この方も、あの方も…!anan連載「It GIRL」のこれまでの登場者は200名以上。その中から葵わかなさんにインタビューし、その他4人の方の近況と当時のエピソードもまとめました。愛猫と共演したananは何度も見返している宝物!登場してもらったIt GIRLの記事を目にした葵さんからまず出た言葉が、「懐かしい!」。インタビュー時のことを覚えてくれていた。「撮影した場所も覚えています。遠い昔に感じますが、まだ4年前くらいなんですね。いろんな変化があったから、もっと時間が経ったように感じるのかも。あの頃はまだ高校生で自信もなく、女優で生きるんだということを決めきれていなかった気がします。学校を卒業して、朝ドラのヒロインをやらせていただくなどして経験を重ねるうちに、“これが私の仕事なんだ”と思えるようになりました。当時はシリアスな役を演じることが多かったけれど、『わろてんか』以降明るい役が増えました。この写真の私が思っていたよりは、役の幅は広げられたかな」It GIRLを皮切りに、ananに何度も登場してくれている葵さん。昨年は「にゃんこLOVE」特集(2150号、2019年5月8日発売)で、愛猫のみろちゃんを披露してくれた。「みろと共演できたのが本当に嬉しくて。猫と一緒に写真撮るのって、動いちゃうし難しいじゃないですか。でもananで撮っていただいたみろが、すっごくかわいく写っているんです!その写真は何度も見返して、スマホの待ち受けにもしました(笑)。みろは実家にいるんですが、今度ついに自分の家でも猫を飼うことになったんです。今度ananで猫特集があったら、ぜひその子とも出たいです」【葵わかなさん】No.1978(2015年11月4日発売)に登場。「クイズ番組で早押しボタンを押すのが夢だった」という、可愛らしいエピソードを披露。シリアスな役が多いと話していたが、この2年後には連続テレビ小説『わろてんか』(NHK)で笑い上戸なヒロインに大抜擢。あおい・わかな1998年生まれ。2009年デビュー。映画『キャッツ』日本語吹き替え版に出演。上演中のミュージカル『アナスタシア』では、主役・アーニャを演じる。【佐久間由衣さん】No.1958(2015年6月10日発売)に登場。当時20歳になったばかりで、「誕生日前日にバンジージャンプに挑戦した」と驚きの発言が。この頃の肩書はモデル。2年後に連続テレビ小説『ひよっこ』(NHK)でヒロインの幼馴染みを演じ、女優として躍進を遂げた。さくま・ゆい1995年生まれ。昨年『“隠れビッチ”やってました。』で映画初主演。近作に映画『屍人荘の殺人』など。2021年に主演映画『君は永遠にそいつらより若い』が公開予定。【平 祐奈さん】No.1962(2015年7月8日発売)に登場。「6人きょうだいで、家族が揃うと笑いが止まらない」と話す姿があどけなかった5年前。映画『ReLIFE リライフ』『未成年だけどコドモじゃない』『honey』など数々の作品でヒロインを演じ、美少女から大人に!たいら・ゆうな1998年生まれ。この春放送のドラマ『ひまわりっ~宮崎レジェンド~』(テレビ宮崎ほか)で主演を務める。「アリシアクリニック」新イメージキャラクター。【佐野ひなこさん】No.1972(2015年9月23日発売)に登場。初出演映画『探検隊の栄光』でネズミやコウモリがいる過酷な現場を経験し、ワイルドになれたと語ってくれた佐野さん。昨年は映画『魔法少年ワイルドバージン』でヒロインを演じ、コメディエンヌの才能も発揮。さの・ひなこ1994年生まれ。“驚異のくびれ”でグラビア各誌を席巻し、女優としても活躍。写真集『Hina』(光文社)が3月10日発売。『テレビで中国語』(NHK Eテレ)出演中。【大野いとさん】No.1981(2015年11月25日発売)に登場。昨年の人気ドラマ『同期のサクラ』(日本テレビ系)では主人公の隣に住むギャル役を好演。素顔はほんわかモード。パン屋に憧れ、酵母からパン・ド・カンパーニュを作ったというエピソードを語ってくれた。おおの・いと1995年生まれ。2011年公開の映画『高校デビュー』でヒロインに抜擢され、女優デビュー。出演映画『高津川』が、4月3日より全国公開予定。※『anan』2020年3月11日号より。写真・土佐麻理子文・間宮寧子(by anan編集部)
2020年03月06日注目の若手ガールを紹介する人気コーナー「It GIRL」。いまでは大活躍中の新木優子さんも登場していました。ananとの思い出を振り返っていただきました。女優人生の節目に呼んでいただいたanan。2014年「次世代レディ10人を探せ!」でananに初登場し、その半年後には「It GIRL」に登場してくださった新木優子さん。初登場から約6年、あっという間に主演やヒロインを務める演技派女優に。その間、「女優とファッション」企画でフレンチシックなスタイリングを着こなしたり、別の号では仕事のことからプライベートの過ごし方まで語るロングインタビューなど、様々な切り口でご登場いただきました。「ananは、私の女優人生の節目節目に呼んでいただいた、思い出深い雑誌です」と新木さん。「初登場で行った中華料理屋のママのキャラがめちゃくちゃ濃くて、可愛かったのを思い出しました。そういえば『また来ます』と言ったきりで…。行かないと!(笑)『It GIRL』は編集部の近くの公園で撮影したんですよね!どの撮影も、スタジオやお店の場所までしっかり覚えていますよ」特に印象的な撮影は、やはり大沢たかおさんと表紙を飾った「モテコスメ」特集だそう。「当時私は21歳でしたけど、でも不思議と、緊張するよりも楽しんで臨めた撮影でした。大沢さんは時には『このシチュエーションどうする?』なんて相談してくださりながらも、年の差があったからこそ、ほとんどリードしてくださったのが印象的だったし、安心してお任せしてしまいました。ドラマティックな撮影でしたね」特にこの6年間は女優としてステップアップできた時期で、密度が濃かった、と振り返る。「じつは女優の仕事を始めてから、声を褒めていただくことも多かったんですが、ついに昨年、映画『トイ・ストーリー4』に初めて声優で参加させてもらいました。声だけの表現って難しくて反省点もたくさんあって。それまでいかに衣装やヘアメイクに助けられていたかを実感できたし、お芝居を続ける糧になりました。そういう意味ではananの撮影も、いろんなシチュエーションを用意していただけるから、毎回新鮮で刺激的なんです。次の撮影?ボウリング場やゲームセンターなどほかではできない場所で撮影してみたいですね。それにしても、創刊50周年って本当にすごいですね。50年後、私も女優としてしっかり立っていられるよう、頑張ります」No.1932(2014年11月26日発売)「次世代レディ10人を探せ!」「若い~(笑)。揚げパンを魚介のスープに浸して食べたのが本当に美味しかった!」No.1956(2015年5月27日発売)「It GIRL」「転機となった『ゼクシィ』CMの頃で、anan に出たことがすごく嬉しかったです」No.1971(2015年9月16日発売)「モテコスメ特集」、表紙(大沢たかおさん×新木優子さん)「大沢さんが素敵すぎて、撮影中、スタッフのみなさんが『キャーキャー』言ってましたね(笑)。後日出来上がった誌面を見た時、少し恥ずかしかったのを覚えています」あらき・ゆうこ1993年生まれ。女優、モデル。ファッション誌『non-no』専属モデルを務めるとともに、ドラマ・映画にも多数出演。2nd写真集『honey』のメイキングを収めたブルーレイ『Making of ハニー』が3月9日に発売。フジテレビ系4月期月9ドラマ『SUITS/スーツ2』に出演。ドレス¥154,000(ISABEL MARANT/イザベル マラン TEL:03・5772・0412)※『anan』2020年3月11日号より。写真・小笠原真紀スタイリスト・石田 綾ヘア&メイク・田中陽子(Lila)取材、文・若山あや(by anan編集部)
2020年03月06日2020年3月に50周年を迎えたananとほぼ“同期”であり、これまで多くの企画を通じて新しい価値観を提案し続けてくれている松任谷由実さん。常に時代を切り拓き未知の世界を見せてくれるユーミンに、小誌との歴史や時代との向き合い方について語ってもらいました。1972年にシンガーソングライターとしてデビュー。以来、音楽シーンのみならず、時代そのものを牽引し続けているユーミン。生み出す楽曲はもちろん、都会的なファッションやブレのない生き方が幅広い層に支持され、時に社会現象を巻き起こすことも。そんな発信するものすべてが多大な影響力を持つ“時代のアイコン”は、ananにも多数登場。対談企画やコラム連載、お悩み相談などあらゆるテーマで活躍し、初登場から40年以上にわたって共に誌面を作り上げてきたユーミンが小誌との思い出を語ってくれた。「初めて登場したのは、’70年代の終わり頃だったかな。当時はまだ“スタイリスト”という職業が確立されていなくて、誌面で着る衣装はすべて自分でコーディネートを組んでいました。昔は世に出ていないクリエイターとセッションしてよく作品撮りをしていたんですが、ananでのスタンスはその感覚に近かったかもしれないですね。編集者の意図を理解して、スタイリングや写真、テキストへと落とし込んでいく。その中で思わぬ化学反応が生まれて、面白いページができていった。ananって、常にちょっとエッジーな存在でしょう?当初から企画やレイアウトにオリジナリティとプライドが感じられた。それもあって、ファッションやメイクを含めて他ではできないことにも挑戦できた気がします」過去の誌面を見ると、登場する企画ごとにイメージがガラリと変わっている点に気づかされる。いずれも一切古さを感じさせないどころか、今見ても新しい。「企画に合わせてはいるものの、’80年代後半のスタイルは今見るとアゲアゲ(笑)。’90年代に入ってくると、一転して抑えたムードになっています。スーパーモデルがもてはやされていた時代から、ケイト・モスのような脱力系が支持されるようになっていったのがこの時くらいから。不思議なもので、自分の中で違和感を抱きだすと、自然と世の中も変わっていくんですよ。私の場合は動物的なカンが働くのか、流れが一般化するより3~5年ほど早いみたい。その感覚は昔からありますね」時代の数歩先を行く感覚の鋭さは現在も変わることなく、最新の音楽事情やファッショントレンドにも精通。今回の撮影では、ズラリと並んだ衣装の中からオリエンタルな柄のドレスをセレクトし、「少し先には、またこんなムードが来る気がしています」と語る。とはいえ、本人は時系列上での“古い/新しい”の線引きは特に意識していないという。「音楽でもファッションでも、好き嫌いがハッキリしている方がスムーズに時代に乗っていけると思うんです。古いものでも自分が好きだと感じたらそれが最新だし、新しいものでもピンとこなければスルーしていく。そこはブレない方がいい。先日テレビのチャート番組を見ていたらウェスタンとヒップホップのハイブリッドみたいな曲が流れていて、面白いなって感じたんです。以前なら絶対に混ざらなかったであろうものが合わさっていて、スゴいとこ突くなって。たまにそういう発見があるのはやっぱり楽しいですね。でもね、私ってやっぱり鼻が利くみたいで(笑)。イントロで“これイイ!”って思ったものは、長くヒットしたりするんです」そう話す表情は、茶目っ気たっぷり。半世紀近くトップランナーであり続けることのプレッシャーや葛藤は想像を絶するけれど、時代に向き合うことをどこか楽しんでいるようにも感じられる。「新しいものに出合うのって億劫じゃないですか。エネルギーも必要になるけれど、そこにはきっと何かがある。そう思って、出合うための労力を惜しまないようにしています。年齢とともにモチベーションの保ち方も変わってきて、今はモチベーションを上げることが大変になりつつある。でも、やめたらそこで終わってしまうでしょう?だからファッションしかり美容しかり、どんな手を使っても先に進みたいと思っているんです。もちろん、すべての前に音楽ありきですが」“どんな手を使っても”という、強い言葉に驚く。溢れるほどの才能に恵まれ、アーティストとしてこれ以上ないほど成功している現在も、さらなる進化の道を選び続ける――。色褪せることのない輝きの裏には、強い覚悟と決意があった。「自己分析をした時に、実はストレスがあるくらいの方が精神的に安定するってわかったんです。私にとってストレスがない状態は、白いトンネルの中にいるようなもの。ビジョンがないことが逆にストレスになってしまうんですよね。なので、周りに協力してもらいながら自分に適度な負荷をかけて、ちょうどいいバランスを常に探っているんです」この3月にはSuchmosのライブにゲストボーカリストとして出演するなど、新たな取り組みにも果敢に挑戦。音楽配信を通じ、国や世代を超えたファンも増え続けている。凄まじいスピードで世界が変化していく中、今なお時代から求められることについて本人はどう感じているのか聞いてみた。「“何かヒントが欲しい”“新しいものに出合いたい”と思っている人に応えることが私の役割なのかなって感じることがあります。意識的に提示しているわけではないけれど、誰かが何かを求めている時に必要なメッセージを私や私の楽曲から受け取ることがよく起こっているそうなんです。そういう意味では、神様のような存在に曲を書かされている部分もあるのかもしれないですね。私自身も、ツアー先に漂う空気や人の気を感じながら昔のナンバーを歌った時に、“この曲はこういう意味だったんだ”って改めて気づかされることがあるんです」千本の手であまねく衆生を救済する千手観音のように、多くの楽曲をリリースすることで時代が求めるヒントを提供し続けているユーミン。常に先を見据えて進化を遂げていく一方で、変わらずに守り続けているものがあるのだとか。「時代とともに変わっているのは、現象として見える部分だけ。目に見えない部分は変わっていないと思う。むしろ本質を変えないために、見える部分を変えているのだと言えるかもしれません」変えたくないもの(=本質)を守るためには、変化していくことが必要。それは、雑誌にも共通する部分があるという。「ananも時代に合わせて変化していますよね。でも、目に見えないところにきちんとカラーが存在している。50年の歴史から立ち上ってくるその“スピリット”のようなものを作り手の方々が感じ取ることができれば、今後さらに出版界が変化していってもananの“イズム”は続いていくと思う。アウトプットの仕方が変わっていく中、信じるべきはただそこだけ。これからもその本質を変えることなく、時代の先陣を切るとんがった雑誌であり続けてほしいと願っています」まつとうや・ゆみ東京都出身。1972年にシンガーソングライターとしてデビューし、38枚のオリジナルアルバムをリリース。『TIME MACHINE TOUR』のDVD/Blu‐rayが発売中。シャツドレス¥249,000ネックレス¥57,000(共にマルニ/マルニ 表参道 TEL:03・3403・8660)ピアス¥30,000(カミーユエンリコ/アイクエスト ショールーム TEL:03・6433・5208)※『anan』2020年3月11日号より。写真・下村一喜(AGENCE HIRATA)スタイリスト・槇原亜加音ヘア&メイク・遠山直樹取材、文・真島絵麻里(by anan編集部)
2020年03月05日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「ニュースとアンアン」。『anan』50周年を記念して、連載でイラストを担当してくださっている五月女ケイ子さんと一緒に国会議事堂見学へ行ってきました。国会議事堂見学に行ってきました!五月女:生きているうちに、国会議事堂に来られてよかったです(笑)。堀:ここで様々なことが決まります。でも、本当に物事が動くのは控室や廊下のほう(笑)。議場は、事前に提出した議案に対して用意していた答弁を読み上げる、いわば「セレモニー」のようなものですからね。五月女:そうなんですか!?それはちょっと悲しい。その場で思いついたことは話しちゃいけないんですか?堀:無責任な発言はできないので、仕方ないですよね。大臣の読む答弁書を作るために、各省庁の官僚は国会が始まると毎日深夜まで働いています。五月女:事前に用意しているはずなのに失言が出るのはなぜ?政治家ってよく失言するイメージがあります(笑)。堀:(笑)。失言は、国会よりも、オフレコの会見や、支持者向けの講演会場で起きることが多いですね。五月女:普段、国会で我慢をしているぶん、支持者の前では気が緩んじゃうんですかね(笑)。「社会のじかん」で毎号イラストを描くようになって、政治の世界って意外に人間的なんだなと思うようになりました。堀:そうですよ!五月女:最初はTPPかPPTかもわからないくらい、時事に興味なかったけれど、堀さんのおかげで面白いと思うようになりました。国同士のいざこざも、家族や身近な社会と同じ、人間関係の縮図なんだなって。喧嘩したり仲直りしたり。喧嘩しているように見えて、世界に向けたアピールだったり。堀:外交は交渉術ですからね。五月女:前は、ニュースを聞くたびに、いちいち怖がっていたけれど…。堀:何もわからない暗闇にいると不安になりますが、全体の構造がわかると、不安も軽減しますよね。僕は『anan』では、普段のニュースでは届かないところに言葉を届けられている感触があります。報道の狭い世界にいると、どうしてもニュース好きの人にだけ向けてしまうところもあるので。五月女:わかります。ニュース番組はよくわからない単語の羅列で、「私には向けられてないんだな」と寂しい気持ちになることも(笑)。堀さんは、どのテーマでも中立で、良い面/悪い面、賛成派/反対派の両方を教えてくださるのがすごくいいなと思います。社会の出来事って、批判的な意見ばかりが聞こえてきて、私はそういうところが好きじゃなかったんです。堀:敵味方に分かれて撃ち合い、それに飽きたら、内輪で叩き合って何も成し遂げられないということは多々ありますね。本気で解決しようとすると、どちらの言い分もあるので簡単にはいきません。でも、僕は両方の意見を知りたいというのが、取材のモチベーションになっています。時代の変化に柔軟に。楽しいをモットーに50年。堀:『anan』は50周年だそうですが、時代ごとに若者もカルチャーも次々入れ替わるのに、先を読み変化し続けているところがすごいですね。五月女:50年って相当な重みですよね。堀:雑誌も年数を重ねると、作り手も一緒に年を取るので、意識していないと若い読者とのギャップに気づけなくなると思います。「社会のじかん」も、上から目線ではなく、僕の経験から知ることを参考までにシェアします、くらいのスタンスでいたいですね。五月女:『anan』は「こうしなさい!」という、高圧的なところがない。そこが、私には居心地がいいです。堀:権威にならないようにしているのでしょうね。国際貢献などの記事をさらりと取り上げてみたり、ニュース解説も、「効率良く生きるための武器としての教養」ではなく、「役に立つかはわからないけど、考えてみると面白いんじゃない?」という軽やかな印象。五月女:根本に、「楽しいこと、面白いことをいちばん最初に見つけて伝えたい!」という姿勢がある気がします。私は、「たかが一票で社会なんか変わらない」と思っていたタイプなんですけど、この連載に関わるようになって、自分のできることをやってみたり、考えたりすることが、社会につながっていくんだなあと思うようになりました。堀:どんな問題も、たどっていくと自分の生活につながります。この連載が、少しでも何かを考えるきっかけになる、楽しい場でいられたらと思います。堀 潤ジャーナリスト。元NHKアナウンサー。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。映画『わたしは分断を許さない』(監督・撮影・編集・ナレーション)が3/7公開に。五月女ケイ子イラストレーター。楽しいグッズが買える「五月女百貨店」が評判。エッセイ『親バカ本』、作品集『五月女ケイ子ランド』も発売中。LINEスタンプも好評!※『anan』2020年3月11日号より。写真・大澤千尋題字&イラスト・五月女ケイ子取材、文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2020年03月05日“ananを後ろから開かせる女”という異名はいまだ健在。林真理子さんが書くエッセイは35年を経ても、新しく、そして斬新!今や親子2代でのファンも多いのです。ananパンダを愛し、そして愛された林真理子さんの“奇跡の軌跡”とは?2020年3月に50周年を迎えるananの歴史のうち、35年に渡ってエッセイを寄稿してくださっている林真理子さんにお話を伺いました。anan50周年おめでとうございます。エッセイも35年。私のような年齢で長いことananに出していただけるなんて、本当にありがたいことだと思います。田舎から東京に出てきた私は、ananが特集するファッションを必死に追いかけ、カタカナ職業に憧れていました。先日、週刊誌の対談でお会いした女優の土屋太鳳ちゃんが、お母さんが若くて地方にいた頃、ananの私のエッセイを読み、都会ってこんなにすごいんだ。都会にはこんなものがあるんだと思っていた、とお母さまからの手紙を代読してくださいました。昔の私と同じだったんですね。今は学生さんもOLさんも、皆さん本当におしゃれ。若い女性たちのメイクのうまいこと!昔は雑誌が新しいものや斬新なものを見つけ出し、それをいち早く発信し、読者の方々が好みに合わせて拾い集めるといった感じでした。でも今は同じフィールドに集い、編集者も読者もお互いに情報を発信し、ボールを投げ合うような時代ですね。私は今の読者の方々とはすでにカルチャーが違うと思うし、好奇心がなかなか同じ方向に向かないけど、ananでエッセイを書いていて学ぶこともいっぱいあります。ジャニーズの新しい素敵な方を知ったり、新しいブランドの服も(サイズが許す限り)買うし、エステや“痩せる”と噂のお店にもなるべく足を運ぶようにしています。ananといえば、なんといってもグラビアページの美しさ。旬の俳優さんやタレントさんをキャッチして作る表紙。実用記事でさえ、おしゃれに作っているし、コラムを書く人もよく選んでいるなあといつも感心しています。今は美容室でもiPadで雑誌を読ませるところがあるそうですが、私はなぜかデジタルの文字が、全然記憶に残らないんです。読者の皆さんも本や雑誌から遠ざからず、ネットで誰かが発信したものだけを信じるのではなく、知りたいことにはお金を出して、自分の足で見に行くべきだと思います。美容もおしゃれも上手ですが、もうワンランク上を目指し、もっともっと雑誌が発信するものを見て、楽しみながら学んでほしい。ananにも「これがトレンドなんだ」というものを、これからも作り出してほしい。私も好奇心を奮い立たせ、皆さんと一緒にもう少し走っていこうと思います。ananとの10の思い出1、おしゃれなブランドは、ananが教えてくれました。ananは昔からハイブランドより、ジャパンブランドを大切にする媒体でした。コム デ ギャルソンやワイズ、DCブランドの全盛期も支えていたと思います。私もワイズはよく着ていました。ギャルソンは恐れ多くて……。ファッションブランドのプレスの方やスタイリストはとてもキラキラとかっこよくて、私なんぞ近づけませんでした。2、夜の原稿執筆は、編集部のライター部屋で。連載を書き始めた当初は、完全に夜型の執筆だったんですが、真夜中にひとりで原稿を書くほど孤独で寂しいものはありません。そこで夜な夜な訪れていたのがanan編集部。仲良しのライター・トミちゃんや遅くまで仕事をする編集者がたくさんいて、寂しくなく仕事をすることができました。みんな、仲間に入れてくれてありがとうね。3、マガジンハウスの2大イケメンが私の担当に。35年もの間、私の連載担当者っていったい何人いたんでしょう。なかでもおなじみのテツオさんと、その大学の同級生の林良二さんはマガハ2大イケメンで思い出深いです。あのふたりが笑いながら話す姿を見るのが、目の保養でした。もちろん、女性の編集者もいましたよ。今の担当は、私のエッセイによく登場する女性のシタラちゃんです。4、バーやレストラン、トレンドの店は編集者たちと。テツオさん、バブルの頃はエッセイのネタにと、いろいろなお店に連れていってくれてありがとう。六本木のINGOとか、芝浦のインクスティックとか、トレンドの店に連れていってくれたのはananの編集者の方々。――当時、バーでお酒を飲みながら、30分ぐらい集中してエッセイを書き上げる林さんは、本当にお見事でした。byテツオ5、あの頃は気軽に誘えた、大物プロデューサーA氏。ananで何度も座談会をご一緒した、作詞家の秋元康さんと漫画家の柴門ふみさんと私。AKB48の生みの親と呼ばれ、今や恐れ多いほど大物の秋元さんですが、昔「ジュリアナ東京に行ったことがない」という私と柴門さんを哀れんで、終業後におばちゃんがモップをかけているジュリアナにわざわざ連れていってくれたこともありましたっけ。6、ananを読みながら、さまざまなダイエットにも挑戦。私が取り組むさまざまなダイエットや美容法が、年齢が離れている読者からも共感を呼ぶと編集長のキタワキさんは言ってくれます。そう、連載を書いた35年間はダイエットの記録といってもいいほど。あまりにいろいろ試みるせいか、どれだけのダイエットドリンクが編集部に届いたことか。これからも試せる方法はなんでもチャレンジします。7、トレンドキーワードは、私もananで学びました。私は昔から流行に疎かったんで、ananでレッグウォーマーの流行を知り、すぐに買いに走る下流の女の子でした。ジャージー素材の服が流行り、ananで見たらとてもかっこいい!それもすぐに試したんですが、どこから見てもトレーニング中の運動部。でもメイクもトレンドもおしゃれも、すべてananの誌面から学んだんです。8、パンダの原稿用紙にずっと憧れていました。昔、編集部の人たちは原稿を書くのに、ananパンダの絵が印刷された原稿用紙を使っていました。それを最初に見たのは地下鉄の中。つり革につかまっていたら、目の前に座っていた女性がとつぜん膝の上に原稿用紙を広げて、何かを書き始めたんです。なんてかわいい原稿用紙なの!と、当時コピーライターだった私は心から憧れました。9、撮影時のケータリングは、昔からいろいろ工夫してくれた。ananの撮影では、ケータリングがとにかく豪華でした。予算が厳しい今でも、食いしん坊の私のためにと担当者の皆さんはおいしいお菓子やお弁当を用意してくださいますが、当時はカービングを施したフルーツや見たことがない、食べたことがないお菓子がずらっと並んでいて。マガジンハウスは、昔から食べ物は豪勢で、こだわっていましたね。10、夜中の東銀座は私の遊び場。あの頃は麻雀もしたんですよ。マガジンハウスがある東銀座といえば歌舞伎座も有名です。私は歌舞伎が好きなので、観に行っては幕間の休憩時間にマガジンハウスの会議室をお借りしてエッセイのイラストや原稿を書くことも。昔はたいてい夜中に原稿を書きに行っていたんで、書き終わると麻雀に交ぜていただくこともありました。今思うと、あの頃は体力があり、元気でしたね。はやし・まりこ1954年、山梨県に生まれる。コピーライターとして活躍後、エッセイスト、作家に。第94回直木賞を受賞。著書『西郷どん!』は’18年NHKの大河ドラマに。※『anan』2020年3月11日号より。写真・天日恵美子スタイリスト・平澤雅佐恵ヘア&メイク・面下伸一(FACCIA)取材、文・今井 恵(by anan編集部)
2020年03月04日トーク番組『徹子の部屋』をはじめ、86歳になった今も様々なフィールドで活躍し、日本中から愛されている黒柳徹子さん。『anan』2000号にもご登場いただき、徹子さんと『anan』の間には、実はパンダにまつわる強い絆がある件をお話ししてくださいました。今回もスタートはそんなパンダの話から!知れば知るほど謎深い。興味が尽きないからこそ、パンダが好き。――日本にまったく情報がない頃から、パンダを愛していらしたと伺っていますが、パンダの何に惹きつけられたのでしょうか?黒柳:前にもお話ししましたけれど、最初はね、アメリカ帰りの叔父さんがおみやげにくれた、ぬいぐるみだったんです。白と黒の熊みたいな動物、かわいいなぁと思って大事にしてたの。その頃はその動物がパンダであることも、そして実在していることも知らなかったんだけど。戦争中も、リュックにそのぬいぐるみを入れて大事に持ち歩いていて、その後戦争が終わり、中国に実物が棲んでいることを知り、いつか本物を見たいって思うようになったわけ。なぜそんなに惹かれたか?そうねぇ…、なんていうのかしらね、見るからにかわいいのはもちろんなんだけど、とにかく謎が多い動物なの。調べれば調べるほど不思議な動物。結果的に、いつの間にか私は素人ながらパンダに相当詳しい人になっちゃったんだけど、今でもまだ興味が尽きない。あとね、パンダは平和的なのよ。――平和的、とは?黒柳:パンダって、熊みたいに後ろ脚で立ち上がって、わーって吠えて威嚇したりしない動物なんです。普段の鳴き声も、メェ~みたいな感じだし。前に聞いた話なんですけれど、飼育員さんがパンダ舎の掃除をしてたとき、外から誰かに「パンダって、おとなしいんですか?かかってきたりしないんですか?」って聞かれたんですって。「おとなしいですよ」って言いながら、じゃれついてくるパンダを竹のほうきでグイグイ押して、転がして、「ほら、こんなもんですよ」って。で、ほうきを中に置いたまま一瞬檻の外に出たらしいんだけど、飼育員がいなくなった途端、中にいたパンダが竹ぼうきをバキッて折ったんですって(笑)。つまり、力はすごく強いんだけど、誰もいなくなってからそれを試すってところが、なんともかわいいじゃないですか。そういうところが好き(笑)。――本当は力強いけれど、見た目はとってもかわいい。そして知れば知るほど興味が出る。愛される理由にあふれてますね、パンダ。黒柳:たしかにそうね。私が初めてパンダを見たのが’67年、ロンドンだったの。チチってメスがいて、そこにソ連(現ロシア)から、アンアンって男の子パンダが婿入りに来てて。帰国後にその話をしたことが、雑誌に“アンアン”って名前が付く、きっかけのひとつになったのよね。その雑誌が50年も続いているなんて、すごいことよね。私も嬉しく思います。――弊誌の読者は20代から30代の女性が中心です。今から50年前、徹子さんも30代半ばだったと思うのですが、その当時はどんなことを考えていましたか?黒柳:30代よね…。私は女学校を出たあと音楽学校に行って、すぐNHKの専属女優になりデビューしたの。毎日毎日朝から晩までテレビとラジオに出てたんだけれども、共演者の中に舞台役者さんなんかがいると、すごく演技が上手なわけ。一方私は、個性的とは言われたけれど根本的には演技の勉強なんて何もしたことがなかったから、30歳を越えたくらいから、このままじゃ駄目だなと思うようになっていたのね。一度考える時間を持たなきゃ、と思ってたの。それでNHKを辞めて、すべてやめて渡米したの。それが38歳のとき。――ニューヨークで、演劇学校に通われたそうですね。黒柳:そうそう。今でもすごく新鮮に思い出せる。あのときは楽しかったなって。何度も思い出すから、思い出が全然薄くならないの。いつまでたっても、とっても鮮烈。――学んだことで、今でも役に立っていることはありますか?黒柳:役の作り方で、とても思い出に残っていることがあって。演劇の先生がね、チェーホフの『三人姉妹』って芝居の中の、1分くらいのモノローグをある生徒にやらせたの。それでその生徒が、窓の外を見ながら「あぁモスクワに帰りたい」って言うんだけど、そこで先生が、「ちょっと、モスクワに帰りたいっていうけど、モスクワのどこに帰りたいの?」って。「えーとモスクワの家です」。それに対して先生が、「家?家のどこ?人は“自分の家に帰りたい”って思うときには、頭の中にその場所の映像があるものよ。あなた、モスクワのあなたの家のどこに帰りたいの?階段?日が当たる自分の部屋?どこ?あなたの頭には何も浮かんでないっていうのが私にはわかるのよ。そういうウソは、ついちゃ駄目なの」って先生がおっしゃって。すごくその教えが印象的でね。それ以降、私は芝居をするときには、全部のセリフに裏付けを考えるようになったわ。だから、マリア・カラスを描いた舞台『マスター・クラス』をやるときは大変だった。彼女の人生を全部勉強して、もちろん出演したオペラ30作品も勉強した。それを頭に入れなきゃいけなかったんだから。でもそのおかげで随分評価していただいて。とっても嬉しかったのを覚えてます。――徹子さんは、常に前向きに、楽しく生きている印象がありますが、その秘訣はなんでしょう?黒柳:正直仕事に関して、「あれをしたい!」とか、「賞が欲しい!」とか、そんなことを思ったことは一度もないんです。毎日朝起きるたびに思うのは、「今日は何をするのかしら、面白いことがありそうだわ」ということ。それもニューヨークの先生に習ったことなんだけど、特にアメリカのショウビズ界は役を取るのも大変だし、毎日が戦いなわけ。だから、“前に進む”ってことを、いつも考えてなきゃ駄目よって言われたんです。だから常に、私自身が面白いなと思うことに対して、正直に、生き生きとしていようって思います。なんかね、ズルズルしてるのって私らしくないの。自分らしくあろうと思うと、自然に行動がサッサとしちゃうのよね(笑)くろやなぎ・てつこ東京都出身。日本にテレビが誕生した1953年からNHK専属テレビ女優となり、以降テレビドラマや演劇に加え、司会者、タレント、エッセイストなどとして幅広く活躍。トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)は放送45年目を迎えた大人気番組。クイズ番組『世界ふしぎ発見!』(TBS系)も今年35年目を迎える。※『anan』2020年3月11日号より。写真・下村一喜(AGENCE HIRATA)スタイリスト・大野美智子ヘア・草替哉夢メイク・mahiro(by anan編集部)
2020年03月04日anan読者200人超で作る「anan総研」の意識&行動リサーチ。今回のお題は「ananと私たち」です。「みんなのanan愛が炸裂!総研メンバーによる思い出トーク」を調査しました!Q.ananとの出合いは?中学生のとき、恋に悩んで背伸びして買ったのが最初です。(27歳・会社員)/高校の部活で、部室に置いてあったのを回し読みしたとき。(27歳・大学院生)/美容室で渡される雑誌が高い確率でananでした。(31歳・会社員)/友達から「ものすごく当たる占いがある」と占い特集を教えてもらったのがきっかけ。夏頃に出会いがあると書かれていて、本当にその夏に出会った人と結婚しました!(35歳・自営業)Q.ananといえば?読めば世のトレンドを追える。(29歳・会社員)/ライフスタイルを中心とした女性の興味が詰まった雑誌。(34歳・公務員)/デキる女子のバイブル。(35歳・専門職)/オールジャンルの情報が一冊に!(32歳・会社員)/毎週異なる雑誌のように、幅広いことを教えてくれる。(29歳・契約社員)Q.ananの特集テーマといえば?(複数回答)1位…セックス83%セックス特集の官能的なシーンのページにいつもドキドキしちゃいます。(33歳・会社員)2位…占い71%しいたけ.さんのカラー心理学、こんなに当たるの!?と思わず声が出て、みんなに教えまくりました。(29歳・会社員)3位…美脚・美尻/手みやげ…50%【美脚・美尻】白石麻衣さんの表紙、色気があるのに清潔感もあって憧れました。(31歳・会社員)【手みやげ】秘書の仕事をしていたとき、会社に持っていって何度も参考にしました。(29歳・会社員)5位…美乳46%田中みな実さんの表紙、忘れられません。(31歳・公務員)6位…開運/恋愛/ダイエット44%【開運】江原啓之さん表紙の号は、ご利益がありそうなので毎回買います。(33歳・自由業)【恋愛】紹介されているテクニックを使って、合コンでモテまくりました(笑)。(34歳・主婦)【ダイエット】読み応えがあるので、バックナンバーを探して買い集めたことがあります。(33歳・会社員)9位…カラダにいいもの大賞46%日常生活で取り入れたい情報が一冊にたくさん詰まっているので、買い物をするときの参考になります!(34歳・会社員)10位…モテコスメ/ねこ【モテコスメ】流行の商品はもちろん、旬なメイクのトレンドを押さえることができるので、重宝しています。(27歳・専門職)【ねこ】可愛いねこたちの付録シールが大好きで集めています。癒される~。(31歳・会社員)数ある特集のなかで、ananの代名詞といえば!?やはり最も印象に残っている特集テーマといえば「セックス」のよう。女性の性を赤裸々に特集するのは、もはやananの代名詞!?次いで「占い」も大人気。ほかに「美脚・美尻」「美乳」などカラダ磨き系も支持率高め。Q.anan総研に入ってよかったですか?YES…100%ananがこうやって作られるのか、としみじみ感じられるから。(27歳・会社員)/毎週雑誌を読んで、そのときの旬や流行を知る習慣ができた。(35歳・自由業)/anan総研のマラソン部がきっかけで、今も仲がいい友人ができて嬉しい。(34歳・専門職)/自分の感じたことを誌面やWebを通じて伝えられるのが楽しい。(28歳・会社員)/バイタリティに溢れる個性的な知り合いができて、刺激になります。(31歳・会社員)/総研の撮影があるから、美容をもっと頑張ろうと思えています!(23歳・学生)Q.anan総研の思い出を教えてください。IKEAの家具で部屋をリニューアルしてもらい、以来部屋が明るくなりました!(27歳・会社員/ポテトチップスを食べながらみんなで映画を観る企画、とても楽しかったです。(30歳・自営業)/ダイエット企画、初めてのチャレンジで結果を出せたのがすごくいい思い出です。(31歳・自営業)/クローゼットの収納改造企画。家に来てくれたライターさんと楽しく断捨離できました。「これいつ着たんだよ!いつ着るんだよ!」というコスプレ衣装が出てきて、みんなで大爆笑(笑)。(34歳・主婦)/サッカー日本代表とのコラボグッズ企画が印象的です。(31歳・会社員)/うま部で、競馬場の貴賓室に入れてもらうという貴重な経験をしたこと。(32歳・会社員)※『anan』2020年3月11日号より。写真・大嶋千尋角戸菜摘文・五十嵐 大モデル・anan総研No.301井上あんな(by anan編集部)
2020年03月04日今週は『anan』創刊50周年を記念して、誌名の由来でもあり、トレードマークとしてもお馴染みのパンダをフィーチャー。その愛らしいルックスに、心ときめくこと間違いなし!もの思いにふけるパンダが、玄関でお出迎え。フィンランド発の老舗のテキスタイルブランド『フィンレイソン』のふわモコマット。「AJATUS」(=思案する)というシリーズ名通り、何か考え込んでいるようなパンダがキュート。70×45cm¥4,800(フィンレイソン)パンダといえばこの人!トットちゃんのコンパクトミラー。本誌の名付け親の一人であり、大のパンダ好きとしても知られる黒柳徹子さん=トットちゃんのミラー。絵は黒柳さんの友人でイラストレーターの田村セツコさんが手がけている。6.7cm角¥1,800(TOTTO-CHAN SHOP)自立式で収納やダストボックスとしても。サスティナブルで遊び心のあるアイテムを数多く手がける、ベルリンのデザインユニット「kolor」によるペーパーバッグ。耐久性のある2層の紙で作られているため、形を整えれば自立させることも可能。W55×H84cm¥1,600(シボネ青山)デスクまわりに立てておくだけで気分ほっこり。ダイカットと呼ばれる型抜き技術で、パンダのシルエットを表現したメモパッド。用紙が減っても自立しやすいよう、起毛素材の表紙に小型のマグネットを装着。罫線入りで実用性も抜群。¥600(マルモ印刷)ころんとした毛糸のパンダモチーフに胸キュン!パンダのようなツートーンの色や素材を組み合わせた服や雑貨が揃う『my panda』から、柔らかなラムレザーのバブーシュがお目見え。パンダモチーフはすべて手作りで温もり溢れる表情に。¥4,800(my panda)※『anan』2020年3月11日号より。写真・多田 寛スタイリスト・池田沙織文・菅野綾子(by anan編集部)
2020年03月04日3/4(水)発売のanan2191号「創刊50th記念特別号」の表紙にご登場いただいた、King & Princeのみなさんの撮影エピソードを紹介します。anan編集部King & Princeがアンアンパンダに変身!?凝縮された可愛さに、身悶え必至…!!anan50周年記念特別号の表紙、みなさんご覧になっていただけたでしょうか? 今回は、次代を担う人気絶頂のグループKing & Princeが、マスコットキャラクターである「パンダのアンアン」に大変身!! ふわもこのパンダの着ぐるみに身を包む彼らの超絶キュートな姿に、釘づけになること間違いなしです。じつはこのパンダの衣装、撮影の半年前から構想し始め、なんと彼らのサイズにぴったり合わせて製作した特注品なのです。よ〜く見ると、少しずつ顔も異なる一点モノ(笑)! それをメンバーにお伝えすると、「えっ! これ僕らのための特注なんですか!?」(永瀬さん)「僕、これが初パンダです!」(平野さん)「これまでサンタとか和服はあったけど、パンダっていいね」(神宮寺さん)「着心地最高です。毛並みがものすごくいいです!」(髙橋さん)「僕、持って帰りたいです」(岸さん)と大喜び。撮影中もみなさん自然と笑顔がこぼれ、キャッキャとはしゃいでいました。パンダの頭をかぶって「ポンッ」と勢いよく脱いだり、尻尾をカメラに向けてフリフリしたり、マッチョポーズでキメてみせたり、カンフーのような不思議なダンスを始めたり…各々の思う「パンダポーズ」に、メンバーも現場スタッフも笑いが止まりません。パンダの頭をゴロゴロと落っことして、「わぁ〜〜〜待って(汗)」と追いかける平野さん、トイレに行きたがる岸さんを走って追い掛け回すメンバー、編集部がお持ちした子パンダのぬいぐるみで遊ぶみなさん…ずっとワイワイと楽しい雰囲気で、50周年にふさわしいハッピー感溢れる撮影となりました。さらにこちらの記念特別号、パンダともう一つ、『ディオール』のスーツでバシッとキメたカットも掲載!「ディオールの服、めっちゃ気持ちいいです 大人! って感じです」と髙橋さん。全身ネイビー&黒でモードに攻めたKing & Princeは、パンダの可愛さとは一転、キラキラに輝く精悍な男たちに。また今回は、スーツを纏い、煌めく星の上を進んでいく彼らが表紙のスペシャルMOOK「50周年記念号スペシャルエディション」も同日発売!パンダ&スーツ、50周年だからこその、一度限りのスペシャルコラボをぜひお楽しみください!(S)
2020年03月03日anan創刊50周年を記念した表紙アーカイブ展が、3月2日~3月8日まで東京メトロ新宿駅 メトロプロムナードで開催中。表紙アーカイブ展のレポートや会場に設置された巨大パンダの制作秘話をお届けします。文・小田原みみanan創刊50周年を記念した表紙アーカイブ展が、3月2日~3月8日まで東京メトロ新宿駅 メトロプロムナードで開催中。初日に早速行ってきました!約80メートルの通路の壁に『anan』の創刊号から50周年記念の最新号2191号までの表紙が年代順にズラリと並び、そのど真ん中には巨大パンダが鎮座しています。また柱30本に創刊号の表紙や、最新号表紙の別カットが巻かれ、天井からもanan50周年の宣伝が吊り下げられて、周辺はanan一色です。新宿駅の地下道、東口方面から西口方面に向かってananの歴史が進んでいきます。東口で最初に目に飛び込んでくるのは『anan』創刊号の表紙。当時としては珍しい海外のモデルを起用したセンセーショナルな表紙は世間の注目を浴び、50年たった今でも「おしゃれ」「斬新」という印象です。この一冊から『anan』の歴史は始まりました。1970年代の『anan』の表紙は海外のモデルさんがメイン。当時『anan』は女性にとって旅や最新ファッションの教科書だったことがわかる表紙が多くを占めています。1980年代前半はキャッチコピー全盛期。「いけないことほどしたくなる」「いい女からかわいい女へ」等表紙に書かれている言葉は、今でも改めて読んでみたくなります。そして、1980年代後半~1990年代は、現在も第一線で活躍されている方が表紙に多く登場しはじめます。特集内容もそれまでのファッションやヘアスタイルに加え、インテリア、雑貨、カルチャーと、時代に合わせて多岐にわたるようになりました。また、現在も続く「セックス特集」や「占い特集」はこの頃誕生しています。「好きな男」や「誌上ヘアカット」など『anan』が先駆者的にスタートさせた特集も多くみられます。2000年代以降の表紙はまだ記憶に。表紙の目の前に立つと、その表紙を飾った人と目が合うような感覚になりドキッとすることも。今をときめく方たちの表紙に心奪われうっとりと眺めているといちばん西側は50周年記念特別号のKing & Princeの皆さんがパンダになった表紙です。老若男女問わず皆さんジッと見入ったり、お気に入りの表紙をスマホで撮ったりしていたのですが、「かっこいい!」「かわいい!」という声にくわえ、「懐かしい…」とつぶやいている方がいたのが印象的。50年間という雑誌の長い歴史があるからこそ、それぞれの時代を生きた自分と『anan』の歴史を重ね合わすことができるのだと感じました。今回表紙展の中央には、周辺を見守っているかのような高さ約2メートルの巨大パンダが座っています。この巨大パンダにこめられた想いや表紙展の制作秘話をマガジンハウス宣伝部の担当者に聞きました。―今回なぜこの巨大パンダを制作しようと思ったのですか?『anan』という雑誌の名前の由来は諸説あります。その中の一つに大のパンダ愛好家の黒柳徹子さんがロンドンで「アンアン」という名前のパンダを見て、帰国後にその話をしていたらたまたま新創刊される雑誌の話をしていて…というエピソードがあります。黒柳さんのこのお話がきっかけで、パンダが『anan』のキャラクターになり、イラストレーターの大橋歩さんが描いたパンダが創刊号から現在も表紙まわりに登場しています。このパンダは今日まで50年間雑誌を見守ってきました。ところが、最近は『anan』のキャラクターがパンダだということを知らない方も多いのではないかと思い、あらためてパンダは『anan』と深いつながりのあるキャラクターということを多くの方に知っていただきたく、インパクトのある巨大パンダを制作しました。―立体的な巨大パンダ、どうやって作られたんですか?制作会社の方にパンダのぬいぐるみを3Dスキャンしてもらって、様々な箇所にこだわりながら作ってもらいました。が、実はこのぬいぐるみづくりが大変でした。『anan』では創刊30周年の時に、大橋さんのイラストを基にしたパンダのぬいぐるみを作っているのですが、今回は50周年ということで新たに作り直しをすることになったんです。イラストのイメージを損なわず、立体的なので横から見たときのフォルムの再現に試行錯誤し、試作に試作を重ねたのですがなかなかうまくいかず(涙!)。試作6回目で、編集部の皆が納得するぬいぐるみが完成しました。大小200個、新聞広告や記念号の扉に、黒柳徹子さんとたくさんのパンダのぬいぐるみの写真がありますが、あれです。―巨大パンダ、どのような点にこだわっているんですか?いくつかあるんですが、まずはパンダの肌ざわり。生地サンプルをたくさん取り寄せてもらい、これだという肌ざわりの1枚に決めました。また、パンダの足にもこだわっています。実はあの足の中はFRPというレーシングカーでも使用されているような丈夫な素材が使われていて、大人が座っても大丈夫なようにできています。そして、いちばんのこだわりはパンダの目の位置! 身長160cm前後の人がパンダの前に立つとちょうどパンダと目が合うような高さになっているんですよ。―パンダと目が合うなんてめったにない機会ですね! またどこかでこのパンダと会えますか?新宿での展示は3月8日までなのですが、その後しばらくマガジンハウス本社に設置される予定です。残念ながら一般公開していないのですが。また、秋にもイベントを予定しているので、そこでも登場するかもしれません。楽しみにしていてください。―最後に、この50周年記念展示で一番の見どころは何ですか?インパクト大な巨大パンダはもちろんのこと、『anan』の50年という長い歴史をこの表紙展から感じてもらえたらと思います。―お話ありがとうございました。時代や流行は移り変わりましたが、『anan』は創刊から変わっていないことがあります。それは、すべての女性の好奇心と幸せに寄り添いってきたということ。これからも『anan』はその時代を生きる女性たちの味方でありたいと思っています。
2020年03月03日音楽をこよなく愛する、ライター・エディター・コラムニストのかわむらあみりです。【音楽通信】第31回は「番外編」! 雑誌『anan』が誕生してから2020年で50周年を迎えるにあたり、「音楽通信」にご登場された森山直太朗さん、Chuning Candyさん、ゴスペラーズさん、曽我部恵一さん、家入レオさん、中島美嘉さん、中村一義さん、シーナ&ロケッツの鮎川誠さんからコメントを頂戴しましたので、一気に8組をご紹介します!アーティスト8組の『anan』のイメージは?【音楽通信】vol.31 「番外編-50周年へのコメント」雑誌『anan』は、1970年3月3日に創刊してから、今年2020年で50周年を迎えます。そこで「音楽通信」にご登場いただいた一部のアーティストのみなさんに、50周年を迎えた『anan』に対しての貴重なコメントを頂戴しましたので、ここで一気に8組をご紹介します。※「音楽通信」掲載日の順番でご紹介しています。森山直太朗「若い女の子の本音が載っている雑誌」もう50年になるんですね。雑誌の『anan』といえば、“若い女の子の本音が載っている雑誌”というイメージです。雑誌創刊当時の70年代の若さと、現在の若さとは、時代とともに捉え方が違ってきていることもあると思いますが、時代ごとに独創的な発想を提案しているのが『anan』。女の子同士のいろいろな会話を雑誌というかたちで、ちょっとおしゃれに、本音で、発しているのではないでしょうか。Chuning Candy「すぐ手にとって見ちゃう雑誌」写真左から琴音、ソフィー、LILI、ゆうり、愛子。愛子『anan』の表紙がいつも楽しみです。ソフィー私たちからすると、ちょっと大人の雑誌という印象もありますね。琴音いろいろな話題が紹介されている雑誌だと思います。愛子『anan』さんを本屋やコンビニエンスストアで発見すると、ほかの雑誌とは違う雰囲気で、すぐ手に取って見ちゃいます!琴音、ソフィー、LILI、ゆうり、愛子50周年! おめでとうございます〜!ゴスペラーズ「インパクトと振り幅のある雑誌」写真左から、村上てつや、黒沢 薫。黒沢『anan』は大学時代によく読んでいて、憧れの雑誌だったんですよ。いつか『anan』に歌の記事で出ることができたら最高だと思っていました。だから、2000年だったかな。初めて出させていただいたときはうれしかったですね。村上僕たちが出させていただいたときはhydeさんが表紙の『anan』で、その号にちょこっとだけ載せてもらったんですが、うれしかったですよ(笑)。『anan』の“好きなミュージシャン特集”に出るのが夢だったから。黒沢男性にとっても憧れがある雑誌ですし、これからもそうあってほしいですね。女性にとっては、地に足のついた特集もすれば、キラキラした特集もしていて、とても振り幅の大きい雑誌だと思うので、これからもそのままで進んでいってくれると楽しいです。村上『anan』は世間にインパクトを残してきた雑誌だと思うんですよ。いまでも取ってありますが、1990年ごろに篠山紀信さんが素人女性のヌードを撮った号があって(※1)、とても衝撃的でした。※1. 1992年10月2日特大号で篠山紀信さんが撮影する企画に全国から応募が殺到し、選考の末、読者代表として19人の女性が登場。きっと宮沢りえさんの『サンタフェ』(※2)からきた流れですね。普通の本屋に並ぶ雑誌に、“24歳OLさん”などの一般人の女性のヌードが載っていて、当時20歳ぐらいの僕は衝撃を受けました。※2. 1991年に篠山紀信さんが出版したヌード写真集。その後も、めっちゃ保守的な回と、けっこう攻めている回があって面白い(笑)。人間もそうですが、どちらもあってそのコントラストがある人ほど面白いので、そのスタンスをずっと『anan』は続けていらっしゃるから、ドキドキします。黒沢振り幅があるのが魅力ですね。曽我部恵一「僕らの世代にとって特別な雑誌」50年はすごいですね。僕らの世代は、ぎりぎり男も『anan』を読むような世界観があったんですよ。「Olive」(1982年創刊、2003年8月号休刊マガジンハウス)などもそうですが、90年代のマガジンハウスの雑誌には、女性だけではなく男性も読む雰囲気がありました。その前は“もっとリベラルな新しいもの”というイメージです。以前は、マガジンハウスではなく平凡出版でしたよね(※3)。マガジンハウスの近くに、音響ハウスというスタジオがあって、僕はときどき録音をしていたので、「ここがあの平凡出版か」と思いながら眺めていました。僕らの世代にとって『anan』は特別な雑誌ですね。※3. 1945年に合資会社凡人社として設立、1954年から平凡出版株式会社、1983年に株式会社マガジンハウスと社名変更。家入レオ「いろいろなテーマを真正面から主張する雑誌」『anan』50周年、おめでとうございます。『anan』はその時代ごとに、女性にまつわる情報や話題にスポットを当てて作られていて、照れたり恥ずかしがったりするテーマでも真正面から主張している雑誌だと思います。みんなが持っている気持ちを代弁してくれている『anan』の姿勢はすてきですね。中島美嘉「常に読者を楽しませてくれる雑誌」『anan』は、昔から、きれいなお姉さんがたくさん出ている雑誌というイメージが強かったですね。私自身、『anan』の占い企画で鏡リュウジさんと対談させていただいたり、恋愛企画やファッションだったり、音楽記事以外でもいろいろな特集に出させていただいています。常に読者を楽しませてくれる雑誌だと思います。中村一義「みんなが手に取りやすいおしゃれな雑誌」50周年、すごいですね。『anan』は、みんなが手に取りやすい、すごくおしゃれな雑誌だと思います。大衆的なんですが、なんかちょっと違うという存在。僕もそういう存在を目指しています。妻も昔から『anan』を読んでいますよ。シーナ&ロケッツ 鮎川誠「等身大のスーパーファッション雑誌」『anan』50周年、おめでとうございます!僕のギターのレスポールも50年やけ、同い年やね。『anan』は、以前やっていたバンドのサンハウス時代に作った「もうがまんできない」という曲の歌詞に出てくるんです。男女が別れる曲なんやけど。その歌詞の中に出てくる知ったかぶりをする女の子がする話は“全部『anan』に載っていたことをネタにしていると俺はお見通しだ”っていうような歌です。この曲を作ったのは1972年ぐらいだから、雑誌『anan』が一番という時代。とてもバランスがよいし、品がよいし、みんなが興味を持つテーマを扱っている。女性が興味を持つものは男性も好きだからね。旅行やらグルメやらファッションも、すべて『anan』はリードしてきた、等身大のスーパーファッション雑誌。だから『anan』は見とかないかんのです。取材後記雑誌『anan』が創刊してから今年で50周年。「音楽通信」でコメントを頂戴した森山直太朗さん、Chuning Candyさん、ゴスペラーズさん、曽我部恵一さん、家入レオさん、中島美嘉さん、中村一義さん、シーナ&ロケッツの鮎川誠さん、ご協力いただきましてありがとうございました!1年限定の50周年スペシャルサイトもオープンしておりますので、ぜひご覧ください。雑誌『anan』そしてこちら『ananweb』ともに、今後ともよろしくお願いいたします!Information森山直太朗初のアニメ主題歌「ありがとうはこっちの言葉(TV version)」配信中。3月30日から始まるNHK連続テレビ小説『エール』に出演。撮影・大内香織、ヘアメイク・北島圭二、スタイリスト・上野真紀Chuning Candyニューシングル「STAND UP!!/アイのうた」発売中。4月26日、ワンマンライブ「Chuning Candy 2nd Anniversary LIVE!」を代官山UNITで開催。写真・角戸菜摘ゴスペラーズシングルコレクション『G25 -Beautiful Harmony-』発売中。4月11日から全都道府県ツアー「ゴスペラーズ坂ツアー2019〜2020 “G25”」開催。写真・大内香織曽我部恵一自主レーベルの音源のみで構成されたソロベスト盤が発売中。今春、サニーデイ・サービスのニューアルバムをリリース。4年ぶりとなる全国ツアーも5月よりスタート。写真・大内香織家入レオ月9ドラマ『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~』(フジテレビ系毎週月曜午後9時)の主題歌であるニューシングル「未完成」発売中。写真・大内香織中島美嘉ニューシングルMarie starring MIKA NAKASHIMA「イノサンRouge」発売中。写真・大嶋千尋中村一義ニューアルバム『十』発売中。3月1日から全国ツアー「中村一義 “十” acoustic Live tour 2020」、さらに5月10日からはバンド編成による「中村一義 “十” Band Live tour 2020」を開催。撮影:角戸菜摘シーナ&ロケッツアルバム『LIVE FOR TODAY ! -SHEENA LAST RECORDING & UNISSUED TRACKS-』、完全受注生産限定盤BOX『LOVE BOX -42nd Anniversary Kollection--』発売中。撮影:大内香織
2020年03月02日アイドルグループ・King & Princeが、3月4日に発売される女性グラビア週刊誌『anan』(マガジンハウス)創刊50周年記念特別号となる2191号の表紙に、パンダ姿で登場する。今年3月で創刊50周年を迎える同誌の記念号の表紙で、King & Princeの5人が、『anan』のキャラクターである“アンアンパンダ”に。この着ぐるみパンダは、メンバーのサイズにあわせて半年かけて特注したもの。着心地抜群だったようで、メンバーは着替えるやいなや、着ぐるみの頭部をかぶったり、本物のパンダのようにゴロゴロしたり、スタジオがまさにパンダの部屋となった。撮影終了後、岸優太は「持って帰りたい!」と名残惜しそうに。ピッタリサイズでそれぞれに似合ったパンダ姿は、50周年記念号だからこその一度限りのスペシャルコラボ。悶絶の“かっこかわいい”の大渋滞、その姿は全12ページのスペシャルグラビアで楽しめる。■King & Princeコメント平野紫耀「ananに出させていただくと、毎回反響が大きく、たくさんの方に見ていただけてとても嬉しいです。さらに50周年号に表紙をやらせて頂けるなんて、本当に皆様に感謝です」永瀬廉「50周年おめでとうございます。節目の表紙にKing & Princeを選んでいただいてありがとうございます。100周年も! の気持ちでがんばります」高橋海人「50周年の大事なタイミングで出させていただいて、いま、アイドルとして活動していてよかったです」岸優太「いつもかっこよく撮ってくださる。撮影された僕らを、世界中の人に見てもらいたいです」神宮寺勇太「アンアンの撮影は、毎回身が引き締まります。小さい子たちが憧れるような、今の自分を残していけたらうれしいです」なお、King & Princeのクールなスーツ姿が表紙の「50周年記念号スペシャルエディション」も、本誌と同じく3月4日に発売。豪華特殊加工のカバーとなっている。特集内容は本誌と同じ。発売日は地域によって異なる。anan No.2191(2020年3月4日発売) (C)マガジンハウス
2020年02月29日『大阪万博50周年記念展覧会EXPO‘70 50th ANNIVERSARY EXHIBITION』が、天王洲エリア一帯と渋谷パルコにて、2月24日(日)まで開催されている。1970年にアジアで初めて開催された日本万国博覧会(大阪万博)。77の国と地域が参加し、国内外から6,400万人を超える来場者が訪れた。そんな万博開催から50周年を記念して開催される同展は、万博のレガシーの再現とともに、継承(=バージョンアップ)を試みるもの。岡本太郎らの当時の貴重な作品や資料をはじめ、万博協会が保管している大阪万博関連資料19万点の中から厳選した資料5,000点以上を展示。特に音の資料に関してはこれまで例がないほどの貴重な資料が公開されるほか、大阪万博に影響を受けたアーティストたちによる新たな作品も紹介される。会場となるのは、天王洲のエリア一帯。T-ART HALL TERRATORIA、T-PASSAGE、T-LOTUS M、ボンドストリート、天王洲オーシャンスクエアを中心に作品が点在し、天王洲の街に万博の風景を重ねて観覧できるようになっている。「T-ART HALL」では、岡本太郎のマスクや、フランソワ・バシェによる音響彫刻《勝原フォーン(修復)》が展示され、「ボンドストリート」「ボードウォーク」「T-PASSAGE」では、バシェの作品をモチーフに、蓮沼執太によって作られた音楽が響き渡り、「天王洲オーシャンスクエア」では、西野達によるバスをカットした巨大な作品が登場する。また、「TERRATORIA」では、宇川直宏による、大阪万博の音のアーカイブ(演説や語り)とモミ玉がシンクロするマッサージチェアーを設置。一柳慧、小杉武久、松下真一による現代音楽とモミ玉&バイブレーションがシンクロするマッサージが体験できる。すべての会場が入場無料となっているので気軽に足を運べるのも嬉しいところ。新たな「大阪万博」の開催まで後5年。50年前の「大阪万博」と、そのレガシーを今に受け継ぐ新たな作品をともに堪能してほしい。【開催情報】『大阪万博50周年記念展覧会EXPO‘70 50th ANNIVERSARY EXHIBITION』2月15日〜2月24日(日)T-ART HALL TERRATORIA、T-PASSAGE、T-LOTUS M、ボンドストリート、天王洲オーシャンスクエア、寺田倉庫など天王洲エリア一帯、渋谷パルコにて開催※2月17日(月)は休館【関連リンク】 大阪万博50周年記念展覧会EXPO‘70 50th ANNIVERSARY EXHIBITION()岡本太郎フランソワ・バシェ (c)Ana Sanchez Bonet-Courtesy Succession Brothers Baschet日本万国博覧会(大阪万博)風景 1970年日本万国博覧会(大阪万博)風景 1970年日本万国博覧会(大阪万博)風景 1970年日本万国博覧会(大阪万博)風景 1970年
2020年02月16日「『anan』創刊50周年記念展」が、京都の美術館「えき」KYOTOにて2020年3月7日(土)から3月27日(金)まで開催。当初の会期は4月5日(日)までを予定していたが、臨時休館に伴い会期を変更。雑誌『anan』50周年記念の展覧会「『anan』創刊50周年記念展」では、雑誌『anan』の50周年の歴史を辿るとともに、現在もなお、新たな読者の心をとらえる『anan』の魅力を紹介。特に、創刊から約10年の草創期に『anan』で活躍した様々な分野のクリエイターたちに焦点を当て、『anan』の歩みを紐解いていく。美術館エントランスには、創刊号から最新号までの歴代表紙が登場する。ファッション誌に革新をもたらした『anan』『anan』は、4号のみ実験的に発刊された『平凡パンチ・女性版』を原型とし、1970年3月にフランスの女性ファッション雑誌『ELLE』と提携。型紙のついた実用服飾誌が“ファッション雑誌”だった当時、まったく新しい形のファッション誌『anan ELLE JAPON』として誕生した。『anan』は、「布をみにまとうことだけがおしゃれではありません。リズムをとること、踊ること、話すこと、どんなものをどんな風に食べるかということ、住むこと、旅すること、みんなファッションです。」と、創刊第7号巻頭ページで“真のファッション”とは何かを高らかに宣言。表紙に起用するモデルや、当時難しかった海外ロケ、様々な分野の若いクリエイターが結集した誌面作りなどは、若者のカルチャーやその後のクリエイティブ界に影響を与えた。タイトルのデザインは、『anan』初期の全面的なアートディレクションを担当した堀内誠一が担当。象徴的なパンダのロゴは大橋歩のイラストだ。創刊号の表紙撮影は、立木義浩が手がけた。さらに、日本にとって遠い地であった海外の様子を紹介する記事や、澁澤龍彦、三島由紀夫などの文化人の寄稿などにより、画期的な雑誌であることを印象付けた。原由美子など日本で初めて“スタイリスト”を確立また、デザイナー、モデル、カメラマン、イラストレーターらの名前を積極的に誌面でフィーチャーし、それまでにはなかった“スタイリスト”といった職業を生み出すなど、『anan』は日本で初めてクリエーターたちに市民権を与える場としても発展を見せた。会場では、『anan』から活動の場を広げていった飯野和好、スズキ・コージらのイラスト原画や、『anan』創刊から参加し、日本で初めて“スタイリスト”という職業を確立した原由美子セレクトのファッション・ページもプロジェクションで投影し紹介する。【詳細】『anan』創刊50周年記念展生きて、愛して、歌って。創刊から‘70 年代の『anan』をプレイバック開催期間:2020年3月7日(土)~3月27日(金)※当初は4月5日(日)まで開催予定だったが、3月28日(土)~の臨時休館に伴い会期変更。開催時間:10:00~20:00 ※3月7日(土)~15日(日)の開催時間:10:00~19:00※但し、百貨店の営業時間に準じ、変更になる場合あり。場所:美術館「えき」KYOTO(京都駅ビル内ジェイアール京都伊勢丹7階隣接)住所:京都府京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町入館料:中学生以上 500円(税込)※前売価格での販売はなし。※「障害者手帳」を提示の本人と同伴1名は300円(税込)。※エントランスの歴代表紙の展示では、展示されない表紙もあり。※当初予定していたトークイベントなどの開催は中止。■チケット払い戻し※購入済の有料入館券は、払い戻し対応を実施。※本展覧会に限りローソンチケット、ぴあのチケットでも美術館「えき」KYOTOチケット窓口にて払戻しを実施。尚、美術館チケット窓口での払戻しは百貨店営業日に準じる。※払い戻し詳細は、美術館「えき」KYOTOの公式ウェブサイトに記載。【問い合わせ先】TEL:075-352-1111(ジェイアール京都伊勢丹大代表)
2020年02月15日今年創立50周年を迎える神奈川フィルハーモニー管弦楽団。5月から始まる記念事業の発表会見を開き、常任指揮者の川瀬賢太郎や楽団顧問でもある黒岩祐治・神奈川県知事らが出席した(1月17日・神奈川県庁)。【チケット情報はこちら】従来の定期公演と並行して行なう記念事業は大きくふたつ。ひとつはマーラーの交響曲第8番《千人の交響曲》を演奏する祝賀演奏会(11月21日・横浜みなとみらいホール)。そしてもうひとつは県内10都市での巡回主催公演。どちらも、次の未来を見据える意味で、「フューチャー・コンサート」と名付けられている。マーラーの交響曲第8番について川瀬は、「(この曲を指揮するのが)長年の夢だった」と語る。今回が初挑戦となる。「僕がまだ幼稚園児の頃、最初に夢中になったクラシック音楽が、モーツァルトでもベートーヴェンでもなく、この曲」。そんな彼のマーラー愛はどうやら父親譲りで、父はマーラー協会に所属していたほどのマーラー・ファン。当時のマーラー協会会長は指揮者の故山田一雄で、1984年に川瀬が生まれたとき、お祝いに指揮棒をプレゼントしてくれたのだそう。山田は1949年に交響曲第8番を日本初演した指揮者だから(演奏の一部がニュース映像として残っている)、川瀬がこの作品を指揮することは、もしかしたらこの世に生まれた瞬間から宿命づけられていたのかもしれない。巨大なエネルギーの奔流のような作品だが、それだけではない、川瀬らしい、切れ味鋭い、そして丁寧なアプローチを見せてくれるはず。必ず聴きたいコンサートだ。ソリスト等の詳細は後日発表。県内巡回公演は、各地ゆかりの出演者や作品を交えて、多くの人に親しまれている名曲でプログラムを構成する。海老名、横須賀、茅ヶ崎、秦野、川崎、藤沢、小田原、相模原、鎌倉、大和の各市を巡る。「神奈川の地元オーケストラ」としての顔も神奈川フィルの大事な側面だが、県内で一定期間に集中してこれだけの都市で主催公演を開くのは初めてとのこと。会見では、楽団が財政的に苦境に立たされた時期のあったことや、それを官民一体となった支援で乗り越えてきたことも語られた。神奈川フィルは独立した公益財団法人だが、こうした自治体や県民の支援があったからこその50周年。楽員もそれをよく知っている。2014年の公益財団法人化に向けて5億円の資金を集めなければならなかった際、自ら「応援団長」としてホールのエントランスに立って募金を呼びかけたという黒岩知事は、楽員たちが次第に自主的に募金活動に参加するようになったことを語り、その意識の変化が演奏のクォリティ向上にもつながっていると力を込めた。創立50周年。もしかしたら、華々しく海外公演という考え方もあったかもしれないが、「外に目を向けるのではなく、県内各地で」と川瀬。会見中に何度も繰り返された「感謝」という言葉がふさわしい、足元を見つめた記念事業になりそうだ。取材・文:宮本明
2020年01月21日アイドルグループ・Sexy Zoneが、29日発売の女性グラビア週刊誌『anan』(マガジンハウス)2186号の表紙を飾る。昨年11月にグループ結成8周年を迎えたSexy Zone。表情もより大人っぽく変化し、グループのチーム力もパワーアップした彼らが、2月5日の最新アルバム『POP × STEP!?』リリースを前に表紙に登場する。今号はダイエット特集ということで、メンバーそれぞれが自分の体質に向き合いながら常にボディを整えているSexy Zoneが、麗しくシャープなボディラインやパーツで魅せる。グラビアは、グレーやベージュ、ライトブルーなどの柔らかな色合いのスタイリングに身を包み、艶っぽいライティングでモードに撮影。美しく際立つ、うるっとした瞳、光を放つ肌、浮き上がる男らしい骨格は必見だ。モニターを確認しながら、「もっと髪濡らしてもいいかもね」「もっとこの辺の肌、出しますか?」「しゃがんでみてもいいかも」と、メンバー自ら積極的にポージング提案。佐藤勝利の筋が浮かぶ腕のライン、中島健人の胸筋の凹凸、菊池風磨の隆起した背筋、マリウス葉の彫刻のような鎖骨……と個々のボディパーツの魅力が炸裂し、セクシーさがあふれている。グラビアではモードなポートレートに加え、愛らしさ&カッコよさ満点の2ショットも。佐藤&マリウスの年下チームは、ストレッチし合ったり、おんぶしてみたり、陽だまりの中で眠ったり……、ずーっとどこか触れ合いながらじゃれ合う様子がキュートなカットに。また、“シンメ”としても人気の中島&菊池の年上チームは、「合宿所での朝」を思わせるようなストーリーを展開。上半身裸でキッチンに現れ、オレンジやプチトマトをつまんだり、着替えたり…女子をドキドキさせる雄々しいカラダと、自然体の2人のやりとりが楽しめる。ソロインタビューでは、「カラダとの向き合い方」に加え、「2020 年のグループとしての理想像」や「最新アルバムの魅力」について語っている。
2020年01月20日藤子・F・不二雄ミュージアムでは、「ドラえもん50周年展」を、2021年1月31日(月)まで開催予定。なお、同館は3月5日(木)から臨時休館していたが、6月5日(金)より再開する。『ドラえもん』誕生秘話も明らかに!?50年の歩みをたどる展覧会1970年、学年別学習雑誌の掲載からスタートした『ドラえもん』は、1974年の単行本化後、子どもたちの間で爆発的な人気を得た。1979年にはテレビアニメ放送がスタートし、1980年には映画として全国のスクリーンでも愛される存在となった。「ドラえもん50周年展」は、そんな『ドラえもん』の魅力に改めて迫り、その魅力をより身近に感じられる展覧会となっている。<展示室Ⅰ>50年の歴史をたどる原画展示展示室Ⅰでは、『ドラえもん』の50年の歩みを、原画展示を軸に、まんが、アニメ、映画などで紹介する。クロスメディアの先駆けとして50年間活躍し続けてきた『ドラえもん』の歴史を振り返る。<展示室Ⅱ>“笑える話”と“こわい話”をテーマにした原画展展示室Ⅱでは、前期と後期に分けて原画展示を開催。「ゲラゲラ笑える話」と「ゾ~ッとするこわい話」という2つのテーマを取り上げる。<Fシアター>ショートムービーを上映Fシアターでは、オリジナル映像作品を上映。ミュージアムオリジナルの新作映像『ドラえもん誕生』では、『ドラえもん』がスタートするまでの試行錯誤が約9分にまとめられている。ミュージアムカフェミュージアムカフェでは、ランチやデザートにぴったりのメニューが勢ぞろい。作中シーンを思い浮かべながら楽しめるようなラインナップを揃えた。人気のベジタブルカレーはタケコプターで空を飛ぶドラえもんの形で登場する。ミュージアムショップ展示を思う存分楽しんだあとは、ミュージアムショップでお土産選びを。スペイン発のウッドウォッチのパイオニア「マム(MAM)」のミュージアム限定商品として、タケコプターで空を飛んでいるドラえもんの後ろ姿を描いた腕時計を販売するほか、ひみつ道具『タイムふろしき』をモチーフにしたふろしきなど、ここでしか買えないオリジナル商品が満載となっている。【詳細】「ドラえもん50周年展」第2期会期:2020年2月8日(土)~2021年1月31日(月)(予定)※3月5日(木)から臨時休館していたが、6月5日(金)より再開・展示室Ⅰ:2020年2月8日(土)~2021年1月31日(日)・展示室Ⅱ:前期:2020年2月8日(土)~8月24日(月) / 後期:8月26日(水)~11月9日(月)会場:藤子・F・不二雄ミュージアム住所:神奈川県川崎市多摩区長尾2丁目8番1号TEL:0570-055-245開館時間:10:00〜18:00※入館チケットの払い戻し・振替入館対応を実施(詳細は公式ウェブサイトへ)※来館に際しての注意事項は、公式ウェブサイトを確認のこと〈チケット詳細〉1日7回、1時間ごとの完全日時指定入館制発売日:2020年6月1日(月) 10:00購入方法:ローソンチケット入館料:大人・大学生 1,000円、高校・中学生 700円、子ども(4歳以上) 500円、3歳以下 無料入館時間:10:00、11:00、12:00、13:00、14:00、15:00、16:00※入れ替え制ではない■ミュージアムショップ販売グッズ発売日:2020年2月8日(土)販売場所:1階 ミュージアムショップF・不二雄ミュージアムオリジナルデザイン MAM『ドラえもん』22,000円 ※限定300個藤子・F・不二雄ミュージアムオリジナルデザイン むす美『タイムふろしき』5,280円※価格はいずれも税込み■新メニュー発売日:2020年2月8日(土)販売場所:3階 ミュージアムカフェ・ピー助のたまご焼きそば 980円・空飛ぶドラえもんカレー 1,650円※価格はいずれも税込み
2020年01月19日1969年に映画第1作が公開され、今年で50年目を迎える人気シリーズの第50作目『男はつらいよお帰り 寅さん』が明日から公開になる。映画は新たに撮影された映像と、4Kデジタル修復されて蘇った寅さんの映像を組み合わせて、現代を舞台にした新しい物語が紡がれる。『男はつらいよ』シリーズは、葛飾柴又の草団子屋に生まれ、テキヤとして日本中を放浪している車寅次郎が主人公。寅さんが毎回、旅先で新しい人たちに出会い、“マドンナ”と呼ばれるヒロインに恋をして、親身になって相談に乗り、困っていたら世話を焼き、感謝されるも結局はフラれてしまう。けんかっ早いけど真っすぐで優しくて、おひとよし……日本中の観客が寅さんに魅了された。映画は次々に新作を重ね、おなじみのキャラクターと日本の変わりゆく風景をフィルムに封じ込めてきたが、第48作目の発表後に主演の渥美清がこの世を去り、その後に特別篇として第49作目が1997年に公開された。そしてついに今年、奇跡の50作目が公開になる。シリーズの生みの親である山田洋次監督をはじめ、倍賞千恵子、吉岡秀隆、前田吟、夏木マリ、浅丘ルリ子、美保純、佐藤蛾次郎らおなじみのキャストが集結。山田監督は本作の製作に際し「先行き不透明で重く停滞した気分のこの国に生きるぼくたちは、もう一度あの寅さんに会いたい、あの野放図な発想の軽やかさ、はた迷惑を顧みぬ自由奔放な行動を想起して元気になりたい、寅さんの台詞にあるように“生まれて来てよかったと思うことがそのうちあるさ”と切実に願って第 50作を製作することを決意した」とコメント。かつて“お正月には寅さんを観に映画館に足を運んだ”という世代と“ネット配信で過去作を観た”という世代が、同じ映画館に集まり、本作を楽しむ状況が出現すれば、『男はつらいよ』シリーズはこの先、100年、150年と語り継がれ、スクリーンで上映され続けることになるだろう。『男はつらいよお帰り 寅さん』12月27日(金)公開
2019年12月26日JINS(ジンズ)から、「ドラえもん」の連載50周年記念した「JINS ドラえもんモデル」が登場。2020年1月1日(水)より、全国のJINS店舗、公式オンラインショップにて発売される。連載50周年記念「ドラえもん」×「JINS」のコラボレーションアイウェア1970年1月号(正月号)より学年誌6誌で同時連載がスタート以降、たちまち子どもたちを魅了し、世代を超えて愛される国民的コミック/キャラクターへと成長した「ドラえもん」。今回はそんな「ドラえもん」の連載50周年を記念して、JINSならではの視点でその世界観をデザインに落とし込んだ、全4シリーズからなる限定アイウェアが展開される。ドラえもん・のび太・ドラミの3キャラクターを表現した「フラッグシップ モデル」中でも注目したいのは、「ドラえもん」の世界観を大人に表現した「フラッグシップ モデル」だ。ドラえもん、のび太、ドラミの3キャラクターをそれぞれイメージソースに、カラーリングやディテールで各キャラクターの特徴を表現した、今回のコラボレーションの中でも特別なモデルとなっている。ドラえもんモデル「ドラえもんモデル」は、ボストン型フレームにマンレイブリッジ、細身のテンプルを組み合わせたスタイリッシュなモデルだ。片方のテンプルの内側にはロゴを印字、もう片方のテンプルの外側にはドラえもんを彫金。テンプルの先端にはドラえもんのしっぽと手を紅白の球体パーツで表現した、遊び心溢れるデザインとなっている。のび太モデル“丸メガネ”の代名詞的存在でもあるのび太をモチーフにした「のび太モデル」は、ラウンド型フレームにマンレイブリッジ、βチタン素材を採用した金手の細身テンプルを合わせたモデル。テンプル内側にレーザー刻印した「ドラえもん」ロゴ、のび太のイラストをプリントしたチタン鼻パッドもポイントだ。ドラミモデル最後の一つは、ドラミのリボンをイメージしたキャットアイ型フレームの「ドラミモデル」。フレームの上辺にはあえて隙間を作ることで、さりげなくキャットアイのシェイプを際立たせたスマートなデザインが魅力だ。テンプル内側にはロゴを印字、先端にはドラミの尻尾の花を七宝で施している。ドラえもん仕様のメガネ拭き・ケース・ショッパーが付属いずれの「フラッグシップ モデル」にも、第1話で初登場したドラえもんを象ったメガネ拭きと、ドラえもん&のび太の型押しや鈴型ボタンの付いた本革風メガネケース、オリジナルショッパーが付属する。商品情報JINS ドラえもんモデル発売日:2020年1月1日(水・祝)ラインナップ:・「フラッグシップ モデル」3型9種 12,000円+税 各種度付きレンズ代込み・「スリム エアフレーム」4型16種 8,000円+税 各種度付きレンズ代込み・「バイカラー エアフレーム」4型16種 5,000円+税 ※各種度付きレンズ代込み・「ジンズ スクリーン」3型6種(キッズ2種、オンラインショップ限定2種含む) ※度なしパッケージタイプ付属品:オリジナルケース・メガネ拭き取り扱い店舗:全国のJINS店舗、公式オンラインショップ
2019年12月13日「開始当時は、午前10時半から放送だった。だから、平日その時間に働いている若い人じゃなくて、たまたま年寄りが来ちゃった。それで50年も続けていたら、いつしか“年寄りのアイドル”とか言われるようになったんだよ」そう語るのは、“まむちゃん”“まむしさん”の愛称で親しまれる、俳優の毒蝮三太夫さん(83)。自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』(毎週金曜日『たまむすび』内・午後2時〜TBSラジオ)は、今年10月で50周年を迎えた。同番組は公開生中継。まむしさんは毎週、商店や工場などさまざまな場所に出向く。番組の名物といえば、まむしさんの“毒舌”を交えたお年寄りとのふれ合い。“ババア、生きてるか?”と歯に衣着せぬまむしさんに、お年寄りは大爆笑なのだ。「『おいババア、汚ねぇな。くたばりぞこない』とか面と向かって言うもんだから、TBSには毎度のようにクレームが届いているみたい。中継現場はどんな人が集まったっていいから、おれにそんなこと言われて怒った人が、いきなり刺しにきてもおかしくないよな。スタッフはヒヤヒヤしているよ(笑)」インタビュー当日も、「ミュージックプレゼント」放送日。まむしさんは、埼玉県草加市で創業90年の歴史を持つファッション雑貨店「フジヤ」を訪れた。まむしさんが下駄を「カラン、コロン」と鳴らして入店するなり、「フジヤ」に集まったお年寄りや子どもたち、そして中継を見にきた草加市の住人たちからは「ワァ〜!まむちゃん!」と大歓声が。「お、草加のオバケ屋敷みたいな顔のババアだなぁ」と言いたい放題のまむしさんに、大勢が手をたたいて笑っていた。まむしさんは、自身が約40年続けているという“下駄”へのこだわりについてこう語る。「下駄職人のもとを放送でたずねたときに下駄をもらって、履き始めたの。そしたら後日、「まむしさんの下駄の音がラジオから聞こえると、元気が出るんだよ」と言ってくれる職人が増えてさ。ずいぶんと下駄職人の数も減ったけど、浅草の『花川戸靴・はきもの問屋街』の伝統を支え続けようとする彼らの励みになればと思って」しかし10年ほど前、ラジオの中継前に階段を踏み外し、左足の指を3本骨折。中継はそのまま続けたものの、「下駄骨折」と呼ばれる大けがを経験した。「そのことを談志(立川談志さん・享年75)にも話したの。そしたら、談志が『5本中3本て、猛打賞じゃねぇか』って(笑)。これを談志の葬儀で、弟子たちの前で話したら大ウケでさ。だから、談志を忘れないという意味でも、下駄は履き続けようと思う」立川談志さんといえば、まむしさんが『ウルトラマン』(’66年)に出演し、人気俳優として知られていた当時、彼を演芸の世界に引き入れた張本人。学生時代からお互いを知る旧知の仲だ。「談志と出会っていなければ、『ミュージックプレゼント』をはじめることもなかった」とまむしさんは繰り返す。それほど、談志さんには“恩”を感じているのだ。’69年からはじまった「ミュージックプレゼント」では、談志さんが見抜いたまむしさんの“トークの才能”が爆発。放送回数は1万3,000を超え、これまで出会ったお年寄りは数十万人といわれている。「当時は日露戦争で乃木希典将軍を見送ったという人とか、かつての大横綱・双葉山の膝の上に座ったと話す年寄りもいたよ。『明日、乳がんの手術だからまむしさん胸をなでてあげて』と頼んでくる人もいたな。それでなでてあげたら、その2カ月後に『よくなったわよ』って言われてさ。おれのことを“パワースポット”と呼ぶ人もいるんだよ(笑)」(取材:インタビューマン山下)
2019年11月29日今年8月に喜寿を迎え、主演・演出を務めるドン・キホーテを主人公にしたミュージカル『ラ・マンチャの男』は日本初演から50年、10月には1300回公演という偉業も達成した松本白鸚さん(77)。先月には、白鸚を襲名してから初となる著書『句と絵で綴る余白の時間』(春陽堂書店)も出版。「今年の12月には金婚式も迎えます。家内が支えてくれたからこそ、無我夢中でここまでやってこられたのでしょう」インタビュー場所となった都内の自宅でそう言って笑う白鸚さん。その傍らで、妻の紀子さん(74)が恥ずかしそうに微笑んだ。■必ず舞台に立つ主人の姿が最高のしつけ《おぼろ夜に聞こゆる妻の旅支度》著書『余白の時間』に収録された白鸚さんの俳句だ。「着物はお客さまより目立たないように、ちょっと控えめなものを選んで、足袋は小さめのものを……。夜、巡業の旅支度をしている家内のことを詠んだ句です」梨園の妻は、ふだんはマネージャーのように夫を支え、公演中は欠かすことなく劇場に通って、お客さまへごあいさつや人付合いの一切を取り仕切る。「芸能事務所などないころから、歌舞伎の世界はおかみさんがマネージャー兼プロデューサーでした。内科の娘さんがいつの間にか梨園のことを覚えてくれてね。僕は家内から常識を学び、僕は家内に非常識を教えたと思っています。家内は、そんなこと教えてもらった覚えはないと言いますが」’71年には長女の紀保さんが、’73年には長男・幸四郎さん、’77年には次女・たか子さんが誕生した。「芝居と芸以外のことは何もしなかったんです。父親としても、役者の先輩としても、子どもたちにほとんど何もしてあげられなかった。学校のことに始まって、稽古事の送り迎えから、舞台、テレビや映画にデビューするとき。すべて家内がやってくれました」隣で紀子さんが、「でも……」と、付け加える。「ふだん、主人は子どもたちがケンカしていようが、何があろうが関知しません。でも、必ず翌日には舞台に立ち続ける。子どもたちがそんな主人の姿を見て育ったことは、どんなしつけよりも大きかったと思いますね」紀子さんは、白鸚さんがいつも大切にしている言葉を、子どもたちに伝え続けていたという。「『舞台も映像も独りでできるわけではない。多くの人の支えがあってできること。だから、そういう人たちを大切にしなければいけない』。主人のそういう言葉は、何度も伝えた覚えがあります」白鸚さんの俳句には、子どもたちへの思いがあふれる句も多い。《ぼたん雪降るを眺める隆子かわいい》《洛北のくれなゐ淡き紀保桜》「長男の幸四郎は歌舞伎、長女の紀保は役者と芝居のプロデュース、次女のたか子はドラマや映画など映像を中心に、3人が僕のやっていることをそれぞれ受け継いでくれた。父としてはうれしい限りです」幸四郎とは歌舞伎の舞台で、娘2人とも舞台で共演しているが、役者としての父はいつも厳しい。「僕は欲張りで勝手なんです。そこに至るまでの子どもたちの生活や教育というものを家内に全部任せながら、僕が評価するのは、舞台の上の役だけ。それがよくないと、『よくない』と言う。でも、観客にとってはそれが大事なことで、それまでの俳優人生なんて関係ないですよね。評価されるべきは役に扮した、その演技だけだと思っています」
2019年11月24日アイドルグループ・関ジャニ∞が、11月27日発売の女性グラビア週刊誌『anan』(マガジンハウス)2178号の表紙を飾る。デビュー15周年を迎えた5人が、ニューシングル「友よ」の発売日当日にそろって登場する。今号は、「手みやげ&ギフトBEST」特集。5人はシックな秋色の大人モードなファッションを身にまとい、スマートでどこか抜け感のあるグラビアに。「誰かにプレゼントを贈る時は、こんな雰囲気かも」と想像が膨らむ表情を見せる。インタビューでは、15年間ともに歩んできたファンに向けて、“いま5人が贈りたい言葉”、そして“メンバー間の贈り物事情”についてトーク。“何気ないけれど、気持ちが伝わる”ギフトの話は、5人5様。具体的なエピソードやストレートな言葉から、彼らの人柄や今の思いが伝わる。ニューシングル「友よ」に込められた思いや、ファンへの思い、関ジャニ∞への思い、47都道府県ツアーへの思いも。関ジャニ∞からのストレートな気持ちが伝わる「言葉のギフト」となっている。2ショット組み合わせでの撮影も。お互いに「もし、いま、贈り物するなら?」という質問では、一人ひとりの個性が炸裂。それぞれに「贈りたいもの」を通じて、メンバーへの思いが伝わる内容になっている。
2019年11月18日11/6(水)発売のanan2175号「絆のかたち。」特集の表紙に登場した、今市隆二さんの撮影エピソードを紹介します。コメント動画もあります!anan編集部今市さんが読んでいる手紙の中身は…。今回の表紙は、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEの今市隆二さん。この号は「絆」特集ということで、絆を感じ、思いがあふれ出す瞬間を写真におさめたく、ストーリー性のあるグラビアに挑みました。設定は、おおよそ次の通り。朝起きて、まだぼんやりしている今市さん。ソファに横たわるなどしてくつろぐ眼鏡をかけて本を読む今市さん。そろそろ出かける準備でもしようかなあ。そんなとき、無造作に置かれている手紙に気づく。おや、これはなんだ?手紙を開いて読み始める今市さん。次第に真剣に読む今市さん。1枚目を読み終わり、2枚目を読み、そして熱い思いが胸に迫ってくる…、という流れ。その想定に沿って、家具や小道具など、必要なものを、インテリアのスタイリストさんに事前に用意してもらいます。展開のキモである、手紙。こちらももちろん、スタイリストのNさんにご用意いただいたわけなのですが、当日、テスト撮影中にカメラマンが気づきました。「白紙だとバレる!!」。そこで撮影直前になって、何でもいいから中身書いて、とNさんに無茶ぶりする私。「任せてください!」と力強く頷いた彼女は、しばらくすると、英文をぎっしり書いた便せん2枚を持ってきました。そして撮影がスタート!冒頭から撮り始めて、いよいよ手紙の場面に。横たわる今市さんを、遠くから撮る美しいシーン。読んでいる姿を淡々と撮影していると、今市さんが突然、「あ、これ!」と言って、嬉しそうに曲の名前をつぶやきました。そうなのです、当然ながら、英語の手紙を即興で書き下ろすというほどネイティブではなかったNさんは、今市さんが好きと思われる曲を調べて、その英語の歌詞を書き写したのでした!(賢い!)そんなこんなで、みんなの力を結集したグラビアは、今市さんの魅力をあますところなく写し取った素晴らしい出来栄え。ぜひ本誌にて、じっくりご覧ください。ちなみに、手紙に写した曲は、ブライアン・マックナイト「Back At One」でした!(S)今市さんご本人による告知動画です。撮影中の様子もちょっぴりお見せします!
2019年11月05日anan編集部格好良すぎるカラダの内側には、少年の心!? 奇跡のギャップの持ち主、北山宏光さん。目に入った瞬間に「これぞ、整ったカラダ!」とわかるビジュアル、説得力のある格好いいカラダの持ち主にこそ表紙を飾っていただけたらとオファーさせていただいたKis-My-Ft2の北山宏光さん。スタッフでの打ち合わせ段階からイメージはどんどん膨らみ、スポーティなシーンでは「ナチュラルなリアル格好いいカラダ」、ポートレート風のデニムスタイルは「働く男の肖像」、ワイルドなライダーススタイルは「やんちゃでロックな帝王」、リラクシーなニットスタイルは「彼氏のオフな姿」という4つのシチュエーションからなる欲張りな構成に決定しました。当日は朝からの撮影。気合いが入りすぎて緊張気味のスタッフ陣に笑顔を向けてくださりつつ、言葉少なの北山さん。カラダを見せるカットの前には、「少し、時間をください」と、撮影直前までストイックにカラダの調整をされていました。ご自身の人柄まで感じさせるような、しなやかで強いカラダの“芯”はこんな心意気からつくられているのですね。撮影日は誕生日が近かったこともあり、ささやかなバースデーケーキをご用意していました。ストイックな姿を間近に見ていたこともあり「きっと、甘いものは控えていらっしゃいますよね…」と恐縮しつつお渡しすると、「今日は、食べてもいいっしょ!」とくしゃくしゃの笑顔に! インタビュー中にはリラックスした表情で、お昼ごはんの焼き肉弁当もパクパク。しかも、ケータリングのしょうが焼きを、当たり前のように焼き肉のカルビにのっけて、一緒にお口に…。まさかの肉×肉スタイルに驚きつつも、全女性をときめかせる「ザ・男子」な一面を発見したのでした。(T)
2019年10月22日井上陽水が本日10月20日、東京・東京国際フォーラム ホールAで「井上陽水 50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』~少年老い易く 学成り難し~」を開催する。1969年のデビューから今年で50周年となる井上陽水。11月27日には細野晴臣、宇多田ヒカル、椎名林檎、槇原敬之、福山雅治ら豪華アーティストたちによるトリビュート作品『井上陽水トリビュート』のリリースも決定している。本日の公演は今春からスタートしたライブツアーの一環。当公演では懐かしい曲から最近の楽曲まで、誰もが楽しめるセットリストになるだろう。当ツアーの東京公演は本日が最後。この記念すべき公演をお見逃しなく。■公演情報「井上陽水 50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』~少年老い易く 学成り難し~」日時:10月20日(日)開場17:00/開演18:00場所:東京・東京国際フォーラム ホールA
2019年10月20日歌舞伎俳優・松本白鸚がこのほど、主演ミュージカル『ラ・マンチャの男』50周年を迎え取材に応じた。同公演は現在、東京・帝国劇場にて27日まで上演されている。同作は1965年にブロードウェイで初演を迎え、トニー賞ミュージカル作品賞ほか5部門を受賞したミュージカル。1969年に市川染五郎(現 二代目松本白鸚)主演で日本初演を迎え、今回で50周年となる。名作『ドン・キホーテ』の作者であるセルバンテスが、劇中劇として田舎の郷士アロンソ・キハーナと、キハーナが作り出した人物ドン・キホーテを演じるという、三重構造となっている。白鸚は同作について、「照れくさくてあんまり声を大にして言えないけど、大人の人間が持っている心をテーマにしているミュージカルなんです」と明かす。さらに「『ラ・マンチャの男』が優れた作品だから上演するのであって、なんでもブロードウェイだから上演するんじゃない。昔、蜷川幸雄さんと『ロミオとジュリエット』をやる時に、2人で『これはシェイクスピアだから上演するんじゃない、いい芝居だから上演するんだよね』と話したんです。その精神が今も生きている」と振り返った。難解なテーマに、初演のときは「もう2度とこの作品は上演できない」と思ったという白鸚。しかし、そこへブロードウェイからのオファーが来て、作品は「息を吹き返した」。「25~6歳だったので、若さで『行きます』って言っちゃった。その時、菊田(一夫)先生がそばにいて、もうお身体がだいぶお悪くて車椅子だったんですが、『先生、ブロードウェイから話がありました』と報告したら、『おめでとう』と言ってくださった、あの嫉妬の混じった顔は忘れない」「余談ですけども、菊田一夫さんと三谷幸喜さんがそっくりなんです。これがなんか不思議な縁なんですよ。めぐりあいというか、ご縁があるんですよね」と笑う。若い人に見てもらうには? という質問に、白鸚は「歌舞伎を初めてご覧になる方にも似たことを言うのですが、とにかくご覧になって、興味の持てるところを感じていただければいいんじゃないかな。お芝居は、楽しんでいただけなきゃ。『ラ・マンチャの男』も、初演の時は難しかったです。でも人生を歩んでくると、夢は敗れて希望なんて見つからないようなことも起こってくる。そういう時に『ラ・マンチャの男』を思い出すんですよね」としみじみ。「僕も50年間、何度『The Impossible Dream』(見果てぬ夢)という歌に騙されてきたか(笑)。でも50年この歌を歌い続けてきたところを見ると、まだやっぱり夢は叶うと信じてるんですね」と自身の体験と重ねた。同作の今後については、元気な限り続けていきたいと希望しつつ「『クリスマス・キャロル』のように、毎年違う劇場でかかるようになってほしい」と、先の先まで見通す。「伊勢神宮もお社を建て替えるし、歌舞伎の襲名も同じ。この世に初代松本幸四郎が生まれたのは約300年前で、去年十代目が生まれたわけで、新しくなっていくのは日本の素晴らしい精神だと思います。たまたま『ラ・マンチャ』を50年やり続けていたけど、常若の精神は持っていきたい。やり続けて、いつの日かそのままお客様の脳裏の中に消えていきたいなと考えております」「役者の芸は、役者がいなくなって消えてしまえば、おしまいと思ってるんです。脳裏に残ることがすべて。それが役者としての務めであり、嬉しいことですね」と役者論を示した。画像提供:東宝
2019年10月16日「anan」2172号10/16水曜日発売「纏う、色気。」特集です。表紙にご登場いただいた、テミンさんの撮影秘話を紹介します。anan編集部テミンさんの色気、可愛げ、そして…。数えきれない魅力大放出! の撮影日でした。今年6月から8月にかけて、ソロアーティストとして初の全国アリーナツアーを完走したテミンさん。SHINeeとして見せてくれる顔とはまた違う魅力でいっぱいのライブをanan編集部スタッフも拝見させていただいたのですが、その時印象的だったのが、さらに増したテミンさんの色っぽさでした。グループの末っ子として、デビュー当時から可愛らしいイメージの強かったテミンさんが、2人のダンサーさんと舞う妖艶なダンスに目が釘付け。そして、そこにしっかりと漂う品。もしテミンさんを次に撮影させていただける機会があるとしたら、テーマは“上質で、凛と匂い立つような色気”なのではないかと、その時から編集部で(勝手に)イメージしていました。そしてついに実現した、ソロとしてのananカバー初登場! 特集タイトルも「纏う、色気。」となり、テミンさんの持つ様々な“色気”をグラビアで撮り下ろそうということに。艶っぽく上質感ある色気、ワイルドで強い色気、そして圧倒的な透明感から生まれる澄んだ色気…。その写真の数々は、ぜひ本誌でお楽しみください!当日、「よろしくお願いします!」と言いながら、テミンさんは明るいキラキラ笑顔でスタジオに現れました。そのまま「うわ~」と喜びの声をあげて、お弁当やケータリングが置いてあるテーブルへ。「おいしそう」と眺める姿が、まだ撮影スイッチが入る前の“色気より食い気”的な感じでとても微笑ましかったです。さらに、メイクルームへ入ろうとするも、別のドアからどこかへ行ってしまいそうになり、一斉に皆に止められて恥ずかしそうに笑う姿は完全に“色気より可愛げ”で、スタジオはすっかり温かい空気に包まれました!ところがヘアメイクと着替えを済ませ、カメラの前に立った瞬間…がらっと違うオーラというか光のようなものをまとったテミンさん。次々とモニターに映る流し目、横顔、微笑み、流れるように決まるポージング。すべてのカットに“色気”が宿っていて、スタッフ皆、息を呑み続けました。途中、コンタクトレンズの不調で一瞬痛そうな表情を浮かべる場面もありましたが、「撮影の流れを切りたくないから、このままやります。大丈夫です!」と力強く宣言。本当にそのまま、シャッターが切られている間は全く痛みを顔に出さず、最後までやり切ってくださいました。このプロ根性というか、“表現すること”に対する姿勢が、テミンさんの圧巻のパフォーマンスを育んだのだろうなあと、その秘密の一端を垣間見たような気がしました。ちなみにインタビューで特に印象的だったのは、後半、SHINeeの話になった時。明らかにテミンさんの表情が嬉しそうに崩れ、何か言うたびに爆笑し、とても楽しそうな雰囲気になったんです。SHINeeという言葉が出るだけでテミンさんはきっと少しリラックスできたり、自然と笑顔になったりするんだなと思いました。最後に、「スープがとってもおいしかったです!」と、丁寧にご飯の感想とお礼までおっしゃってスタジオを去っていかれたテミンさん。こちらこそ素敵な時間をありがとうございました!(Y)
2019年10月15日細野晴臣の音楽活動50周年を祝して行われた「祝!細野晴臣 音楽活動50周年 × 恵比寿ガーデンプレイス25周年『細野さん みんな集まりました!』」が本日10月14日に最終日を向かえる。日本語ロックの先駆であるはっぴぃえんどやYMOのメンバーとして、ソロアーティストとして、プロデューサーとして今なお第一線で活動し続ける細野晴臣。特に最近、彼のこれまでの仕事に対し日本国内に留まらず、世界中から賛辞が贈られている。イベントは11日から4日間にわたって行われ、各日「Day1 細野さんを歌おう!」「Day2 細野さんと観よう! Presented by 映画ナタリー」「Day3 細野さんで踊ろう! Presented by 音楽ナタリー」と各日テーマが設定されてきた。最終日となる本日は「Day4 細野さんと語ろう! ~デイジーワールドの集い~」と題して行われる。細野がホストを務め、川添象郎や原田知世、いとうせいこうをゲストにイベントが展開される予定だ。■公演情報「祝!細野晴臣 音楽活動50周年 × 恵比寿ガーデンプレイス25周年『細野さん みんな集まりました!』」日時:10月14日(月・祝)開場16:00/開演17:00場所:東京都 恵比寿 ザ・ガーデンホール<出演者>細野晴臣ゲスト:いとうせいこう / 川添象郎 / 原田知世 / and more
2019年10月14日TBSラジオ『金曜たまむすび』(毎週金曜 13:00~)内で放送中の中継コーナー「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」が、2019年10月に放送50周年を迎えた。昭和44年(1969年)10月6日のスタート以来、毒蝮三太夫が首都圏の様々な場所を訪問し、「ババァまだ生きてたか!」など人情味あふれるコミュニケーションで放送現場に集まった人々を楽しませてきた。これまでに訪れた現場は1万ヶ所以上、出会ったお年寄りは数十万人とも言われる。長年月曜~金曜の放送だった番組は、2016年4月から週4回になり、2018年4月からは毒蝮の体力面などを配慮して週1回に。しかし、「下駄にマイク1本」というスタイルは変わらず。51年目に突入した11日の中継で、放送回数は1万3001回目を迎えた。毒蝮は「俺のラジオは会えるし、触れられるラジオ!」「年寄りがチャーミングでいるとそこに若い人も集まってくる!」「ジジイ・ババァって言っても俺だと皆が喜んで笑ってくれる!」などと語っていた。
2019年10月12日「anan」2171号10/9水曜日発売「カラダにいいもの大賞2019」特集です。表紙にご登場いただいた、木村拓哉さんの撮影秘話を紹介します。anan編集部スタジオの空気を瞬時に変える。やっぱり、木村拓哉は最強だ!!10月スタートのドラマ『グランメゾン東京』で、ミシュランの三つ星獲得に奮闘するシェフ役を務める木村拓哉さん。今回ananの表紙にご出演いただく中で、そのシェフ役にちなんだ、“三つ星の男”をコンセプトに撮影させていただきました。さらにそこから、「シズる男」「かぶりつく男」「したたる男」という3つのカテゴリーを用意(詳しい意図は、ぜひ誌面でご確認ください)。木村さん自身が一流であり、一言では言い表せない魅力に溢れた三つ星スターである! …といったテーマなのでした。撮影前、このテーマをご説明したところ、一瞬「ふむふむ」と考える様子を見せてから、「オーケー」とカメラ前へ進まれた木村さん。シャッターを切った瞬間、迷われることは一切なく、ワイルドな表情を見せたり、光の中で舞ったり、バシバシとポージングを変えてみせたり…一枚一枚があまりにもカッコよく、瞬時に場の空気が熱くなりました。一気に引き込まれるパワーとオーラは、「やっぱり木村さん、最強です!!(泣)」と思わずにいられません。私たちがこれまで取材をしてきた俳優さんの中にも、「木村拓哉さんは圧倒的にカッコイイ」と言う方々が何人もいました。その理由が本当によく分かる瞬間です。また、さらなる魅力が見られたのはインタビューの時。どんな質問にも真摯に向き合い、言葉を選んで丁寧に話してくださりながらも、「いま食べたいもの」の話になった瞬間、カラダを乗り出して「すっごいうまいハンバーガーがあってね!」と子供のような無邪気さに。インタビュアーさんがそのハンバーガー屋さんを知っていると答えたところ、「知ってる!? じゃあアレ食べた!? うまいよな〜」と、顔をクシャッとさせて笑うんです。なんて可愛い大人なのでしょう…私たちが“三つ星”と宣言した理由、ここに在り!写真は超絶カッコいい木村さんですが、インタビューから、この可愛さも顔を覗かせています。エンタメ界永遠のスター、キムタクの魅力を存分に味わってください。(S)
2019年10月08日