心配性で産後も不安が尽きなかった私は、産後の手伝いに来ていた母に「赤ちゃんがかわいそう」といわれることがストレスに。ことあるごとに「かわいそう」と言われ、ストレスもマックス。そんな中、夫のひと言で気持ちがラクになったのです。 私の心を軽くした夫の言葉とは 昔から極度の心配性だった私。「無事に生まれてきてくれるかな」と不安ばかりの妊娠生活を送っていました。元気な男の子が生まれてひと安心だったのですが、産後は「どうして泣き止まないんだろう」など不安に襲われることが多くなったのです。事あるごとにオロオロする私。夫はそんな私に「大丈夫だよ」と言ってくれていたのですが、不安はつきません。産後は県外に住む実母が、2カ月ほど手伝いに来てくれていたのですが、そんな私に呆れた様子でした。 あまりにも心配ばかりする私に、母は「そんなに心配ばかりして……赤ちゃんがかわいそうじゃない!」とひと言。その日を境に、母は「かわいそう」と連発するようになりました。私は母の「かわいそうに」を聞くたびに、私が息子にかわいそうな思いをさせているのではないか……と、追い詰められていったのです。 「かわいそう」攻撃が始まって1週間ほどたった深夜、息子が急に泣き出しました。母と夫は2階で就寝中。私は1階のリビングやキッチンを歩き回り、息子をあやしていました。すると、息子の泣き声で目を覚ました母が降りてきて「まぁ、こんなに泣いてかわいそうに」と言ったのです。そのひと言に私は思わず「かわいそうって言わないで!」と怒鳴り、息子に負けない大声で泣いてしまいました。 すると、騒ぎを聞きつけた夫が2階から降りてきて「この子は世界一幸せな子です。こんなにも母親に愛されているんですから」とひと言。思わぬ夫の言葉に「悪かったわね……」と母は気まずそうにしていました。夫が私の気持ちを代弁してくれた気がして、うれし涙を流した私。それ以来、母は「かわいそう」という言葉を封印してくれました。気持ちに余裕がないときは、何気ないひと言もネガティブに受け止めてしまう人も多いと思います。この経験を通して相手に「かける言葉」には気をつけないといけないな、と感じました。 作画/yacco 著者:田所みさお
2024年05月07日産後、メンタルの調子が悪くなる女性も少なくありません。そんなつらい状況で、夫に追い討ちをかけられたら本当にしんどいですよね。今回は、産後うつの妻を追い詰める夫を、義母が撃退してくれた話を紹介します。「育児は仕事よりずっと大変なのよ!」▽ 仕事の大変さと育児の大変さ。もちろん一概に比較はできないですが、それでもやっぱり育児は大変ですよね。それにしても夫って、本当に自分の母親に弱いですよね。なぜなんでしょう……。
2024年05月05日産後の女性は心身ともにボロボロで、赤ちゃんのお世話をするだけで精いっぱいです。そんなときに、義父のお世話までしろと言われたら……?今回は出産直後に夫にありえないことを言われ、助産師さんが救ってくれた話を紹介します。「お義父さんが手伝ってくれるわけじゃないですよね?」「かなりの難産でしたが、無事子どもを産みました。でも出産直後の病室で、夫に『退院したら、親父がウチに泊まりに来るって~』『孫の顔を見たいんだってさ~』とのんきに言われ、怒りが爆発!私は満身創痍で義父をもてなす余裕なんかないし、そもそも義父が来たところで家事や育児を手伝うわけでもないし、私の負担が増えることは目に見えています。そんなとき、そばで私たちの会話を聞いていた助産師さんが、『あなた正気ですか!?絶対にやめてあげてください!』『お義父さんが手伝ってくれるわけじゃないですよね?』『それに旦那さん、あなたが家事を全部やってくれるんですか?』と言ったら、夫は黙って顔を赤くしていました。夫は反省したようで、義父が無事来ないことに……」(30代女性)▽ 産後の女性の大変さって、本当に想像を絶しますよね。そんなときに家事をやる気もない夫に「自分の父親をもてなせ」なんて言われたら……助産師さんだって見て見ぬふりはできなかったでしょう。
2024年05月05日出産直後から産後うつになり、とても苦しい時期を過ごしました。夫や私の両親は理解を示してくれたのですが、義母に症状を伝えたところ、とんでもないひと言が返ってきて……。ドン引きしました。 産後うつだと義母に伝えたところ…出産して、産後うつになった私。「自分は子育てができない」と悩み、食事もまともに食べられない、眠れない、涙が出てくる、と思い出しても本当につらかったです。 夫や私の両親は産後うつについて勉強し、理解を示してくれました。私が少しでも休めるようにと、夫は早めに帰宅をして育児をしたり、母は家事を手伝ってくれたりと、本当に有難かったです。 あるとき、義母に産後うつだと電話で話したところ、「子どもを産んだだけでうつ? どういうこと?」「そんなことでこれから育てられるの?」とお説教が始まり……。追い詰められた私は始終泣いていました。 その後も義母から電話が続き、堪忍袋の緒が切れた夫が「いま○○(私)は病気なんだ。看病する気がないなら放っといてくれ!」と言って電話禁止令を出してくれました。家族の助けや病院の治療で、うつの症状は治っていきました。今は元気を取り戻し、夫と両親にはとても感謝しています。しかし、義母の余計なひと言で症状が悪化したため、義母の言動は今も忘れられません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが急激に変わり、この変化が自律神経に影響を及ぼします。よく聞かれる「マタニティブルーズ」は一過性の生理的なもので、産後2週間ほどで自然に治まることがほとんど。一方の「産後うつ」は早ければ産後2〜4週ごろに発症し、こちらは医療機関での治療が必要です。マタニティブルーズが悪化して産後うつになるケースも少なくないので、ひとりでかかえこまず、かかりつけの医師または心療内科や精神科に相談して治していきたいですね。 イラスト/シュー子著者:中田美子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月30日長男を妊娠中、後期つわりに苦しめられた私。出産してようやく胃の不調から開放されると思っていたのですが、産後も同じような症状が続いたのです。今回は妊娠中から産後約1年もの間、私が苦しめられた病気についてお話しします。治らない胃の不調に耐えかねて…妊娠8カ月ころから私は、胃の圧迫感や胸焼けといった後期つわりに悩まされました。そのときは後期つわりの症状だとわかっていたので、出産までの我慢だと思い、食事の量を調整しながら耐えたのでした。 しかし出産を終えても、同じような胃の不快感に悩まされる毎日。育児や授乳で体力を奪われていく中で、胃の不調が続き食べられる量が減ってしまい、体重も落ちてしまいました。そのため体力低下や貧血にも悩まされ、私はこのままではいけないと思い、産後10カ月のころ消化器科のある病院で胃カメラの検査をすることにしたのです。検査の結果、私が診断された病名は「逆流性食道炎」でした。病院の先生いわく、後期つわりで発症した逆流性食道炎が産後も治らずに、長引いてしまっているのではないかということでした。 そして授乳に影響のない薬を処方してもらい、それを服用してからは1カ月ほどで症状が治ったのです。おかげで食欲も回復し、体力低下や貧血の症状も改善して、健康的な毎日を送れるようになったのでした。 今回のことで、後期つわりが出産後も逆流性食道炎として長引いていたとは思ってもみなかったので驚きました。そしてそのうち治るだろうと放置せずに、病院でしっかりと検査をすることの大切さを身に染みて実感したのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:水沢 雫監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月25日第一子出産後のことです。子どもを持つつもりがなかった私たち夫婦に赤ちゃんが! 産後バタバタで余裕がない中、夫の後輩に出産祝いを渡すことになったのですが…。時間にもお金にも余裕がない産後に、出産祝いを渡すことになり…第一子の出産後の話です。当時、私は30才、夫は32歳でしたが、お互い再婚だったこともあり、「子どもはいらないかな」と話しており、定職にも就かず、夫婦で自由気ままに過ごしていました。しかし、程なくして私は妊娠! 無事に第一子を出産しました。 産後は本当にバタバタで、赤ちゃんのお世話で忙しいなか、お祝い返しを探さなければならず、でもお祝い返しには思った以上にお金もかかり、身も心もあわただしく過ごしていました。 そんな矢先、夫の後輩が出産! 夫に「何かお祝いを渡したい」と言われました。でも、お祝いを探す時間もなく、素敵なお祝いを渡すには、今のわが家の財政では厳しい…。そこで苦肉の策として、うちの第一子と後輩の子どもが同じ性別ということもあり、わが子のお祝いに頂いたタオルセットを、後輩のお祝いに使い回すことになりました。 しばらくたったある日のこと、ある人から、わが家が後輩へのお祝いで贈ったタオルセットには、わが家の息子の名前が入っていたことを聞きました。私は驚くやら、恥ずかしいやら…。後輩の方にも本当に申し訳ないことをしたと思いました。 こんな失敗をしてしまったので、第二子以降は、お祝い返しもお祝いも手を抜かずに事前にリサーチするようになりました。頂いたお祝いはしっかり中身を確認することはもちろん、出産前からお返しにかかるお金や時間を頭に入れておくことが大切だと思います。 作画/加藤みちか著者:楓ママ
2024年04月24日39歳で高齢出産を経験し、慣れない育児に追われる毎日。そんなある日、階段を踏み外してしまいました。捻挫かなと思ったら……。産後のカルシウム不足の恐ろしさを身をもって知った体験談をお話しします。階段を一段踏み外してしまった39歳で高齢出産を経験し、毎日の育児に奮闘。母乳育児をしたかったので、子どものために食べなければ! と食欲だけは旺盛でした。食べ物に関しては特に好き嫌いはなく、野菜・肉・魚とまんべんなく食べていたつもりでした。産後1カ月ほどしてようやく家事などができるまでに体調が回復。そんなある日、家の2階に干していた洗濯物を取り入れ、階段を降りていたときに、抱えていた洗濯物の山で足元が見えず最後の一段を踏み外してしまいました。「キャッ!」という声を上げつつも気付いたときには間に合わず、左のつま先がバレリーナのように内側に向いたままの状態で階段の下に着地してしまったのです。そしてそれと同時に、左足の親指から「グキッ!」という鈍い音が聞こえるのを感じました。しかし、踏み外した直後にはそれほどの痛みを感じなかったため、足の指を捻挫した程度かな、と思っていました。足の親指の骨折が判明階段を踏み外して数時間後、お風呂に入ろうとしたところ、痛みはないのですが、左足の親指が真っ青になっていることに気が付きました。親指の付け根も少し腫れており、思っていたよりひどい状況になっていたことを自覚。しかし、時間的にも病院に行くのは難しく、その日は湿布を貼って様子を見ました。翌朝、足の親指を見てみるとさらに腫れと青みがひどくなっており、痛みも感じるようになりました。そのため子どもを実家に預け、整形外科へ向かったのです。診察では、足の親指を見て、すぐにX線検査をすることになりました。そして結果、骨折をしていたことが判明! 足の親指はあまり動かすことがないため、力を入れて踏ん張らないと痛みはさほど感じないのだそうで、でもX線写真を見ると、たしかにバキっと折れていました。病院の先生に、子どもが小さく毎日動き回らないといけないので、足にギプスをするのはやめてほしいと話したところ、骨折の場所を考えるとギプスをしたり添え木をしたりするのは難しいとのことで、希望通り、ギプスなしでテーピングで固定して過ごすこととなりました。走ったり激しい運動を控えていれば、自転車のペダルもこげるし、お風呂も入れるとのことで、特に日常生活に支障は出ない程度で済みました。産後のカルシウム不足の指摘を受けた足の親指の骨折に関しては、時間をかけて固定しておくことが大切だと言われましたが、それ以上に先生から指摘されたのが、日ごろのカルシウム不足でした。「母乳育児は自分が思っているよりも栄養分を母乳に持っていかれるため、特にカルシウム不足がひどくなりがちだ」と言われたのです。牛乳は飲んでいましたが、おやつに小魚を食べるなどして、カルシウムをもっととる必要があると話されました。先生からは「おそらく産後でなければ、捻挫程度で済んでいたかもしれませんが、極度のカルシウム不足でポキッといってしまったのでしょう」と言われ、産後のカルシウム不足の恐ろしさを感じました。そして、湿布と共にカルシウム剤を処方されました。自治体で骨密度検査を無料でやっているため、心配ならばそのような検査も一度受けてみては、と勧められましたが、なかなか行く時間が取れないのが現状です。しかし、小魚やカルシウムが多く含まれたウエハースなど、日ごろからカルシウムをとることを心がけるようになりました。結局、1カ月半ほどでテーピングは取れました。その後、足が冷えるときなどは骨折した親指に少し痛みを感じますが、他は特に問題なく過ごしています。まとめ産後のカルシウム不足から足の親指を骨折してしまった私。産後に限らず、カルシウムなどはしっかりとっているつもりでも、やはり不足しがちで、不意なけがなどにつながりやすいので注意しなければと実感しました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/中村光伸先生(光伸メディカルクリニック院長)整形外科医の知見から骨の仕組み、体の動かし方を活かした骨のトレーニングを提唱する骨の専門医。骨の強化と全身の機能回復を両立する「骨たたき」を考案。若々しい体を取り戻す「リバースエイジング」の専門家としてメディアにも多数出演。著書に『医者が考案した骨粗しょう症を防ぐ1分間骨たたき』『ひざたたき世界一かんたんな健康法』(アスコム)。イラスト/sawawa著者/IWON(46歳)小学生の母、夫は現在単身赴任中。会社員とWebライターをしている。高齢出産を経て、体調の変化や疲れなどさまざまなトラブルに直面し、若いころとは違うとつくづく感じる今日このごろ。普段はファッション、推し活、グルメなどの情報収集が趣味。
2024年04月21日今回のお仕事ハックは「週初めの仕事がつらい……」とのお悩みに、コラムニストのヨダエリさんがアドバイス。週初めの仕事がつらい……週初めの仕事が毎週つらいです。朝もなかなか起きられずに、憂うつな気分で出社しています。何か対策はありますか……?(営業職/20代)月曜は誰もが憂うつ。なんなら前日から憂うつ。「I don’t like Monday」「Manic Monday」など世界的に有名なポップソングもあるわけで、この気持ちは世界共通、永遠不変なのかもしれません。ただ、ゼロにするのは難しくても、減らすことはできる!というわけで、私が実践している対策をいくつか挙げていきますね。1.日曜の夜はたっぷり寝る先日、久々に3時間睡眠の日があり、妙に気持ちがドンヨリ。何か嫌なことがあったわけでも、これからあるわけでもないのに。……と考えた後、気づきました。「ハッ。睡眠不足が続くとうつになる、というのはこれか!」と。睡眠不足が不安や抑うつ傾向につながることは、医学的にも明らかになっているんですよね。G7の自殺死亡率で日本が1位なのは睡眠時間の短さも大きな理由だと私は思っています。韓国の芸能人にうつ病や自殺が多いのも、ハードスケジュールによる睡眠不足が無関係ではないはず。日曜の夜は全然眠くならない……という人は、適量の睡眠改善薬を活用するのも一案。私も分量を調整しながら たまに飲んでいますよ。2.寝る前に考え事をしない仕事のことを考えながら寝ると、夢に仕事が出てきませんか?全然寝た気がしないですよね(悲)。英国エディンバラ睡眠センターのクリス・イジコフスキ博士によると「就寝前のメールチェックは、エスプレッソ2杯分の不眠効果がある」のだそう。なので、布団に入ったらメールもLINEもチェックしない!それ以外でも考え事につながるような情報には触れない!ちゃんと頭を休ませるために。私の場合は布団で「無」の状態だと考え事を始めてしまうので、穏やかな音楽やトークを聴きながら寝ています。YouTubeにも色々あるので探してみるといいかもしれません。3.出勤はポジティブな音楽と共に人それぞれ、「やる気が出る曲」ってありますよね。スポーツ選手が試合前に好きな曲を聴いてベストなメンタルに持っていくように、月曜の朝はポジティブになる曲を聴きながら出勤しましょ!鬱々とした気分も、きっと半減するはず。ちなみにワタシが仕事に向かう道のりでよく聴く曲は、昔だとcapsuleの「Starry Sky」、最近はテヨン(NCT)の「Virtual Insanity」。前者は一気に、後者はジワジワと心と体が覚醒する感覚に。一番盛り上がる箇所が来る前に目的地に着いた時は、そこまで聴き終えてから建物の中に入ります(笑)。4.月曜はがんばりすぎない週明けって、すぐにはスイッチが入らないもの。その状態でハードな仕事を始めたり、作業を多くこなそうとしたりすると、それだけで疲れてしまうかも。もちろん、どうしても今日はがんばらないと、という日もあると思います。でもそこまで急ぎではないなら、月曜はちょっとゆるやかなスケジュールにする。この一週間の準備をしよう、くらいの気持ちで。月曜は準備の日。いきなりエンジン全開にせずスロースターターでいいんだと思えば、出社時の憂うつも少しは減りそうな気がしませんか?あなたはちゃんと出社していますが、「月曜に休む人や遅刻をする人って結構多い」と中間管理職の友人は言っていました。「でも週の初めからマイナススタートだと、そのムードを1週間引きずることになるんだよね」とも。だからこそ自分なりの工夫をしながら、ポジティブな週初めにしたいもの。どれも馬鹿にできない効果があるので、ぜひお試しを!Point.・睡眠不足は人を憂うつにするので、日曜の夜はたっぷり寝よう・寝る前にメールチェックや考え事はせず、頭もしっかり休ませよう・気分が上がる音楽を聴きながら、ポジティブな気分で出勤しよう・月曜からエンジン全開にせず、だんだん調子を上げていけばいい!(文:ヨダエリ、イラスト:黒猫まな子)
2024年04月16日出産前に子どもの名前が決まらず、産後に夫婦でもう一度話し合おうと決めていました。無事に生まれ、産後の処置も終わって安心していたときのこと。夫が分娩室に入ってきて……。 突然の夫の告白に動揺して…出産を終え、分娩室で休んでいたとき。夫が分娩室に入ってきて、「今、名前を決めないと間に合わない!」と言うのです。 私は出産を終えたばかりで疲れもあり、夫が何を言っているのか理解できませんでした。話を聞くと出産後14日以内に出生届を提出しなければいけないが、明日から出張になったので出せないかもしれないと話し始め……。 後から調べると届出は代理人や郵送でもいいらしいのですが、そのときは気が動転していて夫が話していることを鵜呑みに。そして2人とも焦りつつ、その場で名前の話し合いが始まりました。夫と私の意見がわかれたので、その場にいた助産師さんたちにも意見を聞くなどバタバタな状態。 もう少し落ち着いて決めたかったと思いながらも、息子の名前が決定しました。焦って決めましたが、とても気に入っています。出産後の忘れられない思い出になりました。 ◇ ◇ ◇ 出産で体力も気力も使い果たしたところに、「今すぐ名前を決めて!」と言われたら混乱しますよね。ハラハラしたと思いますが、いいお名前に決まってよかったです。ご出産おめでとうございます、そしてお疲れさまでした! イラスト/さくら著者:だいママ
2024年03月16日長女を出産したときは初めての育児でバタバタしていたせいか、産後すぐに体重が戻った私。次女を妊娠したときも、産後はすぐに体重が戻ると思っていました。ところが次女出産後、3カ月経っても体重が一向に減らず、焦ってダイエットを開始しました。すると、体にある異変が起きてしまったのです。 産後は授乳の影響で体重が元に戻る?長女を出産したときは初めての育児でわからないことも多く、バタバタしていたこともあってか、産後2カ月ごろから「痩せたね」と周りに言われることが増えました。その後、産後半年くらいで妊娠前の体重に戻り、さらには妊娠前の体重よりも少なくなりました。 ありがたいことに母乳がよく出ていたので、母乳のおかげで体重が元に戻ったのかもしれないと思っていました。そして翌年には、次女を出産。また半年くらいで体重が元に戻ると軽い気持ちでいたのですが、今回は違いました。 体重が元に戻らない! 運動をスタート2人目で余裕があったからかわかりませんが、次女を出産してから3カ月過ぎても体重が元に戻りません……。「産んだあとは、自然と体重が元に戻る」と安易な考えでいたため、焦りました。とりあえず買い物がてらにウォーキングをスタート、ダイエットDVDを買って自宅で運動も始めてみました。 ところが体重が戻るよりも先に、腰を痛め、さらには肩も痛めてしまう結果に……。子育てにも支障が出そうな状況だったため、病院に相談に行くと、「産後にいきなり無理をしすぎです!」と厳しく注意されてしまいました。 焦りは禁物! ゆっくりと体重を戻そう私の場合、普段から運動習慣もないうえに、本調子ではない産後に突然運動を始めたことで体がビックリしてしまったようです。病院の先生からは、「産後、すぐに体重が戻る人もいれば、ゆっくり戻る人もいる」「体を動かすのは、もっと落ち着いてからにすること」とアドバイスを受けました。 「今は体重よりも赤ちゃんを気にしてあげて」と先生は言っていました。赤ちゃんよりも、自分の体重のことを先に考えてしまっていた……と、反省しました。それからは食事内容を見直すなどして、1年くらいかけて元の体重に戻りました。産後に無理は禁物です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※母乳を赤ちゃんに与えていると、それだけでこれまで以上に消費カロリーが多くなります。母乳はママの体の血液から作られているため授乳中に無理なダイエットは禁物です。特に赤ちゃんが生まれたばかりの時期に、増えた体重を無理やりもとに戻そうとすると、母乳の出方にも影響します。 ※妊娠中に体重が増えてしまったとしても、産後に極端に食事を制限したり、無理な運動をするようなダイエットをする必要はありません。母乳を赤ちゃんに与えていると、それだけでこれまで以上に消費カロリーが多くなります。ダイエットは、授乳期間が終了してからにしましょう。また、体重は産後3〜4カ月程度でもとの体重に戻ることを目標にしながら、授乳期間を過ごしましょう。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/きょこ著者:深田ようこ
2024年03月06日皆さんは、出産後に思わぬ出来事に遭遇したことはありますか?今回は、産後のモヤっとエピソードを漫画で紹介します。イラスト:文月チコ予定日になっても…陣痛促進剤を使用赤ちゃんを見に行くと…義両親が先に会ってる…頑張って出産を終えましたが、1番最初に赤ちゃんと会っていたのは義両親だったとは…。主人公としては、もう少し配慮してほしかったことでしょう。お互いに気遣うことで、穏やかな関係性を築いていきたいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(CoordiSnap編集部)
2024年03月03日皆さんは、出産後に思わぬ出来事に遭遇したことはありますか?今回は、産後の面会に来た義家族のエピソードを漫画で紹介します。イラスト:おかず出産を終えて…病室に誰かがやってきたたくさんの義家族が…早く帰ってくれないかな…産後でつらいときに、義家族総出で面会に来られてしまった主人公。来てくれたことはありがたいですが、タイミングを考えてほしいですね…。お互いに気を遣い、適度な距離感で義家族とお付き合いしたいです。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(CoordiSnap編集部)
2024年03月02日コロナ禍でしたが私は無事に元気な男の子を出産。妊娠中は子どもが生まれてもきれいなママでいたいと思っていましたが、想像以上に壮絶な産後にそんなことは言ってられなくなりました。久しぶりに鏡で自分の姿を見ると、自分の老けように驚愕。さらに夫から追い打ちをかけるような言葉があったのです。 産後を完全にナメていた結果…私は妊娠する前、朝から深夜まで働き詰めで休日出勤は当たり前、インフルエンザで39度の熱が出ようが在宅で仕事をするなど濃いめのブラック企業に勤務。産後は大変だと聞いていましたが、過去に経験したハードな勤務経験よりもつらいことはないだろうと、当時の私は完全に産後をナメていたのです。しかし、息子を出産して産院を退院した初日から私は完全にキャパオーバー。 出産のダメージで体中が痛く、座るどころかまともに立つのもつらいなか、顔を真っ赤にして泣き叫ぶ息子を何時間も抱っこをしてあやしました。まとまって取れる睡眠時間は1~2時間のうえ、産後のホルモンバランスによる影響で感情のコントロールができない私。本当にちょっとしたことでイライラが爆発してしまったり、急に絶望的な気持ちになったり、勝手に涙が止まらなくなってしまったりしたのです。 鏡で見て驚愕!追い打ちを掛けた夫の言葉そんな日々が続き息子が生後1カ月のころ、久しぶりに自分の姿を鏡で見て驚愕。そこには疲れ切った老婆が映っており、私はあまりのショックで言葉を失いました……。 ある日、息子の動画や写真を夫と一緒に見ていたとき、iPhoneが〇年前の今日とピックアップした写真には、まだ私たち夫婦が交際中だったときの初々しい写真がありました。夫はそれを見て、「やっぱり産後って老けるんだな~」とひと言。そのひと言が、私を爆発させたのです。 夫は悪気があって言ったわけではないようでしたが、今までの自分の頑張りを全否定されたように感じてしまい私は怒りが爆発! 「命がけで出産、子育てしてるんだから当たり前でしょ! むしろ何であなたは何も変わってないのよ!」と八つ当たりにも似た言葉を夫に言ってしまったのです。私の怒り狂いように夫は焦って何かを言ってきましたが、その日は夫の言葉を無視して先に寝たのでした。 夫が毎日言ってくれるようになった言葉喧嘩をした翌日、「産後、〇〇(私)にばかり苦労をかけてしまってるからそりゃ大変でキラキラなんてできないよな、って意味で言ってしまった。本当にごめん」。夫が昨夜のことを改めて謝ってくれました。夫は育児の大変さも私の頑張りもすべてわかっていないと思い込んでいましたが、お互い言葉が足りなかっただけでした。誤解が解けたあと、夫は少し過剰なほど私を褒めてくるようになったのです。 テレビに出てきた女優さんをかわいいと私が褒めると、「〇〇のほうがかわいいよ」と夫がすかさず言ってくれることや、産後のおなかが戻らないと愚痴を言うと「俺はまったく気にならない。いつも〇〇はきれいだよ」と、かわいいやきれいなど毎日何度も言ってくれるように。夫の言葉は私のやる気と自信に繋がり、以前よりも少し前向きな気持ちで産後の毎日を過ごせる安定剤となったのでした。 息子は現在1歳1カ月になりましたが、夫は今も喧嘩をしているとき以外は毎日何度もかわいい、きれいと私を褒めてくれるのです。腹の内ではどう思っているかはわかりませんが、夫からの褒め言葉は私が毎日頑張るための活力の1つとなっています。 監修/助産師 松田玲子著者:米久 熊代1歳児男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年02月19日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2024年02月18日自然分娩の予定が急遽、帝王切開に人気バラエティ番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)の珍獣ハンターとして一躍有名になったイモトアヤコさんは、同番組のディレクターである石崎さんと2019年11月に結婚。2021年12月に長男を出産しました。妊娠がわかったときは「うれしい」という感情でいっぱいで、その先の大変さは想像していなかったというイモトさん。妊娠するまでは食生活に気を使って健康を意識していましたが、つわり中は無性に食べたくなったフライドポテトをLサイズで毎日食べ、18㎏も体重が増えたそう。出産しても2㎏くらいしか減らず、体重を戻すには産後1年弱かかったといいます。出産は思い通りの展開ではなく、自然分娩で産む予定がスムーズに進まず緊急帝王切開に。通常、帝王切開の場合でも麻酔は下半身のみで母体の意識がある状態で赤ちゃんを取り出しますが、なぜかイモトさんは麻酔が全然効かず、緊急事態なので全身麻酔に切り替えて手術をしたといいますから、相当緊迫した状況だったことが伺えます。眠っていて産声を聞けず、思ってもみなかった出産方法でしたが、麻酔から覚めて赤ちゃんと対面すると、瞬間的に「あっ、我が子だ!」と感じたといいます。イレギュラーなお産を経て退院したイモトさんですが、今度は情緒不安定な状態になり、実家から手伝いに来てくれた母にひどい態度を取ってしまったと振り返りました。「お皿を洗ったスポンジをシンクに置いた」など、普段ならまったく気にならないようなちょっとしたことも気になって、お母さんを泣かせてしまったことも……。「今となってはなんであんなことで」「本当に母には申し訳ないと思う」と反省しきりです。仕事復帰は産後5ヶ月のとき。以前は月に2~3回は海外ロケに行っていたのが、今は数ヶ月に1回の頻度になり、そのときは石崎さんの実家に息子を預けているといいます。一応石崎さんは日本にいていつでも動けるようにはしてくれているそうですが、ケータイに連絡が入ると「息子になにかあったのか」とドキドキしてしまうそう。働くママパパは痛いほどその緊張感がわかるのではないでしょうか。2歳になった長男は「父ちゃん、じいじ、ばあば」は発語するのに、頑なに「母ちゃん」だけは言ってくれずショックだというイモトさん。「母ちゃん」は言いにくいのかと「ママ」に変えてみたところ、すぐ言えるようになりビックリしたそうです。最近はイヤイヤ期に突入し、「オムツ替えるのも、服着替えるのもイヤイヤ。ごはんもバナナ以外はイヤ。もう勘弁してほしいですね」と手こずっているようですが、お菓子が欲しかったり好きな動画を見たかったりするときだけ「おかしちょうだい♡」などとおねだりしてみたり、「ギューとかチューとかそういうときだけしてくれるから、ついついあげちゃう」と頬がゆるみ、可愛くて仕方がない様子でした。
2024年02月17日大食いロケで復帰「空いてるんで、食べられます!」(※画像はギャル曽根さんオフィシャルブログより)ギャル曽根さんは2011年7月にテレビディレクターの男性と結婚。2012年に第一子、2016年に第二子を出産し、昨年11月に7年ぶりの妊娠と産休入りを報告しました。そして産休入りからまもない11月18日には第三子の出産を発表。元気な女の子だといいます。母体の回復はとても順調で、産後すぐから爆食スイッチが入ったため病院食ではまったく足りず、売店でパンやおにぎりを買って追加で食べていたというギャル曽根さん。なんと出産からちょうど2ヶ月後の1月18日には、レギュラーを務める生放送『ラヴィット!』(TBS系)で仕事復帰を果たしています。MCの麒麟・川島明さんが「産むや否や、帰ってきました。体調的にこんな早く帰ってきて大丈夫なんですか」と心配すると、ギャル曽根さんは「私は体力がバケモノなので、産んですぐ戻りたかった」「授乳も間隔が3時間ぐらい空いてるので。今、すやすや寝ています」と話していました。ただ、そんなスピード復帰を気遣う声は多方面からあったよう。ギャル曽根さんはYouTubeチャンネルに動画を投稿し、料理しながら育児と仕事について語りました。産後最初の仕事は実は『ラヴィット!』ではなく、別の番組の大食い収録だったそう。仕事から離れていたのはたった2ヶ月といえますが、それでも「慣れなくて緊張する」といい、「何を喋っていいかわからなくて言葉が出てこなかった」と振り返ったギャル曽根さん。収録中に「お腹の調子どうですか?食べられますか?」と聞かれるも適切な言葉が思い浮かばず、「あっあの~…赤ちゃん産んだぶん、空いてるんで、食べられます!」と言ってしまったのだとか。帰って夫に「赤ちゃん産んだからそのぶん空いてて食べられますって伝えたかったんだけど、なんて言えば良かったかな」と相談すると、「赤ちゃん産んだぶんお腹に“スペースが空いてる”から食べられます、とかじゃない?」と的確な回答をもらい膝を打ったそう。一方、「復帰が早い」と言われることには「早いのかあ」とピンと来ない様子。それは、「『大丈夫?』『体を大事にして』ってすごく言ってくださるんだけど……家にいるほうが動いてるし何かやってるから、仕事してても一緒なんだよね」という理由からでした。さらにスタッフが「仕事してると気がまぎれるよね。子どもを育ててみて、育児ノイローゼになる気持ちわかるもん」と言うと、「それすごいわかる!」と完全同意。赤ちゃんと2人でずっと向き合っていると、「なんでこの子寝ないんだろう……」とつらくなってしまうこともあるといいます。赤ちゃんの世話のみならず、子どもたちのごはん作りやお風呂、送迎など、家にいてもやることはたくさんあるわけで、ギャル曽根さんは「寝てる時間ないよね。だったら早く復帰したいなって」「産休っていうけど、休んでないから!」と、本音を明かしました。産休と育休はどう違う?雇用されて働く女性は、妊娠・出産に際して労働基準法で定められた期間の産休(産前産後休業)を取ることができます。産前休暇6週間は、出産日以前42日間(双子などの多胎出産の場合は14週間・98日間)で出産日も含まれます。出産が予定日より遅れた場合は、産前休暇もそのぶん長くなります。産後休暇は産後8週間(出産日後56日間)で、多胎出産であっても変わりません。労働基準法には「使用者は、産後八週間を経過しない女性を就業させてはならない。」とあり、仮に本人が「働きたい」といっていても、雇用している側は義務として産後の女性を休業させなくてはなりません。ただし本人が希望し、医師が認めた場合は、産後休暇を6週間に短縮することができます。一方、育休(育児休業)は、育児・介護休業法によって定められた休業制度です。第 5 条労働者は、その養育する 1 歳に満たない子について、その事業主に申し出ることにより、育児休業をすることができる。(育児・介護休業法)原則として、1歳までの子をもつ労働者のもつ権利で、国の制度で定められているので、どの企業に勤めていても、同じ条件で、法律に基づいて休みを取得できます。育休中は無給とする企業が多く、雇用保険から「育児休業給付金(育休手当)」が支給されます。出産する女性だけでなく、そのパートナーである男性も育休を取得し、母体のケアや育児に専念するケースも増えています。参照:産休期間はいつから? 覚えておきたい貰えるお金と産休の仕組み育児休暇とは? 育児休業との違いと知っておきたい9つのこと
2024年02月14日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週、ついに陣痛が! 夫に送ってもらい訪れた病院では、診察の結果すぐに入院が決まりました。コロナ禍のためひとりで出産に挑むまほさん。8時間痛みに耐え続け、子宮口が全開大になったことでようやく分娩台へ! 先生と助産師さんからOKが出るまで30分ほど待った末、やっといきめることになりました。いきむ許可が出たため、勢いよく力を込めていきんだまほさん。赤ちゃんが生まれたと同時にポキッと変な音がしたのですが……? な、何!? ※登場人物のマスクは省略しています。 聞こえた音が気になるものの、体に痛みは感じないうえに、赤ちゃんが生まれた感動に包まれていたまほさんは、特に気に留めませんでした。そして分娩台で少し休む間、夫や両親へ無事出産を終えたことを連絡します。出産の大変さをひしひしと感じていると、病室へ戻る指示が。産後すぐは歩けないだろうと車椅子を用意され、分娩台から乗り換えた瞬間、とんでもない痛みが駆け抜けたのでした。 出産中に聞こえた音が異常なものなのか、それとも出産時によく聞こえるものなのかは、出産が初めてのまほさんには判断が難しいですよね……。このときのまほさんは、まさかこのあと激痛を感じるとは思っていなかったでしょう。まほさんを襲った激痛の正体が、せめてすぐに解消できるようなものであることを願うばかりです。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月10日出産予定日より2週間以上早く息子を出産しました。しかし、なかなか母乳が出ず……。さらにおっぱいがくわえづらいのか、直接授乳もできませんでした。産後ひと月弱は搾乳した母乳をあげていました。貴重な母乳を残されることがつらかったとき、子どもが3人いる姉からまさかの言葉が!?できるだけ母乳育児を希望していたけど…私は出産予定日より2週間以上早く出産し、小柄で生まれた息子には、極力母乳をあげることを考えていました。 退院後、「欲しがるときに欲しがる分」を実践していたものの、おっぱいをうまくくわえることができず、授乳のたびに泣いてしまう息子。泣かれるくらいならと、搾乳した母乳を哺乳びんであげるようにしていました。 1回の飲む量がわからず、残される母乳最初の2〜3週間、息子が飲める量は、日齢の哺乳量の目安には満たない量でした。60ml飲んだかと思えば、40mlしか飲まないなど、飲みムラが多かったと思います。 赤ちゃんあるあるとは言いますが、産後の精神状態では「搾乳した母乳が残されて、捨てるなんてもったいない」という思考になっていて、気づくと涙が出ていました。 育児の先輩である姉に相談すると…ある日、3児の母である姉に相談すると、「残された母乳は捨てないで飲んじゃえ! 次の母乳の栄養にって思えばいいんだよ」と言ってくれました。その言葉を聞いて、「無駄にならない!」と考えることができるように。 その日から私は、搾乳した母乳を息子に与えた際に残されても「母乳の味を確認しよう」と、ポジティブな気持ちでいられるようになったので、とても救われました。 もともと私は、育児用ミルクをあげることに抵抗はありませんでしたが、いつの間にか母乳信仰の思考に陥っていました。しかし、赤ちゃんからすればおなかが満たされるかが大事だと思いますし、くよくよ悩みすぎても母乳は出づらくなってしまうと聞きます。 お世話をしていても、私の不安が赤ちゃんにも伝わってしまい、良いことはないのではないかと思いました。今は「夫にもお世話を任せるなら、育児用ミルクも飲めないとね!」と気楽なスタンスで過ごしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/ななぎ著者:たなか かな
2024年02月05日皆さんは、パートナーから浮気を疑われたことはありますか? 今回は「出産祝いに来てくれた友人」にまつわる物語とその感想を紹介します。 ※この物語はフィクションです。イラスト:モナ・リザの戯言友人に子どもをお披露目子どもを出産したばかりの主人公。ある日、大学時代の友人が出産を祝いに来てくれました。夫も交えて、子どもがどちらに似ているかで盛り上がっていると…。デリカシーのない発言出典:モナ・リザの戯言友人の1人が「この子ちょっとさ…」と切り出しました。そして、子どもの顔が主人公の大学時代の元カレに似ていると発言したのです。友人のデリカシーのない発言にその場は凍りつきます。夫には友人の悪い冗談だと説明しますが、夫の目は明らかに笑っておらず…。その日以降、夫は主人公の浮気を疑うようになり、主人公は困ってしまったのでした。読者の感想たとえ冗談だとしても、あまりに無神経な発言ですね…。友人のせいであらぬ疑いをかけられてしまった主人公がかわいそうです。(40代/女性)出産祝いの温かい場が、友人の一言せいで台無しになってしまいましたね。主人公と夫の仲がこれで悪くなってしまったと思うと、友人のことは到底許せないですね。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(lamire編集部)
2024年01月27日私の次女の出産祝いに来てくれた友人。赤ちゃん好きな友人は息子にもきょうだいを作ってあげたい、2人目が欲しいと願っていました。しかし友人は産後から夫とはレスになっていると困った様子。相談された私はなんとか力になりたいと思い解決策をスマホで検索しました。すると書いてある内容が意外に役に立ったようで、友人の環境に変化が起きたのです。次女を出産した私にお祝いを持ってきてくれた友人私は2歳、5歳、8歳の三姉妹を育てています。結婚して10年がたち、子育てに奮闘している毎日です。私が次女を出産した5年前、産後数カ月したころ、ある友人が訪ねてきてくれました。友人の3歳の息子は「赤ちゃんかわいいね~」と言っています。友人は「赤ちゃんってなんでかわいいんだろうね、ずっと抱っこしていられるよ」と言って、次女を抱っこしてくれました。友人は子ども好きで、私の娘たちとも遊んでくれたり、会うたびにちょっとしたプレゼントをくれたりといつも喜ばせてくれます。そのうち、長女と友人の息子はブロック遊びに夢中になり、次女は授乳の後お昼寝タイムへ。リビングの一角に置かれているベビーベッドに次女を寝かしつけて見守りながら、友人とゆっくりお茶を飲みながら話すことに。友人は再び「赤ちゃんいいよね、もうかわいくてずっと見ていられる」と言ってくれました。そのとき私は、「赤ちゃんがよっぽど好きなんだね」と返しながら、若いころに友人が「結婚したら3人くらいは子どもが欲しい」と言っていたのを思い出しました。しかし、デリケートな話題なので触れないように気を付け、お互いの近況などを語り合う流れに。「産後からレスで…」と打ち明けた友人しばらく共通の友人の話題などで盛り上がった後、友人がふと「実は息子にきょうだいを作ってあげたいし、2人目が欲しいなと思ってるんだけど……産後からずっとレスで……」と漏らしたのです。聞いてみると、友人は産後の肥立ちが悪く、数カ月たっても慣れない赤ちゃんの世話などに参って大変だったそう。「とても夜の生活のことまで考えられなくて」と言いました。「しばらくたってからやっと体力回復してきたんだけど、夫も私が大変だったの知っているし、今度はどうしたら以前のようになれるのか、お互いにわからなくなっちゃって……」と、真剣に悩んでいる様子。私は「大変だったんだね」と言いながらも、どう答えていいかわかりませんでした。とりあえずスマホで「セックスレス解消法」と検索。そこには女性らしさを意識することや2人で過ごす時間を増やすことなど、セックスレスを解消する具体的な方法が書かれていました。友人は私がなんでもすぐにスマホで検索することをからかい「よくこんな恥ずかしいこと検索履歴に残せるね」と笑いながらも、「意外と人の体験が役に立つんじゃない?」と、2人でじっくり参考サイトを見ることに。「ムードを意識してお互いの気持ちを高め合いましょう」などと書かれた情熱的な文章に吹き出して笑うこともありました。が、記事を読みながら友人は「たしかに美容院へ行く回数も減ったし、洋服も全然買ってないかも」とまんざらではない様子。さらに「2人で過ごす時間? 普段は疲れてすぐに寝ちゃうし、休みの日も2人で過ごすことなんて全然なかったかも」と言ったのです。真面目な友人が解消法を素直に試した結果友人は「自分の履歴には残したくない!」と、私のスマホでセックスレス解消記事を真剣に読み込んで「悩み聞いてくれてありがとうね」と言って帰って行きました。友人はそれから真面目にセックスレスの解消記事に忠実に努力してみたそうです。まずは美容院へ行き、洋服を買ったりダイエットをしてみたり、いろいろと身なりに気を付けてみたとのこと。そして子育てや仕事で疲れていても、夫と過ごす時間を少しでも作ろうと努力したそうです。両親が子どもを見てくれている間に2人で出かける機会も作ったと話していました。そしてある日、正直に2人目が欲しいことを伝えたらしいのです。すると夫も2人目が欲しいと思っていたそうで、気持ちを確認できたことがよかったと話していました。その後関係は改善したのか、友人からセックスレスの悩みを聞くことはなくなりました。次女の出産祝いに来てくれてから2年後、友人は待望の第2子を授かり、元気な女の子を出産しました。あのとき調べたセックスレス解消法は「産後だからレスでも仕方がないと思い込んでいたマインドを変えるのに役立った」と友人は言います。レスに悩み「どうしたらいいかわからない」と思う自分を受け入れ、焦らずに夫との関係を少しずつ改善するように努力したと話していました。まとめセックスレスはとてもデリケートな問題で、夫婦関係や状況によって問題の根深さは大きく異なり、解消法はなかなか見つけられないのかもしれません。友人の場合は、夫婦関係がよかったことに加え、夫婦で話し合い、素直に問題に取り組んだことが問題解決につながったのではないかと思います。デリケートな悩みでも人に打ち明けてみたり、問題に正面から取り組んだりすることで解決することもあるのだなと、勉強になった出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/田川 ゆうこ(36歳)体形の悩みは出産がきっかけなのか自分がきっかけなのか……悩む三姉妹の母ライター。今年こそダイエットを卒業したいです。
2024年01月21日私は産前から、足のむくみに悩まされていました。それが2度の妊娠、出産を機に症状が悪化し、大変なことになってしまったのです……。年々悪化する下肢静脈瘤私は産前から、左足に「下肢静脈瘤」を抱えていました。第1子妊娠中に左足だけむくみがひどくなり、主治医に相談したところ、産後に外科に相談しようということに。しかし第1子出産後、育児に追われ、足のむくみで外科を受診することなど忘れてしまっていた私。 そして、外科へ行く間もなくあっという間に2年がたち、第2子の妊娠が判明。そこで、また下肢静脈瘤による足のむくみに悩まされることとなったのです。第2子の妊娠中は第1子妊娠中よりもかなり足のむくみがひどく、足首の境目がわからないほどむくむ日もありました。 見た目も血管がボコボコ浮き出て、足を出すような洋服は着られません。産院では再び、産後に外科を受診するように言われました。私なりに食事に注意したりマッサージをしたりして乗り越えた第2子の出産。 出産が終われば、少しはラクになるだろうと勝手に思い込んでいた私でしたが、一番ひどくなったのは第2子を出産して3カ月ぐらいのときでした。朝、足がむくんで足が痺れたような感じがして起き上がれないことがあったのです。私は、すぐに外科を受診しました。すると、即手術が決まったのです。 私の下肢静脈瘤は遺伝性のものだと診断されました。私の父も祖母も下肢静脈瘤の手術をしていたからです。手術は1泊2日でおこなわれ、無事に成功。私の場合は、レーザー療法と言って、静脈の内側をレーザーで焼いて閉塞させる手術だったため、傷痕もほとんどありません。また、医療保険に入っていて保険が適用されたため、金銭的な負担も少なく手術ができました。 結果、手術をして日々の生活がとてもラクになりました。以前のように足がむくんで足首が見えない、歩くのが痛いということはなくなり、とても快適な生活を送っています。そして今も、予防のために長時間同じ姿勢をしたり、塩分を摂取しすぎたりしないように気をつけています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:なかまる あゆみ
2024年01月15日丸二日陣痛に耐え「本当に命がけ」(※画像は丸山桂里奈さんオフィシャルブログより)今年2月、タレントの丸山桂里奈さんが第一子女児を出産 。陣痛から二日間かかったといい、「正直スーパー難産でした丸二日陣痛に耐えました」「記憶が飛びながら、出産は命懸けだよて言われましたが、本当に命がけでした」とかなり大変な出産になったことを明かしています。現在は仕事復帰し、夫の本並健治さんと協力しながら子育てを楽しんでいるようです。4月には女優の佐々木希さんが第二子の出産を公表し、「愛おしい存在がまた一人増え、賑やかな日々を過ごしています」「幸せです」と綴りました。9月には地元の秋田県にて、佐々木さんの母親が作ったプロ顔負けの手料理でお食い初めをしたようです。タレントの平愛梨さんは5月に第四子男児の出産を発表。夫でサッカー選手の長友佑都さんが海外で活動していたことから、上の子3人はすべて外国での出産で、日本での出産は4人目にして初。末っ子は兄弟の中で「1番PAPAに似てる」といいます。「ほぼ諦めていた」立ち会い出産が実現!(※画像は土屋太鳳さんオフィシャルブログより)女優の木村文乃さんは7月、「無事出産しまして母子共にとても健康です!公私共に一瞬一瞬を大切に歩んでいきます」と報告。木村さんといえば、Instagramでおいしそうな手料理写真をたびたび公開していますが、手料理写真の投稿とともにさらっと出産を報告していました。自然体なところが魅力の木村さんらしいですね。8月にはお笑い芸人のおばたのお兄さん が、妻のフジテレビアナウンサー・山﨑夕貴さんが第一子男児を無事に出産したと報告。臨月の時期、おばたのお兄さんは舞台の仕事があったそうで、立ち会い出産は「仕事のスケジュール的にほぼ諦めていた」そうですが、息子が「親父の千秋楽日を見計らって次の仕事までの間に出て来てくれた」ため、無事に叶ったよう。出産時からさっそく親孝行ぶりを発揮してくれたようです。同月には女優の土屋太鳳さんも第一子出産を報告。「秋暑の候、暦が巡りつつも鮮やかな空の日にあらたな命を迎えることが出来ました。奇跡の連続でした」と、詩的な表現での出産報告でした。9月には赤ちゃんを連れて外出した際のショットを公開し、産後の生活について「今まで体験したことのないタイプの慌ただしさ」と明かしていました。3人目の育児は「ちょっと余裕がある」?11月にはタレントのギャル曽根さんが第三子女児の出産をYouTubeで報告。 8年ぶりの出産で、陣痛の苦しみは「もう忘れてた」そうですが、実際は「本当につらくて」。一方で、出産時には夫や子どもたちが立ち会ってギャル曽根さんを励ましてくれたそう。3人目ということもあり、「ちょっと余裕がある」「1人目と2人目の時は余裕がなくて、もっと抱っこしておけばよかったなと思うけど、(3人目は)ずっと抱っこしてる」とベテランママらしさも見せていました。12月にはタレントの浜口順子さんが第一子女児、タレントの福田萌さんが第三子男児、フリーアナウンサーの笹川友里さんが第二子男児を出産したことを報告しており、まさに出産ラッシュ!直筆のメッセージや赤ちゃんの写真など、それぞれの個性が感じられる形で出産報告をしています。同じく12月に第二子女児を出産した元乃木坂46の衛藤美彩さんは、妊娠中二度の切迫流産を経験していたと告白。現在も「産後の疲労やホルモンの変化、身体の痛みもまだ残って」いる一方で、「尊い新生児期を思う存分噛み締めています」と、喜びもひとしおのよう。「立ち会い出産ができ、最後は夫が横にいてくれて娘の誕生の瞬間を一緒に迎えることができたことがとても心強く、嬉しかったです」とも綴っており、夫婦の絆もさらに深まったようです。立ち会い出産をすると決めたらしっかり準備を!最近は出産の立ち会いを望むパパが増えています。我が子誕生の瞬間を夫婦で共有できる経験はとても貴重ですね。出産に立ち会う男性は、しっかりとパートナーをサポートしてあげてください。特に初めての出産だと、想像以上に苦しむ姿を前に何をしてよいのかわからず、結局オロオロしていただけだったということも珍しくはありません。立ち会い出産すると夫婦で決めたら、パパは両親学級などに参加して一般的な出産の進み方を知っておく、妊婦健診に同行して妊娠の経過や起こり得るリスク等を医療従事者から直接聞く、陣痛の最中に妻の背中や腰をさすってあげるなど立ち会い当日にできることが何か覚えておくなど、前々から準備しておく必要があります。一生の宝物にもなる貴重な体験を夫婦で分かちあうためにも、出産を万全の体制でサポートできるよう、しっかり準備しておきたいですね。参照:【医師監修】立ち会い出産準備で夫ができる4つのポイント
2023年12月26日■帰宅後慣れない家事をしても罵倒されて息子の翔太が生まれるまで、夫婦仲は良いほうでした。ひかりを休ませてあげたいと思ってしたことが全部否定され、純は落ち込む日々。しかし、「産後は女性の感情の浮き沈みが大きい」と本を読んで知っていたので、できるだけ妻の感情に寄り添い、育児よりも家事をやるようにしてみたのです。たしかに家事に慣れていないから、不快に感じるときもあるかもしれないが、仕事から帰ってきて、家事もしているのに文句ばかり言われることで、純は次第に孤独になっていったのです。子どもが生まれて幸せなはずなのに、家にいるのがただただ苦痛になっていきました。「結婚する相手、間違ったわ」とまで言われ…妻の両親は平日も入り浸りなのに、純の両親には生まれてからまだ一度も会わせてもらえてない。両親への申し訳なさと、自分の不甲斐なさに、ついカッとなって大声を出してしまったのです。妻と夫、どちらの意見にあなたなら共感しますか? 読者のみんなの意見をご紹介します。こちらは投稿されたエピソードを元に2020年11月18日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に集まった読者からのコメントをご紹介します。■産後クライシスは夫婦の分かれ道まずは、この漫画全体に対する意見からご紹介します。妻がひどすぎるという意見が多いなか、産後のメンタルは本人ではどうしようもないのだから、男性側が完全フォローすべきという意見もありました。・旦那さんに対してかなり酷いことをしているのに、奥さん側は反省はないんですか? それとも本性がこれだったんですか? 旦那さんの気持ちを考えることはできないんでしょうか。旦那さんがかわいそうだなと思いました。・こんなにしてくれる旦那さんっているのかな?という感じです。 うちは今、会話がほとんどなく「おはよう」「いってらっしゃい」を言っても無視されます。 話しかけても、テレビを見ながらで、聞いてるのか聞いていないのか分からない状態で、とても虚しい毎日です。 ・かなり不愉快になった。この妻も姑も、元々性格が悪かったんだと思う。離婚すべき。こんな人たちとかかわり合いたくもないし、友人にもこんな女がいたら縁をきりたい。・こんなことしたら間違いなく夫は逃げるのに。一人で育てるつもりならいいですが、人の気持ちが想像できない時点で、夫が逃げようが不倫しようが文句は言えないと思います。・旦那さんは自己中心的だと思います。 女性にとって出産及びその後のホルモンバランスの変化による苦しさは男性には分かりません。イライラして当たり前だし、自分の子どもを苦しい思いをして生んでくれた妻に対して、感謝の気持ちしか持ってはいけないし、妻の言うことに従うのは当たり前です。 一生続くわけではないし、出産後の不安定さを理解してフォローできない男は父親になるべきではない。・産後うつ、産後クライシスは深刻。何よりも産後辛いのはママではあるけど、協力し合い、思いやれるような関係性になれる方法が知りたい。ただ、ご主人が矛先となるのは読んでいて辛かった。次にご紹介するのは、同じような立場の夫からのコメントです。結婚や出産で妻が別人のように変わってしまった、自分のできることはやったのに認めてもらえなかったなど、男性側からの切実なエピソードが届きました。・妊娠がわかって、妻の実家に居候して現地で仕事を探しながら生活してました。ちょっとしたことで義母に叱られたことに反論したら、今までなら絶対私の味方をしてくれる妻が、義母の味方をして一緒に責めてきました。妊娠して変わってしまったんだとその時改めて思い知らされました。その後、妻の実家から離れて義母と距離を置くことで、妻の態度が戻りましたが、やはり妊娠後、出産後は別人だと捉えてます。そう捉えた方が精神的にいいと思います。解決は自分が変わるしかないと諦めました。妻が悪い、変わってしまったという記事は少ないなか、とても共感できる記事でした。・全く同じ状況で絶句しました。私も通勤に2時間かけておりましたし、 電車も最短の時間を大急ぎで乗り、子どもをお風呂に入れて、寝かしつけも担っていました。しかしながら足手まとい扱いでした。 妻の望む父親でいられませんでした。力不足は認めますが、そんな扱われ方をしないといけないのか、自分は仕事も辞めて家族を守ったのに…という気持ちをぬぐえませんでした。乗り越えられませんでした。 妻は子を連れ去り別居。 やりとりは手紙のみです。 一切会わせてもらえません。最後にご紹介するのは、産後に夫に辛くあたってしまった経験のある女性たちからのコメントになります。自分でもどうしたらいいのかわからない、あの時は追い詰められていたという人から、子どもが生まれる前まではできていた夫の世話に限界を感じたという人まで。・同じようにしてしまっています。旦那さんに怒鳴りまくっています。奥さんの気持ちがよくわかります。 どうしたらよいのか私自身もわかりません。・産後、腱鞘炎で辛く、泣いてるのに抱っこもできなくて追い詰められていた。夫が何もせず寝ているので、我慢の限界で怒鳴ってしまったら「自業自得、アホ」と言われ、張り詰めてたものが壊れ、実家に帰った。・子どもが生まれてから、私の産後クライシスもあってか、旦那の嫌なところがどんどん目につくようになりました。 子どもが生まれる前は、旦那のだらしないところも全てカバーしてなんでも母親のようにやっていました。でも、実際子どもができると必然的に優先順位は変わります。 自分の時間でさえ子どもに捧げてる私に対して、旦那は夜にテレビを見ながらお菓子を食べて、そのままソファで寝落ち。家計のこと、保育園のこと、年末調整やらの書類関係…すべての責任を私1人で抱え込み、いつしか旦那への信頼感はゼロに。とうとう限界を迎え、旦那の両親に相談するも「あいつを自分の子どもだと思ってくれ」と言われました。 私にはもうこの言葉が全てのように思えて、きっと二度と忘れないと思います。今はまだ子どもが小さいので耐えていますが、将来的には離婚を考えています。 子どもが生まれて現実を生きる女性と今までの二人の生活の延長線上にいる男性。二人が交わる交差点はあるのでしょうか。両親を巻き込むとさらに事態が悪化しそうに思えます‥二人が理解し合える日は果たしてくるのでしょうか。▼漫画「夫を追い詰めた産後妻」
2023年12月25日怖がりなしおさんは無痛分娩を選択し、元気な女の子を出産。しかし、しおさんいぼ痔になってしまうのです。入院生活4日目の夜。出産を終えたママたちと院長が集まりお話をする「お茶会」が開催され、しおさんも参加するのですが……。ここでもおしりの痛みに襲われ、我慢できず病室へと戻ってベッドに倒れ込みます。枕を抱えながら何て散々な入院生活なんだと思うしおさん。しかし、明日で退院だからと割り切り仮眠をとります。夜間授乳のため目覚め授乳を終えると、赤ちゃんを見つめながら「黄疸と聞いた時は取り乱したしまったけどきっと大丈夫」と思い「赤ちゃんの生きる力を信じよう……」と心に誓うのでした。ついに退院当日。迎えにきた夫と帰る準備を進めるしおさん。黄疸の治療をしている赤ちゃんの退院日について聞いていないと心配なしおさんのもとへ助産師さんが現れます。 もう問題ないってさ! 病室に来た助産師さんは、「よし! 帰っていいよしおさん!」と言いました。続けて「赤ちゃんももう問題ないってさ!」と自信たっぷりの顔で言います。その言葉を待っていたしおさんはうれしさのあまり号泣するのでした。 赤ちゃんの退院の準備も済ませ、最後に院長へお礼を伝えたいと思っていたしおさん。しかし、おしりの痛みで廊下を歩くのもままならないため断念し、車へと乗り込みます。車の窓から外をみると、そこにはには院長と受付の方の姿がありました。窓から「お世話になりました! ありがとうございました!」と伝えるので精一杯なしおさん。車の窓から眺める久しぶりの外はカラッと乾いた10月の陽気が心地よいものでした。 退院してからもおしりの痛みに悩まされるしおさんでしたが、後日肛門科を受診するとあんなにも悩まされたのにも関わらずすっかり消えていました。いぼ痔との訣別をすることで自分らしさを取り戻したしおさん。ここからしおさん夫婦の育児生活がスタートするのでした! ◇ ◇ ◇ 初めての出産に産後の入院生活。そこに突如としてできてしまったいぼ痔に悩まされたしおさん。赤ちゃんが黄疸で治療したりと不安なこともありましたが無事、一緒に退院することができてよかったですね。大変だった入院生活も、頼れる医師や病院スタッフさんがいたからこそいい思い出になったのではないでしょうか。これからは家族で力を合わせて全力で子育てを楽しんでほしいですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター しお
2023年12月20日怖がりなしおさんは無痛分娩を選択し、元気な女の子を出産。しかし、しおさんいぼ痔になってしまうのです。その後は赤ちゃんのお世話におしりの痛みにとバタバタな入院生活を送ります。入院生活4日目、「今日の夕方に院長が内診するから一緒に来てちょうだいね」と助産師さんに言われ、院長のところへ向かうしおさん。さっそく内診が始まり、いぼ痔を見た院長が「コレ押し込んだほうが楽になるからついでに押しちゃうね!」と言います。抵抗するしおさんでしたが、院長の力技で痔を押し込まれるのでした。その後、面会にきた夫に赤ちゃんの黄疸のことや院長に痔を押し込まれたことなど、1日の出来事を伝えるのでした。入院生活4日目の夜、産院の2階にある待合室に明るいことに気づいたしおさん。そこでは、出産を終えたママたちと院長が集まりお話をする「お茶会」が開催されていました。助産師さんに誘われ参加することとなったしおさんですが……。 奴の存在を感じる… 入室すると「遠慮しないで好きなの食べなさい!」とおやつを手渡され、さっそくおもてなしをうけるしおさん。素敵な企画だと感心する一方で、素直に楽しめていないことに気づきます。「私の赤ちゃんだけがこの場にいないから?」と思ったのですが、やはりここでもおしりに痛みがあらわれます。 我慢できず病室へと戻ってベッドに倒れ込み、「もっとお菓子も食べたかったし話したかった」と嘆きます。枕を抱えながら何て散々な入院ん生活なんだと思いながらも、明日で退院だからと割り切ります。赤ちゃんと一緒に退院できるのか心配しつつ、夜のお世話のため仮眠をとるのでした。 夜間授乳のため目覚めたしおさん。授乳を終え赤ちゃんを見つめながら、「黄疸と聞いた時は取り乱したしまったけどきっと大丈夫」と思い直し、「赤ちゃんの生きる力を信じよう……」と心に誓うのでした。 ◇ ◇ ◇ 出産を終えたママたちや院長と話す機会を逃し、悔しがるしおさん。常に赤ちゃんのお世話で忙しい入院生活は孤独を感じることも少なくありません。それでも「赤ちゃんの生きる力を信じよう」と心に誓うしおさんは、とても強く素敵です。退院まであと少し、不安や寂しさはあるかもしれませんが前向きな気持ちのまま頑張ってほしいですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター しお
2023年12月19日怖がりなしおさんは無痛分娩を選択し、元気な女の子を出産。しかし、しおさんいぼ痔になってしまうのです。その後は赤ちゃんのお世話におしりの痛みにとバタバタな入院生活を送ります。赤ちゃんが黄疸だと告げられて、不安と心配から泣きじゃくるしおさん。「治療すれば問題ないからさ。元気だしなさい」という院長のやさしい言葉に勇気づけられるのでした。その後、助産師さんがしおさんの病室を訪れ、治療中の赤ちゃんを見てみないかと提案するのですが、見たら泣いてしまいそうだと思い見学を断ります。病室から出ようとする助産師さんが最後に「今日の夕方に院長が内診するから一緒に来てちょうだいね」とひと言。しおさんは「いぼ痔を押し込まれる可能性、大!」と恐怖に震えるのでした。内診の時間が近づき、恐怖に怯えるしおさん。ついに名前が呼ばれ、入室します。 うわぁ… さっそく内診が始まると、「うわぁ…コレは痛そう……」と、いぼ痔を見たであろう看護師さんがつぶやきます。内診は続き、「コレ押し込んだほうが楽になるからついでに押しちゃうね!」と恐れていた言葉が飛び込んできます。 いくら院長でも他人にいぼ痔を押し込まれるのは絶対に回避したいしおさんと、しおさんをラクにしてあげたい院長の戦いが始まりました。「ほっといてください!」と嘆くしおさんに「少し我慢すればいいんだからじっとしてなさい!」と叫ぶ院長。しおさんの抵抗虚しく、力技でいぼ痔を押し込まれ内診が終わりました。 その後、面会にきた夫に赤ちゃんに黄疸が見つかったこと、赤ちゃんと一緒に退院ができないかもしれないこと、院長に痔を押し込まれたことなど、1日の出来事を伝えるのでした。 ◇ ◇ ◇ 「少し我慢すればいいんだからじっとしてなさい!」と言って対処した院長。少し荒っぽく聞こえるかもしれませんが、早くラクになってほしいというやさしさを感じますよね。院長にいぼ痔を押し込まれ、普通に立てるようになったしおさん、本当によく頑張りました! 入院生活もあと少し、楽しく赤ちゃんのお世話ができるといいですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター しお
2023年12月18日怖がりなしおさんは無痛分娩を選択し、元気な女の子を出産。しかし、しおさんはいぼ痔になってしまうのです。その後は赤ちゃんのお世話におしりの痛みにとバタバタな入院生活を送ります。入院生活も4日目。昼食の準備をしていると、話したいことがあると助産師さんに呼び止められます。ナースステーションへ向かうと小児科医が待ち構えていました。入院中に赤ちゃんの検査をしたと言い、1枚の紙を渡され、そこに「黄疸」の文字が。医師からの説明を聞いたしおさんはショックを受けます。今後のスケジュールを聞いても頭に入らず、黄疸について書かれた紙をぼうぜんと眺めるしおさん。昼食をとろうと歩き出したのですが……。 い、院長ぅ… 廊下を歩く足取りは重く、「赤ちゃんがおとなしいのは、どこか悪くて元気がなかったせい?」と考え、胸が苦しくなるしおさん。病室へ戻ったものの、不安で押しつぶされそうになり泣き出します。そこへ小児科の先生が現れ、「治療をすれば良くなるしきっと大丈夫だから!」と励ましの言葉をもらい泣き崩れてしまうのでした。 昼食を終え片付けをしていたしおさんは、院長と遭遇します。元気のないしおさんに「治療すれば問題ないからさ。元気だしなさい」とやさしい言葉をかけ勇気づけます。その言葉を聞きしおさんも心が和むのでした。 気持ちも少し落ち着いたころ、助産師さんがしおさんの病室を訪れ、治療中の赤ちゃんを見てみないかと提案します。しかし、見たら泣いてしまいそうだと思い、見学を断ります。返事を聞き立ち去ろうとした助産師さんが、「今日の夕方に院長が内診するから一緒に来てちょうだいね」とひと言。しおさんは「いぼ痔を押し込まれる可能性、大!」と察し戦々恐々とするのでした。 ◇ ◇ ◇ 赤ちゃんのことが心配で泣き出してしまったしおさん。不安でいっぱいなときはネガティブな言葉が頭に浮かんでしまいますよね。しかし、小児科の先生と院長に「治療をすれば大丈夫」と言われ、気持ちが落ちついたのではないでしょうか? 体も心も大変な時期だからこそ、周りに支えてもらいながらポジティブな考え方ができると良いですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター しお
2023年12月17日怖がりなしおさんは無痛分娩を選択し、元気な女の子を出産。しかし、しおさんいぼ痔になってしまうのです。その後は赤ちゃんのお世話におしりの痛みにとバタバタな入院生活を送ります。そして、3日目の深夜。赤ちゃんと2人きり、幸せな授乳タイムを送りますが、おしりが痛み出し、平穏な時間は終了。薬をもらうためナースステーションへ向かうと、偶然にも居合わせた院長が「僕が押し込んであげようか?」とひと言。恐怖を感じたしおさんは、薬を握り締め全力で病室へと戻るのでした。深夜のお世話では、う●ち漏れで寝具も服も全部取り替えるという初めての経験をしたりと落ち込むしおさん。しかし退院目前! 「明日で最後…!」と自分に喝を入れるのでした。入院生活4日目の朝。腫れ上がった左手が心配になり、病室を訪れた助産師さんに相談することに。原因は「ずっと針を刺して点滴を打っていた影響かもしれない」と助産師さん。理由がわかり納得し、1日が始まるのでした。 どうしよう… ※誤)お夜通し → 正)夜通し ※ 痛みや腫れがある場合は、無理に環納しないようにしましょう。 そして朝食の時間。またもおしりに激痛が! 刺激を与えないよう、おしりを浮かせながら朝食をとるしおさんは、薬をもらうことを決意します。しかし助産師さんからは「ちゃんとトイレで押し込んでみた??」と言われ、何度も聞いたそのセリフにイライラしてしまうのでした。 そして昼食の準備をしていると、話したいことがあると助産師さんに呼び止められます。ナースステーションへ向かうと、小児科医が待ち構えていました。医師に入院中に赤ちゃんの検査をしたことを告げられ、1枚の紙を渡されます。そこには「黄疸」の文字が。その紙を読み続けると、「脳の組織にダメージを」「後遺症で体が麻痺」と信じられない言葉が並び、ショックのあまりしおさんはぼうぜんとするのでした。 ◇ ◇ ◇ 突然小児科医に「黄疸」と言われ、不安になるしおさん。聞き慣れない言葉にショックを受けるのも無理はありませんよね。助産師さん曰く、黄疸が強くなると、肌や白目が黄色く染まって見えると言います。少しでも気になるときは、自分で判断せずに先生に相談することをおすすめします。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター しお
2023年12月16日怖がりなしおさんは無痛分娩を選択し、元気な女の子を出産。入院生活3日目の入浴中。おしりの違和感があり触ってみると、なんといぼ痔が。痛みに堪えながら沐浴指導を終え、病室へ戻ると今度は左腕がパンパンに腫れ上がっているのでした。おしりの痛みに左腕の異変と体の不調が続くしおさん。さらに余裕の表情で院内を歩くママたちを見て、「なんで私だけボロボロなんだ?」と落ち込んでしまいます。その後、夫が面会に来たのですが、すぐに授乳の時間になります。殺気だった顔で必死に授乳するしおさんの姿を見て「あとちょっとだよ」と励ます夫。その言葉を聞いたしおさんは「あと2日で帰れるんだ!」と気を持ち直すのでした。面会に来ていた夫も帰り、夜間授乳のために少し仮眠をとるしおさん。アラームの音で目覚め、授乳室へと向かいます。真っ暗な深夜の廊下には、別室にいる赤ちゃんたちの泣き声が響き渡るのでした。 おしりが限界だ…!! ※痛みや腫れがある場合は、無理に環納しないようにしましょう。 他の赤ちゃんが泣き声を上げる一方で、しおさんの赤ちゃんは大泣きすることもなくとても穏やか。寝れなくて体は痛くてつらいけど、赤ちゃんと2人、誰にも邪魔されないなんて……と幸せな時間に浸る中、おしりが痛みだし平穏な時間はあっけなく終了。薬をもらうためナースステーションへ向かいますが、「あんまり使いすぎても効き目なくなっちゃうからね」と助産師さんに言われてしまいます。さらには「ちゃんとグッて押し込んでみた??」と、聞き慣れたセリフを聞くこととなるのです。そして偶然にも居合わせた院長が「僕が押し込んであげようか?」と。その勢いに怯むしおさんは薬を握り締め、全力で部屋へと戻るのでした。 病室へ戻り赤ちゃんを眺めながら、授乳以外で抱っこすることができなかったと涙ぐむしおさん。ボロボロの状態のしおさんのことを察しているかのように、寝床に置けば静かに寝てくれる赤ちゃんなのでした。あまり泣くことはないけれど、深夜にうんち漏れで寝床も服も替えるという事件が起こったりお世話は大忙し。初めてのことばかりで落ち込むしおさんですが、「明日で最後…!」。キリッとした表情をし、自分を奮い立たせるのでした。 ◇ ◇ ◇ 入院生活中、授乳以外で赤ちゃんを抱っこすることができなかったと寂しい気持ちになるしおさん。産後は体が思うように動かずに悲しくなることもあると思います。 助産師さん曰く、出産後約6〜8週間目までの産褥(さんじょく)期は、基本的に運動だけでなく、家事などもできるだけ控え、安静に過ごすことが必要だと言います。この時期に無理をすると産後の回復が遅れるだけでなく、場合によってはしっかり回復できずに、更年期になって尿もれや骨盤臓器脱(子宮が体外に出てきてしまう症状)になることもあるのだとか。 産後は、家族に頼ったり、公共・民間サービスを利用するなどしてゆっくりと体を休めることに専念しましょう。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター しお
2023年12月15日2人目を出産した私は、産後ヘルパー派遣を依頼することにしました。産後ヘルパーとは家事代行をメインに、必要であれば赤ちゃんのお世話もしてくださる方のことです。依頼後、心待ちにしていた私でしたが、イメージしていたヘルパーさんではなく、75歳の方が来て……。 現れたのは、腰の曲がった高齢者依頼した初日、ヘルパーの派遣会社の主任のAさんが来訪。私は洗濯の仕方やキッチン用品の収納場所などを説明し、Aさんはその内容をメモに取っていました。次の依頼日、Aさんは別の女性スタッフの方と一緒でした。「Bと言います。75歳ですけど、動けますので、何でも言ってください」と、AさんからBさんを紹介されたのです。 「え!? 腰が曲がっているし、洗濯物を干す高いところなど大丈夫かな……」と私は不安に。Aさんはその日、前回私が伝えた内容をBさんに説明してくれたようです。そして「次回からBがひとりで参りますので、よろしくお願いします」とAさんが言って、2人は帰りました。 遅刻に愚痴!? ラクじゃなかった家事代行数日後の依頼日。Bさんは約束の時間から30分経っても来ませんでした。遅刻してきたBさんは、私の腕にすがりつき「ごめんなさい! 家の場所がわかりづらくて」と謝ったあと、「あの主任うるさいのよ。ちょっと遅刻したくらいで、いつも怒られるの」と愚痴をポロリ。私は「なんで今、そんなことを私に言うのだろう」と思いました。 その後は「これはどうやるのかしら?」と洗濯の仕方、包丁の場所などを聞かれ、私は「この前Aさんが教えていたのに……」と思いながらBさんに教えました。Bさんが帰るころには、私はぐったり。 Bさんが一生懸命にお仕事をしていたのが伝わったので迷いましたが、私はAさんに、Bさんを担当から外してもらうようにお願いしました。 それ以降、40代のテキパキとメモを取りながら仕事をするスタッフCさんが来てくださることに。年齢で判断するわけではありませんが、来てくれるヘルパーさんによって対応は大きく異なるということを実感。私は人にあまり物を言えないタイプですが、人に頼るときは自分の要求を明確にして、求めているものと違うときには「NO」と伝えることも大切だと学びました。 監修/助産師 松田玲子作画/キヨ著者:下園ひかり
2023年12月12日