人気テレビアニメ『サザエさん』(フジテレビ系)で主人公・フグ田サザエ役の声優・加藤みどり(80)が11月17日、「同一のアニメ作品のキャラクターを最も長く演じてきた声優」としてギネス世界記録に認定されたと報じられた。また同番組も「最も長く放映されているテレビアニメ番組」として、13年に初受賞したギネス記録を更新した。13年9月5日に開かれた認定式に加藤は代表として出席。ギネス世界記録の認定証を受け取ったという。69年10月5日に放映スタートした同アニメは、今年で放送50周年を迎えた。スタート当初から声優が変わっていないのは、加藤とフグ田タラオ役の貴家堂子(78)だけだ。各メディアによると、18日からスタートする「サザエさんウィーク」の発表会に出席した加藤は、ギネス認定を受けて「フジテレビがつぶれなくて良かった。人生100年なので、あと20年は稼ごうかなと思います」と喜びを見せたという。底抜けに明るいサザエさんと違わず、陽気な人柄で知られている加藤。だが、50年間も衰えることなく“24歳のサザエさん”を演じ続けるのは容易ではない。「加藤さんは声優を始める以前から長唄や邦楽の稽古を重ねており、清元節と長唄の名取でもあります。その経験からしっかりとした声帯の持ち主なので、サザエさん特有の高音を出してもぶれることがありません。さらに加藤さんは、毎週オンエアを確認して声のトーンなど改善すべき点をチェックしているようです。また最近では、講演会の講師や朗読会での読み聞かせといった声の仕事も拡充しています」(テレビ局関係者)そんな自分に厳しい加藤を支えてきたのは、65年に結婚した夫の存在も大きいという。20代前半はNHKと出演優先契約を結んでドラマ出演するなど女優業に励んでいた加藤。だが、結婚後は美声を買われて声優業が中心になったという。「99年にカツオ役を演じた高橋和枝さん(享年70)が亡くなった際、ひどく落ち込んだ加藤さんは『サザエさん』の降板まで考えたそうです。ですが、加藤さんの個人事務所社長を務めていたご主人が支えてくれたおかげで立ち直れたようです」(前出・テレビ局関係者)夫婦愛の力で、あのサザエさんの声がいつまでも続いてほしい!
2019年11月18日「愛子さまが通われている学習院女子高等科では、約3割の生徒が学習院以外の大学を受験します。夏休み前に“外部受験”希望者のための説明会があったのですが、愛子さまは出席されていなかったのです」そう語る学習院関係者。すなわち、愛子さまは学習院大学に内部進学されることが確実になったのだ。「愛子さまがこれからの皇室で重要な役割を担われることは、間違いありません。そんな中で雅子さまは、愛子さまに『陛下と同じ経験を』と願われたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)天皇陛下は学習院高等科を卒業後、学習院大学文学部史学科に進学された。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう語る。「愛子さまは、初等科のころから歴史について深いご関心がおありです。藤原道長をテーマにした詳細なレポートを書かれたこともありました。尊敬されているお父さまと同じ史学科への進学も検討されているのかもしれませんね」(前出・皇室担当記者)陛下はさらに学習院大学大学院に進学、そしてイギリスのオックスフォード大学に留学されている。初めて学生寮で生活された陛下は、洗濯機に下着を詰め込みすぎて水を溢れさせたことも。イギリス伝統の酒場・パブにも通い、現地の人々と交流された。のちに陛下はこの留学を振り返り《自分でものを考え、決定し、そしてそれを行動に移すことができるようになったのではないか》と語られている。イギリスで自由で自立した生活を送られたことが、陛下にとって貴重な経験となったのだ。「両陛下とも長期海外留学の経験をお持ちです。最近でも国賓をもてなされた際に、語学力だけではなく他国の文化に精通されていることも、海外で好意的に報じられました。愛子さまが天皇陛下をお手本に2年ほどイギリスへ留学されれば、皇族としても、おひとりの女性としても、かけがえのない経験になると思います」(前出・渡邉さん)天皇陛下が卒業された学習院大、そしてイギリス留学へ……。雅子さまが願われた「陛下と同じ進路」をたどり、愛子さまは一段と成長されるはずだ――。
2019年08月02日上皇陛下は7月11日の夕方、強い脳貧血の症状があり、治療を受けられた。体調が回復された上皇陛下は、15日には美智子さまとご一緒に健康診断を受けられた。すると今度は美智子さまに、一部再検査が必要な項目が見つかったのだ。「6月には心臓の異常が発見され、白内障の手術もされました。まだ再検査の詳細は発表されていませんが、美智子さまのご体調も心配です」(皇室担当記者)だが、白内障手術について報じた記事に対し、ヤフーニュース上ではこんなコメントが。《病気だ、体調悪いアピールする年寄りに限って元気だよね》《いろんな理由をつけて、引っ越しを先延ばしにして、権力を誇示しているのですか?》美智子さまの体調を案じるどころか、心ない言葉の数々が並んでいるのだ。さらにTwitter上には、このような信じがたいツイートも見られる。《皇后雅子さまは上皇夫妻に25年間いじめられてきたの、本当に理不尽だったと思う》《雅子皇后陛下の活躍をもう妨害したり口出ししないで、静かに隠居生活をしていただきたいと心から願います》雅子さまはこれまで、美智子さまにいじめられ続けてきた――。そんなツイートが、御代替わりを機に目立ちはじめているのだ。美智子さまは以前からインターネットを利用されている。’12年に上皇陛下が心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた際、パソコンを駆使してリハビリの勉強をされた。美智子さまの古くからの友人も「私がFacebookで親族の介護を日記風に記していると、美智子さまから『とても面白うございました』とご感想をいただき、恐縮いたしました」と話している。美智子さまがネット上の“心なき誹謗”の数々をご覧になっていてもおかしくはない。雅子さまは’03年12月に帯状疱疹を発症され、長い療養に入られた。陛下は’04年2月の会見で《皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも、とても大きなものだったと思います》と述べられている。「独身時代は外務省で活躍された雅子さまですが、皇室に入られてからは“目立ちすぎないように”と気を使っていらっしゃいました。雅子さまにとって、美智子さまと比べられることも大きなプレッシャーになっていたのでしょう。当時、雅子さまの苦しみを理解していたのは、陛下ただ一人だったといっても過言ではないのです。美智子さまも、苦悩を抱える雅子さまに寄り添えなかったことに、忸怩たる思いを抱かれたに違いありません」(皇室担当記者)適応障害という診断が下った雅子さまについて、当時美智子さまは《東宮妃の回復を願い、助けになりたい》と会見で語られていた。しかし、実際には一時期、雅子さまと美智子さまは疎遠になってしまう。上皇陛下が《愛子と会う機会も限られ、残念》と会見で漏らされるほど、両家の交流は途絶えてしまったのだ。当時、美智子さまは知人に「今は、ただ待つしか無いのよ」と、雅子さまに手を差し伸べることもできない苦しさを語られていたという。誹謗の矛先が美智子さまに向いてしまった背景には、皇后となられた雅子さまの著しい“復活”があると皇室担当記者は言う。「天皇陛下が即位して以降、雅子さまは数々のご公務をパーフェクトにこなされ、国際親善での存在感は世界に絶賛されています。これほど急激なご快復は、雅子さまをいじめてきた美智子さまが表舞台から身を引かれたからに違いない――。そんな憶測につながっているものと思われます」しかし、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう話す。「美智子さまは皇太子妃になられて以来、皇室のしきたりの中で大変な思いをされてきました。“いじめ”に近い体験もあったはずです。ご自分がやられておつらかったことを、後進になさるような方ではありません。雅子さまを長い間見守ってこられた美智子さまが、バッシングを受けているという事実は、たいへん嘆かわしいことです」ようやく上皇陛下との平穏な日々を迎えようとされている美智子さま。これ以上のご心労が重ならないことを祈るばかりだ。
2019年07月26日アイドルグループ・日向坂46の渡邉美穂が、10代アーティスト限定音楽フェス「マイナビ 未確認フェスティバル2019」応援ガールに就任し、1日に都内で行われた会見に出席した。10代向け人気ラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』(TOKYO FM/JFN)と、インディーズ及び新人アーティストの音楽活動を支援する「Eggsプロジェクト」が共催する同フェス。審査を勝ち抜いたアーティストが、8月25日に新木場STUDIO COASTで開催されるファイナルステージに進出し、そこで最も多くの評価、投票を集めたアーティストに優勝賞金100万円が送られる。『SCHOOL OF LOCK!』を高校生のときから聴いていたという渡邉は、「私にとって青春です。夜に勉強しながら聴いていたので、テスト前でつらいときにも、元気が出ていました」と語った。しかし、とーやま校長から「こんな純粋な気持ちで聴いてくれてる。まさかテレ東の番組(『日向坂で会いましょう』)でオードリーの春日(俊彰)さんが走り出すところを座布団で邪魔しようとした、小意地の悪い人と同一人物と思えない!」といじられると、苦笑いを浮かべていた。また、応援ガール就任を告げられたときの様子を、「もう夢みたいで。ビックリしすぎて大泣きしちゃいました。うれしすぎて信じられませんでした」と振り返った。応募された音源も聴いているそうで、「1つのことに全力を注いでいる姿はすごくかっこいいなと思いますし、音楽を通して、同じ10代だからこそ伝わる熱いものがあるので、すごく胸にくるものがあります」と明かした。そして「私と同世代の方々が一生懸命やってきた姿を披露すると思うので、私は後押しできるように少しでも力になれればと思います」と抱負を述べた渡邉。「10代というのは、あっという間にすぎさってしまうものなので、皆さんには今を一生懸命生きていて欲しいです。後で振り返って、あの瞬間は全力で生きていたなと胸を張って言っていただけるように、頑張ってほしいと思います」とエールを述べた。
2019年07月01日グレーのロングドレスをお召しになった美智子さまが、手すりを頼りに、明治天皇陵への階段を一段一段、慎重な足取りで上られていく――。上皇ご夫妻は、6月11日から2泊3日の日程で京都を訪問された。孝明天皇陵と明治天皇陵に退位の報告をされ、平成の御代から続けられていた上皇陛下の退位に伴う儀式をすべて終えられたのだ。「12日の午前に参拝された孝明天皇陵では、女性皇宮護衛官の腕におつかまりになって、約120mの長い坂道をゆっくりと上られました。今回ばかりは美智子さまのご様子が心配でなりませんでした」(皇室担当記者)美智子さまは京都ご訪問直前の8日、心臓の検査をお受けになっていた。宮内庁は、血液の一部が逆流する中等度の三尖弁逆流症、軽度の僧帽弁逆流症および不整脈の所見が認められると発表。心臓への負荷の増大が疑われるものの、すぐに手術はせずに経過観察をしていくという方針を示した。昭和大学横浜市北部病院循環器センターの南淵明宏教授は言う。「経過観察というのは単に放置するわけではありません。症状を見ながら検査を重ねて、慎重にデータを比較していきます。手術による身体への負担は考慮しなければなりませんが、80歳以上でも心臓の大手術を受ける方はいらっしゃいます。高齢を理由に手術ができないということは決してないのですが……」16日、美智子さまは都内の病院で右目の白内障手術を受けられた。23日には左目の手術を受けられる。医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話していたという。退位を控えた時期に両眼の手術を行うとなると、3週間はご公務を離れなければならない。しばらくは外出の際には濃いサングラスのご着用が必要になる。そのため日程が確保できず、手術も、そして病名の公表も、上皇陛下のご退位後まで延期されていたのだ。上皇陛下のご退位から1カ月がたち、次々と明かされた美智子さまのお体の異変。ただ、美智子さまが心臓に異変を感じられたのは今回が初めてではない。’15年6月、美智子さまは1日に何度も重く、ずんと来るような胸の痛みがあると訴えられた。検査をすると、心臓の冠動脈に比較的軽度の狭窄が明らかになったのだ。このときも宮内庁は「心身に強いストレスを与えることがないような配慮が望まれる」としたうえで、手術はせずに経過観察を続ける方針をとった。4年前に判明した冠動脈の狭窄は、新たに発表された疾患にも影響していたのだろうか――。今回のご病状である「三尖弁逆流症」について、前出の南淵教授はこう解説する。「一般的に三尖弁逆流症は、ほかの心疾患が原因になっています。何らかの原因で右心室の容積が拡大して弁が引き延ばされ、その機能が低下し、逆流が起こるのです。三尖弁逆流症と冠動脈の狭窄に関連性がある場合もあります。冠動脈の狭窄は治療をしなければ自然に治るということはありませんから、むしろ三尖弁逆流症よりこちらに着目すべきでしょう。冠動脈の狭窄が進むと狭心症や心筋梗塞を引き起こします。心臓が止まり、死に至る危険性もあるのです」美智子さまは深刻なリスクを抱えながら、満身創痍で4年間を過ごされてきた。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは言う。「高齢のお体にメスを入れると、傷の回復やリハビリに長期間かかってしまいます。美智子さまは60年前のご成婚当時から、命がけで陛下をお支えするという強いお気持ちを抱いていらっしゃいました。最後のお務めを果たすまでは……と、かなり我慢をされていたのだと思います」
2019年06月19日6月9日、天皇皇后両陛下が26回目の結婚記念日を迎えられた。「上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さんがお集まりになって、ご即位後初となる両陛下のご成婚記念日をお祝いされたようです。令和の御代になって40日、皇后となられた雅子さまがしっかりとご公務をお務めになっていらっしゃるので、より明るい祝福ムードに包まれていたといいます」(宮内庁関係者)皇室ジャーナリストは雅子さまのご活躍ぶりを「療養中なのを忘れてしまうほど」だと語る。「5月下旬に来日したトランプ米大統領夫妻への接遇が、国内外で絶賛されたのは記憶に新しいところです。『ニューヨーク・タイムズ』は、『雅子皇后はスターだった』と大々的に報じました」直後の6月1~2日には、初の地方ご公務となる「全国植樹祭」ご臨席のために愛知県を訪問。「名古屋駅で大勢の人々の歓声に迎えられた雅子さまは、疲れた様子もお見せにならず、明るいご表情で手を振られていました。これまでは欠席も多かった式典後のレセプションでも、陛下とご一緒に参加者たちの中に入っていかれ、予定時間を延長して歓談されました」6月4日には、皇居・宮殿にクロアチア議会のヤンドロコビッチ議長夫妻をお招きになり懇談。「議長夫人とすぐに打ち解けたご様子の雅子さまは、天皇陛下と議長が着席された後も立ったままお話を続けられました。そのため陛下が笑顔で着席を促される、ほほえましい場面もありました。当初、この懇談に雅子さまが出席される予定はなかったのです。かなり体調がよろしかったのだと思われます」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう言う。「雅子さまはようやく、ご結婚当初から望まれていた“皇室外交”が実現できるようになって、実力を発揮されているのです。それもご結婚にあたって『一生お守りします』と述べられた陛下の存在があったからこそだと思います」陛下は今年2月の記者会見でも《できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》と述べられている。陛下のぶれない“夫婦愛”が大きな支えとなって、雅子さまは新しい時代の皇后として一躍脚光を浴びられている。
2019年06月12日悠仁さまを狙った“刃物事件”や小室圭さん問題など、苦難に見舞われている秋篠宮家。しかし、明るい話題もある。次女の佳子さまが初の外国公式訪問へ向けて調整中だと宮内庁が発表したのだ。今年の9月中旬から下旬にかけて、オーストリアとハンガリーを約10日間の日程で訪問される予定だという。胸をなでおろすのは宮内庁関係者。「実は、佳子さまはこの秋から留学されるのではないかという声もあったのです。お姉さまの眞子さまも大学卒業時、『進学や就職はせず、皇族として本格的に公務に取り組む予定』と宮内庁から発表がありましたが、半年後にはイギリスの大学院に進学されています。佳子さまにとっても、海外の大学院進学は魅力的な選択肢だったはずです。毎週お忍びでダンスレッスンを続けていらっしゃった佳子さまには、より自由な環境でダンスに打ち込みたいという思いもおありだったと思うのです」しかし佳子さまはダンスへの情熱をいったん“封印”し、ご公務に取り組まれる道を選ばれたのだ。秋篠宮家は御代替わり後、総力を挙げて公務にまい進している。秋篠宮ご夫妻は「全国『みどりの愛護』のつどい」の式典出席などのため、5月17~18日に鳥取県をご訪問。さらに秋篠宮さまは、6月中旬までに単独で3回の地方ご公務を予定するハードスケジュールだ。眞子さまも5月11日に「みどりの感謝祭」式典に出席され、22~23日には「全国都市緑化祭」ご臨席のため長野県を訪問される予定。さらに21日には、秋篠宮ご夫妻と眞子さまと佳子さまがそろってコンサートを鑑賞された。「秋篠宮家に逆風が吹く中で、国民の支持を取り戻すためには、やはりひたむきにご公務に取り組むほかはない――。小室さん問題をめぐって対立するなかでも、その点ではご一家の意見が一致したのでしょう。初の外国訪問に臨まれる佳子さまからは、その先頭に立って“秋篠宮家を救う”と言わんばかりの意気込みが感じられます」(皇室担当記者)皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも期待を込める。「佳子さまは毎朝、赤坂御用地内をジョギングされているそうですが、職員を見かけると佳子さまのほうから『おはようございます』と挨拶されるそうです。そういった社交性と海外留学で培った語学力で、佳子さまが令和の時代の新しい皇室のイメージを形作ってくださるはずです。今年3月、大学ご卒業に際して発表されたご感想の中で《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》とつづられました。あえて堂々とご自身の考えを表明されたご姿勢は今の時代に合っていると思います」ただ、こういった佳子さまの発言に、一部週刊誌からは「『公』より『私』を優先」などと批判が上がった。前出の宮内庁関係者はこうした意見に反論する。「佳子さまは同じ文書の中で、上皇ご夫妻の60年にわたるご活動を《大変尊敬申し上げております》と綴っていらっしゃいます。また、天皇皇后両陛下についても《少しでもお二方のお役に立つことができれば誠に嬉しく思います》と語られています。上皇ご夫妻の思いを受け継ぎ、天皇皇后両陛下を支える――。その真摯なお気持ちは、きっとご公務で体現されることでしょう」秋篠宮家、そして国民の期待を背負って――。佳子さまはついに、国際親善の舞台へと足を踏み出される。
2019年05月23日ハーゲンダッツ(Häagen-Dazs)の日本発売35周年を記念したアイスクリーム「翠(みどり)〜濃茶〜」が期間限定で再登場。2019年7月9日(火)より期間限定で発売され人気を博したアイスクリームが、その好評を受けて再販となった。抹茶の飲み方の一種で、茶道において格の高いおもてなしとされる「濃茶」に着想を得た「翠(みどり)〜濃茶〜」。上級品の抹茶が多く使われ、強いうま味とまろやかな風味を特長とするその「濃茶」の味わいを再現した、特別な抹茶アイスクリームだ。素材には、本商品のために時間をかけて造られた、手摘みの初摘み茶葉のみをふんだんに使用。抹茶本来の甘味と渋味の絶妙なバランスで、これまでにない濃厚な味わいが楽しめる。【商品情報】ハーゲンダッツ 35周年記念商品「翠(みどり)〜濃茶〜」<期間限定>※2019年12月3日(火)より再販。小売希望価格:324円+税販売店舗:全国のスーパーマーケット、コンビニエンスストア、デパートほか内容量:100ml【問い合わせ先】ハーゲンダッツ ジャパン株式会社 お客様相談室TEL:0120-190821
2019年05月19日眺めているだけで優しい気持ちになれる、渡邉さんが描く世界。渡邉良重さんの手から生み出される絵やデザインが好き。作品のどこかに懐かしい気持ちになるスイッチのようなものが潜んでいて、そのスイッチがオンになると私はたちまちかつて大人に憧れていた少女に戻ってしまう。網中いづるさんの絵に出逢った時も同じような気持ちになったけれど、渡邉良重さんの作品は絵画だけではなく、カレンダーや洋服、お菓子の箱などなど、日々の生活で使えるものばかりなのが嬉しい。仕事ややらなければいけないことが山積みでストレスを感じている時に、渡邉良重さんの絵を眺めると、トゲトゲしていたものが丸く、ほわんと柔らかくなっていく。「Audery」や「Tartine」など最近では焼き菓子のパッケージを手がけていて大人気だが、行列に並んででもその可愛い箱たちを手に入れたくなってしまうのはきっと私だけではないはず。男女の双子を出産し、今年の3月には初節句を迎えたのもあって、渡邉良重さんのKIGIの雛人形を我が家にも迎えました。北欧の伝統工芸のような木製人形、和を感じさせながらもどこかテキスタイルを彷彿とさせる着物、バックグラウンドに描かれたグラフィックや木箱も含めとても魅力的な作品でした。子供のものは可愛いすぎるデザインが多いので、あまり甘すぎない雛人形はインテリアにもしっかりと馴染んでくれて嬉しかったです。 Processed with VSCO with c1 preset TartineのNicole(ニコル)。チョコレートが大好物な熊という設定も可愛くてお気に入り。発色の良いピンクカラーの箱はテディベアを制作するアイテムをしまっています。 Processed with VSCO with c1 presetProcessed with VSCO with c1 preset こちらもTartineのオリジナル缶。ふたりの女の子の後ろ姿の愛らしさに心がギュッとなります。横の「Tartine」はイギリスのお茶を入れる缶を彷彿とさせてくれる字体なのも嬉しい。 Processed with VSCO with c1 preset センチメンタルな気持ちになりたい時にこのポストカードを眺めています Processed with VSCO with c1 presetProcessed with VSCO with c1 preset フラットな箱がとてもスマートな飾り雛。何年経っても古くならないデザインで娘からその娘へと引き継いでいって欲しいなと思います。日常をより楽しくしてくれるデザインに囲まれた生活ってとっても贅沢ですよね。渡邉良重さんのイマジネーションから生まれるガーリーでスマートな作品たちに囲まれた生活を私はこれからも続けていきたいと思います
2019年05月07日昨年12月9日、雅子さまは55歳の誕生日に際してのご感想文書にこう記された。《地球温暖化や環境汚染など、国際社会が一致して取り組む必要のある課題が多岐にわたっています》《このかけがえのない地球を健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか、それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代になっているのではないかと感じます》国際親善を目指された雅子さまだったが、この15年で海外訪問の機会はわずかに3回しかなかった。そのうち1回はご療養のためのオランダ訪問だ。それでも、雅子さまは世界の環境破壊や貧困に関心を持ち続け、専門家のご進講も皇太子さまとそろって受けられてきた。雅子さまは“世界に愛される皇后”も目指されているのだ。ただ、雅子さまの思いは皇室に入られた26年前とは少し違うと語るのは宮内庁関係者。「いちばんの違いは、26年間にわたり美智子さまのなさりようをずっとご覧になってきたことです。被災地への激励、戦地での慰霊をはじめ、美智子さまは国民に寄り添う心を常に一つ一つのお言葉やお気遣いで体現されてきました。皇后として、天皇を支える立場として、国民のためにできることは何か――。雅子さまは皇后になる日を見据えて、誰よりも真剣に悩み、考えてこられたはずです」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも、雅子さまへの期待を語る。「美智子さまは、子や孫の世代に戦争体験を継承していくことで、平和の大切さを訴えてこられました。雅子さまは戦争を経験した世代ではありませんが、その思いを皇太子さまとともに受け継いでいかれると信じています」昨年、雅子さまが15年ぶりに出席された「全国赤十字大会」では、最後の場面で美智子さまが雅子さまの腕をとり、会場に紹介された。皇后にとって唯一の役職である日本赤十字社名誉総裁の“バトンタッチ”が話題になった。今年の大会は、雅子さまが新皇后になられた直後の5月中に開かれるとみられている。「今年から皇后としてその場所に立たれる雅子さまは、美智子さまに“令和の奮闘”を約束されていることでしょう」(宮内庁関係者)4月に刊行された「水問題」についての講演をまとめた著書『水運史から世界の水へ』(NHK出版)の序章に、皇太子さまはこう記されている。《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたいと思います》固い絆で結ばれた令和の御代の天皇陛下と、愛子さまとともに……。雅子さまは新時代の“愛される皇后”を目指される。
2019年04月30日4月18日、天皇皇后両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。親謁の儀を終えられた両陛下は18日の夜、志摩観光ホテル・ザ・クラシックにご宿泊。両陛下は清子さんや伊勢神宮の関係者をお招きになり、夕食をともにされた。「今年の4月18日は、清子さんの50歳の誕生日でした。そして60年前の4月18日は、ご成婚8日目の両陛下が伊勢神宮に結婚のご報告をされた日。そんな由縁のある日、夕食後も清子さんはホテルに残って、両陛下と一緒に泊まったそうです。親子ご一緒に旅先でお泊りになるのは、御用邸や軽井沢でのご静養に清子さんが合流することを除けば、清子さんが結婚してから初めてのこと。14年前の’05年8月に長野県・山梨県を訪れて以来です。退位を前に久しぶりに娘と一夜をともにされて、両陛下にとっても感慨深かったことでしょう」(宮内庁関係者)また伊勢神宮は41年前の’78年11月、美智子さまと当時9歳の清子さんが2人旅で訪れた思い出の場所でもある。「そのときは老舗の旅館にお泊りになりました。8畳の和室にお布団を2つ並べてお休みになったそうです。東宮御所には和室がなく、普段はベッドで眠っていた清子さんは興味津々だったそうです」(前出・宮内庁関係者)旅館では、伊勢神宮ご参拝のリハーサルも行われた。仲居さんたちを下がらせて、お座敷でお辞儀の作法などを、美智子さまがマンツーマンで細かくお教えになったという。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんが当時を懐かしむ。「美智子さまは、清子さんが学習院の初等科に進学してから、皇室に縁のある神社や陵墓などをめぐる“母娘旅”を10年間にわたって続けられました。それは皇族としての教育であると同時に、いつの日か皇族の身分を離れる清子さんとの思い出作りだったのではないでしょうか」清子さんが幼いころから、いずれ皇室を離れることを覚悟されていた美智子さまは、そうして母娘の時間を大切にされ、宮中の外の世界についてお教えになっていた。そして、美智子さまの愛情に包まれて育った清子さんは、’92年、学習院大学を卒業するにあたっての記者会見でこう述べた。《たくさんの公務をお果たしになりながら、いつも温かく見守って育ててくださいました皇后さまが、やはり理想の、理想という言葉は少しきついかもしれませんけれど、そのような女性になれたらと思います》親子水入らずで過ごされた伊勢の夜、美智子さまが清子さんと語り合ったのは「追憶と労い」、そして「令和の願い」……。「陛下が退位されると、皇后としてのお務めを終えられる美智子さまも今までより余裕のある生活をお送りになられるでしょう。これまではお控えになってきた“母娘旅行”も、きっとまた実現するはずです。その日を待ちわびていると、美智子さまもお伝えになったことでしょう」(渡邉さん)また、母娘一緒に――。美智子さまが訴えられた「願い」に、清子さんも笑顔で頷かれたはずだ。
2019年04月26日快晴に恵まれた境内には、優しい風が吹き、ときおり小鳥のさえずりが聞こえていた。モーニング姿の天皇陛下が皇室の祖とされる天照大神に譲位を報告されたのに続き、パールカラーのロングドレスに身を包まれた美智子さまも参拝された。4月18日、両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。当日、伊勢神宮周辺の沿道には、ご在位中最後の旅となる天皇陛下と美智子さまをお迎えするために約4万3千人の人々が集まった。伊勢神宮に詳しい文筆家で皇學館大学非常勤講師の千種清美さんが語る。「これまで神宮で何度も両陛下をはじめとする皇族方のご参拝を取材してきましたが、今回は本当にすごい歓迎ぶりで驚きました。全国から集まったみなさんから、平成の御代を惜しむ気持ちや、両陛下への感謝が伝わってくるようでした」神宮の関係者によると、両陛下は外宮参拝のとき、いつもより緊張されているご様子だったという。「伊勢神宮の祭主を務める黒田清子さんとご一緒に昼食をお召し上がりになったそうですが、それでリラックスされたのか、午後の内宮ご参拝のときには両陛下とも表情が和らいでいらっしゃいました」’05年11月、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚した清子さんは、’13年に伊勢神宮の式年遷宮で臨時祭主として儀式に臨んだ。そして’17年6月、正式に伊勢神宮祭主に就任した。「天皇陛下の代理として祭祀をつかさどる祭主は、皇室を離れた内親王として“最も重いお務め”といえます。両陛下は清子さんに祭主をお任せになることで、これからも皇室を支えてほしいという思いがあったのでしょう。それほど両陛下は、清子さんを信頼されているのです」(前出・皇室担当記者)‘93年、美智子さまが、59歳の誕生日に赤坂御所で突然お倒れになった。陛下と清子さんとご歓談中の出来事だった。一時意識を失われた美智子さまは、言葉を発することができなくなってしまった。その背景には、美智子さまに対するあまりに激しいバッシング報道があったと、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは語る。「そのとき清子さまはずっと美智子さまのおそばに寄り添われて、ご快復に力を尽くしました。また、’11年に東日本大震災が起こったときには、黒田さんの運転する車で、誰よりも早く皇居に駆けつけたそうです。結婚後もプライベートな部分で両陛下を支えてきた清子さんは、やはり美智子さまにとって特別な存在なのです」祭主になって以降も頻繁に御所を訪れる清子さんは、美智子さまのご相談相手となっている。「今回の神宮ご参拝で美智子さまのお足元が気になりました。足にご負担がかかるのか、御垣内の白石の上は歩きにくいようで、女官長さんの手を取られて歩かれる場面もありました。退位後に両陛下は御所から高輪皇族邸へ引っ越されます。ご高齢のお二人にとっては準備も大変であまり進んでいないようです。身の回りのことで頼りになるのは清子さんですから、美智子さまはすでに引っ越しについても相談されているそうです」(前出・宮内庁関係者)
2019年04月25日前日の雨もやみ。青空の下、柔らかな春の日差しが降り注ぐなか、6頭立ての馬車が、皇居二重橋から滑るように現れた。’59年4月10日午後2時30分。皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレードが始まった。沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のりだ。そのとき、渡邉みどりさん(84)は、青山学院大学のグリークラブのメンバーを率いて、コースの終盤の青山通り沿いで待機していた。「両陛下が通られるそのときにハレルヤをコーラスして、何がなんでも美智子さまに、テレビカメラのほうを向いていただく。それが日本テレビの秘策だったのです」当時、渡邉さんは入社3年目の新米中継スタッフだった。その秘策は見事に的中する。「果たして、美智子さまは、グリークラブに向かって45秒間、お手振りをしてくださったのです!」テレビカメラは、美智子さまの聡明な笑顔をアップで捉えることに成功し、そのあふれんばかりの健康美を全国に伝えたのだ。「あのパレード中継に携わったことで、この先も美智子さまにこだわり続ける予感はありましたね」渡邉さんは、生まれ年も美智子さまと同じ’34年。小学校入学とほぼ同時期に戦争が始まり、玉音放送を疎開先で聞いた世代だ。’57年に日本テレビ入社後は、33年にわたって皇室番組の制作に携わり、昭和天皇崩御の特別番組ではチーフ・プロデューサーを務めている。民放初の女性エグゼクティブプロデューサーまで上り詰めると、文化女子大学の教授に転身。ワイドショーなどに登場する帽子がトレードマークの皇室ジャーナリストとして、おなじみの方も多いだろう。「思えば、日本でテレビ放送が始まったのが’53年。それから5年で100万台まで普及したテレビが、美智子さまのご婚約に始まる“ミッチー・ブーム”で、一挙に200万台に倍増しました。何かあったらテレビをつけるという新しいライフスタイルが生まれ、高度経済成長の前触れともなったのです」美智子さまのご成婚は、日本が終戦後の焼け野原からの復興を果たし、人々の生活が豊かになっていく新しい時代の幕開けを予感させるものでもあったのだ。そのご成婚の日からちょうど60年後の4月末。平成の時代は終わり、30年間、皇后として天皇陛下を支えられてきた美智子さまも、そのお務めを終えられる。長年、美智子さまを見つめ続けてきた渡邉さんはしみじみとした深い声音でこう言った。「『お疲れさまでした』。もう、その一言に尽きます」渡邉さんが、正田美智子さんの名前を最初に知ったのは、20歳のときだった。毎年、成人の日を記念して、読売新聞で懸賞論文「はたちのねがい」を全国規模で募集した。’55年1月15日、その年集まった4,185通のなかから、2位入選を果たしたのが、聖心女子大学の学生だった美智子さまだ。渡邉さんも応募したが、3次選考で落選していた。「入選だけでしたら、美智子さまのお名前もすぐに忘れてしまったでしょう。ところが、2月5日の新聞でこう報じられていたんです」《2位入賞の正田美智子さんは、賞金2,000円を、恵まれない人への社会事業と奨学資金に寄付》「この報道で、同じ年齢のすごい方として、正田美智子さんのお名前が強く刷り込まれてしまいました。私は、もし、入選したらスキーに行こうと考えていましたから、誠にお恥ずかしい次第でした」3年後の11月27日、史上初の民間出身の皇太子妃が発表された。「その歴史のヒロインは、論文2位のあのすごい方だったのです」渡邉さんの心は躍った。そうして迎えたご成婚パレードの生中継。美智子さまの輝くばかりの笑顔を間近で拝見した渡邊さんの心に火がついた。以後、皇室特番の制作に進んだ渡邉さんは、持ち前の粘っこい取材力を発揮。それまでのメディアでは決して流れなかった皇室の方々の素顔の部分をクローズアップしていった。同級生から聞き出した「浩宮さま(現皇太子)のお芋掘り」の映像はスクープになった。日本テレビの2年後輩・徳市慎治さん(元株式会社バップ最高顧問)はこう話す。「渡邉さんは、われわれニュース報道が取材しないところに目を向ける独自の視点を持っていました。ファッションに注目したことも、当時は誰もやっていなかった。視聴者が皇室の何を知りたがっているのかを、常に考えていましたね」ファッションや子育てという身近な話題を通して、雲の上の存在としてではなく、美智子さまの人間としての魅力に着目した渡邉さんの番組は、次々に高視聴率をたたき出していった――。ベージュの帽子にグレーのジャケット。襟にはカメオのブローチ、胸ポケットにチーフと、渡邉さんはいまもお洒落だ。「この年になると、いろいろ大変なんですよ。第二腰椎圧迫骨折と脊柱管狭窄症で、朝晩に強い痛み止めを2年くらい飲んでいます。でも、美智子さまがこのお年でご公務に臨まれる姿を見ると、私たちも頑張らねばという気持ちになりますね」
2019年04月05日「あのパレード中継に携わったことで、この先も美智子さまにこだわり続ける予感はありましたね」’59年4月10日午後2時30分に始まった、皇太子殿下(当時)と美智子さまのご成婚祝賀パレード。コースは、皇居から桜田門、四谷、神宮外苑、青山を経て、渋谷の東宮仮御所まで8.8キロの道のり。沿道には53万人もの人々がお祝いに詰めかけ、全国の街頭テレビには1,500万人が集まった。当時、渡邉みどりさん(84)は日本テレビ入社3年目の新米中継スタッフだった。日本テレビのカメラは、美智子さまの聡明な笑顔をアップで捉えることに成功し、そのあふれんばかりの健康美を全国に伝えた。渡邉さんは、生まれ年も美智子さまと同じ’34年。小学校入学とほぼ同時期に戦争が始まり、玉音放送を疎開先で聞いた世代だ。’57年に日本テレビ入社後は、33年にわたって皇室番組の制作に携わり、昭和天皇崩御の特別番組ではチーフ・プロデューサーを務めている。民放初の女性エグゼクティブプロデューサーまで上り詰めると、文化女子大学の教授に転身。ワイドショーなどに登場する帽子がトレードマークの皇室ジャーナリストとして、おなじみの方も多いだろう。「思えば、日本でテレビ放送が始まったのが’53年。それから5年で100万台まで普及したテレビが、美智子さまのご婚約に始まる“ミッチー・ブーム”で、一挙に200万台に倍増しました。何かあったらテレビをつけるという新しいライフスタイルが生まれ、高度経済成長の前触れともなったのです」美智子さまのご成婚は、日本が終戦後の焼け野原からの復興を果たし、人々の生活が豊かになっていく新しい時代の幕開けを予感させるものでもあったのだ。以後、皇室特番の制作に進んだ渡邉さんは、持ち前の粘っこい取材力を発揮。それまでのメディアでは決して流れなかった皇室の方々の素顔の部分をクローズアップしていった。ファッションや子育てという身近な話題を通して、雲の上の存在としてではなく、美智子さまの人間としての魅力に着目した。初めて一本立ちのディレクターとして手がけたのは、ご成婚10年の記念番組だ。以降、5年、10年の節目ごとに特別番組を制作した。民間から皇室入りした美智子さまは、乳母制度を廃止し、家族で生活を共にする温かい家庭を基盤とした新しい皇室づくりを目指された。しかし、古くからのしきたりを重んずる皇室方や女官からの風当たりは強かった。そんな美智子さまの苦悩に焦点を当てた渡邉さんの番組は、視聴者の共感を呼び、毎回、高視聴率を記録した。見方を変えれば、渡邉さんの番組は、皇室と民間の距離を縮めようと努められた両陛下の“援護射撃”になっていたのではないだろうか。渡邉さんの人脈と取材網は広く、物おじしないエネルギッシュな姿勢は、周囲の人をも動かした。高松宮喜久子妃にはかわいがられ、ダイヤがちりばめられた門外不出のティアラに触れたこともある。両陛下のご結婚25周年のときには、美智子さまの実弟、正田修氏の単独インタビューに成功。このときは、面識のあった当時の日本テレビ副社長・氏家齊一郎氏に最後のひと押しをお願いし、取材の承諾をもらっている。’85年7月、ロンドン留学中の浩宮さま(当時)のコンサートを取材したとき、演奏終了後に渡すはずの花束を若い女性スタッフが1部終了の拍手のなかで渡してしまうというハプニングが起きた。渡邉さんは、そんなときも機転を利かせ、会場に飾られていた花瓶の花で急ごしらえの花束を作って、終演までに間に合わせている。「花瓶の花だったから、花束がびしょぬれなんです。それでも、宮さまはえんび服がぬれるのもいとわず、笑顔で受け取ってくださった。それこそが、陛下と美智子さまから授かった帝王学だったのでしょう」収録後、スタッフとともにご挨拶にうかがい、渡邉さんがスタッフ紹介を始めると、浩宮さまはこうおっしゃった。「渡邉さんとは上野でお会いしているじゃないですか。あのときのテープ、大切にしています」「テープ」とは、その5年前、浩宮さまが上野のコンサートで首席ビオラを担当されたとき、渡邉さんのチームが撮ったものだ。そのとき浩宮さまのほうから、録音テープとビデオテープを所望されたという。そんなささやかな皇族方とのやりとりも、激務の渡邉さんを支えていた。「実は、美智子さまと4分ほど懇談させていただいたこともあります。’09年11月のことでした」日本記者クラブ創立40周年のパーティに両陛下がご臨席になり、渡邉さんは、代表者に選ばれて懇談の機会を得たという。渡邉さんは、すでに日本テレビを退職し、文化女子大学で教壇に立っていた。教えていたのは「女性学」。美智子さまの生き方に焦点を当てた講義だった。美智子さまとの懇談の内容は、くわしくはオフレコということだが、「私のことを学校で教えてくださっているのでしょう?」と、お優しい笑みを浮かべられていたという。報道の現場を離れた渡邉さんの動向まで、美智子さまは把握してくださっていた――。皇室はまもなく大きな節目を迎えることに。「次の皇后になられる雅子さまは、お手本となる美智子さまがあまりにご立派でいらっしゃるので、大変だと思います。頭のよい方ですから、とりあえずは美智子さまのお手本にならい、そこから新しい時代に合った皇后になっていただきたいと思います」新天皇即位のパレードは、10月に予定されている。「新しい時代のパレードも、ぜひ、この目で見届けたいですね」
2019年04月05日「母国で開催される東京パラリンピックですし、活躍を楽しみにしています」雅子さまが、平昌パラリンピックのスノーボード金メダリストの成田緑夢選手(24)に、はつらつとした笑顔で話しかけられた。走り高跳びで東京での出場も目指している成田選手はこう語った。「お体を心配していたのですが、雅子さまはとても覇気のある話し方でいらっしゃいました。本当に元気が出ました。頑張ります!」11月9日、天皇皇后両陛下主催による秋の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。平成最後となった園遊会はあいにくの雨模様だったが、その雨が相合い傘で歩かれる両陛下の仲むつまじさを際立たせた。そして両陛下の有終を飾る大きなサプライズが、雅子さまの園遊会全行程へのご出席だった。これは実に15年ぶりのことだ。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは感慨深げに話す。「雅子さまは、明るい黄色のお召し物に負けないくらい、とてもお元気そうなご表情でした。来年の園遊会はお代替わりの行事が多いので、春・秋とも行われない予定ですが、再来年からは雅子さまご自身が園遊会の主催者になられます。お手本になる美智子さまのお姿もしっかりとご覧になったはずです。皇后になられてからも、今回と同じように立派にお務めになるでしょう」雅子さまが和服をお召しになっていたことが、さらに驚きだったと言うのは皇室担当記者。「雅子さまは適応障害になられてから、和服でのお出ましを非常に苦手にされています。所作にも気を遣う必要があり、緊張をさらに高めてしまうからです。雨で足元も悪いコースを和服で歩かれながら招待者と歓談されるのは、決して楽なことではなかったと思います。それでも雅子さまは見事にまっとうされました」今回、和服でのご出席となった背景を宮内庁関係者が明かす。「平成最後の園遊会は和服にしますと、美智子さまが女性の皇族方に連絡されたそうです。雅子さまはそのお気持ちをお察しになって、美智子さまの花道を飾るために、最後まで笑顔で頑張られたのです」和服をお召しになって15年ぶりの“フル出席”。そこには雅子さまの奮起があった――。
2018年11月14日「悪天候が心配されるなか、ようやく愛媛県・広島県の被災地を訪問された天皇陛下と美智子さまでしたが、そのお顔には深い疲労がにじみ出ていました」そう語るのは宮内庁関係者。7月初旬に甚大な被害を引き起こした西日本豪雨。両陛下はお見舞いのため、2日間で3県を回られる予定だったが、3度も日程が延期された。皇室担当記者は言う。「当初、両陛下は9月13日に広島県と岡山県の被災地を訪問される予定だったのですが、天候不良で14日に延期されました。14日も天候がすぐれず、なんとか岡山県には足を運ばれましたが、広島県へは、20日に予定されていた愛媛県ご訪問と同日に行う方向で再調整されたのです。それは数時間のうちに3度も自衛隊のヘリコプターに搭乗される強行スケジュールでした」ところが予備日だった20日も天候に恵まれず、21日に延期……。「延期のたびに宮内庁の説明も二転三転して、パニックになっているようでした。このような混乱は、平成の行幸啓で初めてではないかと思います」(皇室ジャーナリスト)被災地ご訪問が延期の連続となったのはなぜなのか。前出の皇室担当記者はこう語る。「両陛下は、被災地にお泊りになったり、交通規制が必要となるお車での移動をなさったりすれば、地元の自治体や警察などに多大な負担をかけると心配されたのです。そういった負担を最小限にするため、ヘリを使って移動時間を短縮した日帰り訪問となりました」ただ、ヘリの飛行は天候に影響されやすい。結果的には秋雨前線が日本列島にかかる時季だったことが、大きなネックになってしまった。9月6日には北海道胆振東部地震も発生した。国民の苦難に心を痛め、被災者に寄り添い続けてきた両陛下。しかし平成最後の1年に、記録的な大災害が頻発することに――。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも両陛下の体調を気遣う。「80歳を過ぎたおふたりにとっては、長距離の移動だけでも大変お疲れになるものなのです。さらに予定変更や延期は無意識でもストレスになります。今年の7月には陛下が脳貧血でお倒れになっています。それでも万が一、新たな災害が発生したならば、どんなにお忙しくても両陛下は被災地に向かわれるはずです。負担も大きいヘリ移動などがこれ以上続けば、陛下、そして美智子さまもお倒れになってしまわないかと心配しています」被災地激励には、美智子さまの知られざる“苦悶”が隠されていたのだ。
2018年09月27日8月6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日、15日の終戦の日……。8月は、特に皇室にとって戦争犠牲者を慰霊し、過去の過ちを顧みて平和を祈る大切な時期だ。「毎年8月15日に行われる戦没者追悼式も両陛下が出席されるのは今年が最後となり、来年からは皇太子ご夫妻に引き継がれます」(皇室担当記者)両陛下は長年にわたり国内外の戦地に赴かれ、全身全霊で慰霊の旅を続けてこられた。皇太子ご夫妻は来春の即位後、平和への祈りをどのように受け継がれるのだろうか。皇室ジャーナリストが語る。「天皇陛下が皇太子時代におっしゃった『日本人が忘れてはいけない4つの日』(前述の3日と6月23日の沖縄戦終結の日)には、必ずご一家で黙祷されて、また戦争にまつわる歴史なども学んでいらっしゃいます。ただ、皇太子ご夫妻は、すでに多くの国民がそうであるように、直接の戦争体験はありません。両陛下とは異なる戦争への関わり方を模索され“新たな天皇皇后像”を思い描いていらっしゃるのではないでしょうか」雅子さまは外交官時代から、世界の貧困や紛争にも心を痛めていらっしゃった。毎年の誕生日に開かれていた会見で、雅子さまは国際紛争について繰り返し言及されている。「雅子さまは、ダイアナ元妃(享年36)の国際的な活動にも、尊敬とシンパシーをお感じになっていました」そう話すのは、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんだ。「没後20年経った今も、ダイアナ元妃の人気は衰えません。その理由には、病床の子どもたちやホームレスなど世界中の恵まれない人々に対する慈善事業や、また実際に多くの国々を訪れて、国際親善やエイズに関する啓蒙や地雷問題などに取り組んだことが挙げられると思います。ダイアナ元妃が’95年にイギリス赤十字の副会長として来日した際には、雅子さまと英語で親しく話されていました。雅子さまも児童福祉問題に関心を持たれているなど共通点も多く、お気持ちが通じ合われたのでしょうね」亡くなる直前の’97年には、アンゴラの地雷原を歩いて足を失った少女を膝の上に抱かれるなど、世界中に地雷の存在を伝え平和を求める姿勢を示したダイアナ元妃。「雅子さまは皇太子さまからのプロポーズの際、これまでの外務省での経験を国際親善の場で生かしてほしいというお言葉をいただき、それを大切に思われて嫁がれました。新しい世代の皇室外交を、ご自分が担っていくという夢を抱かれていたのでしょう。ダイアナ元妃は、まさに雅子さまの目指す皇族としての国際貢献を体現した女性だったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)しかし、雅子さまがダイアナ元妃のように世界中の紛争地を飛び回ることはなかった。ご成婚から10年間はお世継ぎを求める声のため、その後の14年間は適応障害のご療養のために、海外に出て活動されることはかなわなかったからだ。それでも宮内庁関係者は、来年新皇后になる雅子さまに、大きな期待を寄せているという。「昨年から雅子さまは積極的にご公務に取り組まれています。この秋にはフランスご訪問も予定されており、海外渡航への障害はほとんどなくなっています。さらに雅子さまは今年に入って6回も、国際情勢に関する情報の収集や分析などを行う外務省国際情報統括官のご進講を受けられています。雅子さまはとくに、世界の子どもたちが置かれている状況について詳しく勉強されているそうです。長期ご療養中も国連大学へ通われていましたが、雅子さまは国際情勢を学ばれながら、新皇后に向けてのご準備を続けてこられたのでしょう」着々と準備が進められている雅子さまの次世代計画。世界中の子どもたちの笑顔のため、雅子さまが「愛の国際平和活動」にまい進される日も近い――。
2018年08月09日無菌人工給餌周年養蚕「みどり繭」使用の商品を販売着物のアフターケアやメンテナンス事業を手がける株式会社きものブレインは、シルクに特化したライフスタイルブランド『絹生活研究所』が、クラウドファンディングサイトの『Makuake(マクアケ)』において、「みどり繭」を使用した基礎化粧品・手づくり石鹸・今治タオルの先行販売を開始したことを発表した。同社は、東京農業大学と連携して「無菌人工給餌周年養蚕システム」による繭の量産化の研究・開発を行い、事業化に成功した。肌にやさしい石鹸やタオルも開発シルクは、人の皮膚に近い繊維といわれており、タンパク質のフィブロインとセリシンで構成されている「みどり繭」は、一般的な白繭と比較して、保湿・抗酸化・紫外線防御などの効果が期待できるセリシンを多く含み、優れた健康成分を備えている。今回、セリシンを配合した基礎化粧品として、化粧水・UVミルクローション・美容液・美容クリームを販売する。シルクには優れた保湿力があり、肌を健やかな状態に保つ効果がある。手づくり石鹸は、セリシン・オリーブ油・パーム油・ココナッツ油が基本成分であり、「プレーン」と「バラとはちみつ」の2タイプがある。そして、みどり繭・エリ蚕を使用した今治タオルは、ハンドタオル・フェイスタオル・バスタオルの3タイプを用意した。肌触りがよく、赤ちゃん・肌の弱い人・肌トラブルのある人も安心して使用することができる。プロジェクトの詳細、各コース、販売価格などは「Makuake」サイトで確認を。(画像はプレスリリースより)【参考】※シルクの里発!無菌養蚕「みどり繭」の力が詰まった、人にやさしい化粧品。クラウドファンディング Makuake※プレスリリース株式会社きものブレイン
2018年05月28日丘みどり、純烈…演歌界の期待の星が多数出演するライヴイベント『ENKA LIVE vol.1』が5月21日(月)に東京・チームスマイル・豊洲PIT(ピット)で行われる。このイベント、普通の演歌のコンサートとはひと味違う。ライヴハウスというスペシャルなシチュエーションももちろんだが、出演者の丘みどりと純烈によるコントも行われるのだ。【チケット情報はこちら】普段やっているコンサートとは少し趣向の異なるこのイベントだが、だからこそ、丘は開催前から意気込んでいるようだ。「普段やっている演歌のコンサートやイベントでは見られないような私たちの一面だったりを観ていただきたいと。沢山新しい発見をしていただけるようなライヴにしたいと思っております」普段から、歌謡コーラスグループ・純烈と共演することも多いという丘。純烈からは、彼らも目標としている紅白歌合戦に先に出ているという理由で冗談めかしてライバル視されているが、丘も負けてはいない。「純烈さんとはこの2~3年ぐらいで、沢山お仕事をさせていただいたんですけども、みなさん仲が良くて面白い。お笑いもできる方達なんだなぁというイメージがあるので、私も皆さんに負けないように笑いを取りにいきたいと思っています!」丘の2018年の目標は実は「コント」だったという。志村けんらとTV番組で共演するなど着実にその目標を達成してきた彼女。今回は「ライヴ」ということで余計に気合が入っているそう。「2018年に入って私がまず初めに強く思ったのが、もちろん歌は頑張りつつ、今年はコントがしたい、ということだったので。そのときには、まさかライヴでできるとは思ってなかったんです。だから、また、夢がひとつ叶うな……と、私自身とてもワクワクしておりますので、最高の笑いがお届けできるように頑張りたいと思います!」丘の新たな試みが見られるこのイベント。きっと普段は観ることのできない、演歌の新たな魅力が見つかるはずだ。「今までに観たことのないような演歌ライヴができるんではないかと思っています。笑いあり、涙あり、本格的な歌があり、と盛りだくさんでお届けしたいなと思っております!」文:小田部 仁■「ENKA LIVE vol.1」日時:5月21日【1】開場12:00/開演12:30【2】開場15:30/開演16:00会場:チームスマイル・豊洲PIT(ピット)(東京都)料金:5,800円(税込)全席指定出演:丘みどり / 純烈 / 川上大輔 / 朝倉さや / 三丘翔太 / 鶴丸和大 / 加納吾郎 / ブルークラウド(演奏) / おはら祭り(踊り)
2018年05月11日東京・中目黒のみどり荘ギャラリーにて、北海道上川郡東川町に在住している木彫り作家、西山忠男のおそらく人生最後となる個展「OWL」が、12月16日から24日まで開催される。兵庫生まれの西山忠男は現在、満80歳。青年期は東京の浅草でアクセサリーのデザイナーとしてサラリーマン生活を送っていたが、とあることから逃げるようにして北海道の阿寒に移住し、木彫り作家としての活動をスタートさせる。以後30年もの間その土地に住まいを持ち、根を張っていたアイヌ民族との交流を深め、彼らにあらゆることを伝授してきた。阿寒を離れた後は札幌や富良野を転々とし、ギャラリーやレストラン、ホテル経営など様々なビジネスに着手し、成功を収める。現在の住まいがある東川町の北海道道1160号沿いに居を構えてからは「ふくろうの店」という、ふくろうを象った木彫り作品などを展開するお店を開き、生活を営んでいる。今回の展示はフリーランスの写真家、安永ケンタウロスが家族と共に東川町に移住したことに端を発する。ある時「誰にも見せていないんだが、感想を聞かせて欲しい」と西山忠男が彼に見せたのが、今回の個展で最もフィーチャーするゴミと化した古い鍬の鉄部分を燭台に仕立てたもの。その佇まいに安永が感銘を受け「もっと多くの方に見てもらいたい、触れてもらいたい」という想いが生まれ、今回の展示が実現した。展示されるのは、その燭台の実物数点とそれを写した安永ケンタウロスの写真50点、並びに西山忠男が木を彫り、つくり続けているふくろうたち。燭台に表れている西山忠男のラディカルな姿勢は、北海道の牧歌的な穏やかさとは真逆をいく、現代の日本の消費主義に反発しているように思える。貴重なこの機会に是非、彼の作品に触れてみては。【イベント情報】OWL Exhibition会期:12月16日~12月24日会場:みどり荘 中目黒ギャラリー住所:東京都目黒区中目黒1-4-4 1F時間:11:00〜20:00
2017年12月17日アイドルグループ・SUPER☆GiRLSの渡邉幸愛が2日、自身のインスタグラムで美脚&くびれ際立つセクシーなサンタ姿を公開し、話題を呼んでいる。渡邉幸愛のインスタグラムよりこの写真は、発売中の雑誌『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)の巻末グラビア「YG美少女サンタコレクション2017」撮影時のオフショット。渡邉は「実は、発売中の【ヤングガンガン】に少しだけ登場しております!是非見つけてみてください」というコメントと共に写真をアップした。セクシーなサンタ姿に、ファンから「可愛すぎる!!」「セクシーサンタさんだ」「こんなサンタさんに出会いたい」「可愛すぎるサンタさん」「NICEバディでくびれ綺麗」「くびれがすごい…笑 そしてかわいい」「メッチャエロい!」「スタイル良すぎ…」などと絶賛の声が上がっている。
2017年12月02日ファッション、写真集等のアートブックを販売するオンラインショップ 「フロットサムブックス(flotsam books)」が、今年最後の単独イベントとなるポップアップショップを、みどり荘にて開催する。今回のポップアップショップでは、One Man BOOK FAIR “You Win! ”と題し、「興味はあったけれど値段が高くて買えなかった」という人や、「沢山欲しかったけど我慢してた」「ちょっと部屋に飾れるようなカッコイイ本が欲しかった」人など、マニアでもそうじゃなくても気軽に訪れ、購入出来るよう、フロットサムブックスでは初となる大セール(30%から70%オフ予定)を開催。みどり荘という若いクリエイターが多数集まる場所で、若者向けで手に取りやすい値段の写真集やアートブック、ZINEなどを販売する。【イベント情報】flotsam books One Man BOOK FAIR “You Win!” at MIDORI. so.会期: 12月8日~12月12日会場:みどり荘住所:東京都目黒区青葉台3丁目3−11−3F Gallery Space時間:13:00〜21:00入場無料
2017年11月22日映画初主演の渡邉剣とBL映画初挑戦の天野浩成で、“名作”と評される日高ショーコの人気コミックを実写映画化する『花は咲くか』。このほど、『鋼の錬金術師』でアル役の声及びモーションキャプチャーを務めることでも話題の水石亜飛夢をはじめ、ドラマや2.5次元舞台で活躍している若手イケメン俳優による全キャストが解禁、場面写真&ポスタービジュアルが公開された。初めて人を好きになった、あの胸が締め付けられるような切ない想い。誰もが一度は経験する「恋」の葛藤を描く、年の差カップルの純愛ラブストーリーとなる本作。恋愛に身を焦がす時代はとうに過ぎ、いまは仕事漬けの日々を送るサラリーマンと、他人に興味を持てずに生きてきた大学生が、ひょんなことから出逢い、想いを育ててゆく――。■原作のイメージに合ったフレッシュな俳優が勢揃い!蓉一の大学の同級生で、蓉一に興味を抱く藤本浩輝役には、「獣電戦隊キョウリュウジャー」のキョウリュウグリーンで注目を集め、舞台「純平、考え直せ」「戦国BASARA4 皇」、来年公開の映画『ちょっとまて野球部!』などにも出演する塩野瑛久。蓉一の従兄弟の1人で蓉一と一緒に暮らしている水川菖太役には、「あなたのことはそれほど」「愛してたって、秘密はある。」と注目のドラマに出演し、本作が映画初出演となる小原唯和。同じく蓉一の従兄弟で、蓉一、菖太と一緒に暮らしている岩崎竹生役を務めるのは、ミュージカル「テニスの王子様2ndシーズン」柳蓮二役で俳優デビュー、『鋼の錬金術師』ほか『いぬやしき』『笑いの枝折り』『飢えたライオン』の公開が控えている水石亜飛夢。さらに蓉一の父親の友人で、彼の家の管理人である吉富桔平役を、映画『藁の楯』『アウトレイジ 最終章』などの話題の映画に出演、「仮面ライダー剣」では天野さんの因縁の相手を演じていた本宮泰風が務める。■「こんな恋がしてみたい…」背中合わせの2人のポスタービジュアル完成!主人公・水川蓉一役を務める渡邉さんと、彼に惹かれていくサラリーマン、桜井和明役を演じる天野さんの2人の背中合わせの姿が、より切なく、募る思いを表現するポスタービジュアルに。原作ファンはもちろん、BL作品初体験の女性たちの心にも沁みる癒しのラブストーリーを紡いでいく彼らに注目だ。『花は咲くか』は2018年2月24日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2017年11月21日アイドルグループ・SUPER☆GiRLSの渡邉幸愛が、20日発売のマンガ誌『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)21号の表紙と巻頭グラビアに登場した。渡邉は同誌で、白いビキニ姿で寝そべった写真やシャワーを浴びる姿を披露。また、同日に自身のインスタグラムを更新し、豊満バストのぞくビキニ姿のオフショットを公開した。頭にはアヒルのおもちゃ(?)をちょこんと乗せ、キュートな表情を見せている。インスタグラムでは、「約4年前に初めて水着を着たのがこのヤングガンガンさんでのスパガ全員でのグラビアでしたこうしてまた表紙ができるなんてとっても嬉しいです!」と喜びのコメント。「写真はとてもまぬけなオフショットですが、笑本誌はちゃんとしてるので!笑是非、チェックよろしくお願いします!」と呼びかけた。この投稿に「アヒル乗ってるのかわいい 笑」「これはヤバイっす」「可愛くて色っぽい」「セクシー&かわいい」「女だけど幸愛ちゃんのからだ大好き」「幸愛ちゃんのナイスバディーは一生の憧れです!!色気!!!最高」などと絶賛の声が上がっている。
2017年10月20日誰もが一度は経験する“恋”の葛藤を描いた、累計発行部数35万部超えの日高ショーコによるBLコミックスの実写映画化『花は咲くか』のキャスト第2弾が発表。主演・渡邉剣の相手役を『HiGH&LOW』「仮面ライダー剣」の天野浩成が務めることが分かった。恋愛に身を焦がす時代はとうに過ぎ、いまは仕事漬けの日々を送るサラリーマンと、他人に興味を持てずに生きてきた大学生がひょんなことから出逢い、想いを育てていく様子を描く本作。すでに、大学生の主人公・水川蓉一役を渡邉さんが演じることが決定。そして、蓉一に惹かれていくサラリーマン・桜井和明役を、「仮面ライダー剣」橘朔也/仮面ライダーギャレン役や舞台「美少女戦士セーラームーン」地場衛/タキシード仮面役(4代目)、『HiGH&LOW』シリーズにも出演していた天野さんが演じることが発表された。今回初めてのBL作品と出会ったと言う天野さんは、「戸惑いも最初はありましたが30代最後の歳、自分の出来る限り芝居を精一杯演じたい!と思っていたタイミングでの出逢いでした。原作も直ぐに読み作品の内容、登場人物それぞれにとても素直に心を動かされる作品で、桜井和明役を自分が演じたいと思いました」とコメント。また「それぞれのシーンが素敵なものになり、桜井の気持ちがちゃんと繋がった作品になったと思いますので、みなさん楽しみにしていて下さい」と呼びかけている。公開決定時、渡邉さんは「戸惑いながらもようやく気持ちが分かり合えた2人が初めてキスをするシーンにも注目して見ていただけると嬉しい」と語っていたように、18歳年上の桜井に惹かれていく美青年・蓉一とのキスシーンは見逃せない。そして監督には、本作が長編映画初監督作品となる、東映株式会社東京撮影所所属の女性監督・谷本佳織が抜擢。舞台となる風流な日本家屋、深い木立に囲まれたロケーション、さらに物語の重要なポイントである“花”の絵画など、原作のイメージを大切にしたこだわりの映像に注目だ。また、脚本は、『大奥』『どうしても触れたくない』『ひだまりが聴こえる』など近年のBL映画を多く手掛けている高橋ナツコが、原作者完全監修の元、心を通わせあう同性同士の繊細な心の襞を細部まで描く。谷本監督は「蓉一が色を重ねて絵を描くように、登場人物の感情を重ねて映画を作っていこう。そう意識しながら、惹かれあう蓉一と桜井さんの感情の動きを丁寧に作り込みました」と意気込みを明かし「リハーサルを重ねるたびに、渡邉さんと天野さんが、蓉一と桜井さんへと変わっていく様子を目の当たりにして、確かな手応えを感じました。そして、撮影初日の現場に立つ2人の姿は、まさに蓉一と桜井さんそのものでした」と自信を覗かせた。『花は咲くか』は2018年2月24日(土)より全国にて公開。(cinemacafe.net)
2017年10月18日アイドルグループ・乃木坂46の西野七瀬と欅坂46の渡邉理佐が16日、千葉・幕張メッセで開催中の「Rakuten GirlsAward 2017 AUTUMN/WINTER」に出演した。女性ファッション誌『non-no』の専属モデルを務める西野と渡邉は、「non-noスペシャルステージ」のトップバッターとして2人そろって登場。大きなクマのぬいぐるみを2人で抱きながら笑顔でランウェイを歩き、先端でクマをギュッとハグして会場を沸かせた。その後のトークタイムで、西野は「欅坂46の理佐ちゃんと一緒に歩いたのは初めてだったので、すごい楽しくできたと思っています」と笑顔で感想を語り、渡邉も「すごく緊張したんですけど、すごくうれしかったです」と話した。「GirlsAward」は、2010年から年2回、東京・代々木第一体育館を拠点とし、「渋谷からアジアへ。そして世界へ。」をスローガンに開催してきた日本最大級のファッション&音楽イベント。16回目となる今回は、同イベント初となる新天地の幕張メッセに場所を移してパワーアップ。人気モデルによるファッションショーや、アーティストによるライブステージを展開する。
2017年09月16日アイドルグループ・欅坂46の渡邉理佐と渡辺梨加が2日、さいたまスーパーアリーナで開催された「マイナビ presents 第25回 東京ガールズコレクション 2017 AUTUMN/WINTER」(以下TGC)に出演した。2人は「LOWRYS FARM」のステージにそろって登場。存在感のある色違いのマフラーを身につけ、手をつないでランウェイを歩いた。先端では、顔に手を近づけて微笑みながらポーズ。そのかわいらしさに会場から歓声が上がった。『non-no』(集英社)の専属モデルを務める渡邉は、前回の「第24回 東京ガールズコレクション 2017 SPRING/SUMMER」に続き2度目のTGC出演。一方、今年7月から『LARME』(徳間書店)のレギュラーモデルとなった渡辺は、今回TGCデビューを飾った。TGCは、「日本のガールズカルチャーを世界へ」をテーマに2005年8月から年2回開催されている国内最大規模のファッションイベント。25回目となる今回は、「BEYOND」をテーマに、ファッションショーをはじめ、アーティストライブやスペシャルステージなどを展開し、会場には約3万4,600人の観客が詰めかけた。撮影:宮川朋久
2017年09月03日アイドルグループ・SUPER☆GiRLSの渡邉幸愛が19日、楽天イーグルス-福岡ソフトバンク17回戦(コボパーク)の始球式に登場した。宮城県出身の渡邉は、7月25日の楽天-ソフトバンクで始球式を務める予定だったが、雨天中止になってしまい、今回がリベンジ登板となった。渡邉は、楽天イーグルスのユニフォームとSUPER☆GiRLSの衣装の白いミニスカートに身を包みマウンドへ。大きく振りかぶる躍動感のあるフォームでボールを投じ、期待されたノーバウンドとはいかなかったが、ボールはワンバウンドで捕手のミットに収まり、笑顔を見せた。その後、自身のインスタグラムで始球式に臨む練習風景やユニフォーム姿のオフショットを公開。また、ブログで「子供の頃からよくスタジアムに応援にきてたのに、そこで今日、私が始球式をできたって夢みたいだもん!とても光栄です!!!今日、始球式を務めることができたことずっと忘れません」と喜びをつづった。また、「ノーバウンドでは届けられなかったのはとても悔しい!!負けず嫌いだからとても悔しい!!!」「つぎは、ノーバウンドで!!!」とリベンジを誓い、「またいつか。もっと大きくなって、また始球式が出来るようにがんばります!次は、このボールに泥がつかないように投げられる日が来るように引き続き頑張っていきます!」と次回の始球式に向けての意気込みを伝えた。
2017年08月21日夜、眠る前にすることは、翌朝のきれいにつながること。明日からのきれいを作ること。美しく生きる人に、「きれいのために夜していること」を聞きました。■石けんでやさしくメイクを落とす朝の洗顔はシンプルですが、夜はきちんとメイクを落とします。使うのはクレンジング剤ではなく、ココナッツオイルでできた石けん。肌にやさしいのはもちろん、肌に必要な成分を落としすぎないので、安心なんです。小鼻周りなど、角栓のざらつきが気になるような箇所は、石けんを泡立ててていねいにマッサージ。肌がなめらかになるような気がします。リップやしっかりアイメイクしたときの粘膜部分などのメイク落としには、ココナッツオイルが活躍します。とくにデリケートな部分なので、安心安全なものを使いたいなと思うんです。■湯船にココナッツオイルをひとさじ入れるバスルームにはココナッツオイルの瓶をひとつ置いています。ココナッツオイルは美容に幅広く使えるので、バスルームに常備しておくのがおすすめです。一番簡単な使い方は、湯船にココナッツオイルをひとさじ入れること。加えた瞬間、お湯の表面にオイルの膜が浮かぶのがわかるはずです。湯船から出たときに、全身がココナッツオイルを薄くまとった状態になり、その時点で肌がしっとり、もちもちします。バスタオルで水気を軽くとるだけでOK。お風呂上がりにボディクリームやオイルなどを塗って保湿する手間もかかりません。究極の時短美容かなあと思います(笑)。■白湯(水)を飲む眠っている間は水分が不足した状態になるので、眠る前に常温の水をグラス1杯飲むことにしています。秋冬など寒い季節は水ではなく、ココナッツオイルをひとさじ入れた白湯を飲んで、体を温めます。■寝具やナイトウェアは心地よいものを選ぶ寝具にはこだわっていて、上質な寝具を取り扱うECショップ「ホテルライクインテリア」で、良いものを少しずつ買い足しています。頻繁に買い換えるものではないので、多少値段がはっても、良い眠りにつながるものを使いたいなと思うんです。たとえば、ベッドや布団のシーツは、糸の密度を示す数値・スレッドカウントが高いものを選びます。一般的にスレッドカウントの数値が高いほど、生地表面がなめらかになり、生地と直接接する肌も心地よく感じられるようです。同様にナイトウェアの質感も大切にしていて、素材はシルクやオーガニックコットンのもの、と決めています。キャミソールタイプやオフショルダーなど、女性性を意識できるデザインで、かつ着ていて心地よく、気持ちが満たされるものを選びます。会食がある日やとくに忙しい日はそうはいきませんが、基本的には娘と一緒に22時くらいには寝て、7時に起きる、というように、睡眠時間はしっかり確保していますね。■眠る前にストレッチ+αのリラックスタイムを設ける朝にする腸(おなか)をひねる運動と同じように、夜は娘と一緒にストレッチをしています。開脚して体を前にぺたっとつけるなど、本当にごく簡単なものです。無理をしないからこそ、続けられているのかなあと思います。最近、娘のリクエストもあり、ストレッチと「瞑想」がセットになりました(笑)。それに加え、この半年ほど、キャンドルをつけた状態で、娘と1日の振り返りをするようになりました。その日1日を無事に過ごせたことや、ヒト・モノ・コト……さまざまなつながりに感謝することを教える目的です。眠る前に心身を落ち着かせる、大事なひとときになっています。荻野みどりさんプロフィール株式会社ブラウンシュガーファースト代表取締役。「わが子に食べさせたいかどうか?」を基準に食材を厳選する手作りの菓子店として2011年に創業。「有機エキストラバージンココナッツオイル」を筆頭に、「有機ココナッツシュガー」「有機アップルソース」など、支持される食品を提供し続けている。/池田園子
2017年07月23日朝、起きてすることは、その日のきれいにつながること。今日からのきれいを作ること。美しく生きる人に、「きれいのために朝していること」を聞きました。■腸(おなか)をひねる運動をする起床後は娘と一緒に、「出す習慣」として、脚をクロスするようにして、おなかをひねって、腸に刺激を与えるポーズをとっています。腸が活性化されて、お通じが良くなるような気がします。■洗顔はぬるま湯で朝の洗顔は30〜35度くらいのぬるま湯だけ、と決めています。石けんを使わなくなって5〜6年経ちます。前の晩にきちんと落として、清潔な肌で眠るため、朝は落としすぎないようにしています。洗顔後のケアもシンプルです。ココナッツオイルを少量塗った後、「ネロリラ ボタニカ」のミストをシュシュッとしておしまい。冬場にかさつくときなどは、「CERAPLE(セラプル)」の美容液を塗ることも。昔は「冬だけ乾燥肌」体質で、冬には顔の一部が粉を吹いたり、腕や脚がかさついたりしていましたが、今はまったくなくなりました。体の外側と内側両方からココナッツオイルを摂取しているおかげだと思います。■オリジナルドリンクを作るアンチエイジングなどの健康効果が注目される、有機アップルサイダービネガーのほか、有機レモン・有機生姜や有機ココナッツネクターを配合した、当社の商品「有機スウィッチェルコーディアル」をベースにしたドリンクを作って飲んでいます。有機スウィッチェルをミネラルウォーターで希釈し、その中にレモンやシナモン、カルダモン、クローブなど、その日に摂りたいフルーツやスパイスを好みで放り込むだけ(笑)。なかでもシナモンは普段から積極的に摂っています。カルダモンは気温が高い時期に、体を冷ましてくれたり、クローブは胃腸を整えてくれたりする効果が期待できるスパイス。茶こし付きのストローをさして飲み、午後には半分以上なくなります。量が減ってきたら水を足して、1日飲んでいますね(笑)。味がおいしいのはもちろん、生姜のおかげで体が芯から温まり、アップルサイダービネガーのおかげで空腹感を抑えられる、いろいろな点で嬉しいドリンクです。■朝食はゆる糖質制限2カ月くらい前から糖質制限を始めました。理由は、そろそろ娘とプールに行く季節になり、ビキニを着たいなあと思ったから(笑)。会社にも糖質制限中のメンバーが多く、皆で励まし合いながら続けています。社員からは「顔がシャープになった」と言われました!朝食として摂っているのは、野菜と厚揚げ、鶏肉、豚バラ肉などのたんぱく質を炒めたもの。娘にはごはんと味噌汁を用意して、炒め物をシェアしています。■ココナッツオイルを飲む朝早い時間にココナッツオイルをスプーンひとさじでも飲むと、頭がシャキッとして、脳が活発に動き出す感覚があります。朝はコーヒーに入れることが多いですね。1日に大さじ3は摂取しているでしょうか。■有機アップルソースを食べるこちらも自社商品ですが、「有機アップルソース」(りんごのペースト)を食べています。そのままいただくのも美味しいですが、ヨーグルトに加えたり、フリーカパフと混ぜて食べたりすることもあります。ひと瓶で6個分のりんごを使い、カリウムをたっぷり含んでいるのが特徴。体の中で滞っているものを、水分として排泄する効果が期待できます。■プロテインを飲むお昼ごはんまでの間に空腹を感じるときは、ホエイプロテイン(*)を飲んでいます。プロテイン=たんぱく質。体を作るもとになるみんなに必要な栄養素なので、子どもたちにも安心して飲ませることができて、かつ美味しいプロテインを開発中です。それもあって、今サンプルがたくさん手元にあるので、機会を見つけては試飲中(笑)。プロテインにはホエイ以外にも、植物性のものなど、さまざまな種類がありますが、いろいろと飲み比べた結果、一番美味しいと感じたホエイプロテインを作ることにしました。基本的に、「空腹を感じたときは、これを食べる!」というものを、明確に決めておくのがおすすめです。つい、近くにあるものを食べてしまいがちですが、それでは太ってしまう可能性も。私の場合はプロテインか、当社の「ココナッツオイルサプリメント Fujicoco(フジココ)」を食べるように決めています。*ホエイ牛乳(乳)から乳脂肪分やカゼインなどを除いた水溶液のこと(「きれいのために夜していること」につづく)荻野みどりさんプロフィール株式会社ブラウンシュガーファースト代表取締役。「わが子に食べさせたいかどうか?」を基準に食材を厳選する手作りの菓子店として2011年に創業。「有機エキストラバージンココナッツオイル」を筆頭に、「有機ココナッツシュガー」「有機アップルソース」など、支持される食品を提供し続けている。/池田園子
2017年07月21日