11月10日、天皇陛下の即位を祝うパレード「祝賀御列の儀」が行われた。午後3時ごろ、車列は皇居・宮殿を出発。赤坂御所までの約4.6キロの沿道には幾重にも人垣ができた。天皇皇后両陛下はオープンカーからにこやかに手を振られ、進行方向左側の沿道からは「雅子さまー!」と女性たちの大きな声援が上がった。9日の「国民祭典」で雅子さまは、奉祝曲の演奏に涙を浮かべられていたが、この日のパレードでも目を潤ませていらっしゃった。そしてパレードの中盤、青山通りの沿道の人垣が途切れる箇所にさしかかると、雅子さまはハンカチで涙をぬぐわれたのだった。Twitter上では、この場面に感動の声が相次いでいる。《祝賀パレード見て泣いた雅子さまの涙につられた》《雅子さまが涙ぐまれてハンカチで涙を拭いてるのを見てもらい泣き》《天皇皇后両陛下が嬉しそうにしていらっしゃってこっちも嬉しかったし、雅子さまが涙を拭われているのを見てこっちも感動して涙が出てきたよね…》
2019年11月10日天皇陛下の即位に伴う祝宴「饗宴の儀」は、10月22日から31日まで4回にわたり開かれ、万事つつがなく終了。雅子さまも笑顔でもてなされていた。しかし一連の儀式のさなかには、皇室の未来を左右するかもしれない重要な報道もあった。共同通信社による世論調査の結果が10月27日に報じられ、女性天皇を認めることへの賛成が81.9%に達したことが明らかとなった。反対はわずか13.5%だった。愛子さまのご成長とともに大きくなっている「愛子さまを天皇に」という期待の声――。ただ、愛子さまの人気が高まるにつれ、雅子さまの苦悩は深まってしまう状況にあるのだ。「政府は年内にも、皇位継承策を議論する有識者会議を設置する予定でしたが、来春以降への先送り案が浮上しています。愛子さまは結婚しても皇室に残られるのか、また、天皇となられる可能性はあるのか――。結論が先送りされれば、愛子さまの将来設計も定めることができません。雅子さまは一人の母として、愛子さまには自由に職業を選び、結婚も自らの意思で決めさせてあげたいというお気持ちもあるはずですが……」(前出・皇室担当記者)しかし宮内庁関係者によれば、雅子さまはすでに苦渋の決断をくだされているのだという。「天皇になる可能性が残されている以上、愛子さまには“天皇になる準備”も必要になる――。天皇陛下と雅子さまは、そうお考えになっています。そして、愛子さまへの“天皇教育”を始められているのです」10月11日、天皇陛下と雅子さまはイギリスのアン王女夫妻を赤坂御所に招き、お茶をともにされた。このご懇談には愛子さまも同席されたのだという。「約1時間のご懇談では、ラグビーW杯や東京オリンピック・パラリンピック、さらには即位の礼が話題に上りました。もちろん英語でのご懇談でしたが、愛子さまは熱心にお聞きになり、英語で王女夫妻に質問されることもあったそうです」(前出・宮内庁関係者)即位礼正殿の儀には未成年の愛子さまは出席されなかった。しかし愛子さまにとってこの日は、ご自身のお立場を自覚される重大な一日となったはずだと前出の皇室担当記者は言う。「愛子さまは前日に中間テストを終えられたばかりでしたが、その解放感とは無縁の一日であったことでしょう。早朝から赤坂御所と宮殿を往復される両陛下を愛子さまは欠かさず見送られ、またお出迎えもなさっていたのです。儀式は御所のテレビでご覧になりました。天皇陛下がなさった即位の宣明を、もしかすると将来は、愛子さまがされる可能性もあるのです。雅子さまが事前に“しっかり見ているように”とお伝えになっていたのかもしれません」現在、皇位継承順位1位は皇嗣の秋篠宮さま、2位は悠仁さまだ。紀子さまは悠仁さまとご一緒に全国各地を旅行され、自然・文化・歴史を学ぶ機会を作られてきた。標高3千メートルを超える槍ヶ岳への登山など、体力づくりまで考え、紀子さまなりに万全の“帝王教育”を悠仁さまになさってきたのだ。雅子さまも皇后としてご公務に取り組まれる傍ら、そうした教育までなさることになるのだろうか。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「政治や行政に関わらない象徴天皇であっても、現代社会とその成り立ちについて体系的にきちんと学ぶ場があってもいいかと思います。しかし大切なのは天皇陛下のおそばで、天皇陛下のお考えや行いのあり方を身をもって学ぶことでしょう。すでに5月の御代替わり後の愛子さまは、帝王教育のさなかにあるともいえます」娘が天皇になるのかはわからない。それでも、将来の天皇としての教育を――。見えない未来に向かって、天皇ご一家は新たな一歩を踏み出されていた。
2019年11月05日お体への負担が心配されたなか、4回にわたる「饗宴の儀」を終えられた雅子さま。過密日程の中でも笑顔を絶やされなかったものの、その陰で母としての大きな苦悩を抱えられていた――。《各国元首のご健康と各国国民の幸福、世界の平和を切に祈ります》モーニング姿の天皇陛下が、駐日大使夫妻らを前にお言葉を述べられた。お隣に立たれた皇后雅子さまは、和服をお召しになっていた。10月31日、祝宴「饗宴の儀」が皇居で催された。即位を披露し祝福を受けられる儀式で、10月22日から4回にわたったが、この日が最終回となった。平成の即位の礼では、饗宴の儀は4日連続で計7回すべて着席形式で開かれたが、今回は皇族方の負担を考慮して回数を減らし、さらに後半の2回は立食形式へと簡素化された。「とはいえ、十二単で臨まれた『即位礼正殿の儀』を経て、さらに毎回数百人をおもてなしする饗宴の儀に臨まなければなりませんでした。宮内庁内部でも、雅子さまの体調を心配する声が上がっていたのです。しかし、雅子さまは4回にわたる饗宴の儀で、決して笑顔を絶やされませんでした。適応障害で苦しまれていたころには和服への苦手意識がおありだといわれてきましたが、最終日の和服姿はむしろ、皇后としての自信を感じさせるものでした」(宮内庁関係者)天皇陛下が国内外に即位を宣明され、雅子さまも令和の国際親善の幕開けに存在感を発揮された。ただ、一連の儀式のさなかには、皇室の未来を左右するかもしれない重要な報道もあった。共同通信社による世論調査の結果が10月27日に報じられ、女性天皇を認めることへの賛成が81.9%に達したことが明らかとなった。反対はわずか13.5%だった。また、母方だけが天皇の血筋を引く女系天皇への賛成は70.0%、反対は21.9%だった。近代皇室史を専門とする静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「女性天皇を認める世論の高まりは、令和の天皇皇后と長女の愛子さまのお人柄や能力が、国民に広く支持されているゆえでしょう。国民の多くは、天皇のもとでお育ちになったお子さまで、立派なお人柄の方が天皇になるのがいいと考えているのです。世論調査を見る限り、ご本人の性別や、男系か女系かといった区別を、国民はあまり重視していないように思われます」現在、学習院女子高等科3年生で17歳の愛子さま。来年の4月には学習院大学へ進学されるとみられている。10月11日、天皇陛下と雅子さまはイギリスのアン王女夫妻を赤坂御所に招き、お茶をともにされたが、このご懇談には愛子さまも同席されたのだという。「まだ単独でのご公務は経験されていない愛子さまですが、大学生となられてからは活躍の場を広げられるはずです。来年の東京五輪は、皇室にとっては国際親善の舞台ともなります。愛子さまの高い語学力や、愛らしいお人柄は、さらに多くの国民を魅了することになるでしょう」(皇室担当記者)愛子さまのご成長とともに、「愛子さまを天皇に」という期待の声もさらに大きくなっていくのだろうか――。
2019年11月05日皇后雅子さまの物語を初めてドラマ化する「雅子さま物語」が、美村里江主演で放送されることが決定した。天皇陛下の即位をお祝いするパレード「祝賀御列の儀」が予定されている11月10日(日)、「陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語」を放送。番組では、皇室に嫁がれた雅子さまのこれまでを、実際のニュース映像を交えてドラマ化。外務省を退職し、皇室に入った雅子さまが直面された現実。お世継ぎへの期待が高まる中で体調を崩し、適応障害と診断され長い療養に入られた雅子さまの本当のお姿がドラマによって明らかになる。主演には、大河ドラマ「西郷どん」『カノン』に出演し、2018年に“ミムラ”から芸名を改めた美村さん。ドラマでは、雅子さまをご成婚当時から長年取材する雑誌「週刊チェイス」記者・栗島梓の24歳から50歳までを演じる。演じてみて、美村さんは「皇族と一般の国民との違いを感じさせつつ、同時に親しみやシンパシーを抱く視点。それが今回の栗島梓役の役割だと考え、出演が決まって1点だけ、“脚本内の敬語の徹底”をお願いました。もちろん皇族の方のお話だからということもありますが、私が演じる梓は雅子さまに尊敬の念があり、同性として憧れがあり、さらに記者でもあって言葉のプロでもあります。そういう役どころなので、いつも記事を書いているとそのような言葉遣いも身についていると思うんです。また、話をリードする梓の人物像にリアリティーを持たせることが物語の下支えと考えて、26年に及ぶ彼女の記者経験も大事に演じるよう気をつけました」と思いを明かす。また「先日の台風19号の爪痕は深く、それに伴い10月22日予定だった祝賀パレード延期のご判断があられたと思います。被災なさった皆様へのお見舞いの気持ちも込めて、この作品を少しでも多くの方が楽しんでくだされば幸甚です」と視聴者へメッセージを寄せている。そして、梓の上司で「週刊チェイス」デスク・八神真治を神保悟志、梓と現場で取材をするベテラン皇室カメラマン・杉崎省吾をデビット伊東が演じることも決定した。なお、番組では独自取材によって明らかになった天皇陛下の驚きのエピソードも一挙紹介。そしてトランプ大統領やメラニア夫人が賞賛した雅子さまの国際感覚、その“原点”ともいえるアメリカへ番組取材班が向かう。日曜THEリアル!「陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語」は11月10日(日)20時~フジテレビにて放送。(cinemacafe.net)
2019年10月31日「即位礼正殿の儀」など数々の儀式が執り行われた10月22日。雅子さまは午前5時に起床されていたとみられ、宮殿「竹の間」で「饗宴の儀」が始まったのは午後7時20分すぎ。すでに14時間が経過し、心身ともにお疲れだったはず。だが、その表情は正殿の儀での緊張した面持ちから一転してリラックスしたものだった。その陰には、3人の王族女性の存在があると語るのは皇室ジャーナリスト。「雅子さまは各国王室の王妃や皇太子妃と再会できることを、とても楽しみにされていたのです。オランダのマキシマ王妃とは、’06年にオランダ王室の招きでご静養されたとき、一緒に過ごされたことがあります。また’13年の新国王の即位式に際しては、マキシマ王妃は雅子さまに直接電話をして『ぜひ即位式においでいただきたい』と伝えたそうです。その言葉に背中を押され、雅子さまはオランダへ向かわれました。実に11年ぶりの海外ご公務となったのです。マキシマ王妃は、雅子さまの復活を後押しした“恩人”といっても過言ではありません」饗宴の儀で再会された雅子さまとマキシマ王妃は、左右、そしてもう一度右とチークキスを交わされ、親交の深さが伝わってきた。ピンクの鮮やかなドレスを着たスペインのレティシア王妃は、うれしそうに雅子さまを抱きしめた。「レティシア王妃は2年前に来日したときも雅子さまを抱擁して、『お美しいですね。お元気そうでよかったです』と励ましの言葉をかけているのです。彼女は元国営放送のキャスターというジャーナリストですから、同じ“民間出身”ということで、雅子さまには特別の思いがあるようです」(皇室担当記者)饗宴の儀の翌日、23日に開かれた赤坂御所の茶会では、ほほ笑ましいハプニングがあった。お出迎えの雅子さまに、デンマークのメアリー皇太子妃が歩み寄ってチークキス。続けて膝を深く曲げてあいさつをしようとしたメアリー妃。すると雅子さまは顔をほころばせ、あわてて肩を抱きとめられたのだった。このあいさつは「カーテシー」。おもに王族が目上の者に行うヨーロッパ伝統のもので、実はカーテシーをしてからチークキスをするのが正式な順序だという。「しかし前日の饗宴の儀でも、メアリー妃は先にチークキスをしました。雅子さまが皇后になられるまでは同じ皇太子妃で親しかったため、再会の喜びでカーテシーを忘れてしまったのかもしれません。ですがメアリー妃は茶会でもあえて“目上への挨拶”よりチークキスを先にしてみせたのです。雅子さまが皇后になっても、友情は変わらない――。そんな、お二人の親密な関係を示すシーンだったように思われます」(皇室担当記者)海外王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんが語る。「3人とも雅子さまと同じように、第一線で活躍していたキャリアウーマンで、王族に見初められて王室に入った女性です。離婚歴のあるレティシア王妃や、アルゼンチンの軍事政権で大臣を務めた父親を持つマキシマ王妃は、王室に入るときにバッシングを受けるなど大変な苦労もされました。雅子さまとも“民間出身”だからこそのさまざまな苦難という共通体験を持っているのです。雅子さまが適応障害の長いご療養を乗り越え皇后になられたことを、心から祝福されたはずです」
2019年10月31日「今回の被災状況を踏まえて延期する方向で検討している」台風19号で被災した宮城県内を視察した安倍晋三首相が、神妙な面持ちでそう語ったのは10月17日のことだった。10月22日に予定されていた天皇陛下即位の祝うパレード「祝賀御列の儀」。首相自ら、その延期について言及したのだ。わずか2日前の15日、菅義偉官房長官が「祝賀御列の儀などの準備については淡々と進めていきたい」と明言したばかり。まさに急転直下の延期決定だった。10月12日から13日にかけて東日本を縦断した台風19号。その猛威は、未曽有の被害をもたらした。河川の堤防決壊は100カ所以上。住宅への浸水が17都県で計4万棟近く。死者80人を超え、現在も行方不明者の捜索が続いている。官房長官の記者会見と同じ15日、宮内庁の西村泰彦次長も会見を行っている。その場で、天皇陛下と雅子さまのお見舞いのお気持ちが次のように公表された。「天皇皇后両陛下には、台風19号による大雨災害で多数の方々が犠牲となり、また、依然として多くの方の安否が不明であること、数多くの方々が被災されていることに大変心を痛めておられます」被災地の状況に心を痛め、お気持ちを表明された両陛下。「淡々と進める」という菅官房長官の発言とは明らかな温度差があった。政府が突然方針を転換してパレード延期に踏み切ったのはなぜなのか。政治部記者はこう語る。「安倍首相が、パレードの延期を検討中だと被災地視察の直後に明かしたのは、首相自身の決断であるように印象づける演出にも感じます。しかし、延期決定の背景には天皇皇后両陛下のご意向があるとみて間違いないでしょう」祝賀パレードは閣議決定で国事行為とされており、実施についての決定権は政府にある。「もちろん両陛下が政治判断に関与することはできません。しかし両陛下は、宮内庁に対してパレードは延期すべきだと訴えられたのでしょう。宮内庁と内閣府は即位の礼に向けて密に連絡を取り合っています。両陛下のお気持ちは、宮内庁を通じて政府に伝わっていたはずです。両陛下のご意向がなければ、政府は菅官房長官の言葉どおり“淡々と”パレードの準備を進め続けていたに違いありません」(前出・政治部記者)雅子さまの胸には、大規模災害にまつわる苦悩の記憶が今も色濃く残っているはずだと語るのは、ベテランの皇室ジャーナリスト。「’95年1月17日に阪神・淡路大震災が発生しました。天皇陛下と雅子さまは、その3日後の20日に中東3カ国を訪問されることが決まっていたのです。非常に長い間、各国間で準備を整えてきた国際親善のご公務を中止にすることはできませんでした」ご出発前日の記者会見で、雅子さまは表情を曇らせ、声を震わせながらおっしゃった。《国内でこういうことが起きている時期に国を離れるということは、大変忍びないという言葉がよろしいのでしょうか、そういう気持ちでございます》阪神・淡路大震災という大災害の直後に外国へ向かわれる葛藤を吐露された両陛下。しかし、その会見の直後から宮内庁の電話がひっきりなしに鳴り響くことになる。「なぜこの時期に」「中止すべき」という抗議の電話が殺到したのだ。ご出発会見で陛下は、こうもお話しになっている。《皇族の仕事として国際親善もまた大きな仕事であり、以前から計画され、向こうの首長あるいは王族の方々に心をこめていろいろ準備して頂き、ご招待におこたえする意味でも、こういう状況ではありますけれども、親善訪問に努めてまいりたい》中東ご訪問中も震災の被害は拡大し、両陛下は大使館から送られてくる新聞のコピーを隅々まで読まれ、被災地を案じられていた。「しかし現地で友好親善に努めようとされるほど、両陛下は笑顔をお見せにならなくてはいけませんでした。結局、予定を2日間繰り上げて日本に帰国されたのですが、お心が引き裂かれるような海外ご訪問となってしまったのです。24年前の“大震災の悔恨”が、今回のパレード“延期の訴え”にも秘められていたのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
2019年10月22日いよいよ10月22日には即位の礼を迎える雅子さま。回復が目覚ましく、ご活躍になっていらっしゃるが、これまでなぜ16年間も苦しまなければならなかったのか……皇室に詳しい2人の識者が語り合った(司会/皇室ジャーナリスト・近重幸哉さん)。近重「雅子さまが新皇后となって5カ月が過ぎ、いよいよ10月22日には即位の礼をお迎えになります。『女性の品格』などのエッセイでおなじみ昭和女子大学理事長・総長、坂東眞理子さんと、精神科医で本誌の皇室記事にコメントしている香山リカさんに、雅子さまについて語り合っていただきます。最近の雅子さまのご様子をお2人はどう見ていますか」坂東「雅子さまは、本当に生き生きと回復されていて、とてもよかったと思っている人が圧倒的に多いと思います」香山「私は、雅子さまの回復には“助走期間”があったと思うんです。上皇陛下は、退位のご意向が報道される前に、そのお考えをお子さまたちにお伝えしていたことでしょう。それを、ご自分が皇后になることとして、雅子さまが受け入れられた時点で、はっきり気持ちが決まっていらしたことと思います。その助走期間で、ご自分でも計画を立てられてきて、『このころまでには、これをやる』というステップを満足にこなされることができていたのではないでしょうか」近重「8年前の夏から上皇陛下が、天皇陛下、秋篠宮さまと月1回定例の話し合いをされるようになりました。そこには天皇陛下が、雅子さまのご病状を上皇ご夫妻に理解してほしいというお気持ちがあったのではと思いますが」香山「天皇陛下が辛抱強く、ご両親とお話し合いを重ねることで、お気持ちがピッタリお合いになった。上皇陛下が、天皇陛下と雅子さまも努力していらっしゃるとお認めになって、それで、退位のご意向を決められた。雅子さまは、ではその日に向けて頑張ります、といった意思をハッキリされたということではないでしょうか」坂東「ご家族のお力が本当に大きかったんじゃないかと思いますね」近重「坂東さんはハーバード大学に留学体験を持っています。同じ体験を持つ雅子さまは、なぜ16年も苦しまなければならなかったのでしょう」坂東「私がハーバード大学に留学していたころ、ちょうど雅子さまはベルモント・ハイスクールにいらして、直接お目にかかる機会はありませんでしたが、当時の日本人コミュニティのなかで、雅子さまは、とても能力の高い素晴らしい方だという噂は聞いていました。ただ、学校では非常に優秀だった女性たちが、能力を発揮しようというとき、日本の職場には“見えない壁”があるんです」香山「天皇陛下は、本当に皇室を変えたいというご意思で、『あなたのような人が必要です』と、雅子さまを強く説得なさったのだと思います。おそらくご実家の小和田家のほうでも、『そこまで殿下がおっしゃってくださるんだから、きっとあなたの能力が必要とされているんだから』ということで、雅子さまは皇室に嫁がれたのでは……。ところが、皇室という場所では、やはり男子を産むことを最優先に求められたのだと思います」坂東「ご自身が力を発揮なさりたいと思っていらした国際親善の場で、十分なチャンスを与えられない。一方で周囲から期待されている役割を果たしていらっしゃらないというプレッシャーは、想像を絶するものがあったと思います」香山「当時は皇太子だった天皇陛下が『雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です』という発言をされて、話題になりましたが、当時はモラハラという概念は浸透していなかったので、『人格を尊重しない』というのも、どういうことか理解されなかった。だから『お世継ぎを産むということを成し遂げていないのに、人格がどうとか言われても』という批判の声が上がっていた。マタニティハラスメントの先駆ですよね。いまなら大変な問題ですよ」坂東「最近になって、ようやく雅子さまは『お世継ぎを産むという期待には応えられなかったけど、それはそれで仕方がない』と、割り切られたのかもしれません」香山「そうなのでしょうね。悠仁さまも誕生されて、あるいは、ご自身もそういう年齢ではなくなっていらっしゃることで、そこはもうお考えにならなくてもいいということになった。世間の意識も変わって、お世継ぎが生まれないことを責めるという感覚は、なくなっていったように思えます」坂東「グローバルに通用する、新しい時代の皇后という役割なら私は果たせる、という自信を持ち始められたのではと思いますね」
2019年10月19日10月22日の即位パレードは国を挙げての大イベントになる。そんな華麗なパレードの場に限らず、ご公務で地方にいらしたときなどニュースに映る雅子さまや皇族方に寄り添う黒スーツに身を固めた女性たち。過酷な訓練に励む日々を過ごす彼女たちは皇宮警察の皇宮護衛官だ。なぜ、皇族警護の仕事を選んだのか?女性皇宮護衛官の本音に迫ってみた――。天皇皇后両陛下がお暮らしになる赤坂御用地にある赤坂護衛署の地下。分厚いコンクリート壁に囲まれた静謐な一区画で、セミロングの髪を後ろで束ねた小柄な女性がゆっくりと右腕を水平に向けた。その手に握られたピストルの照準は10メートル先の小さな的にピタリと合わされていた――。秋の全国競技会に向けてエアピストルの射撃訓練に余念がないのは小池梨奈さん(25)。彼女は皇宮警察・赤坂護衛署に勤務する巡査長皇宮巡査で、皇宮護衛官(※皇宮警察では警察官とは呼ばない)となって4年目の若手ホープだ。「実は就活するまで皇宮警察の存在を知りませんでした。人事院のホームページに皇宮護衛官が紹介されていて、大学で日本史専攻でしたから、勤務地の1つに京都御所があるのが魅力的だなと。合格したときは、友人から『インドア派なのに大丈夫?』と心配されました」小池さんが就職先に選んだ皇宮警察は、両陛下や秋篠宮家など皇族方をお守りする「護衛部」、皇居や赤坂御用地、御用邸などの警備に当たる「警備部」、組織運営に携わる「警務部」からなる、皇族方の守護を専門とする国内唯一の組織だ。「側衛に加えてオートバイの側車や白バイ、騎馬など場面に応じた形で護衛にあたります。皇宮護衛官は国家公務員となり定員は900人ほど、女性は全体の1割程度です。皇宮警察学校では情操教育として和歌に華道、茶道といった教養も身に付けることが求められます」(皇宮警察本部広報担当)小池さんの場合、皇宮警察学校での射撃で好成績を残したことから、卒業後は護衛署勤務のかたわら、射撃訓練員にも選抜された。「中学時代に弓道をしていたのがよかったのかもしれません。集中力が求められ精神面でかなり疲れますが、肉体面はそれほどでもないので、バランスをとるためによく皇居外周をランニングしています」射撃訓練は泊まり勤務の翌日の非番の日に行うというが、通常の業務は皇宮護衛官の基礎である警戒勤務が主だという。「皇宮護衛官になったばかりのころ、東宮御所の正門で警戒勤務中に、初めて天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)がお車で通られたときのことが今も忘れられません。皇后陛下は笑顔でいらして……緊張しすぎて、立っているだけで精いっぱいでした。夜には門の近くの茂みからカサカサと物音がしてライトを向けると、タヌキやハクビシンが走り去る姿が見えて和んでいます(笑)」夜勤に加えて射撃訓練にもいそしむ小池さんだが、将来見据えているのは、皇宮護衛官の花形だ。「両陛下や皇族方をおそばで警護する側衛官はひとつの目標です。ただ、あまりそれにとらわれすぎないようにと……。向上心を持ち続け、努力を続けることが大切だと考えて、日々取り組んでいます」『女性自身』皇室SPECIAL即位記念号「雅子さま輝く笑顔が時代をひらく!」より
2019年10月15日天皇皇后両陛下は9月28、29日、茨城県を訪問された。両日とも、沿道には3万人以上の市民が集まり歓声を送った。雅子さまはこのご訪問の初日に、ロイヤルブルーのスーツをお召しになっていた。お召し列車が到着した勝田駅でそのお姿を見た30代の主婦は「雅子さまのスーツは茨城ブルーですね。茨城県の県章と同じ色です。本当に美智子さまと同じようなお心使いをされてくださっているんですね。本当に感激しました」と嬉しそうに話していた。「実は、雅子さまのロイヤルブルーにはもう一つの意味が込められています」そう語るのは学習院関係者。茨城ご訪問の初日9月28日には、愛子さまが参加された学習院女子中・高等科の運動会も行われていたのだ。「以前は愛子さまの学校行事があると、陛下がお一人で地方公務に臨まれ、雅子さまは行事にお出かけになることも多くありました。しかし、今年は雅子さまもご公務を優先されて、愛子さまにとって高校最後の運動会への参加は見送られたのです」(前出・学習院関係者)学年別に優勝を争う運動会において、愛子さまが見事な活躍をお見せになったのは午後の部の「ドリブル競争」だった。バスケットボールをドリブルしてシュートを決めた後、再びドリブルで戻ってきて、各学年20人ずつの選手がリレーをする競技だ。愛子さまが競技の副キャプテンとして登場すると、会場内に大歓声が沸き上がったという。学習院関係者が語る。「愛子さまはすごいスピードでドリブルをされて、シュートも一度でお決めになりました。そして、ドリブル競争で見事に1位となった高等科3年生は、最終的に総合優勝も果たしたのです。受験を控える生徒も多く、決して有利とはいえないなかでの優勝に、愛子さまは満面の笑みでした。茨城国体のニュース映像を拝見したのですが、雅子さまは鮮やかなブルーのスーツをお召しになっていました。実は、ブルーは高3のチームカラーで、保護者たちは『青い服を着て応援に行こう』と話し合っていたのです。ご観戦は叶いませんでしたが、雅子さまも愛子さまを応援されていたのでしょう。その母娘の絆の強さに胸を打たれました」雅子さまがご不在でも、しっかりとご自身の役目を全うできる愛子さまのご成長も、雅子さまを勇気づけ、ご公務に励まれる後押しとなっているはずだ。
2019年10月15日10月22日に即位の礼を控え、雅子さまは衣装合わせや所作の確認などに余念がないという。令和になってからの5カ月あまり、雅子さまは奮闘を続けてこられた。皇后として唯一の総裁職である日本赤十字社名誉総裁として、5月の全国赤十字大会と、8月のナイチンゲール記章授与式にご出席。トランプ米統領の接遇をはじめ、外国要人とのご面会、ご引見、さらに保育園や高齢者施設へのご訪問もあった。最近、雅子さまの変化を感じ取ったというのは、9月28〜29日の茨城ご訪問に同行したカメラマン。「長期ご療養に入られる直前は、雅子さまはカメラ取材のときに、陛下の後ろに隠れるようにされていることがよくあったのです。雅子さまのお姿を撮影することが難しく、当時は不思議に思っていました。そのとき私たちは、雅子さまが適応障害で苦しんでいらっしゃったことをまったく知りませんでした」ところが、今回の茨城ご訪問中にこんな場面があったという。「施設ご見学の取材のときでした。我々カメラマンの撮影位置から見ると、天皇陛下の左肩に雅子さまのお姿が少し重なっていました。それにお気づきになった雅子さまが一歩右にずれて、ご自身もしっかりとカメラに写るように気配りしてくださったのです」つまり雅子さまは、ご公務へのお出ましを重ねるうちに、適応障害に伴うカメラへの苦手意識も克服されていたのだ。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは言う。「四大行幸啓にお出ましになられたことは、大きな自信になっていると思います。そのときのお召し物も、これまでの着慣れた楽なものではなく、新しいスーツで高いヒールを履かれ、ファッションにも気を使われていました。これは、心に余裕が出てきている証拠です。こうした余裕があれば、雅子さまがもともとお持ちの好奇心や探究心もプラスに働いて様々なお務めに生かされていくのではないでしょうか」茨城県を訪問された9月28、29日の両日とも、沿道には3万人以上の市民が集まり歓声を送った。「昨年までの地方ご公務と比べても、たいへん熱烈な歓迎ぶりでした。雅子さまは、こぼれんばかりの笑顔でお手振りを繰り返されていました。皇后として、大勢の人々の期待に応えたいーー。雅子さまはそういった思いを胸に“常に笑顔で”という誓いを守ってこられたのでしょう」(前出・皇室担当記者)
2019年10月14日《学校の文化祭に秋篠宮様と悠仁さまが来てめっちゃびびった》そんな興奮のつぶやきが投稿された9月28日、秋篠宮さまと悠仁さまは東京都世田谷区の東京農業大学第一高校(農大一高)の文化祭を見学されていた。「紀子さまは、農大一高を悠仁さまの有力な進学先候補と考えていらっしゃるようです。悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学ですが、附属高校は女子校なのです。すなわち、悠仁さまは高校には内部進学できず、別の学校へ進学されなければなりません。東農大といえば、秋篠宮さまが’08年から客員教授を務め、毎年講義を行っています。さらに、紀子さまの実弟である川嶋舟さんも東農大の准教授を務めています。秋篠宮家にもっとも深い縁がある学校といっても過言ではないのです」(皇室担当記者)しかし、こうした見解に宮内庁関係者は首をかしげる。「東農大は日本で初めて設立された私立の農学校という伝統があります。ただ、箱根駅伝の応援で披露される“大根踊り”が有名であるように、皇族方が進学されるには庶民的すぎる気もいたします。そもそも秋篠宮さまと紀子さまは学習院大学の出身で、お二人の出会いも学習院のキャンパスでした。“縁”という意味では学習院に分があると思うのですが……」学習院関係者が、声を潜めて語る。「紀子さまが悠仁さまを学習院に進学させることは、まずないでしょう。学習院に関する“屈辱の記憶”がおありだからです」悠仁さまは’10年、お茶の水女子大学附属幼稚園にご入園。その際は「自主性を重んじる教育方針」「2年間の学習院幼稚園にはない3年間の一貫保育」が選択の理由とされていたが……。「学習院のOBやOGの間では『秋篠宮さまの学年は優秀ではないのに落第生がいない』と平気で吹聴する人もいるのです」(前出・学習院関係者)すなわち、秋篠宮さまより成績の低い生徒がいなかったために誰も落第させられなかった、という噂話が流れていたというのだ。さらに秋篠宮家への“冷遇”を指摘するのは皇室ジャーナリスト。「眞子さまや佳子さまの在学中、初等科や女子中・高等科の改修工事が続きました。これは、愛子さまを受け入れるための準備でした。古くて評判が悪かった女子部のプールまできれいになりました。愛子さまのご入学にあわせたタイミングでの改修でしたので、秋篠宮家としてはないがしろにされていると感じられたでしょう」眞子さまも佳子さまも、大学は国際基督教大学(ICU)を選ばれた。しかも佳子さまは、一度は進学した学習院大学文学部を中退してまで、ICUに入られた。「当時の教授の話によると、大学側にはほとんど相談もなく退学されたそうです。また、佳子さまが女子高等科に在学されていたころ、紀子さまが学校からの“呼び出し”を受けたことがあり、当時は保護者の間でも話題になりました。学校側にも理由があったのだと思いますが、紀子さまは学習院への心証を悪くされたようです」悠仁さまの進学は2年半後。紀子さまはそれまで、学習院以外の進路を探し続けられる――。
2019年10月10日「雅子さまは、この9月だけで1カ月間に3回もの地方ご公務に臨まれました。ほんの2年前には、ご体調が安定せずに出発直前に予定をキャンセルされることもありましたから、皇后となられてからのご活躍ぶりに感激してしまいます」そう語るのは皇室担当記者。雅子さまはご好調のまま10月22日の「即位の礼」を迎えられるはずだと、宮内庁関係者の表情も明るい。「令和の皇后陛下として、5月からの雅子さまのご活躍は本当に素晴らしいものがあります。美智子さまも安心されて、即位礼正殿の儀や祝賀御列の儀(パレード)をテレビでご覧になるのを今から楽しみにされていると思います」とはいえ、美智子さまは9月8日に乳がんの摘出手術をお受けになったばかりだ。「術後の詳細な病理診断の結果、再発リスクは非常に低いと発表されました。放射線療法は行なわず、今後は再発予防としてのホルモン療法のみ受けられる予定です。女性ホルモンを抑える薬を1日1回服用されます」(前出・宮内庁関係者)経過は良好なようだが、乳がん手術の前には白内障の手術を受けられ、心臓の不調も発見された。今月には85歳の誕生日をお迎になる。ご高齢でもあるため安静になさったほうがよろしいはず。しかし、最近の上皇ご夫妻の生活を知る関係者は明かす。「美智子さまはご退院後すぐから朝早く起きられて、夜も遅くまでお荷物の整理をされています。あまりに一生懸命やられているので、側近が『ご無理はなさらずに』と申し上げても、『そうはいかないのよ』と手をお休めにはならないのです」上皇ご夫妻が現在お住まいとなっている吹上仙洞御所から、高輪皇族邸(仙洞仮御所)へのお引っ越しは、当初は今年の夏ごろの予定だったが、すでに2カ月ほど遅れている。上皇ご夫妻のお引っ越しが完了しなければ皇居・御所の改装工事に着手できない。つまり赤坂御所(旧東宮御所)にお住まいの天皇ご一家が皇居にお引っ越しになれないのだ。上皇ご夫妻は在位中から「退位後は皇太子ご夫妻(当時)にできるだけ早く御所に住んでほしい」という意向を示されていた。「美智子さまは、皇居は天皇陛下がお住まいになるところとの思いを強くお持ちです。両陛下に少しでも早く御所を譲りたいとのお気持ちから、無理をされているのでしょう」(前出・上皇ご夫妻の関係者)
2019年10月03日令和の時代を迎えて、ますます笑顔がまぶしい雅子さま。ご公務に臨まれる華やかな表情が、日々脚光を浴びている。そんな“愛され顔”ともいえる雅子さまメークには特徴があるという。広告などを中心として活躍するヘアメークアップアーティスト・大山なをみさんはこう語る。「新たな元号を迎えて、美しく明るい笑顔がますます際立っておられる雅子さま。新たなメーク法も取り入れていらっしゃるようにお見受けします」大山さんが語る雅子さまメークのポイントは、以下の3つだという。■肌…ツヤのある透明感が決め手「ベースは、ダメージをしっかりとカバー。でも、厚塗りを感じさせないようにして、頬などの光沢で立体感も」(C)JMPA今年7月の「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019」会場へご到着したときの雅子さま。ファンデーションを丁寧に塗り、ダメージをしっかりカバーされていることで、肌に透明感が。最後にツヤ感もプラスされ、健康的な印象に。■口元…なじみカラーで奥ゆかしさが「リップは、肌になじみやすい色みをチョイス。形も山などをつけすぎないように気をつけて、清楚さも演出」(C)JMPA令和の幕開けとなった5月1日。皇居から赤坂御所に戻られた際の雅子さまは、自信に満ちた表情を浮かべられていた。リップラインをきちんととられているひと手間で淡い色でも鮮やかに発色。存在感が出やすいリップは、肌なじみがいい色を使うと優しい雰囲気が出ている。■目元…明るさを引き立てる太めアイライン「目は、大きくするのではなくアーモンド形になるよう、目頭のアイラインで目元を強調。眉は角度をつけすぎるとキツい印象になるのでナチュラル眉にされているようです。国民に寄り添う皇后さまの優しいお人柄によく合うメークだと思います」(C)JMPA同じく5月1日、上皇ご夫妻に挨拶をするため、赤坂御所から皇居へ向かわれる車中のお姿。アイラインは濃くしっかりと引かれ、やや太めに。幅と角度もきれいにそろっている眉との相乗効果で、表情が生き生きとした印象に。大山さんの指摘するとおり、16年7月に「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵ルノワール展」をご鑑賞された際の雅子さまは現在とは印象がかなり違う。3年前のお姿と比べても、最近のメーク法が変わっているのがわかる。(C)JMPA10月22日には祝賀御列の儀に臨まれる雅子さま。華々しいお祝いの日には、その新たなメーク法にも注目したい。
2019年09月30日天皇陛下が自らの即位を国内外に正式に宣言する「即位の礼」まで1カ月を切った。記念すべき一日も、雅子さまにとっては並々ならぬ決意を要する“試練の日”なのだという。「お召し替えなどを含めると、ほとんどお休みもとれない忙しさで儀式行事が続きます。内容を簡略化するのは難しいでしょうから、皇后陛下のご負担はかなり大きいものになります」(皇室ジャーナリストの山下晋司さん)さらに儀式に臨まれるためのお着替えには、驚くほどの手間がかかる。平成の「即位の礼」に臨んだ美智子さまのご様子について、当時を知る宮内庁関係者はこう語る。「儀式と儀式の間は、ほとんどお召し替えの時間になり、ご休憩といっても、お召し替えの途中でお茶を召し上がられたぐらいです」美智子さまの例を参考にして、雅子さまの“試練の日”をシミュレーションしてみよう。準備に時間がかかるため、雅子さまは天皇陛下より約1時間早く午前7時ごろ赤坂御所をご出発。皇居に到着すると「潔斎所」に入られ、その後ただちに、午前中の2つの儀式「即位礼当日賢所大前の儀」と「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に臨まれる準備を始められる。鬢付け油で整える伝統的な“おすべらかし”は、御用掛が3人で結っても1時間はかかる。白い十二単に身を包まれ、金の髪飾りをお付けになり、手に御檜扇を持たれ、ご準備が整うころには9時過ぎになっている。儀式をおすませになると、ご昼食のためにいったん平服になる必要がある。「11時20分から次のお支度にかかるため、雅子さまのお昼のご休憩は40分ほどしかないと思われます」(前出・宮内庁関係者)次の儀式は午後1時からの「即位礼正殿の儀」。再び1時間20分かけて別の十二単にお召し替え。ちなみに美智子さまがお召しになった十二単は、重さ16キロで約1,300万円だった。儀式後、午後1時半に宮殿「松の間」を退出される雅子さまは、すぐにパレードに臨むご準備へ。ローブデコルテにお召し替えで髪も洋装にするため、シャンプーからスタートし、メークも一新してできあがるまでに1時間30分が必要だ。なんと4回のお召し替えで、トータル4時間以上になるのだ。それだけでも相当な心身へのご負担だが、皇室ジャーナリストはほかにも危惧していることがあるという。「即位の礼のハイライト『即位礼正殿の儀』では、御帳台にお昇りになった雅子さまのお姿が日本中に中継され、世界各国の人々の注目を浴びることになります。想像できないほどのプレッシャーで非常に緊張されるでしょう」それでも雅子さまは“試練”を乗り越えられるはずと、太鼓判を押すのは皇室担当記者。「雅子さまは今年5月8日、すでに即位後初の宮中祭祀となる『期日奉告の儀』に臨まれています。御代替わりの5月1日以降は、過密なご公務にも休むことなく出席されています。9月も秋田、新潟と地方ご訪問が続きましたが、ずっとお車から笑顔でお手振りされて、ご体調のよさが伝わってきました。即位の礼も心配はいらないでしょう。夜には外国の要人などをもてなす『饗宴の儀』がありますが、国際親善に尽力することを望まれてきた雅子さまですから、むしろ楽しみにされているはずです」10月22日の雅子さまの“晴れ姿”に世界が見とれることだろう。
2019年09月27日「雅子さまの笑顔を拝見できて、とても幸せです。皇后となられて新潟に来てくださって、本当に嬉しいです」9月16日と17日、新潟県を訪問された天皇陛下と雅子さま。両陛下の宿泊されたホテルの近くに住む石山イチ子さんは、2日間で3回も両陛下を拝見することができたという。「雅子さまが結婚される前に、ご両親とお墓参りで新潟に来られたときにも、お迎えをしました。26年ぶりのことで、感激しました」新潟県は、雅子さまの父・小和田恒さんの出身地。村上市には曾祖父の生家もあり、小和田家では年越しに、村上市名物「塩引き鮭」を食べるのが恒例になっていたほど“故郷”を大切にしてきた。「雅子さまが新潟から帰郷された翌日の18日は、恒さんの87歳の誕生日でした。大勢の市民の歓迎を受けての“故郷凱旋”は、最高の誕生日プレゼントになったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)恒さんは外務省を退官後、オランダのハーグにある国際司法裁判所で判事や所長を歴任。昨年6月に退任し、現在は妻・優美子さんとともに都内で暮らしている。そんな恒さんは、近ごろある決断をしていたという。宮内庁関係者はこう語る。「実は、恒さんは最近になって運転免許を返納したそうです。今年4月には池袋の交差点で、当時87歳の男性が運転する自動車による暴走事故がありました。運転していた飯塚幸三氏は旧通産省の工業技術院長も務めた人物。恒さんの1歳年上です。同世代の元高級官僚が引き起こした事故をきっかけに、自分も免許返納を……、と決断したのかもしれません」前出の皇室ジャーナリストも、こう証言する。「小和田家は例年、夏になると一家で軽井沢の別荘を訪れています。現地での運転も、もっぱら妻の優美子さんや、雅子さまの妹の節子さんが担当しているそうです」雅子さまはここ数年、ご実家には里帰りされていない。ただ、今年5月1日の御代替わりの儀式にはご両親や妹の礼子さん、節子さんが招待され、雅子さまを見守っていた。「恒さんの免許返納という決断も、雅子さまを心配させまいという心遣いではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇后となった娘のために……。その気持ちは、離れていてもきっと伝わっているはずだ――。
2019年09月24日乳がん手術から退院された翌日の9月11日、美智子さまは上皇陛下とともに赤坂御所へ向かわれた。紀子さまの53歳の誕生日を祝う夕食会に参加されたのだ。「夕食会には秋篠宮ご一家はもちろん、天皇皇后両陛下と愛子さま、黒田清子さん夫妻も参加したのです。清子さんは上皇陛下とともに、手術当日の美智子さまに付き添われました。また、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻もお見舞いの言葉をお伝えになっていました。美智子さまはそうした“ご一家総出”のサポートへの感謝をお伝えになったことでしょう」(宮内庁関係者)ただ、退院翌日に夕食会に参加された理由はほかにもあるのではないか、と語るのは皇室担当記者。「国際親善でのご活躍など、天皇皇后両陛下に称賛が相次いでいるのとは対照的に、秋篠宮ご夫妻には、小室さん問題についての責任を問う厳しい声が上がっています。眞子さまは紀子さまに対して口を閉ざし、ご公務についての相談を除けばほとんどコミュニケーションがとれない状況が続いているそうです。小室さん問題に悩む紀子さまを少しでも労いたい、そして眞子さまとの親子仲を取り持ちたいというお気遣いから、夕食会に出席されたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)お誕生日に際して紀子さまは、宮内記者会の質問に答える文書を発表された。眞子さまの結婚延期に関しては、推測で答えることを《控えたい》と、回答を避けられたかのように見える。しかし皇室ジャーナリストは、実はこのご回答には重要なメッセージが込められていると語る。「佳子さまの将来については、ご本人に《深く考え、歩んでいくことを期待しております》と綴られていますが、これは眞子さまの現状を念頭に置いたお言葉ではないでしょうか。眞子さまは“深く考えていない”ために小室さんと決別できずにいる、と紀子さまはお思いなのでしょう。そして《成長を支えてくださった方々にも喜んでいただけるよう》との一節は、誰よりも上皇陛下と美智子さまを思い描いて綴られたお言葉でしょう。優しく見守ってこられた上皇ご夫妻をこれ以上悲しませてはならないーー。それこそが眞子さまの“暴走”を憂慮する、紀子さまからの切実なメッセージなのです」美智子さまはこれまで、結婚については眞子さまの内心に触れる事柄であり、ご本人の決心を待つ以外ないと、辛抱強く眞子さまのお気持ちを尊重されてきた。しかし今年7月、本誌は美智子さまの知人からこんな話を聞いた。「美智子さまは、お孫さまのことが心配だとおっしゃっていました」知人は“お孫さま”が誰かは明言しなかったが、前出の皇室ジャーナリストは言う。「美智子さまは、眞子さまのことを気にかけていらっしゃるのでしょう。親しい知人や側近にさえも沈黙を守ってこられた美智子さまですが、このままでは事態が好転することはないと思い直されたのかもしれません」美智子さまは、’10年のお誕生日に際してこう述べられている。《東宮家、秋篠宮家の家族を私はこの上なく大切なものに思っており、その家族一人一人の平穏を心から祈っています》これは雅子さまの健康や愛子さまの登校不安を心配されてのご発言だが、“小室さん問題”はそれらに匹敵するご家族の危機といっていい。「病身をおしてまで夕食会に参加されたことは、ご家族の結束を何よりも大切にされてきた美智子さまの強い意志の表れでしょう。それは、小室さんを大事に思うあまりご両親に対して心を閉ざし続ける眞子さまにとって、美智子さまからの叱責にも等しいものだったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)ご家族勢ぞろいの夕食会がきっかけとなり、再び秋篠宮家が一つになる日は来るのだろうかーー。
2019年09月19日「今の愛子さまだよね!?めっちゃラッキーなんだけど!」若い女性の声が上がる。その視線先にあるバスの車窓からは、愛子さまがほほ笑んでいた。夏休みも終盤の『那須どうぶつ王国』園内で思いがけず天皇ご一家の姿を目にした人々は、興奮した様子を隠さなかった。ご静養のために8月19~28日の間、栃木県の那須御用邸に滞在された天皇ご一家。8月26日、同王国に足を運ばれた。あいにく小雨混じりの空模様だったが、愛子さまのお友だち5人とその保護者が合流して動物たちとの触れ合いを楽しまれたのだ。“プライベート”なお出かけにもかかわらず、愛子さまは王国内を歩きながら居合わせた人々に笑顔でお手振りされる“神対応”。80代の男性は愛子さまと握手をしたという。「緊張して何も話せませんでしたが、かわいらしく、とても賢そうなお顔をされていました」同王国の目玉イベントである「バードパフォーマンスショー」は、みんなで並んで観覧。上空から観覧席すれすれにワシやタカ、インコやミミズクが飛んでくると、愛子さまたちは「わー!」「すごく近い!」と歓声を上げて大喜び。そのままぶつかってきそうな迫力に、陛下と愛子さまがそろって頭を抱えられる場面もあった。客席から指名された小3の男の子の腕にタカをとまらせるパフォーマンスでは「これから〇〇くんの腕にタカの爪が食い込んでいくからね~」という司会の男性のブラックジョークに、愛子さまとご友人ばかりか、陛下と雅子さまからも笑い声が漏れた。こうして愛子さまは、高校最後となる夏休みをご友人たちと一緒に満喫されたのだった。
2019年09月06日那須御用邸でのご静養に向かわれる天皇ご一家を、大勢の市民が出迎えた8月19日の那須塩原駅前。ご交流は30分以上続いたが、途中でこんなひとコマがあった。「暑い中、ありがとうございます」と人々にお声がけされていた陛下。ハンカチでお顔の汗を拭きながら、笑顔で「ハンカチ王子」とつぶやかれたのだ。「これには集まった人たちからドッと笑い声が上がり、雅子さま、愛子さまも破顔一笑。しばらくの間、周囲が笑顔で包まれました。ご一家の様子を拝見していますと、陛下が若いころから話されている『国民の中に入っていく皇室』を、ご即位後すぐから実践されているのを感じます」(皇室担当記者)陛下は子供のころから、いわゆる“親父ギャグ”を好まれてきたと明かすのは、学習院初等科時代からのご学友だ。「中等科のころ、演奏会で『G線上のアリア』を演奏された陛下が、私たちに『最近盆栽に凝っているんだ』とおっしゃったのです。友人の一人が『それじゃ、ジイさんだね』と言うと、陛下が『だから、ジイさん(G線)上のアリアなんだとよ』とお答えになって、みんなで大笑いしました」陛下に負けず劣らず雅子さまも、記者会見などでユーモアに富んだ発言をされることが多かった。ただ当時は、積極的に発言される雅子さまに「しゃべりすぎ」といった心ないバッシングが浴びせられることもあったのだ。それでも雅子さまは発言することを恐れず、’96年12月にはご結婚後初めての単独記者会見に臨まれた。この会見では欧米マスコミの「皇室に馴染めずに雅子さまはうつ状態」といった報道に対する、こんな切り返しもあった。《今、脳内モルヒネとかというものがちょっと話題になっているようですけれども、そんなものも私の場合、それなりに出ているのか、うつ状態とかそういうことは全くありません》しかし’03年12月、雅子さまは体調不良で入院。その後、適応障害と診断された。「理不尽なバッシングやネガティブな報道であってもユーモアでかわされてきた雅子さまでしたが、精神的に限界だったのでしょう。それ以来、雅子さまのユーモアは影を潜めてしまったのです」(前出・皇室担当記者)’02年12月を最後に、現在まで雅子さまが記者会見に臨まれたことは一度もない。陛下のご即位後、堂々としたお振舞いで脚光を浴びる雅子さまだが、適応障害を完全に克服されたわけではないのだ。ご静養先での取材でも、まだ緊張は大きいと思われる。精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう語る。「雅子さまも一般の人たちと会話されるときには、皇后としての品格を見せなければと身構えるところもおありだと思います。そんなとき、陛下がいつもと変わらずパッと笑いが出るような会話でその場を和ませてくださることで、雅子さまもふだんと同じ自然体でお話しになれるのでしょう」かつて陛下は、夫婦円満の秘訣をこう語られた。《相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること。そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、「笑い」を生活の中で忘れないように、ということ》「雅子を笑顔に!」そんな天皇陛下の“愛の奮闘”に支えられ、雅子さまのご活躍はこれからも続く――。
2019年08月30日8月25日、ブータンへのご旅行から帰国された悠仁さま。そのご表情は、今回の旅が充実したものであったことを物語っていた。付き添われた紀子さまも笑顔を見せられたが、このブータン旅行の陰には秋篠宮ご夫妻のとある心配があったと語るのは宮内庁関係者。「実は、最近になって悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻に反発する姿勢を見せられるようになっていたのです。たとえばコンサートを鑑賞された際、休憩時間になった途端に悠仁さまが席を立ち、紀子さまの制止を振り切って歩きだされる場面がありました。紀子さまは慌てるように悠仁さまを追いかけていらっしゃったのです。こうした“まさかの行動”も見方によっては順調な成長の証しともいえますが、いまは悠仁さまの“第二次反抗期”かもしれません」秋篠宮家といえば、長女の眞子さまと次女の佳子さまも、秋篠宮ご夫妻への反発をあらわにされている。「小室圭さんとの結婚が延期となっている眞子さまは、いまだに秋篠宮ご夫妻と会話を避けていらっしゃるようです。佳子さまも、今年3月の文書で《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と記されたとおり、眞子さまの恋を応援されています。小室さんとの結婚を阻止したい秋篠宮ご夫妻は、頭を悩まされています」(前出・皇室担当記者)眞子さま・佳子さま姉妹と秋篠宮ご夫妻の対立は、悠仁さまにも影響することが懸念されると前出の宮内庁関係者は語る。「佳子さまは3月の文書で《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》と、ご自身の考えを綴られました。もちろん秋篠宮ご夫妻も、“婚姻の自由”は皇族であってもできる限り認められるべきとお考えです。ただ、悠仁さまの場合はそこまで割り切って考えることができない事情もあります。悠仁さまがご両親への反発から、眞子さまや佳子さまのお考えに近づいてしまうのは、避けなければならないことなのです」現在、皇位継承順位第2位である悠仁さまは、皇室典範が大幅に改正されない限り、将来は天皇となられる。「結婚すれば皇室を離れるお立場の眞子さまでさえ、お相手には“国民の祝福”がハードルとなりました。“将来の天皇”である悠仁さまのお妃となれば、なおさら国民の視線は厳しくなってしまいます。《一個人としての希望》《当人の気持ち》だけではご結婚は難しいということを、悠仁さまには納得していただく必要があるのです」一方で、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、こう指摘する。「悠仁親王殿下のご結婚が難しくなるのは、現在の天皇陛下の次の世代ではただお一人の男系男子だからです。皇統は男系男子で継いでいくとされている現状では、悠仁親王殿下とお妃には男のお子さま誕生という周囲の期待が大きくのしかかります。お妃になる方にかかる精神的な負担は相当大きなものになります」悠仁さまの“天皇への道”は長く険しい――。困難を極めるお妃選びを成功させるためにも、親子の良好な関係は必要不可欠と言えるだろう。「悠仁さまが面会されたブータン国王夫妻は、ワンチュク国王が17歳のとき、なんと当時7歳だったジェツン王妃にプロポーズ。その14年後にめでたく結婚式を挙げました。秋篠宮ご夫妻も、悠仁さまには仲睦まじい国王夫妻のような幸せな結婚をさせてあげたいと思われたかもしれません」(前出・皇室担当記者)なんとしてもブータンご旅行での親子関係修復を……。そんな紀子さまの母心は“反抗期”の悠仁さまに届いたのだろうか――。
2019年08月28日74回目の終戦の日を迎えた8月15日、正午――。天皇陛下と雅子さまは「全国戦没者之霊」と書かれた白木の標柱の前に立たれ、1分間の黙祷を捧げられた。天皇皇后両陛下にとって、日本武道館の全国戦没者追悼式に出席されるのは初めてのこと。黙祷のあと、陛下はお言葉を述べられた。《戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります》天皇陛下は、上皇陛下が用いてこられた「深い反省」という表現を踏襲されたのだ。皇室担当記者が言う。「安倍首相は第2次安倍内閣発足後、’93年以降の首相が必ず言及してきたアジア諸国への加害責任について式辞から削除しました。一方で上皇陛下は、戦後70年となった’15年の式典から『深い反省』という表現を加えられたのです。今年、上皇ご夫妻はテレビ中継で式典をご覧になり、黙祷を捧げられました。戦後生まれの天皇陛下と雅子さまが平和の願い、非戦の決意をしっかり継承されていることを感じられて、安堵なさったのではないでしょうか」しかし、8月9日には心配なニュースもあった。美智子さまが早期の乳がんと診断されたと、宮内庁が発表したのだ。美智子さまは10年以上前から、定期的に乳がん検診を受けられていたという。本誌も’03年5月、当時東京都豊島区にあった癌研究会附属病院に、美智子さまがお忍びで入られる様子を目撃している。「上皇ご夫妻は宮内庁病院だけに頼らず、より専門的な治療を受けるために、積極的にほかの病院での検査も受けられていたのです。上皇陛下をお支えするため、健康維持に努められてきた美智子さまですが、やはり御代替わりに伴う激務は大きなストレスになって積み重なっていたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)
2019年08月25日《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事についてこう綴られていた。1年後に迫った東京五輪について、皇室ジャーナリストは雅子さまの活躍に期待を込める。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか。さらに雅子さまは、東京五輪で愛子さまの“国際ご公務デビュー”もお考えになっているそうです」愛子さまは現在、学習院女子高等科の3年生。来年4月には学習院大学に進学される見込みだ。これまでも雅子さまは、愛子さまが国際経験を積めるようにと心を配られてきた。「一昨年、東宮御所にデンマークやスウェーデンの王族が招かれたとき、愛子さまもご懇談に同席されたのです。愛子さまは通訳を介さず、英語で会話されました。陛下は、愛子さまの語学力はご自分以上だと話されているほどだそうです。東京五輪では、競技会場や赤坂御所、レセプションの場などで、皇族方が各国要人を接遇することになります。愛子さまが参加されることも十分に考えられます」(皇室担当記者)しかし、愛子さまが公の場で国際親善を担ったことはまだない。前出の皇室ジャーナリストは、その背景には3年前の“苦い経験”があると語る。「’16年の夏、雅子さまは長野県で開かれた『山の日』記念全国大会など、いくつかのご公務に愛子さまをお連れになりました。3年前の夏が愛子さまの国内でのご公務デビューだったのです。しかし、その秋から愛子さまは体調を崩し、一時は目に見えて“激やせ”されてしまいました。まだ中学3年生だった愛子さまには、プレッシャーが大きかったのかもしれません。それ以来、雅子さまは愛子さまのご公務への出席をセーブされてきました」それでも高校時代の3年間に数々の経験を積まれ、大きく成長されている愛子さま。「愛子さまは成績優秀なだけでなく、運動神経も抜群です。テニスではパワフルなフォアハンド、ソフトボールでは経験者の雅子さまも驚く速球をお投げになります。両陛下とご一緒にプロ野球の試合をご覧になったこともあり、スポーツ観戦もお好きです。東京五輪もたいへん楽しみにされているはずです」(宮内庁関係者)御代替わりを機に“天皇の一人娘”である愛子さまの存在感は日に日に増している。今回のご静養でも、伊豆急下田駅に到着されたのは夜9時ごろだったにもかかわらず大勢の市民が詰めかけ、「愛子さま!」と歓声が上がった。「眞子さまや佳子さまも大学進学を機に注目を集めましたが、来年の“愛子さまフィーバー”は、それをはるかに上回るものになるかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックでも、国際親善を担う愛子さまの活躍は、名誉総裁を務める天皇陛下にとって大きな支えになるはず――。それは愛子さまの強い願いでもあり、お母さまの期待に応えるために、愛子さまもその準備を進められていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)1年後の夏、愛子さまの笑顔が平和の祭典で咲き誇る――。
2019年08月12日猫さまを愛する者にはおなじみの”猫さまポーズ”を8つのタイプに分類し、あなたの月秘数で今週の運勢を占ニャいます!暑さで溶けちゃう、8月12日(月)~8月18日(日)までの運勢は?文・占い・章月綾乃 / 原作・イラスト・犬養ヒロ【猫さま占い】vol. 10あなたの月秘数を、猫さまの行動やしぐさで表した8つのタイプに分類して運勢を占います。※月秘数とは、数秘術にバリエーションを加えた猫さま占い独自の占術です。あなたの猫さまタイプは?まずは、あなたの猫さまタイプを調べましょう。タイプの出し方はこちら!あなたはどの猫さまタイプかにゃ?にゃんと幸運! ラッキー猫さまランキング!今週、8月12日(月)から8月18日(日)までの運勢はこちら。今週のラッキー猫さまはこちら!またたびを味わうぐらいの幸運週間です!1位 オヤジ座り猫さま百発百中、猫パンチ! 野生の本能が目覚めて、欲しい物を一発で仕留められそう。ココ! というタイミングで、仕掛けていけば、鮮やかに決まります。注目度も高まるため、おしゃれも夏仕様で! カラフル、キラキラ、大胆カッティングが、気分も運気もアゲるはず。旅は、午後にハイライトを。情報通の友人との交流、助言も有益。恋は、猫かわいがりを! 愛しているなら、なんでもOK! すべて許す、受け入れる姿勢が、本当の絆を生んでいきます。いつもなら、ひと言怒りたいシーンでも、ギュッとハグで! 出会い、デートは、ビーチへ。開運アドバイス………勝ちにこだわって。粘っていきましょう。ラッキーポイント……PVC【猫さま用語】猫パンチ:前足を使った攻撃。飼い主に向ける時は、かまってサイン。2位 のび猫さま運気上昇中! どこまでも、駆け上がっていけそう! 自分の信じる道、心が求めるものを追いかけて、一気に周囲に差をつけましょう。高い所に登ったら、降り方がわからなくなっちゃう? そんな心配は無用です。なぜなら、もう低地で暮らす必要がないからですよ! 自己ベストの書き換えも可能。上を目指して、GO!恋は、明暗クッキリ。一緒にいられないと感じたら、その思いが覆ることはなさそう。すぐに答えを出さなくてもいいのです。少しずつ、重心をズラしていきましょう。勉強会、体験会での出会い、デートは盛り上がります。開運アドバイス………海外カルチャー&アートに触れると、ひらめきが!ラッキーポイント……フラットサンダル【猫さま用語】降り方がわからない:猫さまあるある、体の造りが、降りることに向いていません3位 ふせ猫さまおねだり上手! やりたいこと、ほしいものがあるなら、じっと見つめる、そこを動かない、トントンする、この三段攻撃でうまくいきます。相手がわかってくれたら、初めてミィーと小さく鳴きましょう。しつこくねだる、主張するよりも、かわいいプレゼンが有効です。交渉、買い物も、首かしげで間を作ると、有利に展開しそう!恋は、もう少しわかりやすさが必要です。まばたきをする、スリスリする、ちょっと舐めてみるなど、思いはストレートに伝えましょう。愛する人の家族、友人をホメるのも大事。本音はノーサンキューでも、にこやかに!開運アドバイス………スケジュールに空きを作って。幸運が入ってくるはず!ラッキーポイント……スローフード【猫さま用語】トントン:前足を使って、飼い主をノックして呼ぶこと。かまってサイン。ミィー:小さく鳴くのは、自分に注意を向けたい心理の表れ。首かしげ:音の出どころ、または、状況を探っている様子。まばたき:猫がパチパチまばたきするのは、親愛の情の表れ。スリスリ:マーキングの一種。好きな人や物に体をこすりつけます舐める:親愛のサイン。好意を伝えるために、舐めます。4位 しっぽ巻き猫さま猫の手ならぬ、あなたの手、そして、知恵を借りたいという人が、次々に集まってきます。筋違い、畑違いの話も舞い込みますが、より好みせずに、気軽にサポートに回りましょう。すごく感謝されるし、あなた自身にとっても、よい経験、視野を広げるきっかけになるはず。乗り物の中での出会い、ひらめきに、未来を開くカギも!恋は、現状維持で。何かを決めるには、判断材料が足りません。進むも引くも、早まってはダメ。ときめきは、絶対に譲れない条件の確認のために生まれそう。何に萌えるか、しっかりつかんで! お見合いに良縁が。開運アドバイス………先入観はNG。迷った時は、後から浮かんだほうを選んで。ラッキーポイント……ハーネス、または、太いベルト【猫さま用語】猫の手:諺の「猫の手も借りたいほど忙しい」より。誰でもいいから手伝ってのニュアンスだが、猫さまの手には、肉球があり、ツメがあり、付加価値バッチリ!ハーネス:猫散歩の際、首輪とリードよりも推奨される胴輪。猫用は、体が柔らかくしなやかな猫が装着しても抜けにくい工夫がされています。5位 よこ座り猫さまほどよい、箱が見つかりそう。思い切って、中に入ってしまいましょう。居心地が良いし、のびのびできるし、やりたいことに集中できるし、超快適なはず! シーズンイベントは、大勢でウェーイですが、あえて背を向け、自分の世界に閉じこもってみると、収穫があります。狭くて、小さく、区切られた中で過ごしましょう。恋は、穏やかで、優しい時間に、豊かな心の交流が実現します。飾らないあなたが、愛されるはず。いつもなら、ひとりで満喫するお気に入りの休日に、愛する人を招待してみては? 新たに狙うなら、物知りな異性が刺激的です。開運アドバイス………メンテナンスのススメ。家電、小物、あなた自身、しっかりお手入れすると長持ち!ラッキーポイント……フラワープリント【猫さま用語】箱:狩りの時、穴に身を潜めていたから、遠い先祖の記憶で巣穴のような安心感があるから、体を何かにくっつけておくのが安心だから、諸説ありますが、猫は、箱が好きです。箱を見たら、入らずにはいれないのです。6位 まる猫さまニャンモナイトのススメ。あなたがやらなくても、誰かが代わりに頑張ってくれるみたい。お任せして、まんまるでぐっすり眠っていて大丈夫! ただし、行きたいニャー、やりたいニャーがある人は、「一緒に連れて行って」、「誘って」と、ちゃんと伝えること! でないと、起こしちゃかわいそうって、放置されちゃうことも!恋は、ギャップが大事。丸投げデートに見せて、愛する人が気に入りそうなプチギフトを用意しておく、お店を調べておく、予約をしておくなど、ひと工夫プラスして。相性がよいのは、不器用なタイプ。恋は盛り上がるはず。開運アドバイス………まとめ買い、大人買い、一気見など、ラッキーポイント……アイマスク【猫さま用語】ニャンモナイト:化石のアンモナイトに猫のニャンをかけた造語。まんまるく丸まって寝ている状態。ニャー:猫の鳴き声。装飾語。さまざまな欲求を伝えることも。7位 お座り猫さま猫さま度が、低下中。感度が鈍り、自分にとって何が幸せなのか、快適なのか、わからなくなってしまいそう。やりたくないのに我慢して続けたり、行きたくないのに出かけて、借りてきた猫になったり……。消耗しきって、ダウンする前に、ドタキャン、延期で調整を。お気に入りの場所、好きな人と過ごす時間で感覚を回復させて。恋は、ダメなあなたが愛されそう。世界で一番大事な人の前で、パーフェクトでいたい気持ちはわかりますが、頑張りすぎると、よそよそしくなり、距離が生まれます。不完全さも、愛してもらって。デートは、日本の夏を満喫!開運アドバイス………演技力UP! 聞いているフリ、忘れたフリで、丸く収めて。ラッキーポイント……フリンジ【猫さま用語】猫さま度:幸せ指数。あなたがあなたらしく過ごせる度合い。自由気まま、愛らしさなどの借りてきた猫:猫は、定住動物で、テリトリーを大事にします。見知らぬ場所に連れて行かれると、萎縮してしまうことも。今週の最下位、残念猫さまはこちら…顔を洗って頑張りましょう!8位 香箱猫さまツメを磨き過ぎて、ヘンなところにひっかかりそう。いつもなら、余裕ですり抜けられるシーンで、身動きがとれなくなってしまうかも? また、大事なバッグや服、人間関係にキズをつけてしまう恐れもあります。不本意でも丸くなり、ちょっと慎重に行動するといいみたい。デジタルデトックスは、心の解放に。温泉にも癒しが。愛は、サービス精神がカギ。ちょっとやり過ぎと感じるくらいがちょうどよいみたい。お世話をしたり、声をかけたり、マメに面倒を見てあげて。古い縁が再燃することも。グルメな異性、BBQの出会いにも期待して。開運アドバイス………節約ライフが楽しめそう。お金をかけない幸せを追求してみて!ラッキーポイント……ハーフレギンス【猫さま用語】ツメ:獲物を確実に仕留めるため、猫はツメを研ぐ修正があります。前足は、何かにこすりつけて磨ぎ、後ろ足は噛んで、整えます。たまに伸びすぎて、カーテンなどにひっかかってしまうことも!来週もお楽しみに~!章月綾乃占術研究家、心理テストクリエーター。アンアン猫さまグランプリ審査員を歴任。愛猫の黒猫2匹が人生のベース。犬養ヒロ漫画家・イラストレーター。犬猫鳥魚と暮らす動物好き。著書「カラス飼っちゃいました」/ぶんか社
2019年08月11日猛暑が続く令和元年の夏――。天皇陛下と雅子さま、愛子さまが、ご静養先の須崎御用邸から帰京されたのは8月5日だった。6日は広島、9日は長崎の原爆の日。15日は終戦の日だ。日本人にとって“忘れてはならない日”が続く。「昨年まではご静養先で黙祷されることも多かったのですが、陛下が即位された今年は、赤坂御所でお慎みになりたいというお気持ちがあったのかもしれません。天皇ご一家の責務として、国民とともに平和を祈る。そのご姿勢の表れなのだと思います」(宮内庁関係者)そして8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に初めて出席される。「8月末には、ご一家そろって那須御用邸で静養される予定です。ただ、もしかすると来年は、8月に御用邸に行かれることはないかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックが開催されるからです」(前出・宮内庁関係者)来年7月24日が、東京で2度目の開催となるオリンピックの開会式だ。8月9日に閉幕すると、続いてパラリンピックが8月25日から始まることになっている。天皇陛下は、オリンピックとパラリンピック、両大会の名誉総裁を務められることが決まっている。「’64年の東京五輪は、当時4歳だった陛下も上皇ご夫妻とともにご観戦。国立競技場で観戦されたマラソンでは、優勝したエチオピアのアベベ選手、銅メダルを獲得した日本の円谷幸吉選手に一生懸命声援を送られました。それから半世紀あまりを経て、ご自身が名誉総裁として迎える2度目の東京五輪に、感慨もひとしおでしょう」(皇室担当記者)前回の東京パラリンピック開催にあたっては、美智子さまの働きかけが大きかったという。「当時の日本では、障害者スポーツはリハビリのためのもの、という認識でした。競技としては普及していなかったのです。美智子さまは知人からパラリンピックの意義をお聞きになり、福祉関係者に働きかけて東京大会実現に協力しました。翌’65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が始まっていますが、これは上皇陛下の発案によるものです。平成になってから天皇陛下に引き継がれ、雅子さまも開会式に出席されてきました」(前出・皇室担当記者)昨年6月には、陛下がリオパラリンピックの女子マラソン銀メダリスト・道下美里さんを赤坂御用地に招待。視覚障害のある道下さんの伴走を陛下が務め、一緒にジョギングをされた。両陛下はパラアスリートとの親交を深めながら、障害者スポーツの普及に取り組まれてきたのだ。天皇陛下の即位から1年というタイミングで迎える東京五輪。雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事について《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》と記されている。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
2019年08月11日「お妃候補と報じられた女性たちも、雅子さまと同じくすでに50代になっています。実は、愛子さまの同級生のお母さまの中にも、かつてお妃候補だった方がいるのです」(皇室担当記者)今年5月の御代替わりで、雅子さまは皇后となられた。雅子さまが初めてお妃候補と報じられたのは’87年12月のこと。天皇陛下からのプロポーズ、ご成婚、愛子さまの誕生という喜ばしい出来事のかたわら、適応障害での長いご療養の日々もあった。その一方で、“雅子さまのライバルたち”も、それぞれ激動の半生を送っていたのだ――。’87年ごろ、お妃候補と報じられていた小林詔子さん。父は大手生命保険会社の専務(のちに社長)で、週刊誌報道では3姉妹そろって名前が挙がっていた。現在の職業は、なんと国会議員。’88年に学習院大学を卒業した直後、小学校の先輩で富士急行の御曹司・堀内光一郎氏と結婚。光一郎氏の父は富士急行社長を務め、自民党の衆議院議員として労働大臣や通産大臣を歴任した堀内光雄氏。光雄氏が’09年に政界を引退すると、後継者として白羽の矢が立ったのが義理の娘である詔子さんだったのだ。’12年の初当選から当選3回と、現在も衆議院議員を務める堀内詔子さんに本誌は取材を申し込んだが、秘書を通じて「畏れ多いことですので」との返事のみだった。実は詔子さんだけではなく、息子のMくんまで「佳子さまと交際している」と報じられたこともあった。だが『週刊新潮』の取材に対し詔子さんは「まったくない」ときっぱり否定。親子2代での“候補”報道に、困惑も大きかったのだろうか……。雅子さまはトランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりなどで世界から脚光を浴びているが、元お妃候補のなかにも世界的な実績を残している女性たちがいる。小学6年生で全日本学生音楽コンクール1位になり、お妃候補としても注目を集めていた瀬川祥子さんは、ヴァイオリニストとして活躍中。現在はパリ在住で、世界各地で演奏を披露している。姉・冬子さんとともにお妃候補に挙げられていた徳川直子さんは徳川宗家の分家の出身で、曾祖父は大正天皇に仕えた元侍従長という名家。直子さんは現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の研究員になっており、HPにもその名前が記載されている。’05年には小型超音速実験機「NEXST-1」の飛行実験を成功させた。東京―パリ間を6時間で結ぶマッハ2の飛行を想定した実験で、次世代超音速旅客機の開発に向けた大きな成果だったという。くしくも皇室と関わることになった元お妃候補も。10代のころから天才ハープ奏者として名を馳せた吉野直子さんは、’87年12月に上皇ご夫妻がコンサートを鑑賞されたことで、一躍候補に浮上した。現在も日本を代表するハーピストとして活躍を続け、今年2月の「天皇陛下在位30年記念式典」にも出演。ソプラノ歌手の鮫島有美子さんとともに、美智子さまが作曲された子守歌『おもひ子』を披露している。本誌が取材を申し込むと、マネージャーより「音楽のお話しでしたらさせていただきますが、お妃候補のことについては、何もお話しできません」との返答だった。’77年8月に『週刊新潮』が報じ“お妃候補第一号”と呼ばれた山崎妙子さんは、美術館の館長になっており、天皇陛下との“再会”も果たしていた。軽井沢で陛下とテニスでダブルスを組んでいたことが明らかとなり注目を集めた山崎さんだったが、東京藝術大学大学院在学中の’86年11月に結婚。日本美術史の博士号を取得した山崎さんは、’07年に山種証券創業者である祖父が設立した山種美術館の館長に。日本で初めての日本画専門の美術館として’66年に開館した山種美術館には、皇族方が鑑賞に足を運ばれることも多い。’12年11月には上皇ご夫妻がご訪問。さらに’15年1月には、天皇陛下と雅子さまがそろって展覧会に。かつてのお妃候補と雅子さまが顔を合わせるという、珍しい場面もあったのだ。
2019年08月09日「宮内庁は、あらゆる人脈を辿り、お妃候補をリストアップしていきました」そう語るのは、フリージャーナリストの小田桐誠さん。’93年の「雅子妃」誕生までの平成のお妃選び、そしてお妃候補となった女性のその後を追った著書『消えたお妃候補たちはいま』(ベスト新書)を今年6月に出版した。「まず、皇族やその親戚が集まる菊栄親睦会、旧華族の親睦団体である霞会館、さらには学習院関係者などに協力が要請されました。また、昭和天皇、香淳皇后、上皇ご夫妻の友人や知人など交流のある方たちも、仲介の役割を担ったのです。さらには、財界や外務省を通じてのルートもありました」小田桐さんが確認した限りでも、70人もの女性が陛下のお妃候補として報じられていたという。「陛下が33歳で雅子さまと結婚されるまで、お妃選びは難航を極めました。娘がお妃候補に上がっていると知った家族は『畏れ多い』と、海外留学やほかの男性との縁談を進めて、候補から外れようとすることも多かったのです。当時、ピアスを開けることが“お妃拒否のサイン”といわれていました。体に傷を付ける人はお妃として望ましくないという見方さえあったのです」学習院関係者の女性も、こう証言する。「女子高等科で、なぜかスカートを長くして、不良っぽい人と付き合っていた生徒がいましたが、自身がお妃候補に挙げられたことを知っての行動だったそうです。また、当時は知人から食事会やテニスに誘われて行ってみると、浩宮さまや礼宮さまがいらっしゃった、という話もよく聞きました。そういった“出会い”の機会を、宮さまの周囲の方々がうまく作っていたようです」しかし、お妃選びに関する情報は宮内庁内でもトップシークレットとされた。当時、宮内庁長官官房総務課で報道担当だった山下晋司さんでも、お妃候補についてはほとんど関知することはなかったという。「お妃候補については、宮内庁でもごく一部の幹部しか知りませんでした。そのため、当時はどんな問い合わせにも『わかりません』『聞いていません』と答えるしかありませんでした」今回本誌は、宮内庁担当記者が当時宮内庁幹部や天皇陛下の知人らを取材して作成していた“極秘リスト”を入手した。そこにはお妃候補のプロフィールから、今後の展望についても詳細に記されている。ちなみに雅子さまは“(陛下の)好みのタイプの原型”とメモされている。一方で候補外となった女性について《親戚が〇〇事件で逮捕されていることが分かり……》《母方の父が××(旧日本軍の幹部)で……》といった記述も。「雅子さまもの場合も、母方の祖父が水俣病を引き起こしたチッソの社長を務めたことがネックとなり、一度はお妃候補から外れています。親類など本人以外の事情を宮内庁が問題視することも多かったのです。それでも陛下の『小和田雅子さんではだめでしょうか』との強い要望があり、再会が果たされました」(前出・皇室担当記者)天皇陛下にとって初めてのお妃報道は、陛下が17歳のとき。将来、天皇となられる悠仁さまは現在12歳。5年後にはお妃候補が取り沙汰される可能性も高いのだ。大学講師も務める小田桐さんは、『消えたお妃候補たちはいま』を学生たちに読んでもらい、感想を聞いたという。「やはり『悠仁さまの結婚は難しくなるのでは』という意見はありました。若者は皇室にさほど興味を持っていませんが、それでも美智子さまや雅子さまがたいへん苦労されたことは知っています。開かれた皇室といっても、変わらぬ儀式や伝統があり、自由がないという印象もあるようです。女性の社会進出も進んでおり、結婚願望がない女性も増えています。30年前との大きな違いは、インターネットの普及です。小室圭さんの一件もあり、『候補に上がっただけでもネットでいろいろと書かれてしまいそう』と懸念する声は非常に強いです」天皇陛下が雅子さまという理想の女性を見つけられたように、悠仁さまにも運命のお相手が現れることを祈りたい——。
2019年08月08日7月29日、パシフィコ横浜で開かれた「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019」に天皇皇后両陛下が出席された。雅子さまは当初ご予定のないなかでの“サプライズご出席”だったが、開会式からレセプションまで全てのご公務をこなされた。この日の装いは、ネイビーの縁取りとトンボ玉がアクセントになった白いジャケット。令和になってからの雅子さまらしいファッションだった。「お若いころにお似合いだった赤、青、緑、黄色などのビビッドカラーから、最近は白や淡い色合いにされて優しい印象になりました」そう語るのは、ファッション評論家の石原裕子さん。ほかにも、令和での雅子さまのファッションには3つの傾向があるという。■国際交流は和風でおもてなし「トルコのエルドアン大統領夫妻との会見で、皇后として初めて和服をお召しになりました。国際親善の場では、洋装でも和テイストが印象的です。5月に行われた中国駐日大使との御会見、トランプ大統領夫妻の宿泊先御訪問では、お着物の半襟のように、襟と袖の部分に二枚重ねの和風のデザインを取り入れたスーツをお召しでした。2枚とも数年内に作られたスーツで、雅子さまにお似合いのスタイルです」(石原さん、以下同)■レース&ブレードで華やかに「トランプ大統領を招いての宮中晩餐会や、フランスのマクロン大統領とのご会見では美しいレース使いが素敵でした。特に、マクロン仏大統領夫妻をお迎えの際の淡いブルーのアンサンブルは、サテンにレースを貼り付けた2枚仕立てのジャケットが豪華。雅子さまの定番のテーラード・ジャケットは、ブレードや布での縁取り、襟のデザインなどで様々なバリエーションを作られています」特に愛知県ご訪問、日本学士院授賞式、日本芸術院授賞式でお召しになった3枚のシルクのスーツは色違いで、雅子さまのお気に入りだという。■柔和な印象のゆったりシルエット「皇后となられ、ご年齢相応の装いをされていると思います。例えば、麻布保育園の御訪問ではスカートをセミタイトに。愛知県ご訪問時はお若いころよりゆったりしたシルエットのグレーのパンツスーツをお召しに。そうしたシルエットの変化が、落ち着きと気品を醸し出しています。最近の雅子さまの装いには、皇后としての風格が感じられます」8月にも全国戦没者追悼式や、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式など、ご公務でお忙しい日々が続く雅子さま。どんな装いで臨まれるかにも、注目が集まる。
2019年08月01日愛子さまの通う学習院女子高等科が夏休みに入って間もない、7月23日。ペルー、ボリビアご訪問から帰国されたばかりの眞子さまが、天皇皇后両陛下へのご挨拶のために赤坂御所を訪れた。宮内庁関係者は語る。「眞子さまは、両国の大統領から預かったメッセージを、両陛下にお伝えするために赤坂御所に来られました。異例のことですが、実はその場には愛子さまもいらっしゃいました。20分ほどかけて、眞子さまは南米での出来事をお話しになったそうです」愛子さまはちょうど夏休み前の地理の授業で、南米について学んでいたという。「眞子さまが語る現地でのエピソードに、愛子さまはたいへん興味を持たれていたと伺っています。侍従職は宮内記者たちには、愛子さまがいらした理由を『時間が合ったから』と説明していましたが、雅子さまが同席を提案されたのではないでしょうか。愛子さまも近い将来、同じように公務で海外訪問をされることになります。5回目の海外公式訪問を終えた眞子さまからの“特別レッスン”は、貴重な勉強の機会になったことでしょう」(宮内庁関係者)
2019年08月01日上皇陛下は7月11日の夕方、強い脳貧血の症状があり、治療を受けられた。体調が回復された上皇陛下は、15日には美智子さまとご一緒に健康診断を受けられた。すると今度は美智子さまに、一部再検査が必要な項目が見つかったのだ。「6月には心臓の異常が発見され、白内障の手術もされました。まだ再検査の詳細は発表されていませんが、美智子さまのご体調も心配です」(皇室担当記者)だが、白内障手術について報じた記事に対し、ヤフーニュース上ではこんなコメントが。《病気だ、体調悪いアピールする年寄りに限って元気だよね》《いろんな理由をつけて、引っ越しを先延ばしにして、権力を誇示しているのですか?》美智子さまの体調を案じるどころか、心ない言葉の数々が並んでいるのだ。さらにTwitter上には、このような信じがたいツイートも見られる。《皇后雅子さまは上皇夫妻に25年間いじめられてきたの、本当に理不尽だったと思う》《雅子皇后陛下の活躍をもう妨害したり口出ししないで、静かに隠居生活をしていただきたいと心から願います》雅子さまはこれまで、美智子さまにいじめられ続けてきた――。そんなツイートが、御代替わりを機に目立ちはじめているのだ。美智子さまは以前からインターネットを利用されている。’12年に上皇陛下が心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた際、パソコンを駆使してリハビリの勉強をされた。美智子さまの古くからの友人も「私がFacebookで親族の介護を日記風に記していると、美智子さまから『とても面白うございました』とご感想をいただき、恐縮いたしました」と話している。美智子さまがネット上の“心なき誹謗”の数々をご覧になっていてもおかしくはない。雅子さまは’03年12月に帯状疱疹を発症され、長い療養に入られた。陛下は’04年2月の会見で《皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも、とても大きなものだったと思います》と述べられている。「独身時代は外務省で活躍された雅子さまですが、皇室に入られてからは“目立ちすぎないように”と気を使っていらっしゃいました。雅子さまにとって、美智子さまと比べられることも大きなプレッシャーになっていたのでしょう。当時、雅子さまの苦しみを理解していたのは、陛下ただ一人だったといっても過言ではないのです。美智子さまも、苦悩を抱える雅子さまに寄り添えなかったことに、忸怩たる思いを抱かれたに違いありません」(皇室担当記者)適応障害という診断が下った雅子さまについて、当時美智子さまは《東宮妃の回復を願い、助けになりたい》と会見で語られていた。しかし、実際には一時期、雅子さまと美智子さまは疎遠になってしまう。上皇陛下が《愛子と会う機会も限られ、残念》と会見で漏らされるほど、両家の交流は途絶えてしまったのだ。当時、美智子さまは知人に「今は、ただ待つしか無いのよ」と、雅子さまに手を差し伸べることもできない苦しさを語られていたという。誹謗の矛先が美智子さまに向いてしまった背景には、皇后となられた雅子さまの著しい“復活”があると皇室担当記者は言う。「天皇陛下が即位して以降、雅子さまは数々のご公務をパーフェクトにこなされ、国際親善での存在感は世界に絶賛されています。これほど急激なご快復は、雅子さまをいじめてきた美智子さまが表舞台から身を引かれたからに違いない――。そんな憶測につながっているものと思われます」しかし、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう話す。「美智子さまは皇太子妃になられて以来、皇室のしきたりの中で大変な思いをされてきました。“いじめ”に近い体験もあったはずです。ご自分がやられておつらかったことを、後進になさるような方ではありません。雅子さまを長い間見守ってこられた美智子さまが、バッシングを受けているという事実は、たいへん嘆かわしいことです」ようやく上皇陛下との平穏な日々を迎えようとされている美智子さま。これ以上のご心労が重ならないことを祈るばかりだ。
2019年07月26日モデルとして80年代から数々の雑誌で活躍し、女優としても、出演作は決して多くはないものの『リング』の貞子の母親役などで鮮烈な印象を残した雅子さん。彼女が、罹患者は10万人にひとりという希少なガンとの闘病の末、50歳の若さで亡くなったのは2015年の1月のこと。それからほぼ間を置かず、彼女の夫である大岡大介は、彼女の半生をたどるドキュメンタリー映画の製作を決意する。彼女が19歳でデビューした当時のことや、その後の活躍について知るカメラマンやモデル仲間、スタイリスト、映画やCMの共演者、映画監督など多くの関係者に取材し、4年もの歳月を経て完成したのが7月26日(金)より公開される映画『モデル 雅子 を追う旅』である。映画製作の動機は「モデル・雅子を知らな過ぎたから」「ここまでくると、ずっと彼女に向き合っていたというよりも、ある意味で一緒に生きてきたような感じですね」――。大岡監督はこの4年半の歳月をそうふり返る。大岡監督が雅子さんと結婚し、生活を共にした時間は2006年から2015年までの約9年弱。知り合う以前は、“モデル・雅子”の存在すら知らなかったし、結婚後も互いの仕事について、深く話をすることはあまりなかった。「たまに『こんなの出たよ』と自分が出ている雑誌を見せてくれたりはしたし、『仕事どう?』くらいの会話はしましたが、家での会話は、2人での生活のことが最優先でした。趣味や交友関係でも、互いの領域に踏み込むことはあまりなくて、例えば2人とも映画は好きだけど、僕はハリウッド映画とアニメが好きで、彼女が好きなのはアート系やフランス映画。『え? 『スター・ウォーズ』見たことないの? 信じらんない!』『はぁ? なんでよ?』みたいな会話を繰り広げてましたけど(笑)」彼女が亡くなって、大岡監督は初めて気づく。モデルとしての雅子さんについて、自分がほとんど何も知らないということに。「この映画を作った第一の動機は、あまりにモデル・雅子を知らな過ぎたから。恋焦がれるような気持ち、そしてなにより、彼女を忘れてはならないという思い、自分が彼女を忘れ去ってしまうことへの恐怖で動き出しました」。関係者の話から浮かび上がる雅子の姿『リング』の中田秀夫監督や雅子さんを被写体に多くの写真を撮影したカメラマンの安珠が、彼女の持つ特別な“何か”について語れば、CMで共演した高嶋政宏やモデルの藤井かほりは撮影現場や日常での彼女のプロ意識の高さを語る。その一方で、彼女が出演した映画『サヨナラCOLOR』を監督した竹中直人は「顔はあんなにきれいでシャープなのに、お茶目でちょっとドンくさい雰囲気もあって…(笑)」と意外な一面を明かし、彼女が通っていたバレエ教室の先生は「超不器用ですよ」と断言する。大岡監督は、自身が出会う以前の雅子について語られる様々な言葉をどう受け止めたのか?「さばさばした性格で、飾ったところのない人だったので、彼女がモデルとしてどんな立ち振る舞いをしていたのかは想像はしていましたが、具体的にお話を聞くと、僕がなんとなく『こういう人だな』と思っていたものがどんどん裏付けられていくような感じでした。全く新しい、知らない雅子像が出てきたというよりは、いろんな人の言葉によって、ボンヤリとした幻、蜃気楼の輪郭がハッキリとしてきたような」。「不器用な部分なんかは、僕は普段からそういう部分を見てきましたので、なんならもっと知ってますよ(笑)という感じですね。彼女が亡くなってから、SNSなどを通して、ある種、彼女を崇め奉るような大ファンの方から連絡をいただいたりもしていて、でも僕に言わせれば彼女は“普通の人”でした。だから、そういう彼女のヌケサクな一面をしっかりと語ってくださる方がいたのは嬉しかったですね」。モデルとしての高いプロ意識モデル仲間や友人たちの口から、道を渡るほんの数秒、紫外線にさらされる際にも雅子さんが日傘を使用し、風呂上がりのスキンケアなどに、同じモデル仲間も驚くくらい、時間をかけていたことなどが明かされる。プロ意識の高さ――そこには、彼女の仕事に対する責任感だけでなく、誰もができるわけではないモデルという仕事に対するプライドがあった。「映画の中で、(モデルの)木村東吉さんが『モデルとは何か?』ということを語ってらっしゃいますが、雅子もまた、自分に課せられた仕事がなんなのか? ということに非常に意識的だったんだと思います」。「これは映画には出てこないですが、彼女と出会った頃のすごく印象的な言葉があって、ちょうどその頃、いわゆる“読者モデル”と言われる、ごく普通の人との境界線が曖昧なまま、いろんな活動をする人たちが出始めてきていたんです。そういうコたちが、ランウェイを歩いているのを見て、僕が何気なく『すごいよね』とポロっと口にしたら、彼女はすごく真剣な顔で『そういう人たちをモデルって呼ばないで』と言ったんです。その出来事は僕の心の中にずっとくさびとして残っていたんだなと思います。19歳でモデルを始めて、20代、30代、40代と『モデルの務めとは何なのか?』『何をもってモデルたりうるのか?』と彼女は懸命に真摯に考え続けてきたんです」希望や未来も感じた闘病生活映画では、彼女の病気、闘病生活や死についても描かれる。がんの転移が見つかり、その治療の過程で骨がもろくなり、胸椎を圧迫骨折をしたことで、モデルの命とも言える「姿勢」を取り戻すことが困難になっても、彼女は「(顔だけを撮影する)ビューティーの仕事ならやれる」と笑みを浮かべて語ったという。2人の最後の日々は、強く胸に迫るが、決して大げさな悲愴感を感じさせず、むしろ希望や未来さえ感じさせる。「彼女の姿を見て、僕自身、頑張らなきゃと勇気づけられましたね。そういう部分に関して、2人とも“そこそこの頑張り屋”であり、“まあまあのリアリスト”であり、“まあまあのロマンチスト”でもあり、その配分がいい感じで合っていたんでしょうね」。「一番大事なのは、今日一日を生きのびることであり、その積み重ね。病気があるのは事実だけど、それも含めて生活なんだと。2人とも『もう私死ぬわ…』『そんなこと言うなよ』『手を握って』みたいのは大嫌い(笑)。もっと言うと『これ、絶対に治るだろ』って疑いのない思いを抱いていました。彼女は自分の身体のことですから、どこかで『もうダメかも』とか『しんどい』という思いもあったかもしれないけど、そんなの一切出さず、深刻になり過ぎずに普通に生きることを大事にしていたように感じています」。“強さ”から“柔らかさ”を身にまとう雅子「僕にとってもひとつの発見」そして本作において語られる様々な“言葉”と同等、いやそれ以上に強いエネルギーを持っているのが、写真や映像に残る雅子さんの姿そのものである。映画のポスタービジュアルに使用されているのは、大岡監督が知り合うよりもずっと前の、20代の頃の若き日の写真。映画の中でも言及されるが、30代後半、40代と年齢を重ねていく上で、彼女がある種の“柔らかさ”を身にまとっていく一方、若い日の姿、特にその視線は何かに挑戦するような、対峙するような“強さ”を帯びている。「それは僕にとってもひとつの発見でした」と大岡監督は言う。「若い時の雅子と年齢を重ねてからの雅子。どちらも同じ人物だけど、違う…でも、間違いなく雅子――雅子の皮をむいたら出てきた雅子とでもいうのか…?(若い頃は)物語を背負っているようにも見えるけれども、でも、物語を背負えるほどには歳を重ねてもいないんですね。何なんだ? これは…と一瞬、頭が混乱するような思いに駆られました。そんな彼女が年齢と共にいろんなものを備えて、柔らかくなっていったのかな?そんなことまで気づかせ、感じさせてくれる、改めてとんでもない人だったんだなと感じました」。80年代、90年代、そして2000年代以降、社会や女性の在り方が変化していく中、モデルとして、時代を自らの肉体に映し出し、駆け抜けた雅子さん。まさに現代を生きる人々の“モデル”であり、観る者の心に強く何かを訴える。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:モデル 雅子 を追う旅 2019年7月26日~アップリンク吉祥寺にて1週間限定、全国にて順次公開。©︎2019 Masako, mon ange.
2019年07月25日2015年、50歳の若さで逝去したモデル・雅子の半生を辿るドキュメンタリー『モデル 雅子 を追う旅』が、7月26日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開。当初1週間限定上映を予定していたが、公開前に全日程チケット完売という好評を受けて続映が決定。さらに公開初日には縁のある竹中直人の登壇も明らかになった。19歳でモデルとしてデビューして以降、誰よりも強いプロ意識を持ち、雑誌「an・an」や「装苑」など時代の最先端で活躍した雅子。役者としてもその才能を開花し、CMや映画『リング』で貞子の母・志津子を演じるなど大きな話題となった。その素顔は、映画とフランスとチョコレートが大好きで、等身大の美しさを大切にするひとりの女性だった…。本作では安珠、田村翔子、藤井かほり、高嶋政宏、中田秀夫監督、石井たまよ、竹中直人ら生前の雅子を知る人々に、夫である大岡大介氏が自らインタビューを敢行。美しさに隠された、愛すべき素顔が明かされていく。今回、公開前に全日程が完売となったことを受け、急きょ8月2日以降の続映が決定。また、初日7月26日には本作出演者であり、雅子さんが出演した映画『サヨナラCOLOR』(’05)の監督でもある竹中さんの登壇も決定。竹中さんからコメントが到着している。竹中直人「苦しくも美しくせつない映画になっているのでしょう」雅子さんとは渋谷にシネマライズがあった頃、ヴィンセント・ギャロ監督作品『ブラウンバニー』(2003)の試写会で偶然お会いしました。夜の渋谷、シネマライズには試写会に並ぶ人の行列が出来ていました。近づいて行くとそこに佇む雅子さんとしっかり目が合ったのです。お互い初対面だったのですがほんの数秒しばらく目が合ったままでした。今もあの時の雅子さんの眼差しをふと思い出します。妖艶なあの眼差しを…ご主人である大岡さんがどのような思いを抱いて雅子さんというひとりの女性を描いたのか…苦しくも美しくせつない映画になっているのでしょうね…。わたくしごときをトークイベントにお呼び下さり感謝しております。竹中直人『モデル 雅子 を追う旅』は7月26日(金)よりアップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:モデル 雅子 を追う旅 2019年7月26日~アップリンク吉祥寺にて1週間限定、全国にて順次公開。©︎2019 Masako, mon ange.
2019年07月12日