取材・文:ねむみえり撮影:渡会春加編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部20代後半から30代になると、自分のこれからのキャリアをどうしていくか、現実的な悩みに直面する人も多いのではないでしょうか。ロイヤルカナン ジャポンに勤める獣医師の平瑛美さんは、キャリアについて「長期的に絶対にここを目指すという風にはあまり考えていない」と言います。2人の子どもを育てながら臨機応変に働く平さんのお話しを聞いていると、これから先のキャリアを考える自分の背中をポンと押して貰えた気持ちになりました。■製品に込められた情報を適切に伝達していく初めに、改めてロイヤルカナンという会社についてお聞きしたいです。ロイヤルカナンは、1968年に南フランスでジャン・カタリーという1人の獣医師が設立した会社です。以来、50年以上にわたって一貫して「Dog & Cat First」という理念のもと、栄養学に基づいたプレミアムペットフードと食事療法食を展開しています。「Dog & Cat First」というのは素晴らしい理念ですね。これはずっと変わらずに、私たちの会社の真髄にある言葉です。私たちはそれぞれの犬や猫のきめ細やかな栄養ニーズに対応したペットフードを開発し、彼らを食事を通じて真に健康な状態にしたいという思いがあります。これは、創立者のジャン・カタリーの思いでもあって、それが私たちの原点になっています。薬だけではなく食事の面から病気にアプローチするというのは、犬や猫の体に対して優しいような感じがします。今、平さんはどのようなお仕事を担当されているんですか?私はロイヤルカナンの日本支社、ロイヤルカナン ジャポンで、コーポレートアフェアーズという部門の中の、サイエンティフィックコミュニケーション&アカデミックアフェアーズというチームに所属しています。平たく言うと、学術部です。私たちの製品は全て栄養バランスを考えるところから設計されており、それぞれが違った特徴を持っています。その製品に込められているサイエンス的な情報を伝えたり、犬や猫についてレクチャーを行ったりするのが、獣医師でもある私の大切な仕事です。■大好きな食と動物に同時に関わりたい思いでペットフード会社へ以前は街の診療所で獣医師として働かれていたそうですね。大学を卒業してすぐの頃には、ペットのかかりつけとなるような動物病院に勤めていました。 大学付属の病院に比べてより飼い主さんとの距離が近い環境でしたね。そこから、ロイヤルカナン ジャポンさんに入るきっかけは?もともと食や栄養には興味があったんです。大学受験でどの学部に行こうかと考えた時に、小さい頃から好きだった動物と関わる方面か、自分が好きな食の方面か、どっちに行こうか迷ったぐらいなんです。なので、自分の最終的な仕事としては、食事を通じて好きな動物の健康に関わっていきたいという思いがあり、ペットフード会社というのは自分の中ではすごく自然な選択でした。お話を聞いていて、辿り着くべきところに辿り着かれた感じがします。ちなみに何年ぐらい前から、今のお仕事をされているんですか?今の部署に所属したのは2020年です。それまではカスタマーケアという、お客様からのお問い合わせに対応する部門に所属していました。そこで日々、お客様からのお問い合わせを受けていた中で、本当に多くの学びがありました。ペットオーナーのリアルな声に触れられたのは、今でも私が一生懸命仕事をしようと思う糧になっています。■目の前の課題に取り組むことで、自分の進む道が確立されていく今されているお仕事で、難しかったり苦労したりする部分はありますか?入社してくる社員たちはロイヤルカナンの理念に共感して入ってくるんですが、どうしたら彼らにより分かりやすく製品情報や犬や猫の知識を届けられるかは、いつも苦労しています。相手の目線に立てているかということは、 新入社員のトレーニングをする時でも、外のお客様に向かってセミナーする時でも悩みながら大切にしているポイントで、そこにはカスタマーケアでの経験が大きく役立っているなと感じます。しっかりと前のキャリアを活かして、今のお仕事をされているんですね。ありがとうございます。でも実は、当時この部署でこんな風に役立つということは、全く想像もしなかったです。キャリアというのは、後から振り返ると、頑張ってきたことがうまく線になってつながっているなと感じるので、長期的に絶対ここを目指すという風にはあまり考えていないんです。目の前にある課題に一生懸命取り組むことで、長い目で見た時に自分の進む道というのが確立されていくのかなと思っています。自分がこれから働いていく中で大切にしたい考え方だと思いました。平さんが働く上で大切にしている軸はありますか?私は子どもが2人いるんですが、母親や妻としての自分だけじゃなくて、働く自分というものも大切にしたいと思っています。子どもがいるということを、仕事の上で何かをやらない理由にはしないというのは、1つ軸としてあります。もちろん、子どもが小さい時は物理的に手がかかるので、できない仕事もあるんですが、それでも目の前に成長の種って落ちていると思うので、その時にできることを一生懸命やるというのは、自分の中でルールとして定めています。すごくすてきな軸ですね。でも20代の頃は、この先自分はどういうキャリアを築けるのか、子どもを産んで働き続けられるのか、みたいな部分はすごく不安がありました。育休が空けた時に1度フルタイムで職場に戻ったのですがその後、子どもが小学生にあがるタイミングで時短勤務に変えました。保育園に預けている時と違って延長保育がなく帰宅が早まったということもあり、そんな子どもの生活スタイルの変化に合わせて自分の働き方も変えたんです。昔の自分は、仕事時間を短縮することにネガティブな気持ちがあったんですけど、その時に初めて“そういうものだから”と受け入れることできました。それができたのは自分の中でもとてもいい経験だったと思います。読者世代も自分のキャリアに悩む年代でもあるので、そういう壁にぶち当たった時の柔軟な向き合い方はすごく良い視点になると思います。働くお母さんってみんな一生懸命じゃないですか。絶対それって後から活きてくるから、大丈夫だよって思うんです。多くの女性の背中を押してくれる大きな言葉だなと感じました。最後に、平さんの今後のビジョンについてお聞きしたいです。後悔はしたくないので、カスタマーケアで得た経験も含め、自分の目の前にあることを一生懸命取り組みながらも、将来的には日本のお客様の声を上手く製品開発につなげられるような仕事ができたらいいなとは思っています。これまでのキャリアを取り入れた目標なんですね。プライベートの方でも、こういう生活をできたらいいなみたいなものってありますか?2年前に保護犬を迎えたんですけれども、ちょうどその子との生活が落ち着いてきたので、もう1頭お迎えしたいなというのを思っています。この会社はペットフレンドリーオフィスと言って、自分の犬や猫を連れて一緒に出社ができるというスタイルなので、犬を2頭連れてオフィスで働いてみたいですね。ペットと一緒に出社ができるなんてすてきな会社ですね。ありがとうございました!
2024年02月22日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部あなたは、自分のキャリアにどんな道を描いていますか?あまり先のことばかり考えても、上手くいかないのかもしれません。急にプライベートでライフステージが変わることもあるかもしれないし、その時に昇進が重なるかもしれない。「自分のキャリアには自分で責任を持つ。それが、アメリカン・エキスプレスのキャリアに対する考え方です。責任というと重たく聞こえるかもしれませんが、上司や会社と一丸になって、それぞれが自分のキャリアを考え抜く必要があるということです」そう語ってくれたのは、新卒でアメリカン・エキスプレスに入社し、コールセンターからキャリアをスタートさせた井出愛さん。彼女は会社の様々な制度を利用し、3年目で部署異動を決意。現在は社内の女性活躍推進組織の活動も参加し、日々の仕事に邁進しています。「でも、昔の自分は消極的でした」とも話してくれた井出さん。アメリカン・エキスプレスの文化に触れ、いい意味で「変われた」という彼女が選んだのは「仕事で関わる人々に喜ばれたい」という、キャリアの軸でした。■自身の希望で、3年目で部署を異動本日はどうぞ、よろしくお願いいたします!井出さんは新卒でアメリカン・エキスプレスに入社されて、とのことですね。そうなんです。もともと東京育ちで、昔アメリカン・エキスプレスのビルがあった地域に住んでいたので、私にとってはすごく身近な会社だったんです。地元でも有名でしたし、幼い頃から世界的な企業だということは知っていたので「あそこで働けたらかっこいいな」と思っていました。なんと。小さい頃から憧れの会社だったのですね!大学生の頃には雑誌の編集部でアルバイトもしていましたし、就職活動の時には興味のあったエンタメ・出版関係の会社も検討していたのですが……憧れの気持ちを忘れられないままに受けて、採用してもらいました(笑)!アメリカン・エキスプレスでは、どんなキャリアを築いてらっしゃるんですか?最初はコールセンターへ配属になり、アメックスカードの会員様に対して電話対応する業務に就きました。その後、部署異動して、現在は加盟店様に対してプロモーションを行う事業部に所属しています。コールセンターの業務には、どんな思い出がありますか?コールセンターと聞くと大変そうなイメージがある方も多いかもしれませんが、私はとても楽しく働いていました。アメリカン・エキスプレスのコールセンターは業界でも珍しく、全員が正社員で構成されていることもあり、電話越しながらも深いお付き合いをさせていただくことが多いんです。たとえばお客様からのお電話で、カードの利用枠についてご相談いただいた際も、枠をお伝えするだけではなく、その理由までお伺いするように心がけていました。もしもお客様が、海外旅行のためとおっしゃったら、海外保険のご説明の資料をお送りしたりもしていました。クレジットカードの案内を超えた接客をされるんですね。マニュアルに沿って決められた内容をご案内するのではなく、お客様の背景や環境を察しながら適切なご案内をするよう努めていたので、会話の柔軟性やアイデア力が身につきました。周辺の音や声の大きさまで聞き取って、どんなタイミングでお電話をかけてくださっているかまで読み取り、お客様にとって一番適切な対応ができるよう、心がけていました。想像するコールセンター業務より、かなり高度なことをされていたんですね。やりがいを感じられていた中ご異動されたのは、社内辞令だったんですか?実は、アメリカン・エキスプレスには社内辞令というものが存在しないんです。異動したい場合は、グローバルで展開されている社内向けのジョブポスティングのサイトを見て、応募したい部署のポジションが空いているかを確認します。そこで採用基準などを確認し、適性に合っていれば自発的に応募し、書類選考と数回の面談に合格すれば、部署を移ることができるんです。日系企業ではあまり聞かない制度ですね。アメリカン・エキスプレスには“Own My Career(オウン・マイ・キャリア)”という考えがあり、自分がキャリアの中で何を成し遂げたいか、どうなりたいかを考え、会社や上司はそれを支援することが、文化として根付いています。上司との1on1面談も多く、日頃から自分のキャリアについて考える癖がついています。異動したのは3年目ですが、社歴が浅いからといって異動できないということもありません。ただ、ポジションによって必要なスキルが違うので、足りないものがある時は、どうしたらそのスキルを養えるかも、上司と一緒に確認していくんです。■仕事の正解も、自身で選び抜くでは、井出さんも今後のキャリアを考えた上で、ご自身の希望で異動されたんですね。若いうちからすごいですね!とはいえ、私自身は10年先のキャリアを見据えて異動したというわけではないんです。きっかけは、コールセンターの業務の中で「アメックスって、高級店でしか使えないんでしょう」という問い合わせが多かったことです。実際にはそんなことはないのですが、世間に認知をされていないことを知りました。そこで、生活者への認知拡大に関わる業務に携わる、加盟店事業部へ異動しました。現在は、どのような業務を行っているのですか?アメリカン・エキスプレスは個人・法人のお客様にカードを発行するだけでなく、クレジットカードを扱う加盟店様も同時開拓しており、今は加盟店様に対するプロモーションを企画・実施するチームにおります。コールセンターにいた時は、いただいたお電話に対して応対をする日々でしたが、現在の部署では数字を追いかけながら、自分から進んで営業をかけていくような動きもするので、最初の部署とは真逆とも言える仕事をしています。キャリアに沿っての異動というよりも、前の業務の中で浮き彫りになった課題に貢献するために異動されたと思うのですが……実際、今までにないスキルを求められるのは大変ではないですか?そうですね、大変な部分もあったとは思います。もともと目立つのが好きな方ではなく、学生時代は交友関係も受け身でしたから「自分から動く」という当たり前のことが、元の自分にとっては簡単なことではありませんでした。ただ、学生時代からメモを取るのが癖でして。上司との会話の中で印象に残った言葉や、先輩社員がやっていて参考になると思った行動など、気に留めたことは全て、自分の言葉でメモするようにしているんです。そうすることで、自分になかった考え方を落とし込めるので、仕事が上手くいかない時はメモ帳を見直しています。とてもいい習慣ですね!……けれど、すごい人のすごいところを真似しようとするのって、ストレスになる時もないですか?これは会社に入ってから身についた考え方ですが、すごい先輩や上司がやっていたことだからといって、全てが正解だとは思いません。アメリカン・エキスプレスではフィードバックの文化も根付いていて、社歴の浅い社員が、上司に対してフィードバックをすることもあります。経験が多いからと、その人の言うことを全部鵜呑みにするのではなく、一度自分の中で咀嚼して、自分なりに腹落ちした部分を真似するようにしています!社内交流会や社内イベントも多く、チームの上司以外とキャリアに関して意見を交わす機会も頻繁にあり、色々な考え方があって、それぞれが自分の想いを大切にしていいという文化が、社内風土として根付いているんです。そ、そんな会社があるなんて……!めちゃめちゃ働きやすそうじゃないですか。社内の風通しは本当にいいと思います。私自身、上司に対してフィードバックすることもありますが、皆さんフィードバックに対して「気づきを教えてくれてありがとう」と言ってくれるんです。誰か1人の意見だけが正解と思わないのは、尊敬する先輩たちから教えてもらった、意見に対する感謝の姿勢のおかげですね。■消極的だった私に訪れた、ポジティブな変化。すべては、社内風土のおかげチーム以外の社員と会話する機会が多いと、自分の視野も広がりそうでいいですね。井出さんも、積極的に社内イベントに参加されているんですか?私は「WIN」という社内プログラムの運営を、有志でやらせてもらっています。WINはWomen’s Interest Networkの略で、女性の働き方推進を目的としているプログラムで、社内メンター制度のマッチングを行ったり、定期的にキャリアや性にまつわるセミナーなどを実施したりしています。最近では更年期や生理など女性の身体に関わるヘルスケア情報を、講師の方に教えていただくセミナーも実施しました。でも、通常の業務と兼任されているということですよね。お忙しくはないですか?私はもともとボランティア活動的なものには全く興味がなくて、目立つのも苦手だったので、ここに来るまでは挙手制のイベントの運営をすることなんて、一度もなかったんですよ(笑)。でも会社に入って、少し変われたんです。WINは「楽しそうだな」と思って自分から参加して、実際に活動するのもすごく面白くて、こうして続けられています。色々な部署の人と関わってみると気づきも多いですし、新しい視点で物事を考えられるようになったので、やってよかったなと思っています。社会人サークルに参加しているような気持ちですね。会社に入って変わることができた、その理由はなんだと思いますか?会社の文化や、社員のための制度に慣れていることが大きな理由だと思います。会社に入る前とは人との交流の仕方も変わりましたし、自分の意見をはっきり言えるようになりましたね。最後に、これから思い描く自身のキャリアについて教えていただけますか?私は明確なキャリアの道筋に向かって行動しているわけではないのですが、最初の部署での経験も踏まえて、私はカード会員様や加盟店様など、アメックスに関わる皆さんに喜んでいただくことを軸に、今後もキャリアを進めていくのではないかと思っています。また、例えば子育てと仕事でやりたいことのタイミングが重なったらどうしようとか、今後のライフステージの変化を考えると悩みは尽きないですが、今はどうなっても対応できる力をつけるために、毎日すべてに全力で向き合い、そして何よりも毎日楽しく働いています。アメリカン・エキスプレスは産休・育休の取得率・復帰率が非常に高く、周りの先輩たちにお話を聞く機会も多いので、心の支えになっています。ロールモデルが近くにいらっしゃるのは、とても心強いですね。そしてアメリカン・エキスプレスさん、女性にとってもすごく働きやすい会社だと思いました!貴重なお話をありがとうございました。
2024年02月13日取材・文:ミクニシオリ撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部あなたは、毎日使うしごとバッグにどんな想いを持っていますか?今回お会いしたのは、しごとバッグに対して誰よりも強い情熱を持つ人。トートバッグ専門ブランドROOTOTEを展開する株式会社ルートートの商品企画室で働く小澤三月さんは、わたしたちの使うしごとバッグをはじめとする、さまざまなバッグの企画開発やデザインを担当するデザイナーさん。10人いれば10人違うのが、しごとバッグの楽しいところ。小澤さんのしごとバッグには、使う人の工夫と「つくる人の工夫」がどっちも詰まっていました。小澤 三月さん東京造形大学デザイン学科を卒業後、販売員、ファッション雑貨のデザイナーを経て、2017年から「Fun Outing!~楽しいお出かけ!~」を届けるトートバッグ専門ブランドROOTOTEのデザイナーに。多数展開されるアイテムの中でも、日常のちょっとした不満や違和感を解決できるようなプロダクトや、カラーデザイナー(A・F・T 認定)、一級色彩コーディネーター (A・F・T 認定)、色彩心理カウンセラー(「色彩学校」認定)、アート療法士(「色彩学校」認定)の資格を活かしたプロダクトなどを手掛けている。Instagram @roototeそんな小澤さんのしごとバッグは、ご自身が開発とデザインを担当した『airo(アイロ)』という2WAYトート。実は『airo』は、働く女性のために開発されたバッグ。実際に小澤さん自身が女性たちにユーザーヒアリングを行い、わたしたちが本当に必要としている要素や使い心地を追求しながらつくられたといいます。「デザイナーとしてのこだわりは数えきれないほどありますが、いち使用者としても気に入っているバッグです。通勤時間が長いこともあって荷物が多いのですが、見た目以上に収納力があって整理しやすいので助かっています。本体は約450gで軽量ですし、撥水素材なので雨の日も使えます。ちょうどいい場所にポケットがあるので、バッグの中で荷物が迷子になることもありません」トートとしてもリュックとしても使うことができるので、シーンに合わせて表情を変えてくれる優等生なバッグ。収納力がすごいとのことですが、バッグの中身を広げてもらうと……。●バッグの中身1 NORDISKA TYGER × ROOTOTEのトートバッグ2 ROOTOTEの折り畳み傘用トート『CASA(カーサ)オリ』、Traditional Weatherwearの折り畳み傘3 『クロマトピア―色の世界― 写真で巡る色彩と顔料の歴史』(デヴィッド・コールズ 著/グラフィック社)4 社用iPhone、私用iPhone5 PC6 YLINUMのハンカチ7 会社オリジナルの名刺入れ8 MARCO MASIのカードケース9 Jamin Puechの巾着(エチケットアイテムポーチ)10 Jamin Puechの巾着(PC周辺アイテムポーチ)11 ĽANGÉLIQUEの巾着(衛生用品、薬用ポーチ)12 THREEのメイクポーチ13 NORDISKA TYGER × ROOTOTEのポーチ(筆記用具用ポーチ)たしかに、想像以上にたくさんのアイテムが収納されていました。荷物多めの小澤さんは、ポーチなどを使ってバッグの中をしっかり整頓したい派。まず気になったのが、オレンジ色が目立つこちら。中からは、折りたたみ傘が!これも、小澤さんが開発・デザインを担当したルートートの折りたたみ傘用トートです。「雨に濡れた折りたたみ傘って使った後の収納が難しくないですか?付属のポーチに収納する時って手もびしょびしょになるし、バッグに入れるのも躊躇しちゃいますよね。電車での移動中もこちらに濡れた傘を入れておけば、周りの方や座席を濡らしてしまうことがなく安心なんです。中にゆとりがあるので、きちんと畳まなくても手を濡らさずに傘を収納できますし、カラビナを使ってバッグの外につけておくこともできます」ルートートには、さまざまな用途やシーンに合わせたデザインがラインナップされています。次にこちらのポーチを開けてみると、数種類のフレグランス類が。「オーガニックコスメが好きで、特にNEAL’S YARDとSHIGETAの香りが気に入っています。いつでも気軽に気分をリフレッシュしたりできるように、ポーチはバッグの前ポケットに入れています。仕事中は、一人で集中したい時もあれば、ミーティングなどで外側に意識を向ける時もあるので、フレグランス類は気分を切り替えたりするためにも必須のアイテムです」香りの選択肢があると、その時の自分に合った香りを選べるのがうれしいですよね。平日も自分の気持ちを感じ取ることを大切にしているという、小澤さんならではのこだわりが詰まっています。「お直し用コスメはほとんどTHREEのアイテムでそろえています。メイクは好きなのですが、新しい情報をたくさん取り入れると悩んでしまうので、気に入ったブランドの中でアイテムを更新していくことが多いです。色を楽しむとポジティブな気持ちになれるので、コスメは多めに持ち歩いています」仕事中もなるべく自分らしくいられるよう、必要な荷物を整理整頓して収納できるバッグと小物を選ぶという小澤さん。次のポーチからは、デザイナーである彼女の仕事道具も。「PC上でイメージを視覚化するだけではなく、ときには、テキスタイルや紙を切り貼りしてデザインを立体的に確認するための簡単なサンプルを作ることも。ペンケースの中身は周囲の人より多いかもしれませんね。こちらは、通勤中に読んでいる本です。美大を卒業しているのですが、コロナ禍になって家のまわりで過ごす時間が長くなり、その頃から色彩に関して再勉強するようになりました」パンデミックをきっかけに、アートセラピーや色彩心理学などの資格を取得した小澤さん。図書館で色彩に関する本をたくさん借りるようになり、その中でも色彩と心理の結びつきについて強く惹かれ、色彩心理とアートセラピーについて学び始めたのだそう。「行動制限があった時期、デザイナーとして働くことの意味を改めて深く考えるようになりました。商品を企画しても自己満足だけになっては意味が無いし、お客様の声を直接聞ける機会もあまり無い時期だったので、自分がデザイナーとして働く意味を見失いかけていました。でも、そんな時に出会った色彩心理学とアートセラピーが、新しいデザインの可能性を私に教えてくれました」色彩に関する学びを通して、自身がデザイナーとして働くことの意味を再認識した小澤さん。その後につくりあげたのが、働く女性のためのバッグ『airo』でした。「気持ちを新たに色彩心理学からアプローチした新しいバッグを開発することにしました。さまざまな職種で働く女性の方々にインタビューさせてもらったり、一緒にカラーワークを行ったりして、お客さまとなる女性たちとたくさんの時間を共有しながらつくりあげました。商品名の『airo』は『私の色』という意味です。カラーリングにもかなりこだわっていて、実はこのバッグ、内側は外側よりもポジティブなイメージのきれいな色を選んでいるんです。カラーワークに参加してくれた方の中には、外側の自分と内側の自分は違う色合いをしていると答えてくださった女性が多くいらっしゃいました。自分しか見ることの無いバッグの内側部分は、見た人にエネルギーを与える配色にしました」『airo』は色彩がもたらす効果ごとに5種類を展開。どのカラーも内側は爽やかで明るく、ファスナーを開けた時に元気がもらえます。「誰かの想いを組み上げてものづくりしてみたら、デザイナーとして働くことの意味合いも変わってきました。商品を開発するデザイナーだけでなく、商品を伝えてくれる方、それを使ってくれるお客さま……『airo』に関わるすべての人が、表現者なのではないかと思っています。仕事に関わってくれる方々への感謝と一体感をより深く感じるようになり、以前よりエネルギッシュに働けるようになりました」「大人になると、自分で自分が分からなくなることもあると思います。仕事や育児など、自分以外を優先しているうちに、自分の気持ちや好きなものが見えにくくなる時もありますよね。でも色を見ていると、『そうだ、私この色が好きだったんだ』とか、何かしら感じられることがあると思います。本当の自分を感じたい時に『airo』を手に取っていただけたらうれしいです。自分がつくったものが誰かを元気にするきっかけになるかもしれないと思うと、デザイナーをやっていて良かったな、色彩を学んできて良かったなと思います」誰かの心に響くようなトートバッグをつくっていきたい。そう言って笑う小澤さんの表情が印象的でした。
2023年11月27日取材・文:ミクニシオリ撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部世界的パンデミックの影響で、私たちは長らく世界と分断されていましたが、今年はやっと情勢が落ち着いて、好きな時に好きな場所を訪れることができるようになりました。Clase Azul Asia株式会社で働くMari Mochizukiさんは、パンデミックに影響を受け、キャリアの転換を考えた人の一人です。「もともとメキシコで働いていましたが、新型コロナの影響で帰国し、現在は日本で働いています」中目黒にある会社まで、自転車で通勤しているMariさん。現在は「クラセアスール」というプレミアムテキーラのマーケティング担当として仕事をしています。転職や方向転換のタイミングは、いつだって自分のタイミングとは限りません。大人になればなるほど、色々な理由で転職せざるを得ない状況は増えていくかもしれません。Mariさんのしごとバッグから学べるのは、ポジティブに仕事と人生を楽しむコツ。Mari Mochizukiさん東京育ち。大学卒業後、メキシコに渡り自動車関係のメーカーに入社。2021年に日本に帰国し、クラセアスール・アジアに入社。スペイン語を生かし、輸出入などの物流の業務の傍ら、マーケティングを担当する。現在はイベントの企画・運営や、プロモーション戦略立案などを行っている。Mariさんの仕事バッグは、アメリカのスポーツブランド「Aer」のリュックサック。スポーツ向けとは思えないほどスタイリッシュなのにしっかり軽量で、しかも底にはシューズも収納できるのだとか。「Aerのリュックはとにかく大容量で、PCや自社のテキーラデキャンタを収納しても、まだ余裕があります。友人とバスケをする日もあるので、バスケシューズが入っている時も(笑)。自転車やサブスクの電動キックボードで通勤することが多いので、このバッグには日々助けられています」●バッグの中身1 金子眼鏡のサングラス2 イル ビゾンテの財布3 ノートとペン4 書籍『DOS VECES UNICA ELENA PONIATOWSKA』5 おやつの小魚6 コニカのフィルムカメラ『現場監督』7 BIMBA Y LOLAのポーチ8 水筒(シンガポールのホテルのアメニティ)一見シンプルなMariさんのバッグですが、中身は個性があふれていました。海外で働いていたMariさんの持ち物には、世界のいろいろな場所で旅した思い出や、遊び心が詰まっています。「現場監督という90年代のフィルムカメラは、趣味で友人と会う予定がある時に持ち歩いています。おっちょこちょいでなんでもすぐに落としたり壊したりしちゃう方なのですが、これは工事現場で使われていたほど丈夫なカメラなので、ガシガシ使っても壊れる気配がありません。職場の人を撮る時もあります。日常の一ページを切り取りたくて、なんとなくシャッターを切ることが多いです」サングラスは金子眼鏡のもの。日差しが強い日は、サングラスをかけたままシャッターを切る日もあるそうですが……「サングラスかけてると暗くて見えないんで、現像してみると意味の分からない写真もいっぱい入ってます(笑)」と笑うMariさん。その明るさで、話していると元気をもらえます。「水筒は、シンガポール出張に行った時、ホテルのアメニティとして置いてあったもの。ボトルには“Take Me Home”と書いてあって、これをあなたの最後のボトルにしてね、という一言が添えられていて、じゃあそうしようと思ったんです。オフィスにある給水器の水を入れて、外出時に持ち歩いています。メイクポーチは、BIMBA Y LOLAというスペインのブランドのもので、メキシコに住んでいるときに購入しました。派手なカラーや柄物のアイテムが多くて、一目惚れして買いました」海外のアイテムは、日本には無いスタイリッシュさや個性があってすてき。華やかなアイテムも、スポーティーなカバンや他の落ち着いたアイテムと混ざると、バッグの中でいいアクセントになってくれそう。バッグの奥の方からは、読み古したような質感もある本と、メモ帳も。メモ帳は開いてみると、日本語に英語、それにスペイン語で取られたメモがびっしり。「会社の福利厚生でスペイン語の授業を受けているので、授業に使う本とメモを取るノートも持ち歩いています。クラセアスールの本社はメキシコにあるのですが、スペイン語がメイン言語の方もいるので、忘れないように勉強を始めました。私はもともとメキシコに行っていたため多少理解があるので、授業は週に1回です。この本はディエゴ・リベラというメキシコの壁画家の、最初の結婚相手が主人公の作品です。メキシコは1900年代初頭に革命があったので、この頃のアートには当時の歴史や文化が現れていて、国を理解するのにも非常に重要なんです」最後にどうしても気になってしまったのが、バッグの中から出てきた小魚。おやつ用の小魚ではなく、お味噌汁の出汁を取る時などに使う煮干しなのですが……。「会社で今、煮干しがプチブームになっているんですよ。このまま食べても意外とおいしいし、もちろん家では出汁を取るのにも使えます(笑)。海外をベースに活動している人も多いので、会社にはいつも海外土産の甘いお菓子ばかり置いてあるのですが、飽きてしまって……どこでも買えるし、身体にも良さそうだし、おすすめです!」こうしてバッグの中身を見ているだけでも、Mariさんの個性が伝わってきます。そしてその個性は海外への興味関心からの影響も大きく、その最初のきっかけは高校生の時に行ったテキサス留学でした。「テキサスにもメキシコからの移民の子が何人かいて、アジア人である私たちにもすごく優しくしてくれた思い出があり、もともとメキシコに対して良いイメージを持っていました。そして就職活動の時、日本の就職活動が肌に合わず、面接も上手くいかなかったので、メキシコで就活する決心をしました。当時は親からもかなり反対されたのですが、日系企業のメキシコ支部で採用してもらえることになり、卒業してしばらくしてからメキシコでの生活を始めました」全員黒髪、全員スーツの就職活動とは相性が良くなかったMariさんですが、メキシコの文化や暮らしには馴染みを覚えたのだそう。しかし3年働いた後、世界的にコロナが流行し、帰国を余儀なくされました。「コロナが落ち着いたらすぐにメキシコに帰ろうと思っていたのですが、思った以上に長くかかってしまったので、いったん日本で仕事をすることにしました。スカウト制の転職サイトに登録した時に、Clase Azul Asiaのことを知ったんです。日本にいながらもメキシコに関わりのあるテキーラの仕事ができて、本社があるメキシコのメンバーと繋がれるなら、自分の強みが生きると思い、転職を決意しました」クラセアスールは、メキシコ生まれのプレミアムテキーラ。日本でよく飲まれているテキーラとは製法が異なり、純度の高い原料から作られているそうで、飲んでみるとビックリ。これまで飲んでいたテキーラとは全く違う、味わい深さや甘さを感じます。特徴的なボトルはメキシコの伝統工芸品にインスパイアされていて、現地の職人が一つ一つに絵付けを行っているのだそう。「私ももともとお酒は全然強くなかったし、テキーラも得意ではありませんでした。ただ、メキシコに行った時に飲んだテキーラは日本のものとは何もかもが違っていて、やっとテキーラのおいしい飲み方を知りました。クラセアスールのようなプレミアムテキーラは、日本でもお料理とのペアリングで楽しんでもらえる可能性があると思っています。和食やお蕎麦などにも意外と合うし、質の良い糖分でつくられているので、喉が熱くなる感じもしないし、二日酔いも起きづらいんです」マーケティング担当でもあるMariさんは、日本各地でチームメンバーと共にクラセアスールのカクテルやペアリングイベントの企画・運営も行っています。一口飲んでみたい時は、Clase Azul Asiaの企画するカクテルイベントに行くか、会社の下にある「緑青(ろくしょう)」というバーでも、1杯から注文することができるんだとか。メキシコでテキーラの魅力を知ったMariさんは、コロナ禍が終息してもClase Azul Asiaで働き続けています。コロナ禍の最中は「メキシコに帰りたい!」という気持ちが強かったと話していましたが、どんな心境の変化があったのでしょうか。「自分がメキシコに行くのももちろん楽しいんだけど、今はメキシコに貢献したい気持ちも強くって。クラセアスールの製造には現地の人々がたくさん関わってくれていて、その土地での雇用も生んでいます。メキシコは気候だけでなく、そこにいる人々の心も本当に温かいんです。だから私も、大好きなメキシコの人たちに恩返しがしたい。それに私はとても単純な人間なので、自分がどこにいて何をしていようと、楽しければそれで良いんです。逆にもし仕事が楽しくないと感じる日が来るのなら、転職活動を始めると思います。仕事って大変なこともあるものだけど、私がまだここにいるということは、それ以上にやりがいや楽しさを感じているってことなんだと思います。仕事って基本、大変だし嫌じゃないですか。だからこそ、楽しくないと続けられないと思っています。逆に楽しみさえあれば、どんな場所でするどんな仕事も、続ける理由になると思います」転職のきっかけは、新型コロナウイルスの流行。だけど、Mariさんは転職を環境のせいにはしていませんでした。「メキシコと繋がる仕事をすること」、そして「楽しい場所で働き続けること」という軸を持っている彼女にとって、仕事を続ける理由はとてもシンプルでした。
2023年10月30日30歳になった時、今後の自分の人生について考えてみる……たぶん、30歳を迎えた女性はみな、することなのではないかと思います。そして、私の中で結果を出すのに、そんなに時間はかかりませんでした。「子どもは欲しい。不妊治療は怖い。だけど、まだ母になる決意はできない」この問題はきっと、先延ばしにしたところで解決しない。むしろ、選択肢は狭まっていくばかり。だから私は、パートナーと一緒にプレコンセプションチェックを受けに行くことにしたんです。■答えが出せない私が見つけた「プレコンセプションチェック」という選択30歳の女性って、たぶんすごくパワーにあふれていると思います。仕事も充実してきたタイミングで、だけどもうちょっと年収も上げたい。今の会社で出世するべきか、それともキャリアアップ転職を目指すべきか……。そしてどちらも、今母になってしまったら、閉ざされてしまうかもしれない。プライベートだって、まだまだやりたいことがありました。やっと運動習慣が見についてきて、体型のコントロールもできるようになってきたのに……。きっと妊娠したら、またゼロからのスタート。仕方がないことだと分かっていても、これまでの自分が築いてきたいろんな”積み重ね”がリセットされて、また新しいステージでLv.1から冒険がスタートしていくのが、怖いんです。今の私には、結婚を考えているパートナーがいます。子どもを持ちたいというのはお互いの共通認識だったけれど……「じゃあ、いつにする?」と明確に決めているわけではありませんでした。私たちにとってはふたりで過ごす時間だって大切で、たぶんお互いに踏ん切りがつかなくて、話し合えていないことでした。だけど30歳になった時、やっぱり色々なことが不安になりました。だって出産をするかしないか、いつするかによって、仕事もプライベートも、計画がぜんぶ変わってしまうから。それは長い将来を一緒に過ごすパートナーにとっても同じはず。誕生日のあと、私は彼にも相談してみることにしました。何から話そう。引かれないかな。そんなことが不安になって、切り出し方を検索したりもしてしまったけれど、こういうことを話し合えなければ、きっと結婚生活も難しい。だから結局、金曜日の夜に、単刀直入に話を切り出しました。「あのさ……子どもを産む時期によって、今後のキャリアを考えたいんだけど」キャリアや生活クオリティ、世帯の金銭事情など、色々なことが出産と関わると考えていることを彼に伝えました。キャリアが変われば世帯年収も変わる。買える家や、子どもを何人持てるかも変わる。出産の時期を考えることの重要性を話したら、彼は真剣に話を聞いてくれました。だけど私たちの中では、どちらにせよ「今すぐに妊活」という選択肢を出す決め手がない、という結論に至りました。だからといって、いつまでに妊活すればいいのかも、私たちにはか分かりません。一般的に30歳といえば、妊娠時のリスクは高まりはじめる時期とも言われています。だけど、知識のない私たちには、タイムリミットがいつなのかも分からず、二人で検索してみることに。その時に、プレコンセプションチェックの一つである、AMH検査の存在を知りました。■若いうちから向き合いたい妊娠と出産。将来を考えるひとつの指標になるAMH(アンチミューラリアンホルモン)検査とは、卵巣の中に卵子がどれくらい残っているかを調べるもの。不妊治療の際に検査する人もいるそうですが、現在は妊娠時期を考える指標として、若いうちから検査する人も多いのだそう。たしかに、今の時点で残りの卵子が少ないことが分かれば、キャリアやプライベートよりも先に、妊活を優先して行う選択もできます。エネルギーにあふれる世代だからこそ、指標となる検査を行うことには大きな意味があるように感じました。AMH検査は、不妊治療を行っている婦人科や健診施設で受けることができます。調べてみると、AMH検査はプレコンセプションケアという名目で広まっており、若い世代の人が現在のからだの状態を把握し、将来の妊娠やからだの変化に備えて、自分たちの健康に向き合う一貫として認知されているようでした。プレコンセプションチェックの中には、男性の精液検査が含まれている場合もあるのだそう。いわゆるブライダルチェックと近いようにも思えましたが、結婚前でも、これからの将来設計に向き合うという意味で、男性がひとりで受ける場合もあるそうです。私たちは今後の将来設計のために、お互いにプレコンセプションチェックをすることに決めました。■ふたりで『浅田レディース品川クリニック』へ私たちは品川にある『浅田レディース品川クリニック』で検査を行うことにしました。通常の診察は予約が必要ですが、プレコンセプションチェックは予約不要で検査できます。婦人科は定期的に行くように心がけてはいるものの、忙しいとどうしてもおざなりにしてしまいがち。健康診断でもなかなか検査されない項目もあったため「どうせ行くなら」と、他にも検査を受けてみることにしました。私が検査することにしたのは、プレコンセプションチェックのBコース。AMH以外に感染症や性病、風疹など、不妊に関係のある検査を受けることができるコースです。久しぶりの婦人科だったので、超音波や子宮頸がんも一緒に検査して、後から不安要素が出ないようもりもりの検査項目でトライすることに。検査に休日を使ってしまうのはもったいないかなと、私たちは平日の夜に検査を予約し、仕事終わりに待ち合わせをしました。まずは受付。レディースクリニックに男性と来るのははじめてでしたが、平日の夜でも男女で待合室に座っている人たちがいたので、なんだかほっとしました。受付でカルテをもらって、二人それぞれに記入します。来る前は緊張していて、あまり考えないようにしていたけれど、いざこうして検査にやってくると「ふたりの将来なんだ」と実感します。パートナーもそれを察してくれたのか、緊張するね、と苦笑いしながら「まあどんな結果が出ても、お互いに楽しめる未来を計画しようね」と声をかけてくれました。妊娠・出産は女性だけの問題ではありません。パートナーの声かけのおかげで少し勇気が出て、カルテを受付に提出する足取りが軽くなります。女性と男性は別々に検査が進むため、呼び出しのために院内用のPHSを貸し出してもらいます。電話に出ると診察室の番号を伝えられるので、それぞれの検査に向かいます。AMHや感染症の検査は、採血のみで完了します。採血が苦手な人は、横になりながら採ってもらうことも可能です。やさしい看護師さんに励まされながら、採血が終了。私たちはオプション検査をお願いしたので、私は内診室に、パートナーは精液検査のために個室へ。内診検査はいつも緊張してしまいますが、今回は女性医師が検査してくれたので、なんとなく安心感がありました。超音波検査と子宮頸がんの検査を行い、待合室に戻ってくると、すでにパートナーの姿が。20代の頃、婦人科検診はいつも憂うつでした。誰かといっしょだと、やっぱり安心します。自分のからだのことだけど、自分ひとりで悩まなくていいんだ。勇気を出して、パートナーに相談してよかった。検査には、20代の女性や男性がひとりで来ることももちろんあるそう。からだのことを早いうちから考える若者が増えているのは、いいことだと思います。だって、もしも自分が子どもを産めないからだだったら?若いうちに知っておけば、人生の選択肢が変わるでしょう。子どもを産めないなら、結婚はしなくてもいいかなという人もいるでしょうし、キャリアを充実させることもできます。実際に検査に来てみると、まだ結果も出ていないうちから「もっと早くやっておいてもよかったな」とも思いました。■検査結果でやっと、地に足のついた「将来設計」が可能にお会計を済ませて、帰り道はパートナーと品川でおいしいごはんを食べました。検査結果は郵送で届くので、それまではいつも通りのふたりです。2週間後、別々の封筒で検査結果が届きました。ドキドキしながら、ふたりで検査結果を見比べました。いちばん気になっていたAMH値……つまり、卵巣予備能は問題なし。しかし、その他の検査項目に気になる結果も出ていたので、検査後の無料個別相談にも申し込むことにしました。浅田レディース品川クリニックでは、プレコンセプション検査の結果について、後日院長に無料相談に乗ってもらうことができるのです。(※相談時間は10分ほど)AMH値は、年齢とともに減っていくものだといいます。だから、私たちは定期的にAMH検査を行っていくことにしました。そして検査結果をもとに、これからのことを話し合いました。現状で卵巣予備能に余裕があるなら、先に転職をすべきか。家を買うのは、いつごろにするべきか。不安定な世の中だからこそ、お互いの認識を合わせて話し合いができたことで、将来への「そこはかとない不安」が拭われ、地に足がついたような感覚が持てました。健康な人にとって、健康であることはあたりまえのこと。もしも急に不健康になったら、日常はガラリと変わってしまうでしょう。定期検査をしておくことで、からだの急変を防ぐこともできますし、心の準備も整います。将来の選択肢を増やすためにも、パートナーの有無に関わらず、いちど検査してみてはいかがでしょうか?(文:ミクニシオリ、写真:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部)「浅田レディース品川クリニック」婦人科(生殖医療・不妊治療)〒108-0075東京都港区港南2-3-13 品川フロントビル3FTEL:03-3472-2203
2023年10月27日取材・文:瑞姫撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、全米ヨガアライアンス認定のヨガスクールなどを運営する株式会社MAJOLIの代表取締役・横幕真理さん。株式会社MAJOLIでは、ヨガ業界初のオンラインによるヨガ資格講座『おうちヨガ』の運営を行っています。自分で道を切り開いてきた、ストイックで行動力の塊のような横幕さんですが、実は人見知りで、苦手なことも多かったそうです。しかし、「苦手なことにあえて挑戦してきた」からこそ見えた、予想外の人生。それは、彼女の今をより輝かせてくれるきっかけになったものでした。横幕真理さん株式会社MAJOLI 代表取締役、一般社団法人国際ヨガアカデミー協会 代表理事。大学卒業後、就職活動に失敗し海外へ渡航。その後、海外での留学と就職を経て、インドにヨガの修行に行き人生が変わる体験をする。インドから帰国後に結婚して専業主婦になるが、“自立した女性になりたい”一心で、29歳で株式会社MAJOLIを起業。2,750名(10/1現在)以上の生徒を抱えるヨガスクールを経営し、これまで東京、沖縄、京都、バリ、ハワイ、セブで事業を展開。運営メディア「Wellness Story」 、Instagram 、公式HP ■人見知りな性格を自ら克服。視野を広げるために大学卒業後は海外へQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?すごく人見知りで、人から注目をされることが苦手なタイプでした。感受性が豊かなのですぐ泣きそうになるんですが、注目されるのが嫌なので涙が出そうになるのをグッとがまんして……。家に帰ってお母さんに「大丈夫?」と言われた瞬間に泣いてしまうような子どもでした。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?人見知りだし目立ちたくないっていう気持ちがすごくあったんですが、背が高かったり、真面目な性格だったりしたこともあって、先生からリーダーや学級委員長を任されることが多かったです。ただ、自分からなりたくてなったわけではないものの、任された以上は責任感を持ってはやっていました。目立つのは嫌だけど意見を出すことは嫌いじゃなかったので、リーダーとして色々と決める立場にあることは、自分にとってはすごく心地良いポジションだったのかもしれません。Q.3 学生時代にアルバイトはしていましたか?人と話すことが苦手だったので、あえて苦手を克服したいと思って接客業に挑戦していました。焼肉屋さんやアパレルなど、色んなジャンルを経験しましたね。一番やりがいを感じたのは、結婚式場のバイト。人の人生が変わる大切な日に携われるのはすごくやりがいを感じましたね。逆に、大きな声を出さなくちゃいけない焼肉屋さんのバイトは苦手でした(笑)。Q.4 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?経済的に自立した女性に対しての憧れがあったので、高校生の頃から起業したいという気持ちがあり、アントレプレナーシップという学部で、起業や経営について学んでいました。その学部は元々、親が起業家の方しか入れないのですが、2年生からは成績と面接で合格した人が数枠入れるので、その枠で私は入りました。バイトばかりしていたので本当は成績が足りなかったんですが、どうしても入りたくて担当の教授に「絶対にがんばるので入れてください!」とお願いして(笑)。振り返ると今でもすごく学びたいと思える授業がたくさんあって、特に多かったプレゼンの授業は、すごく今に活きているなと思います。実際にお金の流れを学ぶマネジメントゲームもおもしろかったです。Q.5 大学卒業後に留学しようと思ったきっかけを教えてください。大学の3年生の就職活動の時期に、自分が何をしたいかが分からなくて就職活動ができなかったんです。起業したいけれど、お金もやりたいことも無かったので、今すぐ起業するという選択肢は無くて……。そんな時に、大学生になってから初めて行った海外旅行で外国の方とお話した時に「英語は学問ではなくコミュニケーションツールの一つなんだ」と感じたことを思い出したんです。それぞれの国で、いろんな考え方や文化の中で育ってきた人と話すと、新しい世界が広がるので、「海外に出てもっと視野を広げたい!」と思って、卒業後は1年間くらいアルバイトでお金をためて、ロンドンに留学しました。■ヨガで人生が変わったQ.6 人生が変わったというヨガに出会ったきっかけを教えてください。ロンドンに留学すればやりたいことが見つかると思っていたんですが、結局見つからなくて。帰国してから日本で一度就職したものの、その会社もあまり続かなかったんです。でも、また海外へ行きたいという気持ちがあったので、今度は留学ではなく仕事で海外へ行こうと思って、海外就職について調べて片っ端から応募して、当時ちょうどセブ島に進出するタイミングだった、日本の上場企業のセブ島拠点に就職を決めました。そこから3年間セブ島でゼロから立ち上げの拠点でマーケティングや人事の仕事をしました。そして、その後次のステップとして「苦手なことに挑戦したい」「あえて、衛生面や治安が心配で一番行きたくない国であるインドに次は行ってみたい」と思って。それでインドについて調べていたら、インドがヨガの発祥地で、ヨガ留学というものがあることを知って、行くことを決めたんです。ヨガがやりたくてインドに行ったというより、インドに留学に行くためにヨガを学ぶことにしたという感じですね。Q.7 ヨガで起業しようと思ったきっかけを教えてください。インドのヨガ留学は2カ月間だったんですが、初めて受けたヨガの授業で「あなたにとって幸せとは何ですか?」という質問を投げかけられて、何も答えることができなかったんです。自分を変えたいと言いながら、私は自分自身のことを何も知らなかったんだなと痛感し、それが自分自身を見つめ直すきっかけになりました。元々私はすごく太っていたんですが、ヨガを始めてから8キロほど痩せたことで、ずっと嫌いだった自分のことを少しずつ大事にできるようになったんです。自分が変わると周りの環境が変わる。環境が変わると、どんどん人生が変わって、生きるのが少しだけ楽になったんですね。それで、ヨガってすごいな、もっと色んな人に伝えたいなって思ったんです。ただ自分ひとりがヨガインストラクターとして活動をするよりも、同じ志を持ったヨガの先生を育成する立場になることで、より早く大きく広がるんじゃないかなと考えて、ヨガ講師を養成するスクールを運営する会社を起業しました。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?スクールの生徒さんが「ヨガで人生変わりました」って最後に泣いて卒業していく時はすごくやりがいを感じますね。それから、わたしの下で働いてくれているヨガ講師たちの成長を見られるのもうれしいです。当時、オンラインでヨガの資格が取れるコースは業界初だったので、やったことが無いことに挑戦する分すごく大変だったんですが、やって良かったなと思えます。■世界をウェルネスでハッピーにQ.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。毎朝5時に起きて、365日間、6時〜6時半まではオンラインで瞑想のクラスを自分で受け持っています。 そこからはヨガのプラクティスをやって、お部屋の掃除・洗濯をするのが朝のルーティングです。仕事の時間はミーティングに出たり、新しい講座を作ったり、イベントの開催準備をしたりというのがメインの仕事ですね。あとは、マーケティングや企画、数字分析、卒業後の生徒さんとの面談もしますし、夜9時〜10時の間は夜のヨガレッスンのチェックをしたりしています。また、昔からドラマを観るのが大好きなので、夜に髪の毛を乾かしながら観たりしてプライベートは過ごしていますね。ドラマから今の流行りや、みんなが何に悩んでいるのかを読み取ったり、マーケティングの観点から情報収集もできたりするのでなるべく観るようにしています。感受性が豊かで、感情移入もしやすい性格なので、ドラマを観ながら泣いたり笑ったりして感情のデトックスをしています。Q.10 休日は何をしていますか?丸一日お休み!というのはほとんど無いのですが、年に一回は友人と旅行に行く時間を作っています。あとは、新しい世界に触れることが自己成長につながると思っているので、行ったことの無い場所、体験したことの無い経験を大切にしています。時間が空いたら音楽ライブに足を運んだり、舞台や映画館、美術館などに夫と出かけたりするようにもしています。夫婦の時間も大切にしたいなと心がけているので、月に一度はデートしていますね。Q.11 どんなところにお住まいですか?沖縄のギリギリオーシャンビューのお家に住んでいます(笑)。海が好きなんですけど、移動が多いので、空港に近いところが良くて。沖縄の気候だけじゃない人の温かさや、海の綺麗さ、そういったところに自分自身がすごく癒されます。Q.12 プライベートで悩みはありますか?仕事ばかりで、家族の時間をなかなか作ることができないことですね。忙しくて家事が追いつかないことも多く、それも悩みです。仕事に没頭できる今はとても幸せですが、ふと気がつくと部屋が散らかってしまっていたり、家族でゆっくりご飯を食べる時間をぜんぜんとれてなかったり……。起業してからそこはずっと悩みですね。Q.13 将来の夢を教えてください。世界をウェルネスでハッピーにしたいというのが今の私の夢です。これまで誰もやったことがない新しいことをやってきたので、これからもいろいろなことに挑戦していきたい。ヨガやピラティスという業界を超えて、みんなで手と手を取り合って健康について伝える活動をしていきたいです。
2023年10月27日取材・文:ameri撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部仕事もプライベートも楽しみたい。それを叶えて体現しているのが、ソニー銀行でカスタマーサポート企画部とローン営業部を兼務している関根百代さん。兼務というと、忙しくてプライベートの時間が減ってしまいそうというイメージがありますが、趣味は旅行で、仕事とプライベートのオンオフははっきりさせているという関根さん。新しいことに飛び込み“探検”し続ける関根さんの働き方を伺ってきました。■インスピレーションを信じてソニー銀行に入社本日はどうぞよろしくお願いします!関根さんは2013年に入社されたとのことですが、新卒で入社されたんですか?はい。新卒で入社し、最初に配属された先でカスタマーセンターでの顧客対応業務を担当していました。そもそも、ソニー銀行にはなぜ入社しようと思われたのでしょう?就職活動ではあまり業界を絞っていなかったので、いろいろな企業を見ていたのですが、インターネットやニュースで「ソニー銀行、顧客満足度1位」というのを目にしまして。当時はインターネット銀行について何も知らなかったので「何だろうこの銀行?」と興味が湧き、説明会に行ったことがきっかけでした。その時に「社員やお客さまを大切にしている会社だな」と感じ、会社として大切にしている方向とインターネットから入ってきた情報が一致したんですよね。ここであれば肩肘張らず、自分らしく働けるかなと思って、入社を決めました。第一印象でのインスピレーションが大きかったです。大学で金融などを学ばれていたんですか?いえ、大学時代は経営学部で、戦略論を勉強していました。全然違う業界だったのですが、ビビッと来たんですよね。■顧客対応業務をベースに2つの部署を兼任入社から現在まではどういうお仕事を……?最初は実際に顧客対応を電話やメール、チャットで行う部署から始まり、研修チームに異動したので、これまでに自分が教わってきたことを還元しました。その後、相談窓口の資産運用相談業務の立ち上げに関わり、リリース後はアドバイザーとして資産運用・住宅ローンのコンサルティングの役割を担いました。そして、現在はコンサルティング業務の企画・推進やオンラインセミナーや動画などを活用した情報発信を行う業務などを行っています。入社してからずっとカスタマーサポートのお仕事がベースにあるんですね。顧客対応がベースでありつつ、2023年からはローン営業部タイアップ企画課も兼任となり、他企業さんとの提携事業を推進する仕事にも携わるようになりました。二つの部署を兼任されているということで、働き方の比率はどのような形なのでしょう?数字的には、カスタマーサポート企画部が6割、ローン営業部が4割ですが、時期で業務量が変わるので、それに合わせてフレキシブルにペース配分を変えています。ローン営業部の兼任は、自分からチャレンジしたい気持ちがあったのでしょうか?私、部署異動の際に、自分から「ここへ行きたい」と発信したことがあまりなくて。ただ、「やり切ったな」と感じたタイミングで異動の話は巡ってくるものなのだなと感じています。ちょうど「他のこともやってみたいな」というタイミングでふと話が来るので、そんなペースで10年ほど、いろんな部署でいろんな経験をさせてもらっています。どちらの部署のことも分かっているのは強いですよね。そうですね。それはとてもありがたいです。一つの部署にいただけでは分からなかったことも「そういえばあっちの部署でこんなこと言ってたな」と気づくことができるので、こういう環境もいいなとポジティブに捉えられています。■兼務になり自分の気持ちにも変化が兼務されている中で、働く上で大切にしていることはありますか?初めに兼務のことを聞いた時は、それぞれの部署での業務量の兼ね合いなどいろいろなことを考えていたのですが、計画をきっちり立てていても、結局のところ突発的な案件や依頼は来るので、兼ね合いを先に決めても仕方ないと思ったんですよね。週ごとの大体の仕事は把握しつつ、「突発的なものは来る」と思ってゆったり構えていようかなと。兼務が決まった当初とは意識が変わってきたように思います。兼務になって心構えが変わった感じですか?そうですね。昔は、あらかじめきっちり決めて期日までに突き進んでいきたい性格でしたが、兼務してから「そうはいかないな」と思うようになりましたね。目標を決めて突っ走るのも気持ち良かったですが、いろいろフレキシブルに幅広く経験して吸収していくのもいいなと思えるようになりました。■プライベートとのオンオフはきっちり。怖いことも“なんとかなる”精神でチャレンジ周りで働く方たちの雰囲気はどうですか?基本的にみなさん優しくて親切だなと感じています。ただ“親切”という言葉で語りたくないくらい、その“親切”を表現する形がそれぞれ違うので、「あっ、この人、ここが優しいな」と相手の親切なポイントを発見するのも楽しいです(笑)。職場の好きなところはどこですか?自由と責任のバランスが好きです。経験を重ねることで徐々に自由度が高まってきていて、その分責任もついてきますが、そのバランスがいいなと思っています。現在のワークライフバランスはどれくらいだと感じていますか?極端な人間なので、仕事をする時はガッと仕事をするのですが、「今日予定あるから帰ろう」とサッと帰る日もあり……。あとは、遊ぶために一気に働き、ガッツリお休みを取って旅行へ行ったりするので、比率は難しいですが、仕事とプライベートのオンオフはきっちりしていると思います。プライベートをしっかり大切にしているんですね。会社の外に出て、駅までの10分を歩いている間にスイッチがオフになります。少し元気な時は、もう少し先の駅まで歩くこともありますね。休日や仕事後は何をして過ごすことが多いですか?休日は、隙あらばどこかへ行っています。前の連休は、ロサンゼルスに行って来ました!新しい部署への異動も、プライベートでの旅行も、いろいろなところに飛び込むのがお上手ですよね!性格的には最初は躊躇しなくもないのですが、大体“行けば都”と感じられる精神があるかもしれないです。旅行はそもそも躊躇なく楽しめていますが(笑)。関根さんにとって怖いものってないんですか?もちろんあります!怖いことも、嫌だなと感じることもありますが、「なんとかなるかな」と思って過ごしています。ご自身のキャリアを「○○キャリ」と当てはめるとしたら、何だと思いますか?この取材を受ける前に後輩に聞いてみたのですが、「“探検キャリ”ですね」と言われました。「確かに!」と思ったので、それを採用させてもらいます!最後に、今後の展望を教えてください。やり切ったタイミングでいつも新たな仕事を経験させてもらえているので、自分が納得いくまでやり切る精神は今後も大切にしたいなと思っています。それに加え、これまで顧客対応部門の仕事をベースに、現在は商品サービスのキャンペーンの仕事もしている中で、もちろん今もしっかり連携は取れていますが、より最適な形でお客さまに届けられる仕組みを作りたいと考えています。良い商品・サービスの企画は大事ですが、同じくらいその届け方も重要だと思っているので、自分の経験を生かしながら、お客さまに心地よく使ってもらえるような体制作りに貢献していきたいです。
2023年10月25日ごきげんよう!スピリチュアル・カップルのトシ&リティです♡今回は2023年10月16日〜10月22日の、宇宙からのメッセージを星座別にお届け。みんながナチュラルに開運できるよう、ナビゲートさせていただくわね☆■12星座全体の運氣予報太陽がてんびん座の終盤の度数を移動していくこの1週間は、次のさそり座シーズンに向けて次第にシリアスで濃厚なムードに包まれていく時。社会レベルにおいても象徴的な出来事が次々と起こるタイミングよ!これまでのてんびん座シーズンは「風」のエレメントだったけれど、まもなく始まるさそり座シーズンは「水」のエレメント。水は人間の“感情”や“情念”を象徴するから、内面が揺さぶられるようなドラマが起こりやすいのよね。そして、さそり座といえばハロウィンシーズン。「あの世」と「この世」を隔てる扉が大胆に開く時期に突入していくから「過去の時代に生きた方やご先祖様を敬う」という意識を今のうちから根づかせておくのがポイントになっているわ☆この秋から冬にかけて、スピリチュアルな感性を持っている人とそうでない人との間で、ギョッとするほどの運勢格差が出てくるようになる!だからこそ大切なのは、過去と現在が霊的に共鳴していることを悟って、改めて真剣な態度で自分の人生と向き合っていくことよ♡本氣になったあなたが、自分の魂を輝かせて生きることは、ご先祖さまに向けた最高の恩返しにもなる☆あの世にいる方々のサポートを得て、この世をパワフルに生きていくっていうのがスピリチュアルの醍醐味でもあるってことをとりあえず知っておいてちょうだいね♪■うお座へのメッセージ出世運絶好調な1週間!今週、キャリアップに導かれるのがうお座のあなた!!これまでの努力が評価されて、ヘッドハンティングされたり、マネジメントに携わったりと華麗なるステージがあなたを待ち構えているはずよ☆この運氣にうまく乗るために、何事にも動じない姿勢&やさしい微笑みを絶やさないことを心掛けてみてちょうだいね♪そこから自分の未来が開けていくことを「純粋に信じてみる」……そうすればすてきな運命の扉が自然に開かれていくと思うわよ♡うお座のマジカルミュージックガムランガムランが次のシーズンに向けて心の準備をしてくれそうよ♪(監修・文:トシ&リティ、イラスト:いいあい)
2023年10月16日取材・文:仲野もも撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、世界最大級のビジネス特化型SNSおよび同サービスを提供する『LinkedIn』の日本法人・リンクトイン・ジャパン初の女性代表を務めている田中若菜さんです。田中さんが代表になった経緯を聞くと、なんとLinkedInを通して日本法人代表へのオファーがあったことがきっかけなんだとか。転職を5回以上経験し、様々な業界で幅広いスキルを身につけている田中さんの素顔に迫ります。田中若菜さん2003年米ハーバード大学ビジネススクール 経営学修士(MBA)取得。日本ロレアル株式会社ブランドマネージャー、グラクソ・スミスクライン株式会社 変革推進室長、Google合同会社 Google PartnerOlex Tokyo統括、執行役員などを経て、2023年3月よりLinkedIn日本法人・初の女性代表に就任。■幼少期から好奇心旺盛。ジャカルタ生活がきっかけで国際関係に興味を持ったQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?私には弟がいて、長女ということもあってリーダー気質というか、いろいろなことに手を上げて自分からトライするような子どもでした。失敗を恐れない、好奇心旺盛な女の子でしたね。班長とかもよくやっていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?父はすごく厳格で厳しかったです。一方で母はおおらかでポジティブな、いつも笑顔のはじけるような人でした。母から受けた影響はすごく大きいですね。父の仕事の都合で中学3年から高校3年までジャカルタで暮らしていたんですけれど、異国の地で日本人ファミリーとして生き延びていくために家族一致団結する必要があり、そのおかげで家族仲が良くなりましたね。私がチャレンジすること全てをサポートしてくれる、そんな家族でした。Q.3 大学はどのように決めましたか?国際関係や政治について学びたいと思って、その当時国際政治分野でトップだったアメリカのジョージタウン大学に進学しました。この先生のもとで学びたい!と思った教授がいたのも、選んだ理由の一つです。当時はちょうど冷戦が終わってベルリンの壁が崩れて、世界がすごく変わったときだったんです。それで、このままだと日本はどうなるんだろうって考えて……。また、インドネシアで育って、日本が戦時中どんなことをしていたのかを現地の人から聞いて、「日本で受けた教育とは違う。ちゃんと政治や国際関係の勉強がしたい!」と思ったのが専攻を決めたきっかけですね。Q.4 大学時代はどんなことに注力しましたか?学生時代は学校での勉強の他に、地域の人に英語を教えたり老人ホームでボランティアしたりしていました。あとは性被害を受けた女性を助けるNGO団体があって、そこで経営方針を考えるコンサルティングのアルバイトをさせてもらいました。社会の課題に触れながら、将来自分は何がしたいのかなって考えていましたね。■「私も女性の背中を押す存在になりたい」目標ときっかけをくれたのは、昔からお世話になっていた年上の女性の友人Q.5 大学卒業後はアメリカで就職したのですか?いえ、大学を卒業するとともに日本に戻ってきました。これから就職するというときにアジアの通貨危機が起こり不景気になったので、日本に戻ってきた方が仕事を見つけやすかったんです。バイリンガルだったということもあって、最初はコンサルティング会社に就職しました。久々に実家に戻って4年ほどがむしゃらに働いた後、ハーバード大学大学院のビジネススクールに入学しました。Q.6 なぜMBAを取得しようと思ったのですか?キャリアアップするにはどうしたらいいんだろうと考えていたんですよね。職場にはMBA卒業生が多くいたのもあって、自然な選択でした。ただ最初はハーバードではなく、別の大学を考えていました。ハーバードは自分には無理だろうなって思っていたんです(笑)。でもたまたま昔からお世話になっていた年上の女性の友人でハーバードのMBA卒業生がいて、「若菜ちゃんならできるよ!」って背中を押してもらって、受けてみたら合格をいただいて。その先輩にはハーバードに行くきっかけをいただいてすごく感謝しています。女性に多いように思うんですけど、100点を取れないと「自分はできる」って言わないんですよね。80点だとまだまだだなと思ってしまうというか、ギャップに目がいきがちだと思うんです。私もそうだったんですが、そこで「大丈夫だよ」って背中を押してくれた人がいたおかげでチャレンジできました。その時に、私も若い人の、女性の背中を押すような、そんな存在になりたいと思いましたね。Q.7 ハーバードではどのようなことを学びましたか?経営プランを立てたりディスカッションしたり、疑似経営体験の授業をくり返して「自分がリーダーだったらどうするか」というマインドをつくりました。人って立場が変わると視点が変わるというか、マネージャーの視点になった瞬間見えるものが変わるんですよね。すごくいい練習だったなと思います。その他にもいろんな授業を受けましたが、振り返ってみると「自分は何をやりたいのか」「どんな存在でいたいのか」そういうことを考えたり、インターンシップをしたり、いろいろトライできる時間だったなと思いますね。やっぱり授業の内容は忘れてしまうんですけど、培ったマインドセットみたいなのは今も忘れていません。女性は介護や育児でキャリアを休む期間が出てくると思いますが、MBAを取得したらそういった時も復帰しやすくなりますし、自分が立ち戻れる場所でもある。リスキリングとして一番の投資にはなるので、特に女性におすすめしています。Q.8 MBAを取得後、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?新卒で就職したコンサルティング会社ではいろいろな業界を担当しました。経営ってこんな感じなのかなとイメージしていくうちに、自社で商品を作って市場に出して……ということを一通りやってみたいと思ったので、MBA卒業後は化粧品メーカーに入社してブランドマネージメントにトライしました。商品開発から流通、価格設定、在庫管理までいろいろ触れることができて、すごくいいスキルセットを学ばせていただいたし、自信にもつながりましたね。その後、結婚して子どもを産んで、お仕事を少しお休みしました。産休の間は自分でリスキリングしたり、コーチングの資格を取ったりしました。その時学んだコーチングは、今も自分のパッションだと思っています。というのも、コーチングはリーダーシップに通ずるものがあって、メンバーのやる気を引き出すような、コーチングを軸にしたリーダーになりたいと思ったんですよね。その後もさまざまな経験を積んで、その経験を買われてリンクトインからオファーが来ました。■スキル型採用は女性のチャンスを広げる。リンクトインのビジョンに魅力を感じ日本法人代表にQ.9 リンクトインを含め、どういったポイントで就職先を選んできましたか?お仕事を選ぶときに大事にしていることは3つあります。まずは会社のビジョンやミッション。私自身いろいろな経験を得た中で、後に続く世代の地位を上げたいと思うようになりました。将来の日本の女性、アジアの女性の地位を上げることに貢献したいんです。ビジネスにおける「機会」って均等ではないと思うんですよね。やっぱり限られた人に集中してしまう。日本社会の場合はそれが大企業の男性であることが多いと思うんですが、スキルベースの採用になれば、どこに何年務めたかでお給料は決まらない。どんなスキルを持っているか、どんな結果が出せるのかでお給料が決まれば、女性にもチャンスが増えますし、より平等になると思うんです。リンクトインを通してスキルベースの採用が浸透すればそういう社会を実現できる、そこに魅力を感じました。次に、私がどれだけ貢献できるか。そして、家庭と両立できるかです。私には子どもが二人いるので、母としてもプロフェッショナルでいたいというか、妥協したくない。家庭と仕事を両立できる、会社の社員に対する扱い方を尊敬できる会社がいい。これまでの会社もこのポイントで選んできたのですが、リンクトインはやっぱりビジョンに魅力を感じたこと、貢献できるところがあったので、お話を受けることにしました。Q.10 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?サービスを使うことで人生が変わった、新しいお仕事に就けた、ネットワークが広がった、そういう声を聞くとすごく嬉しいですね。またリンクトインではe-ラーニングサービスも展開しているんですが、それを全社導入したことで社員が学習するようになったとか、人材が増えて会社の競争力が上がった、その結果として株価が上がったとか……。初めて会社のトップに立って自分が試されているなと思うこともありますが、そう言った声を聞くと、すごくやりがいがあるなって思います。Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。リンクトインは人と人、人と会社を繋ぐので、仕事中は基本的に人と会っています。本社がアメリカに、アジア支社の本部がシンガポールにあるので、オンラインMTGや海外の人とのMTGも多いです。お昼は会社でヘルシーなお弁当を頼んでいるので、みんなで集まって食べたりしています。夕飯の後は子ども達と話したり宿題を手伝ったりしますが、もう二人ともティーネイジャーなので、干渉しすぎないようにしています(笑)。寝るのは大体24時頃、就寝前の2時間くらいは自分の時間に使えることが多いですね。できるだけストレッチやエクササイズをするようにしています。■仕組みが変われば社会が変わる。若者や女性が輝ける社会をつくりたいQ.12 お休みの日は何をされていますか?休みの日は家族と過ごしています。娘がK-POPにハマっていて、この前は一緒にライブに行きました(笑)!あとはファッションにも興味を持ち始めたので、一緒に買い物に行くことも。息子はスポーツをしているので、応援に行ったり、差し入れを持っていったりすることもありますね。他にはやっぱり、「チームはリーダーを見て変わる」とよく言われているので、まずは自分がリスキリングするようにしています。LinkedInラーニングは1コース1時間ほどの内容を、1回3分の動画に分けて学ぶんです。3分だけなので土日の空いている時間や平日のスキマ時間に進めています。LinkedInラーニング()は、13カ国語で2万を超えるコースがあり、このうち日本人講師による1,200コース以上のコースに加え、すべての英語コースに機械翻訳による字幕が導入されていることから、1万を超えるコースを日本語で視聴することができます。ぜひ皆様に試していただきたいです。Q.13 将来の夢はありますか?「女性の背中を押す」という、ずっと自分がやりたかったことを仕事にできているので、貢献できる限り仕事は続けたいですね。そして将来は子どもを含むみなさんが暮らしやすい社会にしたい。人材の持つ力を活かして社会を元気にしたいというか、若い人が、特に女性が輝ける社会をつくりたいと思っています。自分一人ではできないことですけど、人材には力がありますし、リンクトインはそれが実現できるポテンシャルがあるサービスだと思っています。私自身さまざまな業界で幅広いスキルを身につけたことで、日本法人初の女性代表に選ばれたと思っています。終身雇用からジョブ型採用への移行は女性活躍のカギになると考えているので、多くの人にリンクトインを知ってもらって使ってもらって、すべての人が、女性が、経済的チャンスをつかめる社会に変えていきたいですね。
2023年10月06日文:ミクニシオリ撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部働く私たちのモチベーションを上げてくれる、お仕事用の小物類……今回のリーダーは、大人かわいいライフスタイルブランド『GAACAL』を運営する株式会社rainbowwの社長・朱 静儀さんです。中国生まれの彼女は、幼い頃から日本の文化やビジネスに憧れて日本にやってきました。今はライフスタイルブランド社長として成功している朱さんですが、「経営者になってからの道のりは、決して平坦ではなかった」と話します。しかし、そんな苦労も忘れさせるほど、屈託のない笑顔を浮かべながらインタビューに応じてくれた彼女。その奥底には、日本に憧れた理由の一つでもある「好きなことに没頭して働く」という夢をかなえたからこその強さがありました。今は一児の母でありながら、大好きな音楽でも活動を続ける朱さんに、これまでの人生とこれからの展望を語っていただきました。朱 静儀(シュ・セイギ)さん1988年10月16日、中国深セン生まれ。早稲田大学 教育学部 数学科卒業。2016年に共同創業者の戴と上海でレンタルファッション事業を起業後、2018年に同時に妊娠・出産となったため事業を断念。2019年に新たに株式会社rainbowwを設立。東京在中の朱と上海在住の戴で拠点を分け、日中のメリットを活かした組織体制で運営。■受験や留学よりも苦労した、大学での人間関係Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?マイペースな性格で、ゲームをしたり音楽を聞いたりと、一人行動が好きな子でした。友だちもいましたが、誰とでも仲良くできるタイプではなく、数は少なめでした。あまり周りを気にしない子供だったと思います。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?安定志向の父と母のもと、よくある家庭で育ちました。中国で高度経済成長期を生きた親世代は、満足にご飯を食べられない人々もいましたから、昔から「勉強をして良い大学に入って、大きな会社に就職しなさい」と言われていました。その反発もあってか、小さい頃から自由でいたい気持ちが強かったですね。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?特定のグループに所属している感覚はなく、中学生の頃も友だちは多くありませんでしたが、生徒会で学校行事の主催をしました。マンガに出てきそうな活動に憧れて、先生も周囲も巻き込むようになり、自分としては大きな舵を切った時期ですね。目立つのが好きではなかったので、振り返ってみると、よくやったなあと。今も昔も、思いついたことは即やらないと気が済まない性質なんです。Q.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?中国ではアルバイトという概念が無いので、はじめてのアルバイトは日本にやってきてから。大学進学前に、日本の語学学校に通いながら、吉野家で働いていました。当時は留学生を雇ってくれるアルバイト先が少なくて、コンビニで働けるのは、かなり優秀な人だけだったんです。その頃から日本の音楽とライブにハマっていたこともあって、受験勉強をしながらも、アルバイトは半年ほど続けました。Q.5 学生時代に注力したことはなんですか?受験勉強は積み重ねがあったので、趣味を楽しめる程度には手を抜けたのですが、大学生活はそうはいきませんでした。大学での授業は教科書通りに勉強するのではなく、自分でゴールやプロセスを決めなくてはいけなかったし、一人で勉強すれば良いわけではないという、今までに無かった壁にぶち当たりました。グループワークやテスト対策は周囲の生徒たちと一緒にしなくてはいけなかったし、生まれてはじめて、団体行動の大切さと大変さを知りました。この時の経験は、会社を経営する上でもとても役に立っています。Q.6 留学先で苦労したことはなんでしたか?大学では数学を専攻していたので、数名しかいない女性たちとギュッと固まって過ごしていたのですが、所属していたミュージカルサークルは女性ばかりで、クラスとは全く違うやり方でコミュニケーションを取る人が多く、混乱してしまいました。一匹狼でも生きていけると思っていたのに、それではだめなのだと気づいてショックでしたし、周囲と馴染むのにも時間がかかったので、やっぱり人間関係が一番の悩みだったかな。でもそれ以外は、ご飯はおいしいし、好きだった漫画やアニメの文化に触れられて、楽しいことも多かったです。■フリーランスと起業を繰り返し、挫折も味わった20代Q.7 就職先はどのように決めましたか?小さい頃から日本の番組を見て、好きなことに打ち込める仕事に憧れがありました。日本では仕事に夢中になっている人がいる印象もあったので、いかにやりがいを感じる仕事に就けるかを大切に考えていました。自分の得意分野を伸ばしたかったので、大学卒業後は学生時代から一人で続けていたゲーム開発の仕事を選びました。そこでも「誰かと仕事する大変さ」を思い知りましたし、また、お金を稼ぐ大変さも実感していました。Q.8 リーダー職を目指したきっかけはなんでしたか?最初はフリーランスとして、IT企業とゲーム開発の仕事をしていましたが、その後IT企業からスカウトされ、社長室に配属していただきました。そこでIRや新規事業、採用など、経営にまつわるさまざまな話を聞くことができ、その時点で自分も起業をしていたので、とても勉強になりました。その後は何度もスタートアップ起業しては事業を辞めて、また独立して……をくり返しながら、今に至ります。Q.9 起業してから一番大変だったことはなんですか?日本のビジネスを中国でやったら成功するのではないかと思い、上海で会社を作った時もあったのですが、日本と中国では資本やサービス展開の環境も異なるため、大きなギャップを感じました。起業家になってからの道は平坦ではありませんでしたが、やってきたことが繋がった先に、現在のrainbowwがあります。現在の会社でも、業績と現場体制のギャップや、市場とのタイミングのズレなど、常に発生する問題と向き合い続けています。Q.10 起業してから一番うれしかったことはなんですか?今の流行りやトレンドに敏感なアンテナを持っている人材として、若い子や未経験の子も積極的に採用しているのですが、その子たちの成長を見られる瞬間がとてもうれしいです。業績が伸びると、経験が少なくてもいろいろな仕事を振らなくてはいけないし、プレッシャーに涙してしまう子もいます。そういう子が、その苦しみを乗り越えて仕事を成功させて、会社とともに成長していってくれるのが、ひとつのやりがいですね。逆に、一番つらいのは社員同士がビジネス観の違いでケンカしているのを見る時ですね。人間関係に対しては今でも苦手意識がありますが、一人ひとりと話をして、一緒に解決しています。■大好きな音楽とものづくりを融合させて、新しい感動を創出していくQ.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。今は息子がいるので、朝は子どものお弁当作りから始まります。8時20分には幼稚園の送迎バスが来るので、それまではバッタバタ(笑)。会社は10時スタートなので、子どもを見送った後に、音楽の時間を取ることも。日中はひたすらミーティングをこなして、仕事が長引く日は親に子どもを預けることもあります。夜は子どもと遊んだりしながら寝かしつけをして、夜は趣味を満喫します。没頭してしまう時もあるので、寝る時間は日によってバラバラです。Q.12 休日は何をしていますか?休日は朝から夕方くらいまで、息子との時間にあてています。踏切が大好きなので、踏切が見られる公園に行ったり、子ども用列車に乗ったり……この一年はずっと踏切ブームなので、平日より忙しいかもしれません(笑)。仕事と子育ての両立は大変ですが、適度に力を抜くようにしています。もちろんミスもするんですけど、ヤバいなと思いながら、気づいた時になんとか対処をくり返す日々です。Q.13 プライベートでの悩みはありますか?人生を通して人間関係に悩んでいるのですが、今は家族の人間関係と、子育てですね。夫や両親にも、それぞれが良しとする教育方針があるけれど、子育てには正解がないじゃないですか。どうすり合わせていくのかも課題ですし、何が子どものためになるのか考えるのは、自分のことを決めるのより難しいですね。Q.14 趣味はなんですか?一番の趣味は、やっぱり音楽かな。実は、仕事としても活動しているんですよ。J-POPが大好きで、特にピアノロックにハマっています。今年はやっとイベントの数が増えてきたので、Mrs. GREEN APPLEさんやOfficial髭男dismさんなどのライブに参戦しています。自身が音楽を演るのは仕事でもありながらほぼ趣味なので、最近は音程をうまくとるための特訓もマイブーム化しています。Q.15 将来の夢はなんですか?仕事に夢中な人生を過ごしながら、自分が社会に何を残せるのか、何を達成できるのかに挑戦し続けたいです。もちろん、好きじゃない仕事もたくさんあるんですけどね(笑)。rainbowwで培ってきた製造小売での経験と音楽での経験は、ビジネスとしては全く交わらないと考える人もいるかもしれませんが、私にとってはエンターテイメントという一つの大きな事業の中にあるものです。たとえばディズニーのような、みんなから愛される感動を創出するために、もっとたくさんの経験を組み合わせて、大きなビジネスを展開していきたいです。Q.16 今後の展望を教えてください。rainbowwが展開する『GAACAL』は、働く女性のためのライフスタイルブランドです。「私だけのテーマ、ここにある」というブランドコンセプトや、ブランドの生まれた意味を届けて、もっと皆さんにとって必要とされるように成長させていきたいです。ただモノを売り続けるだけではなく、手に取った人がプラスアルファの意味を感じられるようなものづくりを続けていきたいです。私自身、ブランドの成長がものすごく楽しみなのですが、みなさんにとってもそうであると良いなと思います。
2023年09月29日取材・文:山口真央撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、MICIN(マイシン)少額短期保険株式会社 取締役の伊藤由貴奈さん。MICIN少額短期保険は、がんを経験したことのある方向けに保険商品を展開する企業。一般的に、がんには一度かかるとすぐに保険に加入することは難しく、保険に入りたくても入れないとあきらめる方も多くいます。そんな方々に対して「MICIN少額短期保険なら入れます!」ともっと多くの人に知ってもらうために、日々奮闘しているのが伊藤さんです。プライベートでは2児の母でもある彼女。お話を伺うと、忙しさの中にある「保険を企画し、提供する側の覚悟」が見えてきました。伊藤由貴奈さん1982年生まれの41歳。大手保険会社にてIRや法務コンプライアンス、商品開発など専門性の高い業務を経験。その後、2022年3月にマイシン少額短期保険に入社。現在は取締役を務める傍ら、小学生2人の母として、育児と仕事を両立しながら活躍中。■引っ込み思案だった幼少期から、バスケに熱中した思春期までQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼稚園くらいまでは引っ込み思案な性格だったと思います。人前に出るのがあまり好きではありませんでした。よく覚えているのは、幼稚園のクラスに性格が明るくて、クラスの中心にいるような女の子のこと。その子が好きな男の子に手紙を渡すとなって……そうしたら、周りにいる女の子も次々とマネをし始めたんです。私も「やらなきゃいけないのかな?」と、慌てて男の子に手紙を出したのを覚えています(笑)。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?小学生になり、引っ込み思案だった性格が、少しずつ前に出ることが好きになり、活発で負けず嫌いになっていきました。中高は私立の一貫校に通っていたのですが、個性的な子が多い学校だったなと今振り返ると思います。中高ではバスケットボール部に所属し、熱中していましたね。中高一貫校でよかったなと思うのは、幅広い年齢層と関われたこと。中学のうちから大学生や若い社会人のOBたちとの交流もあって、大学や社会人の雰囲気を感じ取れたのはとても大きかったと思います。Q.3 大学時代はどんなことを学んでいましたか?私は高知県で生まれ育ったのですが、家を出てひとり暮らしをしてみたい!という理由で大阪の大学に進学しました。当時は検事へのあこがれもあり法学部を選択。でもこの頃ももっぱら部活がメインでした(笑)。大学の女子バスケットボール部員が少なかったので、男子バスケットボール部のマネージャーに。そこで主人とも出会いました。■「必要な人に届ける保険」に感動し、現職のリーダーにQ.4 なぜリーダー職を目指したのですか?新卒で前職である大手保険会社に総合職で入社しました。金銭的に自立したいと思っていたので、金融業界を軸に就職活動をし、保険業界にたどりついた形です。前職が女性活躍に取り組んでいる会社で、熱心に仕事に取り組んでいたらいつのまにか管理職の道へ進んでいましたね。Q.5 MICIN少額短期保険への転職動機はなんですか?前職には18年在籍していたのですが、MICIN少額短期保険の存在を知るまで、転職したい気持ちはまったくなく。キャリアをこのまま積んでいけばいいと思っていたのですが、MICIN少額短期保険の「がん経験者向けの保険」を発売したことにとても驚きました。どの保険会社も「これから取り組んでいかなければならない商品」と考えている中、ベンチャー企業がそこに取り組んだ。カジュアル面談を組んでいただき、会社のビジョンにも共感できたため、すぐに転職を決意しました。Q.6 取締役就任当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。前職は大きな会社でしたが、MICIN少額短期保険はベンチャー企業。保険事業全体をマネジメントしていくのは、緊張感がありましたね。また、伝統的な訪問・対面販売の保険と違い、MICIN少額短期保険はオンライン販売です。デジタルマーケティングの知識をつけるのも大変でした。今振り返ると大変だった……と思いますが、当時は無我夢中でやっていたこともあり、あまり大変だったという自覚はなかったですね。Q.7 子育てとの両立の大変さはありますか?私はいい意味で、「何が何でも子どもが第一」の母ではないのかもしれません。世間が考える「いい母親像」を目指しているわけではないです。必ず子どもの味方でいようとか、そういった根っこの部分以外は、「適度になんでもやる」「なるようにしかならない」という気持ちでやっています。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんなときですか?2つあります。ひとつは新商品を世に送り出すとき。つい先日、私が開発に携わった新商品を世に出すことができました。保障内容や保険料の決定、財務局への商品審査……と、手塩にかけた商品を世の中に出せるのはとてもうれしいですし、やってよかったと感じます。もうひとつは、お客さまから感謝の声をいただけたとき。MICIN少額短期保険ではお客さまに対してよくインタビューやアンケートを行っています。そんな中で「がん経験者だからとあきらめていたけど、MICIN少額短期保険があって本当によかった」という感謝の言葉をたくさんいただくんです。そんなときは、やっぱりこの仕事をやっていてよかったなと思いますね。■メリハリのある日々。休日は家族の時間にQ.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。7時に起きて、子どもたちとごはんを食べて……8時過ぎに子どもたちが学校へ行くので、8時半過ぎからリビングで仕事を始めることが多いです。MICIN少額短期保険はフルリモートワークができる環境が整えられているので、9割型は在宅で仕事をしています。家事などと仕事を並行してやったりと、時間を有効活用できるのでこの制度は本当に助かっていますね。16時くらいまでは仕事をバリバリこなし、夕方に子どもたちが帰宅したら迎え、習い事に送り出す。19時くらいに子どもたちが帰ってくるので、一緒にごはんを食べて……。21時くらいからは自由時間ですね。仕事をする日もありますし、映画を見たりとゆっくり過ごすこともあります。Q.10 お休みの日はなにをされていますか?お休みの日はとにかく、寝る(笑)。平日の就寝時間が深夜2時くらいなこともあって、反動があるのか休日は遅くまで寝ていることがありますね。最近、娘が少年野球のチームに入ったんです。その練習を見に行ったり、息子と出かけたり……。ほぼ土日は仕事をせず、家族の時間と、休息の時間に充てるようにしています。■保険を通じてたくさんの人を助けたいQ.11 何歳まで仕事をしたいですか?私は暇だと落ち着かないタイプ。よく忙しくしているね、と周りに言われるのですが、暇があると不安になってしまうだけなんです。今の仕事にずっと関われたらいいなと思いますし、定年後もボランティアや地域のお仕事など、なにかしらのお仕事がずっとできたらいいなと思います。Q.12 今後の目標を教えてください。MICIN少額短期保険のビジョンである「医療×テクノロジーで保険をアップデートし、自分らしい生き方を選択できる世界を。」を実現するため、必要としてくださっている方に必要なときに入ってもらえるさまざまな保険を提供していきたいです。今はがん経験者向けの商品のみを展開していますが、病気の予防や早期発見の商品とか……保険を通じてたくさんの人に笑顔と安心を届けていきたいと思っています。
2023年09月22日ごきげんよう!スピリチュアル・カップルのトシ&リティです♡今回は2023年9月11日〜9月17日の、宇宙からのメッセージを星座別にお届け。みんながナチュラルに開運できるよう、ナビゲートさせていただくわね☆■12星座全体の運氣予報太陽がおとめ座の後半の度数を移動していくこの1週間は、秋分に向けて浄化と調整のエネルギーが高まってくる時。心身のデトックス体験が起こったり、人間関係が電撃的に整理されたりして、日常の暮らしに関することがアレンジされていくような時期になると思うわよ☆もうすぐやってくる「秋分」からは収穫の季節で、スピリチュアル的にいえば、自分が過去に撒いた種が結果となって周り巡ってくる時期。人生の実りを刈り取るタイミングに入るから、今はちょっぴりストイックになって、自分磨きに精を出すのがスマートかもね♪おとめ座シーズンのうちに自分の器を広げておけば、秋分以降の時の流れの中で、豊かな人生の果実をたくさんキャッチできる……それが普遍的な宇宙法則よ♡そして9月15日はおとめ座の新月。この時、新月と天王星が120°で、トラインと呼ばれる「調和しあう角度」をとるわよ☆おとめ座の月は真面目&しっかり者なエネルギー。その一方で天王星は独創的&革命家気質なエネルギー。このふたつの天体が協力しあうことで生み出されていくのは……自分のオリジナリティを社会の中で役立てていくようなパワーよ♡これらの時代に求められるのは、個性を発揮しながら社会に貢献していくような働き方。「個」の時代において「オリジナリティ」は欠かすことのできない資質になるのよね♪とりあえずこの新月では「自分らしく働いている姿」をイメージしながら願い事を書き出すのが吉☆新月を迎える15日の午前10時39分から24時間に以内に、キャリアや自己実現に関する願いことを丁寧につづれば、タイムリーな宇宙からのパワフルなサポートを受けとれるわよ☆良かったら実践してみてね♡■やぎ座へのメッセージ晴れやかに過ごせる1週間!今週、あなたの氣分を前向きにしてくれるのがおとめ座の新月!!なんとなくモヤモヤしていた出来事にもようやく霧が晴れて、青空が見えてくるのではないかしら☆これまでより「ひらめき頻度」もいい感じに高まってくるから、キャリアUPに邁進していきそう♪ちなみに、あなたの使っているスマホの待受を富士山の画像にすると、この1週間の中で電撃的にラッキーなことが起こるかも♡やぎ座のマジカルワード寝起きに「頂上」と唱える寝起きに「頂上」と唱えると自分磨きの助けになるかも♪(監修・文:トシ&リティ、イラスト:いいあい)
2023年09月11日取材・文:ameri撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部キャリアも、結婚・出産も諦めたくない。でも、上手に両立することはできるのだろうか、と悩む女性は少なくないはず。そのどちらも諦めず、結婚と出産を経験し、マーケとしてのキャリアを順調に歩んでいるのが、森永乳業のマーケティング統括部ヨーグルト・デザート事業マーケティング部でパルテノブランドを担当する大森茜子さん。ただ、彼女も新卒で森永乳業に入社した当初とは、働き方も仕事との向き合い方も変わったといいます。どちらも大切にしているからこそ、どちらも疎かにはしない。こだわりの働き方を伺ってきました。■最初のキャリアは営業から。マーケへ異動し「ギリシャヨーグルト パルテノ」ブランドを担当本日はどうぞよろしくお願いします!大森さんは2008年に森永乳業に入社されたと伺いましたが、新卒入社ですか?はい、そうなんです。入社当時はまず東京にある支社の営業に配属され、丸々3年間、量販店やコンビニの営業を担当していました。キャリアの最初は営業だったんですね。そこから本社に?そうですね。2011年に本社の商品開発を行うマーケティング部署に異動してきました。そこからは、2015年と2019年に二度出産をしているので、出たり入ったりの期間はあったものの、ずっとチーズの事業部でマーケティングに携わり、2023年6月から新たにヨーグルト・デザート事業でパルテノブランドを担当することになりました。元々マーケティングに携わりたいという気持ちがあったんですか?そこまで「絶対に商品開発をやりたい!」と思っていたわけではなかったのですが、メーカーに入ったのでぼんやりと「いつかはやれたらいいな」とは思っていました。営業とマーケティングを経験されて、どちらが自分に合っていると感じていますか?そこに関しては、マーケを経験することできてよかったなと思っています!自分が携わった商品やプロモーションが世に出て、多くの人の生活の一部になっていくのは純粋にすごいことだと思いますし、そこにやりがいも感じています。森永乳業にはどうして入社を?赤ちゃんからお年寄りまで愛される商品をたくさん持っている会社だなと。自然と会社の商品に触れて生きてきたなということは何となく入社前から思っていて。特定の人だけではなく、幅広い方に手に取ってもらい、食べてもらい、幸せになってもらえる商品がたくさんあるところが魅力で、そこに自分も携わりたいと思ったからですね。そして、実家が日本料理屋をやっていて、ずっと食べ物に関わる生活をしていたこともあり、食分野に進みたいという気持ちがあり……。さらに祖父が畜産系の獣医で、幼少期から牛舎に連れて行ってもらっていたので、いくつか選考が進む中で、食の分野・商品が好き・祖父のルーツというところがマッチしていた森永乳業に決めました。■配属後に猛勉強。現在は自宅の冷蔵庫にヨーグルトを複数種常備して勉強もマーケティングは、具体的にはどんなお仕事をしているのでしょう?今は、私ともう一人の先輩とのチームで、パルテノという商品を担当しています。新しい商品を作る際にまず「どういう商品を作ろうか」というところから考え、研究所や生産関連や工場、調達の部門など、さまざまな方と関わりながら商品を作っています。いろいろな方とコミュニケーションを取るお仕事なのですね!そうですね。営業時代は私と得意先との関係がメインで、入社してすぐの一担当者としてはそれほど社内の関係者は多くない環境で毎日働いていたので、マーケに異動してきた当初は、関係者の多さにびっくりした覚えがあります(笑)。そもそも、大学でもマーケティングの勉強をしていたのですか?いえ、英文科出身なので全く。なので、配属後に猛勉強しました。また、製造工程も覚えることが多く、研究所の方が話したことをひたすらノートに書き出し、先輩を捕まえて「この言葉の意味を全部教えてください」と聞いて覚えていましたね。大企業は3年ほどで部署を異動されるイメージがあるのですが、2011年から2023年までと、かなり長い期間同じ事業部でお仕事をされてきたのですね。そうなんです。途中産休育休を取得しているので正味10年弱くらいですが、長い方だと思います。それだけ長くいたら、愛着が湧きますよね。仕事なので、感情を入れずにやっていたつもりだったのですが、いざ異動と分かった時には、勤務中に号泣してしまいました(笑)。染み付いているものはあったのかなと思います。ただ、チーズのマーケティングを担当していた時には、自宅の冷蔵庫の一角にいろいろなメーカーのチーズを15種類くらい入れていたのですが、今はそれがヨーグルトに変わりました(笑)。他社のものも含めて今は6種類くらい入っていたと思います。■仕事のモットーは「素早く丁寧に」お仕事をする時に大切にしていることはありますか?「素早く丁寧に」ということを大切にしています。それは入社してからずっとですか?いえ、大きな転機は出産したことですね。営業時代は、今振り返れば良くないのですが、毎日遅い時間まで長く働いていたんです。だからといって元々ダラダラと仕事をしていたわけでもなかったのですが、出産によってどうしても物理的な制約ができ、9時から17時までにできることをやらなければいけなくなった時に、もっとギュッと凝縮しなければいけないと思ったんですよね。効率的にお仕事をするために具体的にしていることはありますか?やるべきことを全部見える化して、タスクを目に見えて分かるように管理しているのと、なるべく先取りするように意識しています。もちろん自転車操業のようになってしまうこともあるのですが……。■大切にしているのは“柔軟さ”在宅と出社の割合はどれくらいなのでしょう?半々くらいです。割合はある程度個人の裁量に任せてもらっているので、会社での作業の方が集中できるという人はほとんど出社していますし、私のように大体50%くらいの出社率の人もいます。今はワークライフバランスとしてはどのくらいだと感じていますか?1日のうち占めている時間は仕事の方が多いと思いますが、心理的にはバランスが取れているように感じています。平日の仕事以外の時間や土日も、子どものことで終わってしまうので、自分の時間はあまりないですが……。出産前は韓国オタクだったので、よく友達や妹と新大久保へ繰り出していましたが、今はその情熱を捧げる相手が子どもに移った感じですかね。仕事やプライベートを大切にする中で、大事にしている軸があれば教えてください!「柔軟にやりたいな」と常に思っています。予期せぬ出来事が日々起こるので、そこにフレキシブルに対応できるように、あまりガチガチにならないようにしようかなと。私、そもそもすごく完璧主義なんですよ。なので、全部きっちりしたいという思いがいまだにあるのですが、仕事も子育てもイレギュラーが起きるので、そこを和らげなくてはキツいなと思いまして。手順もあらかじめ決めたいタイプなのですが、それが崩された時にも一気に崩れてしまわないように、「じゃあこれは次の日に組み替えよう」と対応できるようにしています。ご自身のキャリアを「○○キャリ」と当てはめるとしたら、何だと思いますか?今の自分にとっては仕事も育児もどちらも大切な動力なので、異種の組み合わせということで「ハイブリッドキャリ」かな。最後に、今後はどういう働き方をしていきたいかを教えてください。子どもを産んだ時には2つのパターンに分かれると思います。ひとつが「早く復帰したい」と思うパターン、そしてもうひとつが「子どもと一緒にいることが楽しくて復帰したくない」というパターン。私はどちらかというと前者で、実際に復帰してよかったと思っているので、このままずっと仕事は何かしらの形で続けていきたいなと思っています。そして段々と自分の領域を増やしていき、ゆくゆくはマーケティング以外の仕事にもチャレンジできたらいいですね。興味がある分野はあるのですか?弊社が海外事業にも力を入れているので、そこに興味を持っています。これまで営業やマーケで培ってきた経験や、大学時代に学んでいた英語をより本格的に使って仕事ができたらいいな、という気持ちはずっとぼんやりとあったので、今すぐとは思っていませんが、もし次にチャレンジできるなら、と考えています!
2023年09月08日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部アジアNO.1のPR会社・ベクトルグループでP2C事業を担う「Direct Tech」の女性役員、横田彩夏さん。転職後1年で部長、2年で執行役員にスピード出世した若手リーダーです。学生時代から培った「PR力」と、挫折しても歩みを止めないたゆまぬ精神で、20代からキャリア街道を爆進する横田さん。学生時代にはミスコングランプリを受賞しており、華やかな経歴も注目されがちな彼女ですが、その芯には「体験への強い思い」や「成功につなげるルーティン」など、地道に積み上げてきた努力がありました。横田彩夏さん1993生まれ、東京都出身。在学中、ニューヨークに拠点を持つ服飾美術大学「Parsons School of Design」にてファッションデザインの技術を学んだ後、アパレルのキャリアをスタート。前職にてパワーインフルエンサーをディレクターに迎えた P2C事業の運営に包括的に携わり、2020年8月に株式会社Direct Techにジョイン。P2Cアパレルブランド「Boka nii」の立ち上げに従事。2022年4月より、執行役員としてP2Cブランド事業のグロースを包括的にマネジメントしている。■女子校時代は、アフィリエイトとバイトで留学費用を貯金Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃から興味があることに熱中しやすく、外の世界が気になって幼稚園から脱走したこともありました。特に絵を描くことに熱中していて、1日に5〜6時間は紙に向かい、気づけば最も長く続く趣味に。読書も好きで、小学校の時のクリスマスには、サンタさんにギリシャ神話の全巻セットをねだり、親にも少し驚かれたようです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?銀行勤めの母と、やさしい祖母との3人暮らしでした。祖母と過ごす時間も長かったので、初めて買ったCDは美空ひばりさん。渋い趣味ですよね(笑)。母は帰りが遅いことも多かったですが、その分気の向くままに、自身の興味関心を深めることができました。夜は母が必ず読み聞かせをしてくれて、物語の先を想像しながら眠りにつくことが毎日の楽しみでした。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?「堅実にして質素」が校訓だった中高一貫の女子校では、周囲の友人から“自由人”、“尖っている”などと言われていました。自覚はあまりなかったのですが、振り返ってみれば変な子だったのでしょうね。美術ではない授業の最中にも画材を広げて絵を描いていて、先生に怒られたこともありました。Q.4 学生時代にバイトはしていましたか?中高時代はバイト禁止だったのですが、当時流行していたブログで、PV数を伸ばすことに熱中していました。購入品やコスメをブログにアップしていただけだったのですが、人気が出てきてPR案件を受けるように。ブログはその後のキャリアにも少しつながっていて、大学時代には、留学のノウハウをまとめたブログを立ち上げ、アフィリエイトで稼いでいました。Q.5 学生時代に注力したことはなんですか?大学ではミスコンに参加し、グランプリを受賞しました。SNSを伸ばしたりネット票を稼いだりするのが地味に大変で、ミスコン参加中はバイトとの両立で日々手一杯でした。ミスコンも大変でしたが、大学生活の中で最も努力したのは、留学でしたね。中学校の語学研修でハワイに行ったことをきっかけに、アメリカでファッションを学びたいという気持ちが徐々に大きくなっていき、大学では1年間、ニューヨークのファッションスクールに通いました。留学費用も自分で貯めたので、3年生まではバイトにもかなりの時間を割いていました。■留学先で「人生の挫折」を経験。けれど、やることは変わらないQ.6 留学先で苦労したことはなんでしたか?スクールでは、一人前に服が作れるようになることをゴールに、毎日服づくりをしていました。洋裁については初めて学ぶことばかりですし、語学の壁にぶつかることも多く、毎日授業を録音して、学校が終わってからはステイ先で何度も録音を聴き返しながら、宿題をこなしていました。そんなある日、1カ月かけて作ったドレスを提出したら、講師が激怒……。私は、ポリエステルでドレスを作っていたのですが、課題は「コットンで服を作る」だったんです。自分の語学力不足のせいで、1カ月の努力が無駄になってしまった時は、人生で初めて挫折を味わいました。しかし、挫折したからといってやることが変わるわけではないので、数日で立ち直ったように記憶しています。成長するためには努力と勉強、作業を繰り返すしかないと思っているので、人生を通してそのルーティンをこなし続けています。Q.7 就職先はどのように決めましたか?留学でファッションを学んだものの、職業としてデザイナーを選ぶべきか悩んでしまい、就活は迷走していました。さまざまな企業のOBに話を聞くうちに、どの業界でどんな仕事をしたとしても、任されることの大枠はあまり変わらないと考えるようになり、最終的にはインターン先の会社に就職することを決めました。就職先は「C Channel株式会社」というキャスティングやPRを得意とするベンチャー企業。手を挙げればなんでもやらせてくれる空気があり、裁量権が大きかったのがメリットでしたね。Q.8 リーダー職を目指したきっかけはなんでしたか?もともとリーダー職を目指していたわけではありませんでした。「C Channel」では留学経験を活かして海外事業部に配属され、1年でEC事業部に転籍。EC事業部でP2Cブランドの立ち上げに従事した経験を買われ、当時の上司に誘われてDirect Techに入社しました。上司と同じ環境で働けるなら、と転職し、新しいコスメブランドやアパレルブランドの立ち上げをこなしていくうちに、いつの間にかリーダー職に。成長するために必要なものを取りに行くことを繰り返していく日々の中で、役職は勝手についてきました。Q.9 就任してから一番大変だったことはなんですか?経営者として「ズームアウト」の視点を持つまでには、苦労しましたね。もともとオタク気質で、視野が狭くなりやすいことは長所であり短所でもありました。けれど、仕事のスケールが広がっていくこと自体は楽しかったですし、貴重な経験を積ませてもらっている自覚があったので、日々を楽しみながら徐々に学んでいますが……毎日が充実しているからこそ、すぐに時間が過ぎていくような感覚もあり、焦りも感じます。けれど、時間は平等に有限です。少ない時間の中でどうしたらもっと成長できるか、もっと考える時間を確保できるかを考えて、最近会社の近くに引っ越しました。Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。実働時間は、毎日10時間程度です。経営者の中ではホワイトな方かもしれませんね。チームメンバーの仲がいいので、ランチはみんなで食べることが多いです。仕事が終わったら、お酒を飲みながら本を読んだり、情報収集に時間を使うことが多いです。今でも絵を描くのが好きなので、瞑想も兼ねて絵筆を握る日も。■仲間である社員とともに「感動体験を世界に」Q.11 休日は何をしていますか?新しい体験をすることを大切にしているので、アートに触れたり、図書館に行ったり、ゴルフに行ったり……色々ですね。休日も、チームメンバーと過ごすことも多いです。新しい体験に前のめりな子や、情報が早い子が多いので、誰かしらが新しいスポットを見つけてきて、みんなで遊びに行きます。サウナに旅行、展示会など、いい意味でなんでも楽しんでいます。Q.12 どんなところに住んでいますか?会社からすぐ近くのデザイナーズマンションで、コンクリート打ちっぱなしの、無機質な部屋です。もともとは韓国風の女性らしい部屋や、白基調のインテリアも好きなのですが、家に帰っても仕事のことを考えることが多いので、雑念が入りづらいよう趣味とは全く違う部屋を選びました。いつかは、好きなものに囲まれたかわいい部屋にも住んでみたいんですけどね。Q.13 社員とはどんな関係ですか?上下関係というよりは、いい意味で支え合う同志のような関係です。ちなみに、社員からも「横田さんは変わっている」と指摘されることが多いです(笑)。トレンドを追いかけるのも私たちの仕事の一つなので、私も社内では日によってはかなりカジュアルな格好をしているので、親近感はあるのかな?Q.14 将来の夢を教えてください。仕事と自己成長が何よりも好きなので、お仕事は死ぬまで続けたいです。でも、夢を語るとしたら、感動体験を世界に提供していきたいです。ITやメタバース、AIが進歩していく世の中で、体験や経験こそが人間を人間たらしめていくと思っています。今後、体験は世界中でもっと価値が高くなっていくと思います。Direct Techでは、誰かの経験や体験を、コスメやアパレルといったモノ、イベントや発信に落とし込みます。その経験の価値や感動がもっと伝わるよう、尽力していきます。それと同時に、私自身も限りある時間の中で、より多くのことを体験し、濃い人生を送っていきたいですね。
2023年08月31日取材・文:瑞姫撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部日々生活する上で、健康な身体は何よりの資本。年齢を重ねるにつれて、これまで以上に健康に気を使い、食生活などを意識することが多くなったという方もいるのではないのでしょうか?元サッカー選手・鈴木啓太さんが代表を務めるヘルスケア事業の会社、AuB株式会社の広報を務める上田麻実さんはまさに、健康を第一に考えることをプライベートでも仕事でも大切にしている一人です。元々は臨床検査技師の資格を取得し、新薬開発のための治験に携わるような会社におよそ6年半勤務していたという上田さんですが、さまざまな縁が重なって現在の仕事に行き着きます。THE 理系のような研究職から、未経験だったという広報へのキャリアチェンジには、一体どんな経緯があったのか?そして、全く違うように思える二つの職種に通ずるものとは?詳しく聞いていくと、奇跡のような縁が紡いだストーリーがありました。■点と点がすべて繋がった。「ここしかない!」と思えた今の仕事上田さん、本日はよろしくお願いいたします!まずは簡単にこれまでの経歴を教えてください。大学卒業後、新薬開発のための治験に携わるヘルスケア事業の会社に勤務した後に語学留学を経験し、そこから再び同じ仕事に戻ったものの、現在のAuB株式会社に入社しました。AuB株式会社はアスリートの腸内細菌の研究成果をベースに、一般のお客さまに向けたフードテック事業、サプリメントなどの栄養補助食品の販売を行う会社です。現在は、「どうやったら商品やサービスが世に認知されるか」を意識しながら部門長としてPRに注力し、さらにアスリートの方のサポートも行っています。AuB株式会社を選んだ理由を教えてください。昔からの夢と、ヘルスケア業界で働いていた経験を生かせる場所が、ここにはあるんじゃないかなと思ったところが一番大きいです。私は埼玉県の浦和出身で、小さい頃から両親が熱烈な浦和レッズのサポーターだったんです。土曜日は学校が終わると両親が迎えにきてくれて試合を見にいくというのが日課だったので、日常生活の中で当たり前のように「スポーツ」「サッカー」「浦和レッズ」というキーワードが入っていて……。それで、何となく将来の夢を考え始める高校生ぐらいのタイミングで、最初はスポーツに関わる仕事がしたいなと思ったのですが、そのとき私が調べられた範囲ではトレーナーやドクターというような職種しか見当たらなかったんですね。たしかに、私もパッと思いつくスポーツ関連の職種だとその二つでした。けれど、当時の私はそれにはあんまりピンと来なかったので、次にやりたいことを考えました。医療系のドラマを見るのもすごく好きだったので、じゃあ医療の分野に行こうと思って選択したのが臨床検査技師という資格でした。それで大学も選択しました。そこからどういった経緯でAuB株式会社に?ヘルスケア業界で働いて数年経った頃にはそのスポーツに関わるっていう夢は忘れていたんですけど、ある時うちの代表の鈴木が引退記者会見で「アスリートの腸内細菌を研究するベンチャー企業立ち上げます」と言っていたのを見たんです。それを聞いたときに「今までやりたかったアスリートに関わる仕事と、自分が経験してきたヘルスケアの仕事、両方ができる場所はここしかないんじゃないか!」と思い、代表の鈴木にInstagramでDMを送ったのがきっかけです。点と点が一気に繋がった感じがありますね。でも、すぐに連絡が帰ってきたわけではなかったんです。当時Instagramが流行り始めたばかりの頃だったので、鈴木はDMの見方を知らなくて……(笑)。ただ、その1カ月後ぐらいにたまたま私の前職の会社の社長を通じて、鈴木と会食をする機会がたまたまセッティングされて、そこで「実はこういうメッセージを送ったんです」「帰ったら見てください」とコンタクトを取ることができました。今思い返しても、最初に勇気を出してDMを送っておいて良かったなと思います。■社員一号として入社、未経験だった広報職に就いたきっかけは?これまでの研究職から、広報という職種になぜキャリアチェンジしたのでしょう?実は最初から私がPRをやりたくて入ったわけではないんです。そもそもアスリートのもとに行って便検体を集めなきゃいけない時期だったので、アスリートのところへ行って「便ください」とお願いしたり、研究費を稼ぐために企業さんのもとに行って受託研究を取ってくる、みたいな営業のような仕事をしてみたり……。社員第一号だったので、本当にいろいろな仕事をしました。スタートアップならではですね。そうですね。そうこうしているうちに、徐々にいろいろと専門的なメンバーが入ってくる中で、役割として今のPRの仕事を与えられたっていう形なので、どちらかというと自分で選択したというよりは、自然とこの広報のポジションに就いたっていうところです。長年やられていた研究職から離れることに抵抗はありませんでしたか?どちらかというと、今この会社に求められていることや、この会社で実現したいことの方が気持ち的には強かったので抵抗は無かったですし、今まで頑張ってきたことが生かせていないと思ったことはありません。ヘルスケアには携われていますし、完全に離れているわけではないので。実際働いてみていかがですか?どういう雰囲気の会社でしょうか。一言で言うと健康オタク的な人が集まるところですね。それこそみなさん仕事上で「今日どんなうんちでた?」なんて会話を絶対にしないと思うんですけど、割と日常的に「なんか今日こんなうんちが出たんだけど、それって何でだと思う?」みたいな話をします。ランチタイムにコンビニにいくときも「これ食物繊維量これだけ入ってるよ!」とか、「組み合わせはどれがいい?」「何する?」みたいな、マニアックな話をしょっちゅうする、少し変わった人が多いですね。入ってからより一層健康を意識するようになるんでしょうか。上田さんも元からそうでしたか?今の会社に入ってかなり加速したと思います。さすがに自分の便の状況を人に伝えることはこれまでありませんでした(笑)。でも、みんな健康を意識しているからか、体調を崩して休む人はそんなにいないような気がします。さすがです。健康第一ですよね。あとは、健康に良いとされているものを試すことが趣味のようになってきました。楽しみながら毎日の体調管理ができています。毎日の食事にも気をつけて、職場の人が教えてくれた食べ合わせを意識してみたりするのが楽しいです。■健康は全てのライフステージの基盤健康を意識することが仕事であり、プライベートにもつながっているってすてきです。元々、仕事を仕事として捉えていないというのはありますね。入社した経緯が「プライベートで自分が好きだったアスリートのサポートがしたい」だったこともあるんですけど、入社して8年もいれば、結婚して家族ができたり、子どもを授かったり、自分のライフステージがどんどん変わっていくと、思うことも感じることもどんどん変わります。けれど、健康って赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで誰もが絶対に大切なことじゃないですか。たしかに!どのライフステージにおいても変わらない大事な基盤ですよね。なので、今自分がいるライフステージによって「何かもっとこういうサービスがあったら良いな」とか、「こういうふうに伝えたら、届けたい人に届けられるんじゃないかな」と日々感じることがすごく多いです。普段から仕事とプライベートを分けず、日々の生活の中でも「これ、AuBにとって良いかもしれないな」ということは、会社に戻ってからフィードバックしますし、仕事で得た健康情報があれば家に持ち帰る……みたいな感じです。わりと私の中で、仕事とプライベートの切り分けはないのかなと思います。すてきです。今後こうなりたいというような展望はありますか?現在妊娠中でまた新しいライフステージがやってくるので、その経験もAuBに還元できたら良いなと思っています。2月に子ども向けのブランドを新しく立ち上げたんですが、同じぐらいの世代の親御さんに向けていろいろな情報発信することが増えていく中で、もっと妊娠中の自分や、生まれた直後の赤ちゃんに対するサービスや情報の提供など、やれることがあるんじゃないかなっていうのは思っていて……。でも、やっぱり実際に自分が母になることでしか分からない気持ちもあると思うので、まずは自分で体験したことを会社に持ち帰って、商品やサービスに生かせるように考えたいというのが産休後の目標です!
2023年08月26日株式会社ビズストーム(所在地:大阪市中央区、代表取締役:箕作 千佐子(きさく ちさこ))は、戦略的キャリアデザインを学ぶ研修用ゲーム『キャリアストーム』を、関東、関西に加えて中部地区でも展開をはじめます。2023年8月26日開催の「キャリアストームベーシックセミナー in名古屋」では『キャリアストーム』のフルバージョンを体感いただけます。研修用ゲーム『キャリアストーム』 : キャリアストーム研修風景1キャリアストーム研修風景2キャリアストームは、シミュレーションゲームでキャリアデザインを体感的に学ぶための研修用コンテンツです。10代から60代までの人生を凝縮して疑似体験することで、目指す姿に近づくために考えるべきポイントを学びます。働く環境がめまぐるしく変わるこれからの時代にも、自分の人生を自分で選びながらより満足度の高い人生が送れるよう、戦略的なキャリアの考え方を身につけることを目的としています。これまで関東、関西で展開しており、キャリアストームが自身の研修で活用できる資格「キャリアストーム認定インストラクター」として登録された講師の数は約30名となっています。このたび愛知県のコンサルティング会社、ポイント・フォワード株式会社(代表取締役:永田 るり子)とキャリアストームの展開についてパートナー契約を締結いたしました。今後はポイント・フォワード株式会社が名古屋において公開セミナーを開催してまいります。名古屋における初めての公開セミナーは下記のとおりです。【キャリアストームベーシックセミナー in名古屋】どなたでも参加いただける公式のオープンセミナー「ベーシックセミナー」も開催します。本セミナーでは、キャリアデザインを学ぶ研修用ゲーム「キャリアストーム」のフルバージョンを体験していただくことができます。自分のキャリアを考えたい方はもちろん、研修への導入や認定インストラクターに興味のある方にもお勧めです。日時 :2023年8月26日(土)13:00~17:00場所 :名古屋市中村区名駅3-21-7 名古屋三交ビル2階 Tsudoico参加費:8,800円(消費税込)<詳細・お申し込み> ■キャリアストームの主な用途・高校や大学のキャリア教育・企業のキャリア研修やインターンシップ・キャリア観をアップデートすべき教育に携わる方、経営者■キャリアストームで学べること・長期的視点をもち、戦略的に考えること・戦略と環境に応じて自分の能力を高めること・環境変化にも柔軟に対応し、チャンスをつかむこと・副業、複業、起業など多様な働き方を視野に入れること・家族や健康など、ワークライフバランスを考えること■研修のスタイル<研修時間>4時間~短縮版として3時間、90分2~3回などでの実施も可能です。<形式と人数>1チーム6人までのグループ形式。グループ数の制限はありません。人数に比例して、キットや講師の数が必要になります。オンラインでの実施も可能です。キャリアストーム研修風景3キャリアストーム研修風景4■他地域におけるベーシックセミナーのご案内東京・大阪においても、ベーシックセミナーを開催しております。<日程(予定)>2023年8月26日(土) 9:00~13:00 東京2023年10月14日(土) 13:00~17:00 大阪2023年10月21日(土) 9:00~13:00 オンライン2024年2月3日(土) 13:00~17:00 東京2024年2月17日(土) 9:00~13:00 東京<詳細・お申し込み> ■認定インストラクター制度のご案内インストラクター養成講座を受講すると、キャリアストームを自身の研修で活用できる「キャリアストーム認定インストラクター」になることができます。キャリアコンサルタントや、キャリア教育に携わる方にお薦めです。人事ご担当者が資格取得をして内製化することも可能です。 ■開発者プロフィール株式会社ビズストーム 代表取締役 箕作 千佐子(中小企業診断士/キャリアコンサルタント)大学卒業後、ゲームソフトメーカーにてゲームクリエイターとしてゲームソフト開発に従事。代表作は「花火職人になろう」シリーズ。その後、出産をきっかけに独立し、3児を育てながら中小企業診断士として登録し、経営コンサルタントとして活動。2014年、2つのキャリアで得たノウハウを結集した経営センスを鍛えるビジネスゲーム『ビズストーム』を制作し、株式会社ビズストームを設立。さらに国家資格キャリアコンサルタントを取得し、2021年戦略的キャリアデザインを学ぶ研修用ゲーム「キャリアストーム」を制作。■会社概要名称 : 株式会社ビズストーム本社所在地: 大阪府大阪市中央区伏見町4-4-9 淀屋橋東洋ビル3F設立 : 2014年5月代表者 : 代表取締役 箕作 千佐子URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年08月23日取材・文:瑞姫撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、東京・六本木ヒルズに位置する5つ星ホテル「グランド ハイアット 東京」でチーフコンシェルジュを務める今泉愛子さん。コンシェルジュとは、ホテルにて観光スポットの案内、チケットの手配、旅行のプランニングまで、多くのリクエストに答える、お客さま対応のプロ。中でも今泉さんは、チーフコンシェルジュとしてだけでなく、さまざまな規定をクリアしたホテルのコンシェルジュのみが入会を認められる世界的なコンシェルジュの組織「レ・クレドール」の日本支部「レ・クレドール ジャパン」のプレジデント(会長)を勤めています。そんな華々しいキャリアを持つ今泉さんに話を聞くと、お客さまへ真摯に向き合い続けた姿勢が生んだ評価と、一緒に働く仲間への信頼が生んだ「チームの強さ」を知ることができました。今泉愛子さん2004年グランド ハイアット 東京に入社。フロントデスク、グランド クラブ ラウンジ、ビジネスセンターなど宿泊部門の業務を経て、2008年からコンシェルジュ。2012年にはコンシェルジュの世界的組織『レ・クレドール(Les Clefs d’Or)』国際正会員、2015年にグランド ハイアット 東京 チーフコンシェルジュとなる。その後、『レ・クレドール ジャパン』バイスプレジデント(副会長)を経て、2023年4月に『レ・クレドール ジャパン』のプレジデント(会長)に就任。■家族と海外で過ごした幼少期Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?今でもあまり変わらないのですが、人見知りな性格でした。父の仕事関係で海外に行くことがあったので、新しい人間関係を作り直さなければいけなかったこともあり、自らいろんなとこに飛び込むタイプというよりは、人の様子を窺うことが多かったです。仕事の際はお客さまと接することがとても多いので、全然人見知りしないのですが、プライベートでは意外と今でも人見知りです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?家族構成としては、両親と4つ上の兄の4人家族です。父が航空業界で働いていたので、私は幼稚園から小学校に入学する直前ぐらいまで数年間アメリカに住んでいました。そういったこともあるのかもしれないですけど、家族の距離感は非常に近い家庭でしたね。Q.3 大学時代はどのように過ごしていましたか?大学時代はサークルばかりやっている生活でした。すごくマイナーなスポーツなのですが、アルティメットという、フリスビーを使った屋外で行うバスケットボールとアメフトを足して2で割ったようなスポーツをやっていました。大学生になってから始めたのですが、マイナースポーツである分、大会で勝ち進めるチャンスがあって…。一緒に始めた仲間と「日本一になろう!」と決め、実際に大学3年生の時に学生の大会で優勝することができました。Q.4 留学は経験されましたか?大学卒業後にイギリスに留学しました。元々すごく行きたかったという訳ではなかったのですが、父親が海外で仕事をすることが多かった人なので、「一度は海外に出たら?」と幼い頃から言ってくれていたのもありますし、ちょうど私が大学を卒業する頃が就職氷河期と言われていて、就職難の時代だったんです。ホテルや観光業界で就職を考えていたものの、その年はもう本当にほとんど採用が無い時代だったので……。一般企業への就職も考えはしましたが、きっと続かないなと思い、だったら良い機会だからということで、今後必要になるであろう英語の勉強をしに留学させてもらいました。元々は英語と観光業界関係の授業を受けられる留学プログラムでイギリスへ行ったので、10カ月で帰ってくる予定だったのですが、せっかく行ったんだったらというのと、いろいろな人との出会いの結果、ホテル専門学校に入り直して合計3年ほどイギリスにいました。最後の1年はインターンシップとして現地のホテルでも働きました。■コンシェルジュとしてのやりがいQ.5 現在の仕事に興味を持ったきっかけは何ですか?この業界で働きたいなと思ったのは、大学生の頃です。父親の仕事の関係で元々旅行に行く機会は多かったのですが、特に高校生から大学生ぐらいのときは毎年のように家族で海外旅行をしていたんです。私の中でさまざまな国へ行くことはもちろんすごく刺激的だったんですけど、帰ってから思い出すのはいつも家族で過ごしたホテルでの時間で……。そこから、旅行の思い出の一つにホテルで過ごした時間が絶対に出てくることに気づき、印象に残る滞在をできるのはすごく幸せなことだなと思ったことがきっかけで、ホテル業界で働きたいなと思いました。Q.6 チーフコンシェルジュに就任当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。前任の上司がすごく上手に引き継ぎをしてくれたので、業務としてすごく苦労したということはあまり無いんです。けれど、コンシェルジュの仕事というのは、社内外問わず、人と人との繋がりがすごく重要になってくる仕事。前任の10年以上やってきた大先輩から私に引き継いでいただいたときも、もちろんいろいろな人を紹介してもらったのですが、それを自分のネットワークにするまでの過程が一番大変だったかなと思います。Q.7 チーフコンシェルジュに就任してから一番うれしかったことは何ですか?チーフコンシェルジュという役職に就くことは、コンシェルジュ業界の中ではすごくインパクトがあることなんです。なので、私が就任した時も自分のホテルのコンシェルジュだけではなくて、他のホテルのコンシェルジュの皆さんも「チーフになったんだね」と認知してくださるようになったことが嬉しかったです。コンシェルジュはすごく横の繋がりが強くて、他のホテルのコンシェルジュとも仲が良く、「一緒に日本、東京のおもてなしを良くしましょう」と思って助け合っているので、そういった人たちと「やっとここまで来て、一緒にやっていける土壌に立つことができた」と思えたことが何よりの喜びになりました。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?やはり、戻って来てくださったお客様に「君、前回はありがとうね」などの言葉を言ってくださることが一番うれしいです。つい先日も、隣のスタッフが接客していたお客さまが私の前まで来てくださって、「君はここで長く働いているよね。前回来たときはこれをやってくれてね。その前はこれやってくれて……。20年ぐらい前から知ってるよ」「絶対に君だった」と言ってくださったんです。もちろん覚えていただいたこともそうなのですが、何より”人の記憶に残ることをお手伝いできていた”という、過去の自分との答え合わせみたいなものができる時がうれしくて…。「あのときやったことは間違ってなかったんだな」「いい思い出にしていただけたんだな」ということが分かりますし、その経験を元に、また日本に、東京に、そしてうちのホテルに帰ってきてくれたというのが喜びになります。Q.9 仕事で大切にしていることを教えてください。私達コンシェルジュにとって大切なことのひとつは“誰に聞いたら一番正しい答えが出てくるか”ということを知っているかですので、私自身はチーフコンシェルジュとして、“誰と繋がって、誰と一緒にやることが、一番お客様に喜んでいただける答えが見つかるか”ということを重要視して、周りと積極的に助け合えるような関係性を築くようにしています。チームのみんなに伝えているのは、プロとして仕事をしましょう、人との繋がりを大切にしましょう、自分がグランド ハイアット 東京のコンシェルジュを代表する一人として、お客さまの対応をしているということを意識してやりましょう、ということです。それから、この仕事を好きであってほしいので“必ず楽しんでください”と伝えています。皆が楽しく仕事をしてもらうために、私は基本的にすごく距離感の近いチームを作っているので、日々の雑談を含めたコミュニケーションをすごく大切にしてます。■目標は日本一のコンシェルジュチームQ.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。仕事は10時からの日が一番多いです。朝6時半に起きて、シャワーを浴びて朝食を食べて、家から職場までが大体ドアトゥドアで1時間くらいなので、9時には家を出る。そこから仕事をして終わるのが大体20時半くらい。家に帰宅すると22時ぐらいになっているので、寝る準備をして、大体日付が変わるくらいにはベッドに入るようにしています。プライベートの時間は寝る前に取っているのですが、その時間はだいたいメールのチェックをしています。コンシェルジュのネットワーク組織が国内と海外にあるので、そういったところの人たちとのやりとりや仕事など、ホテルの業務以外のことを寝る前の時間にしているんです。仕事に繋がりはするんですけれども、自分が楽しいと思っていることなので、あまり仕事という意識ではなくやっています。Q.11 毎日のお仕事で何をしている時間が一番長いですか?基本的にほぼお客さまのご対応です。コンシェルジュカウンターに立って対面でのご案内をしたり、到着前後にメールで事前にお問い合わせをいただいた方の対応を、オフィスでしたりしています。どちらにしてもお客さまの対応が多くの時間を占めますね。ご滞在中の方が出先から「今ここにいるんだけど、次はどっちに行ったらいい?」という道案内のような“今どうしても誰かが対応しなければいけない”というような問い合わせをくださるケースも少なくないので、できる限りその最新の情報が見られる場所にいるようにしています。Q.12 お休みの日は何をされていますか?そもそも休みの日はありますか?休みはきちんと取るようにしていて、基本的に外出するようにしています。海外からいらっしゃるお客さまが多いので「観光はどこに行けばいい?」「おいしいレストラン教えて」「今何かおもしろい展覧会とかやってない?」といったお問い合わせにコンシェルジュは答えなければいけないんです。ですから、そういった質問にも答えられるように、できる限り自分たちの目と足で情報収集をするようにしています。Q.13 今後の展望を教えてください。現在グランド ハイアット 東京でチーフコンシェルジュとしてチームを持ってやらせていただいていて、私とチームとしての目標が“日本一のコンシェルジュチームになる”ということなんです。今もそう自負していますが、それを周りからも「やっぱりグランド ハイアット 東京のコンシェルジュは一番だよね」と思ってもらえる、力強いチームでありたいと思っています。あとは私がプレジデントを務めている「レ・クレドール ジャパン」のメンバーとして、東京だけではなく、日本の観光業が正しく成長していくこと、コンシェルジュという仕事を正しく認知していただけるような活動をしていきたいです。
2023年08月07日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部「若い時と比べると、安定しちゃったよね〜」……アラサーともなると、女子会でこんなセリフを耳にすることが増えました。年齢とともに、若い頃の「無鉄砲さ」はなくなり、生活に安定感や安心を求めるようになる友人の数が多くなっていきます。けれどその反面、安定した生活、成長性のないいつもと同じ仕事に、どこかつまらなさを感じる方もいるのではないでしょうか。ユニークな人生を送る女性と、自分との差はどこにあるのでしょう。それは、新しい環境に飛び込む勇気や、新しいことを楽しもうとする好奇心なのかもしれません。チャレンジする気持ちを持ち続け、ユニークなキャリアを突き詰めて、プレミアアンチエイジング株式会社にたどり着いた杉本那穂子さん。化粧品業界でキャリアをスタートさせた彼女ですが「化粧品という商材に限らず、様々な手法で人々の健康をサポートしたい」と語ってくれました。彼女のこのモチベーションの高さは、一体どこからやってくるのでしょうか。話を聞いていくうちに、彼女のポジティブさの根源に「セルフケアとの向き合い方」が見えてきました。■転職は「ここではやり遂げた」と思ってから。好奇心に任せて業務経験の幅を広げる杉本さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。プレミアアンチエイジングと言えば、クレンジングバームの一大ブームを巻き起こした、「DUO(デュオ)」が有名ですよね。そうなんです。私は新卒から一貫してオーガニック系やスキンケアをメインで扱っている化粧品会社の商品企画部で働いていました。プレミアアンチエイジングに入社する前の2019年頃には、化粧品業界の中でDUOの認知度がどんどん広がっていくのを感じていました。杉本さんは化粧品業界で、2回の転職を経験されているんですね。仕事では、ここではやり遂げたと思ってから次に向かうと決めています。逆に、会社や仕事への不満を理由に転職をしたことはありません。1社目の時の先輩から言われた「仕事が嫌で辞めてしまったら、次の場所でも同じことで苦労するよ」というアドバイスが心に残っていて、転職は自身の成長したい方向性が見えてきた時、と決めています。では、転職はどういったタイミングで行っているのでしょうか。前職の2社でも、もう数年いれば新しく学べることもあったと思います。しかし、身についたスキルをよりうまく生かせる場所・より強い興味関心を感じるフィールドが見つかった時は、恐れずに行動してきました。プレミアアンチエイジングに転職を決めたのは、DUOというユニークな商材と、そのマーケティング手法に興味を持ったことがきっかけでした。最終の社長面接の時に、何事にもチャレンジできる社風と感じたので自分のキャリアビジョンを実現できると思いました。当時、テレビやSNSでDUOを目にしない日はなかったですし、化粧品のCMに男性タレントをキャスティングしていることも、興味を持ったきっかけの一つでした。たしかに、化粧品で男性タレントがキャスティングされることは珍しいことですよね。杉本さんは、プレミアアンチエイジングではどんなお仕事をされているのですか?現在は、新ブランドの立ち上げやブランドマネジメントを中心に、商品企画やマーケティングサポート、営業サポート、SNS運用、イベント運営、SDGs関係のプロジェクトなど、ブランド育成にまつわる様々な仕事に関わっています。かなり手広いですね……!尊敬しちゃうけど、なんだか忙しそう。これまでの会社と比べれば、ワークライフバランスをうまく調整しながら働いている感覚です。週一日はリモートワークができますし、有給も取りやすい環境です。これまでの会社でも、幅広い業務に携わらせていただいていましたし、関わっている業務は入社時からある程度理解できるものが多かったので、大変さはあまり感じませんでした。小さい頃から母親に「若いうちから苦労は買ってでもしなさい」と言い聞かされてきたからか、忙しさを理由に何かを諦めたことはありません。やってみようと思ったことをやっていたら、今の自分のキャリアになっていました。どんな仕事も今の自分に繋がっていると感じるし、そのおかげで興味関心の幅も広がったと思います。■毎日元気に働くために、我慢はしない。自分らしいセルフケアルーティンをバイタリティがあって魅力的です。どうして、仕事にそこまでのモチベーションを持つことができるのですか?前提として、興味があることに関わっているのが大きいですね。あとは、目に見えない価値を大切にしているから、一つの業界でも飽きずにいられているのかなと思います。化粧品には企画から製造・販売までにいくつもの工程があって、その全てに様々な人の想いや行動があります。その愛情や商品に込めた想いをお客様に伝えていくことを大切にしています。だからこそ、仕事で関わるメンバーには感謝していますし、その人たちと一緒にがんばりたいという気持ちも、仕事のモチベーションになっていますね。当たり前のことに感謝を忘れないところも、ピュアで素敵ですね。でも、まっすぐだからこそ、疲れてしまうことはないですか?疲れちゃう時も、たくさんありますよ!そういう時は、抱え込まずに周囲に相談し、仕事で感じている悩みも、メンバーと共有するようにしています。私が大事にしている価値観を理解してくれるからこそ、適切なサポートを差し伸べてもらうことも多いんです。仕事上の疲労や悩みって、チームメンバーには言いづらいと思っていましたが、自分を周りに理解してもらうのは大切ですよね。お互いにオープンになれれば、チームの結束も深まりそうです。その点、プレミアアンチエイジングのメンバーは常に和気あいあいとしていて、気持ちをシェアしやすい空気があるのも魅力的なポイントです。それに、化粧品業界で働いていますが、私自身はまめな人間ではないので、日々の美容習慣に時間を割けない時もあります。代わりに、ボディケアには定期的に通うようにしていたり、心のケアもおこなっています。植物療法士という資格を取得したのですが、その勉強をする中で、セルフケアの大切さにも気づきました。心のケアは、具体的にどんなことをしているんですか?数年前に取ったフラワーエッセンスの資格は、自身のケアにもよく活用していますね。あとは、自分と向き合う時間を大切にすること。好きな音楽を聞いたり、アロマを楽しんだりと、自身を癒やす時間を1日のうちに必ず取るようにしています。無理をせず、その日のストレスはその日のうちに取り除くことが大切だと思っています。毎日元気に働いているように見える人ほど、何かしら工夫をしているものですね。■化粧品という枠にとらわれず、人々のウェルネスをサポートし続けたい杉本さんは、ご自身の今後のキャリアをどのように描いていますか?これまで通り、自身の気持ちを大切に、ユニークなキャリアを築いていきたいと思っています。プレミアアンチエイジングでは自分の本業だけでなく、SDGsを始めとする、これまで触れる機会のなかったプロジェクトに関わらせていただいていることにも感謝しています。新しい環境を恐れず、自身の幅を狭めず働き続けたいですね。杉本さんにとっては、一つの会社の中で様々な経験を養えるプレミアアンチエイジングの環境がフィットしていそうですね。まさに、そうなんです。例えば、これまでの化粧品会社と比べて、マーケティングの観点で学ぶことが多かったり、化粧品業界にずっといるメンバーばかりではないので、自分とは全く関わりのなかった業界にいた人の話を聞くことができたりすることも、とても刺激的です。杉本さんのような女性に憧れる方も多いと思います。杉本さんは今後、どのような女性になっていきたいですか?ちょっと壮大な話ではあるのですが……。弊社は「人の時間(とき)を、解き放つ。」という経営理念を掲げ、アンチエイジングカンパニーを目指す会社なので、人生100年時代の中、全ての人が健康に生きることをサポートし続けることが、今の私の目標なんです。私自身、化粧品の仕事や資格の勉強を通じて、セルフケアをし続けていくことの大切さを感じています。化粧品は外側からのケアをサポートするものですが、内側からのケアも大切だと思います。今後も、企画やマーケティングサポート業務に携わると思いますが、人々のウェルネスに関わる仕事をし続け、さらに向上心を持ってやっていきたいです。
2023年08月04日オールトゥデイは、女性(会社員)を対象に実施した「女性活躍と仕事の価値観」に関する調査の結果を発表しました。まず、「あなたは現在、管理職についていますか?」と質問したところ、「ついている」が14.3%、「ついていない」が85.7%という回答結果となりました。続いて、「これからも管理職でいたいですか?または将来管理職につきたいですか?」と尋ねてみると、35.4%が「まったくそう思わない」、33.9%が「あまりそう思わない」と回答し、合わせて7割近くが管理職になりたがらないという結果に。管理職につきたくないと考えている理由については、「責任が重いわりに給料がよくなくて残業も多いイメージだから」「仕事よりも家庭やプライベートを優先させたいから」「家事をやりながら管理職をできる自信がない」などの回答が寄せられました。調査結果から、管理職へのイメージや仕事と家庭へのバランスといった様々な理由から、約7割の方がこれからも管理職についていたくない、つきたいと思わないと考えていることが分かりました。しかし、職場に対しての管理職に対するハードルや体制面での声も一定数あることから、会社側は女性が管理職で活躍できる場を用意することも必要と言えるかもしれません。■調査概要調査名:「女性活躍と仕事の価値観」に関する調査調査期間:6月30日~7月1日調査人数:504人調査対象:調査回答時に女性(会社員)と回答したモニター(フォルサ)
2023年08月02日取材・文:太田冴撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、日常をがんばる私たちの“ご褒美”の代名詞とも言える「ハーゲンダッツ」を製造・輸入・販売するハーゲンダッツ ジャパン株式会社で人事グループマネージャーを務める矢野優子さん。長らく商品開発やマーケティングに携わったのち、40歳を過ぎて初めて人事の世界に飛び込んだ矢野さん。「最初はマネージャーをやるつもりなんてなかったのだけれど」と添えながらも、背中を押されて引き受けた先に出会った“仕事の面白さ”について、語ってくれました。二人の思春期の娘さんの子育てに奮闘しつつも、土日は趣味の畑仕事に勤しむという自然体なプライベートにも注目です。矢野優子さん1997年、ハーゲンダッツ ジャパン株式会社に入社。営業本部に配属。首都圏エリアのチェーン・卸店を担当。1999年、マーケティング本部に異動。日本発の商品クリスピーサンド発売に関わる。ほかミニカップ・バーなどあらゆる形態の新商品企画を担当。その後、産休を経て営業推進本部、コーポレート本部などを歴任。2022年より、コーポレート本部人事グループマネージャーに就任。現在、2児の母として育児と仕事を両立しながら社員の働きやすさ・働きがいの施策に取り組む。■知らぬ間に学級委員長に。「任されがち」な学生時代Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?3歳年上の兄と一緒に、外で走り回って遊ぶようなアクティブな子どもでした。小学4年生のときに初めて引っ越しをして、出来上がった人間関係の中に飛び込む経験をしてから、少しずつ自己開示に悩んだり、おとなしくなったり、という性格の変化があったように思います。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?それなりに友達もいて、それなりに部活もやって。別に目立つこともなければ、みんなを引っ張っていくようなタイプでもなかったような気がします。ただ、学級委員長だけはなぜかやらされることが多かったです。一番ひどいときは、たまたま学校を休んだ日に勝手に学級委員長に任命されてしまっていたときもありました(笑)。ちょっとは抵抗してみるのですが、最後は諦めて引き受けるしかなくて。頼まれたら「いやだ」と言えない性格だということを、先生にも友人にも見抜かれていたのでしょうね(笑)。Q.3 学生時代にアルバイトはしていましたか?大学生の頃は4年間、ファミレスでホールのアルバイトをしていました。これも同様に、長く続けているものですからだんだんと任される仕事が増えていって、時給も上がっていったのを覚えています。基本的に、人から任されて伸びるタイプのようです。Q.4 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?フランス語を学んでいました。とはいえ、フランス文学に興味があったわけではなく……語学をやろう、と思った時に「フランス料理っておいしそうだなぁ」という10代のピュアな好奇心だけでフランス語を専攻することに決めました。あまりに単純ですが、その頃から食べることが大好きだったんです。短期留学で、1~2カ月間フランスに滞在したことも。「本当に毎朝クロワッサンを食べるんだ!?」と衝撃を受けたことを覚えています。フランスのカフェで食べるクロワッサン、本当においしいんです。■乗り気じゃなかったリーダー職も、やってみて初めて知る面白さがあったQ.5 人事マネージャーに就任された経緯を教えてください。人事グループに異動してきたときから「マネージャーをやったら?」というお声はいただいていたのですが、私自身はマネージャーになりたいとは思っていませんでした。当時、中学2年生と小学6年生の娘がいましたし、やはりマネージャーになるとそれだけの責任が伴います。二人の子育てだけでも大変なのに、自分の仕事に加えてメンバーや会社のことも考えなければならない立場になるというのは大変すぎるのでは……と思ったのです。そんな風に億劫に感じていた私の背中を押してくれたのは、当時の上司にあたる人の存在と、人事の仕事のおもしろさを知ったことでした。当時の上司がすごく楽しそうに人事の仕事を教えてくれたおかげで、マネージャーになると得られる情報が増えることや、できる仕事の幅が増えていくことを魅力的に感じることができました。そこで、いちメンバーでとどまるのではなく、マネージャーになってみるのも良いかも、と思えたのです。今も正直、マネージャーであることに自信を持てているわけではないのですが、必ずしも自信がある必要があるわけではないのかなと思っています。私にとっては「より良い会社にしたい」という目標を持てたことがマネージャー職を務めるやりがいになっています。Q.6 マネージャーに就任してから一番大変だったことは何ですか?やはり、人事経験が無い中で40歳を過ぎて初めて人事の仕事を学んだことでしょうか。本当になんにも知らない状態で人事に異動して……それこそ、どうやって給与が計算されているのか、どんな人事制度があるのかなどを、ゼロから学ぶ必要がありました。外部の研修にも参加して、毎日必死で勉強していたので、頭がパンクしそうになったことも。ただ、ひとつひとつの制度について「どういう目的でこの制度が存在しているのか」という背景を紐解いていくうちに、私自身がこれまでこの会社で働きやすさを感じてきた理由を知ることができました。私の仕事は、社員の働きやすさややりがいに直結するんだ、と実感してから、仕事の面白さがグンと増した気がします。Q.7 逆に、マネージャーに就任してから一番うれしかったことは何ですか?この仕事をしていると「この制度ってどういう意味ですか?」などと社員から直接質問を受けることがあるのですが、一見難しい人事制度でも、噛み砕いて説明すると納得してくれるんです。人事の仕事はなかなか感謝されることはありませんが、一生懸命説明したことに対して「わかりやすかった」と言ってもらえるとすごくうれしく感じますね。もちろん、人事制度の内容はさまざまですからすぐには納得してもらえないケースもありますが、直接社員の声や意見を聞けるのも貴重なチャンス。今後どう変えていけばいいのか、を考える機会になるので、とてもありがたく感じています。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?ちょうど昨年人事制度が大きく変わったばかりなのですが、人事制度に絶対的な正解やゴールはありません。いつまでも「どうしたら良くできるか」を考え続ける必要があると思うんです。ある人にとっては魅力的な制度も、別の人からしたら良くない場合もある。それをどう調整していけるのか、というのを考え続けるのに終わりはありませんし、だからこそずっとやりがいを感じていられるのでは、と思います。■The 朝型なタイムスケジュール。多忙な生活を支えるのは「とにかくぼーっとする時間」Q.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。平日はだいたい毎朝4時に起きて、掃除・洗濯などの家事を済ませます。そのあとは娘二人分のお弁当を作って、夫や娘たちが起きてきたら一緒に朝食を食べる。家族がみんな出かけたら自分の支度をして、大体8時半ごろには会社に着くようにしています。起床が早いのですが、夜はだいたい22時ごろには寝てしまうので、そこまで睡眠不足ではないんですよ。飲み会が無ければ、ですが(笑)。出社して、メールチェックなどを済ませたあとは大体ミーティングが続いて、夕方ごろからようやく自分のタスクをこなす時間。伝票の承認など管理者としての仕事を済ませて、基本的には19時に退社して、20時ごろに帰宅できるようにしています。もちろん残業が必要な日もありますが、どんなに遅くても会社に残るのは20時まで。これは、家族との時間を死守するために私の中で決めているタイムリミットです。夕食は、その日の帰宅時間や夫の仕事の状況によってまちまちなのも、我が家のあり方。夫が在宅勤務であれば用意してもらいますし、みんながそろう日は簡単に作って一緒に食べたり、作り置きで済ませたり、無理のない範囲でやっています。夕食後は完全なリラックスタイム。身支度をして、22時にはベッドに入るようにしています。Q.10 これだけは譲れないルーティーンはありますか?お風呂のときは絶対に湯船に浸かるというのと、寝る前に枕にアロマスプレーを吹きかけること。ささやかですが、そうした工夫がちゃんと気分転換になるんですよね。あとは、唯一の自分の時間と言っていい朝の時間は、とにかくぼーっとすることを心がけています。本当に、ぼーーーっとするだけ。以前は洗濯物を畳む隙間時間にも英語の勉強をした方がいいかな、などと模索していたのですが、今となっては「何にも考えない時間」を作ることが一番大事だなと感じるんです。天気が良いなぁとか、お花が咲いているなぁとか。そういう感覚を持つ時間を忘れないようにしています。■週末の畑仕事にハマり中!目下の悩みは娘二人の「お弁当作り」Q.11 お休みの日はどんなふうに過ごしていますか?自宅から自転車で40分くらいのところに小さな畑を借りていて、そこで野菜を育てているんです。なので、そのお世話をしに行くのが週末の日課です。娘にも手伝ってもらいながら、ピーマンやトマト、最近ではオクラなんかも育てています。なんででしょうね、以前は鉢植えを買ってベランダで育てていても全部枯らしてしまうような人だったんです(笑)。でも、本当に絶望的にセンスが無いのか、それともしっかり土から手入れをしたら野菜は育ってくれるのか、というのを試したくなって、やってみたら意外とちゃんと育ってくれた。それが楽しくて、最近はすっかり土いじりにハマっています。Q.12 プライベートの悩みはありますか?お弁当作りが面倒なこと、ですね(笑)。娘が二人とも同じものを食べられたらまだ良いのですが、一人が卵アレルギーを持っているので、少し内容を工夫しなくてはいけなくて。お弁当の中で「黄色」って意外に重要じゃないですか。卵を使えないとなると、とうもろこしを入れようか、かぼちゃにしようか、はたまた冷凍のグラタンを入れようか……と日々頭を悩ませています。最終手段は、なんでもカレー味で味つけしてしまうこと(笑)。そんなささやかな悩みを抱えながらなんとかやっています。Q.13 今後の展望を教えてください。「人の役に立ちたい」と言葉にしてしまうと平凡かもしれませんが、私の軸はそこだと思っています。何かを自分で成し遂げるというよりは、何かしら困っている人の手助けになるようなことがしたい。仕事の内容がなんであれ、ずっと人の役に立ち続けたいと思っています。また、プライベートでは土いじりが本当に楽しいので、夢は大きく“自給自足”を目指して頑張りたいと思います!
2023年07月22日取材・文:ミクニシオリ撮影:稲垣佑季編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部あなたは「このままここで働いていていいのかな」と悩んだことはありますか?同じ会社、同じ部署で、日々同じような仕事をしていると、ふと「このまま同じ仕事をしているだけで大丈夫なのだろうか」と不安になることがあります。だけど、転職に踏み切るほどの自信もない。そんな時、どんな選択肢があるのでしょうか。新卒で入社した日立ソリューションズで、社会人6年目を迎えた村田友梨さんも、新卒で配属された部署で将来への不安を抱えていたといいます。そんな彼女は、この6年の間に2回の部署異動を経験し、SE、企画、営業とさまざまな仕事を経験してきました。「新卒の部署で仕事に不安を感じても、転職できる自信がなかった」と話す村田さん。SEから始まった村田さんのキャリアですが、彼女はこの春、日立ソリューションズの「若年層ジョブマッチング制度」という社内制度を活用して、営業部へと異動することになりました。転職ではなく「社内異動」という選択肢で、自身に足りないスキルを身につけてきたという村田さん。転職するのではなく、社内異動でさまざまな職種を経験して「ジェネラリスト」となることで培ったキャリアがあったからこそ、見えてきた景色があるといいます。■社内制度を使い、自身のキャリアを転換まずは、村田さんのこれまでのキャリアについて教えてください。私は新卒時に機能開発のSEとして日立ソリューションズに入社し、現在6年目になります。2年半ほどで事業部内異動をしまして、製品プロモーションチームに配属となりました。その後、今年4月に「若年層ジョブマッチング制度」を利用し、営業部に異動。現在に至ります。6年間で2回も部署異動があるのは、珍しいですよね。それぞれの仕事は、業務内容も異なるのでしょうか?SEの時はみなさんが想像する通り、コードを使って機能開発をしていたのですが、製品プロモーションチームではメルマガでの情報発信を行ったり、製品webサイトのアクセス分析を行ったりといった企画業務に携わっていました。今は、営業職として、社外のクライアントさんと関わっていますが、どの部署でも、ITサービスに関わるという大枠は同じなのですが、業務はそれぞれ全く違うものではありますね。部署異動が多いと、新しい業務を覚えるのが大変そうなイメージもあるのですが、実際経験してみていかがでしたか?私の場合は、過去どちらの部署でも、2〜3年目のタイミングで自身のスキルやキャリア形成に不安を感じることがありました。私自身は、部署異動にネガティブなイメージはなく、むしろ自身のキャリアにも良い影響があると捉えています。製品プロモーション部への異動は社内辞令でしたが、今回の異動は、制度を使って自分の意思で異動しました。「若年層ジョブマッチング制度」ですよね。どのような制度なのでしょうか。弊社では、新卒入社3年目の社員全員に対し、社内求人への応募、または現在の部署に継続して所属することを自ら選択する権利が与えられているのです。権利は2年間繰り越すことが可能なので、5年目まで保留することができます。利用希望者は、自己PRシートを作成して社内求人に応募し、面談を行います。応募要項と希望者のスキルがマッチングすれば、社内異動をすることができるんです。(※)■モヤモヤを感じた時、手を挙げて社内異動。足りないスキルを補える部署を志望村田さんは、どうして営業職に異動したいと考えたのですか?製品プロモーション部では、エンジニアの時と比べて社内のさまざまな事業部と関わることができ、視野を広げることができました。しかし、一つひとつの案件に細かく関わることはできないため、現場の声が拾いきれないことに歯がゆさも感じていました。現場での経験値がないと、社員にとって本当に必要な企画を立案することが難しいと考え、まずは「課題解決」や「ソリューション提案」の経験値を養うため、営業職を志望しました。自身のキャリアに必要な経験に、真摯に向き合っていて素敵です……!キャリアとしては、部署異動にポジティブなイメージがあったということですが、新しい仕事への不安はありませんでしたか?もちろん、新しい業務に不安がないわけではなかったのですが、上位層の方が「この社員は見込みがある」と判断して異動を受け入れてくださったのだから、まずはできることから頑張っていこうと前向きに思えました。そして、分からないことは積極的に周囲に質問するようにしていました。不安や懸念事項は先にシェアしておくことで、自身の不安も軽減されると思います。分からないことを伝えるのは勇気がいると思いますが、お互いにできること・できないことが分かっていると、自分もチームメンバーも働きやすいと思います。部署異動をしたことで、キャリアに対する考え方に変化はありましたか?新卒当時は、自分がどんなキャリアを描いていくのか、全く想像がついていませんでした。もともと文系卒でエンジニアとしてのスキルも持っていなかったので、日々目の前の仕事に追われながらも、「今の仕事、自分に向いているのかな」と漠然と思うことはよくありました。しかし、部署異動してからは、エンジニアとして積んだキャリアも意味があったと感じるように。不安を感じた時に、別部署での経験を積むことができた自分は幸運だと思いますし、機会を与えてくれた会社にも感謝しています。さまざまな部署での仕事を経験したことで、自身の視野も、キャリア形成も広がったと思います。仕事に対して不安や不満を感じた時に、転職を考えることはありませんでしたか?転職については、あまり考えていませんでした。自身には、まだ転職できるほどのスキルがないと思っていましたし、会社の文化や人間関係には満足していたので、まだこの会社の中で頑張れることがある、とも思っていました。ただ、モヤモヤを抱えたまま同じ部署で仕事をし続けていたら、転職していた可能性もあると思います。■社内に残ったことで、自身のキャリアが「点」から「線」に変わった転職ではなく、社内異動でキャリアを積んだことを振り返って、どんなメリットがあったと思いますか?エンジニア時代を振り返ってみると、自身が関わっていたのは、大きな製品のごくごく一部でした。当時は新人目線からすると「これ必要かな?」と疑問を感じる作業もあったのですが、製品プロモーション、営業と他の職種も経験したことで、どんな小さな作業も意味があったのだと思えるようになりました。あのままもし転職活動をしていたら、私は「いちエンジニア」としての視野しか持てないままだったかもしれません。同じ仕事、同じ会社に関わっていく中で、自分の仕事が「点」ではなく「線」としてつながっていることを知れたことが、一番のメリットだったと思います。読者の中には、部署異動に興味を持っている方もいると思います。希望の部署に異動するコツはありますか?「若年層ジョブマッチング制度」での部署異動の際にも、面接や自己PR書類の提出が必要で、かつ社内求人が出ていなければ異動できないので、必ずしも希望の部署に異動できるわけではありません。しかし、面接や面談を担当するのは同じ会社の社員なので、異動希望を出すことは、転職活動に比べても気持ちが楽だと思います。私は、人事や面接官が気になるのは「社員と部署の相性の良さ」だと考え、自分のしたいことや興味を固めすぎないよう、書類を作成しました。もしも「今の部署以外で働く」ことを優先するなら、応用のきくスキルをアピールするのがいいのかなと思います。最後に、村田さんが思い描く理想のキャリアや、今後の働き方を教えてください。私自身、10年先を明確に思い描いて行動するタイプではないのですが、今の仕事に全力になることで、次にやりたい仕事が見えてきたと思っています。今の時点では、次にしてみたい仕事があるわけではないのですが、営業として全力で仕事に取り組むうちに、また身につけたいスキルが明確になると思っています。今後も、仕事の目的を忘れず、与えられた仕事をやりきり続けていきたいです。その先には、その時の自分が必要としているキャリアが見えてくると思います。(※)引用:
2023年07月13日取材・文:瑞姫撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、レンタル事務所「喫茶れんたる」を運営しながらも、日本一高い“レンタル彼女”として活躍するよもぎちゃん。今では漫画やドラマなどの作品で耳にすることも増えてきた「レンタル彼女」「レンタル彼氏」ですが、そもそも「レンタル彼女(or彼氏)」とは依頼主から指名を受けたキャストが恋人役となってデートをするサービス業。サービスそのものについては知っていても、「実際に利用したことはない」「キャストをやっていると公表している人を見たことがない」など、まだまだヴェールに包まれた存在なのではないでしょうか。そんな「レンタル彼女」を大学時代に始め、その魅力にとらわれたよもぎちゃんが、その仕事を通して見つけた課題を解決するために立ち上げた事務所「喫茶れんたる」は、レンタル彼女・彼氏・友達としての枠組みに囚われない、“コミュニケーションの専門店”として人に寄り添うサービスを提供することを目指しているそう。インタビューをしてみると、レンタル彼女として人気であることも頷ける、誰に対しても分け隔てなく、真っ直ぐに向き合ってきた優しさを知ることができました。よもぎちゃん大学時代にレンタル彼女を始めてからその魅力にハマり、会社員から一念発起して『喫茶れんたる』を立ち上げる。現在はキャストとして活動しながら、事務所運営に携わっている。■自己肯定感が低く、常に劣等感があった幼少期Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼少期は今よりもだいぶ卑屈な性格でしたね。ずっと進学校に通っていて周りがエリートぞろいだったんですけど、その中で飛びぬけて勉強ができなかったので、自己肯定感がすごく低かったんです。勉強ができない自分はお先真っ暗なんだってずっと思っていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても良い家庭だと思います。比較的裕福な家庭で、父も母も大事に育ててくれましたし、「学歴があった方が役立つだろう」という両親の考えのもと、小学校から進学校に通わせてもらっていたので、恵まれた環境ではありました。ただ、そんな中で勉強が苦手であることが“両親に何も返せていない”という劣等感を抱くことに繋がってしまいました。学校の授業についていくために塾にも通わせてもらっていたので、すごく申し訳ないなって思っていたんです。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?可もなく不可もなく……という感じでした。すごくかわいいとか、すごく勉強ができるとか、逆にすごく勉強ができないとか、そういった自分を形容するものが何も無かった。学校ってグループがあると思うんですけど、私はどこへでも入っていけるけど、どこにも属してない感じで、地に足がついていない存在だったなって今となっては思います。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが転機にQ.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?最初は自分が通っていた塾の受付をしていました。そこからカフェと居酒屋と、レンタル彼女。レンタル彼女を始めたのは、私が失恋した時に「男性でできた傷は男性で埋めるしかない!」と思って、レンタル彼氏を利用しようと検索したのがきっかけです。当時は自分のタイプの男性がいなかったので利用するには至らなかったんですが、「レンタル彼女」という仕事があることをそこで知りました。知らない人からすれば少し怪しい仕事だったので、「バックに怖い人がいるのかな」「実は裏オプションがいっぱいあるんじゃないか」とか、色々興味が湧いてきたので、「自分で確かめるしかない!」と思って始めました。Q.5 どのような大学時代を過ごしていましたか?小中高とエスカレーター式で同じ学校に通っていたんですが、それが私にとっては殻だったんです。大学生になってそこから出られたことは、自分の中で大きな変化でした。友人から合コンに誘ってもらって、勉強はもちろん大切だけど、「勉強だけが全てじゃないんだ」と思えて、そこから自分はコミュニケーションを磨いていこうと思って、さまざまな人と関わるうちに、低かった自己肯定感もどんどん上がっていきました。大学時代にレンタル彼女をはじめたことも大きかったです。大学時代に学校で学んだことよりも、合コンやレンタル彼女のお仕事で学んだことの方が今に活きているかもしれません(笑)。一応コミュニケーション系の学科にはいたのですが、どれだけ座学で学んでも、生の人間とたくさん話した方が得られるものが多い気がします。Q.6 なぜ起業しようと思ったのですか?会社員として働いていた時に、レンタル彼女時代のことを書いたブログをやっていたのですが、現役で利用されているユーザーさんとキャストさんからメッセージがくることが多くなって、それぞれの問題点が見えてくるようになったんです。そこからその問題点を解決できるような事務所を自分でつくりたいなって思ったのがきっかけですね。事務所を作ることへのハードルはそんなに高く感じていなくて、「とりあえずやってみよう。失敗したらその時考えよう」くらいの気持ちでした。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが人生の転機にQ.7 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。大変なことしかなかったです(笑)。完全にプレイヤーの方でやってきたので、運営だったりとか、経営だったりとか、何にも分からないところから始まって大変でしたね。あとは、私がプレイヤーだった時に気にしていなかったことが、他の女の子にとっては気になることだったり。そこで「気にしなくて大丈夫だよ!」というのではなく、その子の立場になって、その子の気持ちに寄り添ってケアをしるなどといった、キャストのマネジメントやメンタルケアも大事なことなんだなと学びました。自分と同じで考えちゃいけないんだと痛感しましたね。プレイヤーではなく、自分が経営側に回ったことで初めて気づくことがたくさんありました。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?やっぱり依頼してくださった方が、喜んでくれるのが一番うれしいです。頑張ってここまでつくり上げてきて良かったなって思いますね。「喫茶れんたる」はレンタル彼女・彼氏というより、“コミュニケーションの専門店”としてやっているので、ジェンダーで悩んでいる方や、少し特殊な悩みの方とかが来てくださることが結構多いんですが、そういう方の捌け口になれて本当に良かったなと思いますし、そういった悩みを受け止める場所になれてきていることを日々うれしく感じます。私自身が、“彼女”としての立ち位置を求められているというより、話し相手や、相談相手として求められているなと感じることの方が多かったので、“コミュニケーションの専門店”という今の形にしています。Q.9 創業してから一番つらかったことは何ですか?脱サラして事務所を立ち上げた初期の方に、コロナ禍に入ってしまったことですかね。人と会うお仕事なのに、人と会うことはもちろん、緊急事態宣言で外出も禁止されていたので……。最初の方は本当に仕事が無かったですし、不要不急の斡旋になってしまうので宣伝もできず、そこで何もできなかったのがすごくしんどかったです。Q.10 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?実際に私自身がまだキャストとして活動もしているので、そこで実際に依頼者さんにお会いして、「すごく楽しかった」と喜んでいただけるのがやっぱりうれしいしですし、やりがいになりますね。■“コミュニケーションの専門店”としての展望Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。結構夜型人間なので、寝るのは大体3時くらい。24時以降に脳が冴えちゃうんですよ。雑音がないと色々考えてしまって眠れないので、YouTubeを見ながら就寝します。“耳かき動画”というのは海外の耳かき動画なのですが、毎日1時間くらい見ています(笑)。仕事はレンタル彼女だったり、事務所のお仕事だったりバラバラなのですが、それに加えて恋愛やコミュニケーションのコンサルもしているので、1日7〜8時間は常に何か仕事をしている気がします。最近だとキャストさんを増やしたので、それぞれの方向性や、どうやってマネジメントしていこうかなとか考える時間が今一番多いです。Q.12 何歳まで仕事をしたいですか?生きている限りは何かしらしてたいです。趣味と日常の楽しみと仕事が一緒になっている状態なので、逆に仕事が無くなった時が死に時かなって思ってしまうくらい。今、キャストとしては月10回前後の仕事量なのですが、本当はもっと運営としてのお仕事を減らしてキャストとしてのお仕事をやりたいんです。運営を手伝ってくれる人たちも最近増えてきたので、自分がやるところを少しずつ減らしてそれが実現できるようにしたいなと思っています。キャストとして働くからこそ、教えられることもあると思いますし、何より他のキャストさんに何か教えるためには、自分がキャストとして圧倒的であり続けることが大事だと思っているんです。なので、事務所をもっと大きくしたい、もっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちはもちろんなんですが、キャスト6、運営4くらいの割合でお仕事できればいいなと思っています。Q.13 今後の展望を教えてください。今はレンタル彼女、レンタル彼氏、レンタル友達として「喫茶れんたる」をやっているんですが、このお仕事をやっているとカウンセラーさんのところへ行くのが怖かったり、逆にカウンセラーさんのところへ行きたかったけど予約が2カ月待ちだからこっちに来ましたって方がちらほらいるんですよね。人や友達として楽しい時間をご提供するのはもちろんなんですが、カウセリングの一歩手前、まず一回自分の話を吐き出せるような場所として、認知してもらえるようにしたいなと思っています。私たちは専門家ではないけれど、話を聞くことや向き合うことはできる。キャストの中にはメンタルに関する知識がある方や、実際に鬱病になったことがある方、セクシャルマイノリティの方もいたりするので、悩みを抱える方がもっと身近に自分の悩みを打ち明けられる場所を作っていきたいです。
2023年07月09日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部頭の先から指先、つま先まで、丁寧で清楚。まさに大和撫子のような、精錬された魅力を持つ長谷川梨奈さんは、日本各地にリゾートホテル・温泉旅館などを構え、ホテル業界を牽引する星野リゾートの中でも、ラグジュアリーで上質なおもてなしを提供する「星のや東京」のサービスチームメンバーとして働いています。いわば接客の「匠」でもある彼女ですが、星のやで培ったキャリアは、私たちが「旅館 スタッフ」に想像するキャリアとは全く違うものでした。■社内キャリア制度を使って異動。入社4年目で新しい挑戦へヘアアレンジも日本らしく、凛々しいお姿がすてきですね!思わず見惚れてしまいます。ありがとうございます。以前は、身だしなみや所作、言葉遣いなどをスタッフに指導するS-pro (エスプロ) という業務を担当しておりました 。改めまして、「星のや東京」のサービスチーム所属、長谷川梨奈と申します。さっそくなのですが、長谷川さんのこれまでのキャリアを教えてください。新卒で星野リゾートに就職し、現在7年目になります。入社時は「星のや京都」に在籍していましたが、3年を経て「星のや東京」に異動になり、現在に至ります。就活時はホテル業界に絞っていたのですか?全国転勤ありきで、ライフプランが流動的になるイメージがありました。就活時は、人々の特別な時間に携わる仕事がしたいと考え、ホテルやブライダルの業界を見ていました。どちらも忙しく、大変な仕事だろうと覚悟はしていましたが、実際に星野リゾートに入社してみたら、体力、知力、気力のすべてを使う仕事であるということを実感しました。最初に配属された「星のや京都」は、若いうちに研鑽を積みたいという自分の意思で希望していましたし、出身地である東京で、新たな挑戦に踏み出したいと考えた際も、自身で手を上げました。星野リゾートでは、新規開業に合わせて、全社員に向け公募を募ります。また、 キャリア制度を利用して、異動の希望を出すことができるので、基本的に会社から一方的に異動辞令が出ることがないところもうれしい驚きでした。なるほど!いい意味でホテル業界のイメージを裏切られますね。では、最初の勤務地を京都にしようと思ったのはなぜですか?星野リゾートに入社し観光の仕事に携わると決めてから、2020年の東京オリンピックの時にどこで何をしているかが、一つの分岐点となると考えていました。「星のや京都」には海外からいらっしゃるお客様も多いため、語学力を活かした仕事が経験できると思ったのがきっかけです。現在お勤めの「星のや東京」にはどのような魅力を感じていましたか?京都と同じく、星野リゾートの中でもグローバル展開を見据えた、ある種の挑戦を兼ねたラグジュアリーホテルであるということと、東京オリンピックに合わせて、出身地でもある東京で宿泊運営業務に携わることが自身の目標の一つだったからです。また、「星のや東京」は世界中の良いホテルを知るお客様のご利用も多いので、自身の接客レベル向上のためにもくぐっておきたい、一つの関門と思っておりました。■マルチタスクを経験したからこそ発見できた、自身のスペシャリティでは、長谷川さんのキャリアの中での目標は、すでに一つ達成されたんですね。そのためにどんな努力をされましたか?実は、星野リゾートでのキャリアの積み方は、宿泊業界の中では少し特殊なんです。一般のホテルでは、お客様に接客するサービスチームの中でも「フロントマン」「ドアマン」「ウェイター」など、分業制を取ってスペシャリストを目指していくことがほとんどです。しかし、星野リゾートのサービスチームは、フロント、清掃、レストランサービス、調理業務を一貫して行うマルチタスク制を導入しています。また、フラットな組織文化のため、新卒時から先輩スタッフとも対等に議論できる場があったので、やりたいと思ったことやお客様の満足度アップに繋がると思うことにはどんどん挑戦していきました。京都では特に、季節の催し物の造成やオペレーション構築など、接客以外のプロジェクトにも率先して参加しました。そういったバックオフィス業務は本社の人が担っているものだと思っていました。星野リゾートでは、施設内での総務はサービスチームが行います。ずっと接客をしているわけではなく、商品や食材、アメニティの発注など、運営に関わる中で発生する事務作業も私たち自身で行います。お客様に対して最高の接客をするだけではなく、お客様の期待を超え続ける宿泊施設であり続けるための準備そのものを自分自身の手で行えるんです。社内調整も社外調整も発生するので、社会で通用する幅広いビジネススキルを養うことができました。長谷川さん自身は、そのキャリアを今後どう活かしていきたいですか?マルチタスクを経験したからこそ、自分がどの分野においてスペシャリティを発揮したいかも見えてきました。私の場合は、今はレストラン業務に注力しております。ここでも、接客はもちろんなのですが、季節のメニューに合わせたドリンクのセレクトや発注管理、使用するカトラリーの選定など、レストランの運営に関わる全ての業務を行っています。会社も星のや東京も大好きなので、すぐに転職などは考えていませんが、一般的な社会人として必要なスキルは持つことができたと思うので、ライフステージに合わせて、未経験の業界に行く未来もあるのかなとは思っています。ですが、社内でも産後復帰されるママさんスタッフもたくさんいるので、星野リゾートのスペシャリストとしてキャリアを築いていくのもいいなと考えています。長谷川さんをそこまで魅了する、星野リゾートの魅力はなんですか?本当にたくさんあるのですが、やはり「お客様の幸せの瞬間に立ち会える」ところですね。 宿泊運営での仕事は、“モノ”ではなくそこでの“体験”が商品なので、お客様とサービスを提供する私自身の、双方の感情を大切にしたいと思っています。 その瞬間を自分自身で作っていける環境や、それを是とする文化に感謝しています。■「当たり前」はサービスの限界を作る。感動し続ける人生でありたい長谷川さんの星野リゾートへの愛、伝わりました。星のやブランドは日本屈指の高級ホテルでもありますが、働く上で意識していることはありますか?一番気をつけているのは、自分にとっての当たり前がお客様にとっての当たり前ではないということを、常に意識することです。「星のや」というブランドで働く上で、お客様に決して安くない金額をお支払いいただいているという揺るぎない事実に対して、責任やプライドを感じています。私自身に「当たり前」を作ってしまうと、それ以上のサービスの提供ができなくなってしまうため、限界点を作ってはいけないと心に決めています。自分に限界を決めないというのは、働き続ける上でも大切な考え方ですよね。宿泊されるお客様たちは、私が体験してきたことよりも多くのことを体験してこられた方々です。だからこそプレッシャーはありますが、そういった方々に体験を提供し続けるためには、私自身が新しい学びを得ること、スキルを得ることが必要です。常に新しいものに触れているからこそ、飽きずに向上心を持って仕事に取り組めているとも感じています。転職ありきでキャリアを築く人もいますが、長く働き続けられる会社には成長性を感じられる環境が必須であるようにも感じますね。7年働いてもまだまだ学べることがあると感じているので、そういうことなのかもしれませんね。成長を感じられる理由の一つに、スタッフの多様さもあると思います。異業種から未経験で中途入社するスタッフも多く、金融系・美容関係・マスコミ関係など、自身とは全く違う軸でキャリアを築いてきた方がたくさんいるので、日々刺激を受けることばかりです。ありがとうございます。最後に、星野リゾートで培ったキャリアを通じて、どんな人生を歩んでいきたいですか?これからも、お客様に感動の瞬間を提供しながら、私自身も仕事で心が動く瞬間を大切にしていきたいです。また仕事だけでなく、余暇の時間を使って、自身の感性を養っていきたいと思っています。星野リゾート以外にも、日本にはたくさんの感動する食事やサービス、エンターテイメントがあります。そういった感動体験を経験し続けて、サービスの向上に活かしていきたいです。
2023年06月30日SuchmosのギタリストTAIKINGが、ソロキャリア初となる全国対バンツアー『TAIKING TOUR「Hangout」』を開催することを発表した。本ツアーは、TAIKINGがこれから友達になりたいアーティストや親交のあるアーティストを各地に招いて行われる対バン形式となっており、各地のステージを共にしてくれるゲストアーティストは後日発表される。<ツアー情報>『TAIKING TOUR「Hangout」』10月13日(金) 東京・渋谷CLUB QUATTROOPEN 18:00 / START 19:00チケット:5,500円(ドリンク代別)10月20日(金) 福岡・DRUM Be-1OPEN 18:30 / START 19:00チケット:5,500円(ドリンク代別)10月22日(日) 大阪・梅田シャングリラOPEN 18:00 / START 18:30チケット:5,500円(ドリンク代別)※ゲストアーティストは後日発表<イベント情報>『TAIKING Presents「Hangout Vol.1」』※終了分は割愛【東京】7月2日(日) WWWOPEN 18:00 / START 18:45チケット料金:6,000円(D代別)出演:TAIKING(Suchmos)、マハラージャン関連リンクTAIKING オフィシャルサイト& Fanclub「TAIKINGDOM」: Twitter: Instagram: YouTube:
2023年06月24日取材・文:太田冴撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、表参道ヒルズに構えるウェルフードマーケット&カフェ「imperfect表参道」を運営するimperfect株式会社代表取締役社長の佐伯美紗子さん。コーヒーやチョコレートなどの生産現場に存在する貧困や搾取などの社会問題に向き合いながらも、美味しくておしゃれな商品を通じて無理なくサステナブルな社会を目指し、日々奮闘しているといいます。穏やかで優しい語り口の裏には「社会を良くしたい」というまっすぐで力強い思いがありました。佐伯美紗子さん1985年大阪府生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、その時の経験から「いつか社会や経済の仕組みを変えたい」という想いを抱くようになる。帰国後は国内の大学に進学し、2008年大手総合商社に新卒入社。2019年「imperfect 株式会社」の設立に携わり、マーケティング部⻑就任。ウェルフードマーケット&カフェ「imperfect 表参道」を同年7月に開業。2022年8月に代表取締役社長就任(現任)。■人見知りで物静かだった幼少期、海外で過ごした10代Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?あまり悩んだりしない、楽観的な性格でした。すごく人見知りだったので、大勢の友人と一緒にいるというよりは、一人で過ごす時間が好きでした。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても賑やかで仲が良い家庭でした。特に中高時代は親の仕事の都合で、家族みんなでアメリカに住んでいたこともあり、出かけるときは常に家族一緒。多感なティーンエイジャーの頃ですから一般的には家族と距離が出来やすい年頃だと思いますが、そんな時期でも常に一緒だったのですごく仲が良かったんじゃないかな。姉がいるのですが、姉妹それぞれ好きなことを自由にやらせてもらえる環境だったと思います。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?みんなの前で何かをする、というようなことは苦手だったので、物静かなほうだったと思います。アメリカの学校に通っていた時も、日本に帰国してからも、ハンドベル部に所属していました。Q.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?大学の近くにある不動産会社で働いていました。一人暮らしを始める高校3年生や大学1年生のお客様に、カウンターで物件を紹介するお仕事でした。特に2~3月は繁忙期で、忙しなく働いていたのを覚えています。Q.5 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?経済学部で、株式市場分析などを学んでいました。また、ベルギーでホームステイをしていた時期も。幼少期からアメリカやメキシコには住んだことがありましたが、ヨーロッパには縁が無く初めての経験。伝統的な暮らしや街並みが残る地域ですごく魅力的だったのを覚えています。また、私は当時からチョコレートが大好きで、おいしいお菓子をいっぱい食べられるのも最高でした。ベルギーって、ショコラティエさんが営んでいる小さなチョコレート屋さんが町中の至る所に並んでいるんです。今日はここのお菓子を食べよう、明日はあそこの……と、毎日楽しんでいました。今ではチョコレートを扱う事業を行っているのですから、なんだか繋がっているものですね。■「SDGsってビジネスになるの?」懐疑的な声と戦った創業期Q.6 社長に就任するまでの経緯を教えてください。元々新卒で総合商社に入社したのですが、その後事業として立ち上げたのがimperfectです。会社員でしたから、社長になりたいとか起業したいという意思があったわけではありません。ただ、当時は今ほどSDGsやサステナビリティが注目を浴びていない時代。自分の手がけるビジネスが社会に対して良い影響を与えるためにはどうすれば良いのか、ということを考えた結果、最適な方法が会社を立ち上げる、ということでした。会社という形態にすることで、私たちのやりたいことができる、と思ったのです。設立当時は私の上司にあたる人が社長を担っていましたが、当初から「いずれは佐伯に任せようと思っている」と言ってもらっていて。いずれは、くらいの気持ちでいたのですが、まさかこんなに早い段階でその時がくるとは。はじめは、自分に務まるのか、という不安でいっぱいでした。Q.7 社長になった当初、一番大変だったことは何ですか?「imperfect」では「私たち生活者のみならず、世界や社会にとってもWell(良い)」という意味を込めた「ウェルフード&ドリンク」を提供していますが、創業当初の2019年は今ほどサステナビリティやSDGsが浸透していなかったため「本当にビジネスとして成り立つのか」という懐疑的な意見も多くありました。株主をはじめ事業に関わってくださる方々に対してこのビジネスの重要性や未来を信じていただけるよう説得するのが非常に大変でした。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?私たちがサポートしている農園の方々が喜んでくださることが一番うれしいです。皆さんはカカオやコーヒー豆などを栽培していらっしゃいますが、それがどのような商品に生まれ変わって販売されているのか、というのを知らない方は多い。そこで、実際に表参道の店舗に来ていただいたり、動画や写真を用いてお店や商品の様子を見ていただいたりしています。遠く離れた日本でこんなふうに自分たちが作ったものが消費者に届いていると知ることができて、すごく喜んでくださるんです。Q.9 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?ふたつあるのですが、ひとつはやはりお客様が私たちの商品をみて「おいしそう」「かわいい」と言ってくださる姿を見る時。純粋に、とてもうれしく思います。そして、もう一つは、従業員が楽しそうに働いている姿を見る時です。特に私たちの事業は、伝えたいコンセプトやメッセージが強く、かつはっきりしています。それを従業員の皆が同じレベルで共有できていることが事業の成功につながると考えているんです。■1日の終わりは“前向きな振り返り”で気持ちをリセットQ.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝はあまり強くないので、ゆっくりシャワーを浴びて身支度をして出社します。そこから23時ごろまで会社にいますね。すごく長いと思うのですが、実はそこまでしんどくないんですよ(笑)。あまりプライベートと仕事の境目を作らないタイプだからかもしれません。会社にいるからといってずっと根を詰めて働いているわけでもありませんし、逆に家にいるからといって仕事のことを忘れているわけでもありませんから。午前中から午後過ぎまでは社内外との打ち合わせが詰まっていて、チームメンバーからの相談を受けたり自分で考えごとをしたりする時間は夕方以降。帰宅後は寝る支度をしてベッドに入ります。香りものがとても好きなので、キャンドルを焚いてリラックスしながらゆっくり考えごとをしています。Q.11 自宅でのルーティーンはありますか?夜ベッドに入った後、一日を振り返る時間を作っています。例えばメンバーとの会話を振り返って「もう少しああいう伝え方をすればよかったな」とか「明日はこれを伝えよう」とか、頭の整理をするんです。やはり人間なので当然気持ちの浮き沈みもありますが、それを表に出すのは避けたい。できる限り自分自身が穏やかでいられるように、そうして振り返りをして気持ちを鎮めてから眠るようにしているんです。よく「逆に眠れなくなるのでは?」と聞かれますが、どちらかというと早く明日にならないかな、くらいの気持ちで眠りにつけるんですよ。振り返りをしていると、メンバーに伝えたいことがたくさん出てきます。「ああすれば良かった」という後悔や反省の気持ちよりも、「明日はあのメンバーに“ここが良かったよ”って伝えよう」などと思って寝るので、明日がくるのが楽しみになるんです。Q.12 お休みの日は何をされていますか?私、寝ることと食べることがすごく好きなんです。なので、休日はとにかくおいしいものを食べておいしいお酒を飲んで、ゆっくり眠る。これが一番幸せです。あとは、本を読むのもすごく好きです。小説もビジネス書も読みますが、一番好きなのは真山仁さんの経済小説『ハゲタカ』シリーズ。あとはキャンドル集めも好きで、家に20〜30個くらいはあるので、毎日その中から気分に合う香りを選んでキャンドルウォーマーで楽しんでいます。要するに、かなりのインドア派ですね(笑)。■ロールモデルは船の仕事をしていた祖母の存在Q.13 何歳まで仕事をしたいですか?考えたこともなかったですね……。というのも、私の祖母がずっと働いていたんです。時代的に自分で仕事をする女性はそう多くなかったはずですが、船の設計周辺に関わる仕事をしていてすごくアクティブな女性だったんです。そんな祖母の姿を見ていたからか、いくつになっても元気に働いていることが自然に想像できるんだと思います。将来の夢は “かわいいおばあちゃん”になること。もちろん顔がかわいいという意味ではなく、すごく穏やかで優しい雰囲気をまとっているおばあちゃんになりたいんです。それまでの人生に自分なりに自信を持ち、自立している人こそ、歳をとったときにそういう雰囲気を醸し出せるのだと思うから。Q.14 プライベートで悩みはありますか?全然無いです。もちろん仕事でもプライベートでも考えることはいっぱいあるのですが、“悩む”ことはありません。あれこれ悩むことは解決にはならないと思うんです。課題があったらその時に出せるベストな回答をすぐに出す。それで解決しなかったらまた考えて次の手を打つ、というように、ただ漠然と悩む時間は持たないようにしています。あとはやっぱり、おいしいものを食べてゆっくり寝て、忘れちゃうことも大事です(笑)。Q.15 今後の展望を教えてください。せっかく社会に関わって生きているのであれば、何かしら自分自身が社会に対してプラスになれることをしたいと思っています。今はそれが幸いにも事業を通じて叶えられているので、より一層成果をだして、生産者も含めた世の中を少しでも良くしていきたい。歳を重ねて、仮にそれが事業という形ではなくなったとしても、私という人間が関わることで少しでも社会を良くすることができれば、と思います。
2023年06月20日取材・文:ameri撮影:稲垣佑季編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でも、リーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて……そして仕事をしている普通の人。そんなリーダーの素顔を探るべく、今回はGCIヘルス日本代表の山田千登勢さんにインタビュー。現在は明るく快活な印象を受けた山田さんですが、幼少期は引っ込み思案だったのだとか。そんな引っ込み思案の少女が、世界唯一のヘルスケア業界に特化したPR会社・GCIヘルスの日本代表になるまでの軌跡を伺いました。山田千登勢さん2021年1月よりPR エージェンシー、GCI ヘルス・ジャパン日本代表。医薬品業界において23年間のマーケティングならびにコミュニケーションを経験。GCIヘルス入社前は、エデルマン、ウェーバーシャンドウィックのヘルスケアセクターの責任者を歴任。医薬品業界以外に、新卒から約10年間の国内外での旅行業ならびにホテル業の経験を始め、自動車メーカー、金融メーカー等における営業マーケティングの業務も経験。■転校を繰り返した幼少期から学生時代までQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?小学4年生くらいまでは本当におとなしい子でした。母親の影に隠れて全然喋らないし、写真に写ってもいつも下を向いている、そんな女の子だったんです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?両親と4つ上の姉がいて、京都で生まれました。姉が積極的な性格だったこともあり、それに押されて控えめな性格だったのかもしれません。おとなしいせいでいじめられて、毎日泣いていた幼少期でしたね。そして、父親が国家公務員で転勤族だったので、小さい頃から高校生まで、2〜3年周期でいろいろなところへ転勤を繰り返す生活をしていました。Q.3 おとなしめの性格だと、新しい環境に飛び込むのは大変だったのではないですか?そうなんです。転校が多かったことがきっかけで、人を見て「この子にくっついておけば無事だろうな」と見極める、ずるい子になってしまいました。ところが、転校の頻度が増えてきた小学5年生から急に元気いっぱいになって。よく喋る・よく笑う・友達もたくさん作れる子になったので、今度はそれが目立ってしまい、逆にいじめられ……。高校卒業までは本当にキツかったですね。Q.4 転校はどれくらいの頻度で?小学校で3回、中学校では2回、高校では3回転校を経験しました。高校時代は毎年違う高校に行っていたので、友だちを作る以前に、その環境に慣れてみんなと仲良くすることが自分にとって優先度が高くなっていましたね。でも、実際は仲良くする余裕もなかったですし、逆に仲良くなると今度はお別れがとても悲しくなってしまうから、自分の中でセーブして生活していたように思います。Q.5 学生時代にバイトはしていましたか?大学時代は、外国人観光客へ国内旅行ツアーを提供する旅行会社で、通訳ガイドの方のアシスタントをするアルバイトをしていました。というのも高校2年生の時に、アメリカから来た交換留学生の子が、うちで3カ月ホームステイしていたんです。若くて英語の吸収が早かったこともあり、3カ月間彼女とずっと一緒に過ごしたことで、大学入学時すでにかなり英語が話せるようになっていました。という背景もあり、英語を使えるアルバイトを探して、そこにたどり着きました。当時は今よりかなり円安の時代。アメリカやヨーロッパからたくさんの方が日本に旅行に来ていました。毎朝都内のホテルに迎えにいき、話をしながら目的地へ連れて行ったり、空港まで迎えに行き、今で言うコンシェルジュのようにホテルでチェックインをはじめ、滞在中の質問に答え手配までしたりと、そういう役割を担っていました。いろいろな国の方と話をすることで耳がどんどん慣れていきましたし、とても楽しく有意義な経験をさせてもらったと思っています。Q.6 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?私の時代は4年制の大学に進む女性が本当に少なかったんです。ですが、うちは両親が「4年生の大学に行け」と最初から言っていたんですね。そして、高校生の時にアメリカへ留学をしていた姉が「大学に入るのであれば、そして仕事をしたいのであれば、経済学部が法学部に入るべき」と言っていて……。私はその言葉を頑なに信じて経済学部の商学科に進学し、マーケティングや経営を学んでいました。Q.7 留学は経験されましたか?いえ、留学は経験していません。ですが、やはり私にとって高校時代の交換留学生との交流、そして大学時代のアルバイトを経験できたことが英語の面でとてもラッキーだったと思います。さらにラッキーだったのが、大学卒業後の最初の仕事がハワイだったこと。そこで英語力をより向上させることができました。■旅行業やホテル、さまざまな業界で経験重ね、医薬品業界へQ.8 これまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?卒業後すぐのハワイでの仕事は旅行業でした。大学生の時にアルバイトをしていた旅行会社から紹介され、「行く!」と即答。約4年間ハワイに滞在し、仕事をしていました。そして日本に戻ってからは、スイス航空が直経営しているホテルチェーンの日本法人で営業マーケティングを担当。ですが、湾岸戦争の影響でいろいろな業界がダメになってしまい、私の働くホテル業界もお手上げに。突然日本のオフィスをクローズすることが決まったんです。ただ、日本のお客様をスイスに送るツアーを多く企画していたので、「自分のお客様をスイスで受け止めて、改善点のレポートを作ってくれるならスイスに来ていいよ」と本社から言われ、スイスのチューリッヒで1年間働くことになりました。Q.9 日本に帰国してからは転職をされたんですか?帰国後は、スイスにいた経歴を買われ、パリに本社を持つ老舗高級ホテルチェーンにヘッドハントされて、営業マーケティングの担当として移りました。ただ、日本支社の人間関係が良くなく退職。それまではラッキーの連続でしたが、ここからはかなり苦労したんですよね。というのも、湾岸戦争でホテルの統合が進み、さらに当時最高峰のホテルチェーンで働いてしまったこともあり、ホテル業界では道が絶たれているなと。なので、30歳半ばから40歳くらいまでは業界を変えて転職をしていたのですが、なかなかそれまでのように打ち込める仕事にめぐり逢えず……。ただ、一貫して外資系であること、また営業マーケティングの職種を固持していました。そして、40歳になった時に、今も働いている医薬品業界の道に入りました。Q.10 医薬品業界でリーダー職を目指したきっかけを教えてください。医薬品業界は理系の人が主流の業界なので、この業界ではリーダーになれるとは考えていませんでした。私の担当は、コーポレート・マーケティングとコミュニケーション部門の責任者でした。製薬業界だけを経験してきた人たちが多い中で、違う業界でマーケティングと企画営業を経験し、いろいろな引き出しを持つ人間は珍しかった。その引き出しを開けて試したプランニングが妙にハマったんですよね。最初は反感もありましたが、成果を出していくうちに異色の経歴を持つ私を面白がってくれて。医薬品業界のイロハをドクターや研究開発の人が丁寧に教えてくださり、多くの知識を得ることができました。初めは馴染めなかったのですが、数年経ってからは人の命にかかわる貴重な仕事と思えるようになりました。また、医薬品業界はこのぐらいからイノベーションが常に起こり始め、それを知ることも大きなモチベーションに。働いていると、上手くいかない時は「どうして自分ばっかり上手くいかないんだろう」と思ったり、やりたくないことをやらされたりすることってありますよね。でも、その経験がいざという時の引き出しになるんです。無駄だと思うことも、嫌だと思うことも、真面目にきちんとこなしているといつか花開くことがあるのだなと、自分の経験から感じました。Q.11 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?GCIヘルスは、経営陣の99%が女性という特徴のあるPRエージェンシーなんです。アメリカのCEOもAPACのプレジデントも、私のような各国のカントリーマネージャーもほぼ女性。政治的な駆け引きが一切なく、お互いに助け合いの気持ちが強い環境がとてもやりやすく、心地よいです。これまでいろいろ経験してきましたが、これほど自分を受け入れ、リスペクトしてくれて、サポートしてくれる環境に出会えたのは初めて。本当にとても良い環境に来られたのだなと感じられたことが一番うれしかったです。■平日は休憩を取りつつ、朝から夜まで仕事Q.12 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝8時ごろから、グローバルから来たメールを見始め、12時くらいまでメールのチェックをしています。現在はほぼワークフロムホームの働き方をしているのですが、必ず12時から13時までに昼食を取るようにし、そこで少し仮眠を取ることもあります。そして、13時半、14時くらいから18時ごろまでミーティングをこなし、一旦終了。その後、グローバルのミーティングが20時だったり22時だったりにセットされていることがあるので、そこまで休憩してからミーティングに参加しています。平日の仕事をしている時間は長めですね。Q.13 毎日のお仕事で何をしている時間が一番長いですか?新規ビジネス開拓やPRコンサルに関するミーティング、ドキュメンテーションが長いです。ミーティングは、多い時は1日に5〜6回参加することもあります。そして、PRは書くことも多いですね。小学生の頃は作家を目指していたこともあるくらい書くことがかなり好きなので、そこは楽しんで仕事をしています。ナラティブやスピーキングポイント、プレスリリースなどのコンテンツ作成や企画書作成などの、集中して書く時間も仕事の中の大きな割合を占めています。■“推し活”でリフレッシュ。目標は「生涯現役」Q.14 お休みの日は何をされていますか?そもそも休みの日はありますか?はい。オンオフの切り替えはハッキリしている方だと思います。以前は、遊びに行きつつも携帯をチェックして仕事をして……ということをしていたのですが、最近はもうやらないことにしているんです。日曜日の10時〜14時に掃除に来てもらっているので、その間だけは仕事をして、それ以外は全部リフレッシュに充てています。リフレッシュは、エステや美容院、整体など自分メンテナンス。そして、“追っかけ”をやっているので、推しの彼が出るライブはもれなく、くまなく行っています!推しの彼は、天才でありながら努力家。同年代ですが、ずっとかっこいいし、なによりも進化し続けているんです。彼を見ていると私も進化していかないと、と思えますし、パワーをもらって「明日からも頑張ろう」という気持ちになれるので、ライブに行き続けています。そして、リーダーという立場として、私も会社のみんなにパワーをあげなければいけないなとも思っているんです。体の調子や気分が悪くても、多忙な日々が続いても、常に笑っていたいなと。「千登勢が笑っているから自分たちも笑おう、頑張ろう」となってくれたらいいなと思っているので、私は大体いつも元気と明るさの塊みたいに笑っています(笑)。Q.15 何歳まで仕事をしたいですか?人生100年時代で、まだまだ元気であれば働ける時代。ですから、生涯現役でいたいと思っています。そのためには、新しいものを生み出していく必要があるかなと。今はそれを模索中です。Q.16 将来の夢はありますか?書くことがとても好きなので、もしかすると作家のようなことに挑戦するかもしれないし、それこそ、自分の経歴の引き出しを開けて講演会をするかもしれません。まだ分からないけれど、チャレンジしていきたいなと思っています。また、2023年現在、日本でビジネスを初めて3年目となるGCIヘルスですが、よりビジネスを大きく展開していき、才能のある方にたくさん入ってもらうことを第一の目標として掲げています。目標を達成できたから引退ではなく、さらに次の目標を掲げ、新しいことに挑戦し続けていきたいですね。そんな人生を死ぬまで送っていけたらいいなと思っています。◇InformationGCIヘルス刻々と変化するヘルスケア環境のもと、常に新しい発想をもって挑み続ける世界唯一のヘルスケア業界に特化した統合型グローバル・コミュニケーション・エージェンシー。日本を含め、経営幹部の9割以上が女性。働く女性を応援しています。本社をニューヨークに置き、世界中に展開をしており、日本では2021年に設立し、今年で3年目。APACリージョンで、ベストヘルスケアPRコンサルタントエージェンシーを含む数多くの賞を受賞。
2023年06月16日昭和女子大学 (学長 金尾朗:東京都世田谷区)では、6月21日、学生によるキャリア支援団体「光葉キャリア塾」が企画・運営して、社会人メンターと学生とをつなぐメンターカフェ「自由な働き方って本当に可能?~理想と現実のギャップとは~」を4年ぶりに対面で開催します。社会人メンターは、昭和女子大学独自の制度で、卒業生に限らず社会で活躍する女性たち(現在約370人)が登録し、学生のメンターとなって自分の経験からキャリアや生き方のアドバイスをしています。メンターカフェは、社会人メンターがテーマに沿って自身の経験を学生に共有、懇談を通して様々な働き方の理解を深めるイベントです。※光葉キャリア塾は、学生有志による団体で、1~3年生16人が参加しています。学生が自分自身のキャリアを主体的に考えつつ、学生同士で互いにキャリア選びを支援し合おうと、2009年から活動しています。メンターカフェの運営の一部にも携わっており、学生を対象にアンケートを実施し、リモートワークやフリーランスといった多様な働き方について知りたいという要望を受けてテーマを決定しました。◆ 光葉キャリア塾主催メンターカフェ【 日 程 】6月21日(水)15:30-16:30【 テ ー マ 】自由な働き方って本当に可能?~理想と現実のギャップとは~【 参加メンター 】6名を予定2020年以降、新型コロナウイルスのためにオンラインで開催していましたが、光葉キャリア塾生が対面で運営するのは4年ぶりとなります。光葉キャリア塾リーダー山脇 麻由さん(管理栄養学科3年)「女性の様々な働き方や働きやすさについて興味を持っている学生が多かったので、このテーマを選びました。私の親は就業時間が決まっている働き方をしているため、自分が知らない働き方に触れてみたいと思っています。社会人メンターの方たちから、今回のテーマである『自由な働き方』について、良い面もそうでない面も含めてリアルな話を聴けるのではないかと期待しています。参加した学生が、フリーランスなどの様々な働き方について理解を深め、それぞれのワーク・ライフ・バランス、仕事と子育ての両立について考えるきっかけにしてほしいです。」※ 社会人メンター制度には、3つのプログラムがあります。「メンターカフェ」のほか、「メンターフェア」(複数のメンターが学生たちの相談に応じる)、「個別メンタリング」(メンターが学生と1対1で面談)があります。いずれも、学生が職業経験豊かな女性のロールモデルと直接対話できる貴重な機会となっています。本件に関する取材のお申し込み先昭和女子大学広報部 kouhou@swu.ac.jp 昭和女子大学ホームページ 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年06月15日Indeed Japan株式会社は、50代以降の方々のセカンドキャリア構築や仕事探しを支援するため、「シニア期に向けた『キャリア棚卸&発見シート』」(以下『キャリア棚卸&発見シート』)を、2022年12月に制作・公開。さらに利用者の声を受け、より使いやすいものにリニューアルし、誰でも使えるように特設サイト上で公開しました。また、50代以上の住民や従業員の、これからのキャリア支援を考えている自治体や企業・団体に向けて、必要部数を無料で提供します。「シニア期に向けた『キャリア棚卸&発見シート』」について昨今、仕事探しや就労にあたってはシニア特有の障壁が存在しています。Indeedでは、セカンドキャリアコンサルタントの髙橋伸典さんと共同で、『キャリア棚卸&発見シート』を開発し、2022年12月に公開しました。また、柏市生涯現役促進協議会が主催する『55歳からの柏セカンドキャリア塾』において、本シートを使ったワークショップを開催。55歳~69歳の参加者が活用しました。実際に『キャリア棚卸&発見シート』を活用した人からの意見等を元に、より使いやすく有用なものとなるようにリニューアルし、特設サイト上で無料公開しています。特設サイト上では、『キャリア棚卸&発見シート』の使い方説明のほか、50代以降の仕事探しや就労に役立つ情報も掲載されています。◆入手方法特設サイトにアクセスし、必要事項を入力すると、無料でダウンロードできます。特設サイト内容:・『キャリア棚卸&発見シート』の使い方説明・『キャリア棚卸&発見シート』の利用者の声・50代・60代からの仕事探しやキャリア構築に役立つ情報(Indeedキャリアガイドの記事紹介)◆『キャリア棚卸&発見シート』がおすすめの人・50代・60代に入り、定年退職後のキャリアについて改めて考えたいと思っている人・シニア期に入り、新しい仕事を探す上で、自分にはアピールできる強みがないと思っている人・これからの人生におけるセカンドキャリアを考えるにあたって、客観的に自分を見つめ直したいと思っている人2つの自治体から要望を受け、無料配布中『キャリア棚卸&発見シート』公開のリリースを配信後、複数の自治体から問い合わせがあり、下記にて無料配布中です。(※数に限りがありますので、各自治体にご確認ください)【新潟県柏崎市】配布場所:柏崎市シルバー人材センター内の「ジョブセレクトカフェ」配布開始:2023年5月8日~*電話番号:0257-24-2148【茨城県取手市】配布場所:とりで生涯現役ネット・総合相談窓口、事務所前チラシラック配布開始:2023年5月10日~*電話番号:0297-86-7088実際に『キャリア棚卸&発見シート』は、「キャリアの棚卸と自分発見をしたいから」というシニア世代の利用のほか、「父親が定年退職なのでセカンドキャリアを考えてほしい」と、両親のために若い世代が取り寄せているケースもあるようです。ご両親が引退して家で暇を持て余していたり、仕事を探しているけれどなかなか見つかっていなかったりという家庭では、大きな助けになりそうですね。ぜひダウンロードしてみては。【参考】※特設サイト
2023年05月22日世は副業時代なんて言うけれど、結局そんなの超優秀な人だけができることでしょ……と諦めていませんか?物価高も相まって、副業をして毎月少しでもいいからお小遣いを増やしたい、貯金を増やしたい……そう考える人の数は増えています。けれど、OLをしながらバイトもするなんて身も心も持たないし、ネットで出てくる「割のいい副業」はどれも特別なスキルが必須。本業だけだって心的にはいっぱいいっぱいなのに、新しいことを勉強する余裕なんてありません。けれど、実際に副業を経て独立した人の話を聞いてみると、みんな口をそろえて「そんな大したことじゃないよ」と言います。では実際、どうしてそう感じるのか、聞いてみることにしました。結婚して家庭の事情から退職し、地元で子育てしながらパートで働いていた竹原めぐみさん。彼女が動画クリエイターとして副業を始め、フリーランスとして独立できたきっかけは「気になるスキル」を学んでみたことでした。■趣味感覚の「子どもの動画編集」をスキル獲得のきっかけに――まず、竹原さんのご経歴を簡単に教えてください。大学では、水産関係の勉強をしていました。同期のほとんどは水産関係の食品メーカーや研究所などに就職していくので、私も地元を離れ、関東の食品メーカーで商品企画や開発の仕事をしていました。しかし、結婚、出産を経て、家庭の事情により地元に戻ることになり、自身は会社を辞めざるを得なくなりました。地元で前職のスキルが活きる仕事を探すのは難しく、研究補助員としてパートで働き始めました。しかし、時給は決して高くなく雇用も不安定。奨学金を返済しながら子育てもしていく現状に、不安を感じていました。――結婚や子育てを理由にキャリアを突き詰めることができなくなる女性の声は少なくないですが、竹原さんにもそういった悔しさはありましたか?商品開発の仕事は楽しかったですし、与えられた仕事を淡々とこなすだけの研究補助員の仕事にはあまりやりがいを感じられませんでした。やっぱり、もっと自分のプレゼンテーションなどのスキルを活かして働きたいという思いはありましたね……。コロナ禍で幼稚園の休園日が増えてしまい、いよいよ出社して働くことが難しくなってきた頃、真剣に自身の働き方について考え始めました。――実際、動画編集を勉強し始めたのはその頃ですか?そうです。学生時代はデザインツールを触ったこともありませんでしたが、メーカー時代はパワーポイントで資料を作るのが得意だったので、動画をまとめることならできるのではと考えました。きっかけはシンプルで、副業を紹介するブログに動画編集は稼げると書いてあったから(笑)。もともと子どものホームビデオ編集が趣味だったので、やってみたいという気持ちだけを原動力に、動画編集に耐えるハイスペックなPCを買って、アドビのクリエイティブソフトであるAdobe Creative Cloud(※)のコンプリート版をダウンロードし、実際に手を動かしながら、独学で勉強していきました。※Adobe Creative Cloudは、写真、デザイン、ビデオ、web、UXなどのための20以上の デスクトップアプリやモバイルアプリ、サービスを提供している。その中には画像編集ソフトのPhotoshop、デザインソフトのIllustrator、動画編集ソフトのPremiere Proなどが含まれている。――PCや動画編集ソフトという先行投資を先にすることに、不安はありませんでしたか?逆に、形から入った方ができる時もあると思います。その当時はワクワク感が勝っていたので、PC代の投資に不安はありませんでした。趣味のホームビデオ編集も苦に感じていませんでしたし、その成功体験があったのも大きかったかもしれません。実際にアドビの有料ソフトを使い始めると、スマホの無料ソフトでは到底できないような高度な編集ができるので、勉強も苦に感じず楽しめました。――もともと、資格やスキル習得のための勉強がお好きでしたか?社会人になってからは、勉強なんてしたことがありませんでした(笑)。正直、会社と子育てだけで手一杯と思っていましたが、アドビのツールの勉強は楽しかったですね。趣味の延長でしたし、チュートリアルも分かりやすいので、特別なテキストも必要ありませんでした。■コミュニティでの繋がりが情報収集のきっかけに――趣味の延長から、どうやって仕事を獲得していったのですか?最初はクラウドソーシングの「ランサーズ」に登録して仕事を探したのですが、最初の仕事の手取りは27円でした(笑)。クラウドソーシングにはランク制度があって、ランクの高い人に仕事が集中しやすいシステムになっているんです。せっかくPCに先行投資したのに仕事が取れない時期もあって、心が折れそうになったこともありました。そんな時、ランサーズで『新しい働き方LAB』というコミュニティが立ち上がったんです。自分の働き方を変えたい人がSlackでつながって、スキルアップを報告し合うコミュニティだったのですが、そこでの経験が仕事獲得の大きな一歩になりました。――コミュニティでの活動を詳しく教えてください。まず、それぞれがスキルアップのための計画書を作り、計画に合わせて新しいクリエイティブ課題にチャレンジしていきました。『新しい働き方LAB』にはアドビも協賛していて、参加者にAdobe Creative Cloudコンプリート版も提供いただきましたので、それまでは実際に触ったことがなかったソフトを勉強するきっかけにもなりました。それまで一人黙々と作業しているだけだった私ですが、コミュニティの仲間たちと情報共有もできるようになりました。副業歴の長い人も多く、クラウドソーシングでの上手な仕事の取り方や、お互いに得意なスキルを活かした仕事を紹介しあったりもできるようになりました。――たしかに、一人で仕事を探すよりも受注効率が上がりそうですね。実際、クラウドソーシングでは実績も重要視されるので、仲間から紹介してもらう仕事もあえてランサーズを通して発注してもらうことで、紹介できる事例を増やしていきました。7件ほどこなしてからは、ランサーズ上でも他企業から声をかけていただけるようになり、副業としても安定し始めました。――現在も、クラウドソーシングを通して仕事を受けることが多いですか?今は知り合いのツテで仕事をもらえることも増えてきています。コミュニティで知り合ったフリーランス歴の長い方から教わった、自分のこれまでの経歴の活かし方や新しい稼ぎ方なども実践しています。実際、副業が軌道に乗ったタイミングで第二子を妊娠したので、クライアントからの仕事が受けづらい時期もありました。その時には、コミュニティの繋がりで知った『Udemy』というオンライン講座のeラーニング配信を始めました。審査に通れば誰でも講座動画をアップロードできますし、ストックビジネスなので興味を持ってくれる人がいる限りはお金が入ってきます。――そう考えると、働き方っていろいろありますね。そうなんです。クラウドソーシングの話をすると「大変そう」「時給が安そう」と言われることもありますし、もちろんそういった仕事を受けている人もいると思います。副業は自身で情報を集めていかないと効率を上げることは難しいですが、私の『Udemy』講座では、初心者向けのクラウドソーシング受注で、陥りがちな悩みに寄り添った内容の動画もアップしています。私自身、コミュニティに参加していなければストックビジネスについて知ることもなかったかもしれません。しかしコミュニティ内では、自身では集めきれなかった情報も、誰かが共有してくれます。クライアントがいなくてもお金を稼ぐことはできることもしれましたし、副業を始めたことで、自身の仕事の選び方を考えるきっかけもできました。■モヤモヤしていた時の自分より、今の自分が好き――実際、副業や独立は誰でもチャレンジできることだと思いますか?大変じゃない、というと語弊があるかもしれないのですが……私の場合は興味のあることから始めたので、副業のハードルを高いとは感じませんでした。せっかくなんでも始められるなら、一番やってみたかったことからやってみると、大変さを感じづらいと思います。ちなみに私の場合、子育てとの並行しやすさを考えて独立という選択肢を取りましたが、副業が軌道に乗れば独立は比較的しやすいと思います。――初心者が副業を始める時のコツがあれば教えてください。副業をする人の数は増えていますし、より安い時給で働く人もいることを考えると、生き残り戦略を考えていくことは大切だと思います。だからこそ、自分のこれまでの職歴やそこでのスキルに加えて、いくつかの新しいスキルをかけ合わせていくことも大切です。私の場合はAdobe Creative Cloudでいくつかの編集クリエイティブツールを使いこなせるようになったことも、仕事の取り方が広がるきっかけになったと思います。――最後に、これから副業を考えている女性にメッセージをお願いします。私が研究補助員として働いていた時は、仕事や自分の生活に違和感がありました。自分が納得さえしていれば、パートでの暮らしを幸せと思えたかもしれないけど、毎日「なんか違うなあ」と思い続けるのがしんどくて、そんな生活を変えたいという思いだけが原動力でした。今は家で学べる方法が多いからこそ、子育てをしてパートで働きながらでも副業をし始めることができましたし、パートだった頃と比べて自分を肯定できるようになって自信もつきました。皆さんそれぞれの環境があると思いますが、環境に合わせた働き方もたくさんあります。やり始めてしまえば、自然と回る歯車もありますよ!(取材・文:ミクニシオリ、編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部)
2023年05月22日「教育で人の可能性を豊かに」の理念をもとに20代・30代向けのキャリア形成支援事業を行っている株式会社パーソナルナビ(所在地:東京都中央区、代表取締役:漆沢 祐樹)は、2023年度の授業カリキュラムを新たにリニューアルしました。ディスカッションなどを含め、より“実践的な”内容が盛り込まれることとなりました。メイン講師の講座風景岸田内閣総理大臣は、2022年10月の第二百十回国会の所信表明演説において、リスキリングの支援策の整備を2023年6月までに取りまとめることや、働きながら新たにスキルを身につけてキャリアアップをする【リスキリング(Re-skilling)】に対する公的支援として5年間で1兆円を投入することを表明しました。また、2022年10月28日に閣議決定した「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」では、「官民連携でのリスキリングと成長分野への投資推進」「キャリアアップのための転職支援として、リスキリングから転職までを一気通貫で支援する制度の新設」「労働者のリスキリングを支援する企業への助成率引き上げ」などの方針が示されるなど、リスキリングへの注目は急速に高まっています。【ベーシックコース】ベーシックコースの6原則で身に付けられるスキルは、「自己理解と自信」「明確な目標と信念」「営業力と経理力」「人間力と影響力」「モチベーションとテンション」「リーダーシップカとマネジメントカ」というキャリアアップの基礎に必須であるとされる6つのスキルで、あなたの人生のキャリアアップへの道を最短最速で実現させることができます。また6原則講義の後半は、マインドセット表を作成することで、自分の目標のためになぜそれらのスキルを身に付けなければならないのかを再確認することができ、成長を更に加速させます。同時に共に成長を目指す仲間との、交流の場もご提供いたします。【アドバンスコース】アドバンスコースでの88キャリアアップ研修プログラムは、学んだ知識をより“具体的に”自分の行動や習慣に落とし込むことができます。また優秀な人材に備わっている、“ロジカルシンキング(論理的思考)”と“クリティカルシンキング(批判的思考)”の両方を体系的に身につけることができ、格段に成長した自分の変化を体感することができます。上場企業MBA分析では大手企業を自分の視点や意見からも分析できるようになることで、これからの転職活動や更なるキャリアアップに活かすことができ、どんな時代でも社会で活躍する有用な人材を目指すことができます。さらには、近年話題となっているAI Chatを活用したTech事業の開発によってEd-Tech事業にも取り組み、DXを通した近代的で有用なデジタル人材の育成を図ります。【ニュース掲載URL一覧】ニコニコ : エキサイト : 楽天インフォシーク: ニフティ : グノシー : auニュースパス : 【参考元】~リカレント教育について~文部科学省:「リカレント教育 参考資料」 厚生労働省:「職場における学び・学び直し促進ガイドライン」 内閣府:「年次経済財政報告」 【企業概要】運営会社: 株式会社パーソナルナビ(Personal Navi Co., Ltd)HP : 代表者 : 代表取締役 漆沢 祐樹所在地 : 〒104-0061東京都中央区銀座2-11-8 ラウンドクロス銀座2丁目 12階事業内容: キャリアパスメディア事業、キャリアスクール事業、キャリア講師育成事業、キャリア派遣転職事業、Ed Tech開発事業(対話型AIチャット活用) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年05月18日