共働き世帯の増加に伴って利用者が増えている「延長保育」。延長保育に子どもを預けることに対して、子どもを心配すると同時に、「申し訳ない」という気持ちを持っている親も少なくないようです。ただ、東京・久我山幼稚園の運営に携わる一般社団法人キッズコンサルタント協会代表理事の野上美希先生は、「心配する必要も『申し訳ない』という気持ちを持つ必要もない」といいます。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)延長保育にもいろいろなケースがあるひとことで延長保育といっても、じつはいろいろなケースが考えられます。幼稚園で通常保育が終わるのは13時半頃ですが、保育所の場合は18時半頃。終了時刻が5時間ほどちがいますから、延長保育の時間も大きく異なります。また、延長保育を常時利用する共働き世帯もあれば、外せない用事があるときにときどき利用するというケースもあるでしょう。それぞれに対応はちがいますが、子どもに与える影響が大きいということで、ここでは幼稚園で延長保育を常時利用するケースを想定してお話しましょう。幼稚園の延長保育は通常保育が終わる13時半頃からはじまります。延長保育の時間はそこから4、5時間にもなりますから、同じ年齢の子どもでも、延長保育に預けられる子どもとそうではない子どもでは、まったくちがう毎日を送ることになります。もちろん、とくに年少など幼い子どもの場合は、延長保育を嫌がるケースもあります。13時半になると友だちはお迎えに来たママと一緒に帰るのに、自分はそこから5時間もママを待たなくてはいけない。幼い子どもなら、自分も家に帰ってママと一緒におやつを食べてほっとしたいと思って当然でしょう。そういうふうにナイーブになる子がいるのも事実です。子どもは親が考えている以上に延長保育を楽しんでいるとはいえ、子どもの順応性は親が思う以上に高いですから、それも最初だけというケースがほとんどで、たいていは慣れていきます。もちろん、園としても、子どもが楽しめるように、そしてより有意義な時間を送れるように工夫をしています。通常保育の時間には自由時間もあるとはいえ、基本的には園が決めたカリキュラムをこなしていくことが多くなるものです。子どもとしてはある程度緊張している時間といえるかもしれません。一方の延長保育はというと、時間はたっぷりあるのですから、子どもたちが自分で選んだ遊びを徹底的にやり込んだり、積み木を使ってみんなで大きな城をつくるようなダイナミックな遊びをしたりすることができるのです。ほかには、わたしが運営に携わっている久我山幼稚園の場合なら、季節のイベントも積極的に行なっています。たとえば、年長さんなら冬に向けてマフラーを編むということもします。これは、時間がたっぷりある延長保育だからできることでしょう。このような、通常保育の時間とはまったくちがう活動を経験するなかで、子どもたちは延長保育をどんどん楽しめるようになっていきます。延長保育が持ついくつものメリットまた、延長保育には延長保育だけが持つメリットがあるとわたしは考えています。たとえば、延長保育の特徴である縦割りのコミュニティーに身を置くということもそう。同い年の子どもと過ごすことの良さと、年齢のちがう子どもがいる縦割り社会で過ごすことの良さの両方を味わうことが、子どもの幅を大きく広げることになるはずですからね。また、先のマフラーをつくる例なら、自宅でマフラーを編もうとした場合には、幼い子どもならすぐに飽きてしまうかもしれません。でも、友だちが頑張っているから頑張れるということもあるのではないでしょうか。そして、友だちがつくっているマフラーがすてきに見えたら、真似したり自分で工夫をしたりすることもあるでしょう。そうして、ひとりだったら手を出さないような遊びや活動も、友だちがやっているからとやってみる。やってみて楽しかったら「もっとやってみたい」と新しいことに対する意欲を持つということにもつながるはずです。毎日早くに家に帰っていると、テレビを観たりおやつを食べたりと、ついだらだらとなにもしない時間を過ごしがちです。それはそれで子どもにとって大事な時間だとは思いますが、延長保育のなかで友だちと遊びながらさまざまな経験を得られることは、子どもにとって非常に大きな意味があるのではないでしょうか。また、通常保育と延長保育では担当する先生が変わることもメリットのひとつでしょう。子どもというのは、環境によってまったくちがった一面を見せるものです。通常保育の時間に決められたことをするのはすごく苦手なのに、延長保育の時間に自由に遊びを見つけて発展させることはすごく得意だという子どももいます。通常保育と延長保育、両方の先生に子どもの様子をヒアリングして子どものさまざまな面を知れることは、親からすれば子どもの見方が変わり、安心できるということにもつながると思います。親子一緒に過ごせる時間が短いから強い絆を築けるここまで、延長保育のメリットばかりを挙げてきましたが、もちろんデメリットもあります。ひとついえるのは、子どもが幼いほど身体的なストレスになるということ。年少など幼い子どもの場合、どうしても体力がありませんから、長い時間、家ではない場所で過ごすことは大きなストレスになります。疲れが残って、午前中に眠くなってしまったり集中力がなくなったりということがあるのです。ですが、そういうことも体が成長するにつれてなくなっていきますから、あまり心配しすぎる必要はありません。延長保育を利用している保護者の多くが、子どもを心配すると同時に、子どもに対して「申し訳ない」という気持ちを持っています。でも、子どもは親が思う以上に延長保育の時間を楽しんでいます。そしてなにより、親が「申し訳ない」なんて気持ちを持っていれば、せっかく子どもと過ごせる大切な時間もいいものにはなりづらいのではないかと思うのです。変に心配したり「申し訳ない」気持ちを持ったりするのではなく、延長保育のなかでしか味わえない経験や気持ちを、子どもからどんどん聞き出してみてください。そうすれば、一緒に過ごせる時間がたとえ短くても、あるいは短いからこそ大切な時間としてとらえられ、親子の絆をより濃密なものにできるのではないでしょうか。■一般社団法人キッズコンサルタント協会■ 一般社団法人キッズコンサルタント協会代表理事・野上美希先生インタビュー一覧第1回:子どもの順応性は親が思う以上に高い。「申し訳ない」という気持ちは不要です第2回:「小1の壁」を乗り越えるために――子どもの言葉の裏にある本心とは?第3回:放課後や長期休みに「非認知能力」を高めよう。学童でさまざまな経験を第4回:自己肯定感も勉強への姿勢も“熱中体験”の先で生まれる【プロフィール】野上美希(のがみ・みき)1977年3月21日、千葉県出身。一般社団法人キッズコンサルタント協会代表理事。東北大学工学部卒業後、日本総合研究所にてコンサルティング、事業企画、採用、営業と多岐にわたる経験をした後、株式会社マイナビで人材紹介事業部の立ち上げに従事。営業部長として複数の部下をマネジメント。その後、自身の妊娠を機に久我山幼稚園の運営に携わり、産後母の孤独を解消すべく、子育てひろば開設を皮切りに、働く母の支援のため、幼児教育をベースとした民間学童や6つの認可保育園を開設。また、民間学童指導員資格であるキッズコンサルタント資格を認定する一般社団法人キッズコンサルタント協会を立ち上げ、代表理事を務めている。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年12月19日親であれば、誰もが子どもには幸せになってほしいと願っています。では、その幸せとはどんなことであり、どうすれば子どもは幸せになれるのでしょうか。イタリア生まれの教育手法「レッジョ・エミリア・アプローチ」をベースとするインターナショナルプレスクール「東京チルドレンズガーデン」の伊原尚郎理事長は、「幸せは他者とのかかわりのなかでこそ生まれる」といいます。その真意を聞く前に、東京チルドレンズガーデンの1日のスケジュールについての話からはじめてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)決まった1日のスケジュールは存在しない「レッジョ・エミリア・アプローチ」では、誰かが指示をしたり目標を与えたりするのではなく、基本的に子どものなかから湧き出る興味に従って活動します。ということは、決まった1日のスケジュールもないということ。当校のホームページには、登園から降園までのスケジュールを掲載していますが、それも便宜上のものであり、だいたいの目安でしかありません。決まっているのは、8:30の登園時間くらいのものでしょうか。もちろん、なにをやるかは子どもたち次第。たとえば、明日(取材日の翌日)は、わたしにはあるひとりの子どもとの約束があります。それは、電車に乗ってふたりで上野の博物館に行くこと。いま、その子がいちばん興味を持っているのが博物館だからです。帰りの予定も、「だいたいお昼頃には帰ってこようかな」くらいのものです。理想は、子どもたちみんなが自分なりの課題を持った独立系研究者のようになることです。朝、登園してきて「おはようございます」といったら、「それでは、研究をはじめます」という感じで、なにかをやらされるのではなく、自分の興味を持っていることに没頭してほしい。そして、わたしたちの役割は子どもの研究のサポートです。自分の子どもがアインシュタインだったとしたら、研究中の彼に向かって「はい、時間がきたから研究はやめて散歩に行きましょう」なんてことをいう人はいないでしょう?やることは、「なにか必要なものはある?」と聞いて、研究のサポートをすることしかありません。子どもを信じることが、子どもの本来の力を引き出すこの自由度の高さは、GoogleやYahoo! などに見られるフリーアドレスのオフィスに通じるものがあると思います。フリーアドレスは、チームのメンバーの誰もが自発的に仕事をすることが前提となっているシステムです。「ちょっとカフェで仕事をしてきます」というメンバーに対して、マネジャーが「あいつはちゃんと仕事をしているのか」と考えていたら成立しません。同じように、「子どもにはすごい能力がある」という観点に立って子どもたちを信じることこそ、子どもが本来持っている能力を引き出し、伸ばすことになるのです。でも、残念ながら多くの親は子どもに対して「この子はなにも知らないから、わたしが教えてあげなければならない」と思い込んでいます。少し話はそれますが、このことの要因のひとつは、「教育」という言葉そのものだとわたしは考えています。教育を意味する英語の「education」の語源は「educe」。本来、その意味は「引き出す」です。ところが、福沢諭吉は、「education」を「教え育てる」として「教育」と訳してしまった。このことに対して、福沢諭吉自身ものちに「誤訳だった」と振り返っています。でも、日本では「教育」という言葉が浸透してしまいました。漢字は表意文字ですから、わたしたち日本人は漢字を見るだけで意味を受け取ります。そうして、「education」は、本来の「力を引き出す」ではなく「教え育てる」という意味として日本人には感じられるようになりました。このことの影響は非常に大きいとわたしは見ています。親であるみなさんには、「子どもは教えてあげなければならない存在だ」という思い込みをもう一度見直してほしいのです。もともと有能な子どもが集まれば、素晴らしいものができる!話を戻しましょう。わたしの理想は子どもたちが独立系研究者のようになることだと述べました。でもそれは、自分勝手な人間になるということではありません。優れた研究者――つまり子どもたちが集まれば、それぞれが持っている力を結集して思いもよらない大きな成果を生むということもあります。たとえば、絵を描く場面もそうです。子どもたちが絵を描くとき、一般的な幼稚園では、子どもたちそれぞれに1枚の紙を用意します。一方、わたしたちの学校では、大きな紙にみんなで絵を描くのです。すると、友だちの描き方を見て「あれ、いいな」と思った子が、その描き方を真似するということもあります。一方、真似された子も別の子の絵を見て、「あの色ってどうやってつくっているんだろう」なんて思って真似しようとする。こうして、互いに影響を与えたり与えられたりしながら、それぞれが学び、壮大なコラボレーションともいえる絵ができ上がります。そして、それこそが人間の社会にとって大切なことです。他人を出し抜いた誰かひとりがお金持ちになればいいということではないでしょう?わたしは、子どもたちみんながそれぞれに自分なりの幸せを手にしてほしいと願っています。その幸せとは、愛する人と出会っていい家庭を築くことかもしれないし、気の合う同僚とやりがいのある仕事をすることかもしれません。いずれにせよ、幸せというものの多くは、他者とのかかわりのなかで生まれるものであるはずです。そして、少なくともわたしたちの学校を巣立った子どもたちなら、そういう幸せな人間になってくれるのではないかという期待を抱いているのです。■東京チルドレンズガーデン■ 東京チルドレンズガーデン・伊原尚郎理事長インタビュー一覧第1回:いまの時代にマッチする「レッジョ・エミリア・アプローチ」の教育第2回:もしも子どもがアインシュタインだったら?子どもに対して親が取るべき姿勢第3回:グローバルな人間に――生まれ育った地域や国を知る「レッジョ・エミリア・アプローチ」第4回:信じることで本来の力を引き出す。すごい能力を持つ子どもたち【プロフィール】伊原尚郎(いはら・ひさお)東京チルドレンズガーデン理事長、共同創設者。米国ニューヨーク州立大学メディアアート科修士課程修了。ビデオアーティストとしてニューヨークで多方面に活躍。約20年の在米ののち帰国し、幼稚園の園長に就任。国際幼児教育の理解を深め、クリエイティブ思考を育てるための研究に従事。2017年に共同創設者の西ヶ谷アンとともにレッジョ・エミリア・アプローチをベースとするインターナショナルプレスクール「東京チルドレンズガーデン」をオープンし、理事長に就任。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年12月18日イタリアで生まれ、欧米はもちろん日本でも注目度が上がっている教育手法「レッジョ・エミリア・アプローチ」。その教育手法をベースとしたインターナショナルプレスクール「東京チルドレンズガーデン」の伊原尚郎理事長は、「子どもをグローバルな人間に育てるためにも、地域を大事にすることが大切」と語ります。一般的な幼稚園や学校にはいない、レッジョ・エミリア・アプローチの学校に特徴的な専門的な先生の存在意義と併せて、その言葉の真意を教えてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)子どもたちの活動や考え方を広げる「アトリエリスタ」当校のような「レッジョ・エミリア・アプローチ」の学校には、一般の先生とは別に、ちょっと特殊な専門の先生がかかわるという特徴があります。そのひとつは、「アトリエリスタ」と呼ばれる先生。言葉の響きからなんとなく想像できるかもしれませんが、アトリエリスタは芸術の先生です。とはいっても、一般的な学校における美術の教科を担当する先生とはちがって、絵を専門にしている人もいれば、音楽家もいますしダンサーのアトリエリスタもいます。アトリエリスタがかかわる目的は、学校教育の幅を広げるということ。いくらレッジョ・エミリアが通常の教育とはちがうといっても、教育というものをバックグラウンドにしている先生だけだった場合、どうしてもその考え方は狭まってしまいます。そこにアトリエリスタという芸術をバックグラウンドにした異質の人間を入れることで化学反応を起こし、学校における活動や考え方を広げようというわけです。つまり、芸術の先生だといっても、アトリエリスタは子どもたちに絵の描き方を手取り足取り教えたり、楽器の演奏やダンスを教えたりするわけではありません。あくまでも、子どもたちを一般の先生とはちがった芸術家らしい視点で見て、子どもたちの活動や考え方の幅を広げていくための存在なのです。子どもの活動や考え方に意味づけをする「ペダゴジスタ」子どもたちにとって、一般の先生に加えてアトリエリスタがいることは、ビジネスパーソンにたとえれば、まわりにいろいろな同僚がいるような状況といえます。ひとつの考えに凝り固まった同僚ばかりがいるような状態だと、本人もその考えに染まってしまいますよね。でも、タイプが異なるいろいろな同僚がいたらどうでしょうか。ある仕事に対して、「それ、いいね!」といってくれる同僚もいれば、「こういう考え方もあるんじゃない?」と指摘してくれる別の同僚もいる。そういう状況なら、本人の自分の仕事に対する視点や考え方は大きく広がっていくはずです。ただ、アトリエリスタはあくまでも芸術家。そのため、教育の理論にはそれほど詳しくないという場合もあります。そこで活躍するのが、また別の専門的な先生である「ペダゴジスタ」です。ペダゴジスタは教育理論の専門家です。アトリエリスタによって広がった活動も、そのままではぼんやりしたものになるということもある。そこで、それらの活動に、ペダゴジスタが教育的な意味づけをするのです。アトリエリスタやペダゴジスタは、一般企業におけるアドバイザーやコンサルタントのようなものといえます。なにかのプロジェクトを進めるというとき、メンバーがその企業で育った社員ばかりでは、同質すぎて目新しい内容にすることはそう簡単ではありません。そこで、ちがった観点でものごとを見られるアドバイザーやコンサルタントをメンバーに入れるということがありますよね。こうして、子どもたちの活動やその見方を広げ、一方できちんと意味づけをしていく。子どもたちにとっても、一般の先生にとっても、アトリエリスタとペダゴジスタの存在は大きな意味があるものなのです。本場では先生と保護者がワインを飲みながら語り合うこのように、さまざまな人とかかわるということもレッジョ・エミリアの特徴です。そのかかわりは、学校の外にも向かいます。たとえば、保護者とのかかわりもそう。一般的な幼稚園やそれこそ保育所には「子どもは守られるべき存在」という認識があり、子どもの安全を確保していくというような、「サービスを提供する」という考え方があります。でも、レッジョ・エミリアには「子どもたちはものすごく有能な存在だ」という認識があるのです。そして、どうすれば「この有能な人のサポートをできるのか」と、保護者と一緒に考えます。もちろん、サービスを提供する場合と比べれば、保護者とのかかわりは濃いものになります。本場のイタリアでは、夜の9時くらいから深夜2時くらいまで、先生と保護者たちがワインを飲みながら語り合うということもあるようです。しかも、その場には地域の代表も同席している。というのも、レッジョ・エミリアは基本的にローカルの教育だからです。そういう意味では、わたしたちの学校にも「どんどん地域に出て行く」という特徴があります。たとえば、人がたくさんいる状況に子どもが興味を持ったなら、学校を飛び出して雑踏を観察しに行くわけです。いま、教育現場では「グローバルな人間を育てることが重要だ」と盛んに叫ばれていますが、ただ英語を学んでもグローバルな人間になれるわけではありません。そうではなくて、まずは自らが生まれ育った地域や国のことをよく知る必要があります。そうでなければ、外の世界とのさまざまなちがいを感じることもできないのですから、グローバルな人間になれるわけもないのです。■東京チルドレンズガーデン■ 東京チルドレンズガーデン・伊原尚郎理事長インタビュー一覧第1回:いまの時代にマッチする「レッジョ・エミリア・アプローチ」の教育第2回:もしも子どもがアインシュタインだったら?子どもに対して親が取るべき姿勢第3回:グローバルな人間に――生まれ育った地域や国を知る「レッジョ・エミリア・アプローチ」第4回:信じることで本来の力を引き出す。すごい能力を持つ子どもたち【プロフィール】伊原尚郎(いはら・ひさお)東京チルドレンズガーデン理事長、共同創設者。米国ニューヨーク州立大学メディアアート科修士課程修了。ビデオアーティストとしてニューヨークで多方面に活躍。約20年の在米ののち帰国し、幼稚園の園長に就任。国際幼児教育の理解を深め、クリエイティブ思考を育てるための研究に従事。2017年に共同創設者の西ヶ谷アンとともにレッジョ・エミリア・アプローチをベースとするインターナショナルプレスクール「東京チルドレンズガーデン」をオープンし、理事長に就任。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年12月17日東京の高級住宅街・池田山に、イタリア発祥の「レッジョ・エミリア・アプローチ」という教育手法をベースとしたインターナショナルプレスクールがあります。その「東京チルドレンズガーデン」の伊原尚郎理事長によると、レッジョ・エミリア・アプローチの大きな特徴として「プロジェクト活動」が挙げられるそう。いったい、どんな活動なのでしょうか。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「プロジェクト活動」の具体的手法とその目的わたしたちの学校で行っている「レッジョ・エミリア・アプローチ」の特徴的なものに、「プロジェクト活動」があります。たとえば、散歩中に道端の石に興味を持った子どもがいたなら、石を集めたり観察したりすることがプロジェクトになります。一方、先生は子どもが石のなにに興味を持っているのかということをつぶさに見ていく。それは、石が地面に落ちたときの音なのかもしれないし、石の手触りや色、重さかもしれません。そして、子どもが石を拾ってなにをしていたのか、その様子をドキュメント――記録していくのです。これは、保護者と情報を共有するということもありますが、それよりもコラボレーターとして子どもに対して働きかけることが最大の目的です。日々、どんどん成長している子どもというのは、前の日のことをすぐに忘れてしまうものですよね。そこで、翌日に先生がドキュメントをもとに子どもに語りかけるのです。「昨日のこと、覚えてる?」「あなたはこの石を拾ってずっと見てたよね」「『この模様が面白いんだよ』って言ってたよ」「わたしにはこう見えたよ」といった具合です。このことにはさまざまな目的があります。たとえば、その語りかけによって、言語を手渡していくということもそのひとつ。まだ語彙が少ない子どもに対して、「あのことはこう説明すればいいんだ」「あの感情はこういう言葉で表現するんだ」というふうに、子ども自身の体験や感情の言語化を助けてあげるのです。あるいは、「こういう見方をしても面白いかもしれないよ」というふうに、子どもは気づかなかったものごとの別の見方を提供することもドキュメントの目的のひとつです。そのようにして、子ども自身の学びを深めていくことがプロジェクト活動なのです。プロジェクト活動を通じて身につける自ら学ぶ姿勢プロジェクトと聞くと、なにか大きなテーマがあり、ある程度の長い期間にわたって行うようなものをイメージした人もいるかもしれません。もちろん、そういうプロジェクト活動をする教育手法もあります。でも、いろいろなものに次々に興味を持っていく子どもにとっては、そういうプロジェクト活動をすることはなかなか難しいですよね。しかも、大人が設定したなんらかの「正解」を求めるというようなものは、子どもには面白く感じられません。そこで、レッジョ・エミリアにおけるプロジェクト活動では、決められたゴールがあるようなテーマを与えることなく、子どもの興味から発するものをプロジェクトにします。ですから、大人からすれば、無謀と思えるようなものも出てきます。たとえば、過去には「影をつかまえる方法を考える」というプロジェクトもありました(笑)。その子どもは、最初は影に布をかけてみた。当然、影はつかまえられません。すると、友だちが「布をかけるのが遅いから逃げちゃうんだよ」といって今度は素早く布をかけてみる。今度はまた別の子が「布は軽過ぎるんだ」といって石を使ってみる。もちろん、失敗の連続です。でも、このプロジェクト活動においては、影をつかまえることやその過程で得る知識が重要なのではありません。友だち同士で相談してアイデアを出し合いながら、子どもたちが自ら学ぶ姿勢を身につけていくこと――それこそが重要なのです。その学ぶ姿勢は間違いなく次の学びに生きてきますし、友だちとの話し合いを通じて身につけた他者とのかかわり方は、社会に出たときにも強力なスキルになるはずです。親こそ思い込みを捨てて子どもの本当の声を聴いてほしい先に、レッジョ・エミリアの先生は子どものプロジェクトをしっかりと見て記録すると述べました。その際、もっとも大切となるのは、子どもがなにを考えているのか、なにに興味を持っているのか、たとえそれを子どもが言葉にできなかったとしても感じてあげる力です。では、どうすればそうできるようになるのでしょうか?このことは、学校の先生だけではなく、子どもたちの親にこそ身につけてほしい姿勢です。それは、「子どもに対して尊敬の念を持つ」ということ。子どもは子どもなりに自分で学んでいく力を持っています。それなのに、親は子どもに対して「教えてあげなければいけない」「指示してあげないといけない」という思い込みを持ちがちです。でも、もし子どもではなくアインシュタインが相手だったらどうですか?「あれをやりなさい」なんていったり、まして「教えてあげよう」なんて思ったりしないでしょう。代わりに「なにを考えているんだろう」「絶対にすごいことを考えているぞ」と思って、じっくりその様子を観察するのではないでしょうか。それと同じ姿勢で子どもに接してほしいのです。そうすれば、子どもがいままさに学んでいることをしっかりと感じることができるはずです。■東京チルドレンズガーデン■ 東京チルドレンズガーデン・伊原尚郎理事長インタビュー一覧第1回:いまの時代にマッチする「レッジョ・エミリア・アプローチ」の教育第2回:もしも子どもがアインシュタインだったら?子どもに対して親が取るべき姿勢第3回:グローバルな人間に――生まれ育った地域や国を知る「レッジョ・エミリア・アプローチ」第4回:信じることで本来の力を引き出す。すごい能力を持つ子どもたち【プロフィール】伊原尚郎(いはら・ひさお)東京チルドレンズガーデン理事長、共同創設者。米国ニューヨーク州立大学メディアアート科修士課程修了。ビデオアーティストとしてニューヨークで多方面に活躍。約20年の在米ののち帰国し、幼稚園の園長に就任。国際幼児教育の理解を深め、クリエイティブ思考を育てるための研究に従事。2017年に共同創設者の西ヶ谷アンとともにレッジョ・エミリア・アプローチをベースとするインターナショナルプレスクール「東京チルドレンズガーデン」をオープンし、理事長に就任。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年12月16日「レッジョ・エミリア」という言葉を耳にしたことがある人はいるでしょうか。本来、レッジョ・エミリアはイタリアの都市の名前です。レッジョ・エミリアは、町を挙げての幼児教育と芸術教育により、欧米はもちろん近年は日本でも注目度が上がっており、その教育手法は「レッジョ・エミリア・アプローチ」として広まりつつあります。レッジョ・エミリア・アプローチをベースにしたインターナショナルプレスクール「東京チルドレンズガーデン」の伊原尚郎理事長に、その教育の特徴を聞いてみました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)子どもには子ども自身で学べる力が備わっている当校の教育について具体的にお話する前に、先にお伝えしておきたいことがあります。読者のみなさんのなかには、わたしたちの教育が「子どもにどんな効果を生むのか」という「答え」のようなものを求めている人がいるのではないでしょうか。取材を受けるときにも、「どのように創造性を高めているのか」「どうすれば勉強ができるようになるのか」といった質問をされることがとても多いものです。でも、わたしたちは基本的に、そんな大人の意志で子どもを誘導するようなスタンスを取っていません。なぜかというと、子どもには子ども自身で学べる力が備わっているからです。その力がしっかり発揮できるような環境を整えることが、わたしたちの役割なのです。ですから、先のような質問に対して、求められているようなわかりやすい答えを提示することはできないということを、まずはお断りしておきます。さて、当校の教育のベースにあるのは、イタリア発祥の「レッジョ・エミリア・アプローチ」です。その特徴というと、「子どもは有能で知的な学習者」ということを前提としていることがまず挙げられます。これは、「構成主義」と呼ばれる考え方です。みなさんのなかにも、「モンテッソーリ教育」について聞いたことがある人は多いでしょう。モンテッソーリなど、いま注目されているほかの新教育なども、同様に構成主義の教育手法です。ただ、レッジョ・エミリアは、構成主義のなかでも「社会構成主義」だという点で、ほかの新教育とは異なります。同じ構成主義でも、レッジョ・エミリア以外の多くの教育手法は、「人間が個人としてどのように学んでいくのか」という観点で研究がされてきました。でも、人間はひとりで生きていくわけではないですよね?なにかを学ぶ場面というのは、ひとりで机に向かって勉強するときだけではありません。人間は周囲のさまざまな他者とかかわり、影響を受けたり与えたりしながら学んでいくもの――。そういう考え方から出発しているのが、レッジョ・エミリアの中核的な考え方である社会構成主義なのです。大人が決めた分野に縛られず、子どもは広く学ぼうとするその他にも、レッジョ・エミリアには他の新教育と異なる点があります。多数の他の新教育は、さまざまな教具を用意しておき、「この教具を使えばこういう学びが深まる」というようなメソッド方式をとっています。でき上がっている教具などの学びの条件を用意し、環境から引き離し、学びは直線的に獲得されるとの観念のうえに実践があります。学びは、教科・発達分野というかたちの分類をされ、理解されています。しかし、人間の学びというものは、そんな教科・発達分野に縛られないもっと広い興味からはじまり、もっといろいろな可能性を秘めたもののはずです。それがレッジョ・エミリアの考え方なのです。レッジョ・エミリアの実践は子どもの興味・関心からはじまり、ゆっくりとジグザグに、ときには後退などしながらも学んでいくという考え方を大事にするアプローチ方式で行われます。それだけに、少しわかりにくいということころもあるのですが……(苦笑)。子どもには、大人が考える教科のような分野に縛られることなく、あらゆることを学びたいという欲求があります。それは、本能的に持っている欲求です。たとえば、いまなら『パプリカ』という子どもに人気の曲を聴けば、子どもたちは自然に歌ってダンスをはじめます。子どもたちはなにも意識的にアートを学ぼうとしているわけではありませんが、大人の目には、先の教科のように、それがアートという分野を学んでいるように映るということに過ぎないのです。子どもたちは、ごく自然な欲求として歌って踊っているだけのこと。だったら、そうできる環境を用意していくというのが、わたしたちの考え方です。指示や目標を与えないからこそ、社会で活躍できるようになるわたしたちは、一般の学校のように「あれをしなさい」「これは駄目」というふうな指示は極力しません。もしかしたら、わたしたちの学校で育った子どもたちが一般の学校に行くことがあれば、ちょっと変わった子どものように見られてしまうかもしれません。でも、実社会に出たときのことを考えてみてください。誰かから指示をされたり目標を与えられたりしなければ行動できない人間が社会で活躍できるでしょうか?いま、世界を牽引しているGoogleのような企業の場合、基本的にはなにをつくるといった目標はありません。社員の自由な発想により、これまでになかった画期的なサービスをいくつも生み出しているのが、新しい時代の企業です。そして、それらの発想は、他者との関係性のなかから「こういうサービスがあったら、すばらしい社会になるにちがいない」と生まれてきます。当校の子どもたちがやっていることも、それと似ているかもしれません。誰かから指示をされたり目標を与えられたりすることなく、友だちや先生など他者とのかかわりのなかで自由な発想で学んでいきます。そういう点で、いまの時代とレッジョ・エミリアの親和性は非常に高いと思うのです。■東京チルドレンズガーデン■ 東京チルドレンズガーデン・伊原尚郎理事長インタビュー一覧第1回:いまの時代にマッチする「レッジョ・エミリア・アプローチ」の教育第2回:もしも子どもがアインシュタインだったら?子どもに対して親が取るべき姿勢第3回:グローバルな人間に――生まれ育った地域や国を知る「レッジョ・エミリア・アプローチ」第4回:信じることで本来の力を引き出す。すごい能力を持つ子どもたち【プロフィール】伊原尚郎(いはら・ひさお)東京チルドレンズガーデン理事長、共同創設者。米国ニューヨーク州立大学メディアアート科修士課程修了。ビデオアーティストとしてニューヨークで多方面に活躍。約20年の在米ののち帰国し、幼稚園の園長に就任。国際幼児教育の理解を深め、クリエイティブ思考を育てるための研究に従事。2017年に共同創設者の西ヶ谷アンとともにレッジョ・エミリア・アプローチをベースとするインターナショナルプレスクール「東京チルドレンズガーデン」をオープンし、理事長に就任。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年12月15日親であれば、まずは子どもが健康であることを願うものです。全身運動である水泳は、それこそ体全体をバランス良く鍛えてくれるものですから、子どもをスイミングスクールに通わせている人も多いでしょう。せっかく通わせるのなら、体を鍛えるだけではなく、「もしものとき」に溺れないようにしっかり泳げるようになってほしいものです。でも、なかには子どもがなかなか上達しないことを不安に思っている人もいるかもしれません。そこで、アドバイスをお願いしたのは、運動が苦手な子どもを対象にした体育指導のプロフェッショナルである西薗一也さん。西薗さんは「スイミングスクールの指導には問題点もある」と語りますが……。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)スイミングスクールの規定が子どもの邪魔をしている?いま、スイミングは習い事のなかでいちばんの人気を誇ります。全身運動ということや、学校の体育の授業での狙いのように「もしものときに溺れないために」と親が考えていることもありますが、水のなかでフワフワと浮かぶことが脳の発達を促すといわれていることも大きく起因しているように思います。じつは、東大生が小学生のときにしていた習い事のナンバーワンがスイミングだというデータもあるのです。そういう背景もあって、いまはどこのスイミングスクールもキッズクラスは満員という状態です。ただ……すべてのスイミングスクールを非難するわけではありませんが、その指導には首を傾げるような部分も。なかなか上達しないという子どもの場合、1年経っても2年経っても25メートルを泳げないというケースも珍しくないからです。これには、スイミングスクールのシステムが大きくかかわっています。ひとつはインストラクターと子どもたちの人数の問題です。20人のクラスで60分のレッスンを受けるとしたら、ひとりの子どもがインストラクターから直接指導を受けられるのは単純計算でわずか3分です。それでは一人ひとりにいき届いた指導ができるはずもありません。ほかには、たとえば「バタ足のテストに合格しないと次の級に進めない」といったことも問題点として挙げられます。もしかしたら、その子どもは手で水をかくことはすごく得意かもしれません。でも、バタ足のテストで引っかかってしまうがために先に進めないということがあるのです。将来的にスイマーを目指すというならともかく、「25メートルを泳ぐ」ということが目標なら、どんなかたちであれプールの底に足をつかずに25メートルを泳ぎ切ることができればいいわけです。しかも、その目標をより早く達成できれば、それだけ子どもの自信にもなる。むしろ、スイミングスクールのシステム、規定が子どもたちの成長の邪魔をしているように感じることも多いのです。酸素を浪費させる「バタ足信仰」とNGの声かけ泳ぐ距離にもよりますが、きちんと息継ぎさえできれば水泳というものはそれほど苦しいものではありません。でも、たとえ息継ぎができる子どもでも、スイミングスクールでは多くの子どもたちが苦しんでいます。なぜかというと、先にも少し触れたバタ足に対するこだわりが強過ぎるからです。激しくバタ足をすれば、どんどん酸素を消費することになります。しかも、まだ体の使い方がうまくない子どもたちがバタ足をすると、どうしても膝が曲がり過ぎてしまう。すると、脚が沈んで頭が上がり、どんどん体が立ってきて前に進めなくなるのです。また、息継ぎと同時に膝が曲がってしまうので、体が一気に沈んでしまいます。加えて「もっと頑張れ!」というような声をかけて指導をしていたら、それも問題といえます。子どもたちは素直で必死ですから、「頑張れ!」といわれると「頑張らなきゃ!」と思う。つまり、その声かけが緊張を生むわけです。緊張すると、今度は脳でも酸素をどんどん消費することになる。バタ足でも脳でも酸素を浪費して、本来の能力でいえばもっと泳げるはずの子どもでも、その距離に達する前にギブアップしてしまうということになるのです。プールがない自宅でもできる水泳の練習法これらのことを踏まえると、まずは「バタ足信仰」ともいえる考え方を捨てる、それから子どもに「緊張させない」ことが大切になります。そもそも、クロールの推進力でいえば、手で水をかくことが7、バタ足が3くらいの割合です。つまり、推進力の弱いバタ足をがむしゃらに練習させるより、手による推進力をもっと増すために「上半身をできる限り伸ばす」練習をさせてあげるべきなのです。まずは、しっかり体を伸ばせば水の抵抗が減るということを感じさせてほしい。僕の場合、プールの壁から少し距離を置いたところに立ち、僕の胸に指先を突き刺すようなイメージで子どもに蹴伸びをさせます。その際、「槍のように」「ロケットのように」と子どもたちがイメージしやすい言葉をかけてあげれば、そのイメージに自分を重ねてしっかり体を伸ばすことができるようになります。最初からクロールをさせると「かく」イメージが強すぎて肘が曲がってしまいますので、まずは「指先を奥に伸ばそう」という意識が必要。そのために、槍やロケットをイメージして全身を伸ばそうという意識を持たせるのです。これに近い練習は家庭でもできます。むしろ、プールがないという環境を生かしましょう。うつ伏せで寝た状態でまっすぐに手と脚を伸ばし、蹴伸び姿勢をつくらせてみてください。そして、本人に客観視させるために、スマホやカメラで撮影して見せてあげるのです。水のなかではないからこそ撮影するのも簡単です。本人はしっかり体を伸ばしているつもりでも、そうできていないことが視覚的にわかれば、修正することができます。また、子どもに「緊張させない」ということでいえば、その逆に「安心させる」ことが大切。そのためには、子どもが少しでも頑張れたら褒めることを心がけましょう。ありがたいことに、水泳には距離というわかりやすい指標があります。泳げる距離が1メートルでも伸びれば「すごいじゃん!」と褒めることができるわけです。もちろん、細かいテクニックについてはここでは伝えきれませんが、もっとも重要となるのは、この「褒める」こと。先に触れたように、「もっと頑張れ!」「あとちょっとだよ!」といった言葉かけでは、子どもはプレッシャーを感じて緊張するだけです。そうではなく、いまできたことを「すごいぞ!」と褒めてあげてください。そうすれば、子どもは「これでいいんだ!」「自分はできる!」と安心して成長をしていくでしょう。『『うんどうの絵本 全4巻セット(ボールなげ・かけっこ・すいえい・なわとび)』』西薗一也 著/あかね書房(2015)■スポーツひろば代表・西薗一也さん インタビュー一覧第1回:運動神経は成功体験で伸びる!運動が「得意な子」と「苦手な子」の違い第2回:どんな運動も“細かく分解”できる。子どもの運動能力を高めるために親ができること第3回:「跳べた!」という強烈な体験が自己肯定感を押し上げる。“プロ直伝”縄跳び練習方法第4回:子どもが泳げるようになる魔法の言葉。酸素を浪費する「バタ足信仰」は捨てるべし【プロフィール】西薗一也(にしぞの・かずや)東京都出身。株式会社ボディアシスト取締役。スポーツひろば代表。一般社団法人子ども運動指導技能協会理事。日本体育大学卒業後、一般企業を経て家庭教師型体育指導のスポーツひろばを設立。運動が苦手な子どもを対象にした体育の家庭教師の事業をはじめとして、子ども専用の運動教室の開設や発達障害児向けの運動プログラムの開発など、新たな体育指導法の普及に幅広く取り組む。著書に『発達障害の子どものための体育の苦手を解決する本』(草思社)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月29日小学校の体育での定番の運動というと、「縄跳び」が挙げられます。縄を回して跳ぶだけ――。大人からすればごく単純な運動に思えますが、縄跳びが苦手だという子どもは意外なほど多いといいます。その苦手意識をきっかけに運動自体を敬遠するようにさせないためにも、人並みに縄跳びができる子どもにしてあげたいものです。そのための方法を、運動が苦手な子どもを対象にした体育指導のプロフェッショナルである西薗一也さんに教えてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)基本の前跳びが1回もできないという子どもも珍しくないそもそも、なぜ小学校の体育で縄跳びをよくやらせるのかというと、まずは縄跳びが全身運動だということが挙げられます。体全体の筋肉を使う縄跳びはバランス良く全身を発達させることができるわけです。また、片脚跳びや二重跳び、腕を交差させるあや跳びなどとなると、かなり細かい体の動作が要求されますから、小さい子どもが体の使い方を学ぶにも最適な運動でもあるのです。加えて、単純に手っ取り早く体を温められるということもあるでしょう。体育の授業で縄跳びをやるのは基本的に冬ですよね?暑さの厳しい夏にはまずやりません。代わりに鉄棒を冬にやらせるとしたらどうですか?そもそも鉄棒自体が冷たいうえに、順番を待つ子どもは凍えながら待機しなければなりません。一方、縄跳びなら全員が一斉にはじめられて、すぐに体も温まる。縄跳びをすることには冬場のウォーミングアップという意味もあるのです。それだけ定番の運動であるにもかかわらず、なかには基本の前跳びすらもまともにできないという子どもも少なくありません。それは、やはり授業できちんと跳び方を指導しないからでしょう。インターネットなどで調べてみても、たとえば二重跳びの上達方法といった記事や動画はいくらでも見つかります。でも、「前跳びで1回跳ぶ」ための方法を解説するような情報はどこにもないのです。誰も教えてくれないうえに、自分で学ぶこともできないのですから、前跳びができない子どもはずっとできないままということになります。そんなものに対して向上心が湧くわけもありません。でも、1回でも跳ぶことができれば、その子どもの縄跳びに対する認識は大きく変わります。その1回が成功体験となって自己肯定感を高め、どんどん新たな挑戦していくようになるでしょう。そうさせるためにも、子どもが「前跳びで1回跳ぶ」ための方法を僕は研究してきました。縄跳びが苦手な子どもが少なくない理由とは?まずは、その前提にある話をしましょう。発達段階の途中にある子どもは、まだ自分の力の出力をうまくコントロールできません。「ゼロか100か」というような力の使い方しかできないことが子どもにはよくあるのです。よく見られるパターンが、必要以上に大きく膝を曲げて高くジャンプをするという跳び方。この跳び方を体重の重い大人が続ければ、すぐにバテてしまうでしょう。でも、縄の太さが5ミリだとすれば、縄跳びに必要なジャンプの高さは6ミリで十分です。そういう跳び方を教えてあげる必要があるのです。また、子どもによっては「発達性協調運動障害」という障害を持っているケースもあります。「協調運動」とは、ごく簡単にいうと手脚で別の動きをするという運動のこと。つまり、発達性協調運動障害の子どもは、手脚をバラバラに動かすことがとても苦手なのです。なぜこんなことが起きるのかというと、赤ちゃんのときの反射が残っているからです。赤ちゃんは手を開けば足も連動して開きます。これは「原始反射」と呼ばれるもので、反射ですから自らの意志でそうしようとしているわけではありません。でも、本来は成長するにつれてその反射が減っていき、協調運動ができるようになります。ところが、病気などで幼児期に運動ができなかったというような場合、原始反射が残ってしまうことがあるのです。では、縄跳びの動きとはどういうものでしょうか。ふつう、ジャンプをするときには手を後ろに引いて膝をぐっと曲げ、手を上に振り上げながら跳び上がりますよね?それが自然な動作です。でも、縄跳びのときはどうかというと、通常のジャンプとは真逆で、手を下に振り下ろしながら飛び上がらないといけません。じつは、縄跳びにはかなり高度な協調運動が必要とされるのです。一つひとつ段階を追って縄跳びの動作を体に染み込ませる自分の力の出力をうまくコントロールできないうえに、なかには協調運動が苦手な子どももいる――。そう考えれば、一つひとつの段階を追ってじっくりと縄跳びの動作を体に染み込ませてあげるしかありません。そもそも、最初から縄を飛ぼうとするからできないのです。であるならば、まずはジャンプをせずに縄を回すことから練習すればいい。まだ力の出力をうまくコントロールできない子どもに多く見られるのは、縄を床にたたきつけるような回し方です。それでは、縄が高く跳ね上がりますから、縄が足に引っかかる可能性が高まります。そうではなく、自分のつま先にゆっくりと縄をあてることからやらせてみてください。そして、今度は先にお伝えしたように「6ミリのジャンプ」を教えてあげる。もちろん、最初は縄を飛び越える必要はありません。つま先に縄があたったらゆっくり6ミリのジャンプ。今度はつま先に縄があたった瞬間、その次は床に縄があたった瞬間というふうに、徐々に正しいタイミングでジャンプができるように誘導してください。そして、それらの過程で何度も褒めてあげてほしい。縄を優しくゆっくり回すことができれば褒める、つま先に縄があたったときに6ミリのジャンプができれば褒めるという具合です。そのうち偶然でも、はじめてきちんと跳べる瞬間が訪れるはずです。そのときは、それこそ褒めちぎってください。その強烈な印象が子どもにとっては成功体験になるわけですからね。逆に焦らせるような言動は絶対に避けましょう。「前跳びなんてできてあたりまえ」などと考え、鼓舞するつもりで「なんでできないの!」なんて言葉を子どもにかけることはご法度です。その言葉が、子どもの向上心を奪ってしまうことになるでしょう。また、焦らせることも禁物です。僕のような立場の人間なら、限られた指導時間でなるべく早く成果を出す方法も知っていますし、そうすることを求められます。ですが、つねに子どもといる親がそうしようとする必要はないのです。ゆっくりじっくりと時間をかけて、子どもが一つひとつステップを上がっていくたびに褒めてあげてください。そうやって成功体験を積み重ねていくことが大切です。『『うんどうの絵本 全4巻セット(ボールなげ・かけっこ・すいえい・なわとび)』』西薗一也 著/あかね書房(2015)■スポーツひろば代表・西薗一也さん インタビュー一覧第1回:運動神経は成功体験で伸びる!運動が「得意な子」と「苦手な子」の違い第2回:どんな運動も“細かく分解”できる。子どもの運動能力を高めるために親ができること第3回:「跳べた!」という強烈な体験が自己肯定感を押し上げる。“プロ直伝”縄跳び練習方法第4回:子どもが泳げるようになる魔法の言葉。酸素を浪費する「バタ足信仰」は捨てるべし(※近日公開)【プロフィール】西薗一也(にしぞの・かずや)東京都出身。株式会社ボディアシスト取締役。スポーツひろば代表。一般社団法人子ども運動指導技能協会理事。日本体育大学卒業後、一般企業を経て家庭教師型体育指導のスポーツひろばを設立。運動が苦手な子どもを対象にした体育の家庭教師の事業をはじめとして、子ども専用の運動教室の開設や発達障害児向けの運動プログラムの開発など、新たな体育指導法の普及に幅広く取り組む。著書に『発達障害の子どものための体育の苦手を解決する本』(草思社)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月28日運動が苦手だという人が抱える悩みやコンプレックスは、運動が得意な人には想像もできないほど深いものです。自分の子どもが運動を苦手としているなら、「なんとかしてあげたい」と思うのが親心でしょう。ただ、親自身も運動が苦手だという場合、子どもに運動のコツを教えるのは簡単ではありません。そこで、アドバイスをもらったのは「スポーツひろば」代表の西薗一也さん。運動が苦手な子どもを対象にした体育指導のプロフェッショナルは、「まずは子どもと『できない』ことを共有してほしい」と語ります。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「運動が苦手な子どもを救いたい」という思い僕がいまの仕事をするようになった理由のひとつとして、弟がいたことが挙げられます。僕自身がもともと「お兄ちゃん気質」なのです。また、高校を卒業したタイミングで、出身中学のバスケットボール部の監督になった経験も大きかった。後輩を指導していくなかで、体育教師になるという目標が定まっていったのです。でも、日本体育大学在学中の教育実習直前に父親が倒れてしまった……。当時はすでに母親が亡くなっていましたから、教育実習はキャンセルせざるを得ませんでした。幸い父親は一命をとりとめたのですが、教員免許を取れないまま卒業して、一時は一般企業に就職しました。その父親も亡くなって、日常的に世話をする必要がなくなったとき、あらためて「自分の夢はなんだったのか」と考えた。もちろん、それは体育の先生です。そこで、「教員免許がないのなら民間でやろう」といまの事業を立ち上げたわけです。ただ、当初から運動が苦手な子どもを対象に考えていたわけではありません。もともとは、運動が得意な子どもにもっと幅広い運動を経験させることで運動能力の底上げをするような事業を考えていました。ところが、いざ体育の家庭教師事業をはじめてみると、依頼のほとんどが運動を苦手としている子どもの親からのものだったのです。そういう子どもというのは自己肯定感がすごく低いし、なかには運動が苦手なことでいじめに遭ったり不登校になったりしている子どももいました。僕自身は、運動で人生を変えることができたと思っている人間です。ぽっちゃり体形で運動が苦手だったのに、バスケットボールに全力で打ち込むことで体形も性格も変わり、スポーツ推薦で高校に進学することができた。そして、最終的には体育の先生になることもできました(第1回インタビュー参照)。その経験があるからこそ、運動が苦手で悩んでいる子どもたちをどうにか救ってあげたいと思い、現在の方向に事業をシフトさせたのです。子どもだけにやらせるのではなく親も一緒に運動をする依頼者である親の願いはなかなか切実です。「うちの子は運動が本当に苦手で……」という認識を持ちながら、「せめて平均的に運動ができるようになってほしい」と思っている。もちろん、なかには親自身も運動を苦手としているというケースも珍しくありません。子どもに運動を得意になってほしいと願いながら、自分自身も運動が苦手だという親の場合であれば、まずは「子どもと一緒に運動をしてみる」ことをおすすめします。わたしの指導理念は、「褒めて伸ばす」ことが基本です。ところが、運動が苦手な親の場合だと、子どものどこを褒めていいのかがわからないのです。サッカーでゴールを決めたというようなわかりやすい「褒めポイント」があれば問題はありませんが、速く走るために子どもがいくら頑張って練習をしていても、どこがいいのか悪いのかということはそうはわかりませんよね。そうであるならば、まずは「子どもと一緒に学ぶ」ということを大切にしてください。そこで意識してほしいのは、どんな運動にもクリアしていくべき「段階」があるということ。この意識が学校の体育の授業にも欠けているように思うのです。算数の場合であれば、1年生で足し算と引き算を勉強して2年生になると掛け算、3年生は割り算というふうに、前に学んだことを生かして段階を踏んで勉強していきます。でも、体育となるとどうでしょうか?ドッジボールをやるときに、事前にボールの投げ方や受け方をしっかり教えてもらったという経験がある人はほとんどいないはずです。なにも学んでいないのに、突然「ドッジボールをやろう」と現場に放り込まれる。そういう状況では、運動が苦手な子どもはうまくプレーできるわけがないのですから、ますます運動を毛嫌いするようになっていきます。大人だからこそつかめるポイントを子どもに教えるボールをきちんと投げるという運動を細かく分解してみると、体重移動や腰の回転、手首の返しなど、本当にさまざまな動作によって構成されています。もちろん、これらの動作や段階を親が事前に勉強しなければならないというわけではありません。親が子どもと一緒に運動をしてみて、自らが学ぶことが大切なのです。親子そろって運動が苦手なら、まずは「できない」ということを共有し、共感してあげる。親だって苦手なことがあっていいし、それがふつうなのです。すると子どもは、「お父さんもできないんだ」と思う。それこそが、安心感を生んでいくことになる。運動が苦手な子どものなかにあるのは、「失敗したくない」という気持ちです。でも、「お父さんだってできない」「失敗してもいいんだ」と思って安心感を得られれば、練習を何度繰り返してもいいと思えるようになる。また、大人であれば、子どもが気づかないような運動のポイントに気づくこともあります。先に挙げたように細かい動作に分解して考えるような必要はないにしても、親自身が子どもと一緒に運動をするなかで「たまたまうまくいった」というとき、大人なら「いまのはなにがよかったのか」というポイントが見えるわけです。そのように、自らの体験を通じて学んだことを子どもに教えてあげればいい。「お父さんはむかしはできたからやらなくていいんだ」なんていって自分は子どもの動きだけを見ているだけでは、うまくいったポイントをつかむことはなかなかできません。繰り返しになりますが、子どもの運動能力を高めてあげたければ、まずは親が子どもと一緒に運動をしてみること。わたしのような第三者の力を借りることがあってもいいと思いますが、親ができる最良の方法を実践してみてください。『『うんどうの絵本 全4巻セット(ボールなげ・かけっこ・すいえい・なわとび)』』西薗一也 著/あかね書房(2015)■スポーツひろば代表・西薗一也さん インタビュー一覧第1回:運動神経は成功体験で伸びる!運動が「得意な子」と「苦手な子」の違い第2回:どんな運動も“細かく分解”できる。子どもの運動能力を高めるために親ができること第3回:「跳べた!」という強烈な体験が自己肯定感を押し上げる。“プロ直伝”縄跳び練習方法(※近日公開)第4回:子どもが泳げるようになる魔法の言葉。酸素を浪費する「バタ足信仰」は捨てるべし(※近日公開)【プロフィール】西薗一也(にしぞの・かずや)東京都出身。株式会社ボディアシスト取締役。スポーツひろば代表。一般社団法人子ども運動指導技能協会理事。日本体育大学卒業後、一般企業を経て家庭教師型体育指導のスポーツひろばを設立。運動が苦手な子どもを対象にした体育の家庭教師の事業をはじめとして、子ども専用の運動教室の開設や発達障害児向けの運動プログラムの開発など、新たな体育指導法の普及に幅広く取り組む。著書に『発達障害の子どものための体育の苦手を解決する本』(草思社)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月27日全国的なスポーツの大会で好成績を残すほどではなくとも、子どもには「せめて平均的な運動能力を身につけてほしい」と願うものです。お話を聞いたのは「スポーツひろば」代表の西薗一也さん。運動が苦手な子どもたちを対象にした体育の運動教室を営んでいます。そもそも、運動が得意な子どもと苦手な子どもにはどんなちがいがあるのでしょうか。そんなことから聞いてみました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)運動神経がいい子どもはいつでも「全力」を出すよく知られている話でもありますが、「運動神経」という神経は存在しません。でも、「運動神経がいい、鈍い」といった言葉は頻繁に使われます。では、「運動神経がいい、鈍い」といわれる子どもたちには、どこにちがいがあるのでしょうか。結局のところ、「運動が好きかどうか」だと僕は考えています。ですが、自分自身が子どもの頃を思い出してみれば、クラスにひとりやふたりはスポーツ万能の友だちがいたはずです。「好きかどうかでは埋まらないような差だった」と思う人もいるでしょう。でも、そんな子どもでさえも、運動が好きだったということに過ぎないと僕は思っています。そんな子どもが他の子どもとなにがちがうかというと、運動自体が好きな子どもの場合、「いつでも全力を出す」のです。たとえば足が速い子どもというのは、「いちばんになって気持ちが良かった」という成功体験をまた味わいたいがために全力で走るもの。一方、成功体験がない子どもは、「自分なんてこんなものだろう」というふうに、どこかで力を抜いているのです。その意識の差が、何度も走るうちにトレーニングの負荷のちがいとなって足の速さの差をさらに広げることになるわけです。しかも、走るという行為は運動の基本です。走ることで鍛えられる筋肉は、幅跳びなどに使われる筋肉でもあります。すると、全力で走る子どもは跳躍力も上がっていく。また、速く走れるようになるということは、体全体を大きく使えるようになるということにもつながります。そうして、いわゆるスポーツ万能といわれるような子どもになっていくのです。運動が苦手でぽっちゃり体形だった子どもがスポーツ推薦!?もちろん、子どもの運動能力の差には遺伝的な要素も影響しています。でも、プロのアスリートを目指すというのなら話は変わってきますが、平均的な運動能力を身につけるという観点で見れば、その影響はみなさんが思っているほど大きいものではありません。事実、僕の両親も運動はまったく得意ではありませんでしたし、僕自身もそうでした。小学生までの僕はぽっちゃり体形の泣き虫の子ども……。いまでも運動センスがあるかというと、ないほうだと思います。それを、運動が好きだということと努力でカバーしてきたのです。僕が変わるきっかけになったのは、小学6年の頃に読んだバスケットボール漫画『スラムダンク』でした。それ以前は『キャプテン翼』がはやっていて、みんなサッカーに夢中だった。ただ、なかなか点が入らないサッカーでは、僕のような運動が得意でない子どもは簡単にはヒーローになれません。でも、得点が多いバスケットボールなら僕にだって目立てるチャンスがある。そうして、中学生になるとバスケットボール部に所属したのです。1年生のときはまず体力づくりからで、とにかく走らされました……。すると、小学生のときまでのぽっちゃり体形がウソのように痩せた。しかも、もともと運動が苦手だったこともあるのか、まわりの誰よりも運動能力の伸びが大きく、成長速度が速かったのです。そのうち、顧問の先生から「そのまま練習すれば、ダンクシュートもできるようになるよ」といわれました。その言葉が僕の頭に強烈に刻まれ、ジャンプをするときにはそれまで以上に全力で跳ぶようになりました。すると、中学3年のときに本当にダンクシュートができるようになったのです。僕の身長は180センチですから、バスケットボール選手としては大きいほうではありません。それでもつねに全力を出してダンクシュートができるような跳躍力を身につけたことで、高校にはバスケットボール推薦で入学することになりました。小学校のときの同級生に会うと、いまでも「西薗ってそんなキャラだったっけ?」といわれます。僕は、運動によって体形だけでなく、泣き虫でどこか控えめだった性格まで変わった。いわば、人格すらも変える力が運動の成功体験にはあるのです。いまは遊びを通じて運動能力を獲得しづらい時代残念ながら、いまの子どもたちには僕のように自分を変えるような体験をするケースが減っているように思います。その理由を説明するために、ちょっと衝撃的な数字を紹介しましょう。これを読んでいる親御さんも小学生のときに体力テストを経験したはずです。そのなかの「ソフトボール投げ」の平均記録を見てみると、ほんの20年くらいのあいだになんと7メートルほども数字が落ちているのです。その要因を僕なりに考えてみると、いまの子どもたちが体を動かす遊びをあまりしていないということにいき着きます。むかしはいまのように娯楽があふれていたわけではありません。だから子どもたちは、学校のグラウンドや公園を走り回り、木に登り、野球やサッカーなどのスポーツをする、あるいはベーゴマ、メンコといったもので遊んでいました。そういう遊びを通じて、子どもは基礎的な体力をつけ、体のメカニズムをうまく利用した体の動かし方も身につけたわけです。メンコ遊びをするには、指先に体重をしっかり乗せて下に向けてたたきつけなければなりません。ベーゴマを回すには、手首のスナップといったかなり高度な運動が求められます。それらができなければ子どもは遊びの輪に入れないのですから、それこそ必死に練習をする。そうして、自然と運動能力を高めていったのです。でも、いまはというと、公園では野球などの球技は禁止されていますし、ベーゴマも「現代版ベーゴマ」といえるような、誰でも簡単に回せるものになりました。また、遊びの輪に入ろうと思えば、ゲーム機を親に買ってもらうだけ済んでしまう。そのなかで頑張ることというと、いかにお金をかけるかというだけです。僕自身もゲームは大好きですが、子どもたちのためになっているかというと、そこは否定せざるを得ません。一方で、子育てに関しては「習い事至上主義」ともいえる状況ですから、野球やサッカーのチームに所属している子どももいます。すると、チームに所属していて運動ができる子どもはどんどんできるようになり、そうではない子どもとの格差が開いていく。これが、子どもの運動能力をめぐる現状といえます。でも、僕自身がそうであったように、とくに運動が苦手だと思い込んでいるような子どもたちには運動を通じて自分自身が変わるという体験をしてほしい。子どもたちが遊びを通じて日常的に運動ができるという時代ではないのですから、それこそ親のリードやサポートの重要性が増しているように思います。『『うんどうの絵本 全4巻セット(ボールなげ・かけっこ・すいえい・なわとび)』』西薗一也 著/あかね書房(2015)■スポーツひろば代表・西薗一也さん インタビュー一覧第1回:運動神経は成功体験で伸びる!運動が「得意な子」と「苦手な子」の違い第2回:どんな運動も“細かく分解”できる。子どもの運動能力を高めるために親ができること(※近日公開)第3回:「跳べた!」という強烈な体験が自己肯定感を押し上げる。“プロ直伝”縄跳び練習方法(※近日公開)第4回:子どもが泳げるようになる魔法の言葉。酸素を浪費する「バタ足信仰」は捨てるべし(※近日公開)【プロフィール】西薗一也(にしぞの・かずや)東京都出身。株式会社ボディアシスト取締役。スポーツひろば代表。一般社団法人子ども運動指導技能協会理事。日本体育大学卒業後、一般企業を経て家庭教師型体育指導のスポーツひろばを設立。運動が苦手な子どもを対象にした体育の家庭教師の事業をはじめとして、子ども専用の運動教室の開設や発達障害児向けの運動プログラムの開発など、新たな体育指導法の普及に幅広く取り組む。著書に『発達障害の子どものための体育の苦手を解決する本』(草思社)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月26日「思う存分、子どもを遊ばせられない」と、いまの禁止事項だらけの公園に不満を抱いている親もいるかもしれません。でも、親自身も子どもに禁止事項を押し付けているということはないでしょうか。そのことが子どもに与える悪影響を心配するのは、子どもたちの自由な遊び場である「プレーパーク」のエキスパート・嶋村仁志さん。果たして、その悪影響とはどんなものでしょうか。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人子どもはもっと「聞き分けが悪く」てもいいさまざまなところで指摘されていることでもありますが、いまの公園はとにかく禁止事項のオンパレードです。ただ、それは管理責任が過度に追及されがちな社会の風潮やクレームの多さが背景にあるので、単純に行政を責めるわけにはいかないものです。その一方で、かつては、他人に迷惑をかけるようなことや危険なことを「やらかしてしまった」子どもがいて、「さすがにそれは駄目だろう」ということで禁止看板ができたのだと思いますが、いまは誰かがなにかをするまえから禁止看板が立っているので、経緯を知らない子どもは禁止事項に無条件に従っていることの方が多いように思います。そんな時代にあっても、子どもこそ、自分の内から湧き出る欲求というか、勝手に体が動いてしまうようなことをもっと大事にしていいと思うのです。もちろん、大きな事故につながるような危険は避けなければなりませんが、子どもなら子どもらしく、もっと「聞き分けが悪く」なってもいいんじゃないかとも思いますね。聞き分けが悪くなるというのは、ある意味では自立の証です。子どもが大人に向かって正しく成長する過程では必ず反抗期を迎えます。それは、親に守られながらも、その大きな存在から離れ、自分の人生を歩みだそうとしていることの表れなのです。トラブルから子どもが学べることもあるそういう禁止事項を素直に子どもたちが守っていることには、もちろん、大人の姿勢も大きくかかわっているのでしょう。いまは、子どもにとって危険だからとか、倫理的に許されないことだからということ以上に、「トラブルを招いてしまいそうだから」という理由で子どもたちの先回りをしてしまうことが多いように感じます。最近では、幼い子どもたちが水鉄砲で遊ぶとき、「お友だちに水をかけちゃ駄目よ。誰もいない方向に向けてやりなさい」という声が聞こえてくることもあります。本来であれば、友だちと水を掛け合うことが最大の楽しみでもある水鉄砲ですが、大人同士の関係が緊張しているほど、それが子ども同士の遊びにも大きく影響してしまうのです。もちろん、なにかの理由があって濡れたくないという子どももいるかもしれません。でも、少し乱暴ないい方かもしれませんが、それはやってみて相手が嫌がってはじめて本当の意味でわかることでもある。そういう実感があって、「悪いことをしちゃった」「気をつけなきゃ」「謝ろう」と心から思うものであるはずです。一方、濡れたくないのに水をかけられてしまった子どもにとっても、「嫌だ!」と主張できる機会はとても大事なものではないでしょうか。最初からその可能性を取り除いてしまうと、自分の心の底から「嫌だ」と思うチャンスがなくなってしまいます。そう思えたのなら、自分が「嫌だ」と思ったことをちゃんと表現して的確に相手に伝える、あるいは「嫌だ」と思った心をコントロールするということも学べるでしょう。そういうことも成長過程においては重要だと思うのです。遊びというのは、子どもたちそれぞれの「やりたい!」という気持ちが本心から出るところです。もちろん、それらがぶつかってトラブルを招くこともあるでしょう。でも、そのトラブルがあるからこそ、子どもたちはたくさんのことを自然に学び、育っていくのです。写真提供:嶋村仁志言葉で言い聞かせるだけではレジリエンスは身につかないもし、子どもにとってトラブルになりそうな芽をすべて親が摘み取ってしまうとどうなるでしょうか。そもそも、一切のトラブルなく人生を歩むことは、どんな人間にも絶対に不可能です。そうすると、その子どもは大人になって親元を離れてはじめてトラブルに接することになる。それでは、トラブルにまともに対処できるはずもありません。人生において何度となく降りかかるトラブルに対処するには、そうできる「心」が必要です。それは、最近は「レジリエンス」という言葉で表現され、一般的に「回復力」「復元力」というふうに訳されますが、もっとわかりやすくいえば「折れにくい心」です。わたしがかかわっているIPA(International Play Association)という国際NGOの大会でも必ず出てくる言葉で、それだけ世界的な注目度が増しているのでしょう。ただ、なぜレジリエンスがそれほど注目されるようになったかといえば、単純にいまの子どもたちがレジリエンスを身につける機会が大きく失われてきているからなのではないでしょうか。そして、その原因は、子どもが遊ぶ機会、時間が激減したことにあるのではないかとわたしは考えています。いくら子どもたちにとってレジリエンスが重要だといっても、「うまくいかなくても、また頑張らないといけないよ」と言葉でいい聞かせるだけでレジリエンスが育つわけもありません。だからといって、限られた子どもだけが、用意されたコミュニケーションのワークショップやプログラムで学ぶものでもないと思うのです。やはり、日々の生活のなかで豊かに遊べる機会をつくり出すしかないと思うのです。自分がやりたいことを目いっぱいやって失敗した。でも、やりたいことなのですから、子どもはあきらめずに再び立ち上がって挑戦するはずです。遊びのなかで子どもは勝手にレジリエンスを身につけていくのですから、親からすればこんなに楽なことはないのではないでしょうか。『子どもの放課後にかかわる人のQ&A50 子どもの力になるプレイワーク実践』嶋村仁志 他 著/学文社(2017)■ TOKYO PLAY代表理事・嶋村仁志さん インタビュー一覧第1回:「本当に自由に」試行錯誤する機会を子どもたちに――“本気の遊び場”プレーパーク第2回:危険にも種類がある。挑戦が達成感に変わる「リスク」と「ハザード」はどう違うのか?第3回:火を使う、泥だらけになる、びしょ濡れになる。子どもたちの自由な発想と独創的な遊び方第4回:やりたいことを目いっぱいやって失敗した。その経験が「折れない心」を育てる【プロフィール】嶋村仁志(しまむら・ひとし)1968年8月6日生まれ、東京都出身。子ども時代は野球と自転車と缶けりざんまいの日々を送る。英国・リーズ・メトロポリタン大学社会健康学部プレイワーク学科高等教育課程修了。1996年に羽根木プレーパークの常駐プレーリーダー職に就いて以降、プレイワーカーとして川崎市子ども夢パーク、プレーパークむさしのなど各地の冒険遊び場のスタッフを歴任。その後フリーランスとなり、国内外の冒険遊び場づくりをサポートしながら、研修や講演会をおこなう。2010年、「すべての子どもが豊かに遊べる東京」をコンセプトにTOKYO PLAYを設立。2005年から2011年までIPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)東アジア・太平洋地域副代表を務め、現在はTOKYO PLAY代表理事、日本冒険遊び場づくり協会理事、大妻女子大学非常勤講師。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月22日一般的な公園とはちがって、「禁止事項は基本的になし!」というプレーパーク。それだけに、未経験者からすれば、「子どもたちが実際にどんな遊びをしているのか」ということが気になるのではないでしょうか。お話を聞いたのはプレーパークのエキスパート・嶋村仁志さん。20年以上にわたってプレーパークにかかわってきた嶋村さんは、子どもたちの自由な発想が弾ける独創的な遊びをいくつも目撃してきました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人他の子どもの遊び方を見ているだけでもいいプレーパークというと、基本的には一般的な遊具は少ないものですが、それでも、ブランコやすべり台などの遊具を設置しているところもあります。というのも、はじめて遊びに来た子どもからすれば、なじみがある遊具があれば、それだけすんなりと遊びはじめることができるからです。いわば、自由な遊びへの「入り口」として設置しているわけです。そうしてブランコやすべり台で遊んでいるなかで、他の子どもたちの遊びを観察することになるでしょう。見たこともない遊びなら、当然、好奇心がくすぐられることになる。そうして未経験の遊びの世界へ進んでいくのです。また、すべり台で遊ぶにも、プレーパークに何度も通っているような子どもなら、普通の使い方ではないオリジナルの遊び方をしているという子どももいます。それを見てすぐに真似をする子どももいれば、後日、友だちを連れて来て、さも自分が考えたかのように「面白い遊び方があるんだぜ」なんていって遊ぶ子どももいますね(笑)。そういうふうに、年齢や経験がちがう子どもたちが集うところがプレーパークの面白いところです。ちっちゃい子どもたちからすれば、年上のお兄さんやお姉さんの遊び方はそれこそアイデアの宝庫のような存在ですから、そういう年上の子どもの遊び方をずっと観察しているような子どももいますよ。それはそれで、その子どもにとってはなにかを学んでいる、考えている瞬間ですから、なにも元気良く走り回っていることばかりがいい遊びというわけでもないのです。プレーパークならではの火を使った遊びそれから、プレーパークの特徴として大きいのは「火を使える」ということ。もちろん、そのことが遊びにも大きな影響を与えます。火の扱いに慣れている子どもの場合、最初の着火するところからやりたいという気持ちが強いものです。やっぱり、火というのは人間の本能を刺激するのでしょうね。ただ、プレーパークにはいわゆる「チャッカマン」などのライターは置いていません。使うのはマッチと新聞紙です。ですから、それなりの熟練が求められます。最初はうまく火をつけられなかったのに、子どもたちは徐々にコツをつかんでいく。そういう自分の成長を感じること、そして火というものを自分でコントロールできているということ、それらが子どもを夢中にさせるのです。でも、火を使えるといってもバーベキュー場ではありませんから、たき火ができるのはせいぜい2カ所くらい。ですから、親も含めて見ず知らずの人たちが同じ火のまわりに集うことになります。そうすると、マシュマロを焼いていた子どもが他の子どもにもマシュマロをわけてあげたり、親同士で互いにお裾分けをしたりということがはじまります。そういうふうに持ち寄りの文化を大切にしているというのもプレーパークの特徴といえますね。それから、小学生も高学年くらいの子どもになると、なかなか高度な遊びもしています。たとえば、「鍛冶屋遊び」がそう。火に入れて真っ赤になった釘を金づちで打ってなにかをつくろうというわけです。他には「キラビー」というものをつくる子どももいます。ビー玉を熱してから水に入れて急激に冷やすと無数の細かいヒビが入ってキラキラと輝くようになります。キラキラのビー玉だからキラビーというわけですね。子どもたちの独創的な遊びの数々大人には考えつかないような遊びに興じる子どももたくさんいます。ついこのあいだ、衝撃を受けたのは小学2年生の子ども。なにをしていたかというと、自転車に乗ってわざとうまく倒れるという遊びです。しかも、「けがをせずになるべく格好良くこけたい」という。いわば「スタントマンごっこ」ですね。「どうすればいい?」と聞かれましたが、さすがにまともなアドバイスをするのは難しいですよね。それから、地面を掘っていた子どもになにをしているのかと聞くと、彼の答えは「温泉を掘りあてるんだ」。ずいぶん大きく出ましたよね。しかも、それだけでは終わりません。掘る手を止めて「設計図、書くわ」というと、「ここが大浴場で……」「料金は大人1500円、いや2000円で……」と、つぶやいていました(笑)。秘密基地づくりはいまもむかしと変わらず人気です。基地だけに、もちろんボスがいます。そのボスになった子どもは、普段は口が悪いといったことはまったくないのに、ボスになった途端に口調が変わるのです。プレーリーダーに向かって「しょうがねえな、おまえもあとからうちに来いよ」なんていっていましたよ(笑)。子どもってほんとうに面白いですよね。他にも「化石を探している」という子どもにその辺で拾った石を見せて、「隊長、これはなんでしょう?」と聞くと、「これはトリケラトプスの化石ですね」と秀才キャラっぽい口調で答えるなど、「ごっこ遊び」に天才的な才能を発揮する子どもたちも多くいます。とにかく肩肘張らずに楽しむここまで紹介してきたように、プレーパークでの遊び方は子どもの意志が赴くままにどんどん広がります。子どもが水を使って遊びたいとなったらびしょ濡れになりますし、泥を使って遊びたいとなったら泥だらけになるでしょう。ですから、プレーパークのビギナーのみなさんには、子どもの着替えを少なくとも2着は用意しておくことをおすすめしたいですね(笑)。親自身も1着分の着替えは用意したほうがいいかもしれません。子どもが「一緒に遊ぼう!」と誘ってくれることもあるでしょう。そのときに、「服を汚せないから」とちゅうちょしてはもったいないですから。そして、成長が早い子どもは、あっという間に「一緒に遊ぼう!」なんて言ってくれなくなってしまいます……。とにかく肩肘張ることなく気軽に行ってみてください。たしかに、プレーパークでの遊びは子どもに多くのものをもたらしてくれるでしょうけれども、それらは遊びのなかで自然に身につけていくものです。ですので、「子どもに○○力を身につけさせよう」などと考えずに、ただただ子どもがプレーパークという場所でどんな発見をしてどんな遊びをするのか、それを楽しんでもらいたいと思います。『子どもの放課後にかかわる人のQ&A50 子どもの力になるプレイワーク実践』嶋村仁志 他 著/学文社(2017)■ TOKYO PLAY代表理事・嶋村仁志さん インタビュー一覧第1回:「本当に自由に」試行錯誤する機会を子どもたちに――“本気の遊び場”プレーパーク第2回:危険にも種類がある。挑戦が達成感に変わる「リスク」と「ハザード」はどう違うのか?第3回:火を使う、泥だらけになる、びしょ濡れになる。子どもたちの自由な発想と独創的な遊び方第4回:やりたいことを目いっぱいやって失敗した。その経験が「折れない心」を育てる※近日公開【プロフィール】嶋村仁志(しまむら・ひとし)1968年8月6日生まれ、東京都出身。子ども時代は野球と自転車と缶けりざんまいの日々を送る。英国・リーズ・メトロポリタン大学社会健康学部プレイワーク学科高等教育課程修了。1996年に羽根木プレーパークの常駐プレーリーダー職に就いて以降、プレイワーカーとして川崎市子ども夢パーク、プレーパークむさしのなど各地の冒険遊び場のスタッフを歴任。その後フリーランスとなり、国内外の冒険遊び場づくりをサポートしながら、研修や講演会をおこなう。2010年、「すべての子どもが豊かに遊べる東京」をコンセプトにTOKYO PLAYを設立。2005年から2011年までIPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)東アジア・太平洋地域副代表を務め、現在はTOKYO PLAY代表理事、日本冒険遊び場づくり協会理事、大妻女子大学非常勤講師。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月21日ヨーロッパで生まれ、日本でも広まりつつある「プレーパーク」。禁止事項だらけの一般的な公園とちがって「子どもたちの自由な遊び場」であるだけに、事故やトラブルから子どもを守る人間が欠かせません。その存在が、「プレーリーダー」です。「すべての子どもが豊かに遊べる東京」をコンセプトに東京でさまざまな「遊び」を仕掛けている一般社団法人TOKYO PLAYの代表理事であり、プレーパークのエキスパートでもある嶋村仁志さんに、プレーリーダーの役割を教えてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人さまざまなバックボーンを持つプレーリーダープレーリーダーには、学校の教員のように決まった採用試験があるわけではありません。そのため、子どもの自由な遊びや居場所づくり、住民参加のまちづくりといったものに関心を持っているという共通項はあっても、その背景は人それぞれ。たとえば教育や福祉、保育、まちづくり、社会的企業など、さまざまなバックボーンを持つ人たちが集まってきます。また、真夏でも真冬でも屋外で過ごすことや、子どもたちと走り回ったり建築作業をしたりすることもあって、比較的若い世代の人が多いのも特徴です。ただ、保護者支援や児童福祉、地域におけるさまざまな関係調整にも深くかかわることから、最近ではもっと上の世代のプレーリーダーも増えていますね。そんなプレーリーダーにとってまず重要となるのは、「子どもとのかかわり方」といえます。というのも、プレーパークというものが、「子ども」がそれぞれの興味関心に従って「子ども」が自由に遊ぶための場所であり、つねに「子どもが中心」にあるからです。それぞれの子どもに合わせてかかわり方を変えるそのかかわり方というと、それこそさまざまとしかいえません。「こんなことをやってみたい」という子どもに必要な道具を貸すこともあれば、ふつうの公園とちがって自由度が高いがゆえに遊び方自体がわからないような子どもには遊びの見本を示すということもあります。もちろん、「こんなふうに遊びなさい」というような見せ方ではありません。自分で遊びをコントロールできることが子どもにとってはいちばん面白いに決まっているのですから、「あ、そんなふうに遊んでもいいんだ!」と子どもに気づかせるような見せ方をするのです。そうして子どもが遊ぶきっかけをつくれたら、気づいたときにはいなくなっている――。そういう在り方がプレーリーダーには大切です。イメージとしては、ときには前に出ることもあるけれど、子どもからは直接見えない少し後ろに控えている感じでしょうか。そもそも、子どもが自由に遊ぶというときに、プレーリーダーも含めて大人はかかわり過ぎるべきではありません。「この子は自分で遊べる」と思う子どもには、まず任せるというかかわり方をします。そういう意味では、それぞれの子どもをよく観察する必要があります。いってみれば、風邪をひいている子どもに対するお医者さんの見立てのようなものかもしれませんね。「温かくして寝ていればいいよ」という子どもには、とくになにもする必要はないのです。でも、「薬を出したほうがいいな」という子どもにはなんらかの助け舟を出す、という具合です。一方で、保護者とのかかわりもプレーリーダーにとって欠かせない役割です。子どもだけでなく、保護者の人たちにも安心してもらうことが大切だとわたしは考えています。わたしもそうですが、親というのはいつでも子どものことが心配なものです。ついつい「あれは駄目、これは駄目」といいたくなるものなので、子どもが遊んでいる姿を一緒に見ながら、保護者に「大丈夫ですよ」と声をかけることもありますね。ちがったパターンとしては、親自身にも遊んでもらうようすすめることもあります。というのも、親も一緒にその遊びを楽しんでいれば、子どもは親の目を気にすることなく思い切り遊べるものだからです。徹底的に排除すべき「選びようがない危険」また、「危険のコントロール」もプレーリーダーの重要な役割となります。プレ―リーダーは、どんな危険も排除するわけではありません。危険にも種類があって、ひとつは「リスク」と呼ばれます。これは、子どもが自分にとってちょっとハードルが高い遊びに挑戦するときに伴う危険です。でも、もしその挑戦が成功したら、達成感を得られるなど大きなリターンを得ることができる。ですから、よほど無理な挑戦をしようとしていない限り、子どもが自分の意志でリスクを冒すことを止めることはありません。一方で、子どもが自分の意志で「選びようがない危険」もあります。たとえば、子どもの顔の高さに突き出ている針金や、結び目が緩んだロープなどがそれに該当します。それらは「ハザード」と呼び、できる限り排除するようにしています。また、のこぎりなどの道具を子どもが使うときにも危険が伴います。親の立場からすれば心配になるのも当然です。もちろん、その使い方が明らかに危険だというときにはプレーリーダーが子どもに声をかけて正しい使い方を教えますが、大人のほうがやきもきしてしまっているような場合には「心配しちゃいますよね」と声をかけつつ、「こういうところだけ気をつけていれば大丈夫ですから」と話をすることもあります。危険とはちがう話になりますが、そういうふうに子どもが道具を使うケースに時々見られるのが、心配することとは別に、子どもに頑張らせようとし過ぎてしまうこと。はじめてのこぎりを使うという子どもなら、集中力を切らさずに最後まで太い木材を切れる子はあまりいません。そもそも、子どもは「ちょっとやってみたかっただけ」ということも多く、木が簡単に切れないとわかればすぐに別の遊びをしようとします。すると、子どもに「ほら、よそ見しちゃ駄目!」「集中!」なんて声をかけてしまう親もいるのです。それでは、遊びというよりも、作業になってしまいますよね。そうではなく、途中でやめたくなった気持ちも含めて、子どもがやりたいこと、やりたい気持ちの応援をしてあげてほしいのです。少なくとも、「工具に触ってみた」ということが、大きな一歩になるのですから。個性が表れる初体験時の子どもの姿に要注目プレーパークに興味を持ち、はじめて行くというときには、ぜひ、子どもの様子をじっくり見てほしいですね。というのも、とくに初体験のときには、子どもの個性が行動にはっきり表れるからです。最初から「天国だ!」というふうに遊びまわる子どももいれば、どうしたらいいのかわからなくてじっくりと周囲を観察する子どももいる。また、同じように戸惑っているのに、プレーリーダーに「なにをすればいいんですか?」と素直に聞いてくる子どももいますし、いろいろな遊びを全部試したうえで、最終的にいちばん気に入ったもので遊びはじめるようなマメな子どももいます。もしかしたら、このようなプロセスを通して、子どもは親も見たことのないような姿を見せてくれるかもしれません。プレーパークは子どもが自由に遊ぶための場所ではありますが、親自身も楽しんでもらえたらと思います。プレーリーダーはたしかに、子どもにとっての危険を管理するなど、重要な役割を担っています。でも、子どもをお預かりして、一から十までお世話するといった存在ではありません。ママ友同士のおしゃべりの時間も大切ですので、そこでも満足してほしいと思いますが、それと同時に、子どもが生き生きと輝く姿もぜひ逃さずに見てあげてください。『子どもの放課後にかかわる人のQ&A50 子どもの力になるプレイワーク実践』嶋村仁志 他 著/学文社(2017)■ TOKYO PLAY代表理事・嶋村仁志さん インタビュー一覧第1回:「本当に自由に」試行錯誤する機会を子どもたちに――“本気の遊び場”プレーパーク第2回:危険にも種類がある。挑戦が達成感に変わる「リスク」と「ハザード」はどう違うのか?第3回:火を使う、泥だらけになる、びしょ濡れになる。子どもたちの自由な発想と独創的な遊び方※近日公開第4回:やりたいことを目いっぱいやって失敗した。その経験が「折れない心」を育てる※近日公開【プロフィール】嶋村仁志(しまむら・ひとし)1968年8月6日生まれ、東京都出身。子ども時代は野球と自転車と缶けりざんまいの日々を送る。英国・リーズ・メトロポリタン大学社会健康学部プレイワーク学科高等教育課程修了。1996年に羽根木プレーパークの常駐プレーリーダー職に就いて以降、プレイワーカーとして川崎市子ども夢パーク、プレーパークむさしのなど各地の冒険遊び場のスタッフを歴任。その後フリーランスとなり、国内外の冒険遊び場づくりをサポートしながら、研修や講演会をおこなう。2010年、「すべての子どもが豊かに遊べる東京」をコンセプトにTOKYO PLAYを設立。2005年から2011年までIPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)東アジア・太平洋地域副代表を務め、現在はTOKYO PLAY代表理事、日本冒険遊び場づくり協会理事、大妻女子大学非常勤講師。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月20日「プレーパーク」という施設を知っているでしょうか。「パーク」というだけに公園のようなものなのですが、わたしたちの街に点在する一般的な公園とはまったくちがうものです。お話を聞いたのは、「すべての子どもが豊かに遊べる東京」をコンセプトに東京でさまざまな「遊び」のプロジェクトを仕掛けている一般社団法人TOKYO PLAYの代表理事・嶋村仁志さん。「StudyHackerこどもまなび☆ラボ」には以前にも登場してくれましたが、あらためてプレーパークとはどんなものなのかを教えてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)禁止事項がほとんどない自由な遊び場日本で「プレーパーク」という名で呼ばれる施設は、ヨーロッパ発祥の「冒険遊び場」というものがベースになっています。このプレーパークが日本に広まりはじめたのは1970年代。いまもそうですが、当時でもすでに一般的な公園には禁止看板が増えはじめていたようです。その頃、東京のある公園の噴水池のなかに割れたガラスが入っていたということがあったといいます。そんなことがあれば、住民のなかから「けがをしたら誰が責任を取るんだ?」という意見も出てきます。そうした経緯から、行政としては公園に禁止看板を立てざるを得ないような状況が生まれはじめたのです。そういう時代のなか、「自分たちが子どもだった頃はもっと自由に遊べたのに」という想いを持っていた都市計画家・大村虔一さんたちが、当時のヨーロッパ各地の冒険遊び場を参考にして、プレーパークづくりに取り組むようになったのです。その過程で、子を持つ親のなかからも「禁止事項ばかりでは子どもは育たない」という考えに賛同する人たちが増えていきました。そういう経緯がありますから、公園とのいちばんのちがいは、プレーパークが持つ「できる限り、禁止事項を少なくして、自由な遊び場をつくろう」という想いの部分ではないかと思います。ちなみに、いまにつながっている日本初のプレーパークは、1975年の夏休みのあいだだけ開設された「経堂こども天国」。写真提供:大村璋子でも、子どもが遊ぶのは夏休みだけではありませんよね?そういう声が子どもからも上がるようになり、今度は15カ月にわたって「桜丘冒険遊び場」が開設されました。その後、日本初の常設施設として1979年にオープンしたのが、わたしのかつての職場でもある「羽根木プレーパーク」です。子どもの興味関心によって「かたち」を変えていく公園とプレーパークのちがいは、「用意されているもの」を見るとすぐにわかるでしょう。公園では、遊び方が決まっている遊具があって、それを使って遊びますよね。もちろん、公園の「かたち」を変えることなんてありません。ところが、プレーパークでは遊具の代わりに「道具」や「材料」があって、プレーパークそのものも「かたち」を変えていくのです。たとえば、マッチと新聞紙、薪を使ってたき火をしてもいいし、シャベルを使って地面に穴を掘ったり川をつくったりしてもいい。廃材を使って、むかしから人気の秘密基地をつくる子どもたちもいます。つまり、子どもは自分の興味関心に従って新しくなにかを生み出し、それに合わせてプレーパーク自体も「かたち」を変えるというわけです。イメージとしては、公園にもある「砂場」が近いかもしれませんね。砂場では、子どもたちは山をつくったりトンネルを掘ったり川をつくったりと、比較的自由に遊べますよね。その高い自由度が施設全体に広がっているのがプレーパークといっていいでしょう。先にいくつか挙げましたが、道具と材料はほかにもいろいろなものが用意されています。道具ならシャベルにのこぎり、金づち、バケツ、ほうき、ネコ車など。材料なら材木にロープ、ご近所から頂いてきたさまざまないらないもの……(笑)。近隣の人や、利用する子どもの保護者に内装業者、解体業者、工務店の人などがいると、「どうせ捨ててしまうものだから」と、いろいろな廃材を譲っていただけることもあります。つまり、プレーパークでは、利用者が訪れるたびに利用できるものが変わっていくわけです。プレーパークのつくり手側であるわたしたちは「未完成をデザインする」といいますが、プレーパークとはいつまでも完成することがない場所といえます。そこが子どもたちにとってはたまらなく面白い。子どもは遊びが好きだといっても、完全にお膳立てされた場所で「はい、どうぞ」といわれて遊んだところで、面白さは限られてしまいます。子どもたちが最大限に面白がれるように、いろいろな可能性や隙間をあえて残しておく――。それが、プレーパークの目指している遊び場づくりです。いまの子どもは自由に試行錯誤する機会を失いつつあるそんな遊び場にいる「プレーリーダー」の存在も、公園と比較した場合のプレーパークの特徴といえるでしょう。ただ、親はもちろん、プレーリーダーも含めて大人がいるということは、ある意味で危険をはらんでいるとも思っています。というのも、子どもの遊び方次第では、大人はどうしても止めたくなったり教えたくなったり誘導したくなったりするからです。そんな大人が増えてしまっていることが原因なのか、いまは、子どもが本当に自由に試行錯誤するという機会が徐々に失われてきているように感じます。そういう背景もあって、プレーパークも含めて、わたしが子どもの遊び場づくりにかかわることで目指しているのは、すべての子どもが子ども時代に自分の人生を手づくりできる機会をきちんと持てるようにすることだと思っています。そして、できれば親御さんたちにもそのマインドを理解してほしいですね。子どもというのは、親がいちいち教えて導いてあげなければなにもできないという存在ではありません。子どもは子どもなりに「こうしたい!」という気持ちを持っています。その気持ちに素直に従って自分らしく夢中になって遊ぶ子どもを、親は見守る存在であってほしいのです。『子どもの放課後にかかわる人のQ&A50 子どもの力になるプレイワーク実践』嶋村仁志 他 著/学文社(2017)■ TOKYO PLAY代表理事・嶋村仁志さん インタビュー一覧第1回:「本当に自由に」試行錯誤する機会を子どもたちに――“本気の遊び場”プレーパーク第2回:危険にも種類がある。挑戦が達成感に変わる「リスク」と「ハザード」はどう違うのか?※近日公開第3回:火を使う、泥だらけになる、びしょ濡れになる。子どもたちの自由な発想と独創的な遊び方※近日公開第4回:やりたいことを目いっぱいやって失敗した。その経験が「折れない心」を育てる※近日公開【プロフィール】嶋村仁志(しまむら・ひとし)1968年8月6日生まれ、東京都出身。子ども時代は野球と自転車と缶けりざんまいの日々を送る。英国・リーズ・メトロポリタン大学社会健康学部プレイワーク学科高等教育課程修了。1996年に羽根木プレーパークの常駐プレーリーダー職に就いて以降、プレイワーカーとして川崎市子ども夢パーク、プレーパークむさしのなど各地の冒険遊び場のスタッフを歴任。その後フリーランスとなり、国内外の冒険遊び場づくりをサポートしながら、研修や講演会をおこなう。2010年、「すべての子どもが豊かに遊べる東京」をコンセプトにTOKYO PLAYを設立。2005年から2011年までIPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)東アジア・太平洋地域副代表を務め、現在はTOKYO PLAY代表理事、日本冒険遊び場づくり協会理事、大妻女子大学非常勤講師。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月19日長く続くアウトドアブームのなか、「今年こそは!」と親子キャンプを考えている人も多いはずです。近年はブームの影響もあり、さまざまな便利グッズが登場しキャンプのハードルもかなり下がってきました。ですが、そういうハード面は整ったとしても、初心者にはやはり注意すべき点もあります。お話を聞いたのは、さまざまな自然体験プログラムを提供しているNPO法人国際自然大学校の佐藤初雄理事長。国内における野外活動指導の第一人者に、キャンプが持つ教育面でのメリット、キャンプ初心者へのアドバイスを聞いてみました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)キャンプ生活が子どもに与える「やればできる」という自信夏休みの定番イベントのひとつがキャンプです。それこそ都市部に暮らす子どもたちからすれば、めったに経験できないことのオンパレードである一大イベントだといえるでしょう。家や学校とはまったくちがう環境にその身を置くのですから、キャンプは家庭教育や学校教育とはまるでちがった角度から子どもたちを育ててくれます。その最たるものといえば、「子どもが自分に自信を持つ」ということです。晩ごはんのおかずのために魚を釣る、料理をするときに包丁を使う、自分で火をおこす……。そういう普段の生活ではやることがないことを自分の力でどんどんこなすうちに、子どものなかでは「やればできる」という気持ちが膨らんでいきます。それは、「新しいことに挑戦していく」という力にもつながるものでしょう。キャンプで自信を持った子どもたちが挑戦していくことは、習い事や勉強、スポーツなど個人的なチャレンジだけではありません。わたしたちが提供しているキャンププログラムでは、はじめて会う他の子どもたちと一緒に協力してキャンプ生活を営むことになります。ここがポイントです。みなさんも子どもの頃を思い返せばわかるかと思いますが、子どもの世界というのはとても狭いものです。それなのに、ついさっきまで赤の他人だった他の子どもと協力をしなければならない。これは子どもにとってなかなかハードルが高いことなのです。でも、そんな新しい友だちとうまくつき合い、協力してなにかを成し遂げることができたらどうでしょうか。狭い世界に生きる子どもにとって、人とのかかわり方にも大きな自信を持つことになります。すると、学校行事にしろ私生活にしろ、友だちと協力してなにかをやろうというときにも前向きにチャレンジできるようになるのです。子どもに「家の延長」と思わせないように注意このようにお伝えすると、未経験のみなさんも子どもを連れてキャンプに行ってみようと思ってくれたかもしれません。そこで、初心者の方に向けていくつか注意点もお伝えしておきます。まずは、当然のことではありますが、「安全」を確保することが大切。かといって、「あれはやっちゃ駄目、これもやっちゃ駄目」と制限し過ぎることは避けてほしいところです。子どもにとってはあらゆる体験が大切な学びになるのですから、大きなケガにつながるような可能性がないことなら、なるべく自由にやりたいことをやらせてあげるべきです。安全を確保しつつ、介入すべきでないところでは自由にさせる。そのバランスを取ることが大切です。もし、子どもがやりたいことをそのままやらせるのは危ないと思ったら、まずは親が見本を見せる、きちんとやり方を教えるということを心がけてください。そうすれば、子どもがいきなり危険にさらされる可能性は大きく減ります。ただ、その際に注意してほしいのは、「大人が楽しみ過ぎる」こと。とくにお父さんは、少年に戻って子どもをそっちのけにして夢中になってしまうということもよくある話です。あくまでも主役は子どもですから、注意してください。一方、お母さんには普段のしつけでいいがちな「早くしなさい」という言葉を慎むことを心がけてほしいですね。日常とは時間の流れ方がまったくちがう自然のなかにせっかく出向いたのですから、子どもに「これじゃ、家の延長だ」なんて思わせてしまっては本当にもったいないことです。学校や習い事に遅刻するような心配をする必要などないのですから、お母さん自身も、精神的、時間的に余裕を持って過ごしてほしいと思います。そうすれば、子どもも自分の興味関心に従ってさまざまな経験ができるはずです。柔軟な視点を持てばキャンプをもっと楽しめるまた、せっかく自然のなかに出向くということを考えれば、自然ならではのハプニングも楽しんでほしい。たとえば、キャンプの日に雨が降ったとします。農業を営む人などは別としても、普段から雨を望んでいる人は少数派でしょう。ましてや、せっかく家族でキャンプに行くというときに、雨を望む人はほとんどいないはずです。でも、逆に考えれば、雨が降ったことは想定外のレアなことが起きたともいえます。それを「ラッキー」だととらえれば、晴れの日とは別の楽しみ方を見つけることもできるのです。たとえば、いつもなら傘を差すところですが、カッパを着て思い切り雨に濡れてしまいましょう。これは、雨が降らなければ絶対にできないことです。キャンプに行くとなると、たとえば暗がりで火をたこうとか、星を見せてあげようとか、子どもの思い出になるような特別なことをやってあげようと親は考えるものです。もちろん、着替えの準備などはしっかりしておく必要がありますが、わざと雨に濡れるということだって普段なら怒られるようなことですから、子どもたちにとってはそれこそスペシャルな体験になるはずなのです。そういう柔軟な視点を持って、キャンプを楽しんでほしいと思います。『社会問題を解決する自然学校の使命』佐藤初雄 著/みくに出版(2009)『13歳までにやっておくべき50の冒険』ピエルドメニコ・バッカラリオ、トンマーゾ・ペルチヴァーレ 著/佐藤初雄 監修/太郎次郎社エディタス(2016)■ NPO法人国際自然大学校理事長・佐藤初雄さん インタビュー一覧第1回:キャンプに「せっかくだから」は不要!子どもが自ら学ぶ、自然のなかでの“シンプルな”過ごし方第2回:「ギリギリまで待ち、見守る」がコツ。我が子の自然体験に親はいかに“介入する”べきか第3回:“日常的に”自然で遊ぶメリット。「感性で動く」幼少期に多くの自然体験をすべき理由第4回:【初心者向け】親子キャンプの楽しみ方。自然体験のプロが教える、親の2つの“NG行動”【プロフィール】佐藤初雄(さとう・はつお)1956年12月21日生まれ、東京都出身。NPO法人国際自然大学校理事長。他にNPO法人自然体験活動推進協議会代表理事、NPO法人神奈川シニア自然大学校理事長、公益社団法人日本キャンプ協会監事なども務める。1979年、日本体育大学社会体育学科を卒業し、財団法人農村文化協会栂池センター入所。1891年に同センターを退所し、1983年4月に国際自然大学校を設立。「次代を担う自立した青少年を育成するには自然体験活動が不可欠」として「教育・環境・健康・国際・地域振興」をキーワードに自然体験活動の提供を続ける、国内における野外活動指導の第一人者。著書に『図解 サバイバル百科』(成美堂出版)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月15日わたしたち大人が自然に求めるものというと、「雄大な景色を見ることができる」「日頃のせわしない日常から離れる」といったことによる「癒やし」の側面が強いかもしれません。でも、「自然体験によって子どもたちにもたらされるものは、それよりもずっと幅広いものです」というのは、さまざまな自然体験プログラムを提供しているNPO法人国際自然大学校の佐藤初雄理事長。国内における野外活動指導の第一人者が語る、「自然体験が子どもにもたらすもの」とは、どんなものでしょうか。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)体ばかりが大きくなって身体能力は低下傾向にある子ども最近の子どもたちを見ていると、かつてと比べて体格は良くなっているのに、敏捷性やバランス感覚といった能力は徐々に下がってきているように感じます。その要因としては、やはり外で遊ぶ機会に恵まれていないことが考えられるでしょう。禁止事項だらけのいまの公園はキャッチボールすら禁止されていることが多く、「危険だから」と遊具も減る一方。それでは、子どもが満足に遊べるわけもありません。もちろん、サッカーや野球などスポーツチームに所属して熱心に練習している子どもたちもいます。でも、そういう子どもであっても、普段からやっているのは、そのスポーツに必要な体の動かし方だけです。なにかにぶら下がったり飛び跳ねたりと、自由な遊びのなかで幅広い運動をすることに比べれば、トータルの身体能力強化という点では開きがあるように感じます。むかしの子どもたちは娯楽に恵まれていない一方、自然のなかで比較的自由に遊べました。大人になってから木登りに挑戦してみればわかると思いますが、ただ木を登るにも思った以上に腕力を使うものですし、もちろん木から落ちないためのバランス感覚も必要になる。そういった遊びのなかで、むかしの子どもは自然と身体能力を伸ばしていたのです。いまの子どももむかしの子どもも本質は変わらないそういう遊びを子どもたちが日常的にできることがベストですが、とくに都市部では難しくなっているというのが実情です。だとしたら、長期休暇などを利用するかたちででも、わたしたちが提供している自然体験プログラムなどに参加することにも大いに意味があると思うのです。体力をつけるためとトレーニングをさせても、ほとんどの子どもはよろこばないでしょう。一方、自然のなかでの遊びというかたちなら、楽しみながら体を鍛えることができる。バランス感覚を鍛えるためにと平均台を渡るより、川にかけた丸太を渡ることのほうが、緊張感もあってよりゲーム感覚でできますよね。いまの子どもたちは、ただ単に遊ぶ機会に恵まれていないだけです。自然のなかで遊べる環境のなかに入ってしまえば、むかしの子どもとなんら変わりありません。それこそ、自然のなかで遊びはじめた途端に、かつてのガキ大将のようにいい意味でやんちゃな一面を見せてくれる子どももいます。子どもを自然のなかで自由に遊ばせることが難しくなっている時代ではありますが、少しでもそういう機会を子どもに与えてあげることを親御さんは考えるべきではないでしょうか。なるべく小さいうちから自然体験をさせる意味子どもが自然体験をすることは、身体能力を伸ばすということだけではなく、「心」にも大きく影響を与えます。わたしたちが提供している自然体験プログラムのなかには10km、30kmという長距離を仲間たちと歩く「チャレンジハイク」というものもあります。30kmのほうは小学3年から小学6年の子どもが対象です。高学年ならともかく、中学年の子どもにとっては30kmという距離はかなり長く感じるものでしょう。でも、それを「やり切った」という経験があれば、その後の人生で出会う困難にもへこたれずに立ち向かうことができるにちがいありません。あるいは、「チャレンジハイク」も含めて仲間たちと助け合いながら行うプログラムがほとんどですから、コミュニケーション能力も伸びることになります。誰かが困っていたら声をかけたり助けてあげたりする。あるいは、自分が困っているときにひとりで抱え込まずに素直に助けを求める。そういったことは、それこそ大人になって社会に出たときに必要な力であるはずです。そして、子どもにはなるべく小さいうちからそういう体験をさせてあげてほしいのです。自然体験への注目度が増していることもあるのか、いまでは社員研修にも自然体験を取り入れている企業も多くなりました。でも、極端な例かもしれませんが、もしその社員研修がはじめての自然体験だという人がいたとしたら……、残念ながら「時すでに遅し」といわざるを得ません。大人になれば、人間は自然と「頭で考える」ことを優先してしまうものです。「やる、やらない」「やれる、やれない」といったこと、「その行動をすることの意味」といったことも考えてしまうでしょう。それでは、純粋な意味での体験をすることはできません。そうではなく、頭で考える前に「感性で動く」子どものうちに、なるべく多くの体験をさせてあげてほしいのです。そして、できれば親も一緒になって体験をしてください。いくら子ども時代に自然のなかで遊んだ経験がある親であっても、成長するうちに少なからず「頭で考える」大人になっています。学びの真っ最中にある子どもに共感するためにも、親自身もあらためて自然体験をしてほしいと思うのです。『社会問題を解決する自然学校の使命』佐藤初雄 著/みくに出版(2009)『13歳までにやっておくべき50の冒険』ピエルドメニコ・バッカラリオ、トンマーゾ・ペルチヴァーレ 著/佐藤初雄 監修/太郎次郎社エディタス(2016)■ NPO法人国際自然大学校理事長・佐藤初雄さん インタビュー一覧第1回:キャンプに「せっかくだから」は不要!子どもが自ら学ぶ、自然のなかでの“シンプルな”過ごし方第2回:「ギリギリまで待ち、見守る」がコツ。我が子の自然体験に親はいかに“介入する”べきか第3回:“日常的に”自然で遊ぶメリット。「感性で動く」幼少期に多くの自然体験をすべき理由第4回:【初心者向け】親子キャンプの楽しみ方。自然体験のプロが教える、親の2つの“NG行動”(※近日公開)【プロフィール】佐藤初雄(さとう・はつお)1956年12月21日生まれ、東京都出身。NPO法人国際自然大学校理事長。他にNPO法人自然体験活動推進協議会代表理事、NPO法人神奈川シニア自然大学校理事長、公益社団法人日本キャンプ協会監事なども務める。1979年、日本体育大学社会体育学科を卒業し、財団法人農村文化協会栂池センター入所。1891年に同センターを退所し、1983年4月に国際自然大学校を設立。「次代を担う自立した青少年を育成するには自然体験活動が不可欠」として「教育・環境・健康・国際・地域振興」をキーワードに自然体験活動の提供を続ける、国内における野外活動指導の第一人者。著書に『図解 サバイバル百科』(成美堂出版)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月14日近年のアウトドアブームもあってか、教育の場でも「自然体験」の注目度が増しています。子どもが自然体験をすることにはそもそもどういう効果があるのでしょうか?お話を聞いたのは、さまざまな自然体験プログラムを提供しているNPO法人国際自然大学校の佐藤初雄理事長。国内における野外活動指導の第一人者は、「子どもの学びの内容を気にするまえに、親が『介入する・しない』のバランス感覚を持つことが大切」と語ります。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)自然体験の減少とともに減った「子ども社会」での学び家庭教育において「自然体験」が重視されるようになったことの背景には、あたりまえのことかもしれませんが、子どもたちが自然を体験する機会が減ってきたことが挙げられるでしょう。わたしが子どもの頃には、東京であっても川で魚釣りをしたり木に登ったりと、自然のなかで遊ぶ機会がたくさんありました。でも、いまは都市化が進み、自然そのものが減っています。加えて、いまの子どもたちは学校での勉強だけでなく、学習塾やさまざまな習い事に追われ、遊ぶ時間自体が減っています。また、公園でも禁止事項が増えたうえに、ゲーム機が登場したこともあって、遊ぶにももっぱら室内でということになってしまいました。するとどういうことが起きるかというと、子どもが「子ども社会」のなかで学ぶという機会が減ってしまうのです。かつての子どもたちは、子どもだけの社会で過ごす時間がたくさんあり、そのなかでいいことも悪いことも含めて多くのことを学んでいました。もちろん、当時の子どもたちには「学んでいる」という意識などなかったでしょう。でも、年齢も性格も異なる子どもたちのなかで過ごせば、そこで得たさまざまな経験が、じつは社会に出たときに大いに役立つということがあるはずなのです。わたしたちが提供しているキャンプやスキーなどのプログラムは、最長でも10泊という限られた期間のものです。それでも、かつての子ども社会で得られたような経験を凝縮して味わえるものにしたいと考えていますし、わたしたちの事業に対して一定の支持層があるということは、その考えがある程度は実現できていると自負しています。自然のなかで得る学びは子どもによってちがっていい先にお伝えした「子ども社会」で過ごすことも含め、自然体験は子どもに多くのものをもたらしてくれます。学校での勉強となると、どんな教科にも「理解すべきこと」というものがあります。でも、自然体験においては「理解すべきこと」といった決まった目標はありません。川遊びをするにも、自然そのものをただ感じる子どももいれば、遊びを通じて他人とのかかわり方を学ぶ子どももいます。岩の上から川に飛び込むような場面では、自分自身の勇気や逆に臆病さを知るということもあるでしょう。自然体験には子どもそれぞれに多様な学び、気づきがあるのです。ただ、わたしたちとしては、こちらが期待する学びを少しでも多くの子どもが感じられるようなプログラムづくりを心がけています。たとえば、カレーをつくるというプログラムなら、「普段、ご飯をつくってくれている親の苦労の理解や親への感謝」といったものを子どもに感じてほしいという具合です。ほかにも、プログラムの内容によって、「生きる力」「チームワーク」といったさまざまなテーマを設けています。ですが、もちろんその狙いどおりにはなりません。10人の子どもがいたら、こちらの狙いどおりのことを感じてくれる、学んでくれる子どもは6人くらいでしょうか。でも、残りの4人の子どもも、なにも学ばないというわけではありません。先にお伝えしたとおり、子どもの学びはそれぞれなのですから、たとえば新しい友だちができたことによろこびを感じるだけでもいいのです。親が持つべきは「介入する・しない」のバランス感覚ほかにわたしたちが強く意識している点としては、「安全」が挙げられます。小さい子どもなら、川遊びも包丁を使うのもすべてが初体験ということがほとんどです。まずはなにが危険なのかということを教えてあげなければなりません。そのうえで体験をさせる。多少の危険が伴うことではありますが、その体験の機会を奪いすぎてしまうことはよくありません。親というのは、子どものことを心配するものです。それこそ包丁を使わせるような場面なら、つい「危ないから」といって親がやってしまうということがよくあります。でも、本当に子どものことを思えば、止めたくなる気持ちをぐっと抑えて子どもに体験させてあげなければならないのです。もちろん、本当に危ないというときにはわたしたち指導員や親が介入するべきですが、ギリギリのところまで待つ、見守るという姿勢が大切です。それから、子どもが自然のなかで遊ぶ経験自体が減っていることを考えれば、なにが危険なのかということのほかに、遊び方そのものも教えてあげてもいいかもしれません。本来なら子どもが遊びたいように遊ばせてあげることが重要ではありますが、川に子どもを連れて行って、「さあ、遊びなさい」といきなりいったところで、どう遊んでいいのかわからない子どももいるからです。ただ、遊び方を教えてあげたあとは、やはり見守ることが大切でしょうね。すべてを大人が指示するのではなく、見本を見せたら子どもの好きにさせる。そういうバランス感覚を親御さんにも身につけてほしいですね。『社会問題を解決する自然学校の使命』佐藤初雄 著/みくに出版(2009)『13歳までにやっておくべき50の冒険』ピエルドメニコ・バッカラリオ、トンマーゾ・ペルチヴァーレ 著/佐藤初雄 監修/太郎次郎社エディタス(2016)■ NPO法人国際自然大学校理事長・佐藤初雄さん インタビュー一覧第1回:キャンプに「せっかくだから」は不要!子どもが自ら学ぶ、自然のなかでの“シンプルな”過ごし方第2回:「ギリギリまで待ち、見守る」がコツ。我が子の自然体験に親はいかに“介入する”べきか第3回:“日常的に”自然で遊ぶメリット。「感性で動く」幼少期に多くの自然体験をすべき理由(※近日公開)第4回:【初心者向け】親子キャンプの楽しみ方。自然体験のプロが教える、親の2つの“NG行動”(※近日公開)【プロフィール】佐藤初雄(さとう・はつお)1956年12月21日生まれ、東京都出身。NPO法人国際自然大学校理事長。他にNPO法人自然体験活動推進協議会代表理事、NPO法人神奈川シニア自然大学校理事長、公益社団法人日本キャンプ協会監事なども務める。1979年、日本体育大学社会体育学科を卒業し、財団法人農村文化協会栂池センター入所。1891年に同センターを退所し、1983年4月に国際自然大学校を設立。「次代を担う自立した青少年を育成するには自然体験活動が不可欠」として「教育・環境・健康・国際・地域振興」をキーワードに自然体験活動の提供を続ける、国内における野外活動指導の第一人者。著書に『図解 サバイバル百科』(成美堂出版)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月13日夏休みのような長期休暇に入ると、キャンプなどで子どもに自然体験をさせてあげたいと考える親は多いものです。ただ、都市部で生まれ育って自然体験が少ない親の場合、不安もあることでしょう。そんな親でも気軽に子どもを参加させられる、さまざまな自然体験プログラムを提供しているのが、NPO法人国際自然大学校。国内における野外活動指導の第一人者である佐藤初雄理事長に、同法人の設立経緯、活動内容などについてお話を聞きました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)ボランティアではなくスペシャリストとして野外活動体験を提供わたしが国際自然大学校を設立したのは1983年。以来、子どもたちを中心に、自然のなかでの体験の楽しさや大切さを伝え続けてきています。設立のきっかけのひとつとなったのは、大学時代に出会った「野外教育概論」という授業でした。これは、野外活動を通じて自立心や協調性やコミュニケーション能力といったさまざまな力を育てる教育手法を学ぶ内容です。同じクラスになったのが、のちに一緒に国際自然大学校を設立することになる友人でした。彼とともに「将来は野外活動を通じた教育のプロを目指したいね」と夢を語り、学生時代にまずは野外教育活動研究会というサークルをつくりました。もちろん、当時の日本にもボーイスカウトやYMCAなど子どもたちに野外活動を提供する団体はありましたが、それらはあくまでもボランティア。わたしたちは、スペシャリストとして安定して野外活動体験を提供するために事業化したいと考えたわけです。学生時代はそれこそ年がら年中アウトドアにいるような生活でした。そうして、ふつうに学校の教員になることよりも、野外での教育の可能性に魅せられていったのです。卒業旅行代わりに行ったのは、1941年にイギリスで発足した「アウトワード・バウンド・スクール(OBS)」という冒険学校。参加者が自然を舞台にしたチャレンジングな冒険活動に取り組み、そこから自己に秘められた可能性や他人を思いやる気持ちなどの豊かな人間性を育むことを目的に活動している学校です。いまでは世界中に系列校が広がっており、1989年には日本校もできています。そして、大学卒業後に入所したのは、財団法人農村文化協会栂池センターというところでした。そこで常設の冒険学校をつくるという話だったのですが、残念ながら年に1回くらいのコースしか開かれなかった。そこで、「だったら、自ら開こう」と決意したのです。そうして、1982年に今度はアメリカのコロラドにあるOBSに入学しました。約3カ月半のインストラクター養成コースを終えたあと、同じOBSでインストラクターのアシスタントを2カ月間務めて帰国し、ようやく国際自然大学校の設立にこぎつけたのです。活動の柱は「キャンプ」「スキー」「通年型自然体験プログラム」国際自然大学校の設立からすでに30年以上となりますが、その活動の柱は変わっていません。まずは「夏のキャンプ」と「冬のスキー」。これは、主に夏休みや冬休みなど長期休暇の時期に提供している、わかりやすくいえば体験つきのパッケージ旅行です。対象も年中さんから中学生まで幅広く、期間も日帰りのものもあれば最長で10泊といったものもありますし、場所もさまざまなところで開催しています。それから、もうひとつの柱といえるのが「子ども体験教室」というもの。こちらは、先のキャンプやスキーとは対照的に、通年型の自然体験プログラムです。年中さんから中学生まで年齢ごとに4つのコースを設け、毎回異なるプログラムをだいたい月に1回のペースで週末に行なっています。たとえば、小学1年、2年を対象にしたビギナーコースにおけるテーマは「できる力UP!」。それをベースに、川遊びやアウトドアクッキング、地図を持っての探検、10kmのチャレンジハイクといったプログラムを用意しています。「活動」より「体験」に重きが置かれるように変化そういったわたしたちの活動を通じても感じるのは、教育という観点から「野外活動」「自然体験」への注目度が増しているということです。ですが、教育において野外活動という言葉は決して新しいものではありません。心身の健全な育成のためには野外活動が重要だとして、1961年に施行されたスポーツ振興法のなかですでに「野外活動」という言葉が使われているのです。ただ、近年になると「野外活動」という表現は「自然体験」というふうに変わってきました。2000年代に入って学校教育法が改正された際に、子どもたちに生活体験や自然体験などの体験活動の機会を豊かにすることは極めて重要な課題だとして、「自然体験」という言葉が登場するようになったのです。このように、「野外活動」から「自然体験」というふうに表現が変わってきたことを思えば、近年は「体験」ということにより重きを置く方向にシフトしていきているのかもしれませんね。「活動」というと、積極的になにかをしなければならないと感じてしまいます。ただ、わたしたちが用意しているプログラムに参加することとは対照的にもなりますが、自然のなかに入れば、あれもこれもやろうとする必要はないという側面があるのも事実なのです。それこそ、家族で行くキャンプだったら、ただテントを張ってご飯を食べるといったことでもいいし、その近くを散策する程度でも十分です。「子どものために」と考える親は「せっかくだから」といろいろやろうと欲張ってしまいがちですが、子どもたちが過ごしたいように過ごさせてあげれば、自然のなかで子どもたちはそれぞれに多くの学びを得るものなのです。『社会問題を解決する自然学校の使命』佐藤初雄 著/みくに出版(2009)『13歳までにやっておくべき50の冒険』ピエルドメニコ・バッカラリオ、トンマーゾ・ペルチヴァーレ 著/佐藤初雄 監修/太郎次郎社エディタス(2016)■ NPO法人国際自然大学校理事長・佐藤初雄さん インタビュー一覧第1回:キャンプに「せっかくだから」は不要!子どもが自ら学ぶ、自然のなかでの“シンプルな”過ごし方第2回:「ギリギリまで待ち、見守る」がコツ。我が子の自然体験に親はいかに“介入する”べきか(※近日公開)第3回:“日常的に”自然で遊ぶメリット。「感性で動く」幼少期に多くの自然体験をすべき理由(※近日公開)第4回:【初心者向け】親子キャンプの楽しみ方。自然体験のプロが教える、親の2つの“NG行動”(※近日公開)【プロフィール】佐藤初雄(さとう・はつお)1956年12月21日生まれ、東京都出身。NPO法人国際自然大学校理事長。他にNPO法人自然体験活動推進協議会代表理事、NPO法人神奈川シニア自然大学校理事長、公益社団法人日本キャンプ協会監事なども務める。1979年、日本体育大学社会体育学科を卒業し、財団法人農村文化協会栂池センター入所。1891年に同センターを退所し、1983年4月に国際自然大学校を設立。「次代を担う自立した青少年を育成するには自然体験活動が不可欠」として「教育・環境・健康・国際・地域振興」をキーワードに自然体験活動の提供を続ける、国内における野外活動指導の第一人者。著書に『図解 サバイバル百科』(成美堂出版)がある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年08月12日ひとことで自然体験といっても、その種類はさまざま。1年を通じてできるものもあれば、季節によって特徴的な自然体験もあります。後者について、「プロの自然解説者」であるプロ・ナチュラリストの佐々木洋さんは、「ものごとを大きくとらえる視点を育ててくれる」と語ります。そこで、佐々木さんがおすすめする季節ごとの自然体験を教えてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)カブトムシが採り放題の「スーパーバナナトラップ」四季の移ろいがはっきりしている日本でなら、ぜひ、季節ごとに特徴的な自然体験をしてもらいたいですね。自然観察というと、ひとつの花や虫を観察するということをイメージしがちです。でも、自然には季節による変化というものもある。双方を感じるということは、ミクロの視点に加えて、ものごとを大きくとらえるマクロの視点を育てることにもつながるはずです。そこで、季節ごとにわたしがおすすめする自然体験をお伝えします。春におすすめするのは、わたしが「春のパレット」と呼んでいる遊びです。紙をパレットに見立てて、花や草などをこすりつけて色をつけていくのです。タンポポなら黄色、ヨモギなら緑という具合です。ヨモギは渋くていい緑色を出してくれますよ。茶色なら土でOK。スペシャルなのがカラスノエンドウの花です。花自体は赤みが強いのですが、これを紙にこすりつけるとなんと濃い紫になる。わたしは、「魔法の絵の具」と呼んでいます。もちろん、これは季節を問わずにできるものです。でも、花を咲かせる草木が多くて、植物が元気でみずみずしい春にやるのがやっぱりおすすめですね。ただ、花壇や畑など、草木を自由に摘んではいけないところではNGですから、そこは注意してください。それから、夏はやっぱり「カブトムシ採り」でしょう。ここで、わたしが長年かけて開発した「スーパーバナナトラップ」をお教えしましょう。これは、とにかくカブトムシやクワガタをめちゃくちゃ集められるという黄金比率の餌です。バナナを使ったただの「バナナトラップ」なら知っている人もいるかもしれませんが、わたしのスーパーバナナトラップはその改良版です。まず、女性が使うストッキングに皮をむいたバナナを入れます。シュガースポットと呼ばれる斑点がたくさん出た完熟のものがベストです。それを木に引っ掛けて石などでバナナをつぶします。ここまでが普通のバナナトラップですが、ここでわたしはふたつの隠し味を使います。ひとつは泡盛など度数の高いお酒。ちょっともったいないですが、つぶしたバナナにドボドボとたくさんかけましょう。それから、黒酢を大さじ1杯ほど加えます。そうすると、カブトムシやクワガタが餌とする樹液とほとんど同じ匂いが出るようになる。これでもうカブトムシやクワガタが採り放題です。自然の圧倒的な美しさを味わう「落ち葉並べ」秋におすすめするのは「落ち葉並べ」です。まずは幼稚園や小学校のグラウンド、近所の公園などで落ち葉を集めます。落ち葉といっても、色はさまざま。緑色のままで落ちてしまった葉に、種類のちがいによって黄色や赤に変わった葉。それから、完全に枯れて茶色になった葉。それらを10枚ずつくらい集めて色ごとに並べるのです。できれば、黒い模造紙の上に並べるのがいいですね。そうすると、大人でも思わず「うわーっ!」と声を漏らすほど見事なグラデーションを落ち葉が見せてくれます。もちろん、黄色いイチョウや赤いカエデなど植物の種類や、虫に食われた跡などについての会話で子どもとのコミュニケーションを膨らませることもできます。また、本当に美しい「インスタ映え」する写真が撮れますから、SNSをやっている親御さんにもおすすめですね(笑)。冬には「その木になろう」というゲームをやってみてください。これは「その気になろう」という意味も含んだゲームです。芝生広場の周囲にたくさんの木が生えているような広い公園に行ってみましょう。すると、冬ですから葉が落ちて、木の幹や枝のかたちがよくわかるようになっているはずです。その木になったつもりで真似をして、「どの木でしょう?」と親子であて合うのです。けっこう体を動かしますから、体が温かくなるという点でも冬におすすめです。「定点撮影」で自然記録と子どもの成長記録をする先に、季節の移ろいを感じさせることで子どものマクロの視点を育てられるとお伝えしました。その狙いという点でおすすめできることも最後にお伝えしておきましょう。それは、「定点撮影」です。たとえば、ある公園に行ったときには必ず同じ木の前で親子の写真を撮るようにするのです。季節の移ろいがわからなければなりませんから、常緑樹では駄目ですよ。おすすめはやっぱり桜。1年を通じて見た目が劇的に変化しますからね。それを2年でも3年でも続けてみてください。春には桜が花を咲かせるといった変化の他、親子それぞれの服装も変化していく。また、子どもがちょっとずつ大きくなっていくということもわかるでしょう。自然記録と同時に子どもの成長記録をするというわけです。小さいうちは、子どもはその記録の貴重さには気づかないかもしれません。でも、そうしてたくさんの愛情を注がれ、自分が成長していくことを親が心からよろこんでくれたという経験は、その子どもが大人になって子どもを持つようになったときに、きっと親への感謝の気持ちにつながるのではないでしょうか。『ナンコレ生物図鑑 あなたの隣にきっといる』佐々木洋 著/旬報社(2015)■ プロ・ナチュラリスト 佐々木洋さん インタビュー一覧第1回:「自然だし、仕方ない」現代の恵まれた子どもたちが“自然体験”から学ぶ重要なこと第2回:「虫が怖い」はこうして克服。ダンゴムシすら触れない子に、親は何をすればいい?第3回:自然観察=現場検証!?生き物の“痕跡”探しから始まる、都会でもできる自然体験第4回:カブトムシやクワガタが採り放題!夏休みに親子で作る“スーパーバナナトラップ”【プロフィール】佐々木洋(ささき・ひろし)1961年9月30日生まれ、東京都出身。プロ・ナチュラリスト。公益財団法人日本自然保護協会自然観察指導員、東京都鳥獣保護員などさまざまな立ち場で自然解説活動をしたあと、「プロ・ナチュラリスト 佐々木洋事務所」を設立。「自然の面白さや大切さを多くの人とわかち合い、そのことを通じて自然を守っていきたい」という思いのもとに、25年以上にわたって、自然観察指導、自然に関する執筆・写真撮影、講演、テレビ・ラジオ番組の出演・企画・監修、エコロジーツアーの企画・ガイド等の活動をおこなう。著書に『ぼくはプロ・ナチュラリスト 「自然へのとびら」をひらく仕事』(旬報社)、『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ! 会える! 虫図鑑』(宝島社)、『「調べ学習」に役立つ水辺の生きもの』(実業之日本社)、『よるの えんてい』(講談社)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年07月16日子どもに自然体験をさせてあげたいと考えても、実際に現地でなにをすればいいかわからないという人も多いはずです。そんな悩みに対するアドバイスをお願いしたのは、「プロの自然解説者」であるプロ・ナチュラリストの佐々木洋さん。生きものの「生活痕」である「フィールドサイン」を探す遊びを教えてくれました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)想像することは科学に対する好奇心の芽生え「フィールドサイン」とは、生きものが残した足跡や食べ跡のことです。そこに生きものがいた、あるいはいる、という自然界の「証拠物件」ですね。子どもたちを連れてフィールドサインを探す場合、わたしはよく「ネイチャーポリス」という名前をつけて遊びます。自然界の刑事や探偵になったつもりで、証拠物件を検証し、「どんな生きものが残した証拠だろう?」と推理をするのです。この推理をする――つまり、想像をするということがとても大切。それは、子どもたちの科学に対する好奇心のいちばん最初の小さな芽といっていいでしょう。ただ、フィールドサインを探したから子どもたちがなにかを得られるというわけでもありません。自然に対しては親しむこと自体に意味があり、さまざまな「効能」があります(インタビュー第1回参照)。フィールドサインを探すことは、自然と親しむ方法のひとつだと考えてください。とはいえ、フィールドサイン探しには、ある長所があります。それはなにかといえば、見つけやすいということ。生きもの自体を見つけることはそんなに簡単なことではありません。でも、都心部であっても生きものはたくさんいますから、生きものがいる以上、フィールドサインはどんどんできる。だから見つけやすいのです。そして、親子でフィールドサインを見つけたら、「どんな生きものがいたのかな?」と想像しながら会話も膨らみます。親子間の会話のキャッチボールを増やす意味でも、フィールドサインは有効なものだと思います。探偵になって自然観察を現場検証にたとえるそのキャッチボールをさらに面白くするには、先ほどお伝えしたように、親が刑事や探偵になり切ってみることです。絵本の読み聞かせが得意な親なら、きっとうまくできるのではないでしょうか。たとえば、ハトがタカに襲われた場所を見つけたとします。まわりにはハトの羽が散らばっている。それを見ながら、こんなふうにいってみるのです。「刑事、君はこれをなんだと思う?」「被害者はハトのようだね」「犯人は誰だろう?」「おそらく犯行動機は空腹じゃないかな」「これを撮影して鑑識に回しておいてくれ」といった具合です(笑)。自然観察を現場検証にするというわけです。ハトが襲われた場所というと、子どもからするとちょっぴり怖く感じるかもしれません。でも、こうやって親が面白おかしく演じれば、きっと子どもも楽しくフィールドサインを観察することができるのではないでしょうか。めったに見られないモグラも「痕跡」は見つかるでは、地域にかかわらず見つけやすいフィールドサインをいくつかお教えします。【見つけやすいおすすめフィールドサイン】・モグラ塚・ミミズの糞・ナメクジ、カタツムリの食べ跡・セミの脱出口ひとつ目はモグラ塚。モグラがトンネルを拡張したり補修したりした際、地表に捨てた余分な土のことです。これをわたしは「モグラのチャーハン」と呼んでいます。というのも、形が皿に盛られたチャーハンにそっくりだからです。モグラというと、都会にはあまりいないと思っている人もいるかもしれません。でも、じつはどこにだっているのです。公園にも学校の校庭にもいます。それこそ、モグラそのものはめったに見ることができないでしょう。でも、「そこにいる」という痕跡は見つけられます。もし見つけたら、地表に出ている部分の土を除いてみてください。モグラのトンネルを見つけることができるはずです。ミミズの糞も公園や校庭などでも見つけやすいものです。小さな団子状になった土が盛り上がっていたら、それはミミズの糞。今度はチャーハンではなくて、担々麺のひき肉のようなイメージです。子どもに糞だと教えると、「臭い!」なんていうものです。でも、ミミズの糞は土でできていて、他の動物の糞のように未消化の有機物もほとんど含みませんから、嫌な臭いはありませんのでご安心ください(笑)。それから、ガードレールや道路標識の裏などでよく見つかるのがナメクジやカタツムリの食べ跡。もしかしたら、見たことがあってもそれがなにかを知らなかったという人もいるかもしれませんね。ナメクジやカタツムリはガードレールの裏などにあるカビなどを削って食べます。それがグネグネとした線状になって残されているのです。最後がセミの脱出口。地上に出る際、セミの幼虫が掘った穴ですね。羽化のために出る穴ですから、木がある場所に見られます。穴の大きさによって種類のちがいもなんとなくわかります。大人の小指くらいの太さの穴ならツクツクボウシやニイニイゼミなど小型のセミ、人差し指くらいならアブラゼミなど大型のセミの穴です。もしセミの脱出口を見つけたら、ぜひ子どもに指を入れさせて、ひんやりした感触を味わわせてあげてください。夏でも土のなかは涼しいということを体感できるはずです。これらは誰でも見つけやすいフィールドサインです。子どもが興味を示すようなら、親子で勉強をして、他のフィールドサインも探してみてほしいですね。『ナンコレ生物図鑑 あなたの隣にきっといる』佐々木洋 著/旬報社(2015)■ プロ・ナチュラリスト 佐々木洋さん インタビュー一覧第1回:「自然だし、仕方ない」現代の恵まれた子どもたちが“自然体験”から学ぶ重要なこと第2回:「虫が怖い」はこうして克服。ダンゴムシすら触れない子に、親は何をすればいい?第3回:自然観察=現場検証!?生き物の“痕跡”探しから始まる、都会でもできる自然体験第4回:カブトムシやクワガタが採り放題!夏休みに親子で作る“スーパーバナナトラップ”(※近日公開)【プロフィール】佐々木洋(ささき・ひろし)1961年9月30日生まれ、東京都出身。プロ・ナチュラリスト。公益財団法人日本自然保護協会自然観察指導員、東京都鳥獣保護員などさまざまな立ち場で自然解説活動をしたあと、「プロ・ナチュラリスト 佐々木洋事務所」を設立。「自然の面白さや大切さを多くの人とわかち合い、そのことを通じて自然を守っていきたい」という思いのもとに、25年以上にわたって、自然観察指導、自然に関する執筆・写真撮影、講演、テレビ・ラジオ番組の出演・企画・監修、エコロジーツアーの企画・ガイド等の活動をおこなう。著書に『ぼくはプロ・ナチュラリスト 「自然へのとびら」をひらく仕事』(旬報社)、『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ! 会える! 虫図鑑』(宝島社)、『「調べ学習」に役立つ水辺の生きもの』(実業之日本社)、『よるの えんてい』(講談社)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年07月15日たまの休みくらいは、思いっ切り子どもを自然のなかで遊ばせてあげたい――。都市化が進み、誰もが多忙な時代だからこそ、そう考える親も少なくないでしょう。でも、親子ともに自然に触れる機会が減っているいま、親は子どもにどのように自然体験をさせてあげればいいのでしょうか。「プロの自然解説者」である、プロ・ナチュラリストの佐々木洋さんにお話を聞きました。アドバイスに先立って語ってくれたのは、子どもたちとの自然体験活動を通じて佐々木さんが感動したというエピソードです。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)いまもむかしも子どもたちの本質は変わらないわたしがおこなう子ども向けの活動は本当に多岐にわたっていて、それこそ虫ばかりを追いかけるようなこともあれば、ただのんびりと山を歩くということもあります。過去25年以上にわたっておこなってきた活動のなかでとくに印象に残っているエピソードをお伝えしましょう。その日、出掛けたのは干潟で、「泥んこ体験」をさせることが目的でした。幼い頃に干潟や田んぼで遊んだことがあれば、足の指と指の間を柔らかい泥が抜ける独特の感触を思い出すという人もいるでしょう。なんともいえない気持ち良さがありますよね。地方であれば、いまも干潟や田んぼで泥まみれになって遊んでいるという子どももいますが、都心部だとそうはいきません。連れて行った子どもたちは幼稚園の年長さんたちで、ひとりも干潟で遊んだ経験はありませんでした。当然、子どもたちはおっかなびっくりです。しかも、「汚れるとお母さんに怒られる」なんて思っている子どももいて、なかなか泥んこになりません(笑)。ところが、ある男の子が転んで泥だらけになっちゃった。すると、その瞬間、子どもたちが一斉に「わーッ!」と叫んで泥まみれになって遊びはじめたのです。わたしは、その光景を見ていて子どもたちにかけられた「現代の呪文」が解けた瞬間だと思いました。いまもむかしも子どもたちの本質は変わりません。ただ、いまの子どもたちは自然に触れる機会が激減しているというだけなのです。「ついに子どもたちの『本能』に火がついた」と、感動したことを強く覚えていますね。擬人化して虫への恐怖心を取り除く子どもたちが自然に触れる機会が減っていることを思えば、子どもを自然に親しませるには親などまわりの大人が工夫してあげることも必要かもしれません。虫が苦手だという子どもも多いものです。虫の怖さは人によってさまざまでしょうけど、ひとつは「自分でコントロールできない」ということが考えられます。自分で飼っている犬などのペットなら、その行動もある程度コントロールできますし、行動の予測もできるでしょう。でも、触った経験のない虫の場合はどんな動きをするのかがわかりません。だから怖いのです。だとしたら、それこそペットのように思わせてあげればいいのです。自然体験が少ない子どもなら、おとなしくて危険でもないダンゴムシでも触れないという子どももいます。そういう子どもにはダンゴムシに親近感を持たせてあげましょう。何匹かのダンゴムシがいたら、「どのダンゴムシが好き?」と聞いてみる。ダンゴムシを怖がる子どもなら、「いちばんちっちゃいダンゴムシ」なんて答えるかもしれません。そうしたら、「お父さんはこの大きくて格好いいヤツがいいな」「大きさがちがうから、もしかしたら親子かな?」なんて話してみる。いわば、擬人化するというわけです。そうすると、子どもは自分が選んだダンゴムシに親近感を持ちはじめます。他の虫には触れなくても、「『僕の、わたしのダンゴムシ』なら大丈夫」というふうに虫への意識が変わっていくのです。そうすれば、徐々に他の虫に対しての恐怖心も和らいでいくはずです。「子どもと一緒に体験する」という意識また、以前と比べて自然体験が減っているのは、大人も変わらないかもしれません。そういう親が子どもに自然体験をさせようとすると、つい「もっと勉強してから」と思ってしまいがちです。とくに教育熱心な親の場合、全部勉強してから教えようと考える真面目な人が多いのです。でも、そんなことをしているうちに子どもはどんどん成長してすぐに親と一緒に外で遊ぶような年齢ではなくなってしまいます。大切なことは「子どもと一緒に体験する」という意識です。公園で子どもに「この花、なに?」と聞かれて、その場で答えられなくてもなんの問題もありません。「なんだろうね?」「うちの近くにもあるかな?」なんて答えて、帰宅してから子どもと一緒に調べればいいのです。子どもとは、親が上から下に向かって教え諭すだけの対象ではありません。親もわからなくて知らないことであれば、子どもと同じ目線に立って一緒にワクワクドキドキしながら学んでみてはどうでしょうか。また、「同じ目線」という意味でいえば、実際の目線の高さを親子で交換することもおすすめします。親子で散歩をしているとき、子どもは目ざとく虫や花を発見しますよね。もちろん、目がいいということもあるのですが、それは子どもの目線が物理的に低いからです。地面に近いのですから小さな花にも気がつきますし、草木の葉の裏に隠れている虫も見つけられるというわけです。そこで、親が実際に子どもと同じ高さで周囲の自然を見てみる。逆に、子どもを抱っこしてあげて大人の目線から見える風景を味わわせてあげる。きっと、親子ともに新たな発見や感動があるはずですよ。『ナンコレ生物図鑑 あなたの隣にきっといる』佐々木洋 著/旬報社(2015)■ プロ・ナチュラリスト 佐々木洋さん インタビュー一覧第1回:「自然だし、仕方ない」現代の恵まれた子どもたちが“自然体験”から学ぶ重要なこと第2回:「虫が怖い」はこうして克服。ダンゴムシすら触れない子に、親は何をすればいい?第3回:自然観察=現場検証!?生き物の“痕跡”探しから始まる、都会でもできる自然体験(※近日公開)第4回:カブトムシやクワガタが採り放題!夏休みに親子で作る“スーパーバナナトラップ”(※近日公開)【プロフィール】佐々木洋(ささき・ひろし)1961年9月30日生まれ、東京都出身。プロ・ナチュラリスト。公益財団法人日本自然保護協会自然観察指導員、東京都鳥獣保護員などさまざまな立ち場で自然解説活動をしたあと、「プロ・ナチュラリスト 佐々木洋事務所」を設立。「自然の面白さや大切さを多くの人とわかち合い、そのことを通じて自然を守っていきたい」という思いのもとに、25年以上にわたって、自然観察指導、自然に関する執筆・写真撮影、講演、テレビ・ラジオ番組の出演・企画・監修、エコロジーツアーの企画・ガイド等の活動をおこなう。著書に『ぼくはプロ・ナチュラリスト 「自然へのとびら」をひらく仕事』(旬報社)、『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ! 会える! 虫図鑑』(宝島社)、『「調べ学習」に役立つ水辺の生きもの』(実業之日本社)、『よるの えんてい』(講談社)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年07月14日共働き家庭が増え、親も子どもも忙しいいま、子どもが自然に触れる機会は以前と比べて減りつつあります。そもそも、幼いうちから自然に触れることは、子どもになにをもたらしてくれるのでしょうか。お話を聞いたのは、佐々木洋さん。職業は「プロ・ナチュラリスト」で、ご本人いわく「プロの自然解説者」です。まずは、プロ・ナチュラリストの仕事内容から語っていただきました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)老若男女を相手に自然の面白さを説く「自然解説者」わたしの仕事は「プロ・ナチュラリスト」です。耳にしたことがあるという人はあまり多くないかもしれません。というのも、これはわたしが商標登録をしているもので、一般的に広く知られた職業ではないですからね(笑)。仕事の内容をひとことでいえば、「プロの自然解説者」です。活動にはいくつかの柱があります。まずは幼稚園や保育所、小学校などで授業の一環として自然の大切さや面白さを話すというもの。それから、各地のホールなどでおこなう講演会や講習会。これらにはただ話をするだけではなく、実際に自然のなかで自然観察の指導をおこなうというものもあります。それから、書籍などの執筆活動に、テレビやラジオ番組の企画、出演です。講演会や講習会の対象は子どもたちということもあれば、子持ちかどうかにかかわらず大人の場合もあるし、外国人ということもある。場所、対象によって内容もさまざまですね。そもそもなぜわたしがこの仕事をはじめたかというと、単純に自然が好きだったということに尽きます。でも、学生時代の専門は英語音声学でした。学生の頃は英語を使った仕事をしようと考えていたのですが、自然の世界が懐かしくて戻ってきたという感じですね。わたしの出身は東京ですが、都内とはいえ河川敷がすぐそばにあって自然豊かな場所でした。その原風景がわたしをこの仕事に導いてくれたのです。「ありのままの自分でいい」と思わせてくれる自然の多様性いまの子どもたちは、かつてと比べて自然に触れる機会が圧倒的に減っていると感じています。とはいえ、自然の豊かさそのものは以前とほとんど変わっていません。都内であっても動物も虫もたくさんいて季節の草花も豊かに咲き誇るのに、それに触れる機会が減っているだけなのです。それが本当に残念でならない……。とくに幼児期から自然に触れることは子どもにたくさんのものを与えてくれます。それこそ、その「効能」には枚挙にいとまがありませんが、なかでもわたしが大切だと思っている3つの効能をお伝えします。第一に「多様性を知る」ということ。子どもは自分が好きなことであれば大人以上に熱心に知識を蓄えていきます。新幹線が好きな子どもであれば、どんな新幹線でもひと目見れば名前を答えることができるでしょう。でも、自然だとそうはいきません。どんなに虫が好きな子どもでも、幼稚園の園庭にやって来るすべての虫の名前をいうことはできないでしょう。わたしにも無理です。なぜかというと、それだけ多くの種類の生きものがいて、多様性に富んでいるのが自然というものだからです。しかも、もっといえば、それらのいろいろな生きものにはなにひとついらないというものもありません。人間からは嫌われることが多いカラスだって、自然界では食物連鎖の一部を担ってしっかり役に立っています。この意識は人間教育にもつながるものです。人はそれぞれすべてちがっていて、しかもちがっていていい。ありのままの自分を受け入れて力強く人生を歩むためには、幼い頃に自然を通じて多様性を知るべきなのです。思いどおりにならないなかで最大限の創意工夫と努力をするふたつ目の効能は、「究極の癒やしを与えてくれる」ということ。大人のみなさんだって、仕事や人間関係でストレスがたまれば、海を見たくなったり森のなかを散歩したくなったりすることもあるでしょう。これは子どもにもあてはまることです。子ども自身が大人のように意識しているかどうかは別として、自然のなかで受け取る癒やしが子どもの心をほぐして健やかに育ててくれるのです。3つ目は、「思いどおりにならないことがあると知る」こと。いまの子どもたちはかつてと比べて物質的には恵まれていますし、大人も以前ほど厳しく怒らなくなりました。ともすれば、そういう環境にある子どもは「なんでも思いどおりになる」と感じてしまいそうですが、自然だけはいまもむかしも変わらず思ったとおりにはなりません。どんなに丹精を込めて植物を育てても花を咲かせてくれないということもあります。「昨日、アゲハチョウを見た!」という友だちの話を聞いてその場所に行ってみても、今日は見つからないということもあるでしょう。そこで、子どもは子どもなりに「自然だし、仕方ない」と「あきらめる」ことを知ります。この「『あきらめる』ことを知る」ということが重要なのです。「あきらめる」というと、努力をやめるというイメージを持つかもしれませんが、そうではありません。努力や、それからお金などではどうにもならないということもあるのが世のなかです。自分がなんでも支配できるわけではないということです。仕事をしている大人でもそうですよね?人間関係などさまざまな要素が絡む仕事では、ひとりの人間が思いどおりにできることは限られています。でも、その制約のなかで最大限の創意工夫と努力をする。「どうすれば花を咲かせられるか」と考える。自然と触れるなかで得るその姿勢こそが、子どもを大きく成長させてくれるはずです。『ナンコレ生物図鑑 あなたの隣にきっといる』佐々木洋 著/旬報社(2015)■ プロ・ナチュラリスト 佐々木洋さん インタビュー一覧第1回:「自然だし、仕方ない」現代の恵まれた子どもたちが“自然体験”から学ぶ重要なこと第2回:「虫が怖い」はこうして克服。ダンゴムシすら触れない子に、親は何をすればいい?(※近日公開)第3回:自然観察=現場検証!?生き物の“痕跡”探しから始まる、都会でもできる自然体験(※近日公開)第4回:カブトムシやクワガタが採り放題!夏休みに親子で作る“スーパーバナナトラップ”(※近日公開)【プロフィール】佐々木洋(ささき・ひろし)1961年9月30日生まれ、東京都出身。プロ・ナチュラリスト。公益財団法人日本自然保護協会自然観察指導員、東京都鳥獣保護員などさまざまな立ち場で自然解説活動をしたあと、「プロ・ナチュラリスト 佐々木洋事務所」を設立。「自然の面白さや大切さを多くの人とわかち合い、そのことを通じて自然を守っていきたい」という思いのもとに、25年以上にわたって、自然観察指導、自然に関する執筆・写真撮影、講演、テレビ・ラジオ番組の出演・企画・監修、エコロジーツアーの企画・ガイド等の活動をおこなう。著書に『ぼくはプロ・ナチュラリスト 「自然へのとびら」をひらく仕事』(旬報社)、『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ! 会える! 虫図鑑』(宝島社)、『「調べ学習」に役立つ水辺の生きもの』(実業之日本社)、『よるの えんてい』(講談社)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年07月13日大人ならあたりまえのように使っている「数」。日常的に使うものだけに、子どもの頃にどのように理解したのかをほとんどの大人が覚えていません。算数が苦手な子どもにしないため、小学校に入る前に「せめて数だけでも教えておきたい」と考えても、その方法はなかなか思いつかないのではないでしょうか。そこで、『しまじろうのわお!』(テレビ東京)などの幼児教育番組や幼児向け教材の監修を行っている、静岡大学情報学部客員教授の沢井佳子先生に、数や時間の概念を子どもに教えるためのアドバイスをしてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)数を数えられても数を理解できない子ども子どもに数を教えようとして、お風呂の湯船につかるときに「最後に10まで数えたら上がっていいよ」といったことをしている親は多いのではないでしょうか。それで、きちんと順に1から10まで数えられるからといって、子どもが数を理解しているとはいえません。たとえば、10まで数えられる子どもに7つのドーナツを見せて、「ドーナツがいくつあるか、数えてごらん」といってみると、一つひとつのドーナツに対応しない指さしをしながら「1、2、3……10!」と10まで数えてしまうことはよく見られます。これは、10までは数を唱えることができるけど、「何個」という個数を表す数の意味はわかっていないからです。ひとことで数といっても、さまざまな概念が含まれます。7つのドーナツの個数が7だと示す数は「集合数」と呼ばれます。また、1番目、2番目というふうに順番を示す数は「順序数」といいます。他にも、住所の番地など、いわば「名前」のように使われる数もあります。このように、数の概念は、単純ではありませんから、数の意味を正確に学ぶのにはかなりの時間がかかるのです。また、順序数を理解できても、集合数は理解できないということもあります。7つのドーナツの順番はわかって「1、2、3……7」というふうに、7番目のドーナツでちゃんとストップして数えたのに、「じゃ、ドーナツは全部でいくつ?」と聞いてみると、「10!」とか「8!」などと答えるケースも珍しくありません。「全部」を「10」だと信じていたり、あるいは次の数だと思ったりしている子ども多いのです。お風呂の例のように、1から10まで数の名前を順番にいうというのは「数唱(すうしょう)」というものです。子どもが集合数や順序数を理解しないまま、ただ数を10までいえるよう鍛える教え方は、それは意味もわからずにお経を唱えさせることとなんら変わりません。ただ「長い言葉」を覚えただけなのです。10までの自然数を理解できれば足し算も引き算もできるこれまでわたしが監修をしてきた幼児向けの教材では、3歳は5までの集合数、4歳は10までの集合数を教えるようにしています。「少ないのではないか?」と思う人もいるかもしれませんね。でも、10までの順序数と集合数の「意味」さえ確実に理解できれば、足し算も引き算も、数のイメージを思い浮かべながらできるようになります。それは、自然数というものの構造を理解できたということだからです。10までの順序数と集合数を家庭で教えるにはブロックを使ってみてください。まずは紙に「1、2、3……10」と10番までの数字、つまり順序数を書きます。そして、それぞれの場所に順序数と同じ数のブロックを積み上げる。こちらは個数ですから集合数になります。すると、1個から10個までのブロックが階段状に並ぶことになります。1番目には1個、3番目には3個、というふうに、横方向の順序数と縦方向の集合数の関係は一目瞭然です。これは、数の階段のイメージであり、「nの数の次はn+1の数」という自然数の系列の姿を表します。このような「数の階段」を自分でつくれば、5番に並べられているブロックの数は3番に並べられているブロックより2個少ないということも見ればわかりますから、足し算や引き算についての理解を助けることにもなるのです。生活のルーチンの繰り返しと体感が導く時間と時計の理解また、「数の保存」という概念も子どもにとってはなかなか理解できないものです。5つのブロックは、間隔を空けて点々と並べても、ぎゅっと縮めて並べても同じ5個です。でも、子どもの場合、「どっちが多い?」と聞くと、あたりまえのように「こっち!」と前者を指すことがあります。個数とは関係なく、ものが置かれている面積が広いほど、個数も多いと感じてしまうのです。この「数の保存」を子どもが学ぶには、ブロックなどを使って何度も置き方を変えながら個数を数えて、どんな置き方をしても個数は変わらないという経験を、親が増やしてあげる必要があります。重要となるのは、ブロックなどの具体物を使って手で触れさせながら教えること。この手を動かす「実感」こそが、子どもの理解を助け、小学校に入った後には算数の文章題を読んだときのイメージを助けることにもなります。また、「実感」が必要ということでいえば、「時間概念」の理解にも実感が欠かせません。幼い子どもは「朝、昼、晩」「朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯」といった日々の生活習慣の繰り返しのなかで徐々に時間というものを感じていきます。そして、3、4歳になれば、季節の移り変わりを1年前、2年前と比べることもできるようになる。その記憶を伴った実感が時間概念を子どもに理解させるのです。そうして、時間の大きな流れを理解すると、今度は生活習慣が「時計」の理解を助けてくれます。同じ朝といっても、6時と7時ではちがいます。とはいえ、時計の存在を知らない子どもにとってはそのちがいはなかなかわからないでしょう。でも、毎日6時に起きる子どもが、その日はたまたま7時に起きてしまったなら、テレビでやっている番組もいつもとちがうことがわかります。こういった経験によって子どもは時計の存在、時計を読むことの重要性に気づいていくのです。数にしても時間にしても、幼いうちから無理やり詰め込むような教え方にはほとんど意味はありません。とくに、人間の数量概念や時間の知覚などの発達にまったく関心がない大人が数字や計算ばかりにこだわって教えることは、子どもを数嫌いにさせかねません。焦ることなく、「実感を伴った経験」を増やしてあげてください。それが、結果的には子どもの数や時間の理解を深めてくれるでしょう。■ 静岡大学情報学部客員教授・沢井佳子先生 インタビュー一覧第1回:“○歳だからこれができないとダメ!”その思い込みから親を解放する「発達心理学」入門第2回:幼い子どもの言葉が格段に豊かになる、親から子への「実況中継」という方法第3回:「10まで言えるのに、5個が数えられない」?未就学児への“数”と“時間”の教え方第4回:「非認知能力」という名称の流行が生んでしまった“誤解”と“困った副作用”(※近日公開)【プロフィール】沢井佳子(さわい・よしこSAWAI, Yoshiko)1959年生まれ、東京都出身。チャイルド・ラボ所長、静岡大学情報学部客員教授。認知発達支援と視聴覚教育メディア設計を専門とする。学習院大学文学部心理学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。同大学院人間文化研究科博士課程単位取得退学。専攻は発達心理学。幼児教育番組『ひらけ! ポンキッキ』(フジテレビ)の心理学スタッフ、文教大学人間科学部講師などを経て現職。他に、日本こども成育協会理事、人工知能学会「コモンセンス知識と情動研究会」幹事、日本子ども学会常任理事などを務める。幼児教育シリーズ『こどもちゃれんじ』(ベネッセコーポレーション)の「考える力」プログラム監修、幼児教育番組『しまじろうのわお!』(テレビ東京系列/2016年国際エミー賞子ども番組部門ノミネート、2019年アジアテレビ賞受賞)の監修など、多様なメディアを用いた幼児向け教材やテレビ番組の制作におけるコンテンツ開発に携わっている。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年07月11日我が子が、果たして順調に言葉や文字を覚えてくれるだろうか――。幼い子どもを持つ心配性の親なら、そんな不安を抱えているかもしれません。そこで、発達心理学を専門とし、『しまじろうのわお!』(テレビ東京)などの幼児教育番組や幼児向け教材の監修を行っている静岡大学情報学部客員教授の沢井佳子先生に、言葉や文字を子どもに効果的に教える方法を聞きました。まずは、その前の段階、まだしゃべらない子どものコミュニケーションについて教えてもらいます。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)赤ちゃんのときの動作に言葉を覚える前兆を見るまだしゃべらない子どもでも、あとあときちんと話せるようになるかどうかを確認する方法があります。その方法は、生まれて間もない赤ちゃんの段階でもできることです。対話の基本はキャッチボールのように交互に話すことですよね?Aさんが話しているときはBさんが聞く。そして、Aさんが話し終わったあとでBさんが話す。それと同じことが赤ちゃんの行動にも見られるのです。親が「○○ちゃん、かわいいね」というと、赤ちゃんは親を見てじっとしている。そして、いい終わったあとに自分の手足を動かす。こういう答えるような動作が見られるようでしたら、心配ありません。こうした行動から、その子どもには対話へと発達するベースが備わっていることがわかるのです。また、2、3歳になってもなかなかしゃべらないとなると、やはりおうちのかたは心配でしょう。その段階になるまでに、発達上の問題がないかをチェックする方法があります。赤ちゃんは1歳になる前頃から「指さし」をするようになります。あるいは、はっきりとした指さしをしなくても、親が見る方向を一緒に見ます。たとえば、お母さんが犬を見て、「あ、ワンワンがいるよ」といったとします。その言葉を聞いて、子どもはお母さんが見ている方向を見る。これは「共同注視」と呼ばれます。別のパターンとしては、親の前でテレビを見ていた子どもが、ある場面で親のほうを振り返るということもあります。これは、まだしゃべれなくても、「面白いよね?」「お父さんも見ているよね?」と伝えようとしているということで、「社会的参照」と呼ばれ、他の霊長類にはあまり見られない、人間の子ども特有の行動です。これらは「前言語的コミュニケーション」と呼ばれる行動で、いわば「言語のもと」といえます。こういう行動が見られるようであれば、言葉が出てくるのは時間の問題。心配の必要はありません。ひらがなを覚えるための第1ステップは「音節分解」こうして子どもがしゃべるようになると、熱心な親なら五十音を順に書かせるなどして幼い子どもにひらがなを覚えさせようとするかもしれません。でも、残念ながら、しゃべりはじめたばかりの子どもにいきなり文字を覚えさせることにはあまり意味がないのです。なぜなら、まずは「聞き取る」ことが大事だからです。その視点から、ひらがなを読む、覚えるために必要となる準備として「音節分解」があります。たとえば、「たぬき」という文字を覚えるにも、まずは「た・ぬ・き」と音節ごとに分解できる必要があります。幸い、日本語のひらがなは一部の例外を除いて1音節に1文字が対応しています。英語の場合、「ノック」という1音節の発音の言葉でも文字にすると「knock」と5文字にもなる。つづりを覚えるのがやっかいですよね。英語と比較しても、日本語の「ひらがなの読み」は幼児にとって学習しやすいのです。言葉や文字の勉強というと、つい紙と鉛筆でするものをイメージしてしまいます。でも、紙と鉛筆では音節という概念を学ぶことは簡単ではありません。目と耳と口と動作を通して、音節の区切りを学ぶことが大切です。この音節分解を学ぶためには、わたしが監修したものも含めて音声や映像で教えるビデオ教材がありますから、そういうものをご覧になるとわかりやすいでしょう。注意してほしい点は、「音節分解ができなくても文字が読めるように見える」子どもがいるということ。電車が好きな子どもなら、「とうきょう」という駅名標のひらがな表記を見て「トーキョー」と声に出すことがあります。ただ、それはきちんとひらがなを読んでいるわけではなく、「とうきょう」という文字の連なりを絵のようなまとまり(パタン)として記憶し、それに「トーキョー」という音をペアにして覚えているに過ぎないのです。そこで勘違いして、「うちの子はもうひらがなが読めている」なんて思ってはいけません。まずは音節分解ができるようになること。それができてから、本当に、ひらがなという表音文字を読む……という言葉の学習がはじまるのです。とくにオノマトペの学習に有効な「実況中継」そして、子どもの語彙を豊かにしてあげたいのなら、親が「実況中継」するということをぜひ心がけてください。いまこの瞬間に起きていることを、いちいち言葉で表現して、目の前の出来事を実況中継するのです。そうすることで、紙と鉛筆で書くという学びでは得られない、生活の感覚の「実感」を伴って子どもが言葉を覚えることにつながります。これは、とくに擬態語や擬音語などのオノマトペ(※)を子どもが学ぶ際にはとても有効な手段です。たとえば、子どもがご飯を食べているときに口のまわりを汚してしまったなら、「口のまわりが『べたべた』になっちゃったね」「水で洗ったら口のまわりが『さっぱり』して『さらさら』になったね」というふうに言葉で実況するのです。そうすると、子どもの脳には「べたべた」「さっぱり」「さらさら」という言葉の音が、べたべたの触覚などの、ライブの身体感覚を伴って入っていきます。これらの感覚は紙と鉛筆で学べるものではありません。紙と鉛筆を用意してわざわざ勉強をするという場面をつくらなくてもいいのです。親が実況中継をすれば、日常のなかで子どもは、微妙なニュアンス、感覚の違いとともに言葉をどんどんと覚えていくのですから。※オノマトペ:自然界の音や声、ものごとの状態や動きなどを象徴的に表した語。擬態語、擬音語、擬声語など■ 静岡大学情報学部客員教授・沢井佳子先生 インタビュー一覧第1回:“○歳だからこれができないとダメ!”その思い込みから親を解放する「発達心理学」入門第2回:幼い子どもの言葉が格段に豊かになる、親から子への「実況中継」という方法第3回:「10まで言えるのに、5個が数えられない」?未就学児への“数”と“時間”の教え方(※近日公開)第4回:「非認知能力」という名称の流行が生んでしまった“誤解”と“困った副作用”(※近日公開)【プロフィール】沢井佳子(さわい・よしこSAWAI, Yoshiko)1959年生まれ、東京都出身。チャイルド・ラボ所長、静岡大学情報学部客員教授。認知発達支援と視聴覚教育メディア設計を専門とする。学習院大学文学部心理学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。同大学院人間文化研究科博士課程単位取得退学。専攻は発達心理学。幼児教育番組『ひらけ! ポンキッキ』(フジテレビ)の心理学スタッフ、文教大学人間科学部講師などを経て現職。他に、日本こども成育協会理事、人工知能学会「コモンセンス知識と情動研究会」幹事、日本子ども学会常任理事などを務める。幼児教育シリーズ『こどもちゃれんじ』(ベネッセコーポレーション)の「考える力」プログラム監修、幼児教育番組『しまじろうのわお!』(テレビ東京系列/2016年国際エミー賞子ども番組部門ノミネート、2019年アジアテレビ賞受賞)の監修など、多様なメディアを用いた幼児向け教材やテレビ番組の制作におけるコンテンツ開発に携わっている。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年07月10日「同じ月齢のよその子どもはもうおしゃべりが達者なのに、うちの子どもはまだ話す気配すらない」――。そんなことがあれば、誰もが我が子を心配してしまうものです。そんな不安を解消すべくお話を聞いたのは、静岡大学情報学部客員教授でチャイルド・ラボ所長の沢井佳子先生。発達心理学を専門とし、『しまじろうのわお!』(テレビ東京)などの幼児教育番組や幼児向け教材の監修を行っています。沢井先生は、「子どもの発達は、『何歳でなにができるか?』ではなく、『できるようになっていく順序』が大事」だといいます。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)発達とは、生得的なプログラムが順に発動していくこと親であれば誰もが我が子の発達が遅れていないかと気になります。でも、「○歳だからなにができなくてはいけないはずだ」と思い込んで、「遅れているのは能力に問題があるから?」と心配をする必要はありません。人間の発達は、「あることができてから、次のことができるようになる」といった、発達段階の順序が定まっていて、多少の遅れがあったとしても、順番を踏んで、あとあと発達していくからです。なぜそのような順序の定まった発達が起こるのかというと、人間にはサバイバルのためにあらかじめさまざまなプログラムがインストールされているからです。たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんにお母さんが「ベーッ」と舌を出す姿を見せると、赤ちゃんは、お母さんの顔をじっと見つめたあと、なんと舌を出します。わたしも息子が生まれたときに実験して確かめました。つまり、人間は生まれつき模倣のプログラムを持っているということになる。いちばん身近にいる養育者――親を模倣することは、赤ちゃんにとってサバイバルのすべを学ぶということなのです。よく「子どもは試行錯誤して学ぶ」といいますが、じつはそうではありません。試行錯誤とは、たとえば手足をめちゃくちゃに動かすような、無駄な行動を何度も繰り返して、目的のために効果的なものを選んでいく過程を指します。でも、赤ちゃんの場合はそうではありません。意外なほどすっと無駄なくいろいろなことができるようになる。それは、身近な人を「観察して模倣するプログラム」がインストールされているからに他なりません。このように、あらゆる発達に関するプログラムが、人間にはインストールされています。つまり、発達とはなにかというと、もともとインストールされている生得的なプログラムが、身近な人とのやりとりと、まわりの環境の刺激に誘発されて、順々に発動するということ。ですから、発達段階に合っていない知識や技能を詰め込むような教育は、効果がないばかりか、自ら行動的に遊んで学ぶ「思考の機会」を奪うことにもなりかねません。子どもとのおしゃべりや遊びを心掛けながら、次の段階を「待つ」ことが大切なのです。まだしゃべらない子どもの発達は「動作」で確認するでは、幼児の発達の順序についてかいつまんでお伝えします。0〜2歳のあいだは、論理の基礎となる大事な事柄を体全体で学ぶ時期です。それは、「ものは隠されてもそこにあり続ける」ことの理解。心理学では「対象の永続性」といいます。赤ちゃんは「いないいないばあ」が大好きですよね。0歳はじめの赤ちゃんにとって、「ものは隠されていてもそこにあり続ける」ということや「もののなかにものが入る」ということは大発見なのです。それから、2歳までのあいだはものの並び方の順序の規則性、「系列」を学ぶ時期でもあります。わたしが1980年代に心理学スタッフを務めた『ひらけ! ポンキッキ』(フジテレビ)でも系列を課題にした映像をたくさん放送しました。たとえば、「シマウマ、ペンギン、シマウマ、ペンギン、シマウマ、次はなにかな?」という遊びです。「シマウマ」と「ペンギン」の絵が順に登場するのですから、系列を理解している子どもは「次はペンギン!」としっかり答えます。こうした順番の規則性を読み取る「系列」についての理解は、「朝・昼・夜」「春・夏・秋・冬」といった、時間の繰り返しの理解や、自然数の系列(1、2、3……)の構造の理解にもかかわります。また、言葉の順番から意味を予測するという文法の理解も助けるのです。世界を理解するためには、ものの並び方の規則性を発見し、順序を予測することが大事です。でも、2歳だとまだしゃべらない子どももいますから、おうちのかたは心配なさるでしょうね。そこで、子どもの発達を言葉ではなく「動作」で確認してみてください。1歳半頃になると、まだしゃべれなくても系列などをすでに理解した子どもは「機械の操作」ができるようになります。わたしの息子が1歳6カ月のときは、『くまのプーさん』のレーザーディスクを観たいがために、テレビとレーザーディスクプレーヤーの電源を入れて、セレクターも含めたスイッチをきちんと順番に押すということをしていました。つまり、そこには系列はもちろん、因果関係についての論理的理解があるということです。また、たとえしゃべらなくても、言葉を理解しているということもわかります。子どもに向かって、指さしをしながら「○○ちゃん、あのウサギのぬいぐるみを持ってきて」というとぬいぐるみを正しく持ってきてくれる。「ウサギはどれ?」と尋ねれば、ウサギのぬいぐるみを指さす。こういうことができていれば、言語理解や指さしによる表現はできていますから、言葉を話しはじめるのも時間の問題でしょう……と安心できるのです。短期記憶が増える5歳半で一気に大人びる3歳になると、思い浮かべる力、「表象能力」がものすごく発達します。2歳児の場合は、語彙は一気に増えますが、まだ表象能力は十分に育っていません。なにかの病気で子どもが入院しないといけないというとき、2歳児に「入院だから今日は病院で寝るのよ」というと、「入院だね、わかった!」なんて答えますが、いざ病院から親が帰ろうとすると泣いて怒ってしまう。なぜなら、自分が病院でひとりで寝るということを頭に思い浮かべられないからです。でも、3歳になればそういう未来のことも、話を聞くだけでイメージできるようになります。また、表象能力が発達するということは、目の前に電車がなくても、ロープを電車に見立てて電車ごっこをして遊んだり、姿やかたちのちがうもの同士の共通性を見つけて「生きもの」「乗りもの」などの仲間に分けたりするなど、抽象的な話も次第にできるようになります。つまり、抽象物への理解が進み、文字や数について学ぶ体勢が整う時期といえます。続いて、4歳では爆発的に語彙が増えます。電車や図鑑が大好きな子どもだと、大人が知らないようなマニアックな知識も持っているということもありますよね。それらの知識にまつわる多種多様な言葉はこの時期に覚えるものです。でも、一気に増えた言葉や知識をきちんと整理できていないので、大人顔負けの膨大な知識を持ちながら、子どもらしい勘違いをしている例もしばしば見受けられ、大人が思わず笑ってしまうような面白い時期ともいえます。それから、次の大きな発達が訪れるのが5歳半頃。この時期の子どもは、短期記憶が大人の半分くらいにまで達します。コンピューターもメモリが増えるとできる作業が格段に増えますよね?それと同じように、頭のなかでふたつのことを思い浮かべて比較する、いまのことを考えながら未来の話をするということもできるようになるのです。それによって、物語のような文章をつくらせても、物語のはじまりから終わりまでの流れを認識する余裕があり、かなりのレベルのものをつくることができて、一気に大人びたように見えてきます。ここでは一般的な年齢での発達の過程をお話しましたが、先にお伝えしたように「○歳だからなにができなくてはいけない」といった思い込みや心配は無用です。年齢を輪切りにして着目するのではなく、発達の順序の進み方をご覧になって、順調ならば安心して見守ってください。逆に、親が指さしをしても一緒に見てくれないし、自分で指さしなどの動作のやりとりをしないのに、文字には関心がある……というように「発達の順番がおかしいかな?」などと感じるようなら、地域の小児専門病院、いわゆるこども病院で診てもらうことをおすすめします。■ 静岡大学情報学部客員教授・沢井佳子先生 インタビュー一覧第1回:“○歳だからこれができないとダメ!”その思い込みから親を解放する「発達心理学」入門第2回:幼い子どもの言葉が格段に豊かになる、親から子への「実況中継」という方法(※近日公開)第3回:「10まで言えるのに、5個が数えられない」?未就学児への“数”と“時間”の教え方(※近日公開)第4回:「非認知能力」という名称の流行が生んでしまった“誤解”と“困った副作用”(※近日公開)【プロフィール】沢井佳子(さわい・よしこSAWAI, Yoshiko)1959年生まれ、東京都出身。チャイルド・ラボ所長、静岡大学情報学部客員教授。認知発達支援と視聴覚教育メディア設計を専門とする。学習院大学文学部心理学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。同大学院人間文化研究科博士課程単位取得退学。専攻は発達心理学。幼児教育番組『ひらけ! ポンキッキ』(フジテレビ)の心理学スタッフ、文教大学人間科学部講師などを経て現職。他に、日本こども成育協会理事、人工知能学会「コモンセンス知識と情動研究会」幹事、日本子ども学会常任理事などを務める。幼児教育シリーズ『こどもちゃれんじ』(ベネッセコーポレーション)の「考える力」プログラム監修、幼児教育番組『しまじろうのわお!』(テレビ東京系列/2016年国際エミー賞子ども番組部門ノミネート、2019年アジアテレビ賞受賞)の監修など、多様なメディアを用いた幼児向け教材やテレビ番組の制作におけるコンテンツ開発に携わっている。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年07月09日男女平等の意識が高まった影響もあり、料理好きな男性が増えてききました。でも、「やっぱり料理は苦手……」という父親もいます。そういう父親の場合、いくらその重要性は知っていたとしても、「食育」についてはどうしても母親に任せがちになってしまいます。それでも、料理が苦手な父親にもできることがあるようです。アドバイスをしてくれたのは、食育、家族社会学を専門とするお茶の水女子大学生活科学部非常勤講師の松島悦子先生。食育に父親がかかわることの重要性、かかわり方を教えてくれました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)父親は自分ならではの料理を!母親の料理とのすみわけが大切料理に限らず、父親が子育てに積極的にかかわることは、子どもの成長にたくさんの好影響を与えます。というのも、子どもというのは接する大人からあらゆるものを吸収するので、接する大人は多ければ多いほどいいからです。どんなに「似た者夫婦」といわれても、父親と母親では人格も子どもとの接し方もちがいます。父親が子育てに積極的にかかわれば、子どもにとっては学ぶべきサンプルがひとり(母親)からふたりに倍増するわけですから、コミュニケーション能力が高まったり、人間関係をうまく築けるようになったりと、いくつものメリットを得られるのです。もちろん、調理に父親がかかわることも子どもに好影響を与えます。とくに男の子は、父親を真似たがって父親をモデルにして成長しますから、その傾向が顕著。ですから、父親が楽しそうに料理をつくっていれば、真似をしたがって楽しく料理をするようになります。両親ともに料理することが好きな家庭などでは、調理方法によって父親と母親のつくる料理の分野が決まっているという場合もあるでしょう。揚げ物は父親の得意分野という家庭だと、中学生くらいの男の子でも父親と同じように揚げ物をするというケースも見られます。わたしは、この父親と母親でつくる料理のすみわけをすることは、円満な家庭を築くうえでとてもいいことだと考えています。父親が料理をするときに母親と似たようなものをつくってしまっては、子どももつい比べてしまいますよね?でも、父親が「○○の素を使ったチャーハン」や「秘密の隠し味を入れたカレー」など、たとえ簡単な料理でも母親とはちがうタイプの料理をつくれば、子どもからすれば「お母さんの料理も美味しいけど、お父さんの料理もまたちがって美味しい」と、どちらも尊敬することになるのです。父親が調理に参加すれば食卓が楽しくなるまた、これは父親に限ったことではありませんが、好き嫌いも親に似る傾向にあります。親に好き嫌いがなければ、好き嫌いがある場合に比べて食卓に並ぶ料理や食材のバリエーションが豊かになる。すると、子どもは幼い頃からたくさんの味に親しむことになりますから、嫌いなものが限りなく少なくなるのです。もちろん逆に嫌いなものを親自身がずっと避けていると、子どもだってその食べものを嫌いになる確率は高くなります。ここで大切にしてほしいのは、食事をしている際の親の態度です。親が「美味しい!」といいながら食べているものは、子どもには美味しく見えますし、美味しく感じられるからです。また、そもそも好き嫌いというものは、なにか嫌な思い出を伴ってできてしまうことも多いものです。親からひどく叱られたときに食卓に並んでいたものがいまでも苦手だという人もいるのではないでしょうか。でも、お父さんもお母さんも食卓で楽しそうにしていて、なんでも「美味しい!」と食べていれば、食卓での嫌な思い出ともに好き嫌いを子どもに植えつけてしまうこともないはずです。「食卓を楽しくする」ため、父親はなんでも「美味しい!」と食べるだけでなく、調理に参加することも大切です。母親だけに調理を押しつけてしまうと母親の負担ばかりが増します。そうすると、お母さんは子どもの前でもついため息をついたり不機嫌になってしまったりするかもしれない。そんな食卓が子どもにとって楽しいわけがありませんよね?母親の肉体的、精神的な負担を軽減し、食卓を楽しくするために世のお父さんにはもっともっと積極的に日々の調理にかかわってほしいのです。料理が苦手な父親にもできる「食育」ですが、まったく調理経験がない父親がいきなり調理にかかわることは難しいでしょう。もちろんそこで無理をする必要はありません。調理というかたちではなくても、子どもの食育にかかわることはできます。子どもの好き嫌いをつくらないということとは別の意味でも、まずはなによりも、食卓を楽しくするということを意識してください。料理をしてくれたお母さんに対して、「ありがとう」と感謝とねぎらいの言葉をかけて、「美味しい!」といいながら料理を食べるのです。その姿を子どもはしっかり見て真似するようになります。また、食卓で話題を提供するということもできますよね。お母さんに「これはどうやってつくったの?」と質問すれば、子どもは調理法にも興味を持つようになるでしょう。また、子どもの知識を引き出すということもできます。小学生になれば子どもたちは学校で毎日学んでいますから、大人なら忘れてしまったようなことも知っていたり、現在進行形で勉強している子どものほうが最新の知識や正確な情報を持っていたりすることも珍しくありません。栄養のこと、食べものの旬、食の安全、環境といったことについての話をすれば、学校で学んだ知識と実生活が結びつくので、学びがより楽しいものになるはずです。その会話のなかで、わからないことや疑問が出てくれば、食後にインターネットや教科書で一緒に調べてみましょう。そうすることで、子どもの食への意識はぐっと高まります。このように、料理が苦手なお父さんでもできることはたくさんあります。ここで紹介したことは一例ですから、自分の知識や経験を生かして、子どものためにお父さんができる食育をたくさん探してみてください。『白熱教室 食生活を考える』松島悦子 他 著/アイ・ケイコーポレーション(2016)■ お茶の水女子大学生活科学部・松島悦子先生 インタビュー一覧第1回:「食育=食生活の教育」ではない!?常識を超えた、食育の“真のねらい”第2回:「家族で食べたい」と素直に言えない子どもたちに、親がすべき“食事の場”づくり第3回:子どもに「調理」をさせるメリット。料理をする子・しない子の“内面”の大きな違い第4回:「父親のかかわり」で食は2倍豊かになる!料理が苦手でもできる食育の方法とは?【プロフィール】松島悦子(まつしま・えつこ)お茶の水女子大学生活科学部非常勤講師。専門は食育、家族社会学、消費者科学。お茶の水女子大学家政学部食物学科卒業、同大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。東京ガス都市生活研究所勤務、お茶の水女子大学食育プロジェクト講師、和洋女子大学家政学群准教授を経て現職。著書に『子育て期女性の「共食」と友人関係』(風間書房)、『白熱教室 食生活を考える』(アイ・ケイコーポレーション)、『食物学概論』(光生館)、『消費者科学入門』(光生館)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月20日「食育」への関心が高まるなか、「親元を離れたときに困らないように……」と考えて、子どもを料理教室に通わせている親が増えています。でも、調理経験によって子どもが得るのは、調理の知識や技術だけではない――。そう語るのは、食育、家族社会学を専門とするお茶の水女子大学生活科学部非常勤講師の松島悦子先生。では、松島先生が考える「調理経験によって子どもが得られるもの」とはどんなものでしょうか。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)料理は子どもの自己肯定感と自己効力感を高める「食育」とひとことでいってもその中身は幅広いもので、「実際に調理をする」ということも含まれます。いま各地で子ども向けの料理教室やイベントが開かれていることを見ても、食育の重要性を親が強く意識していることがうかがえます。また、子ども向けの料理教室やイベントのニーズの高まりの背景にはジェンダーに関する価値観の変化もあるように思います。いまは男女問わずに料理ができる人が尊敬されるようになってきて、古くからある「料理は女性の役割」という偏見がなくなってきました。だからこそ、男の子であれ女の子であれ、子どもに料理を学ばせようとする親が増えているのではないでしょうか。もちろん、調理経験は子どもにさまざまなものをもたらしてくれます。多くの手順がある調理は「小さな成功体験」を積み重ねる作業ですから、自己肯定感を高めることになる。そして、「目標を達成できる!」という「自己効力感」も高めることになります。以前、わたしが中高生を対象に行った調査では、「普段、料理をする」という子どもは、料理をしない子どもに比べてチャレンジ精神や達成感、工夫する楽しさ、人に食べてもらうよろこび、褒められるよろこびなどを強く感じていて、自分の性格を肯定的にとらえるだけでなく、将来の夢を持つといった生きるうえでの積極性が強いことがわかりました。日本人の子どもたちは、外国の子どもたちと比べ自己肯定感が顕著に低いことが問題とされています。でも、料理をして小さな成功体験を積めば、自己肯定感と自己効力感を高められると推測できるのです。調理は成功体験を積み重ねるプロセスそれから、調理経験が子どもにもたらすもっとも重要なものとしては、問題解決能力が挙げられます。変動が激しいこれからの時代は、さまざまな問題が次々に立ち現れるでしょう。いままでのように知識と技能を習得するだけでは、それらの問題を乗り越えることはなかなか難しいはずです。そこで求められるものこそ、問題解決能力です。その力は、実際に問題を解決して成功体験を重ねることで得られます。調理というのは、わずかな時間でその一連のプロセスを完結できる素晴らしいものなのです。どんな料理をつくるかという課題を決めて、レシピや調理の手順という計画を立てる。その計画を実行してつくった料理を食べれば、美味しかったかどうかという評価、振り返りもできる。仮に失敗や反省すべきことがあれば、それは「次」への課題になります。しかも、その「次」は、それこそ翌日にだって試せるものです。成功体験を重ねるというプロセスを、どんなことよりも手っ取り早く家庭でもできるものが調理なのです。小学生くらいの子どもなら、それこそ目玉焼きをつくるという簡単なものでいいでしょう。子どもが一生懸命に目玉焼きをつくってくれたなら、つくってくれたことを褒めてあげてください。そして、「ありがとう」と感謝し、「美味しい」と褒めて、もし改善すべきところがあれば「今度はこうしようね!」とアドバイスしてあげましょう。目玉焼きのような簡単な料理をつくることであっても、先にお伝えしたプロセスを子どもはしっかり経験することになります。「興味を示したとき」が子どもに料理をさせるチャンス!子どもの発達はそれぞれ個人差がありますから、調理を経験させるべき適正年齢というものはありません。「子どもが調理に興味を示したとき」が、そのチャンスだと思ってほしいのです。料理をしている親の姿をじっと見つめたり、「やらせて」といってきたりする子どももいます。そのタイミングは、早い子どもなら2、3歳くらい。ピークは5歳頃です。もちろん、いくらそのタイミングがきたからといって、調理をするには多少の危険も伴いますから、親が忙しい平日に無理をして調理をさせる必要はありません。週末にでも時間をつくって、親自身がゆったりした気分でいられるときに子どもに調理をさせてみるのがいいでしょう。最初にやらせるのは、本当にちょっとしたもので構いません。調理器具を使ってなにかをかき混ぜるといったことでも、小さな子にはハードルが高いことなのです。最初は手を使ってレタスをちぎるとか、クッキーのうえにレーズンやアーモンドを乗せる、ハンバーグの種をこねるといったことがいいでしょうね。そのときのポイントは、あれやこれやと口出しをしないこと。危ないことをしようとした場合は別ですが、しっかり手順を教えたらあとは極力見守ってほしい。そうでないと、調理への興味を失いかねないからです。小学校に上がる頃になって危険性が理解できるようになったら、包丁やコンロを使った調理にも挑戦させてあげてください。大切なのは、子どもの成長を親がしっかり観察すること。ひとつできるようになったら、次は「ちょっとだけ難しそうなこと」をさせてあげることで、得られる達成感や次へのモチベーションも高まっていくはずです。ただ、そうした調理経験が子どもにもたらす「効果」に親が期待するのもわかりますが、わたしとしては別の視点も持ってほしいと思います。親子で料理をつくるときには、相対するのではなく基本的に横に並びますよね?狩りをして生きていた時代の名残なのでしょう。相対する相手に対しては、人間は本能的に「敵」だとみなします。一方、横に並ぶ相手は「味方」、大事な存在だとみなすのです。つまり、親子が同じ方向を見て並び、おしゃべりをしながら料理をつくることは、親子の絆を深めることになる。きっと、親子の関係をより良くしてくれるはずです。『白熱教室 食生活を考える』松島悦子 他 著/アイ・ケイコーポレーション(2016)■ お茶の水女子大学生活科学部・松島悦子先生 インタビュー一覧第1回:「食育=食生活の教育」ではない!?常識を超えた、食育の“真のねらい”第2回:「家族で食べたい」と素直に言えない子どもたちに、親がすべき“食事の場”づくり第3回:子どもに「調理」をさせるメリット。料理をする子・しない子の“内面”の大きな違い第4回:「父親のかかわり」で食は2倍豊かになる!料理が苦手でもできる食育の方法とは?(※近日公開)【プロフィール】松島悦子(まつしま・えつこ)お茶の水女子大学生活科学部非常勤講師。専門は食育、家族社会学、消費者科学。お茶の水女子大学家政学部食物学科卒業、同大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。東京ガス都市生活研究所勤務、お茶の水女子大学食育プロジェクト講師、和洋女子大学家政学群准教授を経て現職。著書に『子育て期女性の「共食」と友人関係』(風間書房)、『白熱教室 食生活を考える』(アイ・ケイコーポレーション)、『食物学概論』(光生館)、『消費者科学入門』(光生館)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月19日2005年に食育基本法が制定されたこと、また、教育意識そのものの高まりもあって、子どもを持つ親の「食育」への関心は高まっています。ただ、食育、家族社会学を専門とするお茶の水女子大学生活科学部非常勤講師の松島悦子先生は、その傾向を歓迎しながらも、「懸念している部分もある」と語ります。それは、「孤食」をめぐる問題でした。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)子どもの好き嫌いに表れる食育意識の高まりここ十数年で「食育」への意識はかなり高まったように思うのですが、それは「子どもの好き嫌い」のデータにも表れています。30代、40代といういまの親世代が子どもの頃に嫌われていた食べものというと、ピーマン、セロリ、ナス、アスパラガス、グリーンピース、トマト、シイタケ……などが横並びで挙げられていました。ところが、いま、子どもたちがいちばん苦手としているのは、ニガウリ。いわゆる、ゴーヤだというのです。その嫌われ方は断トツで、ある調査データによれば2番目に嫌われているナスは小学生の9.4%が苦手としているのに対し、ニガウリはなんと27.5%の小学生が苦手としています。なぜこんな変化が起きたのでしょう?沖縄料理ブームによってゴーヤが全国的に浸透したことも理由のひとつとして考えられますが、健康志向が高まるなか、子どもに対して親が積極的にゴーヤを食べさせようとしているのだろうと推測されます。また、給食でも頻繁にゴーヤが出されるようになったということもあるでしょう。なぜゴーヤを子どもに食べさせたいのか?それは、ゴーヤが持つ栄養価の高さや病気の予防効果などにあります。ニガウリは、沖縄の伝統的な野菜のひとつで、ゴーヤチャンプルやてんぷらなどの料理で食されています。果実や種子には、ビタミンCやポリフェノールといった抗酸化物質や各種生理活性物質が多く含まれることから、古くから薬用として糖尿病予防などに用いられてきました。近年の研究では、血糖低下作用や脂質代謝調節作用、抗がん作用、抗炎症作用などの生理作用を有することが次々報告されています。また、特有の苦み成分は、食欲増進効果など、様々な生理作用があるといわれています。食育への意識が高まっている親たちが、健康への期待を込めてゴーヤを子どもに食べさせようとした結果、独特の苦味があるゴーヤが嫌われてしまったようなのです。ゴーヤと同様のことはレバーにもいえます。いまの親世代が子どもの頃と比べて、レバーが苦手という子どもの割合が増えているのです。これもまた、栄養豊富なレバーを親が子どもに食べさせようとした弊害なのでしょう。研究者としては面白く感じられて興味深いことですが、食育に対する関心が高まるなかでの結果としては、皮肉なものです。「孤食」の拡大は時代の流れによる必然?食育への関心が高まることは歓迎すべきことですが、わたしは懸念も抱いています。それは、「孤食」をめぐる問題……。孤食とは、現在はNPO法人食生態学実践フォーラム理事長である足立己幸先生が1983年に出版された『なぜひとりで食べるの 食生活が子どもを変える』(日本放送出版協会)の内容がテレビ放映されたことによって広まった言葉で、文字通り、「ひとりで食べる」食事形態を指すもの。当時は、高度経済成長期を経て、大型冷蔵庫や電子レンジが普及した時代でした。さらに、美味しい冷凍食品がどんどん登場し、お惣菜やお弁当を買ってきて家などで食べる「中食」という選択肢も登場したことで、子どもひとりでも食事ができるようにもなった。加えて、2000年代以降でいえば、共働き世帯が急激に増えたことも孤食の傾向に拍車をかけている要因だと見ることができます。しかも、いまは親も子どももすごく忙しい時代です。働き方改革が推進されているとはいえ、やっぱり長時間労働を強いられている親は多いですし、子どもだって小学校5、6年生になればお弁当持参で塾に通っている。そうなると、家族全員で食事をする機会は必然的に減っていきます。そんな時代にあって、家族がそろって食事をする「共食」に対して、「孤食は良くないものだ」ととらえられがちです。でも、これは時代の流れによる必然のことであり、わたしは「いい、悪い」の問題ではないと思っています。「共食」はその頻度より中身が大切それなのに、食育への意識が高まった結果、子どもに孤食をさせることに対して親が必要以上に罪悪感を抱いたりプレッシャーを感じたりするようになれば、それこそ問題ではありませんか?職業にはさまざまなものがあります。看護師など就業時間が不規則な職業もあるし、夜間に働いている親だっているでしょう。では、そういう親のもとに育ち、孤食をしがちな子どもがみんな健全に育たないかというと、そんなわけはありませんよね。もちろん、家族がそろって食事をする場合には必然的に品数が多くなり栄養面で優れているとか、家族の会話によってコミュニケーション能力が育つといったように共食のメリットはたくさんあります。ただ、共食については、その頻度というより中身が大事なのです。いつも家族全員がそろって食事をしたとしても、誰かがスマホをいじっていれば共食とはいえません。会話がなければ家族関係が良くなることも子どものコミュニケーション能力が育つこともないでしょう。つまり、共食の頻度が減っているいまだからこそ、週末など家族が集まれるときの食事をいかに楽しい場にするかということを意識してほしいのです。先述の足立先生が小学生を相手に行ったグループインタビューで、子どもたちは興味深いことを答えています。子どもたちは、「家族全員で食事をしたいと思っている」「でも、親にはそれをいわない」のだそうです。なぜならば、幼いながらも親が忙しいことをきちんとわかっているからです。その健気な思いを考えれば、家族みんなで食事ができる限られた時間こそスペシャルなものにしてあげてほしいですね。『白熱教室 食生活を考える』松島悦子 他 著/アイ・ケイコーポレーション(2016)■ お茶の水女子大学生活科学部・松島悦子先生 インタビュー一覧第1回:「食育=食生活の教育」ではない!?常識を超えた、食育の“真のねらい”第2回:「家族で食べたい」と素直に言えない子どもたちに、親がすべき“食事の場”づくり第3回:子どもに「調理」をさせるメリット。料理をする子・しない子の“内面”の大きな違い(※近日公開)第4回:「父親のかかわり」で食は2倍豊かになる!料理が苦手でもできる食育の方法とは?(※近日公開)【プロフィール】松島悦子(まつしま・えつこ)お茶の水女子大学生活科学部非常勤講師。専門は食育、家族社会学、消費者科学。お茶の水女子大学家政学部食物学科卒業、同大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。東京ガス都市生活研究所勤務、お茶の水女子大学食育プロジェクト講師、和洋女子大学家政学群准教授を経て現職。著書に『子育て期女性の「共食」と友人関係』(風間書房)、『白熱教室 食生活を考える』(アイ・ケイコーポレーション)、『食物学概論』(光生館)、『消費者科学入門』(光生館)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月18日我が子には健康に育ってほしい――。子を持つ親であれば誰もがそう願います。その観点からも、普段の食事の栄養面に気を配り、子どもの「食育」に対しての関心が高い人も増えています。しかし、食育の意味をぼんやりとはイメージできても、本来はどういったものを指すのかを知っている人は少ないかもしれません。食育、家族社会学を専門とするお茶の水女子大学生活科学部非常勤講師の松島悦子先生に、食育の定義や意義を教えてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)人間は食を通じて多くのことを学んでいく「食育」という言葉もいまではかなり一般的になりましたから、多くの人が聞いたことがあるでしょうね。その定義は、2005年に制定された食育基本法の前文に書かれた次の内容になるでしょうか。表現は固いのですが、食育とは「生きるうえでの基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置づけるとともに、さまざまな経験を通じて『食』に関する知識と『食』を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てること」となります。したがって、食育は、心身の健康を維持増進するための食習慣を身につけ、食の管理能力を育てることを目標としているといえます。この定義でもそうですが、「食育」という言葉からも、食育とはどうしても食生活に限定された教育と思われがちです。食育で学ぶものというと、栄養や食品の知識、調理の技術といったものをイメージしますよね?もちろんそれらも食育の基本ですから、身につけることはとても大切です。ただ、食育はそこにとどまらないものだとわたしは考えています。というのも、人間は食を通じて本当にたくさんのものを学ぶことができるからです。ひとつ例を挙げるなら、親や友だちなどと食卓を囲めば、子どものコミュニケーション能力が伸びることは容易に想像できるでしょう。日本では現在進行形で外国人労働者がどんどん増えています。いまの子どもたちは、たとえ海外に行かなくても、価値観や文化がちがうたくさんの外国人と接していくことになる。そして、彼ら外国人とうまく共生して人間関係をきちんと築いていくために欠かせないものといえば、やっぱりコミュニケーション能力ですよね。コミュニケーション能力を磨けば、多様な人々と円滑な人間関係をつくったり、互いに譲り合って調和を図る協調性といった大切な能力を身につけたりすることにもつながります。そのように、これからの時代に必要とされるさまざまな力を食がもたらしてくれるのです。わたし自身は、食育とは「食を通じた人間教育」だと考えています。食を大切にすることは人生を豊かにすることもちろん、さまざまな力を身につけるという点以外でも、子どもにとって食育は大切なものです。たとえば、生活リズムを身につけることも食育の大きな目標のひとつです。食習慣はそれこそ離乳期から徐々に形成されていきますから、きちんと食事の時間を決めることできちんとした生活リズムを身につけることができます。また、食を大切にすることは、人生を豊かにすることにもつながります。たとえば、幼児期になると、自我が芽生えてなんでも自分でやりたがるときがきます。食べ物をスティック状にするなど子どもが自分の手で持って食べる楽しい経験を存分にさせてみる。一緒に食卓を囲んだ大人が子どもに話しかけながら、美味しそうに食事を食べる。そういった食卓での経験は、その子どもの人生における食への意識や態度に表れるようになります。食事が「楽しいもの」だと思えれば、それだけ人生は豊かになりますよね。では、逆にそういう経験がなかったとしたら、子どもはどんな大人に育つか想像してみてください。食事に対しての関心が薄く、食事が楽しいものだと思えなかったら、やっぱり人生のなかのひとつの大きな楽しみを自ら手放すことになるのではないでしょうか。1日に3回の食事が楽しいと思える人なら、長い人生のうちに何万回もの楽しみを味わえます。でも、それがまったくないとしたら……その人生はちょっぴり寂しいですよね。毎日の食事中の会話で行う食育また、食育と聞いて多くの人がイメージするのが、食品や栄養などの知識を得ることでしょう。もちろん、そのポイントも食育の重要な側面です。将来、親元を離れたときに、自炊は苦手だったとしてもより体にいい食事を選べることは大切です。それこそ、現在はさまざまな冷凍食品の他、「中食」と呼ばれるお弁当やお惣菜など、なにを食べるかという選択肢がどんどん広がっている時代ですから、きちんと知識さえ身につけておけば自ら調理することなく自分の健康を考えた食事を組み立てることができるのです。そういった教育は、なにも学校の家庭科の授業でしかできないものではありません。むしろ、家庭での普段の食事でこそ、子どもに学ばせることができるはずです。食事中には、積極的に食べ物に関する話をしてあげましょう。幼い子どもに対してなら、炭水化物だとかビタミンといった専門用語を使う必要はありません。「色の濃い野菜を食べると元気が出るよ」とか、「お肉を食べてパワーアップしよう!」といった栄養のことや、食文化、調理法、季節の食材などの話をしてみてください。もちろん、そのようにして親子でコミュニケーションが取れれば、家族の関係をより良くすることにもなります。せっかく目の前に料理という素晴らしい会話の題材があるわけですから、それを話の種にして家族の絆を深めていきましょう。それが子どもの食育にもつながれば一石二鳥だと思うのです。『白熱教室 食生活を考える』松島悦子 他 著/アイ・ケイコーポレーション(2016)■ お茶の水女子大学生活科学部・松島悦子先生 インタビュー一覧第1回:「食育=食生活の教育」ではない!?常識を超えた、食育の“真のねらい”第2回:「家族で食べたい」と素直に言えない子どもたちに、親がすべき“食事の場”づくり(※近日公開)第3回:子どもに「調理」をさせるメリット。料理をする子・しない子の“内面”の大きな違い(※近日公開)第4回:「父親のかかわり」で食は2倍豊かになる!料理が苦手でもできる食育の方法とは?(※近日公開)【プロフィール】松島悦子(まつしま・えつこ)お茶の水女子大学生活科学部非常勤講師。専門は食育、家族社会学、消費者科学。お茶の水女子大学家政学部食物学科卒業、同大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。東京ガス都市生活研究所勤務、お茶の水女子大学食育プロジェクト講師、和洋女子大学家政学群准教授を経て現職。著書に『子育て期女性の「共食」と友人関係』(風間書房)、『白熱教室 食生活を考える』(アイ・ケイコーポレーション)、『食物学概論』(光生館)、『消費者科学入門』(光生館)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月17日コミュニケーション能力の重要性が声高に叫ばれるなかで、「うちの子は引っ込み思案で……」と悩んでいる親も多いかもしれません。でも、もしかしたらそういう「気がねする」子どもにしてしまっているのは親自身かもしれないのです。その可能性を指摘するのは、長年にわたって「気がね」を研究テーマとしてきた東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり先生。必要な場面ではしっかり自己主張できる子どもに育てるために、親はなにをするべきなのでしょうか。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)これからの時代に求められる適切なコミュニケーション能力日本人の特性のひとつとして、いいたいことをストレートにいわない、あるいはいえないということが挙げられます。これは、「他人に対して気を遣って自分が本当にしたいことをしないでいる」ということで、いわゆる「気がねする」ことです。「気がね」はわたしの研究テーマで、修士論文も博士論文もテーマは「気がね」でした。なぜかというと、わたし自身が気がねする子どもだったからです。自分でいうのも少し変ですが、子どもの頃のわたしはいわゆる一般的に見た優等生。それだけに、まわりの期待を強く感じてしまったり、ちょっと失敗をするだけで周囲の大人に驚かれたりしました。そういう経験の積み重ねによって、わたしは周囲の評価を怖がる、気がねする人間になってしまったのです。その後、海外で生活する機会があり、なぜ外国人はこんなにストレートにいいたいことを表現できるのかと感じたものです。一方で、この日本人の特性はあまりいいこととはとらえられない側面もありますが、「察する」ことが文化として根づいている日本の社会で円滑にコミュニケーションをするためには必要だという一面もあると思います。ただ、これからのグローバル社会を意識すれば、そうもいっていられないこともあります。外国人からすれば自分の意見をいわない日本人は「なにを考えているのかわからない」とも見られます。外国人たちと協働していかなければならないこれからの時代には、気がねすることなく、相手や場面に応じて適切に自己主張をしていくコミュニケーション能力を身につけることが求められるはずです。気がねする子どもにしてしまう「4つのNG」そもそもなぜ人は気がねするようになるのでしょうか。わたしは自分の研究を通じて、その要因は次の「4つのしつけ」にあると見ています。【子どもを気がねする人間にする4つのしつけ】(1)他人の目を気にするしつけ(2)他人と比較するしつけ(3)頭ごなしに叱るしつけ(4)禁止が多いしつけ(1)は、多くの親がやりがちかもしれませんが、「お父さんに叱られるよ」「先生にいいつけるよ」といったものです。静かにしなくてはいけない場所で子どもが騒いでいたら「静かにしていてね」といえば済む話です。でも、「お父さんに叱られるよ」といったいい方をしてしまうと、子どもは他人の目を気にするようになるのです。(2)は子どものきょうだいや友だちと比較するしつけです。「お兄ちゃんは1年生のときにはもっとしっかりしていたのに……」なんていわれると、子どもはまわりの評価を気にするようになります。(3)と(4)はわかりやすいかもしれませんね。やりたいことを全否定されたり禁止されたりすれば、子どもは自分の本心を親にも見せなくなってしまいます。子どもを気がねする人間にしないためには、まずはこれら「4つのしつけ」をしないように心がけること。それから、「待つ、任せる、見守る」という3つの姿勢を意識してほしいですね。子どもは子どもなりに自分で育っていく力を持っているものです。ですから、子どもがなにをするにも、まずは「待つ」。そして、「任せる」ことが大切です。とはいえ、放任では意味がありません。大怪我をするといった危険性がないか、あるいは子どもがSOSを発してサポートが必要になっていないかといったことを見落とさないため、「見守る」ことが大切になります。子どもの人生を決めるのは親ではないまた、親の価値観を優先しないようにすることも重要です。たとえば、子どもに「あの子とは遊んじゃいけません」なんてことをいってしまうことはありませんか?子ども自身はその子と遊びたいと思っているのに、本当の気持ちを無理に抑えつけているかもしれません。また、もう少し大きくなると、進路について親の価値観を優先してしまうということもありがちなケースです。子ども自身は小学校の同級生たちと一緒に公立中学に進みたいと思っていたのに、親が「子どもの将来のため」なんていって私立中学に進学させた――。子どもも納得していればよいのですが、そうでない場合、子どもは意欲をなくしたり、自分の気持ちを素直に話せなくなったりすることがあります。子どもの人生は子どものものであって、親のものではありません。親の勝手な価値観で子どもの人生を決めるのではなく、子どもと話し合いながら子どもの人生を一緒に考えていくスタンスが必要なのです。まずは、日頃から子どもが親になんでも話せる雰囲気をつくるよう心がけてほしいですね。そうするためにも親子の対話が大事になりますが、かといってなんでもかんでも聞き出そうとすればいいというものではありません。子どもも小学生くらいになれば、友だちと喧嘩するなど嫌な思いをすることもあります。それなのに、家に帰った途端に親から「今日はなにをしたの?」「宿題はないの?」「学校からのお手紙は?」なんて矢継ぎ早に聞かれれば、子どもも落ち着いて話をするどころではないと思うのです。まずは帰ってきた子どもにほっとひと息つかせてあげて、それからゆっくり会話を重ねる。家庭を子どもにとってのオアシスにしてあげてください。『保育の心理学 実践につなげる、子どもの発達理解』井戸ゆかり 編著/萌文書林(2019)■ 東京都市大学人間科学部教授・井戸ゆかり先生 インタビュー一覧第1回:あなたの子どもは大丈夫?絶対に見過ごしてはいけない「自己肯定感」低下のサイン第2回:「失敗を恐れない力」の育て方。子どもに「挑戦したい!」と思わせる、効果抜群な言葉かけ第3回:「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは“○○上手な親”だった!第4回:「先生に言いつけるよ」がダメな理由。自己主張できない子が育つ“4つのNGなしつけ”【プロフィール】井戸ゆかり(いど・ゆかり)東京都出身。東京都市大学人間科学部教授。専門は発達臨床心理学、保育学、児童学。学術博士。横浜市子育てサポート研修講師、渋谷区子ども・子育て会議会長などを務める。二児の母。著書に『子どもの「おそい・できない」にイライラしなくなる本』(PHP研究所)、『「気がね」する子どもたち-「よい子」からのSOS-』(萌文書林)、編著に『保育の心理学Ⅱ 演習で学ぶ、子ども理解と具体的援助』(萌文書林)』、監修書に『1さいのなあに? のびのび育つ! 親子ふれあい絵本』『2さいのなあに? 「知りたい」がいっぱい! であい絵本』(ともにPHP研究所)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月15日幼い子どもを抱える親の悩みのひとつに、公共の場で子どもが騒いでしまうということがあります。また、子どもが小学生くらいになれば、勉強やスポーツに辛抱強く取り組む子どもになってほしいと願うはずです。その悩みを解決し、願いをかなえる子どもの「我慢する力」はどうすれば育むことができるのでしょうか。発達臨床心理学、保育学、児童学を専門とする東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり先生に、アドバイスをしてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「生理的な我慢」は強いるべきではない「我慢」にもいくつかの種類があります。ひとつは「自己抑制」という意味での我慢。これは、なにかいいたいことややりたいことがあっても、自分で判断をして「この場ではいわないほうがいい」「やらないほうがいい」と自分を抑えることです。そういう意味での我慢は社会生活を営むうえでとても大切なものですから、幼いときからさまざまな経験を通して徐々に教えていくとよいでしょう。一方で、とくに幼い子どもの場合は、「生理的な我慢」を強いるべきではありません。トイレに行きたくなってしまう排泄欲などはその代表的なものです。そういう我慢を無理にさせると健康にも害が及ぶことがあります。たとえば電車に長時間乗らなければならないときなどは、乗車前にトイレに行かせるとか途中でトイレ休憩を取るなど、親が工夫してあげる必要があります。それらの工夫は、子どもにとって必要なルールを覚える訓練にもなります。たとえば、幼稚園や保育所のなかには、お昼ご飯の前に子どもたち全員をトイレに行かせるというところもあります。これには、食事中にはなるべくトイレには行くべきではないというマナー、ルールを教えるという意味も込められているのです。生理的な我慢を強いるべきではないといっても、野放しにしてしまっては問題です。まずはきちんとルールを学ばせる。そのうえで、どうしても体の具合が悪いときなどは遠慮しないできちんと親や保育者に伝えるということを教えることが大切です。無理な我慢をさせないように親が工夫する先にお伝えした自己抑制という意味での我慢についても、あまり幼いときから無理に我慢させることは注意が必要です。というのも、子どもは幼稚園や保育所での集団生活を通じて、徐々に自己抑制を学んでいくからです。3歳児たちの入園式では、どの子どもも落ち着きがありません。でも、3年後の卒園式では、みんなが静かにできて見違えるほどに成長した姿を見せてくれるものです。そう考えれば、電車やレストランなど、静かにしていてほしい場所に幼い子どもを連れて行く場合には、親の側が工夫するべきではないでしょうか。3歳くらいまでの幼い子どもは、走ってはいけない場所や静かにしておかないといけない場所というものがそもそもわからないのですから、まずはそういう場所にはなるべく連れて行かないという選択をすることを考えてほしいですね。どうしても行かなければいけないというときなら、短時間で済ませることも選択肢となります。または、静かなレストランで食事をするならば、お父さんとお母さんのどちらかが子どもに絵本を読んであげるとか、子どもを抱いて外に連れ出してあげるというふうに、両親が交代で子どもを見るということもできますよね。片方が子どもを見ているあいだに、食事は済ませればいいのです。あるいは、いまならキッズスペースを設置しているような子どもを連れて行きやすいような工夫をしているお店もありますから、そういうところを選ぶことも検討すべきことです。そもそも、親の都合で幼い子どもに我慢をさせることはなるべく避けるべき。なぜなら、3歳くらいまでの幼い子どもに無理やり我慢をさせたり、「ダメ!」とむやみに禁止したりすると、自発性が伸びなくなるからです。そのくらいの子どもにはなるべく伸び伸びとできる環境を用意してあげるように意識してほしいですね。「褒める」ことが子どもを我慢強くするその後、子どもが成長して小学生くらいになれば、勉強やスポーツなどに一生懸命に取り組める我慢強い子どもになってほしいですよね。そういう子どもに育てるためのポイントは、やはり「褒める」こと。子どもが我慢強くなにかに取り組めたとしたら、「頑張ったね!」「よく我慢できたね!」と褒めてあげて、「本当は遊びたかったのにね」と子どもの気持ちに寄り添ってあげましょう。我慢できたことを褒められた子どもは、我慢することに意味があると気づくようになります。同時に、褒めることは子どもの達成感を高めることにもなります。なにかを成し遂げれば、子どものなかで達成感は生まれますが、親に褒められることがその達成感をさらに高めてくれる。その体験を経て、子どもは自信を持って「次も頑張ろう」と思えるようになります。親などまわりの大人が褒めてあげることの重要性は、子どもには自分で自分を褒めることが難しいという点にあります。大人であれば、自分を客観視して「今日は頑張ったから自分にご褒美をあげよう」ということもできます。でも、子どもにはそれが難しいのです。だからこそ、子どもが我慢強くなにかに取り組んだのなら、たくさん褒めてあげて、「頑張って我慢してよかった」と感じさせてあげてください。『保育の心理学 実践につなげる、子どもの発達理解』井戸ゆかり 編著/萌文書林(2019)■ 東京都市大学人間科学部教授・井戸ゆかり先生 インタビュー一覧第1回:あなたの子どもは大丈夫?絶対に見過ごしてはいけない「自己肯定感」低下のサイン第2回:「失敗を恐れない力」の育て方。子どもに「挑戦したい!」と思わせる、効果抜群な言葉かけ第3回:「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは“○○上手な親”だった!第4回:「先生に言いつけるよ」がダメな理由。自己主張できない子が育つ“4つのNGなしつけ”(※近日公開)【プロフィール】井戸ゆかり(いど・ゆかり)東京都出身。東京都市大学人間科学部教授。専門は発達臨床心理学、保育学、児童学。学術博士。横浜市子育てサポート研修講師、渋谷区子ども・子育て会議会長などを務める。二児の母。著書に『子どもの「おそい・できない」にイライラしなくなる本』(PHP研究所)、『「気がね」する子どもたち-「よい子」からのSOS-』(萌文書林)、編著に『保育の心理学Ⅱ 演習で学ぶ、子ども理解と具体的援助』(萌文書林)』、監修書に『1さいのなあに? のびのび育つ! 親子ふれあい絵本』『2さいのなあに? 「知りたい」がいっぱい! であい絵本』(ともにPHP研究所)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月14日夫婦・子育ていまむかし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
ドイツDE親バカ絵日記