小1の9月、放課後等デイサービスに通い始める小学校に入学したばかりのころ、通級以外の療育や習い事には通っていませんでした。塾や放課後等デイサービスの見学に行くも、ミミの反応がイマイチだったので申し込まなかったんです。少し経って療育を受けられるところをネットで探していると、近所に放課後等デイサービスがオープンするとわかり、体験を申し込みました。ミミは担当の先生のことが大好きになり、楽しくて仕方ない様子。1時間があっという間に過ぎました。ミミが自分から「通いたい!!」と言ったのですぐ申し込みました。Upload By taeko放課後等デイサービスの後、ミミは満足そうにしていて、毎週楽しく通っていました。1ヶ月が過ぎ、2年生の男の子と一緒に活動することに。S君はミミをリードしてくれて、お互いに良い関係になりそうだなと楽しみに思いました。初日は良い感じで終了。ところが、2回目からミミの「指摘グセ」が出始めました。S君はおっとりした性格。負けず嫌いなミミは、勝てると思って?上から目線でいろいろ言います。さらに、初めて取り組む負けそうな活動は、「やらない」と言うように。ヒヤヒヤするけど、マジックミラー越しに様子を見守っていました。S君のママと子どもの話ができて私は楽しかった…。今思うと、ミミは楽しくなかったのかもしれない。Upload By taeko少しずつ態度に変化が…3ヶ月くらい経ったころ、放課後等デイサービスの方針で、ミミが大好きな先生との関わりを少しずつ減らしていくと知りました。ミミにも早めに伝えました。その影響もあってか、ミミの放課後等デイサービスでの乱れが目立つように。部屋に入るのを嫌がる、椅子に座らず床に寝そべる、パーテーションの後ろに隠れる、ホワイトボードに書かれた文字を消す、今日の活動内容を知り、興味が湧かなかったら全く取り組まないなど。S君が「やろうよ」と誘ってくれても効果なし。パパと行ったときもグダグダで、パパから怒鳴られてしまい涙を流して帰ってきたのでパパに頼むのはやめました。やりたくない気持ちや、興味のないことはやらなくても仕方ない、と思って私は叱らないで見守りました。工作で太巻をつくる活動があった日も、ミミはつくりませんでした。S君は頑張ってつくり、できた太巻をお母さんに渡していました。ミミは私に「つくって欲しかった?」と聞いてきたので「ううん、ミミは太巻好きじゃない(食べない)からつくりたくないんだよね、いいよ」とは言ったものの、何でつくらないのかなと思ってしまいました。その後もグズグズが続いて…。ボール遊びは好きだけど、新しいルールの場合は参加しない。先生に対しての言葉遣いが荒い。保育園のころに通っていたリトミックや運動療育で、何の活動にも参加しなかったときのことを思い出しました。Upload By taeko個別指導が合うのかも?4月から2年生になり、引き続き通級と放課後等デイサービスに通うミミ。放課後等デイサービスは先生が変わり、再び個別指導になりました。個別といっても、同じ部屋にパーテーションを隔てて3組で活動しています。隣が気にならないかと心配したけど、同年代の友達と競い合うことなく安心して取り組んでいます。ミミには個別のほうが合っているのかも。通級はどうなるかな?2年生のミミをゆっくり見守っていきたいです。Upload By taekoLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月21日考えないわけにはいかない、「きょうだい児」の妹のことUpload By かさはらあやこ障害や病気がある子の兄弟姉妹のことを〝きょうだい児〟といいます。私がこの言葉を知ったのは 自閉症について調べるようになってからなので、一般的にみるとたぶん知らない人の方が圧倒的に多いだろうし、当事者の気持ちになって考えることなど身近にいない限りはないと思います。そして自閉症育児に奮闘しているわたしが、きょうだい児について悩んでいると言ったら、周囲の人はきっとこういいます。まだ小さいのに考えすぎ大丈夫育て方次第そう、そうかもしれない。でも、考えないわけにはいかないのです。兄に手がかかって我慢を強いてしまうのではないか。しつけが不平等になってしまうのではないか。好きな人と結婚できないのではないか。この先に感じるであろう疑問や将来への不安に、しっかり耳を傾けてあげられるだろうか。食事中に首をひたすら振る兄をみて喜んで笑いながら真似をする。突然泣き叫んで酷い癇癪を起こす兄を不思議そうにみつめる。おもちゃを奪い合った後にこちらに視線を投げてくる…。そんな娘に、なんと声をかけてあげればいいのか、どうやって接していけばいいのか、ずっとずっと悩んできました。医者から言われた「誤学習をする可能性がある」Upload By かさはらあやこ娘が1歳になったばかりのころ、息子の通院している病院で、娘について「みたところ発達が非常に良いので、早く集団に入れたほうがいい。誤学習をする可能性がある」と言われました。兄の真似をして首を振ったり、兄が食事を口に運んでもらう様子をみて自分で食べなくなったり、〝誤学習〟に心当たりがあったわたしは、とても焦りました(その日のうちに某幼児教材を契約したくらい焦りました)。翌日に児童発達支援の先生が、「私はそれを誤学習だとは思わない」とはっきり言ってくださったため、モヤモヤした気持ちは打ち消すことができましたが、医者からの「誤学習」という強いワードは心の中から消えることがなく、いまも、ことあるごとに脅かされています。妹が保育園でお友達を押してしまった。押し寄せる不安Upload By かさはらあやこ4月から保育園に入園。慣らし保育が終わって少し落ち着いたころ、妹がお友達に対して「だめ!やだ!」と言ったり、ときには手が出て、押してしまったりする案件が発生。家で遊んでいるとき、兄におもちゃを奪われることが多い妹は、大きな声を出して抵抗し、奪い返しに行きます。兄も、こだわりのあるおもちゃであれば何度でも奪いに行き、奪い奪われ癇癪を起こし、妹は大声で泣く。そんなことが目の前で起こっているとき、両者にどう声を掛けていいのかわからず、ただ呆然と見ているしかない状態で、こちらに余裕がないときは特に、息子に癇癪を起こされては困ると、「いっちゃんはいいの!」と兄を庇うこともあり…。そのせいで、「だめ!いいの!」と、娘も混乱しているような言葉を発しながら、おもちゃを奪うようになってしまいました。私が母親だから、兄が自閉症だから、というような家庭環境のせいで、このまま娘が保育園という社会の中で、横暴な振る舞いをするようになったらどうしよう。どうしよう。どうしたらいいんだろう。そんな気持ちが一気に押し寄せてきて、涙が止まりませんでした。きっと正解なんてない。関わってくれる人たちと一緒にUpload By かさはらあやこすぐに保育園の担任の先生に相談し、それから児童発達支援の先生方にも相談。先生方はすぐに時間を割き、真剣に話を聞いてくれました。そして、いま私が悩んでいる娘の行動は問題行動ではなく、年齢的には相応しい2歳児の遊びであり、コミュニケーションの取りにくい兄とのやり取りの一つであること。物を取られるかもしれないという不安感をなくすため、取られても戻ってくる見通しを持たせる遊びを取り入れて、物の永続性を学習させる。家庭でのルールを少し緩和する(兄によしとすることを妹にもよしとする)。など〝私に対しての〟具体的なアドバイスをくれました。(先生方、本当にありがとうございました!!)〝きょうだい児〟の問題に関しては、同じように悩んでいるひとたちが数多く存在すると思います。沢山いるはずなのに、〝きょうだい児・喧嘩・正しい声の掛け方〟と検索しても、欲しい答えは見つかりません。どう声をかけたらいいのか。どう接したらいいのか。正解なんてないのだと思います。だから、・聞いてもらう・色々な人の意見を聞いて考える・いまはやりすごす(成長を待つ)・目を瞑ってなんとか乗り越える・一人で悩みすぎないそんなことが必要なのだと思いました。そして、この問題に関しては、成長と共に悩みの種類も変化し、一生悩みは尽きない気がします。自分ひとりで抱え込むのではなく、関わってくれている人たちみんなに育ててもらうつもりで悩みとうまく付き合っていかなくてはと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月20日Upload By スガカズ私は長男の3歳児検診で、列に並べない長男を捕まえて検診を受けさせることができず手をこまねいていました。そのうち、会場が閑散としていき…最後の方でやっと保健師さんと落ち着いて話ができました。そのときに、「よかったら子ども発達支援センターに相談してみてはいかがでしょうか?」と言われました。私にとっては思ってもいなかった言葉でした。Upload By スガカズ確かに外出するとひやひやする場面がありましたが、どちらかと言えば癇癪の少ない子でした。家や保育園では、もの静かで他害もなく、黙々と2~3歳には難しいパズルなど興味のあることに打ち込む子だったので、「この子はものづくりの才能があるのかも知れない」なんて、呑気に考えていました。自発的に言葉を発しないことも、「話せない訳ではないし、理解力はあるし、この子は大人しいからだ」と思っていました。とはいえ呼びかけに反応がないことが大半だしなかなか寝ない子だし、外出先で気がつくといなくなっているなんてこともあったので、「うちの子はちょっと育てづらい子なのかも」と潜在的に感じてはいました。5歳で知能検査を受けました。結果は…Upload By スガカズ子ども発達支援センターは順番待ちが多いです。長男を見てくださった心理士の方は療育センターにいることが多く、子ども発達支援センターには週に2度ほどしかいないため、1年は待つとのことでした。ようやく順番がまわってきたのは5歳のころ。5歳9ヵ月で田中ビネー知能検査Vを受けました。検査中は、椅子を左右前後に揺らしたり、離席したり…器具が提示されると何もいわずすぐに触ってしまうなどの動きの多さは目立ったものの、声をかけると続行は可能で、全体的に見て意欲的だったようでした。検査結果は6歳6ヵ月相当。「平均の上」の範囲に位置しました。相対的にみて特に大きな課題は見受けられないようで、様子見という判断となり、療育の紹介は受けませんでした。心理士さんからの検査結果と見解を聞き、当時は「心理士さんがそう言うのであればそうなのだろう」「今回の検査結果はポジティブに捉えて、この子の興味のあることはたくさんさせよう」と思うことにしました。平和主義すぎるところがあり、共感して結果人に合わせすぎたり変化に対応することが少し苦手な私の悪いクセです。当時の私にもっと強い信念があったなら、療育につなげることができたのかもしれません。後に長男の就学後に後悔することになるのでした。長男の発達障害がハッキリとわかったきっかけは、学校からの一本の電話Upload By スガカズ通常学級で小1の2学期を迎えたころに、担任の先生から呼び出しがありました。そこで長男が学校生活に適応できていないことを知りました。・授業中は絵を描いているか、教室の外に脱走する。・クラスメイトとの関わりを拒絶する。・特定の音に敏感で、音楽の授業を受けられない。などの指摘を担任の先生から受けます。たまたま学校公開の日に、同学年の生徒さんに「ねーねー、この子(長男)キモいんだよ」と率直な意見を言われ、とてもショックだったのを覚えています。そこでようやく、「自分の子どもは明らかに他の子と違う」「長男にこの先どんなことが起こる可能性があるのか」理解しました。言われたときは目の前に長男もいましたが、本人自身は「この子」が「どの子」を指しているのか分からなかったし、「キモい」の意味を理解していなかったようで、反応はなく、無表情でその場にいました。学校から帰宅してからというもの、私の頭の中は疑問でいっぱい。うちの子が何故?先天的な障害と聞くけど、私のしつけが悪かったの?妊娠中に「はしか」になってしまったのがいけなかった?私の遺伝?考えても仕方ない「原因さがし」の日々。その後しばらく私が子どもの障害を受容するまでメンタルが低迷する期間が続きましたが、担任の先生、スクールカウンセラー、療育の医師、心理士、作業療法士のお世話になり…小5でようやく特別支援教室に通えることになり、現在中2になりました。少しずつ少しずつ道が開けたという感じです。穏やかな発達障害は、優先順位が下がりやすいUpload By スガカズうちの長男のようなタイプは社会性秩序だとしても、学校生活を送る中で、どうしても優先順位は低くなりがちです。学校生活で本人が困ったことがあっても本人は助けを求めないし、学校も明らかに困るようなことがないからです。通級の見学に行き、トレーニングを受けているお子さんたちの様子を見て、「あぁ。自分の子は優先順位が低いと言われるだろうな」と直感で思いました。案の定「もっと課題の多いお子さんがいるので…それに空きもないし…」と、やんわり断られました。こういったときの雰囲気がどうも苦手です。発達障害だとわかり、支援を受けたくても受けづらい。今思えば療育センターにも通えているし、担任の先生にも配慮いただいているので、可能な支援は受けているのだろうと思いますが、当時の私は「声を大にして、『わが子により良い支援を受けさせたい!』と言っても、今までと同じように断られるに違いない。長男が今通級を選ばないことでほかのもっと優先順位の高いお子さんが支援を受けられるのかもしれない。それに、期待して断られて落ちこむくらいなら素直に受け入れたほうが自分の精神衛生にもいいはずだ」こんな風に思っていました。次回はその長男での経験が、年中から小1までトラブル続きだった次男の発達障害がわかったときにも影響したお話です。
2021年04月29日アメリカ・ヴァージニア州に住むライアン・ローリーさんは自閉症をもっています。2021年2月、高校卒業を控えたライアンさんは就職活動をスタート。ビジネスに特化したSNS『LinkedIn』に履歴書とカバーレターを投稿することにします。カバーレターとは履歴書に同封する手紙のようなもので、面接の担当者に宛てて志望動機や自己紹介などを書きます。一般的にはパソコンで作りますが、ライアンさんは手書きで仕事に対するやる気と熱意をつづったのです。親愛なる未来の雇用主様私の名前はライアン・ローリーです。19歳で、ヴァージニア州のリーズバーグに住んでいます。私は自閉症をもっています。また独特のユーモアセンスと数学の才能があり、テクノロジーが得意で、覚えがいいです。私はアニメーションかITにちなんだ仕事に興味があります。あなた方のような方々は私に賭けてみるべきだと思うのです。私は普通の人たちと同じようには学べません。仕事を教えてくれるメンター(指導者)が必要ですが、早く覚えますし、一度説明されたら理解します。もしあなたが私を雇って仕事を教えてくださったら、あなたが喜んでくださることを約束します。私は毎日出社し、あなたに指示されたことを行い、一生懸命に働きます。NBC Nightly News with Lester Holtーより引用(和訳)青年のやる気に感銘を受ける人が続出海外メディア『CNN』によると、ライアンさんの履歴書とカバーレターを『LinkedIn』に投稿するのは父親のアイディアだったのだそう。このアイディアは大成功。彼のカバーレターは700万回以上閲覧され、コメントが殺到し、複数の企業から仕事のオファーがきたのです!それだけではありません。なんとロサンゼルスにある自閉症の若者のためのコンピューター・アニメーションスタジオ『Exceptional Minds』が、ライアンさんに「奨学金でアニメーションを学ぶプログラムに参加しませんか」と申し出たのです。Ryan Lowry wrote a powerful handwritten letter to a future employer that was viewed by millions online. Now Ryan, who...Posted by NBC Nightly News with Lester Holt on Friday, March 19, 2021Ryan Lowry wrote a powerful handwritten letter to a future employer that was viewed by millions online. Now Ryan, who...Posted by NBC Nightly News with Lester Holt on Friday, March 19, 2021このストーリーは多くのメディアで紹介され、ライアンさんへの祝福と称賛の声が上がっています。・おめでとう!あなたの幸運を祈ります。・いつかきみが手掛けたアニメーションが見られるのを楽しみにしているよ。・私の15歳の息子も自閉症なの。あなたに感銘を受けたわ。自閉症をもちながらも自らの能力や得意なことを堂々とアピールし、大好きなアニメーションの仕事をするという夢に一歩近付いたライアンさん。これほどのやる気と行動力があれば、きっと彼は将来大きな仕事を成し遂げることができるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月31日実家を離れることになったASD息子大学生になったものの…20歳になった息子、今は歩いて5分ほどの大学へ通っています。Upload By 寺島ヒロ大きな音もざわざわ声も苦手タケルには聴覚過敏があり、音に驚いてパニックになることもあります。幼稚園の頃は、同じ年の子どもたちの声に耐えられなくなって学舎から逃げ出すこともしばしばで、小学生になってからも、何を言っているか聞き取れない程度のざわざわした人の声で不安な気持ちになり、家に逃げ帰ってしまうなど…度々問題を起こしていました。以前このコラムでも書きましたが、大きな太鼓の音に驚いて、お祭り会場で倒れてしまったこともあります。Upload By 寺島ヒロ大学での対応なので、大学に通うにあたっては、担当教授、講師の皆さんと面談し「騒がしくしない、大きな声で呼びかけない」など、息子の耳に届く音に気を付けていただけるようお願いしました。また、他の人が気にしない音でも不快に感じることがあること、音を聞きすぎて疲れたときには休むのを許して欲しいことなども入学前にお話しし、ご配慮いただけることになりました。とはいえ、周りの学生もみんなもう大人ですし、授業中の私語がうるさくて困るということもないでしょう。私もタケルの大学内の生活については概ね大丈夫だろうと思っていました。発達障害のある人には厳しい都会のラッシュアワーしかし、心配なのは通学のこと。タケルは中学生の頃、通学でバスと電車の乗り継ぎを経験していたので電車の乗り降り自体は出来ますが、たくさんの人がいる駅での乗り換えには慣れていないのです。Upload By 寺島ヒロ大学の近くにお引っ越しそこで、大学の近くにアパートを借り、歩いて通えるようにしました。Upload By 寺島ヒロアパートから大学はわずか5分ほどの距離にあります。ところが、このわずかな道のりにある小さな踏切が曲者で…電車がひっきりなしに通るのです!(都会では当たり前?)この踏切の音がタケルには大きな試練となってしまいました。踏切の手前にいて、向かっているときは、点滅が始まったら近づかないという方法で対処していますが…踏切を越えて、後ろから「カーンカーン!」という大きな音が後ろから聞こえてきたときは、やはりびっくりしてしまうようです。そんなこともあり、タケルは出かけると、しばしば「音に驚いて動けなくなった!」と電話をかけてきます。Upload By 寺島ヒロこの日も、「HELPコール」がかかってきたので急いで迎えに行ったところ…Upload By 寺島ヒロタケルは一応、18歳の頃からデジタル耳栓も使っていて、普段のざわざわした不快な音には対処できているのですが、突然の大きな音や、信号機や警笛などの注意を引くように作られている音は、デジタル耳栓では十分に和らげてはくれないんですよね。固まってしまう場所によっては事故につながる可能性もありますし、周囲の人も驚くでしょうから、親としても何とかしたいとは思うのですが、今のところ倒れたら回収するという対処をするしかありません。ちなみに、本人に対処法を聞いたら「なるべく安全そうな道を選んで歩くことにしている。」とのことです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月27日Upload By 発達ナビ編集部自閉症者の独特な世界観を表現した作品編集部(以下、――) 映画の原作となったエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、自閉症者の内面の感情や思考を分かりやすい言葉で伝えたことで注目され、34か国以上で出版され、117万部を超える世界的ベストセラーになりました。書著を書こうと思われたきっかけを教えてください。話せなかった僕が気持ちを伝えられるようになってから、母は僕の行動について「なぜ、そんなことをするの?」と、ことあるごとに聞くようになり、僕の説明を聞いては驚いていました。僕の行動の理由が分かるようになり、僕に接する母の態度に余裕が出てきたと思います。僕は母に尋ねられなければ、自分の行動を言葉にすることはなかったのではないでしょうか。なぜなら、それが僕にとっての日常だったからです。僕の世界が母の世界と違うと知ってから、僕が見たり感じたりしている世界を母に伝え、母からは“普通”と呼ばれている人たちが見たり感じたりしている世界について教えてもらうようになりました。当時の母は僕の行動の理由を知り、親子関係がよりよくなったと感じていたようです。自閉症者である僕の気持ちを知ってもらうことで、自閉症者に関わる人たちの気持ちが少しでも楽になればと思い、この本を出版しました。――映画は「自閉症と呼ばれる彼らの世界が“普通”と言われる人たちと、どのように異なって映っているのか?」を世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を通して追い、明らかにしていく内容でした。著書がこのような形で映画化されたことについて、どのように思っているか教えてください。すばらしい映画にしてくださり、制作者のみなさまに感謝しています。僕は、自閉症者の生きづらさや独特な世界観について文章で表現しましたが、ジェリー・ロスウェル監督は映像で表現してくださいました。多くの方にこの映画をご覧いただき、自閉症とは何かということについて考えていただければうれしいです。――本作では、自閉症のある人が世界をどのように感じているのか、視覚や聴覚で伝えている描写がありました。東田さんが完成した映画の映像を見て、感じたことを教えてください。とても芸術的な映像だと思いました。自閉症者が見ている風景のように描かれている場面がありましたが、僕が日常のすべてにおいてこのような風景を目にしているわけではありません。僕は著書の中で世界の見え方について「最初に部分が目にとびこんできます。その後、徐々に全体が分かるのです。」と書いていますが、僕の視界にそう映っているというよりは、意識の向け方がそういう感じだということです。意識というのは本人にしか分からないものだと思っていました。意識下で起きていることを映像で表現し、それを見ている人に自分の視界で起きているかのような錯覚を起こさせる映画の技術に感動しました。Upload By 発達ナビ編集部「繰り返し行動」「動きを制御できない不安」、言葉にするなら――「不安に感じるとき、繰り返し行動を行うと安心する。不確かさから自分を守ってくれる」という言葉がありました。映画のなかでも、ある女の子がキラキラしたひもをいつも持っていて、集中している時は平穏、目を離すとさまざまな刺激が飛び込んでくる描写があります。東田さんも、繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのでしょうか。また、どのようなことをすると気持ちが落ち着きますか?繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのではなく、さまざまな刺激が飛び込んでくるために繰り返し行動をしてしまうのです。どちらが先でも同じではないかと思われるかもしれませんが、繰り返し行動は、したくてしているのではないという意味では、自分を守るために繰り返し行動をしてしまうという表現の方が、自閉症の人の心境をよく表しているのではないでしょうか。僕も刺激には弱いです。気になる音や風景が目に入ると、自分を落ち着かせるために、いつも見ている絵本や昔の写真を見たり、手で耳をふさいだりしていました。今は、周りの刺激にもだいぶ慣れました。――発達ナビを読んでいる人たちのなかには、お子さんが突然家を飛び出してしまったりすることにどうしたらいいか悩んでいる人もいます。東田さんもよく家を出て外にいらっしゃったと言います。外に飛び出すことで得たかったものはなんですか?外に出ることで自分が何かを得たかったわけではなく、脳が僕にそう指令を出すのです。外に出てしまったら、あとは歩き続けるだけです。赤い靴を履いた女の子のように、僕はただ目的地に向かって足を動かします。目的地といってもどこを目指しているのか、自分でもよく分からないのです。自分がどうなるのかなんて考えませんでした。自分の行動を自分でうまくコントロールできないというのは、なぜこんなことをしているのか、自分でも説明できない状況なのだと思います。僕の場合は、警察に保護されたり、車にひかれそうになったりしたことで、勝手に外に出て行かなくなりました。――東田さんは、記憶は線でつながっておらず点としてばらばらに存在し、突然思い出されるといいます。そのような時間の感覚を持っていることで大変だと思う点、逆に良いと思っている点等があれば教えてください。大変だと思っているのは「前にやったでしょ」「もう忘れたの?」などと注意されることです。普通の人たちは、これくらい覚えているのは当たり前という前提のもと、僕たちが記憶していないことに対して、叱ったり怒ったりします。けれど記憶というのは本来、意思の力だけでどうにかできるものではなく、脳の機能も関係しているものではないのでしょうか。僕がこんな文章を書けることを不思議に思われる方もいますが、僕が言う「点のような記憶」というのは、記憶が線のようにつながらないだけで、場面ごとの記憶はあるということです。場面としての記憶があれば、言葉や知識そのものは増えていきます。僕の記憶で良かったと思っているのは、過去から現在、どの地点においても、自分という人間の存在感が変わらないことではないでしょうか。小さい頃の自分も今の自分もそれほど変わらないのです。過去に思いをはせ遠い昔を振り返るというよりは、自分がたくさんいるようなイメージです。自分という人間がこの世に無数にいるような感覚は、時間を超越しているとも言えるでしょう。フラッシュバックに怯えることもありますが、もしかしたらこれは、四次元を体感している状態なのかもしれません。――自分の体や行動を制御できない不安はありますか?そのような不安から守るためにしていることがあれば教えてください。僕は、体の機能に問題がないにもかかわらずみんなのように動けない自分のことを、「壊れたロボットのようだ」と表現してきました。大人になった今も、あまり違いはありません。指示に従うことも、集団行動も上手くできないのです。じっとしていることさえ苦痛です。そんな自分を不安に思う気持ちはずっと続いています。特別な対策はしていませんが、失敗してもそれほど落ち込まなくなりました。なんとかなると、自分で自分を励ませるようになったからだと思います。――「人間にどれだけ否定されても、自然は僕を抱きしめてくれる」という表現がありました。東田さんはどのように自然とふれあい、感じてきたのでしょうか。光を浴びれば僕の体は分解し、分子となって周りに飛び散るような感覚になります。風が吹けば風よりも速く走りたくなり、水中に潜れば自分に手足がついているのを忘れてしまいます。僕は自分が人であることが、いまだに信じられません。人の中にいる自分より、自然の中にいる自分の方が安心できるからです。嫌なことがあったら空を眺めます。流れる雲やまたたく星を見ているだけで、気持ちが癒されるのです。自閉症者として、人として、自分に向き合うUpload By 発達ナビ編集部――思ったことを会話で伝えられないことで、人とのコミュニケーションに苦労されてきたと思います。そんななか、人との関わりで癒されたり救われたりした経験はありますか?僕が心から信頼しているのは家族です。僕がここまで元気に生きてこられたのも、家族の支えがあったから。自分が信じた道を歩くことの大切さを身をもって教えてくれた母には、感謝しています。父からは、世の中にはさまざまな価値観が存在するということを教わりました。学校の先生も、僕に優しかったです。僕が友達に笑われることはあっても、いじめられることはありませんでした。先生は僕をいつも気にかけてくれていました。僕が人を嫌いにならなかったのはこのような経験も影響していると思います。僕はコミュニケーションでずっと苦労していますが、人との関わりを拒絶しているわけではありません。むしろ、人にとても興味を抱いています。――人の、どのようなところに興味があるのですか?人はいつも正反対の性質を持って生きています。「善と悪」「やさしさと厳しさ」「期待する気持ちと失望する気持ち」…どんな人もさまざまな一面を持っています。誰でも自分の気持ちに正直に生きたいと願う気持ちと、人として正しくありたいという気持ちの間で揺れ動いているし、それは僕も同じです。だから、そんな思いは自分だけではないと知ることで、僕は未来に希望を感じるのです。僕の悩みも自閉症だからではなく、人として生まれたからだと思えるからです。――映画に出てきたある自閉症の方は、文字盤で意思を伝えられるようになる前の学校教育について、苦い思いを語っていました。東田さんは、受けてきた教育についてどのように感じていますか?僕は小学校時代、5年生まで地域の学校(通常学級)で学びました。ただし、授業中も母がずっと付き添ってくれていました。小学校6年生から中学3年生までは特別支援学校に通い、高校は障害のある生徒も受け入れてくれる通信制の学校に在籍しました。普通の学校も特別支援学校も、一長一短があったと思います。子どもには教育を受ける権利があります。どんな人生を歩みたいのか、学校の選択も含め本人が決められれば理想だと思っています。――東田さんは、どのようにご自身の学校を選択してきたのでしょうか。学校は、基本的に自分で選択してきました。小学校では、とにかくみんなと一緒に勉強したかったです。けれどもだんだん周りが見えるようになり、他の人との違いに気づき始めたのです。自分はいったい何者なんだろうと、思春期の入り口で深く考えるようになりました。みんなとの違いは努力だけではうめられないことも知りました。当時は、みんなのことがまぶしかったです。そこで小学6年生から特別支援学校に転校することを決めました。小学校の卒業まであと1年、せっかくだから頑張ったら?と言われたこともありましたが、将来のためにも、自分で自閉症という障害を受け止めるべきだと思いました。特別支援学校では、自閉症である自分と向き合うことができたと思います。世界中の自閉症者が、自分らしく生きられるように――発達ナビの読者は、主に保護者や支援者です。自閉症など、特性がある人の保護者、支援者に対して伝えたいことがあれば教えてください。当事者にとっては、自分のことを心配し、気にかけてくださる方々の存在が生きる希望につながっています。人が生きるうえで最も大切なものは、希望ではないでしょうか。どうすればできるようになるのかを考えることは大切ですが、そのためにも次も頑張ろうと思えるよう応援をしてあげてください。――映画に出てくる自閉症の人たちを見て、何を感じましたか?僕が気になったのは、やはり自閉症であるために差別されている人たちがいるということです。人は生れながらに平等で誰もが幸せに生きる権利を持っているはずです。そして、幸せかどうかを決めるのは、周りの人ではなく本人だと思います。世界中の自閉症者が自分らしく生きられることを祈っています。そして、これからもどうして差別が起きてしまうのか考えていきたいです。――自閉症のある人とまわりの人たちには、どの様な対話が必要だと思っていますか。また、どの様な人に対話へ加わってほしいですか。特別な対話はいらないと思います。ただ普通の人たちとは少し違う人たちも、社会の中にいることを知ってほしいのです。「どの様な人に対話に加わってほしいですか」というご質問には、「どなたでも」と僕は答えます。――今日はありがとうございました!インタビューを終え、東田さんの繊細かつ独特な感受性と、人に対する温かいまなざしの伝わってくる言葉の数々が印象に残っています。著書では自閉症者の見ている世界観が言葉で的確に表現されていますが、映画では映像と音声で、その世界観を体感することができます。ぜひ鑑賞してみてください。※インタビューは、東田さんにお送りした質問事項に文章で回答していただく形と、オンライン対面で質問してその場で文字盤を使いながら回答していただく形の2つをとりました。この記事は、その両方の回答をあわせて執筆しています。Upload By 発達ナビ編集部東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』が原作となった映画、『僕が跳びはねる理由』 が、4月2日(金)より、角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、アップリンク吉祥寺 ほか全国順次公開。東田さんが文字でつづった自閉症のある人の感じている世界を、東田さんの言葉と美しい映像とともに描いた作品。アメリカをはじめ、さまざまな国で暮らす自閉症当事者の暮らしや夢、友情などを丁寧に取材している。原作:東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)翻訳原作:『The Reason I Jump』(翻訳:デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ)監督:ジェリー・ロスウェルプロデューサー:ジェレミー・ディア、スティーヴィー・リー、アル・モロー撮影: ルーベン・ウッディン・デカンプス/編集: デイヴィッド・シャラップ/音楽: ナニータ・デサイー原題:The Reason I Jump2020年/イギリス/82分/シネスコ/5.1ch/字幕翻訳:高内朝子/字幕監修:山登敬之/配給:KADOKAWA
2021年03月26日自閉症スペクトラムのあるウリと、その父親の暮らしを描くイスラエル映画Upload By 発達ナビニュース障害のある子どもを育てている親にとって、子どもの自立は大きな課題であり、心配や不安を感じることも多いのではないでしょうか。今回紹介する映画『旅立つ息子へ』は、自閉症スペクトラムのある一人息子・ウリと、妻と別居し息子と二人で暮らす父親のアハロンの、自立と子離れの物語。美しい映像描写で定評のある、イスラエル映画です。アハロンとウリは、まるで一心同体。二人の毎日は平穏で、言葉はなくても通じ合っています。2人がイキイキと自転車で街を疾走する様子、楽しそうに電車に乗るウリと寄り添うアハロン…静かで穏やかな風景、美しい色合いで描かれる二人の日常。ですが時に理解の無い周囲の視線が、観る人の心をチクりと刺します。その視線から息子を守るように寄り添うアハロンに、自分の姿を重ね合わせる人も多いのではないでしょうか。父子二人の平穏な生活に訪れた、ある変化二人の平和な毎日に、突然の激震が走ります。別居している母親が、ウリを施設に入れるというのです。母親もまた、親なきあとのウリが路頭に迷わないようにと、最善を尽くそうとしてるー。自分よりウリを理解してくれる者はいないと頑なな父の気持ちも、父の愛情に包まれた暮らしの中に安心を見出しているウリの気持ちも、どちらも分かるからこそ、切なさがこみ上げます。そしてまた、二人の間に入っていくことができない母の嘆く姿に、入り込む余地のない父子二人の強固な関係を、改めて感じさせられるのです。Upload By 発達ナビニュース父親は意を決して、息子と家を出ます。「いつもの電車の旅とは何か様子が違うぞ。これが最後の旅、別れの旅になる。旅の先には、父と離れて住む施設がある」そう感じたウリは駅のホームでパニックを起こします。そして、パパと一緒にいたいと訴えるのです。改めて「ウリを手放したくない」と痛感したアハロンは、施設や妻との約束を破って、リゾート地に向かってしまいます。アクシデントの中でふと垣間見えた、息子の成長Upload By 発達ナビニュース二人の旅は、さまざまなアクシデントに見舞われます。そしてアクシデントが起こるたびに、アハロンは考えないようにしてきたことに、少しずつ気づくのです。同い年くらいの女の子を見て思わず近寄って行くウリを必死で止めるアハロン。目を離したすきにどこかへ行ってしまったウリを必死に探すアハロン。ようやく見つけたとき、ウリがいた場所は…。ウリの年相応の成長、楽しみ、興味に。それは父親とともに過ごしたのでは得られない、ウリに秘められた可能性なのかもしれないと。「自分の人生を生きているのか」という問いUpload By 発達ナビニュースそしてまた、訪れる人との会話を通して、私たちは父親の人生についてもまた、深く考えさせられる機会を持ちます。今は職なし、一文無しで、妻に養ってもらっているアハロンですが、実は第一線で活躍する優れた才能の持ち主だったこと。息子のために輝かしいキャリアを捨てて、息子のためだけに生きてきたこと。でも本当に息子のためだけにキャリアを捨てたのか。自分の人生をかけて育ててきた息子だから、自らのエゴのために手放せないのではないか。父は息子に依存し、また息子も父に依存しているのではないか。その問いもまた、観る人の胸に刺さるのです。親はいつか、子どもを手放さなくてはいけません。そして子どもは親元を離れていかなくてはいけない。そんなとき、どこで、だれと暮らせるなら、我が子は幸せなのだろう。親の愛以上に子どもの力となるものとは、なんだろう。今は、毎日のことに必死かもしれません。でもいつか来る巣立ちの日のために、親自身も自分の人生を生きるという事、そして子どもには子どもの道があるということを忘れてはいけない。この映画は、あたたかく私たちを包みながら、そんなことを教えてくれるのではないでしょうか。『旅立つ息子へ』上映情報映画『旅立つ息子へ』は、3月26日(金)TOHOシネマズ シャンテをはじめ、全国公開。公開日:2021年3月26日(金)上映館:TOHOシネマズ シャンテ他、全国公開イラスト:かなしろにゃんこ2021年3月14日に、公開を記念してオンライン座談会を行いました。その様子がアーカイブでもご視聴いただけます。発達ナビユーザーにもご協力いただいた、障害がある子どもの自立や、保護者自身のキャリアについてのアンケート結果をひきながら、つながりたい支援や、これからの社会に願うことまで話しました。座談会登壇者牟田暁子(LITALICO発達ナビ編集長)田中康雄(北海道大学名誉教授/児童精神科医)橋謙太(NPO法人ファザーリング・ジャパンメインマンプロジェクト・リーダー)
2021年03月19日いよいよ幼稚園へ!入園面談では…案の定、ハルは全然座っていませんでした。かろうじて面談の部屋には入れましたが、「いってちます」と爽やかに出ていこうとしては連れ戻し…変な汗をかきました。普段のようすは私の口から説明しました。園長先生は、ハルや私をずっと穏やかにエレガントに見守ってくださり、ほっとしたものです。ですが、おそらく他のお子さんはされなかったであろう「加配の先生のお話」は、さりげなく出してくださいました。(加配とは担任の先生の補助として、心配のある子をサポートしてくれる先生のことです)ハルと一緒にいると何一つ聞く余裕もなく、元気な印象だけでも残そうとハキハキ挨拶したのを覚えています(笑)。一つ上の従兄弟が在園していたこともあり、一応問題なく入園は決まりました。スーパー多動児ハル、幼稚園に入園しました!ハルは私の実家にとって初孫。初孫が初めて幼稚園に入園するとあって、家族一同お祝いフィーバーでした。私も新生活にドキドキわくわく!というよりは…正直…疲れ切っていて精神的に余裕がゼロだったため、数時間でも離れられることで心の平穏を得られると期待していたりもしました。ごめん、ハル…。本気で可愛かった。ぷにぷにのほっぺも肩も、座っている姿だけでも涙が出るくらい可愛かったです。ずっと抱きしめて穏やかな愛情を注ぎたい。それでも、それは叶いません。道路へ、歩道橋へ、電話ボックスの上へ。手を繋いでも一瞬。するりと逃げるんだもの。ハーネスも軟体動物のように縄抜け。一日数十回追いかけていると、母は…鬼の形相にもなってしまうのでした。Upload By beth(ベス)集団生活に入れば、少しは協調性やルールが身につく…?との期待もありました。幼稚園に入って、同年代の子どもたちがみんな教室で楽しそうなら、一緒に何か活動したり、するかな…?と。ところがどっこい、やはり母の期待の斜め上を生きるハル。集団生活に、そもそも入りませんでした…。Upload By beth(ベス)木の上です(笑)。ちょっと木登りとかでなく、てっぺんまで登ってようやく、動きが止まるのでした。速攻で園のほうから加配の先生を付けていただいたハル。そこから、集団生活ではなく、加配の先生との濃密な時間が始まりました。優しかったです!担任の先生も、加配の先生も、園長先生も、温かく見守ってくださいました。これは、本当に救われました。ハルが木の上にいたこと、用具入れの屋根に登ろうとしたこと、非常用のすべりだいを逆走してさすがに止められたこと、従兄弟の教室に乱入したけれどそのあと一緒に過ごさせてもらったこと。これらのことすべて、「困ったこと」としてではなく「微笑ましいエピソード」として語ってくださったので、正直、面食らいました。「すみません」しか言っていなかった気がします。今なら胸を張って、「そんな風に見守ってくれてありがとうございます!」と言いたいです。毎日外で「すみません」だらけの私は、家族以外でも、こんなにハルを受け入れてくれる場所があるんだ…!と思いました。Upload By beth(ベス)「ハルくんのお母さんー」、降園時間に迎えに行くと私だけ呼び止められます(笑)。「今日…どうでしたか?」恐る恐る聞くと…「ずっと木の上にいました」と、清々しい笑顔で教えてくれました。「なので私はハルくんの下でずーっとボーッとしてました。ハルくんといると、忙しいけど、時間がゆっくり流れる気がしますね」と。…!先生ありがとう。そう、そうなんですよ。わかってくれますか!!なんだかしょっちゅう感動してました。育児で大変な反動か、いつの間にかかなりの感動屋になっていました。感受性を豊かにしてくれたハルには感謝しかないです。幼稚園の先生たちは、木の上の世界にいるハルを下ろして集団に入れようとすることは一度もありませんでした。それで、迎えに行くときの心持ちが軽くなりました。大変なことは、多くても数時間離れて再会するハルは、可愛くて可愛くて仕方なかったです。なんてまあるいほっぺなんだろう。なんて小さい手。先生が「ハルくん!ママきたよ」というと駆け寄ってくるハルを見て、ああ~わたしの迎えを心待ちにしていたんだな、とわかりました。抱き上げると、数時間しか離れていないのに、愛おしさがこみあげました。なぜこんな可愛い子を怒れたんだわたしは…と思ったりもしました。ハルが可愛いと罪悪感が湧いてくる。不思議で面倒臭い心理状態でした。子育てをする上で、不思議でメンドクサイ複雑な気持ちは、山ほど経験しました。一色では表せない気持ち、これもまた愛と呼ぶのだと思っています。Upload By beth(ベス)なんて可愛いんだと感動したり、普段の鬼母な自分に反省したりするものの、まあ数分も経てば、現実に直面するのでした。いくら言ってもつないでくれず、振り払われる(先程愛しかった)小さな手。その手をがしっと捕まえ、鬼の形相で叱るけれど、ハルには響かず、道ゆく人は振り返るのでした…。帰りに公園に寄って遊ばせて、お母さんたちと喋ることに最初は憧れていましたが、2分もできなかったです。まず公園内に留まっていない…。そんな帰り道。幸い自転車は好きだったので乗せて、後部座席に「きょうは何したのー?」と話しかけながら帰りました。返事が返ってくることはないけれど、その時間がけっこう好きでした。そして信号待ちで自転車の後ろを振り返ると、ハルはだいたい寝落ちしていました。その寝顔を見ると、ハル自身もまた、なかなか慣れない幼稚園生活のなかでとても疲れるよね、と気づくのでした。お疲れさま、ハル。人の世は慣れないことばかりでしょう。あれ?ふと、疑問が沸きました。人の世で生きていけるのかしらこの子…?と。そんな心配は、そっとしまって、帰路についたものでした。Upload By beth(ベス)次回は、幼稚園でのさまざまなイベントでのハルの様子や、ちょっと不思議だった出来事などを書いていきます!LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月18日今や、生活に欠かせないものとなったマスクだが、様々な事情からマスクの着用が困難な人もいる。自閉症はその理由の1つだ。米アーカンソー州リトルロックに住むキャリー・キンボールさんは先週金曜、LCCのスピリット航空を利用し夫と4歳の息子カーターくんと共にラスヴェガスに住む家族を訪ねた。往路は何の問題もなかったが、復路で思いもよらぬ対応をされた。カーターくんがマスクをしなければ飛行機には乗せられない、と搭乗を拒否されたのだ。カーターくんは自閉症で、発語がない。キンボールさんはCBS系列のKTVH-TVの取材に対しこう語る。「自閉症スペクトラムの子どもたちは、たいてい何かにとても夢中になっています。カーターは飛行機が大好きで、席に座って静かに窓の外を見ていただけなのに、女性乗務員が突然『降りなさい!』と言ってきたんです」。キンボールさんは、往路はマスクを着けなくても乗せてもらえたことを伝え、「マスクを着けさせると呼吸を止めたり、パニックになって自分を傷つけてしまうため、マスクの着用は免除される」という医師の診断書も見せたが、その女性乗務員はカーターくんに降りるよう求め続けたという。「この子には障害があるんです。アメリカ障害者法で保護されているんですよ」と反論しても、「いやいやいや、自閉症は障害じゃないでしょう。マスクを着けられないなら降りるべきです」ととりつく島もなかったとか。一家は飛行機を降り、アメリカン航空のチケットを買い直して帰路に就いた。カーターくんの診断書を提出したことで、マスクの着用は求められなかったという。CBS NEWSの報道によると、スピリット航空の広報担当者は「当社のマスクポリシーにおいてはいかなる医療上の免除も認めておりません。着用を免除されるのは2歳以下の子どものみです」とコメント。キンボールさんは「自閉症児の親でいることは困難の連続ですが、人からこのような差別を受けたことは人生で初めてです」と涙ぐみながらKTVH-TVの取材に語った。
2021年03月17日気になる友達との関わり長男のASDミミは4月から小学2年生になります。学校の昼休みに何をしているのか聞くと、「忘れた」「何もしてない」と答えることが多いです。学童では1人で遊んでいることが多いよう。夕方迎えに行って学童の活動で校庭で遊んでいる様子を見ると、みんなが遊んでいる周りをふわふわしたり、職員さんに抱きついて遊んでもらったりしています。Upload By taeko私はもっと公園で遊んでほしいなと思っています。体力をつけてもらいたいし、近所にお友達ができるから良いと保育園のときに民間療育の先生が勧めてくれたからです。でも、私が公園に誘っても服が汚れるのが嫌、家でゲームや動画を見る方が良いと断られることが多いです。休日の昼過ぎごろ、近所の公園にミミと同じ学校の子どもたちが集まることが多くなってきて、ミミも通りすがりに見かけて遊びに参加しました。遠くから見ていると、以前スクールカウンセラーさんが言っていた通りで、遊びには参加しないミミ。「~したい人この指とまれ」と誰かが言って、みんなは集まるけどミミは近くでふわふわしています。遊びには参加しないけど、周りにくっついて、みんなが走り出したら自分も走る。Upload By taekoUpload By taekoたとえば「鬼ごっこ」。参加していない「つもり」だけど、みんなと一緒に逃げるミミ。初めて遊ぶ年上の子がミミのことも追いかけてタッチ!けれど、鬼にならず相手を追いかけないミミに対して「ねえタッチしたよ!ねえキミ大丈夫??」、仲間に向かって「あの子タッチしたんだけど、あの子大丈夫!?」と言う年上の子。どうしようか困った私はミミを呼び、「タッチされたら追いかけなきゃだよ」と言うと、無言になり公園から出て行ってしまいました。追いかけて聞くと「あの人がやめてって言ってるのに追いかけてきたの」と涙目で答えます。見ていた感じではミミは嫌がってるように見えなかったけど…。モヤモヤしたまま帰宅。特性を知っている同級生と、知らない年上の子Upload By taeko放課後等デイサービスの先生に相談すると、年上の子はミミにとって初めて遊ぶお兄さんで、追いかけられてタッチされると思っていなかったのでは?とのこと。クラスメイトはミミの普段の様子や特性を分かっているから、追いかけないのですね。なるほどと思うと同時に、私はミミのことを全然わかってあげられていないのだな…と気づかされました。先生のアドバイスは、ミミのことを話せば年上の子ならわかってくれることが多いから、まだ幼いといった意味合いの「おまめさん」と思ってもらいましょうとのこと。次の休日に公園へ誘うと「ルールを守れないから…」と行くのを嫌がるミミ。でも、知っている子を見つけると、走って公園へ飛び込んでいきました。気の合う子とは抱きついたりしてじゃれ合うこともあるのだと分かり、安心しました。まったく相手にされていないわけではなさそう。ミミはブランコができないので、お友達がブランコをしているときは、ほかの遊具で遊んでいます。それでもミミは楽しいようで、数日後、学校から帰るとまた次の休みの日に公園で集まろうという話になったようでホッとしました。いろいろあるけど、公園でお友達と楽しんでいるミミの姿が見られるのは嬉しいこと。どんどん服を汚してきてね!Upload By taekoLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月17日自閉症スペクトラムの当事者が、その内面の感情や思考、記憶を言葉で伝えた世界的ベストセラーをドキュメンタリー映画化した『僕が跳びはねる理由』。この度、彼ら特有の時間感覚が語られる本編特別映像が解禁となった。映像は、草原を自由に駆ける少年の映像から始まる。まるで時間の感覚を忘れるような、その大自然の風景の印象とシンクロするように「今言われたことも、ずっと前に聞いたことも、僕の頭の中ではあまり変わらない」「みんなの記憶は多分線のように続いている、でも僕の記憶は点の集まり」と、これまで一般的にあまり知られていない、自閉症スペクトラムの時間感覚を告白。“古い記憶”のみならず、“そのときの感情”も突然の嵐のようにやってくるイメージを過去様々な人生の記憶と時間をコラージュすることで表現した映像となっている。『僕が跳びはねる理由』は4月2日(金)より角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:僕が跳びはねる理由 2021年4月2日より角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国にて公開ã2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute
2021年03月12日アイルランド・ダブリンに住むテレンス・パワーさんが投稿した動画が人々を笑顔にしています。テレンスさんが7歳の弟であるエドワードくんと一緒に路面電車『ルアス』に乗っていた時のことです。彼らは偶然、ミック・マクローリンさんという男性と会いました。海外メディア『Dublin Live』によると、3人はこれまで何度もルアスの車内で会ったことがあり、顔見知りなのだとか。しかししばらく会うことがなく、この日は久しぶりの再会だったといいます。エドワードくんは自閉症のため、言葉でコミュニケーションをとることが難しいのだそう。そんなエドワードくんのために、ミックさんは会うといつも歌を歌ってあげるのです。この日もミックさんは車内で歌い始めます。するとエドワードくんは…。@terencepower_Busker singing to my little brother who has autism, would bring a tear to a glass eye❤️ ##fyp ##4upage♬ original sound - Terence Power弾けるような笑顔を見せるエドワードくんはとっても嬉しそう!そんな2人の交流を見ていたテレンスさんは思わず涙ぐんでしまったそうです。この動画が撮られたのは新型コロナウイルス感染症のためにマスク着用が義務化される前でした。テレンスさんが2021年3月にTikTokに投稿したところ拡散され、たくさんのコメントが寄せられたのです。・ピュアな喜びが伝わってきて、こっちまで幸せになるよ。・男の子と同じくらい、男性も楽しんでいるのが分かる。・この動画、何度見ても笑顔になっちゃう。また動画にはミックさんの歌の素晴らしさを称賛する声も多いのですが、実は彼は地元では有名なストリートミュージシャンなのです。ミックさんはエドワードくんのことを『友達』と呼び、動画が撮影された日は久しぶりに会えたことが嬉しくて「歌わずにはいられなかった」と語っています。彼が歌った曲は映画『トイ・ストーリー』の主題歌であるランディ・ニューマンの『You’ve Got a Friend in Me(君はともだち)』。まさに友達同士の再会にぴったりの曲ですね。音楽を通じて心温まる交流をする『友達同士』に多くの人が幸せな気持ちになれたようです。[文・構成/grape編集部]
2021年03月12日他の子に迷惑かけるかも?Upload By ぼさ子自閉症のあるほぺろうは他人とのコミュニケーションが苦手なので、保育園に入るまで『他の子と一緒に遊ぼう』という意思が一切ありませんでした。他の子と関わったことがないので「お友達に優しく」とか「叩いちゃいけません」といった教訓に触れたこともありませんでした。そしてこの3歳のころは癇癪が強い時期で、発語がなく自分の気持ちを伝えられないイライラをぶつけていたのか、自宅では私を叩きつけたり髪の毛をむしったりという行動が見られていたので、余計によそのお子さんに危害が及ばないか心配でした。幸い、現在お世話になっている保育園は障害児受け入れの経験が多いこともあり、ほぺろうの癇癪っぷりを見ても動じない先生たちの様子から、初めて訪問したときから園への信頼は持つことができていました。なので、ほぺろうの入園準備期間に先生たちにたくさん相談に乗っていただきました。Upload By ぼさ子ほぺろうは加配希望で入園したので、加配の先生に目配りをお願いしたのと同時に、お友達やその保護者の方が心配する様子があれば先生に窓口になってもらって私に伝えてほしいと申し入れました。そして、ほぺろうの普段の様子・発達クリニックの記録・特性・対処法などをまとめたノートを先生に渡して情報共有し、今もそれは続いています。他の子との差に心折れるかも?私はもちろん折れました。同じ歳の子のみならず、歳下の子と比べても追いついていないわが子の現実に、ほぺろうが5歳になった今でも正直凹むことがあります!実は私、過去に少しだけですが保育施設でお手伝いしたことがありまして、その経験から学んだことがあります。それは、『障害がない子も発達の差はある』『どんな子も全員、手を焼くところ・良いところが必ずある』『どんな子も漏れなく可愛い』ということ。すべてにおいてパーフェクトなんていう子は一人もいませんでした。「障害のない子だって発達の差はあるし、しっかり大人の手を焼かせている」。そう思うと気がラクになりました。Upload By ぼさ子障害児を良く思わない人もいるかも?恥ずかしながら私は、ほぺろうを産むまで障害のある人に対して『よく分からない、あまり関わりたくない』と思っていました。なので今の環境で、ほぺろうのことを良く思わない人がいたとしても不思議ではありません。幸い今は優しい方たちに囲まれていますが、お友達も保護者の方もいろんな考え方があって当然。私の『ほぺろうを受け入れてほしい』という考え方も多様性の一つ、否定的な考え方があったとしてもそれも多様性の一つ…。そんな風に考えておくと、不必要に傷つくことが減ったように思えます。以前お世話になった保育施設の先生が『ほぺろう君の存在は集団にとって必要。他の子にとって気づきや優しさの勉強になる』と仰ってくださったことがあり、その言葉とそう考えてくれる人の存在に励まされました。Upload By ぼさ子私ができることとしては、他の保護者の方に会ったら「こんにちは」など普段の挨拶は欠かさず、気になることがあったときに話してくれやすいように気をつけています。そして「いつもお子さんがほぺろうと仲良くしてくれてありがとうございます」と感謝を伝えたりしています。年中の今では保育園を楽しめるようになったほぺろう入園したものの、適応するには相当な時間と労力がかかったほぺろう。朝は私となかなか離れられず、日中もちょっとしたことがキッカケですぐに癇癪。先生にもお友達にもたくさん迷惑をかけていたと思います。それでも周りの皆さんに助けられて、1年かかってようやく泣かずに登園できるようになりました。年中の今では保育園が楽しそう!以前は私から離れられず保育園の玄関でグズっていたのに、現在は私をサッサと締め出すまでに成長しました。Upload By ぼさ子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年03月12日私には2人の息子がいます。次男は2歳のときに言語発達遅延、その後、自閉症スペクトラム障害だと診断されました。当時の私は発達障害についてまったく知識がなく、戸惑うばかり。夜な夜なインターネットで検索しては落ち込み、将来を悲観したり、枕を濡らしたこともありました。そんな私が障害をもつ次男にどう接してきたか、次男が二語文を話し出すまでの体験をお話しします。 言葉が減っていく次男次男の異変に気が付いたのは、2歳の誕生日を迎えたころでした。それまで順調に増えていた単語が、徐々に消えていったのです。言葉の爆発期といわれる時期に、単語を忘れていく次男。不安を感じていましたが、新たに覚える単語もあったため、私は気のせいだろうと思っていました。 そんなある日、ついに次男は「ママ」まで言えなくなってしまったのです。これはさすがにおかしいと感じ、藁にもすがる思いで市の発達相談窓口へ連絡しました。 すべての動作を言語化する市の発達相談窓口に相談すると、療育センター、専門医を紹介してもらえました。そこで私は次男を連れて、紹介してもらった専門医を受診しました。専門医からは、言葉を増やす転機となる重要なアドバイスを受けることができたのです。 それは、すべての動作を言語化すること。例えば、手を洗うときは「袖をまくって、水を出すよ。水が冷たいね。泡を付けて……」と説明しながら洗うというものです。これは、簡単に見えてなかなか精神的に大変でした。反応の薄い息子に向けて、1日中、実況中継しているようなものですから。 ついに、二語文が…!次男は電車が大好きで、駅までの散歩を日課にしていました。ある日いつもの通り電車を見に行くと、突然次男がこう言ったのです。「電車、きたね」。待ちに待った二語文。 私は目に涙をうかべながら、「うんうん、そうだね。電車きたね。きたって言えてすごいよ!」と何度も何度も次男をほめました。この日の出来事は、一生忘れないと思います。長男のときは成長過程の1つだと感じていた二語文ですが、次男にとっては本当に大きな一歩でした。 次男はその後も少しずつ言葉が増え、自分の思いを相手に伝えられるようになりました。今、4歳の次男は幼稚園の人気者。先生や友だちに愛されて、笑顔あふれる日々を過ごしています。まだ会話の受け答えはうまくはありませんが、これからもたくさん話しかけて、次男らしく元気に過ごせるようサポートしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。
2021年03月10日書くことが苦手だったミミミミが鉛筆を持つようになったのは年長のころですが、とにかく嫌いで苦手でした。1年生になって仕方なく鉛筆を持つようになったけれど、平仮名のドリルはまったくやる気なし。年長向けの運筆ドリルもイヤイヤでした。国語の宿題では、同じ文字を何回も書かなければならず、1文字書くのにも時間がかかっていました。興味のわかない文字を何回も書くことは私もつまらないと感じるはず、ミミが国語を好きじゃない気持ちもわかりました。Upload By taekoミミが文字を書くように?小学生になり半年くらいたったころ、学童で昆虫の名前と絵がある「昆虫カード」をたくさん紙に書いてきました。ミミは自分の好きなことなら文字を書けるんだとわかりました。ちなみに足し算や引き算は得意で、ミミは 「好き」らしいです。だから数字は嫌がらずに書いています。昨年の休校時期に、iPadの算数アプリをやって、算数を好きになれたことが良かったのかも?Upload By taeko新しい苦手も出てきたけれど授業はだいぶ進んできて、算数では「60マス計算」が始まりました。プリントを見ると、得意なはずの計算が間違っている!ミミに聞くと、計算する数字を誤って見てしまうとのこと。先生も丁寧に教えてくださっているようですが、ミミはバツのチェックが付くので「算数キライ」と言うようになりました。ネットで探した計算のやり方をミミに伝えても、聞く気がなく、学校の先生じゃないとダメなのかも?Upload By taekoミミは、家でも積極的に漢字を書いてくれるように。パパとのゲームに出てくる漢字や、外で見かける漢字が分かって、楽しんでいるようです。学校の授業で手紙を書くようで、私の誕生日に書いてくれました。保育園のころはまったく文字を書こうとしないので、興味を持ってくれたらいいなと思い、「だいすきだよ」と書いた手紙を持たせると保育園で破いていたことも。あのころはつらかったけど、今は私に手紙を書いてくれるなんて、成長がとっても嬉しい。Upload By taeko手紙を書く相手は...?休日に動物との触れ合い体験に行き、そこにいるオカメインコがすっかり気に入ったミミ。学校でインコ宛に手紙を書いてきました!封筒に入れて、次の休日に手紙を持って行きました。インコの前で手紙を読み、手紙を差し出すとインコは手紙をガジガジかじりました。「ありがとうって言ってるみたいだね」と言うとミミは嬉しそう。「また手紙を書くね!ほかの〇〇ちゃんにも書く!」と、10羽くらいいるインコの名前と性別を全部覚えていたことにびっくりです。Upload By taeko「好き」の力は大きいミミにとって、好きかどうかが大きいのだなと感じました。好きになると、勉強もうまくいくようです。国語を好きになってくれて良かったです!LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月22日これ...普通なのかな?ハル2歳。イヤイヤ期?という感じのものは特になく、でも大げさではなく外に出れば1分もそこに留まっていることはありませんでした。毎日毎日、息子を追いかけて、てんやわんやして。初めてのことだらけで、正解がわからない!!育児については、本でもネットでも勉強しました。マニュアルは見ないほうがいいと思っていたけれど、当時目にしたものはほぼマニュアルでした。でも、やっぱり当てはまらない。こんなに多種多様な人類の発達を、年代別にくくれるわけがないのだろうと思ったりしました。比べると気持ちが病んでくるので見るのをやめたけれど、見るのをやめたとて正解がわかるわけでもなく。「子育てに正解なんてない」、それはわかる。とはいえこの毎日は?これでいいのか?正解?まちがい?答えがほしい。みんなこんなもん?と。Upload By beth(ベス)そうだ、周りの子育て経験者に聞いてみよう!ちなみに当時24歳前後、周りに3歳以上の子どもがいる友達はいませんでした。男の子を育てていない実母に聞いてみました。「男の子ってそうなのかねぇ...元気だねー大変そう」男の子を育てた義母に聞いてみました。「男の子はみんなそう!子どもはみんなそうだよー」親戚たちは気をつかって「そのうち落ち着くものだから...」とお盆や正月に会うたび、そう言ってくれました。そう言うほかなかったのだと思います。笑そうか、そういうものなのか。落ち着いて周りをよく見てみよう!ハルみたいな子、周りを見てもたまにいるもんね。けっこうやんちゃで動き回ってる子、いるもんね...と安心しようとしました。Upload By beth(ベス)同級生でわちゃわちゃ動いていた元気な子たちも幼稚園の準備に入るころには大体落ち着いていて、座って話を聴いたりできる子が大半になっていて、いつの間に!?あれ、わが子はまだまだ絶賛多動だけど!?と衝撃を受けました。同年代の子たちの成長に、うろたえるばかりでした。3歳、最初の迷子騒動の思い出ショッピングモールの中の子育て広場(乳幼児の遊び場)にはよく行ったけれど、絵本を取って振り向いたらもういなかったことがあります。一瞬のことすぎてもはや忍びかと思いました。本をとり、顔をあげると、もういない。(五・七・五、多動育児しんどみ俳句)Upload By beth(ベス)Upload By beth(ベス)近くにいるだろうと思って探したけれど、ついに職員の方に助けを求めることに。青ざめた職員の方に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「よくあるんで!すぐ見つかるんで探してきます!アハハ〜」と言って探しに行きました。こんなときにも人の顔色を見ているのか私は...とまた自分のことが少し嫌になりました。そうして1人で集中して探しに。建物の外に出たらどうしよう。すぐに駅もある。道路もある。改札をするりと抜けたら?道路の向こうに興味をひくものがあったら渡ってしまったこともある。ひょいと連れ去られて車に乗せられたら?どんどん想像してぞっとしました。地下の食品売り場へ行っただろうか。本屋?外ではありませんように!どちらに探しに行くかはいつも賭けでした。たくさんの選択肢が頭に浮かんでは、選ぶごとにプレッシャーはつのっていくのです。必死に探し、館内放送もかけてもらい、座って休んでいたお年寄りにも「3歳くらいの男の子を見ませんでしたか」と聞くと、お年寄りを慌てさせてしまい、これも心苦しかったです。Upload By beth(ベス)わたしのアンテナがキャッチしたその声のほうへ行くと...色々予想して頭をフル回転させる。足もフル回転させる。そうして駆け回って探していると、小さな高い声が聴こえた気がした。蚊の鳴くような、普段なら雑踏に埋もれるくらいの音量の音にも似た声。それは毎日聴き慣れたもので、楽器みたいな、動物の赤ちゃんみたいな...Upload By beth(ベス)いた。やっぱりハルの鳴き声だった(鳴き声って)。ちょっと暗い中階段に腰かけていた。最上段から見下ろしていたその顔は、というと、何食わぬ顔すぎた。Upload By beth(ベス)わたしはというと、無表情で無感情でした。なんだか感情を動かすことに疲れていて、無言で抱っこして子育て広場に戻りました。そして報告と、迷惑をかけたことを謝らなくては、と思いました。Upload By beth(ベス)周りの反応は...子育て広場の職員さんは私たちが現れた瞬間、歓声を上げてくれました。みんなそれぞれに安堵してくれて、「よかったよかった」と言ってくれました。ちらっとしか見ることができなかったけれど、その30代くらいの女性職員さんは、少し泣いてくれていて。それを見たら、涙が出てしまいました。Upload By beth(ベス)そうしてだんだん気づいたこれが覚えている限りの最初の、人をお騒がせした大きめな迷子だと思います。人に迷惑をかけてしまうことがひどくストレスでした。もうあのころは、ストレスによってアンテナが張り巡らされ、それによってストレスを拾っていたようで、なんだって疲れました。そうしてだんだん気づいたんです。この子育て広場に週に何回も通っていたけれど、こんな風に子どもが外に出ていってしまってお母さんが捜索に出るといった光景、こういった親子は、一度も見たことなかったなと。なのでいやでも、「やっぱりわが子は普通ではない...?」という思いが、ハルの行動を目にするたび頭をよぎるようになっていました。幼稚園に行けばきっと...あっという間に、幼稚園へ入園する年齢が迫ってきていました。不安もあったけれど「集団の中でお友達をまねて、一緒に行動できるようになるのでは」と期待もありました。そして入園のための面談の日を迎えることとなったのです...LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月17日息子のパニックに困り果てていた私の心に刺さった、主治医の言葉息子はもう成人していますが、幼児期、小学校低学年の一番状態が悪かったときの主治医の言葉です。「パニックを起こす理由が立石君にはあるのです。『こうしてほしい』というこだわりには応じ、小さいうちに安心できる生活環境をお母さんが与えてください。パニック起こして一番しんどいのは本人なんですから」「もし、お母さんが人の履いたスリッパがどうしても履けなかったとしましょう。『履け』と命令されたらどうですか?それを履いて落ち着いていられますか?こだわりは自分だけのスリッパと同じなんです」「人が食べたガムを食べることができますか?子どもにとって偏食は、芋虫や他人が食べたガムを食べろと言われているようなものなのです」「喘息発作も起こせば起こすほど、それを誘発させます。『普段から吸入して発作を起こさない予防をすることが肝心です。自閉症児のパニックもそれと似ています。起こさないように周りが配慮してやることです」「お母さんからすれば『なんでこんなことにこだわるんだ』と思うことも、本人にとってはとても耐えがたい嫌なことなのですから、こだわりには応じてあげてください。」Upload By 立石美津子親は安全基地になるまだ言葉を話せない赤ちゃんは不快な状態のSOSを泣いて訴えます。お腹が空いても「ミルクが欲しい」と言えない。オムツがうんちでベチョベチョになっても「不快だ、交換して」と言えない。暑くても自分では服を脱げない。かゆくてもかけない。寝ようとしてもなかなか寝つけない。だから泣いて必死に訴えます。母親はその泣き方から「なぜ泣いているんだろう?」と原因を探り、「おお、よしよし。今、おっぱいをあげるからね」、「オムツをとりかえてあげるからね」と助けてやります。そして、子どもは「この人は僕を保護してくれる人だ」と母親を認識し、親の愛情の元「この世は生きていても安全な場所なんだ」とだんだんとわかってきます。パニックが起きたときは自閉症のある子には同じ道順しか通れない、決まった服しか着られないなどさまざまなこだわりがあります。それを押し通すことを周りの大人が許してくれないとき、また感覚過敏により「この音は耐えらない」と感じるときは、“止めてくれ”とばかりに全身の力で訴えます。地面に頭を打ちつけたり、自分の腕を噛んだり、自傷(自分自身を傷つける)したりパニックを起こすこともあります。私も親として未熟だったころはパニックを起こされたときは「いい加減にして!」と私もパニック状態になりました。親に助けを求めているのに子どもの世界を理解してやらないで、押さえつけたり叱ったりする最悪の対応をしていました。Upload By 立石美津子どう対応すればいい?大人だって悲しいとき、泣きたいとき、怒りが込み上げてきたときその感情を抑え込んでしまったら八方塞がりになります。もし、パニックを起こしてしまった場合は嵐が過ぎ去るのを待つしかありません。時間が本人をクールダウンさせ解決してくれるような気がします。パニックに親が巻き込まれてしまっては、共倒れ、何もしないことが一番の解決法だと感じています。「ああ、悲しいんだね。あなたの負担になる原因はつくらないようにするからね」と安全地帯になることです。また、自傷するときは自分の身体がダメになるほど傷つけたりはしないと感じています。「これ以上やるとひどい怪我になる」のマックスギリギリのところをわかって本人はやっているように見えます。そのコントロールが難しい場合は専門医師の処方の元、抗精神病薬を使う場合もあります。できれば、パニックを起こさないように、子どもの望みを聞いてやることです。“同じ道順をいつも通ってやる”、“同じ服を着せてやる”など。「毎日同じ服を着たら汚くなってしまう」と思うのならば、同じ服を何着が買っておけば済むことです。親の忍耐が必要ですが、これを続けているうちに子どもも安定し、新しいことにチャンレンジできるようになってくるのだと思います。主治医の言葉が心に刺さってからは、息子が「これだけを着たい」と言えばそれを着せ、同じデザインの靴しか履かなければ、13センチ、14センチ、15センチと何足も買っておきました。自閉症児として生まれて数年しか経っていない幼児期に、「苦手なことを克服しなさい」と言われるのは本人にとっては酷なこと。母親として子どもが安心できるよう、まずは寄り添うことで、恐々でも新しいものに挑戦できるようになっていくのだと思います。こだわりには“それを何とか治そう”ではなく、“とことんつきあう覚悟”が親には求められているのではないでしょうか。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月12日神経発達症のある子どもとメラトベルメラトベルは、6歳から15歳までの神経発達症(主に自閉スペクトラム症)のある子どもに対して処方される薬です。6歳未満および16歳以上の患者への安全性は確立されておらず、それらの年齢の人には保険診療で処方できない薬です。また、新薬のため令和3年5月末までは2週間分しか処方できません。神経発達症のある子どもは、寝つきが悪い、夜中に何度も目が覚めてしまうなどの睡眠障害で悩むことが少なくありません。睡眠障害に伴う睡眠不足は、神経発達症の多動や過活動、興奮状態、怒りっぽいといった症状を強めることもあり、日中は目覚めていても眠気が強く集中力を欠いてケガの元になることもあります。しかし、夜になると元気になり、興奮状態に陥り眠れず、近年では電子メディアを見ることで光(ブルーライト)が目に入り、余計眠れなくなるという悪循環に陥るケースも増えています。メラトベルの有効成分であるメラトニンそのものは、海外ではドラッグストアなどで購入可能ですが、これまで日本では神経発達症のある子どもの睡眠障害に対する医薬品は承認・販売されていませんでした。そこで、ノーベルファーマ株式会社が2013年から同剤の臨床試験を開始。2020年に販売が開始となりました。どのような仕組みで睡眠に効果があるの?メラトベルの成分は、身体のなかで分泌するメラトニンというホルモンです。メラトニンが作用することで眠くなるのです。そもそもメラトニンは、脳のなかの松果体でつくられるホルモンで、概日リズム(サーカディアンリズム)の調節をする働きをし、眠りを促す作用があります。メラトニンの分泌は、視覚で感じる明暗の周期によってコントロールされており、血液中の濃度は午後のおやつ時と夜間に高くなるといわれています。その時間帯は眠気が出るため居眠り運転等による交通事故が多いというデータもあります。メラトニンはパイロットやCAなど時差のある職種で時差ボケを防ぐ目的としても用いられています。人間は朝陽を浴びることで視交叉上核にある体内時計がリセットされ、そのおよそ15時間後にはメラトニンが分泌され眠くなる(睡魔)というリズムがあります。夜にメラトニンが分泌されて眠くなると子どもの手は熱くなり、体内から熱を放出することで体温を下げて眠りの準備に入るのです。メラトニンは光によって抑制されます。子どもが夜眠くなっても親と一緒にTVやゲームなどの電子メディアを見続けることによって脳が目覚めてしまい、その結果、入眠時刻の遅延が生じ、概日リズム(サーカディアンリズム)が乱れるというケースも増えています。リズムが乱れることで子どもは興奮しやすく、怒りっぽくなることもあります。6歳から15歳の自閉スペクトラム症に伴う睡眠障害のある子どもに対して行った臨床試験の結果、メラトベル投与2週間後の電子睡眠日誌による記録で、寝床に入ってから眠りにつくまでの時間(入眠潜時)が短縮し、統計学的に有意であるということが認められました。メラトニン | 厚生労働省 e-ヘルスネット使用方法・用量は?メラトベルの使用方法・用量は以下の通りです。・使用開始:0.5g(メラトニン1mg)・用法:1日1回就寝前・最高用量:2g(メラトニン4mg)※新薬のため令和3年5月末までは2週間分しか処方できません。メラトベルは、6歳から15歳までの子どもに処方される薬です。用量は0.5g(メラトニン1mg)から2g(メラトニン4mg)までです。最初の処方時には、0.5g(メラトニン1mg)から使うことが基本となっています。3ヶ月程度経過したら継続投与するかどうか再評価していきます。※SSRI(セロトニン再取り込み抑制剤)とは一緒に服用することができません。服用するタイミングは就寝前(寝たい時間の直前)です。食事と同時や食事直後の服用は、最高血中濃度が低下する事例が臨床試験において確認されているため、避けることが望ましいです。メラトベルの副作用や注意点国内での臨床試験で確認された主な副作用は、傾眠4.2%、頭痛2.6%、肝機能検査値の上昇が1.3%でした(308例中)。メラトベルは比較的副作用が少ない薬ですが、起床後も眠気が続いたり、めまいがしたりといった症状が副作用として出る場合があるので、保護者が子どもの活動内容などについて、十分に配慮する必要があります。メラトベルを服用しているあいだは、高いところに登るなどの遊びや行動、自転車などの運転にも注意を払った方が良いでしょう。また、小学校高学年以上の年齢の場合には、危険性の高い電動工具などの機械操作は避けるようにしてください。思わぬ事故につながる可能性があります。また、一度眠った後に起床して何かをする予定があるときは、服用をやめることが必要です。副作用として気になる症状が出た場合には、早めに医師に相談し、服薬量の調整や、場合によっては服薬の中断や薬の変更なども含めて、指示を仰ぎましょう。また、睡眠障害改善のためには、薬だけに頼らず、併せて生活習慣を見直していくことも大切です。小児の睡眠障害の治療では、睡眠習慣に関する指導が重視されています。前述のように、メラトニンは昼間の分泌は少なく、夜間に多く分泌されることで、眠りへと導いてくれるものです。昼間に太陽の光をたくさん浴びて活動しておくなど、基本的なことが安定した睡眠のためにとても重要です。心がけたい項目は以下のものです。・朝の日の光を浴びる・朝ごはんを食べる・昼間、体を動かす・夜は早く寝る、寝る際には部屋を暗くする(常夜灯も消す)メラトベルの臨床試験でも、服薬と合わせて睡眠習慣に関する指導が行われています。このように生活習慣を整えながら、そのうえで睡眠が改善されなければ治療方法を医師と検討していきましょう。他の睡眠導入剤との違いメラトベルは、前述した通りメラトニンを成分とした薬です。2010年から発売されていたロゼレムは、メラトニン受容体に作用する薬です。メラトベルは体の中でつくられる「メラトニン」そのものが有効成分なので、より自然に作用し、睡眠を促してくれるといえます。安全上、受容体作動薬は小児にはまず適応されません。また、ロゼレムは本来大人用の薬ですが、メラトベルは6〜15歳の子ども用の薬という特徴もあります。さらに、メラトベルは自閉スペクトラム症やADHDなどの神経発達症のある子どもにのみ認められている薬です。それ以外の子どもの睡眠導入剤としては処方されていません。神経発達症に関わらない子どもの不眠症に対してはわずかに入眠を改善するという報告のみで、処方対象になっていないのです。まとめ今回は2020年6月に発売された、6歳から15歳までの神経発達症のある子どもに対して処方される入眠改善薬『メラトベル』をご紹介しました。これまで、自閉スペクトラム症などの神経発達症のある子どもの睡眠障害については数多く報告されていたものの、その症状を改善する薬はこれまで日本では販売されていなかったのです。2019年には小児神経学会から「神経発達症に伴う睡眠障害に対するメラトニンの早期承認」についての要望書が厚生労働省に提出されるなど、メラトニンの有効性に対しては以前から大きな期待が持たれていました。メラトベルが発売されたことで、神経発達症のある子どもの睡眠障害が改善され、またその家族のQOLが向上することも期待されています。治療薬の選択は主治医と相談のうえ、主治医の指示に従ってください。また、睡眠障害には薬だけでなく、生活リズムを改善することも重要です。子どもの特性に合わせてできるだけ、家族がサポートをしつつ生活習慣を整えることも大切です。参照:メラトベル顆粒小児用 0.2% に関する資料 | ノーベルファーマ株式会社
2021年01月28日自閉症を抱える作家・東田直樹が13歳のときに執筆した「自閉症の僕が跳びはねる理由」を基にしたドキュメンタリー映画化した『The Reason I Jump』が、『僕が跳びはねる理由』として4月2日(金)に日本公開決定。ポスタービジュアルが解禁となった。これまで理解されにくかった自閉スペクトラム症を抱える者の内面の感情や思考、記憶を言葉で伝えた内容が大きな注目と感動を呼び、30か国以上で出版、現在117万部を超える世界的ベストセラーとなっている「自閉症の僕が跳びはねる理由」(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)。この書籍の英語版を基にした本作は、世界最大のインディペンデント映画祭としても有名な第36回サンダンス映画祭にてワールド・シネマ・ドキュメンタリーコンペティション部門の観客賞受賞、同じく2020年に開催されたバンクーバー国際映画祭では長編インターナショナルドキュメンタリー部門観客賞&インパクト大賞をW受賞。多数の海外メディアからも「五感を刺激され自閉症者の世界を体感できる」(Backseat Mafia)、「斬新で見事なカメラワーク」(Screen Mayhem)、「感情に突き刺さるような美しさ!」(Variety)、「驚異的な作品!」(The Hollywood Reporter)など、絶賛の声が続々と上がっている。斬新な映像表現や音響効果で問いかける体感ドキュメンタリー「自閉症と呼ばれる彼らの世界」を各国の5人の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を通して追い、明らかにしていく本作。「自閉症者の内面がその行動にどのような影響を与えるか」を斬新な映像表現や音響効果を駆使し、彼らが見たり、感じたりしている世界をあたかも疑似体験しているかのように表現した。解禁されるポスターは、澄み切った青空の下で“跳びはねる”少年を切り取ったもの。自分の気持ちの赴くままに跳びはねているように見えるこの少年の姿は「みんな同じ空の下、“普通”の君と自閉症の僕との未来はきっとつながる」というキャッチコピーをそのまま体現するかのようなビジュアルに。『クラウド アトラス』原作者デイヴィッド・ミッチェルが夫妻で英訳なお、東田氏による原作を英訳したのは、トム・ハンクス、ハル・ベリー主演の映画『クラウド アトラス』の原作者として知られるイギリスのベストセラー作家デイヴィッド・ミッチェルと、その妻ケイコ・ヨシダ。日本に滞在していた経験もあるミッチェル氏は自らも自閉スペクトラム症の息子を育てており、我が子の行動に対する疑問の答えをこの書籍の中に見つけ、「世界中の自閉症の子を持つ親にもこの本を読んで欲しい・伝えたい」という願いから翻訳、2013年に「The Reason I Jump」として出版。その後、本作にも出演しているジョスの両親(本作のプロデューサーを務めるジェレミー・ディアとスティーヴィー・リー)の目にとまったことで、本作が誕生した。ミッチェル氏は「東田直樹の『自閉症の僕が跳びはねる理由』がそうであるように、この映画は私たちに“普通とは何か?”という抽象的な疑問を改めて我々に問いかけている。自閉症と自閉症ではない人たちの世界を繋ぐ架け橋となる、優しい革命的な作品だ」とコメントを寄せている。『僕が跳びはねる理由』は4月2日(金)より角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2021年01月22日2歳、玄関のドアを開ける...?常に全力で興味に向かって突っ走るハル。ついに2歳にして「玄関のドアは、あの取っ手のところを下げれば開くらしい」と認知したようです。すごいですね…興味による観察力は!療育にもそのくらい関心を示してほしかったよ、お母さんは!でもお外は魅力的なものがたくさんありますもんね。当たり前のようにドアノブを下げて出て行こうとするので、連れ戻し…隙をついては再びドアノブへ…それを連れ戻し…という無限ループの日々が始まりました。Upload By bethハルはお外で″○○がしたい″というよりは、あたたかい日差しやそよそよ吹く風を感じたり、歩くこと、木に触れること、水を見ること、葉っぱが揺れるのを見ること、そんなことが好きなように見えました。大変な日々のなかでも、そんなハルを見ていると、ああ近所でも世界ってこんなに綺麗だったんだな…なんて思ったりもしました。Upload By bethもちろんすぐに対策も行い、別の鍵をドア上部に取りつけました。絶対に届かない位置に付けてひと安心…。最初のうちは開かなくて諦めていましたが、安心したのも束の間。なんと大人の胸の高さほどの下駄箱にのぼり、新しい鍵も開けられるようになってしまったのでした…(白目)。下駄箱の上には物を置いたり足場をなくしたりもしましたが、1cmの幅が空いていればそこに、つま先立ちをするのでした…。そして、その高さの家具にも平気でのぼれるようになり、実家の小さめ冷蔵庫やピアノの上にもしょっちゅうのぼりたたずんでいて、即降ろしまたのぼり即おろし…としていました。ちなみに平家だったので、窓からも出られるようになったときは、チックショォと叫びました。窓ロックもつけましたが、どえらい不便だったのでした…。Upload By beth1番最初に出て行ったとき。ハルの目的は何だったか、どう連れ戻したかなどちょっともう思い出せません。(1番大変だった時期って記憶が薄いんです…。はは…いや笑えません)連れ戻すために慌てて飛び出すと、家の前の路地で、たんぽぽを吹いていました。別次元を生きてるのか?と思うほど、こちらの焦りに反してゆったり過ごしているハル。「1人で家を出てはいけない」、このひとつを教えることが、危険を伝えることが、とてつもなく困難で途方に暮れそうになりました。Upload By bethもちろん、1人で出すわけにはいかないので、出て行こうとするたびに慌ててついて行くのですが、そんなことがもう一日中なんです…週7なんです。何一つできない、ひとときも寛げないという毎日にだんだん心がささくれていきました。そして体調を崩す日もとても多くなりました。そんなときに、隣の家に住むじいじが…!ハルのことをめちゃくちゃ可愛がってくれたじいじ。ボルダリングをやっているなどアクティブなじいじは、ハルをよく遠くまで散歩に連れて行ってくれました。救世主のような存在でした。Upload By beth早めに覚えた話し言葉はやっぱり...!そういうわけで、いつでもお外に行きたいハル。「さんぽおそといってちます」この言葉たちはおかげで早めに覚えました笑。2歳前だったかと思います。そう、ハルは、言葉が出る時期は意外と早かったのでした。「あらもうお喋りできるの〜?」なんて言われたりして。あの時期は、それが少し誇らしかったりして。ただ、11歳になった今でも、会話ができません。あのときと違うことは、子どもを自慢に思うことも不安の材料にすることも、あまりしなくなったことかもしれません。3人子どもがいますが、どの子もそうです。幼い旅人今にして思えばあのころ、言葉やセリフのインプットに興味があって、要求に使っていたように思えます。でも問いかけに答えるとか、相槌を打つとかは、一切なかったです。会話には反応せず、言いたいときにアニメのセリフを言い、歌いたいときに歌い、欲しいものがあれば自分でとり、行きたいところがあれば自分で行き(new!)。そう、お外に行きたければ悪びれずフラリと出ていき。自由気ままなお人でございました。Upload By beth次回は、気まぐれな小さな旅人との旅について描きたいと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月08日新年の挨拶の代わりとなる年賀状。近年では、メールや『LINE』で年賀状の代わりに挨拶をする人も多く、減少傾向にあるそうです。しかし、年賀状ならではのやりとりや、つながりがあるため、あえてハガキで挨拶をするという人もいるでしょう。自閉症の息子から届いたラブレター2020年12月16日、年賀状印刷などを運営する株式会社グリーティングワークスが年賀状のエピソードを募集した『年賀状思い出大賞』を発表しました。約900件の応募の中から選ばれたのは、自閉症の息子から届いた年賀状のエピソード。元日の朝、母親が年賀状を取りに行くと養護学校に通う息子から封書が届いており…。寝坊した元旦の朝、ポストに年賀状を取りに行くと、私への一通の封書が届いていた。息子が通う養護学校からの手紙だった。息子は自閉症。人と関わることが苦手だ。「大好きだよ」と彼に伝えると「そうだったんだ」という応えが毎回返ってくる……。だから、毎日毎日その言葉を伝えた。封書を開けると、一枚の年賀状が出てきた。墨をたっぷり付けた太い筆で書かれた文字は、ハガキからはみ出していて、すぐには読めなかった。同封されていた先生のメッセージを読むと、国語の時間に取り組んだ年賀状作りで、息子はハガキに「海」の一文字を書いたとのことだった。「海は好きなの?」と尋ねると、いつもの無表情な顔で「だってお母さんがいるから」と応え、「海」の文字の「母」という部分を指差した。その瞬間、私は真冬なのに身体中が一変に温かくなったことを思い出す。十二年前の忘れられない年賀状は、十八歳の息子からのラブレター。自閉症の息子から元日に届いたのは、年賀状という名のラブレター。『海』という文字の中に、『母』の漢字を見つけた息子は、ハガキに大きく『海』と書いたのです。きっと、元日の朝から母親の心は温かくなり、息子の想いに包まれたことでしょうね。このエピソードは、ショートムービーでも公開されています。審査員からは「親子の愛情が素直に伝わる作品」と称賛の声が寄せられていました。年賀状のいいところは、直筆だからこそ想いが十分に伝わるところでしょう。2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で、人に会うこともままならない日々が続きました。しばらく会っていない人に、年賀状で想いを伝えてみてはいかがですか。[文・構成/grape編集部]
2020年12月20日多動の始まり...?多動を伴う発達障害、自閉症スペクトラム(知的障害あり)と診断されているハルは、とにかく興味先行型で、一瞬の隙をついて消える迷子名人!では、幼少期のハルは、どうだったかというと...?我が家に初めてうまれた赤ちゃん、ハル。両親にとっては初孫でした。数々の感動をもたらし、そして...数々の驚きをもたらしてくれました...(フラグです)。Upload By bethとにかくぽや~っとしていて、それなりには泣くけれど、そんなに手を焼かず...親孝行な赤ちゃんだねぇ~なんて言われておりました...。たまーに笑ったり、でも反応はワンテンポ遅くて、マイペースね~みたいな。みんなを癒してくれました。このころの育児はわりと、ただただ平和だった気がします。産後メンタルの乱高下に振り回されていつも体調が悪かった私をよそに、ハルはやはりぽや~っとしておりました。なんだか可愛すぎて泣けたりもしました。ちなみに私は3姉妹なのですが、2番目の姉がとくに、ハルが生まれる前からとても楽しみにしてくれていました。芸大出身の次姉は、テンションの行き先がぶっとんでいるので、楽しみすぎて私の出産前に自主映画を撮り、ハルが生まれてからは「ハルちゃんのために社会をよくする活動をしたい」と、なんと会社を起こして社長に就任しました。笑特定を避けるため詳しくは割愛しますが、とにかくハルを可愛がってくれる家族のテンションには爆笑しながら感謝しました。Upload By beth毎日もりもり食べて育ったハル。生後4ヵ月になったばかりのころ、数日間うなっていましたが、気づいたら寝返りをマスターしていました。周りの誰もが、はやっっっと言いました。第一子なのでよく分からなかったのですが、へー早いの?くらいに思っていました。今思い返せば、ここからだんだん...多動へのカウントダウンが始まったのでした...(フラグ)。Upload By bethずりばいができるようになったのはそれからすぐ。そこから速攻でハイハイできるようになり近所の児童館では月齢を言うたび驚かれました。おそらくハルの中で(じぶんの意思で進める...)という大革命が起き、毎日脳内ビックバン状態だったと思います。目標の興味のものが見つかったときは制止の声はいっさい耳に入らず突撃。このあたりからだんだん『寝ない子』になっていきました。当時は和室ぐらしだったので興味あるものに、突進してはなぎ倒し、突進してはお茶をこぼし、突進しては玄関の段差に落ちそうになり...ついには生後半年より前に階段を数段よじ登ったため、早い段階でベビーサークルを設置しました。生後6ヶ月でつかまり立ち、7ヶ月の時に立つことができ、9ヶ月で歩きました。感動して大歓声。家族中に報告しました。ですが、ひとときも大人しく座っていることなく縦横無尽に部屋のものをひっくり返すハルと四六時中一緒にいた私は、このころにはもう毎日瀕死で、もうすこしハイハイでいてほしかった...!!!と思ってしまったほどです。成長したわが子にそんなこと思うなんて。まあ無理もなかったのでした。ほんとうに、危険回避で1日が終わりました。コップを倒されるくらいじゃまったく動じなくなりました。座ってその場にあるおもちゃで遊ぶ、なんて場面はめったになく...児童館へ行ったときには本当にびっくりしたものです。えっっっっ!同じくらいの子どもって、座ってママとあそぶの!!!???ハルは児童館内ではトイレが気になり事務所が気になりスタッフルームも気になり、開いていれば入りました。遊ぶための場所で、おもちゃで遊ぶことはなかったです。目標物に向かうときには、高速ハイハイでした。児童館は何部屋もあったので、私は座っていたらすぐ見失います。なので、ママさんと知り合ってゆっくり話す、なんていうことは別世界の話だった気がします。Upload By bethベビーソファに座らせても器用に抜け出し、親子トイレで私が用を足している間にトイレ内のベビーチェアから抜け出し。食事中はベルトを抜けて子ども椅子から抜け出し...ベビーカーも抜け出し...。『縄抜けのおハル』『引田〇功』との通り名がつきました。うちの子は歩かなくて...という心配するお母さんもよく見たので、早く歩きすぎる悩みはなかなか打ち明けづらい雰囲気がありました。Upload By bethUpload By bethと、ここまでの話は今思えば...可愛いほうでした。ほどなくして、お外の世界が大好きなハルは、なんと...。家まで抜け出すようになるとは、思いもしなかったのでした...。Upload By bethLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月11日行動は似ている私とコウ。でも、結果に違いが…?Upload By 丸山さとこADHD・ASDである息子のコウは、子どものころの私と同じく”片付けられない子ども”です。物の管理が雑で、用が済んだらその辺に放置するところはかつての私とよく似ています。「凸凹の数値が似ているから、やることも似ているのかな?」と言うコウですが、性格はあまり似ていない私とコウだからなのか、私とは違うところも色々とあるようです。同じ「片付けられない」子どもではあるけれど…前回のコラムで書いたように「母の言う通りに収納するとどこに何があるか分からない」と感じていた子どものころの私は、自分の思うように置くのであれば”どこに何があるのか”は分かるため、困ることはありませんでした。Upload By 丸山さとこ置いた場所の記憶があるというよりは、「大体この辺りを探せばある」ということを経験則で分かっていただけなのですが、当時の私にとっては「下手にしまうとなくす。しまわなければなくさない」ということがハッキリしていました。そのため、母が言うような”収納するタイプの片付け”に対してはメリットが見いだせなかったのです。一方、コウの場合は「自分の思うままに物を扱う」となくし、「母(私)の言う通りに物を扱う」となくさないため、私の言う通りに片付けた方がメリットは高い状態です。そのことはコウ本人もよく知っています。Upload By 丸山さとこただ、それ以上に片付けをする面倒さや作業を中断することへの拒否感が大きく、”用があるもの以外は意識が向かない”特性もあって、片付けをすることは中々難しいようです。(私がコウに言うことは主に「出したらしまう・使ったら戻す」の2つで、どこにどう収納するかは相談しつつコウが決めています)「作業を中断するのが嫌だったり、用が済んだものを忘れてしまったりするのなら、割り切って定期的な片付けをするのはどう?」と勧めてはみるものの、言われたときにしぶしぶ片付ける状況から抜け出せないでいます。「分かってる」けど「できない」片付けの壁!「今1つあるだけでも『面倒だな』と思うことを溜め込むと、5とか10とかの面倒になってやってくるよ。1つでも苦戦する相手が束になってかかってきたら、そりゃ大変だろうと思うよ」Upload By 丸山さとこ…とコウには言ってはみるものの、私だって「ジョギングとかジムに行くとか大変でしょ?隙間時間にこまめな運動をしたり、ながら運動を取り入れたりしなよ」と言われたとしたら、納得はしてもやる気は出ないだろうな~と思います。しかも、コウの場合は見落としや記憶のすり替えも多いため、私のコートのように”確実に物を管理できた経験”をしない限り、難しいかもしれないなと思っています。コウは、片付けに関して分かっていることやできていることもたくさんあります。・「掃除機をかけたいから片付けて」と言われれば片付けられる・片付いた部屋の状態を快適であると感じられる・どこに片付ければ良いのかは記憶できている・管理できる物の量には上限があることは理解できているという状態で、それでも片付けられないのが現在のコウです。であれば、親の私としては「サポートしつつ時期を待つ」のが、コウの片付けに対して”私ができること”なのかな?と思うこのごろです。Upload By 丸山さとこコウにとっての”1着のコート”が何なのかは分かりませんが、彼にもそんなきっかけがあれば嬉しいなと思いつつ、今日も「床を見てー」「上着が落ちてるよー」と言っている私でした。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月07日対人関係での困難や、特定の事柄に強いこだわりがあるなどの特性を持つ『自閉症スペクトラム』。厚生労働省によると、この障がいを抱えている人は、近年約100人に1人の割合でいるといわれています。3人の子供を育てるbeth(3beth_gm)さんは、自閉症の長男・ハルくんのエピソードをInstagramに投稿。その内容に「じーんとした」といった声が寄せられました。母のこころ、弟のこころ多くの人は、接する相手との関係性によって、距離感を使い分けたコミュニケーションをしています。しかし、ハルくんの場合は距離を踏まえたコミュニケーションが難しく、知らない人に突然あいさつをしたり、初めて会う人に対して近付きすぎてしまったりすることがあるようです。自閉症は見た目では分からないため、成長するにつれてハルくんの言動に周囲が戸惑うこともあるといいます。しかし、弟のイツくんは遊びに来た友人に、「兄は普通に話せないけど、すごく面白い」と話していて、その様子をbethさんは嬉しく感じたそうです。イツくんは、お兄ちゃんのいいところをたくさん見てきたからこそ、自然に伝えることができたのでしょう。読者からは「とても素敵な家族で、じーんとした」「子供が自閉症です。いいところがたくさんあるから、みんなに知ってほしい」などのコメントが寄せられていました。自閉症スペクトラムなど発達障がいを持つ人たちは、時に『風変わりな人』と印象を持たれてしまいがちです。しかし、表面的なコミュニケーションではその人の魅力は伝わらないもの。一緒に過ごして、よく知るにつれて、素敵なところをたくさん見つけることができるのでしょう。ハルくんを見守る家族の愛情に、心が温かくなりますね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月04日”片付けられない子ども”だった私を変えたきっかけは…?Upload By 丸山さとこ今ではコウに対して日々「出したらしまう、使ったら戻す」と言っている私ですが、かつては”片付けられない子ども”でした。今振り返ると、ASD・ADHDの特性によるところもあったのだろうと思います。物を管理することの必要性や収納の使い方自体は知っていましたが、「知らないうちに物が移動する」「母の言う通りに収納すると、(見えなくなったものは)どこに何があるか分からない」と感じていました。そのため、理屈では分かっている収納の意義も、実感は持てない状態でした。そんな私でしたが、少し高いコートを買ってもらったときに「どうしよう、床に置いたらシワになる」と扱いに困ったことで、初めて”その辺に置かずにハンガーにかける”ことを行いました。Upload By 丸山さとこいつも着ている上着と違い、高いコートは自宅では洗えないのではないか?と考え、「大切に扱わないといけない」と思ったのです。(礼服のような感覚でとらえていました)自分に合った”片付け”を探して試行錯誤する中で…1人部屋をもらったころだったので、勝手に物が動くことがなかったのも”物がある“ということへの理解を深めたのだと思います。私はその1着のコートをきっかけに「明確な意思を持って置いたものは動かない」という認識を得ていきました。Upload By 丸山さとこそうして物を管理しようとすると、次第に、見えないものは分からなくなりがちな自分に気づくようになりました。そのことから「母と私は向いている収納スタイルが違うのでは?」と考えるようになり、私は少しずつ”自分の収納方法”を獲得しようと試行錯誤していきました。最初はオープン収納やカゴ収納から始めていき、私の中にある”物のカテゴリーの基準”がはっきりしてきてからは”見えない収納”も扱えるようになってきました。Upload By 丸山さとこ現在では持ち物の量を管理できる量に抑えることで、ある程度片付いている状態を保っていられるようになりました。食事の量や走れる距離が人によって違うように、”把握管理できる物の量”は人それぞれなのだろうなと思います。また、同じ個人の中であっても、コンディションによってその量は変わることもあるのだろうと思います。Upload By 丸山さとこ私はキャンプに行くのが好きなのですが、1箱に納まるキャンプ道具を見ていると「これだけでも生活そのものはできてしまうのだな」と感じます。一方、毎日の生活は”一定の拠点を構えて構築する暮らし”なわけで、「便利な物や心を潤す物は大切なのだろうな」とも思います。Upload By 丸山さとこ「管理第一!」にならないように、生活に豊かさを取り入れつつ、”私の片付け”を続けていこうと思っています。次回は、折り紙を無限増殖させがちな、現役の“片付けられない子ども”である息子コウの片付けについて書いていきます。
2020年11月29日週1回、特別支援教室で指導を受けているミミASDのミミは週に1回、特別支援教室で2コマ指導を受けています。特別支援教室の先生からの「連携ノート」には、授業の内容が毎回びっしり書き込まれていて、熱心な先生でありがたいです。帰宅したミミにどんなことをしたのか聞くと、「折り紙をした」「楽しかった」と言うので、楽しめているんだと思っていました。Upload By taeko3回目の日の夕方、特別支援教室の先生から電話がきました。ミミがかたくなに特別支援教室へ行くのを嫌がり、通常学級の自分のイスから離れようとせず、先生に「来ないで!!」と言ったそう…。Upload By taeko先生がなんとかなだめて「少しだけ特別支援教室へ行き、2コマ目は通常学級に戻ろう」という約束で移動できたそうです。先生が「なぜ行きたくないの?」とミミに理由を聞くと、「(通常学級の)お友達と離れるのがイヤ。どうして行かないといけないの?」と答えたそう。電話で先生と話しているうちに、事前の説明が十分ではなかったと気付きました。確かに、「○曜日に2時間ここで勉強するんだよ」ぐらいにしか伝えていませんでした。ミミは普段「学校が楽しい」と言っていたので、すっかり安心してしまっていました。ミミにとって、慣れてきた通常学級の教室から1人だけ別室へ行くのは嫌なことだし、理由もよく分かっていなかったのでしょう。もっとしっかり説明してあげればよかったと後悔。特別支援教室の説明が子ども向けに書いてあるプリントを見せながら、自分の気持ちやお友達との関わり方、学校や世の中のきまりごとを特別に教えてくれる場所であることをミミに話しました。「ミミは〜が苦手だから行く」といったマイナスに感じる言葉は避けました。Upload By taeko後日、校長先生や特別支援教室の先生などが方針を相談してくださり、ミミが嫌がったら無理に特別支援教室へ行かせずに通常学級で見守ることなどが決まりました。そして翌週も、特別支援教室の先生が電話でミミの様子を教えてくれました。ミミは特別支援教室に行けたけれど、やる気はなし。先生が用意したおもちゃにも興味を示さなかったそう…。帰宅したミミに「今日は、どんなことをしたの?」と聞くと、「折り紙」と少しだけ話してくれました。「そっか、がんばったね。でも、行きたくなかったら行かなくてもいいんだよ」と伝えました。さらに翌週の朝も、「行きたくなかったら行かなくていいよ」と伝えました。夕方ミミに楽しかったか聞くと、「うん」。どんな勉強したのかは「忘れちゃった」とのこと。私は行けたことを褒めて、深くは追及しませんでした。Upload By taeko後日、特別支援教室の先生と初めての面談。ミミの様子を詳しく教えてもらいました。前回はミミが自分から特別支援教室に向かい、ノックして名前と勉強をしに来たことを元気な声で言えたと聞き、びっくり!「人が変わったようです!」と先生も驚いていました。ほっとしたのも束の間…順調に行けるようになって3回目の夕方、担任の先生から電話が。その日は、ミミが楽しみにしていた日直当番。特別支援教室の日と重なってしまったため日直を翌日にずらすことを聞いたミミはやる気が下がってしまい、特別支援教室に行くのをまた嫌がったそう。急な予定変更は、これからもたくさんあるでしょう。ミミにとって、よい経験なのだと思います。これからも波があると思いますが、優しい先生方に助けてもらいながら見守っていきたいと思います。Upload By taeko
2020年11月21日未就学の娘、コト子との日々をお届けします!Upload By koto初めまして。現在、未就学の娘(コト子)を育てているkotoです。コト子は、得意なことと苦手なことの高低差が激しい自閉症スペクトラムです。注意欠如多動性障害でもあり、破天荒な毎日を過ごしています。私がコト子の異変に気づいたのは出産直後。まだ入院中のときでした。母乳拒否、触るだけでギャン泣き…。コト子の健康状態は良好だったので、周りのお母さん達と比べ、自分のお世話が下手なせいだと思っていました。Upload By koto抱っこすら拒否するコト子に「何かが違う」とモヤモヤして...そこから1年近く、ずっと『何かが違う。赤ちゃんとはこんなに大変なのか?』とモヤモヤする日々。目は合わない、呼んでも振り返らない。起きているときは、ほぼ怒っているか泣いているコト子…。抱っこしてあやそうにも、抱っこ拒否。唯一泣き止んでくれるベビーカーに乗せて、ほぼ立ち止まらずに朝から歩き続ける毎日。人との交流もできなくなり、とにかく1日を終わらせるのに必死でした。Upload By kotoいつか私の方を向いてくれたら...1歳から療育園へそんな日々が続く中、買い物に出かけた先でふと、他のお母さんの様子が目に入りました。片手で赤ちゃんを抱っこしながら買い物をしていたそのお母さん。片手に抱かれた赤ちゃんは、しっかりとお母さんにしがみついていたのです。コト子は抱っこすら拒否するのに...そのときに強く感じたのが「私はこの子に必要とされていない」ということでした。そこから、コト子のためにやれることをやって、いつか私のほうを向いてくれたら...という思いで、1歳になってすぐ療育園に通い始めたのです。そこは朝からお弁当を持って通園し、午後まで親子で集団活動を行う園でした。困り感のタイプは違えど、こんなに沢山の仲間がいる!と、勇気付けられたのを覚えています。親子で色んな経験をして、いつの間にか、私に触られても怒らなくなったコト子。4年経った今では、当時の困り感が嘘のようです。ただ、やはり何も困り事が無くなる訳ではなく…。次から次へと、新たな課題が出てきます。でも、1人で悩んでいたころとは違い、今では園の先生達や、理解ある人達がいます。Upload By koto同じ悩みを抱く人との繋がりが、心の拠り所に普段はSNSでコト子との日々を発信しているのですが、SNSで発信しようと思った理由はシンプルです。コト子が赤ちゃんのころ、インスタで必死に『同じ様なタイプの子』を探していました。でも、どこを探してもニコニコの赤ちゃん達と、キラキラした素敵なお母さん達が多くて...写真からも、穏やかな雰囲気が流れていました。激しく落ち込んだ私は、SNSを避けるようにさえなっていました。更に困り感の強い時期を経て、少しSNSを見る余裕ができたときに気づいたのが、『もしかしたら、今まさにあのころの私の様な子育てを、検索している人がいるかも』ということ。そんな人たちの力になればとそう思って、少しずつ投稿していきました。SNSは、医師やペアレントトレーニングの先生の勧めでもありました。同じような悩みを持つ人達との交流や、情報交換がしたいと相談していたからです。地域にそういった人達の集まりを見つけられなかった私は、SNSで沢山の人達と繋がることができました。私は療育のプロでもなく、今でも子育ては分からないことだらけです。でも、同じように頑張っている人達がいる。同じように心が折れそうな人達がいる。感情のジェットコースターのような日々でも、深夜でも、誰かがいつもそこにいてくれる。少しでも、誰かのためになれば、と思って始めた投稿ですが、私の心の拠り所にもなっています。発達ナビのコラムでも同じように、情報や交流を求めている方々とつながっていけたらと思い、コト子との生活をお届けしていきます。まだまだ手探りの毎日ですが、よろしくお願いします。
2020年11月16日ASD兄妹、感情の出し方はそれぞれうちのでこぼこ兄妹、タケルといっちゃんは6歳違い。2人とも似た傾向のASDです。しかし、元々の性格の違いや興味の方向性もあり、感情の表現の仕方は結構違うな~と思うことが多いです。特に違うのが、もやもやしたものが溜まって感情が爆発したときにどうなるか!Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロこんなとき、「そんなにここに座りたかったの?」とか、「そんなに変わらないよ?わかんないかなー?」というように周りがとりなしても、「そこが良かったとかじゃないんだ!ぼくは正しいことをしていたのに、どうしてそれが覆ったかの説明がないんだ…!」と悔しく思い、さらに激しく泣くのでした。学校でもひとたび何かあると2時間ぐらい泣いてたみたいです。Upload By 寺島ヒロ中学生になるころには、長いこと泣くこともなくなり、納得のいかないことがあると口にして伝えることができるようになりました。もっとも、その長い話を聞いてくれる人はあまりいないので、概ね私が聞くことになるのですが…。一方、いっちゃんはといえば、赤ん坊の頃こそよく泣いていましたが、1歳を過ぎるころからほとんど泣かなくなりました。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロそんないっちゃんも、今までに1度だけ「もうダメ!」というそぶりを見せたことがありました。それは5歳の頃、おばあちゃん(私の母)の家に遊びに行って、おばあちゃんちのピアノで練習をすると言っていたのに、他の遊びに熱中してしまったことをとがめられ「毎日練習するって言ってたじゃない。ウソつく子は針千本飲ますよ!」と脅されたときのことです。大好きだったおばあちゃんに針を飲ますと言われたショックと、針千本の恐ろしさに狼狽したいっちゃん、よろよろと私の方へやってきて「ばあばが針飲ますって…針千本って多い?飲んだら死ぬ?死ぬのやだああ…!」と崩れ落ちました。大事件です!慌てて「それは子どもを懲らしめるときの常套句みたいなもので、本当は飲ませないよ。大丈夫だよ。」と言っても、暗い目をして固まったまま動きません。ぎゅーっと抱きしめると、身体中がカチコチになっているのがわかりました。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロあ、これはいかんやつや。と思ったので、「よし…おばあちゃんから逃げよう!」と言って、いっちゃんを車に乗せて逃げてしまいました。国道をひたすら北上し、50キロ程離れたファミレスへ。そして、「ここまで来ればもう追ってこないよ。」とご飯を食べさせました。(丁度夕食前にごたごたしたので食べてなかったのです)「ここまで来れば針を飲まされないよね…!」と、いっちゃんも落ち着きを取り戻し、ようやく目に光が戻ってきました。それからしばらくの間、おばあちゃんの家に行く時は電話で「針ない?本当にない?」と、確かめていましたので、よっぽどショックだったのでしょう。大事なのは状況の整理!何が起こっているのか一緒に考えること目に見えるところに出てくる表現の形は違うのですが、二人とも、自分の予想ができない何かが起こり、自分がどうしたらいいかがわからなくなると、教えてくれない周囲の人に怒りを感じ、不安と恐怖が湧いてくるようです。家の中であまり感情の爆発が起こらないのは、私が1聞かれたら10返す性格なので、十分な回答が得られているからかもしれません。Upload By 寺島ヒロASDのある子どもは(大人も)、他人が感情的になったり、合理的な行動をとらないことがあるということを知ってはいても、心のどこかで納得してはいないのです。だから、他人が悪意をもって、もしくはわざと騙したりからかうようなことをすると、ひどく混乱し、自分が認識している現実のどこまでが本当で、どこからが虚構かがわからなくなり不安と恐怖に襲われます。なかなか生活の中では難しいのですが、他人との間で思いがけないことが起こったとき、何が起こったのか、それがどういう意味を持つのかを、一緒に考えてあげることが大事なのかなあと思います。※発達ナビに無料会員登録をするとこのほかのかんしゃくコラムも読むことができます
2020年10月27日アメリカ・マサチューセッツ州に暮らす11歳のアシュリン・マクドナルドさんは、毎食食べている大好きな食べ物があります。それはスープの缶詰で知られるキャンベル社の『スパゲッティ・オー・ウィズ・ミートボール』。トマト味のソースにアルファベットの『O』の形のパスタと小さなミートボールが入っているものです。自閉症をもっているアシュリンさんにとって、スパゲッティ・オーはただの好物ではなく、精神安定剤のようなもの。海外メディア『TODAY』によると、彼女は毎食、スパゲッティ・オーと一緒にピザやヨーグルトなどを食べていたといいます。しかし新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)対策で学校が休校になって以来、スパゲッティ・オー以外の食べ物を一切食べなくなってしまったのです。アシュリンさんにとっては学校という『ルーティン』のない生活の中で、「いつでも同じ味」のスパゲッティ・オーが安心感をもたらしてくれるのだといいます。娘の好きな缶詰が店から消えたコロナウイルスが流行するまでは、人気商品であるスパゲッティ・オーはいつでも買えたのだとか。ところがパンデミックによって人々が食料品の買い溜めをし始めたことで、スパゲッティ・オーも店頭から姿を消してしまったのです。仕方なく母親のクリスタルさんはスパゲッティ・オーの別の味や他社の似たような商品を買ってみましたが、アシュリンさんは食べませんでした。それからクリスタルさんは地元のスーパーで『スパゲッティ・オー・ウィズ・ミートボール』を探し回り、多い時には1日に20軒近くの店に足を運んだといいます。2020年8月、娘のためにスパゲッティ・オーを探しまわるクリスタルさんのことが地元の新聞に掲載されます。するとその記事を読んだ人たちから彼女のもとにスパゲッティ・オーの在庫がある店の情報や、スパゲッティ・オーの寄付が続々と寄せられ、100缶以上を確保することができたのだそう。さらにこの話がキャンベル社にも伝わり、なんと約800缶の『スパゲッティ・オー・ウィズ・ミートボール』がクリスタルさんの家に送られてきたのです。A Mass. community is helping a mother stock-up on SpaghettiO's for her daughter with Autism who looks to them as a meal...Posted by WDBJ7 on Saturday, September 12, 2020A Mass. community is helping a mother stock-up on SpaghettiO's for her daughter with Autism who looks to them as a meal...Posted by WDBJ7 on Saturday, September 12, 2020クリスタルさんはこの出来事について『TODAY』に語っています。これは私の娘と私たち家族にとって信じられないような贈り物です。おかげで大きなストレスが軽減されました。この恩恵にどれほど感謝しているか、とても言葉ではいい表せません。TODAYーより引用(和訳)有事が起きると今まで普通に手に入ったものが突然買えなくなることがあります。そんな時こそ他者のことも考える思いやりと、困っている人がいたらお互いに助け合う気持ちを忘れずにいたいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年10月12日新連載!3歳発達障害息子の子育て、葛藤の日々を綴る現在3歳3ヶ月の息子、1歳5ヶ月の娘を育てています。息子のいっちゃんは、中度知的障害を伴う自閉症スペクトラムです。指ちゅっちゅタオルボーイ、発語はありません。産まれた時からあまり泣かず、寝てばかりで母乳を飲むこともないので、早いうちに母乳は出なくなりました。呼びかけても反応せず、あまり動くこともなく。もしかして...と思ってからはっきりと状況がわかるまでは、黙々と検索をして調べたり、そんなはずはないと息子を信じてみたり、何故こんなことができないのかと叱りすぎて自己嫌悪に陥ったり、とても苦しい時間を過ごしてきました。Upload By かさはらあやこ『ぜんぜん普通の2歳じゃん』見えない困難に追い詰められたこともUpload By かさはらあやこ『ぜんぜん普通の2歳じゃん。しつけがされていないだけでしょう?2歳を過ぎたらもう色々わかるんだからしつけなきゃ。』私が実姉から言われた言葉です。もちろん悪気があってではなく、「発達障害があるかも...」と悩んでいる私に対し、心中を推し量っての発言だと思います。自閉症は、その言葉のイメージから誤解を受けることも多いですが、自閉症の症状の程度、知的障害の程度も人によりさまざま。見た目で障害が分かりにくいこともあり、周囲から「しつけのできていない子」と非難され、祖父母を含む親戚、夫でさえも昔は当たり前に居ただとか、個性だとか、大袈裟だとか言ってくる。実母は、どうしてこうなっちゃったんだろうねぇ?と言い放ち、挙げ句の果てに、「身体が丈夫なんだからいいでしょう」って、いや、そういうことじゃない。Upload By かさはらあやこ発達障害についてメディアが取り上げるようになったり、認知が高まってサポートしてくれる機関が増えたりと、少しずつとりまく環境は良くなってきている、とは聞きます。でも、まだこの障害について正しく診断し、適切なアドバイスのできるお医者さんは足りないそうです。相談機関も不足しています。地域によっては病院を選べなかったり、100キロ以上も離れていたり、数が少ないため診察を受けるのに数ヶ月以上待たなくてはいけなかったり。子どもを産んでからよく、「子育ては大変だけど楽しいでしょう?」と聞かれます。......楽しい?タノシイ???大変と思うばかりの毎日で、その楽しさがわからず、自分は親として何かが欠けているのではないか?と悩んだりもしました。思うようにならないことの多い子育てです。必要な支援を受けにくい環境、適切な助言をしてくれる専門家が少ない状況...しかも、親兄弟や親戚に、正しい理解をしてください!勉強してください!とも言えない。めちゃくちゃストレス!!だからせめて、自閉症児とその家族の置かれている状況や、自閉症の特性を、なんとなくでいいから知っていただきたい...そんな想いで、これまでSNSに子どもとの日々を投稿してきました。幼稚園に通い始めた息子、成長中の日々をお届けしますUpload By かさはらあやこ癇癪が強くなり、特性が目立ちはじめる2歳頃...産まれてから2年以上、毎日夜泣きでまともに眠ることができず、全く意思の疎通を図れない。息子は一体何者なのか。精神的にも身体的にもすっかり参っていた私。そんな私を支えてくれたのは、療育で関わる先生方はもちろん、担当の保健師さん、話を聞いてくれた友人、SNSで情報を与えてくださる同じ境遇の方々でした。障害を受け入れ、特性を理解し、環境を整えてあげる必要があることに気づくまで、たくさん悩んで、たくさん泣いて、たくさん時間がかかってしまいました。いっちゃんは3歳から幼稚園に通っています!SNSで投稿をするようになってからは、目撃するたびに心が痛くなっていた特性を愛おしいと思えたり、 クスッと笑えるようになったり。息子の成長を通し、うちの子も同じ!と愛おしく感じていただいたり、自閉症ってこんな感じなんだ、こんなことに困っているんだと知っていただいたり...そんな風に思ってくれる方が少しでも増えるようなコラムがお届けできればと思っております。よろしくお願いいたします!
2020年09月30日