歌手の小柳ルミ子が20日に自身のアメブロを更新。タレントの神田うのから貰ったお礼の品を公開した。16日のブログで、小柳は神田の誕生日に贈った花の写真を公開。神田の誕生日を祝福し「何時迄も可愛らしく知的で上品で美しい女性でいて下さいね」と呼びかけていた。この日は「お礼に直筆のお手紙を添えてお菓子を頂きました」と神田から貰った世界的なパティスリー『ピエール・エルメ・パリ』の菓子を写真で公開。「ここの洋菓子は“パティスリー界のピカソ”と称される素晴らしいお菓子」と説明し「有難うございます 頂きます」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「素敵ですね」「ルミちゃんへの愛を感じます」「うのさんの文字も美しいですね」などのコメントが寄せられている。
2024年04月21日歌手の小柳ルミ子が16日に自身のアメブロを更新。タレントの神田うのの誕生日に贈ったものを公開した。この日、小柳は神田の誕生日に花を贈ったことを写真とともに報告。「うのちゃんをイメージして愛らしいアレンジでお願いしました」と明かし「可愛いでしょ」とコメントした。続けて「お誕生日おめでとうございます」と神田の誕生日を祝福し「何時迄も可愛らしく知的で上品で美しい女性でいて下さいね」と呼びかけ、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「イメージにピッタリな可愛いお花ですね」「素敵です」「凄く綺麗」などのコメントが寄せられている。
2024年04月17日フリーアナウンサーの神田愛花が14日、自身のインスタグラムを更新し、1日警察署長を務めることを報告。制服姿を公開した。神田は「東京湾岸警察署の1日署長を務めさせて頂きます」と伝え、「今日この後、湾岸警察署をオープンカーでスタートし、フジテレビの前などを通って、有明スポーツエンターテイメント広場に向かいます」とスケジュールを紹介。「頑張ります」と意気込み、敬礼ポーズの制服ショットを投稿した。この投稿には「よく似合ってる」「とてもきれい!」「頑張って!」「ますます惚れてまう」「かっけ~」と言った声が寄せられている。
2024年04月14日タレントの神田うの(48)が25日、自身のインスタグラムを更新。長女(12)との“手つなぎ”親子2ショット動画を公開した。神田は、大阪の「USJへ行って来ましたよー」「#家族でユニバ」と明かし、パークを満喫する様子を動画と写真で紹介。トップスは“おそろい”のトレーナー、長女はカチューシャやバッグをスヌーピーで統一しており“『ピーナッツ』好き”であることがうかがえる。投稿では「娘は大喜び!彼女は2日連続で行きましたやっぱりご褒美はないとね」と、楽しげな長女の様子をうれしそうに伝えた。神田は2007年10月、レジャー産業グループ社長の西村拓郎氏と結婚。11年10月に長女を出産した。
2024年03月26日俳優の高橋克典が17日に自身のアメブロを更新。情報バラエティ番組『朝だ!生です旅サラダ』(ABC・テレビ朝日系)で共演した俳優の神田正輝の様子を明かした。この日、高橋は「『旅サラダ』!いかがでしたか?」というタイトルでブログを更新。「神田さん、とてもお元気そうでした!」と番組でMCを務める神田の様子を明かし「スキーやお酒や温泉の話で終始楽しくお話しさせていただきました 73歳になられたそうで」とつづった。続けて「初めての出会いは1995年『ひと夏のラブレター』というドラマ」と述べ「神田さん44歳、僕はデビュー2本目のドラマ29歳」と説明。「ソフトでダンディでエスコート上手で、大人には勝てねーなと思いましたね」と当時を振り返った。この投稿に読者からは「旅サラダ楽しく見ていました」「お元気そうで良かった」「神田さんも克典さんも素敵でした」などのコメントが寄せられている。
2024年02月18日タレントの神田うのが9日に自身のアメブロを更新。流石と褒められた娘の弁当を公開した。この日、神田は「娘のお弁当」と弁当の写真を複数枚公開し「毎日ピカピカにしてきてくれる」と嬉しそうに述べ「かあちゃん頑張るのだー」とコメント。娘から「ママ、ちゃんとお弁当カップまで色合わせしてたんだね」と言われたそうで「お弁当に詰める時にお肉は茶色 お野菜は緑 トマトは赤 卵焼きは黄色となんとなく自分の感性のままにお弁当カップを選んでいたのですが、褒められて嬉しかった」とつづった。続けて「学校のお友達から『凄ーい流石◯◯ちゃんのママだね!』って言われたようで本人も嬉しかったよう」と娘の反応を明かし「そして小6女子に褒められて嬉しい48歳ですwww」とお茶目に述べ、ブログを締めくくった。
2024年02月10日歌手の小柳ルミ子が25日に自身のアメブロを更新。タレントの神田うのに申し訳なく思ったことを明かした。この日、小柳は「大好きなうのちゃん」と切り出し「今回も私のLIVEにいらして下さいました」と神田が自身のライブに来てくれたことを報告。「ご予定があったにも関わらずそちらをキャンセルして私のLIVEを優先して下さいました」と明かし「有難くて嬉しくって申し訳なくてうのちゃん本当に有難う」と感謝をつづり、神田との2ショットを公開した。続けて「シャンパンを沢山飲んだのかな」と述べ「本番中も『イェーイ ヒューッ ルミ子さーん 』とうのちゃんの歓声は一際目立ってました」とライブ中の神田の様子を報告。「会う度に私にシャンソン歌ってと言ってくれます」と明かし「プロデュース能力の高いうのちゃんの意見しっかり受け止めさせて頂きます」とつづった。また、写真を撮る際に神田から「お写真撮るんだから口紅付けましょ」と言われたそうで「これは貴重なお写真よ」と神田に口紅を塗ってもらっている自身の様子を写真で公開。「本当に気遣いの人」と述べ「何時も綺麗なお花を有難うございます」「又お食事行きましょうね」と呼びかけ、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「本当の姉妹みたい」「貴重なお写真」「相変わらずお綺麗で素敵」などのコメントが寄せられている。
2024年01月26日タレントの神田うのが24日に自身のアメブロを更新。歌手の小柳ルミ子のライブで久々に再会した人物を明かした。この日、神田は「大好きなルミ子さんのNew Year Liveに」と小柳のライブに足を運んだことを報告し、小柳との2ショットを公開。「とってもとっても盛り上がり美しいルミ子さんの歌声と共に大変楽しく素敵なひと時を過ごさせて頂きました」と回想し「骨折されてらっしゃる中での2stageのパフォーマンスを見事にこなされたルミ子さん本当に凄い(大大大尊敬)です」とつづった。続けて「キラキラのお衣装で」「エネルギーに満ち溢れた迫力のあるパフォーマンスだった」といい「哀愁漂うしっとりと歌い上げるパフォーマンスだったりルミ子さんの魅力溢れる素晴らしいLiveでした」と絶賛。「久々に小林幸子さん 長山洋子さん 川中美幸さん とも再会出来て嬉しかった」「一緒に盛り上がって楽しかったです」と述べ、演歌歌手の小林幸子や長山洋子、川中美幸らとの写真を公開した。また、4人での写真撮影の際には長山から「うのちゃんは幸子さんのお隣で」「うのちゃんは真ん中に座って」と声をかけられた事を明かし「わざわざ立ってお席を譲って下さっての撮影になりました」と説明。「お優し過ぎて恐縮&感動でした」と感激した様子で述べ「早速憲ちゃんにこの日の事をご報告して」と歌手の美川憲一に連絡したことを報告した。最後に、美川から「長山洋子さん本当にいい方なのよ~美人だしね~」と言われたことを明かし「いつもとても感じが良く美しいだけでなく湧き出てくる優しさのあるとーっても素敵な女性と改めて感じた次第です」とコメント。「素敵なルミ子さんですから同じく素敵なお仲間がいらっしゃるのですね」と述べ「素晴らしいLiveにご招待下さいましてありがとうございました」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月24日「1月13日の『旅サラダ』もお休みとなり、神田さんは8週連続で欠席。愛娘・沙也加さん(享年35)が亡くなった後も悲しみに蓋をして気丈に出演を続けて来ましたが、それも限界に達してしまったようです」(制作関係者)23年11月18日に『朝です!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)の生放送を欠席して以来、休養が続いている神田正輝(73)。現在は都内の大学病院に入院しているという。「デビュー以来所属していた石原プロの教えである“どんなことがあっても仕事に穴をあけない”を固く守り、21年12月に沙也加さんが急逝した直後にも『旅サラダ』に生出演しました。“天国の沙也加が見てくれている”という思いで、その後も出演を続けてきました。ところが最近は、“もう仕事はしなくていい”と漏らしているそうです。体力の低下に加えて精神的にもかなり落ち込んでいるようで……。感染症の恐れから面会謝絶状態だということです」(前出・制作関係者)神田と『旅サラダ』の関係は長く、松田聖子(61)との離婚直後に同番組の司会に就任。以来26年にも渡って番組を守り続けてきた。「離婚によって沙也加さんと離れ離れになってしまうなか、週に1回『旅サラダ』の生放送で元気な姿を見せることで、“テレビ越しに沙也加にも見てもらえれば”と考えていたそうです。22年3月には『旅サラダ』の展示会のオープニングイベントで『旅の番組でおしまいがいいなと思っていたんです』と話しており、『旅サラダ』への思い入れの深さがうかがえました」(前出・テレビ局関係者)12月2日の放送では、神田の欠席理由について「体のメンテナンスのため」と説明が。“仕事に穴をあけない”がモットーの神田が8週連続の欠席ーー。視聴者の心配も募るばかりだが、『旅サラダ』にとっても神田は大切な存在だという。「『旅サラダ』の上層部は神田さんの現状を聞いており、精神的にも消沈しきっていることを知っています。26年もの間、総合司会を務める神田さんへの恩義は非常に深く、代役を立てると神田さんに“自分は必要ない”と思わせてしまう。いまは“帰る場所がある”と安心して休養に努めてもらいたいという思いから、番組では代役は立てない方針です」(前出・制作関係者)神田の笑顔を一日も早く見られるよう、祈るばかりだ。
2024年01月17日「神田さんは都内の大学病院に入院しているそうです。『旅サラダ』は欠席中ですが、番組には視聴者から神田さんへの励ましの声が多数届いています」(制作関係者)唯一の出演番組『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)を’23年11月18日から8週連続で欠席している神田正輝(73)。12月2日の放送では、「体のメンテナンスのためしばらくお休み」と説明があった。テレビから姿を消してから2カ月がたとうとするなか、神田の近況が聞こえてきた。「『旅サラダ』の週1回の放送のたびに激ヤセが心配されていましたが、やはり筋肉の衰えで日常生活も難しく、現在は入院中。体力の低下も著しく、感染症の恐れから“面会謝絶”の状態だそうです。精神的にも沈みきっているようで、“老衰状態”だといいます」(テレビ局関係者)ライフサポートクリニックの山下悠毅院長はこう解説する。「70代で老衰と聞くと『まだ若いのに』と感じるかもしれません。一方で、若いころからハードトレーニングを積んでいるアスリートは『中高年で心不全を起こしやすい』との報告は多数あります。つまり、過労や睡眠不足、アルコールなど長年心筋にダメージを及ぶ生活を送った方は、老衰のリスクが高いということです」神田は’70年代後半の多忙だった時期について、こう語っている。 《毎日2時間寝てなかったから。10カ月半で家に2回しか帰れなかった》(「デイリースポーツオンライン」’16年6月1日配信)前出のテレビ局関係者も言う。「神田さんは俳優デビュー以降の7年間は多忙でほとんど休みがなかったそう。少しでも空き時間があれば寝ずに遊びに行き、一晩でウイスキーのボトルを1本空けることも珍しくありませんでした」さらに、神田はスポーツにも親しんできた。「もともとスキーの腕前はプロ級で、世界中のスキー場を回っていました。神田さん自身の名前が冠されたスキー大会もありました。スキー以外にも、ダイビングやテニス、ゴルフなども趣味として楽しんできました」(前出・テレビ局関係者)神田の高い運動能力が、現在の老衰状態を招いたのかーー。愛娘・沙也加さん(享年35)亡き後も気丈に『旅サラダ』への出演を続けてきた神田だったが、いまやその気力さえも失われているという。「悲しみに蓋をして“天国で沙也加が見てくれている”と頑張っていたようですが、それも限界に達してしまったようです。最近の神田さんは“もう仕事はしなくていい”と漏らしているそうです。昨年12月に沙也加さんの三回忌を済ませ、“もう生きる意味がわからない”と消沈しているといいます」(前出・制作関係者)若かりしころの壮健な姿からは想像できない入院生活。爽やかな笑顔をまた見せてほしいーー。
2024年01月17日タレントの神田うのが6日に自身のアメブロを更新。哀しみの渦に飲み込まれた父親的存在だった人物の訃報についてつづった。この日、神田は「篠先生…報道で知ってから哀しみの渦…」と4日に亡くなった写真家の篠山紀信さんの訃報について言及し「私にとって心のお父さん的存在だった」と説明。「篠先生とは今から30年前まだモデルをしていた18歳の時に出逢いました」と明かし「幻冬社立ち上げの一発目(最初)の写真集を是非UNOで撮りたいとの事で話が進んでおりました」とつづった。一方で「その内容を知った父が『衣装もレオタードも着せないで撮影だなんてダメだ!!』と激怒し撮影は中止になりました」と告白し「これは肉体美を見せる芸術だと(決していやらしい目線の作品ではないと)篠先生始め、出版社側や事務所側もそう父を説得致しました」と説明。しかし「何が芸術だ 何も着せないでトーシューズだけ履かせて撮影するだなんてバレエという芸術を冒涜している!!」と言われたそうで、さらに「芸術を全く分かっておらん篠山紀信をここに連れて来なさい!!」と言われたことを明かした。また「途中で両親の猛反対を受けてしまい、でも話は進んでしまっていたので、その結果、37人のモデルとUNO含め38人のモデルの写真集『少女革命』の巻頭ページをするという事でなんとか着地致しました」と述べ「まだ18歳だった私はもちろん成人前ですから親の管理下にある訳でして、ダメなものはダメと理解致しました」とコメント。「でも話が進んでいただけに篠先生や周りの大人達をガッカリさせてしまった事に対しては申し訳ない気持ちでした」と当時の心境を明かしつつ「篠先生は世には出なくていいから、それでもどうしてもUNOを撮影したいとの事で」「誰もいない篠先生のスタジオで2人だけで私はトーシューズを履いて伸び伸びと踊り(撮影し)ました。2人だけの秘密の撮影です」と振り返った。さらに「タレントになった後も」「ちょくちょく撮影でご一緒する事もありその際にはいつも、変わらずぶっ飛びなUNOを優しく見守ってくれていました」といい「フィルターを通してお互い少年少女のように心を通わす事が出来た方」と篠山さんについて説明。「こんなカメラマンさんは後にも先にも篠先生だけでしょう。と大人になってから気付いた事です」と述べ「若かりし頃何度もお食事にも連れて行って下さった事もとても懐かしい思い出です」とつづった。最後に「神田うのが神田うのになる前から好きでいてくれた方。篠先生、UNOの事を見つけて下さり(関わって下さり)ありがとうございました」と感謝をコメントし「心からのご冥福をお祈り致します」と追悼。「どうかどうか安らかにお眠り下さい。大好きです」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月07日タレントの神田うのが27日に自身のアメブロを更新。重度のアレルギーを持つ娘に贈られた品を公開した。この日、神田は「やっとクリスマスの夜(昨夜)に娘がNYから帰ってきたー」と報告し「わーい」と嬉しそうにコメント。娘から「帰国したらブッシュドノエルが食べたい!!」とリクエストされたことを明かしつつ「重度のアレルギー持ちなので通常のブッシュドノエルは食べられずなんです」と説明した。続けて「信頼安心のアッピアアルタさんに頼んでご用意して頂きました」と述べ「クリスマスの2回転3回転とお店も満席でお忙しい中ケーキを作って下さると受け入れて下さった」とコメント。「ピックアップに行きお支払いしようとしたら『こちらはお嬢様にプレゼントです』とナント素敵なおはからいを頂きました」と明かし「真心に感動でした」と感激した様子でつづった。また「本当にありがとうございます」と感謝を述べ「真心こもったブッシュドノエルを嬉しそうに食べている娘に涙が出そうになりました」とコメント。「沢山HUGして」「今日は1日中24時間一緒にいられた事に心からの幸せを感じました」とつづり「2人でお出掛けし、レッスン同行もし離れていた分ずーっと一緒にいられる事に幸せを感じながら今日1日を過ごしました」と明かした。最後に「今後留学とかになったら悲し過ぎる」と述べつつ「娘の人生の足を引っ張らないよう私自身子離れ出来る訓練をしないと」とコメント。「今回NYで沢山の経験をしてこれて良かったと思っています」とつづり、ブログを締めくくった。
2023年12月28日《2年の月日が経ちました。貴方の歌声は、この世で感動を与え続けています》《沙也加さんが亡くなられて、2年目のクリスマスがやってきます。いまだにクリスマスの日が近くなると、沙也加さんを思い出し、冬の夜空で涙をひたすら流し続けています…》Instagramのコメント欄に綴られた、切実な思いの丈を綴った言葉たち。これは神田沙也加さんのInstagramの最新投稿に寄せられたものの一部で、連日このように言葉を贈るファンが後を絶たない。12月18日、神田沙也加さんがこの世を去ってから2年が経った。あまりにも突然の訃報には日本中が言葉を失い、悲しみに包まれたが、誰よりも悲痛な思いを抱えたのは、両親である松田聖子(61)と神田正輝(72)だろう。2人はアイドルと俳優としてトップの人気を誇っていた1985年に電撃結婚し、翌年には沙也加さんが誕生。’97年に離婚するも、聖子は“芸能界の先輩歌手”として、神田は“良き相談相手”として、それぞれ別の場所からその活躍を見守り、支え続けてきた。そうした甲斐もあって、18年に演劇界の栄誉である菊田一夫演劇賞を受賞するなど、着実にキャリアを重ねてきた沙也加さんだったが、わずか35歳で人生の幕を閉じることとなった。沙也加さんが亡くなった3日後の’21年12月21日に、北海道で葬儀が行われた後、斎場で囲み取材に応じた聖子と神田。神田は別れを報告した上で、「2人ともあまり話せる状態ではないので、そっとしておいていただければと思います」と涙ながらに語り、聖子は位牌を抱えながら、「本当にみなさんお寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と語るに留めていた。それから2年、聖子と神田はそれぞれの場所で、愛しの娘を失った悲しみとの苦闘を続けてきた――。沙也加さんの訃報後、聖子は当時予定していたディナーショーや『第72回NHK紅白歌合戦』への出場など、一切の芸能活動を休止。自宅から外出できない日々が続いたが、’22年1月末に神田とともに夫の菩提寺で四十九日法要を営むと、3月には中止したディナーショーの振替公演と6月からの全国ツアー開催を発表した。徐々に活動を再開させていく聖子だったが、その裏では引き裂かれる思いを抱えていたようだ。「活動再開に際して配布されたファンクラブの会報誌のなかで、聖子さんは“今でも信じられない思いが”“もう前に進めないと思った”と告白。また、時間がある時には沙也加さんとの思い出が詰まった場所を訪れたり、生前愛用していたハンドミラーを受け継いで使うなど、深い悲しみの中でもがきながら再び表舞台に戻っていったのです(音楽関係者)そんな思いがこぼれ出てしまうことも。昨年11月に都内で開催された自身が初監督を務めた映画の特別上映回に登壇した聖子。上映終了後にはトークショーも行われたのだが、その中で、『天国はお花畑があって、とても良いところだと思うんです。だから、ヒロインも沙也加も幸せにしているんだ』と涙をつまらせ、最後には『沙也加に会いたい!』と泣き崩れてしまったことを本誌は報じている。その後も、ディナーショーやツアーは毎年開催し、ファンのためにステージにあがり続ける聖子。今年9月上旬、本誌は都内のコーヒーショップで仕事の打ち合わせを終えた聖子の姿を目撃したが、これまでより少し痩せた印象だった。いっぽうの神田も聖子と同じく気丈に活動を続けてきた。長年『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)のMCを務めているが、沙也加さんが亡くなった翌週の’21年12月25日放送回にいつも通り出演。悲しむ素振りをおくびにも出さず、MCとしての務めを完璧に果たしたのだ。その後も、『旅サラダ』を休むことはなく、昨年3月に開催された番組イベントにも出席した。しかし、そんな神田も寄る年波には勝てないようで……。「『下町ロケット』(18年・TBS系)への出演以来、神田さんは俳優活動をしていませんが、周囲には“セリフが覚えられない”と吐露。オファーも断っていたといいます」(テレビ局関係者)“異変”も囁かれはじめる。『旅サラダ』には休むことなく出演していた神田だが、今年4月ごろから、頬がこけ、白髪が急激に増えた姿で出演しはじめ、SNS上では“大丈夫?”“病気なのでは”と心配する声が相次ぐことに。そして、11月18日放送回では「体のメンテナンス」を理由に欠席し、12月2日放送回ではしばらく休むことがアナウンスされた。長期の休業が予想され、一部では、深刻な体調不安も報じられている。憔悴しながらも、自身の務めを全うしてきた聖子と神田。2人の歩みを沙也加さんも見守っていることだろう。
2023年12月18日『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)を4週連続で欠席した神田正輝(72)。11月18日の放送では「72歳で初めて体のメンテナンスをすることになりました」と報告。すぐに復帰するかとおもいきや、25日の放送も欠席。さらに、12月2日の放送では、「神田さんは現在、体のメンテナンス中で、しばらくお休みをいただくことになりました」とアナウンスされ、復帰の見通しは現状立っていない。ここ半年ほどで白髪が増えたり激やせしている神田に対しては、不安を抱くファンも多かった。番組への欠席が明らかになった際には、ネットニュースのコメント欄やSNSには体調を気遣う声が相次ぐことに。また同時に、《神田正輝は芸能人の男性に全然興味がない私でも魅力を感じる人》《本当かっこいいオジサマですよね》と、神田の魅力について絶賛する声も寄せられていた。そこで、今回はさまざまな波乱を乗りこえてきた神田の気丈な人生を振り返りたい。■「冷やかしで1本」のつもりが、そこから7年休みなしに1950年12月21日、女優・旭輝子の長男として生まれた神田。運動神経抜群で、特にスキーの腕はプロ級。芸能界に入る前は、スキー板のテスターのアルバイトをしていた。野外アクティビティが大好きで“山小屋のおやじになりたかった”という神田が、芸能界入りするきっかけとなったのは、’73年の石原裕次郎さんとの出会いだ。’16年、本誌のインタビューで神田はその出会いをこう振り返っている。《赤坂で知人を介して偶然会ったんです。そのあと、『役者をやる気はないのか』と言われて『ありません』と(笑)。うちが赤坂にあったから、母のところに役者仲間がよく来ていて、それを見ていたから、僕は化粧している男が大っ嫌いだったのよ》スキーを続けたいという思いがあったが、スキー仲間は“やってみたら”と背中を押したという。そのため、試しに“冷やかしで1本”と出てみることに。しかし、“1本”の単位は思っていたのと違ったようだ。《『冷やかしで1本』と言ったら1話だけで終わりだと思うでしょ。それが、1話から最終回のことで。僕はスキーで山に行かないといけなかったから、石原さんに言って行かせてもらった》《でも、『頼むから帰ってきてくれ』と電話がかかってきちゃって。そこから7年間休みがなかった(笑)》休みがなくなったとの通り、’76年に日本テレビの連続ドラマ『大都会―闘いの日々―』(日本テレビ系)で俳優デビューしてからというもの、話題作に続々と出演。’80年からは『太陽にほえろ!』(同)にドック刑事役として出演。スキーがうまいという設定もとりいれられたこのキャラクターは、番組を大きく盛り上げる存在となった。■聖子との結婚と別れ…不倫疑惑も寛容に受け止めた’85年2月、映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演していた松田聖子(61)との交際が発覚。その1カ月前に聖子が郷ひろみとの破局を報告していたため、あまりに急な展開に世間は驚愕。その後、同年4月に婚約、6月に挙式ととんとん拍子に進み、’86年10月には沙也加さんが誕生した。神田も育児に積極的に参加していたようで、当時1歳の沙也加さんとのこんなエピソードも。《風呂で頭を洗うのをいやがるんです。30まで数えないと湯ぶねから出ちゃダメというと、ベソかきながら数えています》(『週刊女性』’88年10月4日号)本誌も、’90年10月に行われた沙也加さんが通う幼稚園の運動会に、大きなお弁当を手に一般の父兄と同じように参加する神田と聖子を目撃している。あたたかい家庭を築いていた神田と聖子だが、’90年代に入ると聖子に関して不穏な噂が流れるようになる。当時聖子はアメリカ進出を目指していたが、その過程で出会ったアメリカ人タレントとのキス写真が報じられたり、関係について綴った暴露本を出版されるなどしたのだ。「神田さんは聖子さんに不倫報道があっても『それより仕事を頑張れ』とか、『おまえも立場が立場だけに、気をつけてね』などと受け止めてきました。神田さんがあまりに辛抱強いので週刊文春から『男は黙って神田正輝!』なんて、応援する記事がでるくらいでした」(芸能記者)しかし、’97年1月、神田と聖子はついに離婚を公表。それでも神田の聖子を守る気持ちは変わらなかったようだ。離婚後に出演したテレビ番組では聖子についてこう語っている。「いい人だよ。すごくいい人よ。がんばってるし、エラいけなしたり、目の前で文句いわれたら、やっぱり腹立つよね。仲間ではあるんだけど、そばにいないから守ってやれない。かわいそうだな。してあげられないってのもあるわな。縁は運命ではなくて、自分の意志で作ったものだからね」(’98年1月12日放送『ときめき2泊3日』フジテレビ系)■旅サラダではダジャレを連発し、新たな恋人とも出会う離婚した年の4月からは、『旅サラダ』2代目総合司会に就任。そこでは、これまでの俳優としてのキャリアではあまり見せてこなかった、より親しみやすい一面を披露するように。神田は、番組内で大好きなダジャレを連発。いつのまにか神田のダジャレは『旅サラダ』の名物といわれるようになっていった。今年7月には、ブドウのおいしさを表現しようと「感動(神田)まさき」と渾身のフレーズを放つも、共演者全員に無視されるという衝撃的なシーンが話題になった。「また、『旅サラダ』へのゲスト出演をきっかけに、23歳年下のモデル・長谷川理恵さんとも交際しています。’10年12月に週刊誌報道で交際が発覚すると、以後、長谷川のブログなどで仲睦まじい様子を披露してきました。ただ、神田さんが再婚に慎重だったことから、’12年1月に破局しています」(芸能記者)神田にとって公私ともに、重要な存在となっている“旅サラダ”。番組へかける思いは相当なもので、沙也加さんの訃報から1週間後となる’21年12月25日にも神田はいつも通り『旅サラダ』に出演していた。’22年3月に行われた『旅サラダ』のイベントでも「僕が知る限りでは生放送の旅番組では日本最長。僕がいつまで続くか。死ぬまでというわけにはいかないので、頑張りますけども、一重にみなさんが楽しんでくださるのがうれしくて、僕らファミリーが頑張っています」とコメント。司会としての気合が感じられる。そんな神田が発表した突如の休養。直近では“大好きな旅サラダに出られないほどだから、状態は芳しくないのではないか”との報道も出ているが、メンテナンスを終えて、また元気な姿を見せてくれることを祈るばかりだ。
2023年12月13日俳優の神田正輝(72)が11月18日、『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)を欠席した。番組の冒頭、松下奈緒(38)が「神田さんはどこへ?」と切り出すと、勝俣州和(58)が神田から届いたというメッセージを読み上げた。「おはようございます。私、神田正輝は本日はいません。72歳で初めて体のメンテナンスをすることになりました。きちんとメンテメンスをしてすぐ戻ります。かっちゃん、奈緒ちゃん、よろしくね」‘97年以降、25年にわたって生放送番組である『旅サラダ』のMCを務めてきた神田。ここ半年ほどは、頬がこけほっそりとした姿から“激ヤセ”ではないかと心配する声があがっていた。神田本人は8月、「NEWSポストセブン」の直撃取材に対して「1年半前からファスティング(一定の期間食べ物を断つ行為)をしている」と説明している。‘22年3月に行われた同番組のイベントでは、「僕がいつまで続くか。死ぬまでというわけにはいかないので頑張りますけども、ひとえにみなさんが楽しんでくださるのがうれしい」とコメントしていた神田。26年以上司会を務めてきた番組への責任感は強く、’21年12月に松田聖子(61)との間に生まれた愛娘・沙也加さんを35歳という若さで失った時でさえ、番組を休むことはなかった。「あまりにも悲痛な出来事でしたが、神田さんは訃報から1週間後の『旅サラダ』にもいつも通り出演したのです。番組では、『今日は守られているような雰囲気あるな。ありがとうございます。僕は元気ですよ』と挨拶していたほか、試食コーナーでは『久々にちゃんとしたご飯食べたんだけど。『旅サラダ』に来て良かった。ご飯食べられた』と話していました。その後も番組を休むことなく出演し続けていた神田さん。それだけに今回のお休みはよっぽどではないかと心配する声もあがっています」(テレビ局関係者)ネットでは、神田の欠席への驚きとともに、気遣う声が相次いでいる。《ひとり娘をあの様な形でなくされた心中は堪え難いものだったと思います。気丈に振る舞ってこられた姿は尊敬してました。どうかこれからはご自分のお身体を一番にご自愛くださいと心から思います》《あのような形で一人娘を亡くされた後、お休みされたからといって誰も責められませんよ。一回も休まずに生放送をなさるのは相当なご心労があったはず》《ずっと気丈に振る舞われてました。今は、ご自身の心とお体を大切に、しっかりとメンテナンスをなさってください》
2023年11月20日神田明神の紅葉ライトアップイベント「神田明神紅葉ライトアッププロジェクト2023」が、2023年11月23日(木)から12月8日(金)までの期間で開催される。神田明神の紅葉ライトアップイベント都内屈指のパワースポットであるとともに、隠れた紅葉の名所でもある神田明神。2023年は国内外で活躍する光景デザイナー・松本大輔による光と音の演出で、敷地内を幻想的に彩る。敷地内の大イチョウやケヤキをライトアップ期間中は、紅葉ならではの鮮やかな色彩に染まる御神木の大イチョウやケヤキはもちろん、境内にある桜の木もライトアップ。全体が色鮮やかに染まる象徴的なフォトスポットとして、思い出に残る写真撮影も楽しめる。開催概要「神田明神紅葉ライトアッププロジェクト2023」開催期間:2023年11月23日(木)〜12月8日(金)ライトアップ時間:各日程17:30~20:00会場:神田明神境内(東京都千代田区外神田2-16-2)料金:無料
2023年11月17日今月のアプリ版「ぴあ」の表紙は神田愛花さんが登場。ここでは、表紙を手掛けた及川先生のイラスト制作過程を「making of」として公開いたします。イラスト
2023年11月14日《神田正輝毎週見る度に老け込んでいってる気がする》《神田正輝今こんな痩せ細ってん》8月19日、旅行情報バラエティ番組『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)が放送されると、MCを務める神田正輝(72)の体調を心配する声がSNS上にあがった。「愛娘の沙也加さん(享年35)が亡くなったショックは計り知れず、1年半前と比べて現在の神田さんは頰がこけ、手足もやせ細っています。『旅サラダ』では元気そうに振る舞っていますが、声は弱々しく、共演者に聞き返される場面も見受けられます」(芸能関係者)神田は自身の体調が心配されていると理解しているようだ。7月下旬に本誌は、大阪で『旅サラダ』に生出演するために、羽田空港の搭乗口に向かう神田を目撃。体調の異変を察知させないためか、気温が35度を超えるなか、黒い帽子に白色のジャケットを着ていた。“激やせ”している神田。少しずつ終活を始めているようだ。「’18年のドラマ『下町ロケット』(TBS系)に出演して以降、神田さんは俳優の仕事をしていません。関係者に“セリフが覚えられない”とぼやいていて、オファーを断っているそうです。また趣味の車も、ほとんど乗っていないといいます」(前出・芸能関係者)俳優引退状態のなか、’22年3月には『旅サラダ』の展示会のオープニングイベントで、注目発言を。「僕は子どものときに旅番組が大好きだった。俳優とかのお仕事始めたら、旅の番組でおしまいがいいなと思っていたんです」『旅サラダ』を最後の仕事だと語る神田。さらなる思い入れがーー。「沙也加さんとの思い出の番組でもあります。神田さんは松田聖子さん(61)と離婚した直後の’97年4月に『旅サラダ』の総合司会に就任しました。沙也加さんと離れ離れになってしまうなか、週に1回『旅サラダ』に生出演することで、“元気に頑張っている姿をテレビの画面越しに見てもらえれば”と考えていたそうです」(映像制作関係者)’23年で30周年を迎えた『旅サラダ』。26年間司会を務める神田の今後はーー。「天国にいる沙也加さんのためにも、12月の三回忌までは司会を何としてでも続けたいと考えているそうです。ただ来年以降は、自らの体調と相談しながら出演を継続すべきか考える予定だそうです」(前出・芸能関係者)前出のイベントで、「僕がいつまで続くか。死ぬまでというわけにはいかないので頑張りますけども、ひとえにみなさんが楽しんでくださるのがうれしい」と語っていた神田。視聴者と愛娘のため年内は“旅”を続ける。
2023年08月25日400以上のカレー提供店が集積する東京・神田において、神田カレー街活性化委員会(所在地:東京都千代田区、委員長:中俣 拓哉)は、カレー店めぐりを楽しむための食べ歩きイベント第10回「神田カレー街食べ歩きスタンプラリー2023」を2023年8月1日(火)より開催します。これは2023年12月20日(水)までの期間、神田界隈のカレー店で実施し、街の活性化推進を目的としたものです。街の特徴である老舗有名店から話題の新ジャンルまで網羅された多彩なカレーを多くの人に楽しんでもらうことで、街全体の交流を生み、より前向きで明るい雰囲気を作り出すとともに、飲食店に支援となることが狙いです。参加方法は、7月下旬より順次配布を開始する「神田カレー街公式ガイドブック2023」(8万5千部発行、A5縦、無料)および神田カレーグランプリ公式サイトに掲載の参加店でカレーを食べ、別途配布されるスタンプシートまたはスマホ版スタンプラリーでスタンプを集めます。今年参加するカレー提供店は過去最大の142店舗。多種多様なジャンルのカレーを楽しむことができます。また、カレー店のほかに神田神保町の老舗書店書泉2店舗とJR3駅、東京メトロ5駅が街のスタンプポイント。カレー店とスタンプポイントは5つのコースに分かれており、1コース以上制覇して応募すると、コース数に応じたグレードの神田カレーマイスター賞がもれなくもらえます。今年は昨年に続き千代田区観光協会観光大使「リラックマ」、そして今年40周年を迎える「北斗の拳」とのコラボを実施。各参加店でカレーを食べると、先着500名には「北斗の拳コラボカード(全22種類)」をプレゼント。10店分のスタンプを集めるともらえる神田カレーバディ賞の賞品として、リラックマまたは北斗の拳デザインの神田カレーバディカードを用意しました。さらにコースを制覇したマイスター賞の賞品として、特製のリラックマデザインの神田カレーマイスターカードがプレゼントされます。また期間中、神田カレーグランプリ×北斗の拳コラボオリジナルグッズが書泉2店舗で販売されます。コアなカレーファンのみならず、様々な方に楽しんでもらえるような企画が満載です。ぜひ、ご注目ください。■開催概要開催概要■神田カレー街食べ歩きスタンプラリー<参加カレー提供店> (呼称50音順)神田カレー街食べ歩きスタンプラリー<参加カレー提供店> (呼称50音順)■「神田カレー街公式ガイドブック2023」配布場所 (予定)「神田カレー街公式ガイドブック2023」配布場所 (予定)リラックマ■リラックマとはリラックマはOLのカオルさんの家にいきなり住みついた着ぐるみのクマ。毎日だらだらゴロゴロしています。背中にチャックがありますが、中身は秘密です。いたずら好きなやんちゃなクマの子・コリラックマと、働き者でキレイ好きなキイロイトリと暮らしています。はちみつの森に住むチャイロイコグマは、コリラックマのお友達です。詳しくは 北斗の拳■北斗の拳とは「週刊少年ジャンプ」に1983年~1988年まで、原作・武論尊、漫画・原哲夫により連載された作品。核戦争により文明社会が失われ、暴力が支配する世界となった世紀末を舞台に、北斗神拳の伝承者・ケンシロウが愛と哀しみを背負い救世主として成長していく姿が描かれている。TVアニメや劇場版、脇役たちをフィーチャーした外伝が作られるなど人気は高く、社会現象にまでなった。2023年の今年、連載開始から40周年を迎える。それを記念して、神田カレーグランプリと初のコラボレーションとなった。詳しくは 昨年のスタンプラリーを制覇した神田カレーマイスターが集まり交流を深めた、第1回神田カレーマイスター会議の様子。(2023年3月18日開催)第1回神田カレーマイスター会議の様子秋に開催した第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子。(2022年11月5日・6日)第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子第10回神田カレーグランプリ決定戦2022の会場の様子 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年07月20日《テレビで神田正輝久しぶりに見たけど、めっちゃ痩せてて老いてて、なんか泣きそうになった》《旅サラダ見てるけど、神田正輝さんの痩せ方が気になるね。顔もやつれてるけど、体も薄くなってる・・・。心配だなぁ》《旅サラダの神田さんが見るたび痩せこけてく心配》神田正輝(72)の体調を不安視する声が相次いでいる。生放送の旅行情報番組『旅サラダ』(テレビ朝日系)で司会を務める神田だが、ここのところ白髪が急激に増えたり、頬がこけるなど全体的にやつれ気味なのだ。7月8日の放送でもその様子は変わらず、冒頭のように、またも視聴者からは神田の体調を気遣う声が。また激痩せぶりの背景として、《沙也加さんがお亡くなりになって辛い日々を過ごしていらっしゃるんでしょうね》《沙也加ちゃん亡くなってから神田正輝痩せすぎじゃない?》と、’21年に愛娘・沙也加さんが亡くなったことの影響を指摘する声も以前から少なくない。そのような指摘が上がるのも当然だろう。神田は沙也加さんに全身全霊で愛情を注いできた。’85年4月に婚約を発表した神田と松田聖子(61)。スター同士の結婚とあり、翌年10月に沙也加さんが誕生すると病院で出産会見を開催したほどの注目ぶり。会見で、神田が愛おしそうに沙也加さんの頭をなでたり、頬をちょんちょんつついたりする姿からは、わが子の誕生の喜びを噛みしめていることが伝わってきた。‘87年の年始には沙也加さんを聖子の母に預け、ハワイへ夫婦で旅行に行った神田と聖子。記者から「沙也加ちゃんのことが気になりますね、お2人とも」と聞かれると、「帰っちゃうよ、そういうと」と家にいる沙也加が気になる様子。また、聖子が母になったことについて記者から「正輝さんの聖子さんじゃなくて、赤ちゃんの聖子さんになりますね」とコメントされると、神田は「沙也加の正輝です」と笑顔を見せていた。聖子もまた、「もう抱っこしちゃったらさやちゃん、さやちゃん~~って大変なんですよぉ」と神田の沙也加さんの溺愛ぶりを嬉しそうに語っていた。その後も懸命に子育てをしてきた二人。‘90年10月に行われた沙也加さんが通う幼稚園の運動会にも、二人は大きなお弁当を手に一般の父兄と同じように参加。父親だけで行われる綱引きに参加した神田へ向け、聖子と沙也加さんが「パパー!」と声援を送る一幕も。’16年に中山秀征(55)と本誌で対談した際、神田は「なかなか一緒にいられないから、できるだけね」と沙也加さんが小さい頃は、仕事が忙しいながらもできるだけ一緒にいる時間をつくろうとしていたことを明かしている。「沙也加がうちで誕生日パーティをやっているときに、撮影を中抜けさせていただいて時代劇の格好のまま、プレゼントを渡しに行ったこともあったな」と仕事の合間を縫って会いに行くこともあったようだ。聖子と神田は’97年に離婚するが、その後も沙也加さんへの愛情が変わることはなかった。沙也加さんは’01年から「SAYAKA」名義で芸能活動を開始したが、歌手、女優としての成長も神田は見守りつづけていたのだ。’16年に飲み会の席でとある記者が神田に「沙也加さんは一流のミュージカルスターですよ!」と話しかけた際には、神田は「そうだよな。ありがとう!」と記者の手を握って男泣きしたという。沙也加さんにとっても、神田はたった一人の父親だった。‘17年4月に沙也加さんが俳優の村田充と結婚を発表した時には、沙也加さんはInstagramに神田と村田との3ショット写真を掲載。神田はハワイで行われた挙式にも参列し、沙也加さんとバージンロードを歩いたことが報じられた。’19年12月に沙也加さんが離婚を発表したときも、神田は沙也加さんの心中を気遣う様子。本誌が取材を申しこむと「ごめんね。でもみんなと相談してこの件に関しては何も言わない。そう僕らは決めたんで。申し訳ない。何もお話しすることはできないんですよ」と沈黙を守っていたのだ。35年にわたって大切にしてきたわが子を失った心痛は、他人が推し量れるものではないだろう。多くの人が、ひたむきに務めを果たす神田の姿を見守っている。
2023年07月09日おひとり様でも緊張しない、居心地のいいカウンター席その季節の、一番おいしい“旬”の美味を全国から仕入れゲストの状況に応じて出される「おまかせ」の妙を堪能おひとり様でも緊張しない、居心地のいいカウンター席熟練の技を目の前で堪能できる特等席。永田氏との会話も楽しい限り暖簾をくぐり、店内に一歩入ると迎えてくれるのがL字型のカウンター。ケースの中にズラリと並ぶネタの種類に思わず心が躍ります。落ち着いた雰囲気は、オープン30年にしてすでに老舗の風格。それなのに、なぜか緊張を強いられない心地よさは、目の前で熟練の技を見せる大将の永田氏の人柄ゆえかもしれません。他のゲストと顔を合わせることのないプライベート空間で、コースを満喫グループでゆったりと会話や食事を楽しみたいなら、8名まで対応OKの完全個室の座敷がオススメ。足元は掘りごたつ式なので、心から寛いだひとときが過ごせるはず。気のおけない仲間との集まりに、大切な会食や接待に、シーンに合わせた使い分けが可能です。(※8名以上を希望の場合は要相談)その季節の、一番おいしい“旬”の美味を全国から仕入れカツオ節と酒、醤油に12時間漬け込んだ『赤身漬け』素材の魅力がストレートに伝わる江戸前寿司。だから、魚介類は昔馴染みの業者や石川県、九州などの漁港からその時期一番のものを直送、野菜は豊洲市場より新鮮なものを厳選。場所によって旬が変わる各産地その時々の極上のネタを仕入れて、「季節感を大切」にした握りを提供しています。それでは、ぜひとも食べてほしい寿司ネタ3つをご紹介します。四季ごとに楽しみ方が変わる、看板メニューの『穴子』そのひと手間で、季節に応じた味わいを引き出します創業以来の看板メニュー『穴子』。長年愛されている理由のひとつは、季節に合わせて味つけを変えるというこだわりにあり。たとえば夏なら、柔らかく煮た後、仕上げに輪島の天然塩をふりかけて。また、冬には甘みのある特製タレをつけていただきます。季節により仕入れ先を変更。その“旬”の最高を味わう『ウニ』佐賀県産に北海道産。いま一番おいしいウニに出合えます全国に産地があるウニは、シーズンごとの旬を切り取って仕入れています。5~9月までは、濃厚さと、程よい苦みと旨みが特徴の佐賀県産「赤ウニ」を、それ以外は、甘みの中にもあっさりとした味わいを醸す北海道産「ウニ」を使用しています。鹿島灘で水揚げされた、ふっくら柔らかな『鹿島灘ハマグリ』大玉の鹿島灘ハマグリ。こだわり食材の逸品をぜひ国産ハマグリのブランドのひとつ「鹿島灘ハマグリ」を、豊洲に店舗を構える昔馴染みの業者や産地直送で仕入れ。ふっくらと柔らかい食感と、たっぷりの旨みは春から初夏にかけての味覚の代表格です。ゲストの状況に応じて出される「おまかせ」の妙を堪能握りたてを頬張るカウンターの悦楽。江戸前の技を存分に名店【宇廼丸本店】の味と技を受け継ぐ永田氏。ゲストに寄り添う真摯な姿勢と誠実な仕事ぶりは、常連客を惹きつけてやみません。全国各地から仕入れた、その時に一番おいしい旬のネタを「おまかせ」でいただくのが醍醐味。豊富な日本酒を傾けながら、極上の江戸前握りをじっくりと味わいたいものです。料理人プロフィール:永田浩二(ナガタコウジ)氏1955年、山梨県出身。上京後【宇廼丸本店】に就職して本格的な修業をスタートさせるが、一時期、料理の世界から離れることに。しかし、料理人の楽しさが忘れられず、5年後に再び【宇廼丸本店】の門をたたく。独立を夢みて研鑽を積み重ねるなか師匠に認められ、暖簾分けに至る。1992年に【神田宇廼丸】をオープン。神田宇廼丸【エリア】人形町/小伝馬町【ジャンル】鮨・寿司【ランチ平均予算】2500円【ディナー平均予算】10000円【アクセス】神田駅 徒歩7分
2023年06月21日《神田正輝が、激痩せと老け込んでいて心配になる》《え、やばい、神田正輝激ヤセ》《神田正輝、おじいさんみたいになってる…。すっごい激痩せしてて心配》毎週土曜の朝に放送される旅行情報バラエティ『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)。総合司会を務める俳優・神田正輝(72)のそこで見せた“異変”がネットで波紋を呼んでいる。神田は’76年のデビューから’21年の石原プロ解散まで同プロダクションに所属し、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)などの人気ドラマで大活躍。また芸能界屈指のスポーツマンとして知られており、スキー、テニス、ゴルフなど幅広い趣味を持つ。そんな神田だが、『旅サラダ』の4月29日と5月6日の放送回では“異変”をみせていた。頬が痩せこけ、全体的に身体もほっそりしたような印象だったのだ。’21年12月18日に松田聖子(61)との間に生まれた愛娘の神田沙也加さんが35歳という若さでこの世を去るという、あまりにも悲痛な出来事が。そのため《そりゃ沙也加ちゃんがあんな形で亡くなったんだもん。娘を亡くしたお父さんの悲しみの深さは計り知れない…》《沙也加さんの心痛とか色々あったからかな 心配》と気遣う声もネットで上がっている。指摘される激痩せぶりの理由は明らかにされていないが、神田は沙也加さんが亡くなってから1年半もの間、気丈に振る舞ってきた。沙也加さんの訃報から1週間後となる12月25日、神田はいつも通り『旅サラダ』に出演し、「いつも僕はみんなを守る立場。今日は守られているような雰囲気あるな。ありがとうございます。僕は元気ですよ」とコメント。また試食コーナーでは「久々にちゃんとしたご飯食べたんだけど。『旅サラダ』に来て良かった。ご飯食べられた」と話していた。「神田さんは、沙也加さんの死後も『旅サラダ』を一度も休んでいません。番組は生放送だけに撮り直しもできませんから、沙也加さんが亡くなって初めての12月25日放送回に欠席するという選択肢もあったそうですが、神田さんは出席を決意。『あまり心配をかけたくない』という、スタッフや共演者に対する神田さんなりの気遣いだったのでしょうね。また沙也加さんが亡くなってから3ヵ月後、大阪で『旅サラダ』の番組イベントが行われましたが、こちらにも神田さんは出席。俳優業も当初から“休まない”という方針でした」(テレビ局関係者)神田は芸能活動と並行して、沙也加さんのお墓のことも“どの方法が一番いいのか”を親身になって考えていたという。「神田さんのお母さんのお墓は東京・新宿にありますが、こちらに沙也加さんを埋葬すると、聖子さんがお参りのときに遠慮してしまうのでは、と神田さんは考えたそうです。いっぽう聖子さんも現在の夫・Aさん一族のお墓では神田さんが訪ねづらいのでは、と思案していたといいます。結果的に聖子さんが生まれた久留米にほど近い福岡県柳川市に、聖子さんのご実家の菩提寺があるため、そこにお墓を建立する計画を立てていたと聞いています。そうして、神田さんにとっても聖子さんにとっても気兼ねなく“家族”で沙也加さんを弔えるようにしたといいます」(芸能関係者)なにはともあれ、激痩せが体調不良でないことを祈るばかりだ。
2023年05月12日“関西料理界のドン”といわれた料理人の神田川俊郎さん(享年81)が、‘21年4月25日に新型コロナで逝去してから2年の月日が過ぎた。「神田川さんはテレビ番組『料理の鉄人』(フジテレビ系)などに出演し、人気を博していました。3人の子供に恵まれた神田川さんですが、二度目の結婚の際の長男と次女が店を継いで経営しているといいます」(芸能関係者)そんななか昨年の4月、大阪の北新地にある『日本料理神田川本店』の土地と建物の相続が逝去1年後もおこなわれていないと『女性セブン』で報じられた。不動産評価額は4億円はくだらないという。この時、店を経営する神田川さんの長男は、相続しない理由を、神田川さんが個人事業主として店を経営していたため、急逝した際に銀行口座が凍結され『とにかくまずは店を立て直すことが先決だということで、相続の話し合いが後回しになっていた部分はありました』と同誌で明かしていた。その後、相続問題はどうなったのだろうか。本誌が登記を確認すると、2年経った今でも相続されていなかった。現在の状況について店を経営する長男に聞いた。「すでに遺産分割協議も済んでいまして、弁護士さんにも相談したうえで相続税の申告はもう済ませているんです。物件の名義も司法書士さんにお願いして、手続きしています。2、3年後に不動産登記の法律ができるみたいなので、念の為に変えとこうかとなっていたのですが、登記するのもそれなりに費用がかかりますし……。名義が変わっていないことで、また色々言われると思っていましたが、三回忌には間に合わなかったということですね。お店の経営もまだ税務的に会社にするほどの売上でもなく、個人のままですけど、ゆくゆくは法人にして姉と経営していく予定です。お店的にはコロナも落ち着いて外国人の方や贔屓にしていただいていたお客さんが徐々に戻ってきてくれています。父の三回忌は家族だけでお寺で行うつもりです」『日本料理神田川本店』の現状を飲食コンサルタントはこう明かす。「売却するとしたら買い手に建て替えが必要となることがネックです。このエリアはコロナ終息して、観光客も増えてきましたし、今のまま、売却せずに事業を続けていくのが今は最良かもしれません」神田川さんも、天国から子供たちと店を見守っていることだろう。
2023年04月21日4月上旬の平日の夜、都内のスーパーで買い物をしていたのは、フリーアナウンサーの神田愛花(42)。土地柄、周囲には高級スーパーも多いなか、神田が買い物をしていたのは庶民的な店。野菜や牛乳、ビールなど、一品一品しっかり見て選んでいる様子に堅実な金銭感覚が伺える。今年1月から始まったお昼のバラエティ番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)でMCを務め、平日に毎日生放送を抱える多忙さだが、家事にも手を抜いていないようだ。神田は、’18年にバナナマンの日村勇紀(50)と結婚。「食リポ系の仕事も多い日村さんのために、神田さんは自宅では野菜中心のヘルシーな食事をつくることが多いようです。日村さんは、神田さんの見ていないところでは好きな食べ物を食べているようですが(笑)」(芸能関係者)結婚を機に日村は新築マンションを購入し、1億5千万円ほどの億ションで暮らし始めたと過去に報じられているが、現在もこの億ションで生活をしているという。日村の活躍はいうまでもなく、神田自身もバラエティ番組に出演した際の珍発言などの面白さで、いまや売れっ子。夫婦2人の収入を合わせると相当な額だが、3月に放送された『ぽかぽか』で神田は、「私の収入は夫は知らないです。でも夫の収入は私は全部知ってるんですけど」と話している。夫に自身の収入を明かしていないことについて、「自分(神田)の収入とかが1円でも入ってるって思うと、(日村の)怠け癖がついちゃうといけないから」と力説した神田は、「あなたががんばんないと、うちはカツカツなんだぞって。そう思わせるために別々にしてるんですけど」と続けている。4月7日に結婚記念日を迎え、結婚生活は5年に。本誌が目撃時は、ビール数本など重い商品も入ったビニール袋を両手に提げて、スーパーを出て行った神田。このたくましさが、夫婦生活を支えているようだ。
2023年04月12日グラビアアイドルの似鳥沙也加が6日、ニコニコチャンネルプラス『似鳥沙也加ファンクラブ』を開設した。『似鳥沙也加ファンクラブ』は、会員限定の超プレミアムな画像・映像・生配信・グッズなどが詰まったコミュニケーションファンクラブチャンネル。これまであまり出してこなかったグラビア撮影現場のメイキングムービーや撮りおろし・未公開カット満載のフォトギャラリーなどが楽しめる。そして今回、ファンクラブチャンネルの開設を記念して、5刷りの大快挙を達成した1st写真集『Ribbon』のグラビア撮影メイキングムービーも会員限定で公開(※視聴には 1,100円以上のプランへの加入が必要)。また、5月31日までに入会するとオリジナルブロマイド(3枚)が全員にプレゼントされるほか、ファンクラブでしか購入できない「似鳥沙也加カレンダー2023.4-2024.3 会員限定特典付き」と「似鳥沙也加デジタル写真集 Luna 会員限定書籍版」の発売も決定した。さらに、4月1日(19:00〜)には、初回生配信が実施される。
2023年03月07日《自身の映画の公開、夏以降のスケジュールや新曲の発表など、今後の事を話し合っていた中での突然の出来事でした。あまりにも突然のことで社員、スタッフ一同深い悲しみに包まれております》2月28日、公式サイトなどでこう綴ったのは歌手・黒崎真音さんの所属事務所。この日、黒崎さんが2月16日に急逝していたことを発表した。35歳だった。持病の悪化に伴っての急逝であり、通夜並びに葬儀については遺族の意向もあり、近親者のみで執り行われたという。08年のデビュー以来、主にアニメソングを中心に『とある魔術の禁書目録II』や『ドリフターズ』など人気アニメともタイアップするなど歌手として活躍していた黒崎さん。あまりにも早い訃報に、ネット上では悲しみの声が相次いでいる。ソロ以外にもユニットとしての活動にも精力的だった黒崎さんは、2020年に神田沙也加さんと2人組ユニット「ALICes」を結成。公私ともに親交を深めていたようだ。「ALICesとしてYouTubeチャンネルも運営していて、『ALICes☆Tea Party』というトーク番組を毎週投稿。お互いのバッグの中身を見せ合ったり、推しコスメを紹介し合うなど仲はとても良さそうでした。またプライベートでも、’21年8月に沙也加さんの出演した舞台『王家の紋章』を、黒崎さんが観劇したり、黒崎さんが『舞台に出たい』と相談したときには、沙也加さんが見つけたオーディション情報を共有したりもしていたそうです。沙也加さんは黒崎さんのことを“双子”のような存在だと、よく言っていました」(音楽関係者)しかし、沙也加さんは’21年12月に35歳の若さで突然この世を去ってしまう。黒崎さんはたびたび、SNSやブログに沙也加さんへの思いを綴っていた。訃報翌日、黒崎さんはTwitterに《ALICesは解散しません さやはわたしの中にいる》と投稿。続けて、沙也加さんと交わしていた“約束”を綴っていた。《さや 早く帰っておいで 寒いでしょ ずっと言ってたよね さやを一人にしないって 寂しかったら一緒に住もうって いつでもどこでも会いに行くって ねぇ さや さや LINEしても既読さえつかないよ 》さらに沙也加さんの1周忌となる’22年12月18日には「忘れないで」というタイトルでブログを更新して、《彼女が最後にわたしに送ったLINEの言葉は『真音、哀しいよ』》だった綴っていた。今年1月28日にAlICesの活動休止を発表していたが、黒崎さん自身のライブやドキュメンタリーフィルムの劇場公開など、さまざまな活動の告知がされていた。これまでの絆から沙也加さんと同じ年齢で亡くなったことを悲しむ声が、ネット上で相次いでいる。《あれだけ神田沙也加さんの件を悲しんでいた黒崎真音さんが後を追うように亡くなったの悲しすぎる》《黒崎真音さん亡くなる。 神田沙也加さんが亡くなった時にとても悲しい気持ちが伝わってきました。 なんで若くして悲しい事が続くんだろう》《沙也加ちゃんが旅立った後真音ちゃんずっと「さやに会いたい」って言ってたから硬膜外血腫の苦しみから解放されて会えてたらいいな… 》《あれだけ神田沙也加さんの件を悲しんでいた黒崎真音さんも持病の悪化により亡くなったのか… 》
2023年03月01日2023年2月28日、歌手の黒崎真音(くろさき・まおん)さんが、同月16日に亡くなっていたことを所属事務所が発表しました。弊社所属、黒崎真音が2月16日に持病の悪化に伴い急逝いたしました。自身の映画の公開、夏以降のスケジュールや新曲の発表など、今後の事を話し合っていた中での突然の出来事でした。あまりにも突然のことで社員、スタッフ一同深い悲しみに包まれております。通夜並びに葬儀につきましては、静かに見送りたいとのご遺族の意向もあり近親者のみにて執り行われました。今まで黒崎真音を応援して下さったファンの皆様、関係者の皆様に心より感謝いたします。黒崎真音 NBCUniversal Entertainment Japan OFFICIAL SITEーより引用黒崎さんは、2010年に放送されたアニメ『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』のエンディング曲を手掛け、アルバム『H.O.T.D.』でメジャーデビュー。以降も数々の人気アニメ作品の曲に携わってきました。また、2018年には映画『BLOOD-CLUB DOLLS』に俳優として出演するなど、活躍の場を広げていた黒崎さん。翌2019年には、故・神田沙也加さんとともに音楽ユニット『ALICes』を結成したことでも知られています。今後の活躍が期待されていただけに、ファンからは悲しみの声が寄せられました。・曲が好きでよく聞いていました、ご冥福をお祈りします。・突然のことで、心も頭も整理が追いつきません。・『H.O.T.D.』で知った時から、黒崎さんの大好きな楽曲がいっぱい。黒崎さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年03月01日「聖子さんは、沙也加さんの一周忌をお母さんの一子さんと過ごしたそうです。発売されたばかりの追悼アルバムを2人で聴きながら、沙也加さんが好きだった食事を作って食べたとか」(聖子の知人)’21年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失った松田聖子(60)。1年たった現在も心の傷は癒えていない。本誌はこれまでに、聖子が沙也加さんのハンドミラーなど、愛用品を使用し続けていることを報じてきた。実は、聖子の自宅の近くには沙也加さんの“生家”もある。デビュー当時から聖子を知るカメラマンのYAHIMONときはるさんは語る。「聖子さんが神田正輝さんとの新婚生活を始めた家で、’86年に新築されました。同じ年に沙也加さんが生まれ、親子3人の幸せが詰まった場所なんです」聖子の両親もともに暮らしたこの一戸建てが、今の聖子の心のよりどころとなっている。“サヤはここで生きている……”そんな思いも去来するのか、近くを通った際には立ち止まって眺めることもあるという。地下室付きの邸宅では、現在は「成城松村クリニック」が開業している。聖子たちが転居した後も25年にわたって建物は保存されているのだ。今回本誌は、クリニックの院長である松村圭子さんに話を聞くことができた。メディアに室内が公開されるのは初めてのことだ。「ここには沙也加さんゆかりの品々もありますし、クリニックを続ける覚悟が改めてできました」(松村さん・以下同)熱烈な聖子ファンでもある松村さん。一時は聖子の事務所として使用されていたこの建物が取り壊されることになったと聞くと、聖子の母・一子さんに直談判。ここでクリニックを開くことを認めてもらったという。「一子さんは’10年の開院の内覧会の際に来てくださいました。いただいたお花のお札は、今でも大切に取ってあります」内装にはほとんど手を加えず、家具なども一部は使い続けている。「今の診察室はもともと応接室だったそうです。当時の椅子や戸棚もそのままです」クリニック以外では、生活感が色濃く残されたスペースもある。「和室では、沙也加ちゃんが一子さんとテレビで『水戸黄門』をよく見ていたそうですよ」キッチンには、沙也加さんのために聖子が貼ったというかわいい犬のキャラクターがあった。「小さいころの沙也加ちゃんは、このキャラクターのように、おもちゃのマイクを持ちながら(聖子のヒット曲の)『ロックン・ルージュ』なんかを歌っていたとか」小学生のころにはすでに芸能界を目指していたという沙也加さん。家族の思いがキャラクターにも託されていたのかもしれない。沙也加さんがクリニックを訪れたこともあったという。「’11年かな。治療でいらっしゃいました。お若いのにすごく気を使われていた印象があります」聖子の一家と交流を持ち続ける松村さんだが、最近も近所のスーパーで聖子と顔を合わせたという。「’22年11月上旬のことでした。聖子さんはマスクと眼鏡に帽子姿で、ご主人といらっしゃいました。周囲は誰も気がつかなかったのですが、お声をかけたら『ああ、先生!』なんて気さくにしていただいて。そんな自然体なところが、ものすごく魅力的なんです」沙也加さんの思い出が詰まった“幸せの家”はファンの熱意で守られ、聖子に前へと進む力を与え続けている。
2023年01月11日12月18日、神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってから1年を迎えた。あまりにも突然の別れに日本中が言葉を失い、悲しみに暮れた。松田聖子(60)と神田正輝(71)を両親に持ち、2001年に「SAYAKA」として鮮烈なデビューを飾った沙也加さん。06年からは「神田沙也加」として再始動し、近年は声優やミュージカル女優として数々の話題作に出演。18年には舞台『キューティ・ブロンド』の演技で念願だった菊田一夫演劇賞を受賞し、評価を確固たるものにした。一周忌を迎えたが、沙也加さんには今も多くの人々からの愛が届けられている。12月14日に追悼ベストアルバム「MUSICALOID #38 Curtain Call!」がリリース。その4日前に同作に収録されている未発表曲「アスノヨゾラ哨戒班」のミュージックビデオが沙也加さんの公式Twitterアカウントで公開されたが、すでに130万回以上再生されている。また、沙也加さんの公式Instagramアカウントには、生前最後となった昨年11月18日の投稿に今もファンからのコメントが寄せられ続けている。そんな沙也加さんに今も愛を捧げているのは元夫の村田充(45)も同じだった。16年夏の舞台での共演をきっかけに交際をスタートさせ、17年4月26日に結婚を発表した沙也加さんと村田。同年5月に行われた結婚披露パーティーには父の神田正輝や親交のある芸能人が出席し、2人の門出を祝いだ。本誌も18年2月に、共演者とのお茶を楽しんだ沙也加さんを村田が車で迎えにくる姿を目撃。買い物を楽しんだあと、手をつなぎながら歩いていた2人だったが、19年12月に子供を持つことについて価値観の相違があったことを理由に夫婦生活にピリオドを打つことに。しかし、繋がりが消えたわけでは決してなかった。訃報翌日の昨年12月19日、村田はTwitterで《ご逝去の報に接し、共に過ごした時間に感謝し、心から哀悼の意を捧げます。 彼女の歌声は、まるで天使のようでした》と沙也加さんを追悼。その後も8月17日にInstagramで、月命日を前に《もうすぐ45歳というよりはもうすぐ8ヶ月という気持ち》と思いを馳せていた。さらに、村田は沙也加さんの“大切な相棒”も受け継いでいた。生前、ロングコートチワワの愛犬ブルーザーくんと生活していた沙也加さん。村田は昨年12月23日にTwitterで《安心してください。大切に育てます》と引き取ることを表明し、その後はSNSでたびたびブルーザーくんとの日常を定期的に発信し続けている。11月29日にTwitterで公開したブルーザーくんともともと飼っていた愛犬との写真には、《素敵な写真ありがとうございます》《大切に育ててくださって嬉しいです》とファンからのコメントが寄せられていた。沙也加さんが愛した“家族”を引き取り、今も献身を続ける村田。沙也加さんもきっと喜んでいることだろう。
2022年12月18日35歳という若さで亡くなってから1年。偉大なる両親を持ちながらも自らの力で女優の道を切り開いた神田沙也加さん。ゆかりのあった芸能人たちが彼女へ寄せた追悼メッセージとともに、その輝かしい功績を振り返りますーー。■宮本亞門(64)〈まだ無名な彼女は「私は有名人の娘だから受かったのですか?」と大きな目で食いつくように聞いてきた。「嫌、絶対違う!オーディションで多くの人を見て、君が1番素晴らしかったからだ!」。すると少し安心した顔をして「私、本物になりたいんです」。そして彼女は異様な努力を重ね素晴らしい演技を次々と見せてくれた。〉’04年、17歳で宮本亞門演出のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』の主演に抜擢された。当時の芸名は「SAYAKA」だった。■堂本光一(43)〈自分がもう一度出たいと思う作品は観に行くと実現しない気がするとそれを叶える為に観に来ないけどいつも「頑張って」と声をかけてくれておりました〉’12年、堂本光一主演のロングランミュージカル『Endless SHOCK』でヒロインを演じた。制作発表での満面の笑みが印象的だった。■村田充(45)〈彼女の歌声は、まるで天使のようでした〉’18年、当時の夫で舞台俳優の村田充と仲よく手をつないでデートする姿を本誌が目撃。結婚から約1年たってもラブラブな様子だったが、翌年、出産計画の相違を理由に離婚した。■松たか子(45)〈ものがたりにふれれば、アナはいつでもわたしたちにはなしかけてくれ、ほほえみかけてくれます。ありがとう、アナ〉松たか子と日本版吹き替えで姉妹役を演じたディズニー映画『アナと雪の女王』が記録的大ヒット。’19年には続編も公開された。■朝夏まなと(38)〈笑顔で走ってくる姿が目に焼き付いて離れない愛しくて力いっぱいハグしたよ私にとって妹みたいだけどお姉ちゃんのような存在いっぱい助けてもらったり教えてもらったり…尊敬と愛を込めて〉’18年、名作『マイ・フェア・レディ』の主役を射止めた。元宝塚トップスター・朝夏まなととのWキャストだった。■別所哲也(57)〈同じ時代に同じ作品で自らの力で輝いてた。コロナがなければもっと語り合い支え合えたはず。神田沙也加は、素晴らしい舞台役者です!〉『マイ・フェア・レディ』では憧れだった花売り娘・イライザ役を熱演。神田さんが亡くなったのは’21 年の札幌公演中のことだった。■松田聖子(60)〈沙也加は小さいころから歌うのが大好きでした。おもちゃのマイクを持って、私の「ロックンルージュ」をよく歌っていました。それが昨日のことのように思われます。今も彼女の歌声は私の心中に響いています。〉’11年、『NHK紅白歌合戦』で母・松田聖子とデュエットで坂本九の『上を向いて歩こう』を披露し、話題に。「母との初デュエットが紅白なんてぜいたくで光栄」と喜んでいた。
2022年12月17日