しました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコこれは疲れが限界だと判断し「疲れているみたいだから、1日休もうか」と、私から提案しました。ホッとした顔で喜んだむっくんは、元気休みでストレスから解放され、自宅でゆっくり静養。「明日は頑張るよ!」と明るい顔で言うものだから、一見回復したようにも見えました。しかし...不登校へ翌日は休んだことを怒られるかも...(もちろんそんなことはないのですが)と、少し緊張した顔で学校へ行きました。Upload By ウチノコ今までも何度か授業拒否はありましたが、同じ日にいくつかの授業に出ない、となると入学してから初めてのことでした。ここへきて私もようやく今までとは違う状況であることを理解。慌てて即日、学校に面談をお願いしてむっくんの状況を共有。対応の希望を伝え、短時間登校を始めました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコむっくんは、家庭でよくパニックを起こしますが、一度も小学校では起こしていませんでした。それはやはり「友達にあの姿を見られたくない」という思いで、必死に自分をコントロールしていたのだろうと思います。それが続けられないことは、むっくんにとって一番辛い状況だと感じました。崩れ始めたきっかけは運動会の練習でしたが、入学後の頑張りをこれ以上続けること自体が限界なのだと感じました。満身創痍のむっくんには、一度負担をゼロにして回復する時間が必要だと判断し、翌日から学校を休むことに決めたのです。行かないと決めたけれど...むっくんは保育園時代から集団生活を好みませんでした。行き渋りも強く、私はいつか不登校を選んでも不思議はないなぁと考えていていろいろと準備をし、覚悟もしていたつもりでした。Upload By ウチノコそれなのに、家でのんびり過ごしているむっくんに、苛立ちや焦りを覚えました。先のことばかり考えてしまい、不安が次々と襲ってきます。想像と経験はやはり全然違うものだなと、そんな自分にも正直がっかりもしました。Upload By ウチノコ私の心の変化むっくんが休むようになって、私はまず自分の気持ちを外に出すことから始めました。家族に「黙って話を聞いてほしい」と頼み、ひたすら話を聞いてもらい、SNSで発達障害について理解のある方々とも繋がっているので、そこでも気持ちを吐き出させてもらいました。また、準備として繋がっていた方々ととにかくお話をさせていただきました。Upload By ウチノコたまっていた気持ちを吐き出して、いろいろな方のお話を聴きながらさまざまな価値観に触れ、不登校経験者の方々の今を知り、何より実際むっくんと日々を過ごすうちに、少しづつ不安は和らぎました。Upload By ウチノコ和らぐどころか、だんだんと楽しくなってきてしまったのです。こんなにゆっくり、弟の邪魔もなくむっくんと一緒に過ごすのは久々で、新鮮で。「面倒!仕事させて!」と思う日もありますが、明日は何しようと、ワクワクする自分も見えてきました。Upload By ウチノコ何かを失った気がしていたけれど、手放した代わりに得ているものがある。そう考えられることも増えてきて、今は以前より焦りも落ち着いてきています。新しい形を探していこう学校で学べることは多岐にわたります。そういった良さを手放すには勇気がいりますが、不登校だからこそ学べることも、たくさんあるのだと思います。むっくんは、決まった一本道を歩いているわけではありません。これからはむっくんが楽しく、幸せに歩ける「ちょうどいい道」を一緒につくっていけたらと思っています。次回「むっくんの周囲の子ども達へ学校に行かない決断を伝えた時の話」に続きます。
2020年11月27日教授に相談できなくて…卒論が書けず引きこもりに三重県出身の戸田さん。三兄弟の末っ子として生まれ、義務教育から高校卒業後、一年間の浪人を経て近畿大学農学部(奈良市)へと進学した。つまずいたのは、卒業間近の論文執筆時だった。「卒業論文がありまして、その作成がうまくいかなかったっていうか……考察とかそういう部分がうまく文章が書けなくて。そこから引きこもりになりました」(戸田さん)Upload By 桑山 知之“情報を整理する”ということができなかった。奈良県内の病院の精神科を受診すると、適応障害と診断された。周囲のサポートもあり、なんとか大学は卒業できたものの、その後は実家近くの病院のデイケアに通いながら、自宅療養生活を送った。「先生に頼りにいくという力がなかったんです。当時卒論を担当していた教授は別に怖い方ではなかったんですが、普段誰かを頼ったりしていなかったので……」(戸田さん)思い返せば「小さな頃から誰かを頼ることが苦手だった」と話す戸田さん。小学3年のころにてんかんを発症したこと、中学時代にロボコンに出場したこと、高校で吹奏楽部に所属していたこと以外、学生時代の記憶はほとんどない。戸田さん曰く「事実は覚えているが、感情は覚えていない」らしい。Upload By 桑山 知之過去に認定されていた発達障害24歳で再診断「発達障害はグラデーション状に広がっている」と言われるように、それが生活に支障が出ない人も少なくない。実は戸田さんが小学校低学年のころ、発達障害だと診断されていた。しかし、戸田さんや両親は特段気に掛けていなかった。しかし、大学卒業間近でつまずいた戸田さん。両親と同居しながら、以前の診断時に受診していた海南病院(愛知県弥富市)の精神科が運営しているデイケア施設「ネバーランド」に通った。改めて発達障害の診断を受けたのは、24歳のころだった。Upload By 桑山 知之「担当者と問答したり、数学の問題とかパズルのテストもやりました。結果は広汎性発達障害という名前がつきました。大まかに言うと、人の言っていることを理解するのが苦手なのと、優先順位をつけるのが苦手なのと、物事を文章化するのが苦手という3つが症状ですね」(戸田さん)自らの特性について話す様子は淡々としていて、どこか晴れやかな表情をしている。「自分はこういうのが苦手なのでサポートをお願いします、っていうスタンスが取れるようになりましたね」。戸田さんは、診断によって自己理解が深まったと胸を張っていた。Upload By 桑山 知之大学時代に出会った唯一無二の友人今でも支えに近大では「メダカの学校同好会」に入っていた戸田さん。「メダカの住み良い環境を作り出そうというコンセプト」だそうで、ビオトープ班に所属していたという。「ペットだと飼い殺しにしてしまいそうな感じがするので、飼うのは向いてないかなと(笑)。メダカの学校同好会では生物の調査をしたり、小規模ですが生物が入りやすいように溜池を作ったりもしました。楽しかったですね」(戸田さん)当時付き合いがあっても卒業するとほとんど縁が切れてしまったが、今でも唯一連絡を取っているのが同好会の友人。もう8年ほどの仲で、彼は宮城県仙台市で仕事をしているが、今年の頭には熱海へ旅行に行った。ゲームやアニメなど、彼をきっかけに戸田さんも趣味が広がったといい、現在の戸田さんにとって一番の支えになっていると話す。「定期的に向こうから今夜スカイプどう?みたいな感じで、複数人でオンラインゲームで遊んだり。パソコンのシューティングゲームもそうですし、今やっているオンラインのゲーム『World of Warships』もそうですし、最近アニメで定期的に毎クール観ようと思ったのも、その友人が絡んでいますし。今の趣味すべてに友人がどこかしら関わっている気がします」(戸田さん)Upload By 桑山 知之就労移行利用し就職上司「僕らが一番苦手なことができる子」厚生労働省が委託する機関で、各地域に「若者サポートステーション」というものがある。働く意向のある若者と向き合い、職場定着するまでを全面的に支援する機関で、49歳までの就労意欲のある人が対象だ。戸田さんは若者サポートステーションでパソコンについての訓練を受け、その後LITALICOワークスの就労移行を利用。現在、ネッツトヨタ愛知のデジタル推進部に所属し、各販売店で働くスタッフのサポート業務を行う。もう働き始めて2年目だ。「彼と面接したときに一番感じたのが、僕らって物を売る会社なので、対面のコミュニケーションが主になるんですよ。でも彼は逆で、文字のコミュニケーションができる子。僕らが一番苦手なことができる子だろうなって。だからすごく助かっていますよ」(戸田さんの上司)Upload By 桑山 知之「今までの人生においても、対面のコミュニケーションよりも文字情報のコミュニケーションの方が大半占めていますからね。小学校のときは2ちゃんねるをやっていましたし、中高はオンラインゲームでチャット、大学のときはTwitter。弊社ではMicrosoft Teams越しでやり取りすることが多いので、すごく質問しやすいんです」(戸田さん)大学時代につまずいたあの経験を二度としない。情報を整理するのが苦手だという自覚から、メモ帳はジャンルごとに7種類に分けて工夫するほどの徹底ぶり。新型コロナウイルスの影響でオンラインでの業務がより増えたが、自分にとってはむしろ心地いいという。今では文字でのコミュニケーションを主に置き、ストレスなく仕事に励んでいる。「僕はすごく恵まれてます」。戸田さんは、前を向いて笑っていた。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。CM内楽曲GOMESS『COMMON』は各サブスクで配信中取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年11月13日わが家の息子が、初めて発達障害の可能性を疑われたのは1歳半健診(1歳6カ月児健康診査)のときでした。市町村によって検査内容や診断方法に差があるようですが、今回は息子が発達障害と疑われた1歳半から、実際に診断が出るまでの検査内容などをご紹介します。 発達障害の可能性を指摘された1歳半健診1歳半健診では簡単な絵を見せられ、そのなかから「○○はどれ?」と質問される検査があります。息子は、市の検査と小児科の検査、どちらもその指示を適切にこなすことができず、言葉もほとんどしゃべらないことから「要経過観察」となりました。 この時期、同じような対応の子どもは意外と多いようですが、息子の通う小児科は偶然にも発達障害に詳しく、その後も定期的に検査を受けることになりました。 半年に一度のペースで実施された発達検査 1歳半で要経過観察になって以降、半年に一度のペースで「遠城寺式 乳幼児分析的発達検査」という検査をおこないました。定期的におこなうことで前回と比べることもでき、先生が子どもの様子を見ることで発達具合もわかるようです。 この検査は先生と個室でおこなわれ、指示にきちんと従えるか、言われたことがどこまでできるかはもちろん、子どもの様子や理解力なども確認されます。息子は3歳までこの検査を定期的におこないました。 発達障害と診断されたときは…実際に発達障害と診断されたのはかかりつけの小児科ではなく、その後リハビリに通うことも考慮して紹介された、リハビリテーション病院でした。小児科からの紹介状に、今までの検査結果が詳しく記されており、リハビリテーション病院では診察のみ。息子は「自閉症」の診断がつきました。 診断がつくまでの診察時間は約10分と、予想外の早さでした。その後、これからのリハビリについての説明や診断の理由などが詳しく説明されました。 発達障害の検査は大変そうと思われがちですが、私の場合はかかりつけの小児科が発達障害に詳しい病院だったので、スムーズに診断がつきました。難しいことはあまり考えず、少しでも気になることがあれば、発達障害に詳しい小児科や市の保健センターに相談してみるといいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月02日発達障害のある息子と一度は家族を捨てた父の共同生活を描いた映画「靴ひも」Upload By 発達ナビニュース母の突然の死により同じ屋根の下で暮らすことになった父と発達障害の息子の生活が描かれた映画が、10月17日より公開されています。明るく誰に対してもフレンドリーな一方で、発達障害があり、生活習慣へのこだわりが強く、苦手なことも多いガディ。そんなガディに対して、どう接したらいいかわからず、戸惑う父のルーベン。そんな約30年ぶりの共同生活は、せつなくも愉快な発見の連続。タイトルにもなっており、重要な場面で登場する「靴ひも」にも注目です。本作の監督を務めたのは、イスラエルの映画・テレビドラマ界で長年活躍するヤコブ・ゴールドヴァッサー。イスラエルで報道された実在の父子の臓器移植にまつわるエピソードをもとに、これまでにありそうでなかったユニークな親子ドラマをつくり上げました。ゴールドワッサー監督自身も、障害を持つ息子の父親であり、テーマが身近であるだけに困難な挑戦だったが、映画を通して人々の障害に対する意識を変えたいという情熱が制作の原動力になったと語っています。【公開予定】10月17日(土)より、シアター・イメージフォーラム ほか全国順次ロードショー中知りたい!聴きたい!障がい児者のきょうだい座談会Upload By 発達ナビニュースぜんち共済株式会社が主催する、障がいや慢性疾患、難病などのある人の兄弟姉妹”きょうだい”に関するセミナーが開催されます。セミナーでは、“きょうだい”の立場であり、きょうだいのグループを運営する4名が登壇して、それぞれの体験談や思い、家族との関係から、結婚や「親なきあと」まで、これまでのこと、今のこと、そして、これからのことを語ります。障がいのある方のご家族(親・祖父母、きょうだい他)、支援者の方、関心のある方は、どなたでもご参加ください。セミナー後のアンケート回答者には、「当日の資料」、「当日皆様よりいただいた質問への回答集」が送られる予定です。(※当日、ご都合により、視聴できない方にもお送りします。)【日時】2020年11月14日(土)10:00-11:45【申し込み期間】2020年10月10日(土)~11月13日(金)【参加費用】無料ココ・ファーム・ワイナリーが「第37回どこでも収穫祭」を開催!Upload By 発達ナビニュース栃木県足利市に位置する、ココ・ファーム・ワイナリーは、知的障がいのある人たちが、いきいきと作業する醸造所です。人と自然に寄り添い続けることで、上質なワインを造り出します。そのワインは、2000年、2008年の主要7ヶ国首脳会議でも使用されました。そんなココ・ファーム・ワイナリーが「第37回どこでも収穫祭」を開催します。ココ・ファーム・ワイナリーの収穫祭は、1984年からはじまり今年37回目。例年と違い、葡萄畑に集まらず、密集・密閉・密接を避け、9月1日から12月31日で開催中です。古澤巖や坂田明COCODAなどスペシャルゲストによる演奏を中心とした“オンライン収穫祭”はパソコンやスマートフォンからご覧いただけます。参加するには、ワインやグラスがセットになった「収穫祭セット」を事前に購入することが必要です。収穫祭セットを購入すると抽選でワインなどが当たるチャンスも!お家で職場で山で浜辺で・・・おひとりでも、ご家族や仲間と一緒にも・・・どこでもいつでもだれでも楽しむことができる「第37回どこでも収穫祭」です。【日時】オンライン収穫祭2020年11月14日(土)12:00~14:00YouTube配信※アーカイブ配信:2020年12月31日(木)まで【参加方法】オンラインサイトで販売されている、A~Eのどこでも収穫祭セットいずれかの購入が必要です。収穫祭セットに含まれる、収穫祭カードからオンライン収穫祭を視聴できます。11月14日(土)の配信日に視聴ご希望の方は、11月3日(火)までにどこでも収穫祭セットをご購入いただく必要があります。「LITALICO発達ナビPLUS」が無料オンライン体験会開催中!Upload By 発達ナビニュースLITALICO発達ナビPLUSでは現在、ご自宅でカンタンにサービスを体験できる、無料オンライン体験会を開催中です。進級・進路の悩み、癇癪(かんしゃく)、他害、コミュニケーションの難しさなど、さまざまな 困りごと に対して「発達ナビPLUSでどうサポートできるのか」を質疑応答が可能なオンラインのサービス体験会で説明しています。体験会はビデオチャットで開催され、参加者の顔出しはありません。スタッフの画面を共有する形でのご紹介となるため、画面操作はスタッフが行います。オンライン体験会参加者さま限定で、オンライン体験会の参加後にお申し込みをされた場合、初期コンテンツ利用料が50%OFFという特典もあります。【所要時間】1時間程度【参加方法】お申し込み後、担当スタッフよりビデオチャットでの参加方法をご案内します【開催日時】▼未就学児・11/1(日) 10:30-11:30・11/3(火・祝) 13:00-14:00・11/4(水) 11:00-12:00・11/8(日) 15:00-16:00・11/10(火) 11:00-12:00・11/14(土) 10:30-11:30・11/19(木) 11:00-12:00▼小学生・11/1(日) 13:00-14:00・11/3(火・祝) 10:30-11:30・11/5(木) 11:00-12:00・11/8(日) 13:00-14:00・11/11(水) 11:00-12:00・11/14(土) 13:00-14:00・11/20(金) 11:00-12:00▼中高生・11/14(土) 15:00-16:00
2020年10月30日娘が発した「発達障害だから無理」の一言に、怒りがこみ上げて...前回の続きです。広汎性発達障害の娘が、言った「発達障害だから無理」という言葉。ここまで、難しいことも、やり方を変えながら娘と一緒に頑張ってきた私にとって、この言葉は使ってほしくない言葉でした。私はこの言葉に対して、つい感情的に「言い訳にして、最初から諦めたら駄目だよ!」と言ってしまいました。冷静になってから、言葉を言い換えて、「いろんなことが時間をかけて、できるようになったんだよ。だから最初から諦めないでほしい。」という説明をしました。諦めてほしくはないけれど、追い込みたくもない。私は、娘がこれから先、「発達障害だから諦める」という考え方をしてほしくないと思っていました。Upload By SAKURAしかし、娘にとってそんな私の思いは重荷になるかもしれない…私は娘の逃げ場を奪う言葉をかけてしまったのではないか…Upload By SAKURAそう思うと、私は娘にどういう言葉をかけることが正解だったのか、自分の思いもあわせて、わからなくなっていきました。娘の気持ちは・・・?気になるけれど・・・その後、娘は「発達障害だから無理」とは一切言わなくなりましたが、もしかしたら、言わないように我慢しているのではないか…とだんだんと心配になっていきました。Upload By SAKURA言ってほしくないといったのは自分なのに、言わなくなった娘の心境が気になり、矛盾した感情が渦巻いていました。娘の変化。そんなやり取りから1週間ほど経った、ある日のこと。テレビで『発達障害』の文字を見つけた娘は…Upload By SAKURAその人がどんな特性があるのかを気にしたり、自分との違いを見つけたりしました。その目は、真剣でした。娘にどのような心境の変化があったのかはわかりませんが、私は、娘の中で『発達障害』の捉え方が少し変わったように感じました。もしかして、私がモヤモヤ考え悩んでいるうちに、娘は自分の中でどんどん変化していっているのかもしれないと思い、しばらく見守ることにしました。予想してなかった自己肯定。それから数か月経った、ある日のこと…Upload By SAKURA娘は発達障害がある自分のことを、自己肯定をしたのです。私は嬉しくなりました。自分のことを「すごい子」だと言える娘のことを誇りに思いました。それから私は、いつも思っていることを言いました。Upload By SAKURAそう言った、娘の表情は、輝いて見えました。常に寄り添っていく。発達障害告知前は、どう言ったらいいかを悩み…告知後は、どう捉えていくかを心配…きっと、ひと段落着いたように思っている今も、次の何かが起きる過程の期間なのでしょう。Upload By SAKURA告知したから終わりではなく、これから先、娘が自分を肯定し続けられるよう、私たちは寄り添っていかなければならないと感じました。
2020年10月14日息子の友人、おじいさんに席を譲られた!息子が特別支援学校高等部の頃のことです。子ども達が同じ放課後等デイサービスに通うママ2人と私とでお茶をしました。息子(17歳)は自閉症、A君(16歳)、B君(18歳)にはダウン症があります。小学校の頃から同じ放課後等デイサービス、同じ特別支援学校高等部に通っていました。10年以上の長い付き合いなので、結構突っ込んだ会話もドンドンできる気の置けない関係です。Aママ「ちょっと聞いてよ。この間、息子がバスで立っていたら、おじいさんに席を譲られそうになったらしいの」(A君は、当時、一人で公共のバスを使って下校していました)私「それで、本人はどうしたの?」Aママ「『いいです!』って断ったみたい。この話を息子から聞いたとき『やっぱ、“世間からは障害者だから大変だ”って見えるんだ~』と思い、悲しくなったよ!」Bママ「うちの子だったら、きっと『ありがとう!』」と言って席に座っちゃうかも!」私「外見から『障害がある』と分かるのも、理解してもらいやすいと思うから、私はうらやましいよ。本人が言葉に出したり積極的に伝えようとしなくても、周囲の人がSOSに気づいて、救いの手を差し伸べてもらいやすいでしょう。うちは見た目ではわからないから、バスの中で奇声を発したり、落ち着かないと怒鳴られてしまい、それでまたパニックを起こして…」Aママ「そうなのかあ…」もちろん、ダウン症のある子にも知的重度、軽度があり、身体面でも心疾患があったり、身体が弱い子もいたりします。そんな知識があって、おじいさんは「席を譲ろう」と思ったのかもしれません。でも、A君は元気一杯の子でした。このことを実家の母(80歳)に話したら「私だったらダウン症の子がいても席は譲らない」と言っていました。人それぞれです。「普通」として扱われる見た目ではわかりにくい発達障害児は、ぱっと見は定型発達のように見えます。息子は知的障害がある自閉症(IQ37 療育手帳3度)ですので、グレーゾーンではありません。それでも、「障害があるので色んなことが難しくてできないので宜しくね」とママ友に伝えても、容姿を見て「そんなことないじゃない、普通じゃない、しっかりしているじゃない」と数えきれないくらい言われました。誤解もある・NHKの番組で放送していたのですが、成人しているダウン症のタレントさんが居酒屋でビールを頼んだら「ビール飲ませても大丈夫なのかな」と店主が悩んでいたそうです。(年齢ではなく、「ダウン症の人にアルコールは大丈夫なのか」と思ったようです)・心疾患があり、4歳の子をバギーに乗せていたママ。「まあ、立派な足があるのにお嬢ちゃん、ママに甘えないで歩かないとダメよ」と言った見知らぬ人から言われていました。・内部疾患(心臓機能障害、腎臓機能障害、呼吸器機能障害)があるため電車の優先席に座っていた若者に対して「年寄りに譲りなさい」と言わんばかり前に立っている年配者がいました。(ヘルプマークを付ける方法もありますが、まだ世間には浸透していません)障害特性はあるけれど、性格はみんな違う「自閉症の子は秘めた才能がある」だとか「ダウン症の子はピュアだ」とか「これこれこういう障害の子は○○である」と思われていることがあります。確かに障害による特性はありますが、そんな型にはまったものではないと思います。何故なら、みんな一人の人間ですから…。生まれ持った気質や育った環境で全く性格が違ってきます。そんなことを感じたママ友との会話でした。同時に、「こんな突っ込んだ話が出来るママ友がいることは幸せなことだ~」と感じたお茶の時間でした。
2020年09月22日息子が小学6年生の時の出来事小学校6年の冬、息子は季節性のインフルエンザにかかりました。病院で処方された抗ウイルス薬を服用した後も高熱は暫く続きました。夜、私と娘が話をしていると、隣の部屋で寝ていた息子が何か訴えてきました。「どうした?しんどいの?話し声がうるさかった?」娘との話を中断し息子の部屋に向かうと、息子がドアの前に立っていました。何やら不穏な様子息子はこちらの問いに答えず、唸り声を上げていました。「吐き気がするの?トイレに行く?」私は息子をトイレに誘導しましたが、背中をさすっても息子は上手く吐くことができないようでした。唸り声は徐々に大きくなっていき、息子は便器に顔を突っ込んだまま便座の蓋の開閉を始めました。「ちょっと⁉頭、挟まってるよ!危ないって!」私が制止しても息子はやめる気配がありません。唸る息子が自ら“便器怪獣に食べられてるような仕草”を繰り返すのを見て私は思いました。「これは熱せん妄かも…」知識はあったけれど1~10才台の子どもが発熱に伴って異常な行動をとる『熱せん妄(もう)』は、ニュースなどで見て知ってはいました。実際、娘が小さいときに、インフルエンザの高熱でうなされながら布団の中で足をバタバタさせていたのを(私も横で寝込みながら)目にしたことがありました。2才の幼児が布団の中で足をバタバタするぐらいなら「熱でうなされているのかな?怖い夢でも見たのかな?寝ぼけているのかな?」と思う程度ですが、11才の男子が立ち歩いて大声を上げる様子を目の当たりにすると、知識はあってもやはり動揺します。救急外来を受診幸いそのときは家に主人がいたので、叫び声を発しながら便器に頭を突っ込んで便座の蓋を開閉する息子を主人に押さえてもらい、その間に私は救急に電話をしました。救急隊の人に支えられ救急車に乗り込む頃に息子は落ち着き始め、受け答えもできるようになっていました。病院に着いて医師の診察を受けたときには日時や名前、自分がいる場所なども言えていました。医師によるとインフルエンザの流行時期だったこともあり、その日は息子と同じような症状の子どもが10人ほど救急外来を訪れ、そのうち何人かは経過観察の為そのまま入院になったそうです。息子は会話もできるようになっていたので、解熱剤を処方され帰宅することになりました。ただ、今後も同じような症状が起こり得るので、暫くは大人が傍で様子を見ているように言われました。熱が高い間は要注意熱が続いた数日間は、医師に言われた通りできるだけ私か主人が息子の傍にいるようにしました。玄関や窓はダブルロックをし、台所のコンロもロックを掛けました。熱せん妄と思われる症状はその後2回ありました(いずれも寝起きの時)。目は開いているのですが、やはりこちらの呼び掛けには応じることはありません。2度目以降は“便器の蓋パカパカ”はありませんでしたが、トイレの前で叫んだり、廊下で頭を抱えてうずくまったりしました。私は息子が落ち着くまで背中をさすりしました。落ち着くと息子は再び布団に戻り眠りました。私は息子の様子から、「身体は起きているけど脳は眠っていて夢を見ている状態なんだろうな」と思いました。熱せん妄よりも私が驚いたこと息子が回復した後、私は息子と熱せん妄を起こしたときの話をしました。本人にはその時の記憶ほとんどありませんでした。息子「最初の時だけ少し覚えてる。多分夢だと思うんだけど、部屋の中に何人か人がいて、その人の頭の上にしずくの形をした魂みたいのが見えたんだ。」私「そりゃ怖いね。逃げ出したくもなるね。」息子「でもその後は記憶ないな。俺、どんな様子だったの?ホントに大声出したりしたの?」私はそのときの様子を絵に描いて息子に見せました。すると...Upload By 荒木まち子息子「・・・。俺、障害になっちゃったのかな?」私「!?」息子「だって姉さん、暴れてた時あったじゃん。」私は息子のこの言葉にとても驚きました。暴れる=障害!?数年前、娘が高校生のとき、家で暴れていた時期がありました。息子はそのとき、小学校の低学年でした。それまでの姉からは想像できないほどの豹変ぶりを彼は目の当たりにしていました。そのときの様子がよほど印象深かったのでしょう。息子は今回自分が暴れた原因が、姉と同じように障害由来ではないかと心配したようです。それは“きょうだい児ならでは”の発想なのでしょう。私は息子に熱せん妄の説明をし、姉が暴れた原因とは違うことを伝えました。思春期の息子に対し今年中学生になった息子は、「親に自分の部屋に入って欲しくない」「友達に姉の障害の事を知られたくない」と思うようになってきています。親を疎ましく思い、友達に大きく左右されるといった典型的な思春期を迎えています。また、精神的にも知的にも息子は姉を追い越し始めてきています。息子が私に「姉さんに対してどう接したら良いかわからないときがある」と言ったこともあります。小学生の時とは明らかに違ってきています。今まで事あるごとに娘や主人に対して障害の特性について対話を重ねてきたのと同様に、これからはきょうだい児である息子に対しても、娘の障害について丁寧に話をしていく必要があると感じています。おまけ息子が回復するまで同じ部屋で寝たり、日中そばでずっと見守ったり、熱せん妄をおこした際には抱きしめたり体をさすったり、と濃厚接触をしていたにも関わらず他の家族にインフルエンザは感染りませんでした。マスク、消毒、手洗い、うがい、換気などの対策をすれば、家庭内感染の予防はできるんだなぁ、と実感できたできごとでもありました。おしまい
2020年09月16日20代半ばで知った広汎性発達障害…診断を受けたのは就職後Upload By 桑山 知之「♯見えない障害と生きる」連載第2回は、愛知県名古屋市でグラフィックデザイナーとして働くノビさん(38歳・男性)に話を聞いた。ノビさんは愛知県内の大学を卒業後、印刷会社のデザイナーとして就職した。しかし、ある程度のカリキュラムをこなしていれば一定の評価を得られる学生時代とは違い、入社後ほどなくして壁にぶち当たった。「手が遅いんです。仕事にも時間がかかって、すごく残業してたんです。先輩に『そこまでやんなくていいよ』『うまく手を抜けよ』って言われるんですけど、手を抜くと肝心なところをすっ飛ばしちゃったりして、めちゃくちゃ怒られる。『うまく手を抜く』、その“うまく”ができなかったんです」その後、仕事を辞め個人でデザイナー業を始めようとしたが、それも失敗した。どうにもうまくいかなかった。何かがおかしい。そんな折、大学時代に同じゼミだった友人と再会する機会があった。彼は発達障害だった。「多分お前もそうだと思うから、診断受けてみろよ」。そう言われるまま、ノビさんはクリニックに足を向けた。そこで、広汎性発達障害という診断を受けた。20代半ばだった。発達障害の診断は「許されたような感じがした」Upload By 桑山 知之ノビさんは学生時代、勉強こそ多少できる方だったが、算数だけは異常に出来が悪かった。そして何より、誰かと一緒に何かをやるという楽しみがあまり理解できなかった。「大学時代の友達に久しぶりに会ったら、『学生のときは修行僧のようだった』と言われました。自分の中で正しいと思っていることは譲らないというか、会話を楽しんだり雑談が苦手というか…」思い返せば、幼いころから対人コミュニケーションには難があったノビさん。保育園ではみんながジャングルジムで遊んでいるのを見て「何が楽しいんだ」と思っていた。中学・高校では、仲の良いグループ以外の人間とはほとんど親しくすることができなかった。複数のコミュニティをまたいでいる友人は輪を広げていき、それに乗っかることができなかったノビさんは、やがて遊びに誘われる機会が減っていった。だが20代半ばで発達障害の診断を受け、心が穏やかになったという。「どちらかというとポジティブに受け止めたところがあって、正直ホッとしたんですよ。コミュニケーションもうまくいかなかったことが多くて、自分の努力が足りないとか、自分に責任があると思ってたんですけど、『障害です』『先天的なものです』って言われたときに、なんかこう許されたような感じがしたんですよ」Upload By 桑山 知之3歳児検診で「傾向あり」…伝えてほしかった発達障害というのは、“見えない障害”である。それゆえ、親が自身の常識や価値観を押し付けてしまい、子どもが苦しんでしまうことがままある。発達障害の特性が少しずつ見えてくるのは、3歳児健診であったり、幼稚園や保育園などといった集団生活であることが多い。早期に我が子の特性を理解したうえで親が接していくことで、併発しがちな二次障害を防ぐこともできるだろう。ノビさんは、診断について家族に対し思い切って打ち明けてみた。すると意外な言葉が返ってきた。「けっこう自分としてはそれなりに覚悟を持ってカミングアウトするつもりで、あるとき折に触れて話をしたんですよ。そのときの母の反応が、『あぁ、なんかね、そんな感じだよね』みたいな。なんかそんな気がしてたっていうノリだったんですよ」実はノビさんの母は、おそらく3歳児検診の際、「発達障害の傾向がある」と指摘されていたという。ただ、その段階では保育園で友達と揉めているなどの問題が起きていたわけではなかったため、様子を見ようということになり、そのまま進学、就職まで至ったらしい。その過程でも時折、例えば高校の進路を決めるときには自然がいっぱいあるところがいいんじゃないかという「謎の提案をしてきたこともある」と回顧する。Upload By 桑山 知之「(発達障害かも知れないと)わかってたんならもうちょっと何かこう、訓練とか何かあったんじゃないの?こっちはそれなりに苦労してるんだよ?っていうモヤモヤとした気持ちはありましたね。親は自由な考え方なので、こうじゃなきゃダメとか、レールを敷くような感じは全然なくて、放任主義なんです。それはそれでよかった部分もあるんですけど、もっと関わりがあってもよかったかなと。関係性が薄かったんです」我が子に発達障害かも知れないと伝えることのストレスは非常に大きい。ひょっとしたらノビさんの母はあえて“伝えない”という形を選んだのかも知れない。またそれは我が子を思っての選択だったのかも知れない。しかし成人後、ノビさんは確かに生きづらさを抱えてきた。これはあくまで結果論ではあるが、子どもが生活するうえで違和感を覚えていないか、親はアンテナを張っておく必要があるのかも知れない。再就職失敗、そして離婚…挫折から人の気持ちが分かるようにUpload By 桑山 知之“修行僧”のようだった大学生のころから、ノビさんには恋人がいた。「恋愛偏差値が低すぎた」ため、彼女の方からグイグイと来てくれたのがよかったという。やがて社会人になり24歳で結婚。しかし、個人での事業もうまくいかず、再就職を決意した。「新卒の就職活動と違って、再就職はレールがあるわけではない。面接で自分は必死にアピールしてるつもりでも、面接官から『お前さぁ、今のままでいいと思ってんの?』と説教されて帰ってくる。そうすると、夜の公園でブランコにもたれながら泣いちゃうんですよ。『何やってんだ自分は』って。抑えきれなかったんです」自分自身にそこまで感情の起伏がないため、他人の気持ちが理解できなかったノビさん。人が泣いているのを見ても、本当なのかと疑っていたという。しかし、再就職での挫折を受け、思わず涙をこぼす日々が続いた。それとほぼ同時に、離婚することになった。「本当に胸が潰れるような気持ちをそこで初めて経験しました。あのとき、あの人たちが言っていたつらい気持ち、苦しいとか悲しいっていうのはこれなんだというのが、そこで初めてわかったんです。今までは“自分の中での正しさ”を大事にしていたんですけど、“相手がどう思っているか”を大事にした方がコミュニケーションがうまくいくんだなって」発達障害の僕が生きるための“工夫”診断を受けたことで就労移行につながり、そのままその運営会社に就職したノビさん。現在はさまざまな受託事業のチラシを制作するデザイナーとして活動している。聴覚過敏で特に気になる「人のガヤガヤ声」を遮断するため、最近ではライフル射撃の選手が使うような耳栓をしているという。「努力というよりは、工夫するって感じですね。僕は発達障害以外にもてんかんの持病があって、薬を1日4回飲まないといけないんです。そこで、薬を1錠飲んだら、右腕から左腕にこのブレスレットを1本移していくんです。忘れないようにするっていう努力だとつい忘れちゃうので、仕組みを作るようにしました。このルールを伝えている人なら『朝飲んでないんじゃないの?』とか指摘をしてくれるんです。『この時間は全部左腕にないとダメなんじゃないの?』みたいな」つい忘れてしまうのであれば、仕組みやシステムを変えて、工夫する。診断を受け入れたからこそできる行動だ。他にも、仕事のタスクを付箋で貼っていく中で、優先順位が上がるとその付箋の位置を変えていくことで、見過ごさずに取り組めるといった方法を紹介してくれた。「前にインターネットで見た呟きで、すごいグッと来たものがあって。『みんなすごく我慢してるんだからお前も我慢しろ』って、よくあるセリフじゃないですか。でも、みんなが我慢してるんだったら、システムが悪いでしょって。障害って、みんなが当たり前にできることができないからこそ、“工夫”でなんとかしようと思ってます」Upload By 桑山 知之取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2020年09月03日気持ちを上げるために発達障害の娘は今年で社会人3年目です。今では休むことなく毎日勤務している娘ですが、就職して間もない頃は嘔吐や頭痛、腹痛などでよく会社を休んだり早退したりしていました。状況改善のためジョブコーチや地域活動ホームの相談員さんと連携・相談などをする一方で、気分が落ち込み気味だった娘のモチベーションアップのため、家庭では仕事以外の趣味や余暇の過ごし方を工夫しました。休みのときはスイーツを食べたり、カラオケに行ったりしました。また、唯一好きなスポーツ、水泳で体を動かしたりもしました。中でも、娘が小さい頃から大好きだった絵画の制作には多くの時間を費やしました。あるとき、娘が描いた絵画が、ある賞を受賞したと主催者から連絡がきました。私は娘の気持ちを上げるため、ここぞとばかり娘を褒めまくりました。Upload By 荒木まち子その様子を見ていた定型発達の弟の反応は...Upload By 荒木まち子メディアの影響もあるのかも確かに娘には凸凹があります。空間認知能力が低い。聴覚過敏がある。人とのコミュニケーションが取りにくい。計算が苦手。それでいて本から学んだ知識の量、PCスキル、勢いのある絵の描写や色彩のセンスは優れています。でもそれらが『特別な才能』と言えるほどかというと、正直“?”な感じです。息子は当時10才。まだ幼いこともあり、よくメディアなどで取り上げられる『障害のある人は、特定の分野においてずば抜けた才能がある』といった情報を鵜呑みにしていたのかもしれません。実際『ある分野で天才的に秀でた能力を持っている障害者』もいるでしょう。しかしながらそれはほんの一握りであって、娘を含め多くの障害者はそうではありません。私は娘が「得意なこと」や「好きなこと」で生計を立てていくことを望んではいません。本人が熱意と覚悟を持ってそれを希望するなら話は別ですが、好きなことも仕事になると自分の思い通りにならないことが多く、逆に辛くなるということを、娘はすでに経験から学んでいます。また、娘は体調がメンタルに左右されやすいタイプです。趣味や好きなことでストレスを発散し、精神的・身体的に落ち着いて、“毎日ハッピー!”とまではいかなくても、辛いとかしんどいと感じない日々を送ってくれたら良いな、と私は思っています。私は自己肯定感が低い娘の気分がアップして、メンタルの安定に繋がれば…という気持ちで彼女を褒めてきました。なので、息子が姉を羨ましいと感じていることに驚きました。Upload By 荒木まち子親として“同じだけ気にかけている”をアピール定型発達児・者が難なくできることに障害児・者は多くの労力を使いますし、その努力が報われないこともままあります。なので親は彼らの小さな一歩に大きな幸せを感じることがあります。でも定型発達児・者も苦労や努力をしていないわけではありません。きょうだい児より障害のある子どもの方が手がかかるため、関わる時間に差がでてしまうかもしれないけれど、“気持ちの面ではどちらも同じだけに気にかけている”ということを両者に上手く伝わるようにしていくことも、とても大切なのだと感じました。息子は運動が得意で他人とのコミュニケーション能力に優れています。読書が苦手で算数が好きです。幸いにも娘とは真逆のタイプなので、それぞれの得意分野を違ったアプローチで褒めることができます。「これからは娘が嫉妬しない程度に、息子の長所ももっと褒めていこう!」と私はこの時思いました。息子は娘と違って微妙な空気の違いを察することができるので、娘に対してするような“大げさな褒め”ではなく“ほどほどの褒め”を心掛けつつ(笑)
2020年08月13日発達障害当事者との対談連載、スタート発達障害を描いたドキュメンタリーCM「見えない障害と生きる。」でプロデューサーを務めた東海テレビの桑山知之が聞き手となり、さまざまな発達障害の当事者と対談する連載がスタート。連載初回は、このCMにも出演したラッパー・GOMESSを取材し、「家族と発達障害」について語ってもらった。10歳の冬、診断は高機能自閉症…あだ名は“障害者”GOMESSが初めてパニックを起こしたのは、地元のバザーに家族で行ったときのことだった。楽しむ母や姉を横目に公園でうたた寝をしていたところ、ふと首に違和感を覚えた。毛虫だった。GOMESSは、毛虫が大の苦手だった。我に返ると、パニックを起こしたGOMESSは母親によって強く抱きしめられていたという。後日、家族に連れられ赴いた精神病院で、高機能自閉症という診断を受けた。その後、症状が悪化するのを見かねた母は、小学5年の春、担任教師に相談した。自閉症とはどういうものか、子どもにも分かるような資料が朝の会で配られた。「それが成功する可能性もあったと思うんですよ。でも僕の場合は違って。陰で言われてたのは、障害者とか、野獣とか、エイリアンとか……。どんどん学校に行きづらくなりました」そこから5年間にわたり不登校、引きこもり生活を送ったGOMESS。今でこそ母の支えや頑張りが痛いほど分かるものの、当時は「お母さんが余計なことをしたから」と責めてしまったと振り返る。しばらくは母もなんとか学校に行かせようとしたが、GOMESSは強く抵抗した。「本当に悪いことなんですけど、すぐに死をほのめかしてたんですよ。『そんなに言うんだったら学校に行くフリして死ぬけどね?』とか。『生まれてこなきゃよかった』とか、お母さんに直接言わなくてよかったようなこともいっぱい言いました」3歳上の姉とは、自身が引きこもる前はケンカもしていたが、やがてほとんど会話もなくなった。避けられていた。「ずっと部屋で暗い顔してる弟は嫌だったんじゃないですかね」。Upload By 桑山 知之担当医「この子にはできないことがある」親が考える“正規ルート”からの脱却静岡県内の精神病院で診断を受けたGOMESS。代表的な楽曲の一つ『人間失格』にも登場する当時の担当医師“カゲヤマ先生”のある言葉で、家族の接し方は変わっていったという。「カゲヤマ先生がいなかったらうちの家庭はダメだったと思います。お母さんたちに『この子にはできないことがあります。それはできるものじゃないです。無理なものは無理。それをきっぱりと親が諦めてください』と言ってくれたんですよ。そこから僕の生活が楽になりましたね。文字が読めないのも、頑張って読めと言われなくなりましたし、ひどい偏食も理解してくれるようになりました。いつかカゲヤマ先生にお礼を言いたいんですよね」言うなれば「お父さんはスポ根の熱血系で、お母さんは知性と優しさ」だという両親。どちらかが叱るときは、もう一方が必ず優しく包み込んでくれた。特に母は、海外の和訳本を取り寄せるほど発達障害に関する本を読み漁るなど、息子について理解を深めようと努力を惜しまなかったという。GOMESSは「親がしてくれたことはすべて自分のことを思っての行動だった」と当時を振り返りながら、「子としてはすごく理想の両親」と誇らしげに語る。「親が予定していた我が子の“正規ルート”みたいなものからの“外れ方”ってすごく大事だと思うんです。一番まずいのは、子どもが何もしなくなること。どんな形であれ、ポジティブな気持ちで何かやろうとしていることがあるんだったら、止めない方がいいと思います。ポジティブな気持ちを何かに向けてることってけっこう奇跡だから、その奇跡的なポジティブは守ってあげてほしい」進学や就職など、親が思い描く「理想」は少なからずある。しかし、それは必ずしも我が子を幸せにするとも限らない。引きこもっている間も呆けるだけでは退屈だったGOMESSは、親に見守られながら、とにかく熱中できるものを追い求め続けたのだった。Upload By 桑山 知之教科書は読めないが、五線譜は読める色んなものに熱中していく中で、「音楽」へと到達するまでにそう時間は掛からなかった。ワールドミュージックを聴けば、ラテンのリズムについて母に力説していた。文字が読めないゆえ、教科書は読めなかったが、五線譜はすぐに読めるようになった。気づけば自ら音楽を作るようになっていた。「(親としては)本当は学校行かないにしても義務教育で習うものくらいは勉強してほしかったんだと思いますけどね。これだけ熱心にやってるんだからいいか、みたいな。僕は“プレイ”よりも“クリエイト”の方が好きだから、毎日毎日色んなことをクリエイションするようになって。その中で音楽が一番ハマりました」ここでもう一つエピソードがある。「音楽に勉強的だった」頃、ゲームにも没頭していた。裕福な家庭ではなかったため、買ってもらえたのは中古で300円ほどのスーパーファミコンのソフト『RPGツクール2』。その名の通り、命令や画像・音楽を組み合わせ、オリジナルのロールプレイングゲームを作るゲームで、GOMESSはPC版も含めこのシリーズをやり込んだ。そこで音楽素材のため、曲を作り始めたのだという。結果、自作のRPGは完成しなかったが、サウンドトラックはできていた。「親がゲームを止めないでくれたんですよね。それは大きかったですね。だからポジティブな気持ちで何かやってるときは、そういう何かが生まれることがある」姉が好きだというモーニング娘。のCDも借りて聴き、衝撃を受けた。「これめっちゃファンクじゃん!すげぇかっこいい!」と、インストゥルメンタル版のテンポを遅めてビートを乗せ、ラップをする。自然とサンプリングもこなれたものになっていた。Upload By 桑山 知之家族が疲弊…ラップが人生を見つめ直すきっかけに献身的に我が子を見守り続けた親だったが、自分を責め、時に精神的に病むこともあったという。「何年も何年も手を尽くしてくれた結果、頑張った末ですね。俺もズカズカとお母さんに言っちゃうから、お母さんは自分を責め続けちゃって。お母さんが僕よりも程度のひどい引きこもりになりました。部屋から出てこないみたいな。台所とかでたまたま会って、目が合うと下向いてすぐに速足で自分の部屋に帰っていって、扉をバンと閉めるみたいな」当時は自分が正気を保つのに精一杯で、家族に支えられていることに気付いていなかった。ラップを通して、いつしか自己を客観的に見られるようになった。「CDデビューをしたり、テレビに出たり、ライブをしたりするようになってから、精神的自立が始まったのかなと思うんですよね。その辺から少しずつ。歳で言えば18・19歳から20・21歳にかけての4年間くらい。僕にとって過去の清算じゃないですけど、こういう恩恵を受けていたんだなとか、一つひとつ噛み砕いていく時間だったなと思います」第2回『高校生RAP選手権』で準優勝を収め、世間からの注目が彼に集まる中で、姉も存在を認めるようになっていた。家でブツブツとラップをしていた引きこもりの弟が、「お姉ちゃんにとっても、ようやく人として接する価値のある人間になれたのかな」と感じた瞬間だった。Upload By 桑山 知之家族を幸せにするために、僕は幸せにならなきゃいけない自身の人生は「みんなのおかげで運良く素敵になった」と語るGOMESS。一方で、母から「私があなたをフツウに産んであげられなかった」と、我が子に対して罪を感じていることを吐露されたこともあった。自分にできることは何か。答えは明確だった。「手間暇かけて全力注いで頑張って育てた息子が人様の役に立つっていうのは、きっとすごくお母さんにとって誇らしいことの一つだと思うから、実際“罪滅ぼし”はできないにしても、何かお母さんのためになると信じてやっているんです」GOMESSは、ラッパーとしての現在の活動について「罪滅ぼしみたいな気持ち」と表現する。「だから、僕は幸せにならなきゃいけないんだなって。僕が幸せになれば、お母さんが感じてきた罪悪感は消えるんじゃないかなと思うんですよね」Upload By 桑山 知之GOMESSがCM「見えない障害と生きる。」で書き下ろした楽曲『COMMON』は、Apple Musicなどで近日配信予定。本連載では、第2回以降も桑山知之が見えない障害のある人を取材し、社会で生きる上でのヒントを探っていく。平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。・2019年 日本民間放送連盟賞 CM部門 最優秀賞・2019 59th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS フィルム部門Aカテゴリー ACCゴールド・第58回JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール 経済産業大臣賞・第57回(2019年度)ギャラクシー賞 CM部門 優秀賞取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海公式サイト
2020年08月03日はじめまして!現在7歳と2歳の子を持つ2児の母です。猫のポン子を主人公として、私の壮絶だったパニック障害のお話を描かせていただきます。時はさかのぼり、10年前…当時の彼氏(現旦那)のタマオくんとは訳あって、100キロほど離れた距離での遠距離恋愛でのお付き合いでした。付き合っている当時は、休日にタマオくんが私の家にくる形が多かったです。当時薄給だった私に気を使っていたからでしょう(移動は新幹線で交通費が高かった…)そんな生活を1年くらい続けたのち、結婚へ。正社員でもなかった私は、仕事を辞めあっさりと彼について行くことができました。タマオくんとの結婚に浮かれ、全てを捨てて住み慣れた地を離れるという事がどんなことか、この時の私は深く考えていなかったのだと思います…そして…初めてのパニック障害の発作が起こりました。次回に続きます漫画を通じてパニック障害とはどんな病気かを知ってもらえたらと思います!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年07月07日発達障害に関する質問は、私にだけ…『発達障害』のことを知った娘。前回までの話は一応完結しているのですが、今回は番外編です。発達障害について娘が疑問を投げかけてくるのは、私に対してだけでした。Upload By SAKURA私は、一つひとつ丁寧に答えながら、娘が夫には質問しないことが気になっていました。夫はいつも娘に対して真剣に向き合ってくれますし、療育に対して協力的。できればこのことを夫と共有したいと思っていたのですが、娘が夫に対して発達障害の話をすることはなく...気になってはいましたが、理由を娘に聞くことはせず、時間は過ぎていきました。「なんで秘密にしてたの?」初めて娘が、夫に質問。発達障害について話した日から2か月ほど経った日、娘は夫に向かっていきなり…Upload By SAKURA不意打ちの質問に私は、自分が聞かれたわけではないのに動揺しました。その質問は、私には聞かなかった初めてのものでした。しかし夫は全く動揺せず、まるで世間話をするかのように落ち着いて話し始めました。Upload By SAKURA私はこの夫の言葉を聞いて嬉しくなりました。娘に伝えていた内容自体ももちろんですが、特に嬉しかったのは「パパとママは」という言葉でした。夫の説明の中に隠れた、気づかい。少しでもブレない接し方をしたかった私は、これまでも娘とのやり取りを夫に必ず話して情報共有をするようにしていました。Upload By SAKURAそのため、娘からどんな質問をされたか、どんな会話をしたか、夫が把握しているのは当たり前なのですが…私が単独で娘に話をしていたのに、「パパとママは」という言葉を使った夫。Upload By SAKURA「ママが話したことは、パパと同じ考えなんだ」と言われているように感じ、知らないうちに考えや気持ちも共有できていたことがわかりました。「発達障害は治る?」それから、ちょっと考えた娘が今度は…Upload By SAKURA発達障害が治るか…を聞いてきました。私は、またドキッとしました。一般的には、発達障害は"治る"ということはありません。療育を重ね、やり方を変え、できなかったことが前よりスムーズにできるようになる…ということはあります。しかしそれを娘にどう説明すればいい?すると夫は…Upload By SAKURA聞かれていない私はいちいち動揺しましたが、夫は終始落ち着いて、娘にわかりやすいように話していました。夫の言葉と説明は、私の答え合わせ。今回のことで、私はまた一つ、夫の存在のありがたさを感じました。私はいまだ、娘とのやり取りに失敗して揉めたりしますし、『発達障害の自己認識』に関しては、冷静を装っても中身は動揺してばかりです。しかし、こういう場面でも冷静でいてくれる夫。普段娘のことに対応しているのは私ですが、夫はいつも、私が対応していることのまとめ…というか、決めどころ?というのでしょうか。最後びしっと締めてくれます。これがとてもありがたく、また安心します。私と娘のぶつかり合いの時は、多くを語らず、ダメ出しもせず、見守ってくれる夫。その態度も、私は「夫に信頼してもらっている」と感じ、頑張る糧になります。Upload By SAKURAそして肝心なところや、大事な場面では、大切な言葉を娘に伝えてくれる夫。私一人ではなく、常に黒子のように後ろに夫が構えていて、一緒に向き合ってくれていると感じます。娘とたくさん向き合って、たくさん話した私より、たまに出る夫の言葉のほうが娘に届いているように感じます。私はそれを悔しいとは感じず、私が対応してきたことの丸付け?答え合わせをしてもらっているように感じています。夫と娘の会話を聞きながら、あぁ…大丈夫…私間違ってなかった…と確認しています。Upload By SAKURA
2020年05月13日夫は息子の発達障害をどのように受け容れたのかUpload By 丸山さとこ「コウは発達障害かもしれない」と私から聞いた夫が最初に言った言葉は「え?コウはコミュニケーションとれてるでしょ?」でした。『かわいいわが子にまさか障害があるなんて…』というショックからの否定ではなく、本気で『え?問題なく意思の疎通とれてるでしょ?』と思っていたことから出てきた、夫の素直な反応でした。私も3歳児検診で指摘を受けるまで“コウはコミュニケーションがとれている”と思っていたので「分かる分かる…!」と頷きましたが、今後のことを考えれば呑気に共感している場合ではありません。「分かるー!けど困る~!」と頭を抱えながら、夫にどう理解してもらえばよいのかを考えることになりました。意思の疎通はできているのに?Upload By 丸山さとこコウは、コミュニケーションが全くとれていないわけではありませんでした。「はい」と言って渡したいものを差し出すことや、クレーン現象で“相手にやらせたいこと”を伝えたりすることはできますし、「いいよ」と「駄目」も分かります。でも、「お水ちょうだい」と人に要求して水を貰うことと、ウォーターサーバーのボタンを押して水を得ることの違いが、多分当時のコウには分かりませんでした。「イヤ」と言われて拒否されることと、ブザーが鳴って機能を停止することは、どちらも“音がして水を得られなくなった”という出来事ですが、その理由は全然違います。人間との間には、手順の間違いという言葉では単純に片付けられない“コミュニケーション”が存在しているからです。発達障害について少し知識を得た上で改めてコウを観察してみると、彼にとって要求とは“心を介したコミュニケーション”ではなく、ボタンを押すような行為なのだろうということが分かります。ですが、それを夫に伝えるのはかなり難しいのではないかと思いました。夫は多分定型発達者でコミュニケーションは私よりよほど上手に行えますし意図も汲めますが、気持ちを汲むことに関しては理解の解像度が低いところがあります。あれこれ例えを交えながら説明しつつも、「コウのコミュニケーション能力の遅れに対して、理解してもらうのは難しそうだなー!」と感じました。まずは“分かりやすいところ”から知ってもらう!Upload By 丸山さとこそうして頭を悩ませていたとき、ふと「コウの発達の凹んでいる場所が分かりやすい会話を聞いてもらえばよいのでは?」とひらめきました。コウの会話は基本的にエコラリア(オウム返し)によって行われていたので、挨拶などのやりとりが難しく、3歳になってからも「お名前は?」に対して「お名前は?」と返すような状態でした。 練習によって「お名前は?」「何歳?」などの受け答えができるようになりましたが、多分その練習風景は一般的な家庭のコミュニケーションとは異なるものだったと思います。まず、親が自分の肩に触れながら「お名前は?」と聞きます。次に、コウの肩に触れながら「丸山コウです」と“コウが言うべき言葉”を親が代わりに言います。それをリズミカルに繰り返してコウが「丸山コウです」と言うのを待ち、コウの肩に触れているタイミングで言えたら、素早く“コウが好きな刺激”を与えながら褒めて行動を強化します。そんな風にして“知らず知らずに行っていた療育”の結果、コウは一見すると会話ができる子に見えるようになっていたのですが、それは親の側が会話の歩調を子どもに合わせるからだと私は知っていました。Upload By 丸山さとこ後日「今からする会話を聞いていてくれる?」と夫を呼んだ私は、コウとの会話を始めました。「何歳?」「さんさい。」「いくつ?」「さんさい。」と違う聞き方でもスムーズに答えてみせたコウでしたが、「何歳ですか?」と聞いた時に『何を言われているんだろう?』という顔をして固まってしまいました。「何歳?」は教えられていても、「何歳ですか?」は教わっていなかったため、答えられなかったのです。夫はここにきてついに、「あー…これは確かに何かあるって感じがするな…。」と言い、“発達障害の可能性”に対して納得しました。夫は息子の発達障害をどのように受け容れたのかUpload By 丸山さとこ“息子は発達障害の可能性が高いらしい”と知った後も、夫は発達障害についての知識を積極的に得ようとすることはありませんでした。それはASDとADHDの診断を受けた今も変わることはありません。本やウェブサイトを少し紹介したことはありましたが、いつもパラパラッと見ては興味がわかずに終わるようなので、「無理強いすることもないか」と思い近頃はこちらから特に何かを勧めることはしていません。改めて考えてみれば、診断を受ける前から育児書などを読む人ではなかったのだから、診断を受けたからといって急に「本などを読んで勉強しよう!」とはならないのも当たり前のことなのかもしれません。そんな夫ですが、息子に全く関心や関わりがないかといえばそんなことはありません。公園やプールに連れて行ったりと一緒にお出かけもしますし、将棋を指したりして遊ぶこともあります。それだけでなく、前述のような“療育的な関わり”で挨拶を教えてくれたのも他ならぬ夫でした。痛いところを押さえて「痛い」と言うことも夫が教えてくれたおかげで、私はとても助かりました。そんな夫とコウの関わりを見ていると、「本やウェブサイトを読まなくても、夫はコウそのものから知識を得ているのだな」と感じます。それが夫にとって丁度良い、「発達障害のある息子」との関わり方なのかもしれません。Upload By 丸山さとこ
2020年04月30日発達障害のことを話してから1週間...何度も聞かれる同じ質問。娘に発達障害のことを話してから、1週間。それまで娘から『発達障害』について聞かれることは、全くなかったのですが…1週間を過ぎたころから、娘は3日に1回ぐらいのペースで私に「発達障害って…この家で私だけ?」と聞くようになりました。その度に私は同じ説明をしました。Upload By SAKURA娘は毎回、私の話を聞いたあとはそのまま去って行きます。私は、その表情から娘の気持ちを読み取ってあげることができず、ただ聞いているだけなのか、それとも何か不安を抱えているのかわかりませんでした。娘は『発達障害』をどう思った?このやり取りが何度か続いたため、私は娘が何を思って聞いているのか知りたいと思いました。そこで娘に聞いてみることにしました。Upload By SAKURA娘は、『発達障害』があることが「心配」と感じていました。私が思った以上に、娘は表面上だけではなく、深いところまで考え始めていました。困ったのは『障害』という言葉。今回、娘に説明をしていて私が一番困ったのは…Upload By SAKURAなぜこれが『障害』という言葉なのか、ということ。『障害』という言葉は、子どもにはとても説明しにくいのです。「発達障害」ではない別の言葉ならよかったと、この時ほど感じたことはありませんでした。(発達障害ではなく、個性強め型とか、〇〇タイプとか、「障害」がつかない呼び名にしてほしいと思いました。)恥じるべきことではないのに、人に使ってはいけないという矛盾を上手く説明できない葛藤もありました。Upload By SAKURA最初の説明は、きっとその後の価値観の土台になっていく…。自分の言葉一つひとつの重みを認識するたび、その大きな責任感に身が引き締まる思いでした。受け入れるまで、寄り添う。その後も間隔は少しずつ開いてきていますが、娘は定期的に「発達障害って…この家で私だけ?」という質問をします。Upload By SAKURAその度に、こんな会話をします。ただ、心配なことばかりではなく…Upload By SAKURAこんな前向きな会話も、たくさんあります。娘は、『発達障害』を知ったばかり。何度も質問するのは、まだ受け入れることができていないということなのでしょう。私だって何年もかかったのです。娘もゆっくり受け入れてくれればいいと思って、聞かれる度に何度も答えています。
2020年04月22日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。 ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気付いたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんなできごとから「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実だし、いわゆるADDやADHDの方の症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」はあったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年04月19日順調に活躍していたイヤーマフ。聴覚過敏で体調不良を起こしていた娘。試しに使ってみたイヤーマフは、大活躍してくれました。嫌な音を遮断できるということですっかり気に入り、常に持ち歩いて、放課後等デイサービスで集中したいときや学校で一人になりたいとき、家で読書をするときなどに愛用していました。Upload By SAKURAイヤーマフがきっかけで目に留まった言葉。そんなある日、放課後等デイサービスお迎え時…Upload By SAKURA私はドキッとしました。すると、娘は続けて…Upload By SAKURA「自分が発達障害か」を聞いてきました。今まで私は、娘に『発達障害』という言葉を使って娘の特性について話したことはありませんでした。娘の特性について話した経緯。言語訓練に通う理由を聞かれたので…Upload By SAKURA簡単に理由を話しました。娘は「言葉が苦手」というのを、マイナスには捉えなかったようで、気がつけば周りの人に対しても「私はね、言葉が苦手なんだよ」と自ら説明するようになっていました。2年生から特別支援学級に在籍になった娘は、慣れるために1年生の後半から特別支援学級の教室に行くことになりました。そのときに、『特別支援学級に行く理由』を説明しました。Upload By SAKURAその後、2年生から本格的に特別支援学級在籍になったときに、もう一段階詳しい話をしました。Upload By SAKURA娘は気にするどころか、長い時間特別支援学級にいられることを喜んでいました。「障害」という言葉を耳にすることが多くなってきて…それから時間は経ち…2〜3年生になると「障害」という言葉を授業やテレビで聞くことが増え、障害のある人が世の中にいるということを知るようになりました。Upload By SAKURAこのときから私は「いつか娘に『発達障害』について話す日がくる…」と考えていました。どんな状況で聞かれるのか…どんな風に答えようか…想像し、ずっと頭の中でシミュレーションし続けていました。そして、聞かれたときのために決めていたことがありました。そのときのため、決めていた3つのこと。『発達障害』のことを話す最良のタイミングは、聞かれたとき。あまりに幼いときは話す必要はないと思いますが、娘はもう小学生。専門的な話はしなくても、そういう特性について、言葉を選べば説明していいと考えていました。Upload By SAKURA真剣な顔や暗い表情で話してしまうと、これは悪い話だと思われてしまいます。話すときは、普段の会話のときと同じトーンで、なるべく表情は変えない!少しでも誤解を与えたくないと思いました。Upload By SAKURA『発達障害』に対して、「これ以上聞かないで」という対応は絶対したくないと思っていました。聞きたければいくらでも話す、聞いてはダメなことではないと娘に態度で示そうと思いました。Upload By SAKURA何度もシミュレーションして、これは絶対に守ろうと決めていたことでした。シミュレーションは完璧だったはずだけど…しかし、そのときは思った以上に突然やってきました。まさか、イヤーマフから繋がるとは…!イヤーマフを購入したときは、そんなこと想像もできませんでした。Upload By SAKURAあんなにシミュレーションし続けていたのに…いざ聞かれると私の心臓はドキドキ音を立て、動揺が一瞬で全身に広がりました。しかし、動揺してはいけない!返事に間を空けたら、娘に変に思われる!と決めていたことを思い出し、自分に気合いを入れ、ついに娘に話すことにしました。続く…。
2020年03月25日きょうだい児への支援を考えるお子さんの発達の心配や育児の悩みをサポートする「発達障害児家族支援講座」。第4回目は、「きょうだい児の気持ちって?~当事者の経験から~」をテーマに、・きょうだい児支援の現状・きょうだい児当事者の話・参加者の皆さま同士のグループトークを実施。LITALICOジュニアのジュニアサポート室・井田と、LITALICOジュニアで指導員をしている4名がきょうだい児当事者として登壇しました。障害のある子がきょうだいにいる子どものことを、「きょうだい児」と言います。初めに、きょうだい児支援の現状について確認しました。厚生労働省の「放課後等デイサービスガイドライン」に、父母の会の活動を支援したり、保護者会等を開催したりすることにより、 保護者同士が交流して理解を深め、保護者同士のつながりを密にして、安心して子育てを行っていけるような支援を行うことも望まれる。家族支援は保 護者に限った支援ではなく、きょうだいや祖父母等への支援も含まれる。特にきょうだいは、心的負担等から精神的な問題を抱える場合も少なくないため、例えば、きょうだい向けのイベントを開催する等の対応を行うことが望 ましい。と書かれているように、家族支援を行うことが望ましく、また家族支援には保護者だけでなく、障害がある子のきょうだいも含まれると書かれています。しかし、キャンプ等の居場所づくりや成人後の語り合いの場等が少しずつ始まっているものの、きょうだい児への支援は制度化されていないのが現状です。気を付けたいのが、きょうだい児の支援は、お子さんやご家庭の状況に合わせて考えてみることが大切だということ。「こうするのが正解」というものはありません。きょうだい児の気持ちきょうだい児がどんなことを感じているのか、気になるけれど直接聞くことができない、ほかに知る機会がないというお声をよく聞きます。今回の講座では、きょうだい児についてそれぞれのご家庭で考えるときの参考としていただくために、LITALICOジュニアで指導員をしている4名が、発達障害や身体障害のあるきょうだいがいる、きょうだい児当事者として話をしました。その一部をご紹介します。「今の仕事に出会えたこと。少しでも人の役に立てている実感や、やりがいを持ちながら仕事ができています。きょうだいがいることが仕事の活力になっています」「福祉の道に進もうと思ったきっかけをくれたことです。また、(障害のあるきょうだいがいることで)大人との関わりが多くあり、きょうだいのおかげで出会えた人たちがたくさんいます」「この業界を知り、働くことができていることです」「世の中にはいろいろな人がいることに早くから気付くことができました。先回りして行動する力が付いた気がします」「1対1で出かけたり、遊ぶ時間を設けてくれたりしたことが嬉しかったです。きょうだいともいろいろな場所へ連れて行ってもらい、さまざまな体験ができました」「自分の将来のことを全力で応援してくれました。常に(障害のある)きょうだいと同じように自分のことも大切に思い、対応してくれていたことが嬉しかったです」「行先は限られ、外出先も近場が多くはありましたが、きょうだいも一緒にいろいろな場所に連れていってもらえて楽しかったです。きょうだいの体調不良で急に予定が中止になることもありましたが、違う形で時間を作ってくれました」「家族の1番は常にきょうだいだと感じて、自分だけを見てほしいと思ったことがあります。母がきょうだいの入院に付き添っていていないことが多くあり、寂しい思いをしました」「『きょうだいは~だから仕方ない』『あなたが我慢しなさい』という気持ちを、なんとなく感じることがありました」「使えるサービスや資源をできるだけ活用して、頑張りすぎないで欲しいです。きょうだい児だから...と考えすぎないでいただきたいです」「保護者さまとお子さんの心身の健康を1番にして欲しいです。『頼れる人・場所・情報』をたくさん作っておいていただくといいと思います」「母を見ていて思うことは、保護者同士の繋がりが心の支えになっているということです。きょうだいが特別支援学校を卒業して10年以上経ちますが、まだ繋がりがあると聞いています。学校の仲間や通所先の仲間が多いと、保護者さまも心強いと思います」「中学生のときに詳しい話を聞きました。後から母に聞いてみたら、私がきょうだいについて質問するのを待っていたそうです。私自身は小学校2年生ぐらいから、他の家族との違いを感じ始めていました」「中学2年生ごろです。詳しいことは大人になってから聞きました。保護者さまからご質問いただくことがあるので、母に聞いてみたら、『いつ・どうやって』伝えるのが良いのか悩んだそうです。特に見えにくい障害だと、伝えるタイミングに悩まれるかと思いますが、私自身は保護者さまが伝えたいタイミングで良いのかなと思います」「きょうだいの身体の障害について小さいころから気づいていたので、母や父になんとなく聞いていたと思います」「両親は都度、私の質問に答えてくれていました。詳しく聞いたのは、高校生~大学生のころです」きょうだい児支援の講座を終えてUpload By 発達ナビ編集部きょうだい児にスポットをあてた場はまだまだ少なく、アンケートでも「当事者の方のお話を聴ける機会はなかなかないので、とてもよい時間でした」というお声をいただきました。今回お話してくださった方のお話は、それぞれ違う境遇や思いがありながらも、共通する部分があったのではないかと思います。「きょうだい」としてではなく、ひとりのお子さんとして接することや、1対1の時間をつくることの大切さ、ネガティブな出来事はゼロにはできないが、家族の楽しい時間を増やすこと…具体的なエピソードは違いますが、どの方にも参考にしていただけると思います。アンケートでも、「小さいころはよいこと嫌なことがあると思いますが、それを引け目に感じることがない工夫をしてあげたいと思いました」というお声をいただきました。また、当日は保護者さま同士のシェアもとても盛り上がりました。お話の中にもあったように、保護者さまの相談できる場所を増やすこと、心身の健康を保つことが、ご家族、ひいてはきょうだい児のためにつながっていくと思います。
2020年03月14日「自分が障害者だって、自分で明かしてはいけないの⁉」――息子の不服げな表情を見て改めて考えた、「障害」という言葉のイメージについて小学4年生の息子が、ある日「腑に落ちぬ」と言わんばかりの表情で帰宅した。彼はADHD(注意欠如多動性障害)傾向もあるASD(自閉症スペクトラム障害)当事者。約1年半の不登校生活を経て復学、最近また休みがちではあるものの、通常学級に籍を置きながら特別支援学級を利用しており、次年度からは特別支援学級への転籍が決まっている。発達障害は「見えない障害」とも言われており、息子や私も、ぱっと見では障害を抱えているとは分かりにくいだろう。そんな息子が4年生になってから、特別支援学級を利用し始めた――通常学級のクラスメイトたちからしたら、不思議だったに違いない。なぜなのかと彼らから理由を聞かれた息子は、「発達障害があって、感覚過敏などがあるから」というようなことを伝えたのだという。すると、「障害者とか、そういうことを言ってはいけないんだよ!」とたしなめられたのだそうだ。息子にしてみれば「質問に対して誠実に答えただけで、なぜ叱られるのだ」という気持ちになるのは当然だ。「誰かの秘密を勝手にしゃべったわけでもないのに…」などと、ブツブツひとりごちていた。「障害って、悪いことだとか隠すべきこと、みたいなイメージがあるからなあ」隠さざるを得ない事情や場面があることを重々知りつつ、私は息子へと言葉を投げかけた。「本当はそんなことないんだけどね」すぐにそう付け加えて。前回も書いたように、「障害」とは「人と社会の間に生じたずれ」だと思っているし、近年はそうした考え方も広がりつつあるが、まだまだ障害という言葉に対するイメージはよろしくない。「障碍」や「障がい」の表記や別の呼称を使おうと行政などが推し進めたところで、本質的なところは何も変わっていないというのが当事者としての印象であるし、「障害」という言葉、あるいは診断名が、揶揄の言葉として使われているのが現実だ。(今ふと思ったのだが、件のクラスメイトたちは「障害などの言葉で人を罵るのはいけないことである」というご指導を、親御さんから受けたのかもしれない。それが頭の中で「障害と言ってはいけない」へと変化した可能性がある)私は学童期にてんかんを発症しているため、「障害者」というラベルを手にしてからの生活はそこそこに長い。本当は良くないのだが、自分が受ける差別にはある程度慣れっこで、障害名で揶揄されたところで「はいはいそうですよ」と聞き流すことができる。最近は「障害という言葉や診断名が揶揄に使われ続けたら、誤ったイメージは広がる一方だな」と考え、冗談さながらの軽口であっても、「その言葉を聞き流すことを、私はやめることにした」とお伝えしているのだが、とにかく、傷つくことはほとんどない。しかし、自分ではない相手にそうした言葉が向けられているのを見聞きすると、なぜだか落ち着いてはいられない。ADHD性による衝動を用いて発言なさった方のもとに駆けつけ、直後にASD性を発動、「発達障害という概念やアスペルガーとも呼ばれている自閉症スペクトラム障害についての簡単な説明と、“頭が悪い”ということについてのあなたの定義を伺ったのち、障害と頭の良し悪しは必ずしも関係しないこと、そして“真に頭の悪い人など存在しないのでは”と私が思うその理由を説明させていただけないだろうか」などと申し上げたい気持ちになるが、そんなことをすれば本末転倒、障害のイメージ悪化に拍車をかけてしまうこと請け合いだ。そのうえ私は気が弱い。そんな大それた行動を起こせるわけがない。歯がゆさを抑えられないまま、「どうしたもんかね……」とうなだれるぐらいしかできないのである。支援に必要な情報である障害を容易に明かせない現状について、「障害」というラベルを長年持ち続けている私が思うこと前項に書いたように、私にとっての障害名は、自分について説明を要する際に使うラベルやカードのひとつであるという認識だ。「努力や我慢では克服できないレベルの苦手がある、ただし、こうした方法なら可能だ」と説明するためのものであり、もちろん診断名を出さない方が話が早そうなときはそうするが、障害を明かすことに抵抗はない。そして私は、「我々はどうやら発達障害というものの当事者であるらしい」と息子には早いうちに告げており、息子も息子で「なるほど。早めに分かっていれば、有事の折に対応もしやすかろう」とばかりにあっさり受け入れていた。「ゲームは夢中になり過ぎて時間を忘れがちだから、アラームをセットしよう」と自ら対策を講じたり、「自分は感情をその場で認識できないことがあるが、あとから友達に気持ちを伝えるにはどうしたらいいのだろう?」と私に聞くなどはするが、普段は自分が発達障害の当事者であることを、さして意識していないように見える。それは私も同様で、こうしたコラムを書くときや、発達障害についての情報に触れるときなどは発達障害当事者であることを意識するが、平時は「自分の一要素」に過ぎず、見えてはいるが注視はしない。しかし、ネットなどでは「子どもへの障害告知は慎重に。本人のアイデンティティーを揺るがしかねないデリケートな問題です」「障害という単語にショックを受けてしまうケースも考えられます」などと書かれており、私はのけぞった。「本人のアイデンティティーを揺るがしかねないデリケートな」障害告知を、「晩ごはんはカレーだよ」ぐらいの軽いノリで済ませてしまったからだ(もちろん、どのような行動特性が該当するかなども説明はしたが)。当時の私が発達障害を抱える方々の現実について、全くの無知であったからこその行動である。物分かりが良く、自ら質問してくれる息子であったことや、障害をネガティブなものと捉えずにいられる環境があったからうまくいっただけ。分かっている。とはいえ何かが引っかかる。『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』の中で、児童精神科医・臨床心理士の姜昌勲氏が下記のように書いていらした。発達障害は、「治療しなければいけない障害」ではなくて、「支援するために必要な病名」であるとともに、「かけがえのないその子の個性」でもあるのですから。「発達障害はニセの病名?」『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(宋 美玄、姜昌功、ほか/星海社新書)P92より「支援するために必要な」情報を聞いた子どもがショックを受けたり、明かした人から不当な扱いを受けたり、ネガティブなイメージを抱かれるのはやっぱりおかしい。「実は発達障害で」「ふーん、そうなんだね」でいいじゃないか。もちろん私は「発達障害の当事者は誰もが、その事実を明かすべきだ」とは思わないし、「実は自分も発達障害で」とこっそり打ち明けてくれた方の話を他人に話す気にもなれない。それは、今の自分が、発達障害に関しては、明かしても差別される機会の少ない環境に身を置いているだけだと自覚しており、かつてはてんかんで「隠しても地獄、明かしても地獄」を体験しているからだ。だからこそ、悔しくてたまらないし、憤りさえも感じている。必要な情報を、誰もが気軽に明かせない現状に。「障害はその人が持つ事実ではあるが、人格そのものではない」と思う私に向けられた、友人からの嬉しい言葉Upload By 鈴木希望ところで私は、かばんにいつもヘルプマーク(外見では分かりにくい疾病や障害のある人が、配慮を必要としていることを知らせるためのピクトグラム)を付けている。私が住む新潟県でも配布されてはいるが、まだまだ認知度が低い印象がある。あるとき、私のヘルプマークを見た友人が、「これは何?」と尋ねてきた。彼女は帰郷してから知り合った人で、発達障害つながりではない。子ども同士が仲良しだったことからつながった、いわゆるママ友だ。私がヘルプマークの概要を簡単に説明して、「私はてんかん発作を起こしたり、発達障害からくる感覚過敏があって、パニック発作を起こす可能性があるんだ。だからそうしたときに適切な対応をお願いできるように、このマークを付けているんだ」と話した。すると彼女は「そうなのかー。てんかんのことも発達障害のことも私はよく分からないけど、手伝えることがあったら教えてね!」と微笑んでくれたのだ。(そう…!これ!これなんだよ!こういう対応が嬉しいの…!)感激屋の私はむせび泣きそうになるのをぐっとこらえて、「うん、ありがとう!お願いするね!」と返した。差別されたくないのはもちろんのこと、同情が欲しいわけでも、特別扱いされたいわけでもない。いつでも誰に対しても助けを乞うつもりはないし、自分ができる範囲内なら、ほかの誰かが困っているときにはサポートだってしたい――私が知る限りではあるが、多くの障害当事者はそう願っている。障害を感じにくい人たちもそうであるように、障害当事者にも純粋な人もいれば卑劣な人もいる。障害を理由に差別されていることを逆手に取ってひらりとかわす、狡猾でありながらもどこかキュートな友人の話もいずれ紹介したいが、それは一旦横に置く。とにかく「障害」というのはその人に関する事実ではあるが、人格そのものではない。「実は発達障害で」「ふーん、そうなんだね」ぐらいの扱いになってほしいと願うのは、傲慢なのだろうか。重要なのはラベルではなく中身。「障害」という言葉のイメージを変えたい私が考えた、あえての遠回りさて、息子の話に戻る。「障害って言ってはいけないのなら、これからどういう風に説明したらいいんだろう…というか、障害は悪いことじゃないんでしょ?なのに…」まだ「解せぬ。世の誤ったイメージのためになぜ自分が厄介なことを考えなくてはならぬのだ」という思いがにじみ出る表情の息子に、私は代替案を伝えた。「最初に障害って言葉を言わないでさ」「え⁉言ってることが矛盾してる!!」「分かってるよ。でも、誤解されるなら最初は避けた方がいいんじゃない?で、今回は特別支援学級を利用している理由を伝えたいわけだよね。だから、例えば“チョークで黒板に書く音で耳が痛くなったり、たくさんの人のひそひそ声で先生の話に注意を向けにくくなって、授業を受けることに障害を感じてしまうから”とか、困っていることの具体的な内容と、“障害というのは、困っていることという意味なんだ”と受け止めやすい言葉で伝えたらいいんじゃないかなあ?」幸い、クラスメイトたちは息子の特性を、なんとなくかもしれないが理解してくれているようなので、これで十分に伝わるだろう。「そのときになったら、そんな説明できるかな…」「じゃあ、“通常学級で授業を受けていると、困ったこと、障害がいろいろ出てくる”とかはどう?そこで質問してもらえたら具体的に言えばいいし、ふーんで終わればそれはそれでいいと私は思うが、どうかな?でも、障害っていう言葉を使う必要はないかなと私は思うよ。伝えたいのは障害の中身であって、障害という単語じゃないんだから」私の提案を受け、息子はまだ納得できていない様子だったが、少し考えてから「そうか…そういうことが障害なんだって後から分かってもらえたらいいのかもな…」と、誰に向けるでもなく、つぶやいていた。「障害」という言葉に付きまとう悪いイメージをなくしたい私が「障害」という言葉を避けるような表現を選ぶのは、息子が申すように矛盾も甚だしく、本末転倒とも言える。しかし、障害を明かさなければならない場面において重要なのは、「障害」というラベル以上に、「なぜそうしたラベルを持たざるを得ないのか」という理由、ラベルを示す人それぞれの困難の詳細についてというケースが多いように私は感じている。ならばそちらを優先させて、追々「障害」という言葉との紐づけを行う方が、遠回りのようだが、実は効率良くイメージの変化へとつなげられる道なのではなかろうか。その前に、発達障害については誤解をなくすことや、地域による情報格差など、片づけるべきさまざまな問題があるのだが…。「障害」という言葉のイメージが変わり、障害のある人たちへの偏見がなくなることに従って、人と社会の間のずれも消えていき、あらゆる人が助けを求めやすい世の中になる――なんて、現状では夢物語だ。しかし、そのような未来が訪れることを、私は願っている。そのためにも私はもっともっと学びたいと思っているし、感覚のアップデートも忘れたくない。
2020年03月08日自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。4話目、 発達テストの結果…?!4歳前の時点で、あーはハサミもお箸も使えませんでした。その代わり(になるのかならないのか)ひらがなとカタカナは全部読めました。 上に挙げたのは一例ですが、保健師さんに発育テストをしてもらったところ、とにかく発達の偏りが激しいという結果に。その後、療育施設探しに奔走し、あーは療育へ通うことになりました。 療育初日、目からポロポロ目からうろこどころか、生魚くらいピチっと出てきそうな感じでしたYO!!!あのあーを飼い慣らして、「楽しかった!」の一言を引き出すなんて、療育にはどんな魔法使いがいるんだろう……!?と単純に疑問でした(笑)。 療育に1年通った効果 療育の効果は、1年やそこらで出るものではないというのはなんとなく感じていたので、子どもへの明らかな効果というお話ではなく、親への効果はてきめんでした。 「あーはこんな風に感じているんだ」とか「ここはわかっている」「ここは苦手分野」「このような働きかけならわかってくれる」など、あーと接するなかでじっくり一緒に考えてくれる施設の方が、いるのといないのじゃ天国と地獄!! 今でも大人げなく叱ってしまうことはままあるけれど、「うちの子、自閉症かも?」って悩んで葛藤していた時代と比べれば、ずいぶん穏やかにあーに接することができている気がします。 ようやく、「自閉症スペクトラム」と向き合える環境が整って、スタートラインに立てたなあという感じです!よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ✿❀ベビカレ秋のマンガ祭り❀✿大好評のマンガ記事を増量してお届けする期間限定“マンガ祭り”開催中! 人気レギュラー連載10作品に加え、新たにゲスト連載8作品が登場♪ 育児や家事、仕事などの合間の息抜きタイムにどうぞ♡ 著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2019年11月17日自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。3話目、3歳半健診で発達相談を案内されたあとのお話です。 3歳半健診、その結果は…?!この3歳半健診のとき、座っていることができず走りまわり、踊り狂い、床に寝転ぶ息子。一方、周りの静かな子どもたち……。 あれ、うちの子、やっぱり普通と違うかも? あーが自閉症だという診断を受けることが怖くて怖くて、「じゃない」情報ばかり気にしていたように思っています。発達障害にありがちな ●電車の時刻表とか種類をたくさん覚えている⇒ 違った! よかった!(でもキャラクター図鑑大好き、キャラ全部覚えてる) ●言葉が出ない ⇒ 言葉は出てる! よかった!(でも全部独り言) ●運動が不得意な子が多い ⇒ 運動は得意! よかった!(でも手先は不器用) ●おむつが取れない子が多い ⇒ 取れてる! よかった!(取れてるだけで、たびたび漏らしている) などなど。なんか書き出すと、私ってどれだけチキンな母親なんだろう……(涙)。 発達相談▶保健師相談 市の発達相談が受けられるのは、なんと3カ月待ち! 期待しすぎたのが悪かったのかもしれませんが、市の発達相談はテストなどをするわけでもなく、病院に紹介状書いて終わり。とてもあっさりしたものに感じました。 児童精神科…そんなに待つの? いろんな友だちに聞いてみたところ、自治体によってかなり違うみたいですが、うちは8月に児童精神科へ電話をしたら、12月に予約を取り直すように言われ、「早期療育とは!?!?!?」となりました。 当時第二子を妊娠中で、12月には出産も控えており、バタバタすることは容易に想像がつく……。どうなる……!? わが家に救世主、現る!はい、救世主登場!私はここまで、あーの育児の悩みを相談できる専門の方に巡り会うことができていなくて、とにかくあーについて専門家の方と話してみたかったんです。 あーのこんなところはどうなのか、あんなところは何なのか、こんなところに困ってます……と。夫婦2人で話していてもどん底へ落ちて行くだけな気がして。 だから、救世主様の登場に、どれだけ救われたかわからないっ……!!! よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2019年11月15日