2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘と同時再建手術をおこなったこほこさん。経過は順調で、退院に備えていろいろなことを看護師さんから教えてもらったそう。★関連記事:「スッキリ!」全摘手術した右胸の管を抜いたら体が軽い! #乳がん絵日記 18手術から10日。術後すぐはあまりなかった食欲も回復し、病院食を完食できるようになっていました。傷口については一部が壊死しているものの、おおむね良好で順調に回復していました。術後は右胸と左太ももを体液パックにつなぐ管が出ていて、シャワー浴びられませんでした。なので、看護師さんが洗髪と体拭きを1日ずつ交互にしてくれていました。術後8日目に右胸の管が抜けて、術後10日目になるとそろそろ左太ももの管も抜けそうな感じ。近々退院という雰囲気になっていました!そこで、自分で髪を洗う練習を始めました。左手でシャワーヘッドを持ち上げて、右腕はあまり上げないよう届く範囲で頭を洗う。右腕を上げていいのは90度まで出そうで、頭を動かしながらなんとか洗髪! ドライヤーも左手で持ちあげて髪を乾かしました。久しぶりに自分で思う存分頭をガリガリできてとてもスッキリしました!!洗髪の後は胸の傷口に薬を塗る方法を教えてもらいました。前日に形成外科の先生からも傷口の処置について教わっていましたが、改めて看護師さんから右胸の薬の塗り方や左太ももの包帯の巻き方を教わりました。自分の指先はバイ菌ついてるから薬は直接指で取らず、ガーゼに塗ってそのガーゼを傷に被せてテープで止める。テープは予め必要な長さに切っておくとすぐ貼れて良いのだそう。テープやガーゼは病院の売店に売っているそうなので、退院の日に売店で買って帰ることにしました。近所のドラッグストアではテープがあったりなかったりするので、病院の売店で買いだめしました(笑)。術後11日目のこの日は退院の前日でした。いつものように夜明け前に起床して、コーヒーを飲んだりしてゆっくりとした朝を過ごしていました。そしてこれもまたいつものように近くの部屋からナースコールの音が聞こえてくる。ここの病院のナースコールは「ミードーミードー」という感じの落ち着いた音色でした。入院初日は就寝後に聞こえてくるのが気になっていましたが、毎日聞いてたら小鳥のさえずりか虫の音かというくらい耳になじんでいました(笑)。右胸の再建は左太ももの組織を使っておこなったので、左太ももにも傷があり生活に少しだけ支障がありました。しかし術後11日目になると、傷の引きつれもマシになりしゃがめるようになっていました。私は毎週日曜日に体重測定をしており、この日は体重測定の日。1週間前の手術直後の測定では、急に3kgくらい増えていたのですが、元の体重に戻っていました。やっぱりむくみがひどかったのかな? と思いました。ー--------------自分の手で頭を洗ってスッキリしたというこほこさん。けがなどで思うように洗髪ができないとなんだかもどかしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月30日ゼニスはスーザン G. コーメン®乳がん財団へのサポートとして、スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクを発表。乳がん啓発月間である10月限定販売で、その売上の一部が財団に寄付されます。財団の価値観はゼニスと深く共鳴しています。女性のエンパワーメントは、数多くのブランドのコミットメントおよび行動を推進する、ゼニス HORIZ-ON イニシアチブの主要な柱の1つです。長年に渡って、ゼニスは女性の8人に1人が罹患し、世界中で無数の命を無差別に脅かす疾患である乳がんに対する意識向上に取り組んできました。ゼニスは、乳がんに対する啓蒙活動やスクリーニング実施の促進、治療法の継続的な模索を行っている組織へのサポートなどによって、スーザン G. コーメン®乳がん財団を支援しており、これによってより多くの女性が乳がんに対する知識、希望、支援を手に入れられるようにするだけでなく、世界的にこの疾患に対する意識を向上させるためのコミットメントをさらに強固なものにしています。乳がんにより亡くなったスーザン G.コーメンの妹、ナンシー G. ブリンカーが姉の命を奪った病気を撲滅することを約束し設立されたコーメン財団は、明日の治療法を根気強く探しながらも、今日の乳がんに冒された人々を支援することに尽力しています。乳がんと闘う世界最大のNPO団体と考えられているスーザン G. コーメン乳がん財団の使命は、世界からこの病気を撲滅することです。包括的なアプローチによって、コーメン財団は乳がんとの闘いの最前線に立ち、米国および世界中の何百万人もの人々をサポートしています。当財団は、患者の声に寄り添い、研究におけるブレイクスルーを推進、質の高いケアへのアクセスを向上させ、患者に直接的なサポートを提供し、信頼できる情報で人々に生きるための力を与えます。ゼニスは今後数年間、スーザン G. コーメン乳がん財団を支援することを確約しており、希望の名の元に構築されたこのパートナーシップの進展を共有できることを楽しみにしています。財団に対するゼニスのサポートについて、CEOのジュリアン・トルナーレは次のように述べています:「信頼関係と信じられないほどの影響力を持つスーザン G. コーメン乳がん財団を支援することは、ゼニスにとって非常に重要なパートナーシップとなります。クロノマスター オリジナル ピンクは、影響力のある研究および治療中の患者をサポートするための資金を提供する助けとなることでしょう。そのことを我々は誇りに思いますし、今後、パートナーとして活動していきたいと思います。」続いてコーメン財団の会長兼CEOであるポーラ・シュナイダーは次のようにコメントしています。「ゼニスは長年に渡って乳がんコミュニティの素晴らしい支持者でありサポーターであり続けてきました。2つの組織が共通の使命によって団結することは、何よりも強力な力となることでしょう。ゼニスとのパートナーシップによって、乳がんのない世界を作ることは、日に日に実現可能な現実となりつつあります。このようなゼニスのサポートに深く感謝しています。」スーザン G. コーメン乳がん財団をサポートするゼニスは、昨年発売されたレトロな雰囲気の代表的なクロノグラフコレクションをベースにしたスペシャルエディション、クロノマスター オリジナル ピンクを発表することを喜ばしく思っています。ユニセックスの38mmスチール製ケースに、最新の1/10秒計測の高振動エル・プリメロ自動巻クロノグラフキャリバーを搭載したこのクロノマスター オリジナル ピンク エディションは、印象的なメタリックピンクの文字盤が際立った存在感を放っており、世界各国で乳がん撲滅のシンボルとなっているこのカラーに敬意を表しています。スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクは、従来のシリアルナンバー入りの限定エディションではなく、期間限定エディションとなっています。乳がんへの意識を向上させるというその崇高な目的に寄与するため、国際的な乳がん啓発月間である10月1~31日にのみ、世界各地のゼニスブティックおよびオンラインブティックにて販売いたします。クロノマスター オリジナル ピンクの売上の20%がスーザン G. コーメン乳がん財団に寄付され、世界各地の患者がより良い生活をより長く送れるようにすることで、地域社会に良い影響を与える取り組みをサポートしていきます。日本国内ではゼニス ブティック銀座およびオンラインブティックにて販売いたします。スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクだけでなく、ゼニスは今後数年間、資金調達イベント、チャリティー オークション、その他の取り組みに積極的に参加することでスーザン G. コーメン乳がん財団をサポートしてきます。10月2日(日)、ゼニスは「2022 Komen Greater NYC Race for the Cure」に参加します。ここでゼニスはタイムキーパーの役割を果たすだけでなく、チームメンバー、クライアント、広報関係者にレースに参加していただきます。また、ゼニスは、世界各地で行われるDREAMHERSイベントに、スーザン G. コーメン乳がん財団からの代表者をお迎えします。これは、先見の明があり、自立した、刺激的な女性に、それぞれの声と情熱を共有するスペースを提供する、ブランド独自のプラットフォームであり、乳がんに対する意識を高め、重要な情報を共有し、優れた実践を促進するのに役立ちます。次回のDREAMHERSイベントは、10月にシンガポールで開催されます。スーザン G. コーメン®乳がん財団についてスーザン G. コーメン®乳がん財団は、乳がん撲滅に取り組む世界最大の非営利財団であり、乳がんの撲滅を目標に女性の命を救うための活動をしています。コーメン財団では、あらゆる局面からこの病気と闘うため、ほかに類を見ない包括的な全方位アプローチを採用しており、米国および世界各地の何百万もの人々をサポートしています。財団は患者の声に寄り添い、研究におけるブレイクスルーを推進、質の高いケアへのアクセスを向上させ、患者に直接的なサポートを提供し、信頼できる情報で人々に生きるための力を与えます。乳がんにより亡くなったスーザン G. コーメンの妹、ナンシー G. ブリンカーが姉の命を奪った病気を撲滅する事を約束し、設立されたコーメン財団は、明日の治療法を根気強く探しながらも、今日の乳がんに冒された人々を支援することに尽力しています。komen.orgをご覧いただくか、1-877 GO KOMENまでお電話ください。ww5.komen.org/socialで当財団とのつながりをスタートさせてください。クロノマスター オリジナル ピンクリファレンス:03.3202.3600/33.M3200特長:10月限定販売。1/10秒の計測と表示が可能な自動巻コラムホイール エル・プリメロ クロノグラフ。60時間のパワーリザーブを実現。4時半位置に日付表示。秒針停止機構ムーブメント:エル・プリメロ 3600パワーリザーブ: 60 時間以上機能:中央に時針と分針。9時位置にスモールセコンド。1/10秒計測のクロノグラフ。中央に10秒で1回転するクロノグラフ針。6時位置に60分カウンター。 3時位置に60秒カウンター仕上げ:サテン仕上げを施した新しい星形ローター税込価格:116万6,000円素材:ステンレススチール防水機能:5気圧文字盤:サンレイ装飾を施したピンクカラーケース:38 mmアワーマーカー:ロジウムプレート加工、ファセットカット、スーパールミノーバ SLN C1を塗布針:ロジウムプレート加工、ファセットカット、スーパールミノーバ SLN C1を塗布ブレスレット&バックル:ステンレススチール製ブレスレット&ダブルフォールディングバックル
2022年09月21日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、全摘手術を受けたこほこさん。自家組織による同時再建手術もおこないました。手術から8日が経過して、こほこさんの様子は……。★関連記事:「サバイバーです!」退院後の説明中、聞き慣れない言葉を耳にして #乳がん絵日記 179時間にも及ぶ乳がんの手術から早8日。体は順調に回復しており、退院後の生活についての説明を受けたりしました。私の右胸と左太ももには管が入っていたのですが、今日は右胸の管を抜くことになりました!術後、あまり食欲がなくご飯を残し気味だったのですが、体が回復してきて久々におなかが減る感覚がありました。おかげで朝食は完食、昼食の天ぷらもおいしく食べることができました!15時ごろ、形成外科の先生と一緒に病棟の処置室へ行きました。そこで右胸に刺さっている管を抜くことに。管が刺さっている辺りに黒い糸のようなものがあって、それを切るとき若干痛みを感じました。でも、管自体はスッと抜けて痛くはありませんでした。ずっと管が刺さっていたので、最早体の一部みたいになっていたので何だか物足りないような気もする……。ですが、やっぱりスッキリして軽いという気持ちが強かったです!左脚の管はまだ抜けませんが、管同士が絡まるのを気にしなくなってよくなりました。微熱が出たりしているものの、退院が近付いた気がしてうれしかったです。入院生活の中で一番充実していたのは朝の時間でした。というのも、夜は10時ごろに寝るので、朝5時くらいに自然と目が覚めるようになっていました。当然、出勤の支度も家事もしなくていいのでゆっくり優雅に過ごせました。音楽を聴きながら、パックをして美顔器をかけていました。私が入院していたのは4月だったので、5時半くらいになると外がうっすらと明るくなり6時くらいには日の出を見ることができました。コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、山の端から陽が昇って色がどんどん変わっていくのが見えていました。入院中の私の楽しみで、ぜいたくな時間でした。術後9日目も朝から乳腺外科の先生や形成外科の先生が傷の様子を見に来てくれました。午後は形成外科の先生に右胸の薬の塗り方や左太もものバンドの巻き方を教えてもらいました。その後、前日に撮影した顎のCT検査の結果を聞きに歯科外来へと行きました。外来や売店など病棟の外へ出るときは長めの羽織を着ていました。これがあれば左太ももの管も隠せていたので、入院している感じが薄れていました。歩いているとき、左太ももの管を挿入している部分から体液が漏れていたのですが、気にせず歯科へと向かいました。顎は今は様子見で良いとのことでしたが、念のため6カ月後にまたCT検査の予約をしてもらいました。以前なら放置していたけれど、ちょっとのことでも検査することが大切だなって思うようになりました。ー--------------入院中は朝の時間が楽しみだったというこほこさん。入院経験のある方は何を楽しみにして過ごしていましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「大切にしているものは」今までになかった質問に私は… #看護師でシングルマザーな私の話 39★関連記事:「ラッキー!」健康のために買ったエアフライヤー、妻よりも夫がハマり… #ときめけBBA塾 120★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月16日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは乳がんによる右胸の全摘と再建手術を受けました。手術から1週間、退院後の生活について説明を受けていると「こほこさんもサバイバーです!」と看護師さんから言われ……。★関連記事:「どんどん回復する!」乳がんの全摘手術から6日、できることが増えてきて… #乳がん絵日記 16私は乳がんの手術のために2週間入院していました。手術から5日目、形成外科の先生に傷口を確認してもらうとその一部が壊死していることがわかりました。乳腺外科の先生から皮膚を貼るなどの処置があることを聞き、心配しつつも入院生活を送っていました。術後7日目になると、組織を取った左太ももの裏にあったピリピリとした感じも少し緩和されていました。前屈みができるようになりましたし、両足のむくみが解消されて靴もちゃんと履けるようになりました!でも、まだ右腕はまだ上げられなかったので、何かするときは左手を使うようにしていました。お箸とペンだけは右手で持っていました。この日は朝食後、歯科で術後の歯の様子を見てもらいました。念のため、と顎のCTを撮影することに。その後、売店で2リットルの水を買ったりして疲れを感じながら病室へ戻りました。それから薬剤師さんが来て、下痢や発疹がないか確認してもらいました。抗生剤を飲むのはこの日が最後でした。形成外科の先生も来てくれて、左太もものテープの貼り直しや右胸の傷を見てくれました。体液の排出は前日より減って、右胸から25ml、左太ももから60mlでした。同じく術後7日目、薬剤師さんが来る前に看護師さんから退院後の生活について説明がありました。「退院のしおり」というものをいただき、わかりやすく教えてもらっていると看護師さんから「こほこさんもサバイバーです!」と言われました。がんサバイバーというのは、がん治療を終えた人だけではなく、診断を受けたりばかりの人や、治療中、経過観察中の人もがんサバイバーというそうです。私も乳がんサバイバー! 何だか戦隊ヒーローのイメージがして強そうだと思いました(笑)。退院後は、動く習慣をつけるために毎日歩いたり、手術した右側の腕をなるべく上げたりしないように指導を受けました。仕事でパソコンを触りっぱなしになってしまうので、1時間ごとに休憩を取ることを心がけようと思いました。退院後の説明をしてくれた看護師さんは、いろいろなことによく気付いてくれる方でした。私は術後、左太ももに管が入っていてシャワーができませんでした。なので、1日おきに温かいタオルで体を拭いてもらっていました。術後5日目くらいにこの看護師さんが体を拭いてくれたのですが、私の足の様子を見て、タライにお湯を入れて足も洗ってくれました! すごくありがたかったです。それから、術後は食欲が落ちていてご飯を残していたのですが、それにも気付いてくれてご飯を少なめにしてくれました。朝食のパンも薄切りにしてくれたりしたお陰で、完食できるようになりました。他の看護師さんや看護助手さんも話かけてくれたり、見守っていてくれたりと、とても良くしてくれました。また入院することがあればあの病棟がいいな〜と思うくらいです!ー--------------こほこさんは入院中、看護師さんたちにとても良くしてもらったそう。心細い入院生活では、やさしくしてもらえるとうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月12日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘手術と同時再建の手術を受けたこほこさん。手術を無事に終え、順調に回復している一方で傷口の壊死などの問題もあって……。★関連記事:「一部が壊死している」術後の傷を見た形成外科の先生から衝撃のひと言が… #乳がん絵日記 15浸潤性小葉がんというがんが右胸に見つかった私は、約9時間の大手術を受けました。術後すぐは観察室にいましたが、翌日には病室へ戻ることができました。毎日乳腺外科や形成外科の先生方に様子を見てもらっていましたが、右胸の傷の一部が壊死していたそうでした。病棟には洋式トイレが2つしかなかったので、いつも早起きしてトイレに行っていました。しかし、朝5時の時点で満室。みんな早起きしてトイレに行こうという考えは一緒なんだな……という気持ちになりました(笑)。術後6日目の午前10時ごろ、執刀してくれた乳腺外科の先生が右胸に傷を見に来てくれました。前日に形成外科の先生が傷を見てくれたのですが、そのときに傷の一部が壊死していると言われました。乳腺外科の先生は壊死してしまったら皮膚を貼るなどの処置もできることを教えてくれました。左脚のぷよぷよとした膨らみについても「治るから大丈夫!」と心配する私を励ましてくれました。そういったトラブルがありつつも、体調はどんどん回復していました! 左膝を曲げると、太ももの裏が引きつるような感覚があったのですが、それもマシになってあぐらをかいて座れるようになりました。それ以外にも歩くときは左脚を引きずりながら歩いていたのですが、持ち上げて前に踏み出して歩けるようにもなりました。手術のときに気管挿入したせいで生じた喉への違和感も落ち着き、裏返りやすかった声も普通の声で話せるようになってきていました。体液の排出も右胸から30ml、左太ももから80mlとかなり減っていました。入院期間は2週間だったので、時間はたっぷりありました。なので、長期の休みがあったらやってみたかったことを存分にやって過ごしていました(笑)。映画やドラマを見まくったり、電子書籍で本や雑誌を読みまくったり、ゲームしたり。個室に入院できたので、動画を見ていないときはBGMを流したりしていました。カフェミュージックを流しながら持参したコーヒーや紅茶を飲めば、もうそこはカフェでした!体もかなり回復していましたし、病室での生活にも慣れてまるでわが家のように過ごしていました。コロナ禍での入院だったので、家族ですら面会禁止。その分、趣味に没頭していました。ー--------------すっかり入院生活に慣れたこほこさん。期間に関わらず、入院生活はできるだけ快適に過ごしたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、ア著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月10日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかったこほこさんは、右胸の全摘と同時再建の手術をおこないました。手術から5日目、形成外科の先生から「手術した右胸の傷が一部、壊死している」と言われ……。★関連記事:「胸のバランスも良いですね」再建した乳房を見るタイミングっていつなの? #乳がん絵日記 14私は乳がんを摘出するために、右の乳房を全摘しました。それと同時に左太ももから取った組織で、乳房を再建しました。術後4日目、初めて正面から手術した右胸を見たのですが何だか自分のものだけどそうじゃないような不思議な感覚になりました。術後5日目の朝、乳腺外科の先生たち3人が術後の容態を見に来てくれました。外来受診していたときにはわからなかったのですが、病院にはたくさんの人がいるんだな〜と思いました。組織を取った左太ももにはバンドが巻かれていたのですが、それを取って状態を確認しました。太ももの裏が引きつっている感覚はだんだんマシになりましたが、管が刺さっている辺りが前より膨らんだ気がしました。触ったらぷよぷよとしていました!今まで左の太もも裏は触らないようにしていたのですが、初めて触ってみると皮膚が固くなって感覚がない所やピリピリと痺れているような所がありました。トイレに行って便座に座るたびにピリピリとする感覚があったので、傷に響いているのかと思っていました。ですが、それは傷の近くの皮膚だったことが判明。手術をするとその周辺の感覚がなくなったりすると形成外科の先生から聞き、納得しました。ぷよぷよとしている部分はどうなっているのか不明だったのですが、ひとまずバンドを巻いて押さえておくことにしました。それから右胸を見てもらったのですが、傷の一部が壊死していたそう。自分で確認することはできなかったのですが、皮膚がよみがえることを期待することにしました。ただ、執刀してくれた形成外科の先生や看護師さんたちには残念なニュースのような感じになってしまいました。退院後は右胸の傷に毎日軟膏を塗ることになったので、その説明も聞きました。軟膏は手ではなく、滅菌ガーゼに塗ってそのガーゼを胸に置いてテープで止めるそう。退院したらガーゼやテープを買わないといけないなと思いました。このころになると、寝る体勢もラクになってきました。術後すぐのころは、ベッドをフラットにしていると右胸と左太ももの傷が引きつる感じやピリピリと痺れているような感じがしていました。なので、ベッドの背もたれと脚の部分は上げっぱなしにして過ごしていました。傷とその周りに響くので術後4日目までは電動ベットの力を使って起き上がっていました。しかし、5日目からは自力で起き上がれるように!左脚はそんなに上げなくてもピリピリする感じがなくなったので、ほぼフラットにして枕を下に入れていました。毎日どんどん回復していて、人間の生命力に感動していました。ー--------------手術した傷の一部が壊死してしまったこほこさん。この先傷がどうなってしまうのか不安になってしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月05日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸にがんがあり、全摘手術をしたこほこさん。全摘手術と一緒に乳房の同時再建手術もおこないました。再建した乳房を見るタイミングとは果たしていつなのか……。★関連記事:「極楽じゃ〜」全摘手術から2日、術後初めての洗髪に感動! #乳がん絵日記 13右胸に浸潤性小葉がんが見つかった私は、9時間にも及ぶ右胸の全摘と再建の手術を受けました。手術の翌日には、観察室から自分の病室まで歩いて戻れるくらいには回復していました。術後3日目には、途中からしんどくなってしまったものの病棟の外で散歩もしました! 抗生剤の点滴も終わり、術後の経過は順調なものでした。術後の3日間は、手術した右胸をかばって寝返りができなかったので熟睡できませんでした。不眠気味になってしまったので、眠剤をもらって寝てみると……爆睡!寝返りを打って傷口が開いたらどうしようと思っていたのですが、無事に朝を迎えられました。この日は日曜日で、乳腺外科の先生も形成外科の先生も違う人が様子を見に来てくれました。胸の傷は新しい皮膚がかさぶたになるのを待つ必要があるとのこと。週に1回の体重測定の日だったので、ナースステーション前で体重を測ると、まさかの2kg増。術後からあまり食欲がなく、食事も残し気味だったので何でだろう? と不思議な気持ちに。まだ体がむくんでいたのでそのせいなのだろうか……。前日に病棟の外まで散歩した疲れが残っていたので、この日の散歩はほどほどにしておきました。手術で自家組織を取った左脚をかばいながら歩くので、右膝と腰に痛みを感じていました。でも、自分で顔を洗えるくらいの余裕ができて、顔を洗ってシートマスクをして美顔器を使ってスキンケアをしました! 今までは拭き取りの化粧水シートを使っていたのですが、やっぱり水で洗うと気持ちがよかったです。持ち込んだiPadで映画を見たり雑誌やマンガを読んで過ごしていたのですが、モバイルWi-Fiの上限になってしまったので、絵を描いて寝ました。手術をした右胸を鏡で正面から見たのは、術後4日目。それまでは上からチラ見するだけで、膨らみがあることしかわかりませんでした。とはいえ、まだガーゼやテープが付いているので形を見たくらいで、傷を見るのはまだ先のことでした。手術の翌日は心身に負担をかけたくなかったこともあり、手術衣からパジャマに着替えるときも胸からは目線をそらしていました。体を拭いたりもしなかったので、胸を見ることなく1日を終えました。術後2日目の朝、執刀してくれた乳腺外科の先生が体液や血管の音、胸の傷を確認してくれました。そのとき「再建したお胸のバランスも良いですね」と言われました。そこでちょっと見てみるかと思いお昼くらいに上からちらっと胸を見ました。たしかに左胸と同じくらい右胸にも膨らみがありました。その日はもう見ないでおこうと思い、胸の確認をすることはありませんでした。術後3日目も上からチラ見するだけにして、4日目になって正面から右胸を見ました。胸の大きさが小さいのもあって、ほぼガーゼとテープで覆われていました。何だか自分の胸なんだけど、自分の胸じゃないような感じもする……と不思議な感覚。組織を取った左太ももはバンドがぐるぐるに巻かれていたので、傷の位置も脚の形もよくわかりませんでした。ー--------------勇気を出して、再建した右胸を見たこほこさん。手術したときの傷口って見たいような、見たくないような、気持ちが揺れてしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月03日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。乳がんの手術から2日目。右胸と左太ももから体液を出す管がついているこほこさんは入浴できず。そんなとき、看護師さんがしてくれた洗髪が……!★関連記事:「パンツはいて」どうやって着替えるの!? 戸惑う私に看護師さんが… #乳がん絵日記 12右胸の全摘と同時再建の手術から2日がたちました。9時間という大手術を無事に終えたものの、観察室にいる間は心のどこかで不安になっていました。病室に戻ってから安心したのか、少し余裕が生まれてきました。手術前から着圧ソックスをはいていたものの、脚は少しむくんでいて靴がキツくてかかとを踏んで歩いていました。右手もむくんでいることに気付き、左手と比べてみると……両手の甲にたくさんのシミらしきものが! 5日くらいで消えましたが、一体なんだったのだろうか……。目も普段は一重なのにぱっちりした二重になっていました。これも3日くらいで元に戻りました。昼食をたっぷりと食べるとおなかが動き出して、術後初めてのお通じがありました!まだ右胸と左太ももに管を通しているのでシャワーはNGでした。代わりにボディシートで体を拭くことにしました。そして、看護師さんが洗髪台で頭を洗ってくれたのですが……スッキリして気持ち良い〜! とってもうれしかったです。夜に体液測定をすると、右胸から60ml、左太ももから100mlの体液が出ていました。寝る前に抗生剤の点滴をすることに。ベッドをフラットにすると傷口が引きつる感じがするので、寝るときも背もたれと足を上げていました。いつも横向きに寝る私はなかなか寝付けませんでした。手術から3日目。この日は朝食後すぐに乳腺外科と形成外科の先生が一緒に病室へ来てくれました。手術のときに貼ったガーゼやテープを剥がして、傷口とご対面……! でも、ぼやけて見えてしまいよくわかりませんでした。再建して繋いだ胸の血管は問題ないとのことでした。それから、病棟の外まで散歩しようと思い、上着を着てワクワクのお出かけ! まだ左脚を引きずっているので、階段は無理ですが平地ならどんどん歩けました。全然歩けると思いきや、途中からしんどくなってヘトヘトに……。散歩で疲れたからか、午後から胃のムカつきを感じたり胃酸が逆流してきたりしました。空せきも出ていたので、のど飴をなめてやり過ごしました。寝る前に最後の抗生剤の点滴をして、左手に刺さっていた針も抜きました。ー--------------看護師さんに洗髪してもらい、スッキリとしたこほこさん。何日も頭や体を洗っていないと気持ち悪くなってしまうので、洗ってもらえるのはうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月29日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。無事に右乳の全摘と同時再建の手術を終えたこほこさん。病室へ戻ることになり、着替えをしようとするも管が通っているのでパンツのはき方がわからない! 戸惑っていると、看護師さんがアドバイスをしてくれて……。★関連記事:「ご主人ですよ!」乳がんの手術後、スタッフが総出で起こしてくれて… #乳がん絵日記 11約9時間の手術を終え、観察室で一夜を過ごすことになりました。ただ、昼間の手術中に麻酔で眠っていたので寝たくても寝れず……。スマホも見る気になれず、ぼんやりとしていました。夜、検温をすると熱が高かったみたいでした。術後は熱が上がりやすいみたいで、看護師さんが氷嚢を用意してくれようとしました。でも、熱っぽく感じなかったのでお断りさせてもらいました。真夜中になっても相変わらず眠気はやってこず……。様子を見に来た形成外科の先生に「あれ、起きてるやん。痛みで眠れない?」と聞かれました。ただ目が覚めているだけです、とカスカスの声で伝えました。先生は右胸の辺りに金属の棒みたいなものを当ててきました。すると、付属のボックスのようなものからゴーゴーとした音が! どうやら血管の音らしく、つなげた血管の中を血がしっかり流れているか確認していました。このときだけではなく、その後もこの確認があったので血管がつながっているかどうか確認するのは大事なのだと思いました。先生がいなくなった後、一瞬うとうとするも隣から「ウワァ!」と大声が聞こえてすっかり目が覚醒。どうやら寝言だったらしいのですが、驚いてドキドキしてしまいもう寝れなくなってしまいました(笑)。組織を採取した左太ももの裏側がピリピリとしていて、痛くなったら嫌だなあと思い痛み止めが出てくるボタンを押しました。しょっちゅう押しても一定の時間が経過しないと出てこない仕組みになっていたので、安心してカチカチとボタンを押していました。看護師さんが様子を見に来てくれたり、明け方に先生が再び来てくれたりして朝になりました。形成外科の先生が経過を見に来てくれ、右胸の血管の音を聞いていました。その後、再建したのでマンマ体操(乳がん手術後のリハビリ体操)はNG、右腕は90度までなら上げていいなどいろいろな説明を受けました。そうこうしているうちに朝食の時間。右手の人差し指に体内の酸素を測る機械を着けていて、お箸が持てないと思って外してもらったのですが……おなかが減っていなかったので、バナナと牛乳のみ頂戴することに。歯磨きはガーグルベースという受け皿と歯磨き用の水を用意してもらって、ベッドの上でおこないました。顔を拭くおしぼりももらって少しスッキリしました!昼前には観察室から病室へ戻ることに。手術衣からパジャマに着替えて、うまく歩けたら尿管も抜けるとのことでした。ひとまず、パンツをはきましょうと言われたものの……ど、どうやってパンツをはくの? と戸惑う私。というのも、私は右胸と左太ももに管をつないでいて、その先には体液のパックが。まるで初めてパンツを見たかのようにぼうぜんとしてしまいました(笑)。すると、抜いちゃいましょうかと看護師さんが尿管を抜いてくれました。いつものように右脚からパンツをはこうとすると、看護師さんからアドバイスが。先にパックと管をパンツの左穴に通して、左脚からはくと良いとのこと。本当だ〜!! と単純なことながら感動。いつもとは勝手が違うので、慣れるまでに2日程度かかりました。浴衣タイプのレンタルパジャマに着替え、観察室から病室へ戻ります。体液のパックは、首からかけた不織布のポシェットの中に入れていました。ゆっくり立ち上がると、ちょっとふんわりした感覚。左脚も引きずっているものの、なんとか歩ける! 自分の病室まで歩いて戻りました。病室の窓から見える風景が穏やかで、心がほっとしました。手術の朝からここまでたったの1日半。長いような短いような……戻ってこれたという感じがすごくしました。昼食を食べても尿意は感じなかったのですが、14時ごろになってトイレに行ってみるとちゃんと尿が出てきました。1回出てしまうといつも通り尿意を感じられるようになりました。抗生剤の点滴中にトイレに行こうとしたら血液が逆流していたようで、それを廊下ですれ違った看護師さんが気付いてくれてすぐに処置してくれました。流石はプロ……! と感動。管と体液パックの感覚や重さにも慣れて、午後は韓流ドラマを一気見していました。飽きたら廊下を歩いて散歩したりと、自由に過ごしていました。ー--------------観察室から病室へ戻る際の着替えに戸惑ったこほこさん。頭ではわかっているけど、行動ができないということってありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月22日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術の日がやってきたこほこさん。手術が終わり、看護師さんから声をかけられていることに気付いたこほこさんは何だか変な感じがして……!?★関連記事:「準備万端!」 明日の乳がん全摘手術に備えて今日は… #乳がん絵日記 10「浸潤性小葉がん」というがんになった私は、右乳の全摘手術をすることになりました。同時再建もおこなうことになり、手術時間は約9時間の予定でした。手術当日、私はというと……。朝6時までにアルジネードという経口補水液を飲んでおきます。このアルジネード、「ヤクルト」のような「ポカリスエット」のような味でゴクゴクと飲めました!私は髪が長いので、ふたつくくりにしておいたのですが、子どものころ以来だったので何だか違和感。手術衣は肩から腕がマジックテープでくっついているのですが、適当に貼り付けたらコントみたいにはだけてしまいそうでした。T字帯というおむつのような紙パンツと、サージカルストッキングという着圧ソックスをはいたら準備完了です。いざ、手術室へ出発!朝8時半前に病棟から手術室へと向かいました。病棟の入り口で夫が待っていてくれて、看護師さんと3人で手術室へと歩いて行きました。夫とは手術室の大きな扉の前でお別れ。私の手術中、夫は待機室で読書したり庭を散歩して過ごしていたそうです。手術室の内扉の前で看護師さんが話しかけてくれて、いろいろ確認などをしました。その後、手術室のスタッフさんなどたくさんの人と一緒に手術台へ。台に上って寝っ転がると、乳腺外科の先生が腕をさすりながら声をかけてくれて、ちょっと安心。あとはお任せしました! と心の中でつぶやく。麻酔科の先生が左手の甲に注射したり針を刺したりして、口から何か出てくるマスクを当てられました。眠くなるのか〜と思っていたら「まだ眠くなりません」とまさかのひと言。次に「きつめのお薬が入ります」と言われたら、あっという間にスヤァ……と眠っていました。手術が終わり、「こほこさん、終わりましたよ〜」「ご主人ですよ、こほこさん!」と私を呼ぶ声がぼんやりと聞こえました。このときは何かガタガタと移動しているような感じでした。その声に反応して、目を開けてみるも平衡感覚がわからず……斜めのほうに夫が笑っている姿が見えました。しかし私は麻酔の余力に抗えず、再び目を閉じてしまいました。後から聞いたのですがコロナ禍で夫とはこの一瞬しか会えないとのことで、スタッフさんが総出で私を必死に起こしてくださったそうです(笑)。観察室らしき場所に到着し、再度起こしてもらって何とか目が覚めました。形成外科の先生が「どこが痛いですか?」と聞いてくれるものの……声が出ない! 気管挿管をしていたから声が出なかったらしいです。聞いていたと思うのですが、忘れてしまっていた私。背中の右側にクッションを挟んでもらい、手術したほうの肩が上がってちょっとラクな感じがしました。左の太ももから組織を取って再建したので、左脚は股関節から開脚している状態でした。動いていいのかな? と思っていると、右脚は動かしていいみたいだったので足首を回したりしていました。左脚は太ももの裏にピリピリと張っているような感覚があったので、おとなしくしておくことに。夜9時ごろになって水が飲めるようになったので、ベッドの背もたれを上げて水を飲みました。背もたれを上げたせいでずり落ちてしまったので、元の位置に戻りたかったのですが傷に響いてしまいそうで踏ん張れませんでした。小刻みにズリズリと上がっていると手術衣のマジックテープが剥がれてしまいました!水が飲めるようになった時点で、酸素マスクは口を覆うものから鼻に付けるタイプに変更していました。休んでくださいと言われたものの、麻酔で爆睡していたので眠くなく……。スマホも見る気になれなかったので、カーテンの隙間から見える時計をぼんやりと眺めていました。ー--------------無事に手術を終えたこほこさん。コロナ禍の入院や手術は制限が多くて大変ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月15日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。いよいよ明日に迫った右乳の全摘と同時再建の手術。手術に向けて朝からバタバタ。そんなこほこさんの1日とは……。★関連記事:「セレブやん」いよいよ乳がん摘出手術! オペ2日前に入院をして… #乳がん絵日記 9私は乳がんを患い、右胸を全摘することになりました。入院初日は医師や看護師などいろいろな人から手術や入院生活の説明などを受けました。ごはんもおいしく、病室もホテルを思い出すような快適さで私は何だか旅行気分になっていました。翌日は朝食の途中に歯科に行き、口腔ケアをおこないました。歯科から戻って残っていた朝食を食べると、すぐに昼食がやってきました(笑)。午後は形成外科で脚のエコーをしてもらいました。以前検査で使ったものよりも良い装置らしく、画質がとてもよかったです! 右乳の再建時に移植する神経もお取り寄せしてもらっているとのことでした。RI検査という放射性医薬品を使った体内の様子を調べる検査もおこないました。この検査は事前の注射と検査時間が分刻みで決まっていて、うっかり昼寝してしまわないよう気を付けていました。台の上にあお向けに寝転がっていると、頭の上を機械が通っていきました。検査が割とすぐに終わったので、ついでに術後すぐに飲む用の水を買い足しに行きました。庭に桜が咲いていたので、ちょっとお花見をして病室へ。乳腺外科の主治医が様子を見にきてくれて、窓から他の病棟を一緒に眺めながら少し話をしました。その後、麻酔科の先生とアレルギーについて話をしたり、看護師さんから手術室の説明を受けました。そして、病棟の看護師さんと術後に使うパジャマや水などのセットを再確認して準備完了!あっという間に夜になっていました。この日の夕食も完食! 手術当日は絶食になるため、しっかりと味わって食べました。空っぽのお皿を見て、看護師さんがにっこりとしていました。必ず洗髪をしてとのことだったので、シャワー室で念入りに頭を洗いました。家に山ほどあったホテルのアメニティーを持ってきていたので、それをバンバン使っていく!日中、看護師さんから「手術中に同じ体勢が続くと背中が痛くなったりするから、なるべくラクな体勢にしておくね」と言われたことを思い出し、何となく背中をチェック……。そういえば、入退院の説明時にも肩凝りがあるかどうかを気にされたりしていたなあ。まあ大丈夫だろう。術後はこの病室ではなく、観察室のようなところに行くので、持ち物に不備がないかシミュレーションしてアイテムを追加したりしました。寝る前に冷やしておいたアルジネードという経口補水液を飲んで就寝。看護師さんが寝られるか気にしてくれましたが、気付いたら寝ていました。手術前とは思えないくらい穏やかな夜でした。ー--------------手術を明日に控え、朝からバタバタとしていたこほこさん。手術前日ってゆっくりと体を休める印象がありましたが、検査などで慌ただしいんですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月08日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術を受けるために入院するこほこさん。コロナ禍で面会禁止の中、入院生活を快適に過ごすためにこほこさんが準備したものとは……。★関連記事:「断面を見て思わず感動!」 私が乳房再建用のCT撮影で見たかったものとは #乳がん絵日記 8「浸潤性小葉がん」という病気にかかった私。がんは右胸にあり、全摘手術をおこなうことになりました。摘出と同時に、太ももの組織から乳房を再建することにもなっており、手術時間は合計9時間を予定していました。PCR検査も済ませ、オペの2日前に入院。入院期間は2週間と言われていました。入院前日、2週間のお泊まりなんて普通ならバカンスだよな……と思いながらせっせと荷造りをしました。コロナ禍ということもあり、面会は禁止で差し入れも難しい状況だったのでティーバッグなど、入院生活を快適に過ごすためのアイテムは多めに準備しました。私は運良く個室に入院することができたので、あれやこれやと持ち込みたいものは全部持っていくようにしました。個室ということもあり、香りがある癒しアイテムを持ち込めたのはうれしかったです。美顔器なんかも持って行って、スキンケアは怠らないようにしていました(笑)。寒さ対策でカーディガンやモコモコの靴下を用意していたのですが、暑くて出番はありませんでした。マスキングテープが意外とお役立ちアイテムになっていました!パジャマとタオルはレンタルで済ませたものの、日用品なんかも入れると機内持ち込み用のスーツケースだけでは足りず……折りたたみできる大型トートバッグもパンパンになるくらいの大荷物になりました。入院日と退院日は同じ格好にしようと思い、前開きのワンピースを着て行きました。病院には朝8時半に到着。入退院の案内が混み合う前に手続きを始めました。最初に体重測定をし、病棟へと向かいました。未知の空間にビクビク……。付き添ってくれていた夫はナースステーション近くの談話室で待機していました。部屋に荷物を運び込んだら、夫と合流して麻酔科の外来で説明を受け、同意書を提出しました。夫とはここでグッバイ。次に会えるのは手術の日の朝でした。夫は元気に仕事へと向かいました。それからは病室に戻って看護師さんから部屋についての説明を受け、入院患者用のバンドを左腕につけてもらいました。こういうバンドって何かアミューズメント感があって、特別な気分になるんですよね。そして採血をおこなったり、手術までのスケジュールを聞いたりしました。荷解きをしているとき、初めて会う乳腺外来の先生がRI検査の説明をしに来ました。RI検査は放射性医薬品を注射したり服用したりして、臓器などの働きや形を観察する検査らしいです。この後もいろいろな先生が登場して、たくさんの人がいるな……と感心。お昼には人生初の病院食を食べ、おいしく完食! 薬剤師さんが薬の説明をしに来たり、看護師さんが体温測定をしに来たりと初日からいろいろな人に会えて楽しかったです。ベッドの上で夕飯を食べているとき、ふと「ベッドルームで食事するのって海外のセレブみたいやん……!」と思いました(笑)。ベッドの上が生活のメインスペースになることに対し、既視感がありました。そこで思い出したのが、出張でたまに泊まっていたホテルの広めの部屋のこと。トイレやシャワーが共同なところも合致して、何だか旅行気分になっていました。シャワー室は30分ごとの予約制でした。名前ではなく、私だけがわかる暗号のような絵を描いてシャワー室の予約をしていました。私は髪が長く、乾かすのに時間がかかっていたので、備え付けのドライヤーではなく持ち込んだドライヤーで髪を乾かしていました。手術までの間、夜はレンタルのパジャマを着て、昼はジャージを着て過ごしていました。昼も夜もレンタルのパジャマを着ていれば荷物を減らせたのですが、いかんせん初めての入院で何もわからず……。どっちでもいいとは思うんですけどね(笑)。ー--------------ついに入院の日を迎えたこほこさん。入院経験のある方はどんなアイテムが役立ちましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月01日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。いよいよ入院する日が近付いてきたこほこさん。手術の説明を受けたこほこさんは夫にとあることをお願いします。そのお願いとは一体……。★関連記事:「まるでダンジョン!?」右乳全摘と同時再建手術前の検査ミッション! #乳がん絵日記 6私は「浸潤性小葉がん」の診断を受け、右乳の全摘手術を受けることになりました。同時に太ももの組織から乳房の再建をすることも決まり、着々と入院の日が近付いてきました。この日は手術の説明を聞くために夫と乳腺外科を訪れました。診察室に入ると、いつもの先生が待っていました。着席すると、早速手術の説明が始まりました。切除する範囲を正面と横から見たイメージで図示してくれました。「リンパ節に転移していたら、リンパを取ります」とのお話もあり、私はリンパが脇だけではなくあちこちにあることを知りました。電気メスを使用するので皮膚が焦げることもあるらしく……私よ、頑張れ! と自分を奮い立たせる。手術時間は乳がんの切除に2時間、再建に7時間の約9時間。その都度、担当の医師から夫に説明が入ることになっていました。切除した部分を見せてもらえるとのことだったので、夫に写真を撮ってもらうようにお願いしました!が、夫はここで痛恨のミス。手術当日は写真のことをすっかり忘れていたみたいでした。後日、病理診断の結果をいただくまでお預けになってしまいました。手術中、夫は病棟の面会室のような場所で読書をしたり、周辺を散歩しながら待機することになりました。コロナ禍のせいで病室での待機ができなかったんですよね……。乳腺外科で手術について説明を受けた後、お支払い窓口へ行きました。そこで限度額適用認定証という、高額な医療費の支払いが自己負担限度額までに抑えられるという証明書を提出しました。その後、入退院の窓口にて家族の連絡先などを書いた紙を提出。そこで改めてコロナ対策で面会ができないことや個室の確保が難しいことを教えてもらいました。一応個室を希望していたのですが、6人部屋になりそうとのこと。洗濯物の交換も難しそうだったのでパジャマとタオルはレンタルにしました。見本を見せてもらって、胸も脚も手術をするので浴衣タイプのパジャマを借りることに。そのとき、T字帯という下着も見たのですがふんどしだということを知り、やや衝撃を受けました! パンツタイプのものがあり、そちらにすることにしました。床頭台(ベッドサイドに置かれているテーブル代わりの収納台)も確認して、何を持ち込むか考えたりと快適な入院ライフを目指して準備を進めました。入院まで残り3週間。まだまだやることはありました。入院や治療中に虫歯が見つかると困るので、久々にかかりつけの歯医者さんへ。するとなんと軽い虫歯が!歯科衛生士さんに乳がんの手術をすることを話すると、歯科医に伝えてくれました。再受診ではなく、その場で治療してくれました。ありがたい〜!そして美容院にも行きました! 私は髪質が硬い上に癖っ毛で……髪が広がるのでくくっていることがほとんどでした。しかし、手術をしたらしばらく右腕が上げられなくなるので、髪がまとまりやすくならないか相談しました。すると、くくらなくてもいいようにストレートパーマを当てることに。時間がなく、飛び込みで行った美容院だったのですがきれいにしてもらえてよかったです。ー--------------コロナ禍の中では自由に面会もできず、寂しくなったり不安を感じたりしてしまいますよね。入院ライフをいかに快適にするか……悩ましいものです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月21日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回はこほこさんがたくさんの検査をこなすお話です。手術の日が決まり、それに向けて検査を受けるこほこさん。あまりの検査数にこほこさんが思ったこととは。★関連記事:「そういうこともあるわよ!」がんになったことを周りの人に伝えると… #乳がん絵日記 5私は「浸潤性小葉がん」の告知を受けました。今は家族や職場にがんと手術について伝え、あとは治すだけ! という状態。右乳の全摘とともに同時再建をすることになっていたので、手術に向けてありとあらゆる準備をし始めました。手術前、私はもう一度造影MRIを撮影してもらうために病院へ向かいました。更衣室には私以外の患者さんもいて、どこまで服を脱げば良いのかという話題で盛り上がっていました。私はいつも全部脱ぐようにしています。ウエストがゴムのスカートならはいていても良いのでは? と思いつつ、潔く脱衣!造影MRIを撮影した直後、平衡感覚がおかしくなってしまったのか体がふわっとしてしまいました。そこをガシッと受け止めてくれたのは放射線技師さんでした。かっこいい、好き……! なんてことを思いました(笑)。造影剤の副作用なのか疲労からなのか、帰宅途中に軽い頭痛と胃のムカつきを感じました。この日は大事をとって仕事は休みをいただきました。検査結果はすぐに出たのですが、がんがすべて写っていたのかわからなかったため全摘にしてもらうことになりました。部分摘出にならないか期待していたのですが……そこはどうしようもありませんでした。造影MRIを撮影した日、他にも検査をおこないました。いろいろな場所をめぐりながらの検査はまさにスタンプラリー。検査をしながら歩き回る病院はまるで迷宮、ダンジョンでした! 病院があまりにも広くて迷いそうになり、ダンジョンを攻略しているような気持ちになりました。検査をしながら病院内を巡り、院内マップと天井に吊るされている案内板を頼りに目的地である受付を目指しました。私は唯一受け身じゃない検査であった肺機能の検査で良い結果を残したく、全力で息を吐き切りました! 太い管に向かって息を吐いて、やり直しを挟みつつもなんとかクリア。順調に検査をこなしましたが、私にはあることが引っかかり続けていました……。手術の1カ月半前、私は同時再建の相談をするために形成外科を受診していました。というのも、乳房再建は自家組織による再建と人工物(シリコンインプラント)による再建があります。「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」という本を読み、自分は自家組織での再建をしたいとなんとなく思い、形成外科で相談をしました。背中、おなか、太もものいずれかから移植するので、おなかと太もものエコー検査をしてもらいました。その結果から、私は太ももから組織を移植することに。洋梨体形なので太ももの肉付きには自信がありました(笑)。私がずっと気になっていたこと、それは右乳の再建をしたとき乳輪と乳頭はどうなるのかということでした。乳輪も乳頭も残したいな〜、でも無理だよな〜と思っていました。ですが、乳輪と乳頭の再建もできるとのこと! そのことを聞いたとき、霧がバァーと晴れたような気持ちになって……何とも言えないうれしさがありました。このころは仕事も繁忙期だった上に、いつも緊張していて食欲不振になっていました。「自家組織から再建するなら太ったほうがいいかも……?」と乳腺外科の先生に言われたので、近所で評判のタピオカ屋に行ったりしてカロリー摂取をしていました!ー--------------手術のためにいろいろな検査をおこなったこほこさん。病院ってとても広いのでたしかに迷路みたいで迷ってしまいそうですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月14日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回は乳がんの告知を受け、手術をすることになったこほこさんが家族や職場の人にカミングアウトをするお話です。夫以外の人に初めて病気になった話をすることに少し緊張していたこほこさん。周りの人の反応は一体……。★関連記事:「全摘になります」手術の説明を聞いた夫がとった行動とは #乳がん絵日記 4「浸潤性小葉がん」の告知を受けた私。右乳を全摘する手術をすることになりました。同時再建もおこなうことにし、手術日も無事決定しました。手術日が決まった翌日、職場への報告をしました。普通に話すつもりだったのですが、自分の病気について他の人へ話をしたことがなかったのですこぶる緊張しました!がんも手術もどこかひとごとに思っていたのですが、口に出してようやく実感しました。コロナ禍ということもあり、オフィスはテレワーク中で人がまばらな状態でした。その日、上司の1人が出社していたため、まずその上司を確保しました。続けてテレワークをしているもう1人の上司にZoomをつなぎ、がんと手術について話をしました。少し情緒が不安定になってしまい、説明がグダグダになってしまいました。しかし、2人の上司はそれをやさしく受け止めてくれました。私が休職している間の引き継ぎや情報共有に関しては上司の判断に任せることにしました。人事の方に休暇取得の方法を聞きに行くと、「病気が見つかってよかったね。人間ドックへ行ってよかったね」と言ってくれました。私は本当にそうだな、ちゃんと見つかってよかったなと心から思いました。そしてその週末、急遽実家へと帰省しました。母は先約があり、家を空けていたので帰るまで待ちました。その間に父と姉にがんと手術の話をしました。どんな反応をされるのか様子見しすぎてしまい、胃がキリキリと痛みました。でも、しっかりと話ができてホッとひと安心しました。登山から母が戻ってきたので、父と姉に話をしたのと同じことを言いました。心配をかけてしまうかもと思っていたのですが、「そんなこともあるわよ!」とひと言。それから「こんな小さい胸のどこにがんができるんかね〜」と笑ってくれました。本当に! 小さいのにね(笑)! 私のひいおばあちゃんも乳がんを患ったことがあるらしく、それでもずっと元気だったと母は教えてくれました。母の言葉に不安が紛れ、あとは治すだけだ! と気持ちが前に向きました。ー--------------自分の病気について他の人に話をするとき、何を言われるのか、どんな反応をされるのか、いろいろなことを考えてしまいますよね。そんなときに前向きな言葉をかけてもらえるとうれしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月04日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回は乳がんの診断が確定したこほこさんの今後についてのお話です。浸潤性小葉がんの診断を受けたこほこさん。一体どのように治療するのでしょうか。★関連記事:「乳がんにも種類があるんだ…」告知された病名は聞いたこともないもので… #乳がん絵日記 3人間ドックでマンモグラフィー検査を受けたことをきっかけにエコー、造形MRI、針生検の検査をした私に下されたのは「浸潤性小葉がん」。ショックを受けながらも、転移がないか確認するためにCT検査をおこなうことになりました。告知の際に手術をすると言われましたが、まだ考えがまとまらない私にはどこか他人事のように思えました。右乳がんであると告知を受けた後、看護師さんと少しお話をしました。メンタル面のフォローをしてもらっているうちにCT検査をする時間になりました。頭は回っておらず、言われるがままCTの台に寝転び脇を見せました。この検査では全身に転移が回っていないかを確認するそうでしたが、気の抜けた返事しかできませんでした。左手に造影剤を注射し、手が冷えておしりが温かくなるのは造影MRI検査と同じでした。頭の上に輪っかのようなものがあるのがどうにも気になり……目を閉じて検査を受けました。でも造影MRI検査よりも静かなのはよかったです! 検査結果は2日後に出るとのこと。手術は系列の別病院で受けることになっていました。なので検査結果を受け取り、紹介状と一緒に紹介先の病院へ行くことになりました。告知を受けてから3日後。夫とともに紹介先の病院へ。この病院で手術すると思った決め手は、告知してくれた先生がいるからでした。診察室に入ると少し違う白衣を着た先生が! この日は今後の手術について話をしました。前の病院で撮影した造影MRI検査では、どこに腫瘍があるかはっきりしていませんでした。ですがマンモグラフィーの石灰化の広がり方や小葉がんであることなど、いろいろなことを踏まえて全摘になるとのことでした。同時再建ができる日を手術日に設定しましたが、私にはあるモヤモヤが……。それは、部分切除にできないかということでした。私が諦めきれないでいると、夫が「もう一度MRI検査をお願いします!」と言ってくれました。夫よ、なんてやさしさなんだ!それ以外にもセカンドオピニオンについても聞いてくれました。その後、エコー検査をしたのですが「やさしい旦那さんですね〜」とひと言。良い夫を持ったな、と惚れ直してしまいました。ー--------------乳がんの摘出手術をすることになったこほこさん。やはり全摘となると思うことはたくさんありますよね。それを察して発言してくれた夫さんはすてきな方ですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月21日2021年に乳がんが発覚し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回はこほこさんの検査結果が告げられるお話です。マンモグラフィーに始まり、エコー、造形MRI、針生検とたくさんの検査をしたこほこさん。その結果は一体……。★関連記事:「異常なしなんじゃないの〜?」乖離する検査結果に期待を抱く私 #乳がん絵日記 22020年12月、人間ドックを受けた病院から「すぐに受診してください!」という電話を受けた私。約1カ月以上かけて検査をしてきた私でしたが、なかなか核心をついた診断結果は得られず……。ですが、ついに結果が出ます。マンモグラフィーとエコー検査の結果と造形MRI検査の結果が乖離(かいり)していたことから、針生検検査を受けました。その結果が出るまで2週間あるとのことでドキドキの毎日。まだ何もわかりませんでしたが、もし入院することになればしばらく温泉やスーパー銭湯には行けないと思ったので週末は大好きな風呂三昧! 身も心もリラックスしました。ですが万が一悪性だった場合に備えて、病院を夫に調べてもらったりもしました。今度こそ告知なり何なりがあると思い、また夫と病院へ行きました。今までの検査結果がはっきりしていなかったこともあり、大丈夫かも?と軽い心持ちでした。しかし、診察室へ入ると、先生はキリッとした雰囲気で……。私に下された診断結果は「浸潤性小葉がん」。乳がんとは何が違うの……? と疑問が浮かびましたが、先生の説明は続きます。浸潤性小葉がんは乳がんの一種で、私は右乳にがんがあるとのこと。がんはグレード2のルミナールAタイプ。乳がんにもいろいろなタイプがあるなんてまったく知らず……。初めて聞く横文字が多すぎて頭に入りませんでしたが、とにかく手術をすることだけはわかりました。グレードというのは病理学的悪性度のことで、「がんの顔つき」とも言われているみたいです。ルミナールは、女性ホルモンと結合する受容体が乳がん細胞に発現するタイプのこと。その中でもAタイプとBタイプがあり、Bタイプのほうががんの繁殖力や再発リスクが高いそうです。手術は先生が所属している系列病院にしました。2カ月くらい待つことになりましたが、この先生がよかったので他の病院は選びませんでした。告知直後、全身のCT検査をすることになりました。付き添ってくれた夫は仕事があったので、1人で待合室に居ました。すると、看護師さんが寄って来ました。CT検査の説明かと思ってました。看護師さんは「ちょっとお話しましょうか。ここじゃちょっとアレなんで ……」と人けのない廊下の端っこへ。何だろうと疑問に思っていると、「大丈夫ですか?」「聞きたいことはありませんか?」とすごくやさしく寄り添ってくれました。え……やさしすぎないか……。コロナ禍で看護師さんも大変なときに、こんなにも労ってもらえるなんて思っていませんでした。とりあえず、ちんぷんかんぷんなサブタイプのことなどを聞きました。リンパ節への転移がまだわからないので、手術をするまではステージについてもわからないということも教えてもらいました。他にも、セカンドオピニオンを受けるなら違う大学の系列病院が良いなど教えてくれました。そうか、がんといえばセカンドオピニオンか……。それに気付きながらCT検査へと向かいました。ー--------------乳がんの告知を受けたこほこさんは、頭の中がぼんやりとしてしまったそうです。そんなときに寄り添って支えてくれる看護師さんの存在ってとてもありがたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月14日2021年に乳がんが発覚し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回はこほこさんの乳腺にあるしこりの検査をするお話です。こほこさんの乳腺は乳頭から脇にかけて硬くなっているようでしたが、エコー検査ではわからず……。他にも検査をすることになりました。★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 12021年の年明け、私は病院にいました。2020年に人間ドックを受けたところ、病院での再診をおこなうことになり、まずエコー検査をしてもらいました。臨床検査技師さんに「しこりはこれですか?」と確認されましたが、私にわかるはずもなく「よくわかりません」と答えました。それからすぐに乳腺外科を受診しました。いきなり告知をされたとき、どうすれば良いのかわからなくなってしまうと思ったので、夫と共に診察室へ入りました。まず、人間ドックで撮ったマンモグラフィーの説明を受けました。右胸が広範囲にわたって石灰化しているとのこと。セッカイカ……? と頭にはてなが浮かびました。次に、先ほどのエコー検査の結果発表がされました。8mmくらい輪郭がにじんだものが見えます、と言われました。輪郭がにじんでいるとどうなんだ? と思いましたが、良性だと輪郭がもっとはっきりしているということでした。これだけでは診断を確定できないので、後日造影MRI検査をおこなうということでこの日の診察は終了。これだけじゃ確定できないんだ〜とのんきな気持ちで帰宅し、午後は普段通り仕事をしていました。初診から約半月。造影MRI検査の日になり、1人で病院へ。造影剤を投与する同意書を記載するとき、小児喘息を患っていたので大丈夫かな?というやりとりがありました。ですが、検査する以外選択肢がないので同意書にサインをしました。良い感じに胸をはめられる検査台のようなものにうつ伏せで寝転び、ヘッドホンをはめてボタンを握らされました。「少しでもおかしく感じたらすぐにボタンを押してください!」と臨床検査技師の方からのお気づかいがありました。カンカンと音がし、放射線科の先生から造影剤を入れる合図がされました。すると左手が冷やっこくなって、おしりが温かくなりました。じっとしなきゃ! と思っていたせいか、何だか鼻がムズムズしてしまい検査うんぬんよりも鼻がかゆいことで頭がいっぱいでした(笑)。30分くらいで検査は終了し、結果は翌週の外来で伝えられるとのことでした。造影MRI検査の翌週、ひょっとしたら告知があるかも? と思ったので夫と外来へ検査結果を聞きに行きました。造形MRI検査ではなぜか何も写らなかったみたいで、以前撮ったマンモグラフィーやエコーの結果と造形MRI検査の結果が乖離(かいり)しているとのこと。素人な私、やっぱり何にもないんじゃないの〜? と期待を抱く。が! 次は針生検をしましょうということに。同意書を書いて診察台へ横になりました。麻酔を打ち、脇の下へ枕を入れたらセッティング完了。グイッと針を刺しているような感覚がしたものの、麻酔でよくわかりませんでした。バチンバチンという音と振動がして、ちゃんと取れているのかなと思っている間に終了しました。その後、看護師さんがガーゼで脇を押さえてくれている間、世間話をしていました。針を刺したところが青黒くなったくらいで特に異常はなし。結果が出るまで2週間かかるとのことでした。ー--------------数多くの検査を受けたこほこさん。診断が確定しないと自分は病気じゃないのかもと期待してしまう半面、不安になることもありますよね。皆さんだったらどのように過ごして、検査結果を待ちますか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月07日2021年に乳がんが発覚し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回はこほこさんが2020年12月に病院から電話がかかってくるお話です。「すぐに受診してください!」と言われたこほこさんは病院に向かいました。★関連記事:<大腸がんマンガ>「おなかが破れるのが先じゃないの…?」待てど暮らせど手術の連絡が来なくて…その電話がかかってきたのは2020年の12月でした。同月の上旬に人間ドックを受けた病院から、すぐに乳腺外科を受診してくださいとのこと。忙しいので土曜日に受診できるかを聞いたところ、月曜日のみの対応でした。結局予約を取れたのは年が明けてからで、お正月はどこがどんなふうに悪いのかドキドキしながら過ごすことになってしまいました……。年が明け、2021年。ようやく予約していた日になったので病院へ。まずはエコー検査室へ向かいました。検査室といってもそんな大層なものではなく、オルゴールっぽい音楽や患者さんが電話で話をしているのが聞こえるくらいゆったりとした空間でした。エコー検査が始まり、臨床検査技師さんから「しこりはこれですか?」と聞かれました。しかし、乳頭から脇に向かって乳腺がかたくなっているだけのような感じで、それがしこりかどうかはわからず。確認しにくい箇所だから、と他の技師さんにも交代をして脇を数回確認されました。今思うと、転移があるかないか確認していたのかもしれません。冬真っ盛りの時期に上半身裸になりジェルを塗られたので、やや寒いと思いながら待合室へと戻りました。技師さんの表情から自分の病状は察せられず、この後初めての乳腺外来診察を受けることになりました。ー--------------人間ドックで異常が見つかって検査を受けることになったこほこさん。しこりなんて言われても素人の私たちではわからないことも多いので、定期的に検診を受けることは大切ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月01日ライブドア公式ブロガーであり、2歳差姉妹を育児中のワーキングマザー・宝あり子さんが描く、実体験をもとにした漫画です。本作は、「乳がんが見つかった話」「乳がんが告知された日」の続編となります。 前回、検査をおこなった病院で「ここでは乳がんの治療ができないので、転院先の病院を決めてください」と言われ、自宅や実家から通いやすい距離にあるA病院を選んだあり子さん。後日、紹介状を持ってA病院を訪れ……。 ※作品内ではマスクを省略して描いています。 遺伝子検査って? リンパ節にも不安要素が 転院先の病院では、すぐに治療が始まったわけではなく、まずはいくつかの検査を受けることになりました。当時、「早く治したい」という気持ちが強かったあり子さんは、実際に治療が開始されるまでの期間がとても長く感じたそうです。 ちなみに、遺伝子検査については、過去に海外の大物女優が遺伝子検査をした結果、乳がんになる可能性が極めて高いことがわかり、発症リスクを軽減するために両方の乳線を切除したとして、一躍、遺伝子検査が有名になりました。 遺伝子性乳がんの場合は一般の人より若い年齢で発症することが多いとされているため、先生は遺伝子性乳がんを疑って「遺伝子検査をしてみたほうがいいかも」と言ったのかもしれませんね。 医療監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック 院長) ※この漫画は実話に基づいた体験談であり、ベビーカレンダー編集部を通して、婦人科医の監修を受けた記事です。ただし、すべての方が当てはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 宝あり子さんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 宝あり子2歳差姉妹を育児中のワーキングマザー。2020年に乳がんが判明。抗がん剤投与、手術後、現在ホルモン療法中。ブログやインスタグラムで育児や乳がん治療のことをイラストで綴っています。
2022年05月24日「40歳独身で乳がんになりました」第23話。40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさん。初めて抗がんを剤与した夜、何だか手足が熱くなり……。さらに48時間後には強烈な痛みが襲ってきて……。初めて抗がん剤を投与した夜、何だか手足が熱く、熱がこもっているような感じがしました(2020年初夏のできごとです)。その夜は、1〜2時間おきに汗をビッショリとかいて目覚め、眠りたいのに眠れない。今まではどんな悩みがあっても睡眠だけは取れるタイプだったのですが、がん告知以来、寝汗をかくことが増えてぐっすり眠ることができなくなっていました。翌日は5時半に起床。思ったよりも食事が食べられなかったり、体がだるくて重く感じたりしたけれど、 初めてのことで、どのくらいのレベルなのかわからない。でも、好調ではないけれど、思っていたほどでもなかったので、「私、副作用軽いかも〜」と思っていました。ですが、昼ごろに胃の上あたりの痛みが増してきて……。始めは生理の影響かと思ったのですが、夕方にはかきむしりたくなるような胸の不快感と、胃をひねられているような強烈な痛みが……!まさか、胃痛があるとは思わず……。かなりうろたえました。抗がん剤投与から約48時間後のできごとでした。激しい胃痛の原因は何だったのか……次回に続きます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年03月19日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いた漫画を紹介します。今回は、乳がん治療でかかる医療費の管理について。やらなくてはいけないことがとても苦手な島野さんはどのようにしていたのでしょうか。★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン! として… #40歳独身で乳がんになりました 1今回は、医療費の管理に使っていたツールについてお話しします。私はがん治療をする上で、標準治療を選択。そして公的医療保険制度を使用し、医療給付を受けました。それに付随していろいろな申請事項があります。「やらなくてはいけないこと」がとても苦手なのですが、やらないわけにはいかない。体もつらく、何も考えたくない状態だった私はそれをとても負担に感じていました。なので、できるだけラクにできるようにしたのです。まず、医療費を管理するためのアプリを探すことに。私がアプリに求めていた機能は2つ。1 高額医療費申請のために必要な、項目ごとの毎月の合計金額を計算してくれるもの。2 毎月の全項目の合計金額を計算してくれるもの。医療費管理用のアプリもあるのですが、私は家計簿アプリのほうが使いやすかったです。その後、アプリに必要な項目を入力して設定していきました。次に、病院の請求書を入れるファイルを準備。私は、ジャバラ式のポケットがあるファイルBOXにしました。そこに毎月の請求書を区分けして整理していきます。医療給付申請の提出先へ、提出期限と送付先住所、提出書類の記入をどこまで手抜きできるか、などを確認しました。傷病手当も高額医療費申請も、まとめて申請しようが、毎月申請しようが、月ごとの申請書類が必要で面倒くさいんです……。なので、私はどこまでコピーでOKかを確認しました。そして、病院にはホチキスやクリップを持参して、発行された請求書をまとめ、そのままアプリに金額をカテゴリーごとに入力。病院ですぐやってしまい、家に帰ったら請求書をファイルに入れるだけ。わざわざこんなことしなくても、できる人はできるのですが、自分なりに少しでもラクになる方法を試行錯誤しました。整理されないまま請求書がたまっていくと自分のプレッシャーもたまっていく性格なので、その点ではやってよかったと思っています。それでも申請書類は省けないことも多くて面倒ですね……。次回は、ホルモン剤の副作用についてお話しします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年03月03日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いた漫画を紹介します。今回は、乳がんを全摘するか、部分切除するかについて。具体的な説明を受けたのは抗がん剤治療が始まったあと、具体的な説明を受けることになり……。★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン! として… #40歳独身で乳がんになりました 1抗がん剤治療のあと、乳がんの手術を受けることになります。転院前の病院の先生からも、術前抗がん剤でがんが小さくなれば、部分切除できる可能性もあると聞いていたのですが、そのときは「小さくなるのはうれしいけれど、全部取りたい」と漠然と思いました。私の手術は6カ月先。これから抗がん剤治療を進めながら、説明を聞いて考えてみることにしました。抗がん剤治療が始まったあと、具体的な説明を受けました。相談員さんから術後例の写真を見せてもらう機会があったのですが、実際の手術痕は、ネットで調べた図解のイメージと結構違っていました。抗がん剤治療の結果、部分切除の選択も可能になりましたが、私は結局全敵を選択しました。でも、写真で実像をきちんと知ってから決断できたのはよかったと思います。乳房の再建は希望しておらず、その気持ちは変わりませんでしたが、今後気持ちに変化があれば考えたいと思っています。とはいえ、「つらいし怖いし、何も考えたくない」という心境の中、自分で決めなければいけない……。もっと乳がんの知識を持っていればよかったなと思いました。次回は、医療費の管理について、私がしたことをお話しします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年02月26日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いた漫画を紹介します。今回は、術前抗がん剤のスケジュールを決めたときのお話。早く治療を始めないと! と焦っていた島野さんでしたが……。★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン!として… #40歳独身で乳がんになりました 1乳がんと告知され、地元の病院に転院して、術前抗がん剤を始めることになりました。抗がん剤の投与を何曜日にするか決める必要があり、何曜日が混むか聞くと、この病院の場合は月曜日と金曜日が混むとのこと。週末に抗がん剤を投与し、土日に休んで月曜から仕事をする人もいるので特に金曜日が混むらしいです。私はそのころまだ会社に在籍していましたが、辞めることが決まっていました。そのため何曜日でもよかったのですが、混んでいないほうがいいな、もし副作用がつらい場合は病院に頼りたいから週の前半がいいな、と思いました。抗がん剤……。やりたくないけれどやるしかない!! そう決意して火曜日を選びました。そして、早速次の週の火曜日から術前抗がん剤を投与することに。投与のスケジュールは3週間おきで、「フルオラウシル」「エピルビシン」「シクロスファミド」の3つの薬を投与します。乳がんを告知されてから、「早く治療を始めないと!」と思っていたのに、いざ具体的にスケジュールが決まると、すごく不安になってしまいました。どんなに考えても正解はわからない……。そんな気持ちで通院治療室のオリエンテーションと、薬剤師からの説明を受けたのを覚えています。その日の夜は、この胸に抱える不安をどうにかしたくて、亡くなった祖母の仏壇の前で泣きました。乳がん告知から約1カ月後、ついに術前抗がん剤がスタートする……。次回は、抗がん剤治療と併せてやってよかったことについてお話しします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年02月05日40歳独身で乳がんの告知を受けた、島野たみこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回は、乳がんの告知から1週間後の針生検(しこり部分の組織を採取して調べる検査)の結果を聞きに行った島野さんは……。★連載を最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン!として… #40歳独身で乳がんになりました 1乳がんと告知されてから1週間後、針生検の結果を聞きに行きました。先生が言うには、私の腫瘍の性質はエストロゲン(卵胞ホルモン)の受容体が10%だったとのこと。つまり、腫瘍がエストロゲンをキャッチして成長する要素が10%あったということだと言われました。10%という数字自体は低いらしいのですが、私の腫瘍が成長する要素の一つであるとのこと。「今のところ、それ以外の原因はわからないということですか?」と聞くと、乳がんは遺伝性の場合もあるけれど、原因とサブタイプ(腫瘍が何を餌にして成長しているのか)をイコールで考えるのは違うようです。その後も検査結果の説明は続きました。がんの増殖能力を示すKi67は50%で、グレード(がんの悪性度)は3とのこと。一般的にKi67が20%を超えたら高いと言われているそうです。乳がんの告知をされたときに「顔つきの悪いがんだ」とは言われていましたが、データを提示されることで「自分は乳がんなんだ」という実感が湧いてきて、急に現実味が増し告知されたときよりも落ち込みました。増殖力や悪性度が高いのも、あらかじめ言われていたのにショックで……。今でも恐ろしいです。乳がんの性質はさまざまで、現在では4つに分類(サブタイプ)されていて、そのサブタイプごとに治療方針が決められているとのこと。私は「ルミナルB型(HER2陰性)」というサブタイプ分類になるようです。サブタイプは、乳がんの性質ごとの分類です。転移の有無にもよりますが、「がんは何と結合して増殖しているか」によって、治療法が決まるようです。エストロゲン(卵胞ホルモン)受容体やプロゲステロン(黄体ホルモン)受容体が陽性の場合は、以下のような治療をするそうで、私はこれに当てはまります。・内分泌療法として、ホルモンの分泌や働きを阻害する薬を数年間は服用する(私は針生検ではエストロゲン受容体が10%と陽性だったのですが、摘出時の組織診では5%と微陽性でした。微陽性の場合は、ホルモン剤を服用するかどうかは、病院や医師によって見解が異なる場合もあるそうです)・皮下注射で生理を止める場合もある・場合によって抗がん剤治療をおこなう(私はリンパ節転移もあったため、抗がん剤治療が必要でした)そのほかにもタイプがあって、ひと口にがんと言っても治療法もそれぞれなんだ、まだ解明されていない未知の因子もあるんだろうな、と思いました。次回は、術前抗がん剤治療のスケジュールを決めたときのお話をします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年02月03日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いた漫画を紹介します。前回、思っていたよりも早い時期に、自分は乳がんであることを母に報告することになった島野さん。今後、誰にカミングアウトするかを悩んだそうで……。★前回:「元気だよ」とは言えない…。乳がんを報告する前に母から電話が来て… #40歳独身で乳がんになりました 8自分が乳がんであることを誰にカミングアウトするか、しないかを考えたとき、私の場合、以下の5つ分かれました。1 自分がカミングアウトしたいと思う人2 カミングアウトする必要性がある人3 場合によって伝えるかどうか判断すれば良い人4 言いたくない人5 どちらでも良い人(直接関わりがない人)乳がんを告知された後、私はあることを思い出しました。それは、たまたまテレビで目にした、20代半ばで乳がんになったという元アイドルの女の子の番組です。テレビを見ながら、他人事のように感心していたその数カ月後、自分に乳がんが発覚したとき、とにかく何か情報が欲しくて彼女を検索しました。その方は矢方美紀さんと言う方で、ネットニュースに出ていたインタビューを読むと、冷静だと思っていた彼女にも深い葛藤と苦悩があったこと、そして今もあることを知りました。なかでも気になったのは……。病気を公表することで、抗がん剤は効かないという情報が送られてきたり、サプリが送られてきて、善意のつもりなのかもしれないが、知人だとなおさら断りにくいという部分。告知から1年たった今、私個人としては、民間療法やサプリメントなどは本人が納得できて、お財布が大丈夫で周囲が認知していれば良いのかなとも思います。でも、だからこそ私が標準治療を選んだことも、とやかく言われたくないと思っています。矢方さんのインタビューを読んだあと、私は対人関係で悩むのはできるだけ避けたい、家族(言いたい人)と直属の上司(言う必要がある人)に報告するのは決定としても、親せきと友人はどの範囲までカミングアウトすれば良いのかなど考えました。悩んだ結果、人との距離感が取るのがじょうずな親しい友人2人と、叔母(母の妹)と妹の夫とその家族に報告することに。「家族は第2の患者」という話を聞き、治療中に私が主に頼ってしまうことになる母と妹の理解者である人たちには報告しようと思ったのです。私が打ち明けた人たちが、誰に私の病気のことを話すは各自の判断に任せようと思いました。本当は打ち明けたかった地元の友人が1人いたのですが……。育児で忙しい時期だろうし、心を開いている分「私が彼女に寄りかかって押しつぶしてしまうかも」と思って言えませんでした。「私、乳がんなんです」と大らかに行きたいところでしたが、自分の性格を考慮した結果、こうなりました。弱っている自分を守るための選択だったとも思っています。そして、妹の上司や妹の夫の家族といった、思いがけない方たちに助けてもらうこともありました。サポートをしてもらえたのは、妹の人徳のおかげです。ありがたかったです。親戚はいまだに伝えるか迷っています。遺伝性の乳がんだったら言うつもりでしたが、違いましたし。矢方美紀さんからは、治療に対する考え方など、影響を受けました。「矢方さんがやってるなら私も!」ではなく、「こう来たらこう考える」みたいなロジック的な影響。こういうのも思いがけないサポートだなって思います。次回は、針生検の結果を聞いたときのお話をします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン!として… #40歳独身で乳がんになりました 1著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年01月29日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いた漫画を紹介します。前回、妹に乳がんであることを話し、地元に戻ることにしようと決めた島野さん。両親にはまだ報告するつもりはなかったのですが……。★前回:「治療してこの先も生きたいのかな?」乳がんを初めてカミングアウトして気付いたことは… #40歳独身で乳がんになりました 7乳がんだったと両親に報告するのは、針生研の結果が出て治療の目途がある程度立ってから、テキパキとするつもりでいました。けれど、告知の翌朝に母から携帯に「おはよう。元気かな?」とメッセージが。さすがに昨日の今日で元気だなんて言う気にはなれず……。普段からよくある母とのやり取りだし、返事をするのが遅くても決して珍しいことではないので、返事は後にして、とりあえず仕事をすることにしました。けれど昼ごろに珍しく母から電話が。「元気かなって思ってね?」と言う母の言葉に、何も返せない私。どうしても「元気だよ」とは言えず、告知の翌日早々に母に自分は乳がんであると打ち明けてしまいました。そして私は、告知後初めて泣いたのでした。母はなんとなく虫の知らせがあって電話してきたそうです。ちなみに仕事は、「リモートワークのまま地元に戻りたい」という希望は通らず、数カ月後退職することとなりました。そうして正式に地元に戻ることが確定し、治療に突き進んでいきます(2020年5月の出来事です)。私が決断を急いだのは、主に3つの理由からでした。1 緊急事態宣言中だったため、都市部から田舎の病院に移る場合は、2週間の待期期間が求められる可能性があった2 腫瘍の悪性度が高く、1のこともあり焦っていた3 私の性格的な問題あくまで個人の感想であり、感情のままに決断した私が言うのもおこがましいですが、働きながら、休職しながら抗がん剤治療をしている方はたくさんいますし、焦る必要はないのです。仕事をどうするかも、抗がん剤の副作用の出方を見てから決めても遅くないということも、実際に抗がん剤治療をして初めて実感しました。親への報告は思っていたようにはなりませんでした。「乳がん」になってみて、自分で思っていたよりも自分の感情表現が素直なことに気付きました。元々そうだったのか? 病気をきっかけにそうなったのか?「あなたは全部(顔や症状に)出るね!」と、がん相談センターの方に言われたことがあります(笑)。取り繕ってる場合ではない! というのもあるかもしれません。次回は、自分が乳がんであることを誰に報告するか悩んだときのお話をします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン!として… #40歳独身で乳がんになりました 1著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年01月27日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いた漫画を紹介します。乳がんと告知され、自分がどうしたいか考えたとき、地元に戻りたいと感じた島野さん。病院を出たあと、まず相談した人は……。★前回:「私はどうしたい?」乳がん発覚後、待ち受ける決断の連続に… #40歳独身で乳がんになりました 6乳がんを告知された私。まず確定していることとこれから判明すること、針生研の結果が出るまでに決めなければいけないことを頭の中でまとめました。確定事項とこれから判明することは、自分ではどうしようもない。でも、これから決めなければいけないことは、地元に戻るしろこのまま1人暮らしで治療するにしろ、人生をというか命を左右する選択。検査結果が出る1週間で決められるものなのか?そもそも……。私はがん治療するの? 抗がん剤や摘出手術をするの?もし「しない」選択した場合はどうなるんだろう?そして、今40歳独身の私は生きたいのかな? 長生きしたいのかな?検査後、病院近くの神社のベンチでそんなことを考えました。今までの私は自分の現状に対して、特に前向きでも後ろ向きでもなく。周りはどう見ているか知らないけれど、それなりに仕事を頑張って、それなりに好きなことをしてそれなりに満足した生活を送っていました。でも、なんとなく生きていたから「生きる目的があるのか?」と考えたら正直よくわからないのですが、それは治療方針が決まってから考えても遅くない。「とにかく地元に戻るか決めないと、ほかのことが決められない」と気持ちを切り替えることに。そして、私が最初のカミングアウトの相手に選んだのは年の近い妹でした。とりあえずメッセージを送ったけれど、妹も仕事中なのですぐには返事は来ないだろうと思っていたら、すぐに連絡が来ました。私の現状を説明すると、妹は驚いていましたが、落ち着いて話を聞いてくれました。今日あったこと、がんについて初めて知ったこと、よくわからなくて不安なことを妹に話し続ける私。話しながら、「妹は気配りがじょうずなやさしい子で、私が望まない言葉は絶対言わない。私はそれをわかっていて、妹に打ち明けたんだ」と気付きました。そして、妹に話をしたら絶対に地元に帰ることをすすめてくれると私はわかっていたし、背中を押してほしかったんだなと思いました。話すことで自分の考えがまとまったということもあるかもしれません。地元に戻ることを前提で上司に相談してみよう、もしダメだとしてもとりあえずの治療費は大丈夫だろう、まずは地元の病院のことを調べてみよう。もしダメだったら40歳無職独身の姉が爆誕することになるけれど(笑)。今後はとりあえず地元に戻る準備を進め、大体の治療方針がわかってから両親に報告しようと思いました。両親にすぐ報告するのをためらったのは、罪悪感があったからです。子どもたちが巣立ち、仕事もひと段落して、ゆっくり老後を過ごそうとしているときでしたから……。せめて「大丈夫だよ!」と少しでも心配をかけないような報告の仕方ができたら良いと思ったのです。妹と話すことでとりあえず少し方向性が決まりました。がん治療のイメージが苦しそうで怖いというのは、私が実態を知らないから。治療をしたくないわけではないということに気付いたのです。このがんを乗り越えることができるかどうかは別として、とりあえず挑むことになりそう。先生は「先走って仕事を辞めちゃいけない」と言っていました。私も辞めたいとは思っていませんでした。でも、仕事を続けることを前提にした思慮が私にはできませんでした。自分がそういう人間だとわかっているなら、地元に戻ったほうが良いだろう、自分の気持ちを無視したら後悔しそうと思いました。あのときの決断から約1年。今の私は地元に戻った決断を後悔していません。でも、さらに1年後の私が後悔していないとは言い切れませんが。妹には感謝してもしきれないくらいお世話になりました。「ごめんね」って言うと嫌がるから言わないけれど、いっぱい「ごめんね」の気持ちもあります。次回は、両親に自分が乳がんだと伝えたときのお話をします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン!として… #40歳独身で乳がんになりました 1★関連記事:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★関連記事:乳がんで右乳房を全摘。だいたひかるさんインタビュー「抗がん剤治療中、太らないようにサウナスーツでレンタルDVD店へ(笑)」#2著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年01月22日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いた漫画を紹介します。95%の確率で乳がんと告知され、今後の治療の進め方を先生に聞いた島野さん。「今後、私はどうしたいの?」と考えたときに思い浮かんだことは……。★前回:「そんなに放っておいて大丈夫!?」乳がん確定後、治療の進め方でパニックに #40歳独身で乳がんになりました 5受診した病院は検診しかしていないため、今後治療をするにあたり、先生がいくつかの病院を教えてくれたのですが「私は地元に戻りたいです」と言いました。まだしっかり決意したわけではないですし、職場や家族と相談する必要があるけれど、仕事もリモートが続きそうだし、独身だし、実家で治療することも視野に入れて考えてみようと思ったのです。とはいえ、地元は田舎なので、病院の選択肢の数や仕事のことを考えたら、今住んでいる町にいたほうが良いのですが。地元に戻りたいと思ったのは、「私はどうしたいの?」と考えたときに、15年ほど前に同僚から聞いた同僚のお父さんの話が脳裏に浮かんだから。同僚のお父さんは、がんでもうダメかもしれないとなったとき、最後に故郷の景色を見たいと言っていたそう。同僚のお父さんのように、これが最後だと思っていたわけではありません。ただ「自分がどうしたいか?」と前向きに考えたときに、地元の自然の中にいたいと思ったのです。もしかしたら後悔する選択かもしれないし、何年かかけて自分が得てきたものを手放すかもしれない……。でも、がん治療がどうなるか想像もつかないならば、「せめて自分が望む場所に身を置いて治療しながら生活したい」と思いました。自分の中にそういった思いはハッキリとあるのですが、それは現実的に可能なのかどうか……。グルグルと考えてもすぐに答えが出るはずもなく、その後細胞検査をすることに。先生からは「1週間後に検査結果が出るから、それまでに紹介先の病院を決めておいてください」と言われました。おこなった検査は針生検というもので、胸のしこりに針を刺して採取した細胞から、がんの有無やがんの性質を調べるもの。私の場合は、悪性腫瘍であることが画像診断で確定しており、「顔つきが悪いがん」とも言われていたので、検査自体にドキドキ感はありませんでした。痛いことは痛いけれど、それどころじゃない……。検査が終わったら痛み止めの薬と次回予約の確認用紙をもらい、粛々と会計をして終了。でも、外に出た瞬間「それで……。とりあえず……何からやれば良いんだろ?」と立ち尽くしてしまいました。重い病気あるあるかもしれませんが、病気になっただけでもつらいのに、その後やってくる怒涛の決断の連続はつらいですよね……。手続きとかもしんどい。私はなかなか我が強いタイプなので「自分はこうしたい! という気持ちは結構早めにハッキリしていて。でも、40歳独身という現実を生きている身なので「じゃあどうするんだ?」って……。「ベルトコンベアーに乗って寝ているうちに、すべてが終わっていたら良いのに」って何度も思いました。次回は、治療のために地元に戻るかどうかを決断したときのお話をします。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン!として… #40歳独身で乳がんになりました 1★関連記事:「許さん…」新型コロナウイルスのワクチン接種後に後悔したこと #43歳で腎がんになった話 最終話★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年01月20日40歳独身で乳がんの告知を受けた、鳥野たみこさんの体験を描いたマンガを紹介します。前回、95%の確率で乳がんと告知された鳥野さん。今後の治療の進め方を先生に聞いたのですが……。★前回:「95%の確率で悪性です」リンパ節転移も発覚し、もう絶望的!? #40歳独身で乳がんになりました 4乳がんのステージは、0期~IV期まであり、がんのタイプによって治療の進め方が変わってくるそうです。国立がん研究センターのホームページの情報を見たりして、私は、がんを花にたとえて理解しました。・大きさ→腫瘍の大きさ/広がり・咲いている種類→がんのタイプ・成長能力→がんの成長能力・性格→悪性度/グレード・種が飛んでいる範囲→転移(植木鉢内にとどまっている→非浸潤がん/植木鉢の外まで飛んでいる→浸潤がん)・何をエサにして成長しているか→がんのサブタイプ(エサの種類によって治療に使う薬が違ったり、転移の程度によるが抗がん剤を使わない場合もある)がんはステージの問題だけではなく、腫瘍が小さくても勢いと悪性度が高い場合もあるし、腫瘍は大きくて悪性でもおとなしい性質もあるなど、さまざまなのだと初めて知りました。私の場合は、腫瘍がほぼ2cmなのでステージ2のAかBだと考えられ、どういうタイプが調べるために、針で細胞を採取すると先生に説明されました。・ステージ2A(がんの大きさが2cm以下で、脇の下のリンパ節に転移し、そのリンパ節は固定されておらず動く、もしくは、がんが2cm を超え、5cm以下の大きさでリンパ節やほかの臓器への転移はない )・ステージ2B(がんが2cm を超え、5cm以下の大きさで、脇の下のリンパ節に転移し、そのリンパ節は固定されておらず動く、もしくは、がんが5cmの大きさを超え、リンパ節やほかの臓器への転移はない )そして、リンパ節への転移もあり、画像を見る限りでは顔つきの悪いがんだから、「抗がん剤治療を先にすることになるでしょう」とのこと。がんはまず手術をするものだと思っていた私。抗がん剤治療が、ほぼ確定なことにもびっくりしました。医師の判断や腫瘍のタイプにもよりますが、今は先に抗がん剤治療をするケースもあるとのこと。先におこなうことで、抗がん剤の効果を確認できたり、腫瘍が小さくなれば、部分切除でも手術できるようになる場合もあるのだそう。私の場合は、約6カ月間で抗がん剤2種類を順番に投与、病院にもよるが、通院でできると説明されました。「治療をスタートするのは数週間後~1カ月先くらい、コロナの影響もあるからそれ以上かもしれない」と先生に言われ、再びびっくりする私。悪性度が高いのにそんなに放っておいたら危なくないの?私のしこり、乳がん検診から8カ月で2cmも大きくなったのに……!そう伝えると、「がんというのは毎日決まった分だけ大きくなるとか、日数分だけ大きくなるってわけじゃないんですよ」と先生。日々明らかに大きくなっているなら処置をする必要があるが、それまでは必要な準備をして抗がん剤治療に備えましょうと言われました。次の章では、先生から説明を受けた抗がん剤の副作用についてお伝えします。抗がん剤の副作用は個人差があり、してみないとわからないそうです。ラクということはないけれど、コントロールできる場合もあるし、なかには大して副作用が出なかったという人もいるとのこと。だから「先走って仕事を辞めたりしないほうがいい、治療後も生活はあるんだから」と先生。それはそうなんだけれど……。でも、私はがんなんでしょ?先生の言うことはもっともで、理解できるんです。でも、抗がん剤治療をして、胸を取るかもしれなくて、治るかどうかもわからなくて……。以前とまったく変わらないなんて無理なんでしょ? それなら私はどうしたいの?頭の中はフワッとしつつ、でも初めて知る乳がんの知識を理解しなければいけないと焦りつつ、乳がんの説明冊子の表紙にタイトルがないことに妙に感心したり……。頭の中がパニック状態になりつつも、病気に対して自分の「芯」みたいなものが欲しいということだけはハッキリと感じました。次回は治療をしていく上で、どうしていきたいのかを考え出したときのお話をします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)★最初から読む:「痛っ!」寝返りをしたら右胸がズキン!として… #40歳独身で乳がんになりました 1★関連記事:「え? 血尿!?」脇腹が痛く、頭痛に吐き気、悪寒まで… #43歳で腎がんになった話 1★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/島野たみこ(40歳)2020年5月、40歳独身で乳がん告知。術前抗がん剤→右胸全摘手術→放射線治療を経て、現在ホルモン療法中。治療に苦しんだり人生に思い悩んだりしながら、手探りで得た経験をインスタで投稿中。Instagram:@tamireport
2022年01月15日