“脈ありだな”と思っていても、彼はなかなか告白してくれないものです。相手が告白したくなるアプローチ方法を紹介しましょう。いつも笑顔でいること自分といるときはいつも笑ってくれている、と印象づけることで相手は告白しやすくなります。嫌いな人といてずっと笑顔でいられる女性は少ないですからね。いつも隣で楽しそうに笑ってくれている女性とは、一緒にいたいと思うものです。彼と一緒にいるときは、いつも笑顔で、そして笑いかけてあげましょう。じっと見つめる男性だって告白するのは勇気がいるものです。告白させるには、この女性は自分のことが絶対好きだ、と思わせることがポイントです。そのためには、相手の目をじっと見つめてみましょう。オーソドックスな方法ですが、相手の心をつかむには効果的と言えます。じっと見つめるということは、自分に興味があるのは間違いない、と思わせるシンプルな方法です。見つめるときは、にらむのではなく微笑む感じを出すことが大事ですよ。口角が下がらないようにしましょう。ボディータッチを増やすボディータッチをすると、相手は「自分のことを男性だと意識している」と感じるでしょう。意識してもらっているなら、告白しても振られるリスクは少ない、と考えるものです。周りに人がいないときや、移動するときなど、さりげなく腕や背中に触れるようにしてみてください。少しだけ距離を置いてみる追われるより追いたい、と思うのが男性の本能です。いつも追いかけてばかりでは、相手に飽きられてしまうかもしれません。頻繁にメールをしたり、話しかけたりした後、少しだけ距離を置いてみましょう。メールやラインの連絡をすぐに送らない、少しだけ他の男性と楽しく騒いでみたりするのもおすすめです。自分のもとから去ってしまうのでは?と焦って告白してくれるでしょう。気のあるセリフを言ってみる相手を意識させることで、告白させるのも方法の一つです。「もっと一緒にいたいなあ」「一緒に話をしてるとアッという間に時間が経っちゃうね」など、ストレートに言ってみましょう。こんなセリフを聞けば、告白してもOKだ、と彼は自信を持ち告白しやすくなるでしょう。
2019年09月25日「雅子さまの笑顔を拝見できて、とても幸せです。皇后となられて新潟に来てくださって、本当に嬉しいです」9月16日と17日、新潟県を訪問された天皇陛下と雅子さま。両陛下の宿泊されたホテルの近くに住む石山イチ子さんは、2日間で3回も両陛下を拝見することができたという。「雅子さまが結婚される前に、ご両親とお墓参りで新潟に来られたときにも、お迎えをしました。26年ぶりのことで、感激しました」新潟県は、雅子さまの父・小和田恒さんの出身地。村上市には曾祖父の生家もあり、小和田家では年越しに、村上市名物「塩引き鮭」を食べるのが恒例になっていたほど“故郷”を大切にしてきた。「雅子さまが新潟から帰郷された翌日の18日は、恒さんの87歳の誕生日でした。大勢の市民の歓迎を受けての“故郷凱旋”は、最高の誕生日プレゼントになったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)恒さんは外務省を退官後、オランダのハーグにある国際司法裁判所で判事や所長を歴任。昨年6月に退任し、現在は妻・優美子さんとともに都内で暮らしている。そんな恒さんは、近ごろある決断をしていたという。宮内庁関係者はこう語る。「実は、恒さんは最近になって運転免許を返納したそうです。今年4月には池袋の交差点で、当時87歳の男性が運転する自動車による暴走事故がありました。運転していた飯塚幸三氏は旧通産省の工業技術院長も務めた人物。恒さんの1歳年上です。同世代の元高級官僚が引き起こした事故をきっかけに、自分も免許返納を……、と決断したのかもしれません」前出の皇室ジャーナリストも、こう証言する。「小和田家は例年、夏になると一家で軽井沢の別荘を訪れています。現地での運転も、もっぱら妻の優美子さんや、雅子さまの妹の節子さんが担当しているそうです」雅子さまはここ数年、ご実家には里帰りされていない。ただ、今年5月1日の御代替わりの儀式にはご両親や妹の礼子さん、節子さんが招待され、雅子さまを見守っていた。「恒さんの免許返納という決断も、雅子さまを心配させまいという心遣いではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇后となった娘のために……。その気持ちは、離れていてもきっと伝わっているはずだ――。
2019年09月24日あなたは、切ない片思いをしていませんか?できることなら両想いになりたいですよね?そこで、片思いを両想いにかえていける心理学テクニックを紹介しましょう!あなたと片思いの彼との共通点を探そう!同じ趣味や同じ出身地、好きなスポーツなどなにか互いに共通点があると仲良くなりやすいものです。これは心理学用語で「同好の報酬性」といいます。あなたと片思いの彼との共通点を、会話中に探ってみてください。もしみつからない場合は、相手の好きな食べ物や映画を聞いて、合わせてみてもよいでしょう。片思い成就には、これくらいの努力も必要になってきます。上手くいけば一緒に食事や映画に誘うことも、できますよね!あなたと片思いの彼と会う回数を増やそう!心理学では「単純接触の原理」といい、会う回数や聞く回数が多くなるほど、相手に親近感を持つ効果を意味します。片思いを成就したいなら、片思いの彼と会う回数を増やす努力をしてくださいね。ただし、同じ学校や職場なら毎日会えるかもしれませんが、そうでない場合はどうすればいいのでしょうか?会えない期間は電話やメールをしましょう。定期的に続けると相手は、あなたに親近感を持つはずですよ!また、定期的に続けてやめると、相手はあなたのことが気になることがあります。好きなあまり、追い過ぎてはダメ!追えば逃げるという恋愛心理はとても有名ですよね?これは「損得回避の法則」といいます。人は無意識に、得することよりも損することを避けようとする傾向にあります。恋愛に置き換えると、得は相手から猛アピールされている状態で、損はこれまで自分に好意があった相手が去ってしまう状態です。猛アタックを受けていると逃げたくなりますが、自分の元から去ってしまうと相手の価値に気がつくことがあります。ですので、追いかけすぎると片思いの彼は逃げてしまうでしょう。両想いになるためには、猛アピールではなく適度なアピールが必要ですね。アピールは押してから引こう!恋愛においては、アピールされていたのに、急に相手に引かれたら気になってしまうことはありませんか?これは、「ツァイガルニク効果」といいます。簡単にいうと、人は完成されたものより中途半端な状態のものに、興味をもってしまう傾向にある心理現象です。あなたが片思いの彼に、積極的に一度アピールをしてその後は引いてみてください。彼はあなたのことが気になってしまうかもしれません。
2019年09月23日乳がん手術から退院された翌日の9月11日、美智子さまは上皇陛下とともに赤坂御所へ向かわれた。紀子さまの53歳の誕生日を祝う夕食会に参加されたのだ。「夕食会には秋篠宮ご一家はもちろん、天皇皇后両陛下と愛子さま、黒田清子さん夫妻も参加したのです。清子さんは上皇陛下とともに、手術当日の美智子さまに付き添われました。また、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻もお見舞いの言葉をお伝えになっていました。美智子さまはそうした“ご一家総出”のサポートへの感謝をお伝えになったことでしょう」(宮内庁関係者)ただ、退院翌日に夕食会に参加された理由はほかにもあるのではないか、と語るのは皇室担当記者。「国際親善でのご活躍など、天皇皇后両陛下に称賛が相次いでいるのとは対照的に、秋篠宮ご夫妻には、小室さん問題についての責任を問う厳しい声が上がっています。眞子さまは紀子さまに対して口を閉ざし、ご公務についての相談を除けばほとんどコミュニケーションがとれない状況が続いているそうです。小室さん問題に悩む紀子さまを少しでも労いたい、そして眞子さまとの親子仲を取り持ちたいというお気遣いから、夕食会に出席されたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)お誕生日に際して紀子さまは、宮内記者会の質問に答える文書を発表された。眞子さまの結婚延期に関しては、推測で答えることを《控えたい》と、回答を避けられたかのように見える。しかし皇室ジャーナリストは、実はこのご回答には重要なメッセージが込められていると語る。「佳子さまの将来については、ご本人に《深く考え、歩んでいくことを期待しております》と綴られていますが、これは眞子さまの現状を念頭に置いたお言葉ではないでしょうか。眞子さまは“深く考えていない”ために小室さんと決別できずにいる、と紀子さまはお思いなのでしょう。そして《成長を支えてくださった方々にも喜んでいただけるよう》との一節は、誰よりも上皇陛下と美智子さまを思い描いて綴られたお言葉でしょう。優しく見守ってこられた上皇ご夫妻をこれ以上悲しませてはならないーー。それこそが眞子さまの“暴走”を憂慮する、紀子さまからの切実なメッセージなのです」美智子さまはこれまで、結婚については眞子さまの内心に触れる事柄であり、ご本人の決心を待つ以外ないと、辛抱強く眞子さまのお気持ちを尊重されてきた。しかし今年7月、本誌は美智子さまの知人からこんな話を聞いた。「美智子さまは、お孫さまのことが心配だとおっしゃっていました」知人は“お孫さま”が誰かは明言しなかったが、前出の皇室ジャーナリストは言う。「美智子さまは、眞子さまのことを気にかけていらっしゃるのでしょう。親しい知人や側近にさえも沈黙を守ってこられた美智子さまですが、このままでは事態が好転することはないと思い直されたのかもしれません」美智子さまは、’10年のお誕生日に際してこう述べられている。《東宮家、秋篠宮家の家族を私はこの上なく大切なものに思っており、その家族一人一人の平穏を心から祈っています》これは雅子さまの健康や愛子さまの登校不安を心配されてのご発言だが、“小室さん問題”はそれらに匹敵するご家族の危機といっていい。「病身をおしてまで夕食会に参加されたことは、ご家族の結束を何よりも大切にされてきた美智子さまの強い意志の表れでしょう。それは、小室さんを大事に思うあまりご両親に対して心を閉ざし続ける眞子さまにとって、美智子さまからの叱責にも等しいものだったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)ご家族勢ぞろいの夕食会がきっかけとなり、再び秋篠宮家が一つになる日は来るのだろうかーー。
2019年09月19日大勢の市民が天皇ご一家を出迎えた、8月19日の那須塩原駅前。集まった人たちからドッと笑い声が上がる場面があった。天皇陛下がハンカチでお顔の汗を拭きながら、笑顔で「ハンカチ王子」とつぶやかれたのだ。実は陛下は昔から、いわゆる“親父ギャグ”を好まれていたという。陛下の独身時代から取材をしてきた皇室ジャーナリストはこう語る。「英国のオックスフォード大学への留学中にできた友人に、日本語の“殿下”という言葉を説明しようとされたときのことです。『私はデンカ』と言ってから天井の照明を指して、『これはデンキ。間違わないように』とおっしゃったそうです。それ以来、その友人にはデンキと呼ばれるようになったと笑っていらっしゃいました」陛下と交流のあった元プロテニスプレーヤーの佐藤直子さんによる本誌への寄稿では、陛下の“自然なギャグ”も紹介されている。佐藤さん宅のパーティに出席された陛下は、テーブルの移動を買って出たものの、テーブルと壁の間に挟まり出られなくなってしまう。すると陛下は、その状態のまま「殿下、出んか」とポツリ。思わず佐藤さんが聞き返すと、はにかんでいらしたという。陛下のユーモア発言はまだまだある。一気に紹介しよう。「もう、竹下景子は卒業しました」(’85年10月、「理想の女性は竹下景子」という5年前の発言を報道陣に蒸し返されて)「決して牛歩しているわけではありません」(’92年7月、結婚が遅れていることについて回答されて。この年の国会ではPKO協力法に反対する野党が牛歩戦術を展開し、話題となっていた)「ロウソクは浮いていませんよ」(’08年1月、学習院女子大での講演で、ご自身が留学されたオックスフォード大学を紹介されて。大学の食堂は映画『ハリー・ポッター』のロケ地となっており、映画では魔法で宙に浮くロウソクが登場している)「ネッシーはいなかったです」(’19年2月、読書感想文コンクールの受賞者との懇談で、ご自身が撮影されたネス湖の写真を見せながら)かつて陛下は、夫婦円満の秘訣を《大変な時にも、「笑い」を生活の中で忘れない》ことだと語られていた。陛下の親父ギャグやユーモアは、国民を愛し、愛される秘訣でもあるのかもしれない――。
2019年09月01日美智子さまが早期の乳がんと診断されたと宮内庁が発表したのは、8月9日のことだった。美智子さまの近況について、親しい知人は心配そうに話す。「私が今年の春ごろにお会いした際、上皇后さまは『5月まで(私の体は)もつかしら、心配なのです』とおっしゃったのです。御代替わりとなる5月まで上皇陛下をお支えし続けることができるのか……。たいへんな過密スケジュールの中で、上皇后さまはそれだけを心配されていました。国民と皇室のために尽くしてこられた60年だったのです。上皇陛下が退位される日まで全身全霊で取り組まれたご負担が、一気にお体の症状として現れてしまったように思えてなりません」上皇陛下とともに、美智子さまは8月下旬に軽井沢と草津で静養され、体力の回復を図られる。そして9月以降に手術を受けられる予定となっている。美智子さまは診断結果を動揺されることもなく受け止められたという。一緒に医師の説明を受けた上皇陛下は「しかるべきタイミングでいちばん良い治療を受けられるように計らってほしい」と話されたそうだ。実は、80代の乳がん患者は増加傾向だという。乳がんに詳しい相良病院臨床研究センター長で乳腺科の柏葉匡寛医師に話を聞いた。「国立がん研究センターによると、’03年からの12年間で80歳以上の乳がん罹患者数は3倍近くまで増加しています。がん全体の罹患者数が2倍になっていることを考慮しても、大幅な伸びです。ただ平均寿命が延び、高齢でも検診に行ける元気な女性が増えたことが患者数増加の要因と思われるので、一概に悪いこととは言えません。早期乳がんとは、腫瘍の大きさが2センチ以内で、リンパ節転移のないものです。手術では腫瘍を部分切除する『乳房温存手術』と、がんが最初にたどり着くリンパ節だけを1~2個摘出する『センチネルリンパ節生検』を行うのが標準的です」美智子さまは6月に心臓弁の逆流症も公表され、両目の白内障手術も受けられた。また、御代替わり前後から急激に体重が落ちてしまったという。次々にお体の軋みが明らかになるなか、84歳での乳がん手術――。前出の知人によると、美智子さまの決断の陰には上皇陛下の愛あふれるお言葉があったという。「上皇后さまは、ご退位後の上皇陛下と静かに過ごすことを楽しみにされていました。それだけに、乳がんという宣告には、やるせない思いでしょう。昨今、上皇陛下は上皇后さまに『あなたと結婚してよかった』と、何度も何度も繰り返しおっしゃっているのだそうです。上皇陛下の愛情が何よりの支えになり、手術と闘病への後押しになっていることと思います」ご退位後、上皇陛下との“愛の新生活”でさらに強まった夫婦の絆が、病魔を乗り越えるための原動力になっているのだろう。手術後には、どういった生活を送られることになるのだろうか。前出の柏葉医師に聞いた。「美智子さまはご高齢であるからこそ、術後には早期に離床され、1日も早く術前と同じ生活レベルに戻すようなリハビリテーションが重要です。また乳がん手術後、再発のリスクを少しでも抑えるには肥満と体重増加に気をつける必要があります。バランスのよい食事と、適度な運動習慣を取り入れることが大切です」上皇陛下が’12年に心臓のバイパス手術を受けられた際には、美智子さまがリハビリをサポートされていた。「上皇陛下も7月には脳貧血でお倒れになり、体調は万全ではありません。それでも、美智子さまを支えたいという上皇陛下のお気持ちは強いはずです」(皇室担当記者)あふれる夫婦の愛で、病魔にもきっと打ち勝てるはず――。
2019年08月26日気になる相手が自分のことをどう思っているのか気になったことはありませんか。気になる相手の気持ちを知る方法をご紹介していきます。恋愛の話を振ってみる相手の男性と普通に話せる仲なら、恋愛の話をしてみましょう。「好きな人がいるんだよね」など、自分の恋愛事情について軽く話しながら、相手の反応を見てください。少し動揺していたり、前のめりで聞いてくるようなら両想いの可能性があります。しかし、ただ単に恋愛系の話が好きな場合もあるので注意が必要です。二人だけのデートに誘ってみる気になる相手とも、友達を交えて出かけたりする機会はあるのではないでしょうか。しかし、二人きりで出かけるのはなかなか勇気が必要ですよね。見たい映画や行きたいお店などを口実に、二人で出かけることを提案してみましょう。恥ずかしがったり緊張していることが分かってしまうと、好きな気持ちに気付かれてしまうので注意してくださいね。もしも乗り気だったら、脈ありかもしれませんね。脈なしの場合は、なかなか二人で出かけてくれないということも考えられます。返事を返さないでおくメールでやり取りをしている時、相手と出来るだけ長く連絡を取り続けたいと思ってしまいますよね。そんな時、気になる相手に対してあえて返事を返さないでおくという方法もありますよ。あまり早く返事を返しすぎてしまうと飽きを感じさせてしまう可能性もあるので気を付けましょう。時間が経ってから、返事をしていないのに再び連絡が来たら脈ありかもしれません。早く返事をしなければいけない用事がある時は、迷惑がかからないように早く返すことも大切です。相手のことを褒める相手に対して素敵だと思うところを褒めてみましょう。「優しいよね」「かっこいいね」など、最初は照れくさいかもしれませんが勇気を出して伝えてみてくださいね。両想いの場合は、相手も両想いであることを感じ取ってデートに誘ってくれるかもしれません。この方法は両想いでも片想いでも、褒められたら嬉しく思ってくれるはずなので好印象を与えたい時に行ってみましょう。
2019年08月05日7月29日、パシフィコ横浜で開かれた「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019」に天皇皇后両陛下が出席された。雅子さまは当初ご予定のないなかでの“サプライズご出席”だったが、開会式からレセプションまで全てのご公務をこなされた。この日の装いは、ネイビーの縁取りとトンボ玉がアクセントになった白いジャケット。令和になってからの雅子さまらしいファッションだった。「お若いころにお似合いだった赤、青、緑、黄色などのビビッドカラーから、最近は白や淡い色合いにされて優しい印象になりました」そう語るのは、ファッション評論家の石原裕子さん。ほかにも、令和での雅子さまのファッションには3つの傾向があるという。■国際交流は和風でおもてなし「トルコのエルドアン大統領夫妻との会見で、皇后として初めて和服をお召しになりました。国際親善の場では、洋装でも和テイストが印象的です。5月に行われた中国駐日大使との御会見、トランプ大統領夫妻の宿泊先御訪問では、お着物の半襟のように、襟と袖の部分に二枚重ねの和風のデザインを取り入れたスーツをお召しでした。2枚とも数年内に作られたスーツで、雅子さまにお似合いのスタイルです」(石原さん、以下同)■レース&ブレードで華やかに「トランプ大統領を招いての宮中晩餐会や、フランスのマクロン大統領とのご会見では美しいレース使いが素敵でした。特に、マクロン仏大統領夫妻をお迎えの際の淡いブルーのアンサンブルは、サテンにレースを貼り付けた2枚仕立てのジャケットが豪華。雅子さまの定番のテーラード・ジャケットは、ブレードや布での縁取り、襟のデザインなどで様々なバリエーションを作られています」特に愛知県ご訪問、日本学士院授賞式、日本芸術院授賞式でお召しになった3枚のシルクのスーツは色違いで、雅子さまのお気に入りだという。■柔和な印象のゆったりシルエット「皇后となられ、ご年齢相応の装いをされていると思います。例えば、麻布保育園の御訪問ではスカートをセミタイトに。愛知県ご訪問時はお若いころよりゆったりしたシルエットのグレーのパンツスーツをお召しに。そうしたシルエットの変化が、落ち着きと気品を醸し出しています。最近の雅子さまの装いには、皇后としての風格が感じられます」8月にも全国戦没者追悼式や、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式など、ご公務でお忙しい日々が続く雅子さま。どんな装いで臨まれるかにも、注目が集まる。
2019年08月01日愛子さまの通う学習院女子高等科が夏休みに入って間もない、7月23日。ペルー、ボリビアご訪問から帰国されたばかりの眞子さまが、天皇皇后両陛下へのご挨拶のために赤坂御所を訪れた。宮内庁関係者は語る。「眞子さまは、両国の大統領から預かったメッセージを、両陛下にお伝えするために赤坂御所に来られました。異例のことですが、実はその場には愛子さまもいらっしゃいました。20分ほどかけて、眞子さまは南米での出来事をお話しになったそうです」愛子さまはちょうど夏休み前の地理の授業で、南米について学んでいたという。「眞子さまが語る現地でのエピソードに、愛子さまはたいへん興味を持たれていたと伺っています。侍従職は宮内記者たちには、愛子さまがいらした理由を『時間が合ったから』と説明していましたが、雅子さまが同席を提案されたのではないでしょうか。愛子さまも近い将来、同じように公務で海外訪問をされることになります。5回目の海外公式訪問を終えた眞子さまからの“特別レッスン”は、貴重な勉強の機会になったことでしょう」(宮内庁関係者)
2019年08月01日上皇陛下は7月11日の夕方、強い脳貧血の症状があり、治療を受けられた。体調が回復された上皇陛下は、15日には美智子さまとご一緒に健康診断を受けられた。すると今度は美智子さまに、一部再検査が必要な項目が見つかったのだ。「6月には心臓の異常が発見され、白内障の手術もされました。まだ再検査の詳細は発表されていませんが、美智子さまのご体調も心配です」(皇室担当記者)だが、白内障手術について報じた記事に対し、ヤフーニュース上ではこんなコメントが。《病気だ、体調悪いアピールする年寄りに限って元気だよね》《いろんな理由をつけて、引っ越しを先延ばしにして、権力を誇示しているのですか?》美智子さまの体調を案じるどころか、心ない言葉の数々が並んでいるのだ。さらにTwitter上には、このような信じがたいツイートも見られる。《皇后雅子さまは上皇夫妻に25年間いじめられてきたの、本当に理不尽だったと思う》《雅子皇后陛下の活躍をもう妨害したり口出ししないで、静かに隠居生活をしていただきたいと心から願います》雅子さまはこれまで、美智子さまにいじめられ続けてきた――。そんなツイートが、御代替わりを機に目立ちはじめているのだ。美智子さまは以前からインターネットを利用されている。’12年に上皇陛下が心臓の冠動脈バイパス手術を受けられた際、パソコンを駆使してリハビリの勉強をされた。美智子さまの古くからの友人も「私がFacebookで親族の介護を日記風に記していると、美智子さまから『とても面白うございました』とご感想をいただき、恐縮いたしました」と話している。美智子さまがネット上の“心なき誹謗”の数々をご覧になっていてもおかしくはない。雅子さまは’03年12月に帯状疱疹を発症され、長い療養に入られた。陛下は’04年2月の会見で《皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも、とても大きなものだったと思います》と述べられている。「独身時代は外務省で活躍された雅子さまですが、皇室に入られてからは“目立ちすぎないように”と気を使っていらっしゃいました。雅子さまにとって、美智子さまと比べられることも大きなプレッシャーになっていたのでしょう。当時、雅子さまの苦しみを理解していたのは、陛下ただ一人だったといっても過言ではないのです。美智子さまも、苦悩を抱える雅子さまに寄り添えなかったことに、忸怩たる思いを抱かれたに違いありません」(皇室担当記者)適応障害という診断が下った雅子さまについて、当時美智子さまは《東宮妃の回復を願い、助けになりたい》と会見で語られていた。しかし、実際には一時期、雅子さまと美智子さまは疎遠になってしまう。上皇陛下が《愛子と会う機会も限られ、残念》と会見で漏らされるほど、両家の交流は途絶えてしまったのだ。当時、美智子さまは知人に「今は、ただ待つしか無いのよ」と、雅子さまに手を差し伸べることもできない苦しさを語られていたという。誹謗の矛先が美智子さまに向いてしまった背景には、皇后となられた雅子さまの著しい“復活”があると皇室担当記者は言う。「天皇陛下が即位して以降、雅子さまは数々のご公務をパーフェクトにこなされ、国際親善での存在感は世界に絶賛されています。これほど急激なご快復は、雅子さまをいじめてきた美智子さまが表舞台から身を引かれたからに違いない――。そんな憶測につながっているものと思われます」しかし、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう話す。「美智子さまは皇太子妃になられて以来、皇室のしきたりの中で大変な思いをされてきました。“いじめ”に近い体験もあったはずです。ご自分がやられておつらかったことを、後進になさるような方ではありません。雅子さまを長い間見守ってこられた美智子さまが、バッシングを受けているという事実は、たいへん嘆かわしいことです」ようやく上皇陛下との平穏な日々を迎えようとされている美智子さま。これ以上のご心労が重ならないことを祈るばかりだ。
2019年07月26日上皇ご夫妻のお住まい・仙洞御所の食堂でのこと。夕食のテーブルにお着きになろうとした上皇陛下が、苦悶の表情を浮かべる。そして、しゃがみこんで床に手を着かれた。「その姿勢さえもおつらいようで、お体を床の上に横たえられてしまわれたのです。すぐに美智子さまが連絡ボタンを押され、侍医と看護師が駆けつけました。緊急の手当てで、なんとかことなきを得ました」(宮内庁関係者)上皇陛下は、一時的に強い脳貧血の症状が出たものと診断された。7月11日のことだった。ISM(イムス)グループ 高島平中央総合病院の福島崇夫脳神経外科部長が解説する。「脳貧血というのは、血圧の低下によって脳にじゅうぶんな血液が届かない状態です。原因としては心臓の病気や脱水症状、加齢などで自律神経系の調整がうまくいかないことなどが考えられます」上皇陛下は昨年7月2日の未明にも、めまいや吐き気など脳貧血の症状があり、3日間にわたり静養されている。「それからというもの、美智子さまは毎日の運動や食事のことなどを考え、上皇陛下の健康維持に努めてこられたのです。退位後は外出されない日も多い上皇陛下ですが、今も美智子さまとお二人そろって、毎朝の散策を続けていらっしゃいます」(前出・宮内庁関係者)
2019年07月26日夢占いには、恋愛に関する夢とその意味について書かれていることも多いですよね。ただ夢で見た内容と結果が全く違うこともあるため、いい内容や悪い内容も必ずそのような結果になるとは限らないようです。そこで今回は、恋愛に関する夢占いの中で「相手と両想いになる夢」の結果を紹介します。両想いになる夢は実はあまりよくない?好きな人と夢の中ででも両想いになれれば、とても嬉しいですよね。そのため好きな人と両想いになれる夢なら、気持ちとしてはいい夢だと思いたいという人は少なくありません。ただ残念ながら、夢占いの面ではあまり意味を持っていないことが多いようです。ただシチュエーションによっては良い夢であることもあるため、夢の内容を覚えている人は具体的なシチュエーションを当てはめながら夢占いの内容を確認してみるといいかもしれません。好きな人から告白されるのは願望の表れ例えば好きな人から告白された、という夢の場合、自分がそうであってほしいという願望が夢に出てきていることを意味しています。それだけならいいのですが、実は深層心理で「こんなことが起きるはずがない」「現実では起きない」という諦めの気持ちが夢に出てきてしまっているということもあります。つまり告白されるだけの夢は、そうであってほしいけれどもそうならないと思い込んでしまっている自分の気持ちを表しているわけです。自分から告白してOKをもらった場合は要注意では自分から告白してOKをもらった場合はどうなのかというと、こちらも自分の願望が夢に出てきてしまっているという可能性があります。ただ願望が出てきてしまっているだけではなくて、相手を好きだという気持ちが前のめりになり過ぎて周りが見えていないという意味にもなっているようです。このような夢を見た人は好きな人のことばかりで仕事や勉強に身が入っていないなんてことも考えられるので、一度冷静に自分の精神状態を振り返ってみるといいでしょう。
2019年07月12日相手のことが好きで追いかけていたはずなのに、好意を向けられると急に冷めてしまう。思い当たる人は、「蛙化現象」を起こしてしまっているのかも。そんな「蛙化現象」とは一体どういうものなのでしょうか?蛙化現象とは蛙化現象とは、はじめは好意や憧れを持っていた異性が自分に好意を持っているとわかった瞬間、相手に生理的な嫌悪感を感じてしまう心理現象のことを言います。名前の元となっているのはグリム童話の「カエルの王様」で、童話では気持ち悪いカエルがかっこいい王子様に変化するのに対し、蛙化現象はその逆でかっこいいと思っていた相手(王子様)が気持ち悪い対象(カエル)になってしまうのです。実は女性の恋愛過程の中ではそんな蛙化現象は決して珍しくはないのです。蛙化現象が起きる原因蛙化現象が起きる原因は、一つではありません。例えば自分に自信がない人は、駄目な自分を意識することで安心している人も少なくありません。常に自分のことは駄目だと自己否定しているので、そんな自分を誰かが好きになるわけがないと思いがちです。なのに憧れていたはずの相手が自分を好きだとわかると、「こんな自分を好きになるあの人はおかしい」と思ってしまうわけです。ほかにも性的な事柄が受け入れられない純粋な人が男性に恋人として迫られることで嫌悪感を持ってしまったり、好きだと思っていたけれども実は異性として好きなわけではなかったというただの勘違いだったケースもあります。この現象を克服するためにはそんな蛙化現象は一種の心理現象なので、なかなか克服できないのではないかと諦めている人も多いようです。しかし実は蛙化現象は、考え方一つ変えるだけで克服することができます。自分に自信がない人は、むしろ「自分は駄目だ」と思い込むことで自信を保っている人が少なくありません。そんな人が蛙化現象を克服するためには、一度自分の良くないところを書き出してポジティブになるように考えてみるという方法がおすすめです。そうしていくと自分は駄目だという思い込みが切り崩されるため、蛙化現象が起きにくくなります。また性的な事柄が受け入れられない人は、リアルな大人の男性に見慣れるようになると現実と理想のギャップに戸惑うことも少なくなってきます。その結果自然と性的な事柄も受け入れやすくなり、蛙化現象を解消できると言われています。このように、蛙化現象は徐々に解決していけるもの。あまり悩みすぎずまずは自分を見直してみて、恋愛ができる心の状態を整えていきましょう。
2019年07月06日車から降りたマクロン仏大統領が、笑顔で天皇皇后両陛下のもとに歩み寄る。陛下と固い握手を交わしたあと、さらに雅子さまの右手を両手で包み込んだマクロン大統領。30秒もの、長い握手だった。6月27日、両陛下はG20大阪サミットのために来日したマクロン大統領夫妻と皇居で会見。続いて宮殿で昼食会が催された。「昨年10月には天皇陛下がフランスを訪問されましたが、雅子さまはご体調が万全ではなく、訪問を断念されました。マクロン大統領も、皇后となられた雅子さまにお会いすることを心待ちにされていたのでしょう」(宮内庁関係者)この日、雅子さまの“おもてなし”が光る場面があったという。「雅子さまは今回もほとんど通訳に頼ることはなく、昼食会ではマクロン大統領と英語で会話されました。その一方で、ブリジット夫人とは英語とフランス語を交えて話されていたのです。実はブリジット夫人はあまり英語が流暢ではありません。雅子さまはお相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)7月1日にはトルコのエルドアン大統領とも会見され、G20で各国首脳が集まる中、存在感を発揮されていた天皇皇后両陛下。11月下旬にはローマ法王が訪日し、さらに来春には中国の習近平国家主席が国賓として招かれる見通し。いずれも両陛下と会見することになる見込みだ。宮内庁関係者が言う。「御代替わりを機に、天皇皇后両陛下のもとに世界のリーダーから会見のオファーが殺到している状況です。とりわけ海外の政府関係者は、雅子さまの人気に関心を示しているようです」5月、国賓として訪日したトランプ米大統領をもてなした雅子さま。『ニューヨーク・タイムズ』は、「雅子皇后はスター」と絶賛した。海外王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、雅子さまが脚光を浴びる一因に、皇太子妃時代の苦難への共感があると語る。「15年以上にわたり雅子さまが療養されていたことは、海外でも知られています。ハーバードやオックスフォードに留学され、外交官として活躍したキャリアウーマンが、皇太子妃となってから思うように活躍できなかったことに、海外メディアは非常に同情的なのです」それゆえに今、皇后になられていきいきとされた雅子さまに大きな注目が集まっているというのだ。「マクロン大統領と通訳を介さずに会話し、笑い合う雅子さまのお姿は、“時代が変わった”と実感させるものでした。今後来日する各国の首脳たちも、その光景を目にする相手国の国民も、同じように感じることでしょう」(多賀さん)再び輝いた雅子さまの笑顔が、日本と世界の懸け橋になる――。
2019年07月04日片思いをしたなら、絶対に両想いになって、恋を実らせたいですよね。相手の心次第なところもありますが、片思い中にどう過ごすかで、その結果が変わってくることも!?そこで今回は、チャンスを掴むためにできることを紹介します。自分の恋の仕方と、答え合わせしてみましょう。■ 不安になることを受け入れる片思いは、相手がどう思っているのか、不安で不安で仕方ないもの。でも、その不安ばかりに目を向けたり、勝手に不安を大きくしたりせず、受け入れることが、両想いになるために必要です。自分自身に相談し、もうひとりの自分が、相談相手になってあげるイメージを作ってみましょう。相談相手になる自分は、客観的な目線から、恋している自分を見てあげるのです。いくら不安に思ったところで、相手の気持ちは変わりません。客観的に自分を見て、不安を受け入れることができれば、前向きに恋の戦略を考えられるようになるはずです。■ 寂しい・不安は会って伝える付き合ってもいないのに、「なんだか寂しくなっちゃって……。会ってくれない?」なんていわれても、正直、重たい印象しか与えません。もちろん、「会いたい」と思われること自体は、男性も嬉しいものですが、重くなるか可愛く見えるかはその理由にかかっています。LINEなどで伝えると、暗い意味にとられかねません。「この前遊んだときすごく楽しかったからさー! 早く会いたいなって思ってたの!」と、会って可愛く伝えるほうが、断然ウケがいいのです。デートのお誘いは、いつも明るく! 寂しい・会いたいなどは、実際に会ってから、「楽しい」「嬉しい」という気持ちとセットで伝えましょう。■ 楽しいことを考えてそれでも、不安の波が休むことなく押し寄せてくる「片思い」。そんなときには、彼にどう思われるかではなく、「彼をどう楽しませるか」を考えてみてください。どうせ彼のことを考えるなら、楽しい時間にするのが正解!次に会ったら、どんなふうに彼に接しますか? 付き合えたら、どこで、どんなデートをして、どんな会話をしたいですか? 妄想は自由です。脳内では遠慮なく、彼としたいことを思い浮かべてください。これを繰り返すだけでも、不安な気持ちが小さくなっているはずです。■ 自分自身をよくする努力を片思いは、自身が成長するチャンスでもあります。そして、こうしたチャンスを利用できれば、たとえ今回の恋が実らずとも、次の恋を掴む可能性をグッとアップできるもの。外見やスタイルを磨いたりすることも大切ですが、内面の自分を磨くなら、人間的な成長にもつながります。気遣いの仕方や、言葉の選び方。コミュニケーションスキルを伴った優しさを磨けば、彼以外の人への接し方にも反映されるでしょう。そうすれば、たとえフラれたとしても、自慢の片思いができたと思えるもの。悲しい・寂しいという思いに襲われることはあっても、復活は早く、次の恋は、成長した自分で挑めるはずです。■ おわりにどんな片思いをするかで、その恋の可能性はもちろん、次の恋で幸せになれるかどうかも変わってきます。自分の気持ちを上手にコントロールし、常に幸せになりたい! という気持ちが大切。すべてを自分の糧にするような恋をしたいものです。(橘 遥祐/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2019年07月01日子どもたちの「いらっしゃいませー!」の声に、にっこりとほほ笑まれた雅子さま。天皇皇后両陛下は6月21日、東京都港区の「麻布幼稚園」を訪問。お店屋さんごっこで交流された。「きゅうりを1つお願いできますか」と、明るくお客さん役をなさった雅子さま。しかしその心中には、非常に気がかりなことが――。皇室担当記者が話す。「6月18日の夜、震度6強の地震に襲われた新潟県村上市は、雅子さまの“故郷”なのです」死者こそ出なかったものの、けが人は5県で計28人にのぼったこの震災。津波注意報が発令され、一時は6千人以上が避難する事態になった。最大震度を記録した村上市は、さらなる災難に見舞われていると地元市民は言う。「村上市は、海水浴などで年間200万人以上が訪れる観光地でもあるのですが、市内の宿泊施設ではキャンセルが相次いでいるのです。実際には被害のない施設がほとんどなので、心配せずに足を運んでいただきたいのですが……」村上市は、雅子さまの曾祖父の生家もある、小和田家ゆかりの地。ご成婚まで、雅子さまの本籍も置かれていた。「市の北を流れる三面川の塩引き鮭が名物なのですが、東京に越してからも、小和田家の年越しの食卓には並んでいたそうです。また、雅子さまのご成婚時に定められた“お印”のハマナスは、村上市の市の花でもあるのです。そんな縁の深い土地ですから、雅子さまは今回の震災に心を痛められていることでしょう」(前出・皇室担当記者)宮内庁関係者が明かす。「両陛下は、今年9月に新潟県で開催される国民文化祭にいらっしゃるご予定です。実は新潟県からは、小和田家のゆかりの地である村上市にも足を運んでいただきたいとの申し入れがあったのですが、宮内庁側はその申し出を断っていました。御代替わりの今年は過密スケジュールとなっており、9月には地方ご公務が重なっていたからです。しかし今回の震災で、両陛下の村上市ご訪問が再検討される可能性が出てくると思います。実現すれば、両陛下の即位後初の被災地ご訪問となります。村上市の人々も、とても勇気づけられることでしょう」村上市はこれまで、陛下と雅子さまのご成婚、愛子さまのご誕生、そして今年の改元に際しても、街を上げてお祝いしてきた。祭りの山車・おしゃぎりを繰り出し、提灯行列が街中を練り歩いたのだ。「雅子さまをお招きすることは、村上市民の悲願ともいえます。ご成婚後、まだ公式に村上市を訪問されたことのない雅子さまも、今こそ“故郷の地”に恩返しをするときと思われているはずです」(前出・宮内庁関係者)3カ月後、地震で傷ついた村上の街に笑顔が咲くかもしれない。
2019年06月28日夢の中で好きな男性が出てくると嬉しいですよね。そんな夢の中には実は、両思いを暗示する夢があることをご存知でしたか?ピックアップしてご紹介します!お菓子をもらう!?甘い夢キャンディーやチョコレートなどの甘いお菓子をもらう夢は、とても素敵な恋になる暗示と言われています。特に、自分が好きな甘いお菓子であればあるほど、恋愛運が急上昇している証なんだとか!また、お菓子を一緒に食べているならば、両思いかもしれませんよ♡素敵!指輪をプレゼントされる夢男性からアクセサリーをプレゼントされる夢は、告白を暗示している夢と言われています。特に、アクセサリーが指輪だと縁の強さを暗示しているため、両思いの可能性が高いかもしれません♡飾らない姿!お互いパジャマを着ている夢夢の中で、自分と好きな男性がパジャマを着ている。ちょっとおかしな夢ですが、実は両思いになる可能性が高い夢と言われているのです。パジャマは普通、家の中でしか着ませんよね。つまり、パジャマを着ている時間はオシャレに気を遣っていない非常に無防備な姿です。そんなありのままの姿は、飾らない気持ちを表しています。パジャマを着ている夢は、現実の二人の距離がとても近くなっているという暗示になっています。まるで童話のよう!鳥にモテる夢!?童話に出てくるようなたくさんの鳥に囲まれたメルヘンチックな夢は、素敵な恋が始まる暗示です。その鳥たちの中に1羽だけ大きな鳥がいたら、その大きな鳥が好きな男性であることを表しています。大きな鳥が鳴いていたり自分の周りを飛んでいたら、両思いの可能性大。アプローチされる日も近いかもしれません!ロマンチック!夜空の星が輝く夢夢の中で、星空を見上げている夢。星の中に一際大きく輝く星は運命の人を表しています。もし目立つ星を見つけた場合、両思いであることを暗示しているかもしれません。どの帽子を選ぶ?帽子を被る夢夢の中で帽子屋さんに行き、たくさんの帽子の中から試しに被ってみた帽子が運命の人であることを象徴しています。大きすぎず派手すぎない、自分にフィットした帽子であるほど、両思いの可能性が高いと言われています。太陽とヒマワリのコラボレーション!たくさんのヒマワリが咲くヒマワリ畑と、ヒマワリ畑を照らす太陽。この美しい景色が広がる夢は、両思いである可能性が高いかもしれません♡太陽は自分を見守ってくれる男性を表し、ヒマワリは願いを叶えてくれることを象徴しています。
2019年06月25日《いまだに、どこで亡くなったのかわからない友達が大勢いるんです。ひめゆり学徒隊として出発するときは、『生きるも死ぬも一緒よ』と言っていたのに……。水が欲しくても、一滴も飲めずに一人で死んでいったんじゃないかと思うと、何年たっても辛い。だから、戦争はどんなことがあっても絶対ダメなんです》太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人が、沖縄戦の看護要員として動員され、123人の若い命が奪われた“ひめゆり学徒隊”。その学徒たちの遺品や資料を集めた『ひめゆり平和祈念資料館』は、いまから30年前の’89年に設立された。全国でも珍しい、戦争関連の民間による博物館だ。戦争体験を語っているのは、資料館の前館長で学徒隊の生き残りの一人、島袋淑子さん(91)。現在、自らの体験を語る“証言員(戦争体験者の語り手。資料館では戦後生まれの語り手のことは説明員という)”は6人しかいない。全員が90歳を超えている。’18年までの7年間、資料館の館長を務め、自らの戦争体験を語ることで、戦争を知らない世代に平和のバトンをつないできた。《自分たちの味方でさえも見殺しにする、それが戦争です。私自身も、目の前に転がっている死体をまたいで水をくみに行きました。よけようとして回り道すると、弾が飛んできて当たるかもしれないからです。戦争は、人間を人間でなくします。だから、みなさんは、戦争は絶対ダメ!と言える大人になってください》この日も、島袋さんの74年前の悲惨な光景が目に浮かぶような語りに、平和学習のため資料館を訪れた宮古島市立下地小学校の児童は、ぐんぐん引き込まれていった。今年、退位された上皇上皇后両陛下はこれまで内外の戦地を巡り、「平和への祈り」をささげてきた。その中でも沖縄は、強い思い入れを持たれてきた場所のひとつだ。’75年7月、初訪問の際には、ひめゆりの塔で、過激派がお二人に火炎瓶を投げつけるという“ひめゆりの塔事件”があった。しかし上皇陛下(当時は皇太子殿下)は、その晩すぐに次のような談話を発表。「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく(中略)この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」このお言葉どおり、お二人は計11度も沖縄を訪問され、この地に寄り添ってこられた。「両陛下のそのお気持ちだけでもありがたいと思っています。この資料館も“平和の砦”としてあり続けなくてはなりません」そう話す島袋さん――。開館当初からの職員で、’18年から島袋さんの後を継ぎ、館長に就任した普天間朝佳さん(59)。上皇上皇后両陛下が、天皇皇后として戦後初めて、沖縄を訪れたときのエピソードを明かしてくれた。「’93年に上皇上皇后両陛下が、当資料館にお越しくださったとき、美智子さまが、当時館長だった本村つるさん(93)に、こうおっしゃったんです。『陛下は、(ひめゆり学徒隊を引率した教師の)仲宗根政善さんの手記「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」を子どもたちに読ませています。子どもたちにもまた勉強させます。子らが今度来るときには、よろしくお願いします』。そのあと実際に、秋篠宮さまと黒田清子さんは、ご来館されました。今上天皇は、まだご来館されていませんが、“平和”への思いは、受け継がれているはず」島袋さんも、こう思いを託す。「いちばん大切なのは“命”です。この資料館は、それを伝え続ける存在であってほしい。もし、戦争を勝手に起こしてしまう人が出てきたら困るので、そういうことにならないためにも陛下には、いつまでも平和の象徴でいらしてほしい」
2019年06月24日御代替わり以降、皇嗣殿下となられた秋篠宮さまと紀子さまのハードスケジュールが続いている。これまでのご公務に加え、天皇皇后両陛下が皇太子ご夫妻時代に受け持たれていたご公務のかなりの数を引き継がれたためだ。「特に秋篠宮さまは、地方へのお成りも多く、5月中旬以降はわずか1カ月で5回という過密ぶり。紀子さまを同伴されたものが5回、単独でのご出張は3回です。秋篠宮さまも50代半ば。宮内庁内では『このままのペースでお仕事を続けていくと、過労でお倒れになってしまうのではないか』という心配の声も上がっています」(皇室担当記者)ちなみに秋篠宮さま単独ご出張の内訳は下記の通り。・5月23~24日 宮城県『日本植物園協会第54回大会』ご臨席など・5月28~29日 愛知県『日本動物園水族館協会2019年度通常総会』ご臨席など・5月13~14日 滋賀県『第44回全日本愛瓢会総会・展示会』ご臨席などいずれの会も秋篠宮さまは総裁や名誉総裁を務められている。実は前出の皇室担当記者は“ある懸念”を抱いているという。「御代替わり後の、秋篠宮さまの激務は予想されていました。もちろん皇嗣殿下になられたからといって、すぐに数々の総裁職をお辞めにならなくてもよいでしょう。それにしても、このお忙しい時期に次々とお一人での“地方出張ご公務”の予定を入れていらっしゃるのは、現在の秋篠宮家のご家族事情が影響しているように思われてならないのです。宮邸でご家族といっしょに過ごすよりも、一人でいるほうがリラックスできるという、いわば“帰宅恐怖症”のようなご心境にあるのではないでしょうか」小室圭さんとの結婚問題を巡る、眞子さまと秋篠宮ご夫妻の深刻不和は依然として続いている。秋篠宮家の関係者は嘆息する。「よほど小室圭さんの話題にふれられたくないのか、眞子さまがご両親との会話を拒絶されている状態です。食事の席をともにされることを嫌がられることもあるそうです」そんな状況のなかで、紀子さまは一歩一歩、眞子さまの“心の雪解け”を求め続けられている。「最近では、紀子さまは眞子さまとの二人きりのご公務を増やしながら、冷え切った親子関係の修復を図ろうとされています。眞子さまは、小室さんの話題になると、すぐに口を閉ざされますが、ご公務についてなら会話もされるからです。宮邸では母娘で打ち合わせをされることもありますし、ご公務の場では、お二人で談笑されることもあります。しかし紀子さまと眞子さまの距離がわずかずつ縮まっているいっぽう、距離を縮める機会を持たない秋篠宮さまは孤立感をさらに深めていらっしゃるようです」(前出・皇室担当記者)東京農業大学客員教授として定期的に講義もされている秋篠宮さま。最近では研究室や大学の近くの店で大学関係者とお酒を飲まれる機会も以前より増えているという。
2019年06月21日赤地に菊の紋章があしらわれた「上皇旗」を翻して、上皇陛下と美智子さまを乗せた車が東京都八王子市の大正天皇陵へ向かった。6月6日、退位後1カ月以上が経過し、初めてご公務でお出ましになったご夫妻を一目見ようと、沿道には多くの人が集まった。車内の美智子さまは、皇后時代と変わらぬやさしいご表情で、沿道の一人ひとりにお気持ちを届けるように手を振られていた。この日、天皇陵などを参拝して上皇陛下の退位を奉告する「親謁の儀」に臨まれた上皇ご夫妻。さらに6月11~13日の日程で京都に足を運ばれ、孝明天皇陵、明治天皇陵を参拝し、ご退位に伴う一連の儀式をすべて終えられる。「ご多忙を極めた在位中には都合がつかず、退位後に持ち越された“最後のご公務”です。これ以降のお出かけは、基本的にはすべて私的行事となりますので、ご予定が公表されるのか、取材の設定がされるのか、今のところまったく決まっていません」(皇室担当記者)御代替わり後、新皇后である雅子さまに大きな注目が集まっている。皇室担当記者は、その陰に美智子さまのご配慮を感じると話す。「上皇ご夫妻はご退位後、マスコミの前にお出ましになる機会を減らし、そのぶん天皇皇后両陛下にスポットライトが当たるようにされているのではないでしょうか。特に美智子さまは、雅子さまがご自分と比べられないように、気を使われているようです」実は上皇ご夫妻は、あるご予定を直前になって中止されていたのだ。「葉山へのご静養が、突然取りやめになってしまったのです」と語るのは葉山御用邸近くの地元住民。「5月10日ごろからの予定だったと思いますが、上皇陛下と美智子さまが葉山にいらっしゃるというので地元の者はたいへん楽しみにお待ちしていたのです。私自身もお会いできることを心待ちにしていました。ところが、直前になってご静養はお取りやめになったのです。理由がわからないために、どうされたのかとみんな心配しています」上皇ご夫妻は5月5日のこどもの日に、港区の「東京ローンテニスクラブ」を訪問されている。皇室ジャーナリストが言う。「宮内庁の発表もない私的なご訪問だったのですが、ご退位後初めての外出に取材が殺到し、大々的に報道されてしまいました。そのすぐ後に予定されていたご静養でしたので、この状況ではまた大騒ぎになってしまうと心配されたお二人が葉山行きをキャンセルされたと聞いています。上皇ご夫妻はこれまで、葉山の自然の中を散策されたり、ご友人宅をお訪ねになったりしていました。それらが報じられるのを避けるためには、ご静養自体を取りやめるしかなかったのでしょう」宮内庁によると、上皇陛下と美智子さまはこれまでどおり早朝の散策を欠かさず、健康維持に努められているという。しかし、美智子さまは今年に入ってから散策後に息が切れる症状が目立つようになり、6月8日に宮内庁病院で心臓の検査をお受けになった。これからは、もう目立たない――。令和の皇后となった雅子さまのために「隠棲の決断」をされた美智子さま。その姿をお目にかかれる機会は、今後ますます減っていくのだろうか。「ただ、上皇陛下も美智子さまも、国民にお元気な姿を伝えることは大切だとお考えです。月1回ほどは、コンサートなどにお出かけになる上皇ご夫妻のお姿を拝見することができると思います」(前出・皇室担当記者)
2019年06月12日6月9日、天皇皇后両陛下が26回目の結婚記念日を迎えられた。「上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さんがお集まりになって、ご即位後初となる両陛下のご成婚記念日をお祝いされたようです。令和の御代になって40日、皇后となられた雅子さまがしっかりとご公務をお務めになっていらっしゃるので、より明るい祝福ムードに包まれていたといいます」(宮内庁関係者)皇室ジャーナリストは雅子さまのご活躍ぶりを「療養中なのを忘れてしまうほど」だと語る。「5月下旬に来日したトランプ米大統領夫妻への接遇が、国内外で絶賛されたのは記憶に新しいところです。『ニューヨーク・タイムズ』は、『雅子皇后はスターだった』と大々的に報じました」直後の6月1~2日には、初の地方ご公務となる「全国植樹祭」ご臨席のために愛知県を訪問。「名古屋駅で大勢の人々の歓声に迎えられた雅子さまは、疲れた様子もお見せにならず、明るいご表情で手を振られていました。これまでは欠席も多かった式典後のレセプションでも、陛下とご一緒に参加者たちの中に入っていかれ、予定時間を延長して歓談されました」6月4日には、皇居・宮殿にクロアチア議会のヤンドロコビッチ議長夫妻をお招きになり懇談。「議長夫人とすぐに打ち解けたご様子の雅子さまは、天皇陛下と議長が着席された後も立ったままお話を続けられました。そのため陛下が笑顔で着席を促される、ほほえましい場面もありました。当初、この懇談に雅子さまが出席される予定はなかったのです。かなり体調がよろしかったのだと思われます」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう言う。「雅子さまはようやく、ご結婚当初から望まれていた“皇室外交”が実現できるようになって、実力を発揮されているのです。それもご結婚にあたって『一生お守りします』と述べられた陛下の存在があったからこそだと思います」陛下は今年2月の記者会見でも《できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》と述べられている。陛下のぶれない“夫婦愛”が大きな支えとなって、雅子さまは新しい時代の皇后として一躍脚光を浴びられている。
2019年06月12日1974年(昭和49年)8月、天皇陛下は2週間にわたってオーストラリアを旅行された。14歳にして初めての、お一人での海外旅行だった。メルボルンの民家にホームステイされて各地を訪問された陛下だったが、とりわけ楽しみにされていたのがエアーズロック登頂だ。本誌は「浩宮さまオーストラリア体験旅行現地取材第2報」(’74年9月12日号)にて、その模様を報じている(以下、《》内は同記事より)。巨大な一枚岩に挑まれる陛下のいでたちは、水色のシャツに濃紺のセーターとスラックス。黒のカーボーイハットを被り、サングラスをかけていらした。急な岩の斜面を登る陛下のお姿を上から撮影するため、まっさきにカメラマンが登り始める。《岩の上に寝ころがって、ハアハアあえいでいると、早くも追いつかれた浩宮さまが、「あれッ、もうダメなの?」そういって、お笑いになった》いまでは登山家で知られる陛下は、このときも涼しい顔。息をつきながら登る報道陣や随行の侍従たちを見かねて、陛下が「それでは、ここらで小休止にしましょうか」と提案される場面もあった。頂上に着くと、陛下は登頂記念のサイン帳に“Naruhito”と署名された。報道陣に「どうぞ、みなさん、いっしょに撮りましょう!」と気さくに呼びかけられるなど、終始ニコニコ笑顔。下山の途中には、侍従が缶入りの飲み物を陛下に差し出した。《「殿下、ビアーをどうぞ」「えっ、ビールですかあ?」》驚かれる陛下。しかし、缶の英文字を読んで気づかれる。《缶のラベルを見つめて、「なんだ、ジンジャーだ」と一気にゴクゴク。こちらでは、その飲料を”ジンジャビア”という》念願のエアーズロック登頂を遂げられた陛下にとって、至福の一杯であったに違いない。
2019年06月11日「同年代の僕たちが、そろそろ引退を考え始めるときに、陛下は天皇に即位された。それは、とても感慨深いこと。僕ら学友がこれまでそばにいて、話し相手になったり、ときには一緒にお酒を飲んだりバーベキューをしたり。そうした陛下のリラックスした時間をともに過ごしてきたことも、すべては陛下が陛下になる、今日という日を迎えるためだったのかなと。陛下のお姿を見ていたら、そんな思いがこみ上げてきました」令和元年5月1日。この日、執り行われた「即位後朝見の儀」の生中継を真剣なまなざしで見つめる1人のオーストラリア人男性がいた。アンドルー・B・アークリーさん(60)。高校2年生のとき、交換留学生としてオーストラリアから来日し、学習院高等科に。彼は陛下の“ご学友”で、先月、青春時代の思い出を綴った『陛下、今日は何を話しましょう』(すばる舎)を出版した。アンドルーさんは1958年、オーストラリアのメルボルンに生まれた。国連関係の仕事をしていた父の赴任に伴い、10代前半をスリランカやジャマイカで暮らした。ジャマイカからの帰国途中に初来日。つかの間の滞在だったが、15歳のアンドルーさんは「きれい好きで、安全な国」と、日本に好印象を抱いた。そして1年後の’75年、交換留学生として再来日。学習院高等科のオーストラリア人留学生第1号として、2年A組に配属された。陛下も、時を同じくして高等科に進学されていた。「学校に日本のプリンスがいることは知っていました。たしかに校内にSPの姿はありました。でも、特別待遇を受けている生徒はいないし、全員が同じ詰め襟の制服ですし。どなたが陛下なのか、まったくわからなかった」第二外国語のドイツ語の授業で、偶然隣り合った生徒が、陛下の学友の1人だった。「厚かましくも僕は『ぜひ、陛下に会わせてください』とお願いした。当時の僕の夢は外交官。日豪親善のためにも、ごあいさつ申し上げたかった。すると、彼は快く引き受けてくれた。校舎は学年ごとにフロアが別なので、休み時間に彼が陛下と一緒に僕のいる2階にまで来てくれて、僕を紹介してくれたんです」陛下の柔和な笑顔に引き込まれるように、覚えたての日本語で自己紹介。さらに続けて、自分でも驚くようなことを口走っていた。「僕とお友達になっていただけますか?」陛下はより一層の笑みを浮かべて、こうお答えになったという。「喜んで」この出会いが、アンドルーさんの、先の人生を大きく変えることになった。「まっすぐ目を見て話される陛下から、優しいオーラを感じました。近くにいるだけで、こちらまで心が温かくなってくるんです」’76年1月4日。アンドルーさんは東宮御所にいた。留学期間を間もなく終える彼を、陛下が御所にお招きになったのだ。「それが初の御所訪問。『ここは日本のパレスだ!』と、すごく緊張した。御所の玄関を入ってすぐの待合室にいると、5分とたたずに陛下がお見えになって。『今日は来てくれてありがとう』と英語でごあいさつをいただきました。それから、居間に案内され、楽しく会話をしていたのですが……」しばらくすると、そこに上皇陛下に美智子さま、それに秋篠宮さまに黒田清子さんと、ご一家がおそろいでお見えになられた。「美智子さまの英語はネーティブの人のようにお上手でした。『日本での学生生活はどうですか』などのご質問を受けましたが、お言葉の端々に、息子の友人である僕への気遣いや思いやりが感じられて、僕は素晴らしい友人、素晴らしいファミリーと知り合えたという喜びでいっぱいでした」御所訪問の6日後、アンドルーさんは帰国の途に。友人たちから贈られた寄せ書きには、陛下、上皇陛下、美智子さま、お三方も直筆のお言葉を寄せてくださっていた。「感動しました。機内で寄せ書きを拝見しながら『帰ったら必ず陛下に手紙を書こう』と誓いました」帰国後、アンドルーさんと陛下の文通が始まった。「印象に残っているのが、登山合宿の思い出を陛下がうたわれた和歌、それに陛下お手製の版画で富士山が描かれた年賀状。細やかな工夫が細部にまで見られて、次のお手紙が待ち遠しくなりました」アンドルーさんはメルボルンでも日本語の勉強を続けた。日本領事館主催の日本語弁論大会にも出場し見事、3位入賞を果たした。「日本への思いは募るばかりでした。そして、もう一度日本へ留学することを決意しました」’77年4月。アンドルーさんは東京外国語大学へ留学するため、再び日本の地に降り立った。再来日を報告すべく、すぐに御所にも足を運んだ。「このとき、面白半分で陛下に英語で話しかけてみたんです。すると陛下も英語で答えてくださって。英語での会話はとても弾みました。陛下の高い英語力もさることながら、日本語でお話しされているときよりも、どこかリラックスした陛下のご様子が印象的でした」もしかしたら、陛下は外国人のアンドルーさんとの英語によるやり取りの中で、ほかの学友の前でも出すことの少ない“等身大のご自分”を、お見せになっていたのかもしれない。後日、アンドルーさんのこんな申し出を、陛下はご快諾された。「よろしければ、僕に英語のお話し相手をさせてください」以後、月に2回ほど、御所に招かれるように。それは高等科時代以上に濃密な、陛下との日々だった。「英会話以外にも、御所内を一緒に歩いたり、音楽室で楽器を弾いたりもしました」御所に招かれるときは、いつも当日の昼ごろに、侍従を通して連絡がきた。急いで支度して、午後2時には御所に。陛下と一緒に午後のお茶を楽しみ、ときに夕食まで。陛下が成人されて以降は、ともにお酒も楽しんだ。「その間は陛下も自由時間です。だから、僕を呼んでくださるわけです。自由時間ならば、たまには外で会ってもいいのでは、と疑問に思うことも当時はありました。でも、そういうわけにはいかないんですよね。ほかの学友も、僕ほど頻繁に遊びに来てはいなかったようですから……御所のなかで、もしかしたら陛下は孤独を感じていらしたかもしれません」しみじみとこう語りながら「でも」と言葉を継いだ。「でも、陛下は『寂しい』だとか『忙しくて大変』というような、不満やネガティブなお言葉を漏らされることは一切、ありません。酒席のジョークとして『今度は六本木に飲みに行きましょう』と話されることはありました。けれど、そんなことは許されない、実現できるはずもないことは、陛下も僕もよくわかっています。あくまで冗談としておっしゃる。そのお言葉に、僕も相づちを打ちながら、2人で笑いあったものでした」アンドルーさんは、ご公務に励まれている陛下と、自由時間の陛下に共通するものを「100%以上」という言葉で表現した。「ご公務のときの陛下は100%以上のお気持ちで頑張っていらっしゃる、それはテレビで拝見していてもよくわかります。でも、自由時間の陛下も、私たちと会うと100%以上のお気持ちで語らい、笑い、そして、私たちをもてなしてくださるんです」それは、夏の午後に開かれた御所のバーベキューパーティ。椅子が足りないことに気づかれた陛下は、誰よりも早く立ち上がり、椅子を運んでこられたという。「この日は焼きそばが大人気で、皆のおかわりの分がなくなってしまったんです。すると陛下が『今度は僕が焼きましょう!』とおっしゃって、鉄板の前に立たれたんです。学友たちは『陛下、できるんですか?』なんて言いながら、ここでも皆で笑いあって」アンドルーさんは外語大卒業後、オーストラリアの商社の東京支社に就職。その後は知人と立ち上げた貿易会社を経て、現在は友人の医師とクリニックを共同経営している。「外交官になる夢は諦めました。陛下がいらっしゃる大好きな日本で、ずっと暮らしたかったからです。あの日『お友達になって』という私のずうずうしいお願いに、陛下が笑顔で『喜んで』と答えてくださったことで、僕の人生は決まってしまったんですね」
2019年06月10日即位後初の地方訪問として天皇皇后両陛下は愛知県を訪れ、約1万5,000人が駅前や沿道で歓迎した。一方で、皇嗣家となった秋篠宮家への風当たりが強くなっている。「天皇皇后両陛下に比べると秋篠宮家のご活動は報道されることも少なく、あまり注目が集まっていない状態です。数年前とは一転して秋篠宮家への支持が急落している原因には、一向に解決の糸口すら見えてこない“小室さん問題”があるとみて間違いないでしょう」(皇室担当記者)そんな中で最近目立ち始めたのが、紀子さまと眞子さま“母子同伴”でのご公務の増加だ。6月2日、横浜能楽堂で開催された特別企画公演「大典奉祝の芸能」に、紀子さまと眞子さまがおそろいでお出ましになった。お二人だけでカメラの前に姿を現されたのは、’18年4月以来だった。「5月11日から12日にも、お二人は京都を訪れ『大聖寺文化・護友会』の総会に出席されました。‘15年から会の名誉総裁をお務めの紀子さまは、毎年総会に出席されています。京都への“二人旅”では、ゆくゆくは眞子さまに名誉総裁職をお譲りになりたいといったお話もされたことでしょう」(宮内庁関係者)また、4月から5月にかけて秋篠宮ご夫妻と眞子さま、佳子さまは展覧会やコンサートに何度もそろってお出ましになっている。こうした母娘二人でのお出かけの増加こそが、紀子さまによる小室さん問題の解決、すなわち秋篠宮家の“窮地回復”への一手なのだと前出の宮内庁関係者は言う。「眞子さまと小室さんのご結婚は一刻もはやく破談にしたい――。それが秋篠宮ご夫妻のご本心でしょう。しかし令和となった現在、秋篠宮ご夫妻は“長期戦”を覚悟され、戦術変更をされたようです」小室さんはロースクールでの1年目を終え夏休みに入ったが、帰国の予定はないという。留学を終えるのは早くても2年後の予定だ。金銭トラブルの解決どころか、5月11日には「文春オンライン」で、小室さんによる“いじめ”の過去を小学校時代の同級生が告発。いまだに謝罪の言葉はないという。時間がたつにつれて、小室さんが解決すべき問題はむしろ増えていっているのが現状だが、秋篠宮家と親しい知人はこう話す。「それでも秋篠宮ご夫妻は、眞子さまのお気持ちを無視して破談にはできないとお考えなのです。今年3月、佳子さまは大学卒業にあたっての文書で《結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》と、眞子さまの結婚を後押しされました。憲法に明記された“婚姻の自由”は侵せない――。秋篠宮ご夫妻も当然、その認識はお持ちです」つまり、眞子さまに小室さんと結婚する意思がある限り、破談にすることはできないというのだ。はたして紀子さまは、どうやってこの現状を打開するおつもりなのか。前出の皇室担当記者は言う。「紀子さまは、眞子さまと二人きりでの公務を増やされながら、まずは冷え切った親子関係の修復を図ろうとされているのです。眞子さまは小室さんについての話題になると、いっさい口を開こうとされないものの、ご公務についてならば素直に会話をされるといいます。本番に向けて打ち合わせを重ね、ご公務の場で談笑される中で、紀子さまは眞子さまと心を通わせたいとお考えなのでしょう」小室さんが渡米してから1年近く、眞子さまは直接会われる機会はないものの、スマートフォンで連絡を取り合っているという。「周囲の声に耳を傾けず、ひたすら自分の夢を追い続ける小室さんの価値観は、公を大切にする皇室の価値観とはまったく相いれないものです。眞子さまがひたむきに公務に取り組まれていくなかで小室さんの自分勝手な姿勢にきっと違和感を抱き“覚醒”してくれるはず――。紀子さまはそういった希望を胸に、眞子さまに連日の嘆願を続けていらっしゃるのでしょう」(前出・皇室担当記者)上皇さまは美智子さまとのご成婚に際し《お立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの》と話されたという。能楽堂で上皇ご夫妻が作られた『歌声の響』をお聴きになりながら、眞子さまもそのお言葉を思い出されたのだろうか。
2019年06月05日「徳仁」と書かれた水泳帽をかぶって胸を張るのは、当時中学1年生の天皇陛下。「赤フンドシ」姿で水泳の鍛錬に臨まれたのだ。《乃木将軍が学習院院長だったころからの伝統の赤フンドシ日やけした肌にきりりとしめて、いかにもたくましい浩宮さま》(『女性自身』1972年8月26日号「伝統の赤フンドシ」より)天皇陛下はこの年の8月、静岡県沼津市の学習院遊泳場で1週間にわたる水泳合宿に参加されていた。男子は赤フンドシ、女子は水着に赤い帯を巻いて臨むこの合宿。上皇さまも経験され、現在まで続いている伝統行事だ。《自習のための勉強道具もたくさんもちこんで、訓練につぐ訓練のきびしい毎日だ。いま水泳の腕は4級だが、合宿の終わるころには、西郷島まで4キロの遠泳に挑戦!3級に進級なさるのを楽しみに、カッと照る夏の日を浴びておいでだ》(前出記事より)陛下はこの合宿の成果か、学習院伝統の古式泳法である平泳ぎが得意になられた。トライアスロンに挑戦し、スピードアップのためクロールのマスターに力を入れられたこともあったそうだ。
2019年05月31日どれだけ両思いだと感じていても、男性にとって告白は勇気が必要です。そんな時は女性から告白を引き出すようなムードを作ってあげるのが大切です。静かな場所に誘うどれだけ良い関係でも、人で混雑している中で告白はできません。夜景の見える場所や静かなバーなどに誘い出すと、自然に告白しやすいムードが生まれます。基本的に告白は本人以外に聞かれたくないものなので、可能であれば二人だけの空間が望ましいです。静かな場所に誘うということは、もっと二人で会話したいという意思表示でもあります。女性の前向きな態度が垣間見えると男性も喜ぶので、告白の可能性が高まります。彼氏が欲しいと言う彼氏が欲しいアピールも忘れてはいけません。彼氏が欲しいと言うことで、今現在フリーであることを明確に伝えられますし男性もその気になります。普段から口癖のように言うと余裕がないと思われるかもしれないので、頻繁に言うべきではありません。二人で過ごしていて、少し良いムードになった時に言うと効果的です。とにかく褒める男性は、とにかく褒められると嬉しい生き物です。特に女性から褒められると、気があるのかと舞い上がることもあります。褒める内容も、簡単なことで良いです。例えば並んで歩いている時に車道側に寄ってくれたなど、些細なことで褒めてあげると喜びます。頻繁に褒めたり感謝の言葉を伝えると、気を良くして更に好意的になってくれる可能性があります。無言で寄りかかる無言で寄りかかるのは、男性にとって強烈なインパクトです。交際しているカップルなら日常茶飯事ですが、交際前の男女ではなかなか見られません。女性にとっても勇気が必要なので、十中八九両思いだと判断してから実行します。無言で寄りかかると、男性は何らかのリアクションをする必要があります。戸惑ってしまう可能性もありますが、勢いで告白してくれるかもしれません。好きだと伝える好きだと伝えると、後は男性の告白を待つだけです。男性は告白が成功すると思い、気持ちを伝えてくれるはずです。こちらも女性は勇気が必要ですが、恋人という新たなステージに進む為には有効です。
2019年05月29日御代替わりで皇嗣になられた秋篠宮さま。『女性自身』ではその幼少期から取材を続けている。この写真で当時7歳の天皇陛下に支えられている秋篠宮さまは、まだ1歳5カ月。どうして大号泣されているのか――。《さっきまで、自動車をさして、“ブーブー”とごきげんだったのに。南米へと出発なさるお母さまの姿が車の中に消えたとたん、淋しくてたまらなくなってしまったのだ。》(『女性自身』1977年5月22日号「おたたちゃま、行っちゃイヤ!」より)この日、上皇さま(当時は皇太子)と美智子さまは、22日間にわたる南米ご訪問へ出発された。ご両親が地球の裏側に国際親善へと向かわれるあいだ、兄弟でのお留守番となったのだ。陛下はお兄さまとして、ご両親の代わりにしっかりお世話をされた。陛下が日本橋高島屋へ買い物に出かけた日には、秋篠宮さまのおみやげにブリキの機関車を買って帰られた。東宮御所に着くとまっさきに動かしてお見せになったという。長いお留守番を終え、ご両親がお帰りになる日。東宮御所の玄関で待っていた秋篠宮さまは、車のドアが開かないうちに走りより、飛び立つように降りた美智子さまは、抱き上げてほおずりをされたのだった。
2019年05月25日ハゼの研究者である上皇さま、ナマズや鳥類の研究で知られる秋篠宮さまなど、皇室と生物学は深い結び付きがある。皇后となられた雅子さまにも、実は「動物博士」という一面があった。小学生のころ雅子さまは『ファーブル昆虫記』や『シートン動物記』、『ドリトル先生』シリーズを愛読。小和田家では様々な動物を飼っており、雅子さまは同級生から「動物博士」と呼ばれるほどだったのだ。そんな雅子さまは6年生のときに生物部に入部。卒業文集では「クラブ」という題名で、生物部での思い出を綴られていた。■六年間の思い出といえば、修学旅行、林間学校、遠足、運動会など、たくさんあります。でも、とても印象に残ったのは、六年の十一月十四日のクラブです。私は、五年の時は手芸部で、今年は生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先生の、小さいクラブです。この日、私たちは、「コジュウケイ」のはくせいをつくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスにぶつかって、死んだのだと先生はおっしゃいました。肛門から、はさみをいれて、お腹の皮をさきます。その後、肉を切らないようにして、中の肉を取り出します。そのためには、足とつばさを、適当なところから切らなければなりません。足は、うまくいきました。つばさも一こできて、残るは、つばさ一ことなりました。そこは、先生がなさいました。ところが何という失敗!先生は、つばさを切り落としてしまったのです。あと、頭のところの肉をとれば、肉がとれたのに。そして、かわかしたあと、中身を入れて、はくせいができたのに……とても残念!
2019年05月25日「上皇后さまに連絡させていただきたいこともあるのですが、お引っ越しが大変そうなので、落ち着かれるまで電話などは遠慮しようと思っています。ご衣装やアクセサリー類など、たくさんお持ちですから、どれを手元に残され、どれをどなたにお譲りになるのか、じっくりとお決めになることでしょう」そう語るのは、美智子さまと親交のある元絵本編集者の末盛千枝子さん。美智子さまが続けられてきた児童書や絵本の活動については、こう期待を語ってくれた。「今年の2月、上皇后さまはミュンヘン国際児童図書館の館長からの依頼をお受けになり、同図書館の名誉会員に就任されました。ミュンヘンを訪問することがもしお出来になりましたら、私としてもうれしく思います」今月17日、宮内庁はご退位後の上皇ご夫妻の暮らしぶりを明らかにした。発表によると、1日に行われた即位後朝見の儀といった儀式や、4日に行われた一般参賀などはテレビ中継でご覧になって、行事が無事に終えられたことを喜ばれていたという。また、日課である早朝の散策も続け、皇位継承前と変わらぬ規則正しい生活を送られているそうだ。そして、東京・港区の「仙洞仮御所」へのお引っ越しへ向けて、身近な物から整理を始められているということだった。そんななか5日には、毎年恒例となっている東京都港区の「東京ローンテニスクラブ」へ、退位後初のお出ましがあった。「一目でも見たいと集まった人たちの歓迎の声に、ご在位中と同じように晴れやかな笑顔で手を振られました。11日には、天皇皇后両陛下と愛子さまが皇居・吹上仙洞御所の上皇ご夫妻をお訪ねになり、お代替わり後はじめて夕食を共にされました。24日にはコンサート鑑賞のご予定も入っていて、徐々に退位後の上皇ご夫妻の日常生活の形が整いつつあるようです」(宮内庁関係者)
2019年05月24日陛下が即位された5月1日以降の行事には“フル出席”。ここまで、あふれる自信、堂々たる皇后ぶりで陛下をお支えになっている雅子さまだが、今後は立て続けに大きなご公務に臨まれる。5月22日には皇后となられて初の全国赤十字大会が、5月25日~28日には、国賓として来日するトランプ米大統領の接遇が予定されている。さらに6月1~2日には全国植樹祭ご出席のため愛知県へ。両陛下にとって初の地方行幸啓だ。「非常にハードなスケジュールですが、このところのご体調のよさからすると、雅子さまはすべてに出席されようとするのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)しかし、精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「まだ雅子さまはご療養中であり、回復の途中なのです。たしかに、家族の力になる経験はとても大切で、回復にも繋がります。ただ、すべてのご公務にそろって臨まれなくても、雅子さまの知識を生かしてアドバイスされることも、陛下の支えになるはずです。無理をされずにしっかりとお休みになることも大切です」陛下は今年2月の記者会見でこう述べられた。《雅子にはこれまで、私や愛子のことにもいろいろと良く心を配り、私の活動を支えてきてくれています。私も、できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》お二人が支え合っていかれるのが“令和流”の天皇皇后スタイル。26年にわたり培われた絆は、いっそう強くなっていくことだろう。
2019年05月17日