■前回のあらすじ切迫早産のため入院生活に。36週を迎えたある日、同室の妊婦さん達と談笑中に突然出血してしまい…。■緊急帝王切開が決まり…■本陣痛との闘い…いよいよ手術が始まる!私の場合、妊娠高血圧症と血小板減少症があったため、あらかじめ全身麻酔が決まっていました。頼りになる助産師さんたちの言葉や、妊婦仲間や家族からの声援はとても心強かったです。次回に続く「双子妊娠出産レポ」(全8話)連載は12時更新!本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年09月09日子どもは出産予定日に元気に生まれてきて、当たり前に元気に育つものだと思っていました。でも予想外に早産になり、生まれてきた子は低出生体重児だった私が、入院中に大変だったと感じたエピソードを紹介します。 低出生体重児で生まれた息子私が息子を産んだのは妊娠33週でした。おなかが張る感覚と共に痛みがきて、張り止めの点滴も効かず帝王切開であっという間に出産となりました。生まれた子の体重は1,750gで低出生体重児。すぐにNICU(新生児集中治療室)に入り、いろいろな検査や処置がおこなわれ、たくさんの管が繋がった状態の息子に会ったときは不安で仕方がありませんでした。 検査の結果、大きな障害などはないものの呼吸が不安定なことを知り、ますます不安な気持ちが大きくなったことを覚えています。NICUでの入院中はもちろん、この先の生活に支障が出ないのか、何もかもが不安な私たちに先生も看護師さんたちもとても親身になって現在の呼吸状態や体重の増加についてさまざまな説明をしてくれました。 息子が入院中の面会帝王切開で出産した私は、産婦人科での約2週間の入院生活を終えて退院しましたが、息子はNICUに入院していたため、帰省先の実家から毎日会いに行きました。息子の入院する病院は実家からそう遠くはなかったのですが、やはり産後の回復しきっていない体には知らず知らず負担がかかっていたように思います。 午前10時ごろ面会に行き、帰宅するころにはぐったりしていました。それでも毎日のように面会に行けたのは、愛しのわが子に会えてうれしい気持ちや今日も元気でいる姿を見られて安心できたからです。大変だと思う反面、会えたときはやはり幸せな気持ちでいっぱいになりました。 出るの? 出ないの?な母乳事情NICUに入ってすぐは、息子にはたくさんの管がつながっており、直接母乳を飲ませることはできませんでした。しかし出生後すぐの赤ちゃんに母乳は重要だからと、搾乳の方法を習い、搾っては届けるという方法で息子に母乳を飲ませていました。これが不器用な私にはかなり大変でした。手はべたべたになるし量もあまり出ないし……。毎回少し落ち込みながら搾乳し、NICUの看護師さんに渡すときは「少なくてすみません」が口癖になっていました。 そしてようやく生後6週目ごろ、直接母乳を飲ませられるようになったもののあまりうまく飲ませられず、結局は母乳をやめてしまいました。母乳をやめたことに負い目を感じたこともありましたが、育児用ミルクは飲んだ量を管理できるという利点もありました。 早産になり、帝王切開を経て出産を経験し、さらに息子が低出生体重児でNICUに入院したりと、母子共に大変だなと感じることのオンパレードでした。しかし過ぎてみると周りの人たちのサポートをたくさん受けて乗り越えられたと思います。子を産み育てることは誰しも簡単なことではないですが、それをわが子や周りの人たちのおかげで学べたことは幸いなことでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2021年09月08日私が34歳のときのお話です。あれ? 生理が2カ月くらい遅れてる? 前よりも太った? お酒が大好きだったのに自然と受け付けない……と思いつつ、現実を受け止められなかった私は見て見ぬふりを。しかし、当時の部下から「絶対妊娠しているから、早く検査したほうがいい」と言われ、妊娠検査薬を購入し検査したところ陽性。父親は、交際途中からストーカーのようになり、1カ月前に別れた男性であることはわかっていました。 妊娠判明から、人生で一番悩んだ日々元カレには一度暴力を振るわれたこともあり、妊娠の事実は絶対に伝えないと心に誓いました。同居する母にも言えず、ひとりで育てられるかという不安はもちろん、もう1つ心配事があり、かかりつけの婦人科医へ相談したかったのですが休診日。 仕事も忙しい時期だったため、初診時はすでに妊娠12週4日でした。かかりつけではない産科を受診し、「最短の中絶の手術予約日にはすでに妊娠4カ月になってしまうため、こちらではできない」と言われ、以前子宮内膜症の手術をした大学病院への紹介状をもらいました。 しかし、大学病院に行くと「この週数での中絶はおこなっていない」と言われ、今度こそかかりつけの婦人科医へ。 実際にエコーを見て「絶対に産みたい!」私は妊娠前からうつ病と診断されており、薬を飲みながら治療を続けていたため、妊娠・出産に対してメンタル面での不安もありました。しかし、一番の気がかりは、胎児の奇形リスクが高いと言われているてんかんの薬を、妊娠初期も知らずに服用していたこと。 医師は「この薬を飲みながらでも、元気な赤ちゃんを産んだ人をたくさん見てきた」と出産を後押し。また、前回初めておなかの赤ちゃんのエコー写真を見て、私の体の中にはもう1つの命があると実感していたこともあり、「やっぱり私、この子を産みたい!」という気持ちが芽生え、出産に踏み切りました。 母からの条件「羊水検査 異常なし」妊娠4カ月に入ったころに、妊娠検査薬で陽性になり産婦人科へ行ったこと、そして、出産したいと思っているとを母に伝えると、もちろん猛反対。もし障害児だった場合、母も70歳近くのため、いつまで手伝えるかわからないと言われ、羊水検査をして異常がないことを条件にされました。※羊水検査ですべての先天性疾患を診断できるわけではありません。 妊娠5カ月ごろに羊水検査を受け、結果は異常なし。そして、検査結果により男児だと判明! 子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開と決まったので、妊娠34週まで仕事に通い、産休へ。出産すると決め、刻々と時期が近づいてくるとともに、母も協力的になってくれました。 出産前に35歳、ハイリスク出産へ子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開。ただですら、メンタル疾患、てんかん疑いのある私は、予定日の約1カ月半前に35歳になり、ハイリスク出産となりました。 出産は無事に終えたものの、生まれたあとが大変。昼夜問わず1~2時間で起きる赤ちゃん、そして母乳が出ず、育児用ミルクの飲みも悪くて赤ちゃんの体重が増えず、私の心と体は崩壊寸前でした。24時間以上不眠状態が続き、生後3日目の日、特別に産婦人科にメンタルの先生が往診。その夜は赤ちゃんを預けて、メンタルの薬でぐっすり眠りました。 私は20代後半で子宮内膜症の手術をして、妊娠しづらい体だと思い込んでいました。思いもよらない妊娠ではありましたが、子どもを産むことを選び、本当によかったと思っています。また、仕事復帰した今、私が残業で遅くなることも多く、子どもにはかわいそうな思いをさせることも多々ありますが、私のところにきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:おおこし 侑紀4歳のわんぱく男児を育てる未婚のシングルマザー。調剤薬局にて薬剤師歴15年以上。医療編集プロダクションにも属し、主に医療系記事の執筆をおこなうライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年08月26日健康妊婦だったにもかかわらず、出産時突然「子癇発作(しかんほっさ)」を起こして意識不明になった私。母子共に奇跡的に無事だったものの、最終的には子どもと離れ、ひとりMFICU(母体胎児集中治療室)に運び込まれることになってしまった私の慌ただしい出産体験を、反省と共にお話しします。 ※子癇発作(しかんほっさ):子癇とは主に妊娠20週以降に初めて起きるけいれん発作のことで、てんかんや二次けいれんではないものを言います。初産婦さんや若い妊婦、妊娠高血圧症候群の人に多いと言われています。 順調なお産と思っていたのに!?出産予定日を1週間超過し、この日に出産兆候がなければ陣痛促進剤を打つと言われていた「最後の健診日」の直前、尿漏れか迷うくらいのわずかな破水から出産がスタートした私。即入院となり、陣痛は徐々に強まるものの、なかなか子宮口が開かずいきめない状態が続きました。 深夜を過ぎても赤ちゃんは頭すら出てこず、結局陣痛促進剤を使用することになったのですが、分娩台に移動し点滴を打たれた瞬間、次に目覚めたのはなんとストレッチャーの上でした。 まるで医療ドラマ!まさかのMFICUへ「名前言えますか?」「今何月何日ですか?」と聞かれ、半分寝ながら答えていると、なぜか号泣している夫を発見。どうもただ事ではない何かが起きたようだと、そのとき気づきました。 そして助産師さんから「生まれたよ」と赤ちゃんを見せてもらって、初めて出産中だったことを思い出したのでした。その後、産院からはるか50km離れた大学病院でMRIを受け、MFICUに入りましたが、自分がMFICUにいると気づいたのは入院して3日経ってからでした。 お祝い膳もなし…予期せぬ入院生活立ち会い出産をしていた夫から、分娩台でけいれんを起こし泡を吹いて倒れたこと、緊急帝王切開で子どもは無事だったことなどを聞かされた私。実は、健診では正常値だった血圧が出産当日だけ正常値をやや超えていたのですが、それとは別に陣痛促進剤を投与される直前、頭痛とチカッとした光を感じていました。 すべて子癇発作の前触れだった可能性があると、あとから知ってびっくり。予定していたお祝い膳やマッサージはもちろんなくなり、わが子に会えずに搾乳した母乳を運んでもらう入院生活となりました。 最後まで何が起こるかわからないのがお産。甘く見ずにもう少し自分で情報を得ておくことが大切だったと反省しました。特に妊娠高血圧症候群でもなかったので病院での指導などはなかったものの、事前知識があれば倒れる前に相談し、何か対処できたかもしれません。自分の体のことは自分にしかわからないので、陣痛中は我慢をせずに、ささいなことでも看護師さんや助産師さんに相談してみればよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:大瀬木あさみ炭水化物と漫画があれば生きていける1男1女の母。1人目妊娠でうっかり退職してしまい、産後は職を転々としていたが、現在はライターとして漫画・アニメや子育て、グルメなど興味がある分野を中心に執筆中。
2021年08月26日初めての妊娠判明、想像もしていなかった私のおなかの中には小さな2人の赤ちゃん。一卵性双胎の妊娠〜出産までの体験談を紹介します。 妊娠判明から双子と知るまで突然食べ物の好みが変化し、いつも体がだるく、常に気持ち悪さが続いていたため、「もしかして妊娠かも?」と考えるようになった私。はじめはただの風邪と思っていましたが、体調が優れない私を見た職場の先輩に、気持ち悪さがつわりに似ていると言われ、心当たりがあった私は産婦人科を受診しました。検査をすると、お医者さんからすぐに「おなかに2人赤ちゃんがいるよ」と伝えられ、私は妊娠判明と同時に、一卵性双胎を妊娠したことを知らされました。 することがたくさんあった妊娠初期妊娠が判明した当時、夫とはまだ入籍しておらず、遠距離のため住んでいる場所からの引っ越し、また勤務している職場への報告など、することがたくさんありました。職場にはすぐに報告をし、多胎妊娠ということもあり、仕事の量を減らしてもらいながら体調と相談し、妊娠6カ月まで勤務することに……。 夫とは、妊娠が判明してから1カ月後に入籍。 引っ越しは私が退職してから本格的に始めることにし、産婦人科も変更せず通うことにしました。 このころ、つわりはひどかったのですが食べられないということはなく、元気に過ごすことができました。そして、妊娠4カ月のころには周りの人が見てもわかるくらい、おなかがポコッと前につきだしていたのです。 貧血がよく起きていた妊娠中期~妊娠後期妊娠5カ月ころになるとつわりも落ち着き、食欲が増したため、妊娠糖尿病や妊娠高血圧症候群に注意しながら食事をしていました。また、貧血を起こし外出先で倒れてしまうことが多くなり、職場に相談をし退職することに……。退職後に引っ越しをおこない、外出する際は必ず家族に同行してもらうことにしていました。 貧血を起こさないため鉄分のサプリメントを飲むようにしたら、倒れることもなくなり、気持ち的にもゆっくり過ごすことができるように。2人の成長経過も順調でトラブルはなく、一番気になっていた性別を知ることもできたのです。妊娠6カ月から急激におなかが大きくなり始め、バランスを崩し転びそうになっていたのを思い出します。 妊娠後期~ドキドキの出産 私が通う産婦人科では、多胎妊娠の場合、出産は帝王切開と決まっていました。妊娠判明のときに説明されてはいても、帝王切開と聞くと最初は怖かったです。 しかし、実際に帝王切開で出産した友人に話を聞いていたので、不安よりも2人に会える喜びのほうが勝っていました。出産まで問題はなく、やはり心の準備はできていたものの、手術台に横になると不安で看護師さんの手を握り続けていました。 硬膜外麻酔だったので下半身の感覚と痛みがなく、数回体を揺さぶられた瞬間、赤ちゃんの泣き声が聞こえ、そのあとすぐにまたもう1人違う声が聞こえて2人の誕生を迎えました。タオルに包まれた2人を片方ずつ肩にのせてもらい、すごくうれしかったです。 妊娠が判明したとき、おなかにいるのはひとりだと思っていました。2人いると聞かされたときには驚きました。今、息子たちは2歳半になり、毎日バタバタの日々ですが、双子を自然妊娠する確率が低いと言われているのに、私を選んでくれたこと、貴重な体験をさせてくれた2人に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/キヨ著者:福井吏映2歳になる一卵性双生児の男の子育児に毎日奮闘中のママ。以前は、幼稚園、児童デイサービスに勤務。主に育児に関する自分自信の経験談を執筆している。
2021年08月25日■前回のあらすじ帝王切開をしましょうと医師に言われて落ち込むも、夫の言葉で手術を決意。そして、手術室に向かったのでした。■このお産の主役は私たち!■やっと赤ちゃんに出会えた…!■無事に家族がみんな揃うことがゴール手術が始まり主人公が思ったのは、“自分たちがこのお産の主役”だということ。看護師さんはつきっきり、先生たちも私と赤ちゃんのためだけに頑張ってくれているのです。そしてついに、赤ちゃんと対面! 家族みんながそろい、お産のゴールを迎えたのです。次回に続く 「妊娠中に前ガン病変が見つかった話」(全21話)17時更新!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。イラスト/(C)おたんこ助産師参考: 子宮頸がんについて/国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター
2021年08月18日■前回のあらすじ丸2日間陣痛に耐えてきたけれど、なかなか赤ちゃんが産まれず。先生から「帝王切開でお産をしましょう」と言われるのでした。■へ? 手術? 自分の頑張りが足りなかったんじゃ…■夫のやさしい言葉に涙の決心■いよいよ手術開始! 麻酔をかけてもらい…「帝王切開でお産をしましょう」と言われ、自分の頑張りが足りなかったんじゃないかと思った妻。そんな妻に夫がかけたのは、とてもやさしい言葉でした。こうして帝王切開を決断し、手術室に向かうのでした…!次回に続く 「妊娠中に前ガン病変が見つかった話」(全21話)17時更新!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。イラスト/(C)おたんこ助産師参考: 子宮頸がんについて/国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター
2021年08月17日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は30万人でママたちの間でも話題になっています。今日は、12人目を帝王切開で産んだHISAKOさんのおなかを大公開した動画を紹介! 帝王切開後の傷口ケア12人目を46歳で出産したHISAKOさん。11人目までは経膣分娩だったので、今回が初めての帝王切開だったそうです。 帝王切開の方法には縦切開と横切開があります。最近は産後に傷跡が目立ちにくいということから横切開が主流。ただし、縦切開のほうが術野が広く赤ちゃんが取り出しやすいというメリットもあるため、緊急手術などのときには縦切開になることもあるそうです。 統計上、横切開の6人に1人が異常が傷跡になって残る、縦切開の3人に1人が異常な傷跡になって残ると言われているそう。今回、HISAKOさんは縦切開だったため、なるべく傷跡が残らないように産後にケアをしていたそうです。 ケアのポイントは、傷口に刺激や摩擦を与えないこと。具体的には、傷口をしっかり保湿をして、その上から術後ケア専用のテープでしっかり保護します。これにより、下着やズボンのウエスト部分などの刺激からも守ってくれるそうです。通常は産後3カ月ぐらいまでは続けるといいそうです。 12人子どもを産んだおなかを公開! さぁ、いよいよ12人出産したおなかを大公開!「これが12人産んだゆえのおなかなんですよね」と笑って話してくれるHISAKOさん。傷口も下のほうは脂厚性瘢痕になってしまっているそう。一生懸命ケアはしていても、まだまだ時間がかかるようで、これからも産後1年くらいはケアを続けるそうです。 「見苦しかったですか? 私のおなか」と少しだけ心配げなHISAKOさんですが、コメント欄には「12人産んでこのお腹って、奇跡じゃない⁉️」「気持ち悪いわけないです! 見苦しくもない! 12人産んだお腹綺麗です! 感動しました」「人のおなかをみてこんなに笑えて幸せになれたの初めてです!かっこいいおなかですね」と温かいコメントばかり。 産後の体はママの勲章最後にはHISAKOさんからママたちへのメッセージもありました。「産後に太っちゃったとか、帝王切開の傷が気になるママもいると思いますけど、それだけ自分が頑張って命を生み出して、その命を育てているというものすごいことをやった結果の勲章やわな」と話してくれました。 この力強い言葉に、ママはもちろんママ以外の若い女性たちからも尊敬する声がいっぱいです。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年08月12日妊娠中は大きなトラブルもなくマタニティライフを楽しんでいた私ですが、出産したのは4,400gのビッグベビー。出産当日は、それまで問題ないと言われていたのが信じられないくらいの難産のフルコースでした。ここでは陣痛の始まりから、思いもしなかった帝王切開での出産までの体験談をお話しします。 妊娠31週、逆子が直ったと思ったら…標準よりも大きめとわかったのは、妊娠31週を過ぎたころ。逆子と言われていたわが子の向きが直った日の健診です。この時点ですでに2,000gを超えており、初めての出産に不安を感じつつも、普通分娩での出産に問題はないとの医師の言葉に穏やかな日々を過ごしていました。 出産前最後の健診では推定体重が3,046gと大きめだったものの、私自身も3,000gを超えて出生しているのでそのぐらいなのかな?ぐらいの気持ちでいたのを覚えています。 13時間の陣痛の末、緊急帝王切開に4日の予定日超過で迎えた、出産当日。陣痛が始まり病院へ。最初はパパがサポートしてくれることへの感謝もできるくらい余裕がありましたが、時間経過とともに意識がもうろうとし、破水。3時間の陣痛の末、エコーを見た先生から告げられた言葉は、「身長150cmの体では普通分娩は難しい」でした。 そこから緊急帝王切開に切り替え、無事に元気な男の子を出産しました。生まれた瞬間の力強い産声と、先生や看護師さんの「ここ数年で一番大きい」とどよめきが起こったときは、感動と驚きと笑いに包まれた瞬間でした。 無事に出産。周りからの反応は?私は出血が多く貧血はあったものの、母子ともに健康で初めての子育てに必死になる毎日が始まりました。誰が見ても大きいわが子にかけられる言葉はさまざま。 時には、「妊娠生活の管理」や「病院側の診察が悪かったのでは?」と悲しい言葉もかけられたけれど、それよりも「きっとお母さんのおなかが居心地がよかった」「大きい子は育てやすい」。そんなあたたかい言葉に救われて、子育てに前向きになれました。 妊娠中のトラブルの有無にかかわらず、出産、そして子育てで起こることは想定外のことばかりです。大きさに不安を感じ、時には自分自身を責めてしまうことがありましたが、無事にわが子が生まれてきてくれたこと、大きいということをプラスに捉えてくれた周りの言葉に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:伊藤 美里3歳の男児の母。多忙な夫との3人家族で、ほぼワンオペ育児を楽しんでいる。料理と子どもが好きで、食に関する情報や自身の子育て経験を中心に執筆活動中。
2021年07月27日帝王切開で出産して8日後、産院からの退院日に会社を休めないか夫に電話をしたところ、予想もしなかった理由で断られてしまいます。その驚く理由とは……!? 「ママ戦記」第3話 メロ…メロンパンが……嫌、だと…? こちとら昼飯どころか、まともに寝ることも食べることもできないんじゃーーー!!!そんなママたちの叫びが聞こえてきそうなこのお話。 この投稿にママたちからは、「うちはもう夫はいないものだと思っています。そうしたらラクになりました」「衝撃すぎます! 私も似たような体験をしました」といったコメントが寄せられていました。 産後のママの心と体を労わる気持ちが、もう少し、いや、もっとあったらよかったですね。もうのはなこさんの憤りが伝わってくるようです。 そして、退院後もパパに絶望する出来事が起こります……。監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ものうはなこ2歳男子と夫との3人暮らし。 フルタイムで働くワーママ。 妊娠・出産・共働き育児をテーマに、 日々を記録する漫画を描いております。
2021年07月24日今回の内容には、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。■前回のあらすじ病院へ行くと、常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開をすることになりました。■そして手術台へ…「こんな時でも手術台に自分で上がれるんだ…」なんて頭の片隅で思っていました。あと、先生に「ライトに血が映らないようにしてください」と伝えたような気がします。そんな悠長なこと言ってる場合か…と思われたことでしょう。■赤ちゃんが取り上げられたが…先生に「ライトに血が映らないようにしてください」なんて悠長なことを言っていましたが、ここで初めて、事態の深刻さを悟りました。正直、この時のことは未だに思い出すのが辛く、怖いです。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月22日2021年4月に、緊急帝王切開で娘を産んだ、HITOMI(@HITOMI79856761)さん。緊急帝王切開とは、お腹と子宮を切開して赤ちゃんを取り出す方法で、経腟分娩(けいちつぶんべん)の途中でなんらかのトラブルにより、帝王切開に切り替えることが多いといわれます。帝王切開は、母体と子供を守るために行われる1つの出産方法ですが、日本では「陣痛に耐えて産むのがよい」といった風潮が根強く存在し、偏見に悩まされることがあります。帝王切開で産んだ母親が、小学生の娘に渡した手紙娘さんの出産を控え、入院する際に、HITOMIさんは『あるもの』を入院用のバッグにお守りとして入れていました。それは、HITOMIさんが小学生の時に、母親からもらった手紙です。HITOMIさんは「帝王切開は我慢強くない子になるっていわれたら、この手紙を読んでもらおうと思う」という1文とともに、母親からもらった手紙をTwitterに公開しました。みんなありがとう今度、帝王切開は我慢強くない子になるっていわれたら、母が私を命がけで産んだときの事を書いた手紙を読んでもらおうと思う☺️✨ pic.twitter.com/XpXjNzMVcE — HITOMI (@HITOMI79856761) June 11, 2021 手紙によると、HITOMIさんは帝王切開により、仮死状態で産まれたといいます。HITOMIさんの母親は、数々の奇跡と、多くの人々が懸命に命をつないだことで、HITOMIさんが産まれてきたことを、手紙に書いていたのです。ひとみ、あなたは本当に運の強い子だと思いました。仮死未熟児として産まれてから、その後約1年半、心臓、脳、目などのいろいろな検査をして、異常がないか、調べてもらいました。多くの先生方にお世話になりました。そして、本当に嬉しいことにどこにも異常がなく、元気いっぱいに育ちました。それが、今のあなたです。ひとみ、これだけは忘れないでほしい。あなたは本当に周りの多くの人たちに助けられたのだということを。お母さんも、あなたも、これからも感謝の気持ちを忘れないようにしようね。4枚にわたる、出産時のエピソードを明かした手紙の最後には、「たくさんの人に助けられたことに対する感謝の気持ちを忘れないでほしい」という母親からの願いがつづられていました。一連のエピソードに対し、ネット上ではさまざまなコメントが寄せられています。・手紙を読んで号泣しました。出産は本当に奇跡ですね。・素敵なお母様ですね。命がけで産んでくれたことが伝わって、心が温かくなりました。・出産の方法は人それぞれだと思います。みんな、必死に出産して、愛情を込めて子育てしていることに変わりないので…。妊娠や出産は、当たり前のことではありません。たくさんの奇跡と、周囲の人の協力が重なり合って、人はこの世に産まれてきます。出産の方法は、当事者の希望や医師の判断など、その時の状況によってそれぞれが選択するもの。正しい認識が世に広まり、帝王切開に対する偏見がなくなることが望ましいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年07月04日今回は、逆子だったため帝王切開で出産となったときのお話です。手術中、研修医と思われる若者に指導している医師に、「え……今、私のおなかで研修してる?」となったそう。 「ママ戦記」第2話 ついに出産! おめでとうございます! 吐いては食べてを繰り返した、つらい食べづわりを乗り越え、無事に産声を聞いたときの安堵感、緊張と不安からの解放感……。 張りつめた気持ちが一気に解き放たれる感覚……。帝王切開を経験したママたちからは、「最後のコマ、涙が出ました」など共感のコメントが寄せられていました。 そして、感動したのもつかの間、もうのはなこさんに厳しい産後の試練が訪れます……!※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ものうはなこ2歳男子と夫との3人暮らし。 フルタイムで働くワーママ。 妊娠・出産・共働き育児をテーマに、 日々を記録する漫画を描いております。
2021年06月30日2人目まで大きなトラブルもなく、「3人目だし、余裕♪」と思っていた長男妊娠時。妊娠28週で先天異常の疑いを告げられて、大きな病院に転院することになりました。転院先で判明した病名は「横隔膜ヘルニア」。あまり知られていないこの病気について、実際の経験をもとにご紹介します。 ※横隔膜ヘルニア:本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気 長すぎるエコー。胃が心臓の真下に?初めての男の子にわくわくしていた第3子妊娠中、妊娠28週の健診で違和感を覚えました。普段数分のエコーが、10分以上続いたのです。先生の顔も心なしか曇っています。「胃が心臓の真下にあります。横隔膜ヘルニアという病気かもしれません」正直、そう言われてもピンときませんでした。 ただ、淡々と進む大病院への転院の手続きと、看護師さんからの「まだ確定したわけではないから落ち込まないでね」という言葉に、これはただ事じゃないのではと思い始めました。 転院先で治療説明。人工肺は避けたい!転院先の大病院で診断が確定し、治療方針の説明がありました。横隔膜ヘルニアというのは本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気であること。 帝王切開で胎児を眠らせた状態で出産し、生まれた直後から人工呼吸器で治療していくこと。人工呼吸器で状態が落ち着いてから横隔膜の穴をふさぐ手術をすること。人工呼吸器で間に合わなければ、人工肺を使う可能性があること。 さまざまな説明をされ、特に人工肺には脳出血などのリスクがあると聞き、怖くて仕方がありませんでした。 出生後、容体急変! 生死を彷徨うわが子先天異常がある以外は穏やかに進んだ妊娠期間も終わり、ついに出産の日。麻酔から目を覚ました私に、夫が人工呼吸器をつけて穏やかに眠る赤ちゃんの写真を見せてくれてひと安心しました。 しかし、翌日容体が急変。恐れていた人工肺の取り付けと横隔膜ヘルニアの手術をいっぺんにおこなうことになり、不安で涙が止まりませんでした。 手術は成功したけれど…募る不安 手術は無事成功しましたが、その2日後に人工肺を取り外すことになりました。息子のサイズに合わせると小さめの人工肺しか取り付けることしかできなかったのですが、想定より肺のダメージが大きく、その人工肺の許容量を超えてしまったのだそうです。横隔膜ヘルニアの影響で息子の肺は片方しかなく、あるほうの肺もほとんど機能していませんでした。 一か八かの人工肺離脱手術が始まり、何とか成功。入院中の私は、帝王切開の痛み、3時間おきの搾乳、息子への不安でほとんど睡眠をとれない日が続きました。結局息子はその後4カ月入院、鼻に取り付ける人工呼吸器をつけた状態で退院しました。退院時は在宅医療の不安が大きく、あまり喜べなかったのが正直なところです。 息子はその後、酸素吸入器を経て1歳直前で服薬等も終わり、普段の生活で医療ケアは必要ない状態になりました。ただ、肺は未だにひとつしかなく、呼吸器系の風邪を引いたときにはこじらせて入院となることもあります。だけど、生まれたときのことを考えれば、生きているだけで奇跡だと思わずにはいられません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2021年06月28日帝王切開で出産をしたことにコンプレックスを持ち続けていたママ。言われて悲しかった・悔しかった体験談と、コンプレックスが解消したきっかけを紹介しています。「自分は自然分娩で出産する」と信じて疑わなかった私。しかし、胎児と母体の安全を優先した結果、急きょ帝王切開で産むことになりました。出産直後は分娩の方法などまったく気にならなかったのですが、日が経つにつれじわじわと悔しさや悲しさが湧き出てきたのでした。 「もったいなかったね」の言葉出産後は休む間もなく慣れない子育てが待ち構えており、1週間の入院中は「傷あとが痛い」「母乳が出ない」「赤ちゃんが泣き止まない」ということで頭がいっぱい。分娩方法のことでくよくよしている暇はありませんでした。 最初に心に引っかかったのは、1カ月健診のときに病院の母乳外来で出会った助産師さんの「太ってないし背も高いのに、帝王切開でもったいなかったね」という言葉。きっと「分娩異常さえなければ傷あとが残らずに済んだのにね」という慰めの言葉だったのだと思うのですが、そのときからモヤモヤが始まりました。 友人の体験談がつらい「帝王切開で残念だった」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。難産で出産した友人の話を聞くことが特につらく、「自分は出産まで72時間もかかった。さっさと帝王切開で産んでしまいたかった」という言葉を聞いたときは、まるで自分が手抜きをしたような気がして引け目を感じました。 手術で切ったおなかの傷口は約10cmでしたが、出産の話題で聞かれてそう答えると、「自分は会陰切開だったけどもっと切った」と言われて落ち込んだこともあります。 自分だけじゃない2人目も帝王切開で出産したこともあり、5年ほどモヤモヤした気持ちと付き合ってきました。ある日、帝王切開ママの集まりがあると知り、参加させてもらうことに。そこには私と同じように悩むママがたくさんおり、それぞれの病院での出来事や出産後の体験談などいろいろな話を聞くことができました。 「自分だけじゃないんだ」「悔しい・悲しいという気持ちを人に伝えていいんだ」と思えたことで、とても気がラクになりました。 くよくよしていたせいで、ちょっとした言葉に過敏になっていたように思います。出産は十人十色。どんな出産だって大変だし、どんな分娩方法だって胸を張っていていいんだと今では考えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月25日妊娠41週目、出産予定日超過のため入院し、誘発分娩で出産することに。院内に響き渡る大声で叫んでしまうほどの陣痛に25時間耐え、緊急帝王切開で長女のさくちゃんが誕生しました。しかし、出産直後からさくちゃんの手足が氷のように冷たいことが気になる。でも始まったばかりの育児。これが心疾患の症状の1つだなんて、このときは思いもよらず……。 毎日一生懸命さくちゃんをお世話していたママさん。2週間健診の日がやってきました。 産後メンタルは削られて…… 不安いっぱいで退院したあと、昼夜問わず3時間おきに育児用ミルクを1時間かけてあげて、おむつを替えて、また泣き出して……この繰り返しで完全に寝不足。 どうにか飲ませても、あとから全部吐き戻してしまう。 そして2週間健診の日、医師に言われた言葉。 「お母さん、ちゃんと頑張らなきゃ!」 毎日、毎日必死だった。必死にさくちゃんをお世話していた。これでも、まだ私の頑張りは足りないの? ショックを受けたママさんは、さくちゃんの体重を増やすためにある行動に出ます。それが、病気判明のきかっけになるとはつゆ知らず……。監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター こやま家2018年4月生まれの女の子さくちゃんと、2020年5月生まれの男の子あおくんを育てるワーキングママ。奇想天外な家族の様子を絵日記で描いている。
2021年06月12日この記事では、10年以上ぶりの妊娠での臨月のある日、胎動が少なくなり、急きょ病院を受診し緊急帝王切開に至った先輩ママの体験談をお伝えします。 10年以上ぶりの妊娠での臨月の話です。41歳での妊娠で新型コロナウイルスの流行もあり、不安な妊娠生活でした。不安なときはいろいろなネット記事を読んで余計不安になったり、元気になったりしていましたが、あと少しで赤ちゃんに会えると家族皆で楽しみにしていました。そんななか、妊娠39週に入ってすぐに異変が起こったときの体験談をお伝えします。 久しぶりの妊娠! 家族で楽しみに私は41歳で、夫と子ども3人の5人家族です。お兄ちゃん・お姉ちゃんたちも大きくなり、妊娠報告したときは涙を流して喜んでくれました。そして、雑誌付録の妊娠週数カレンダーに毎日印を付けて、おなかに話しかけてくれていました。新型コロナウイルス感染予防で健診も付き添いができなくなり、エコーも見られませんでしたが、写真や大きさを報告すると毎回喜んでくれていました。 しかし私自身は内心、10年以上ぶりの出産のため、本当に順調なのか、赤ちゃんの障害などへの不安があり、毎日ネットでさまざまな体験や記事を読んでいました。いろいろなことが書いてあるネットで余計不安になったり、元気をもらったりしていました。 そして、思った以上に順調で臨月に入り、「もうすぐ会える!!」と子どもたちと胎動を見たりおなかに触ったり赤ちゃんに話しかけたりしてコミュニケーションを楽しんでいました。 今日は赤ちゃんがあんまり動かない…?妊娠39週に入ってすぐのある日、なんだか今日は胎動が少ないなぁと思っていましたが、全然動かないわけではないし、臨月に入ると少なくなると聞くのであまり気にしていませんでした。 夜、毎日の日課で「赤ちゃん動いてる?」と顔を埋める娘。「んー今日はあんまり動かないのよねー」と気になり始めて、そこから毎日続けていた胎動カウントを開始。10回の胎動にかかる時間を測ったのですが、1回目もなかなか動かずやっと動いても30分で8回。シャワーを浴びて温めたら変わるかと思い浴びてみたものの、胎動なし。直近の胎動から1時間半が経ち、胎動があり過ぎて痛いくらいだっただけにドンドン心配になりました。 布団で横になり胎動に集中したり、動いたりいろいろしてみました。その時点で深夜3時前。しかも土曜日です。病院に連絡してみるか、2日後の健診まで様子を見るか、葛藤しながらまたネットで調べました。ネットでは胎動減少の危険が書いてありました。「やっぱり病院に連絡しよう!!」と意を決して電話しました。すると助産師さんが「モニターはすぐできます」と言うので病院へ向かいました。 緊急帝王切開で出産 病院ですぐモニターを見てくれたのですが、心音が聞こえて安心して涙が出ました。しかし、「ほんとだねー動かないねー」と助産師さんも気にしていました。そしておなかが張ると赤ちゃんの心拍が急激に下がると。 するとバタバタと先生が走ってきて「危ない」と話しているのが聞こえました。何??と動揺する私でしたが、「赤ちゃんが今すごく苦しくて弱ってるから帝王切開します」と先生。言葉の意味はわかるけど理解できない私。そこから、ほかの先生や助産師さんもきて手術室へ。 緊急帝王切開。心の準備もできていないままでしたが、赤ちゃんのことが心配でパニックでした。赤ちゃんが出てきて泣き声が聞こえました。「泣いてる……」としか言えませんでしたが、涙が溢れました。 いつの間にかNICUの先生も駆けつけていて、赤ちゃんは市立病院へ搬送すると聞かされました。そして先生が「思ったより赤ちゃんの皮膚の色も状態も良いので安心しましたが、念のため連れて行きますね。早くお母さんの元へ帰れるようにしますからね」と赤ちゃんに会わせてくれました。「生まれた……」と手を伸ばしましたが、触ることはできませんでした。「よろしくお願いします」と伝え、救急車の音でわが子との別れを実感しまた涙が出ましたが、その後は縫合などの処置に移りました。 赤ちゃんが無事でよかった!緊急帝王切開から10日後に私は退院し、それから14日がたちましたが、まだ赤ちゃんは市立病院に入院しています。毎日会いに行って母乳を届けていますが、回復室で管なども繋がれておらず、元気そうです。3日後の検査次第で退院できそうということなので、家族皆で赤ちゃんが帰ってこられる日を心待ちにしています。心配もありましたが、私の地元では1番の総合病院、NICUでしっかり診てもらえてよかったと思っています。そして何より赤ちゃんが無事でいてくれてることが1番よかったと思っています。 今回の原因はまだわかっていません。先生のお話では胎盤の早期剥離か、へその緒の血栓など何かが起こったか……とのことでした。ですが、個人産婦人科の先生もNICUの先生も「お母さんが胎動減少に気付いて良い判断をしたと思います」と言ってくださいます。私は昼のうちに病院に行ければ赤ちゃんが苦しい時間も少なかったのに……また、もしあのとき次の健診まで……と判断していたらと思うとゾッとします。 経産婦で問題なく生まれるのが当たり前だと思っていましたが、何が起こるかわからないと痛感しました。赤ちゃんからのメッセージである胎動の大切さ、何かあればすぐに病院へ行くことの大切さを改めて感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:まえだ ゆか18歳、15歳、12歳の3児の母。久しぶりに4人目の女の子を高齢出産。 家事、育児の合間に自宅でハンドメイド作品を制作、販売。 自身の体験談を中心に執筆。
2021年06月12日妊娠41週目、出産予定日超過のため入院し、誘発分娩で出産することになりました。陣痛促進剤をスタートし1時間で、壮絶な痛みが! 院内に響き渡る大声で叫んでしまうほどの陣痛が25時間を超えて……!? ついに医師が決断…!※陣痛促進剤は輸液ポンプを使用して投与します。「緊急帝王切開しましょう!」 2分おきの陣痛に耐えていましたが一向にお産が進まず、急きょ帝王切開で出産! 人生最大級のトラウマとなった出産の末、誕生したさくちゃん。 初めて触れたとき思ったのは 「あれ、手が氷みたいに冷たい」 これが初めて覚えた違和感でした。この違和感や不安が、産後どんどん膨らんでいくことに……。監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター こやま家2018年4月生まれの女の子さくちゃんと、2020年5月生まれの男の子あおくんを育てるワーキングママ。奇想天外な家族の様子を絵日記で描いている。
2021年06月10日助産師・ラクテーションコンサルタントの榎本さんが、産後の性生活で気になることについてお話ししています。いつから性生活が始められるか、腟が緩んでいる、腟に水や空気が入って出てくるなどを詳しく解説!産後の性生活について、なかなか相談できるところがなく、悩まれている方もいます。聞きづらいことでも、パートナーと産後もより良い関係を築いていくためにはとても大切なことです。今回は、産後のママから相談されることが多い性生活についての悩みや改善方法についてお話しします。 産後の性生活はいつから始められる?産後の1カ月健診を受け、子宮の回復や会陰部の傷の治りなど経過が順調であることを確認してもらいます。問題がなければ性生活に戻れますが、実際には出産のときにできた会陰や帝王切開の傷などの痛みや不安、慣れない育児の疲れや睡眠不足で性生活が再開できないママも多いです。 おおむね出産から4~6週間後なら可能ですが、精神的に受け入れられなかったりすると再開まで時間を要することもあります。 産後に腟が緩む! 水や空気が入って出てくる!出産による腟の緩みは、赤ちゃんが出てくるときに皮膚が伸ばされるということもありますが、骨盤底筋の筋力が落ちる、伸ばされるなどして緩むことによります。これは、帝王切開で出産された方も、妊娠中の重い子宮を支えていたことによる骨盤底筋の緩みなどでもみられることがあります。湯船につかって、腟の中に入ってきたお湯がお風呂から出たあとに少し時間が経って漏れ出てきて下着を濡らしてしまうという経験をされている方もいるのではないでしょうか? また、腟が緩んでいることによって、性行為のペニス挿入中に腟内に空気が入りたまってくることがあります。下腹部に不快感があったり、腟からおならのように空気が漏れてくることが気になることがあります。 腟の緩みは、出産前との性行為時の感じ方に変化があったり、本人やパートナーも快感を得づらかったりすることもあります。腟の緩みは、時間の経過と共に改善することもありますが、腟の周囲の筋肉(骨盤底筋)をつけるために、体操をすることが効果的です。 性行為時に痛みを感じる!1カ月健診で問題なく、性生活の開始の許可が医師から出ても、傷の痛みが続いている方もいます。性行為によって会陰部の傷が完全に開いてしまうことはありませんが、完全に治癒していない・傷痕が化膿している場合などは、縫合部分から血がにじむ、傷痕に痛みを感じることがあります。痛みを感じる場合は、無理に性行為することを避け、不安な場合は医師に相談しましょう。 また、出産によるホルモンバランスの変化や、授乳中のホルモン分泌、出産・育児によるストレスが原因で、以前よりも性行為時の腟内が濡れにくくなることがあります。また出産時の痛みの記憶や、会陰部の傷の不安により、腟内が乾燥することもあります。腟内の潤いが足りないことで性行痛の原因になることがあります。前戯に時間をかける、また潤滑ゼリーを使うのも1つの方法です。多くの医療機関でも性交痛の緩和方法として推奨されています。水溶性の潤滑ゼリーであれば、使用後は簡単に洗い流したり、拭き取ったりすることが可能です。ドラッグストアや薬局・薬店の避妊具コーナーなどで手軽に購入できます。産後の性生活で1番大切なのは性生活の再開は心身の回復が順調であることで、時期は個人差が大きいものです。パートナーに、無理せず痛みや不快症状があるときは伝えられる関係性を築いていくことが大切かと思います。 <参考>一般社団法人日本家族計画協会「産後の性生活Q&A」 監修者・著者:助産師 国際ラクテーションコンサルタント・おむつなし育児アドバイザー 榎本美紀2001年に助産師免許取得後、杏林大学医学部付属病院・さいたま市立病院・順天堂大学練馬病院の勤務を経て、2013年に埼玉県さいたま市に訪問型の助産院「みき母乳相談室」を開業。病院勤務での経験を元に、母乳育児支援の国際ライセンスである国際ラクテーションコンサルタントとして、地域の母乳育児を支援。訪問時の相談は多岐にわたり、おむつなし育児アドバイザーとしてトイレトレーニングなどの相談も。一児の母。
2021年06月02日■前回のあらすじ あっという間に生産期に突入。出産を直前に控え、立ち会い予定の夫とともにPCR検査を受けることになって…。経膣分娩も怖いし、帝王切開も怖い。でももうお腹の中にいるから、出すしか道はない…。それなら、経験したことのある経膣分娩がいい、と思いました。無痛分娩も気になっていましたが、お気に入りの産院ではやっていなかったんです…。まぁ、一番いい出産方法は、旦那が産んでくれることなんですけどね(笑)。1度も産まずに3人もかわいい子どもがいるなんて…もしかして世界一幸せなのでは?PCR検査は、無事陰性。よかったですが、このまま陣痛来なかったら促進剤かぁ…と不安な気持ちもありました。次回に続く(全15話)「コロナ禍出産」は毎日12時更新!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年05月27日産後のママには、心身の不調がつきものです。さらに、初めての育児に頭を悩ませてしまうママも少なくないことでしょう。今回は、ウーマンエキサイトに寄せられたエピソードを元に、ママたちの産後について考えてみたいと思います。■「産後体質が変わった…」体調不良に悩むママ続出多く寄せられたのが、「産後に思ってもなかったような体調不良に見舞われた」という体験談です。「緊急帝王切開だったため、大量出血し貧血でフラフラして面会謝絶。おなかの傷が痛くて、母乳育児の新生児を抱っこするのも大変でした」「陣痛2日半を経てからの緊急帝王切開でした。身も心もボロボロ。やっと退院できたと思ったら、原因不明の子宮内感染症になり、救急搬送。入院中は恐怖と不安で、悪夢ばかり見るし、今でもあの感覚は忘れません」「産後2日目くらいに、おっぱいがぱんぱんに張って、寝返りを打つのもつらいくらいでした。おっぱいが爆発しそうでした」「寝ぐずりが激しくて全く寝られなかった。自分の体調もすこぶる悪くて、肌荒れ、口角炎、カンジダ、ドライノーズ、記憶力の低下、高熱。全てがストレスでしんどかった」「産前から下半身にむくみが出ていたが、産後にかなり悪化しゾウのような足で、痛くて歩けなくなった。さらに、そのむくみの影響から、産後高血圧にもなっており、気づかず無理して赤ちゃんのお世話をしていたら大変なことになったかもしれないと医師に言われ怖かったです」「出産する度にぜんそくがひどくなり、2人目のときは、産後8ヶ月で肺炎とぜんそくが悪化して、2度入院。その後、一生ぜんそく薬を飲まねばならない肺になりました」「産後2ヶ月くらいの時、体がかゆくなり、たちまち体中にじんましんが! 皮膚科へ行くと、原因は疲れ。育児の寝不足やストレスで体が疲れてるらしい。授乳中で薬も飲めないため、塗り薬で対応。出産で体質が変わったみたい」ありとあらゆる種類の体調不良がママたちを襲っていることがわかります。産後のママは、育児に家事に上の子のお世話など、ついつい無理してしまいがちですよね。そんな無理がたたって、中には大きな病気を患った人もいるようです。産後の体調悪化に、つらい思いをしている人は少なくないようです。■「夜間授乳のたびに涙が止まらない…」産後うつになる人もまた、心の不調を抱えたママたちからのコメントも寄せられていました。「旦那の仕事が残業続きの中、産後赤ちゃんと4歳児の2人育児が始まり、育児ノイローゼになりました。悪露もなかなか止まらず、子どもをお風呂に入れるのも大変。赤ちゃんは今年の3月に産まれたのですが、新生児期にコロナの自粛がはじまり、息抜きができなかった」「産後、話し相手は仕事から帰った夫と実家との電話のみ。もともと休日はよく外出していたので、ものすごいストレス。子どもの泣き声で通報されるのが心配で、家事が中断するのもストレス。旦那に、あなたは仕事で気晴らしできていいよねと、嫌みを言ってしまったり、『産んだのは間違い?』と毎日悩みました」「産後、コロナのせいで面会は1日15分を1回だけに。夫に会えない寂しさと狭い病室でおかしくなって、過呼吸に涙が止まらず、1日中ずっとその状態。『家に帰りたい』と懇願して、退院できることになりました」「産後の入院中、風疹が流行で面会謝絶になり、外の世界と接触がなくなり、授乳もうまくできず、夜間授乳の時に涙が止まらなかった」「頻回授乳を頑張りすぎたせいか、肩と首の神経を痛めて産後1ヶ月で今まで感じた事のないような、ひどい頭痛に見舞われました。里帰りもせず、退院後ほぼワンオペで子育てをスタートした私は、息子のかわいさをかみしめるというよりも、どんなに自分の体調が悪くても生まれたてのか弱い息子を死なせてはならないという責任感の中で押しつぶされそうな思いで毎日を過ごしていました」産後に、心の不調でつらい思いをしているママたちが非常に多くいることがわかります。筆者自身、1人目の産後の入院中はとてもつらかった記憶があります。周りのママたちが順調に母乳をあげている姿を見ると、「自分はこんなに少ししか母乳が出ていない…」と、落ち込みました。また、母子同室を推奨していたため、「自分で赤ちゃんをどうしても見なければ」と、泣き止まない子どもを抱きながら、ベッドの上で途方に暮れて一緒に泣いたこともあります。なぜ、産後うつになるママが多いのでしょうか。妊娠中・産後のうつ病を引き起こしている要素として、この時期は何かとストレスが多い上に、周囲のサポートが不十分な状況が重なっている場合が考えられます。しかも妊娠・出産に伴う女性ホルモンの大きな変化は、脳がストレスに耐える抵抗力を低下させます。その結果ストレスを処理しきれなくなった脳が機能不全を起こし、ものごとを悪くとらえる傾向が強く出てしまいます。出典: 妊娠・出産に伴ううつ病の症状と治療/西大輔(e-ヘルスネット/厚生労働省)(2020) 女性ホルモンや脳の働きも影響しているようです。こういった背景に気づけないと、「なぜこんなに落ち込んでしまうのだろう」と、さらに落ち込んでしまいそうですが、「産後はいつもとは違う状態なんだ」と知っていると、少し気持ちを落ち着けることができそうです。また、自分だけでなく、家族にもこの認識を持ってもらうこと、助けを求められる状況を作っておくことも重要なのかもしれません。■産後の不調を乗り越えるために…それでは、産後のママたちはどのように回復を遂げたのでしょうか。▼子どもの預け先を確保する「孤独感、夜になるのが怖い、赤ちゃんと2人になるのが怖い、訳もなく涙が止まらない。完全な産後うつでした。子どもが幼稚園へ行くようになり、ひとりの時間が取れるようになってからやっと、ホルモンバランスが以前の自分に戻ってきました」「初めての子育てに、他人の何気ない言葉が自分を責めているように感じてしまう日々。泣き止まない子どもを抱き、一緒に号泣しました。保育園に預けて、物理的に離れる時間ができたことは、やっぱり一番の特効薬だったと思います」「第2子出産と同時に、夫の転勤先に引っ越し、慣れない土地で2歳と0歳の子どもの育児をしなければならず、育児ノイローゼでした。自分の余裕を作るため、一時保育やベビーシッターに上の子を見てもらったり、疲れたら遠方の実家に子どもを連れてしばらく帰ったりして、なんとかつらい時期をしのぎました」「気分の落ち込みがひどく、自分は産後うつかもと思っていました。歯医者に行くために、初めて一時保育を利用してみると、『泣くこともなく、お昼寝もできましたよ〜』と言われ、気持ちが軽くなったのを覚えています。それからは、つらい時はプロの力を借りることも一つの手だと心に留めています」▼積極的に外に出る「頼れる身内がおらず、朝から晩までずっと一人で全ての家事をこなしてきた。特に2人目が産まれた後がつらく、イライラしていたところ、近所に住んでた同年代のお母さんが子育て支援センターに誘ってくれて、相談できる先生もいて助かった」「初めての育児は、何が正しいのか、自分がしているお世話は間違っていないのか、いつも不安でした。産後、自宅に戻ってきてしばらく、夫以外の人と、会えなかったり、しゃべれなかったりが続くと、他の人と話すことが怖くなってきたりしました。産後、1ヶ月が過ぎて少しずつ外に出られるようになると、1日中家にいることをやめて、児童館や公民館や幼稚園のイベントに積極的に参加 しました。外に出ることが大事だと思います」▼友達や家族に話を聞いてもらう「1人目を出産時、産後うつのような状況で、子どもが全くかわいいと感じられずつらかったです。学生時代の友人が子連れで遊びに来てくれて、『産後うつと診断されお薬を飲んで直した』とあっけらかんと話す姿を見て、『つらいって言っていいんだ』『変なことじゃないんだ』と気持ちが穏やかになりました」「産後、初産のため何もかもわからない中で、もう気が狂いそうでした。かわいくない。なんで産んだんだろう。一日中同じことの繰り返しで話し相手もいない。負のループでした。たまたま別件で、先輩ママでもある友だちに連絡を取った時に苦しい状況をはき出してみると、少しだけ楽になりました。特に解決策があるわけじゃない育児なので口に出しても無駄だとおもっていましたが、はき出すことでこんなに楽になるのかと思いました」回復の方法にもさまざまな種類があることがわかります。ママたちが、自分に合った対策を見つけて、心身ともに回復できるといいなと、切に願います。最後に、こんなコメントも寄せられていました。「第1子の時、地元を離れて慣れない土地での育児でした。365日24時間赤ちゃんと一緒で、何をしても泣き止まない時には私も一緒に泣いてたこともありました。昔の自分にアドバイスを送れるなら、『もっと肩の力を抜いて。大丈夫だよ』と言いたいです」「産後うつ、私もなりました。子どもに申し訳ないって思ったり、周りと比べて家事育児ができていないと思ってつらかったり、子どもは泣かないのに、私が泣いてました。でも、妊娠、出産は、みんなが当たり前にできるものではないです。妊娠に至らなかったり、死産してしまったり、それでも明るく生きなきゃと頑張ってる人がたくさんいることを忘れたくないです」「一人目の育児中、やりたいことがやりたいタイミングでできない、やらなければいけないことがやるべき期限までに終えられないという、達成感や充実感を実感することができず、参っていることに気づきました。『コントロールできない相手と対峙(たいじ)しているのだから、これまでのペースで生活できなくて当たり前。できなかったことより、できたことに目を向けるべき』と考えて、気が楽になりました」ここまで、ママたちの産後のエピソードを紹介してきました。産後体調が悪かったり、心に不調がある場合は、我慢はせずにSOSを発信し、自分自身が病院へいくことを優先させましょう。子どもの預け先は、保育園の一時保育やファミリーサポート、ベビーシッターなど、いくつか候補を持っておけると安心です。もし子どもの預け先が見つからない場合は、お住まいの役所や保健センターで相談できます。「あれもこれもしなければ」と考えて、家事も育児も1人で抱え込んでしまいがちですが、産後のママが1人で対応するのは相当難しいことであり、周りの協力が不可欠です。家事育児の大変さを抱え込むのではなく、パートナーや親族、友人や公的な機関など、どこかにつながって、少しでもつらさが緩和できるよう、助けを求めてもらいたいと思います。ママが笑顔でいられるために、みんなで助け合って子育てをしていける世の中にしていきたいものですね。参考文献 妊娠・出産に伴ううつ病の症状と治療/西大輔(e-ヘルスネット/厚生労働省)(2020) 出産体験談はこちら
2021年05月26日高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。※この記事は、第1回「体験談&マンガ投稿コンテスト」の予選通過作品です。 妊娠・出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠!「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 時を前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万端!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院・手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、このコロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとかきてもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛がくるのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか!と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠・出産には、お母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。
2021年05月24日新しい命をこの世に送り出す「出産」という大仕事。その形は、人それぞれに違います。それぞれにストーリーがある出産エピソードについて、今回はウーマンエキサイトアンケートに寄せられたエピソードの中からご紹介します!■「陣痛も3日たつと痛みに慣れる!?」難産&安産エピソード多く寄せられたのが、「難産で大変だった」というエピソードです。「予定日超過で大きかったため、入院して陣痛促進剤を投与しました。しかし、1日目、2日目は陣痛につながらず、3日目になんとか普通分娩で産まれました。3日もたつと痛みに慣れて、『陣痛がきました! 赤ちゃんまわってます! はい、いきみます!』なんて、自分で実況していました」「自然なお産が売りの病院で、赤ちゃんの心拍モニターも促進剤も会陰切開も基本はなし。もし破水から始まっても、内診はしない方針でした。破水から始まり、そのうち陣痛のピークが過ぎてしまい、赤ちゃんの心拍が落ちているからと、酸素マスクと内診をすることに。そしたら子宮口9.5センチでした。そこから急にいきめと言われても…。結局、出産に38.5時間かかりました」「第一子を出産して、わが子との対面でほっとしていたら『胎盤が崩れてるから残り取りましょう』と手を突っ込まれ激痛。とれない。『輸血しますねー麻酔もしますよー』と言われ、集中治療室へ。カテーテル手術で止血し、動かないように言われて仰向けで寝てなきゃいけないのが一番つらかった…。腰が痛すぎて…。母乳への影響を考えて、担当医が来るまで一晩麻酔してもらえず、我慢できずに泣いた」「夕方、自宅で破水しそのまま入院。その後、陣痛。陣痛から28時間後、子宮口7cmから進まず。羊水が濁り、帝王切開になった。子どもの首にへその緒が巻きついていました」「出産当日にインフルエンザ発症、朦朧(もうろう)となりながら産んだ」壮絶な出産エピソードに、読むだけで拍手を送りたくなります。産んだお母さんも、生まれてきてくれた赤ちゃんも、本当によく頑張ったのだと、改めて出産は奇跡だと気付かされます。一方で、安産だったというエピソードも寄せられました。「初産、予定日より一週間早く、突然激しい張り。すでに陣痛は5分間隔。病院に電話しても『初産でそんなまさか』と、取り合ってくれず。でも、痛みはジェットコースターのごとく。やっと病院に着くが、助産師さんたちは『大げさ!』と冷たい対応。しかし診察台にのったとたん、周りは大慌て。『よく我慢したね』と言われる。結局陣痛らしきものから産まれるまで計4時間。主人は2度寝して間に合わず。助産師さんから『超スピード安産だった』と言われたました」「第1子の時は陣痛促進剤を入れ、その日には生まれず、次の日の朝11時に破水、12時に出産。初出産にも関わらずスーパー安産でした」陣痛から素早く生まれてきてくれると、母子ともにその安全が守られやすく、安心ではあります。ただ、どんな出産も「安産だったから楽」とか「早く生まれてきてくれたから幸せ」とは一言で言えるものではありませんよね。本当に個人差が激しい出産の経験だからこそ、大変さは比べるものではないなと感じさせれらます。■「陣痛で焼肉がお預け…」出産の驚き&笑える体験談また、出産にまつわる驚きのエピソードも寄せられていました。「4人の子どもを産みましたが、次男の出産はロケットダッシュ! 痛みに気づいてからあっという間で、危うく車内で産むところでした。病院の玄関に車を横付け、その時点で赤ちゃんが落ちてきそうな気配が…。主人と、看護師さんに引きずられ分娩室へ直行、分娩室へ入り着替える間もなく5分で出産完了。その間に痛すぎて意識がなくなったようです。無事に生まれてくれてよかったです」「4000g超の巨大児を、普通分娩で産みました。妊娠中20キロ以上も体重が増えてしまい、赤ちゃんも大きく育ちましたが、無事に出産できました」「昔から、ピンチの時も冷静でいられるのが長所で、慌てることがあっても顔色ひとつ変えず、声もあげないようなタイプでした。出産時にも、陣痛開始から産後まで、一度も痛いという声を上げずに、静かに出産を終えました。母子手帳を見た助産師さんに、『あなた初産なの!?』と驚かれたほどです。何より、私が一番驚きました(笑)」超スピード出産に4,000グラム超え赤ちゃんの出産、静かな出産など、驚きのエピソードばかりでしたね。さらに、こんな笑えるエピソードも寄せられています。「2人目の出産エピソードです。その日はゴールデンウイーク最終日。夜は焼肉を食べようと意気込んで、ちょっとお高めのお店を選んでいたところ、腰の痛みが…。『いや、まさか…』と、試しに間隔を計ると、きっちり7分。もちろん、病院からは『経産婦さんだから、すぐ来てね!』と…。おかげで焼肉はお預けで泣く泣く病院に行きました…」「夜の9時前に『あれ、おなかが痛い』と間隔を測ると、まさかの3分! あわてて産院に連絡を入れて、駐車場に着いて降りた瞬間に、急にうなるほどの痛さにみまわれ、這いながら産院にたどりついたけど、受付の2階に上がれない状況に。内診したら『9センチです。もう産まれるよ。旦那さんは間に合わないね』と言われ、頭の中には、『だから実家に泊まれといったのに! 間にあわなかったら恨んでやる』と鬼と化した私(笑)。それから陣痛が弱まり、生まれる5分前に旦那がヘラヘラ登場。2人目は多分パパを待っていたんだと思う。ママに八つ裂きにされたら困るから(笑)」出産の記憶は、それぞれに形は違えど、印象に残るものですよね。焼肉に後ろ髪を引かれたり、夫の判断への怒りが噴出したりと、時に笑えるエピソードとして、思い出になることもあるようです。■「出産は大変なんだよチクショー!」また、コロナ禍の今だからこそのエピソードも寄せられていました。「出産前、経験者の方々にお産の痛みを聞きまくり、 『生理痛のひどいのですよ』という感想を自分に言い聞かせるようにしていましたが、実際は全く違いました。激痛。結局、吸引分娩になり、3回目で息子誕生。コロナ禍で立ち会い出産はできませんでしたが、陣痛、分娩中のあの姿を旦那に見られなくて良かったです」「助産師さんにすごく助けていただきました。コロナで立ち会いができずだったので、たくさん声をかけてくれて嬉しかったです」ここまで、さまざまな出産エピソードを見てきました。どんな出産でも、お母さんたちにとって大仕事ということは同じで、かけがえのない出来事だと感じます。こんなメッセージもありました。「出産はみんなそれぞれに違って、痛みの感じ方、気持ち、環境。 楽な出産なんてあるわけがないし、『命を産む』という事がどれだけすごいことか。出産は大変なんだよチクショー! と思います」これから出産を控えている人もいることと思います。出産に挑む前は誰でも不安を抱えがちですよね。いったいどんな出産になるのか、未知の状態では不安になるのも当然だと思います。もしどうしても不安な気持ちがおさまらないようであれば、病院に相談するなど、ひとりで抱え込まないようにしてくださいね。どんな出産でも、きっと後から振り返った時に、「頑張ったぞ、自分」と思える要素があるはず。出産は当たり前ではなく、奇跡なのだと、きっと実感する日が来ると思います。次回は産後の体験談エピソードをご紹介します!
2021年05月19日出産予定日から4日が過ぎたころ、初産だった私は多少の焦りを感じつつも妊婦健診に向かっていました。向かっているときも生まれそうな予兆はなく、帰ったら何食べようかな?と妊婦健診の後のことばかり考えていました。 モニター中の不自然な心音内診を終え、先生から「子宮口がまだ2cmだからもう少しかかりそうだね〜。いっぱい歩こうか!」と言われ、そのままNST室で赤ちゃんの心拍を測っていると、たまに心拍が抜けていることに気付きました。近くで聞いていた看護師さんも気付いてすぐに先生を呼びに行き、しばらくすると先生や看護師さんたちが集まってきました。 もう一度先生に診察をしてもらい先生から「お母さん、おなか痛くない? これたぶん陣痛だよ! あと、少し赤ちゃんの心拍が弱ってるからこのまま入院ね!」と言われ、そのまま即入院。突然のことに驚きながら、不安はありつつも陣痛室に入りました。 破水しても子宮口が開かない…お昼ごはんを食べていなかったので夫に買って持ってきてもらい、体力をつけようとサンドイッチやカップケーキなどおなかいっぱい食べました。そしてのちに痛い目を見るとも知らない私は、「よし! 頑張るぞ!」と気合いを入れていました。そのときの痛みは生理痛ほどで、会話もまだ余裕。 陣痛室に入ってから1時間ほど経ったころ、ポン!と音がして温かい水が股から出てきました。自分でも意外だったのですが、冷静にナースコールで「破水しました!」と伝えて先生に子宮口の開きを診てもらってもまだ3cm。このときはまだ重めの生理痛程度。ここから5分後には何も話せないほどの陣痛の痛みになりました。それから陣痛の間隔が3分間隔になっても、子宮口は4cmしか開いていませんでした。 赤ちゃんの心拍が下がり始めるあまりの急激な痛みにうまく呼吸ができず、赤ちゃんの心拍が下がり始めてしまいました。助産師さんに酸素マスクをつけてもらいましたが赤ちゃんの心拍が戻らず、「切ろうか」と先生に言われ唖然。「まだもう少し頑張ります」と半泣きになりながら伝え、呼吸を整えながら痛みを逃していました。 しかしあまりの痛みに、先ほどおなかいっぱい食べた昼食を嘔吐し、体力もかなり消耗していたため、先生から「これ以上は赤ちゃんが危険になる」と言われ、私は帝王切開での出産を決意しました。 手術開始から15分程で出産手術の決意をしたものの2分間隔で陣痛がきていました。「陣痛きても動かないでね!」と言われながら麻酔の処置をなんとか耐え抜き、だんだんと陣痛も和らいできました。 麻酔は下半身のみなのでおなかを切られていじられている感覚はありましたが、痛みは一切ありませんでした。そして、手術開始から15分で無事に娘を出産することができました。 まさか自分が緊急帝王切開になるとは思ってもいませんでした。術後翌日は傷が痛み、寝返りを打つのもつらくて泣きそうでした。しかし3日ほどで歩けるようになるまで回復しました! 何より、無事に娘の顔を見られて本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:桜田 かのん1歳女児のママであり、元保育士。現在2人目を妊娠中。離乳食コーディネーターの資格を取得し、保育士の経験も生かしながら自身の体験談を執筆している。
2021年05月15日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! さて、術後1日目のアイドルタイムの多い日。 マッマは何をしていたかというと、ひたすら帝王切開について調べていた。 自分は帝王切開になるなんて思ってもいなかったため、何一つ知らないのだ。 そこでまずひっかかっていた、「2人目以降も帝王切開」と言われた台詞。 ここで初めて、帝王切開の理由、TOLAC(トーラック:帝王切開をしたことある妊婦さんが経腟分娩を試みること)というものがあること、それは子宮破裂の恐れがあるなどを知る。 そして帝王切開になる原因一覧なども、もちろん見る。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年02月28日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! 改めて入院生活をすることになった部屋は、最初に割り当てられた部屋と違う。 全自動ベッドで、同室の人たちは帝王切開や産後の体調がよろしくない患者たちだ。 産後、経腟分娩でも、点滴スタンドを杖にして歩く人が多いようで、マッマも部屋到着時にすすめられたものの、あったほうが逆に姿勢がうまくいかず、一見スタスタ歩いていたのだ。 初回の移動は散々だったものの「痛くない角度」を見つけ、支えなしでトイレに行き、赤ちゃんステーションまで歩いていると「えっ!? もう歩けるの!?」と逆に驚かれた。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年02月25日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! 産後間もない娘が「新生児一過性多呼吸」で保育器に入る、と告知され不安に。 翌朝、んぎぃちゃんの無事が告げられ、一安心! すべての装備が外され、「じゃあ病室に戻りましょう」と、急にスパルタで移動を促される。 起き上がろうとすると走る激痛……! 「傷口が! 傷口がぁぁあー!!!」 帝王切開の傷口が裂けるような痛みで、怖くて立ち上がれない。 仕方がないと、車椅子を持って来てくれたものの、そこに移動することすらままならない。 やばい。腹が裂ける。 「これみんな歩いて移動すんの? 無理じゃん?」と悪態をつきながら、今日から生活する病室に到着したのだった。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年02月24日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、こんにちは! PUKUTY(プクティ)です!この度無事第二子を出産しました! 今回はご報告を兼ねて出産経緯を簡単にご紹介します。■破水それは妊娠37週の時でした。1人目が帝王世界だったため、2人目も計画帝王切開の予定でした。まだ手術日まで日数があったので余裕を持っていたのですが…まさかの破水! 破水なんて初めての経験でしたが、急に大量の水が出て来て「あ、これは破水だ」と一瞬で理解しました。■救急搬送お腹の子は逆子だったため、破水したら足とともにへその緒が出てくる可能性があって危険とは聞いていていたのでとにかくパニックに! だけど友達の一言で冷静になることが出来ました。病院からの指示で救急車にて病院へ。すぐに診察してもらい、そのまますぐ緊急帝王切開で出産する事に。■次男誕生とにかく急なことでまだ心の準備も出来ず、お腹の子は大丈夫かとか心配もあって、震えていた私。だけど皆さん優しくて、不安にならないようたくさん声を掛けてくれたり、手を握ってくれたりしました。あと1分で日付が変わるというところで誕生! 元気な男の子でした!看護師さんが赤ちゃんを見せてくれたり、私の携帯でたくさん写真を撮ってくれたり、そんなことしている間にあっという間に手術は終了。コロナの影響で付き添いは短時間のみということで、母とは一瞬だけ顔を合わせ、その後回復室で朝まで過ごしました。ほんとに急なことでバタバタになってしまいましたが、なんとか無事出産を終えることが出来てホッとしています。今後も4人家族になったプクティ家をよろしくお願いします!
2021年02月23日3人目の出産後は授乳も入院生活も慣れたもので、「早く自宅に帰って上の子どもたちに赤ちゃんを会わせたい」。そんなことを考えていました。でもそんなことを言っていられない事態に……。私たち家族にとって大きな試練となった、娘が“心室中隔欠損症”だと言われたときの体験談を紹介します。 切迫流・早産を経て早く生まれた娘3人目の妊娠で切迫流・早産で長期入院をし、安定していたとは言えないものでしたが、夫と子どもたちとの面会時間を楽しみに約4カ月の入院生活を家族全員で乗り切ろうとしていました。そして迎えた妊娠36週5日。正期産を目前に、あと少しでおなかの子どもと上の子どもたちにも会える。楽しみなことしかない!と思ってワクワクしながら眠りにつきましたが、おなかの張りが痛みを伴うものになっていました。あっという間に帝王切開にて出産した私は、生まれたばかりの赤ちゃんに何も問題がないことを聞き、安心して眠ったことを覚えています。 え?「心室中隔欠損症」って何?娘が生まれて安心していたものの、生後5日目に小児科の先生から「心臓の音に雑音が聞こえる。追加の検査が必要」と言われ、改めて検査をすると「心室中隔欠損症」と診断されました。「心室中隔欠損症」は簡単にいうと右心室と左心室の間に穴が空いている状態。心室中隔欠損症は特に珍しくなく、たいていは小さな穴で自然と閉じることが多いそうです。しかし、娘は穴の位置が大動脈弁の近くにあり、穴自体は大きくはないけれど弁が変形しているとのことでした。弁が変形することで血液の逆流があり、本来なら送り出されるはずの血液が戻ってきてしまうそう。そのために「早い段階で手術が必要になる」との説明を受けました。 小さな体で挑んだ手術循環器小児科のある大学病院で心臓疾患の専門医が詳しい検査をしました。そして、泣きながら手術の説明を聞いていた私に、先生は「お母さん。これは生き死にのための手術ではなく、元気に生活するために必要な手術だと考えてください。だからそんなに不安にならず、一緒に戦ってあげてください」と声をかけてくれました。この言葉でとても勇気づけられました。娘が生後8カ月のとき約6時間の手術の時間、不安な気持ちを抑えつつも無事に手術が終了。ICUへ移された娘はまだ意識こそ戻っていなかったものの元気だと教えてもらい、とても安心したのを覚えています。 手術後は2〜3週間の入院予定のところ、娘は1週間で退院という脅威の回復力を見せてくれて、1歳になった現在も元気に過ごしています。娘が心室中隔欠損症の診断を受けたことも手術を受けたことも、ショックなことでした。でも、家族全員で乗り越えられたこと、家族の笑顔や健康の大切さに改めて気づかせてもらえたことはかけがえのない経験になりました。身をもって教えてくれた娘にはとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/三上美咲作画/やましたともこ
2020年12月30日現在、6歳と3歳のやんちゃな男の子2人を育てています。長男は33歳、次男を36歳のときにどちらも帝王切開で出産。長男のときには感じなかった育児の違いを感じました。そんな次男の育児についての体験談をご紹介します。 嫌でも感じる体力の衰え長男も次男も帝王切開だったのですが、どちらのときにも傷の回復に差はありませんでした。ただ、次男が1歳になり歩くようになってから感じたのは、体力の衰え。少し走っても息切れが激しく、止まってしまう始末。子どもの寝かしつけ時に一緒に寝てしまうことも増えました。 長男のときには必要ないと思っていた昼寝をするほどまでに……。次男を抱っこひもに入れて移動するのも、とても疲れるようになりました。また、産後の体重の戻りも次男のときのほうが遅かったです。 特にキツイ外遊び…今でも大変なのが、次男に付き合って外で長時間遊ぶこと。特に幼稚園が終わったあと、次男は1時間ほど園庭で遊びたがるのですが、「今日はもう帰らない?」とつい聞いてしまいます。 長男のときには園庭遊びはまったく苦にならなかったので、やはり私の体力が落ちているんだなと実感。このままではマズいと思い、家で踏み台昇降やスクワットをして体力を付けることを意識しました。幸い継続することで、現在は少し体力が付いてきた気も。 ママの年齢は関係ない私の住んでいる地域では、私との年齢差が1個下や1個上といった同世代のママが多く、当時流行った音楽やテレビ番組の話で盛り上がることも。次男を出産前は「年下のママばかりなのかな?」と少し心配もありましたが、まったくそんなことはなく、いろいろな年代のママ友ができました。 ママ友はあくまでも子どもを介していることが多いので、出産前に気にするほどママの年齢は関係ないんだなと実感。特に私の周りの40代で出産したママ友は落ち着いた方が多いです。私の場合、偶然かも知れませんが「この人と友だちになりたい!」と思うママは実は同い年だった……ということも。もちろん年下のママ友でも素敵な方がたくさんいます。 私は36歳で次男を産むことになりましたが、体力的な衰え以外は特に困ったことはありませんでした。まだまだ、幼い長男と次男。外で遊ぶ機会も多いと思いますので、体力を付けることはこれからも続けていきたいです。 監修/助産師REIKO著者:竹内優実6歳と3歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2020年12月21日