学校のルールが理解できず、独自路線で突き進むコミックエッセイ『毎日やらかしてます。』シリーズや、ドラマ化もされた『透明なゆりかご』などの作品が人気の漫画家、沖田×華さん。『毎日やらかしてます。』シリーズでも公表している通り、沖田さんにはADHD、ASD、LD(学習障害)のトリプル発達障害があります。「漫画家になってからは、別の世界に転生してきたみたいだ」と語る沖田さんに、現在の仕事に至るまでのお話をお聞きしました。――沖田さんは幼少期、どのようなお子さんだったのでしょうか?沖田×華さん(以下、沖田):小学校入学前は、漢字を読むことが得意で、通っていた公文式では算数で満点をとっていました。だから、親は「頭がいい子どもだ、きっと小学校でもうまくいくだろう」と思っていたらしいのですが、実際は入学式のときから浮いていましたね。Upload By 姫野桂沖田:入学式当日、靴下も上履きも忘れて、集合写真は1人だけスリッパを履いて写っていて(笑)。周りはきちっとした姿勢なのに、自分だけ姿勢もふにゃんとしてて、じっとしていられない感が写真にもあらわれていました。入学式の日って、自己紹介があって、仲良くなった子と一緒に帰ったりしますよね。わたしは、そのとき一緒に帰った友達が「一生一緒に帰る友達」なんだと思い込んで、毎日同じ子に声をかけていました。一度起こったことが、ずっとそのまま再現されるわけではないと理解できないことがよくありました。――そうだったんですね。他にも、何か周りの子と違う行動をとっていたことはありましたか?沖田:ハサミやノリなどが入った「お道具箱」の扱いで先生に叱られて、納得できずに意見を曲げなかったこともありましたね。わたしはお道具箱を大変気に入って、家に持ち帰り、中身を1つも学校に持って来なかったんです(笑)。それを見た同級生たちが代わりのお道具箱を作ってくれたんですが、喜んでいたら先生に取り上げられてしまって。先生からは「なんで自分のお道具箱があるのに家から持ってこないんだ」と言われましたが、「だってこのお道具箱はわたしのものなんですよね?だからわたしがどういう使い方をしてもいいんですよね」と答えて、納得しないことには絶対に謝らなかったらしく…。何かこだわりがあって、クラスの中でわたし1人だけが止まってしまうことも多々ありました。あとは、「テスト」というものの意味を理解していませんでした。例えば、学校の算数のテストだとランダムに足し算が出てきますが、わたしは丸暗記していた公文式のテストの答えをそのまま書いていたんです。母親には「これは公文式の問題じゃないんだから、問題文をちゃんと見ろ」と何度も言われましたが、まったく理解していなかったらしいです。Upload By 姫野桂――となると、自然とテストの点数は低くなりそうです。沖田:そうですね。算数はよく0点をとっていました。でも、全部の教科が悪いのではなく、算数だけが異常に悪くて国語は答えをすごく暗記できる、みたいな、凸凹のある子でした。成績が悪いと親に怒られるので、小・中学校ではいつも成績を改ざんすることを考えていましたね。数学のテストで200点満点中30点しかとれていないのを、数字の「1」を加えて130点にしたり、通知表の「1」に線を付け加えて「4」にしたりとか(笑)。結局バレて怒られるんですが、勉強どうこうというよりも、どうしたら親に怒られずに済むかで頭がいっぱいでした。家に帰ると「学校モード」ではなくなってしまうので、そこからうまく切り替えられず、宿題をするのも苦手だったんですよ。「どうしたらこれをちゃんとできるのかな?」と考えて、町内で勉強のできる同級生のところへ「勉強教えてー」とお菓子を持って行き、やってもらっていました。友達がほしくて入っていた文通部でも、わたしは字がキレイに書けなかったので、友達に「50円あげるから書いてくれ」って頼んで文面を言ったりして(笑)。そんな風に、お菓子やお金を渡して等価交換みたいなつもりで、できないことを人に代わりにやってもらっていました。人と関わろうと思ってはいるのですが、どこかやり方が間違っているというか、子どもらしくないというか…。そんなことばかりしていましたね。Upload By 姫野桂発達障害の自覚がないまま過ごした思春期――沖田さんは、発達障害の診断を小学生のときにすでに受けていたと漫画にも描いてらっしゃいますよね。Upload By 姫野桂沖田:はい。小学4年生のときにADHDとLDの疑いがあるとの診断を受け、ASDの診断は中学生のときに受けました。でも、発達障害の自覚はまったくなくて、「前ならえ」のような集団行動をこなしたり、おとなしく授業を受けたりしている同級生を見て、「この子たちは全員ロボットで、わたしこそが人間」と思っていましたね。「こっち来て」の一言で言うことを聞く人たちが人間に見えなくて。パッと顔を上げると、わたしが1つのことを続けているうちに、全然世界が変わっているんです。昼休みが終わって席に戻ってきたら、みんなが席についてわたしを見ていたこともありました。なんだろうと思ったら、給食が終わった瞬間に、わたしが「ごちそうさま」を言い忘れて教室を飛び出していったから、連帯責任で全員の昼休みがなくなってしまったらしいんです。でも、肝心のわたしは「みんな戻るの早いな」と思っていて、一切その罰がこたえていなかったので、先生は悩んでいたようです。――連帯責任や根性論の時代だったんですね。沖田:そうですね。忘れ物をしたときは「なんで忘れるのか」と理由を問い詰められましたが、「忘れました」以外に答えようがなくて。「忘れた」という言葉が通用しないなら、もう何も言えないなと、小学3年生のころには、場面緘黙症になってしまいました。担任にもひどくいじめられていたのですが、「一生は続かないだろう」「これさえ耐えれば、わたしはもう自由!」と思っていましたね。でも、中学ではもっと地獄を見ました(笑)。Upload By 姫野桂参考: LITALICO発達ナビ「場面緘黙(かんもく)の原因とは?声が出ない要因、子どもの緘黙はなぜ起こる?大人の場合は?について解説」――中学校ではどのようなことがあったのでしょうか?沖田:特に中学1年生のときは、担任との相性が最悪でした。わたしが生まれた時代は第二次ベビーブームの終わりごろだったので、中学は1学年330人ぐらいだったんです。その中で、わたしは成績が330人中280番ぐらいで。「あ、良かった、わたしの下にこんなにいっぱいダメなやつがいる」と思っていたら、成績が悪いのは男子ばかりで女子はわたしだけ。それで目をつけられてしまって…。体罰自体は小学生のころもあったのですが、中学からは胸をつねるような性的な体罰もありました。良くないことですが、当時はそういうことが学校でまかり通っていた時代で、私自身もまだ中学生のころは、体罰と性的な加害の区別が難しかった気がしますね。他には、生理に対する嫌悪感も強かったです。生理が始まってからは、感覚過敏で、とにかく下着をつけるのが苦痛でした。スポーツブラのゴムでかゆくなってしまったり、生理用の小さいショーツそのものや、ナプキンに経血のつく感じがすごく嫌だったり。自分がにおいに敏感だったからかもしれませんが、生理中は周りにバレないかとすごく気にしていました。今は下着や生理用品の選択肢も増えましたが、そこで大変な思いをしている女の子はいると思います。親のすすめで看護師になるも、人と働くことの複雑さに悩む――高校では看護のコースに進み、その後専門学校を卒業して看護師として働き始めたとお聞きしました。なぜ看護師になろうと思ったのですか?沖田:これはもう親の刷り込みですね。家は自営業のラーメン屋、母親は「とにかく手に職をつけろ、看護師がええ」「とりあえず女は免許を取ったら一生食いっぱぐれないし幸せになれる」ということを口癖のように言っていました。わたしは一生一人でいいやと思っていたし、特になりたいものもなかったので、親がやれっていうならやったほうがいいのかなあと受け身で選択しました。結果、大失敗でしたけど(笑)。Upload By 姫野桂――大失敗ということは、看護師の仕事はうまくいかなかったのでしょうか。沖田:看護師に限らないと思いますが、まず社会に出たときの人間関係の複雑さには困りましたね。はっきりした役割もないし、「この人はフレンドリーに話しかけてくれるけど内心は違う」とか、「実はこの人たちは敵対しているから、聞いた悪口をそのまま伝えちゃいけない」とか、そういう暗黙のルールが全くわからなくて。わたしが入ってきたことにより、職場の人間関係がめちゃくちゃになってしまうこともありました。聞かれたことに答えていただけなので、どうしてわたしのせいだと言われるのかもわかりませんでしたが、気がついたら自分が嫌われてしまっていたという…。日によって相手のテンションが変わることにも対応できませんでした。昨日同じことをやって「うん」と言っていても、翌日は機嫌次第で「ダメ」となることもある。そうなると、もう何もできなくなってしまいました。わたしの場合は、最初に教えてもらったことが一生のマニュアルになってしまって、新しいルールが加わってもアップデートできないんです。「タオルを畳む」という作業ひとつとっても、前に勤めていたところで覚えた畳み方を、いくら注意されても繰り返してしまって。自分としては丁寧に畳んでいたつもりでも、職場の人にとっては使い勝手が悪くて迷惑だったみたいです。そういう認識のズレを、当事者はわかっていない。就職しても、そういうところでつまずいてすぐに辞めてしまう人もいると思うので、できれば学生のうちに、コミュニケーションのとり方の基礎を教えてほしかったです。学校でSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)も受けられたらよかったんですが、当時は先生たちも知らなかったんだろうと思います。参考: LITALICO発達ナビ「ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは?支援の対象、方法、気をつけたいポイントについて」 By 姫野桂22歳ではっきりと「人と違う」ことを自覚する――沖田さんは、漫画家になる前に性風俗で働いた経験についても、コミックエッセイで描かれています。沖田:看護師として働いている途中から、昼は病院、夜はおっぱいパブという働き方をしていました。看護師時代はワーカホリックで、「働いていないと生きている意味がない」と感じることもあったんです。当時はお金を貯めることが唯一の生きがいになっていましたし、肉体労働としての共通点も感じていたので、あまり抵抗もなくおっぱいパブで働き始めました。それまではあまりにも人のことに興味がなかったので、わたしなりに「人間を知りたい」とも思っていたんです。お客さんには「明日結婚するから最後に遊びに来た」「嫁さんがもうすぐ出産で、しばらく性的なことはできないから来た」などと話す人がいたり、社会的地位は高いけれどマナーの悪いお客さんもいたりして、「人って、普段外から見える部分だけではないんだ、いろんな要素が固まって人格になっているんだな」ということを知りました。これは、後々漫画をつくるにあたって非常に役立つ考察になりましたね。Upload By 姫野桂沖田:風俗の仕事は、中身のある会話をしなくていいところも息抜きになりました。60分チヤホヤしたら対価がもらえるというのが、シンプルですごく性に合っていたんです。同僚の女の子たちとの希薄な関係も好きでしたね。仮の名前や性格でも通用する世界は、とても気が楽でした。それでも、当時は看護師をメインの仕事に据えていました。本当は看護師の仕事に一生を捧げたかったんですが、正看護師として美容整形科で仕事を初めて3日目ぐらいで、初めて「人と違う」という自覚が出てきたんです。22歳のときでした。――「人と違う」というのは、どういう感覚ですか?小学生での、周りがロボットに思えるという感覚とは違うものでしょうか。沖田:日本語はわかるのに、相手が何を言っているかわからないことが多々あったんです。みんなが何か一言言われるだけで動けているときに、自分だけわからないという問題が、すごくはっきり出てきました。学生時代は「わたしはいいかげんな性格だから」とすませていましたが、国家試験にも受かって准看護師から正看護師になっている今回は、「あれ?」と思いました。そのとき、自分の頭にはごそっと何かが足りなくて、それが補えずに苦しんでいるんだなとぼんやりわかったんです。それでも、具体的にどんな風に困っているのかはどうしても説明できませんでした。――すでに診断されていた発達障害とは、沖田さんの中で結びついていなかったのですね。沖田:今になってみれば、それが発達障害を自覚したときだったと思うのですが、当時は自分に発達障害があるということも全部頭から抜けてしまっていましたね。わたしには、自分と特性の似た、不登校経験のある弟がいて。彼みたいな状態こそが「発達障害」なのだと思っていたんです。弟とは似ているところも多い分、昔はすごく嫌っていたので、かえって発達障害フォビア(憎悪)のようになっていた面もあると思います。そうやって、原因はわからないながらも自分は人と違うんだと思っていたころ、同い年の看護師の先輩に「本当に役に立たないね」と言われたんです。同い年だから余計につらくて。その人に「死ね!ハゲ!」などと言われたときに、「もう死んじゃおう」と、一度自殺未遂をしてしまいました。ロープが切れて自殺には失敗し、「ああ、今日死ぬ予定だったのに死ねなかった」とがっくりしました。でも「とりあえずルーティーンをしよう」と、いつも通り病院に行ったんです。上司に怒られながら仕事をして、家に帰ってからはめちゃくちゃになった部屋を片付けていたら、なんか、やっと…「わたし、病院以外のところでも生きていけるかもしれない」と思い始めました。その日からが、おまけの人生みたいな感じになったのかな。トーン貼りにハマり、4コマを描いたのがきっかけで漫画家に――その後はどうされたのですか?沖田:これをきっかけに本格的にリセットし、親の手の届かない、知らない土地でイチからやり直そうと、看護師を辞めて名古屋へ向かいました。23歳のときです。しばらくはまた性風俗業で働いていたのですが、当時の彼氏が漫画が好きで。彼の持ってきたルポ漫画がものすごく面白くて、ファンレターを送ったのが、現在の夫との出会いでした。電話をしたり、会って話したりする中で、夫がわたしを面白いと気に入ってくれたようで。東京に来ないかと誘われたときは一瞬考えましたが、そのほうが面白そうだと思って行くことを決めました。そのときはまだ、漫画は何もやっていません。夫と一緒に暮らすようになったときに、初めて漫画のトーン貼りを手伝って、「もっとない?」「わたし一生これで生きていく!」と言うぐらいハマってしまいました(笑)。Upload By 姫野桂――トーン貼りを手伝っていたところから、どのようにしてご自身も漫画家になろうと思ったのでしょうか。沖田:ある日、わたしがあまりにも「暇だ」と言うので、彼が4コマの枠だけを出して「これで何か描いてみてよ」って言ったんです。そうしたら、わたしは5分で書き上げたらしくて。それを見た彼が「お前、漫画家になれ」って。そのたった一言で漫画家になりました。わたしはコマが4つしかないからラッキーと思ったのですが、4コマ漫画って描くのが難しいらしいんですね。その時点で、漫画の基礎ができていたみたいです。ただ、絵は全然ダメで。4コママンガの中でキャラクターがどんどん痩せていって、4コマ目には別人になっているんです。左右の区別がつかないので、指の位置を逆に描いてしまうこともありますし。書けない文字がたくさんあることにも、漫画を描き始めてから気づきました。自分で漫画にセリフを書き込んだら、4コマ漫画なのに30個も赤字で修正が入っていたんです(笑)。とくに横の線は苦手で、ペンネームである沖田×華の「華」の字も3年ぐらい間違っていました。同じ字を何度も修正しているうちに、「見え方が他の人と違っているようだ」ということにもやっと気づきました。横線が動いたり、滲んだり、広がったりして見えるんですよ。どうも明朝体はダメらしくて。学習障害の一種であるディスレクシアも、そこで初めて自覚することになりました。ゴシック体だと理解できることは、最近わかりましたね。Upload By 姫野桂漫画家になったのは、「異世界転生」レベルの変化。湧いてくるアイデアをすくい、編集者と仕分けして漫画をつくる――他のお仕事も経験した上で漫画家になった沖田さんですが、漫画家という働き方はいかがでしたか?沖田:まったく怒られなくなったのには驚きましたね。締め切りを守るのは大前提ですが、わたしが出したものに対して、基本的に誰も文句を言わないんですよ。本当は不満もあるのかもしれませんが(笑)、言ってはこない。それがすごく新鮮で、別の世界に転生してきたようなレベルでしたね。どの仕事も、つまずくときは仕事内容そのものというより人間関係ですよ。漫画家のすごくいいところは、上司も部下もいないところですが、代わりにアシスタントや編集者との関わりがあります。わたしの場合、デビュー時に、同業者である夫が、アシスタントや編集者とのコミュニケーションの仕方を教えてくれました。わたし、アシスタントのことを友達みたいに思っちゃうんですよね。「疲れました」と言われたら「あ、いいよ、それやっておくよ」と言うような、なあなあの関係になってしまう。仕事をしてくれるのが嬉しくて、アシスタントの言うことをどんどん聞いてしまうんですが、本当はそういうのはよくないんですよね。仕事上の立ち位置を理解するのは、少し難しいです。漫画をよいものにしていく中で、修正を編集者から頼まれることもあります。「ここはこういう風に直してほしい」と言われた際、最初に思ってしまうのは、「この人はわたしのことが嫌いだからこんなことを言うんだ」ということなんです。そういう考え方のクセがあるんですね。でも、そうやって友達みたいな関係として捉えていると、「じゃあわたしも嫌いになってやる!」となってしまうので、作品をつくる上でよろしくない。そういうときは、夫が「編集者は友達じゃありませんよ」「仕事だから仕方なく!」って教えてくれるんです。そう言われると、編集さんが調子の良くない日もニコニコしたり、ご飯を一緒に食べたりするのも理解できて、関係性をとらえ直せます。そして、「そっか、これは仕事なんだ」「漫画をよくするための直しの要求なんだ」と納得して、うまく仕事のやり取りができるようになるんです。夫はいつも、自身の昔のしくじりを元に、怒鳴らずいろんな方向から説明してくれますね。Upload By 姫野桂――漫画を描くときに、どんなことを考えているのかもぜひお聞きしたいです。最近では、4コマやコミックエッセイだけでなく、ストーリーものの漫画も描かれていますよね。沖田:ストーリー漫画を描くことになったときは、どうやって描けばいいんだろうと途方に暮れましたね。編集担当さんが、ものすごく根気よく教えてくれました。先日、最終回を迎えた『透明なゆりかご』は、ネームにすごく時間がかかっていました。わたしは、そのコマ1つに一点集中型。今どんな話が広がっているのか、描いている最中はまったくわからないんです。それを見て、編集さんが「あ、見えてきました」とか言うので、わたしは「何も見えないじゃない」と思うんですが(笑)。これで話が繋がっているのかなと半信半疑で描いて、いざ掲載されたものを見ると、ちゃんと漫画になっているんですよ。そういうズレみたいなものがあります。だから、わたしは編集さんに「直して」と言われたら、「はい」と直すんです。多くの漫画家さんは、自分の作品への愛ゆえにこだわりがあって、編集者と衝突することも多いと聞きますが、わたしはまったくそういうことはなく。その道のプロである編集さんのほうが正しいだろうと思うんですよね。――そこを割り切っているのはすごいですね。沖田:ADHDの特性なのか、自分が描いたキャラクターや、その名前も忘れちゃうんですよ。キャラクターが5人程度でも、過去の単行本を引っ張り出してキャラを確認しています。『透明なゆりかご』については、読者さんから「泣いた」という感想をよくいただきますが、自分は泣いたことがなくて。他人のことが描かれているのに、なぜ泣くのかは不思議なのですが…きっと何か、思うことがあるんですよね。わたしはそういった共感がなく、看護師としての経験があるとはいえ、妊娠・中絶は経験していませんが、「それでも描けるんだ!」と今回わかりました。だからといって、適当に描いているわけではないんです。ADHDの脳みその特徴のようなものだと思うのですが、常にアイデアがポコポコとあぶくみたいに出ている状態で。それをすくってポイッと出し、編集さんと一緒に仕分けするのが、わたしの漫画の描き方です。今は、20ページぐらいの漫画であれば半日ほどでストーリーの構成ができるようになりました。Upload By 姫野桂自分よりも大切なものができて、仕事に「全て」を賭けなくなった――働く中で発達障害だと自覚し、仕事も変えて年を重ねてきた沖田さんですが、最近新たに気づいたことや変化したことはありますか?沖田:40歳に近くなって、性格がいい意味ですごく変わりましたね。昔は弁当に柴漬けが入ってなかったとか、そういうちょっとしたことで「わたしの今日1日を返せ!」ぐらいに怒っていたんですが、丸くなったというか。上京して夫と一緒に住み始めてからは、心のざわつきがあまりなくなりました。また、以前は「他人のことはわからなくて当たり前、それで相手に不快な思いをさせても仕方がない」と思っていましたが、最近は「向こうの心を知ろうとしたほうが、もうちょっと楽にコミュニケーションが取れる」というふうに考え方が変わってきました。歩み寄りが生まれているような気がします。それはきっと、自分よりも大切なものができたからなんでしょうね。昔は「若くて元気で整形もしていて、いっぱいお金を貯めている自分大好き!」だったのが、今はパートナーだったり親だったりを大事にしたいという気持ちが出始めていて、自分のことは別にいいかなと。好きなことをやり尽くした感じがあるからかもしれません。Upload By 姫野桂――では、仕事についての考え方も変わったのでしょうか。以前はお金を貯めることが生きがいで、「働いていないと意味がない」と思っている時期もありましたよね。沖田:今は、あまり仕事に人生を賭けないほうがいいと思っています。あくまでも仕事は仕事で、人生の一部。あまりにも仕事だけに集中していると、うまくいかなくなったときに墓穴を掘って爆発しちゃうこともあるので、やりたいことや趣味をいっぱい見つけたほうがいいかな、と思います。たしかに仕事はお金を稼ぐ上で大切なのですが、わたしにとってのおっぱいパブのように、ちょっと副業をかじってみたり、息抜きになるものがあったりしてもいいと思うんです。――ありがとうございます。先ほど自分の好きなことはやり尽くしたというお話がありましたが、何か今後やってみたいことはありますか?沖田:『透明なゆりかご』でも描きましたが、最近はコロナ禍の妊婦さんに取材をしていて。ある方は仕事を切られてしまい、車に1人で暮らしながら、大きなお腹を隠して臨月までUberEatsの配達員をやっていたんですよ。そういった行き場のない妊婦さんに住まいをつくるプロジェクトは、クラウドファンディングなどでもいくつかあるものの、数が圧倒的に足りていない。その方を少し支援しながらこの状況を見て、もっと手軽に困っている妊婦さんを支援できないか、滞在できるような施設をつくれないか、と思い始めているところです。また、話に出てきた弟は今、グループホームに入っているのですが、そういった施設やその住人は、社会から排除されやすいところがあります。開設に反対する近隣住民に、職員が菓子折りを持って回ったという話も聞いたことがあって。何も悪いことをしていないのに、なんでそんなに嫌がるものなんだろうと不思議なんです。だから、そういったことを『毎日やらかしてます。』シリーズで描いたり、グループホームを兼ねた何か大きなところをつくったりして、発達障害のある人が困らないような場所をつくりたいなと漠然と考えています。――最後に、進路について考えている読者にメッセージがあれば、お願いします。沖田:学生なら、親と先生、先生と子ども、みたいに、1対1でやりとりをするとスムーズなんじゃないかと思います。小さいときから自分を知っている親って、近すぎるんですよね。話し合いや進路の相談のときに、自分からしたら関係ないような昔の話も引っ張り出されることがありますし。わたしもマザコンなんですが、あんまり親の言うことは聞かんでもいいかなって思います(笑)。親だけに頼らず、できれば仲のいい先生をつくっておくのもいいかもしれません。わたしの場合は、同性のおばあちゃん先生が話しやすかったです。保健の先生も仲良くなっておくといいかな。わたしは専門学校卒ですが、金銭的に余裕があれば大学に行くのがおすすめですね。大学に入ることで、もっと選択肢が広がって、社会的にも学べる気がするので。学生のときって、自分のやりたいことをすごく集中してやってみたいときもあるじゃないですか。悪いことでなければ、それに没頭するのもいいと思います。Upload By 姫野桂明るく軽快に話してくれた沖田さん。仕事以外で趣味や好きなことを見つけたほうがいいという点には、個人的に「自分には何があるのだろう」と考えさせられてしまいました。しかし、年を重ねるにつれて、その回答がちょっとずつでも見えてくるのかもしれません。取材・文:姫野桂編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2021年04月18日「これまで数えきれないほどの原作を手がけてきましたが、実は、女性週刊誌での連載は初の試み。大人の女性と同じ目線に立ってストーリーを考えるのは、僕らにとって新たな挑戦なんですよ」そう語るのは、姉のゆう子先生とタッグを組んで数々の大ヒット漫画を生み出してきた樹林伸先生。“カリスマ原作者”と名高い2人が、4月6日発売の『女性自身』で新連載コミック『死ぬほど愛して』をスタートする。いったいどんな作品なのだろう?「ストーリーがドラマチックに展開していくラブサスペンス。1話目から細かい伏線が満載で、回を追うごとに予期せぬ展開がどんどん加速。自分で言うのもなんですが、めちゃくちゃ面白い作品になりますよ」(伸先生)主人公はアラフォーの主婦・澪(みお)。孤独な人生に絶望していたバツイチの彼女が真人(まさと)と出会って再婚。今度こそ幸せな日々を送れると安堵したのも束の間、次々と謎の渦に巻き込まれ、思いもよらぬ未来へと流されていく。「今回のテーマは“愛”と“死”です。人生がドラマチックに変化していくときは、いつもこの2つが要になっていますから。川に浮かぶ笹船のように、運命に翻弄されながら澪が流れて行く先をハラハラ、ドキドキしながら見守っていただければ」(ゆう子先生)「次々と襲いかかってくる濁流に飲み込まれていくけれど、それでも荒波を乗り越えて、己の人生を切り開いていく。冒険小説を読んでいるような、そんな澪のダイナミックな成長ぶりも、女性読者のみなさんに楽しんでいただきたいと思っています」(伸先生)作画の担当は草壁エリザ先生。ドラマ化された『ホリデイラブ~夫婦間恋愛~』でもお馴染みだ。「草壁先生はプロフェッショナル。絵が抜群に上手いしネームも気合が入っている。僕らが構築した物語の世界を存分に表現していただけるのは間違いないと、大いに期待しています」(伸先生)気合が入っていることにかけては樹林先生たちも負けていない。女性読者の思いに寄り添いたいと、本誌のページを熟読しながら、次回のストーリーを考案している。「私も読者のみなさんと同様に、仕事をしながら家事も子育てもやってきたので、今回初めて主婦としての自分の経験が作品に生かされるとワクワクしています。夫や子どもの都合に振り回される生活は自分の思い通りにならないことも多かったし、ある意味、単調な日々の繰り返し。だからこそ、澪と一緒にドラマチックな人生をぜひ体験してもらえたら」(ゆう子先生)渾身のラブ&サスペンスに身をゆだね、非日常を旅してみよう。【INFORMATION】樹林伸先生&ゆう子先生の新連載「死ぬほど愛して」は、4月6日発売の『女性自身』でスタート。作画を担当するのは、テレビドラマ化して話題を呼んだ『ホリデイラブ~夫婦間恋愛~』の草壁エリザ先生。魅惑のラブ&サスペンスに注目だ。「女性自身」2021年4月20日号 掲載
2021年04月06日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー田村一晃さん岡山県で車の整備士として働いている田村一晃さん(27歳)。彼がASDの診断を受けたのは子どものころだといいます。小さいころから車が大好きだったという田村さん。自分の「好き」を大切に、趣味に打ち込みながら仕事を続けていく、充実した日々の様子をお話しいただきました。子どものころから車が大好きだった――田村さんはどんな子どもだったのでしょうか?田村一晃さん(以下、田村):幼いころから車が大好きで、車で出かけるのを楽しんだり、ミニカーを集めたりしていました。小学生のときには、紅白の厚紙などを切り貼りして、車のようなものをつくったりもしましたね。算数や理科など理数系の科目が得意で、音楽や図工などの表現する科目が好きな子どもでした。――子どものころからの好みが今のお仕事に繋がっている面もありそうです。田村さんは幼少期にASDの診断を受けたとのことですが、そのころASDの特性の影響は何かありましたか?田村:うーん、小さいときは、そこまで不便に思うことはなかったですね。ものづくりには一人で没頭するタイプですが、「周りが目に入らない」とまではいかないし。僕が生まれたのは岡山の田舎のほうで、小学校は全校で60~70人ほどと少人数だったこともあり、友人とも仲良くできていました。学校外では、同じ町の小・中学校から集まった、発達障害のある人たちとの交流会に参加することもありました。それとはまた別に、「アリスの会」というASDのある子どもと親の当事者グループにも、たしか小学生か中学生のころに参加し始めたと思います。自然な流れで入っていたので、あまりきっかけは覚えていないのですが(笑)。そこでは、みんなで体を動かして遊んだり、一緒に料理をつくったりしました。電話のマナー講習も一度受けたことがありますね。活動を通じてコミュニケーションをとるような感じでした。もともと、特にコミュニケーションに難しさを感じたことはありませんでしたが、アリスの会でいろいろな人と話すことで、より多様な人とのコミュニケーションができるようになったんじゃないかなとは思います。アリスの会――中学・高校ではどうでしたか。田村:小学校と同じく、正直あまり覚えていない感じです。部活は中・高ともに吹奏楽部に入って、トランペットをやっていました。小学校の運動会での集団行動の特訓や、吹奏楽部での活動が、人と一緒に何かをするいい練習になっていたのかもしれません。特に、吹奏楽の演奏はチームワークが大事なので、社会性を身につける良い機会になったと思います。Upload By 姫野桂進路は、身近な職業だった「自動車の整備士」一本で考えていた――高校生になると、進路のことも考え始めるかと思います。田村さんは、どのようにして車の整備士という道に進んだのですか?田村:もともと車が好きだったので、車関係の仕事をしたいなとは思っていました。それで、ある4年制の専門学校の、自動車整備を勉強できる学科に進学することに決めました。――車関係の仕事には、車を売る仕事や、レーサーや運転手のような自分が乗る仕事もあると思うのですが、田村さんの場合は車の整備士に絞って考えていたのでしょうか?田村:そうですね。地元に車屋さんがあって、「整備士」が僕にとって身近な仕事だったからというのもあると思います。高校のころは原付バイクで通学をしていたので、そのオイル交換に行ったり、自転車がパンクしたら持って行ったりしていたんです。親が車を持って行くときについていくこともありました。進学先を選ぶときも他はほぼ考えず、「車の整備を学べる学校の、どれにするか」を決める感じでした。専門学校に進学してからは、好きなことだからこそ勉強も楽しめましたね。最初の2年で2級の整備士資格を取って、残りの2年では職場体験もしつつ、「一級自動車整備士」の資格を取得しました。高校を卒業する前に自動車の運転免許を取って、車も買ってもらっていたので、その車を移動手段にしつつ、実験台にもしていました(笑)。オイル交換などのメンテナンスをしたり、LEDやイルミネーションをつけたりとか。多分、それをやっていたおかげで、仕事でも電気系の作業は特に得意なんですよ。Upload By 姫野桂整備士としての経験が、趣味の車いじりの中で活きることも――田村さんは現在、整備士としてどんなお仕事をされているのでしょうか。田村:運送会社の自社工場で、自社のトラックの定期点検やオイル交換、ちょっとした修理などをおこなっています。専門学校卒業後、学生時代にインターンをさせてもらった会社に入って、今5年目です。職場はフレンドリーな雰囲気で、整備士としては工場長と僕の2人が勤めています。Upload By 姫野桂――整備士として実際に働いてみて、いかがでしたか?田村:専門学校では、普通自動車を主に扱うのですが、僕の仕事は大型トラックの整備がメインになるので、そこの違いはだいぶ出てきましたね。整備の仕方が難しかったり、いろんな部品が増えたり。部品自体も大きくなりますし。外れてしまうネジの扱いやサビの処理など、「これ、どうするんかなあ」と思うようなことは、実を言うと今でもしょっちゅうあるんです。そんなときは、工場長に教えてもらいながら取り組んでいます。以前、燃料フィルターのネジを締めすぎて割れてしまったことがあるんですが、そのときは工場長が部品を手配してくれて、解体屋まで取りに行ったこともありました。工場長には、インターン時代からお世話になってます。そんな風に難しい場面もありますが、やっぱり、担当した車が整備を終えて出ていく瞬間には、やりがいを感じますね。――子どものときは、ASDの特性由来の困り感は特に感じなかったとのことですが、大人になってから何か変化はありましたか?田村:整備士以外にしている荷物の仕分け作業の仕事で荷物を積むときに、なかなか覚えられないことがあったりと、最近になってちょっと特性が出てきているのかな、と感じることはあります。たまに忘れ物をすることもありますが、リカバーできている範囲なので、なんとかなっているかなと。――田村さんの趣味についてもお聞きしたいです。車に日々携わる整備士という仕事についた今も、趣味としての車も楽しんでいらっしゃるのでしょうか。田村:はい。今もミニカーは集めていて、テレビラックに飾ったりしています。車に関しては、幼少期よりも今のほうがこだわりがありますね。コンパクトカーや大きいステーションワゴン、スポーツカー、トラック、デコトラ…いろんな車が好きですが、乗っていて楽しいドライブしたくなるような車や、かっこいい車が好きです。Upload By 姫野桂田村:自分の車も相変わらずいじっていて、家で部品を自分で変えて車高を下げたり、マフラーを変えたり、ライトをLEDにしたりもやってましたし。今は車がハイブリッドになって、できなくなったんですけど、前は親の車のオイル交換もしていました。昨日も、自分の車を洗うついでに、じいちゃんの車を洗ったりして。車で走りに行ったりもしますね。趣味と仕事が近いと、趣味で車をいじるときに、「ああ、ここはこうすればいけるんだな」と気づくことがあります。車によっては、一部似ている構造があることもあるんです。他の趣味としては、ゲームのキャラクターグッズを集めたり、オンラインゲームをしたりもしています。最近はいわゆる「痛車」にもハマっていて、車のボンネットに好きなキャラクターのステッカーを貼っているんですよ。――趣味が充実しているのが伝わってきます。田村:僕、一時期はイラストを描いて、サークルで同人誌をつくっていたこともあったんです。同じようにイラストを描いていた人たちとのオフ会のようなものに参加したり、車やゲームなどの趣味が合う仲間たちと遊びに行ったりと、幼いころより今のほうが、人と一緒に楽しむことは増えたかもしれません。Upload By 姫野桂好きなものを見つけることが、何かの入り口になる――車の整備士という、趣味とのつながりが深い仕事をしながら、余暇の時間を存分にを楽しんでらっしゃる田村さんですが、これから進路や仕事について考える若い読者の人たちに、伝えたいメッセージやアドバイスはありますか?田村:まずは趣味を持つことが一番ですね。好きなこと、楽しいことがあれば、そこから何かやりたいことが見つかっていく可能性があります。「とりあえず好きなことを見つけろ」と伝えたいです。趣味を楽しむのも、ある意味では勉強みたいなものですよ。そこから興味が深まったり、できることや知識が増えたり、仲間ができたりしますし。僕も、ゲームで同じチームに入っている仲間や車仲間、絵描き仲間など、いろんな趣味の仲間がいます。それから、もしコミュニケーションに悩んでいる人がいたら、まずは同じ趣味を持ついろいろな人と話してみるのが一番いいかもしれません。そうやって話すことが、ちょっと言い方は変かもしれませんが、コミュニケーションの実践練習の機会になると思うので。「習うより慣れろ」といった感じもありますね。自分の場合は、アリスの会での経験や、趣味の合う仲間とのやりとりが、そのような実践の場になったと思います。同じ趣味というきっかけがあれば、コミュニケーションもとりやすくなると思うんです。入り口さえ掴めたら、あとは実践あるのみですね。趣味を通じてできた仲間は、一緒にいてとても楽しい存在です。好きなことは、仕事以外にもさまざまなきっかけになりうるので、あるとないとでは全然違うと思います。――最後に、今後の目標があれば教えてください。田村:仕事で言うと、今はだんだん大きいトラックの台数が減っていて、代わりに違う種類の新しいトラックが入ってきているんです。新しいトラックは、ブレーキが別の種類になっていたりもするので、新しいものにもできる限り対応できるようになりたいですね。趣味の面では、好きなことをもっと極めていきたいなと思っています。先ほど少し話したように、今は「痛車」にハマっているので、ボンネットだけでなく横のほうにもステッカーを貼りたくて。イラストを描いてくれる人を探そうかなと思っているところです。それより先に車が壊れてしまいそうなので(笑)、今は次の車を買うために貯金をしています。もっともっと、自分好みの車に仕上げていきたいですね。「仕事を頑張ってこそ、趣味も充実する」という考え方もあると思いますが、僕の場合は「趣味に満足がいかないから、仕事を頑張ってお金を稼ぐ」という感じです。今は通勤距離が長すぎて、ほとんどガソリン代に消えていっていますが(笑)。Upload By 姫野桂好きなことを仕事にして、今もなお趣味を追求し続ける田村さん。その趣味にかける情熱は潔く気持ちが良いものでした。田村さんの言うよう、どんな仕事に就きたいか分からない人は、一度自分の好きなものは何かを考えてみると、ヒントが見えてくるかもしれません。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか
2021年03月21日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー古澤瑛子さん特別支援学校卒業後、飲食店やレンタルビデオチェーンでの勤務を経て、現在はアパレル企業で勤務する古澤瑛子さん(以下、アコさん)。約1年前に実家を離れ、発達障害や知的障害のある人たちが共に暮らす「グループホーム」で生活しています。先天性の遺伝子疾患・ウィリアムズ症候群とADHDのあるアコさんの良き理解者であり、子どもの療育やグループホーム運営を長年続けている「一般社団法人発達障がいのためのハッピーライフ研究会」の高見澤千佐先生と共に、幼少期から現在に至るまでをお話しいただきました。Upload By 鈴木悠平生まれつき心臓が弱く両親は心配していた。先生と出会い、療育でたくさんの経験を――お二人とも、今日はよろしくお願いします。はじめに、アコさんの幼少期のころのお話や、先生との出会いについてお聞かせください。古澤瑛子さん(以下、アコ):活発で、外で遊ぶのが好きな子でした。親からは「すぐどこかへ行っちゃう」って心配されていたみたいです。高見澤先生のところには、4歳から療育に通っています。会ったときからすぐ仲良くなって(笑)、そこからずっと、お世話になっています。Upload By 鈴木悠平高見澤千佐先生(以下、高見澤):ウィリアムズ症候群の特徴で、アコさんは生まれつき心臓が弱いのもあって、お母さんはものすごく緊張感を持って彼女を育てておられたんです。転んで怪我して入院するんじゃないか、なにかあったら死んじゃうんじゃないかって、どこかに連れていくのもすごく慎重で。わたしはいろんな子を見てきたプロなんで、まぁお母さんそんなに緊張しないで、と(笑)。アコさん本人も、わたしと相性が合ったらしく最初っからすごくなついてくれたし、自分で学んで覚えていく力はすごくある子だなと思ったので、どこにでも連れて行って、とにかくいろんなことを体験してもらいました。アコ:はい、いっぱい体験しました!先生のところでは合宿もあって、しょっちゅうお泊まりにも行ってましたね。高見澤:うちの療育にはだいたいいつも50人ぐらいが来ていて、半分が知的障害、半分が発達障害のある子どもたちです。基本的には幼児のときから通ってもらって、二十歳以降の自立を見据えて、一人ひとり課題に取り組んでもらっています。勉強だけでなく、言語療法や運動療法まで、その子がそのとき必要なことを、という感じですね。彼女は、手先の不器用さがあったり、気がものすごく散りやすかったりして、小さいときは集中して取り組むのがなかなか大変だったんですけど、うまくいかなくて泣くことはあっても、次の日にはいつもニコニコで現れて「先生、会いたかったー!」って(笑)。いつも明るいよねー。アコ:今でも先生にベッタリですね(笑)。みんな一緒に過ごしていたはずなのに、「障害がある」というだけで扱いが変わるーー保育園や学校などでの、集団生活はいかがでしたか?アコ:保育園のときは、遊具にうまく登れなくて、運動会の競技に参加できないと言われて…高見澤:運動会で、はしごを登って鐘をカーンって叩く種目があるんですが、参加を遠慮してほしいって園から親御さんに言われたことがあったんですよ。Upload By 鈴木悠平ーーそんなことが…高見澤:でも、わたしが園に行ってコツを教えたら10分でできるようになったんだよね!アコ:はい!先生にコツを教わったらすぐできました。高見澤:運動会当日もバッチリできて、みんなに大拍手をもらったよね。やっぱり当時はまだまだ、「障害があるとみんなと同じことはできないんじゃないか」というような偏見が強くて、本人も「それはおかしいんじゃないか」っていうのはすごく感じ取っていました。アコ:小学校に入ってからも、途中までは楽しく過ごせていたんですが、6年生のときにクラスメイトに思いっきり蹴り飛ばされて、それがすごく辛くて、不登校になっちゃったんです。高見澤:心臓が悪いっていうことは、本人は普段からいろんな人に言ってたんです。それなのに胸を蹴られたっていうのがものすごいショックだったみたいで。アコ:はい、ほんと怖かったし、友達に蹴られたっていうのがショックでした。知らなかったんならともかく、知ってるのにどうしてこんなひどいことするのって。高見澤:障害のある子が疎外感を経験しやすいのがこの時期で、やっぱり難しいですね。だいたい4年生ぐらいまでは、みんなフランクに、障害がある子もない子も一緒に遊んでたりするんですけど、思春期に入りかけると違いを気にするようになって、仲良しグループがつくられるときに障害のある子が仲間はずれにされやすいんですよ。今までは「一緒においで」って言われたのが、急に「え、なんでお前来んの」って言われたりして、そこで本人も違いを自覚して、寂しい思いをすることになる。うちの療育でも、不登校を経験したことのある人は多いです。アコ:そのまま、中学校は3年間ずっと不登校で、先生のところに毎日通ってお世話になっていました。Upload By 鈴木悠平高見澤:フリースクールとして、うちへの出席を学校の出席扱いにしてもらって、そのまま卒業ですね。―中学卒業後は、特別支援学校の高等部に通われたとお聞きしました。通常の高校か特別支援学校か、進学先はどのようにして決めましたか?アコ:やっぱりいじめられたときの印象がずっと残っていて、学校行くこと自体がすごく怖くなってしまっていたんです。でも母親は、やっぱり高校は出てほしいと言うので、先生に相談に乗ってもらいました。高見澤:うちのフリースクールに通ったあと、高校進学せずにそのまま就職できている人もいっぱいいるんですけど、彼女の場合は、お母さんがものすごく思いつめられていてね。「中学校を不登校にさせてしまったから、せめて高校だけでも」って。ただ、アコさんは漢字や英語を書くのがどうしても難しくて、その状態で入れる高校の選択肢が当時はほとんどなかったんです。だったら、就職に向けた訓練もできるし、特別支援学校の高等部が良いだろうと。本人はそういった特別支援学級・特別支援学校的なところをそれまで経験していなかったので、入学当初はかなりびっくりしていましたね。――3年ぶりの学校で、はじめての特別支援学校というと、不安や緊張も大きかったと思います。アコ:もうほんと、毎日泣いてましたね。怖い!行きたくない!って。高見澤:うちの療育にも来ていた彼女の親友が1学年上にいたのが救いで、ほぼ彼女に会うために学校に行ってたようなもんだよね。その分、その子が卒業するときは大変で(笑)。アコ:あまりにショックで「わたしも姉さんと一緒に卒業する!置いてかないで!」って大泣きしてましたね(笑)。高見澤:卒業式、本人よりこの子の方が泣いてたっていうね。働いてお金を稼ぐ。親元を離れて暮らす。自分がどう生きるかを「選べる」ことがとても幸せ――それでは、特別支援学校卒業後の就労についてお聞かせください。アコ:卒業して最初に働いたのは喫茶店です。お客さんの注文を取ったり、飲み物や料理を運んだり、それから清掃とか。高見澤:最初は福祉的就労でしばらく働いたんです。わたしも見に行ったんですが、アコさんはお客さんに合わせて話すのが得意で、「雨ひどかったですねー」とか「今日何になさいますか?」とか、常連さんともすぐ仲良くなって、楽しくやっていましたね。参考: LITALICO仕事ナビ 福祉的就労とはどんな働き方なの?一般就労との違いなどについても説明しますアコ:そのあとに、障害者雇用での就職先をいくつか見に行って、次に就職したのがレンタルビデオチェーンの店舗の仕事です。何年か経ってから、そこが一度障害者雇用を終了するということで辞めなくちゃいけなくなったんですが、就労支援センターに通っている間に今の会社の人が見学に来て、それで就職が決まりました。そこから7年間、今の会社で働いてます。――今のお仕事が一番長いんですね。若い世代に人気のアパレルブランドの、渋谷の店舗で働かれているとお聞きしました。具体的にはどんな業務を担当されているんですか。アコ:わたしの担当は主に倉庫の業務ですね。スペインから送られてきた洋服を出して、輸送用のハンガーから店舗用のハンガーに入れ替えて…という感じで、お店に出る前の商品を整える仕事です。――へええ、なるほど。普段なかなか見られない、バックヤードでのお仕事、興味深いです。仕事の中で、やりがいや楽しさを感じる場面はありますか?アコ:仕事のやりがいは、ええと、そうですね…やっぱり働いてお給料をもらえるのが。Upload By 鈴木悠平高見澤:仕事の内容というか、お金だよねぇあなたは(笑)。アコ:はい、まさにお金ですね(笑)!――シンプルな答え(笑)。働いて稼いだお金は何に使うんですか?アコ:お金を貯めて自分のほしいものをひとつずつ買っています!こないだはiPhoneも買ったし、次はApple Watchとか、Bluetoothのイヤホンを買いたいなって。高見澤:あとは食だよね。グループホームではお昼ごはんの提供はないので、ご実家からお弁当を持って行くことが多かったんですけど、せっかく毎日渋谷に通勤してるんだしということで、「ランチを自分のお金で食べる」という念願を叶えて、いろいろ好きなもの食べて楽しそうですよ。毎日、わたしが仕事で忙しい中、お昼になると「先生、今日はポークチョップです!」「今日は中華♡」とかって写真が送られてきて(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:なかなか攻撃力のある「飯テロ」をしてくるんですよ(笑)。アコ:でも今はApple Watchを買うために節約モードに入ってて…今日もカップ麺でした。高見澤:耐え忍んでますね(笑)。でもほんとに、お金は楽しいみたいだね。アコ:楽しいですね。なんか、初めてなんですよ。ケータイを自分で選んで変えられるとか。――自分でお金を稼いで、自分で使いみちを選べる。アコ:そうそう、それは本当に感動しましたね。高見澤:やっぱりお家にいる間は、全部親御さんがやってくださっていたんでね。このグループホームの個室の家具やカーテン、彼女は全部自分で決めたんですよ。いろんなお店を回って、毎回店員さんに詳しく説明してもらって、すっごく悩んで決めてって、もう大変で(笑)。「わたし、カーテン選んでいいんですか!?」ってすごく感動しててね。Upload By 鈴木悠平アコ:実家にいるときは、そんなことをやらせてもらえなかったんですよ。高見澤:毎月、給料が入ってきたら「これがあなたのお給料です。どう使おうか」って、テーブルの上に出すんですよ。グループホームに生活費として入れる額をよけて、残りの中で「この中からあなたは今月いくら貯金したい?」「お昼にいくら使いたい?」「何かほしいものありますか?」って、毎回やるんだよね。アコ:はい、そうです。先生と一緒にやってます。高見澤:彼女、すごい悩んで吟味するので、いつも2時間から3時間かかりますよ(笑)。でも、自分でお金の使い方を決めるっていうのはほんとに楽しいみたいですね。やっぱりどうしても親御さんがいると心配しちゃって「あなたのお小遣いはこれね」「だけどそれは買っちゃダメ」とか「ほしいんだったらお母さん買ってくるから」ってなっちゃってたので。アコ:そうですね。お金以外でも、「どこどこ行ってくるよー」って外出するときも「1人で行かないで」って親が心配してついてくるというパターンがほとんどで。――ご両親も心配ゆえなのでしょうけど、アコさんにとって「自分で決める」機会を持てたのは、大きな変化だったんですね。グループホームでの日々の暮らしについても教えていただけますか。高見澤:ここは男性2人女性2人の、彼女を含めて4人で暮らしています。朝晩は食事の提供があって、昼はそれぞれ。この人はごはんが何より楽しみで、「今日の夕飯なんですかー!」って仕事からもルンルンで帰ってくるよね(笑)。アコ:はい!もう、ごはん大好きで!高見澤:共有スペースの掃除や片付けは、4人で分担決めてやってます。で、各自の部屋は、自分で掃除なんだよね。アコ:はい、やってます。掃除も洗濯もやっぱり、実家で親がいると頼りっぱなしというか…自分も甘えが出ちゃうので、それもなくしたかったんですよ。自分の部屋を持って一人暮らししつつ、みんなと一緒に家事をして、気持ちや思い出を分かち合えるっていうのが、すごく嬉しいですね。――なるほど、食事付きのシェアハウスみたいな感じですね。楽しそうです。高見澤:区が募集をかけるようなグループホームだと、知らない人同士で入居して、あんまり交流がなくて、というかたちになることも少なくないんです。わたしが運営しているグループホームは、それまで療育に来ている人たちが入るので、だいたいが顔見知りですね。月に1回ぐらいは、みんなで焼肉屋に行ったりとかしてますよ。――いいですねえ。高見澤:もちろん中には、グループホームの共同生活で、まわりにどう接していいかわからなくて困っちゃう人もいるんですが、彼女はそういうときにすごく自然に声をかけてくれてね。最初は黙ってた子が、気づいたら「あ、おはようアキコ」「今日また夜、会おうね」って言って会社に行くようになってたりね。お互い影響し合っていい感じに変化していくんですよ。アッコムードの力だなって(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:彼女のこのキャラクターが、家では「お節介」って言われがちだったんですよ。「あんたそんな他人のことはいいから、自分のことやんなさい」っていっつも言われてたんだけど。ここではそのお節介が、すごくうまく作用してるんだなって思います。わたしはずっと、自分が大好き高見澤:ご両親との関係や、お互いが願うことのギャップの話もいろいろしてきましたが、彼女のずっと変わらない、素敵だな、美しいなって思うところが、すごく自分のことを愛していることなんですね。ウィリアムズ症候群は先天性の疾患で、本人も割と早くからそのことを理解していたんです。どうしても、障害のある子を産んだ親御さんは思いつめやすくなる面はあって、彼女のお母さんも「ウィリアムズに産んじゃってごめんね」って思っていた時期があったんです。わたしも彼女本人がどう思っているか少し心配していたので、療育に通ってしばらくしてから「ウィリアムズ嫌だ?」って聞いたことがあったんですけど、「いや、わたしは自分のこと大好きだから、ウィリアムズに生まれてよかった」って、あっさりでした。それ、今でも言うよね?アコ:はい、言いますね、ずっと言ってます(笑)。自分のことは、好きですね、ふふ。お母さんに「産んでごめんね」って直接言われたときにも、「いや、わたしはウィリアムズに生まれて嬉しいなって思ってるよ」って。Upload By 鈴木悠平――自分を大好きでい続けられるって、素敵です。きっとお母さんもアコさんにそう言われて楽になったと思います。高見澤:ほんと、ずっと言ってるよね。ウィリアムズ症候群の親の会があるんですけど、「わたしもそこに入って、後輩と会いたい」って言うぐらいで。親の会は親じゃないと入れないって言ったら悔しがってましたね(笑)。アコ:なんで本人は入れないの、行きたいじゃん、みたいな(笑)。――最後に、進学や就職、将来の生活について、不安や悩みのある若い読者に向けてメッセージをお願いします。アコ:そうですね…やっぱり、楽しく暮らしてほしいなっていうのが一番ですね。落ち込んだり、学校行けなくなったりとか、そういうこともあるけど、将来もあるし、前向きに生きていってほしいなっていうか。発達障害でも知的障害でも、ウィリアムズでも、好きなことをやったり、恋人をつくったり、いろんな幸せを感じて生きていけばいいじゃないかって、わたしは思っているんです。――アコさんにとっての、高見澤先生や、特別支援学校が一緒だった先輩、ここで一緒に過ごす友達みたいな、一緒に幸せを分かち合える存在をつくっていけるといいですよね。アコ:そうですね。ほんとに大事な存在です。嬉しいです。高見澤:ずっと朝から晩まで、けらっけら笑って生きてるよね。アコ:もうけらっけらけらっけら、ずっと笑ってます(笑)。――アコさんのように、いじめや不登校を経験している子もいると思います。そうした時期を経験して大人になったアコさんから、なにか伝えたいことがあれば。アコ:いじめられたときはとにかく、1人で抱え込まないでほしいなって思いますね。わたしもつらかったですけど、相談できる人が1人でも2人でも増えるといいなって。高見澤:あんたそんなこと言うようになったの、すごいね。はっはっは(笑)。アコ:わたしも抱え込んでたときがあったんですよ(笑)!高見澤:抱え込んでたって、毎日のようにわたしとワーワーワーワー言ってたじゃん(笑)。アコ:だから!抱え込んじゃってたからそうやって先生に相談したんじゃないですか(笑)。Upload By 鈴木悠平先天性の遺伝子疾患を抱え、両親に心配されたり、学校でのいじめや不登校を経験しながらも、ずっと「自分が大好き」だと語り、周りとも明るく活発にかかわりながら生きているアコさん。インタビュアーの私も、アコさんのお話を聞いているだけで明るい気持ちにしてもらいました。アコさん自身の明るい性格もさることながら、高見澤先生やグループホームの同居人をはじめ、日常を分かち合える大切な人たちの存在が、きっとものすごく大きなエネルギーになっているのだろうな、とも感じました。実家暮らしでも一人暮らしでもない、「グループホーム」という選択肢も、ぜひ読者のみなさんに参考にしていただければ幸いです。取材・文:鈴木悠平編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月28日食材に優劣をつけずに敬意を払う趙楊さんからその大切さを学びました「学生時代、何気なく読んだ熊谷喜八さんの本に書いてあった“食を通して人を幸せにしたい”の一言が、ずっと頭の片隅にあったんです」。こう語るのは伊藤光恵さん。今や神楽坂の名店の一つに名を連ねる四川料理店【梅香】のオーナーシェフだ。住宅街の一角に佇む飾り気のない店構え。短大を卒業後、その言葉を胸に熊谷シェフの多国籍レストラン【キハチ】に就職する。そこで【キハチチャイナ】なら厨房にすぐ入れると聞き、中華に転身。調理場はどこも過酷だが、重い鍋と炎を操らなければならない中華は一段と厳しい。女性ならばなおさらだ。だが、伊藤さんは中華って面白いと思ったという。いわく「鍋一つで煮る、焼く、揚げる、蒸すなどほぼ全ての調理法ができるうえ、火の周りにほとんどの調味料があるので体を動かさずに料理ができる。効率の良い料理だと思った」そうだ。『蟹の淡雪炒め』2,490円。終始強火で炒めつつも、メレンゲ状の卵白は、その名の通り淡雪の如くホワホワでそれでいてどこかねっとりした旨味も兼ね備えている。火加減とタイミングがものをいう佳品。修業の傍、食べ歩きで舌を磨いていくなかで出合った【趙楊】の料理に深く感動した伊藤さん。3年間勤めた【キハチ】を辞め、即刻趙楊さんに弟子入りを果たす。「まず香りの高さが素晴らしい。加えて素材一つ一つの味が、調味料に負けることなくきちんと引きだされているのには驚きました。何もかもが衝撃的だったんです」。『牛肉山椒オイル掛け』1,950円。四川の代表的な料理の1つ『水煮牛肉』。伊藤さんが初めて【趙楊】で食べてその香りと辛さに感銘を受けた思い出の一皿。途中六本木のワインバーで腕を振るうも、再度【趙楊】に戻り、都合6年趙楊さんの薫陶を受け、32歳で独立。11年前のことだ。「趙楊さんは、きゅうりもフカヒレも同じ愛情を持って調理するんです。技術的なことはもちろん、“食材への敬意”を趙楊さんから教えられました」。梅香【エリア】神楽坂【ジャンル】四川料理【ランチ平均予算】1000円【ディナー平均予算】5000円【アクセス】牛込神楽坂駅 徒歩1分
2021年01月30日よく男性と女性の美の基準は異なり、男性は痩せている女性よりもムチムチした女性の方が好きなのに、女性は痩せを目指すといったことが言われます。しかしながら、その指摘は本当なのでしょうか。男性の本音を知りたいところです。そこで今回は、男性は痩せている女性が嫌いなのは本当なのか解説します。痩せている女性が好きな男性は多い結論から言うと、男性は痩せている女性が嫌いということはありません。女性は痩せすぎなどと言われますが、実際には男性も痩せている女性が好きな人が多いです。決して痩せている女性がモテないとか、ぽっちゃりだから絶対モテるということはないんです。なので今自分が痩せているからといって無理してぽっちやりを目指す必要はありません。太ってもいいんだと真に受けてどんどん体重を増やしてしまうと、男性が見向きしなくなるということになりかねません。むしろ痩せている方が、いいなと思ってくれる男性と出会いやすいです。見ていて不安になるかどうかがポイント現実は痩せている女性が好きな男性も多いのに、どうして女性は痩せすぎなどと言われるのでしょうか。それは痩せの基準が異なるためです。女性からすれば綺麗に痩せていると思っていても、男性からすると「不健康そう」「見ていて不安になる」などと思ってしまいます。モデル体型やそれ以下を目指してしまうと「痩せすぎ」と思う男性が増えます。痩せすぎでガリガリと思われるレベルになってしまうと、ほとんどの男性はぽっちゃり女性の方がいいと思います。程よく痩せているのがモテるのであって、痩せすぎがモテるわけではありません。男性が見ていて不安になるくらい痩せてしまうと、魅力的に思われない可能性が上がると思っていいでしょう。ぽっちゃりの目安は?痩せている女性を好む男性が多い一方で、ぽっちゃり女性が好きな男性がたくさんいるのも事実です。そこで気になるのがぽっちゃりの目安。ぽっちゃりの目安は、大体身長−100くらいの体重だと思っていいでしょう。また、顔つきやお腹がだらしなさすぎると、ぽっちゃりを超えていると思われやすいので気をつけてください。ぽっちゃり女性が好きな男性は、胸や太もものふくよかさや女性らしい曲線に癒しを求めています。ぽっちゃりしている=少し太めというわけではないのです。あくまでも、女性らしい柔らかさや曲線が重要ということを頭に入れておきましょう。
2021年01月24日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー光武克さん予備校講師、家庭教師、「発達障害BAR The BRATs」のオーナー(現在は休業中)とYouTubeチャンネル運営、医療系アプリのコンテンツ開発と、いくつもの仕事を掛け持ちしている光武克さん。それだけ聞くと「なんでそんなに大量の仕事をこなせるの!?」と驚く人もいると思いますが、その背景には自身のADHDとASDの特性をつかみ、サバイブするためのたくさんの工夫がありました。光武さんに、現在の働き方に至るまでの経緯を聞きました。通知簿ではいつも「生活態度」を指摘される子どもだった。成績を上げることで特性をカモフラージュする生存戦略――光武さんは小さいころ、どんなお子さんだったのですか?光武克さん(以下、光武):あまり覚えていないのですが、不器用な子だったんだろうなと思います。幼少期から交流のある友人によれば、出会いは遊具から落ちて大泣きしている僕を助けたことだったそうなので(笑)、不注意かなにかで、よく怪我はしていたんでしょうね。Upload By 姫野桂光武:小学生のころは落ち着きがなく、宿題などの提出期限を守れないことも多々ありました。小学校の通知表って、学習面と生活態度の評価があるじゃないですか。生活態度の中の「基本的な生活習慣」の項目は、毎回「努力しましょう」に印がつけられていました。当時、僕はすごく動物が好きで、どうしても犬を飼いたかったんです。そうしたら、親から犬を飼う条件として「基本的な生活習慣」の改善を言い渡されて。結局犬は飼ってもらえなかったので、小学校6年間では改善できなかったんでしょうね。――勉強面はいかがでしたか?光武さんは予備校の講師もされていますし、小学生のころから勉強が得意だったのでしょうか。光武:それが、小学生のときは中の上ぐらいで、ずば抜けて成績が良いわけではなかったんです。中学校に上がってから、成績が良い方がいろいろとメリットが大きいというか…自分の不注意など、周囲から変に思われる部分が目立ちにくくなることに気づいて。「あいつは成績がいいから」と言われるキャラクターでいたほうが安全だろうということで、勉強するようになったのかもしれません。中学生のときには、親も昔通っていた、地元で有名なスパルタ英語塾にも通っていました。教科書の例文を20ページ分、つまらずに読めないと帰れないような塾だったのですが、そこで勉強したおかげで語学の道が少し開けた部分があります。高校でも英語の勉強には力を入れ、留学も経験しました。――当時、光武さん自身も、「自分は変わったところがある」という認識だったのですか?光武:自分が変わっているという自覚はたしかにありました(笑)。僕の出身地は田舎ということもあり、なかなか閉鎖的な環境だったので、自分の言動が目立ちやすい部分はあったと思います。でも、それと同時に、「周りの方がおかしい」という感覚もありましたね。なんでそんなに合理性のないことを、みんなが口を揃えて言うのかがわからない。それでも、ここは言ったらいけない場面だから言わない、といった対処をしていました。Upload By 姫野桂考古学者を目指すも、自分の特性との合わなさに挫折。予備校講師のアルバイトで見つけた適性――子どものころ、将来なりたい職業などはありましたか?光武:歴史、特に古代史が好きで、考古学者になりたいと思っていました。中高生のころは、吉村作治先生の本をよく読んでいましたね。2歳ぐらいのころ、奈良の親戚を訪ねた際にも大仏を30分ほどひたすら見つめていたそうなので、昔から古いものが好きだったようです。具体的に研究したい内容までは見えていませんでしたが、「研究」への憧れを持って大学にも進学しました。大学入学後は、古代史の研究をしたいなあと思い勉強していたのですが、やればやるほど歴史の研究に向いていないとわかってきました。歴史学の研究は緻密さが必要で、1つの資料にじっくり向き合い続けることになるんですが、それがもうしんどくて。僕のADHD特性との相性がすごく悪かったんですよね。飽きちゃうんですよ(笑)。なりたいと思っていたものに、絶望的に自分が合っていないと気づいたのが、大学2年生か3年生のときでした。これが初めての大きな挫折だったかもしれません。それから他にやりたいこともなく、このままだと就職もできそうにないしどうしようと悩んでいたのですが、当時していた予備校講師のアルバイトで、自分に向いていそうなことも見つかりました。教育の仕事って、ある面では仮説検証のような部分があると思うんです。学んだことをもとに、自分の中で仮説を立てて実践して、それがうまくいくか、つまり生徒にとって学びやすいかどうか確かめる。その一つである予備校講師の仕事は、歴史学で扱う資料と違い、生徒からすぐに反応が返ってくるじゃないですか(笑)。それがすごく面白かったし、目の前で反応を見られる環境では集中しやすくて。やったことのフィードバックがすぐに返ってくる、具体的な社会現象や人間を相手にするほうが僕には向いているのだと気づきました。そこから、社会学や教育学の本を読むようになりましたね。大学3、4年生ぐらいのことでした。Upload By 姫野桂悩んだ末、内定を辞退しフリーランスの予備校講師へ――光武さんはその後、就職活動もされていますよね。わたし自身もそうでしたが、発達障害のある方からは、「自分をよく見せなければいけない就活が苦しかった」という話を聞くことが多いです。光武さんの場合はいかがでしたかか?光武:もう、めっちゃ苦しかったです。ルールを説明してもらえれば、そのルールに従って動けるんですが、就活って「ルールは自分で考えなさい」みたいなゲームじゃないですか。エントリーシートで暗に求められていることなど、明確な指示がないものについては、要領をつかむまで苦労しました。結局、「どんなに社会が変わっても食いっぱぐれないだろう」と思った教育と医療の業界に絞って、当たり障りのないエピソードや、ウケのいい話を自分でつくり、組み合わせながら就活をしていました。でも、そもそも就職したくないという気持ちがあったので、「なぜうちの会社を受けようと思ったんですか?」と聞かれたら「そこに応募ボタンがあったから」という感じですし(笑)、「同業他社の中でなぜうちを選んだのですか?」と聞かれて、変に正直に「うーん、特に理由はないですね」と言ってしまったこともあります。そんなわけですから、最後に奇跡的に1社だけ、製薬会社から内定をもらうことしかできませんでした。――しかし、光武さんはその内定を辞退して、フリーランスの予備校講師になったんですよね。それはなぜだったのでしょうか?光武:就活の段階からグダグダで、まともに社会生活を送れる自信もなく、その会社でうまく働いていくイメージができなかったんです。そこで正社員になるという選択肢しか当時はなかったんですが、「これはベストではない、選んじゃダメなやつだ」という確信があって。かといって代替案もなく、悩むうちに時間だけが過ぎていました。そんなときに、個人事業主(フリーランス)として予備校講師をやっていくという方法もあると教えてもらったんですよ。これは乗るしかないと思い、そちらの道を選びました。――そのときのことについて、ぜひ詳しくお聞きしたいです。光武:その働き方を聞いたのは、アルバイト先の社員の方とお酒を飲んでいたときでした。ちょうど悩んでいたころ、勤めていた予備校で講師の授業力コンテストの第1回が開催されて、僕は東京都で1位を取ったんです。そこで教える力を認めてもらえたのか、部長クラスの方に、「君はプロとして、十分それで食っていけるよ」「個人事業主でやるという道があるよ」と言っていただけて。「ああ、そういう道があるんだなあ」とそこで初めて知りました。その話をきっかけに、大学生講師である「学生コーチ」から「プロコーチ」という枠に契約を切り替えてもらったのが、大学4年生の12月前後でした。一応「プロ」と名乗れるようになったことで、「これでなんとか食べていけるようになるんじゃないか」と思いましたね。あれは一つの転機だったかもしれません。だから、決して「フリーランスになりたい!」と思ってなったわけではないんです。当時はフリーランスという言葉も知りませんでしたし。今振り返ると、ずっと上司がいない状態で働いてきたのは、失敗だったなと思います。「こうすればうまくいく」という仕事のノウハウや、働く上でのメンタリティまで教えてくれる人が身近にいなかったので。20代のころの自分に、そういった「ロールモデル」になる人を、きちんと見つけたほうがいいよと言いたいですね。Upload By 姫野桂自助会での経験をきっかけに、「発達障害バー」という形態を選ぶ――フリーランスの講師として働き始めた光武さんが、その仕事を続けながらも、2018年、33歳で「発達障害BAR The BRATs」を開くまでに、仕事面ではどんなことがありましたか?光武:20代のころは、理想に燃えて講師の仕事を頑張っていました。しかし、教える仕事自体は楽しかったのですが、自分がやりたいことや興味があるものと、教育ビジネスの世界で展開されるものに、すごくギャップを感じるようになってしまい…。今はそのあたりのバランスがうまく取れるようになりましたが、当時は何よりもスコアアップが求められる受験指導に対して、嫌悪感がとても強くなってしまったんです。「予備校講師の仕事が嫌だ。一刻も早く辞めたい」とまで思っていた時期もありました。Upload By 姫野桂――それが「発達障害バー」という新たな仕事のスタートにもつながったのでしょうか。光武さんは、大人になってから発達障害の診断を受けたのですよね?光武:はい。31歳か32歳のときに、ADHD、ASDという診断を受けました。心境としては、これでようやくいろんなことの説明がつくんだなと腑に落ちた感じでした。当時、妻との関係がうまくいっていなかったので、この診断が関係改善の糸口になるかもしれないという安心が一番大きかった気がします。今ならわかりますが、なんらかの形で理由が説明できようとできまいと、嫌なものは嫌ですよね(笑)。結局、妻とは離婚に至りましたが、それも発達障害バーを始める一つのきっかけにはなりました。――人が集まる開けた場をつくることは、なかなかエネルギーが必要だと思うのですが、なぜ「バー」という形式を選んだのですか?光武:それまで、既存の発達障害当事者の自助会にも参加したことがあるんですが、自分にはちょっと肌に合わないなと感じて。そのときの経験を踏まえて考えた結果です。行ったタイミングの問題や、自助会ごとの違いもあるとは思うのですが、以前ある自助会に参加したときは、僕が求めていたような内容、例えば「プライベートの人間関係で、こんなときはどうしたらうまくいく?」「仕事のこんな場面でつまずいたときはどうしたらよかった?」といった話をする雰囲気ではなかったんです。そういった具体的なハックやプライベートな話を、もうちょっと気軽な空気で話せる場所があるといいなと思ったのが、大きなきっかけですね。僕の場合は、お酒が好きなこともあり、そういった話を友達や同僚とするときはお酒の席が多かったんです。だから、バーという形態なら、ふらっと気軽に立ち寄れて、気軽に話ができるんじゃないかと思い、発達障害バーをオープンさせました。――お店を持つことに不安はありませんでしたか?光武:めっちゃありましたよ。そもそも僕、お店を持つつもりはなかったんです。最初オープンさせたのも一時的な店舗でしたし、当初はイベント的に開催して、終わらせるつもりでした。ところが、思いのほか、お店を残してほしいという声が大きかったので。何らかの形で続けられないかと模索した結果、場所を渋谷に移して営業することになりました。(※現在は新型コロナウイルス感染症の影響で休業中)自分の特性を把握し、チームでトライアンドエラーを繰り返す――昼間は講師の仕事、夜はバーに立ちつつ、2019年からはYouTuberとしての活動も始めていますよね。最近は、さらに医療系アプリのコンテンツ開発もされていると聞きました。それだけいくつもお仕事をしていても、混乱しませんか?光武:「何曜日の何時から何時までは、どこで働く」というように、曜日や時間帯でやりことを区切った働き方をしているので、自分のADHD特性にはむしろ合っているのではないかと思いますね。適度に力が分散されて、適度に違う刺激を受けられるので。僕がこうやって働いている姿を見て、不登校だった子の大学受験の家庭教師を依頼されるなど、1つの仕事が他の仕事につながることもありますし。Upload By 姫野桂――さまざまな種類の仕事を複数並行して進めていくにあたり、何か気をつけていることがあれば教えてください。光武:僕の場合、何か作業をするときにマニュアルなどをもらっても、その中の重要なポイントがわからないとミスがすごく起きやすいんですよね。逆に言えば、作業する上での最低ラインが、要点の箇条書きでいいので示されていれば問題なくできる。齟齬が生まれるとすれば、要点の解釈ミスでしょうか。今取り組んでいるアプリのコンテンツ開発では、そのあたりがうまくクリアできています。上司となるプロジェクトマネージャーの方が、「自分も指示出しが雑になってしまうから、毎日15分、絶対にミーティングで話しましょう」と提案してくれたんです。ミーティングの場では、その都度できあがったコンテンツのよかったポイントをフィードバックしてもらったり、「この点とこの点が満たせていればOKという認識で大丈夫ですか?」とこちらから確認したりしています。おかげで、作業がすごく楽にできていますね。あとは、僕は今通院も服薬もしていなくて、どうしても脳の調子に波があるんですよ。それこそコンテンツ開発でも、まったくアイデアが浮かばず、「今日は全然書けない日だな」というときもある。それでも、「次は何時にミーティングだから、それまでにこの条件さえ満たして、何本出せればいい」というのがわかっていれば、そのときは難しかったとしても、合間の時間でパパパパッと書くこともできますよね。脳の波に乗れないときはいくら考えてもダメなので(笑)、そこで悩んでもしょうがない。書けるときに書くしかないと考えて、例えば夜中の3時とかでも、「あ、今いける」と思ったら書くようにしています。そうやって、うまーくうまーくやっていますね。――たしかに、わたしも「いける!」と思ったタイミングで書くことはありますね。光武さんの場合、講師などの1人で取り組むお仕事をされている一方で、YouTube含むバー関連のお仕事はチームで取り組んでいらっしゃいますよね。そちらの働き方についてもお聞きしたいです。光武:今一緒に働いているのは、「一緒にやりたい」と言ってくれた中から最終的にチームとして残った人たちです。「協力したい」と言ってくれる人は多かったのですが、実際にチームとしてうまく機能するかどうかは、さまざまな要素や相性がかかわってきます。その人たちとは、一緒にやる中でお互い特性を探り合っていって、「ここが嫌なのか」「こういうときはこうすれば良いのか」と、トライアンドエラーを繰り返しながら、ようやくまとまってきたところです。YouTubeの仕事は、僕は現場に行って撮影される担当で、撮影や編集などの作業は別のメンバーがやっています。僕はログインパスワードすら知らないレベルの分業体制です。――そういえば、光武さんにご連絡したときも、光武さん専用の連絡フォームから担当者の方に返信をいただきました。光武:組織として、役割がかなりきっちりと分かれているんです。それぞれが得意なことやできることをなるべく多く行い、苦手なことはなるべくそれが得意な人やできる人に任せるといったような体制になっています。Upload By 姫野桂セルフモニタリングを通して、自分の「反応」を客観的に捉えると解決策が見えてくる――紆余曲折を経て現在の働き方をされている光武さんですが、進路に悩んでいる人へ向けて、何かアドバイスがあればお願いします。光武:発達障害などの特性があると、どうしても働きにくい部分はあると思うんですよ。とくに、僕にもあるような脳の波の問題は大きいのかなと。そこに関しては、「うまくいかないときもある」という、ある程度の割り切りは必要なのかなと、個人的には思います。一番大事なのは、自分がどんな場面で、どんな「反応」をするかということを、客観的に捉えることだと思うんですよね。Upload By 姫野桂光武:僕は昔から楽器を演奏するのが好きで、トランペットとピアノを長く趣味として続けています。でも僕の場合、パニック障害のような傾向があり、特定の場面で著しく緊張して音を出せなくなることがあるんです。それがなぜ起こるのか原因がわからず、苦手意識をずっと持っていたんですが、ゆっくりセルフモニタリングをして紐解くことで、そのとき自分に何が起きているか、少しずつわかってきました。例えば、「人からどう思われるかを意識して、『ここでこういうアクションをとって、こんな風に思われたら嫌だ』という考えが起こると、肩がすごく固くなるんだ」とか。そうやって自分の状態を確認していくと、悪い流れの兆候が出始めた段階で自覚ができるので、1回楽器を置いてみたり、「今はちょっとダメです」と伝えたりして、悪化を防ぐことができるようになったんです。何かあったら一旦止まって、調子が戻ったらまた練習に参加するというプレーの仕方に変わりました。そういったセルフモニタリングと、それを受けての行動の変化は、仕事の場面でも活きる部分があると思うんです。仕事でも、ある特定の場面で同じ反応が起きるようなら、セルフモニタリングをしてみて「こうやったらうまくいった」「こういうときはこんな身体の反応がある」「こんなことが頭に浮かぶと、こんな身体の反応がある」と確かめていく。大体、仕事などで失敗しやすいケースは、どこかで考え方のクセが出ていたり、失敗するようなイメージが出てしまったりしていると思うので、そこを自覚できるようになるだけでも、かなり変わってくるのではないでしょうか。そこからさらに、「前回はこうしたらこうなったから、今度はこうしてみたらどうだろう」等と、試行錯誤し、わかったことをリスト化していくと、自分の取扱説明書になると思います。――最後に、光武さんの今後の目標を教えてください。光武:ベースにあるのは、「自分自身の生活を、できる限り、もうちょっと生きやすくしたいな」ということですね。そして、自分が生きやすくなれば、多分同じようなタイプの人が生きやすくなるとも思うんです。自分より若い人に「光武ってやつがこうやってなんとなく生き延びたんだな」というのが伝わって一つのロールモデルになれば、そこを目標に頑張る人も出てくると思います。そんな人が増えれば、ちょっとずつ社会の仕組みも変わっていくかもしれません。まずは地道にコツコツ、近い感覚や考え方を持つ人を増やすのが大事なのかなと思っています。また、自分にとっての仕事は、ご飯を食べるためのツールという側面の他に、他者と関わる中で自分がやったことを残すものという側面も持つものです。「人に知られたい」というよりは、もっと自己満足に近いものなのですが、「俺はこういうことをやったんだなあ」と納得できる、形になるようなものが残せたらいいなあと思いますね。Upload By 姫野桂一見するとスーパーマンのように数々の仕事をこなしているように見える光武さんですが、その根底には発達障害ならではの特性との合致と、チームで動く仲間たちとの協力がありました。人間関係を構築することに苦手意識がある人もいるかもしれませんが、光武さんのようにトライアンドエラーを繰り返していけば、チームで動くことも可能になるのではないでしょうか。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月24日30歳という区切りが見えてくると、女性の自己評価も他者からの評価も変わってきます。若くもないけれど、おばさんでもない宙ぶらりんなアラサー女性は、どのように身をこなすと良いのでしょうか。そのコツを紹介します!若さが武器の20代から脱却してしっかりした大人像を目指す20代が若いと言われる理由は、新社会人として入社して間もないなど、社会のシステムに慣れていない存在だと考えられているからです。しかし、アラサーともなるとある程度分別もついてきますので、周囲からは自立した大人の女性であることを求められます。そのため「分からない」「出来ない」という発言が、20代の頃のように可愛いと受け取られるものではなくなります。アラサー女性に求められる魅力という観点からしても、可愛さやあどけなさよりも格好良さといったポイントが大切になってきます。アラサーという年代は自分自身の評価や他者からの評価が変わる、過渡期だと考えるほうがいいでしょう。スッキリとしたシルエットのものを選んで大人な印象を目指すアラサーを迎え始めると、可愛いという印象で勝負することは難しくなってきます。ファッションアイテムや髪型も、ふんわり明るいイメージから、少しずつスッキリした印象のものを取り入れていくなどの工夫をしていくべきなのです。フレアスカートやレースなどの甘い印象のアイテムだけでなく、タイトなシルエットのパンツを組み合わせるなど甘辛コーデを目指すことも、過渡期であるアラサーには必要な工夫だと言えるでしょう。小物など、可愛さをアピールするパーツを外してみることから始めてみるのも、印象をスッキリさせるコツかもしれません。清潔感ある色使いで若々しく年齢相応に落ち着いたファッションを目指すと気が付けば、おばさんっぽいファッションになってしまうかもしれません。その理由は、落ち着いたアイテム同士を組み合わせて、必要以上に落ち着いた印象を与えてしまっているからかもしれませんが、それ以上に無難な色合いの服を揃えたことによって、色合いがシンプルになりすぎているからということも考えられます。ビビットカラーやビタミンカラーを挿し色に使うことも効果的ですが、着回しを考えるとアクセントとなる服ばかり買うわけにもいきません。適度に白を取り入れて清潔感や爽やかさを演出すると、若々しく年齢相応に見えるでしょう。若さを意識しすぎても、アラサーであることを意識してスッキリとしたファッションをしても、どこか決まらない感覚があるのが過渡期であるアラサーの難儀なところです。アラサー女性は年齢だけを気にするのではなく、あなたに似合う、あなたらしさを探して、スタイルやファッションを選んでいく期間なのかもしれません。
2021年01月21日日本でとれた旬の食材を、完全にオーセンティックなタイ料理に仕上げたい「タイ料理というと、ひと昔前までは屋台のようなカジュアルなお店や激辛料理のイメージでした。でも、夫の赴任でバンコクへ渡ってみたら、お店も味も洗練されていてびっくり。がぜん興味がわいて、かなりガチな(笑)料理の専門学校に入ったんです」と、話すのは、【タイ料理 みもっと】の店主、みもっと先生。2019年6月【タイ料理みもっと】をオープン。普通の駐在夫人が通うのは家庭料理の教室だろうが、彼女はプロを目指すタイ人に混じって基礎的なタイ料理をおよそ150、さらに【マンダリン オリエンタル バンコク】のクラスで100レシピを習得したという。『ヤムタワイ』。野菜をココナッツミルクで湯がいてつくるサラダ。魚の燻製粉入りのカレーペーストと煮詰めたココナッツミルクをかける。1年半ほどタイ料理の勉強に明け暮れ、帰国してからは料理教室をスタート。自宅で2年、「おいしみ研究所」と看板を掲げて4年。SNSを通して生徒も増え、イベントの依頼も舞い込むようになる。「私の名前、店名でもある『みもっと』は10年以上前からやっているSNSのアカウント名なんです。つながった皆さんから『お店もやって!』とリクエストが増え、ついにお店を出すことを決心しました」『マッサマンカレー』。もっとも複雑なカレーといわれる。スパイスを通常より多く重ね、フレッシュハーブも。チキンと、素揚げした五郎島金時や栗入り。ジャスミンライスとご一緒に。ともに6,000円のコースから。なにしろ勉強熱心。開店前には再度タイへ渡り、古典料理、地方料理、発酵をテーマに20日で100レシピを学ぶプライベートレッスンまで受け、ついに【みもっと】を開店。「全然タイっぽくない内観で“新しいタイ料理”と思われることもありますが、実はすごくオーセンティック。おいしい料理には新鮮な旬の食材が持つ力は欠かせませんから、日本の食材を使います。これからもブレずに、タイ料理、そして食材の力強さと向き合って、進んでいきたいですね
2021年01月10日恋愛をしている時に、ヤキモチを焼くのは自然なことです。でも、その気持ちの表し方次第では、彼氏をイラっとさせてしまうことがあるかもしれません。ではどのような態度が男性をイラつかせるのでしょうか? 確認してみましょう。焼く頻度が高いヤキモチヤキモチを焼くのは好きな気持ちの表れでもあるので、最初の内はかわいらしいと思ってもらえるかもしれません。しかしそれがあまりに頻繁なようであれば、次第に相手をするのが面倒だと思われてしまうでしょう。場合によっては束縛のようにも捉えられてしまうかもしれません。そのためヤキモチを焼く頻度を、ある程度抑えるように意識することが大切です。またヤキモチを焼いているとすねたりテンションが下がったりしますが、それを長く続けるのも良くありません。彼氏もずっとそんな態度の人と一緒にいたいとは思ってくれないはずなので、短い期間で気持ちの切り替えができた方が良いでしょう。ヤキモチを焼いていることを伝えない男性は何か問題が起こった時には、すぐに解決法を見つけようとしがちです。しかしヤキモチを焼いている側がまず気持ちを察してもらおうとする態度でいると、話が噛み合いません。彼氏が歩み寄ってきているのに何もヒントを与えずに、だんまりを決め込んでいるのはダメです。察しの良くない人はヤキモチを焼いていることさえ気付かない恐れもあるので、気持ちを素直に伝えた方が良いでしょう。ひとりで抱え込んでいると悪い方に考えやすくなりますが、それを防ぐためにも重要なことです。彼氏を責めるような態度彼氏の態度や行動がヤキモチを焼く原因になっている時は、彼氏を責めたい気持ちが生まれるかもしれません。そしてそんな気持ちだと口調も強くなりやすいです。しかし彼氏にしてみれば特に悪気や負い目があるわけではないので、反論からケンカに発展してしまう恐れがあります。それでもひと言伝えたい場合は、間違っても他の問題に飛び火させてしまわないように、ヤキモチに関することだけに留めましょう。その場の勢いで関係のないことまで持ち出すと、険悪な雰囲気になりかねません。また彼氏を責めることを目的にしても何にもならないので、ヤキモチを焼いている気持ちを解消するか、今後同じ気持ちにならずに済むことを考えると良いでしょう。ヤキモチをプラスのイメージに変換しよう恋愛でのヤキモチは関係を悪くしてしまうリスクがありますが、良い刺激にもなり得ます。そして大事なのは、ヤキモチを焼いているという気持ちの表し方です。彼氏が不快な気持ちを抱かず、逆に「かわいい」とか「放っておけない」などプラスのイメージになるように工夫すると良いでしょう。
2021年01月05日同じ30代でも疲れてみえる女性もいれば、輝いてみえる女性もいますよね。年齢は変えられないけど違いがあらわれるなら、何とかしたいと思う人は多いのではないでしょうか。ここでは、輝いてみえる女性と疲れてみえる女性の違いを解説します。外見に気を遣っている疲れてみえる女性と輝いてみえる女性の大きな違いと言えば、やはり外見ではないでしょうか。身なりに気を遣いメイクもしっかりしていれば、それだけで綺麗に見えますよね。高い服を着たり、ブランドもののバッグを持ったりといったことは必要ありません。その人に合ったファッションをしているかどうかがポイントになります。20代の頃と同じようなおしゃれをして年齢相応に見えなかったり、誰も見ていないからといって手を抜いたりといったことを避ければ、グッとおしゃれ度は上がります。人は見た目が9割と言いますが、見えるところに気を遣えるかどうかは、大きな違いになります。自分磨きをしている輝いている女性は、常に向上心を持ち、自分磨きをしているといった特徴が挙げられます。目標を持って何かに打ち込んでいる姿は、それだけでも魅力的に見えますよね。熱くなれるものがなく、日々ボーっとしているのと、前に向かって努力している人では、違いが出るのは当然ですよね。誰が見ても凄いと言われる目標を立てる必要はありません。どんなことでも良いので、夢中になれるものを見つけることが大切です。好きなものや何かに一生懸命になっている姿は、結果にかかわらず内側からの輝きを与えてくれますよ。持っているものに意識を向けている30代になると、色々と悩むことも多くなりますよね。職場のことから私生活のことまで、現状や未来に不安を覚えることも多いのではないでしょうか。けれど同じような悩みを抱えていても、どこに意識を向けるかによって違いが出て来ます。輝いてみえる女性は、持っていないものを嘆くよりも持っているものに意識を向け、前向きに捉えていることが多いのです。疲れてみえる女性は、ないものに意識を向け、悲観的になることが多いように思います。どうせ悩むなら、出来ること変えられることに意識を向け、改善していく方が良いと思いませんか。持っていないもの、手に入らないものに意識を向けると、悪循環に陥って更に悲観的になってしまいます。持っているもの、既に手に入れているものに意識を向けることが大切です。小さな差が大きな違いになります年齢は変えられませんが、どう見られるかはちょっとした工夫で変えられます。外見に気を遣うことはもちろん、意識を向ける先を変えたり、自分磨きに精を出したり、そういった差がやがて大きな違いとなってあらわれます。誰も見ていないからと手を抜かないことが大切ですよ。
2020年12月20日旬の食材にまっすぐな心で向き合うピュアで美しい料理古屋聖良シェフが料理の道を目指すきっかけになったのは、なんと就職活動の失敗から。「銀行に就職希望でしたが面接にすべて落ちてしまって。それなら“食べることが好きだから”と、料理の道へ進みました」と笑う。しかし、これは料理の神様の導きだったのだろう。彼女の料理に惚れ込んだ大人たちが集う【クラージュ】就職したレストランで、持ち前の真面目さとセンスに目を留めた師の勧めもあり、「サンペレグリノヤングシェフ」コンクールへ出場する。「無理だと思うけれど、世界大会のイタリアに行けたらいいな」と出場した日本大会で見事に優勝。そこから世界大会で上位入賞を狙うべく、メンターの【ナリサワ】成澤由浩シェフとの“血の滲むような”特訓の日々を過ごし、大会に出場。しかし結果は入賞ならず。「心から悔しかったです」。この経験が料理人としての転機となった。まだまだ足りない。もっと世界が見たい。そう思い、オーストラリア・メルボルン郊外の名店【Brac】へ働きに行く。そこでは、採れたての食材を使う素晴らしさ、盛り付けの美しさなど様々なことを吸収して帰国した。『タイとほおずきのタルタル』。魚とフルーツは古屋シェフが好きな組み合わせ。「今の季節のほおずきの香りと酸味がタイとよく合うと思いました」シェフとして考えることは、「とにかく、おいしいものをつくり、来ていただくお客さまに喜んでもらうこと」。謙虚で口数が少ない古屋シェフだが、丁寧につくる料理からは、彼女の食材や料理への愛が冗舌に溢れている。スペシャリテ『鴨と黒トリュフのサンド』。自家製パンに鴨の旨みと黒トリュフの香りが染み込みワインがすすむ。鴨は古屋シェフがコンクールで優勝したときのテーマ食材。コース15,000円~国内外の経験を生かし、旬の食材にまっすぐな心で向き合うピュアで美しい料理は、遊び慣れた大人が集う【クラージュ】の常連ゲストの心を、早くもつかんでいる。courage【エリア】麻布十番【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】5000円【ディナー平均予算】30000円【アクセス】麻布十番駅 徒歩7分
2020年12月20日30代*40代大人の小顔ハンサムショート乾かすだけで決まるかっこかわいいマッシュスタイルは、大人女性の魅力を最大限に引き出してくれます☆ニュアンスパーマで動きを出すのもオススメ!!黒髪でも重たくなりすぎません。360度綺麗なシルエットが上品な印象に!この絶妙なバランスが、洗練された大人の印象をつくり出してくれるんです。年代問わず真似したくなる愛されヘア。是非体感しにいらして下さい☆30代*40代大人の小顔ハンサムショートを見る40代50代大人のリッチなショートボブ☆抜け感が今どきな大人のためのショートボブ☆贅沢でリッチなツヤ感が魅力的☆30代40代50代の方に大人気!!ショート・ボブ・ミディアム・ロング・パーマ・ストレート・黒髪などどんな髪型とも相性抜群なんです。丸顔・面長さんでも似合うのが特徴!!乾かすだけでツヤ感もアップ☆マイナス5歳を叶える!!手ぐしで作れる綺麗な毛流れ&毛束感☆分け目をつけないようにカットしているのでボリュームも出て、白髪も目立ちにくくなるのが嬉しい☆大人のひし形ショートは30代・40代・50代からとても人気です!!分け目もセンターパートでもどこから分けても大丈夫なのもポイント!耳にかけてもショートバングでも可愛い!!後頭部にふんわり丸み、ボリュームが出る☆お悩み解消カット!!ひし形ショートカットは小顔効果も◎オーガニックカラーで髪と地肌に優しい☆黒髪でも似合いますよ!!イルミナカラーやグラデーションカラーも人気!乾かすだけで決まるカット体感しに来て下さい☆吉瀬美智子さん、中谷美紀さん、石田ゆり子さん、鈴木京香さんのような髪型やショートヘア、ショートボブ、ナチュラルボブはお任せください。40代50代大人のリッチなショートボブ☆を見る秋冬オススメのチークバングショート☆これからの季節にピッタリ!!チークバングとは頬まで長さのある前髪の事☆ショート・ボブ・ミディアム・ロング・パーマ・ストレート・黒髪などどんな髪型とも相性抜群なんです。丸顔・面長さんでも似合うのが特徴!!乾かすだけでツヤ感もアップ☆マイナス5歳を叶える!!手ぐしで作れる綺麗な毛流れ&毛束感☆分け目をつけないようにカットしているのでボリュームも出て、白髪も目立ちにくくなるのが嬉しい☆大人のひし形ショートは30代・40代・50代からとても人気です!!分け目もセンターパートでもどこから分けても大丈夫なのもポイント!耳にかけてもショートバングでも可愛い!!後頭部にふんわり丸み、ボリュームが出る☆お悩み解消カット!!ひし形ショートカットは小顔効果も◎オーガニックカラーで髪と地肌に優しい☆黒髪でも似合いますよ!!イルミナカラーやグラデーションカラーも人気!お手入れ簡単☆乾かすだけで決まるカット体感しに来て下さい☆吉瀬美智子さん、中谷美紀さん、石田ゆり子さん、鈴木京香さんのような髪型やショートヘア、ショートボブ、ナチュラルボブはお任せください。秋冬オススメのチークバングショート☆を見る30代40代大人のツヤ感エアリーショートサラサラでエアリーなナチュラルショート☆綺麗な毛流れが魅力的☆ナチュラル派の方に大人気!!ショート・ボブ・ミディアム・ロング・パーマ・ストレート・黒髪などどんな髪型とも相性抜群なんです。丸顔・面長さんでも似合うのが特徴!!乾かすだけでツヤ感もアップ☆マイナス5歳を叶える!!手ぐしで作れる綺麗な毛流れ&毛束感☆分け目をつけないようにカットしているのでボリュームも出て、白髪も目立ちにくくなるのが嬉しい☆大人のひし形ショートは30代・40代・50代からとても人気です!!分け目もセンターパートでもどこから分けても大丈夫なのもポイント!耳にかけてもショートバングでも可愛い!!後頭部にふんわり丸み、ボリュームが出る☆お悩み解消カット!!ひし形ショートカットは小顔効果も◎オーガニックカラーで髪と地肌に優しい☆黒髪でも似合いますよ!!イルミナカラーやグラデーションカラーも人気!お手入れ簡単☆乾かすだけで決まるカット体感しに来て下さい☆吉瀬美智子さん、中谷美紀さん、石田ゆり子さん、鈴木京香さんのような髪型やショートヘア、ショートボブ、ナチュラルボブはお任せください。30代40代大人のツヤ感エアリーショートを見る30代*40代大人の綺麗すぎるショート☆30代、40代、50代の大人女性に贈るクールにもナチュラルにもそして可愛さも兼ね備えた大人のショートヘアー!!分け目もつけないようにカットする事でトップもふんわりして、白髪も隠れる効果も!!丸顔さんにもオススメです☆お手入れ簡単な髪型は是非お任せ下さい☆夫婦で通われる方もたくさんいらっしゃいますよ。ここでしか体験できない褒められる☆ショートカットを是非体感しに来て下さい☆30代*40代大人の綺麗すぎるショート☆を見る30代40代圧倒的に綺麗な大人ショート☆年代問わずオススメの360度綺麗なショートカット!!乾かすだけでツヤ感もアップ☆マイナス5歳を叶える!!手ぐしで作れる綺麗な毛流れ&毛束感☆分け目をつけないようにカットしているのでボリュームも出て、白髪も目立ちにくくなるのが嬉しい☆大人のひし形ショートは30代・40代・50代からとても人気です!!分け目もセンターパートでもどこから分けても大丈夫なのもポイント!耳にかけてもショートバングでも可愛い!!後頭部にふんわり丸み、ボリュームが出る☆お悩み解消カット!!ひし形ショートカットは小顔効果も◎オーガニックカラーで髪と地肌に優しい☆黒髪でも似合いますよ!!イルミナカラーやグラデーションカラーも人気!お手入れ簡単☆乾かすだけで決まるカット体感しに来て下さい☆吉瀬美智子さん、中谷美紀さん、石田ゆり子さん、鈴木京香さんのような髪型やショートヘア、ショートボブ、ナチュラルボブはお任せください。30代40代圧倒的に綺麗な大人ショート☆を見る職場、友達、恋人等、周りの人から褒められる大人ヘアーが得意です◎新規指名率☆リピート率☆紹介率No. 1☆上品な大人ヘアスタイルが特徴☆30代*40代*50代の大人ショート〜ボブが得意です。後頭部やトップのボリュームを作るなら僕にお任せください☆大人女性.OL.主婦さんから多くご支持を頂いております。お客様のニーズに合わせて、忙しい朝でも扱いやすく簡単な髪型、褒められるヘアスタイルに!!誠実にそして一生懸命に素敵な髪型にします。インスタグラム、個人ブログで日々のリアルを載せていますので是非ご覧ください。
2020年12月16日キラキラしている女性というのは、生れつき輝いているわけではありません。自分磨きを積み重ねて輝きを手に入れているのです。今回はキラキラ女子が密かにやっていることを紹介します。メイクは永遠の課題!?自分の肌状態に合ったスキンケアを見つけることができたとしても、自分の顔に似合うメイクというのはいつまでたっても模索してしまいますよね。メイクのトレンドはどんどん変化しているため、いくら高度なメイクテクニックを習得したとしても、それがトレンドと合っていなければ似合わなくなってしまうからです。ではキラキラ輝く女性は、この悩みをどうやって解消しているのでしょうか。顔診断をしてから美人メイクを習得輝く女性が自分磨きとして密かにやってるのは、大手の化粧品メーカーが主催するパーソナルビューティレッスンに参加することです。大手の化粧品メーカーというのは膨大な数の日本人女性の顔データを集約し、そこから導き出した美人顔の黄金バランスを把握しています。パーソナルビューティレッスンではその黄金バランスを基に「どんなメイクをすれば、あなたの顔を美しく見せられるのか?」を個人的に教示してもらえるのです。具体的には最初に分析器で顔写真を撮影し、日本人の美人顔を構成する黄金バランスとの差を数値化していきます。数値を分析後にカウンセラーがメイクレッスンを行います。そしてバランスの整った美人メイクができたら、再び撮影します。この写真があれば、自宅でも美人メイクを再現できるのです。ただ闇雲にトレンドを取り入れるのではなく、理論的なアドバイスを受けたうえで納得しながらメイクすることが輝きにつながるのです。美容家電を厳選する美容家電としてどんなスチーマーを使うかも重要なポイントです。キラキラ輝く女性は温スチームと冷ミストが交互に出るタイプを愛用する傾向があります。肌をやわらかく包み込む温スチームとキュッと引き締める冷ミストとのコントラストで、ハリのあるキメ細かい美肌が完成するのです。ファンデーションのノリが確実に変わりますよ。キラキラ輝く女性の肌に透明感があるのは、まるでプロの手にかかったような効果を得られるスチーマーを密かに使っているからなのです。パーソナルビューティレッスンを受けると、自分のパーツに合わせたメイクをすることで印象が大きく変わることを実感できます。高性能のスチーマーを使うことで肌の水分量がグッとアップし、うるおいのある美肌が叶います。「お金がたまったらやろう」ではなく、今すぐ実践してみましょう。
2020年11月16日当事者研究、仲間たちとの関係についてーー綾屋紗月さん東京大学先端科学技術研究センターで、特任講師として発達障害の当事者研究(※)や、当事者研究の研究などを行っている綾屋紗月さん。幼い頃から家庭や学校で違和感を抱いていましたが、そこにASD(自閉症スペクトラム)の特性が関係していると知ったのは大人になってからだと言います。インタビュー後半では、綾屋さんたちが取り組む「当事者研究」について、また活動を通して出会った仲間たちとの関係について、お話しいただきました。当事者研究とは:一人ひとりが自分自身の困りごとや生きづらさについて研究者となり、周囲の仲間たちと語り合うなかで困りごとへの理解を深めることや、よりよい付き合い方を探していく営みのこと。綾屋紗月さんが主宰する、発達障害当事者による当事者研究活動「おとえもじて」をはじめ、さまざまなテーマ・共通点ごとに当事者研究コミュニティがある。当事者研究を続けるのは、新たな仲間に伝えたいから――綾屋さんは、「当事者研究」をテーマに研究者として活動されていますよね。お仕事についてもお聞きしたいです。綾屋:研究職に就いたのは偶然の重なりのようなもので、わたしはいただいた仕事を一生懸命やってきているだけという感覚があります。自分たちの発達障害当事者としての経験をもとに当事者研究をするだけでなく、専門家の研究にマイノリティ当事者の視点を反映させるための研究をするのが、わたしの主な仕事です。どのようにしたらマイノリティの人たちのニーズや感覚からずれずに研究を進められるのかを突き詰めながら、組織づくりを考えたりしています。Upload By 姫野桂綾屋:学術研究のフィールドでも、自分のマイノリティ特性を研究テーマとして掲げる人はまだまだ少ないので、そういった当事者としての視点も活かせる立場での働きが求められていると感じます。例えば、無理なことはしないとか、「こういう場面では無理をしそうになっちゃうな」ということにちゃんと気づいて記録し、そこにある苦労を細かく拾ったり、普通とは異なるオリジナルの方法で同じ目的にたどりつけるかどうかトライしたりして、発表という形で外に出していくとか。こうしてさまざまな人との人間関係や利害関係が広がっていったことで、当事者研究だけでは対処できない新たな苦労が発生し、当事者研究と同時に、「ソーシャル・マジョリティ」の研究も進んだように感じています。――「ソーシャル・マジョリティ」の研究とは、具体的にはどんな内容なのでしょうか?綾屋:発達障害当事者をはじめとする社会的マイノリティの立場から、多数派社会のルールやコミュニケーションを研究するのがソーシャル・マジョリティ研究です。新しく経験する人間関係の苦労は、わからないことの連続でした。以前であれば怖くなって撤退していましたが、当事者研究で培った研究マインドや、そこで出会った仲間の存在のおかげで、そうしたわからないことに研究的に向き合うことができるようになっていました。そして、いろいろな人とのやりとりを観察し、「あの場面ではどんなことが起きていたのか」「こういうときはどこまでなら言ってもいいのか」などを後から教えてもらい、意味付けを介助してもらうことを重ねました。自分がメールの返信を担当しなければいけないときには、失礼がないか一つずつ確認してもらい、さまざまな視点があることを教えてもらいました。そのようにして3年ほどを過ごすうちに、いわゆる定型発達の人が多い社会……わたしは「娑婆(シャバ)」と呼んでいるんですが、その仕組みを頭で理解できるようになり、「怯えていたほど、シャバの仕組みも難しくないかもしれない」と思える程度にはなりました。こうした経験を、多分野の専門家と共に、研究として整理・分析して発表していくのがソーシャル・マジョリティ研究という試みです。――「シャバ」、思わず使いたくなる表現ですね。シャバのルールが自然とわかるわけではなくとも、頭で理解できれば、スムーズになる物事もありそうです。綾屋:そうですね。知識体系があるとわかったことで、重要なポイントをうっかり踏まないように気をつけることができたり、「あのよくわからないルールを使わなければいけなそうだから撤退しよう」と判断できたりと、サバイブには役立ったと思います。Upload By 姫野桂――今の綾屋さんは、自分のことも、自分を取り巻く環境のことも、学生時代に比べれば理解が深まってきているわけですよね。そうなってくると、自分自身の困りごとを起点とする「当事者研究」は一段落ついてもおかしくないように思うのですが、それでも関連活動を続けているのは、何かモチベーションがあるのでしょうか?綾屋:一段落はしましたが、新しい環境や身体の変化に直面するたびに、「今の自分には何が起きているんだろう」という問いが生まれる自分は、あいかわらずなくなりませんでした。現在のわたしは「生きていく態度」として、当事者研究が一生続くのだろうと感じています。また、それとは別に、仲間に伝えていく、という責任も感じています。自分の当事者研究がある程度終わり、生きやすくなってきたときには、これからどうするのだろうとやはり思いました。当時は「自分は一体何者なのだろう」という問いが、終わってしまった感じがして。今後に悩んでいたときに見学参加した薬物依存症からの回復施設のミーティングで、たまたま読んだ文章が、「今まで誰かにしてもらったことをありがたく思っているのなら、新しい次の仲間に返しなさい」といった内容でした。それで、「ああ、そうなんだ」と思ったんですよね。ちょうどその頃、「次はあなたが当事者グループをやる番だよ」と言われていたけれど、わたしはそんなことできないと思っていたんです。でも、そのときに「あ、やらなきゃいけないんだ」と受け入れて。今もその延長線上にいます。わたしは前に出たいタイプでもないし、人づきあいに対する負担も大きくて、当事者グループを続けて10年目になるのに、いまだに「当事者グループの運営なんて、わたしには向いてない!」と、始まる前は緊張して毎回泣きそうになっています(笑)。「みなさんにお世話になったんだし、新しい仲間に返していくんだよな…」という気持ちに動かされ、また、参加してくれる仲間たちに助けられながら、なんとか続けられている感じです。仲間と出会って得られるものがある。ただ、そこはユートピアというわけではない――これまでのお話に、「仲間」という言葉が何度か出てきましたよね。綾屋さんにとって、仲間とはどんな存在ですか?綾屋:ささやかなつながりを感じられたときに泣いてしまうくらいにうれしい存在です。ただ、しょっちゅう仲良く遊びに行くような感じではなく、数ヶ月に一度、ミーティングの中で近況報告を聞くような関係が何年も続くのが、自分にとってちょうどいい距離感の仲間ですね。依存症当事者の人たちの言葉に、「迷惑をかけられたりしても、仲間だから仕方がない」というものがあるのですが、それもすごくしっくりきます。いいことばかりをもたらしてくれるわけではないけれど、大変なときも相手の状態を想像して、受け入れられる人たち。本名も、年齢も、バックグラウンドも全然知らないこともあります。でも、その人の困っていることや考えてきたことなど、内面をわかちあえる関係です。学生時代も含めたシャバでの人間関係というものは、なんだか虚勢を張り合っていて、なかなか自分の弱さは見せられないようだな、という印象を持っています。でも、今の仲間とのつながりは弱さを公開し、自分の恥ずかしくて情けない話からスタートできる。正直すぎるぐらい正直に話しても大丈夫、という基準が共通しているのは、すごく楽ですね。「ああ、人とつながれて、自分ともつながれた」と思えたのは、本当にこの10年ほどのことです。Upload By 姫野桂――近い特性を持つ人同士なら、問題なくつながれることもあるんですよね。わたしも発達障害の当事者ですが、サバイブのためにシャバに対応していく必要性や、それによって楽になる部分があるのを理解しつつも、なぜマイノリティだけがそこに力を割かねばならないのだろうと、やるせなさを感じることがあります。綾屋:それは、本当にそうですよね。わたしはたまたまマイノリティに囲まれた場所を選べているので、職場ぐらいまでなら自分の話も認められるし、恵まれた環境にいる、助かっているなあと思います。でも、わたしの仲間の多くは、それこそシャバで障害者就労等をして、苦労しているわけで。そこにどうやってわたしたちが貢献していけるのかを考えて、今、組織側をマイノリティに合わせて変えていくためのアプローチもし始めたところです。――もし、今後の働き方や生き方に悩む発達障害当事者から相談を受けたら、綾屋さんはどんな話をしますか?綾屋:そうですね……人それぞれですし、難しいですが。先ほど話したような職場環境を変えていくための働きかけには、賛同してくれる企業も少なくはないんです。おそらく、どう対応したらいいか企業側もわかっていないような状況なのだと思います。そんな中で、長期的に考えたときに勧めたいのは、仲間とつながる場を作っていくことです。世代を超えて縦につながることと、若い人同士で横の仲間とつながることの両方が、早めにできたらいいのではないかと思います。――仲間とつながることで、何が起こるのでしょうか?綾屋:当事者研究というやり方にこだわらなくてもいいのですが、自分たちは確かにこうなんだな、ということが、似た身体を持つ人と出会うとわかるようになります。あるあるネタが見つかったり、似た人と集まっても残る違いに気づき、「この部分は障害ではなく、自分のオリジナルなのかな」と思うことがあったり。そういうマイノリティ性に関する共通点や差異は、多数派の中にいては絶対に見つけられないんです。シャバ以外の場所で仲間と出会うことで、「ああ、ここだったら自分の当たり前が、他の人にとっても当然のルールになるじゃん」と感じられることもあります。それが、自分の安心材料になっていくんですよね。例えば、以前、発達障害の当事者が集まっていたとき、準備中にマイクのハウリングが起きたんです。すると、その場にいた人がみんな、耳を塞いだり、しゃがみこんだり、ギャーッと言ったり、大騒ぎになりました。シャバだと多分、「それぐらいで耳を塞ぐの?」と思われるような状況でしたし、わたしも我慢していたかもしれないのですが、そこではわたしも含め、一斉にみんなが耳を塞いだことに何か「文化」のようなものを感じました(笑)。そういう風に仲間同士の空間では、相手と仲がいいか悪いか、相手の性格を好きか嫌いかなどを超えて、身体的な感覚を分かち合い、つながりを感じられるんですね。そんな経験があれば、自分の感じ方に素直に振る舞っても大丈夫な場所が確かにあると思えます。多数派の中だけで過ごしていると、そこのルール以外を知りにくいので、どうしても適応する方向へ動きがちです。でも、仲間と出会えていれば、自分の身体を承認できて、シャバにいるときでもちょっと適応しきらないような、工夫した対応の仕方もできるようになると思うんです。それに、仲間と一緒にいれば、大学選びやきちんと対応してくれる企業に関する情報、生活保護の取り方のルートなど、多数派の間ではなかなか話されないような情報についても、重要情報として交換できるかもしれません。発達障害に関しては、そういったコミュニティが、これからできていくところだと思います。わたしたちの世代では残された時間で達成するのが難しいかもしれないので、そこは若い世代に託したいところですね。Upload By 姫野桂――そのような仲間とのコミュニティを作っていくときに、何か気をつけたほうがいいことはありますか?綾屋:「似たような人たちで集まればユートピアになる」とは限らないのを、認識しておくといいかもしれません。シャバの中では排除されがちな人たちが集まるわけですから、そこで初めて人間関係を結ぶ場合もあるわけですよね。当然、うまくいかないことはたくさん起きます。しかし、そのときようやく、シャバではできなかった、自分たちにとって「わけのわかる」ケンカを初めて経験したり、解決の仕方を学んだりする場にもなりうるわけです。発達障害当事者の集まりでなくとも、そのような人間関係のトラブルは起こりうるものです。上の世代が手助けしたり、気を配れる部分は配ったりして一定の安全を保ちつつも、高校生ぐらいになったら、管理や監視のない空間で、仲間との関係性を味わえるような場所を自分たちで作れるようになったらいいなと思っています。――綾屋さんは、お子さんが2人いらっしゃいますよね。保護者と子の距離感については、どうお考えでしょうか?綾屋:子どもに対する愛情は十分に持ちつつも、手を出し過ぎず、見守るような距離が必要だと思います。親と子では親のほうが当然権力が強かったり、子がマイノリティでも親がマジョリティだったりするので、どんなに親が親切にしようとしても、できることには限界があるんですよね。親が一生懸命、子どもと環境を適応させようと支援することで、本人が学ぶべきことを取り上げてしまい、経験するはずだった苦労を奪ってしまうこともある。一概には言えない、匙加減が難しい話をしていますし、もちろん、マイノリティ性があるかどうかにかかわらず、ひどいいじめに合っている子どもを放っておくのは論外です。ただ、もし親が子どものマイノリティ性に対して「なんとかしてあげなきゃ」と不安に思ったり、熱心に頑張ってしまったりしている場合は、自分と子を切り離して考えて、「子どもが親以外の手を借りて対応していけるようにするためには何をするべきか」を考えることが重要だと思っています。そのときに子どもが頼れる相手として、仲間や、医師・教師・カウンセラーなど親以外の支援者もいますし、介助者を利用する方法もあります。家庭で親がなんでも先回りしてやってあげてしまうと、自分主体で動く力を子どもが養うことはできません。例えば、ある程度、言葉を扱えるお子さんであれば、将来的には本人が主体的に「ご飯作りをお願いできますか」「片付けを手助けしてほしいのですが」と自らのニーズを伝えていけるような関係や距離でやっていけるようになるのが理想かもしれません。周囲の人々の目の厳しさやしがらみ、親としてきちんとやれているのだろうかと不安な気持ちはわかります。わたしも暗中模索で今までやってきました。それでも、仲間とつながるためのサポート等のできることはしながらも、子は子でやっていけるように、親と子を分離していく意識を持っていたいです。(終わり)和やかな語り口で濃厚な話をしてくださった綾屋さん。幼い頃の「自分自身のわからなさ」を、大人になってから時間をかけて受け入れていくまでの、苦労や発見を教えてもらえた気がします。綾屋さんとシャバ(マジョリティ)との関係性も、興味深いものでした。マイノリティの仲間とつながった後には、シャバと交わることで学べるものや新たに知れることもあるかもしれません。Upload By 姫野桂取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年10月29日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー綾屋紗月さん東京大学先端科学技術研究センターで、特任講師として発達障害の当事者研究(※)や、当事者研究の研究などを行っている綾屋紗月さん。幼い頃から家庭や学校で違和感を抱いていましたが、そこにASD(自閉症スペクトラム)の特性が関係していると知ったのは大人になってからだと言います。自分の身体や他人との「つながれなさ」を感じていた綾屋さんが、自分を理解し、社会とつながっていくまでのプロセスをお話しいただきました。当事者研究とは:一人ひとりが自分自身の困りごとや生きづらさについて研究者となり、周囲の仲間たちと語り合うなかで困りごとへの理解を深めることや、よりよい付き合い方を探していく営みのこと。綾屋紗月さんが主宰する、発達障害当事者による当事者研究活動「おとえもじて」をはじめ、さまざまなテーマ・共通点ごとに当事者研究コミュニティがある。子ども同士の「暗黙のルール」がわからなかった――綾屋さんは、発達障害のある人を中心に当事者研究を行う会「おとえもじて」の発起人で、ご自身も大人になってからASDの診断を受けていますよね。幼少期はどのように過ごされていましたか?綾屋紗月さん(以下、綾屋):3〜4歳の頃、家では、「なんでこんなに自分の思っていることが両親に伝わらないのだろう」「どうしてわたし、いつも泣いているのかな」と感じていました。父に怒られたわたしは悔しくて泣くのですが、後から「あのとき、あなたはこういうつもりだったんだよね」と通訳のように言葉にしてきて。「わかってるんだったら、なんでさっきあんな風に怒ったんだよ」と腹が立って、余計に泣いてしまうようなこともありました(笑)。母はわたしが何を考えているのかが本当にわからなかったようで、「この子も大きくなれば、自分のことを自分で説明できるようになって、生きやすくなるだろう」と思いながら育てていたらしいです。それでもどうにか家庭の中ではやっていけたのですが、幼稚園に入ってからは、子どもたちの間にあるルールや、今何が起きているのかがよくわからなくて。ちょっと怯えながら様子を見ているような状態でした。Upload By 姫野桂――集団の「暗黙のルール」のようなものの難しさを、幼稚園ですでに感じ取っていたんですね。綾屋:他の子たちが遊んでいる輪に、わたしが「入れて」と言ったら「ダメ」と言われるけど、他の子が言うと「いいよ」と言われる。他方で、何も言わなくても自然と一緒に遊び始める子もいて。どうしたらあんな風に加われるのかがわかりませんでした。先生の指示に従うのも難しかったですね。手順が明確でない説明がだらだらと続くと、まず何から始めればいいのか、具体的な行動が把握できないし、そもそも園内では音がすごく反響しているようにわたしには聞こえていたので、聞き取るのがとても難しくて。わからないから質問をすると、「さっき言ったでしょ」「ちゃんと聞いていなさい!」と怒られてしまいました。――ちゃんと聞いていたにもかかわらず、そのように怒られてしまうのはつらいですね……。小学生になって、変化はありましたか?綾屋:小学校に入って過ごす校舎が変わっても、音がワンワンと反響して聞き取りづらいのは続きました。人との関わり方については、成長するにつれてだんだんわかるようになるだろうと予想していたので、ますますわからなくなったのにはちょっと驚きましたね。「もしかすると、いじめだったのかな?」と思うようなこともあったのですが、嫌なことをされたら反撃したりもしていたので、ある意味ではやり過ごせていました。集団のルールのようなものがあるらしいことや、自分がそのルールを理解していないので仲間はずれにされているようだ、ということは感じていましたが、わたし以外にもいろいろな人が順に仲間はずれの対象になるのが見えていたので、そんなに気にすることでもないのかなとも思っていましたね。――綾屋さんはその後、中学受験をして私立の女子校に進学されたんですよね。綾屋:はい、中高大一貫でエスカレーター式の私立女子校に入りました。いじめのようなものをさほど気にしていなかったとはいえ、「自分には友達ができないなぁ」ということを気にしてはいたんですよ。そんなときに、親が「勉強ができる子たちのところに行けば、お友達ができるかもしれないよ」と中学受験の話をしてきたので、そんなものかなあと信じて近くの私立を受験し、進学しました。「自分は一体どうなっているんだろう」という疑問――中学に入って、人との関係に変化はありましたか?綾屋:わからなさは、むしろ増しましたね。小学校の頃とは違い、やり返したら大変なことになりそうだと感じたので、攻撃されないようになるべく無難に動くようにしていましたが、孤立していました。今になって振り返れば、周囲の環境にも原因があったのだと考えることができますが、当時は「人とうまく関われないのは、自分のせいなんじゃないか」と自分を責める気持ちにもなりました。人間関係に向かう以前に、「自分は一体何者なんだろう」というような感覚があったんですよ。ものの見え方や聞こえ方、たくさんの人の中にいるとすぐに具合が悪くなってしまうこと。そういった他の人との「ズレ」に、一つひとつ気づいては驚いていました。自分の身体との付き合い方もわかりませんでしたし……。自分のことも、自分を取り巻く社会のことも混沌としていて意味付けができない。檻の中に閉じ込められているような窮屈で息苦しい感覚でしたね。それは30歳を超えて、仲間とつながるまで続きました。Upload By 姫野桂――学生時代からさまざまな症状があったようですが、「心療内科を受診してみよう」といった話は持ち上がらなかったのですよね?綾屋:親から言われたことはなかったですね。「心療内科」ができたのはわたしが成人してからですし、当時は「発達障害」という言葉もメジャーではありませんでした。そもそも父方の家系には強烈な特性をもつ人がたくさんいて、むしろわたしはマイルドなほうだったんですよ(笑)。だから、親も単に「神経質な子」ぐらいに捉えていて、病院に行くなんて考えつきませんでした。ただ、わたし個人としては、「この原因不明の心身の具合の悪さを抱えて、社会で働くことに耐えられるわけがない」と就職をあきらめていたので、大学を卒業する頃、覚悟を決めて精神科を受診しました。しかし「あなたは大丈夫ですよ」という言葉と、体に合わない大量の薬を処方され、「医者でもわたしの困難を見つけてくれないのだ」と思い、それ以上、医者に期待するのをやめました。ASDという「物語」を通じて、これまでの記憶が整理された――綾屋さんは大人になってから発達障害の診断を受けたとのことですが、そのきっかけを教えてください。綾屋:書店で見かけて手に取った本の中に「自分によく似た体験が載っている!」というものがあって、それがASD当事者の書いた本だったんです。それまでも心理学などの専門書は読んできましたが、そこには当事者の視点から見たことは書かれていませんでした。専門家が使っている言葉が具体的にどんな体験を指し示しているのかピンと来なくて、自分のことを書かれているという意識も持っていませんでした。「コミュニケーション障害と言ったって、別に親との日常会話は成立しているしなぁ」などと思っていたんですよ。でも、その本に書かれている具体的な経験には、自分と重なる部分が多かった。ASDの診断を取ることで人とつながれるようになるのなら、自分にも診断がほしいと思い、31歳のときに医療機関を受診しました。ASDと診断されたときは、特にうれしくはありませんでしたが、少しホッとしたような感じでした。――診断を受けたことで、何か変化はありましたか?綾屋:記憶に時間軸ができました。それまでは、わたしの記憶は瞬間ごとの写真を平面にぶちまけたように散らばっている状態だったんです。それが、自分の中にASDという「物語」を得たことによって、「ああ、幼稚園のときはこういう理由で大変だったんだ」という風に意味付けができるようになりました。ばらばらだった記憶が一直線に並び、今の自分にしゅーんとたどり着いていくような感覚でした。そのときに過去から現在へ続く「時間」というものがわたしの中にできたのだなと思っています。とはいえ、学生時代に同級生にされたことなど、まだ自分の中で疑問が残っていて意味付けができていないものは、今でも整理されておらず、時々バーンと写真のように頭に浮かぶことはあります。――一部ではあるものの、幼少期からの「わからなさ」が、少し解消されたのでしょうか。周囲には、診断について話されましたか?綾屋:親や当時の夫、つながりの残っていた高校・大学時代の同級生には言いました。親は「それで何が変わるの?」という感じで、ピンと来ていませんでしたね。夫はその後離れていきましたが、今から振り返れば、そもそもお互いにいろいろなことを共有できていなかったんだなと思います。親戚には親から話が伝わり、わたしの研究活動も知っているので、困りごとを抱えている子どもたちの相談を受けることはありました。いとことは「わたしたちの特性って、ただの家系だよね」「『ちょっと変わった子』ぐらいだったのに、社会的にマッチしてないことになっちゃったね」みたいな感じで話しますね。Upload By 姫野桂――現在も、感覚過敏の症状はあるのですよね。何か対策されていることはありますか?綾屋:人がいるところに行きたくても、無理だなと思ったら早めに引き返すとか、耳栓をするとか。具合が悪くなってきたら、とりあえずその場で15分ぐらい寝て、帰宅するだけの力を回復させる、などはしています。あともう一歩行きたいというときに、自分のキャパシティを踏まえて「いやいや」と撤退することが増えましたね。「実際はそんなにいいものじゃないよ」と言われても、ワイワイ楽しんでいるところを見ると惹かれるんですよ。先日も学生街の駅付近で盛り上がっている人たちを見かけて、面白そうにしているなあと近くに寄ってみたら、思ったよりもドロドロした感じであまり楽しくなさそうで。「遠くから見ると楽しそうでも、近くではこんな感じなのかあ」となんだかしょんぼりして帰ったり(笑)。わたしは「セクシャルよりソーシャルが好物です」と表現しているのですが、触れるだけで痛い感覚過敏の特性も影響しているのか、恋愛などのセクシャルな関係への欲望よりも人の輪に入っていくというソーシャルなことへの欲望が強いんです。今は、適度な社会的なつながりを仕事を通じて得られているので、それがすごく幸せですね。(後編に続く)「自分は一体何者なんだろう」と、ずっと違和感や疑問を抱いて生きてきたという綾屋さん。自分の経験に意味付けをし、記憶を整理することができたのは、同じASD当事者の物語との出会いがきっかけでした。インタビュー後編では、綾屋さんが取り組む「当事者研究」について、そして、研究を続ける中で出会った仲間たちとのつながりについてお話しいただきます。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2020年10月28日フランス史上初、ミシュラン1つ星を獲得した日本人女性シェフ2019年は神﨑千帆さんにとって忘れられない年だ。ミシュラン仏版で、シェフを務める【ヴィルチュス】が初の1つ星を獲得。師マウロ・コラグレコさん率いる地中海沿いの【ミラズール】は3つ星に輝いたからだ。常連も多く45席が毎日ほぼ満席。「彼は私を認めてくれた初めてのシェフ。応えたいという思いで必死でした」と振り返る。2度目の渡仏で1つ星として頭をもたげたばかりの【ミラズール】へ。アルゼンチン人のコラグレコさんは、国籍も性も関係なく仕事そのものを認めてくれた。千帆さんの父親は精肉店で、子どもの頃から料理人になることが夢。離婚して4人の子どもを女手一つで育て上げた母親の姿を見て備わった生き抜く根性は厨房でも伝わっただろう。全部門を経験し、スーシェフにまで上り詰めた。公私ともにパートナーの、製菓専門のディ・ジャコモさんともこの店で出会った。『ホタテとハヤトウリのサラダ風』。ハヤトウリはタリアッテレ状に切りそろえ、マンダリンオレンジ、アイスプラントとあえる。オレンジとオリーブオイルのシンプルなドレッシング、からすみを振りかけて。「マウロに学んだのは、素材を生かす哲学。例えば、塩はゲランド産粗塩を乾かしたものを使いますが、旨みが凝縮していて、これに勝るものはありません」。【ヴィルチュス】では、率直に言い合えるディ・ジャコモさんとの二人三脚。地中海の太陽を感じさせる、鮮烈さと優しさ溢れる料理で、素材の表情を浮かび上がらせる腕には定評がある。常連も多く45席が毎日ほぼ満席だ。一匹から切り出したアンコウのフィレ。エシャロットで炒めてクリームを絡めたフダンソウと芽キャベツを添えて。パセリと魚のフュメのエマルジョンと。将来的な出産との両立にも悩み、「男性も出産できたら、男女差はないのに」とも。その素直な語り口には、女性としてのステージにもまい進する強さが満ちている。
2020年10月24日モテ女子の鉄板な特徴といえば聞き上手なことですが、聞き上手とは相づちで作られると知っていましたか?真剣に相手の話を聞くことはもちろんですが、相づちの打ち方で聞き上手の印象はかなり変わってきます。中でも男性に人気が高い、女子の可愛い相づちを紹介します。気になる彼と話すタイミングには、ぜひ使ってみてくださいね〜!「そうなんだ、はじめて知った!」男性は、女性よりも優位に立っていたいと無意識に思ってしまう生き物。だからこそ、女性から頼られることが大好きなのです。そのため女性が「知らなかった!」と驚くリアクションに喜びを感じます。特に、この相づちのポイントは「はじめて」。男性には闘争本能からくるプライドがあるので、自分がはじめて何かをしてあげたという1番の事実に大変気分を良くします。なので、必然的に驚く女性を可愛いと思い、印象がグッと良くなるんですね。男性から何か新しいことや、自分が知らなかったことを教えてもらったり話してもらったりしたら、この相づちをぜひ使ってみましょう。自分が女性の役に立ったと自覚すると、もっといろんなことを教えてあげようという気持ちになるため、会話も弾みます。「やっぱ〇〇君はさすがだね!」この相づちは、男性にはかなり効果的です。ポイントは名前を入れることと、「さすが」という言葉。基本的に男性は認められたいという承認欲求があるので「さすが」という言葉を聞くと嬉しくなります。さらに相手の名前を呼んであげることでより明確に気持ちが伝わるので、効果は倍増!男性が何かトラブルを解決した時や人助けをさりげなくした時の話など、この相づちを使える場面はたくさんあるので、意識してみてください。「良いこと聞いた、ありがとう!」この相づちのポイントはただ単に「ありがとう」というだけではなく、何に対して感謝しているのかまで伝えること。「良いことを聞いた」「勉強になった」「おかげでスッキリした」など「ありがとう」の前に何か付け加えるとより感謝の気持ちが伝わるので、男性の嬉しさは倍増する傾向があるのです。自分の話が相手のためになったと思えば、男性はまた相手の女性と話したいと思うようになります。特に、奥手な男性には自信をつけさせることもできるので、会話の中にさりげなく感謝の相づちを入れて、相手の話を盛り上げてあげましょう。相づちは相手と会話をする上で非常に重要なポイントのひとつ。お互いが会話をしやすくするためにも、普段から相づちを意識してみましょう。普段の何気ない会話を見直して積極的に使ってみると、会話が盛り上がるため男性との距離を縮めることができますよ。
2020年10月19日男性が本気なのか?本気でないのか?気になりますよね。会話の内容を冷静に判断すれば、相手の気持ちはわかります。男性の話の中で次のようなことはありませんか?少し会話の内容に注意してみましょう。自分自身を飾る言葉が多くありませんか?「仕事ができる」とか、「いい車に乗っている」とか、「役職についている」とか、「出張でよく海外に行く」とか、それが本当であれば会話の中で出てきてもおかしくありません。しかし、自分を目立たせよう、自分を飾ろう、とするような内容が相手の言葉の中にやたらと多くありませんか?そのような場合は気を付けましょう。先々を考えず、とりあえず付き合えれば良いと思っている可能性があります。あなたと本気で長い付き合いをしたいと思っているのであれば、あまり人に言いたくない自分の環境や欠点、失敗談なども適度に会話の中に織り込んで、ありのままの自分を見せようとするのが普通です。身内の話を避けようとしませんか?会話の中で相手が自分の身内に関する内容を避けるようなことはありませんか?長く付き合うつもりがない相手には、自分の身内のことなどプライベートについては避けようとすることが多くなります。それに加えてあなたの家族などの話についても興味を示さないと思います。このような場合は、あなたと本気で付き合いたいと思っていないと考えられます。あなたと本気で長い付き合いをしたいと思っているのであれば、自分の身内の話もあなたの家族の話も避けるようなことはないはずです。むしろお互いの家族の話などで大いに盛り上がることが多くなるはずです。聞こえの良い言葉で喜ばせようとしませんか?あなたを不自然に褒めたりしませんか?褒めてくれるのはうれしいですが、それがあなたの持ち物であったり、あなたの容姿についてであったり、あなたの上辺についての内容が多くありませんか?そして、言葉に軽さを感じることはありませんか?やたらと聞こえの良い言葉を言ってくる場合は気を付けましょう。あなたをいい気にさせて、とりあえず付き合いをと考えているのかもしれません。あなたと本気で長い付き合いをしたいと思っているのであれば、あなたの内面についても内容のある言葉で褒め、時にはあなたの欠点についても優しく指摘してくれることがあってもいいはずです。言葉の中にすべてが含まれています人間には、言葉という大変優れた伝達手段があります。この言葉を大切にしましょう。言葉の中にすべてが含まれています。あなたのペースで相手を会話に引き込み十分理解し合ってください。そうすれば、後で何があっても後悔はないと思います。十分な会話ができない、内容がおかしい、そんな時は即座にお別れしましょう。
2020年09月24日新連載、ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまで発達障害当事者であり、『発達障害グレーゾーン』などの著書を持つライターの姫野桂が聞き手となり、ミドルエイジの発達障害当事者の生き方をインタビューする連載がスタート。連載第1回は、2017年に、発達障害の一種で文字の読み書きが難しいディスレクシア(読字障害・読み書き障害)であることを著書で公表した落語家の柳家花緑さん。2020年4月には、自身の生い立ちや、精神科医の岩波明先生による発達障害の解説、ご夫婦での対談も収録した書籍『僕が手にいれた発達障害という止まり木』(幻冬舎)も上梓しました。「文字がうまく読めないのに落語家になれるの?」と、疑問を抱いた方もいるかと思います。今回は、花緑さんの幼少期の悩みや、落語家の道を進み、自信をつけるまでの過程を語っていただきました。番組視聴者からのメールで発達障害を自覚姫野(以下、――):花緑さんは、ディスレクシアと診断されているとお聞きしました。ディスレクシアの場合、文字そのものがうまく認識できなかったり、書く際に鏡文字になってしまったりすることもありますが、花緑さんの場合はどのような症状があるのですか?柳家花緑さん(以下、花緑):僕は、ひらがなだけならまだ読めますが、漢字が混ざると読み書きが難しくなります。カタカナも、急いで読み上げようとすると、途中で止まってしまいますね。読み間違えも多くて、その読めるはずのひらがなも「たしなみ」を「たのしみ」と読んでしまったり、仕事で「田町」に行く予定が「町田」に行ってしまったりしたこともあります。特に、緊張しているときや疲れているときは、読み間違えが増えるんですよ。それに、普段なら読める字が急に読めなくなることもありますし、読めても書けない漢字もあります。例えば、「発達障害」という文字も、練習すれば書けるようになるけれども、10日後にはもう忘れているかもしれない。文字が記憶にとどまりにくいんです。また、ディスレクシア以外にADHDの傾向もあります。人と話していて、自分だけがガーッと喋りすぎてしまったり、忘れ物が多かったり……。このような性質も、疲れているときほど強まりますね。――ご自身の症状と、それが起きやすい状況について、とてもよく把握されているんですね。花緑さんが「発達障害かもしれない」と思ったのは、とある番組出演時の、視聴者からのメールがきっかけだと著書に書かれていました。花緑:そうなんです。2014年に出演した番組で、小学校時代の5段階評価で「1」と「2」ばかりの通知表を見せ、「こんなにひどい成績だったけれども、今は弟子もいて、落語を何百席も覚えている落語家です」と話したんですね。それを観た視聴者の方から、「番組で話していた内容が、うちの子とそっくりです。もしかして、花緑さんもディスレクシアではありませんか?」というメールが事務所に来たんです。――そのメールを読んだときは、どう思われましたか?花緑:そのときは、発達障害についてまったく知らなかったし、「障害」というレッテルを貼られるようですごく抵抗があったので、「ちょっと待ってくれ、やめてください」と思いました。だから、「番組では出さなかったけど、主要5教科以外の音楽や図工の成績はよかったし、僕はディスレクシアではないと思います」と、やんわりとお返事したんです。そうしたら、「教科書をあまり使わない教科の成績がいいのも、うちの子と一緒です。やはりディスレクシアだと思います」と返信をいただいて(笑)。気になってディスレクシアについて調べてみると、あまりにも自分に当てはまることが多かったんです。そこで、「ああ、自分は発達障害なんだ」と受け入れられました。43歳のときですね。――ディスレクシアだと気づいたのは、つい最近のことだったんですね。先ほど主要5教科の成績が悪かったとおっしゃっていましたが、学校での勉強は、やはり大変なことも多かったのでしょうか?花緑:小学校2年生の時点で、すでに授業についていけなくなっていました。宿題をするのも難しかったんですが、そうなると、宿題をやっていることが前提の次の授業にもついていけなくなるじゃないですか。みんなが宿題を出している様子を見て、提出できないことに後ろめたさを感じましたし、「人にはできることが自分にはできないんだ」と、自信を失うばかりでしたね。さまざまな授業の中でも、国語の授業での音読は地獄でした。文字を認識するのに時間がかかるので、つっかえつっかえでしか読めず、クラスのみんなに笑われる。今だったら、「他の子が読みたがっているからそっちに回してください」「来月中旬には読みますから」なんて冗談を言えますが、当時はそんな気の利いたことを言えないし、拒否もできません。恐怖心と共に震えながら読んでいました。Upload By 姫野桂文字を介さずに練習できる落語に救われた――そのような経験があると、勉強することが嫌になってしまいそうですね……。ですが、音読で嫌な経験をしたことのある花緑さんが、人前で話をする職業に就いたのは興味深いです。落語はいつから始めたのですか?花緑:小学4年生のときには、祖父であり師匠でもある、5代目柳家小さんの稽古を受けて、落語の初舞台を踏んでいました。祖父が人気者だったので、祖父と一緒に出た落語会は注目され、ワイドショーでも「小さんの孫、デビュー!」などと報道されていましたね。叔父も落語家でしたし、祖父のお弟子さんがうちに住み込みで手伝いをしに来ることもあったので、落語はすごく身近なものでした。特別上手だったわけではないと思いますが、名人には違いない祖父の真似をしていたので、子どもながらに落語っぽくはできていたのだと思います。周りにも褒めてもらえました。つまり、僕にとっての成功体験は落語だったんですね。落語に救われたと言っても過言ではありません。もともと人を笑わせるのが好きでしたし、学校ではできない体験を落語を通じてできたので、楽しかった覚えがあります。だからこそ、中学に入る前に、母に「部活をやるなら落語家にはならない。落語をやるなら部活には入らない。どうする?」と選択を迫られたときには、ほぼ悩まずに落語の道を選びました。――落語を覚える際に、文字が読めないことは妨げにならなかったのですか?花緑:落語は「口伝」といって、対面でしゃべる稽古を通して伝わっていくものなんです。師匠がしゃべったものをICレコーダーに録音して、文字に起こすこともありますが、基本的にはその人の覚えやすい方法で覚えていく。僕の場合、小学生の間は書き起こすこともなく、ひたすら繰り返ししゃべって覚えていたので、文字の読み書きは必要なかったんです。ひらがなでメモを取るようになったのは、たしか中学生以降だったと思いますね。社会で通用するのかという不安。人間国宝の孫であることもプレッシャーに――部活ではなく落語を選び、落語の稽古を積んでいったことで、同級生とは少し違う道を進み始めたのではないかと思います。感覚のズレなどは感じませんでしたか?花緑:中学生のときまでは、あまり感じませんでした。でも、卒業して、僕が本格的に落語の前座修業に入ってからは、少しずつ感覚の違いは出てきましたね。例えば、話すのが好きな近所の友人たちと夜遅くまで話す中で、この先の人生についての話題になったとき。そういうときに、自分がストーンと相手の急所を突くようなことを言ってしまうんですね。そうするとみんなびっくりしちゃって……。友人が高校に通う間、僕は大人と一緒の社会で修行をしているので、どうしても話題がずれたり、自分が少し先に大人びていくような感覚はありました。――中学卒業後、すぐに社会に飛び込むことへの不安はありませんでしたか?花緑:当時のことはあまりはっきりとは覚えていないのですが、やっぱり不安はあったと思います。自分がどこまで通用するかわからない不安と、祖父が5代目小さんであるがゆえの不安という、二つが大きかったですかね。例えば、落語をやっていく上では江戸時代の知識が必須ですが、僕は学生のときから歴史に興味が持てず、全然知らなかったんですよ。落語を話すときに必要な情報を得ようと調べても、発達障害の特性で文字も読みづらいし、好きなこと以外はなかなか頭に入らない。これまでの経験から、自分は他の人と同じように勉強ができない、劣っているんだという思いもあったので、社会でどこまで通用するだろうという点は不安でした。Upload By 姫野桂――もう一つの、おじいさまに関連する不安というのは、どのようなものだったのでしょうか。花緑:自分が受けている評価は、祖父の存在ありきなんじゃないかという不安があったんです。祖父は落語協会という大きい団体の会長でもあったので、周りの人から見た自分は「業界で一番偉い人のお孫様」。当時は自分に自信がないし、実際に実力もまだまだだったので、チヤホヤされるのが嫌でした。1人の落語家として、他の人と同様に見てほしかったんですね。その一方で、これはせっかくのチャンスなんだから、うまく乗っていかないと失礼なのではないかという変な気遣いもありました。――花緑さんはその後、22歳という戦後最年少で真打に昇進したんですよね。花緑:はい。普通は落語家に入門してから、見習い、前座、二つ目、真打という4つの階段を、大体15年位かけて上がるのですが、僕は7年で一番上まで上がっちゃったんです。他の人からどう見えていたかはわかりませんが、冷静に自分で振り返っても、すごく才能があるというわけではなかったと思います。機が熟していない状態での昇進で、ド下手でこそないものの、中途半端な実力でしたね。名声に反して、常に自信はありませんでした。「小さんの孫」として生きていかないといけないのだけれど、そこにあぐらをかかずちゃんとやっていくにはどうしたらいいかを常日頃考えていて。なにかやらなきゃという気持ちが、自立したいというところにも向かいました。――自立ですか。具体的に、どのようなことをされましたか?花緑:真打になる前、実家で暮らしていた21歳の頃から、家に毎月5万円ずつお金を入れ始めました。その頃にはすでに一人暮らしをしたかったのですが、親に「一人暮らしなんてできない」と止められてしまって。それが悔しかったので、自分も自立できるんだというところを態度で示そうと、家にお金を入れ、自分に関する家事は自分でするようになりました。真打になったときには、自分で引越し屋に電話をして、強行突破で一人暮らしを始めました。自由になりたいからということで、自由が丘で(笑)。――自分一人でも生活ができるようにしていったのですね。その結果、自信はつきましたか?花緑:うーん、自信が芽生えてきたのは、30歳前後かもしれません。落語のCDを出したり、有名なテレビ番組に出演したり、初めての書籍出版の話をいただいたり……。一気に有名になり、生活も変わりました。ですが、本当の意味で自信がついたのは、42歳でディスレクシアについて知り、自分は発達障害なんだと受け入れてからだと思います。Upload By 姫野桂能力差を努力不足だと思わなくなった――発達障害であることを受け入れたことで、花緑さんにどんな変化があったのでしょうか?花緑:発達障害は先天的なものですから、読み書きが不得意で勉強ができなかったのは自分のせいじゃなかった、努力不足というわけではなかったんだと思えるようになったんです。もちろん、これからより良くできるようになることもあると思っていますが、なんだか初めて自分の両足で地面に立ったような気分でした。そこからは、自分の感覚を素直に言葉にし、自分をさらけ出せるようになって、オープンマインドになりました。子ども時代からのつらかったことが傷にならないように、自分で心のケアもしていったような感覚があります。2017年、46歳のときに書籍で発達障害を公表してからは、さらに楽になったような気がしますね。仕事の際に余計な緊張をせずにすむようになったので、相手も緊張させず、いい雰囲気で仕事をしやすくなりました。――人との関わり方も変わってきたんですね。花緑:はい。人に対する見方が変わったところもあると思います。僕は今10人の弟子を抱えているのですが、本当に十人十色なんですよね。例えば、15分の落語を覚えるのに、1週間で覚える人がいれば、半年かかる人もいる。その差がそのまま努力の差というわけではなく、習熟には個人差があるのだと考えるようになりました。発達障害であれ健常者であれ、そのような差があるのだということは、自分自身を通じて学びましたね。――今、花緑さんがより生きやすくなるため、困りごとを解決するために取り組んでいる工夫などはありますか?花緑:ナレーションなどの仕事の際は、あらかじめクライアントさんに頼んで、台本にルビを振ってもらっています。また、作家さんに書いてもらった落語の新作台本は、妻がルビを振ってくれていますね。そういったサポートには、とても助かっています。発達障害を受け入れることで回復できる自信――今、発達障害について悩みを抱えている子どもたちに、なにか伝えたいことはありますか?花緑:発達障害かもしれないと思いつつ、受け入れられずに悩んでいる子がいるのであれば、「僕は、受け入れてから楽になったよ」と言いたいです。己と向き合うことに怖さを感じるかもしれませんが、自分の特性を知って初めて、自分の取扱説明書を手に入れられます。対処の工夫ができるようになるのはそれからなので、まずは知る勇気を持つのが大切ですね。そのようなときに、周りのサポートや、同じような特性を持つ人の情報が得られると、自分の特性を受け止める衝撃が緩和されるのではないでしょうか。――花緑さんは、落語家という自分に合う職業を見つけられましたよね。働き方についても、なにかアドバイスがあればお願いします。花緑:自分に向いている職業に出会うためには、好奇心を持っていろんな職業を発見することが大事だと思います。意識の持ち方で、物事の見え方は変わるものです。例えば、「今日のラッキーカラーは赤です」と、朝のニュース番組の占いで聞いた日には、いつもの道を歩いていても、これまで気づかなかった赤い看板などが次々に目に飛び込んできますよね。そんなふうに、意識的に身の回りの仕事に目を向けることで、関心の持てる職業が見つかるのだと思います。そこで必要になる好奇心は、「自分はダメなんだ」と自信をなくしている状態では、なかなか湧いてこないと思うんですよね。だからこそ、発達障害を受け入れ、「これは症状によるものなんだ、自分が悪いわけではないんだ」と思えるようになることは大事だと思います。自信が回復して、心の土台がしっかりできたときに視野が広がり、今後のことにも興味を持てるようになるのではないでしょうか。――興味を持った仕事と、自分の特性上向いている仕事が違う場合もありますよね。たくさんの仕事が目に入るようになったときに、自分に合った仕事はどうやったら見極められると思いますか?花緑:最初から「一生これをやるんだ!」とは決めず、つまみ食いするようにいろいろと試してみるのも一つの手だと思います。興味を持ったらアルバイトなどで体験してみて、向いていないと思ったらまた次を試せばいいと思うんです。僕も前座時代に、師匠の身の回りの手伝いをしながらあちこちついて行きました。そのときに、苦手な「空気を読む」という経験ができたのもよかったと思っています。自分と似た特性を持つ人の本を読むのもいいですよね。同じような症状の人が、こんな業界で働きながらちゃんと生活できているんだと知ることは、希望になると思います。落語家は少し特殊な職業だと思われるかもしれませんが、僕が出した本も、その助けになれば嬉しいです。Upload By 姫野桂発達障害を受け入れたことで新たな自信を獲得した花緑さん。どうすればより生きやすくなるのか、一歩踏み出すための勇気を花緑さんにもらった気がします。もちろん、自分の特性を理解し、受け入れ、付き合っていく道のりは人それそれですが、花緑さんをはじめ、発達障害と共に生きる先輩たちのライフストーリーの中には、一人ひとりが自分らしい生き方を見つけるヒントがきっと散りばめられているはずです。今後も、さまざまな生き方・働き方をしている方々のインタビューをお届けしていきますので、どうぞお楽しみに。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子2020年10月4日(日)14:00配信開始チケット料金:3000円Upload By 姫野桂フリーライター。1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本史学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをし、編集業務を学ぶ。卒業後は一般企業に就職。25歳のときにライターに転身。現在は週刊誌やウェブなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好き過ぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。著書に『私たちは生きづらさを抱えている発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー21)。Upload By 姫野桂
2020年09月23日じゃがいも一つでも、料理人の腕で一流の皿にできる。そんなフランス料理の力に魅了されました「美術の教師だった母は帰りが遅く、おなかがすいてもつくってくれる人は誰もいない。自分で料理するしかなかったんです。 物心ついた頃にはもう台所に立っていました」。あっけらかんとそう語るのは田中いずみさん。赤坂のフランス料理店【タンモア】のオーナーシェフだ。住宅街の地下1階にある秘密の空間小学生の頃から料理番組を見ては献立を考え、キャべツ一個をどう使い切るかなどを算段するのが楽しかったという田中シェフ。それも食いしん坊なればこそ。「今も、鴨一羽を胸、モモ、内臓など、各部位を違う料理法で提供するのが好き」だそうだから、そのスピリットは既に幼い頃から芽生えていたようだ。『ハモのバリグール風』テーブルに置かれた瞬間、鼻先をくすぐるハーブの香りが素晴らしい。南仏の定番料理に今が旬のハモを、軽く炙って合わせた一皿。卒業時に調理師免許が取れる高校を出た後、調理師学校に進み20歳で就職と同時に結婚。横浜や鎌倉のレストランで修業後、彼女曰く「旦那をほったらかして」渡仏。一つ星レストランやパリ郊外のビストロなどで3年半腕を磨いた。結婚生活を続けながらのフランス修業はご主人の理解あってこそだろう。『エゾ鹿内もも肉2種仕立て』は、ローストしたモモ肉にかぶ・すももを添えた一品と、同じ鹿肉を生ハムにし、かぶ・すももと共にサラダ仕立てにしたもの。コースは8,000円~。「フランス料理は、料理人の腕1つでただのじゃがいもも一流のお皿に昇華できる。そこに魅力を感じました」。帰国後、2年前にオープンした同店では、好きなジビエや海と山の幸を共に盛り込んだ一皿をスペシャリテとして提供。仔鹿や仔山羊なら一頭仕入れて自ら解体することも厭わないガッツな精神の持ち主だ。が、仕事を続けていく中でさまざまな壁にぶつかったことは想像に難くない。「人間、コンプレックスを持っていた方が頑張れる」。この一言がすべてを物語っている。タンモア【エリア】赤坂【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】5000円【ディナー平均予算】10000円【アクセス】乃木坂駅 徒歩6分
2020年09月13日上品で大人の雰囲気があるお酒のひとつ「ブランデー」。アルコール度数が高いお酒ですし、飲み方がよくわからないからこれまで飲んだことがないという方も多いのではないでしょうか。しかし、その芳醇な香りと味わいは格別で、ブランデーをゆったりと飲む時間は至福のとき。ストレートやオンザロックではなく、飲みやすくソーダなどで割ることで、初心者や女性でも気軽に楽しむことができるお酒です。今回の記事では、ブランデーというお酒についてまずご紹介し、その飲み方のルールや、初心者・女性におすすめのブランデーの割り方について解説します。ブランデーを飲んでみたいと思っている方、ぜひ参考にしてみてください。■飲み方いろいろのブランデーとはまずはそもそもブランデーがどのようなお酒なのか、その原料や歴史についてご紹介します。・ブランデーは格調高い蒸留酒上品で芳醇な香りが楽しめる格調高いお酒の代表が、ブランデー。果実酒を蒸留することでつくる蒸留酒のひとつです。ブランデーは香りを味わうお酒といわれており、ビールのようにごくごくと喉越しを楽しむお酒ではありません。アルコール度数も40〜50度程度と、ビールなどに比べてかなり高いお酒ですので、ゆっくりと時間をかけて芳醇な香りを堪能し、少しずつ味わうのがおすすめの飲み方です。香りや味わいを楽しむのはもちろん、ブランデーを時間をかけて飲むという、贅沢なひとときを楽しむお酒でもあるんです。・ブランデーの原料ブランデーの原料は、主に白ブドウなどの果実。この果実を発酵させてつくった醸造酒、つまりワインを蒸留し、熟成して作られるお酒がブランデーです。熟成期間は、5〜8年程度。種類によっては、25年以上も熟成させたブランデーも販売されています。このようにブランデーは、完成するまでに長い年月を必要とするお酒です。ちなみにビールの醸造期間は、2〜3ヶ月程度です。ブランデーの原料に使われる果実は、白ブドウのほかにもりんごやさくらんぼなどがあり、それぞれアップルブランデー 、チェリーブランデーと呼ばれます。ただ「ブランデー」と呼ばれる場合には、その原料には白ぶどうが使われています。同じく蒸留酒として有名なウイスキーは、大麦やライ麦などの穀類から作られた醸造酒、つまりビールを蒸留し、熟成することで作られています。・ブランデーはスペイン生まれ ブランデーは、とても長い歴史があるお酒です。7,8世紀ごろのスペインでは、すでにワインを蒸留してブランデーのようなものを作っていました。15世紀にはフランスのコニャック地方などでブランデーの生産がはじまり、1713年にはルイ14世がフランスのブランデーを保護する法律をつくっています。それ以降ヨーロッパ各国の宮廷で広まり、ブランデーは「王侯や貴族の酒」としての地位を獲得していったのでした。ワインを原料にブランデーがつくるため、ワインの産地ではブランデー作りも盛んです。特にフランスは、世界有数のブランデー生産国。銘酒「コニャック」や「アルマニャック」という名前を冠するブランデーは、それぞれフランスのコニャック地方、アルマニャック地方で主に作られ、その品質の高さから高級ブランデーといわれています。このようにヨーロッパ各地で広まったブランデーが、日本に伝わったのは19世紀末ごろ。オランダに留学をしていた武士の榎本武揚が、日本に帰国したあとにブランデーの作り方を親族に伝えていたそうです。その後、国産ブランデーが作られはじめたのは、1950年代からで、今では複数の国内企業がブランデーを生産しています。・ブランデーはもともと薬?ブランデーは今ではお酒として愛されていますが、13世紀のスペインでは、医師のアルノー・ド・ヴィルヌーブが気つけ薬としてよく使用していたそう。このことからブランデーは命の水とも呼ばれ、各国に広まっていきました。ほかにも、ブランデーは、お酒として飲まれるだけではなく、肉料理をフランベするときに使われたり、焼き菓子やチョコレート菓子などに芳醇な香りをつけるためにも使われています。・ブランデーの語源ブランデーの語源は、ノルウェー語で「焼いたワイン」の意味である「brandeviin」からきています。この言葉がオランダ語の「brandewijn(ブランダウェイン)」となり、英語の「brandy-wine」に変化。そしてwineがとれて「brandy(ブランディ)」になったといわれています。フランス語では、ブランデーを命の水という意味である「eau de vie(オドヴィ)」と呼ぶそうですよ。・もっとも有名なブランデーブランド世界的に有名なブランデーの有名ブランドは、フランスのコニャック地方に本社をおく「ヘネシー」・「レミーマルタン」、フランス・ジャルナックに拠点をおく「クルボアジェ」などがあります。特にヘネシーは、コニャックの世界市場で40%ものシェアを獲得していて、世界最大のコニャックブランドです。最近では、国内ワインの有数な原料である甲州ブドウを使用した国産ブランデーなども人気になりつつあります。しかし、日本の気候はブランデー用のブドウの栽培には適していないといわれており、国産ブランデーのほとんどは、海外から輸入したブランデーの原酒をブレンドしながら日本人の味覚に合うように調整し、生産されています。■ブランデーの飲み方のルールブランデーをどうやって飲むのが正解なのかがわからないという方に向けて、ブランデーをストレートで飲むときの飲み方のルールを簡単にご紹介します。ブランデーのアルコール度数は、40〜50度程度。ビールのようにグビグビと飲まずに、ゆっくりと時間をかけて楽しみながら飲みましょう。・30分かけて飲むまず飲み方のルールで大切なのが、30分かけて一杯のブランデーを飲むこと。これは厳密に30分をはかって飲むという意味ではなく、ゆったりと時間をかけて味わうお酒であるという意味合いです。ブランデーが作られるまでの長い時間に思いを馳せながら、ゆったりとそして少しずつその味を優雅に味わうのがブランデーの醍醐味です。ブランデーの味や香りを楽しむのはもちろんですが、このゆったりとグラスを傾ける時間自体を楽しみましょう。自分のこれまでの人生やこれからの未来のことについて、ゆっくりと考えてみる時間にしても良さそうですね。・『ブランデーグラス』で香りを楽しむブランデーの香りを強く楽しむためには、飲むときに使うグラスにもこだわることをおすすめします。日本では、脚が短く大きなボウル型のグラスを用いて、ブランデーを飲むことが主流でした。手でボウル部分を持ち上げることで、体温でブランデーを温め、その香りを立たせて飲むスタイルが人気だったんですね。しかしヨーロッパのブランデー・メーカーは、脚が長く、グラスの口部分がチューリップのよう細くなっているグラスでブランデーを飲むことをおすすめしています。このグラスを使うと、アルコールの刺激を抑えつつも、ブランデーの繊細な香りを楽しむことができるそう。最近日本では、こちらのタイプのブランデーグラスも使われるようになってきています。・ブランデーを飲むときの適温ブランデーを飲むときには、その温度についても気にかけると、おいしい香りが楽しめます。ビールなどの場合には、冷えている方が喉越しが爽快でおいしいですが、ブランデーの場合には、その香りを楽しむお酒なので温度がとても大切なんです。おいしくブランデーを飲める温度は、18〜20度。ブランデーを熟成する温度よりも少し高いこの温度で飲むと、その豊かな香りが際立つんです。・ブランデーとおすすめのチェイサーブランデーのアルコール度数は40〜50程度とかなり高いので、チェイサーを準備して飲むことをおすすめします。チェイサーは、ブランデーの香りをあまり邪魔しないように、水・もしくは炭酸水がおすすめです。そのほか、ビールやジンジャーエールを、チェイサーとして好んで飲まれる方もいらっしゃいます。ぜひお気に入りのチェイサーを探してみてください。 ■ブランデーの飲み方や割り方次にブランデーのおすすめの飲み方、そして初心者の方にも飲みやすいブランデーの割り方についてご紹介します。・基本は『ストレート』ブランデーの飲み方の基本は、ストレートです。氷を入れずに、適温になったブランデーをゆったりと、少しずつ時間をかけて飲む飲み方がおすすめです。・『オンザロック』ストレートの次におすすめなのは、オンザロック。ブランデーのグラスにロックを入れて、ゆっくりと液体をころがしながら少しずつその香りを楽しみます。おうちで楽しむ場合でも、やはり大きな氷を作り、グラスにひとつ入れてゆっくりと氷がブランデーに溶けていく様子を楽しみたいですね。しかしオンザロックだと、ブランデーが冷えてしまうので、本来の芳醇な香りが立ちません。特に、上質なブランデーを飲むときには、ストレートで飲む飲み方がおすすめであるとされています。・初心者も飲みやすい『水割り・ソーダ割』ストレートやロックで飲むとブランデーのアルコールが強すぎるという場合には、水割りやソーダ割りで飲むのもおすすめです。ブランデーの香りは、ロックに比べて少なくなりますが、アルコール度数が低くなる分、ブランデー初心者でも飲みやすい飲み方です。初めてブランデーを飲む場合には、まず水割りやソーダ割りでその香りを楽しんでから、ストレートやオンザロックにも挑戦してみるといいですね。・ホットブランデーも人気ブランデーのお湯割り、ホットブランデーも人気の飲み方です。ブランデーは温めると、香りや味わいが増します。お湯割りにすると、芳醇な香りがふわっと鼻に広がるんです。特にほっと一息つきたいときや、冬の寒い時期に身体を温めるには、ぴったりの飲み方です。少し甘みを足したいときには、はちみつや生姜を加えると、より飲みやすくおいしいブランデーの香りを楽しめます。■ブランデーカクテルもおすすめいろいろな飲み物とマッチするブランデーは、さまざまなカクテルにも使われています。カクテルにすると飲みやすいので、ブランデー初心者の方や女性にもおすすめのお酒です。ここからは、ブランデーを使ったカクテルをご紹介します。・サイドカーサイドカーは、口当たりが優しく飲みやすいカクテル。ブランデーにオレンジ果皮のリキュールであるホワイトキュラソー 、そしてレモンジュースを加えて作ります。飲みやすさとは反対にアルコール度数は高く、その酔いやすさから「女殺し」という異名も持ちます。スイスイと飲まずに、こちらもゆっくりと少しずつ飲むといいですね。・アレキサンダーお次に紹介するカクテルは、アレキサンダー。ブランデーに生クリームと、カカオリキュールを加えて作ります。お好みでナツメグのパウダーをふりかけて、楽しみます。 カカオの深いコクが味わえる甘いデザートカクテルです。・カフェロワイヤルカフェロワイヤルは、ちょっと変わったカクテル。カップに注いだコーヒーの上に、スプーンをのせ、その上に角砂糖とブランデーをのせて火をつけます。角砂糖が炎で溶けたらコーヒーに入れてよくかき混ぜ、ブランデーとコーヒーの香りを楽しむ飲み物です。部屋を少し暗くすると、青い炎の色がよく見えてとても美しいです。大切な方と一緒に、炎の妖艶さを楽しみたいカクテルですね。カフェロワイヤルは、ナポレオンが好んで飲んでいたことでも有名です。・クリスマスカクテル『エッグノック』エッグノックは、ブランデーに砂糖・卵黄を加えて温かい牛乳で割ったカクテル。まろやかな味で、甘さも感じられる飲みやすいお酒です。アメリカの南部では、クリスマスパーティーのときによく飲まれる飲み物なんだそう。寒い時期に飲むと、心も身体も暖かくなります。 ■女性におすすめ『フルーツブランデー』・フルーツブランデーとはブランデーはそもそも果実から作られたお酒なので、フルーツとの相性がぴったりです。ブランデーにフルーツを漬け込むことでつくる「フルーツブランデー」というブランデーの飲み方は、女性にとても人気があります。フルーツを切って、ブランデーにつけるだけで簡単に作れるため、自宅でも自分好みのフルーツブランデーをつくることができますよ。フルーツの種類によってその漬け込み期間は異なりますが、オレンジの場合には1日程度で飲み頃に。梅酒を家で作ろうとすると月日がかかりますが、フルーツブランデーの場合は、手軽につくることができるんです。また砂糖も不要なので、さっぱりとした味わいが楽しめます。・『ブランデースプリッツァー』とも呼ばれるもともとスプリッツァーというお酒は、白ワインをソーダで割ったカクテルのこと。ブランデースプリッツァーとは、フルーツブランデーを炭酸水で割ったお酒です。カクテル風の飲み方で、フルーツの香りとシュワシュワの炭酸のおかげで、さっぱりと飲みやすい口当たりになっています。・おすすめのフルーツカットオレンジがまずおすすめですが、レモンやりんご、パイン、グレープフルーツなどもブランデーによくマッチします。いろいろと試してみると、お気に入りのフルーツブランデーに出会えますので、自宅でフルーツブランデー作りにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。・割るソーダのおすすめブランデースプリッツァーをつくるときに使うソーダは、どんなものでもおいしく楽しめますが、トニックウォーターで割るのがおすすめです。トニックウォーターには、柑橘類のエキスや砂糖が含まれているため、より飲みやすいお酒になりますよ。・おうちでブランデースプリッツァーをつくる方法オレンジを使って、自宅で簡単にブランデースプリッツァーをつくる方法をご紹介します。オレンジの皮をむき、果実をスライスする。皮も使うのでとっておく。ガラス瓶にブランデーとオレンジの皮・スライスしたオレンジの果肉を入れる。一日熟成させたら、自家製のフルーツブランデーが完成フルーツブランデーを、氷を入れて冷やしたグラスに注ぐ冷えたソーダを静かに注ぎ、マドラーで軽く混ぜるたった1日でおいしく飲みやすいお酒ができますので、ぜひ試してみてください。■ブランデーを飲む時間を楽しもうブランデーは、上品で芳醇な香りが楽しめる格調高いお酒の代表格。アルコール度数が高いお酒ですが、ストレートやオンザロックで、ゆっくりと時間をかけて、その香りや味わいを楽しむ飲み方がおすすめです。ゆったりとしたブランデーを味わう時間自体を、楽しみたいですね。また、果実を原料としたお酒であることから、フルーツ・炭酸と合わせやすいお酒でもあります。さまざまな方法で、ぜひブランデーの上品な香りを楽しんでみてください。
2020年08月27日メンズナチュラルヘアスタイルメンズナチュラルヘアスタイルナチュラルなメンズのヘアスタイル。2ブロックと襟足の長さなどで顔の形に合わせてあげると良いかもしれません。いまだ人気が衰えないナチュラルなマッシュスタイルです。ケートke-to.beautyhairメンズナチュラルヘアスタイルを見るメンズヘアスタイルでは定番の2ブロック。癖がある方が特に気になると割と多く聞きます、揉み上げや襟足部分。2ブロックにして、癖のカールが出ない長さに切ってあげると意外と良い雰囲気になる事があります。メンズ癖を生かすヘアースタイルメンズ癖を生かすヘアースタイルツーブロックの位置や長さでくせ毛をパーマ風に。髪質が堅めの方もふんわりカットをしてあげると少し普段のお手入れが楽になるかもしれません。お気軽にご相談ください!ケート ke-to.beautyhairメンズ癖を生かすヘアースタイルを見る揉み上げ周辺や襟足が収まると、上に載ってくる部分のトップの髪の毛がパーマをかけているように見えやすかったりします。伸びている部分とカールの部分があるとそう感じるのかもしれませんよね。メンズ社会人の方でもおしゃれにメンズ社会人の方でもおしゃれにメンズスタイル。ベリーショートスタイルをちょっとおしゃれな清潔感がある感じに。ケート ke-to.beautyhairメンズ社会人の方でもおしゃれにを見る特に短いショートヘアスタイルになってくると、髪質にもよりますが、2ブロックの上に乗る髪の毛の部分の癖のカールも、髪を切った分緩くなったりしますよね。また、癖が強い方も揉み上げと襟足をがバリカンを入れるぐらいに髪の毛を短くしてあげると、意外と雰囲気が変わるかもしれませんね。ショートヘアショートボブヘアスタイルショートヘアショートボブヘアスタイルナチュラルなショートカットスタイル。乾かした後にアイロンを巻いてもスタイリング剤つけても大丈夫です!ケート ke-to.beautyhairショートヘアショートボブヘアスタイルを見る揉み上げや襟足部分をバリカン入れないぐらいの長さで調節して骨格補正なども出来たりします。女性の方も最近はされている方も多いかもしれませんね。更に、暑い季節にピッタリで涼しいという点も良い所ですよね。参考になれば嬉しいです。皆さんのヘアライフに幸せが訪れますように。最後まで記事を読んでいただき、ありがとうございました。ケート ke-to.beautyhair三軒茶屋美容室美容院ヘアサロン個室【二名様で入れるお部屋もございます。施術を二名様とも行わせていただける場合は、順番の施術となります。宜しくお願い致します】オーガニックカット、カラー、パーマ月曜日、火曜日、金曜日、土曜日、日曜日ヘッドスパのみ水曜日、木曜日ヘッドスパはヘッドスパ二ストMikaのみの対応になります。メニュー税抜カット5500円話が苦手な方は、必要以上お話なしサイレントカット5500円前髪カット1000円2ブロックのバリカンのみ1000円学生カット4000円小学6年生までキッズカット3000円オーガニックカラー7000円ショートリタッチカラー4500円ロングリタッチカラー5500円オーガニックパーマ7000円トリートメント3500円からクイックヘッドスパ5000円美髪ヘッドスパ10000円美髪+育毛ヘッドスパ13000円オンラインショップにて現在オープン記念期間につき多様な美容商材15%オフの物の取り扱いも行っております。お気軽にお問い合わせください。 この投稿をInstagramで見る KOJI (@kawai.koji1)がシェアした投稿 - 2020年 7月月6日午前2時38分PDT
2020年08月07日周りにいい男性がいない場合は、外に出会いを求める必要があります。学生の頃に比べて出会いの機会が少なくなっているので、自分で積極的に出会いを求めないと新しい男性と知り合うことができません。そこで今回は、周りに出会いがない30代女性におすすめの出会い方を3つご紹介します。お店で出会うバーや相席居酒屋など、お店で出会うという方法。飲食を楽しみながら出会えるので損がありません。いい人と出会えるかどうかは運次第ですが、うまくいけば普通なら出会えないような人と知り合うことができます。相手も出会いを求めてあなたに声をかけるので、とんとん拍子に話が進みやすいのもメリットです。飲食店以外ではジムがおすすめです。ジムは意識が高い男性が多いですし、仮にいい出会いがなくても自分磨きができて損にならないためです。日頃職場と自宅の往復になっているという人は、気分転換も兼ねてお店に行ってみてはいかがでしょうか。マッチングアプリで出会うマッチングアプリに抵抗がある30代の方は多いでしょう。昔の出会い系サイトのイメージがあるからです。しかし、今のマッチングアプリは昔の出会い系サイトとは全然雰囲気が異なります。昔の出会い系サイトはアングラ感がありましたし、運営の管理もあまりされておらず、危険なところがありました。対して今のマッチングアプリは運営の監視が厳しく、マッチングアプリを使わなさそうな普通の人がすごく多いです。中には結婚した人もいるくらいですから。なので安心してマッチングアプリを利用してください。マッチングアプリのいい点は、プロフィールを見てどんな人かわかったうえで付き合えるということ。効率良く男性と会えるので気軽に彼氏探しができます。自分のプロフィールをきちんと記入して写真を載せれば、いいねはたくさん来ます。ちょっとしたモテ気分を味わえるのでいいですよ。婚活パーティーで出会ういろいろな人と出会って喋りたいという人は婚活パーティーがおすすめ。30代限定のパーティーやアニメ好きやお酒好き限定など趣味でくくっているパーティーもあります。自分に合ったパーティーを選べるのがいいですね。わざわざお金を出して婚活パーティーに参加しているだけあって、相手の男性の本気度が違います。お互い結婚前提で相手を選ぶので、ミスマッチが起こりにくいです。彼氏じゃなくて結婚相手が欲しいという人は婚活パーティーを特におすすめします。周りに出会いがない30代女性の方は、お店やアプリ、イベントなどを利用して出会うのがおすすめです。今はどれも使っている人が多く、決して恥ずかしいものではありません。素敵な出会いはどこに転がっているかわかりませんから、積極的に動いてみてください。
2020年07月19日大好きなのにどうして彼氏とは喧嘩になってしまうのか…。実は男性と女性の考え方には根本的な違いがあります。そのため、自分の気持ちがきちんと相手に伝わっていない、もしくは相手の気持ちが理解できていない場合が多くあるのです。カップルの喧嘩の原因となってしまう、男女の会話での捉え方の違いを紹介します。女性は共感してもらいたい生き物女性は共感されることに幸せや満足感を感じる生き物です。女性同士の会話の中には「わかる〜」「だよね〜」などと相手の話に共感する単語が多く飛び交い、考えに共感することで相手の承認欲求を満たしてあげようとする傾向があります。なので、女性は相手に共感された時点で気持ちが深く満たされ、話のその先を求めないことが多いのです。その点、男性は自分の考えと違うことに関しては共感を示す言葉を口にすることがありません。女性のように例え考えが違うとしても「そうだよねぇ、わかる〜!でもね…」と自分の意見を言う前に、相手の意見を尊重するように共感する言葉を入れることはコミュニケーションのテクニックだ、という考えがないからです。そのため、女性は共感して自分を認めてほしいのに、男性からただ違う意見を言われることで怒りや寂しさを感じやすくなってしまうのです。ここが男女で話をしていて喧嘩がおきやすい要因のひとつともいえるでしょう。男性は答えを出したい生き物男性は会話というコミニュケーションの中で、その話題に対して答えを出すことが大切であると考えます。男性同士の会話であれば、最初から会話とはお互いの意見の言い合いであり、その中で解決法を考え、結果として答えを出すことがわかっているので問題が起きることはありません。男性にとって「会話」とは「相談」であることの意識が強いのです。そのため、女性との会話も相談と捉えて話を聞きます。また、彼女であれば愛情といった庇護欲から頼られていることを嬉しくも思い、悩みをどうにか解決してあげたい思いが強く働きます。なので、会話の中でどう問題を解決していくか意見をしがちなのです。ここで、男性と女性の考え方のズレが顕著に出始めます。女性は会話に共感を求めているため、辛いことや苦しいことへの同意をしてほしいのです。しかし、男性はどうしたらその辛さや苦しさから抜け出せるのか、自分なりの見解を言い始めます。男性の悩みを解決するシンプルな行動と、女性の「答えは自分が出すからあなたは共感だけしてくれ」という感情の食い違いから喧嘩が起きやすくなってしまうんです。男女の考え方の違いを受け入れることが大切女性は共感を求めて会話をし、男性は答えを出す目的で話す傾向があります。特に男性は、女性の共感を求める行動は意味のない行動だと思いがち。わかるぅ〜と共感したからといって、それが問題の解決に繋がるわけではないからです。しかし、女性にとっては解決よりも、まずは自分がどう感じているかを理解してもらいたいので、お互いに相手に求める順番が反対になってしまうのです。また、女性は会話の中で共感を得るために感情的に話すことが多く、男性は答えを出すために客観的に話をするので、その話し方からもすれ違いで喧嘩が起きやすくなります。女性にとっては共感してくれさえすればとりあえずは気持ちが落ち着くのですが、男性は解決してあげたい優しさから答えを出す気持ちが先行してしまうため、噛み合わないまま話し合いが進んでいき、結果大喧嘩へと発展してしまうのです。女性は、感情的に自分がなっていないかに意識をし、男性はまずは彼女の言い分を認めてあげることが仲直りの近道であり、喧嘩を少なくする方法です。「どうしてわかってくれないんだろう…」と思うことも禁止。なぜなら、男女は根本的に考え方が違うからです。その違いを理解し、自分が何を求めているのかをはっきりと相手に常に伝えていくことが大切です。愚痴を聞いてほしい時は、「聞いて」と一言つけるだけでなく、最初から「マジで大変だったからえらいって褒めて!大変だったねって言って!」と目的を告げておきましょう。男性は女性と話す時はいつでもまずは「そうだね」の冒頭から始めてください。考えが違うからこそ刺激になって、相手を好きになったことをお互いに忘れなければ、喧嘩をしたとしても、仲直りをすることはいつでもできますよ!
2020年06月27日男性は女性をリードしたいという気持ちが強いですが、時には女性に甘えたり慰められたいと思う事があるようです。そんな男性の心をぐっと掴む3つの慰め方をご紹介します。飲みに付き合ってあげる男性は一般的にあまり自分の弱っている姿を見せられないところがあります。メンタルが強くて、頼りになって率先して導いてくれるような男性像を理想と考える人も多いため、強くあろうとする男性ほど誰にも弱音を打ち明けられず甘えることが下手なのです。しかしお酒の席であればお酒のせいにして思い切り普段言えない弱音や愚痴を吐くこともできます。もしそれを女性が受け止めてくれるとしたら男性はとても嬉しいですし、そんな女性に対して好感を覚える事も多いでしょう。ただ飲み過ぎは厳禁です。「お酒を飲んでいる」という状況さえあればいつもより素直になるには十分だからです。見栄が強い人でもほろ酔い程度にって、そばに優しく話をきいてくれる女性がいれば、思わず愚痴や弱音を吐いてしまうものですの。翌日にあまりお酒が残りすぎない程度にペースを抑えるようにしましょう。そばに居て話を聞いてあげる二人きりで居る時間が作れるなら、率先して二人きりでゆっくりと話をする時間を作ってみましょう。男性が弱音を聞いてもらいたかったり誰かに甘えたいのにそれが出来ない場合は、人前ではそういう事ができないタイプである可能性が高いです。二人きりのある程度プライベートな空間を作り出して男性のことを受け入れるような雰囲気を出す事で、男性も自然と甘えやすくなるでしょう。もちろん男性が甘えられるくらいに信頼を得ている必要はありますが、まだ十分親密になりきれていないと感じている場合はこちらから話を振るようにすると男性からも話がしやすくなります。おすすめなのはこちらから先に甘えたり、弱音を吐いてしまうことです。男性は女性からの弱音を聞いて共感性を刺激されたり、自分も同じ気持ちだということを伝えたくて自分の話をしてくれるようになります。ギュッと抱きしめて頭を撫でるある程度親密な関係だったり、彼氏彼女の関係であるならばギュッと抱きしめて物理的に甘えさせてあげるのが一番良いでしょう。男性は女性の柔らかな肌触りに安心感を覚えるため、抱きしめられただけでとても安心し甘えてくれます。頭を撫でると髪型が崩れてしまうからと気にする人も中にはいますが、男性は女性ほど髪型が乱れることを気にする人は少ない傾向にあるため、頭を撫でることを嫌がる人は少ないと言えるでしょう。ハグをする時はできるだけプライベートな空間がよいので、お互いの部屋やホテル、漫画喫茶やネットカフェなどの個室などが良いでしょう。
2020年05月07日婚活をしていくなかで、この人なら!っと思える男性と出会い、このまま順調に交際を続けていけば結婚も遠くない…と思っていたのに、相手の男性の愛情表現が段々少なくなってきた。このまま結婚して大丈夫なの?そもそも結婚できるの?っと、不安になってしまうという声を婚活中の女性からよく聞きます。実は、これは男性と女性では、愛情の育て方が違うことが原因にあります。女性の愛し方は、右肩あがり女性は愛情を育てはじめると、ずっと愛情が右肩あがりになる傾向があります。時間を費やすことにより『愛情』を深めて、パートナーとの信頼関係を構築していきます。女性はそれにより女性を魅力的に見せるホルモン「エストロゲン」や「信頼のホルモン」と呼ばれるオキシトシンなどを分泌させます。恋人との愛情に感覚を研ぎ澄ませ、セックスに前向きな気持ちになり相手を受け入れる態勢を整えていきます。そのため、男性にも『この人と結婚して大丈夫なのか?」「家庭を築いて大丈夫なのか?』という確認の為に、都度愛情を確認したり愛情表現を求めがちになります。男性の愛情表現は告白がピーク男性は狩猟を好む傾向があり、捕まえることに強い興味や興奮が向きがちです。その為、男性にとっては、相手の女性に対して告白した瞬間が愛情のピークを迎えます。その為、男性は徐々に愛情が緩やかに下降してしまいます。その為、付き合い出すと付き合う前よりも男性の態度が冷たいと感じてしまうのです。でも実際は男性の愛情はそれほど変わっていなくて、女性側の愛情が大きくなったことから落差を感じてしまうのです。婚活中に注意したいこと婚活中に注意したいことは、付き合いに発展したからといって簡単にセックスを許さないことです。もちろん、性生活は結婚において重要な相性ではありますが、狩猟本能を満足させてしまうと彼の愛情を育てることは出来なくなってしまいます。また、婚活中に交際する場合は「結婚を前提として付き合って欲しい」と、男性側にきちんと伝えてましょう。そうすれば、男性も彼女と付き合うには結婚しなくてはならないと考えて行動するようになります。婚活を経て交際へと発展すると、早くしなくてはと結婚を焦ってしまうことが多いです。しかし、男性や結婚に依存してしまわないように気をつけましょう。自分の時間を充実させたり、リフレッシュできることを見つけましょう。そうすることで、男性には自立した女性に見えて、追い続けたいと思う気持ちが強くなります。
2020年04月28日この方も、あの方も…!anan連載「It GIRL」のこれまでの登場者は200名以上。その中から葵わかなさんにインタビューし、その他4人の方の近況と当時のエピソードもまとめました。愛猫と共演したananは何度も見返している宝物!登場してもらったIt GIRLの記事を目にした葵さんからまず出た言葉が、「懐かしい!」。インタビュー時のことを覚えてくれていた。「撮影した場所も覚えています。遠い昔に感じますが、まだ4年前くらいなんですね。いろんな変化があったから、もっと時間が経ったように感じるのかも。あの頃はまだ高校生で自信もなく、女優で生きるんだということを決めきれていなかった気がします。学校を卒業して、朝ドラのヒロインをやらせていただくなどして経験を重ねるうちに、“これが私の仕事なんだ”と思えるようになりました。当時はシリアスな役を演じることが多かったけれど、『わろてんか』以降明るい役が増えました。この写真の私が思っていたよりは、役の幅は広げられたかな」It GIRLを皮切りに、ananに何度も登場してくれている葵さん。昨年は「にゃんこLOVE」特集(2150号、2019年5月8日発売)で、愛猫のみろちゃんを披露してくれた。「みろと共演できたのが本当に嬉しくて。猫と一緒に写真撮るのって、動いちゃうし難しいじゃないですか。でもananで撮っていただいたみろが、すっごくかわいく写っているんです!その写真は何度も見返して、スマホの待ち受けにもしました(笑)。みろは実家にいるんですが、今度ついに自分の家でも猫を飼うことになったんです。今度ananで猫特集があったら、ぜひその子とも出たいです」【葵わかなさん】No.1978(2015年11月4日発売)に登場。「クイズ番組で早押しボタンを押すのが夢だった」という、可愛らしいエピソードを披露。シリアスな役が多いと話していたが、この2年後には連続テレビ小説『わろてんか』(NHK)で笑い上戸なヒロインに大抜擢。あおい・わかな1998年生まれ。2009年デビュー。映画『キャッツ』日本語吹き替え版に出演。上演中のミュージカル『アナスタシア』では、主役・アーニャを演じる。【佐久間由衣さん】No.1958(2015年6月10日発売)に登場。当時20歳になったばかりで、「誕生日前日にバンジージャンプに挑戦した」と驚きの発言が。この頃の肩書はモデル。2年後に連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK)でヒロインの幼馴染みを演じ、女優として躍進を遂げた。さくま・ゆい1995年生まれ。昨年『“隠れビッチ”やってました。』で映画初主演。近作に映画『屍人荘の殺人』など。2021年に主演映画『君は永遠にそいつらより若い』が公開予定。【平 祐奈さん】No.1962(2015年7月8日発売)に登場。「6人きょうだいで、家族が揃うと笑いが止まらない」と話す姿があどけなかった5年前。映画『ReLIFE リライフ』『未成年だけどコドモじゃない』『honey』など数々の作品でヒロインを演じ、美少女から大人に!たいら・ゆうな1998年生まれ。この春放送のドラマ『ひまわりっ~宮崎レジェンド~』(テレビ宮崎ほか)で主演を務める。「アリシアクリニック」新イメージキャラクター。【佐野ひなこさん】No.1972(2015年9月23日発売)に登場。初出演映画『探検隊の栄光』でネズミやコウモリがいる過酷な現場を経験し、ワイルドになれたと語ってくれた佐野さん。昨年は映画『魔法少年ワイルドバージン』でヒロインを演じ、コメディエンヌの才能も発揮。さの・ひなこ1994年生まれ。“驚異のくびれ”でグラビア各誌を席巻し、女優としても活躍。写真集『Hina』(光文社)が3月10日発売。『テレビで中国語』(NHK Eテレ)出演中。【大野いとさん】No.1981(2015年11月25日発売)に登場。昨年の人気ドラマ『同期のサクラ』(日本テレビ系)では主人公の隣に住むギャル役を好演。素顔はほんわかモード。パン屋に憧れ、酵母からパン・ド・カンパーニュを作ったというエピソードを語ってくれた。おおの・いと1995年生まれ。2011年公開の映画『高校デビュー』でヒロインに抜擢され、女優デビュー。出演映画『高津川』が、4月3日より全国公開予定。※『anan』2020年3月11日号より。写真・土佐麻理子文・間宮寧子(by anan編集部)
2020年03月06日たまには大好きな人に可愛く甘えてみるというのも良いのではないでしょうか。そこで、男性が思わず「たまらない」と感じる甘えかたについて紹介します。上目使いでお願いお願いごとをしたい時には、可愛く上目遣いをすることがおすすめです。顔の前で両手を合わせて、チラッと彼を見上げるだけで、かなり効果的です。男性の中には頼られたいという人も多くいます。瞳をウルウルさせながら見上げられたら、思わず抱き締めたくなってしまうかもしれません。ですが、上目遣いをする時には注意点もあります。あまりにも顎を引きすぎると、まるで睨んでいるように見えてしまい逆効果です。顎を引く時には軽く引くぐらいで大丈夫です。背中にピッタリで寂しさアピール構ってもらえなくて寂しい時には、ピッタリ背中にくっついて寂しさをアピールしてみると効果的です。突然背中に抱きつかれた彼は、ドキドキしてしまって、すぐに抱き締めたいという衝動にかられるかもしれません。この時のコツは、自分の気持ちを素直に伝えることです。例えば、普段は言えないことだけどと前置きしてから寂しい気持ちを伝えると、いじらしさをアピールすることにも繋がります。甘えられている、頼りにされていると感じることで、彼の愛情も更にパワーアップするかもしれません。ですが、彼の背中に抱きつく時には注意も必要です。彼が趣味に没頭している時などは怒られるかもしれませんので、タイミングには気を付けましょう。たまにはワガママに甘えてみる普段はワガママなんて言わないけれど、たまにはちょっとだけワガママになってみるのも効果的です。帰ろうとする彼の腕にしがみついて、「帰ったらイヤ」とワガママを言ってみるだけで、彼のハートはメロメロになってしまうかもしれません。たまには子供のように可愛く駄々をこねてみるのも良いでしょう。ですが、あまり頻繁にワガママを言うと彼に呆れられてしまう可能性もあります。ワガママはたまに言うから可愛く見えるのです。恥じらいながら大好きアピール大胆に甘えるよりも、恥じらいを残しながら甘えることが効果的です。照れている様子が可愛く見えますし、控えめな感じが守ってあげたいという気持ちにさせます。モジモジしながら大好きという気持ちを伝えることで、彼の心をドキドキさせる効果があります。ですが、あまりにも恥ずかしがっていると、彼には大好きさが伝わらない可能性があります。彼に気づいてもらえるようにアピールすることが大切です。甘える時には注意も必要甘えることにより、2人の仲が更に近づく可能性があります。ですが、甘えかたを間違えてしまうと嫌われる原因にもなるため、注意も必要です。
2020年02月26日ああ、美人になりたい。でもお金をかけたくない。でも美人になりたい。そんな女性にこの記事では、今すぐ綺麗を手に入れられる「美人の作法」を伝授いたします。美人の作法1:動きは大きくゆっくりとまず、何をするにしても、動作は大きくゆっくり行うことを心がけましょう。焦って行動することで、ドカドカと音も立ち、ヒールもがつがつ音が立って……余裕のない安っぽい女性という印象を与えます。誰かに名前を呼ばれて振り向く時ひとつとっても同じです。顔だけですぐ振り向くのではなく、体ごと、もしくは上半身ごとひねって「はい」と丁寧に。たったそれだけで、印象は大きく変わりますよね。また、遅刻寸前で駅や街中を全力で駆け抜ける……なんて姿も、美しいとは言えません。時間には余裕を持って行動するくせをつけたいですね。美人の作法2:心を整えたければ、まず目に入るものを整えよライフスタイルに関わるものですが、「揃える」「閉じる」「まっすぐにする」「収める」スリッパ、靴、ふた、机、椅子、仕事道具、リモコン、雑貨、収納…。目に入るモノを整えましょう、すると、自然に心が整います。モノや空間だけでなく、自分の体も同じ。指先も揃え、手をフラフラさせない。座ったとき、ひざを閉じる。体の軸を真っすぐにする。目線も真っすぐです。お金をかけず、特別な時間も要らず、簡単にできるのに、心がすっきりおだやかに整っていきます。美人の作法3:何事も「美しく」を心に留めるプロ体操選手・内村航平選手は、子ども達への体操教室で、生徒たちへ「できれば美しくやって下さい。僕が一番大事にしていることなので」と言って指導しているそうです。ただ技ができればいいのではなく、「美しく」 やる。シンプルですが、この意識があるかないかが、自分の所作を磨けるかどうかの分岐点になっているんだと思います。『 ただやればいいのではなくできるだけ美しく』というふうに、意識を一段上げると、「作業」 が「所作」に変わります。日々当たり前のことでも、「作業」にしないで、丁寧に向き合いましょう。美人の作法4:謙虚になる謙虚な人と卑屈な人は、似てこそいますが実は全然違うモノなのです。謙虚な人は、自信があるからこそ出来ないことは出来ないと言えます。素直に人から学びますし、人から指摘されたことを、素直に受け止めることができます。それは、自分の奥底に自信があるから。だから自分を控えめにしたり、相手を立てても、自分がすり減ることがありません。謙虚な人は、控えめだけど、心は堂々としているのです。一方、卑屈な人はそういう自信がありません。なので、自分より優れた人を見たときに、「それに比べて自分は…」とか、「やっぱり私はダメ…」と必要以上にへこみます。自尊心を保つために、相手のアラ探しや揚げ足をとることさえもします。相手の長所を素直に見たり、気持ちよく相手を立てたりなどとてもできません。自分に、少しずつ自信を育てていきましょう。人と自分を比べない、自分で決めたことを守る、出来なかったことより出来たことにフォーカスして自分をほめる、自分で自分を信頼できるような行動をたくさん重ねていく。自己肯定感を育てていく作業に似ています。こうして『自信の種』 を育てていくことが、堂々として謙虚な人=美人であるための道なのかもしれませんね。
2020年02月13日