■前回のあらすじ検診時に「お腹の張りが気になる」と相談すると、念のためノンストレステスト(NST)をすることに。その結果、急遽入院するよう言われ…。■入院の期間は…?自宅でのんびり過ごすつもりが、出産まで入院するかもしれないというまさかの事態に…。仕事も出産準備も中途半端な状況に焦りが募ります。■帰宅後は慌ただしく…やらなければいけない仕事を終わらせ、入院の準備をしたものの、この状況を受け入れることができないまま夜は過ぎていきました…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月16日3人目の出産後は授乳も入院生活も慣れたもので、「早く自宅に帰って上の子どもたちに赤ちゃんを会わせたい」。そんなことを考えていました。でもそんなことを言っていられない事態に……。私たち家族にとって大きな試練となった、娘が“心室中隔欠損症”だと言われたときの体験談を紹介します。 切迫流・早産を経て早く生まれた娘3人目の妊娠で切迫流・早産で長期入院をし、安定していたとは言えないものでしたが、夫と子どもたちとの面会時間を楽しみに約4カ月の入院生活を家族全員で乗り切ろうとしていました。そして迎えた妊娠36週5日。正期産を目前に、あと少しでおなかの子どもと上の子どもたちにも会える。楽しみなことしかない!と思ってワクワクしながら眠りにつきましたが、おなかの張りが痛みを伴うものになっていました。あっという間に帝王切開にて出産した私は、生まれたばかりの赤ちゃんに何も問題がないことを聞き、安心して眠ったことを覚えています。 え?「心室中隔欠損症」って何?娘が生まれて安心していたものの、生後5日目に小児科の先生から「心臓の音に雑音が聞こえる。追加の検査が必要」と言われ、改めて検査をすると「心室中隔欠損症」と診断されました。「心室中隔欠損症」は簡単にいうと右心室と左心室の間に穴が空いている状態。心室中隔欠損症は特に珍しくなく、たいていは小さな穴で自然と閉じることが多いそうです。しかし、娘は穴の位置が大動脈弁の近くにあり、穴自体は大きくはないけれど弁が変形しているとのことでした。弁が変形することで血液の逆流があり、本来なら送り出されるはずの血液が戻ってきてしまうそう。そのために「早い段階で手術が必要になる」との説明を受けました。 小さな体で挑んだ手術循環器小児科のある大学病院で心臓疾患の専門医が詳しい検査をしました。そして、泣きながら手術の説明を聞いていた私に、先生は「お母さん。これは生き死にのための手術ではなく、元気に生活するために必要な手術だと考えてください。だからそんなに不安にならず、一緒に戦ってあげてください」と声をかけてくれました。この言葉でとても勇気づけられました。娘が生後8カ月のとき約6時間の手術の時間、不安な気持ちを抑えつつも無事に手術が終了。ICUへ移された娘はまだ意識こそ戻っていなかったものの元気だと教えてもらい、とても安心したのを覚えています。 手術後は2〜3週間の入院予定のところ、娘は1週間で退院という脅威の回復力を見せてくれて、1歳になった現在も元気に過ごしています。娘が心室中隔欠損症の診断を受けたことも手術を受けたことも、ショックなことでした。でも、家族全員で乗り越えられたこと、家族の笑顔や健康の大切さに改めて気づかせてもらえたことはかけがえのない経験になりました。身をもって教えてくれた娘にはとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/三上美咲作画/やましたともこ
2020年12月30日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産体験談第9話、最終回です。 夫と「これが最後」と決めた不妊治療でめでたく双子を妊娠! 妊娠悪阻のため妊娠4カ月で一時入院に。そして妊娠7カ月のとき、2週間ぶりに健診に行ったところ切迫早産で緊急入院! 妊娠36週目、帝王切開で二卵性の双子の男女を出産しました! 出産した夜、なぜか涙が止まらない…体調さえ回復すれば、双子にはすぐ会える。そのことは頭ではわかっているのに、おなかに双子がいなくてひとりぼっち……という気持ちが押し寄せてきて、寂しくて寂しくて涙が出ました。 ママになったことを実感した瞬間双子が生まれた直後は「とにかく生きて生まれてきてくれてよかった……!」と涙が出たんですが、今回はなんというか、これまで不妊治療をしていたので、妊娠期間中も、そして生まれてからも、まだなんとなく安心できないような感覚があって、知らず知らずのうちに気を張り詰めていたのかもしれません。先生の「よく頑張ったね」という一言で「あぁ本当なんだ……本当に私たち夫婦のところに2人は来てくれたんだなぁ」という実感が押し寄せてきて、うれしさと安堵と、先生方への感謝とで涙が止まりませんでした。 その後、切迫早産による緊急入院から2カ月半の入院生活を終えて、無事退院しました。緊急手術で大変だった不妊治療を経て、念願だった赤ちゃんを無事妊娠、出産されたかよポンさん。当時の妊娠、出産、育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月19日1人目の子を妊娠していたときは経過が順調で、普通に仕事や生活をしていました。2人目のときも順調かと思っていたら……妊娠32週でいきなりおなかが張り、出血してしまいました。大変だったそのときのことをお話しします。 いつもよりおなかが張る2人目を妊娠したのは上の子が4歳で甘えざかりのころ。何の異常もなく、仕事もフルで働き、上の子のお世話も普通にしながら生活していました。 しかし、妊娠32週のある日のことです。いつもよりおなかの張りがあるなと思い、休憩をしながら夕飯を食べ、上の子と一緒に早く寝ました。 少し時間が経つと、何かが出たような感じがあり、もしかしたら……と思って確認すると、出血が! どんどん流れ出してきたので、急いでかかりつけの産婦人科に連絡をしました。 大きな病院へ緊急搬送、そして入院に…急いでかかりつけの産婦人科に行き、診察してもらった結果、破水はしていなかったものの、「早産の可能性があるので、大きい病院に移ってもらいます」と言われました。そして、生まれて初めて救急車に乗り、大きな病院に搬送されたのです。 転院先での診察の結果、切迫早産という診断がおり、安静ため緊急入院となりました。入院後は、何かあれば緊急帝王切開になるかもしれないと言われ、おなかの張りを抑える点滴を24時間管理でおこない、移動はすべて車椅子の生活に。 とにかく妊娠37週まで私は、妊娠37週まではもってほしいと毎日おなかの子に語りかけていました。そして私の声が届いたのか、状態は安定し、妊娠36週で退院することができ、元の産婦人科にも戻ることができました。 退院後は、いつ産んでもいいから今度は動いてと言われ、動くようにしました。しかし、安静の期間が長かったせいか、筋力も体力も落ちてしまい、すごくしんどかったです。 結局、2人目の子は妊娠38週までおなかの中にいてくれました。陣痛が来てからはあっという間だったのですが、最後に陣痛促進剤を使い、吸引分娩で元気な男の子が生まれました。大変な出産でしたが、何より無事に生まれてきてくれてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO原案/加藤美紀作画/YUDAI9℃
2020年11月08日私は2人目を妊娠しているときに切迫早産で緊急入院になり、上の子を預かってくれる保育園を探すのに苦労した経緯がありました。そして3人目を妊娠したときも、初期の段階で入院が必要になると診断されたのです。そのときに急きょおこなった保活の体験談についてお伝えします。 ママが専業主婦だと保育園入園は難しい私の住む地域は、ママが専業主婦だと基本的に認可保育園に入園させることはできず、申し込めても出産予定日の前後8週だけでした。もしくは母親が入院するなどで保育ができなくなった場合のみです。2人目を妊娠中のときは親戚が勤める病院の職員用の保育園になんとか預けることができたのですが、決して簡単に入れたわけではありません。そして3人目の妊娠が判明したときは、医師が「初期の段階で入院になる可能性が高い。早めに保活したほうがいい」と、妊娠10週のときに診断書を書いてくれました。 どうしても入園先が見つからない先生にすすめられたこともあり、早めに保活を始めましたが、どこも空きがありませんでした。しかも相談していた自治体の方は、専業主婦と聞いた時点で保活の話を積極的には受け入れてくれず、家族のなかで保育をする人はいないのかという話ばかりで順調に進みませんでした。そうこうしているうちに妊娠13週のころに、医師から「今すぐにでも入院してほしい」と言われてしまい、どうしたらいいのかわからずに落ち込んでしまいました。 認可外保育園も検討した結果… 困り果てていたとき、今まで相談していた自治体の方が「認可外保育園で検討してみてはどうか」と提案してくれました。もちろん視野にはあったものの、金銭的にも厳しかったため候補には入れてなかったのです。しかしそうも言っていられなくなり、いくつか問い合わせましたが、どこの保育園も空きがなく難航……。そんななか、1つの園が事情を察してくれて「空きがあるわけではないけれど、職員の増員も含めて検討させてほしい」と言ってくれたのです。その後、復職予定の保育士さんが早めに復職されることになり、わが家の子どもたちも無事に入園することができました。本当にホッとしました。 子どもを2人を保育園に預けることになり家計的には大打撃ですが、その保育園では子どもたちだけでなく、私の育児に対するフォローもしてくれました。産後の不安定な時期も支えていただき、本当に助かりました。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年11月07日早産の場合、受け入れてくれる産院が限られてきます。私のように何の兆候もなく突然陣痛が起こることも。私自身が体験した、緊急入院から緊急搬送までの流れをお伝えします。 突然の陣痛! まずは産院へ連絡 妊娠33週のある日、「これが陣痛なのかな?」と思うほど私のイメージと違う痛みがやってきました。いつか収まるだろうと夕方ごろまで様子を見ることに。今思えばこのとき、すぐに産院へ連絡するべきでした。 夕方ごろにようやく産院へ連絡し、向かったところ、子宮口はすでに2cm。そのまま緊急入院となりました。朝まで張りは収まらず、早朝にはおしるしもありました。 早産を受け入れてくれる産院を探す 私が妊婦健診を受けていた産院はNICU(新生児集中治療室)がなかったため、妊娠33週で生まれてくる赤ちゃんを受け入れてくれる病院を探すことになりました。 早産の赤ちゃんは肺など未熟なまま生まれてくるため、生後すぐにNICUで呼吸器をつけたり、点滴をしたりと、24時間観察・治療をしなければいけません。そういった病院は限られていて、緊急搬送の場合、受け入れ先がなかなか決まらないこともあるそうです。 赤ちゃんの過ごす場所「NICU」 私は運よく近くのNICUのある病院へ搬送されることになりました。その後、無事に出産。赤ちゃんはNICUの保育器の中で過ごすことになりました。 赤ちゃんの様子を見に行ってみると、人工呼吸器や点滴がついた状態でうつ伏せになって保育器の中に入っていました。保育器の中は温度管理がされ、子宮の中と同じ状況なのだという説明を聞きました。医師や助産師さんが24時間体制で赤ちゃんの管理をしてくれたので、安心して見守ることができました。 突然の陣痛から出産に至りましたが、「赤ちゃんはベストなときを選んで出てきてくれたのよ」と励ましの言葉も頂きました。保育器の中で懸命に生きるわが子を信じて過ごしたことを今でも覚えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:渡瀬文葉一児の母。妊娠前はアロマセラピーや食事指導、ブライダルエステをするセラピストとして接骨院に勤務。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は洋菓子作り・子ども服作り・編み物。
2020年10月12日1人目が逆子で帝王切開だったため、2人目も妊娠38週での帝王切開を予定していました。しかしまさかの妊娠35週、夫は出張中、頼れる親戚も近くにいないなか、深夜に破水してしまったときのエピソードです。 妊娠35週に突然破水1人目が帝王切開での出産だったため、今回も妊娠38週での予定帝王切開の予定で、友だちとランチをしたりして、マタニティライフを楽しんでいました。 妊娠35週のある夜、夫は海外出張中、2歳半の娘を寝かしつけ、そろそろ寝ようと横になった瞬間、尿漏れの感覚がありました。「破水?」と思いつつ、まだ妊娠35週だし……と安易な気持ちでトイレに行ったところ、まったく止まらず、破水だ!と確信しました。 夫は海外出張中。2歳の上の子はどうしたら?すぐに病院に向かいたいところですが、家には私と娘の2人きり。病院に連れて行っても、面倒を見てくれる人はいません。夫にはLINEで状況を報告し、隣県に住む実母に連絡したところ、まだ電車はあるので来てくれることに……。その間、流れ出る羊水をバスタオルで拭きつつ、入院バッグの確認や、実母への伝言などをメモにまとめました。 実母が来るまでの間、流れ続ける羊水を見ておなかの赤ちゃんの様子が気になり、病院に電話しました。すると、妊娠35週で破水した場合、緊急帝王切開になり、ひょっとしたら赤ちゃんは別の病院に搬送になるかもしれないので、救急車を呼んでもいいからできるだけ早く病院に来るよう言われました。 やはり緊急帝王切開に病院に着くとやはり破水との診断で、そのまま緊急帝王切開に。付き添いが誰もいなかったため、診察室のベッドに横になった状態で手術の同意書を書いたりと、慌ただしい出産になりました。 生まれてきた赤ちゃんはやはり2,500g未満でしたが、産声は聞かせてくれ、保育器管理となったものの、同じ病院にそのままいることができました。しかし、本来であれば、赤ちゃんの身体測定の様子などをカメラで撮影することができたのですが、それは叶わず……。無事に生まれてきてくれただけで感謝ですが、予定通りであればできたことができなかったこと、早産で産んでしまったことに、しばらく自分を責め続けました。 入院中は小さく産んでしまった赤ちゃんと、急に母親がいない生活をさせてしまった娘に申し訳ない気持ちで、涙していました。今は子ども2人の育児で忙しくなり、これから母乳育児や離乳食で、大きくなるよう見守ろうと前向きな気持ちになれています。 お産は何があるかわからないというけれど、まさか正期産の時期に入る前に産むことになるとは思ってもいませんでした。入院グッズだけ簡単にまとめていたのが不幸中の(?)幸いでしたが、早め早めに準備をしておくことや、家族には産前・産後はなるべく家にいるような調整をしてもらっておくことも必要だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:渡邉まゆ2歳と0歳の母。低出生体重児で生まれた2人目の母乳育児に奮闘中。
2020年10月10日私は2歳の男の子と0歳の女の子のママです。妊娠26週に切迫早産で突然入院になってしまい、赤ちゃんのために揃えておきたい物がまだほとんど買えていませんでした。必要な物は、ネットで購入することに……。私も夫もベビーカーやチャイルドシートは高い買い物なので、最後まで悩んでいました。そんなときに夫から提案されたことを受け入れ、後悔した話をしたいと思います。 夫からの提案わが家は車を所有していたのですが、主に夫が使用しています。産後の外出は抱っこひもかベビーカーになるため、チャイルドシートと一緒に最後までベビーカー選びに悩んでいました。私はベッドに横になりながら、ネットでひたすら検索の日々……。そんなときに夫が1枚のチラシを持ち、私の病室へやってきたのです。それはチャイルドシートをベビーカーに取り付けてそのまま移動ができる「トラベルシステム」というものでした。 悩んだ末に「トラベルシステム」ならチャイルドシートとベビーカーが一緒になっているし、チャイルドシートに赤ちゃんを乗せたまま移動できるのは便利だと思ったようで、とてもうれしそうに私に説明してくれました。私は正直、ベビーカーを使うのは主に私なのだから、私に選ばせてほしいという考えで……。 でも、私が入院していて、一緒にお店に見に行けないのが悪い、夫は私のために調べてきてくれたのに否定してはいけないと思い、夫の提案してきたトラベルシステムのベビーカーとチャイルドシートを購入しました。 実際に使い始めて…元気な男の子を出産し、赤ちゃんとの生活がスタート。購入したチャイルドシートもベビーカーも、はじめは車移動が多く大活躍でした。しかし、少しずつ私と赤ちゃんの2人で外出することが増えてくると不便な点が……。 チャイルドシートを取り付けた状態ではベビーカーが折り畳めず、かといってチャイルドシートを取り外すと対面式にできず背面式ベビーカーになってしまうため、赤ちゃんは私の顔が見えずに泣き出してしまい、結局抱っこに。どんどん大きくなる赤ちゃんを抱っこするのは、本当に大変で……。焦らずに赤ちゃんが生まれてから、じっくり自分の買いたいベビーカーを選べばよかったと後悔しています。 夫が提案してくれた「トラベルシステム」は、チャイルドシートで赤ちゃんが眠っていてもそのままベビーカー移動ができて運べるので、普段車移動の人にとってはとても便利なものだと思います。しかし、私自身は普段車を使用しないこともあり、赤ちゃんとの生活がどのようなものになるかをもう少し想像してから購入すればよかったと思います。 監修/助産師REIKO著者:八木さつき2歳男児、0歳女児の母。ケアマネージャーの資格を取得。妊娠・出産・子育てに関する体験談を執筆している。
2020年09月26日妊娠4カ月、心の準備ができていないまま私は緊急入院することになりました。ここでは、私が切迫流産になった原因と治療の様子についてお伝えします。 妊娠4カ月ごろに切迫流産で入院妊娠4カ月ごろ、突然おなかに張りと痛みを感じました。我慢できてしまう痛みだったので、安静にして落ち着かせようと横になって過ごしました。ところが痛みは強くなり、次第に陣痛のような定期的な痛みになってしまいました。 急いで病院に向かい、担当医に診察してもらうと「切迫流産」と診断されました。その場ですぐに入院となり、私はショックと痛みで唖然とするばかりでした。 切迫流産の原因は「子宮筋腫」だった切迫流産の原因となったのは「子宮筋腫」でした。妊娠前からあった子宮筋腫が妊娠前よりも大きく育ち、さらに細菌に感染して変性を起こしていたようです。 入院中は抗生物質の入った点滴をして治療してもらい、痛みは数日でおさまりました。しかし、おなかは依然として張りやすく、動くとすぐに固くなりました。「なるべく歩かないように」と指導を受け、車椅子で移動するといった入院生活でした。 切迫流産について知っておくこと、緊急時の確認をしておくこと感染の原因は不明、子宮筋腫には菌がたまりやすく、感染しやすくはあると担当医から説明がありました。私は幸いなことに受診と治療が早かったので、その後も妊娠を継続することができました。 「子宮筋腫の有無やその状態」「妊娠したときのリスク」「切迫流産の症状」などをよく知っておくこと、さらに何かあったときの病院の連絡先や移動手段を確認しておくことが大事だと感じました。 切迫流産と診断されたときは、非常にショックを受け、恐怖を感じたことを覚えています。妊娠中は、何かあっても対処できるよう、家族と緊急時の確認をしておくと安心ですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:富士ちあき一児の母。子宮筋腫や切迫流産を経験しながらも無事に男の子を出産。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年08月10日初めての出産、切迫早産で自宅安静の日々を経てやっと訪れた出産予定日。しかし、それから数日過ぎても陣痛が訪れないので、ついに陣痛促進剤の使用が決定! 思いがけないことが気になった私の出産話を聞いてください。 出産予定日+6日で陣痛促進剤決定切迫早産で約1カ月間自宅安静をしていましたが、出産予定日に近づいてもう大丈夫! ……となったのになかなか陣痛が来ない……。歩いても階段を昇降しても少し張るだけのおなかに、妊娠41週0日での誘発分娩が決まりました。 入院の流れを説明されたあとは「いよいよこの日に生まれるのか、日にちが前もってわかるなんて不思議!」くらいの気持ちでした。 陣痛促進剤投与当日、朝9時ごろから陣痛促進剤の点滴を打ち始めました。まずは少ない量から徐々に増やしていくようで、テレビを見ながら夫と助産師さんと談笑しながら何ともなく午前中が過ぎていきました。 昼食を食べて薬の量が増えていっても特におなかに痛みはなかったので、夫は昼食を摂りに一旦外へ出ていきました。午後1時を過ぎたころ、なんだか便意を感じて1回目のトイレに行かせてもらったところ、ゆるめの便が……。産院着でおなかが冷えたのかな?と思いながらまた分娩室に戻りました。 いよいよ陣痛が! この痛みは何?その後、徐々におなかの張りが強くなっていき、助産師さんも「これで陣痛が乗ればいいですね!」と小まめに確認してくれました。それでも便意は続き、2回、3回とトイレに立たせてもらう状態の私に、「陣痛促進剤で少し緩くなっているのかもね」と助産師さんが声をかけてくれました。外出していた夫が午後2時ごろ戻ったときには、おなかの痛みが陣痛なのか腹痛なのか、とうとう区別がつかなくなっていました。 このころ、かなり陣痛は強くなっていたようで、もうトイレには立たせてもらえなかったのですが、相変わらず便意を感じていた私は、「ここで漏らすのは絶対に嫌だ!」と、ただただそれだけを考えていました。 出産は便意との闘い いよいよ喋れないくらい陣痛が強くなってきたときも、助産師さんからは「まだいきんではダメ! 逃してね」と言われていましたが、私にとってはいきんだら便が出てしまうという感覚だったので、必死にこらえていました。しかし、「もういいよ! いきんで!」の合図でおなかに力を入れるときには、痛みが最高潮で便意がどうとか考える余裕もなく、早くこの痛みをどうにかしたい! という一心でいきみました。陣痛の合間にずっと気になっていた便意を伝えると、「あぁ、ちょっと出てるね。でも大丈夫! このままいきんで!」と回答がありました。もうろうとしている頭ではもう恥ずかしいという感情は湧きませんでした。直後に破水し羊水も一気に出たので、もうとにかく全部出してやる!といきみ続け、無事に出産することができました。 私は陣痛の痛みについて聞かれると、「おなかをこわしたときの痛み × 数十倍」と答えます。今でもあの分娩室で、必死に便意と戦った記憶は鮮明に覚えています。産院のみなさんは、おそらく慣れていらっしゃるでしょうからそこまで気にすることはないのかもしれませんが、願わくば次の出産時には、便意と直結しない陣痛を感じたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:歌 啓子1歳男児の母、転勤族の妻。子育てはフランス流を実践、夫は息子の爪切り以外はすべてこなせる育メン。2018年9月より在宅勤務にて復職し、転居先の地で友達作りに勤しんでいる。
2020年08月07日高齢初産婦だった私は、妊娠6週2日に絨毛膜下血腫(じゅうもうまくかけっしゅ)と切迫流産の診断を受けました。しかし産科医から安静の指示はなく、私は通常通り勤務していました。勤務中もいわゆる「茶おり」と言われる出血があり、何度も不安になりました。切迫流産であったころを振り返り、私の後悔をお伝えしたいと思います。 絨毛膜下出血で流産の危険病院で妊娠が判明してから茶色の出血が2~3日に1度ありました。絨毛膜下出血があり、このまま出血が自然に体内へ吸収されれば問題ないと医師から言われました。しかし、妊娠7週目に胎児心拍が確認できてからも出血は続いたのです。 そこで医師からは止血剤が処方されましたが、医師曰く、止血剤は気休め程度であるとのこと。流産する可能性もあると説明を受け、私は出血するたびに仕事後に通院し、エコーにて胎嚢を確認しました。腹痛もあり、歩くのもつらい状態でした。 切迫流産なのに安静指示が出ない!あまりにも不安で体調も悪いので、仕事を休みたいから診断書を書いてほしいと私は医師に頼んだのですが、医師は日本産婦人科学会が出しているガイドラインの冊子を私に見せてくれました。ガイドラインには、「切迫流産に対して安静療法が有効な治療であるというエビデンスはない」ということが書かれていました。 医師曰く、「医師により考えや方針はいろいろあるが、切迫流産の場合、安静にしていても流産するときはする」ということでした。そのため、診断書は書けないと言われたのです。 心身共につらい日々を乗り越えてもともと生真面目な性格で仕事を休んだことがない私は、なかなか自分で仕事を休むという選択をすることができませんでした。毎日出勤し、勤務中に出血してはトイレで涙を流していました。精神的にも肉体的にもつらかったです。 なんとか妊娠10週目を迎え、ようやく母子健康手帳をもらいに行くことができたときは本当にうれしかったことを覚えています。通っていた産婦人科はお産を扱っていなかったのでこの時点で総合病院へ転院することになりました。 妊娠期間中、1日も仕事を休むことはありませんでした。無事に出産しましたが、子どもの愛らしい顔を見ていると、この子のことを第一に考え、どうして休むという選択をしなかったんだろうと思っています。もし流産していたら、もっと後悔していたことでしょう。赤ちゃんの命を守れるのは母親の自分だけなので、自身の体調が悪ければ仕事を休み、体を休め心穏やかに過ごすことが大事だと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:きのもとりんこ0歳女の子1児の母。看護師資格保有。自身の妊娠や育児の体験談を中心に執筆している。
2020年07月13日2人目の妊娠中は仕事を続けており、また上の子の育児もあったため、大変なこともありました。そのころの体験談をお伝えします。 おなかの張りを感じる…もうすぐ妊娠後期に入ろうとしたころ、私はまだ保育士の仕事をパートで続けていました。職場には妊娠中ということは伝えていて、仕事も配慮してもらっていましたが、仕事中におなかの張りを感じることがありました。 切迫早産のため自宅療養にちょうど健診の日が近かったため受診したところ、子宮頸管の長さが短く、切迫早産と診断されました。医師から自宅療養をするようにと言われ、おなかの張り止めの薬を処方されました。まだ産前休暇に入っていなかったので、それまで仕事を続けるか悩みましたが、職場に相談して早めにお休みをいただくことになりました。診断書を提出するときは申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「体が大事だから。元気な赤ちゃんを産んでね」と園長先生から温かい言葉をいただきました。 上の子とのコミュニケーション上の子は3歳で園に通っていましたが、2人目を妊娠したころから、夜泣きなどの赤ちゃん返りが始まっていました。特に抱っこしてほしいと訴えることが多かったのですが、切迫早産になってからは、抱っこしてあげたくてもできないのがつらかったです。ですが、何度か伝えると、子どもも次第に理解し始め、お手伝いしてくれたり、自分の気持ちを話すようになりました。 私が気持ちを伝えることで、子どもも徐々に自分の気持ちを言葉や行動で示してくれるようになったのがうれしかったです。また、赤ちゃんのころのアルバムや絵本を見せると、自分が小さかったときのことを思い出すようで、よかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:西川 優4歳、0歳の男の子の母。現在は産休中。
2020年05月31日こんにちは! 0歳の息子の育児に奮闘中のならきちと申します。現在は専業主婦で、趣味はブログを書くことです。最近ツイッターのママアカウントを作ったのでママ友さんたちと交流するのが日々の楽しみです。 さて今回は、切迫早産で入院し、24時間点滴で寝たきり。シャワーは週に1回というつらい40日間の入院生活を送った私のどん底エピソードをご紹介します。 おなかが痛い…。切迫早産に気が付いた日 妊娠中期からおなかが張ることが増えました。少し歩くたびにおなかが張り、30分程度横になって休めばおさまっていたのですが、妊娠29週のある日、朝から体が重くおなかが張っている感じがしました。そして朝食を嘔吐。そこから始まった生理痛のような痛みは4時間たってもおさまらず、これはおかしい! と、ふらふらになりながら病院へ行きました。 経腟エコーの結果、子宮頸管長が25mmとかなり短めで、切迫早産と診断されました。張り止めの内服薬が処方され自宅安静指示が出ましたが、翌日紹介状を持って大きな病院に行くと、「今なら間に合うから早めに里帰りしなさい」と言われてしまいました。 このまま切迫早産で入院してしまうと、その病院で出産になる可能性が高いためです。産後は実家で過ごしたいと考えていたため、さっそく両親に車で迎えに来てもらい、地元に戻りました。 妊婦健診のつもりが…緊急入院!実家に戻ってからも張り止めの薬を飲んで安静にしていました。そして、妊娠31週の妊婦健診の日。子宮頸管長は12mmと、更に短くなっていました。あれよあれよと車椅子に乗せられ、そのまま緊急入院に。 出産予定日までかなり日があったので長期入院は確定。クリスマスもお正月も病院で過ごすことになってしまいました。ショックで現実が受け入れられず、最初の1週間はよく泣いていました。結局この日から40日間入院することになりました。 24時間点滴地獄の入院生活入院後は、「24時間点滴」と「安静」が指示されました。子宮の収縮を抑えるために張り止めの薬を24時間点滴で入れ続けます。 ずっと針が刺さっていることや生活すべてに点滴がついてくることが、大きなストレスになりました。寝返りをうつのも大変。夜中でも点滴がなくなるとアラームがなって起こされてしまいます。ずっと点滴を刺していた左腕はボロボロになってしまいました。また、点滴の副作用で、動悸やほてり、倦怠感などがあり、慣れるまでは大変でした。 そんな入院中の私を支えてくれたのは、同じく切迫早産で入院している人たちのブログでした。私もブログに日記をつけ始め、コメントで励ましあいながら一日一日が過ぎるのを待っていました。 安静が鍵となる入院生活では、食事・洗面・トイレ以外はベッドで寝たきりです。もちろん湯舟に浸かることはできず、シャワーは週に1回程度。とにかく暇な生活でした。ポケモンのゲームを最初から進めたり、マンガを読んだりして過ごしました。気兼ねなくスマホを使えるようにと、夫がポケットWi-Fiを準備してくれたのが助かりました。 いま思い出しても長くてつらい入院生活でしたが、「できる限り長くおなかの中で息子を育てて、元気に産んであげたい!」という思いが一番の原動力でした。 退院した翌日に陣痛…無事出産!正期産の時期である妊娠37週を目標としていた入院でしたが、妊娠36週5日に退院することができました。その日はずっと食べたかった焼肉を両親にご馳走してもらいました。夫も実家に泊まりに来てくれて、もう赤ちゃんがいつ生まれてきてもいいぞ! と意気込み、産後の入院準備をして眠りにつきました。 すると翌日の朝から生理痛のような痛みが。すぐに陣痛間隔を測ってくれるアプリを起動しました。15時ごろからはうなってしまうくらいの痛みに。そして痛みの間隔が10分以下になったので病院に電話し、16時に入院しました。 その後、順調にお産が進み、23時に出産! 子宮頸管が短かったからか、初産婦にしては短めの8時間という分娩所要時間でした。 安静生活が長く筋力が落ちてしまっていたため、お産のときにうまくいきむことができず最終的には吸引分娩になりましたが、息子は元気な泣き声をあげて生まれてきてくれました。すぐ安静にするように、すぐ里帰りするように、すぐ入院するようにと、適切な判断してくれたそれぞれの先生に感謝です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ならきち1993年生まれ。埼玉県出身。企業の広報担当として会社員生活を送るが、多膿胞性卵巣症候群とPMDDを患い約二年間で退職。その後妊娠し、2019年1月に息子を出産。現在は専業主婦で、初めての子育てに奮闘中の一児の母。趣味はブログを書くこと。
2020年04月18日初めての妊娠・出産で、陣痛がどんなに痛いのか未知の世界でした。先輩ママたちに聞いても出産は十人十色。赤ちゃんの大きさ、ママの状況や気持ちでも変わってくるので、痛みもそれぞれ。私は生理痛が酷かったので、痛みには強いと思っていたのですが……。初めての陣痛に向き合った体験を紹介します。 あれ? これはいつもの痛みと違う切迫早産気味だった私はおなかが張ることがよくあったのですが、出産予定日より13 日早い妊娠38週1日に痛みを伴うおなかの張りがあり出血もしていたので、病院に行きました。「このまま入院かな?」と思っていたのですが、母体は特に問題はなく、子宮口が開いていないため、自然に陣痛が来るまで自宅で様子を見ることになりました。 そのまま2日間何もなく、妊娠38週3日の早朝にいつもとは違う痛みで起きました。確実にいつも感じている痛みではなく、強く深い痛みで前駆陣痛だとわかりました。そして、痛みの間隔が1時間から30分、15分と短くなり、13時ごろに10分間隔になったので病院に電話し、入院グッズを持って病院に向かいました。 いよいよ! 強い気力で向き合った陣痛病院に着いたときには痛みの間隔が10分を切っていて、子宮口が3cm開いていました。先生からは、「出産は早くて今晩、このまま陣痛が引いちゃうと明日」と言われました。この時点でかなり痛かったので、この痛みは明日に持ち越したくない! 絶対に今日産みたい! と密かに心に決めていました。 そんななか、深呼吸を意識しながら陣痛に耐えていたら、急に寒気と吐き気がしてきて、嘔吐しました。びっくりしてナースコールをしたら、「陣痛中つわりのような気持ち悪さが出て吐くことがある」とのこと。そこからベッドで横にならず、立ったまま痛みに耐えていました。 やっと会える! でも本番はここから18時ごろ、子宮口はもう9cm開いていましたが、破水はまだしていなかったので助産師さんが人工破膜をしてくれました。そこから分娩台に歩いていくのが大変で……。やっと分娩台に上がれたと思えば、母親学級で教わったいきみ方を忘れるくらいの興奮と痛みでした。しかし、立ち会い出産で隣に夫がいてくれて、お茶を飲ませてくれたり、いきむときに上体を起こして体勢を整えてくれたので、比較的落ち着いて出産に臨めました。 5回くらいいきんだところで、助産師さんから「頭が見えた!」と教えてくれました。私は「これ以上いきんでも出てこないから早く会陰切開をしてくれ!」と思っていたところ、先生が他の方の分娩に立ち会っていたので、すぐ切れず……。 先生が来るまで3回いきみました。そして会陰切開をした途端、無事長男が生まれました! あんなに痛かったのに、息子に会えたこと、元気に生まれてきてくれたことに感動して痛みも忘れて号泣しました。 振り返れば、陣痛をしっかり感じ、命がけの出産ができたことにとても感謝しています。そして、私が陣痛から出産までの間、一貫して常に意識していたことは深呼吸です。赤ちゃんが苦しまないよう、赤ちゃんに向けて空気を送るためにしていたので、自分自身冷静でいられました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:松丸りん0歳男児の母。陽気な夫と3人で田舎暮らし。出産、育児、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年04月06日妊娠中期に切迫流産と診断を受け、大事をとって傷病休暇などを使って早めに仕事を休むことになった私。休暇に入ってから体調も良く、安定した日々を過ごしていたのですが、出産予定日1カ月前に突然切迫早産になってしまったのです。急きょ入院になり、始めた点滴治療が予想外に過酷なものでした。つらい切迫早産の治療体験談と、治療を乗り越えて成し遂げた出産の様子を紹介します。 妊娠中期からのおなかの張り妊娠5カ月に入ったころから、私は体を動かすとおなかの張りを感じるようになりました。産婦人科を受診すると、子宮頸管長が通常よりも少し短めなので動き過ぎないようにと指示を受けました。しかし仕事柄動かずにはいられず、頻繁に張るようになり、とうとう切迫流産と言われてしまったのです。初めての妊娠で仕事を休んで良いのかわからず上司に相談したところ、「医師の診断があるのなら休みなさい」と言ってくれたので、妊娠6カ月のころに傷病休暇を取ることに。休暇を取ってだいぶ体調がよかったのですが、おなかの張りは度々あり、結局そのまま産前休暇に入ることになってしまったのです。 出産予定日1カ月前に突然の陣痛!私はおなかが張らないように安静に過ごしていたのですが、出産予定日の1カ月前、突然「おしるし」のようなピンクのおりものが。同時におなかの張りが頻繁になり、痛みを伴うようになりました。急いで病院へ行くと切迫早産の診断が下って、すぐに入院になり、ウテメリンという張り止めの点滴を打つことになったのです。ウテメリンは入院する前まで錠剤を服用していたので抵抗なく点滴も打ったのですが、予想外に副作用が強く出てきました。おなかの張りがおさまるまでの1週間、とても過酷な治療となりました。 くじけそうだったつらい切迫早産治療点滴を流している間は手足の震えと、心臓が飛び出しそうなほどの動悸で苦しくて仕方がありませんでした。ゆっくり眠ることもできず毎日寝不足。一定量の点滴液を流し終えたあとに、点滴を入れずに様子を観察しているときは、気絶するように眠っていました。私が入院していたときはちょうどクリスマスの時季。家族で楽しい時間を過ごすつもりだったのに、ひとりで過酷な治療と向き合い、気が滅入ってしまいそうな1週間でした。 治療を乗り越え、喜びの出産おなかの張りがだいぶおさまり、赤ちゃんの体重も増えたので、入院から1週間後に私はやっと退院することができました。妊婦生活を満喫することもままならなかったつらい治療から解放されて、とても晴れやかな気持ちだったことを覚えています。退院後はおなかが張ることはありましたが、無事に正期産の時期に入りました。そして、出産予定日の10日前、破水から始まったお産は微弱陣痛で時間がかかりましたが、無事にわが子と対面することができたのです。 点滴治療を受けていたときは、早産でもいいから治療をやめて出産したいと思いましたが、しっかり成長して元気に生まれてきてくれたわが子を見て、つらい治療を頑張ってよかったと涙があふれたのでした。 もともと子宮頸管が短くておなかが張りやすかったのに、あまり体を労わらずに仕事をしていたことを反省したできごとでした。おなかが張っているときは自分もつらかったし、赤ちゃんも苦しんでいるのかなとかわいそうに思っていましたが、おなかの中でしっかり大きくなり無事に生まれてきてくれて感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年03月27日第2子を授かり喜びに満ちていた妊娠4カ月のとき、突然の大量出血を経験しました。妊娠初期は流産しやすいとは知っていたものの、まさか自分が「切迫流産」と診断されることになるとは思わず、大慌て。妊娠中は何が起こるかわからないということを実感しました。 突然の大出血! 切迫流産で入院生活に妊娠12週ときのことです。出かけようと椅子から立ち上がった瞬間、突然バシャっと股から何かが出た感覚がありました。足元に目をやると、床が血で真っ赤に! 慌ててトイレに行こうとしましたが、動くたびに鮮血が流れ出てくる状態に。普通のタオルでは足りず、バスタオル数枚で股を押さえ、すぐさま夫に病院へ連れて行ってもらいました。 診察で赤ちゃんの無事は確認できたものの、その場で即入院の指示を受けました。その日から、絶対安静の入院生活となったのです。 出血の原因は不明? 不安な日々……絶対安静の入院生活は、お風呂にも入れず、診察の際も車椅子で移動するほど。24時間ずっと子宮収縮抑制剤を点滴したままでした。しかしおなかの赤ちゃんは元気で、心拍もしっかりしているとのこと。 先生が出血の原因を探ってくれるものの、明らかな原因はわからずじまい。2週間の入院生活を送ったあと、出血が収まり退院できたのですが、自宅でも絶対安静の指示を受けました。そのため、食事とトイレ以外は常に横になっている生活を送りました。 切迫流産から切迫早産へ退院後もトイレに行くたび、少量ながら褐色の出血が……。新たな出血ではなく、子宮内に残っている以前の出血とのことでした。はっきりとした出血の原因がわからないため、いつまた出血するかと心配な日々を過ごしました。 やっとの思いで妊娠22週になり、ひと安心できるかと思いきや、今度は“切迫流産”から“切迫早産”へと診断が変更に。絶対安静は継続のままでした。正期産の時期までの1日1日が、とても長かったです。 そして妊娠38週、無事に男の子を出産! 医師からも「あれだけの出血をして、よく持ちこたえた」と言われました。妊娠中はいつ何が起こるかわからないことを、身をもって知りました。 妊娠できたことに安心し、普通に出産までの日々を送れるものだと思っていました。しかしまさかの大量出血を経験し、妊娠中は何が起こるかわからないということを学びました。妊娠、出産できることは、当たり前のことではないと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama著者:木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年02月27日切迫早産なんてどこか他人事のように思っていたのですが、妊娠23週の定期健診でまさかの切迫早産に。突然の長期入院生活に戸惑い、悲しい気持ちになったこともありましたが、周りに救われ出産まで至った体験談をご紹介いたします。 切迫早産と入院基準妊娠23週の妊婦健診で、念のため子宮頸管長を測ることに。2年前に円錐切除術を受けており、妊娠初期に計測した際は問題なかったので油断していたのですが、通常3.5~4cmのところなんと2cmを切っていたのです。 先生は大慌てで、夫もすぐに診察室に呼ばれ、「今日から入院です」といきなり告げられました。もちろん入院準備などしていなかったので、夫に少しずつ必要品を届けてもらいました。 子宮頸管縫縮術を体験!入院して張り止めの24時間点滴プラス絶対安静の生活がスタートしましたが、これが本当につらかったです。食事もトイレもベッド上で寝たきりなので、腰痛はひどくなるし散々でした。安静にしているのに頸管長は短くなる一方でしたので、妊娠23週でマクドナルド術という子宮頸管縫縮術(しきゅうけいかんほうしゅくじゅつ)を受けることに。麻酔は下半身のみで、手術自体は5分程度なのですが、術前・術後の準備や片付けを含め1時間くらいかかりました。術前はすごく怖くて医師や看護師さんを困らせていたのですが、術中もこまめに声をかけてくださり、落ち着いて手術に臨むことができてよかったです。 術後の安静度と退院目途入院して2週間後、手術を受けたことで安静度がぐっと下がり、張り止めの点滴もはずれて内服だけになり、これだけでも手術をしてよかったと思いました。トイレ・食事・洗面・シャワーも自由で、院内を歩いてよいというレベルにまで達し、つらく長い長期入院でこの措置はうれしかったです。通常、術後の経過を見て1週間から10日で退院となるそうですが、私の場合、自宅が遠かったのと頸管長が相変わらず1cm台だったので、妊娠35週を目標に入院継続となりました。 夫の支えいきなり切迫早産と告げられ、入院生活がつらすぎて泣くことも多々ありましたが、遠慮せずに周りを頼り、気持ちを吐き出してよかったと思っています。切迫早産で入院している他の妊婦さんたちも頑張っているんだから、赤ちゃんのために私も頑張らねば、と思って入院生活を耐えてきました。夫の「ストレスの耐性値は人によって異なるから、他人と比べるなんて意味ないよ」という言葉にも救われ、ずいぶん気持ちが軽くなりました。 はじめは我慢することが多かった入院生活ですが、好きなグッズを家から持ち込んだり、夫や院内のカウンセラーの方に話を聞いてもらったりとストレスをじょうずに発散していくことができました。最終的に妊娠30週で破水し、その後妊娠31週2日で出産となりましたが、医師・看護師さん・夫、みんなに支えてもらったことをとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田口 玲第二子妊娠中のワーキングマザーです。子どものお受験や、離婚、再婚を経て育児に仕事に奮闘中です。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月23日第2子を妊娠中、何のトラブルもなく順調だったのですが、出産予定日を6週間後に控えて産休に入ったときのこと。妊婦健診でまさかの切迫早産の診断が下されたのです。ここでは、入院生活での治療のことや、事前に手続きしておいたことで治療費を抑えられた国の制度などについてお話しします。 軽く考えていたおなかの張り私は第1子出産の際、引っ越しで動き回ったこともあってか、“ギリギリ早産”で出産しました。第2子のときは順調に妊娠生活を送っており、仕事も無事に産休へ突入。しかし、その翌日の妊婦健診で子宮頸管長が5cmを切っていることと、定期的なおなかの張りを指摘され、切迫早産で緊急入院となったのです。確かに仕事中もおなかが張っていることがありましたが、定期的な張りには気付かず「これくらい大丈夫」と軽く考えていました。出産前に新居への引っ越しをするはずだったのに準備もできず、年中児の長男のことも気がかりなままでした。 副作用に悩む日々……自分が感じていたおなかの張りは、思っていたよりも重篤だったようです。入院後は24時間点滴、NST(ノンストレステスト)でおなかの張りの間隔を長時間チェックし、トイレ以外の自由はありませんでした。そして、入院時からおこなっていた張り止めの点滴(ウテメリン)だけではおなかの張りが治まらず、それよりも副作用の強い点滴(マグセント)へと切り替わりました。副作用については事前に説明を受けて同意したのですが、頭痛やめまい、吐き気に襲われる毎日で苦しかったです。心配していた長男の世話や幼稚園への送迎は夫や義母がサポートしてくれて、引っ越し準備は諦めて住んでいた賃貸住宅を3カ月ほど延長することになりました。 住宅購入でお金もピンチ! 莫大な入院費入院生活にも耐えて、妊娠37週まで持ちこたえました。しかし点滴を終了した途端、生理痛のような鈍い痛みに定期的に襲われ、内診すると子宮口が5cmほど開いていたのです。このまま出産かと思われたのですが、なぜか陣痛が消失してそのまま退院することに。手元には赤ちゃんではなく、膨大な荷物と診療明細書が残りました。ただ、妊娠がわかった際に「限度額適用認定証」(窓口での支払いが高額になる際、自己負担額を所得に応じた上限額を越えないようにする証明書)を取得していたため、決められた額の支払いだけで済んだのはよかったです。もし全額自己負担だったらと思うとゾッとします。 退院してから2週間後、妊娠39週で無事男の子を出産し、息子はすくすく成長しています。当時は自分が切迫早産で入院するなんて思ってもみませんでしたが、妊娠時に限度額適用認定証を取得したことで気持ち的にも、金銭的にも助けられました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:菅田ゆうり1歳・7歳の男児を育てるワーキングマザー。自身の体験をもとに、妊娠や出産、育児、仕事との両立についての体験談を中心に執筆している。
2020年02月03日第2子が1歳になる前に第3子を妊娠しました。第2子のときも「子宮頚管が短い」とのことで薬を処方され、安静生活を強いられていたので、「もしかしたらまた今回も……」とビクビクしながら過ごしていました。しかし2人の子どものいるなかでゆっくり過ごすことはできませんでした。そして妊娠8カ月になるころ、やはり産院で「子宮頚管が短くなっています! 薬を出しますから安静にしてください」と言われてしまったのです。 まさかの年子で第3子を妊娠長女が4歳のときに待望の第2子(次女)を出産しました。子どもは2人でいいと考えていたので、「もうこれで妊娠・出産も終わりだな~」と思っていました。 しかし、次女が1歳になる前に妊娠が判明。まさかの年子で第3子を妊娠したのです。近くに気軽に頼れる身内もおらず、夫の休日は日曜のみ。しかもそのころはエレベーターのないマンションの3階に住んでいました。 さらに次女妊娠中には、子宮頚管が短く要安静生活を強いられていた経験があったため、ヒヤヒヤしながらも、いつも通りの生活をするしかありませんでした。 妊娠8カ月でやっぱり……妊娠7カ月ころまではなんとかもちこたえており、「今回は大丈夫かな」と思っていました。しかしやはり、妊娠8カ月になったころの妊婦健診で、「子宮頚管が短くなっています!」と忠告されました。ただ、次女を出産した産院の同じ先生が担当だったので、事情を理解してくれていました。 そのため入院はなんとか免れましたが、「おなかの張り止めの薬を飲みながら安静にしてください」とのこと。このままではマズいと思い、夫に助けを求めつつ、何か頼れるサービスがないかと探し始めました。 周囲のサポートのおかげで乗り切ることができた!長女と同じ保育園のママ友に送迎を頼んだり、部屋の掃除は夫にお願いしたりしながら、なんとか乗り切っていました。買い物はほぼネットスーパーと宅配にし、住んでいる自治体のファミリーサポートにも登録しました。 それでも荷物と1歳児を抱えて3階の自宅まで上ったり、土曜日は子ども2人を自分だけでみていたりと、完全に安静な生活を送ることはできませんでした。しかし幸いなことに、意外と臨月まで何事もなくもちこたえ、妊娠39週で無事出産。かかった時間は2時間半、3,800gの大きくて元気な長男を出産することができました。 「安静に」と言われても、第2子以降の場合はなかなか安静にもしていられません。できるだけ周囲に状況を詳しく説明して、頼れる人にはとことん頼ること。使えるサービスはできる限り調べて使っておくこと。そうしておくことで、産後も何かと役に立ちました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:sawawa著者:岩崎未来三児(女・女・男)の母。出版社・編集プロダクションの勤務を経たのち、第一子出産を機にフリーランスに。現在は会社役員という肩書きを持ちながらも、ライター・編集者としても活動中。
2020年01月23日第一子妊娠中に仕事を辞め、夫以外の人と会話ができない日々が続きました。そんな孤独な私の楽しみはFacebookでした。ある日、何気ない気持ちで書いた投稿が思わぬ結果を導いたのです。そのときの体験談を紹介します。 孤独感を紛らしてくれたのはFacebook第一子妊娠中に切迫早産になり、続けるつもりだった仕事を妊娠8カ月のときに辞めました。仕事でたまたま配属された土地で夫と出会って所帯を持ったため、気軽に会える友人も近くにはいませんでした。このときすでにおなかも大きかったため、家に閉じこもりがちの日々を送っていました。そんな当時の私の楽しみはFacebookへのアクセスでした。学生時代の仲間の投稿を見たり、自分の近況を投稿してコメントのやりとりをしたりすることで、孤独感を紛らしていたのかもしれません。 従妹からもらったおさがりがうれしくて♡ある日、従妹から子ども服のおさがりをたくさんもらいました。そこで、こんな内容の投稿を何気なくしたのです。 「もしかしたら、第一子であれば新品の子ども服を使いたいと思う人がほとんどかもしれません。でも私は繰り返し洗濯されたおさがりならではの肌触りの良さが好きです。何よりもおさがりで回ってきた洋服にはたくさんの思い出が詰まっていますよね! 以前から、子ども服をフリマアプリに出品するなんてもったいない! と思っていました」と。 そして最後に、「おさがり何でも受付中!」と書き添えました。 Facebookの投稿が思わぬ反響を得ることに すると私の投稿を見た高校時代の友人が「わが子のおさがりもぜひ使ってほしい!」と言ってたくさんの洋服を送ってくれました。同時にその友人が「わが子のおさがりを友だちが使ってくれるなんてうれしい」という内容をFacebookに投稿したのです。するとその投稿がさらにシェアされて話が広まり、わが家にはそれを読んだ仲間たちから多くの子ども服のおさがりが届きました。 さらに歩行器やブランコ付きのジャングルジム、つみきや絵本なども! 今でも大切に使わせていただいています。 おさがりについての持論をSNSに投稿したことをきっかけに、たくさんのおさがりがわが家に届きました。フリマアプリなどで中古品を購入するのも良いアイデアですが、元の持ち主がわかるおさがりには愛着が湧きますし、同じママたちからの気持ちのこもった品々は、より大切に使える気がします!著者:鍜治すみの生後6カ月と2歳、2男の母。長男妊娠時の切迫早産により、9年続けた製薬会社のMR職を退職。前職では主に産婦人科領域製剤を担当。培った知識をフルに活かし執筆活動や育児に奮闘中。
2020年01月16日私は、長女・次女の妊娠中、仕事を続けていました。妊娠経過も順調で、妊娠7カ月だからまだまだ大丈夫! と思って動いていたら、突然おなかが張って緊急入院に……。そんな私の体験談を紹介します。 おなかの張りは突然やってきた長女を妊娠しても、私は仕事を続けていました。経過も順調だったのですが、とあるイベントで一日動き回ったあと、急におなかに張りが……。おなかの中で風船がふくらむような、たまに張りを感じていたときとはまったく違う感覚がしました。 これはまずいかもしれないと感じ、病院に連絡をして受診。そのまま緊急入院になりました。陣痛のような張りがあったようで、張り止めの点滴でおさまらなければ、早産になる危険があったとのことでした。 油断と動きすぎは禁物!妊娠中にどれだけ動いても張らない人もいれば、少し動いただけでも張ってしまう人など、個人差はあるようですが、私は後者のようで長期入院となりました。 個人差はあれど、切迫早産は誰もがなる可能性があるということ、おなかの張りは赤ちゃんに負担がかかっているということを知っていれば、無理をしないで済むかもしれない、「自分は大丈夫」という油断と頑張りすぎは妊婦さんには禁物だと感じました。 安定期とは「ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」入院の際、「安定期とは何をしても大丈夫な時期ではなく、ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」と主治医に言われました。 妊娠初期に流産などが起こることもありますが、妊娠5カ月以降はママが気を付けることで、赤ちゃんを守れるということが少し増えるのだそうです。普段の生活で、ほんの少し気をつければ妊娠10カ月まで赤ちゃんをおなかの中で守ることができるのなら、それに越したことはないと感じました。 仕事はもちろん大切です。でも、赤ちゃんの命もとても大切です。バランスよく過ごすためにも、油断をせず無理をせず、少し気を付けながら妊娠生活を過ごしたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山本かやの二児の母。ウエディング業界から飲食業に転身後、妊娠を機に退職。現在は専業主婦。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味はガーデニングと家庭菜園。
2019年12月18日1人目の子を妊娠していたときは経過が順調で、普通に仕事や生活をしていました。2人目のときも順調かと思っていたら……妊娠32週でいきなりおなかが張り、破水してしまいました。大変だったそのときのことをお話しします。 いつもよりおなかが張る2人目を妊娠したのは上の子が4歳で甘えざかりのころ。何の異常もなく、仕事もフルで働き、上の子のお世話も普通にしながら生活していました。 しかし、妊娠32週のある日のことです。いつもよりおなかの張りがあるなと思い、休憩をしながら夕飯を食べ、上の子と一緒に早く寝ました。 少し時間が経つと、何かが出たような感じがあり、もしかしたら……と思って確認すると、出血が! どんどん流れ出してきたので、急いでかかりつけの産婦人科に連絡をしました。 大きな病院へ緊急搬送、そして入院に……急いでかかりつけの産婦人科に行き、診察してもらった結果、破水はしていなかったものの、「早産の可能性があるので、大きい病院に移ってもらいます」と言われました。そして、生まれて初めて救急車に乗り、大きな病院に搬送されたのです。 転院先での診察の結果、切迫早産という診断がおり、安静ため緊急入院となりました。入院後は、何かあれば緊急帝王切開になるかもしれないといわれ、おなかの張りを抑える点滴を24時間管理でおこない、移動はすべて車椅子の生活に。 とにかく妊娠37週まで私は、妊娠37週まではもってほしいと毎日おなかの子に語りかけていました。そしてわたしの声が届いたのか、状態は安定し、妊娠36週で退院することができ、元の産婦人科にも戻ることができました。 退院後は、いつ産んでもいいから今度は動いてと言われ、動くようにしました。しかし、安静の期間が長かったせいか、筋力も体力も落ちてしまい、すごくしんどかったです。 結局、2人目の子は妊娠38週までおなかの中にいてくれました。陣痛が来てからはあっという間だったのですが、最後に陣痛促進剤を使い、吸引分娩で元気な男の子が生まれました。大変な出産でしたが、何より無事に生まれてきてくれてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:加藤美紀4歳と生後3カ月の二児の男の子のママ。仕事はフルタイムの事務職で、現在は育児休暇中。4歳の兄をこども園に預けている間はアフタービクスに行くなどしてアクティブに育児を楽しんでいる。
2019年12月06日妊娠34週目に里帰り先の産婦人科で、胎児に病気があることがわかりました。詳しい検査が必要となり、総合病院に転院。切迫早産の診断がおり、胎児は横隔膜ヘルニアの疑いがあるとのことでした。生まれてみないと詳しくはわからないと言われたときの心境と、出産までにしたこと、出産後のことをお話しします。 「横隔膜ヘルニアの疑いがある」と言われ…県外から、妊娠34週に飛行機で里帰りしてきました。里帰り先の産婦人科で切迫早産の診断がおり、胎児が小さめと先生に言われました。そして1週間後、再度妊婦健診を受けると、「胎児に横隔膜ヘルニアの疑いがあるので、明日総合病院で診てもらってください」と言われました。 エコー写真を見ながら淡々と話をする先生の言葉が耳に入ってきませんでしたが、異常があるということだけが頭の中をグルグルまわり、涙が出てきました。 なんで? 自分の子どもが? おなかの中では元気に動いているのに……。 勝手に出てくる涙は止まらず、先生から「ご主人と今後のことを話し合ったほうがいい」と言われ、急きょ、夫に6時間かけて実家に来てもらいました。 帝王切開で出産することに次の日、総合病院で診察してもらいましたが、やはり病気があるとのこと。「生まれてすぐに治療しないと何かあっては遅いから、帝王切開で産みましょう」と言われ、私も夫も、気持ちの整理がつかないまま日程が決まっていきました。 病気について調べ、どのような予後になるのか体験談なども読んだところ、生後まもなく亡くなってしまう赤ちゃんもいることも知りました。毎日夜はひとりで泣いて自分を責めました。「ちゃんとおなかの中で育ててあげることができなくてごめんね」と……。 子どもと一緒に頑張ろう帝王切開当日。たくさんの先生方が手術室に待機していました。無事出産し、産声が聞こえましたが、カンガルーケアもできないまま、すぐに保育器でNICUに連れていかれました。 大丈夫なのかな? 何もわからないまま、私は病室に戻りました。赤ちゃんの状態は安定しているけれど、横隔膜ヘルニアは手術をしないと治らないため、生後3日目に手術をおこなうことになり、無事終了しました。 その後も胸に水が溜まったりしましたが、なんとか状態が落ち着き、退院のめどがつきました。やっと一緒に生活できる! という喜びもありつつ、少し不安もありますが、子どもと一緒に成長していけたらと思っています。 自分のせいで生まれたばかりの子どもに大きな手術を受けさせてしまって、母親失格だと落ち込んだこともありましたが、子どもの頑張りや成長を見ると、私もそれ以上に頑張らないと! と思わされ、今は情緒も安定し、前向きに考えられるようになっています。なるべくひとりで考えすぎず、周りの人にも助けてもらいながら、育児ができればと思えるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:長里 紗々0歳児のシングルマザー。医療機関で働きながら子育て真っ最中。
2019年11月30日私は2人目を妊娠しているときに切迫早産で緊急入院になり、上の子を預かってくれる保育園を探すのに苦労した経緯がありました。そして3人目を妊娠したときも、初期の段階で入院が必要になると診断されたのです。そのときに急きょおこなった保活の体験談についてお伝えします。 ママが専業主婦だと保育園入園は難しい私の住む地域は、ママが専業主婦だと基本的に認可保育園に入園させることはできず、申し込めても出産予定日の前後8週だけでした。もしくは母親が入院するなどで保育ができなくなった場合のみです。2人目を妊娠中のときは、親戚が勤める病院の職員用の保育園になんとか預けることができたのですが、決して簡単に入れたわけではありません。そして3人目の妊娠が判明したときは、医師が「初期の段階で入院になる可能性が高い。早めに保活したほうがいい」と、妊娠10週のときに診断書を書いてくれました。 どうしても入園先が見つからない先生にすすめられたこともあり、早めに保活を始めましたが、どこも空きがなかったのです。しかも相談していた自治体の方は、専業主婦と聞いた時点で保活の話を積極的には受け入れてくれず、家族のなかで保育をする人はいないのかという話ばかりで順調に進みませんでした。そうこうしているうちに妊娠13週のころに、医師から「今すぐにでも入院してほしい」と言われてしまい、どうしたらいいのかわからずに落ち込んでしまいました。 認可外保育園も検討した結果…困り果てていたとき、今まで相談していた自治体の方が「認可外保育園で検討してみてはどうか」と提案してくれました。もちろん視野にはあったものの、金銭的にも厳しかったため候補には入れてなかったのです。しかしそうも言っていられなくなり、いくつか問い合わせましたが、どこの保育園も空きがなく難航……。そんななか、一つの園が事情を察してくれて「空きがあるわけではないけれど、職員の増員も含めて検討させてほしい」と言ってくれたのです。その後、復職予定の保育士さんが早めに復職されることになり、わが家の子どもたちも無事に入園することができたのです。本当にホッとしました。 子どもを2人を保育園に預けることになり家計的には大打撃ですが、その保育園では子どもたちだけでなく、私の育児に対するフォローもしてくれました。産後の不安定な時期も支えていただき、本当に助かりました。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年11月27日3人目の出産後は授乳も入院生活も慣れたもので、「早く自宅に帰って上の子どもたちに赤ちゃんを会わせたい」。そんなことを考えていました。でもそんなことを言っていられない事態に……。私たち家族にとって大きな試練となった、娘が“心室中隔欠損症”だと言われたときの体験談を紹介します。 切迫流・早産を越えて早く生まれた娘3人目の妊娠で切迫流・早産で長期入院をし、安定していたとは言えないものでしたが、夫と子どもたちとの面会時間を楽しみに約4カ月の入院生活を家族全員で乗り切ろうとしていました。そして迎えた妊娠36週5日。正期産を目前に、あと少しでおなかの子どもと上の子どもたちにも会える。楽しみなことしかない! と思ってワクワクしながら眠りにつきましたが、おなかの張りが痛みを伴うものになっていました。あっという間に帝王切開にて出産した私は、生まれたばかりの赤ちゃんに何も問題がないことを聞き、安心して眠ったことを覚えています。 え?「心室中隔欠損症」って何?娘が生まれて安心していたものの、生後5日目に小児科の先生から「心臓の音に雑音が聞こえる。追加の検査が必要」と言われ、改めて検査をすると「心室中隔欠損症」と診断されました。「心室中隔欠損症」は簡単にいうと右心室と左心室の間に穴が空いている状態。心室中隔欠損症は特に珍しくなく、たいていは小さな穴で自然と閉じることが多いそうです。しかし、娘は穴の位置が大動脈弁の近くにあり、穴自体は大きくはないけれど弁が変形しているとのことでした。弁が変形することで血液の逆流があり、本来なら送り出されるはずの血液が戻ってきてしまうそう。そのために「早い段階で手術が必要になる」との説明を受けました。 小さな体で挑んだ手術循環器小児科のある大学病院で心臓疾患の専門医が詳しい検査をしました。そして、泣きながら手術の説明を聞いていた私に先生は「お母さん。これは生き死にのための手術ではなく、元気に生活するために必要な手術だと考えてください。だからそんなに不安にならず、一緒に戦ってあげてください」と声をかけてくれました。この言葉でとても勇気づけられました。娘が生後8カ月のとき約6時間の手術の時間、不安な気持ちを抑えつつも無事に手術が終了。ICUへ移された娘はまだ意識こそ戻っていなかったものの元気だと教えてもらい、とても安心したのを覚えています。 手術後は2〜3週間の入院予定のところ、娘は1週間で退院という脅威の回復力を見せてくれて、1歳になった現在も元気に過ごしています。娘が心室中隔欠損症の診断を受けたことも手術を受けたことも、ショックなことでした。でも、家族全員で乗り越えられたこと、家族の笑顔や健康の大切さに改めて気づかせてもらえたことはかけがえのない経験になりました。身をもって教えてくれた娘にはとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年11月20日結婚しても妊娠しても、仕事は続けるつもりだった私。いざ妊娠してからも、「産休まで時間もあるし、まだまだ大丈夫」と、何よりも仕事を優先していました。ところが、妊娠8カ月のときに切迫早産に……。自宅安静と入院で、急に出社できなくなった私の体験談です。 妊娠中もバリバリ仕事をしたかった私初めて子どもを授かった当時、私は印刷会社で営業アシスタントとして働いていました。お客様のところへ行き、印刷物の打ち合わせをしたあと、オフィスに戻って設計書や仕様書を作成するのが主な仕事。入社4年目で任される仕事が増え、お客様とも楽しく仕事ができており、やりがいを感じていました。 また、産休育休制度はあったものの、男性が多い職場だったため、妊娠を理由に仕事ができないとは言いたくありませんでした。そのため、妊娠がわかっても仕事は減らさず、それまで通り自分のペースで進めていました。 何の前触れもなく「切迫早産」に……妊娠8カ月となったころ、そろそろ引き継ぎ資料を作らなければと思いつつも、日々の業務に追われていました。そんななか妊婦健診に行くと、「子宮頚管が短くなっているから、自宅安静が必要」と、医師からの突然の言い渡し。「仕事に行っちゃダメってことですか? 」と聞くと、「出産が終わるまで、無理だと思ってください」と言われ愕然としました。明日出社するつもりで未完了のまま残っている仕事が山ほどあるのに、どうしよう……と途方に暮れてしまいました。 結局1週間の自宅安静後も状態はよくならず、切迫早産のため入院となり、予定より1カ月も早く産休に入ることになってしまいました。 いつ出社できなくなっても大丈夫な準備を出社できなくなったあとは、メールや電話で会社の人たちと連絡をとりながら、なんとか引き継ぎをしました。私にしかわからない業務も多く抱えていたため、会社の人たちはもちろん、お客様にもかなり迷惑をかけてしまい、悔しくて涙が流れてしまうこともありました。 初めての妊娠だったので、妊娠中の働き方について深く考えなかった私。産休開始予定日はあくまでも「予定」であり、その日まで確実に働ける保証はないのだと思い知らされました。周囲のためにも自分のためにも、「明日出社できなくなっても大丈夫な準備」を、早い段階からしておくことが大切だと痛感。そうすることが、おなかの赤ちゃんのためにもなると気付きました。 仕事の代わりはお願いできても、赤ちゃんを無事に産めるのは自分しかいません。母になるために、「今自分がもっともやるべきこと」を見極める力が必要なのかもしれません。 1カ月半に渡る入院生活の末、予定より2週間早く生まれてきた娘。その後は順調に育ち、私は現在第2子を妊娠しています。子育てをしていくなかでも、できることは前倒しでやっておくことが大切だなと改めて感じる毎日。特に妊娠中は心身ともに余裕を持った暮らしを心がけ、実践しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku著者:金谷ともみ第2子妊娠中、5歳の娘の母。働きながら結婚、出産、産休育休を経て復帰、マイホーム購入などを経験。よりフレキシブルな働き方を求めて、ライターに転向。 ✿❀ベビカレ秋のマンガ祭り❀✿大好評のマンガ記事を増量してお届けする期間限定“マンガ祭り”開催中! 人気レギュラー連載10作品に加え、新たにゲスト連載8作品が登場♪ 育児や家事、仕事などの合間の息抜きタイムにどうぞ♡
2019年11月13日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! 夫と「これが最後」と決めた不妊治療でめでたく双子を妊娠! 妊娠悪阻のため妊娠4カ月で一時入院に。そして妊娠7カ月のとき、2週間ぶりに健診に行ったところ切迫早産で緊急入院! 妊娠36週目、帝王切開で二卵性の双子の男女を出産しました! 出産した夜、なぜか涙が止まらない…体調さえ回復すれば、双子にはすぐ会える。そのことは頭ではわかっているのに、おなかに双子がいなくてひとりぼっち……という気持ちが押し寄せてきて、寂しくて寂しくて涙が出ました。 ママになったことを実感した瞬間双子が生まれた直後は「とにかく生きて生まれてきてくれてよかった……!」と涙が出たんですが、今回はなんというか、これまで不妊治療をしていたので、妊娠期間中も、そして生まれてからも、まだなんとなく安心できないような感覚があって、知らず知らずのうちに気を張り詰めていたのかもしれません。先生の「よく頑張ったね」という一言で「あぁ本当なんだ……本当に私たち夫婦のところに2人は来てくれたんだなぁ」という実感が押し寄せてきて、うれしさと安堵と、先生方への感謝とで涙が止まりませんでした。 その後、切迫早産による緊急入院から2カ月半の入院生活を終えて、無事退院しました!緊急手術で大変だった不妊治療を経て、念願だった赤ちゃんを無事妊娠、出産されたかよポンさん。双子ちゃんは現在10歳! 当時の妊娠、出産、育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2019年11月09日1人目が逆子で帝王切開だったため、2人目も妊娠38週での帝王切開を予定していました。しかしまさかの妊娠35週、夫は出張中、頼れる親戚も近くにいないなか、深夜に破水してしまったときのエピソードです。 妊娠35週に突然破水1人目が帝王切開での出産だったため、今回も妊娠38週での予定帝王切開の予定で、友だちとランチをしたり、マタニティライフを楽しんでいました。 妊娠35週のある夜、夫は海外出張中、2歳半の上の子を寝かしつけ、そろそろ寝ようと横になった瞬間、尿漏れの感覚がありました。「破水?」と思いつつ、まだ妊娠35週だし……と安易な気持ちでトイレに行ったところ、まったく止まらず、破水だ! と確信しました。 夫は海外出張中。2歳の上の子はどうしたら?すぐに病院に向かいたいところですが、家には私と2歳の娘の2人きり。病院に連れて行っても、面倒を見てくれる人はいません。夫にはLINEで状況を報告し、隣県に住む実母に連絡したところ、まだ電車はあるので来てくれることに……。その間、流れ出る羊水をバスタオルで拭きつつ、入院バッグの確認や、実母への伝言などをメモにまとめました。 母が来るまでの間、流れ続ける羊水を見ておなかの赤ちゃんの様子が気になり、病院に電話しました。すると、妊娠35週で破水した場合、緊急帝王切開になり、ひょっとしたら赤ちゃんは別の病院に搬送になるかもしれないので、救急車を呼んでもいいからできるだけ早く病院に来るよう言われました。 やはり緊急帝王切開に病院に着くとやはり破水との診断で、そのまま緊急帝王切開に。付き添いが誰もいなかったため、診察室のベッドに横になった状態で手術の同意書を書いたりと、慌ただしい出産になりました。 生まれてきた赤ちゃんはやはり2,500g未満でしたが、産声は聞かせてくれ、保育器管理となったものの、同じ病院にそのままいることができました。しかし、本来であれば、赤ちゃんの身体測定の様子などをカメラで撮影することができたのですが、それは叶わず……。無事に生まれてきてくれただけで感謝ですが、予定通りであればできたことができなかったこと、早産で産んでしまったことに、しばらく自分を責め続けました。 入院中は小さく産んでしまった赤ちゃんと、急に母親がいない生活をさせてしまった上の子に申し訳ない気持ちで、涙していました。今は子ども2人の育児で忙しくなり、これから母乳育児や離乳食で、大きくなるよう見守ろうと前向きな気持ちになれています。 お産は何があるかわからないというけれど、まさか正期産の時期に入る前に産むことになるとは思ってもいませんでした。入院グッズだけ簡単にまとめていたのが不幸中の(?)幸いでしたが、早め早めに準備をしておくことや、家族には産前・産後はなるべく家にいるような調整をしてもらっておくことも必要だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:sawawa著者:渡邉まゆ2歳と0歳の母。低出生体重児で生まれた2人目の母乳育児に奮闘中。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年10月31日私は初めての出産をドイツで経験しました。しかも妊娠32週の健診で切迫早産気味と言われ、出産予定日よりも早く生まれるかもしれないとのこと。しかし待てど暮らせどその気配はなく、しっかり出産予定日に生まれてきてくれました。ただ、息子が生まれる3時間前まで、私は陣痛がよくわからなかったのです。そんな私の陣痛&出産体験をお伝えします。 お? もしやこれが陣痛か?出産予定日前日の午前5時30分、パッと目が覚めると「おお? これが陣痛かもしれない?」と全然自信はありませんでしたが、なんとなく違和感を覚えたのです。ですが、出産予定日の2週間くらい前から「来た! これが陣痛だ!」とドキドキしていると、1時間後にはその感覚がなくなるという「生まれる生まれる詐欺」を繰り返していたので、その日も「やっぱり違うかも」と思っていました。 病院に行くと陣痛の波が消えてしまった出産予定日前日だったので、一応病院に行ってみようと思って午前10時30分に病院に向かい、陣痛かどうか助産師さんにチェックしてもらいました。「いい感じで来ているわね」と言われたのですが、思っていたような痛みではなかったので実感がありませんでした。その時点で子宮口は3cm。しかし13時、16時、19時とチェックすればするほど陣痛の波は消えていき、「あぁ、やっぱりこれも前駆陣痛だったのだな」とがっかり……。 陣痛の痛みがだんだん強くなり…19時のチェックのときに浣腸をしてもらい、陣痛に効くといわれるオイルをおなかに塗ってもらいました。それから陣痛を促すハーブティーを飲んで、22時のチェックに行くと、先ほどよりも少し陣痛の波が強くなっているではないですか!しかし、この時点でも痛みは大したことありませんでした。子宮口は7cm開いていましたが、余裕で助産師さんや夫と会話できていました。するとその1時間後、「え?」と思っているうちに、体の中からワナワナとジェットコースターに乗っている感覚になっていったのです。 陣痛促進剤からの会陰切開これが本当の陣痛かと思っていると、子宮口は9cmに。私の場合は痛くて叫ぶこともできず、ひたすら体の中のジェットコースターのような感覚と戦いました。子宮口が全開になると息子の頭はサラッと出て来て、「もっといきんで!」と助産師さんに何度も言われていきみましたが、1回の陣痛が短かったので陣痛促進剤を打ち、会陰切開をすることに。そして無事に息子が誕生したのですが、時間は午前1時をまわっていました。 本当に痛くてたまらなかったのは23時から午前1時までのたった2時間でしたが、なにせ未体験の陣痛。私の場合は痛いというより「怖い」という気持ちのほうが強かったです。でも頑張ったその後には、宇宙一かわいいわが子に出会えました! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:鈴木陽一児の母。ドイツでの子育てに奮闘しながら、海外での子育て・海外旅行・恋愛・結婚などのジャンルで執筆中。
2019年10月09日3人目を妊娠し、出産まで幸せな気持ちいっぱいで過ごせると思っていたのですが、実際は思い描いていたマタニティライフとはほど遠いものでした。切迫流産と診断され、予想外の手術を経験し、心配ごとが尽きないまま家族でハラハラしながら出産まで過ごすことに……。そんな波乱万丈だった妊娠から出産までのお話をお伝えします。 え?! 子宮頸管無力症と絨毛膜羊膜炎?!私が切迫流産と診断されたのは妊娠8週目でした。妊娠が判明してからすぐに切迫流産の診断がされ、この先妊娠が継続できるのだろうかと不安でいっぱいに……。でも1人目と2人目も切迫早産を経験していたこともあり、「なんとか頑張れるかな?」とも思っていました。しかし、診断書には切迫流産の他に「子宮頸管無力症」と「絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)」とも書いてあったのです。どちらも流産や早産の要因となるものでした。 妊娠継続のために必要な手術絨毛膜羊膜炎や子宮頸管無力症と診断され、“安静第一”の指示を受けました。私は、長男は早産で、娘のときも切迫早産で長期入院の末の出産だったので、とにかく安静にしていました。しかし、子宮頸管長は短くなるばかりだったのです。ついに、「妊娠を継続するために手術の必要がある」と医師から告げられました。「子宮頸管縫縮術」という、下半身に局所麻酔をし、子宮口が開かないように子宮頸管を縛る手術です。術前術後で約1週間ほどの入院でした。上の子2人と会えない不安と、おなかの子への心配とで気持ちが忙しかったことを今でも思い出します。 手術したのに…長期入院になってしまった子宮頸管縫縮術を終え、完全に安心しきっていたのですが、なんと手術で縛った子宮頸管がギリギリのところで保てている状態に! 医師からは「全然“大丈夫”ではない」と言われてしまいました。結局、切迫流産で妊娠20週から出産する妊娠36週までの長期入院をすることになったのです。入院中は、子宮収縮抑制剤を決まった時間に服用し、2人目のときにつらかった点滴にならないように毎日を過ごしていました。安静にするためにおしゃべりも寝たままでするという徹底ぶり。妊娠35週で内服から点滴に切り替わってしまったものの、なんとか正期産の時期ギリギリまで妊娠継続することができました。 出産まで1日たりとも安心できなかった妊娠期間でしたが、妊娠36週5日に帝王切開で出産することができました。多くの困難のなか乗り越えられたのは、夫と上の子どもたち、そして私たち家族を助けてくれた親族のおかげです。てんやわんやの妊婦生活でしたが、今考えると貴重な時間だったように思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。受診している産院・病院によって対応は異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年10月07日たんこんちは ボロボロゆかい
ぽこちゃんです&どんちゃんです
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