イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第438話。Yちゃんのお母さんとヨガをした後も、何度かイベントに誘われるように。ポジティブなイベントの反面、やましたさんの気持ちは……?ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 Yちゃんのお母さんとヨガ体験をしたその後も、同じようなワンコイン系のイベントに何度か誘ってもらいました。 どれもYちゃんのお母さんと仲の良いお母さん達が主催している個人的なイベントで、ヨガのインストラクターの資格を持ってるお母さんがヨガを教えてくれたり、調理師免許を持っているお母さんが子どもと一緒にクッキング教室をしてくれたり、子持ちのバレエの先生が子どもと一緒に楽しめるバレエ教室をしてくれたり……。などというものでした。 そこにいるお母さん達は、子育てを楽しんで、子育て中でも何でもできるよ! みたいな意識が高く行動力に優れたキラキラとしたお母さん達ばかりでした。 その点、私はと言うと、次女KTが生まれ、2児の母となった当時でも、子どもと一緒にお出かけするのが苦痛で苦痛で、できれば家でまったりと過ごしたいタイプだったので、だんだんと、Yちゃんのお母さんが誘ってくれるポジティブなイベントが楽しめなくなってきてしまいました。 せっかくのママ友、せっかくの激安イベントにも関わらず、私の心がどんどん冷めていくのを私も、そして、パピーちゃんも感じていました。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年12月29日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第437話。保育園のお迎えで一緒にヨガをしたお母さんとばったり遭遇したやましたさん。「私昔から変わり者やって……」と声をかけてくれた理由を話してくれて……?!ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 Yちゃんのお母さんと一緒にヨガをしてからしばらくして、保育園のお迎えでYちゃんのお母さんとばったり遭遇しました。 「こないだはありがとうございます」と挨拶をすると、Yちゃんのお母さんも「こちらこそありがとう」と言い、更に、娘たちが待つ保育室に一緒に向かいながら、こんなことを言っていました。 「実は、私、昔からけっこう変わり者やって、学生時代もちょっとみんなと趣味が違ったりしててんけどな、ともちゃんを初めて見たときから、同じタイプの人や! とピンときててん。だから、声かけさせてもらて〜ん」と。 ほほう。私のことを、変わり者だと見初めて声をかけてくれたのか……。 正直なところ、私は、少し目立ちたがり屋だったものの、いたって普通の人間で、平均の中の平均なポジションを生きてきたタイプなので、あまり「変わり者」と言われた経験はありませんでした。ですが、私に何を見出してくれたのか、せっかく「同じタイプ」だと思って声をかけてくれたので、そのことはYちゃんのお母さんには永遠に伏せておこう……そう思いました。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年12月22日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第436話。まったりとした日曜日に突如うけたヨガのお誘い。緊張気味にヨガを終えてみて思ったことは……?!ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 まったりとした日曜日の朝、長女N子の保育園のお母さんからヨガに誘われた私。突然の出来事に何が起きているのか分からないままに「行きます!」と返事をしてヨガに行くことになりました。 電話を切った後、急いでヨガの準備をして、自転車で5分ほどの指定された場所に行き、URの一室でYちゃんのお母さんと一緒にヨガをしました。そして、緊張気味にヨガを終えて、待ち合わせをした場所で、Yちゃんのお母さんとさよならをして、1人で自転車に乗って家に向かいました。キコキコと自転車を漕ぎながら、私はこう思いました。 こ……これって…… これって、何かママ友やん!ママ友がやるやつなんじゃないの〜〜〜!? 降って湧いたママ友的な交流を無事に終え、興奮がおさまらない私。 早く! 早く家に帰ってパピーちゃんに初ママ友交流がどんな感じだったのかを話したい! ヨガでほぐれたホカホカの体で自転車のベダルをこぎまくりました。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年12月15日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第435話。日曜日の朝。突然鳴った電話に動揺してしまうやましたさん。気になるご用件は……?ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 まったりとした日曜日の朝に突然かかってきた電話。発信元は長女N子と同じクラスの保育園のお母さんだったのですが……。 心臓をばくばくさせながらパピーちゃんに「Yちゃんのお母さんや!」と言うとパピーちゃんも私と同じくらい緊張した感じで「出ろ! 出ろ! とりあえず出ろ!」となぜか口パクで慌てて私にメッセージを送ってきました。 「も。。。もしもしぃ〜」とよそいきの声で電話にでるとYちゃんのお母さんがこう言いました。 「あ、もしもし、ともちゃん?」と! 夏祭りの担当だったので念のために連絡先を交換しただけなのに、私の下の名前を覚えてくれている。しかもいきなりのちゃん付けでぇ〜! ますます高鳴る鼓動を感じながら「おはようございます」と返事をすると「いきなりやけど、今からヨガ行かへん?」とヨガのお誘いを受けました。 このお母さん、私の名前を覚えて、更に、「ちゃん付け」で親しみを表してくれている。しかも、ハイソサエティーな人がやってる(私のイメージです)ヨガに誘ってくれている。。ひょ、ひょ、ひょっとこいて(ひょっとして)このお母さん、私のことを「ママ友認定」してくれているのでは!? 頭の中がパニックすぎて、とりあえず「は、はい! 行きます!!」と返事を返すので精一杯でした。 病院で連絡先を交換したお母さんとママ友になることばかり考えていた私に、まさかの伏兵現る(良い意味です)。朝ごはんを急いでかき込み、ヨガとやらに行く用意をしなければっ。急げ! 急ぐんだともこ〜(私)! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年12月08日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第434話。ママ友ができたと喜びつつも、連絡をするタイミングがつかめず困っていたやましたさん。育児に追われる日々のある朝、やましたさんの携帯が鳴り……?ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 病院で出会ったお母さんと連絡先の交換をしたものの、どういうタイミングで何を連絡したら良いのかわからず、長女N子のときと同じように毎日赤ちゃん(次女KT)と2人っきりで、家にこもって生活をしていました。そんなある日曜日の朝のことです。 日曜日はパピーちゃんの唯一のお休みということで、朝から、パピーちゃんに娘たちを預けて1週間ぶりに朝ごはんをゆっくり食べていたそのとき、私の携帯がペコポコペコポ〜ンと鳴りだしたのです。 普段、パピーちゃんと保育園以外から電話がかかることがない私の携帯。日曜日でパピーちゃんはすぐ後ろにおるし、N子も保育園に行ってないし、一体どこのどなたが私に電話をかけてきたんだと恐る恐る画面を確認してみると、そこには保育園のN子のクラスの女の子のお母さんの名前が……。 そういえばN子が1歳のとき、当時、保育園の役員をしてた私は、N子のクラスの夏祭りの担当だったそのお母さんと連絡先を交換したことを思い出しました。とっくに夏祭りも終わった日曜日の朝になぜ……? 普段、人と交わりがなかった私の頭は超パニックに陥りました。なぜだ〜? なぜなんだ〜〜?? イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年12月01日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第433話。無事退院前にママ友と連絡先を交換することに成功!ママ友ができたことに心躍っていましたが……。産後は家事や育児に追われ、交友経験の少ないやましたさんには連絡するタイミングがつかめずにいました。ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 ママ友作る計画のために積極的な行動を続け、ついに、退院前に連絡先を交換することに成功した私。これでママ友ができたんじゃないかとウッキウキに喜んでいました。 一緒に子連れでカフェに行ったりするんだろうか? お互いの家を行き来したりするんだろうか?? 公園で待ち合わせて一緒に子どもを遊ばせたりするんだろうか??? 妄想は膨らむばかりでしたが、気がつくと、毎日の家事育児で生活に追われ、数ヶ月が経過していました。 授乳しながら考えました。あずあず(連絡先を交換したお母さん)は元気にしているのだろうか?そして、世の中のママ友たちは一体いつ、そして何について連絡取り合っているんだろうか??ママ友交友未経験の私には謎だらけでした! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年11月24日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第432話。ママ友になるべく積極的な行動を起こしたやましたさん。最後のアクション、連絡先をどうやって交換しようかと考えます。思いついた方法とは……?!ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 ママ友を作るべく珍しく積極的なアクションを起こした私。「方言でしゃべる」と「あだ名で呼ぶ」の2つの関門を無事突破し、入院最終日の朝、ついに最後の砦へとたどり着きました。 退院の日は、いつお迎えがくるかわからなかったので早めのアクションを起こさないと! と焦り気味だった私ですが、いざ、そのときがくると、どうやって連絡先を交換したら良いのからわからずにいました。 そこで、当時は財布の中に名刺を入れたまま持ち歩いていたことを思い出し、ビジネスチックではありますが、ゆっくり喋れる時間もないかもしれないので、ポケットに名刺を忍ばせ、そのお母さんに出会うのを待ちました。 ドキドキ ドキドキ 向こうから歩いてくる彼女! ときは来た!! 慌ただしく退院用意をしている彼女に、よかったら連絡くださ〜いと名刺を渡すことに成功。Lineも交換して、私たち、無事、連絡先を交換しました♡ やったぁ! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年11月17日イラストレーターやましたともこさんの脱力系ゆる育児日記第431話。ママ友になるべく行動を起こし、「方言」をクリアしたやましたさん。善は急げ!と次の段階へ。どうなる第二関門……?!ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 病院で出会ったお母さんとママ友になるべく動き出した私。第一関門の「方言で話す」をクリアしたので、早速、第二関門である「あだ名で呼ぶ」へとコマを進めました。 入院期間は1週間!善は急げ! いつものように、朝ごはんのため食堂に降りて行ったときに、さりげなくあだ名の話をしてみました。※高知の方は土佐弁に変換してお楽しみ下さい。 私「あずさちゃんて、あだ名はやっぱりあずあず一択なん?」 あずあず「そうでもないけど、ほんまやな〜確かに多いかも〜」 私「あの〜、突然ごめんやけど、今日からあずあずって呼んでもいい?」 あずあず「あ、全然ええよ〜。山ちゃん♡」 あずあずの「あだ名返し」という想定できる中では最高のリアクションのおかげで無事に第二関門を突破した私。ママ友へと発展させるべく残る関門はただ1つ! いけ〜山ちゃん!進め〜山ちゃん!! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています!著者・イラスト制作者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年11月10日娘が小さいころ、義母はよく洋服を買って送ってくれていました。私は受け取るとまず娘に着せて写真を撮り、「いつもありがとうございます」とお礼のメールをしていました。でも肝心の「もう結構です」のひと言が言えず、いつもモヤモヤ。今では笑い話なのですが、新米ママでもあった当時は本当にストレスを感じていたのです……。 とにかく量が多い!義母が「服を送る」という場合、靴下4足、タイツ2足、セーター3着、スカート4着、コート1着という「福袋?」とツッコミたくなるほどの量で送ってきます。しかもサイズはいつも大きめ。「ジャストサイズになってきたかな?」というころには季節が変わり、まったく袖を通す機会がないこともよくありました。 「かわいい服を見るとつい買っちゃうのよ」という義母の気持ちはわかるのですが、季節とサイズの合ったワンピースを1枚だけ送ってくれるほうがよっぽどありがたいのに……といつも思っていました。 フリル尽くしの服が多くて…普段はシックな色合いを好み、センスのよい義母なのですが、孫の服となると話が違うようでした。色味も柄も私ならば決して選ばないようなインパクトの強いものばかり。特にフリルにこだわりがあるのか、ありとあらゆるものがフリル付きでした。 スカートはもちろん、靴下の履き口、Tシャツの裾や襟ぐりにいたるまでフリル尽くし。当時の娘はこんがりと日焼けしていて髪も短く、お世辞にもフリルが似合う見た目ではなかったのですが、きっと義母には違うように映っていたのでしょう。 英字プリントが気になってしまう当時は夫の海外転勤で英語圏で生活していたので、英字プリントの服に困った経験も。あるとき「Love me! Touch me! Feel me!!(愛して 触れて 感じて)」と印字されたTシャツが届きました。日本にいたらそこまで気にならなかったかもしれませんが、英語圏で暮らす娘に着せるのはためらってしまいました。 デザインとしてかわいいと思って義母が選んでいるのは理解できるのですが、せめて意味のチェックくらいしてほしかったな、なんて思ってしまいます。 今思えば義母が送ってくる服を、「娘に着せなければいけない」と私自身が思い込んでいたことがモヤモヤの原因だった気がします。気にせず私が着せたい服を娘に着せていればよかったのに、そうしない自分へのいら立ちから義母の行動をストレスに感じていたのです。娘が成長し自分で服を選ぶようになった今は、「そんなこともあったね」と笑い話になっています。 作画/やましたともこ著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2021年10月31日現在2人の子どもを育てているママです。義父はいつもジェントルな良識派。私たち家族にも干渉しすぎることなく、あたたかく見守ってくれる理想的なお舅さんです。でもそんな義父でも時折自分を抑えられなくなるのか、孫への想いが暴走することがあるのです。 写真館の予約は任せなさい義父にとって初孫となる娘のお宮参りを計画していたときのことです。神社でご祈祷後、両家で会食を予定していました。私は娘との初めての本格的な外出になることから、持ち物だけでなくおむつ替えの場所や授乳のタイミングに関して、事前に綿密な計画を練っていました。 ところがお宮参りの数日前になって突然義父が、「写真館の予約をしたから」と言い出したのです。お宮参り当日にスタジオで家族全員の記念撮影をしたいと主張する義父。記念にと思う義父の気持ちもわかりますが、私は娘への負担を考えてなるべく外出時間は短くしたいと考えていたので、「急に何を言い出すの!?」と内心不服でした。 ドリルと本を少し送りましたよ娘が文字を理解し始めた4歳のころ、義父から荷物が届きました。中身はドリルと絵本です。まだ娘はようやくひらがなを読めるようになった段階なのに、その先のカタカナ、文章の読み書きまでのドリルがそろっていました。事前に「ドリルと本を少し送りましたよ」と連絡はもらっていましたが「どこが少しなの!?」と突っ込みたくなるほどの量。 ありがたくは思うものの、結局のところ娘にドリルをやらせるのは私……。毎日の子育てで余裕がなかった私は、なんだか余計な仕事を押し付けられたような気がしてしまい、どっと疲れてしまいました。 通信教育を申し込んだからさらに娘が大きくなり、小学校入学が目前に迫ったころ。義父が独断で娘のために通信教育教材を申し込んだのです。さすがにこれには私も黙っていられず、夫経由で即解約を申し入れました。 義父の「孫のために何かしたい」という想いは十二分に理解しつつも、教育に関しては親である私たち夫婦が主導権を持つことを明確に示したかったからです。義父の想いを無下にした形になり心苦しくもありましたが、親として譲れない一線だったので後悔はしていません。 義父母がわが子へ干渉することを煩わしく感じてしまうこともありますが、私にとって大切なわが子は義父母にとっても大切な孫。関心を持って関わってくれることに感謝を忘れたくないと思っています。親としての譲れない一線は明確にしつつも、これからも義父母には一緒に子どもたちの成長を見守ってほしいです。 作画/やましたともこ著者:岩田美玲2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年10月24日2歳の娘さんが突然始めた、ママさんのおまたのにおいを嗅ぐ行動。最初は放っておいたそうですが、なかなかやめてくれないその行動をどうにかしようと働きかけてみたそうです。現在2歳の娘を育てています。娘は2歳になったころから、時々私の股のにおいを嗅ぐような仕草をするようになりました。今のうちだけだろうと思っていたのに、何カ月経っても思い出したように股のにおいを嗅ぐので、このままではまずいと思いやめるように働きかけることにしました。 なぜか股のにおいを嗅ぐ娘娘が2歳になったころ、何がきっかけというわけでもないですが、娘がふざけて私の股に顔を近づけてきました。私が軽い気持ちで「きゃーやめてー」と言うと、娘はおもしろがって何度も私の股に顔を近づけてきます。 これをきっかけに、娘はふと思い出すと座っている私の脚の間に顔を入れ、「くんくん」と嗅ぐようになりました。そのうち飽きるだろうと思っていましたが、半年経っても娘はにおいを嗅ぎにくるので、次第に私も「まずいかもしれない」と思い始めました。 これ、外でやったらどうしよう…なかなか飽きない娘の恥ずかしい遊びに、ふと「これを外でやられたらまずいな」と思い始めました。「私以外の誰かに同じようにしていたらもっとまずい」とも考えるように。しかし最初に私がふざけて対応してしまったこともあり、娘は一連の流れを遊びだと思っているようでした。 そのため、反応を変えて「もうやめて」「ダメ!」と強めに言ったり、無視したりしてみました。そうしても、もう次のときには忘れてまた繰り返し、言い方を変えた効果はありませんでした。 真剣に言い聞かせてみた結果娘が2歳10カ月のとき、3歳児にする性教育の記事を参考にして、真剣に話してみようと思い立ちました。そこで娘がまた同じように股に顔を近づけたとき、真剣な顔で話をしてみました。「ここはね、大事な場所だから触ってほしくないんだ」「お母さんも、娘ちゃんもそれぞれ触られたくないところは嫌だって言っていいんだよ」。 1回言っただけでは娘もわからなかったようですが、何度か同じ話をしてみるとようやく「わかった!」と言い、そこからにおいを嗅ごうとはするものの、「嫌だ?」と聞き、私が「嫌だな」と言うとやめるようになりました。 私が最初におもしろい反応をしたこともあって、股のにおいを嗅ぐのが娘にとっては単なる遊びとして定着してしまいました。2歳ではまだまだ良いこと悪いことの境界線があいまいです。そのためやってほしくないことはきちんと真剣に伝えることが大事なのだなと思いました。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2021年10月10日義父母にとって、待望の初孫である娘はとてもかわいがってもらっています。私自身も結婚当初から良好な関係を築けていますが、一度だけ困ったことがありました。今回はその体験と、私がとった対応法をお伝えしたいと思います。 服の趣味が合わない⋯娘が生後7カ月のころ、初めて飛行機に乗り、遠く離れた義理の両親の家へ連れて行ったときのことです。初めて孫が泊まりにくるということで、気合いを入れて準備してくれていました。家中をきれいに片付け、安全対策も万全にし、すごく安かったからと子ども服も10着ほど買っておいてくれました。とてもありがたかったのですが、洋服だけは困惑してしまいました。なぜなら、あまりにも私の趣味からかけ離れていたからです。私はシンプルな服を好むのですが、いただいた服は「愛ラブmama」と大きく書いてあったり、「向日葵」と刺繍された法被だったり……。外では着せにくいと感じるものでした。 反応に困ってしまった正直どう反応してよいか困りました。気持ちはありがたいけれど、あまり着せたい服ではない。しかもそれが大量にあるので、狭いわが家では収納にも困る。笑顔で受け取るべきか、でも喜んでいると思われて今後もずっと同じような服をもらうことになったらどうしよう……など考えてしまいました。とりあえずその場はお礼を言い、夜、夫と2人になったときに気持ちを伝えました。夫も私と同じように感じていたようで、今後は服はいらないと伝えてくれることになったのです。 義理の母に正直な気持ちを伝える翌日、夫が義母に伝えてくれました。しかし、実の親に対してなので遠慮がなく、「ダサい服はいくら安くてもいらない」と伝えてしまったのでヒヤリとしました。言い方についても、2人で打ち合わせておけばよかったと思いました。私もなるべく傷つけないよう言葉を選びながら「親戚からのお下がりがたくさんある」「初めての子どもなので自分たちも服選びを楽しみたい」と自分の気持ちを伝えました。義母は私たちの想いを理解してくれたようで、その後は肌着やおもちゃを中心に用意してくれるようになったのです。これらはいただいて本当にうれしいです。 趣味の合わないものをもらい続け、たんすの肥やしにするのも申し訳ないので、最初に意思表示ができてよかったと思っています。この一件後も、わが家と義理の両親はとても良好な関係を保っています。子どものことで「このようにしてほしい」というのは今後も出てくるかと思いますが、うまく気持ちを伝え、お互いストレスフリーでいられたらよいなと思います。 原案/仲本まゆこ作画/やましたともこ
2021年09月18日息子も1歳になり、ひとり歩きも少し安定してきたころ、家の前で息子を遊ばせていたときに起こった事故でした。ほんの少し目を離した瞬間に息子が側溝に落ちてケガをしてしまい、私は息子の手当てをしながら自分の対応に後悔したのを思い出します。それ以来、たぶん大丈夫!と思わず、よりいっそう注意するようになりました。ほんの一瞬のことで思わぬケガにつながってしまうんだと実感した、私の体験談をお伝えしたいと思います。 きっと大丈夫だろうという気持ちよちよち歩きの息子と一緒に、家の前のお花にお水をあげていました。私の家の周りには25cmくらいの深さがある側溝があり、カバーされていません。息子は側溝から離れた場所で、しゃがんで石を拾って遊んでいました。集中して遊んでいるように見えたので、ホースを片付けるために壁で遮られた庭へ一瞬だけ入りました。 ほんの5秒くらい目を離しただけでしたが、急いで出てきて息子に目をやるとまさに側溝へ向かって歩き、落ちる瞬間でした。「危ない!」と叫び駆け寄りましたが届かず、息子は側溝に転落してしまったのです。 側溝に落ちてしまった息子側溝にうつぶせになる形で倒れ、息子は大泣き。慌てて抱き上げると、息子の口元が血で真っ赤になっていました。出血が多く、ぱっと見てどこをケガしているのかわからない程でした。 急いで家の中に入り流水で洗って改めて見てみると、上唇が5mmほど切れて、上唇の裏の筋が切れて出血している状態でした。タオルを押し当てて止血しながら、泣き叫ぶ息子を抱きしめて「手当してるから大丈夫だよ」と言うしかなく、ごめんねという気持ちでいっぱいになりました。 ほんのちょっと目を離しただけなのに傷が小さく、出血もすぐに止まったため、家で様子を見ることにしました。唇のケガ以外には打撲などはなく、少しほっとしました。ただ唇の腫れが引いて傷がふさがるまでの4~5日くらいの間、いつもはしっかり食べる大好きなごはんもひと口ずつ食べては痛そうに顔をしかめて少ししか食べられず、見ているのがつらかったです。 ケガから半年以上経ち、話せるようになった息子は、その溝を見て「ここドーンって落ちた、痛い痛いよ」と言います。小さかったのに鮮明に記憶に残っているようで、本当に怖い思いをさせてしまったんだと胸が痛いです。ほんのちょっとだからと自分の用事を優先せずに、どうしたら息子にとって安全でベストかを考えて行動すべきでした。 ちょっとだからと済ませてしまいたい用事があったとき、私はそれを優先させてしまったために息子にケガをさせてしまいました。大事には至らなかったけれど、息子は怖い経験としていまだにしっかりと覚えています。1歳という活動範囲が増えていくけれどまだまだ理解が不十分な時期。自分で思っている以上に注意して見守らないといけないんだなと実感した私の体験談でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/山下 ひいこ作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2021年09月06日娘が水ぼうそうで、保育園を1週間休まなければならなかったときのこと。正規職員で休みづらい立場にあった私は、さまざまなつてを頼り、娘を預けて仕事へ。熱があってつらそうなのにママがそばにいてあげられなくて「ごめんね」と、頑張った娘に「ありがとう」と感じた体験談です。突然の発熱と発疹娘が1歳のある日、発熱で保育園から職場に連絡がきました。その日はすぐに帰宅し早く休ませたのですが、夜のうちに手足やおなか、背中に発疹が出てきてしまったのです。 次の日、仕事を休んで病院へ。水ぼうそうという診断でしたが、困ったことにすべての発疹が乾燥して感染の危険がなくなるまでは、保育園に登園できないとのこと。目安は1週間……。翌日からの仕事のことを思うと、途方に暮れてしまいました。 仕事が休めない! 義母を頼る毎日突然の早退と休暇で勤務体制に穴を空けてしまったので、さすがに翌日も休むわけにはいきませんでした。さらに、それ以降の日も正規職員の私が出勤しないと仕事が回らない状況でした。夫も激務の職場のため、簡単には休めず……。 そこで、近距離に住む義母に来てもらい、娘を看てもらうことに。義母はとてもよく看病してくれて助かるのですが、まだ熱があって具合の悪そうな娘を置いて仕事に行くのは「ごめんね」と後ろ髪を引かれる思いでした。 最終手段は近所の人!!2日連続で看病に来てくれた義母でしたが、3日目は都合が悪く来れませんでした。しかし、私もその日こそ職場で大事な案件があり、午前中は休むことが難しかったのです。他の親族は頼れず、病児保育も登録しておらず……。 窮地に追い込まれましたが、ふと、日ごろから付き合いのある近所の人に頼れるかなと思いました。娘のことをかわいがってくれ、お宅にも遊びに行っていた関係だったので、無理を承知でお願いしてみたのです。すると、ありがたいことに快諾してくれ、ほっとひと安心でした。 ずっと一緒にいてあげられなくてごめんね娘は、近所の人に預ける日には、発疹が乾燥してきてあとわずかで完治の状態でした。朝、機嫌よく預けられたものの、仕事中「寂しがっていないかな」と心配でなりませんでした。 幸い、午前中で仕事を切り上げることができ、お昼には迎えに。娘は近所の人によくしてもらって元気に過ごせたようでしたが、「なかなか一緒にいてあげられなくてごめんね」と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 周りの手助けに恵まれ、娘を預かってもらって仕事を無事こなせたことは本当にありがたかったのですが、やっぱり具合の悪いときに、親がそばにいてあげられない時間が続いたことが心苦しかったです。それと同時に、日中ママがいないなかで義母や近所の人と落ち着いて過ごして、よく頑張ってくれたなと娘にも感謝でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO作画/やましたともこ 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月28日私は4歳、2歳の息子、生後6カ月の娘のパパです。2人の息子とはよく一緒に公園へ行きます。長男は現在補助輪を外して自転車の練習中。その一方、ひとりでボール遊びをしている次男。気づけば長男の相手ばかりしてしまっていました。そんな次男に「いつも遊びに付き合ってあげられなくてごめんね……」と感じた体験談を紹介します。公園に行くのが日課私と2人の息子は公園に行くことが日課の1つとなっており、仕事が終わって帰ると「パパ、公園に行くよ!」と元気よく迎えてくれます。仕事が遅くなってしまったとき、雨が降ったとき以外は毎日公園に行っています。 いろいろな遊具がある中で、公園では2人一緒に遊びながら過ごすことが多いです。サッカーボールを蹴ったり、ブランコに乗ったり、滑り台で遊んだりしていました。 長男が自転車の練習を始め、ひとりで遊ぶ次男いつも公園では一緒に遊んでいた2人の息子ですが、長男が4歳になったときに補助輪を外して自転車に乗る練習を始めました。もちろん最初はうまく乗ることができず、私は長男につきっきり。 練習している間、私は次男がひとりで遊ぶ様子を遠目で見ることしかできませんでした。しかし、特に不満そうな表情もなく、ボールを蹴ったり追いかけたりして遊んでいたので、私も安心して自転車の練習に付き合うことができていました。 「もう帰る!」と泣く次男公園に行っても、私は自転車の練習に付き合うことが多くなりました。練習は最初の10分だけと決めて、その後は息子たちと3人で遊んでいました。しかし、いつものように自転車の練習をしていると、急に「もう帰る!」と泣き出す次男。理由を尋ねると、「自転車イヤ。にいにばっかり!」と……。 私はひとりで不満なく遊んでいた様子に安心していましたが、このとき初めて次男はひとりで寂しい思いをしていたことに気づきました。いつも遊びにつきあってあげられなくてごめんね……と思いました。 次男にとっては、公園ではいつも長男とパパと3人で遊んでいたにも関わらず、ひとりの時間が増えてしまっていました。「不満はないのかな?」と思っていましたが、やはり寂しく感じていたのだと申し訳なく思いました。これからは、自転車の練習中も次男に声をかけながら見守り、練習後は次男がしたい遊びで思いっきり遊んで寂しい思いをさせないようにしていきたいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ著者:西川しょた普段は看護師として勤務する4歳と2歳の息子、0歳の娘の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2021年08月21日2人目は何歳差で産むのが良いのか? ママ友ともよくそんな話題になっていたころ、「3歳差は入園・入学が重なるから大変だよ」と複数人から聞き、深い考えもなく、ならば2歳差でと妊娠・出産してみたところ……。マタニティ期間の苦悩私には11月末生まれの長女と、1月生まれの次女がいます。長女は2歳1カ月でお姉ちゃんになりました。マタニティ期間に大変だったことは、長女を抱っこできなくなることでした。当時1歳半の長女はまだあまり歩けず、抱っこをせがまれることがよくありました。 けれど私は貧血で通常の暮らしもつらいときがあり、抱っこしてあげたり、してあげられなかったり……。おなかが大きくなってからは切迫早産の不安があり、まだ小さい長女が満足するまで抱っこしてあげることができませんでした。 0歳と2歳の育児はドタバタ次女誕生後、ちょうどトイレトレーニングをしていた長女。トイレの間隔が短かったので、次女のおむつ替えや授乳などをしているときでも、「トイレ!」となることが多く、あっちこっちにお世話をしにいかなければならず、体力的に大変でした。 また、長女は3歳まで夜泣きがあり、授乳で泣く次女に母乳をあげながら泣くので、1年間は夜にあまり眠れませんでした。 2歳差と3歳差の大変の違い私の周りで言われていた「3歳差は大変」は、行事が重なることや金銭面で一度にお金が出るという部分が大変という意味でした。 2歳差は行事や支出はタイミングがずれますが、まだ自分のことを自分ですることができない、うまく気持ちを伝えられない時期の2歳の長女と、何にも自分でできない0歳の次女との生活は忍耐と体力がかなり必要でした。愛情を持って接していましたが、私自身も毎日がいっぱいいっぱいになり、イライラしがちでした。 眠れない日々が続いたときは、2歳差で出産したことを後悔するときもありました。けれどもそれは2歳差だからではなく、子どもの性格にもよるものも大きく、同じように出産した友人とはまったく悩みが違い、何歳差だから良いとかラクというのはないんだと気がつきました。金銭的なことは予想できますが、育てる際の大変さは何歳差であろうとしてみなければわからないと思いました。 原案/横山まい作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2021年08月10日長男の育児が落ち着いてきたとき、夫婦の間で2人目はどうしようかという話になりました。長男のときは「夫婦2人の子どもが欲しい」と素直に思えたのに、2人目のときはすぐにそうとは思えませんでした。その理由と実際に2人目を産んで感じたことをお伝えします。 「次は女の子!」勝手な言い分に唖然長男が生まれたとき、近所のおばさんがお祝いを持って訪ねてきてくださいました。「元気な赤ちゃんね」と言ったあとで、「次は女の子がいいわね。女の子はいいわよ」と自分の子育ての話を始めたので、私は唖然としてしまいました。なぜなら、私を産んだ母が「男の子を産めなかった」と祖母から責められているのを何度も見てきたからです。母の代わりに男の子を産めたとまでは思っていませんが、男の子だったからそういうことを言われずにすむだろうとは思っていたのです。ですが、勝手な他人の言い分に私は2人目に対するプレッシャーを感じてしまい、素直に産みたい!とは思えなくなってしまいました。 2人目を同じようにかわいがれるのか?初めての育児で、思った通りにならない息子にイライラしてしまうこともありながら、すくすくと成長して笑顔を見せてくれるようになった息子に、私たち夫婦はもうメロメロ。 この子にきょうだいがいたら、一緒に遊べるだろうなぁとは思うものの、「遊び相手」として生まれてくる2人目のことを思うと、なんだかかわいそうになってしまい、2人目を産むということがさらにハードルが高いものとなってしまいました。 そんな葛藤の末に生まれた第2子は…!私がきょうだいと年齢が離れていることもあり、年齢の近いきょうだいがいいと思っていたので、悩みながらも2人目を計画し、すぐに妊娠しました。生まれたのは次男。女の子ではありませんでした。でも……信じられないぐらいにかわいかったです。大きく生まれた長男に比べて小さな次男は、まるでぬいぐるみを抱っこしているような重さで、その次男を抱っこしたり、ほっぺたをツンツンしたりする長男もまたかわいい……! 感覚としては別の生き物のようでした。 「案ずるより産むが易し」という言葉がありますが、産んでからも悩みは尽きません。とはいえ、私たち夫婦のところにやってきた赤ちゃんをかわいいと思えるかどうかというのはいらぬ心配でした。2人の子どもが元気に育ってくれていることを自信に変えて、堂々と男の子のママに勤しんでいきたいと思っています! 監修/助産師 松田玲子作画/やましたともこ著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年07月24日マンガ家100人突破を記念し、『べビカレ夏のマンガ祭り』を開催! 6月1日(火)から30日(水)の1カ月間限定で、大人気のマンガコンテンツを大量配信! 人気マンガが無料でざくざく読めちゃいます♡今回は、レギュラー連載に加え、新たにスペシャルゲスト24作品を配信♪ ぜひチェックしてくださいね! セクハラ義父 結婚アフロ田中Ai のりつけ雅春 夫の不倫相手は友達でした いいから黙って食え!され妻つきこ ツムママ あなたは貸せますか 娘を触れない私Ai かと 産後ヤバイ話 不倫夫にサヨナラみいの マリコ 新婚夫婦のケンカ事件簿 お義母さんといっしょでんでんむし まむ 物がなくなる家 ママ友になりませんかツムママ ちひろ 毒義母がヤバイ ヤバイママ友の話みゆき ババレオ 自閉症の息子 ママ友が怖いきなこす まめねこ 5歳で熱性けいれんになった話 娘と心疾患のお話かと こやま家 流産のはなし 幸せ恐怖症まきこんぶ まめねこ 夫を捨てたい 3児母ワンオペ育児からの脱出!いくたはな オニハハ。 夜間断乳レポ 1歳半健診後の不安だったことnao 渋谷はる 2人目は巨大児でした ミロチ 口唇口蓋裂ちゃん、育ててます ママならぬ日々じぇにこ 和田フミ江 妊活レベル1 まっふの冒険記 奥さんと子どもに好かれたいまっふ YUDAI んぎぃちゃんカレンダー ねこたぬのはじめて育児んぎまむ みーすけ 脱力系ゆる育児日記 カエル母さんのゆるゆる子育てやましたともこ ユウコトリトリ ニシカタ体験談 ニシカタ
2021年06月07日産婦人科医に言われたひと言にショックをうけた女性の体験談です。学生のときお付き合いしていた彼との一夜でコンドームが外れてしまったことから、安全のために産婦人科へアフターピルをもらいに行ったそうなのですが……。大学生のときにお付き合いしていた彼との一夜でコンドームが外れてしまい、念のためにアフターピルを処方してもらいに行きました。その際の産婦人科で医師から言われたショッキングなひと言が、今でも忘れられません。10年近く前のことですが、当時を振り返ってお話ししたいと思います。コンドームが外れた! どうしよう…彼とするときはいつもコンドームをつけて避妊していたのですが、ある晩途中で外れてしまったことがありました。今思うと外れただけで何もなかったのですが、私は初めてお付き合いした相手で経験もなく、とても動揺してしまったのです。 彼の「コンドーム外れちゃったんだけど大丈夫?」の言葉に、私はだんだん大丈夫ではない気がしてきました。 念のためアフターピルをもらうことに問題ないとは思いつつ、私と彼は翌日アフターピルを処方してもらうことにしました。処方してくれる病院や副作用などを調べている私に、彼は心配しながらもしきりに謝ってくれたのを覚えています。 私はなんとなく後ろめたいものがあったので、家から電車を乗り継いで30分くらいのところにある産婦人科を受診することにしました。産婦人科に行くと2人で決めてからは、彼とずっと気まずくなってしまい苦しかったです。 医師に言われた思いがけないひと言コンドームが外れた翌日の朝早くに、私と彼は産婦人科へ。受付や問診票の記入は特に問題はなく淡々と終わりました。診察の順番になって、私ひとりが呼ばれ、「ひとりで呼ばれて、何を聞かれてどう答えたらいいのだろう」と不安でした。 しかし私が着席すると同時に、50代くらいの男性医師は「これだから若いのは困るんだ。ちゃんと後先考えて避妊をするように」と言い、私が何も言う間もなく診察は終わったのです。 予想しなかった展開に呆然としてしまい、何も言い返すことができませんでした。診察後アフターピルを処方されたのでその後生理はきたのですが、私の気持ちは晴れないままでした。 私と彼はコンドームで避妊をしていました。性交時の状況(レイプかそうでないか、避妊はしたかなど)を伝える機会はなかったのですが、それなのに何も聞かずこのように決めつける医師がいることに驚きでした。 原案/桜場紫作画/やましたともこ
2021年05月19日出産した病院でわが子の1カ月健診を受けたときに、頭頂部付近にある大泉門がほとんど閉じていると小児科の医師から指摘を受けました。それに加えて、全身の緊張が強い傾向にあるとのこと。まさかわが子が1カ月健診で異常が見つかると思っていなかったので、驚き、動揺して頭が真っ白になりました。1カ月健診で大泉門がほとんど閉じていた個人差はあるものの、通常1歳半前後で閉じ始めると言われる大泉門がわが子はとても小さく、1カ月健診のときにはすでに閉じかけていました。医師の説明によると、大泉門が早くに閉じると頭蓋骨が大きくならず、成長とともに大きくなる脳を圧迫して発達に影響が出てしまう可能性があるとのことです。 しかし、まだかろうじて大泉門が少し開いているので、少しずつでも頭囲が大きくなっていけば問題はないとのこと。経過観察をしていくことになりました。 かかりつけ医への受診産院では病名は聞いていませんでしたが、家に帰って母子健康手帳を確認すると、1カ月健診の記録欄に「軽度筋緊張亢進疑い」と書いてありました。どのような状態なのか気になりネットで検索したところ、脳への障害につながる情報が多く、不安でいてもたってもいられなくなった私。上の子が通っているかかりつけ医へ相談に行きました。 そこでは、まだ月齢が小さすぎて今の段階で診断することは難しく、大きい病院で検査してもわからない可能性も高いので、もうしばらく様子を見ましょうと言われました。 市の3カ月健診生後3カ月半のとき、市の3カ月集団健診を受けました。そこで1カ月健診のときに受けた指摘について説明し、筋緊張が強いことなど気になっていることをすべて小児科の医師に相談しました。 先生は丁寧に答えてくれ、診察の結果、大泉門は閉じかけているが、1カ月健診のときよりも頭が大きくなっているとのことでした。また、全身の筋緊張も確かにあるが、1カ月健診のときよりも状態はよく、安心していいとの診断でした。そして、念のため1カ月後に同じ先生に再診してもらえることになりました。 4カ月健診そして3カ月健診の1カ月後、大泉門は閉じていないか、頭は大きくなっているか、筋緊張は和らいでいるかなどを前回と同じ小児科の先生に見てもらいました。 頭は1カ月前よりも1cm大きくなっているので安心していいと言われ、やっとほっとすることができました。筋緊張も前ほどはなくなっていました。筋緊張も、寝ているときと起きているときとでは多少変わり、月齢が小さいときには判断が難しいため1カ月健診で経過観察になったのだろうとの説明を受けました。今後は月齢とともに頭が大きくなっているか家庭で様子を見ていくようアドバイスをもらいました。 1カ月健診で要観察になり、そこから経過観察の3カ月がとても長く感じました。指摘を受けたときは不安でいっぱいでしたが、生後半年経った今は発達に問題もなく、順調に頭も体も大きくなっています。今も念のため、1~2カ月に1回、市の育児相談で身長・体重と頭囲を測り、様子を見ているところです。子どもを育てていくなかで不安はつきものですが、今後もわが子の成長を喜びながら、楽しく子育てをしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 原案/福山あかね作画/やましたともこ
2021年05月12日私は左胸が扁平乳頭で、妊婦健診のときから母乳を吸いづらいだろうと指摘されていました。産後2日目から溢れるほど出るようになった母乳ですが、赤ちゃんがうまく飲めず乳首は傷だらけに。入院中早々に育児用ミルクを足すよう助産師さんに言われ、混合授乳を目指し頑張りましたが……。私が完ミになるまでの2カ月間にわたる心の葛藤や気持ちの変化についての記録です。 扁平乳頭だから母乳を吸いにくい?里帰り出産が迫り転院先でマッサージの講習を受けるようになったころ、助産師さんから、左胸は扁平乳頭だから母乳を吸いにくいだろうということは何度か言われてきました。そうは言っても、マッサージを続けて母乳が出れば赤ちゃんも吸うだろうと私は気にしていませんでした。 そして出産後、母乳がちっとも出ないまま2日が過ぎ、その後、仮眠から起きるとパジャマがずぶ濡れで、胸の張りも出てきました。あとは赤ちゃんが無事吸ってくれるようになれば……と思った矢先のことです。 母乳をあげたい…授乳室で泣いた夜右胸はまだ吸ってくれる様子だったものの、左胸はそっぽを向いてしまい、なかなか飲んでくれない赤ちゃん。乳頭保護器を使ってもあまり変わりませんでした。退院が近付いてきたある夜、いつものように授乳をしていましたが、やはり左胸からは何分経ってもうまく飲んでくれません。 深夜の授乳だったこと、退院したあとの不安がよぎったことで心が折れてしまい、他のママさんや助産師さんがいたにもかかわらず私は号泣してしまいました。その日はママさん同士でお互いに励まし合いながら授乳を乗り越えました。 実家での生活がスタート退院して実家での生活が始まっても、赤ちゃんはうまく母乳を吸えるようにはなりませんでした。搾乳して哺乳瓶で授乳後、育児用ミルクをあげていましたが、里帰りとはいえ日中はほぼワンオペで気持ちに余裕が持てず、次第に育児用ミルクを頼りに……。 生活に慣れてきたころ電動搾乳器を使い始めましたが、時すでに遅く、そのころには1日で1回分の授乳量に足りるかどうかくらいしか母乳が出なくなっていました。母乳の終わりを実感するにつれ、「どちらでも子は育つ、限界を感じたら卒業しよう」と気持ちが変わっていきました。 そして迎えた完ミの日できる範囲で搾乳をし続けるなか、里帰りを終えるときに搾乳が1日できない日がありました。そこから1週間経たないうちに私は完ミに移行。移行していく過程で2つの思いが私の気持ちに変化をもたらしました。 まずは私自身ほぼ完ミで育ち、そのことをまったく覚えておらず、母乳にしても育児用ミルクにしても心身の成長に違いは出てこないと感じたのです。また育児用ミルクに切り替えていくにつれて時間にゆとりができ、赤ちゃんにも余裕を持って接することができるようになりました。 「母乳で育てる・育てない」は、結局ママ自身の問題であるように個人的には感じます。完ミにしてからも成長や愛情の差があるようには感じられません。短期間ではあっても、悩みながらも2カ月間母乳をあげられたことを誇りに思います。現在、離乳食が始まり、育児用ミルクをあげる機会も限られますが、成長していく姿を愛情たっぷりで見届けたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 原案/桜場紫作画/やましたともこ
2021年04月28日上2人はスピード出産すぎたため陣痛がどのようなものなのかわからず、心の準備をする時間もバースプランの出番もなし。何が何だかわからないまま出産し、気付けばわが子は私の胸の上でした。今回3人目にして初めて「出産ってこうやって進んでいくのか」「陣痛なう!」ってこんな感じなのか、と実感しました。 そして、したかったことが全部叶った!と思えた出産のお話です。スピード出産すぎて陣痛がわからない1人目、2人目の出産時のことです。私はなんだかおかしい?と思い産院に行き、着いてから1人目は30分後、2人目は10分後に出産しました。到着時には子宮口全開、いきなり痛みMAXだったので、10分間隔、5分間隔のような「陣痛なう」というものを味わった経験がありませんでした。 母子健康手帳に記載されている分娩所要時間も1時間弱。雑誌で見る平均的なお産の進み方とはまったく異なり、「これから産むんだ!」という心の準備ができなかったこと、会陰切開の痛みやおっぱいトラブル、マタニティブルーなどの産後の体の変化についていけず、1人目のときは産後うつにもなりました。 3人目にして陣痛のイメトレ助産師さんと今回のバースプランを話していたとき、上2人の出産時間を伝えると顔色が激変!! 「陣痛何分間隔ではなく、少しでもおかしいと思ったら連絡してきてね」と言われ、改めて陣痛とはどんな感じなのかを経産婦のママたちに聞いたり、雑誌を見たりしながらイメージトレーニングしました。 妊娠38週ころから恥骨痛も限界に達し、出産予定日1週間前の夜中2時前、その“おかしい感じ”がついにやってきました。 これが「陣痛なう」!?おなかに違和感を覚え、間隔を計ると2分間隔。痛みはないものの、トイレに行くとおりものに血が混じっていたので、2人目の幼稚園のお弁当を念のために作ってから産院に連絡。「今までのことがあるから念のためにきてね」と言われ、家族を起こしてみんなで出発しました。 産院に着いて内診すると、子宮口が5cm開いているとのことで入院となり、その後破水。1人目・2人目のときと変わらず痛くもないし「生まれるのかな~?」と話していると、徐々に痛みが強くなり「これが陣痛なう?」と私は感動! 助産師さんは、私の「陣痛なう」発言に大笑いしていました。 次は「出産なう」! 「陣痛なう」発言からしばらくすると、どんどん痛みが強くなり、いよいよいきみ開始。分娩室は和室で、時代劇で見るような綱がぶら下がっていました。この綱につかまることで力が入りやすくなります。いきむタイミングで綱を引き、赤ちゃんの頭が出てくる感覚や痛み、「産んでいる」ということを3人目にして初めて実感しました。 そして、上の子どもたちも含めた家族に見守られて無事長女が誕生しました。性別を聞いていなかったので、女の子とわかった瞬間みんなで大喜び!! 初めての「陣痛なう!」を経験し、3人目にしてこうして陣痛が進み、出産が始まっていくんだと実感。そして家族みんなに立ち会ってもらい、バースプラン通りの理想の出産を体験することができました。心の準備をしながら出産に臨めたので気持ちも穏やか、心身ともに産後の回復が一番よかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/石井けいこ作画/やましたともこ
2021年04月21日赤ちゃんが生まれて1カ月間の間、「睡眠不足」や「赤ちゃんが泣いている理由がわからない」ことに悩んだというママの体験談です。待ちに待った赤ちゃんとの対面は、今まで味わったことのない感動と幸せを覚えました。しかし休む間もなく育児が始まります。初めて経験する育児に戸惑ったものです。今回は出産から1カ月の間に悩んだこと、振り返って感じたことをお伝えします。「私、育児に向いていない…」そう思った1カ月間赤ちゃんが生まれて1カ月間、一番つらかったことは、「睡眠不足」です。そして「赤ちゃんが泣いている理由がわからない」ことも大きな悩みでした。 さっき授乳したばかりなのに泣く赤ちゃんを見て「どうして泣いているの?」とイライラするばかり。ストレスもたまり、母乳も思うように出ません。何もかもが悪循環に陥っているようで、「育児に向いていない」とまで思うようになりました。 誰でも最初は新米ママ出産から1カ月の間は、慣れない育児と睡眠不足の狭間でいろいろな壁に直面しました。家事をするのもひと苦労!「育児がスムーズに進まないのは、すべて私に原因があるのかもしれない」と気分は沈む一方でした。 でも、私と同じように初めての育児に励む友人たちの話を聞くと、つらい思いをしているのは自分だけではないことに気づきます。誰でも最初は新米ママ。自分を責める必要は1つもありませんでした。 何もかも完璧にこなす必要はなかった睡眠不足、母乳が出ないなど、出産直後の悩みはたくさんありました。それでも、悩んでいる間も赤ちゃんは成長していきます。出産から1カ月が過ぎると赤ちゃんが少しまとまって眠ってくれるようになった、母乳の出がよくなったなど、少し変化があらわれました。 時間が悩みを解決してくれることもある、そう感じました。だからこそ、何もかも完璧にこなそうとする必要はなかったのだと思います。 食材宅配などをじょうずに利用して、家事や掃除などの負担を軽減することも、自分が抱える負担を軽くするポイントです。ズボラでいることも必要だと割り切ることも大切だと思いました。 監修/助産師REIKO 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 原案/田中由惟作画/やましたともこ
2021年04月14日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 今日は、2人目のつわり「おままごと」バージョンのお話です。 オムツ替えや、ごはんの支度と比べると大丈夫そうなイメージのある「おままごと」。これが地味にかなりつらかった記憶があります。 というのも、時間が長い! N子はおままごとが大好きで、保育園がお休みの日は朝起きてから夜寝るまでほどんどの時間を「おままごと」をして過ごしていました。 プラスチックや木でできた色んな野菜、ケーキやアイスクリームなどのカラフルな食べ物を「どうじょ!(どうぞ)」とくれるので「ありがとう。モグモグ。おいしい〜♡」と返すのが私たちのおままごとの遊び方でした。 2人目のつわり中も容赦なく続くN&Me(私)のおままごと。プラスチックや木やペンキ?の匂いがつらく、私が途中でトイレに駆け込むのですが、N子もトイレについてきて「どうじょ!(どうぞ)」とトイレの中でもおままごとが続いたのでした。 ありがとうNちゃん。モグモグ。あ〜おいし〜♡ おろろろろ〜! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年02月03日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 2人目のつわり「オムツ替え」バージョン。次女KTを妊娠中のつわり時期、オムツ替えはとても大変でした……。 特に大のほうがキツかったのは間違い無いのですが、大小問わず、オムツ替えをすると吐いてしまうので、N子のオムツが満杯でハチのお尻みたいになってるのを見かけても尚、オムツ替えの一歩を踏み出すのをかなり躊躇してしまっていました。 時には今からオムツを替えるんだと想像しただけで気分が悪くなり、意味の分からないN子を残して1人トイレにダッシュしていました。 そのN子のハチのお尻のオムツを幾度となく見かけたバァバ様が「可哀想だから早く替えてあげて!」と再々注意してくれていましたが、当時は心にも体にも余裕がなかったので、オムツの限界までN子には我慢してもらっていました。ごめんねN子。心の底からアイラビューよ♡そして高性能オムツを作ってくれているオムツメーカーの皆さま、あなたたちの誠実なお仕事のおかげで私たちはとても救われています。これからも人々を助けるステキなお仕事頑張ってください♡ イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年01月27日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 1人目のつわりは、仕事の兼ね合いがあったものの、自分のことだけ考えることができました。休みたい時は休み、トイレで過ごしたい時は過ごし……と本当に、自分勝手に過ごすことができました。ところが2人目のつわりは、そうはいきませんでした。2人目というからには、当たり前ですが1人目がいるわけで、私の場合はその1人目は2歳のN子でした。まだオムツも取れていないN子の育児をしながらのつわり、それは思ったより、もっと、ずっと、とても大変な経験でした。 今日は2人目のつわり「ご飯の支度」バージョンです。 私はつわりで食べれないからといって2歳のN子の食事を抜きにするわけにいかず、食事の時間になるとヨロヨロとキッチンへと向かうのですが、冷蔵庫をあけて「うっ」、食材を切りながら「おろろ〜」、それを調理しながら「おろろ〜」と清潔であってほしいキッチンで数分おきに嘔吐しながらの食事の用意でした。 でき上がったご飯も「はいどうぞ」と渡して勝手に食べて欲しいところでしたが、N子はあまりご飯を食べない子だったので、普段からあの手この手で私が食べさせていました。 という訳で、「はい、あ〜ん、あ、ちょっと待って」「おろろ〜!」「ごめんごめん、もう1回あ〜ん」「おろろ〜!」と、ただでさえ大変だった食事の時間がいつもの2倍も3倍もかかっていたのでした。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年01月20日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 長女N子が2歳になる少し前くらい、次女KTの妊娠に成功しました。その少し前に、婦人科の健診で、何の相談もしていないのに「年齢的に自然妊娠の確率が低いから2人目考えてるんやったら不妊治療する?」と先生に言われた後だったので、喜び倍増だったのを覚えています。 2人目ということで、勝手にN子のときに一通り経験したことの繰り返しだろう!と思い込み、特に何も心配してなかったのですが〜 で、す、が〜 そんな甘いことを考えていた矢先に、N子の妊娠のときにはまったく経験しなかった「あること」が起こり始めたのです。 いや、正確には、N子の妊娠のときにもガッツリ経験したのですが、そのときとは状況がまったく違っていたのです。その「あること」とは。。。。。「2人目のつわり」です。 私の場合、同じつわりでも状況が違うだけで何もかもがまったく違いました。次回はその「2人目のつわり」についてお話を描かせて頂きたいと思います。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年01月13日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 長女N子が熱性けいれんを体験したことで「うちも!」「うちの子も!」と、同じく子どもが熱性けいれんを起こしたことのあるお父さんお母さんから沢山の熱性けいれん談を聞かせて頂く機会がありました。 色んな方に色んな話を聞いたのですが、その中で、パピーちゃんのお父さんの麻雀仲間の70歳くらいのおばあちゃんから「おっめでとう」と言われました。 熱性けいれんでおめでとう?って聞き間違いかと思ったのですが、そのおばあちゃん曰く、熱性けいれんを起こす子は繊細できめ細やかなので何でもできる大物になるとのことでした。実際、そのおばあちゃんの息子さんは今は東京の某有名芸能事務所の社長さんをしているとのことでした。(※このおばあちゃんの個人的な意見です。医学的な根拠は一切、全く、1ミリもございません)。 現在9歳になった長女N子。今のところ、かなりの大味で「繊細さ」や「きめ細かさ」とは無縁の子どもに仕上がっていますが、熱性けいれんを起こした当時は、何度もけいれんを繰り返すことがあるという恐怖からネガティブな感情しかわかなかったので、そのおばあちゃんのポジティブで温かい言葉は、気休めでもとてもうれしかったです。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2021年01月06日3人目の出産後は授乳も入院生活も慣れたもので、「早く自宅に帰って上の子どもたちに赤ちゃんを会わせたい」。そんなことを考えていました。でもそんなことを言っていられない事態に……。私たち家族にとって大きな試練となった、娘が“心室中隔欠損症”だと言われたときの体験談を紹介します。 切迫流・早産を経て早く生まれた娘3人目の妊娠で切迫流・早産で長期入院をし、安定していたとは言えないものでしたが、夫と子どもたちとの面会時間を楽しみに約4カ月の入院生活を家族全員で乗り切ろうとしていました。そして迎えた妊娠36週5日。正期産を目前に、あと少しでおなかの子どもと上の子どもたちにも会える。楽しみなことしかない!と思ってワクワクしながら眠りにつきましたが、おなかの張りが痛みを伴うものになっていました。あっという間に帝王切開にて出産した私は、生まれたばかりの赤ちゃんに何も問題がないことを聞き、安心して眠ったことを覚えています。 え?「心室中隔欠損症」って何?娘が生まれて安心していたものの、生後5日目に小児科の先生から「心臓の音に雑音が聞こえる。追加の検査が必要」と言われ、改めて検査をすると「心室中隔欠損症」と診断されました。「心室中隔欠損症」は簡単にいうと右心室と左心室の間に穴が空いている状態。心室中隔欠損症は特に珍しくなく、たいていは小さな穴で自然と閉じることが多いそうです。しかし、娘は穴の位置が大動脈弁の近くにあり、穴自体は大きくはないけれど弁が変形しているとのことでした。弁が変形することで血液の逆流があり、本来なら送り出されるはずの血液が戻ってきてしまうそう。そのために「早い段階で手術が必要になる」との説明を受けました。 小さな体で挑んだ手術循環器小児科のある大学病院で心臓疾患の専門医が詳しい検査をしました。そして、泣きながら手術の説明を聞いていた私に、先生は「お母さん。これは生き死にのための手術ではなく、元気に生活するために必要な手術だと考えてください。だからそんなに不安にならず、一緒に戦ってあげてください」と声をかけてくれました。この言葉でとても勇気づけられました。娘が生後8カ月のとき約6時間の手術の時間、不安な気持ちを抑えつつも無事に手術が終了。ICUへ移された娘はまだ意識こそ戻っていなかったものの元気だと教えてもらい、とても安心したのを覚えています。 手術後は2〜3週間の入院予定のところ、娘は1週間で退院という脅威の回復力を見せてくれて、1歳になった現在も元気に過ごしています。娘が心室中隔欠損症の診断を受けたことも手術を受けたことも、ショックなことでした。でも、家族全員で乗り越えられたこと、家族の笑顔や健康の大切さに改めて気づかせてもらえたことはかけがえのない経験になりました。身をもって教えてくれた娘にはとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/三上美咲作画/やましたともこ
2020年12月30日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 今回、わが家の長女N子が1歳のときに経験した「熱性けいれん」という病気。 発熱から24時間以内に起こることがほとんどらしく、何の前触れもなく突然!と感じる人が多いと聞きました。更に、小学校へ上がるくらいまで何度も繰り返す子も少なくないと教えて頂きました。(実際、N子は合計3回けいれんを経験しました)。 そこで、もし又けいれんが起きたら、どうしたら良いのか保育園の先生や救急隊員の方や救急病院の先生にお話を聞いたので、そのことを描かせてください。 私が教えてもらったポイントは3つでした。1。時間を計る2。手足が左右対称に動いているかどうか3。目がどうなっているか いきなり子どもがけいれんを起こしたらパニックでそんな余裕はないと思いますが、上の3つのポイントがけいれんの種類や他の病気ではないかなどを判別するのにとても大切なことだと聞きました。今だと携帯で撮影するのも病院で経過を説明する際に役立つとネットに書いていました。 何もないのが一番ですが、いざという時のために何となくでも頭の片隅に置いといて頂けるとうれしく思います。 あなたのお子さまがけいれんを起こすタイプではありませんように♡ イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年12月30日うちの家族、個性の塊です
夫婦・子育ていまむかし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々