お笑いトリオ・ぱーてぃーちゃんの金子きょんちぃが3月31日、自身のX(旧ツイッター)を更新。2024年度のリーダー決めを行ったことを発表した。きょんちぃは「3年目の最終日に3人で飲んで3人が共通で好きなSixTONESと同じシステムでリーダー決めさせてもらいました」と発表。「4年目の2024年度リーダーは信子に決まりました」と伝えると「危険な香りがします」と心境を明かした。動画では、新リーダーとなった信子へ、すがちゃん最高No1が「ちゃんとやれよ」と一言。信子は「当たり前じゃん!」と言いながらも、直後に「何するの?」と返して笑わせた。リーダーになったことで笑いが止まらない信子は「つま先なめろよ!」とすがちゃんに“パワハラ”をして、きょんちぃを爆笑させていた。
2024年03月31日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部働く女性たちは、自分の意思で社内キャリアを築いていくことの難しさを感じることは多いもの。結婚や出産といったライフイベントもあり、描いたとおりにキャリアを築ける人はなかなかいないのかもしれません。「年齢や性別、それまでのキャリアに関係なく、挑戦したい時や挑戦できる時に行動してみると、何かが変わる可能性があるよ。私は“挑戦が身を助く(たすく)”って思っています」そう話してくれたのは、新卒でNTTに入社し、30年かけてグループ会社の役員にまで上り詰めた、新宅亮子さん。彼女にとっても、自分のキャリアは思い描いた通りのものではなかったといいます。30代でシングルマザーとなった新宅さんは「若い頃は逆に、自分のキャリアを棚上げにして他に優先すべきことに全集中!ということも多かった」と話してくれました。そんな彼女のキャリアが花開いたのは、なんとアラフィフを迎えてからのこと。彼女のキャリアや人生の話を聞いてみると、何かに挑戦するのに、遅いなんてことはないのだと思わせられます。また、地方の営業・企画職を長く務めてきた新宅さんのキャリアを大きく変えるきっかけになったのは、とある「飛び道具的」な努力のおかげなのだとか。新宅 亮子さん1992年NTT入社。仕事と育児を両立しながら地域に閉じたキャリアとして20年以上営業畑をわたり歩き、その後人事労働部門の育成業務に従事。40代後半に差しかかる頃、個人で社外のビジネスコンテストや起業家養成プログラムに挑戦し、そこで得た知見や人脈を社内に持ち込むかたちで活用。イントレプレナーとして活躍する中、介護も経験した後、2022年に飛び級扱いでNTT西日本のグループ会社役員にハードアサイン。その後、2023年7月に新設された「イノベーション開発部」の組織長に任命され、インキュベーション段階にある新サービスの早期立ち上げや新規事業開発に邁進中。■40代後半を迎えて「社外活動」をフックに事業開発組織へとキャリアチェンジQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?好奇心旺盛だった一方で、食が細く体格も小さかったので、母をよく心配させていました。幼少からなんとなく、自分は他の子とちょっと違うかもしれないと思っていました。他の子が興味を持つことに自分は興味を持てなかったり、ちょっと空気が読めなかったり。もちろん悪気はなかったのですが、先生からしても扱いづらさがあったのではないかと、今になって思います。ただ、母がとても優しい人で、何かあった時は「亮子ちゃんは大丈夫」と強く抱きしめてくれました。そのおかげで背負いすぎることなく、のびのび成長できたと思います。Q.2 学生時代に注力したことはなんですか。バイトやサークル活動など、みんなと同じようなことを特に深く考えることなく、楽しんでいたと思います。特に思い入れがあるのは、FM局でのバイトですね。番組コンテンツの企画制作や選曲、パーソナリティまでやらせてもらっていて、エンタメ業界にも興味を持っていました。就職活動も、当時はバブルだったこともあって「女の子はキャラ採用」なんて言われていたので、あまり苦労した覚えはありません。その分、入社してからは色々と苦労しました……(笑)。Q.3 これまでのキャリアを教えて下さい。1992年にNTTに入社し、現在32年目です。長らく、名古屋で営業・企画職として現場仕事を続けてきました。20代で結婚、出産し、30代には離婚も経験しています。シングルマザーとして子育てしてきたので、40代半ばまで拠点を変えないことがキャリアの最優先事項だったのですが、「もっと色々な仕事に挑戦してみたい」という思いもずっと持っていました。私は50代を迎えてから、介護も経験した頃に「NTT University」という多様な経営人材のキャリア形成を支援する社内制度を知り、ちょうど一般公募での募集があったので思い切って受験したところ、合格することができました。「NTT University」では、経営等の研修プログラムの受講に加えて、未経験業務分野でのポスト配置によって実践の業務経験を積むカリキュラムが導入されていました。そのため、「NTT University」への入学を契機に、その年の夏には地域の現場課長から飛び級でNTTメディアサプライの役員にハードアサインされ、現在は新設されたイノベーション開発部の部長を務めています。Q.4 リーダー職に就いた時の心境を教えてください。新卒時代から「新規事業をやってみたい」「海外で活躍したい」という思いで働いてきましたが、20代後半、30代では、プライベートでのライフイベントが忙しく、目の前の仕事と日常に追われて精一杯の時期が続きました。40代を迎えてから「私の人生ってこれでいいんだっけ」と立ち返り、自費でビジネススクールに通ってMBAを取得したりビジネスコンテストに応募したりと積極的に活動してきました。私から言えるのは、40代、50代でも新しいことを学んだり、挑戦したりするのは遅くないということ。ただ、いきなり高いポジションに就くと今までとは当然見える景色が変わりますから、もちろんプレッシャーは大きかったです。■新しいことを学び、新しい人と出会い……夢だった海外出張にもQ.5 新しい挑戦のために、どんな努力をしましたか。自分の実力試し、運試しも兼ねて社外での実績づくりに力を入れました。40代半ばで通ったビジネススクールでの学びは大きかったですね。そこでの成績が想像以上に良く、志を同じくする仲間にも恵まれ、自分の強みを知ったことをきっかけに様々なビジネスコンテストに応募し、社外実績を持ち込むかたちでNTTグループ内のジョブポスティング制度に応募して夢に見た本社組織への転身をかなえました。大企業務めだったり、地方で働いていたりする方だと、今の会社で新しい挑戦なんてできない、と感じるかもしれません。私もそうでしたが、ハングリー精神と好奇心だけでここまでやってきました。Q.6 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?新規事業や国際的な仕事にはずっと興味があったので、今扱っている商材には非常にやりがいを感じています。例えば、eSIMサービスでは、お持ちのスマートフォンがeSIM対応端末であれば、Webでのお申し込みのみで、物理的なSIMの抜き差しをすることなく海外でもスマートフォンを使っていただけます。コンシューマ向けサービスの取り扱いは当社で初めてのことなので苦労も多いですが、時代の変わり目を作るサービスに携われていることが嬉しいです。Q.7 リーダー職に就いてから、大変だったことはありますか?挑戦するタイミングが遅かった分、周囲で活躍するエリートとの格の違いに悩むこともあります。経営という新しい領域へのチャレンジをしながら、新規事業の数字を伸ばしていかなくてはいけないというプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありましたが、人の倍は努力しないとできないことも多いので、とにかくがむしゃらにやるしかありません。とはいえ、完璧をめざすのではなく、不完全なままの私であっても、できるだけ自然体の私で通用する世界をつくりたいと思っています。理想は、個の強みのかけ合わせで共助・協働・共創が育まれ、価値創造に向けた強いチームビルディングが成されること。私は能力に偏りのある人材なので、標準的なリーダーができる当たり前のことができず、その分苦労も多いのですが、誰しも社会のどこかには、自分が活躍できる領域があるはずです。今は自分の活動を通して、キャリアに悩む女性にそのことを伝えていくことをモチベーションに、努力を続けています。Q.8リーダー職に就いてから、嬉しかったことはありますか?去年、海外でのモバイル展示会に視察と個別商談を兼ねて参加させていただきました。念願かなって初めて海外出張に行くことができた時は感慨深かったですね。通訳もなしにトライしなくてはいけなかったので、英語で起業したビジネススクールの友人に個別でビジネス英会話のレッスンをつけてもらってから行きましたが、それでも現地での交流は緊張の連続でした。ただ、「NTT University」で知り合ったNTTグループのグローバル人材の方を通じて得たご縁にも恵まれ、現地で彼女と再会した際にはそこからさらに新たな出会いもいただき、想像以上のグローバル人材との人脈開拓につながりました。初めての海外出張で、個別商談を成功できたことも嬉しかったですが、人とのつながりの大切さを噛み締めた瞬間でもありました。Q.9 仕事終わりやお休みの日は何をされていますか?介護もやり切り、子どもも手が離れているので、ここ数年は今まで以上に、自分のために時間を使えるようになりました。社内では会議をしている時間が長いですが、現在も退勤後は社外活動に力を入れています。ビジネススクールで出会った仲間たちと情報交換をしたり、新しい知識を身につけたり……最近では「中部女性リーダーズサロン」という中部圏を中心に多様性と変革を育むコミュニティにも所属しており、ずっと興味のあったダイバーシティ推進活動にも力を入れています。■異色のキャリアも「当たり前」になる世の中を願ってQ.10 プライベートや仕事での悩みはありますか?今は、仕事で新しい挑戦をさせていただいていることに全力で応えたいという思いが強く、人生も後半に差しかかっているというのに、プライベートな悩みはほとんどありません(笑)。ただ仕事では、様々な社外活動に参加したり、新しい知識を身につけたりしているにも関わらず、なかなか仕事の成果につなげられていないことが苦しいです。ただ、思い悩んでばかりなのもよくないので、睡眠と食事には気をつけて生活しています。身体と心のどちらかが疲れている時は、一方だけでも気をつけてケアするのが大切だと思っています。Q.11 ストレス発散の方法を教えてください。土日も社外活動に勤しむことも多いですが、美味しいごはんも好きなので、地元のママ友たちとおしゃべりしてストレス発散することも。時に、仕事と直接関係のない人と話をすることが、私にとって心安らぐ瞬間になります。離婚やシングルでの子育て、介護など、人生の中で大変なことはこれまでも何度もありましたが、そういった時に人生の先輩や、ポジティブな友人に話を聞いてもらうことで、心が軽くなったことが多かったように思います。今でも心に残っているのは、やりたいことが思うようにできなかった30代の頃、40代の先輩に「女の人生は40からよ」と言われたこと。数年後、その先輩にはさらに「50になると女はもっと自由になる」とも言われました(笑)。確かに、色々なライフイベントがいったん落ち着いたタイミングだったからこそ、今こうして自分の仕事のためだけに生きることができています。苦しい時はいつも、背中を押してくれる誰かの一言に助けられてきたような気がします。Q.12 働く女性たちに一言、メッセージをお願いします。自分としては、飛び級での就任は到底かなわないミラクルのように思えましたが、思い切って踏み出してみたら、新しい世界が開けました。こういったキャリアが、これからは世の中でもっと当たり前のことになっていくと思います。私は決して完璧な人間ではなく、標準的なリーダーと比べて圧倒的に足りていない部分があります。けれど、そんな私を必要としてくれる部署があった。完璧ではなくても、助けて応援してくれる人がいて、活躍できる場所はあります。会社にいるからこそ、足りない部分は人を頼ることもできます。私は、足りない部分も多いけれど足りている部分を強みにした“ありのままの自分”で通用する領域、世界があると証明し、日本のダイバーシティの懐を広げていきたいです。
2024年03月22日男性がガッカリする「女性の素顔」って?男性にとって、女性の本当の姿を見極めるのは難しいかもしれません。幻想的な理想を抱いている男性もいますが、ときに現実とのギャップに驚いたり失望したりすることもあります。では、女性のどんな行動で男性は引いてしまうのでしょうか?実際に男性たちの声を集めてみました。他人の不幸を楽しむ「彼女が友達の失恋を笑顔で話す姿を見て、怖かったです」(25歳男性)他人の不幸を楽しむことは避けたほうがいいでしょう。しかし、このようなゴシップに興味を持つ女性もいるかもしれません。人の不幸を楽しんでいる女性を見ると、男性はショックを受けることも…。彼女の人間性に対して違和感を覚える可能性もあります。だらしなさ「デート中、彼女の財布を見て驚きました。乱雑に詰まったレシートやごちゃごちゃに入れられたカードにガックリきました」(29歳男性)だらしなさが度を越えると、男性を引かせることになる可能性があります。身だしなみに気を遣う一方で、身だしなみ以外の部分がだらしないと、ギャップが際立つことになるかもしれません。損得勘定する「上司やイケメン社員にだけいい顔をする女性社員の態度にイラつきます」(30歳男性)素敵な男性や上司の前では愛想を振りまき、それ以外の男性には冷たい態度をとる女性もいるかもしれません。このような本音に男性はがっかりするでしょう。態度を使い分ける女性には、魅力を感じない男性もいるようです。誰にでも対等に接することができる女性は、いいパートナーシップを築くことができるかもしれません。自分の振る舞いを振り返る本当の姿は誰にでもあります。彼氏の心を失わないためにも「自分の振る舞いを振り返り、修正することができるかな?」と考えてみてください。(愛カツ編集部)
2024年03月06日株式会社中央経営研究所(代表取締役社長:氏家 秀太)は、当社代表である氏家 秀太の新刊「新 最高のリーダーは自ら動く 氏家秀太のリーダーの学校 9時間!」(セントラル出版)を2024年3月20日(水)に発売いたします。表紙「新 最高のリーダーは自ら動く 氏家秀太のリーダーの学校 9時間!」 990円(税込)小書は『私が経営コンサルタントとして30年以上の間の中で培われた一つの結論』と称しまして、日本人ビジネスマンの普遍のリーダーのあるべき姿とVUCA時代に求められる新たなリーダー像を明らかにいたしました。「VUCA時代」を生き抜く知恵とバイタリティーを身につけることにいささかなりともお役に立てるならば、この上ない幸せとするところであります。氏家 秀太【本の内容】*1部抜粋『新 最高のリーダーは自ら動く』<第1時限 真のリーダー像とは>リーダーの原点を考えよう身辺清浄であれこれが真のリーダー顧客の欲求するものは何かを常に原点に「志」は真のリーダーへのベクトルである!「使命」は人生の途中で知る!イノベーターたれ<第2時限 こんなリーダーにはなるな>経営を忘れたリーダー“自主・自由な風土つくり”の落とし穴二倍の目標を掲げる部下がいるか“目標”は“達成すべきもの”と勘違いしていないか?何がやる気を絶つか<第3時限 真のリーダーにふさわしい人格者であれ>リーダーは全責任を負うリーダーの役割日本の会社組織会社は共同体でもあるリーダーにふさわしい人格<第4時限 全員の努力を統合せよ(統合理念)>各部門の目標を統合する統合理念を育てるリーダーの役割 社長を助ける側近の役割直言の士を直言・報告の七原則経営幹部であるリーダーに必要な条件ポリシーがあるか大局をみて判断する胆識を修得せよ悪い面をかくすな統合体制を支える二本の柱<第5時限 行動力が死活を制す(行動理念)>行動理念をもて行動力ある組織規律と礼儀を重んじる組織の強化を徹底する例外を許すななぜ“猛声”訓練をするのか“秀才”が多い企業は衰退する<第6時限 当たり前のことを確実に実践する>報告・連絡のミスをなくせある繁盛コーヒー店の秘密当たり前の制度も実行されてこそ意味があるあたり前のことを徹底できるか、そして積み重ねていけるかである浅川組の//実践七原則//何でも自分でやろう<第7時限 高い問題意識を持ち、燃え上がれ>幹部は高い問題意識をもて市場をとらえなおす問題意識潰し合い時代を生き残る問題意識とは常に進歩を求める優良会社と“ボロ”会社のリーダーはどう違う対決しないリーダーは成長しないへタな鉄砲打ちになるなテーマに対する取組み方革新的問題はおおいに起せ“問題”を育てる職場風土問題をうまくとらえる本質的問題をとらえよ直感で本質がわかる直感力から生まれたヒット商品など【書籍概要】書名 :新 最高のリーダーは自ら動く 氏家秀太のリーダーの学校 9時間著者 :氏家 秀太出版 :セントラル社発売日:2024年3月20日定価 :990円(本体900円+税)研修風景1研修風景2氏家 秀太の研修の受講生、訓練生は、裕に100,000人を超える!自ら意図して“変わる”仕組みに合わせて“革新的に変わる”数多くの一流ビジネスマンを生み出してきたこの貴重な自分改革ノウハウ。現代のキラーコンテンツを備えて、この本は、あなたを、部門を、会社を、劇的に“変える”方法を公開する。身に着け、実践力を養え!氏家 秀太■著者 氏家 秀太(うじけ しゅうた)プロフィール経営の現場に身を投じ、経営体質革新・不況時の企業再生など、各企業の難局を突破させてきた実績は特出している。伝統のD2P幹部訓練は、困難な現場の問題解決・幹部育成の実際的手法として、氏家自らが独自開発し、発展させている。すでに10万名を超えるプロ幹部を育てている。また、行動心理学者・ビジネスコンサルタント、キャスター、作家として活躍中。話題や人気の事業のプロデュース・サービス業等のコンサルティングを中心に、手掛けた案件は2,000件以上。また、500を超える赤字事業を黒字に立て直す。特に難しいとされている若年層、女性のマーケティングに定評があり、つくる商品は必ずヒットするという伝説もある。各地域でWebグルメサイトNo.1検索数を誇るチェーン店など数多くの人気店を一気に全国展開するなど、何もかもが規格外のサービス業界の革命児である。そして、日本を代表する著名人とNPO法人フードビジネスマネージャー協会を設立し、業界の人材育成に尽力する。また、メディア界でもその能力を発揮し、手がけるTV、ラジオ番組は人気を博した。また、メジャーWEBサイトでも人気の連載を持つなど、情報発信力には抜群の実績を残している。コンサルタントとしてのスタンスは、生産性を高めることに執念を燃やし、M&A/IPO/CRM、業務改善、戦略人事、DX、企業戦略イノベーション、資金調達などVUCA時代に対応する経営手法を開発導入している。1,000人を超える成功者と人生を共にして生み出した成功哲学や手法はマスコミでも話題に!感動人間を育て上げる教育手法で育った人財は今でも一線で活躍している。連載、MOOK、単行本など著書多数。大学講義、講演やセミナーは年間100回以上にも及ぶ。10万人が受講したD2P訓練講師を務める。中小企業診断士・行政書士・1級販売士・宅地建物主任者・調理師…他多数 大手企業とのアライアンス、行政機関とのパイプは多い。【氏家秀太の書籍】*1部●黒字請負人氏家秀太の「あなたの店を繁盛店に変える」超虎の巻―黒字化達成率100%[単行本] 出版社:瀬谷出版●客をつかむ!飲食店の現代流接客サービス―マニュアルサービスから「ストーリーサービス」の時代へ[単行本] 出版社:旭屋出版●貧乏店から脱出する48の絶対法則[単行本] 出版社:中経出版●信じられないほどお店が儲かる―90日完結プログラム[単行本] 出版社:しののめ出版●搶救貧窮大作戦の48條絶對法則[単行本] 出版社 中経出版●どんな飲食店も繁盛できる実践成功ノート 出版社:旭屋出版●幸運を呼ぶ成功体質10のポイント[単行本] 出版社:しののめ出版●飲食店の繁盛法がわかる問題集―経営者・店長・リーダーのための新テキスト[単行本] 出版社:旭屋出版●なぜレストランのメニューで3行目を選んでしまうのか?[単行本] 出版社:株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン●儲かっているラーメン屋は朝8時に掃除する! 出版社:宝島社新書●1680円のカプチーノが売れる奇跡の理由[単行本] 出版社:同友館●起業Bee!新しいLIFESTYLEの見つけ方[単行本] 出版社:同友館●なぜかいつも満席の居酒屋のおやじがやっている「つかみ方」[単行本] 出版社:扶桑社●パスタは黒いお皿で出しなさい。1%の人だけが知っている飲食の行動心理学[単行本] 出版社:日本実業出版社●10人中9人に嫌われると成功する究極のリピーター獲得術[単行本] 出版社:ぱる出版●「余命3ヶ月のフランス料理店」を再生させた26の経営レシピ[単行本] 出版社:日本実業出版社など≪出版に関するお問い合わせ≫まずお電話またはFAX、Mailでご相談ください。株式会社中央経営研究所 セントラル出版神奈川県綾瀬市綾西3-5-15(神奈川OFFICE)TEL : 0467-77-1803(代表)FAX : 0467-77-1802Mail: ujike.shuta@chu-kei.jp URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年02月17日大事なのは癒しばかりじゃない?モテる【リーダータイプ】の女性の特徴女性のリーダーシップさを好む男性が意外といることを知っていますか?今回は、男性が好むしっかりした女性の特徴を明らかにします。[nextpage title="_7_0jYs`'0no\W(R"]明るく、自立した精神を持つしっかりリードしてくれる女性は、明るく、自信を持って行動する傾向があります。見る人たちはその姿に惹かれるのかもしれません。「彼女と一緒にいれば何でもできる」と感じる男性もいるよう。ですが、うるさく、他人の空気が読めない女性はNGです。素直で自分の意見を述べるしっかりした女性との恋愛のメリットとして、彼女の真意が理解しやすいというのがあります。「何が食べたい?」と尋ねられたとき「何でもいいよ」と言わず自分の意見を述べるのはいかがでしょう?「ここに行こう!」と一緒に決めてくれる女性は、いい意味で対等に感じることができます。自分の思っていることを率直に伝えることも大切です。[nextpage title="0U00j0ry_0h0o"]他の人とは違う個性を持つリードできる女性の特徴の一つに「他の人とは違う」という点があげられます。重要なことは、周りに合わせるのではなく自分らしさを表現できることです。そういった「他の人とは違う」という一面に魅力を感じる男性も存在します。飾り立てる必要はなく、自分らしさを表現することこそが魅力的です。他者への配慮が忘れられないリードするしっかりさは理想的な特徴ですが、相手が結果的に引いてしまう可能性もあります。大切なことは、リードしつつも相手の気持ちも考えることです。適切な距離感を保ち、考慮することが大切でしょう。(愛カツ編集部)
2024年01月04日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部リーダー職に就くためには、若いうちから計算してキャリアを構築する必要がある……そう思っている方も多いかもしれません。だけど、若いうちからやりたいことが決まっていた人って、身の回りにもそう多くはないものですよね。株式会社アデランスのe-ビジネス室でマネージャーとして働く飯野貴子さんも、自身の学生時代をこう語ります。「やりたいことなんてなかった、というか、なーんにも考えてませんでしたよ(笑)」。そう笑って話してくれた彼女ですが、現在はチームのリーダーとして部下たちを牽引する存在。飯野さんのキャリアは派遣社員からのスタートで「当初は興味がある仕事を選べる立場ではなかったんですよ」と話してくれました。艷やかな髪が印象的な飯野さんの話しぶりは、まさに明朗快活。部下や同僚からも「気持ちのいい人」として慕われています。そんな彼女の社会人生活について話を聞いてみると、与えられた環境の中でスキルを身につけ、成長し続けられる人の「社会人としてのコツ」も見えてきました。飯野 貴子さん派遣社員から社会人生活をスタートしたのち、コンサルティング会社に正社員として勤務。その後、アパレル会社のMDとして百貨店ブランド・TV通販ブランド・EC専用アパレルブランドの立ち上げEC販売に12年携わる。2019年9月、アデランスに中途入社。アデランス公式通販サイトの運営、管理をするマネージャーとして活躍中。毛髪診断士。■派遣社員からスタートした社会人生活。思い描いていたキャリアは蹴り出せなかったQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼少期のことは自分ではあまり覚えていないのですが、好奇心旺盛な子どもだったようで母は私が保育園に上がるまでとても手がかかったそうです。好奇心旺盛がゆえに知りたい欲に捉われ、本の世界に没入しました。1人で本を読む時間がかなり好きだったようで、図書館の端から端まで読み込むことを楽しんでいた変わった子どもでした。塾にも通っていましたがあまり勉強は好きではなく、読書のしすぎで夜更かしし、親に怒られるほどの本の虫でした。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?学校に行きはじめてからは、役職を任されることが多かったです。自分から手を挙げることはないのですが、気づいた時には結果的にリーダー役をやっていましたね。Q.3 進学先はどのように選びましたか?大学の付属高校に通っていたため、進学先に悩むことはありませんでした。高校生の頃の自分は何も考えていない子どもだったので、将来のことを考えての行動はできていなかったですね。その結果、大学では学部編入をしました。国際情勢に興味があったのですが、英文学科に進学してしまい、自分が思ったような内容を学べなかったんです。田舎だったし、あの頃は今より気軽に情報もありませんでしたが、それにしてもなぜ誰も教えてくれなかったのか、と他責的に捉えていました。Q.4 留学は経験しましたか?大学時代に短期留学はさせてもらいました。国際情勢を学ぶ中でジェンダーに興味を持ち、韓国の大学院への進学が決まっていたのですが、日韓情勢が悪くなり、泣く泣く渡韓を諦めました。卒業する年の3月に進学を諦めたので時間的に就職活動もできず、就職氷河期であったこともあり、社会人人生は派遣社員からスタートすることに。自分で就職先を選ぶことはできませんでしたし、当時は「自分は負け組だ」と考えていました。■派遣社員時代の「苦労」が、今の自分にとっては大切なキャリアにQ.5 これまでのキャリア変遷を教えて下さい。派遣社員ですから、自分で思い描いてキャリアを選択できる立場ではありませんでした。社会人になってからは「とにかく今いる場所で頑張るぞ」というモチベーションで働いていました。最初は派遣会社の人事部アシスタント、次はインク屋さんの秘書アシスタント、その後は製薬会社の人事部に派遣されました。その後、縁あってコンサルティング会社に正社員として務めることになり、身体を壊すまで働きました。転職してアパレル会社を経験した後、アデランスに拾ってもらいました。こうやって話してみると、かなり変わったキャリア変遷ですよね(笑)。Q.6 現在の仕事に興味を持ったきっかけは何ですか?前職のアパレル会社でも役職に就かせていただいていたのですが、親会社に吸収合併されたことをきっかけに、転職を決意しました。アデランスに興味を持ったのは、人の悩みを解決する仕事に関わってみたいと思ったからです。自分に大きな影響を与えたコンサル時代の経験が生かせそうとも思いましたし、アパレル時代に経験したEC運営のスキルも生かせるので、アデランスでもマネージャー職として採用いただき、ECチームに配属となりました。Q.7 リーダー職に就いた時の心境を教えてください。初めてリーダー職に就いたのはコンサル会社の時でしたが、アデランスのような大きい会社で役職に就くとなると、求められることも多いのだろうと不安を感じていました。実際働いてみると、社員はいい人ばかりだったのですが、ECサイトで取り扱う商材も自分にとっては未知のものばかりだったので、当初は商品理解のために多くの時間を費やしました。Q.8 リーダー職についてから大変だったことは?ECサイトで販売するアイテムは、私たちECチームが商品企画や開発に携わることがあります。特に、今年4月に発売した「AWANIST」の開発~発売までは、アデランスで働いた数年間の中でもいちばん大変でしたね。AWANISTは、スイッチを入れるだけで自動的に質の良い濃密な泡ができあがる、独自開発の電動シャンプーブラシです。お箸の使い方は教わりますが、髪の洗い方って誰も教えてくれないなと思ったんですよね。毎日正しい髪の洗い方をすれば髪の悩みのほとんどがいい方向へ導かれるのではないか、という視点の元開発されたガジェットです。ブラシと一緒に専用のヘアケア製品の開発も進めていましたし、その上で通常業務も進めていたので、色々と調整が必要でした。鬼のように残業していたコンサル時代なら「何時まででも終わるまで働けばいい」と考えていたかもしれませんが、アデランスに入ってからはいかに効率よく、定時までに仕事を終わらせるかに注力するようになりました。私も歳を重ねましたし、今はチームの子にも「仕事と私生活のライフワークバランスが大事」と指導するようになったので、残業せずに仕事量をこなすのは、今までとは違う工夫が必要でしたね。Q.9 リーダー職として気をつけていることはありますか。2社目のインク屋さんで秘書業務をしていた時、上司にあたる女性がすごく怖い人だったんです。仕事の仕方を教えてもらえないのに、できないと怒られるので、何時間かけてでも自分で答えを見つけながらタスクをこなしていました。部下にそういったコミュニケーションを取ろうとは思いませんが、あの時身についた「自分で答えを見つける大切さ」は、今の若い子たちにも知ってほしくて。分からないことがあったらすぐに声をかけて欲しいけど、すぐに答えを与えず「なぜ疑問に思ったのか、どうしたかったのか」と聞くようにしています。派遣社員からスタートした社会人生活は人より忙しかったし、働いてばかりいたけど、得るものもあったと思っています。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、私の20代はまさにそんな生活だったので。今はその経験ができたことに感謝しています。■「ありがとう」の言葉がいちばんのモチベーション。部下の育成にも力を入れたいQ.10 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?1日のはじめに前日の売上をチェックするのですが、利益が出ていることが分かる時が一番うれしいですね。特に、自分が開発した商品が売れて、いい口コミがついた時が一番うれしいです。AWANISTはもともと、美容感度の高い若い女性に向けて作った商品だったのですが、いざECで販売してみると、想定とは違う層に受け入れられました。今はシニア層の方々に多くご購入いただいていて、髪が上手に洗えるようになって嬉しいというお声が届いています。アデランスは、人々の悩みに向き合っている会社です。だからこそ、お客様から直接に「ありがとう」という言葉をかけていただけることが多く、働き続ける大きなモチベーションになっていますね。Q.11 仕事終わりやお休みの日は何をされていますか?アデランスは今までの社会人生活の中でもっともホワイトな企業なので、時間を持て余すようになって困っています。平日の帰宅後は夜は昔と比べると考えられないくらい早く寝るようになりました。土日もゆっくり自分の生活に時間をかけることができるようになり、人生でいちばんのスローライフを満喫しています。昔は昼夜仕事のことばかり考え、夢にまで出てきていましたが、今は会社にいる時以外、仕事のことを考えなくなりました。Q.16 今後の展望を教えてください。今の若い人にとっては「アデランスって何?」という人も多いと思います。サロン事業を若者に知ってもらうのは難しいかもしれませんが、私たちはECという広い玄関口を構えるチームなので、若い人にも知っていただき身近に感じていただけるような新商品開発を進めていきたいです。リーダーとしては、チームメンバーの育成にも力を入れていきたいです。自分の若い頃とは随分雰囲気の違う部下たちと日々接していますが、学ばせてもらうことも多いですね。ただ、私のキャリアの中では「悔しさを感じる経験」が自分にとってかなり重要だったとも思っています。失敗するかもしれなくても、チャレンジの場を与えてあげるのも、リーダーとしての務めだと思っています。チームメンバーにはもっともっと、色々な経験をさせてあげたいですね。
2023年12月01日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部皆さんは、リーダー女性にどんなイメージがありますか?忙しいスケジュールに耐える精神力、関係各所とスムーズにやり取りするコミュニケーション力……仕事だけでなく人柄も素晴らしい女性、という印象がある方もいるのではないでしょうか。では、リーダー職はポジティブ思考なコミュニケーション猛者しかいないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。第一三共ヘルスケアで「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーとしてブランドを牽引する土合桃子さんは、25歳で現在のポジションに就任しました。しかし彼女は「幼い頃から内気で人見知りな性格だった」と話してくれました。学生時代の留学や、向いていないと思っていた営業職を経験し、新しい環境にも恐れずに飛び込み続けることで、苦手なことも克服してきた土合さん。学生時代には人の先頭に立つような立場なることは想像していなかったという彼女のキャリアを聞いてみると、苦手と割り切らず挑戦してみることの大切さを知ることができます。土合桃子さんドラッグストアの営業職に3年間従事した後、2020年4月から「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーに就任。つらい痛みに悩んでいる方のQOL(生活の質)向上に貢献したいという思いで、幅広い痛み悩みに対応した新製品の開発や、薬を正しく使っていただくための啓発活動に取り組んでいる。■留学と営業経験で「かなりの人見知り」を克服Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃から人見知りが激しく、親戚が集まる時には家族の背中に隠れてしまうような、内気な子どもでした。学童に通っていたこともあり、同い年くらいの子とはなんとか仲良くなれるのですが、あまり自発的ではなかったので、なんとなく周りの子が作ってくれる空気に合わせて遊んでいました。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?みんなの中の1人といった存在で、特に目立つ生徒ではなかったと思います。運動が苦手だったので、部活は高校生になるまでやっていなかったのですが、勉強は好きでした。やったことがそのまま結果になるのが気持ちよくて、誰に言われずとも自発的に勉強していました。Q.3 大学はどのように選びましたか?文系科目の方が得意で、多様なコミュニケーションにも興味があったので、異文化コミュニケーションが学べる学部に進学しました。2年生の時には留学も経験し、アメリカのモンタナ州に行きました。様々な国の学生が集まる寮ではブラジル人の女の子と同室になり、これまでの自分とは180度異なる積極性に驚きました。彼女との関わりの中で、世の中に多様なコミュニケーションがあることを知り、自身の人間性を深めるきっかけになりました。幼い頃から積極性に欠けるタイプでしたが、自分が育った環境とは異なる文化に触れたり、自分から何かをつかみ取っていく留学生たちと接したりする中で、自分も新しいことにチャレンジしたいと思うようになりました。また、留学中には地元のボランティアにも参加し、自発的な働きかけで成果を出すことの面白さを知りました。Q.4 学生時代にバイトはしていましたか?高校生の時に近所のドラッグストアでアルバイトをはじめ、大学を卒業するまで続けました。ヘルスケア領域で仕事をしたいと思うようになったのは、ドラッグストアでの仕事で薬やヘルスケア商品を身近に感じるようになったことが大きな理由です。レジ打ちや品出しが主な仕事ではありましたが、お客様と触れ合う機会が多かったこともあり、生活におけるヘルスケアの重要性を感じるようになりました。Q.5 会社に感じた魅力はなんですか。第一三共ヘルスケアはOTC医薬品を中心に取り扱う会社なのですが、当初は商品数やバリエーションの幅広さに魅力を感じました。不調に対処する医薬品から、健康を保持するためのスキンケアやオーラルケア製品など、様々な状態の人を包括的にカバーできるのがいいなと感じました。総合職として募集されていましたが、営業にはあまり自信がありませんでした。しかし営業先には、自分と関わりの深かったドラッグストア様も多いので、苦手意識のあった営業職からでもキャリアをスタートする決意ができました。Q.6 これまでのキャリア変遷を教えて下さい。最初の配属は名古屋で、営業として東海3県で約100店舗を展開するドラッグストア様の窓口担当をしていました。人見知りな性格も営業時代にかなり改善され、積極的に営業先に働きかけ、店舗と連携して販売方法をご説明させていただく機会を設けるなど、店舗ごとの販売モチベーション維持に注力しました。こちらから働きかけたことに対してきちんと協力してくださる、あたたかい人柄の方が多く、私自身も励まされました。3年間の営業時代には、人と真剣に関わることの大切さや、良好な人間関係の中で仕事が成功した時の喜びを知ることができました。入社当時から「営業を経験した後は、ブランドマネジャーとしてキャリアを積んでいきたい」と上司に伝えていたのですが、想像以上に早いタイミングで異動が決まりました。■営業時代の経験を生かし、若手リーダーとしてブランドを牽引Q.7 現在のお仕事内容を教えてください。現在は「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーとして、ブランド全体の育成戦略を立てています。新製品の開発や既存品の育成戦略の検討、広告戦略の立案など、幅広い業務に携わっています。また、生活者の方々に定期的なブランド調査も行っており、検討内容とニーズのバランスを考えながら、社内会議で検討しています。痛みに関する実態把握や啓発活動も行っており、近年はとくに気圧・気象の変動に伴って発生する頭痛(気象病)や、女性特有の痛みである生理痛に対する理解促進、対処啓発に注力しています。Q.8 若手としてブランドマネジャーという職に就いてから、大変だったことはなんですか?本社に異動してからは、営業現場で働いていた時とは業務内容も環境がガラッと変わり、日々の業務もいちから自主的に学ぶ大変さがありました。また、本社で関わるメンバーには自分と年次の離れた先輩も多く、ブランドマネジャーとして様々な部署と連携を取る時には、関係づくりに苦労しました。些細なことでもデスクに直接聞きに行き、まずは顔を覚えてもらえるように工夫しました。留学や営業で自主性や積極性を身につけられていなければ、社内コミュニケーションにももっと苦戦していたと思います。Q.9 ブランドマネジャーとして、意識されていることはなんですか。私はブランドを牽引する立場ではありますが、自分より役職の高い方に業務をお願いすることもあります。業務上必要なことではあるものの、皆さんが他にも重要な仕事をこなしていることを十分理解し、やってもらって当たり前と思わないようにしています。ブランドとしての想いや背景をしっかり説明したり、期日を明記した上でメールを送ったりと、相手が疑問を感じづらいコミュニケーションを工夫しています。Q.10 どんな時に仕事のやりがいを感じますか。実際に生活者の方々のお声を聞いて、自分が担当した製品が役に立っていることを実感する時が一番嬉しいです。今年の3月年に「ロキソニンSプレミアムファイン(第1類医薬品)」という生理痛向けの新製品を世に送り出した時も、SNSやネットにアップされる生の声を見て、人々に必要とされる製品だったことを実感しました。学生の頃は自分が誰かの役に立てるとは思っていませんでしたが、仕事をはじめてからは、自分が働く意味やその価値を感じるようになりました。Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。9時過ぎに出社し、メールの確認から1日を始めます。お昼は同じ部署の仲間とランチして、午後からは打ち合わせや会議をこなします。合間に資料を作ったりもしながら、20時までに退勤する日が多いです。忙しさは時期によって変わるのですが、睡眠はしっかり取るようにしています。■夢はブランドマネジャーとしての持続的な成長Q.12 ヘルスケア習慣について教えてください。まず、不調が出た時には効果的に薬を使って対処するようにしています。痛みを我慢していると鎮痛薬が効きづらくなるので、すぐに病院に行けない時は自社製品も服用します。私もロキソニンに携わる前は、ちょっとした痛みなら我慢したまま生活するのが当たり前と思っていました。しかしロキソニンの効能について詳しく知ってからは、低気圧の日に頭痛が生じたときやデスクワークが続いて体に痛みを感じた日なども、我慢せず薬を服用するようになり、生活のクオリティや仕事のモチベーションが保ちやすくなりました。生活者の方々のお声を聞いてみると、ロキソニンに対して「よく効くから体に負担がかかりそう」という印象を持っている方も多いようなのですが、実は服用時の胃への負担が少なくなるように工夫されていて(※)、効き目と胃への優しさを追求した鎮痛薬なんです。ロキソニンに対する正しい情報を世に伝えていくことも私の仕事なので、今後も様々な形で魅力を広めていけるように注力していきたいです。また、最近は年齢を考えてジムで運動をするようになりました。幼い頃からずっと運動が苦手でしたが、機械を使えば私でも運動ができるんだな、と感動しています(笑)。Q.13 今後の展望を教えてください。学生時代の自分は内気で人見知りで、誰かを引っ張る存在になれるなんて思っていませんでした。留学や営業など、自分が苦手と思っていたことにもチャレンジしてみたことで、今の自分がいます。実は第一三共ヘルスケアが新卒採用を始めたのは今から10年前で、私はその4期生なんです。そのため、年齢が近い先輩方が、結婚・出産などのライフイベントを経たのち、どのような働き方をしているのかを知る機会がまだ少なく、自身のライフステージが変わった時の働き方も、今はまだ想像がついていません。だからこそ、今後プライベートの状況が変わっても私がブランドマネジャーを続けていくことで、社内の後輩たちのロールモデルになれればと思っています。仕事とプライベートのどちらにも言えることですが、未来の見えない挑戦でも、これまでのように積極的に飛び込んで、新しいスキルや経験を得ていきたいです。※胃粘膜を刺激しにくい形で通過し、体内で吸収されてから鎮痛効果を発揮するプロドラッグ製剤
2023年11月07日取材・文:瑞姫撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、全米ヨガアライアンス認定のヨガスクールなどを運営する株式会社MAJOLIの代表取締役・横幕真理さん。株式会社MAJOLIでは、ヨガ業界初のオンラインによるヨガ資格講座『おうちヨガ』の運営を行っています。自分で道を切り開いてきた、ストイックで行動力の塊のような横幕さんですが、実は人見知りで、苦手なことも多かったそうです。しかし、「苦手なことにあえて挑戦してきた」からこそ見えた、予想外の人生。それは、彼女の今をより輝かせてくれるきっかけになったものでした。横幕真理さん株式会社MAJOLI 代表取締役、一般社団法人国際ヨガアカデミー協会 代表理事。大学卒業後、就職活動に失敗し海外へ渡航。その後、海外での留学と就職を経て、インドにヨガの修行に行き人生が変わる体験をする。インドから帰国後に結婚して専業主婦になるが、“自立した女性になりたい”一心で、29歳で株式会社MAJOLIを起業。2,750名(10/1現在)以上の生徒を抱えるヨガスクールを経営し、これまで東京、沖縄、京都、バリ、ハワイ、セブで事業を展開。運営メディア「Wellness Story」 、Instagram 、公式HP ■人見知りな性格を自ら克服。視野を広げるために大学卒業後は海外へQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?すごく人見知りで、人から注目をされることが苦手なタイプでした。感受性が豊かなのですぐ泣きそうになるんですが、注目されるのが嫌なので涙が出そうになるのをグッとがまんして……。家に帰ってお母さんに「大丈夫?」と言われた瞬間に泣いてしまうような子どもでした。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?人見知りだし目立ちたくないっていう気持ちがすごくあったんですが、背が高かったり、真面目な性格だったりしたこともあって、先生からリーダーや学級委員長を任されることが多かったです。ただ、自分からなりたくてなったわけではないものの、任された以上は責任感を持ってはやっていました。目立つのは嫌だけど意見を出すことは嫌いじゃなかったので、リーダーとして色々と決める立場にあることは、自分にとってはすごく心地良いポジションだったのかもしれません。Q.3 学生時代にアルバイトはしていましたか?人と話すことが苦手だったので、あえて苦手を克服したいと思って接客業に挑戦していました。焼肉屋さんやアパレルなど、色んなジャンルを経験しましたね。一番やりがいを感じたのは、結婚式場のバイト。人の人生が変わる大切な日に携われるのはすごくやりがいを感じましたね。逆に、大きな声を出さなくちゃいけない焼肉屋さんのバイトは苦手でした(笑)。Q.4 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?経済的に自立した女性に対しての憧れがあったので、高校生の頃から起業したいという気持ちがあり、アントレプレナーシップという学部で、起業や経営について学んでいました。その学部は元々、親が起業家の方しか入れないのですが、2年生からは成績と面接で合格した人が数枠入れるので、その枠で私は入りました。バイトばかりしていたので本当は成績が足りなかったんですが、どうしても入りたくて担当の教授に「絶対にがんばるので入れてください!」とお願いして(笑)。振り返ると今でもすごく学びたいと思える授業がたくさんあって、特に多かったプレゼンの授業は、すごく今に活きているなと思います。実際にお金の流れを学ぶマネジメントゲームもおもしろかったです。Q.5 大学卒業後に留学しようと思ったきっかけを教えてください。大学の3年生の就職活動の時期に、自分が何をしたいかが分からなくて就職活動ができなかったんです。起業したいけれど、お金もやりたいことも無かったので、今すぐ起業するという選択肢は無くて……。そんな時に、大学生になってから初めて行った海外旅行で外国の方とお話した時に「英語は学問ではなくコミュニケーションツールの一つなんだ」と感じたことを思い出したんです。それぞれの国で、いろんな考え方や文化の中で育ってきた人と話すと、新しい世界が広がるので、「海外に出てもっと視野を広げたい!」と思って、卒業後は1年間くらいアルバイトでお金をためて、ロンドンに留学しました。■ヨガで人生が変わったQ.6 人生が変わったというヨガに出会ったきっかけを教えてください。ロンドンに留学すればやりたいことが見つかると思っていたんですが、結局見つからなくて。帰国してから日本で一度就職したものの、その会社もあまり続かなかったんです。でも、また海外へ行きたいという気持ちがあったので、今度は留学ではなく仕事で海外へ行こうと思って、海外就職について調べて片っ端から応募して、当時ちょうどセブ島に進出するタイミングだった、日本の上場企業のセブ島拠点に就職を決めました。そこから3年間セブ島でゼロから立ち上げの拠点でマーケティングや人事の仕事をしました。そして、その後次のステップとして「苦手なことに挑戦したい」「あえて、衛生面や治安が心配で一番行きたくない国であるインドに次は行ってみたい」と思って。それでインドについて調べていたら、インドがヨガの発祥地で、ヨガ留学というものがあることを知って、行くことを決めたんです。ヨガがやりたくてインドに行ったというより、インドに留学に行くためにヨガを学ぶことにしたという感じですね。Q.7 ヨガで起業しようと思ったきっかけを教えてください。インドのヨガ留学は2カ月間だったんですが、初めて受けたヨガの授業で「あなたにとって幸せとは何ですか?」という質問を投げかけられて、何も答えることができなかったんです。自分を変えたいと言いながら、私は自分自身のことを何も知らなかったんだなと痛感し、それが自分自身を見つめ直すきっかけになりました。元々私はすごく太っていたんですが、ヨガを始めてから8キロほど痩せたことで、ずっと嫌いだった自分のことを少しずつ大事にできるようになったんです。自分が変わると周りの環境が変わる。環境が変わると、どんどん人生が変わって、生きるのが少しだけ楽になったんですね。それで、ヨガってすごいな、もっと色んな人に伝えたいなって思ったんです。ただ自分ひとりがヨガインストラクターとして活動をするよりも、同じ志を持ったヨガの先生を育成する立場になることで、より早く大きく広がるんじゃないかなと考えて、ヨガ講師を養成するスクールを運営する会社を起業しました。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?スクールの生徒さんが「ヨガで人生変わりました」って最後に泣いて卒業していく時はすごくやりがいを感じますね。それから、わたしの下で働いてくれているヨガ講師たちの成長を見られるのもうれしいです。当時、オンラインでヨガの資格が取れるコースは業界初だったので、やったことが無いことに挑戦する分すごく大変だったんですが、やって良かったなと思えます。■世界をウェルネスでハッピーにQ.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。毎朝5時に起きて、365日間、6時〜6時半まではオンラインで瞑想のクラスを自分で受け持っています。 そこからはヨガのプラクティスをやって、お部屋の掃除・洗濯をするのが朝のルーティングです。仕事の時間はミーティングに出たり、新しい講座を作ったり、イベントの開催準備をしたりというのがメインの仕事ですね。あとは、マーケティングや企画、数字分析、卒業後の生徒さんとの面談もしますし、夜9時〜10時の間は夜のヨガレッスンのチェックをしたりしています。また、昔からドラマを観るのが大好きなので、夜に髪の毛を乾かしながら観たりしてプライベートは過ごしていますね。ドラマから今の流行りや、みんなが何に悩んでいるのかを読み取ったり、マーケティングの観点から情報収集もできたりするのでなるべく観るようにしています。感受性が豊かで、感情移入もしやすい性格なので、ドラマを観ながら泣いたり笑ったりして感情のデトックスをしています。Q.10 休日は何をしていますか?丸一日お休み!というのはほとんど無いのですが、年に一回は友人と旅行に行く時間を作っています。あとは、新しい世界に触れることが自己成長につながると思っているので、行ったことの無い場所、体験したことの無い経験を大切にしています。時間が空いたら音楽ライブに足を運んだり、舞台や映画館、美術館などに夫と出かけたりするようにもしています。夫婦の時間も大切にしたいなと心がけているので、月に一度はデートしていますね。Q.11 どんなところにお住まいですか?沖縄のギリギリオーシャンビューのお家に住んでいます(笑)。海が好きなんですけど、移動が多いので、空港に近いところが良くて。沖縄の気候だけじゃない人の温かさや、海の綺麗さ、そういったところに自分自身がすごく癒されます。Q.12 プライベートで悩みはありますか?仕事ばかりで、家族の時間をなかなか作ることができないことですね。忙しくて家事が追いつかないことも多く、それも悩みです。仕事に没頭できる今はとても幸せですが、ふと気がつくと部屋が散らかってしまっていたり、家族でゆっくりご飯を食べる時間をぜんぜんとれてなかったり……。起業してからそこはずっと悩みですね。Q.13 将来の夢を教えてください。世界をウェルネスでハッピーにしたいというのが今の私の夢です。これまで誰もやったことがない新しいことをやってきたので、これからもいろいろなことに挑戦していきたい。ヨガやピラティスという業界を超えて、みんなで手と手を取り合って健康について伝える活動をしていきたいです。
2023年10月27日取材・文:仲野もも撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、世界最大級のビジネス特化型SNSおよび同サービスを提供する『LinkedIn』の日本法人・リンクトイン・ジャパン初の女性代表を務めている田中若菜さんです。田中さんが代表になった経緯を聞くと、なんとLinkedInを通して日本法人代表へのオファーがあったことがきっかけなんだとか。転職を5回以上経験し、様々な業界で幅広いスキルを身につけている田中さんの素顔に迫ります。田中若菜さん2003年米ハーバード大学ビジネススクール 経営学修士(MBA)取得。日本ロレアル株式会社ブランドマネージャー、グラクソ・スミスクライン株式会社 変革推進室長、Google合同会社 Google PartnerOlex Tokyo統括、執行役員などを経て、2023年3月よりLinkedIn日本法人・初の女性代表に就任。■幼少期から好奇心旺盛。ジャカルタ生活がきっかけで国際関係に興味を持ったQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?私には弟がいて、長女ということもあってリーダー気質というか、いろいろなことに手を上げて自分からトライするような子どもでした。失敗を恐れない、好奇心旺盛な女の子でしたね。班長とかもよくやっていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?父はすごく厳格で厳しかったです。一方で母はおおらかでポジティブな、いつも笑顔のはじけるような人でした。母から受けた影響はすごく大きいですね。父の仕事の都合で中学3年から高校3年までジャカルタで暮らしていたんですけれど、異国の地で日本人ファミリーとして生き延びていくために家族一致団結する必要があり、そのおかげで家族仲が良くなりましたね。私がチャレンジすること全てをサポートしてくれる、そんな家族でした。Q.3 大学はどのように決めましたか?国際関係や政治について学びたいと思って、その当時国際政治分野でトップだったアメリカのジョージタウン大学に進学しました。この先生のもとで学びたい!と思った教授がいたのも、選んだ理由の一つです。当時はちょうど冷戦が終わってベルリンの壁が崩れて、世界がすごく変わったときだったんです。それで、このままだと日本はどうなるんだろうって考えて……。また、インドネシアで育って、日本が戦時中どんなことをしていたのかを現地の人から聞いて、「日本で受けた教育とは違う。ちゃんと政治や国際関係の勉強がしたい!」と思ったのが専攻を決めたきっかけですね。Q.4 大学時代はどんなことに注力しましたか?学生時代は学校での勉強の他に、地域の人に英語を教えたり老人ホームでボランティアしたりしていました。あとは性被害を受けた女性を助けるNGO団体があって、そこで経営方針を考えるコンサルティングのアルバイトをさせてもらいました。社会の課題に触れながら、将来自分は何がしたいのかなって考えていましたね。■「私も女性の背中を押す存在になりたい」目標ときっかけをくれたのは、昔からお世話になっていた年上の女性の友人Q.5 大学卒業後はアメリカで就職したのですか?いえ、大学を卒業するとともに日本に戻ってきました。これから就職するというときにアジアの通貨危機が起こり不景気になったので、日本に戻ってきた方が仕事を見つけやすかったんです。バイリンガルだったということもあって、最初はコンサルティング会社に就職しました。久々に実家に戻って4年ほどがむしゃらに働いた後、ハーバード大学大学院のビジネススクールに入学しました。Q.6 なぜMBAを取得しようと思ったのですか?キャリアアップするにはどうしたらいいんだろうと考えていたんですよね。職場にはMBA卒業生が多くいたのもあって、自然な選択でした。ただ最初はハーバードではなく、別の大学を考えていました。ハーバードは自分には無理だろうなって思っていたんです(笑)。でもたまたま昔からお世話になっていた年上の女性の友人でハーバードのMBA卒業生がいて、「若菜ちゃんならできるよ!」って背中を押してもらって、受けてみたら合格をいただいて。その先輩にはハーバードに行くきっかけをいただいてすごく感謝しています。女性に多いように思うんですけど、100点を取れないと「自分はできる」って言わないんですよね。80点だとまだまだだなと思ってしまうというか、ギャップに目がいきがちだと思うんです。私もそうだったんですが、そこで「大丈夫だよ」って背中を押してくれた人がいたおかげでチャレンジできました。その時に、私も若い人の、女性の背中を押すような、そんな存在になりたいと思いましたね。Q.7 ハーバードではどのようなことを学びましたか?経営プランを立てたりディスカッションしたり、疑似経営体験の授業をくり返して「自分がリーダーだったらどうするか」というマインドをつくりました。人って立場が変わると視点が変わるというか、マネージャーの視点になった瞬間見えるものが変わるんですよね。すごくいい練習だったなと思います。その他にもいろんな授業を受けましたが、振り返ってみると「自分は何をやりたいのか」「どんな存在でいたいのか」そういうことを考えたり、インターンシップをしたり、いろいろトライできる時間だったなと思いますね。やっぱり授業の内容は忘れてしまうんですけど、培ったマインドセットみたいなのは今も忘れていません。女性は介護や育児でキャリアを休む期間が出てくると思いますが、MBAを取得したらそういった時も復帰しやすくなりますし、自分が立ち戻れる場所でもある。リスキリングとして一番の投資にはなるので、特に女性におすすめしています。Q.8 MBAを取得後、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?新卒で就職したコンサルティング会社ではいろいろな業界を担当しました。経営ってこんな感じなのかなとイメージしていくうちに、自社で商品を作って市場に出して……ということを一通りやってみたいと思ったので、MBA卒業後は化粧品メーカーに入社してブランドマネージメントにトライしました。商品開発から流通、価格設定、在庫管理までいろいろ触れることができて、すごくいいスキルセットを学ばせていただいたし、自信にもつながりましたね。その後、結婚して子どもを産んで、お仕事を少しお休みしました。産休の間は自分でリスキリングしたり、コーチングの資格を取ったりしました。その時学んだコーチングは、今も自分のパッションだと思っています。というのも、コーチングはリーダーシップに通ずるものがあって、メンバーのやる気を引き出すような、コーチングを軸にしたリーダーになりたいと思ったんですよね。その後もさまざまな経験を積んで、その経験を買われてリンクトインからオファーが来ました。■スキル型採用は女性のチャンスを広げる。リンクトインのビジョンに魅力を感じ日本法人代表にQ.9 リンクトインを含め、どういったポイントで就職先を選んできましたか?お仕事を選ぶときに大事にしていることは3つあります。まずは会社のビジョンやミッション。私自身いろいろな経験を得た中で、後に続く世代の地位を上げたいと思うようになりました。将来の日本の女性、アジアの女性の地位を上げることに貢献したいんです。ビジネスにおける「機会」って均等ではないと思うんですよね。やっぱり限られた人に集中してしまう。日本社会の場合はそれが大企業の男性であることが多いと思うんですが、スキルベースの採用になれば、どこに何年務めたかでお給料は決まらない。どんなスキルを持っているか、どんな結果が出せるのかでお給料が決まれば、女性にもチャンスが増えますし、より平等になると思うんです。リンクトインを通してスキルベースの採用が浸透すればそういう社会を実現できる、そこに魅力を感じました。次に、私がどれだけ貢献できるか。そして、家庭と両立できるかです。私には子どもが二人いるので、母としてもプロフェッショナルでいたいというか、妥協したくない。家庭と仕事を両立できる、会社の社員に対する扱い方を尊敬できる会社がいい。これまでの会社もこのポイントで選んできたのですが、リンクトインはやっぱりビジョンに魅力を感じたこと、貢献できるところがあったので、お話を受けることにしました。Q.10 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?サービスを使うことで人生が変わった、新しいお仕事に就けた、ネットワークが広がった、そういう声を聞くとすごく嬉しいですね。またリンクトインではe-ラーニングサービスも展開しているんですが、それを全社導入したことで社員が学習するようになったとか、人材が増えて会社の競争力が上がった、その結果として株価が上がったとか……。初めて会社のトップに立って自分が試されているなと思うこともありますが、そう言った声を聞くと、すごくやりがいがあるなって思います。Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。リンクトインは人と人、人と会社を繋ぐので、仕事中は基本的に人と会っています。本社がアメリカに、アジア支社の本部がシンガポールにあるので、オンラインMTGや海外の人とのMTGも多いです。お昼は会社でヘルシーなお弁当を頼んでいるので、みんなで集まって食べたりしています。夕飯の後は子ども達と話したり宿題を手伝ったりしますが、もう二人ともティーネイジャーなので、干渉しすぎないようにしています(笑)。寝るのは大体24時頃、就寝前の2時間くらいは自分の時間に使えることが多いですね。できるだけストレッチやエクササイズをするようにしています。■仕組みが変われば社会が変わる。若者や女性が輝ける社会をつくりたいQ.12 お休みの日は何をされていますか?休みの日は家族と過ごしています。娘がK-POPにハマっていて、この前は一緒にライブに行きました(笑)!あとはファッションにも興味を持ち始めたので、一緒に買い物に行くことも。息子はスポーツをしているので、応援に行ったり、差し入れを持っていったりすることもありますね。他にはやっぱり、「チームはリーダーを見て変わる」とよく言われているので、まずは自分がリスキリングするようにしています。LinkedInラーニングは1コース1時間ほどの内容を、1回3分の動画に分けて学ぶんです。3分だけなので土日の空いている時間や平日のスキマ時間に進めています。LinkedInラーニング()は、13カ国語で2万を超えるコースがあり、このうち日本人講師による1,200コース以上のコースに加え、すべての英語コースに機械翻訳による字幕が導入されていることから、1万を超えるコースを日本語で視聴することができます。ぜひ皆様に試していただきたいです。Q.13 将来の夢はありますか?「女性の背中を押す」という、ずっと自分がやりたかったことを仕事にできているので、貢献できる限り仕事は続けたいですね。そして将来は子どもを含むみなさんが暮らしやすい社会にしたい。人材の持つ力を活かして社会を元気にしたいというか、若い人が、特に女性が輝ける社会をつくりたいと思っています。自分一人ではできないことですけど、人材には力がありますし、リンクトインはそれが実現できるポテンシャルがあるサービスだと思っています。私自身さまざまな業界で幅広いスキルを身につけたことで、日本法人初の女性代表に選ばれたと思っています。終身雇用からジョブ型採用への移行は女性活躍のカギになると考えているので、多くの人にリンクトインを知ってもらって使ってもらって、すべての人が、女性が、経済的チャンスをつかめる社会に変えていきたいですね。
2023年10月06日文:ミクニシオリ撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部働く私たちのモチベーションを上げてくれる、お仕事用の小物類……今回のリーダーは、大人かわいいライフスタイルブランド『GAACAL』を運営する株式会社rainbowwの社長・朱 静儀さんです。中国生まれの彼女は、幼い頃から日本の文化やビジネスに憧れて日本にやってきました。今はライフスタイルブランド社長として成功している朱さんですが、「経営者になってからの道のりは、決して平坦ではなかった」と話します。しかし、そんな苦労も忘れさせるほど、屈託のない笑顔を浮かべながらインタビューに応じてくれた彼女。その奥底には、日本に憧れた理由の一つでもある「好きなことに没頭して働く」という夢をかなえたからこその強さがありました。今は一児の母でありながら、大好きな音楽でも活動を続ける朱さんに、これまでの人生とこれからの展望を語っていただきました。朱 静儀(シュ・セイギ)さん1988年10月16日、中国深セン生まれ。早稲田大学 教育学部 数学科卒業。2016年に共同創業者の戴と上海でレンタルファッション事業を起業後、2018年に同時に妊娠・出産となったため事業を断念。2019年に新たに株式会社rainbowwを設立。東京在中の朱と上海在住の戴で拠点を分け、日中のメリットを活かした組織体制で運営。■受験や留学よりも苦労した、大学での人間関係Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?マイペースな性格で、ゲームをしたり音楽を聞いたりと、一人行動が好きな子でした。友だちもいましたが、誰とでも仲良くできるタイプではなく、数は少なめでした。あまり周りを気にしない子供だったと思います。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?安定志向の父と母のもと、よくある家庭で育ちました。中国で高度経済成長期を生きた親世代は、満足にご飯を食べられない人々もいましたから、昔から「勉強をして良い大学に入って、大きな会社に就職しなさい」と言われていました。その反発もあってか、小さい頃から自由でいたい気持ちが強かったですね。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?特定のグループに所属している感覚はなく、中学生の頃も友だちは多くありませんでしたが、生徒会で学校行事の主催をしました。マンガに出てきそうな活動に憧れて、先生も周囲も巻き込むようになり、自分としては大きな舵を切った時期ですね。目立つのが好きではなかったので、振り返ってみると、よくやったなあと。今も昔も、思いついたことは即やらないと気が済まない性質なんです。Q.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?中国ではアルバイトという概念が無いので、はじめてのアルバイトは日本にやってきてから。大学進学前に、日本の語学学校に通いながら、吉野家で働いていました。当時は留学生を雇ってくれるアルバイト先が少なくて、コンビニで働けるのは、かなり優秀な人だけだったんです。その頃から日本の音楽とライブにハマっていたこともあって、受験勉強をしながらも、アルバイトは半年ほど続けました。Q.5 学生時代に注力したことはなんですか?受験勉強は積み重ねがあったので、趣味を楽しめる程度には手を抜けたのですが、大学生活はそうはいきませんでした。大学での授業は教科書通りに勉強するのではなく、自分でゴールやプロセスを決めなくてはいけなかったし、一人で勉強すれば良いわけではないという、今までに無かった壁にぶち当たりました。グループワークやテスト対策は周囲の生徒たちと一緒にしなくてはいけなかったし、生まれてはじめて、団体行動の大切さと大変さを知りました。この時の経験は、会社を経営する上でもとても役に立っています。Q.6 留学先で苦労したことはなんでしたか?大学では数学を専攻していたので、数名しかいない女性たちとギュッと固まって過ごしていたのですが、所属していたミュージカルサークルは女性ばかりで、クラスとは全く違うやり方でコミュニケーションを取る人が多く、混乱してしまいました。一匹狼でも生きていけると思っていたのに、それではだめなのだと気づいてショックでしたし、周囲と馴染むのにも時間がかかったので、やっぱり人間関係が一番の悩みだったかな。でもそれ以外は、ご飯はおいしいし、好きだった漫画やアニメの文化に触れられて、楽しいことも多かったです。■フリーランスと起業を繰り返し、挫折も味わった20代Q.7 就職先はどのように決めましたか?小さい頃から日本の番組を見て、好きなことに打ち込める仕事に憧れがありました。日本では仕事に夢中になっている人がいる印象もあったので、いかにやりがいを感じる仕事に就けるかを大切に考えていました。自分の得意分野を伸ばしたかったので、大学卒業後は学生時代から一人で続けていたゲーム開発の仕事を選びました。そこでも「誰かと仕事する大変さ」を思い知りましたし、また、お金を稼ぐ大変さも実感していました。Q.8 リーダー職を目指したきっかけはなんでしたか?最初はフリーランスとして、IT企業とゲーム開発の仕事をしていましたが、その後IT企業からスカウトされ、社長室に配属していただきました。そこでIRや新規事業、採用など、経営にまつわるさまざまな話を聞くことができ、その時点で自分も起業をしていたので、とても勉強になりました。その後は何度もスタートアップ起業しては事業を辞めて、また独立して……をくり返しながら、今に至ります。Q.9 起業してから一番大変だったことはなんですか?日本のビジネスを中国でやったら成功するのではないかと思い、上海で会社を作った時もあったのですが、日本と中国では資本やサービス展開の環境も異なるため、大きなギャップを感じました。起業家になってからの道は平坦ではありませんでしたが、やってきたことが繋がった先に、現在のrainbowwがあります。現在の会社でも、業績と現場体制のギャップや、市場とのタイミングのズレなど、常に発生する問題と向き合い続けています。Q.10 起業してから一番うれしかったことはなんですか?今の流行りやトレンドに敏感なアンテナを持っている人材として、若い子や未経験の子も積極的に採用しているのですが、その子たちの成長を見られる瞬間がとてもうれしいです。業績が伸びると、経験が少なくてもいろいろな仕事を振らなくてはいけないし、プレッシャーに涙してしまう子もいます。そういう子が、その苦しみを乗り越えて仕事を成功させて、会社とともに成長していってくれるのが、ひとつのやりがいですね。逆に、一番つらいのは社員同士がビジネス観の違いでケンカしているのを見る時ですね。人間関係に対しては今でも苦手意識がありますが、一人ひとりと話をして、一緒に解決しています。■大好きな音楽とものづくりを融合させて、新しい感動を創出していくQ.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。今は息子がいるので、朝は子どものお弁当作りから始まります。8時20分には幼稚園の送迎バスが来るので、それまではバッタバタ(笑)。会社は10時スタートなので、子どもを見送った後に、音楽の時間を取ることも。日中はひたすらミーティングをこなして、仕事が長引く日は親に子どもを預けることもあります。夜は子どもと遊んだりしながら寝かしつけをして、夜は趣味を満喫します。没頭してしまう時もあるので、寝る時間は日によってバラバラです。Q.12 休日は何をしていますか?休日は朝から夕方くらいまで、息子との時間にあてています。踏切が大好きなので、踏切が見られる公園に行ったり、子ども用列車に乗ったり……この一年はずっと踏切ブームなので、平日より忙しいかもしれません(笑)。仕事と子育ての両立は大変ですが、適度に力を抜くようにしています。もちろんミスもするんですけど、ヤバいなと思いながら、気づいた時になんとか対処をくり返す日々です。Q.13 プライベートでの悩みはありますか?人生を通して人間関係に悩んでいるのですが、今は家族の人間関係と、子育てですね。夫や両親にも、それぞれが良しとする教育方針があるけれど、子育てには正解がないじゃないですか。どうすり合わせていくのかも課題ですし、何が子どものためになるのか考えるのは、自分のことを決めるのより難しいですね。Q.14 趣味はなんですか?一番の趣味は、やっぱり音楽かな。実は、仕事としても活動しているんですよ。J-POPが大好きで、特にピアノロックにハマっています。今年はやっとイベントの数が増えてきたので、Mrs. GREEN APPLEさんやOfficial髭男dismさんなどのライブに参戦しています。自身が音楽を演るのは仕事でもありながらほぼ趣味なので、最近は音程をうまくとるための特訓もマイブーム化しています。Q.15 将来の夢はなんですか?仕事に夢中な人生を過ごしながら、自分が社会に何を残せるのか、何を達成できるのかに挑戦し続けたいです。もちろん、好きじゃない仕事もたくさんあるんですけどね(笑)。rainbowwで培ってきた製造小売での経験と音楽での経験は、ビジネスとしては全く交わらないと考える人もいるかもしれませんが、私にとってはエンターテイメントという一つの大きな事業の中にあるものです。たとえばディズニーのような、みんなから愛される感動を創出するために、もっとたくさんの経験を組み合わせて、大きなビジネスを展開していきたいです。Q.16 今後の展望を教えてください。rainbowwが展開する『GAACAL』は、働く女性のためのライフスタイルブランドです。「私だけのテーマ、ここにある」というブランドコンセプトや、ブランドの生まれた意味を届けて、もっと皆さんにとって必要とされるように成長させていきたいです。ただモノを売り続けるだけではなく、手に取った人がプラスアルファの意味を感じられるようなものづくりを続けていきたいです。私自身、ブランドの成長がものすごく楽しみなのですが、みなさんにとってもそうであると良いなと思います。
2023年09月29日取材・文:山口真央撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、MICIN(マイシン)少額短期保険株式会社 取締役の伊藤由貴奈さん。MICIN少額短期保険は、がんを経験したことのある方向けに保険商品を展開する企業。一般的に、がんには一度かかるとすぐに保険に加入することは難しく、保険に入りたくても入れないとあきらめる方も多くいます。そんな方々に対して「MICIN少額短期保険なら入れます!」ともっと多くの人に知ってもらうために、日々奮闘しているのが伊藤さんです。プライベートでは2児の母でもある彼女。お話を伺うと、忙しさの中にある「保険を企画し、提供する側の覚悟」が見えてきました。伊藤由貴奈さん1982年生まれの41歳。大手保険会社にてIRや法務コンプライアンス、商品開発など専門性の高い業務を経験。その後、2022年3月にマイシン少額短期保険に入社。現在は取締役を務める傍ら、小学生2人の母として、育児と仕事を両立しながら活躍中。■引っ込み思案だった幼少期から、バスケに熱中した思春期までQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼稚園くらいまでは引っ込み思案な性格だったと思います。人前に出るのがあまり好きではありませんでした。よく覚えているのは、幼稚園のクラスに性格が明るくて、クラスの中心にいるような女の子のこと。その子が好きな男の子に手紙を渡すとなって……そうしたら、周りにいる女の子も次々とマネをし始めたんです。私も「やらなきゃいけないのかな?」と、慌てて男の子に手紙を出したのを覚えています(笑)。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?小学生になり、引っ込み思案だった性格が、少しずつ前に出ることが好きになり、活発で負けず嫌いになっていきました。中高は私立の一貫校に通っていたのですが、個性的な子が多い学校だったなと今振り返ると思います。中高ではバスケットボール部に所属し、熱中していましたね。中高一貫校でよかったなと思うのは、幅広い年齢層と関われたこと。中学のうちから大学生や若い社会人のOBたちとの交流もあって、大学や社会人の雰囲気を感じ取れたのはとても大きかったと思います。Q.3 大学時代はどんなことを学んでいましたか?私は高知県で生まれ育ったのですが、家を出てひとり暮らしをしてみたい!という理由で大阪の大学に進学しました。当時は検事へのあこがれもあり法学部を選択。でもこの頃ももっぱら部活がメインでした(笑)。大学の女子バスケットボール部員が少なかったので、男子バスケットボール部のマネージャーに。そこで主人とも出会いました。■「必要な人に届ける保険」に感動し、現職のリーダーにQ.4 なぜリーダー職を目指したのですか?新卒で前職である大手保険会社に総合職で入社しました。金銭的に自立したいと思っていたので、金融業界を軸に就職活動をし、保険業界にたどりついた形です。前職が女性活躍に取り組んでいる会社で、熱心に仕事に取り組んでいたらいつのまにか管理職の道へ進んでいましたね。Q.5 MICIN少額短期保険への転職動機はなんですか?前職には18年在籍していたのですが、MICIN少額短期保険の存在を知るまで、転職したい気持ちはまったくなく。キャリアをこのまま積んでいけばいいと思っていたのですが、MICIN少額短期保険の「がん経験者向けの保険」を発売したことにとても驚きました。どの保険会社も「これから取り組んでいかなければならない商品」と考えている中、ベンチャー企業がそこに取り組んだ。カジュアル面談を組んでいただき、会社のビジョンにも共感できたため、すぐに転職を決意しました。Q.6 取締役就任当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。前職は大きな会社でしたが、MICIN少額短期保険はベンチャー企業。保険事業全体をマネジメントしていくのは、緊張感がありましたね。また、伝統的な訪問・対面販売の保険と違い、MICIN少額短期保険はオンライン販売です。デジタルマーケティングの知識をつけるのも大変でした。今振り返ると大変だった……と思いますが、当時は無我夢中でやっていたこともあり、あまり大変だったという自覚はなかったですね。Q.7 子育てとの両立の大変さはありますか?私はいい意味で、「何が何でも子どもが第一」の母ではないのかもしれません。世間が考える「いい母親像」を目指しているわけではないです。必ず子どもの味方でいようとか、そういった根っこの部分以外は、「適度になんでもやる」「なるようにしかならない」という気持ちでやっています。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんなときですか?2つあります。ひとつは新商品を世に送り出すとき。つい先日、私が開発に携わった新商品を世に出すことができました。保障内容や保険料の決定、財務局への商品審査……と、手塩にかけた商品を世の中に出せるのはとてもうれしいですし、やってよかったと感じます。もうひとつは、お客さまから感謝の声をいただけたとき。MICIN少額短期保険ではお客さまに対してよくインタビューやアンケートを行っています。そんな中で「がん経験者だからとあきらめていたけど、MICIN少額短期保険があって本当によかった」という感謝の言葉をたくさんいただくんです。そんなときは、やっぱりこの仕事をやっていてよかったなと思いますね。■メリハリのある日々。休日は家族の時間にQ.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。7時に起きて、子どもたちとごはんを食べて……8時過ぎに子どもたちが学校へ行くので、8時半過ぎからリビングで仕事を始めることが多いです。MICIN少額短期保険はフルリモートワークができる環境が整えられているので、9割型は在宅で仕事をしています。家事などと仕事を並行してやったりと、時間を有効活用できるのでこの制度は本当に助かっていますね。16時くらいまでは仕事をバリバリこなし、夕方に子どもたちが帰宅したら迎え、習い事に送り出す。19時くらいに子どもたちが帰ってくるので、一緒にごはんを食べて……。21時くらいからは自由時間ですね。仕事をする日もありますし、映画を見たりとゆっくり過ごすこともあります。Q.10 お休みの日はなにをされていますか?お休みの日はとにかく、寝る(笑)。平日の就寝時間が深夜2時くらいなこともあって、反動があるのか休日は遅くまで寝ていることがありますね。最近、娘が少年野球のチームに入ったんです。その練習を見に行ったり、息子と出かけたり……。ほぼ土日は仕事をせず、家族の時間と、休息の時間に充てるようにしています。■保険を通じてたくさんの人を助けたいQ.11 何歳まで仕事をしたいですか?私は暇だと落ち着かないタイプ。よく忙しくしているね、と周りに言われるのですが、暇があると不安になってしまうだけなんです。今の仕事にずっと関われたらいいなと思いますし、定年後もボランティアや地域のお仕事など、なにかしらのお仕事がずっとできたらいいなと思います。Q.12 今後の目標を教えてください。MICIN少額短期保険のビジョンである「医療×テクノロジーで保険をアップデートし、自分らしい生き方を選択できる世界を。」を実現するため、必要としてくださっている方に必要なときに入ってもらえるさまざまな保険を提供していきたいです。今はがん経験者向けの商品のみを展開していますが、病気の予防や早期発見の商品とか……保険を通じてたくさんの人に笑顔と安心を届けていきたいと思っています。
2023年09月22日『太陽がいっぱい』や『キャロル』などの原作者の素顔に迫るドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』から、若かりし日のハイスミスのカットやハイスミスの元恋人たちの場面写真9点が解禁となった。本作は、アメリカの人気作家パトリシア・ハイスミスの生誕100周年を経て発表された秘密の日記やノート、貴重な本人映像やインタビュー音声、元恋人たちや家族によるインタビュー映像を通して、彼女の人生と著作に新たな光を当てるドキュメンタリー。この度、解禁となった場面写真から、長編デビュー小説「見知らぬ乗客」(50)が翌年ヒッチコック監督により映画化されるなど、若くしてキャリアの成功を手にした裏で、当時深くアンダーグラウンドに潜っていたLGBTQ+コミュニティで多くの女性たちから愛されたハイスミスの知られざる素顔を垣間見ることができる。また、人気作家として名を馳せ、魅力あふれる若かりし日のハイスミスの写真をはじめ、本作に大きな貢献を果たしたハイスミスの元恋人たちによる貴重なインタビュー写真が到着。はじめに登場するマリジェーン・ミーカーは、ハイスミスと同様アメリカの作家。ジャンルごとに様々なペンネームを使い分け、「Spring Fire」(52)でレズビアン・パルプ・フィクションと呼ばれるジャンルを確立した一方、推理小説や犯罪小説でも成功を収めた。ミーカーはノンフィクションの回想録「Highsmith:A Romance of the 1950s」でハイスミスとの日々を綴っている。マリジェーン・ミーカー次に登場するフランス人の元英語教師、翻訳家のモニーク・ビュフェは1978年にハイスミスと出会い、恋愛関係に。ハイスミスは「リプリーをまねた少年」(80)の中でモニークに献辞を捧げており、ハイスミスが亡くなるまで友好的な関係を保ち続けた。モニーク・ビュフェさらに70~80年代にかけて、西ベルリンの映画・アートシーンで活躍し、ウルリケ・オッティンガー監督『アル中女の肖像』(79)の主演・衣装デザイナーなどで知られるタベア・ブルーメンシャインの貴重な証言も収録。タベア・ブルーメンシャイン日本でも「ウルリケ・オッティンガーベルリン三部作」より『アル中女の肖像』『タブロイド紙が映したドリアン・グレイ』(84)が8月19日より劇場初公開されるなど、世界的に再注目が高まるタベア・ブルーメンシャイン。彼女が2020年に亡くなる直前に本作に語った、ハイスミスとの知られざる愛の軌跡も劇中には収められている。ハイスミスの生まれ故郷であるテキサス州からハイスミスの親戚のインタビューも収録、ハイスミスのアイデンティティの葛藤や長年にわたる母親との確執、孤独を浮かび上がらせる。『パトリシア・ハイスミスに恋して』は11月3日(金・祝)より新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、アップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開。(シネマカフェ編集部)■関連作品:パトリシア・ハイスミスに恋して 2023年11月3日より新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開© 2022 Ensemble Film / Lichtblick Film
2023年09月17日取材・文:ミクニシオリ撮影:洞澤佐智子編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、シニア向けWell-being事業で注目される株式会社AgeWellJapanの代表取締役・赤木円香さん。株式会社AgeWellJapanでは、シニア訪問サービス「もっとメイト」を中心に、シニア世代を明るくサポートするサービスを展開し、福祉やヘルスケアの業界で注目されています。経営者の両親のもと、幼い頃から挑戦を惜しまないよう育てられた起業家サラブレッドの赤木さん。しかしそんな彼女にも、起業家としての歩みを始めるまでに様々な苦難がありました。正義感の強いギャルだった学生時代には「他者からのラベリングへの疑念」や「周囲に対するコンプレックス」など、誰しもが経験する壁に何度もぶち当たります。それでも彼女が人生のハードルを乗り越えることができたのは、幼い頃からの起業への憧れと、苦難から学んだ「本質を見抜く力」のおかげでした。赤木 円香さん東京都渋谷区生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2013年に人材コンサルティング会社に参画。法人向けのコミュニケーションやホスピタリティ研修の企画・営業を担当。2017年に味の素株式会社に入社。財務経理部にて決算および原価計算業務を担当。2020年、「シニア世代のわくわくを創造する」を掲げ、株式会社MIHARU(現在の株式会社AgeWellJapan)を創業。シニア世代のウェルビーイングを実現する孫世代の相棒サービス「もっとメイト」の運営。法人・自治体向けに、多世代交流の場づくりを支援。カンファレンスイベント「AgeWellJapan」を主催。渋谷のラジオ「誰でもスマートフォン講座」レギュラー出演をはじめメディア出演多数。■大好きだったギャルメイク。けれど外見やイメージからの「ラベリング」には違和感Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?子どもの頃から活発だったと思われることが多いのですが、双子の妹と比べると実はとても人見知りでした。年齢とともに改善はしましたが、正直、幼少期は妹に守ってもらってばかりの頼りない姉でした。ちなみに、その後もお世話になり続けた妹への感謝を込めて、起業時の社名は、妹の名前である「MIHARU(みはる)」と名付けました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?父母ともに経営者で、いつも惜しまず挑戦をさせてもらえる環境でした。そのおかげで今の自分らしさがあると思いますし、同じ女性の身で経営者として働き続ける母のことはずっと尊敬しています。起業してからの苦しい時、いつも母が背中を押してくれました。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?中学時代は、評議会長だけどヤンキーの彼氏がいる、そんな学生でした(笑)。高校は私立の学校に進学しました。金髪エクステのギャルだったので、クラスではその見た目もあって浮いた存在になり、先生にも目をつけられてしまいました。その頃から、見た目だけで判断されたりラベリングされたりすることに違和感を覚え、自身は他者を勝手に解釈せず、本質を見抜ける人でありたいと思うようになりました。それが原体験となって「ギャル」だけでなく、「シニア」や「障がい者」など、それぞれの人生経験を無視して弱者と見立てる文化を変えたい思いが強くなっていきました。Q.4 大学はどのように選びましたか?受験期にマザーハウスの創業者である山口絵理子さんの本を読み、感銘を受けたことがきっかけで、彼女の出身校である慶應大学SFCキャンパスを選びました。25歳で起業して、裸一貫で社会を変えようとした彼女の人生を知り、私もそんなビジネスがしたいと強く思いました。ちなみに、高校時代に読んだ本はたった2冊で、1冊が山口絵理子さんの本、もう1冊はヤンキーの彼氏に借りた矢沢永吉さんの『成りあがり』だけです(笑)。Q.5 学生時代に注力したことは?高校時代は、児童館でボランティア活動をしていました。起業家になると決めていたため、大学時代は「どの領域で起業するか」を見極めるために、様々なことにチャレンジしました。インターンや留学もしたけど、AO推薦で入学したこともあり、自分より優秀な人が多くいることを知り、コンプレックスが強くなっていった時期でもあります。周りには帰国子女も多く、英語が喋れないことにもコンプレックスを持っていました。父には留学を反対されましたが、母が金銭的援助や助言をしてくれたおかげで、1年の留学に行くことができ、語学力を養うことができました。■「おばあちゃんを笑顔にしたい!」大好きだった祖母の変化が起業のきっかけQ.6 就職先はどのように決めましたか?学生時代に起業したい分野を見定めることができなかったので、大企業の経営を間近で経験できる就職先に進むことに決めました。経営企画部や財務経理部で就職できる会社を探し、大手食品メーカーに就職。毎日17時退社のホワイト企業で、人生で初めて暇を持て余すようになりました。空いた時間は、今までできなかった家族とのコミュニケーションに使うようになり、大好きだった祖母の家に頻繁に遊びに行くようになりました。Q.7 起業のきっかけはなんでしたか?私が幼い頃は、一緒にケニア旅行をするほどアクティブで、チャーミングだった祖母。そんな彼女が、私が新卒2年目の時に体調を崩して背中が曲がってしまい、家族に対して「申し訳ない」と口にするようになりました。時代を築いてきたシニア世代は、知識も人生経験もある人たちなのに、できないことが増えるからといって謝るなんておかしい。なんとも言えない憤りを感じました。そんな祖母の姿を見て、「これだ」と思いました。ずっとやりたいことが見つからなかったけど、孫としてだけでなく、時代を生きる若者として「おばあちゃんのために何かしたい」と強く感じ、シニア向けWell-being事業での起業を決意しました。ずっと探し続けていた人生を賭けることが見つかった瞬間は、知的好奇心で震えたのを覚えています。Q.8 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。2020年1月に創業して、3月にサービスをリリースしてすぐ、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が始まりました。訪問サービスなど行えるわけもなく、最初のお客様に会うことができた時、起業からなんと半年も経っていました。そうした経緯もあって、最初の半年間はお金が出ていく一方でした。新聞折り込みのチラシで広告活動を行った時は、1円でも無駄にしたくないという思いから、各エリアの販売店に直接電話して、実際に配っている枚数を聞きたこともあります。現在はコロナも落ち着き、事業も波に乗っていますが、今も道に落ちているチラシを見ては「あ、7円の広告宣伝費が落ちている」と当時の自分の気持ちを思い出すこともあります。Q.9 創業してから一番うれしかったことは何ですか?創業期にお電話をくれて、お客様になってくれたケイコさんというおばあちゃん。子どものいない85歳の彼女のもとに訪問するようになって、ある日こんな感想をいただきました。「人生で初めて、折込チラシから電話をしました。赤木さんが毎週来てくれるようになって、人生がみるみる明るく、賑やかになりました。人生の最後に、一緒にいてくれてありがとう」その日の帰り道は涙が止まりませんでした。ケイコさんと撮った写真を会社のHPに載せているのですが、「メンバーを紹介するページに、クライアントを載せている会社なんてないよ」とよく言われます。でも、いいんです。私にとってはケイコさんを含めて、今後関わる可能性のある3,600万人のシニア全員が、会社のメンバーと同じように大切な存在ですから。Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。お昼の時間は、基本的にないです。22時くらいまで打ち合わせが入るか、夜の会食も多く、合間を縫ってお客様の訪問にも伺います。訪問は土日に入ることもあるので、休みは不定期……というか、ほぼないです。私自身は仕事が生きがいなので、つらいと感じることはありません。ただメンバーたちには、私のことは気にせず、適切なライフワークバランスを実現するよう伝えています。■クライアントだけでなく、自分や家族含め「全員ハッピーな未来」を描くQ.11 プライベートの悩みはありますか?現在、結婚5年目なのですが、子どもをいつ持つかを悩んでいます。おばあちゃんに孫を見せてあげたい気持ちも強いのですが、夫の拠点は岡山なので、自分中心の育児に不安を感じています。今は会社にとっても大切な時期でもありますし、35歳くらいまでは仕事に全力を注ぎたい。だけど女性には身体的なリミットもあるので、難しいですよね。周りにも同じ悩みを抱えている友人が多くいます。Q.12 忙しい日々の中で、息抜きになる瞬間は?4カ月に1度は沖縄に行きます。沖縄出身の友人が多く、彼らに流れているゆっくりした雰囲気が好きなこともあり、息抜きは沖縄と決めています。沖縄は気候だけでなく、そこに住む方の人柄も温かく、気に入っています。沖縄では大好きなお酒をたくさん飲んで、経営者の赤木ではなく、素の自分を過ごしています。Q.13 どんなところに住んでいますか?都内のマンションで、妹や母、祖母たちと別々に部屋を借り、家族みんなで暮らしています。忙しい日々の中でできる、私なりの親孝行です。経営者一家とは言っても、経営悪化で貧しい暮らしを強いられたこともありました。それでも母は一貫して自立し続けてきた人です。そんな母の影響力があってこそ、今のマンションに家族みんなが集結しているので、母には頭が上がりません。Q.14 将来の夢を教えて下さい。起業家としての夢は、3,600万人のシニアたちが、全員ハッピーになれる世界を作ることです。無謀と思う人もいるかもしれません。けれど、無謀な挑戦を口に出して言えるのは起業家の特権です。だからこそ、どれだけ無謀であっても、明るい未来の展望をみんなに伝え続け、賛同してくれる仲間を増やし続けることが私の使命だと思っています。個人としては、子どもを持つことで、私自身や私の家族を笑顔にすることが夢です。お客様であるおばあちゃんたちだけでなく、自分も、自分の家族もハッピーにし続けたいです。
2023年09月13日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部アジアNO.1のPR会社・ベクトルグループでP2C事業を担う「Direct Tech」の女性役員、横田彩夏さん。転職後1年で部長、2年で執行役員にスピード出世した若手リーダーです。学生時代から培った「PR力」と、挫折しても歩みを止めないたゆまぬ精神で、20代からキャリア街道を爆進する横田さん。学生時代にはミスコングランプリを受賞しており、華やかな経歴も注目されがちな彼女ですが、その芯には「体験への強い思い」や「成功につなげるルーティン」など、地道に積み上げてきた努力がありました。横田彩夏さん1993生まれ、東京都出身。在学中、ニューヨークに拠点を持つ服飾美術大学「Parsons School of Design」にてファッションデザインの技術を学んだ後、アパレルのキャリアをスタート。前職にてパワーインフルエンサーをディレクターに迎えた P2C事業の運営に包括的に携わり、2020年8月に株式会社Direct Techにジョイン。P2Cアパレルブランド「Boka nii」の立ち上げに従事。2022年4月より、執行役員としてP2Cブランド事業のグロースを包括的にマネジメントしている。■女子校時代は、アフィリエイトとバイトで留学費用を貯金Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃から興味があることに熱中しやすく、外の世界が気になって幼稚園から脱走したこともありました。特に絵を描くことに熱中していて、1日に5〜6時間は紙に向かい、気づけば最も長く続く趣味に。読書も好きで、小学校の時のクリスマスには、サンタさんにギリシャ神話の全巻セットをねだり、親にも少し驚かれたようです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?銀行勤めの母と、やさしい祖母との3人暮らしでした。祖母と過ごす時間も長かったので、初めて買ったCDは美空ひばりさん。渋い趣味ですよね(笑)。母は帰りが遅いことも多かったですが、その分気の向くままに、自身の興味関心を深めることができました。夜は母が必ず読み聞かせをしてくれて、物語の先を想像しながら眠りにつくことが毎日の楽しみでした。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?「堅実にして質素」が校訓だった中高一貫の女子校では、周囲の友人から“自由人”、“尖っている”などと言われていました。自覚はあまりなかったのですが、振り返ってみれば変な子だったのでしょうね。美術ではない授業の最中にも画材を広げて絵を描いていて、先生に怒られたこともありました。Q.4 学生時代にバイトはしていましたか?中高時代はバイト禁止だったのですが、当時流行していたブログで、PV数を伸ばすことに熱中していました。購入品やコスメをブログにアップしていただけだったのですが、人気が出てきてPR案件を受けるように。ブログはその後のキャリアにも少しつながっていて、大学時代には、留学のノウハウをまとめたブログを立ち上げ、アフィリエイトで稼いでいました。Q.5 学生時代に注力したことはなんですか?大学ではミスコンに参加し、グランプリを受賞しました。SNSを伸ばしたりネット票を稼いだりするのが地味に大変で、ミスコン参加中はバイトとの両立で日々手一杯でした。ミスコンも大変でしたが、大学生活の中で最も努力したのは、留学でしたね。中学校の語学研修でハワイに行ったことをきっかけに、アメリカでファッションを学びたいという気持ちが徐々に大きくなっていき、大学では1年間、ニューヨークのファッションスクールに通いました。留学費用も自分で貯めたので、3年生まではバイトにもかなりの時間を割いていました。■留学先で「人生の挫折」を経験。けれど、やることは変わらないQ.6 留学先で苦労したことはなんでしたか?スクールでは、一人前に服が作れるようになることをゴールに、毎日服づくりをしていました。洋裁については初めて学ぶことばかりですし、語学の壁にぶつかることも多く、毎日授業を録音して、学校が終わってからはステイ先で何度も録音を聴き返しながら、宿題をこなしていました。そんなある日、1カ月かけて作ったドレスを提出したら、講師が激怒……。私は、ポリエステルでドレスを作っていたのですが、課題は「コットンで服を作る」だったんです。自分の語学力不足のせいで、1カ月の努力が無駄になってしまった時は、人生で初めて挫折を味わいました。しかし、挫折したからといってやることが変わるわけではないので、数日で立ち直ったように記憶しています。成長するためには努力と勉強、作業を繰り返すしかないと思っているので、人生を通してそのルーティンをこなし続けています。Q.7 就職先はどのように決めましたか?留学でファッションを学んだものの、職業としてデザイナーを選ぶべきか悩んでしまい、就活は迷走していました。さまざまな企業のOBに話を聞くうちに、どの業界でどんな仕事をしたとしても、任されることの大枠はあまり変わらないと考えるようになり、最終的にはインターン先の会社に就職することを決めました。就職先は「C Channel株式会社」というキャスティングやPRを得意とするベンチャー企業。手を挙げればなんでもやらせてくれる空気があり、裁量権が大きかったのがメリットでしたね。Q.8 リーダー職を目指したきっかけはなんでしたか?もともとリーダー職を目指していたわけではありませんでした。「C Channel」では留学経験を活かして海外事業部に配属され、1年でEC事業部に転籍。EC事業部でP2Cブランドの立ち上げに従事した経験を買われ、当時の上司に誘われてDirect Techに入社しました。上司と同じ環境で働けるなら、と転職し、新しいコスメブランドやアパレルブランドの立ち上げをこなしていくうちに、いつの間にかリーダー職に。成長するために必要なものを取りに行くことを繰り返していく日々の中で、役職は勝手についてきました。Q.9 就任してから一番大変だったことはなんですか?経営者として「ズームアウト」の視点を持つまでには、苦労しましたね。もともとオタク気質で、視野が狭くなりやすいことは長所であり短所でもありました。けれど、仕事のスケールが広がっていくこと自体は楽しかったですし、貴重な経験を積ませてもらっている自覚があったので、日々を楽しみながら徐々に学んでいますが……毎日が充実しているからこそ、すぐに時間が過ぎていくような感覚もあり、焦りも感じます。けれど、時間は平等に有限です。少ない時間の中でどうしたらもっと成長できるか、もっと考える時間を確保できるかを考えて、最近会社の近くに引っ越しました。Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。実働時間は、毎日10時間程度です。経営者の中ではホワイトな方かもしれませんね。チームメンバーの仲がいいので、ランチはみんなで食べることが多いです。仕事が終わったら、お酒を飲みながら本を読んだり、情報収集に時間を使うことが多いです。今でも絵を描くのが好きなので、瞑想も兼ねて絵筆を握る日も。■仲間である社員とともに「感動体験を世界に」Q.11 休日は何をしていますか?新しい体験をすることを大切にしているので、アートに触れたり、図書館に行ったり、ゴルフに行ったり……色々ですね。休日も、チームメンバーと過ごすことも多いです。新しい体験に前のめりな子や、情報が早い子が多いので、誰かしらが新しいスポットを見つけてきて、みんなで遊びに行きます。サウナに旅行、展示会など、いい意味でなんでも楽しんでいます。Q.12 どんなところに住んでいますか?会社からすぐ近くのデザイナーズマンションで、コンクリート打ちっぱなしの、無機質な部屋です。もともとは韓国風の女性らしい部屋や、白基調のインテリアも好きなのですが、家に帰っても仕事のことを考えることが多いので、雑念が入りづらいよう趣味とは全く違う部屋を選びました。いつかは、好きなものに囲まれたかわいい部屋にも住んでみたいんですけどね。Q.13 社員とはどんな関係ですか?上下関係というよりは、いい意味で支え合う同志のような関係です。ちなみに、社員からも「横田さんは変わっている」と指摘されることが多いです(笑)。トレンドを追いかけるのも私たちの仕事の一つなので、私も社内では日によってはかなりカジュアルな格好をしているので、親近感はあるのかな?Q.14 将来の夢を教えてください。仕事と自己成長が何よりも好きなので、お仕事は死ぬまで続けたいです。でも、夢を語るとしたら、感動体験を世界に提供していきたいです。ITやメタバース、AIが進歩していく世の中で、体験や経験こそが人間を人間たらしめていくと思っています。今後、体験は世界中でもっと価値が高くなっていくと思います。Direct Techでは、誰かの経験や体験を、コスメやアパレルといったモノ、イベントや発信に落とし込みます。その経験の価値や感動がもっと伝わるよう、尽力していきます。それと同時に、私自身も限りある時間の中で、より多くのことを体験し、濃い人生を送っていきたいですね。
2023年08月31日取材・文:瑞姫撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、東京・六本木ヒルズに位置する5つ星ホテル「グランド ハイアット 東京」でチーフコンシェルジュを務める今泉愛子さん。コンシェルジュとは、ホテルにて観光スポットの案内、チケットの手配、旅行のプランニングまで、多くのリクエストに答える、お客さま対応のプロ。中でも今泉さんは、チーフコンシェルジュとしてだけでなく、さまざまな規定をクリアしたホテルのコンシェルジュのみが入会を認められる世界的なコンシェルジュの組織「レ・クレドール」の日本支部「レ・クレドール ジャパン」のプレジデント(会長)を勤めています。そんな華々しいキャリアを持つ今泉さんに話を聞くと、お客さまへ真摯に向き合い続けた姿勢が生んだ評価と、一緒に働く仲間への信頼が生んだ「チームの強さ」を知ることができました。今泉愛子さん2004年グランド ハイアット 東京に入社。フロントデスク、グランド クラブ ラウンジ、ビジネスセンターなど宿泊部門の業務を経て、2008年からコンシェルジュ。2012年にはコンシェルジュの世界的組織『レ・クレドール(Les Clefs d’Or)』国際正会員、2015年にグランド ハイアット 東京 チーフコンシェルジュとなる。その後、『レ・クレドール ジャパン』バイスプレジデント(副会長)を経て、2023年4月に『レ・クレドール ジャパン』のプレジデント(会長)に就任。■家族と海外で過ごした幼少期Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?今でもあまり変わらないのですが、人見知りな性格でした。父の仕事関係で海外に行くことがあったので、新しい人間関係を作り直さなければいけなかったこともあり、自らいろんなとこに飛び込むタイプというよりは、人の様子を窺うことが多かったです。仕事の際はお客さまと接することがとても多いので、全然人見知りしないのですが、プライベートでは意外と今でも人見知りです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?家族構成としては、両親と4つ上の兄の4人家族です。父が航空業界で働いていたので、私は幼稚園から小学校に入学する直前ぐらいまで数年間アメリカに住んでいました。そういったこともあるのかもしれないですけど、家族の距離感は非常に近い家庭でしたね。Q.3 大学時代はどのように過ごしていましたか?大学時代はサークルばかりやっている生活でした。すごくマイナーなスポーツなのですが、アルティメットという、フリスビーを使った屋外で行うバスケットボールとアメフトを足して2で割ったようなスポーツをやっていました。大学生になってから始めたのですが、マイナースポーツである分、大会で勝ち進めるチャンスがあって…。一緒に始めた仲間と「日本一になろう!」と決め、実際に大学3年生の時に学生の大会で優勝することができました。Q.4 留学は経験されましたか?大学卒業後にイギリスに留学しました。元々すごく行きたかったという訳ではなかったのですが、父親が海外で仕事をすることが多かった人なので、「一度は海外に出たら?」と幼い頃から言ってくれていたのもありますし、ちょうど私が大学を卒業する頃が就職氷河期と言われていて、就職難の時代だったんです。ホテルや観光業界で就職を考えていたものの、その年はもう本当にほとんど採用が無い時代だったので……。一般企業への就職も考えはしましたが、きっと続かないなと思い、だったら良い機会だからということで、今後必要になるであろう英語の勉強をしに留学させてもらいました。元々は英語と観光業界関係の授業を受けられる留学プログラムでイギリスへ行ったので、10カ月で帰ってくる予定だったのですが、せっかく行ったんだったらというのと、いろいろな人との出会いの結果、ホテル専門学校に入り直して合計3年ほどイギリスにいました。最後の1年はインターンシップとして現地のホテルでも働きました。■コンシェルジュとしてのやりがいQ.5 現在の仕事に興味を持ったきっかけは何ですか?この業界で働きたいなと思ったのは、大学生の頃です。父親の仕事の関係で元々旅行に行く機会は多かったのですが、特に高校生から大学生ぐらいのときは毎年のように家族で海外旅行をしていたんです。私の中でさまざまな国へ行くことはもちろんすごく刺激的だったんですけど、帰ってから思い出すのはいつも家族で過ごしたホテルでの時間で……。そこから、旅行の思い出の一つにホテルで過ごした時間が絶対に出てくることに気づき、印象に残る滞在をできるのはすごく幸せなことだなと思ったことがきっかけで、ホテル業界で働きたいなと思いました。Q.6 チーフコンシェルジュに就任当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。前任の上司がすごく上手に引き継ぎをしてくれたので、業務としてすごく苦労したということはあまり無いんです。けれど、コンシェルジュの仕事というのは、社内外問わず、人と人との繋がりがすごく重要になってくる仕事。前任の10年以上やってきた大先輩から私に引き継いでいただいたときも、もちろんいろいろな人を紹介してもらったのですが、それを自分のネットワークにするまでの過程が一番大変だったかなと思います。Q.7 チーフコンシェルジュに就任してから一番うれしかったことは何ですか?チーフコンシェルジュという役職に就くことは、コンシェルジュ業界の中ではすごくインパクトがあることなんです。なので、私が就任した時も自分のホテルのコンシェルジュだけではなくて、他のホテルのコンシェルジュの皆さんも「チーフになったんだね」と認知してくださるようになったことが嬉しかったです。コンシェルジュはすごく横の繋がりが強くて、他のホテルのコンシェルジュとも仲が良く、「一緒に日本、東京のおもてなしを良くしましょう」と思って助け合っているので、そういった人たちと「やっとここまで来て、一緒にやっていける土壌に立つことができた」と思えたことが何よりの喜びになりました。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?やはり、戻って来てくださったお客様に「君、前回はありがとうね」などの言葉を言ってくださることが一番うれしいです。つい先日も、隣のスタッフが接客していたお客さまが私の前まで来てくださって、「君はここで長く働いているよね。前回来たときはこれをやってくれてね。その前はこれやってくれて……。20年ぐらい前から知ってるよ」「絶対に君だった」と言ってくださったんです。もちろん覚えていただいたこともそうなのですが、何より”人の記憶に残ることをお手伝いできていた”という、過去の自分との答え合わせみたいなものができる時がうれしくて…。「あのときやったことは間違ってなかったんだな」「いい思い出にしていただけたんだな」ということが分かりますし、その経験を元に、また日本に、東京に、そしてうちのホテルに帰ってきてくれたというのが喜びになります。Q.9 仕事で大切にしていることを教えてください。私達コンシェルジュにとって大切なことのひとつは“誰に聞いたら一番正しい答えが出てくるか”ということを知っているかですので、私自身はチーフコンシェルジュとして、“誰と繋がって、誰と一緒にやることが、一番お客様に喜んでいただける答えが見つかるか”ということを重要視して、周りと積極的に助け合えるような関係性を築くようにしています。チームのみんなに伝えているのは、プロとして仕事をしましょう、人との繋がりを大切にしましょう、自分がグランド ハイアット 東京のコンシェルジュを代表する一人として、お客さまの対応をしているということを意識してやりましょう、ということです。それから、この仕事を好きであってほしいので“必ず楽しんでください”と伝えています。皆が楽しく仕事をしてもらうために、私は基本的にすごく距離感の近いチームを作っているので、日々の雑談を含めたコミュニケーションをすごく大切にしてます。■目標は日本一のコンシェルジュチームQ.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。仕事は10時からの日が一番多いです。朝6時半に起きて、シャワーを浴びて朝食を食べて、家から職場までが大体ドアトゥドアで1時間くらいなので、9時には家を出る。そこから仕事をして終わるのが大体20時半くらい。家に帰宅すると22時ぐらいになっているので、寝る準備をして、大体日付が変わるくらいにはベッドに入るようにしています。プライベートの時間は寝る前に取っているのですが、その時間はだいたいメールのチェックをしています。コンシェルジュのネットワーク組織が国内と海外にあるので、そういったところの人たちとのやりとりや仕事など、ホテルの業務以外のことを寝る前の時間にしているんです。仕事に繋がりはするんですけれども、自分が楽しいと思っていることなので、あまり仕事という意識ではなくやっています。Q.11 毎日のお仕事で何をしている時間が一番長いですか?基本的にほぼお客さまのご対応です。コンシェルジュカウンターに立って対面でのご案内をしたり、到着前後にメールで事前にお問い合わせをいただいた方の対応を、オフィスでしたりしています。どちらにしてもお客さまの対応が多くの時間を占めますね。ご滞在中の方が出先から「今ここにいるんだけど、次はどっちに行ったらいい?」という道案内のような“今どうしても誰かが対応しなければいけない”というような問い合わせをくださるケースも少なくないので、できる限りその最新の情報が見られる場所にいるようにしています。Q.12 お休みの日は何をされていますか?そもそも休みの日はありますか?休みはきちんと取るようにしていて、基本的に外出するようにしています。海外からいらっしゃるお客さまが多いので「観光はどこに行けばいい?」「おいしいレストラン教えて」「今何かおもしろい展覧会とかやってない?」といったお問い合わせにコンシェルジュは答えなければいけないんです。ですから、そういった質問にも答えられるように、できる限り自分たちの目と足で情報収集をするようにしています。Q.13 今後の展望を教えてください。現在グランド ハイアット 東京でチーフコンシェルジュとしてチームを持ってやらせていただいていて、私とチームとしての目標が“日本一のコンシェルジュチームになる”ということなんです。今もそう自負していますが、それを周りからも「やっぱりグランド ハイアット 東京のコンシェルジュは一番だよね」と思ってもらえる、力強いチームでありたいと思っています。あとは私がプレジデントを務めている「レ・クレドール ジャパン」のメンバーとして、東京だけではなく、日本の観光業が正しく成長していくこと、コンシェルジュという仕事を正しく認知していただけるような活動をしていきたいです。
2023年08月07日取材・文:太田冴撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、日常をがんばる私たちの“ご褒美”の代名詞とも言える「ハーゲンダッツ」を製造・輸入・販売するハーゲンダッツ ジャパン株式会社で人事グループマネージャーを務める矢野優子さん。長らく商品開発やマーケティングに携わったのち、40歳を過ぎて初めて人事の世界に飛び込んだ矢野さん。「最初はマネージャーをやるつもりなんてなかったのだけれど」と添えながらも、背中を押されて引き受けた先に出会った“仕事の面白さ”について、語ってくれました。二人の思春期の娘さんの子育てに奮闘しつつも、土日は趣味の畑仕事に勤しむという自然体なプライベートにも注目です。矢野優子さん1997年、ハーゲンダッツ ジャパン株式会社に入社。営業本部に配属。首都圏エリアのチェーン・卸店を担当。1999年、マーケティング本部に異動。日本発の商品クリスピーサンド発売に関わる。ほかミニカップ・バーなどあらゆる形態の新商品企画を担当。その後、産休を経て営業推進本部、コーポレート本部などを歴任。2022年より、コーポレート本部人事グループマネージャーに就任。現在、2児の母として育児と仕事を両立しながら社員の働きやすさ・働きがいの施策に取り組む。■知らぬ間に学級委員長に。「任されがち」な学生時代Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?3歳年上の兄と一緒に、外で走り回って遊ぶようなアクティブな子どもでした。小学4年生のときに初めて引っ越しをして、出来上がった人間関係の中に飛び込む経験をしてから、少しずつ自己開示に悩んだり、おとなしくなったり、という性格の変化があったように思います。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?それなりに友達もいて、それなりに部活もやって。別に目立つこともなければ、みんなを引っ張っていくようなタイプでもなかったような気がします。ただ、学級委員長だけはなぜかやらされることが多かったです。一番ひどいときは、たまたま学校を休んだ日に勝手に学級委員長に任命されてしまっていたときもありました(笑)。ちょっとは抵抗してみるのですが、最後は諦めて引き受けるしかなくて。頼まれたら「いやだ」と言えない性格だということを、先生にも友人にも見抜かれていたのでしょうね(笑)。Q.3 学生時代にアルバイトはしていましたか?大学生の頃は4年間、ファミレスでホールのアルバイトをしていました。これも同様に、長く続けているものですからだんだんと任される仕事が増えていって、時給も上がっていったのを覚えています。基本的に、人から任されて伸びるタイプのようです。Q.4 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?フランス語を学んでいました。とはいえ、フランス文学に興味があったわけではなく……語学をやろう、と思った時に「フランス料理っておいしそうだなぁ」という10代のピュアな好奇心だけでフランス語を専攻することに決めました。あまりに単純ですが、その頃から食べることが大好きだったんです。短期留学で、1~2カ月間フランスに滞在したことも。「本当に毎朝クロワッサンを食べるんだ!?」と衝撃を受けたことを覚えています。フランスのカフェで食べるクロワッサン、本当においしいんです。■乗り気じゃなかったリーダー職も、やってみて初めて知る面白さがあったQ.5 人事マネージャーに就任された経緯を教えてください。人事グループに異動してきたときから「マネージャーをやったら?」というお声はいただいていたのですが、私自身はマネージャーになりたいとは思っていませんでした。当時、中学2年生と小学6年生の娘がいましたし、やはりマネージャーになるとそれだけの責任が伴います。二人の子育てだけでも大変なのに、自分の仕事に加えてメンバーや会社のことも考えなければならない立場になるというのは大変すぎるのでは……と思ったのです。そんな風に億劫に感じていた私の背中を押してくれたのは、当時の上司にあたる人の存在と、人事の仕事のおもしろさを知ったことでした。当時の上司がすごく楽しそうに人事の仕事を教えてくれたおかげで、マネージャーになると得られる情報が増えることや、できる仕事の幅が増えていくことを魅力的に感じることができました。そこで、いちメンバーでとどまるのではなく、マネージャーになってみるのも良いかも、と思えたのです。今も正直、マネージャーであることに自信を持てているわけではないのですが、必ずしも自信がある必要があるわけではないのかなと思っています。私にとっては「より良い会社にしたい」という目標を持てたことがマネージャー職を務めるやりがいになっています。Q.6 マネージャーに就任してから一番大変だったことは何ですか?やはり、人事経験が無い中で40歳を過ぎて初めて人事の仕事を学んだことでしょうか。本当になんにも知らない状態で人事に異動して……それこそ、どうやって給与が計算されているのか、どんな人事制度があるのかなどを、ゼロから学ぶ必要がありました。外部の研修にも参加して、毎日必死で勉強していたので、頭がパンクしそうになったことも。ただ、ひとつひとつの制度について「どういう目的でこの制度が存在しているのか」という背景を紐解いていくうちに、私自身がこれまでこの会社で働きやすさを感じてきた理由を知ることができました。私の仕事は、社員の働きやすさややりがいに直結するんだ、と実感してから、仕事の面白さがグンと増した気がします。Q.7 逆に、マネージャーに就任してから一番うれしかったことは何ですか?この仕事をしていると「この制度ってどういう意味ですか?」などと社員から直接質問を受けることがあるのですが、一見難しい人事制度でも、噛み砕いて説明すると納得してくれるんです。人事の仕事はなかなか感謝されることはありませんが、一生懸命説明したことに対して「わかりやすかった」と言ってもらえるとすごくうれしく感じますね。もちろん、人事制度の内容はさまざまですからすぐには納得してもらえないケースもありますが、直接社員の声や意見を聞けるのも貴重なチャンス。今後どう変えていけばいいのか、を考える機会になるので、とてもありがたく感じています。Q.8 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?ちょうど昨年人事制度が大きく変わったばかりなのですが、人事制度に絶対的な正解やゴールはありません。いつまでも「どうしたら良くできるか」を考え続ける必要があると思うんです。ある人にとっては魅力的な制度も、別の人からしたら良くない場合もある。それをどう調整していけるのか、というのを考え続けるのに終わりはありませんし、だからこそずっとやりがいを感じていられるのでは、と思います。■The 朝型なタイムスケジュール。多忙な生活を支えるのは「とにかくぼーっとする時間」Q.9 毎日のタイムスケジュールを教えてください。平日はだいたい毎朝4時に起きて、掃除・洗濯などの家事を済ませます。そのあとは娘二人分のお弁当を作って、夫や娘たちが起きてきたら一緒に朝食を食べる。家族がみんな出かけたら自分の支度をして、大体8時半ごろには会社に着くようにしています。起床が早いのですが、夜はだいたい22時ごろには寝てしまうので、そこまで睡眠不足ではないんですよ。飲み会が無ければ、ですが(笑)。出社して、メールチェックなどを済ませたあとは大体ミーティングが続いて、夕方ごろからようやく自分のタスクをこなす時間。伝票の承認など管理者としての仕事を済ませて、基本的には19時に退社して、20時ごろに帰宅できるようにしています。もちろん残業が必要な日もありますが、どんなに遅くても会社に残るのは20時まで。これは、家族との時間を死守するために私の中で決めているタイムリミットです。夕食は、その日の帰宅時間や夫の仕事の状況によってまちまちなのも、我が家のあり方。夫が在宅勤務であれば用意してもらいますし、みんながそろう日は簡単に作って一緒に食べたり、作り置きで済ませたり、無理のない範囲でやっています。夕食後は完全なリラックスタイム。身支度をして、22時にはベッドに入るようにしています。Q.10 これだけは譲れないルーティーンはありますか?お風呂のときは絶対に湯船に浸かるというのと、寝る前に枕にアロマスプレーを吹きかけること。ささやかですが、そうした工夫がちゃんと気分転換になるんですよね。あとは、唯一の自分の時間と言っていい朝の時間は、とにかくぼーっとすることを心がけています。本当に、ぼーーーっとするだけ。以前は洗濯物を畳む隙間時間にも英語の勉強をした方がいいかな、などと模索していたのですが、今となっては「何にも考えない時間」を作ることが一番大事だなと感じるんです。天気が良いなぁとか、お花が咲いているなぁとか。そういう感覚を持つ時間を忘れないようにしています。■週末の畑仕事にハマり中!目下の悩みは娘二人の「お弁当作り」Q.11 お休みの日はどんなふうに過ごしていますか?自宅から自転車で40分くらいのところに小さな畑を借りていて、そこで野菜を育てているんです。なので、そのお世話をしに行くのが週末の日課です。娘にも手伝ってもらいながら、ピーマンやトマト、最近ではオクラなんかも育てています。なんででしょうね、以前は鉢植えを買ってベランダで育てていても全部枯らしてしまうような人だったんです(笑)。でも、本当に絶望的にセンスが無いのか、それともしっかり土から手入れをしたら野菜は育ってくれるのか、というのを試したくなって、やってみたら意外とちゃんと育ってくれた。それが楽しくて、最近はすっかり土いじりにハマっています。Q.12 プライベートの悩みはありますか?お弁当作りが面倒なこと、ですね(笑)。娘が二人とも同じものを食べられたらまだ良いのですが、一人が卵アレルギーを持っているので、少し内容を工夫しなくてはいけなくて。お弁当の中で「黄色」って意外に重要じゃないですか。卵を使えないとなると、とうもろこしを入れようか、かぼちゃにしようか、はたまた冷凍のグラタンを入れようか……と日々頭を悩ませています。最終手段は、なんでもカレー味で味つけしてしまうこと(笑)。そんなささやかな悩みを抱えながらなんとかやっています。Q.13 今後の展望を教えてください。「人の役に立ちたい」と言葉にしてしまうと平凡かもしれませんが、私の軸はそこだと思っています。何かを自分で成し遂げるというよりは、何かしら困っている人の手助けになるようなことがしたい。仕事の内容がなんであれ、ずっと人の役に立ち続けたいと思っています。また、プライベートでは土いじりが本当に楽しいので、夢は大きく“自給自足”を目指して頑張りたいと思います!
2023年07月22日取材・文:瑞姫撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、レンタル事務所「喫茶れんたる」を運営しながらも、日本一高い“レンタル彼女”として活躍するよもぎちゃん。今では漫画やドラマなどの作品で耳にすることも増えてきた「レンタル彼女」「レンタル彼氏」ですが、そもそも「レンタル彼女(or彼氏)」とは依頼主から指名を受けたキャストが恋人役となってデートをするサービス業。サービスそのものについては知っていても、「実際に利用したことはない」「キャストをやっていると公表している人を見たことがない」など、まだまだヴェールに包まれた存在なのではないでしょうか。そんな「レンタル彼女」を大学時代に始め、その魅力にとらわれたよもぎちゃんが、その仕事を通して見つけた課題を解決するために立ち上げた事務所「喫茶れんたる」は、レンタル彼女・彼氏・友達としての枠組みに囚われない、“コミュニケーションの専門店”として人に寄り添うサービスを提供することを目指しているそう。インタビューをしてみると、レンタル彼女として人気であることも頷ける、誰に対しても分け隔てなく、真っ直ぐに向き合ってきた優しさを知ることができました。よもぎちゃん大学時代にレンタル彼女を始めてからその魅力にハマり、会社員から一念発起して『喫茶れんたる』を立ち上げる。現在はキャストとして活動しながら、事務所運営に携わっている。■自己肯定感が低く、常に劣等感があった幼少期Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼少期は今よりもだいぶ卑屈な性格でしたね。ずっと進学校に通っていて周りがエリートぞろいだったんですけど、その中で飛びぬけて勉強ができなかったので、自己肯定感がすごく低かったんです。勉強ができない自分はお先真っ暗なんだってずっと思っていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても良い家庭だと思います。比較的裕福な家庭で、父も母も大事に育ててくれましたし、「学歴があった方が役立つだろう」という両親の考えのもと、小学校から進学校に通わせてもらっていたので、恵まれた環境ではありました。ただ、そんな中で勉強が苦手であることが“両親に何も返せていない”という劣等感を抱くことに繋がってしまいました。学校の授業についていくために塾にも通わせてもらっていたので、すごく申し訳ないなって思っていたんです。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?可もなく不可もなく……という感じでした。すごくかわいいとか、すごく勉強ができるとか、逆にすごく勉強ができないとか、そういった自分を形容するものが何も無かった。学校ってグループがあると思うんですけど、私はどこへでも入っていけるけど、どこにも属してない感じで、地に足がついていない存在だったなって今となっては思います。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが転機にQ.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?最初は自分が通っていた塾の受付をしていました。そこからカフェと居酒屋と、レンタル彼女。レンタル彼女を始めたのは、私が失恋した時に「男性でできた傷は男性で埋めるしかない!」と思って、レンタル彼氏を利用しようと検索したのがきっかけです。当時は自分のタイプの男性がいなかったので利用するには至らなかったんですが、「レンタル彼女」という仕事があることをそこで知りました。知らない人からすれば少し怪しい仕事だったので、「バックに怖い人がいるのかな」「実は裏オプションがいっぱいあるんじゃないか」とか、色々興味が湧いてきたので、「自分で確かめるしかない!」と思って始めました。Q.5 どのような大学時代を過ごしていましたか?小中高とエスカレーター式で同じ学校に通っていたんですが、それが私にとっては殻だったんです。大学生になってそこから出られたことは、自分の中で大きな変化でした。友人から合コンに誘ってもらって、勉強はもちろん大切だけど、「勉強だけが全てじゃないんだ」と思えて、そこから自分はコミュニケーションを磨いていこうと思って、さまざまな人と関わるうちに、低かった自己肯定感もどんどん上がっていきました。大学時代にレンタル彼女をはじめたことも大きかったです。大学時代に学校で学んだことよりも、合コンやレンタル彼女のお仕事で学んだことの方が今に活きているかもしれません(笑)。一応コミュニケーション系の学科にはいたのですが、どれだけ座学で学んでも、生の人間とたくさん話した方が得られるものが多い気がします。Q.6 なぜ起業しようと思ったのですか?会社員として働いていた時に、レンタル彼女時代のことを書いたブログをやっていたのですが、現役で利用されているユーザーさんとキャストさんからメッセージがくることが多くなって、それぞれの問題点が見えてくるようになったんです。そこからその問題点を解決できるような事務所を自分でつくりたいなって思ったのがきっかけですね。事務所を作ることへのハードルはそんなに高く感じていなくて、「とりあえずやってみよう。失敗したらその時考えよう」くらいの気持ちでした。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが人生の転機にQ.7 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。大変なことしかなかったです(笑)。完全にプレイヤーの方でやってきたので、運営だったりとか、経営だったりとか、何にも分からないところから始まって大変でしたね。あとは、私がプレイヤーだった時に気にしていなかったことが、他の女の子にとっては気になることだったり。そこで「気にしなくて大丈夫だよ!」というのではなく、その子の立場になって、その子の気持ちに寄り添ってケアをしるなどといった、キャストのマネジメントやメンタルケアも大事なことなんだなと学びました。自分と同じで考えちゃいけないんだと痛感しましたね。プレイヤーではなく、自分が経営側に回ったことで初めて気づくことがたくさんありました。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?やっぱり依頼してくださった方が、喜んでくれるのが一番うれしいです。頑張ってここまでつくり上げてきて良かったなって思いますね。「喫茶れんたる」はレンタル彼女・彼氏というより、“コミュニケーションの専門店”としてやっているので、ジェンダーで悩んでいる方や、少し特殊な悩みの方とかが来てくださることが結構多いんですが、そういう方の捌け口になれて本当に良かったなと思いますし、そういった悩みを受け止める場所になれてきていることを日々うれしく感じます。私自身が、“彼女”としての立ち位置を求められているというより、話し相手や、相談相手として求められているなと感じることの方が多かったので、“コミュニケーションの専門店”という今の形にしています。Q.9 創業してから一番つらかったことは何ですか?脱サラして事務所を立ち上げた初期の方に、コロナ禍に入ってしまったことですかね。人と会うお仕事なのに、人と会うことはもちろん、緊急事態宣言で外出も禁止されていたので……。最初の方は本当に仕事が無かったですし、不要不急の斡旋になってしまうので宣伝もできず、そこで何もできなかったのがすごくしんどかったです。Q.10 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?実際に私自身がまだキャストとして活動もしているので、そこで実際に依頼者さんにお会いして、「すごく楽しかった」と喜んでいただけるのがやっぱりうれしいしですし、やりがいになりますね。■“コミュニケーションの専門店”としての展望Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。結構夜型人間なので、寝るのは大体3時くらい。24時以降に脳が冴えちゃうんですよ。雑音がないと色々考えてしまって眠れないので、YouTubeを見ながら就寝します。“耳かき動画”というのは海外の耳かき動画なのですが、毎日1時間くらい見ています(笑)。仕事はレンタル彼女だったり、事務所のお仕事だったりバラバラなのですが、それに加えて恋愛やコミュニケーションのコンサルもしているので、1日7〜8時間は常に何か仕事をしている気がします。最近だとキャストさんを増やしたので、それぞれの方向性や、どうやってマネジメントしていこうかなとか考える時間が今一番多いです。Q.12 何歳まで仕事をしたいですか?生きている限りは何かしらしてたいです。趣味と日常の楽しみと仕事が一緒になっている状態なので、逆に仕事が無くなった時が死に時かなって思ってしまうくらい。今、キャストとしては月10回前後の仕事量なのですが、本当はもっと運営としてのお仕事を減らしてキャストとしてのお仕事をやりたいんです。運営を手伝ってくれる人たちも最近増えてきたので、自分がやるところを少しずつ減らしてそれが実現できるようにしたいなと思っています。キャストとして働くからこそ、教えられることもあると思いますし、何より他のキャストさんに何か教えるためには、自分がキャストとして圧倒的であり続けることが大事だと思っているんです。なので、事務所をもっと大きくしたい、もっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちはもちろんなんですが、キャスト6、運営4くらいの割合でお仕事できればいいなと思っています。Q.13 今後の展望を教えてください。今はレンタル彼女、レンタル彼氏、レンタル友達として「喫茶れんたる」をやっているんですが、このお仕事をやっているとカウンセラーさんのところへ行くのが怖かったり、逆にカウンセラーさんのところへ行きたかったけど予約が2カ月待ちだからこっちに来ましたって方がちらほらいるんですよね。人や友達として楽しい時間をご提供するのはもちろんなんですが、カウセリングの一歩手前、まず一回自分の話を吐き出せるような場所として、認知してもらえるようにしたいなと思っています。私たちは専門家ではないけれど、話を聞くことや向き合うことはできる。キャストの中にはメンタルに関する知識がある方や、実際に鬱病になったことがある方、セクシャルマイノリティの方もいたりするので、悩みを抱える方がもっと身近に自分の悩みを打ち明けられる場所を作っていきたいです。
2023年07月09日取材・文:太田冴撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、表参道ヒルズに構えるウェルフードマーケット&カフェ「imperfect表参道」を運営するimperfect株式会社代表取締役社長の佐伯美紗子さん。コーヒーやチョコレートなどの生産現場に存在する貧困や搾取などの社会問題に向き合いながらも、美味しくておしゃれな商品を通じて無理なくサステナブルな社会を目指し、日々奮闘しているといいます。穏やかで優しい語り口の裏には「社会を良くしたい」というまっすぐで力強い思いがありました。佐伯美紗子さん1985年大阪府生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、その時の経験から「いつか社会や経済の仕組みを変えたい」という想いを抱くようになる。帰国後は国内の大学に進学し、2008年大手総合商社に新卒入社。2019年「imperfect 株式会社」の設立に携わり、マーケティング部⻑就任。ウェルフードマーケット&カフェ「imperfect 表参道」を同年7月に開業。2022年8月に代表取締役社長就任(現任)。■人見知りで物静かだった幼少期、海外で過ごした10代Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?あまり悩んだりしない、楽観的な性格でした。すごく人見知りだったので、大勢の友人と一緒にいるというよりは、一人で過ごす時間が好きでした。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても賑やかで仲が良い家庭でした。特に中高時代は親の仕事の都合で、家族みんなでアメリカに住んでいたこともあり、出かけるときは常に家族一緒。多感なティーンエイジャーの頃ですから一般的には家族と距離が出来やすい年頃だと思いますが、そんな時期でも常に一緒だったのですごく仲が良かったんじゃないかな。姉がいるのですが、姉妹それぞれ好きなことを自由にやらせてもらえる環境だったと思います。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?みんなの前で何かをする、というようなことは苦手だったので、物静かなほうだったと思います。アメリカの学校に通っていた時も、日本に帰国してからも、ハンドベル部に所属していました。Q.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?大学の近くにある不動産会社で働いていました。一人暮らしを始める高校3年生や大学1年生のお客様に、カウンターで物件を紹介するお仕事でした。特に2~3月は繁忙期で、忙しなく働いていたのを覚えています。Q.5 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?経済学部で、株式市場分析などを学んでいました。また、ベルギーでホームステイをしていた時期も。幼少期からアメリカやメキシコには住んだことがありましたが、ヨーロッパには縁が無く初めての経験。伝統的な暮らしや街並みが残る地域ですごく魅力的だったのを覚えています。また、私は当時からチョコレートが大好きで、おいしいお菓子をいっぱい食べられるのも最高でした。ベルギーって、ショコラティエさんが営んでいる小さなチョコレート屋さんが町中の至る所に並んでいるんです。今日はここのお菓子を食べよう、明日はあそこの……と、毎日楽しんでいました。今ではチョコレートを扱う事業を行っているのですから、なんだか繋がっているものですね。■「SDGsってビジネスになるの?」懐疑的な声と戦った創業期Q.6 社長に就任するまでの経緯を教えてください。元々新卒で総合商社に入社したのですが、その後事業として立ち上げたのがimperfectです。会社員でしたから、社長になりたいとか起業したいという意思があったわけではありません。ただ、当時は今ほどSDGsやサステナビリティが注目を浴びていない時代。自分の手がけるビジネスが社会に対して良い影響を与えるためにはどうすれば良いのか、ということを考えた結果、最適な方法が会社を立ち上げる、ということでした。会社という形態にすることで、私たちのやりたいことができる、と思ったのです。設立当時は私の上司にあたる人が社長を担っていましたが、当初から「いずれは佐伯に任せようと思っている」と言ってもらっていて。いずれは、くらいの気持ちでいたのですが、まさかこんなに早い段階でその時がくるとは。はじめは、自分に務まるのか、という不安でいっぱいでした。Q.7 社長になった当初、一番大変だったことは何ですか?「imperfect」では「私たち生活者のみならず、世界や社会にとってもWell(良い)」という意味を込めた「ウェルフード&ドリンク」を提供していますが、創業当初の2019年は今ほどサステナビリティやSDGsが浸透していなかったため「本当にビジネスとして成り立つのか」という懐疑的な意見も多くありました。株主をはじめ事業に関わってくださる方々に対してこのビジネスの重要性や未来を信じていただけるよう説得するのが非常に大変でした。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?私たちがサポートしている農園の方々が喜んでくださることが一番うれしいです。皆さんはカカオやコーヒー豆などを栽培していらっしゃいますが、それがどのような商品に生まれ変わって販売されているのか、というのを知らない方は多い。そこで、実際に表参道の店舗に来ていただいたり、動画や写真を用いてお店や商品の様子を見ていただいたりしています。遠く離れた日本でこんなふうに自分たちが作ったものが消費者に届いていると知ることができて、すごく喜んでくださるんです。Q.9 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?ふたつあるのですが、ひとつはやはりお客様が私たちの商品をみて「おいしそう」「かわいい」と言ってくださる姿を見る時。純粋に、とてもうれしく思います。そして、もう一つは、従業員が楽しそうに働いている姿を見る時です。特に私たちの事業は、伝えたいコンセプトやメッセージが強く、かつはっきりしています。それを従業員の皆が同じレベルで共有できていることが事業の成功につながると考えているんです。■1日の終わりは“前向きな振り返り”で気持ちをリセットQ.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝はあまり強くないので、ゆっくりシャワーを浴びて身支度をして出社します。そこから23時ごろまで会社にいますね。すごく長いと思うのですが、実はそこまでしんどくないんですよ(笑)。あまりプライベートと仕事の境目を作らないタイプだからかもしれません。会社にいるからといってずっと根を詰めて働いているわけでもありませんし、逆に家にいるからといって仕事のことを忘れているわけでもありませんから。午前中から午後過ぎまでは社内外との打ち合わせが詰まっていて、チームメンバーからの相談を受けたり自分で考えごとをしたりする時間は夕方以降。帰宅後は寝る支度をしてベッドに入ります。香りものがとても好きなので、キャンドルを焚いてリラックスしながらゆっくり考えごとをしています。Q.11 自宅でのルーティーンはありますか?夜ベッドに入った後、一日を振り返る時間を作っています。例えばメンバーとの会話を振り返って「もう少しああいう伝え方をすればよかったな」とか「明日はこれを伝えよう」とか、頭の整理をするんです。やはり人間なので当然気持ちの浮き沈みもありますが、それを表に出すのは避けたい。できる限り自分自身が穏やかでいられるように、そうして振り返りをして気持ちを鎮めてから眠るようにしているんです。よく「逆に眠れなくなるのでは?」と聞かれますが、どちらかというと早く明日にならないかな、くらいの気持ちで眠りにつけるんですよ。振り返りをしていると、メンバーに伝えたいことがたくさん出てきます。「ああすれば良かった」という後悔や反省の気持ちよりも、「明日はあのメンバーに“ここが良かったよ”って伝えよう」などと思って寝るので、明日がくるのが楽しみになるんです。Q.12 お休みの日は何をされていますか?私、寝ることと食べることがすごく好きなんです。なので、休日はとにかくおいしいものを食べておいしいお酒を飲んで、ゆっくり眠る。これが一番幸せです。あとは、本を読むのもすごく好きです。小説もビジネス書も読みますが、一番好きなのは真山仁さんの経済小説『ハゲタカ』シリーズ。あとはキャンドル集めも好きで、家に20〜30個くらいはあるので、毎日その中から気分に合う香りを選んでキャンドルウォーマーで楽しんでいます。要するに、かなりのインドア派ですね(笑)。■ロールモデルは船の仕事をしていた祖母の存在Q.13 何歳まで仕事をしたいですか?考えたこともなかったですね……。というのも、私の祖母がずっと働いていたんです。時代的に自分で仕事をする女性はそう多くなかったはずですが、船の設計周辺に関わる仕事をしていてすごくアクティブな女性だったんです。そんな祖母の姿を見ていたからか、いくつになっても元気に働いていることが自然に想像できるんだと思います。将来の夢は “かわいいおばあちゃん”になること。もちろん顔がかわいいという意味ではなく、すごく穏やかで優しい雰囲気をまとっているおばあちゃんになりたいんです。それまでの人生に自分なりに自信を持ち、自立している人こそ、歳をとったときにそういう雰囲気を醸し出せるのだと思うから。Q.14 プライベートで悩みはありますか?全然無いです。もちろん仕事でもプライベートでも考えることはいっぱいあるのですが、“悩む”ことはありません。あれこれ悩むことは解決にはならないと思うんです。課題があったらその時に出せるベストな回答をすぐに出す。それで解決しなかったらまた考えて次の手を打つ、というように、ただ漠然と悩む時間は持たないようにしています。あとはやっぱり、おいしいものを食べてゆっくり寝て、忘れちゃうことも大事です(笑)。Q.15 今後の展望を教えてください。せっかく社会に関わって生きているのであれば、何かしら自分自身が社会に対してプラスになれることをしたいと思っています。今はそれが幸いにも事業を通じて叶えられているので、より一層成果をだして、生産者も含めた世の中を少しでも良くしていきたい。歳を重ねて、仮にそれが事業という形ではなくなったとしても、私という人間が関わることで少しでも社会を良くすることができれば、と思います。
2023年06月20日取材・文:ameri撮影:稲垣佑季編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でも、リーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて……そして仕事をしている普通の人。そんなリーダーの素顔を探るべく、今回はGCIヘルス日本代表の山田千登勢さんにインタビュー。現在は明るく快活な印象を受けた山田さんですが、幼少期は引っ込み思案だったのだとか。そんな引っ込み思案の少女が、世界唯一のヘルスケア業界に特化したPR会社・GCIヘルスの日本代表になるまでの軌跡を伺いました。山田千登勢さん2021年1月よりPR エージェンシー、GCI ヘルス・ジャパン日本代表。医薬品業界において23年間のマーケティングならびにコミュニケーションを経験。GCIヘルス入社前は、エデルマン、ウェーバーシャンドウィックのヘルスケアセクターの責任者を歴任。医薬品業界以外に、新卒から約10年間の国内外での旅行業ならびにホテル業の経験を始め、自動車メーカー、金融メーカー等における営業マーケティングの業務も経験。■転校を繰り返した幼少期から学生時代までQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?小学4年生くらいまでは本当におとなしい子でした。母親の影に隠れて全然喋らないし、写真に写ってもいつも下を向いている、そんな女の子だったんです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?両親と4つ上の姉がいて、京都で生まれました。姉が積極的な性格だったこともあり、それに押されて控えめな性格だったのかもしれません。おとなしいせいでいじめられて、毎日泣いていた幼少期でしたね。そして、父親が国家公務員で転勤族だったので、小さい頃から高校生まで、2〜3年周期でいろいろなところへ転勤を繰り返す生活をしていました。Q.3 おとなしめの性格だと、新しい環境に飛び込むのは大変だったのではないですか?そうなんです。転校が多かったことがきっかけで、人を見て「この子にくっついておけば無事だろうな」と見極める、ずるい子になってしまいました。ところが、転校の頻度が増えてきた小学5年生から急に元気いっぱいになって。よく喋る・よく笑う・友達もたくさん作れる子になったので、今度はそれが目立ってしまい、逆にいじめられ……。高校卒業までは本当にキツかったですね。Q.4 転校はどれくらいの頻度で?小学校で3回、中学校では2回、高校では3回転校を経験しました。高校時代は毎年違う高校に行っていたので、友だちを作る以前に、その環境に慣れてみんなと仲良くすることが自分にとって優先度が高くなっていましたね。でも、実際は仲良くする余裕もなかったですし、逆に仲良くなると今度はお別れがとても悲しくなってしまうから、自分の中でセーブして生活していたように思います。Q.5 学生時代にバイトはしていましたか?大学時代は、外国人観光客へ国内旅行ツアーを提供する旅行会社で、通訳ガイドの方のアシスタントをするアルバイトをしていました。というのも高校2年生の時に、アメリカから来た交換留学生の子が、うちで3カ月ホームステイしていたんです。若くて英語の吸収が早かったこともあり、3カ月間彼女とずっと一緒に過ごしたことで、大学入学時すでにかなり英語が話せるようになっていました。という背景もあり、英語を使えるアルバイトを探して、そこにたどり着きました。当時は今よりかなり円安の時代。アメリカやヨーロッパからたくさんの方が日本に旅行に来ていました。毎朝都内のホテルに迎えにいき、話をしながら目的地へ連れて行ったり、空港まで迎えに行き、今で言うコンシェルジュのようにホテルでチェックインをはじめ、滞在中の質問に答え手配までしたりと、そういう役割を担っていました。いろいろな国の方と話をすることで耳がどんどん慣れていきましたし、とても楽しく有意義な経験をさせてもらったと思っています。Q.6 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?私の時代は4年制の大学に進む女性が本当に少なかったんです。ですが、うちは両親が「4年生の大学に行け」と最初から言っていたんですね。そして、高校生の時にアメリカへ留学をしていた姉が「大学に入るのであれば、そして仕事をしたいのであれば、経済学部が法学部に入るべき」と言っていて……。私はその言葉を頑なに信じて経済学部の商学科に進学し、マーケティングや経営を学んでいました。Q.7 留学は経験されましたか?いえ、留学は経験していません。ですが、やはり私にとって高校時代の交換留学生との交流、そして大学時代のアルバイトを経験できたことが英語の面でとてもラッキーだったと思います。さらにラッキーだったのが、大学卒業後の最初の仕事がハワイだったこと。そこで英語力をより向上させることができました。■旅行業やホテル、さまざまな業界で経験重ね、医薬品業界へQ.8 これまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?卒業後すぐのハワイでの仕事は旅行業でした。大学生の時にアルバイトをしていた旅行会社から紹介され、「行く!」と即答。約4年間ハワイに滞在し、仕事をしていました。そして日本に戻ってからは、スイス航空が直経営しているホテルチェーンの日本法人で営業マーケティングを担当。ですが、湾岸戦争の影響でいろいろな業界がダメになってしまい、私の働くホテル業界もお手上げに。突然日本のオフィスをクローズすることが決まったんです。ただ、日本のお客様をスイスに送るツアーを多く企画していたので、「自分のお客様をスイスで受け止めて、改善点のレポートを作ってくれるならスイスに来ていいよ」と本社から言われ、スイスのチューリッヒで1年間働くことになりました。Q.9 日本に帰国してからは転職をされたんですか?帰国後は、スイスにいた経歴を買われ、パリに本社を持つ老舗高級ホテルチェーンにヘッドハントされて、営業マーケティングの担当として移りました。ただ、日本支社の人間関係が良くなく退職。それまではラッキーの連続でしたが、ここからはかなり苦労したんですよね。というのも、湾岸戦争でホテルの統合が進み、さらに当時最高峰のホテルチェーンで働いてしまったこともあり、ホテル業界では道が絶たれているなと。なので、30歳半ばから40歳くらいまでは業界を変えて転職をしていたのですが、なかなかそれまでのように打ち込める仕事にめぐり逢えず……。ただ、一貫して外資系であること、また営業マーケティングの職種を固持していました。そして、40歳になった時に、今も働いている医薬品業界の道に入りました。Q.10 医薬品業界でリーダー職を目指したきっかけを教えてください。医薬品業界は理系の人が主流の業界なので、この業界ではリーダーになれるとは考えていませんでした。私の担当は、コーポレート・マーケティングとコミュニケーション部門の責任者でした。製薬業界だけを経験してきた人たちが多い中で、違う業界でマーケティングと企画営業を経験し、いろいろな引き出しを持つ人間は珍しかった。その引き出しを開けて試したプランニングが妙にハマったんですよね。最初は反感もありましたが、成果を出していくうちに異色の経歴を持つ私を面白がってくれて。医薬品業界のイロハをドクターや研究開発の人が丁寧に教えてくださり、多くの知識を得ることができました。初めは馴染めなかったのですが、数年経ってからは人の命にかかわる貴重な仕事と思えるようになりました。また、医薬品業界はこのぐらいからイノベーションが常に起こり始め、それを知ることも大きなモチベーションに。働いていると、上手くいかない時は「どうして自分ばっかり上手くいかないんだろう」と思ったり、やりたくないことをやらされたりすることってありますよね。でも、その経験がいざという時の引き出しになるんです。無駄だと思うことも、嫌だと思うことも、真面目にきちんとこなしているといつか花開くことがあるのだなと、自分の経験から感じました。Q.11 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?GCIヘルスは、経営陣の99%が女性という特徴のあるPRエージェンシーなんです。アメリカのCEOもAPACのプレジデントも、私のような各国のカントリーマネージャーもほぼ女性。政治的な駆け引きが一切なく、お互いに助け合いの気持ちが強い環境がとてもやりやすく、心地よいです。これまでいろいろ経験してきましたが、これほど自分を受け入れ、リスペクトしてくれて、サポートしてくれる環境に出会えたのは初めて。本当にとても良い環境に来られたのだなと感じられたことが一番うれしかったです。■平日は休憩を取りつつ、朝から夜まで仕事Q.12 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝8時ごろから、グローバルから来たメールを見始め、12時くらいまでメールのチェックをしています。現在はほぼワークフロムホームの働き方をしているのですが、必ず12時から13時までに昼食を取るようにし、そこで少し仮眠を取ることもあります。そして、13時半、14時くらいから18時ごろまでミーティングをこなし、一旦終了。その後、グローバルのミーティングが20時だったり22時だったりにセットされていることがあるので、そこまで休憩してからミーティングに参加しています。平日の仕事をしている時間は長めですね。Q.13 毎日のお仕事で何をしている時間が一番長いですか?新規ビジネス開拓やPRコンサルに関するミーティング、ドキュメンテーションが長いです。ミーティングは、多い時は1日に5〜6回参加することもあります。そして、PRは書くことも多いですね。小学生の頃は作家を目指していたこともあるくらい書くことがかなり好きなので、そこは楽しんで仕事をしています。ナラティブやスピーキングポイント、プレスリリースなどのコンテンツ作成や企画書作成などの、集中して書く時間も仕事の中の大きな割合を占めています。■“推し活”でリフレッシュ。目標は「生涯現役」Q.14 お休みの日は何をされていますか?そもそも休みの日はありますか?はい。オンオフの切り替えはハッキリしている方だと思います。以前は、遊びに行きつつも携帯をチェックして仕事をして……ということをしていたのですが、最近はもうやらないことにしているんです。日曜日の10時〜14時に掃除に来てもらっているので、その間だけは仕事をして、それ以外は全部リフレッシュに充てています。リフレッシュは、エステや美容院、整体など自分メンテナンス。そして、“追っかけ”をやっているので、推しの彼が出るライブはもれなく、くまなく行っています!推しの彼は、天才でありながら努力家。同年代ですが、ずっとかっこいいし、なによりも進化し続けているんです。彼を見ていると私も進化していかないと、と思えますし、パワーをもらって「明日からも頑張ろう」という気持ちになれるので、ライブに行き続けています。そして、リーダーという立場として、私も会社のみんなにパワーをあげなければいけないなとも思っているんです。体の調子や気分が悪くても、多忙な日々が続いても、常に笑っていたいなと。「千登勢が笑っているから自分たちも笑おう、頑張ろう」となってくれたらいいなと思っているので、私は大体いつも元気と明るさの塊みたいに笑っています(笑)。Q.15 何歳まで仕事をしたいですか?人生100年時代で、まだまだ元気であれば働ける時代。ですから、生涯現役でいたいと思っています。そのためには、新しいものを生み出していく必要があるかなと。今はそれを模索中です。Q.16 将来の夢はありますか?書くことがとても好きなので、もしかすると作家のようなことに挑戦するかもしれないし、それこそ、自分の経歴の引き出しを開けて講演会をするかもしれません。まだ分からないけれど、チャレンジしていきたいなと思っています。また、2023年現在、日本でビジネスを初めて3年目となるGCIヘルスですが、よりビジネスを大きく展開していき、才能のある方にたくさん入ってもらうことを第一の目標として掲げています。目標を達成できたから引退ではなく、さらに次の目標を掲げ、新しいことに挑戦し続けていきたいですね。そんな人生を死ぬまで送っていけたらいいなと思っています。◇InformationGCIヘルス刻々と変化するヘルスケア環境のもと、常に新しい発想をもって挑み続ける世界唯一のヘルスケア業界に特化した統合型グローバル・コミュニケーション・エージェンシー。日本を含め、経営幹部の9割以上が女性。働く女性を応援しています。本社をニューヨークに置き、世界中に展開をしており、日本では2021年に設立し、今年で3年目。APACリージョンで、ベストヘルスケアPRコンサルタントエージェンシーを含む数多くの賞を受賞。
2023年06月16日各国の映画祭で高い評価を得たドキュメンタリー『70歳のチア・リーダー』より予告編が解禁された。米国フロリダ州を拠点に、年間100回以上もの公演を行い、週に3回の練習をこなすシニア女性だけのチア・ダンス・チーム<カレンダー・ガールズ>(Calendar Girls)を追った本作。この度解禁された予告編では、メンバーの女性たちのカラフルな衣装と華やかなダンス、さらに持病との闘い、夫の無理解、老いとの向き合い…それぞれが置かれた状況に翻弄されつつも、仲間と支え合いチア・ダンスに励む前向きな彼女たちを映し出していく。2005年からフロリダ南西部の人々の心をつかんできたカレンダー・ガールズ。映像では、様々な衣装に身を包み、キラキラのメイクでパフォーマンスを披露する彼女たちが切り取られている。互いに励まし合い、サポートしながら全力で踊る姿に、見ているだけで元気づけられる。『70歳のチア・リーダー』は6月23日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開。(text:cinemacafe.net)
2023年06月04日ドキュメンタリー映画『70歳のチア・リーダー』が、2023年6月23日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開される。チア・ダンス・チーム「カレンダー・ガールズ」とは?「カレンダー・ガールズ」は、アメリカ・フロリダ州を拠点に、年間100回以上もの公演を行い、週に3回の練習をこなすチア・ダンス・チーム。カウガールや海賊、ユニコーン、ディズニー映画『アナと雪の女王』のエルサなど、幅広いジャンルの奇抜なコスチュームで知られる。シニア女性の彼女たちの体形は様々で、皴もありながら、キラキラのメイクと超ミニスカートでパワフルにダンスを披露する姿で多くの人々を惹きつけている。シニア女性だけの“チア・リーダー”たちを追うドキュメンタリー映画『70歳のチア・リーダー』は、マリア・ルーフヴードとローヴェ・マルティンセンの撮影により、「カレンダー・ガールズ」の活動を追ったドキュメンタリー。好奇心と探求心、制作意欲に溢れたシニア女性のチア・リーダーたちが織りなす友情と連帯、夢とユーモアいっぱいの“青春物語”となっている。2022年には、フォートマイヤーズ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞受賞、サンダンス映画祭に正式出品された。チア・リーダーたちの青春を映し出す「カレンダー・ガールズ」に所属する前向きでおしゃれが大好きなメンバーたちには、様々な過酷なバックグラウンドがある。持病との闘い、夫の無理解、服役していた過去、老いとの向き合いなど…。全員何かしらの悩みや困難を抱えつつも、メンバー同士で励まし合い、全力でサポートし合う。そんな彼女たちはまさに、“青春”の真っ只中にいるのであった。また、周囲の目線によるやりづらさも感じながらも、彼女たちはそれらをはねのけてやりたいことを追求し続ける。それはすなわち、“シニア女性”であることへの挑戦とも言えるだろう。“老い”や“おばあちゃん”のイメージを揺るがす、彼女たちのダンスに注目だ。【作品詳細】ドキュメンタリー映画『70歳のチア・リーダー』公開日:2023年6月23日(金)監督:マリア・ルーフヴード、ローヴェ・マルティンセン製作・撮影・編集:マリア・ルーフヴード、ローヴェ・マルティンセン音楽・音響:ローヴェ・マルティンセン出演:キャサリン・ハーディ・ショートリッジ、フラン・ド・ニケ、ナンシー・ミラー、スー・クーンス、パトリシア・ヒンショー・ダースヘム配給:パンドラ原題:Calendar Girls
2023年04月13日「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー」などのネタで、かつて一世を風靡(ふうび)した女性エンターテインメント集団の『あやまんJAPAN』。2023年2月2日、『あやまんJAPAN』でリーダーを務める、あやまん監督さんが、結婚と第1子の出産を明かしました。【ご報告】この度あやまん監督が男児を出産、入籍いたしました「子宮筋腫手術、不妊治療を経ての高齢出産で不安のほうが大きかったですが、無事に産まれてくれて感謝顔射ですこれからは監督、社長、そして母親としてより一層精進してまいりますので宜しくお願い申し上げマッスルスティックー」 pic.twitter.com/DzNuJDKLaP — あやまんJAPAN株式会社【公式】 (@ayaman_kk) February 2, 2023 12歳年下の一般男性と結婚したという、あやまん監督さん。43歳で出産したあやまん監督さんは、「子宮筋腫手術、不妊治療を経ての高齢出産で不安のほうが大きかったですが、無事に産まれてくれて感謝」と喜びをあらわにしました。あやまん監督さんの出産や結婚報告などに、「ビックリしました!おめでとうございます!」「母子ともに元気そうでよかったです!」と多くのファンから祝福の声が続出。あやまん監督さん、ご結婚とご出産、おめでとうございます![文・構成/grape編集部]
2023年02月02日日常では何かと理不尽なことも多く、モヤモヤするような出来事もあるのではないでしょうか?そこで今回は、実際に募集した“モヤモヤを吹き飛ばしたスカッと体験談”「墓穴を掘ったリーダー」を漫画にしてご紹介します!「墓穴を掘ったリーダー」出典:lamireお客様対応中なのに、電話を保留にされた…出典:lamireリーダーは身勝手な発言を…出典:lamire社員たちの前で赤っ恥をかくはめに!出典:lamireお客様との電話を保留にして遮り、必要のない会話をしてくるリーダー。最終的には社員たちの前で自分の身勝手な発言が公開されてしまうという、恥ずかしい結果になってしまったようですね。次回の「スカッと体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを漫画化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。(lamire編集部)(イラスト/ぬゆの)"
2023年01月06日日常では何かと理不尽なことも多く、モヤモヤするような出来事もあるのではないでしょうか?そこで今回は、実際に募集した“モヤモヤを吹き飛ばしたスカッと体験談”「傲慢なバイトリーダー」を漫画にしてご紹介します!「傲慢なバイトリーダー」すぐに怒鳴ったり悪口を言ったり…ゴミ箱を蹴ってゴミをまき散らした!?普段は見かけたことのない本社の人たちが!新しいバイトリーダーが来てくれた!機嫌が悪いとき人や物に当たる行為は周りの人を嫌な気持ちにさせますよね…。しかしまさに「天罰」のような展開にスカッとしました!次回の「スカッと体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを漫画化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。(lamire編集部)(イラスト/まひろ@)"
2022年12月31日皆さんは、日常生活で何かトラブルに巻き込まれたことはありますか? 今回は「トラブルエピソード」を募集して作成した記事について、読者からの感想をまとめてみました!「嫌味なバイトリーダーの因果応報」出典:lamire仕事は楽しいけど…出典:lamire人格を否定するようなことまで言われて…出典:lamireそんなある日…出典:lamire必至に面接を受けるバイトリーダー出典:lamire私に気づくと顔を青くして…出典:lamire面接で質問してみると…出典:lamireしどろもどろに…!出典:lamire読者の感想スカッとするお話ですね。まさか自分が志願する会社の面接にアルバイトの子がいるとは思いませんよね…。これを機に高圧的な態度を改め、ミスをした人に対して優しく手を差し伸べられる人物になってくれるといいなと思いました。(27歳/パート)立場が逆転するというまさかの展開にすっきりしました。人間って一度焦るとなかなか冷静さを取り戻せないのだな…と、このエピソードを読んでつくづく実感しました。(23歳/アルバイト)バイトリーダーさん、さぞ驚かれたことと思います。面接で血の気が引いていく姿を想像するだけで笑えてしまいました。小さい頃に“悪いことをすると必ず自分に返ってくるよ”と親に言われたものですが、まさにそんな感じだと思います。私も日頃の行動に気をつけようと思いました。(58歳/主婦)※こちらは実際に募集したエピソードを漫画化しています。(lamire編集部)(イラスト/ちーず)"
2022年12月01日日常では何かと理不尽なことも多く、モヤモヤするような出来事はありませんか? 今回は実際に募集したそんなモヤモヤを吹き飛ばしてスカッとさせてくれるエピソードをご紹介します!墓穴を掘ったリーダー私はコールセンターで、派遣社員をしています。職場には、プライドが高いリーダーがいました。ある日、私が電話対応をしていると、リーダーがその電話をわざわざ保留にして、受電中に言わなくてもいいことを長々と私に言いました。私が対応中の電話を保留にすることで、私宛のクレームが入るよう嫌がらせをしたかったのだと思います。保留を解除する権限はリーダーにしかなかったので、「○○さん(リーダー)、電話口のお客さまに失礼ですから、早く保留を解除してください!」と何度も頼みました。しかしリーダーは「電話代はあっち(お客さま)が払うんだし、そのお金で私たちの給料が出てるからたくさんむしりとらなきゃ」と吐き捨てる始末。ところが…いつの間にか保留が解除されていたようで、ここまでのやりとりが電話口に筒抜けになっていたのです。電話口のお客さまは、私が発したリーダーの名前をしっかり聞いていたようで、本社に直接クレームが入りました。電話でのやりとりは全て録音されており、会社の全員の前でその録音が流されたので、リーダーはとても恥ずかしそうにしていて、スカッとしました!(女性/派遣社員)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?人に対して嫌な態度を取る人は、放っておいて正解かもしれませんね。反面教師として、自分は周りの人に対して優しくありたいものですね。以上、スカッと体験談でした。次回の「スカッと体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年11月21日日常では何かと理不尽なことも多く、モヤモヤするような出来事はありませんか? 今回は実際に募集したそんなモヤモヤを吹き飛ばしてスカッとさせてくれるエピソードをご紹介します!暴言を吐くバイトリーダー私が学生時代中華料理屋でアルバイトをしていたときのことです。私のバイト先には、いつも暴言を吐き、ときには手を出してくるようなバイトリーダーがいました。そんな彼には、誰が見てもお気に入りだとわかる、アルバイトの女性がいます。その女性に対してはいつも優しくニコニコした表情を見せていました。ある日のことです。私が料理のオーダーをミスしてしまい、「お前は本当に使えない。早くやめちまえ!」と周りのお客さんに聞こえるくらい大声で怒鳴られました。出典:lamireそこに偶然近くにいたお気に入りの女性が、お客さんに対して「大声でみっともない姿をお見せして大変申し訳ありません。」と言ったのです。それを聞いたバイトリーダーは小声で「すみません。」とお客さんに謝り、背中を丸くしていました。バイトリーダーに対して、チラッと睨みをきかせて去っていく女性の行動にスカッとしました。(男性/会社員)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?人に対して嫌な態度を取る人は、放っておいて正解かもしれませんね。反面教師として、自分は周りの人に対して優しくありたいものですね。以上、スカッと体験談でした。次回の「スカッと体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年11月15日日常では何かと理不尽なことも多く、モヤモヤするような出来事はありませんか? 今回は実際に募集したそんなモヤモヤを吹き飛ばしてスカッとさせてくれるエピソードをご紹介します!すぐに怒るリーダー飲食店でアルバイトしていたときのことです。キッチンでアルバイトをしていたのですが、そこのリーダーがとても感じの悪い人でした。誰にでもすぐに怒り、怒鳴りつけたり、過剰な悪口を言ったりするのでアルバイトの人たちにとって近づきづらい存在になっていました。ある日、いつも以上に機嫌の悪かったリーダーが怒りながらゴミ箱を蹴り、ゴミをばら撒きました。出典:lamireそのまま片づけることもなく過ごしているためしかたなく片付けていると、普段は見かけたことのない本社の社員の方たちが出てきました。私は知らなかったのですが、ちょうどゴミ箱を蹴っているときに本社の人たちが来て見ていたようで、リーダーは呼び出されていたようです。本社の人たちがゴミの片付けを手伝ってくれ、翌日からそのリーダーは出社せず、新しいとても優しいリーダーが来てくれるようになりました。(女性/会社員)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?人に対して嫌な態度を取る人は、放っておいて正解かもしれませんね。反面教師として、自分は周りの人に対して優しくありたいものですね。以上、スカッと体験談でした。次回の「スカッと体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年11月06日日常では何かと理不尽なことも多く、モヤモヤするような出来事はありませんか?今回は実際に募集したそんなモヤモヤを吹き飛ばしてスカッとさせてくれるエピソード「嫌味なバイトリーダーの因果応報」を漫画にしてご紹介します!「嫌味なバイトリーダーの因果応報」出典:lamire仕事は楽しいけど…出典:lamire人格を否定するようなことまで言われて…出典:lamireそんなある日…出典:lamire必至に面接を受けるバイトリーダー出典:lamire私に気づくと顔を青くして…出典:lamire面接で質問してみると…出典:lamireしどろもどろに…!出典:lamire散々高圧的な態度をとるバイトリーダーに訪れたまさかの事態…!人に酷いおこないをすると必ず自分に返ってくるので、真摯な行動をとるよう心掛けたいですよね。以上、スカッと体験談でした。次回の「スカッと体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを漫画化しています。(lamire編集部)(イラスト/ちーず)"
2022年08月07日富裕層の闇を描き、韓国で社会現象を巻き起こした衝撃作「ペントハウス」から、注目の若手キム・ヨンデや怪演俳優オム・ギジュンたちの素顔がのぞくメイキングの一部が、DVD-BOX1の特典映像の中から公開された。韓国ドラマのすべての要素を詰め込んだマクチャンドラマ(とんでもない展開が連続するドラマ)の「ペントハウス」。韓国の社会問題を背景に、富裕層たちが狂気に満ちた熾烈な戦いを繰り広げる。怒涛の展開に、シリーズ累計驚異の30冠受賞、瞬間最高視聴率31.1%をたたき出し、社会現象を巻き起こした。今回公開された映像は、富裕層が暮らす超高級マンション“ヘラパレス”のクセが強い住人たちの素顔にフォーカスしたメイキング。完璧主義者で、思い通りにならないと子ども相手でも暴力を振るうダンテが、娘のソッキョンが首席ではなかったとわかるシーンで、ダンテ役のオム・ギジュンがセリフを間違えてNGに。冷徹な役柄とは裏腹に、NGを出してもお茶目にニッコリする彼に現場は和やかムード。また、中世の衣装を着たオム・ギジュン、ポン・テギュ、キム・ソヨンたちのリハーサルシーンも必見。別のシーンでは、ソクフン役のキム・ヨンデがメイキング用のカメラを見つけて、1人笑顔で手を振り、カメラに向かって乾杯をすると、双子の妹ソッキョン役のハン・ジヒョンに「何してるの?」、ヘラパレスに住む同級生ミニョク役のイ・テビンには「(笑顔が)不自然だ」とツッコまれるなど、仲の良さがうかがえるひと幕も。欲望だらけのヘラパレスの住人たちの本編とのギャップは必見となっている。(text:cinemacafe.net)
2022年07月28日