わが子が2歳になったばかりのお正月のこと。夕食のときにふざけていて、床から高さ30cmくらいの椅子から転落するという事故がありました。夜中まで泣いて眠らないので、異常を感じて救急病院を受診することにしました。椅子の上から転落年末年始の帰省から帰ってきて、家で夕飯を食べていたときのこと。ふざけて椅子の上で遊んでいたわが子が、バランスを崩して床の上に落ちました。 ワーッと大声で泣いたのでとりあえず安心し、一度は泣き止んだので朝まで様子を見るつもりでしたが、夜中に泣いて痛がるので救急病院を受診することに。 肘を抑えているので「もしかしたら落ちたときに肘を打ったのかも?」「こんなに痛がるのだから、骨が折れたのかも?」と、不安な気持ちでいっぱいでした。しかし、休日で夫が一緒にいてくれたのが唯一の救いでした。 夜中の救急病院へお正月に加えて夜中だったので、救急病院はとても混んでいました。事故があったのか救急車で運ばれて来た人がいたらしく、待っている家族で待合室はいっぱい。さらに、具合が悪くて吐いている人もいて、「ここでノロウイルスやほかのウイルスをもらってしまったらどうしよう……」と、ビクビクしていました。 わが子は泣き疲れたのかぐったりしていて、それでも痛いのを思い出したように急に泣いたり、少し眠ったり、かわいそうで見ているのがつらかったです。 肘の骨にヒビが?やっとわが子の番になりホッとしたのもつかの間、先生が様子を見るために腕を曲げたり引っ張ったりするので、わが子は今までにないくらい大声で泣きわめき、吐いて、私も動揺してしまいました。 レントゲンも撮りましたが、「折れているかどうかよくわからない」とのこと。子どもの骨は小さくて、写らない部分もあるのだそうです。「もしかしたら、この部分が少し欠けているのかもしれませんが、ちょっと何とも言えません」と先生。念のためギプスを3カ月ほどつけ、週に1度通院し、特にひどくなることもなく完治しました。 治療なので仕方のないこととはいえ、小さな体に放射線を当てたりギプスで固定したり、「成長に影響があったらどうしよう」と心配でなりませんでした。医師から「心配ない」と説明があっても不安でした。また、あのとき目を離さなければ……と、とても後悔しました。結果的には大事にはならず、問題なく順調に成長しており、幸運だったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/やましたともこ監修/助産師REIKO著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2020年12月23日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 検査を終えて処置室に戻ってきた長女N子。検査で異常はなかったものの、まだまだ脳がお疲れだったようで、またウトウトと眠りにつきました。保育園からずっと付き添ってくれた担任の先生とここでお別れして、私は、引き続きN子が目覚めるのをベッドの横に座って待ちました。 N子の両隣りも子どもだったようで、左からも右からもカーテン越しにお母さんたちの声が聞こえてきました。右隣りのお母さんは眠る子どもに歌を歌っているのが聞こえてきました。きっと、お子さんが大好きで普段からお母さんと一緒に歌ったりしてるんだろうなとか、そんなことを考えると、こみ上げてくるものがありました。 N子は大丈夫だったのですが、その右隣りの子は入院しないといけない状態だったようで旦那さんに電話で経緯を説明しているのが聞こえてきました。 今日、N子以外にも救急車で運ばれた子どもがいたんだ……。ドキドキしながら一緒に救急車に乗り込んだお母さんがいたんだ……。救急病院では、毎日毎日こんなことが起こっているんだ……。 N子が目覚めるまでの間、N子の顔を見ながら、両隣りのお母さんたちの声を聴きながら、色んなことを考えました。 子どもが病気とか……子どもが救急車とか……(←救急車を呼ばなければいけない事態に陥ることのつもり)世の中からなくなればいいっ!!!!!!!!と心の底から思いました。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年12月23日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 長女N子が1歳のとき、保育園から救急車で近くの救急病院に運ばれたときのお話です。検査を終えたN子が救急用の処置室(?)みたいなところに戻ってきました。物忘れが異様に激しい私ですが、この時のN子の顔は今でも鮮明に覚えています。真っ赤な顔で目を開ける体力がなく、必死に目を開けようとするも白目。首も頭を支えるのがつらいのか、ずっとフラフラと揺れていました。それはまるで私が小さかった昭和の時代、近所の薬局にあった首ふり人形のようでした。 見た感じ若くって研修中なのかな?くらいの男の先生が、検査で異常がなかったので入院の必要はなく、しばらく休んで家に帰ってもいいと説明してくれました。 病院の先生が大丈夫って言うてるから大丈夫なんやろうけど、なんかちょっと笑ってるし「ホンマに〜〜〜!?」ってなりました。 ちなみにN子、この後5歳くらいまで何度か痙攣を繰り返すことになるのでした。 とほほ。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年12月16日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 救急車がやっと近くの救急病院に到着すると、N子はストレッチャーではなく救急隊員さんに抱っこされて検査に行きました。 付き添いの私たちは救急診察用の待合室に案内され、そこで待機することに。 保育園で何があったのかバクッと説明はしてもらってたものの、私はびっくりしすぎて「頭を打って救急車」くらいしか理解していなかったので、再度、担任の先生から何があったのか、救急隊員の人とどんな会話をしたのかを、その待合室で説明してもらいました。 そこでやっと分かったのですが、救急車を呼んだのは「頭を打った」からではなく「けいれんを起こした」からだったことが分かりました。 そして、けいれんの時間が短かったことやその他諸々の症状から「命に別条はないらしい」ということも分かりました。 よかった〜 よかった〜〜 超よかった〜〜〜〜 とりあえずひと安心♡ イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年12月09日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 保育園から近くの救急病院に行く救急車に一緒に乗り込んでくれた担任の先生と園長先生。 長女N子が倒れたところを目の当たりにした中堅クラスだと思われる担任の先生の手がプルプルと震えているのに気づいて、そんなにヤバい状況なの?と恐怖を感じました。 震える担任の先生の隣には定年間近の超ベテランの園長先生が……。 ど〜〜〜〜ん! どどど〜〜〜〜ん!!! 決して大きくなかった園長先生でしたが、どっしりと落ち着いたその様子は、まるで奈良の大仏さんのようで、見ている私にすごい安心感を与えてくれました。さすがベテラン!素敵すぎ〜♡ イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年12月02日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 引き続き、長女N子が初めて救急車で運ばれたときのお話です。園長先生と担任の先生と私の3人で救急車に乗り込んだのですが、ふと担任の先生を見ると、先生の手がプルプルと震えているのに気づきました。完全完ペキだと思っているプロの先生の手が自分の子どもが原因で震えてるっていうのは、なんだかとてもショッキングな光景でした。 この先生、何年目の先生なんだろう? まぁまぁ中堅だと思っていたけど、初めての経験なんだろうか? この先生の手が震えるくらいに、とても珍しくて、とてもヤバい出来事なんだろうか? ただの病気ではないんだろうか? ただの怪我ではないんだろうか? すぐ治るの? 絶対治るよね?? 違うの??? 病院に着くまでの5分くらいの道中で、私がきたのにも気づいていない程に憔悴しきったN子の顔を見ながら、色んなことが頭をぐるぐると回っていました。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年11月25日孫かわいさに子ども服を大量に送ってくれるお義母さんの行動にストレスを感じてしまった新米ママの体験談です。口ではお礼を言いつつも、なぜかいつもモヤモヤした気分だったようです。娘が小さいころ、義母はよく洋服を買って送ってくれていました。私は受け取るとまず娘に着せて写真を撮り、「いつもありがとうございます」とお礼のメールをしていました。でも肝心の「もう結構です」のひと言が言えず、いつもモヤモヤ。今では笑い話なのですが、新米ママでもあった当時は本当にストレスを感じていたのです……。 とにかく量が多い!義母が「服を送る」という場合、靴下4足、タイツ2足、セーター3着、スカート4着、コート1着という「福袋?」とツッコミたくなるほどの量で送ってきます。しかもサイズはいつも大きめ。「ジャストサイズになってきたかな?」というころには季節が変わり、まったく袖を通す機会がないこともよくありました。 「かわいい服を見るとつい買っちゃうのよ」という義母の気持ちはわかるのですが、季節とサイズの合ったワンピースを1枚だけ送ってくれるほうがよっぽどありがたいのに……といつも思っていました。 フリル尽くしの服が多くて…普段はシックな色合いを好み、センスのよい義母なのですが、孫の服となると話が違うようでした。色味も柄も私ならば決して選ばないようなインパクトの強いものばかり。特にフリルにこだわりがあるのか、ありとあらゆるものがフリル付きでした。 スカートはもちろん、靴下の履き口、Tシャツの裾や襟ぐりにいたるまでフリル尽くし。当時の娘はこんがりと日焼けしていて髪も短く、お世辞にもフリルが似合う見た目ではなかったのですが、きっと義母には違うように映っていたのでしょう。 英字プリントが気になってしまう当時は夫の海外転勤で英語圏で生活していたので、英字プリントの服に困った経験も。あるとき「Love me! Touch me! Feel me!!(愛して 触れて 感じて)」と印字されたTシャツが届きました。日本にいたらそこまで気にならなかったかもしれませんが、英語圏で暮らす娘に着せるのはためらってしまいました。 デザインとしてかわいいと思って義母が選んでいるのは理解できるのですが、せめて意味のチェックくらいしてほしかったな、なんて思ってしまいます。 今思えば義母が送ってくる服を、「娘に着せなければいけない」と私自身が思い込んでいたことがモヤモヤの原因だった気がします。気にせず私が着せたい服を娘に着せていればよかったのに、そうしない自分へのいら立ちから義母の行動をストレスに感じていたのです。娘が成長し自分で服を選ぶようになった今は、「そんなこともあったね」と笑い話になっています。 作画/やましたともこ著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。
2020年11月22日わが家のやんちゃな5歳と2歳の男の子2人は、電車が大好きな子鉄です。ある日「プラレールで作った特設レイアウトの線路を、自分の電車で自由に走らせることができる」というイベントに参加。そこで他の子がわが子の電車を勝手に使っている!と思い込み、赤っ恥をかいたできごとが……。反省と後悔だらけのエピソードをご紹介します。プラレールが大好きな子どもたち子どもたちは、私よりも駅や車両の名前に詳しい電車マニアです。おもちゃも電車関係の物が多くなり、なかでもプラレールには目がなく、珍しい車両をお店で見つけては「買って!」とおねだり。そんなある日、プラレールで作った特設レイアウトの線路を、自分の電車で自由に走らせることができるイベントがあるのを知りました。子どもたちにとっては夢のような企画。早速、お気に入りの電車を1台ずつ選ばせて会場に行きました。 よその子がうちの電車を使っている!?会場ではたくさんの子どもたちが楽しそうに自分の電車を走らせていました。早速、長男と次男もお気に入りの電車を走らせました。しばらく遊んでいると、自分の車両を持参していないお子さんが、長男や次男の電車を持って行こうとしたり、誤って落としてしまうことが続きました。こういったイベントではあるあるなので、お子さんたちに悪気がないのもわかっていますが、「これはうちの子の電車なんだ」「触りたくなっちゃうよね~」とやんわり伝えて返してもらっていました。そんなとき、また次男の電車を手に持っている子を見つけたのです。私はまた「ごめんね。うちの子のなんだ」と伝えると、そのお子さんのママが「うちのですよ」と言ってきたのです! 子どもとママさんに平謝り慌ててその子が持っている電車を見ると、車両は同じですがわが家のとは汚れ具合が違う……。実は次男の持ってきた電車は既に廃盤の電車でかなり珍しいものでした。そのため、まさか同じ車両を持っている子がいるとは思わなかったのです。名前入りのテープも貼っていたのですが、車輪側に貼っていたので気がつきませんでした。恥ずかしさと申し訳なさですぐに謝罪したところ、その子のママからは「全然大丈夫ですよ~」とやさしいお言葉。よく確認せずに、勘違いで注意してしまったことを後悔しました。 そのママさんがやさしい方で本当によかったです。そして勘違いで注意してしまったことは、思い出すと恥ずかしくなります。今後は思い込みではなく、よく確認してから行動に移そうと強く猛省したできごとでした。 原案/竹内優実作画/やましたともこ
2020年11月20日普段は穏やかな義父が、孫かわいさのあまり時々見せる暴走ぶりを目の当たりにしたママの体験談です。どう反応するのがママとして、嫁として正解なのか悩んでしまった過去を振り返っています。現在2人の子どもを育てているママです。義父はいつもジェントルな良識派。私たち家族にも干渉しすぎることなく、あたたかく見守ってくれる理想的なお舅さんです。でもそんな義父でも時折自分を抑えられなくなるのか、孫への想いが暴走することがあるのです。 写真館の予約は任せなさい義父にとって初孫となる娘のお宮参りを計画していたときのことです。神社でご祈祷後、両家で会食を予定していました。私は娘との初めての本格的な外出になることから、持ち物だけでなくおむつ替えの場所や授乳のタイミングに関して、事前に綿密な計画を練っていました。 ところがお宮参りの数日前になって突然義父が、「写真館の予約をしたから」と言い出したのです。お宮参り当日にスタジオで家族全員の記念撮影をしたいと主張する義父。記念にと思う義父の気持ちもわかりますが、私は娘への負担を考えてなるべく外出時間は短くしたいと考えていたので、「急に何を言い出すの!?」と内心不服でした。 ドリルと本を少し送りましたよ娘が文字を理解し始めた4歳のころ、義父から荷物が届きました。中身はドリルと絵本です。まだ娘はようやくひらがなを読めるようになった段階なのに、その先のカタカナ、文章の読み書きまでのドリルがそろっていました。事前に「ドリルと本を少し送りましたよ」と連絡はもらっていましたが「どこが少しなの!?」と突っ込みたくなるほどの量。 ありがたくは思うものの、結局のところ娘にドリルをやらせるのは私……。毎日の子育てで余裕がなかった私は、なんだか余計な仕事を押し付けられたような気がしてしまい、どっと疲れてしまいました。 通信教育を申し込んだからさらに娘が大きくなり、小学校入学が目前に迫ったころ。義父が独断で娘のために通信教育教材を申し込んだのです。さすがにこれには私も黙っていられず、夫経由で即解約を申し入れました。 義父の「孫のために何かしたい」という想いは十二分に理解しつつも、教育に関しては親である私たち夫婦が主導権を持つことを明確に示したかったからです。義父の想いを無下にした形になり心苦しくもありましたが、親として譲れない一線だったので後悔はしていません。 義父母がわが子へ干渉することを煩わしく感じてしまうこともありますが、私にとって大切なわが子は義父母にとっても大切な孫。関心を持って関わってくれることに感謝を忘れたくないと思っています。親としての譲れない一線は明確にしつつも、これからも義父母には一緒に子どもたちの成長を見守ってほしいです。 作画/やましたともこ著者:岩田美玲2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月19日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 保育園から救急車に乗り込み近くの救急病院へ。 救急車といえば、都会だけなのか日本全国そうなのかは不明ですが、受け入れてくれる病院がなく病院探しで1時間とかかかるイメージだったのですが、ラッキーなことに長女N子は保育園から車で5分かからないくらいの近くの救急病院で生まれたので、割とすんなりその病院が受け入れてくれました。 ラッキーと思ったのは束の間……やはり交通量の多い大阪市内。救急車の中から見た景色は、私が思っていたほどは超マッハで病院へ直行!という感じではなく、自転車でその道を通ってる時とあまり大差がないように感じました。 そういえば…… 近年、救急車が病院に到着するまでの時間が年々増加傾向にあるという記事を思い出しました。※救急車が病院に到着するまでの時間が増加傾向にあるのは、主に救急車の出動件数の増加に伴っているらしいとも聞いたので、交通量は関係ないとは思いますが、そのときは気が動転していて、その記事のことを思い出してしまったんです。 まだN子の状態がよく分からなかったので、私の気が急いて、長く感じただけなのかもしれません。 Nちゃん、私の可愛いNちゃん、頑張れ〜〜〜! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年11月18日陣痛は痛かったですが、赤ちゃんに会えるうれしさのほうが強く、なんとか耐えられました。しかし出産時に会陰切開となったため、今度は産後の傷跡の痛みが待っていたのです。出産直後だけ痛いと思っていた私は、数週間ほど傷の痛みとたたかうことに……。会陰切開をして傷の痛みとたたかい、その後傷が回復するまでをお伝えします。出産時、会陰切開が必要に!陣痛が始まって病院に着いたときにはすでに子宮口が7cm開いていたため、慌ただしく出産の準備がおこなわれました。こんなにも一気に子宮口が開くと思っておらず、出産が近づく緊張と激しい痛みに自分を保つのに精一杯で、軽いパニック状態に。あまりの激痛にとにかく早く痛さから開放されたいという気持ちが一番でした。そこで、医師から「赤ちゃんが出やすくするために会陰切開をします」と告げられ……。「出産時に会陰切開をする場合がある」と事前に説明を受けていたので、心の準備はできていました。 会陰切開をし、いざ出産!医師からの「切りますね」の声とともに会陰切開をしました。一瞬チクリとしましたが、陣痛の痛みほうがまさっていて会陰切開の痛みはさほど感じず、医師からも「少し会陰切開をしましたが、裂けてはないので最小限で済みましたよ」とのこと。ひとまず出産を終えてホッとし、喜びに浸っていました。出産後の処置も終わって2~3時間経ったころ、次第におしりに違和感が……。出産時は緊張と興奮で高まっていた気持ちが落ち着き始め、次第に痛みへと変わっていったのです。 退院後も1カ月近く続いた痛み出産後から会陰切開の傷が痛み、ドーナツ型の穴あきクッションに座る毎日でした。入院中、同じ日に出産した人でも会陰切開をしていない人は普通に椅子に座ったり歩いたりしているのでびっくりしました。あとで経産婦の人に聞いた話では、会陰切開をしたのとしないのとでは出産後の痛みや傷の回復にかかる期間も異なるとのこと。産むまでのことしか考えておらず、出産後にこんなにも会陰切開の傷が痛いとは思いませんでした。それから1カ月近く違和感や痛みが続くことになったのです。 痛みの感じ方や長引き方は人それぞれと頭ではわかっていたつもりでしたが、実際に自分が経験することで、こうも違うのかと痛感しました。第二子のときには少しでも産後の痛みを軽減するために、会陰切開をしないで済むよう、妊娠後期から会陰マッサージしたりしました。その効果あってか、第二子は会陰切開をせずに出産し、第一子のときよりも出産後の痛みはなく、経過も順調で身動きがとりやすかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/福山あかね作画/やましたともこ
2020年11月13日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 前回378話で、保育園の長女N子がけいれんを起こして、倒れて頭を打って救急車を呼んだ、との連絡を受けた私。 ドキドキしながら保育園に向かい、担任の先生に誘導されて救急車に乗り込みました。 そこには、真っ赤な顔で吐いている小さなN子が救急隊員のおじさんと2人で私の到着を待っていました。 Nちゃん…… 映画を見終った時みたいな浮遊感はすごかったけど、すごく冷静で澄み切った気持ちでその光景を見た気がします。 何よりも、けいれんだか、頭を打っただかよく知らんけど、そんなことより、超超超人見知りで他人(特に男の人)との接触を激しく嫌うN子が、最悪な体調のときに、あの狭い空間に見知らぬ男の人と2人っきりでいたことに、大丈夫なのか!?という気持ちになりました。 大丈夫よNちゃん、マミーが来たよ♡ 救急車よ!早く、早く、病院へ〜〜〜!!! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年11月11日出産のときは全身の力を振り絞っていきみます。そのときに「一緒にうんちが出てしまったりしないのだろうか?」と私は出産前にとても心配になりました。夫の立ち会い出産を希望していたので、なおのこと不安でした。仕方のないことかもしれないけど、やっぱり恥ずかしかったからです。ここではそんな私の出産体験談をお話ししたいと思います。陣痛はおなかを下した痛みに似ていた私は妊娠40週2日の夜中に陣痛が来ました。それは腸が収縮するような感じの痛みで、おなかを下したかな?と思って何度かトイレに行きました。けれども何も出ず、定期的に下腹が痛むのでようやく陣痛だと気がついたのです。陣痛の痛みはおなかを下したときの痛みに似ていると思いました。そして、これでは分娩室に入ったときに本当に便意があったとしても、その感覚がどちらかよくわからないだろうなと感じたのを覚えています。 入院してすぐに浣腸をしたかかりつけの病院では、産前の処置として浣腸することが決まっていたため、私も入院してまずその処置をしてもらいました。これなら出産時に排便してしまわないだろうと安心したのもつかの間、浣腸後にも便意をもよおし、我慢することが本当に苦痛でした。そして約15分くらい、陣痛の波と腸がぎゅるぎゅると動く痛みで脂汗が止まらなくなりました。トイレに行こうとしても、痛みでなかなか進めず、すぐそこにあるトイレがとても遠く感じました。 出産時にうんちがでることはよくあることところが私は出産までに時間がかかってしまい、気づけば浣腸をした日から2日が経っていました。助産師さんに不安に思っていることを話すと、「出産時にうんちが出てしまうことはよくあることだから、心配しないで。気づかないくらいにさっと処理します」と言ってくれました。その後、出産時にうんちは出ませんでしたが、もし出ても陣痛の痛みや子どもが生まれた喜びや興奮で、まったく気にならなかったかもしれないなと思ったのを覚えています。 助産師さんからは「よくあること!」と言われましたが、それでもかなり抵抗がありました。浣腸は大変でしたが、出産前にしたことで私はかなり安心できました。また、もし出てしまってもスムーズに対処してもらえるということを事前に教えてもらったことも、安心につながったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/山下 ひいこ作画/やましたともこ
2020年11月04日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 長女N子が1歳のときのお話です。 仕事中に保育園から電話がかかってきました。今までに何度か描かせて頂いたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、うちのN子は小さいころ、趣味・特技のレベルでとにかく頻繁に病気になっていたので、保育園からお迎えの電話がかかってくるのは全然珍しいことではありませんでした。 いつものように「またお迎えか〜」と思いながら電話に出たら、いつもとは違う緊張した声で主任の先生が長々と何かの説明を始めたのです。突然のイレギュラーな出来事に驚いて、先生の話をあまり理解できなかったのですが、キーワードとしては「けいれん」「倒れた」「頭を打った」「救急車」などなどの怖い言葉が聞こえてきたのを覚えています。 ドクン!となりました。とにかくよく分からんままに電話を切って、パピーちゃんに電話をしました。それから何だかふわふわとした夢の中みたいな気持ちで服を着替え、いつもの自転車でいつもの保育園に着くと、保育園の前に救急車が止まっていて、その横に園長先生と担任の先生が待ち構えていました。その保育園のただならぬ雰囲気にドキドキが止まりませんでした。 どうなるN子!次回に続く〜! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年11月04日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 何度か書かせて頂いたことがあるのでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、わが家の長女N子は小さい時に頻繁に熱を出していました。趣味ですか?ていうくらい、今週は月水金、来週は火木土、みたいな感じで病院に通っていたような記憶があります。そんなN子を見ていてずっと疑問に思っていたことがあります。 子どもって……熱でも寝ないの??? 全世界の全人類は共通して病気の時は寝るものだと勝手に思っていたのですが、ちょっと動けるようになってきた子どもたちって熱でも寝ないんですね。いや、もちろん人によるとは思うのですが、N子の場合、熱に強かったのか、例え39℃の熱が出ようと、40℃を超えようと、布団でおとなしく寝てくれることはありませんでした。マンガやドラマで小さい子どもが熱を出して苦しそうにハァハァ言いながら布団で寝ているのを読んだり見たりしたことがあったのですが、まったくもってその通りにはいきませんでした。実際のつわりを体験して、ドラマのつわりに対して思ったあの感情「んなわけあるかい!」の気持ちが再び湧き上がってきたのでした。(※N子が病気の時の個人的な感想です)。 みなさんのお子さまはいかがでしょうか? あなたのお子さまもN子と同じく熱でも活発に活動するタイプのお子さまでしたら、心の底から応援させてください。 ガンバ♡ イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年10月28日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 前回、長女N子が高熱を出しているときも普段の平熱のときと感じがあまり変わらないタイプの子だったという話を描かせて頂いたのですが、ところがどっこい、同じ親であるパピーちゃんの意見はまったく違っていたようです。 私があまり気づかないときでも「Nちゃんの顔が熱あるときの顔になってへん?」といって体温を測ったりしてました。そして、そんなときは結構な頻度でホンマに熱を出していることがありました。 そんな「よく気づく男パピーちゃん」曰く、N子は熱があると……(ちょこっと)美人になるらしい〜!いえ〜いラッキー!! というわけで、ちょっと美人度が増した発熱中のわが子が布団で休んでいるご機嫌なときを狙って、バシバシとがんがんに写真に収めていました。 気づいたなら看病!看病! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年10月21日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 わが家の長女N子は、3歳くらいまで本当にすごい頻度でいろんな病気になりました。 その都度、けっこうな高熱を出していたのですが……。 普段からあまり感情を表に出さないように見えたN子、病気のときでも同じでした。40℃を超える高熱でも、絶好調の平熱のときでも、見た目やアクションなどなどすべてにおいて感じがあまり変わりませんでした。 ご機嫌に遊んでるなと思っても42℃近い熱があったり、ぐったり疲れているなと思っても超平熱だったりと、すごく、すご〜〜く分かりにくかったです。早く「しんどい」とか「暑い」とか「おなかが痛い」とか、体の不調を自分で訴えれる年齢になってくれ〜と強く願っていたのを覚えています。 ちなみにですが、現在小学3年生になったN子、ほぼ病気をしない健康な子供に育ってくれました。N子の場合「赤ちゃんの時に病気がち=体が弱い子」ではなかったみたいです。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年10月14日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 前回、373話で水イボになってしまった長女N子。 先生に完治に1年くらいかかるんちゃうかな的なことを言われて、完治までの期間の長さに仰天した私。 保育園生活を送っていたので、他の子に感染らないように、普段は包帯、プールの時は長袖長ズボンというスタイルでの生活を始めました。まだまだ暑い日が続いていたので包帯や長袖長ズボンはかわいそうだなと思った記憶があります。 そんなある日、N子が40℃を超す熱を出して数日間保育園を休みました。 インフルエンザだったはずなのですが時期的にインフルではなかったかもしれません。曖昧でごめんくさい(←昭和のごめんの一種)。そして、その病気明けに、保育園の用意をするのに包帯をしようと思ったら、何個かあった水イボが1つもなくなっていたのです。すごくないですか?1年かかると思ってた水イボがものの数日間でゴーンしてたのです。ゴーン!※ゴーン(gone):物が消失した、なくなった、などの意味。 実際のところ、その病気と水イボとの関係は全く定かではないのですが、わが家では、水イボの菌だかウイルスだかが高熱で消滅したんではないか!と勝手な憶測をして、奇跡だ!ミラクルだ!!と大盛り上がりしました。 この出来事はわが家では今でも「インフルのミラクル」として語り継がれています。※N子個人のミラクル体験です。すべての人に当てはまるわけではありません。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年10月07日上のお子さんの自転車練習に夢中になってしまい、下のお子さんをひとりぼっちで遊ばせてしまっていたパパ。寂しくて泣き出してしまった下のお子さんに「ごめんね」と大反省した体験談です。私は4歳、2歳の息子、生後6カ月の娘のパパです。2人の息子とはよく一緒に公園へ行きます。長男は現在補助輪を外して自転車の練習中。その一方、ひとりでボール遊びをしている次男。気づけば長男の相手ばかりしてしまっていました。そんな次男に「いつも遊びに付き合ってあげられなくてごめんね……」と感じた体験談を紹介します。 公園に行くのが日課私と2人の息子は公園に行くことが日課の1つとなっており、仕事が終わって帰ると「パパ、公園に行くよ!」と元気よく迎えてくれます。仕事が遅くなってしまったとき、雨が降ったとき以外は毎日公園に行っています。 いろいろな遊具があるなかで、公園では2人一緒に遊びながら過ごすことが多いです。サッカーボールを蹴ったり、ブランコに乗ったり、滑り台で遊んだりしていました。 長男が自転車の練習を始め、ひとりで遊ぶ次男いつも公園では一緒に遊んでいた2人の息子ですが、長男が4歳になったときに補助輪を外して自転車に乗る練習を始めました。もちろん最初はうまく乗ることができず、私は長男につきっきり。 練習している間、私は次男がひとりで遊ぶ様子を遠目で見ることしかできませんでした。しかし、特に不満そうな表情もなく、ボールを蹴ったり追いかけたりして遊んでいたので、私も安心して自転車の練習に付き合うことができていました。 「もう帰る!」と泣く次男公園に行っても、私は自転車の練習に付き合うことが多くなりました。練習は最初の10分だけと決めて、その後は息子たちと3人で遊んでいました。しかし、いつものように自転車の練習をしていると、急に「もう帰る!」と泣き出す次男。理由を尋ねると、「自転車イヤ。にいにばっかり!」と……。 私はひとりで不満なく遊んでいた様子に安心していましたが、このとき初めて次男はひとりで寂しい思いをしていたことに気づきました。いつも遊びにつきあってあげられなくてごめんね……と思いました。 次男にとっては、公園ではいつも長男とパパと3人で遊んでいたにも関わらず、ひとりの時間が増えてしまっていました。「不満はないのかな?」と思っていましたが、やはり寂しく感じていたのだと申し訳なく思いました。これからは、自転車の練習中も次男に声をかけながら見守り、練習後は次男がしたい遊びで思いっきり遊んで寂しい思いをさせないようにしていきたいです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ著者:西川しょた普段は看護師として勤務する4歳と2歳の息子、0歳の娘の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2020年10月04日妊娠・出産は女性にとっても大きなイベントですが、迎える時期は人それぞれです。私は18歳で妊娠が判明し、19歳で出産をしました。妊娠を受け入れ、日々大きくなるおなかのように、少しずつ母として変わっていった当時の心境をお伝えします。18歳で妊娠判明。不安でいっぱいだった私が18歳のころ、体調がすぐれず、微熱程度の発熱が1週間ほど続いていました。生理も遅れていたため「もしかして妊娠?」と思い、妊娠検査薬で検査。陽性反応が出ました。 18歳だった私にとって、子どもができたことは「うれしい」という気持ちよりも、「不安」という気持ちのほうが勝っていました。もともと子どもがちょっと苦手だったこともあり、素直に喜ぶことができず、妊娠を受け入れることができませんでした。 私が出産を決めたきっかけ妊娠したことに対して不安が大きく、純粋に喜べなかった私とは打って変わって、子どもの父親である彼は「俺、パパになるんだ!」とこれまでにないくらいの笑顔で妊娠を喜んでくれました。 彼は不安がっている私の両手を握り、「産んでください」とやさしく言ってくれました。これから先、考えなければならないことがたくさんありましたが、彼のおかげで私は妊娠という事実を受け入れ、出産することを決めました。 「産んでよかった」と心から思った出産までは長いようであっという間でした。おなかの大きさが目立つほうではありませんでしたが、徐々に大きくなっていくおなかのように、徐々に母親としての気持ちが持てるようになりました。 初めての出産は過酷なものになりましたが、付き添ってくれた彼のおかげで心強く感じました。無事に子どもが生まれ、初めて産声を聞いたとき、感動のあまり彼は声を出して泣いていました。わが子を抱いた瞬間、私は「産んでよかった」と心から思いました。 不安だった妊娠・出産も今では懐かしい思い出です。18歳で母親になる道を選び、たくさん悩み、葛藤しましたが、今では2歳になる長男と3カ月になる次男がいます。子どもたちが大きくなったら、いつかこのエピソードを話してあげたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/木村えま作画/やましたともこ ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2020年09月30日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 長女N子が1歳の夏のお話です。 手だか足だかスッカリ忘れてしまいましたが、ある日、N子の体に丸くて小さい水菓子みたいな雰囲気のデキモノができていました。ちょうどプール真っ盛りの時期だったので、病院に行ってみてもらうと「水イボ」というものでした。 水イボ…… 聞いたことも見たこともない病気?だったのですが、そう言われてみれば確かに「水」みたいな「イボ」でした。 タオルとかを共有しなければ人に移るものではないらしく、長袖長ズボンでプールにも入れるとのことでホッと安心したのですが、その後の先生の言葉に驚愕しました。 な、な、なんと〜! 完治に1年近くかかるんちゃうかなとのこと。※この先生のN子の症状に対するご意見です。 先生この子、まだ生まれて1年ちょいしか経ってないんですけど〜!あんなグミより小さいデキモノを治すのに、N子が今まで生きてきた時間と同じくらいの時間をかけないといけないなんて!そして、真夏に長袖長ズボンはかなり暑いぜ先生!と衝撃を受けたのを覚えています。 いろんな病気があるもんだと驚いた水イボ事件でした……。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年09月30日息子も1歳になり、ひとり歩きも少し安定してきたころ、家の前で息子を遊ばせていたときに起こった事故でした。ほんの少し目を離した瞬間に息子が側溝に落ちてケガをしてしまい、私は息子の手当てをしながら自分の対応に後悔したのを思い出します。それ以来、たぶん大丈夫!と思わず、よりいっそう注意するようになりました。ほんの一瞬のことで思わぬケガにつながってしまうんだと実感した、私の体験談をお伝えしたいと思います。きっと大丈夫だろうという気持ちよちよち歩きの息子と一緒に、家の前のお花にお水をあげていました。私の家の周りには25cmくらいの深さがある側溝があり、カバーされていません。息子は側溝から離れた場所で、しゃがんで石を拾って遊んでいました。集中して遊んでいるように見えたので、ホースを片付けるために壁で遮られた庭へ一瞬だけ入りました。 ほんの5秒くらい目を離しただけでしたが、急いで出てきて息子に目をやるとまさに側溝へ向かって歩き、落ちる瞬間でした。「危ない!」 と叫び駆け寄りましたが届かず、息子は側溝に転落してしまったのです。 側溝に落ちてしまった息子側溝にうつぶせになる形で倒れ、息子は大泣き。慌てて抱き上げると、息子の口元が血で真っ赤になっていました。出血が多く、ぱっと見てどこをケガしているのかわからない程でした。 急いで家の中に入り流水で洗って改めて見てみると、上唇が5mmほど切れて、上唇の裏の筋が切れて出血している状態でした。タオルを押し当てて止血しながら、泣き叫ぶ息子を抱きしめて「手当してるから大丈夫だよ」と言うしかなく、ごめんねという気持ちでいっぱいになりました。 ほんのちょっと目を離しただけなのに傷が小さく、出血もすぐに止まったため、家で様子を見ることにしました。唇のケガ以外には打撲などはなく、少しほっとしました。ただ唇の腫れが引いて傷がふさがるまでの4~5日くらいの間、いつもはしっかり食べる大好きなごはんもひと口づつ食べては痛そうに顔をしかめて少ししか食べられず、見ているのがつらかったです。 ケガから半年以上経ち、話せるようになった息子は、その溝を見て「ここドーンって落ちた、痛い痛いよ」と言います。小さかったのに鮮明に記憶に残っているようで、本当に怖い思いをさせてしまったんだと胸が痛いです。ほんのちょっとだからと自分の用事を優先せずに、どうしたら息子にとって安全でベストかを考えて行動すべきでした。 ちょっとだからと済ませてしまいたい用事があったとき、私はそれを優先させてしまったために息子にケガをさせてしまいました。大事には至らなかったけれど、息子は怖い経験としていまだにしっかりと覚えています。1歳という活動範囲が増えていくけれどまだまだ理解が不十分な時期。自分で思っている以上に注意して見守らないといけないんだなと実感した私の体験談でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/山下 ひいこ作画/やましたともこ監修/助産師REIKO
2020年09月23日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 子どもたちに大人気のキャラクターたち!昔からいるワールドワイドに人気のキャラクターを始め、アニメのキャラクターなど、世の中には沢山のキャラクターグッズがありますよね。 長女N子が生まれる前の私は、そんなキャラクターグッズのことを「ないわ〜」と思っていました。もし将来、自分がお母さんになれる日がきても、絶対に手を出さないと……。 ところがどっこい!どこにいても、誰といても、いつなんどきもN子の心をガッチリ掴んで離さないあのキャラクターグッズたちは、日に日に、アラフォーだった当時の私の心にじわじわと染みこんできて、知らず知らずに「ないわ」と思っていた私の心をもしっかり掴んで離さないすごい吸着力をもった代物だったのです。 N子さんよ、狭い世界で生きていた超失礼バカなマミーにキャラクターグッズっていう新しい世界を見せてくれてサンキュー♡ あ〜くろみちゃんショルダーバッグ欲しい〜! イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年09月23日義父母にとって、待望の初孫である娘はとてもかわいがってもらっています。私自身も結婚当初から良好な関係を築けていますが、一度だけ困ったことがありました。今回はその体験と、私がとった対応法をお伝えしたいと思います。 服の趣味が合わない⋯娘が生後7カ月のころ、初めて飛行機に乗り、遠く離れた義理の両親の家へ連れて行ったときのことです。初めて孫が泊まりにくるということで、気合いを入れて準備してくれていました。家中をきれいに片付け、安全対策も万全にし、すごく安かったからと子ども服も10着ほど買っておいてくれました。とてもありがたかったのですが、洋服だけは困惑してしまいました。なぜなら、あまりにも私の趣味からかけ離れていたからです。私はシンプルな服を好むのですが、いただいた服は「愛ラブmama」と大きく書いてあったり、「向日葵」と刺繍された法被だったり……。外では着せにくいと感じるものでした。 反応に困ってしまった正直どう反応してよいか困りました。気持ちはありがたいけれど、あまり着せたい服ではない。しかもそれが大量にあるので、狭いわが家では収納にも困る。笑顔で受け取るべきか、でも喜んでいると思われて今後もずっと同じような服をもらうことになったらどうしよう……など考えてしまいました。とりあえずその場はお礼を言い、夜、夫と2人になったときに気持ちを伝えました。夫も私と同じように感じていたようで、今後は服はいらないと伝えてくれることになったのです。 義理の母に正直な気持ちを伝える翌日、夫が義母に伝えてくれました。しかし、実の親に対してなので遠慮がなく、「ダサい服はいくら安くてもいらない」と伝えてしまったのでヒヤリとしました。言い方についても、2人で打ち合わせておけばよかったと思いました。私もなるべく傷つけないよう言葉を選びながら「親戚からのお下がりがたくさんある」「初めての子どもなので自分たちも服選びを楽しみたい」と自分の気持ちを伝えました。義母は私たちの想いを理解してくれたようで、その後は肌着やおもちゃを中心に用意してくれるようになったのです。これらはいただいて本当にうれしいです。 趣味の合わないものをもらい続け、たんすの肥やしにするのも申し訳ないので、最初に意思表示ができてよかったと思っています。この一件後も、わが家と義理の両親はとても良好な関係を保っています。子どものことで「このようにしてほしい」というのは今後も出てくるかと思いますが、うまく気持ちを伝え、お互いストレスフリーでいられたらよいなと思います。 原案/仲本まゆこ作画/やましたともこ
2020年09月16日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 みなさん赤ちゃんが生まれる前と後、世の中にある物の見え方が変わったことはありませんか?しつこいようですが、私はカリスマだめママで、子どもを生むまでは世の中のお母さん事情について何も知りませんでした。 そして、世の中のお母さんたちが愛用している自転車の子ども乗せカバーや、大阪で大人気の傘ステンドだか傘ホルダー的な便利グッズのことを「ないわ〜」と思っていました。 もし将来、自分がお母さんになれる日がきても、手を出すことはないなと勝手に思っていたそんなグッズたち……。 実は、必需品でした。 しかも超ウルトラなめたらいかんぜよレベルの最高に必要な必需品でした。若かりし日の超失礼バカな私フルボッコです。 長女N子と次女KTが小学生になった今でも、雨の日はたまに愛用させていただいてます。本当にお世話になりました! 超ちなみにですが……大阪で大人気の傘スタンド類の便利グッズ。 ママ友で取り付けてない人は、ほぼほぼ見たことないですが、実は、傘を広げて使うと高い確率で道路交通規則に違反するらしいことが判明!そしてその事実にメーカーさんは困惑!!!らしいです。 その話を聞いて私も困惑しています。 イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年09月16日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 まだまだ暑い毎日が続いていますがお元気にお過ごしでしょうか?今週も性懲りも無く夏まつりのお話です。 担任の先生に会って少々緊張がほぐれたものの、全体的に圧倒的なアウェイ感を感じつつ恐る恐る園内を移動していた私。 ふと見てみると、同じクラスのお母さんたちが店番をしているのを発見しました。 329話他で登場したベテランのお母さんはソーセージを売ってたし、341話で登場したノーベル平和賞のお母さんはゲームコーナーで受付をしていました。355話の丸坊主のお母さんはカレー屋さんでカレーを売りさばいているのを見ました。 私はこんなにアウェイで、各コーナーをおどおどと徘徊しているだけなのに、あのお母さんたちは完全に祭りを盛り上げる側の一員としてそこに存在していて、同じクラスなのにこの差は何だ!と「すげ〜」を通り越して「超かっけ〜!!!」と思いました。 後々わかったことですが、そのお母さんたちは、N子と同じ0歳児のクラスではなく、お兄ちゃんお姉ちゃんのクラスでそれぞれ担当している店の店番をしていたようだったのですが、何はともあれ、子どもたちのためのイベントで、ああやってお手伝いをちゃんとできるお父さんお母さんは若かりし日に憧れた最強のアイドルレベルに輝いてますよね。超お疲れ様でした〜♡ (※このお話は、現在小学校3年生の長女N子が0歳児だった頃のお話です。) イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年09月09日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 今日も引き続き現在小学3年生の長女N子が0歳児だったころのお話です。 楽しい楽しい保育園の夏まつりでも、いつも通りの無表情を決め込んでいた長女N子。そんなN子が、急に「ん!ん!んん!!」と突然の盛り上がりを見せてきました。 何かを必死に指差していたので、彼女の好奇心をくすぐる何かがその先にあるんだ!と私もテンションをあげながら彼女の指差す先を目で追ってみると、そこには同じクラスのお友だちが! おぉ〜!!! 0歳児ながらも同じクラスの子のこと覚えてたりするんだなと、N子が社会と関わってることを嬉しく思いつつ、様子を観察してみると、N子得意の超至近距離での観察をじぃ〜〜〜とした後に、やっと少し笑ったような気がしました。 N子の初夏まつり、どのゲームをしてもクスリとも笑わなかった彼女がやっと笑顔を見せてくれて、いやいやながらも夏まつりに繰り出した甲斐があったなとうれしく思ったのでありました。 (※このお話は、現在小学校3年生の長女N子が0歳児だった頃のお話です。) <つづく> イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年09月02日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 担任の先生に出会って、やっと落ち着いて夏まつりを楽しめそうになった私。先生に教えてもらった通り、ゲームコーナーに移動してゲームを楽しむことにしました。 まずは、担任の先生もいたヨーヨーコーナー。年中さんや年長さんでごった返すビニールプールでやっと割り込めそうなスペースを見つけていざ初ヨーヨー!当然のことながら、釣り上げるこより的なものを水にぼったりとつけてしまい秒でちぎれて1個も取れず……。好きなの1個取っていいよと言われても1個を選べず立ちすくむN子。 次に、輪投げコーナー。ほぼ真上から投げさせてもらったものの奇跡の1個も入らず……。入っても入らなくてももらえるお菓子をゲット。 続いてはスーパーボール。これまたポイを水につけたまま獲物を狙って1個も取れず……。ヨーヨーと同じく1個選んでいいよと言われてもやっぱり1個を選べない。 終始相変わらずの無表情でゲームをしたり、ジュースを飲んだり……。初めての夏まつり、N子は果たして楽しんでくれてたんだろうか?今でも謎です。 (※このお話は、現在小学校3年生の長女N子が0歳児だった頃のお話です。) <つづく> イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年08月26日ベビーカレンダーをご覧のみなさま、こんにちは。高齢育児中のイラストレーター、やましたともこでございます。 保育園の夏まつりに遊びに来た私たち。 いつもと違って人でごった返す保育園の様子や、キラキラの進化系浴衣などにやられてスッカリ家に帰りたいモードになっていたそのときに、N子の担任の先生がN子を見つけてこっちに来てくれました。 やっと知ってる顔を見てほっと一息。 乳児のゲームはあっちで、食べ物とかはこっちが多いから一周まわってチェックしてみて〜と説明してくれました。 しかも、先生はヨーヨーコーナーを担当していたらしく「私ヨーヨーにおるから後できてな!」とN子を誘ってくれました。 「私ヨーヨーにおるから後できてな!」 私の地元では、ヤンキー系の先輩がお祭りの露店屋さんのお手伝いをしていることが多かったので(昔の話です。今は不明)、あの金髪の悪そうな先輩たちが言ってそうなそのセリフを、爽やかさ100%の保育園の先生から聞くギャップに驚きつつ、汗をかいて祭りを仕切っている先生たちにかっこよさを覚えました。 そして、初めてのイベントに震え上がっていた私には、その時の先生の安心感ったらなかったよね。先生のおかげで、帰りたい度がほぼ100やったけど、40くらいまでは下がったかな?て感じでした〜。 (※このお話は、現在小学校3年生の長女N子が0歳児だった頃のお話です。) <つづく> イラストレーターやましたともこの「脱力系ゆる育児日記」は、毎週1回お届けしています! 著者:イラストレーター やましたともこ高知県生まれ大阪市在住。お固い系の商社で働いた後に大胆転職。グラフィックデザイナーを経てイラストレーターに。おんなこどもをメインターゲットにヤングでゆるめなイラスト描いてます。
2020年08月19日お子さんが水ぼうそうで保育園を休まなければいけなくなってしまったとき、いろいろ手を尽くして仕事と子育ての両立をしたママの体験談です。しかし、母としてつらそうな子どもを他の人に預けて仕事に行く心苦しさを感じたようです。娘が水ぼうそうで、保育園を1週間休まなければならなかったときのこと。正規職員で休みづらい立場にあった私は、さまざまなつてを頼り、娘を預けて仕事へ。熱があってつらそうなのにママがそばにいてあげられなくて「ごめんね」と、頑張った娘に「ありがとう」と感じた体験談です。 突然の発熱と発疹娘が1歳のある日、発熱で保育園から職場に連絡がきました。その日はすぐに帰宅し早く休ませたのですが、夜のうちに手足やおなか、背中に発疹が出てきてしまったのです。 次の日、仕事を休んで病院へ。水ぼうそうという診断でしたが、困ったことにすべての発疹が乾燥して感染の危険がなくなるまでは、保育園に登園できないとのこと。目安は1週間……。翌日からの仕事のことを思うと、途方に暮れてしまいました。 仕事が休めない! 義母を頼る毎日突然の早退と休暇で勤務体制に穴を空けてしまったので、さすがに翌日も休むわけにはいきませんでした。さらに、それ以降の日も正規職員の私が出勤しないと仕事が回らない状況でした。夫も激務の職場のため、簡単には休めず……。 そこで、近距離に住む義母にきてもらい、娘を看てもらうことに。義母はとてもよく看病してくれて助かるのですが、まだ熱があって具合の悪そうな娘を置いて仕事に行くのは「ごめんね」と後ろ髪を引かれる思いでした。 最終手段は近所の人!!2日連続で看病にきてくれた義母でしたが、3日目は都合が悪くこれませんでした。しかし、私もその日こそ職場で大事な案件があり、午前中は休むことが難しかったのです。他の親族は頼れず、病児保育も登録しておらず……。 窮地に追い込まれましたが、ふと、日ごろから付き合いのある近所の人に頼れるかなと思いました。娘のことをかわいがってくれ、お宅にも遊びに行っていた関係だったので、無理を承知でお願いしてみたのです。すると、ありがたいことに快諾してくれ、ほっとひと安心でした。 ずっと一緒にいてあげられなくてごめんね娘は、近所の人に預ける日には、発疹が乾燥してきてあとわずかで完治の状態でした。朝、機嫌よく預けられたものの、仕事中「寂しがっていないかな」と心配でなりませんでした。 幸い、午前中で仕事を切り上げることができ、お昼には迎えに。娘は近所の人によくしてもらって元気に過ごせたようでしたが、「なかなか一緒にいてあげられなくてごめんね」と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 周りの手助けに恵まれ、娘を預かってもらって仕事を無事こなせたことは本当にありがたかったのですが、やっぱり具合の悪いときに、親がそばにいてあげられない時間が続いたことが心苦しかったです。それと同時に、日中ママがいないなかで義母や近所の人と落ち着いて過ごして、よく頑張ってくれたなと娘にも感謝でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月16日うちの家族、個性の塊です
夫婦・子育ていまむかし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々