『八代亜紀追悼コンサート 〜オーケストラで蘇る 感動の歌〜』が、5月4日(土) に東京・J:COM ホール八王子で開催されることが決定した。1977年に発表した「愛の終着駅」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した八代は、その後も「おんな港町」「舟唄」「雨の慕情」など数々のヒット曲を連発。レコード・CDの総売上枚数は女性演歌歌手1位を記録しており、ポップスからバラード、ジャズまでを歌いこなし、日本の音楽界を牽引してきた。本コンサートでは、生前にレコーディングされた八代の歌声に合わせ、貴重映像とともに40名以上のオーケストラによる大迫力の生演奏で名曲たちが蘇る。進行は八代のコンサートでも司会を務めた宮本隆治が担当し、同じ時代を共に歩んで切磋琢磨してきた盟友・小林幸子、後輩としてその背中を追いかけ、昭和歌謡黄金時代を一緒に築いた天童よしみ、八代と最後にレギュラー番組で共演した福田こうへい、子どもの頃から憧れ、この世界を志したという演歌界のプリンス・青山新が出演。それぞれが八代との思い出と魅力を語り、名曲を捧げる。チケットは最速先行を3月20日(水・祝) まで実施中。<公演情報>八代亜紀追悼コンサート 〜オーケストラで蘇る 感動の歌〜5月4日(土) 東京・J:COMホール八王子開場14:00 / 開演15:00出演:小林幸子(友情出演)・天童よしみ・福田こうへい・青山新司会:宮本隆治演出:宮下康仁■チケット最速先行:3月20日(水・祝) 23:59まで()
2024年03月15日演歌歌手の中村美律子が23日に自身のアメブロを更新。2023年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなった演歌歌手の八代亜紀さんとともに共演した人物の訃報を受け思いを吐露した。この日、中村は「昨日、山本陽子さんの訃報のニュース」と20日に亡くなった日本を代表する女優の山本陽子さんの訃報に言及。山本さんについて「4~5年前に『八代亜紀のいい歌いい話』で三波春夫さんがテーマの回だったのですが 山本さんは映画で共演されており共に三波さんの思い出を語ったことを思い出しました」と回想し、八代さんと山本さんとの3ショットを公開した。続けて「先日テレビ朝日の『徹子の部屋』に出演されてお元気な様子でした」とコメント。「元気でいる限りいろんな役に挑戦したいと 役者としてまだまだ活躍されると思っていたんですけどね・・・」と吐露し「ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年02月24日73歳で天国へ旅立った歌手の八代亜紀さん。「ありがとう」という言葉を常に大切にしていたという彼女。その言葉のとおり、本誌が撮影した八代さんは、柔和な笑顔と周りへの感謝とともにありました。そんな彼女を本誌秘蔵写真とともに振り返ります。’73年には『なみだ恋』のヒットで新人賞の有力候補になった八代さん。’71年のデビュー後、’73年には『なみだ恋』が大ヒット。当時23歳の八代さんは山口百恵らとともに誌面を飾りました。’80年には『NHK紅白歌合戦』で『雨の慕情』を熱唱。『紅白歌合戦』での豪華な衣装は毎年話題になりました。『雨の慕情』で日本レコード大賞を受賞。’81年には、母親とともに自宅でくつろぐ八代さんの貴重な姿を撮影。’79、’80年と『紅白』で大トリを務め“演歌の女王”と呼ばれ始めました。若い頃から地元熊本県への支援活動を精力的に行っていました。’83年の年始はハワイへバカンスに。「年末年始の成田空港スターラッシュアワー」企画より。空港でも私服姿で笑顔で手を振る様子が好印象でした。’94年には美智子さまと幼き陛下を絵画に。画家としての一面もあり、本誌増刊『美智子皇后60年の旅路』では『愛』というタイトルの肖像画を描いていました。
2024年01月19日昨年12月30日、歌手の八代亜紀さんが急速進行性間質性肺炎のため73歳で亡くなった。八代さんは昨年9月に膠原病を患っていることを公表、治療に専念するため活動を休止していた。八代さんが行きつけにしていた都内の韓国料理店の関係者は次のように話す。「9月に来店されたときはとても元気そうで、毎回召し上がるスンドゥブチゲをオーダーされましたね。その後もテイクアウトの注文はいただいていて、事務所の方から『11月には退院できそうです』と聞き、安心していたのですが」しかし年末になって容体が急変。突然の訃報に悲しみが広がった。八代さんは中学卒業後、歌手としての第一歩を「ニュー白馬」のステージで踏み出した。その後上京し、’71年にデビューを果たすと、’73年にリリースした『なみだ恋』がセールス120万枚の大ヒット、一躍人気歌手に。『舟唄』『雨の慕情』など数多くの曲で演歌界をけん引してきた。歌手活動の傍らで八代さんが情熱を注いでいたのが絵画だった。二科展で入選を重ねるほどの腕前で、各地で絵画展も開催した。そして、八代さんのもう一つのライフワークがチャリティ活動だ。『なみだ恋』が人気を集めた当時、八代さんは「ヒットしたのは多くの人が聴いてくれたから。世の中にその“恩返し”をしたい」と考えていたという。ちょうどそのころ、女子刑務所から「八代亜紀さんの歌が聴きたい」と要望が寄せられたこともあり、慰問に訪れた。それを皮切りに、全国の刑務所や福祉施設、また災害に見舞われた被災地への慰問を50年にわたり続けてきたのだ。慰問先で歌声を届け、つらい思いを抱える人たちの手を取り、一緒に涙を流した。「療養中も『元気になったら、歌って、絵を描いて、福祉施設の慰問も再開したい』と意欲を見せていたそうです」(芸能関係者)八代さんと交流のあった児童養護施設・八代ナザレ園(八代市)の富田美智子園長はこう語る。「37年前に後援会関係者の方とのご縁で来ていただいて以来、熊本にいらっしゃるたびに、スケジュールの合間を縫って当園に立ち寄ってくださったんです。裏門からこっそり入って子供たちを驚かせるのがお約束で。一人ひとりのことをよく覚えていて、『大きくなったね』と声をかけてくださるんです。子供をひざにのせて絵本の読み聞かせをしてくれたり、上手に絵を描くアドバイスをして喜ばせてくれました」子供たちを思う気持ちは、闘病中も途切れることはなかった。「年2回、夏と冬にお菓子や本、洋服などを贈ってくださっていて、この前のクリスマスにもたくさんのお菓子や絵本をいただきました」亡くなる数日前にも、八代さんのプレゼントが子供たちに笑顔をもたらしていたのだ。お礼を伝えるため、富田園長は事務所へ連絡を入れ、八代さんの近況を尋ねたという。「事務所の方から『まだ入院しているけど、体は動かしていて、病院でも歩いたりしています』と聞いて、近く復帰されるものとばかり思っていました。まだ、心の整理がつかない状態で……」訃報が流れた後、大人になった卒園生が泣きながら電話をかけてきたという。ナザレ園には、八代さんが描いた「マリア様」の絵が飾られている。園の創立100周年にあたって寄贈されたものだ。「八代さんがくださった思いは、私たちの中で生き続けます。誰にでも親身に接して、励ましの手を差し伸べてくれたことに、ただ感謝しかありません」人気歌手であると同時に、子供たちにとってはサンタクロースであり、聖母のような存在でもあった八代さん。やさしい笑顔とハスキーな歌声は、たくさんの人々の記憶の中でいまも輝いている――。
2024年01月16日1月9日、歌手の八代亜紀さんが12月30日に亡くなったと発表された。73歳だった。昨年9月に膠原病を発表し、治療に専念するため年内の活動を休止していた。しかし容態が急変し、帰らぬ人となってしまった。所属事務所は発表した文書のなかで、《代弁者として歌を歌い 表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で 常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした 「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という 父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました》と偲んだ。八代さんは’71年にデビューし、「なみだ恋」や「舟歌」、「雨の慕情」など数々の名曲を世に送り出した。卓越した歌唱力で「演歌の女王」と親しまれていた一方で、八代さんには画家としての一面もあった。「八代さんが絵画を始めたのは幼少の頃で、水彩画を描いていたお父さまの影響だそうです。絵画教室にも通っていたそうで、“将来は絵描きさんになりたいと思っていた”と語っていました。八代さんにとって絵を描くことは、音楽と同じくらい情熱を注いでいたライフワークです。繊細なタッチと感性豊かな表現力は高く評価され、フランスの美術展覧会『ル・サロン展』で’98年から5年連続で入選・永久会員に認定されたことも。そのほか『二科展』など、数々の受賞歴があります」(レコード会社関係者)そんな八代さんは、本誌企画でもその腕前を披露してくれたことがあった。それは、いまから約30年前の’94年10月。上皇后・美智子さまが60歳の還暦を迎えられたことを祝し、本誌は増刊号「美智子皇后60年の旅路」を発売。そのなかでスター7人が美智子さまの肖像画を描く企画が。五月みどり(84)や石坂浩二(82)、奥田瑛二(73)らとともに、八代さんも参加してくれたのだ。八代さんは淡く優しい色合いで、まだ幼い天皇陛下に寄り添われる美智子さまを描いていた。お二方が何かをご覧になられているところをモチーフにしたのか、微笑みながら同じ方向を見つめる姿から親子愛が伝わってきた。この肖像画につけられたタイトルは、「愛」。八代さんは当時のインタビューで、肖像画に込めた美智子さまへの思いをこう語っていた。「ご成婚のテレビは熊本県八代の家で見ました。子供心にすごくおきれいな方なのがうれしくて、すっかりはしゃいだのを覚えています。それ以来いつかお目にかかりたいと夢見ていますが、なかなか機会に恵まれないのが残念です。いつもテレビで拝見していて、お顔にあふれている優しさを表現したくて絵筆をとりましたが、時間が足りなくて残念です。美智子さまがお子様とご一緒のときにお見せになる“愛のまなざし”。私も及ばずながら見習いたいと思っています」八代さんが愛を込めて描いた作品は、これからも輝きを放ち続けることだろう。
2024年01月10日歌手の八代亜紀さんが昨年12月30日に亡くなっていたと公式サイトで発表された。73歳だった。昨年8月に膠原病と診断され、活動休止を発表した八代さん。当時、《必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!》とコメントしていたが、急速進行性間質性肺炎のため死去したという。出身地である熊本県八代(やつしろ)市が、芸名の由来となった八代さん。’71年にデビューすると、「なみだ恋」や「おんな港町」「舟唄」などのヒット曲を連発。’80年には「雨の慕情」で「第22回 日本レコード大賞」の大賞を受賞している。また’13年にはジャズのアルバムをリリース。近年は気鋭のミュージシャンとのコラボレーションも精力的に行い、’16年には「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出演。ファン層をさらに広げていた。さらに画家としても才能を開花させ、フランスの美術展「ル・サロン」では5年連続入選という快挙も。その結果、「ル・サロン」ではルノワールやモネらと肩を並べ、永久会員として認定されている。歌うことも描くことも大好きだった八代さん。その人生に大きな影響を与えたのは、父・敬光さん(享年63)だった。八代さんは《父が水彩画を描く人で、私が2、3歳の頃から教えてくれて、休みの日は一緒に写生をしたりしていました。で、夜は父の腕枕で浪曲を子守歌代わりにして寝ていたんです。おかげで私も歌好きに育ちました》(『日刊GENDAI』’19.06.16)と明かしている。「八代さんは小学校低学年の頃、地元ののど自慢大会に出て優勝を果たすほど、近所でも『歌が上手い』と評判の女の子だったといいます。いっぽう敬光さん譲りのハスキーボイスのあまり、学校では『そんな大人っぽい声を出してはいけない』と言われ、コンプレックスも抱えていたそうです。そのため、『将来は画家になる』という気持ちのほうが強かったといいます。ところが12歳の時、敬光さんがジャズシンガーであるジュリー・ロンドンのレコードを“ジャケ買い”。ジャケットの写真が、八代さんが幼い頃に描いていた絵の女性にそっくりだったといい、敬光さんは惹かれて買ったそうです。すると八代さんは、自身と同じくハスキーな声を持つジュリー・ロンドンの歌声の虜に。そこで歌手になる決意をしたといいます」(音楽関係者)
2024年01月10日2024年1月9日、歌手の八代亜紀さんが亡くなっていたことが分かりました。73歳でした。この日、所属事務所の株式会社ミリオン企画はウェブサイトを更新し、八代さんが2023年12月30日に息を引き取ったことを報告。同社によると、八代さんは指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症しており、同年9月から闘病生活を送っていたといいます。生前の八代さんの遺志を受け、葬儀は同社のスタッフのみで執り行われたとのこと。その最期は、とても穏やかな顔だったといいます。同社は、八代さんのファンに向けてこのようにコメントをしました。代弁者として歌を歌い 表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました療養期間中も傍で支えるスタッフや医療従事者の皆様に「みんなありがとう」と感謝を伝え最期まで八代亜紀らしい人柄が滲み出ておりましたこれから先いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思いますミリオン企画ーより引用八代さんは1971年に楽曲『愛は死んでも』でデビューし、1973年に発表した『なみだ恋』で一躍有名に。同楽曲で『日本レコード大賞』歌唱賞を受賞し、その後も日本を代表する歌手として美しい歌声で笑顔を届けてきました。これまで、八代さんの楽曲に元気をもらってきた人は、日本全国に存在します。ネット上では、多くの人から「素晴らしい歌を本当にありがとう」という感謝の声が相次ぎました。時代が変わっても、八代さんの歌声の力は色あせることがないでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年01月09日《少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね》歌手の八代亜紀(73)が、9月12日、自身のホームページで膠原病の治療に専念するため、年内の活動を休止すると発表した。「膠原病とは、体の外からやってきた細菌やウイルスなどの異物を攻撃する体に備わっている免疫が、誤って自分の体を攻撃して起こる病気の総称です。20種類以上ある膠原病のなかでももっとも頻度が高く、よく知られているのが関節リウマチです」と語るのは、日本リウマチ財団理事で松野リウマチ整形外科(富山市)院長の松野博明先生。患者数は約60~70万人と推計される関節リウマチ。しかも女性は男性の3~5倍も多い。なぜ起こるのだろうか?「原因は不明ですが、親や祖父母などに発症者がいる場合には発症率が上がることから遺伝的な要因もあります。しかし、喫煙や歯周病など後天的なリスク要因も複雑に関係し合います。 また男女差があり、妊娠中に症状が軽くなり、閉経後に症状が悪化するなどから女性ホルモンの影響も考えられていますが、はっきりした結論はまだ出ていません」(松野先生、以下同)関節リウマチの初期は、関節の中で骨の働きをスムーズにする滑膜に炎症が起こって腫れや痛みが現れる。特に症状が出やすい場所は手指の第2関節と第3関節で、91%と罹患者のほぼ全員が発症する。「関節リウマチは進行すると、関節部分の骨が破壊されて変形したり、動きが不自由になったりします。また炎症が全身に広がり骨粗しょう症や間質性肺炎などの合併症を起こすリスクも高まります」関節リウマチは40~50代が発症のピークだが、昨今、発症する年齢が上がってきているという。「かつては40歳で関節リウマチを発症する人が多かったのですが、最近は50~60代で発症する人が急激に増えています。ライフスタイルや食生活の変化などの影響があるようですが、国内だけでなく世界的に起こっている現象。理由はわかっていません」60歳以上で発症する関節リウマチは高齢発症関節リウマチと定義され、手指の小さい関節だけでなく、肩やひざなど大きい関節の症状が強く、若い人と比べて血液検査で診断しにくい傾向があるという。油断できないのは、加齢によって関節リウマチと似た疾患が出てくること。「年のせいだから」と放置されたり、診断が遅れてしまうことが少なくない。「関節リウマチとよく間違われるのが軟骨がすり減ることで不快な症状を起こす『変形性関節症』。指に出る症状は関節リウマチに似ており、手指の第1関節で起こるヘバーデン結節と第2関節で起こるブシャール結節があります。加齢による病気と諦めている人も多い変形性関節症ですが、たとえば関節リウマチとブシャール結節が併発しているケースもあるのです。また、関節リウマチはひざ関節でも多く発症します。ひざの場合は『ひざの腫れ』が起こりますが、年齢によるものだと放っておいてしまうことも多いのです」そんな関節リウマチだが、早期発見により効果的な治療ができるという。「私がリウマチの診察に関わりはじめた30年以上前は特効薬がなく、関節リウマチの患者の2割弱が寝たきりまたは車いす生活になっていました」ところが、’99年に抗リウマチ薬「メトトレキサート」が登場。その後、より効果の高い「生物学的製剤」や経薬「JAC阻害薬」などが次々登場し関節リウマチを取り巻く世界はがらりと変わった。「昔は治療が難しいといわれた関節リウマチですが、現在では、治療により症状がやわらぎ、痛みや変形、生活の不便さが進行しない“寛解”を保つ患者さんも増えています。とはいえ、関節の破壊まで進行してしまうと今の医学でも寛解は困難です。最近の研究では、関節リウマチの症状が出るようになって最初の4年間に投薬治療することで、関節破壊を防ぎ、合併症を抑えて、支障なく日常生活を送れるとわかっています。少しでも異変を感じたらリウマチ専門医の検査、診断を受けることが大切です」関節リウマチの診断では、血液検査やエコーをはじめとする画像検査などでほかの疾患との鑑別が行われるが、大事なことは早期発見。初期症状として代表的なものは以下の通りだ。・起きてすぐは動作に違和感がある・朝、歩いたときに足の裏が痛い・ハブラシが持ちにくい・箸がうまく使えない・牛乳のパックが開けにくい・ハサミやホチキスが使いづらい・ドアノブが回しにくい・あくびをすると顎関節が痛む・疲れや倦怠感がある・微熱が続く・体重が減少している「最初はものを持ったり、関節をねじったり、足をついたときに痛みを感じます。とくに、朝起きたときに手指が握りにくい“朝のこわばり”が1時間近く続く場合は、関節リウマチの可能性があります。手指の腫れや痛みが長期間続くのも初期症状のひとつ。発症初期は片側だけのケースもありますが、左右対称に同じ関節で起こったら、関節リウマチを疑ってかかりましょう。 初期にははっきりとした症状がないケースも多く、疲れや倦怠感、微熱、体重の減少といった現れ方をすることもあります」なにかおかしいな、と思ったら、早めの対処を。
2023年10月02日「舟唄」「雨の慕情」などの大ヒットで昭和の歌謡界を牽引し、平成~令和と年号を変えても歌謡ポップス、ジャズ、ブルースなど様々な手法で喉を披露し続けてきた八代亜紀。近年ではフジロックのステージで名曲ジャズと「舟唄」で群衆を沸かせたり、YouTubeでビリー・アイリッシュの「bad guy」をカバーしたりと、世代を超えたシーンでの活躍も目立つ。そんな彼女は、今年で芸能生活53年目へと突入する。八代亜紀にとっての“歌”への想いと、3月に開催される「沖縄本土復帰50周年記念」コンサートへの意気込みについて語ってもらった。──今年でなんと芸能生活53年目に突入します。ものすごい快挙ですね。もうね、八代亜紀、来る日も来る日も52年走りっぱなし!これはもう強調します。ここ2~3年くらいコロナのためにやっと少しお休みをいただきましたけど、それまではもう走りっぱなしで。そのまま53年目を迎えて……すごく言えるのは、今の八代亜紀の歌声は「舟唄」にぴったりです。──それは素敵な話ですね。歌っていて、当時とどのような違いがあると感じますか?やっぱり当時はね、声に若さがあった。自分でも「可愛いなぁ。頑張ってるねぇ」と思います。でも、どちらがあの曲に合うかといったら、人生観と説得力を乗せられた今の私の声なんですね。「舟唄」は、そのときの年齢で響き方も変わっていくんです。毎年歌うたびに、「今の声で歌うのが一番いい」ってお客様が言ってくださる。そういうこともあって、2021年発売の50周年記念ベストのときには、今の声で再レコーディングしたんです。──なんだかバイオリンのようですね。どれだけ年代が経っても音は劣化せず、むしろ深い響きを生み出していく。確かに、時間が経てば経つほどいい音色を出すようになる、バイオリンみたい。でもそれはきっと、ただ50年経ったからではなくて、50年以上歌い続けてきたからなんです。あと、メンテナンスとかはほとんどしていないんだけど……これまでずっと、“バカ騒ぎしない”という自分ルールだけは守ってきました(笑)。みんなが羽目を外してるのを見るのは大好きなんだけど、私はやりません。コンサートのあとには必ず打ち上げをするというのが何十年も続くルーティンなんですけど、そこでスタッフが「今日も最高でしたー!」って言いながら飲んだくれてひっくり返ったりしても、私は飲めないから、ゲラゲラ笑いながら烏龍茶で朝まで付き合うの。騒ぐのは声帯にも悪いので、声は出さずに顔だけで参加しています(笑)。──烏龍茶で付き合うのも、かなり体力使いますよね。でも、私がつまらなそうにしてたらみんなが気を遣うでしょ?顔と拍手だけで楽しさを精一杯アピールしてます。それに私ね、その日の仕事を振り返って、みんなで「あれが良かった、これが良かった」と言い合うのがすごく好きなんです。その代わり、ダメ出しやディスカッションとかは嫌い。良かったこと楽しかったことをみんなで話しながら盛り上がるのが大好きなんですよね。これは歳をとったからじゃなく、子供の頃からそうで。さみしそうにしてる子にはすぐ声をかけに行くタイプでしたから。──そういったいろんな感情を誰かとわかちあいたいという想いが、亜紀さんが歌を歌う上での基盤になっているんでしょうか。そうですね。ただ、私の中で、歌い手は聴き手にとっての代弁者であるべきと思っていて。自分の歌ってきた歌詞にある出来事は、私にとってどれも経験のないことばかりです。でも、その歌詞の物語を経験している方はたくさんいらっしゃるわけで、だから私の歌を聴いて泣いたり笑ったり、感銘を受けたりされるんですよね。そして、私はその歌を聴いて泣いたり、喜んだりしている人たちの反応をもらうことで、やっと自分もその歌の中に入れているんだなという気持ちになるんです。だから私には、ライブの後の打ち上げが大切なんですよね。「今日、あの歌で泣いてる方がいましたね」「あの曲での拍手がすごかった!」という話を聞いて、今日も誰かのために歌えたんだなと思えるから。──八代亜紀の歌は、自分の歌と聴き手という循環あってこそなんですね。うん、まさにそうです。だからもう、全っ然飽きない。そのぶん忙しいですけどね。歌うたびに、その歌の主人公や聴いてくれる人の心理をさぐって(笑)。ただ、そこで繋がれたなと思うと、私もとても感動するんです。そうして歌い続けて53年。あっという間に過ぎちゃって、まだまだ全然時間が足りないんですよね。私ね、歌よりも長く絵を描き続けていて、画家としての活動もしているんですけど、歌と絵にかける力のバランスがあってこそ、ここまでやってこれている気がするんです。歌手活動は歌って移動して打ち合わせをしての肉体労働でしょう?でも画家である間は喉を休められるし、心をワクワクさせながら自分の世界に没頭できる。私にとって、“歌は命。絵はそれを支える精神”なんですよね。だからどっちかがなくなったら、今の私はいなかったと思うんです。正確には八代亜紀の前から歌っていて、クラブシンガーだった頃やグループサウンズの時代とかも含めたら53年なんかじゃ収まらないんですよ。15歳からずっとずっと歌いっぱなしですからね(笑)。──特に亜紀さんは自身のコンサートをコンスタントに行うほか、ロックフェスや音楽イベントに多く出演されています。ご自身にとって、生歌を届けるステージはどんな存在ですか?ステージで歌い続けてきたことへの自負はすごくあります。スタジオで録画だけ録ったり、レコーディングだけすることも好きですけど、やっぱりライブが大好き。ライブでは細かい音から息づかいまで、目の前のお客さんに見せられますから。例えそれがテレビであっても、カメラの向こうには何万人もの人が見てくれていると思って歌っています。ただ……八代亜紀がヒットしてから2年目に、「愛ひとすじ」という曲を出したんですよ。それまでは「一度でいいからあなたの妻に」みたいなサラリとした演歌だったのに、その歌は「あなたがいなきゃ生きていけない」みたいなどろどろの演歌でね。結果的にその曲はヒットに恵まれたんですけど、当時はパパがテレビで八代亜紀を見てると、後ろからママが「なによ!八代亜紀きらい!」ってテレビを消すと言われてたの。当時は悲しかったよ(笑)。──いつの時代も、カメラの向こうにいる方たちはみんな自由ですしね。でもね、どうでしょう。「おんな港町」のあたりから、奥さんたちが「亜紀ちゃんを応援する! 私たちの気持ちを歌ってくれてるんだ!」って応援してくれるようになったの。じっと耐えて待つ女性の歌が、多くの奥さんたちに響いたんですよね。だから私はそういう人たちのためにも、ちゃんと気持ちを代弁する歌をうたっていきたいと思ったし。それをちゃんとステージで、生の歌声を聴いてもらうことを続けていこうと思ったんです。──歌を届ける人としての役割を果たすという意識が、とても強いんですね。代弁者だからね。たとえば自分に、「私がいなけりゃあなたも生きていけないのよ」みたいな経験があったら、歌えないですよ。ましてや捨てられて、耐えて、何年も待つなんていう経験の最中だったら、演歌なんて歌えませんから。途中で「帰ってきてー!」って言っちゃうからもしれないし、泣いちゃって歌えないね(笑)。──3月に沖縄で開催される「沖縄本土復帰50周年」のコンサートも、いろんな世代の方が同じように、亜紀さんの歌声に胸を打たれる日になりそうですね。デビューしてから4作目のシングル「なみだ恋」がヒットしてから、今年でちょうど50年という意味でも、沖縄本土復帰とぴったり同じ50年なんです。50年って…その頃生まれた赤ちゃんが50歳ですよ?そう言うとわかりやすい(笑)。そういう意味ではこのコンサートって親孝行というか、今まで八代亜紀を見たことない人へのプレゼントにもなる、“今までありがとう行脚”なんですよね。だから内容も、ヒット曲とジャズとブルースと、いろんな曲を歌いたいなと思ってまして。沖縄の歌も歌ってみたいなと思っています。お客さんが想像しないような曲も歌って驚かせちゃおうかなとか考えると、もうワクワクします!ずっと走ってきて53年目を迎えた亜紀ちゃんの歌を楽しんでほしいですね。Text:川上きくえPhoto:小境勝巳<ライブ情報>沖縄本土復帰50周年記念 八代亜紀スペシャルコンサート2023 ~50年の時を超えて今も輝く日本の音楽~3月18日(土) 沖縄・那覇文化芸術劇場なはーと開場13:00 / 開演14:00出演:八代亜紀 / JiLL-Decoy association【チケット料金】一般6,500円65歳以上・4歳~未就学児3,300円チケット情報はこちら:<リリース情報>八代亜紀 ニューシングル『想い出通り』3月15日(水) 発売価格:1,650円(税込)八代亜紀『想い出通り』ジャケット【収録曲】1. 想い出通り2. 六条御息所の恋3. Le Portrait4. なみだ恋 20235. 想い出通り(オリジナル・カラオケ)※「想い出通り」メロ譜入り関連リンクオフィシャルサイト::
2023年02月17日八代亜紀が、3月15日(水) に新曲「想い出通り」をリリースすることを発表した。本楽曲は、八代の出世作「なみだ恋」の作詞家・悠木圭子が亡き夫で同曲の作曲家・鈴木淳を偲んで作った歌詞に、八代が作曲して出来た作品。大切な人を失くし残された者の普遍的にある心を描写した、甘くせつない歌謡曲となっている。併せて、ジャケット写真も公開。鈴木、悠木夫妻の自宅で撮影され、八代が油彩で描いた2人の肖像画が背景に飾られたアートワークに仕上がった。カップリングには50年を経て新たにアレンジ、レコーディングしたセルフカバー「なみだ恋 2023」、浪曲師・玉川奈々福とのコラボ作で源氏物語を題材にした「六条御息所の恋」、そして2022年のパリ公演で披露したフランスで著名な歌手・カロジェロの曲「Le Portrait」を日本語カバーした楽曲を収録している。<リリース情報>ニューシングル「想い出通り」2023年3月15日(水) リリース価格:1,650円(税込)「想い出通り」ジャケット【収録曲】1. 想い出通り2. 六条御息所の恋3. Le Portrait4. なみだ恋 20235. 想い出通り(オリジナル・カラオケ)※「想い出通り」メロ譜入り【先着特典】■Amazon.co.jp:メガジャケ■その他一般店舗特典:オリジナルポストカード※特典は商品と一緒にお渡しいたします。※特典は無くなり次第終了となります。※一部取扱のない店舗もございます。<イベント情報>高梁音楽祭 特別公演2023年2月11日(土) 岡山・高梁総合文化会館大ホール八代亜紀 ディナーショー 20232023年2月18日(土) 福島・ベルヴィ郡山館“わ”で奏でる東日本応援コンサート2023 in 東京2023年3月10日(金) 東京・Bunkamuraオーチャードホール沖縄本土復帰50周年記念 八代亜紀スペシャルコンサート2023 ~50年の時を超えて今も輝く日本の音楽~2023年3月18(土) 沖縄・那覇文化芸術劇場なはーと 大劇場MIX-ON×中野サンプラザ ラスト公演 八代亜紀コンサート ~ありがとうを 私から~ ※SOLD OUT2023年3月28日(火) 東京・中野サンプラザ関連リンクオフィシャルHP:オフィシャルブログ:::ユニバーサルミュージックHP:
2023年02月07日八代亜紀が、10月21日・22日に自身初となるフランス公演をパリ日本文化会館で開催した。八代にとってフランスは、絵画の世界で称号を授与(ル・サロン 永久会員)された縁が深い場所。本公演は、2020年の八代亜紀デビュー50周年イヤーに開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期。2年越しの開催となった公演のチケットは2日間ともに完売となった。超満員で幕を開けた『八代亜紀 パリ公演』は、この日のために新たに製作した着物を着用し、観客の大きな拍手に迎えられ登場。1曲目はレコード大賞受賞曲「雨の慕情」を披露し、歌唱後のMCではフランス語で挨拶した。続けて「なみだ恋」「愛の終着駅」「おんな港町」「もう一度逢いたい」と自身のヒット曲を披露。1部の最後にはフランスのロックスターであるCalogero(読み:カロジェロ)をゲストに迎え、彼のヒット曲「Le portrait」(読み:ル・ポートレイト)を日仏それぞれの言語で歌い分けて歌唱をするというコラボレーションを行った。2部の幕開けは装い新たにドレスで登場し、敬愛するシルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」の日本語カバーを披露。2018年にシルヴィ・バルタンが来日公演を行った際に八代亜紀がゲスト出演をし、交流を持ったことが今回のフランス公演開催のきっかけとなっている。続けて、八代がどうしてもパリで歌いたいとセレクトしたカバー曲「山谷ブルース」披露。さらに自身の原点であるジャズスタンダード「FLY ME TO THE MOON」、マーティー・フリードマンが楽曲提供した「MU-JO」など、様々なジャンルの楽曲を披露。コンサート終盤は、自身のヒット曲「故郷へ...」「哀歌(エレジー)」「舟唄」を披露し、客席ではスタンディングオベーションが起こった。鳴り止まない拍手の中、カーテンコールで登場した八代は「舟唄」のダンチョネ節をアカペラで披露。全16曲を歌唱し、観客の大きな拍手に見送られ八代亜紀のパリ公演は幕を閉じた。公演を終え八代は、「念願だったパリでのコンサートが開催出来て本当に良かった~! 言葉の壁を超えて八代演歌がフランスの方々に受け入れてもらえたことが、何より嬉しかったです! 私の大きな財産となりました。」と思いを語った。<リリース情報>『八代亜紀ベストヒット 〜ニューレコーディングス&ニューシングルズ〜』発売中価格:3,300円(税込)【収録曲】01. なみだ恋02. おんなの夢03. 花水仙04. 恋歌05. おんな港町06. もう一度逢いたい07. 愛の終着駅08. 哀歌(エレジー)09. 舟唄10. 雨の慕情11. 日本海12. 愛を信じたい13. だいじょうぶ(八代亜紀ソロバージョン)14. 明日に生きる愛の歌15. 居酒屋「昭和」八代亜紀 関連リンクオフィシャルHP:オフィシャルブログ:: 【公式】八代亜紀ちゃんねる:ユニバーサルミュージックHP:
2022年10月24日9月1日(木)より新宿バルト9ほかで全国公開される映画『スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免』に、八代亜紀が出演していることが発表された。「夢は紅白!親孝行!」をスローガンに2010年にデビューしたムード歌謡グループ・純烈。スーパー銭湯における地道なライブ活動を通じマダム層を中心に支持をあげ、2018年には念願のNHK紅白歌合戦への出場も果たした。そして、2021年9月には、もう一つの悲願であった主演映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』が公開。彼らが世を忍ぶ仮の姿を持ち、皆の憩いの場である温泉施設を守るヒーロー・純烈ジャーとして温泉の平和を乱す悪と戦うストーリーが話題に。ファンによって、映画を2回以上観ることを「追い焚き」と言うワードが誕生するなど、ステージからスクリーンに場所を変え観客を熱狂させる純烈現象を全国各地で巻き起こした。あれから1年。4年連続NHK紅白歌合戦出場を果たした彼らが、再びスクリーンに帰ってくる。ファンの声から生まれたワードもサブタイトルに加え、ストーリー、スケールも進化した映画『スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免』。監督は、前回に引き続きスーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズを現在も手掛ける特撮研究所の佛田洋がメガホンをとる。このたび、パート1で巨大化したラスボス役で話題を呼んだ小林幸子に続き、パート2の本作には演歌の女王・ 八代亜紀が出演していることが発表された。「舟唄」や「雨の慕情」といった名曲で、紅白には23回の出演を果たした八代亜紀が、本作では“女トラッカー”役で登場する。八代は映画「トラック野郎」シリーズ5作目『トラック野郎 度胸一番星』でも女性ダンプ運転手役を演じた。本作では、45年ぶりにデコトラに乗り、ファンキーな見た目とは裏腹の重要な役を演じる。■八代亜紀コメント私がデビュー当時からお世話になっている東映様関係からのオファーでしたので、役者業はあまり得意ではないのですが、久しぶりの映画出演を快諾させていただきました。撮影の際、現場で純烈の皆様が明るい雰囲気を作ってくださり、とても楽しく撮影が出来ました。そして私は、「トラック野郎・度胸一番星」の時と同じく、女性トラッカー役を演じました。物語の重要なカギを握る役どころでしたが、今でも上手く演じられたのか不安です(笑) 。今回もデコトラ団体の全国哥麿会の皆様が撮影に協力してくれて、昔のトラック野郎の撮影を思い出しました。■酒井一圭(純烈リーダー)コメント演歌歌謡曲の大先輩をキャスティングし、純烈ジャーで無茶苦茶して頂くのが私の使命となりつつあります。 誰か!私を止めてください!(笑)。『スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免』9月1日(木)より公開
2022年07月15日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは八代亜紀さん。第5回は「社会に感謝を返す。それが私の生きる道。」です。生きる上で私が大事にしていることは、えこひいきせず、すべての人に優しくすること。みんなで美味しいものを食べて、みんなで幸せになりたいじゃないですか。正直言えば、心を開きすぎて、痛い目にあったこともあります。でも、初めてレコードが100万枚売れたときに父が、「アキ、嬉しいな。100万人の人がレコードを買ってくれたこと、忘れちゃいけないぞ」と言ったことが、ずっと心に残っていて。感謝を社会に返していくことが、私のライフワークかもしれません。少年院や女子刑務所への慰問は50年近く続けていますし、最近では老人ホームでリモートコンサートをしたり。それから故郷の熊本・八代市で、若い世代に地元を好きになってもらいたいから、1年に1回、町の絵を描くコンクールを開催しています。絵を描くためには対象をしっかり見なければいけなくて、見ると愛情が湧くものなんです。八代市を愛する人が1人でも増えてくれたら嬉しいです。ビリー・アイリッシュを熊本弁で歌いました。昨年の誕生日、ビリー・アイリッシュの大ヒット曲『bad guy』をカバーして、YouTubeに上げたんです。カバー自体はスタッフからの提案だったんですが、私は、「ならば2番を熊本弁で歌うのはどう?」と。なぜか?どうせやるなら、面白おかしくしたいと思って。どんなことでも楽しくやらなきゃ意味がないじゃない?それにそのころ、熊本では水害があり、少しでも熊本の人に元気になってほしくて応援の気持ちも込めたんです。そうしたらあっという間に50万回くらい再生されて、椿鬼奴さんが真似をしてくれたり、「熊本弁のほうが英語に聞こえる」なんて言われたりして、とても楽しかった。ビリー・アイリッシュの曲もそうなんですが、今はドライな音楽が多いですよね。そういう音楽ももちろん素敵。でも私はあえて、たっぷり情感を乗せた歌を歌いたい。若い人も、私の音楽を聴いてね。情念の世界に、しっかりついてきてね!(笑)やしろ・あき歌手。1950年生まれ、熊本県出身。‘71年にデビューし、‘73年『なみだ恋』で大ブレイク。以来トップスターとして活躍。趣味の絵画も評価が高く、ボランティア活動にも熱心。※『anan』2021年5月5日-12日合併号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2021年05月08日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは歌手の八代亜紀さん。第4回は、趣味と女同士の友情のお話です。深夜のテレビショッピング、大好きです。デビュー以来50年間、毎日朝から晩までコンサートやレコーディングに時間を費やしてきた私。お店が開いている時間にお買い物に行けるなんてめったにないことなので、テレビショッピングにハマっちゃいました。思い起こせば、’70年代に健康器具を買ったのが最初だったかしら…。あとは高枝切り鋏!「それ、自分で使うの?!使う暇あるの?!」とびっくりされました(笑)。最近は、夜中の通販番組を見て注文することが多いです。覚えているのだと、災害用リュックにミシン、フライパン、それからふかふかのベッドマット…。マネージャーに「家がドン・キホーテみたいになってますよ!」とたまに怒られます(笑)。ほとんど、スタッフとかお友達とかにあげたいな、と思って買うことが多いんです。私は買い物が好きで、きっとみんなはプレゼントされたら嬉しい。深夜のショッピングはその2つの幸せをもたらしてくれる、私の夢の時間です。女友達は、恋人よりも大切にしたほうがいい。今の若い女性たちには、同性の友達を大事にしてと伝えたい。恋人ができると、同性同士の付き合いって変わっちゃうでしょ?先に友達と約束してたのに、「彼氏が会いたいって言ってるから…」って断るって、みなさんもしたり、されたりしたこと、あると思います。女友達と一緒にいるときは、ラフで、ざっくばらんで、気取らない自分でいられる。一方で、そんな必要ないんだけど、異性の前だと女の人は、つい自分を良く見せようとしがち。だから、同性の友達と過ごす時間って、自分らしくいるために絶対必要だし、貴重なんです。それからいざとなったとき、助けてくれるのは、女友達。だから、いい友達だと思う相手のことは、恋人以上に大切にして。女同士の友情を長続きさせるコツは、ただ1つ。信頼し、イラッとしてもその人の悪口を言わず、相手の相談に乗ってあげること。そういう友達がいない?大丈夫。いい友達は、大人になってからも作れますから。やしろ・あき歌手。1950年生まれ、熊本県出身。’71年にデビューし、’73年『なみだ恋』で大ブレイク。以来トップスターとして活躍。趣味の絵画も評価が高く、ボランティア活動にも熱心。※『anan』2021年4月28日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2021年04月25日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは八代亜紀さん。第3回は「舞い上がる雪の中からトラック野郎が登場!」です。デビュー2年目、再起をかけて勝ち抜き音楽番組に挑戦し、7週くらい勝ち抜いた頃、急にトラックの運転手さんたち、いわゆる“トラック野郎”からの応援が始まったんです。私が頑張っている姿をテレビで見てくれたのかしらね、「八代亜紀は俺たちが守る!」って言ってくれて。私の歌声が、母親、女房、子供からのメッセージに聞こえる、って。そりゃあ驚きましたよ。だって、北海道のレコード屋さんの店頭で、「八代亜紀です」って挨拶してたら、トラックが勢いよく止まり、雪がブワ~ッと舞い上がって、トラッカーのお兄さんがジャンパー姿で現れてね、「八代亜紀、いいね!サインしてくれ!」とか言うんだもの。もうみんなびっくり(笑)。でもね、運送業を営む父が、いつも長距離トラックドライバーのことを気にかけていたことを知っていたから、そういう皆さんを励ますことができているのかと思うと、とても嬉しかったし、幸せな運命を感じました。イントロを聞くだけで、曲の世界に入れます。デビュー当時の日本は本当にいろんな音楽が流行っていて、流行りの曲を歌う歌手を“流行歌手”といっていたのね。私もその一人でした。でもデビューから4年くらい経った頃から、演歌を歌うことが多くなってきた。ただ私の中では、どんなジャンルでも関係ない。“八代亜紀の歌”を歌いたいんです。自分でもおもしろいな、と思うんですが、イントロを聞くと、スッとその曲の主人公になれちゃう。演歌には男の気持ちを歌い上げる“男歌”といわれる曲があるんですが、カメラマンさんいわく、さっきまで女心を歌っていたのに、男歌のイントロが流れると、顔つきがガラッと変わるんですって。確かに言われてみれば、“俺についてこい!”みたいな気持ちになってるの、私(笑)。昔から感受性が強かったみたいで、言葉がしゃべれない頃から、子別れの浪曲を聞いては泣いてたらしいんです。歌手として、その感受性の強さが役立っているのかしらね。やしろ・あき歌手。1950年生まれ、熊本県出身。‘71年にデビューし、‘73年『なみだ恋』で大ブレイク。以来トップスターとして活躍。趣味の絵画も評価が高く、ボランティア活動にも熱心。※『anan』2021年4月21日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2021年04月17日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは八代亜紀さん。第2回は「人生の大事な節目を、見逃しちゃ駄目よ」です。実はデビュー当時は苦労が多かったそうで、そんな時代のお話を伺います。「不良はいらない!」と勘当されてしまい…。私が12歳の頃、父が独立して会社を起こしたんですが、あまり上手くいかなくて。優しくてなんでもできる父が苦悩する姿を見るのが辛く、「私が歌手になって、父を助けよう」と思い、中学卒業後、こっそりキャバレーで歌い始めたんです。15歳だったんですが、18歳と偽って。が、たった3日でバレまして、「そんな不良はうちにはいらん!」と、私を勘当!傷心のまま私は上京し、働いて学費を稼ぎながら、音楽学校に通いました。当時の私の中では、歌手といえばクラブ歌手。いわゆるお酒を飲むお店で、リクエストに応えて歌う歌手のことね。紆余曲折を経て銀座のクラブで歌えるようになったときは、「夢が叶った!」と本当に嬉しかった。「アキちゃんの歌を聴きたい」ってお客さんがたくさん来てくれたし。レコード会社からたくさんスカウトの人も来てくれたんだけれど、「クラブ歌手のほうが素敵だから、興味ありません」ってずーっと袖にしてたんです。あるときお店のお姉さんが、「お店に来られない人にもアキちゃんの歌の魅力が伝わるから、レコード出してよ」と応援してくれたので、挑戦することに。故郷の八代市から文字をいただき、“八代亜紀”としてデビューしたわけ。それが21歳。だがしかし、売れない。銀座ではあんなに大人気だったのに、さっぱりレコードが売れない。そのときは辛い気持ちよりも、「どうして?」という思いのほうが強かったかな。そこからとりあえず2年頑張ったんだけど、いよいよもう後がないとなったとき、再起をかけて『全日本歌謡選手権』という勝ち抜き音楽番組に出場し、10週勝ち抜くことができ、八代亜紀は生まれ変われた。人生の中で、どう生きるかを決断する瞬間って絶対来る。それがいつなのかは人それぞれだけど、私は23歳のときだったのね。そこで勇気を出して、舵を切ることができて、やり直す決断ができてよかった。みなさんもそういう節目を、見逃さないでね。やしろ・あき歌手。1950年生まれ、熊本県出身。’71年にデビューし、’73年『なみだ恋』で大ブレイク。以来トップスターとして活躍。趣味の絵画も評価が高く、ボランティア活動にも熱心。※『anan』2021年4月14日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2021年04月10日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは歌手の八代亜紀さん。天真爛漫でキュートな魅力が炸裂します!第1回は「スタートはハスキーボイスの歌姫との出会い」。もともと、歌やお芝居ごっこをするのは好きでした。ただ小さいころの私はシャイで人前に出るのがダメ。いつも障子を閉めて、一人で歌ったりお芝居したりしてたんです。あるとき障子が少し開いていて、そこに歌う私をこっそり見る父の目が…(笑)。たぶん私が歌好きなことは知っていたと思います。中学に上がるころ、父親がジュリー・ロンドンという歌手のレコードをくれまして。父は浪曲しか聴かないから、ジュリー・ロンドンが誰かは当然知らなかったんですけれど、小さいころ私が、ドレスを着てワイヤレスマイクを持って歌う女性の絵をよく描いていて、その絵とジャケットが似てるからって。そう、今でいうジャケ買い。でもそのレコードを聴いたら、私と同じハスキーボイスでジャズやボサノバを歌っていてカッコいいのなんの!すぐ虜になっちゃって、私もこういう歌手になりたいと、心を決めた。今思うと、そこが運命の第一歩だったかもね。近所の人が座布団を持ち、歌を聴きに来た?!小学校低学年のときだったかな、地元でのど自慢大会みたいなものが開催され、いろんな偶然が重なり、私が出ることになっちゃって。しかもなんと、優勝しちゃったの。それ以降、週に1回近所のおばちゃんたちが座布団を持ってうちに来て、「アキちゃんの歌を聴きに来た」って言うんです。自分では正直意味がわからないですよ。人前で歌うのは全然得意じゃないのに…。それで、困ってもじもじしていると、それを見ている父の顔が、だんだん怖くなってくるわけ。「何をグズグズしてるんだ…」と言わんばかりに、片方の眉毛が上がってくる(笑)。怖いし、怒られそうだし、もう泣きたい、という瞬間に、だいたい母が、そっと10円をくれる。そうしたら、歌うしかないわよね。当時の流行歌だった、美空ひばりさんの曲を歌ったりしてました。そういえば父が、「アキはギャラをもらわないと歌わないのか」って、冗談で言ってたのもいい思い出です。やしろ・あき歌手。1950年生まれ、熊本県出身。‘71年にデビューし、‘73年『なみだ恋』で大ブレイク。以来トップスターとして活躍。趣味の絵画も評価が高く、ボランティア活動にも熱心。※『anan』2021年4月7日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2021年04月04日仕事をバリバリ頑張り、家事にも一切手抜きなし。そんな妻をもった夫はさぞかし幸せかと思いきや、夫婦仲はイマイチ…。こんにちは、「恋人・夫婦仲相談所」の三松真由美です。今回ご紹介するのは、そんな亜紀さんと隼人さんのケースです。始業10分前に駆け込んだ会社の女子化粧室で、鏡に映る自分の姿に、亜紀さんは朝からゲンナリしていました。でも、亜紀さんは朝から洗濯機を回し、お弁当や朝食も完璧に作って、仕事では昇進を目指す、仕事と家庭の両立に全力なタイプです。理想が人一倍高い亜紀さん。会社で評価されたい。そして家庭でも「理想の奥さん」でいたいと思っていたのです。しかし、マンションの入り口が見えると、亜紀さんは現実に戻り、家に帰ってからやらなければいけない家事を思い浮かべながらため息をつくのでした。亜紀さんは、真面目にがんばる仕事ぶりが評価され、半年前にチームリーダーに昇進しました。だからといって家事の手抜きは厳禁。そんな「デキる女」と「愛され妻」を両立しようという亜紀さんだったのですが、家庭に隙間風が吹き込んでいることを気が付かなかったのです…次回に続きます※この漫画は、男女にまつわる数々のお悩みを受ける「恋人・夫婦仲相談所」所長・三松真由美が、妻の中に見出した“モンスター”の実際の事例を分類し、リアル・エピソードをべースにしたフィクションです。イラスト・ あん子 ■三松真由美さんの新著 『「君とはもうできない」と言われまして』 (モチ(漫画), 三松 真由美(監修)/KADOKAWA) 【同じテーマの連載はこちら】 モラハラ夫図鑑 この連載の全話を見る >>
2020年08月26日「華原さんは今、都内にある『母親教室』に6カ月になる息子さんを連れて通っています。一緒に体操したりしていますよ」(友人)昨年8月下旬に第一子を出産した華原朋美(45)。妊娠時の最大体重から24kgも痩せたという。「母乳から離乳食への切り替えの最中で、本を見ながら毎日手作りしています。コロナウィルスが怖いので、手洗い、うがいも毎日欠かさず。お母さんも定期的に華原さんの自宅に来て支えていますが、先輩ママの高嶋ちさ子さん(51)にも助言を求めているとか」(前出の友人)芸能界で相次ぐ40代初産。15年には、はしのえみ(46)が41歳で女児、杉山愛(44)も40歳で男児を産んでいる。「はしのさんは子供を諦めかけたときに、犬を飼い始めたんです。そうしたら子供を授かって……。昨年2月、その愛犬が肝炎で突然亡くなったんです。家族3人で『あのコの分まで生きよう!』と誓ったそうです。最近は家族で2泊3日の野外キャンプに行くのが楽しみだそうです」(はしのの知人)“やっと授かった子供なので目に入れても痛くない”という杉山は“親バカ”を自認しているという。「『だから甘やかしすぎないよう気をつけている』と話してました。元プロゴルファーの旦那さんと“スポーツ教育”中で『息子はテニスよりゴルフをやりたがる』と苦笑いしてました」(テニス関係者)厚生労働省の『平成29年人口動態統計』によれば、10年前に比べ、40代母親の出生数は3万3千人も増えている。この10年で2.6倍だ。さら助産院の直井亜紀院長はこう語る。「40代出産が増えたのは女性の社会進出や医療技術の進化などが背景にあります。“出産はもう少し後でも”と考えているうちに年齢を重ねている女性も増えています。一方で年を重ねると知識も多くなるので『若いママたちもできているから、できて当たり前』と思いがち。だから弱音が言えず自分を追い込んでしまうことも。当然両親も高齢なので産後や育児のサポートを頼みにくく、一人で抱え込んでしまうことが多いようです。ただ、若い人に比べて、仕事や趣味に集中できた期間が長いために、出産や育児に迷いがない人が多いです。精神的に安定した育児ができるのは、40代出産のメリットでしょうね」ハリウッドではキャメロン・ディアス(47)も昨年末に女児を出産した。映画関係者はこう語る。「15年の結婚直後から本格的な妊活を始めましたが、うまくいかず、現地では今回の出産は代理母出産だったと報じられています。以前、彼女は『将来私が子供を欲しくなったら、何らかの方法を見つけて私のところへやってくるはず。それが養子でもあったとしても』と語っていました。ベビーシッターを雇わず、夫妻で育児に取り組んでいるそうです」誰よりも我が子を愛する母の思いに、年齢は関係ないのだ――。「女性自身」2020年2月25日号 掲載
2020年02月14日蜷川実花監督がTOKYOのリアルライフを描くNetflixオリジナルシリーズ「FOLLOWERS」。この度、中谷美紀演じる主人公の母親役で八代亜紀が出演することが明らかに。蜷川監督撮り下ろしの親子2ショット写真も初解禁された。人気写真家のリミ(中谷美紀)は、仕事は順調だが、「子どもを持つ」という夢を叶えられないまま持ち続けていた。ある日、リミは撮影現場で女優志望のなつめ(池田エライザ)と出会い、粗削りで、自分を貫こうとする彼女の姿に若いころの自分を思い出し、思わずシャッターを切る。そして、リミがその写真をインスタに投稿したことで、なつめの運命は一変していく。一方、リミもなつめとの出会いに刺激を受け、行動を起こす――。蜷川監督による完全オリジナルの新作ドラマとなる今作は、仕事に恋に友情に、悩みながらも突き進む女性たちの生き様を描く物語。今回出演が明らかになった八代さんが演じるのは、主人公リミ(中谷さん)の天真爛漫な母・ヨーコ。韓流アイドルの追っかけに韓国に行くなど、アグレッシブなキャラクターだ。娘を心配し、自己流のサポートもする優しい母親だが、リミの影響を受け自身も母親という枠に囚われることなく、若々しく変化していく。蜷川監督は、以前八代さんと会った際に「なんて明るいオーラの方なんだろう、こんな可愛いらしい方に会ったことがないなぁ」と思ったそうで、「出会う人みんなを笑顔にさせる、とてつもないポジティブパワーがとても印象的だった」とふり返る。そして、「『ヨーコ役は八代さんがいい!』と一度思いついたらどうしても八代さんにやっていただきたく、熱烈にオファーしました。実現できて本当に嬉しいです」と今回のオファーについて明かしている。Netflixオリジナルシリーズ「FOLLOWERS」は2020年2月27日(木)Netflixにて全世界190か国へ独占配信(全9話)。(cinemacafe.net)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング
2019年12月19日グラビアアイドルの藤原亜紀乃がこのほど、東京・秋葉原のソフマップで最新イメージDVD『あそぼ』(発売中 4,104円税込 販売元:グラッソ)の発売記念イベントを行った。借金をしている女性限定のユニット"ザ・マーガリンズ"(2016年に解散)ではリーダーを務め、2015年には恵比寿★マスカッツに加入して現在も同グループ(現在は恵比寿マスカッツ1.5)のメンバーとして活躍している藤原亜紀乃。アイドル活動以外にも女優やグラビアにと様々なジャンルでも活動している。そんな彼女の3枚目となる同DVDは、今年6月に都内で撮影。チャプターごとに社長やお兄ちゃん、旦那さんと遊ぶという設定で、随所で際どい衣装や水着を着用しながら、藤原のスレンダーボディーをたっぷりと堪能できる1枚となっている。26歳ということで大人っぽい黒の水着姿で報道陣の取材に応じた藤原は「全体的なストーリーはありませんが、今回は社長とコスプレして遊んだり、ダンスをしながら一緒に身体を動かして遊んだり、お風呂に入ってシャボン玉で遊んだりと、"遊び"をテーマにしています」と全体の内容を説明し、「お風呂のシーンでは指し棒でおっぱいの横をツンツンされたんですが、すごくくすぐったくてガチ笑いしちゃいました。全然セクシーじゃなくなって、何度も撮り直しをしました」と撮影エピソードも。最新作の自己採点は「40点です(笑)。エロくないのが反省点。タイトルからして色気がないし、お笑い要素が強いかな」と厳しかったが、「裏表紙にもなっている黒い水着を着たシーンはエロいと思います。ストッキングをエロく脱ぐように頑張りました!」とセクシーアピールも忘れなかった。ザ・マーガリンズに加入した際に、借金が700万円あると告白した藤原。借金の理由を「大学の奨学金」と説明し、現在は「残り500万円から600万円ぐらいになりました。毎月少しずつ返してますよ。だいぶ先ですが、今の感じからすると60歳までには完済できるのかな?」と話していた。
2018年09月16日昨年10月にリリースした2枚目のジャズアルバム『夜のつづき』がロングセールスを続けている八代亜紀が、自身の誕生日当日である8月29日(水)に東京・丸の内コットンクラブにて一夜限りのバースデーライブ『八代亜紀BIRTHDAY SPECIAL LIVE』を開催する。【チケット情報はコチラ】演歌、浪曲、流行歌、ジャズ、ブルース、ロック、メタル、ラテン……。近年、ジャンルを自由自在に横断し、ロックフェスで若者を魅了するなど、世代を超えた新たなファンを獲得している八代亜紀だが、本人は至って自然体。「昔から音楽のジャンルは関係ないっていうスタンスなの。ど演歌のあとにロックを歌ったり、カンツォーネのあとに浪曲を歌ったりすると、お客様が驚くでしょ。みんなをドキッとさせるのが大好きなの。超楽しい!」と弾けるように笑う。今年の5月にはフレンチ・ポップの女王であるシルヴィ・バルタンの来日公演にゲスト参加し、海外ミュージシャンをバックに『雨の慕情』を歌うなど、ジャンルレスの活動は枚挙にいとまがない。5年ぶりのバースデイライブが開催されるのは、初登場となるライブレストラン<コットンクラブ>。彼女はどんなライブを考えているのだろうか。「もともとクラブシンガーあがりだから、ライブハウスが大好きなんですよね。お酒を飲んでるお客さんの近くで歌うことがたまらなく好きなんです。その日は演歌、ジャズ、ブルース、ロックはもちろんだけど、せっかく一夜限りのスペシャルライブなので、あまり歌ってない曲も入れたいな。40年前のリサイタルで1回だけ歌って好評だった曲とかね。何の曲かは当日までのお楽しみ(笑)。来てくださったみなさんには特別なプレゼントも用意しているし、2nd showではみんなで乾杯もできたらいいなと思う」と明かし、「絶対に来てよかった!と思える、感動的な歌を歌います。私が歌うのは人間の情。あなたを憎まずに支えますっていう心優しい大人の情歌ね。生で聴いたら超カッコいいよ~。自慢するのが私の特徴だから」と笑顔を見せた。『八代亜紀BIRTHDAY SPECIAL LIVE』のチケットは発売中。取材・文:永堀アツオ
2018年08月15日木梨憲武や室井滋を始め、中村アンや上川隆也などが日本語版吹き替えを担当する『ファインディング・ドリー』。先日、八代亜紀が同じく声優として本人役で登場する映像が解禁されたが、この度、新たに八代さんがエンドソングを歌う予告映像が到着した。舞台はカクレクマノミのマーリンがナンヨウハギのドリーと共に、愛する息子・ニモを、人間の世界から救出した冒険の旅から1年後の世界。「今度は、僕がドリーを助けてあげる」。ドリーとニモ、そして、心配性のマーリンも渋々ながら、再び大海原へと旅立つ。この夏、世界一有名な魚たちの奇跡の大冒険が幕を開ける――。全米では公開18日間で前作の最終興行収入を超え、歴史的大ヒットを記録。その後も快進撃はさらに勢いを増し、世界的大ヒット作の『アナと雪の女王』『トイ・ストーリー3』を超え、公開4週目ではアニメーション作品の歴代興行収入の第2位までその数字を伸ばした。さらにはアニメーションのみならず実写作品も含む2016年の全米公開作品の中で興行収入No.1の座に輝くなど注目を集めている。そんな本作からこのほど到着したのは、八代さんが歌う日本版エンドソング「アンフォゲッタブル」の音楽予告。本楽曲は、グラミー賞の常連・世界的な歌姫シーアが歌う同曲とは違うアレンジが施された、日本だけの特別バージョン。英語で歌い上げる八代さんの声に日本語字幕が付く映像は、歌詞と大切な人を想うドリーの想いが重ね合わされ、感動のストーリーを予感させる。特に「忘れないわ 愛しいあなた。忘れられないの どこにいても」という歌詞には注目。これは、忘れんぼうのドリーが唯一忘れなかった“家族に対する想い”を表しており、大人が自分にその歌詞を重ね合わせ、心にも染みいる内容となっている。ドリーはマーリンと出会う前、自分がどこから来たのか、家族はいるのか、自分は何者なのか忘れてしまい孤独だった。だが、マーリンとニモの生活の中で、あることをきっかけに、自分にも「アンフォゲッタブル=忘れられない」大切な家族がいたことを思い出す。離れ離れになってしまったかけがえのない両親にたまらなく会いたいと願うドリー。そんな切なく誰もが共感できる思いを、八代さんのしっとりとした歌声に乗せて日本中に感動を届ける。また、音楽予告の最後には、赤ちゃん時代のドリー“ベビー・ドリー”が「私を忘れないで」と言うシーンも。忘れんぼうだけど楽天家で、一見するとユーモラスなキャラクターにも見えるドリー。しかし、世界中から愛されるドリーの過去に秘められた切ない思いを、観客に伝えたかったと語るアンドリュー・スタントン監督。そして「ドリーは人生のほとんどを海の中をさまよって生きてきたけど、何でもすぐに忘れてしまうため、海の中で出会った者たちのことを思い出すことはできない。でも、“感情の記憶”は残っていて、大切な人との別れの記憶は覚えているんだ」と明かしていた。そんなドリーの過去に隠された秘密と、大切な家族に会うための壮大な冒険が描かれる本作。観客にも本当に大切なものは何なのかと問いかけ、大人にこそより心に響くラストが待っている。映画をいち早く鑑賞した人たちからは、楽曲が本作の感動が増すとの声も挙がっている本作。字幕版ではシーアの声が、日本語吹き替え版では、シーアのエンドソングと八代さんが歌う日本版エンドソング、2つのバージョンの「アンフォゲッタブル」を楽しめるようだ。『ファインディング・ドリー』は7月16日(土)より全国にて公開。(cinemacafe.net)■関連作品:ファインディング・ドリー(原題)
2016年07月13日ディズニー/ピクサーの新作映画『ファインディング・ドリー』の日本語版で、エンドソングの歌唱を担当する八代亜紀が“本人役”で声の出演を務めることが発表になった。オリジナル版ではシガニー・ウィーヴァーが本人役で登場している。公開された映像『ファインディング・ニモ』では、カクレクマノミの父マーリンが、行方不明になってしまった息子ニモを探して大冒険を繰り広げる姿が描かれたが、新作はニモの親友ドリーが幼い頃にはなればなれになってしまった家族に出会うために、旅立ち、人間の世界を舞台に冒険するドラマが描かれる。このほど公開になったのは、ドリーが、八代亜紀の声に誘われて海上へと泳いでいくシーン。ピクサーのアニメーションに「こんにちは。八代亜紀です」というセリフが重なる衝撃的な映像だが、各国版で有名スターがこの部分を担当しているそうだ。「アニメーションで八代亜紀役の出演は初めてでした。八代さん!とドリーが言うセリフにはびっくりしましたね」という八代は「監督に八代亜紀の“声”のまま淡々とした感じでと言われたんです。歌ではずっと抑揚をつけるということを何十年もしていますから、抑揚がいらないと言われてとても難しかったですね」と収録を振り返った。八代はエンドソング『アンフォゲッタブル』の歌唱も担当しており、歌とナレーションでドリーの冒険を彩る。『ファインディング・ドリー』7月16日(土) 全国ロードショー
2016年07月05日歌手の八代亜紀が、ディズニー/ピクサーの最新作『ファインディング・ドリー』(7月16日公開)の日本版エンドソング「アンフォゲッタブル」を担当することが17日、発表された。八代がディズニー作品の楽曲を担当するのは、初となる。本作は、ピクサー映画の中で、国内興行収入1位となる110億円を記録した『ファインディング・ニモ』(03年)の続編。前作の1年後が舞台で、カクレクマノミ・ニモとマーリン親子の親友で、忘れんぼうのナンヨウハギのドリーが主人公となり、家族を見つける冒険に出て行く。このストーリーにちなみ、世代を超えて愛されているジャズの名曲「アンフォゲッタブル」がエンド曲として起用された。同曲は、どんなことがあっても忘れられない"いとしい人への思い"をつづり、ジャズシンガーのナット・キング・コールが歌ったことで世界的に大ヒット。娘ナタリー・コールがナットの生前に録音された歌声に声を重ねたデュエットソングが、時を超えた父娘の愛の賛歌としてリスナーの心をつかみ、第34回グラミー賞の主要3部門受賞に輝いた。この曲を歌う八代は、日本人アルバム史上最大級となる世界75カ国でジャズアルバムを配信し、海外のジャズクラブでのライブを行うなど世界のジャズシーンで活躍中。そんな八代の抜てきは、同曲に込められた深い愛と感情の機微を届けられるということから実現した。これを受けて八代は、「びっくりすると同時にとてもうれしいです! 歌ってきてよかった、46年八代亜紀をやってきてよかったです」と歓喜。また、「今回カバーしたことで、八代亜紀としての視野が広がった」と自らの成長を明かした。歌詞については、「"忘れられない"という気持ちに対して、"大丈夫だよ、忘れてないよ"と言っている言葉が大好きです」と明言。続けて、「ドリーの場合はそれが両親で、"忘れてないよね、心の中にあるよね"という親への思いなんです」と自らの解釈を披露した。さらに、八代が本作の日本語吹替版に声優として初参加していることも発表。役どころは明かされていないが、八代は「歌に加えてダブルでうれしい! 重要な部分で声の出演もしていますので、お子さんも大人の方もみなさんに見てほしいです!」とアピールした。(C)2016 Disney/Pixar. All Rights Reserved.
2016年06月17日実に40年以上「日本の心」を歌い続けてきた八代亜紀さん。流行歌手と呼ばれていたデビュー当時、プロであればどんなジャンルも歌えるのが当たり前だったそう。ジャンルが細分化された現在も、演歌にとどまらずジャズやロック、ポップスなどあらゆる音楽を「八代節」で歌い上げる彼女が、初のブルースアルバム『哀歌 -aiuta-』をリリース。プロデューサーに寺岡呼人さんを迎え、日米の名曲カバーだけでなく世代の異なる個性豊かなミュージシャンが新曲を提供した充実の内容だ。ブルースの魂が八代さんに脈々と息づいていることを感じさせてくれる、濃密なインタビューをどうぞ!――まずは、なぜこのタイミングにブルースアルバムをリリースしようと思ったのでしょう。八代:日本人である私にとってのブルースは、浪曲なんです。浪曲はひとりでセリフを言ったり歌ったりするんですけど、寝るときいつも父に聴かされて、その声音というか音の魂を感じて2歳のアキちゃんは意味もわからないのに「カワイショウだね」って泣いていたんですって。今の時代は、仕事がないといっても選んでいるだけで、本当はいっぱいあるでしょう?私たちの若い頃は仕事を選べなかったし、両親が若い頃はもっとそうだった。日本が戦争に負けてものすごく貧しかったけど、どん底から少しずつ豊かになっていったから、些細なことにも幸せを感じたんですって。今はなんでも揃っているけれど、幸せもつらさも感じにくいと思うの。だからこそ、八代亜紀の歌うブルースを伝えたいんですよね。――小さい頃から歌がお好きだったそうですが、人前で歌うのは苦手だったそうですね。八代:本当に嫌いでした!歌うときって顔を歪めたりするでしょう。それを見られるのが嫌だったの。週に1回、近所のおじいちゃん、おばあちゃんが私の歌を聴きに、座布団を持ってうちへ集まってきたんだけど、子どもながらにそれが苦痛でね。渋っていると、父がだんだん怖い顔になってくるんです。さすがにもう怒られるっていう瞬間、母に10円玉を「はいっ!」って渡されてね。それが私のギャラ(笑)。だけどやっぱり顔を見られるのは嫌だから、ふすまの向こうで歌ってました。――歌うことが楽しさに変わるきっかけは、あったのでしょうか。八代:その後、父が独立して会社を作り、お金の工面で苦労するようになりました。「従業員の給料を優先して、余ったお金がうちのだからな」と母に話している姿をよく見かけ、なんとかして父を助けなければと思ったんです。それで憧れだったジュリー・ロンドンのプロフィールが「クラブシンガー」となっていたから、一流はクラブで歌うのだと思い込み、私もそうならなきゃ!と決心したの。友人に連れられて行った地元のキャバレーで年齢をごまかして歌って、フロア中に私のハスキーな歌声が広がった途端、騒がしかったお客さんやお姉さんたちがスッと立ち上がって、フロアに出てきてダンスを始めたの。キャバレーで歌い始めて、3日目で父にはバレましたけどね。「不良はいらん」とものすごく叱られて勘当されました。それで東京へ出てきたの。――それでも歌手になりたい気持ちは揺るぎませんでしたか?八代:そうね、でも追い出されてしまったから、父に私が本気だと証明しなければいけないという意地もありました。母が段取りしてくれて、東京のいとこ夫婦のところに居候しながら音楽学院に通い、レコードデビューする寸前までいってダメになったこともありました。4年経って銀座のクラブで歌うようになるんだけど、その間、父は電話にも出てくれませんでした。アキは勘当されたのに、悲しんでいるどころか、東京でルンルンしてるって思っていたみたい。――銀座のクラブで歌うのは、まさに憧れだったわけですよね。八代:銀座で歌っていると、いろんな人がやって来て「レコードを出しなさい」と言われるのだけど、「クラブシンガーは一流だから!」と全然相手にしなくて、すごく生意気だったの。そしたらね、お店で働いていたお姉さんたちが「アキちゃんの歌を毎日ただで聴けるのは本当に嬉しいけれど、世の中にはつらい思いを抱えている歌のなかのような女性がたくさんいるの。レコードを出さないと、その人たちに歌は届かないんだよ」と言ってくれて、ハッと我に返ったんです。それでレコードを出すには芸名を考えなければということで、八代亜紀が生まれました。地方回りをして、スーパーの前とかで箱の上にマイクを置いて歌い、レコードを手売りするようなキャンペーンを2年間やりました。父がそのことを知って、アキは本気だったとようやく認めてくれて、私を支えるために母と一緒に東京へ出てきてくれたんです。――八代亜紀として軌道に乗ることができたのは、ご両親の支えがあったからこそなんですね。八代:昭和47年の暮れに、東京の小さな一軒家で両親とおこたに入りながら、「来年はどうなるんだろうね」って話をしていたの。ラジオもテレビの仕事も一本も決まっていなかったし、48年のスケジュールは真っ白だったから。だけど「私、頑張るからね、絶対に売れるよ!」と言って、新しい年のカレンダーの12月31日のところに「紅白歌合戦出場」とそっと書き込みました。そしたら年が明けて2月に発売した『なみだ恋』という曲が大ヒットして、スケジュールが真っ黒になったの。――唯一の“予定”だった紅白歌合戦出場も実現したわけですね。八代:だからね、自分のなかでけじめをつけるべきときっていうのは、誰にでもちゃんとあるの。10代だろうが50 代だろうが、年齢は関係なくね。大事なのは自分で決めて行動すること。そしたら、違う道が必ず拓けるから。それを私は若い人に強く言いたい。人生はブルースなんですよ。◇やしろ・あき熊本県八代市出身。1971年デビュー。1973年に出世作『なみだ恋』を発売。『愛の終着駅』『舟唄』『雨の慕情』など多数のヒット曲を持つ。2012年にはジャズアルバム『夜のアルバム』をリリース。邦人アルバム史上最大級となる世界75か国で配信された。◇自身にとって初のブルースアルバムとなる『哀歌 -aiuta-』が発売中。日本の「歌謡ブルース」とアメリカの「BLUES」の名曲カバーに加え、THE BAWDIES、横山剣(CRAZY KEN BAND)、中村 中が楽曲を提供。プロデューサーは寺岡呼人。まさに老若男女がしみじみと味わうことのできる、名盤に仕上がっている。※『anan』2015年11月25日号より。写真・小笠原真紀インタビュー、文・兵藤育子
2015年11月18日八代亜紀が10月28日(水)に新作アルバム『哀歌 -aiuta-』を発売。その発売を記念して、12月には東京国際フォーラム・ホールCにてコンサートも開催する。八代亜紀 コンサートチケット情報自身初のブルースアルバムとなる『哀歌 -aiuta-』は、寺岡呼人がプロデューサーを務め、THE BAWDIES、横山剣、中村 中らが楽曲を提供し、アレンジを村田陽一が手掛け、今までのブルースのイメージにあった「歌謡ブルース」「演歌」とは違う、モダンなブルースとなっている。八代は『哀歌 -aiuta-』リリースにあたり、以下のコメントを寄せた。ご近所さんが座布団を持って我が家に聴きに集まる程の名手であった父の吟う浪曲を子守唄がわりに聴いて育ちました。「声音の変化」「フレーズの抑揚」「ブレスの緩急」そして「言霊」。こういったものが渾然一体となってまだ物心もつかない私の幼心の琴線にも確実に届いていました。切ない母子ものを聴きながら意味も分からずに「おとうさん、悲しいね」と感想を言っていたそうです。そんな幼時体験を持つ私にとって「浪曲は日本のブルースである」という持論を持つに至ったのは極自然な流れでした。初めてブルースを聴いた時にもあの時と全く同じ衝撃を経験しました。そしてそれは今聴いても変わることはありません。即ち普遍的な「悼み」「哀しみ」は時代、言葉、場所といったギャップを問わないということなのでしょう。今回の「哀歌」でも求めたものは「普遍」。洋邦各年代のカバー、そして21世紀の今を切り取る新作ブルース。12通りの「哀」が詰まった『哀歌 -aiuta-』の完成です。豪華なクリエイティブチームと彼女の唯一無ニの声が融合して出来た「八代亜紀のブルース」。その魅力を堪能できる公演は、2015年12月19日(土)、東京国際フォーラム・ホールCにて。チケットの一般発売は11月21日(土)。チケットぴあでは、一般発売に先駆けて先行先着プリセールを10月28日(水)12:00より受付開始。
2015年10月27日8月11日(火)に東京・明治神宮外苑で催される神宮外苑花火大会に歌手の八代亜紀、福原美穂、ロックバンドの怒髪天、お笑い芸人の千鳥、NON STYLEなどの出演が決定した。八代らは、神宮軟式球場で行われるプログラム「「LIGHT UP NIPPONどっかん祭」in神宮軟式球場」に出演、ライブを披露する。同プログラムは、東日本大震災被災地の10数か所で、8月11日19時に鎮魂と復興の祈りを込めた花火を一斉にうちあげる活動「LIGHT UP NIPPON」と同花火大会のコラボ企画。同花火大会とコラボレーションするのは、今回が初の試みだ。毎年、豪華アーティストと花火の競演でも話題を呼ぶ同花火大会。すでに、神宮球場に歌手の山川豊、水森かおり、氷川きよし、女性アイドルグループのアンジュルム、K-POPエンタテインメントグループ・Apeaceなどの出演が発表されている。また、神宮軟式球場には、女性アイドルグループ・でんぱ組.inc、AKB48の岩佐美咲などが出演。■神宮外苑花火大会8月11日(火)打上時間:午後7時30分~午後8時30分有料席会場:神宮球場/秩父宮ラグビー場/神宮軟式球場/東京体育館敷地内追加出演者:神宮球場:【OPENING ACT】妄想キャリブレーション / Pottya / KOBerrieS♪神宮軟式球場:【「LIGHT UP NIPPONどっかん祭」in神宮軟式球場】八代亜紀 / 怒髪天 / 福原美穂 / 千鳥 / NON STYLE / 森三中・黒沢&鬼奴 / 佐久間一行MC:宮川大輔【OPENING ACT】チャッキーズ∞インフィニティ / CANDY GO!GO! / Honey Squash / チャメっ娘☆WITCHES
2015年07月22日フリーアナウンサーの宮本隆治、歌手の八代亜紀、吉幾三、川中美幸が13日、都内スタジオで行われた、BSスカパー!の特別番組『宮本隆治の歌謡ポップス☆一番星コンサート』の公開収録に参加した。同番組は、音楽情報バラエティー番組『宮本隆治の歌謡ポップス☆一番星~演歌・歌謡曲情報バラエティ~』の特別番組。ゲストの八代、吉、川中によるトークコーナーのほか、生バンドの歌唱ステージを披露する内容で、番組は、3月29日18時からBSスカパー!で先行放送、5月上旬に歌謡ポップスチャンネルで90分の完全版を放送する。番組収録前、報道陣の取材に応じた八代は、「人生の贈りもの」、「心をつなぐ10円玉」を披露するにあたり、「今、どうしても歌いたい曲。言葉が素敵なので、じっくり見て聞いてくれればうれしい」とアピール。一方、コラボレーションを含む7曲を歌唱する吉は、「3曲がギリギリ……」とこぼしながらも、「カラオケじゃなく生バンドという音楽番組はなかなか無い。こういう番組は続けて欲しいし、この3人で毎週出てもいい」と番組初のコンサート形式が楽しみな様子だった。また、番組司会を約2年半務めている宮本アナは、「司会生命をかけて、誰も知らない素顔を引き出したい」と意欲満々。フリー転身前のNHK時代には、『紅白歌合戦』や『のど自慢』など歌番組の司会を担当してきた宮本アナだが、八代は以前からの印象を、「表も裏も面白い人」と称してにっこり。「生放送が終わると面白いって言われてましたけど(笑)。私は額縁ですから、中の絵を引き立たせることに徹します」と照れ笑いする宮本アナに、川中は、「額縁の方が高い時もある」と突っ込んで笑いを誘っていた。
2015年02月14日