タレントの薬丸裕英が22日と23日に自身のアメブロを更新。食事制限を10日間行い減った体重を公開した。22日のブログで、薬丸はスポーツクラブで体重を量ったことを報告。「10日間(食事制限)で3Kg減でした!」と「62.05kg」と表示された体重計の写真を公開し「得した気分」とコメントした。23日に更新したブログでは2020年に新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった女優・タレントの岡江久美子さんの命日だったことを報告。サントリーのシングルモルトウイスキー『山崎』をお供えしたことを明かし、ブログを締めくくった。
2024年04月24日タレントの薬丸裕英が6日に自身のアメブロを更新。孫が入園式を迎え実家で堪能した料理を公開した。この日、薬丸は孫が入園式を迎えたことを報告し「制服を着て桜バックに写真が撮れました」と桜の写真を公開。「実家にみんな集まってお赤飯でお祝い」と実家で堪能した料理も公開した。続けて更新したブログでは「お祝いのデザート【CORTECCIA】(コルテッチャ)」とチョコレートの写真を公開し「世界一薄いチョコレート」とコメント。「孫くんは食べられないですが…大人達で美味しくいただきました」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年04月07日タレントの薬丸裕英が2日と3日に自身のアメブロを更新。ホームパーティーに参加した日の集合ショットを公開した。2日のブログで、薬丸は「4月1日のホームパーティ」というタイトルでブログを更新し、パティシエ・鎧塚俊彦氏の自宅でのホームパーティーに参加したことを報告。鎧塚氏や女優でタレントの田中律子、フードジャーナリストの里井真由美さんとの集合ショットを公開した。続けて「トシさんが次期選挙に出馬と聞き家に駆けつけたら…エープリルフールでした笑」と明かし「トシさんのサクラケーキ全種類と究極のマグロ丼メチャ旨でした!」と堪能したスイーツの写真とともにつづった。3日に更新した「還暦食事会」と題したブログでは、友人との食事会に参加したことを報告し「お一人が還暦になるのでみんなでお祝いしました」と説明。「私もあと2年で『還暦』です笑」とお茶目につづり、ブログを締めくくった。
2024年04月03日タレントの薬丸裕英が16日に自身のアメブロを更新。旅行先で堪能したコース料理を公開した。この日、薬丸は「妻と小旅行」というタイトルでブログを更新。「新幹線で…妻と二人で小旅行」と述べ、移動中の新幹線内で撮影した妻で元アイドルの石川秀美さんとの2ショットを公開した。続けて更新したブログでは「妻と小田原へ 小田原城内を見学して妻が行きたかったお店 豊島鰻寮 一月庵」と訪れた店を紹介し「うなぎ好きの妻とコース料理を満喫」したことを報告。堪能したコース料理の写真を複数枚公開し、ブログを締めくくった。
2024年03月17日タレントの薬丸裕英が7日に自身のアメブロを更新。歌手で俳優の井ノ原快彦らとディナークルーズを満喫した日のエピソードをつづった。この日、薬丸は「昨晩はテレビ東京アド街ック天国の出演者とスタッフ全員でディナークルーズ」と述べ、バラエティー番組『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)の出演者やスタッフらとクルーズ船でディナーを堪能したことを報告した。続けて「イノッチ(井ノ原快彦)・峰竜太さん 山田五郎さん・片渕茜アナ・スタッフ全員と楽しい時間を過ごしました」と満喫した様子でつづり「料理も美味しかったです」と堪能した料理の写真を公開した。
2024年03月08日タレントの薬丸裕英が26日に自身のアメブロを更新。妻で元アイドルの石川秀美さんから誕生日プレゼントで貰ったファッションブランド『HERMES(エルメス)』の品を公開した。19日のブログで、薬丸は「本日58歳になりました」と58歳の誕生日を迎えたことを報告し「3日連続、友人達と誕生日食事会」と説明。20日に更新したブログでは「昨晩は榊原郁恵さん・田中律ちゃん里井真由美さん・馬場典子さんと知り合いの方々で誕生日を祝ってくれました」(原文ママ)とタレントの榊原郁恵や女優でタレントの田中律子らに誕生日を祝福されたことを明かし「楽しい時間を過ごせました 皆さんに感謝です」と集合ショットを公開していた。この日は「妻からのプレゼント」というタイトルでブログを更新し、石川さんから貰ったという『HERMES』のマフラーの写真を公開。「お気に入りです!」とコメントし、ブログを締めくくった。
2024年02月28日タレントの薬丸裕英が24日と25日に自身のアメブロを更新。ハワイで同期とともにランチを堪能したことを報告した。24日に、薬丸は「今日は仕事の前に散歩」と切り出し「緑を見ると安心感やリラックス効果があり 目の緊張や疲れを癒してくれると聞いたことがあります」と説明。「カピオラニ公園の好きなスポットで緑を見ると実感します」と述べ「緑の額縁の中のダイヤモンドヘッド」と公園からの景色を写真で公開した。25日に更新したブログでは「デビュー同期の渡辺めぐみちゃん夫妻とランチ」とタレントの渡辺めぐみ夫婦とランチを堪能したことを写真とともに報告。「CAFE閉店ギリギリまで話が弾みました」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年02月25日タレントの薬丸裕英が19日と20日に自身のアメブロを更新。58歳の誕生日を祝福してくれた人物を明かした。19日に、薬丸は「本日58歳になりました」と58歳の誕生日を迎えたことを報告し「3日連続、友人達と誕生日食事会」と堪能したケーキや肉の写真を公開。「何回もお祝いしていただけて感謝です 今年も健康に気をつけて頑張ります」とコメントした。20日に更新したブログでは「昨晩は榊原郁恵さん・田中律ちゃん里井真由美さん・馬場典子さんと知り合いの方々で誕生日を祝ってくれました」(原文ママ)とタレントの榊原郁恵や女優でタレントの田中律子らに誕生日を祝福されたことを報告。「ローストビーフ&ステーキ」と堪能した料理の写真を公開し「楽しい時間を過ごせました 皆さんに感謝です」と集合ショットとともに、ブログを締めくくった。
2024年02月21日タレントの薬丸裕英が16日に自身のアメブロを更新。鹿児島県で墓参りをしたことを報告した。この日、薬丸は「朝食は機内食」というタイトルでブログを更新。「本日の朝食 JALの美味しい機内食」と述べ、機内で堪能した朝食の写真を公開した。続けて更新した「ご先祖様のお墓参り」と題したブログでは「今週末は鹿児島県へ」と鹿児島県を訪れたことを明かし「私の先祖が眠る町 鹿児島県大崎町に伺いました」と説明。「先ず、戦国時代に鹿児島県大崎町竜相城(旧大崎城)周辺を守っていた武将 薬丸自顕流 薬丸弾正兼持のお墓参り」に訪れたことを報告し、ブログを締めくくった。
2024年02月17日タレントの薬丸裕英が30日に自身のアメブロを更新。治療も受けるも改善されず2度目の手術を受けたことを報告した。2023年12月4日のブログで、薬丸は自身の症状について「PRP治療をして完治することを願っておりましたが3ヶ月経っても改善されず」だったことを明かし「別のクリニックを受診しました」と説明。「エコー検査の結果、左肘の炎症がひどくカテーテル治療をする事になりました」と報告し「治療は1時間で終了しました」とつづっていた。この日は「2度目のテニス肘治療」というタイトルでブログを更新し「外傷性動静脈瘻」と自身の病名についてコメント。「前回12月4日にカテーテル治療をして通院で2度、薬を投与していただきました」と説明するも「改善が見られない」と治療も受けるも症状が改善しなかったことを告白した。続けて「再度カテーテル治療」と2度目の手術を受けたことを報告し、自身の腕の写真を公開。「また、暫く経過観察」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月31日タレントの薬丸裕英が24日に自身のアメブロを更新。お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきからの頂き物を公開した。この日、薬丸は「頂き物」というタイトルでブログを更新。「本日の楽屋飯」と切り出し「納豆とろろうどん」と堪能した料理の写真を公開した。続けて「今日の仕事で一緒だったキャイ~ン天野くんからのお土産」と天野から貰った土産の写真を公開。「ウドちゃんの実家のお餅」と天野の相方・ウド鈴木の実家の品であることを明かし「ありがとう!」と感謝をつづった。
2024年01月25日タレントの薬丸裕英が17日に自身のアメブロを更新。自身の病気の経過を報告した。2023年8月18日のブログで、薬丸は「テニス肘が治らない」と自身の症状について告白。2023年12月4日には「PRP治療をして完治することを願っておりましたが3ヶ月経っても改善されず」だったことを明かし「別のクリニックを受診しました」と説明。「エコー検査の結果、左肘の炎症がひどくカテーテル治療をする事になりました」と報告し「治療は1時間で終了しました」とつづっていた。この日は「3回目のテニス肘(外傷性動静脈瘻)の治療」と説明し「今回のCT画像 前回のCT画像」とCT画像の比較写真を公開。「前回より改善はしているが…まだ痛みがあるので再度、薬を投与しました」と明かし「あと2週間経過観察です…」と報告した。
2024年01月17日タレントの薬丸裕英が2日に自身のアメブロを更新。家族で釘付けになったニュース速報についてつづった。この日、薬丸は「新年1月1日に震度7の地震が発生したというニュースがハワイにも届きました」と報告し「家族で速報ニュースに釘付けでした」とコメント。「被害にあった地域の皆様お見舞い申し上げます」と述べ「これ以上被害が拡大しないことを心から祈っています」とつづった。続けて「新年のご挨拶」と題したブログを更新。「Hawaii今年最初の虹」とハワイで撮影した虹の写真を公開し、ブログを締めくくった。
2024年01月03日タレントの薬丸裕英が12月31日に自身のアメブロを更新。ハワイのスーパーでの買い出しで出口まで行列だったことを明かした。この日、薬丸は「真夜中のホノルル空港」と切り出し「ヨーロッパから次男が到着」と次男がハワイに到着したことを報告。「ターンテーブルの音しか聞こえない静まり返った空港」と写真とともにつづった。続けて更新したブログでは「妻と次男と年末の買い出し」と明かし「Sam's CLUB ハワイのCOSTCOのような会員制スーパー」と訪れたスーパーについて説明。「お目当ての安いPrime Beef」と陳列された肉の写真を公開し「約3kgのステーキ肉を購入」と報告した。最後に「会計後、出口まで行列でした」と店内の写真とともに明かし「年末の買い出しは大変です…」とコメントし、ブログを締めくくった。
2024年01月01日映画『聖地X』(11月19日公開)の公開記念舞台挨拶が20日に都内で行われ、岡田将生、川口春奈、薬丸翔、入江悠監督が登場した。同作は前川知大が主催する劇団・イキウメの人気舞台の実写化作で、韓国映画界と入江悠監督がタッグを組みオール韓国ロケで臨んだ。夫との生活に嫌気がさし、離婚を決意した東要(川口春奈)は日本を飛び出し、兄の輝夫(岡田将生)が住む韓国の別荘へと足を向けた。輝夫は突然妹が来たことに驚きつつ共に韓国で過ごすことになるが、それは悪夢の幕明けだった。2人は知らず知らずのうちに、入った者が精神を病み常軌を逸して奇妙な死を遂げていく「聖地X」に足を踏み入れていた。主演の岡田は「脚本を読んだ時にどんな映画になるのだろうか? と思ったけれど、僕が演じた輝夫のポンコツな性格で物語が成立しているところが沢山あって面白かった」と手応えを感じている様子。妹役の川口も「私が演じた要は、韓国での予期せぬ事態に巻き込まれて色々な感情と表情を見せる女の子。後半になるにつれて人間的な変化や成長が見えていたら嬉しい」と役柄を紹介する。薬丸は分身したキャラクターの役作りに触れ、「入江監督とルール作りをして、一人の人間として成立するよう意識した」と細やかな演技プランがあっての撮影を回想していた。作中ではロケ地・韓国で振り付けの特訓をして臨んだという川口のエクササイズダンスも出てくるが、入江監督は「もちろん物語にこじつけられる意味はありますが、単純に今の年の川口さんのダンスを映像として残したかった」とニヤリ。まさかの狙いにビックリの川口は「すでに作品を見た母から『あんたあれなんなの?』と言われた。私も『なんだろう…』と。結構撮影も長かった」と苦笑いも、「でもいい経験をさせてもらえました」と見どころとして胸を張っていた。岡田VS薬丸のラストバトルも手に汗握る名場面で、岡田は「韓国のアクションチームの熱量に触発された。もっといいものを作りたいという高みを目指したくなるようなチームでした。薬丸君と息を合わせながら撮影をしていきましたが、面白くてユーモアもあって、楽しいアクションシーンになりました」と語る。アクション初挑戦という薬丸は「全部岡田さんにリードしていただきました。僕が手順を間違えたとしても、岡田君が対応して助けてくれた」と感謝するが、アクションチームの熱が高まりすぎて撮影時間がオーバーしてしまった結果、入江監督は「日本側のプロデューサーが韓国側の製作陣に怒られていました」と暴露し、岡田も「それもこうして明るく話せるのは良い事です」と笑顔を見せていた。
2021年11月21日映画『聖地X』(11月19日公開)の大ヒット祈願イベントが13日に都内で行われ、岡田将生、川口春奈、薬丸翔が登場した。同作は前川知大が主催する劇団・イキウメの人気舞台の実写化作で、韓国映画界と入江悠監督がタッグを組みオール韓国ロケで臨んだ。夫との生活に嫌気がさし、離婚を決意した東要(川口春奈)は日本を飛び出し、兄の輝夫(岡田将生)が住む韓国の別荘へと足を向けた。輝夫は突然妹が来たことに驚きつつ共に韓国で過ごすことになるが、それは悪夢の幕明けだった。2人は知らず知らずのうちに、そこに入った者は精神を病み常軌を逸して奇妙な死を遂げていく「聖地X」に足を踏み入れていた。イベントでは、キャスト陣が韓国式祭祀「コサ」を受けた。同作で独特の存在感を発揮した、薬丸裕英と石川秀美の長男で俳優の薬丸翔は「撮影の直前までイキウメの舞台に出演していたので、前川さんや劇団の方に、『舞台版はどうだったの?』みたいな話をカンニングしてた部分はあった」と明かす。そんな薬丸との共演について、岡田は「僕がまだ17歳の時に、初めての連続ドラマの学園ものが一緒で、こうして14年くらい時が経って一緒にまた映画でお芝居ができるということが単純に嬉しくて。当時のことを思い出しながら、大人になった僕たちが、いい意味で何も変わらず良い関係性で一緒に作れたことが嬉しかったなと思います」と喜ぶ。薬丸も「衣装合わせの時に久しぶりにあってしゃべってみて、10分ぐらいで『良かった、何も変わってないね』みたいな話を2人でしたのを覚えているので、安心して韓国での撮影に臨めそうだなと思った記憶はあります」と振り返る。「しゃべり方から、しゃべる時の距離感までいろいろ覚えていて、こんなに変わらないんだと思えたのは、なんだかちょっと嬉しかったです」と語った。
2021年11月13日9月20日、自身のオフィシャルブログ「Rainbow Family」で、帯状疱疹に罹患していたことを明かしたタレントの薬丸裕英(55)。ブログの最後に《先生曰く…「コロナ禍で帯状疱疹の患者さんが増えている」とのことでした》とつづり、反響を呼んだ。「薬丸さんの担当医が言うように、コロナ禍で帯状疱疹が増えることは考えられます」そう語るのは、中野皮膚科クリニックの山根理恵医師。そもそも、帯状疱疹とはどのような病気なのだろう?「帯状疱疹は、水ぼうそうウイルスが原因でおこる病気です。強い痛みが出ることで有名で、髪の毛や衣服が少し触れただけでも焼けるように痛む場合も。最初はピリピリ・チクチク・ズキズキなどの違和感や痛みが生じ、数日後に左右どちらかの胸部やおなか、顔、頭部などに、帯状の発疹が現れます」(以下、カッコ内はすべて山根医師)子供の頃に水ぼうそうになると、そのウイルスは治った後も神経の中に潜伏を続ける。そして、疲労やストレス、加齢などによって免疫力が落ちると活発化し、帯状疱疹を引き起こすのだ。国立感染症研究所の調べによると、日本の成人の9割以上が水ぼうそうウイルスに感染しているという。誰もがなりうる帯状疱疹。恐ろしいのは、痛みに加え、合併症や後遺症を引き起こす場合があるという点だ。「顔面に発生した場合には顔面麻痺や難聴、視力障害などの合併症を引き起こす可能性があります。さらに、1?2割の患者さんは、発疹が治まった後も、眠れないほどの激痛が続く『帯状疱疹後神経痛』という後遺症になることがあるのです」■コロナ禍特有の“あること”が帯状疱疹増加の原因に…この帯状疱疹、従来は高齢者に多いとされてきた。しかし、帯状疱疹に関する大規模な疫学調査「宮崎スタディ(1997-2017)」によると、2014年以降10代以上の全世代で発症率が増えていて、特に20代から40代の増加が顕著だという。このきっかけは、小児に対する水痘ワクチンの定期接種が始まったことだという。「水ぼうそうを発症した子どもに接すると、体内の免疫が再度活性化されるブースター効果によって、ウイルスに対する免疫力を高めることができます。しかし、ワクチン接種により水ぼうそうの流行が激減したことで、大人が水ぼうそうウイルスに接する機会が減り、免疫力が下がっているのです。この影響は、特に子育て世代の20?40代で顕著に現れたと考えられます」さらに、コロナ禍特有の“ある感染対策”が、さらなる患者の増加につながったと、山根医師は指摘する。「感染予防のために、人との接触が減ったことで、これまで以上にウイルスに対する免疫活性化の機会が減少してしまったのです。そのほかにも、コロナ禍の様々なストレスにより、免疫のバランスが崩れやすくなったことも影響しているでしょう」かといって、現在の感染状況では、人と会う頻度を増やすというのも難しい。そこで、発症や重症化を防ぐために効果的とされるのが、50代以上を対象に行われるワクチン接種だ。従来から小児に対して水痘ワクチンとして使用されているビケン製の生ワクチンと、新しく開発されたシングリックス(不活化ワクチン)の2つから選ぶことができる。「シングリックスの特徴は、体の免疫機能が下がっている人でも接種できること、発症を抑える効果が90%以上と高いことです。費用は施設によりけりですが、大体1回2万円強。2ヶ月間隔で合計2回接種する必要があり、副反応も現在のコロナワクチンで起こるような副反応と同程度と強めです。副反応の観点から、念のためコロナワクチンとは最低2週間あけての接種を推奨しています」従来の水痘ワクチンであるビケン製の生ワクチンでも、発症を50?60%抑える効果がある。費用は1回1万円前後で、1回の接種で完了する。接種に伴う副反応もあまり強くないという。どちらのワクチンも10年ほどは免疫が続くと言われている。「免疫力が下がらないよう、ストレスを溜めず規則正しい生活をすることも大切。それでもなってしまった場合、早めに医療機関を受診することが肝心です。発症してから『72時間以内』に抗ウイルス薬を飲むことで、後遺症のリスクや、重症化を防ぐことができます」体の片側にピリピリとした痛みを感じたら、迷わず皮膚科や内科を受診しよう。【教えてくれたのは】山根理恵先生中野皮膚科クリニック・立川皮膚科クリニック医師。日本皮膚科学会皮膚科専門医。東京慈恵会医科大学医学部卒業。同大学、都内の皮膚科に勤務後、現職。
2021年09月29日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「もう、40年近く前の曲なのに、歌詞も忘れていないし、ぜんぜん歌えちゃいますよね。今の歌は、たとえば繰り返しがなかったり曲の構成も複雑だったりするけど、昔の歌謡曲はすごく入りやすいんですね。ねっ、これで合ってますよね?」宝塚歌劇団月組の元トップスター・紫吹淳さん(52)が、透き通るような声で、シブがき隊の『100%…SOかもね!』(’82年)を口ずさんだ。「’80年代初めは、バレエ以外のことに興味を持っていなくて、’84年に宝塚音楽学校に入学してからは寮生活。でも、中2の1年間だけは、バレエから遠ざかっていて、宝塚の存在もまだ知らなかった。同級生と同じくらいにテレビを見て、アイドルに夢中になった、唯一の時期なんです」バレエを始めたのは3歳のとき。3歩進むと、すぐに転んでしまう紫吹さんを見かねた母が、体のバランスを整えようと、教室に通わせたのがきっかけだ。「おかげで“体育座り”をしているときも、やたら姿勢がきれいだって、友達から言われていました。将来、バレリーナになることだけを夢見ていたんです」’80年代に入り、たのきんトリオを筆頭としたアイドル全盛期を迎えたとき、ほかのクラスメートたちは少ないお小遣いでドーナツ盤のレコードやアイドル誌を買っていたが。「私はトーシューズなど欲しいものはそのつど、買ってもらっていたので、お小遣いとは無縁だったんです。それに、バレエに関わるもの以外に欲しいものはとくになかったので、お小遣いがもらえなくて困ったこともありませんでした。恥ずかしながら、たのきんトリオのことも、かろうじて知っていたのはマッチさんだけ。いま思い返すと、ちょっと浮世離れした子どもでしたね」友達と遊びに行く機会も、ほとんどなかった。「土日でも関係なく、毎日レッスンや発表会。たまに『今度○○に行かない?』と友達に誘われるんですが、直後に『あ、ごめん、バレエだよね』って。返事をする前に断られていました(笑)」それほど頑張っていたバレエから、距離を置いたのが中2のとき。「まわりより背が高いことに悩み始めたんです。中1で160センチ近くありましたから。『白雪姫』を演じると、王子様よりも私のほうが大きかったり、『白鳥の湖』でも、3〜4羽の群れで踊ると、私だけ目立ってしまって恥ずかしかったり……。それで一時期、バレエをやめてしまったんです。自分に欠けていた“バレエ以外のこと”を知りたいという思いもありましたね。そんなとき、ちょうどデビューしたのが、シブがき隊だったんです」シブがき隊はドラマ『2年B組仙八先生』(’81〜’82年・TBS系)に生徒役で出演した薬丸裕英(ヤックン)、本木雅弘(モックン)、布川敏和(フックン)の3人組。’82年『NAI・NAI 16』でデビューし、同年発売の『100%…SOかもね!』で日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞した。トシちゃんやマッチが祝福に駆け付けた授賞式のステージを覚えている人も多いはず。それまでバレエひと筋だった紫吹さんは、行き場のない情熱をシブがき隊、なかでもモックンに注いだという。「どハマりしたとはいえ、当時は子どもで、コンサートに行くなんて発想はなく、やれることといえば『平凡』や『明星』(どちらもアイドル雑誌)を買ってもらって、切り抜きを透明の下敷きに挟んだりしたくらい。『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)は毎週必ず見ていました。誕生日かクリスマスのプレゼントだった自分専用のラジカセで録音して、アイドル雑誌の付録だった、横長サイズの“歌本”を見ながら、一緒に歌ったりもしましたよ。イケメンのモックンがとにかく好きでした。それで、宝塚を引退してからテレビ番組で薬丸さんとご一緒する機会があったときも、つい『私、シブがき隊のファンでした。でも、ごめんなさい。モックンのファンでした』と言ってしまって……。“えー!?”というような、ちょっと複雑な反応をされていました(笑)」「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月20日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)は毎週必ず見ていました。誕生日かクリスマスのプレゼントだった自分専用のラジカセで録音して、アイドル雑誌の付録だった、横長サイズの“歌本”を見ながら、一緒に歌ったりもしましたよ」宝塚歌劇団月組の元トップスター・紫吹淳さん(52)が、透き通るような声で、シブがき隊の『100%…SOかもね!』(’82年)を口ずさんだ。「’80年代初めは、バレエ以外のことに興味を持っていなくて、’84年に宝塚音楽学校に入学してからは寮生活。でも、中2の1年間だけは、バレエから遠ざかっていて、宝塚の存在もまだ知らなかった。同級生と同じくらいにテレビを見て、アイドルに夢中になった、唯一の時期なんです」バレエを始めたのは3歳のとき。3歩進むと、すぐに転んでしまう紫吹さんを見かねた母が、体のバランスを整えようと、教室に通わせたのがきっかけだ。「おかげで“体育座り”をしているときも、やたら姿勢がきれいだって、友達から言われていました。将来、バレリーナになることだけを夢見ていたんです」それほど頑張っていたバレエから、距離を置いたのが中2のとき。「まわりより背が高いことに悩み始めたんです。中1で160センチ近くありましたから。『白雪姫』を演じると、王子様よりも私のほうが大きかったり、『白鳥の湖』でも、3〜4羽の群れで踊ると、私だけ目立ってしまって恥ずかしかったり……。それで一時期、バレエをやめてしまったんです。自分に欠けていた“バレエ以外のこと”を知りたいという思いもありましたね。そんなとき、ちょうどデビューしたのが、シブがき隊だったんです」シブがき隊はドラマ『2年B組仙八先生』(’81〜’82年・TBS系)に生徒役で出演した薬丸裕英(ヤックン)、本木雅弘(モックン)、布川敏和(フックン)の3人組。’82年『NAI・NAI 16』でデビューし、同年発売の『100%…SOかもね!』で日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞した。トシちゃんやマッチが祝福に駆け付けた授賞式のステージを覚えている人も多いはず。それまでバレエひと筋だった紫吹さんは、行き場のない情熱をシブがき隊、なかでもモックンに注いだという。だが、中3になると紫吹さんは、再びバレエを始めることに。「中2の1年間、遠ざかっていたからこそ、私が私らしくいられるのは、バレエをしているときだと強く感じられたんです。そんなときに、バレエの先生に勧められたのが宝塚でした」中学を卒業後、日本一競争率が高いといわれる宝塚音楽学校へ。コンプレックスだった背の高さも武器に変え、男役トップスターに上りつめた。大好きなモックンをはじめ、ジャニーズのアイドルには、宝塚時代に影響を受けたという。「とはいえ、世の女性とは、ちょっと違う観点で。ジャニーズや、雑誌の“抱かれたい男”企画で選ばれる人は、私にとっては“教材”でした。なぜ女性からキャーキャー言われ、心を捉えられるのか、そのしぐさや表情を分析して、宝塚での男役に取り入れるんです。当然、モックンからも私は、その要素を吸収しています。映画『シコふんじゃった。』でモックンが日本アカデミー賞最優秀主演男優賞(’92年度)を受賞したときは、“さすが、私が好きになった男だわ。私の目に間違いはなかった!”って、勝手に喜んじゃいました(笑)」「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月20日2020年4月に、俳優の岡江久美子さんが新型コロナウイルス感染症による肺炎でこの世を去りました。岡江さんの逝去後、世間では一部で「岡江さんは喫煙していたのではないか」というウワサが出回っていたといいます。同年8月4日、岡江さんの娘であるタレントの大和田美帆さんは、母親に関する根も葉もないウワサを否定しました。故・岡江久美子のウワサに「悔しい」娘の大和田美帆が苦しい胸中を告白薬丸裕英「喫煙しているところを1回も見たことない」同月6日に放送された情報番組『バイキング』(フジテレビ系)では、岡江さんのウワサを、大和田さんが否定した件が話題に。岡江さんと長年情報番組で共演し、深い親交のあったタレントの薬丸裕英さんは、一連の出来事についてコメントしています。薬丸さんは、大和田さんの胸中に思いをめぐらせ「つらいですよね」といい、こう続けました。さらにつらいですよね。誰がこういう誤情報を流しているのか知らないですけど。僕は、だって長年番組をやらせていただいて、喫煙してるところ1回も見たことないですからね。でも、やっぱりこういうことがSNSなのか雑誌の記事なのか僕も分からないですけど、どっかからこういうウワサとして広まっていっているっていうことが、ものすごく悲しいですね。バイキングーより引用薬丸さんは、番組を通して「自分は岡江さんが喫煙しているところを見たことがない」と、キッパリ否定。視聴者からはさまざまな反応が寄せられています。・誰がそんなウワサを流すんだろう…。・薬丸さんが否定してくれてよかった。岡江さんのためにも、事実と反するウワサが流れるのは嫌なので。・どれが正しいのか分からないから、自分も事実かどうか確認した上で情報は発信したいと思った。岡江さんの親族はもちろん、薬丸さんのように親交のあった立場の人にとって、誤情報を流されるのは不本意なことに違いありません。故人の尊厳や関係者の心情をくむとともに、改めて情報の取捨選択を見誤らいように意識したいと思わされますね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月07日アンジャッシュの渡部建(47)が取材に応じたことを、「文春オンライン」が6月24日に報じた。複数女性と不倫していたことが発覚し、全ての活動を無期限で自粛している渡部。記事によると、取材には所属事務所「人力舎」の玉川大社長も同席。渡部の不倫が多目的トイレ行われていたことについて「気持ち悪い」と驚き、事の大きさから自粛を決めたという。渡部は「独身時代は自由に過ごしてきた」と告白。だが、「妻と知り合ってから安全な遊び方を知り、そこから抜け出せなかった」と述べたという。また不倫相手には「気持ちがないまま」接していたとし、妻・佐々木希(32)を「今でも愛している」と語っている。しかし妻への愛を語ったにも関わらず、不倫を「安全な遊び」と称したことが一段と火に油を注いでしまったようだ。立川志らく(56)は25日放送の『グッとラック!』(TBS系)で、「安全な遊びだと言って(女性を)物にしてしまったら何のプラスにもならない」とバッサリ。また不倫相手に気持ちのないまま接していたことについても、「相手は人間ですよ。人間の女性ですよ。それを(気持ちがないと)言っちゃうからいけない」と苦言を呈した。また薬丸裕英(54)は『バイキング』(フジテレビ系)で、「何をもって安全だと思ったんだろうね?」と疑問視した。「渡部さんの不倫は、多目的トイレという公共の場に女性を呼び出して行為に及ぶといったものでした。数分で済ませ、彼女たちに金銭を渡していた。場所はもちろん、そういった女性への雑な扱いについても非難が集中してしまいました。今回『安全な遊び』と称してしまったことで、いっそう信頼を損なってしまうのではないでしょうか」(芸能関係者)渡部に対する非難の声が相次いでいる。《渡部が「安全な遊びを知ってしまった、気持ちのないまま女の子と遊んだ」って言ってるけど、この女性を物としか考えていないその思考がやばいと思うんだ相手は人間で心があるのに、よくそんな風に扱えるわ…》《不倫して人相手に性欲処理さしといて「安全な遊び」って何だよここで言う「安全」て、要はバレなきゃいいと思ってたんでしょ》《渡部気持ち悪すぎない???ここまでとは思わなんだ 女性は遊び道具じゃないしセックスは安全な遊びじゃない》
2020年06月25日2020年4月23日、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で、俳優の岡江久美子さんが逝去。コロナウイルスの感染による63歳という若さでの旅立ちは、多くの人に衝撃を与えました。大和田美帆、母・岡江久美子について想いを明かす同年5月4日、岡江さんの実娘である俳優の大和田美帆さんがブログを更新。大切な人の死は、誰もが受け入れがたいもの。岡江さんが亡くなってからおよそ10日が経ち、美帆さんはやっと現実を受け入れて涙を流すことができるようになったといいます。それでも岡江さんの死を信じられない美帆さんは「ちゃんとした区切りをつけていないというのも理由の一つにあるのかもしれません」と思いを明かしました。コロナウイルスによる死で、家族は『気持ちの整理』ができず指定感染症で亡くなった場合、感染者の遺体は厚生労働省の指導のもと袋に包まれて速やかに火葬されます。そのため、岡江さんの家族は火葬に立ち会うことができませんでした。また、コロナウイルスが感染拡大している現状を考慮し、岡江さんの通夜や葬儀、『お別れの会』は未定とされています。葬儀などは残された人が気持ちの整理をするための大切な時間です。それらが行えないことについて、美帆さんはこのようにつづりました。死顔を見ること、家族で泣き合うこと、葬儀をすること、弔問に来てくださる方に直接ご挨拶すること。それらすべてが残された者にとって気持ちを整理する大切な儀式なのだと気づかされます。いつか、母がお世話になった皆様とのお別れ会ができますように。それが今の目標です。父とは、お互い励まし合い、なんとかやっています。父が母をどれだけ愛していたのか今も愛しているのかを知ることができて娘としては嬉しく、そして切なくなります。ご心配をおかけしておりますが私の友人や母の友人、薬丸裕英さんをはじめとする母の仕事関係の方々からの直接会えなくても伝わってくる思いやりや優しさに包まれて父も私も支えてもらっています。そのどれもが母からのギフトのようで有り難くお気持ちを頂戴しています。気にかけてくださる全ての方に感謝です。大和田美帆オフィシャルブログーより引用事態が収束した後、『お別れ会』を行うことが今の目標であるという美帆さん。気持ちの整理ができていないのは、きっと美帆さんだけではないでしょう。岡江さんの夫である俳優の大和田獏さんは、岡江さんの遺骨を自宅で受け取った際「こんな形の帰宅は本当に残念で悔しくて悲しい」と思いを明かしていました。美帆さんは、ブログを読む多くの人に向けてメッセージを送っています。私たちだけじゃない。日本中、世界中で同じようにコロナウイルスで家族を亡くした遺族がたくさんいらっしゃる。今は自粛生活の中で誰にとってもとても窮屈な日々ではありますがこの辛抱が、いつか訪れるであろう平穏な日々や、会いたい人に会える扉に繋がっていると信じています。皆さまどうかどうかご自愛ください。大和田美帆オフィシャルブログーより引用読んでいるだけで深い悲しみや無念が伝わってくる、美帆さんの文章。ブログには「親を亡くしているので気持ちが分かります」「無理はせず、頑張ってください。応援しています」「文章を読んでいて泣いてしまいました」といったコメントが数多く寄せられました。美帆さんがいうように、世界中にコロナウイルスによって大切な家族を失った人がいます。そして、遺族は日に日に増えているのが現実です。1日でも早くこの事態を収束させられるよう、今は耐え忍びたいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月05日2020年4月23日、新型コロナウイルス感染症による肺炎で俳優の岡江久美子さんが亡くなりました。同年5月1日に放送されたバラエティ番組『ぴったんこカン★カン』(TBS系)では、生前岡江さんが同番組に出演した時の映像を放送。番組の最後には、約17年半も情報番組『はなまるマーケット』(TBS系)で共演したタレントの薬丸裕英さんが岡江さんに宛てた直筆メッセージを読み上げました。薬丸裕英さんから岡江久美子さんへの手紙(全文)岡江久美子様毎年お誕生日の時にお手紙を書いておりましたが、残念ながらこの手紙が岡江さんに書く最後の手紙となるかもしれません。4月24日夕刻、レギュラー番組の生放送の本番直前でした。岡江さんの訃報を楽屋のテレビで見て、一瞬、時間が止まり、震えが止まりませんでした。その後、経過した時間を覚えていませんし、思い出すこともできないほどの衝撃でした。あの日から毎日岡江さんのことを考えない日はありません。1996年9月30日、岡江さんと私の朝は変わりました。毎朝、お嬢さんのお弁当を作ってから局入りして、はなまるの生放送をマイペースで終えると、すぐに衣装を着替えてメイクを落とし、帰宅して掃除や洗濯、買い物や料理、すべてをこなす完璧な主婦。ゆっくりしているのがとにかく苦手、せっかちでどこにでも歩いて行ってしまう、回遊魚のようなスーパー主婦。常にアンテナを張っていて、すべての情報を洗濯もののように取り込み、本番での失敗や日常の悩みも、次の日には持ち越さないよう、心の掃除も忘れない満点主婦。時々こぼす愚痴や不満もすべてユーモアに変えてしまう才能の持ち主でした。きびきびしていて細かいことは気にしない岡江さんと男のくせに慎重派で細かいことを気にする私。おばさんのようなおじさんと、おじさんのようなおばさん…そんな不思議なコンビが視聴者の方々に支えられて17年半も番組を続けることができました。番組終了後もお食事やゴルフ、はなまるスタッフとの食事会など楽しい時間を一緒に過ごさせていただきました。その中でも一番の思い出は岡江さんの還暦パーティーです。岡江さんには内緒で美帆さん、お孫さんと企画したサプライズ誕生日会。岡江さん喜んでくださいましたよね。私が用意した赤いバーキンのプレゼントケーキを見た時の驚きの表情とあの笑顔、今でも脳裏に焼き付いています。あれからたったの3年です。もうあの岡江さんの笑顔を見ることができないなんて悲しすぎます。4月25日、岡江さんが荼毘(だび)に付されると連絡があり、その時刻に青空を見上げ手を合わせました。最後にお顔を見ることもできず、お見送りすることも許されない、こんな別れはつらすぎます。今でも信じられないし、信じたくないからさよならは告げません。末筆になりますが、私からのお願いです。はなまるマーケットの岡江さんは我々共演者やスタッフにとって、太陽のような存在でした。だからこれからもずっと天国からみんなのことを照らし続けてください。お願いします。はなまるマーケットという素敵な番組で、岡江さんとご一緒できたことを心より感謝しています。本当にありがとうございました。薬丸裕英ぴったんこカン★カンーより引用(原文ママ)約6分にわたって読み上げられた手紙。途中、涙で言葉に詰まりながらも岡江さんとの思い出を語りました。薬丸さんはブログで手紙について何度も書き直したことを明かしています。下書きを終えて清書の段階で感情が乗りすぎてしまい何度も書損じてしまいました一文字… 一文字…こんなに時間をかけて手紙を書いたのははじめてかもしれません薬丸裕英オフィシャルブログーより引用番組を見た視聴者からはたくさんの悲しみの声が上がっています。・手紙で涙腺崩壊しました。改めて素敵な人だったと思った。・感動した。心にしみました。・いいコンビだったよな。もう見られないなんて…。正反対の性格を持つ2人がいたからこそ、長寿番組として多くの人に愛されたのでしょう。薬丸さんの思いは、空の上にいる岡江さんにも届いているはずです。[文・構成/grape編集部]
2020年05月03日4月23日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった岡江久美子さん(享年63)。3日に発熱し、自宅で静養していたという。だが、6日に容体が急変。都内の病院に緊急入院してPCR検査を受けた結果、陽性と診断された。その後もICUで人工呼吸器をつけての懸命な治療が続けられたが、帰らぬ人となった。岡江さんは’75年、18歳で女優デビュー。TBS系昼ドラ『天までとどけ』シリーズなどで主演を務め、世間に知られることとなった。プライベートでは、’83年に大和田獏(69)と結婚。芸能界きってのおしどり夫婦として知られてきた。また’96年からは『はなまるマーケット』(TBS系)の司会として、薬丸裕英(54)とタッグを組んだ。持ち前の明るさがお茶の間で人気となり、番組は17年半も続いた。いつも明るく、周囲を元気にしてくれたという岡江さん。だがその陰で、彼女は数々の苦難とも闘い続けてきた。「’09年に岡江さんの実母が骨折。それをきっかけに、介護生活が始まりました。当時の彼女は『はなまるマーケット』で超多忙でしたが、毎日、お母さんのもとへ食事を作りに行っていました。’14年3月に『はなまる』は終了。少し負担が減ったのですが、今度はお母さんが認知症を発症。近所の老人ホームに入りました。そこにも岡江さんは毎日のように通い詰め、支え続けていました」(芸能関係者)’17年に実母が94歳で亡くなるまで、介護生活は8年に及んだ。岡江さんは61歳になっていた。悲しみを乗り越えようと、彼女はこれまで以上に“自分の時間”を大事にするようになった。「岡江さんは『60代なんてまだ若い!私もまだまだ頑張らなくちゃ』なんて言っていました」(前出・芸能関係者)人生は、まだこれから――。そんななか、昨年12月に乳がんが見つかったという。岡江さんが所属していた「スタッフ・アップ」の代表取締役・戸張立美氏(70)はこう明かす。「ある日、彼女が『実は、初期の乳がんで。昨年の12月に手術をしてきたんだ』と言うんです。放射線治療もやっているとのことでした。でも『本当に初期の初期だから大丈夫』とあまりにも軽い感じで伝えてくるので、私も心配していませんでした。当初は、獏ちゃんにも伝えていなかったなんて話も聞いたくらいです。世間に発表するかどうかも相談したのですが、『岡江久美子は元気なキャラ。だから、わざわざ公表しないほうがいいよね』ということになりました」つらいときこそ、岡江さんは気丈に振る舞っていたという。「彼女は昔から、弱音を吐いたりしませんでした。介護のときもそうです。当時は『はなまる』が終わると、すぐにお母さんのもとへ行っていました。本当に大変だったと思うのですが、つらさをまったく表に出さないんです。むしろ、これまで以上に元気だったりしてね。彼女は、そういう女性なんですよ」1月末から2月中旬にかけて放射線治療を行った岡江さん。だがめげることなく、人生を楽しもうとしていた。「2月末には、友達と沖縄に行っていたみたいです。彼女は旅行が好きで、時間があればすぐフラッと出かけちゃうんですよ。獏ちゃんや娘の美帆ちゃんとも、ことあるごとに海外旅行へ出かけていました。旅先での思い出は笑い話ばかり。’15年には夫婦でイタリアに行ったのですが、そのときも獏ちゃんが財布を盗まれた話をしてくれました。『お前はズボラだから気をつけろと注意してきたのに、自分が盗まれて』なんて言って、ずっと笑っていました」そんな岡江さんは生前、夫と“ある約束”を交わしていた。『婦人公論』’14年5月7日号で、彼女はこう語っていたのだ。《夫は、一緒にインドに行きたいとか、船旅もいいねなどと言いますが、体力があるうちは、私は船旅はちょっとお預けかな。旅の間あれもこれも見たい性分なので、時間を持て余しそうです。夫に「船旅は還暦過ぎたらね」と申し伝えました。(笑)》しかしそのクルーズ旅行の約束は無念にも、永遠に果たされなくなってしまった――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年04月28日2020年4月23日、俳優の岡江久美子さんが新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなりました。俳優で夫の大和田獏さんと、同じく俳優で娘の美帆さんは同日に悲しみのコメントを発表。また、翌24日には美帆さんがブログで悲痛な想いを明かしていました。岡江久美子の訃報に夫・大和田獏がコメントネットでは生放送前だった薬丸裕英を心配する声も「涙出た」「悔しい…」娘・大和田美帆のブログに、悲しみの声相次ぐ同月26日、美帆さんはブログを更新し、関わった人へ感謝の言葉を述べました。たくさんのお悔やみの言葉、励ましの言葉に今の父と私は支えられています。本当に有り難うございます。またテレビで母の特集を見たりコメントしてくださった近しい方々のお言葉を聞いて、少しずつ、心と体が理解しはじめてはいますが、未だに信じられないというのが正直なところです。一昨日、母は父の元に帰ってきました。母が帰ってくるまでに関わってくださった全ての方々に感謝いたします。色んな感情で心が苦しいですが少しだけ、安心しました。大和田美帆オフィシャルブログ ーより引用また、「今は何をしていても何を見ても母を想います」と、岡江さんとの思い出を振り返る美帆さん。「免疫力あがるから!身体にいいから!持って行きなさい!」と、袋に詰めた黒ニンニクを岡江さんから渡されたことを思い出して、涙が止まらないとつづりました。美帆さんによると、「いつも身体にいいものを調べて試してみて、よかったら勧めてくれる健康志向な母でした」とのこと。美帆さんのブログには、たくさんの悲しみの声が寄せられていました。・身体に気を遣っていたのですね…。さまざまな感情があって苦しい気持ち分かります。・どうか美帆さんも健康でいてください。コロナウイルスが憎くてたまりません。・感情を塞ぎこまずに、発散してくださいね。多くの人がコロナウイルスという恐怖と闘っていることでしょう。これ以上感染者を出さないためにも、引き続き外出自粛など一人ひとりの意識が大切です。[文・構成/grape編集部]
2020年04月27日タレントの薬丸裕英さんが、2020年4月25日にInstagramを更新。世間を騒がせている新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)について、自身の考えを述べました。薬丸裕英「どこか他人事と思っていませんか?」同月23日にコロナウイルスによる肺炎で亡くなった、俳優の岡江久美子さん。岡江さんと情報番組『はなまるマーケット』(TBS系)で長い間共演していた薬丸さんは、同日に追悼のコメントを寄せました。「朝は『はなまる』からスタートしていた」の声も薬丸裕英の投稿に涙翌24日に、薬丸さんは岡江さんの娘であり俳優の大和田美帆さんから電話をもらい、心身を気遣う言葉をかけられたといいます。当時の心境について「こちらが励まさないといけない立場なのに、美帆さんから元気をもらった」と明かした薬丸さん。続けて、テレビ番組で遺骨になって帰宅した岡江さんの姿を見て、胸が張り裂ける想いがしたことをつづり、次のような考えを述べました。新型コロナウィルスが本当に憎いです。怒りや悲しみの感情も消えず、気持ちの持っていき場所がないのが、正直なところです。このようなつらく悲しいことが、これ以上起きないようにするため、冷静に考えなければならないと思います。このウィルスを感染させるのも、拡散させるのも「人」なのです。勿論、このようなことはご承知だと思いますが、観光地に行かれる方々この時期に旅行に行かれる方々が多いのも事実です。ご自身は感染しないと思っていませんか?どこか他人事と思っていませんか?こんなに悲しく、こんなに辛い思いを、もう誰にもしてほしくないです。後悔したくないし、後悔してほしくないのです。hirohide.yakumaruーより引用 この投稿をInstagramで見る 薬丸裕英(@hirohide.yakumaru)がシェアした投稿 - 2020年 4月月24日午後7時31分PDT残念ながら、全国的に緊急事態宣言が発令され、外出自粛が呼びかけられてもなお、旅行や不要不急の外出をする人が後を絶ちません。薬丸さんはその現状に警鐘を鳴らし、投稿の最後に「医療従事者の負担を軽減するためにも、不要不急の外出は避けてほしい」と呼びかけています。気持ちのこもった投稿に対し、ネット上ではさまざまな意見が寄せられました。・本当にそう思います。・感染拡大を防ぐためにも、今は我慢の時ですね。・コロナウイルスの恐ろしさを改めて実感しました。外出自粛を心がけます。コロナウイルスの恐ろしさの1つとして、症状が出ずに無自覚のまま感染者になっているという場合があります。薬丸さんのいうように、感染を拡大させるのは人です。一人ひとりの行動によって、感染はいっそう拡がることもあれば、収束することもあるでしょう。今一度自分自身の行動を振り返りたいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年04月25日タレントの薬丸裕英が25日、自身のブログを更新し、23日に亡くなった女優・岡江久美子さんの命を奪った新型コロナウイルスへの怒りをつづった。薬丸は24日に、岡江さんの娘・大和田美帆から前日に電話を受けたことを報告。「昨日、私の事を心配して大和田美帆さんからお電話をいただきました。美帆さんこそが誰よりもつらく苦しい状況下、こちらが励まさなければいけないのに、彼女から元気をいただきいました」と心境を打ち明けた。24日には、岡江さんが遺骨になって無言の帰宅となってしまった姿が報じられたが、「玄関先に遺骨だけ置かれる無言のご帰宅その映像を見ていて胸が張り裂ける思いでした」とした上で、「新型コロナウィルスが本当に憎いです。怒りや悲しみの感情も消えず、気持ちの持っていき場所がないのが、正直なところです」と本音を吐露。続けて、「このようなつらく悲しいことが、これ以上起きないようにするため、冷静に考えなければならないと思います。このウィルスを感染させるのも、拡散させるのも『人』なのです。勿論、このようなことはご承知だと思いますが、観光地に行かれる方々この時期に旅行に行かれる方々が多いのも事実です。ご自身は感染しないと思っていませんか?どこか他人事と思っていませんか?こんなに悲しく、こんなに辛い思いをもう誰にもしてほしくないです。後悔したくないし、後悔してほしくないのです。そして、医療従事者の方々の負担軽減のため、医療崩壊を起こさないためにも、今日から5月6日まで不要不急の外出は控えましょう。よろしくお願い致します」と切実に訴えた。薬丸は、岡江さんとTBS系情報番組『はなまるマーケット』で、17年半にわたってタッグを組んだ。
2020年04月25日タレントの薬丸裕英が24日、自身のブログを更新。新型コロナウイルスによる肺炎のため23日に亡くなった女優の岡江久美子さんを偲んだ。TBS系『はなまるマーケット』で17年半にわたってコンビを組んでいた薬丸は、「サヨナラは言わない…」と題してブログを更新。青空の写真を添え、「4月24日某時刻 流れる雲、爽やかなそよ風。礼服に着替え、空を見上げて手を合わせ今の自分の想いをすべて伝えました」と報告し、「でも、まだ信じられないから岡江さんにサヨナラは言わない。。。」と心境を吐露した。薬丸は23日、インスタグラムで「岡江久美子さん新型コロナウィルスで死去突然かつ衝撃のニュースに震えが止まりませんでした。信じられないし、信じたくない」と悲痛な思いを吐露。「はなまるマーケットでお世話になって17年半芸能生活38年の中で一番長く一緒にお仕事をさせていただきプライベートでも仲良くさせていただきました。今はこの事態を冷静に受け止めることができず、心が乱れ、言葉も出てきません」などとつづっていた。
2020年04月24日2020年4月23日、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなった、俳優の岡江久美子さん。63歳という若さで世を去った岡江さんに、夫である大和田獏さんを始めとする多くの著名人が、追悼のコメントを寄せています。岡江久美子の訃報に夫・大和田獏がコメントネットでは生放送前だった薬丸裕英を心配する声も岡江久美子の訃報に大和田伸也がコメント弟夫婦への『想い』に、涙する人が続出「朝は『はなまる』からスタートしていた」の声も薬丸裕英の投稿に涙娘の大和田美帆が『悲痛な想い』を明かす同月24日、岡江さんの娘で俳優の大和田美帆さんが、ブログを更新しました。大和田さんは、「母親が亡くなったことが実感できない」といい、次のようにつづっています。17日間、私と父は何も出来ませんでした。近くに行って手を握ることも母が好きだったミュージカルの曲や可愛がってくれた孫の声を聞かせることも出来ませんでした。亡くなった連絡が来ても駆けつけられず、家にいるしかない。父とも一緒にいられず母にも一度も会えず今はどこかで遺骨になって帰ってくる母をただ待っているだけです。大和田美帆オフィシャルブログーより引用同月6日、緊急搬送された岡江さんはそのまま入院。大和田さんは、母親が亡くなるまでの17日間は何もできなかったといいます。「顔を見ることはおろか、火葬にも立ち会えず、遺骨をただ待っているだけ」と、悲痛な想いを明かしました。そして、ブログを見ている人々へ、メッセージをつづっています。コロナウイルスは、本当に恐ろしいです。私たち家族のような悲しい思いを誰にもしてほしくありません。今はただそれぞれがそれぞれの場所でできることを。大和田美帆オフィシャルブログーより引用「私たちのような悲しい思いをしてほしくない」と、コロナウイルスの脅威を訴え、可能な限りの感染予防を呼びかけました。ブログには、大和田さんを気遣う声や、岡江さんの死を悼む声が寄せられています。・大和田さんのブログを読んで、涙が出ました。ご冥福をお祈りいたします。・岡江さんのハツラツとした笑顔が大好きでした。ご家族もつらいと思いますが、どうかお身体をご自愛ください。・コロナがこわい、憎い、悔しいです。大和田さんはどうか、岡江さんが生きられなかった分、頑張って生きてください。大和田さんは、「大好きだった母親との思い出がたくさんあるので、今度書きますね」と、ブログを締めくくりました。コロナウイルスにより命を奪われた遺族の悲しみは、計り知れません。今は一人ひとりが感染予防に取り組み、不要な外出をさけて過ごすのが大切でしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月24日2020年4月23日、俳優の岡江久美子さんが新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなりました。63歳という若さで世を去った岡江さん。同日、世間に公表された訃報に対し、夫の大和田獏さんは追悼のコメントを寄せています。岡江久美子の訃報に夫・大和田獏がコメントネットでは生放送前だった薬丸裕英を心配する声もそんな中、義兄であり俳優の大和田伸也さんがTwitterを更新。大和田さんにとって弟である獏さんと、義妹である岡江さんに対し、次のような想いを述べました。獏と二人は、自慢のすばらしい夫婦でした。私にとりましても、久美ちゃんは最高にかわいい、いい義妹でした。獏から入院していると聞いた時、まさかこんな日が来るとは思ってもいませんでした。残念です。悔しいです。若い頃からの思い出は尽きません。 大和田伸也— 大和田 伸也 (@oowadashinya) 2020年4月23日 弟夫婦のことを「自慢の素晴らしい夫婦」と称し、岡江さんの訃報に悔しさと無念さをにじませた大和田さん。同じ俳優としてはもちろん、家族としてたくさんの思い出を共有してきたからこそ、胸に迫るやるせなさがあるのでしょう。【ネットの声】・残念でなりません。ご遺族の方々の気持ちを考えると、胸が苦しいばかりです。・岡江さんの明るい笑顔とサバサバとした性格が大好きでした。ご冥福をお祈り申し上げます。・義兄妹で共演されている番組を見たことがあります。とてもいい家族関係だと思っていました。突然の別れは、家族にとって大きな喪失感や悲しみをもたらします。誰よりも近くで見てきたからこそ、悔しい思いもあるでしょう。コロナウイルスの脅威にさらされた私たちが、これ以上苦しむ家族を増やさないためにできることは何かを考えさせられますね。[文・構成/grape編集部]
2020年04月24日