ドラマ『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)で、元カレ・涼ちゃん(平岡祐太)のセカンドになってしまっている香(榮倉奈々)。「香!そんなんじゃ東京オリンピックまでに結婚して子ども産めないよ!」と、テレビ越しに思わずツッコんでしまっている人もいるのでは?でも誰がどう見てもダメ男なのに、彼を好きな気持ちが勝ってしまうと「2番目でもいいから・・・」なんて思ってしまうのが恋心でもあります。そこで今回は「セカンドになってしまったときに彼を断ち切る方法」について、20代女性にリサーチしてみました。■1.とにかくシャットアウト!「どんなに元カレからしつこく連絡が来ても、返さないのが一番。だんだん向こうも連絡してこなくなるから、自然と終わらせることができるよ」(29歳/経理)香も一度は涼ちゃんとの連絡を絶ったものの結局返信してしまい、そのままズルズルとふたりで会っていますよね。彼から連絡が来ると嬉しくなってしまう気持ちもわかりますが、いつまでも未来のない恋にしがみついていても意味はありません。感情のままにやりとりを続けるのではなく、自分から彼との連絡を遮断するようにしましょう。■2.それでも本当に彼が好き?「私も元カレのセカンドだったことがあります。彼を何とか断ち切るために、会いたくなったら『彼にされて許せなかったこと』を思い出すようにしていました」(24歳/アパレル)涼ちゃんの部屋でふたり仲良くケーキを食べていた香。それなのに彼女が帰ってくるとわかった途端、涼ちゃんはケーキごと香を追い出してしまいました。そのときはひどくショックを受けた香でしたが、時間が経つにつれてそのツラさも消化されてしまった様子。「彼のことが好き」と気持ちが戻ってしまったときは、セカンド女として彼にされた扱いを思い出してみましょう。たとえ彼と一緒にいて心温まるひとときがあったとしても、それは本物の幸せではないことに気が付けるはずです。■3.誠実な男性は、他にたくさんいる「私も本命がいる元カレと、セフレみたいな関係になっていました。でもこれじゃダメだなと思い、ほかの男性とも会ってみることに。そしたらもっと素敵な人はたくさんいるんだって目が覚めましたね」(26歳/福祉)香はせっかく結婚相談所に登録したのに、相手の男性の顔も見ないまま涼ちゃんのところへ行ってしまいましたよね。彼を好きな気持ちが抑えきれなかったとしても、せめて視野を広げてほかの男性と会っておくべき。そうすることで「ちゃんと誠実な男性と付き合おう」と根本から自分の考えを変えることができるかもしれませんよ。■4.「彼氏ができた」とウソをつく「自分にはカワイイ彼女がいるくせに、平気で『会おうよ』と言ってくる元カレ。彼のことは好きだったけれどこれ以上セカンドを続けたら後戻りできなくなると思い、『彼氏ができたから無理』と断りました」(22歳/大学生)涼ちゃんのように「本命がいるけれど連絡をしてくる男」に振り回されてしまう場合は、最終手段として「彼氏ができた」と言ってしまいましょう。最初は「ウソをつかなければ今でも彼と一緒にいられたのかな・・・」と心が張り裂けそうなくらい苦しくなるかもしれませんが、将来のことを考えたらこのウソは間違っていないはず。ある日突然「俺、彼女と結婚するからもう会わないようにしよう!」と言われるよりも、傷口は何倍も浅く済むのではないでしょうか。■おわりにセカンドから抜け出すためには、自分から変わっていくしか方法はありません。本命彼女にバレて話がややこしくなるのを防ぐためにも、何とかして元カレを断ち切っていきましょう!(和/ライター)(ハウコレ編集部)
2017年03月15日「稲沢朋子トークショー&ヘアショー」開催概要「髪STORY vol.4」及び「STORY」5月号の発売を記念して、2017年4月2日(日)14:30から、阪急西宮ガーデンズ4階ガーデンズホールにおいて、「稲沢朋子トークショー&ヘアショー」が開催される。同イベントには、3月27日に発売される「髪STORY vol.4」または、関西エリアにおいて3月31日に発売される「STORY」5月号を、ブックファースト 阪急西宮ガーデンズ店で購入した、先着100名が招待される。トークショーでは、STORY専属モデルとして活躍する稲沢朋子が、自身のヘアスタイルや、ファッション、美容などについて、熱く語る。さらに、神戸のヘアサロン「shiomi H」代表 潮海達矢によるヘアショーや、ヘアカット&スタイリング体験などのイベントも用意されている。MCは、STORYの読者モデルでもある、人気TVレポーター坂田陽子が務める。稲沢朋子のプロフィール1974年2月27日生まれの稲沢朋子は、現在43歳。血液型はA型。所属事務所はアミューズ。読者モデルとして活躍した後、2016年5月号から人気ファッション誌「STORY」のレギュラーモデルを務めている。趣味は、ドライブ、格闘技観戦、ゴルフ、マラソンなど。特技はマリンスポーツというアクティブ派だ。storyweb.jpで掲載中のブログ「どんなときもBIG SMILE!」も人気を集めている。(画像は稲沢朋子オフィシャルブログより)【参考】※storyweb.jp※稲沢朋子オフィシャルブログ※アミューズオフィシャルサイト稲沢朋子プロフィール
2017年03月12日木曜日連載、アート・ブックショップ「NADiff(ナディッフ)」各店による今読むべき1冊。今週は、荒木経惟の『さっちん オリジナル版』。愛知・名古屋の支店・ナディッフ愛知(愛知県名古屋市東区東桜1-13-2 愛知芸術文化センター地下2階)によるご紹介です。■『さっちん オリジナル版』荒木経惟アラーキーこと写真家の荒木経惟が1964年に第1回太陽賞を受賞し、デビュー作として知られる「さっちん」。千葉大工学部に在学中の荒木が、三河島の廃墟化した鉄筋コンクリートのアパートで遊ぶ子どもたち(さっちんはその中のガキ大将)を1962年~1963年に撮影したシリーズ。当時、受賞作を雑誌に載せるためネガの受け渡しをしたまま紛失してしまったことで、写真集として世に出回ることが無かったが、50年以上の時を経た今、スキャンと印刷技術の進歩によって古い雑誌から起こされ、改めて写真集という形を取るに至ったのが本書である。「さっちん」関連の書籍では、1994年に新潮社から刊行された、受賞作ではないアウトテイクで構成した写真集『さっちん』、1996年~1997年に平凡社から刊行された荒木経惟写真全集(全20巻)のカバーの端を切り取り応募した者だけが手にすることができた完結記念限定版写真集『さっちんとマー坊』、2014年に開催された大型個展「荒木経惟 往生写集」のカタログへの一部掲載等が存在するが、本書に掲載の太陽賞受賞作を目にするには、これまでは当時の雑誌まで遡らなくてはいけなかった。団地を駆け回る子供たちの、画面に収まり切らないエネルギーを活写した荒木経惟の原点。雑誌での発表時に荒木によって書かれた文字が添えられ、絵本の様な仕上がりとなって今甦る。【書籍情報】『さっちん オリジナル版』著者:荒木経惟発行元:河出書房新社言語:日本語ハードカバー/32ページ/220×210mm発売:2017年2月28日価格:1,600円
2017年03月09日OL兼漫画家として唯一無二の作風で活躍するカレー沢薫さんの連載コラム登場!徹底した猫至上主義の価値観で考える「猫と男」とは?その辺のダメ男に引っかかっている女性陣。出会いがないと嘆いているあなた。猫の前では男なんて無価値かも?■第3回「男を捨てよ猫を飼おう」今回のテーマは「男を捨てよ猫を飼おう」だ。完全に「書を捨てよ町へ出よう」のパクりであり、それが言いたかっただけで以降のことを全然考えていないのだが。世間では「猫を飼う」と「男と付き合う」という行為は食い合わせが悪く「猫を飼うと婚期を逃す」とさえ言われているようだ。己の行き遅れをおキャット様のせいにする根性からして結婚できるわけがない、と言いたいところだが、これはもちろん飼っている女がそう言っているわけではない。「何としてでも女の行き遅れは悪いものであり、結婚しない女は、餓死、凍死、孤独死、爆散するものであり、その理由は猫なんか飼っているからだ勢」が言っていることだ。では何故「猫を飼うと婚期を逃す」のか、挙げられている理由を述べよう。・「早く帰って猫の世話をせねば」と誘いを断って帰ってしまう・猫と別れるなら死んだ方がマシ、猫と別れるのが条件の結婚なら男と別れる。・正直、心の充足は全て猫が与えてくれるので男などいらない。徹頭徹尾「どこが悪いのかわからない」話だ。何が「要注意!猫を飼うと婚期を逃す!?」だ、お前が要注意だ(夜道、猫飼い女に後頭部をバールのようなもので殴られると言う意味で)という話である。さて、冒頭の「捨てる」と言う行為だが、悲しいことに世の中には猫などペットを捨てる人間がいる、そういう人間は来世、ヘルニアの人の軟骨に生まれ変わるとして、なんにしても「猫(ペット)を捨てる」という行為は許されるものではない、もしSNSで「ペット捨てちゃいました」などと投稿したらフォロワー数がマイナス8兆ぐらいになる。では「男を捨てる」という行為はどうか、これは場合によっては称賛される。「ヒモ男を捨ててやった」全く無関係な人間でさえ胸が梳く言葉だ。戦国の世で言えば「大将首をとった」ぐらいの手柄である。そもそもおキャット様というのも「衣食住の全てを飼い主に依存している」と言う点のみで言えばヒモ野郎と同じだ。しかし、ヒモを捨てれば褒められるが、おキャット様を捨てて褒められることはまずない、人間的に軽蔑されるだけだ。だったら褒められる方を捨てよう、という話である。部屋が片付く、さらに褒められる、一石二鳥というやつだ。現代の女性に必要なのは「結婚しないと不幸」などという呪いよりも、こういった「合理的な考え」である。プロフィールカレー沢薫OLであり漫画家、コラムニスト。1982年生まれ。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビューを飾る。秀逸な言語感覚で繰り広げられる切れ味鋭い世界観が人気。こよなく猫を愛し、猫が登場する作品も多数。最新著作『ブスの本懐』(太田出版)を2016年11月16日に発売。
2017年02月26日「たとえば家族で、何か決めるとき、ひとたび姉妹が結束すると、父親の権力よりも強くなり、たやすく家庭内で意見が通ります(笑)。実は、そんな“姉妹力”が、今の日本には必要なんです」 そう語るのは、ベビーシッターサービス「キッズライン」代表取締役CEOの経沢香保子さん(43)。20代で起業し、’12年に東証マザーズに女性社長として当時最年少で上場した記録をもつ。小林麻耶&麻央や石田ゆり子&石田ひかりなど、今、芸能界でも最強の絆として注目されている“姉妹力”。経沢さんも“女性が輝く”社会を実現するためにも“姉妹力”に注目しているという。 「日本の社会で女性の活躍が遅れているのは、決定権をもつ女性の政治家や会社役員の人数が少ないこと。いくら声を上げても、圧倒的な多数派である男性の声にかき消されて、意見が届きづらいのです。しかし、女性1人だけの力では難しいことでも、一緒に声を上げてくれる人がいると違ってきます。まして、それが同性の家族だとしたら、より大きな力になります。それが“姉妹力”なのです」 また“姉妹力”は働く女性にとって、ときに癒しにつながるそう。 「活躍する場が増えれば、プレッシャーもストレスも多くなっていきます。しかし、友達や同僚には、簡単に弱音が言えないことも……。ところが、心身の状況がわかり合える姉妹だと、本音も言いやすくなるのです。また、ビジネスで女性が突き進めば、嫉妬や軋轢から、嫌な思いをすることも少なくありません。誤った噂が流されたり、ネットでマイナスなことを書かれたりすることもあるでしょう。そんなときでも、ありのままの自分を知っている姉妹なら、『そんなの気にしちゃダメだよ!大丈夫だから』と励まし合えます。そんな“最後の味方”がいることは心強いですよね」 メールやSNSにより、表面上の言葉だけでつながることが増えている現代社会で、本当に理解し合える人間関係を築くために、経沢さんの言葉は重要だ。 「働く女性には、これから先、姉妹のような関係が築ける真の理解者がいると心強いのではないでしょうか。女きょうだいがいない人でも、友達同士、刺激し合い、支え合う関係をつくるには、リスペクトし合うことが大切です。そんな“姉妹力”が、日本を変えていくのです」
2017年02月26日荒木経惟の展覧会「写狂老人A」が、東京・初台の東京オペラシティ アートギャラリーで開催される。会期は、2017年7月8日(土)から9月3日(日)まで。アラーキーの愛称で親しまれ、齢70を超えた今も精力的に活動を続ける写真家、荒木経惟。彼の持つ、被写体や手法の多彩さは、世界的な評価を受けているが、それでもなお探究心はとどまるところを知らない。本展では、彼の人生とも言える写真を、“生の記録”として表現。近年の重要なテーマである、生と死が鮮明に描かれた最新作を披露する。新作だけで1000点をこえる膨大な量の作品を展示。その壮大な規模で、荒木経惟の現在をビビッドに伝え、多様な活動の「核心」に迫る。様々な体型、年齢の”人妻たちのヌード”を捉えたシリーズ「大光画」も公開。巨大な作品群からは、不思議と性的なものを感じさせない。「性」よりはむしろ「生」を謳歌するような彼女たちの生命力や個性が浮き彫りになってくる作品だ。「花百景」は、咲き誇り、枯れてゆく花を捉えたモノクロームプリントのシリーズ。余分なものを一切画面から排し、純粋に花びらや茎の形、質感を追求した花々は、もはや普段何気なく見つめていた花と同じものには見えない。モノクロームの繊細さ、表現力の豊かさに驚かされることだろう。また、本展に展示される新作にはすべて印画紙プリントを採用した。フィルムカメラ独特の質感は、単なる「イメージ」の域を越え、写真そのものの重みや存在感で空間を圧倒する。鬼才・荒木の作品の迫力を存分に感じられる展覧会だ。【概要】荒木経惟 写狂老人A会期:2017年7月8日(土)〜9月3日(日)会場:東京オペラシティ アートギャラリー住所:東京都新宿区西新宿3-20-2開館時間:11:00〜19:00(金・土は11:00〜20:00、いずれも最終入場は閉館30分前まで)休館日:月曜日(祝日の場合翌火曜日)、8月6日(日)(全館休館日)入場料:一般 1,200円(1,000円)、大学・高校生 800円(600円)、中学生以下無料※カッコ内は団体料金。【問い合わせ先】ハローダイヤルTEL:03-5777-8600
2017年02月11日OL兼漫画家として唯一無二の作風で活躍するカレー沢薫さんの連載コラム登場!徹底した猫至上主義の価値観で考える「猫と男」とは?その辺のダメ男に引っかかっている女性陣。出会いがないと嘆いているあなた。猫の前では男なんて無価値かも?■第2回「猫を飼っている男性芸能人」さて今回の「猫>>>>>>>(越えられない壁)男」のテーマは「猫を飼っている男性芸能人」である。これは、猫を飼っている男性芸能人をネット情報で見つけ出し、瞬時にファンになろうという企画だ。話は変わるが、皆さんは好きな芸能人は?と聞かれて即答できるだろうか。私はできない。好きな二次元キャラは、と問われたら10人ぐらい言えるし、今の一押しは刀剣乱舞のへし切長谷部だ。誰にも聞かれてないが、言いたいから答えた。そもそも、そこまで人に興味を持たれることがないので、そんな質問されることすらないのだが、備えあれば憂いなしであるし、猫を飼っている芸能人を応援することには大きな意味がある。おキャット様の飼い主が食いっぱぐれるということは、おキャット様もそうなるということなのである、それは由々しき事態だ。おキャット様を飼っている芸能人には恒久的な人気を誇ってもらわなければならない。よって猫を飼ってる芸能人のファンになるというのは、間接的におキャット様を養っているということなのだ。皆、差はあれ、好きな芸能人の熱愛や結婚にはメロスのように敏感だろう。自分がつぎ込んだ金が、得体の知れない女の顔面に注射されるヒアルロン酸になっていたかと思うと、心中穏やかではいられない。しかし、自分の投資がおキャット様が寛ぐ床暖房の板一枚になっていると聞いたら「より励もう」と思えるだろう。さっそく「猫 男性芸能人」でググってみたのだが、猫を飼っている芸能人より「猫顔男性芸能人」という唾棄すべき情報が先に目についた。何度でも言うが、おキャット様は唯一無二の存在であり、他はそれ以下だし、それ以上は存在しない。人間如きの属性に猫を使用するなど恐れ多い。「あたし猫っぽいってよく言われるんです」という自己アピールは、猫好き男子には逆にマイナスだ。気を取り直して「猫好き男性芸能人」で調べて見たが、これが意外なほど出ない。しかしよく考えてみたら、芸能人という不規則かつ、家を何日もあけることがありそうな職業で一人暮らしだった場合、ペットを飼うと言うのはなかなかハードルが高い気もする。むしろ、1人暮らしと言われている男性芸能人がペットを飼い始めたら要注意かもしれない。熱愛のサインというものは意外なところから出ているものである。色々検索してみて一番情報が出てきたのは「爆笑問題の田中裕二」だった。確かに愛猫との写真も多数見つかったのでこれはガチだろう。しかし彼の場合、今更私が応援しなくてもいいぐらいのポジションだ、逆にこっちが応援してもらいたい。あとタモリが猫を飼っているという情報もあったが、さらに応援がいらない、すでにアガリに近い存在だ。できればもっと若手、まだこちらが買い支えねばと思える人材がいい。そこで見つけたのが「栗原類」だ。かなりいい、佇まいや雰囲気も他人事とは思えない。しかも「猫アレルギーなのに猫を飼っている」というのもポイントが高い、その心意気や良しだ。しかし猫アレルギーの症状がどの程度かは知らないが、結構つらいのではないだろうか、鼻が詰まっているというだけで、人は実力の半分も出せなくなる。しかし逆に言えば「だからどうした」とも言える。おキャット様を養えるのであれば、目鼻どころか、耳から謎の液体を出すことすら厭わない、それが猫好きだ。猫アレルギーは人間の都合であり、おキャット様には関係ない、ならば猫アレルギーでも猫を飼うべきと言える。といわけで2017年、好きな芸能人はと言われたら「栗原類」と即答することにした。しかしこういう、おキャット様のために常人ではやらないことをやっている人間がいるため「猫好きは変わっている」というイメージがつくのかもしれない。プロフィールカレー沢薫OLであり漫画家、コラムニスト。1982年生まれ。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビューを飾る。秀逸な言語感覚で繰り広げられる切れ味鋭い世界観が人気。こよなく猫を愛し、猫が登場する作品も多数。最新著作『ブスの本懐』(太田出版)を2016年11月16日に発売。
2017年01月29日OL兼漫画家として唯一無二の作風で活躍するカレー沢薫さんの連載コラム登場!徹底した猫至上主義の価値観で考える「猫と男」とは?その辺のダメ男に引っかかっている女性陣。出会いがないと嘆いているあなた。猫の前では男なんて無価値かも?■第1回「猫を飼っている男の特徴」このコラムのテーマは「猫と男」だ。おそらくこのコラムを読んでいる3人中5億人が「男いらなくね?」と思っただろう。そもそも唯一神である猫(以下おキャット様)と人間如きを同列に語ろうというのが間違っているので正式なタイトルは「猫>>>>>>>>>>>越えられない壁>>男」であり、略して「猫と男」だ。「と」はどこから来た、という話は置いておいて、ならおキャット様の話だけすればいいと思われるかもしれないが、まずはこのサイトの全貌を見て欲しい。「男、女、結婚、恋愛」以外の話は許さないという雰囲気だ。それでもおキャット様の話をするために、男という蛇足を付けざるを得なかったのだ、どうか許して欲しい(今のはおキャット様への謝罪であり貴様らに謝ったわけではない)。まず第一回目のテーマは「猫を飼っている男の特徴」だ。別に、考え得る限りでもっともつまらないテーマを選んだわけではない、やる気はあるのだ。まず猫を飼っている男の特徴だが、例外なく言えるのは「いい奴」である。これは「猫ちゃん好きに悪い人はいないょ」という虫歯になりそうな思想ではない、おキャット様を飼う、という重責を担う男が悪かったら困るからだ、だから例外なくいい奴でなくてはならない、これは義務だ。しかし、ここで言ういい奴、というのは人間的にという意味ではないし間違っても「女にとっていい男」という意味ではない。女を風呂に沈めた金で、おキャット様にカナガンのキャットフードを献上しているとしたらそれは「いい男」である。よって猫を飼っている男は例外なくイイ奴なので、女性は安心してつきあい、どんどん貢いで、おキャット様が三食シーバプレミオを食えるようにしていただきたい。猫を飼っている男がいい奴だということはわかったが、ではその性格はどういったものだろう。さっそく「猫好き男特徴」とインターネットに聞いてみた。もちろん「○○だから●●」と断言できることなどほぼないため、薄らぼんやりとした情報しか得られなかったが、一番多かったのは「猫好き男は性格も猫系」というものだった。勘違いされては困るが、おキャット様の性格というのはおキャット様にしか許されない、人間がまねをしたら万死に値する。そもそも猫系の性格とはなんだというと「自由でマイペース」ということである。確かにそういう性格の人間は男女問わずにいるが、少なくともペットを飼う以上ペットに対してだけはキッチリした性格でないと困る、日頃からおキャット様に対し細やかなケアを行い万が一体調を崩されていたら速やかに病院へ連れて行かなければならない。逆に言えば、それ以外に対してはマイペースで構わない、手作り弁当を持ってきた女を前にドミノピザに電話をかけるぐらい自由でいい、許す。つまり、猫飼い男と付き合うときは、自分よりおキャット様を優先されても「それが当然」と思えなければいけないのである。プロフィールカレー沢薫OLであり漫画家、コラムニスト。1982年生まれ。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビューを飾る。秀逸な言語感覚で繰り広げられる切れ味鋭い世界観が人気。こよなく猫を愛し、猫が登場する作品も多数。最新著作『ブスの本懐』(太田出版)を2016年11月16日に発売。
2016年12月22日声優の沢城みゆきが、この秋、完全新作で蘇る『デスノート Light up the NEW world』に新たに登場する真っ白な姿の死神・アーマの声を務めることが決定した。犯罪のない社会を目指し、デスノートで世界を変えようとしたキラこと夜神月。暴走する彼を阻止しようとした世界的名探偵・L。天才VS天才の対決から10年経ったある日、世界中のネット回線がジャックされ、キラによるメッセージが発信された「デスノートを手に入れろ―」。死神により地上にもたらされた6冊のデスノート。同時多発的に発生する大量の殺人事件。そんななか、三島(東出昌大)が率いるデスノート対策本部に、Lの後継者・竜崎(池松壮亮)が加わり、無差別殺人事件の現場で1冊のデスノートを手に入れる。一方、その現場には、キラの信奉者・紫苑(菅田将暉)の姿が。いま、それぞれの譲れない“正義”を懸けた、3人の壮絶な頭脳戦が始まる──!死神・リュークの声を、歌舞伎役者の中村獅童が続投する本作。今回、本作に新たに登場する死神の“1人”となるのが、死神・アーマだ。原作の“シドウ”をベースにデザインされ、漫画原作の小畑健監修のもと、制作が行われた。VFXアドバイザーを務めた土井淳氏は、前作映画から10年を経ていることもあり、リアリティを追求し存在感のある死神を目指したという。「色気と美しさのある死神」という佐藤信介監督からの要望もあり、その要素をどうデザインに落とし込むか、描いては壊しが繰り返された。そうしてでき上がったアーマは、死神の“友達”を持たず、むしろ人間にシンパシーを感じているようなキャラクターで、マスカットが好物。「まあね」が口癖で、仕草や話しぶりもエレガントな、“女性”の死神だ。そんな愛嬌がある死神・アーマに息を吹き込むのは、 「べるぜバブ」(ベル坊)、「HUNTER×HUNTER」(クラピカ)、「テガミバチ」(ラグ・シーイング)、「GO!プリンセスプリキュア」(紅城トワ:キュアスカーレット)ほか、ナレーション、洋画&海外ドラマ吹き替え、舞台でも活躍中の沢城さん。「週刊少年ジャンプ」作品でお馴染みの沢城さんは、「佐藤監督からお声がけいただきまして、なんとも豪華な俳優陣の中に、恐縮ながら参加させていただくことになりました」と真摯にコメント。「死神ってこういうもの、という何か共通項があるのかなと思っていたら、私たち人間同様、本当に三“神”三様だったのが印象的です」とふり返っている。果たして、沢城さんが声を務めるアーマは、誰にデスノートをもたらすのか!?先日解禁となった本予告には、“金色”の新たな死神も映りこんでおり、リュークに関しては獅童さんのフェイシャルキャプチャーが行われ、よりリアリティを追求したという本作の死神たち。フルCGによって誕生する、“演技派”な死神たちの活躍もまた見逃せない。『デスノート Light up the NEW world』は10月29日(土)より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年09月12日mame(マメ)と写真家の荒木経惟がコラボレーションした作品「アラマメ」が2016年7月13日(水)から24日(日)まで、銀座の森岡書店で展示・販売される。期間中は、荒木がmameを着た女性を撮影し、出来上がったポジフィルムを別のポジフィルムと手作業で貼り合わせることで生まれた写真作品が揃う。また、これらの作品を収めた作品集『アラマメ』も7月下旬の一般販売に先駆け、同書店において先行販売される。なお、今回のコラボレーションはmameのデザイナー・黒河内がシーズン毎に発表しているルックブックとは異なる方法で、ブランドの意思をより強く表現したいと考えていた時に、荒木経惟の作品「アラキリ」と出会ったことがきっかけとなっている。「アラキリ」とは、異なる写真2枚を中央で切断し、貼り合わせて1枚の作品に仕上げたもので、黒河内は「荒木氏の作品を実際に目にすることで感じる美しさや色気は、mameを通して表現したい事と共通性を感じた」とコメントした。【詳細】展覧会「アラマメ」開催期間:2016年7月13日(水)〜24日(日)時間:13:00〜20:00 (会期中無休)会場:森岡書店 銀座店住所:東京都中央区銀座 1-28-15 鈴木ビル 1階TEL:03-3535-5020作品点数:10点プリントサイズ:縦 27.9×横 35.6 cm価格:300,000円(額装費抜き)■作品集『アラマメ』発売日:2016年7月下旬 ※森岡書店で先行発売価格:3,700円+税掲載点数:16点
2016年07月02日今回のテーマは「飲み会に誘われた際のうまい断り方について」である。正直飲み会の断り方に上手いも下手もない、あるのは心が強いか、弱いか、それだけだ。○誘いを断る時、我々は宇宙の塵にすぎない何故我々は、行きたくもない飲み会の誘いを断れないのか。女子力アピールだけ達者なバランス感覚のない女が取り分けたドレッシングしか入ってないサラダをすすった上、二次会のカラオケまで断れず、全くマイクが回ってこないのに割カン料だけ払い、冷えて粘土のようになったポテトをひたすら口に運ぶマシーンになってしまうのか。それはもう、己の心が弱いからとしか言いようがない。まず「上手く断りたい」などという人間は驕りすぎている。海とか地球とかをテーマにした壮大系のドキュメンタリーを72時間ぐらい見て、「自分は宇宙の塵にすぎない」というところから勉強し直した方がいい。つまり、「自分がこの誘いを断ることにより相手が気分を害すかも」と思う時点で思い上がっているのだ。まず冷静さを保ったまま半裸になり、両手を両乳首に当て、足はがに股、焦点の合わない瞳で相手を見つめ、自分が誘われた理由を考えてみるといい。そうすれば誘ってきた相手は、あなたの返事を待たずにどこかへ行くだろう。それでもなお誘ってきた相手が去らないようであれば、本当にあなたに来てほしいのだろう。それならば参加してもいいし、参加できないようなら相手が気分を害さないよう、両乳首に当てた手を徐々にスライドさせ、胸の前でバッテンを作り、参加不可の意を伝えるぐらいの配慮は必要だろう。だが、上記の半裸メソッドを実行するまでもなく、こういった誘いのうち、九割は断ったところで何も起こらない。つまり多くの場合、相手はあなたが参加しようがしまいが、どうでも良いと思っているのだ。大方、声をかけた理由は「部署の人間を全員誘ってるから」くらいのものなのである。それをイチイチ「上手く断らないと」などと思うのは思考力の無駄であり、逆に相手に失礼でもある。だからと言って、「〇〇へ行かなければいけないから」など、具体的な行けない理由を言うのはさらに下の下だ、相手にとって、興味のない人間の夜の予定を聞かされるなど、もはやハラスメントと言ってもいい。よって、簡潔に「用がある」と言うのがベストなのである。そう言う事で相手がどう思うかなどを考えるのは弱さであり、自意識過剰でもあるのだ。○気乗りしない誘いを断るために要される「勇気」だが「断ることで輪からはずされてしまうかも」と考える、さらに弱者思考の人もいるだろう。しかし、「参加でも不参加でもどうでもいい奴」というのは、参加したとしても、やはり「いてもいなくてもどうでも良い動き」しかしないものなのだ。おそらく、我先にと女子力アピールを試みる女が持ちあげたサラダボウルの裏を見つめているのが関の山だ。やれたとして、机が狭くなってきた際、店員に皿を下げさせるため、ちょっとだけ残っているカッチカチの冷めた鳥軟骨を処理する係ぐらいのものである。つまり、「輪から外されたくなくて参加した飲み会なのに、参加したところで輪に入れていない」ことがほとんどなのだ。参加したところで何の評価も得られないし、むしろ「こいつ全然動かないな」と評価を下げられる場合の方が多い。ならば逆に、参加しない方が良かったとも言えるのだ。しかし、飲み会を断る時に必要な心の強さというのは、行きたくない会の誘いにはっきりNOと言える強さだけではない。真に必要なのは、その後やってくる孤独に耐える強さだ。「断ったら輪から外されるかも」というのはある意味正解で、断り続けていたら誘いというのはこなくなるものである。そこで「行きたくなかったけど、いざ誘われなくなると寂しい」などと思うような惰弱な精神の持ち主は、もう大人しく飲み会に参加して、粘土と化したポテトを氷の溶けきったジンジャーエールで流し込んでおけばいい。私なども、OLの端くれとして、入社当初はランチに誘われることもあった。しかし相手が私を誘う理由は「職場の女性は全員誘ってるから」以外には何もなく、私も「行かなきゃ悪いかも」以外に行く理由はなかった。そんな動機であるため、ランチの間私は何もしゃべらず、話しかけられもせず、ただ他のOLが談笑するのに合わせ愛想笑いをしながら、399円のカルボナーラを胃に流し込むだけであった。当然そのパスタは腐葉土の味であったし、合わせて飲むコーヒーからはドブの臭いがした。そして、ある時開眼した。「なぜ貴重な昼休みに、腐葉土とドブを食わなければいけないのか」と。そう気づいた私は、前述の通り「用があるから」と言って、同僚からの誘いを全部断ることにした。その結果、見事に誘われなくなった。正直言うと、誘われなくなった時は一抹の寂しさを感じ、「私の選択は間違っていたのかもしれない」と思った。しかし、私の昼休みはそれから一変し、片手でクリーム玄米ブランを食いながら、もう一方の手で乙女ソシャゲをし、その合間にTwitterでエゴサをするという、パーフェクトすぎる時間を過ごしている。そして自信を持って「孤独になったのではない、自由になったのだ」と言えるようになった。しかし、社内で孤立しているのも確かであり、故に困ることもある。それが嫌だと思うならやはり多少我慢をして腐葉土を食っていた方がいいだろう。自由には責任が伴うというが、時として孤独もついてくるのだ。とはいえ、私もまだまだ修行中の身であり、ランチぐらいなら断って自由を謳歌できるが、出席しなければまずそうな飲み会などは、ヘコヘコと参加している次第である。もっと鍛錬を重ね、最終的には正月に必ず行われる夫の実家での親戚の集まりを「用がある」と言ってバッくれるところまで到達したいと思っている。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~3巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年4月12日(火)掲載予定です。
2016年04月05日今回のテーマは「ネット上のフレンド」についてである。私のTwitterアカウントをフォローしている人などには「こいつ24時間Twitterやってるな」と思われているかもしれないが、実際は48時間ほどやっている。時間軸が歪むほどTwitterをやる理由は話せば長くなるのだが、簡潔に言うと「イカれた理由を紹介するぜ!売名行為!…以上だ!」である。つまり、Twitterを通じて私の事を知ってもらいたいという気持ちが、理由の5億%を占めているのだ。そして、知ってもらった暁には私の単行本を全部買って、全部燃やして、また全部買ってほしいと思ってやっている。それ以外の理由は特にない。他に理由を探すとすれば、承認欲求を満たすためだろう。前に「漫画を描くのは金と承認欲求のため」と書いたが、Twitterも同じである。むしろ私がそれ以外の理由で動くと激しい下痢嘔吐をしたり、全国的に空からバールのようなものが降ってきたりするので、皆さまのためにも、それ以外の理由では1ミリたりとも行動しないようにしている。○カレー沢薫とインターネットの邂逅このように、現在ネットをコミュニケーションツールとしては使っていないので、実を言うと「ネットフレンド」というのはほぼいない。単行本などの情報は一方的に発信しているし、やりとりするのはリアルの知り合いか仕事の関係者のみである。もちろん、1日48時間Twitterをやっているので、熱心に応援してくれている読者の方などは自ずと覚える。だが、かといって密にやりとりしたり、いつもポケットに直入れしているぼたもちをこっそりあげたり……、などということもほぼない。そもそも「mixi疲れ」とか「Facebook疲れ」とかしてしまうのは、そこで人付き合いをしてしまったせいである。現実世界でも人を一番疲れさせるのは、人付き合いのはずだ。それをネット上でもやってしまったら、「そりゃ疲れるぜ」としか言いようがない。私も今でこそそう思っているが、漫画家としてデビューする以前は、もっぱらネットに出会いを求め、積極的に疲弊していたクチだ。私がネット環境を手に入れたのは、高校生の頃だった。僻地のオタクの惨状は最近書いたばかりだが、当然同志に恵まれているとは言いがたい状況だった。だから、その手の話がわかる数少ない友人にFAXを送りつけてまで自作のイラストや漫画を見せるという、相手が出るところに出れば逮捕されてもおかしくないようなことをしてまで承認欲求を満たしていたのだ(今思い起こせば友人は全く私を承認していなかった)。そのため、ネットで二次創作を載せている個人HPを見つけた時、こんな画期的な方法があったのかと衝撃を受けた。そして、パソコンに触るのすらほぼ初めてだったにも関わらず、「俺の描いた最強の“斜め45度を向いたイケメンのバストアップイラスト”を世界に発信してえ」という一念のみで、クソダサHPをこの世に産み落としたのだ。それだけではなく、他の二次創作サイトの掲示板に「ああああなたの描かれる●●(キャラ名)が超絶好みでドプフォ…!(鼻血)」などと書きこんだり、チャットに参加したりと、積極的に交友関係を広げようとした。もともと同じ作品が好きで、二次創作を趣味としている者同士、さらにネット上のみでのやりとりなので、割とすぐ仲良くなれたし、そういう人たちとの交流はとても楽しかった。それがなぜ疲れに繋がるかと言うと、まず作品に対する飽きがある。これはオタクの宿命であり、ずっと同じテンションで同じ作品を愛し続けられる人間は稀だ。「作品のことは好きだが、そのイラストや漫画を描こうというところまでの情熱がなくなる」日がほぼ確実にやってくる。そうなった時、今まで嬉しかったはずの、ネッ友(ネット上のオタク友達)たちによる「拙者!続きを全裸待機!」が一転して重荷になってくるのである。その結果、実際は暇すぎてあなたのキスや夜の足音の代わりに自分の指毛を数えているような状況でも、サイトのトップページに「多忙ゆえ更新を停止します」と掲げて行方をくらませなければならないこととなる。○オタ友をめぐる「責任」と「人間関係」さらに、ネット上のオタ友との関係も、お互いが「そなたのイラストは大変麗しゅうございますで候!ブヒブヒブヒー!」と褒め合っているうちぐらいは良いのだが、仲良くなりすぎて「二人はプリキュアだよね」というような段階にまで行くと危険信号だ。つまり同人用語で言うところの「相方」と呼び合うようになると、二人で悪と戦う代わりに「合同で同人誌を作ろう」とか「何かネット上で企画をしよう」という話になったりする。もちろんやりとげる奴らも多いが、途中で片割れが「あっこれ、めんどくせえ」と気が変わるパターンも少なくはない。私も去年同人誌を出してみてわかったが、好きな時に好きなキャラの絵を描いてネットにアップしている時は楽しかったのに、それが締め切りのある原稿作りになると、途端にクソ面倒くさくなるのだ。一人でも面倒なのに、相方がいるとなると「責任」という重荷が加わり、さらに関係者が複数人になるとその面倒くささは急増し、「やはり俺に仲間など必要なかったのだ…」と中二っぽいことをつぶやいてどこかに消えたくなるのだ。そこで再び「多忙につき」「体調不良により」「家庭の事情で」などと言って、企画自体をなかったことにしようとするパターンも散見される。だが、締め切りのある原稿を描くのは面倒くさくても、前述の通り好きな時に好きなものを描くのは面倒ではないため、「多忙」「体調不良」「家庭の事情」と言っておきながら、ネットにイラストなどをアップしてしまったりする。そんなことをすると、「お前忙しいんじゃなかったのかよ」と、約束を反故にされた相方は怒りの力によってキュア阿修羅へと変身し、相手が複数であれば「キレすぎて逆にスマイルなキュア某」たちに撲殺される。もちろん責任感のない奴が1番悪いのだが、こういうことが起こるのはネット上で密な人間関係を作ってしまったからだ。そういう相手がいなければ、好きな時に描いて、飽きたらやめれば済んだのだ。ネットのみならず、趣味というのは「責任」「強制」「人間関係」が入ると途端に嫌になってしまうものなので、いかにそれを排するかが重要なのかもしれない。そんなこともあり、私は、Twitterで特定の仲の良い人などを作らず、リプライも気が向いた時にしか返さず、できないことは言わないようにしていたのだが、先日ついうっかり「2月か3月にLINEスタンプを作る」と言ってしまった。正直に言うと全く作っていないのだが、もちろんそれは多忙かつ、体調不良、家庭の事情のためなので、件のツイートを読んでしまったみんなは今持っている武器を置いて、スマイルで待っていてほしい。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~3巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年4月5日(火)掲載予定です。
2016年03月29日今回のテーマは「親の期待のかわし方」である。誠に残念かつ遺憾、慙愧の念に堪えないのだが、当方、親にこれといって期待をされた記憶がない。この連載では、今まさにゴミ箱に頭を突っ込んでいる最中の人に対し「成功の秘訣は?」と聞くようなテーマがたまに寄せられるのである。○かんぴょうと酢飯からフレンチは生まれるか子どもに大した期待をかけない親のことは後ほど触れるとして、その対極にある「子どもへ過度な期待を寄せる親」というのも、何を考えているのかわからない。もちろん、自分たちが博士や大臣、松坂牛であるというのなら、子どもに同じような将来を望むのもまあわかる。だが、父がかんぴょうで母が酢飯なら、子はかんぴょう巻になることは大体予想できることであり、「シェフの気まぐれフォアグラテリーヌ~季節の野菜を添えて~」になれ、というのは酷なことである。原材料が自分たちであるということを忘れているんじゃないかと思う。もちろん、材料はともかく調理(教育)次第でどうとでもなるという意見もあるだろう。確かに、平凡な両親から偉人が生まれる例もあるが、残念ながらかんぴょうをフォアグラにするより、フォアグラを残飯にする方が簡単なのである。むしろ過度な期待と教育でかんぴょう巻にすらなれなれず、もはや「料理」というより「一般には理解されない系アート」みたいになってしまうこともままある。しかし親バカと言う言葉があるように、可愛さ故に、自分の子どもが実際より優れて見えてしまうのは、ある程度仕方のない事なのかもしれない。その点、私の両親が私に望んだことは一貫して「安定した職につき、豊かでなくていいから食べるに困らない生活をしてほしい」という、実に最低限かつ堅実なものであった。この決して高くないハードルを「売れない漫画家になる」という形で華麗にくぐって見せたものだから、もはやうちの親は私に何も期待していないだろう。おそらく、元々低かったハードルの高さが「逮捕はされるな」もしくは「実刑だけは食らうな」くらいにまで下がっていると思う。親の期待通りに育つことも親孝行かもしれないが、親に期待させすぎないことも立派な孝行であると思う。とはいえ、突然親の期待を裏切ってはいけない。どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子がいきなりパンツ泥棒で捕まってニュースに登場するのは、これ以上ない親不孝だ。徐々に、親自身もいつ諦めたかわからないぐらい、自然に諦めさせなければいけない。つまり、何かやってしまった時、親に「まさかうちの子に限って!」などと言わせるようでは親不孝なのだ。無表情で「やはり…」と言わせるのが真の親孝行である。○親孝行はコツコツと、が鉄則正直に言うと、私は中学生の段階では勉強ができた。この「中学生まで」できた、モテた、という実績がいかにその後の人生の足を引っ張る要素であるかはまたの機会に言いたいと思う。とにかく、中学生時点ではまだ親に期待されてもいいぐらいだった。しかし、もうその時点で、親は私に期待というより不安を抱いていたのだ。何故なら、中学に入ってすぐ、担任が抜き打ち家庭訪問に来るという珍事が起こったからだ。それも、「いつも一人でいる」という理由で。一切仕込みナシの訪問だったためもちろん私も家におり、担任が親に「私には友達がいない」と話すのを、隣室からライブで聞いていたのだ。その時、手近なところに金属バッドがなくて本当に良かったと思う。本件、私も痛かったが、親にとっても激痛だっただろう。例え成績が学年1位でも、「こいつはヤバい」と思わせるのに十分な惨事であった。親にとって、自分の子が「勉強ができない」あるいは「運動ができない」と言われるよりも、「友達が作れない」と言われたほうがダメージは大きいのだ。本当に親を期待させたくなかったら、いかに人間的にヤバいか、社会性がないかをアピールすることが肝要なのである。その点、私は齢7歳で、親に「お前は被害妄想が強い」と断じられたエリートである。もちろん7歳であるが故に意味はわからなかったが「おっ! 今何かすごいこと言われた!」という記憶だけはある。他にも、友達がいないことはもちろん、片づけができない、もらった小遣いをすぐ使うなどまともな大人になれない要素満載であり、実際まともにならなかった。成人するころには、「頼むから他人に迷惑をかけないでくれ」くらいにまで親の期待値は下がっていたと思われる。時は流れて現在。私は前科もなく、屋根のあるところに住み、リボ払いやキャッシングはまだしていない(数十年の住宅ローンはある)状態である。つまり今、親は「思ってたよりは良く育った」と思っているはずなのだ。幼少のころからコツコツ親をがっかりさせたおかげで、今では立派な孝行娘というわけである。しかし、世の中には、意識しなくても成績優秀、運動神経抜群、人望も厚く異性にもモテてしまい、親にどうしても期待させてしまうという人もいるだろう。そういう方は、一点だけで良いので、親に不安を抱かせる要素をチラ見せしておけば良いと思う。男性ならお母さんより年上の熟女が登場するDVDを大量に隠し持つとか、女性なら男児用白ブリーフ(未使用)をコレクションしてみるとか、「法には触れてないが、そのうち何かしでかしそう」な雰囲気を出すのだ。つまり、親を安心させきってはいけないということである。いつか悪い意味で新聞に載ってしまう日に備え、平素は孝行者でも「いつ爆発するかわからないニトロを積んでいる」ということだけは、ちょくちょくアピールしておくべきなのだ。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年3月29日(火)掲載予定です。
2016年03月22日今回のテーマは「地方でオタクをやることのメリット・デメリット」である。カレー沢は地方のオタクである。ソシャゲに課金し、ピクシブを一日中巡回して暮らした、と、まさかの二回連続メロス引用による開幕である。しかしこれは私の表現力が低いのではなく、太宰がすごすぎるのだ。○地方はオタクにとって「マッドマックス」私は地方の生まれであり、生まれてこの方地元を出たことがない。おそらくこれからも、離婚や家の全焼、あるいはそれに類するようなよほどのことがない限りは出ないだろう。私の地元は住むには良い所だが、オタクとして活動するにはデメリットしかないようなところである。特にネットが普及する以前はひどく、当時坊主頭に麦わら帽子をかぶった中学生だった私はセーラー服の袖口を鼻水でカピカピにしながら、「コミケってどんなところだっぺなー」と、るろうに剣心あたりのキャラを模写しながら夢想したものである。同年代の女子が渋谷や原宿に憧れていたころ、私は一人ビッグサイトを思い描いていたのだ。人生というものは、割と早い段階から勝負がついているという好例である。都会住みでも、中学生から同人活動をしている人間は少ないだろうと思われるかもしれないが、おらが村に関して言えば本屋すらなかった。同人活動をする以前に、漫画等、萌えの燃料の補給場所すらなく、オタクにしてみればマッドマックス級に荒廃した世界観だったのだ。辛うじて、菓子や文房具を併売しているような個人書店で「週刊少年ジャンプ」ぐらいは読めたが、そこには10年前に刊行されていた漫画の単行本がさも最新のタイトルであるかのように並べてあり、それすらも何故か5巻だけ置いてあるという地獄の様相であった。よって最新の単行本を手にいれようとしたら、田舎の小中学生の大半が着用を義務付けられているヘルメットという名の兜に、蛍光色のチョッキという鎧をまとった上、ジープ(自転車)に跨り、「ヒャッハー!」と狸や鹿、果ては老人などが跋扈する荒野を30分ほど走って、緑の都(隣町のやや大きめの本屋)を目指さなければいけないのである。そして「チャリで来た」と宣言しながら店内に入り目当ての漫画を探すも、田舎の本屋には変わりないので、目当ての物はないことの方が多い。その場合は当然また30分かけて撤収だ。そしてその漫画を手に入れるには、静まりかえった店内で欲しい漫画の名を店員に告げて、待つこと数週間。荒野を1時間かけてもう一往復し、目的のブツを強奪しに行かなければならないのだ。○「キンプリはいい」かどうか確かめられない理由このように、ただ漫画を買うのにもエクストリームな行いが必要だった時代に比べると、通販で大体の物が手に入るようになった今、オタクにとっての地方格差はずいぶん解消されたと言える。しかし、イベント事、またはその場でしか手に入らないグッズなどの入手に関しては未だに歴然とした差がある。中学生の頃憧れたコミケは未だに憧れのままであり、21世紀になった今でもビッグサイトの方がこちらに来たということは一度もない。それに、やれ好きな漫画が舞台化するだの、声優がコンサートを開くだの言われても、我が村の公民館でやることはまずなく、大体都心での開催である。また、アニメ映画などもちょっとコアなものになるとこちらでは上映されない。今話題のアニメ映画『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(キンプリ)も当然こちらでは未上映だ。しかも「キンプリってどんなの?」と鑑賞済みの他人に聞くと決まって「見ればわかるから、見ろ」と新興宗教に目覚めたブルース・リーみたいな顔で言われるのだ。だがこちとら見たくても見られない。世の中にはスターウォーズとワンピースしか上映せず、ミニシアターでやってるようなマニアックな映画を見て周りに差をつけたいサブカル野郎が憤死するしかない不毛の地があるのだ。悔しいので「キンプリってキングプリムゾンの略か」と100億人ぐらいが考えつきそうなことを言ったら、「キンプリを馬鹿にするな、不思議なプリズムで消すぞ」と怒られた。本当に地方のオタクに良いことはない。そして、オタクはどこ住みでも怖い。○1キロ先のにぎりめしと、ガンジス川のまんじゅうそれでも無理やり、地方でオタクをやることの利点を挙げるとすれば「諦めがつきやすい」という点だと思う。いくら都心住みでも、行きたいイベントに全て行き、買いたいものを根こそぎ買えるわけではないだろう。やはり時間的、経済的理由で断念せざる得ない場合もあると思う。その場合、行ける距離であればあるほど諦めがつかないものである。例えば、1キロ先の路上に握り飯が落ちていると聞けば、ほとんどの人が拾いに行って食うと思う。しかしインドのガンジス川にまんじゅうが浮いていると聞いたら、ちょっとは考えるが「さすがに無理だ」と思うだろう。地方のオタクにとって、都会のイベント事は「ガンジス川のまんじゅう」のようなものであり、最初から食うことを諦める姿勢をとる。たまに一念発起して拾いに行くぐらいのものだ。逆に、都会のオタクにとって、あらゆる都会のイベント事は「拾える距離にある握り飯」といえるだろうが、落ちている量があまりにも多すぎて、全部拾いには行けず、どの握り飯を諦めるかを考えなければいけない。だったら、最初から絶対拾いにいけない場所にあった方が良かったと思うだろう。かといって、「地方のオタクは誘惑が少なく経済的」かと言うとそうでもない。たまに「ガンジス川のまんじゅう」を拾いに行くためにおびただしい額の金を使うからだ。私にとって未だコミケはグランドラインぐらい遠い存在だが、同人デビューは去年果たした。巷では「同人は儲かる」などと言われているらしいが、活動にあたって必要な支出に「同人誌の印刷費」だけでなく、「飛行機代」、「宿泊代」が加算される時点で「お察しください」と言うしかない状態である。結局、都会だろうが地方だろうが「オタクは金がかかる」という点だけは共通している。やはりニコ動で無料アニメを見て、完全無課金プレイヤーなのにソシャゲのメンテ遅延に激怒し、邪智暴虐の運営を除こうとしているぐらいがちょうどいいのかもしれない。<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年3月22日(火)掲載予定です。
2016年03月15日近年「香り」は、人間の身体に多くの効果をもたらすことが科学的に実証されつつあります。そんな中、様々な香りのグッズも多く見かけるようになりました。今回は香りの中でも和の香り「お香」についてご紹介しましょう。シェイクスピアと香りと科学香りは感情や行動を司る大脳辺縁系に直接働きかけて、様々な効果を与えているということが研究によりわかってきました。ウィーン大学の研究によると、歯科医の待合室でオレンジの精油の香りを患者に嗅がせたところ、女性患者の不安感が少なくなったという結果が出たのです。また、イギリスのノーサンブリア大学の研究によるとローズマリーのアロマオイルを嗅いだグループが、そうでないグループに比べて長期的な記憶力がおよそ60%から75%ほどアップしたというから驚きです。ローズマリーと記憶の関係は古く、古代ギリシャ時代に遡ります。頭脳を明晰にし、記憶力を伸ばすはたらきがあると信じられていました。また、シェークスピアが書いた「ハムレット」の中でも、オフィーリアが、ローズマリーを持って語る場面があります。OPHELIAThere's rosemary, that's for remembrance; Pray you, love, remember.(Hamlet, Act 4. Scene 5. by William Shakespeare)オフィーリアほら、ローズマリーがあるわ 思い出のためにですって。ねえ、だからお願いあなた、わたしを忘れないで。(ウィリアム・シェイクスピア 『ハムレット』 第4幕第5場)ローズマリーの香りの効果は古くからの言い伝えでしたが、科学的にも立証されたとても良い例です。 香りはどのように世界に伝わったのか香りの文化は古く、4000年前の古代インドにも遡ることができるそうです。古代インドを中心に西に伝わった香りは「液体」、つまり「香水」になり、東に伝わった香りは「固形」、「お香」などになったそうです。どのように香りは旅をして、変化していったのかを考えるとなんだかロマンを感じますね。日本の香りの歴史飛鳥・奈良時代は隋・唐から入ってきた濃密な香りを持つ焚香料(ふんこうりょう)を仏教儀礼で使用する宗教色の強いものでした。ほかにも経本や衣服の防虫・加香に用いられたことから、実用品としても生活に取り入れられていたことが伺えます。香りの文化が花開いたのは平安時代。自分だけの香りをブレンドし身にまとった貴族たちは、姿を見なくても香りだけで誰なのかが分かったそうです。しかし高価な香木は貴族の特権であり、香りを作るためには、財力・知力・感性が備わっている必要がありました。自分の「美」を香りで演出することは、のちに香道に発展し、茶道などと並び身につける教養のひとつにまでなったのです。今ではいろいろなお香販売店などで、香道体験をすることができます。香の十徳十一世紀の北宋の詩人 黄庭堅(こうていけん)の作品。その後、一休禅師により日本に紹介された、と言われています。(一)感覚を研ぎ澄ます(二)心身を清浄する(三)汚れを取り除く(四)眠気を覚ます(五)孤独感を癒す(六)多忙時でも心を和ます(七)沢山あっても邪魔にならない(八)少量でも芳香を放つ(九)何百年をへても朽ち果てない(十)常用しても害がない偶然から生まれる神秘の香り香木で有名な「伽羅」(きゃら)は樹木の中で偶然に生成される半化石状態のもので、ほかの香りは科学的に作る事はできても伽羅だけは現代の科学を持ってしても未だに解明ができていません。それだけ貴重なものなので、発掘されるベトナムの山岳地帯では、伽羅の香木ひとつで一生食べていくことができるだとか。伽羅が取れる地域は未だに歴史的に秘密とされており、現地の住民が守っているのだそうです。 香りで時(とき)を数える最近、お香でお気に入りの使い方があります。朝、出かける前にバタバタするからこそお香を焚くのです。時計を見ながらあくせくとお化粧をするのではなくスティックなどのお香を焚いて時間を計っています。お香は燃焼時間がはっきりしているので、「時間を計りやすい」という特徴があります。例えば7cmほどのお香は15分~17分ほど。禅宗などでは、お線香1本が燃え尽きる時間で時間を計っていました。香りの力を日常で活用する香りを嗅ぐ事により、その時の記憶や感情が蘇ることを「プルースト効果」と呼びます。“プルースト”とはフランスの作家マルセル・プルーストのこと。その半生をかけて執筆した大作『失われた時を求めて』の中で、語り手が口にしたマドレーヌの味をきっかけに幼少期の家族の思い出が蘇ることから、香りによって記憶などが蘇ることを『プルースト効果』と呼ぶようになりました。 香りで記憶がフラッシュバックするということは、私たちの日常においてもよくある出来事だと思います。例えば、友人がいつも同じ香水をつけていて、街角でその香水の匂いがするとその友人をふと思い出す…など。私は、名刺入れに入れる名刺香を愛用しています。名前を忘れられても香りで印象を残せるように。いろいろな活用法がある「お香」。自分のライフスタイルに合わせて、“香りの力”を取り入れてみてはいかがでしょうか。
2016年02月06日写真家・荒木経惟による今年最初の個展「淫冬 IMTOU」が、2月3日から4月30日まで東京・原宿のアートスペース・AMにて開催される。同展では、昨夏に荒木経惟が同所で開催した個展「淫夏」と同様、インスタントフィルム作品を中心とした多彩なシリーズ作品を展示。15年に開催した個展「往生写集」で発表された、毎早朝にバルコニーから撮影した「東ノ空」と対照的な作品として、「西ノ空」も出展される。透き通る青空が宵に向かうにつれ紅く染まっていく様が、ポラロイドフィルムにより収められた。その他、ミューズであるKaoRiの着物姿やヌードなどを収めた作品や、80年代にフランスの写真雑誌の特集のために荒木自身がプリントした作品「キンバク・エクスタシー」なども展示される。【イベント情報】「淫冬 IMTOU」会場:AM住所:東京都渋谷区神宮前6-33-14神宮ハイツ301会期:2月3日~4月30日時間:13:00~19:00休館日:2月3日、祝日以外の月曜日から水曜日
2016年02月03日今回のテーマは「暴力からの卒業」である。まるでヤンキーの更生話のようだが、「カレー沢暴力」を名乗ってすでに2カ月、そろそろ面白くもなんともなくなってきているから戻しては、という提案であろう。正直言って、全然卒業したくない。暴力に留年しまくりたいと思っている。○実は多い「二つ名」の作家たち「カレー沢暴力」、やはり惚れ惚れするほどカッコいいペンネームだ。さすが他人が考えたものをパクってきただけのことはある。「カレー沢」というペンネームの唯一の利点は、エゴサーチがしやすいというところだ。確かな情報筋によると、ペンネームにカレー沢という苗字を持つ作家は日本に私一人らしい。自分の名前に「カレー」を入れると言うセンスの奴が2人も3人もいたら、いよいよ日本終わった感が漂うので、ひとまず安堵である。下の名が「薫」でも「暴力」でも、カレー沢である以上、エゴサのしやすさは変わらない。ならばカッコいい方を選ぶのが道理と言える。しかし、前も言ったが、ただでさえ無きに等しい知名度を、「薫」と「暴力」で分散させてしまうリスクを考えると、今のうちに「薫」に戻した方が利口ではあるだろう。だが、ペンネームを複数もっている作家というのは、実はそんなに珍しくない。成年向けやボーイズラブ漫画を描く時は別名義にする、という作家も多くいるのだ。よって、私も上記のような仕事が来た際には「暴力」と名乗れば解決である。しかし、ここで新たな問題が浮上する、私に仕事をよこす成年向けやBL誌がこの世に存在しないのだ。仮にいたとしても、私に仕事をふってくるようなところであれば、すぐにこの世から消滅するであろう。どうやら出版社には、皆既月食の如く数年に1度、編集や編集長の判断力が最も鈍る瞬間があるらしく、そういう時に私にお呼びがかかるのだ。とはいえ、どれだけ編集部全体が集団インフルエンザ状態でも、絵の上手さが特に重視されるだろう成年向けやBL方面からのオファーが来るとは思えない。ハレーすい星ぐらいの周期でならそういう瞬間がやってくるかもしれないが、だとしたら次は2061年ということになり、当方約80歳である。多分寝たきりか恍惚の人状態だろうが、耳元で「カレー沢先生!リブレ出版から依頼です」とでかい声で言ってもらえれば、おもむろにパラマウントベッドから立ち上がり、虚空を見つめていた目に光が宿るであろうから、逆に今から2061年に依頼をしてくれる成年向け、BL出版社を募集したいと思う。○「左のワキ出身のワキ毛」の矜恃しかし、私はよく「私はオタクだがBL好きのいわゆる腐女子ではない」という主張をしている。これは例えるなら、ワキ毛が「私は左のワキ生まれのワキ毛で、断じて右のワキから生えたのではない」と言っているような至極どうでもいい内容だが、「腐女子ではない」と明言している以上、BLの仕事がくるはずないだろうと思われるかもしれない。だが、デビュー前から乙女ゲーの二次創作をし、これだけ乙女ゲーが好きだと言っていても、今まで乙女ゲームの仕事が来たことは1回もない。だったら逆に、思ってもみない依頼が舞い込んできても良いはずだ。それにオタク女界も、BLが好きな女と嫌いな女しかいないわけではない。BLは好きではないが嫌悪感もない者、嫌いじゃないが自分の好きなキャラのBLは受け付けない者など、端から見れば全部ワキ毛であるが、かなり細分化される。メタルやデスメタル、ゴシックメタルを「全部同じ鼻毛じゃないか」と言ったら怒り出す人がいるように、ワキ毛にはワキ毛なりの棲み分けがあるものなのだ。私などは積極的にBLを見ることはないが、何か落ち込むことがあった時などに「ここは一発エグイBLでも読んでみるっぺか!」と景気づけBLを飲る(やる)ワキ毛である。話を戻すと、作家がどれだけ「この雑誌でこういう漫画が描きたい」と思っていても、なかなか実現するものではない。それができるならとっくにジャンプで描いている。結局、需要がないから話が来ないだけなのであるが、これではいつまでたっても「カレー沢暴力」が正式に名乗れない。2061年には名乗れるとしても、すでに鬼籍に入っている恐れもある。暴力を名乗れずに死ぬなんて、地縛霊になること必至だ。そこで、別名義を名乗る定義を持って広くしようと思う。今までいろんな雑誌で漫画を描かせてもらったが、ほぼすべて青年誌だ。なので、もういっそのこと、青年誌以外の依頼があったら「暴力」でいくことにする。というわけで少女漫画誌からなどの依頼を待ちたいと思うが、前に「少女漫画誌で描きたい」とつぶやいた後に連絡をくれたのは漫画ゴラクだったので、はっきり言って望み薄である。それに、よく考えてみたら、本名と違う名前を名乗れるのはペンネームやハンドルネームだけではない。例えば、大好きだと言い続けている乙女ゲーがまさにそれだ。灯台下暗しとはこのこと、青い鳥は割と近くにいたのである。よって、これから乙女ゲーをプレイする時は、ヒロインの名前を一律「カレー沢暴力」とする。2次元のイケメンに「好きだカレー沢…」「愛してる、暴力…」と囁かれながら、青年誌以外のオファーを待ちたいと思うので、何卒お願い申し上げる。―カレー沢暴力拝―<作者プロフィール>カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年1月5日(火)掲載予定です。
2015年12月29日今回読者から寄せられたテーマは、「なぜ女は金と時間をかけてまで美人になりたいのか…ブサイクはいやなのか… 哲学的な内容ですが、カレー沢先生に尋ねてみたいです」である。○美しくなりたい=男にモテたいではない深いテーマだ。私も今でこそ体全体で「諦め」という文字を表現してしまっているが、20代の頃は美しくなりたかった。今でも美しくなる努力はしたくないが、神に「美しくしてやろう」と言われれば「まあお前がそう言うなら」と甘んじて受け入れ、美しくなるつもりである。だが、美しくなりたい=男にモテたい、という結論は短絡的だ。男だって、ギターを始めた、などの行為を全部「女とやりたいからだろう」で片づけられたら、手にしたギターを弾くより先に、そいつをぶん殴ることに使うはずである。とはいえ、この手の決めつけには、女のほうがより激しく怒る傾向がある。もしダイエット をしている女に「モテようとして」などと言ったら、「このガール様が男にちやほやされるために痩せようとしていると思っているのかァーーーッ!!」と、ジョジョの岸部露伴並みにキレること請け合いである。そう、美しくなろうとするガール様の志は「男にモテたい」などという些末なものではなく、もっと高く広いものなのだ。つまり、「美しくなれば全部うまくいく」と思って美しくなろうとしているのである。当然、その中には「男にモテる」も含まれている。こう言うと、「美人だからと言って全てが上手くいくわけではない。むしろ美人ゆえの苦労もある」と言われるかもしれないが、こちとら美人になったことがないからわからないのである。石油王に「いや、石油があるのも大変だよ」と言われてもこちらは「石油がある苦労」というが全く想像できないのと同じだ。それに、努力し美を手に入れ、「美しくはなったけど、何も変わらなかった」とわかるならまだいいが、大体の女が途中で挫折し、「美しくなれさえすれば人生変わったのに」と一生言い続けながら死ななければいけないのである。しかし、当然ながらすべての女が美を求めているわけではない。シケモクのごとく燻っている現状を打破する神の一手として美を選んだにすぎず、キャリアアップのために勉強をはじめたり、インドに行ってみたり、とりあえずインテリアを北欧風にしてみたりと、方向性は様々だ。○「ありのまま」が引き寄せる不幸それでは一体何が欲しいのだと問われると、それは「自信」な気がする。もっと端的に言えば「自分を好きになりたい」のだと思う。一生自分として生きていかなければならないのに、自分が嫌いというのは不幸とも言える。とはいえ、超高校級のブスあるいはバカ、ブスバカ界ぶっちぎりのドラフト一位で、全監督が獲得のために生放送の中でも殴り合いを始めるような逸材としてこの世に生を受けたとしても、不幸になるとは限らない。毎朝鏡にうつった自分に「やあ、今日も神がかってブスだね…」と言い、呼吸を止めてうっとり3分ぐらい自分と見つめ合い、最後にキッスしてから出勤するというならブスでも人生明るいと思う。一方、美人でも自分の顔が嫌いで鏡もまともに見られないというなら不幸だろう。つまり、美しくなる=自分を好きになれる=自信がつく=人生が良くなる、という方程式から、女は美を求めるのではと推察される (先述の通り求めるものは必ずしも美ではなく、インド放浪やキャリアアップなどでもいい)。この反動がいわゆる「ありのままの自分を愛せ」という風潮につながるのだと思うが、「美人になれば幸せになれる」という考えが浅はかなら、「ブスでも馬鹿でも自分が自分を好きならオールオーケーハッピー」という考えも疑ってかかるべきだろう。「美人ゆえの不幸」が存在するというなら、「自分が好き故の不幸」もあるはずだ。まず、自分が好きな人間は他人が自分に寄せる好意も疑わないであろうから、だまされやすいとも言える、その点、自分に自信がない人間は慎重である。うまい話は全部罠だと思っているし、話しかけてくる男は全部、キャッチか宗教だと思っている。もしイケメンに名前を尋ねられることでもあれば、まず「私にお金はありません」と中学生英語の直訳みたいな返答をしてしまうのである。また、突発的な不幸に対し、常人なら「なぜ自分がこんな目に…」と自らの不運を嘆いてしまいがちだが、自己評価の低い人間だと「まあ俺ごときの人生!こういうことも起こりますわいな!」と、突然の不幸を「必然」として処理できてしまう。そういう人生が楽しいかと言われれば「否」かもしれないが、そう生きることが一番楽と感じる人間もいるのだ。「美人になって幸せになった」「インドに行って人生変わった」という人がいるのも確かだろうが、「すべてを諦めることにより、人生楽になりました」という人がいるのも事実であり「〇〇して人生良くなった」の〇〇は自分で見つけ出すしかないのである。しかしこの「完全に諦める」という行為こそが一番難しい。私も見た目的には完全に「終わっている人」だが、実はまだ人生逆転できる一打を求めており、今はどの壺を買うのがベストか、模索しているところである。<作者プロフィール>カレー沢暴力漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中。10月15日にエッセイ「負ける技術」文庫版を発売した。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は12月15日(火)昼掲載予定です。
2015年12月08日3種類目の香り株式会社アミナコレクションが展開する「チャイハネ」は2012年からお香の香りを再現したハンドクリームを販売している。これまでに「ナグチャンパ」「チャンダン」を発売しており、累計1万3,000個も売れている人気商品だ。2015年11月27日、同社はその人気商品の3種類目となる「ムーン香」の香りが販売開始されたことを発表した。オリジナルハンドクリームアジアン雑貨やお香を愛する人は多い。しかし、家ではお香を楽しむことが出来るのに、その香りを外に持ち運ぶことが出来ないのが難点であった。香水にはお香のようにエスニックな香りは少なく、ハンドクリームの香りはほとんどが欧風のゴージャスな香りだ。そんな人たちの声を受けてチャイハネがオリジナルでお香の香りを再現したハンドクリームを開発。これを使えばハンドケアをしながらお香の香りをいつでもどこでも楽しむことが出来る。このハンドクリームの人気の秘密は香りだけではない。アジア雑貨ファンの心をくすぐるパッケージデザインもこのハンドクリームの人気を後押ししている。「ナグチャンパ」のパッケージはヒンドゥー教の神様「ガネーシャ」。新商品「ムーン」のパッケージは「シヴァ神」。ガネーシャと同じヒンドゥー教の神様である。べたつかず、肌なじみの良いこのハンドクリームは男性へのプレゼントにもおすすめ。安心の日本製であるのがうれしい。(画像はプレスリリースより)【参考】・株式会社アミナコレクションプレスリリース(PR TIMES)
2015年11月30日小悪魔agehaで活躍中の華沢友里奈ちゃん♪今回は、いつもと違った上品なお姉さんな雰囲気が出せるメイクを紹介してくれました!甘顔は卒業して、ちょっとキツめな大人なお姉さんフェイス手に入れたい!そんな方必見です。メイクのコツ・ポイント最後にアイホール全体をブラシでぼかしていくことでアイシャドウが綺麗に馴染む。目尻のラインは跳ね上げて大人っぽく。目尻部分が長めで、濃いめのつけまで目元を印象付ける。付け終わった後に、形を整える。赤リップの上からグロスを重ねてツヤ感をプラスする。このメイク動画のノーカット版と使用コスメ詳細を見る
2015年10月11日今回は、「夫が私の仕事についてどう思っているか」である。○カレー沢氏、夫に仕事のことを聞く…?「旦那が怒ったところを見たことない」とか、「ケンカしたことない」などと円満夫婦をアピールする女の家ほど、旦那の一方的な我慢のみで成り立っていたり、もはや相手が怒る気力すら失っている場合が多いのだが、おそらく夫が私に言いたいことは2万個ぐらいあると思う。その内、どうしても我慢しきれない、1、2個を注意してくることはあるが、残り1万9,998個は我慢していると思われる。主に、「自分の部屋をきれいにしろ」「トイレをキレイに使え」と言われ続けてきたが、最近では「頭をちゃんと洗え」という、とてつもない注意が追加された。しかも「言いにくいんだけど」と前置きがあってからのこの注意であり、まさに「業を煮やした」結果である。おそらく私の肩に季節外れの粉雪が降り積もっているのを見続けた末の事であろうが、30をとっくに過ぎた自分の妻にこんな注意をするのはさぞ情けなかったであろう。しかし、自らの名誉のために言わせてもらえば、風呂には毎日入っているし頭も洗っている、ただ私のフケがそれを凌駕しただけなのである。なので「貴様の妻は頭もろくに洗わないズボラな女というわけではなく、ただ1日1度の洗髪ごときではどうにもならない選ばれしフケ症なだけだ」と反論したくなったが、悲しみの種類が変わるだけなのでやめておいた。このように、私の生活態度については言いたいことが山ほどあるだろう夫であるが、漫画の仕事に関しては、ほぼ何も言ってきたことがない。今回のテーマは当初述べた通り「夫に私の仕事についてどう思っているか聞く」というものであったが、そんなことを聞いた日には、仕事の話は2秒で終わって、あとはここぞとばかり、私の素行に関する小言になるに決まっている。いくらネタのためとは言え、それは虎児を得ようとして虎のケツの穴に頭を突っ込むぐらいの危険行為なので、今回はなしとしたい。○漫画家の妻と暮らすと起こる事柄私が漫画家になったのは、夫と結婚する1年ぐらい前からだ。その時から彼は一貫して「好きなようにやればいい」と言っており、私はそれを真に受け、好きなように漫画を描き、文章を書き、トイレをフリーダムに使い続けてきたが、怒られたのはトイレの使い方だけである。また、「協力できることがあればするが、ないだろう」とも言っていた。確かにない。漫画家というのは「何かネタくださいよー」などと簡単に言う癖に、いざ相手がこんなのどう?とネタを出してくると「そんなの使えないよ、これだから素人は」と言いだす、100万回殺しても殺し足りない生き物なので、そんな会話を夫婦間で繰り返していたら、離婚どころか傷害事件が起きる。それに、私が漫画家だからと言って特殊なことが起こるわけでもない。地方住みなので、家に編集者が来るということもないし、完全一人作業なのでアシスタントが来ることもない。ただ、妻が会社と寝る以外の時間、ずっと自室にこもってパソコンに向かっているだけなのである。つまり、私が漫画家ではなくただのネトゲ廃人でも、彼にとっての生活自体は変わらないのだ。唯一の恩恵は、私の漫画の掲載誌が毎回送られてくるので、漫画には困らない生活が出来るという点ぐらいだ。例え自分の連載が終わったとしても、その元・掲載誌を継続して送ってもらえる場合が多い。私としては、自分不在の雑誌が延々送られてくるという若干切ない状態なのだが、夫としては、他の作品が読めればそれで良いのだろう。このように、お互いのことにあまり干渉しないのと、夫の1万9,998個の我慢により、特に揉めることもなく生活している。○好きなことが仕事になったら、それは仕事であるしかし、これが「好きなようにやれ」だけでなく「好きなことをやらせてやるんだから、その分家事はちゃんとしろ」とかだったら話は180度違う。これは漫画家だけに関する話ではないが、「好きなことを仕事にしている以上、他のことは我慢すべき。苦労は当たり前」という不思議な理論がこの世に存在するのだ。例としては、「好きなことをしているんだから低賃金でもいいだろう」「休みがなくても我慢すべき」などという主張である。夢を叶えた奴は何かハンデを背負うべき、という恐ろしい話なのだが、それで食っている以上は、好きな事をしているわけではなく仕事をしているのだ。それを理由に相手に我慢を強いてはいけないし、それを夫婦間でやりだしたらおしまいである。夫は「協力できることはない」と言っているが、漫画家という職業に限らず、共働き家庭において、「自分のことは自分でやる」以上の相手に対する協力はないと私は考えている。そういう意味では夫は私の仕事に最大限協力してくれているが、問題は私が自分のことを自分でできていない、という状況である、先日夫はついに「部屋を片付けろ」ではなく「俺が片づける」と言って、私の部屋を片づけてしまった。中華料理屋のようにベタついていた床もキレイにしてもらったのだが、それから1カ月もしない内にまたベタベタするようになった。これに関し小言を言われたら「掃除はしているが、それを越える量の脂が私から出るのだ」と言い逃れようと思う。もちろん、掃除はしていないが。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は7月28日(火)昼掲載予定です。
2015年07月21日「カレーが好きなんですか?」カレー沢、などという4歳児が3秒で考えたかのようなペンネームで仕事をしているため、よくされる質問だ。そう聞いてくる相手に対し、私は常に「そうでもないです」と答え、せっかく振ってくれた話題を一瞬で終了させるという名人芸を見せつけていた。カレーはおいしいと思うが、「無人島に何かひとつもって行けるとしたら何を持っていくか」と聞かれて「カレー」と答えるほどではない(それに、いくら好きでもカレーと答えるやつは少し冷静になった方がいい)。それならなぜ「カレー沢」などと名乗っているかというと、私が「中二病」とは逆の、「中二病と言われるのを恐れるあまり病」だからである。はっきり言って、これは中二病より性質が悪い。中二病は方向が斜め上でも何かに向かって全力で突き進んでいるが、後者は人に笑われるのを恐れるあまり、何もしないか、中二病の人間を笑うのにパワーを使ってしまっているのである。つまり、カッコいい凝った名前をつけたら中二病と言われてしまうから、格好はつけずに行こうと思ったのだ。その結果が「カレー沢」である。どう考えても「格好をつけない=ダサい」と勘違いしているネーミングなのだが、照れ隠しのつもりが余計恥ずかしいことになってしまった。どうせ恥ずかしいなら「キャビア沢」とか、もっとカッコいい名前にすればよかったと後悔しきりである。○「孤独のグルメ」よりも孤独な夕食前置きが長くなったが、今回は漫画家の食生活についてである。漫画家とは、おせじにも健康的とは言えない職業だ。睡眠や食事は乱れがちだし、担当を殴るときと、担当を追いかけて殴るときぐらいしか運動していないよって人一倍、健康に気を使っている作家も多いと思うが、私は典型的な「食べること以外楽しみがない人間」なので、食事に縛りを入れてしまうと、もはや何のために生きているかわからなくなってしまう。つまり、食生活に制限を入れて健康になったとしても、「人生に何の楽しみもないのに長生き」という最悪のパターンに陥るのだ。そのため、食については「健康のことはあまり考えない」という方針で行くことにした。もちろん、風呂上がりにコールタールをしこたま飲むとか、積極的に体に悪いものを食べようとしているわけではなく、とにかく毎日好きなものを食べるように心掛けている。しかし、一日中延々と好物を食い続けているわけではない、むしろ、日中はあまり食べない。朝はコーヒーのみ、昼はアサヒフードのクリーム玄米ブランを一袋。会社がある平日はいつもこれだ。夫の健康は無視できないので、会社から帰宅した後、夕飯は毎日作る(ただし味の方は無視している)。帰宅は夫の方が遅いので、いつも一人で先に食べる。夫と同じものを食べることもあるが、それは食べずに全く別の物を食べたりもする。仮に「自分はレトルトのペペロンチーノだけ山盛り食いたい」と思ったら、それなりにバランスのとれた夕食を作っていても夫だけに食べさせ、誰が何と言おうひとりで山盛り食うのである。○人の不幸で飯を食す何を食べるかも重要だが、一番大事なのはシチュエーションだ。漫画「孤独のグルメ」の中に「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで…」という有名なセリフがある。全く同意見であるが、孤独のグルメは基本外食だ。私はもっと孤独に行きたいと思っている。そのために、私は山盛りペペロンチーノを二畳ぐらいしかない仕事部屋に持ち込んで、ひとり閉じこもって食うのだ。そして、食べながらネットサーフィンをする。見るのは大体において、不幸な人のブログだ。不幸と言っても、おしんのように運命に翻弄されて不幸な人ではなく、ギャンブルで多額の借金を抱えたなどの自業自得で不幸な人のブログだ。「人の不幸でメシが美味い」という表現があるが、私は"リアル人の不幸"をおかずに飯を食っているのである。それが本当に美味いのである。心の底から幸せだと思う。色んな意味でお行儀の悪い姿だが、そのプレシャスタイムは山盛りペペロンチーノを食べ終わった時点で終了だ、時間にしたら30分にも満たない。その後は原稿に取りかかり、寝る時間まで原稿。そして寝て起きたら会社、というハードな生活に戻る。しかし、この30分があるから耐えられるとも言える。他人から見たら完全にどうかしている趣味でも、「独りで静かに豊か」になれる時間が、人間には必要なのだ。そんな楽しい趣味にも、大きな欠点がある。「夜にたくさん食べると太る」という定説通り、いくら日中あまり食べなくても、夜に好きなだけ食べていたら太るのである。最近は加齢も相まって、体重増加が著しい。いくら健康は無視と言っても、やはり体重は気になる。だが前述の通り食べるのを我慢すると、生きている意味がわからなくなってしまうので、痩せようと思ったら運動量を増やすしかない。よってこれからは、もっと積極的に担当を殴っていきたいと思うので、各担当氏は全力で逃げていただきたい。お互い運動不足が解消されて、ウィンウィンの関係である。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。
2015年06月16日現在当媒体で連載中の兼業作家・カレー沢薫氏が、日常と創作にまつわるエピソードをつづるコラム「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」。このコラムの挿絵にも使われている漫画制作ソフト「ComicStudio」の販売終了が発表され、デジタル漫画制作に関わるクリエイターたちの間で大きな話題となっている。そこで今回は同コラムの番外編として、カレー沢氏にこの知らせを受けた所感を率直に語っていただいた。○ノストラダムスとコミックスタジオ現在漫画制作に使っているソフト「ComicStudio」(以下、コミスタ)の販売が、ついに2015年6月30日をもって終了することになってしまった。※編集注:カレー沢氏の漫画制作については、コラム「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」第4回を参照のこと。前々からコミスタが終了することはわかっていたのだし、それまでに後継ソフトである「CLIP STUDIO PAINT」(以下、クリスタ)に移行すべきだとは思っていたが、今でも私は完全にコミスタしか使っていない。そういう状況の作家は私だけではないだろう。1999年地球が滅亡する、とあれだけ予言されていたにも関わらず、結局みんな地球に住み続けていたのと同じように、みんなコミスタも何だかんだで終わらないんじゃないかと思っていたのではないだろうか。しかし、地球は木っ端みじんにならなかったが、コミスタは予定通り終わってしまった。もちろん終わったのは販売だけで、6月30日になった途端、コミスタが入っているパソコンが爆発するというわけではない。未だにGペンとインクで漫画を描いている作家が存在するように、コミスタで漫画を描き続けることも可能だが、これ以上コミスタが進化することもないし、サポートだっていつまで続くかはわからない。しかし、セルシスだって、コミスタ終了で悶え苦しみ地面をのたうち回る漫画家を笑いたくて、コミスタを終了させたわけではないはずだ(確かに私が泣き叫ぶ顔は面白いが)。後身であるクリスタで、すでにコミスタと同じか、それ以上の働きができると判断して、コミスタを終了させたのであろう。○クリスタ移行への苦難と障壁実は、私のパソコンにもクリスタ自体は入っている。コミスタが近々終了との報を受けて、一応、クリスタに移行しようとしたことはあるのだ。しかし、コミスタとクリスタ、大体同じようなものだろうと思ったら大分勝手が違う。まず、最初の原稿用紙サイズや枚数の設定の仕方がわからない、同じ「Gペン」という機能でも、コミスタのような線が描けずガタガタしてしまう。トーンはどう貼るのか、集中線は…などわからないことだらけなのだ。しかし上記のことはクリスタの機能が悪いわけではなく、私が使い方を理解していないのが悪いのだろう。ダブルクリックのスピードが遅すぎて、シングルクリックになってしまっているジジイと同じく、「おい、これ壊れてるぞ!」と憤慨しているようなものだ。しかし、コミスタだってイチから使い出したのだし、マニュアルをそんなに読んだ記憶もない。よって、描いていく内にクリスタだって使いこなせるはずなのである。○どんなソフトも●●へと変える魔法だが私がクリスタ移行を諦めて、依然コミスタを使っていた理由は機能の問題ではない。単純にクリスタが「重い」のである。「重い」というのは、クリスタのみならず、どんなに優れたパソコンツールをもクソへと変える魔法である。同じパソコンでも、コミスタは滑らかに描けるが、クリスタだと「おや 線画 遅れて 画面に表示されるよ」と、誰も覚えてなさそうなギャグを言ってしまうほど、動作が緩慢なのだ。これではいくら機能が優れていてもダメだ。普通のエロ動画と、超ドエロだが3秒に1回止まる動画があったら、とりあえず普通のエロ動画で事をすませるだろう。このように、漫画家の作業とは、夜の一人遊びと同じぐらい、迅速に滑らかにテンポよくやりたいものなのである。しかし、上記の問題は私のパソコンが低スペックすぎるせいでもある。何せ電気店で「一番安いのをくれ」と言って買ってきたノートパソコンだ。仮にも絵を生業としている者がふざけているにもほどがある。これを機にクリスタが滑らかに使えるデスクトップパソコンを購入すべきなのかもしれないが、机自体が小さく、さらに液晶ペンタブレットが場所をとるので、ノートパソコン以外は置くことすらできないのだ。ならば、パソコンと同時に机も新調すれば良いと思われるかもしれないが、仕事部屋がせまいので、でかい机は入らない。つまり、自分がクリスタに移行しようと思ったら、家を改築するか、ツルハシで部屋の入り口をぶっ壊して広げるしかないのである。以上の設備投資費と労力を考えると「まだコミスタでいいや」という結論に達してしまうことも致し方なしと言えるだろう。○カレー沢氏からセルシスへの提案それに加えて、動作環境を整えられたとしても、今度はまた「使いこなすことができない」という問題がやってくる。コミスタを使い始めたのは20代半ばだったが、今は30代。年々新しいことを覚えることが出来なくなっている。もはや、最新エロ動画を面倒くさい手順でダウンロードするより、使い古したカピカピのエロ本を使い続けることの方が楽と感じる年である。しかし、私はとにかく楽をしたい作家だ。終了してしまうコミスタを使い続けるより、これから進化するクリスタを使った方が、もっと楽をできるようになるはずである。よってセルシスは、新しいことについていけない中高年作家を対象に、クリスタ講座を開設すれば一儲けできるのではないだろうか。しかし相手はなまじ長年にわたってコミスタを使ってきた人間である。ことあるごとに「コミスタではこうだった」と言い続けるだろうが、それこそ高齢者が戦争体験を繰り返し話すのと同じだと思って聞き流してほしい。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。
2015年04月28日はじめまして、漫画家のカレー沢薫と申す者です。と名乗った所で誰も知らないので、あらためて自己紹介させてもらう。漫画家兼会社員生活6年目、「売れたら会社を辞める」が目標だったが、最近では「会社を辞めなくて本当に良かった」が口癖の、まあ木っ端作家である。そんな華やかじゃない方の漫画家の生活を華のない文章でつづるのが当コラムだ。○漫画家をめざしたきっかけ絵を描くことは幼少のころから好きだったが、小学二年生の時に読んださくらももこ氏の代表作「ちびまるこちゃん」の単行本に収録された「作者が漫画家になるまでのエッセイ漫画」を読んで、初めて漫画家という職業を意識し、目指すようになったと思う。その後一貫して「漫画家になりたい」と言い続けてきたが、恐ろしいことにそれから約20年間、私は1回も漫画を最後まで書き上げたことがなかった。漫画家になりたい、と言いながら、キャラクターの設定だけ凝りに凝った漫画の冒頭2ページだけを描いたり、末期になると自分の作品は一切書かず、ひたすら既存のアニメやゲームのキャラクターのキメ顔ばかり書いていた、親に高い金を出させ、美術系専門学校に通わせてもらったにも関わらずである。ボンクラすぎる、と思われたかもしれないが、こういう「漫画を描かない漫画家志望」というふざけた奴らは結構多いのである。ただこういうボンクラどもを一概に責めてはいけない。何故なら漫画を描くと言うのは超面倒くさい行為なのだ。「描き上げる」というだけでも多大な才能がいる、ボンクラに出来るわけがない、むしろ出来る方がおかしいと言ってもいい。しかしこの超面倒くさかった「漫画を描く」という作業も、パソコンツールの発展によりだいぶ緩和されてきた。正直私はパソコン以外で漫画を描いたことがない。もしいまだに漫画がつけペンにインクでしか描けない代物だったら、私は100%漫画家になれていないし、なった所で、原稿は3歳児100人に囲まれて描いたのかと思われるほどさんさんたる物になっていたであろう。私が現在使っているマンガ製作ソフトは「ComicStudioEX 4.0」。ペンタブはワコムの「Cintiq 12WX」を使用している。パソコンは多くのクリエイターがMacを使う中不動のWindowsで、机が狭すぎるためノートパソコンである。こういったソフトのおかげで、黒く塗りつぶす「ベタ塗り」「トーン貼り」などがワンクリックで可能になった。今でこそ当たり前のことであるが、昔は手でイチイチ黒く塗っていたし、トーンはカッターで切ったり貼ったりしていたのだ。この時点でボンクラどもは原稿を投げ出して、アニメキャラクターの模写を始めるところである。○漫画家デビューは規格外の"フォトショ原稿"こうしたツールのおかげで、描かない漫画家志望だった私は初めて投稿作を描き上げることができた、と言いたい所だが、全くそんなことはなかった。応募した漫画賞が「なんでもあり」をうたっており、完成原稿でなくてもOK、漫画原作でも小説でもOK、もちろん何を使ってどんな規格で描いてあってもOKという、間口ガバガバだったのである。今までの漫画投稿と言えばB4サイズにA4の枠を取り、断ち切りサイズは云々、黒インク使用、ボールペン薄墨不可…等々、それだけでバカ野郎の頭を破裂させるに十分なものだったため、正直冒頭2ページどころか枠線さえ満足に描いたことがなかった。しかし、このなんでもありの漫画賞を見た私(当時26歳無職)は、本当に何でもいいんだろうと思い、ブログに載せていた未完の漫画(B4とか一切無視でPhotoshopを使って描かれたもの)をプリントアウトしそのまま投稿したのである。その4カ月後、その原稿がデビュー作として誌面に載り3年の連載となった。こう書くとサクセスストーリー自慢のようだが、その漫画自体は特にサクセスしてないので許してもらいたい。(今後もサクセスの予定はない)このように、漫画家になる術というのは昔より大幅に広がっているのだ、昔であれば限られた雑誌のページを奪いあう形であったが、今ではWebという無限の容量があるし、何で描かれていても問題なく、逆に趣味でWebに発表していたものが出版社の目に止まり書籍化というケースも珍しくない。さらに何が売れてもおかしくない時代なので、たまたまインフルエンザとノロウイルスに同時に罹っていた編集者が、私のような者を「ワンチャンあるかも」と勢いでデビューさせてしまうこともままあるのだ。また前述の通り、漫画を描くソフトの発展も目覚ましいため、近い将来全く絵の描けない人間でも、ツールを駆使すれば漫画家として活躍できる時代がくるかもしれない。と言いたいが、私の漫画を見てもらえればわかるように、最新のツールを使っても、いまだに使い手の技術によるところが大きいのである。漫画制作ツールの開発者の方はもっと頑張ってほしい、私は限界だ。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。
2015年03月03日カネカは11月13日、従来製品と比べてカテーテルの病変部通過性を向上させた経皮的冠動脈形成術用カテーテル「IKAZUCHI Zero(イカズチ ゼロ)」を開発したと発表した。経皮的冠動脈形成術用カテーテルは、先端部に血管を拡張することが出来るバルーン(風船)が付いたカテーテルで、腕や太ももの付け根の血管から挿入して冠動脈内まで進めたガイドワイヤに沿わせて、動脈硬化によって冠動脈が狭くなっている病変部まで到達させた後、バルーンで押し広げ、血管内腔を確保し血流を得るために使用されるもの。従来のIKAZUCHIに比べ、拡張時の直径が1.0mmのバルーンを開発したことで、完全閉塞もしくはそれに近い状態でも段階的に病変部を拡張しやすくしたほか、カテーテル先端部分(チップ)を細径にし、慢性完全閉塞病変や石灰化病変の通過性を向上させた。さらに、独自開発の新コーティングにより、血液に触れることで外表面コーティングの潤滑性を向上させており、その結果、血管との摩擦が減少し、スムーズな血管追従性・高通過性を実現したという。なお、同製品は同社子会社であるカネカメディックスを通じてすでに販売が開始されているという。
2014年11月13日名刺入れの中に忍ばせ、名刺交換の時にそっと香りが広がる「名刺香」。これまで日本香堂などが展開していたが、フランスのルームフレグランスブランド「エステバン」が、『カードフレグランス』(税込1080円)として20日より発売。ビジネスシーンでの新たなコミュニケーションとして広がりをみせそうだ。ちょっと手紙に忍ばせてみたり…同商品は「エステバン」30周年を記念して発売するもので、男性向けの「TONKA(トンカ)」、女性向けの「ORCHIDEE(オルキデ)」、ユニセックスの「SANTAL(サンタル)」の3種を展開。強すぎずほのかに香る程度なので、初対面の印象アップにもつながりそう。「エステバン」は飛行士であった創業者、ジャン・マックス・エステバン氏が世界を旅した記憶を自らの香りコレクションに取り入れるという斬新なアイデアのもと、1979年に創業。セラミックやルームフレグランス、ラタンブーケ、キャンドル、オードトワレなどさまざまなフレグランス商品を展開する。世界約40ヶ国で取り扱いがあるほか、日本では三越伊勢丹やエストネーション、コンランショップなど百貨店や専門店のフレグランスコーナーで販売している。この秋は「名刺香」で女子力アップしてみては?【商品詳細】『エステバンカードフレグランス』(TONKA、ORCHIDEE、SANTAL)価格:各1080円(税込)発売日:2014年10月20日
2014年10月12日9月25日(木)、ニコニコ生放送「アニメぴあちゃんねる」のゲストに、声優の三澤紗千香が出演する。三澤紗千香はテレビアニメ『アルドノア・ゼロ』などで知られる人気声優。「アニメぴあちゃんねる」には3度目の出演だ。番組MCの雨宮天とは同アニメで共演しており、収録現場でのエピソードなどが話される予定。さらに、12月7日のイベント「文化放送A&Gオールスター2014」についてもトークを展開。同イベントで共演が決まっている上坂すみれへの熱い想いを三澤が語る。公私ともに親交が深いだけに、上坂の知られざる一面が三澤の口から聞かれそうだ。またトークのほかにも、三澤が自身の出身地である山梨県の甲州弁を題材としたクイズを出題。前回大好評だった同クイズ、出演者は当てる事ができるのか。番組後半のアニメぴあちゃんねる会員放送「もりもりアニメぴあちゃんねる」では、声優がゲスト出演した際の恒例企画「セリフ読み」を三澤紗千香と、番組レギュラーの雨宮天、アフィリア・サーガのコヒメ、バクステ外神田一丁目の朝倉ゆりが実施。三澤が女子大生ということで、それぞれが女子大生役となり、「学食」「教室」「サークル活動」「部活動」などのシチュエーションで芝居を演じる。また午後8時45分から午後9時まで放送する「もうすぐアニメぴあちゃんねる」では、今回も声優タカオユキが自身の手作り弁当を持参。アバンギャルド過ぎるその弁当は、フジテレビ系情報番組『めざましテレビ』でも取り上げられ話題となっている。また午後9時55分から午後10時に放送する「もりもりアニメぴあちゃんねる」では、タカオがメガネ姿の写真を披露する。内容盛りだくさんのアニメぴあちゃんねるは9月25日(木)午後8時45分より放送。■アニメぴあちゃんねる日時:9月25日(木)午後8時45分~午後10時00分出演:雨宮天 / 美濃部達宏 / コヒメ(アフィリア・サーガ) / 朝倉ゆり(バクステ外神田一丁目)/ タカオユキゲスト: 三澤紗千香
2014年09月25日※画像は、市井紗耶香オフィシャルブログよりアイドルも今では、3児の母元モーニング娘。のメンバーで、現在は3児の母である市井紗耶香さんが、その美肌の秘訣をブログで公開している。芸能活動を一時は引退もしたが、2013年3月に男児を出産した後も、芸能活動を再開している。東京ガールズコレクションなどのステージにも立ち、ハワイアンロミロミマッサージの資格を持つなど、美容意識が高い市井紗耶香さん。洗顔の監修も行っており、今回のブログでも、商品を紹介している。子育てで紫外線を浴びる機会も多いだろうが、白さを求める『白活』をアピール。透き通るような白い肌を宣言している。しっかり落として、しっかりスキンケアモロッコ溶岩クレイやフランス産泥カオリンを洗浄に効果を発揮し、8種類の和漢ブレンドがスキンケアをして、陶器のような肌に導く。ケアなの汚れを泥でしっかり落とし、古来の美人を支えてきた和漢でスキンケア。落とすだけではなく、必要なものは入れることも忘れてはいけない。パラベンやシリコンなどの必要ではないものは極力排除されているため、化粧品同様に鮮度を意識している。そのフレッシュパッケージも白さの秘密だろう。頑張り過ぎない、引き算メイクでもキレイをアピールできる肌を手に入れるのには、この『天使の白活』を試してみたい。【参考リンク】▼市井紗耶香オフィシャルブログ▼株式会社ジェイ・ウォーカー元の記事を読む
2013年08月02日出版事業を手がける中経出版は、11月21日に、新刊『天才ではない君たちは「ひらめき」に頼るな、「論理」を手に進め。』(吉田正樹・津田久資 著)を発売した。価格は1,470円(240ページ)。同書は、ロジカルシンキング(論理的な考え方とその技法)の専門家や、戦略コンサルタントの立場から津田氏が、テレビ番組などのクリエイターの立場から吉田氏が、「創造を生み出すためのロジック」について「23の言葉」を軸に、エピソードを交えながら語っている。常に新しい発想を求められるクリエーターだけでなく、仕事を見つめ直そうとしているビジネスマンなど、さまざまな人を読者として想定した内容となっているとのこと。なお著者の2人は、学生時代を兵庫県の同じ学校で過ごし、ともに東京大学法学部へ進学。20年を経て再会したとき、まったく違う道を歩んできた2人が「感じていたこと」が共通していたことから、同書の出版にいたったという。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月26日サンシャインツアーはこのほど、青森県鰺ヶ沢町が2013年春に「マラソン村(仮称)」を開村するにあたり、首都圏の女性100名限定で開村プレイベントモニターツアーを発売した。「マラソン村(仮称)」は、全国各地からランナーを鰺ヶ沢町に誘致し、地域活性化を目指す施設。今回の女性限定モニターツアーは、首都圏などから100人の女性ランナーを招き、施設と鰺ヶ沢町の魅力を知ってもらおうというもので、9月28日~30日の日程で開催される。東京・新宿を28日夜に出発する、現地1泊3日間(車中1泊)の行程で、白神山地ランニング、岩木山観光ランニング、鯵ヶ沢町との交流会、女性ランナー松田千枝の講演会、美しい走り方講座などに参加する。朝食2回、昼食2回、夕食1回付。女性のみが参加できる。キャンペーン料金は、3名1室で6,000円(2名は1,000円増。1人1室は4,000円増)。大人・子ども同額。宿泊はナクア白神ホテル&リゾート。出発は9月28日21:30(東京駅)、22:00(新宿駅)。詳細は「マラソン村特別モニターツアーのページ」へ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月30日