フリーアナウンサーの高島彩(45)が1日、自身のインスタグラムを更新。ヘアカットしたことを明かし、写真を紹介した。「髪を切って娘のお迎えへ」とつづり、1枚の写真をアップ。テレビ出演時は髪をアップにしていることが多くどのくらい切ったかは定かではないが、肩のあたりまである髪を下ろしたスタイルで、普段とのギャップを感じさせるイメチェンショットとなっている。この日、東京では冷たい雨が降り、高島は「体調を崩さないようにお気をつけください」とフォロワーたちを気遣った。
2024年05月02日明治座創業150周年記念ファイナル公演 舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』の初日公演が6日、東京・明治座で行われ、終演後に行われた取材会に、藤原紀香、剛力彩芽、高島礼子らが出席した。1981年の発表以来、爆発的な人気を博し、時を超えて令和となった今の時代も愛され続けている『CAT‘S EYE』。今回の舞台版は、明治座の創業された時代でもある明治時代に設定を変え、怪盗キャッツアイの3姉妹が鮮やかな盗みの大一番を披露するオリジナルストーリーとなる。主人公となる怪盗キャッツアイの3姉妹は、次女・来生瞳役を藤原紀香、長女・来生泪役を高島礼子、三女・来生愛役を剛力彩芽が演じる。初回公演を終え、剛力は「無事初日を迎えられてうれしい」と喜び、「この皆さんとできてよかったなと改めて思いました。ここからもっともっと盛り上げていけたらいいなと思います」と語った。衣装の話になると、「姉さん2人がとてもセクシーで、そこには並べない」と言い、「特に『セクシーじゃなくしてください』とか言ってないですけど、愛ちゃんらしくてうれしいなと。かわいい要素とかっこいい要素も入って、とても動きやすいですし、オレンジカラーも大好きなので、自分のテンションがすごく上がってうれしい」とお気に入りポイントを説明。さらに、「姉さん2人を見ながらいつも『あ~美しいな』と思いながら、ここを目指そうと思っています」と藤原と高島から刺激を受けているようだった。舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』は、東京・明治座にて3月3日まで上演。取材会には、染谷俊之、上山竜治、長谷川初範、川久保拓司、佃井皆美、新谷姫加、美弥るりかも出席した。
2024年02月06日明治座創業150周年記念ファイナル公演 舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』の初日公演が6日、東京・明治座で行われ、終演後に行われた取材会に、藤原紀香、剛力彩芽、高島礼子らが出席した。1981年の発表以来、爆発的な人気を博し、時を超えて令和となった今の時代も愛され続けている『CAT‘S EYE』。今回の舞台版は、明治座の創業された時代でもある明治時代に設定を変え、怪盗キャッツアイの3姉妹が鮮やかな盗みの大一番を披露するオリジナルストーリーとなる。主人公となる怪盗キャッツアイの3姉妹は、次女・来生瞳役を藤原紀香、長女・来生泪役を高島礼子、三女・来生愛役を剛力彩芽が演じる。初回公演を終え、高島は「感謝しかありません。河原(雅彦)監督からたくさん指導をいただき、今までやったことのない芝居にたくさん挑戦させていただいて本当に楽しいです。やる気満々で、千秋楽までにもっと上達できるんじゃないかとワクワクしています」と声を弾ませた。胸元がざっくり開き、肩も露出した衣装で取材会に出席した高島。衣装を初めて着たときの心境を聞かれると「大変でした」と振り返り、「『胸開きすぎていませんか?』とか『肩出すんですか?』とか。今まで肩出しの露出の高い衣装をあまり着たことがないので、『できればもうちょっと上げて』とか。こんなゴージャスなウィッグも初めてなので、初めて尽くしで、自分じゃないみたいです」と照れ笑いを浮かべた。舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』は、東京・明治座にて3月3日まで上演。取材会には、染谷俊之、上山竜治、長谷川初範、川久保拓司、佃井皆美、新谷姫加、美弥るりかも出席した。
2024年02月06日「『めざまし』やってたときの体力で子育てしたい」高島彩さんと中野美奈子さんは、朝の情報番組『めざましテレビ』キャスターとしてタッグを組んでいた2人。高島さんが「本当に、美奈ちゃんいなかったら、無理だった」と明かすと、中野さんも「私も、彩さんいなかったら無理だった」と応じ、あつい信頼関係があるようです。現在はともにフリーアナウンサーとして活躍。高島さんは退社後の2014年に第一子、2016年に第二子を出産しており、一方の中野さんも2016年に第一子、2021年に第二子を出産して子育てに奮闘しています。井上アナが「会社員時代との違い」を尋ねると、会社員のときは細かいメールのやりとりやスケジュール管理、交通費精算などすべて自分でやっていたのが、今は事務所スタッフが代わりにやってくれるので「何もできなくなった」というお2人。しかしそのぶん「家庭に振ってる」と、家族のために時間を割けるようになったといいます。それでも育児は重労働。高島さんが「『めざまし』やってたときの体力で子育てしたいって思うことは、よくある。もう体力が、単純に衰えてるから」と嘆くと、中野さんは「子育ての、赤ちゃんの不規則な時間と、仕事の不規則な時間って、まったく別物ですよね?」と確認。高島さんも「別物だね」とキッパリ断言しました。中野さんいわく、仕事も育児も「責任感」は同じであるものの、育児は「いつ何時、泣いたり起きるか何があるかわからない」という不確定要素が大きいもの。高島さんも、「トイレ行くにもついてこられて『ママー!』みたいなのから、寝るときだってお風呂だって……日常生活が、ずっと自分が自分じゃないような時間」だと明かしました。ただ、「でもそれも、一時期なんだよね」としみじみ。そして高島さんには産後まもない時期の忘れられないエピソードがあるのだとか。それは第一子を出産した年の『FNS歌謡祭』で司会進行を務めたときのこと。まだ赤ちゃんに授乳している時期だったため、リハーサルから夜の生放送まで非常に長時間となる現場で、母乳が止まらなくなってしまったのだといいます。「授乳中だから、どんどん母乳が作られてて、だんだん張ってくるわけ。だからもう、ドレスの中でおっぱいが……」「自然現象で、どうしようもなくて。もう、スタイリストさんのところへ駆け込んで、あわてて着替えて」と振り返りながら、思わず笑ってしまう高島さん。そんなハプニングも高島さんは「いい思い出。なんかそんなふうに仕事したのって」と懐かしみ、「やっぱり、面白いか、面白くないかでいったら、面白いほうにいきたいじゃない」「私、けっこう好きなエピソード。『FNS歌謡祭』で母乳が出ました!」と笑顔で語りました。職場復帰しても母乳を続けることはできる?出産後、職場復帰するにあたって授乳を続けるか迷うお母さんは多いでしょう。「ママのお仕事の再開」は母乳をやめる大きなきっかけのひとつになっているようです。しかし必ずしも職場復帰=断乳というわけではなく、出勤前やお迎え後に自宅で母乳育児を継続している人も少なくありません。日中に赤ちゃんと離れる生活を送るようになってしばらくは、胸が張って痛みを感じることも。その場合は職場で対処する必要があるので、清潔なタオルと手指消毒用の除菌アイテムを準備しておきましょう。胸が張って痛いと感じたら、タオルを母乳の受け皿にし、消毒した手で乳房全体を包むようにして軽く母乳を搾る「圧抜き」をします。トイレの個室で行うママもいますが、更衣室や施錠できる空き室などを借りられるとより良いですね。また、不潔な状態で行うと細菌感染を起こすことがありますので、必ず清潔なタオルを使用し、清潔な手で行いましょう。参照:【助産師解説】母乳の場合の保育園準備、断乳・卒乳のタイミングは?
2024年01月09日女優の高島礼子が19日、都内で行われた明治座創業150周年記念ファイナル公演 舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』の製作発表会見に、藤原紀香、剛力彩芽、染谷俊之、上山竜治、長谷川初範、新谷姫加、美弥るりか、脚本の岩崎う大(かもめんたる)、演出・共同脚本の河原雅彦氏とともに出席した。1981年の発表以来、爆発的な人気を博し、時を超えて令和となった今の時代も愛され続けている『CAT‘S EYE』。今回の舞台版は、明治座の創業された時代でもある明治時代に設定を変え、怪盗キャッツアイの3姉妹が鮮やかな盗みの大一番を披露するオリジナルストーリーとなる。主人公となる怪盗キャッツアイの3姉妹は、次女・来生瞳役を藤原紀香、長女・来生泪役を高島礼子、三女・来生愛役を剛力彩芽が演じる。高島は「大好きな『キャッツアイ』の泪姉さんをやらせていただくということで、ものすごく緊張していますが、楽しみにしています」と心境を述べ、「初めて共演する方がほとんどで、きっと素晴らしい刺激を受けながら、私も負けじと頑張りたいと思っています。少しでも心の中に長く生き続けるような作品になるように一生懸命頑張りたいと思います」と意気込んだ。高島と藤原はプライベートで交流はあるものの、共演は初めてだという。高島は「紀香ちゃんはすごくいい刺激をくれます」と言い、「今日も紀香ちゃん何を着るんだろうと。こんなに製作発表で悩んだのは初めてです。つい2、3日前まで全く違う衣装だったんですが、紀香ちゃんがちゃんとスタッフに衣装を報告されていて、お写真をいただいて、急きょ『これではいけない』と、思わず自前の着物を着てきました」と藤原に刺激を受けてこの日の衣装を変えたことを明かした。さらに、「いろんなことに一生懸命考えたほうがいいんだなというところを、これから芝居の面でも、紀香ちゃんはものすごくいい刺激をくれると思っています。モチベーションを上げてくれる方だなというのは以前からずっと思っていました」と続け、「だから今回本当に楽しみです。まさか妹、ありがとうございます」とうれしそうに話していた。舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』は、東京・明治座にて来年2月6日~3月3日に上演。
2023年12月19日女優の高島礼子さんが、同じく女優のとよた真帆さん、常盤貴子さんといっしょにランチ会をした様子を自身のInstagramに投稿しました。豪華な女子会を報告 この投稿をInstagramで見る 高島礼子(@reico.official)がシェアした投稿 高島さんは、とよたさんと常盤さんの名前、さらに「女子会ランチ」や「楽しい会話」「美味しい食事」というハッシュタグをつけて投稿。「会話が途絶えません。やっぱり楽しいですね。頼もしいとても良い刺激を受けました」と素直な気持ちを綴っています。 投稿を見たファンからは「すごいメンバー」「豪華な女子会」「超〜美女トリオ」「皆さん変わらずお綺麗」「美人3人組」などの声が集まっています。 女子会の会場となったのは、とよたさんが今年8月に開いたレストラン「ロジエ」。高島さんのInstagramに再び、とよたさんと常盤さんが登場する日が楽しみです。
2023年10月23日「私にとって晨伍(しんご)は、泣いて笑って大切に育てた、かけがえのない宝物でした」そう苦渋をにじませるのは高島淳子さん(60)。淳子さんの次男・晨伍さんは、’20年春から研修医として甲南医療センター(神戸市・以下センター)に勤務。’22年4月からは、より専門を深める“専攻医”として消化器内科で勤務していたが、同年5月17日、下宿先で自死しているところを母・淳子さんが発見した。西宮労働基準監督署は、「極度の長時間労働による過労自殺」として’23年6月5日労災認定した。晨伍さんは、自死までの3カ月間、100日連続勤務し、直前1カ月の時間外労働は、過労死ラインの2倍超の207時間にも及んでいた。《おかあさん、おとうさんの事を考えてこうならないようにしていたけれど限界です……》晨伍さんの遺書には、そんな悲痛な心境が記されている。しかし、労災認定の報道を受けて、8月17日記者会見を開いたセンターの具英成(ぐえいせい)院長の発言は、遺族の心情を再び深く傷つけた。「本人が申請していた時間外労働は月30.5時間。医師の仕事は自由度が高く、(スキルを高めるための)“自己研鑽”の時間と業務の時間を切り分けることはむずかしい。過重労働させたという認識はない」そのうえ、第三者委員会の調査結果すら開示されていないという。このままでは息子の死はムダになるーー。そう考えた淳子さんらは、病院側を刑事告訴。病院の記者会見の翌8月18日、大阪で記者会見を開き、自死までの経緯公開に踏み切った。自死に至るまでの3カ月間、晨伍さんに何があったのかーー。「晨伍は昨年2月頃から、〈休みがない。毎日5時半に起きて23時に帰る。バスもないからタクシーなんやで〉〈やることが多すぎて早く行かないと通常業務が回らない〉と、私にこぼしていました。でも、具院長は、〈コロナ禍での減収や、病院の改修費用のことも考慮して法外な残業申請をしないように〉と言及したと申していました」不運にも、消化器内科には晨伍さんの同期がいなかった。「だから気軽に相談できる相手もおらず、他の専攻医や先輩医師らは晨伍に目配りできる余裕もないほど忙殺されていたんでしょう」5月に入ってから、晨伍さんの精神状態は、ますます悪化。「下宿に様子を見に行くと、冷蔵庫にはゼリー飲料しかなく、郵便ポストもぱんぱん。初期研修医の頃は、好きな音楽を聴いたり野球観戦したりしていましたが、それもなくなり、表情は能面のようでした。そうかと思うと、〈日曜日が2回ないと通常業務が回らない。誰か助けてくれ〉〈明日になればすべて終わってほしい〉などと言って、涙を流すこともありました」親には決して泣き言を言わず、仕事に対して誠実に向き合っていた息子の豹変ぶりに驚いた淳子さんは、何度も、休職して実家へ戻るよう説得したが〈休職などしたら二度と戻れない〉と考える余裕すらない様子だったという。とどめをさしたのが学会発表のスライド作りだった。「晨伍は、〈2月、3月に続けて5月も担当にさせられた。気がかりで眠れない〉〈提出期限の前にも当直が入っているから絶対無理や。重たすぎる、重たすぎる〉と呪文のように唱えて。先輩医師にスライドを見せても批判ばかりで、〈(できないなら)白紙で出せ〉と言われたと聞いています」晨伍さんが自死する4日前には、こんな出来事もあった。「『明日、気分転換に近所の海鮮料理屋に行ってみよう』と、晨伍にメールを送ったら、〈(忙しいから)100%ムリ!〉とすぐに返信があったあと、病院のトイレから泣きながら〈吐き気が止まらない。絶対に行くのはムリ!〉と常軌を逸した様子で電話がかかってきて……」晨伍さんが自ら命を絶つ5月17日(火)の13時ごろ、淳子さんの元に晨伍さんからこんなメールが。〈先に謝っておくけど、朝に変な気を起こしかけたけど、大丈夫。起こさんようにするから安心して〉意味深な内容に胸騒ぎを覚えた淳子さんだが、何度電話してもつながらなかった。慌てて夜の高速を飛ばして下宿先に駆けつけると、玄関に靴があるのに電気は消えたまま。ウオークインクローゼットをのぞくと、変わり果てた晨伍さんの姿があったという。「なんで!しんご、なんで!と絶叫しながら心臓マッサージをしつつ通報したんですが……」死亡推定時刻は18時。晨伍さんは、この日、出勤前にも自殺未遂を図っており、首に赤い痕が付いていたのを、同科の医師が目撃していたという。「晨伍が亡くなったあと、具院長がすぐに電話をかけてきて、〈高島君は別格に優秀だったので、みんな嘱望して彼を鍛えていたんです〉とおっしゃった。私、“鍛えていた”という言葉にとても違和感を覚えて不穏な気持ちになったんです」■’24年開始の厚労省の改革にも依然問題点が全国医師ユニオンの代表で医師の植山直人さんは、「病院側は、労務管理のまずさとパワハラを隠すため、問題をすり替えようとしている」と、こう批判する。「月200時間を超える時間外労働をしなければ通常業務ができないほど“雑務”を押し付けられていた。“自己研鑽”などする余裕はほとんどなかったんです」厚労省は来年度から始まる“医師の働き方改革”に向けて取り組みを進めているが……。「厚労省は、依然として医師だけ例外的に年間1860時間まで時間外労働を認めています(一般的には年間360時間まで)。日本は世界平均と比べて医師数が少ないため、長時間労働をしないと救急を担う地域医療を守れないからです。一方、当会の調査では〈長時間労働が医療過誤の原因となっている〉と答えた医師の割合は約8割にも上っています」(植山さん)淳子さんの悲痛は計り知れない。「晨伍は生前、医師になってよかったと話していました。医師の労働環境の改善を心から願います」■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2023年09月04日「スタンドUPスタート」第8話が3月8日オンエア。戸次重幸演じる高島の苦悩とその後の活躍に「有能すぎてビビる」「大海さんにはやっぱり高島さんが必要」などの声とともに、「高島回ありがとうございました」など“高島ファン”からの声がSNSに溢れている。竜星涼さん演じる“人間投資家”が“資産は人なり”を信条に、仕事での失敗や挫折をしてしまった人、将来の夢を諦めてしまった人、様々な事情を抱えた人々を“起業”によって新たな人生の道へ導いていく“人間再生ドラマ”となる本作。大企業・三ツ星重工社長の弟だが不正の責任を取る形で会社を去り、ファンドを立ち上げ、様々な人の起業に力を貸している三星大陽を竜星さんが演じるほか、大陽の兄で三ツ星重工代表取締役社長の三星大海には小泉孝太郎。三ツ星重工の社長室長で大海の右腕として彼を支える高島瑞貴に戸次重幸。三星兄弟の叔父で三ツ星重工副社長をしている三星義知に反町隆史。また大陽によって起業家となった小野田虎魂に吉野北人。林田利光に小手伸也。立山隼人に水沢林太郎。羽賀佳乃に山下美月。音野奈緒に安達祐実。三ツ星重工造船所跡地をネットスーパーとして再生させた武藤浩に塚地武雅。武藤とともに働く道を選んだ三ツ星重工元常務の山口浩二に高橋克実。山口と“山谷コンビ”と呼ばれていた加賀谷剛に鈴木浩介といったキャストが出演。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。大海と副社長の義知から呼び出されるた高島が社長室に向かうと、そこには元経産省エネルギー庁長官で、勇退後「三ツ星エネルギー」副社長に就任した篠田博康(岩城滉一)の姿があった。その席で大海は、篠田が取締役兼社長室長に就任し「お前の席を明け渡してもらうことになる」と高島に告げる。高島に与えられた次のポストは篠田の補佐という立ち位置だった。これは義知の策略で、篠田が室長になることで会社での居場所を失った高島が辞めれば、大海は孤立するというのが義知の考えだった。自分の存在価値を否定されたように感じ荒れる高島に大陽は、無駄が嫌いな兄がどうして室長に補佐なんか置いたのか、と問いを投げかける。高島は篠田の不正を暴き室長に復帰する…というのが今回のストーリー。視聴者からは「単独で篠田の不正を見付ける高島さんが有能すぎてビビる」「大海さんにはやっぱり高島さんが必要だったね」などの声や、「高島回ありがとうございました」「高島さん回だったね!いやぁ、良き回でした」「高島さん色々詰め合わせありがとうございます」など“高島ファン”からの感謝の声などがSNSに寄せられる。また「岩城滉一と反町隆史を起用する豪華キャスト」「そういえば昔、岩城滉一と反町隆史があまりにも似てると親子説あったな」など、義知役の反町さんと篠田役の岩城さんの共演に触れたコメントも多数投稿されている。【第9話あらすじ】ワカラン社が使っている「宅・システム」を虎魂のチームが改良し、どの家電をどのくらい使ったかまで把握できる「宅・システム・メーター」を完成させる大陽は音野が管理しているシニア向けマンションでこのシステムの実証実験を行い、実用性が証明されたためベンチャーサミットでプレゼンをすることになるが、そこに義知がやってくる…。「スタンドUPスタート」は毎週水曜22:00~フジテレビ系にて放送中。(笠緒)
2023年03月09日高分子エキストラコラーゲン(R)を使用したコラーゲンサプリメント「ミキズコラーゲン」を取り扱う株式会社トリプルサンは、女優 高島礼子と共に、「ミキズコラーゲントライアルセット」の販売を始めました。自分の美の為に、自身で創った、自然本来の形に近い高分子コラーゲンサプリメント女優 高島礼子さんもご愛飲している高分子エキストラコラーゲン(R)を使用したコラーゲンサプリ「ミキズコラーゲン」。美容研究家岡江美希が自分の美の為に、自身で創った、自然本来の形に近い高分子コラーゲンサプリメントです。今回、岡江自身の長年の友人であり、コラーゲンの愛好家でもある女優高島礼子さんと共に、このコラーゲンを広く普及させるべく、特別キャンペーンを行います。■ミキズコラーゲンの特徴*高分子エキストラコラーゲン(R)とは一般的なコラーゲンは、溶けやすいように低分子化(分子を細かく切断)されています。その為、体内での吸収は早いのですが、排出されやすく、効果を実感し辛いことも。一方、高分子エキストラコラーゲン(R)は自然本来の形に近い状態で、お湯にしか溶けないひと手間かけたコラーゲンです。ゆえに、じっくりと分解・吸収されるため、牛すじや豚足等のコラーゲンを摂取したのと同じような効果が実感できます。*コラーゲンサプリを選ぶならこれまでコラーゲンサプリを飲んで実感がなかった方から、お喜びの声が多数!しかも食品のコラーゲンと違い、一日わずか22.4kcalで脂肪分ゼロ。栄養が不足するダイエット中でもお飲みいただけます。スプーン1杯分をお湯に溶かすだけで、毎日本物のコラーゲンが摂取できる手軽さから、高島礼子さんも長年ご使用いただき、現在の麗しさを保っておられます。本キャンペーンサイトからお申し込み後、数日で商品が到着致します。高分子エキストラコラーゲン(R)をトライアルセットでお試しいただいた後、ご満足いただけましたら、本商品にて更なる美を追求していただけたらと思います。■商品概要商品名: コラーゲンサプリなら、高島礼子愛用の【ミキズコラーゲン】7日間/14日間トライアル提供開始日: 2022年10月1日(土)料金: 7日間セット/500円、14日間セット/800円申込方法: インターネットサイトより(画像はプレスリリースより)【参考】※公式サイト
2022年10月31日2022年6月21日、俳優の高島礼子さんが自身のInstagramを更新。ギャップあふれる動画を投稿し「ギャップ萌え」「新鮮」とファンから驚く声が寄せられています。高島礼子、お笑いタレント荒川とのコラボ動画に反響動画は、お笑いコンビ『エルフ』の荒川さんとともに踊っているもの。荒川さんといえば、『ギャル芸人』として人気急上昇中のお笑いタレントであり、SNSを中心に若い世代から人気を博しています。そんな荒川さんにリードされるように、動画の中で踊る高島さんは「ついて行くのに必死」としつつも、かえって初々しさが強調されており、ファンからは「かわいい」という声も寄せられました。 この投稿をInstagramで見る 高島礼子(@reico.official)がシェアした投稿 映画『極道の妻たち』シリーズをはじめ、役柄同様、クールな印象がある高島さん。しかし、動画の中で踊る高島さんを見ていると、クールな印象がいい意味で変わります。年齢差32歳の高島さんと荒川さんの動画は反響を呼び、「これがギャップ萌えというものか…」などと、高島さんの新たな一面に絶賛の声が寄せられました。・かわいすぎて、またファンになってしまいました。・何をしてに様になっていてすごい。・一生懸命に踊る姿に、キュンです。また、同月18日には同じく荒川さんとともに、手を大きく広げる通称『eggポーズ』で撮影した写真も、高島さんは投稿しています。 この投稿をInstagramで見る 高島礼子(@reico.official)がシェアした投稿 華やかなギャルを意識しつつも、どこかエレガントさも残す高島さんは、「さすが」のひと言。茶目っ気あふれる高島さんに、改めて魅了されたファンは多いようです。[文・構成/grape編集部]
2022年06月21日ヘッドスパやバストケア、マツエクもあるトータルビューティーを叶えるお店やの店舗情報や求人情報を掲載するWEBサイト「駅近ドットコム」にて、岡山県 高島駅徒歩13分の『esthetic salon anthein』の情報を2022年3月29日に掲載開始いたしました。駅近ドットコム: 以下『esthetic salon anthein』の店舗および提供サービスの情報です。JR線「高島駅」より徒歩13分のところにある『esthetic salon anthein』は、肌荒れやシミといった肌悩みと本気で向き合いたい人のためのエステサロンです。フェイシャルエステはお悩みに合わせて豊富なメニューを取り揃えており、カウンセリングをもとにぴったりの施術を提案します。ヘッドスパや、バストケア、脱毛、マツエクなどのメニューもあり、女性のトータルビューティーを叶えてくれます。ブライダルメニューもあり「ドレスのラインを綺麗に出したい」「二の腕をほっそりさせたい」など要望に合わせたオーダーメイドの施術も受けられます。肌悩みをなんとかしたい女性におすすめ肌荒れやシミ、くすみ、乾燥など、お肌のお悩みは人それぞれかと思います。『esthetic salon anthein』では、それぞれの肌悩みに対してメニューが用意されており、ピンポイントに働きかけて肌悩みを改善へと導いてくれます。オプションも充実しており、プラセンタ導入や角質除去、話題のヒト幹細胞培養液導入も加えることができますよ◎とにかくメニューの種類が豊富にそろっており、「ワントーン明るい肌になりたい」「毛穴汚れをしっかり落としたい」など、幅広い要望に応えてくれるエステサロンです。ヘッドスパから脱毛までトータルビューティーが叶うサロン『esthetic salon anthein』には、フェイシャル以外にも様々なエステメニューが用意されています。ヘッドスパをはじめとして、ボディエステ、バストケア、脱毛、マツエクも1つのお店で叶っちゃいます♪特にボディエステではメスを使わない痩身と言われる「ルミセルタッチ」を導入しており、その場でサイズダウンが実感できるとあって幅広い世代の女性から人気を集めているのだとか。どれも都度払いとなっているため、試しに1回だけ体験してみたいといった方も気軽に施術を受けることができます。オーダーメイドのブライダルメニュー『esthetic salon anthein』では、花嫁さんの要望に合わせてオーダーメイドのブライダルメニューも対応してくれます♪3か月前・1か月前から行うコースメニューも用意されており、理想のお肌やボディラインづくりをサポートしてくれるので、大事な式を前により綺麗な自分になりたい!という方にはおすすめ◎「美容液がお肌に合わずに荒れてしまった」などの失敗がないように、事前にしっかりとカウンセリングやアレルギーテストも行ってくれるので安心してお願いできますね!詳細は下記よりご確認ください。HPはこちら : 店舗情報はこちら : esthetic salon anthein の店舗情報店名:esthetic salon anthein電話番号:05052683033住所:岡山県岡山市中区藤原西町1丁目6-432F-A地図 : ※店舗情報詳細は下記リンクページよりご確認ください。esthetic salon anthein (高島駅/エステ)|Find ビューティー : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月29日株式会社フィルモアファーイースト(本社所在地:東京都品川区、代表取締役:早川洋二)は、芸能活動33周年を迎えた榊原利彦主演の朗読劇『高島嘉右衛門列伝 横濱之龍神』が、横浜関内ホール・小ホールで、2021年10月26日、27日に開催されることをお知らせします。高島嘉右衛門列伝 フライヤー1昨年来、新型コロナウイルスの影響によって多くのエンタテインメント活動が延期や中止を余儀なくされましたが、今回、文化活動の継続をはかるべく、文化庁の芸術活動支援事業「AFF(ARTS for the future!)」の協力を得て公演を企画。“Fill More Far East Inc.Produce Vol.2 朗読劇『高島嘉右衛門列伝 横濱之龍神』”を上演いたします。横浜の父!高島町の名前の由来にもなったと言い伝えられており、幕末から明治にかけて活躍した実業家。横浜の埋め立てやガス灯建設などで功績を残し、一方では易(えき)の専門家として占術を自らの行動の指針とし、親交のあった多くの政治家にも助言していた人物。脚本は榊原玉記が新たに執筆。主演・演出は榊原利彦が手掛け、変革する横濱の行く末を総勢10人の役者たちが複数の人物を演じます。榊原利彦は、今年4月からは地元横浜の「マリンFM」で第1、3、5金曜日のお昼から『サカキバLIFE』のパーソナリティを担当。歯に衣着せぬ物言いがリスナーから反響を得ている。7月には国の特別史跡指定50周年と特別名勝指定30周年を迎える福井県福井市の一乗谷朝倉氏遺跡で一乗谷を舞台にした演劇「七慟伽藍(しちどうがらん)」の奉納公演が行われた。2006年より主宰・演出する劇団レッドフェイス(現・THE REDFACE)を旗揚げし、コンスタントに公演を行なっている。これまでの映画、舞台のほか今年は動画配信やラジオ番組など積極的に活動の場を広げており、今後のさらなる飛躍をどうぞご期待ください。■『高島嘉右衛門列伝 横濱之龍神』公演詳細日程:2021年10月26日(火)、27日(水)劇場:横浜関内ホール・小ホール公演開始 18:30~20:00/開場 18:00出演:榊原利彦・山口仁・串間太持・川本淳市・三井伸介河田直樹・小黒雄太・高橋孝輔・高柳さち子・西村功貴脚本:榊原玉記演出:榊原利彦【好評発売中】全席指定席 6,600円CoRich予約サイト : PassMarket 予約サイト: Fill More Far East Inc.ホームページ THE REDFACE公式ホームページ ※正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。■会社概要商号 :株式会社フィルモアファーイースト(Fill More Far East Inc.)代表者 :代表取締役 早川洋二所在地 :(本社)〒141-0021 東京都品川区上大崎2-15-19 アイオス目黒駅前 520号(営業所)〒103-0001 東京都中央区日本橋小伝馬町14-5 メローナ日本橋804設立 :2006年3月事業内容:音楽出版・アーティスト等の育成ならびにマネージメント 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年10月18日神奈川県川崎市にある霊園で、ひときわ目を引く夏らしい鮮やかな花々が供えられた墓。曇天に包まれた6月26日、この日は高島忠夫さん(享年88)の三回忌だ。少ししおれた花の様子から、命日の数日前に供えられたことがうかがえる。芸能界屈指の仲よしファミリーとして知られた高島家。しかしこの日、忠夫さんの妻・寿美花代(89)をはじめ、息子の高嶋政宏(55)と高嶋政伸(54)が墓に姿を見せることはなかったーー。さらに、今も寿美が暮らす忠夫さんの都内の自宅近くに住む住民は本誌にこう打ち明ける。「三回忌当日、花代さんは自宅にいたそうですが、訪ねてきたのは法要のために呼んだお坊さんとヘルパーさんだけだと聞いています。政宏さんと政伸さんは最後まで来なかったそうです」’98年にうつ病を発症し回復後もパーキンソン病を患うなど、病気と闘いながら老衰でこの世を去った忠夫さん。それから2年、高島家は2つの問題を抱えている。ひとつは寿美の“介護”。忠夫さんが亡くなった際、寿美の体調があまりよくないことを本誌に明かした政宏。そして、一部週刊誌では寿美を気遣い、忠夫さんの自宅敷地内にある別邸で夫婦そろって暮らしていることを告白していた。しかし、この2年で“母子同居”に異変が生じているという。「忠夫さんの四十九日法要の際、花代さんは体調が悪く参加できなかったのですが、政宏さんが代わりに切り盛りするなど、そばで支えているようでした。しかし最近は別邸で生活している様子はなく、ここ半年ほどは姿も見かけず、ヘルパーさんが花代さんの面倒を見ている状況です」(前出・近隣住民)そしてもうひとつの問題が、政宏と政伸の確執だ。「かつてはよく家族4人で共演していましたが、’13年を境に政宏さんと政伸さんの共演はゼロに。兄弟共演のオファーがあっても2人ともかたくなに断り、事務所の懇親会で同席しても会話すらしなかったそうです」(芸能関係者)忠夫さんが亡くなる少し前、政宏は本誌に「兄弟って本当にいろいろ難しい」と打ち明け、逝去後のイベントでも「確執はあります」と“公認”する事態に。そして、2人の兄弟共演はいまだにないまま……。■「母とは半年以上会えていない…」忠夫さんという大黒柱を失ったことで、高島ファミリーは散り散りになってしまったのだろうか。真相を確かめるべく、三回忌から数日後の7月初旬。本誌は政宏に話を聞いた。ーー三回忌当日、なぜいらっしゃらなかったのですか?「26日は仕事でどうしても無理だったのですが、三回忌法要は日にちを過ぎてからではダメなので、23日にお墓参りをしました。お墓を奇麗に磨いて、僧侶の方にお経も上げていただいています。そのうえで、当日にも実家でお経を上げてもらうようお願いしました」大雨の中、傘を差しながら淡々と答える政宏。現在も“母子同居”を続けているのだろうか。「実は、母とはコロナのせいで泣く泣く離れている状態なんです。今は仕事で撮影現場に行くたびにPCR検査をしているような状況ですし、その場では陰性でもいつ感染しているかわからないじゃないですか。母も高齢ですから、万が一のことを思うと心配なので離れて暮らしています。もう半年以上も会えていませんね……。家には介護スタッフさんに来ていただいているので、おかげさまで母もたまに散歩に出るくらい元気にしているようです。電話でしょっちゅう話していますし、いまのところは安心しています」コロナ禍で“涙の家族別居”を決断していた政宏。政伸との仲についても尋ねると、頭を抱えながら、語り始めた。「うーん、連絡は取ってないんです。政伸も仕事が忙しいし……」ーー三回忌でも連絡は取り合わないんですか?「うちは元々、昔からそれぞれが“個別”っていう考え方なんです。いまはお互い家庭を持つ身ですし、そっちの生活がメインですから余計にですね。実家の仏間に集まるのも、うまくスケジュールが合えば、くらいの感覚。母とも政伸の話は一切していません。でも父の生前はほとんど集まることもありませんでしたが、今はお坊さんのことで集まったりするようにはなったんですよ。そこは兄弟家族、気持ちはわかっているつもりです」そう言って仕事に向かった政宏。天国の忠夫さんも残された妻のために兄弟の連携を望んでいるに違いないーー。
2021年07月08日女優の高島礼子(たかしま・れいこ)さんが、2020年6月3日にラジオ番組『春風亭昇太と乾貴美子のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)に出演。ドラマの撮影中に起こった恥ずかしいエピソードを語っています。 #春風亭昇太 #乾貴美子 のラジオビバリー昼ズ!!本日のゲストは #高島礼子 さん!! 高島さんが過去にやってしまった撮影現場での事件簿ベスト3とは・・・?聴き逃した人はラジコのタイムフリーで #ビバリー昼ズ pic.twitter.com/hquGAuXVCs — ラジオビバリー昼ズ (@hills1242) June 3, 2020 高島礼子、大事なシーンで赤っ恥…過去に放送されたドラマ『金田一耕助ファイルII 獄門島』(テレビ東京系)に出演していた高島礼子さん。劇中のクライマックスシーンを撮影している時、思わず赤面してしまうような恥ずかしいことが起こったといいます。泣くようなシーンで、そのシーンの撮影はピリッとしてたんですけど、私のお腹が鳴っちゃって。しかもぐぅ~とかじゃなくて、おならみたいな音が鳴って…。しかも、現場にいた共演者たちの間で音の犯人探しが勃発!同ドラマの主演俳優・上川隆也さんが「金田さんやめてくださいよ」と、同じく俳優の金田明夫さんを疑います。そこで高島礼子さんは金田明夫さんの人柄を信頼し、うまく流してくれるのではないかと期待したそうですが…。金田明夫さんって、そういう時に「あ~すいません、すいません」とかいって、明るくやり過ごしてくれそうな人なんですよ。だから「そういってくれないかな~」と期待してたんですけど、意外と険しい顔で、金田さんが「僕じゃありません」って。その後、高島礼子さんは正直に「すいません、私です」と名乗り出たそう。「もう本当に恥ずかしくて」と当時の気持ちを振り返り、終始笑いが止まらないようでした。このエピソードに、ファンは「面白い」「笑っちゃいました」と大盛り上がり。「鳴っちゃダメっていう時に鳴るよね」と共感を示す声も寄せています。・そんな大事な時に鳴らなくてもねっていう時がある!・高島礼子さんの意外な一面が知れてラッキー。面白かったです!・緊張したら、鳴りますよね。止め方が知りたいです…。ちょっぴり恥ずかしいエピソードを明かした高島礼子さん。「照れる姿もかわいらしい」と大好評だったようです。高島礼子の元夫・高知東生の現在に驚き介護中の父について語ったことは[文・構成/grape編集部]
2020年08月04日残すところあと少しとなった19年。元号も「平成」から「令和」へと変わった激動の1年だったが、芸能界も大きく変化した1年だった。本誌が目撃した驚きのスクープから特に反響の大きかったものを今一度お届けしたい。6月にこの世を去った高島忠夫さん(享年88)。多くの人が哀悼の意を示すなか、姪の高嶋ちさ子(51)は沈黙を貫いていた。以前は忠夫さんとの親密ぶりを語っていた高嶋がなぜ……。そこには知られざる家族間の“絶縁”があった。(以下、2019年7月23日・30日合併号掲載記事)「新聞社やテレビ局など、多くのメディアが高嶋ちさ子に追悼コメントの取材を申し込んだのですが、所属事務所が応じることはありませんでした」と語るのは、ある芸能関係者。6月28日に高島忠夫さんの逝去が公表された。遺族や多くの著名人が忠夫さんを悼む談話を発表するなか、姪でバイオリニストの高嶋ちさ子は、自身の公式ツイッターなどでも、伯父との別れについていっさいふれることはなかった。高島家の知人は次のように語る。「実は忠夫さんの実弟で音楽ディレクターの高嶋弘之さん(85)も、その次女のちさ子さんも、密葬に参列していませんし、弔問にも訪れていないのです」忠夫さんの自宅と弘之さんの自宅は東京都の同じ区内にあり、自動車なら10分もかからない距離。かつては両家で頻繁に行き来もあったという。ちさ子自身は、かつて週刊誌のインタビューで次のように語っている。《家が近所だということで、小さいころは、しょっちゅう遊びに行ってました。政宏君や政伸君ともよく遊んだなぁ》(『アサヒ芸能』’98年1月15日号)ちさ子が『チョコレート・ファッション』というユニットでCDデビューしたのは’95年。当初は“高島忠夫の姪”“政宏・政伸兄弟のいとこ”などと紹介されることも多かった。「しかし、ある時期から、ちさ子も、政宏・政伸も、お互いのことを公の場でいっさい話さないようになったのです」(前出・芸能関係者)はたして確執の原因は何だったのか?ちさ子の父・高嶋弘之さんを本誌は直撃取材した。「確かに昔は家も近かったですし、頻繁に行き来をしていました。兄貴と花代さんは夫婦で『ごちそうさま』の司会を務めていたでしょ。番組の収録が地方であったりすると、政宏と政伸の兄弟をうちで預かったりしていました」子供たちが仲よく遊んでいた当時を思い出したのか、微笑を浮かべる弘之さん。しかし記者の質問に表情が引き締まった。ーーそれほど仲が良かった両家に距離が生じたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?「……きっかけといえば、母の介護問題かな。兵庫県で暮らしていた母が、うつ病になったので、’98年に東京の医療施設に入れたんです。でもこのとき母の介護方針を巡って兄とひどい口論になってしまって……。兄貴は昔から穏やかだったから、兄弟げんかなんかもしたことがなかったのにね」’98年といえば、忠夫さん自身が不眠とアルコール依存により、重度のうつ病を発症した時期でもある。「振り返ってみて、彼も病気のせいで感情のコントロールができなかっただけなんだと理解できました。でも兄の病気のことを知ると、今度は“治療の邪魔になってもいけないなぁ”なんて考えて、連絡もとれないし、訪ねていくこともできないし。お互いの家族も行き来しなくなって、そうこうしているうちに、気がついてみたら20年以上もたってしまったんですね」2年前の’17年には、弘之さんの妻が逝去した。「うちも、ちさ子夫妻や家族だけで葬儀を営んで、向こう(高島忠夫一家)には連絡しませんでした。今回は逆にこちらが葬儀にも参列しなかったし、弔問とかにも行かなかったということです。“疎遠”とか“絶縁”というと、世間から変な一族だと思われるでしょうけど、いまとなるとこれが“高嶋家のスタイル”という感じもしますね」21年もの空白があるにもかかわらず、弘之さんの兄に対する思いは薄れたわけではないようだ。「家族のおかげで兄貴は、いい人生を全うできたと思います。特に花代さんは、ずっと兄を看病してくれて、頑張ってくれていたそうですから、いまは落ち込んでいるでしょうね」実は忠夫さんの逝去をきっかけに、両家の歩み寄りのきざしも見えているという。「政宏から、うちのちさ子に連絡があったそうなんです。『父のことが落ち着いたら、叔父さんのところへもご挨拶に行きますから』なんて、言ってくれていたと聞いています」両家の和解を誰よりも望んでいるのは、天国の忠夫さんに違いない。
2019年12月30日今年も多くの偉大なスタ―が、たくさんの思い出をわれわれに残してこの世を去った。そんな故人と親交が深かった方々から届いた、愛あふれるラストメッセ―ジを紹介。題して、「大好きなあなたへ最後のラブレタ―」ーー在りし日の姿に、心からの哀悼の意を表して。■高島忠夫さん(享年88・俳優、タレント・6月26日没)へ。山田邦子(59・タレント)気さくで朗らかーー。右も左もわからぬデビュー当時から歌番組や特番の司会、クイズ、バラエティ番組での共演などでご一緒させていただき、晩年まで公私ともに本当に仲よくさせていただきました。つくづく使い勝手のいいピン芸人でデビューしてよかったと思いました。俳優、司会、歌手、タレント、英語もしゃべって、作曲もして、まさに元祖マルチ。そして何よりもルックスがよく、主役でありスタ―のオ―ラ、風格も兼ね備わっていて、すべてがお手本。一緒にいると自分まで大スタ―の仲間入りをしたかのような錯覚をして、うれしかったです。その後デビューしてきた2人の息子さんのどちらとも共演し仲よくしていたら、心配性の忠夫さんから、「2人とも付き合うのはやめてね」と言われ、噴き出してしまいました。「どっちかなら、いいんですか?」「うん」。また噴き出しちゃいました。「安心してください、どちらも大好きな弟です!」「いえ~い!」。懐かしいエピソ―ドです。私が好きだったのは忠夫さんですよ!(寿美さんには内緒)私の父は早くに亡くなってしまったので、同い年の忠夫さんを頼って、たわいのないことでも、ことあるごとに相談にのっていただきました。いつも明るいアドバイスをありがとうございました。ある晩、明日の政宏くんとのデュエットの譜面みたんだけど、こっちのハモリのほうがよいのでは?と電話の向こうでピアノを弾く忠夫さん。こちらも受話器に向かって、あ~あ~歌って、真面目というか(笑)。ある日は、ちょっと付き合って、ということで出かけたBARで政伸くんの彼女らしい、という女性を遠くから観察。「どう思う?」って、ほっときなはれ!笑ったなぁ。ご自宅でおいしいものもたくさんごちそうになりました。お手紙もたくさんいただきました。たくさんかわいがっていただいて本当に幸せでした。ありがとうございました。もう1回会って一緒に言いたいなぁ。いえ~い!「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月21日8月13日、川崎市にある霊園で住職の読経が響きわたっていた。この日、高島忠夫さん(享年88)の四十九日法要が営まれていたのだ。墓前で手を合わせていたのは、高嶋政宏(53)と親戚と思しき数人。弟の高嶋政伸(52)は仕事だったのか不在で、代わりに妻が参列していた。だが、忠夫さんに寄り添い続けた妻・寿美花代さん(87)の姿はなかった――。さかのぼること約2時間前。都内にある忠夫さんの自宅では、喪服を着た人たちが集まっていた。食卓を囲んでの思い出話に花が咲いたのだろう。途中、政宏が参列者にふるまうお酒を買い足しに行く一幕もあった。「自宅には、忠夫さんと仲の良かった人たちや事務所関係者が集まっていたそうです。妻の寿美さんもいたそうですが、もう高齢ですからね。この猛暑のなか、外に出るのは心配です。そのため、お墓までついて行くことは断念したのです。夫を亡くした悲しみも、まだ癒えていないのだと思います」(芸能関係者)寿美さんは忠夫さんが6月26日に亡くなった際も、ショックのあまり火葬場へ行けなかったという。当時、政宏は本誌の取材にこう語っていた。「落ち着いていたように見えた母ですが、父を失ったのはつらかったのか、火葬場には来なかったんです。『火葬場には行けない、行きたくない』と。『(亡きがらを)焼くのは、物質的なことにすぎないから。お父さんとは気持ちと気持ち、心と心がつながっているのだから、家でお父さんのことを思っている』、そんなことを言っていました」政宏はその後、母との距離をこれまで以上に縮めていたようだ。一部週刊誌で、政宏は寿美さんとの“母子同居”を告白。忠夫さんの自宅敷地内には2つの戸建てがあり、片方に寿美さんが住んでいる。そして、もう片方に政宏夫妻が暮らし始めたのだという。そんな彼はこの日も母のかわりに、最後まで切り盛りしていた。照りつける太陽のもと、読経は10分ほど続いた。日差しよけのパラソルがあるものの、かなりの気温。だが政宏は静かに目をつぶり、手を合わせている。それが終わると住職にお礼を告げ、年配の関係者らを駐車場まで連れていく。そして車に乗ると、再び寿美さんの待つ自宅へ戻っていった。大黒柱なき後も 高島家を支え続ける息子。その姿を、天国の忠夫さんは喜んでいるはずだ。
2019年08月21日「新聞社やテレビ局など、多くのメディアが高嶋ちさ子に追悼コメントの取材を申し込んだのですが、所属事務所が応じることはありませんでした」と語るのは、ある芸能関係者。6月28日に高島忠夫さん(享年88)の逝去が公表された。遺族や多くの著名人が忠夫さんを悼む談話を発表するなか、姪でバイオリニストの高嶋ちさ子(50)は、自身の公式ツイッターなどでも、伯父との別れについていっさいふれることはなかった。高島家の知人は次のように語る。「実は忠夫さんの実弟で音楽ディレクターの高嶋弘之さん(85)も、その次女のちさ子さんも、密葬に参列していませんし、弔問にも訪れていないのです」忠夫さんの自宅と弘之さんの自宅は東京都の同じ区内にあり、自動車なら10分もかからない距離。かつては両家で頻繁に行き来もあったという。ちさ子自身は、かつて週刊誌のインタビューで次のように語っている。《家が近所だということで、小さいころは、しょっちゅう遊びに行ってました。政宏君や政伸君ともよく遊んだなぁ》(『アサヒ芸能』’98年1月15日号)ちさ子が『チョコレート・ファッション』というユニットでCDデビューしたのは’95年。当初は“高島忠夫の姪”“政宏・政伸兄弟のいとこ”などと紹介されることも多かった。「しかし、ある時期から、ちさ子も、政宏・政伸も、お互いのことを公の場でいっさい話さないようになったのです」(前出・芸能関係者)はたして確執の原因は何だったのか?ちさ子の父・高嶋弘之さんを本誌は直撃取材した。「確かに昔は家も近かったですし、頻繁に行き来をしていました。兄貴と花代さんは夫婦で『ごちそうさま』の司会を務めていたでしょ。番組の収録が地方であったりすると、政宏と政伸の兄弟をうちで預かったりしていました」子供たちが仲よく遊んでいた当時を思い出したのか、微笑を浮かべる弘之さん。しかし記者の質問に表情が引き締まった。――それほど仲が良かった両家に距離が生じたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?「……きっかけといえば、母の介護問題かな。兵庫県で暮らしていた母が、うつ病になったので、’98年に東京の医療施設に入れたんです。でもこのとき母の介護方針を巡って兄とひどい口論になってしまって……。兄貴は昔から穏やかだったから、兄弟げんかなんかもしたことがなかったのにね」’98年といえば、忠夫さん自身が不眠とアルコール依存により、重度のうつ病を発症した時期でもある。「振り返ってみて、彼も病気のせいで感情のコントロールができなかっただけなんだと理解できました。でも兄の病気のことを知ると、今度は“治療の邪魔になってもいけないなぁ”なんて考えて、連絡もとれないし、訪ねていくこともできないし。お互いの家族も行き来しなくなって、そうこうしているうちに、気がついてみたら20年以上もたってしまったんですね」2年前の’17年には、弘之さんの妻が逝去した。「うちも、ちさ子夫妻や家族だけで葬儀を営んで、向こう(高島忠夫一家)には連絡しませんでした。今回は逆にこちらが葬儀にも参列しなかったし、弔問とかにも行かなかったということです。“疎遠”とか“絶縁”というと、世間から変な一族だと思われるでしょうけど、いまとなるとこれが“高嶋家のスタイル”という感じもしますね」21年もの空白があるにもかかわらず、弘之さんの兄に対する思いは薄れたわけではないようだ。「家族のおかげで兄貴は、いい人生を全うできたと思います。特に花代さんは、ずっと兄を看病してくれて、頑張ってくれていたそうですから、いまは落ち込んでいるでしょうね」実は忠夫さんの逝去をきっかけに、両家の歩み寄りのきざしも見えているという。「政宏から、うちのちさ子に連絡があったそうなんです。『父のことが落ち着いたら、叔父さんのところへもご挨拶に行きますから』なんて、言ってくれていたと聞いています」両家の和解を誰よりも望んでいるのは、天国の忠夫さんに違いない。
2019年07月09日「父の体調が急激に悪くなったのは、1カ月くらい前だったと思います。……そうですね、私たちも完全に覚悟は決めていました。“父はもうすぐ逝ってしまうのかな”という感じでした」そう語るのは、故・高島忠夫さん(享年88)の息子で俳優の高嶋政宏(53)。政宏が本誌の独占取材に答えてくれたのは、高島さん逝去の翌々日、6月28日。「最後に僕が父と会話を交わしたのは、亡くなる5日前の6月21日のことです。最近の父は眠る時間も長くなって、ずいぶん痩せてしまっていました。固形物も受け付けなくなっていたので、流動食や栄養剤で、なんとかもっている感じでした。でもその日は元気で、『シャンパンとローストビーフを食いたい』と言っていました。僕も『ダメだよ、食べられないよ』なんて言い返したのが、最後の会話になりましたね」自宅で最期を看取ることを決めたのは、妻・花代さんだったという。「具合が悪くなるたびに入院はさせていたのですが、母が『ずっと病院にいるのはかわいそうだ』と言って、家での介護を続けてきたのです。介護スタッフが24時間ついていましたし、僕らも父への恩返しというわけではないですけれど、実家に行って様子を見たり介護のサポートをしたりといった日々を続けてきました」高島さんが、いま自宅が建っている場所に、地所を購入したのは、もう60年近く前のこと。花代さんも家族の思い出が詰まった家で、夫に最後の日々を過ごさせてあげたいと考えたのだろう。花代さんの様子について、政宏が続ける。「自宅で看取ったわけですから、翌日の密葬も自宅で行いました。落ち着いていたように見えた母ですが、やはり父を失ったのはつらかったのか、火葬場には来なかったんです。『火葬場には行けない、行きたくない』と。『(亡骸を)焼くのは、物質的なことにすぎないから。お父さんとは気持ちと気持ち、心と心がつながっているのだから、家でお父さんのことを思っている』、そんなことを言っていましたね」
2019年07月03日女優のシルビア・グラブが、2日に都内で行われた舞台『フローズン・ビーチ』の稽古場公開に登場し、鈴木杏、ブルゾンちえみ、花乃まりあ、鈴木裕美とともに取材に応じた。2005年に俳優の高嶋政宏と結婚し、おしどり夫婦としても知られるシルビア。6月26日に義父である高島忠夫さんが老衰で亡くなったことについて、「自分が子供の頃から見てた大大大スター。義理のお父さんでもありますが、業界での大先輩が1人いなくなったのはすごく寂しいことですし、当然家族としても寂しいところです」と心境を吐露する。「お顔を見たときにすごく穏やかな顔されてたので、『お疲れ様でした』と言いたいです」と様子を明かしたシルビアは、夫・政宏について聞かれると、「突然というわけではなかったので、心の準備はできてたのかなという様子でした」と説明する。義父との思い出について、シルビアは「初めて実家でご両親と会うときに、うつ病であまり人と会ってなかった時期なのに、パジャマから着替えて髪の毛をとかして私と会ってくれたらしいんです。家族の中で明るくなった瞬間があったのかなと思うと、すごく思い出深いです」と振り返る。「結婚式も来てくれたし、嬉しかったです。穏やかで朗らかで、なんでも受け止めてくれるようなお父さんでした」と故人を偲んだ。義理の母である寿美花代について聞かれると、「ずっと一緒にいたので、こちらも心配ですけど、大丈夫だと思います」ときっぱり。改めて「いろいろありがとうございました。そしてお疲れ様でした。I hope you have a wonderful after life.」とメッセージを送った。シアタークリエ連続上演シリーズ『KERA CROSS』の第1弾となる『フローズン・ビーチ』は、ケラリーノ・サンドロヴィッチが1998年に作・演出を担当し、劇団「ナイロン100℃」公演として新宿・紀伊國屋ホールで初演された。女性同士の心の機微を描く密室劇の傑作として第43回岸田國士戯曲賞を受賞したナイロン100℃の初期代表作とも言われている。大西洋とカリブ海の間に浮かぶリゾートアイランドにある別荘の一室で繰り広げる女たちの姿を描く。
2019年07月02日高島忠夫さんが老衰のため6月26日に死去したと発表された。88歳だった。高島さんは51年に新東宝第1期ニューフェイスとなり、52年の映画「恋の応援団長」でデビュー。62年の「キングコング対ゴジラ」などの「ゴジラ」シリーズや96年の朝ドラ「ふたりっ子」(NHK総合)への出演でも知られている。また「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ系)などのクイズ番組で司会を務め、「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ系)では映画の名解説が評判を呼んだ。私生活では63年に寿美花代(87)と結婚し、70年から96年まで料理番組「ごちそうさま」(日本テレビ系)の司会を夫婦で26年間担当した。また65年には次男・高嶋政宏(53)が、66年には三男・高嶋政伸(52)が誕生。2人はともに俳優の道を選んだため、“高島ファミリー”としてお茶の間で親しまれた。各メディアによると政宏は「母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです」とコメントし、政伸は「穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます」と感謝しているという。高島さんは90年6月には本誌に登場。“高島ファミリー”の活躍ぶりに「皆さんに“息子さんがご活躍でいいですネェ”と言われるんです」「政宏も政伸も、もう最高の親孝行をしてくれています」と語っていた。公私ともに順風満帆だったが、晩年は病と闘い続けた。パーキンソン病を患い、10年には不整脈で心臓のペースメーカーを付ける手術も受けたという。98年には「うつ」を発症。その闘病記「『うつ』への復讐」はドラマ化するほどの反響を呼んだ。07年2月、本誌で高島さんと寿美はその苦しみを語っている。高島さんの「うつ」が特にひどかった当時、寿美は高島さんの自殺を恐れ「家中の刃物をすべて隠し、風呂の水は必ず抜いた」という。経済的にも追い詰められ、「お金も地獄、病も地獄」と回想。さらにこんなエピソードを明かしていた。高島さん(以下・高)「それまではお金のことは全部、ぼくと税理士さんでやってたからね」寿美(以下・寿)「どこにいくらあるかもわからない。通帳さえ見たことがなかったから」高「うつのせいなんでしょう。ボーッとした頭である日“家には一銭もお金がない”“借金がある”って突然思い込んでしまって。みんなにそう伝えてね」寿「そうそう。私も“家、売らなあかん”って本当に心配した。いまさら街角に立ってみたところで、もうどうしようもない年だし(笑)」そんな高島夫妻を助けたのはやはり“ファミリー”だった。政伸が銀行を周り「あそこの銀行に口座があった、こっちにもあった」とお金を見つけ出してくれたという。家族に支えられ、「うつ」に立ち向かった高島さん。寿美も「私自身も本当に辛い時期がありました。頑張りすぎてストレスがたまって」とサポートする苦しみを明かしていたが、離婚については「そんなこと、考えたこともないです」と語った。さらに「介護は財産だった」とも明かしている。寿「『ごちそうさま』を26年やらせていただいて、私がしゃべったのなんて数えるほど。それぐらい忠夫さんは、よくしゃべってた」高「この人、横で頷いてるだけでしたよ。それがいまや、僕の代わりに仕事して、税金のことも家のことも全部やって。ホントに感心します」寿「生まれ変わったのかもね(笑)。それぐらい、介護の経験は私のすごい財産になりましたから」高島さんが「いまの家内だったら、ぼくが死んでも平気ですよ」と話したところ、「いや、それはこたえる。やっぱり忠夫さんがいての私なんだから。1人になったら、それこそ私の方がうつになってしまうかもね」と語っていた寿美。そんな彼女を高島さんは、これからも空から見守ることだろう。
2019年06月28日俳優の高島忠夫さんが26日に老衰で亡くなったことを受け、次男で俳優の高嶋政宏、三男で俳優の高嶋政伸が28日、所属事務所を通じてコメントを発表した。忠夫さんは26日の13時1分、自宅にて息を引き取った。88歳だった。通夜・葬儀告別式については、妻で女優・寿美花代の「最期は家族で見守りたい」という希望により、27日に家族のみで密葬を執り行った。お別れ会などの予定はないという。■高嶋政宏病院からの、あと5分後にご家族集まってください!のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数カ月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです。マスコミそして父のファンであった皆様、報告が遅くなりましたことお許しください。ありがとうございました。■高嶋政伸父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。このような穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます。
2019年06月28日「最近、高嶋政宏さん(53)と高嶋政伸さん(52)との関係がうまくいっていないのです。以前は共演もありましたが、いまでは“兄弟で”という出演オファーがあっても、2人とも頑として受け付けません。また2人は同じ芸能事務所に所属していますが、仕事関係者たちも事務所やテレビ局などでニアミスしないよう細心の配慮を払っている状態です」(政宏を昔から知る芸能関係者)政宏・政伸兄弟が共演に応じていたのは6年前の’13年までだった。テレビ局関係者はこう語る。「’13年1月には『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に兄弟で出演しています。さらに6月放映のスペシャル番組『カスぺ!独占密着真実の高島ファミリー』(同局)では、父・高島忠夫さん(88)を母・寿美花代さん(87)が“老老介護”する様子なども公開。息子たち2人は実家を訪れ、歓談していました。しかしそれ以来、兄弟の共演はプッツリと途絶えました」『カスぺ!』以降、忠夫も寿美も公の場に姿を見せていない。夫婦は東京都内にある閑静な住宅地で生活しているが、2人の姿はまったくといっていいほど目撃されておらず、定期的に医師が、そしてヘルパーたちが交代で家を出入りするばかりだという。「この数年ほど政伸さんのインタビューでは兄・政宏さんに関する質問がNG、また逆に政宏さんの取材では弟・政伸さんの話題がNGとなっています。そのように兄弟間に“断層”が生じたのはご両親の体調が悪化し、姿を見せなくなった時期とも一致しています。2人ともすでに80代、老親の介護問題が兄弟間の距離を広げたのでしょうか……」(前出・テレビ局関係者)当人たちは、この家族問題をどうとらえているのか?まず5月上旬、帰宅してきた政伸を直撃した。――お忙しいところ申し訳ございません。お兄様の政宏さんと確執があって、いまはご兄弟での共演がNGという状態が続いていると聞いていますが?「(兄弟確執に関しては)僕はそんなことはないと思いますよ」――ご両親の介護問題で意見の食い違いがあったりはしないのでしょうか?「介護については家族間で話し合っています。兄の意見にはすべて従って、分担しています」――この6年ほどは、ご兄弟での共演はありませんよね?「それは(私の意向ではなく)単純に事務所の方針だと思います」兄弟間の確執は否定したものの、共演NG状態にあることは認めた政伸。“兄は外交的だが、弟は内向的”“豪快な兄に対して、弟は繊細”など、高島家の兄弟は真逆のキャラクターでも知られている。本誌の直撃に対して驚くほど淡々と応じた弟に対し、兄・政宏は“苦悩”を隠さなかった。「政伸と確執?いやぁ、そんなことはないのですけどねぇ……。共演がないことについてですか?確かに昔は(共演も)ありましたよ。でも兄弟って本当にいろいろ難しい。ぶっちゃけ兄弟では共演とかもやりにくいですよ。事務所の方針というよりは、身内はやりにくいということだと思います」政宏は、すでに弟が本誌の直撃を受けたことを知っていた。だが、そのやりとりを政伸から直接聞いたわけではないようだった。「政伸は(取材に)『介護方針はすべて兄に任せています』なんてお答えしたようですが、なんで僕が全部決めているみたいなことを言ったのか……。両親の介護なんて、僕ら兄弟にとっても生まれて初めてのことなんです。だから方針を決めるも何も、アワアワしながらやっているような感じなんです」――政伸さんとはどのくらいのペースで連絡を取り合っているのでしょうか?「(政伸の)奥さんとはよく取っています。でも僕も政伸も2人とも忙しいので、(兄弟では)あまり……。両親の体調ですか?父は寝る時間が長くなっていますけれど、母はまだ動けていますね」反応は著しく異なるものの、“取材に対しては真摯”という点では共通していた政宏・政伸兄弟。最後に2人の所属事務所の担当者を取材すると、次のような回答が。「兄弟でもキャラクターが異なりますので、共演をさせないというのは事務所の方針です。兄弟仲が悪いから、ということではありません」確かに両親の介護に支障が生じているわけではないようだが、2人きりの兄弟なのだから、なぜ直接連絡をとって話し合わないのか、と考えるのは“余計なお世話”なのだろうか。高島家といえば、家族そろっての仲睦まじい“イエーイ!”ポーズが定番だったころもあった。はたして政宏&政伸が2人でイエーイ!を見せてくれる日は再び訪れるのか。
2019年06月04日フリーアナウンサーの高島彩が26日、自身のインスタグラムを更新し、「この場所が負の感情を生む場所になってしまっては悲しいので、撤退することに致しました」とインスタグラムを閉鎖すると発表した。高島は、娘2人とハロウィン仮装した写真を添えて「一足早くハッピーハロウィン今年は長女の希望で3人揃ってウィッチです」と報告。続けて、「これまでみなさんと交流できる場所としてInstagramを楽しんできましたが、色々考えまして、閉じることに致しました」と閉鎖を伝えた。そして、「なんてことない日常にお付き合いいただいて、あたたかい言葉をたくさんかけてくださったみなさまに心から感謝いたします」と感謝。また、「みなさんの意見やアドバイスを直接聞くことができ、とても貴重な空間でした。それぞれ意見はありますし、それは大切なことだと思っています。言いたいこと伝えたいことがあるとき、それは伝えるべき感情なのか、どのように伝えたらよいのか、私もまた考えます」とつづった。さらに、「やめてしまうのは寂しく、また、せっかくコメントを寄せてくださっているみなさんのことを思うと申し訳ないのですが、周りの人まで心配させてしまい、悲しませていることもあり、この場所が負の感情を生む場所になってしまっては悲しいので、撤退することに致しました」と閉鎖を決めた理由を説明。「日々いろんな感情がありますが、清濁併せ呑む心をもっていたいものです。感謝ばかりです」と記し、「1年と少し、ありがとうございました。感謝」と締めくくった。
2018年10月26日高嶋政宏(52)が10月5日にスタートするBS朝日の音楽番組「My Anniversary SONG~HEISEI SOUND ARCHIVE~」で司会を務めることを、一部スポーツ紙が報じた。記事によると高嶋が音楽番組の司会を務めるのは、90年~91年に放送されたフジテレビ系「ヒットパレード’90s」以来27年ぶり。新番組はゲストの思い出の曲を軸にトーク展開し、その楽曲披露とともに平成を振り返るという内容。スタジオ収録では高嶋の音楽愛と知識があふれ出し、初回ゲストの歌手・大黒摩季(48)が「こんなにもカブせてくる司会者は初めて」とタジタジになるほどだったという。「高嶋さんといえば、かなりの“音楽フリーク”として知られています。幼少のころからレコード店に足しげく通い、父・高島忠夫さんが司会を務めたフジテレビ系『クイズ・ドレミファドン!』の収録にもついていっていたそうです。おまけに、妻は本格的ミュージカル女優のシルビア・グラブさん。いつも音楽に囲まれているような生活環境です」(演劇関係者)そんな高嶋、“真の音楽フリーク”としてのスタンスを貫いたエピソードが知られている。「弟の高嶋政伸さんが前妻との離婚調停で渦中だった12年10月、大御所ロックバンドKISSのアルバム発売イベントに登場。顔面にはKISSメンバーのメイクを施し、自ら食紅を用意して塗ったという“舌出しポーズ”も決める気合いの入りようでした。政伸さんのことに話題が及ぶと、『自分の弟がそうなったらどうしますか?』と報道陣に逆質問。一瞬にして緊張が走りましたが、それでも弟へのメッセージを求められると『オマエもこれ(KISSのアルバム)を聴け!』と呼びかけて笑わせてくれました」(イベントを取材した記者)新番組では、存分に本領を発揮してくれそうだ。
2018年09月20日最上のおもてなしを提供する舞台光亜興産株式会社が滋賀県高島市との協定により「(旧)新旭風車村」をレイクサイドグランピングスポット「STAGEX(ステージクス)高島」として再生。2018年7月25日(水)にグランドオープンしました。「STAGEX高島」は約7ヘクタールの敷地に日帰りで楽しめるデイグランピングエリアやデイユーステントエリア、宿泊可能なグランピングキャビンエリア、グランピングテントエリアを完備。ネーミングには、琵琶湖と自然ロケーションに囲まれた高島を一つの舞台(エクセレントステージ)として最上のおもてなしを提供する場にしたいという想いが込められています。ただいまオープニングキャンペーン実施中宿泊エリアのキャビンやテントは「プライベート空間」を重視。余裕を持たせた配置設計で、高級家具ブランドや高級アウトドアリゾートの家具を使用しています。全面天然芝のパークエリアやフェスティバルパークもあり、メイン棟では温浴施設やレストランを利用できます。日帰り利用のデイグランピングエリアは、100サイト400席にデイテント6張と、琵琶湖畔では最大規模のBBQパーク。「STAGEX高島」では2018年9月9日(日曜日)まで、宿泊メニューのコース料理(5500円)を7000円コースに無料アップグレードできる平日限定オープニングキャンペーンを実施しています。(画像はプレスリリースより)【参考】※光亜興産株式会社のプレスリリース/PR TIMES※光亜興産株式会社※STAGEX高島
2018年07月27日フリーアナウンサーの高島彩が22日、神奈川・横浜スタジアムで開催された「TOYOTA☆横浜トヨペットナイター Presented by 横浜トヨペット」横浜DeNAベイスターズ vs 広島東洋カープ戦で始球式を行った。高島にとって横浜の地は、フォークデュオ・ゆずのリーダーで夫・北川悠仁の出身地でもあり、自身も結婚披露宴を行うなど、思い出の地のひとつ。そんな横浜のスタジアムで高島の名前がコールされると、観客から歓声が起こり、歓迎の空気に包まれる中、自身の年齢と同じ背番号"38"と名前"AYA"とプリントされた横浜DeNAベイスターズのユニフォームに身にまとった高島がプリウスPHVから降り立った。そして、笑顔のままマウンドに上がって一礼し、ひと呼吸おいてから、横浜DeNAベイスターズの高城俊人捕手のミットめがけて全力投球すると、綺麗な放物線を描いたボールは外目にワンバウンドしてミットに収まり、乙坂智外野手のバットは空を切った。出産後初の始球式は惜しくもノーバンとはいかなかったが、高島は楽しそうな笑顔を見せたまま、小走りでマウンドを降りた。
2017年08月23日俳優の高嶋政伸(50)に第1子となる男児が21日に誕生していたことが分かった。22日、所属事務所が書面を通じて発表した。 高嶋にとっては初の子供となり、「今日21日、3時のおやつの時間に、我が家に新たな命が誕生いたしました。私と家内の両親にとっての初孫で、ちょっと大きめの男の子です」と報告。 父でタレントの高島忠夫(87)、母で女優の寿美花代(85)にも電話で報告をしたそうで「“おめでとう”と大変大きな声で喜んでくれました。涙が出ました。これからは、このかげがえのない命を頂いたことに感謝して、人間として再出発するつもりで頑張っていきたいと思っております」と初めて父親になる喜びと決意を記した。 高嶋は’08年9月にモデルの美元と結婚し、’12年に離婚。’15年9月に14歳下の医師と再婚している。
2017年08月22日8月3日午後、東京・世田谷区内にある高島礼子(53)の豪邸前に2台の車が停まっていた。玄関からドアに養生シートが張られている。中にいるのは、内装業者のようだった――。 昨年8月1日、高知東生(52)との離婚を発表した高島。3億円豪邸とも言われていたこの自宅の土地と建物は、もともと高知と共同で所有していた。だが昨年11月、高知の共有持ち分が高島へと移転。その際に高島は、高知の1億円もの借金を肩代わりしていたという。 最近では「2人が横浜で密会していた」という目撃談をもとにした“復縁説”も報じられていた。そんななか、高島は高知との過去をひっそり清算していたのだ。 「今年5月ごろでしょうか。『高島さんのご自宅が売りに出ているみたい』と噂になっていたんです。家の中はいつも真っ暗で、誰も帰っていないようでした」(近所の住民) 今回本誌が調べたところ、高島は7月20日付けでこの自宅を都内の企業へと売却していたのだ。昨年8月時点ですでに、本誌は「高島が自宅を売ろうとしている」との情報を伝えていた。だが離婚から1年を前にして、ようやく完売したようだ。 冒頭で目撃した内装業者は、新たな所有者が手配していたものだった。玄関近くには作業図が3枚貼り出されており、一部解体の指示が書かれている。 「高島さんはこの家に13年も住んでいました。でも引っ越す際は挨拶もありませんでした」(前出・近所の住民) 離婚からちょうど1年の8月1日、来年3月公開の映画『おみおくり』に高島が出演すると発表された。いっぽう高知も横浜でセルフエステ店を始めており、9月には都内にも進出する予定だという。元夫婦はようやく、別々の道へと歩き始めた――。
2017年08月08日「授かりものですからうれしいですよね。(出産予定日は)夏と聞いています」 5月2日のイベント後、報道陣に満面の笑みでそう答えた高嶋政伸(50)。前日、女医で14歳年下妻の第1子妊娠報道を受けての、“父”としての初コメントだった 父親は高島忠夫(86)、母親は元タカラジェンヌの寿美花代(85)、そして兄・高嶋政宏(51)も俳優と芸能一家に育った政伸。2度目の結婚だが、この夏順調に誕生となれば、高島家にとって初孫となる。 両親が大喜びしている様子を、政伸は続けてこう語った。 「(父・忠夫と)喜んで握手をしながら、『よっしゃ~、ようやった。わしゃ、100まで生きるで』と。ウチの父親が100歳まで生きるのが決定しました。母も微笑みながら『おめでとう』と喜んでくれました」 うつ病を患い芸能界の一線から身を引いた忠夫は、その後、パーキンソン病も患った。大病と向き合いながらも、今は妻と穏やかな老後を過ごしているようだ。喜び一色の政伸だが、思うところはあるようだ。 「楽しみもあるけど、覚悟はしています。体力も必要だろうし、今まで家では自分のペースで芝居の稽古をしていましたが、覚悟をもって子育てします」 本誌はこれまで1日3度の子宝神社巡りや妻との“水泳妊活”など、夫妻が懸命に妊娠に向けて努力している姿を報じてきた。そこからは代々続く芸能一家である高島家の跡取りを作らなければ、という“重責”が伝わってきた。今年1月に直撃取材したときも、政伸は夫人と真剣に妊活に取り組んでいる様子を語っていた。 「まだ日にちはわからないんですけど、何とか今年いっぱいにはいいかたちで発表できれば。きちっと子どもを授かればいいなと思っています。それに向けて夫婦で慎重に考えてやっています。家内は医者なので、いろんな人に話を聞いてくれているんです」 慎重に言葉を選んでいるが、夏に子供誕生となると、このとき実はもう夫人は妊娠していたことになる。まだ安定期に入ってはいなかったため明言を避けたのだろう。 祖父も琵琶奏者という代々続く芸能一家だけに「跡取りは当然、芸能界に?」という質問には、意外な答えを返してきた。 「俳優にはさせないですかねー。もうちょっとお堅い仕事についてもらいたいんです。本人がやりたいと言えば……。でも不安定な職業だぞ、とは話しますけど」 政伸は前述の本誌に直撃の際、病気がちの父を気遣ってこうも語っている。 「父はもう86歳ですからね。けっこういい歳なんで、ウチから電話がかかってくると、最近、ドキッとしちゃうんです。何かあったんじゃないかと。健康のこともあるし。何があってもおかしくはない年齢じゃないですか。でも子供ができたらもっと元気になってくれると思うんですよね」 新しい命の誕生を機に、新たな高島家の物語が始まろうとしている。
2017年05月12日