桃花らくご制作委員会主催、『蝶花楼桃花 林家つる子 二人会』が2024年6月19日 (水)になかのZERO 小ホール(東京都中野区中野2丁目9番7号)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)ほか各プレイガイドにて2024年4月27日(土) 10:00より予約受付開始です。カンフェティにて2024年4月27日(土) 10:00より予約受付開始 蝶花楼桃花ホームページ 林家つる子ホームページ X(旧Twitter) 上手い、可愛い、華がある!三拍子そろった“寄席のプリンセス” 蝶花楼桃花。落語協会では12年ぶり!11人抜き&女性初の“抜擢真打” 林家つる子。待望久しい「真打同士」として初の二人会がついに決定!梅雨空も吹き飛ばす、明るい笑いをお届けします!蝶花楼桃花・林家つる子公演概要『蝶花楼桃花 林家つる子 二人会』公演日程:2024年6月19日 (水)会場:なかのZERO 小ホール(東京都中野区中野2丁目9番7号)■出演者蝶花楼桃花・林家つる子■スタッフ企画製作:桃花らくご制作委員会■公演スケジュール2024年6月19日(水)19:00※開場は開演の30分前です。■チケット料金全席指定:3,000円(税込)※注釈つき席あり 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年04月26日落語家の林家三平、俳優の国分佐智子夫妻が17日、東京・東京上野税務署で行われた『感謝のことば』贈呈式に出席した。『感謝のことば』は、税務署長が感謝の意を表することが相当と認められる場合に贈呈するもの。三平と国分は、昨年11月の『税を考える週間』で同署の一日税務署長に就任し、税のデジタル化を促進する広報活動の実績が称えられた。東京上野税務署の吉村秀彦署長から感謝状が贈られると、三平は「林家はカジュアルな一門でございますから、こういったフォーマルな場はなかなか板につきません(笑)」と恐縮しつつ、「父も祖父もいただいていない名誉な賞を、夫婦でいただけたことがうれしいです。ありがとうございます」と喜んだ。一日税務署長としての活動については「私たちが『税を収めてください』と発信することに対して、なにか言いたい方もいるかと思いますが、『今後の日本のために大切なことですよ』ということを伝えさせていただいた」とし、「家内とは『水戸黄門』で出会い、“円(=縁)”あって一緒になりました。今は家に入ってくれていますので、私は普段から家内の言葉をしっかりと聞くようにしております。内の声を聞く。まさに、我が家は“インボイス制度”でございます」とオチを付けた。確定申告を含め、財布の管理をすべて担当しているという国分は、「大変です。10何年とやっていますが、未だにわからないことばかりで…。いつも税理士の方と相談しながらやっています」と笑顔で答えた。
2024年04月17日落語家の林家三平、俳優の国分佐智子夫妻が17日、東京・東京上野税務署で行われた『感謝のことば』贈呈式に出席。式典後の取材では、日本テレビ系『笑点』の新メンバーになった落語家・立川晴の輔にエールを送った。三平は2016年5月29日の生放送で『笑点』の大喜利メンバーに加入し、2021年に卒業。そんな“古巣”に新加入した晴の輔への言葉を求められると、「明るく楽しく元気にやっていただければ一番いい」と背中を押した。『感謝のことば』は、税務署長が感謝の意を表することが相当と認められる場合に贈呈するもの。三平と国分は、昨年11月の『税を考える週間』で同署の一日税務署長に就任し、税のデジタル化を促進する広報活動の実績が称えられた。東京上野税務署の吉村秀彦署長から感謝状が贈られると、三平は「林家はカジュアルな一門でございますから、こういったフォーマルな場はなかなか板につかない」と恐縮しつつ、「ありがとうございます。父も祖父もいただいていない名誉な賞を、夫婦でいただけたことがうれしい」と喜んだ。
2024年04月17日落語家の林家三平、俳優の国分佐智子夫妻が17日、東京・東京上野税務署で行われた『感謝のことば』贈呈式に出席した。『感謝のことば』は、税務署長が感謝の意を表することが相当と認められる場合に贈呈するもの。三平と国分は、昨年11月の『税を考える週間』で同署の一日税務署長に就任し、税のデジタル化を促進する広報活動の実績が称えられた。東京上野税務署の吉村秀彦署長のほか、税務関係六団体の会長らからも感謝の言葉が贈られた。その中で、前名のいっ平時代の思い出が語られる場面もあり、三平は思わず「イッペイと呼ばれて一瞬ドキッとしました(笑)。今、いろいろと話題になっているので…」と、米大リーグ(MLB)のドジャース・大谷翔平の元通訳で銀行詐欺容疑で訴追された水原一平容疑者を想起。「三平になってよかった…」と本音を漏らした。一日税務署長としての活動について「私たちが『税を収めてください』と発信することに対して、なにか言いたい方もいるかと思いますが、『今後の日本のために大切なことですよ』ということを伝えさせていただいた」とし、今回の感謝状に対し「ありがとうございます。父も祖父もいただいていない名誉な賞を、夫婦でいただけたことがうれしい」と喜んだ。
2024年04月17日日曜の夕方「おバカキャラ」でお茶の間を爆笑させてきた木久扇。彼と57年連れ添ってきたのが妻・武津子さんだ。「おかみさんにはいつも助けられて感謝しかないです」と夫婦の本音を語ってくれた。*****今はすごい気持ちが楽で、孫悟空の頭の輪っかを外された感じです(笑)。番組出演期間の55年、毎週試験を受けているみたいでね。本番が嫌だったんですよ。最初はテレビに出られてうれしかったんだけど、視聴率もあってウケなくちゃいけないし、それに応えないとクビになっちゃう。僕はコメディアンではなくて言葉を扱う噺家ですから……。特に年齢を重ねるとそれが大変でした。ーー『笑点』(日本テレビ系)の3月31日の放送を最後に大喜利コーナーを卒業。林家木久扇さん(86)は番組歴代最長の55年間レギュラーを務め上げた。勇退を決断したのは妻の武津子さん(77)の一言があったからだと言う。自宅で番組を見ながら、横にいるおかみさんに僕がボソッとこぼしたんです。「『笑点』もね。出るのは楽しいんだけど、結構疲れるんだよね」って。そしたらおかみさんが「80過ぎになって五十何年もテレビに出ることはないわよ。いつまでもやってなくても、寄席で落語やればいいんじゃないの」って。うちのおかみさんはね、普通の奥さんと思っちゃいけないんですよ。出がね、文京区白山の花街の人なんで、小さいときからおばあちゃんに「三越名人会」に連れていかれて、歌舞伎なんかも詳しいし、芸にいっぱい精通してるんです。「あの人これから売れるわよ」とか「あの人はダメよ」とかがわかるんですよ。そのおかみさんがそう思うなら「やっぱりそうだな」と思って。「そうだね」って言いました。――木久扇さんと武津子さんの出会いは“落語顔負け”だった。おかみさんは本牧亭の席亭の清水さんって方の妹さんだったんです。二人の実家が「田川」という待合で、清水さんが僕だけじゃなくて落語家仲間も実家の待合に連れてってくれて、芸者さん呼んで飲ませてくれてたんです。そのときにおかみさんの話になって、清水さんが「うちの妹は今、お風呂に入ってます」「そうですか」なんて言ってて。 それで僕がトイレに行くのに廊下を通ったら、風呂場から歌声が聞こえたんで、扉をガラーと開けて「こんばんは」って言ったんです。 おかみさんはお風呂から上がったところでタオルで隠してて「やめてください!」って怒られました。それで後日おかみさんが当時勤めていた会社に僕が行って「申し訳ございません」って謝ったんです。そしたら「びっくりしましたよ」って言われましたが「いいですよ」って許してくれました。それからお付き合いすることになったんです。■おかみさんが握ってくれた小さなおにぎりを持ち歩き――その後、1967年5月に二人は結婚。結婚式でも木久扇さんはとんでもないことをしでかした。僕の結婚式の日にほかの結婚式の司会の仕事も引き受けちゃったんです。スケジュール帳を見てなくて後で確認したら「僕の結婚式が11時半から、結婚式の司会の仕事は1時から。まずい!」ってなって。それでホテルに行って「僕が出られなくなったので代わりの司会の人を送ります」って言ったら、「メニュー表に林家木久蔵(当時の芸名)さんの名前を刷っちゃったから代えるわけにはいかない」って。僕の結婚式の会場も「この日しか空いてません」って。それで時間を2時間ずらして両方やったんですけど、そううまくいかなくて。自分の結婚式には乾杯まではいたんですけど、僕の友達の柳家小きん(九代目)さんに「ちょっと花嫁の隣にいて」って頼んで僕は司会の仕事に行ったんですよ。それで戻ってきたら、うちのおふくろとおかみさんが立ってて「来賓はみんな帰っちゃったわよ!どこに行ってたのよ!」ってカンカンで。僕が「結婚式の司会をしに……」って言ったら「ダメね~」って(笑)。ーーとんだ結婚生活のスタートだったが、それから夫婦生活33年目の2000年4月、胃がんが発覚。異変に気づいたのは武津子さんだった。おかみさんは自分が小さいときから体が弱くて医者にかかってたんで、人の様子を見て気づくのが早いんです。「お父さん、ちょっと変よ。病院に行ったほうがいいわよ」って。それがきっかけでがんが見つかって……。おかみさんにはいつも助けられて感謝しかないです。僕は手術で胃を3分の2切除したので食事は6食なんです。最初のころはおかみさんが握ってくれた小さなおにぎりと6Pチーズと飴をいつも持ち歩いてて。高座に上がる前に朦朧としたら困るから、それを6回に分けて食べるんです。ーー今も元気でいられるのは武津子さんの献身的な食事と体調の管理のおかげ。「体が疲れちゃってるから寝て戻したほうがいい」というのをすごく言うんですよ。僕は昼寝の習慣なんかなかったんですけど、今でも2時から3時の間に寝てます。おかみさんはおばあちゃんの看病やお母さんが早死にしたという体験があるから、どういう場合、人は具合が悪くなるという情報をいっぱい持ってて。その情報から僕に「今はこうじゃないか」って助言してくれるんです。食事もお昼はパンで、おかずがゆで卵、牛乳、チーズといったものをおかみさんが用意してくれて。食生活もすごく考えてくれて随分変わりました。ーー今後については――。おかみさんと一緒にハワイ旅行に行きたいですね。落語家という職業は特殊だし僕はおバカを売り物にしてましたから、特異な目で見られていました。だからその視線を受けて、僕には何にも言ってこなかったけど、嫌だったと思うんです。そういった苦労を慰労する旅にしたいです。今まで二人でゆっくり話をすることもなかったから、一緒にいる時間を増やして、くだらない話をもっとしたいね。おかみさんとの出会いは、僕がお風呂場の扉をガラーと開けたところから始まって……不思議だよな。裸見てから、だんだん着ていくのを見たからね(笑)。(取材・文:インタビューマン山下)
2024年04月17日日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜後5:30)が本日7日に放送された。半世紀を超える55年の歴代最長出演を果たした落語家の林家木久扇(86)が、3月31日の放送回をもって卒業したことを受け、この日は新メンバーが発表され、立川晴の輔(たてかわ はれのすけ51歳)が新たに加わった。番組冒頭から新メンバーの登場を心待ちにしているメンバーたちからの挨拶が終わり、昇太師匠から「それでは早速、新メンバーの方に登場して頂きましょう!お願いします!」と声がかかると出てきたのは、なんと先週卒業した木久扇師匠。木久扇師匠の「どうも新メンバーの木久扇です」の言葉に、メンバー全員から総ツッコミを受け、自分から新メンバーを紹介したいという木久扇師匠が連れてきたのは、立川晴の輔だった。木久扇師匠と言えば先週、昇太から最後「今のお気持ちはいかがですか?」と聞かれると、「また来週!」とひと言。木久扇らしく、明るい笑顔で手を振り55年の出演を締めくくった。そして今回、まさかの卒業した木久扇師匠が登場したことでで、ネット上では「やると思った(笑)」「驚いたけど、また来週!って言ってたし、伏線回収したのかな?」「笑点らしくて笑った」などと話題になっている。立川晴の輔は、落語立川流 立川志の輔一門の落語家。BS日テレ『笑点 特大号』の若手大喜利コーナーで活躍しており、2019年には三遊亭円楽師匠の代演として『笑点』にも登場したことがある。落語立川流のレギュラーメンバーは、初代司会者・立川談志以来55年ぶりとなる。晴の輔師匠がレギュラーメンバーになったことで、『笑点』メンバーは、東京・江戸落語界に分かれている4つの団体、落語協会、落語芸術協会、落語立川流(立川流)、五代目円楽一門会(円楽党)すべての落語家が揃う『笑点』史上初めてのメンバー構成となった。この日の放送では初の大喜利も行われ、収録後には新メンバーのお披露目会見も開催。『笑点』の新メンバーに選ばれたときの心境を聞かれると「ただただ驚きました。若手大喜利(BS日テレ 『笑点 特大号』のコーナー)はやらせていただいていたんですけども、木久扇師匠の席は自分ではないと思っていたので、本当に驚きました」と告白。初めての収録は「もう覚えていないですね。なんだかずっと顔が引きつっていたと思うんですけど、気づいたら終わっていたぐらいです」と打ち明けた。最後に視聴者へメッセージを送り、「今回は初回だったので、本当にメンバーの皆さんが僕なんかに花を持たせてくださって優しく包んでいただきました。これから自分なりの 個性を出してやっていければと思いますので、ひとつよろしくお願い致します」と呼びかけ。さらに、新メンバー発表の先導役を務めた木久扇師匠が「彼と話したときに、立川談志の命日と晴の輔が生まれた日(11月21日)が重なっていて、『笑点』のメンバーに選ばれたのは、談志師匠のお導きなのではと言っていて、びっくりした。『笑点』では、私の足跡をたどることはしないで自分の感性で、焦らず、緊張せずに、だんだんと自分の芸風を(全国のお茶の間に)浸透させていって欲しい」と晴の輔師匠へ応援のメッセージを寄せた。■立川晴の輔プロフィール落語立川流立川志の輔一門1972年11月21日兵庫県神戸市生まれ岡山県作陽高校卒業、東京農業大学農学部卒業◆経歴1997年 立川志の輔に入門。志の吉を拝名2003年 二ツ目に昇進2013年 真打に昇進。志の吉から晴の輔へ改名BS 日テレ 『笑点 特大号』の「若手大喜利」に出演2019年 六代目三遊亭円楽の助っ人として『笑点』レギュラー大喜利に出演
2024年04月07日日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜後5:30)が本日7日に放送された。半世紀を超える55年の歴代最長出演を果たした落語家の林家木久扇(86)が、3月31日の放送回をもって卒業したことを受け、この日は新メンバーが発表され、立川晴の輔(たてかわ はれのすけ51歳)が新たに加わった。番組冒頭から新メンバーの登場を心待ちにしているメンバーたちからの挨拶が終わり、昇太師匠から「それでは早速、新メンバーの方に登場して頂きましょう!お願いします!」と声がかかると出てきたのは、なんと先週卒業した木久扇師匠。木久扇師匠の「どうも新メンバーの木久扇です」の言葉に、メンバー全員から総ツッコミを受け、自分から新メンバーを紹介したいという木久扇師匠が連れてきたのは、立川晴の輔だった。立川晴の輔は、落語立川流 立川志の輔一門の落語家。BS日テレ『笑点 特大号』の若手大喜利コーナーで活躍しており、2019年には三遊亭円楽師匠の代演として『笑点』にも登場したことがある。落語立川流のレギュラーメンバーは、初代司会者・立川談志以来55年ぶりとなる。晴の輔師匠がレギュラーメンバーになったことで、『笑点』メンバーは、東京・江戸落語界に分かれている4つの団体、落語協会、落語芸術協会、落語立川流(立川流)、五代目円楽一門会(円楽党)すべての落語家が揃う『笑点』史上初めてのメンバー構成となった。■立川晴の輔プロフィール落語立川流立川志の輔一門1972年11月21日兵庫県神戸市生まれ岡山県作陽高校卒業、東京農業大学農学部卒業◆経歴1997年 立川志の輔に入門。志の吉を拝名2003年 二ツ目に昇進2013年 真打に昇進。志の吉から晴の輔へ改名BS 日テレ 『笑点 特大号』の「若手大喜利」に出演2019年 六代目三遊亭円楽の助っ人として『笑点』レギュラー大喜利に出演
2024年04月07日およそ58年もの歴史を誇り、お茶の間で親しまれている、演芸バラエティ番組『笑点』(日本テレビ系)。その初期から活躍する、黄色の着物でお馴染みの、落語家の林家木久扇(はやしや・きくおう)さんは、2024年3月31日の出演で卒業しました。林家木久扇、『笑点』を卒業『笑点』を卒業する木久扇さんは、本編前のミニ番組『もう笑点』(日本テレビ系)で笑点メンバーに伝えたいことを話しました。笑点メンバーのみなさん、気を抜かないで私がいなくなったぶんも、うんと面白く番組を盛り上げて100年、200年と笑点が続くように、一つやっていただきたいと思います。心配事があったら私に相談してください。相談料は3000円です。1回。笑点ーより引用また、番組内では『木久扇さんありがとう』のお題で、木久扇さんへの感謝の気持ちを伝える大喜利を実施。各メンバーからは、木久扇さんとの思い出を掛けた回答が続出し、会場が笑いに包まれました。番組史上初のサプライズとして、観客たちが黄色いタオルを振りながら、「ありがとう」の掛け声を一斉に上げるシーンも。各メンバーが木久扇さんの元へすべての座布団を積み、木久扇さんが隠れて見えなくなるハプニングもありました。しかし、最後は明るい笑顔で手を振り、「また来週!」という木久扇さんのひと言で番組が締めくくられました。木久扇さんの『笑点』最後の出演に、視聴者からは「55年間、本当にお疲れ様でした。そして、いつも笑いをくれてありがとうございました!」などの声が寄せられています。55年もの間、『笑点』でお茶の間に笑いを届けた、木久扇さん。長い間、本当にお疲れ様でした。[文・構成/grape編集部]
2024年03月31日落語家の林家木久扇(86)が、日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜後5:30)をきょう31日の放送をもって卒業した。半世紀を超える55年の歴代最長出演を果たした。その後、直後に放送された日本テレビ系『真相報道バンキシャ!』(毎週土曜 後6:00)に生出演もした。木久扇は、番組冒頭のあいさつからいつもと変わらない「お知らせ」で会場を沸かせた。大喜利の1問目は、“おバカキャラの与太郎”木久扇に掛けた「おバカな人もっとおバカな人」というお題に対して、木久扇は「バカなのは答えができていないのに手を挙げる人、もっとおバカななのはそれを知らないで当てちゃう司会者」と回答し、司会の春風亭昇太への愛あるいじりで笑わせた。最後のお題は「木久扇さんにありがとう」。同番組史上初のサプライズ演出が展開された。この日、木久扇には内緒で観客に配られていた黄色いタオルが昇太の「ありがとう!」の掛け声で一斉に上がり、会場を木久扇カラーに染めた。各メンバーからの木久扇師匠との思い出に掛けた名回答・珍回答に会場は大爆笑。また、林家たい平の粋な計らいで木久扇に御礼の座布団が渡され、各メンバーも続々と座布団を積み上げて木久扇が見えなくなるハプニングに。木久扇も「おれが(テレビに)映らないじゃないか!」と思わずツッコんだ。さらに、木久扇からはお得意の「いやんばか~ん」の歌も飛び出した。最後に、昇太から「今のお気持ちはいかがですか?」と聞かれた木久扇は「また来週!」とひと言。木久扇らしく、明るい笑顔で手を振り55年の出演を締めくくった。自身の最後の『笑点』を楽屋で見ていた木久扇は感想を問われると「すごいと思っていう。サインしてもらたい」とジョークを飛ばした。自らを「みなさんの黄色い恋人」と称しながら「笑っていただくのは難しい。自分を責めるのはいいんですけど、世間とか人を指して笑いにするのは避けなきゃいけない。薄氷を踏むよう」と繊細な笑いについて語った。気になる今後も。「コンゴってのはアフリカ」とボケながらも「落語をアニメにしたい」と意気込んでいた。
2024年03月31日落語家の林家木久扇(86)が、日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜後5:30)をきょう31日の放送をもって卒業した。半世紀を超える55年の歴代最長出演を果たした。木久扇は、番組冒頭のあいさつからいつもと変わらない「お知らせ」で会場を沸かせた。大喜利の1問目は、“おバカキャラの与太郎”木久扇に掛けた「おバカな人もっとおバカな人」というお題に対して、木久扇は「バカなのは答えができていないのに手を挙げる人、もっとおバカななのはそれを知らないで当てちゃう司会者」と回答し、司会の春風亭昇太への愛あるいじりで笑わせた。2問目「木久扇さんがさまざまな番組に出演したら」のお題では、「私、木久扇がすべてのサッカー番組に出演することになりました」「なぜかというと私はキック王(木久扇)」と回答し、お得意のギャグで会場の笑いと座布団を1枚を獲得した。最後のお題は「木久扇さんにありがとう」。同番組史上初のサプライズ演出が展開された。この日、木久扇には内緒で観客に配られていた黄色いタオルが昇太の「ありがとう!」の掛け声で一斉に上がり、会場を木久扇カラーに染めた。各メンバーからの木久扇師匠との思い出に掛けた名回答・珍回答に会場は大爆笑。また、林家たい平の粋な計らいで木久扇に御礼の座布団が渡され、各メンバーも続々と座布団を積み上げて木久扇が見えなくなるハプニングに。木久扇も「おれが(テレビに)映らないじゃないか!」と思わずツッコんだ。さらに、木久扇からはお得意の「いやんばか~ん」の歌も飛び出した。最後に、昇太から「今のお気持ちはいかがですか?」と聞かれた木久扇は「また来週!」とひと言。木久扇らしく、明るい笑顔で手を振り55年の出演を締めくくった。なお、次週4月7日の放送では、新メンバーを発表する。
2024年03月31日落語家の林家木久扇(86)が、日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜後5:30)をきょう31日の放送をもって卒業する。それに伴い、林家木久扇師匠の記念グッズ3種類の発売が決定した。記念グッズは、足かけ55年の出演で、木久扇が長年にわたって着用したイエローの着物をイメージした、クリアフォルダ、巾着、法被型手ぬぐいの3種類。日テレ屋、日テレ屋webで発売される。きょう放送の同番組は、半世紀を超える55年の歴代最長出演を果たす木久扇の卒業を祝福。30分まるごと大喜利を届ける。
2024年03月31日およそ58年もの歴史を誇り、毎週日曜日に全国のお茶の間へ笑いを届けている、演芸バラエティ番組『笑点』(日本テレビ系)。同番組といえば、個性豊かなレギュラーメンバーが人気の理由ですが、長寿番組ゆえ、これまで何度もメンバーの入れ替えが行われてきました。2023年8月には、黄色の着物でお馴染みである、落語家の林家木久扇(はやしや・きくおう)さんが『卒業』する旨を発表しています。林家木久扇、ついに『笑点』最後の出演へ木久扇さんが最後に出演するのは、2024年3月31日の放送回。日本テレビはこの日について、ウェブサイトで『笑点史上初のサプライズ』を放送予定として明かしました。最後には、55年もの長きにわたりお茶の間を笑いで沸かせてきた木久扇師匠へ会場も一体となった笑点史上初のサプライズも!『笑点』お約束のメンバー同士の掛け合いもあり、笑いもあり、涙ありの内容で、いつもの『笑点』とはひと味違う放送をお届けする。笑点ーより引用1969年、名跡が『林家木久蔵』だった頃に番組内の『若手大喜利』へ出演し、なんと55年間にわたって回答者を務めてきた、木久扇さん。卒業を発表した際は、「芸というものは、次の世代にバトンタッチしなくては。私の座布団の芸も、新しい人にバトンタッチします」とコメントしていました。2024年3月現在、86歳の木久扇さん。若い頃から、55年という歳月を『笑点』と歩んできたと考えると、この番組への貢献度は計り知れません。最後の出演回を前に、ネットでは多くの人から感謝と応援の声が上がっています。・ついに、ついに卒業してしまうのか…。木久扇さんのいない『笑点』がまだ想像できません。・「本当にお疲れ様でした」といいたい。たくさんの笑顔をもらいました。・さびしいなあ…。55年間、楽しい時間をありがとうございました!落語の面白さを世間により広めるため、次の世代へとバトンを渡す木久扇さん。『笑点』最後となる勇姿は、全国の人を笑顔にすると同時に、その心を震わせることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年03月26日落語家の林家たい平が26日に自身のアメブロを更新。まだ信じられない悲しすぎる訃報に心境を吐露した。この日、たい平は「先ほど落語協会から電話をもらいましたがまだ信じられません」と述べ「正楽師匠の訃報です」と21日に亡くなった寄席紙切り芸の第一人者として知られる林家正楽さんについて言及。「お正月初席は浅草演芸ホールの高座裏のお気に入りの椅子に座り毎日お話ししていたばかり」だといい「紙切りの芸は超一流 優しくてお茶目で楽しい師匠 大好きな師匠です」とつづった。続けて「19日の末広亭の高座が最後となり21日に急逝されたとのこと」と説明し「悲しすぎます沢山の楽しい思い出が蘇ってきます ゆっくり飲んで食べてお話しもしました」と写真とともにコメント。「猫八さんの襲名の時もお誘いしたら快く打ち上げに来て下さいました」と明かし「私が作ったコースターをおでこに貼って嬉しそうな正楽師匠」とたい平が作ったコースターを額に貼った正楽さんの写真も公開した。最後に「大好きな大好きな師匠もっと一緒にいたかったです」と心境を吐露し「たくさんの楽しい思い出ありがとうございました」と感謝のコメント。「合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当にお優しい方でしたね」「突然の訃報に言葉が見つかりません」「ご冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年01月28日柳家吉緑林家つる子二人会『紺屋高尾』が2023年12月22日 (金)にきゅりあん小ホール(東京都品川区東大井5-18-1)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。カンフェティにてチケット発売中 ひとつの古典落語を追求し、表と裏を描いた初の企画!古典落語の名作『紺屋高尾』。その従来の古典を柳家吉緑が、高尾太夫にスポットを当てた高尾が主役の紺屋高尾(つる子作)を林家つる子が申し上げます。林家つる子が古典落語「芝浜」「子別れ」「紺屋高尾」の登場人物である花魁を主人公とし、その視点から古典落語を描く挑戦をしている事に吉緑が興味を持ち、楽屋で話しているうちに同じ会で二人でひとつの噺をやるこの企画の開催に至りました。柳家吉緑林家つる子柳家吉緑プロフィール、コメント柳家吉緑2010年6月柳家花緑に入門前座名花どん2015年5月 二ツ目昇進吉緑に改名2017年新潟県魚沼特使就任【受賞歴】2022年3月第21回さがみはら若手落語家選手権優勝2022年9月第33回北とぴあ若手落語家競演会大賞2023年3月BSフジ「Zabu-1グランプリ」優勝2023年11月NHK新人落語大賞本選会進出18歳で舞台役者を志し、役者の勉強中に国立演芸場でレセプショニストとして働いた事がきっかけで落語の魅力に開眼し噺家になる決意をする。江戸東京博物館小ホールで三ヶ月に一度開催している独演会『吉緑結び』では落語だけの枠にとらわれずハープや踊り、エアリアルや朗読など、他ジャンルとの協演による新しい落語の可能性を提案してきた。大師匠の五代目柳家小さんの得意とした滑稽噺を継承しながら、人情噺では、登場人物の心の機微を繊細に描く事に長けている。2022年からは出場する若手のコンクールで結果を出し続け、2023年番組史上初の生放送で注目されたNHK新人落語大賞にて本選会に出場した。【柳家吉緑コメント】紺屋高尾と言う噺。師匠の独演会でこの噺を初めて聴き、その日に弟子入り志願しました。言ってしまえば自分の人生を変えた噺なのかもしれません。つる子さんから「紺屋高尾の本編には描かれていない、高尾太夫がどう生きてきたのかが気になる。」と聴いて彼女の想像力に驚き、一本の落語として高尾版を作ったと聴いた際は、彼女のその創造性に強く感銘を受けました。今回は久蔵と高尾。その両面側を描いた新しい紺屋高尾を聴いて頂きたいです。 御来場心よりお待ち申し上げます。林家つる子プロフィール、コメント林家つる子林家つる子/落語家群馬県高崎市出身中央大学文学部人文社会科学中国言語文化専攻卒業ぐんま特使日本舞踊坂東流名取「坂東蝶子」2010年9⽉九代林家正蔵に弟⼦⼊り2015年11⽉⼆ツ⽬に昇進2019年9⽉第11回前橋若⼿落語家選⼿権優勝2021年3月第20回さがみはら若手落語家選手権優勝2021年11月NHK新人落語大賞決勝戦進出2022年9月第33回北とぴあ若手落語家競演会奨励賞2022年10月NHK新人落語大賞決勝戦進出2024年3月21日より真打昇進決定メディア出演BS日テレ笑点特大号「女流大喜利」BSフジ「日本一ふつうで美味しい植野食堂」TBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」火曜リポーターTBSラジオ「多摩もりあげ宣言」他高校では演劇部に所属し、中央大学入学後、落語研究会に勧誘され、初めて落語を見て魅了される。大学卒業後、九代林家正蔵のもとに入門。古典落語の滑稽噺から人情噺、新作落語にも取り組み、新しい目線から落語を描き直す試みにも意欲的で、古典落語「芝浜」や「子別れ」「紺屋高尾」の登場人物であるおかみさんや花魁を主人公し、その視点から古典落語を描く挑戦は、NHK総合「目撃!にっぽん」、日本テレビ「NEWS ZERO」、「文藝春秋」等、各種メディアに取り上げられた。【林家つる子コメント】紺屋高尾は、大好きな噺の一つです。 何度も聞いている内に「高尾花魁はどうして久蔵を選んだのか、それまでにどんな人生を送ってきたのだろう」高尾のことが気になるようになり、 私なりに、高尾花魁を主人公にして、この噺を描く挑戦を始めました。今回は初めての試みで、兄さんの紺屋高尾から久蔵の思いを、私の紺屋高尾から高尾の思いを、同じ会で高座にかけさせて頂きます。 各々の視点からぜひ、お楽しみ頂けましたら幸いです。この会の実現にご協力頂きました皆様、お客様、そして吉緑兄さんに、心より感謝申し上げます。公演概要柳家吉緑林家つる子二人会『紺屋高尾』公演日時:2023年12月22日 (金)18:00開場/18:30開演会場:きゅりあん小ホール(東京都品川区東大井5-18-1)■出演者柳家吉緑林家つる子■スタッフ【予約】カンフェティ【音響】塚田耕司【照明】保坂成美【デザイン】真家亜紀子【プロデュース】0m先 梅原渉■チケット料金前売:3,000円当日:3,500円(全席自由・税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年11月17日漫談家の林家ペー・パー子夫妻が出演する、「西友×楽天 PPキャンペーン」の新WEB動画が、26日に公開された。新WEB動画では、2008年にCDデビューを果たしたペー・パー子夫妻が2012年以来約10年ぶりにオリジナルソング「お得のループ」を熱唱。「抜け出せやしないお得のループ~」と同サービスの魅力を伝えている。■林家ペー・パー子夫妻インタビュー――西友の思い出を教えてください。林家ペー:西友は、本当に昔からよく使っていて。私は赤羽で住みはじめて48年なんです。今よりも規模はたしか小さかったけど、当時から西友はありましたね。今も極力、(仕事帰りに)浅草にある西友に行くのを我慢して、赤羽の西友を使っているのよ(笑)。――西友赤羽店への愛を感じます。林家ペー:そりゃそうよ、自分の地元なんですから。改めて、そんな西友さんのお仕事ができて、ありがたいですね。――ポイ活など何かお得になる行動は普段から意識されていますか?林家ペー:「ポイ活」っていう言葉、初めて知ったよ(笑)。おそらく僕は、40年近く前にポイントカードの存在を知ったのかな。当時からポイントは色々と貯めて、利用していますよ。一番の自慢は、冷蔵庫・洗濯機・テレビ。これを全部ポイントで購入したことかな(笑)。今、コンビニや家電量販店、化粧品など、ほぼ全ての業界でポイントカードあるんじゃない? とても便利だよね。ポイントを貯めるだけで色々なサービスがつくから、感謝しているよ。あと今は、スマホ一つで貯められるよね。便利でありがたいよね! ポイント生活は、自分の人生とともにあるよね(笑)。――今回のキャンペーン動画の内容を聞いて、どう思いましたか?林家ペー:演歌が大好きだから、今回の動画出演の依頼は、とても感謝しています。とても気に入っていますよ。監督に感謝ですね。演出も面白かったし。ハッピーです(笑)。(今回の曲を歌い始めるペー)……うん、昭和歌謡だし、とても気に入ったね。ちなみに最近の若い子の歌は、びっくりするくらい速いテンポの曲じゃない? やっぱり私は昭和歌謡だ。演歌世代だからね!――今でも昭和歌謡を歌う機会はありますか?林家ペー:舞台の仕事で、たまに歌いますよ。でも自分の余談が長いから、歌いはじめようとしたら出番が終わることもあるんだけどね(笑)。――今回、新曲を熱唱された感想を教えてください。林家ペー:前のCDを出してから10年経つけど、この曲もとても気に入っていますよ。このような機会があったら、精力的に歌っていきたいですね。今後も、CD発売の依頼はぜひお待ちしています(笑)。――ちなみに今回の動画は、YouTubeで配信されます。ペーさんは、YouTubeはご覧になりますか?林家ペー:YouTube見ますよ。色々な人の動画を見て参考にしているよ。すごい時代じゃないねぇ。――今回の動画、ズバリ、何万回再生を目指しましょう?林家ペー:え~! 再生の経験が無いからねぇ(笑)。気が小さいからさ。そういえば、自分が始球式に参加した様子がYouTubeで配信されていて、たしか今約3万回再生されているはずなんです。だから……目標は約3万回以上かな(笑)。ぜひともね。西友を利用している方々全員に見てほしいですね(笑)。――最後にメッセージをお願いします。林家ペー:東京のラスべガス・赤羽は素晴らしい街。北区ですからね。“来たく(北区)”なる街ですから。ぜひその赤羽の西友で、ポイントを貯めたり使ったりしてほしいです。ぜひ赤羽へお越しください。あ、これだと赤羽の宣伝になっちゃうね(笑)。西友にぜひ、お越しください! たくさん買って、ポイントつけて、ハッピーな生活を送ってください。来たくなる、西友!
2022年04月26日50年以上、お茶の間に笑いを届け続けている、演芸バラエティ番組『笑点』(日本テレビ系)。2021年12月19日の放送で、大喜利メンバーである林家三平さんの卒業が発表されました。林家三平、年内での『笑点』卒業を発表番組の最後で、「いったん『笑点』を離れることにしました」と、2021年いっぱいでの卒業を明かした三平さん。5年半にわたる同番組の出演で、一度も10枚の座布団を取ることができなかったといいます。自虐で笑いを誘いながら、三平さんは観客や視聴者に向かって、このようにコメントしました。この5年半、本当にたくさんの方にお世話になりました。ありがとうございます。しかし!この5年半、一度も座布団10枚を取ったことがありません!ですから表に出て、自分のスキルを上げて、また座布団10枚を獲得するためにも、勉強し直して参ります。身体を鍛え、心も鍛え、芸の幅を広げて、いろんな経験をして戻って参ります!本当にありがとうございました!笑点ーより引用また番組放送後、三平さんは自身のTwitterアカウントでも卒業についての熱い想いを述べています。笑点を離れる事になりました。若手として元気に頑張ったのですが実力不足と理解しております。番組の最後に、また戻ってきますとは言ったものの、そんなに簡単な事ではないのも承知しています。落語に限らず様々な経験を積み、勉強し直したいと思います。引き続き応援よろしくお願い致します。— 林家三平 公式 (@3pei_hayashiya) December 19, 2021 2009年に2代目『林家三平』を襲名し、2016年に『笑点』が50周年を迎えるタイミングで、大喜利メンバーに加入した三平さん。突然の発表に、同番組のファンからは「さびしくなる」「また戻ってくるのを待っています」といった、温かいメッセージが寄せられています。卒業までの最後の出演は、2021年12月26日の放送とのこと。一度メンバーからは抜けるものの、いつかまた番組で笑いを届けてほしいですね![文・構成/grape編集部]
2021年12月19日株式会社文藝春秋が、11月3日(水・祝)に渋谷区文化総合センター大和田さくらホールにて「文春落語柳家喬太郎・林家二楽の落語のらりくらり」を開催する。今年春に開催された「文春落語」では、当代きっての人気落語家、柳家喬太郎のゲストにエッセイスト・阿川佐和子を招いて好評を博した。今回の秋バージョンでは、喬太郎と紙切りの林家二楽の名コンビが、若者の街・渋谷で賑やかに口演する。喬太郎は「いま最もチケットが取れない落語家」とも称され、コロナ禍においても全国からオファーが絶えない人気ぶり。マクラからオチまで面白すぎて一瞬たりとも聴き逃せないと、期待以上の高座で毎回ファンを魅了している。一方、ハサミの妙技もさることながら巧みな話術も魅力の二楽は、伝統の紙切り芸に加え、音楽に乗せて次から次へと紙切り作品を展開する「ストーリー紙切り」を披露する。技とセンスが光るオリジナル芸を、ぜひ生で楽しみたい。チケット初回販売分は、緊急事態宣言下の9月に一席ずつ空きで販売したがほぼ完売。10月10日(日)10:00から残りの半数分を追加販売する。配信は行わない。初回に購入できなかった人も、人気の高座を堪能できるチャンスだ。※チケット追加販売中■文春落語「柳家喬太郎・林家二楽の落語のらりくらり」出演:柳家喬太郎(落語)、林家二楽(紙切り)2021年11月3日(水・祝)19:00開演(開場18:30)会場:渋谷区文化総合センター大和田4階さくらホール〒150-0031東京都渋谷区桜丘町23-21全席指定 S席4,000円/A席3,500円文春落語公式ホームページ
2021年10月11日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、みんなで回し読みした漫画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「幼いころからアニメや漫画が大好き。アニメは主題歌の歌詞を、ノートに書き写したりして歌っていました。漫画雑誌は、付録も魅力でよく買ってもらっていたんですよね。紙を切り抜いて組み立てるカセットテープケースや、全員がもらえるキャラクターが描かれたポシェットに応募したりしました。4〜5年前、『弥生美術館』(東京都文京区)に寄贈したほど、当時の付録は大事に持っていました」こう幼少期を振り返るのは、落語家の林家きく姫さん(51)。夢中になった作品は、数知れない。「美内すずえ先生のホラー作品『妖鬼妃伝』(’81年)は、終電後に走る謎の地下鉄に乗ってたどり着いた異世界にまつわる話。現実に地下鉄に乗ったとき、路線の奥に続く暗闇を見て、“どこかに迷い込んでしまうんじゃないか”と怖くなったりしました。庄司陽子先生、里中満智子先生、池田理代子先生の作品もよく読みました。漫画家の先生のことを、小学生当時から“先生”と呼んで尊敬していました」同時期の漫画の中では、『パタリロ!』も忘れられない作品だったという。架空の島国であるマリネラの国王・パタリロが繰り広げるギャグ漫画だがーー。「ときにイギリスの敏腕諜報部員のバンコランとともに悪者と戦うスパイアクションも、見応えがありました。とにかく“パタリロ”という名前がユニークでインパクトがあるし、見た目のかわいさ、柔らかさも好き。ギャグのシーンと、シリアスなシーンではパタリロの顔がガラリと変わる。そのギャップも面白さのひとつでした」漫画、アニメにのめり込んだきく姫さんだが、中学卒業後、それらを楽しむ心の余裕がなくなってしまったという。「ミュージシャンの友人もいた(9歳の時に亡くなった)母の影響もあって、ジャズのアルトサックスプレーヤーになりたいって思って音楽高校に進学したんです。でも、私は基礎ができていなかったし、周囲の競争意識の高さにもついていけず、1年で中退してしまいました」何もやることがない日々を送って精神的にも暗い気持ちになっていたとき、父親が勧めてくれたのが落語の世界。「それまでは落語をちゃんと聴いたことがなかったし、何も知らなかった私ですが、でも『笑点』(’66年〜・日本テレビ系)は大好きで、毎週見ていたんです。とくに師匠(林家木久扇、当時は林家木久蔵)のことは親子そろって好きだったので、父から『木久蔵さんのところに行きなさい』と」突拍子もない言葉に、普通なら聞き流してしまいそうなものだが、木久扇師匠に、大好きなパタリロのような親近感を感じたのかもしれない。「少しジャズを勉強していたことで、師匠の歌う『いやんばか〜ん』(’78年)が、セントルイス・ブルースというジャズのスタンダードが原曲だったことがわかり、“すごい”って思って。師匠はギャグもダジャレも面白いし、カッコつけないところも素敵だけど、決めるときは決める。しかも黄色ーー。あ、パタリロみたいですね(笑)」16歳のとき、オーディション雑誌の編集部に電話をして木久扇師匠の住所を教えてもらい、アポなし訪問をした。「たまたま事務所のスタッフさんは出払っていたのですが、ドアの向こうから『いませんよ〜』と、笑点でいつも聞くあの声がして……。直接『弟子入りさせてください!』ってお願いしたんです」まだ女性落語家の少なかった時代であったが、木久扇師匠は受け入れてくれたのだ。「落語は、お客さんと噺家がともに空気を作り上げて楽しむもの。話の世界を想像してもらえるように、強弱をつけたり、見せ場を作ったりするのですが、幼いころから漫画の場面展開、カット割りなどに親しんできたことは、落語にすごく生きていると思います。なによりパタリロには、人生は真面目に過ごすばかりでなく、ときには笑い飛ばすくらいの余裕も必要なんだって教えられました」
2021年06月07日「父は玄関先で転んだようで、約束の時間に来ないから心配して家へ探しに行ったら玄関の中でヒザを抱えて座っていましてね。痛くて動けないから電話すらできなかったみたいなんです。骨折は左足の付け根部分なんですが、顔をしかめて搬送されました。最低3週間は入院ですが、コロナの影響でまだ病院にお見舞いに行けず、毎日携帯電話で話している状況です」林家木久扇(83)のケガの状況をこう説明するのは、息子の林家木久蔵(45)だ。今年55周年を迎えた国民的人気番組『笑点』(日本テレビ系)メンバーでおなじみの木久扇が、5月24日に東京都内の自宅で転倒。左大腿骨骨折の大ケガを負った。都内の整形外科医は言う。「もともと、この大腿骨骨折は高齢者に多く、’07年の推計患者数は年間約15万人でした。ただ、コロナ禍により外出の機会が減っています。骨粗しょう症や筋力低下などのため’30年には約30万人に増えるともいわれています。寝たきりの契機となりやすいため、骨折後はすぐ治療をしてリハビリをおこない、再骨折を防ぐことが重要です」いまや『笑点』メンバー最高齢となる木久扇。病院ではどんな様子なのか。木久蔵は続ける。「もう手術は無事に終わりまして、今はリハビリに励んでいるところです。本人はいたって元気でしてね。以前がんを2度やってますが、今も何も問題はなくて。手術後は病院のご飯がおいしいらしく、『ふりかけ持ってきてくれないか?』って、だんだんワガママになってきました。欲しいものがあるときは看護師さんに手渡しで託しているんですけど、ワガママ言えるぐらいなんで安心してます。これからどんどんワガママになるかもしれません」と、苦笑い。「今後は自宅のバリアフリー化なども考えなきゃいけませんね」そう丁寧に語って去っていった。おおどおり鎌田内科クリニックの鎌田潤也院長は木久扇宅での今後のケアについてアドバイスする。「ちょっとした物でまたつまずき転ぶことも考えられるので、ご家族は家の中の動線を工夫し、ご本人も筋肉が落ちないよう積極的にエクササイズに取り組むよう意識したほうがよいと思います」
2021年06月04日2020年12月27日放送のバラエティ番組『笑点』(日本テレビ系)で、同月17日に誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなった落語家の林家こん平さんを追悼する映像とメッセージが放送されました。1966~2004年にかけて、『笑点』に出演し、「ちゃら~ん!」と叫ぶ一発ギャグが番組内の名物にもなっていた、こん平さん。同月27日放送の『笑点』では、在りし日のこん平さんの姿を映像とともに振り返り、最後にはテロップでこんな追悼メッセージも流れました。こん平師匠、たくさんの笑いをありがとうございました笑点ーより引用追悼映像が流れることが事前に告知されていなかったためか、視聴者の反響は大きく、「ありがとうございます」「特別番組として、今回とはまた別で放送してほしい」など、さまざまなコメントが寄せられています。・こん平師匠の追悼映像が出たのは意外でした!ちょっと男泣きしてしまいました。・改めてこん平さんのご冥福をお祈りいたします。・こん平さんの追悼番組を用意してほしい。『笑点』出演時、明るいキャラクターで多くの視聴者に笑顔を届けてくれた、こん平さん。改めて、その功績と人気の高さがうかがえますね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月27日2020年12月21日に誤嚥性肺炎で亡くなったことが分かった、落語家の林家こん平さん。落語家の林家こん平さん、誤嚥性肺炎で死去15年以上前から難病患う同月22日こん平さんの愛弟子で落語家の林家たい平さんは、自身のブログで師匠への『感謝の想い』をつづり、反響を呼んでいます。こん平師匠が教えてくれたことサンケイスポーツによると、こん平さんが息を引き取った日の夕方に電話で訃報を知ったというたい平さん。「無念でしたが、もう一度落語をやるといっていた師匠は、もっと無念だったと思う」と悲しい胸の内を吐露していました。訃報から数日後、『師匠へ』というタイトルで更新されたブログでは、若き2人の写真とともに師匠への想いがこうつづられています。師匠へ弟子にして下さってありがとうございました林家たい平を育てて下さってありがとうございました厳しくして頂いたからこそ今の自分があります33年間の思い出は一言では語れません林家たい平オフィシャルブログーより引用「あせるんじゃないよ人と比べないこと自分には自分の花咲く時期があるんだから」芸人として、人として大切なことをたくさん教えて頂きました「たい平は上手だから」と肩もみを任せられてコチコチの肩を揉ませてもらったこと初めて大きな賞を獲った時に一緒に飛び上がって喜んでくれたこと2000年、40日間の真打披露毎日打ち上げの最後まで付き合ってくださったこと初めて褒めてくださった志ん朝師匠と一緒の夜のこと24時間テレビのマラソンのスタートの時のこと本当に嬉しかったです話し出したら終わりません師匠と過ごした33年間を宝物にこれからも師匠のオレンジ色の着物とあの場所の座布団を守り意志を継いで全身全霊で日本中に笑顔を運び皆様に喜んでもらえるように頑張ります!林家たい平オフィシャルブログーより引用ブログには、33年間背中を追い続けた師匠への感謝がつづられていました。厳しい落語の世界で『焦り』を感じていた、たい平さんに「焦るんじゃない。自分には自分の花咲く時がある」と声をかけてくれたといいます。たい平さんがチャリティーマラソンに挑戦した時には、スタート地点に車椅子で登場し『がんばれたい平、俺も負けない』と書いたタオルをプレゼントしてくれたそうです。ブログの最後は、「自分ができる唯一の恩返しは、『こん平さんの弟子はいいね』といってもらえるように精進することだ」という言葉で締めくくりました。ネット上では、この投稿を読んで心を打たれた人が続出。・涙が出てしまいました。いつも明るく笑顔だったこん平さんに、何度元気をもらったか分かりません。どうか安らかに。・こん平さんは本当にいいお弟子さんを持ちましたね。きっと天国でも、あの笑顔とともに応援してくれているはずです…!・本当に素敵な方だったのですね。こん平さんの思いを、今度はたい平さんが受け継ぎ、若手へ伝えていくのを楽しみにしています。太陽のように輝く笑顔が印象的だった、こん平さん。師匠に代わり今度はたい平さんが日本中へまぶしいほどの笑顔を届けてくれることでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年12月23日落語家の林家こん平さんが亡くなっていたと12月21日に発表された。享年77。各メディアによると、死因は誤嚥性肺炎だという。人気番組「笑点」(日本テレビ系)のレギュラーを40年近くも務めたこん平さん。「1、2、3、チャラ~ン!」という掛け声で世代を問わず人気を博した。しかし04年5月頃にのどの異常を訴えて休養となり、同年9月に「笑点」を休演。そして、05年7月に難病の「多発性硬化症」であることを公表した。多発性硬化症とは脳や脊髄などに病変が起こり、手足が麻痺する原因不明の難病。それだけでなく、こん平さんには落語家の命である声にも障害が出てしまった。そんなこん平さんの闘病生活を支えたのは、次女の咲さんだ。咲さんは本誌07年12月25日号で、その苦悩を明かしている。「大変だったのは、父に、『自分は病気だ』とわからせることでした。仕事一途で、責任感の強い父は、大学病院に入院中も、かすれた声で『仕事に行くんだ』と言って、していた点滴を『こんなものしてる場合じゃないんだ!』と、外そうとしたくらいですから」さらに同号では、こん平さんの葛藤ぶりも伝えている。「配慮が裏目に出たこともありました。回復が早まればいいなと思って、日曜日の夕方には『笑点』を見せるようにしたんです。でも、大喜利が始まると物思いにふけるように横になっていました。自分が出られなくなった番組を見るのはつらかったんでしょうね……」大好きな「笑点」を直視できなかったこん平さんだが、その心の糧はやはり落語だった。“父を落語家として復帰させたい”という気持ちから、咲さんは14年8月から都電一両を貸し切って行う「都電落語会」を毎月開催。スタートからちょうど一年となる15年8月、本誌にこう語っている。「父は、毎回お客様にひと言、ふた言ご挨拶したあと『1、2、3チャラ~ン』と都電の出発と落語会開催の合図をしますが、1回目の落語会を境に、父の病状は劇的に回復したんです。トイレにも自分で行けるようになったし、要介護度も4から3になりました。やはり、自分が出るべき舞台ができたことで『もう一度芸人として頑張ってみよう』という気持ちになれたんだと思います。実際、舞台に登場した瞬間、父は、病人から芸人になりますからね」晩年、高座に上がることは叶わなかったが、イベントに登壇するなどして落語に携わっていたこん平さん。16年以上にもわたる闘病生活を終え、いまは天国で大好きな落語を楽しんでいることだろう。
2020年12月22日2020年12月21日、落語家の林家こん平さんが誤嚥性肺炎で亡くなったことが分かりました。サンケイスポーツによると、林家さんは同月17日に誤嚥性肺炎で亡くなり、19日に家族葬を済ませたとのこと。演芸バラエティ番組『笑点』(日本テレビ系)に出演し、一発ギャグが人気を呼んだ林家さん。2004年からは多発性硬化症を患い、闘病をしていたといいます。新潟県の米どころ出身のこん平さんは中学卒業後、故林家三平師匠の東京・根岸の自宅に押しかけ入門。日本テレビ系「笑点」に出演して人気者となり、「1、2、3、チャラーン」のギャグで一世を風靡(ふうび)した。2004年ごろから難病の多発性硬化症を患いリハビリを続けてきた。こん平さんは、中学卒業後、芸で身をたてようと米1俵を担いで上京。ラジオで聞いて好きになった三平のもとに押しかけた。「笑点」に出演しボケ役を務めたことをきっかけに、「こん平」の名は世に広まり、一躍人気者になった。サンケイスポーツーより引用ネット上では、訃報にお悔みの声が相次ぎました。・笑点のオレンジ担当といえば、私の中で、こん平師匠です。ご冥福をお祈りします。・長い間お疲れ様でした。もう「チャラーン」が聞けないと思うとさびしいです。・笑っているお姿しか浮かばないな。ただただ、悲しいです。・天国でも、5代目圓楽師匠や歌丸師匠と大喜利をしてほしいな。お茶の間にたくさんの笑いを届けてくれた林家さん。あの明るい笑顔を、多くの人がずっと忘れないでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2020年12月21日「『笑点』もリモートになっちゃいましてね。でもYou Tube始めたり、コロナ時間でもあんまり暇ではないんですよ。82歳にして元気だって?笑ってくれたらいいんですよ。いろいろやって、ときにはバカやって、自分も一緒になって笑うんです。それでひと様の命、助けたこともあるんだから。認知症とか、終活とか、そんなことが話題だけど、笑いとばせばいいんですよ。そうすればニッポンは明るくなりますよ――」世界一の長寿演芸番組『笑点』の人気者「木久ちゃん」こと、林家木久扇さん(82)は今年、落語家人生60年の節目を迎えた。長い落語人生、印象的だったことはたくさんある。そんななかでも、“人の命を助けた”エピソードを話してくれた。「そうそう、大袈裟ですけど、落語で人助けができたこともあるんですよ」それは01年10月、急逝した三代目古今亭志ん朝の告別式のあとのことだった。「葬儀のあと、用事があって地下鉄に乗って。すいた地下鉄の車内で僕、落ち込んでたんですよ。志ん朝さんと僕は1歳違いですから。『兄さん、無理して落語勉強しすぎちゃって、疲労がたたったのかな』なんて思いながらね。すると、向かいに座ってた初老の人が近づいてきたんです。ああ、いやだな、こんなときにサインかな、なんて思ってたら……」その初老の男性は「木久蔵さん、私、あなたにお話があるんです」と声をかけてきた。「聞けば奥さまに先立たれ、経営しているギャラリーもバブルが弾け絵がさっぱり売れないとかで。『もう、生きてるのが面倒くさくなって、死んじゃおうと思ってた。そしたらラジオからあなたの声が聞こえてきて』って。演芸番組で僕の落語を聴いたんだそうです」男性はさらに真剣な眼差しで、言葉を続けた。「それ聴いたらね、あまりにくだらなくて……、私は死のうとしてるのに、同世代の人がこんなくだらないこと喋ってる……、あ、これでいいんだな、そう思ってね。死ぬのを思いとどまったんです」そして「ありがとうございました」と、男性は頭を下げたという。「落語ってね、バカバカしくてもいいんです、くだらなくてもいい。う?んと笑っていただくことで、人助けにもなるんだなって。それはね、志ん朝さんの告別式のこととつながってるから、よく覚えてるんです」気づけば『笑点』では最古参となった木久扇さん。レギュラー出演を続けて、はや半世紀が過ぎた。「僕ね、司会者をこれまで5人、送ってるんです。だから(春風亭)昇太さんにシャレで言うんです、『座布団くれないと送っちゃうから』って(笑)。高座でウケるのは『私、5人の司会者を送っております、いつも香典は3万円ずつ、『笑点』は金がかかる』って話ね」木久扇さん自身、00年には胃がん、14年には喉頭がんを患った。「でもね、一晩で10万人以上が亡くなった大空襲を経験してますから。がんなんて自分1人の事件、たいしたことありません。それに僕のなかではあの空襲で一度、自分は死んだという思いがあって。あそこまでが第一幕と。だから、そこから先の人生は、『生きてて得した』と、ただただそういう気持ちなんです」昨今、流行りの終活については「あんなバカげたことはない」と一蹴してみせる。「終活してるその時間ってのは、死ぬことを考えてるんですよね。それはね、生きてるってことに対して、とっても失礼ですよ。そんな時間があるなら、おいしいものでも食べて笑ってたほうがいい。認知症が何かと話題ですよね、『自分がなったらどうしよう』と怯えてる人も多いようですけど。そんなもの、笑いとばせばいいんです。僕の理想の死に方はね、『お父さん、このごろ起きるの遅いの。ちょっと見てらっしゃいよ』『なんだかね、お父さん死んじゃってるみたいよ』『あ、そう……』って(笑)。こういうのが面白いっていうか、さっぱりしてていいんじゃないかな、と思うんです。人生を自分で見限って、早々に店じまいなどすることありませんよ。だから僕は終活なんてしない。広げたまんま、散らかしたまんま、いなくなっちゃうことにしています」「女性自身」2020年8月18・25日合併号 掲載
2020年08月14日「ほかの噺家さんと違ってね、僕には『生まれてくることは普通じゃない』っていう、無常感がずっとあるんです」37年、東京・日本橋に4人きょうだいの長男として生まれた林家木久扇さん(82)。小学校1年のとき東京大空襲を体験して以降、森永乳業の社員、漫画家デビュー、とさまざまな職を経験したが、根底にあったのは『生きてて得した』という気持ちだったという。そして、落語家としてデビューして60周年の今年。いまや『笑点』メンバー最年長となった木久扇さんに、今までの道のりを語ってもらった。「漫画家に戻ろうと思えば戻れたんですけど。でも、お客を笑わせる快感を覚えてしまってましたからね……」三代目桂三木助師匠のもとに入門し、わずか5カ月で、三木助ががんで急逝。新しい師匠・八代目林家正蔵は、三木助の「木」と、自身の名から「蔵」の字を入れた名前を授けてくれた。こうして61年3月、「林家木久蔵」が誕生。同月には、新宿末廣亭で正式に初高座も踏んだ。「ところが、出番直前に先輩が『短くな!』って言うんです。持ち時間が短縮されちゃった。困っちゃいましてね。当時、森山加代子の『月影のナポリ』って歌が大流行していて、僕もよく口ずさんでた。それで思い切って、その歌を2番まで、高座で歌ったんです」前座が初高座でいったい、どんな落語を披露するのやら……興味津々だった楽屋の先輩たちはあぜん。散々、小言もちょうだいした。すっかり落ち込んでいたところに、助け舟を出してくれたのが三遊亭全生、のちの五代目三遊亭圓楽だった。「みんなが怖い顔してるなか、1人だけゲラゲラ笑ってくれて。寄席で顔を合わせるたびに『今日の高座は、何歌うんだい?ガハハハ』って(笑)。それがね、のちに『笑点』であんなに長くお付き合いするようになるんですからね、不思議な縁ですよね」65年、二つ目に昇進。「青春楽屋石田三成」を自任する気配りで、多くの師匠から目をかけられるようになっていく。彼の楽屋働きを注視していたのが七代目立川談志だった。談志は「木久蔵は気が利く、俺が湯に行くってえと、ひげそりまで用意してくれる」と言って、褒めていたという。その談志が自ら企画し、司会をつとめていたのが、66年から放送が始まった『笑点』。彼は、まだ二つ目だった木久扇さんをたびたび「若手大喜利」に起用した。そして69年。司会を降り衆院選に打って出た談志と入れ替わるようにして、木久扇さんは『笑点』の大喜利メンバーに抜擢された。「いざ、『笑点』のメンバーに入ってみると、(桂)歌丸さんは『ハゲ』、(四代目三遊亭)小圓遊さんは『キザな若旦那』、圓楽さんは『星の王子さま』と、皆さんキャラが確立してる。僕なんか、まるで大きなデパートが立ち並ぶ通りの隙間に、小さなコンビニが開業したようなもの。悩みましたよ。収録終わりにプロデューサーから呼ばれて『木久ちゃん、どうにも面白くないな』って注意もされました。やばい、このままだといずれクビ、そう思ってました」同じころ、NHKで始まったのが高橋英樹主演の『鞍馬天狗』。木久扇さんは、これに目を付けた。「僕は『天狗の木久ちゃん』でいこうと決めて、大喜利の答えのなかに、天狗のおじちゃんを慕う角兵衛獅子の『杉作』の名をやたらと盛り込んだり、『杉作、日本の夜明けは近い』という大佛次郎さんの原作にもないフレーズを創作したりしたんです」アイデアはものの見事に的中。鞍馬天狗役でCM出演を果たし、ほかの番組からも「天狗の木久ちゃん」へのオファーが殺到した。そして73年、35歳で真打に昇進。82歳になった今、落語についてこう話す。「僕の作る落語はドキュメンタリー。高座でそんな数々の失敗談を話せば、お客さんも喜んでくれる。誰も傷つけない話題ですから、どんどん話して、自分も一緒になって笑うんです。古典落語が好きだからとか、日本の伝統芸能を守りたいとか、そんな気持ちは全然ないんですよ。『え、これ、いただいていいんですか?嬉しい!』って、そんな気持ちでずーっと60年、きちゃった(笑)」『生まれてくることは普通じゃない』、『生きてて得した』。そんな思いのもと、近年は本の執筆にYouTuberデビューなど活動の幅を広げる木久扇さん。これからも、落語はもちろん、さまざまなアイデアで人々を笑わせてくれるだろう。「女性自身」2020年8月18・25日合併号 掲載
2020年08月14日子ども用マスクは数が少なく割高。足りない子たちのために、林家たい平が立ち上がった!ミシンでマスク製作スタート。まずは3日で50枚。いまや100枚以上!「『笑点』の大喜利も、とうとう先日17日の放送からリモート出演になりました。楽屋も、ずっと一緒でワイワイやってたんですが、多くの出演者がおじいちゃんばかりだから(笑)、感染には余計に気をつけなくちゃいけなくて、今は個室に。僕自身、落語会やテレビなどの収録も、のきなみキャンセルです。とはいえ、世界中が耐えているときですからね。僕もステイホームの生活のなかで、自分なりに何かできることはないかと考えたとき、マスクだったんです」“アベノマスク”も届かない、ドラッグストアなどでも相変わらずの品薄状態など、日本中がコロナ禍でのマスク不足に困窮するなか、落語家の林家たい平(55)が手作りする子ども用マスク、その名も“タイヘーマスクJr.”が、各地に笑顔を巻き起こしている。そもそものきっかけは、日常の光景にあったという。「街を歩いていて、大人はマスクをしているのに、子どもがしていないことが多いのに気付いたんです。調べたら、子ども用マスクは絶対数が少ないうえに割高だったり。だったら、自分で作って配ろうと。実は僕、仕立屋の息子なんです。両親が『たじか洋服店』というテーラーをやってました。幼いときからミシンは遊び道具で、端切れをもらっては、見よう見まねで小物を縫ったりしていたんです。親父が生きていたら、母親が元気だったら、きっと、同じことをしただろうなと思って」反響は、想像以上だった。「石巻の知り合いなどからは、マスクをした親子の写真入りでお礼状が届いたり。あと、85歳になる母は秩父の介護施設に入っていますが、やはりコロナ騒動で、会えない状態が続いています。入所者やスタッフの方たちに、せめてもの感謝と応援の気持ちでマスクをお送りしたら、とても喜んでいただけました。亡くなった父は、きっと天国で『さすがオレの息子だ』と喜んでくれているんじゃないですかね」長い自粛生活は、人気落語家であるたい平さん自身の日常にも、大きな変化をもたらした。4月21日に、“天下たい平チャンネル”としてユーチューバー・デビューを果たしたのも、その一つ。「僕自身、家の中に閉じこもっていて、うつうつとするなかで、改めて笑いの大切さを知りました。家族と話をするなかで、ユーチューブなら、ときには落語も配信できるんじゃないかと。これまでは子どもたちも父親の仕事には立ち入りませんでしたが、動画配信となると僕にはできないことのほうが多くてね。そんなとき高3の次男が手伝ってくれたり、大学生の娘がアイデアを出してくれたり。いつか、家族が一つにまとまっていました」タイヘーマスクは、今も時間を見つけては作り続けている。「ミシンを何度も修理しながら、頑張ってます。少しずつ腕前も上がってきていて、当初は1枚の手ぬぐいから4枚だったのが、今では5枚作れるようになりました。それに、こんなに長く家族と一緒にいることって、ないじゃない。いつか平穏な日々に戻ったとき、いろんな家族の思い出とともにふり返られるならうれしいですね」「女性自身」2020年6月2日号 掲載
2020年05月22日あらゆるビッグデータから予測された犯罪を未然に阻止する「未然犯罪捜査班」(通称・ミハン)の活躍を描く刑事ドラマ「絶対零度~未然犯罪潜入捜査~」第1話に前作のレギュラーキャスト、柄本時生がゲスト出演。柄本明と民放ドラマでは10年ぶりに親子共演する。前作で、資料課に所属する南彦太郎(みなみ・ひこたろう)としてレギュラー出演していた柄本さん。南は、入庁以来ずっと資料課に所属し、人付き合いが苦手。パソコンには精通しており、勤務中もパソコンに向かって引きこもり状態という人物。今作で南は、井沢範人(沢村一樹)、山内徹(横山裕)、小田切唯(本田翼)らと共に、ミハンシステムの割り出した危険人物の捜索のため、クルーズ船での潜入捜査を行う。彼らが潜入するのは、クルーズ船で行われる船上パーティーのため、小田切は美しいドレス、南はりりしいタキシードを着用し、2人は息の合ったダンスも披露する。なお、南はこの捜査を最後に結婚退職し、なんと主夫になるという設定。果たして、南は誰と結婚するのか!?さらに、劇中で南は新たにミハンメンバーとなる柄本明さんが演じる加賀美聡介とも遭遇。「Q10」(日本テレビ系/2010年10月クール)以来、民放ではおよそ10年ぶりとなる親子共演が実現!そして加賀美と遭遇した南が、劇中で発するセリフにも注目だ。柄本さんはオファーを受けた際、「レギュラーとして出演できないのは残念でしたが、脚本の中でゲストとしていかしていただいてありがたかった」とコメント。さらに、「この前まで、『BS笑点ドラマスペシャル 初代 林家木久蔵』(BS日テレ)で一緒に撮影をしていたので、取り立てて感想などはありませんが、本音を言えば親子共演は嫌ですね(笑)。家族で一緒というのは恥ずかしいですから(笑)」と正直な気持ちを告白。「絶対零度」を「卒業します(笑)」としながらも、「“柄本時生も、いたな~”と思い出していただけたら(笑)」と語っている。今作は、大規模なテロがいままさに起きようとしている数か月後の未来から物語が始まる。何者かによって渋谷、新宿、霞ヶ関をはじめとした複数の場所に警戒最大レベルの爆発物が仕掛けられ、官邸からは非常事態宣言が発動される。SATや爆発物処理班が出動する中、ミハンの山内と小田切も捜査に参加。小田切が爆発物の捜索をする中で入った部屋には、拳銃を手にした男性が立ち尽くし、目の前には銃殺された女性が横たわっていた。涙を浮かべ立ち尽くしている男性は、なんと井沢。驚きで声も出せない小田切。犯罪者に対する憤りから刑事としての一線を越えてしまった井沢が女性を殺したのか!?殺された女性は一体誰なのか!?そして、井沢の涙の意味とは!?現在時制では、毎話新たな事件に挑み、未然に犯罪を防いでいくミハンの捜査員たち。しかし、いずれ来たるべき未来に向かって物語は次第にリンクしていく――。冒頭から謎が謎を呼ぶ、全く予想のつかないストーリー展開はもちろん、アクションシーンを含め前作をはるかに凌駕するスケールも見どころとなりそうだ。「絶対零度~未然犯罪潜入捜査~」は1月6日より毎週月曜21時~フジテレビ系にて放送。※初回30分拡大(text:cinemacafe.net)
2020年01月06日新作落語のカリスマ、三遊亭円丈の「実験落語neo」第16弾が上演に。円丈の薫陶を受けてきた林家彦いちが出演し円丈と共に高座を務めるほか、彦いち曰く「カタルシスの塊」な円丈の名作『グリコ少年』の1980年のお宝映像も上映、円丈と彦いちによる振り返りトークを行う。【チケット情報はこちら】「円丈師匠は僕にとって、20代の不安な時期に判子を押してくれ、創作落語の指針となってくれた方です」と彦いちは言う。「初めてきちんとお話ししたのは、ネタ合評会の時。僕は『横隔膜万歳』というネタを考えたのですが、他の師匠が物語の運び方などを助言くださる中、円丈師匠は『君、横隔膜、外したいの?』『外したいならやったほうが良いよ』と。で、落語協会の2階で外す練習をしたんです。『3回撫でてみよう』『右回りだよ』なんてやっていたら、入ろうとした事務員さんがそっと扉を締めるのが見えて(笑)。僕が横隔膜の左のほうに手を当てて『うっ』と言ったところ『それでいいんだよ!』。外れた、という落語ができました」彦いちが、主人公が轢き逃げに夢中になるというブラックな噺『最終宣告』を作った折には、円丈から喫茶店に呼ばれたという。「『そういう感覚を大事にしなさい』と言われ、以後、作るネタは全部聴いてくださいました。否定されたことは一度もありません。突然、長い手紙をいただいたこともありますね。”君と僕は友達だ”で始まり、宇宙の話で終わっていました。それは宇宙であり君である、と。嬉しかったですね。どうご恩返しできるか考えていたら『僕ではなく後輩にしてあげて』と。この世界で一番大事なことを教わりました」円丈による新作落語の実験会「応用落語」「第二次実験落語」「落語ジャンクション」に参加してきた彦いち。彼が三遊亭白鳥、春風亭昇太、柳家喬太郎と結成した話芸集団SWAもその延長線上に生まれたものだ。新作落語のパイオニアである円丈を、彦いちは砂漠にラスベガスを作ったベンジャミン・シーゲルのあだ名にちなんで「一人バグジー」と呼ぶ。「師匠は、何もない荒野を切り開いた方。その下に水脈はあったにしても、それまでの創作落語とは一線を画すものを生み出し、落語というものに自由をもたらしたんです。第一次実験落語の頃は、客席の後ろから落語をしたり、懐からザリガニを出して噺に登場させたり、お客を川の両端に座らせて弟子のらん丈兄さんに川を流れながら落語をやらせたり、色々な実験をなさったそうです」今年は彦いちにとって、芸歴30年、50歳の節目。「後戻りはできないですよね。今、(若手噺家がエントリーして創作落語のネタおろしをする企画)『しゃべっちゃいなよ』を隔月でやっているのですが、苦しいけれど毎回、自分もネタおろししています。円丈師匠は戦っている背中を僕に沢山見せてくれた。僕もそれを受け継いでいきたいですね」『実験落語neo~あの頃のシブヤ炎上~』は12/20(金)CBGKシブゲキ!!にて。当日券は17:50より劇場前で先着順販売予定。取材・文:高橋彩子
2019年12月17日エドウイン(EDWIN)のコンセプトストア1号店「エドウイン トウキョウ ハラジュク」が、漫談家・林家ぺーとコラボレーションした限定アイテムを、2019年11月29日(金)に発売する。2016年11月29日に誕生した「エドウイン トウキョウ ハラジュク」は、今年で3周年を迎えることを記念して、オープン日と同日の誕生日を持つ林家ぺーとコラボレーションを実現。限定アイテムのキーカラーとなるのは、もちろん林家ぺーのイメージカラーである“ピンク”だ。メインプロダクトとなるデニムのセットアップは、オールピンクで染め上げたアイキャッチな仕上がり。70年代と80年代の、ムードの異なる2つのシルエットで展開される。また林家ペー・パー子が長年撮り集めたアーカイブ写真をブランドがアレンジした、プリントTシャツも登場。写真とイラストを組み合わせた、ユニークな表情に仕上がっている。なお3周年を迎える11月29日(金)には、一般の人も参加可能なローンチイベントを開催。店内をピンクで装飾した店内には、当日林家ペー・パー子も訪れ、ライブ漫談やフォトセッションなどの実施を予定している。【詳細】エドウィン×林家ぺー発売日:2019年11月29日(金)取扱:エドウイン トウキョウ ハラジュクアイテム例:・3周年限定 70’s JACKET 14,000円+税・3周年限定 70’s FLARE 10.000円+税・3周年限定 80’s JACKET 16,000円+税・3周年限定 80’s JEANS 12,000円+税・3周年限定 林家ぺープリント Tシャツ 5,000円+税※サイズは全てXS,S,M,Lを用意■ローンチイベント「EDWIN TOKYO HARAJUKU 3RD ANNIVERSARY PARTY」日時:2019年11月29日(金)18:00〜21:00場所:エドウイン トウキョウ ハラジュク住所:東京都渋谷区神宮前3-18-23)【問い合わせ】エドウイン トウキョウ ハラジュクTEL:03-6447-0330
2019年11月29日「嵐」櫻井翔と有吉弘行が司会を務める「櫻井・有吉THE夜会」。その8月8日(木)今夜放送回のゲストに、「ノーサイド・ゲーム」から眞栄田郷敦と林家たま平、佳久創、村田琳がゲスト出演。さらに「関ジャニ∞」横山裕と「Aぇ!group」も登場する。千葉真一を父に、新田真剣佑を兄に持ち、先日公開された「MONGOL800」の同名楽曲をベースにした映画『小さな恋のうた』への出演で注目を集める眞栄田さん。9代目林家正蔵を父に持ち、海老名美どり、峰竜太らが親族にいる落語界の名門一族に生まれたたま平さん。さらに元ラグビー選手で俳優へと転身、野球選手を父に持つ佳久創、参議院議員の蓮舫を母に持ち「ノーサイド・ゲーム」でデビューを飾った村田琳も出演。今回は眞栄田さん、たま平さん、佳久さんに村田さんと“二世俳優”たちが華麗なる名家の掟を大公開する。アクションスターとして日本のみならず世界中で愛される眞栄田さんの父・千葉さんの衝撃トレーニング法にも注目。また「関ジャニ∞」の横山さんは自身がプロデュースする関西ジャニーズJr.の「Aぇ!group」をプレゼンするべく登場。「Aぇ!group」メンバーたちの個性溢れるキャラはジャニーズの大先輩である櫻井さんや、バラエティの大先輩である有吉さんらに刺さるのか?こちらもお楽しみに。眞栄田さん、たま平さん、佳久さん、村田さんらが出演する「ノーサイド・ゲーム」は、池井戸潤書き下ろしの同名新作小説を大泉洋主演でドラマ化した作品。大泉さん演じる主人公・君嶋隼人の妻・真希に松たか子、君嶋の“天敵”滝川桂一郎に上川隆也、さらに笹本玲奈、大谷亮平、西郷輝彦らも共演。ラグビー経験者のたま平さんはじめ佳久さんや、ラグビー日本代表選手らも多数出演。迫力とリアリティあるラグビーシーンも魅力だ。横山さんプロデュースの「Aぇ!group」は現在「ISLAND TV」で動画配信を行うなど精力的に活動中。8日(木)本日行なわれる「ジャニーズJr.8・8祭り ~東京ドームから始まる~」も生配信される。「櫻井・有吉THE夜会」は8月8日(木)今夜22時~TBS系で放送。(笠緒)
2019年08月08日