郵船クルーズ株式会社(本社:横浜市西区、代表取締役社長:遠藤 弘之)は、同社が運航する客船「飛鳥II」(50,444トン)による、「ニューイヤークルーズ ~瀬戸内航路~」の実施を発表いたします。瀬戸内海航行中の飛鳥II「ニューイヤークルーズ ~瀬戸内航路~」は、2022年12月28日に横浜を出港し、2023年1月4日に横浜に帰港する7泊8日の行程となります。出港後、清水・大阪へ寄港し、飛鳥IIのニューイヤークルーズとして初めて、大晦日に瀬戸内海をクルージングします。穏やかな瀬戸内海の風光明媚な多島美をご満喫いただきながら1年を振り返ってお過ごしください。元日には佐世保に停泊し、飛鳥IIのお客様のために打ち上げる、特別花火を洋上の特等席からお楽しみいただけます。日本の伝統的な年末年始を楽しめると毎年人気の飛鳥IIのニューイヤークルーズ。船内では心穏やかにゆったりと年末を過ごし、華やかな新年をお迎えいただけるよう、様々な催しをご用意しました。年越しそばやカウントダウンイベント、洋上から望む初日の出や鏡開き、おせち料理に羽根つき、書初めなどをお楽しみいただけます。また、カルテット・ヴォカーレの年末年始を華やかに彩るオペラティックコンサートや古今亭志ん雀師匠による落語、十八番座の和楽器と日本舞踊のステージなど、極上のエンターテイメントもご堪能ください。当クルーズは「ファミリー割引」と「子ども代金」が設定されており、ご家族6名様以上でのご乗船の際は、お得な旅行代金でご参加いただけます。また、客室をお一人様でご利用される際の割増代金がお得に設定された「おひとりD旅+Fキャンペーン」もございますので、お一人様でもグループでのご参加でもお手軽にご乗船いただけます。今回発表の「ニューイヤークルーズ ~瀬戸内航路~」の販売開始は2022年10月17日(月)を予定しています。「ニューイヤークルーズ ~瀬戸内航路~」スケジュールはこちらから: 飛鳥クルーズは、お客様に安心してご乗船いただけますよう、感染症対策(※1)に真摯に取り組み、寄港先と連携をしながら、魅力的な船旅をご提供してまいります。※1 飛鳥II 新型コロナウイルス感染症対策プラン: ■飛鳥II概要「飛鳥II」は日本船籍最大の客船で、約100日間の世界一周クルーズ、アジア・オセアニア方面へのロングクルーズ、日本の夏祭りを巡るクルーズ、ショートクルーズなど多岐にわたり展開。全室海側の客室、ゆったりとしたスペースや露天風呂など充実の設備、日本人乗船客の嗜好に合わせた多彩な食事やエンターテイメントが特徴。乗船客1人当たりのスペースや乗組員比率は、日本はもとより世界トップレベルで、世界のクルーズマーケットで愛される美しい船体に、和の心のおもてなしをのせて皆様をお迎えいたします。船籍 :日本船籍港(母港):横浜港総トン数 :50,444トン全長 :241m乗客数 :872名乗組員数 :約490名客室数 :436室(全室海側) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月28日瀬戸内ハンドメイドマルシェ実行委員会(東京都港区/代表:堤田 和久)は、ハンドメイド作家が自ら制作したハンドメイド作品を展示・販売するイベント「瀬戸内ハンドメイドマルシェ2022」をアイテムえひめ(愛媛県松山市)で2022年10月15日(土)・16日(日)に開催します。なお、瀬戸内ハンドメイドマルシェは2019年に初開催し、今回は3回目の開催となります。メインビジュアル◆瀬戸内ハンドメイドマルシェの3つの特徴1:2日間で5,000人が来場する四国最大級のハンドメイドイベント!2:600人のハンドメイド作家によるハンドメイド作品・手づくりフードが集結!3:誰でも参加できる9種類のハンドメイド体験教室を開催!◆イベント概要名称 : 瀬戸内ハンドメイドマルシェ2022内容 : 全国のハンドメイド作家によるハンドメイド作品や手づくりフードの展示・販売、ハンドメイド体験教室 等日程 : 2022年10月15日(土)・16日(日)11:00~17:00会場 : アイテムえひめ 大展示場(愛媛県松山市)出店者数: 約600人入場料 : 当日券500円、前売券400円(小学生以下は入場無料)主催 : 瀬戸内ハンドメイドマルシェ実行委員会URL : 過去開催の様子・1過去開催の様子・2過去開催の様子・3過去開催の様子・4◆イベントの特徴【2日間で5,000人が来場する四国最大級のハンドメイドイベント!】四国最大級のハンドメイドイベントとして2019年6月に初開催し、今回が3回目となる「瀬戸内ハンドメイドマルシェ」。会場は愛媛県松山市の国際交流施設「アイテムえひめ」。昨年の1.4倍となる4,500m2の広大な会場にハンドメイドの作り手・買い手が集まり、2日間を通じて“ものづくりの祭典”が開催されます。前回開催時の会場の様子【600人のハンドメイド作家によるハンドメイド作品・手づくりフードが集結!】600人のハンドメイド作家が想いを込めて制作した、アクセサリーやインテリア、雑貨、靴、カバン、伝統工芸、ファッションなど、プロの作品と比べても遜色ない個性的・高品質な10,000点以上の手づくり作品が会場を埋め尽くします。また、クッキーやパン、ジャム、燻製など、こだわりの手づくりフードも出店されます。シルクの生地のアクセサリー by Hanaoネコ好きが作ったクッキー by ka.neco【誰でも参加できる9種類のハンドメイド体験教室「マルシェのがっこう」を開催!】子供から大人まで、ハンドメイドをしたことがない方でも気軽に参加できる体験教室「マルシェのがっこう」を開催。ハンドメイド作家自身が先生となって、インテリア雑貨やクラフト、おもちゃまで、世界にひとつ・自分だけのハンドメイド作品づくりを体験できます。体験教室の様子・1体験教室の様子・2◆開催目的瀬戸内ハンドメイドマルシェは「ものづくり市民の作品発表の場の創出」および「作り手・買い手が直接交流するものづくりを軸とした市民マーケットの創出」を目的として開催いたします。なお、開催にあたっては、会場や自治体から提示されているイベント開催のガイドラインを遵守し、会場のレイアウトや準備・運営における感染対策を徹底して実施することで、出店者や来場者はもちろん、運営スタッフや関連パートナーの皆様が安心・安全に参加できる開催を実現します。<ご参考>出店作品およびハンドメイド体験教室のご紹介(一例)【アクセサリー・インテリア・雑貨・ファッション等のハンドメイド作品】革の貯金箱 by お気楽屋飛び出すカード by cocoro伝統和櫛「お六櫛」 by 工房ふるかわや【焼き菓子・コーヒー・紅茶・はちみつ・燻製等のオリジナルフード】アーモンド入りのお餅 by ひだまり無添加生地のベーグル by BAGEL OHESO生はちみつ by 仏生山の森ガーデン【アクセサリー・フラワーアレンジ・クラフト・おもちゃ等のハンドメイド体験教室】天然香原料のお香作り by 華翠房魔法のスティック作り by MUSIC-BALLOON-PARTY七宝焼のアクセサリー作り by 7つのたからもの※各キャプションのbyに続く名称は制作者(体験教室の場合は講師)です。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月07日寺島しのぶ、豊川悦司、広末涼子共演『あちらにいる鬼』より、ポスタービジュアル、予告編、場面写真が解禁された。瀬戸内寂聴と井上光晴、そしてその妻をモデルに、井上夫妻の長女である作家・井上荒野が綴った傑作小説を映画化した本作。この度、本作の予告編とポスタービジュアルが解禁。寺島しのぶが実際に剃髪し挑んだ、厳かで清らかな得度式のシーンで幕を開ける予告編は、始まった瞬間から観る者を釘付けにする。髪を落とした寺島さん演じる寂光・長内みはると向き合って座る、豊川さん演じる白木篤郎は下を向いてうなだれている。「彼女は知ってるんでしょう?」と問い詰め、問い詰められる作家の女と作家の男は人生の半ば、道ならぬ恋に年月を費やしていた。2人は互いにパートナーがありながらも逢瀬を重ねる。白木は隣で眠る広末さん演じる妻・笙子に「俺はあんたが一番大事なんだから」とささやき、笙子は「どうして、ああ嘘ばかりつくんでしょうね」と心の内を吐露する。ひとりの男を分かち合うふたりの女、共感にも連帯にも似た3人の関係性の中、笙子は「同志みたいなものかな」と、嫉妬心を超越した感情を抱いていることを明かす。「誰だって自分ひとりの物になんかできない」と分かっているからこそ、みはるは白木と訪れた旅先で出家という人生を変える決断を伝え、女と男でいられる最後の夜、白木はみはるの髪を洗う。「行ってあげたら?」と夫をみはるの元に向かわせる笙子、「どうしようもない男だけれど愛しくて仕方ない」と肩を寄せ合うみはると白木。この3人の計り知れない繋がりに圧倒され、心震わされることを予感させる予告編に仕上がっている。寺島さんは、今回自身の演じた寂光・長内みはるというキャラクターについて「“すごく生きてる”っていう人ですよね。やりたいことは全てやるし、突き進むし、我慢しない。それが生きていくってことなのよって、どの場面においてもブレがない。今日はちょっと元気が無いなと思いつつ現場に行っても、みはるになると、逆に元気になっちゃう。もちろん映画は原作と違うし、ましてやモデルとなった方たちとは距離がありますが、撮影中は寂聴さんが背中にぴたってくっついて、ずっとパワーをくれていたような気がします」と語っている。また、同時に解禁されたポスタービジュアルでは、みはると白木、その妻笙子がそれぞれのシチュエーションで切り取られており、交差する視線から彼らの関係性が垣間見られる。髪を剃り上げ、みはるではなく寂光となった寺島さんの穏やかな表情が印象的だ。「愛という言葉を持ち出せば、すべてが許されるのだろうか」そのコピーの通り、愛に生き、ときに愛に苦しんだ彼らについて、主演の寺島さんは「モデルとなった井上光晴さん亡き後の奥様と寂聴さんとの関係や、荒野さんと寂聴さんとの関係も他人には窺い知れない関係性ですけど、あの時代を共に生きた、確かに在った。その関係性を観て頂けたらと思います」と完成した作品への自信をのぞかせている。『あちらにいる鬼』は11月11日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:あちらにいる鬼 2022年11月11日より全国にて公開©2022「あちらにいる鬼」製作委員会
2022年08月31日『せとチャレ!STU48』瀬戸内の魅力を再発見!暑い夏を楽しむ涼企画!『せとチャレ!STU48』(広島ホームテレビ)今回の放送は、STU48矢野帆夏&谷口茉妃菜が、瀬戸内7県のご当地アイスを食べまくります。アイスの伝道師が参戦!数々のアイスを紹介してくれるのは、Twitterフォロワー数20万人以上!全国のアイスクリームを食べ&知り尽くすアイス界の重鎮・アイスマン福留。ほのたん(矢野帆夏)&まひちゃん(谷口茉妃菜)と、ゲストのメンバー(山口提樹・潮圭太)は、どんなアイスに出合うのでしょうか!?瀬戸内7県の絶品アイスや個性派アイスも登場!新たなアイスのカタチを徹底議論します!お楽しみに♪■放送予定広島ホームテレビ(HOME)▸日時:2022年7月28日(木)深夜0時15分~番組公式サイト : ※他エリアの放送予定は番組ホームページをご覧ください。■出演者◇STU48(矢野帆夏・谷口茉妃菜)◇ゲスト/メンバー(山口提樹・潮圭太)、アイスマン福留球宴までの全力投球続編!頑張れ舞Q!ファーストピッチへの道#2STU48の舞Q(中村舞)が、7月27日(水)「マイナビオールスターゲーム2022」ファーストピッチに登板!『せとチャレ!公式YouTubeチャンネル』では、ガチ特訓の模様をお届けしています。『マイナビオールスターゲーム2022』テレビ朝日系列にて生中継広島ホームテレビ(HOME)5チャンネルでご覧ください。■第1戦 7月26日(火)よる7時から(福岡PayPayドーム)■第2戦 7月27日(水)よる6時30分から (松山坊っちゃんスタジアム)■番組紹介STU48のメンバーが、瀬戸内を舞台に様々なチャレンジを行い世界に羽ばたくべく己を磨く挑戦バラエティです。過酷なチャレンジから、ゆる~いチャレンジまで、STU48が全力で挑みます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年07月26日2021年11月に99歳で逝去した瀬戸内寂聴さん。その晩年に密着した、ドキュメンタリー映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』(配給:KADOKAWA/制作スローハンド)がいま公開され、好評を博している。監督を務めたのはドキュメンタリー監督の中村裕さん(62)だ。寂聴さんからは“裕さん”と呼ばれていた中村さんは、公私にわたって17年の親交があった。映画では、ほかでは見たことのない寂聴さんの“喜怒哀楽”が描かれている。Tシャツ姿でお酒を飲み大いに笑い、手術や入院にもめげず、笑顔でリハビリに励み、真剣なまなざしで原稿に向かい、ときに裕さんに厳しい言葉を投げかける。映画では寂聴さんが涙を流すシーンも描かれている。2021年3月、恋愛をテーマにしたNHKのトーク番組に、中村さんからの依頼で寂聴さんがリモート出演した。東京のスタジオと寂庵をネットでつなぎ、中村さんは寂庵で先生に付き添った。「最初はしっかりと話されていたのですが、リモートだとタイムラグもあるし、画面も次々と変わっていきますから、途中でどこを見ていいかわからなくなったのでしょう。東京のスタジオとうまくやり取りができなくなって……。途中で僕が収録を止めました。前半はしっかりと話されていたので、編集で番組は形になったのですが、先生は『(僕に)恥をかかせた。申し訳ない』と、両手を顔にあてて、さめざめと泣いて、『首をつって死ぬ』と言いだされて」必死で寂聴さんをなだめた中村さん。このようなことになって申し訳ないと思う一方で、感動してもいたという。「“98歳の人がこうやって泣くのだ!?”と驚いて。この感受性の若々しさってただものじゃない、この人はやっぱりすごい方だと」■99歳にして自在に筆を運ぶ最後の撮影となったのは、蛍の季節。寂聴さんが亡くなる半年前の2021年6月のことだった。「嵯峨野の清滝へ蛍を見に一度ご一緒したことがあり、その話をしながら一緒に飲んだんです。すると、翌朝の朝日新聞の連載に載せる原稿をまだ書いていないことを知って。僕が心配すると、先生は『書くことは決まっている。大丈夫。蛍のことを書く』と」翌朝の新聞には蛍がテーマの私小説が綴られていた。主人公は、“女と別れるたびに寂庵を訪れている男”……。「僕らしき男(笑)。でも、男は寂庵に30年来通っていることになっていて、虚実ないまぜで自在に筆が運ばれていて……。僕の部屋も見たことないのに、『鮮やかに思い浮かべることができる』と書いてあった。先生は99歳にして、時空を超えて自由な境地に行かれて物を書いていらっしゃるんだと感動しました。最期の最期まで小説家だった証しですよね」2021年11月9日、寂聴さん逝去。100歳まであと半年だった。「あるとき、『先生と僕の関係は男女の関係だと思っています』と伝えたことがあります。先生は『肉親みたいなものよ』と照れてらっしゃいましたけど(笑)。でも、僕は本当にそういう面があったと思っています。恋愛のことなど何でも話しましたが、本当の肉親とはそんな話はしませんから。いずれにせよ、さまざまなものをいただいて、感謝しています」映画は全国で公開中で、7月9日にはシネモンド(石川県金沢市)と福井メトロ劇場(福井県福井市)で、10日にはCINEX(岐阜県岐阜市)で、中村監督の舞台挨拶が予定されている。「裕さん、次はいつ来るの?」。中村さんは、寂聴さんからのそんな電話が、いまもまだかかってくるような気がするというーー。
2022年07月08日「先生がお住まいの寂庵で、おそらく6回か7回、先生と2人きりで新年を迎えたことがあります。寂庵のまわりにはたくさんの寺院があるので、それは見事な除夜の鐘の合奏が聞こえるそうなのですが、実は私は一度も聞いたことがないんです。いつも日中から先生とお酒を飲んで、早い時間に寝てしまったから……」そう語るのは、ドキュメンタリー監督の中村裕さん(62)だ。昨年11月に99歳で逝去した瀬戸内寂聴さんの晩年に、中村さんは17年にわたって密着してきた。その集大成となるドキュメンタリー映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』(配給:KADOKAWA/制作スローハンド)がいま公開され、好評を博している。7月9日にはシネモンド(石川県金沢市)と福井メトロ劇場(福井県福井市)で、10日にはCINEX(岐阜県岐阜市)で、中村監督の舞台挨拶が予定されている。寂聴さんに“裕さん”と呼ばれていた中村さん。中村さんは寂聴さんのことを“先生”と呼ぶ。出会いのきっかけは、2004年に寂聴さんに密着した『情熱大陸』(MBS)の担当になったことだ。「最初は緊張でカメラを回せないときもありました。先生がビールの大ジョッキをガーッと半分くらい飲んで、プワ〜って言ってるところなんて、撮っていいのかわからなかった(笑)。しかし、密着しているうちに打ち解けていって」番組放送後も交流は続いた。テレビの取材で、ときにはプライベートで、中村さんは寂聴さんを訪ね、旅行にも同行した。2011年には、東日本大震災の被災地を慰問する寂聴さんに付き添った。2015年には、NHKスペシャル『いのち 瀬戸内寂聴 密着500日』のディレクターを中村さんが務め、同番組はATP賞ドキュメンタリー部門最優秀賞も受賞している。■元夫の墓前で涙を流して……映画では、ほかでは見たことのない寂聴さんの“喜怒哀楽”が描かれている。Tシャツ姿でお酒を飲み大いに笑い、手術や入院にもめげず、笑顔でリハビリに励み、真剣なまなざしで原稿に向かい、ときに裕さんに厳しい言葉を投げかける。「10年ほど前から年に5〜6回、小さなカメラを持って、ひとりで寂庵にお邪魔していました。テーブルに本を重ね、即席のカメラ台を作って、先生とお酒を飲み食事をしながらカメラを回すんです」だが、撮った映像の使い道を明確に決めていたわけではなかった。「100歳の誕生日にでも、映画を先生に見てもらって、怒られよう」と漠然と思っていたという。だから、映画の中の寂聴さんと中村さんはどこまでも自然体だ。「僕がお酒を飲んで寝てしまって、気づいたら先生が台所で洗い物をしていることもありました。僕の中で、先生は常に笑っていて、誰に対しても偉そうにすることはありませんでしたね」いつも明るく「人前では絶対に泣かない」と言っていたが、映画ではその涙が映されている。1948年、夫と3歳の娘を残して、「小説家になりたい」といって家を飛び出した寂聴さん。長年、元夫の墓参は許されなかった。「娘さんからも許され、いい節目だと思われたのでしょう。2006年11月、文化勲章を受章した翌日に元夫の墓を参る先生を撮らせてもらいました。墓前で先生は『私は小説家にならなきゃいけなかったんです』と泣きだされて……。家族を捨てた以上、必ず小説家に、それも半端な物書きではダメだという覚悟があったのでしょう。文化勲章受章で報われたというか、墓前で自分が背負ってきたものをもう一度見つめなおされているようでした」
2022年07月08日この時期だけの「瀬戸内レモンシリーズ」株式会社ジェイ・ウォーカーが展開するスキンケアブランド「モッチスキン」より、期間限定商品「モッチスキン吸着泡洗顔&クレンジング(瀬戸内レモンver.)」が新登場。2022年6月10日より数量限定発売された。全国のドラッグストアおよびバラエティショップにて購入可能だ。瀬戸内レモンで透明感ケア「モッチスキン」の人気洗顔&クレンジングより、今年も限定の“瀬戸内レモンタイプ”が新発売された。前回は発売後わずか1か月で完売したヒット商品だ。瀬戸内の豊かな自然の中で栽培された栄養豊富なレモン果汁エキスが、透明感あふれる肌へ導く。またフレッシュでみずみずしい香りがこれからの季節にぴったりの限定シリーズだ。夏の肌環境を整える2つの洗顔料「モッチスキン吸着泡洗顔FL(レモン)」(税込1,980円)は、酵素やクレイ成分を含んだ濃密泡で汚れを包み込み、ツルツルの素肌に仕上げる泡洗顔。気になる毛穴汚れを集中ケアするアイテムだ。瀬戸内レモンの他にもオリーブ果実油やローズマリー葉エキスを配合し、しっとりとした洗い上がりを叶える。一方「モッチスキン吸着クレンジングLM(レモン)」(税込1,980円)は、これ1本でメイクも毛穴汚れもスッキリ落とせるジェル状クレンジング。4種のクレイ成分と青パパイヤ由来酵素が、メイク汚れはもちろん、頑固な毛穴汚れをスッキリ洗い落としてクリアな肌に。讃岐和三盆や酒粕エキスなどの保湿成分が、クレンジング中も肌の潤いを逃さない。(画像はプレスリリースより)【参考】※「モッチスキン」公式サイト
2022年06月16日全国の自然由来成分をセレクト日本各地から自然由来の美容成分を厳選配合し、モチ肌へ導くスキンケアアイテムを展開する「モッチスキン」より、広島県産瀬戸内レモンを使用した数量限定商品「モッチスキン吸着泡洗顔&クレンジング(瀬戸内レモンver.)」が登場。2022年6月10日より、全国のドラッグストアおよびバラエティショップにて発売されました。1か月で完売した「瀬戸内レモンシリーズ」今年も登場「瀬戸内レモンシリーズ」は角質ケアに優れ、特にくすみが気になる肌におすすめの季節限定商品。瀬戸内産レモンの栄養がギュッと濃縮された果汁エキスが、肌にみずみずしい透明感を与えます。またフレッシュで爽快な香りが、夏のスキンケアにぴったりです。ラインナップはクレンジングと洗顔料の2種類。「モッチスキン吸着クレンジングLM(レモン)」は、4種のクレイ成分や青パパイヤ由来酵素など、自然由来の洗浄成分が頑固な汚れもしっかり絡め取り、クレンジングと同時に毛穴ケアまでできるジェル状クレンジング。自然由来の保湿成分をたっぷり含んだジェルは少量でもしっかり伸びるため、肌への負担をかけずに汚れをスッキリオフ。毛穴の黒ずみやザラつきまで一掃してくれます。一方「モッチスキン吸着泡洗顔FL(レモン)」は、もっちり泡が汚れを包み込み、ツルツルすべすべの肌へ洗い上げる泡状洗顔料。オリーブ果実油やローズマリー葉エキスを配合した弾力泡で、肌の潤いを守りながら摩擦レス洗顔を叶えます。価格はいずれも税込1,980円です。(画像はプレスリリースより)【参考】※「モッチスキン」公式サイト
2022年06月15日小説『あちらにいる鬼』が実写映画化。寺島しのぶ、豊川悦司を主演に迎え、2022年11月11日(金)より公開される。小説『あちらにいる鬼』が実写映画化作家・井上荒野による小説『あちらにいる鬼』は、井上荒野の父である作家・井上光晴と母、そして2021年11月に死去した瀬戸内寂聴をモデルに、男女3人の特別な関係を描いた作品。直木賞、柴田錬三郎賞、織田作之助賞といった文学賞を受賞してきた井上荒野が、彼女にとって最も身近な存在である父と母、そして光晴と長年にわたり恋愛関係にあった瀬戸内寂聴の関係をモデルに創作したストーリーだ。2人の女性の視点から、彼女たちの長きにわたる関係性と心の変化を深く掘り下げている。寺島しのぶ×豊川悦司がW主演そんな小説『あちらにいる鬼』が、実写映画化。寺島しのぶと豊川悦司がW主演を務める。■長内みはる...寺島しのぶ瀬戸内寂聴をモデルにした人気作家。講演旅行をきっかけに戦後派を代表する作家・白木篤郎と男女の関係になる。主演を務めるのは、近年では『Arc アーク』『キネマの神様』『空白』などに出演している寺島しのぶ。やがて出家という形で決着をつけることになる寂光を演じた寺島は、映画本編で実際に自身の髪の毛を剃り上げている。<寺島しのぶ コメント>何度も撮影が延長され半ば諦めかけていたのですがやっとインできそうです。そうこうしているうちに私の歳も寂聴さんが得度式をされた歳と同じになりました。井上荒野様からも心強いお手紙をいただきました。これを宝物に最も信頼している荒井晴彦さんや廣木監督とまた作品作りができること、豊川さんとまたお芝居できることに胸が弾み広末さんとも不思議な関係性が築けそうです。今から崖の下をチラチラ見ては躊躇して、いずれ捨て身で飛び込もうとしている自分を鼓舞している毎日です。■白木篤郎...豊川悦司井上光晴をモデルとした作家・白木篤郎。長内みはると妻・笙子のあいだを行き来するが、度を越した女性との交わりは止まることがない。寺島しのぶとW主演を務めるのは、ハリウッド映画『ミッドウェイ 日本の運命を変えた3日間』でも好演を果たし、『キングダム 2 遥かなる大地へ』『仕掛人・藤枝梅安』の公開も控える豊川悦司。<豊川悦司 コメント>男にも女にも家庭があって、それでも磁石のように惹きつけあって、どうしようもなく、あがくすべもなく、ただ相手を見据えて、しがみついていく二人。しがみつく二人にしがみつく家族。スキャンダルという理由は、彼らが文化人であったというだけのこと。寺島しのぶと、男と女、それだけを演じてみたい。■笙子...広末涼子篤郎の妻。夫の手あたり次第とも言える女性との関係を黙認、夫婦として平穏な生活を保っていた。演じるのは『コンフィデンスマン JP プリンセス編』『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』などの広末涼子。<広末涼子 コメント>とても大人な台本に、果たして私がついて行けるか?未だ不安なまま撮影開始となりそうですが、間違いなく魅力的な寺島さんと豊川さんの御姿がおのずと私をも導いてくださる予感がしております。撮影の日を楽しみに精一杯頑張ります。よろしくお願いいたします。監督は廣木隆一×脚本に荒井晴彦監督は廣木隆一、脚本は荒井晴彦。寺島と豊川は廣木監督・荒井脚本の『やわらかい生活』で初共演を果たして以来、『愛の流刑地』『劇場版 アーヤと魔女』などで、何度も共演している。なお、井上荒野が小説『あちらにいる鬼』を執筆する際、瀬戸内寂聴は協力を惜しまず、当時の思い出を語ったという。小説刊行の際には、下記のようなコメントを発表。また、生前も、『あちらにいる鬼』の映画化を聞き、公開を楽しみにしていたという。「モデルに書かれた私が読み 傑作だと、感動した名作! !作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。五歳の娘が将来小説家になることを信じて疑わなかった亡き父の魂は、この小説の誕生を誰よりも深い喜びを持って迎えたことだろう。作者の母も父に劣らない文学的才能の持主だった。作者の未来は、いっそうの輝きにみちている。百も千もおめでとう。」<映画『あちらにいる鬼』あらすじ>人気作家の長内みはるは、講演旅行をきっかけに戦後派を代表する作家・白木篤郎と男女の関係になる。一方、白木の妻である笙子は、夫の手あたり次第とも言える女性との関係を黙認、夫婦として平穏な生活を保っていた。だが、みはるにとって白木は肉体の関係だけに終わらず、〈書くこと〉による繋がりを深めることで、かけがえのない存在となっていく。二人のあいだを行き来する白木だが、度を越した女性との交わりは止まることがない。白木を通じて響き合う二人は、どこにたどりつくのか――。【詳細】映画『あちらにいる鬼』公開日:2022年11月11日(金)出演:寺島しのぶ、豊川悦司、広末涼子、高良健吾、村上淳、蓮佛美沙子、佐野岳、宇野洋平、丘みつ子監督:廣木隆一脚本:荒井晴彦原作:井上荒野「あちらにいる鬼」(朝日文庫)R15+
2022年04月24日寺島しのぶと豊川悦司がW主演、さらに広末涼子が、作家の井上光晴とその妻、そして瀬戸内寂聴をモデルに男女3人の関係を描いた井上荒野・原作の『あちらにいる鬼』に出演することが分かった。人気作家の長内みはる(寺島しのぶ)は、講演旅行をきっかけに戦後派を代表する作家・白木篤郎(豊川悦司)と男女の関係になる。一方、白木の妻である笙子(広末涼子)は、夫の手あたり次第とも言える女性との関係を黙認、夫婦として平穏な生活を保っていた。だが、みはるにとって白木は肉体の関係だけに終わらず、“書くこと”による繋がりを深めることで、かけがえのない存在となっていく。2人のあいだを行き来する白木だが、度を越した女性との交わりは止まることがない。白木を通じて響き合う2人は、どこにたどりつくのか――。原作は、直木賞、柴田錬三郎賞、織田作之助賞など様々な文学賞を受賞してきた井上氏が、彼女にとってもっとも身近な人々である父母と、父・光晴と長年にわたり男女の仲だった瀬戸内寂聴の関係をモデルに、2人の女性の視点から、彼女たちの長きにわたる関係と心模様の変化を深く掘り下げ大きな反響を呼んだ小説。井上氏が執筆する際、寂聴さんは協力を惜しまず当時の思い出を語り、小説刊行の際には、「モデルに書かれた私が読み 傑作だと、感動した名作! !」とコメントを寄せていた。生前、本映画化の報を聞いた寂聴さんはとても楽しみにしていたという。W主演をつとめるのは、寺島しのぶと豊川悦司。寺島さんは、瀬戸内寂聴をモデルにした人気作家・長内みはる。豊川さんが演じるのは井上光晴をモデルとした作家・白木篤郎。共演の広末涼子が篤郎の妻・笙子を演じる。監督は廣木隆一、脚本は荒井晴彦。寺島さんと豊川さんは同じく廣木監督・荒井脚本の『やわらかい生活』(06)で初共演を果たして以降、『愛の流刑地』(07)、『劇場版 アーヤと魔女 』(21)など何度も共演している。寺島しのぶ×豊川悦司×広末涼子、監督からコメント到着【寺島しのぶ/長内みはる役】何度も撮影が延長され半ば諦めかけていたのですがやっとインできそうです。そうこうしているうちに私の歳も寂聴さんが得度式をされた歳と同じになりました。井上荒野様からも心強いお手紙をいただきました。これを宝物に最も信頼している荒井晴彦さんや廣木監督とまた作品作りができること、豊川さんとまたお芝居できることに胸が弾み広末さんとも不思議な関係性が築けそうです。今から崖の下をチラチラ見ては躊躇して、いずれ捨て身で飛び込もうとしている自分を鼓舞している毎日です。【豊川悦司/白木篤郎役】男にも女にも家庭があって、それでも磁石のように惹きつけあって、どうしようもなく、あがくすべもなく、ただ相手を見据えて、しがみついていく二人。しがみつく二人にしがみつく家族。スキャンダルという理由は、彼らが文化人であったというだけのこと。寺島しのぶと、男と女、それだけを演じてみたい。【広末涼子/白木笙子役】とても大人な台本に、果たして私がついて行けるか?未だ不安なまま撮影開始となりそうですが、間違いなく魅力的な寺島さんと豊川さんの御姿がおのずと私をも導いてくださる予感がしております。撮影の日を楽しみに精一杯頑張ります。よろしくお願いいたします。【監督:廣木隆一】物語を語ることでしか存在できない男を巡って女は現実を生きる。いや男と女と言うよりも同じ時間を過ごした大人たちのラブストーリーを、このキャストで演出することに何か不思議な感じがしてワクワクします。どこまでが虚でどこまでが創作なのか。原作者の目を通して描いた彼らの関係を映画化できることに感謝します。ぜひ鬼の正体を劇場で確認して下さい。『あちらにいる鬼』は11月、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2022年04月21日俳優の寺島しのぶと豊川悦司が、映画『あちらにいる鬼』(2022年11月公開)でW主演を務めることが21日、明らかになった。同作は作家・井上荒野による同名小説の実写化作。人気作家の長内みはる(寺島しのぶ)は、講演旅行をきっかけに戦後派を代表する作家・白木篤郎(豊川悦司)と男女の関係になる。一方、白木の妻である笙子(広末涼子)は、夫の手あたり次第とも言える女性との関係を黙認、夫婦として平穏な生活を保っていた。原作は作家・井上荒野が、父である作家・井上光晴と母、父と瀬戸内寂聴をモデルに創作した。父、母と、長年にわたり光晴と男女の仲だった寂聴の関係をモデルに、2人の女性の視点から、彼女たちの長きにわたる関係と心模様の変化を深く掘り下げ、大きな反響を呼んだ。井上が小説を執筆する際には、寂聴は協力を惜しまず当時の思い出を語り、「モデルに書かれた私が読み 傑作だと、感動した名作!!」コメントも発表している。すでに映画化は発表されていたが、この度、寺島しのぶ、豊川悦司がW主演、共演に広末涼子を迎え、廣木隆一監督・荒井晴彦脚本にて2022年11月に全国公開することが発表された。○寺島しのぶ コメント何度も撮影が延長され半ば諦めかけていたのですがやっとインできそうです。そうこうしているうちに私の歳も寂聴さんが得度式をされた歳と同じになりました。井上荒野様からも心強いお手紙をいただきました。これを宝物に最も信頼している荒井晴彦さんや廣木監督とまた作品作りができること、豊川さんとまたお芝居できることに胸が弾み広末さんとも不思議な関係性が築けそうです。今から崖の下をチラチラ見ては躊躇して、いずれ捨て身で飛び込もうとしている自分を鼓舞している毎日です。○豊川悦司 コメント男にも女にも家庭があって、それでも磁石のように惹きつけあって、どうしようもなく、あがくすべもなく、ただ相手を見据えて、しがみついていく二人。しがみつく二人にしがみつく家族。スキャンダルという理由は、彼らが文化人であったというだけのこと。寺島しのぶと、男と女、それだけを演じてみたい。○広末涼子 コメントとても大人な台本に、果たして私がついて行けるか? 未だ不安なまま撮影開始となりそうですが、間違いなく魅力的な寺島さんと豊川さんの御姿がおのずと私をも導いてくださる予感がしております。撮影の日を楽しみに精一杯頑張ります。よろしくお願いいたします。○監督:廣木隆一 コメント物語を語ることでしか存在できない男を巡って女は現実を生きる。いや男と女と言ういうよりも同じ時間を過ごした大人たちのラブストーリーを、このキャストで演出することに何か不思議な感じがしてワクワクします。どこまでが虚でどこまでが創作なのか。原作者の目を通して描いた彼らの関係を映画化できることに感謝します。ぜひ鬼の正体を劇場で確認して下さい。(C)2022「あちらにいる鬼」製作委員会
2022年04月21日2021年に惜しまれつつ亡くなった瀬戸内寂聴の<生誕100年記念>のドキュメンタリー『瀬戸内寂聴99年生きて思うこと』より、本予告編と本ビジュアルが解禁された。本作は、中村裕監督が2022年5月15日で満100歳を迎えるはずであった瀬戸内寂聴に、密着17年間という長い歳月をかけ撮影したドキュメンタリー。2015年にNHKスペシャル「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」(ATP 賞ドキュメンタリー部門最優秀賞受賞)のディレクターもつとめ、長年寄り添い続けた監督だから描ける<誰も知らない瀬戸内寂聴>の姿がスクリーンに映し出される。“裕さん”こと中村監督と寂聴さんは、17年に及ぶ密着で、日々の老いから、過去の不倫関係まで、日常的に互いに全てを報告し合う、まるで母親、先達、友人、あるいは恋人のような、形容しがたい関係性を築き上げた。コロナ後も取材を続ける唯一無二の存在に寂聴さんが語る“本音”や“金言”の数々が映し出される貴重なドキュメンタリーとなった。この度解禁されたのは、中村監督が手掛けた本予告。名誉住職を務める岩手県の天台寺でのあおぞら法話から始まり、寂聴さんを象徴する「恋愛は逃れられない。雷のように落ちてくるものだから、打たれるしかない。人間が一番成長するのは恋愛」という名言から、はたまた、寂庵の台所で号泣したり、子どものように笑う寂聴さんの姿が切り取られている。また、併せて解禁された本ビジュアルでは、寂聴さんの名言「晩節なんて汚したっていい。好きに行動すればいいの」をキャッチコピーに、紫の法衣を着用した寂聴さんの身体の中に、寂聴さんのめくるめく人生の場面を散りばめた、昔の記憶が蘇る走馬灯のような鮮やかなデザインとなっている。『瀬戸内寂聴99年生きて思うこと』は5月27日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:瀬戸内寂聴99年生きて思うこと 2022年5月27日より公開©2022「瀬戸内寂聴 99 年生きて思うこと」製作委員会
2022年04月13日気軽に外食に行くのも少し気が引ける今だからこそ、お家でもカフェやレストランみたいなテイストのパスタが食べられたら嬉しいですよね。 KALDIを散策していたところ「瀬戸内牡蠣レモンパスタソース」という家庭料理で作る定番のものとは少し違う美味しそうなパスタソースを発見! しかもそれが比較的リーズナブルなお値段だったのです。はたしてそのお味は…!?瀬戸内牡蠣レモンパスタソース瀬戸内牡蠣レモンパスタソース、価格は124円(税込)。1袋で1人前52g入りです。瀬戸内といえば、牡蠣もレモンも特産品として有名ですよね!こっくりオレンジ色中身はこんな感じ♡こっくりしたオレンジ色のソース。写真からのイメージで、勝手にサラサラしたタイプかと思っていましたがクリーム系のパスタソースのようです!すでにレモンの香りがします。あえるだけで簡単作り方は簡単で、ソース自体はレンジか湯煎で軽く温めて、茹でたてパスタをサッとあえるだけ!パッケージを真似て、オリーブオイルで軽く焼き目をつけた牡蠣と輪切りのレモンを添えてみました。瀬戸内の風が吹いてきそうです…♡濃厚な牡蠣の味クリーミーなソースのおかげか、パスタにまんべんなく絡まります。濃厚な牡蠣の味にさわやかで上品なレモンの味わい。まろやかだけれどレモンやスパイスが効いています。クリーム系ソースなのに全くあきのこない味でペロリ完食です。リーズナブルなのに本格的!「このくらい気軽なお値段だとそんなに期待できないかな…。」なんて思っていましたが、嬉しい誤算でした!トッピングがなくてもいいかもと思えるくらい牡蠣やレモンの味をしっかり感じる本格的なパスタソースでした♡おうちランチが簡単にランクアップ!見つけた際は、ぜひ試してみてください♪記事内の情報は執筆時のものになります。価格変更や、販売終了の可能性もございますので、ご了承くださいませ。また、店舗ごとに在庫が異なるため、お立ち寄りの店舗へお問い合わせください。"
2022年03月10日2021年に惜しまれつつ亡くなった瀬戸内寂聴の<生誕100年記念>ドキュメンタリー『瀬戸内寂聴99年生きて思うこと』が、5月27日(金)より公開されることが決定した。2022年5月15日で満100歳を迎えるはずであった瀬戸内寂聴に、17年という途方もない歳月の間密着し、撮影を続けた監督・中村裕。2015年にNHKスペシャル「いのち瀬戸内寂聴密着500日」(ATP賞ドキュメンタリー部門最優秀賞受賞)のディレクターもつとめており、本作には長年寄り添い続けた監督だから描ける<誰も知らない瀬戸内寂聴>の金言の数々が詰め込まれている。この度解禁されたティザービジュアルでは、寂聴さんの名言「もっと自分を愛しなさい。そうすれば人生が変わります」がコピーに使われている。そして日本中で知らない人はいない瀬戸内寂聴という人物をアイコニックに表現した、大胆なイラストのデザインが目をひく1枚に仕上がっている。死の直前まで月刊誌、新聞の連載をこなす“現役”作家であり、月1の法話には全国から人が押し寄せる「最長寿の国民的アイドル」だった寂聴さん。駆け落ち、不倫、三角関係など、自らの体験を私小説の形で次々に発表し、世間のバッシングに晒されるも、女流作家として不動の地位を確立した。また51歳のときに出家して以降は、僧侶、作家の2つの顔を持つ。いつまでも恋心を持って生きる。女性であるということを忘れず人生を楽しむ。彼女のそんな“生き様”は、不寛容な空気が充満しつつある現代社会で、人間の生命力とは何かを強く感じさせてくれるものであり、<いかに生き、老いていけばいいのか>というヒントにもなっている。『瀬戸内寂聴99年生きて思うこと』は5月27日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:瀬戸内寂聴99年生きて思うこと 2022年5月27日より公開©2022「瀬戸内寂聴 99 年生きて思うこと」製作委員会
2022年02月24日「その人の顔を見た瞬間、どんな言葉をかけてほしいか、私にはわかるの」、天台寺や京都寂庵での法話、インタビューなどで数々の名言を生み出してきた寂聴さん。言葉の達人であるだけではなく、心を癒す達人でもありました。今回登場してもらったのは寂聴さんと縁で結ばれていた人たち。それぞれの「私を救ってくれた寂聴さんの言葉」を教えてもらいましたーー。■「あなたは歌を歌うことで施しをしている」ーー歌手・中村美律子さん(71)「先生には私の曲『風まかせ』の歌詞を書いていただいたこともありました。先生はあまり歌番組は見ないそうですが、たまたま寂庵のテレビで私が歌っている姿を見て、気に入ってくださったのだそうです。『なんて大きな口を開けて歌う女なんでしょう!ブラウン管からはみ出しそうなほどに大口を開けているわ』、そう秘書の方におっしゃっていたとか。それがご縁で旅番組の共演を誘ってくださったり、作詞をしていただいたりしました。’05年ごろの話ですから先生は当時80歳を超えていましたが“泣き言メール”など、詞がお若くて驚きましたね。なんでも素直にお話しできる方でした。でも悩みがあったり、つらいことがあっても、寂庵でお顔を見るだけで、そんなことは忘れてしまうぐらい先生の笑顔にはパワーがあったんです。特に’11年にお会いしたときのことは忘れられません。『いくつになった?』と、聞かれたので、私の年齢をお答えしたら、『あんたの年じゃないわ。盲導犬の数のことよ(笑)』と。私が毎年、全国の地方自治体などに盲導犬を寄付していることを覚えていてくださったのです。おそらくそのときは35頭ぐらいだったと思います。’11年は東日本大震災が発生した年です。私たち演歌歌手も、北島三郎先生が中心になって義援金を送ったり、現地で慰問のために歌ったりしていました。でも被災地の悲惨な光景を見てしまうと、『皆さんが喜んでくれるけど、「河内おとこ節」みたいな曲を笑顔で歌っていていいのかな、もっとほかにできることはないのかな……』なんて、悩んでしまっていたのです。その気持ちをもらすと、先生はこう励ましてくださいました。『何を言っているのよ。あなたは歌を歌うことで、いろいろな人たちに施しをしているんだから、自信をもって歌いなさい』『“施し”なんて、そんなおこがましいです……』『そんなことないわよ。寂聴が言っているんだからいいの。寂聴がそう言っていたって(人にも)伝えなさい!』力強いお言葉に、体に元気が湧いてくるようでした。それから10年、’21年11月30日に私はデビュー35周年記念コンサートを行ったのです。8月の初めに先生に激励コメントをいただけないかお願いしました。すると次のようなコメントが。《歌手としてだけでなく、盲導犬の世話をしたり、人柄がとても温かいのでずっと仲良しです。100年の人生の中で35年はまだまだ若々しい。これからも円熟の歌を唄い続けてください。寂聴》コメントはコンサート会場でも紹介させていただきました。先生のお言葉がすごくうれしくて、会場では思わず、『あと35年はやろうと思っています!』と宣言してしまったほどです。そのころには先生のお年も超えています。まだ大口を開けて歌っている私を見て、先生は笑ってくださるでしょうか」■「愛することは、許すこと。それが究極の愛です」ーー秘書・瀬尾まなほさん(33)「『京都に住んでいるのがつらい』、先生が亡くなって半月後ごろから、そう思うことが多くなりました。先日、先生が通っていた病院の近くに所用で行ったとき、『ああ、この病院に何度も一緒に来て、帰りに2人でお茶したこともあったな』と、なつかしい風景が蘇りました。その喫茶店に1人で入って、先生と向かい合って座った席で、フレンチトーストを『おいしいね』と、2人で半分こしたことを思い出しました。こうした先生とのちょっとした外出先での出来事が、私の記憶に、しっかりと残っているのです。ふとスマホでメールを見ると新着が……。私が読売新聞に書かせていただいた瀬戸内先生の思い出の記事のゲラ刷りが送られてきたのです。先生が亡くなってからめまぐるしい日々が続き、悲しみにくれる暇もなかった私ですが、先生と座った席で、思い出をつづった原稿をスマホの画面で読み直すうちに、涙があふれました。京都タカシマヤの前を歩けば、ジーンズとセーター、ニット帽で変装した先生とお買い物をして、帰りにとんかつを食べたっけ……など、秘書を務めるようになってからはどこへ行くのもいっしょでしたから、京都には先生との思い出の場所がありすぎて切ないのです。これまでは『また』があったのに、もう二度とないのですから。いまでもどこかでちょっとおいしいものを見つけると、『あ、先生に買って帰ろう』と思ってしまう。でも『おいしそう!』と子供のように喜んでくださった先生はもう寂庵にはいません。先生と出会い、間近で暮らしているあいだに、自分の才能を先生にたくさん見つけていただき、私の人生には思いもしなかったことが次々に起こりました。それに先生は『秘書として私の後ろに控えていなさい』ではなく、『私の前に行け』と、自信のない私の背を押し続けてくれる人でした。なかでも私が『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社)を出版した後、いっしょに記者会見したときの言葉は忘れられません。『私の人生も残りが少なくなっています。どうか私が死んだ後も、このまなほをよろしくお願いいたします』、そう言って、記者の皆さんに深々と頭を下げてくださったのです。そのときのことをいま思い返すと、すごいことだったな、と。先生が私のために頭を下げてくださっただなんて。先生の天台寺での法話や講演旅行には必ず同行してお話を聴いていましたから、たくさんの先生の言葉が耳に残っています。たとえば、人も動植物も万物は次々に生まれては、止まることなく変化していくという『生生流転』。自分の利益を脇に置いて人の利益や幸せのために尽くしなさいという『忘己利他』などは、抵抗なく私の皮膚の内側に張りついているようです。でも実はいちばん印象深く耳に残っている言葉は……、晩年が近づいてから先生がよくおっしゃっていた『愛することは、許すこと。それが究極の愛です』という言葉なのです。たとえば夫が不倫したとすれば、私は一生許さないでしょう。『愛することは許すこと』、この言葉の意味の深さを私はまだ受け止めることができません。先生のように心が大きな人になって、この言葉を心から言えるようになるには、どのくらいの人生経験を積めばいいのでしょうか。瀬戸内先生、私はいつか先生のような優しい人になりたいのですが、一生なれそうにありませんーー」
2022年01月17日「その人の顔を見た瞬間、どんな言葉をかけてほしいか、私にはわかるの」、天台寺や京都寂庵での法話、インタビューなどで数々の名言を生み出してきた瀬戸内寂聴さん。言葉の達人であるだけではなく、心を癒す達人でもありました。今回登場してもらったのは、いずれも寂聴さんと縁で結ばれていた人たち。それぞれの「私を救ってくれた寂聴さんの言葉」を教えてもらいましたーー。■「苦しいことも含めて人生。すべてが栄養になります」ーー女優・南 果歩さん(57)「’21年12月に京都の寂庵に伺いました。何度もお邪魔した場所なのに、瀬戸内寂聴先生がいないと、とてもひっそりしていて……。でも不思議ですよね。最初は私も先生の遺影の前で泣いていたのに、寂庵のスタッフの方と思い出話をしているうちに、明るい先生の姿が浮かんできて、笑ってしまうこともありました。逝去されてからも、私たちを笑顔にしてくださる先生は本当にすごい方です。先生からは『いまを悔いなく生きること、いまを切に生きること』と、繰り返し教えてもらいました。ご自身が作家として生き切ったからこそ、私たちもそんな気持ちになれるのだと思います。先生と初めてお会いしたのは、女性自身さんの対談企画(’95年4月25日号)です。そのとき『もう(おなかのなかに赤ちゃんが)入ってんじゃないの?私の勘は当たるんだから』と、おっしゃったのです。まだ公表していなかったのですが、本当に妊娠中でしたのでドキリとしましたね。それ以降、先生のお誕生日の5月15日ごろにご挨拶に伺うようになりました」南果歩さんは2度の離婚を経験。また’16年には乳がんが発覚し、その後に手術を受けた。「つらいことがあるたびに先生に救っていただきました。闘病のときには、『病気にならないに越したことはないけれど、病気をしたことで、これまでと違う物事の感じ方ができるようになる。別の人間になるチャンスを与えられたのよ』と。確かに自分が苦しい思いをすれば、人の痛みがわかるようになりますし、人にも優しくなれますよね。そういう意味では病気になることは、悪い面だけではないと思えるようになりました。そして2度目の離婚のときには、『いろいろな感情を味わいなさい。すべてが人生の栄養になりますよ。何かあるほうが人生に彩りを与えてくれる。苦しいことも含めて人生なのよ。一人になったのだから、これからは自由に生きられます』と。つらいことがあっても、何時間か先生と過ごすと、すごく心が軽くなって家に帰ることができるんです。最後にお話ししたのは’21年5月15日、先生の99歳のお誕生日でした。足の血管を広げるカテーテル手術を受ける直前だったそうですが、小一時間ほど電話でおしゃべりしました。『先生、100歳でアイドルになれる人は瀬戸内寂聴しかいないんだから、早く退院して元気になってくださいね』『本当に長く生きたから、もういいと思ったけれど、それ(100歳のアイドル)も悪くないわね』そんな話をして2人で笑い合ったのです」南さんは2月4日に自伝エッセイ『乙女オバさん』(小学館)を出版する。2度の結婚・離婚や闘病などについて、また喪失から立ち直った経験などをつづったという。「以前にもエッセイを2冊刊行したことがありましたが、先生からは『もっと日常的に文章を書きなさい』と、勧められていました。『演じることはあなたにとって必要なことだけれど、書くことも向いているから』って。本ができあがったら先生も喜んでくださるでしょうか。また寂庵にご報告へ行ってきます。そういえば先生からは、『“瀬戸内寂聴物語”という企画が(映画やドラマで)あったら、あなたが晩年の私を演じなさい』とも言われていました。ぜひ剃髪してからの先生に挑戦してみたいです」■「一隅を照らす、これ国宝なり」ーー天台寺責任役員・千葉康行さん(77)「寂聴さん晋山(新しく住職になる者が初めてその寺に入ること、’87年5月)のときには毎日のように、京都から大量の荷物が浄法寺町(現・岩手県二戸市)の役場に届きました。当時は車で天台寺まで登るのが容易ではなかったので、布団、仕事机、資料の書籍、立派な屛風、台所用品……、子供たちへのお土産の大きな白い象までが役場に山積みになって、職員たちが『まるで花嫁が来るみたいだ』と、目を丸くしてました。当時の天台寺は、賽銭箱に入っているのは木の葉だけ。電気代が払えなくて止められていたような貧乏寺にあきれた寂聴さんが、1千万円もの大金を役場に寄付してくれたのには、たまげましたね。そのとき寂聴さんが、『見合いで仲人に騙されて、結納ももらわないのに、嫁入り道具と持参金を持ってきたようね』と、笑っておっしゃったのが、いまでも忘れられません」天台寺の名前を全国に知らしめた青空法話。そのスタートから千葉康行さんは司会を務めた。「晋山の1カ月後には青空法話の記念すべき第1回がありました。境内に大急ぎで玉砂利を入れ、28軒の檀家が当日の早朝から集まって、そこにゴザを敷き、お客さまを待ちました。寂聴さんと私たちは『100人か200人来てくれればいいね』と息を呑んで待ち受けていました。そうしたら午前中から続々と善男善女が御山(天台寺の立つ山を地元の人々はそう呼びたたえる)に登ってきて、午後の会と合わせると1千人もの方がいらしてくださったのです。そして秋の例大祭法話には全国から貸切りバスで参拝者が集まりました。人口8千人の町に、なんとその数1万人!急きょ大型バスの駐車場や休憩所を造ったら、県道と御山の間を流れる安比川に架かる橋が落ちてしまいました。コンクリート製の橋に架け替え、参道の石段を修復して、寂聴さんが京都から持ってきた紫陽花を植えて……、小さな町はもう大騒ぎです。私たち檀家は休むことなく勤労奉仕の日々が続きましたけれど、誰一人として不満はもらしませんでした。法話の司会をさせていただいておりましたので天台寺での法話は30年近くすべて聴いています。そのなかに《一隅を照らす、これ国宝なり》という天台宗開祖・最澄の教えが何度も出てきました。表舞台ではない、一人ひとりが自分の置かれた地味な場所で自分のできることにベストを尽くす。そういう人こそ国の宝だ、というような意味です。その言葉は私の生き方を変えたかもしれません。ほかの檀家衆も気持ちは同じです。寂聴さんが奇跡を呼び起こしたかのように立派に修理された天台寺を、私たちは新住職とともに末永くお守りしていこうと、意を新たにしています。御山のなだらかな斜面に造った墓地に、寂聴さんのお墓もあります。花々が一斉に咲き競って極楽浄土のように美しくなる5月には納骨される予定です。そのときには、その天真爛漫さで寂聴さんの命を100歳近くまで燃やし続けてくれた秘書の瀬尾まなほさんなど、多くのゆかりの方々と再会できるのではと、白雪降る天台寺で関係者一同、首を長くしてお待ちしております」■「辛抱していれば必ずいい時が巡ってきます」ーー京都寂庵の堂守・馬場君江さん「私が先生にお仕えして、29年と7カ月になった日でした。早暁の4時ごろ、病院からの連絡が、秘書のまなほさんを通じてまわってきて、寂庵のスタッフ全員と、先生のお嬢さんとお孫さんが病室に駆けつけていました。みんなで『先生!』と呼びかけると、目を開けてくださったのですけど……、間もなく目をつむり、スーッと眠りに入っていかれました。思わず手を握ると、いつもと変わらない柔らかな手で、お顔も本当にきれいで、穏やかでした。最後にお話ししたのは10月末でした。先生が私を見て、『明日、退院するからね』と、いつになく弾んだ声でおっしゃって、私が『先生、待ってますよう』と、笑い返したのが最後でした。もう先生はいらっしゃらないと思うと、何だか全身から力が抜けて、寂庵に通うのがつらくなってしまいました。でも亡くなった数日後、道場のご本尊・観世音菩薩の前にお骨が帰ってきたのです。戒名にあたる法名は『(ひへんに華)文心院大僧正寂聴大法尼』、遺影は先生が気に入っていた、写真家の篠山紀信さんが撮ったものです。天台寺にご自分で用意なさった墓所は、12月から翌年の春まで積雪が解けません。それまでお骨は道場に祭られていますから、それをお守りすることが堂守の私の役目かな、と思いいたりました。いまは毎朝道場に通ってお花と線香を替え、精進料理のお供え膳を上げ下げしています。お味噌汁、野菜の煮物、漬け物、先生のお好きだったお豆などをお台所で用意していると、『いつもおいしいご飯を作ってくれてありがとう』という先生の声がどこからか聞こえてくるような気がして……、あとからあとからいろいろなことを思い出すのです。あれは13年前の春でした。長年勤めていたスタッフ全員で相談して、『私たちを雇い続けるために先生が無理して働かなくてもいいように』と、退職願を出したのです。長引く不況のさなかに自分から辞めるなんて、ふつうは考えられません。スタッフはそれほど先生に感謝し、大好きだったのです。先生とお別れするのはつらいけど、私もそのつもりでした。そうしたら先生に呼ばれて、『あなたはお寺(嵯峨野サンガ=道場)のことをしているから、寂庵に残ってね』と、言われました。それからずっと堂守をしながら、道場での法話の会では、へたながら司会もさせていただくようになりました。そんな先生との長い生活の中で、ひとつ、印象に残っている言葉があります。『どんなに苦しいことも、つらいことも、決していつまでも続かない。辛抱していれば必ずいい時が巡ってきます』という言葉です。これから寂庵はどうなるのでしょうか……。あれこれ考えているとつらいし、そんな自分が悲しくなります。でも先生は、どんなに悲しいことも続かない、とおっしゃいました。先生が満100歳のお誕生日を迎えるはずだった’22年5月で私が先生にお仕えして30年になります。少なくともそれまでは大事にお堂を守らせていただきたいと、いまはただ、そう思っています」
2022年01月17日初心者が参加しやすい短めコースあり瀬戸内の自然の素晴らしさを感じることができる「瀬戸内アイランドトレイル in 呉・とびしま 2022」は、広島県呉市で2022年4月24日(日)に開催されます。同トレイルでは、初心者から上級者、キッズ、親子ペアがあり、家族で楽しめます。瀬戸内ならではの絶景ありで、ハードな階段あり、アップダウンを堪能できるコースです。大会概要について会場は、蒲刈県民の浜、種目(参加費)は、ロング21km(7,500円)、ショート12km(6,000円)、キッズ2.6km(1,500円)、 親子ペア2.6km(2,000円)です。制限時間は、ロング:6時間、ショート:3時間30分、キッズ・親子ペア:45分となります。参加賞は、オリジナルグッズ、参加費の一部(1人:300円)は、登山道の修復活動に活用されます。「瀬戸内アイランドトレイル2022オンライン」同時開催同時開催として日本全国から参加できる「瀬戸内アイランドトレイル2022オンライン」を2022年4月24日~2022年5月8日まで(15日間)開催します。種目は、100kmコース(分割走行可能)、一度に走り切るロングコース21kmとショートコース12kmがあります。参加費は、4,000円、とびしま地域の特産品と大会オリジナルグッズが貰えます。(画像は公式サイトより)【参考】※大会公式サイト
2022年01月15日「寂聴さんは99歳でしたから、あと少しで100歳だったのに……悲しいですね」そう語る美輪明宏さん(86)。今年11月9日に亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(享年99)との思い出を振り返るーー。■愛を貫き通した寂聴さんとはお互いに「双子じゃないか」って昔から愛をまっとうされる方や、信念を貫き通す人物はいました。それがスキャンダルになったり、後世に伝えられるような伝説になることもあります。たとえば、『花子とアン』のモデルになった柳原白蓮をはじめ、与謝野晶子や岡本太郎さんのお母さま、岡本かの子さんなどもそうです。政治家では、婦人参政権獲得運動を牽引した市川房枝さんのような“烈女”は、たまに現れます。その流れをくむ方が、先日お亡くなりになった瀬戸内寂聴さんでした。寂聴さんとは50年以上前に出会いました。何かの取材で、私のマンションに、まだ無名だった寂聴さんがいらっしゃって、インタビューを受けたのが最初でした。そのとき、三島由紀夫さんにファンレターを出されて、「ていねいなお返事が来た」と感動されていたことを今でもよく覚えております。寂聴さんは私より13歳年上でしたが、モダニズムの時代、戦中、戦後をともに生きてきました。寂聴さんが東北で行った説法におじゃまして、一緒にお話をさせていただいたこともあります。二人で長崎、東京でも講演会をやりました。同じ反戦派であるということだけではなく、思想観や価値観など、多岐にわたって考え方が似ているので「双子じゃないか」って言い合ったほどです。寂聴さんは25歳のときに、3歳の娘と夫を捨てました。そして、夫の教え子だった若い青年と駆け落ちをしました。後に娘さんとは仲直りをされましたが、寂聴さんはあの年になられても、ずっと「後悔している」と、罪の意識を持ち続けておられました。私には「人助けは罪滅ぼし」だと、おっしゃっていました。寂聴さんも愛を貫き通した人でした。罪滅ぼしだと思って、人々を恭敬し、各地で説法を行い、身の上相談をなさってこられた。ご自身がいろんな経験をされてこられたから、他人の気持ちもわかったのだと思います。晩年、安全保障関連法案に反対するために、国会前に抗議に行かれたこともありました。“気骨のある烈女がまた一人いなくなった”ーー。そういう寂寥感が大きいです。
2021年12月31日長きにわたり人々を笑顔にし続け、’21年天国へと旅立ったスターたち。そんな、スターの横顔を本誌秘蔵写真とともに振り返る。在りし日の姿に、哀悼と感謝の意をーー。■古賀稔彦さん(享年53・柔道家・3月24日没)「平成の三四郎」の異名で知られた。’18年、年賀状お年玉くじ抽せん会で。■田中邦衛さん(享年88・俳優・3月24日没)『北の国から』は20年以上続く人気シリーズに。’92年の特別編にて。■田村正和さん(享年77・俳優・4月3日没)’93年公開の映画『子連れ狼 その小さき手に』では拝一刀を熱演。■フィリップ殿下(享年99・イギリス王配・4月9日没)’84年、世界野生生物基金の総裁として来日し、晩餐会に。当時63歳。■チャーリー浜さん(享年78・お笑いタレント・4月18日没)4回の離婚を経験した豪快さも。写真は’91年、3回目の結婚披露宴。■小林亜星さん(享年88・作曲家・5月30日没)俳優業でも活躍し、ドラマ『寺内貫太郎一家』で頑固おやじ役を好演。■笑福亭仁鶴さん(享年84・落語家・8月17日没)元祖タレント落語家。最盛期のレギュラー番組は週10本を超えた。■細木数子さん(享年83・占術家・11月8日没)『ズバリ言うわよ!』では毒舌がさく裂。’04年の同番組の制作発表会見時。■瀬戸内寂聴さん(享年99・作家、僧侶・11月9日没)執筆した作品は400以上。波乱に満ちた人生を愛とともに生きた。みなさまの安らかなるご冥福を心よりお祈りいたします。
2021年12月31日今年は皆で歩こう「第35回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」は、2022年3月12日(土)、13日(日)に開催します。同大会は、新型コロナウイルス感染症の影響により、2年連続で中止となっていましたが、第35回大会については、感染防止対策を講じて開催となりました。誰でも気軽に参加できる大会は「歩くよろこびふれあう心夢と歴史の瀬戸の道」をテーマに自分のペースで、ウォーキングマナーを守りながら歩きます。大会参加は、事前申し込みが必要で、当日申し込みができません。定員5,000人です。参加費は、一般1,800円、高校生・中学生・小学生以下(記念品あり)500円、小学生以下(記念品無し)無料で、1日のみの参加でも、2日間の参加でも参加費は同額です。コースは、2日間で5種あり、距離は20km、10km、5kmがあります。自分の体力、興味のあるコースを選ぶことができます。(画像は公式サイトより)【参考】※「瀬戸内倉敷ツーデーマーチ」公式サイト
2021年12月24日100歳の夢も語っていた瀬戸内寂聴さんの逝去は多くの人を驚かせた。寂聴さんの身に何が起こったのか。秘書・瀬尾まなほさんによれば、始まりは9月の肺炎による入院だったという。「何か腹が立つことがあって、『絶対に先生に言おう!』と思ったとき、書斎を整理していて、原稿やゲラに書いてある先生の字を見たとき……、『ああ、もう先生はいないんだな』と、思い出してしまって、無性に悲しくなります。車を運転しているとき、夜中に目が覚めたとき……、『先生に会いたい』と、思わずつぶやき、涙があふれます。いまも先生が遠くに行ってしまったという実感が湧きません。心をどこか遠くに置いてきたような、体だけ機械的に動いているような、そんな感覚で日々を生きています。なぜか私は瀬戸内先生が103歳ぐらいまで生きると勝手に信じ込んでいて、先生も『103までは生きそうだね』と、そんなことを言っていました。だから私もこんなに突然お別れがやってくるとは考えていなかったのです」11月9日に瀬戸内寂聴さん(享年99)が逝去してから10日ほどたったころ、“66歳年下の秘書”として知られる瀬尾まなほさん(33)が本誌の取材に初めて応じてくれた。寂聴さんの大往生は多くの人々に衝撃を与えたが、いちばん喪失感にさいなまれているのは瀬尾さんだろう。瀬尾さんが大学を卒業してすぐに寂聴さんの秘書となってから10年。2人は、小説家と秘書という言葉だけでは言い表すことができない強い信頼関係を築きあげてきたからだ。寂聴さんの知人のなかには、「90歳を超えた寂聴さんがあれだけ元気に活動しているのは、若い秘書さんといつも笑いあっているからだ」と、語る者もいた。そんな瀬尾さんが“先生との最後の日々”を初めて語る――。「99年の生涯で、いろいろなことに挑戦してきた先生ですが、いま振り返ると、最後の最後、ぎりぎりまで作家として生きたのだな、と思います。朝日新聞のエッセイの連載や、『週刊朝日』の横尾忠則さんとの往復書簡の連載も楽しんで書いていました。でも特に、文芸誌の2本の連載について語るときは目が輝いていました。『群像』(講談社)の『その日まで』と『新潮』(新潮社)の『あこがれ』です。99歳でも文芸誌2誌に連載を持っているということは先生にとって誇りだったのでしょう。“その日まで”とは、文字どおり先生の“最後の日まで”という意味で、1月には単行本が発売されることになっています。そんな先生が楽しみにしていたのは、ご自身の文学全集の刊行でした。20年ほど前に新潮社から『瀬戸内寂聴全集』として20巻が刊行されたのですが、来年からその続きが出ることが決まっていたのです。実は7月ごろに私が聞き手になって、先生に質問をした内容をまとめた『今を生きるあなたへ』(SBクリエイティブ)が12月中旬ごろに出版される予定です。それに私が共同通信で連載しているエッセイ(※「まなほの寂庵日記」)も『寂聴先生に教わったこと』(講談社)として一冊にまとまることになっています。『来年は先生も私も忙しくなりますよ!なにせ先生が(5月に)100歳になる年ですから。コロナ禍がおさまっていたら、盛大に100歳のお祝いもしましょうね。新潮社から全集も出ますし、(宣伝も)がんばりましょうね。あっ、私の本もいっしょに宣伝してくださいね(笑)』そうお願いしたら、先生が『あとがきでも何でも書いてあげるよ!』と、言ってくださったことも、思い出になってしまいました。増補された立派な文学全集が、書店の棚に並んでいる光景を先生には見てもらいたかったです」■9月に風邪をこじらせて肺炎で入院今年5月に掲載された本誌のインタビューでも、新しい長編小説の構想を温めていることなど、100歳への意気込みを語っていた寂聴さん。だが体調に異変が生じ始めたのはこの9月だったという。「風邪をこじらせた肺炎で入院したのです。以前の元気な先生であれば風邪をひいても、風邪のままで治っていたものが、入院という事態になったことに少し不安を感じたことは確かです。『これからは熱が出たり、ちょっとした体調不良があったりしたら、いままで以上に注意しなければいけないな。先生もそういった年齢になったのだな』と、さらに気を引き締めました。それでも9月の入院は、これまで経験してきた入院と同じような感じで、特に緊迫感はありませんでした。先生は大のコーヒー党で、『飲みたい、飲みたい』と言いますから、病院に行くと必ずコーヒーを入れていました。それにシュークリームを添えて出すと、喜んでくれたのです」人に会うのが大好きだった寂聴さんだが、コロナ禍のなかで、人と会うことも2年間控えていた。そんな寂聴さんを楽しませていたのが、瀬尾さんの長男の成長だったという。「今年12月に2歳になるのですが、息子はしっかり意思表示をするタイプのようです。最近の先生はリハビリで廊下を歩くのも面倒くさがるほどでした。でも息子は寂庵に遊びに行くと、そんな先生を小さな手で引いて連れ回していました。台所にある椅子に座っていた先生を、応接の和室に連れていったり、先生の寝室に連れていったり……。いつもだったら『もうしんどいよ~』と言って嫌がったでしょう。でも先生は息子といっしょだと、お互いを支えるようにしながらうれしそうによく歩いていましたね。先生は『この子、私に命令してくるんだよね』と、言いながらも、『すごく意思がはっきりしている』『この子は生きぬく力を持っている』と、いっぱい褒めてくれたのです。だから9月に入院したときも、よく息子のことが話題になっていました。毎日話すのは、息子がいつしゃべり始めるかということ。先生は息子とおしゃべりすることも楽しみにしてくれていたと思います。これは先生が一度退院したときの話なのですが、息子にこんなふうに話しかけていました。『ママが早く2人目の赤ちゃんを産んでくれて、あなたがお兄ちゃんになるといいね』と――」■「病院で死ぬのは嫌だ。寂庵で死にたい」9月末に退院した寂聴さん。しかし5日後には再入院することになった。「10月に5日間だけ寂庵に帰ってきたとき、いつもの台所の椅子から庭を眺めながら、『やっぱり病院で死ぬのは嫌だ。寂庵で死にたいね』などと言っていましたが、本人もそれほど真剣に考えていたわけではなかったと思います。確かに先生はこれまで何度も入院していますが、そのたびに不死鳥のように回復し、仕事を続けてきました。ですから再入院でも私たちスタッフは、『今回は、いつごろ退院できるかな』ぐらいに考えていたのです。先生も退院に向けての歩行のリハビリを続けながら、『早く、寂庵に帰りたいねぇ』と、繰り返し話していました。あまり帰りたいと言い続けるものですから、お医者さんも『じゃあ、もう退院しましょうか』と、おっしゃっていたほどです。いまも不思議に鮮明に覚えている会話があります。『マスクの上の、目からおでこがすごくきれいだね』、そう先生が何度も言ってくださったのです。それで私も『先生、マスクで見えないですけれど、口角の上がっている唇もいいんですよ(笑)』、そうお返事しました」退院を希望し続けていた寂聴さんの体調が急激に悪化したのは10月末だった。「急変する前日まではふつうにお話ししていたのです。夜になって私が病院を出るとき、『明日また来ますね』とご挨拶して、先生が『ありがとう』と……。先生と私は2人ともおしゃべりですから、この10年間ですごい数の会話をしてきたと思います。ですが、このやりとりが私と先生の“最後の会話”となってしまいました。翌日からは、しゃべるのもしんどそうで、意思表示も私が話しかけたことに、うなずいたり首を振ったりということになりました。入院中はひまなので、ご友人たちとは病室でスマホでおしゃべりしていたのです。それもできなくなり、『寂聴さんの携帯電話が通じないのですが……』と、心配したご友人たちから、寂庵に問い合わせのお電話がかかってくるようになりました。電話の呼出し音が聞こえなかったのか、私がかけてもそうでした。容体がよくならないため、先生の娘さんも駆けつけてきて、いつも誰かが、ベッドのそばに付き添うようになったのです。11月8日の夕方、先生と私が病室で2人きりになったことがあります。そのときはベッドで横になっている先生にいろいろなご報告をしました。先生がお留守の寂庵で起こったできごと、先生がかわいがってくれた私の息子のその日の様子……」寂聴さんが旅立ったのは、それからおよそ半日後の、11月9日6時3分だった。「連絡があって、いま寂庵に勤めているスタッフ全員が病院に駆けつけ、娘さんとともに看取らせていただきました。苦しまなかったので、まるで眠っているような、いまにも起きてきてくれそうな、本当にいいお顔でした。いま考えても、あの日の夕方に先生と2人だけの時間が持てたことは本当によかったと思います」■最後まで遺言を書かなかった寂聴さん寂聴さんが名誉住職を務めていた岩手県・天台寺には記帳のために大勢の人が訪れた。また12月9日(木)13~16時、京都の曼陀羅山寂庵では「偲ぶ会」が開催される。式典はなく、寂聴さんを慕う人たちが焼香をするための会だという。寂聴さんと瀬尾さんの対談集『命の限り、笑って生きたい』(光文社)のあとがきには、寂聴さんのこんな言葉も掲載されている。《「周りが迷惑するから、早く遺言を書いてください」、会計士の先生と顔を合わせるたびに、そうせっつかれているんですけれど、いざ遺言を書こうとすると次々と事件が起こるから、全然書く暇がない。結局、書けないんじゃないかしら》「法話の会でも遺言についてお話ししていましたが、先生は正式な遺言も覚書も残してくれなかったので、今後のことを決めるのは大変です。密葬は身内だけで寂庵で済ませました。お骨は、お墓を作った天台寺には納めると思いますし、故郷の徳島にも分骨することになると思います。決まっていないのは私自身の今後も同じです。先生が、『まなほには才能があるのだから、(文章を)書いていく覚悟を決めなさい』と、真剣な表情でおっしゃってくださったことを昨日のことのように覚えています。しかし、ものを書いて生きていくことの厳しさは、先生のそばにいたからこそ、身に染みてわかっています。それに私を励まし続けてくれた先生はいなくなってしまいました……。笑わせたい、喜んでもらいたい相手を失って、何もやる気が起きません。私の人生は瀬戸内寂聴という人に出会って大きく変わりました。先生はたくさんのことを教えてくれましたし、私にチャンスをくれました。いっしょに過ごしたこの10年間がどれほど尊く、どれだけ先生が私に与え続けてくれたことかもわかっています。先生がいたからこそ私は前へ進んでこられました。後ろを向くと、そこには必ず先生がいて、『あなたなら大丈夫』と言ってくださったから、何でも挑戦できたのです。最後までそんな先生のおそばにいられたことも感謝しています。……それでもやっぱり、もっと一日でも長く、先生といっしょに過ごしたかったという気持ちを消すことはできません。心をどこか遠くに置いてきてしまったような感覚のまま、それでも私が秘書として業務をこなしているのは、“先生に褒めてほしい”という思いがあるからです。先生の秘書として役目を全うしたいと強く思います。先生の納骨、たくさんの方が集まることになる『お別れ会』、お寺関係のことなど、落ち着くまでは膨大な仕事があると思います。正直、すでにキャパオーバーで、10年間のなかで、いちばんきつい日々です。でも私がそれらをがんばれば、『ああ、まなほはよくがんばったね、よく働いたね、お疲れさま』と、先生があの笑顔でねぎらってくれるのではないかと……。いまはそんな思いが私の支えになっているのです――」
2021年12月05日広島ホームテレビが運営するエンタメウェブマガジン「ひろしまリード」は、一般社団法人せとうち観光推進機構が運営する「瀬戸内Finder」との連携を2021年11月より開始しました。「ひろしまリード」は、「誰かにシェアしたい!」と思っていただけるような“地元”情報にこだわり発信しています。2021年11月現在、月間135万PVの読者を抱えるメディアです。今回の連携により、“世界で一番美しい内海”と言われる瀬戸内海の魅力を世界に発信しているメディア「瀬戸内Finder」の人気記事を「ひろしまリード」でも読めるようになります。「ひろしまリード」では、今後も広島の人気ローカルメディアとの連携を強化し、より詳細な“地元”情報を共に発信していきたいと考えています。■瀬戸内Finder瀬戸内を共有する7県(兵庫県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県)の魅力を国内外に発信し、瀬戸内ブランドの認知・浸透を効果的に展開しているメディアです。瀬戸内地域在住のライター、カメラマンが日々アンテナを張って情報を発掘し、まだあまり知られていない観光スポットや旬の情報を取材、記事化しています。トップページ : ひろしまリードグルメ、カープ、おでかけなど、広島に住む多くの人が気になる情報や、ファッション、ライフスタイルの最新情報まで、「誰かにシェアしたい!」と思っていただけるような情報を、毎⽇お届けしています。2020年春に創刊。2021年11月現在、月間135万PVの読者を抱えるメディアです。ひろしまリード|広島を、もっと楽しもう!エンタメウェブマガジン : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年11月30日病室の外では昨夜から秋雨が降っていた。朝6時をむかえようとしているころ、ベッドに体を横たえる寂聴さんに、寂庵のスタッフたちは代わる代わる声をかけた。「庵主さん、○○です……」そのたびに寂聴さんは閉じていた目を少し開けて、その声がするほうへ、少しほほ笑んで見える顔を向けたという。11月9日6時3分、瀬戸内寂聴さん逝去。享年99。一人娘のMさんや京都・寂庵の女性スタッフたちにみとられての旅立ちとなった。コロナ禍で休止になる前の法話の会では、集まってきてくれた人々に、あの笑顔でこんな言葉をかけていた。「それじゃあね、みなさんとは、もしかしたらもうお会いできないかもしれません。もし私の訃報を聞いたら、私は安らかに死んだと思ってください。安らかに死にますからね。みなさんのお幸せを祈っています!」そんな言葉どおりの穏やかなお顔だったというーー。■「コロナで法話の会ができないのがとても寂しい」寂聴さんの法話が最初に『女性自身』に掲載されたのは’89年4月、’87年に岩手県・天台寺の住職に就任した2年後のこと。当初は「まごころ説法」というタイトルで、不定期掲載を経て、現在も連載「寂聴『青空説法』」として続いている。コロナ禍以降は、電話インタビューに切り替え、古今東西の名僧の言葉について解説してもらっていた。最後の電話は10月上旬。鎌倉時代の名僧・兼好法師が書いた随筆『徒然草』について、「いま読んでも面白い」と、さまざまな文章について教えてくれた。「長く話すと疲れるのよ」とは言いながら、寺山修司の詩や、アランの『幸福論』などのことも精力的に語り続けていたのだが、雑談のなかでこんな言葉も……。「コロナで法話の会ができないのがとても寂しい。私は人にお会いして直接お話しすることで元気になるの。法話の会に来てくださる皆さんからいただいていたパワーがなくなっているのかしら。最近は、なかなか小説を書く力が湧いてこなくて……」■「貸さない!」200万円の借金を申し出たスタッフへの返答法話の会の再開を待ち望んでいた知人や寂聴さんファンは全国に大勢いた。そのためもあり、99歳の大往生であるにもかかわらず、寂聴さんの訃報は人々に衝撃を与えたのだ。寂聴さんが60代から90代に入るまで、寂庵のスタッフとして働き、寂聴さんも編集に携わっていた定期刊行誌『寂庵だより』の編集長を務めていた加藤博子さんも、その一人だ。「先生は、いわゆる“不良”が好きで、次々にダメ男の面倒をみてあげてましたけれど、実は不幸な女にも優しい人でした。私は夫とは長く別居しているのですが、息子が美容学校に進学したいと言いだしたのです。学費は200万円もかかるのですけれど、そんなお金は持っていません。困り果てて、先生に泣きついたのです。『200万円貸してくれる?』、すると一言、『貸さない!あげる!』。翌日、お金が振り込まれていました」’13年3月、寂庵の経営状況を心配したベテランスタッフたちが自ら退職を申し出たことがあった。「私は小説も書いていましたが、“売れない作家”です。寂庵退職後はいつも生活にピーピーしていました。それでも小説の相談をしたくて、1年に何度か大阪のはずれから、お邪魔していたのです。相談が終わって辞去するとき、先生は必ず言うんです。『博子ちゃん、ここの仕事を辞めた後、やっていけてるの?寂庵まで来る交通費だって大変でしょ。これを使いなさい』懐ろからさっとお金を出して、握らせてくれました。それが5万円もあって……、そんな大金を、私が訪れるたびにくれたのです」寂聴さんの応援はお金だけはなかった。加藤さんが文学賞に応募しても落選続きで、「もう小説を書くのをやめたい」と、弱音を吐いたとき、寂聴さんは叱咤したという。「私は『生きることは楽しい』と、よく書いているけど、そんな日ばかりじゃない。カチカチ山の狸みたいに背中に火がついて、その炎に追われるように歩いて、一日一日生きている。生きていることは、こんなにしんどいことなのよ。あなたもメソメソしないで書き続けなさい」そしてまっすぐに加藤さんを見つめ、ぎゅっと手を握りしめた。「あなたは30年も寂庵にいてくれて、他人が知らないこともたくさん知っている。それを書きなさい。なんでも博子ちゃんの好きなことを書きなさい」そこで加藤さんは『寂聴、喝!(仮)』と題した長編小説を書いた。しかし、「出版社に持ち込んだのですが、“プライバシーに踏み込みすぎている”という判断で、いまはお蔵入りになっているのが残念です」■「死にたいんだけど、ごはんが出ると、つい食べちゃう」またAさんは寂聴さんと50年来の交流があった。スタッフではないが、尼寺・寂庵の主である寂聴さんのことを親しみを込めて、庵主さんと呼んでいる。「コロナ禍でお会いできなくなって、最近はしょっちゅう電話でお話ししていました。長くしゃべりすぎるとお疲れになるのではないかと、『もう切るね』と言っても、庵主さんがまた話しだすので、いつも長電話になってしまいます。この夏の終わりごろから、こんな冗談めいたやり取りが始まりました。『もう生きすぎて死にたいんだけど、ごはんが出ると、つい食べちゃうのね』、『それじゃまだ死ねないですよ(笑)。でも本当に死にそうになったら私に電話をしてください』」寂聴さんからAさんに最後の電話が突然かかってきたのは逝去の3週間ほど前だったという。『いま、入院しているのよ』しかしAさんが驚くほどの元気な声だった。「庵主さんは、私が母親と姑を介護してみとり、いまは夫を介護していることをご存じでした。『あなたは人の世話ばかりして、ずっと誰かをみてるでしょう。もっと自分の体を大切にしなさい』いつにない真面目な口調でした。私は、『入院している病人に励まされるなんて、逆じゃないですか』と、いつものように笑い合って電話を切ったのですが、それが庵主さんと話した最後になったのです」■「人間は誰かを愛するために生まれてきた」「もう死にたい」と、口癖のように愚痴るいっぽうで、“挑戦をやめない”のが寂聴さんの生涯だった。本誌が半年前の5月25日号に掲載した99歳誕生日記念のインタビューでは“100歳の夢”について語っている。「実はいま長編小説のテーマが1つ頭の中で固まっていて、死ぬまでにそれを書きたい、という夢を持っているのです。でもそのためには遠くへ取材に行かなくてはなりません。体力的にどうかなぁと、非常に悩ましい。ほかにも句集『ひとり』(深夜叢書社)に続く、2冊目の句集も出したい、などと夢見ているところです」前出の加藤さんは、寂聴さんの生き方についてこう語った。「先生が仕事部屋にしていたマンションには、恋人たちのお写真がずらっと並んでいました。小説『夏の終り』にも登場する作家・小田仁二郎さんや年下の恋人、それに井上光晴先生……。また5年くらい前に、先生は真剣な口調で言いました。『プラトニックラブだけどもね。いま、とてもいい男がいるの。私が死んだときはね、私には最後までそういう(愛する)相手がいたことを、ちゃんと書いてね』法話でいつも、『人を愛しなさい、人間は誰かを愛するために生まれてきたのですから』、そう話していたのを、昨日のことのように思い出します。先生は言うだけの人ではありませんでした。その言葉どおりに、最後まで愛する人がいらしたのですから、先生は思い残すことのない幸せな一生をまっとうしたと思います」書いて、祈って、愛して、救って、挑んで……。瀬戸内寂聴さんの99年の生涯は好んで集めていた万華鏡のようにまばゆく輝いているーー。
2021年11月17日《作家・僧侶の瀬戸内寂聴は、2021年11月9日、永眠いたしました》11月11日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの訃報が伝えられた。99歳だった。寂聴さんの公式Instagramは冒頭のコメントともに、先月から体調不良で入院していたことを報告。そして、《生前のご厚誼に感謝し、謹んでお知らせ申しあげます》とつづっている。’13年、故郷・徳島県で行われた法話で「もし100まで生きていたら、100まで恋をすると思います」と語っていた寂聴さん。100歳にはあと半年及ばずだったが、若々しく生涯を生き抜いてきた。その秘訣は何だろうか。さかのぼること’14年5月、寂聴さんは腰椎圧迫骨折で入院。退院後には胆のうがんが見つかり、92歳にして手術も経験している。晩年は病との闘いもあったが、その度に復帰を果たしてきた。寂聴さんは“華麗なるカムバック”について、『文藝春秋』’15年3月号でこう明かしている。「3年前に寂庵に若いスタッフが来てから、私は笑うことが増えました」「彼女たちのフェロモンのおかげか、自分がどんどん若返っている気さえするのです。病気で弱った肉体がこれだけ早く回復してきたのも孫より若い彼女たちが身近にいてくれるからでしょう」特に秘書の瀬尾まなほさん(33)は、寂聴さんの“長生き”に貢献していたようだ。「毎朝、この娘の顔を見ると笑顔になるし、一日に何度も声をたてて笑わせてもらっている。それが私の元気の素になっているような気がします。まなほが寂庵に来ていなかったら、もうちょっと早く死んでいたかもしれない」(『本』’18年1月号)■若く長く生きるには、年下の人や好奇心を大切に寂聴さんは’17年12月に長編小説『いのち』を上梓。そして’18年4月には96歳の誕生日を前にInstagramを開設。「日本最高齢のインスタグラマー」として話題となり、開設1日でフォロワー数が1万2,000人を超えるほどの反響を呼んでいた。そして、“インスタグラマー・デビュー”も寂聴さんの若さの秘訣だったようだ。’19年4月、寂聴さんは本誌に好奇心と若々しさの関係性について説いていた。「年がいもないことをすればするほど、人は気持ちが若々しくなるのです。私がこの年でも小説家として活動できているのは、あまり人の言うことを聞かず、“好きなこと”を続けてきたからでしょうか」そんな寂聴さんは昨年12月に新型コロナウイルスで世界が混迷を極めるなか、本誌で「コロナのせいで人と会えなくなったのは、非常につらい、寂しいことでしたね」と心情を吐露。いっぽうで「その寂しさを救ってくれたのは、私の66歳年下の秘書・瀬尾まなほが産んだ赤ちゃんでした」として、こう続けていた。「まなほの赤ちゃんと廊下に寝転んで遊んでいると、自分が子どもにかえったような気持ちになる。そのおかげなのでしょうか。年が明けると私は数えの100歳になるのに、自分ではその実感がまったくない。もっとおばあさんになってヨボヨボになるかなと思ったらそうでもないのです。いつも若い人といっしょにいることが、私の元気と長寿の秘訣かもしれません」若く長く生きるには、若い人や好奇心を大切にーー。そのメッセージは、多くの人の胸に刻まれるだろう。
2021年11月12日2021年11月11日、僧侶である瀬戸内寂聴さんが亡くなったことが分かりました。99歳でした。産経ニュースによると、寂聴さんは心不全のため京都市内の病院で亡くなったとのことです。全国各地で講演会や法話を行うほか、さまざまなテーマで本を執筆してきた寂聴さん。1997年に文化功労者に選定され、2006年には文化勲章を授与されました。寂聴さんは体調不良を理由に、出身地の徳島県にある拠点『曼陀羅山寂庵ナルト・サンガ』を2014年に閉鎖しています。多くの人の悩みを聞き、寄り添う言葉をかけてきた寂聴さんの訃報に、「本当にありがとうございました」「優しい笑顔を忘れません」といった声が上がっています。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年11月11日焼きたてチーズタルト専門店パブロ(PABLO)から、「パブロミニ-瀬戸内レモン」が登場。2021年7月1日(木)から10月31日(日)まで、パブロミニおよびパブロ全店舗にて販売される。爽やかな“瀬戸内レモン”のチーズタルト「パブロミニ-瀬戸内レモン」は、甘酸っぱい“瀬戸内レモン”を使用した、夏にぴったりの“冷やしておいしい”チーズタルトだ。さくさく食感のタルトにチーズ生地を流しこみ、ほんのりと焦げ目がつくまで焼き上げたのち、広島県産のレモンのコンフィチュールをたっぷりとあしらった。爽やかな酸味とまろやかな甘みに、ほんのりとした苦味がアクセントを添える味わいに仕上げている。詳細パブロミニ-瀬戸内レモン 300円販売期間:2021年7月1日(木)〜10月31日(日)販売店舗:・焼きたてチーズタルト専門店パブロミニ 全店舗(ウィング新橋店、本厚木ミロード店、けやきウォーク前橋店、名古屋サカエチカ店、ららぽーと和泉店、アミュプラザ博多店、イオンモール宮崎店、ゆめタウン光の森店)・焼きたてチーズタルト専門店パブロ 全店舗 (カフェメニュー・テイクアウト)イオンモール名取店、越谷レイクタウンmori店、心斎橋本店、ゆめタウン佐賀店サイズ:直径 約6.5cm
2021年06月26日ドーム型グランピング施設「グランドーム瀬戸内しまなみ」が、広島・生口島のに2021年8月にグランドオープンする。絶景ロード・しまなみ海道のグランピング施設「グランドーム瀬戸内しまなみ」は、サイクリストの聖地、絶景ロードとして知られている「しまなみ海道」が結ぶ瀬戸内海の7つの島の1つである、生口島のシーサイドに位置する広島県尾道市初となるグランピング施設。海の向こうには瀬戸内の島々を眺めつつ、島の自然を存分に楽しむことができる。冷暖房やアメニティなど充実の設備宿泊棟のドームテント内には、冷暖房や冷蔵庫、ドライヤー、空気清浄機といった設備やアメニティが充実しているので、アウトドア初心者でも快適に過ごすことができる。ドーム型の宿泊棟は、3つのタイプを用意。全て絶景オーシャンビューを楽しめるようになっている。シングルベッドを2台配置した「オーシャンドーム(2ベッド)」は、リビングスペースを広く使えるためカップルや小さな子供連れのファミリーにおすすめだ。また、小学生以上の子供連れファミリーやグループ旅行の利用に適した「オーシャンドーム(4ベッド)」と、大人数での利用にぴったりな超大型ドーム型テントの「デラックスオーシャンドーム(8ベッド)」を展開する。瀬戸内牛ステーキ&海鮮浜焼きなどBBQ食事は、瀬戸内牛ステーキや、あさり、ハマグリ、サザエ、ホタテなどの海鮮浜焼きを味わう「しまなみグランピングBBQ」を用意。瀬戸内エリアならではの食材を堪能できる。各テントのデッキにプライベートBBQスペースが設置されているため、雨が降っても安心だ。サイクリングや釣り体験また、豊富なアクティビティにも注目。瀬戸内の島々を眺めながら島を散策できるレンタサイクルや釣り、地元の瀬戸田レモンを使った生レモンスカッシュづくり、マシュマロスモアや焼きフルーツなどを楽しめるキャンプファイヤーでの焚き火遊びなどを体験できる。自転車や釣り竿は施設でレンタルできるため、自分で準備せずとも気軽に楽しめるのも魅力だ。【詳細】グランドーム瀬戸内しまなみオープン時期:2021年8月住所:広島県尾道市瀬戸田町宮原字新開1491-5宿泊棟数:7室テント室内面積:2ベッド約28平方メートル、4ベッド約38平方メートル、8ベッド約78平方メートル部屋タイプ/料金:・オーシャンドーム(2ベッド) 12,800円~・オーシャンドーム(4ベッド) 11,800円~・デラックスオーシャンドーム(8ベッド) 10,800円~■アクティビティ・レンタサイクル 2,000円/3時間・フィッシング体験 1,650円/1本・エサ付・瀬戸田・生レモンスカッシュづくり 550円/1杯・焚き火アソビ 無料(制限あり)
2021年06月24日繰り返される緊急事態宣言、コロナ禍終息の兆しが見えないなか開催に突き進む東京オリンピックなど、未だ混迷を極める2021年上半期。並行して芸能界でも数々の“事件”がーー。本誌が目撃した“スクープ”から特に反響の大きかったものを今一度お届けしたい。今年3月、衝撃的な報せが日本中を駆け巡った。V6が今年11月1日をもって、その活動に終止符を打つことが発表された。メンバーのなかでも、特に大きく環境が変わるのが解散と同時にジャニーズ事務所も退所する森田剛。今後は、俳優業に専念するという森田を支えるのが、18年に結婚した妻・宮沢りえ。本誌が目撃したりえの誕生日デートでのラブラブぶりとはーー(以下、2021年4月27日号掲載記事)※年齢は掲載当時のママ前日までのうららかな春の陽気から一転、寒気が日本を包んだ昼下がり。コート姿で東京・原宿の路上を悠然と歩くのは宮沢りえ(48)。そして、身を寄せ合うように隣を歩くのはもちろん夫の森田剛(42)だ。記念すべきりえの48歳の誕生日を迎えた4月6日。2人は高級ブランドが並ぶ原宿でも屈指の複合施設へと向かった。「2人はアンティーク家具も販売しているおしゃれなセレクトショップで、椅子に並んで腰かけて談笑するなどとても楽しそうでした。りえさんが熱心に見ていた約10万円もするシックなセットアップを森田さんが会計に持っていって、プレゼントしていましたよ。よっぽどうれしかったのか、りえさんは店内のBGMに合わせて踊っていました」(居合わせた客)買い物を終え、再び原宿の大通りを歩く2人。その手は固くつながれており、森田がりえを優しくリードしながらそのまま雑踏へと消えていったーー。人目を気にすることなく、終始ラブラブな様子のりえと森田。本誌は結婚前から2人の熱いデート現場を何度も目撃している。’16年10月、旅行先の沖縄へ向かう飛行機内で森田にもたれかかるりえの姿を目撃。’17年12月には、訪れたゴルフ練習場で、ソファに座る森田にりえがそっと唇を重ねる一幕も。そして、練習場に入る際も2人の腕は固く組まれていたのだった。独身時代、森田は理想の夫婦像についてこう語っている。《結婚したら、奥さんを大切にするよ。安らぎがあって“空気”みたいな存在になるのも大事だけど、結婚記念日はデートするとか、ドキドキも必要かもね。そういう機会は、男性が作るべきだし。とにかく、ごくふつうの、あったかくて笑いの絶えない家庭を作りたい》(『ポポロ』’10年4月号)■悲痛のりえ救った娘と森田の交流’18年3月の結婚発表から3年たった今も、情熱的に愛を伝え合うりえと森田。しかし、そこにいたるまでの道のりは決して平坦ではなかったーー。’16年10月、一部週刊誌による“お泊まり報道”で2人の交際が発覚。世紀のビッグカップルに世間は沸いたが、りえは“心の傷”を抱えていた。「’09年2月にりえさんは妊娠6カ月であることを発表。お相手の実業家男性・Aさんと4月に結婚し、5月に長女(11)を出産しました。しかし、それから3年後の5月にAさんと離婚協議中であることを発表し、約4年後の’16年3月にようやく離婚が成立。成立までに4年もかかったのは、娘さんの親権をめぐり、Aさんとの協議が紛糾したためといわれています。協議中、りえさんは女優業と並行しながら女手一つで娘さんを育ててきましたが、“りえがAさんに娘を会わせようとしない”といった報道が出たこともありました。また、’14年9月には最愛の母・光子さんが65歳の若さで亡くなりました。以来、りえさんはふさぎこむことも多くなったそうです」(スポーツ紙記者)相次ぐ悲劇からりえを救い出したのがほかならぬ森田だ。「2人は’16年8月に舞台で初共演。ともに尊敬する蜷川幸雄さん(享年80)の追悼舞台ということもあり、意気投合し、交際に発展しました。しかし、当初は娘さんが大きくなってきたこともあって、森田さんとの交際を続けることに迷いもあったそうです。そんなりえさんを気遣い、森田さんは人見知りながら娘さんと積極的にコミュニケーションを取ったそうです。娘さんもそんな森田さんのことを気に入り、“家族公認”の仲となりました。りえさんは彼にとても感謝しているそうです」(舞台関係者)■仕事のオファーも夫婦で事前に相談昨年4月、りえは本誌で行った瀬戸内寂聴さんとの対談で森田についてこう語っている。《私も愛する存在がいてくれることはエネルギーの源のような気がします》森田にとっても、りえは未来を照らす灯台のような存在だった。先日、森田は今年の11月1日をもってジャニーズ事務所を退所し、俳優業に専念することを発表。V6の解散も発表された。人生を左右する夫の決断をりえは陰で支えていたという。「’10年にもV6解散の議論がありましたが、当時の森田さんは『まだ燃焼しきっていない』と反対派だったと聞いています。それだけに今回の退所については、相当悩んだそうです。話し合い自体はメンバー6人だけで進められましたが、森田さんもりえさんには相談していたといいます。結婚発表時、連名で《表現者として志高く歩んでいきたい》とコメントしていたように、りえさんと森田さんは互いに俳優として尊敬しています。どちらかにオファーが来た際は、脚本などを見せ、事前に相談し合うそうです。そんなりえさんが背中を押してくれたことで、森田さんも退所を決断し、役者一本で勝負していく覚悟ができたのでしょう」(前出・舞台関係者)夫婦としてだけでなく“同志”としても手を取り合ってきたりえと森田。“長女をともに育てあげ、共白髪になっても手をつないで”という誓いを体現した誕生日だったーー。
2021年06月20日コメダ珈琲店(Komeda’s coffee)より季節限定「シロノワール 瀬戸内レモン」が登場。2021年6月16日(水)から8月上旬までの期間、全国のコメダ珈琲店にて提供される。コメダ珈琲店の人気メニュー「シロノワール」より、“瀬戸内レモン”を使用した「シロノワール 瀬戸内レモン」が登場。ほかほかのデニッシュパンの上には、ソフトクリームと“瀬戸内レモン”の果汁と果皮を使用したソースをかけ、仕上げにフィアンティ―ヌをトッピング。レモンのイエローとフィアンティ―ヌのグリーンがレモンの木を連想させる、見た目にも爽やかな一品に仕上げた。すっきりとした甘さのソフトクリームと甘酸っぱいレモンソースの相性は抜群。“瀬戸内レモン”ならではのまろやかな酸味と香りが口いっぱいに広がる、夏にぴったりの味わいとなっている。【詳細】シロノワール 瀬戸内レモン提供期間:2021年6月16日(水)~8月上旬提供場所:全国のコメダ珈琲店(一部店舗を除く)価格:通常サイズ 750円~770円、ミニサイズ 550円~570円※価格は店舗により異なる。
2021年06月12日菓子研究家のいがらしろみがプロデュースするカップケーキとビスケットの店「フェアリーケーキフェア(Fairycake Fair)」から、“瀬戸内レモン”のスイーツが登場。2021年6月1日(火)から8月31日(火)まで東京駅構内のグランスタ東京内の店舗などで発売される。「瀬戸内レモン」を“丸ごと”活かした限定スイーツマイルドな酸味と深みのある豊かな風味が特徴の“瀬戸内レモン”。「フェアリーケーキフェア」の新作は、そんな瀬戸内レモンの魅力が最大限に感じられるよう、果汁や果肉だけでなく、豊かな香りと栄養成分が含まれる皮まで“果実まるごと”活かしたスイーツだ。“さっくり&しっとり”レモン風味の生バターサンド人気シリーズ「フェアリークリームウィッチ」からは、夏限定の「瀬戸内レモン生バターサンド」がラインナップ。中の特製ジャム生バタークリームは、瀬戸内レモンの爽やかな果汁に果実の皮を加えた自家製マーマーレードと、ホイップしたフレッシュバター、生クリームを合わせて仕上げた。ホワイトチョコレートをかけたビスケットとひんやりとしたクリームが程よく馴染み、“さっくり”としながらも“しっとり”とした心地のよい食感が楽しめる。“パンダフェイス”のカップケーキ手土産人気NO.1の焼き菓子「ベイクドカップケーキ」からは、瀬戸内レモンのレモンコンフィをたっぷりと使用した、フルーティーなカップケーキ「ベイクド瀬戸内レモン」が限定登場する。トップは、パンダなどをレモンアイシングでデコレーションし、チャーミングなルックスに。見ても食べても楽しい焼き菓子は、自分へのご褒美スイーツとしてはもちろん、夏のギフトにもおすすめだ。瀬戸内レモンソース&濃厚ソフトクリーム「レモンサンデー」さらに、イートイン&テイクアウトで楽しめる「レモンサンデー」や「はちみつレモンミルク」も用意。「レモンサンデー」は、ミルク感たっぷりの濃厚ソフトクリームに爽やかな自家製瀬戸内レモンソースを組み合わせ、さっぱりとした味わいに仕上げた。【詳細】瀬戸内レモンスイーツ販売期間:2021年6月1日(火)~8月31日(火)取扱店舗:フェアリーケーキフェア グランスタ東京、オンラインストア住所:東京都千代田区丸の内1-9-1 JR東日本東京駅構内B1(銀の鈴前)TEL:03-3211-0055営業時間:6月1日(火)現在 9:00~20:00※変更する場合がある。グランスタ東京に準じる。メニュー:・フェアリークリームウィッチ 瀬戸内レモン生バターサンド ギフト箱 5個入り 1,900円(税込) / 店頭では1個から購入可能 単品380円(税込)・フェアリークリームウィッチ 生バターサンド よくばり2種セット レーズン&瀬戸内レモン ギフト箱 8個入り(各4個) 3,180円(税込)・ベイクド瀬戸内レモン 5個入り 1,500円(税込)・レモンサンデー560円(税込)・はちみつレモンミルク600円(税込)
2021年06月04日