《本日はパパはニュースキャスターのイベントがありました。コロナ禍なのに、お集まりくださった方々、遠方から駆けつけて下さった方ありがとうございました》3月21日、Instagramにこう綴ったのは西尾まり(48)。同日は田村正和さん(享年77)が’87年に主人公を演じた『パパはニュースキャスター』(TBS系)のイベントが、横浜市内で開催された日だった。「ドラマ番組の出演者やスタッフが自ら制作した番組を振り返るイベントで、観覧客を200名ほど迎えて実施されました。西尾さんだけでなく、本ドラマで田村さんの娘役を演じた大塚ちか子さん(50)と鈴木美恵子さん(48)も出席。さらに脚本家の伴一彦さんらも参加し、和気あいあいとした会になったそうです」(ドラマ関係者)西尾は冒頭のコメントに続けて、《正和さんをこのメンバーでしのぶ事もでしました。本当に本当に色褪せない面白いホームコメディだなぁと、改めて思いました。こうやって元気で集うことができて感謝しかありません》とコメントしている(原文ママ)。田村さんが逝去してから、今日で1年。4月からはCS放送局「衛星劇場」で6カ月間にわたり、若き日の田村さんの出演映画が放送されるなど、今もなお大スターを偲ぶ声は止まない。■50年以上連れ添った妻・和枝さんとの出会いドラマへの出演は、’18年放送の『眠狂四郎The Final』(フジテレビ系)が最後となった田村さん。晩年は表舞台から退き、隠居生活を送っていた。そんな田村さんを側で支え続けてきたのが、3歳年上の妻・和枝さんだった。田村さんは、’70年に銀座の一流テーラーの娘である和枝さんと2年の交際を経て結婚。出会いは友人宅のパーティーだった。同年9月に本誌が取材した際、2人は互いの第一印象についてこう語っている。「無心にゲームしてる彼がクールで純情そうで」(和枝さん)「彼女は初対面から親切で気がついて」(田村さん)結婚後も人気俳優として多忙な日々を過ごす田村さんだったが、和枝さんをロケ先に帯同することもあったという。テレビ局関係者が言う。「’04年放送の『新ニューヨーク恋物語』(フジテレビ系)の撮影では、ご夫婦で半月あまりNYに滞在しました。ある日、2人でホテルのクラブで過ごしていると、人気ドラマ『刑事コロンボ』のコロンボ役を演じたピーター・フォークを和枝さんが発見。偶然にも同じ場に『古畑任三郎』と『コロンボ』が居合わせたことに、田村さんも大笑いしたというのは有名なエピソードです」田村さんと和枝さんの間には、1人娘のAさんがいる。’01年にある企業の子息と結婚し、現在は社長夫人となっている。かつて田村さんは週刊誌の対談で、《子供とはあまりつき合わないですね。子供が嫌いだから》(『ヤングレディ』’76年4月12・19日合併号)などと語っていた。「田村さんは食事をする姿を人に見せないだけでなく、ガムの噛み方にまでこだわる人。そのような“美学”は家族観にも及びました。雑誌やテレビのインタビューでは、所帯臭さを感じさせないコメントを徹底していました」(芸能関係者)しかしながら、実際には子煩悩な父親だったようだ。田村さんと30年ほど前から交流してきた仕事関係者は、本誌にこう語っていた。「取材などでは“家族には関心がない”というスタイルを見せていましたが、本当はお嬢さんのことを溺愛していました。私にも娘がいたもので、『いくつになっても可愛いから甘やかしてしまう』といった話をすると、田村さんもしみじみと『本当は誰のところにも嫁がせたくなかったんだけど、いまでは良かったと思っているよ』と語ってくれました」■“最後のデート”は夫婦水入らずで散歩生前、本誌に俳優業について「もう十分やってきたから……」と“引退宣言”ともとれる発言をしていた田村さん。その後の余生を、和枝さんと慎ましやかに過ごしていた。そんな田村さんが健康のために欠かさなかった日課が散歩。本誌もその姿を何度か目撃している。’19年6月、ウォーキングを終えて自宅に戻ろうとする田村さんを本誌は直撃。記者が「どのように毎日過ごされていますか?」と問うと、「のんびりしているよ(笑)。たまに天気の良い日は、気が向いたらこうやって歩いてみたりね」とコメント。突然の問いかけにも、嫌な顔ひとつせず応じてくれた田村さん。和枝さんについても聞いてみると、こう答えてくれた。「カミさんは、俺より元気。心配ないよ(笑)。夕方になったらカミさんと2人で食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る。健康的な毎日ですよ」それまでは1人で散歩をする姿が目撃されていた田村さんだったが、’21年に入ってからはある変化が。田村さんの散歩ルートに面する一軒家に住む近隣住民は、本誌にこう証言していた。「田村さんはいつも決まって一人で散歩していたのですが、ある時からは和枝さんと一緒に歩くようになったんです。つかず離れずの距離感で、奥さんの話を田村さんが笑顔で聞いていましたね」“他人に私生活は見せない”という美学から一転、堂々と和枝さんとの“最後のデート”を楽しんだ田村さん。その深い愛情で、天国から家族を見守り続けていることだろうーー。
2022年04月03日インペリアル・エンタープライズ株式会社(所在地:東京都荒川区、代表取締役社長:原 良郎)は、桂正和画業40周年を記念して「高精細版画作品 電影少女ーあいー」を、PREMICOオンラインショップで販売開始いたしました。電影少女“あい”の繊細かつ美麗な原画を、「ピエゾグラフ」でみずみずしく再現『ウイングマン』 『電影少女』 『I”s』 など数多くの名作を生み出してきた漫画家・桂正和先生の画業40周年を記念して、『電影少女』のヒロイン・天野あいの高精細版画作品が登場しました。原画は小説版のカバーにも使われた、“和”テイストを意識した“あい”の姿。鮮やかな配色のコスチュームをまとった無邪気なヒロインを、高精細な複製技法「ピエゾグラフ」を用いて、原画のタッチやこだわりの色彩まで忠実に再現しました。限定400部。透明感あふれる世界観をいっそう際立てるシャンパンシルバーの額装入り。桂正和先生の正式な監修を受けた作品であることを示す作品保証書が付属します。2022年4月1日(金)より、PREMICOオンラインショップにて販売開始いたしました。商品特設ページ: 桂正和画業40周年記念 高精細版画作品 電影少女ーあいー桂正和先生の原画の繊細なタッチや鮮やかな色彩も、ピエゾグラフと呼ばれる高度な複製技法によりキャンバスへ忠実に再現。透明感あふれる世界観が際立つシャンパンシルバーの額縁で、感動が鮮やかによみがえります。桂正和先生の正式な監修を受けた作品であることを示す作品保証書(奥付)が額裏に貼付されます。保証書には限定400部のエディションナンバーが記載されます。絵画の大きさは、縦57.5×横48.5 cm(額装込み)。やわらかな微笑みをたたえ、まっすぐにこちらを見つめる“あい”のいきいきとした姿を、日々心ゆくまでご鑑賞いただけます。■商品情報商品名:桂正和画業40周年記念 高精細版画作品 電影少女ーあいー価格 :89,800円(税込98,780円)限定数:400発売日:2022年4月1日(金)発売元:インペリアル・エンタープライズ株式会社 PREMICO(プレミコ)URL : (c)桂正和/集英社■商品仕様材質:本紙=ポリエステルキャンバスにピエゾグラフ 額=合成木製MDF、シルバーフィルム仕上げサイズ(約):画寸=縦43×横34cm 額寸=縦57.5×横48.5×厚さ4cm重さ(約):2.8kg生産国:日本■PREMICO(プレミコ)についてPREMICO は、“プレミアムな価値を持つ限定版コレクターズアイテム”をコンセプトに誕生したブランドです。アニメキャラクターやスポーツ選手などの公式アイテムを通じ、夢や感動といった目に見えない大切な宝物をお届け。ここでしか手に入らない商品を販売しています。PREMICO オンラインショップ: ■会社概要会社名:インペリアル・エンタープライズ株式会社所在地:東京都荒川区東日暮里5-7-18 コスモパークビル代表者:代表取締役社長 原 良郎設 立:昭和57年(1982年)9月1日資本金:100,000千円URL: 事業内容:通信販売■お問い合わせ先<商品内容等> フリーダイヤル:0120-989-808(9:30~17:00/土日祝休)<ご注文専用番号> フリーコール:0120-247-417(6:00~21:00/無休)※本リリースに記載しております内容は、発表日現在の内容となります。予告なしに内容が変更される場合があります。予めご了承ください。※製品の仕様や外観は、改善のため予告なく変更することがあります。※限定数に達した場合、販売を終了させていただきます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年04月01日インペリアル・エンタープライズ株式会社(所在地:東京都荒川区、代表取締役社長:原 良郎)は、桂正和画業40周年を記念して「ウイングマン オフィシャルウォッチ」を、PREMICOオンラインショップで販売開始いたしました。ドリムノートを開けば、憧れのヒーロー『ウイングマン』が躍動する――『ウイングマン』 『電影少女』 『I”s』 など数多くの名作を生み出してきた漫画家・桂正和先生の画業40周年を記念して、『ウイングマン』の世界観を表現したオフィシャルウォッチが誕生しました。異次元空間を想起させる深いブルーの文字盤に広がるのは、少年時代に憧れた愛と正義の世界。ウイングマンのマスクや翼の立体意匠、クロムレイバーの時分針など、あの頃の感動が蘇るアイテムを盤上に散りばめながら、クロノグラフとしての造形美にもこだわり抜いた、まさに夢の逸品。桂正和先生のデザイン監修により、『ウイングマン』の世界観がスタイリッシュに再現された限定版です。限定1000点、裏蓋にエディションナンバーを刻印。「ドリムノート」型の特製ボックスに収めてお届けします。2022年2月21日(月)より、PREMICOオンラインショップにて販売開始いたしました。商品特設ページ: 桂正和画業40周年記念 ウイングマン オフィシャルウォッチストップウォッチ機能を搭載し、盤上にストップウォッチ分計・24時間表示・ストップウォッチ秒計の3つのインダイヤルを装備。3時・9時の位置に並ぶインダイヤルは、ウイングマンが「デスボール」を発射する時に開くソーラーガーダーの胸元部分がモチーフ。異次元空間を想起させるワイヤーフレームが描かれた盤上に、ウイングマンのマスクと翼、ロゴを立体加工。ソーラーガーダーのランプに着想を得た青・黄・赤の配色でエネルギッシュなイメージに仕上がっています。時針・分針は長剣「クロムレイバー」をデザイン。裏蓋にはウイングマンの姿と限定の証であるエディションナンバーが刻印されます。物語のきっかけにして夢のノート「ドリムノート」型の特製ボックスに収めてお届けします。ボックスを開くと、蓋裏に桂正和先生のサインの箔押しが施されています。■商品情報商品名:桂正和画業40周年記念 ウイングマン オフィシャルウォッチ価格 :39,800円(税込43,780円)限定数:1000発売日:2022年2月21日(月)お届け:2022年4月下旬 発送予定発売元:インペリアル・エンタープライズ株式会社 PREMICO(プレミコ)URL : (c) Masakazu Katsura /SHUEISHA■商品仕様材質 :ケース・裏蓋・バンド=ステンレススチール 文字盤=真鍮 風防=ミネラルガラスケースサイズ(約):縦47.5×横45.5×厚さ9.6mm手首回り(約):S=16cm、M=18cm、L=20cmムーブメント:MIYOTA製クオーツ(日本製)精度 :月差±20秒以内防水性能 :5気圧防水保証 :1年間品質保証生産国:中国■PREMICO(プレミコ)についてPREMICO は、“プレミアムな価値を持つ限定版コレクターズアイテム”をコンセプトに誕生したブランドです。アニメキャラクターやスポーツ選手などの公式アイテムを通じ、夢や感動といった目に見えない大切な宝物をお届け。ここでしか手に入らない商品を販売しています。PREMICO オンラインショップ: ■会社概要会社名:インペリアル・エンタープライズ株式会社所在地:東京都荒川区東日暮里5-7-18 コスモパークビル代表者:代表取締役社長 原 良郎設 立:昭和57年(1982年)9月1日資本金:100,000千円URL: 事業内容:通信販売■お問い合わせ先<商品内容等> フリーダイヤル:0120-989-808(9:30~17:00/土日祝休)<ご注文専用番号> フリーコール:0120-247-417(6:00~21:00/無休)※本リリースに記載しております内容は、発表日現在の内容となります。予告なしに内容が変更される場合があります。予めご了承ください。※製品の仕様や外観は、改善のため予告なく変更することがあります。※限定数に達した場合、販売を終了させていただきます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年02月21日田村薬品工業株式会社( 本社:大阪市中央区道修町2丁目1番10号 T・M・B道修町ビル、代表取締役社長:田村 大作 )は、2022年1月27日から「田村薬品工業 公式通販ショップ」にレシピページを公開いたしました。 背景リモートワークの増加や飲食店の営業時間短縮により、自宅で食事をする機会が増えている昨今、おうち時間を”健康に”楽しくすごしていただきたいという想いから「ハーバル レシピ」を開設いたしました。田村薬品工業は1980年に田村薬草園(奈良県御所市)を開園して以来、生薬やハーブなど薬用植物の栽培・研究を通して、健康を提案しています。植物研究と伝統的な薬膳の考え方を応用した、おいしく簡単なアレンジレシピや薬膳レシピの提案を通して、健康な食生活を応援してまいります。ページ概要「田村薬品工業 公式通販ショップ」で販売している商品を使ったアレンジレシピや、漢方の医食同源の考え方を取り入れた薬膳レシピを紹介するオリジナルレシピページです。現在のレシピに加え、旬のもの、カラダの状態や体質にあったメニューを順次追加してまいります。レシピ例ヤマイモの生姜焼き ヤマイモの生姜焼きアレンジレシピ例ゆず香るさっぱりチキンサラダ ゆず香るさっぱりチキンサラダ田村薬品工業 公式通販ショップ 公式Instagram「@store.tamura」 会社概要商号 : 田村薬品工業株式会社代表者 : 代表取締役社長 田村 大作所在地 : 〒541-0045 大阪市中央区道修町2丁目1番10号 T・M・B道修町ビル設立 : 1948年7月事業内容: 医薬品・医薬部外品の製造並びに販売、食品及び清涼飲料水の製造並びに販売、 医療機器の製造並びに販売、薬草栽培、その他以上に関する業務資本金 : 6000万円URL : 【本サイトに関するお客様からのお問い合わせ先】田村薬品工業 公式通販ショップE-mail: shin-ei@tamura-p.co.jp URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年01月27日長きにわたり人々を笑顔にし続け、’21年天国へと旅立ったスターたち。そんな、スターの横顔を本誌秘蔵写真とともに振り返る。在りし日の姿に、哀悼と感謝の意をーー。■古賀稔彦さん(享年53・柔道家・3月24日没)「平成の三四郎」の異名で知られた。’18年、年賀状お年玉くじ抽せん会で。■田中邦衛さん(享年88・俳優・3月24日没)『北の国から』は20年以上続く人気シリーズに。’92年の特別編にて。■田村正和さん(享年77・俳優・4月3日没)’93年公開の映画『子連れ狼 その小さき手に』では拝一刀を熱演。■フィリップ殿下(享年99・イギリス王配・4月9日没)’84年、世界野生生物基金の総裁として来日し、晩餐会に。当時63歳。■チャーリー浜さん(享年78・お笑いタレント・4月18日没)4回の離婚を経験した豪快さも。写真は’91年、3回目の結婚披露宴。■小林亜星さん(享年88・作曲家・5月30日没)俳優業でも活躍し、ドラマ『寺内貫太郎一家』で頑固おやじ役を好演。■笑福亭仁鶴さん(享年84・落語家・8月17日没)元祖タレント落語家。最盛期のレギュラー番組は週10本を超えた。■細木数子さん(享年83・占術家・11月8日没)『ズバリ言うわよ!』では毒舌がさく裂。’04年の同番組の制作発表会見時。■瀬戸内寂聴さん(享年99・作家、僧侶・11月9日没)執筆した作品は400以上。波乱に満ちた人生を愛とともに生きた。みなさまの安らかなるご冥福を心よりお祈りいたします。
2021年12月31日批判のなか開催された東京オリンピック、次々現れる新型コロナウイルスの変異株、大谷翔平が大リーグで日本人2人目となるMVPを獲得するなど、これまでになく激動の年だった2021年。芸能界でも衝撃的な事件が次々と起こっていたーー。本誌が目撃してきた数々のスクープのなかでも、特に反響が多かったものを改めて紹介したい。今年4月に亡くなった田村正和さん。役者としてのイメージを守るため、ほとんど私生活を明かしてこなかった田村さんだが、人知れず長年寄り添った妻への愛情を温め続けていた。本誌は生前に田村さんが自宅近くで散歩する姿を見かけているが、実は晩年に入って意外な“変化”があったという。(以下、2021年6月8日号掲載記事)※年齢は掲載当時のママ東京都世田谷区の閑静な住宅街からほど近くにある公園。数々の草木のなかでも目を引くのが、このエリアの名木で、日本を代表する名優がでたヒマラヤスギだ。初夏、静かにそびえ立つその姿はまるで、“相棒”の喪に服しているようだったーー。「マネージャーが今年2月に田村さんと電話した際は、『コロナが落ち着いたら一緒に食事をしよう』と元気に話していたそうです。しかし、その直後に風邪をこじらせて緊急入院。コロナ禍で、妻の和枝さんも面会を制限されており、死去の報せもごく一部の関係者にしか知らされませんでした」(スポーツ紙記者)4月3日に心不全のため、都内の病院で亡くなった田村正和さん(享年77)。『パパはニュースキャスター』(TBS系)や『古畑任三郎』(フジテレビ系)などの演技で世代を超えて愛された大スターだ。死去から1カ月半後に届いた訃報には、日本中が深い喪失感に包まれた。かつて田村さんと共演した木村拓哉(48)はこう悼んだ。《ユーモアがあって、あったかい想い出しかありません。ご自身に厳しくされてきた分、ゆっくりと休んでください》訃報の翌日、田村さんが’88年に建てた墓を訪ねると、線香をあげるファンと思しき男女の姿が。そして、墓石の横に生前は朱で塗られていた「正和」の文字は、黒く塗りつぶされていたーー。■田村さんが本誌に語った妻との“老後”「俺より元気(笑)」’19年に本誌へ明かした《静かに死にたい》という“遺言”を全うするようにこの世を去った田村さん。した数々の伝説について、かつて仕事をしたテレビ局関係者は目を細めながら語る。「プロ意識が強く、徹底して自分に厳しい人でした。セリフを完璧に覚えて現場に入り、『主役がNGを出すと現場の士気が下がる!』とよく言っていました。また人前で食べる姿を見せることは決してなく、共演者と食事に行くこともほとんどなかったです」“俳優は白いキャンバス”と語り、私生活を明かさないことを信条としていた田村さんを陰から支え続けたのが、妻の和枝さん(80)だ。「和枝さんは銀座の高級テーラーの令嬢で、カナダへの留学経験もある才女です。友人宅で初めて出会った際、和枝さんの田村さんへの第一印象は“近寄りがたい人”だったそうですが、田村さんのアタックにより交際がスタート。’70年に結婚し、翌年には一人娘が誕生しました。“クールな二枚目俳優”というイメージを守るために、家族と人前に出ることはほとんどありませんでしたが、和枝さんが田村さんへの不満を漏らすことはなかったそうです」(田村さんの知人)生前、本誌に《僕はもうやり切ったから》と俳優引退を宣言していた田村さん。和枝さんとの“老後”についてはこう語っていた。《カミさんは、俺より元気。心配ないよ(笑)。夕方になったらカミさんと2人で食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る》(’19年7月9日号)そして地元では“意外な顔”も見せていた。ある近隣住民は言う。「近所のバンド好きが集まって定期的に趣味でバンド練習をしているのですが、田村さんが参加したがっていたと聞いています。スケジュールの都合で断念したそうですが、会うといつも笑顔で話しかけてくれる気さくな方でした」1年に1本ペースで俳優活動を続けた田村さんだったが、病気との闘いの日々でもあった。「田村さんは十数年前から冠動脈性心疾患という心臓の持病を抱えていて、数年前には大きな手術もしたそうです。ここ最近は、奥さんも高齢ということもあって、20代くらいの青年が週に数回車で通って、ゴミ出しなど身の回りの世話をしていたと聞いています」(前出・知人)■妻・和枝さんと散歩ルートのヒマラヤスギを見上げて…そんな田村さんが健康のために欠かさなかった日課が散歩。本誌もその姿を何度か目撃している。ゆっくりとした足取りで1時間ほどかけて歩き、時おり立ち止まっては公園の花々を慈愛に満ちた表情で眺める姿が印象的だった。しかし、今年に入ってからそのルーティンに驚きの変化が。散歩ルートに面する一軒家に住む近隣住民はいう。「田村さんはいつも決まって一人で散歩していたのですが、今年に入ってからは和枝さんと一緒に歩くようになったんです。つかず離れずの距離感で、奥さんの話を田村さんが笑顔で聞いていましたね」別の近隣住民はこう証言する。「緑地公園の前で立ち止まって、田村さんが奥さんに草木の説明をしているようでした。2人でヒマラヤスギを感慨深そうに見上げていました」田村さんにとって、地元の緑は“宝物”だった。「20年ほど前、別の公園を潰して高層マンションを建てるという計画に対して、地元住民を中心に反対運動が起こったんです。自宅前に緑の旗を立てるのが反対の印だったのですが、田村さんも『少しでも役に立てるなら』と協力して旗を立てていました」(前出・知人)“他人に私生活は見せない”という美学を破ってまで、和枝さんとの“最後のデート”を楽しんだ田村さん。それは50年以上にわたって連れ添った妻への田村さん流の恩返しだった。「田村さんは恐らく自分がもう長くないことを悟っていたのだと思います。夫、父として家族を守るために、田村さんはこれまでは役者としてのイメージを優先した生活を送ってきました。しかし、“最後くらい妻と堂々とデートしてみよう”という思いがあったのではないでしょうか」(前出・知人)’19年に記者が「和枝さんと楽しい時間を過ごすことが今の生きがいですか?」と尋ねた際、田村さんはほほ笑みながら「うん」と返答していた。田村さんと和枝さんが見上げていたヒマラヤスギの花言葉は、“あなたのために生きる”。死が2人を分かつとも、互いのために生きた2人の“誓い”は永遠に続くことだろうーー。
2021年12月28日日本では毎年、年齢性別問わず数多くの人が自ら命を絶っています。厚生労働省によると、2021年は毎月およそ1500人以上の自殺が確認されているといいます。命を絶った人には、人間関係や金銭の問題、病気など、いろいろな事情や苦しみがあったのでしょう。そういった悩みを抱えているのは、子供も例外ではありません。文部科学省によると、18歳以下の自殺は学校の長期休暇明けにかけて増加する傾向があるといいます。また、2021年8月時点、子供の自殺は暫定値が前年比で4割も増加しているのだとか。子供が自殺をする大きな原因としては、学校でのいじめが挙げられます。まだ行動範囲が狭い子供にとって、学校という狭いコミュニティの与える影響は大きいものです。田村淳、夏休み明けを前に『子供たちへ呼びかけ』2021年の夏休みが終わろうとしている、8月26日。お笑いコンビ『ロンドンブーツ1号2号』の田村淳さんは、子供たちへ大切なメッセージを送りました。先述したように、子供の自殺は長期休暇明けに増加する傾向があります。今この瞬間も、「学校に行きたくない」と憂うつな気持ちになっている子は全国にいるでしょう。田村さんが子供たちに向けて送った言葉は、そういった子の気持ちを察したものでした。もうすぐ夏休みが終わるコロナの感染が懸念される中各自治体に登校orオンラインの判断が委ねられると…それも気になるけれど夏休み明けの子供の自殺が増えることも心配学校に行きたくない子は無理して学校に行かなくていいよ学校は苦しんでまで行くところではないから自分の命を最優先に— 田村淳 (@atsushilonboo) August 26, 2021 「無理をして学校に行かなくていい。学校は苦しんでまで行く場所ではない」とつづった、田村さん。人間関係の悩みやいじめ被害を明かすことができず、苦しい思いを1人で抱え込んでいる子供は数多く存在します。「つらくても学校に通わないといけない」と思っているからこそ、さらに自分を追い込んでしまうのでしょう。確かに、学校は子供の本業とされています。しかし、学業は命あってのものであり、田村さんがいうように一番優先すべきは人命です。田村さんのような影響力の大きい人がこういったメッセージを発信することで、救える命はあるのではないでしょうか。投稿は拡散され、多くの人が田村さんの意見に共感する声を寄せました。・学び方にも、それぞれに合った方法がある。「学校へ行かない=悪」ではない。・田村さんのメッセージが、1人でも多くの子供の目に留まりますように。・その言葉1つで救える命があると思います。命あってこそ、いろいろ学ぶことができる。文部科学省のウェブサイトでは、夏休み明けの子供たちに向けたメッセージが掲載されています。そこにつづられているのは、苦しい思いをしている人への「遠慮せずに周囲の人やスクールカウンセラー、相談窓口に話してください」といった助言。また、周囲の人への「元気のない人が周囲にいたら、声をかけてあげてください」という呼びかけも掲載されています。思い悩んでいる人は、なかなか周囲の人につらい思いを打ち明かすことができず、1人で抱え込んでしまいます。そのため、周囲の人が変化にいち早く気付くことが重要です。[文・構成/grape編集部]
2021年08月26日8月13日、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない中、コロナ禍で2度目となるお盆を迎える。今年も多くの著名人がこの世を去った。そこで2021年に逝去した方々の活躍とその人柄を、本誌の記事とともに振り返り、追悼したい。■田中邦衛さん(享年88)『北の国から』シリーズで黒板五郎を演じ、多くの人に親しまれた田中邦衛さん。今年3月24日、老衰のため88歳で亡くなった。21年にわたる傑作ドラマのなかで、人間味に溢れ、二人の子供を深い愛情で育てるキャラクターは、世代を超えて愛された。最後に放送された『2002遺言』では、遺言を書いてみたり、孫を猫かわいがりしたりするなどユーモラスな姿で視聴者を楽しませた。脚本家・倉本聰氏(86)は、田中さんが亡くなった後、完結したと思われていた『北の国から』の続編を執筆していると明かした。それは黒板五郎が死ぬ話――。今年10月ごろに行われる、富良野での放送40周年記念行事での公開を想定しているという。田中さんの後を追うようにして、五郎も天国へと旅立つことになる。■古賀稔彦さん(享年53)バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリストである古賀稔彦さんは3月24日、がんにより53歳という若さでこの世を去った。92年、当時24歳だった古賀さんはバルセロナ五輪前、靭帯をドクターストップがかかるほどに損傷。痛み止めの注射を何度も打って迎えた決勝では時間切れまで戦い抜き、見事世界一に輝いた。96年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得。現役引退後は全日本女子のコーチを務め、また、川崎市内に道場「古賀塾」を開き、柔道の普及活動も行っていた。「いつか死ぬんだったら、俺は畳の上で」と旧友に語っていた古賀さん。その言葉通り、家族といつものように夕食時を過ごし就寝した日の翌朝、自宅の畳の上で亡くなったという。葬儀にあたっては、息子2人が古賀さんに「古賀塾」の道着を着せた。柔道家としての精神を貫いた最期だった。■田村正和さん(享年77)4月3日、急性心不全のため亡くなった田村正和さん。77歳だった。18歳でデビューした田村さんは、デビュー作『永遠の人』ではクールな二枚目を、『眠狂四朗』ではニヒルで危険な男、『うちの子にかぎって…』では二枚目半のパパ役など、幅広い役を演じ人々を魅了し続けた。風変わりな刑事を演じたドラマ『古畑任三郎』シリーズは12年にわたり放送されるヒット作となった。89年に本誌が密着した際は、現場でも心配りを欠かさなかった田村さん。「めんどくさがりなんですよ」と言いながらも「スタッフのみなさんに」と田村さんの名でケーキが届けられていた。オフの日を過ごすゴルフ場では、集まったキャディーさんから握手にサイン、写真攻めにあう人気ぶりだった。晩年、田村さんは本誌に「僕はもう、やり切ったから『静かに死にたい』っていう感じかな」と語っていた。告別式はひっそりと執り行なわれたが、彼のその人気ぶりや優しい人柄は今も人々の心に刻まれている。■橋田壽賀子さん(享年95)『おしん』や『渡る世間は鬼ばかり』などのヒット作を手掛けた脚本家、橋田壽賀子さん。4月4日、急性リンパ腫のため95歳で亡くなった。83年から放送された『おしん』は当時のNHK連続テレビ小説史上最高の視聴率を記録するなど、国民的人気を博した。『おしん』の結末についてインタビューした際には「最後はスタッフを含めてアミダで決めようかしらー」などいたずらっぽい笑顔で語るなど、元気で明るい姿が印象的であった。15年には、終活を始めたことを明かしていた橋田さん。これまでの仕事について、「日本がいちばんいい時代にテレビの仕事をさせていただいて、その時代、その時代に自分が書きたいと思ったものを存分に書かせていただきました」と感慨深げにコメント。私生活についても、「それはありがたい人生でした。『あれがあったらよかった』『あの人と結婚すればよかった』ということは皆無です」と満足した表情を見せていた。■チャーリー浜さん(享年78)吉本新喜劇の人気お笑い芸人、チャーリー浜さんは4月18日、呼吸不全と誤嚥性肺炎により亡くなった。78歳だった。「ごめんくさい」や「君たちがいて、ぼくがいる!」などのフレーズで人気を博した。また91年には「…じゃあ~りませんか」で「新語・流行語大賞」の年間大賞を受賞、翌年には上方お笑い大賞も受賞している。91年、共に吉本新喜劇を支えた、間寛平さん(72)、島木譲二さん(享年72)との座談会では、「なんせワタクシは流れのまんまに人生生きてますから」と明るく人生観を語っていた。その言葉を体現してか、4回結婚し離婚した。後輩も憧れるプレイボーイだったという。晩年は吉本新喜劇の舞台に立つ機会は減ったものの、地方巡業にも出ていたという。「網走から小走りで」などチャーリー浜さんのギャグは地方でも健在。最後まで人々を笑顔にし続けた。■小林亜星さん(享年88)5月30日、心不全のため88歳で亡くなった作曲家、俳優の小林亜星さん。レナウンCMソング『ワンサカ娘』で広い世代に親しまれたほか、都はるみ(73)の『北の宿から』、童謡『あわてんぼうのサンタクロース』など幅広く名曲を生み出した。さらに、ドラマ『寺内貫太郎一家』では頑固おやじを好演するなど、多岐にわたってその才能を発揮した。72年、『ピンポンパン体操』が大ヒット。世間が石油ショックで暗くなっていたところに流れた明るいメロディーは人々の気持ちを動かした。小林さんは当時について、離婚寸前の状態で「僕自身は人生の中で一番暗い時期だった」と振り返り、「幸せっていうのは、自分が本当にそうだと表現できない。不幸のときだと、自分がよくわかるんですよ。これが幸せっていうものなんだと。だから表現できたんでしょうね」と語っていた。酸いも甘いも噛み分けた人生観が、ヒット曲を生み出し続けるコツだったのかもしれない。さまざまな名作、名場面を私たちに残してくれた故人たち。その活躍は今後も多くの人の記憶の中で生き続けるだろう。初盆を節目に、心より冥福を祈りたい。
2021年08月13日繰り返される緊急事態宣言、コロナ禍終息の兆しが見えないなか開催に突き進む東京オリンピックなど、未だ混迷を極める2021年上半期。並行して芸能界でも数々の“事件”が――。本誌が目撃した“スクープ”から特に反響の大きかったものを今一度お届けしたい。今年4月に亡くなっていたことが発表された田村正和さん。多くを語らなかった田村さんだが、本誌は数少ない逝去数年前の肉声をキャッチし、散歩姿を目撃していた。そして、その散歩に今年に入ってからある変化が――(以下、2021年6月8日号掲載記事)※年齢は掲載当時のママ東京都世田谷区の閑静な住宅街からほど近くにある公園。数々の草木のなかでも目を引くのが、このエリアの名木で、日本を代表する名優がでたヒマラヤスギだ。初夏、静かにそびえ立つその姿はまるで、 “相棒”の喪に服しているようだった――。「マネージャーが今年2月に田村さんと電話した際は、『コロナが落ち着いたら一緒に食事をしよう』と元気に話していたそうです。しかし、その直後に風邪をこじらせて緊急入院。コロナ禍で、妻の和枝さんも面会を制限されており、死去の報せもごく一部の関係者にしか知らされませんでした」(スポーツ紙記者)4月3日に心不全のため、都内の病院で亡くなった田村正和さん(享年77)。『パパはニュースキャスター』(TBS系)や『古畑任三郎』(フジテレビ系)などの演技で世代を超えて愛された大スターだ。死去から1カ月半後に届いた訃報には、日本中が深い喪失感に包まれた。かつて田村さんと共演した木村拓哉(48)はこう悼んだ。《ユーモアがあって、あったかい想い出しかありません。ご自身に厳しくされてきた分、ゆっくりと休んでください》訃報の翌日、田村さんが’88年に建てた墓を訪ねると、線香をあげるファンと思しき男女の姿が。そして、墓石の横に生前は朱で塗られていた「正和」の文字は、黒く塗りつぶされていた――。■田村さんが本誌に語った妻との“老後”「俺より元気(笑)」’19年に本誌へ明かした《静かに死にたい》という“遺言”を全うするようにこの世を去った田村さん。した数々の伝説について、かつて仕事をしたテレビ局関係者は目を細めながら語る。「プロ意識が強く、徹底して自分に厳しい人でした。セリフを完璧に覚えて現場に入り、『主役がNGを出すと現場の士気が下がる!』とよく言っていました。また人前で食べる姿を見せることは決してなく、共演者と食事に行くこともほとんどなかったです」“俳優は白いキャンバス”と語り、私生活を明かさないことを信条としていた田村さんを陰から支え続けたのが、妻の和枝さん(80)だ。「和枝さんは銀座の高級テーラーの令嬢で、カナダへの留学経験もある才女です。友人宅で初めて出会った際、和枝さんの田村さんへの第一印象は“近寄りがたい人”だったそうですが、田村さんのアタックにより交際がスタート。’70年に結婚し、翌年には一人娘が誕生しました。“クールな二枚目俳優”というイメージを守るために、家族と人前に出ることはほとんどありませんでしたが、和枝さんが田村さんへの不満を漏らすことはなかったそうです」(田村さんの知人)生前、本誌に《僕はもうやり切ったから》と俳優引退を宣言していた田村さん。和枝さんとの“老後”についてはこう語っていた。《カミさんは、俺より元気。心配ないよ(笑)。夕方になったらカミさんと2人で食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る》(’19年7月9日号)そして地元では“意外な顔”も見せていた。ある近隣住民は言う。「近所のバンド好きが集まって定期的に趣味でバンド練習をしているのですが、田村さんが参加したがっていたと聞いています。スケジュールの都合で断念したそうですが、会うといつも笑顔で話しかけてくれる気さくな方でした」1年に1本ペースで俳優活動を続けた田村さんだったが、病気との闘いの日々でもあった。「田村さんは十数年前から冠動脈性心疾患という心臓の持病を抱えていて、数年前には大きな手術もしたそうです。ここ最近は、奥さんも高齢ということもあって、20代くらいの青年が週に数回車で通って、ゴミ出しなど身の回りの世話をしていたと聞いています」(前出・知人)■妻・和枝さんと散歩ルートのヒマラヤスギを見上げて…そんな田村さんが健康のために欠かさなかった日課が散歩。本誌もその姿を何度か目撃している。ゆっくりとした足取りで1時間ほどかけて歩き、時おり立ち止まっては公園の花々を慈愛に満ちた表情で眺める姿が印象的だった。しかし、今年に入ってからそのルーティンに驚きの変化が。散歩ルートに面する一軒家に住む近隣住民はいう。「田村さんはいつも決まって一人で散歩していたのですが、今年に入ってからは和枝さんと一緒に歩くようになったんです。つかず離れずの距離感で、奥さんの話を田村さんが笑顔で聞いていましたね」別の近隣住民はこう証言する。「緑地公園の前で立ち止まって、田村さんが奥さんに草木の説明をしているようでした。2人でヒマラヤスギを感慨深そうに見上げていました」田村さんにとって、地元の緑は“宝物”だった。「20年ほど前、別の公園を潰して高層マンションを建てるという計画に対して、地元住民を中心に反対運動が起こったんです。自宅前に緑の旗を立てるのが反対の印だったのですが、田村さんも『少しでも役に立てるなら』と協力して旗を立てていました」(前出・知人)“他人に私生活は見せない”という美学を破ってまで、和枝さんとの“最後のデート”を楽しんだ田村さん。それは50年以上にわたって連れ添った妻への田村さん流の恩返しだった。「田村さんは恐らく自分がもう長くないことを悟っていたのだと思います。夫、父として家族を守るために、田村さんはこれまでは役者としてのイメージを優先した生活を送ってきました。しかし、“最後くらい妻と堂々とデートしてみよう”という思いがあったのではないでしょうか」(前出・知人)’19年に記者が「和枝さんと楽しい時間を過ごすことが今の生きがいですか?」と尋ねた際、田村さんはほほ笑みながら「うん」と返答していた。田村さんと和枝さんが見上げていたヒマラヤスギの花言葉は、“あなたのために生きる”。死が2人を分かつとも、互いのために生きた2人の“誓い”は永遠に続くことだろう――。
2021年06月27日老若男女問わず愛された田村正和さん(享年77)が鬼籍に入ってから約2カ月。田村さんのキャリアを代表する作品の一つが『古畑任三郎』(フジテレビ系)だ。「第2、第3シーズンの平均視聴率は25%超を記録するなど国民的ドラマに。’06年の『ファイナル』でひとまず完結となりましたが、実は第4シーズンを制作する計画がありました。田村さんもさらなる続編制作に前向きだったそうですが、体力的な理由もあって実現にはいたりませんでした。昨年には、キャストを一新した『2代目古畑』の制作をフジが計画しているという報道もあり、主演候補の一人としてオダギリジョーさん(45)の名前が挙がっていました」(テレビ局関係者)今も続編を望む声が絶えない『古畑』。フジテレビに『2代目古畑』計画について尋ねると、「そのような事実はございません」との回答が。しかし、あるフジテレビ関係者はこう語る。「田村さんの訃報から3日後に追悼番組として『古畑』が放送され、13%超えの高視聴率を記録。再放送としては異例の数字です。この結果を受けて、上層部でも『2代目古畑』の制作が水面下で本格的に検討され始めたと聞いています」『古畑』の脚本を手掛ける三谷幸喜(59)もかねて続編を熱望していた一人だ。昨年、三谷は田村さんにこう“ラブコール”を送っている。《条件が揃えば、僕はいつでも映像版「古畑」の新作を書く準備は出来ていますよ、田村さん》(’20年5月28日『朝日新聞』夕刊)田村さん主演での続編はかなわぬ夢となったが、「2代目古畑」として白羽の矢が立った俳優がいるという。阿部寛(56)だ。「阿部さんは’11年の映画『ステキな金縛り』で三谷作品に初参加。三谷さんならではの脚本と演出にほれ込み、“いつかまた参加したい”と考えていたそうです。三谷さんも法廷でタップダンスを踊る型破りな弁護士を完璧に演じきった阿部さんを『日本を代表するコメディアン』と絶賛。アドリブ力にもたけた阿部さん主演の作品を描きたいとずっと考えていたといいます。そんな関係性からフジ社内でも、“もし『2代目古畑』が実現するとしたら阿部さんを”と推す声が強いそうです」(前出・フジテレビ関係者)正統派の二枚目から三枚目まで演じてスターとなった田村さん。阿部にも通ずるだけに、古畑ファンとしては期待したいところだが。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』で、動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」を公開。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんの知られざる人柄について語った。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫。台本の読み合わせで、共演者の柳沢慎吾が、セリフにあった「最中」という漢字を“もなか”ではなく、“さいちゅう”と読み間違えたそうだが、「芸人魂で、一瞬ツッコもうかと思ったんですけど、そんな空気じゃないんですよ。初めての本読みだから、ものすごい緊張感なんです」というエピソードを披露。その後、主演の田村さんのセリフにも、「最中」が登場したため、「被せてわざと“さいちゅう”って言ってくれるんじゃないかって、ものすごい期待して。なんとなくみんなも期待してた」というが、田村さんは、柳沢に被せることなく、“もなか”と発言。「大スターの役者さんが、被せなんかせーへんかって。周りの人も一瞬、そりゃあ言わないよねっていう空気になった」そうだが、「その瞬間、ちょっと間を置いて『……“さいちゅう”って言った方が良かった?』って。うわー! おしゃれー! って。おしゃれな笑いの取り方で。素敵やろ?」と、懐かしそうに振り返った。チャーミングな一面をのぞかせた田村さんだったが、ドラマ撮影中も、「僕のことを、現場に行くたびにイジってくれた」と言い、「最高に素敵な方やったんですよ。本来なら、俺みたいな若手の芸人が声をかけられるような人じゃないのに、すごくそこを開けてくれるんですよ」「おしゃれで素敵な人で、どんだけ憧れても、あんな人にはなられへん」と、分け隔てなく接してくれた田村さんに感謝。打ち上げの飲み会でも親交を深めたことを明かしつつ、最後は、「本当に残念なのは、どんな形でもいいから、お仕事を一緒にしたかった」と神妙に語っていた。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』に出演。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんとのエピソードを明かした。この日公開された動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」で、田村さんとの思い出を振り返った宮迫。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫は、「連ドラが初めてで、すごく緊張してて。若手のお笑い芸人が連ドラに出ることが、ほぼほぼなかった時代なので、周りに知り合いも友達もいなかった」と話し、「初めての顔合わせのときに、そうそうたる出演者のみなさんがいる中で、誰とも口をきかない状態で端っこの方にいたんです」と、当時の撮影現場を回顧。慣れない環境で人見知りをしていた宮迫が、リハーサル室に置いてあった椅子に座ると、「なんか周りがヒソヒソ不穏な空気が流れてた」と言い、「当時はまだ尖ってた時代でもあったので、『芸人が場違いな場所にいる』みたいなことを言われてんやろうなと思って」と、誰とも目を合わせずうつむいていたそう。しばらくして、人の気配を感じて顔を上げると、主演の田村さんが目の前に立っており、「おはようございますも言えないくらいビックリして。だって、子供の頃から観てたスーパースターが立ってるわけですよ」と、突然のことに大焦り。すると、田村さんが「それ、僕の椅子」と笑顔で話しかけてきたそうで、「僕、現場のルールを知らなかったんですけど、“田村チェア”っていう田村さんの特別な椅子がどの現場にも置かれてたんです」「『すみません! 僕、全然知らなくて……』って言ったら、『構わない。ただ、僕の椅子に座ってた人は初めてだよ』って。初対面がそれやったんです」と述懐。何も知らずに、“田村チェア”に座ってしまった宮迫だったが、「優しいフォローをしていただいて。その場も盛り上がって、ちょっと俺も打ち解けた感じになって」と、田村さんの優しさに大感激したことを打ち明けていた。
2021年06月01日5月18日に逝去が公表された田村正和さん(享年77)。いまも多くの友人・知人たちが、名優の死を悼み、生前のエピソードを語り続けている。スターは私生活を見せるべきではないという美学を貫いたことから、“人前で食べる姿を見せることは決してなかった”という伝説まで残した田村さん。だが、30年ほど前から交流してきた仕事関係者はこう語る。「実は『正和会』という親睦会を年に数回開催していたのです。正和さんがドラマで仕事をした監督やカメラマンなど、気心の知れた関係者を招いて食事をする会合でした。その会場としてよく指定していたのが『南国酒家』でした」南国酒家は、原宿に本店がある老舗中華料理店。田村さんの一人娘であるAさんは、’01年に南国酒家グループ社長(当時)の子息と結婚し、現在は社長夫人となっている。田村さんは、かつて週刊誌の対談で娘・Aさんとの関係について次のように語っていた。《子供とはあまりつき合わないですね。子供が嫌いだから。とにかくぼくはうるさいのが一番いやだから。(中略)子供って奥さんが面倒みるものでしょ?じかに接するのは母親で、父親っていうのは遠い所から見守るものだと思う》(『ヤングレディ』‘76年4月12・19日合併号)前出の仕事関係者が続ける。「取材などでは“家族には関心がない”というスタイルを見せていましたが、本当はお嬢さんのことを溺愛していました。私にも娘がいたもので、『いくつになっても可愛いから甘やかしてしまう』といった話をすると、田村さんもしみじみと『本当は誰のところにも嫁がせたくなかったんだけど、いまでは良かったと思っているよ』と語ってくれました。娘婿さんのことも可愛がっていて、だから彼がいる南国酒家の原宿店に仕事関係者たちを招いていたのだと思います。田村さんは『ここのものはなんでも美味しいんだよ』と言っていて、本当に美味しそうにラーメンをすすっていた姿が忘れられません」南国酒家のHPによれば、『水菜、チャーシュー入りネギつゆそば』『野菜入りあんかけつゆそば』といった麺類は1400円(税・サ別)からあった。スターであることを忘れ、“愛娘の嫁ぎ先”でラーメンを味わうひとときは、田村さんにとって至福の時間だったことだろう。
2021年05月30日最後まで、スターの姿勢を崩さなかったーー。4月3日、急性心不全のため亡くなった田村正和さん(享年77)。その訃報は、葬儀をすべて終えてから公表され、田村さんの旅立ちは静かなものだった。日本映画界創成期の名優・阪東妻三郎の三男として生まれ、兄弟とともに俳優として活躍した。ダンディーを絵に描いたような人なのに、ドラマ『古畑任三郎』シリーズではちゃめっ気たっぷりな警部補を演じ、10年以上続く大ヒット作に。年を重ねるほどに魅力も増していったが、プライベートは一切公表せず、鉄壁のガードを貫いた。本誌では、田村さんの当たり役だったドラマ『眠狂四郎』の撮影現場に、’72年、’89年と2度にわたり密着。黒のロングコートにスカーフを合わせたおしゃれな私服姿で撮影所に入ってきたり、撮影の合間も物憂げな表情で椅子に座っていたりと、大人の男の色気を感じさせる人だった。【’72年】ドラマ『眠狂四郎』京都ロケ初めて眠狂四郎を演じたのは29歳のとき。当時その美しさが話題に。【’89年】ドラマ『眠狂四郎』撮影密着45歳で2度目の『眠狂四郎』を演じる現場に密着。撮影所へ笑顔で入っていく田村さん。現場にケーキを差し入れるなどの心配りも。【’93年】ドラマ『ローマの休日』イタリアロケあの名作のリメークドラマ撮影のためローマへ。安田成美(54)演じるヒロインとバイクに乗って。田村さんと共演した女優は、こう思い出を振り返る。「一緒に焼き肉屋さんに行っても、私の分ばかり焼いて食べさせてくれて、自分の分は後回し。レディファーストで優しくて、ふだんでも『田村正和』していてカッコよかったです」また、ドラマ関係者は次のように語る。「地方ロケだと、田村さんから『ホテルのカーペットやバスタブを赤にしてほしい』、と要望があったりして、作品はもちろん、現場への気持ちの持っていき方にまでこだわる完璧な人でしたね」俳優の美学を体現したスター・田村正和さんの姿は、私たちの中に輝き続けている。
2021年05月30日東京都世田谷区の閑静な住宅街からほど近くにある公園。数々の草木のなかでも目を引くのが、このエリアの名木で、日本を代表する名優がでたヒマラヤスギだ。初夏、静かにそびえ立つその姿はまるで、 “相棒”の喪に服しているようだった――。「マネージャーが今年2月に田村さんと電話した際は、『コロナが落ち着いたら一緒に食事をしよう』と元気に話していたそうです。しかし、その直後に風邪をこじらせて緊急入院。コロナ禍で、妻の和枝さんも面会を制限されており、死去の報せもごく一部の関係者にしか知らされませんでした」(スポーツ紙記者)4月3日に心不全のため、都内の病院で亡くなった田村正和さん(享年77)。『パパはニュースキャスター』(TBS系)や『古畑任三郎』(フジテレビ系)などの演技で世代を超えて愛された大スターだ。死去から1カ月半後に届いた訃報には、日本中が深い喪失感に包まれた。かつて田村さんと共演した木村拓哉(48)はこう悼んだ。《ユーモアがあって、あったかい想い出しかありません。ご自身に厳しくされてきた分、ゆっくりと休んでください》訃報の翌日、田村さんが’88年に建てた墓を訪ねると、線香をあげるファンと思しき男女の姿が。そして、墓石の横に生前は朱で塗られていた「正和」の文字は、黒く塗りつぶされていた――。■田村さんが本誌に語った妻との“老後”「俺より元気(笑)」’19年に本誌へ明かした《静かに死にたい》という“遺言”を全うするようにこの世を去った田村さん。した数々の伝説について、かつて仕事をしたテレビ局関係者は目を細めながら語る。「プロ意識が強く、徹底して自分に厳しい人でした。セリフを完璧に覚えて現場に入り、『主役がNGを出すと現場の士気が下がる!』とよく言っていました。また人前で食べる姿を見せることは決してなく、共演者と食事に行くこともほとんどなかったです」“俳優は白いキャンバス”と語り、私生活を明かさないことを信条としていた田村さんを陰から支え続けたのが、妻の和枝さん(80)だ。「和枝さんは銀座の高級テーラーの令嬢で、カナダへの留学経験もある才女です。友人宅で初めて出会った際、和枝さんの田村さんへの第一印象は“近寄りがたい人”だったそうですが、田村さんのアタックにより交際がスタート。’70年に結婚し、翌年には一人娘が誕生しました。“クールな二枚目俳優”というイメージを守るために、家族と人前に出ることはほとんどありませんでしたが、和枝さんが田村さんへの不満を漏らすことはなかったそうです」(田村さんの知人)生前、本誌に《僕はもうやり切ったから》と俳優引退を宣言していた田村さん。和枝さんとの“老後”についてはこう語っていた。《カミさんは、俺より元気。心配ないよ(笑)。夕方になったらカミさんと2人で食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る》(’19年7月9日号)そして地元では“意外な顔”も見せていた。ある近隣住民は言う。「近所のバンド好きが集まって定期的に趣味でバンド練習をしているのですが、田村さんが参加したがっていたと聞いています。スケジュールの都合で断念したそうですが、会うといつも笑顔で話しかけてくれる気さくな方でした」1年に1本ペースで俳優活動を続けた田村さんだったが、病気との闘いの日々でもあった。「田村さんは十数年前から冠動脈性心疾患という心臓の持病を抱えていて、数年前には大きな手術もしたそうです。ここ最近は、奥さんも高齢ということもあって、20代くらいの青年が週に数回車で通って、ゴミ出しなど身の回りの世話をしていたと聞いています」(前出・知人)■妻・和枝さんと散歩ルートのヒマラヤスギを見上げて…そんな田村さんが健康のために欠かさなかった日課が散歩。本誌もその姿を何度か目撃している。ゆっくりとした足取りで1時間ほどかけて歩き、時おり立ち止まっては公園の花々を慈愛に満ちた表情で眺める姿が印象的だった。しかし、今年に入ってからそのルーティンに驚きの変化が。散歩ルートに面する一軒家に住む近隣住民はいう。「田村さんはいつも決まって一人で散歩していたのですが、今年に入ってからは和枝さんと一緒に歩くようになったんです。つかず離れずの距離感で、奥さんの話を田村さんが笑顔で聞いていましたね」別の近隣住民はこう証言する。「緑地公園の前で立ち止まって、田村さんが奥さんに草木の説明をしているようでした。2人でヒマラヤスギを感慨深そうに見上げていました」田村さんにとって、地元の緑は“宝物”だった。「20年ほど前、別の公園を潰して高層マンションを建てるという計画に対して、地元住民を中心に反対運動が起こったんです。自宅前に緑の旗を立てるのが反対の印だったのですが、田村さんも『少しでも役に立てるなら』と協力して旗を立てていました」(前出・知人)“他人に私生活は見せない”という美学を破ってまで、和枝さんとの“最後のデート”を楽しんだ田村さん。それは50年以上にわたって連れ添った妻への田村さん流の恩返しだった。「田村さんは恐らく自分がもう長くないことを悟っていたのだと思います。夫、父として家族を守るために、田村さんはこれまでは役者としてのイメージを優先した生活を送ってきました。しかし、“最後くらい妻と堂々とデートしてみよう”という思いがあったのではないでしょうか」(前出・知人)’19年に記者が「和枝さんと楽しい時間を過ごすことが今の生きがいですか?」と尋ねた際、田村さんはほほ笑みながら「うん」と返答していた。田村さんと和枝さんが見上げていたヒマラヤスギの花言葉は、“あなたのために生きる”。死が2人を分かつとも、互いのために生きた2人の“誓い”は永遠に続くことだろう――。
2021年05月26日4月3日に亡くなった俳優・田村正和さんを偲んで、田村さんの代表作「古畑任三郎」シリーズの第3弾が、5月24日(月)よりカンテレにて放送されることが決定した。「古畑任三郎ファイナル~ラスト・ダンス~」の放送に続き、今回急遽放送が決定したのは、1999年4月13日から放送された田村さんが古畑任三郎を演じる「古畑任三郎」シリーズ第3弾。古畑任三郎が犯人たちの難解なトリックを卓越した推理力で解いていく大人気ドラマシリーズは、毎話登場する犯人=豪華ゲストたちの対決が見どころとなっており、この第3弾では、真田広之、大地真央、津川雅彦、市村正親、福山雅治、江口洋介らが出演している。「古畑任三郎」(シリーズ第3弾)は5月24日(月)~6月7日(月)、15時45分~カンテレにて(関西ローカル)放送。(cinemacafe.net)
2021年05月21日俳優の田村正和さんが亡くなっていたと5月18日に発表された。77歳だった。数々の作品で名演を残してきた田村さん。その中でも’94年から放送され、10年以上続いた主演ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ)は代表作の一つと言えるだろう。「同作は、田村さん演じる警部補・古畑任三郎が巧みに犯行を解明していくというストーリー。田村さんの存在感はもちろんのこと、犯人を追い詰めていく展開やユーモラスなやりとりも人気の秘訣でした。また犯人役に中森明菜さん(55)や明石家さんまさん(65)、さらにSMAPといった豪華キャストが登場したことも話題に。第3シリーズまで放送され、視聴率20%以上は当たり前。最高で34.4%を記録しました」(テレビ局関係者)そんな同作の脚本を務めたのが三谷幸喜(59)だ。昨年に三谷が『朝日新聞』で寄稿した小説『一瞬の過ち』に、古畑任三郎が刑事役で登場。大きな反響を呼び、いまだ根強いファンがいることを証明した。「三谷さんの書いた脚本を見て、田村さんは古畑任三郎のイメージを膨らましていったそうです。そのため三谷さんは『古畑任三郎は僕と田村さんの共作だ』と話していました。名キャラクターを一緒に編み出してくれて、感謝しきりともいいます」(前出・テレビ局関係者)いっぽう、田村さんは三谷をリスペクトしていたという。「田村さんのマネージャーは当初、刑事ものに難色を示していました。ところが脚本を読んだ田村さんは、『これは面白い!ぜひやりたい』と即答したんです。撮影中も『よくこんな面白い本が書けるな』と感心しきりでした。また『三谷くんが僕の新しい魅力を引き出してくれた』と喜んでいましたね」(前出・テレビ局関係者)名作を作り上げた“同志”である2人。その絆は永遠だ。
2021年05月20日「彼女はキレイだった」「サンガプ屋台」などで知られる人気女優ファン・ジョンウムが主演を務めるロマンティック・コメディ「あいつがそいつだ」や、『神と共に』シリーズのキム・ドンウクと「女神降臨」(原題)で話題のムン・ガヨン共演「その男の記憶法」など、Amazon Prime Videoで7月から独占配信される韓国ドラマの豪華ラインアップ5作品が発表。特に注目のこの2作からキービジュアルとともに主演2人のコメントが到着した。日本中が空前の第4次韓流ブームに沸き立つ中、男女の三角関係をコメディタッチで描く「あいつがそいつだ」や、切ない大人のラブストーリーを描いた「その男の記憶法」をはじめ、Prime Videoでは胸キュン必至のラブコメディから、ドロドロ愛憎劇、学園ピュアラブストーリーまでが勢揃い。その中でまず注目作は、「キルミー・ヒールミー」や「彼女はキレイだった」「サンガプ屋台」など様々な話題作で主演を務める人気女優ファン・ジョンウム主演「あいつがそいつだ」。キービジュアルでは真っ赤なハート型の風船を差し出すスーツ姿の男性に囲まれるが、周りに流されない強い意志を持つファン・ジョンウム演じる“非婚主義”のヒロイン、ソ・ヒョンジュの姿が描かれている。ヒョンジュはウェブトゥーン事業部の企画チーム長。とある理由から結婚をしない“非婚主義”で、「自分自身と恋愛する」と宣言している。しかし、ソヌ製薬会社の代表理事で頭脳明晰でカリスマ性を持つファン・ジウ(ユン・ヒョンミン)と、芸術家肌のウェブトゥーン作家で愛嬌たっぷりな一途な年下イケメンのパク・ドギョム(ソ・ジフン)と正反対の魅力を持つ2人から猛烈なアプローチを受け突然のモテ期が到来する。ファン・ジョンウムは「今まで演じてきたラブコメとは違う独特なストーリーだったので、これまで以上に進化した姿をお見せできると思います」と本作への意気込みを語る。さらに「ソ・ヒョンジュには、例えば仕事熱心なところとか、現実的なところなど、私と似たような面があります」と続け、役柄と自身の性格がよく似ていることを明かしている。非婚を貫くヒョンジュを巡る恋の三角関係が描かれるロマンティック・コメディだ。2つ目の注目作は、映画『神と共に』シリーズや「チェックメイト!~正義の番人~」のキム・ドンウクと「女神降臨」でいま最も注目を集める若手女優ムン・ガヨンが共演を果たした「その男の記憶法」。キム・ドンウク演じるニュースアンカーのイ・ジョンフンは全ての記憶を“忘れられない”過剰記憶症候群を患い、ムン・ガヨン演じるトップ女優ヨ・ハジンは大切な記憶を“忘れてしまった”女性。キービジュアルでは背中合わせの2人が描かれ、目線を合わせずすれ違ってしまう切なさが溢れるビジュアルとなっている。ムン・ガヨンは「私が演じたハジンは注目の女優で、トラブルメーカーとしてもよく話題になるような人物です」と自身が演じるキャラクターについて明かしながら、「皆様にとって“忘れられない”ドラマにするため、私たち全員で頑張っていますので期待に応えられると思います」と意気込みを語っている。記憶にまつわる心の傷を抱えた2人が出会い、運命的な恋に導かれていく大人の恋愛を描いた切ない恋の物語に注目。沼落ち必至!?注目の作品ラインアップ8月5日(木)から配信されるのは、韓国社会の闇を描く社会派サスペンス「ジャスティス-復讐という名の正義-」。韓国では放送当時、同時間帯視聴率1位に輝くなど話題を呼んだ作品。「愛の迷宮-トンネル-」や「皇后の品格」など日本でも人気が高い俳優チェ・ジニョクが事故で亡くなった弟の復讐に燃える弁護士イ・テギョンを熱演。さらに「梨泰院クラス」などのヒット作に続々と出演しているベテラン演技派俳優ソン・ヒョンジュがテギョンの復讐を手伝う悪魔のような男ソン・ウヨン、映画『スウィンダラーズ』などに出演しモデルとして活躍しているK-POPガールズグループ「AFTERSCHOOL」のナナがテギョンの元恋人で真実を追い求める検事ソ・ヨナに扮する。女優連続失踪事件をきっかけに、金と権力が渦巻く韓国社会の闇に切り込んでいく。続いて8月10日(火)から配信されるのは、野島伸司脚本で田村正和と常盤貴子共演の日本ドラマ「美しい人」をリメイクした「悲しくて、愛」。韓国版では「イニョン王妃の男」や「ロマンスは命がけ!?」などに出演し、“恋愛ドラマの王様”と言われるチ・ヒョヌが、今作では愛する妻を亡くした整形外科の院長ソ・ジョンウォン、「奥様はサイボーグ」のパク・ハンビョルが夫から激しい束縛とDVを受け整形手術で顔を変える女性ユン・マリを好演。愛、嫉妬、事故、DV、整形、逃亡など韓国ドラマ好きにはたまらない要素が全て詰まったドロドロの愛憎劇は必見。そして10月2日(土)に「WannaOne」の元メンバー、オン・ソンウ初主演の学園ピュアラブストーリー「十八の瞬間」が独占見放題配信される。(text:cinemacafe.net)
2021年05月20日2021年4月3日に心不全のため亡くなった、俳優の田村正和さん。往年のスター俳優の訃報に多くの人が悲しみました。田村さんといえば、数々の名作ドラマに出演。中でも、刑事ドラマシリーズ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)は幅広い世代に大人気です。急きょ『古畑任三郎』再放送フジテレビは、追悼特別番組として『新春ドラマスペシャル古畑任三郎ファイナル』を2日間にわたって急きょ放送することを決定。『フェアな殺人者』前編を2021年5月20日、『フェアな殺人者』後編を同月21日、『ラスト・ダンス』を同日20時から放送します。『フェアな殺人者』は、元プロ野球選手のイチローさんが出演しており、『ラスト・ダンス』は俳優の松嶋菜々子さんが出演。『フェアな殺人者』は、瞬間最高視聴率29.6%、『ラスト・ダンス』は32.8%を出すほど注目が集まった作品です。田村さん演じる、古畑任三郎を目に焼き付けたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年05月20日俳優の田村亮が18日、公式サイトを更新。同日に訃報が報じられた兄で俳優の田村正和さんについてコメントを発表した。「兄 田村正和が天国に旅立ちました」と報告した亮は、「4月3日、正和兄貴の奥さんからの突然の知らせで一瞬何の事か理解できず茫然としました。私の妻が3カ月ほど前に兄の奥さんと話をした時も兄は元気で散歩していると聞いていたのに……」と、当時の心情を吐露。続けて「兄は幸せな人生を送ったと思います。仕事でもプライベートでも何事も自分のライフスタイルを崩さず全うしたと思います」と自身の思いをつづり、「葬儀も派手にせず静かに見送ってくれと家族に言っていたそうです」と、正和さんの生前の言葉を明かした。そして最後に「生前、兄に関わって下さった方々に、私からも心より厚く御礼申し上げます。合掌」と、関係者に向けて感謝の意を表しながら追悼した。
2021年05月19日俳優・田村正和さんの訃報を受け、フジテレビ系ドラマ『古畑任三郎』シリーズで共演した俳優の石井正則が19日、追悼コメントを発表した。19日に自身のツイッターを更新した石井は「一報を聞いた時、その場で動けなくなりました。2~3時間そのままでいたみたいです」と、田村さんの訃報を知った際の状況を説明。続けて「『古畑任三郎』で、田村さんと過ごした時間は、自分の礎です」と記し、「今はまだとても動けそうにありませんが、古畑さんの部下として、これからもしっかり動けるよう努めて参ります。ですので、ゆっくり休まれてください。古畑さん。ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えた。そして最後に「田村正和さんのご冥福を心よりお祈りいたします」と哀悼の意を表した。田村さんが主人公・古畑任三郎役を演じた人気ドラマ『古畑任三郎』。石井は同作で、古畑をサポートする刑事・西園寺守役を演じていた。
2021年05月19日フジテレビでは、4月3日に亡くなった俳優・田村正和さんを偲び、5月20日・21日の2日間に渡って追悼特別番組として代表作のひとつ「古畑任三郎」が放送される。本シリーズは、田村さん演じる古畑任三郎が、犯人たちの難解なトリックを卓越した推理力で解いていくドラマで、毎話登場する豪華ゲストが演じる犯人たちとの対決が大きな見どころだ。1994年、「警部補・古畑任三郎」としてスタートし、連続ドラマとして3シーズン続いたほか、数々のスペシャル・スピンオフなど12年間にわたって愛され続けた本シリーズから、今回はラストとなる2006年1月放送の「新春ドラマスペシャル古畑任三郎ファイナル」のうち2編。イチローが“イチロー選手役”で出演し、宿泊する都内某ホテルの地下駐車場に停めてあった盗難車の中から男の死体が発見されることから物語が展開する「フェアな殺人者」前編&後編。松嶋菜々子が、売れっ子の作家の加賀美京子こと大野かえでともみじ、双子を2役演じる「ラスト・ダンス」を放送する。(cinemacafe.net)
2021年05月19日田村正和さん(享年77)が4 月3日に心不全のため都内の病院で亡くなっていたと、5月18日に報じられた。田村さんの死を悼む声が広がっている。‘61年に映画『永遠の人』でデビューした田村さん。平成に入ってからは三谷幸喜氏(59)が脚本を手がけ、田村さんが刑事役を演じた『古畑任三郎』(フジテレビ系)が大ヒット。‘94年4月にシーズン1が放送され、10年以上続く人気長寿シリーズとなった。田村さんのクセのある口調や独特な仕草は瞬く間に人気を博し、社会現象になるほどだった。‘96年4月には木村拓哉(48)が『SMAP×SMAP』(関西テレビ、フジテレビ)で、「古畑拓三郎」としてパロディ化。そのことによって、作品や田村さんの役柄はいっそう知名度を上げた。そんな木村は‘96年1月に放送されたシーズン2で、犯人の爆弾魔としてドラマ初出演を果たしていた。この回で田村さんは、稚拙な犯行動機を挙げた木村の頬をスパーンと平手打ちしたのだ。田村さん演じる古畑は温厚なキャラクターなだけに、この演出は視聴者をあっと驚かせた。田村さんの訃報を受けて、SNSではこの“ビンタ回”を懐かしむ声が上がっている。《やっぱり古畑任三郎が好き。中でもキムタクに裏平手打ちした回はキャラ的にも展開的にもびっくりしたし最高でした。田村正和さん、安らかに…》《古畑任三郎シリーズ、大好きで見てましたキムタクが犯人役の時、普段温厚な古畑さんが、キムタクにビンタした回が特に印象に残ってます》そんな木村は‘15年12月放送の『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』(TOKYO FM)で、田村さんと『古畑任三郎』で共演したことを振り返っている。“ビンタ回”は田村さんが唯一犯人に手を挙げた回だったと明かし、「僕は名誉に思っている」と述懐。そして田村さんについて、「僕大好きなんです」「またチャンスがあったらご一緒したい」と語っていた。■田村さんに学んだ“プロ魂”『HERO』(フジテレビ系)や『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日系)、『教場』(フジテレビ系)など数々の主演作品で活躍する木村だが、役者としての“プロ魂”は田村さんに触発されてきたようだ。「ほぼNGを出さない田村さんは、撮影現場に台本を持ち込まないことでも知られています。木村さんが’99年1月放送の『古畑任三郎スペシャル』にSMAP全員で参加した際も、田村さんは台本10ページ以上もあるシーンを滞りなく演じ切ったといいます。その様子を間近で見ていた木村さんは、『自分もこうなりたい!』と強く刺激を受けたそうです。様々な作品で座長を務める木村さんですが、“田村さんの教え”を受け継いでいるようです。『HERO』で木村さんと共演した吉田羊さんも、『木村さんは共演者のセリフだけでなく、動きも把握している』と感心していました。最近では映画『ハウルの動く城』で声優を務めた木村さんですが、鈴木敏夫プロデューサーは『アフレコで台本を持たずに最後まで演じ切っていた』と驚くほどです。影響を受けるほど、田村さんの存在は大きかったようですね」(テレビ局関係者)田村さんの教えを胸に抱き、木村は歩み続けるだろうーー。
2021年05月19日「古畑任三郎シリーズ」(フジテレビ系)や『パパはニュースキャスター』(’87年 TBS系)など、ドラマや映画で活躍した俳優の田村正和さんが4月3日に死去していたことが18日、明らかになった。77歳だった。多くの芸能人が田村さんを悼むコメントを発表している。しかし、お笑い芸人で、田村正和さんが演じるキャラクター・古畑任三郎のモノマネ芸で知られるハリウッドザコシショウ(47)は未だ田村さんの死に触れていない。ザコシショウは持ちネタの『古畑任三郎漫談』で、古畑任三郎が考えている際の様子を、眉間に手を当てて「ハンマーカンマー」と連呼することによって表現。全く共通点がないにも関わらず、“古畑任三郎=ハンマーカンマー”というイメージを定着させた。若い世代の間では「ハンマーカンマー」は知っていても、古畑任三郎は見たことがない、という人も多いようだ。「じつは、ザコシショウは、ものすごくセルフプロデュースをする人。普段からツイッターに投稿する内容も、何も考えていないようで実はものすごく考えて書いているといいます。何を言ってもふざけているように受けとられるのが彼のキャラクターですから、田村さんの訃報に関するコメントを出すことには、かなり慎重になっているはずです」(芸能関係者)’18年に文春オンラインが行ったインタビューで、好きなドラマについて聞かれるとザコシショウは《田村正和さんの『古畑任三郎』はもう1回見たかった。ファイナルシーズン以降の1話だけでいいから。》とコメント。古畑のキャラクターについても《もうすべて分かっているのに、あえて「んんん~?」みたいなことを言うじゃないですか。あれがね、すごく好きなんですよね。》と熱弁を振るっている。「ザコシショウが古畑任三郎のモノマネを始めたのは90年代から。それが『ハンマーカンマー』と言い始めたことによって、ここ10年ほどでブレークしたんです。大好きなキャラクターなうえに飛躍のきっかけになったのですから、古畑任三郎への思い入れは相当強いはず。同時に田村さんも大切な存在なのではないでしょうか」(同上)ところで、もちろん古畑任三郎は「ハンマーカンマー」と発言したことは1度もない。なぜザコシショウはこのような言葉で、古畑のモノマネが可能だと思ったのだろうか?同インタビューによると、「ハンマーカンマー」という言葉を産んだのは実はケンドーコバヤシ(48)。ザコシショウの大喜利へのリアクションに困り、悩んだ故・南方 英二さんが悩んだ時に発した音が「ハンマーカンマー」に聞こえる、とケンドーコバヤシが言い出したのだ。その後、ザコシショウは古畑のモノマネをしようとした際に、“悩んでいる感じが足りない“という課題に直面。その解決策として、悩みを表す音である「ハンマーカンマー」と言いながら古畑のモノマネをすることを思いついたという。そんなハンマーカンマーについて、SNS上では“封印”を心配する声も。《ザコシさんにはこれからも【ハンマーカンマの古畑(誇張し過ぎた古畑)】は続けて欲しい》《ハリウッドザコシショウの『ハンマーカンマ~』は封印とかしないで欲しいな》ブレークのきっかけとなったネタだけに、ザコシショウの発言にも注目が集まっている。
2021年05月19日人気ドラマシリーズ『古畑任三郎』(フジテレビ系)などで知られる俳優の田村正和さんが4月3日、心不全で亡くなった。77歳だった。ドラマへの出演は、18年放送の「眠狂四郎The Final」(フジテレビ系)が最後となった田村さん。晩年は表舞台から姿を消し、隠居生活を送っていた。その傍らで田村さんを支え続けていたのが、3歳年上の妻・和枝さん(80)だ。田村さんは、70年に銀座の一流テーラーの娘である和枝さんと2年の交際を経て結婚。出会いは友人宅のパーティーで、そのときすでに結婚の予感があったという。70年9月に本誌が取材した際、2人は互いの第一印象についてこう語っている。「無心にゲームしてる彼がクールで純情そうで」(和枝さん)「彼女は初対面から親切で気がついて」(田村さん)結婚式は両家の親族11人と、父親代わりだった木下恵介監督のみという芸能人としては質素なものだった。それは田村さんの、「母の心臓が悪いので負担をかけないように」という配慮からだった。プライベートについてはほとんど明かしてこなかったが、妻との関係については「夫婦って、お互いにいるかいないかわからないんだけれど、いないと大変困る。でも、そばにいると、いて当然と思う。そういうもんじゃないですか」と語っている。19年に本誌が取材した際にも「夕方になったらカミさんと食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る。健康的な毎日ですよ」と夫婦の時間を満喫しているそぶりを見せていた田村さん。葬儀・告別式は和枝さんが喪主を務め、ひっそりと家族で見送ったという。その旅立ちは、穏やかなものだったに違いない――。
2021年05月19日歌手で俳優の泉谷しげるが19日、オフィシャルブログを更新。18日に訃報が伝えられた田村正和さんとの思い出をつづった。投稿冒頭、泉谷は「田村正和さんの訃報には驚くしかなかった」と率直な思いを吐露。テレビドラマの共演経験が何度かあったそうで、「その頃は乱暴者キャラで生意気だったオイラだったもんで、田村正和の"孤高"な振る舞いが理解できず、気分は勝手に“一触即発"だったかも(笑) 」と振り返った。続けて、「それにしても正和センパイの演技の素晴らしさったら〜とにかく、読めない! どう来るかわからない〜素晴らしすぎ!」と絶賛。「演技することに対して興味持ってなかったオイラを、大袈裟に目覚めさせてくれた人でもあった」と、役者として大いに影響を受けたことを明かした。また、「色男だが痩せてて声は小さいが、オフでは意外と男らしいところも」と語る泉谷。「オイラが、ロケ弁当が冷えてて美味しくない〜とブーたれてると『出されたモノはありがたく黙って食え!』と正和センパイに怒られてしまったではないか……」と、2人の関係性がうかがえる共演秘話も披露した。そして「オイラは“天才”と共演してたことに気づき〜愕然としたもんさ」と改めて田村さんを讃え、最後は「『古畑任三郎』に出たかったな…」と漏らしながら、「本当に心よりの哀悼を」と追悼した。
2021年05月19日2021年5月18日、俳優の田村正和さんが同年4月3日に心不全のため死去したことが分かりました。77歳でした。サンケイスポーツによると、葬儀・告別式は親族で既に行ったとのこと。田村さんは、俳優・阪東妻三郎さんの三男として生まれ、兄弟ともに俳優という芸能一家で育っています。1961年にデビューして以来、映画やテレビドラマでさまざまな役をこなし、注目を集めました。1994年からスタートした刑事ドラマシリーズ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)では、主役の古畑任三郎役を熱演。独特な存在感を放ったキャラクターが人気を呼び、田村さんの代表的な作品の1つになりました。ネット上では田村さんの訃報を受け、追悼するコメントが相次いでいます。・長きに渡り楽しませていただき、ありがとうございました。ゆっくり休んでくださいね。・時の流れを感じますね。独特な雰囲気でとても素敵な俳優さんでした。・さびしくなります。『パパはニュースキャスター』を子どもの時に楽しく見ていました。田村さんの存在は作品を通して、人々の心に永遠に生き続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2021年05月19日5月18日、俳優の田村正和さんが4月3日に心不全で東京都港区の病院で亡くなっていたことがわかった。77歳だった。田村さんは’61年に映画『永遠の人』でデビュー。80年代には、『眠狂四郎』(関西テレビ、東映)や『鳴門秘帖』(NHK)といった時代劇ドラマで存在感を発揮。平成に入ってからは、人気シリーズ『古畑任三郎』(フジテレビ系)や『協奏曲』(TBS系)、『そうか、もう君はいないのか』(TBS系)など多くの作品で人気を博した。しかし’16年3月放送の『松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女~作家・杉本隆治の推理』(テレビ朝日系)に出演以降、田村さんは表舞台から姿を消していた。そのため、健康状態を不安視する声が上がっていたのだ。本誌は’17年4月、そんな田村さんの“激やせ”ぶりを報じている。当時、自宅近くでウォーキングに励んでいた田村さんを目撃。スポーツウェア越しでもわかるほど、その姿は痩せ細っていた。田村さんは記者の直撃に苦笑しつつも、こう語ってくれた。「よく言われる。体重も下がったしね。今は52kgぐらいかな。歳を取ると、やせる人と太る人がいるでしょう。俺はやせたんだよね」’18年2月に放送された『眠狂四郎 The Final』(フジテレビ系)が遺作となってしまった田村さん。その撮影は、病と闘いながら挑んだという。「田村さんにとって大切な代表作なだけに、『最後の作品にする』と意欲を持って撮影に臨んでいたといいます。役者としてプロ意識が高い田村さんは、『俳優をやっている間は体にメスを入れたくない!』と撮影期間中は手術を拒んでいたようです。撮影が終わったことで、ようやく手術を決断したといいます。奥さまを安心させたいという気持ちもあったのでしょう」(田村の知人)田村さんは’19年6月、本誌に心臓手術を受けたことを明かしている。その日も田村さんは、午前中からウォーキングに励んでいた。記者が体調について訊ねると、快くこう答えてくれた。「う~ん、それは普通かな。前に心臓を悪くして、手術もしたからね。だから無理はできないんです。生きるうえで、体はいくつになっても大切だからね」穏やかな老後を過ごしていた田村さんは、“死生観”についてもこう語ってくれた。「僕はもう、やり切ったから『静かに死にたい』っていう感じかな」そして「あとは静かにフェードアウトするだけだね」と役者としての再起を否定し、こう続けた。「映画もテレビもやったし、舞台もやった。昭和から始まって、平成まで。もう十分じゃないかな。令和はまだだけれどね。フフフ」およそ半世紀にわたって、役者人生を全うした田村さん。その活躍は多くの人々の心に刻まれている――。
2021年05月19日2021年4月25日、お笑いコンビ『ロンドンブーツ1号2号』の田村淳さんはInstagramを更新。夜泣きをする0歳の次女をおんぶしてあやす姿を公開し、反響を呼んでいます。 この投稿をInstagramで見る 田村淳(@atsushilb)がシェアした投稿 田村さんは「夜泣き…。おんぶしていないと泣いてしまう」とつづり、こんな願望を明かしていました。寝たなぁと思ってそーっとそーっとベットに横にすると泣いちゃう^_^寝てからベッドに移送する技術高めたいatsushilbーより引用抱っこやおんぶをして寝かしつけても、ベッドに置いた瞬間、背中にスイッチがあるかのように赤ちゃんが泣き出すというのはよくあること。田村さんの投稿に共感の声などが多数寄せられました。・あるあるですね!我が子は抱っこじゃないと寝ない子で、腕枕状態で深い眠りになるのを待って、そーっと腕を抜いてました。・子供の背中レーダー、すごいですよね!ぬくもりにくっついていたいんだろうな。おつかれさまです。・分かります!私もおんぶをしたまま朝を迎えていました。今となっては懐かしいけど、当時は泣いてたな…。多くの親が悩まされる『我が子の夜泣き』に、田村さんも現在格闘中の模様。しばらくは十分に睡眠が取れず、大変な時期が続きますが、夫婦で協力して乗り切った時には、きっといい思い出になることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年04月26日今、注目の女の子を紹介する『anan』で連載中の「イットガール」。今回は「ザ・コインロッカーズ」キーボードの田村愛美鈴さんです。ガールズバンドであり、アイドル。これまでなかった形を極めたい!青春感溢れた楽曲で注目されるバンド、ザ・コインロッカーズ。メンバーとしての日々もまさに青春だとか。「意見を出し合いながら練習を重ね、曲を完成させていく。時にはぶつかることもあるけど、普段は和気あいあいとしていて、まるで軽音部みたいな雰囲気なんです。ガールズバンドとアイドル、2つの側面を持つグループとして、独自の地位を確立していきたい」。13人のメンバーの中で、田村さんは癒しキャラ。「ずっと笑っているよねって言われます。たぶん、ツボが浅いんです(笑)」1日1個はスイーツを。毎日甘いものを食べないとダメ。“トゥンカロン”、おいしかった。感性を磨く楽しい時間。おばあちゃんが生け花の先生をしていて、1年ほど前から習っています。パーソナルカラリスト検定を受けました。勉強し始めたらハマりました。服やメイクを選ぶのが楽しくなりますよたむら・あみり2000年生まれ。秋元康プロデュースにより‘18年にグループ結成。3/24にファーストアルバム『青春とバンドは、楽しくてメンドクサイ』が発売されたばかり。※『anan』2021年4月14日号より。写真・土佐麻理子文・間宮寧子(by anan編集部)
2021年04月12日