3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、術後の体の変化について。体重が減って喜んでいたのもつかの間、思わぬ惨状が待ち受けていた……!?★前回:「このまま退院して大丈夫?」不安を感じつつ帰ったら突然電話が! #43歳で腎がんになった話 18手術後4〜5日、あまり食欲がありませんでした。傷の痛みも多少あったし、便秘になってしまってたので、余計に食べられず。術後5日たったころ、病棟にある体重計に乗ってみると……。なんと、大人になってから史上、ベスト体重に!5日間でマイナス3kgでした。もともと立ち仕事で足がとてもむくんでいたので、入院中は基本ベッド上の生活でむくみが取れてせいもあると思います。ラッキー!これは維持するしかない!今後は食事にも気を付けなきゃいけないし、ちょうどいい。暴飲暴食しないで、脂っこいものは控えて……。コンビニスイーツも、もう我慢しなくちゃ。職場の同僚からのLINEにもついつい、痩せちゃったアピール!パンツはワンサイズ下げてもいいかな。美容院も行きたいし。今までスキンケアも雑だったけど、これを機にやる気が出てきた……!ウキウキで鏡を見る。が、しかし……近づくと…こ、これは…私!?(そうです)もともと年相応の(よりちょっと上か?)老け方だったけど、急激に肉が落ちて、顔がシワシワのだるだるに。目も当てられない惨状……!!やっぱり……やっぱりね、痩せて喜んでばかりいられるのは、若いうちだけなんですよ。40過ぎたら、急に痩せちゃダメ。(現在、2kg戻りました)←順調。次回は、手術で取った腎臓の病理検査の結果を聞いたときのことをお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:室井佑月さんインタビュー「乳がんが見つかったことはいろいろな意味でラッキーでした」#3★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年12月13日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、退院したときのこと。先生たちにあいさつをして病院を出たものの、ある不安が……。★前回:「執刀医って!?」最初からわかっていれば違っていたのに~ #43歳で腎がんになった話 17退院当日は、全国的な大雨……。この日は祝日だったため、会計ができないとのことで、入院費用は後日診察時にお支払いくださいとのことでした。退院指導を受け、次回の診察予約をしてもらい、先生と看護師さんたちにあいさつをしたら、もう帰っていい……んだよね?お金を払わないで帰るの、ちょっと不安……。CD売り場を出るときみたいに、出口でピーピー鳴ったりしないかしら(しません)。無駄に周囲を警戒しながら、時間外出入口から逃げるように出る。なんとか無事脱出……。大雨の中、車に乗り込んで、やれやれ……と思ったところでこのタイミングで着信!何、何!?誰!?電話に出るとほら来た! やっぱり(今いた)病院ー!なんだかわからないけど、すみません!叱られる覚悟で、話を聞くと単に、病室の忘れ物の連絡でした。しょ、しようもな…ビビって恥ずかしい。ともあれ、大雨の中、1時間かけて久しぶりの自宅へ。9日ぶりの子どもたち!なんか大きくなってない?(気のせい)まあ……普通でした(笑)。普通がいいですけどね。次回は、術後の体の変化についてお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:室井佑月さんインタビュー「乳がんが見つかったことはいろいろな意味でラッキーでした」#3★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年12月11日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、手術のときの執刀医について。執刀医が誰なのかを気にしていなかったマメ子さんでしたが……。★前回:「危ないところだった!」心配性の母の行動に驚き! #43歳で腎がんになった話 16手術をすると決めたときのことですが、主治医先生とこんなやりとりがありました。執刀医がどの先生になるかということは、正直全然気にしておらず(そもそも、誰がどうとかわからないし)、その後もその話題が出ることはありませんでした。なので、あとから結局はやっぱり主治医先生が執刀してくださるのかな?と思っていて、特に確認することもなく手術を迎えてしまいました。聞き忘れていたのもあったけど、なんかあえて聞くのも、こだわってるようで聞きづらくて……。そして、手術当日の朝、病室にて初めて会うベテラン風先生。見た感じは50代前後。年齢的にも、主治医先生より上だし、ちょっと丁寧めにあいさつします(笑)。ベテラン先生には手術室でお会いしなかったけど、手術後も、時々様子を見に来てくださいました。毎日の回診に来てくださった先生は3人いたのですが、比率はこんな感じ。そして退院の少し前、ベテラン先生の回診があり、傷を確認してもらう。んっ?それってってこと……ですよね……!?この1秒の間に、頭をフル回転して考える。先生、手術室で会っていないけど!?でも、部屋全体を見渡して確認したわけじゃないし……。緊張していて、あいさつも周りにいた人にしかしていないぞ!でも、今思えば、麻酔しているときに声だけ聞いた気がする……。えっ……ということは、主治医先生が執刀医だと思い込んでいたけど、ベテラン先生だったの!?主治医先生は何? 助手!?逆に、ベテラン先生がサポートとか?そもそも手術って先生1人でやるわけじゃないよね?2人でやっても、執刀医って1人?思わず「先生が執刀してくださったんですか!」と言いかけたけど、それを言ってしまうと、知らなかったことがバレてしまう!(もうバレてるか)そこで、最初から知ってましたけど、改めて心から感謝してるんですという感じを全力で出して「本当に、ありがとうございました〜!」精一杯のお礼を言っておきました。それにしても、最初からわかっていれば、このときだってこの程度じゃなく、最敬礼であいさつしたのに!言ってよ……主治医先生も……。(いや多分、こちらから聞くのが礼儀なんですよね?)ベテラン先生、大変失礼致しました。次回は、退院の日のことをお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:室井佑月さんインタビュー「乳がんが見つかったことはいろいろな意味でラッキーでした」#3★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年12月08日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、心配性な母とのやり取りについて。心配してくれるのはありがたいけれど、ちょっとネガティブすぎるようで……。★前回:「傷が開きそう」入院生活を満喫していたらとんでもないことに #43歳で腎がんになった話 15がんのことを報告したときの記事で少し触れたのですが、うちの母親はものすごく心配症なのです。心配性というか、ちょっと過干渉というか……気持ちはありがたいんですけどね。逆に私は、先のことはあまり悩まないタイプで、干渉されるのも好きじゃない……。親子なのに、相性は良くないです(仲は悪くない)。で、そんな母ですから、今回の入院前もつきっきりで、ビッチリいるつもりだったみたい!ヤバいヤバい!具合悪いときにオロオロされるとこっちが気をつかっちゃうし、元気になったらなったで、スマホは体に悪いから控えろとか言いそうだし……。私のウキウキ入院ライフが台無し。気持ちはありがたいけど、私もいいおばさんなんで、あまり心配されると恥ずかしい……。新型コロナ感染防止のため、手術中は家族は病院内で待機できないので、手術が終わったら電話で旦那に連絡が来ることになっていました。手術は、予定では3〜4時間という話。ところが、電話が来たのは手術開始から6時間後だったそうで。手術自体は順調だったそうだけど、手術中の麻酔の準備に時間がかかったらしい。硬膜外麻酔は、血管が曲がっていたか何かで、私が眠ったあとにエコーを見ながら調整していたらしいのと、全身麻酔の消費が早くて、何度か麻酔を追加したためらしいです。それと、手術後忙しかったのか、先生が電話するのも1時間くらい遅かったとか。(忘れたな)まあ、予定は予定ですから、2〜3時間押すことだってありますよね。でも当然、実家ではプチパニック!病院が近かったら、入れないとわかってても押しかけていく勢い。遠くて助かった。術後も逐一、経過をメールで報告はしてたんですが、退院のめどがたったと連絡するとに、2〜3日?迎えの都合で、すでに予定より1日遅らせたというのに……。ホテルじゃないんだから!ちなみに「誰に聞いても最低2週間」って、誰に聞いたか知らないけど、母の知り合いだから年配の人だと思います。なんとか母を説得して家に帰ると、母から本が届いていた……!(仕事が早い)せっかくがんを取ってもらって、今が1番心が晴れ晴れしてる時期なのに、早速再発して治療が始まるのが前提って……。ネガティブが過ぎるでしょ!でも、1周回ってちょっとかわいいでしょ、うちの母。次回は、手術のときの執刀医についてお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:室井佑月さんインタビュー「乳がんが見つかったことはいろいろな意味でラッキーでした」#3★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年12月06日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、入院前までの慌ただしい毎日がうそのように、入院生活を楽しんでいたらとんでもないことが起こり……。★前回:「なんでもっとしなかった?」手術後にめっちゃ後悔したことは #43歳で腎がんになった話 14無事手術が終わり、翌日には歩行訓練も。手術2日目以降も、順調に回復していきました。元気になってくると、入院生活ってまあまあ天国。入院前までの慌ただしい毎日がうそのようです。まず、ありあまる時間で動画を見たり、ブログを描いたり読んだり。疲れてきたら、お昼寝したり。起きたら、ごはんが運ばれてくるし。入院中、涙もろくなりがち。食べたら、また昼寝してそんなことをしていたら、案の定とんでもない便秘(5日間)に!元々便秘しやすいのに、動かなかったら当たり前なんですが……。下腹がパンパンで、傷が開きそうだったので(まあ開きませんけど)、便秘薬の力を借りてなんとか生き返りました。反省して、その後は毎日、中庭を散歩。イヤホンで音楽を聴きながら、春のひだまりの中を歩く……。平和すぎやしませんか。おなかを切って腎臓を取ったなんて、忘れてしまいそうです。っていうのも、あの硬膜外麻酔のチューブがまだ背中に刺さっていて、痛み止めが入っているおかげなんですよね。これがないと、きっともっと痛いはず。あんなに怖がっていたけど、今はありがとうと言いたい……。ただ、ずっと直視できなかったのが、おなかから出ているドレーン(体内にたまった血液、リンパ液、膿などを体外に排出するための管)。痛くはないんですけど、結局怖いんです。おなかに管が刺さっているという事実が……。でも、傷周りはなんかかゆいし、どの辺についているかを見ておかないと、寝ぼけてうっかり触っちゃいそう。恐る恐る見てみると……※閲覧注意かも(多分、大丈夫)。わーーーーーーーーー!!思いっ切り刺さっとる!!(わかっていたけど)すっかり怖くなり「これ、どうやって抜くんですか」「抜くとき痛いんですか」って、回診の先生にしつこく聞いてちょっとウザがられたかも。次回は、母親からいろいろ心配されたことをお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:室井佑月さんインタビュー「乳がんが見つかったことはいろいろな意味でラッキーでした」#3★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年12月03日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、腎臓摘出手術後の様子について。すごく後悔したことがあったそうで……。★前回:「恥ずかしい…」手術は平気と大口たたいたけど心拍上がりまくり #43歳で腎がんになった話 13手術前の硬膜外麻酔にビビりまくり、手術室の皆さまになだめられ、なんとか処置が終了。全身麻酔が効いてきて、すぐに意識がなくなりました。それから長かったのか、短かったのか……。意識が戻った瞬間は、突然テレビのスイッチをつけたかのような、目は開かないままだけど、周りの慌ただしい騒音が、ぶわっと一気に流れ込んできたような感じ。瞬間的に、あっ! 手術だった!とわれに帰る……。でも、まぶたが重すぎて、ほとんど開かない!見えないけど、音はよく聞こえてきて、金属の触れ合う音や複数の話し声の感じから、終わって撤収作業っぽい雰囲気だとわかった。終わったんだなーと思ってると、耳元で「マメ子さん、手術終わりましたからね」と声が。返事をしようとしても、喉が痛くて、声が出ん…あ、呼吸器が入っていたからか……。「病室に戻りますからねー」廊下をゴロゴロと移動しているのは感じていたけど、とにかく眠い。病室についてやっと目が開くように。喉がカラカラだけど、明日の朝までは我慢しなくちゃいけない。横を見ると、手術前に置いていた水が。夜中にこれを見たらちょっとヤバいかも……と思って、なんで手術前、ギリギリまでもっと水を飲まなかったかなと後悔……。朝まで喉の渇きと体のかゆみに耐えながら、熱が出たときに見るような、変な夢をずっと見ていたような気もする。そして、やっと朝!水のおいしいことと言ったら…!500mlを一気に飲み干す勢いでした。手術翌日に、足カバーが取れ、心電図も取れ、尿管も取れ、あと残りは点滴、背中の管、おなかの管のみ。少し身軽になったところで「歩いてみましようね」と看護師さん。うん、行けそうな気がします!あれっ??????これからどうすんの??????まず、ベッドから背中がはがれない!ベッドの端に腰かけてと言われるけど、ベッドの端まで果てしなく遠い…!なんとか立ち上がって、点滴につかまりながら、よぼよぼ歩くのが精一杯。でも、開腹なんてきっとこれの比じゃないんですよね……。医学の進歩に感謝です!!令和最高〜!次回は、入院生活についてお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:室井佑月さんインタビュー「シングルマザーだった35歳のとき、膵臓に腫瘍が見つかった」#1★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年12月01日■前回までのあらすじ不妊治療の病院を卒業することに。医師からは、受精卵の冷凍保存をするかどうかを聞かれて…。夫とも相談し、受精卵を冷凍保存することに決めました。待望の妊娠ライフで待ち受けていたのは…!?※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の身内の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師や専門家に相談いただき、ご自身の判断によって適切なご対応をお願いいたします。次回に続く(全24話)毎日10時更新!
2021年11月30日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、手術中のこと。「手術は平気」と大口を叩いていたけれど、実際は……。★前回:「そんなことある?」入院当日、主治医の行動に驚いたこと #43歳で腎がんになった話 12手術前日に入院し、その日は病院食をたいらげて、ぐっすり眠り、朝が来ました。手術は午後なので、お昼まではシャワーを浴びたりのんびりします。よしよし、思ったほど緊張していないぞ。そろそろ支度を……というころ、若い看護師のお兄さんが訪問。手術室での担当看護師さんとしてついてくれるそう。余談ですが、主治医先生といいこの看護師さんといい、座ってる患者に目線を合わせて膝をついてくれる王子スタイル……、これ良くないですか?(控えめに言って最高)そしていよいよ、点滴が始まり……、病衣から手術着に着替えて歩いて手術室へ。手術着になると緊張感高まりますね。移動中、ベテラン看護師さんが「大丈夫ですよ〜、私も先日手術したんですけどね、寝て起きたら終わってますから。麻酔ってすごいな〜って(笑)」と、話しかけてくれる。そう……寝て起きたら終わり。なんですけど、今回、全身麻酔の前に硬膜外麻酔というのがあって、ちょっとそれが気がかりでした。背中から管を入れるやつです。もちろん麻酔の注射はするんですけど、麻酔ってかけても時々痛かったりするし(歯医者とか)……背骨の近くから管を入れるって、想像するとちょっと緊張……。入口でシャワーキャップみたいなものを頭に被せられ、手術室に入り……、皆さんにお出迎えいただきます。よくできました。手術台に乗り、いろいろ装着され、横向きになります。えびのように丸まって、背中をくりぬいた布みたいものをかけられ、硬膜外麻酔の準備。ちょっとドキドキするけど、よしよし、平静は装えてるぞ。と、思っていると……。なんだか、ピーピーうるさいな……。そのピーピーが、どんどんどんどん早くなってきて目覚まし時計のように鳴り響く!あっ……これって心電図のモニターの音!?心拍めっちゃ上がってるじゃん!!全員にバレてる!!と、ここで、例の担当の若い看護師さんが肩をポンポンしてくれる。は、恥ずかしい……。さっき病室では、「寝てるだけだし、全然平気」みたいに大口をたたいた分、より恥ずかしい!口々に「大丈夫ですからねー」「深呼吸してみましょうかー」となだめられ、看護師のお姉さんは、子どもにするようにやさしく足をさすってくれている……。40過ぎたおばさんが、申し訳ございません。肝心の痛みは、やっぱり全然大丈夫で、管を背中に入れていくときに、一度鈍い痛みを感じたぐらい。ビクッとしたら麻酔科先生が「痛かった!?」と少し驚いていたので、まったく痛みを感じないのが普通なのかも。管を入れ終わって、背中にチューブがテープで固定されていく。あー、終わった……。もうあとは大丈夫だ〜。とホッとしていると、「マメ子さーん、聞こえますかー」「はーい…」「マメ子さーん」「はーい……」「マメ子さーん」「はい……」3回繰り返したとこまでは記憶があるけど、そこで多分落ちたみたいです。次回は、手術後の様子をお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★関連記事:室井佑月さんインタビュー「シングルマザーだった35歳のとき、膵臓に腫瘍が見つかった」#1★関連記事:室井佑月さんインタビュー「41歳で糖尿病と診断されインスリン注射を打つ毎日です」#2★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月29日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、入院当日のお話。病室に現れた主治医の行動で、ちょっと驚いたことがあったようで……。★前回:手術前の剃毛問題! 自分でやるか、やってもらうか… #43歳で腎がんになった話 11入院の説明を受け、セルフヘアカットも済み、コロナ感染による手術延期におびえながらも、ついに入院当日を迎えました。入院受付を済ませて病室へ移動し、部屋の説明を受けてから検温・採血などします。付き添ってくれた旦那も、コロナ対策のため長居できない決まりのため、早々に退出。早速のお昼ごはんを平らげてのんびりしていると、主治医先生が病室に降臨されました。来賓祝辞かっていうくらい、素敵な口上!!心のいいねボタン連打です。手術について、不安や質問はないですかと聞かれたので、聞き忘れていたことを聞いてみる。腎臓全摘と聞いてますが、副腎も取るのですか?「副腎は残す予定です。それから、取った腎臓の細胞を詳しく検査します」ということは、私のがんがどういう種類の腎がんかも、検査が終わらないとわからないということですか?「おっしゃる通りです。検査の結果は1〜2週間みてください」そうか〜。無事に腫瘍を取っても、これで終わりでないことはわかっていたけど。最初の病院の先生が「見た目が珍しい」って言っていたことが引っかかっていて、少し不安。そして、主治医先生、そんなことある?と思ったけれど。たしかに、これから左の腎臓だけを頼りに生きてかなきゃいけないのに、うっかりいいほうを取られたらたまんないもんね。しっかり書いてもらいます。病室に流れる奇妙な時間……。ちょっと……ほわほわしてしまいました(伊之助風)。手術前の緊張による吊り橋効果なので、お許しください。そして、次回はいよいよ手術室へ。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:「えっ!?」角膜再生のためサングラス生活を続けた結果、医師から驚きの声が #アラフィフ雑記帳 4★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月26日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、手術をおこなう上で気になっていたこと、剃毛について。自分でしていいのかどうかを看護師に★前回:「そんなに?」がんの手術前の検査まつり、一番つらかったのは… #43歳で腎がんになった話 10手術前検査もすべて終わり、あとは手術を待つのみとなりました。とその前に、思い出した話を描きたいと思います。ちょっと今回の内容、ご気分を害されたらごめんなさい……。手術前検査と同時に、入院説明を受けました。事前に渡されたたくさんの同意書や、家族や自分の病歴を書いた紙を提出し、看護師さんから入院と手術に関してひと通りの説明を受けます。とそこで、ちょっと気になっていたことを聞いてみる。「剃毛って、自分でしてもいいんですか?」すると、ガッキーを女芸人にしたような雰囲気の看護師さんがと、力強くおっしゃった。そ、そっか……。実は、剃毛に関しては手術経験のある先輩方に事前に聞いたところ、1.自分で事前に剃ったからやってもらわなかった(子宮筋腫腹腔鏡手術先輩)2.緊急手術だったのでやってもらうしかなかったが、すべての毛という毛を処理され、その間はただ心を無にして耐えた(腸閉塞開腹手術先輩)ということだったので、できれば自分でトライしたいと思っていたのです。でもそうか……。たしかに、手術前にデリケートゾーンに傷でも作ったら、迷惑かけるし……。と、諦めかけていたところ。もう、こうなっては仕方ない。衛生面においても、やったほうがいいはず!そして、フロントの一部のヘアだけをなぜか残し(躊躇した)、細心の注意を払いつつできる範囲でカット!結果……超・快・適!もっと早くやればよかった…!エステでする勇気はないけど、将来的にセルフで痛くなく脱毛できるようになったら、ぜひやりたい!(脇などはワックスでやりますが、デリケートゾーンは怖いので)新しい扉が開いた気分です。そして、入院当日に剃毛に来てくれた看護師さんに、「自分でやってみたんですけど……」と申し出ると、「そうなの〜!? じゃあ、もう少しやる必要があるかどうか、今見せていただいていいです?」と言われ、見てもらう。なんか……やりすぎたようです。次回は、入院初日のことをお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:「見たくない…」熟女の顔が実物よりひどい気がするのは気のせい? #熟女系 22★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月24日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、がんの手術前におこなったいろいろな検査について。そのなかでも一番つらかった検査というのが……。★前回:「さすがにつらかった…」両親にがんを伝えた日のこと #43歳で腎がんになった話 9骨などへの転移がないとわかったところで、無事手術日も決まり、あとは手術前のもろもろの検査をして手術を待ちます。まずはそしてこれって年配の人はできるの??ってくらい体力を使った。知らずにしていたけど、肺の検査も転移をみる検査だったのかな。多分そうですよね。そして看護師さんがしきりに「あれっ? あれっ?」と言っていたのでwそしてHIVや梅毒とか、いろいろな病気がないか調べるため、たくさん取られたと思います。そして、つらかった第1位が……痛い!長い!そして深い!振り返ってみると正直、今回した手術全体よりはるかに痛かったです(←個人の感想)。手術は、終わったあとも痛み止めを使ってくれるし……。インフル検査をしたときは鼻水が潤滑油となって?ここまで痛くなかったけど、今回は無症状で鼻の奥がカッサカサだから、余計に痛く感じたのかも。手術前検査をすべて終えて、手術まで心配ごとは何もない!(コロナだけは気を付けます)ホッとしたところで、例によって、病院のあとはおなかがすくのです。もう思い残すことがないくらいには、ひと通りのものを食べた気がする。次回は、入院〜手術編をお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★最初から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:「これががんの痛みか…」いつも夜になると強い痛みがやってくる #43歳で腎がんになった話 8★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月22日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、両親にがんであることを伝えたときのこと。娘からの告知に両親は……。★前回:「これががんの痛みか…」いつも夜になると強い痛みがやってくる #43歳で腎がんになった話 8がんだとわかったとき、3人の子どもたちにはすぐ伝えました。12〜18歳という、もう大人の話もできる年齢だったこともあるけど、子どもたちに状況を知ってもらい、もっと家のことをしてもらいたいという下心もあり。子どもが小さいうちから、私がじょうずに家事を教えていればよかったけど、自分がやるのも面倒なのに子どもと一緒に気長に教えながらやるなんて、耐えられず……。結果的に、家事のほとんどできない、3人のポンコツを育ててしまった!でもさすがに、母親ががんになったと聞いたら、普通は率先して家事やってくれるかな?と思うでしょ。案外、変わりませんでした。普段どおりにしてくれて気楽ですけどね!旦那の名誉のために言いますと、旦那はやってくれますが、もうできる年なんだから子どもたちにもやらせたい。こんな感じの家族なら、がんの告知も病人アピールも気楽にできるんですが、これの何倍も気が重いミッションが私には残っていたのです!そう、自分の両親への報告!「血尿が出て病院に行ったら、何かおでき的なものができていた」(腫瘍とは言えていない)と、ふわっと伝えてはあったのですが、さすがにがんとわかった以上、言わない訳には……。実家は高速で1時間離れたところにあり、両親にはコロナを気にして孫の顔もしばらくリモートでしか見せてないです。久々に見れた孫の顔、楽しい時間。〜からの、がん告知(申し訳ない)。少し予想はしていたのかもしれないけど、両親、絶句……!特に母親は超心配性で、私の息子が幼児期、乳・小麦・卵のアレルギーとわかっただけで夜も眠れなくなるぐらい。この子は何を食べて生きていけばいいのかと悩んだそうだ。そんな母親だから、動揺するかと思っていたけど、意外と落ち着いて受け止めてくれた。何がいけなかったんだろう、とか、これからどうするの、とか、仮に思っていても言わなかったのは、当事者の私が一番つらいと思ってくれたからこそだと思う。やっぱり、いざというとき、母は強いのかも。さらに、いろいろ聞いたあとに、なんて言う。次回は、がんの手術前検査の様子をお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★1話から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:「すごい説得力!」体に良いと思いつつ習慣化しなかったことができたワケ #ときめけ!BBA塾 100★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月20日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、腎臓に腫瘍が見つかってから手術するまでの症状について。脇腹の強い痛みに耐える日々が続いていたそうです。★前回:「骨シンチって?」転移の可能性を調べる検査にドキドキが止まらない #43歳で腎がんになった話 7腫瘍が見つかってから手術までの症状について、書いておこうと思います。血尿とともに強い脇腹の痛みが出た最初の日から、2週間くらいで血尿は治まり、痛む頻度も減ってきました。日中は痛みで動けなくなるようなことはなく、歩き過ぎると腰のあたりが張るような鈍い痛みがあるくらい。ただ、いつも夜になると強い痛みが来ます。だいたい時間も決まっていて、22時から0時くらい……。陣痛の中期くらいの痛さが、1〜1.5時間続きます。ここで役に立ったのがお産の呼吸法!痛くなる前に、娘に腰にカイロを貼ってもらいます。ちょっと痛みが紛れる気が。あんまりもだえると子どもたちもビビるので、はじめは痛みが強くなってから飲んでいた鎮痛剤を、早めに飲むことにしました。どうせ手術するまでだし……と思って、最終的には、時間が来たら痛くなくても飲むように。1日3回まで飲める薬だし、飲んでおけば熟睡できるし、まあいいか。そんな感じで、手術まで普通に仕事をすることができ(職場の配慮もあり)、家事は家族にも協力してもらい、早めの就寝。疲れを感じやすくなったのは自覚していたので、がんとわかってからは、睡眠をしっかり取るようにはしていました。次回は、がんを両親に知らせたときのことをお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★関連記事:「ああ、やっぱりがんなのか…」造影CT検査のあとついに医師から告知 #43歳で腎がんになった話 6★関連記事:「子宮がんのリスクが高い?」子宮筋腫が見つかり、子宮全摘を決心【体験談】★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月17日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、腎がんと宣告されて、手術に向けての検査をおこなったときのこと。転移の可能性を調べる検査だと知って、頭の中はその検査のことでいっぱいに……。★前回:「ああ、やっぱりがんなのか…」造影CT検査のあとついに医師から宣告 #43歳で腎がんになった話 6やっと、腎臓の腫瘍が悪性との診断がつき、手術に向けての検査が始まりました。骨シンチという検査の詳細を聞きます。そういえば、なんで腎臓のがんで骨の検査をするんだっけ?たしか、手術ができるかどうかは結果次第とか聞いたような……。そういうこと!?私はまだがんについて知識が浅く、転移というのは長い闘病の中で徐々に起きていくみたいなイメージがあった……。初期であっても、転移の可能性があるということも初めて知ったのでした。測ってもらったら腫瘍が5cm以下だったから初期だろうと勝手に思っていたけど、そういうことでもないらしいから、初期かどうかも実際わからない。がんだろうという覚悟はしていたけど、その先は考えてなかった私。骨シンチ……。シンチってそもそもなんだ!?響きがちょっと怖い……!検査まで落ち着かない数日を過ごす。そして、いよいよ骨シンチ検査の当日。ほんと、それです。骨シンチの検査は、まず注射をしてから2〜3時間待って、薬が骨全体に行き渡るのを待つ必要がある。お昼ごはんを食べて来ていいですよと言われ、回転寿司へ。緊張してる割に寿司……。戻って来て、時間をかけて画像を撮ってもらう。ドキドキしながら診察室へ入ると……、例の、好感度抜群の主治医先生。先生、笑顔ー!!後光が見える……!!先生ー!!ついて行きます!!体調が悪化してから1カ月ずっと、悪いことしか判明しなかったけど、初めての良い知らせに、2人して待合室で泣いてしまった。次回は、腎臓に腫瘍が見つかってから手術するまでの症状についてお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★関連記事:「えっ! 誰!?」仕事明けの深夜2時、晴れやかな気持ちで鏡を見たら…#アラフォー絵日記 2★関連記事:「順調ですか?」子宮頸がん検診で生理について聞かれた48歳は… #アラフィフの日常 42★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月15日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、造影CT検査を受けることになったときのこと。その検査で、ついに腎臓の腫瘍が悪性か良性かがわかり……。★前回:「MRIを撮った意味…」腫瘍らしきものが良性なのか悪性なのか #43歳で腎がんになった話 5造影CT検査ができなかったことで、悪性がどうかの判断ができないまま、紹介先の病院に行くことに。次の病院は、隣県の大きな病院。新しいきれいな建物で、ちょっとテンションが上がります。採血を済ませて泌尿器科へ向かうと、待合は人でいっぱい。予約したけど結構待って、呼ばれて診察室に入ると、見た感じ30代の物腰柔らかな男の先生。パソコンに向かっていた体をこちらに向け、深々と頭を下げてくれました。なんて丁寧な先生!秒で心を奪われる私たち。前の病院で持たされた画像を見て、「やはり、採尿させてください。造影剤を使えそうならCTを撮りたいです」と先生。さっき、今日は検尿しないのかな〜と思っていたんだよね。検尿して、再び待ってから診察。「腎臓の状態が良くなってますね。これなら造影剤が使えます。今日、お時間ありそうなら撮りましょう!」お時間はありますとも、片道1時間かけて来てますから、1日でやれるだけのことをやりたい。そして放射線科へ移動して、造影剤を注射……。「一気にたくさんの薬が入るので、ちょっと太い針入りますね」は、はい……。ビビって目をつぶってしまったけど、予防接種より痛くない。ちょっと恥ずかしい。間もなく、言われいてたとおり、体が部分的に温まってくる。特に、喉元と、股間……!HOT!! HOT!!不思議な体験を終えて、部屋を出ると……、歩き出してすぐに、なんだか体がかゆくなってきた!これって、まさに造影剤の副作用!?あとは会計すれば終わりのところを、股間をかきたい衝動をなんとか抑えながら、急遽もう一度診察してもらうことに。が、待ってるうちに発疹は消えて来てしまって、一応アレルギーを抑える薬と、脇腹が痛いときの痛み止めを追加でもらった。「1週間くらいしても副作用が出ることがあるので、首が赤くなったり息苦しくなったら、すぐに病院に行ってくださいね」と、先生。さらに「待っていただいてる間に、さっきのCTができ上がってきたので、見ましょう」えっ! 今日、見られるの……!?血液の流れから、腫瘍が悪性かどうかがわかるそうで、詳しく説明していただいたけど、あんまり頭に入ってこない。そして、覚悟していたし、ショックは意外となく、「ああ、やっぱりがんなのか……」という感じ。でも、結果が今日わかったおかげで、次の検査の予定も早く入れられる。次は、骨シンチという検査をすることになった。がんとわかって覚悟が決まったというか、もやもやが晴れてすっきりしたというか、とにかく病院のあとというのはおなかが減る。8時に病院に入って、検査and診察を3セットしたのでもう14時半だった。「好きなもの、食べていいです」って先生も言ってたし(一応スープは残します)。次回は、腎臓の腫瘍が悪性との診断がついたことで、手術に向けての検査の様子をお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★1話から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:「体が弱っているから?」血尿で泌尿器科へ、人の温かさが身に染みる… #43歳で腎がんになった話 2★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月14日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、夫に付き添われMRIを撮りに診察に行ったときのこと。気になる診断結果は……。★前回:「やっぱり、がんかなぁ?」調べれば調べるほど「がん」が怖くなり… #43歳で腎がんになった話 4がんかも知れない……と、もやもやとした1週間を過ごし、いよいよ1週間後の診察へ。夫婦にほんのり漂う緊張感……。まず、採血&検尿(このとき、まだまともな色の尿は出ず)のあと、MRIを撮りました。MRIは初めてだったので、寝ているだけかな?と思ってたら、何度も息を止めなくてはならない場面が。これは、健康なときなら余裕だけど、本調子でないときはまあまあツラい!そして、MRIの画像を見る……。CTよりたしかに鮮明に、こないだ見た腫瘍が写っていました。小さくなったりしてないかなと思ったけど、なっていなかった。結局、わからないそうです!MRIを撮った意味……。やっぱり造影剤を使ってCTを撮るのが1番なんだけど、今回も腎臓の数値が悪くて撮れないのだとか。今日は病名がわかると覚悟を決めて行ったので、ホッとしたような、がっかりしたような……。しかしここで、せっかく休みを取った旦那がただで帰るまいと思ったか踏み込んだ!でも、先生は確実でないことは言えないのは当然で……。悪い可能性のほうが高いことは、私たちも感じてはいたし、先生の雰囲気からもそんな気がしたけど。とにかく、この日は今後手術のために転院する病院を決め、紹介状をもらい、新しい病院には1週間後に行くことになった。複雑な気持ちで、帰路に着く……。旦那もそんな感じだし、診断がおあずけになって、私もちょっと安心したかも知れない。そう思ったら猛烈におなかが空いてきて(久しぶりの食欲)、午後から仕事に行こうかなと(少しだけ)思ってたけどやめて、うどん屋さんに行ってしまった。会社をずる休みして食べる、平日ランチは背徳の味……。ちょっと得した気分。全然得してないし、結局がんなんだからプラマイのマイなんですけどね!次回は、造影剤を使ったCTを撮るために紹介先の病院へ行ったときの様子をお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★関連記事:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:「想定外すぎる!」お気に入りのネットショップでかわいい服をポチったら… #熟女系 19★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月10日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、次の診察までの間、ついつい「がん」について調べてしまったときのこと。知れば知るほど怖くなってきて……。★前回:「腫瘍のようなものがあります」展開が急すぎ! 嫌な予感しかしない… #43歳で腎がんになった話 3泌尿器科を受診し、「腫瘍がある」と言われてお昼に帰宅。病院内を歩いただけだけど、痛みがぶり返して来た感じ……。極力何もしたくないので夕飯用に冷凍食品を買って帰って横になり、派遣の担当さんに診察の結果と欠勤のメールをしました。その日は、夜には少し良くなって、「明日は行けると思います」と派遣の担当さんにメール。ところが朝になっても、やっぱりまだまだ痛みが。そろりそろりとしか歩けないし、食べていないせいもあって足元もふらつくので、8時間立ち仕事でするにはほど遠い……。もう1日休んじゃお。腫瘍があるんだし、いいよね!ところがちょっとだけ疑われてます?だって、鎮痛剤は効かないし……。まさかの3連休でごめんなさい。土日を入れたら5連休!さすがにこの日はヨーグルトくらいのものから食べれるようになって、食べたらちょっと元気が出てきました。ただ、4日も食べてない割に体重がそんな減ってない……。一時は、もしかして私このまま退社?と思うほどに起きられなかったけど、次の日にはすっかり元気になり、出勤。職場で心配されつつ、週の残り2日をどうにか乗り切り、次の診察日を待つ間に、どうしてもいろいろ考えてしまう。やっぱりがんかなぁ……。がんなんだろうなぁ…違ったらラッキーだけど……。でも、がんなんて珍しくないし、手術して元気になっている人もたくさんいる。でも43歳ってちょっと早いな……。若いと進行が早いって言うし、というか、症状が出ている時点で結構進行しているんじゃ?初期って多分、健康診断で初めてわかるやつだよね?まあ、腎臓がんは市のがん検診でも診ないから、どっちみちわからなかったか……。何をしていても、意識の隅っこには「がん」という言葉が……。あまり考えないようにしてるけど、スマホを手に取ればなんでもわかってしまうこのご時世。ついつい、見ちゃうよね!知れば知るほど、怖い。かといって、知らないままでも怖いので、調べるのはほどほどにしておこう……。そして、1週間後、がん宣告を受ける覚悟を胸に診察に臨む。次回は、いよいよ診察へ。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★1話から読む:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:「体が弱っているから?」血尿で泌尿器科へ、人の温かさが身に染みる… #43歳で腎がんになった話 2★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月08日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、エコーで腎臓を見てもらったときのこと。医師から「腫瘍のようなものがあります」と言われ……。★前回:「体が弱っているから?」血尿で泌尿器科へ、人の温かさが身に染みる… #43歳で腎がんになった話 2診察室に入り、問診後、「じゃあ、エコーで見ますね」と先生。腎臓、腫れてる!?やっぱり生理のせいじゃなく血尿だったんだ……。原因がわかってなぜか少しホッとする。いったん診察室を出て、放射線科へ移動。またそこで少し待ち、CTを撮ったあと、2回目の診察へ。そこでCT画像を見せてもらうといやいやいや!腎臓って、左右対称ですよね??右の腎臓、左の2倍に膨らんでるじゃん!さすがに素人が見ても、これはわかるわ。さらに…これも、素人でもひと目でわかるレベルで完全になんかある……!右の腎臓の真ん中あたりに、ピンポン球みたいな何かが。「腫瘍のようなものがあります」と先生。腫瘍のような……って、腫瘍のようなものってたいがい腫瘍ですよね?「これが悪いものかどうなのかを調べるには、造影剤という薬を使うんですが、今は腎臓の状態が良くないので、今日はできないんです」「来週とりあえずMRIを撮りましょう。それでわかるかも知れないし、来週には腎臓の数値が良くなってれば造影剤が使えます」そして、「痛みもあるし、悪い症状があるので手術になる可能性がありますが、ここでは手術ができないので、早ければ来週、紹介状を書きます。ご家族と相談して希望の病院の候補を挙げておいていただけるといいです」は、はあ……。展開が急すぎてちょっと……。診察が終わり、看護師さんが薬の説明をしてくれる。偏頭痛の薬として飲んでいるスマトリプタンはいったんやめて、腎臓に負担のかからない痛み止めを出してくれるそう。というか……痛み止めだけ?あんなに腫れて出血してる腎臓、なんとかする薬ってなんも出ないのかね。つまり薬ではなんともならないってことなのかも。なんだか嫌な予感……。さらに、看護師さん。ご家族……。やっぱりこれは、ご家族も連れて来い案件?ちょっとだけ泣きそうでした。次回は泌尿器科から帰宅したあとの、家での様子をお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★関連記事:「健診を受けたのに!?」死亡率の高い卵巣がん。自覚症状や原因は?【医師監修】★関連記事:肺腺がんを告白。青木さやかさんインタビュー#1「私自身は元気ですし、がんと言われることが不思議でした」★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月05日3児の母でブロガーのマメ子さんによる、43歳で腎がんになった体験を描いたマンガを紹介します。今回は、血尿が出たことで泌尿器科に行ったときのお話。体が弱っているからか、人の温かさが身に染みて……。★前回:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1(前回の続き)血尿と脇腹の痛みが出た日は1日家でやり過ごし、翌日にはどうにか起きて近くの総合病院まで運転して行けました。結局、仕事は休みました。受付で知り合いの若いママさんとばったり。そういえばここで働いてるんだっけ。ちょっとだけ気まずいけど、まあいっか〜。泌尿器科の受付へ行くと、採血に行って……検尿が終わって(相変わらず濃い赤色というヤバい色の尿を提出)診察の順番キター。それにしても、なんだかみんながやさしく感じる……。病院って、こんな誰もが親切だっけ?それとも私が重病人ぽいから?(多分、考え過ぎ)体が弱っているせいもあってか、人の温かさが身に染みる……。次回は、診察室での様子をお伝えします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)★関連記事:「薄毛・抜け毛の救世主?」日本の伝統ヘアケアアイテムを手に入れたいけれど… #アラフィフの日常 41★関連記事:「健診を受けたのに!?」死亡率の高い卵巣がん。自覚症状や原因は?【医師監修】★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/マメ子(43歳)2021年3月血尿と疼痛から腎がんとの診断を受け、4月21日に右腎摘出、経過観察中。3児の母。ブログ「そらマメ絵日記(腎がん経過観察中)」を日々更新中。Instagram:@sora_mameko.628
2021年11月03日毎日のおむつ替え。ついつい流れ作業になりがちですが、女の子の場合はある配慮が必要でした。わが家では生後8カ月の娘が1週間入院する事態となってしまったのです。そのときの体験を紹介します。 始まりは微熱からおむつ替えといえば、ウェットティッシュ片手に娘の足を軽く持ち上げて、後ろから前に拭いていた私。上の子が男の子だったこともあり、深く考えず拭いていました。 しかしある日、微熱が3日ほど続くので近くの小児科へ連れて行きました。機嫌も悪くないので風邪だろうと軽く考えていたのですが、血液検査後、CRP(炎症反応)の値も高く、至急総合病院へ行ってくださいと言われてしまったのです。 病名は「腎盂腎炎」動揺を隠せないまま紹介状をもって総合病院へタクシーで直行すると、いろいろな検査をされました。その結果、「腎盂腎炎」という病名が……。娘の機嫌は悪くなかったので最初は信じられませんでしたが、先生曰く急変していた可能性もあると言われ、早めに診断してもらってよかったと感じました。 しかし薬をもらって帰れるのかと思いきや、抗生剤を点滴投与するため入院が必要とのことで1週間離れ離れになることに……。もちろん毎日会いに行きましたが、私が帰るときに大泣きするわが子に後ろ髪を引かれる日々でした。そして1週間後に数値が安定し、ようやく退院できたのです。娘は退院後も離れ離れになることを警戒していたのか、しばらくは私にべったりでした。 原因は“おまた”の拭き方!?原因は、おまたを後ろから前に拭いていたこと……。もちろんこれだけが原因とは言えませんが、女の子は特にばい菌が入りやすく、拭き方には注意が必要だと先生に言われました。必ず前から後ろに拭くこと! 便のときは特に前から後ろ! それがどれだけ大事なことか思い知らされました。 そして、おむつをこまめに替えてあげることも大事なんだそう。1人目の長男のときは初めてということもあり、こまめすぎるほどにおむつを替えて丁寧に拭いていたのに、2人目になるとつい慣れてしまって「まぁいいか」と清潔に保つことの大切さを忘れていました。 こまめなおむつ替えと、女の子の場合は前から後ろに拭くといった基本の大切さを痛感しました。腎盂腎炎になってしまったことの大変さもありましたが、親は病院に泊まれず、生後8カ月の娘をひとり病院に置いていかなければならなかったことが切なかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:篠島ゆき野2児の母。米軍基地勤務を経て、理想的な子育て環境を求めて北陸へ移住。現在は、育児関連のライターとして活動中。
2021年03月02日2020年8月14日、お笑いコンビ『おぎやはぎ』の小木博明さんが、『腎細胞がん』の治療により一時休業をすることが明らかになりました。『腎細胞がん』とは、腎臓にできるがんのうち、腎実質の細胞ががん化して悪性腫瘍になったものです。所属事務所『人力舎』の発表によると、小木さんは頭痛の治療で入院中に検査をしたところ偶然に、初期(ステージ1)のがんが見つかったとのこと。そのため同月17日から入院し、治療に専念をするといいます。所属事務所のウェブサイトには、小木さんのコメントが掲載されました。小木博明コメント全文まったくの私事でございますが、とてもびっくりしたことがありましたので発表させていただきます。なんと私小木博明、腎細胞がんが見つかり、手術のためしばらくお休みをいただきます。幸い取り除けばよいという所謂ステージ 1 であるのですが、「まさか自分が」という有名な言葉を皆さまにお送りしたいと思います。元来自分は病院好きで、さまざまな検査をしていましたが、今回ゆっくり身体を診ていただいたおかげで見つけることができました。「まさか自分が」となる前に、皆さまもゆっくり時間を取って検査をされることを強くお勧めします。大事なことを言い忘れましたが、関係者の皆さまには、この度の休養に関してご理解頂き感謝しております。以上、びっくりしたことの発表でした。プロダクション 人力舎ーより引用国立がん研究センターによると、腎細胞がんには特徴的な症状がないため、小さいうちに発見される腎細胞がんは、ほかの病気のための検診や精密検査などで、偶然に発見されるものがほとんどだといいます。今回、小木さんが精密検査を受けていなければ、初期の段階でがんを見つけることは難しかったかもしれません。定期的な検査の重要性を改めて感じさせられます。ネット上では小木さんへのお見舞いの声などが多数寄せられました。・早期発見できたのが不幸中の幸いかな。どうぞお大事に。・ゆっくり養生し、健康になって戻ってきてください!・小木さんらしいコメント…。早くよくなることを祈ってます。治療に専念し、また元気な姿で活躍する姿を見せてほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月14日お笑いコンビ・おぎやはぎの小木博明が、腎細胞がんの治療のため一時休養することが14日、明らかになった。所属するプロダクション人力舎が公式サイトで発表した。サイトでは、「先日、頭痛の治療で入院した際に検査を受けたところ、初期の腎細胞がん(ステージ1)が見つかりました。8月17日から入院し、治療に専念致します」と説明。「仕事復帰時期に関しては9月頭を予定しておりますが、治療の経過を見ての判断になります」と伝え、「皆さまには、ご心配、ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解賜りますよう、お願い申し上げます」と記した。小木もコメントを寄せ、「まったくの私事でございますが、とてもびっくりしたことがありましたので発表させていただきます。なんと私小木博明、腎細胞がんが見つかり、手術のためしばらくお休みをいただきます」と報告。「幸い取り除けばよいという所謂ステージ1であるのですが、『まさか自分が』という有名な言葉を皆さまにお送りしたいと思います」とつづった。そして、「元来自分は病院好きで、さまざまな検査をしていましたが、今回ゆっくり身体を診ていただいたおかげで見つけることができました。『まさか自分が』となる前に、皆さまもゆっくり時間を取って検査をされることを強くお勧めします」と呼びかけ、「大事なことを言い忘れましたが、関係者の皆さまには、この度の休養に関してご理解頂き感謝しております。以上、びっくりしたことの発表でした」と結んだ。
2020年08月14日美容鍼灸師という仕事をしている私は、昔ながらの美容法や、ホリスティックなものを推している人と思われがちですが、必ずしも東洋医学に偏っているわけではなく、美容クリニック系の西洋医学的な美容施術も大好きです。個人的には、「美容効果があればなんでもいい」と思っている雑食とでもいいましょうか。西も東もナチュラルもケミカルもお構いなしなので、東洋医学に傾倒している鍼灸師の先生たちからしてみたら、「お前と一緒だと思われたくない」と、眉をひそめたくなるようなゆるい考え方なのかもしれません(笑)。■「培養皮ふ治療」(肌培養)は自分の若い頃の細胞を使ったアンチエイジングそういう考え方のため、自分で美容鍼を打つ以外でも、アンチエイジングとして、数年前から「培養皮ふ治療」を受けています。どんなものか簡単に説明すると、培養皮ふ治療とは、自分の皮膚を採取して、そこからコラーゲンやエラスチンを生成してくれる「線維芽細胞」を培養し、老化によって細胞が減ってきたところ(シワやたるみがあるようなところ)に培養した細胞を移植して、肌を若返らせるというもの。整形ではなく、肌の再生医療。自分の細胞を注入するため副作用もなく、治療後の持続期間が2~3年と長いことが魅力です。私は34歳のときの細胞を培養して保管しているので、これがなくならない限り、いくつになっても34歳時点の細胞を移植できます。60歳になっても34歳のときの細胞を移植できると考えると、相当すごいことですよね。これぞまさに、長期戦を見据えたアンチエイジング。デメリットとしては・細胞の培養に1カ月くらいかかるため、「今すぐ注入したい!」と思ってもそれは叶わないこと・移植した細胞が定着してから効果が出始めるため、効果を感じられるのが早くても1カ月後くらいからということ・細胞を、採取・培養・保管・移植する、という一連の治療の流れ上、かなりコストがかかることあたりでしょうか。また、残念ながら、細胞を移植したからといって、劇的に若返るということもありません。その点については治療開始時、ドクターから、「目に見える効果がほしいなら整形の方がいい」と釘を刺されたほどです。あくまで、長期的に見たときに老化がゆるやかになるというものなので、おそらく10年後、20年後と時間を経てからの方が、周りの同世代に差をつけられるという意味で、その効果を感じられるのではないかと思います。ご参考までに、治療については以下のサイトに詳しく掲載されています。■培養皮ふ治療(肌培養)と美容鍼で目の下のたるみを改善ちなみに私は、かなり効果が出ている方らしく、定期検診のときに、ドクターに「何か(ケアを)してるの?」と聞かれます。聞かれる度に、寝不足だったり疲れがたまっていたりと、あまりコンディションがいいといえる状況ではなかったため、心当たりはなかったのですが、よく考えてみると、美容鍼も線維芽細胞を活性化させてコラーゲンやエラスチンを生成させるもの。ひょっとすると、私の肌の中で、34歳の細胞がより活性化されて働いてくれているから、いい効果が出ているのかもしれません。たしかに、治療前の写真と最近の写真を見比べると、目の下がだいぶ違います。私が長年涙袋だと思っていたふくらみは、ドクターいわくたるみだったそうで、治療を重ねるとともになくなっていきました。ホルモンタンクの消失……。いいのか悪いのか、若干複雑な心境です。■きれいになりたいなら、先入観にとらわれないで培養皮ふ治療によって、私は1~2年でわかりやすい効果を体感したこともあり、「おすすめです」と言えるのですが、大半の方はもっと時間が経ってからその真価を発揮するものだと思います。手ごたえを感じるまでに時間がかかることを、どう捉えるかは皆さん次第。すぐに効果が現れるものがいいという方もいれば、長期的視点で見たときに老化がゆるやかになるという点に惹かれる方もいるでしょう。ただ、どんな美容法にも当てはまりますが、「整形っぽい」「なんか怖い」など、先入観だけで選択肢から外してしまうのはもったいない、と思います。自分の細胞を使って若返るということが、培養皮ふ治療と美容鍼の思わぬ共通点でした。中身を知ってみれば、西洋医学でも東洋医学でもやることは同じだったので、人工的だから、自然派だから、というような、ごく一部だけを見てジャッジを下すのではなく、まずは一度内容を見る・知ろうとすることも大事なのではないでしょうか。美容業界の技術も日々進歩しているので、昔聞いた常識が、今も通用するとも限りませんし。自分に合うか合わないかも、きちんと調べてみなければわからないものなので、そういう意味でのクリアな視点は養っておきたいものです。そんな風に、いいとわかったものはなんでも取り入れたがりな私は、最近目の下にゴルゴ線が発生しつつあるので、今日も美容鍼で細胞を活性化させつつ、そろそろまた34歳の細胞の移植をしたいなぁと思っているところです。2017年8月9日公開2020年4月27日更新
2020年04月27日私は妊娠36週の健診のときに血圧が高いことを指摘され、そのまま様子を見るために入院しました。入院直後は、まさか帝王切開での出産が2日後に控えているとは夢にも思っていませんでした。今回は突然の入院・出産となった私の体験をお伝えします。 順調な妊娠生活が一転! 妊娠36週までは順調な妊娠生活でした。胎児はずっと小さめであることはわかっていましたが、血圧や尿たんぱくに異常はなし。動悸は妊娠初期から感じていましたが、正常範囲だと思っていました。体の異変に気が付いたのは、妊娠36週の健診より3日ほど前のことでした。お風呂上がりに立てないほどの頭痛とめまい、気持ち悪さがありました。夜間に病院へ連絡しましたが、返答は「自宅で様子を見ましょう」とのこと。これが、妊娠中に初めて感じた体の異変でした。 妊娠36週で入院が決定!妊娠36週の健診で医師から血圧の高さを指摘され、尿検査では尿たんぱくが(++)と出ていました。「様子を見るために1週間ほど入院しましょう」と言われ、その場で入院が決定。 すぐに個室が用意され、車いすでの移動。入院してから降圧剤を服用し、腎臓機能を調べるために24時間の蓄尿をしました。上の血圧は最高170まで上昇し、尿検査の結果も悪く、「妊娠高血圧腎症」と診断されました。 仕事終わりの夫と共に手術の説明を聞き、同意書を書き、入院から2日後に帝王切開での出産が決定したのでした。 入院して2日後に帝王切開!血圧を上げないために病室のカーテンを閉め切り、テレビやスマホも極力禁止! うす暗いなか、不安感も増し、泣きながら夫やおなかの赤ちゃんへ感謝の手紙を書きました。帝王切開は手術となるのでたくさんの検査があり、前日からの絶飲食もつらかったです。そして入院から2日後の午後2時、帝王切開にて1,948gの赤ちゃんを出産! 経過は母子共に良好で、赤ちゃんはすくすく大きくなり、私も産後に降圧剤を飲まなくても血圧が正常に戻りました。産んでしまったら、もう何も怖いことはないと強気になったのを覚えています。 自然分娩で出産することしか頭になかったので、帝王切開が決まったときには不安で押しつぶされそうでした。手術の同意書にサインするのも怖かったくらいです。妊娠中に起こる病気のこと、帝王切開のことなど、もっと事前に知っておけばよかったと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト:(c)chicchimama著者:高橋こずえ3歳と1歳の姉弟を育児中。節約・整理収納・手芸が趣味で、家での手仕事を楽しんでいる。子育てライター歴3年目。
2020年04月04日毎日のおむつ替え。ついつい流れ作業になりがちですが、女の子の場合はある配慮が必要でした。わが家では生後8カ月の娘が1週間入院する事態となってしまったのです。そのときの体験を紹介します。 始まりは微熱からおむつ替えといえば、ウェットティッシュ片手に娘の足を軽く持ち上げて、後ろから前に拭いていた私。上の子が男の子だったこともあり、深く考えず拭いていました。 しかしある日、微熱が3日ほど続くので近くの小児科へ連れて行きました。機嫌も悪くないので風邪だろうと軽く考えていたのですが、血液検査後、CRP(炎症反応)の値も高く、至急総合病院へ行ってくださいと言われてしまったのです。 病名は「腎盂腎炎」動揺を隠せないまま紹介状をもって総合病院へタクシーで直行すると、いろいろな検査をされました。その結果、「腎盂腎炎」という病名が……。娘の機嫌は悪くなかったので最初は信じられませんでしたが、先生曰く急変していた可能性もあると言われ、早めに診断してもらってよかったと感じました。 しかし薬をもらって帰れるのかと思いきや、抗生剤を点滴投与するため入院が必要とのことで1週間離れ離れになることに……。もちろん毎日会いに行きましたが、私が帰るときに大泣きするわが子に後ろ髪を引かれる日々でした。そして1週間後に数値が安定し、ようやく退院できたのです。娘は退院後も離れ離れになることを警戒していたのか、しばらくは私にべったりでした。 原因は“おまた”の拭き方!?原因は、おまたを後ろから前に拭いていたこと……。もちろんこれだけが原因とは言えませんが、女の子は特にばい菌が入りやすく、拭き方には注意が必要だと先生に言われました。必ず前から後ろに拭くこと! 便のときは特に前から後ろ! それがどれだけ大事なことか思い知らされました。 そして、おむつをこまめに替えてあげることも大事なんだそう。1人目の長男のときは初めてということもあり、こまめすぎるほどにおむつを替えて丁寧に拭いていたのに、2人目になるとつい慣れてしまって「まぁいいか」と清潔に保つことの大切さを忘れていました。 こまめなおむつ替えと、女の子の場合は前から後ろに拭くといった基本の大切さを痛感しました。腎盂腎炎になってしまったことの大変さもありましたが、親は病院に泊まれず、生後8カ月の娘をひとり病院に置いていかなければならなかったことが切なかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:篠島ゆき野2児の母。米軍基地勤務を経て、理想的な子育て環境を求めて北陸へ移住。現在は、育児関連のライターとして活動中。
2020年03月12日3回目の受精卵移植失敗の後、心理カウンセリングを受けたことにより、新たな心持ちになれたこてつさん。4回目の移植に臨みました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。4回目の受精卵移植を行いましたカウンセリングを受けた後日、4回目の移植をしました。前回のように管が子宮に入らないなどのトラブルはなく、スムーズに終わりました。今回も2個移植で、受精卵(1)はグレードBB、受精卵(2)は「収縮中」。当時、担当してくださった培養士さん曰く、胚盤胞は収縮と拡張を繰り返しながら大きくなっていくとのこと。収縮したまま移植した卵は、時間がたてば普通の卵と同じようになるかもしれないし、ならないかもしれない。すでに移植して子宮の中なので見ることはできない、などの説明を受けました。そっか~…。残りの凍結卵は1回分です。それは今回のものよりも状態は良くないとのこと。グレードは関係ないというけれど、やっぱり気にしてしまいます。とりあえず、今回のものが着床してくれるよう、今は卵の持つ力を信じよう。その後、黄体補充の注射をして帰宅しました。4回目ともなると心穏やかに…待てるわけもなく、そわそわしながら迎えた判定日前日。夕方に出血しました。少量でしたが、見た瞬間ガーンとなって、冷静ではいられなくなりました。またか。なんで私だけ。そんな思いがグルグルと頭の中をかけめぐります。油断すると涙が出そうになりました。腹痛もありました。生理痛とにている痛み…。今までの移植でホルモン補充をやめる前にリセットすることは一度もなかったので、心の準備もできていませんでした。飲み会だったオットが帰ってきて、出血があったことを説明したら我慢できなくなって涙が出ました。そのまま翌朝になり、重い気持ちでクリニックへ。診察室に呼ばれ、ドクターから妊娠判定の結果が言い渡されました。 結果は「陽性」。え? 前日、リセットと思って泣いたはずが…。…そうか、よくよく考えたら着床出血とも考えられるんだよね。陰性続きで、まさか自分が妊娠するとは考えられずパニックになってしまい、その可能性を微塵も思い出しませんでした…(苦笑)。すっかり出血は生理だと思っていたオットも「ええっ!!」とビックリしていました(笑)。出血はこの時期よくあることだそうです。HCG(※)=78。まだ胎嚢すら見えません。次回は3日後、HCGがググっと上がっていなければなりませんが、今の時期はどうなるにしても卵の力次第。再び、妊娠しました。自分の中では、喜びもあるし、戸惑い・ためらいもあります。それは、妊娠で得るものもあるけれど、失うものもあるから。カウンセリングで教えてもらえていたので穏やかに受け止められました。どっちも自分の本当の気持ち。でも、それでいいんだよね。それが今の私。I'm OK. I'm OK.※=ヒト絨毛性ゴナドトロピン。妊娠中にのみ産生されるホルモン。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年12月26日不妊治療を2005~2008年に受けた中村こてつさんが当時を振り返って綴る治療の体験談です。ついに移植当日。実際の移植の様子や、移植後の生活上の注意事項など、治療はまだまだ続きます。ついに卵を移植「それでは卵を戻していきますよ。」ドクターが言いました。細いチューブを子宮内に差し込み、卵を送り込みます。ものの十数秒だったでしょうか、すぐに終わりました。長い期間かけて作られた卵の移植はあっけないものでした。その後、超音波で移植した卵を確認…のはずが、チューブの中に卵が残っていたらしく、再度注入となりました。(だ、大丈夫…?!)と不安になりましたが、ドクターもスタッフも焦っていなかったので、まぁ大丈夫なんだろうと納得。15分くらいで待合室で待つオットのところへ戻りました。クリニックへ向かう途中、今までのいろんなことを考えてしまい押し黙る私の手をギュッと握ってくれたオット。そんなオットの顔を見て泣きそうになったけれど、こらえます。しばらくすると処置室へ呼ばれ、移植後もずっと続く黄体ホルモンの注射をぷすりと打ちます。黄体ホルモンの投与は、移植前5日間のうち3日間は膣座薬を使用しましたが、どうやら私に合わなかったようです。1日4個の膣座薬を続けるうちに…お股が痒い!!入れた後ドロリと出てくる白い液体にかぶれてしまうようでした。それをドクターに伝えると、10日後の判定日までは毎日注射に通うことになりました。地元の産婦人科クリニックにて打ってもらいます。移植~判定日までの生活この日からお酒も禁止となりました。(名残惜しく、移植直前までガッツリ飲みました(笑))コーヒーも1日1~2杯までと言われました。夫婦生活は子宮が収縮してしまうのでよくないとのことで判定日まではNGだそうです。激しい運動も禁止です。愛犬の散歩は、時折激しくなることがあるので(おもに猫(笑))オットに任せます。重いものは持たないほうがいいので、ゴミ捨てもよろしく。あ、ご飯の準備もついでに…、洗濯物も重いかな…(笑)。こうやって父になる練習をしていかなきゃね。と言うと、「それじゃ父というより、主夫だよね」と言われる。はい、調子に乗りました(笑)。何はともあれ2人でがんばっていこう。オットと決意を新たにしました。今、私はお母さんです。任務期間は10日間となるか、それ以上となるか。判定日を待ちます。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年05月09日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんが当時を振り返って綴る治療の体験談です。いよいよ移植となると注射やお薬、とさらに準備が進められるようです。移植日が決まる卵胞ホルモン剤(プレマリン)を服用しだして12日目、診察のためクリニックへ。子宮内膜が8mm以上あれば黄体ホルモンの投与を開始して、排卵後の状態に戻すそう。プレマリンは子宮内膜を厚くしていって着床可能な状態にする働きと、勝手に排卵しないようにする役割もあるとのこと。ジャスト8mm。合格です。4日後の移植が決定しました。初回はグレードが一番よかった凍結胚を一つ移植予定です。移植日のスケジュールとしては朝、凍結胚盤胞を融かし、昼過ぎに回復と生存確認をします(凍結・融解によってダメージを受ける場合があるため)。私の通っているクリニックでは生存率90%、10個に1個の割合でダメージを受けるデータとのことでした。融解に関しては同意書が必要になります。生存が確認できたら、午後に移植となります。移植後もプレマリン、黄体ホルモンは継続して投与します。黄体ホルモンは基本注射だけれども、希望すれば膣座薬に変更可能とのこと。1日4個、まあまあ多い…。しかし、クリニックに通う大変さ(片道1時間半)を考えると座薬のほうがよさそうです。移植後10日で血液検査によって妊娠判定を行います。そんなに早く分かるものなのねぇ。妊娠していれば更に黄体ホルモンとプレマリンは継続します。黄体ホルモンは妊娠8週まで、プレマリンは妊娠12週までとのこと。これは、自然妊娠の場合は、排卵した後の卵巣の黄体からホルモンが補充されるのだけど、わたしはプレマリンを使っているため排卵が抑えられており、その状態では黄体が作られないため、胎盤からホルモンが作られるようになるまで外的に黄体ホルモンを投与する必要があるとのことでした。ドクターにちゃんと聞けばよかったと後悔移植日が決まり、ドクターから「戻す卵は1個でいいよね?」と念を押されました。診察が終わり立ち上がっている途中だったので「あ、はい…!」と慌てて即答してしまいました。たしか前の診察でも確認をされたのでした。1個移植と2個移植とどういうメリットデメリットがあるか聞けばよかった…とあとで後悔しました。私のドクターは寡黙な方で、さらに方針なのか、治療に対しての説明は質問しないと詳しく話してもらえません。説明を聞いたうえで、それはどういう意味? とかじゃあこういう場合は…などの質問も生まれてくると思うのですが。最近はネットで情報が氾濫しているから余計な混乱は避けようという考えでしょうか。毎回、診察までに質問することを考えておかないと、あっという間に診察が終わってしまい、聞けばよかったぁ…と後悔したことがよくありました。私は頭がパパッと回らないほうなので余計にそうなのかもしれません。治療仲間は、毎回提出する基礎体温表に質問を書いたメモを挟んでいました。口頭でうまく伝えられない人にはよい方法かもしれません。また、ドクターには聞けないけれど、看護師さんには気軽に聞けるという人もいました。子宮内膜の厚みが基準に達したので、黄体ホルモンの投与が開始されました。その日は注射(プロゲストン50mg)でした。排卵誘発の注射ほど痛くはないけれど、よく揉まないと翌日にコリコリに硬くなりました。その後3日は膣座薬(朝夕2個ずつ)で、移植前日だけ地元の産婦人科クリニックで注射することになりました。注射&座薬以外に、錠剤のお薬(デュファストン)も毎食後、飲みます。プレマリンとバファリンもあるし、薬だらけです。飲み忘れないか不安になります。準備は整いました。次はいよいよ移植となります。とうとう、ここまで来たか…ここに辿り着くまでに、上がったり下がったり、自分の中の様々な感情を味わってきました。もう「頑張ろう」などそういう次元ではなく、来るべき未来がどんなものであろうと丸ごとそのままを受け入れようという心持ちです。心の中には凪いだ海がどこまでも続いています。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年04月11日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。採卵を終え一安心するも移植可能な胚盤胞がいくつできたか…ドキドキしながら結果を待ちます。移植できる卵はいくつできたか採卵の3日後、心配していた採卵後のOHSS( 第21話参照 )についてチェックするために、体重と腹囲を計測しました。採卵直後とあまり変わっていませんでしたが、内診してもらうと、少し腹水がたまっていました。残った卵胞たちもかなり大きくなっていました。それに伴い、卵巣も腫れているようです。言われてみれば、少し張った感じはありました。もう少し水が溜まってたら、かなり苦しかったと思うよ~とドクターに言われました。残った卵胞はもう排卵しないので、これ以上症状が悪化することはないとのことで、軽いOHSSとの診断です。これくらいで済んで本当に良かったです。しばらくは、飛んだり跳ねたりはNGです。卵巣がぐるんと捻じれると大変なのです。(余談ですがこの7年後、本当に捻じれてしまい(卵巣茎捻転)救急搬送されました。幸い手術は免れましたが、正直出産より痛かったです!二度と味わいたくない痛みです。)腫れた卵巣は1ヶ月で戻るのは難しいかもとのことで、移植は年明けになりました。年末はゆっくり過ごせるんだぁ~と嬉しくなりました。受精から5日経ちました。13個の受精卵のうち、いくつ胚盤胞になったか電話で確認します。高校受験のドキドキを思い出します。結果…10個!おぉ。想像していたより多い!4日目の夕方に初期胚盤胞になったものが4個。あとは5日目以降になったものが6個。私の場合はそれら全てを凍結し、OHSSが改善されてからの移植になります。4日目の4個は各1個ずつ凍結しました。5日目以降のものは各2個ずつ一緒に凍結しました。なかなかいい卵です。とドクター。とりあえず高校に合格したようです(笑)。あとは無事に卒業できるか…何はともあれ、移植できる卵が凍結できてホッとしました。最後に言われた、凍結料金9万円は悲しかったけれど…。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月07日セレーナ・ゴメスがこの夏、腎臓移植を受けていたことをインスタグラムで明かした。セレーナは2つのベッドで友人のフランシア・ライサと固く手をつないで横たわり、希望に満ちた笑顔を見せている画像を掲載。セレーナが以前から持病の全身性エリテマトーデス(ループス)と闘っているのは周知の通り。今回、身体の回復のために腎臓移植に踏み切ったという。セレーナは腎臓を提供してくれたフランシア、手術を行った医師チーム、家族のサポートに深い感謝の意を述べている。「夏の間、新曲のプロモーションをしない私に『なぜ?』と思った人もいるでしょう」と投げかけたセレーナ。実は人生に大きくかかわる決断と向き合っていた。「ループスへの誤解はいまだ多いけれど、ぜひみんなに過程を知ってもらいたいわ」とループスに関するサイトへの訪問を促している。セレーナは約1週間前に現在付き合っている歌手のザ・ウィークエンドとのツーショットをインスタに掲載し、デートする姿が目撃されていたこともあり、この衝撃告白にファンもびっくり。勇気ある行動にファンからは「誇りに思う」、「元気になって!」などの励ましコメントが殺到している。ザ・ウィークエンドとの交際は好調で、「ETonline」によれば“一時的”ではあるものの、ニューヨークのアパートで同棲を始めたとの報道も。また、「Businedd of Fashion」とのインタビューでは「彼にとっても素敵なシャネルのバッグをもらったの」とのろけ発言もしている。(Hiromi Kaku)
2017年09月14日