2017年10月6日 11:00
オダギリジョー、納得できない仕事を避ける理由とは? - 『ゆれる』後の「甘え」「慣れ」の先にあった最高到達点 【第1回 役者の岐路】
でも、それは監督と俳優の信頼関係があってこそだとは思います。何よりも、僕が監督のフレディ像をしっかりと理解できていれば、監督が毎回来る必要もないわけですからね。だから僕が責任を持ってフレディ像をまとめ上げることになりました。
――最終決断をするのはすごく責任の大きなことだと、今のお話を聞いてあらためて思いました。一方で、俳優にとっては当然のこととも言えるのでしょうか?
どうなんでしょうね。俳優が役を頂いた時点から、監督よりもその役のことを考えるのは当然のことだと思いますし、自分の感性や考えを役に投影することはあるべきことだと思います。僕は今までそういうやり方をしてきたので、それが当たり前だと思っていますが、その反面、全く違うタイプ、例えば自分の意志とは関係なく監督の言う通りに完璧に芝居できる方もいる。それはそれですごくプロフェッショナルだと思います。
だからこそ、どちらが間違いでどちらが正しいとも言えない。それぞれのやり方ですね。
○「今の日本映画界にとって必要なもの」
――先月13日に行われた上映会では、「想像もできないような困難な道」を予感していたとおっしゃっていましたね。
日本映画の現状を考えると、こういう作品を作ること自体が……どの言葉を選べばいいか分からないですが、「容易ではない」