同時期に妊娠し、出産予定日が2カ月違いの友人がいました。出産したら、お互いに出産祝いを贈り合おうということになったのですが…。同時期に妊娠した友人と、出産祝いを贈り合うことに第1子を妊娠していたときのお話です。なんと、同時期に友人も妊娠! 友人の出産予定日は、私の出産予定日の2カ月ほど前でした。そこで、お互いに出産祝いを贈り合おうね!と、約束をしたのです。 そうこうするうちに、友人が無事に出産。私は、出産祝いに何をあげるか散々悩みましたが、姉からのアドバイスを参考に、必ず使うものであり、見た目のインパクトとかわいさを兼ね備えた「おむつケーキ」をプレゼントしました。 それから2カ月後、私も出産。後日、「おむつケーキ」を贈った友人から、お祝いをいただきました。「何だろう?」と開けてみると、なんと頂いたお祝いは「現金」だったのです。しかも、私が贈ったプレゼントの2倍の額でした…。 プレゼントを見た途端、私が思ったのは「産後で忙しくて、プレゼントを選ぶ時間がなかったんだろうな」ということと「正直現金の方がありがたいよな…」ということ。そして、このお祝いの差に焦りを感じ、「もしかしたらおむつケーキは迷惑だったのでは…」と友人への申し訳なさでいっぱいになりました。 さらに私は、産後の疲れもあってか、友人は「お祝いは現金が欲しかったよー」と遠回しに伝えるために現金をくれたのでは…?など、かなり後ろ向きな考えになってしまって…。というのも、これまで、贈り物をするときは相手の顔を思い浮かべて、相手の好きな物を自分なりに分析しながら、どれにしようか選んでいたので、現金を贈るという発想がまったくなかったのです…。 ともかく、これでは「不公平すぎて申し訳ない!」と思い、その友人には内祝いでかなり高額な物を贈ることに。すると、「こんなに高価なもの貰っていいの!?」と友人に驚かれてしまい、今度は「高価すぎて逆にモヤモヤさせてしまったか…」と、最後までスッキリしないお祝い交換となったのでした。 作画/加藤みちか著者:春田ちえり
2024年04月25日都会での子育てを前提に、産後の楽しいことばかりを考えて過ごしていた妊婦時代。出産予定日まで残り2カ月を切ったある日、突然夫から1本の電話が。話を聞くと、衝撃的な内容に私は思わず絶句してしまったのです。 地方転勤なんて聞いていないよ!私は出産するまで都市にしか住んだことがなく、妊娠中も都市での子育てを前提に近くの支援センターを見学したり、先輩ママとの交流を深めたりしていました。夫は転勤族でしたが当面は転勤の予定もなく、仮に転勤があったとしても主要都市だと言う夫の言葉を信じて疑いませんでした。 しかし出産予定日まで残り2カ月となったとき、夫から1本の電話が。「ごめん。転勤になった! しかも地方だった」という夫の言葉を聞いて、私は目の前が真っ暗になりました。 夫の転勤予定の地は夫の会社内でも「陸の孤島」と噂されていて、都会からのアクセスが非常に悪く、車がないと身動きの取れないような場所。ペーパードライバーの私にとって、交通手段を断たれたようなものでした。 想像していた以上に孤独な地方での子育て幸いにも里帰り出産することが決まっていたので、里帰り先での生活は不自由なく過ごすことができました。地方に行くことが恐怖にしか思えず、ずっと実家にとどまっていたいとさえ思うことも……。子どもが生後3カ月になり、私たち親子も夫の待つ地方に向かう時が来ました。 地方での生活は想像していた以上に孤独で、車社会であったことから町を散歩していても人が歩いている姿はほとんどありませんでした。私は長年のペーパードライバーなので、泣き続ける子どもを乗せて運転の練習をする勇気もなく、孤独な生活に耐える毎日。誰もいない道をベビーカーに子どもを乗せて散歩していると、寂しさから不意に涙が流れることもありました。 運命を変えた! 同じ境遇のママとの出会い子どもが生後5カ月のころ、私は孤独な毎日を変えたいと思い、支援センターやママの集まりなどを必死で探しましたが、どこも遠くて車で通うことが前提の場所ばかり。唯一、近所の公民館で「0歳児親子向けのリトミック教室」が新規開催されることを知り、即座に参加希望の連絡をしました。 ドキドキしながら教室に参加すると、そこにいたのは私と同じ転勤族のママたち。境遇が似ていることもあり、すぐにみんなと打ち解け、たくさんのママ友ができました。毎週リトミック教室に通う時間がとても楽しみで、レッスンを受けているときは孤独を忘れることができました。 地方育児もなかなか楽しいママと育児の悩みを共感しあったり、気分転換に一緒にランチをしたりできるまでになり、孤独だった育児が楽しい毎日へと変わっていきました。そして、今まで知らなかった地方のグルメやおすすめスポットを、ママ友たちと一緒に開拓するようになりました。 地方育児の良いところは、なんといっても自然がいっぱいでのんびりと子育てができるところ。毎日泥んこで元気に遊んで、家の玄関にカブトムシが止まっていたことも! もっと地方育児を楽しみたいという思いから、勇気を出して運転の練習もして行動範囲が広がり、ますます地方育児が楽しくなりました。 地方で育児を始めた当初は、地方の悪い面ばかりに目が行き、地方育児をまったく楽しめませんでした。当時、孤独な生活から私たち親子を救ってくれたママ友たちには感謝してもしきれないほどです。自然たっぷりの地方環境でママ友たちと協力し合いながら子育てできたことは、自分にも子どもにとっても良い経験となりました。 イラストレーター/ちひろ著者:斉藤菜々子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月13日近くのクリニックで無痛分娩を予定していた私。出産予定日の1週間前に夫が新型コロナウイルスに感染してしまい、クリニックから遠い県外の実家に避難することもできず、隔離生活をすることに。その後、夫の隔離解除の日の夜中に破水し、病院に行ったところ、私も新型コロナ陽性になっていました。 どうしよう…破水の2日前に鼻詰まりで病院に行ったときは、新型コロナとインフルエンザの検査をしてもらい、陰性でほっとしていましたが「新型コロナ陽性だとクリニックでは出産できず、大学病院に転院」と言われ、クリニックで探してもらい、大学病院に行くことに。 しかし、そこでは無痛分娩ができないため、緊急帝王切開をすることになりました。予想外の出来事に心が追いつかなかったのですが、赤ちゃんの安全を第1に考え、緊急帝王切開をしました。ただ私が新型コロナウイルス感染症だったので、赤ちゃんの生まれた声しか聞けず、顔も見れずに10日。毎日泣いて過ごしました。隔離中、やさしい看護師さんや、助産師さんが赤ちゃんの様子を教えてくれたり、私のスマホに写真や動画を撮ってきてくださったり、会えない分、寄り添ってくれました。10日後赤ちゃんに会えたとき、涙が止まらなかったです。大学病院の方に感謝の気持ちでいっぱいです。(女性/40代/会社員) 作画/加藤みちか 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月29日出産予定日を迎え、徐々に痛みがついてきた陣痛。長男と次男のときは、陣痛の前に激しい下痢があったので、3人目も同じだろうと思っていました。しかしいつになっても便意らしい兆候が現れず、そのまま病院へ行くことに……。案の定、お産中に初めてうんちをしてしまった私の体験談をお伝えします。 私とは無縁! 出産時のうんち友人たちが出産トークをするとき、よく耳にしたのが「出産時にうんちをしてしまった」という体験。しかし、当時の私は「自分とは無縁な話」だと感じていました。実際長男と次男を出産するとき、陣痛の前に激しい腹痛と下痢があったので、おそらく私の腸の中は空っぽの状態。友人たちの話は「そんなこともあるんだ」と、あまり理解できずにいました。 長男と次男を産むときは、助産師さんから「うんちがしたいと思ったらそのままいきんでね」とも言われていたので、便意というものは私にとって「赤ちゃんを産みたい」という感覚に置き換わっていたのです。 いざ迎えた3人目の出産!そして、3人目の出産予定日を迎え、順調に陣痛を耐えている最中、ふと不安がよぎりました。「前と同じような腹痛と下痢がない……」。前日から便秘気味だったにもかかわらず、当日になったら自然とうんちが出てくるだろうと安心しきっていた私でしたが、今回ばかりはいつもと違ったようで、便秘気味のまま病院へ。 そして「このままうんちが出なかったらどうなるのだろう」という私の心配をよそに、分娩台へ登ることになってしまったのです。 便意にパニック! 初めての出産中のうんち前日から便秘だったため、お産になかなか集中できない私。いきみたいという感覚なのか、本当の便意なのかの区別もつかず、さらに襲いかかる痛みでパニック状態になっていました。とにかく、いきむことに必死になったころ、お尻に違和感が。ついに、私も初めて出産中にうんちをしてしまったのです。しかし、助産師さんたちは「大丈夫よ! 気にしないで頑張ろう!」と、すぐに処理してくれ、お産に集中できるよう促してくれました。 幸運なことに、夫が分娩室に入る前のことだったので一安心。その後はお産に専念できたこともあり、数回いきんで3人目の赤ちゃんが無事に誕生しました。 1人目と2人目の出産時の状況が似ていたため、3人目は油断しきっていました。今になって思うと、出産に向けてヨーグルトを食べたり、便秘にならない努力をしたりしておけばよかったなと反省しています。しかし、私が思っていたよりも助産師さんたちが冷静だったので、あまり恥ずかしいという気持ちにはならずに、安心して出産ができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/まっふ監修/助産師 松田玲子著者:堀江ゆうき3児の母。現在はフリーランスとして育児をしながら、体験談・出産・妊娠についての記事を執筆。
2024年03月20日2人目の出産時、出産予定日を大幅に過ぎていたママ。やっと陣痛がきて分娩室へ行ったのですが、なかなか赤ちゃんが出てきません。どうしたのだろうと思っていると、助産師さんから意外な理由を告げられました。赤ちゃんが出てこない理由は…?2人目の出産予定日を過ぎたある日、やっと陣痛と思われる痛みがきたので病院へ! 分娩室に案内され、いざ出産と思いきや、なかなか赤ちゃんが出てこない!? それにはある衝撃的な理由がありました。 出産は人それぞれなので、どんなに経験や予習をしていても、その通りにはならないものだなと改めて思いました。息子は当時2歳だったのですが、私が入院中も毎日楽しそうな写真が父母から送られてきており、安心でしたが複雑な気持ちでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:すずきち都内に住む平凡なオタク主婦。3歳の息子と0歳の娘を育てながら絵日記やイラストをのんびり描いています。
2024年03月18日なっぱさんは夫のべじ太さんとの間に子どもを授かります。妊娠9カ月のころ、新居が完成するまでの間はべじ太さんの実家に住むことになりました。臨月になり足のむくみがひどく、改善を目指し懸命に努力をするなっぱさん。しかし、改善しないまま出産予定日を迎えたのでした。まるで力士のような歩き方になってしまうほどの足のむくみがある中、期待と不安を抱えて妊婦健診へ向かったなっぱさんですが……!? 落ち着け自分! 出産予定日当日の妊婦健診では、赤ちゃんの様子は順調だったものの、子宮口がまだ1cmしか開いていません。ですが、それを聞いたなっぱさんは、このままトントン拍子でお産に向かうだろうと前向きでした。 翌日も受診するなっぱさん。しかし、子宮口は変わらず1cmしか開いておらず……。いつ陣痛が来るのか不安でならないなっぱさんは、必死に雑巾がけをして陣痛を促そうとします。その翌日、むくみがひどく血圧も高めだったので即入院に。 動揺しながらも入院したなっぱさんは、陣痛促進剤を服用し2時間後……。ついに、副作用の嘔吐とともに陣痛がやってきたのです。 出産予定日を過ぎても陣痛が来ないと、精神的に不安になってしまいますよね。不安な中、パワフルで前向きななっぱさんの姿勢には、心を打たれます。 むくみや血圧も心配なところですが、ここにきてやっと出産のための入院できたことは、なっぱさんや夫、義両親にとっても安心材料となったのではないでしょうか。 監修/助産師 松田玲子 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月09日初めての出産のときのこと。出産予定日を過ぎても出てくる気配のない長男。医師がエコーでおなかを診たところ……。 予定日を過ぎても生まれず…長男を出産したときのこと。出産予定日から数日経っても生まれてくる気配がありません。そんな矢先、おなかの中で逆子に……。 帝王切開の可能性を考えておこうと先生からお話がありました。その後も出てくる気配はなく、逆子は戻らず。帝王切開をする日を決めました。手術前日、手続きを済ませて入院。病室で長男にいろいろ話しかけ、当日を迎えました。 手術前、少し怖い気持ちもありましたが、覚悟はできていました。お昼になり、「頑張ろうね」とおなかの長男に話しかけて手術室へ。先生が「よーし頑張ろう、最後に超音波ね」と言い、私のおなかをエコーで診察。すると先生は少し黙り、そして「切りません!」と断言しました。なんと息子が頭位に戻ろうと動いていたそうです。 その数時間後、通常分娩で元気な赤ちゃんを出産しました。本当にびっくりしてしまい、妊娠・出産は神秘だなと心から思いました。 ◇ ◇ ◇ 逆子の帝王切開では、手術前に赤ちゃんが動いて頭を下にすることが時々あるようです。生まれるまでは不安や緊張を感じるママが多いと思いますが、赤ちゃんの産声が聞こえると安心しますよね。赤ちゃんのご誕生、おめでとうございます! 監修/助産師 松田玲子作画/しおん著者:匿名希望ママ
2024年02月23日現在3歳になった3人目の出産間近のある日。出産予定日が過ぎていたこともあり、自然に陣痛が来るのを待つか、産院へ行き陣痛促進剤で陣痛を誘発するか、私が選択できることになりました。産院へ行こうかどうしようかとなかなか決断できない私に、しびれを切らした義母から衝撃的な言葉を言われたのです。 出産は私のタイミング3人目妊娠中のとき、上の子どもたちもいるので思うように行動できないかもと思い、義母にお願いして出産予定日数日前から家に来てもらっていました。 出産予定日2日後の妊婦健診で、産院の先生から「子宮口が4cm開いていて胎胞も出てきている感じだから、今日〜明日中に生まれそう。一度自宅へ帰ってごはん、お風呂を済ませて気持ちの整理がついたら病院へおいで。出産予定日を超えているし陣痛促進剤しましょう」 と言われました。帰宅途中に夫へ電話し、産院の先生から言われたことを説明しました。夫は会社からすぐに帰宅し、私も産院から帰宅しました。しかし、なかなか気持ちの整理がつかず、産院へ行くのをちゅうちょしていました。 義母が放った衝撃的な言葉なかなか産院へ行かない私を見て、義母も我慢できなくなったのか、夕方の4時ごろ「さっさと行ったらいいのに。今から行ったらちょうどよい時間や」と言いました。1人目・2人目のときは、陣痛が来て約2時間で出産していました。そんな過去から義母は、今から産院へ行って陣痛促進剤で陣痛を誘発すれば、3時間ぐらいで出産して、夫は7時ぐらいに帰宅してくるだろうと思ったようです。 その言葉を聞いたとき、申し訳ない、気持ちの整理がつかない自分に情けないと思ったのと同時に、同じ出産経験があって出産の大変さや痛さなどをわかってくれていたと思っていたため、とても悲しくなりました。 味方だった夫予想もしなかった義母からの言葉に私は返す言葉がなくて、目から涙が溢れ出てきました。その様子に気付いた夫は義母に、「それは言ったらあかんこと。火の中に自分から入っていくようなものなんやから、気持ちの整理がなかなかつかないのは仕方ないこと。自分のタイミングがあるんだから、整理つくまで黙って待ってあげてくれ!」 と言ってくれたのです。 それを聞いた私は気持ちがとてもラクになり、味方がいてくれてよかったとホッとしました。 義母への反抗その後、気持ちの整理がつかないまま夜に。夜中の1時ごろにウトウトしていると、ドンッ!!とおなかに違和感を覚え、トイレへ行くと出血が! 急いで産院へ連絡して行くことになったのですが、寝ていたはずの義母が産院へ一緒に行くつもりで、化粧をしてリビングにいました。 義母に言われた言葉がずっと頭から離れず、このときばかりは顔も見たくなかったため、夫から義母に家で寝ている上の子どもたちと一緒にいてくれるように伝えてもらいました。そうして私と夫だけで産院へ向かい、午前4時ごろに無事出産しました。 今になって思えば、義母の言動は私の体調を心配してのことだったのかなとも感じますが、出産のときは不安と恐怖で気持ちもデリケートになっていました。そんなとき、出産を自分のことのようにと考えて行動してくれた夫がいて、とても心強かったです。周りのママたちや将来、自分の娘や息子のお嫁さんが妊娠、出産したときには自分の経験をいかして接したいなと思いました。 作画/山口がたこ著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。
2024年01月23日ネットの情報や先輩ママから、妊娠中は腰が痛くなると聞いていたため、「双子ならなおさら仕方のないこと」と腰痛が悪化しても妊婦健診で先生に相談することなく耐え続けていました。しかしあまりの激痛に耐えきれなくなり、出産予定日を目前に控えた日の真夜中、病院へ。そこでわかった腰痛の原因を紹介します。 妊娠3カ月には目立つおなか双子を妊娠して妊娠3カ月ごろにはおなかが大きくなり、妊娠前にはいていたズボンのチャックが閉まらなくなりました。それからはどんどんおなかが大きくなり、腰痛と付き合う日々。 仕事をしていても、運転をしていても、常に腰が気になります。妊婦健診の際に腰が痛いことを先生に伝えてみましたが、「もともと1人用のおなかに2人入っているのだから、腰への負担も仕方のないこと。できるだけ寝転がって過ごしなさい」とのことでした。 腰痛で眠れない日々妊娠5カ月に仕事を退職し、妊娠7カ月ごろからは必要最低限の行動以外は自宅のベッドにいる日々を過ごしました。それでも腰痛はひどくなる一方です。寝る向きを変えてみたり、腰をさすってみたり、押してみたり……。 少しでもラクになる体勢を探しながらゴロゴロ。夜中も痛みで起きてしまうため、ゆっくり眠ることもできない毎日。ただ、“腰痛は仕方のないこと”という認識から、妊婦健診でも先生に腰痛がひどくなっていることを相談しませんでした。 腰痛の原因が判明出産予定日を1週間後に控えたある日、とうとう腰痛が限界にきました。どうやっても治まらない激痛に涙がこぼれ、真夜中に通っていた産婦人科へ行くことに。そこで腰にエコーを当ててもらい、腎臓に水が溜まっていることが判明! 双子の成長により尿の通り道が圧迫され、水腎症になっていました。水腎症を発症していては個人病院の産婦人科では産むことはできないということで、そのまま市民病院へ転院し、緊急入院。2日後に、もともと予定していた帝王切開で出産しました。 出産したことで、尿の通り道への圧迫がなくなり、水腎症は回復しました。腰痛は赤ちゃんの重みが原因だと思い込み、先生に相談しなかった結果が緊急入院です。不安や心配事があれば思い込みで過ごすのではなく、なんでも先生に相談しておけばよかったと、今回の体験から学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:桜田はな双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年01月21日私たち夫婦が結婚する前に、病気で亡くなった夫のおばあちゃん。おばあちゃんが亡くなった3年後、私は長男を妊娠しました。出産予定日まであと3週間になったある夜、夢から覚めるとまさかの破水! その日、私が見ていた夢の内容とは……? 「何かのお告げ?」出産前の不思議な体験 義理の両親は共働きだったため、「俺はばあちゃんに育てられた」と言うほど、おばあちゃん子な夫。初めて会ったときから、夫のおばあちゃんは私にもやさしくしてくれました。「ばあちゃん前より大きくなったんじゃないの」「また、そんなこと言ってからかうんだから」と夫と冗談を言い合うようなお茶目でかわいらしいおばあちゃんでした。私もおばあちゃんの人柄が大好きだったのですが、あるときおばあちゃんは病を患い、闘病の末に亡くなりました。 その3年後、夫と結婚し長男を授かります。出産予定日まであと3週間と迫ったある日のこと。日中に妊婦健診があり順調と告げられた私は、いつものように就寝。すると、夢の中に夫のおばあちゃんが現れたのです。いつもニコニコしていたおばあちゃんでしたが、夢の中では真剣な面持ちで私に何かを伝えようとしていました。 夢から覚めた直後、私は盛大に破水! 「今日の妊婦健診で順調って言われたし、まだ3週間もあるのに!?」と予想外の出来事に気持ちが追い付かないまま、夫の運転で急いで病院へ。翌日、無事に長男が生まれました。 今になって思い返すと、出産予定日よりだいぶ早い出産を、おばあちゃんが教えにきてくれたのだと思います。そんな長男も今では10歳に。長男には「あなたが生まれるとき、パパのおばあちゃんがもうすぐ生まれるって教えてくれたんだよ」と話しました。今では、夫の実家に行くと「おおじいじ、おおばあば、遊びに来たよー!」と自然にお仏壇に手を合わせるまで成長。おばあちゃんの仏壇を前にするたびに思い出される、不思議なエピソードです。 作画/mosu著者:あさかわりこ
2024年01月12日2人目の子を出産したときの話です。私はこれが最後の出産になるからと、バス・トイレ付きの個室がある産院を選びました。逆子が直らず予定帝王切開だったため、入院は1週間。赤ちゃんとの優雅な産院生活を送るつもりだったのですが……。2度目でも産後は大変…産後は赤ちゃんのケアに追われる毎日でした。帝王切開の痛みは徐々に軽くなるものの、ベッドから起き上がるのもひと苦労。 ほとんど人と会わない個室ということもあり、空き時間はシャワーもせずにただ横になっていました。 シャワーなしで1週間経過体を動かせるようになってからも、全然眠ってくれない赤ちゃんを夜通し抱っこする日が続き、常に寝不足状態。赤ちゃんが眠った隙を見て、私もばたっとベッドに倒れていました。 そんなふうに過ごしているうちに、結局1回もシャワーを浴びずに退院日を迎えたのです。バス・トイレ付きの部屋だったにもかかわらず! しかし、このことは誰に知られるわけでもありません。「もう帰るんだし、いっか」とのんきに構えていました。 退院前の内診で大慌て!退院当日は診察がありました。診察といっても切開した傷口を診られるだけかと思っていたら、大誤算。子宮の収縮度合いを確認する内診もあったのです。 「子宮もですか!?」。私はとっさに声が出ました。入院中1回もシャワーをせず、悪露まみれでひどい悪臭を放つアソコをお披露目しなくてはいけません。 慌てる私に看護師さんは心配そうな顔。私は平静を装って内診台に座り、もしかしたら運良く担当医師の鼻が詰まっているかもしれないという、少ない可能性を信じました。そして内診は問題なく終わり、医師と看護師さんに笑顔で見送られながら、私はそそくさと部屋に戻ったのです。 産後は体を動かすのが難しく、赤ちゃんのお世話をしながら隙を見て仮眠をとる生活。シャワーを浴びる気力が湧かないまま退院日を迎え、退院前検査で冷や汗をかいてしまいました。助産師さんいわく、産後に不衛生な状態が続くと創部や子宮内で感染の恐れがあるとのこと。助産師さんに相談すれば清拭などをしてくださるようです。今になってみれば、シャワーを浴びるのがしんどいということを助産師さんに伝えたらよかったなと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:原 かすみ
2023年12月21日耳の聞こえないパパ・ととちゃんと、ママ・ゆうこさんが、家族の日常を公開しているYouTubeチャンネル「みゆみゆチャンネル」から、陣痛タクシー乗車中の衝撃事件をご紹介します。ゆうこさんは、耳が聞こえないパパ・ととちゃん、23歳の長女、大学1年生の次女、小学生の三女の5人家族です。 ととちゃんとゆうこさんはステップファミリーで、長女と次女はゆうこさんの連れ子、三女のかいちゃんは2人の実子です。長女はすでに結婚していて、現在1児のママ。ゆうこさんは、長女7歳、次女3歳のときに離婚。長女14歳、次女10歳のときに再婚しました。 今から1年前の12月、長女みゆかさん(当時22歳)が第一子出産のため実家に里帰り中。出産予定日を超えたある夜、事件が起こります……。 出産予定日から3日後…2022年12月14日23時半。この日は、予定日から3日超過。 ゆうこさんが寝ていると「破水した」と起こされました。 破水の量は多くないようです。予定日が過ぎて、「もうこのままずっと生まれないかもしれない」となげいていたみゆかさんは、大喜び! ととちゃんはお風呂に入っていたので、手話で病院へ行くことを伝えます。 笑みがこぼれるみゆかさん。ニコニコでととちゃんに「行ってきます」と伝え、ゆうこさんと陣痛タクシーに乗り込むのですが……。 病院へ向かう途中、事故に……!場面が変わると、みゆかさんのつらそうな声から動画が再開します。 ゆうこさんが、タクシーの中でみゆかさんの出産の意気込みを動画に収めようとカメラを持っていたところ、信号無視した車がタクシーに突っ込んできたのです! タクシーから出ると、偶然通りかかった医師がみゆかさんを診てくれたました。 幸いけが人は出ませんでしたが、みゆかさんは震えていました。 「念の為、救急車で病院まで向かった方が良い」という医師の助言で、救急車を呼ぶことに。そのままゆうこさんとみゆかさんは、救急車に乗って病院へ向かいました。 無事に出産&退院!幸い母子ともにけがはなく、そのまま、みゆかさんは無事に出産しました。 陣痛タクシーでの交通事故について、母ゆうこさんはこう語ります。 「事故に遭う前は、今の幸せも、当たり前のように毎日続くものだと疑うこともありませんでした。「じゃあ行ってくるね」と簡単に交わす家族の言葉が最後の挨拶だったかもしれない……。事故を振り返るたび、日頃から愛情を言葉にする大切さを身にしみて感じています。最近では、幼い孫が、長女である母親の姿を追って大泣きする姿を見て、自然と笑みがこぼれてしまいます。この幸せな瞬間も奇跡なのかもしれない……と、事故当時のことを時々思いだします。今日という毎日を大事に生きていきたいです。」 陣痛タクシー乗車中の避けようのない事故。ゆうこさんとみゆかさん親子にけががなく、無事に赤ちゃんが生まれて本当に何よりです。「明日が来ることが当たり前ではない」……家を出る時のささいな喧嘩や会話が最後になっていたかもしれない……。そう思うと、毎日家族を送り出すときや、自分が出かけるときの言葉や何気ない日常をより大切にしたいな、と考えさせられる動画でした。 著者:ライター 廣瀬尚子
2023年12月14日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子をもつ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談をご紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送ることができたことにとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院をして、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。けれども時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかった瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親に作ってもらっていたごはんを自分で作る練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけないものを保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張ることができました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けることができ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったです。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れていると思います。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ムチコ監修/助産師 松田玲子著者:河村アリス7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。
2023年12月07日私は4回出産を経験しましたが、妊娠中や産後に身内に不幸があり、葬儀がおこなわれることがありました。まさかの出産予定日直前に夫の祖母が亡くなり、臨月の状態で葬儀への参列をどうするべきか悩んだことも。また、次男が生後2カ月のときには義父が他界。小さい子どもを連れて葬儀に参列することになったのですが……。ここでは、妊娠中や産後に葬儀があった際、私がどのように対応したのかをお話しします。まさかの出産予定日に葬儀が……私は長女の出産予定日1週間前に、2歳の長男を連れて実家に帰っていました。すると、実家に帰って2日後に夫の祖母が危篤という連絡がありました。今動くべきか悩みましたが、夫はもちろん、私まで本当にかわいがってもらっていたので、どうしても会いたくて病院へ行くことに。その後、義祖母は息を引き取り、まさかの出産予定日に葬儀が執りおこなわれることが決まりました。 義両親や親戚も、私が臨月ということは知っていたので、無理に参列しなくてもいいと言っていただきました。ただ、本当にお世話になった義祖母と最後のあいさつがしたいという気持ちがあり、夫や母と相談することに。 お通夜だけ参列することに夫は義祖母にとっては初孫で長男ということもあり、本当にかわいがられていました。その義祖母をきちんとお見送りしたい気持ちと、私に何かあったらすぐに動かないといけないことから、臨月の私には安静にしておいてほしいと夫から言われました。 けれど、私も最後に会いたいと言うと、お通夜だけということで話がまとまったのです。おなかの大きい私はなんとか入るサイズの黒い服を探し出し、長男を連れて、母と一緒にお通夜へ。ただ、本当に義祖母にあいさつだけをして、短い時間で帰ることにしました。 出産予定日より1週間遅れて出産結局、出産予定日当日に陣痛は来ず。その後、祖母の初七日が終わった1週間後に陣痛が来ました。長男は夫の実家にあずけ、長女を出産。義祖母のことが一段落するタイミングだったので、夫も無事出産に立ち会うことができました。あのとき無理に動いてお葬式まで参列していたら周りに迷惑をかけていたかもしれないと思うと、あの判断は間違っていなかったと思います。 それから時が経ち、次男を授かり出産。次男が生後2カ月のときに義父が亡くなり、葬儀がありました。私はもう動ける状態だったので、長男の妻としてバタバタしながら、次男への授乳やお世話をして本当に大変でした。 妊娠中や、小さい子どもを連れての葬儀は本当に大変です。特に妊娠中となると、地域によっては風習があり、生まれてくる子どもに影響があるかもと心配されることもあります。私の場合は運良く4回とも家で陣痛が始まりましたが、急な葬儀の対応なども含め、妊娠中は自分の体調を考え、ベストな状態を整えておくことが大事だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年12月07日私は30歳の主婦。結婚2年目に入り、間もなく私たち夫婦のもとへ待望の赤ちゃんがやってくる予定です。やさしい夫も、わが子に会えるのを楽しみにしていたのですが……。このところ頻繁に我が家にやってくる幼馴染が私の悩みのタネ。彼女がなかなかのクセモノで、突然やってきて当たり前のように夕飯を一緒に食べたり、私の存在はないもののように、夫と昔話に花を咲かせたりするのです。厄介な幼馴染夫と幼馴染が出会ったのは、3歳のころ。保育園で出会ってすぐに、夫は幼馴染に恋心を抱いたそう。何度も告白したようですが、その想いは叶わなかったと聞きます。 それも昔の話だと夫は笑いますが、幼馴染はそうではないようで、自分のことを好きだった男が他の女と結婚したのがよほど気に入らないのか、マウントを取られているような気がしてなりません。幼馴染だからといって、長電話したり、終電を逃した彼女を迎えに行ったり、相談があるからと深夜の呼び出しに応じたりする夫が、私には理解できません。このまま夫婦生活を続けられるのか本気で悩む中、いよいよ出産予定日が近づき、私は里帰り出産のため実家に帰りました。 出産予定日に夫がいた場所は…陣痛が来ていよいよ出産というそのとき、何度電話をかけても夫は電話に出ません。駆けつけてくれた義母が会社に連絡をしたところ「出産予定日で休みをとっている」といいます。 なんだか嫌な予感がする私……。やっと電話に出た夫は、幼馴染と温泉旅行に行っていると言います。 どうやら幼馴染に「出産に男がいても意味がないし、生まれたらしばらく行けなくなるから、今のうちに羽を伸ばしておくと良い」と言われたようで、悪びれる様子も見せず「マジ温泉サイコー! 出産頑張ってね!」と信じられない発言をします。私は、電話を切り、そのままスマホの電源を落としました。 夫に制裁を数時間後ーー。陣痛との格闘を終え、私はついに娘との対面を果たしました。穏やかな入院生活ののち、家に帰ったところでスマホの電源を入れると、タイミングよく夫から電話がかかってきました。 「今から会いに行くね。幼馴染も会いたいって!」……こんなときまで幼馴染が登場するなんて、もう怒りを通り越して呆れてしまいます。 そんな能天気な夫を見かねた母は、スマホを手に取り「娘と子どもはもう居ないよ……」と静かに告げました。 結婚してまもないころ、夫は「離婚届はいつでも出せるように用意しておくと良い」という幼馴染の意味のわからないアドバイスに従い、離婚届を書いていました。私はそれを活用し、出生届とともに提出したのです。幼馴染の入れ知恵が役に立つなんて、なんだか皮肉ですが……。 幼馴染との付き合い方離婚のきっかけとなった夫と幼馴染の温泉旅行ですが、状況的に不倫旅行といわれても文句は言えません。夫は何もなかったと言い張りますが、そんなことは関係なく慰謝料を請求することにしました。もちろん、夫が娘の父親でもあることに変わりはないので、養育費も払ってもらいます。 幼馴染は夫にとって大切な人だったかもしれませんが、そもそも出産を控えた妻を置いて旅行に行こうと誘うような人は、夫婦にとって良い人物とはいえませんよね。いくら幼馴染といっても異性。節度を持った付き合いをする必要がありますね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月05日このマンガを描いているみたんさんの妹・コツママの出産レポ。お話は出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日から始まります。安産のためには歩くのがいいなど言われますが、コツママも里帰りしてからほぼ毎日歩いて準備は万全! 出産予定日から2日後、おなかが少し痛くなってきたかなと思い……。出産予定日を1日過ぎた40週1日、コツママは10万歩を目指してウォーキングをし始めました。その翌日は家族でカラオケへ。夕方になって少しおなかが痛いなと感じ、待ちに待った陣痛がきたと喜びます。夜になると、痛くて眠ることができず……。病院へ電話をすると、一度来てくださいとのこと。もうすぐ会える!と心を躍らせ、病院へと向かい……。 病院へ行くも痛みで眠れず… ※妊娠中に診療を受ける際は、妊娠している旨を医師に必ず伝えましょう 午前1時30分、病院に到着。内診をしたところ、子宮口の開きは1cm。とりあえず入院をして様子を見ることになりました。入院中、隣の部屋から「あ〜いったぁ〜い」とうめき声が聞こえ、少し怖くなります。 リラックスして家族とLINEをしていると再び痛みが……。しかし、「子宮口の開きは1cmなので、いまのうちに少し寝ておいたほうがいいよ」と助産師さんに言われます。痛みを我慢しつつ寝ようとしたとき、前歯のセラミックがとれました。 結局眠れず……。朝になると痛みのレベルが下がり、おなかの張りの間隔も開いてきました。内診しましたが、大きな変化がなかったのか、一旦退院することに。せっかくならと歯医者を予約して自宅で眠ろうとするも寝られず、一睡もしないまま歯医者さんへ(※妊娠中に診療を受ける際は、妊娠している旨を医師に必ず伝えましょう)。 仮の前歯をつけてもらい、自宅へ戻ると痛みの度合いがアップ。夜になるとさらに痛みが増し……、心細くなったコツママは夫のTくんに連絡。夫のほうは明日には生まれるかな、と思いながらコツママの元へ向かうのでした。 初産は子宮口の開きがゆっくりなことが多いので、眠れるときに眠って体力を温存しておいたほうがいいと言われますよね。ですが、陣痛の痛みと出産への不安がある中、眠れなかったという人も多いのではないでしょうか。夫のTくんがコツママの元に向かいますが、顔を見ることで安心してゆっくり眠れるといいですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター みたん
2023年10月22日このマンガを描いているみたんさんの妹・コツママの出産レポ。お話は出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日から始まります。安産のためには歩くのがいいなど言われますが、コツママも里帰りしてからほぼ毎日歩いて準備は万全! 出産予定日から2日後、おなかが少し痛くなってきたかなと思い……。保育士として働いてきたコツママ。現在、第1子を妊娠中で40週1日を迎えました。出産予定日を1日過ぎ、そろそろ産みたい!とウォーキングに精を出します。10万歩を目指して歩いた翌日、なんだかおなかが痛くなり……。 今か今かと待ち遠しく… 出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日、コツママは10万歩を目指してウォーキングをし始めました。というのも、出産予定日の健診で赤ちゃんがまだあまり降りてないと言われたから。私の骨盤は広いからきっと安産だ! あとは陣痛さえくればスッと生まれてきてくれるはず!とポジティブに考えます。 ウォーキングの翌日は家族でカラオケへ。夕方になって少しおなかが痛いなと感じ、コツママは待ちに待った陣痛が来たと喜びます。おなかの張りの間隔が10分になり、明日の朝には生まれるかな?と笑顔に。その後も赤ちゃんが降りてくるよう家の中を歩きます。このタイミングでおなかの張りの間隔を計りますが、バラバラ。しかし、痛くて眠ることができず……。 病院へ電話をすると、一度来てくださいと言われました。「いざ出陣!」と赤ちゃんとの対面を楽しみにテンションが上がります。 お産は十人十色と言われますが、初産のときはおなかが痛くなってくるともう生まれるのかなと思いますよね。痛みで眠れず、病院へ行くことになったコツママ。すぐに出産となるのでしょうか……。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター みたん
2023年10月21日第一子を妊娠し、臨月で出産予定日が近づいてきたときのこと。初めての出産で不安もあり、夫に遠出は控えてほしいと伝えていました。そんなある日、残業で遅くなるという連絡が。仕事だと思っていましたが、帰宅した夫が持っていたものを見て驚き&腹が立ちました!! 残業かと思いきや…あるものを手に帰宅夫の趣味は釣り。普段からよく夜釣りに行っており、妊娠中も変わらず、釣りに出かけていました。臨月で出産予定日が近づいてきたころ、初めての出産で不安もあるため、遠出は控えてほしいと夫に伝えていました。そして、夫も釣りを我慢してくれていました。 出産予定日の1週間前から夫の仕事が忙しくなり、帰ってきてからも仕事をする毎日。ある日、「残業で遅くなるからご飯いらない」と連絡がきました。数時間後ーー、40〜50㎝のカレイを抱えた夫が、「見て!」と満面の笑みで玄関に立っていました。いろいろと「は!?」という状況で、いまでも思い出すと腹が立ちます(笑)。 夫には、釣りを制限してほしかった理由、ウソをつかれて傷ついたことなどを伝えました。1人目ということで私の不安も大きすぎたかもしれません。いま3人目がおなかにいますが、出産間近に夫が釣りへ行っても何も思わないかもしれません……。母は強し! ◇ ◇ ◇ 息抜きで釣りに出かけたのかもしれませんが、妻の容態が急変することもあるので残業とウソをついたのはよくなかったですね。初めての出産は不安も大きく、とくに夜は心細くなることも……。家に人がいると安心ですよね。とはいえ、お互い息抜きは大切!ルールを決めて、趣味を楽しみたいですね。 作画/シュー子著者:きんぎょ りん 2018年生まれの女児、2020年生まれ男児を育てる看護師ママ。
2023年10月17日第2子を出産したときのお話です。出産予定日の11日前。朝起きるとおしるしがあり、おなかの張りと痛みがあったので急きょ病院へ。母と上の子と一緒に車で病院へ向かったのですが、そのとき何気なく言った上の子の発言に衝撃を受けた体験談です。予定日の11日前におしるしが!妊娠38週3日のときのことです。前の日の夜中に上の子(当時3歳)が嘔吐をしてしまい、朝には落ち着きましたが、私はまったく寝ていない状態で朝を迎えました。そして、朝トイレに行くと「おしるし」が! 第二子を妊娠してから、まったく抱っこしていなかった上の子を抱っこしたからかも……と焦りました。 おしるしは上の子のときにはなかったので、「ついに!」と思ったものの、もうそろそろという目安なだけで、「おしるしがあってから出産まで1週間かかる場合もある」という情報をネットで見てしまったので、仕事に行く夫に軽い気持ちで「妊婦姿見納めかも〜」なんて伝えていました。 妊婦健診のあとにおなかの張りを感じ始めて……その日はちょうど妊婦健診があり、母に送迎してもらう予定だったので、保育園をお休みにした上の子を小児科に連れて行き、そのまま妊婦健診へ。 11時の時点で子宮口は1cm。2人目なので、「痛みがあったら早く来てね」と言われ帰宅しました。帰る車の中、なんとなくおなかが張って定期的な痛みはあるなぁと、陣痛アプリを使ってみると、すでに3~4分! いやいや、まだわからない……そう思いつつも不安だったので、念のため母にはしばらく自宅で一緒に待機してもらい様子を見ていました。 しかし痛みは引かず、15時30分に病院へ電話。すると、「入院セットを持ってきてください」と言われたので、急いで病院へ出発しました。 上の子の予言が的中!?病院に向かう車の中で、上の子に「何時に生まれるかねぇ?」と何気なく質問したところ、「ろくじ!」と言われました。ちなみに当時、上の子はまだ時間のことは理解できていません。私は、「18時ならあと2時間か〜。それくらいなら耐えられるわ。がんばってくるねー!」と言って別れました。 助産師さんにそのやりとりを伝えると、「子どもの言うことは意外と当たるよ」と言われましたが、「もしこれが朝の6時だったら結構キツイなぁ」なんて思っていました。そして、陣痛室に入ったのが17時30分。すると助産師さんが、経産婦だから早め早めにと言って、子宮口が7~8cmになったところで早々に分娩室へ。 分娩室に入ってからいつまで経ってもいきんでいいと言ってもらえず、いきみ逃しをしているはずが……何とそのままスルッと誕生! そのとき17時52分。まさかの上の子の予言が的中してビックリでした! 出産後、本人に「生まれる時間当たったよー!」と伝えたのですが、言った本人は無反応(笑)。 産後、複数の助産師さんから「小さい子どもの言うことは当たるから!」と言われました。あんまり信じてはいなかった、上の子が言った下の子の誕生した時間。出産直後に時間を聞いて、とても不思議な気持ちになったのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ミルク3歳、0歳の2児の母。ただいま育休中。
2023年10月14日初めての出産で不安なことだらけだけど、多くの女性が経験していることだからきっと大丈夫。初産だと出産は14~15時間かかるって聞くけど、ちゃんと終わりが来るから大丈夫。 陣痛は男性が失神しちゃうレベルの痛さだって聞くけど、女だからきっと大丈夫。鼻の穴からスイカだよって聞くけど、実際はオレンジだって聞くから大丈夫。そう、きっと大丈夫……。ようやく授かった待望の命6年前、長女を出産したときのお話です。私たち夫婦はなかなか子どもを授かることができず、結婚してから3年、不妊治療をして人工授精7回目にしてやっと赤ちゃんが私のおなかに宿ったことがわかりました。 しかも、出産予定日は私の誕生日と同じ日。それから晴れて妊婦となった私は、妊娠中の過ごし方や出産について片っ端から調べました。出産に向けての準備は万全です。 そしていよいよ出産予定日。日付が変わってすぐに破水し、まだ外が真っ暗な中、前もって休みを取っていた夫と一緒に車で病院まで向かいました。 病院へ着いて、先生の診察を受けると子宮口は1cm。破水しているのでそのまま入院となり、陣痛が来るのを待つことになりました。 夕方になっても本格的に陣痛が始まらなかったため、夫は一旦家に帰ることになったのですが、夫が家に帰ったあとすぐおなかに違和感が……。本格的な陣痛が来たのです。 「もう少しお産が進んでから、旦那さんを呼びましょう」と助産師さんが言ってくださったので、夫への連絡はもう少ししてからすることにしました。 長時間にわたる死闘に……そして、陣痛が始まり5時間ほど経ったころ、お産がだいぶ進んできたので助産師さんが夫を呼んでくれました。 1時間後、夫が到着するころにはかなりお産が進んでいて、私は初めて味わう激痛になりふり構わず叫んでいました。夫は私のお尻にテニスボールを押し付けて痛みが和らぐよう頑張ってくれていました。 途中、私は痛みのため呼吸を忘れてしまい、赤ちゃんに酸素がいかなくなってしまうからと、酸素マスクを装着。かなりの痛みで陣痛の間隔も5分ぐらいになったので、子宮口のチェックをしてもらうことに。 陣痛と陣痛の間の痛みが治まっているときに先生の診察を受けなくてはならず、陣痛室から診察室まで急いで移動。普段ならすぐ移動できるぐらいの距離なのに、おなかも大きいし、すでに陣痛の痛みでヘトヘトだし、途中で陣痛は来るしで診察室までがとても遠く感じました。しかし、先生に診てもらうと「1.5cmです」と……! 全然開いていない!? こんなに痛いのに!? そんなことある?? 本格的な陣痛が始まって10時間経つころには、陣痛の間隔は1〜2分! そのころには私も夫も疲れて、「陣痛と陣痛の間に爆睡&陣痛が来た瞬間に飛び起きる」を繰り返していました。 助産師さんによる子宮口チェックは3cm……。3cm!? そして再び夫と陣痛・爆睡・陣痛の死闘を繰り広げました。 出産後も痛みの連続!?そして再び診察室へ。全然診察室に辿り着かない……。診察台にも全然乗れない……。 そんな私の様子を見て先生は、「え? なんかおかしくない?」と……。何人もの出産の現場に立ち会ってきた先生がそんなこと言うなんて……。「やばくない?」と思いつつ、先生も「ん~切る(帝王切開する)のもなぁ、理由がないしなぁ」とブツブツ……。「いやもう、切ってくれ!」と思いましたが、再び陣痛室へ戻されてしまいました。 本格的な陣痛から13時間、陣痛の間隔が5分切ってから6時間。あまりにも限界が近づき、私はナースコールを押して「もう無理です……」と伝えると、助産師さんが急いで来てくれました。 そして出産となったのですが、そのころにはもう私の力もほとんど残っておらず……。先生と助産師さんによって赤ちゃんが引っ張られるように出てきました。 破水から約32時間、本格的な陣痛から約15時間。赤ちゃんの泣き声は、想像していたかわいらしい「ほぎゃぁほぎゃぁ」という泣き声ではなく、「ギャギャギャギャー!」という怪獣のような泣き声でした。 そして、分娩台の上で待望の赤ちゃんとの初対面。ドラマや漫画で見るような天使のようにかわいい姿とはまるで違って、「しわくちゃのおじさん」でした。 その後、分娩台で2時間ほど休み、病室へ移動したのですが、急に体がとても重く感じ、赤ちゃんがいなくなったはずのおなかも「妊娠7カ月ですか?」というぐらい大きかったです。歩くたびに痛みが走り、病室までまったく歩けませんでした。胎盤を出すときも痛かったし、授乳のときの後陣痛も痛い……。出産が終わってからもまだ痛いなんて知りませんでした。 出産の形はいろいろで、子どもによっても全然違う。出産は壮絶だったけど、この世に人が1人誕生するって本当に奇跡だと思いました。何もかもが予想していなかった出来事ばかりの出産でしたが、思い出として記憶に残る経験ができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:たつこ6歳、3歳、2歳、0歳の4児の母。現在、実家で夫と子ども4人、実の両親と同居中。夫の自営業をお手伝いする形で仕事をするかたわら、自身もインターネット関連の仕事を始める準備中。
2023年10月07日私には3歳の長男と1歳になる次男がいます。ちょうど1年前、次男の出産予定日の20日前におしるしが来ました。おしるしが来てもまだ生まれないだろうと、その日私は長男と2人で普段通りお散歩へ行ったり家で遊んだりして過ごしていました。しかし、だんだんおなかが痛いような気が⋯⋯。出産予定日よりかなり早かったので、まさかその日に生まれるとは思っていなかったのです。おしるしからすぐに生まれないと思い込む長男を出産したときは、おしるしから24時間以上して陣痛が来ました。私は次男のときも同じように、おしるしが来てもすぐには生まれないだろう、たまにある腹痛は前駆陣痛だろう、と思い込んでいたのです。 しかしズーンとした生理痛のような痛みが続き、もしかして陣痛かもしれないと気づきました。そして19時ごろ夫が帰宅。すぐに夫におしるしがあったことと、陣痛かもしれないということを伝えました。夫が帰ってきた途端、気が緩んだのか痛みがジワジワと強くなってきたのです。 コロナ禍で面会時間が少ないからこそ……そのまま痛みは続きましたが、間隔が20分程度空いていたのでまだ大丈夫だろうと思って我慢をしていました。長男を寝かしつけたあと、私も早めに布団に入りました。しかし、だんだん20分、10分と痛みの間隔が狭くなって……。コロナ禍で面会時間が30分に限定されるため、私はせめて、長男が朝起きるまでは自宅で耐えたいなと思っていたのです。 次男を出産するときには、長男を私の実家に預けるつもりでした。もし長男を寝たまま実家に連れて行ってしまえば、長男とまともに話す時間がないまま産婦人科へ入院になります。それは私にとっても長男にとっても寂しいなと思ったのです。 もう限界! 長男を実家に預け、産婦人科へ夜中3時、3時10分、20分……とあのときの時間が経つのは永遠に感じました。長男が「おはよう!」と起きてくる7時ごろまでは耐えなければ……と、私はかなり痛かったですがひとりで耐えていました。しかし、もう限界。痛みの間隔も10分以下と狭くなってきたので、夫を起こし病院へ電話することに。そうすると「すぐに来てください」とのことでした。 仕方なく寝ている長男を車へ乗せ、実家に連絡をし、そのまま長男を預けることになりました。そのときの陣痛の痛みはかなり強いもので、車の揺れさえつらかったです。無事に産婦人科へ着き、そのまま分娩室へ。診察してビックリ、子宮口が全開大だったのです! 助産師さんから「3人目はもう少し早く来ててくださいね〜」と言われてしまいました。 そのままありがたいことに15分程度で破水、合計30分程度で次男は元気に生まれてきてくれました。しかし、陣痛を我慢するのはほどほどにしておかないと、本当に危なかったようです。コロナ禍で面会時間が短いからと長男との時間を惜しんでしまった結果です。今のところ3人目は未定ですが、もし授かることがあったら次は早めに受診したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:森下ミメカ3歳男児と1歳男児の母。長男妊娠を機に専業主婦に。2歳差育児の大変さを痛感中。現在、子育てや暮らしについてのブログや体験談を執筆している。
2023年09月25日妊娠中はひとりで過ごすことが多かった、すやすや子さん。今住んでいる場所には知り合いもおらず、夫は出張がち。ひとりの時間も好きだけど、出産したら話せるママ友がほしいと思っていました。妊婦健診のある日、待合室でセレブ感あふれる妊婦さんに話しかけられたすや子さんですが……。現在は仕事をしておらず、夫は出張がち。住んでいる場所は実家も遠く周囲に友だちもいません。ひとりの時間は嫌いじゃないけれど、孤独を感じています。 出産したら知り合いを作ろうと思っていたけどーー ※産後うつとは、マタニティブルーズとは異なり、産後数週間から数カ月、長い場合は1年ほど続くこともある極度の不安や悲しみが続き、それに伴う無気力や不眠などの症状が出る状態を言います。 外出から戻って、ペットのハムスターに話しかけたり、ネットで調理方法を質問したり。ひとりで過ごす時間が多いスヤ子さんは、出産後に知り合いを増やそうという思いを抱きます。 「出産予定日いつですか?」ある妊婦健診の日、待合室で隣に座っていたセレブ感いっぱいの妊婦さんから話しかけられたすや子さん。なんと出産予定日が1日違いということがわかって盛り上がる2人。 健診後、雨が降ってきて傘を持って来ていないすや子さんが産婦人科の玄関で立ち尽くしていると、先ほどのセレブ妊婦さんが車で送ると言ってくれるのですが、思わず断ってしまいます。キレイめの装いの彼女に対して、その日は適当な格好で来ていたすや子さんはなんとなく気が引けてしまい、そのやさしさに感謝しながら高級車を見送るのでした。 出産後、産後うつ気味になったすや子さん。SNSで偶然、妊婦健診で会ったあのセレブ妊婦さんを見つけます。同じ日に出産し、子どもの性別も同じ。でも子どもの発達はわが子よりも早い。 このころ、自己肯定感が低かったすや子さんはショックを受け、わが子の発達の遅さは自分の育て方のせいかもしれないと暗い気持ちが渦巻いてしまうため、彼女のSNSを見るのをやめました。 産後うつから回復したころ、ファッション雑誌のスナップページで彼女を見つけます。さらにその後、友人の友人だったことが判明したそう。一瞬、SNSでメッセージを送ろうかと思ったすや子さんですが、健診日の自分の格好と、自分のことは忘れているかもと思い、結局連絡は取らなかったとのこと。 ◇◇◇ 妊娠中は産後に知り合いを作ろうと思っていましたが、実際はメンタルが落ちてしまって思うように動けなかったすや子さん。SNSで妊婦健診時に出会った彼女が、同じ日に、同じ男の子を出産しているだけに、発達のスピードが違うと気持ちがどんどん落ちていきますよね。彼女のSNSを見ることをやめたのは賢明な判断です。 気持ちが回復してきたころに今度はファッション誌で彼女を見つけ、SNSで連絡してみようかと思ったものの、あの日の格好を思い出してやめたというすや子さん。きっと相手はそんなことを気にしていないでしょうし、出産予定日が1日違いのすや子さんを忘れてはいないと思いますが、こうした気持ちはこの状況以外でもよく共感できますよね。 著者:マンガ家・イラストレーター すやすや子
2023年09月06日スカッと系人気YouTubeチャンネル『パニコレ』から、「妊婦をないがしろにした夫と義両親を地獄へ!」」を紹介します。夫の隼人と結婚して2年、待望の赤ちゃんを授かったパニ子。妊娠中はストレスなく過ごしたいと思っていたものの、そうもいかないのは同居している義母のせい……。義母のパニ子に対する振る舞いはひどいものでーー。いじわる義母、妊婦でも容赦なし! つわりのひどいパニ子に義母は暴言ばかり。「妊娠は病気じゃない」「つわりだからって食事の支度をサボるな」と責められる日々を送っています。 毎日のように隼人に愚痴を聞いてもらいながら憂うつな日々を乗り切り、ついに臨月を迎えたパニ子。隼人は赤ちゃんの誕生を楽しみにしていました。 ある日、珍しく機嫌の良い義母は、隼人の姉・アカネの結婚を報告しました。運良く大安の日に式場にキャンセルが出て、急遽1カ月後に結婚式を挙げることになったのだそう。 しかし、結婚式の日はパニ子の出産予定日でした。義姉の結婚はめでたいことですが、急なキャンセルや式場で体調を崩しては迷惑をかけると思い、パニ子は列席を辞退することにしました。 しかし同意してくれると思っていた隼人は不満そう……。「赤ちゃんってそんな簡単に生まれるものじゃないんでしょ? そんな理由でキャンセルは姉さんにも失礼だと思う」と予想外の反応に、パニ子は言葉を失ってしまいました。「結婚式は欠席するね」しかし夫は…渋々納得した隼人でしたが、義母と義姉への欠席の連絡は自分でしろという始末。出産を控えたパニ子に付き添うつもりはさらさらなく、自分は結婚式に列席する気満々です。 これまで立ち会い出産をすると言っていた隼人でしたが「パニ子が自分の都合で親族の行事をパスするなら、俺も出産に立ち会うのはパスする」と言い出しました。命をかけた妻の出産と姉の結婚式を同じ土俵に上げるなんて、パニ子は幻滅してしまいます。 案の定、義母からも散々嫌味を言われパニ子はゲンナリ。家族みんなで楽しみにしていたはずの出産なのに、ないがしろにされるようになり、パニ子は悲しい気持ちでいっぱいです。 そして迎えた出産予定日&義姉の結婚式。隼人も義両親もパニ子のことをまるで居ない存在かのように無視し、出掛けてしまいました。しかし家にひとりになってすぐに、急にズキン! とおなかが痛み、陣痛が始まってしまったのです。家を出て行くのは誰?隼人に電話をかけるも帰ってくる素振りは見せず、結婚式をキャンセルしたことを根に持っている様子。1日中陣痛に耐えたのち、夕方にはいよいよ病院に向かうことになりました。 ちょうど帰ってきた隼人と義父母。義母に至っては「結婚式を欠席したのはあんただけ! 非常識な嫁はこの家から出て行け!」と言い放ちました。 その言葉にハッとした様子の隼人。重大なことを思い出したようです。実はこの家は、パニ子が結婚前に購入したパニ子名義の家。追い出されるのはパニ子ではなく隼人と義父母なのでした。 まもなく出産を控えていたパニ子でしたがこのままではいられません。家の名義は自分であることや、隼人は仕事をしていないニートであることを急いで告げ、出産後家に戻ってくるまでに出て行くよう命じたのでした。もちろん義父母はそんなことはつゆ知らず、隼人がバリバリ働いていて家を買ったと信じていたので寝耳に水!みるみるうちに青ざめていきました。 隼人も義父母も焦りだし取り繕うような言葉をかけてきましたが、もう相手にする時間はありません。迎えにきたタクシーに乗り、パニ子は病院に向かいました。 その後、パニ子は元気な男の子を出産。隼人と義父母を追い出して、親子2人の生活をスタートさせました。 臨月の妊婦の苦しさは想像以上。加えて、いつくるかわからない出産を待つ緊張感ある毎日を送っています。労わることのできない夫や義父母は家族失格と言っても過言ではありません。こんなにも思いやりのない家族は追い出されて当然ですね。パニコレ記事をまとめて読む▶著者:ライター パニコレ
2023年09月03日帝王切開が決まっていた第4子の出産。長男と第4子は15歳差で、長男にとって大事な中総体の試合が終わってから出産の予定でした。ところが予定より早く陣痛がきてしまい、まさかの試合前日に出産することになってしまったのです。「今から出産になりました!」と送った長男の部活のグループメッセージで、感動の涙を流すことに……。 まさかの緊急帝王切開に!わが家には4人の子どもがいますが、長男と次男は15歳差。サッカー部の長男が、中学3年の大事な市の中総体の試合を控えていたとき、私は第4子である次男を妊娠中で臨月を迎えていました。 出産は、第3子で逆子がなおらず帝王切開をしていたため、今回も帝王切開する予定でした。帝王切開の予定日は、長男の試合が終わってから1週間後。長男の部活の役員をしていた私は、妊婦なりにできる仕事をおこない、試合を楽しみにしていました。 ところが試合前日、まさかの陣痛がきてしまい緊急手術に……。手術が決まり、すぐに部活のグループメッセージに「今から出産になりました!」と送信。役員のみなさんからの励ましと、「長男くんのことは心配しなくていいからね!」という言葉に、安心して出産に臨むことができました。 見に行けなかった、長男の大事な試合入院当日に手術し、無事出産することができました。ただ、帝王切開だったため、すぐに動けず、残念ながら長男の試合には行けなくなりました。ずっと見たかった試合。夫が見に行ってくれていましたが、結果を待ってソワソワしていると、ママ友から動画が送られてきました。 長男の試合の動画と、優勝して仲間とゆりかごダンスをしている動画でした。動画を見ながら涙があふれ……。私は、ひとり病室で、何度も動画を見ていました。優勝したため、1カ月後の大会に進出! 試合当日は家族みんなで応援しに行くことができました。 サッカー部のマネージャーをしていた長女はベンチで観戦していたため、試合会場では、ママ友が生まれたばかりの次男を見ていてくれました。おかげで私は、3歳の次女とゆっくり試合を観戦。他にも私が動けないときには長男の送迎を手伝ってくれて、ママ友には本当に感謝しかありませんでした。 長男は部活を通して良い仲間とめぐり会えましたが、私も素敵なママ友と出会えて本当によかったです。子どもの人数分、たくさんの方と出会う機会がありますが、役員などで仲良くなれることがあるので、できる範囲で参加するようにしています。長男が中学校を卒業した今でも、ママ友とは仲良くさせてもらっています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさとイラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2023年08月27日初めての出産は陣痛が来てから、なかなか進まず大苦戦。立ち会い出産を予定していたため夫に電話をかけますが、出てくれずパニックになり……。 「楽しみだね!」立ち会い出産を楽しみにしていたのに? 初めて妊娠が判明したとき、世間では新型コロナウイルス感染症が大流行していました。感染症対策のため、家族の立ち会いはできないかも……と思っていましたが、生まれる直前に夫だけが分娩室で立ち会えることに。出産予定日の1週間前から、私は産院に近い実家に泊まることにしました。 そして出産予定日の3日前、夜中におなかが痛くなってきたと感じていたところ少量の破水。すぐに病院に電話し、病院に行くことになりました。そして陣痛室へ。「お昼前には生まれるかもね~」と電話で夫に伝えましたが、待てど暮らせど生まれてきません。結局、翌朝にはいったん病室に戻ることに。家で連絡を待っていた夫も拍子抜けし「とりあえず仕事に行くね!」と言うので、私も「夕方には生まれると思う!」とだけ電話。しかし、夕方になっても生まれる気配なし……。夫にも「今日はもう出てこない気がする」とポロッと言ってしまったのです。 ところが、その日の夜9時過ぎ、本格的な陣痛が。助産師さんにも「そろそろご家族を呼んだ方がよさそうですよ~」と言われたので夫に電話をかけますが、何度電話しても出てくれません……。だんだんパニック状態になっていると、10分後に夫から折り返しの着信が。 「早く来て!」と怒鳴るように言うと、夫は「わかった、すぐ行く!」と言ってくれました。自宅から病院まで車で30分以上かかるので、間に合うか不安でしたが、なんとか夫も立ち会えることに。「何回も電話したのになんで出ないの!」と怒る私に「ごめんごめん、ほら頑張って~!」と励ます夫。その後も、私を気づかい続けてくれ、無事に出産を終えました。 どうやら夫は、「今日は出てこないかも」と聞いていたので、のんびりお風呂に入っていたのだとか。出産は予定通りにいかないもの。初めての不安と恐怖に加え陣痛の痛みでパニックになり、ついつい夫に怒鳴ってしまいました。それでも気分を害さず、終始励ましてくれた夫に感謝しています。 作画/ひのっしー監修/助産師 松田玲子著者:緒方佳子
2023年08月22日大学進学をきっかけに、実家を離れて14年。長女が1歳のときに、2人目を妊娠しました。1人目の出産時は、産後ケア事業のおかげで大変な思いをすることはありませんでした。今回の出産も夫や産後ケア事業に頼ろうと考えていましたが、あるハプニングによって帰省するかどうかの選択を迫られることになったのです。 里帰りをしない私にまさかのハプニング!決断を迫られて… 妊娠中期までは特に大きなトラブルもなく、穏やかな時間を過ごしていました。しかし、妊娠8カ月の妊婦健診で、担当医から「赤ちゃんが下がり気味です。家で安静に過ごしてください」と言われました。夫の職場から保育園が遠いので、娘の送迎は毎日私が担当。ほかに送迎できる人がいないため、娘には保育園を休ませ、仕事も早めに切り上げ産休に入らせてもらうことに。 産休に入ったとはいえ娘の相手をするので、なかなか休めません。出産予定日まであと2カ月。不安でいっぱいだったときに母から連絡がありました。相談すると、母は「1カ月ぐらい仕事を休む予定だから、いつでも呼んでね」と、やさしい言葉をかけてくれたのです。母の気づかいを受けて夫にも相談し、私は里帰り出産を決心しました。 すぐに転院の手続きをし、翌週には帰郷。母は里帰り出産を楽しみにしてくれました。その後、何事もなく出産予定日を迎え、元気な男の子を出産! 母が長女のお世話をしてくれたおかげで、入院中はとても助かりました。人に頼れない私の性格を知ってか、母が“いつでも助けられるように”と準備してくれていたことに本当に感謝です。困ったときは、すべて自分でなんとかしようと思わず、周りにもっと頼っていいのだと感じました。 作画/mosu監修/助産師 松田玲子著者:広中このみ
2023年07月22日第2子出産予定日前日の朝、おしるしを確認したゆかさん。その後チクチクとしたおなかの痛みが出てきますが、ゆかさんは「陣痛ではなさそうだな……」と思っていました。しかし、夜になっても痛みは続き、病院からは「病院に来るように」と言われます。ゆかさんは、陣痛タクシーを待ちながら病院へ行く準備をしていましたが、そのとき激しい痛みに襲われ、破水。なんとゆかさんは、救急隊が到着する前に自宅で出産したのです。赤ちゃんは無事に泣いてくれましたが、ゆかさんは大量に出血しており、意識が朦朧(もうろう)としていました。救急隊の到着に安堵したのも束の間、ゆかさんはさらなる困難に直面してしまい……。 「そんな…どうして!?」搬送先の病院が見つからない!? 救急隊が到着し、ゆかさんと赤ちゃんを病院へ搬送するための手配をします。しかし、なぜかかかりつけの病院とは連絡がとれず、さらに別の大きい病院からはまさかの受け入れ拒否……。 意識がもうろうとするゆかさんでしたが、夜間の電話番号と一般の電話番号が違うことを思い出し、夫に自分の携帯からかけてもらうことに。すると、ゆかさんが思ったとおり、夜間の電話番号にかけるとかかりつけの病院と連絡が取れ、受け入れ許可が出ます! すぐさま救急搬送の準備にとりかかる救急隊員。その最中、担架に乗せられたゆかさんは急激な寒気に襲われるのでした。 病院によっては時間帯や休日などで電話番号が異なり、救急隊もそれを把握していない場合もあるのですね。 ゆかさんがもし意識を失ってしまっていたら、かかりつけの病院はもちろん受け入れ先の病院を探すのにももっと時間がかかったかもしれません。 出産の緊急時は妻自身が電話できない場合もあるので、パートナーや身近な存在の人にも病院のシステムを共有しておくようにしたほうがいいですね。 監修/助産師 松田玲子 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター えなり
2023年07月19日穏やかな妊娠期をイメージしていた、アラサーのみかんさんによる妊娠記録です。妊娠中期以降は、大きなトラブルもなく順調に経過し、パッと見でも妊婦だとわかるくらいおなかも目立ってきました。そして、ついに里帰りの日を迎え、家族が増える喜びを実感するみかんさん夫婦。結婚してから長い間離れるのは初めてですが、さびしい気持ちを埋められるようにと夫から手紙をプレゼントされ、みかんさんはほっこりした気持ちで里帰りをしたのでした。久しぶりの実家生活には少し不安もありましたが、実際には両親ともに忙しく、ひとりの時間を満喫できていました。空いた時間には、助産師さんが情報を発信している動画を見て普通分娩の流れを把握しておくなど、イメージトレーニングも欠かしません。そしてついに迎えた臨月。なんと、内診ですでに子宮口が2センチ開いていると言われ、体の準備も着々と進んでいき……!? 今度こそおしるしってやつ…? 出産予定日に合わせてやって来る夫との再会を楽しみにしながら、みかんさんの残り少ないマタニティライフは続きます。ある日、トイレで出血を確認してビックリしたみかんさんでしたが、内診の影響で出血することもあると言われたことを思い出します。そのころには、おなかの張りを強く感じたり、赤ちゃんがお尻のほうに少しだけ降りてきている感じもしたりと、体の変化も大きくなっていました。そんなとき、また出血を確認。今度こそ「おしるしかも」と思ったみかんさんは、入院準備のことも気になり始めます。 とはいえ、さすがにおしるしがあってからすぐ生まれるとは思っていなかったみかんさんは、いつもどおり過ごしていました。しかし両親とともに食卓を囲んでいたとき、「パンッ」という音とともにジュワッとする感覚に襲われるのでした。 出産予定日より早く生まれる可能性があることを告げられていたものの、初産の場合はなおさら実感がわきにくいかもしれませんね。出産の始まり方は人それぞれなので、家族に状況を共有しながら、いざというときにサポートしてもらえるよう備えておきたいですね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター もちみかん
2023年07月10日1歳の息子がいる水無月さん。2人目を妊娠した際、計画無痛分娩での出産を予定していました。妊娠38週目を迎えた次の日、まさか1歳の息子と2人きりのときに自宅出産を経験することになるとは、このときはまだ知る由もありませんでした。ようみんさんのフォロワーさんによる体験談です。里帰りして第1子・かおるくんを出産した水無月さん。三交代勤務の消防隊員である夫と話し合い、2人目は計画無痛分娩での出産を予定していました。妊娠38週目を迎えても陣痛の兆しはなかったのですが、翌朝、おなかにチクチクとした痛みを感じます。 なんか…痛いな~ 前駆陣痛…? ※規則的な子宮収縮が1時間に6回以上、あるいは10分間隔となった時点が陣痛開始となります。 初めての出産時に、助産師さんから「規則的な子宮収縮が10分以下になったらまた来てください」と言われた水無月さん。ギリギリまで受け入れてもらえないことに落胆します。その経験から、2人目を妊娠した際、夫と話し合って計画無痛分娩できる産院で出産することに。 妊娠38週目に入ったものの、陣痛の兆しもなく息子のかおるくんと就寝。翌朝起きると、おなかにチクチクとした痛みを感じます。1時間続く痛みに不安を覚え、念のため勤務中の夫にメッセージを送るのでした。 「前駆陣痛」といって陣痛と同じような痛みやおなかの張りを感じることがありますが、10~15分間隔であったり、間隔がバラバラだったりするときは陣痛ではありません。その場合、自宅で様子を見ることがほとんど。ただ、お産の始まり方は人それぞれで、遠方に住んでいる人や前回のお産が早かった人などは、少し早めのタイミングで入院するケースもあるので、定期健診などで医師の指示をあおぐようにしましょう。 監修/助産師 松田玲子著者:マンガ家・イラストレーター ようみん
2023年06月24日今回の内容は、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。 このお話は作者リコロコさんに寄せられたエピソードです。登場人物の名前など、一部脚色を加え漫画化しています。■前回のあらすじ積極的な治療はせずに家族の時間を優先すること、でももし想定より容体が良かったら手術を受けることを希望として伝えた芽衣と夫。次に通院するのは出産のとき。芽衣はお腹の赤ちゃんと桜を見られる日は来るのだろうかと考えてしまう。予定日まで一週間あるのに…1人で分娩室へ予定日まではまだ時間があると思っていたのに、突然の破水でお産が始まりました。産まれたら、わずかな時間しか生きられないかもしれない赤ちゃん。ずっとお腹にいてほしいとすら思ったことがあるのに、こんなに急にお産が始まるなんて…。次回に続く 「天使が生きる奇跡」(全29話)は12時更新!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2023年05月15日たんこんちは ボロボロゆかい
ぽこちゃんです&どんちゃんです
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