さみしさは“人とのつながり”では満たされない/月読寺・小池龍之介さん(前編)
無理して恋愛や結婚をしなくてもいい。頭ではそう思っていても、どうしようもなく襲いかかる“さみしい”という感情。
ときに家族との関係や友達付き合いまでも面倒なものにしてしまう“さみしさ”の正体はどんなもので、その対処法はあるのでしょうか?
『考えない練習』『超訳 ブッダの言葉』など数々の著書や、新聞の人生相談でも活躍されている、月読寺住職・小池龍之介さんにお話を伺いました。
人の心はさみしさを
“自転車操業”のように埋めている
――「一人でいるとさみしい」とか、「誰かとつながりたい」といった気持ちは、私たちの心のどういった仕組みで発生するのでしょうか?
足りていないから、なんとか足りるようにしたいと思い悩む欠乏感や欠落感のことを、すべてまとめて“さみしさ”と私は定義しています。
本来、さみしさって人間関係とはまったく関係なく生じるものなんです。
いつも楽しめているものが楽しめないとか、あってほしいと思っているものがないとか、そういうことだけでも“さみしい”という気持ちは生じますからね。
――たしかに、さみしさの原因は人間関係だけとは限りませんね。
ですから、“人とつながる”こと以外でも、さみしさを満たすことは可能です。