歌手の和田アキ子が15日、千葉・舞浜アンフィシアターにて行われた「BVLGARI AVRORA AWARDS(ブルガリ アウローラ アワード) 2021」ゴールデンカーペットセレモニー/授賞式のフォトコールに登場した。同アワードは、創造力と知性そして才能に満ちあふれ、多くの人々にインスピレーションを与える女性を表彰するもの。アーティスト・VERBALの推薦を受けて受賞した和田は「素直にうれしいです。ブルガリはプライベートでも何十年も愛用していますので、家族に褒められたみたいな感じでめちゃうれしいです」と喜んだ。ゴールドドレスにブルガリのジュエリーを身につけて輝きを放った和田。「ポイントは全部です。今このドレス着こなせる人はいないと思います。自信を持ってお見せしております。輝ける女性にいただける賞だと聞いたので、身も心も輝いているように見せようと思っています」と胸を張った。また、話題の楽曲「YONA YONA DANCE」について、「TikTokで大バズリまして。4億3000万回再生されたということは、私にとっては忘れられない年に。慣れない環境でしたけど挑戦してよかった」と述べ、「来年もまた新しいことに挑戦して内面から輝ける女性になりたいと思っています」と語った。撮影:加藤千雅
2021年12月15日マスコミ一家の和田家を舞台にした、相葉雅紀主演の異色のホームドラマ「和田家の男たち」の第4話が今夜放送される。秀平(佐々木蔵之介)から母(小池栄子)の死に関する新事実を聞かされ、衝撃を受ける優(相葉さん)は、自身に命の危険もあると知り、ますます動揺を隠せない。それゆえ、「バズとぴ」のネタも思うように浮かばず、仕事に支障が出始めてしまう。そんな優を心配して、三ツ村(正門良規)と志麻(石川恋)が、突然、和田家に登場。そこに寛(段田安則)も合流し、4人が楽しく宅飲みをスタートさせるのだ。次第に意気投合した4人は、ついには恋バナまでし始め、大盛りあがり。気分がよくなった寛は、松田聖子の「SWEET MEMORIES」を歌い始め、そこに3人も加わり、大合唱を披露する。命の危機に怯えながらも、楽しく和やかな時間を過ごした優たち。果たしてこの先、彼らにどんな運命が待ち受けるのか注目だ。「和田家の男たち」は毎週金曜日23時15分~テレビ朝日系にて放送中(一部地域で放送時間が異なる)。(cinemacafe.net)
2021年11月12日和田アキ子が、本日11月11日に配信リリースした新曲「黄昏にアンコール」のMusic Videoを公開した。「黄昏にアンコール」は、さかいゆう書き下ろしの心温まるミディアムバラードで、12月8日に発売される和田のユニバーサルミュージック移籍第一弾アルバム『WADASOUL 2』に収録される。公開されたMVは、和田とは今回が初のコラボレーションとなる鉄拳による描き下ろしイラストで構成。いち夫婦の人生を描いた心温まる内容となっており、和田の力強くも優しく響き渡る歌声をより際立てている。和田アキ子「黄昏にアンコール」MVなお先日公開された「YONA YONA DANCE」のMVも全編イラストによる作品となっており、和田が2作品連続で全編イラストのMVを公開するのはデビュー54年目にして初となる。<配信情報>New Digital Single「黄昏にアンコール」2021年11月11日リリース「黄昏にアンコール」配信ジャケット配信リンク:「YONA YONA DANCE」配信中「YONA YONA DANCE」配信ジャケット配信リンク:和田アキ子「YONA YONA DANCE」MV<リリース情報>和田アキ子『WADASOUL 2』12月8日リリース価格:2,200円(税込)『WADASOUL 2』ジャケット【収録曲】・YONA YONA DANCE(フレデリック プロデュース)・リフレイン(Ovall プロデュース)・黄昏にアンコール(さかいゆう プロデュース)・wine(Rin音 プロデュース)・太陽に捧ぐ歌(WONK プロデュース)<ライブ情報>『AKIKO WADA Special Live「WADASOUL」』2021年12月8日(水) / 12月9日(木) ブルーノート東京Open 5:30pm / Start 6:30pm※本公演は1日1ショウのみ※12月9日(木) のみインターネット配信(有料)実施予定※アーカイブ配信視聴期間:12月12日(日) まで※アーカイブ配信の内容はライヴ配信と異なる場合がございます。『AKIKO WADA Special Live「WADASOUL」』12月20日(月) ビルボード大阪1st Stage:Open 17:00 / Start 18:00関連リンク和田アキ子 OFFICIAL Twitter和田アキ子 OFFICIAL Instagram MUSIC HP
2021年11月11日TRICERATOPS(トライセラトップス)のボーカル&ギターの和田唱が、この秋開催した東名阪のワンマン「和田唱ソロ~僕の歌 あの人の歌~」のツアーファイナルを10月29日(金)、満員の南青山・ブルーノート東京で開催した。たった一人のステージながら、アコースティックギターを弾き語り、時には、足元のループペダルを駆使しながら、音を重ねて曲をアレンジを施す。エレキギターでは instrumental を華麗に聴かせ、そして生ピアノでの弾き語りも披露。タイトルの通り、セットリストは洋楽のみならず、 和田自身お気に入りの邦楽もラインアップに加え、カバー曲とトライセラ及び和田唱ソロ名義のオリジナル曲を織り交ぜた、普段では見ることのできない特別感満載の華やかな全12曲のステージを展開。和田唱の”音楽の深み”を存分に堪能できる目の離せない贅沢な一夜となった。この先は、進行しているトライセラトップスのアルバム制作、年末恒例、12月30日のワンマンライヴが控えている。個々のソロ活動の充実をも追い風に、シーンをけん引する3ピースロックバンドの雄として、一段とパワーアップした活躍に大きな期待が集まっている。<セットリスト>「和田唱ソロ~僕の歌 あの人の歌~」Blue Note TOKYO 公演1. GOT TO GET YOU INTO MY LIFE (The Beatles Cover)2. キメゼリフ (※和田唱、作詞作曲の藤井フミヤ氏への提供曲)3. もうええわ (藤井風 Cover)4. LOVE COMES TO EVERYONE (George Harrison Cover)5. 19756. GIRL TALK (安室奈美恵 Cover)7. Cannonball Rag (instrumental)8. Misty (instrumental)9. 202010. 若者のすべて (フジファブリック Cover)11. Raspberry-ENCORE-1.Home【TRICERATOPS、一夜限りの特別ワンマン公演決定!】2021年12月30日(木) 新木場・ USEN STUDIO COASTopen 15:45 / start 16:30チケット料金:全席指定 6,500円(税込)※別途ドリンク代必要全席指定 11月20日(土) 一般券売開始お問い合わせ:ホットスタッフプロモーション 03-5720-9999(Weekday 12:00~18:00)
2021年11月02日和田アキ子のユニバーサルミュージック完全移籍第一弾となるニューアルバムが12月8日にリリースされることが発表された。ニューアルバムのタイトルは『WADASOUL 2』で、9月に先行配信したフレデリックのプロデュースによる「YONA YONA DANCE」のほかにさかいゆうプロデュースの「黄昏にアンコール」、Ovallプロデュースの「リフレイン」、WONKプロデュースの「太陽に捧ぐ歌」、Rin音プロデュースの「wine」と最先端のアーティストたちがプロデュースした楽曲が収録される。さらに、アルバムリリースに先駆けて11月11日に「黄昏にアンコール」の先行配信が決定。さかいゆうによって書下ろされた同曲は、心温まるミディアムバラードに仕上がっており、配信日当日にはMusic Videoの公開が予定されている。<リリース情報>和田アキ子『WADASOUL 2』12月8日リリース価格:2,200円(税込)『WADASOUL 2』ジャケット【収録曲】・YONA YONA DANCE(フレデリック プロデュース)・リフレイン(Ovall プロデュース)・黄昏にアンコール(さかいゆう プロデュース)・wine(Rin音 プロデュース)・太陽に捧ぐ歌(WONK プロデュース)<配信情報>New Digital Single「黄昏にアンコール」2021年11月11日リリース「YONA YONA DANCE」配信中和田アキ子「YONA YONA DANCE」MV<ライブ情報>『AKIKO WADA Special Live「WADASOUL」』2021年12月8日(水) / 12月9日(木) ブルーノート東京Open 5:30pm / Start 6:30pm※本公演は1日1ショウのみ※12月9日(木) のみインターネット配信(有料)実施予定※アーカイブ配信視聴期間:12月12日(日) まで※アーカイブ配信の内容はライヴ配信と異なる場合がございます。『AKIKO WADA Special Live「WADASOUL」』12月20日(月) ビルボード大阪1st Stage:Open 17:00 / Start 18:00関連リンク和田アキ子 OFFICIAL Twitter和田アキ子 OFFICIAL Instagram MUSIC HP
2021年10月28日和田誠と聞けば、ある人は絵本を、ある人は似顔絵を、またある人は映画を思い浮かべるかもしれない。「人それぞれ印象が違っているのも、和田さんの多才ぶりを表していますね」と学芸員の福島直さん。和田さんは、初めてイラストレーターという肩書を用いた先駆者。そして挿絵、似顔絵、ポスターなど広告芸術の分野で多くの人に愛される仕事を残した人。また、雑誌の表紙や本の装丁のアートディレクションまで手がけるデザイナーとしての顔も持ち、映画やアニメーション制作では、アーティスティックな一面ものぞかせる。「和田誠展」はこうした和田さんの仕事の全貌に迫る。なんと4歳の頃の絵に始まる約80年分の資料、作品が展示されるというから驚きだ。映画日記や先生の似顔絵入りの時間割など、映画と絵が大好きだった少年の姿が浮かんでくる「和田誠になるまで」。世界観を深く理解し、作家から全幅の信頼を集めた「装丁」の仕事。ユーモアあふれる「パロディ」「漫画」。動物好きの一面がのぞく「猫」など、30のトピックに分けて展示される。「印刷所で声をかけられて9年間、新宿の日活名画座のポスターを無償で描き続けたというエピソードもあるほど、好きなことを好きなだけする仕事ぶり。『僕は僕』。だから幸せな仕事人生だったでしょうね。普遍的でかわいいのが和田作品の魅力ですが、若手の現代美術家から『クリエイターとして尊敬している』という声を聞くこともあります。まだまだ知らない和田さんがいるということを、発見して帰ってくださいね」右・映画『怪盗ルビイ』は小泉今日子主演。絵コンテなどを展示する。「快盗ルビイ」映画ポスター 1988中・広告会社ライトパブリシティ入社1年目、無償で描き始めた日活名画座のポスター。「新宿日活名画座」ポスター 1959左・ジャズ愛好家の和田さんにとってレコードジャケットは特別な“舞台”。『PIANIC PIANISM』ジャケット 1977 日本コロムビア職人芸ともいわれた似顔絵。シンプルな線が人物のたたずまいを見事にとらえて、ひと目で誰なのかがわかってしまうのが見どころ。そのほかジャズピアニスト、デューク・エリントンらを油彩で描いたシリーズも。右・「ありふれた生活」(著・三谷幸喜)挿絵 朝日新聞 2013.8.22左・『「徹子の部屋」の30年』表紙 2007 講談社上左・40年以上携わり、現在も旧作がリピートされている『週刊文春』の表紙。タイトルのフォントも和田さんオリジナル。『週刊文春』表紙 2017上右・小説家・村上春樹さんの翻訳シリーズの装丁。『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社下・一緒に飛んでいる気分に。詩人の谷川俊太郎さんとのタッグは数々の名作絵本を生んだ。『とぶ』(文・谷川俊太郎)1978 福音館書店 多摩美術大学アートアーカイヴセンター蔵わだ・まこと1936年生まれ。多摩美術大学図案科在学中よりポスターの制作を始める。広告制作会社ライトパブリシティを経て独立。イラスト、グラフィックデザイン、映画監督など多才に活躍。2019年没。©Wada Makotophoto:吉田宏子「和田誠展」東京オペラシティ アートギャラリー東京都新宿区西新宿3-20-2東京オペラシティタワー3F開催中~12月19日(日)11時~19時(入場は18時30分まで)月曜休一般1200円ほかTEL:050・5541・8600(ハローダイヤル)©Wada Makoto※『anan』2021年10月20日号より。取材、文・松本あかね(by anan編集部)
2021年10月17日相葉雅紀、佐々木蔵之介、段田安則が演じる、3世代がそれぞれ異なったメディアに携わっている“マスコミ一家”の和田家が織り成す異色のホームドラマ「和田家の男たち」。この度、本作に関西ジャニーズJr.で「Aぇ! group」の正門良規が出演することが決定した。連続テレビ小説「スカーレット」や「DIVER-特殊潜入班-」に出演した正門さん。今作で演じるのは、主人公・和田優(相葉さん)をネットニュース「バズとぴ」のライターとして誘う、編集部員・三ツ村翔星。優の大学時代のゼミの後輩でありながら、編集部では上司にあたる役どころだ。今回相葉さんと初共演となる正門さんは「ほとんど初めましてのような感じだったのですが、『今いくつなの?』という他愛もない話やファッションの話などもしてくださって、楽しく優しく緊張をほぐしてくれました」とコメント。「そんな相葉くんの仕事上の先輩役を演じるということで、びっくりしました。お芝居ではありますが、触れたりするときには、めっちゃ緊張しますね(笑)。でも合間にはとてもフランクに話しかけてくださるので、相葉くんの愛情にたっぷり触れています。最初は緊張しっぱなしでしたが、一日通して撮影してだいぶ落ち着いてきたので、今後はいかに相葉さん演じる和田優を振り回せるかを楽しみたいと思います!」と意気込みを語っている。「和田家の男たち」は10月22日より毎週金曜日23時15分~テレビ朝日系にて放送(一部地域で放送時間が異なる)。(cinemacafe.net)
2021年10月01日《キャー!YONA YONA DANCEが、Billboard TikTok週間ランキング14位獲得しました!皆さんありがとうございます嬉しい〜》9月20日、Twitterに絵文字を添えてこう歓喜したのは和田アキ子(71)。2日に配信リリースした新曲『YONA YONA DANCE』が、早くもBillboardが発表したTikTok週間ランキング(9月6日~9月12日)で14位にランクインしたのだ。TikTokでは和田がインフルエンサーのなえなの(20)や景井ひな(22)、さまぁ〜ずの大竹一樹(53)、三村マサカズ(54)と振り付けを楽しむ様子もアップされている。さらにYouTubeで公開されたMVは、すでに再生回数が300万回(21日18時現在)を超えるほどバズっているのだ。同曲をプロデュースしたのは、人気4人組バンド・フレデリック。MVは全編イラストで構成されており、アップテンポでダンサブルな楽曲となっている。“和製R&Bの女王”の異名を持つ和田と若年層に人気の高いフレデリックとの異色コラボに、「中毒性が高い」と反響が相次いでいる。《アッコさんの個性を残しつつ現代の曲っぽくなってるのほんとすごいな。「踊らにゃ損です」の「です」がめちゃめちゃ好き》《和田アキ子さんのこの声とフレデリックの相性びびるほどいいな普通なら考えられないコラボだけど最高すぎる》《耳に残る秀逸な曲とアッコさんの印象的な歌声がマッチして中毒性高し》「和田さんは、自分よりも若い世代と一緒に音楽を楽しむことが好きだといいます。’05年には3人組音楽ユニットのm-floともコラボしました。和田さんが参加した楽曲『HEY!』は、当時のオリコンシングルチャートでTOP10に入るほど大ヒット。その年の紅白歌合戦は『m-flo loves Akiko Wada』名義で白組から出場し、話題を呼びました。昨年7月に音楽番組でm-floと再コラボした和田さんは、『本当にいい勉強になりました』と感慨深げに語っていました」(音楽関係者)和田といえば’70年の初登場以来、通算39回にわたって『NHK紅白歌合戦』で歌声を披露してきた。また紅組司会者を務めた経験もあり、“紅白の顔”ともいえる存在だった。しかし記念すべき40回目の出演を目前に、’16年は落選。同年11月26日放送の『ゴッドアフタヌーンアッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)では、悔しさのあまり「今年は紅白を見たくない」と本音を漏らしたこともあった。だが令和に入って最新曲が話題を呼んでいる和田に、「紅白復活」を期待する声が相次いでいる。《紅白なんてもう何年も見てないけど、アッコさんが若い世代に囲まれながらこの曲を熱唱してるところは見たすぎるな〜》《歌詞見なくてもハッキリ聞き取れるの流石この曲で紅白に出て欲しい……》《和田アキ子紅白再登場したら泣いて喜ぶんだが……》新境地を切り拓き、風向きを変えた和田。6年ぶりの紅白出場チャンスは巡ってくるだろうか。
2021年09月21日展覧会「和田誠展」が、東京オペラシティアートギャラリーにて2021年10月9日(土)から12月19日(日)まで開催される。和田誠のイラスト&デザインなど創作の全貌を紹介「和田誠展」は、イラストレーター、グラフィックデザイナーとして広く知られている和田誠の創作活動を紹介する展覧会。イラストやグラフィックデザインに加え、映画監督、エッセイスト、アニメーション作家、作詞・作曲家、編集者としても創作活動を行ってきた和田誠の、膨大で多岐にわたる創作の全貌に迫る初の試みとなる。作品&資料約2,800点が集結代表作を中心としたビジュアル年表や、約30のトピックスを軸に、約2,800点の作品や資料を展示し、和田誠の軌跡を辿る。中には、創作のルーツとなる幼少期に描いた絵物語や多摩美術大学在学中に制作したLPジャケットといった貴重な資料も。書籍・原画だけで約800点にものぼる作品が一堂に集結する。『週刊文春』表紙や谷川俊太郎との絵本など40年以上にわたって和田誠が表紙のイラストレーションを手がけていた『週刊文春』は、2,000号までを一挙に紹介。原画や色指定紙、モチーフにしたオブジェなどもあわせて登場する。また、谷川俊太郎とタッグを組んだ絵本や、丸谷才一や村上春樹など様々な作家の書籍の装丁、パロディ作品など、幅広い表現スタイルが見て取れる作品を展示。新宿日活名画座のポスターは、初期の代表作の1つだ。さらに、和田誠が手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定している。【詳細】和田誠展会期:2021年10月9日(土)~12月19日(日) ※72日間会場:東京オペラシティ アートギャラリー 東京オペラシティタワー3F住所:東京都新宿区西新宿3-20-2開館時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)休館日:月曜日入場料:一般 1,200(1,000)円/大・高生 800(600)円/中学生以下無料※同時開催「収蔵品展 072 難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含む。※( )内は各種割引料金。障害者手帳持参者および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻し不可。※来館の際の注意事項など最新情報は、東京オペラシティ アートギャラリー 公式ウェブサイト、SNS、特設サイトにて告知。【問い合わせ先】TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
2021年09月04日和田アキ子が新曲「YONA YONA DANCE」を本日9月2日に配信リリースし、合わせてMusic Videoを公開した。同曲は、「オドループ」が昨年TikTokでも話題となったフレデリックがプロデュースを手がけている楽曲で、年内リリース予定の和田のユニバーサルミュージック移籍第一弾アルバムに収録される。公開されたMVは、和田にとって初となる全編イラストで構成された作品となっており、Ado「レディメイド」などを手がけている絵師ヤスタツとのコラボレーションが実現。3人の可愛いキャラクターがサビで披露するダンスが見どころとなっている。「YONA YONA DANCE」MVサムネイルまた「YONA YONA DANCE」のリリースを記念して、新曲から名曲まで和田の楽曲が一挙オンエアされる特集イベント「和田アキ子特集LOUNGE」が9月5日17時よりAWAで開催されることが決定した。なお和田のユニバーサルミュージック移籍第一弾アルバムは、さかいゆう、Ovall、フレデリック、Rin音、WONKによるプロデュース作品となっている。■和田アキ子 コメント私のMVが全編イラストで作られるなんて今までなかったので、見た時は本当に面白いと思いました。キャラクターもかわいいし、これ本当に和田アキ子のMV?って感じですよね。令和の時代にアレンジされた和田アキ子が見れて、自分自身で嬉しかったです。キャラクターがサビで踊っているダンス。簡単なので、是非、皆も一緒に踊って欲しいですね!!踊らにゃ損、踊らにゃ損ですよ!!「YONA YONA DANCE」MV<配信情報>和田アキ子「YONA YONA DANCE」配信中「YONA YONA DANCE」配信ジャケット配信リンク:関連リンク■和田アキ子OFFICIAL Twitter Instagram MUSIC HP■フレデリック公式HP
2021年09月02日2020年の『キングオブコント』で準優勝し、知名度が一段と高まったお笑いコンビ・ニューヨークの嶋佐和也と屋敷裕政。テレビ出演も増え、『さんまのお笑い向上委員会』や『アッコにおまかせ!』などでしっかりと爪痕を残している。「第32回 マイナビ 東京ガールズコレクション 2021 SPRING/SUMMER」(TGC)では、フェイスペインティングをし、バルーンを手にランウェイを歩いたニューヨーク。2人を直撃し、ブレイク後の変化や、先輩芸人から得たもの、今後の目標などについて話を聞いた。TGCは2度目の出演となったが、屋敷は「すごく貴重な経験をさせていただきました。メイクも30~40分くらいかけてしてもらえて、めっちゃええ感じに仕上げてもらいました」と満足そうな表情。嶋佐も「楽しかったです。気持ちよかったです。でも今回は無観客だったので、また歓声を浴びたいなと思いました」と頷いた。キャリアにおける分岐点となったのは、やはり『キングオブコント』での準優勝だと2人も感じているそうで、屋敷は「それまで若手芸人が出る番組しか出たことがなかったですが、いろんなバラエティ番組に呼んでいただくようになりましたし、いろんな変化もありました。例えば、飲み物がただの水から色がついたものに変わりました」と告白。嶋佐も「全く変わりました。仕事の量というか、質が変わりました。心境の変化も大きかったですし、新しい世界に入っているなと。また、未体験のことっていっぱいあるんだなと、つくづく思いました」と感慨深い表情で語る。『さんまのお笑い向上委員会』では、明石家さんまとも絶妙な掛け合いを見せている2人。屋敷はさんまの印象について「やっぱりさんまさんは、元気ですね。テレビのなかの方がそのまま目の前に飛び出してきた感じです」と言うと、嶋佐も「テレビのままのテンションです。稀代のテレビスター」と感心しきりだ。また、屋敷が「強いて意外さを挙げるとしたら、さんまさんは見た目がめちゃくちゃ細くて、スタイルがええなと。テレビよりも顔が小さくて細いんです」と言うと、嶋佐も「そうそう。といかくカッコいいし、トークも上手い」と同意。さらに屋敷は「とにかくどんな球を投げられても、瞬時に返せる点はすごいなと思います」と心からリスペクトしているようだ。『アッコにおまかせ!』の和田アキ子については、テレビから想像していた印象と全く違ったそうだ。屋敷は「アッコさんは怖い印象があったのですが、初めてお会いした時からずっと優しくしてくださって、接しやすいキュートな印象です。楽屋に挨拶へ行っても、ひと言ふた言しゃべってくれるし。この間もバレンタインチョコをいただきました」と明かし、嶋佐も「アッコさんは、ほんまにキュートです。そこはギャップがありました。いただいたチョコもめちゃくちゃお洒落でおいしかったです」と語った。2010年にコンビを結成してから今年で12年目を迎えるニューヨーク。ネタは常に2人で考えてきたそうでコンビ仲も良好のよう。嶋佐はTGCのランウェイを歩きながら、相方を見て「けっこう着こなせてんじゃんと思った」と照れくさそうに言う。屋敷も「こいつとお笑いをやってて良かったなと思いましたし、これからもお笑いというランウェイをずっと一緒に歩きたいなと思いました」と臆面もなく言えるところが素敵だ。今後の目標について、屋敷は「自分が面白いと思うことをやることですかね」と言うと、嶋佐も「そこの芯の部分は曲げたくないですね。そこは今後もぶれずにやっていきたいです」と清々しい表情で語った。■ニューヨーク嶋佐和也(しまさかずや)と屋敷裕政(やしきひろまさ)によるお笑いコンビ。2010年に結成。2020年の『キングオブコント』で準優勝、同年の『M-1グランプリ』で第5位。2019年1月に開設したYouTubeチャンネルでは企画動画と共に「ニューヨークのニューラジオ」が人気を博している。
2021年05月04日和田アキ子がユニバーサルミュージック完全移籍し、第1弾となる新作を2021年内にリリースすることが決定した。和田は大御所タレントとして知られるが、日本を代表するシンガーでもあることを忘れてはいけない。1968年10月25日『星空の孤独』でデビューし、和製R&Bの女王と称される存在なのだ。さらに1970年「笑って許して」で紅白初出場、1972年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞している。2008年のデビュー40周年では、ブラック・ミュージックの殿堂ニューヨークのアポロシアターにて海外公演を成功させ、2015年にソウルアルバム『WADASOUL』をユニバーサルミュージックよりリリース。さらに2018年はデビュー50周年を記念し、1月に『WADASOUL COVERS ~Award Songs Collection』、9月に『アッコがおまかせ ~和田アキ子50周年記念トリビュート・アルバム~』を発表した。同年10月には日本武道館にて「WADA fes」を開催し、レジェンドシンガー達が一同に集結させた。年内リリース予定の新作は歌手生活53年、和製ブラックミュージックのゴッドマザーの現在を示すソウル / R&Bを収めたアルバムとなるという。楽曲提供には、さかいゆうやOvall、Rin音、WONKら豪華アーティストが名を連ねている。今を代表する彼らの音楽性が、和田のソウルフルな歌声とどの様に響き合うのか。必聴の作品になることは間違いないだろう。さらなる詳細は公式HPとSNSをチェックしてほしい。■リリース情報和田アキ子『タイトル未定』2021年リリース予定
2021年04月07日「そうですね、もう、あの日から10年になるんですよねぇ……。でも、妹が夢枕に立ったことは、残念ながらこの10年間、一度もないんです。だがら、きっと天国でおふくろたちと、幸せに暮らしてるんじゃないですかね。そう思うようにしているんです」テレビやラジオの番組では常に元気いっぱい、決して笑みを絶やすことのない人が、少ししんみりとした表情を浮かべていた。生島ヒロシさん(70)。元TBSの人気アナウンサーで、1989年のフリー転身後もタレントとして、司会者として第一線で活躍を続けている。1998年に始まったのが、TBSラジオの朝の番組『生島ヒロシのおはよう定食』と『生島ヒロシのおはよう一直線』。ともにこの春、6千回目の放送を迎えるという人気の長寿番組で「朝一番、生島さんの声を聞き元気をもらう」というリスナーも少なくない。そんな生島さんは2011年、あの東日本大震災で故郷・宮城県気仙沼市で暮らしていた妹を亡くした。10年を経た今日に至っても、妹の夫は見つからないままだ。家族を亡くした悲しみを抱えながら、それでも生島さんはこの10年間、マイクに向かってしゃべることをやめなかった。機会あるごとにつらい思い出にも触れながら、あの日のことを発信し続けてきた。そこにあったのは、あの日、起きたことを決して風化させまいとする放送人としての矜持、そして、故郷・気仙沼への強い思いだった。■火の手が上がる気仙沼を見て血の気が引いて、全身が震えた2011年3月11日。この日、生島さんは宮城県仙台市のホテルで講演会に臨んでいた。「会社の社長さんたち、100人ぐらいを前に、東北を元気にするためには何が大切か、みたいな話をちょうど、していたんです」そして、午後2時46分。「揺れに揺れました。縦、横、それに突き上げるような揺れ、経験したことのない地震でした。すぐ脇にあった鉄製の大きなオブジェが倒れてきて、僕の頭をかすめるようにして演台の左端に当たって。あと数センチ、ズレて直撃していたら、僕もダメだったと思う」テーブルの下に身を隠した参加者を眺めながら、言った。「皆さんはそのまま隠れていてください。私はしゃべり続けます、アナウンサーは死ぬまでマイクを離しません!」精いっぱいの軽口に、テーブルの下からは笑い声も漏れた。まだ、わずかながら余裕があった。直後に講演会は中止になり、翌日、東京で仕事が入っていた生島さんは、すぐさま仙台駅に。しかし、鉄道は全線がストップ。飛行機もマヒしていた。「もう、タクシーしかない」と思ったが、それがなかなか捕まらない。マネージャーと雪が降り始めた町をさまようこと1時間半。ようやく、市内の自宅に帰る客を乗せたタクシーを捕まえ、頼み込んで乗せてもらった。そこから、タクシーを5台乗り継ぎ、東京を目指した。「道中も余震が何度もあって、渡っている橋がものすごい揺れる。太平洋が見えると、運転手さんから『仙台空港は全滅らしい、津波で人がバタバタと死んでる』、そう教えられて空恐ろしくなりました」郡山市内から乗ったタクシーにはカーナビがついていて、そこで発災後初めて、テレビのニュース映像を見ることができた。「真っ先に映し出されたのが、文字どおり火の海と化した気仙沼でした。アナウンサーの方が『津波に襲われた気仙沼の港から、火の手が上がっています』と」血の気がひいて、全身が震えた。“死んでもしゃべり続ける”はずの彼が、言葉を失っていた。「気仙沼には親戚も友人もたくさんいます。なにより、妹夫婦が気仙沼で暮らしていたからです」■地震の直後、妹から「明日は行けそうにない」。その後連絡は途絶えたじつは生島さんの妹・亀井喜代美さん(当時57)と夫は、まさに11日の午後、上京する予定だった。「前月に、妹と暮らしていた母が他界して。僕が東京にお墓を建てたので、妹たちが母の遺骨を持ってきて、納骨式というか四十九日の法要を行うことになっていた。11日は東京のめいの家に泊まって『お兄ちゃんのところには12日の朝に行くね』と言ってたんです」仙台をたって、およそ15時間。朝の7時にようやく、東京の自宅に帰り着くことができた。それでも、落ち着いてなどいられない。「地震の直後、妹の自宅からわが家に電話があったそうなんです。『明日は行けそうにないけど、改めてお邪魔します』って。電話を受けた妻は、津波警報が出たのを知っていましたから『なに言ってるの、喜代美ちゃん。そんなこといいから、早く逃げて』と伝えたそうなんですが……」その後、喜代美さんの電話はまったくつながらなくなった。生島さんはあちこちに連絡を入れ、妹夫妻の安否を尋ねた。「どこそこの避難所で見かけた」「いや、来ていない」「一度来たけど帰ったようだ」……情報は錯綜していた。「不安でしたけど、ポジティブシンキングの僕ですから、『絶対、大丈夫だ、喜代美は生きてる』ってずっと自分に言い聞かせ続けました。でも、タクシーの車内で気仙沼の映像を見た瞬間、すごく嫌な予感がしたのも確かなんです」3日後の14日早朝。生島さんはパーソナリティを務めるラジオ番組の生放送に。気持ちを奮い立たせて、マイクの前に座った。「自分の体験を踏まえながら地震のことをお伝えしたんですが、妹が見つかっていないということも話していくうちに、お通夜みたいな放送になってしまって……」すると、全国のリスナーからたくさんの、温かなメールが届く。「『つらいと思いますが、乗り越えてください』とか、『心中お察しします』という趣旨のメッセージをたくさんいただきました。なかには『生島さんから元気をもらえるから、私は生きていけます』って書いてくださった人もいて。放送中、それを読み上げてたら涙があふれてきちゃって。自分で『こんなことじゃダメだ、切り替えよう』って思いましたね」芸能界の友人たちも、生島さんを心配していた。「あれは震災から5日後ぐらいですね、アッコ(和田アキ子)さんが電話をくれて。いわゆる“黄金の72時間”、それを過ぎると助かる確率がガクンと下がるといわれる時間を過ぎてしまってましたから。『生島、つらいのはわかる、だけどこれはもう、腹をくくらないとダメだと思うよ』って。僕が現実を受け止められるように、背中を押してくれたんだと思います」生島さんは、次々に入ってくる被災地の新たな情報を整理し、リスナーに届けることに、ただひたすらに没頭した。そうすることが、不安と悲しみに押し潰されない、唯一の方法だった。■親しい人の死を悲しむ日を卒業し、前を向くことがいちばんの供養生島さんが故郷・気仙沼を訪れることができたのは、震災から1カ月ほどがたってのことだった。漁業が盛んで海の恩恵を受けて発展してきた町は、同じ海からの脅威の前に壊滅していた。「町並みが、変わり果ててしまってました。僕のなかの気仙沼は、空も海も真っ青、そんなイメージが強いんです。でも、その日は曇り空で、海もどす黒く沈んだ色をしていて。町じゅうがぬかるんでいて、それに臭いが強烈でした。打ち上げられた魚が腐敗した臭いと、油の臭いが混じったような……、あの臭いはこの先も、一生忘れられないと思います」生島さんが故郷の惨状を初めて目の当たりにした4月初旬。そこには震災から1カ月ぶりに、ようやく帰宅が許された人たちがいた。気仙沼市役所に勤めていた、生島さん旧知の2人。小中高と同級生だった廣野純朗さん(70)と、いとこの佐藤健一さん(67)だ。彼らが1カ月も帰宅できなかったのは重責を担っていたから。廣野さんは会計課、佐藤さんは危機管理課、それぞれの責任者だった。震災後、行方不明の妹夫妻の情報を得るため、生島さんが頼ったのが佐藤さんだった。「警察から入る亡くなった人、行方不明者の名簿、それに、避難所に寝泊まりしている人たちの名簿を夜中、手が空いたところでくまなくチェックしたんですが……。当時、パソコンも通信機器も使えないなかで、本当に残念ですが喜代美ちゃんの情報を見つけることはできませんでした」一方、混乱のただ中にあった市役所で、お金の管理を任されていたのが廣野さんだ。被災し稼働できなくなった金融機関の再開にも奔走した。また、支援金や義援金の窓口も。後日、生島さんが東京で集めた義援金の管理も任された。「私は会計課にいたので、生島も『あいつなら金のことも大丈夫だろう』と思ったんでしょうね」2人には、震災直後に脳裏に刻まれた、生々しい記憶がある。廣野さんのそれは、ある音だった。「潰れ、水につかった車のクラクションが、あちこちで突然鳴るんです。市役所が静まり返った夜中になると、よく聞こえてきて。まるで断末魔の叫びのような、それは物悲しい響きでした。あの音はいまも耳にこびりついてます」佐藤さんは、ある光景を目にして、悔しさにかられたという。「雪がやんだ後の、当日の夜。湾のほうにはまだ真っ赤な炎が見えるんです。でも、空を見上げると雲ひとつない夜空に星がさんぜんと輝いていて。ひどい皮肉ですよ。満天の星の下に広がっていたのは地獄絵図ですから。神様が本当にいたら、なぜこんなひどいことをするのかと、恨めしく思いました」一方、生島さんは東京に戻って以降、仕事をまっとうすることに、より傾注していった。「僕の役割ってなんだろう、そういつも考えてました。もう長いこと行方不明のままの肉親がいる、その悲しみを抱えながら、同じ境遇の人の痛みもわかりながら、伝えるべきことをきちっと伝える、それが放送人としての僕の務めだと、そう思うようにしていました」それまで以上に仕事にまい進した。そして、震災から3カ月が過ぎたある日、新聞記事に目が留まった。「それを読んで、僕はとても納得できた。その記事では、東北地方のお坊さんが『卒哭忌』という言葉を解説していたんです。卒哭忌とは百箇日法要のことで、親しい人を亡くし嘆き悲しむ日々からその日を境に卒業して、前を向き生きていきましょうということ。それが故人のいちばんの供養になる、とも書かれてました。つらいし、決して忘れることなどできません。でも、亡くなった人のぶんまで、2倍も3倍も生きることを謳歌する、それが遺った者のすべきことと僕は思うようになりました」■遺体安置所にも足を運んだ。その時の光景は目に焼き付いている。「震災のあのとき、私は東京にいました。たしか、高輪周辺にいて仕事のため移動中でした」こう話すのは、生島さんのめい・亀井理恵さん(42)。気仙沼で行方がわからなくなってしまった喜代美さんの長女だ。震災当時は生島さんが設立した芸能事務所のスタッフとして働いていた。「その晩から、両親は私の部屋に泊まりにくることになっていて、ほんの1時間前にも母と電話で話したんです。そのときは『あとでね』と電話を切ったんですが……」じつは地震発生から6分後の午後2時52分、理恵さんの携帯電話に、母からふたたび着信があった。しかし、どういうわけか着信音は鳴らなかった。直後に気づいて折り返したものの、母の電話につながることはなかった。留守番電話に母が残したのは、生島さんの妻に告げたのと、同様の言葉だった。「『揺れがひどいから今夜は行けない』と。あとでわかったんですが、生真面目な母らしく、この日、地震直後から私や弟、自分のきょうだいたち全員に、同じような電話を入れてるんです。まるでお別れのメッセージの代わりみたいに」東京の街なかでテレビを探した理恵さん。最初に目に飛び込んできたのは、仙台空港が津波に襲われている定点カメラの映像だった。「それを見た瞬間、気仙沼もひどいことになってるだろうなと、わかりました。でも、地震や津波が比較的多い土地柄、避難訓練はしょっちゅうやってましたから。両親も近くの避難所に、きっと逃げてくれているだろうと、そう思っていたんですが」しかし、いっこうに喜代美さんたちは見つからなかった。9日後の3月20日、理恵さんは弟や生島さんの弟・隆さん親子とともに、気仙沼に飛んだ。「ヘドロでぬかるみ、どろどろのなか、やっとたどり着いた実家は、基礎部分だけを残し、建物は跡形もなくなっていました。ものすごくショックで悲しいのに、不思議と涙は出ません。本当に悲しいときは泣けないものだと、知りました」理恵さんたちはその後、避難所を巡って両親を捜した。「そのころになると、助かった人たちは続々と連絡が取れるようになってきてました。でも、うちの両親は9日たっても音沙汰がない。それが何を意味するか、私なりに理解し、覚悟を持っていました」大勢の犠牲者が眠る、遺体安置所にも足を運んだ。「そこで、犠牲になられた方の顔写真を何枚も見て。東京の親族からは『トラウマになるから行かないほうがいい』とも言われましたが、私が行かなきゃ父母を捜せない、そう思ってましたから。でも、やはり衝撃的で目に焼き付いてしまって。いまもときおり、あの人たちの顔が浮かんできます」そんな思いまでして訪問した遺体安置所に、両親はいなかった。「少しホッとした」という理恵さん。その足で警察に出向き、DNAのサンプルとともに、両親の捜索願を出して、東京に戻った。■葬儀のタイミングで遺体を発見。「私たちにメッセージをくれた」震災からおよそ半年後。理恵さんたち家族は、遺体なきまま両親の葬儀を執り行うことを決めた。「葬儀の1週間ぐらい前、宮城県警から、もしかしたら母かもしれないご遺体が見つかった、と連絡が。その写真をひと目見て、私は『母だ!』と。着ているものもそうですけど、もう直感的に、間違いないって。でも、まだ100%確定ではないということで、県警の方が、おじたちのDNAも採るために9月4日、葬儀の会場に来てくれた。サンプルが多ければ照合の精度が上がるということでした」「二三六」という番号が割り振られていたその遺体は、理恵さんの実家から数百メートル離れた、大川で発見されたものだった。約2週間後。理恵さんのもとに、ふたたび県警から連絡が入る。「鑑定の結果、遺体番号二三六は母で間違いない、とのことでした。まさに葬儀のタイミングで、親族が集まるなかで判明するなんて。今度は母が、私たちにメッセージを送ったのかな、そう思いました」震災から10年。理恵さんは少しずつ心の整理がついてきたという。「それでも毎年、3月11日は巡ってきますし、悲しみが消えることはないです。でも、母はしょっちゅう、夢に出てきてくれます。当初は悲しい夢が多かったですが、いまは幸せな、なんてことない日常のワンシーンが多い。今年の初夢もそんな、ありふれた家族だんらんの夢でした」■妹が夢枕に立ったなら「皆、もう大丈夫、安心してね」と言いたい妹・喜代美さんの遺体が見つかって、生島さんは「ある意味、ホッとしました」と話す。「でもね、その後、発見された現場まで足を運びましたが、勝手に涙があふれてきましたね。『あんまり苦しまなかったかな、でもきっと、寒かったろうな』って」喜代美さんが発見された大川のほとりを記者に案内しながら、前出の同級生・廣野さんと、いとこの佐藤さんは、震災を経て生島さんが変わった点を教えてくれた。「それまで以上に、気仙沼のことを気にかけるようになった。ラジオの番組も毎年3月に気仙沼から放送するなど、頻繁に足を運んでくれるようになりました」廣野さんの言葉に、佐藤さんはこう続けた。「番組ではよく、気仙沼出身の歌手・熊谷育美さんの『雲の遥か』を流してます。震災のことを念頭に作られた曲だと思いますが、ヒロシさん、これ聴くと必ず泣く。震災後は涙もろくなりましたよね」一方、めいの理恵さんは「おじは以前にも増して前向きになったように思う」と笑う。「震災後、泣いてばかりだった私は、おじから『人前に出るときは笑っていなさい』と注意されました。おじは……、10年前はさすがに笑いこそしませんでしたが、気丈でした。そして、その後はよりポジティブに。悲しみをエネルギーに変えているように見えました」当初、母・喜代美さんのことをメディアで話すおじに、理恵さんは少なからず抵抗も感じていた。「被災した故郷や、行方がわからない両親が、なんだかネタにされてるような気がしてしまって」でも、生島さんが気仙沼について発信するその真意を、徐々に理解できるようになった。いまおじのもとを離れ、放送局の社員になった理恵さんはこう考えている。「いまとなっては、ただただ私が未熟だったと反省しています。放送人としての、おじの振舞いに間違いはありませんでした。きっと、そのことは天国の母も十分、理解していると思います」当の生島さんは、いつもの軽妙な語り口で、改めて力をこめた。「放送人としての僕の役割は、震災を風化させず、真に復興する日までしゃべり続けることかな、と。そう、アナウンサーは死ぬまでマイクを離しませんよ!」いまだ兄の夢に現れることがないという喜代美さん。もし、彼女が夢枕に立ったなら、生島さんはなんと声をかけるのだろうか?「そうですね、こう言ってあげたいですね、理恵ちゃんや、遺された人たちは皆、もう大丈夫だから、『安心してね』と─」こう言い終えて、生島さんは、この日いちばんの笑みを浮かべた。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月11日2021年3月11日で、東日本大震災から10年が経ちます。国内観測史上最大規模である、マグニチュード9.0を観測し、宮城県北部で最大震度7の揺れが襲いました。また、岩手県、宮城県、福島県を中心に巨大な津波が襲来。復興庁が2021年2月26日に発表している東日本大震災による全国の避難者数は、現状でも約4万人以上だといいます。サンドウィッチマン、震災から5日後に設立した基金は10年で約5億円宮城県出身の、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』。震災から5日後の2011年3月16日に、2人は被災者を支援するために『東北魂義援金』を設立しました。10年経った今でも義援金を募集し、2人は2021年2月27日にブログで宮城県知事の村井嘉浩氏へ1425万6796円を手渡ししたといいます。伊達みきおさんは、この10年で『東北魂義援金』に寄せられ、被災地に届けた金額は4億9千万円を超えると明かし、感謝の言葉をつづりました。震災から10年になる今年も、全国の皆さんからこうして東北の被災地を気に掛けて頂き、本当に嬉しく…心から感激しております。被災地を応援して下さる全国の方々始め、和田アキ子さん、中居正広さんや芸能界の先輩方、ナイツの塙くんや芸人仲間からも沢山のご協力を頂きました。東北魂義援金は、東日本大震災で親御さんを亡くされた子供達(震災遺児・孤児)の生活費や学費に使われます。これまでの10年で、東北魂義援金に寄せられ、我々が直接被災地に届けた金額は合計で【4億9117万5719円】になります。本当に凄い額です。感謝しております☆東北魂義援金☆ーより引用また、富澤たけしさんは、震災から10年経つものの風化を感じることはないと明かしています。ご協力頂いた皆様、本当にありがとうございました。震災から間もなく10年ですが、まだまだ全国からこれだけのお気持ちを預かることができるし、テレビやラジオを通じて東北に旅行に行かれた話や食べ物のお取り寄せ情報などに触れているので世間で言われるほど僕らは風化という物を感じていません。これまで宮城、岩手、福島に義援金を届けてきましたが、震災孤児等支援の金額はかなり集まったというお話も聞くので、東北魂義援金も何か別の用途にしていこうかと話しています。東北魂義援金ーより引用震災遺児・孤児の子供たちへの寄附はほかの団体からの支援もあり、ある程度集まってきたといいます。そのため今後は、形になる何かを被災地に寄贈出来ないかと考えているとのことです。伊達さんは「寄せられた基金で被災地の公園などにベンチを造ったり、子供達が遊べる砂場を造ったり…」と考えを明かしました。気象庁は2021年2月13日の深夜に起きた福島県沖の地震は、東日本大震災の余震と考えられると発表しています。この地震で、10年前の地震を思い出した人も多いようです。伊達さんも「緊急地震速報や映像を見て、どうしても10年前を思い出して震えた」とブログにつづっていました。この大きな地震が風化することなく、『東北魂義援金』を通してたくさんの人が幸せになることを願います。[文・構成/grape編集部]
2021年02月27日Youtuber芸人のフワちゃんが22日、都内で行われたフードデリバリーアプリ「menu」の新CM発表会に、リモート出演のHIKAKINとともに参加。同じYouTuberである、はじめしゃちょーと距離が縮まったことを報告した。フワちゃんは「前からはじめしゃちょーとは友達と思っていたけど、なんか心開いてないなって思ってて。いつまでたっても敬語だし、なんなの? って」と不満。しかし、「menu」のキャンペーンでコラボすることとなり、その仕事を経て「今回すっごく仲良くなったの。前までこっちが距離詰めたら逃げててある程度の距離があったけど、ついに腹筋を自分から自慢してくるようになったんだよ。すごくない?」と興奮気味に明かした。すると2人をよく知るHIKAKINは「リアルなこと言ってる(笑)。ずっと前にコラボした動画みていたけどぎこちなかった。今回打ち解けたのでコラボ楽しみ!」と2人が距離を縮めたことに笑顔を見せた。「menu」では「#ウチメシしようぜ」キャンペーンと題し、人気Youtuberやタレントが出演する動画やCMを順次公開。フワちゃんとはじめしゃちょーのほか、水溜りボンドとCreepy Nuts、中川翔子とゆきりぬ、江頭2:50と東海オンエアがタッグを組みコンテンツを展開する。HIKAKINはキャンペーンの応援団長に就任し、団長らしく長ランを着用しての登場となった。長ランを「生まれて初めて着た」と話すHIKAKINが、衣装を見せるためその場で一回転するとフワちゃんは「それ、すごい『ヒルナンデス!』で見たことある! ゆっくり回るやつ~」と大笑い。フワちゃんも応援団員の学ランをイメージした衣装姿を披露し、HIKAKINとともに三三七拍子のリズムで全国の飲食店にエールを送った。フードデリバリーをおすすめしたい人を聞かれると、HIKAKINは「僕みたいに一人暮らしで自炊する時間がない人。動画編集で忙しいので。時間をかけられない人におすすめしたい」とアピール。フワちゃんは「いつも忙しい人。和田アキ子とか忙しいかもしれない」といい、続けて「この前和田アキ子から『赤坂にいるんだけど美味しいおにぎりあるから取りにおいで』って電話かかってきた。デリバリーなら取りに行かなくていいし、和田アキ子に教えてあげるんだ!」と満面の笑みだった。この日、フワちゃんはド派手にデコレーションされた自転車を乗りながらイベントに登場。「じゃーん! かわいくない!? マジかわいいんだけど。私も記者と一緒に写真撮る~」と上機嫌だった。
2021年02月22日令和の山口百恵ブームが止まらない。1月31日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵1980・10・5 日本武道館”』(NHK総合)は再放送ながら8.6%という高視聴率を記録。往年のファンだけでなく、若者も魅了し、放送時にTwitterのトレンドでも関連ワードが1位に入る事態となった。さらに、09年に発売した引退コンサートを収録したDVDが2月15日付のオリコン週間DVDランキングで10年7カ月ぶりにトップ10入り。18年発売のBlu-ray版も自身初となるトップ20入りし、令和になった今も“伝説”を更新し続けている。引退コンサートが行われた80年10月5日、本誌も開演前から終演後まで現地で徹底取材を敢行。そこでの秘蔵エピソードを写真とともに振り返りたい――。■「友和さんと末永く!」会場を埋め尽くした横断幕約1万人の観客が目撃した百恵の引退コンサート。百恵の最後の舞台とあって、即完売するプラチナチケットに。惜しくもチケットを手に入れることができなかったファンも、会場に詰めかける事態となった。また会場外には親衛隊の面々や、百恵グッズを売るファンが集い、開演前から異様な雰囲気に。会場の中では有志のファンによる「友和さんと末永く!」「百恵ちゃん幸せになって!」といった横断幕がいたるところにかけられる熱気。公演中はほとんど席を立つことなく、百恵の最後の雄姿を見守っていた。■最後の舞台を見届けにきた豪華すぎるゲストたち同時代を生きた芸能人からも愛された百恵。当然、引退コンサートには親交のあった多数の芸能人も駆け付けた。和田アキ子(70)、岩崎宏美(62)、小柳ルミ子(68)、谷村新司(72)といった錚々たる顔ぶれが一堂に会したことからも、以下に百恵の存在が大きかったかわかるだろう。また、故人となった森光子さん(享年92)や西城秀樹さん(享年63)の姿もあった。涙ながらにラストの『さよならの向う側』を歌い上げ、マイクをステージに置いてファンの前から姿を消した百恵。そんな百恵を出迎えたのが、夫の桑名正博さん(享年59)とともに訪れていたアン・ルイス(64)だった。すべての人から愛されたまさに“伝説の最後”となった――。
2021年02月21日昭和を代表する伝説の歌姫・山口百恵(62)。1月30日に放送された『伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”』(NHK総合)の視聴率が8.6%を記録した。昨年10月に同番組がNHK BSプレミアムで放送されるやいなや、大反響となった。そして、NHK総合に移す形で今回の再放送が実現し、異例の高視聴率となったのだ。芸能界を引退してから41年経った今も、日本中の人々を魅了し続ける山口百恵。本誌はデビュー当時から現在にいたるまで、数々の“百恵伝説”を目撃してきた。わずか7年半の芸能生活となった百恵だが、現役時代の彼女を支えた“キーパーソン”との思い出を写真とともに振り返りたい。■先輩・和田アキ子との絆72年12月にオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で注目を集め、73年にデビューを果たした百恵。そんな百恵の頼れる先輩として君臨していたのが、68年に同じ事務所からデビューした和田アキ子(70)だ。百恵のデビュー作となった映画『としごろ』では和田が主演を務め、右も左もわからない百恵を支えていたという。本誌も事務所のパーティで和田が百恵にケーキを食べさせる“愛の指導”を目撃している。■百恵を変えた夫・三浦友和との出会いデビューから破竹の勢いでブレイクしていった百恵。そんななか、74年に運命の出会いを果たす。将来の伴侶となる三浦友和(69)だ。同年、百恵が主演した映画『伊豆の踊子』で友和が相手役を務めると、次々と他の映画でも共演していき“ゴールデンコンビ”と呼ばれるまでに。次第に百恵も共演相手ではなく、友和を一人の男性として意識していくことに。80年9月に刊行された自叙伝『蒼い時』(集英社刊)で百恵は友和へのビビッドな気持ちをこう綴っている。《晴海埠頭のロケーションがあった時だった。彼の胸に顔を埋めるシーンで、厚手のセーターを通して、私の耳に響いてくる彼の鼓動を聞きながら、「この鼓動を特別の意識を持って聞くことのできる女性に……私がなれたら」と思った。それは、まぎれもない、恋の実感だった》
2021年02月06日2020年12月27日に放送された、バラエティ番組『アッコにおまかせ!』(TBS系)では、大阪府大阪市にあるテーマパーク『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(略称:USJ)』の新テーマエリアについて紹介。その際、MCを務める歌手の和田アキ子さんが語った思い出話が話題となっています。和田アキ子と任天堂の意外な接点2021年に開業20周年を迎えるUSJ。同年2月4日には、任天堂のキャラクターやゲームの世界を現実世界に再現した新テーマエリア『スーパー・ニンテンドー・ワールド』が開業します。エリア内には『マリオカート』をテーマにしたライド・アトラクションや、マリオの敵キャラクターである大魔王クッパの本拠地『クッパ城』が!番組内では、YouTuberのHikakinさんがオープン前の『スーパー・ニンテンドー・ワールド』を取材した時の映像を放送。「楽しそうだね~!」と感想を述べた和田さんは、続けて…。『スーパーマリオブラザース』ってもう私、懐かしい!いや声をね、やってくださいって(いわれたことがあって)。「えっ!?スーパーマリオ!?嬉しい!やったー!!」って。「なんですか」っていったら、『クッパ大王』。アッコにおまかせ!ーより引用実は、和田さんは1986年公開のアニメ映画『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』で、クッパの声を演じていたのです。和田さんと『スーパーマリオブラザーズ』のつながりに、ネット上ではさまざまな声が上がりました。・待って、笑いすぎてお腹痛いんだけど。・大王とか、アッコさんにふさわしい役柄じゃないですか!・声だけでマリオを倒せそうなんですが…。・懐かしい。私は今でも、クッパは和田さんの声で脳内再生しています。今後はクッパを見るたびに、和田さんの顔を思い出しそうなエピソードですね![文・構成/grape編集部]
2020年12月28日「第44回ホリプロタレントスカウトキャラバン決選大会」が12日、都内で行われ、愛媛県出身で千葉県在住の山崎玲奈さん(13歳)がグランプリに輝いた。深田恭子や綾瀬はるか、石原さとみら数多くのスターを輩出している同オーディション。「ミュージカル次世代オーディション」をテーマにした44回を数える今年のオーディションには、19,115人の男女が応募し、リモート審査、地方予選、合宿審査を経て10人のファイナリストを選出。この日の決選大会に10人のファイナリストがダンス審査、演技審査、歌唱審査に臨み、千葉県在住で中学2年生の山崎玲奈さんがグランプリに選ばれた。名前を呼ばれて笑みがこぼれた山崎さん。スペシャルアンバサダーを務める市村正親から花束を手渡された際に同じ誕生日だと明かされた山崎さんは「グランプリを獲れてすごく嬉しいんですけど、市村さんと同じ誕生日だと聞いてすごく驚きました。今度共演できたらと思います」と再会を約束し、「すべての審査において思いっきり楽しめました。グランプリという賞を獲れて心からうれしいです」と審査を楽しんだという。審査員を務めた演出家の宮本亜門から「あなたは天才! これから大きなプロの世界で揉まれて初心を忘れず自分を信じていけば、世界へ行けると思います」と絶賛された山崎さん。今後の抱負として「ミュージカルだけじゃなくて映画やドラマにも出られる女優さんになりたいです」と力を込めた。次世代のミュージカルスターを発掘することを目的にした今回のコンテスト。「ラッキーというのはすごくありました。ミュージカルは見るのもやるのも大好きで、今回(応募要項を)見て絶対受けたいと思いました。愛媛では小学校4年生ぐらいからミュージカルスクールに通って、稽古をしていくうちに楽しくなって職業にしたいという思いが深まってオーディションを受けるようになりました」とミュージカルとは幼い頃から縁があったという。また、同コンテストのグランプリとなった人は、事務所の大先輩にあたる和田アキ子と『アッコにおまかせ!』(TBS系)であいさつするのが恒例となっている。「今日と和田にあいさつするのはどちらが緊張する?」という質問に「和田さんにあいさつだと思います」とこの日の審査は緊張しなかったという彼女も、翌日に控えた和田との初対面に戦々恐々としていた。なお、特別賞の17LIVE賞には京都府出身の高校3年生・佐竹桃華さん(17歳)を選出。山崎さんと佐竹さん以外のファイナリストは以下の通り。兵庫県出身の中学3年生・久慈愛さん(15歳)、埼玉県出身の中学3年生・増田ふくさん(15歳)、大阪府出身の高校3年生・光安なづなさん(18歳)、福岡県出身の高校3年生・古賀まいさん(18歳)、静岡県の小学校6年生・洞桃香さん(12歳)、神奈川県出身の高校3年生・田中海咲さん(17歳)、東京都出身の大学1年生・山本咲希さん(19歳)、東京都出身の大学2年生・宮山翼さん(20歳)。
2020年12月13日“多目的トイレ不倫”が報じられてから半年。アンジャッシュの渡部建(48)が窮地に陥っている。12月3日にようやく謝罪会見を行うも、急造された会見だったからか受け答えはしどろもどろ。業を煮やした女性レポーターから厳しい質問が飛び交い、まさに「集中砲火」となった。そんな渡部を我がことのように心配する芸人がいた。今から11年前に渡部と同じく複数女性との不倫を報じられ、タレントとして窮地に陥った芸人の陣内智則(46)だ。12月6日放送の『アッコにおまかせ!』(TBS系)にゲスト出演した陣内。番組で渡部の会見VTRが流れた後MCの和田アキ子(70)から感想を聞かれると、「(騒動発覚後)すぐにやってこの会見ならわかるんですけど、6カ月もあったので。やっぱり答えるべきことを恥を捨てて答えて欲しかった」と渡部の準備不足をストレートに指摘した。また陣内は番組内で、渡部が芸能活動を自粛した今年6月に相方の児嶋一哉(48)に励ましのLINEを送っていたことを告白。さらにこの謝罪会見が行われた少し前にも児嶋を通じて渡部復帰へのアドバイスをおこなっていたという。事務所は違えど、年齢・芸歴ともにほぼ同世代であるアンジャッシュを心配している様子がうかがえた。陣内は11月25日、児嶋の公式YouTubeチャンネル『児嶋だよ!』にゲスト出演。仕事が激減した当時のことを「芸能界の人生の底が分かった」と回顧。自身の経験から「会見はせなあかんと思うよ。もうボロボロに叩かれるしかないと思う」と児嶋に真剣にアドバイス。渡部に対しても「渡部くんは(復帰するためには)“負け芸”やと思うで」と、“これまで児嶋が担ってきた役割を逆転させる必要がある”との持論を展開していた。実際、“世紀のフルボッコ会見”と揶揄された謝罪会見についてネット上では渡部の心中を察するコメントも上がっている。《アッコにおまかせで不倫ネタの時に必ず呼ばれる陣内wwアッコさんに不倫話突っ込まれても笑いで返す。生放送でも安定している。この掛け合いの経験の豊富さを感じる笑》《陣内の不倫からもう10年以上経つのかぁ、、もうお互い再婚して第二の人生歩んでるのに今だに引き合いに出されるwwそらぁもう笑いに変えるしかないわ、、》《渡部さんが会見で「『この騒動があってよかったんじゃないの』と妻に言ってもらえるような人生を目指したい」って言ってたけど、それはまさに今の陣内さんなのかもねww》会見で繰り返し「今後の誠意ある行動」について語っていた渡部。果たして、彼は第二の陣内智則となれるのだろうか。
2020年12月07日歌手・和田アキ子の近年のライフワーク、そして真骨頂でもある「ブルーノート東京」公演が今年も12月8日と9日に開催される。リアルライブのチケットは即座に完売したが、このコロナ禍の中、ライブ現場に行きたくても行けないファンも多いはず。「より多くのひとに、現在の和田アキ子の充実したステージを伝えたい」ということで、最終日となる9日の公演の配信中継が決定した。公演情報はこちら1968年にデビュー以来、力強くエモーショナルな歌いっぷりで日本におけるリズム&ブルースの大衆化に貢献。30周年コンサートでは敬愛するレイ・チャールズと共演し、40周年コンサートをニューヨーク・ハーレムの「アポロ・シアター」で開催したことも話題を集めた。ブルーノート東京には2014年以来、ほぼ毎年登場。公演では数多くのヒット曲に加え、リズム&ブルースやジャズの古典的名曲、注目している気鋭の洋楽ミュージシャン(サム・スミスやファレル・ウィリアムス等)のナンバーを、軽妙なMCと共に楽しませてきた。今年のステージも、この二日間のために特別に用意された、他では決して味わうことのできないプログラムになるはずだ。和田アキ子のブルーノート東京公演は、バンド・メンバーにもジャズやポップス畑の凄腕が集まっている。配信では、卓越したカメラ・ワークにより、ライヴでは見ることの難しい楽器奏者の指先のアップ、ミュージシャン間の親密なアイコンタクトなども確認できること間違いなし。当然のことながら、歌手だけでライブは成立しない。バンドが一丸となり、最高のバックグラウンドを提供することによって、歌い手はいっそう伸び伸びと、エキサイティングなパフォーマンスを繰り広げてゆくのだ。歌手とバンドがケミストリーを与えあう、まさにその過程を、このプレミアム・ショウは余すところなく伝えることだろう。ジャパニーズR&B~ソウル・ミュージック・アーティストの先駆者として、数多くの後進からリスペクトを受ける和田アキ子。魂(ソウル)を震わせるエンターテイナーの最新ステージを、ハイクオリティなライブ・ビューイングで満喫したい。また、これを読んでいるあなたのご両親が和田アキ子のファンでありつつも、インターネットと無縁であるのなら、ぜひあなたがお持ちのシステムの前に招いて、一緒に現在の充実した歌唱を味わってはいかがだろうか。デビューから53年目に突入、ワン&オンリーの歌声には磨きがかかるばかりだ。【公演情報】ライブ配信:12月9日(水)19:00開場/19:30開演見逃し配信:12月9日(水)21:00~12月12日(土)23:59オンラインライブ視聴券 3,300円チケットぴあにて視聴券発売中!
2020年12月04日2020年11月17日に、歌手の近藤真彦さんが無期限で芸能活動を自粛することを発表しました。所属事務所は、一部の週刊誌が報じた近藤さんの不倫報道を受けて「自覚と責任に欠ける行動だった」とコメント。芸能活動の自粛は近藤さん自らがいい出したことだと説明しています。和田アキ子「今出すのは違う」同月21日に放送された、ラジオ番組『ゴッドアフタヌーンアッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)で、近藤さんにまつわる一連の報道が話題に。歌手の和田アキ子さんは、近藤さんの件について「自分はご意見番とかじゃない」「私からいうとしたら1つだけ」と前置きした上で、次のような考えを明かしました。なんか中森明菜…昔の(近藤さんと)付き合ってた頃のが記事として出るんですよ。記者会見した時のとか。中森明菜を今出すのは違うんじゃないのと思うんだけど、私は。別の問題で、そんなこといったら昔付き合ってた人、芸能人はいっぱいいるでしょ。誰と誰が付き合ってた…とか。ゴッドアフタヌーンアッコのいいかげんに1000回ーより引用メディアが連日のように近藤さんの話題を報道する中で、元交際相手である歌手の中森明菜さんのことまで取り上げていることに疑問を抱いたという和田さん。中森さんと、自らもかつて親交があったことを明かし、次のように想いを述べました。今、マッチの不倫してたのと、昔明菜と付き合っていて、何があったかは、これはちょっと明菜に対して失礼じゃないのかなって私は思いますね。マッチの不倫を文句いうのはいいんですけど、明菜は違うように思いますね。明菜を放っといてあげてください。本当に。ゴッドアフタヌーンアッコのいいかげんに1000回ーより引用和田さんは「今回の件で中森さんのことも話題にするのは違うから、放っといてほしい」と呼びかけます。最後に、近藤さんについては「やっぱり大人としてちゃんとした行動を取らないと、みんなに迷惑がかかるということです」と締めくくりました。【ネットの声】・ごもっとも!いつまでも過去の話をするのは、相手に失礼だと思う。・同感。和田さんがすごくいい指摘をしてくれた。・今回のことに限らず、芸能人に何かあるたび、過去のことを掘り返すのはやめてほしい…。特定の芸能人が起こした不祥事について、昨今は本人だけでなく、周囲の関係者のコメントを取り上げたり、過去の出来事を報じて憶測したりする傾向にあります。SNSの普及にともない、情報の伝達はいっそう速くなり、状況を多角的にとらえやすくなったのも一因でしょう。メディアとして報じる際の姿勢やマナーを、改めて見直す時なのかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2020年11月22日タレントの勝俣州和が、自身の公式YouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」で17日に公開された動画に出演し、和田アキ子に対して強気に出られるようになったきっかけを語った。「【勝俣はなぜ和田アキ子に強気なのか?】」と題して公開された動画で、勝俣はTBS系番組『アッコにおまかせ!』である時、バンジージャンプに挑戦することになったが、本番中に飛ぶことができず、再びバンジーの機会を与えられた一件を紹介。しかし、何度「3、2、1、バンジー!」とコールを振られても、やはり一歩踏み出すことができず、当時の心境を「(和田から、飛ばなかったら)『つぶす』と言われていたので、『ここで終わりだ』と思ったんです。『もういいや、最後に全部吐き出そう』と思った」と述懐した。勝俣は「アッコさんに『なんで飛ばへんのや!』と言われたから、『うるせぇな! てめえ、このやろう! 何でお前の誕生日のために俺が飛ばなきゃいけねぇんだよ! お前が来て飛んでみろ! かかって来い!』って」と振り返り、「『なんや勝俣! その言い方!』って言われても、『お前が先に仕掛けた口喧嘩だろ! TBSで待ってろ! ぶっ飛ばして芸能界去ってやるわ!』って叫んでいるうちに、酸欠になって、僕は倒れちゃったんです」と告白した。幸いすぐに回復した勝俣は、TBSへ戻ることに。「芸能界終わりは決定」と確信しながら、和田に対して、バンジーを飛べなかったことと暴言を吐いたことを詫び、「長い間お疲れ様でした」と頭を下げた。すると、和田は大笑いしながら「お前めっちゃおもろいな! 今年いち笑ったわ! そのキャラええな!」と絶賛したとのこと。勝俣は「それからなんですよ。アッコさんに『てめぇ!』『しっかりやれよ!』『何やってんだよ!』と言えるようになったのは」と述べ、「誰かが考えたわけじゃなくて、本当に『死んでもいい』と思った弱い犬の遠吠えですよね。それをアッコさんが面白がってくれて、OKになって。その次の週から何でも言えるようになりましたね」と説明していた。
2020年11月20日オフィスに入った瞬間、足が止まった。出迎えてくれたのはゾンビに妖怪、宇宙人。部屋の一角は死体まで横たわっている。ここは、東京・成城の東宝スタジオのなかにある「メイクアップディメンションズ」。日本を代表する特殊メークのプロ集団だ。壁一面が、渡辺謙、役所広司ら俳優陣に加えて、元SMAPの5人や和田アキ子など、芸能界の錚々たる顔ぶれのライフマスクで埋めつくされている。このマスクは、変身するときの基礎となる顔型だ。三國連太郎、佐藤浩市、寛一郎という3代にわたる役者ファミリーのマスクも横一列に並んでいて、同社の長い歴史がうかがえる。階下の工房では、作業台の上に坊主頭用のかつらピース(人工皮膚)が20個も並べられて、女性スタッフが肌に色ムラをつける“飛ばし”の特殊メークを施している最中。この時代劇用のかつらにも、一つ一つに誰もが知る俳優の名が。「うん、いい出来。あとは“皮膚感”かな。少し赤みや緑も入れると、よりリアルになるでしょう」同社の代表で創業者でもある江川悦子さんが、自らブラシを手にしながら言う。彼女は、特殊メークの分野を日本に初めて定着させたパイオニアだ。アメリカでは、ハリウッドの大ヒット映画『ゴーストバスターズ』(84年)や、あのジョージ・ルーカス総指揮の『キャプテンEO』(86年)でも腕をふるった。帰国後も、アカデミー賞外国語映画賞に輝いた『おくりびと』(08年)はじめ多くの名作映画やドラマ、CM、舞台などに参加。現在も、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、特殊メークを担当している。「大河は、01年の『北条時宗』から『麒麟がくる』までの約20年間、ほとんどの作品に参加してきました。今回も、武将の坊主頭などの特殊メークを担当しています」1本のホラー映画との偶然の出合いから、特殊メークの世界に飛び込んでまもなく40年。「昔は特殊メーク自体、認知されていなくて、現場に加わってもNHKでクレジットで名前が出ることはありませんでした。ようやく最近ですね、認められたのは」長い間、縁の下の力持ち的存在だったが、今では専門学校もあるほど当たり前の存在となった特殊メーク。通称“江川学校”から巣立って世界で活躍する人材も輩出している。そんな江川さんだが、33年前、初めての日本映画界からの依頼は「生首」だったという。「今は、大河ドラマの現場をはじめドラマもCMもコロナ禍での中断から撮影が再開して、どこもてんてこ舞いの忙しさです。役者さんたちもリハーサルではマスクとフェースシールドで、本番は外すといった工夫で乗り切っています。私たちも撮影のたびに出向き、何かあればシールドを取ってもらって直しを入れたり」10人いるスタッフも、早朝から深夜までフル回転の状況だ。そんな工房の片隅で、取材の日もジーコジーコと動き続けていたのが3Dプリンター。アナログからデジタルへの移行も、江川さんは柔軟に対応しようとしていた。「2日間ほどで、一人の役者さんのマスク作製ができますし、いったんデータが取れれば、仮にその役者さんが太ったりしても、パソコン上で修整も可能です。昔のように、歯型採取に使うような樹脂を顔にベタベタ塗る時代を知る方たちからは、『こりゃ助かる』とたいへん喜ばれます。手技の特殊メークと、CGや3Dプリンター・スキャンなどデジタル技術は、今後は共存していくのだと捉えています」多忙ななか、大好きな映画館に行く時間はなかなか作れないが、続けているのが、休日の夫婦での公園散歩。今でも「今度の特殊メークはイマイチ」など、歯に衣着せぬ感想を言ってくれるという夫の信也さんは、「渡米しても、出産しても、いつも自然体。ロスで映画の仕事をする娘も、『お母さんは私のロールモデル(お手本)』と言います。彼女の生来の前向きさと我慢強さが、厳しい世界で今まで現役で頑張ってきた秘訣だと思います」江川さん自身も、「生涯現役」でありたいと語った。「好奇心とトライしたい技術がある限り、仕事は続けたい。ふだんから、よりリアルな特殊メークを考えていて、バスに乗っても、人の耳や鼻の形が気になって、ついつい見ちゃうんですよね」 ぜひ次は、特殊メークを意識しながら映画やドラマを楽しんでみようと思わせる、どこまでも仕事にまっすぐな人だったーー。(撮影:田山達之)「女性自身」2020年11月17日号 掲載
2020年11月09日「もう1年たっちゃうんですね。いまでも毎日寂しくて。散歩していても和田さんがそばにいるような気がして、ついつい『今日も気持ちいい天気ね』って言っちゃいます。和田さんにはお仏壇は似合わないの。だからリビングのよく日の当たるところに、篠山紀信さんが撮ってくれた写真と、谷川俊太郎さんが夫のことを書いてくださった直筆の詩を飾っているの。毎朝、おいしいお茶を入れて、写真の和田さんの口元に『お父さんどうぞ』と、持っていくのが日課です。今朝も『今日は女性自身の撮影に行ってくるわね』って報告してきたわ」料理愛好家・平野レミさんの夫でイラストレーターの和田誠さん(享年83)が逝去してから10月7日で1年となる。寡黙な人柄で知られた和田さんと、天真爛漫なキャラクターでおなじみのレミさん。性格もまるで違ったふたりの出会いは48年前。和田さんの“一目ぼれ”だった。「彼は、当時私がラジオで共演していた久米宏さんともお友達だったから『あの子を紹介してくれないか』って頼んだらしいのよ。でも久米さんは『あれは紹介できません。一生を棒に振りますよ』ですって(笑)。それでも和田さんは諦めずに別の人に頼んでくれて、テレビ局の近くでいっしょに食事をしたのが始まり。品があって懐が深そうで、1週間で結婚を決めちゃった」家庭に入り、そのまま主婦として穏やかな日々を送るつもりだった。しかし和田さんの友人たちの間でレミさんの料理が評判になる。そこからレミさんは雑誌やテレビで活躍し始めた。「みんなに『おいしい』って言ってもらえると、歌を歌ったときに拍手をもらったような嬉しい気持ちになるの。でも私を育ててくれたのは和田さんです。たとえば、ある日『餃子パーティをしよう』って言って、赤塚不二夫さんをはじめとした、和田さんのお友達がたくさん家にいらしたの。でも何百個も作るのは面倒くさいじゃない?それで餃子の具をこねてレンジでチンして、湯通しした皮を上に乗っけてお酢と醤油とラー油をかけて出したら、赤塚さんが『すごいね、こりゃ“怠慢”だ』って言うわけ。すると和田さんが『怠慢は怠慢でも、台湾の台に満州の満で“台満餃子”だ』って言ってくれた。いつも私が即興で作ったお料理に、愉快な名をつけてくれるのよ。ほかにも、ボイルしたキャベツの上に湯通しした豚肉を乗せた料理は『“豚眠菜園(とんみんさいえん)”だね』って。私が仕事で文章を書くときもさっと添削してくれたりしました」レミさんが「料理愛好家」という肩書も、和田さんの命名。「『レミは料理の学校に行っていたわけじゃないから“研究家”じゃなくて“愛好家”だね』って。私は料理愛好家で、夫愛好家。和田さんがいなければ、きっと“ふつうのおばさん”だった」精神的にも大きな支えだった。レミさんが仕事で忙しいことを察すると、職場から戻ってきてスニーカーも脱がないうちに「今日は外に食いに行くか」と、誘ってくれたという。「それで外食して『ああ、楽チンだったし、美味しかった!』って言うと、『レミのご飯がいちばんだよ』って。そんなこと言われたら、また頑張っちゃうわよね!今回のレシピを見てもらってもわかるとおり(※『女性自身』10月6日発売号では、夫婦思い出のレシピを掲載)、私の料理はどれも簡単なの。そのかわりレトルトは使わない。作り方はアレンジしても、祖父や母から受け継いできた味を息子やお嫁さんに伝えていくことは、和田家にとってとても大切なことだと思うんです。スキンシップならぬベロシップって呼んでいるんだけど。和田さんも、私と舌(ベロ)の感覚がいっしょだったみたい。一回も『まずい』だなんて言われなかった」和田家はこれからも「舌」でつながっていく。そして、夫婦の絆も永遠に。「和田さんがいなくなっちゃったことが、まるで昨日のことみたいで。亡くなる前に『私と結婚したこと、(判断は)合ってた?』って聞いたら、ニコリと笑って『合ってたよ』ですって。私も来世の結婚相手は絶対和田さんがいいの。私が死んだら、お骨は和田さんのお骨とミックスしてねって家族みんなにお願いしているぐらい。『愛してる』なんて一回も言われたことなかったけど、結婚生活の47年間、作ったものはなんでもおいしいって食べてくれた。それがすべてです」和田さんの「おいしい」の一言には“愛”が込められていたのだ。「女性自身」2020年10月20日号 掲載
2020年10月07日お笑いコンビ『よゐこ』の濱口優(はまぐち・まさる)さん。抜群のトーク力と明るい人柄でバラエティ番組はもちろん、俳優としても活躍しています。そんな濱口優さんの弟がタロットカードを使う占い師であることや、占いを行なっている場所が予約でいっぱいなことなど、さまざまな情報をご紹介します!濱口優の弟は占い師!名前の読み方は『はまぐちよしゆき』濱口優さんの弟・濱口善幸さんは地元・関西で2004年から占い師として活躍しています。名前の読み方は『はまぐちよしゆき』といい、専門はタロットカードを用いた占いとのこと。高い的中率と優しい口調、清潔感あふれるビジュアルでたちまち注目を集めました。そんな濱口善幸さんはインスタグラムを利用しており、2020年6月14日には自撮りショットをアップしています。 この投稿をInstagramで見る 少しずつ街に人が増えてきましたね!! #久しぶりの更新 #元気です #pcr検査しました #陰性でした #supreme 濱口善幸(yoshiyuki hamaguchi) (@yoshiyuki_uranai)がシェアした投稿 - 2020年 6月月14日午前5時14分PDT派手な髪色が印象的で、どこか不思議なオーラを感じる濱口善幸さん。優しい雰囲気の目元が兄の濱口優さんに似ていますね。ちなみに濱口優さんは3人兄弟の長男。次男の濱口秀二(はまぐち・しゅうじ)さんは芸名を本名から『とっても。満月』に改名し、俳優として活躍しています。2018年6月5日に更新された濱口優さんのインスタグラムでは、兄弟で大阪府にある『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン』を訪れたとの報告が。有名なモニュメントの前での3ショットや、アトラクションを楽しむ様子が「仲がよすぎ!」「素敵な兄弟」と話題になりました。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る #濱口三兄弟 #長男 #優 #芸人 #次男 #秀二 #俳優 #三男 #善幸 #占い師 #大阪 #USJ #ユニバーサルスタジオジャパン 濱口優 (@hamaguchi_masaru)がシェアした投稿 - 2018年 6月月5日午前4時03分PDT濱口優は弟の占いで結婚を決めた!濱口優さんは2018年5月にインスタグラムでタレントの南明奈(みなみ・あきな)さんとの入籍を報告しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by 濱口優 (@hamaguchi_masaru) on May 25, 2018 at 5:00am PDT2人は2013年に開催された歌手の和田アキ子(わだ・あきこ)さんの誕生日会で出会い、徐々に親密な関係に。その間、濱口優さんは南明奈さんへの告白や結婚のタイミングなど、すべて弟の占いに頼りっぱなしだったといいます。そして交際関係に発展した当初42歳だった濱口優さんは、「もうこんな出会いないと思うわ。すぐプロポーズしたい」と結婚にせっかちになっていたとか。しかし、弟・濱口善幸さんからは「焦ってプロポーズしたら絶対に失敗する」との忠告が。そのアドバイスに従い、4年半待った濱口優さんは弟のゴーサインがでたのち、プロポーズ。その結果、南明奈さんとめでたくゴールインしています。「僕のことはほぼ100%当たっている」と話すほど、弟・濱口善幸さんに絶大な信頼を寄せている濱口優さん。互いのことを大切に思いやっているからこそ、今でも深い絆で結ばれているのかもしれませんね。 この投稿をInstagramで見る #濱口善幸 #弟 #占い師 #収録後 #ごはん #一緒に 濱口優 (@hamaguchi_masaru)がシェアした投稿 - 2016年10月月29日午後5時36分PDT濱口優の弟・濱口善幸の占いはどこの場所でやってるの?大阪?濱口善幸さんは大阪にある『喫茶はまゆう』で占いを行なっており、公式サイトを見ると、店の場所までの道筋が丁寧に紹介されています。実際に占ってもらった人の間では「占いの域を超えている」「当たり過ぎてやばい!」と話題に。今ではなかなか予約が取れないほどの人気店になっているそうです。 この投稿をInstagramで見る 本日の深夜1時59分から 読売テレビ「音力-ONCHIKA-」で宇都宮まきさんと降谷建志さん占いさせて貰いました⭐️ 降谷さんと写真撮らせてもらってめちゃくちゃ感動しました(T ^ T) 濱口善幸(yoshiyuki hamaguchi) (@yoshiyuki_uranai)がシェアした投稿 - 2018年10月月25日午前8時26分PDT濱口優の弟・濱口善幸が語る『夢を叶える方法』濱口善幸さんが、2020年9月3日にツイッターを更新。『夢を叶える方法』についてつづっています。夢を叶える方法はまず、夢は叶うということを信じなくてはなりません。明日やりたいことを一つ決めて明日の夢を叶えるところが始めてみると未来にある「大きな夢」を叶えられる近道になります☺️— はまぐちよしゆき@タロット占い師 (@yocchan_uranai) September 3, 2020 夢を叶えるためには、「最初に夢は叶うということを信じなくてはならない」とコメントしている濱口善幸さん。小さな夢からスタートし、コツコツと叶えていくことが『大きな夢』を叶えられる近道になると説いています。また、濱口善幸さんのツイッターでは、生まれ月ごとに今週の運勢が公開されています。【12月生まれの今週の運勢(29日〜10月4日)】カップのキングは、義理や人情を表します。今週は人に助けられたり、強い絆が生まれたりします。また1日は自身でも心動かされる感動する出来事があったりするので心素直に過ごして行きましょう。映画を見たり小説を読んだりするのも良い時期です。— はまぐちよしゆき@タロット占い師 (@yocchan_uranai) September 29, 2020 さらにYouTubeチャンネル『はまぐちよしゆき』でも占い関連の動画を公開しており、視聴するだけで占ってもらえると評判に。2020年1月26日にアップされた動画では、気になる婚期を気軽に占うことができると大きな反響を呼びました。濱口善幸YouTube動画『婚期占ってみました!2020年版』濱口優さん兄弟には、これからもその素敵な才能を発揮し活躍してほしいと思います。濱口善幸プロフィール生年月日:1981年8月3日出身地:大阪府血液型:A型身長:1683所属事務所:松竹芸能2004年よりタロット占い師として活動を開始し、鑑定経験と心理学を合わせた『タロット占い心理学』という新しいジャンルを開拓。よりよい毎日を送るためのセミナーや講演会を開催し、活動の幅を広げている。これまで関西地区を中心にのべ2万人以上を鑑定する実績を持ち、『めざましテレビ』(フジテレビ系)や『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などの情報番組およびバラエティ番組に出演。一方、多数の著書を出版し、注目を集めている。濱口優プロフィール生年月日:1972年1月29日出身地:大阪府血液型:A型身長:1683所属事務所:松竹芸能1990年に同じ中学校、高校に通っていた有野晋哉と『よゐこ』を結成。 バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)や『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)に出演し注目を浴びる。 タレントの南明奈と2018年5月に入籍。2019年9月に結婚披露宴を行っている。 2019年に47歳を迎え、新しい遊び場としてYouTubeにて『よゐこチャンネル』を開設する。濱口優とアッキーナが結婚馴れ初めや『モニタリング』での行動に驚きの声[文・構成/grape編集部]
2020年10月05日19歳の春、ひとり暮らしを始めた2時間後にカツアゲされかけた。大阪の大学へ進学するため、十代の終わりに天王寺で部屋を借りて生まれて初めての単身生活。住所はよく見たら西成区だったが、その混乱と狂熱の無国籍な雰囲気も含めて気に入っていた。荷物を部屋に置いて、あべのアポロビル2階の電気屋でまずテレビを注文し、帰りにハンバーガーを買ってそこらへんの道端に座って食べようとしたら、見知らぬ長髪のおっちゃんにこう声をかけられたのだ。「兄ちゃん、カネくれや」と。ええっ…俺だって浪人生活終わったばかりでカネなんかないですよと答えると、「優雅にそんなもん食ってるやんけぇぇぇ!」なんつってハンバーガーを指さしながらおっちゃんはジョン・ライドンのように絶叫した。酔っているのだろうか?呂律は回ってないし目も充血してる。まあ、ハンバーガーのピクルスだけならあげてもいいかな……ってそういうことじゃないだろう。地方出身の幼気な少年だった俺は怖くなり、ハンバーガーとコーラを両手に握りしめてその場から走って逃げた。○■渋谷すばる&二階堂ふみら出演の『味園ユニバース』大阪が舞台の映画『味園ユニバース』を見たとき、ふと当時のことを思い出した。作品から裏大阪の濃さと暴力とその土地での生活の匂いを感じられたからだ。主演の大森茂雄役には元関ジャニ∞の渋谷すばる。刑務所を出所した直後に襲撃され、記憶喪失になった茂雄の歌声に惚れ込み、“ポチ男”と名付け面倒を見るのは二階堂ふみ演じる佐藤カスミだ。父親を交通事故で亡くし、サウンドスタジオSATOの経営を継ぎ、バンド“赤犬”のマネジャーを務めるカスミは、怪我をしたボーカルの代役をポチ男の才能に託す。だが、日々歌いながら徐々に記憶の断片が戻ってくる茂雄。味園ユニバースでの赤犬ワンマンライブも決まったが、どうやら以前の俺はとんでもないクズのようやった……。○■アーティスト・渋谷すばるが前面に出た映画これはアイドル・渋谷すばるではなく、アーティスト渋谷すばるが前面に出た映画だ。なぜなら茂雄の歌唱力に説得力がなければ、物語は成立しない。冒頭の浪速公園における赤犬のライブでマイクを奪い、唐突に和田アキ子の『古い日記』を熱唱するが、その歌声は映画館の音響設備で聴くと強烈だった。公式パンフレットでも山下敦弘監督が「茂雄が最初に公園で歌うシーンは凄いけどね……。茂雄は、この声を持っているんだ……と思えたから」と絶賛。記憶もカネもすべてを失ったが、音楽だけが残ったロクデナシ。そんな明日なき男と渋谷すばるの歌声は違和感なく同化していた。違和感がないと言えば、個人的に、本作に本人役で出演しているオシリペンペンズのボーカル・石井モタコ氏は大学の同級生である。特別仲が良かったわけではないが、1度だけ梅田ヒートビートでのザ・ハイロウズのライブへ一緒に行ったことがある。最後に偶然会ったのは天王寺の路上だった。卒業後10数年ぶりにその姿を確認できたのが、この映画というわけだ。スクリーン上の飲み屋のカウンターでくつろぐモタコは、確かにカスミや茂雄と同じ世界にいた。自分にとってそれは学生時代を過ごした大阪の日常の風景そのものだ。アホらしく腹立たしくも懐かしい過去。誰にでもそういう記憶はあると思う。笑って傷ついて、ときに裏切り過ちを犯し、大人になるための踏み台となった時間だ。さて、茂雄やカスミは“自分の過去”といかにケリをつけるか?それはこれからの人生で、どこに自分の居場所を見つけるかということでもある。つまり、この映画で大森茂雄は、己の“歌”から未来の自分の居場所を見つけていくのだ。まるで現在、ソロアーティストとして生きる渋谷すばるのように。
2020年09月26日2020年9月13日に放送されたバラエティ番組『アッコにおまかせ!』(TBS系)では、同月8日に大麻取締法違反の疑いで逮捕された、俳優の伊勢谷友介氏について特集しました。俳優として数多くの映画やドラマに出演するだけでなく、実業家や芸術家としても幅広く活動していた伊勢谷氏。さまざまなメディアが、出演作の共演者の反応を始め、伊勢谷氏の人間関係について報じています。元交際相手の報道に、和田アキ子「やめてあげて」同番組では、伊勢谷氏の逮捕にともない、注目された人物をピックアップ。逮捕後、以前伊勢谷氏と交際報道のあった、モデルの森星さんについて話題になりました。元恋人である森さんは、2019年10月に伊勢谷氏と破局しているそうです。その情報を番組で取り上げたことに、MCを務める和田アキ子さんは…。えー!こんなん出すの、やめたげてよ。アッコにおまかせ!ーより引用和田さんは、状況を説明するボードを見た瞬間に、大きな声で番組側の対応を非難します。その後、スタジオでは特に星さんに関する話題は掘り下げられることなく、量刑に関する話に移り変わりました。和田さんは伊勢谷氏について、こうコメントしています。量刑の重さ軽さよりも、人に与えた影響のほうが…。それも悪いほうの影響が大きいんだから、本人の考え方次第ですね。アッコにおまかせ!ーより引用さらに「芸能人がみんな、こんな風にやってると思われたら悲しいし、こんなニュースは気持ちを暗くしてしまう」といいました。和田さんの発言について、ネット上ではさまざまな意見が寄せられています。・アッコさんのいう通り。・元恋人について取り上げる必要はないと思う。・過去の話を持ち出してツッコむのは、星さんがかわいそう…。特定の芸能人が不祥事を起こすと、それにともない周囲の反応や関係者の動向まで、根掘り葉掘り取り上げて、報じられることがあります。しかし、なんの罪もない人を必要以上にピックアップすることで、生まれるものはないでしょう。メディアとして、適切な形で事実を報じる姿勢が問われますね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月14日タレントの勝俣州和が8日、YouTube公式チャンネル「かっちゃんねる 勝俣」に出演。お笑いコンビ・とんねるずの石橋貴明が、番組収録で用意される弁当を食べない理由を明かした。「【とんねるず伝説】生ダラ(秘)エピソードまだまだあります」と題した動画内で、勝俣は、「番組でお弁当って用意されるじゃないですか。貴明さんって絶対に食べないんです」というエピソードを紹介。「お弁当を食べてた若手の頃に戻りたくないんですって。お弁当がありがたいと思ってたときは、本当に生活も苦しかったり、お仕事もそんなにいっぱい入ってなくて、局にある豪華なお弁当がうれしくて食べてたんですけど。そこから自分はステップアップして頑張ってきたっていうのがあるから」とその理由を語った。用意されたお弁当を食べずに、「我慢してちゃんと終わってからおいしいものを食べに行こうと。それが自分のジンクスみたいで」と石橋のポリシーを明かした勝俣。実は、歌手でタレントの和田アキ子も同じポリシーを持っているそうで、「お弁当はありがたくておいしいんだけど、そのお弁当をおいしく食べてた、苦労してた若い頃に帰りたくないっていうことで、あえて食べないでマネージャーに持って帰ってもらったりしている」そう。一方で、石橋の相方、木梨憲武は、「番組に来てすぐ弁当を食うんです。『今日の弁当何?』って言って」と明かして苦笑い。勝俣によると、木梨は、「ずっと弁当を食べている」と言い、「なんだったら、ロケ前に一個食べて、ロケ終わりでみんながザワザワしてるときも、『さっきのおいしいお弁当持ってきて』って言うくらい弁当が好きなんですよ」と、確固たるポリシーを持つ石橋と対照的な木梨の一面を暴露していた。
2020年09月11日「悔しいなぁ。否定したいなぁ」2020年8月4日、大和田美帆さんが、亡くなった実の母であり俳優の岡江久美子さんに関する根も葉もないウワサに対して、苦しい胸の内を明かしました。同年4月23日に、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなった岡江久美子さん。突然の訃報は日本中を駆け巡り、早すぎる別れを惜しむ声が相次いで寄せられました。しかし、岡江さん亡き後、あるウワサが出回っているといいます。母はヘビースモーカーどころか、喫煙者じゃなかったのになぁ。。近くにいるおばさま二人が、「岡江さんはヘビースモーカーだったから仕方なかったねー」って話してた。そういえば4月もそんな情報が回ってたなぁ。悔しいなぁ。否定したいなぁ。 と思いつつ抑えて移動。UAを聴く。— 大和田美帆 (@miho_ohwada) August 4, 2020 岡江さんが亡くなった直後にも、喫煙歴を疑うウワサが出回っていたといいますが、娘の美帆さんは事実無根であるときっぱり否定。「真実は私が知っていればいい」とつづった美帆さんではあるものの、実の母に関するネガティブなウワサを耳にするのは、やはりつらいものがあるといいます。そんなん言い出したら、なぜか違う情報だらけなので全てを訂正するパワーは私たちにはないのです。笑ってしまうくらいです。知人って誰だ!!ってね。真実は私が知っていればいい。でも今日みたいに直接聞いちゃうと辛いなぁ。ということで思わずつぶやいちゃいました(^◇^;)— 大和田美帆 (@miho_ohwada) August 4, 2020 美帆さんの投稿に対し、「ひどい話」「無責任すぎる」と、残された遺族を気遣うコメントが多数寄せられています。・心中お察し致します。本当に酷い話ですね…。・誤った情報をSNSで流すことは、人の心に、深い傷を残しかねない。・正しいかどうかをチェックするのが難しいくらい、誰でも情報が発信できるから恐ろしい世の中です。故人のことを勝手な憶測で語ることも不快ですよね。周囲が根拠のないウワサを信じ、さらに、いいふらすような行為は故人を冒涜しているようなものであり、本来、あってはならないことです。ましてや、肉親を失って悲しみに暮れる遺族をさらに追い詰めるようなことは控えてほしいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月04日