「家に児相がやってきた」第9話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。ゆーとぴあさんの家に、児童職員さん2人と、相談員さんが家庭訪問にきました。2回目となる今回は義父も同席。次男くんが家を出て行ってしまったときの対応を聞かれると、「そんなのひっぱたくよ」と、義父から衝撃の発言が!心の中で驚き、焦るゆーとぴあさんでしたが……? 家に児相がやってきた 第9話 “ひっぱたく”発言により、相談員さんや児相職員さんがあっけにとられていると……「あんまり今の時代叩くとか言っちゃいけないんだっけ」と自分でフォローする義父。 しかし、「でも、ダメなものはダメってちゃんと教えないと命の方が大事だからね、そんなしょっちゅう叩いてるわけじゃないし」と、堂々と自分の教育方針を話す義父。 それを聞いたゆーとぴあさんは、1年前の出来事を思い出します。 ゆーとぴあさんの言葉を聞かず、踏切へ一直線に走る次男くん。 「危ない!」ペン! 次男くんは泣きながら、ようやく立ち止まってくれました。「ダメだよ!電車が来てるのに踏み切りを触ったら!」と叱るゆーとぴあさん。 しかし、そのあとは強烈に罪悪感が襲ってきて……「叩いちゃった。私ってダメな母親」 「命の危険があったとはいえ、叩いても伝わってないだろうし……」「どう多動を抑えればいいの?」 モヤモヤした気持ちを抱えているときに虐待防止のポスターを見て、「これって虐待なの?」「相談したらどうなるの?」「誰か助けて……」 そんな過去がありました。 義父の考え方に賛同しているわけではないものの、ブレずにハッキリ言う姿勢に感動したゆーとぴあさん。 一時保護になることが怖くて、自分の本当の悩みを言えていなかったと前回の家庭訪問を振り返り、児相職員さんのことも誤解していた……と反省しました。 次回、家庭訪問終了! 義父との関係性にも変化が…!? 著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月23日「家に児相がやってきた」第8話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。児童相談所の職員さんによる2回目の家庭訪問当日。義父から、家庭訪問で何を聞かれるのか問われたため、ゆーとぴあさんが「次男が出てしまうときの対応の仕方を聞かれると思う」と答えると、「そんなの、“ちゃんと見てる”しかないと思うけど」と返事が。 前回の家庭訪問時に、「義父は次男を見てくれない」などと答えてしまい、余計なことを言ってしまったと後悔するゆーとぴあさんでしたが…… 家に児相がやってきた 第8話※出ってて→出てって児相職員さん2人と、相談員さんが家庭訪問にきました。他愛のない会話をした後、「じゃあそろそろお義父さんを……」と言われ、ゆーとぴあさんは義父を呼びに行きます。 義父は「あいよ」と軽く返事をして、児相職員さんに挨拶をするとすぐに「で、用件は何ですか?」と直球で質問。 「次男くんが出てってしまったときの、お義父さんの対応を聞きたくて……」と、ゆーとぴあさんが想定していた通りの質問がきました。 すると義父は……「そんなのとっさに家出てっちゃったらひっぱたくよ」と、まさかの衝撃発言が! 「ちょっ!えー!忖度ー!」と心の中で驚き、焦るゆーとぴあさん。 義父同席の家庭訪問が波乱の幕開けとなりました! 次回、あ然とする一同に語る、義父の一貫した教育方針とは!? ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月21日「家に児相がやってきた」第7話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。児童相談所の2回目の家庭訪問に、相談員さんも同席することになりました。「次回はお義父さんも一緒に」と児童相談所の職員さんに言われていたため、パパに相談すると、「親父はお前よりも次男のことを見てる!」など、ゆーとぴあさんが強く責め立てられてしまいました。「一応予定を聞いてみる」とは言われたのですが、果たして義父は2回目の家庭訪問に同席してくれるのでしょうか? 家に児相がやってきた 第7話 児童職員さんによる、2回目の家庭訪問当日。義父から「息子から聞いたけど、今日の児相の要件って何なの?」と質問されました。ゆーとぴあさんが「次男が出てっちゃうとき、どう対応してるか、だと思う」と答えると……「そんなの、“ちゃんと見てる”しかないと思うけど」という義父。 ゆーとぴあさんはその言葉を聞いて、前回の家庭訪問時に義父について、「長男なら見てくれるけど、多動症の次男は見てくれなくて見てくれても叩かれることもあってあまり頼みません」と回答したことを思い出します。 「私が児相に余計なこと(義父は次男を見てくれないなど)を言っちゃったからこうなったんだ! いらんこと言わなきゃよかった」と、素直に答えたことを後悔するゆーとぴあさんなのでした。 次回、児相職員2回目の訪問! 忖度ない義父の発言に一同衝撃!? 著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月20日「家に児相がやってきた」第6話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。児童相談所の職員さんから、子育てで困っていることを執拗に聞かれ、疲弊してしまったゆーとぴあさん。やっと帰ってくれたのですが、「次回は義父も一緒に」という課題が残されて…… 家に児相がやってきた 第6話 児童相談所からの家庭訪問の一件から数日後。相談員さんから、児相の件で電話がかかってきました。「次回は僕も一緒に行きますのでお願いします。ところで、お義父さんに児相のことは話しましたか?」と、家庭訪問の日時を決めるために相談員さんから問われました。 まだ話していないことを告げると、「旦那さんに聞いてもらうのは?」と提案されたため、それに従うことに。 「児相がお義父さんと話したいから、空いてるか聞いといて」というゆーとぴあさんに対し、「なんで親父?」と質問するパパ。 「多分、行方不明になったときにちゃんと見ていたか、聞きたいんだ思う」と返答すると…… 「親父はお前よりも次男のことを見てる!」「お前の方がちゃんと見てないからだろ!」「親父のせいにすんなよ!」と、ゆーとぴあさんを強く責め立てるパパ。 「……うん。……そうだけど……」とゆーとぴあさんが力なく返事をすると、 「一応……予定聞いてみる」と言ってパパは部屋を出てしまいました。果たして義父は次回の家庭訪問に同席するのでしょうか……? 次回、2回目の家庭訪問当日! 児相に話したことを思い出して後悔! ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月18日美容業を行う合同会社MFS(所在地:愛知県名古屋市、代表社員:細川 晃浩)は、訪問型美容サービスを、冬休みの12月27日(月)13時から障害児親子が美容を共に体験できるイベントを実施します。「障害児親子 美容体験型イベント」インスタグラム:@mfs.llc■障害児親子 美容体験型イベントへの需要訪問型美容サービスは2016年4月からの美容師法の規制緩和から、サービス対象者が広がり需要も増加傾向にあります。しかし、サービスを必要としている方にまだ知られていないのも現状です。そこで今回、訪問型美容サービス事業者がチームとなり親子でサービスを体験することで、周知促進するきっかけに繋げたいと考えています。123■イベントの特徴障害をお持ちでもお洒落を楽しんだり、色々な事や体験をすることは必要な事です。『可愛い』『楽しい』『嬉しい』などの感情は刺激を与えます。当社の訪問美容サービスで、上記のような感情や刺激を親子で体験して頂き、ご家庭でもできるような提案をいたします。*ヘアアレンジレクテャーご家庭でお子様にやってあげれるようなヘアアレンジなどを提案。*リラクゼーション日頃の介助で時間が取れないお母さんに、マッサージサービスを体験していただきます。*写真撮影笑顔の親子写真で思い出に残して頂きます。■イベント概要参加資格 :名古屋市内にお住まい。10歳までの障害をお持ちの親子。募集要項 :先着3組お申込方法:インスタグラム @mfs.llc からDMお申込下さい。受付担当者:細川 晃浩募集期間 :2021年11月末日まで開催日時 :2021年12月27日(月)13時受付開始13時30分~15時30分開催場所 :当社訪問美容事業所〒461-0022 名古屋市東区東大曽根1610-2 東亜ビル2階■会社概要商号 : 合同会社MFS代表者 : 代表社員 細川 晃浩所在地 : 〒463-0096 愛知県名古屋市守山区森宮町241設立 : 2021年8月事業内容: 美容業、理容業・美容材料、美容機器及び健康器具の製造、開発、販売及び輸出業・美容、理容に関する技術指導、訓練及び経営指導・各種コンサルティング業・通販販売業・各種イベント業・人材支援及び事業育成・広告業及び広告代理店業・古物営業法の基づく古物営業及び古物競りあっせん業・インターネットによる広告業務・人材支援及び事業育成・ウェブサイト、ウェブコンテンツ、その他インターネットを利用した各種サービス等の企画、制作、販売、配信、運営及び管理・前各号に付帯関連する一切の業務資本金 : 100万円URL : 【本件に関するお客様からのお問い合わせ先】合同会社MFS お客様相談窓口TEL : 052-228-8245メールアドレス : mfs.llc.0802@gmail.com 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月17日「家に児相がやってきた」第5話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。次男くんへ質問する児童相談所の職員さんの目は、髪の状態や、あざや怪我はないかなどをチェックしているようでした。他害の有無を問われ、ないことを伝えると、「そうですか。きっと大切に育てられてるんですね」と、職員さんからは思いもよらない返事が……。大切に育てている自信はないけれど、素直にそう伝えてしまったら、一時保護になる? 今回の家庭訪問や質問の回答で、虐待があるか判断されているのでは?と不安になり、ゆーとぴあさんは良いママを演じることしかできなくなってしまい…… 家に児相がやってきた 第5話 「何か子育てで困っていることは……」と聞かれ、「多動がひどかったけれど、薬を飲むようになってからは落ち着いたので……」と現状を伝えるゆーとぴあさん。 職員さんはまた「他に何か困っていることは……」と聞いてきたため、ゆーとぴあさんは「エレベーターなどを見ると乗りたくなってしまうため、止めるのが大変」と答えました。 しかし、ゆーとぴあさんの回答内容よりもほしい答えがあるのか、「他には何かありますか?」と職員さんはさらにゆーとぴあさんを追求。「支援級か支援学校か悩んでいて……」と答えるも、「それは園や相談員さんに聞いてください」と、さらりと交わされてしまします。 もう終わったかと思いきや、まだ「あとは何か……」と質問してくる職員さん。他にどんな困りごとを言って欲しいのだろう……と不安になりながらも、「これくらいですかね……」とゆーとぴあさんが答えると、やっと質問から解放して、帰ってくれました。 次回、児相のことをパパに相談! ……返ってきた言葉に絶句! 著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月16日「家に児相がやってきた」第4話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。児童相談所の職員さんから義父に関する質問が続き、ついには家庭訪問中の家に義父がいないことを聞かれました。「散歩でも行ったんじゃないですかね!」と答えたゆーとぴあさんでしたが、本当は来客を伝えると義父は外出してしまっていたのです。「次回はお義父さんの予定も聞いて一緒に家庭訪問を……」と、2回目の家庭訪問を約束されました。 しかし、これで終わりかと思いきや、まだまだ家庭訪問が続き…… 家に児相がやってきた 第4話 児相の職員さんは、次男くんへ年齢を質問。 しかし、向けられたその視線は純粋に次男くんを見ておらず、髪の毛が伸びきっていないか、あざや怪我はないかなどをチェックしているようでした。 相談員さんの質問はゆーとぴあさんに戻り、「他の子を叩きませんか?」と問われました。「ないです。マイペースであまり他の子に興味がないので」と、ゆーとぴあさんが答えると…… 「そうですか。きっと大切に育てられてるんですね」と思いもよらない返事が返ってきました。この言葉にドキッとするゆーとぴあさん。「私、そんなに大切に育ててる自信ない」 さらに、「他害がないから大切に育ててる?じゃあ他害がある子は大切に育ててないってこと?」と、職員さんの言葉に違和感を覚えました。 そして、今回の家庭訪問や質問の回答で虐待があるか判断されているのか?と不安になったゆーとぴあさん。 もし、「大切に育ててる自信ないです」と言ったら質問攻めされて、一時保護になるのでは……と最悪の状況を予想してしまいます。 その結果、家庭訪問中は良いママを演じることしかできなくなってしまいました。 次回、「他には……」「あとは何か…」職員さんはどんな回答を求めているの!? ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月15日「家に児相がやってきた」第3話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。ゆーとぴあさんの家に、児童相談所から2人の職員さんがやって来ました。 職員さんは、次男くんが行方不明になったときのことや、家族構成などを根掘り葉掘り質問攻めしてきます。 そして、義父が(次男くんが行方不明になったとき)家に居たことがわかり、見ていてもらえるよう頼まなかったことを詰めてきました。さらには「あんまりお義父さんとは仲良くない感じですか?」と、ど直球の質問を投げてきて……!? 家に児相がやってきた 第3話 義父との仲を聞かれ、「そんなに話さないですね」と答えるゆーとぴあさん。 そのあとも義父関連の質問が続き、その日の義父の不在がわかると、「あれ? 仕事してないって言ってましたよね? どこに行かれたんですか?」と、質問が! 「散歩でも行ったんじゃないですかね!」と、動揺しながら答えるゆーとぴあさん。実は、義父に来客があることを伝えると出て行ってしまったのですが、それは言えませんでした。 すると、「お義父さんも含めて家庭訪問してもよろしいでしょうか? お義父さんの意見も聞きたいので」と、児相の職員さんから2回目の家庭訪問の申し出が! 次回は確実に出席してもらえるよう「お義父さんの予定も聞いて……」と言われてしまいました。 しかし、これで終わりかと思いきや、まだまだ尋問が続き……!? 次回、「きっと大切に育てられてるんですね!」職員の言葉に疑問が…… ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月14日「家に児相がやってきた」第2話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。突然かかってきた児童相談所からの電話は、「警察から次男くんが行方不明になったことを聞き、家庭訪問をしたい」という内容でした。 次男くんについて相談員さんと話していたとき、「このまま次男くんが逃走を続けていると、最悪の場合、一緒に住めなくなるかもしれません」と言われていたゆーとぴあさん。この日ついに児童相談所から職員さんがやってきて……! 家に児相がやってきた 第2話 児童相談所から2人の職員さんが、ゆーとぴあさんの家にやって来ました。 職員さんは、「どのような経緯で行方不明になったんですか?」「家族構成は?」「お義父さんは仕事をしていますか?」などガンガン質問してきます。 「(行方不明になった)そのときは家に居ましたか?」これに対し、「居ました」と答えると、「じゃあ何でそのとき一言“少し見てて”って言わなかったんですか?」と質問が。 「長男なら見てくれるけど、多動症の次男は見てくれなくて見てくれても叩かれることもあって、あまり頼みません」と、ゆーとぴあさんは正直に話しました。 職員さんたちがアイコンタクトをしたかと思うと……「あんまりお義父さんとは仲良くない感じですか?」 ど直球の質問に、ゆーとぴあさんは不意を突かれて!? 次回、義父に関する質問に、あたふたしながら返答! その結果……!? 著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月13日「家に児相がやってきた」第1話。仙尾部奇形腫の長男くん、発達障害児の次男くんを育てるゆーとぴあさん。今回は、児童相談所の職員が家に来たときのエピソードをマンガ化!短期連載にてご紹介していきます。仙尾部奇形腫の小学2年生の長男くん、注意欠陥多動性障害を持つ年長の次男くんの兄弟を育てるゆーとぴあさん。 以前、ゆーとぴあさんが療育園へ行く声がけをした後、次男くんが行方不明になり、警察に連絡したことがありました。 結果として、そのときは療育園の園長先生が次男くんを発見し、ことなきを得ました。しかし、そのときのことがキッカケで、家に児童相談所から電話がかかってきて…… 家に児相がやってきた 第1話 7月のある日。児童相談所から突然ゆーとぴあさんの家に電話がかかってきました。「警察から連絡があって、2回行方不明になったのを聞いて……」「家庭訪問をしたいのですが、空いている日と時間はありますか?」 児童相談所から家庭訪問の申し出が! 以前、相談員さんと次男くんについて話していたとき、「このまま次男くんが逃走を続けていると、最悪の場合……」「一緒に住めなくなるかもしれません」 「一時保護で施設に入れられちゃうのはかわいそうなので、そうならないように頑張りましょう!」そう言われていたので、児相からの電話も落ち着いて受けることができたゆーとぴあさんなのでした。 次回、ついに児相がわが家に! ニコニコしながらグイグイ質問攻めされて!? 著者:イラストレーター ゆーとぴあ
2021年11月11日発達障害のある子どもの障害受容についてUpload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 、ADHD)・長女(年長 、定型発達)・三男(年中、定型発達)次男はADHDがあり、通常学級に在籍していますスガカズ(以下、――)発達障害のある子どもの障害受容について相談したいです。わが家の次男はADHDがあり、通常学級に在籍しています。次男の3歳上の長男(ASD、ADHD)には小4のときに私が本人に障害告知をして、小5のときに他者(クラスメイト)に自分の障害について知ってもらう機会がありました。そのときには、クラスメイトに自然と受け入れてもらえたのですが、次男の場合は同じように受け入れてもらえるのか不安な部分があります。「次男ももう小5だし、障害告知をする時期が近づいているのかも…」と思ってはいるのですが、次男は他者の感情に敏感だったり、自己肯定感が低いところがあるので、自分の障害に対してネガティブに受け止めてしまうのではないかという懸念があります。また、友達とケンカをすることもあるので、「発達障害がある次男」を周りに受け入れてもらえるのだろうか?といった漠然とした不安があります。本人に障害告知をする前に親である私からできることはあるでしょうか?三木先生:次男くんは周りの子とどんな関係をもっていますか?Upload By スガカズーー毎年クラスに何人か仲良くしてくれるお友達がいるようです。低学年のころはうまくいかないことが起こると癇癪を起こすこともあったのですが、本人なりにクールダウンしたり折り合いをつけたりと努力している姿が見られますし、先生からもそのようにうかがっています。仮に友達と口論になったとしても、時間をおいて自分から謝る面も見られます。友達がいるのはよいのですが、一方で大人しいタイプの子からこわいと思われている面がありそうです。「クラスの女子が(仮にAさんとします)、オレのことこわがっているかも知れない。この前ちょっとぶつかったときに、Aさんは悪くないのに『ごめんなさい』って謝ってきたんだ。その子に昔なにかした訳じゃないんだけど。」と次男が言っていました。三木先生:なるほど。キャラが立っているほうが敵味方がハッキリしやすいですが、そういったタイプなんでしょうかね。ーーそうですね。敵味方がはっきりしているタイプだとは思います。周りのお友達も、次男が自分からいじわるするタイプではないと理解してくれているようなのですが、次男を苦手な子も一定数いるだろうと思っています。私からは、次男に「周りに優しく接したら女の子にもモテるんじゃない?」「どうしても言い合いになってしまった場合は、ライオンさんの声(大きい声)は出さないでね」とは言ってはいるんですが、まだ行動に落とし込むのは難しそうです。なので発達障害があると周りが知ったときに、「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思われるかも知れないなと…。「障害があるからしょうがない」と周りが思うのは、あながち間違いではない…?三木先生:障害受容って、「受容」に「障害」って名前がつくととたんに難しい問題になるんですよね。「障害があるからしょうがないね」っていうのはちょっと違うと思っていて…。「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思う気持ちを否定したり、だからと言って「障害があるんだからしょうがないよ」と「気持ちのついていかない受容」を強制するのも逆に差別になってしまいますよね。ーーそうですね。他者の気持ちを強制するつもりはありません。トラブルが起こったとしても次男が障害のせいにするのは避けたいと思います。ただ、過去に「しょうがないね」と思うことで解決した経験がありまして…。Upload By スガカズUpload By スガカズーー次男が小4のときに公園に1人で遊びに行った日がありました。しばらくして私が迎えにいくと次男がその日初めてあった男の子(仮にBくんとします)とケンカをしていました。きっかけは水鉄砲を次男だけ貸してもらえなかったという、子ども同士でよくありそうな理由だったのですが、Bくんとのやりとりを見たときに、次男と似ている発言も見受けられたため、「もしかすると次男と同じように、情緒に課題のあるお子さんかも知れない」と感じました。そのときBくんのことを知っている子が近寄ってきて「Bくんは〇〇小学校の特別支援学級に通っている子だよ」と教えてくれたんです。そのあと、次男とBくんは無事に仲直りしたのですが、家に帰ってきたときに次男は、「特別支援学級に通っている子だって分かったから、次会って同じような態度をとられても怒らないし、仲良くする」と言って納得しているようでした。これって事実(Bくんが特別支援学級に在籍していること)を知らないままだと、次男にとっていじわるな子で終わってしまったと思うんです。三木先生:確かにその時期(学童期)の子どもには「障害」という名前がついているほうが分かりやすいこともありますね。次男くんが納得したように、直感的に「そういうものだからそうしましょう」という考えで、世の中が平和になるわけですし、悪くはないと思います。ただ、それが当事者が開き直る場合だととたんに周りと仲良くできなくなってしまいますから、次男くんが自身の発達障害に対して、「しょうがないでしょ」とならないように保護者のほうで働きかけることは大事ですね。当事者も周りの人も、考えはその人によるし親が強制できるものではないし、強制するべきではないと思うので采配は難しいところですが。「周りに受容してもらう」ではなく、「自分の属性を理解して仲間を作る」Upload By スガカズ三木先生:次男くんのよいところは、「受容してもらえるであろう仲間」が何人かいることです。そこを掘り下げて、「周りは次男くんのどんな能力や人柄を気に入って仲間になっているのか」 「どうすれば理解・評価の幅を広げられるのか」を教えてあげるといいと思います。それによって「周囲の理解やサポート」という間接的なリソースをさらに獲得できるわけで、障害があろうとなかろうと受容してもらいやすい結果につながると思います。次男くんだけでなく外的要因もありますよね。おそらく今までのクラス編成がよかったり担任の先生に恵まれたり、あるいは家庭側でやってきた関わりの結果、彼の味方をしてくれる人たちを失わずに済んだこともあると思うので、今までの学校生活を振り返ってみましょう。ーー次男との話し合いで過去の物事を振り返るとき、「いい友達がいてよかったね。先生は次男のことよく理解してくれているね」といった結論に至ることはよくあります。ただ、先ほど言った大人しいお子さん(Aさん)の話なんかは、「自分は嫌われているかも」というネガティブな情報があるので、考えることは嫌みたいです。Upload By スガカズ三木先生:Aさんとの関係性は、本人が歩み寄れる努力をしたいと思っている問題なら、Aさんに直接「何がそんなに恐いの?」と聞くことも解決策の一つですね。例えばAさんが率直に「怒り方が恐くて」と理由を言ってくれたなら、共通理解ができます。その上で、次男くんが歩みよろうと思うのなら、学校や家庭、あるいは本人自身が「どうするべきか」考える機会ができます。あるいは、「分かってはいるけどできない(怒り方を変えられない)」という段階かもしれません。そうすると別の問題を解決する必要があります。「できない自分に対してどうすべきか?」という問題です。Aさんが「学校に行きたくなくなるほどの問題」なら解決すべき問題ですが、相手にそこまで迷惑でもなく「ちょっと嫌だな」くらいなのであれば、受け入れてもらうことを諦めて距離を取るのも一つの方法です。「あなたも苦手な子はいるでしょ?」「全ての人に受け入れられることは難しい」と教えてあげる、でいいと思います。ーーなるほど…。私は親なので「できるだけ仲間を増やしてほしいな」とどうしても思ってしまいますし、「障害のある次男を受け入れてもらえるにはどうしたらいいんだろう?」と漠然とした心配がありましたが、三木先生に言語化してもらえたことで情報がクリアになりました。Aさんとのことも、現在はクラスが違うので話す機会はほとんどないため、現時点で大きな問題ではなっていないようなのですが、同じような状況が今後発生したときの参考になりました。三木先生:人と共存する中で一番大変なのは小中学校の時期なんじゃないでしょうか。ただ、同じ地域に住んでいるだけなのに否応なく同じ教室に集められ、集団で生活させる訳ですから。大人になればなるほど属性が絞り込まれていくのでだんだん暮らしやすくなっていくはず。良くも悪くも、この先こんなに幅広く人と付き合う環境はなかなかないと思います。無理にその環境に合わせる必要はないですが、本人の意思と次男くんに合った環境整備をしつつその場、その場で寄り添ってあげれば次男くんも少しずつ成長していくんだと思いますよ。感想次男自身が自分の障害を前向きにとらえていけるように、障害告知するタイミングを大事にしたいと思っています。「障害」は三木先生がおっしゃるように、他者の考えを強制できるものではないと思うので学校など外の世界でどんなやりとりが行われるのか親は予想できません。「自分の属性を理解して仲間をつくる」ことをよく考えて寄り添っていき、次男自身がもう少し他者への理解も進む段階(おそらく小6あたり)で障害告知したほうがよさそうだなと感じました。執筆/スガカズ
2021年10月11日全品200円!安くて旨い居酒屋、実は…Upload By 桑山 知之名古屋市千種区にある歓楽街・今池。ディープスポットとして知られる町で、今年2月、明山さんは居酒屋「せんべろ元気」をオープンさせた。冷奴や枝豆といった定番メニューから、油淋鶏や唐揚げ、串カツといった本格料理まで、すべて200円という破格で提供している。もちろん、生ビールやハイボールなどの酒類も200円。「安くて旨い」と評判は上々だ。Upload By 桑山 知之それもそのはず。メニューは値段こそ安いが、同級生が経営する製麺所や食品会社、岐阜県海津市の有名串カツ店などから取り寄せた一級品を提供している。「まともにやったら回らない」。今池で生まれ育った明山さんの人脈があってこその価格設定である。飲み屋街の一角で、ありそうでなかった「昼から飲める」「安くて旨い」店。呑兵衛ならだれもがふらりと入りたくなる。実は、就労継続支援B型の事業所だ。義理ではダメ「福祉に甘えない」場所に明山さんには全盲の祖父がいた。鍼やマッサージの仕事で自立もしていたが、一歩外に一緒に出れば、周りからかわいそうな目で見られることが多かった。子どもながらに社会の偏見に対し、常に違和感を覚えていたことが、障害者福祉の世界に飛び込んだきっかけだった。2002年に福祉の専門学校を卒業後、愛知県内の社会福祉法人に就職し、4年ほど勤務した。2006年に子どもの放課後等デイサービスを運営する「ぜによ」に入社し、2019年4月からは代表を務めている。「児童デイサービス元気」の名称で3カ所のデイサービスを運営しながら、明山さんが重視している「自立のための教育」の一環として何かできないか模索し続けてきた。Upload By 桑山 知之「障害があろうとなかろうと、ちゃんと同じラインに立ったうえでやらなければいけないんじゃないかなと。福祉だからお店来てくれって、お店をやる以上は違うと思うんです」(明山さん)社会福祉法人に勤めていた際、作業所の利用者が山で切ってきた木を使って椅子や机を作っても、結局は安いものしか買ってもらえなかった。言わば「情け」でというのがほとんどだった。「福祉に甘えてはいけない」という思いが沸々と沸き上がった。Upload By 桑山 知之デイの先輩が働く姿が刺激に居酒屋「せんべろ元気」は新型コロナウイルスの影響を受け、営業時間や酒類の提供など不安定な要素もあるが、オープンから約半年が経ちじわじわと地元住民らから支持を集めている。店には現在、2人が働いている。そのうちの1人は、知的障害がある男性(20)。放課後等デイサービスに通っていた小学2年のころから彼が口にしていた「いつかラーメン屋で働きたい」という夢に向け、この店で修行中だ。Upload By 桑山 知之「今まで一緒にデイサービスで遊んでいた先輩がこうやって一生懸命働いているのは、めちゃくちゃ刺激になるんです。金銭教育、お金の使い方も学んで、働くとどうやってお金がもらえるのかという見本が目の前にある。毎年秋に施設で『ショップ元気』という、作ってきた製品を利用者が自ら販売の擬似体験をするイベントがあるんですけど、その進化版をやっているんです」(明山さん)就労継続支援B型とは、障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練をおこなうことが可能な福祉サービスのことを言います。作業の対価である「工賃」をもらいながら、 障害や体調にあわせて自分のペースで働くことができます。参考:就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します | 仕事ナビかわいそうだから、頑張っているからといった“義理”ではいけない。福祉に甘えず、本当にその子が働ける姿を見てもらう。明山さんは、就労の場として接客などの経験を積ませながら、飲食業をはじめとするサービス業の関係者を招き、子どもたちの就職も後押ししていきたいと考えている。Upload By 桑山 知之「同居していた祖父は、鍼灸師として自立していたんです。福祉だからお客さんが来ていたわけではなくて、きっと人一倍の努力をしてお客さんを掴んでいたというか。だから、福祉というフィルターを通さずに社会で通用する人材を輩出していきたいですし、福祉と社会の垣根を取っ払っていくことが僕の使命です」(明山さん)取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)就労継続支援B型で地域で飲食店をされる場合、地域の方や同業者の理解や協力を得ることに対しては目に見えないご努力があったのかと思います。体調面から、夕方から夜にかけての方が働きやすいという方もいらっしゃることから、選択肢の広げ方としてはユニークな試みだと思います。地域の人たちの交流の場、生きづらさのある方同士の交流の場になっていくといいですね。出張の際にはぜひ行かせていただきたいです。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
2021年09月30日きょうだい児の私の経験私の7歳上の兄には重度の自閉症と知的障害があります。物心ついたときから共同生活を送っていたので、私にとって障害のある人は当たり前の存在として受け入れていました。Upload By スガカズ兄に話しかけるときは、質問するときや依頼するときが大半なのですが、兄は私が言った内容と同じ言葉を繰り返すなどはできますが、自分の考えを言語化して相手に伝えることはできません。ですが私は、ずっと一緒に暮らしていることもあり、オウム返しだけで、兄の気持ちをくみ取ることはできました。会話はできなくても相手の特性を理解すれば、コミュニケーションを図れるということを、自然と学んでいたのでしょう。兄は他害はなく、いつも自分の世界で遊んでいるようでした。独り言は頻繁にあったし、時折自分の頭を軽く叩いたりすることはありましたが、いつもニコニコと楽しそうに笑っていたのが印象的です。当時はまだ「障害者差別解消法」自体がない時代で、障害のある人への世間の風あたりは今よりも強かった記憶があります。Upload By スガカズ兄と一緒にいて厳しい言葉や距離をおかれることも…。きょうだい児目線で経験したこと家族で喫茶店に入った日のことです。兄は目を離すとすぐいなくなるため、家族で外食をするのは年に数えるほどでした。久しぶりの外食で、私はとてもうれしかったのを覚えています。ですが、そのあとすぐ悲しい気もちになりました。私たちが店に入るやいなや、店員さんは兄の存在に気がつき、様子をうかがい始めました。初めての場所で不安になりやすい兄は、席を立ったり同じ言葉を繰り返していました。その様子を見て、私たち家族をにらんで、「黙らせてください」「もう帰ってください」と言いました。店内にはほかにお客さんがいなかったこともあり、兄に落ち着きがない様子があっても安心していたのですが、店員さんの言葉に「何もトラブルは起こしていないのに…」と、複雑な気持ちになりました。外を歩けば兄のことを、上から下までじろじろ見てくる大人もいたり、近くにいた人から距離を置かれたりもしました。幼いとき私は、そのことに気がつきませんでしたが、小学校低学年くらいになると距離を置かれているとハッキリ理解できるようになりました。Upload By スガカズその後私は成人し、仕事のため上京。結婚、出産を経て現在兄とは全く別の人生を歩んでいます。子どもが通っている保育園の近くに福祉園があり、障害のあるお子さんや大人の方を見る機会が多いのですが、兄と重なり懐かしい気もちになります。5年ぶりに兄と再会。そのとき自分がもった感情にショックを受け…5年前、私の母が亡くなり葬儀のため現在住んでいる東京から実家のある大阪に帰ることになりました。そこで5年ぶりに、兄と再会しました。親なきあとの生活のため、兄は障害者支援施設に入所していました。障害者支援施設に入所したあとしばらくして私は結婚、出産、仕事…と、自分の生活を優先していたので施設に顔を出す機会がなかなかなく…本当に久しぶりの再会でした。兄は普段はなかなか自由に外出できないのですが、特別に葬儀に参列できることになったのです。(支援員さんにも同行していただけました)Upload By スガカズ私は懐かしくなり兄と久しぶりに会話をしました。…が、自分の感情の中で徐々に違和感がふくれあがってきたことに気がつきました。実家を離れて10年以上、重度障害のある兄と一緒に暮らしていなかったせいか、兄とどのようにコミュニケーションをとったらいいのか分からなくなっていたのです。Upload By スガカズUpload By スガカズそれに加えて、一番悲しくなったのは、離れて暮らしたり会わないことで、「自分の現在の環境とは別の人」という感覚になってしまったという部分です。私は夫と結婚する前に、実の兄に障害があることは伝えていましたし、そのことに関して思うところはあったのかも知れませんが、黙って受け入れてくれました。また、義両親にも兄のことを伝えてはいて、温かく受け入れてもらえたのですが、夫の家系には障害のある人はおらず、「口には出さずとも、不安に思うところはあるのかも知れない」という疑いに似た気持ちが自分の中にあることに気づいたのです。また、わが家の長男と次男は発達障害がありますが、私の兄とは特性が異なり、コミュニケーションをとることができます。息子たちは、兄のような重度心身障害のある人とは普段触れ合う機会がありません。長男が生まれたばかりのころ一度、長男を連れて入居する兄に面会をしたことがあるのですが、覚えているわけもなく…。子どもたちには「お母さんのお兄ちゃんには重い障害があるんだよ」と、兄の話をときどきしていましたが、実際に初めて会うとなると、驚くのかもしれません。そんな周囲の反応を心配している今の私は、「自分が子どものときに感じた、兄を見る周囲の目や冷たい態度」と、もしかすると同じなのではないか?と思えてきて、とても悲しい気持ちになりました。子どものころ、「あんな冷たい大人にはなりたくない!障害が重くても関係ない。一緒にいても全然気にならない。私にとって、この環境が『普通』なんだ」と、思って育ったはずなのに…。実際のところ兄と会ったからといって私たち家族の関係は全く変わりませんでしたし、兄は今も昔も私にとって大切な家族です。ですが、再会した日にはそういった複雑な感情が芽生えてしまったのは事実で、自分のことが情けなく、心の中で自分自身を責めていました。そして、時間をかけて自分のなかにある複雑な気持ちを整理する過程で、子どものころに感じていた「周囲からの冷たい目や態度」は、「それぞれ環境が違うから、態度に出す出さないは別として、思うのは仕方のないことなのかもしれない」と、少しずつ…少しずつ腑に落ちていきました。それぞれ別の人生を送るなかで、「きょうだい児」の私ができることUpload By スガカズUpload By スガカズ先日久しぶりに兄が入居する施設に電話をし、兄の様子を聞きました。風邪もひかず元気に楽しそうにしていると聞き、とても安心しました。今度環境が整えば、WEB会議上で兄と面会できることになりました。私と兄はお互いの人生があるので、昔のように一緒にいることはもうきっとないでしょう。ですが、これからも兄にとって暮らしやすい環境のなかで、「のびのびと健康で長生きしてほしい」と心から願っています。執筆/スガカズ(監修:三木先生より)すごく複雑な感情が丁寧に描写されていてお話に入り込めます。子どもとして原家族の中でお兄さんと「一緒に」人生を送っていた当時から、「大人になった自分の」人生への大きな変化ですね。変わっていく自分に戸惑いつつも、その「チクっと」をしっかりと自分で受け止めて前に進んでいく姿勢はとても素敵だと思います。
2021年09月25日頭を抱える日々もあったけど…現在、小学5年生になる娘(広汎性発達障害)と、4歳の息子(定型発達)。息子が生まれてから、そのきょうだい関係は、変化を続けてきました。息子が産まれた当初、感覚過敏な娘は赤ちゃんの泣き声に過剰に反応していたので、私自身もなんとか両方を落ち着かせようと気を遣い過ぎてヘロヘロになる生活を送り…Upload By SAKURAそして、泣き声問題が解決するぐらいに息子が大きくなると、今度はきょうだい喧嘩が多発。息子が小さいうちは、力も言葉も娘が上だったので、娘の思いを優先させてあげることもできたのですが…Upload By SAKURA息子の言葉の成長は驚異的な追い上げをみせ、なかなか言葉で気持ちを伝えられない娘が、息子に一方的に言われてしまう回数も増えていきました。Upload By SAKURA息子には、娘のことをちゃんと理解してほしかった。私たちは、息子に「お姉ちゃんは、おしゃべりが苦手」だということを、ちゃんと理解してほしいと思っていました。Upload By SAKURA言葉が出てこないことを責めたりせず、姉の得意な部分をしっかり見て、姉のことを好きでいてほしい…。私たちの言葉一つひとつが、息子の耳に入り、価値観をつくる…。どこか緊張感のようなものが、ありました。いつの間にか、二人でコミュニケーションが成立するように…。そんな心配をしていた私でしたが、最近の二人は、ここへきてきょうだい関係が落ち着いたものになってきました。共通のゲームにハマったことで、二人でゲームの話題で盛り上がることも、しょっちゅう。アイテムや効果の話をするときは、二人だけで、しゃべりっぱなし。内容を理解できない私は、そこにいても完全に孤立することが多くなりました。Upload By SAKURA二人だけがわかる共通の話で腹を抱えて笑い合ったり、攻略本を見た娘が、息子に新しい知識を教えたり。YouTubeで、新しいやり方を知った息子が、娘にやり方を教えたり…。その関係はどちらかが、どちらかの世話をするというものではなく、協力体制のようなものになりました。Upload By SAKURA息子が、娘に対して頼ることも上手になり、トイレについてきてほしいとお願いしたり、娘が、息子に対して自分が難しいことのお手伝いを頼んだり…。お互いの得意な部分を、褒めたたえることも増えました。親として、考えすぎていたのかもしれない。最近の二人を見ていると、発達障害があるからとか…定型発達だからとか…私は考えすぎていたのかもしれないと思うようになりました。今の年齢では、娘も息子も、お互いをそういう障害のありなしで見てはいないと思いますし、息子にとっての姉は娘だけなので、ほかと比べようもありません。喧嘩をして、仲直りをして、一緒に遊んで、笑って、一緒に怒られて、一緒に褒められて、そんな日々を当たり前に過ごして、私がハラハラしなくても二人だけでいい関係を築いていったのかな~と思います。Upload By SAKURA私たちが子どもたちに対してできることは、二人のことが大好きだということを伝え、それぞれが困ったときに手を差し伸べる…そういうことなのかもしれません。お知らせ。いつも、私のコラムを読んでくださり、ありがとうございます。私事ではございますが、少しお休みをいただきたいと思います。ゆっくり休んだら、また、あーさんやきーさんの話や、家族の話を書いていきたいと思ってます。そのときは、またよろしくお願いします。執筆/SAKURA(監修:井上先生より)対人関係やコミュニケーションに困難をもつ自閉症のあるお子さんの場合、きょうだいとの関わりやコミュニケーションは大きな成長の糧になると思います。年齢が上か下かなどによって、きょうだい自身の悩みも異なると思いますが、きょうだいの年齢にあわせた理解や接し方を教えていくこと、SAKURAさんのようにきょうだいが平等に愛情を感じられるよう分け隔てなく愛情を注いでいくことはとても大事なことだと思います。
2021年09月22日子どものコミュニケーションでの不安を解消するヒントがたくさんーー『発達障害がある子の会話力がぐんぐん伸びるおうち療育をはじめよう!』発達障害のある子どもを育てる中で、コミュニケーションについて不安を感じることはありませんか。コミュニケーションの力を育むための療育の必要性を感じているという方、すでに療育を受けているけれど月に数回だけ…と悩んでいる方もいるかもしれません。療育はどこかに通わなければできないのでしょうか。この本では、自宅で「話す力」「聞く力」を育てるための「おうち療育」を提案しています。著者の柳本記子さんは、20年以上発達支援を行ってきました。その実践から見つけた子どもに伝わるコミュニケーションの力を育むアプローチを、この一冊にまとめました。子どもを上手に誘うコツから、相手の「気持ち」を理解できるまでを9つのステップで丁寧に紹介。おうちだからこそ、親子だからこそ、できる日常生活の中での療育の機会や、その見つけ方など、子どものコミュニケーションの力を伸ばす方法をマンガで読みやすく紹介しています。巻末には付録としてすぐに使える13種類の視覚支援のツール見本つき。親子のコミュニケーションがより充実するための方法が分かる一冊、子育てをする全ての方におすすめです。iPadを子どもの成長のために使いこなすためのガイドブックーー『今日から使える!特別支援 iPad活用法』GIGAスクール構想が動き出し、全国の小中学校でタブレットが一人1台使えるようになってきました。この本は、特別支援学校でいち早く、2012年からiPadを活用し始めていた内田義人さんが執筆。iPadの基本から具体的な指導での活用法まで4つのパートで紹介しています。さまざまあるiPadの選び方からはじまり、設定についても丁寧に解説しているため、デジタル用語が苦手な方にも安心です。学校などの指導者向けに書かれている本ですが、家庭でも活用できるノウハウがいっぱい。iPadを活用した学習方法が知りたいみなさんにおすすめの一冊です。旅行気分で楽しもう! ーー『都道府県がスイスイわかる! るるぶ日本一周コグトレ・パズル』旅行ガイドブックでおなじみの「るるぶ」がつくった、日本一周旅行の気分を味わいながら、パズルを楽しめる一冊。各地の特徴や、有名な場所、名産品など知ることができるだけでなく、全ての都道府県をテーマにしたパズルを掲載しています。タイトルにある「コグトレ」とは、認知機能を向上させるトレーニングのこと。ベストセラー「ケーキの切れない非行少年たち」の著者でもあり、児童精神科医・医学博士の宮口幸治さんが考案しました。子どもたちの認知機能は、「学習の土台」と言われています。「注意」「記憶」「言語理解」「知覚」「推論・判断」などの「学習の土台」を育みながら、旅行した気分で都道府県について学びましょう。親子で会話しながら楽しむこともできます。パズルが楽しい6歳くらいから、社会の授業で都道府県学習がある小学4年生にも。小学生くらいのお子さんに特におすすめの一冊です。「療育」が花開いた感動の物語ーー『自閉症の画家が世界に羽ばたくまで亡き母の想いを受け継いだ苦悩の子育て』画家の石村嘉成さんは、高校生のときに創作活動をはじめ、2013年にフランスの美術展で版画作品が優秀賞に輝いたのきっかけに活躍しています。数々の作品には動物や虫などの生き生きとした姿が描かれています。各地で個展が開かれる度に、その生命力に満ちた作品を一目観ようとたくさんの人が訪れます。自閉症のある男の子が「療育」に出合い、世界に認められる画家となるまでの道は、決して平坦ではありませんでした。2歳で自閉症の診断を受けた嘉成さん。両親の石村和徳さんと有希子さんは、「暴れる、泣きわめく、発語がない」息子の子育てに、迷いながら、悩みながら向き合ってきました。しかし、嘉成さんが11歳のころ、母の有希子さんが病気のため他界。父の和徳さんはシングルファーザーとして、有希子さんの想いも受け継ぎ、嘉成さんの「療育」に取り組みます。そして、やがて嘉成さんの画家としての才能が開花するのです。この本は、嘉成さんの成長の物語であり、彼の両親である石村和徳さん有希子さん夫婦の25年にわたる子育ての記録です。本の中に数多く掲載されている、母の有希子さんによる療育日記からは、さまざまなヒントも得られるでしょう。発達障害のあるお子さんを育てる方だけでなく、子育てに悩むすべてのみなさんにおすすめの一冊です。子育てが苦しいと思ったときに読んでほしいーー『発達障害の子どもを育てる親が楽になる子育ての「呪い」が解ける魔法の言葉』子育てしている中で、ふと言われる言葉や、潜在的に自分でも当たり前だと思っている言葉。その言葉から「こうしなくちゃいけない」「こうすべき」と思ってしまうことで、自分を責め、子育てに自信をなくしていく保護者も少なくありません。この本では、子育てする人を縛って悩ませる言葉の例を一つひとつピックアップし、その縛りを解く言葉と発想の転換のコツを紹介しています。著者の浅野みやさんは、発達障害専門のコーチとして15年以上2000人を超える障害のある子どもと保護者に向き合ってきました。その浅野さんはコーチとして活躍する以前は、教員として約10年間特別支援学校に勤務。結婚を機に退職し、その後、出産・育児をする中で育児ノイローゼの状態に。そのときにコーチングに出合い救われたという自身の経験があります。たくさんの子どもたちや保護者と関わり、苦しい状況を乗り越えた経験をもつ浅野さんならでは言葉に、きっと心が軽くなり「今の自分で大丈夫」と思えるでしょう。発達障害のある子やグレーゾーンの子どもを育てる保護者だけでなく、子育てをする全ての方におすすめの一冊です。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年09月12日12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日自閉症と中度知的障害を持つ2015年生まれのほぺろうくんママのぼさ子さん。ほぺろうくんが3歳ごろ、癇癪がひどすぎて精神的に追い詰められて限界に……。しかし突然「ほぺろうは、私の表情に苦しんでいたんじゃ?」と思いつき、「ほぺろう!大好きだよー!」と思い切り抱きしめたところ、いつも寝るときに大暴れするほぺろうくんがスッと落ち着き、安心したように眠りに落ちたのでした。 その日以来、毎晩「大好き」「かわいい」「ほぺろうがいてママは幸せだよ」と愛情たっぷりの言葉を伝えるように。すると……?! 息子に起きた変化とは? 「ほぺろうが笑ってくれたのいつぶりだろう」。今思い出しても、胸がギュッとなります。 当時、日中はまだ癇癪があったものの、イチャイチャするようになってからは、少しずつほぺろうの情緒が安定してきたような気がします。(たまたま成長と重なっただけかもだけど) ◇◇ ◇「大好き」という思いを口に出して伝えることに、最初は慣れなかったというぼさ子さん。でも、毎晩続けると、ほぺろうくんも「ぼくも!」と喜んでくれるようになり、思い切りイチャイチャするように! 寝る前の癇癪が、イチャイチャタイムにより落ち着き、「やっぱりこれまで不安だったのかな」という罪悪感を抱きつつ、ほぺろうくんの笑顔のためにこれからも向き合っていくことを心に決めるのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ぼさ子自閉症と中度知的障害を持つ、2015年生まれの息子を育児をしています。いまだに発語はありませんが、母目線でその成長記録を綴っています。
2021年07月29日自閉症と中度知的障害を持つ2015年生まれのほぺろうくんのママ、ぼさ子さん。ほぺろうくんが3歳ごろ、保育園に入園できたものの癇癪がひどすぎて精神的に追い詰められて限界に……。しかし突然「もしかして、ほぺろうは、ずっと前から私の表情に苦しんでいたんじゃ?」と思いつき、「ほぺろう! 大好きだよー!」と思い切り抱きしめました。 いつも寝るときに大暴れするほぺろうくんですが、このとき、ぼさ子さんがぎゅっと抱きしめると? 「気づかなくてごめんね…」 ほぺろうは言葉もなく、考えていることもよくわからない子だったので 「お母さんのことなんて何とも思ってないんだろうな」 と勝手に決めつけていたのですが、そんなことはなかったのかも……。 この当時のこと思い出すと、本当「うわぁあああーーっ」ってなる。 ほぺろうはずっとお母さんが寄り添ってくれるのを待っていたのかと思うと、私、大罪すぎるー(泣)!!! ◇◇◇ いつも寝るときに大暴れするほぺろうくんですが、このとき、ぼさ子さんがぎゅっと抱きしめると、癇癪がスッと落ち着き、安心したように眠りに落ちたのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ぼさ子自閉症と中度知的障害を持つ、2015年生まれの息子を育児をしています。いまだに発語はありませんが、母目線でその成長記録を綴っています。
2021年07月28日ほぺろうくんの癇癪がひどかった3歳ごろ、あるとき突然気づいてしまったこととは?障害児を子育てするなかで気づいたこと、心境の変化を綴る「障害のある息子からの学び」を短期連載でご紹介します。ほぺろうくんが2、3歳のころ、癇癪がひどすぎて精神的に追い詰められて限界だったという、ぼさ子さん。 しかし、ひょんなことからの気づきによって、今は母子ともに笑って過ごせる時間が増えたそう。その心境の変化とは? 繰り返される癇癪に、気分は落ち込み… 保育園に入園できたものの、この頃はまだ癇癪がひどかったほぺろう。 でも、パートに行き始めて、ほぺろうと離れる時間を作れたおかげで母(私)のほうが少しずつ変わっていけた気がします。 ◇◇◇ 「なにこの癇癪……」「感覚過敏のせい? 眠いのが理解できないせい?」 暴れながら泣き叫ぶほぺろうくんの癇癪をみて、うんざりしてしまったママ。 しかしその瞬間、気づいてしまった「大切なこと」とは一体? 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ぼさ子自閉症と中度知的障害を持つ、2015年生まれの息子を育児をしています。いまだに発語はありませんが、母目線でその成長記録を綴っています。
2021年07月26日Upload By スガカズスガカズ現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 ADHD)・長女(年長 定型発達)・三男(年中、定型発達)障害のある子に手がかかることできょうだい児がガマンしすぎていないか?精神面のフォローはどうすればいい?Upload By スガカズスガカズ(以下、――)障害のある子にどうしても手がかかることで、きょうだい児に、例えば注意散漫や自己肯定感の低下など、発達障害に似た症状に陥る事例があると聞いています。親としてそういったことは心配です。実際子育てをする上できょうだい児にガマンさせているだろうという場面が多々あるので…三木先生:どんな場面で、心配だと感じますか。――例えばわが家の場合だと、3番目の子(年長・長女)です。長女は家では口が達者なので上の子たち(障害児)に対して指摘する場面をよく見ます。保育園では下の学年の子たちのお世話を率先して行っているようです。例えば、乳児クラスのお友達の子に靴をはかせてあげていたり。私はそんな様子の長女に感心しましたが、一方で、この子は本来世話好きな性格と言う訳ではなく、普段の生活で『私が頑張らないと』と潜在的に思って無理しているのではないか…と、心配にもなります。三木先生:長女さんだけの時間をとって、タスクオフにするとどう振る舞うのか見てみるのは大事かもしれないですね。それで本当に無理させていないかの温度感を見てみましょう。タスクオフにしてあまりにはしゃぎすぎていると確かに心配ですが、タスクオフでもお世話をするようなら、もともとお世話することが好きだと考えてもいいのではないでしょうか。――ときどき2人の時間をとっています。タスクオフにしてもお世話するタイプです。三木先生:であれば長女さんにとって、お世話をしたり他人に気を遣うことが自然なのかもしれないですね。年齢的に考えても誰かのお世話をしたがる時期でもあります。行動の是非を評価するのではなくて、彼女がしたくてやっていることを認めてあげる、というイメージです。Upload By スガカズきょうだい児を育てる上で親がとる姿勢Upload By スガカズ三木先生:きょうだい児に対しても障害のある子と同様に、普段『この子大丈夫かな?』と思う目線は大事です。子育てでトラブルをゼロにすることは不可能です。トラブルの兆候を早めにキャッチできると早めに対応しやすいので、大きなトラブルにつながりにくいと思います。――ちょっとしたトラブルが起こると、『きょうだい児だからなのか?発達障害の素質があるのか?』と、考えながら毎日子育てしています。発達障害のある子が2人いる時点で『この子は大丈夫だ』とは、まずならないので…三木先生:発達障害の特性があるとしてもどれくらい強く出るかは子どもの環境が影響しますが、長女さんの場合は『そうなのかもな』と頭の隅に置いておくくらいで大丈夫ですよ。スガカズさんはしっかりとお子さんを見ているように感じますので安心して子育てしてもらって大丈夫だと思います。親が頑張りすぎないことが大事Upload By スガカズ三木先生:とはいえ…あまり子どもたちに気を遣いすぎるとお母さんも疲れませんか。――そうですね。ときどき疲れがたまって『もうお母さん今日は何もしません!』という日もあります(笑)三木先生:その方がよいです。頑張りすぎていることに気がつかないで、ある日突然倒れるよりも、自分でオンオフを切り替えられる方が大崩れしにくいです。無理だと感じたら遠慮なく楽をしてください。そんな姿を親が見せることで、頑張り過ぎるタイプの子どもにも『力をぬいてもいいんだ』と理解してもらえるんですよ。Upload By スガカズ障害のある子を育てているお母さんは、きょうだい児に対して「この子の精神面は大丈夫なのだろうか?」「もしかしてこの子も発達障害があるのかも?」など、ふとしたときに心配する経験も多いのではないでしょうか。三木先生は、そんな親の気もちを理解し、ねぎらった上でアドバイスしてくださったので、私自身、目を光らせたり、時には楽をすることは悪いことではないのだと再確認できましたし、きょうだい児との向き合い方も明確になった気がします。
2021年07月26日Upload By スガカズスガカズ現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 ADHD)・長女(年長 定型発達)・三男(年中、定型発達)定型発達の下の子たちにとって発達障害の上の子たちが良くないお手本に…これって誤学習?解決方法は?Upload By スガカズスガカズ(以下、――):日々障害児と定型児を育てていく中で、「これって誤学習なのでは?」と感じる場面がよくあります。例えば、食事の時間だと、ADHDのある次男は食事に集中できずに遊び始める場面が頻繁にあります。偏食や注意散漫からその日によってごはんの進みが全く違います。下の子たちにとっては次男がお手本となっているようで、同じように立ち歩いて遊び始めるなどで食事に時間がかかってしまいます。Upload By スガカズ三木先生:次男さんに対して黙認状態ではなく、「これは良いこれは悪い」と提示はできていますか。――はい。毎回口酸っぱく伝えています。例えばそれぞれの子のマークを作って机に貼り、「ここがあなたの席だよ。食事中はここで食べようね」「ごはんは30分で終わりだよ」「食事中は遊ばないよ」と伝えていて、下の子たちは「わかった」と返事をします。次男も理解はできています…ですが、結局遊びだすことが多く、30分で終わりません。簡潔に「30分過ぎたから片づけるね」と言うと次男は納得するんですが下の子たちは「食べたい!」と言って泣きだすし…仕方なく「10分だけだよ」と言って延長しますがその繰り返しで多くて1時間かかる日も…。さらに、上の子たち(障害児)のこだわりは『食卓におもちゃをもっていくこと』…。それを奪うと逆に集中できなかったり言い合いに発展するので、結果落ち着いて食事をする環境を作れていません。三木先生:つまり実際のところ、「時間は守らなくてもいい」と言うような形になってしまっているんですね。――そうですね…三木先生:うーん…まぁ、現状難しいと思います。だって好ましくない見本が目の前にあるわけですから。上の子と下の子の食事の時間をずらすなどの対応もあると思いますが、そうすると別の問題(母親のタスクが増える)が出てきますからね。「できる」「わかる」どちらを優先したらいい?Upload By スガカズ三木先生:ADHDのある次男くんのように、高学年だったらもう理解と自制がある程度伴なっているので、食べなければ片づければいいと思いますが、下のお子さんたちはまだ幼く、行動が伴わない年齢なので、難しいですね。この年の子(未就学〜低学年)は、『できる』より『わかる』を大事にした方がいいです。もちろん「なんだかよく分からないけどやる→褒められる→行動が定着」と言った『できる』を優先して成功するルートもあります。でも今のこの場合でしたら大事なのは『枠の提示』ですね。――『できる』より『わかる』ですか…『わかる』はできていそうなのですが、実際子育てする上で『できる』に目がいきがちです。三木先生:できることを求めだすと毎日がげんなりして過ごすことになるので、そこは一旦3~5年後くらいに「ごはんって、ちゃんと座って食べるよね」と運用実行できることにゴールを置いた方が現実的じゃないでしょうか。メッセージ(枠の提示)とできるは即イコールにならないことが多いです。今は60~90分など長時間になってないだけ一旦OKとしてあげていいと思います。逆に年中さん年長さんでちゃんとできていると心配だなと。下のお子さんたちは充分がんばっているんじゃないでしょうかね。――確かに…生活する上で、きょうだい2人とも『がんばっているな』と感じる場面も多いです。3番目の子(長女 年長)は、特にがんばり屋さんな面もあります。誤学習の確認方法は?今回は食事中でのできごとでの悩みについてお話しましたが、「これって誤学習じゃない?」と感じる機会がとても多いわが家…。誤学習かどうかの確認についても三木先生からアドバイスをいただけました。Upload By スガカズ三木先生:誤学習の心配については、下2人が「お兄ちゃんだってぐだぐだしてるじゃん」と心底思っているか聞いてみても良いかもしれないですね。――「お兄ちゃんずるい」「ボクも!」「私も!」と言う機会はよく目にします。三木先生:それが理念ベースで言っているのかエクスキューズ(言い訳)から言っているのかの違いがわかればいいですね。うらやましさから言ってるのであれば、「うらやましいのはわかるよ。でも本当はわかってるよね?」でOKです。外でできることは基本的に「できる」とみなしてOKです。――それでいうとエクスキューズ(言い訳)なのかもしれません。保育園では座って給食を食べているのに、家では違っているので、オンオフを切り換えていそうです…。三木先生:であれば、状況理解と自覚が整えばできるということですね。家で食事に時間がかかったとしても多少目をつむってあげてもいいと思います。感想きょうだい児の誤学習を心配していた私。現実問題上の子と下の子を育てる上で誤学習に繋がりそうな機会はとても多いです。ですが、そんな中でもきょうだい児たちはがんばっていると再確認…。親が心配する気もちが、「誤学習にならないようにしないと…」「物事の良し悪しを正しく理解してもらわないと…」と、肩に力が入っていたのでしょう。短期的に解決させる問題ではないので、「『今できなくても仕方ない』と割り切る」「枠の提示はくずさない」「緊急性がないものに関しては3~5年後をゴールに置く」ことを大事にしようと思いました。
2021年07月22日障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」7月19日(月)から渋谷で期間限定開催!Upload By 発達ナビニュース障害のある作家たちの異彩を発信する展覧会「HERALBONY GALLERY in Tokyo -3rd Anniversary Art Exhibition- 」が2021年7月19日(月)~25日(日)の期間、渋谷スペイン坂の多目的スペース「no-ma」にて開催されます。主催のヘラルボニーは、福祉実験ユニット。障害という言葉の裏にある先入観やこれまでの常識を超え、福祉を起点に新たな文化を作り出し続けています。7月24日に設立3周年を迎えることを記念し、今回の展覧会を開催。展示では三重県にある障害のあるアーティストの支援等をする、特定非営利活動法人 希望の園に所属する作家、森啓輔の原画作品展示、ヘラルボニーの取り組みと活動の展示、ヘラルボニーが手掛けるアートライフブランド「HERALBONY」の出店があります。入場は無料。※7月22日~15:00、23日~14:00、7月24日~14:00は、チケット購入に限り来場可能アーティストが放つ「異彩」との出会いがここにある。3周年記念イベントとして、チケット制の有料イベントも開催します。2021年7月22日(木)、23日(金)はスペシャルイベントとして、常設展示のほか、ヘラルボニー代表や特定非営利活動法人 希望の園理事長のあいさつ、コンテンポラリーダンサーによるダンスパフォーマンスなどがあります。設立3周年、当日となる7月24日(土)にはヘラルボニーの「異彩」との出会いとこれまでの3年間、そして今後の展望をテーマに、創業メンバーによるトークイベントを開催します。(尚、緊急事態宣言発出に伴い、イベントの縮小及び一部内容を変更があります。詳しくは、公式ページからご確認ください。)【作品募集のお知らせ】「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展、受付は8月14日(土)までUpload By 発達ナビニュース「パラアート TOKYO」は、世界中から障害のある人による芸術作品を集めて、公益財団法人 日本チャリティ協会が開催する国際交流展。「才能は障がいを超え、国境を越える 」というスローガンのもと、障害のある人の芸術作品(パラアート)の感性、才能価値を世界へ発信しています。「2021パラアートTOKYO」第8回国際交流展の開催が決定し、作品を募集しています。期間は2021年8月14日(土)まで。世界にひとつしかない作品を応募してみませんか。【募集対象】国内外を問わず、障害のある方が制作した平面(書・絵画等)作品。子どもの部:10歳~17歳 / 大人の部:18歳以上【受付】2021年8月14日(土)まで Eメールinfo@paraart.jpまたは郵送【お問合せ先】(公財)日本チャリティ協会「2021 パラアートTOKYO」実行委員会事務局住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷 1-19 アーバン四谷 4 階TEL :03-3341-0803FAX :03-3359-7964E-mail: info@paraart.jp昨年開催した「2020 パラアートTOKYO」の全ての作品は、オンラインギャラリーで観ることができます。こちらもぜひご覧ください。発達障害のある人の困りごとにやさしく寄り添う「mahora」ノートが第30回日本文具大賞のデザイン部門、優秀賞を受賞!Upload By 発達ナビニュース「mahora」ノートは、発達障害がある100人の声を聞き、大栗紙工株式会社が一般社団法人UnBalance(アンバランス)と共に開発したノートです。お子さんがノートを使っているとき、なんだか書きにくそうだなと感じることはありませんか?視覚が敏感な場合、白い紙からの反射がまぶしく感じることがあります。特性によっては、罫線が見分けにくいために気づいたら書いている行がかわってしまっていたりすることも…。このような発達障害のある人たちが日ごろノートを使うときに感じているさまざまな困りごとの声から、「mahora」ノートは「光の反射を抑えたやさしい色の中紙」「見分けやすいオリジナルの罫線」「シンプルなデザイン」を採用。老舗ノートメーカーならではの高い技術により丈夫で書き心地よく、目にやさしいノートがうまれました。その機能とデザインで、「みんなが使いやすいノート」として、第30回日本文具大賞でデザイン部門優秀賞を受賞。既存のノートがなんだか使いにくいなと感じているすべての人におすすめのノートです。「書きにくい」が「心地いい」に。カラーとサイズ、全24種類から選べる「mahora」ノートは、以下WEBサイトから購入することができます。京都障害児教育研究センターによる夏季研究集会、8月1日(土)オンラインで開催。特別支援学校や特別支援学級の実践報告、ゲスト講師による講演から障害児教育について考えよう。Upload By 発達ナビニュース京都障害児教育研究センター(障教研センター)が8月1日(土) 10:00~15:40にオンライン学習会を開催します。内容は、実践報告とゲスト講師による講演。特別支援学校、特別支援学級の実践報告では、教育現場で大切にしたいことを考えます。講演で講師をつとめるのは、自閉症児の授業づくりについて研究、各地で講演をする三木裕和さんと、「書く」ことと子どもの育ちについて研究する川地亜弥子さん。発達の視点から子どもをみることを学ぶ講演です。支援者向けの内容ですが、どなたでも参加できるオンライン学習会です。〈詳細〉【日時・場所】2021年8月1日(日)10:00~15:40(途中入場・途中退場可)オンライン(Zoomを用いて行います)【対象】どなたでもご参加ください【講師】三木裕和さん(元鳥取大学地域学部)川地亜弥子さん(神戸大学大学院人間発達環境学研究科)【料金】1,000円(税込)【お問い合わせ先】mail : sho-ken@kyoto-fuko.comtel: 075-751-1645京都府教育会館障教研センター事務局LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月18日2015年12月に訪れた出会い縁あって私は『今、意思決定支援について考える-知的障がいをもつ子どもの 10人の親の意思決定支援』<発行PandA―J大門・明石塾(現・ネットワークかみひこうき)>という冊子のイラストを担当させていただきました。社会福祉士の編集長は…?初めて聞いた言葉『福祉オンブズマン』打ち合わせのため編集長のNさんの事務所兼ご自宅にお伺いしたときのことです。Upload By 荒木まち子社会福祉士は精神保健福祉士、介護福祉士と並ぶ国家資格です。医療・福祉・教育・行政機関等において日常生活を営むのに問題がある人からの相談に対して助言や指導、援助を行なう専門職で、社会福祉協議会や社会福祉施設、病院、地域包括支援センター等でのソーシャルワークを行っています。具体的には、在宅・施設で生活している人々の相談に応じたり、必要なアドバイスや利用可能な制度・サービスの紹介、サービスの利用調整や関係者間の連絡など、相談者を支えて抱える課題を解決するためにさまざまな仕事をしています。社会福祉士の概要について| 厚生労働省住民に代わって福祉サービス活動を調査、または、福祉サービスに関する苦情等の処理にあたっている機関です。保健福祉サービスに関する利用者又は利用希望者からの苦情を、中立で公正な第三者の機関を通して迅速に処理することを目指しています。そして利用者等の権利及び利益を保護し、保健福祉サービスの質を落とさないように努力するとともに公正で信頼される保健福祉行政を推進するという目的をもって設置されています。福祉オンブズマン制度 | 小金井市私の知らなかった本をたくさん見せていただくUpload By 荒木まち子Nさんに見せていただいたのは読んだことがない本ばかりでした。私はそれまで“障害について説明した本”や“障害児育児の書籍”は読んだことはありましたが、“支援者と当事者の関係”や“保護者と成人した障害児(者)との関係についての本”、“支援者向けに書かれた本”などはあまり目にしたことがありませんでした。大切なのは『人』社会福祉士や福祉オンブズマンが携わる相談は「高齢者介護」「児童福祉」「生活困窮者」など福祉分野の全てが対象で、障害児・者に限ったものではありません。多岐にわたる障害の特性や対応を理解するための労力を惜しまず、当事者の権利養護のための取り組みをしてくださっているNさん。お話をするにつれ、Nさんが相談者の悩みに真摯に向き合い、熱意を持って問題解決の為に取り組んでくださっていることがひしひしと伝わってきました。いくら制度が改善されても、立派な施設ができたとしても、やはり大切なのは“人”なのだと思います。将来、娘が一人暮らしやグループホームで暮らし始めたとき、もし困ったことに直面したとしてもNさんのような心強い味方が身近にいたらきっと安心して暮らせるだろうと、このとき私は感じたのでした。先駆的な活動2015年といえばこの発達ナビサイトもまだオープンしていないころです。娘は当時高校生でわが家はまだ社会福祉士や福祉オンブズマンはとは無縁な時期でした。でもその当時から子育ての先輩や支援者の方々は『意思決定支援』や『後見人制度』についての学び合い、先駆的な活動をされてきました。意思決定支援リーフレット(神奈川県)成年後見登記制度 Q&A - 法務省親として自分ができることを考える今後、保護者と行政、施設職員、法曹界の人々、民間企業や市民後見人、成年後見支援者の繋がりが深まり、障害者の権利擁護についての協働の取り組みはさらに活発化していくことでしょう。障害のある子どもの保護者として私自身もこれから『何ができるのか』『何をするべきなのか』をしっかりと考えていこうと思っています。おまけUpload By 荒木まち子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月17日障害者手帳は3種類Upload By 立石美津子発達障害者手帳、これがあったらどんなにいいかと思いますが、残念ながら存在しません。障害があることを証明する手帳は次の3つのみです。・身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳つまり、知的障害を伴わない、あるいは軽度の発達障害の人のための “発達障害者手帳”というものは存在しないのです。発達障害がある場合、精神障害者保健福祉手帳の対象として分類されています。厚労省精神障害者保健福祉手帳の障害等級の判定基準について障害者手帳があると就活でも活用できる従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)民間企業の法定雇用率は2.3%です。従業員を43.5人以上雇用している事業主は、障害者を1人以上雇用する必要があります。一般枠で企業就労するのが難しい場合、障害者雇用枠で就労することができますが、その際に障害があることを証明する手帳が必須となります。しかし…・視覚障害、聴覚障害、上肢下肢の欠損、体幹障害による歩行困難など身体障害がなければ、身体障害者手帳の対象とはなりません。・(自治体によって異なりますが)東京都の場合、知能指数が76以上だったら療育手帳の対象とはなりません。愛の手帳について | 東京都保健福祉局精神障害があると認めたくない保護者もいる一定の知能指数のため療育手帳対象に該当しない、身体障害もないため身体障害者手帳の該当にならないとなると…残るのは“精神障害者保健福祉手帳”となります。すると、「うちの子は発達障害。精神障害ではない!」と憤る親御さんを見かけたことがあります。これに対して私は心の中で「いやいや、そうじゃないのよ。知的障害のない発達障害児が、障害者雇用促進法のもと、法定雇用率でカウントされて企業就労するには、なんらかの障害者手帳が必要。今の制度上では、知的障害のない発達障害児は精神障害者保健福祉手帳が必要となるのに」と呟きました。知的障害がなくても療育手帳の対象になる地域も発達障害のある人は知的障害がなくても、社会生活を送るにあたって多くの困難を伴います。社会生活での困難と言う面では、知的障害、精神障害、身体障害がある人と同じだと言えます。そのため、知能指数が療育手帳の範疇以上の人に対しても、療育手帳を発行している自治体もあるようです。全国的にこれが広まればよいと感じます。Upload By 立石美津子自己申告制日本の福祉は自己申告制です。親がわが子の障害に気づいて積極的に動くことで取得できます。精神障害者保健福祉手帳について紹介しましたが、こちらが取得できない場合もあると思います。たとえ障害者手帳の対象とならなかったとしても、障害福祉サービス受給者証をとって、福祉とつながっている人だということを示す方法もあります。「精神障害者保健福祉手帳が必要?わが子には精神障害はないのに!」と憤るのではなく、福祉サービス、制度を活用することで、わが子の将来の選択肢を広げられるかもしれません。精神障害者保健福祉手帳で雇用枠での就労を目指したり、受給者証で福祉サービスを活用したり、支援者につながる機会を増やすことが、わが子を守ることにつながるのではないかと思います。
2021年07月01日「頑張れ、フツウになれ」死を考えていた学生時代Upload By 桑山 知之2019年5月、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材で、筆者は初めて神山さんと出会った。「学校の先生が文字読めないなんて、悟られたくない。悟られちゃいけない」「どうやって死のう、ばっかり考えてましたね。『頑張れ頑張れ、フツウになれフツウになれ』って言われ続けると、そういうふうにならざるを得ない」彼は、文字が読めない教師。にこやかな表情とは裏腹に、これまで経験してきた生きづらさが言葉の節々からにじみ出ていた。岐阜市で生まれ育った、すぐに熱を出してしまう、体の弱い男の子。自分は文字が読めないと知ったのは、小学2年の道徳の授業だった。B4見開きのプリントの文章を読み、感想を書くという課題で、一時間経って読めたのはわずか3~4行だけだった。「ぼくはみんなと違う」――。それからは、どう叱られずに一日を過ごすかが神山少年の課題となった。教科書が丸々覚えられるようにと、3歳上の姉が音読してオープンリールのテープに吹き込んでくれ、擦り切れるまで聴いて授業に臨んだこともあった。それも小学校高学年になると、文量が増えて立ち行かなくなってしまう。Upload By 桑山 知之「先生たちにも『あいつはどうしようもないやつだ』って言われて。『学校に来る価値のない人間』とか『教室に入るな』とか、そういった言葉は日常茶飯事で。先生がそういう風にみんなの前で叱って、つるし上げたりすると、クラスの雰囲気もそうなって、いじめられました。みんなにバカにされていました」(神山さん)神山さんの母親は、端的に言えば世間体を気にしていたという。学校で何かがあると自宅に電話が入り、家に帰れば「あんたなんか産まなきゃよかった」「あんたのせいで近所も歩けない」と罵られた。中学、高校も含めて学生時代は「どうやって死のうか」とずっと考えていた神山さん。紆余曲折を経て選んだ道は、陸上自衛隊。活字とは縁遠い職業だった。つらい思いは自分で最後に…決断、そして教師へUpload By 桑山 知之18歳の神山青年は、2等陸士として京都・宇治市にある駐屯地にいた。誰も自分のことを知らないところへ行って、人生を再出発させる。体力に自信がある神山さんにとって、文字を使わないこの仕事はまさに天職だった。2年ほど過ごし、自衛隊の中で成人式をやってくれることになった。「上官が『今までの20年間をしっかりと振り返って、今後どう生きていくか人生設計を立てなさい』と話をしてくれて、考える時間もくださって。そこで、自分のようにあんなにつらい思いをするのは自分で最後にしよう、そういう教育者になりたいな、自分がそういう教育を変えていけるようにしたいなと思ったんです」(神山さん)Upload By 桑山 知之すぐに上官と相談して、夜間の短大に通い始めた。朝6時に起きて夕方まで訓練をやったあと、大学に行き、帰ってくるのはいつも23~24時だった。それでも、「同じ苦しみを抱えている子たちを放っておけない」という一心で頑張れた。そして23歳の頃、教員採用試験に合格した。しかし、教え子に対しては、なかなか自分の苦手さを伝えられずにいたという。「教科書は前日に丸暗記して、読んでいるフリをしていました。技術科の教師だったので、技術科の教科書と、自分が担任するクラスの道徳の授業ですね。行頭の文字とかキーワードだけで、そのあとの文章が出るように覚えたり。丸々暗記しようと思うと大変ですけど、段落の頭でその段落が思い出せるように、ブロックで覚えるのを毎授業やってました」(神山さん)27歳で知った自分はディスレクシアUpload By 桑山 知之自己の学習障害を隠したまま、神山さんは通常学級を6年間受け持った。そんなとき、NHKのとある番組でアメリカの小学校のことが報じられていた。それがディスレクシア(識字障害)だった。「そこではディスレクシアとかいう言葉は使われていなかったですね。読み障害とかそういう感じ。でもアメリカは移民の国なので、そういう子たちのプログラムで教育は保障できるっていう。その子たちの特性はこうです、というもの全部が自分に当てはまるから、本当に驚きました」(神山さん)その後、神山先生は特別支援学級を受け持つようになる。テレビでディスレクシアを知って「自分の中でつっかえていたものが取れた」ため、自分の苦手なこともすべてオープンに話した。劣等感を抱えている子どもたちの心に寄り添うことができた。Upload By 桑山 知之特別支援学級を5年間受け持ったあと、特別支援学校で17年間にわたり勤務。そして、主幹教諭という立場で3年間、岐阜市内の小中高などを回っていろんなアドバイスや支援をおこなった。いつしか神山さんの存在は全国各地で知られるようになり、講演依頼が絶えないほどになった。現在は、岐阜市内の小学校の用務員をやりながら、子どもたちや保護者らの相談を受けている。「日本の教育って無意識に人との比較をしてしまっているんですよね。人との比較で自分を評価することを学んでしまっているんです。それよりも、過去の自分と比べる方が自然かなって。もっと言えば、『あなたはそのままでいいんだよ』ではなくて、『あなたはあなただからいいんだよ』って僕は言いたいです」(神山さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年06月23日考えないわけにはいかない、「きょうだい児」の妹のことUpload By かさはらあやこ障害や病気がある子の兄弟姉妹のことを〝きょうだい児〟といいます。私がこの言葉を知ったのは 自閉症について調べるようになってからなので、一般的にみるとたぶん知らない人の方が圧倒的に多いだろうし、当事者の気持ちになって考えることなど身近にいない限りはないと思います。そして自閉症育児に奮闘しているわたしが、きょうだい児について悩んでいると言ったら、周囲の人はきっとこういいます。まだ小さいのに考えすぎ大丈夫育て方次第そう、そうかもしれない。でも、考えないわけにはいかないのです。兄に手がかかって我慢を強いてしまうのではないか。しつけが不平等になってしまうのではないか。好きな人と結婚できないのではないか。この先に感じるであろう疑問や将来への不安に、しっかり耳を傾けてあげられるだろうか。食事中に首をひたすら振る兄をみて喜んで笑いながら真似をする。突然泣き叫んで酷い癇癪を起こす兄を不思議そうにみつめる。おもちゃを奪い合った後にこちらに視線を投げてくる…。そんな娘に、なんと声をかけてあげればいいのか、どうやって接していけばいいのか、ずっとずっと悩んできました。医者から言われた「誤学習をする可能性がある」Upload By かさはらあやこ娘が1歳になったばかりのころ、息子の通院している病院で、娘について「みたところ発達が非常に良いので、早く集団に入れたほうがいい。誤学習をする可能性がある」と言われました。兄の真似をして首を振ったり、兄が食事を口に運んでもらう様子をみて自分で食べなくなったり、〝誤学習〟に心当たりがあったわたしは、とても焦りました(その日のうちに某幼児教材を契約したくらい焦りました)。翌日に児童発達支援の先生が、「私はそれを誤学習だとは思わない」とはっきり言ってくださったため、モヤモヤした気持ちは打ち消すことができましたが、医者からの「誤学習」という強いワードは心の中から消えることがなく、いまも、ことあるごとに脅かされています。妹が保育園でお友達を押してしまった。押し寄せる不安Upload By かさはらあやこ4月から保育園に入園。慣らし保育が終わって少し落ち着いたころ、妹がお友達に対して「だめ!やだ!」と言ったり、ときには手が出て、押してしまったりする案件が発生。家で遊んでいるとき、兄におもちゃを奪われることが多い妹は、大きな声を出して抵抗し、奪い返しに行きます。兄も、こだわりのあるおもちゃであれば何度でも奪いに行き、奪い奪われ癇癪を起こし、妹は大声で泣く。そんなことが目の前で起こっているとき、両者にどう声を掛けていいのかわからず、ただ呆然と見ているしかない状態で、こちらに余裕がないときは特に、息子に癇癪を起こされては困ると、「いっちゃんはいいの!」と兄を庇うこともあり…。そのせいで、「だめ!いいの!」と、娘も混乱しているような言葉を発しながら、おもちゃを奪うようになってしまいました。私が母親だから、兄が自閉症だから、というような家庭環境のせいで、このまま娘が保育園という社会の中で、横暴な振る舞いをするようになったらどうしよう。どうしよう。どうしたらいいんだろう。そんな気持ちが一気に押し寄せてきて、涙が止まりませんでした。きっと正解なんてない。関わってくれる人たちと一緒にUpload By かさはらあやこすぐに保育園の担任の先生に相談し、それから児童発達支援の先生方にも相談。先生方はすぐに時間を割き、真剣に話を聞いてくれました。そして、いま私が悩んでいる娘の行動は問題行動ではなく、年齢的には相応しい2歳児の遊びであり、コミュニケーションの取りにくい兄とのやり取りの一つであること。物を取られるかもしれないという不安感をなくすため、取られても戻ってくる見通しを持たせる遊びを取り入れて、物の永続性を学習させる。家庭でのルールを少し緩和する(兄によしとすることを妹にもよしとする)。など〝私に対しての〟具体的なアドバイスをくれました。(先生方、本当にありがとうございました!!)〝きょうだい児〟の問題に関しては、同じように悩んでいるひとたちが数多く存在すると思います。沢山いるはずなのに、〝きょうだい児・喧嘩・正しい声の掛け方〟と検索しても、欲しい答えは見つかりません。どう声をかけたらいいのか。どう接したらいいのか。正解なんてないのだと思います。だから、・聞いてもらう・色々な人の意見を聞いて考える・いまはやりすごす(成長を待つ)・目を瞑ってなんとか乗り越える・一人で悩みすぎないそんなことが必要なのだと思いました。そして、この問題に関しては、成長と共に悩みの種類も変化し、一生悩みは尽きない気がします。自分ひとりで抱え込むのではなく、関わってくれている人たちみんなに育ててもらうつもりで悩みとうまく付き合っていかなくてはと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月20日「できるけど疲れる」ことがたくさんある筆者が吉川先生を知ったのは、2018年11月にNHK総合で放送された『発達障害って何だろうスペシャル』だった。千原ジュニアさんや南沢奈央さんらをMCに据え、スタジオには小島慶子さんのほか、筆者がテレビ取材もさせていただいた“トリプル発達障害”の漫画家・沖田×華さんも出演。そこでの吉川先生の発言に、思わず膝を打った。「発達障害のある方に関して『何かができるかできないか』っていうことだけで見ると、見誤るんですね。『できる』と『できない』の間に『できるけど疲れる』ことがたくさんある」(吉川先生番組内で)誤解を恐れずに言えば、吉川先生はちょっと異質的な存在だ。元々教員になりたかったが、学校教員の文化が自分に合わないことに高校時代に気づき、子どもの精神科医という道を選んだ。大学教員などを経て「自分は研究者向きではない」と感じたといい、現在では多くの発達障害当事者や養育者に支持されている。Upload By 桑山 知之「“正確さを犠牲にした分かりやすさ”っていうのを意識しているんです。専門の研究者って、正確さを大事にしなきゃいけない立場ですよね。正確さを犠牲にできないじゃないですか。でも僕は研究者ではないから、『誤解を招きかねないけど分かりやすい』ということがいくらか許される立場なんです。研究者になってしまうとできない表現や書き方ができるというのが、研究者ではない医者の特権かなと」(吉川先生)確かに、前述の「できるけど疲れる」ことがたくさんあるというのは、それに当てはまらないケースがあるのも事実だ。しかしながら、発達障害の苦しみを理解するうえでは非常に分かりやすい表現だといえる。福祉や法律といったあらゆる領域をまたいでいるからこその見識の深さを、自身は「ひとつの領域を突き詰めるというのがあんまりできなくて……」と謙遜する。Upload By 桑山 知之この子、発達障害かも?まずは「人手集め」から我が子にADHDや自閉症スペクトラム障害のような特性がみられた場合、多くの養育者はまず子どものことを理解しようと、発達障害の知識を蓄えることからスタートしてしまいがちだ。しかし、吉川先生によれば、まず「人手をできる限りたくさん集める」ことが入口として一番“無難”だという。「人手が足りないときに知識だけ集めたり、トレーニングだけ受けたりすると、わりとややこしいことになるんですよね。例えばこの子に何か新しいことを好きになってもらおうとすると、ちょっと演出しないと難しいよって。お母さんが歯磨きをしたあとに、すぐに僕もやる!ってなる子は歯磨きを覚えさせるのも難しくないんだけど、真似っこしたい気持ちが弱い子に対しては歯磨きって楽しいんだよっていうか、何かひと手間ふた手間かけないと歯磨きが好きにならないし、できるようにならないかもしれない。だから今、この子の子育てで何かを好きにさせるためにもできるようになるためにも、もっと言うと虫歯にさせたり怪我をさせたりしないためにも、余分に人手が要りますよねっていうところを共通認識にしていくことが入口なんですよね」(吉川先生)Upload By 桑山 知之あくまで順序としては人手、すなわちマンパワーを集めることが最優先事項。それがひと段落したあと、知識や技術を身につけていく。そのためにも、家族以外からサポートを受けることが精神的な支えになるそうだ。一般的には母親が先に気づいて父親はあとからついてくることが多いが、夫婦間だけでなく祖父母世代との間でも「足並みが揃うまでに時間がかかる」ことは多い。「早い時期に関わる支援者はつい子どもの特性とか子どもに対する関わり方をどんどん伝えたくなるんですけど、それよりも先にどうやってお父さんと足並みを揃えるのか、おじいちゃんおばあちゃんへの説明をどうしようか、っていう相談に応じていただいたほうがいいと思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之「できたら褒める」は要注意「挑戦したら褒める」にシフトをドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』を放送したのは2019年5月。発達障害は、ここ5年ほどの間に急速な認知が広がったように筆者は感じている。こうした中、人手を含めたリソースの供給などが追いついていないと吉川先生は話す。「社会の認め方もそうですけど、当事者やその身近な方の認め方も確実に変わってきているというのは、確実にそうですね。ただ、変わってきているのも、いいところも悪いところも両方あるかなって思っています。必要な方が援助にたどり着きやすくなったってことはあると思うんですが、急速に知識だけが広がってきたので、支援のためのリソースがまだ充分足りていない。文化の変化というか、そういう人たちがたくさんいるんだっていうのを含んだ“文化の成熟”っていうのも遅れているんじゃないかなと」(吉川先生)Upload By 桑山 知之吉川先生は、発達障害の有無にかかわらず子育てをする中でつい陥りがちなことがあると指摘する。それは、「できたら褒める」ということだ。「できたら褒められるっていうのを子どもが学びすぎると、大人が好きなのは完成と達成と勝利だけと思ってしまうんですよね。そうすると、どうせ達成できないから僕はやらない!ということになってしまう。発達障害のあるお子さんの中には、難しそうな課題は手を出さなくなる子が一定の割合でいるんです。どちらかというと、『挑戦したら褒める』作戦でいく方が、子どもを育てやすくなると思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之完成と達成にフォーカスするよりも、何かに取り掛かり始めたところで応援することに軸足を置いた方が育てやすいという。特に、きょうだいの中に発達障害と定型発達の子がいたり、知的障害のある子がいる場合、完成と達成を評価してしまうと他方への褒め方が見つからなくなる。それよりも、挑戦に対して「ナイストライ」「いいチャレンジだったね」と声を掛ける方が“辻褄が合いやすい”と吉川先生は話している。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年05月17日いじめで引きこもりに…「半分死んでいた」飲食関係の会社で働く父親と、元保育士の母親のもとで育った古橋さん。6歳上の姉とともに暮らしていた。中学1年の10月ごろから不登校になった。原因は、小学生時代から続いたいじめだった。「人がもうダメになって。小学校6年の終わりにいじめが始まったんです。小学校の人たちと縁が切れて、中学校に入ったら中学校で縁ができた人たちにもいじめられて……。あぁ、ちょっと無理、ってなって。自分の中で、引きこもりになるってことはすごくいけないことをしたっていう、人を殺すよりもいけないことをしたって考えていました。当時は、信号の赤を渡ったら地獄に落ちるぐらいの勢いで凹んでいたから。だからもう引きこもりになるってことは死ぬっていうか、半分死んでいるみたいな。生きてはいるけど。なんか死んではいないだけって感じで捉えていました」(古橋さん)Upload By 桑山 知之よく忘れ物をする子供だったという古橋さん。引きこもっている間に、自閉症スペクトラム障害だと診断を受けた。19歳の頃、鬱のため通院もしたが、なんとか苦しみを乗り越え、愛知県内にある通信制の高校や放送大学を卒業した。その後、就労支援のサービスを受け、エクセルやワードなどの資格を取得。2019年、晴れて貸し会議室などを運営・管理する会社にパートとして就職した。業界大手の一流企業だ。「その会社は時給社員っていう肩書きがある会社でした。社員だけどパートっていう、契約社員でも正社員でもなかった。営業の人が使う情報を入力して、資料を作成するような仕事ですね。そういったところでVBA(ビジュアルベーシック・フォー・アプリケーションズの略。Microsoft Officeに含まれるアプリケーションソフトの拡張機能のこと)を 使って、メールの下書きが自動で作れるようにしたりしていました」Upload By 桑山 知之襲い掛かった“コロナショック”就職から1年余りで週4日勤務、時給900円。手取り月収はおよそ7万円。決して裕福な生活こそできないが、それでも古橋さんは「正社員のような長時間労働は自分には難しいだろう」と、無理をせずに仕事に励んでいた。しかし、世界的なパンデミックの波が、古橋さんを襲った。「去年の春からコロナが流行って、不要不急の業務はやめるってことになって、お休みになったんです。それからずっと自宅待機になって、結局9月に退職しました。貸し会議の業界自体がお客さんを集めて運営するようなものなので……。人が集まれない状態ですから」(古橋さん)Upload By 桑山 知之「密を避ける」という時節柄、部屋に人が集まって会議をするという需要は激減した。自宅待機中、古橋さんは雇用調整助成金のおかげで給料のうち6割は支給されていたものの、「会社も運営が難しくなって人員を減らさないといけなくなり、その関係で切られた」という。現に、古橋さんと同じ立場であるパートは全員退職していた。「そりゃショックでしたよ。でも、しょうがないかなっていう思いが強かったですね。だってコロナの状況でしたし。なんでこうなったのかっていうのも、自分のせいじゃないってわかるし。じゃあ、就職活動頑張らなきゃなって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之コロナと距離「自分を受け入れてほしい」元々は正社員志望だったという古橋さんだったが、飲食関係の中小企業で正社員として働く父親が朝から仕事に出て、翌日未明の2時や3時まで自宅に戻らない姿を見て、子どもながらに「これは無理だ」と悟った。社会情勢の影響を受けるのは経済面などで「弱い立場」の人間であることが多い。旧来の“当たり前の幸せ”すらまともに享受できない現代において、新型コロナウイルスは、こうした社会と市民との距離をはっきりと顕在化させているのではないかと筆者は思う。「いま、社会に望むことはあるか」との問いに、古橋さんはこう即答した。「そりゃあ自分を受け入れてほしいってことじゃないですか。社会に出て、パートナーを得て、家族ができて、成功できればなって。社会に受け入れられるっていうのは、僕はその2つだと思います」(古橋さん)社会との距離をあぶり出した、新型コロナウイルス。引きこもりで通信教育だったため友達作りの場が不足していた古橋さんは、親以外に相談相手がいない。取材中も「僕たちには相談相手が必要だ」としきりに話していた。古橋さんに愛情を注ぎ続けていた母親は、取材時にガンで入院中だった。その後、3月18日に息を引き取ったという。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之正しいからおもしろい行き着いた“適者生存”古橋さんは、去年11月から再び就労支援のサービスを受け始めた。幸い、以前も担当していたスタッフが在籍しており、また受け持つことになったそうだ。古橋さんがいま大切にしていること。それは「正しくないとおもしろくない」ということだ。「別に誰かに正しさを教えられたわけじゃないけど、自分の中でいつのまにか形成されたこだわりなんです。正しくないと楽しくないし、おもしろくないんです。正しくないよりは正しいことを楽しく感じますし」(古橋さん)Upload By 桑山 知之図書館に行っては歴史や社会、政治、自然科学といった専門書ばかりを読み漁る。その中で、ある言葉と出会った。いまの古橋さんの心を支えているという。「自分が最近好きな言葉が『適者生存』で。適しているから生き残るっていう意味らしいんですけど、実はそうじゃないんですよね。生物学の本に書いてあったんですけど、『生き残ってるのがすべて適者なんだ』って考え方なんです。適してないものは滅ぶんじゃなくて、すでに滅んでるんだって。だから、発達障害があるってことは環境に適していないっていうことではなくて、『生きているってことはすでに適している』っていう意味で適者なんだって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年04月25日2児の姉妹ママが、次女出産をきっかけに感情のコントロールをするのが難しくなったようで、次女が生後半年のころに思い切って精神科を受診したところ、適応障害と診断されました。今は感情の落ち着きを取り戻しましたが、過去について悔やんでいる点があるそうです。 私は現在、4歳と1歳の2児のママです。次女が1歳になる前、精神科を受診して「適応障害」と診断を受け、服薬を開始しました。今は子どもの成長とともに育児も少し落ち着いてきて、かつ自分自身の仕事も安定しているので、服薬しなくてもある程度余裕を持って子どもたちを見られるほどにメンタル面が安定しています。そんな、今の私だからこそ言える、長女に対しての反省と後悔の念を体験談としてお伝えします。 精神科で適応障害と診断されるまでの経緯次女が生まれてからというもの、長女のメンタル面を配慮せずに怒鳴りつけるなど、我慢させてばかりの日々でした。長女の寝顔を見るたび「ごめんね、明日からは反省して良いママになるから」と心に決めても、次の日には自分でもコントロールできないくらいすぐ怒鳴る自分が恐くなり、ついに次女が生後半年のころに精神科を受診することに決めたのです。 精神科医に今までの経緯や、感情抑制がきかないことなど包み隠さずお話しして、すぐに「適応障害である」との診断を受けました。 悪いことをしたなと思った2つのこと適応障害の主な原因は育児疲れだと医師から言われたのですが、次女が生まれてから1歳を過ぎるまでの間は、本当に大変でした。自分自身も予想以上に2人育児がキツくて、長女に当たりっぱなしだったと思います。 しかし、比較的余裕のある今、「長女の甘えを受け入れられなかったこと」と「自身の余裕のなさから長女の感情を置き去りにしてしまったこと」に対し、悪いことをしたなと反省しています。 長女の甘えを受け入れられなかった今だからこそ理解できるのですが、次女が生まれたときは長女はまだ3歳にもなっていないころだったので、当然、ママに甘えたい気持ちがまだまだあります。そこに次女のお世話のタイミングなど、私の事情は関係ありません。 次女が生まれたばかりのころは、「ママ、着替えられない!」「ママ、お外行きたい!」などといった欲求すら、私の日常ルーティン(洗濯や料理する家事の時間帯)と噛み合っていなければ、すべてイライラして「今忙しいから!」とバッサリ切り捨てていたように思います。 一番私が暗かった時期は「長女はなんでこんなにわがままなんだ」とイライラしていましたが、今思えば月齢に沿った自然な行動をしていただけだと思います。私が自分勝手だと解釈してしまったのは、自分自身のゆとりのなさからくるものでした。 ゆとりが持てる環境は「自らが作り上げて得られるもの」と「時間の経過で自然に得られるもの」と2つあるのだな、と実感しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:石塚みよ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月05日社会の常識を疑う…兄の自由帳に書かれた“謎の言葉”筆者がヘラルボニーという存在を初めて知ったのは、とある意見広告だった。2019年12月当時の背景としては、内閣府が「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄した問題について、安倍晋三首相(当時)は、名簿をシュレッダーで廃棄した人物は「障害者雇用の職員で、短時間勤務だった」と答弁したのだった。そうした中、東京・霞が関の弁護士会館の前に掲示されたのがこの意見広告だ。「この国のいちばんの障害は、『障害者』という言葉だ。」Upload By 桑山 知之29歳、岩手県出身の一卵性双生児。4歳上に、重度自閉症と重度知的障害のある兄・翔太さん(33)を持つ。崇弥さんと文登さんは、保育園から小学校、中学校、高校までをともに岩手県で過ごし、その後は別々の道を歩んでいた。Upload By 桑山 知之文登さんは東北学院大学(宮城・仙台市)に進学後、大手ゼネコンに就職。一方、崇弥さんは東北芸術工科大学(山形市)の企画構想学科へと進学した。そこで放送作家を軸にマルチに活動する小山薫堂さんのゼミに所属。卒業展示では、社会の“常識”を疑う「常識展」を企画した。インドと日本の水を比べるものや、駅に花を植えることに心からの喜びを感じているホームレスなど、常識を問うさまざまな作品を並べた。その主軸こそが、自らの兄だった。「常識展っていうタイトルやアイデアの出発点も、兄貴がかわいそうではないという伝え方をしたいっていうところから入っているので。障害=かわいそう、とか、障害=欠落、というものをそうではないという世界観を提示したいって思って。だから兄貴を題材にすると決めて最初からスタートしていました。昔からそういうのを提示したい思いはありましたね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之現在の屋号「ヘラルボニー」。一度耳にしたら忘れない“謎の言葉”に出合ったのは、この卒業展示の制作のため実家を訪れたときだった。「兄貴の部屋の押し入れをバーッて探していたんですよ、いろんなものを。母親もよく残していたなと思うんですけど、何十冊も自由帳とか絵日記とかあって。けっこう絵日記も世界観がおもしろいものが多くて、これなんかフォントおもしろいですよね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之「障害者だって同じ人間なんだ」中学時代に母とすれ違いも2人が幼いころから、自閉症の兄とともに福祉団体に遊びに行くのが毎週末の決まり事だった。そこでは、自閉症に限らずダウン症や精神障害などさまざまな人が集っていた。2人にとっては、そこで“障害”というものはあまり関係なく接しているのが当たり前だった。ただ、小学4年のころに覚えた違和感を、文登さんは作文に綴っていた。「団体の人と土日一緒に出掛けていたときに、目線とか……同い年ぐらいの人が指を差して、僕らの兄の集団を笑っていたんです。それに対して腹が立って。小4ながらに自分の中で思ってた感情っていうものがけっこう多くあったんだろうなって。僕ら双子の中でのフツウの感覚と、社会側のフツウの感覚のズレみたいなものとか、単純に『兄をバカにすんなよ』っていう思いもそこに乗っかっているのかなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之2人はやがて中学校に進学し、卓球部に所属した。兄は県内の特別支援学校へと進学。しかしここで、関係性は一度悪化してしまったという。「僕らの中学校は自閉症スペクトラムのことを『スぺ』って言ったりする子がいて、『お前、スぺの教室行けよ』みたいな。自閉症=欠落、スぺ=欠落みたいな風な使い方をするような中学校だったんです。試合の応援にも母親が兄貴をよく連れてきていたんですけど、僕もすごい兄貴が応援に来ることにアレルギーが起きるようになったんですね。それで母親に『兄貴連れてこないでよ』ってすごい言っていたんですけど、母親はしきりに『隠すことじゃないよ』って逆上するわけですよ」(崇弥さん)「自分たちの心の弱さから、小4のころはふざけんなよって言えても、中学ぐらいになって言えなくなってしまう自分もけっこういて。『スぺ』っていうものが蔓延して、スぺのきょうだいだって思われるのがすごく嫌になってしまった時期があって」(文登さん)Upload By 桑山 知之障害者の兄がいることは決して恥ずべきことではない。そんな思いから、部活を引退するまで母親は兄を連れて試合に応援へ駆けつけ続けたのではないかと2人は推測する。しかし、地元から200キロ離れた高校へ進学すると、自然にこの“すれ違い”はなくなった。「周りから言われることを避けるために、兄貴を迫害することによって自分を守っていた」と崇弥さんは振り返る。「中学時代も、兄貴のことを嫌いになったりとか、兄貴のことを大切に思ってない、ではないんですよね。兄貴のことはずーっと大切で、好きな状態はずっと今も思っていて。ただ、中学のころは防衛本能が働いていたっていうか……。高校に上がると、その当時の友達とかもいなくなったので、環境が変わったので普通に兄のことも言えるようになったんですよ。なので、自分で過ごしている環境ってすごく大事なんだろうなってホント感じますね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之子育てに正解はないという。「もしかすると正解は『ずっと連れて来るもの』って書かれるかもしれないけど…」としながら、きょうだいにはきょうだいの生活があり、親としてはその立場を考えるのもアリではないかと崇弥さんは語った。文登さんはそれを「逆張りだ」と笑いながら、親子で話し合う場の必要性を思案していた。前身ブランドからヘラルボニーができるまで崇弥さんは、小山薫堂さんが代表を務めるオレンジ・アンド・パートナーズという広告会社に4年半勤務した。かつて薫堂さんが住んでいた東京・赤坂のアパートも紹介してもらい、住んでいたという。社会人2年目の夏、岩手へ帰郷した際、衝撃を受けた。「岩手県にある『るんびにい美術館』(岩手・花巻市)っていう、それこそ知的障害のある作家が描いた作品が展示されている、社会福祉法人が運営している美術館がありまして。そこに行ったときにものすごい衝撃を受けて、これはおもしろい!っていう風に思ったんです。一発目に文登に電話をかけて、『なんかやろう!』って。何かを立ち上げようと」(崇弥さん)あの衝撃からちょうど1年後、2人はヘラルボニーの前身となるブランド『MUKU』を立ち上げた。ラッパーの晋平太さんを介して、『見えない障害と生きる。』にも出演したGOMESSさんに依頼し、楽曲も誕生した。見た人を惹きつけるプロダクトはすぐに話題となった。しかし一方で、崇弥さんはもどかしさを感じていたという。「当時は副業だったので、もっと全然いけるのに……っていつも思っていたんですよ。もっとコミットしたら絶対にいけるのに、でもこんなにリソースを割けないから悔しいなっていつも思っていて」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之そこから2年後の2018年7月、謎の言葉「ヘラルボニー」を掲げた会社を設立した。翌年には経済誌『Forbes』が選ぶ「世界を変える30才未満の30人」に双子起業家として選ばれたほか、先述の意見広告でも一大ムーブメントを巻き起こした。建設現場の仮囲いを期間限定のミュージアムと捉えたプロジェクトも話題を呼んだ。そして何より、障害のある作家がつくるアートを生かした製品は、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを獲得し続けている。その大きな要因として、「着想の出発点」が違うからだと筆者は思う。「時代に後押しされているというのはものすごく感じます。もともとSDGsやりたいとかそういう思いで始めたわけでは全然ないけれども、社会側がSDGsっていう文脈を持ってきてくれているし、ダイバーシティやりたいって思ってダイバーシティって言ったこともないけれども、社会側がダイバーシティ&インクルージョンっていう文脈をウチに紐づけてくれるし。社会側が色んな文脈をウチの会社にありがたいことに紐づけてくれたっていうところがすごくある」(崇弥さん)「10年前やっていたら全然違う結果になっているだろうけれども、今っていう時代にやれているからこそっていうのもあるだろうなと。僕ら双子揃って運が良くて、いろんな方に恵まれているというか、自分たち双子としては大したことないんですけど、関わってくれている皆さんが本当に素晴らしい人が多いんです」(文登さん)Upload By 桑山 知之異彩放つ活躍数字で語れる会社に人気セレクトショップ『TOMORROWLAND』での製品販売や、吉本興業とのコラボブランド『DARE?』など、ヘラルボニーの躍進は止まらない。今年度の売り上げは1億円を超えるという。もちろん、アーティストへの還元も忘れない。「正直ホント数字面ではまだまだなんで。数字で語れる会社になれたらいいなってすごい思いますね。あそこは数字も素晴らしいよね、障害のある作家にもめっちゃ還元するよね、っていう会社になりたい」(崇弥さん)「今後の目標設定とかもすべて透明化させたいなと来期から思っていて。障害のある作家さんにどれぐらいバックしていて、これまでどれだけバックしてきたか、みたいなところとかも全部見える化して、それに対する社会的なインパクトとかもつくっていきたいなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之兄・翔太さんは現在、岩手県奥州市にある就労継続支援施設(B型)「わかくさ」で、コーヒーのパック詰めや空き缶つぶしをしている。週に3回はグループホーム、残りは自宅で暮らしているという。きっと弟2人の“異彩を放つ”活躍を、誇らしく感じているだろう。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月21日