若いときから、ミニスカートや短パンなど少し露出が高めで奇抜なデザインの服を好んでいた私。ある日、鏡に映った自分の姿を見て衝撃を受けてしまいました。好きな服を着るために年を重ねていても、体形をキープして少し露出を抑えれば好きな服を着ても良いと思っていた私。そのため、日ごろから体形を維持できるよう努力していました。え、誰…?ところが、買い物に行ったある日、鏡に映った自分を見たときに顔と体が別人のように見えて、「気持ちが悪い」と思ってしまいました。その日は、恥ずかしくて急いでうちに帰りました。露出の多い服は封印それからというもの、ミニスカートや短パンは封印し、個性的なデザインだけど露出の少ない洋服を購入することに。自分の好きな服は着続けていたいですが、それが本当に自分の今の顔や体形に合った服かどうか、出かける前に姿見でチェックするようになりました。まとめどんなに頑張っても、年齢にはあらがえないことがあると痛感しました。でも、着たくない服を着るのは嫌なので、年齢相応の好きな服を探して何歳になってもオシャレを楽しめる人生を生きたいと思っています。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/まげよ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月10日排卵痛があった日の夜、彼氏のうみくんとの営み中に激痛を感じたにしこさん。慌てて中断しておとなしく就寝したのですが、翌朝になってもまだ下腹部が激しく痛みます。歩くのもつらい中、近くの救急センターで診てもらうため、なんとかうみくんの車まで移動したのですが……。 急患センターに足を踏み入れると…?ヨロヨロとした足取りでなんとかアパートの階段を下り、うみくんの車に乗り込むことに成功したにしこさん。うみくんの「じゃあ出発するよ」という声でにしこさんを乗せた車が走り出しますが、車の振動によって常におなかはズキズキと痛み、道路のデコボコで車が大きく跳ねたときには、思わず悲鳴をあげるほどの激痛に襲われてしまって……!? ※作中ではシートベルトを省略しています。 ※方側→片側 その後、車の振動が伝わりにくい体勢をキープし続けることで、急患センターに着くまでの間、なんとか激痛に耐え抜いたにしこさん。車から降りて、うみくんに支えられながらノロノロと歩みを進めます。そして、ようやく急患センターに足を踏み入れると……なんと、そこには驚くほど大勢の人々が! 実はこのとき、コロナ禍真っ只中。検査を受けにきたであろう人々で待合室がごった返していたのです。 コロナ禍であったことに加え、この日は祝日で他の病院が開いていない状況でもあり、周辺地域に住んでいる人たちが、みんなこぞって急患センターにきたのかもしれませんね。今のにしこさんは歩くだけでもつらい状況のため、もちろん他の患者さんの緊急度にもよりますが、できるだけ早めに診察をしてもらって、痛みを和らげる処置をしてもらえるよう願うばかりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター にしこ
2024年04月09日ある日、2歳の娘がいつもお風呂に持ち込んで遊んでいるおもちゃの内側を見ると、なんとそこには黒いカビが! 娘はおもちゃを口に入れて遊ぶこともあったので、私はぞっとしました。おもちゃにカビが生えたまま遊ばせていたことに対し、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいに。反省した私はあるカビ対策を試みました。 お風呂用のおもちゃにカビが!2歳の娘は、お風呂に入りながらおもちゃで遊ぶのが大好き。いつものように私と娘が一緒にお風呂に入り、プラスチックのじょうろやソフビ人形で遊んでいたときのことです。何気なくじょうろの内側を見ると、底のほうに黒いカビが! 恐る恐るソフビ人形の下側を触ってみるとヌルヌルしており、よく見ると細かい溝や内側にもカビが生えていました。娘はじょうろに入れた水を口に含んだり、ソフビ人形を口に入れたりすることも。お風呂から出ると必ず浴室乾燥機をまわしていたのでカビが生えることはないだろうと思っていましたが、私の考えが甘かったようです。 まずはカビの除去! しかし…カビだらけになってしまったお風呂用のおもちゃ。まずはカビ取り剤を使い、おもちゃに生えたカビを除去しました。念のため、さらに食器用洗剤できれいに洗ってから、晴れた日にベランダでよく乾かすことに。 これでじょうろはきれいになりました。しかし、ソフビ人形の内側に生えたカビはなかなか取り除くことができません。衛生面を考え、ソフビ人形は仕方なく捨てることに。 うまくいった2つのカビ対策それからはお風呂用のおもちゃにカビが生えるのを防ぐため、私は2つのことを心掛けています。1つ目は、おもちゃをお風呂場に置きっぱなしにしないこと。お風呂用のおもちゃで遊んだあとは、洗濯ネットに入れ、風通しの良い窓際に吊るして干すようにしています。おもちゃ同士がくっつかないよう、できるだけ小分けにして洗濯ネットに入れることもポイント。 2つ目は、お風呂ではボールなど表面がつるつるしたおもちゃで遊ばせること。表面に細かい溝がある複雑な形や、内側に水分が溜まりやすいおもちゃはカビが生える可能性が。この2点を気を付けるようにしてからは、お風呂用のおもちゃにカビが生えることはなくなりました。 おもちゃなど、食べ物以外の物を口に入れてしまうこともまだまだ多い2歳児。カビの生えたおもちゃを平気で口に入れて遊ぶ娘を見て、子どもが使う物は特に、保護者が衛生面に気を付けなければならないと深く反省しました。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラストレーター/まっふ著者:武田 ゆうか2歳女児の母。1987年生まれのミレニアル世代。小さいころから本と歌が好き。就職活動に失敗し、それまで無縁だったIT業界で社会人生活をスタート。20代で結婚し、子どもを授かるも、夫のモラハラに苦しんでいる。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月09日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。義母が、珍しくおやつを食べてから夕飯の時間まで昼寝をしていた日。夕飯を届けに行くと「朝から刺身ってどういうこと?」と聞かれ、さらに目の前にいる孫の姿を見て「まだ学校に行かなくていいの?」と……。昼寝をしたことで体内時計が狂ってしまったのか、昼夜の区別がついていない模様。今は夜だと説明しても、イマイチ納得がいかない様子の義母。一時的なものであれば笑い話で済みますが、まる子さんは少し心配になってしまいました。とんでもないものを発見!お昼ごはんのラーメンを用意していたところ、メニューが気になったようで、リビングにやってきた義母。そこで「さっぱりとパンが食べたい」と言われますが、あいにくパンは買っておらず用意ができないと伝えると「じゃあ、レトルトカレーを食べる」と言いだし、さっぱり食べたいはずでは……?? と困惑してしまいます。その後も、難解な要求は続き、そんなところで日本語の難しさに改めて気付かされました。いつも通り、難解すぎる指示に困惑。これくらいは自分でできると思うのですが……?シャワーを浴びている間に義母の部屋に入ると、とんでもないにおい!ひとまず消臭スプレーをまき散らしました。シャワーが終わったようなので迎えに行くと、義母はモヤの中から登場……!その昔、息子がお風呂の換気扇を回して怒られたことを思い出しました。さすがに換気扇を回したほうがいいと思うのですが。そして、部屋同じ悪臭が義母の体から漂っていることに気付きました。悪臭の原因と、その後すぐに対面することに……。義母専用の椅子の足元で見つけたのは……これは間違いなく、アレ!見なかったことにはできず……。悪臭と戦いながら、すぐにお風呂場と洗面所を換気!それはそれは念入りに掃除をしたのでした。洗面所で頭を洗うと言って部屋を出た義母でしたが、いざ洗面所に到着すると気が変わったようで、お風呂でシャワーを浴びることに。その間に洗濯物を取り込もうと義母の部屋に入ると、ものすごい悪臭が漂っていました。お風呂に入っていないから? と思いながら、消臭スプレーでひとまず対応。すると、義母からシャワーを終えたと声がかかったので、お風呂場に向かったところ、洗面所一面に広がるモヤの中から義母が登場。義母いわく、脱衣所はドアを閉めて湯気をためておくのが常識なのだとか……。そこで私は、あることに気付きました。お風呂上がりなのに、義母の周りには部屋と同じ悪臭が漂っています。義母が部屋に向かったのを確認してから、お風呂場と洗面所の窓を全開にして換気をしたところ、そこに置いてある義母専用の椅子の足元に、茶色い物体を発見……! においからして、排泄物と考えて間違いなさそうです。しかも、おそらく「本体」は他にありそう……。義母が当初の予定を変更してシャワーを浴びたのは、もしかしてトイレが間に合わなかったから? デリケートな問題なので、このことは私の中にとどめておくことにして、とにかくお風呂場と洗面所を入念に掃除しました。--------------悪臭の原因がわかってよかったような、知りたくなかったような……少し複雑ですね。でも、床にモノが落ちていたのならば、遅かれ早かれ誰かが気付くことになると思うので、他の人が見つけて大騒ぎになるよりはよかったのかもしれません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年04月09日私はパートナーとの行為自体の相性よりも、そのときに感じるにおいがとても大切だと思っています。これは私がとても好きだった彼とのセックスを巡るエピソードです。私の譲れないポイント私は、セックスをする際にどうしても譲れないことがあります。それはにおいと雰囲気です。もちろん体の相性や気持ちの良さもとても大切だと思うのですが、目を閉じていても感じるものを大切にしたいって思ってしまいます。かといって、「こんなにおいじゃないとダメ」というようなこだわりがあるわけではありません。集中できるような香りであれば問題ないのですが、当時の彼にはそこに問題があったのでした。どうしても受け入れられない…当時お付き合いしていた彼は、いわゆるセックス自体の行為はとてもじょうずでした。慣れているというよりも、私に合わせてしてくれるとても思いやりのある彼だったのです。しかし、私は彼の口臭がどうしても気になってしまったのです。私はお酒もあまり飲めないですし、たばこも吸いません。かといって、相手からお酒やたばこのにおいがすることに嫌悪感を抱くこともありません。それは好みの問題ですし、お互いが妥協するべきポイントとは思えないからです。しかし、彼の口臭はお酒ともたばことも違う、独特のものでした。言葉を選びますが、いわゆる「ドブのようなにおい」だったのです。そしてさらに問題だったのが、彼自身がその口臭に気付いていなかったことです。どうしても伝えられずに彼のことが大好きだったからこそ伝えてあげたかったのですが、何も気付いていない彼にそんなことを言うのはとても酷で、なかなか言いだせませんでした。行為をするたびに甘いキスをしてくれる彼ですが、その気持ち良さよりも先に口臭のキツさが上回ってしまうのです。彼との口臭との格闘から始まる行為。それに耐えてる顔が、彼から見たら絶頂に耐えているかの顔にも見えたのかもしれません。そのときの彼とは別の理由でお別れをしましたが、お別れをするまで彼にはそのことを伝えることはできませんでした。彼自身のことは大好きだったので、嫌な思い出ではないです。まとめ私は彼のことが本当に大好きでした。「だったら伝えるべきではないか」という考え方もあると思いますが、彼の傷つく顔を見ることがつらかったので私には伝えることができず、我慢するほうを選びました。好き同士だからこそ行為に伴う問題は生まれると思いますが、これからも良い恋愛をしていきたいと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/土井らんイラスト/サトウユカ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月09日私は自営業をしている24歳です。大学を卒業したあと、両親が経営しているお店を継ぎました。少しずつ仕事に慣れてきたころ、いろいろあって合コンに参加することに。すると、参加者の1人である高校時代の同級生が、出身大学で私をばかにしてきて……。 親友からの頼みで合コンに参加することに私は現在24歳で、大学を卒業したあとに両親が経営しているお店を引き継ぎました。最近では経営にも詳しくなってきて、両親から「もうひとりでも大丈夫だね」と言ってもらえるように。経営者としてこれからお店をどう運営していくか、仕事と真剣に向き合っているところです。 そんなある日、高校時代の親友から電話があり、「お願い! 一緒に合コンに参加して!」と誘われました。メンバーは男女3対3らしく、女性が急きょ1人来れなくなってしまったそう。あまり合コンに興味がなかったので断ろうとしたのですが、親友の頼みを無下にできず、しぶしぶ参加することにしました。 私と親友に加え、もう1人の女性参加者は高校の同級生Yです。高校時代、Yとは特に親しかったわけでもなく、むしろいい噂を聞かないタイプの女子でした。 合コン当日、同級生と久々の再会不安を抱えつつも合コン当日を迎えると、会場である居酒屋にはすでに同級生Y以外の5人が揃っていました。同級生Yからは「少しだけ遅れる」との連絡があったので、先に始めることに。ちなみに相手の男性はなんと3人ともイケメン! 加えて、とても気さくな人たちで、私はすっかり合コンを楽しんでいました。 すると、しばらくして「遅れちゃってごめんなさーい♡Yです!」と同級生Yが到着。彼女は、派手なメイクに露出度の高い服装、それからクネクネとした動きで「今日が楽しみすぎて準備に時間かかっちゃいましたあ♡」と、男性陣にさっそくアピールを始めます。男性陣は「これはめんどくさそうだ……」という反応です。 同級生Yの登場に、私は「今日の合コンではあまり彼女を刺激せずにやり過ごそう」と考えたのですが……。同級生Yは男性たちに言い寄るだけでなく、私にも厄介な絡み方をしてきたのです。 出身大学で差別してくる同級生Yニヤニヤと笑いながら同級生Yは「Fランの大学に行ったってほんと?」と、私を明らかに見下して聞いてきました。「そうだけど……」と答えると、Yは勝ち誇った表情で「私はAラン大卒なのよ。あなたとは格が違うわ」と、さらにニヤッと嫌な笑みを向けてきます。 同級生Yは、男性たちの前でもお構いなく「聞いてくださいよ! この子、Fラン大卒なんですよ? どう思います?」と私をばかにします。しかし、男性たちは「大学なんてどこだって関係ないよ。それよりもどう生きるかのほうが重要でしょ?」と同調しません。それもそのはずです。同級生Yが来る前に私たちは自己紹介を済ませたのですが、男性たちはみんなFラン大を卒業し、努力して経営者になったという経歴を持っているのです。 私は「学歴の話はもういいでしょ?」と同級生Yを止めようとしますが、彼女の口撃はひどくなるばかり。「人の価値は出身大学で決まるでしょう? Fラン大学の底辺からスタートしたら、その後どう頑張ったって人生は取り返せないのよ!」と、あまりにひどい発言が飛び出します。 その言葉のあと、1人の男性がおもむろに口を開きました。 反撃開始!同級生Yに事実を突きつけた結果…男性は、「そっか〜。じゃあさ、Fラン大卒の男も願い下げってこと?」と同級生Yに質問します。すると、話しかけられたのがうれしかったのか、彼女は流暢に話し始めました。 「当たり前じゃないですかぁ。女ならまだ頭が悪くてもかわいげがあるけど、頭の悪い男なんて無理に決まってるわ!」「Fラン大卒の男と付き合う……ましてや結婚なんてありえないでしょ!」「Fラン大卒の男と結婚するくらいなら、一生独身でいるほうがマシよ!」 と言い放った同級生Y。 ここまで言ってしまったら、もう救いようがありません。男性たちは、同級生Yに「それなら早く帰ったほうがいいよ。俺たちみんなFラン大卒だからさ」と伝えました。 同級生Yは「そんな!? ご、ごめんなさい……」と言いつつも、私たちに「どうして教えてくれなかったのよ!?」という視線を向けてきます。 そんな同級生Yに助けの手を差し出すわけもなく、私たちは何もなかったように合コンを再開。蚊帳の外にされた同級生Yは気分を悪くしたのか、「バンッ!」とテーブルを叩いて立ち上がり、「もう帰る!」と出て行こうとしました。すると、1人の男性が彼女を引き止めて「お金だけ払ってね」と声をかけます。その後、彼女は財布からお金を取り出してテーブルに叩きつけ、すごい形相で帰っていきました。 同級生Yが抜けたあと、合コンはとても盛り上がりました。しぶしぶ参加した合コンでしたが、来てよかったと思えるいい出会いでした! 後日談チヤホヤされるのが好きな同級生Yはその後、ホストにハマってしまったらしく、常にお金に困っていると聞きました。一方で、合コンで出会った男性たちと私たちは、よく連絡を取り合うように。親友は合コンに参加していた1人の男性とお付き合いを始めたようです。私は男性たちと経営の話をして、切磋琢磨し合う同志となりました。これからも価値観の合う人たちと楽しく過ごしていけたらいいなと思っています。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日もうすぐ3歳になる長男と、生後10カ月の次男を育てている私。週に1度、地域の子育てサークルに参加しているのですが、最近サークルに行くたびに長男に変化が! 今までは男女の区別なくみんなと遊んでいた長男が、サークルに女の子がいると、くっついて女の子の傍から離れようとしません。私は「男の子はみんなこうなの?」と心配し始めたころ、ママ友の言葉で気持ちがラクになれたのです。 長男の変化最近の長男は、サークルに行くと男の子にはあまり興味がなく、女の子へおもちゃを渡したり、頭をなでたり、隣に座ってお絵描きしたりするようになりました。女の子が長男の行動を嫌がると、長男は無理強いすることなく身を引いて別のおもちゃで遊びます。 また、まだ0歳の赤ちゃんを抱いているママにも近づきたがり、側に座ろうとするのです。成長するにつれて、そのような行動が目立つようになってきました。戸惑う私最初のころは「心の成長だ!」と見守っていた私。しかし、家にいるときは女の子が写っている広告や絵本をじーっと眺めていたり、私がお風呂に入るときは私の裸を観察していたりする長男の姿を見て、私は「思春期なのかな? でも早すぎない?」と少し不安を抱くように。 長男に「女の子が気になるの?」と聞くと、言葉を理解しているようで照れ笑いをします。そんな長男はかわいらしいのですが、ときどきどう対応していいか迷うこともあるのです。 ママ友の言葉に安心ある日サークルへ行くと、女の子が10人ほど集まっていました。そこへ来たママ友が2歳の息子に「女の子ばっかり! よかったね!」と声をかけていたのです! そのママ友は3男児を育てていて、同じ兄弟育児ということで私は彼女から教えてもらうこともあります。 そのママ友は、「先週は従弟の娘が自宅へ遊びに来てて、その子に付いていってばっかりだった。男の子ね」と言っていました。長男の様子にも「男兄弟の家庭は、今の年齢普通の行動よ」と話してくれて私は少し安心できました。 3歳に近づくにつれ、急に女の子や大人の女性の容姿に興味を持ちだした長男。女姉妹で育ち、初めての育児でその長男の変化に迷うこともありました。しかし、ママ友が言うように「自然なこと」「成長している証」と理解することで不安な気持ちがなくなり、今後は危険な行為があれば注意しながら長男の成長を見守っていこうと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 作画/山口がたこ著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月08日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。ある日、義母の部屋を訪ねたまる子さんは、暑いくらいに暖房がかかっていることに気付きました。念のため義母に寒いのかと確認したのですが、「部屋が25℃あるから」と言われ困惑してしまいます。そして最終的には「じゃあ何度にすればいいの!」と理不尽に怒られる始末……。夫はそんな義母に「怒らせ名人」とあだ名を付けていて、なんとも的確な表現に、まる子さんも思わず納得してしまうのでした。日本語って難しい…義母が、おやつを食べてから夕飯の時間まで珍しく昼寝をしていた日のこと。夕飯を届けに行くと「朝から刺身ってどういうこと?」と聞かれました。そして、目の前にいる孫の姿を見て「まだ学校に行かなくていいの?」と……。どうやら、昼寝をしたことで体内時計が狂ってしまったらしく、昼夜が逆転してる模様。笑い話で済むよう、1日だけの症状であることを願うまる子さんでした……。パンはさっぱり……?以前、こんなことを言われたため、パンの用意はしていないと伝えると……。「たまに」がいつ来るかなんてわからないのに……!さっぱりって言ってませんでしたっけ??なんでそうなります??と、結局のところ当初の予定通りラーメンを食べてもらうことになりました。呼び出しはいつも突然です。微妙なイントネーションの違いを聞き分けて準備をする必要がある、かなり難解な指示……。いやいや、わからないですって……。お昼ごはんはラーメンにしようと思い、用意をしていたところ、義母がリビングにやってきました。「さっぱりとパンが食べたい」そうで、メニューを確認したいとのこと。あいにくパンは買っていないと言うと、怒りながら「じゃあ、レトルトカレーを食べる」と言いました。……さっぱりと食べたいのでは?? と聞き返したいところをグっとこらえました。結局、すでに用意を始めていたこともあってラーメンを食べてもらいましたが、食事のメニューは任せてほしいというのが正直なところ。お昼は、種類を変えながら麺類で回せるようになると、私の負担もずいぶん軽減されるのですが……。そして同じ日。今度は洗面所でシャンプーをしてほしいと、義母からお呼び出し。着替えもしたいと言い、なんだか暗号のような指示が飛んできますが、義母が何のことを指しているのかすぐに理解できず、日本語の難しさを痛感してしまうのでした。--------------日本語は、同じ響きでも発音によって違うものを差していたり、人によって呼び方が違っていたりすることもあるので、ちゃんと確認しておかないと意図しない結果を招くこともありますよね。でも、「さっぱり」と言われてパンやカレーが思いつくのは、少数派かもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年04月08日株式会社労働教育センター(所在地:東京都千代田区・代表取締役:南 千佳子)は、カレンダーで人気の『ナーゴの猫たち』が、1冊の本になった『ネコ町ナーゴの猫だより』を2024年4月上旬より全国の書店、Amazonなどのネットショップで販売開始いたします。モーリーあざみ野が、愛するネコ町ナーゴで猫と話して入手した(らしい)ほっこりする38のエピソードを掲載した1冊になっています。『ネコ町ナーゴの猫だより』表紙■ネコ町ナーゴとは地中海に浮かぶ、猫が丸くなったような形をした小さな島「ナーゴ」。ここではたくさんの魅力的な猫ちゃんたちが、猫を愛する人びとと共に平和に暮らしているのです。ナーゴワールドに引き込まれて、会いに行きたくなるナーゴの猫たち。■『ネコ町ナーゴの猫だより』商品概要著者 : モーリーあざみ野&バースデイサイズ : A5判ページ数 : 96ページ製本 : 並製(糸かがり製本)価格 : 2,530円(税込)生産エリア: 日本販売ルート: 全国の書店、インターネットショップ、他発売 : 2024年4月上旬発売元 : 株式会社労働教育センター詳細 : ※最新の情報・詳細は商品ページをご確認ください。【会社概要】商号 : 株式会社労働教育センター代表者 : 代表取締役 南 千佳子所在地 : 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-2-34 千代田三信ビル5F設立 : 1972年事業内容: カレンダー出版、労働・教育・ジェンダー関連他の書籍出版資本金 : 1,000万円URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年04月08日排卵痛があった日の夜、彼氏のうみくんとの営み中に激痛を感じたにしこさん。慌てて中断しおとなしく就寝したのですが、翌朝になってもまだ下腹部が激しく痛みます。あまりの緊急事態に仕事は休むことにして、近くの急患センターで診てもらうことにしたのですが……。 ようやく車に乗れたと思ったら…!?急患センターに向かうため、アパートの近くにつけてあるうみくんの車まで移動することになったにしこさん。しかし、歩くたびに振動で下腹部がズキズキと痛みます。近所のおじいさんからじーっと見つめられながらも、ヨロヨロとした足取りでなんとかアパートの階段を下りて、うみくんの車までたどり着いたのですが……? ※作中ではシートベルトを省略しています。 なんとかアパートの階段を自力で下り、うみくんの車に乗り込むことに成功したにしこさん。うみくんの「じゃあ出発するね」の声で、2人は急患センターへと車を走らせます。 するとここで、またしてもにしこさんに災難が。座っているほうが痛みがラクだと感じ、体勢を変えたにしこさんでしたが……走行中の車の振動によって常に下腹部がズキズキと痛み、さらには道路の段差で車体がガタンと揺れたとき、耐えられないほどの激痛に襲われてしまったのです。 にしこさんが感じていた痛みを想像すると、こちらまで「ヒイッ」と声をあげてしまいそうです。あともう少しの我慢だから頑張って……と、心から声援を送りたくなりますね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター にしこ
2024年04月07日認知症の義母は、夕方になると、不安からか表情が険しくなったり同じ言動を繰り返したりして手がつけられなくなります。しかし童謡を流して一緒に歌ってみたところ、気分転換になったようで表情が明るくなりました。音楽の効果で認知症の症状も落ち着いたようだったので、今回はそのときのことをお話しします。認知症の症状がどんどん悪化5年前に脳梗塞(のうこうそく)で倒れて後遺症として半身まひが残り、車椅子生活となった義母。家の中で歩くことはできませんが、立たせてあげればトイレで用を足すことができますし、手は使えるので食事も目の前に出してあげれば自分で食べることができます。介護サービスを利用しながら何とか自宅で介護を続けているのですが、ここのところ年々認知症の症状がひどくなってきました。原因は、脳梗塞のせいもあると思いますが、年齢が90歳を超えたこともあるのだと思います。同じことを何回も聞いてきたり、ごはんを食べたのに「食べていない」と言ったりするのは日常茶飯事。こちらが返事をしなかったりきつく言ったりすると、物を投げたり心ない言葉を吐いたり、人格が変わってしまうときすらあります。ケアマネジャーさんに相談するまだ朝のうちは機嫌が良いのですが、夕方になると症状が出てきます。家にいるのに「早く家に帰りたい」と言い始めたり、「自分の生活はやっていけるのか」と不安に襲われたような表情でいろいろなことを言い始めるのです。「ここは自分の家だよ」と説明しても、「家じゃない、早く帰ろう」と言って私の言うことを全然聞いてくれません。認知症の義母のことをケアマネジャーさんに相談したところ、夕方になると症状が出る人は多く、「夕暮れ症候群」というのだそうです。「そういうときは声を荒げてはいけません。高齢者の方のお話を聞いてあげて、うなずいてあげるのが良いですよ」「気分を変えることをすると良いでしょう。例えば音楽を流したり歌を歌ったりしてみるのがおすすめです」とのことでした。音楽療法を試してみた結果早速ある日の夕方、不安そうな表情で同じことを言い始めたので、YouTubeで童謡を探して流してみました。最初は何だろうという顔をしていましたが、テンポの良い音楽が流れてきて、聞き覚えのある歌になったところで表情が一変し、明るい笑顔でその歌を一緒に歌い始めたのです。それがきっかけとなり、その後は不安な表情も消えて同じことを言わなくなりました。その後夕飯を食べておなかもいっぱいになると、すっかり落ち着いたいつもの義母に戻っていました。まとめ年々義母の認知症の症状がひどくなってきて困っていましたが、ケアマネジャーさんに相談したところ音楽療法をすすめられました。早速試してみると、不安そうな表情が一変して明るくなり、義母の気分が落ち着きました。これからも、症状がひどくなったときは声を荒げるのではなく、話を聞いてあげたり、音楽で気分転換を図ったりして、明るい自宅介護生活をしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。イラスト/sawawaウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ラベンダーミント(57歳)子育てを終え、今は義母の介護と仕事に忙しい毎日を送る主婦。日々の楽しみは、おいしいものや体に良いものを見つけてお取り寄せしたり、趣味の手芸でかわいいものを手作りすることにはまっている。
2024年04月07日昔からファッションには無頓着だった私。高校までは制服があり、それほど私服に気をつかう必要がなかったのですが、大学進学をきっかけに状況が変わってしまい……。高校生まではラクな服装ばかり小学生のころは、皆が着ているはやりのものをマネして周囲から浮かないようにしていました。中学校、高校はすべて制服があり、私服に気をつかわずに済みました。休みの日は家で過ごすことが好きで、友だちと遊びに行く機会もだんだんなくなり、家の中でラクな格好ばかりしていました。大学進学でおしゃれが必要に大学に進学すると、周りはおしゃれでキラキラした学生ばかり。急におしゃれに目覚めなければならない状況になりました。そこで、かわいいスカートからかっこいいスキニーパンツ、それに合わせるトップスなども慌てて買いそろえました。似合っているかもわからず洋服を選択それらの服が似合っているのか正しいおしゃれなのか、もはやわからずに着ていました。ですが、時すでに遅し。よくわからないまま洋服を選んでいた結果、おしゃれに失敗したくない気持ちもあり無難で目立たない服を着るように。地味な色のパーカーとパンツを組み合わせる日々になってしまいました。ファッションが地味だと行動も地味にファッションが地味になった私は、行動も地味になっていきました。キラキラしたキャンパスライフを送りたいと思っていましたが、そのためにはおしゃれも必要だったということに後から気付きました。まとめ大学進学をきっかけに、必要に迫られ始めたおしゃれ。ただよくわからずに服選びをしていたことで、無難な服に落ち着き、行動も地味なものに。結局、ラクだから、無難だからというだけで服を選んでいてはキラキラした生活は送れないことに気付きました。無理におしゃれをする必要はないですが、もっと自分に合ったおしゃれをすることが大事なんだと学んだ出来事でした。(30代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月07日「ここからですね、人生がおかしくなったのは……うふふふ」チャーミングな笑顔とともに、アメリカ・シリコンバレーでの出来事を振り返る一人の女性。パソコンやスマホなどデジタル機器を使いこなし、政府主催の会議や地方での講演を精力的にこなす。その様子は、今時のキャリア女性そのものだが、彼女の年齢が88歳だなんて、信じられますか?「メールだと、飛行機に乗っているとき以外ならいつでもお返事できますから、メールで連絡をやり取りしましょう」昨年11月、取材日程の打ち合わせで、若宮正子さん(88)はこう話した。「ただひとつ問題がありまして、ものすごくスケジュールが……」と、iPhoneで、Googleカレンダーをひらく。12日 新潟県上越市、13日 福島県白河市、14~15日 北海道函館市、16日 徳島県阿南市、17~18日 岡山県岡山市、19~20日 大阪府大阪市、21日 神奈川県藤沢市、22日 秋田県秋田市、23日 滋賀県大津市、24日 滋賀県米原市……。休日はおろか、移動日もないほどカレンダーは講演やイベントの予定で埋め尽くされていた。「スマホのカレンダーをパソコンと同期させて、出先でもわかるようにしているのですが、まあ、ほとんど全部、ふさがっておりまして、果たしてこれで時間がとれるかどうか」昨年米寿を迎えた若宮さんだが、81歳のときにゲームアプリを開発したことで人生が激変。全国の自治体の講演会に引っ張りだことなり、政府の「デジタル田園都市国家構想実現会議」に有識者として参加、さらにはデジタル庁の仕事を手伝うなど、多忙を極めている。これらのスケジュール管理、新幹線や飛行機のチケットや宿の手配、講演会場までの移動は、すべて若宮さんが一人でやっている。「ワンオペのほうが気軽ですよ。この前は、鳥取で講演が終わって、翌日の富山県氷見市の講演の準備のため地元の神奈川県藤沢市に帰ろうと思ったのですが、突然空港が閉鎖に。講演会をキャンセルするわけにはいきませんから、ネットで調べてすぐにJRの駅までタクシーで移動。伯備線の最終電車で岡山まで行って、そこから新幹線で大阪まで。そこで宿泊して、翌朝の特急サンダーバードに乗れば氷見まで行けることがわかったんです。私、鉄オタでもあるんですよ(笑)」いたずらっぽくほほ笑んだ。■高校を卒業して就職した銀行では仕事ができない“お荷物”行員だった昭和10年、東京都杉並区生まれ。昭和29年に高校を卒業して就職したのが三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)だった。「私は空気が読めない、というか、空気を読まないダメ行員でしたね」そもそも女性の求人が少なかった時代、当時花形だったデパートの初任給が7千900円、それに対して三菱銀行は8千200円だった。どうせなら月給が高いほうがいいという理由で銀行を選んだ。「当時の銀行の業務は、機械化もコンピューター化もされていなくてすべて手作業。計算はそろばん、お札は指で数え、お客さんの通帳に名前を書くときは、インクとペン……。江戸時代とほとんど変わりません。私は生まれつき右手があまり動かないこともあって仕事が遅かった。『まだ終わらないのか』と先輩から叱られることも多く、落ち込む日々。まあ、よく辞めさせられないで済みましたね」自らを“お荷物”だったと話す若宮さんだが、時代が味方する。まず、銀行に電動計算機が導入され、そろばんを使わなくても計算ができるようになった。さらに紙幣計算機が入ってきて、指で紙幣を数える必要もなくなった。銀行はどんどん機械化が進んだ。さらに……。「コンピューターが初めて銀行に来たときのことはよく覚えています。大切な機械だから壊しては大変だと、コンピューター室に入るときにはスリッパに履き替えさせられました。機械に触るのは、専門の人だけ。私たちは遠巻きに“なんだかすごい機械らしい”と話していました。でも、計算もお札を数えるのも、人間に代わって機械がやってくれるようになって、私はようやく“お荷物”行員じゃなくなったんです」彼女が働いていたのは高度経済成長期の真っただ中。女性は数年勤めたら寿退社するのが一般的。夫は外で働き、妻は家庭を守ることが当たり前だった。「お付き合いした人もいましたが、私は結婚を選択しませんでした。30代、40代になっても結婚しないなんて、という風潮もまったく気になりませんでした。人さまに迷惑をかけているわけでもないし、法を犯しているわけでもない。空気を読まなければいいんです」新商品や業務改善策などを本部に企画提案していたら企画開発部に異動になった。「私は、小さいときからひらめくことが多いので、企画の仕事は合っていたのかもしれません。自動振替サービスの開発など新しいアイデアが次々と浮かびました。不器用さに落ち込んでいた新人時代がうそのように」男女雇用機会均等法が施行された昭和61年には、同行で初の女性管理職に。そんな彼女にはもう一つ“空気を読まない”エピソードがある。「銀行員だったころの楽しみのひとつが海外旅行。当時は有給休暇を使い切る人は珍しかったのですが、私は有給休暇をばっちり取って、ひとり気ままな旅をしていました。その分、仕事をしているときは、人を自分と比べることも、他人のことを気にかける暇も惜しんで仕事にのめり込んでいましたけどね。そんな私を周囲は面白がってくれたのでしょう」若宮さんは、定年の60歳まで銀行を勤め上げ、さらに子会社で嘱託社員として62歳まで働いた。■私は“不良”介護人だから、母の介護で家にこもっている間にパソコンにはまった退職する数年前、当時90歳近かった母・鶯子枝さんに認知症の症状があらわれ始めた。父を早くに亡くした若宮さんはずっと母とふたり暮らしだった。「いつもの通勤電車が事故で遅れたので、『2時間ぐらい帰りが遅くなる』と母に電話を入れました。でも、家に着くと母がいない。近所を捜しまわっても見つからない。困り果てて警察に駆け込むと、母は自宅から4キロ離れた場所で保護されていました。『娘が死んじゃった』と泣いていたそうです。退職したらなるべく家にいないといけないなと思いました」彼女には、2人の兄がいるが、結婚して独立していた。重くのしかかる母親の介護……。さらに話を続けてもらおうとすると、若宮さんは「ほらほら」とこう続けた。「取材する人は『さぞ大変だったでしょう』と、介護を美談として聞こうとするんですよ。とくに婦人雑誌の人は、苦労したに違いないとしつこいけど、そんなに困ったことは本当に思い出せないんです。たしかに母は、もの忘れがひどかったけど、前日と同じおかずを出しても、毎回おいしいと食べてくれるから助かりました。忘れるっていい面もあるんですよ。それに私は“不良”介護人ですから、おやつを忘れることなんかしょっちゅう。1週間ぐらい母を預かってくれるショートステイを利用して、海外旅行にも行っていました。そのころだって『親を置いて旅行に行くなんて』と言う人がいたけど、そんなことに耳は貸しません。それでも母は100歳まで生きたのだからよかったんじゃない」自宅にこもって母親の面倒をみることで社会とのつながりが減る人は少なくないが、その不安を解消してくれたのがパソコンだった。「私がパソコンを買ったのは平成5年(’93年)だから、誰にでも扱いやすい『Windows95』が発売される前だったので、パソコンを持っている人はごく一部。でも、いろいろな人とコミュニケーションがとれるというのが魅力で。家に閉じこもってしまい、人と自由に会えなくなるのが不安だったんです」周辺機器を含めると40万円ほど。衝動買いだった。「私の周りには『それだけのお金があったら桐のたんすに上等な着物が買えるのに』と言う人もいましたが、もちろん取り合いません。とはいえ、パソコンなんて会社でも触ったことがなかったから、使えるようになるまで3カ月ほどかかりました。そして、パソコン通信のシニアコミュニティ『エフメロウ』に入会しました」母の介護のかたわら、シニア向けのコミュニティでデジタルの知識を身につけた。若宮さんいわく「聞けばなんでも教えてくれるインターネットの老人会」だったとか。俳句や都々逸といったアナログな趣味も広がった。そして、このエフメロウはインターネットの普及とともに「メロウ?楽部」と名前を変え、その立ち上げに若宮さんも関わることに。今では、新しい仲間に、デジタルを楽しく遊んでもらうための手伝いをしている。「たとえば表計算ソフトのエクセルについて、普通シニア向けの講座では家計簿や血圧をグラフ化する方法を教えています。マニュアルや手順を覚えてもシニアにとってはちっとも楽しくありません。エクセルって、縦横に線が引いてあって四角い箱が並んでいるように見えますよね。ふと、そこに色を入れたら面白いんじゃないかと思ってエクセル・アートを試してみました。絵心のない私でも面白い文様ができるし、パソコンを使ってみようという気になれるはずです」当初は「(そんなものは)エクセルができない人がやるものだ」とバカにする声もあったが、なんと開発元のマイクロソフト社から「エクセルの新しい分野を開拓した」と絶賛されることに。そんなエクセル・アートでデザインしたドレスを着て、平成最後の秋の園遊会にも参加した。【後編】最高齢アプリ開発者・若宮正子さん(88歳)ティムクックにも直談判! 81歳からの超サクセスストーリーへ続く
2024年04月07日私たち夫婦は結婚して1年後、なかなか子どもができないことを不安に思い、婦人科に通うことしました。婦人科では最初のステップとして、排卵日に合わせてセックスする日を指定されます。最初はそれが窮屈でしたが、次第にセックスに対する意識が変わっていきました。なかなか子どもができない私たちは30代前半で結婚したため、子どもをすぐに望んでいましたが、なかなか授かることができませんでした。結婚してからセックスの頻度がかなり落ちたこともあり、仕方ない部分もあったと思います。でも、当初は自分たちで基礎体温を測ったり排卵検査薬で調べたりなど、セルフチェックをした上でセックスをしていたため、妊娠できないことを不安に思うようになりました。夫婦で相談した結果、子どもが欲しい気持ちは強く一致していたため、きちんと病院へ行き検査することにしました。タイミング法から始めることに病院では夫婦ともに検査をし、結果はそこまで悪くはなかったのですが、先生の勧めもあってそのまま治療に進むことになりました。年齢もまだ若いということで、まずはタイミング法から始めることに。私は病院に通い、より正確な排卵日を予測しながら、時には卵子の成長を促す注射や服薬をしながら治療を進めました。夫はというと、医師から指示された時期にセックスをする状況に慣れず、最初はモチベーションを保つのが難しかったようです。しかし、自分なりにテンションを上げる方法を覚えたのか、数回重ねるうちにうまくいくようになりました。そして、半年後に妊娠することができたのです。出産後もセックスに前向きに「不妊治療が、セックスすることに対してプレッシャーになることがある」という話は聞いたことがありましたが、私たち夫婦も最初はその状態だったかもしれません。それでも、夫が気持ちを入れ替え、強い意志で奮起してくれたことで乗り越えられた気がします。今では、妊活する前よりももっとセックスに対して積極的になり、2人目も……と考えることができています。私たちの場合、不妊治療を始めたことがきっかけで良い方向に向かえている気がします。まとめなかなか子どもができず不妊治療をすることになりましたが、逆にそれが良い効果となって出産後もセックスに対して前向きに捉えることができ、今でもセックスレスにならずに済んでいます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/山下まきえ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月06日個人差があるとはいえ「女性なら誰もが生理痛を感じている」と思っていた私。しかしある日、会社の同僚を飲み会に誘うと、「今日は生理2日目だけど生理痛はないし参加できるよ」と言われて……。生理痛について改めて考えさせられ、婦人科を受診するに至ったお話を紹介します。 隔月で生理痛に悩まされるように私が初潮を迎えたのは小学6年生のときでした。同級生の多くが小学6年生までには初潮を迎えていたと思います。私の場合、初潮からしばらくは生理周期が不安定で、高校生ぐらいになってようやく28日周期で安定してきました。 しかし、そのころから隔月で生理痛に悩まされるようになったのです。友だちにも「生理2〜3日目は経血量が多い」「腰やおなかが痛い」と言っている子がいたので、私は「誰もが生理痛に悩んでいる」と思い込んでいました。 生理痛がない人もいるの!?隔月の生理痛が当たり前になったころ、私は社会人になっていました。ある日、同期数人で飲み会を開くことになり、参加者に予定を聞いていると、同期の1人から「今日は生理日2日目だけど、生理痛とかないから参加できるよ」と言われたのです。 驚いた私は「生理痛がないの!?」と聞き返しました。するとその子は「全然ないよ。今まで鎮痛薬を飲んだこともないし」と続け、衝撃を受けたのを覚えています。 それまで、数々の友人たちから「今日は生理痛がひどくて」「痛くてなにもできなくなるから鎮痛薬を常備している」という話ばかり聞いていたので、生理痛のない人がいるとは思いもしませんでした。 婦人科を受診すると…?「生理中はおなかが痛いことが当たり前」だと思っていた私に、もう1つ衝撃的な出来事が起こりました。職場で受けた健康診断で、医師から「経血量も多くて鎮痛薬が欠かせないということなら、一度婦人科を受診したほうがいいかもしれません」と言われたのです。 そして後日、婦人科を受診した結果、子宮内膜症だと判明しました。私の場合、ひどい生理痛は子宮内膜症によるものだったのです。それからは婦人科を定期的に受診するようになり、治療を受けると生理痛も緩和されました。 同僚から生理痛にかんする話を聞いたり、健康診断を受けたりしたことで、自分の体の異変に気づくことができて本当によかったです。 生理について話題にするのは、人によっては抵抗があったり、なんとなく話しづらかったりするかもしれませんが、自分の体を知るためにも、他の人の話を聞くことも必要だと思いました。また、頭痛や腹痛などと同様に、体のどこかに痛みがある場合は、何かの危険信号かもしれない、と考えることも大切だと学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※生理中はアルコールを分解する力が低下しているので、アルコールがまわりやすくなります。また、経血が排出されることで貧血や脱水にもなりやすい状態です。その状態で、アルコールを摂取すると血中のアルコール濃度が上がって、頭痛やめまいなどを引きおこす恐れもあります。さらにアルコール摂取によって、血行が良くなり出血量が増えます。代謝が悪くむくみやすかったり、精神的に不安定になったりする時期でもあるので、飲み過ぎには注意しましょう。 著者/匿名 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モリナガアメ
2024年04月06日寝たきりの父親の介護が自宅では難しくなったため、父をしっかり見てくれる介護施設を探しました。なかなか一筋縄にはいかない問題があって苦労することも。そんな私の体験談を紹介します。施設を探そうと思ったきっかけ父はもともと膝関節炎を患っていて、歩くことが苦手でした。それでもトイレや風呂場に自分の力で歩いていくことができたのですが、あるときベッドから落ちて大腿骨転子部骨折(足の付け根部分の骨折)になってから自力で歩くことができなくなり、寝たきり状態になりました。トイレに行くときは私や母親が父を車椅子に乗せて連れて行っていましたが、間に合わなくて粗相することもありました。そのため、私は介護用おむつをすすめましたが、父は嫌がって決して着用してくれませんでした。そのうち父の認知症も進んできて、ベッドや床に糞尿が散見されるようになりました。ホームヘルパーさんが来てくれるときは、掃除をお願いしていましたが、タイミングが合わないときは私がその掃除をしていました。仕事で疲れて帰ってきては、父の糞尿を掃除することに精神的にきつくなってしまい、ケアマネジャーさんに相談して、とうとう介護施設を探す決心をしたのです。施設を見つけるのが大変施設の入居を検討するようになり、できるだけ近所の施設を希望していたので、電話で問い合わせて必死に調べましたが、地元の施設はどこも空きがない状態でした。そんなときネットで都道府県ごとに介護施設を紹介しているサイトを発見して、自分の希望条件を入力して検索した結果、数多くの施設があることが判明しました。そこから空き室がないか一つひとつ問い合わせたところ、2カ月後に空室が出る施設を発見しました。地元からちょっと離れたところにありましたが、ぜいたくは言ってられない状態だったので、早速私は話を聞きに行ってみました。すると、設備も整っていて料金も比較的安いことがわかり、ケアマネジャーさんとも相談して、その施設に入居を決めました。入居が決まってからも手続きが…入居を決めてからも、面談や審査などたくさんの手続きがあって大変でした。介護保険関係の書類を準備することはもちろん覚悟していましたが、説明会や面談などが施設でおこなわれるため、そのたびに仕事を休んで施設に赴いていました。施設を探すことも書類の手続きなどもとにかく時間がかかりましたが、父を施設に入れて、父自身安らかに日々を過ごすことができているようで、入居してよかったなと思います。まとめ親を施設に入れようと思っても、施設自体がどこもいっぱいで空き室がなかなか見つからず、空いていても手続きに時間がかかって大変でした。でも、自分たちではできない手厚い介護をしてくれるので、父の幸せのためならという気持ちで必死に探しました。良いところが見つかって今では良い思い出です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/定岡啓三ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月06日私にとって、パートナーとの性欲は重要な課題です。性欲の違いが原因で、パートナーとの関係に悩むこともありました。そんな私のお話です。彼の性欲との向き合い方パートナーの性欲が強い場合、その欲求に応えることが私にとって自然な選択肢でした。しかし、その一方で自身の体調や精神的な状態も考えなければなりません。時には疲れやストレスを感じていることもありますし、セックスに対する欲求が常に一致するわけではないからです。時にストレスに感じることも…彼の性欲が強いとき、私はストレスを感じることがたびたびありました。そこで思い切って彼にそのことを打ち明けることに。彼もその気持ちに応えようとしてくれ、今ではお互いにコミュニケーションを取りながら、2人にとって適切なバランスを見つけるようにしています。セックス頻度のバランスを取るには、お互いのニーズや状況を理解し合うことが重要だと感じました。また、一方が欲求を抑えることによって、他方の満足度が高まる場合もあるかもしれません。お互いを尊重すること私は最初は彼の性欲の強さに戸惑いましたが、お互いの理解と対話を重ねるうちに、セックス頻度の調整に関する解決策を見出すことができました。彼の欲求を満たすだけでなく、私自身の気持ちも尊重してもらいつつ、健全なパートナーシップを築いています。まとめ彼の性欲との向き合い方は、パートナーシップを築く上で重要な要素だと感じます。年齢を重ねるごとにさまざまな問題に直面することがあると思いますが、これからもパートナーと互いを尊重し、話し合いを重ねて乗り越えていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/まき子著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月06日私は薬を飲むことに抵抗があったため、生理痛がひどいときも、薬を飲まずに我慢していました。しかし、ある出来事をきっかけに、自分に合うタイプの薬を適切に服用することは自分の心身を大切にすることなのだと思うようになり……。 生理痛を我慢し続ける日々生理のときは毎回、下腹部が痛んで立っているのもやっとの状態になります。それでも仕事は休めないため、フラフラになりながらも生理痛を我慢して働いていました。痛み止めを飲めば少しはラクになると思うのですが、薬を飲むことそのものに抵抗があったため、飲まずに仕事をしていたのです。 そんなある日、生理痛がひどく会社で立ち上がれないほどつらくなってしまいました。仕事にならない私を見て、「早退して病院に行ったほうがいいんじゃない?」と職場の先輩にすすめられたため、その日は早退させてもらうことに。 医師の言葉に私は…婦人科を受診した私は、医師に生理痛がひどいことや、あまり薬は使いたくないことなどを打ち明けました。すると、医師から「痛みは我慢するものじゃないのよ。痛いままでは体だけでなく心もつらくなってしまうから、軽い痛み止めを使ってみませんか?」と言われたのです。確かに、体だけでなく気持ちまでつらくなっていたと衝撃をうけました。 医師が処方してくれた薬を飲んでみたところ、10段階あった痛みが7くらいになり、ずいぶんラクになりました。その後は医師と相談しながら、私に合う薬を処方してもらっています。おかげで、仕事中に生理痛で苦しむことも減り、痛みを我慢してもいいことはないのだと実感しました。 病院に行ったことで、痛み止めに対する抵抗感が大きく減った私。医師に相談し適切な薬を使うことは、自分の心身を守ることにつながるのだと感じた経験でした。薬だけでなく、体を温めることの大切さなど、生理中の生活方法もアドバイスしてもらえ、以前よりずっと快適に生理期間を過ごすことができています。 ※この記事は実話に基づいた体験談であり、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者/財田金子作画/まっふ 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2024年04月05日排卵痛があった日の夜、彼氏のうみくんとの営み中に激痛を感じたにしこさん。慌てて中断しおとなしく就寝したのですが、翌朝になってもまだ下腹部が激しく痛みます。その日はあいにくの祝日で病院がことごとく休診のため、うみくんの運転で近くの急患センターに向かうことにしたのですが……。 誰かの視線を感じる…!急患センターに向かうため、アパートの近くにつけてあるうみくんの車まで移動することになったにしこさん。しかし、リビングから玄関へ移動するだけでも、足を一歩踏み出すたびに下腹部がズキズキと痛みます。ようやく玄関から外に出たにしこさんですが、次に待ち受けていたのは階段という難所で……!? 段差を下りたときの振動で下腹部がギリギリギリーッと痛み、思わず悲鳴をあげてしまうにしこさん。うみくんは心配しながらも「がんばれ…気をつけてね…」と応援することしかできません。 するとそのとき、にしこさんは遠くのほうから誰かの視線が注がれていることに気づきます。こちらを見ていたのは近所に住むおじいさんで、にしこさんいわく「若い男女が階段でアタフタして何をやっているんだろう?」という視線だったそうです。 たしかに近所の人からすれば「何をやっているんだろう?」という疑問に加え、「大丈夫かな?」と心配な気持ちにもなりますよね。ちなみにこのとき、アパートの住民は誰も階段を通らなかったらしく、誰かから声をかけられることはなかったそうです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター にしこ
2024年04月05日BE:FIRSTのRYOKIこと三山凌輝のオフィシャルグッズストアが1日、X(Twitter)を更新し、カレンダーのSNS無断転載に関して注意喚起した。○ファンも互いに呼びかけ「気をつけよう」「教えてあげよう」公式アカウントは「【重要なお知らせ】いつも三山凌輝を応援いただき誠にありがとうございます」の書き出しから、「カレンダーの表紙以外の中面を写真撮影等を行なって、許諾なくSNSやブログ等に公開する行為は著作権、肖像権等を侵害する恐れがございます。ルールを守って応援いただきますようご協力お願い申し上げます」と三山のグッズを購入するファンに向けて、カレンダーの中身の無断転載を控えるよう求めた。同ストアでは、2月から「A3壁掛けリングカレンダー(14枚綴り)」「2Way 卓上リングカレンダー(13枚綴り)」の予約を開始(すでに販売終了)。3月27日には、「昨日より順次発送を開始致しました」「三山凌輝 本人にも見本が届きご満悦」と報告し、ファンに向けて「良い新年度をお迎え下さい」とメッセージを送っていた。こうした投稿を受け、ファンからは、「カレンダー買った人、気をつけようね」「大好きなアーティストだからファンが守ってあげたいよね」「載せている方いたら、消して下さいね」「カレンダーだけでなく、画像、映像、雑誌とか他の媒体でも気をつけようね」「推しを全世界に見せたくなっちゃうかもだけど、カレンダーの中身を撮ってSNSにあげるのはNGだからね」「優しく注意喚起してくれてありがとうだよ」「アーティストもファンも幸せでありますように。ルールを守って楽しもうね」「SNS初心者の人は知らず知らずに載せてないかな?そんな時はそーっと教えてあげよう」「やっぱりルールを守って楽しむのが一番楽しいし、ファンならルールは守るべきだよね」など共感の声が寄せられている。
2024年04月05日80歳目前で夫に先立たれ、独居生活となった祖母。昔ながらの近所付き合いが残っている地域で、数軒先の面倒見の良い方やヘルパーさん、隣の市に住んでいる母の力を借りて自宅で生活していたのですが、固定電話が元で大量の洗剤が届くというトラブルが起きました。固定電話があることによる弊害を防ぐために考えたのが携帯電話を持ってもらう、という方法でした。ですが、それによりまさかの事件が起こってしまい……。高齢者が新しい物に対応してくれるのか私の個人的な思い込みもありますが、お年寄りは新しい物に対する順応性が低いことが多いという特徴があるように感じます。これまでにも、家具・家電などを交換しようとするたびに「今使っている物がまだ使えるのに、新しくする必要はない」とか「新しい物は使い方がよくわからなくて嫌だ」という言葉を祖母からよく聞きました。例えば、祖母が随分長いこと使っていた電子レンジが壊れたときも、毎日使う物でないと不便だからという理由で買い替えることは了承したものの、ひとりで使えるようになるまでに結構な時間がかかっていました。機能の少ない一番シンプルな物を選んだのですが、以前使っていた商品に比べると、ボタンがたくさんあってどれを押せば良いかなかなか覚えられなかったり、最終的に「温め」以外の機能(トースターや解凍など)は一切使っていなかったりという状態でした。説明書を見てもよくわからなかったようで、他の人がいるときに何度も練習してやっと温め機能を覚えたのでした。そういうことがあったので、文明の利器とも言える携帯電話に祖母が慣れてくれるかどうか、私も非常に心配だったのです。携帯電話が電話だと認識するまでに時間が…最終的に高齢者用の携帯電話を使うことができるようになった祖母ですが、最初は携帯電話という存在自体がいまいちよくわからなかったようです。私や母が使っているスマートフォンを見せて「これで電話ができるのよ」という話をしても、なかなか理解してもらえませんでした。なので、1人が外に出て、もう1人が祖母のところにいる状態で電話をかけたり受けたりを何度か実演したところ、ようやく持ち運べる電話だと理解したようです。しかし、次の日になるとやはりまた忘れてしまって、最初から説明のやり直しということが続きました。その中で、スマートフォンはボタンもないし、見た目が電話とかけ離れ過ぎているのではないかということに思い当たりました。そこで、当時私の子どもが使っていた子ども用のキッズ携帯を持って行くことに。それはボタンが付いているタイプのキッズ携帯でした。祖母の家にあった固定電話とは随分違うボタンではありましたが、それであれば祖母は電話だとすぐに認識できました。なので、試しにしばらくそれを祖母に使ってみてもらうことになりました。夜半に鳴り響くアラーム音キッズ携帯には防犯アラームという機能が付いています。防犯ブザーと同様の機能で、ストラップを強く引くと警戒音が鳴り響くというもの。普段持ち歩いていても、何らかのきっかけでストラップを強く引いてしまうと警戒音が鳴ってしまいますが、鳴ったときはすぐにブザーの位置を元に戻せば止めることができます。その機能についても祖母に説明し、止める練習も何度もして簡単に止められるようになったのですっかり安心していたある夜、実家の電話が鳴りました。それは近所の方からで「祖母の家でずっとアラームが鳴っている。何かあったんじゃないか」というものでした。母は慌てて祖母宅に向かいましたが、到着までには時間がかかります。そのうち誰かが通報したのか、警察まで来る事態となってしまい、やむを得ず近所の方と共にドアを壊して入ってもらいました。結果としては、携帯電話がベッドから落ちた拍子に柵に引っかかって防犯ブザーが作動。祖母本人は鳴っていることはわかっているもののどこにあるのか見つけられずに困って座っていたという状態でした。結果的に何もなかったのでよかったのですが、キッズ携帯ならではの出来事が起こってしまったのでした。まとめ高齢者用の携帯電話には、防犯アラームの機能は付いていません。代わりにワンタッチで電話がかけられるボタンや固定電話に似たボタンがありました。なので、高齢者用の携帯電話のほうがすんなり使いこなせるようになったというオチがあります。とりあえず慣れさせるという意味でキッズ携帯を使ったのはよかったのですが、まさかの事態が起きてしまい、周囲の方々にも迷惑をかけてしまいました。結果的に、祖母も携帯電話が使えることを確認してから新しい契約を結ぶことができた点ではよかったものの、代償が大きかったです。高齢者に限らず、不測の事態への配慮は不可欠で「大丈夫」と気ラクに考え過ぎてもいけないなと反省しました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawaウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/おおさわ (40歳)長野県在住。低体温&極度冷え症脱出めざして、温活に夢中。
2024年04月05日ベビーカレンダーが企画した「2023年 赤ちゃんの名づけエピソードキャンペーン」から、涙なしには語れない奇跡のようなエピソードを紹介します。出産や子育てにはたくさんの人の協力が必要です。出産においては、いつ陣痛が来るか誰にもわかりません。時と場所によっては、病院に行かなくてはならないママはもちろん、病院に駆けつけたいパパも、周囲の助けを必要とするかもしれないのです。いくつもの奇跡が…仕事の山場と出産予定日が重なっていたパパ。破水したのはパパが取引先に着いてすぐのことだったそう。もちろんそんなタイミングで病院に駆けつけるのは困難でした。 そんなとき、たまたま学生時代の友人から近くに引っ越してきたと連絡が入り、ママを病院に送ってほしいと頼みました。おかげでパパは、今すぐにでも駆けつけたい気持ちを抑えながらも重要な取引に向かうことができたそうです。 しかしそんな状況ではいつも通りでいられるわけがありません。そんなパパの顔を見て、いつもは厳しい取引相手が「何があった?」とひと言。事情を話すと、すぐに駆けつけるよう言ってくれたのです。 もちろん仕事に穴を開けるわけにはいきませんでしたが、幸いにも上司が駆けつけてくれたので、パパは病院に向かうことができました。 さらに、病院の最寄り駅に着くと、そこには別の友人が車で待っていてくれたそう。たくさんのあたたかな気持ちのおかげで、パパは希望通り出産に立ち会えたのでした。多大な感謝を込めてつけられた名前とは?この一件で、パパは公私に渡って素敵な人たちと関わりを持てたことを実感したと言います。そして、将来息子もそんな人に恵まれてほしいと願ったそう。 そこで「たくさんの人たちと関わりが持てる」という意味で数字の「千」。「家族や仲間のピンチにはすばやく手を差し伸べられるやさしい子になってほしい」という意味を込めて「颯」。生まれてきた赤ちゃんに、千颯(ちはや)くんと名付けたのでした。 生まれる前からたくさんの人に思いを寄せられた千颯くん。パパは千颯くんを抱いた瞬間、その日の出来事が走馬灯のよう駆け巡り、協力してくれた人たちへの多大な感謝と諦めかけていた立ち会い出産ができたことの嬉しさから、その場で号泣してしまったそうです。 ピンチのときこそ、人のあたたかさや、人と人との関わり合いの大切さを実感しますね。 <調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画した「2023年 赤ちゃんの名づけエピソードキャンペーン」対象:2023年1月1日〜10月16日の期間中に生まれた赤ちゃん募集期間:2023年9月25日〜2023年10月16日
2024年04月05日私の職場には、以前まで変わった人がいました。その人はある日突然、会社で大きな音を立てて……。数えればキリがない奇行の数々奇行が多いAさんという人がいました。例えば、人と廊下ですれ違うときに壁にヤモリみたいに一瞬でへばりついたり、私が帰るときに暗闇の中で真後ろにたたずみ「お疲れさまでした」と言ったり、数えればキリがありません。私はAさんの数々の行動が理解できず、ついていけませんでした。大きな音を立てて突然の退職Aさんは、突然会社で爆発しました。人目につかない会社の休憩所で怒鳴り声を上げたり大きな音を立てたりした後、会社を辞めると言いだしました。そして、本当にその日から来なくなり辞めてしまったのです。突然会社を辞めてしまったことにとても驚きましたが、今までの数々の奇行を考えるとなくはないことのようにも思えました。まとめ私の上司は、変わったところがある人を雇う傾向があります。このAさんも、従来の採用方法とは異なり、なぜかアルバイトとして経験を積ませることなく、すぐに社員にしてしまいました。上司は人助けのつもりで社員にしたようですが、その変な人助けは私たちにとっては迷惑になるということを知ってほしいと思いました。(30代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月05日自分自身は当たり前だと思っていたり、気付かずにいたことで他人に迷惑をかけていたりすることもある……。そう気付かせてくれたのは、夫の「体臭がきつい」のひと言でした。誰よりも身近な存在である夫の言葉で、私は解決のために努力を始めました。「体臭が……」と夫に言われた夜夫と結婚したばかりのころは夫から何かを言われたことはなく、ただ、少し顔をしかめるときがあるのが気になっていました。しばらくたったある夜、セックスを終えた後、夫から「体臭が強くてちょっとつらい」と言われました。もしかして、今まで我慢していたのかとショックでした。でも、もしかしたら外出したときに「他の人からもそう思われていたのかもしれない」と思い、どうにかしなければと決意しました。サウナに通い、食事を変えてみる学生時代の友人が「サウナに入ると、汗と一緒にいろいろな悪いものが出ていく感じがする」と言っていたのを思い出し、早速自宅から行けるサウナを探しました。初めは他の人たちと一緒に入る場所には抵抗がありましたが、個室で入れるサウナを知り、週に一度通って、たっぷりと水分補給をしてゆっくりと汗を流し、水風呂に入ることを繰り返しました。また、肉をたくさん食べると体臭がきつくなると聞き、大好きな肉類は食べながらも、少し減らして野菜をたくさん食べられる献立を考えて作るようになりました。夫も野菜料理が増えてうれしかったようです。それから1年後…夫のひと言からお風呂では丁寧に体を洗い、うっすら汗をかくまで湯舟に浸かる生活も続けた結果、夫に「前よりきついにおいは少なくなったし、肌がきれいになった」と言われました。サウナや野菜中心の食生活の結果が出たのだと思います。正直、夫に体臭のことを言われてからしばらくは、自分の体が臭くないか気になって、外出して電車に乗るのも、誰かに嫌な思いをさせているのではないかと不安でした。でも、努力のかいあって、そんな不安も少なくなりました。夫とのセックス時に彼が顔をしかめる様子がなくなったのも、私の心をホッとさせてくれました。今では心から安心して愛する夫と抱き合えています。まとめ夫のひと言から始まったサウナ通いや食生活の改善でしたが、自分の努力で良い方向に向かえたことはうれしい経験でした。サウナの楽しみも知り、新しい趣味になったので、これからも通い続ける予定です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/浅井佳子著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月04日私は、スイミングのキッズスクールでコーチをしています。あるレッスンが終わったときに、子どもたちとプールを出たところ、まさかの光景を目にして……。 スイミングコーチをしている私私は生理不順で、予定日から外れることがしょっちゅうあります。気分がイラついたり食欲が増大したりと、生理前の兆候はあらわれるのである程度の予測はできるのですが、なかなかピタリと合うのは難しくて……。 そんな私がアルバイトとして働いているのは、スポーツジムが併設されたスイミングスクール。ここで水泳のコーチとして子どもたちに教えています。生理不順ではありますが、プールに入る前は必ずトイレに行き、経血があればタンポンを入れてからプールに向かうため、これまで生理トラブルを起こしたことはありませんでした。 赤い水たまりが!?ところがある日、プールから上がると目の前に赤い水たまりが。「子どもがケガをして流血したのかも!」と思った私は、その確認をしようと流血元を探していると、私の動きと合わせるように赤い水たまりがポタポタ……。そこでようやく、自分から経血が漏れていることに気がついたのです! すぐに他のコーチに事情を説明し、子どもたちの対応を任せました。けれど、私から血が流れていることに気づいてしまった子どもからは泣かれてしまい、申し訳なさと恥ずかしさでいたたまれない気持ちになりました。 この出来事以降、コーチとして最善の準備をと、少しでも生理の兆候があれば小さいサイズのタンポンを入れてからプールに入るようになりました。私にとって、スイミングコーチは生きがいでもあるので、今後も生理とうまく付き合いながら続けていきたいと思います。 ※タンポンの過度な長時間使用はトキシックショック症候群(急な発熱、吐き気、めまい、失神などの症状)を引き起こす可能性があるため、パッケージ等に記載されている時間や使用方法をしっかり守りましょう。 著者/土井らん作画/ふるみ 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ふるみ
2024年04月04日排卵痛があった日の夜、彼との営み中に激痛を感じたにしこさん。慌てて中断し、その日はおとなしく就寝したのですが、翌朝になってもまだ痛みは続いています。歩こうとするたびに下腹部に激痛が走るため、にしこさんは立っていることすらできなくなってしまって……。 玄関の先に待っていたのは…うみくんから職場に欠勤連絡を入れてもらい、病院へ行くことにしたにしこさん。しかし、その日はあいにくの祝日。病院はどこも休診か、午後からしか開いておらず、困ってしまいます。するとここで、「#7119」(救急安心センター)に電話相談をしてくれたうみくん。担当者から「今すぐ近くの急患センターに行ったほうがいいですね」と言われ、2人は近所に救急センターがあることを思い出し……? 急患センターに向かうと決まり、アパートのすぐ近くに車を用意してくれたうみくん。彼に支えてもらいながら、ゆっくり時間をかけて玄関へ向かうにしこさんでしたが……玄関の扉の先に待っていたのは、あまりにも絶望的な光景でした。平坦なところを歩くだけで下腹部に激痛が走るため、今のにしこさんにとって「階段」は、ゲームでいうラスボスのような存在なのです。 うみくんに抱っこやおんぶをしてもらう方法もありますが、にしこさんとしては、抱っこなどをしてもらったときの振動でふいに痛みに襲われるより、自分のペースで少しずつ歩くほうが痛みがマシだろうと考えたようですね。急患センターに着いて処置をしてもらうまであと少し。ゆっくりでいいので無理のないように行動してほしいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター にしこ
2024年04月04日新築のマンションに引っ越して半年、上の階の住人から騒音について苦情が来るようになりました。どんなに気を付けて生活しても、上の階の住人からの苦情は収まらず……。しかし、そんな騒音問題がある日意外な形で解決したという私の体験談です。 上の階の住人からの苦情新築のマンションに引っ越して半年が経ったある日、インターフォンが鳴りました。夫に対応を頼むと、「上の階の住人だが、お宅の子どもの生活音がうるさいから、もう少し静かにしてくれないか」と苦情があったと言うのです。 2歳の娘はじっとしているタイプではなく、日ごろから家の中を走って移動したり、大きな声で歌を歌ったりしていました。そのため、苦情に対して驚くというよりは、とうとう苦情がきたか……というのが本音。それからは、娘が走ったり大きな声で騒いだりする際には、すぐにやめるように注意しました。 騒音のたびに、床を叩かれて…夫婦としては気を付けて生活していたつもりでした。しかし苦情があった日以降、聞こえてくる騒音に対抗するかのように、上の階から床を強く叩くような音が聞こえるように。そして数週間経ったある日、男性が怒った様子でまた家を訪ねてきました。 「うちにも子どもが2人いるが、どうやって育てたらお宅のようなうるさい子どもに育つのか!」とさらに苦情を言ってきたのです。娘が大声を出さないよう気を付けてきたのに……。私たち夫婦はこれ以上どうしたらいいのかという気持ちでいっぱいでした。 「娘は寝ていますけど!?」改善しない状況に私たち夫婦はストレスが溜まっていくばかり。走ったり、歌を歌ったり、娘の好きなようにさせてあげられないことにも、娘に対して申し訳ない気持ちになっていました。そんなある日、家のインターフォンがなりました。 上の階の男性が「何度言ったらいいんだ! いい加減静かにしてくれ!」と苦情を言ってきたのです。しかし、娘は男性が訪ねてくる1時間前から眠っており、おかしいと思った夫がすかさず「娘はしばらく前から寝ていますけど」と言い返しました。 騒音の原因は娘ではなかった!男性は私たちの家を訪ねる前に床に耳をあてて、騒音が真下からきていることを確認して訪ねてきたようです。しかし、男性が騒音を確認した時間には娘は眠っており、男性が聞いた騒音は娘や私たちが原因ではありません。 男性は驚きを隠せない様子でしたが、状況を理解し今までのことを夫に謝ってくれました。そして今まで私たち家族が原因だと思っていた騒音も、別の場所が原因だと思ってくれたのか、それから苦情を言ってくることはなくなりました。 マンションでの騒音は、上から聞こえてきたとしても真上の階が原因ではないという話を聞いたことがあります。それを実感するような体験でした。問題が解決するまでは音に敏感になり、ストレスフルな毎日でした。意外な展開でしたが、騒音の原因が私たち家族ではないということがわかってもらえて本当によかったです。ただ、ホッとしたものの騒音で悩む方もいるということも事実。娘を思い切り遊ばせたいときは公園に行くなど気を使うようにしています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラストレーター/ライコミ著者:山口まなみ3歳の娘と双子の男の子の母。韓国人の夫と家族5人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月04日ベビーカレンダー公式YouTubeでは、「新しい家族のカタチ」をテーマに様々な方の家族のカタチをご紹介しています。今回は、3歳の女の子を育てるシングルマザーに密着。育児に関わろうとしない元夫の自己中心的な言動に孤独を感じながら、娘と2人で生きていくための決断をしたシンママの思いとは――。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声をご紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 シンママ親子の過去と現在、そして未来へ 今回、3歳の女の子を育てるシングルマザーのSさんに密着し、ママが抱える思いに迫りました。 元夫とは学生時代に知り合い、社会人になってから交際に発展して結婚したSさん。結婚から約1年で妊娠が判明し、元夫も娘の誕生を喜んでいたそう。しかし、元夫が金銭面でSさんの母と揉めてしまったことから、元夫と母の関係性が悪くなってしまいます。 しばらくSさんは母とぎくしゃくしてしまい、里帰りなしで産後まで過ごすことに……。そして迎えた出産のとき、元夫は生まれた娘を見て非常に喜んでくれましたが、退院してからは産前と同様に自宅での家事のほとんどをSさんががこなす日々が始まりました。 そんな生活の中で、強い孤独を感じていたSさん。しかし、元夫は「もっと俺にもかまってほしいんだけど!」と、自己中心的な物言いばかりだったと言います。 娘がまだ0歳のある日、熱を出した元夫に別室で休んでほしいことを伝えると、「俺をバイキン扱いするな!」と怒鳴られたり、雨の日の夜中に「仕事の邪魔だ」と1歳6カ月になった娘と外に追い出されたりしたことも……。 その後も元夫に気をつかって過ごしていく中、ついに元夫との離婚を決意します。 離婚に向けて別居を提示 離婚の決意を固めたSさんは、周りのサポートを受けながら弁護士さんに相談。別居するための下準備を進め、別居予定の前日に初めて、元夫に「離婚したい」と伝えたそう。 その後、親権争いに発展し離婚調停は長引くも、別居開始から約1年後にようやく離婚が成立しました。 現在、復職に向けて研修中のSさん。「大好き」と言ってくれる愛娘の愛情こそが、Sさんの生きる原動力となっています。 離婚後、復職に向けて前を向くシンママのSさん。 「仕事や家事などでイライラしてしまったり、嫌な気分な日もありますが、子どものおかげで気持ちをリセットできたり、幸せな気分に変えてくれたり……。わが家はパパがいない家庭ですが、でも、だから不幸せだというわけではなく、ママと2人でも、すごく幸せな家族なんだよ、というふうに子どもに思ってもらえるような、そんな家庭を築いていきたいと思っています」と語ってくれました。 子どもと2人で踏み出した大きな一歩。Sさん親子の明るい未来がこれからも続いていきますように。 元夫の度重なる自己中心的な言動や離婚に至る経緯については、動画でお話しています。詳しくは、YouTube動画からぜひチェックしてみてくださいね!ベビーカレンダー公式YouTubeでは、他にもママの出産動画なども公開中。感動する出産動画をぜひご覧ください。
2024年04月04日介護の必要な人というと、真っ先に高齢者が思い浮かぶかもしれませんが、先天的な障害や突然の病気、けがが原因でそうなる場合もあります。ある日突然、妹が事故で要介護者になりました。介護の経験がまったくなかった私が、より良い介護を目指すためにボランティアをしたお話です。突然の事故で下半身が不自由になった妹私は夫と2人で一軒家に暮らしています。ある日、病院から「妹さんが交通事故に遭って手術が必要です」と突然電話があり、驚いて病院に駆けつけました。結局、命は助かりましたが、妹は下半身が不自由な体になってしまいました。私の父母は他界し、妹は独身だったので、夫と相談して妹と同居することになりました。体の不自由な人にどう接すればよいのか、それまでまったく経験がなかったので、病院で看護師さんやリハビリ担当の先生にいろいろ教わりました。もっと介護を知りたいと思って始めたことが妹も、少しでも自分のことができるようになろうとリハビリを頑張っていました。私も本やネットで調べて実践していましたが、自分がしている方法が本当に正しいのか、わからない状態でした。そんなとき、近所の人が介護ボランティアをしていることを知り、他の方のお世話をすることが学びになるのではないかと考えたのです。週に2度ほどヘルパーさんに来てもらう日に、早速介護ボランティアに行き始めました。ところが、「自宅に介護の必要な家族がいるのに、ヘルパーさんに来てもらって他の人の世話をするなんておかしいのではないか」と、近所でウワサが流れていることを知りました。私を助けてくれた妹正直、他の方の介護をするのは緊張しましたし、初めのうちは何もできない自分にイライラすることも。でも続けているうちに、客観的な視点で介護のやり方を考えられるようになりました。その経験は妹の介護にも生かすことができたのです。正直、妹の介護ばかりだと煮詰まってしまいそうな気持ちも、ボランティアで外に出ることで違う刺激になっていました。ある日、近所の方が妹に「お姉さんがいないときは大変でしょう?」と聞きました。妹は「姉は私のためによくしてくれるし、介護のボランティアで勉強して私がラクできるように考えてくれるので感謝しています」と答えてくれました。妹は私をそう見ていてくれたのかと涙が出ました。それからは近所の人に否定的なウワサをされることもなくなり、妹のおかげだと思いました。まとめ介護ボランティアを通して家族以外の方のお世話をした経験は、私にとって大きな学びになりました。夫や妹の理解や協力があったからこそできたことでもあります。妹はその後、車椅子に乗れるようになり、少しずつ回復しているのを見て、うれしく思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/三田ぷり子ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月04日ベビーカレンダーが企画した「2023年 赤ちゃんの名づけエピソードキャンペーン」に集まったお話の中から、野球好きの祖父のエピソードを紹介します。赤ちゃんの誕生を心待ちにし、名前を考えているのは両親だけではありません。時には、祖父母や親戚が赤ちゃんの名づけに参加することがあるようでーー。名づけ親になったのは?赤ちゃんの名前を考えるとき、祖父母や親戚が希望や意見を伝えてくれるケースがあります。自分の名前から1文字とってほしい、代々受け継がれる止め字を使ってほしいなどの要望から、いくつもの候補を挙げてくれることもあるでしょう。 今回赤ちゃんの名付け親になったのは、祖父でした。祖父は野球が大好き。「孫には絶対野球をさせる」と生まれる前から楽しみにしていたようです。「満塁」と書いてなんと読む?祖父は生まれてくる赤ちゃんは男の子だと考えていて、男の子の名前をたくさん考えていたそう。しかし生まれてくる赤ちゃんが女の子だとわかり、これまで考えていた名前がつけられなくなってしまいました。 そんな中、祖父が発表した名前は「満塁」と書いて「みちる」。満塁とは、野球において本塁以外のすべての塁に走者がいる状態のことを指します。野球に馴染みがない人でも「満塁ホームラン」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。 パパとママは「さすがに女の子に“満塁”とつけるのは抵抗がある」と苦笑い。話し合った結果、平仮名で「みちる」と名づけることになったのでした。 パパとママは苦笑いでしたが、祖父にとっては一生懸命考えた名前だったのでしょう。平仮名でつけられたみちるちゃんの名前には、祖父の愛あるエピソードが隠れているのですね。 <調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画した「2023年 赤ちゃんの名づけエピソードキャンペーン」対象:2023年1月1日〜10月16日の期間中に生まれた赤ちゃん募集期間:2023年9月25日〜2023年10月16日
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