初めての出産で不安なことだらけだけど、多くの女性が経験していることだからきっと大丈夫。初産だと出産は14~15時間かかるって聞くけど、ちゃんと終わりが来るから大丈夫。 陣痛は男性が失神しちゃうレベルの痛さだって聞くけど、女だからきっと大丈夫。鼻の穴からスイカだよって聞くけど、実際はオレンジだって聞くから大丈夫。そう、きっと大丈夫……。ようやく授かった待望の命6年前、長女を出産したときのお話です。私たち夫婦はなかなか子どもを授かることができず、結婚してから3年、不妊治療をして人工授精7回目にしてやっと赤ちゃんが私のおなかに宿ったことがわかりました。 しかも、出産予定日は私の誕生日と同じ日。それから晴れて妊婦となった私は、妊娠中の過ごし方や出産について片っ端から調べました。出産に向けての準備は万全です。 そしていよいよ出産予定日。日付が変わってすぐに破水し、まだ外が真っ暗な中、前もって休みを取っていた夫と一緒に車で病院まで向かいました。 病院へ着いて、先生の診察を受けると子宮口は1cm。破水しているのでそのまま入院となり、陣痛が来るのを待つことになりました。 夕方になっても本格的に陣痛が始まらなかったため、夫は一旦家に帰ることになったのですが、夫が家に帰ったあとすぐおなかに違和感が……。本格的な陣痛が来たのです。 「もう少しお産が進んでから、旦那さんを呼びましょう」と助産師さんが言ってくださったので、夫への連絡はもう少ししてからすることにしました。 長時間にわたる死闘に……そして、陣痛が始まり5時間ほど経ったころ、お産がだいぶ進んできたので助産師さんが夫を呼んでくれました。 1時間後、夫が到着するころにはかなりお産が進んでいて、私は初めて味わう激痛になりふり構わず叫んでいました。夫は私のお尻にテニスボールを押し付けて痛みが和らぐよう頑張ってくれていました。 途中、私は痛みのため呼吸を忘れてしまい、赤ちゃんに酸素がいかなくなってしまうからと、酸素マスクを装着。かなりの痛みで陣痛の間隔も5分ぐらいになったので、子宮口のチェックをしてもらうことに。 陣痛と陣痛の間の痛みが治まっているときに先生の診察を受けなくてはならず、陣痛室から診察室まで急いで移動。普段ならすぐ移動できるぐらいの距離なのに、おなかも大きいし、すでに陣痛の痛みでヘトヘトだし、途中で陣痛は来るしで診察室までがとても遠く感じました。しかし、先生に診てもらうと「1.5cmです」と……! 全然開いていない!? こんなに痛いのに!? そんなことある?? 本格的な陣痛が始まって10時間経つころには、陣痛の間隔は1〜2分! そのころには私も夫も疲れて、「陣痛と陣痛の間に爆睡&陣痛が来た瞬間に飛び起きる」を繰り返していました。 助産師さんによる子宮口チェックは3cm……。3cm!? そして再び夫と陣痛・爆睡・陣痛の死闘を繰り広げました。 出産後も痛みの連続!?そして再び診察室へ。全然診察室に辿り着かない……。診察台にも全然乗れない……。 そんな私の様子を見て先生は、「え? なんかおかしくない?」と……。何人もの出産の現場に立ち会ってきた先生がそんなこと言うなんて……。「やばくない?」と思いつつ、先生も「ん~切る(帝王切開する)のもなぁ、理由がないしなぁ」とブツブツ……。「いやもう、切ってくれ!」と思いましたが、再び陣痛室へ戻されてしまいました。 本格的な陣痛から13時間、陣痛の間隔が5分切ってから6時間。あまりにも限界が近づき、私はナースコールを押して「もう無理です……」と伝えると、助産師さんが急いで来てくれました。 そして出産となったのですが、そのころにはもう私の力もほとんど残っておらず……。先生と助産師さんによって赤ちゃんが引っ張られるように出てきました。 破水から約32時間、本格的な陣痛から約15時間。赤ちゃんの泣き声は、想像していたかわいらしい「ほぎゃぁほぎゃぁ」という泣き声ではなく、「ギャギャギャギャー!」という怪獣のような泣き声でした。 そして、分娩台の上で待望の赤ちゃんとの初対面。ドラマや漫画で見るような天使のようにかわいい姿とはまるで違って、「しわくちゃのおじさん」でした。 その後、分娩台で2時間ほど休み、病室へ移動したのですが、急に体がとても重く感じ、赤ちゃんがいなくなったはずのおなかも「妊娠7カ月ですか?」というぐらい大きかったです。歩くたびに痛みが走り、病室までまったく歩けませんでした。胎盤を出すときも痛かったし、授乳のときの後陣痛も痛い……。出産が終わってからもまだ痛いなんて知りませんでした。 出産の形はいろいろで、子どもによっても全然違う。出産は壮絶だったけど、この世に人が1人誕生するって本当に奇跡だと思いました。何もかもが予想していなかった出来事ばかりの出産でしたが、思い出として記憶に残る経験ができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:たつこ6歳、3歳、2歳、0歳の4児の母。現在、実家で夫と子ども4人、実の両親と同居中。夫の自営業をお手伝いする形で仕事をするかたわら、自身もインターネット関連の仕事を始める準備中。
2022年10月09日第2子を出産したときのお話です。出産予定日の11日前。朝起きるとおしるしがあり、おなかの張りと痛みがあったので急きょ病院へ。母と上の子と一緒に車で病院へ向かったのですが、そのとき何気なく言った上の子の発言に衝撃を受けた体験談です。予定日の11日前におしるしが!妊娠38週3日のときのことです。前の日の夜中に上の子(当時3歳)が嘔吐をしてしまい、朝には落ち着きましたが、私はまったく寝ていない状態で朝を迎えました。そして、朝トイレに行くと「おしるし」が! 第二子を妊娠してから、まったく抱っこしていなかった上の子を抱っこしたからかも……と焦りました。 おしるしは上の子のときにはなかったので、「ついに!」と思ったものの、もうそろそろという目安なだけで、「おしるしがあってから出産まで1週間かかる場合もある」という情報をネットで見てしまったので、仕事に行く夫に軽い気持ちで「妊婦姿見納めかも〜」なんて伝えていました。 妊婦健診のあとにおなかの張りを感じ始めて……その日はちょうど妊婦健診があり、母に送迎してもらう予定だったので、保育園をお休みにした上の子を小児科に連れて行き、そのまま妊婦健診へ。 11時の時点で子宮口は1cm。2人目なので、「痛みがあったら早く来てね」と言われ帰宅しました。帰る車の中、なんとなくおなかが張って定期的な痛みはあるなぁと、陣痛アプリを使ってみると、すでに3~4分! いやいや、まだわからない……そう思いつつも不安だったので、念のため母にはしばらく自宅で一緒に待機してもらい様子を見ていました。 しかし痛みは引かず、15時30分に病院へ電話。すると、「入院セットを持ってきてください」と言われたので、急いで病院へ出発しました。 上の子の予言が的中!?病院に向かう車の中で、上の子に「何時に生まれるかねぇ?」と何気なく質問したところ、「ろくじ!」と言われました。ちなみに当時、上の子はまだ時間のことは理解できていません。私は、「18時ならあと2時間か〜。それくらいなら耐えられるわ。がんばってくるねー!」と言って別れました。 助産師さんにそのやりとりを伝えると、「子どもの言うことは意外と当たるよ」と言われましたが、「もしこれが朝の6時だったら結構キツイなぁ」なんて思っていました。そして、陣痛室に入ったのが17時30分。すると助産師さんが、経産婦だから早め早めにと言って、子宮口が7~8cmになったところで早々に分娩室へ。 分娩室に入ってからいつまで経ってもいきんでいいと言ってもらえず、いきみ逃しをしているはずが……何とそのままスルッと誕生! そのとき17時52分。まさかの上の子の予言が的中してビックリでした! 出産後、本人に「生まれる時間当たったよー!」と伝えたのですが、言った本人は無反応(笑)。 産後、複数の助産師さんから「小さい子どもの言うことは当たるから!」と言われました。あんまり信じてはいなかった、上の子が言った下の子の誕生した時間。出産直後に時間を聞いて、とても不思議な気持ちになったのでした。 著者:ミルク3歳、0歳の2児の母。ただいま育休中。
2022年10月05日ソーシャルワイヤー株式会社(東証グロース市場:3929、所在地:東京都港区、代表取締役社長:庄子 素史)は、男性の育児休業取得の推進を目的とした新制度「出生時育児休業(産後パパ育休)」が2022年10月に運用開始されることを受け、今後の制度運用を踏まえ、育児休業を取得した/しなかった男性社員それぞれに育児休業を取得(未取得)の理由や育児中の現状についてインタビューを実施いたしました。■産後パパ育休とはこれまでの育休制度に追加される「産後パパ育休」は、出産予定日から8週以内に最長4週間取得が可能な男性向け育休制度で、原則初回の申し込み時に申請することで2回に分けて取得可能になります。これまでの制度と大きく違うのは“育休の分割取得”が可能になる点であり、条件次第では従来の育休制度と合わせて最大4回に分けて取得可能となり、より働き方の選択肢が広がる結果となります。2021年度における男性の育休取得率は全国で13.97%と過去最高を記録し、9年連続で上昇しています。(出典:厚生労働省 雇用均等基本調査)一方で、当社における男性の育休取得率は2021年度と2022年度(8月末時点)の2年連続で33%と全国と比較しても高い数値となっており、育休取得期間についても「6か月」や「1年」など長期の取得実績があります。今後も引き続き、働きながら育児を行う上で、社員のニーズに合わせた制度設計が必要であると考えており、より社員のライフスタイルに合った働き方の選択肢を提示できるよう実情把握に努めるため、制度を活用している社員および制度を未活用の社員の双方へのインタビューを行いました。■社員インタビュー(育児休業を取得)【鹿島 卓弥(かしま たくみ)さん】2020年4月中途入社。システム開発室に所属し、自社サービスの新規機能追加や改修を行う。今年6月に待望の第一子である男児が生まれ、6ヵ月の育休を取得。鹿島さん1Q. 育休を取得するきっかけは?もし縁あって子どもを授かったら、積極的に育児に参加したいと考えていました。高齢出産であることや両親が遠方に住んでいること、初めての育児で勝手が分からないことがあったので、自分が育休を取得することで妻の負担軽減になればと考えました。最初が一番大変だというイメージがあったので、出産日から育休をスタートすることにしました。Q. 育休取得にあたり不安に思うことはありましたか?同僚(男性)が1年間の育休を取得中だったので、前例があることで気持ちのハードルは少し下がりました。チーム内にも子育て中のメンバーが数名おり、子どもの送り迎えや看病などで柔軟に勤務時間を調整していたことも、復帰後の育児についての安心材料の一つでした。しいて言えば自身のエンジニアとしてのキャリアがまだ浅く、半年間という期間が空くことで、復帰後に業務スピードが落ちてしまい、周囲に迷惑をかけてしまうのではないかという不安があります。この点については、育児の合間を見つけて自己学習するなどし、復帰後の業務に影響がないよう、できる限り努力していきたいと思っています。Q. 育休取得を決めてからの流れはどうでしたか?出産予定日の半年前に育休を取得したいことを上司に伝え、期間や開始日について相談しました。実際に育休に入るまでの間、上司に業務進捗を共有しつつ、どうしても期限内に完了することが難しいものについてはメンバーに引き継ぎを行いました。スムーズに休暇に入れるよう部内調整や業務協力してくれた上司や同僚にはとても感謝しています。Q. 周囲の反応はどうでしたか?みんなから“おめでとう”と声をかけていただいたのがとても嬉しかったです。社内に同世代の子どもをもつ社員も多く、共通の話題が増えたことも今後の楽しみの一つです。人事担当者からはお祝いの言葉とともに育休制度の詳しい説明を受けることができ、背中を押していただいたような気持ちでした。Q. 1日の過ごし方と息抜きのコツを教えてください3時間ごとにミルクをあげて寝かしつけ、これを繰り返しながらオムツ替えや沐浴、合間に家事を行っているとあっという間に1日が終わります。妻と交代で行いながら、お互いに一人の時間を作るなどしてなんとか気分転換をしていますが、これがワンオペだったらと思うと恐ろしいです。育児以外の家事(例えば料理や掃除、洗濯など)を日頃からパートナーと分担することで、子どもが生まれた際にどちらか一方に負担が偏ることが少なくなると思います。育児についても途中参加ではなく、赤ちゃんが病院から自宅に帰ってきたタイミングで一緒に始めることが大切です。夫(妻)が育児に途中参加すると知識や経験の差が生じ、どちらかが一方的に教える関係となり、次第に亀裂を生むのだと知人が冗談交じりに話していました。鹿島さん2Q. 育休を取る前後で何か変わったことはありますか?些細なことですが、一歩家を出ると子連れの家族がたくさんいることに気付きました。ベビーカーを押している方に出会うと、勝手に“子育ての同志”のような気持ちになっています。ウェルカムベビーの配慮がある施設は本当に有難いですし、男性用トイレにオムツ台が無いとガッカリするようになりました。随所で男性が育児に参加することへの理解が進んでいないと感じる一方で、子どもができたことで自分自身の視野が広がったことを実感しています。妻が妊娠中の出来事ですが「電車で席を譲ってくれるのは同姓(女性)が多い」と言っていたことを思い出しました。ハッとさせられたのと同時に、自分もきっとスマホに夢中で気付かないことがあったかもしれない、と思いました。親になった今だからこそ、子連れの方が困っている時にいち早く気付き、手助けできる人でありたいと思います。Q. 最後にメッセージをお願いします育休を取得したい気持ちが少しでもあるなら、ぜひ取得してほしいです。赤ちゃんは日々、驚くほど成長していきます。その様子をそばで見ることができるのは限られた時間ですし、何ものにも代えがたい貴重な機会であるので、まずはどんな制度があるのか知ってほしいと思います。今後チーム内に育休取得を希望するメンバーがいれば背中を押せる存在でありたいですし、自身にできることがあれば積極的に協力していきたいと思います。鹿島さん3■社員インタビュー(育休取得せず育児を行うことを選択)【山崎 達生(やまざき たつき)さん】2021年新卒入社。仙台営業所にてPR配信サービス@Press(アットプレス)の営業を担当。今年7月に第一子である男児が誕生し、仕事と家庭の両立について日々模索しながら業務に励んでいる。仕事帰りの沐浴と寝かしつけはパパの担当。山崎さん1Q. 育児休業取得については検討しましたか?育休を取得するという選択肢もありましたが、安定した収入と将来に向けて仕事で結果を出すことが家族のためになると判断しました。様々な選択肢があった中で、新卒2年目でまだまだ若手である私の“仕事を頑張りたい”という意見を尊重してくれた妻にはとても感謝しています。産後は社内制度である特別休暇を取り、家族の時間を過ごしました。Q. どのように家事・育児を行っていますか?平日昼間の家事育児は妻に任せきりですが、帰宅後は抱っこやおむつ替えなど積極的に子どもと関わる時間を設け、妻の負担を軽減できるよう心がけています。沐浴と寝かしつけは私の担当ですが、平日帰りが遅くなると子どもと過ごす時間がほとんどない日もあり、少し寂しくもあります。Q. 息抜きのコツを教えてください人生初めての子育てで戸惑うことが多く、試行錯誤の毎日です。意識していることは、第一子であっても必要以上に神経質にならないことです。一人の時間も自分にとってはとても大切な時間なので、休みの日には朝早く起きて、大好きなゴルフの打ちっぱなしに行くこともあります。子どもが生まれたばかりで出かけることもなかなか容易ではありませんが、時には妻の好物をテイクアウトし、のんびり美味しいものを食べながら家族団らんするのもストレス解消のひとつです。Q. 最後にメッセージをお願いしますまだまだ新米パパの私が言うのはおこがましいのですが、子育てに正解はないと思います。気張らず、必要以上に過敏にならず、これからも我が子の成長を見守っていきたいです。子育ては初めてのことばかりで戸惑うことも多いですが、子どもが生まれてからより一層毎日が楽しいと感じるようになりました。そして最後に… 我が子はとんでもなく可愛いです!山崎さん2■子の出生時における社内制度当社は全ての社員にとって働きやすい環境を整えるとともに、育児休業の取得有無に関わらず、それぞれのライフステージに合わせたより良い選択ができるよう、子の出生時における以下のような社内制度を設けております。1. 人事相談窓口の設置2. 特別休暇の付与(3日間連続)3. 慶弔見舞金の支給4. 子の看護休暇取得制度(5日間)合わせて11時~15時の間をコアタイムとした勤務時間の調整、社内イントラのクラウド化やチャットツールの活用などのリモートワーク環境の整備を通じ、個々人に合った柔軟な働き方が選択できる社内環境を構築してまいりました。引き続き、時代の変化に適合する多様な働き方を通じた社員のエンゲージメントと企業価値の向上に努めてまいります。<当社のESG活動> ■会社概要商号 : ソーシャルワイヤー株式会社(証券コード:3929)代表者: 代表取締役社長 庄子 素史所在地: 〒108-0023 東京都港区芝浦3-9-1 芝浦ルネサイトタワー6階設立 : 2006年9月6日事業 : デジタルPR事業(インフルエンサーPR/リリース配信/クリッピング)シェアオフィス事業(シェアオフィス運営/クラウド翻訳)URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月30日私は4回出産を経験しましたが、妊娠中や産後に身内に不幸があり、葬儀がおこなわれることがありました。まさかの出産予定日直前に夫の祖母が亡くなり、臨月の状態で葬儀への参列をどうするべきか悩んだことも。また、次男が生後2カ月のときには義父が他界。小さい子どもを連れて葬儀に参列することになったのですが……。ここでは、妊娠中や産後に葬儀があった際、私がどのように対応したのかをお話しします。まさかの出産予定日に葬儀が……私は長女の出産予定日1週間前に、2歳の長男を連れて実家に帰っていました。すると、実家に帰って2日後に夫の祖母が危篤という連絡がありました。今動くべきか悩みましたが、夫はもちろん、私まで本当にかわいがってもらっていたので、どうしても会いたくて病院へ行くことに。その後、義祖母は息を引き取り、まさかの出産予定日に葬儀が執りおこなわれることが決まりました。 義両親や親戚も、私が臨月ということは知っていたので、無理に参列しなくてもいいと言っていただきました。ただ、本当にお世話になった義祖母と最後のあいさつがしたいという気持ちがあり、夫や母と相談することに。 お通夜だけ参列することに夫は義祖母にとっては初孫で長男ということもあり、本当にかわいがられていました。その義祖母をきちんとお見送りしたい気持ちと、私に何かあったらすぐに動かないといけないことから、臨月の私には安静にしておいてほしいと夫から言われました。 けれど、私も最後に会いたいと言うと、お通夜だけということで話がまとまったのです。おなかの大きい私はなんとか入るサイズの黒い服を探し出し、長男を連れて、母と一緒にお通夜へ。ただ、本当に義祖母にあいさつだけをして、短い時間で帰ることにしました。 出産予定日より1週間遅れて出産結局、出産予定日当日に陣痛は来ず。その後、祖母の初七日が終わった1週間後に陣痛が来ました。長男は夫の実家にあずけ、長女を出産。義祖母のことが一段落するタイミングだったので、夫も無事出産に立ち会うことができました。あのとき無理に動いてお葬式まで参列していたら周りに迷惑をかけていたかもしれないと思うと、あの判断は間違っていなかったと思います。 それから時が経ち、次男を授かり出産。次男が生後2カ月のときに義父が亡くなり、葬儀がありました。私はもう動ける状態だったので、長男の妻としてバタバタしながら、次男への授乳やお世話をして本当に大変でした。 妊娠中や、小さい子どもを連れての葬儀は本当に大変です。特に妊娠中となると、地域によっては風習があり、生まれてくる子どもに影響があるかもと心配されることもあります。私の場合は運良く4回とも家で陣痛が始まりましたが、急な葬儀の対応なども含め、妊娠中は自分の体調を考え、ベストな状態を整えておくことが大事だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月18日私の1人目の赤ちゃんは出生体重が3,500g近くありました。1人目は里帰り出産であったため母がいてくれ、また、出産予定日がGW中だったので夫も泊まりに来ている中での出産となりました。2人目も健診のたびに「大きいねー」と言われ続け、出産予定日1カヶ月前で、すでに1人目の出生体重に迫っていました。今回は里帰り出産はせず、夫と娘しか近くにいない中での衝撃の出産体験を紹介します。 これからお産が始まると直感…出産予定日10日前の夜中の出来事です。これといって生まれそうな気配もなく、健診のたびに体重が増え大きくなるおなかの赤ちゃんに恐々しながらも、その日も先生に「まだ産まれそうにないね」と言われて帰りました。 夜中の2時ごろトイレに行きたくなり起きた私は、トイレに行って、キッチンにあった食器を洗って布団に戻りました。 でもやっぱりトイレに行きたいと思ってトイレに行くと少し出血が……。このときはまだ陣痛らしきおなかの痛みはありませんでした。しかし、 これは「1人目のときと同じだ!」と、1人目の陣痛開始のときと同じ雰囲気だったのでこれから陣痛が始まると直感し、入院準備の確認を始めました。 入院の準備をしているとおなかが痛くなってきて、「やっぱり……」と思いつつ、まだまだ痛みは強くはなく動ける余裕がありました。間隔を計ってみると5分間隔……。これも1人目のときと同じで、初めから間隔が短いのが私の陣痛の特徴のようでした。 突然の痛みに身動きがとれず…するとそのとき、普段はどんなことがあっても起きない夫が珍しく起きてきたのです。 「どうしたの?」と聞かれ、「多分陣痛、間隔何回か計ってから病院に電話するわ」と伝え、夫はトイレへ。 夫が戻って来たとき5分間隔が3回、4回続いていたので病院に電話することに。 電話口で、陣痛が始まってまだ20分くらいしか経っていないけど、5分間隔なこと、1人目もそんな感じで出産まで6時間と早かったこと、出血もあったことなどを伝えると、「経産婦さんだとさらに早く生まれることもあるので、念のため病院に来てください」と言われて電話を切りました。 その途端、今までの痛みとは全然違う痛みが襲ってきたのです。「いたたたたー!」と叫びおなか腹を抱えて動けなくなる私。 「早く車へ乗って!」と焦る夫。 痛みが治まっても次の痛みまで1分くらいしかなく、痛みの余韻もあってなかなか動けず、痛みと痛みの間に移動できる距離はわずか。 この痛みは「ただ事じゃない」思い、痛みの合間に夫に「病院に電話して」と伝えましたが、「病院の電話番号は?」と今さらなことを言う始末……。携帯電話に登録させておけばよかったと思っても後の祭り。 なんとか私の携帯電話のロックを解除し、電話してもらったところで痛みが最高潮……。部屋から3mくらいしか離れていない玄関にようやくたどり着いたところで病院に電話がつながり、夫がどうすればいいか対応を聞いていたとき、「もう動けません! 痛い!」と叫んでいました。 ズボンの中の膨らみの正体とは…!?そしてそのとき、突然痛みがなくなり、「動ける! 今なら行ける!」と立ち上がったら、股に違和感が……。 ふと足の間を見るとパジャマのズボンの中になにやら膨らみが。「赤ちゃんが……!」と急いでズボンを下ろすと、膜に包まれたままの赤ちゃんがずるりと出てきてしまったのです。 夫が急いで膜を破ると赤ちゃんが見え、泣き声も聞こえました。電話越しに助産師さんが慌てているのが聞こえてきましたが、私は突然の出産に放心状態。夫がなんとか状況を説明し、赤ちゃんを冷やさないようにバスタオルに包んで病院に連れて行くことに。 車に乗せるまで、私は自分で赤ちゃんを抱き抱え、まだつながっているへその緒に気をつけながら駐車場まで歩きました。車に乗ろうとしたところ、ずるりと胎盤が出てきた感触があったので下を見ると、駐車場に胎盤が落ちてしまいました……。 自分で胎盤を掴み上げ、胎盤も車に乗せて夫の運転で病院へ急ぎました。夜中だったこともあり他の車が走っていなかったので、5分くらいで病院に到着。こんな事態なのにコロナ禍もあって中に入れない夫は、無情にも駐車場でバイバイすることに。 赤ちゃんは3,700gのビックベイビー。少し低体温になっていましたが、とても元気で、半日保育器に入っただけでなんの問題もないとのことでした。私は、股も切れてなかったようで「縫う必要もないね」と先生に言われ、他に異常もなく、母子共に健康で奇跡の自宅出産となりました。 入院中、あらゆる看護師さんや助産師さんに「あんな大きい赤ちゃんよく自宅であのスピードで産めたね」と感心され、出産に慣れている人たちたちにとっても珍しいことなんだなと実感しました。 ちなみに夫は、病院からすごすごと帰って部屋の中や駐車場に散らばった血を明け方の眠い中、必死に掃除していたそうです……。 2人目は早いと聞いていましたが、まさかの陣痛開始から出産まで40分もないスピード出産でした。しかも本気で痛い陣痛は10分くらいだったと思います。2人とも無事だったので笑い話、武勇伝として話せますが、「夫がいるときの陣痛でよかった。そして赤ちゃんに本当に何もなくてよかった」と思うと共に、もし3人目を産む機会があるなら、今度はどれだけ早く出てくるのか……と、ふと思うのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:すほママ3歳と1歳の女の子のママ。親戚も友達もいない土地にて専業主婦として家事に育児に大忙しの日々を過ごす。毎日、娘たちとどう過ごすのか、どこに行くかを考えるのに、頭を悩ませている。
2022年09月13日私には3歳の長男と1歳になる次男がいます。ちょうど1年前、次男の出産予定日の20日前におしるしが来ました。おしるしが来てもまだ生まれないだろうと、その日私は長男と2人で普段通りお散歩へ行ったり家で遊んだりして過ごしていました。しかし、だんだんおなかが痛いような気が⋯⋯。出産予定日よりかなり早かったので、まさかその日に生まれるとは思っていなかったのです。おしるしからすぐに生まれないと思い込む長男を出産したときは、おしるしから24時間以上して陣痛が来ました。私は次男のときも同じように、おしるしが来てもすぐには生まれないだろう、たまにある腹痛は前駆陣痛だろう、と思い込んでいたのです。 しかしズーンとした生理痛のような痛みが続き、もしかして陣痛かもしれないと気づきました。そして19時ごろ夫が帰宅。すぐに夫におしるしがあったことと、陣痛かもしれないということを伝えました。夫が帰ってきた途端、気が緩んだのか痛みがジワジワと強くなってきたのです。 コロナ禍で面会時間が少ないからこそ……そのまま痛みは続きましたが、間隔が20分程度空いていたのでまだ大丈夫だろうと思って我慢をしていました。長男を寝かしつけたあと、私も早めに布団に入りました。しかし、だんだん20分、10分と痛みの間隔が狭くなって……。コロナ禍で面会時間が30分に限定されるため、私はせめて、長男が朝起きるまでは自宅で耐えたいなと思っていたのです。 次男を出産するときには、長男を私の実家に預けるつもりでした。もし長男を寝たまま実家に連れて行ってしまえば、長男とまともに話す時間がないまま産婦人科へ入院になります。それは私にとっても長男にとっても寂しいなと思ったのです。 もう限界! 長男を実家に預け、産婦人科へ夜中3時、3時10分、20分……とあのときの時間が経つのは永遠に感じました。長男が「おはよう!」と起きてくる7時ごろまでは耐えなければ……と、私はかなり痛かったですがひとりで耐えていました。しかし、もう限界。痛みの間隔も10分以下と狭くなってきたので、夫を起こし病院へ電話することに。そうすると「すぐに来てください」とのことでした。 仕方なく寝ている長男を車へ乗せ、実家に連絡をし、そのまま長男を預けることになりました。そのときの陣痛の痛みはかなり強いもので、車の揺れさえつらかったです。無事に産婦人科へ着き、そのまま分娩室へ。診察してビックリ、子宮口が全開大だったのです! 助産師さんから「3人目はもう少し早く来ててくださいね〜」と言われてしまいました。 そのままありがたいことに15分程度で破水、合計30分程度で次男は元気に生まれてきてくれました。しかし、陣痛を我慢するのはほどほどにしておかないと、本当に危なかったようです。コロナ禍で面会時間が短いからと長男との時間を惜しんでしまった結果です。今のところ3人目は未定ですが、もし授かることがあったら次は早めに受診したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:森下ミメカ3歳男児と1歳男児の母。長男妊娠を機に専業主婦に。2歳差育児の大変さを痛感中。現在、子育てや暮らしについてのブログや体験談を執筆している。
2022年09月07日私には小学生の娘と幼稚園児の息子がいます。娘は在胎37週6日、息子は在胎38週0日で生まれました。2人とも出産予定日より半月ほど早く生まれたことになり、そのことについて、義父から度々気になる発言がありました。そのたびに、悲しい気持ちになっていたのですが……、そんな義父に変化をもたらした、娘のひと言をご紹介します。 出産予定日より半月ほど早く生まれた娘娘を妊娠中、経過が順調だった私は、体に負担をかけないように気を付けながらマタニティライフを満喫していました。出産予定日まで残り半月となったある日、残りの妊娠期間も有意義に過ごしたいな……とのんきに考えていたのですが、おしるしがあり、そこからはあれよあれよとお産が進んでそのまま出産となりました。 少し驚きはしましたが、母からは私自身も出産予定日よりかなり早く生まれたと聞いていたので、特に気にすることもなく、無事生まれてきてくれたことに感謝していたのです。ところが、生まれてすぐに病室に駆けつけた義父は、着くなり開口一番こう言いました。「早かったねー」。 義父が言う「早かったねー」の意味義父に「早かったねー」と言われて、なんのことかな? と思っていたら、「予定日はまだまだ先だから、まさかこんなに早く生まれるとは思っていなくてびっくりした」と言ったので、そこで初めて、義父の言葉の意味を理解しました。そのあとも度々「なんで早く生まれたんだろうねー」と言ってくる義父。はじめのうちは「居心地が悪かったんですかねー?」と笑って返していましたが、私はだんだんその言葉が気になるようになっていきました。 娘は生まれてから1週間くらいは目を開けることもなく、寝てばかりいました。母乳育児にこだわっていた私は、寝てばかりでうまくおっぱいを吸えない娘を見ながらだんだんと、妊娠中に動きすぎたせいで早く生まれてきたのかな、早く生まれたからこうなのかな、と後悔するようになってしまいました。 歩き始めるのも遅かった娘だけど…娘はずっと、体が小さめで寝返りも歩き始めるのも遅かったので、義父の言葉を思い出しては不安になっていました。ところが、2歳を過ぎたころから急に、娘はぐんぐん大きくなり、運動能力も飛躍的に上がったのです。それとともに、私の中で義父の言葉も薄れていきました。ところが、第2子である息子が、娘と同様に出産予定日より2週間早く生まれたのです。義父はやはり、娘のときと同じことを言うようになりました。 息子は娘と違って大きく生まれ、おっぱいもよく飲んだので、娘のときのようには気にならなかったのですが、「早かったね」と言われるのはいい気持ちはしませんでした。それを察したのか、ある日娘が義父にこう言ったのです。「弟も私と同じで、早くじいじに会いたかったんじゃない?」。それを聞いた義父はうれしそうな表情で、不思議とそのあとからは、あの言葉は言わなくなりました。驚くとともに、娘には助けられました。 義父がなぜ早く生まれたことにこだわったのかはわかりませんが、私個人的には、産後の赤ちゃんの様子は個人差があって、その子によって違いが大きいのではないかと思っています。そして娘のあのひと言は、おじいちゃんが大好きな娘から出た素直な言葉だったのだと思います。娘は現在小学生ですが、クラスで一番背が高く、走るのも早いです。息子も活発で、今では義父の言葉で悩んだ日々は笑い話になりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年08月30日現在0歳娘の育児に奮闘中のママです。初産でしたが、自分でもびっくりするくらい脅威のスピード出産でした! 出産2日前の健診で、先生から「もう子宮口が3・4cm開いてるから、案外スルッと生まれてきちゃうかもね〜!」と言われてはいましたが、まだ出産予定日より10日以上前だったので、まさか2日後にスルッと生まれてくるとは……!? 私の驚きの出産体験談を紹介します。 これは便意だよね…?妊娠38週3日目の夕方ごろからなんとなく便意を感じ、夜にかけて何度かトイレで踏ん張りましたが、まったく便が出ないか、出てもほんの少しでした。普段から便秘のことがよくあり、この日も 「今日も出ないなぁ」くらいに思っていました。 でも、間隔があいてはいるものの、何度も便意らしきものが続くので、「これはもしかして便意ではなく軽めの陣痛なのでは?」と疑問に思い、夜ごはんを食べたあたりで病院に念のため電話しました。 「定期的に便意のような軽い痛みがあるんですけど、これって陣痛なんでしょうか……?」と連絡したところ、「もし痛みの間隔が狭まってきて定期的に来るようだったらまた連絡してください」と言われ、電話を切りました。 病院に連絡した際に「その痛みは陣痛ですよ!」とは言われなかったのと、出産予定日まで10日以上あったので、その日はそこまで気にせず、テレビを見たり普段通りの生活をしていました。 そんなこんなで夜中0時を過ぎてしまったため、お風呂に入るのが面倒くさくなり「明日の朝に入ろうかなぁ」とも思いましたが、夫に「一応今日入っておいたほうがいいんじゃない?」と言われ、「そうだね〜」なんて言いながらシャワーを浴びました。 シャワーを浴びて寝る準備も終え、夜更かしは良くないと思いつつもリビングでくつろいでいると、またあの便意らしきものがやってきました。夕方よりも少し痛みが増してきているような……? まだ陣痛ではなく便意だと思っている私は、またトイレへ直行。踏ん張ってみるものの、やっぱり出ません。あきらめてリビングに戻ると、またあの痛み! 「便意がこんなにあるのになんで出ないのー!」と思っている間に、気づけば間隔もだいぶ狭まり痛みも増してきました。 え? もう産むの!?ここにきてやっと、「便意じゃなくてこれはやっぱり陣痛かも」という気持ちが強くなり、寝室に行って夫を起こしました。起こしたあと、まだ少しあきらめきれない私はもう1回トイレへ。すると下着が少し濡れていたため、「破水した!?」と急いで病院へ電話。このとき午前2時半ごろでした。 登録していた陣痛タクシーを呼び、待っている間にだんだんと痛みが。でもこのときはまだ耐えられる程度の痛みでした。タクシーで病院へ向かう途中、車中で 「これが陣痛か」と確信できるような痛みに初めて襲われました。 病院に着き、痛みに耐えながら分娩台へ。助産師さんが子宮口を確認し、そして「はい、じゃあもう産むよ〜!」とのこと。「え? もう?」と思っている間にも着々と分娩の準備は進み、もうすぐあの「ひっひっふぅーーーう」が始まろうとしている中……。夫が呑気に「書類どこー?」と、病院から提出するよう言われた書類が見つけられなかったようで、私のバッグを持って現れました。 陣痛に耐えながら、「これ!」と書類が入ったファイルを少しイラッとしながら渡す私。書類を無事に提出した夫がこちらへ戻ってきました。事前の説明でも、コロナ禍のため分娩時以外の付き添い不可、「病院に来てもなかなかすぐ分娩にはならないのでいったんご主人には帰ってもらうことが多いですね」と聞いていたので、夫もまさかもう産む体勢に入っているとは思っておらず、「え? もう?」と言いながら立ち会い着を着ていました。 陣痛と便意は似ているのかも!?そして順調に「ひっひっふぅーーーう」を頑張り、子宮口が全開大になって必死にいきんでいると何かが出そうな感覚が。それを言わずにはいられなかった私は、いきみながら「便が出そうですー!」と自己申告しましたが、助産師さんは「いいのいいの、赤ちゃんもうちょっとだよー!」と何も気にすることなく分娩は続きました。 そして、出産予定日より10日早く、少し小さめではありましたが、娘が無事に生まれてきてくれました。元気な泣き声が聞こえたときは本当にうれしかったです。 このときなんと午前3時半前! 病院に着いていったい何分で生まれたんだろうという脅威のスピード出産体験でした。ちなみに、分娩中に便が出たかどうか特に確認しなかったので、本当のところはわかりません。 あの日、夜シャワーを浴びておいてよかったし、私が必死で陣痛に耐えているときの「書類どこー?」は今となっては笑い話。何より危うく自宅トイレで出産することになったかもしれないと思うと、無事に病院で出産できて本当によかったです。スピード出産ではありましたが、陣痛の痛みには心が折れそうだったので、早く出てきてくれた娘を褒めてあげたいです。 出産は人それぞれとは聞いていましたが、「なんで事前に誰も陣痛と便意が似てるって教えてくれなかったの?」と思いました。経産婦さんは1人目より分娩時間が短いと聞くので、先のことはわかりませんが、もし2人目ができたときにはいったいどんなスピード出産になるのだろうと、今からドキドキです。 監修/助産師 REIKO 著者:yurimama0歳の一児の母。初めての育児に毎日奮闘中。世の中のママさんたちのすごさをあらためて実感しているところです。どこにでもいる普通の会社員で、現在は育児休業中。
2022年08月29日初めての出産で、母親学級とか健診とか、とにかく初めてのことだらけで毎日不安でした。そのため 出産予定日近くになったらすぐ入院できるように用意周到で待っていた私。しかし、まさかの事態に……!? 私のオドロキの出産体験談を紹介します。 いつ生まれてもいいように入院セットを準備当時、結婚してすぐに長女を妊娠したのは33歳のとき。高齢出産に近い年齢ということを病院から言われたこともあり、妊娠中は不安でいっぱいでした。そこで私は、出産予定日近くになると、いつ入院してもいいように家の玄関に入院セットを準備万端にして置いておきました。 出産予定日3日前の朝、夫を送り出した直後、何度かもよおしたくなる感覚に襲われたので病院に電話で相談。「破水しているかもしれないので急いで病院に来るように」と言われました。すぐにタクシーを呼び、入院セットをもって夫と自分の母に連絡。自宅からタクシーに乗って病院に向かいました。 破水後もなかなか陣痛が来ず…車椅子に乗り陣痛室へ運んでいただくと、横になりいろいろ処置をしてもらいました。結局破水はしていたものの、陣痛はなかなか来ません。そこで、破水後はバイ菌が入りやすいため、陣痛を促すことに。陣痛促進剤の点滴を打ちましたが、なかなか陣痛が来ません。私が通っていた産院の陣痛室のベッドは、担架型の小ぢんまりした窮屈なベッドでした。また、個室ではなくパーティションで仕切られています。 その後、何人も妊婦さんが到着し、陣痛が来て苦しそうにしながら分娩室に運ばれていきました。「私の番はいつ?」と、悶々としながら過ごしていました。陣痛促進剤の点滴を打ってもまったく陣痛が来なかったため、結局3日間も陣痛室にいることに……。 さすがに「これ以上陣痛が来ないと、自然分娩は難しい」ということになり、帝王切開になると産院から言われた途端に、陣痛が始まりました。あの3日間は本当に長かったです。 陣痛が来てすぐのスピード出産!?そして、どういうわけか出産予定日のドンピシャの日に出産。3日間も陣痛室にいたわりには、出産時間は短かかったようです。また、赤ちゃんは3,400gと大きめだったのもあり、助産師さんや産婦人科医、新生児担当の小児科医の先生方が名前を覚えてくださいました。 3日間も陣痛室にいて、担架のようなベッドに寝ていたなんてなかなか体験できませんし、そして子どもが出産予定日に生まれたのも私にとっては驚きでした。初めての出産は、私にとって貴重な思い出となっています。 監修/助産師REIKO 著者:しらたま21歳 18歳 16歳 11歳 4人の子どもの母。3年前はフルタイムでバリバリ仕事していましたが 、今は更年期障害と戦いながら仕事をパートに切り替えました。働きながら子育てのことなどを交えて執筆しています。
2022年08月26日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子をもつ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談をご紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送ることができたことにとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院をして、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。けれども時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかった瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親に作ってもらっていたごはんを自分で作る練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけないものを保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張ることができました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けることができ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったです。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れていると思います。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ムチコ監修/助産師 松田玲子著者:河村アリス7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。
2022年08月23日初産の出産予定日1週間前、余裕こいて予定日ぎりぎりにやりたいことを詰め込んでいたところ、「なんか水出てきた……」。まさか、破水!?病院に電話すると「入院用具持参で来て」と言われ、大慌て!急きょ病院に行くことになりパニック! 慌てて準備し駆け込むと、そこには思いもよらない姿が……!鏡に映った現実に思わず… 「なんか既に、思ってたんと違う……!!!」 入院準備をしておらず、慌てて詰め込んだバッグから溢れる荷物。 思いっきりプリンになっちゃった金髪(明日行くはずだった)。 急いで出てきたためパジャマのズボン。 鏡に映った自分の姿が、それはそれは予定と大きく違いすぎて 「え、これ誰? 」って。 みんな、入院準備は早めにしたほうがいいし、とりあずニットワンピは腹から出そうな? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2022年08月02日都会での子育てを前提に、産後の楽しいことばかりを考えて過ごしていた妊婦時代。出産予定日まで残り2カ月を切ったとき、転勤族の夫に出た辞令はまさかの「地方転勤」でした。知り合いなし! ママ友なし! ペーパードライバー! 里帰り出産を終えて地方入りした私を待っていたのは、孤独な毎日でした。 地方転勤なんて聞いていないよ!私は出産するまで都市にしか住んだことがなく、妊娠中も都市での子育てを前提に近くの支援センターを見学したり、先輩ママとの交流を深めたりしていました。夫は転勤族でしたが当面は転勤の予定もなく、仮に転勤があったとしても主要都市だと言う夫の言葉を信じて疑いませんでした。 しかし出産予定日まで残り2カ月となったとき、夫から1本の電話が。「ごめん。転勤になった! しかも地方だった」という夫の言葉を聞いて、私は目の前が真っ暗になりました。 夫の転勤予定の地は夫の会社内でも「陸の孤島」と噂されていて、都会からのアクセスが非常に悪く、車がないと身動きの取れないような場所。ペーパードライバーの私にとって、交通手段を断たれたようなものでした。 想像していた以上に孤独な地方での子育て幸いにも里帰り出産することが決まっていたので、里帰り先での生活は不自由なく過ごすことができました。地方に行くことが恐怖にしか思えず、ずっと実家にとどまっていたいとさえ思うことも……。子どもが生後3カ月になり、私たち親子も夫の待つ地方に向かう時が来ました。 地方での生活は想像していた以上に孤独で、車社会であったことから町を散歩していても人が歩いている姿はほとんどありませんでした。私は長年のペーパードライバーなので、泣き続ける子どもを乗せて運転の練習をする勇気もなく、孤独な生活に耐える毎日。誰もいない道をベビーカーに子どもを乗せて散歩していると、寂しさから不意に涙が流れることもありました。 運命を変えた! 同じ境遇のママとの出会い子どもが生後5カ月のころ、私は孤独な毎日を変えたいと思い、支援センターやママの集まりなどを必死で探しましたが、どこも遠くて車で通うことが前提の場所ばかり。唯一、近所の公民館で「0歳児親子向けのリトミック教室」が新規開催されることを知り、即座に参加希望の連絡をしました。 ドキドキしながら教室に参加すると、そこにいたのは私と同じ転勤族のママたち。境遇が似ていることもあり、すぐにみんなと打ち解け、たくさんのママ友ができました。毎週リトミック教室に通う時間がとても楽しみで、レッスンを受けているときは孤独を忘れることができました。 地方育児もなかなか楽しいママと育児の悩みを共感しあったり、気分転換に一緒にランチをしたりできるまでになり、孤独だった育児が楽しい毎日へと変わっていきました。そして、今まで知らなかった地方のグルメやおすすめスポットを、ママ友たちと一緒に開拓するようになりました。 地方育児の良いところは、なんといっても自然がいっぱいでのんびりと子育てができるところ。毎日泥んこで元気に遊んで、家の玄関にカブトムシが止まっていたことも! もっと地方育児を楽しみたいという思いから、勇気を出して運転の練習もして行動範囲が広がり、ますます地方育児が楽しくなりました。 地方で育児を始めた当初は、地方の悪い面ばかりに目が行き、地方育児をまったく楽しめませんでした。当時、孤独な生活から私たち親子を救ってくれたママ友たちには感謝してもしきれないほどです。自然たっぷりの地方環境でママ友たちと協力し合いながら子育てできたことは、自分にも子どもにとっても良い経験となりました。 イラストレーター/ちひろ著者:斉藤菜々子4歳と2歳の男の子のママ。夫は転勤族で3回の引っ越し経験有り。「子育て」「ファッション」ジャンルを中心にライターとして活動中。ワンオペでの子育てに悩み、解決の糸口になればと保育士資格を取得。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年07月07日長男・次男を産むとき、遠く離れた土地から里帰り出産をした私。夫に立ち会ってもらう予定でしたが、どちらも間に合いませんでした。次男の出産のときは長男の面倒を両親に見てもらうため、母も立ち会えずひとりで産むことに。そんな出産中の、思い返すと笑える先生や助産師さんとのやりとりをご紹介します。※コロナ禍前の体験談です おなかにいる次男に願う毎日私が次男を妊娠した当時、私たち家族は両家の実家から飛行機を乗り継ぐ距離に住んでいました。上の子もまだ小さくて産前産後に不安を感じていた私は、長男のとき同様、迷いなく里帰り出産をすることに。 夫にも出産に立ち会ってほしかったため、夫の帰省用に出産予定日の5日前の飛行機を予約しました。陣痛が始まってから帰ろうとしても、予約が取れるかわからなかったからです。 長男の出産のときは、出産予定日よりも早く生まれて夫が立ち会えなかったため、「次男のときこそ立ち会ってもらいたい……」と思っていました。そのため、私は毎日おなかに向かって、「お父ちゃんが帰ってきているときに生まれてきてね」と話しかけていました。 願いは届かず、ひとりで出産へしかしそんな私の願いは届かず、夫が帰ってくる3日前の朝に陣痛が始まり、病院を受診するとそのまま入院となってしまいました。私の両親は仕事をしており、夜も長男のお世話をしてもらう必要があったため、私はひとりで出産することに。 陣痛が始まってから11時間後ぐらいに分娩台でいきみ始めましたが、出産につながるような強い陣痛が来ません。破水もしていなかったため、助産師さんが人工破膜をしました。それでもなお、次男の頭が子宮口のほうを向いておらずなかなか出てこなかったため、先生が手を突っ込んで向きを変えることに。 これが痛すぎて、私は「痛い痛い痛ーい!」と叫んでしまいました。しかし、そのあと一気に強い陣痛が来てくれたのです。 先生と助産師さんを疑ってかかるこの時点で陣痛が始まってから15時間ぐらい経過していました。私は長男の出産のときにも感じたことのない最強の陣痛に襲われながら、先生と助産師さんに「もうすぐですか!? もうすぐ生まれますか!?」と半泣きになりながら15回ぐらい聞いていました。 そして「もうすぐもうすぐ! 本当にもうすぐだよ!」と励ましてくれる先生たちに「マジですか!? マジでもうすぐですか!?」と疑ってかかる私。先生たちが「マジでもうすぐだよ! (笑)」と答えると、私は「本当にもうすぐ生まれるんだ」とやっとのことで悟り、「マジか! よっしゃー!」と叫びながら次男を出産しました。 こうして思い返してみると笑えるやりとりですが、そのときは必死でした。夫や母に立ち会ってもらえなかったことは残念ですが、2人にこのやりとりを見られていたら恥ずかしかったかもしれません。ちなみに私が必死で出産している間、夫は仕事の接待で優雅にお酒を飲んでいたということをあとから聞き、仕方ないとは思いつつも腹が立ったのは言うまでもありません。 監修/助産師REIKO著者:今岡めい6歳と4歳の超わんぱく兄弟を育てるママであり、フリーライター。「子育てで一番大切なのは母親が笑顔でいること」「幼児期最大の英才教育は遊びである」をモットーに掲げ、日々テキトー育児を繰り広げている。
2022年06月13日私は第1子を里帰り出産することにしました。初めての出産で不安なことと、母の希望もあって決めた里帰り出産。出産予定日の前後3カ月間を実家で過ごしたのですが、快適である反面ストレスが溜まることもあったのです……。快適な実家生活だったけど…産院を転院する関係で、私は出産予定日の2カ月前から実家へ帰ることにしました。実家で長く生活するのは、高校を卒業して以来約10年ぶりのこと。夫を家にひとり残すのはちょっぴり心配でしたが、久しぶりの実家生活をとても楽しみにしていました。 実家からは産院へも近く、何かあったらすぐに駆けつけてくれる親戚も近くにいました。また、何よりもごはんを作らなくていい実家生活は、妊娠後期で体が重かった私にとってとても快適なものでした。 「水道光熱費が増えた」と言われた無事に長男を出産した私は、退院して実家へと戻りました。慣れない育児、眠気と闘いながら頭ボサボサのまま長男のお世話をしていた私にとって、ごはんを作ってくれる母や長男の面倒を見てくれる父の存在は、ありがたいものでした。しかしあるとき、母に「水道代が高い! 先月からすごく増えた!」と言われたのです。 確かに、里帰り中の私はずっと実家にいました。父と母の2人のときよりも、水道の使用量は増えると思います。トイレも膀胱が圧迫されるせいか1日10回以上は行っていたし、「水道代が上がるのは仕方ないんじゃないか」と思います。しかし母は納得がいかなかったようで、「節約するように」と念を押されてしまいました。 電話しただけで激怒された検針票を見て、私が里帰りをしてからの水道光熱費が跳ね上がっていることを知った母は、いろいろなことに対して過敏に反応するようになりました。私のスマホが不調だったので実家の電話を使っていたら「いつまで電話してるの! 電気代がかかる!」と激怒されたこともあります。 産後1カ月は湯船につかれないため、毎日シャワーを15分程度使っていたら「シャワー使いすぎじゃない?」と言われたこともあります。私はそんな母の小言に産後の疲れも加わり、とてもストレスを感じるようになってしまいました。おそらく母も同じようにストレスを感じていたと思います。 里帰り前から決めていた謝礼を渡すと…そして長男の生後1カ健診が終わった日、実家を後にして自宅に帰ることになりました。その日に私が里帰りしたことで増えてしまった水道光熱費と食費として、10万円を渡しました。この10万は最初から渡そうと思っていたお金でしたが、里帰り中の母の小言を聞いて「絶対渡さなきゃ!」と思った10万でもあります。このお金を渡したことで母も納得してくれたように思えます。 今回の里帰り出産で、親子間であってもお金の取り決めはきちんとして、あらかじめ伝えておかなければ、ということを学びました。そうすることで、私だけでなく、母のストレスも減らすことができたのではないかと感じています。 監修/助産師 松田玲子著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。チョコレートとパンが大好き。復職に向けて資格取得を目指している。
2022年05月21日子育てに孤独を感じる「孤育て」。妊娠・出産・子育てにひとりで向き合う多くのママたちが直面しています。長引くコロナ禍で、さらに閉塞感や孤独感が高まった人も少なくありません。そこでベビーカレンダーでは読者を対象に孤育てに関するアンケートを実施。浮き上がってきたのは、ひとりで向き合うことへの絶望感や悲しみの感情でした。それでも苦境から脱しようと立ち向かうエピソードも多数寄せられました。孤育てのリアルをお伝えします。周囲の助けのない育児は、ママの産後うつリスクを高める一因といわれています。ただでさえ妊娠・出産でホルモンバランスが崩れ、不安定になります。睡眠不足や疲労も蓄積します。そして、ワンオペ育児はプレッシャーと孤独感も襲ってきます。一番手を貸してほしい夫は仕事へ……。 べビーカレンダーのアンケートから、転職や出張、残業など夫の「仕事」に翻弄され、孤育てに陥いるママの実態が見えてきました。まだまだ子育てしやすい社会とは程遠い現実を、ママたちの声とともにお伝えします。 ■Episode1なんの相談もなく転職を決めた夫に翻弄され孤独に…(1歳男の子のママ)息子が生後3カ月のころ、夫が私に黙って突然転職活動を開始しました。最終面接が決まった時点で「転職するので引っ越すことになる」と事後報告されました。子どもが生まれたばかりのタイミング。慣れ親しんだ愛知から東京への突然の引っ越しは不安だったので、私は猛反発しました。何十回も話し合いを重ねましたが、結局東京の会社に転職することに……。「これから二人で子どもを育てるのに、スタートから足並みがそろわないなんて」と本当に孤独を感じました。 家事、育児を毎日頑張っても誰も褒めてくれません。寂しくなると涙もろくなります。夫に涙を見せるのが悔しいのでお風呂で泣くか、公園のブランコでよく泣いていました。離れてしまった地元の友達とLINEしたり、先輩ママに相談したりして孤独を解消しています。 ■Episode2第2子出産直後に夫が2カ月間の海外出張へ。2児を抱えた完全ワンオペ(0歳女の子、2歳男の子のママ) コロナ禍で第2子となる娘を出産し、1カ月が過ぎたころ、夫がヨーロッパに海外出張となりました。期間は2カ月間。時差もあってほとんど連絡が取れず……。息子のイヤイヤ期と娘の頻回授乳を繰り返す毎日で、産後の自分の体もつらく、心身ともにボロボロになりました。コロナ禍で外出もほとんどできず、夫不在で話し相手もない毎日。子どもが2人とも泣き止まないときもあり、八つ当たりしてしまうことも。毎日叫ぶくらいつらかったです。 そんな私を支えてくれたのは、同じくワンオペ育児をしている友人でした。たまたまLINEが来て、現状を伝えるとその日から毎日LINEでやり取りするように。お互いの子育てエピソードやたわいない話など、いろいろな話をLINEでやりとりしました。対面じゃなくても「誰かとつながっている」と感じられることで、孤独を乗り越えられました。友達がいなかったら今頃どうなっていたか……。その友人とは今も毎日LINEをしています。 ■Episode3出産予定日前後に夫が海外出張!隔離のため産後も会えず不安に(0歳女の子のママ)夫の海外出張の予定が決まったのは出産2カ月前のこと。ちょうど出産予定日前後に日程が重なってしまったのです。コロナ禍で夫の出産の立ち会いができなくなることは覚悟していましたが、まさか退院後も会えないとは予想していませんでした。 海外出張から帰国しても、10日間の隔離期間が必要で、私自身の気持ちを強く持ち続けることが大変でした。夫は臨月から退院後までの私の様子を直接知ることがなかったため、帰宅後もしばらく育児の感覚がつかめず、「本当に2人で子どもを育てていけるの?」と不安になりました。 孤独を解消するために産後ケア施設を利用しました。助産師さんに話を聞いてもらうことで心が落ち着き、家事や育児を家事代行、一時保育等のサービスに頼むことで何とかやっていける自信を持てた気がします。夫は今も休日出勤あり、月の残業時間100時程度という激務のためワンオペです。 ■Episode4朝早く夜遅い美容師の夫。1日中抱っこでワンオペ、楽しみがない日々(2歳、13歳の女の子のママ) 長女が0歳のとき、夫は美容師で朝早く夜遅い仕事なので、1日中ワンオペでした。初めての子育てということもあり、何をしても「これで合ってる?」「なんで泣いてる?」とずっと悩みっぱなし。1日中抱っこなので、自分のことは何もできず、楽しみも趣味もなくなり、ストレスが溜まる一方でした。 実家にも帰りましたが、母は職場で骨折してしまい入院。頼る人が誰もいなくなり、本当に孤独でした。孤独を解消するためにSNSなどに頼りましたが、解決策は見つからず、ただただ娘が大きくなるまで孤独な状況は続きました。1日中大人と話していないと落ち込みやすくなり、笑顔でいられなくなるので、実家の母とおしゃべりして発散していました。 ■Episode5夫が単身赴任に…育児の責任をひとりで背負う孤独感(1歳男の子、3歳女の子のママ)長女が生後11カ月のころ、夫の3カ月間の出張が決まりました。当時は誰も知り合いがいない町での賃貸暮らし。実家は祖父母の介護、義実家は遠方のため、2人っきりの生活が始まりました。 専門職の夫は出張先の後任がうまく決まらず、なんとそこから1年間帰って来ませんでした。2カ月に一度、週末だけ帰る単身赴任になりました。家族そろって一緒にいられる時間は本当に短く、泣いてお別れする娘の姿を見るのがとてもつらかったです。 夫不在の日々は育児の責任が私ひとりになり、夜は不安であまり眠れず、疲れやすくなっていました。成長を一緒に喜べる身近な人がいないのはとても寂しかったです。振り返ると、よくノイローゼにならずに乗り越えられたなと思います。賃貸の狭い部屋で、まだ会話ができない赤ちゃんの娘と2人っきりで過ごすことは私にとってもしんどかったです。 気晴らしに市の赤ちゃん広場を曜日ごとに巡っていました。そこで職員の方や一緒になったお母さんと話をすることで救われました。また、週末にはショッピングモールなどに出かけ、曜日感覚を失わないようにしていました。とにかく外出し、店員さんとでもいいので大人と話をするようにしていました。育児以外の意思決定(服の買い物など)をして、気分転換していました。 孤育ては、決して当事者だけの問題ではありません。養育者の長期出張や転勤、残業が原因でワンオペ育児になってしまわぬよう、企業側が配慮する必要もあるのではないでしょうか。2022年4月から育児・介護休業法が改正され、パパの育休の在り方も大きく変わろうとしています。企業の意識改革こそ、ママの孤独感を解消する近道なのかもしれません。 文・編集/大楽眞衣子 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2022年04月29日娘は在胎32週で生まれ、低出生体重児でした。生後1カ月はNICUに入院していましたがすくすくと成長。現在は出産予定日から換算する修正月齢ではなく、誕生日を起点とする通常の月齢で見ても身長も体重も成長曲線の真ん中になるほどに。そんな娘を育てる私が、日常で気を付けていることを紹介します。「成長が遅い」と言わない娘は生まれたときの体重が2,047g、NICUに入院し生後1カ月で退院したときも2,300gほどでした。医師からは「早産の子の成長は実際の誕生日ではなく、出産予定日から換算する修正月齢で見ていきます。修正月齢で換算して大幅に成長が遅くなければ心配ないですよ」と言われていました。やはり同じ月齢の赤ちゃんと比べると首すわりや寝返りは周りのほうが早かったですが、私は決して「成長が遅い」という言葉は使いません。児童館や支援センターで他のママ友と話をするときは、「のんびり屋さんなんです」「ゆっくり成長しています」というふうな言い回しをします。 早産だったことを悪く言わない早産だったことを人に話すとき、「実は早産になっちゃって」「この子、早く生まれちゃって大変だったの」というように、早産を悪く聞こえるような言い方はしないように心掛けています。「在胎32週の早産で生まれた」という事実のみを話すようにしています。それは私の産後1カ月健診の際に胎盤を調べた結果を医師から聞いたとき、「早産の原因はわからず、娘ちゃんが早くママに会いたくて出たいと思って出てきたんだね」と言われたからです。会話は娘もしっかり聞いていると思うので、早産だったことが悪い=娘が悪いというように娘が捉えないよう、言葉には気を付けるようにしています。 焦らず、周りと比べない娘には2学年上の兄がいて、息子は正期産で生まれましたが成長はのんびりでした。寝返りが周りより遅いことを心配し、区の発育相談にも出かけました。しかし問題はなく、いつのまにか寝返りもすっかりマスターするように。1歳半を過ぎるころには走り回って体力も付き、保育園では同じ学年で一番元気と保育士さんに言われるほどになりました。 そのため娘を育てるうえで「焦らず、焦らせず」をモットーにしています。早く生まれたのだから、育児本に書いてあるような「〇カ月くらいでこれができる」というのが当てはまらないのは当たり前。私が焦らず、そして周りと比べて焦って娘に成長を強要しないようにしています。 生まれたときはとても小さくて細く、ちゃんと大きくなるか心配だった娘。しかし私自身が娘の一番近くで成長をサポートできる存在ということを意識し、言葉や行動に気を付けて過ごしています。これからも周りに流されず娘のペースで成長してくれることを願い、私もそれを見守っていこうと決めています。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:森まり子1歳3カ月差の兄妹ママで、長女は妊娠32週で生まれた低出生体重児。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの記事を中心に執筆している。
2022年04月24日家から産院まで徒歩5分の距離だったので、陣痛がきてから歩いて産院へ向かって出産した体験談です。途中陣痛で一度立ち止まりながらも産院まで歩いて行きました。初産で時間が掛かると思っていたけれど、予想外に早くいきみたくなり……。出産予定日3日前の妊婦健診あと3日で出産予定日という日、15時から妊婦健診がありました。エコーでの赤ちゃんの推定体重は2,850g。痛いと噂に聞いていた内診グリグリをされて、やはりとても痛かったです。 医師から「子宮口が指1本分開いているので、2・3日中に生まれるかもしれません」と言われ、なるべく早めに陣痛がくると良いなと思っていました。内診グリグリをしてからは重い生理痛のような痛みがありましたが、スーパーで買い物をして帰りました。 夕方から陣痛が始まり歩いて産院へ!17時におなかが痛みだしましたが、最初は陣痛かどうか疑う程度の痛みでした。だんだんと痛みがはっきりして波のある痛み方に変わったので、陣痛だと確信しました。車を持っておらず、歩けそうな痛みだったので産院まで歩いて行くことに。 エレベーターのない3階に住んでいたので、慎重に階段を下りました。途中1回陣痛で立ち止まりましたが、順調に歩いて産院に着き、そのまま診察室へ。子宮口は3cmほど開いていました。 LDRに移動し、助産師さんからは「初産だからまだまだ時間がかかるかも」と言われて、やっぱり初産は時間がかかるんだと覚悟しました。私は「これから24時間くらいかかるものなんだろうな」と思い、強くなる痛みにも、まだまだ序の口だと思って耐えていました。 破水してすぐ出産21時過ぎに破水と同時に急にいきみたい状態になり助産師さんを呼ぶと、もう赤ちゃんの頭がすぐそこまで降りていました。「お産になります」と言われ、ベッドの形を分娩用に変えて、私の体勢も足を開く形になったのですが、陣痛中に腰を浮かせるのがとてもつらかったのを覚えています。 すぐに先生が到着し、次の陣痛でいきむ許可が出ました。1回目のいきみは、失敗。「うんちのときと同じようにいきむんだよ」と助産師さんに言われ、2回目の陣痛はうまくいきめて、3回目のいきみで、「もういきまなくていいよ」と言われ、赤ちゃんが出てきました。生まれてみると、赤ちゃんは3,300gもあったので驚きました。 初産院まで徒歩5分の距離だったことと自家用車がないことで、陣痛が始まってから産院まで歩いて行きましたが、道中何もなく無事に着いたことは幸いでした。そして陣痛がきてから生まれるまで5時間だったので、あっという間に終わった感覚でした。退院時も赤ちゃんをスリングで抱っこして歩いて帰ったのが、いい思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:津崎 あぐり2歳女児を子育て中。大学卒業後、建築模型製作やガラス雑貨の販売を経験。趣味はステンドグラス製作。インテリアや育児などのライフスタイルについて執筆している。
2022年03月21日赤ちゃんのメンタルリープとは?オランダの教育者の研究から生まれたメンタルリープは、オランダの教育者である F. プローイユとH.ヴァン・デ・リート夫妻の研究をもとに生まれた言葉です。夫妻の研究によれば、0歳から1歳半までの赤ちゃんは決まった週齢を迎えると、ジャンプするかのように急激に成長するのだそうです。このとき、赤ちゃんの心身にはとても大きな変化が起こります。赤ちゃんは自分自身に起こっている大きな変化に驚きとまどい不安定な状態になるため、何をしても泣きやまずぐずっている時期があるのだと分析しています。名付け親は日本の訳者プローイユの研究の成果は2015年に育児書「The Wonder Weeks(不思議な週齢ワンダーウィークス)」としてまとめられています。日本での出版にあたり、共訳者である石川卓磨氏が決まった週齢で迎える知能の発達を「メンタルリープ」と名付け、広く知られるようになりました(※1)。メンタルリープは決まった時期に起こるプローイユの説では生後20ヶ月までのあいだに10回のメンタルリープがあるといわれています。赤ちゃんはお腹の中にいる10ヶ月のあいだに著しい発達を見せますが、生まれてからもぐんぐん成長しているのですね。とはいえ、赤ちゃんの成長には個人差があります。これよりも回数が少なかったり、メンタルリープを迎える時期が遅く感じたりすることもあるかもしれません。プローイユは赤ちゃんの成長は育つ環境や赤ちゃんの好みに左右されると説き、実際に成長が見られる時期が異なる可能性を示唆していますよ。メンタルリープの簡単計算方法週齢の基点は出産予定日メンタルリープを迎える週齢は、出産予定日を基点にカウントします。なぜ出産予定日を基点にするのかというと、メンタルリープにおいて赤ちゃんの成長は妊娠期間から通じた変化ととらえられているからです(※2)。出産予定日と出生日がずれている場合は、出生日からの週齢と出産予定日を基点にした週齢が異なります。そこでこのふたつを区別するために、メンタルリープでは出産予定日からの週齢を「ワンダーウィーク」と呼び、表記は「w週」を使用しています。出産日のタイミングで計算方法が変わるメンタルリープは出産予定日からの週齢(ワンダーウィーク)で5、8、12、19、26、37、46、55、64、75週までの10回となっています。この10回のワンダーウィークは本来の月齢のどの週数に該当するのでしょうか。出産予定日は40週として、その計算方法をみてみましょう。出産予定日より早く生まれた場合40週から出生日までの在胎週数を引き、その数をワンダーウィークに加算すると、出生日を基点とした生後の週齢となります。●計算方法:ワンダーウィーク+(40週-在胎週数)=出生日を基点とした週齢たとえば出産予定日から2週間早く生まれたとしたら、ワンダーウィーク5週は生後7週に該当します。出産予定日より遅く生まれた場合予定日から超過した分の週数をワンダーウィークから引いて求めた数が、出生日を基点とした生後の週齢です。●計算方法:ワンダーウィーク-(在胎週数-40週)=出生日を基点とした週齢たとえば出産予定日から1週間遅れて生まれたとしたら、ワンダーウィーク5週は生後4週に該当します。いつまで続く?メンタルリープの回数と時期別の特徴1.5w週「五感のリープ」1回目のメンタルリープは生後1ヶ月頃に迎えます。この時期の赤ちゃんは新生児のころよりも感覚が研ぎ澄まされ、においや音に関心を示すようになります。30センチを超える距離でも焦点が合うようになり、視線に意思や表情を感じることがあるかもしれません。このころから笑顔を見せたり、涙を流したりすることも増えてきます。2.8w週「パターンのリープ」2回目のメンタルリープを迎えるのは、生後2ヶ月頃です。このころになると、赤ちゃんは周りの世界で起こる物事に規則性があるということを認識します。物の形や状態、基本的な仕組みを理解し始めるという意味で「様式(タイプ)のリープ」ともいいます。その成長は、自分に手や足があることに気づいて見つめる仕草だったり、声が出ることを発見して「あー、うー」というような喃語を話したりといった具合であらわれることでしょう。3.12w週「推移のリープ」3回目のメンタルリープは生後3ヶ月頃の成長を指します。2回目のリープでは存在を認識する程度だったものが、物事の変化を理解できるまでに成長します。これが推移のリープです。赤ちゃんは音の高低差や光の強弱、一方向への移動など、物事のシンプルな推移を感じ取れるようになります。首がすわりはじめ、頭を動かして動くものを追視したり、音が鳴るほうをみたりすることがあるかもしれません。物を手で握る動作もできるようになってきます。ママに手を伸ばしたり、自分の足を口に入れたりするようになるのもこの時期からです。4.19w週「出来事のリープ」生後4ヶ月半頃になると、4回目のメンタルリープを迎えます。このころからメンタルリープのスピードは少しずつ緩やかになります。この時期は推移を認識できる段階から一歩進み、物事を一連の流れで理解しひとつの出来事としてとらえられるようになります。手でつかんだものを動かしたり、リズム遊びを楽しんだりする様子が見られるかもしれません。5.26w週「関係のリープ」生後6ヶ月頃に迎える5回目のメンタルリープでは、物と物との関係性について理解するようになります。自分と外の世界は分離された存在で、そのあいだには物理的な距離があることを知るのです。このメンタルリープは23w週から26w週にかけて続きます。ママとの距離にも敏感になり、ママの近くにいないと不安になり泣き始めます。「いないいないばあ」の遊びに大きく反応する赤ちゃんや、人見知りがひどくなる赤ちゃんもいることでしょう。外の世界への興味が広がり、寝返りが上手になったり支えられてひとりで座れるようになったりといった成長が見られますよ。6.37w週「分類のリープ」6回目のメンタルリープを迎えるのは、生後8ヶ月頃の34w週から37w週にかけてです。物事への理解が深まった赤ちゃんは、形、色、感触、におい、味、音といった項目で、共通の特徴を持つものがあることに気づきます。これが分類のリープの入り口です。赤ちゃんは物の類似点と相違点を判別できるようになり、食べ物や動物といった大きなくくりで物事を区別しはじめます。赤ちゃんがティッシュ遊びをしたり物を散らかしたりするのは、こうした区別を学習しているのです。この時期は大きなカテゴリーの区別はつくものの、たとえば犬や猫といった分類ができるようになるにはまだ時間がかかります。それまでは積み木遊びや絵本の読み聞かせなどを通じて物の特徴に触れ、カテゴリーに仕分ける体験を繰り返していきたいですね。7.46w週「順序のリープ」生後11ヶ月頃に迎えるのは、7回目のメンタルリープです。このころになると過去のメンタルリープで学習した出来事や関係の概念を結びつけ、特定の順序で物を組み合わせられるようになります。積み木が崩れないように安定した場所や形を選ぶ様子が見られたら、順序のリープに入ったといえるでしょう。スプーンを握りご飯をすくって口に入れるという動作も、目的と順序を結び付けられているサインです。ただし、順番を理解しても赤ちゃんは毎回同じようにできるとは限りません。1回できたとしても次には忘れていることもあるのです。赤ちゃんのペースに合わせ、同じ動作を繰り返しながら少しずつ慣れていくことが大切です。8.55w週「工程のリープ」生後1歳1ヶ月ころに迎えるのが、8回目のメンタルリープです。1歳を過ぎた赤ちゃんは、意思がはっきりしてきますね。ハイハイやあんよで自分の世界を広げていることでしょう。赤ちゃんはさまざまな世界に触れる中で、今まで自分が習得してきた方法とは別のやり方を探求し始めます。これが、工程のリープです。食べたいおやつをママのところに持ってきたり、自分なりの方法でおもちゃ遊びをしたりする様子が見られます。椅子に座ってご飯を食べるという流れができていた食事も、床に落としたり椅子から立ち上がったりと、自分の工程を取り入れることが増えてくるかもしれません。自分の思い通りにならず、かんしゃくを起こすこともありますよ。9.64w週「原則の世界への入口」生後1歳3ヶ月頃になると、9回目のメンタルリープを迎えます。これまでのリープで学んできたことが開花し、順序のリープが進化する時期です。順序を理解した赤ちゃんは、次にその工程を崩すことを覚えます。ママたちからすると、それは悪ふざけをしているように見えるかもしれません。人との関係にも変化が見られ、一緒に作業ができるようになります。その反面、自分でやりたい、決めたいという欲求が強くなります。こうした関わりの中で駆け引きや交渉を覚え、人としての原則的なルールを学んでいくのです。10.75w週「体系の世界への入り口」10回目のメンタルリープを迎えるのは生後1歳6ヶ月近くです。9回目のリープで人としての原則にふれた赤ちゃんは、最後のリープで自分の原則、つまり価値観が通用しない状況があることに気づきます。そして周りの環境に合わせて態度を柔軟に変えるようになるのです。このとき、赤ちゃんは自分の価値観と社会の原則を体系的にとらえ、善悪を判断する力が育ち始めていますよ。メンタルリープの対処法は?赤ちゃんとスキンシップをとるメンタルリープを迎える赤ちゃんは、自分の身体の中に起こる変化に戸惑いや不安を感じています。そのため、早ければメンタルリープを迎える数週間前からぐずりが強くなることがあります。このような時期は、スキンシップを多めにすると赤ちゃんの不安がやわらぐでしょう。抱っこはもちろん、週齢・月齢に応じたベビーマッサージやリズム遊びなどがおすすめです。生活習慣を整えるメンタルリープを迎えると、それまでできていたことが一時的にできなくなり生活リズムが乱れることがあります。ご飯を食べなくなった、寝なくなった、ずっと泣いているなどがその例です。こうした時期は成長の過程で必ず訪れるもので、赤ちゃんはこの過程を通して生きるために必要なルールを感じ取っています。元に戻そうとしても戻るものではなく、赤ちゃんに合わせてその都度生活習慣を見直していく必要があります。食べなくなったら時間で片付ける、寝なくても夜は部屋の電気を消すなど、生活のリズムが乱れないように工夫してみましょう。赤ちゃんの行動をサポートする泣き続ける、かんしゃくを起こすなど赤ちゃんの困ったと思うような行動も、成長に差し掛かったサインなのかもしれません。危険や病気の可能性がなければ、無理に泣き止ませようとせずに赤ちゃんの行動を見守ることも大切です。とはいえ、ぐずり期の赤ちゃんにずっと付き合うのは気が滅入りますね。ママやパパがひとりで抱え込まないように、自治体のサポートを利用するなどして息抜きする時間を作りましょう。メンタルリープはひとつの目安に赤ちゃんが泣き止まない、寝ないという悩みも、それが成長のサインなのだと思うと少しだけ心が軽くなるのではないでしょうか。このように、赤ちゃんの泣きや発達については各所で研究が行われ、ママやパパの悩みを解決する糸口を探っています。たとえば厚生労働省が赤ちゃんの泣きへの対処と理解のために行っている啓発では、ロナルド G.バーの研究をもとに、 赤ちゃんには生後1~2ヶ月ころに泣きのピークがあるとしています(※3)。ほかにも黄昏泣きや睡眠退行など、ぐずり期についての見解がいくつも示されていますよ。メンタルリープもこのような研究の中で生まれたひとつの目安です。ぐずり期は成長のプロセスだと前向きにとらえ、ママやパパはおおらかに接していきたいですね。それでも子育てにおいて心配は尽きません。もしも赤ちゃんの様子で気になることがあれば、医師や自治体に相談してみると良いでしょう。※この記事は2022年2月時点の情報をもとに作成しています。掲載した時点以降に情報が変更される場合がありますので、あらかじめご了承ください。
2022年03月17日初めての出産は、私にとってある意味とても思い出に残る瞬間でした。特に陣痛時のいきみ逃しは、非常につらいものだったと記憶しています。夫が立ち会う中、陣痛のあまりの痛さで理性を失っていました。出産後に夫から聞いた話ですが、「陣痛のとき笑っちゃった」と……! その言葉を聞いて最初は腹が立ちましたが、あとから冷静に考えてみると自分でも笑ってしまった、ちょっと恥ずかしいお話です。 微弱陣痛で余裕の笑顔!つらいつわりや出産準備など、何もかもが初めての体験だった第1子の妊娠時。出産予定日が近づくにつれて、ワクワクよりも恐怖心が勝っていました。そんな不安を感じている中、前駆陣痛が出産予定日の3週間ほど前からあり、出産予定日の2週間前に破水……! 破水後はすぐに入院となり分娩室へ案内されましたが、微弱陣痛と診断され、そのまま入院することになりました。このまま強い痛みに繋がらなければ、陣痛促進剤を投与して出産することに。おなかの痛みはなかなか強くならず、ごはんも余裕の笑顔でおいしく完食できるほどでした。 ついに陣痛促進剤の投与!入院してから2日目の朝、すでに微弱陣痛すら遠のいて痛みはほぼありませんでしたが、いよいよ陣痛促進剤の投与を開始することになりました。そして、陣痛促進剤を投与するタイミングで夫が病院に到着。陣痛促進剤を投与して1時間くらいで、徐々に痛みが強くなりました。 2時間が経過するころには、強烈な痛みに襲われていたものの子宮口はまだ4cmと、途方に暮れたのを覚えています。投与から3時間後、子宮口は6cmになり、ついに「いきみたい!」という感覚に……。しかし本当につらいのはここからでした。 壮絶な痛みで叫ばずにはいられず…!いきみ逃しが始まってからは、助産師さんにタメ口をきいたり、分娩台のバーをたたいたりして、私は理性を失っていました。その間夫はやさしくサポート。助産師さんからアドバイスを聞き、力いっぱいお尻を押してくれました。しかし助産師さんはバタバタとしていて、分娩室では夫と2人で過ごす時間が多かったのです。 とても不安になった私は、分娩室の外にいる助産師さんに向かって「助けてぇぇーーー!!」と何度も絶叫! 「苦しいーー!! 息ができないーー!!」と大きな声で叫ぶ私を見て、夫はクスッと笑ってしまったようです。 そして、陣痛促進剤を投与してから約5時間後、なんとか夫や助産師さんのサポートを得ながら無事にわが子を出産しました。スムーズな出産だったと思います。出産後に夫から聞いた「笑っちゃった」の言葉。冷静に振り返ってみると、「助けてぇぇーー!!」はちょっと大袈裟だったな、と夫と一緒に笑ってしまったのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ監修/助産師 松田玲子著者:小林 あやの4歳男児と2歳女児の母。婿入り婚で、両親と同居中。趣味は美容やコスメ集め。最近は2歳の娘もオシャレに興味を持ちはじめ、「早く一緒にショッピングを楽しみたい」と期待を膨らませる日々。美容や育児をはじめ、ブライダルや暮らしなど幅広いジャンルを執筆中。
2022年02月22日私には4人の子どもがいますが、3人目と4人目の出生体重は約3,800gとビッグベビーでした。3人目を妊娠したのは前回の出産から5年後。出産予定日が近づいても生まれる気配はなく、ちょうど出産予定日当日に妊婦健診がありました。エコーで出た推定体重は3,480g。その時点で上の子たちの出生体重をはるかに超えていたので、ぞっとしたのを今でも覚えています。ですが、その日の夜中に陣痛がきて、順調にお産が進んでいきました。 想定外の状況にパニック! 頭が出たのに⋯5年というブランクはあったものの、お産の流れはそれなりに把握していた私。これまでの経験からいくと、赤ちゃんの頭が出てきたあとは少しいきむだけでするりと生まれるものだと思っていましたが、3人目は違ったのです。何度もいきんでやっと頭が出てきたと思ったら、体が出てこず私はパニック状態に。 私の呼吸も若干乱れてしまいましたが、助産師さんに「赤ちゃん苦しいからね~深呼吸だよ」と言われ、なんとか態勢を整え無事に出産することができました。出てきた赤ちゃんは3,750g。経産婦だからかお股に傷はなかったものの、当時はこんな体験もうしたくないと思っていました。 募る不安。4人目もビッグベビー4人目は健診のたびに「大きめです」と言われており、出産予定日を2日過ぎてしまった妊婦健診での推定体重は約3,500gありました。また3人目のときと同じようにつらいお産になるのかなと思った私は、前回のお産が大変だったので今回も不安だということを助産師さんに話しました。すると「大丈夫よ、頭が出てきてくれれば体は私たちがサポートするからね」と言ってくれたのです。 この言葉で私は、3人目のお産のときも助産師さんがサポートしてくれていたということに気が付きました。助産師さんのサポートがあることを知っているというだけで3人目で経験したビッグベビーの出産に対する恐怖心がぬぐえたような気がしたのです。 落ち着いて臨めた4人目のお産そして迎えた4人目のお産。出産予定日を5日超えた日のことでした。前回と違うところは、お産の流れをイメージトレーニングできたこと。頭が出てくれば、助産師さんのサポートがある! こう思えただけで、私は落ち着いてお産に臨むことができたのです。 しかし実際は、4人目のお産は3人目のときより大変でした。必死にいきみましたが陣痛の途中で頭が挟まってしまったり、助産師さんが「体を引っ張ってもなかなか出てこなくて焦った」と話したりするほどしぶとかったです。それでも時計を見られるほどの余裕があり、自然破水後11分で出産することができました。体重は3,800g。生まれてすぐにくしゃみやおしっこをする、まさに“大物”でした。 漠然とお産に臨むよりもお産の流れを事前にイメージしておいたほうがより冷静になれるんだな、ということがよくわかった2つのお産となりました。何よりお産のときには、助産師さんがサポートしてくれることがわかっていたため、とても心強かったです。4人目もビッグベビー出産になるとわかったあのときに、助産師さんに不安を打ち明けておいてよかったなと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ほりたえりな10歳、8歳、3歳、0歳の男女4人の母。ステップファミリー。元コンビニ店員だが、第4子出産を機に退職し、現在はフリーライターとして活動中。自身の子育て体験談や商品レビューなどを執筆中。
2022年02月21日初産ということもあり、出産に対する意識が薄かった私は、出産予定日が間近に迫っていてものんきに構えていました。出産予定日前日も読みたい本を買いに書店へ行き、「陣痛が来てもすぐには生まれないらしいし、せっかくならコレも読みたい。アレも!」と本を3冊も買い込んでいたのですが……。突然の違和感で目覚める出産予定日前日に購入した本を読みながら寝落ちしてしまい、違和感で目覚めたのはまさに出産予定日の夜中2時。何やらパンツがぬるぬるするような……? 隣で寝ている夫を起こさないようにソロリと起き上がり、パジャマとパンツをめくってみると、そこにはほんのりピンクの液体が。 「あら。破水だわ」。マタニティ講座でも教わっていたからか、割と平静に判断できた私。寝ている夫を起こし、「破水したから病院連れていって」とひと言。破水、と言われた瞬間、眠気が飛んで慌てふためく夫の姿は今でも思い出して笑ってしまいます。 夜中に破水! そして入院まず病院に連絡し、名前と出産予定日、それから「破水したみたいです」と伝えて病院に向かいました。病院到着後、診察台に上がり当直の先生に破水か否かと子宮口の状態を確認してもらい、破水と判断され入院となりました。 「破水しているからあまり動かないようにね」と助産師さんに言われ、病室への移動も車椅子に乗ることに。不謹慎ながら、人生初の入院だったので、ちょっとだけテンションが上がっていました。ただ、ワクワクした気持ちも一瞬で、病室に入った瞬間、「あ。子ども産むんだな」と、なんとなく意識がしゃっきりしたのを覚えています。 じわじわ続く破水。こんなに出ていいの?翌朝、ベッドに横になっているところに食事が運ばれ、看護師さんから「終わったらお膳取りに伺いますね」と言われて「おお。上げ膳据え膳!」などと思ったりしました。 一方「極力動かないように」と言われるものの、やはり尿意があり、頻繁にトイレには行っていました。 破水しているため、産褥パッドという大きな生理用ナプキンのようなものを着用しながら過ごすのですが、まるでおむつほどの大きさのパッドが8時間もたずダメになり、「こんなに出ていいのかな」と不安になりましたし、これだけ出てもへこまないおなかを見て、不思議な気持ちにもなりました。 陣痛が始まり、ついに出産へその日の15時過ぎから少しずつおなかの痛みを覚え始めました。しかし陣痛の自覚はなく、19時ごろにようやくこの痛みが陣痛であると気づきました。自覚をすると急に恐怖を感じてしまい、「トイレで赤ちゃんが出てきちゃったらどうしよう」とトイレに行くのさえためらってしまうほどでした。そして、痛みも強くなり、人生で初めて「痛みで眠れない夜」を経験しました。翌朝、先生がやってきて「よし産もう!」とひと言。慌てて夫と母に「産むって!」とメールを送り分娩台へ。 練習していた呼吸法もすっかり頭から抜け落ちていましたが、助産師さんたちがサポートしてくれたおかげで混乱せず、また仕事を急きょ休んで立ち会いしてくれた夫も呼吸をまねしてくれていて、その姿がおもしろくて緊張がほぐれました。17時40分、半日がかりで、ようやく長男は産声を上げながら生まれてきてくれました。 出産予定日から1日遅れでの出産となりましたが、夜中に破水をしたということ以外は慌てることもなく無事に終えることができました。しかし、今回は夜中の破水ということで家に夫がいましたが、もし昼間だったらと思うと、あまりに楽観視していたことを反省することもあります。陣痛タクシーなどの対応地域を調べて問い合わせをしておくなど、やるべきことはあったなと今になって思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師 松田玲子著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2022年02月07日立ち会う予定のなかった姉の出産に立ち会うことになった私。出産ってこんなに大変なんだ……!と、驚きの連続でした。壮絶な出産を目の当たりにして、自分は絶対に無痛分娩で出産しようと心に決めました。そんな私の体験談を紹介します。※コロナ禍前の体験談です 2歳年上の姉とは、大の仲良し私には2歳年上の姉がいます。姉とは大学時代に2人暮らしをしたり、一緒に買い物に行ったり、服を貸し借りしたり。悩み事も話せて、姉妹というより仲の良い友だちという感覚です。 そんな姉は27歳で結婚し、翌年第1子を授かりました。結婚後は離れて暮らしていた姉も、妊娠中期になると里帰りのため実家に帰省し、また一緒に生活をするようになりました。 急に始まった姉の出産姉の出産予定日が近づいたある日、日曜で仕事が休みだった私は友だちと遊びに行きました。外出先でふと携帯電話をみると、母から「お姉ちゃん、破水しました」というメールが! 破水しても第1子だし、そんなにすぐには生まれないだろうと思い、予定通り友だちと遊んでから帰宅。帰宅すると家で父が私を待っていて、「やっと帰ってきた! 病院に向かうよ」と声をかけられました。 そんなにもう生まれそうなの? 陣痛丸3日とかよく聞くし……なんて能天気に考えていた私。父と一緒にタクシーに向かうと母から「いまどこ? もう生まれちゃうわよ!!」と慌てた様子で電話がありました。「運転手さん、姉、子ども生まれます! 急いでください!」とお願いし、病院に急行しました。 立ち会う予定ではなかったのに…病院に到着し姉の名前を告げると、助産師さんが「お父さんは廊下の椅子で待っててくださいね! 妹さん、こちらへどうぞ!」と言われました。わけがわからないまま扉を開けると、そこには助産師さんに囲まれて痛みで聞いたことのない声で叫び、顔が苦痛の表情にゆがんだ姉と、うちわで姉をあおぐ母の姿が。 突然の状況に、「???」状態の私。あとで聞くと、立ち会い予定の姉の夫がまだ到着しておらず、そのまま母が立ち会い、なぜか流れで私も分娩室に通されたのだそうです。 目の当たりにした出産という大仕事通常分娩だった姉は、大汗を流し、叫び続けています。人間ってこんな声が出るんだ……と、冷静に思ったのをよく覚えています。姉に話しかけると、なんとなくの会話はできるものの、疲労でぐったり。その後どんどん陣痛の間隔が短くなり、先生が到着しました。そして何度も姉がいきむと、血だらけの赤ちゃんが生まれてきました。 すると助産師さんから、「じゃあ、妹さん、どうぞ!」とハサミを渡されたのです。へその緒を切ってという意味らしく、「えっ? えっ? 私が切るんですか?」とパニックに。母は姉の額の汗を吹いたり水を飲ませたりしていて、手が空いていた私がそのままへその緒を切ることになりました。なんとも言えない、なんだか柔らかくて、でもしっかりした物を切った、と思いました。 初産にしてはかなり安産だったと助産師さんに言われた姉。あれで安産なんだと、私は驚愕しました。あんなにつらそうで、あんなに叫んでいたのに……。この経験で、私は自分が出産するときは絶対に無痛分娩にしようと心に決め、2020年1月に第1子を無痛分娩で出産しました。ちなみに姉も、そのあと2人出産して3人のママになりましたが、下の2人は無痛分娩を選択しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:森まり子0歳の男の子のママ。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして活動中。主に子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの美容記事を執筆している。
2022年02月05日現在3歳になった3人目の出産間近のある日。出産予定日が過ぎていたこともあり、自然に陣痛がくるのを待つか、産院へ行き陣痛促進剤で陣痛を誘発するか、私が選択できることになりました。産院へ行こうかどうしようかとなかなか決断できない私に、しびれを切らした義母から衝撃的な言葉を言われたのです。 出産は私のタイミング3人目妊娠中のとき、上の子どもたちもいるので思うように行動できないかもと思い、義母にお願いして出産予定日数日前から家に来てもらっていました。 出産予定日2日後の妊婦健診で、産院の先生から「子宮口が4cm開いていて胎胞も出てきている感じだから、今日〜明日中に生まれそう。一度自宅へ帰ってごはん、お風呂を済ませて気持ちの整理がついたら病院へおいで。出産予定日を超えているし陣痛促進剤しましょう」 と言われました。帰宅途中に夫へ電話し、産院の先生から言われたことを説明しました。夫は会社からすぐに帰宅し、私も産院から帰宅しました。しかし、なかなか気持ちの整理がつかず、産院へ行くのをちゅうちょしていました。 義母が放った衝撃的な言葉なかなか産院へ行かない私を見て、義母も我慢できなくなったのか、夕方の4時ごろ「さっさと行ったらいいのに。今から行ったらちょうどよい時間や」と言いました。1人目・2人目のときは、陣痛がきて約2時間で出産していました。そんな過去から義母は、今から産院へ行って陣痛促進剤で陣痛を誘発すれば、3時間ぐらいで出産して、夫は7時ぐらいに帰宅してくるだろうと思ったようです。 その言葉を聞いたとき、申し訳ない、気持ちの整理がつかない自分に情けないと思ったのと同時に、同じ出産経験があって出産の大変さや痛さなどをわかってくれていたと思っていたため、とても悲しくなりました。 味方だった夫予想もしなかった義母からの言葉に私は返す言葉がなくて、目から涙が溢れ出てきました。その様子に気付いた夫は義母に、「それは言ったらあかんこと。火の中に自分から入っていくようなものなんやから、気持ちの整理がなかなかつかないのは仕方ないこと。自分のタイミングがあるんだから、整理つくまで黙って待ってあげてくれ!」 と言ってくれたのです。 それを聞いた私は気持ちがとてもラクになり、味方がいてくれてよかったとホッとしました。 義母への反抗その後、気持ちの整理がつかないまま夜に。夜中の1時ごろにウトウトしていると、ドンッ!!とおなかに違和感を覚え、トイレへ行くと出血が! 急いで産院へ連絡して行くことになったのですが、寝ていたはずの義母が産院へ一緒に行くつもりで、化粧をしてリビングにいました。 義母に言われた言葉がずっと頭から離れず、このときばかりは顔も見たくなかったため、夫から義母に家で寝ている上の子どもたちと一緒にいてくれるように伝えてもらいました。そうして私と夫だけで産院へ向かい、午前4時ごろに無事出産しました。 今になって思えば、義母の言動は私の体調を心配してのことだったのかなとも感じますが、出産のときは不安と恐怖で気持ちもデリケートになっていました。そんなとき、出産を自分のことのようにと考えて行動してくれた夫がいて、とても心強かったです。周りのママたちや将来、自分の娘や息子のお嫁さんが妊娠、出産したときには自分の経験をいかして接したいなと思いました。 作画/山口がたこ著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。
2021年11月29日少人数の職場ゆえ、2人目の出産の際には、他のスタッフに極力迷惑をかけないようなタイミングで産休を迎えようと計画的に妊活をしたつもりでした。ところが、根本的な知識不足によって最も人手が欲しいタイミングで出産を迎えてしまったのです。ざんげの気持ちでいっぱいだった2人目の出産体験談です。※コロナ禍前の体験談です 我慢を続けた2人目妊娠私たち夫婦は3人子どもを持ちたいと思っていたので、1人目の出産直後から2人目の妊娠をいつにしようか考え始めました。そして、1人目は1年間育休をいただいたので、復職して丸2年は我慢しようと決めました。 1人目を産んだころは私の周囲も1人目出産ラッシュ。ところが復職して1年が経ったころ、同じころに1人目を産んだ同僚たちが2人目出産ラッシュに入ったのです。幸せそうな同僚たちに焦りとうらやましさを感じ、妊活をスタートしてしまおうかと思いましたが、他のスタッフに迷惑をかけたくない一心で我慢に我慢を重ねました。 痛恨の計算ミス私の職場では8月中旬に大きな主催イベントがあり、私自身もそのイベントのなかで担当企画を持っていたため、そのイベントが終わってから産休に入るようにしたいと考えていました。イメージとしては9月中旬の出産です。 しかし、1人産んでいるにもかかわらず、妊娠0日目の数え方を完全に勘違いしていた私。しかも2人目妊活を開始してすぐに妊娠したため、出産予定日が大事なイベントのわずか1週間後になってしまったのです! やさしい職場に助けられ職場に迷惑をかけたくないと計算したはずが、最も迷惑をかけるタイミングでの妊娠となってしまった私。それでも上司含め同僚たちも笑顔で受け止めてくれ、「やりたいなら体を一番に、やれるだけやりな」と、私の判断で本番までできる範囲で関わっても良いと言ってくれました。 経過も良好だったので、一応出産予定日の3週間前には産休に入ったものの、その後も自分の体調と相談しながら担当企画の進捗を見届けさせてもらっていました。 まさかの本番まるかぶり胎児の経過も良好で、イベントの前日リハーサルにもほぼ終日立ち会い、このままイベント本番を迎えてから出産できるなと勝手に安心していました。ところが翌日の本番早朝、まさかの陣痛が! しかも気づいたときにはもう5分間隔。最も恐れていたイベントの本番と私の出産本番が丸かぶりになってしまったのです。 分娩台の上でも陣痛の痛みとイベントが無事に進んでいるかの不安とが入り交り、出産後も喜び半分、ざんげの気持ち半分という、なんともほろ苦い経験となってしまいました。 私の場合は理解のある職場だったので、大迷惑をかけてしまったにもかかわらず笑顔で祝福してくれましたが、申し訳なさが消えず、自分では素直に喜びきれませんでした。3人目こそしっかり計算をし、笑顔で職場にも報告できるような妊娠・出産を目指したいものです。 監修/助産師REIKO著者:笹谷みずき 二女の母。地方の住宅街から離れた山の中在住。現在は外勤めですが、いつかは自宅周辺の自然を活かした事業を起こしたいと目論見中。地方での出産・子育ての楽しさを伝えるべく、自身の体験談を中心に執筆中。
2021年11月25日第二子を出産したときのお話です。出産予定日の11日前。朝起きるとおしるしがあり、おなかの張りと痛みがあったので急きょ病院へ。母と上の子と一緒に車で病院へ向かったのですが、そのとき何気なく言った上の子の発言に衝撃を受けた体験談です。予定日の11日前におしるしが!妊娠38週3日のときのことです。前の日の夜中に上の子(当時3歳)が嘔吐をしてしまい、朝には落ち着きましたが、私はまったく寝ていない状態で朝を迎えました。そして、朝トイレに行くと「おしるし」が! 第二子を妊娠してから、まったく抱っこしていなかった上の子を抱っこしたからかも……と焦りました。 おしるしは上の子のときにはなかったので、「ついに!」と思ったものの、もうそろそろという目安なだけで、「おしるしがあってから出産まで1週間かかる場合もある」という情報をネットで見てしまったので、仕事に行く夫に軽い気持ちで「妊婦姿見納めかも〜」なんて伝えていました。 妊婦健診のあとにおなかの張りを感じ始めて…その日はちょうど妊婦健診があり、母に送迎してもらう予定だったので、保育園を休みにした上の子を小児科に連れて行き、そのまま妊婦健診へ。 11時の時点で子宮口は1cm。2人目なので、「痛みがあったら早く来てね」と言われ帰宅しました。帰る車の中、なんとなくおなかが張って定期的な痛みはあるなぁと、陣痛アプリを使ってみると、すでに3~4分! いやいや、まだわからない……そう思いつつも不安だったので、念のため母にはしばらく自宅で一緒に待機してもらい様子を見ていました。 しかし痛みは引かず、15時30分に病院に電話。すると、「入院セットを持ってきてください」と言われたので、急いで病院へ出発しました。 上の子の予言が的中!?病院に向かう車の中で、上の子に「何時に生まれるかねぇ?」と何気なく質問したところ、「ろくじ!」と言われました。ちなみに当時、上の子はまだ時間のことは理解できていません。私は、「18時ならあと2時間か〜。それくらいなら耐えられるわ。がんばってくるねー!」と言って別れました。 助産師さんにそのやりとりを伝えると、「子どもの言うことは意外と当たるよ」と言われましたが、「もしこれが朝の6時だったら結構キツイなぁ」なんて思っていました。そして、陣痛室に入ったのが17時30分。すると助産師さんが、経産婦だから早め早めにと言って、子宮口が7~8cmになったところで早々に分娩室へ。 分娩室に入ってからいつまで経ってもいきんでいいと言ってもらえず、いきみ逃しをしているはずが……何とそのままスルッと誕生! そのとき17時52分。まさかの上の子の予言が的中してビックリでした! 出産後、本人に「生まれる時間当たったよー!」と伝えたのですが、言った本人は無反応(笑)。 産後、複数の助産師さんから「小さい子どもの言うことは当たるから!」と言われました。あんまり信じてはいなかった、上の子が言った誕生の時間。出産直後に時間を聞いて、とても不思議な気持ちになったのでした。 著者:ミルク3歳、0歳の2児の母。ただいま育休中。
2021年10月22日こんにちは。きのこの子です!これは、初めての妊娠・出産を迎え、我が子にやっと出会えたことに感動したのも束の間、壮絶な産後入院生活を送ることになったお話です。■陣痛の始まりは人それぞれ…■私に陣痛を連れてきたのは…年に1度あるかないかのレベルでお腹がよじれるほど笑った結果です…。もしかして、あんなに笑ったのがきっかけで、陣痛が来たのかな…?次回に続く「壮絶! 出産・産後入院レポ」(全11話)連載は12時更新!本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年10月17日出産予定日から2日経っても陣痛が来ず、産院から言われていた通り、入院・出産の準備をして産院へ行くことにしたミロチさん。コロナ禍での立ち会い出産が許可されたのですが、「パパが産院へ入っていいのは生まれる直前」、「産後の滞在は2時間まで」という厳しい条件付きでした。両親、パパ、長女のつむさんからエールを受け、いよいよ産院へ来たのですが……? 陣痛がきたら…と想像して ※本陣痛は俗語です 出産予定日から3日経っても陣痛がきませんでした。そのため、誘発剤を投与するスケジュールが決定。 2人目のため、誘発剤を投与して陣痛が来たらすぐに産むことになるだろうと予測するミロチさん。「明日はお腹の赤ちゃんを抱っこしているかもしれないのか……」「顔はどっちに似てるのかな、どんな声かな……」と、もうすぐ赤ちゃんに会える喜びを感じるミロチさんなのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2021年10月10日ミロチさんのおなかの赤ちゃんは、出産予定日になっても元気におなかを蹴り、陣痛の気配がありません。そんなところに産院から「(コロナ対策で、できないと言われていた)立ち会い出産ができることになりました!」と電話がかかってきました。パパに立ち会ってもらえることに安堵したミロチさん。 そしていよいよ産院から言われていた入院当日を迎えるのですが…… 立ち会いの段取りは…? ※本陣痛は俗語です 出産予定日から2日経っても陣痛がきませんでした。産院から言われた通り、入院・出産の準備をして産院へ行くことに。 コロナ禍での立ち会い出産が許可されたとはいえ、入院からずっとパパと行動を共にできるわけではありませんでした。 パパが産院に入っていいのは生まれる直前、産後の滞在は2時間までという決まりがありました。 両親からの応援と、パパから「つらいときにそばにいてあげられないけど、いつでもビデオ電話して!」と熱い励ましを受けたミロチさん。 さらに、長女のつむさんからも「がんばってね、いい子にしてるよ」とうれしい言葉をもらいました。 そしていよいよ産院へ向かうのですが……? 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2021年10月06日私は5歳、3歳の息子と1歳の娘のパパです。3人目のとき、妻が里帰り出産をしました。1人目2人目は夫婦で育児できると思い、親が孫を世話すると疲れるのではないかとも感じ、選択しませんでした。しかし、3人目のときは子どもが2人いることや、親から申し出てくれたので、里帰りしてもらうことに。実際、妻が不在の間の2カ月間、私が育児を担ってみて後悔したことがありました。妻の里帰り出産に向け準備すべきと感じた3つのことをお伝えします。 事前にパパが育児を一通りこなしてみる私たち夫婦は共働きでしたが、妻が時短勤務だったので育児の比率は妻のほうが高かったです。事前に妻に子どもとどうやって寝ているのか、幼稚園の準備はどうしたらいいのかなど確認しました。しかし、いざおこなってみるとうまくいかないことばかり。子どもは落ち着かないためなかなか眠らず、幼稚園に持っていくタオルのサイズがわからないなど、何度も妻に連絡しなければなりませんでした。妻がいるあいだに育児のすべてを実際にやるべきだったと反省しました。 他に頼れる人を探しておく里帰り中は私が育児のすべてを担います。妻が里帰りしている2カ月間、体調不良なく過ごせましたが、私の体調が悪いとき、幼稚園に行けないときなどの不測の事態に備えるべきでした。例えば私の職場に事前に説明しておき、子どもの体調不良時には休めるようにしておくことも必要だと思いました。さらには、不測の事態はいつ起きるかわからないので、親やきょうだい、親戚に頼ったり、地域の病児保育に登録しておくことで万全の体制を整えておくべきだったと思っています。 緊急時に受け入れ可能な病院を探すわが家の場合は出産予定日の1カ月前から妻が里帰りしたのですが、周りの話を聞いていると出産予定日の1カ月以上前に生まれたという話がないわけではありません。 そのため、例えば子どもの用事など何らかの事情で自宅に戻ってきている場合、里帰り前の病院は受け入れ可能なのか、不可能であればどこの病院が対応可能か、どのように対処すればいいのかなど事前に産婦人科に確認すべきだったと思いました。 3人目はトラブルもなく無事に生まれてきたので、里帰り出産を選択して正解だと思いました。しかし、振り返ると準備不足も感じました。もっと事前に備えておけば、不測の事態が起こったとしても、私と子どもたちだけの生活にもっと余裕を持てたのかも……と感じています。今後また妻が里帰り出産するときは準備を入念におこなおうと思います。 監修/助産師REIKO著者:西川しょた普段は看護師として勤務する5歳と3歳の息子、1歳の娘の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2021年10月04日出産予定日が近づいても大きくなるお腹の赤ちゃん。自然分娩で出産できるか確認するため、レントゲンを撮影しました。結果、ミロチさんの骨盤を胎児の頭が余裕で通ることがわかりました。それでも出産までに大きくなりすぎると骨盤を通れなくなる可能性もあるため、出産予定日に陣痛が来なければ、出産・入院の準備をして産院へ行き、陣痛誘発剤を投与することに決まりました。 コロナ禍のため、「1人だけど頑張らなきゃ」と意気込むミロチさんでしたが……!? 突然の産院からの電話で… 出産予定日当日になっても、何の変化もなく、元気にお腹を蹴ってくる赤ちゃん。 そんなところに産院から電話が…… 「じつはミロチさんが入院する日から、立会いができることになりました!」「どうしますか?」 諦めていた立ち会い出産ができる、そんなうれしいお知らせに、「どうもこうもします! 立会います!」と即答! パパに立ち会ってもらえることに安堵し、歓喜するミロチさんなのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2021年10月02日たんこんちは ボロボロゆかい
ぽこちゃんです&どんちゃんです
子育てはフリースタイル