~人間関係をより良く、良好に保つには〜 対人関係の付き合いは腹6分で付き合うことが鉄則です。しかし、友人関係、ご近所関係、仕事関係などで親しくなるとベタベタと「水くさいよ、何でも言ってよ!」と暑苦しく慣れ合いが生じて程良い距離を保つのも厳しくなってきます。しかしです…人間関係は腹6分が鉄則、常に水臭い関係を保つ日本には昔から「親しき仲にも礼儀あり」という諺があります。相手と程良い距離を保つ秩序習慣がありました。家族だろうが友人だろうが、自分以外の人間には図々しく深入りしない、嫌なところは「見ない・見せない・言わない・聞かない」の礼儀がありました。それは四方を海に囲まれた狭い国土の中で人間関係を良好に保つため、代々受け継がれた日本人の智恵です。現代の人は厚かましい慣れ合いが強く、おまけに、自分にとって便利でなにかと都合の良い人を友人と思うエゴな方も増えております。もう一度、人間関係という重苦しいものにしっかり向き合い、お互い腹6分で付き合うことから始めてみましょう。さっぱりします。しがらみが無くなり人生が軽快になります。
2016年12月05日~人間力をつける・・・全ての根本は“俯瞰”にあり〜“人間力”をつける上で一番必要なことは、世の様々な出来事を“俯瞰して見る”ことです。例えば、父親を見る時、お父さんとしての部分だけで見るのではなく、一人の人間として観るのです。乳幼児のころから、青少年時代、その家庭環境、家族関係、才能、容姿容貌、成績、トラウマ、知識教養、仕事の内容、能力、経済力、生まれてこれまでの時代背景、喜怒哀楽の出来事、そして先祖代々の経験等々、それら全体を見知った上で、一人の必死で生き続けてきた人間として観れば、単純な愛憎のみで接することなく、大きな敬愛や同情心や慈悲の心や感謝の心で接することが出来るようになるのです。それが人間力の一つです。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年12月02日~師走、今年のテーマ“人間力”と今年の総括で〜二十歳を越すと年を重ねる毎に1年が経つのは本当に早く感じるもので、本日よりもう12月・師走になりました。皆様、今年1月に出した「麗人だより」のテーマは「人間力をつける、感情をコントロールして常に俯瞰して世の中や物事を見られる人になる」でした。人間力とは、冷静な理知を常に保ち、暖かく清く優しく慈悲に溢れた心で恥と誇りを大切に生きる生命力です。皆様には、人間力を少しでも確実に身につけて頂けるよう様々な方法を披露しました。しかし、“人間力”はそう簡単に身に着けられるものではなく、それは一生続く人生修行そのものと言ってもよいでしょう。この難行に来年以降も継続して努力して頂きたいので、12月は今年の総括として、人間力を身につける方法厳選集や、アーカイブは来年に希望が持てる前向きな内容15選をお届け致しますね。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年12月01日~自己分析の前にやる大胆行動!〜 日本人に一番欠けているものが自己分析をする能力です。本来の長所を取り戻したり、自分の弱点や悩みを克服するためには冷静に自分と向かい合い、深く自己分析をしなければなりません。 自分の祖父母達や父母や自分自身の物心がついてからこれまでの人世の出来事、歴史、学科の得意不得意、好き嫌い、人間関係の好き嫌い、コンプレックスの有無、何が原因でトラウマになったのか、それをどういう見方や考え方を工夫し、変えてみることで克服していくか等々。 長所短所を消去法で書き並べてゆくのです。面白いくらい自分の良さが発見出来るようになります。自信がつきます。まず自分を理解してやりましょう。
2016年11月24日~暗い自分は後天的な姿です〜 人間の本質を見たければ赤ちゃんを見てください。ニコニコ無邪気に笑っているではありませんか。そのまま育てば明るいままの人間になるのですが、成長過程における環境、両親の夫婦喧嘩、兄弟・親戚や友だち同士のいがみ合い、ねたみそねみ、メディアから垂れ流される暗く残酷なニュースなど不安・不満・恐怖・悪意などが、次から次へと純粋無垢な心に突き刺さり傷だらけになり、悲観的で不安で憂鬱な暗い第二の人格が形成されてしまう。しかし、大丈夫です。あくまでもそれらは後天的な性格なので、治せます。 なぜならば自分を暗くしている原因は何かを探り分析し改善さえすれば、本来の明るい自分を取り戻せるからです。様々な自縛から解放されれば生まれつきの本来の明るさは必ず戻ってきます。まずは、理性的に原因分析し、発想の転換を図ることからスタートです。
2016年11月21日2016年5月に生涯を終えた電子音楽家・冨田勲さんの追悼コンサートの初演が11日、東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われ、遺作となった「ドクター・コッペリウス」が上演された。公演は、冨田さんが晩年にソリストとしてボーカロイド・初音ミクを迎えて制作した「イーハトーヴ交響曲」の再演、プロデューサーなどで知られるエイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」のダブミックスのパフォーマンスからなる第1部と、「ドクター・コッペリウス」を上演する第2部で構成。「ドクター・コッペリウス」は、冨田さんが完成を夢見て、亡くなる数時間前まで制作に向かっていた作品だ。「イーハトーヴ交響曲」では、オーケストラの厳かなハーモニーに乗って、ミクが可憐な歌声を披露。ステージ中央に設置された装置に映写されたミクは、舞台上を行ったり来たりしているかのように、あどけない仕草を見せながら動き回り、コーラス隊と共に合唱してみせた。エイドリアンのパフォーマンスへ転換する間の小休憩時には、「これからの演奏は通常のクラシック音楽とは異なり、大音量で強いビートが響く。ぜひ席を立って音に身を委ねてほしい」といった放送が。思わぬアナウンスに客席からも笑みがこぼれたが、再び幕が上がると、すぐにエイドリアンによる太いシンセサイザーの音色と弦楽器隊のハーモニー、その両者を支える激しくも複雑なブレイクビートがホールを揺らした。ガラリと変わった雰囲気から、前列に躍り出る観客も続出した。そして、「ドクター・コッペリウス」。小気味良いシンセの断片的な音のかけらがこだまし、第2部が始まった。この楽曲の主人公は、宇宙を夢見る科学者・コッペリウスと不思議な力を持つ少女・ミク。コッペリウスは重なる重圧に苦しみながらも、ミクと出会って宇宙へ飛び立ち、彼女とバレエを踊りだす。そんなSF的な世界観が、コッペリウス役の実際のダンサー・風間無限と舞台上に立体像で投影されたバーチャルシンガー・"初音ミク"のダンスで表現された。「イーハトーヴ交響曲」の荘厳さも感じさせるアンサンブルから一転、オーケストラは鮮やかな音色を奏でてみせる。そして、それに飛び乗った軽やかな電子音が、サラウンドで縦横無尽に飛び回る。ステージでは、コッペリウスが重力に抗いもがくようなパフォーマンスをみせ、ミクの動きと合わさる。実在しているのにどこか不可思議で複雑な演技を披露するコッペリウス、画面の中にいるのに生き生きと歌い踊るミク、ストーリーも相まって、その対比が近未来的な映像として浮かび上がっていく。カーテンコールでは、風間をはじめ、コンサートの演奏面と演出面を力強く支えた電子音楽家・ことぶき光も立ち上がり、深々とあいさつ。最後に、客席の中央に座っていた長男・冨田勝さんら親族がかつての冨田さんの写真を抱えながら起立すると、「ブラボー!」という声援があがり、スタンディングオベーションで歓喜を伝える観客も現れた。終演後、ホールを後にするオーディエンスを見返すと、集まった層は実に多様。老若男女を問わず、クラシックに精通する観客も、ボーカロイドに慣れ親しんでいる観客も、電子音楽を敬愛する観客も、文化の壁を超え"冨田勲"という音楽家が遺したものを共有している喜びに包まれているようだった。「ドクター・コッペリウス」は2017年4月、東京・すみだトリフォニーホールにて、新日本フィルハーモニー交響楽団を携えての再演が決定。詳細は、後日発表される。(C)Crypton Future Media,INC.www.piapro.net/photo by 高田真希子
2016年11月12日~戦前の“商人道”から学ぶもの〜 戦前と戦後では“商人”の心構えが異なりました。戦前の商いは商人が品物に対し研究熱心で命がけで高品質の商品を適正価格で売っていました。必死のマーケティングリサーチで良いモノを作り、責任を持ってお客様に売る。サービスは礼儀作法から接客まで丁寧に、正に“商人道”でした。しかし、戦後はモノがない時代となり出せば売れるので上から目線で暴利をふっかける泥棒商売は蔓延し、日本が豊かになり大量消費時代、バブル期になる迄は本当に酷かったものです。しかし、バブルがはじけ、不景気時代が長くなるにつれてモノが売れなくなり泥棒商売では通用しなくなり、そんな商いはすべて潰れています。今は昔ながらの“商人道”を守っているところはやはり生き残っております。いまこそ良心的で誇りを持った、“商人道”を再認識し、努力するそんな時代になったのです。
2016年11月10日~科学の進歩と問われる個人の人格、人間力〜 ネガティブ思考の方がいて、いつもマイナスオーラを放っている方は、次のような努力をしてみては・・・。人生は念じ続けるエネルギーの強さで動き出すものとても大切なことは自分の人生を素晴らしいものにするかどうかはほんのちょっとしたプラス思考のイマジネーションだということ。自分は不運不幸だと常に取り越し苦労のネガティブ思考の人は、自分が醸し出すその暗い雰囲気とオーラに包まれ負を引き込んでしまう。無意識に悲観的な予想のような選択を選び悲観的な結末の方向に流れていく傾向があります。逆に無理やりでも自分にプラスの自己暗示をかけて前向きの素晴らしいイマジネーションを描き念じ続ければ、やがて毎日を明るく楽しく前向きに生きる努力が習慣になりやがて自然とハッピーになっていくのです。人生とは良くも悪くも自分の想念次第で地獄極楽が決まるのです。不思議ですね。
2016年11月07日~クロウト、本物が求められる時代に!〜今やテレビをはじめ各メディアで“シロウト”を持ち上げ、ネタにする傾向が強くあります。加えて、ネット社会やSNS(相互コミュニケーション)の影響もあり、作り手側も、目には見えない聴衆を意識して、シロウトを使って面白おかしく演出することが多くなりました。確かに、現代ではプロの芸人さんより面白いアマチュアや、プロより上手く歌えるアマチュアもいます。ですが、クロウトとシロウトはどこか違わなければなりません。クロウトはそれでごはんを食べているからです。当然プロとして観客にお金を払っていただくだけの値打ちのある本格的なものを提供していかなければなりません。また、世の中も長い間の安易なシロウト文化に飽き飽きして、やっと本物が求められる時代になりました。これからは本物を観たり聴いたり感動し、心豊かな自分の生活を心掛けてください。それがまた、新しい素敵な自分を増やすことになるのです。
2016年11月04日~見えないものを観る力を養い、本質をつかむ!〜人間は肉眼で見えるもの以外は信じようとしない傾向にあります。しかし、神様やご先祖の霊、守護霊は見えませんが、確実におります。神様や霊に感謝し「いつも見られている」という畏れの意識が自分を律しゴーマンを押さえ成長させます。人の心も、信用も、自信も、或いは科学で重要な、原子、素粒子、電気に電波音波だって空気だって肉眼では見えませんが、確かに存在し、モノゴトの根本をなしています。見えないモノを観るために必要なことが偏らない“心眼”であり、心の眼で世の中を冷静に観察すれば、本質や真理が見えてきます。また、心眼とともに“想像力”を働かせることも重要です。目先の現象面だけにとらわれがちな自分の可能性を広げ、見えないものを観る大きな力になります。心眼と想像力を持ち、肉眼では見えないものも観られる大人になってください。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年11月02日~決断の時!腹で考える〜人生の中では様々な困難な岐路に立ち、決断を迫られることがあります。そんな時、まず第一に大切なことは、「将来それで、死に際にして自分は後悔するだろうか、しないだろうか」と考えること。あなたが後悔しないと思うのであればそれで決め、次に、頭でも胸でもなく、“腹”で考え直し決断する。頭だけで考えれば利害だけの計算に走り、胸だけで考えると感情的になり頭が冷静になった時に後悔します。頭と胸で考えたことを一度どっしりと腹におさめて人として深く考え直す。そうして出た決断は決して死に際に後悔しません。「腹をくくる」とは実はこのことです。お腹を据えて出た答えはおおよそ立派な答えが出て来ます。人生の大きな決断ほど、腹で考えた末に決断してください。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年11月01日今年5月に逝去した作曲家/シンセサイザーアーティストの冨田勲の遺作『ドクター・コッペリウス』がプロジェクトチームにより制作され、11月11日(金)・12日(土)の追悼特別公演で初披露される。10月26日に開かれた制作発表記者会見でその全貌が明らかになった。【チケット情報はこちら】『ドクター・コッペリウス』は、亡くなる1時間前まで打ち合わせをし、冨田が上演を最期まで夢見て創作し続けていた作品。“日本の宇宙開発・ロケット開発の父”と呼ばれ、バレエダンサーでもあった糸川英夫博士の「ホログラフィと一緒に踊りたい」という夢を形にするとともに、『イーハトーヴ交響曲』(2012年)のときに生のオーケストラ演奏で歌い踊ったボーカロイド・初音ミクにバレエ作品『コッペリア』を踊らせたいという冨田の思いが詰まった壮大な交響曲。オーケストラとシンセサイザー、バレエとホログラフィを融合させた“スペースバレエシンフォニー”となる。今回は、3Dで浮かび上がるバレエの衣装に身を包んだ初音ミクが、バレエダンサー風間無限とともに“パ・ド・ドゥ”を踊り、歌う。演出/エレクトロニクスのことぶき光は「映像は当日をお楽しみ」と明言を避け、振付の辻本知彦は「一番最後の曲はとてもいい振付になったと自負してます」と満足の表情でアピールした。1970~1980年代に冨田が制作した音源が入ったオープンリールテープもこのたび発見され、「再サンプリングしてかなりの場所で使います」とことぶき光。楽章の構成は7楽章。ストーリー原案とほとんどのサウンドファイルが遺されていたが、第1楽章と第2楽章はテーマや歌詞が遺されているのみ。プロジェクトチームから冨田氏へ思いを捧げる第0楽章『飛翔する生命体』を冒頭に据え、1と2は欠番となる。指揮の渡邊一正は「リハーサルはこれから。わくわくしています」と笑顔で語った。既存の楽曲を素材として用い、新しい世界観を作り上げるのが冨田の手法。本作には、ヴィラ=ロボス『ブラジル風バッハ』やレオ・ドリーブ『コッペリア』、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』、最後の劇場用映画音楽となった映画『おかえり、はやぶさ』メインテーマが素材として用いられ、新しい世界を作り上げている。当日は、『ドクター・コッペリウス』のほかに、『イーハトーヴ交響曲』、冨田の代表作である『惑星 Planets』(1977年)のリミックスも披露される。冨田勲 追悼特別公演『ドクター・コッペリウス』は11月11日(金)・12日(土)に東京・Bunkamuraオーチャードホールにて開催。チケット発売中。取材・文:門 宏
2016年10月31日孤独は誇り高い実力孤独と聞くと、寂しく暗いマイナスイメージを持たれる方が多いと思いますが、そればかりとは限りません。友人・知人との煩わしいトラブルに巻き込まれることもなければ、自分以外のことで悩むこともない。更に、“孤独”とは他人に迷惑をかけず自立できているという証拠で、強い意志の力がなければ出来ません。孤独とは実に誇り高いものなのです。一方で、何の実力も伴わず、誰からも嫌がられ相手にされない孤独は“孤毒”と言いまして、こちらはなってはなりません!そもそも人間は誰しも一人で生まれ、一人で死んでいくように宿命的に孤独が自然の姿です。たとえ大家族で暮らしていても、誰しも晩年になれば老いの孤独を感じるようになります。ですから、若いうちから孤独と向かい合い、孤独に慣れ、「寂しい、惨め、むなしい」などとは思わず、「自分を育てるのは自分自身、世の中誰しもが孤独なのだ!」と発想の転換をはかり、むしろ孤独も楽しめる余裕を持ちましょう。孤独は瞑想にふけり賢者になれる時間なのです。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月27日電子音楽家・ことぶき光らが26日、11月11日と12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる故・冨田勲さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」の制作発表会見に登壇し、意気込みを語った。ことぶきのほか出席者は、国際交流基金理事長・安藤裕康氏、公演の音楽監督を務める指揮者・渡邊一正、ダンサーで振り付けを担当する辻本知彦、そして勲さんの長男・冨田勝氏、音楽ライター・前島秀国ら。コンサートでは、ソリストとしてボーカロイド・初音ミクが迎えられた「イーハトーヴ交響曲」の再演、勲さんが最期まで公開を夢見ていた「ドクター・コッペリウス」の初上演などが行われる。「ドクター・コッペリウス」は、2012年に「イーハトーヴ交響曲」が完成した直後から、勲さんが「必ずやり遂げなければならない」とまで語っていた大作。勲さんは上演を待たずして、その生涯を終えたものの、公演では舞台上に投影されるミクと風間無限とのバレエと共に披露される。勝氏は、これを「父が何十年も温めてきた企画」と説明。勲さんの生きざまを「最後まで『どうやったらお客さんに感動を伝えられるか』と考えた"前のめりの人生"」と形容しながら、「楽曲に込められた父の思いを一人でも多くの方に聴いていただきたい」と呼びかけた。続いて前島が、「ドクター・コッペリウス」を制作するにあたり勲さんには、ミクにバレエを踊らせたいという思いと、日本の宇宙開発に尽力した故・糸川英夫さんをイメージさせる作品として成立させたいという構想があったと解説。糸川さんが大空に向かって飛び立つ意志を持っていたように、「冨田先生が伝えたかったのは『重力のしがらみを乗り越えようとする人間の情熱』ではないか」との見解を述べた。コンサート全体をサポートすることぶきは、演出面のシステムの素材を組み立てていると発表。制作は、冨田家も借りて行っていると明かした。また、その場で眠っていた勲さんの機材を鳴らしたところ、勝氏が「ノコギリ波(シンセサイザーの基本波形の一つ)だ」とその音を言い当てたことを振り返り、「幼い頃から聴いていたからかな。ビックリして一気に仕事がはかどりました」とほほ笑んだ。会場では、バレエ衣装に着飾ったミクのイメージもお披露目。さらに、かつて勲さんがオープンリールに残していた音源も公開され、ことぶきは「ミクが歌い踊ります。そしてモーグ・シンセサイザーの音や、オープンリールの音源をサンプリングして、フレーズごとに振り分けたものを何らかの方法で走らせます」とアピールした。
2016年10月27日●冨田さんとは一歩超えたところでコミュニケーションさせてもらえた2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuiraオーチャードホールで開催される。前回、前々回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶきの言葉を紹介したい。コンサートは、冨田さんが遺した音を再現することだけでなく、舞台上に投影されるミクと、実際のダンサー・風間無限の共演も見どころとなる。また、タックヘッドなどのダブアーティストを輩出してきたイギリスのレーベル・On-Uサウンドの設立者で、ナイン・インチ・ネイルズやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといったインダストリアルアーティストのプロデューサーとしても知られるエイドリアン・シャーウッドが冨田さんの代表曲「惑星 The Planets」をリミックスすることも大きな注目点だ。「イーハトーヴ交響曲」の再演、ミクたちのダンスも見られる冨田さんの遺作「ドクター・コッペリウス」の上演、エイドリアンによる「惑星」の再解釈…公演ではこの3点から、冨田さんの遺志を引き継いだ音を響かせつつ、オーディエンスに新たな未来を提示する。ことぶきは、その演奏面だけでなく映像の演出面やリミックスの素材制作の面でもコンサートの裏側をサポートしている。一見、ハードワークにさえ思えるそんな活動を通じて、彼がオーディエンスに届けたい思いとは。晩年の冨田さんとの仕事で抱いた感触なども思い返しながら、ことぶきはそれを言葉にしてくれた。○何でここまで繋がるのか――お話を伺っていると、幼少時から当時のP-MODELでの活動、そして現在の冨田さんのお仕事は繋がっている部分が多々ありますね。ね、それ自体がすごいよね。飲み屋で冨田先生に何でモーグを買ったのか聞いたら、ウェンディの話が出てきて。しかも70年の万博の時に大阪に行って、現地のレコード屋さんで見つけたのかな。性転換直前…ウォルターの頃のジャケを見て買って。「これは!」と思ってモーグも買った訳ですよね。そんな流れとか、あとはオケとコンピュータの同期の話とか、冨田先生がやっていたサウンドクラウドとかにも繋がってるというのもある。「何でここまで繋がるのか」っていう話はご本人ともしてましたね。――「イーハトーヴ交響曲」の始動が12年ですよね。NHKの特別ドキュメンタリー『音で描く賢治の宇宙~冨田勲×初音ミク 異次元コラボ~』(13年放送)でもサウンド設定に苦労されている姿が捉えられていました。実際にはいつくらいから打ち合わせが始まったのでしょう。初めて声がかかったのは、その年の6月頃じゃないですかね。(交響曲の)構想自体は多分ずっと前からあって、音も作っていって、実際にライブで披露するというのは一番後なので。話をいただいてからは、実のところ3カ月くらいでやりました。○"共有感"を喜んでもらえていたのでは――そんなに短期間だと相当疲れたんじゃないですか。いや、それはないです。よく「俺は何時間しか寝てねぇ」とか自慢するヤツいるじゃないですか。でも例えば、何もやることがないまま3日寝られないっていうのは病気ですよね。そこでもう1つ考えられるのは、アイデアが降りてきてしょうがなくて、冴えて寝られないというパターン。そう思うと、「俺は何時間寝てねぇ」って人は「俺はこれくらい才能があるんだ!」と言って回っているのと同じですよね。そうじゃなきゃ、本当に倒れるように寝ちゃうはず。本当に寝られない時というのは良い意味で寝られないので、そこに疲れるとかしんどいというのは一切ないですね。――インスピレーションも次々湧くような楽しみながらのお仕事だったんですね。冨田先生から夜中とか朝5時とかに電話がきて、思いついたことをめちゃくちゃ言ってて。最初は「あれ、まだ起きてたの」とか言ってくれるんだけど、どんどんそれがなくなってくる。そうなると、誤解かもしれないけども、僕も「冨田先生も喜んでくれてるのかな?」と思ってね。寝てなきゃいけない時間に作業してるということ自体がうれしそうな感じ、世間一般とは違う時間感覚で物を作れてるということがうれしい感じ。昼間でも夜でも関係なく、そういう時間軸じゃないところで物を作ってるんだという。おこがましいけど、そんな"共有感"を喜んでくれてたんじゃないかと思ってます。――他に共作する中での印象に残ったエピソードはありますか。一つ一つ印象は強いです。音の仕組みとかを瞬間的に理解できるというのも他の人ではあり得ないし。そこにメーカーのスポンサーが入った場合、彼らも自分の開発物を売らなきゃいけないから、機能として何ができるかっていうスペックをアピールしますよね。でも、その情報は現場ではほぼ使い物にならない。冨田先生は、メーカーが言うのとは別のところで現場的に何が使えるかを瞬時に察する感覚というのを理解されていた。おこがましいですが、そのステップを一歩超えたところで、飲みに連れて行っていただいてお話してくれたのが本当にうれしかったですね。●ミクとオケのスペースバレエシンフォニーを体感してほしい○アイデアは先人に生んでもらった――今回の公演では音の面だけでなく映像にも関わってらっしゃると伺いました。そちらはどういう段階までディレクションなさっているのでしょう。僕は絵とかCGとかわからないので…振り付けとかにも口出ししていると思われたりもしますが、ダンスも全然(笑)。なので、雰囲気だけ伝えて、基本はお任せですね。ただ、作業スピードを上げるために、撮り方のシステム自体は組んでて。ゲームでやるようなモーションキャプチャーのシステムとは違うやり方で撮ってるというのは、一つあるんです。仕事のスピードって、作品に影響するじゃないですか。すごいスピードで進行している感じを作り上げるために、その仕組みを提供しています。――そのアイデアは一から作ってらっしゃるんですか?いや僕のステージじゃないのもありますから、そこは(着想を)誰かに生んでもらったっていう。先人のおかげですよ。やっぱり先人への畏敬が全部のベースにあって。ちなみに基礎技術開発みたいなのは、また別途あります。なぜそれが別途かと言えば時間がかかるからですね。基礎技術って、使えるようになるまでに何年もかかったりするもんだから。それをゼロから作る必要はなくて、基礎技術開発の選択の組み合わせでイノベーションが起きる…そこを狙ってます。かと言って、開発をしてないわけでもなくて、何年後かのために常にやってもいます。――エイドリアンのパフォーマンスにも企画当初から関わってらっしゃるんですよね。初期段階から、「やってもらうならエイドリアンしかいない」というのがありました。冨田先生の世界観にある意味でのハサミを入れられる人は多分、エイドリアンかリー・ペリーかどっちかじゃないですかね(笑)。打ち合わせは、メールベースで「こういう風にアプローチしよう」といったやり取りして、サウンドファイルも送っているんですが「聴いてないけど、良いんじゃない」って(笑)。――それは信頼されているということですよね(笑)。何かすごい余裕とスケール感を感じちゃいますね。ほっといても大丈夫だと思われてるのかな。○初音ミクはクリエイトの母、冨田さんが父――ことぶきさんは、二足歩行シンセのように枠組みにとらわれず色んなデバイスを作ってらっしゃいますよね。ご自身から見た初音ミクはどのようなものでしょう。クリエイトの母ですかね。要するに、それがルーターみたいなハブみたいな機能を果たしていると思うんです。それをベースに何かを作れるっていう意味ではものすごい存在ですよね。初音ミクという母がいて、冨田先生という父がいて、僕らはステージに向かって作っていけています。――最後に今回は冨田さんの追悼公演という側面が一つあると思うのですが、冨田さんの遺志をオーディエンスに届けるという部分もあるかと思います。そこで、ことぶきさんとしてオーディエンスに伝えたいことを教えてください。スペースバレエシンフォニー。これ、3月終わりか4月頭に冨田先生に言った時は、全然真に受けられなくて、シャレみたいに受け止められちゃったところもあるかもしれないけど(笑)。コンピュータとオーケストラのスペースバレエシンフォニーを感じていただきたいです。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月26日●解凍P-MODELと平沢進ソロでの"ライブの方法"で課題をクリア2016年5月に亡くなった冨田勲さんの追悼公演が11月11日、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで開催される。前回に引き続き、そのオーケストラと初音ミクの音が交わるステージの裏側を支えることぶき光の言葉を紹介したい。冨田さんとの共演での課題となるのは、躍動的な生楽器たるオーケストレーションと統制された電子音たるミクの音をいかにして適切なタイミングで重ね合わせるか、そして両者を違和感なくオーディエンスに聴かせるかといった問題だ。ことぶきと冨田さんの仕事は、2012年の「イーハトーヴ交響曲」の初演以来であるが、これらの課題をクリアするカギは20年以上も前、90年代初頭の解凍P-MODELでのパフォーマンスや平沢進のソロライブにあったという。解凍P-MODELとは、"凍結"と呼ばれる一旦の活動休止期間をおいて、91年から93年に"解凍"と称して再始動していた時期の同バンドを指す。ことぶきは解凍以前よりP-MODELに参加していたが、その時のレコーディングの成果は残念ながらライブ映像音源としてしか残されていない。一方で解凍P-MODELは、凍結以前よりも積極的にシーケンサーやサンプラーといったデジタル機材の使用を前面に押し出し、洪水のような電子音とバンドアンサンブルとが共存した、クラブシーンなどとも異なるテクノサウンドを展開。そのステージでことぶきは、当時のドラマー・藤井ヤスチカが刻むバスドラムから、全体のシーケンサーを回す"ヒューマン・クロック"と呼ばれるシステムを披露。自身を取り囲むようにシンセを縦(!)に並べた奇抜なパフォーマンスもみせ、そのアクロバティックなスタイルから"キーボード妖怪"とも評された。"ヒューマン・クロック"のシステムは、冨田さんと共に作り上げてきたステージの核の一つ。第2回は、その点に着目しながら、解凍P-MODEL時代の逸話や平沢との楽曲制作の裏側までを振り返ってもらったエピソードを中心にお伝えしたい。○解凍P-MODELの映像を見た冨田さんが「できるじゃん」って――冨田さんのお仕事の話も少しずつ出始めたところで、今回のコンサートでのことぶきさんの役割をあらためて教えていただけますか。プレイヤーとしてのエレクトロニクス奏者というのが1つあります。それらを含んだ同期とかシステムの枠組みを作る役割、それと舞台の演出という役割、その3つですね。――冨田さんから声がかかったのはいつ頃ですか?「イーハトーヴ交響曲」の仕込みの段階。シンク(同期)システムとか"ヒューマン・クロック"で周りを走らせる仕組みをどうやって作るかと試行錯誤していた時ですね。――"ヒューマン・クロック"というと解凍P-MODELで使われていた手法ですよね。よくご存じで! まさにそうなんですけど、でもそれって今になって分かる話で。90年代当時のオーディエンスは誰も気付いてなかった。ただ、それは知らなくて良いことで。例えば劇団四季やディズニーランドが「私たちはこういうシステムでやってます」と説明するわけないじゃないですか。むしろバレない方が良い。でもなぜこのように、舞台裏の話を聞いていただいているかというと営業、要は金の話です。そして、なぜこれが必要かというと、次を作れないから。今思えば、こういうのって2、30年前にはある意味、必要なかったのかもね。それか、僕らがバカすぎて気付いてなかったか(笑)。――冨田さんは、その解凍P-MODELでのことぶきさんのプレイをご存じだったんですか。仕込みの初期段階で「例えばこういうことです」と『BITMAP 1979-1992』(92年)*なんかの映像を見てもらいました。と言うのも、「テンポを30%以上の揺らぎで制御するなんて無理だよね?」って話を振られてね。冨田先生も色んなシステムを作っていて、すごく現場をご存じ…むしろオーソリティー(権威)なくらいですが、「いや僕ら30%以上どころか完全に(演奏を)止めてからBPM180まで、0から加速していくみたいなのをやってましたので、OKです」って返すと「えー!?」と驚かれたんですよね。それで実際に映像を見てもらったら「できるんじゃん」って。*『BITMAP 1979-1992』:解凍P-MODELのツアーを収めたライブVHS。2014年にはDVDとして再発された。○冨田さんとの2つの課題――当時の「NO ROOM」の演奏なんてまさにそれでしたね。一度止めて、一気に加速するという。まさにそう! ああいうのはクラシック界、ハイ・アート*の世界だと、多分雑に見えると思うんだ。でもぶっちゃけ、ハイ・アートの方が中身だけ見れば雑なんだよね。彼らのテンポの揺れってハンパない。そのズレを人数で上塗りして作り上げている、つまり目くらまし戦法のものすごいやり方です。もっと言えばオーケストラって装置は、人数を重ねるために倍音を削ってるわけじゃないですか。弦1本弾けば世界観ができる楽器の豊かな倍音をわざわざ削って、音の豊かさも消したがゆえに人数を重ねることによって、別の音色を作り上げることが可能になった。なので揺らぎはあったほうが、あの世界を出すためには有効で。それを冨田先生はシンセでやっちゃったわけだ。シンセのダメなところとして単音の中に入ってる情報量があまりにも少ないということがよく言われますよね。ただ、それだったらオケの楽器の方が一つ一つで見ればもっと少ない。なぜ皆が「オケ楽器の音は豊かな音響を作れる」という勘違いをしてるかと言えば、(音を)重ねてるからです。それを冨田先生は理解しちゃった。何の性格も持たないものにリメイクしちゃった楽器の音を、あえて人数重ねて別の音響感を作るやり方。それをシンセでやったのが冨田先生なんですよ。*ハイ・アート:ポップ・ミュージックなどの大衆芸術(ロー・アート)に対して、理解するのに一定の教養を必要とする芸術のこと。クラシック音楽や古典的な演劇、絵画など。*倍音:基本となる音の周波数に対して2倍以上の周波数を持つ音。音には正倍数の倍音が含まれている。ギターやベースのハーモニクス奏法などでも身近に知られる。――"ヒューマン・クロック"の仕組みは今回のコンサートでも生かされてるんですね。そうです。やってることは何年も変わってないですね(笑)。――冨田さんには、平沢さんのソロライブ映像も見せられたと伺いました。それは「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」*ですか?何で知ってるんですか(笑)。その通りです。冨田先生との仕事にはテーマとなる課題が2つありました。1つは"ヒューマン・クロック"での同期をどうするか、もう1つはオケとコンピュータをどうやって共存させるか。前者は『BITMAP 1979-1992』を、後者を平沢さんソロのものを、それぞれ参考にしながらやってみました。*「Orchestral Manoeuvres In The Nurse」:90年に行われた平沢のソロライブ。電子音を基調としながら、看護師の仮装をした生楽器の演奏チームがバックにつき、ことぶきもキーボーディストとして参加していた。公演タイトルは、70年代から活動しているシンセ・ポップバンド、オーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークのもじり。●物を作るために「条件下で何ができるか」を楽しむ○"ピコる精神"としての『スウィッチト・オン・バッハ』――先に『スウィッチト・オン・バッハ』の話が出ましたが90年代当時、平沢さんからの勧めがあって聴かれたという経緯もあるんですよね。そうそう。どうやってP-MODELを解凍させるかって話を2人で散々してた時、"ピコる精神"の音楽を作ろうって平沢さんがおっしゃって。「それは何だ?」と話してたら、リファレンス(参考音源)のような扱いで「『スウィッチト・オン・バッハ』を聴け」って言われたんですよ。当時からCD含めて音楽は買わなくなってたんですけどね。――それは学生の頃からですか?中2までは、底が抜けるくらい散々買いました。でも自分で作るようになってからは他人の音楽は全く聴かなくなった。伊福部昭さんの作曲本に「作曲を志す人間は音楽を聴いちゃダメだ」って書いてあったんです。「中途半端に毒された音を聴いちゃうと作曲ができなくなるから聴くな」と。○"元をとる"ために生まれた「2D OR NOT 2D」――なるほど。それでも『スウィッチト・オン・バッハ』は買われたんですよね。そう、金を払ってわざわざ買った。でも良くなかったです。平沢さんには「何てものを聴かせるんだ」って言ったんですけども。「まぁ自分の意思で買ったんだし」って返されちゃった(笑)。それで、これは(アルバム代金分の)元をとんなきゃいけないって、また曲を作りました。でも、何がしかのことがあって、その元を取るために次何やるかを決めるというのは、今でも全てにおいてそうです。言い方を変えれば「条件下で何ができるか」という作り方です。――それで完成した曲は『P-MODEL』(92年)に入っている楽曲ですか?「2D OR NOT 2D」ですね。あれは、僕が全部オケを作って…歌メロも作ってたんだけども、平沢さんがボーカルブースに入って、全然違う風に歌っちゃってね(笑)。スタジオに入る前の音を作ってる段階では、平沢さんはいなかったですね。僕と当時のエンジニアとマネージャーの3人でトラックを作って、その後、多分僕がジェットコースターに乗りに富士急ハイランドに行ってる間に平沢さんが全然違う歌にしちゃってましたね。まぁそういうのもアリかな(笑)。○具体的な個人に向けないと作り始められない――その偶然を楽しむ感覚は、冨田さんとの仕事にも感じられます。「条件下で何ができるか」ね。ちなみにこれから演出面で、キューブ型のパイプを12本はわせて上に吊るす装置のテストするんだけども、それが内径3600ミリなんです。なぜ3600かって言うと、4000ミリにすると上の蛍光灯にぶつかって割れちゃうから。そんな風に、全部条件下で決めてますね。例えば、曲をためてやりくりしてる人がいますけど、僕は全然そういうのを信用してなくて。少なくとも僕自身は、具体的に誰かに向かって作るというのが無ければ、事を始められない。一応、聞かれたら「皆さんに喜んでもらうために」とか言ってますけど、実際それを成し得るには、当然ながら物ができなきゃいけない訳です。その上で、まず誰のために作るか。それは、端的に言えばディレクターに向けてです。担当ディレクターが一番喜ぶ物を作って、その先に皆の喜ぶ顔があるわけで。――そこをクリアしないことは先にアプローチできないということですね。そうそう。冨田先生みたいな崇高なキャリアがある方であれば、作ったら世界の人を喜ばせることができるでしょう。創作と聴き手がイコールで直結してる。でも僕クラスの人間がそれを言うのはおこがましくて。その前に世界にリーチできる物を作らねばならない。そのためには、具体的な誰か個人に向けて作らないと、というのがあります。ここまで話を聞いてみると、幼少時から現在の活動まで、ことぶきが体験してきたことは、全て一つの線で結ぶことができるのではないかという思いが湧き出てくる。それに、「具体的な個人に向けて作らないと事を始められない」との言葉は、冨田さんとの仕事での姿勢を示唆しているようにも感じられる。それは、冨田さんの作った曲を舞台上で再現することにあった。その再現性自体もまた一つの作品と言えるのではないか。次回紹介する、冨田さんと過ごしてきた時間の中でのエピソードは、そんなことぶきが冨田さんという個人に向けて作ってきたとも言えるだろう音の背景をのぞかせるものだ。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月24日●すごい音を体験しちゃった2016年5月、電子音楽の巨匠・冨田勲さんが、84歳でその生涯の幕を閉じた。冨田さんは生前、1950年代に活動を開始。NHKなどのテレビ番組の音楽を作曲しながら、60年代末にアナログ・シンセサイザーのモーグに出会い衝撃を受ける。74年には、モーグを使って、ドビュッシーの楽曲を再解釈したアルバム『月の光』を発表。クラシカルでありながら時代の先端を鳴らしたサウンドは世間の注目をさらい、国内電子音楽の歴史を大きく塗り替えた。その後も、それまでの音楽を現代的に解釈し直した作品を発表しながら、常に先鋭となるべき音を求め続け、晩年はボーカロイド・初音ミクをソリストに迎えた「イーハトーヴ交響曲」を制作。12年の初演では、日本フィルハーモニー交響楽団とミクの歌声が融合するパフォーマンスを披露して話題を集めた。しかし、オーケストラとボーカロイドの音を有機的にミックスしながら、ライブとして臨機応変に対応するのは容易なことではない。それを可能にした主要メンバーの1人が、現在はプノンペン・モデル、かつては平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELの一員として活動していたことでも知られる電子音楽家・ことぶき光だ。解凍P-MODELのステージで"ヒューマン・クロック"と呼ばれるバンドサウンドと電子音を同期させるシステムも披露してきた彼は、その経験から冨田さんのミクを用いたステージも強力に支えてきた。ことぶきは、11月11、12日に東京・Bunkamuraオーチャードホールで行われる冨田さんの追悼公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」も全面的にバックアップ。コンサートは、「イーハトーヴ交響曲」の再演に加え、冨田さんが最期まで公開を夢見て制作していた「ドクター・コッペリウス」の初上演、エイドリアン・シャーウッドによる冨田さんの代表作「惑星 The Planet」のリミックスパフォーマンスで構成される。この冨田さんの遺志を受け継いだ公演を前に、ことぶきはどのような思いを持っているのか。それを聞いてみたところ、コンサートの舞台裏だけでなく、"冨田サウンド"との出会い、音楽制作への向き合い方、P-MODEL時代の秘話、冨田さんと共演してきた上での思い出、そしてプライベートでの音楽体験にいたるまで、さまざまなエピソードを饒舌に語ってくれた。これを3回にわたってお伝えする。第1回は、幼少時に大阪万博で受けた大きな衝撃から、シンセサイザーを手にするまで、アーティストデビュー以前の彼の物語を紹介したい。○万博で全部経験しちゃった――ことぶきさんが最初に冨田さんの音楽を聴かれたのはいつ頃でしたか。テレビを介して気が付いてたら聴いてましたね。それこそ大河ドラマとかの劇伴は、20世紀音楽の開花と言えるようなインパクトで。僕のような世代は、日常的にすごいものを聴いてた訳ですよ。60年代、70年代にね。――大阪万博の頃(70年3月~9月に開催)くらいですかね。まさにそう。僕は全部を万博で体験しちゃったんです。幼稚園の卒園式を抜け出して行ったんですけども。――卒園式を!?小学校に上がるタイミングでちょうど大阪万博があったんです。そこで、お祭り広場に行く途中、松平頼暁*さんの作った曲が流れてたのを聴いちゃった。ただ、僕は1週間くらい通ったんですけど、松平さんの音楽はその途中ですぐ中止になって。コンパニオン全員が体調不良になるという当時の事件があったんですね。松平さんは独特な楽理で音を構築していて、それが影響しちゃったんだ。その話を07年か08年に松平さん本人から聞いて、「わー」って思っちゃって。そのようなことが幾つかあって、冨田先生とお話しできた時も、僕が万博で体験しちゃったものの裏側を40、50年後に作家本人から聞けたっていう…これはもう信じがたいことで。万博の後に、半分くらいの作家は皆、死んじゃうわけですから。すごい音を70年に全部、体験しちゃった。*松平頼暁:現代音楽作曲家。50年代後期からさまざまなオーケストラ、ピアノの楽曲を制作している。○小学校以降は"余生"――5、6歳でそこまで大きなショックがあったんですね。僕、小学校以降は全部"余生"だと思ってて。それまでの体験を何十年もたった後に分析してるくらいです。それは大きなポイントで、今、学生に音楽を教えてもいるんですけど、何も作ったことのない人間に音楽を教えても、ほぼ意味がない。例えば、音楽大学の作曲科の生徒に教えるとします。あの世界は積み上げられたメソッドが分厚くあって、対位法とか和声法とかを一からやりながら、楽器の奏法も修得しなきゃいけない。これじゃ10年とかすぐたっちゃう。*対位法・和声法:対位法は一つ一つのパートの独自性を保ちつつ、複数のメロディを重ね合わせる手法。和声法は主となるメロディに対して、どのようなハーモニーを接続するかに重きを置いて音を作っていく手法。――理論的な部分からガチガチで攻めるわけですね。と言うより、何を何カ月でマスターして次に行くって手順が決まってるんです。彼らって、それを修得しなかったら作品は作れないと思ってるんですよ。――え、そうなんですか? フィーリングではダメ?彼らは練習課題として色んなものを作りながら、最終的に自分自身の作品を作るための訓練を10年以上かけてやってる。それに、音大は義務教育の中で教わった内容だけでなく、特殊訓練を受けなきゃ受験もできない。訓練を何年も受け続けてる子どもたち、そして何でも知ってる子どもたち、その学生が何も作れないっていう事実ね。その一方で、特訓もせず、ほとんど何も学んでないままに、自分の持ったポップミュージックのセンスを信じて何かを作ってる"バカ"たちもいる訳です。でも、両者を並べた時にどっちに可能性があるかは明らかですよね。"バカ"の方は自分で音楽を作って、後から分析して次のステップに行くんです。ただ、それができるようになるためには早い段階、吸収力がピークに達している段階で、何らかの音楽的な洗礼を受ける必要が恐らくあって。僕はそれが6歳頃だった。まぁ僕が何か作ったわけじゃなくて、ただ聴いたってだけですけど(笑)。それでも、後はもういいやって感じでしたね。それくらい本当にデカい出来事でした。――とすると、6歳という絶妙なタイミングで冨田さんの音楽にも衝撃を受けられたのでしょうか。ただ、その時には"冨田サウンド"とは気付いてなかったですね。(カールハインツ・)シュトックハウゼンにしても冨田先生にしても、テレビで流れていたので、それが普通だと思ってました。誰の作ったものかって意識し出したのは後からですね。●僕らがやっていけるのは「冨田先生がいたから」○冨田さんの名前は「街の事情で知った」――それはいつ頃でした?その後、図らずも住んでた街の事情でピアノ教室に通わざるを得なくなって。ピアノを習ってる女子は4人いたんだけど、男がいなかったんです。そこで、ピアノの先生が「男子を生徒としてどうしても入れたい」って言うので、僕が行くことになった。生徒が何人以上、男女比何割っていうのがフランチャイズ経営で決められていたらしいんですよ。それをクリアしないと教室がなくなってしまうという。――ノルマですね(笑)。そういう事情で入れられちゃって。そこで先生から冨田勲の名前を聞いた。それも今思えば偶然で、ある種の"おかげ"ですね。その時が小学2、3年かな。○シンセサイザーとの出会い――それが初めてじっくりと楽器に取り組んだ時になるんですよね。最初からシンセサイザーを使ってらっしゃるイメージだったので意外です。シンセサイザーを、その時はまだ知らなかったですね。8歳だから、72年か…その時期だと、『スウィッチト・オン・バッハ』(68年)*はリリースされてると思うんだけども、その当時はシンセサイザーを知らなくて、『NHKニュースおはよう日本』がきっかけでした。「世の中のあらゆるサウンドを再現できるマシンが登場した!」って触れ込みでシンセがテレビに出ちゃった訳ですよ。その頃の僕は、地元ではあり得ないくらいのお年玉をもらう子どもだったんで、「これは大変だ」って、お金をかき集めて買いに行きましたね。*『スウィッチト・オン・バッハ』:後に性転換を経験するウェンディ・カルロス(発表当時はウォルター・カルロス名義)がモーグ・シンセサイザーを駆使してバッハの演奏を再現したアルバムで、日本国内の電子音楽アーティストにも多大な影響を与えた。モーグを全面的に使用した作品では初のミリオンセラーを記録したアルバムでもある。――小学生で?それは多分、中学2年ですね。と言うのも、72年の段階だと、そもそも冨田先生が買ったような1,000万円レベルのシンセしかなかったので。○大前提にあるのは先人への畏敬――当時の冨田さんと言えば、モーグですものね。そうそう(笑)。でもモーグ*は、テレビで映されてなかったです。紹介されるようになったのは、冨田先生が『月の光』(74年)とかをリリースして売れた後、「この音を作った楽器は何なんだ!?」っていう声が出始めて。それから30年たった今、11月のコンサートでいなくなった冨田先生を、復活させるんです。これは、ある種のリミックスですね。冨田勲という存在自体をリミックスしてる。まぁ、そんな冨田先生のモーグの登場を受けて日本のメーカーがコンシューマーレベルの…10、20万円の機材を出し始める。まだ手を出せる範囲での減算方式のシンセの原型が現れたのは70年代後半くらいですね。*モーグ:ロバート・モーグ博士が開発した革命的なアナログ・シンセサイザー。ザ・ビートルズやクラフトワークをはじめとして、さまざまなジャンルのアーティストの作品に使用され、現在でも国内外問わず非常に高い人気を集めている名機。流通しているものは非常に高価。――MS-20とか?おっしゃる通り。僕は後に、エレキギターのアウトプットを3本に分岐して、それぞれをMS-20*に繋げて演奏するようになるんですが、そんなマシンを持って、ある国に行った時は「日本から来たMS-20を同時に操る人間」といった一定の評価を受けています。「なぜか?」と考えると、冨田先生がいたからです。それも完全に"おかげ"で。そんなところから僕は、先人への畏敬というのが、まず前提としてあって。冨田先生がやってくれたから、僕らが外国でそのようにやっていける、大きな事実がある訳です。話を戻すと、NHKの朝の番組では、(実際にはその前からあるけれど)シンセっていうのが「世の中に登場した」って言い方で紹介されていたと記憶しています。「世の中のあらゆるサウンドを再現できる。例えば猫の声」とかね。で、自分で買って、実際に操作してみると、確かに猫の声は出ました。でも、猫の声しか出なかった。そこで「ああ、これがシンセか」と。それで1回は離れちゃいました。*MS-20:VCO、VCF、VCA、EGを2系統搭載していた、コルグのアナログのモノフォニック・シンセサイザー。P-MODELでも田中靖美が使用したように、1978年発売当時からプロアマ問わず多くのアーティストから関心が寄せられた。現在は、コルグから当時のアナログ回路を完全再現した小型版も発売されている。アーティストとしてのデビュー前、6歳の頃の大阪万博での衝撃から音楽に惹かれてきたことぶき光。中学2年生でシンセを初めて購入するまでの期間にも、冨田さんの影はそこかしこに見られた。そんなことぶきは、その後何十年もたってから冨田さんとの共演を果たす。用いられていた同期の仕組みは90年代初頭にP-MODELの一員として、披露していたもの。次回は、そんなP-MODEL時代の平沢とのエピソードなどの舞台裏から冨田さんとの仕事にいたるまでの間を振り返ってもらっている。■プロフィールことぶき光1964年3月30日生まれ。北海道出身。80年代半ばから、あがた森魚や鈴木慶一らのバックのキーボーディストとなり、プロのアーティストとして音楽活動を開始。87年に平沢進率いるテクノポップバンド・P-MODELに参加。バンドは一旦"凍結"と呼ばれる活動休止期間を迎えるが、その間も89年にソロデビューした平沢の活動をサポートしてきた。"解凍"と称して期間限定で再結成したP-MODELでは"ヒューマン・クロック"と呼ばれる同期システムを構築。ライブでのパフォーマンス面でも自身の横や背後、時には真上にまでシンセサイザーを並べた強烈なプレイスタイルで、"キーボード妖怪"と評された。P-MODELが再び活動休止期間に入り、バンドを脱退。カンボジアなど諸外国でも音楽活動を送っていたが、戸川純率いるヤプーズのライオン・メリィらと共にプノンペン・モデルを結成。現在でも活動を続けている。また02年には、中野テルヲや福間創ら元P-MODELのメンバーも参加したソロアルバム『mosaic via post』をリリース。09年には、自身やかつてのP-MODELのメンバーの名前をもじったキャラクターが登場し大ヒットしたアニメ『けいおん!』も放送され、さらなる注目を浴びる機会も増えていた。12年、冨田さんの「イーハトーヴ交響曲」の初演にエレクトロニクスというパートで参加。"ヒューマン・クロック"を使用したシステムを披露し、オーケストラと初音ミクが共存するステージを成立させる主要メンバーの1人となった。■公演情報冨田勲 追悼特別公演「冨田勲×初音ミク『ドクター・コッペリウス』」日時: 11月11日 開場18:00/開演19:0011月12日開場12:30/開演13:30 開場17:00/18:00 (2公演)会場:東京・Bunkamuraオーチャードホールチケット料金:S席10,000円/A席 8,500円(税込/発売中)出演:渡辺一正/東京フィルハーモニー交響楽団/エイドリアン・シャーウッド/風間無限/ことぶき光/初音ミクほか
2016年10月21日~成長、飛躍のコツはまず自己分析〜 「灯台元暗し」と昔から言われるように、自分を知ることはとても大切です。自分をわからなければ欠点も克服できないばかりか長所も伸ばせず、成長/飛躍することも進むこともできないからです。まずは、感情を取り除いて冷静になり自己分析をして長所と短所に点数をつけてみる。その上で欠点は努力し克服、伸びる長所は活かせ進むべき道筋も方向も目的もわかるというもの。合わせて、自分のコンプレックスの源も過去を逆のぼり原因追及をして見極める。そして様々な方向から考え方を変えたりして具体的に問題を解決するよう努力してください。自分自身で克服するには、手間も時間も心労も伴いますが、確実にやっているうちに冷静な自分に自信がつきます。「自分が嫌い」と嘆く若者が多くなりました。嘆いても一円の得にもなりません。まずは自分自身と冷静に向かい合って、自分を知る。それが実は人生修行の大切な第一歩なのです。 ※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」美輪明宏の公式サイト「美輪明宏 麗人だより」では、お悩み相談コーナーや、独自の視点で様々なテーマについて語る「こんにゃく話」など会員の皆様に優しく上品に生き抜いていただくヒントを365日毎日更新しています。[caption id="attachment_3597" align="aligncenter" width="100"]美輪明宏[/caption] *美輪明宏が皆様から寄せられたお悩みにお答えしています。 ◆結婚していないことをバカにされる30歳、結婚していません。特に自分ではそれがおかしなことでもないと思っています。それなりに、恋愛を経験しました。しかし、結婚した会社の後輩から、人前でバカにされたり、お局様扱いを受けて、しんどい思いをしています。どのように考えを切り替えればいいのでしょうか。 ◆不安になって彼にやきもちをやいてしまう私はお付き合いしてる人がいます。でも浮気をしてるのじゃないか?元カノとまだ、会ってるのじゃないか?と、不安になり勝手な妄想をしてしまい、半端じゃないやきもちをやいて不満をぶつけてしまいます。どっしりと構えることができません。自分に自信がありません。こんな時どうすればいいでしょう? ◆男女のお付き合いにはテクニックが必要か?男女のお付き合いは駆け引きなどテクニックが必要なのでしょうか。よく雑誌やネット上にも掲載されており、確かに私の周りを見渡してもそういうことが出来る女性が結婚しています。私はそうした駆け引きは男性に失礼な気がして出来ず、悲しくも未だに独身です。やはり、私の考えは誤っているのでしょうか。何をもって『愛』というのか分からなくなっています。
2016年10月20日~マイナス思考に陥りそうな時はこう考える〜人生は修行の場です、辛く嫌なことの階段の連続、楽しいことは踊り場のひと休みだけ、それがわかっていても、ついつい、マイナス思考に陥り、自分を暗いオーラで包んで深みにはまる時があります。また、生まれつきのネガティブ思考で悩んでいる方もいるでしょう。でもマイナス思考になっている時は、「これだけマイナスにこだわる集中力が自分にはあるのなら、このしつこい力をプラス思考に変えたらどうだろう」とつぶやき、全ての発想を今まで考えていたことの真逆で考えて見る。そうすれば少しづつプラス思考の連鎖が起き始め、マイナス思考で暗くなりがちの自分の気が陽に変わり始めます。マイナス思考連鎖の頑固な集中力は無意識でも強力で凄まじいものがあります。そのパワーを発想の転換で上手くプラス思考の方に転換するクセがつけば、怖いものなしです!※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月17日歌手で俳優の美輪明宏が、きょう17日に放送されるテレビ朝日系バラエティ番組『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』(19:00~21:48の『ぶっちゃけ寺&Qさま!! 豪華2本立て3時間SP』内)に登場。この世で一番怖いことは「自分自身」であると明かす。MCの爆笑問題・太田光は、美輪が登場するなり、「今日はやりにくいと思いますよ~」「これ(=美輪の姿)、僕だけに見えてるの!?」と、毒舌を交えて歓迎。美輪も負けじと「あなた、ちっとも成長しないのね」と反撃し、スタジオの笑いを誘う。美輪のオーラに、スタジオのお坊さんたちも緊張。さまざまな質問が飛ぶは、「美輪さんがこの世で一番怖いことは?」という疑問に対し、美輪は「自分自身ですよ」と答える。同番組をよく見ているという美輪は、仏教のほか、キリスト教にも造詣が深いといい、今回の番組は、戦国時代のキリシタン・細川ガラシャの生涯に迫る。"悲劇の美女"として知られる彼女だが、ロケゲストとして登場する、大河ドラマ『真田丸』でガラシャを演じた橋本マナミも思わず号泣した"死を前にしたガラシャの心境"も明らかになる。
2016年10月17日~失敗はしても大切なことは次につなげる〜人間は人間である限り誰だって失敗はします。それも1度や2度ではなく、時には繰り返すこともあります。失敗が続いて自暴自棄になったり、希望が持てなかったり、落ち込んだりするのは当然ですが、大切なのはその失敗を活かせるかどうか、次の成功につなげられるかどうかです。失敗をしたら反省し、その原因や本質をさぐり分析して、いけない至らなかったところなど問題点を洗い出す。自分の弱点と向かい合うことは誰でも嫌です。しかし、失敗を誰かのせいにしたり、恨んだままでは問題は解決せず、自分自身も辛くなるばかりで進歩しません。冷静に非を認め、原因を究明し改め次につなげる、まさに「転んでもただでは起きない」を心がけることです。失敗→分析原因究明→改善→再挑戦の連続で多くのことを学ぶと同時に成功という大きな喜びが得られます。それが人の道筋です。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月13日このコーナーは、美輪明宏さんの公式サイト「美輪明宏 麗人だより」の中で一番人気のコーナー「本日の処方箋」から出張していただきました。美輪明宏さんからあなたへのメッセージをお届けします。 ~精神性を重んじることからスタートする〜新しい自分として再出発を図るなら、何よりも一番“心の持ち方”が重要になります。バブル迄の物欲や食欲や性欲などの“欲求”を満たすことで豊かさを感じるのではなく、今の時代は精神的な豊かさを重んじることに価値観を置ける自分になる事です。精神性を重んじるということは、日常生活で美意識を持って多くの文化や芸術に触れ、義理や人情を持ち、他人に対して優しく、その人の立場に立って考えられる思いやりがあり、「ボロは着てても心は錦」の諺通り、自分自身に恥ずかしくない清々しい行いが出来ることです。あえて一言で表現するなら“粋でいなせな生き態”でいること。多くのものがどんよりと飽和状態にある現在、これまでの数字や機能性・効率性損得だけを追求するのではなく、より貴い精神性を重んじることに価値を置けるよう自分の心持ちを向上させていきましょう。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月07日~愛しの銀巴里の想い出〜私にとって銀座といえばやはり“銀巴里”です。銀座七丁目の角の地下。私がこの地に初めて来たのはライヴハウスになる前のキャバレーの頃に専属歌手になりました。その後キャバレーがシャンソン喫茶「銀巴里」になり、専属歌手となりました。以来閉店までの40年間、歌い続けて来ました。集客のために世界初のヴィジュアル系の格好をして銀座を練り歩いたことも。銀巴里は楽屋がないので、客席をうろうろして、様々な年齢・職業・人種の人々の人生模様を共に生きながら歌い続けてきました。ロマンスが芽生えたら「愛の讃歌」、破局で打ちひしがれている人には「ミロール」、絶望に浸っている人には「僕は負けない」「バラ色の人生」など、多くの人々のために雨の日も嵐の夜も歌い続けて来ました。私の人生のかけがえのない思い出の宝石箱「銀巴里」。かけがえのない場所を持った人生は幸せなことでした。皆さんにもきっとどこかにそんな場所はあるはず。今からでも想い出を創りに行ってみてはいかがでしょう。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月06日お休みは少ない方が良いに決まってる?夫婦円満の秘訣は「亭主元気で留守がいい」。これは昔から言われている古妻側の願望。また、古夫の方も「仕事だから」という理由があれば家族サービスや奥様サービスから逃れることができる。お互いにとってメリットがあるから夫婦間では休日は少ない方がよいのでしょう。また、日本は資源がなく、資源と云えば勤勉で真面目という日本人独特の人的資源しかないのですから、国力を維持、発展させていくためにも休みは少ない方が良いでしょう。しかし、世の中が不景気で欲しくとも仕事がなく、仕方なく時間を持て余す方もいると思います。ただし、仕事とは会社だけではないのです。夫婦共働き当たり前の昨今、旦那様も家事育児を手伝ったり、ボランティアをやったりと収入にはならずとも働く気になればいくらでもあります。身体がナマらないよう動かすために真面目に働き自分を律するという場を持つことが大切です。何もせず、体のどこも動かさずにいると、たとえ若くても思考停止状態になり早くボケます。おっコウ!!※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月05日人生相談の参考書・宗教教典宗教は世界の政治や社会構造を動かす力があり、それゆえ世界中で宗教間、あるいは宗派間の争いも絶えません。しかし、今の日本は幸せなことに八百万の神が仲良く共存共栄する多神教国で世界でも珍しい国家です。ですから、キリスト教、仏教、イスラム教など様々な宗教の教典を見ること撰ぶことも自由です。それら宗教教典を人生の参考書のひとつとして見て取り入れることができるありがたい環境にあります。もともと、宗教の教典とは、苦悩する民衆の様々な相談を受け、それに対する人生相談の答えが教典なのです。ですから、「こういう考え方、見方があるのか」「こういうこと言ってたな」程度に、教典に書いてあることを何か悩んだときに思い出してみると問題解決の糸口になることがよくあります。聖者の知恵や人生相談の答えを上手く生活に役立ててみる、日本人の特権なのですよ。※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月04日~違うモノに触れる面白さと大切さ〜文化・芸術の秋、街や野山を散策する楽しみも増えますね。是非、外の世界に出て、街をフラリとウインドーショッピングをするだけでも結構。日常と違うモノに触れる機会をたくさん作ってください。たとえば、あなたがそれまで何かの壁にぶつかっていて、どうしようもなかったとき、街を歩き自分の世界と違うモノに接したとします。今までとは全く異なる世界の角度から光が射し、それがヒントになってマンネリの壁を破ることができるかもしれません。変化のない自分の身近なものとは全く異なる多様なジャンルの文化や何かに触れることは、新しい血を入れることができ、若さと活性化につながります。特に日本の男性は、文化とは全くかけ離れた変わり栄えのしない動物です。劇場、美術館どころか本もTVもろくに観ないでイラついている。女性はそんな男性を、新しい文化、違ったジャンルのモノに触れ刺激を与え世の男共のお尻を叩き目覚めさせてやりましょうね!※美輪明宏公式サイト「美輪明宏 麗人だより」より
2016年10月03日~アールデコの建築物を散策へ〜 私の美意識の根底に流れているアールデコ。置時計やコーヒーカップや小物ひとつ取ってもロマンティックかつセンチメンタルで情緒的です。素晴らしいものが数多あるアールデコの中で、本日は建物についてお話します。アールデコ建築は抽象的で幾何学的に円や直線を組み合わせた斬新で優美なデザインが特徴です。日本におけるアールデコ建築の代表は白金にある東京都庭園美術館にある旧朝香宮邸です。朝香宮夫妻がアールデコ最盛期にヨーロッパで長期滞在し、その魅力に心酔し、帰国後パリから建築家や職人をわざわざ招いて完成させた邸宅です。その他にも、身近なところで、銀座七丁目のライオンビヤホール、新宿伊勢丹本店や三越日本橋本店の外観、箱根富士屋ホテル、奈良ホテルも一見の価値があります。近くにお立ちよりの際は是非、ご堪能ください!
2016年09月29日~現代の若者はどうしてすぐムカツクのか〜 敬愛する斎藤孝先生との対談の中で「どうして現代の若者はすぐムカツクのか?」について話したことがあります。斎藤先生曰く「心に襞(ひだ)がなく、感情に起伏がなく慢性的に気分が悪い状態にあるから」。人間の生活には、人間味溢れた家の造作、インテリアや街並み、喧しくないゆったりとした甘く優しい音楽、絵画、文学、髪型、服装、映画演劇が失ったのが原因です。だから相手とコミュニケートが成立しない。現代の若者を取り巻く文化が、建物で言えば灰色の打ちっぱなしのコンクリートのような状態にあるのです。だからロマンや人情の優しさが無くなり思い通りに行かなかったり、少しでも気に触れば“ムカツク”とマイナス感情に陥る。まずは、優しく美しく上品で和やかな文化や芸術で心に栄養を与え潤し感情を豊かにすることからです。さざ波のような心の起伏や変化は、人間の魅力のひとつです。
2016年09月26日~暑さもひと段落、渇いた心に文化の潤いを〜 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われておりますが、近年は温暖化もあり本日の秋分の日が近づくころ、どうにか暑さが引くような気がします。秋分の日とはもともとはお彼岸で「祖先を敬い、なくなった人を偲ぶ」ことを趣旨とした国民の休日です。多くの先祖のあらゆるDNAや能力を受け継いで今日いるのが皆様自身です。ですから先祖には感謝をするのが当たり前ですが、多忙な日常生活の中では、つい忘れてしまいます。でも今日のような節目の祭日を定めれば、改めて先祖に感謝する様になり、御先祖達も「こんな素直な子孫は絶対守らねばならぬ」と力になってくれます。本日から本格的な秋に突入しますが、秋は「読書の秋」「芸術の秋」と言われるように精神に栄養を与える季節です。夏の暑さで渇いた心を芸術や文化で潤して、心豊かで穏やかな「麗人」を目指してまいりましょう。
2016年09月26日~老いること、若さとは何かについて考える〜 今日は敬老の日。老いること、その逆の若さについて考えてみません?誰にでも老いと死は平等にやってきます。人間は生まれた時からすぐに死へのカウントダウンが始まっています。ただ、歳を重ねることは様々な人生経験を積んでいく過程で様々なものが見えてわかってくるので、歳を重ねれば重ねるほど肉体は衰えますが人生は楽しくなる。逆に若ければ可愛いとチヤホヤされますが、それは只の自然現象で自分が努力と才能で手に入れたものではないから自慢にはならない、長い人生から見ればほんの少しの間だけ。世の中には若いということを自慢したり、中には年寄りを軽視する愚か者もいますが、若さとは未熟ということで偉くも何ともありません。老いることは何ら恥じることでもないし、若さは何ら得意がるものでもありません。「自分も既に老いに向かっているのだから若いときには謙虚に年上から学び吸収し、老いても人生を楽しめるよう自分を育てる」意識を持ち実践することが大切なことです。
2016年09月21日