スズキは7日、ドイツで9月15日から開催される『第66回フランクフルト国際モーターショー』(一般公開は9月17日~27日)で、新型コンパクトカー「バレーノ(Baleno)」を世界初公開すると発表した。バレーノは、2015年3月に開催された『第85回ジュネーブ国際モーターショー』に出品したコンセプトカー「iK-2」をベースとした量産モデル。スタイリッシュなデザイン、広い室内空間、新技術を調和させた、同社が考える理想のコンパクトカーとなっている。同車の詳細は、9月15日に開催される『フランクフルトモーターショー』の記者発表会にて発表される予定。また、スペシャルサイトの開設も行われている。
2015年08月07日○現代において“普通”はもはや有害な思考停止ワード?2002年に放映された傑作ドラマ『木更津キャッツアイ』で、余命わずかと宣告された主人公・ぶっさんは、"普通"と書かれた野球ボールを心のお守りにしていた。何か特別なことを成し遂げようとしたり、ここではない非日常を渇望したりしなくても、私たちの生きる日常はすでに"普通に"充足と豊穣に満ちあふれているのだ、という素晴らしいメッセージが、そこには込められていた。しかし今、世間の男性を苦しめているのは、むしろその"普通"にすらなれないコンプレックスではないだろうか。普通に会社に勤め、普通に恋愛・結婚をして、普通に嫁と子どもを食わせて定年まで働くことは、もはや贅沢な特権になりつつある。もちろん、正社員だけが働き方ではないし、恋愛・結婚に興味がない人だっているのに、彼らは肩身の狭い思いや、不利な立場を強いられてしまう。その結果、"自分は普通である"というプライドを満たせなくなった男性の中には、必死で"自分より普通でない"人たちを見つけては、見下したり差別したりといった有害な言動をとる者も出てきてしまった。そんな男性たちに、「まずは落ち着いてください」と呼びかけ、「立ち止まる勇気」を訴える本が登場した。昨年、『AERA』の「男がつらい」特集で一躍注目を集めた男性学の旗手・田中俊之氏による『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)である。本書で繰り返し述べられているのは、"普通"にとらわれ、しがみつくことの危うさと弊害だ。その"普通"の最たる例が、旧来の「男らしさ」とされてきた規範だろう。男は競争に打ち勝って何事かを達成するのが"普通"、男は少々乱暴で不真面目で大雑把なくらいが"普通"、男は論理的で感情に流されないのが"普通"、男は正社員としてフルタイムで40年間勤め上げるのが“普通”、男は女をリードして口説き落とすのが"普通"、などなど……。これらの「男らしさ」は、もはや古臭い時代遅れの規範であり、男性はそれを手放さない限り、多様に生きる人々を踏みつけ、自分自身の首をも絞めているのだということを、著者はひとつひとつ丁寧に諭していく。この本はまさに、男性のための新しい道徳の教科書、人生の副読本として全男子に必読を課したい、男性視点でのジェンダー入門書と言えるだろう。男だって弱音を吐いて泣いてもいい、男は女性を性的魅力だけで評価しすぎている、男が若い女好きなのは"生物学的な"本能ではない、不妊は女性だけでなく男性が原因の場合もある、"草食系男子"はもともと揶揄ではなく褒め言葉だった……など、本書が男性読者に言い聞かせる内容は、聞く人が聞けば"今さら"であり、「いちからか? いちからせつめいしないとだめか?」と言いたくなることも多い。しかし、男性の"思考停止する力"をなめてはいけない。著者は、都心部の満員電車の過密度が奴隷船並みであるにもかかわらず、アンケート調査で「通勤時間が苦痛だ」と答えた人が35%しかいなかったことを例に挙げ、どんなに理不尽なルールも、当たり前で仕方のないこととして受け入れなければ生きていけない、と思わされている男性の抑圧を指摘する。この社会は、男性の感情を鈍感にさせておかないと機能しないようにできているのだ。○「男」ではない「自分」の感情に素直になろうこの原稿を書いている私自身も、「男らしくない」自分に引け目と負い目を感じながら、劣等感と焦燥感と孤立感の三角食べで卑屈さをこじらせ、ちんけなプライドを守る逃げ口上ばかり上手になって、ここまで生き延びてしまった自覚がある。小さい頃からひとり遊びが好きでスポーツが苦手だったせいで、同年代のやんちゃな男子の輪に入って競い合ったり自己主張したりすることができない子どもだった。その代わり、先生に言われた通りにしていれば評価される「優等生」キャラになることで自尊心を守っていた。思春期には、盛り上がるとすぐ脱いで裸を誇示するような、下品で粗野な体育会系のノリが心底嫌いだったが、その嫌悪感の正体が自分の貧相なエヴァンゲリオン体型へのコンプレックスと、たくましい男子が女子からモテていたというルサンチマンだったことは間違いない。恥ずかしくていまだに人に言えないことも多い。数年前、激務に追われて教習所に行けなかったとき以来、車の免許を失効して持っていないのだが、実を言うともともと車の運転が苦手で、失効してホッとしたのも本音だった。「男なら、女の子を乗せてドライブくらいできなければ」と無理して免許を取ったが、本当は車に人を乗せて走るのが怖くてプレッシャーだったのだ。さらには、20代後半まで交際経験がなく童貞だったことを、親しい友人にすら嘘をついてごまかしていたし、風俗に一度も行ったことがないのがなんか恥ずかしくて、聞かれてもあいまいに行ったことがあるようなフリをしていたことも、今ここに初めて告白したい。そもそも、フリーランスのライターという不安定な職を選んだのも、一般的な企業社会の勝負や競争からわざと降りることで、「"普通"の収入や地位を得られない自分」を見ないようにしていたのかもしれない。"普通"になれない自分、男らしくない自分と向き合わずに、傷付かないで済むためなら、なんだってする。男……いや、主語を大きくするのはよくないから正確に言おう、「私」のアイデンティティやプライドは、そういう歪んだグラグラな自尊心の上に成り立ってしまっている。土台が腐っているから建て直せと言われても、すでに30年建て増しに建て増しを重ねたそれなりに立派な家がそびえてしまっているから、やっかいでタチが悪いのだ。だからといって、もちろん「男のほうがつらい」などと思ってはいけない。男女に関して、どちらがつらい、どちらが悪いという二元論は、泥沼の水掛け論にしかならないと本書も警告している。大切なのは、「男だから」「女だから」という思考停止に逃げ込まず、「自分」はどう感じるのかという感情と向き合い、外から「そう思わされている」だけの規範に縛られていないか、常に内省することだ。「多様性を認める」とは、全ての人を愛することではなく、価値観の違う人にも敬意を持って、適切に距離を取ることだと著者は説く。結局、それは“普通”と違う他人を許すと同時に、"普通"なれない自分自身を許し、受け入れ、愛することにもつながるだろう。ぶっさんと違い、2015年を死なずに生き延びてしまった私たちは、心の野球ボールの文字を"普通"ではなく、一刻も早く"多様"と書き換えるべきなのだ。<著者プロフィール>福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年08月06日スズキは5日、ステレオカメラ方式の衝突被害軽減ブレーキ「デュアルカメラブレーキサポート」及び「全方位モニター」を搭載した軽乗用車「スペーシア」「スペーシア カスタム」が、JNCAP予防安全性能アセスメントにおいて軽自動車の中で最高の45.8点(46点満点)を獲得し、最高ランクの評価「先進安全車プラス(ASV+)」をスズキ車で初めて獲得したと発表した。予防安全性能アセスメントは、国土交通省と独立行政法人 自動車事故対策機構(NASVA)が自動車の先進安全技術について評価し、結果を公表する制度。前方車両に対する衝突被害軽減制動制御装置(AEBS)、車線逸脱警報装置(LDWS)、後方視界情報提供装置(バックビューモニタ)の3項目の試験を基に、46点満点の評価点が与えられる。評価点が2点以上の場合には「先進安全車(ASV)」として認定され、さらに12点以上の場合は「ASV+」として認定される。「スペーシア」「スペーシア カスタム」は、これまでレーザーレーダー方式の「レーダーブレーキサポート」を搭載した機種で「ASV」を獲得していた。今回の「デュアルカメラブレーキサポート」搭載車はLDWS、バックビューモニタの項目でもそれぞれ満点を獲得し、AEBSで32点満点中31.8点の高評価となり、新たに「ASV+」を獲得。同社は、今後も「安全技術の取り組み」を強化し、積極的に安全性を向上させていくとしている。
2015年08月05日スズキは5日、同社のインド子会社であるマルチ・スズキが、インドで初のプレミアム・クロスオーバー車となる「SX4 S-CROSS」(インド名 : S-CROSS)の販売を開始すると発表した。S-CROSSは、新型プラットフォームに、高いトルク値を発揮するとともに低燃費・低排出ガスを特長とする新設計の1.6Lディーゼルエンジン「DDiS 320」、および1.3Lディーゼルエンジン「DDiS 200」を搭載。デザイン、ユーティリティー、走行性能、燃費の全てを高い次元で満たし、セダンの快適さとSUVの性能を併せ持つクロスオーバー車。同車は、新たに設定した販売網「NEXA(ネクサ)」で販売する第一弾の車種となる。「NEXA」は今年度中に100店舗を目指し、今後も店舗数を増やしていく計画だ。SX4 S-CROSSの生産はハンガリーや中国でも行われており、インドが3カ国目の生産国となる。マルチ・スズキでは、製品ラインアップにクロスオーバー車「S-CROSS」を加えることで、インド市場でのシェアの維持・拡大を図っていくとのこと。
2015年08月05日スズキのミャンマー子会社であるスズキ・ミャンマー・モーター(SMMC)は29日、同社工場にて3列シートの7人乗り乗用車「エルティガ」の生産開始を発表した。7月末よりミャンマー国内のスズキ販売店にて販売を開始する。スズキは、エルティガをインドやインドネシアでも生産しており、ミャンマーはアジアで3カ国目の生産国となる。SMMCは、ミャンマーでの四輪車生産と販売を拡大するためのラインアップ拡充の一環として、ヤンゴン郊外のサウスダゴンの工場でエルティガを生産。月間目標台数は100台を計画している。エルティガは、3列シートにより7名が乗車できるコンパクトサイズのMPVモデル(多目的車)で、モダンなデザインに広い室内空間と居住性をもち、5.2mの最小回転半径により狭い路地や駐車場での取り回しのよさも兼ね備えている。搭載する1.4リッターエンジンは優れた動力性能と燃費性能を両立し、スムーズな走行を実現している。
2015年07月30日○「ボクがキミを守る」は男が支配欲に酔っているだけ?フィクションの世界では、しばしば愛する女性に対して「ボクがキミを守る」的なことをバシッと宣言するのが、ヒロイックでかっこいい男性の振る舞いだとされている。現実でもそういうことを言いたがる男性(言ってもらいたがる女性)はいるようだが、実際のところ通り魔や強盗に襲われたり、船の沈没や異星人の襲来に見舞われたりしたときに、海猿でもアイアンマンでもない一般男性が、果たして適切に「キミを守る」ことができるのかは、甚だ疑問である。結局、このセリフを現実で言っちゃうような男性は、「ボクの"守ってあげたい欲"を満たしてくれる程度に、キミには弱い存在でいてほしい(経済的・社会的な立場を大いに含む)」という歪んだ支配欲に酔っている可能性が高いのではないか。経済的にも社会的にも、お互い自立していたほうが何かとセーフティなこのご時世、対等なパートナーであれば、「危険な目に遭ったら、手を取りあって一緒に逃げようね」で十分なはずだ。だがしかし、どんなに自分はリベラルで、男女は対等だと思っているつもりでも、表面上は「ボクが守るよ」と言っておかないと、「男のくせに頼りない」と言われてしまうのではないか、という強迫観念が捨てられないから、男の自意識はやっかいなのである。「男らしくない」ことを、自分で認められない(許せていない)せいで、自己肯定できないまま卑屈になったり、「どうせ女は強くてリードしてくれる男が好きなんだろ」とやっかんだりしてしまう。真綿で自分の首を絞めていく負の思考スパイラルに、男性は陥りがちなのだ。そして、まさにそんな男性にこそ見てもらいたいのが、7月4日から公開中の映画『フレンチアルプスで起きたこと』である。○「男らしくない自分」を受け入れられない父親の苦悩この映画は、そこそこエグゼクティブな中流階級のスウェーデン人一家が、フレンチアルプスに5日間のスキー旅行にやってきたところから始まる。夫のトマスと妻のエバは、一見、友達のように対等で仲睦まじい理想の夫婦だ。ところが2日目、スキー場が人工的に発生させた雪崩が、予想外に大きくなってしまいテラスを襲ったことから、家族に亀裂が走る。雪崩自体は事故未満のちょっとしたハプニング程度で済むのだが、このとき身の危険を感じたトマスは、とっさにエバと2人の子供を置いて、さっさとひとりだけ逃げてしまうのである。そのせいで残りの4日間、地獄のような気まずさと不和を味わう一家の様子を、この映画はシュールで残酷なコメディとして描く。トマスは最初、妻子を置いて逃げた事実を、すっとぼけて「なかったこと」にしようとする。「ああ、君の解釈では、僕が逃げたってことになってるんだね。うん、そこは見解の違いだな、アハン?」みたいなクールな態度を気取り、やりすごそうとするのだ。それが、ますますエバの怒りを買って、関係をこじらせていく羽目になる。おそらく彼は、嘘をついて妻を論破してやろうなどとは決して思っていない。誰よりもトマス自身が、「父親たるもの、いざというときは家族を命がけで守るものだ」という「男らしさ」を内面化し、自分に課していたのだろう。だから、その「いざというとき」に、自分だけ助かろうと本能的に逃げてしまった「男らしくない俺」を、自分で受け入れ、許すことができないのである。とはいえ、トマスが最初から潔く「ごめん、逃げちゃった!」と素直に謝っていればエバが許してくれたかというと、それも雲行きが怪しい。彼女もまた、夫に対して無意識に「男らしさ」「父親らしさ」を期待していたのに裏切られたという被害者意識があるし、「私はその場にとどまって子供たちを守った"母親らしい"女である(あんたと違ってね!)」という自負や優越感も見え隠れする。男女平等先進国スウェーデンの、一見リベラルで対等に見える夫婦の心の奥にも、「男(父親)たるもの」「女(母親)たるもの」という見えない性役割規範がしぶとく巣食っていることを、この映画は意地悪くあぶり出していくのだ。○湯山玲子と田中俊之が語る"日本のフレンチアルプス"問題ところで、映画の公開に先立って6月29日に開かれた本作の試写会では、著述家の湯山玲子氏と、武蔵大学助教の田中俊之氏によるトークイベントが行われている。湯山氏は、『男をこじらせる前に男がリアルにツラい時代の処方箋』(KADOKAWA)の著者。一方、男性学の第一人者である田中氏もまた、『男がつらいよ絶望の時代の希望の男性学』(KADOKAWA)を上梓したばかりとあって、男性特有の抑圧や生きづらさを語るには、まさにうってつけの2人だ。湯山氏はまず、トマスが自分だけ逃げたのを最初「なかったこと」にしようとする態度について、「男性によく見られる思考停止」と指摘。田中氏も、「満員電車のつらさや残業する意味を、いちいち疑問に感じていたら企業で働けなくなってしまう。これまで男性は、自分の本当の感情を麻痺させられてきた」と語る。田中氏が定年退職した男性に聞き取り取材をしたところ、40年間ひたすら企業に身を捧げてきた結果、自分に何も残っていないことに気付き「残念です」と答えた人が多かった、というエピソードには愕然とさせられた。また、旧来の男性が「金・権力・女」を原動力に生きてきたのに対して、最近の学生はそこに頓着や執着がないと田中氏は言う。湯山氏は、それ自体はいい傾向であるとしながらも、「金・権力・女」に代わるモチベーションとして、「家族」が再び理想化されていることに危惧を示した。男性を仕事の奴隷にしてきた戦後社会は、一方で母と子の癒着状態を生み出し、子供を管理/監視したいという「母性の暴走」を許してきたという。その結果、「お母さんに心配かけたくない」という発想が蔓延し、若者が自分の責任で自立や挑戦をすることを阻害しているのではないかというのだ。たしかに、自分も含めた「いまどき」の男性の傾向として、マッチョな「男らしさ」を手放す代わりに、自分の行動に対する「責任」も取りたくないという甘えを感じることがある。ひょっとすると男性は、「男らしさ」で縛り付けられていないと、責任や主体性を引き受けられないのではないか……そんな暗澹たる考えも頭をよぎる。自己保身から一転して自己反省の深みにはまり、ダメな自分を受け入れられずに壊れていくトマスの姿を見ていると、そんな男性の本質的な脆弱性を突きつけられているようで、実に居心地が悪い。しかし、「男(父親)たるもの」「女(母親)たるもの」という性役割規範の暴走は、どちらかがやめれば済むというものではなく、社会の構造や制度が変わらない限り、表裏一体で切り離せない。本作は、ラストで観客の解釈を試すような「ある事件」が起きて、モヤモヤした不穏な印象を与えたまま幕を閉じる。それは、「トマスが反省して夫婦と家族の絆が修復できれば、それでめでたしなのか?」という疑念を暗示しているように、私には思えた。ちなみにこの映画、ヒューマントラストシネマ有楽町では、男女ペアなら2,000円で見られる「カップルチャレンジ割引」が実施されているので、勇気ある猛者カップルはぜひ一緒に見てみてほしい。『フレンチアルプスで起きたこと』(7月4日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー)公式サイト 公式ツイッター 公式フェイスブック(C)Fredrik Wenzel<著者プロフィール<福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年07月15日スズキは10日、同社二輪車を代表するスーパースポーツバイク「GSX-R」シリーズが、1985年の初代「GSX-R750」発売から2015年で30周年を迎えたと発表した。これを記念して、ロードレース世界選手権のMotoGPに同社チーム「チームスズキ エクスター」は、初代「GSX-R750」を模した青 / 白の「30周年記念カラー」で参戦する。記念カラーを施した参戦マシン「GSX-RR」は、第9戦ドイツGP(決勝は7月12日)および第10戦インディアナポリスGP(決勝は8月9日)に出走。さらに、現行の「GSX-R」シリーズ「GSX-R600 / 750 / 1000」(海外向けモデル)にも「30周年記念カラー」として青 / 白および赤 / 黒の2種類のカラーグラフィックを採用し、タンク上に30周年デカールを装着して欧州・北米を中心とした海外向けに追加発売する。「GSX-R」シリーズは、初代「GSX-R750」発売以来、レース活動で培われた最新技術をフィードバックした軽量・高出力な高性能スポーツバイクとして人気を博し、2012年には累計生産100万台(GSX-R600 / 750 / 1000 / 1100の合計)を達成。また、同シリーズをベースとしたレース車両は、世界耐久選手権、スーパーバイク世界選手権、鈴鹿8時間耐久レース、全日本ロードレース選手権など、数々のレースで栄光を勝ち取ってきた。
2015年07月10日アルゼンチンで『アナと雪の女王』にダブルスコアの大差をつけ、同国歴代NO.1の大ヒットとなった『人生スイッチ』。7月25日(土)に迫った日本公開を前に、山田孝之や斎藤工、小堺一機、松尾スズキ、シシド・カフカ、鈴木おさむ、竹中直人など、映画通・映画好きとして知られる著名人たちから、絶賛のコメントがシネマカフェに到着した。第87回アカデミー賞「外国語映画賞」にアルゼンチン代表作品としてノミネート、第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも正式出品され、あまりにも斬新な面白さで話題をさらった本作。人生において、決して押してはならないスイッチを押してしまったがために、不運の連鎖に巻き込まれる6人の男女をユーモアたっぷりに描いた前代未聞のブラック・コメディ。スペインが生んだ名匠ペドロ・アルモドバルがプロデュースした。その先の展開を1ミリたりとも読ませない展開と、誰もが初めて見る圧巻のラストの衝撃に、世界中の映画通たちも舌を巻き、そして爆笑!それは、日本の著名人や映画監督たちもまったく同様だった様子だ。<コメント一覧>■山田孝之(俳優)負の連鎖が続き苦しくなる描写が多いのに、観終わった今最高にすっきりしている。それはこちらが思ったことを登場人物たちが“とことんやってくれる”から。映画の世界にモラルや法律なんて関係無い。作る側としても観る側としても見習うべきだ。■松尾スズキ(作家・演出家・俳優)登場人物全員、見苦しい。だけど、その見苦しさから一秒も目が離せない。時にオシャレにすら思える。それは、監督のセンスが抜群に新しいから。■シシド・カフカ(ミュージシャン)きっと日常に潜む人生スイッチ。絶対に押したくない!衝動に素直な登場人物達を羨ましく思いながらも、人に優しく慎重に生きていこう、と心に刻みました。■鈴木おさむ(放送作家)一つずつの作品と物語が濃く、パワーにみなぎっていて、前菜のない、メインだらけのコースを食べたような、そんな映画です。全てが自分のまわりにありそうでなさそうで、でもスイッチ一個でありえるんだろうな。だからおもしろい。■竹中直人(俳優)観ている間じゅう興奮しっぱなし!何だこの映画は!?すごすぎる!声を出して良いなら終始「うわー!」「うおー!」って叫びながら観ていたい!この映画は確実に爆発している!!■斎藤工(俳優)※公式ブログ「斎藤工務店」よりなんじゃこりゃ!!最初のエピソードから驚愕の求心力こんなんありかよ、、面白すぎる。グザヴィエ・ドラン然り映画の文法が変わりつつあるのか。『人生スイッチ』は7月25日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネマライズほかにて全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:人生スイッチ 2015年7月25日より全国にて公開(C) 2014 Kramer & Sigman Films / El Deseo
2015年07月02日スズキは25日、福祉車両ウィズシリーズに、車両後部のスロープにより車いすでのスムーズな乗り降りが可能な新型「エブリイ 車いす移動車」「エブリイワゴン 車いす移動車」を設定するとともに、「スペーシア 車いす移動車」を一部改良して発売した。新型「エブリイ 車いす移動車」「エブリイワゴン 車いす移動車」は、2015年2月に全面改良した軽商用車「エブリイ」、軽乗用車「エブリイワゴン」をベースとした軽ワンボックスタイプの福祉車両。大きく広いバックドア開口部と車両後部のテールゲート一体型スロープにより、車いすでのスムーズな乗り降りを実現したほか、ワイヤレスリモコンで操作可能な電動ウインチを採用し、介助する人の負担を軽減している。そのほか、「エブリイワゴン 車いす移動車」は、左右分割式リヤシートを採用することで、車いす乗車時の乗員定員を従来の3名から4名とし、衝突被害軽減ブレーキをはじめとする先進安全技術を標準装備。「エブリイ 車いす移動車」は、エコカー減税の減税対象車となっている。「エブリイ 車いす移動車」の価格は159万5,000円~171万5,000円、「エブリイワゴン 車いす移動車」の価格は189万5,000円~201万5,000円(いずれも税込)。「スペーシア 車いす移動車」は、車いすでのスムーズな乗り降りが可能な車両後部のテールゲート一体型スロープに加え、衝突被害軽減ブレーキをはじめとする先進安全技術を搭載する福祉車両。今回の一部改良では、「G」と「X」に「S-エネチャージ」と改良型のR06A型エンジンを搭載することで環境性能を高め、エコカー減税の免税対象車とした。さらに、「X」には「ナノイー」搭載フルオートエアコン、プレミアムUV&IRカットガラス(フロントドア)などを採用し、快適装備を充実させている。ベーシックな仕様の「E」は、装備を見直して購入しやすい価格とした。「スペーシア 車いす移動車」の価格は、144万5,000円~169万円(いずれも税込)。
2015年06月25日漫画を評価する言葉といえば、「緻密な世界観」「圧倒的な描写力」「魅力的なキャラ造型」などが常套句だが、ネットで散見される『東京タラレバ娘』の感想はちょっと違う。「破壊力がやばい!」「殺傷能力高すぎ!」「阿鼻叫喚!」など、ほとんど殺鼠剤かアサルトライフルのレビューにしか使われないようなボキャブラリーが並んでいるのだ(アサルトライフルのレビューなんて読んだことないけど)。仮に、アラサー独身女性が密室で変死体となって見つかり、手に『東京タラレバ娘』が握られていたら、自殺でも他殺でもない「書殺」として、この本が凶器として押収されることだろう。よくわからない喩えをしてしまったが、とにかくそれほどまでに今、読んだ女性を次々と「痛い!」「刺さる!」「死ぬ!」と半狂乱に陥れている漫画が本作なのだ。しかし、その「!」の部分に、どこか嬉々としたテンションの高さを感じるのは私だけだろうか。○アラサー女性の息の根を確実に止めるアサシン・東村アキコ本作の主要登場人物は、フリーの脚本家の倫子、ネイルサロンを経営する香、居酒屋の一人娘として店を切り盛りする小雪の3人。ともに高校時代から親友同士の33歳で、しばらく彼氏がいないのも共通項だ。注目すべきは、彼女たちがそれぞれ自立した職業に就き、そこそこ稼ぎもあって、それなりに成功や安定を収めていること。つまり、スペックだけ見たらじゅうぶん一人でも幸せに生きていける"はず"なのである。しかし、彼女たちはまったく幸せと思えずにいる。その苦しみの原因は、"彼氏ほしい""結婚したい"というもはや内圧なのか外圧なのかわからないプレッシャーと、若い頃とは勝手が違う現状に追いつけず、理想の男性と理想の恋愛のハードルを上げ続けてしまった自意識との葛藤だ。この、"自分がもう若くないことを受け入れられない"アラサー世代特有の痛い腹を執拗に探り当て、グリグリとえぐり続けるところが、この漫画の凶器として鋭利なゆえんだ。倫子が10年前に"ダサいから"とフッた仕事仲間の男が、立派に成長&出世してはるか年下の女子と付き合い出したり。実力で評価されることが救いだった仕事すら、10歳年下の新人の枕営業によって横取りされたり。若きイケメンモデルのKEYは、倫子たちの女子会を「行き遅れ女の井戸端会議」と切って捨て、「もう女の子じゃないんだよ? おたくら」と熾烈な暴言を吐く。さらには、倫子がお酒を飲み過ぎると現れるタラの白子とレバテキの幻覚までも、口を開けば「女は若さと美しさタラ」と手厳しい。本作は一見、アラサー独身女性に対して脅しがキツすぎるように見える。彼女たちが割を食っているのは、若くてかわいい女性にばかりゲタを履かせる男たちも悪いし、"彼氏がいない""結婚していない"ことを必要以上にコンプレックスと思わせる社会にも原因があるだろう。作者の東村アキコ氏も、1巻の巻末おまけマンガの中で、「別に私は『女は結婚しなきゃダメ』とか『女の幸せは男で決まる』とか『結婚できない女はかわいそう』なんて全く思ってません」ときっぱり明言している。にもかかわらず、なぜ作者は本作において女性を追い詰めることばかり言うのだろうか。本当はハートマン軍曹が描いてるのか。○「愛に甘い夢を見るのは20代で卒業せよ」という辛辣なメッセージ1巻のラストで、倫子は一回りも年下のKEYから挑発的な誘い文句をかけられて一線を越えるという、いかにも少女漫画チックな展開を迎える。しかし、これって恋かしら……と心揺れる倫子に対して、タラとレバーは「酔って魔が差してセックスした」「それ以上でも以下でもないタラ」とアイスバケツチャレンジのような冷たい現実を浴びせかける。倫子だけではない。2巻では香や小雪までもが、それぞれいわくつきの男性と夜をともにし、幸せになれる見込みのない色恋にハマっていくのだ。彼女たちは、それがたとえ男の遊びや気の迷い、大人のグレーな関係であっても、体を重ねると気持ちまで許してしまい、そこになんらかの「愛」があるのではという甘い夢を見てしまう。愛は男から与えられるものであり、セックスとはその愛を受け入れる行為であって、それはロマン輝くエステールのように尊いものだと、子供の頃から植え付けられてきたからだ。しかし、タラとレバーはこう言う。「あれは愛の行為なんかじゃない」「愛という言葉に踊らされて」「おまえらはいつも」「リングの上でサンドバッグになって」「ボコボコに殴られてるんタラ」「33歳にもなってどうしてそれに気付かないんタラ?」昨今、日本の男性はAVのせいで"セックス=支配的・暴力的なもの"と思い込まされているのではないかと、しばしば指摘されるようになった。一方で、女性もまた、少女漫画というまほろばの湯に肩までどっぷり浸かった結果、"恋愛=受動的・依存的なもの"という幻想を刷り込まれて手放せなくなっている人は多い。倫子の書いたネットドラマを、KEYが「夢見るおばさんに少女漫画みたいなドラマを提供するのがアンタの仕事」「少女漫画脳の乙女チックババアの書いた脚本」とこき下ろしているのは象徴的だ。さらに東村アキコ氏は、「このマンガがすごい! WEB」のインタビューの中で、本作についてこう語っている。「『これを読んだおかげで現実が見えて、そこそこのとこで妥協して高校の同級生と結婚しました』って報告してもらえたらうれしいですよね」つまり『東京タラレバ娘』は、決してアラサー独身女性に非があると責め立てるための漫画ではない。ただ、彼女たちを毒する「少女漫画脳」というロマンティック・ラブ至上主義の洗脳を、いささかスパルタなショック療法によって解こうとしているのではないだろうか。男に甘い夢を見てしまう「愛」の幻想からアラサー女性を解放し、自立させるため、作者はあえて鬼になっているのだ。そのやり口の是非はともかく、それが多くの女性読者に"響いてしまった"のは事実だ。彼女たちの「痛い!」「刺さる!」「死ぬ!」に込められた「!」のテンションは、依存症患者が禁断症状にもだえる叫びにも、あるいはカルト信者が洗脳を解かれて目覚めた歓喜のカタルシスのようにも、私には聞こえるのである。<著者プロフィール<福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年06月15日スズキは3日、軽量・コンパクトな2気筒0.8Lの小型車向け「E08A型ディーゼルエンジン」を開発し、インド子会社のマルチ・スズキ・インディアが生産・販売する小型車「セレリオ」に搭載して、インド国内向けに発売すると発表した。同社はこれまで、他社からの供給やライセンス生産によって1.3~2.0Lのディーゼルエンジンを主に海外向けのモデルに搭載してきたが、インド市場でのディーゼルエンジン仕様車の需要に対応するため、同エンジンを自社開発した。「E08A型ディーゼルエンジン」は、シリンダーブロックの材質にアルミニウムを採用し、コンパクトな2気筒エンジンに適した小型の燃料供給システムとターボチャージャーを搭載することで軽量化を実現。低圧縮比化と大型インタークーラーの搭載により、低回転域での高トルクと燃費性能を両立した。また、フライホイールを最適化することで2気筒ディーゼルエンジン特有の低周波振動を軽減している。「セレリオ」への搭載にあたっては、エンジンの取り付け方法や車体剛性の最適化、吸音材の追加等を行いエンジンから伝わる低周波振動や燃焼音を軽減し、快適性を高めた。さらに、このエンジンを搭載した「セレリオ」は、インドでトップの燃費性能となる27.62km/Lを達成した。
2015年06月04日スズキは6月3日、2気筒0.8Lの小型車向け「E08A型ディーゼルエンジン」を開発したと発表した。同社ではこれまで、他社からの供給やライセンス生産によって1.3~2.0Lのディーゼルエンジンを主に海外向けモデルに搭載してきたが、「E08A型ディーゼルエンジン」はインド市場でのディーゼルエンジン仕様車の需要に対応するため自社で開発した。「E08A型ディーゼルエンジン」では、シリンダーブロックの材質にアルミニウムを採用し、コンパクトな2気筒エンジンに適した小型の燃料供給システムとターボチャージャーを搭載することで軽量化を実現。また、低圧縮比化と大型インタークーラーの搭載により、低回転域での高トルクと燃費性能を両立したほか、フライホイールを最適化することで2気筒ディーゼルエンジン特有の低周波振動を軽減することに成功した。同社の子会社であるマルチ・スズキ・インディアが生産・販売する小型車「セレリオ」に搭載される予定で、「E08A型ディーゼルエンジン」搭載の「セレリオ」では燃費性能27.62km/Lを達成した。
2015年06月03日スズキは6月3日、軽乗用車「アルト ラパン」を全面改良した新モデルを発売すると発表した。3代目となる新型「アルト ラパン」は企画・開発段階から女性の目線を取り入れており、女性がクルマに求めるデザインや機能がふんだんに盛り込まれている。エクステリアはラパンならではの箱型に丸みを加えた「まる しかくい」フォルムを採用。インテリアは、ソファやテーブルといったモチーフを取り入れ、自分の部屋のようにくつろげる空間を目指した。車体色と内装色の組み合わせも豊富に用意されている。そのほかでは、デザイン性と使いやすさを追求した収納、「ナノイー」搭載のエアコン、プレミアムUV&IRカットガラス、運転をサポートするメーター音声案内機能など、女性にうれしいさまざまな機能や装備が採用された。また、新プラットフォームと効率を高めたパワートレインの採用などによって、120kgの大幅な軽量化と35.6km/Lの燃費を実現した。さらに、全車にレーダーブレーキサポートを始めとする安全技術を標準装備している。価格は107万7840円~149万2560円となっており、スズキは月間4000台の販売を目指すとしている。
2015年06月03日5月26日に開催されたNVIDIAの「ディープラーニングフォーラム2015」において、東京大学の松尾豊 准教授が「人工知能の未来-- ディープラーニングの先にあるもの--」と題して講演を行った。人工知能のこれまでの歴史から、最新のディープラーニングの研究状況、そして、その先に来るものについて分かりやすく説明されており、非常に参考になる講演であった。○これまでも2度、ブームが起こっていた人工知能研究脳は電気+化学変化で情報処理を行っているマシンである。とすれば、プログラムで脳の機能を実現できるはずという考えから、研究が始められ、1956年に「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉が作られた。1960年代には第1次AIブームが起こり、推論と探索で人工知能を実現しようとした。このアプローチは、解きたい問題を推論・探索問題として記述できるおもちゃ的な小さな問題は解けるが、大規模な実用的な問題は解けない。例えば、チェスや将棋、碁などはすべての手を探索すれば解けるはずであるが、場合の数が多く、現実には計算できない。このように、実用的な問題が解けないことから1970年代にはAI研究は下火になり、冬の時代に入る。1980年代になると、知識を教えてやれば、それをベースに推論と探索を行うエキスパートシステムが考案され、第2次のAIブームが起こった。わが国では、多額の研究費を投入して第5世代プロジェクトが行われた。知識を記述して教え込めばAIシステムは賢くなり、伝染性の血液疾患の診断を行うMYCINなどのエキスパートシステムが開発された。しかし、知識を記述するルールが数万にもなると、書ききれない、メンテナンスができないなどの問題が明らかになってきた。また、対象が広がると、一般的な常識が必要となり、教える知識が爆発的に多くなってしまうという問題があるという。"He saw a woman in the garden with a telescope."は、文法的には、彼は庭にいる彼女を望遠鏡で見たとも、彼は望遠鏡を持って庭にいる彼女を見たとも訳せる。常識的には前者が正しそうだが、なぜ、それが分かるのか? そして、これをどのようなルールとして記述して人工知能に教えられるのかというような問題が起こる。また、どこまでの因果関係を考えるのかというフレーム問題がある。将棋のゲームならルールの範囲の手だけを考えればよいが、駒を置く音が周囲に与える影響や駒の移動に伴う重力場の変化の影響まで考え始めるとキリがない。しかし、なぜ、これらを無視して良いのか、その知識をどのように記述するかという問題も出てくる。さらに、人間は、縞と馬の知識があれば、動物園で初めてシマウマを見た時にも、これはシマウマと分かるが、シマとウマという言葉とその実体との対応が分かっていない(シンボルグラウンディングング問題)コンピュータには、このようなことはできない。知識を書けば賢くなるが、知識を書くのがとても大変というか、これって本当にできるのか? ということで1995年ころからAI研究は下火になり第2の冬の時代に突入した。これまでの人工知能の壁は、表現の獲得の壁で良い特徴量とそれによって定義される概念を作る作業はコンピュータには出来ず、人間がやるしかなかった。(次回は6月1日に掲載予定です)
2015年05月29日いきなりですが、今日はみなさんに、ある説をプレゼンしにやって参りました。題して、「自分は依存症じゃないと言い切れる人なんていない説」です。いや、待って待って、読むのやめないで! ツムツム始めないで!気持ちはわかります。依存症なんて、特別な人がなる、特別な病気。そう思いたい気持ちは重々承知です。私もそう思ってました。だって、タバコ吸わないし。自分がツイてない人間だって知ってるから、怖くてギャンブルできないし。飲むとすぐ眠くなっちゃうから、酒も付き合い程度でしか飲まないし。でもね、ちょっと待って。あと、ツムツムもいったんやめて。ためしにこの本を読んでみてほしいんです。今、大注目の漫画家・まんしゅうきつこ氏が自身の実体験を描き下ろした『アル中ワンダーランド』。これを読むと、アルコール依存症が決して"特別な世界"ではなく、ありふれた日常と地続きにあるものだということがわかると思います。○淡々としたアル中描写のおかしさと恐ろしさアルコール依存症の実態を描いた作品といえば、中島らもの『今夜、すべてのバーで』をはじめ、吾妻ひでおの『失踪日記2 アル中病棟』、鴨志田穣の『酔いがさめたら、うちに帰ろう』など、壮絶な名作ぞろい。そのせいか、どこか芸術に身をささげたハードコアなろくでなしたちが奏でるブルースといった趣が強く、折り目正しくフツーに日常を過ごす私たちには無縁のもの、といったイメージが付きまといます。それに対して、『アル中ワンダーランド』のまんしゅう氏は、もともと一介の主婦ブロガー。ブログで人気に火がついたのをきっかけに、仕事と家事の両立に行き詰まり、お酒へとのめり込んでいくようになったといいます。その、誰でも足を踏み入れてしまいそうな、敷居の低さがかえって怖い!本作では、アルコール依存症の代表的な離脱症状である幻聴、被害妄想、希死念慮などの体験が描かれていくのですが、これらのエピソードは、決まって「気が付くと朝……」と、著者が布団で目覚めるコマから始まります。つまり、お酒を飲んでいる間のできごとは記憶がないので、周囲からの伝聞としてしか描けないのです。その、妙に人ごとで淡々とした描写がかえってリアル。エピソードの一つひとつはおかしいのに、じわじわとした不安と恐ろしさをかき立てられます。○誰もが「面白い人」を求められるなにより読んでいて胸をかきむしられるのが、本作全体から漂ってくる「面白い人にならなくちゃ」というプレッシャーです。漫画のネタが浮かばないとき、人とフレンドリーに話したいとき、イベントを盛り上げなきゃいけないとき……まんしゅう氏がお酒に走るのは、決まって人から"おもしろさ"を求められたときなのです。俗に、依存症は根が生真面目で完璧主義の人ほどなりやすいと言われています。まんしゅう氏も、コミュニケーションスキルのハードルを自分で勝手に上げすぎてしまい、そのハードルを乗り越えるためのツールとして、お酒を"ドーピング"に使うようになったと説明しています。コラムに書かれた「誰か、私を『面白い』から解放してください」という著者の心の叫びは、何かを創作する立場の人間にとって、涙なくして読めないのではないでしょうか。いや、現代では、作家だけでなくその辺の一般人までもが、「面白い人」「楽しい人」「変な人」として、自分の身の上をネタとして提供することを求められます。Twitterで本作の感想を検索してみると、尋常じゃない数の人が、「私もお酒を飲まないと人前で楽しく振る舞えない、だから飲んじゃう」と著者に共感しているという事実に気付かされるでしょう。誰もが、「人前では面白い人でなければいけない」「コンテンツとして消費される価値がなくてはいけない」というプレッシャーを抱えて生きているようです。○私たちは、依存する快楽から逃れられないまた、巻末の対談では、まんしゅう氏が「アルコールならなんでもいい」という状態に陥り、最終的には化粧水用のエタノールをトマトジュースで割って飲んでいた、という衝撃のエピソードを明かします。つまり、お酒の味そのものが好きなのではなく、アルコールによって得られる酩酊(めいてい)感や、それによってコンプレックスなどの「別の何か」を埋め合わせることができる快楽こそが、お酒に求めていたものだったわけです。では、翻って私たちは、果たして本当に「自分は何にも依存していない」と自信を持って言えるでしょうか。考えてみてください。あと、気が付くとツムツムやるのやめてください。お願いだからこっち向いてください。え、ツムツムじゃなくて「ねこあつめ」? うるせえ、同じだよ!お酒やタバコ、ギャンブルといったわかりやすいものだけに限りません。常に誰かに愛されていないと不安な恋愛依存、「忙しいから」を理由に家庭の問題から目をそらす仕事依存、ミッドライフ・クライシスに陥った中年男性が急に筋トレを始めるトレーニング依存、あと、わかんないけどツムツム依存……。科学的な実証のほどはわかりませんが、食べるのが好きな人は、料理を楽しんでいるのではなく、「血糖値が上がってテンションがハイになった状態の中毒になっているだけなのでは」という説すらあります。私たちは、自分が思っている以上に無自覚な領域に支配されているし、自分が正常だと思っている状態は、何かにすがりつくことによってやっと維持されているだけかもしれない。正常と異常、日常と非日常、正気と狂気……その境目は思ったよりもグラグラであるということを、本作は教えてくれるのです。○著者プロフィール: 福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年05月25日2015年の1~3月期にフジテレビで放送された『問題のあるレストラン』は、とても意欲的なドラマだった。男性中心の社会で虐げられ、辱められてきた女性が直面する、セクハラ、パワハラ、モラハラといった問題を、きちんと真正面から告発しながらも、魅力的なキャラと、繊細な会話や描写の積み重ねで、あくまでエンタメとして成立させていた手腕は見事である。これまでフェミニズムが草の根で啓蒙してきたジェンダーをめぐる問題を、決して説教臭くない軽やかなエンタメに落とし込んだ作品が、近年増えてきたように思う。『問題のあるレストラン』が扱った問題意識や人物設定とどことなく通底するものを感じる、鳥飼茜の『地獄のガールフレンド』も、そんな漫画のひとつだ。○「誰かのために生きている」女性への卑屈な感情この作品は、立場も属性も違う3人の女性が、それぞれの事情から一軒家でルームシェア生活をスタートさせるところから始まる。今よりもっと稼ぎたいから家事を分担してほしいのに、"今の収入バランスで自由だけ欲しがるのはワガママ"と言い放つ無理解な夫に見切りをつけ、シングルマザーの道を選んだイラストレーターの加南。20歳で既婚男性との不倫を経験して以来、男に頼らず「誰にも迷惑をかけない」ことを信条に生きてきた、セカンドバージンのバリキャリ女性の悠里。そして、いかにも男ウケする容姿と天性のモテ力を持ち、いつも彼氏を切らしたことのないファッションデザイナーの奈央。彼女たちの姿から浮き彫りになるのは、選んだ道や置かれた立場が違うだけで分断されてしまう女の人生だ。たとえば悠里は、「花の独身じゃん」「時間なんて自由に使えるんだから」という理由で、育児のために時短勤務をしている同僚女性の仕事を、他の男性から押し付けられる。このとき彼女は、仕事を押し付けた男性ではなく、つい時短勤務の女性にいらだちを向けてしまう。彼女にとって、母や嫁といった女性は、「誰かのために生きている」という使命感や正義感を振りかざしているようでうとましく、「誰のためにも生きてない」自分が蔑まれているようにすら感じてしまうというのだ。一方、シングルマザーの加南にとっては、まさにこの「誰かのために生きている」というレッテル貼りこそが、理不尽な抑圧となっている。共働きをするために子供を保育園に預けたのに、対応を求められるのはいつも「お母さん」ばかり。子供がいるのに離婚するなんて、子供がいるのに男と付き合うなんて、すべては「お母さんの都合」(=ワガママ)だと責められてしまう。「私たち女は/誰も彼も大変てことにしてなきゃいられない/『自分だけ楽しい道を選んで』と反感を買ってしまわないように」こうして女性は、自分と違う属性や、自分が選ばなかった道に進んだ女性を、むやみに羨んだり妬んだり、牽制し合ったりして、"女の敵は女"と分断させられる。分断"させている"社会や仕組みのほうに、問題の矛先はなかなか向けられない。○"男から求められる"ことの甘美な誘惑とその闇とはもうひとつ、この作品で考えさせられるのが、性的客体として求められることを欲してしまう、女性の欲望のあり方だ。"なぜ女性向けの風俗店は一向に実現しないのか"について3人が話し合う場面で、加南は、女性の性欲が「『さわらしてもらう』ってトコに全然トキメキがない」「『やむを得ずさわりさわられ』っていうのにトキめく」という本音を語る。つまり、主体的に欲しているのは自分なのに、"男から求められている"という受け身の状況にしか欲情できない、というわけだ。恋愛や性行為をめぐっては、"男性は支配的にリードし、女性は受動的にそれを受け入れるものだ"という、作られた性役割規範が蔓延している。そうしておけばコミュニケーションコストがかからなくて済む、という振る舞いの問題ならまだしも、やっかいなのは、男女ともにこれを欲望レベルで内面化してしまっていることだ。若さや容姿でジャッジされることにさんざん不快な思いをしてきたはずの加南も、「かわいがられたいって気持ちが捨てられたら…/たしかに楽そうではあるかな…女の人生」と、"男に欲される快感"を捨てきれずに揺らいでいるさまが見てとれる。中でも、男から愛されることを人一倍、自己肯定の拠り所にしてきた奈央にとって、男に求められないオバサンになるのは、何より恐ろしいことだ。焦った彼女は、自分より年上のオジサンと合コンをして、「若くて魅力的な女のコ」扱いされることで自我を保とうとする。しかし、まだ育児中の妻を家に残して自分に手を出そうとする身勝手さを批判すると、男は手の平を返したように奈央を「ドブス」と罵倒してきたのだ。「ホントのことを言う私は/男の人にとってドブスなんだ」時折しも、峰なゆかの『アラサーちゃん』では、ゆるふわちゃんが自分に対して勝手な幻想を抱く文系くんと付き合うことになり、自我崩壊して闇落ちする展開が話題となった。『問題のあるレストラン』では、男性に迎合して生きる道を選んできた"きらきら巻き髪量産型女子"の川奈藍里が、同僚男性からストーカー行為を受けて殴られ、目を覚ます場面が描かれた。ゆるふわちゃんと、川奈藍里と、本作の出口奈央は、年齢こそ違うものの、パラレルワールドを生きる同一人物に見えてくる。自分ではない誰かに自我を預け、欲望をコントロールされるのがいかに危険かということが、今、多くの女性の中で実感として共有されはじめているのだろう。『地獄のガールフレンド』は、生き方の違う女性同士のルームシェアを通して、あなたの隣の女性は本当に敵なのか、手を取り合い"シェア"することはできないのかと、そっと共闘を呼びかけているのかもしれない。ただし、意味深な1巻の最後のコマを含め、タイトルの「地獄」が意味するところは今後の続きが気になるところだ。(C)鳥飼 茜/祥伝社フィールコミックス<著者プロフィール<福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年05月20日スズキは13日、軽乗用車「ハスラー」に、モーターでエンジンをアシストすることで低燃費を実現する「S-エネチャージ」を搭載した機種を設定して発売した。S-エネチャージは、減速時のエネルギーを利用することで発電に使用する消費燃料を抑える「エネチャージ」が進化したシステム。発電を行うオルタネーターをモーター機能付き発電機「ISG : Integrated Starter Generator」に変更したほか、充電・給電性能が向上した専用リチウムイオンバッテリーが採用されている。今回のハスラーでは、NA(自然吸気)・CVT車に搭載(「A」は除く)していたエネチャージを、S-エネチャージに変更。ハスラー搭載のS-エネチャージは、ISGのモーターアシスト時間を、従来の最長6秒間から最長30秒間に拡大したほか、モーターアシストする速度域を従来の15km/h~85km/hから発進後~約85km/hに拡大しており、モーターアシストする頻度が向上している。また、燃焼効率を高めるなどの改良を施したR06A型エンジンを搭載し、S-エネチャージとの組み合わせによって、2WD車は32.0km/Lの高い燃費性能を達成。併せて、ハスラー全車に車体色「クリスタルホワイトパール」「クリスタルホワイトパール ブラック2トーンルーフ」が新設定されている。ハスラー S-エネチャージ搭載車は、全車がエコカー減税の免税対象車となっており、価格は126万1,440円~162万1,080円(いずれも税込)。
2015年05月13日スズキは5月13日、軽乗用車「ハスラー」に加速時にモーターでエンジンをアシストする「S-エネチャージ」を搭載した機種を同日より発売すると発表した。ハスラーのNA・CVT車に搭載していた「エネチャージ」を「S-エネチャージ」に変更し、ISGのモーターアシスト時間を従来の6秒間から最長30秒間まで拡大した。また、モーターアシストの速度域は「15km/h~85km/h」から「発進後~約85km/h」に拡大し、モータアシストの頻度も向上した。エンジンは改良型R06A型エンジンを搭載。圧縮比の向上やEGRシステムを採用し、吸気、排気系を見直したことで燃費性能を高めることに成功。「S-エネチャージ」と組み合わせることで、2WD車は32.0km/lの燃費性能を達成した。カラーも新たに設定され、「クリスタルホワイトパール」「クリスタルホワイトパール ブラック2トーンルーフ」が加えられた。なお、ハスラー「S-エネチャージ」搭載車の価格は126万1440円~となっており、「S-エネチャージ」搭載車はエコカー減税の免税対象車となる。
2015年05月13日実にトリッキーなタイトルの本である。『愛は技術』なんて言われると、一見よくある"モテテク"のようなハウツーを指南する本にも見えてしまうが、おそらくこれは狙いだろう。なぜならこの本には、いわゆる愛され、ゆるふわ、自分磨きといった"男に選ばれる"ための小手先のテクニックとは、真逆のことが書かれているからだ。いわく、愛されたい、選ばれたいといった「受動の愛」を捨て、「女性は男性に選ばれてこそ価値がある」といった「旧態依然とした恋愛観、結婚観からのシフトチェンジ」を図ろう、とはっきり呼びかけているのだ。つまりこれは、モテテク本や恋愛自己啓発本にすがってしまいがちな女性にこそ、手に取って欲しい本。愛されないからといって、自己反省や自己責任で自分を責めるのではなく、"自分が愛するに値する男を自分から選ぼう"と説く本書は、そのための"男の見きわめ方"をスキルやライフハック(=技術)として授けてくれるのである。○女子力アップより、キャリアアップを!著者の川崎貴子氏は、女性のための人材コンサルティング会社の社長として辣腕を振るってきたゴリゴリのバリキャリ女性。加えて、バツイチ・子持ちの末に、8歳年下のダンサーと再婚したという波瀾万丈な経歴の持ち主だ。そんな人生経験から彼女が導き出した結論は、とにかく「自分の人生を他人マターにしない」こと。男性の年収はもはや時価にすぎず、専業主婦は特権階級の貴族である現実を突きつけ、男性に人生をゆだねるのがいかに危険かを指摘する。「女子力アップよりキャリアアップ」を推奨し、男性は年収ではなく「家事や育児の資質やコミュニケーション能力」を重視して選べ、と説くその心は、「夫が倒れても収入が止まらず、妻が倒れても家のことが回る」マルチタスクな夫婦こそ、これからの主流になると予見しているからだ。また、「条件の良い完璧な相手に見初められる」「信念も価値観も相性もすべて合う運命の相手」と出会える、といったロマンチシズムもばっさりお捨てなさい、と川崎氏は喝破している。相容れないのは当たり前。大事なのは、お互いの欠損を埋め合わせ、価値観の違いをすり合わせようと努力できる男性かどうか。相手がそれに値しないとわかったら、執着や依存をせずに鮮やかにリリースするのも肝要だと言うのだ。そのための男の選び方として、第1章では「『結婚向きの男』5つの条件」というものを掲げている。いわく、(1) 「ありがとう」「ごめんなさい」が言える(2) 「会話力」「傾聴力」に長けている(3) 相談力がある(4) 心に何かの傷を持っている(5) 情緒が安定していることだそうで、これらは一見、従来の"頼もしくリードしてくれる男性像"からはほど遠い性質に思えるが、裏を返せばこうした古めかしい"男らしさ"が、これまでにいかに男女間の対等なパートナーシップを阻害してきたか、ということでもあるのだろう。○キャリア女性が超年下男性に走る理由また、第2章では、著者自身の経験と周囲の風評をもとに、キャリア女性に対して5歳差、10歳差の「超年下男性」との結婚をおすすめしているのもおもしろい。そのメリットは、同世代の男性のように支配してこない、マウンティングしてこない、自分のこだわりに合わせてくれる、古い結婚制度や性役割分業にこだわらず柔軟に対応してくれる、などいいことだらけだ。しかし、これって言い換えれば、同世代の男性にはもう幻滅しているから、いっそ超年下男性のほうがかわいげもあるし、のびしろもあるし、自分がママになって育て直したほうがマシだと割り切っている、ようにも思える。本書にはそんなことはっきりとは書いていないけれど、もしそうだとしたら、男性にとってそれはずいぶん情けない事態だと思わなければいけないんじゃないか。実際、この章には超年下夫をうまくマネジメントし、ハンドリングするコツも書かれてあって、一歩間違うとそれは"夫のことは犬と思え"的な、妻にばかり辛抱強い度量の大きさと底無しの母性を要求することになりかねないわけで。もっとも、その点について第3章では、支配したがる男や、遊び人、DV男などの見分け方を挙げ、彼らのような危険で毒になる男とは即刻別れて手を切るように、とはっきり忠告している。"育てるのは、育つ見込みと価値のある男だけに限りなさい"というエクスキューズがきちんとなされているのは、本書の良心であり救いと言えるだろう。本書は、女性読者に向けて書かれているので、もっぱら女性の啓蒙と激励に力点が置かれているのは当然だが、それでも第4章で"アラサー女性はとっとと「大人の女」になってしまったほうが、精神年齢の低い男たちを寄せ付けずに済みますよ"とまで著者に言わせてしまう現在の状況は、むしろ男性にこそ意識改革が必要だと思わされるのだった。○女性の自意識に横たわる"自己肯定感"と"母の呪い"ちなみに、最終章となる第5章では、なぜ女性は「愛されたい」を「支配されたい」と混同し、恋愛で依存したり自分を責めたりしてしまうのか、という問題にも触れている。その原因として語られるのは、最近の恋愛論・女性論の界隈ではすでにおなじみとなったホットなキーワード"自己肯定感"と"母の呪い"である。自己肯定感の低い女性には、母親との確執が背景にあり、結局のところそれは、母親ばかりを家庭に押し込めてきた戦後社会のひずみの表れである、という指摘は、このクラスタの間ではもはや自明の共通認識といってもいい。しかし、そこで川崎氏は、母親もまた「私たちと同じ『幸せ探し』に迷走した女の一人」であるとして、そろそろ私たちは「母親の面影を優しく手放して」「彼女を一人の女性として」許してあげていいのではないかと進言する。「それが『自己肯定』の初めの一歩であり、『自分自身の人生』を生きるファーストステップではないか」と語りかける下りは、この本の白眉かもしれない。私たちはどうあがいても、自分を許し、愛するようにしか、他人を許し、愛することができないのだから。本書は、女性だけでなく男性にとっても、また、恋愛だけでなく仕事や生き方全般についても、コーチングやコミュニケーションのヒントとなる視点をたくさん授けてくれるだろう。<著者プロフィール<福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
2015年04月27日“鬼才”松尾スズキが監督、松田龍平が主演を務め、「ぼのぼの」で知られるいがらしみきお原作の人気漫画を映画化した『ジヌよさらば~かむろば村へ~』。このほど、松尾監督が直感的に繰り出す“ムチャぶり”ともいえる演出に、松田さん始め、二階堂ふみ、片桐はいりら豪華キャストたちが翻弄され、時に困惑したり、大爆笑を見せるメイキング映像がシネマカフェに到着した。病院も学校も警察もない、東北のある過疎の村“かむろば村”を舞台に、お金に触るだけで失神してしまう前代未聞の“お金恐怖症”になってしまった元銀行マン、タケ(松田さん)が、“ジヌ”=銭(ぜに)を一切使わないで生きていくことを決心する、ちょっぴりリアルでシュールな物語。今回到着した映像内では、松尾監督が松田さんに対し、「アイドルみたいに可愛くやって」というムチャぶりをしたり、松田さん演じるタケが車を暴走させ、道に転がっている障害物を避けるシーンの撮影では、なぜか障害物が“白菜”という設定に変わったりして、終始、困惑気味の松田さんの表情が映し出されている。その一方、二階堂さんは”白菜”の追加設定に大爆笑。別の場面では、松尾監督の要求にキッチリ応える女優魂も見せている。また、片桐さんも、困惑しながらも抜群のコメディセンスで松尾監督の要求に応えるなど、爆笑必至場面の連続。これらのシーンが劇中ではどのように仕上がっているのか、とても楽しみなメイキング映像となっている。松尾監督が自らが執筆した台本上からしても可笑しなやり取りなのに、監督の直感でさらに演出が継ぎ足され、笑いが絶えなかったという撮影現場。演じてもらいたい動きを役者の前でやってみせたり、監督がひらめいたギャグやアクションが急きょその場で追加されたりと、独特の手法で構築されていった“松尾ワールド”。その世界に、『恋の門』以来、10年ぶりに飛び込んだ松田さんの困惑ぶりが見え隠れする姿は、一見の価値ありと言えそうだ。『ジヌよさらば~かむろば村へ~』は新宿ピカデリーほか全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ジヌよさらば~かむろば村へ~ 2015年4月4日より全国にて公開(C) 2015 いがらしみきお・小学館/『ジヌよさらば~かむろば村へ~』製作委員会
2015年04月20日映画『ジヌよさらば~かむろば村へ~』が4月4日(土)に初日を迎え、主演の松田龍平をはじめ、二階堂ふみ、阿部サダヲ、西田敏行、そして監督・脚本を務め、俳優としても出演している松尾スズキが揃って舞台挨拶に登壇した。『クワイエットルームにようこそ』以来となる松尾監督の監督3作目。いがらしみきおのマンガを原作に、お金に触れるだけで失神してしまう“お金恐怖症”の主人公が、ある村でお金を使わずに生きていこうとするさまをコミカルに描き出す。松田さんは現在、映画『モヒカン故郷に帰る』の撮影に入っており、劇中とは打って変わって毛先を緑色に染めたモヒカンヘアで登場した。松尾監督とは『恋の門』以来のタッグとなったが、撮影をふり返り「毎シーン、いろいろな提案をいただいて、言葉で伝わらないところは実際に動きを見せてくれるんですけど、松尾さんの動きは特殊で『できないです』ってことばかりでした(笑)。自分なりに汲み取り、やらせてもらいました」と語る。二階堂さんは、オファーを受けた時は留学中で、当初は帰って来ることを渋ったそうだが松尾監督による脚本を読んですぐに出演を決めたという。「(これまで)結構、いろんな役をやらせてもらって、血を吐く役や血を出させることも多かったんですが(笑)、(今回の)脚本を読んで、『少年ジャンプ』の後ろの方に載ってるお色気漫画っぽい立ち位置になれる気がして、いいなぁ、こういうのと思いました。さらけ出したつもりです」と充実感をにじませる。そんな二階堂さんの“お色気”シーンに客席からは拍手がわき起こった。お金恐怖症の主人公にちなんで、登壇陣に恐怖を抱いたり苦手とするものを尋ねると、松尾監督は「買い物が苦手」と告白。「一番、混乱するのは『ドンキホーテ』。中に入ると混乱して自分を見失ってしまいます」と明かすが、一方で「近所にあるのでつい入っちゃうんです…」とドンキホーテへの複雑な思い(?)を口にする。その後、報道陣に向かって「決して『ドンキホーテ』を批判したわけじゃないです(笑)!最近は何でも書かれちゃうから…」と釘を刺し、会場は笑いに包まれる。松田さんは「虫」が苦手と告白。「ゲジゲジやムカデ、蛾が…。撮影が夜で、デカいライトの前にいた時、一度、顔くらいの大きさの蛾がガンガンぶつかってきて、その時は死ぬかと思いました」と恐怖体験を明かす。阿部さんも同じく蛾が大の苦手だそうで「耳に入ったことがあって、お母さんに取ってもらったんですが…。高2の冬に泣いちゃいました、お母さんの前で…」とトラウマを告白。二階堂さんは「排水溝にたまった髪の毛が苦手で、でもこまめに取らないとつまっちゃうので…。(掃除すると)1時間くらい凹みます」と苦笑。西田さんは「ヒザにたまった水。一向に去ってくれない…」となんとも辛そうに明かしていた。『ジヌよさらば~かむろば村へ~』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ジヌよさらば~かむろば村へ~ 2015年4月4日より全国にて公開(C) 2015 いがらしみきお・小学館/『ジヌよさらば~かむろば村へ~』製作委員会
2015年04月04日三井不動産商業マネジメントはこのほど、「三井ショッピングパーク ららぽーと」の2015年度の新CMキャラクターに女優の波瑠さんと俳優の松尾スズキさんを起用。4月上旬からTVCMや館内ポスターなどを展開開始する。CMでは、2015年度のららぽーとが目指す「女性にうれしいモノやコトに出会える場所」というメッセージを発信するために「おじさん(松尾スズキさん)」がある日突然「OL(波瑠さん)」に変身してしまう「おじさんOL」シリーズを展開。1話完結のシリーズ広告となっており、各回のCMにおいてOLに変身したおじさんが今まで気づかなかった女性の「心理」や「喜び」を学んでいく。おじさんとOLの考え方の違いを軸におかしみと共感が同居したシリーズとなっているとのこと。
2015年04月01日映画『ジヌよさらば ~かむろば村へ~』の学生向け試写会が3月30日(月)に開催され、上映後には松尾スズキ監督によるトークセッションが行われ、学生たちの質問に答えた。松尾監督にとって『恋の門』、『クワイエットルームにようこそ』に続く3作目の映画監督作で、いがらしみきおの人気漫画の映画化。元銀行マンでありながら“お金恐怖症”に陥り、お金に触れるだけで失神してしまう主人公が過疎化が進む村でお金を使わない生活を実践するのだが…。本作では『恋の門』以来、10年ぶりに松田龍平を主演に迎えたが、松尾監督はその意図について「コメディであり、その中でもお金に触れただけで失神するという特殊な主人公で、いわゆる“2.5枚目”の俳優が小器用にやると安っぽいくなってB級ぽくなってしまう。そんなに笑いをやらない俳優がいいと思ったし、10年ぶりというのも悪くない、話題になるかなといういやらしい考えもありました(笑)」と説明する。10年の間に俳優として松田さんと仕事を共にすることはあったが、今回、久々に監督と俳優として対峙して「10年前は20歳くらいでそこそこコドモで、そんなに使い勝手の良い俳優ではなかったけど、その分、伸びしろがあって演出しがいがありました。今回、30代になって何もしなくても画がもつ、雰囲気や色気があっていい感じで成長したなと思いました」と語った。また、大学生を相手にしたトークということで監督の大学時代に話が及ぶと「九州の美術科のある大学で、課題も多かったし、劇研で芝居やったりしてました。バイトは新幹線の売り子をしたり、ぬいぐるみショーでキン肉マンとかやってました」と明かした。学生時代にやっておくべきことは?という質問には自身の学生時代をふり返りつつ「やってなかったとすれば合コンかな?どんな感じなんですか(笑)?」と学生に逆質問する一幕も。大学卒業後、一度は就職したが、退職してその後、自ら劇団「大人計画」を旗揚げしたが、当時、経済的なことや先行きに不安はなかったか?と尋ねられると「不思議となかったです」と語る。「景気がメチャクチャよかったので、どこにでも仕事は転がっているという、最後の幸せな時代で、暗い気持ちにはならなかった」とふり返った。とはいえ、バイトで生計を立てるも、決して苦労がなかったわけではないよう。「組織では生きていけないとつくづく思い知らされました。フリーターもうまくいかない。学生がバイトリーダーだったりすると、なけなしのプライドが傷つくんですよ」としみじみと述懐。この日のイベントはは、早稲田大学近くのホールで行われ、会場には早大生が多く足を運んでいたが「高田馬場のマクドナルドでバイトしたこともあったけど、早稲田の学生のバイトリーダーに何度も煮え湯を飲まされた(笑)」と恨みつらみを口にし、会場は笑いに包まれた。現在は「大人計画」の主催であり、演出家、脚本家、俳優、作家と多彩な活躍を見せるが、仕事における原動力を問われると「ひと口では言えないですね。(作品づくりが)最後にたどり着いたところであり、背水の陣で、これを失ったらもうないという根性がないとやっていけない。だから、つい仕事を入れすぎちゃって余裕がないんですよ」と苦笑交じりに語っていた。『ジヌよさらば ~かむろば村へ~』は4月4日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ジヌよさらば~かむろば村へ~ 2015年4月4日より全国にて公開(C) 2015 いがらしみきお・小学館/『ジヌよさらば~かむろば村へ~』製作委員会
2015年03月30日スズキは24日、タイ・バンコクで23日に開催された『バンコク国際モーターショー』(一般公開は3月25日~4月5日)にて、本格セダン「シアズ」をタイ国内で発売すると発表した。シアズは、流麗で上質なスタイリング、広く快適な室内空間、低燃費と優れた走行性能の両立、高い安全性能など、セダンに求められる全ての要素を高い次元で融合させたという本格セダン。エンジンは1.25LのK12Bガソリンエンジン、トランスミッションは5MTもしくは副変速機付きCVTを搭載する。生産は、スズキのタイ子会社であるスズキ・モーター・タイランドで6月から開始され、順次販売される予定。同社のラヨーン工場では、2012年に「スイフト」、2014年に「セレリオ」を生産開始しており、シアズは3車種目となる。また、シアズは、インドで2014年10月より、中国で2014年12月より「アリビオ」名にて販売開始されており、生産国はタイで3カ国目になる。24日に行われた記者発表会において同社の鈴木俊宏副社長は、スズキの海外販売の約10%を占めるアセアン地域は非常に重要な戦略的地域であり、タイはスズキのグローバルビジネスにおける重要な拠点と発言。今後も走行性能や使い勝手の良いパッケージングに磨きをかけた商品を、タイで生産していくと述べている。
2015年03月24日スズキは13日、インテックス大阪で3月20日~22日の期間に開催される『31回大阪モーターサイクルショー2015』と、東京ビッグサイトで3月27日~29日の期間に開催される『第42回東京モーターサイクルショー』の出品概要を発表した。今回のスズキブースは「スポーツ」をテーマとし、4年ぶりにMotoGPに復帰する「チームスズキ エクスター(Team SUZUKI ECSTAR)」の参戦車両「GSX-RR」や、日本初公開となる海外向けの新型モデル「GSX-S1000 ABS」、インドでバイクオブザイヤーを9つ受賞したインド生産の150ccスポーツバイク「GIXXER」など、5モデルを参考出品。市販車では、3月に販売を開始する新型110ccスクーター「アドレス110」や、50ccスクーター新型「レッツ」をはじめとした国内モデル13台が出品される。また、「GSX-RR」にまたがることが出来るコーナーを設けるなど、実際に触れることができる車両を数多く展示し、同社二輪車の魅力を充分に体感できるブースを目指している。
2015年03月13日俳優の松田龍平が3月12日(木)、都内の劇場で行われた主演作『ジヌよさらば~かむろば村へ~』の完成披露試写会に出席。イベントの途中に、会場内の電源が一部ダウンするハプニングがあり、松田さんは苦笑いを浮かべていた。完成披露試写会には松田さんをはじめ、監督・脚本・出演を務める松尾スズキ、共演する阿部サダヲ、二階堂ふみ、西田敏行が出席。登壇者5人が順番に挨拶やトークを行ったが、なぜか松田さんの番になると、客席の赤ちゃんがぐずり出し、コメントが遮られてしまう場面もあった。松田さん演じる“お金アレルギー”になった銀行員・高見が、東北の寒村に移住し、物々交換や自給自足で「お金を一切使わない生活」を送ろうと奮闘する異色コメディ。松田さんと松尾監督といえば、最近では朝ドラ「あまちゃん」で共演したが、俳優&監督としてタッグを組むのは、『恋の門』以来約10年ぶりとなる。「いやー、実際にお金を使わない生活は厳しいですよね。田舎だからってできるものじゃないですし。でも、(お金が)なくなることで、生きる上で何が必要かを描いた映画になっている」と松田さん。また、松尾監督は、本作で『夢売るふたり』に続いて阿部さんと夫婦役を務める松たか子さんの話題に触れ「安産を祈っております」とエールを送っていた。「劇団大人計画」所属の阿部さんが、“主宰”松尾監督の長編映画に出演するのは、意外にも初めて。世話好きな村長を演じ、「原作の設定に合わせて、少し増量したんです」と告白。村人から慕われる自称 “神様”の老人を演じた西田さんは、ロケ地となった福島育ちで「昔、ああいうじいさまに会ったことがありますよ」と懐かしそうに話していた。また、二階堂さんは高見に色仕掛けで迫る女子高生を演じ、「これまで演じてきた役柄のイメージのせいで、暗そうとか物静かだと思われるんですが、今回はすごくキャピキャピ、可愛い女子高生で楽しかった」とニッコリ。松尾監督は「結構エロいですよ」と太鼓判を押していた。『ジヌよさらば~かむろば村へ~』は4月4日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2015年03月12日俳優の松田龍平が3月12日に、都内で行われた主演作『ジヌよさらば ~かむろば村へ~』の完成披露試写会に出席。田舎で“0円生活”を目指すお金アレルギーの男を演じ、「実際、お金なしの生活は厳しく大変だと思いますが、もし(お金が)なくなったとき、生きていく上で何が必要なのかを描いている」と一風変わった設定の本作をアピールしていた。その他の画像いがらしみきおの人気漫画を原作に、ジヌ(東北弁でお金の意味)との決別を宣言をした元銀行員・高見武晴が、東北の山村で“なにも売らず、なにも買わず”の自給自足生活を送ろうと奮闘する異色コメディ。完成披露試写会には松田をはじめ、監督・脚本・出演を務める松尾スズキ、共演する阿部サダヲ、二階堂ふみ、西田敏行が登壇した。松田と松尾監督がタッグを組むのは、『恋の門』以来、約10年ぶり。撮影は福島県の山村で行われ、「お世話になった80歳の山菜取り名人さんが、見えないところで奥さんと怒鳴り合いのケンカをしていた」(松尾監督)とエピソードを明かしていた。世話好きな村長を演じた阿部は「原作に合わせて、少しだけ体重を増やした」と役作りをコメント。二階堂は、主人公の高見に好意を寄せる女子高生役で「今までの役柄のせいで、暗そうなイメージを持たれがちですが、今回はすごくキャピキャピした可愛い高校生を演じることができた」と大喜びしていた。また、村で神様と慕われる老人を演じた西田は「福島育ちなので、(映画に出てくるような)ああいうじいさま、会ったことありますよ」としみじみ。この日は、松田らキャストが来場者に、お札やコインをかたどったチョコレートを投げ入れ、プレゼントした。『ジヌよさらば~かむろば村へ~』4月4日(土)より新宿ピカデリーほかにて全国ロードショー取材・文・写真:内田 涼
2015年03月12日スズキはこのほど、ハンガリーの子会社マジャールスズキにて、新型SUV「ビターラ(VITARA)」のラインオフ式典を5日に実施したと発表した。式典にはハンガリーのヴィクトル・オルバーン首相、小菅淳一ハンガリー駐箚特命全権大使らの来賓を迎え、同社からは鈴木修会長兼社長が出席している。新型SUVビターラは、同社が「ジムニー」や従来の「ビターラ(日本名 : エスクード)」で培ってきた本格四輪駆動車やクロスオーバーSUVとしての資質を受け継ぎながら、デザイン、走行性能、安全性能、環境性能など、あらゆる面で進化させた新しいコンパクトSUV。走行性能を追求しただけでなく、ユーザーのライフスタイルを反映できるクルマとして開発されている。新型ビターラは、1.6Lのガソリンもしくはディーゼルエンジンを搭載(欧州仕様)し、新世代4WDシステム「ALLGRIP」をはじめ、ミリ波レーダー方式による衝突被害軽減システム「レーダーブレーキサポート」や、レーダーで前方車両との距離を測り自動で加減速するアダプティブクルーズコントロールなどの先進技術が採用されている。同社は、ビターラを世界戦略車としてハンガリーをはじめ、欧州全域に供給するだけでなく欧州外にも輸出する予定で、初年度の生産台数は7万台を計画している。
2015年03月06日松田龍平が“お金(ジヌ)恐怖症”の元銀行マンを演じた『ジヌよさらば~かむろば村へ~』の4月4日(土)公開を記念して制作された、オリジナルトイレットペーパーが、好評につき増産されることが決定した。その他の写真本作は、いがらしみきおの人気漫画『かむろば村へ』を原作に、ジヌ=銭と決別する宣言をした主人公が、なにも売らず、なにも買わずに生きていこうとする姿を描くコメディ。松田が現金に触るだけで失神してしまう“お金恐怖症”になってしまった元銀行マンのタケを演じ、阿部サダヲ、松たか子、二階堂ふみ、西田敏行、松尾スズキらが共演する。このトイレットペーパーは、本作のタイトルにちなみ、“ジヌ(お金)”と決別することを劇場来場者にも体験してもらうためにつくられたもので、お札風のオリジナルイラストがプリントされている。現在、新宿ピカデリーほかMOVIXの本作の上映劇場に設置中だ。いつも通りトイレで用を足した人は驚きを隠せないようで、「びっくり!」「ワロタww」などの声とともに、設置されたペーパーを写真に撮ってツイッターに投稿する人が続出! このアイデアに他の劇場からも設置したいとの要望が殺到し、急遽、増産が決定した次第だ。また、監督である松尾スズキは「拭いて流してほしい。」とその想いを吐露している。なお、オリジナルトイレットペーパーは設置時期が劇場により異なり、無くなり次第終了となっている。『ジヌよさらば~かむろば村へ~』4月4日(土)より新宿ピカデリーほかにて全国ロードショー
2015年03月04日●語られはじめた、男の生きづらさこれまで、女性の生きづらさについては、数々の本や言説によって取り上げられ、その啓蒙や救済が語られてきた。一方、男の生き方となると、「もっとビジネスで成功するには」「より女性からモテるには」といったハウツーやノウハウばかりで、その"苦しさの正体"にはほとんど触れられてこなかったように思う。いや、"苦しい"と感じること自体を許さないような空気すら、そこにはあった。しかし、「俺だってつらいんだよ!」と男性がようやく言えるようになったのか、はたまた「"女の呪い"を解くには、表裏一体で存在する"男の呪い"をセットで解決しないと、どうにもならねえ」ということに女性が気付いたのか、最近にわかに"男のしんどさ問題"がクローズアップされはじめている。○"男らしさの呪い"がようやく語られはじめたたとえば、モテを男性の自意識の問題として捉え直した『すべてはモテるためである』(二村ヒトシ・著、文庫ぎんが堂)や、男性の性欲を社会構造の視点から説いた『男子の貞操――僕らの性は、僕らが語る』(坂爪真吾・著、ちくま新書)はその代表例。プライドの高さとコミュニケーション不全が"弱者男性"を生んでいる現状を描いた『ルポ中年童貞』(中村淳彦・著、幻冬舎新書)、ミドルクライシスに陥った男性を長期取材した『男性漂流 男たちは何におびえているか』(奥田祥子・著、講談社+α新書)、男性の性欲が過剰に肯定・保証されている社会の空気をあぶり出した『男しか行けない場所に女が行ってきました』(田房永子・著、イースト・プレス)なども、注目すべき本だ。他にも、武蔵大学で男性学を研究する田中俊之氏、ネットコラムで男性心理の問題点を丹念に因数分解する「桃山商事」など、同様の動きは同時多発的に発生している。そして、これらの問題をほぼダイジェストで解説した、入門編とも決定版ともいえる本がついに登場した。それが、『男をこじらせる前に 男がリアルにツラい時代の処方箋』(湯山玲子・著、角川書店)だ。著者の湯山氏は、これまで『四十路越え!』(角川文庫)や『快楽上等! 3.11以降を生きる』(上野千鶴子との共著、幻冬舎)などで、従来の"女らしさ"から脱却した新しい女性の欲望のあり方について、繰り返し語ってきた論客である。そんな彼女が、分析の矛先を初めて"男の問題"に向けたのが本書だが、その舌鋒の鋭さはこれまで以上だ。男性の欲望が、結局は競争・プライド・モテの3つにしかないことを見抜いた彼女は、その3つが生きていく土台になってしまっているために、そこから抜け出そうとすると男性はアイデンティティが崩壊し、生きていけなくなってしまうことを喝破している。その上で、それが問題だと感じたことも考えたこともない男性に向けて、あえて寝た子を起こすような耳の痛い指摘を、ずばずばと展開していくのだ。●男にかけられてきた呪いとは○感情を殺し、組織に依存し、競争がやめられないたとえば、<わかっちゃいるけど止められない、「競争」>の章では、すべてを勝ち負けでしか捉えられない男性の行動原理を分析。"敗者になる"ことの恐怖から競争を抜け出せず、勝つことよりも、失敗を恐れて保身することが男性社会の目的となっていると言い放つ。女性の社会進出が阻まれてきたのは、敗者男性を敗者と感じさせないように、「それでも女よりは上」と思わせておく必要があったという背景にも斬り込んでいる。また、<歌舞伎と忠義から学ぶこと>では、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』『東海道四谷怪談』に描かれる"忠義"の精神を例にとり、男性が生きるために必要な個人の判断や選択を、所属する組織や周囲の空気にゆだねてしまう"組織依存"の性質を指摘。自由意志や自己責任を放棄してしまったほうが、ラクだしおトクである、という日本人の本音に踏み込んだ。さらに、<「モテ」は思想である>では、男性にとって恋愛やモテの動力源が、「ヤッた女の数、または質を競う」という競争原理にあり、セックスの動機が女性への征服欲にあるという問題を取り上げている。<男における感情問題>では、自分の感情に蓋をして"ないもの"としてきたために、感情への対処の仕方がわからず、突然キレるようになった暴走老人の例を紹介。プライドや恐怖が先行して、自分の感情をブロックしてしまう男性の脆弱性に目が向けられている。このように、最近になって問題化してきた"男にかけられた呪い"が、湯山氏の手でほとんど網羅されているのがすごい。彼女が周囲にヒアリングした実例や、文化的な背景にも豊富に言及されており、一種のカルチャー論としての強度も持ち合わせている。●自由に性を乗りこなす"心の両性具有者"であれ○マザコン社会が男性を"子ども化"させる本書では、最近の新しい男性の潮流として、マッチョな競争原理に依存せず、自分らしさや気分のよさを優先させて、無理をしない自然体の男性が増えている例も紹介している。一見、とても望ましいことのように思えるが、湯山氏はこれを手放しで賞賛しない。万能感を持ったまま自分の欲望を制御せず、ラクでおトクな道ばかりを選ぶ"子ども化"が進行しているのではないかと彼らを危惧している。その背景として重要なのが、"男性のマザコン化"だ。戦後の家父長制が母と子を家庭に押し込めた結果、日本男性は、性の目覚めをきっかけに母親から自立する機会を奪われてしまった。自分に全力の愛情を注いでくれる一番の理解者である母親と、自分の性欲をその通り満たしてくれるAVさえあれば、他者の女性と関わる必要がなくなり、そのことが男性の"子ども化"に拍車をかけているのではないかと、氏は推察するのだ。昨今、家庭も大切にして、育児にもきちんと参加する男性は理想的に語られるが、湯山氏には彼らの姿が、妻の言いつけに従順なだけの"聞き分けのいいお兄ちゃん"に見えるという。つまり、"母の息子"から、"妻の息子"に変わっただけだというのだ。この指摘には、男性の新たな生存戦略を見透かされたようで、正直、身震いがした。だからこそ、大人の男性としての性愛のコードや振る舞いを身に着けるべきだと、湯山氏は主張する。"男らしさ""女らしさ"に囚われる必要はないが、男女の性を"ないこと"にしてしまうのは"子ども化"であり、それもまた不自然な抑圧を生むというのが氏の考えだ。○自分の中に女性性を育てよう本書の中で、私がもっとも感銘を受けた場所がある。"女言葉"には、相手を威嚇する攻撃的なボキャブラリーがないため、女性は「やべえ」「うるせえ」「ふざけんな」といった"男言葉"を使うことで、初めてそういう気持ちを表現できるようになった、と解説する章だ。湯山氏はそこで、逆に男性も女言葉を使うことで、自分の中の女性性(優しさ、愛嬌、コケットリーなど)が表現でき、感情や意見を伝えやすくなるのではないか、と提案している。つまり、男女の性をどちらも"ないこと"にして押さえ込むのではなく、男の中にも女性性を、女の中にも男性性を、両方そなえることで性を超越しようと、本書は述べているのである。男性優位、女性蔑視の差別構造を糾弾しようとするあまり、性差そのものを過剰に否定するよりも、自由に性を乗りこなす"心の両性具有者"であれ。私は本書から、そんなメッセージを読み取った。ともあれ、当たり前だと思っている無意識の行動原理が、自分の首を絞めあげ、他者を踏みつけていることを確認するためにも、「別に俺は悩んでない」という男性ほど、本書は必読であろう。<著者プロフィール<福田フクスケ編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。
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