【『VIVANT』感想6話】堺雅人、松坂桃李、二宮和也…キャラクターの魅力が次々に咲く展開
先週から徐々に、テントと呼ばれるテロ組織の内情が明らかになりつつある。
偉大なる父と構成員に呼ばれ、恐れられている指導者の名はノゴーン・ベキ(役所広司)。
組織の資金に大きな貢献をもたらしたとしても、横領していた幹部を容赦なく追い詰め処刑する潔癖さは、バルカという国全体を覆う拝金主義や、賄賂が前提の国家体制とは対照的だ。
そして、常にノゴーン・ベキに寄り添い、腹心のような青年を演じる二宮和也の存在感が目をひく。まだ名前も明かされずセリフも殆どないが、何かに倦んだような、感情の読み取れない表情で任務を遂行する。
幹部の横領を暴くために部下が拷問をしている横で、それを見もせずに淡々とスマートフォンをいじっている姿は、なまじ拷問や処刑を実行する以上に冷酷に見えた。堺雅人が演じる多くのエキセントリックな役柄が、饒舌や収拾のつかない優しさといった『騒がしさ』の中で過激を表現するのに対し、二宮和也が演じるそれは、諦めであったり、それでも情を捨てられない苛立ちであったり、沈黙や静寂の中に潜む過激さである。
偉大なる父ベキを巡って二人の青年、二人の名俳優が相対する展開がこの先待っているのだろうと思うと、今からゾクゾクする。