東京国立博物館にある法隆寺宝物館で、9月29日(火)から10月25日(日)までの約1ヶ月間、『5Gで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」 ARでたどる聖徳太子の生涯』が開催される。同展は、第5世代移動通信システム「5G」やAR(拡張現実)などの先端技術を活用して、文化財の新たな鑑賞体験を提案する、東京国立博物館、文化財活用センター、KDDIの共同研究プロジェクトの第1弾となるものだ。1069年に絵師・秦致貞によって描かれた国宝『聖徳太子絵伝』は、聖徳太子の生涯を描く絵伝のうちもっとも古いもので、かつては奈良・法隆寺絵殿の内壁にはめこまれていた。現在は東京国立博物館が所蔵しているが、長い年月を経て画面がいたんでいることから、展示ケース越しでは細かい描写を鑑賞することが難しいうえ、作品保存の観点から、年に1ヶ月ほどの限られた期間しか展示されていない。そんな貴重な文化財を、誰もが本来の魅力を体験できるようにと制作されたのが、1面あたり18億画素の高精細画像とARを用いたアニメーションのコンテンツ。それらが、5Gの高速低遅延な通信を活用することにより、ストレスなく鑑賞することが可能になった。会場内は、かつて『聖徳太子絵伝』がはめこまれていた法隆寺絵殿の、コの字形となった内壁と同じ配置で、全10面からなる原寸大の複製画パネルが設置されている。そこで鑑賞者が使用するのは、「魔法のグラス」と「魔法のルーペ」。5Gで文化財 国宝「聖徳太子絵伝」 ARでたどる聖徳太子の生涯()国宝「聖徳太子絵伝」(太子1歳、部分)平安時代・延久元年(1069)全10面のうち第1面東京国立博物館蔵太子誕生(1歳、研究員が監修し作画したイラスト)5Gで文化財国宝「聖徳太子絵伝」アニメーションより国宝「聖徳太子絵伝」(太子37歳、部分)平安時代・延久元年(1069)全10面のうち第10面東京国立博物館蔵太子の魂、青龍車で中国・衡山へ(37歳、研究員が監修し作画したイラスト)5Gで文化財国宝「聖徳太子絵伝」アニメーションより
2020年09月17日2020年の1月頃流行し、9月現在、未だ収束の兆しが見えない新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)。緊急事態宣言下にあった頃と比べると、日常が戻りつつあるようにも思えますが、コロナウイルス感染の危険性はまだ続いています。そんな中、菅原道真をまつる京都の北野天満宮で、ある『神事』が執り行われ驚きの声が上がっています。京都・北野天満宮の神事に「平安時代か?」の声世界中で多数の死者を出し、経済活動にも甚大な被害をもたらしているコロナウイルスは、もはや『疫病』といっても過言ではありません。コロナウイルスの終息がみえない中、北野天満宮は『北野御霊会』を神社として復活させることを決定。もとは、菅原道真の神霊がもたらすと考えられた疫病や天変地異を鎮めるために行われた神事『北野御霊会』を、9月4日、天台宗総本山の比叡山延暦寺も加わり、神仏習合の形で執り行いました。驚くことに、『北野御霊会』が執り行われるのは550年ぶりとのこと。一度は応仁の乱で途絶えたといわれている神事が、2020年、令和の時代に復活すると、一体誰が想像できたでしょうか。「平安時代か」「まさかこの目で見られるとは」「なんちゅう時代や」と驚きの声が寄せられた、今回の『北野御霊会』。1日も早く、世界から疫病が鎮まり平穏な日常が戻ってくることを祈るばかりです。[文・構成/grape編集部]
2020年09月07日千葉雄大、伊藤沙莉、桐山漣、入山杏奈、神尾楓珠、小手伸也らが出演、現代に現れた平安貴族・光源氏とこじらせOL・沙織が織りなすゆる~く笑える“いけめん”居候コメディ「いいね!光源氏くん」が、4月4日(土)本日よりNHK総合で放送開始となる。えすとえむによる同名人気コミックを原作にドラマ化した本作。「源氏物語」の中で、雅(みやび)の世に生きていた平安貴族・光源氏が、まったく世界観の違う現代に出現。あたりまえに見える現実世界とのギャップに驚いたり、楽しんだり…。そんな光源氏をヒモ同然のように自宅に住まわせることになるのは、地味で自分に自信がない今風のこじらせOL・沙織。はじめは違和感を覚えつつも徐々に光の存在に癒されていく沙織だが、そんな矢先、ふたりのもとに新たな源氏物語の登場人物、あの中将(ちゅうじょう)が現れ…。奇想天外でゆる~く笑える千年の時を越えた“いけめん”居候コメディとなっている。光源氏を演じるのは「おっさんずラブ-in the sky-」で改めてその“美貌”を世間に知らしめた千葉さん。本作の光源氏は「みなさんが思われている“プレイボーイ”な光源氏とは少し変わっています。目の前で起こったことを素直に楽しんでいて、鈍感な部分もあるけど、柔らかさをもって、切なさもありつつ。僕はそこがすごく好きで、本当に純な人物」とのこと。「光源氏が劇中で、突然、和歌を詠み始めるので、そういった突拍子もない部分は、(共演者やスタッフに)多々ご迷惑をおかけしたなと思いますけど(笑)、そういう誇張されがちなところを、いかに真剣にやるかということが、楽しくて印象に残っています」と撮影をふり返る。一方、現代で光源氏と“同居”することになる沙織を演じたのは「これは経費で落ちません!」などの伊藤さん。「自分に自信がないし、美人の妹がいて、自分は脇役人生って勝手に思い込んで勝手に辛くなっている女性」だという沙織に「原作と台本を読んで、自分と近い部分というか、共感するところはたくさんありました」といい「“がんばれ~”と思いながら演じました」と語る。そんな伊藤さんだが「笑っちゃってNG出すとか、いままでの役者人生の中でなかった」にも関わらず「沙織が勝手にときめきだす」恋愛モードに入るシーンでは笑いが止まらなくなったとか。千葉さんも「お芝居だから当たり前なんだけど、『なにやってるんだろう、我々』って思ったら笑いが止まらなくなって、困りました」というほど。出演者自身も楽しんで演じたという本作で、笑って元気になって辛い日々を乗り越えていきたいところ。「いいね!光源氏くん」は4月4日(土)今夜より毎週土曜23時30分~、NHK総合にて放送開始。(笠緒)
2020年04月04日1000年以上前の恋愛スタイルから、現代の私たちが学べることがあります。現代でも使える平安時代の女性の恋愛テクニックを紹介します!ミステリアスな部分をもつ平安時代、貴族の結婚スタイルは男性が女性のもとに通う「通い婚」。そのため、男性は結婚前から「いいな」と思う女性に和歌を送ったり、夜になるとお家に訪ねて行ったりしていました。しかし男性が訪ねて行っても、女性は心を許すまで「すだれ」越しの会話しかしません。そのため、相手の顔が分からないなか男性は、女性の衣が立てる音や影の動きに妄想を膨らませていたのです。そう、相手のことが見えないと、男性は勝手に色々と良く想像して恋に落ちてくれるものなのです!なので、現代でも最初から自分に関する情報を相手に与えるのはやめて、多少は男性の妄想が働く余地を残しておきましょう。気になる男性がいたら、あまり自分のことを話さずにいてみて。好意が感じられるようになってきても、教える情報は少しずつにすると、男性はあなたに飽きずに夢中になっていきます。自分の香りをもつ平安時代は「香道」と呼ばれる香りの文化が花開いた時代です。貴族は香りを芸術として観賞したり、さまざまな香りを焚き合わせてそのマリアージュを楽しんだりしていました。現在のアロマオイルの調合と似ていますね。「匂いフェチ」の女性も多いですが、男性にも香りのアピールは有効です。自分に合う香水を見つけて、いつもそれをつけてみましょう。フェミニンなファッションが多い女性なら甘い香りを…とイメージどおりの香りも素敵ですが、意外性のある香りを選ぶのもドキッとして印象に残りやすいですよ。「この香水=○○ちゃんの香り」と印象付けられたなら、平安女子としては成功です!可愛らしい言葉で伝える平安時代のラブレターといえば「和歌」です。平安貴族は31文字に自分の気持ちをこめて相手に思いを伝えていました。その短い文字数で思いを伝えるには言葉選びがかなり重要ですよね。特に女性は男性からの和歌に即興で返さなければならなかったので、普段の言葉遣いや経験が表れやすかったことでしょう。現代の和歌といえばLINE。彼に送るLINEに、寂しさや怒りなどのネガティブな気持ちをそのまま出していませんか?たとえば、なかなか相手と都合が合わず会えなかったときに「もしかして会いたくないの?」と責め立てたようなメッセージを送ると、男性の気持ちは遠のいてしまいます。「寂しいから声が聞きたいな」「今度会えるときが楽しみだな」など、会えなくて寂しい気持ちはポジティブな言葉で、相手に可愛い印象を与えられるようにしてみてください。
2020年03月21日平安神宮敷地内にある KYOTO SAMURAI THEATER(京都・時代祭館 十二十二内)で、ネルケプランニングが全面プロデュースする「KYOTO SAMURAI BOYS」が上演されることが10日、明らかになった。同作は、オーディションで選抜された18人の若きサムライが、チームに分かれて公演を行う。日々何気なく過ごしていた現代の若者たちが、ある日ゲームの世界に入りこんでしまい、同じくゲームの世界に取り込まれた人達を、元の世界に戻す使命を課せられる。強大な敵とぶつかり、修行を経て、【侍の心】を思い出していく。8月10日にプレオープン、9月上旬にグランドオープン、今後のロングランも予定。近年精力的に舞台も手がける PaniCrew の植木豪が構成・演出を務め、歌とダンスに加え、日本の伝統文化を気軽に体験できるエンターテイメントとしてショーアップする。現在、メンバーとして福澤侑、里中将道、泰江和明、山縣悠己、LilNoah、下田壮良の名前が明らかになっている。○一般財団法人 京都平安振興財団 代表理事 足立健司 コメント京都・岡崎は、琵琶湖疎水を使った日本で初めての発電・市電の運用、平安神宮の建立などにより京都の社会的、経済的発展を支え、継承してきた地区です。そのなかでも明治期の内国勧業博覧会以降、文化的交流の場として重要な役割を担ってきま した。このたびの京都・時代祭館 十二十二(トニトニ)での「KYOTO SAMURAI BOYS」の公演が、国内外の多くの方々の文化・交流の場として、さらに京都・岡崎が進取の気風にあふれ、発展することを祈念いたします。○京都平安プロパティ株式会社 代表取締役 髙野瀬卓治 コメント コメント京都・時代祭館 十二十二(トニトニ)は、京都三大祭のひとつである「時代祭」に年間を通じて触れていただくことを目的 に一昨年に平安神宮の境内に誕生した文化商業施設です。施設名はこの「時代祭」の催行日である10月22日に由来しております。当館として独自のエンタテイメントを発信するにあたり、今回、ネルケプランニング松田会長および植木豪様のご尽力により「KYOTO SAMURAI BOYS」の公演が叶うこととなりました。 劇場の開業にあたり、京都の新たな文化・芸術・観光の情報発信拠点として魅力ある賑わいを創出いたします。○構成・演出 植木豪 コメント京都の劇場で若者が毎日歌って踊ってパフォーマンスをしていく。過酷で前代未聞のこのプロジェクトですが、選出された男の子達の目は希望に満ちていました。それは20年前にストリートで1人も見てくれることのない状況でパフォーマンスをしてた自分を思い出させてくれます。僕にとってその経験こそが、この世界でずっと戦える力と心を作ってくれたと日々実感しています。もちろん今も変わらず応援していただいてる方もいますが、あの当時支えていただいた方の事は今でも鮮明に憶えています。京都の地に降り立ち、このプロジェクトに全力で立ち向かい、戦いながら傷つき、男として磨かれていくであろう彼等を、是非とも皆様の声援で侍にしていただけたらと思います。(C)SAMURAI BOYS PROJECT
2019年07月10日お正月の三箇日が終わり1月7日になると、七草粥を食べるという風習があります。「七草粥」の習わしは、平安時代初期に中国から伝わった宮中行事で、江戸時代に庶民のものとなって現代に受け継がれています。七草粥を食べる意味七草粥には、一年の無病息災を願ったり、青菜で冬場の野菜不足を補ったりするという意味合いが込められています。現代では、「お正月にごちそうを食べて疲れた胃を休める」という役割もあります。春の七草は、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろの7つです。春の七草がもつ栄養効果せりせりは、古くから食欲増進や胃の働きを助ける薬として使われてきた日本の伝統野菜です。 ビタミンA(β-カロテン)・ビタミンCなど優れた抗酸化力をもつ栄養素が含まれています。(※1)なずな日本各地に自生するなずなは、ぺんぺん草・三味線草などとも呼ばれます。キャベツ・大根などと同じアブラナ科の植物で、腸から吸収したカルシウムが骨に沈着するのを助けるビタミンKが多く含まれています。ごぎょうごぎょうは、母子草(ハハコグサ)とも呼ばれ、日本各地に自生しています。かつては草餅の材料として使われていて、咳や痰を鎮める生薬としても利用されてきた野草です。(※1)はこべらはこべらは、はこべとも呼ばれ、日本各地に自生しています。クセが少なく、食べやすいという特徴があります。ほとけのざほとけのざはキク科の植物で黄色い花を咲かせます。紫色の花が咲くほとけのざは、同じ名前ですが、春の七草ではありません。すずな(かぶの葉)かぶのことをすずなといい、七草がゆに利用するのは葉の部分です。かぶの葉は緑黄色野菜に分類され、ビタミンA(β-カロテン)・ビタミンCのほか、むくみの緩和に役立つカリウムが含まれています。すずしろ(大根)すじしろとは大根の葉のことです。大根の葉は、緑黄色野菜に分類され、ビタミンA(β-カロテン)・ビタミンCのほか、日本人が不足しがちな鉄分やカルシウムなどのミネラル類が含まれています。 七草粥を簡単に作るなら、炊飯器のお粥モードを使うのがおすすめです。炊きあがったお粥に、茹でてから刻んだ七草を加えるようにすると鮮やかな色合いに仕上がります。もし、七草全部が揃わなくても、三つ葉・ほうれん草・小松菜・チンゲン菜など、手に入りやすいものを組み合わせれば、七種類にすることができますよ。 【参考・参照】(※1)公益社団法人富山県薬剤師会薬草資料館〈〉(最終閲覧日2017/01/13) 【執筆者】衞藤敬子/管理栄養士コントラクトフードサービス大手(株)グリーンハウスに入社、社員食堂のメニュー提案や栄養指導業務を経て、2009年「あすけん」に参加。アドバイス作成やサービス開発に携わる傍ら、年間150件以上の栄養指導やプロアスリート選手の食事サポート、セミナーなどを実施。現在はフリーランスに転向し、幅広く活躍。
2019年01月06日ここ最近、よく話題に挙がる「男性はげたを履かせてもらっている」説。今夏発覚した東京医科大学の不正入試問題では、男子学生に加点するいっぽうで、女子学生は減点していたことが明らかになった。平成も終わろうとしているこの時代に、「男性にげた」どころか、いまだに女性というだけで「逆げた」を履かされる残念なニッポン。そんな「逆げた」の存在について考えるときに見過ごせないのが、女性にだけ訪れるアレ――。そう「生理」だ。女性活躍がしきりに叫ばれるいっぽうで、「出産」という生命の一大イベントと密接に関わる「生理」は、「逆げた」の大きな要因になっているにもかかわらず、なぜかタブー視され続けている。あまりに身近な存在のため女性自身も無自覚になりがちだが、その苦労を女性が「自己責任」であるかのように背負わされ、男性は「知らなくて当たり前」とされるのはいったいなぜ?改めて考えると「シンプルに不思議」!これからの時代に、女性はもちろん、男性も知っておきたい「生理」のこと。「生理」が“穢れ”と見なされた歴史を振りかえろう。その歴史をひもとけば、日本人の総氏神は天照大神という女神であり、最初の国家・邪馬台国の首長は卑弥呼――。このように女性を長としていただいてきたはずの日本だが、生理(月経)はいつしかタブーな存在となり、女性は穢れと見なされるようになっていった。その理由はいったいどこにあるのだろう。そのルーツを、歴史社会学者の田中ひかるさんに解説してもらった。「太古の昔から血液への恐れがあったことと関連して、もともと世界各地に『月経禁忌』は存在しています。なにしろ、『タブー』そのものの語源が、ポリネシア語で『月経』を意味する『タブ』であるほどですから。ちなみに、世界の三大宗教とされるキリスト教、イスラム教、仏教は、みな月経を穢れと見なしています。いっぽう、古代日本では月経はタブー視されていなかったと考えられています。『古事記』(712年)には、ヤマトタケルノミコトがミヤズヒメのもとを訪ねると、彼女の月経が始まっていたことが、2人の歌とともに記されています。それでも2人は『婚合した』とあることから、少なくとも律令制(中央集権制度)成立前の日本では、女性の穢れという概念はなかった、というのが、一般的な解釈です」(田中さん・以下同)■時の権力が作り上げた「血穢」という意識変化が訪れるのは、平安時代。中国(唐)の律令格式という法典を取り入れ、伝統的な母系社会から唐伝来の家父長制へと転換していく過程で、「女性は穢れ」という概念も輸入されたと見られる。「平安初期に施行された『弘仁式(820年ごろ)』で初めてお産が穢れと規定され、さらに『貞観式(871年)』や『延喜式(927年)』が規定されました。こうした考え方は、当時はまだ宮中祭祀などに限られたものでしたが、やがて仏教の世界にも広がり、徐々に貴族社会にも定着していったようです。さらに中世以降には、神社でも血穢について規定がなされ、女性の穢れは広く浸透していくことになります」室町時代に入ると、またも大陸から、『血盆経』なる偽経が伝来。「これは、女性は月経や出産の際に経血で地神や水神を穢すため血の池地獄に落ちるが、血盆経を信仰すれば救われるというものです。『さてあさましく/つきのやく……(中略)三世の諸仏を汚すなり』といったお経も残されています」■’70年代まで続いた時代錯誤な「月経小屋」こうした「穢れ」の意識は江戸時代に入ってもなお連綿と続き、ついには、庶民の暮らしとも密接に関わるように。「その代表的なものが『月経小屋』。火が穢れをうつすという考えにもとづき、生理中の女性はほかの人たちと同じ火を使わないよう、専用の小屋に入ることを義務付けられたという記録が各地に残っています。この月経小屋は地域によってさまざまな名称がつけられていましたが、『不浄小屋』『よごれや』などという名もありました」そして驚くべきことに、この月経小屋、’70年ごろまで日本に存在していたというのだ。「表向きには1872年(明治5年)に政府が発布した太政官布告によって、産穢・血穢は廃止されました。きっかけは、開国当初、大蔵省(当時)を訪ねた西洋人が、妻の『産穢』を理由に欠勤した役人に『文明開化の時代に、何をしているんだ』と抗議したことだといわれています」それでも、月経小屋は長く存在し続けた。ほかにも、軒下で過ごしたり、食事を外でとらさたといった不文律は各地で継承され、「まるで罪人扱い」「子どもにまで差別されて悲しかった」という証言が残されている。「つい数十年前まで、生理に対する『穢れ』の意識は生活に深く根ざしていたのです」■歴史を動かしたのは一人の「主婦」だった千年以上も続いた「穢れ」の意識。しかし、’61年に誕生した「アンネナプキン」が、女性自身の生活も意識も、大きく変えた。「これが日本で初めて生まれた使い捨てナプキンです。生みの親である坂井泰子さんは、もともと専業主婦。この商品の登場によって、それまでカット綿や脱脂綿を使ってしのいでいた女性の生理が格段に快適になっただけでなく、おしゃれなパッケージと商品名で、生理そのもののイメージをも一変させたのです。それまで『月経』という言葉を口に出せなかった女性たちも、『アンネ』という代名詞で語られるようになったのですから。高度経済成長期を経て女性の社会進出は飛躍的に進みましたが、もしこの使い捨てナプキンが誕生していなければ、その歩みはもっと遅れていたことでしょう」宮廷権力の強化をはかった、時の為政者により生み出された「血穢意識」。千年の時を超え、その意識の払しょくに大きな役割を果たしたのは、市井の一人の主婦だったのだ。
2018年10月20日「時代祭」の魅力と触れ合える文化・商業施設日本情緒感じる白壁と瓦屋根が親しみやすいレトロ感を演出している「京都・時代祭館 十二十二」は、京都三大祭のひとつでもある「時代祭」が毎年10月22日に開催されることから“十二十二(トニトニ)”と名付けられました。館内のスクリーンには、時代風俗行列をテーマにした作品を映像技術で高精度に投影するなど、いつでも「時代祭」を疑似体験することができ、和文化とデジタルを融合した現代的な演出を楽しむ仕掛けも。「時代祭の魅力をいつでも、ここで体感してほしい」との想いを込めて作られたこの文化・商業施設には、個性あふれる和・洋の飲食店や和雑貨を取り扱うお店もたくさん入っているので、一息つきたいときやお土産選びにおすすめのスポットでもあります。生麩のイメージを変える。新感覚デザートカラフル田楽Barセット「京生麩のお店 愛麩」が提供する生麩をデザート感覚で食べられる「カラフル田楽Barセット(800円)」は、これまでの生麩のイメージを大きく覆す斬新な生麩スイーツバー。低カロリー、高たんぱくの生麩スイーツは、いくら食べても罪悪感を感じない魔法のスイーツ。生麩バーのほかにも、生麩パフェやソフトクリームなど京風をベースにした生麩デザートを楽しむこともできます。チリソースやカプレーゼなど、様々な味が用意されているので食べ比べして楽しむことも。お麩とはいえデザートなので、食べ過ぎにはご注意を!イタリアの人気デザートを盆栽に!盆栽ティラミスパッと見ただけでは、カップサイズの観葉植物と見間違えそうな「Patisserie EN(パティスリーエン)」が提供する「盆栽ティラミス(1,000円)」。デザートとは思えないクオリティの見た目は、SNS映えすること間違いなしのメニューです。石に見立てられたナッツとクリーミーなティラミスとの相性は抜群。見た目からは想像できない美味しさと可愛さに、あなたもきっと虜になるはずです。食べるのがもったいない。見た目も可愛い舞妓パフェべっぴんパルフェ「KYOTO BEAUTY」が提供する“ええもん はんなり おあがりやす”をコンセプトに華やかさと気品さを合わせ持つ「べっぴんパルフェ(¥750~)」。舞妓さんをモチーフに豆乳が練り込まれたもちふわな生地を楽しめるこちらのメニューは、十二十二限定のテイクアウトメニューです。フォトジェニックなパルフェは、舞妓さんの見た目とたっぷり入ったフルーツやスーパーフードを楽しみながら召し上がりましょう。着物に見立てた紙はめくると占いになっているのだとか。食べた後も楽しめるパルフェで、今後の運気を占ってみてはいかが。周辺には多数の観光スポットも!京都を代表する文化ゾーンでもある岡崎地区には観光スポットも多く、桜の名所も数多くあるのでまさにこれからが見どころ。日本の四季とともに1年を通して京都の魅力にふれることができるでしょう。地下鉄東西線「東山駅」徒歩10分ほどのところにある「京都・時代祭館 十二十二」で、和文化を感じながら美味しいデザートを堪能してみませんか。スポット情報スポット名:京都・時代祭館 十二十二住所:京都府京都市左京区岡崎西天王町97-2 京都・時代祭館 十二十二電話番号:075-752-1022
2018年06月15日上野・東京国立博物館が、新春イベント「博物館に初もうで」を2018年1月2日(火)から1月28日(日)まで開催する。「博物館に初もうで」では、2018年の干支にちなんで、"犬"をテーマにした作品特集の展示を開催。また、国宝・重要文化財の新春特別公開や吉祥模様の名品の展示など新年を思う存分に味わえるイベントとなってる。「博物館に初もうで 犬と迎える新年」2018年の干支である"犬"は、世界中でも最も古くから人に飼われていたといわれる。今日でも多くの人々に愛され、移り行く時代の中でも様々な民族に影響を与えてきた。2018年の干支にフォーカスを当てた特集「博物館に初もうで 犬と迎える新年」では、2つのテーマが用意され、犬と人との結びつきを作品を通して理解を深めることができる。「いぬのかたち」「いぬとくらす」テーマは、「いぬのかたち」と「いぬとくらす」。「いぬのかたち」では、古くから日本人に親しまれてきた愛くるしい子犬や、なかなかお目にかかれない異国犬の造形を展示する。「いぬとくらす」は、歴史の中で犬の文化史的な意義をテーマとした展示特集を行う。中国絵画の中では、人里離れた生活の中で犬は生涯の友として描かれ、浮世絵の中では、都市の雑踏の中で人々に寄添う存在として描かれる。国や文化によっても描写される姿や表情は多種多様だ。"犬派"ではなかった人でも、数々のかわいらしい作品に思わず心を奪われてしまうかもしれない。新春特別公開、「釈迦金棺出現図」が東京国立博物館へ「博物館に初もうで」では、新年の幕明けを記念し、京都国立博物館の国宝「釈迦金棺出現図」が東京国立博物館にやってくる。平安時代後期に描かれたこの作品は、群衆の中で説法をする釈迦を壮大に描いた神々しい作品。また、日本古筆の優品・国宝「古今和歌集(元永本) 下帖」や昨年重要文化財に指定となった「鳥獣戯画断簡」も併せて展示する。なかなか巡り合えない秀作の数々を、是非とも新年に拝みたいものだ。獅子舞と和太鼓で迎える新春「博物館に初もうで」では、作品の展示以外にも様々な催し物を開催。新年の鮮やかな生け花で彩られた本館前では、粋な和太鼓の音色と力強い獅子舞が飛び交う。芸術作品にふれたあとに、日本の伝統的な正月を堪能できるなんとも"ワンダフル"なイベントだ。【詳細】東京国立博物館 「博物館に初もうで」期間:2018年1月2日(火)~1月28日(日)開館時間:9:30~17:00※金・土曜日は21:00まで※入館は閉館の30分前まで休館日:月曜日、2017年12月26日(火)~2018年1月1日(月・祝)※1月8日(月・祝)は開館、1月9日(火)は休館。観覧料:一般620円(520円)/大学生410円(310円)※( )内は20名以上の団体料金。※本料金で「アラビアの道―サウジアラビア王国の至宝」展も閲覧可。特別展は別料金。※高校生以下、および満18歳未満と満70歳以上は無料。身分証の提示必要。※障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に障がい者手帳などの提示必要。【主な作品】・国宝「釈迦金棺出現図」平安時代・11世紀 京都国立博物館蔵展示場所/期間:本館2室にて1月2日(火)~28日(日)・国宝「古今和歌集(元永本) 下帖」平安時代・12世紀 三井高大氏寄贈 東京国立博物館蔵展示場所/期間:本館3室にて1月2日(火)~14日(日)・重要文化財 「鳥獣戯画断簡」平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵展示場所/期間:本館3室にて1月2日(火)~2月4日(日)・獅子舞・和太鼓 スケジュール1月2日(火)11:00/13:30 和太鼓 湯島天神白梅太鼓 本館前12:40/15:10 獅子舞 葛西囃子中村社中 本館前1月3日(水)11:00/13:30 和太鼓 湯島天神白梅太鼓 本館前12:40/15:10 獅子舞 葛西囃子中村社中 本館前11:50/14:20 クラリネット・コンサート ジュリアンズ 平成館ラウンジ
2017年11月13日男性社会のイメージが強い能楽には、実はさまざまな想いを抱えた女性が多く登場しています。能楽イベントを運営する「和の会」が主催するトークイベント「能楽カフェ」では、能楽評論家の金子直樹先生が現代女性のお悩みに能楽のエピソードでお答え。能楽に描かれた女性像を追いながら、心の在り方、そして人生について考えてみましょう。■今回のお悩み:年を重ねても自分らしく生きていくにはどうしたら?年齢を重ねるにつれ、その年齢にふさわしい振る舞いが求められ、それが自分の実像と乖離するように感じています。「自分らしさ」を保ちながら年を重ねていくにはどうしたらいいのでしょうか。(20代後半)■絶世の美女・小野小町の伝説に学べ!周りから求められる姿についつい応えようとして、時に人間関係までが負担に感じてしまう方は多いのではないでしょうか。そんな「自分のなかのブレと戦う女性たち」に向けて、金子先生が能楽から選んだ題材は、日本史上、絶世の美女と名高い小野小町のエピソード。どんな男性のアプローチにも靡かなかったという彼女にまつわるエピソードは数多く存在し、その内容や小町の年齢に応じて能も数曲*つくられているのだとか。今回は、小野小町の若い頃を描いた「草紙洗小町(そうしあらいこまち)」と、晩年を描いた「卒都婆小町(そとばこまち)」というふたつの曲を比較することで、小町イズムを紐解いていきましょう。*曲……能楽の演目のこと■小町は平安版キャリアウーマン!「草紙洗小町」一曲目は小町の最も華やかな時代を描いた曲「草紙洗小町」。歌人として宮中で活躍していた頃を描きます。「草紙洗小町」あらすじ登場人物は小野小町と、歌人・大伴黒主(おおとものくろぬし)。両者とも優れた歌人でライバルでもあります。宮中の歌合せ(和歌の優劣を競う遊戯)で、相手となった小町の詠む歌を聞いてしまった大伴黒主は、これでは勝ち目がないとある策を弄します。盗み聞いた小町の和歌を『万葉集』に書き入れ、歌合せの当日、「小町は既存の古歌を詠んだ」と責めるのです。この小細工により小町は窮地に立たされますが、すぐに黒主の仕業だと見抜き、咄嗟の機転で身の潔白を証明します。すべてが露見した大伴黒主は自害しようとしますが、小町の取りなしによって、ことなきを得るのでした。「草紙洗小町」みどころ金子先生「六歌仙のひとりである大伴黒主の描かれ方が少々可哀相ですが、ここでの小町は和歌の実力もさることながら、黒主の目論見を見抜く観察眼、身の潔白を証明するまでの頭の回転の速さ等、いわゆる「デキる女」として描かれています。それだけではなく、自らを陥れようとした黒主を許すという懐の深さも見て取れる。小町は仕事面で優秀だっただけでなく、人格を兼ね備えていた人物だということがわかりますね」■齢99歳の世捨て人となっても変わらない知恵と誇り。「卒都婆小町」一方、若い頃の小町と対比して紹介されたのは、「卒都婆小町」という99歳(!)の小町を描いた曲。この曲のなかで描かれる小町には、すでに美しかった頃の面影はなく、定住しない生活をあえて選ぶ物乞い(世捨て人)となっています。現代では一般的に、追善供養のために、お墓の後ろに立てる塔の形をした木片のことを言う「卒塔婆」。中世には聖地への道しるべとして建てられることもあった。「卒都婆小町」あらすじ舞台は旅の僧侶が、朽木の卒都婆*に腰かけている老婆に出会うことから始まります。実はその老婆は、かつて絶世の美女として数々の浮名を流した小野小町が物乞いとなった姿でした。*卒都婆(卒塔婆)…もとは釈迦の遺骨を納めた聖なる塚のこと。仏教の広まった各地で、これをかたどった塔(同じく卒都婆と呼称)が作られるようになり、仏の体を表すものとして、礼拝の対象となる。後に墓標、死者を供養する塔としても用いられるようになる。また高野山など、聖地への道しるべとしても建てられ、この曲の卒都婆はこちらを指すとみられる。出典:僧は本来敬うべきはずの卒都婆に腰かける老婆を見咎めて、立ち退かせようとします。しかし、老婆は仏の慈悲はそんなものではない、と逆に僧を言い負かしてしまうのでした。老婆の叡智に驚いた僧に、小町は自らの正体を明かします。正体を明かした小町はかつての美貌を懐かしんだかと思えば、老いた今の境遇を嘆き、狂乱状態に陥ります。かつて小町に恋心を抱くも成就せず、無念のまま亡くなった深草少将の怨霊がとりついたのです。深草少将の百夜通い*の様子を再現すると、小町はやがて狂乱状態から醒めて、後世の成仏を願い、悟りの道へ入ろうと志すのでした。*深草少将の百夜通い……深草少将の小町への恋心を表した逸話。小町に恋をした深草少将は自らの想いを打ち明けますが、小町から「百夜私のもとに通い続けることができたならば、あなたの想いを受け入れましょう」という試練を課せられます。深草少将は九十九夜まで通い続けましたが、最後の一夜の前に死んでしまい、ついぞ想いを遂げることはできなかったのでした。「卒都婆小町」みどころ金子先生「特に見ていただきたいのは、前半の僧との問答です。小町はその身が華やかさからかけ離れた物乞いとなっても、かつての才気はそのままに、自分を教え諭そうとやってきた僧侶を逆に言い負かしてしまいます。たとえ姿は変わっても、芯がぶれることなく進んでいく小町の強さが描かれています。そこには、『草紙洗小町』で自ら窮地を脱したときと変わらない、彼女の知恵と誇りを読み取ることができます」■不確かな「自分らしさ」にとらわれない生き方を年齢を重ねていけば、当然自分の中でも変わっていくものと変わらないものがあります。金子先生「”自分らしさ”にこだわりすぎず、人生のなかで蓄積されていくものを取り入れ、時に昇華させていく。そういったあらがわない生きかたもあるのではないでしょうか」現代に生きる私たちには、職場や家族、友人や恋人、親戚付き合いに、近所付き合い、さらにはSNSなどネットの世界での人間関係……自分ではそうと気づかぬうちに、たくさんの人間関係にがんじがらめになっているのかもしれません。所属するコミュニティで求められることや場の空気に応えようとするあまり、心をすり減らし、「自分らしく生きることができていない」という苦しみにつながっていくのかもしれません。ただ、「自分らしさ」というのは形のない不確かなものです。目に見えぬ「自分らしさ」にこだわりすぎては、自らを縛りつけているのと同じこと。人と交わるなかで変容していく部分を柔らかく受け止め、変わらない部分を見つけたらそれを大切に抱えながら、しなやかに生きていきたいものですね。願わくば小町のように能楽に表現される小野小町のように、姿・立場・環境が変わってもぶれずに生きていくということは難しいかもしれません。しかし、室町時代からこのような女性像が描かれていたというのは新鮮な驚きがあります。自分のブレが不安になったときは、小町センパイの姿を思い出し、強く歩んでいきましょう!■この方にお話を伺いました金子直樹さん能楽評論家。高校のときに能「阿漕」を観て、能楽が持つテーマの現代人に通じる普遍的情念に感動し、能楽の研究・評論を行う。国立能楽堂開場以来のプログラム執筆や、「能楽タイムズ」「花もよ」の評論執筆をはじめ、解説、評論等で活躍。楽劇学会、能楽学会会員。日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(伝統芸能・大衆芸能分野)。著作に『能鑑賞二百一番』『狂言鑑賞二百一番』(淡交社)。
2017年09月18日山崎賢人がタイムトラベルをする主人公を演じる「Galaxy Time Traveler CM」。現在、第4弾まで放送されており、先日は元恋人役の飯豊まりえが彼を追いかけるように旧石器時代へタイムトラベルするWeb限定ムービーも公開され、注目を集めた。そして今回、第5弾目となる新CM「永恋」では、舞台は平安時代へ。なんとそこで、彼女にそっくりの紫式部と対面を果たしていることが分かった。「昨日までを、超えてゆけ」というメッセージを掲げた本CMは、主人公・渡(山崎さん)が、恋人のユイ(飯豊さん)に振られ、ひょんなことからタイムトラベルをするという壮大なストーリーが好評を博している。旧石器時代、弥生時代をへて、今回は雨の平安時代にタイムトラベル。父からの「見つめれば道は開ける」という謎の言葉を受け、「Galaxy S8|S8+」を見つめた渡。虹彩認証でロックが解除されると、画面には、振られてしまったユイとの2ショットが…。つい、その思い出に浸る渡だったが、そのとき、ユイにそっくりな紫式部が登場!驚きを隠せない渡。だが、互いに運命的な何かを感じながらも、すぐに別れの時を迎えてしまう――。今回のCMは、岩手の歴史公園「えさし藤原の郷にて撮影を敢行。平泉文化を築いた奥州藤原氏の軌跡をたどり、古代から中世にかけての東北の歴史と文化を体感できる歴史テーマパークとして知られ、大河ドラマなどでもよく使用されている。厳密な時代考証に基づいた800年前の歴史的構造物を再現した建物で、ロケはスタート。この風情あるロケ地には、「まるで平安時代に来たかのように、リアルで迫力ありますね」と山崎さん。雨を降らせた演出の中、寝殿造の縁側からジャンプして飛び降りるなど体を張って演技を見せた。また、飯豊さん本人が重さ約20kgにもなる十二単を実際にまとい、紫式部に扮して登場。山崎さんと飯豊さんは、2017年1月にオンエアされたGalaxyドラマCMで恋人を演じて以来の再共演が叶った。2時間をかけ、十二単の着付けと平安時代をイメージしたヘアメイクを行った飯豊さんは、まるで本物の紫式部がいるかのような存在感。その可憐な美しさにスタッフも釘付けとなった。所作の先生からは、初心者には難しいとされる立ち振る舞いや歩き方においても「飲み込みが早い」とのお墨つきをもらっていた。撮影の合間には、山崎さんは池にいるたくさんの鯉に餌をやり、優雅なひとときを過ごした…かと思えば、餌を求める鯉の勢いにあわてるひと幕も。飯豊さんも、重い衣装と足のしびれと戦いながらも和気あいあいとした雰囲気の中で、無事撮影は終了した。撮影を終えて山崎さんは、「今回、平安時代へタイムトラベルし、振られた恋人ユイによく似た紫式部と運命的な出会いをしましたが、僕も毎回撮影の度に、人との出会いは一期一会で、毎回運命的だと思って大事にしています。CMでは、渡がスマホを片手に、タイムトラベルし、いろんな歴史上の人物に出会ったり、変わった体験をしています。そんな成長を見守ってもらえると嬉しいです」とコメント。紫式部役で十二単に身を包んだ飯豊さんは、「所作が難しかったです。自分が思っている以上にゆっくり動くように心がけました。やはり、現代と全然違うんですね。品格のある女性になるのって大変だと思いました。普段は、楽な格好をしているので、20kgあるお召し物が重かったです。重みのあるお仕事でした(笑)」と、ふり返っていた。Galaxy「昨日までを、超えてゆけ#5 永恋」篇は7月20日(木)より全国にてオンエア。(text:cinemacafe.net)
2017年07月20日平安から鎌倉時代に活躍した日本でもっとも著名な仏師、運慶。その運慶と縁の深い興福寺の中金堂が、およそ300年ぶりに再建されるのを記念した展覧会が、東京国立博物館で開催されます。卓越した造形力が生んだ写実性にあふれる傑作の数々が一堂に会する特別展は、運慶芸術を堪能するまたとない機会です。天才仏師・運慶の傑作が集結する、史上最大の展覧会今回の展覧会は、運慶と縁の深い奈良・興福寺の中金堂再建の記念事業として企画されました。これまで門外不出とされてきた仏像も出品される、史上最大の運慶展となります。主な見どころをご紹介します!●重要文化財・聖観音菩薩立像この聖観音像が寺から出るのは、今回がはじめて。肉付きのよい体躯と写実的な着衣の表現に、運慶の特徴が見られます。重要文化財 聖観音菩薩立像 運慶・湛慶作 鎌倉時代・正治3年(1201)頃愛知・瀧山寺蔵 写真:六田知弘●父・康慶から息子・湛慶、康弁へ 運慶の作風の誕生と継承平安時代から鎌倉時代へと時代が変革する中で、運慶はそれまで主流だった仏師・定朝の様式とは異なる新しい表現を生み出しました。その特徴は、「八大童子立像」に代表される感情まで表現する迫真性。写実性に富み、精神の深みまで感じられる「無著菩薩立像・世親菩薩立像」は、肖像彫刻の最高傑作といわれています。●国宝・八大童子立像のうち 恵喜童子・清浄比丘童子・烏倶婆童子・恵光童子・制多伽童子・矜羯羅童子不動明王像に随う八大童子として造られたもので、8体中6体が運慶の手によるもの。画像の制多伽童子は、造像時の彩色もよく残っており、完成度の高さにおいて屈指の作といわれています。今回の特別展では、この像をあらゆる角度から見ることができます。国宝 八大童子立像のうち制多伽童子 運慶作 鎌倉時代・建久8年(1197)頃和歌山・金剛峯寺蔵 写真:高野山霊宝館●国宝・無著菩薩立像・世親菩薩立像無著・世親は5世紀の北インドに実在した学僧の兄弟。無著の静に対して世親の動と、対照的な容貌が印象的です。国宝 無著菩薩立像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘 国宝 世親菩薩立像 運慶作 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘●博物館でたっぷり味わう運慶 お寺では見られない表情も国立博物館・平成館というお寺とは異なる大空間での展示によって、いつもとは違う距離感、違う角度でじっくりと鑑賞できるのも、今回の特別展示の魅力のひとつ。間近で見あげる四天王立像は、圧巻のひとことです。●国宝・四天王立像豊かな装飾がほどこされた甲や着衣の表現もみごとな、躍動感あふれる四天王立像。国宝 四天王立像のうち多聞天 鎌倉時代・13世紀奈良・興福寺蔵(南円堂安置) 写真:飛鳥園 ●未来に引き継ぐ運慶 調査研究の最先端を紹介運慶の研究は今なお続けられており、この15年間でも新たに3件の運慶作品、あるいはその可能性が高い作品が見つかっています。X線CT撮影によって得られた像内納入作品の映像など、最新の知見もこの展覧会で紹介されています。●運慶を生んだ系譜――康慶から運慶へ平等院鳳凰堂の阿弥陀如来座像の作者・定朝ののち、仏師集団は3つの系統に分れていきます。運慶の父・康慶が属していた奈良仏師は、保守的なほかの2派とは異なり、新たな造形を開発する気概を持っていました。運慶の父、その師が手がけた像と、若き運慶の作品を展示することによって、運慶独自の造形が培われた過程に光が当てられています。●阿弥陀如来立像および両脇侍立像定朝が完成させた和様彫刻(定朝様)は胸腹部が薄く、衣の襞が浅い穏やかな作風が特徴です。しかし、奈良仏師の作と考えられているこの像にはしっかりと張りのある肉がつき、衣も写実的に表現されています。運慶が生まれたのは、この像が造られたころでした。重要文化財 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像 運慶作 鎌倉時代・文治5年(1189)神奈川・浄楽寺蔵 写真:鎌倉国宝館(井上久美子)※10月21日から展示●国宝・大日如来座像現存する運慶の作品で、もっとも早い時期に制作されたもの。きれいに梳かれた髪のふくらみなどに、たぐいまれな才能の片鱗が感じられます。国宝 大日如来坐像 運慶作 平安時代・安元2年(1176)奈良・円成寺蔵 写真:飛鳥園●運慶の彫刻――その独創性大日如来像の造像から10年間で、運慶は独自の作風をつくりあげていきます。写実性に富み、圧倒的な存在感を放ち、精神の深みまで感じさせる運慶の仏像は、「仏が存在するという実感を得たい」という当時の人々の思いに応えたものでした。●国宝・毘沙門天立像いまにも動き出しそうな毘沙門天は、北条時政の発願によって造られたもので、このころまでに運慶の作風が確立されたことがわかります。国宝 毘沙門天立像 運慶作 鎌倉時代・文治2年(1186)静岡・願成就院蔵 写真:六田知弘●運慶風の展開――運慶の息子と周辺の仏師運慶の6人の息子は、いずれも仏師になりました。特別展では、運慶の作風を色濃く感じさせる康弁と、洗練された作風を持つ快慶の影響を受けた湛慶の像が展示されています。●重要文化財・十二神将立像明治時代初頭、それまで安置されていた寺を離れて民間に流出した十二神将は、現在、静嘉堂文庫美術館と東京国立博物館にわかれて収蔵されています。今回の特別展では、42年ぶりに十二神将すべてが揃います。重要文化財 十二神将立像のうち戌神鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵●国宝・天燈鬼立像・龍燈鬼立像運慶の作風を受け継いだ康弁の像は、隆々とした写実的な体躯を持ちながらもユーモラスな雰囲気を漂わせています。国宝 天燈鬼立像 鎌倉時代・建保3年(1215)奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘国宝 龍燈鬼立像 康弁作 鎌倉時代・建保3年(1215)奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘●興福寺中金堂について和銅3年(710)に創建された奈良の興福寺の歴史は、焼失と再建の繰りかえしでした。治承4年(1180)の南都焼討ち後の復興は、仏教美術のルネサンスともいわれ、清新な造仏活動がおこなわれました。その代表が、運慶の父・康慶が率いた慶派、いわゆる奈良仏師です。今回の特別展は、享保2年(1717)に焼失したままの中金堂の再建を記念して開かれるものです。これまで門外不出とされてきた作品も出品される、貴重な機会になりました。中金堂の再建は2018年夏に完了し、10月には落慶法要が営まれることになっています。《展覧会詳細》名称 興福寺中金堂再建記念特別展 運慶会場 東京国立博物館 平成館会期 2017年9月26日(火)~11月26日(日)休館日 月曜日※ただし10月9日(月・祝)は開館開館時間 午前9時30分~午後5時※金曜・土曜および11月2日(木)は午後9 時まで開館※入館は閉館の30 分前まで公式サイト 電話 03-5777-8600(ハローダイヤル)観覧料金 一般 1,600円(1,400円)大学生 1,200円(1,000円)高校生 900円(700円)※税込。()内は前売り料金
2017年06月25日2017年1月17日(火)から3月12日(日)まで、上野・東京国立博物館 平成館で特別展「春日大社千年の至宝」が開催されます。奈良の春日大社の貴重な宝物や名品を東京にいながらにして見られる、またとない機会です。asoview!編集部が取材してきましたので、見どころや詳細についてレポートします!春日大社の貴重な古神宝を、かつてない規模で展示!春日大社は、奈良時代のはじめに国家の平安と国民の繁栄を祈願するために創建された神社で、今年で創建1249年を数えます。時の天皇、貴族、武家など当時の最高権力者が、自分の持っているものの中で最高のものを奉納し、祈りを捧げる場でもありました。京都では応仁の乱の際に貴重な宝物がほとんど失われてしまいましたが、春日大社には平安時代の技法で創られたものが1,000年以上の長きに渡り伝えられてきました。中には春日大社にしか残っていない技法も数十点あると言われています。春日大社では、20年に1度「式年造替(しきねんぞうたい)」と呼ばれる社殿の建て替え・修繕が行われます。平成28年には60回目の式年造替を迎えました。この大きな節目に、社外ではめったに拝観できない春日大社伝来の貴重な古神宝や、神々への祈りが込められた選りすぐりの名品を、かつてない規模で展示するのが今回の特別展です。出展数約250点、そのうち100点近くが国宝または重要文化財に指定されているという、まさにお宝だらけ!気になる内容を早速見ていきましょう。第1章神鹿の森武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿に乗り、常陸国鹿島(ひたちのくにかしま)から春日の地に降り立ったことが春日大社のはじまりと伝わっています。そのため奈良では鹿は神の使い、「神鹿(しんろく)」と呼ばれ大切にされてきました。この章では、神々しくも親しみにあふれる「神鹿」に関わる美術が展示されています。春日神鹿御正体南北朝時代14世紀京都・細見美術館まず展示室に入ると迎えてくれるのは、かわいらしい鹿。神が春日大社に降り立ったエピソードを伝える「鹿島立神影図」を立体的に表現したもので、平安時代以降さかんに制作されたのだそうです。キリリとした顔はまさに神の使いという言葉がぴったりと当てはまります。鹿島立神影図(かしまだちしんえいず)南北朝~室町時代・14~15世紀春日大社通期展示武甕槌命(たけみかづちのみこと)が鹿に乗り、春日の地に降臨した様子を描いています。後小松天皇が奉納したものと伝わります。背後には御蓋山と月の昇る若草山が描かれています。今の春日大社と変わらない光景です。鹿図屏風(しかずびょうぶ)江戸時代・17世紀春日大社通期展示画面に収まりきらないほどの大きな金屏風です。雌鹿、雄鹿の群れが描かれていて、なかにはかわいい子鹿の姿もあるので、じっくりと見て見つけてみてください。イキイキとした鹿達は、今にも屏風から飛び出してきそうです。●実物大の社殿を再現!第1章の終わりには、なんと実物大で春日大社第二殿が再現されています。左右の絵は実際に春日大社の壁に描かれていたものです。式年造替に伴い、役目を終えた絵画が今回ここに展示されています。通常は一般の参拝者はこの社殿をそばで見ることはできません。貴重なこの機会にじっくりと拝見しましょう。第2章平安の正倉院春日大社には神々の調度品として奉納された古神宝が数多く伝わります。中でも平安時代の貴族文化を伝える品々が数多く、「平安の正倉院」とも呼ばれるほどです。ここでは主に平安時代の雅な品の数々が展示されています。展示室の左側には「本宮御料」、右側には「若宮御料」と呼ばれる奉納品が展示されています。平胡簶(ひらやなぐい)(若宮御料のうち)平安時代・12世紀 春日大社展示期間:1/17(火)~2/12(日)平胡簶とは矢を差し、携帯する用具です。背板両面には貝を用いた螺鈿細工で、尾長鳥や宝相華文が表現されています。左大臣となった藤原頼長(ふじわらのよりなが)の所用品と伝わるものです。日本史を習った人ならこの名前にピンとくる人もいるのでは。金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)平安時代・12世紀春日大社展示期間:1/17(火)~2/19(日)今回絶対に見るべき一品がこちら!まばゆく輝く黄金の太刀です。柄や鍔などの金具は金メッキではなく、純金を用いています。さらに鞘には金粉を蒔き、貝を使った螺鈿細工で雀を追う竹林の中の猫を表現しています。現代でも再現するのが難しいほどの細かい技法でつくられています。そのほか、銅鏡や鏡台、弓矢など、平安貴族たちの美意識や、大切にしていたものが伺える展示となっています。第3章春日信仰をめぐる美的世界貴族をはじめとする多くの人々が春日の地に参詣し、祈りを捧げてきました。神々の姿は本来目に見えないとされていますが、神と仏が一体であるとする「神仏習合」の思想、もしくは神は仏が仮の姿で現れたとする「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という考え方が広がります。こうして神々はさまざまな造形に現されていきました。文殊菩薩騎獅像(もんじゅぼさつきしぞう)および侍者立像(じしゃりゅうぞう)康円(こうえん)作鎌倉時代・文永10年(1273)東京国立博物館通期展示春日大社の境内南側に鎮座する祭神、若宮。若宮は文殊菩薩と同体と考えられていました。神と仏が一体となったことを表す例のひとつです。春日大社に隣接する興福寺に伝来したものです。春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)鎌倉時代・13世紀東京国立博物館展示期間:1/17(火)~2/12(日)春日大社に日常的に詣でられない人のために編み出された礼拝画が、春日宮曼荼羅です。春日大社の社殿を中心に、画面上部に御蓋山(みかさやま)、春日山、若草山が描かれています。聖地・春日野かすがのを一望にする礼拝画の大作です。曼荼羅はこのほかにも数多くつくられています。ここに描かれている春日の森、社殿、山の様子は今に至るまでほとんど変わっていません。春日権現験記絵(かすがごんげんげんきえ)(春日本)巻十二(部分)江戸時代・文化4年(1807)春日大社通期展示(場面替有)春日の神々の霊験を描く全二十巻の絵巻です。もともと鎌倉時代に制作された絵巻物ですが、多くの写しがつくられています。春日本と呼ばれるこちらは江戸時代、松平定信の指示で制作されました。鹿に囲まれている牛車の中には、春日三宮が化身した地蔵菩薩の姿がチラリとのぞいています。この他にも春日の神に関連した様々なエピソードが描かれています。神様に地獄を案内されるエピソードなど、クスリと笑ってしまうものもありますよ。第4章奉納された武具鎌倉時代以降は武家の社会になり、春日大社には多くの武具が奉納されました。春日大社に伝わる国宝の甲冑や刀剣などが一堂に会す、見ごたえある展示です。赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)(梅鶯飾うめうぐいすかざり)鎌倉時代・13世紀春日大社展示期間:1/17(火)~2/19(日)力強くきらびやかで、これぞ甲冑!と言いたくなる日本甲冑の傑作、赤糸威大鎧。なんだか見たことあると思いますよね?こちらはなんと、五月人形の兜のモデルになっているのだそうです。日本一有名な甲冑とも言えます。黒韋威伊予札胴丸(くろかわおどしいよざねどうまる)南北朝~室町時代14世紀春日大社展示期間:1/17(火)~2/19(日)こちらは黒が強い印象を与える甲冑。赤糸威大鎧とならんで国宝に指定されています。春日大社にはこの他に2つの国宝に指定された甲冑があります。こちらの展示は2月14日から。すなわち、2月14日から2月19日の1週間だけ、4体の甲冑が一堂に会します。甲冑ファンならずとも見ておきたい迫力の展示です。甲冑のほか、武士には欠かせないアイテムである刀剣も数多くあります。沃懸地酢漿紋兵庫鎖太刀(いかけじかたばみもんひょうごぐさりたち)鎌倉時代・13世紀春日大社展示期間:1/17(火)~2/12(日)帯取に鎖を用いて太刀を収めた刀装を「兵庫鎖太刀」といいます。公家や武家に好まれ、神社への奉納品としても用いられていました。力強くも優美な刀剣は、鞘、刀身ともにじっくりと見ていたくなる一振です。武具のコーナーを抜けると、春日大社に実際に奉納された灯籠が飾られています。幻想的な雰囲気を醸し出しています。この場所では、毎年2月と8月に春日大社で行われる万燈籠が再現されています。この写真の前に立って、記念撮影もできます!第5章神々に捧げる芸能ここでは祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など、芸能に関わる作品が紹介されています。舞楽面 納曽利なそり(写真左)平安時代・12世紀春日大社通期展示祭りの際に神の前に奉納する舞で用いられるお面です。納曽利は龍が舞い、遊ぶ様を表したとされる舞です。舞の動きに合わせて目や顎が動き、表情に変化が出る仕組みです。春日大社では年間を通して多くの神事や祭りが行われていますが、その中でも12月に行われる「若宮おん祭」は国の重要無形民俗文化財に指定されている重要な祭祀です。若宮と呼ばれる神様を本殿にお呼びする儀式は、平安の昔から途絶えることなく続いているものです。かつては伊勢神宮も、遷宮の際に同様の儀式を行っていたと伝わっています。この巨大な太鼓は「鼉太鼓(だだいこ)」といい、神事の際に音楽を奏でる太鼓です。こちらには龍が描かれていますが、もう1つ、鳳凰が描かれた太鼓と対になっています。この太鼓は複製で、春日大社には源頼朝が寄進したとされるものがあります。第6章春日大社の式年造替春日大社では、社殿の建て替えや修繕が20年に一度行われます。これを式年造替といい、平成28年に迎えた式年造替は60回目を数えました。この章では式年造替に関わる記録とともに、今回の式年造替で徹下、すなわち役目を終えて神殿から降ろされた獅子・狛犬などが展示されています。獅子・狛犬(しし・こまいぬ)鎌倉時代・13世紀春日大社通期展示4対8体の獅子・狛犬は、春日大社の第一殿から第四殿までを守っていたものです。こちらは第一殿を守っていた獅子・狛犬です。こちらは第二殿にいたもの。4対を見比べると、顔も体もだいぶ違います。どの獅子・狛犬が好きかな?と思いながら見るのも面白いですよ。展覧会限定グッズもチェック!ミュージアムショップでは、展覧会限定のグッズが多数販売されています。展覧会オリジナルのゆるキャラ、「ニャデンとチュン」「シカスガさん」「シシコマくん」が描かれたグッズも登場。ちなみに「ニャデンとチュン」は、金地螺鈿毛抜形太刀の「螺鈿」、そして猫が雀を追う姿に着想を得ています。ゆる~い雰囲気がたまらない…。春日大社由来のお神酒や、奈良の銘菓なども販売されています。国宝が描かれたクリアファイル。まばゆい雰囲気に、持っているだけで運気が上がりそう?気になるグッズがたくさんあるので、買いすぎ注意です!今しか見られない、お宝が勢揃いした見応えたっぷりの展示です。展示替えもあるので、前半と後半で2回訪れてみてもいいかもしれません。千年の昔にタイムスリップできますよ!開催概要名称:特別展「春日大社 千年の至宝」会期:2017年1月17日(火)~3月12日(日)会場:東京国立博物館 平成館所在地:東京都台東区上野公園13−9拝観時間: 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)休館日:月曜日料金:一般1,600円、大学生1,200円、高校生900円 ※中学生以下は無料電話番号:03-5777-8600公式サイト:取材・撮影・文:藤井みさ
2017年01月17日2017年1月17日(火)~3月12日(日)の期間中、東京・上野の東京国立博物館 平成館で特別展「春日大社 千年の至宝」展が開催されます。春日大社の古神宝の数々をはじめ、春日大社にまつわる美術作品などが一堂に会する、貴重な特別展をお見逃しなく!春日大社とは?創建は768年。奈良県奈良市にある神社です。全国に約3,000ある春日大社の総本山としても知られています。平安時代を中心に、春日大社には数々の宝物が伝えられました。1998年にはユネスコ世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録。本社 本殿の4棟は国宝でもあります。今回の特別展は、春日大社が20年に1度おこなう社殿の修繕や建て替え「式年造替」が2016年に20回目を迎えた節目に開催されます。かつてない規模の展示に注目が集まっています。●「春日大社 千年の至宝」展のここを要チェック!見どころは大きく分けて次の3つです。●平安の正倉院あまたの至宝を有していることから、春日大社は「平安の正倉院」と称されます。特別展では、その「千年の至宝」を余すところなく大公開。平安貴族の美意識がうかがえる古神宝、平安工芸の最高峰といえる品々をじっくり拝観しましょう。●祈願の造形春日大社には名だたる偉人たちから甲冑や刀剣が奉納され、国宝に指定されています。国宝の武具は間近で見ると迫力満点。偉人たちが込めた願いが伝わってくるような展示内容です。●神鹿の美術春日大社がある奈良公園といえば、鹿。「神様が鹿に乗って奈良の地へおいでになった」という伝説が残る春日大社にとって、鹿は大切な存在です。「神鹿(しんろく)」と呼ばれています。特別展では鹿にちなんだ美術作品を随所に展示しています。イキイキと愛らしい鹿の姿が、心を和ませてくれますよ。●展示の概要特別展は第1章から第6章に分かれています。各章の内容を大まかに紹介します。●第1章神鹿の杜鹿島立神影図 南北朝~室町時代・14~15世紀 所蔵先/春日大社 写真提供/春日大社展示期間:通期展示「武甕槌命(みかつちのみこと)が鹿に乗って春日の地に降り立った」という伝説をもとにした、春日大社の起源にまつわる展示です。歴史的資料や絵画作品を中心に、『鹿図屏風』(17世紀・江戸時代)など神鹿に関する美術も鑑賞できます。●第2章平安の正倉院金地螺鈿毛抜形太刀 平安時代・12世紀 所蔵先/春日大社 写真提供/春日大社展示期間:1月17日(火)~2月19日(日)『蒔絵箏』(12世紀・平安時代)、『金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)』(12世紀・平安時代)など、国宝がずらりと並びます。神々への調度品としてふさわしい、雅な古神宝は必見。「平安の正倉院」と呼ばれるにふさわしい、貴重な展示です。●第3章春日信仰をめぐる美的世界人々が春日大社に寄せる信仰を表した作品が展示されています。『春日宮曼荼羅』(13世紀・鎌倉時代)などの礼拝画、文殊菩薩騎獅像から神々への祈りが感じられるはず。●第4章奉納された武具赤糸威大鎧(竹虎雀飾) 鎌倉時代・13世紀 所蔵先/春日大社 写真提供/春日大社展示期間:2月14日(火)~3月12日(日)『赤糸威大鎧(竹虎雀飾)』(13世紀・鎌倉時代)をはじめ、国宝の武具がそろいます。豪華な甲冑、優美な刀剣に魅了されますよ。●第5章神々に捧げる芸能舞楽面 納曽利 平安時代・12世紀 所蔵先/春日大社 写真提供/春日大社展示期間:1月17日(火)~2月12日(日)いにしえの時代から現在にいたるまで、春日大社では多くの神事や祭事が受け継がれています。12月におこなわれる「若宮おん祭」は、国の重要無形民俗文化財。『舞楽面 納曽利』(12世紀・平安時代)をはじめ、祭事につきものの奉納舞楽、能にかかわる品々が展示されます。●第6章春日大社の式年造替獅子・狛犬 鎌倉時代・13世紀ほか 所蔵先/春日大社 写真提供/春日大社展示期間:通期展示春日大社で20年に1度おこなわれる修繕や建て替え「式年造替」に関する資料や作品を展示。2016年の式年造替で役目を終え、神殿からおろされた『獅子・狛犬』(13世紀・鎌倉時代)を拝観しましょう。特別展「春日大社 千年の至宝」展は、はじめから終わりまで見どころの連続、充実の展示内容です。拝観すれば、春日大社を訪れたような神々しい気持ちになれそう。2017年の新春は上野の東京国立博物館 平成館へ「春日詣で」に出かけませんか?■イベント概要名称:特別展「春日大社 千年の至宝」会期:2017年1月17日(火)~3月12日(日)会場:東京国立博物館 平成館所在地:東京都台東区上野公園13−9拝観時間: 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)休館日:月曜日料金:一般1,600円、大学生1,200円、高校生900円 ※中学生以下は無料電話番号:03-5777-8600公式サイト:
2016年09月15日東京国立博物館で特別展「平安の秘仏-滋賀・櫟野寺らくやじの大観音とみほとけたち」が開催されています。日程は9月13日(火)から12月11日(日)まで。滋賀県にある櫟野寺(らくやじ)に伝わる平安の仏像をはじめ、重要文化財に指定されている20体の仏像が寺外で展示される初めての機会です。櫟野寺に伝わる秘仏、寺外では初公開!櫟野寺は滋賀県甲賀市、甲賀町にある天台宗の寺院です。792年、天台宗の開祖である最澄が土地を訪れ、本尊である十一面観音を安置したのが寺の始まりとされています。甲賀六大寺に数えられる櫟野寺は白州正子の著書「かくれ里」にも紹介されました。秘仏が収められているほか、平安時代に作られた重要文化財の仏像が20体ある寺としても知られています。今回の展覧会では、櫟野寺に残された20体の仏像をすべて展示。本尊である十一面観音菩薩像は、寺外での公開自体が初めてのことです。●重要文化財としては日本最大!「十一面観音菩薩」普段は秘仏として硬い扉に閉ざされている本尊・十一面観音菩薩像は像高3.12m、台座や光背も含めると5mを超え、重要文化財としては日本最大の大きさ誇ります。体と頭は一本の木から掘り出されており、重厚な姿も見事です。迫力と共に美しく表現された穏やかな顔の表現には、平時代の仏像の特徴を見ることができます。●重要文化財の仏像20体会場には本尊・十一面観音菩薩坐像のほかにも、2mを超える薬師如来坐像や、1187年に造られたとされる地蔵菩薩坐像、見事な出来栄えの観音菩薩立像、毘沙門天立像など、平安の仏像20体が一堂に会します。いずれも平安時代10世紀から12世紀にかけて造られた傑作ばかり。これだけの仏像を東京でまとめて見ることができる機会は二度とないかもしれません。この機会に訪れてみませんか。■イベント情報名称:平安の秘仏-滋賀・櫟野寺らくやじの大観音とみほとけたち会場:東京国立博物館 本館特別5室(東京・上野公園)住所:東京都台東区上野公園13-9アクセス:JR上野駅上野公園口より徒歩約10分会期:2016年9月13日(火)~12月11日(日)開館時間:9:30~17:00※金曜日は午後8時まで、9月の土・日曜、祝日は午後6時まで※10月14日(金)・15日(土)は午後10時まで、11月3日(木・祝)・5日(土)は午後8時まで※入館は閉館の30分前まで休館日:月曜日※9月19日(月・祝)、10月10日(月・祝)は開館、9月20日(火)、10月11日(火)は休館観覧料:【当日】一般1,000円、大学生700円、高校生400円【前売り】一般900円、大学生600円、高校生300円※中学生以下無料※前売券は9月12日(月)まで東京国立博物館 正門チケット売場(窓口、開館日のみ)、展覧会公式サイトほか、主要プレイガイドにて発売公式ページ:
2016年09月15日中田ヤスタカ主催の人気パーティ「TAKENOKO!!!」が、2016年9月17日(土)、京都平安神宮で開催される。「クラブは大人だけのものではない」をテーマに、今まで駅や船、海、世界遺産など、様々な場所で開催されてきた本イベント。今回は、日本を代表する観光地・京都の登録有形文化財「平安神宮」に決定した。出演者には、主宰の中田ヤスタカを始め、きゃりーぱみゅぱみゅら豪華アーティストが集結。また同時開催として、京都を代表するクラブ「WORLD,KYOTO」にて16日(金)、17日(土)に前後夜祭も開催。第一弾ラインナップとして、中田ヤスタカを始め、大沢伸一、田中知之、☆Taku Takahashiなど日本のトップDJ達が登場することが決定した。さらに、日本のカルチャーを世界へ発信することを目的とした「もしもしにっぽんプロジェクト」と連携し、昼間に開催する「TAKENOKO!!!」は事前登録すると外国人が入場無料、夜に開催されるクラブイベントも外国人は特別優待割引にて入場が可能だ。追加出演者は今後追って発表される。京都にジャパンクラブカルチャーのすべてが集まる1日をぜひ体感してみて。【概要】平安神宮奉納ライブ2016 ~MOSHI MOSHI NIPPON presents TAKENOKO!!!~日程:2016年9月17日(土)時間:18:00 開場/開演、20:30 終演※予定会場:京都 平安神宮住所:京都府京都市左京区岡崎西天王町出演者:中田ヤスタカ(CAPSULE)、きゃりーぱみゅぱみゅ 他 チケット:・前売り券 3,000円(税込) ※スタンディング、整理番号付き・当日券 4,000円(税込)※外国人は事前登録と、当日パスポート提示で入場無料(入場制限あり)※TAKENOKO!!! 外国人入場登録 8月13日(土)〜受付開始プレイガイド:・一般プレイガイド先行予約(チケットぴあ)期間:7月30日(土)10:00~8月7日(日)23:59・一般発売 8月20日(土)10:00〜チケットぴあ、ローソンチケット、CNプレイガイド、楽天チケット、イープラス■クラブイベント概要・THE 祭 - MATSURI - ~TAKENOKO!!! 前夜祭~日程:2016年9月16日(金)・THE 祭 - MATSURI - ~TAKENOKO!!! 後夜祭~日程:2016年9月17日(土)時間:21:00開場/開演〜オールナイト会場:WORLD,KYOTO住所:京都府京都市下京区真町97 イマージアムビル BF-2F出演者:中田ヤスタカ / SHINICHI OSAWA / TomoyukiTanaka(FPM) / ☆Taku Takahashi(m-flo,block.fm) / DAISHI DANCE / DE DE MOUSE / RAM RIDER / TeddyLoid / AMIAYA / KENTO a.k.a. DJ KENT and more…※出演日はオフィシャルホームページにて後日発表チケット:前売(1日券):3,000円前売(2日券):5,000円当日:3,500円 (税込、入場時各日1ドリンク代別途必要)外国人割引:1,500円 (当日パスポート提示必須 / 税込、入場時1ドリンク代別途必要 / 前売り販売なし)TAKENOKO!!!来場者割引:2,000円 (TAKENOKO!!!の前売り券および半券提示 / 税込、入場時1ドリンク代別途必要)※当日券 / 外国人割引 / TAKENOKO!!!の来場者割引は、時間帯によっては入場規制の可能性あり※20歳未満の入場は不可。写真付きの身分証明書(運転免許書、パスポート、学生証)の要呈示。【チケットに関する問い合わせ】キョードーインフォメーションTEL:0570-200-888
2016年08月01日7月1日から1か月にわたり、あちこちで華やかな行事が行われる祇園祭。これらはすべて、八坂神社の祭神に疫病退散をお祈りするためのもの。始まったのは平安時代。都はおろか日本中に疫病が蔓延したとき、疫病退散を願い平安京の広大な庭園に、66本の鉾を立て神輿を巡行した神事が始まりといわれています。「その後、室町時代に、町衆たちは急速に経済力をつけた。彼らは自分の町内で祇園祭に奉仕する山鉾を持っていたのですが、財力と研ぎ澄まされた審美眼によって手に入れた多くの装飾品を使い、山鉾を飾りました。それによって祇園祭はより一層盛り上がったといわれています」と言うのは、京都に関する著書を数多く手がける、「らくたび」代表の山村純也さん。一番の見どころといえば、山鉾巡行。細部まで飾られた山鉾は、別名“動く美術館”。その装飾にはペルシャ絨毯やゴブラン織の布などが使われ、和のお祭りなのにどこかエキゾティックで魅力的。「宵山期間は、美しい山鉾を間近に見られます。この時期は、山鉾町内の民家も祭りを盛り上げるべく、秘蔵の家宝を表から見えるような場所に飾るなどして、地域が一体化して神様を迎える準備をします。オススメは7月12日、13日の“鉾曳き初め”。一般の方でも鉾が引ける行事なので、祇園祭に参加したい方はぜひ」祇園囃子に包まれる、7月の京都。祭りのムードを思い切り楽しもう!続いて、祇園祭を楽しむためにも知っておきたい、素朴な疑問を山村さんに聞いてみました。――祭りの期間中、きゅうりを食べないってホント?「もともとは、八坂神社の神紋が輪切りにしたきゅうりに似ていることで、“恐れ多い”ゆえに食べないという習わしがありました。しかし現在は、その習慣を守っている人は見かけません。みんな食べてますよ」――お囃子が、古代ヘブライ語だって噂があるけど…。「どの祭りも大きく捉えたら大陸からなんらかの影響を受けていると思うので、そうなのかも…?としか…。というか、京都の巷ではこの説はほぼ話題に上りませんし、京都生まれの私も、今回初めて聞きました(笑)」――山鉾巡行は、どこで見るのがいいの?「初心者であれば御池新町。辻回しは主に3回行うのですが、御池新町は3回目なので若干人も少なく、曳き手も慣れて精度も高い。四条河原町は一番最初の辻回しなので、混雑必至。避けたほうがいいでしょう」――京都の人は、見に行かないってマジ?!「というか京都人にとって祇園祭は、“八坂神社の氏子の祭り”なので、関係者は興味があるでしょうが、他の人たちはテレビすら見ていないのでは…(笑)。でも確かに暑い時期なので、家でテレビが涼しくていいですね」◇山村純也さん「らくたび」代表。京都に関する出版物を多数手がけている。ツアープロデューサーやツアー講師としても活躍。著書に『らくたび文庫京の夏 祇園祭!』(コトコト社)が。※『anan』2016年7月13日号より。(C)AAAA |A|AYAA
2016年07月09日昔にくらべて、生活も豊かに、便利になった現代。気になることがあれば、ネットで検索。話したいと思えば、すぐに電話やメール。移動も、飛行機に新幹線、電車にタクシー。おいしいレストランや素敵なお店もたくさんあって、選ぶのも迷ってしまうほど。電気もガスもなかった時代よりも、アクティブに自由に、ゆとりを持って人生を楽しめるはずなのに、「現代人の方がいつも何かに追われて、不自由になっている気がしますね」と、染色作家である70代の女性が、穏やかな笑みを浮かべ話していらっしゃいました。めまぐるしい毎日に、心はいつも疲れ気味。時々、フーッと長いため息をついて。ふとした瞬間、「このままでいいのかな」とブルーになる。そんな経験、皆さんはありませんか?心をなくしていませんか?「忙」という漢字。「りっしんべん」は「心」、「亡」という字には「亡くす」という意味があります。「慌ただしく忙しく毎日を生きていると、心をなくしてしまうよ」と言われたら、ドキッとしますよね。「忙」は、他のものに心をうばわれ、心を亡くした状態をさす漢字なのだそうです。心が荒れるから、毎日慌ただしい。心を亡くすから、忙しい。そう言われて私自身、深くうなずいてしまいました。デジタルの時計が刻む無機質な時間ではなく、ぜひ、いにしえより私たち人間の中に刻まれてきた「自然の時間」を意識してみましょう!それは、月と太陽が刻む四季のリズム。感じる「時間」が変わるだけで心の流れが変わり、人生の見え方も驚くほど変化しますよ。自然がゆっくりと刻んでいる時とは?昔は、月の満ち欠けに基づいた太陰暦が用いられていました。日付は月の満ち欠けにつれて変わります。それでは暦と季節の間にズレが生じてしまうため、太陽の運行に基づいた二十四節気(にじゅうしせっき)が季節の目安となったのです。二十四節気は、節分を基準にして一年を24等分、約15日ごとに区切ったもの。立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至などは、二十四節気の中でもなじみがありますよね。カレンダーに「立春」の文字を見つけると、寒くても春の訪れを意識するようになり、「春分」ときけば、「あ~、本格的な春だな」と思いませんか?季節の便りで書く時候のご挨拶。たとえば、「暦の上ではもう春ですが、まだ風も冷たく・・・」といった言い回しは、まさに二十四節気とつながりがあります。二十四節気をさらに3つに分けたのが七十二候(しちじゅうにこう)です。心と体で感じる「生きた暦」。季節のめぐりを感じる、そのひとときこそが、心と体を健やかに育んでくれるでしょう。今の時季の二十四節気は?今は二十四節気でいうと、どんな時間なのでしょうか。新暦の4月5日頃は「清明(せいめい)」です。「清明」は、芽生えた草木、花々、空を飛ぶ鳥、すべての生き物が命を輝かせる青い春。朝、玄関から外へ飛び出した瞬間、春の陽射しとやわらかな風を頬に感じて自然と笑顔になりますね。この時季は私たち人間も、体の内側からエネルギーが高まっていくと言われているんですよ。少し早起きして朝のお散歩へ。また休日、お弁当を持って自然豊かな場所へドライブに出かけるのもいいですね。自然の息吹を体いっぱい吸い込みましょう!古代中国では、「清明」の頃、春の野で青草を踏んで遊ぶ「踏青(とうせい)」という行事が行われていたそうです。のどかな情景が目に浮かびますね。ちなみに古代中国で「青」は春の色でした。そして夏は「朱」、秋は「白」、冬は「黒」と続きます。季節の贈り物をしてみようポストを開けると、企業からのDMやお知らせばかりという現代の生活。その中に直筆のあて名が書かれた手紙を見つけたら、「誰だろう?」って胸がときめきませんか?手紙で季節を贈る。心のこもった手紙は、世界にたった一つのすてきな贈り物です。自然が刻んでいる時間を意識すること、その第一歩として、ぜひ手紙を書いてみませんか?お世話になった人、友達、恋人、故郷の家族へ。季節に合わせた便箋を選んで。文香(ふみこう)をしのばせるのもいいでしょう。平安時代「香り」は、文を交わす男女の間で思いを伝える大切なツールでした。手紙に香をたきしめ、季節の花を添えて送ったそうです。なんともロマンティック。封を切って便箋を取り出す瞬間のわくわくした気持ちは、手紙ならではのもの。開いた瞬間ふわ~っと香りがただよってきたら、送り手のこころ配りを感じて嬉しくなりますね。今の時季なら、ほんのり甘い春の花の香りを選んで。ちなみに私は、文香を名刺ケースや手帳にしのばせて、移り香を楽しんでいます。四季を感じる豊かな暮らしいかがでしたか?季節のめぐりを、祈りの心を、私自身意識するようになったのは、大切な人を失ったことがきっかけでした。毎日を駆け足で生きるのではなく、自分のペースで、もっとゆっくり人生を味わいたいと思いました。昔の人は、今日を無事に生きられたことさえ奇跡だと、毎日「有難い」という気持ちで、森羅万象に宿る神々に手を合わせていました。自然と一体となって、日々を送っていたんですよね。道端に咲く小さな花々に足を止めたり、季節によって表情を変える空を眺めたり。そんな四季のリズムを意識して暮らす日々の中で、心に新たな風が吹き、きっと、自分も大いなる自然の一部だと感じることができるでしょう。エネルギーの目覚めを感じられるはずです。四季を感じながら、ゆっくりと日々を暮らす。そんな、皆さんの心のビタミン剤になるような連載をお届けできたらと思っています。深呼吸ならぬ、心呼吸しましょう。忙しい毎日にあっても、心はゆっくりのんびり。次回もどうぞお楽しみに。【参考】お家で楽しむデイリーおみくじ 「福を呼ぶ 四季みくじ」」三浦 奈々依、 観瀾斎/プレスアート
2016年04月05日三越伊勢丹が実施するキャンペーン「JAPAN SENSES」に伴い、伊勢丹新宿店では“青の美”にフォーカスしたプロモーション「find,SETOUCHI BLUE~瀬戸内、青へのアプローチ~」を4月5日まで開催。2階にオープンしたポップアップストアでは、徳島産の阿波藍を使ったフードを販売している。阿波藍の起源は遥か遡ること平安時代。品質にも優れた阿波藍は、“本藍”として別格視され、高く値のつくものであった。藍染衣料は抗菌・防臭・防虫などの効果が認められているが、染料としての用途だけでなく、江戸時代以前には藍の葉が薬草として一般に食されていたという。抗炎症、排毒、デトックス効果といったその高い効能に医師たちが着目し、徳島では昭和62年頃から食用として用いられるようになった。藍を使ったフード作りで今回協業を仰いだのが、徳島市内を中心に調剤専門の薬局を営む株式会社ボン・アーム。食用藍の生産、加工の他、幅広い商品開発も行っている。食用藍は衣料用とは異なる水耕栽培で、葉も茎もすべて使用できるのが特徴だ。洗浄して干したものを粉末にし、お菓子や茶葉に使われる。青味はあるが癖がなく、ポリフェノールはケールの約4倍、抗酸化作用はブルーベリーの約4倍という数値を表す。展開されるフードは、クッキー・メレンゲ・サブレ・キャンディのスイーツ4種と、茶葉2種。価格帯は800円から1,100円。スイーツはアグネスホテル徳島のカフェ・ペイストリーブティックで作られた。これらのフードは、阿波藍で染め上げた布帛で包んだパッケージで、ギフトにもおすすめだ。
2016年04月04日平安時代の貴族恋愛は、現代とはまったく違う様式。でも、意外と現代と通ずるものがあるのはご存知ですか?実は、平安時代の和歌には現代の恋愛におけるヒントがたくさん隠されているんです。そこで今回は、現代の恋愛に悩む女子たちにヒントをくれる1000年前の和歌をご紹介しましょう。■1.筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりてふちとなりぬる (微かな想いでさえも積り積もって、今は貴女のことがとても愛おしく感じている)この和歌を詠んだのは、宮中において様々な問題を起こしたため、若くして天皇を引退させられたと伝えられている陽成院です。平安時代、貴族の間で恋愛結婚をするのは非常に珍しいことであり、陽成院も例にならって親に決められた相手との結婚をしました。最初は好きでもなんでもなかった相手といるうちに、いつの間にか相手のことが愛おしく感じられるようになった、という和歌です。同じ空間で同じ時間を共有していたり、度々目にする相手を意識し始めてしまうことってありますよね。陽成院もそんな気持ちになり、お嫁さんのことをいつしか愛するようになったのでしょう。片思いをしている方も、大切な人がいる方も、同じ時間や空間を多く共有することから仲を深めていってはいかがでしょうか?■2.なげきつつひとりぬる夜の 明くる間はいかに久しきものとかは知る (私が待つ間浮気してるあなたには、ひとりで寝る夜の長さも悲しさもわからないわ)この和歌を詠んだのは、超1流貴族と結婚したのにも関わらず、浮気ばかりされ嫉妬したという文や和歌を多く残す藤原道綱母です。平安時代では一夫多妻制であり、旦那さんは明くる夜も女の家に通うのが平安貴族の恋愛習慣でした。つまり、女は待っているだけ。浮気されていても文句は言えず、逆に何人とも関係を持つ男が素晴らしいとされた時代です。彼女は、旦那が自分の家に運ぶ足が遠のいていった末に、実の父とともに最愛の息子を育てたそうです。男女間に嫉妬や浮気、不倫の問題は現代にも尽きません。そういった問題に悩まされたら、道綱母のように子育てや和歌といったほかのことに集中することも立派な生き方と言えるでしょう。■3.音に聞く高師の浜のあだ波はかけじやそでのぬれもこそすれ (あなた本当浮気性らしいわね。本気じゃないのに、私はあなたなんかで泣きたくない)この和歌を詠んだのは、由緒正しい家柄に生まれながらもその生没年や詳しい家柄は不明と言われる、祐子内親王家紀伊です。多くの恋歌を残す彼女ですが、この和歌自体はいまでいうカラオケ大会のようなイベントで即興的に詠んだものであり、恋人にむけたものではないとされています。平安時代は男性からの通い婚でしたが、よっぽど身分の高い相手でない限り女性から拒むことも少なくなかったそうです。彼女のように、浮気がちな男に対しては強く出る姿勢があったほうが涙を流すような恋愛をしなくて済むのでしょう。強気と自立は似ていて非なるものですが、この心得は見習いたいですよね。■4.ながらへばまたこのごろやしのばれむうしと見し世ぞ今は恋しき (昔の悲しみが今は懐かしいと思えるように、この悲しみもいつか懐かしく思えるかな)この歌を詠んだのは、平安後期に歌人として一世を風靡した藤原清輔です。彼はかねてより父と不仲が続いており、優れた才能を持ちながらもその才能を開花させるのは様々な試練が立ちはだかりました。それを乗り越え、また試練にあたったとき、この和歌を詠んだとされています。この和歌自体は決して恋愛に関する和歌ではありませんが、失恋した痛みを感じている方はどこか救いのある和歌なのではないでしょうか。今が土砂降りの状況でも、必ず雨は止むといったこの和歌を支えに、次の恋愛に向けて気持ちを切り替えてみてはいかがでしょうか?■おわりにいかがでしたか?百人一首には、この他に様々な和歌があり、その他の勅撰集などにもたくさんの和歌が詠まれています。時代が違っても、人の恋する悩みは大きな差はないですよね。同じ苦しみを抱えていた故人の和歌からヒントをもらって、恋愛を楽しんじゃいましょう。(桃花/ライター)(ハウコレ編集部)(楠ろあ/モデル)(柳内良仁/カメラマン)
2016年02月18日11月5日は「いい男の日」です。あなたの周りに「いい男」はいますか?そもそも「いい男」ってどんな男性のことでしょう。イケメン?包容力のある人?それとも経済力?諺では「色男、金と力はなかりけり」と言いますが、歴史を振り返ると、色男=イケメンで金と力を備えた人物って結構いるんですよね。今回は日本史のいろいろな時代から「モテ男」の代表選手をピックアップし、「いい男」について考察していきます。【平安時代】元祖モテ男、在原業平日本の「モテ男」を考えた際、どうしても外せないのが平安時代の貴族・在原業平(ありわらのなりひら)。『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人と伝えられている人物です。≪どんな人?≫平安京をつくった桓武天皇のひ孫。皇位継承争いに巻き込まれて皇族から離れ、在原姓を名乗りました。業平は「体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」。今風に訳すと「イケメンで自由奔放。勉強はそこそこだけど、歌が超うまい」。和歌の名手で百人一首には「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」という歌が収録されています。≪モテエピソード≫「生涯を通じて3,733人の女性と交わった」という逸話の持ち主。貴族の女性だけでなく、町娘から91歳の女性まで相手にしたと言われています。彼のエピソードとして有名なのが、藤原氏が天皇に嫁がせるため、文字通り「箱入り娘」として育てていた高子をものにしたこと。他にも、女性の中で最も高貴な人物とされた伊勢神宮の斎王(天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた未婚の女性)とも交際しました。。高子との関係は、政敵である藤原氏の企みを妨害するためという説も。ただのイケメンではなく、権力者に対抗したり、普通の人なら恐れ多くてアプローチできない女性にもアタックしたり。恋に関して桁外れに「自由奔放」な人物だったようです。その型破りな姿勢に多くの女性が憧れたのでしょう。【戦国時代】「日本一の兵」真田幸村数多の武将が腕を競った戦国時代には、魅力的な武将がたくさん現れました。織田信長、伊達政宗、上杉謙信…その中から選んだのは、来年のNHK大河ドラマの主人公、真田幸村(本名は信繁)です。ここ数年、小説やゲームの影響で女性にも大人気の幸村。その男らしさからイケメンと称されていますが、なぜここまでもてはやされるようになったのでしょうか?≪どんな人?≫秀吉亡き後、天下を狙う徳川家康と豊臣勢が戦った「大阪冬の陣」「夏の陣」で豊臣勢の武将として大活躍しました。大河ドラマのタイトルにもなった「真田丸」とは、「冬の陣」で戦いの拠点となった小さな城のこと。「夏の陣」では幸村の奮闘により、あと一歩のところまで家康を追いつめたと伝えられています。≪モテエピソード≫幸村は「柔和で辛抱強く、物静かで言葉も少なく、怒って腹を立てることはなかった」人物。しかし戦場に出ると一変。その戦いぶりや味方を裏切らない忠義は、敵である徳川の武将からも「日本一の兵(つわもの)」と讃えられました。日頃は静かでイザという時に頼りになるってステキですよね。妻・竹林院はそんな夫に心底ほれていたのか、戦いに敗れた幸村が九度山に幽閉された時には「真田紐」という紐を考案し、それを売って幸村を支えます。大河ドラマには妻のほか、幸村の初恋の人にして、最初の子の母となる梅という女性も登場する予定。なお、池波正太郎の『真田太平記』には、真田家のために命をかけて尽くすお江という忍者が出てきます。信州・別所温泉の隠れ湯で18歳の幸村を「男」にしたお江は、年下の彼の前でだけ、不死身の女忍びから生身の女に戻ったとか。恋にまつわる記録はそれほど多くありませんが、敵もほれる「男の中の男」幸村。関わった女性にとって、何があっても愛さずにはいられない存在だったのでしょう。【江戸時代】実はヤンチャだった水戸光圀水戸光圀といえば、何といっても「この紋所が目に入らぬか!」のセリフで有名。助さん・格さんと共に全国を巡り、悪代官や悪徳商人を懲らしめる水戸黄門像は、多くの日本人の脳裏に焼き付いているはず。≪どんな人?≫ドラマに描かれる水戸光圀は、実は大部分が作り話です。実際には水戸と江戸を行き来したぐらいで、遠くても鎌倉に足を伸ばした程度。そんな光圀に「全国を歩きまわる」イメージが生まれたのは、日本の歴史をまとめた「大日本史」の編纂を行ったから。この作業は、結局250年もかかり、完成したのは明治時代でした。これがきっかけで誕生した「水戸学」は幕末の尊皇攘夷の思想を生み出し、そこから明治維新へとつながります。≪モテエピソード≫若い頃はだいぶヤンチャをしていたみたいです。派手な着物で遊郭に通うなど、かなりの「かぶき者」。しかも色白で面長のイケメンだったので、江戸城に登城するときには、その姿を見るために多くの人が集まったそう。また、日本で初めてラーメンやチーズを食べたグルメとしても知られています。当時は「生類憐れみの令」で知られる将軍・綱吉の時代でしたが、これに反対するばかりか、禁止されていた牛や豚、羊も食べたとか。権力に流されることなく自分を貫く姿に、いつの時代も人は魅了されるようです。【幕末】新選組「鬼の副長」土方歳三戦国時代同様、激動の時代である幕末にも、魅力的な人物が大勢現れます。坂本龍馬や新撰組の面々にキュンキュンしちゃう女性は少なくないのでは?ここで紹介するのは新撰組副長の土方歳三。彼は実際にかなりのモテ男でした。≪どんな人?≫農家に生まれた土方は、子どもの頃から「武士になりたい」と願っていたようです。同じ夢を持つ近藤勇と出会った彼は、一緒に京都に行き、近藤を局長とする新選組を結成。自分は副長となります。「局中法度」と呼ばれる厳しい規則をつくり、「背くものは切腹」という厳しさから鬼の副長と呼ばれました。≪モテエピソード≫2004年の大河ドラマ『新撰組!』に続き、現在放送中の連続テレビ小説『あさが来た』でも土方歳三役を演じたのは山本耕史さん。残された写真を見るかぎり、山本さんって土方と本当によく似ていますよね。それほどのイケメンだからか、京都では芸者や舞妓に大人気。親戚宛ての手紙には「モテて大変だ」と書かれていたそうです。ある時、土方が送った荷物を開けてみると恋文が箱にギッシリ入っていた、なんて逸話も。そんな彼ですが、「知れば迷い しなければ迷わぬ 恋の道」という俳句を残しています。モテることはわかっていながらも、自分を武士にしてくれた幕府に尽くすために恋はしない、と考えていたのかもしれません。その一本気な部分も土方の魅力なのでしょう。◆モテ男は、いい男なのか?ここまで、在原業平、真田幸村、水戸光圀、土方歳三と歴史上のモテ男たちのエピソードを探ってきました。いわゆるプレイボーイから「男の中の男」までいろいろなタイプがいますが、4人には共通点があります。それはストイックで自分の信念を絶対に曲げないところや、スケールが大きく行動力があるところ。もちろん見た目の良さや本人の雰囲気もあるのでしょうが、女性というのはそういう、どこまでも真っすぐで、且つ非凡な男に惹かれるものなんだろうなと改めて考えさせられました。タブーをものともせずに行動するとか、敵からも賞賛されるほどの戦いぶりを披露するとか、同じ男でもかっこいいなと思っちゃいますからね。しかしながら、実際のところ、「モテ男」は「いい男」なのでしょうか?もし3千人以上の女性と寝た業平が恋人だったら…。時代が違うとはいえ、1/3000の立場なんて嫌ですよね。幸村は最高の男かもしれませんが、支える女性は大変そう。光圀も若い頃はヤンチャだったし、土方はモテるのに恋を捨てた生き方をしていたし…。誰もが認める「モテ男」を手に入れたら、羨望はされるでしょうが、かなりの苦行になりそうですね。そう考えると、「モテ男」は必ずしも女性にとって「いい男」ではないのかもしれません。著者の勝手な見解ですが、あなたを大切にしてくれるのはきっと、みんなに「モテる男」ではなく、あなたにだけモテる「いい男」。どんな人が自分にとって最も「いい男」なのか…考える際の参考になれば幸いです。(文=マサル)あなたとの結婚に向いていない男の特徴【無料占い】
2015年11月05日次々と関係を結ぶ二条は一見ビッチ、だけど…『後宮』(海野つなみ/講談社 KC KISS)全5巻人は誰でも、自立願望があると思います。自分の行動や言葉に責任を持ち、自分のことは自分でやる。失敗したときは辛いけど、誰のせいでもなくて次へのステップになるし、成功すれば達成感があるから。精神的自立と経済的自立はイコールではないけれど、かなり近い関係にあるでしょう。誰かに金銭的に負われていると、その人の意志にかなり自分の人生が左右されるからです。「金は出すけど口は出さない」人はあんまりいないし、自分の身を削って支払いしないと、自分への自信にもつながりません。『後宮』は、平安時代に成立した『とはずがたり』を原作にした作品です。『とはずがたり』は、後深草院(御所様)に仕えた女房の二条の日記的物語です。その中で、御所様のほか、西園寺実兼、性助法親王(御室)との関係が描かれていきます。御所様は、閨(ねや)の教育係だった典侍大(すけだい)のことが忘れられません。その典侍大が亡くなり、忘れ形見だった二条を引き取ります。自分のものにするために手元で育てることにしたのです。まるで『源氏物語』の紫の上ですね。初めて御所様と一夜を過ごしたときの二条の困惑も、『源氏物語』を彷彿とさせます(ていうか『あさきゆめみし』のシーンを思い出しました)。はじめに読んだときは、「二条はビッチでした物語」なのかな?と考えていました。だって、御所様に入内しているにもかかわらず、実兼さまとも御室とも近衛の大殿とも、次々と関係を結んでいくのです。もう彼らとの関係は、ティーンズラブコミックを読んでいるかのようです。御室のストーカーまがいの熱情や、二条への思いを遂げるための策略はかなり萌えです。それ以上にすごいのが、近衛の大殿。二条が実兼と深夜に逢瀬をしたあとに、彼女を部屋に押し戻し、衝立に隠れている実兼の目の前で押し倒します。その次の日は、御所様の前で押し倒します。そのたびに二条は「声を出しちゃダメ」「早く終わって」とこらえてます。禁断のナントカって感じですね。二条が男を選べないのは、経済的に自立できないから(c)Bridget H「誰かに見られちゃう」「あの人にみだらな姿を見られるなんて!」は女性萌えの王道らしくて、エッチなシーンが多い少女漫画にはつきものだったりします。『後宮』は、ティーンズラブコミックでもエロ漫画でもない上に実際の人物の日記ですが、「現実は小説よりもエロなり」って感じですね。しかし、じっくり読んでみると、気付くことがあります。二条が、いやよいやよと思いながら逆らえないのは、彼女自身が誰かに後ろ盾になってもらわないと生きていけないからです。近衛の大殿が二条と関係するのは、彼女の後ろ盾となるためでした。その上、御所様といい実兼といい、二条を好きだ好きだと言いながら、他に女がいて、子どもも産ませてます。そこへ自分ひとりを愛してくれる御室が現れたら、なびいてしまうのもムリはないでしょう。二条は、男に経済的に依存しなければ生きていけないのです。そしてそのためには、求められたら自分の身体を差し出すしかない。強く拒むことができないために何人もの男性と関係を持つことになりました(まあ生涯4人だけなら現代では別に普通かもしれないけど)。『あさきゆめみし』で紫の上は、「源氏に愛し愛され、自分は果たして幸せだったのか」と自問して亡くなっていきます。ハッキリ言って源氏に振り回される人生だったわけです。当時、女性は誰かに頼って生きるしかなかったのかもしれませんが、もしも自立ができたとしたら、源氏を選んだかどうか。二条も同様です。御所での地位を顧みなければ実兼ひとりを選んでいたかもしれないし、そもそも他にも女がいる実兼は選ばなかったのかもしれない。「何もかも捨てて御室と一緒になる勇気」はなかったけれど、何も捨てないのなら御室を選んだかもしれない(近衛の大殿は論外だけどね)。こうした女流文学を読むたびに思うのは、女の自立です。自分は、経済的・精神的に自立できているか。経済的自由を手に入れる代わりに、精神的自由を失ってはいないか。ティーンズラブ風味のサービスシーンも堪能しつつ、ちょっと振り返ってみてはいかがでしょうか。Text/和久井香菜子
2015年10月09日メイクアップの苦手No.1は、なんといっても「眉」!“最も表情をあらわすパーツ”といわれ、時代をさかのぼること平安時代、貴族のマロ眉は表情を隠すため、大胆にも、動きが少ない額に描かれた、といわれる歴史もあるほど。いつの時代も、「眉」は表情を決める大切なパーツだったようです。さてそんな眉メイク、右と左にあるので、同じように描かないといけないというのもまた難しいところ。そこで今回は、道具を変えてもなかなか思い通りにならない~!とお悩みの方に、“メイクの時に使う鏡”についてふり返りながらテクニックが上達する方法をお伝えしていきます~!ちょっとした使い方を見直すだけで、同じ道具でもメキメキ上達しますので、いつものクセを振り返って、もっと思い通りに眉を描いてみましょう~!【“メイクの時に使う鏡”3つのチェックポイント】【1】どのくらいの大きさの鏡を使っていますか?① 眉が片方だけ写る②顔全体が写る【2】鏡をどのあたりに置いていますか?① 顔よりも下②顔と同じ高さ③顔よりも上【3】鏡に対してあご先はどの位置にありますか?① 首の方に引いている②真正面にある③上向きこのチェックが【1】①【2】①or③【3】①or③についた方は、からだのクセに気付くだけで上達の可能性あり。それぞれの項目の②を参考にしながら眉を描いてみましょう。コツをまとめてみると、大きさ:顔全体が写る高さ:顔と同じ高さ角度:あご先は上下に動かさないです。とくに、片方ずつしか見ることのできない鏡を使っている方は、両方が見える大きさに変えてみるだけでも描きやすさが変わるかもしれません。普段よりも描きやすい!と感じられたら、一歩前進ですね!また、苦手意識の強い方は合わせて、腕の動かし方も工夫してみましょう!イメージは、学生時代に音楽室で見かけたメトロノーム。支点となる「ひじ」をテーブルや台におき、メトロノームのように左右均等に動かしてみましょう。先ほどチェックした鏡との向き合い方にも注意しながら、この状態で眉を描いていきます。腕がぶれにくくなるので、描きやすさもUpします。もし、立ったままこの方法を行ないたい時には、反対側の腕を台代わりに使ってみてくださいね。次回中級編では、意外と見落としがちなポイントについてお伝えしていきます~!
2015年06月10日競技かるたをテーマとした人気少女漫画『ちはやふる』、大ヒットを記録中のコミックエッセー『超訳百人一首うた恋い』など、百人一首を題材にした書籍が注目を集めています。そもそも百人一首とは、藤原定家が選定し、平安時代の100人の歌人が歌った和歌を収録したもの。正式名称は『小倉百人一首』です。子供時代に遊んだことがある、学生時代になんとなく授業で習った記憶があるという人も多いのではないでしょうか。百人一首は当時の男女の恋愛模様を知ることができる貴重な存在であり、いつの時代も変わらない恋愛心理を学ぶ「教材」としての役目も果たしてくれます。■平安時代の恋は「最初はひたすら女性が追いかけられる」「一度体を許したら、男性を待つことしかできない」ものだった。そもそも、平安時代の貴族の恋愛とはどのようなものだったのでしょうか。まず、男性は女性の顔がわからないままアプローチをスタートしていたそうです。家柄はすぐにわかりますが、教養、美しさ、性格などは人伝いで情報を集めていくしかなかったそうです。それでも、女性側がOKするまでは顔を見ることも、直接会話することもほぼできなかったとされています。アプローチする女性を絞り込んだ男性は、まず相手に歌を送ります。男性側は女性からの返事を期待してはいけません。何度も何度も歌を送り、ようやく女性側から手紙がもらえれば思いが伝わったという証し。そこから男性側が女性の家で一夜を過ごすことになりますが、なんとそこで初めてお互いに顔を合わせます。ここまでは男性側が女性にひたすらアタックしますが、この一夜から立場が逆転するとされています。女性はひたすら、男性が通ってくるのを待つことになるでしょう。貴族の男性は、複数の女性と関係を持つ人も多かったそうです。ですから、浮気を黙認せざるを得なくなるのです。■百人一首は、男性の浮気症をテーマにした歌も多い百人一首にて詠まれている恋愛とは、心変わりを嘆くもの、待ち続けている切なさを歌ったものが非常に多いとされています。特に女性の歌人が作ったものは男性の浮気を嘆く和歌が多く、昔も今も男性の浮気に悩まされている女性が多かったということがわかります。例えば、歌人・右近によるこの和歌。「忘らるる身をば思わず誓ひして人の命の惜しくもあるかな」。現代語訳をすると「あなたに忘れられてしまう、そんな私の身については何も思わない。だけど、『心変わりしない』と誓ったあなたの命が、神罰によって失われてしまうかもしれない。それが、惜しく思われてしかたありません」という内容です(解釈には諸説あり)。つまり、「あなたが他の女性のところに行くのは仕方がないと諦めているけれど、自分で『お前だけ』と神に誓っていたくせに。いつか天から罰が下るかもしれませんね」と、皮肉をたっぷりと込めた和歌を詠んでいるのです。これ以外にも、儀同三司母による「忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな」という和歌はインパクト大。現代語訳すると「『いつまでもお前のことを忘れないよ』とあなたは言うけれど、いつその気持ちが変わるのか不安で仕方がない。こうしてあなたが愛してくれる今、このまま死んでしまいたい」という意味になります。平安の恋愛といえばのんびりゆったりしたイメージがありますが、女性の愛にかける激しい気持ちはいつの時代も変わりがないようです。ちなみに、逢瀬(おうせ)を交わした次の日の朝に、相手に和歌を送るのは平安時代の恋愛マナーのひとつ。現代風にいうと、お泊まりをして帰った次の日の朝にメールを送るようなもの。これができない男性は、無粋だというレッテルを貼られてしまっていたようです。やはりどの時代においても男性は、女性の心をつなぎとめられるアフターケアができないとモテないのかもしれません。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2013年02月14日JR東日本盛岡支社はこのほど、485系をリニューアルしたジョイフルトレイン(詳細は本誌既報の通り)の愛称を「ジパング」とし、東北本線一ノ関~水沢間を「世界遺産リレー号」、一ノ関~北上間を「展勝地さくら号」として運転することを発表した。「ジパング」は今年4~6月に開催される「いわてデスティネーションキャンペーン(いわてDC)」に向けて投入される車両。マルコ・ポーロが『東方見聞録』に記した「黄金の国」(ジパング)は中尊寺金色堂がモデルとされ、平泉を国際的な観光地としてイメージできることなどを理由に愛称が選定された。車両のデザインについては、「東北地方の歴史と自然」および世界遺産「平泉」への期待を感じさせるものになっており、落ち着きと重厚感の中にさりげなく煌びやかさを表現した外観に。1・4号車には運転席越しに前方を眺望できる展望室を設け、1号車のデッキ部分には、光と映像による「現代と平安時代」の演出もあるという。この車両を使用する「世界遺産リレー号」は全車自由席で、4月1~15日の土日に運転。東北新幹線の臨時「はやて355号」に接続し、一ノ関駅を11時7分に発車。以降の停車駅は山ノ目駅、平泉駅、前沢駅、陸中折居駅、水沢駅で、平泉駅には11時16分、水沢駅には11時35分に到着する。4月21・22日と、ゴールデンウィーク期間の4月28~30日、5月3~6日には、「ジパング」編成による「展勝地さくら号」を運転。こちらも全車自由席で、一ノ関~北上間を1日2往復する。停車駅は一ノ関駅、平泉駅、前沢駅、水沢駅、金ヶ崎駅、北上駅となる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年02月16日