今回はLINEをもとにしたクイズを紹介します! クイズの解答を考えてみてくださいね。入院したのに病院に来てくれない夫主人公は切迫早産で入院することになりました。しかし夫はまったく心配してくれず、病院にも来てくれません。そこで主人公が「入院に必要なもの持ってきて」と頼むと、夫は「俺を小間使いにすんの?」と言い出しました。家族なら当たり前出典:Youtube「Lineドラマ」夫の言葉に驚く主人公。そして夫はさらに驚くべきことを言い出しました。問題さあ、ここで問題です。夫が続けた言葉とは?ヒント主人公にとって予想外の言葉でした。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「Lineドラマ」正解は「都合のいいときだけ俺を利用するなよ」でした。夫の言葉に主人公は「え?何言ってるの…」と困惑します。さらに夫が「明日から社員旅行に行く」と言うため、主人公は呆れてしまうのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年03月08日■突然の流産…出産報告に絶望する毎日主人公が流産したとき、夫は趣味の釣りに出かけていて、その場にはいませんでした。たとえ夫がそばにいたとしても子どもは助からなかったと心ではわかっていても、流産直後には夫をひどく責め立ててしまいました。出産予定日が近づくと、私が流産をしたことを知らない母親学級で知り合った人たちから出産報告が届くようになりました。そのたび「私も子どもが元気に生まれていたら…」と考え、絶望的な気分に陥るのでした。どうやったら乗り越えられるの…変な気遣いをされるのも嫌だけど、子どもの話を聞くのもツラい。会社のトイレで1人泣いたこともありました。久々に届いたメッセージは、大親友の理沙からの短いメッセージでした。流産をしたと伝えて短いやり取りをしてから、4ヶ月間理沙から連絡がなかったこと、そして「心配してたよ」の一言に、どう連絡すればいいのかわからなかった彼女の気持ちが、ひしひしと伝わってきました。こちらは投稿されたエピソードを元に2020年11月5日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に集まった読者からのコメントをご紹介します。■共感で涙が止まらない読者もまずは、主人公と同じように流産の経験をした読者からのコメントをご紹介します。どんなことが辛かったかがリアルに伝わってきます。特に義両親からの言葉には、ダメージが大きかったようです。・私も流産と中絶を2度程経験しました。女性に身体的にも精神的にも大きな負担がかかることをパートナーにもしっかり理解してほしい。ただ、産まれるまで実感の湧かない男性からしたら、腫れ物に触るような態度しか取れないのもあるあるで、読んでいて主人公に共感しまくりでした。実の親以上に関わりのある義両親の励ましは、プレッシャーになりうると私は感じます。・第一子出産の後、2回連続で流産を経験しました。1度目は義両親に伝えましたが、2度目は「うちの親が心配するから」という主人の言葉を受け、義両親には伝えませんでした。そのせいで、2度目の流産後なのに「2人目はまだか?」「今年こそは2人目を」と言われつづけたのがキツかったです。私のことより、自分の親のことを心配する主人にガッカリしました。 昨年、職場の同僚の奥さんが流産したと聞いてきた主人に、「ご主人のご両親には流産のことをきちんと伝えて。その上で、奥さんの気持ちが落ち着くまでは、奥さんがいるところで子どものことを一切話題に出さないように、ご両親にしっかり伝えて。そうしないと、ご主人が奥さんに見放されるかもよ」と言ってやりました。 自分のことだって、気づいてくれたでしょうか。一方で、流産に対してもあまり引きずらないで立ち直った人たちもいるよう。心の持ち方によっては、淡々と受け止められたという経験談も。・私も流産したことあるけど、お医者さんが「妊娠はその都度一回きりの出来事だから、次の機会が来たら妊娠できる。大丈夫」と言ってくれました。流産するには理由があるから。生まれても長生きできなかったかもしれない。期間を6カ月あけて妊娠し、元気な女の子が生まれました。この女性みたいにわがままで、いつまでも卑屈に引きずるのは良くないと思う。・私も23歳で初めての妊娠のときに流産しました。そのときのことはよく覚えてます。出血が止まらなくなって、自力で歩いて病院へ行きました。病院で流産と言われ、即麻酔をして意識がなくなって、目が覚めたときには手術終了。そのときは悲しかったけど、この投稿者さんのような落ち込みは一切なかったです。個人差もあるから当然ですが、私は周りから気を一切使われることも無かったし、嫌なことを言われた記憶もありません。私自身が全然気にしない性格だったのが、一番大きかったかな。それから数ヵ月後に妊娠して出産しました。・私も流産したことがありますが、流産が起きるのは自然の摂理である場合もあるので、ここまで自分を責めなくてもいいのでは。何度も流産する女性もいると思うけど、私の場合は翌月からでも妊娠していいよと言われ、一応6カ月あけて再度挑戦。元気な女の子が生まれました。最後にご紹介するのは、流産をきっかけに夫婦の危機におちいってしまった人の体験談です。センシティブな問題なだけに、夫婦問題にまで発展してしまうのかも。・48歳の主婦です。結婚して24年です。夫婦の危機はたくさんありました。結婚当初は、5年付き合って結婚をしたので、早く子どもがほしかったのですが、4度流産を繰り返してしまいました。周りの優しさに耐えられず、鬱になって夫にも当たってしまい、情緒不安定な時期がありました。そのとき、自分は子どもが産めないなら離婚しようと思いました。この1度目の危機のときは、5度目の妊娠で出産が出来たことで乗り越えられたのだと思います。しかし、子どもが出来ても夫に冷たく当たることが多くなってしまい、今度は夫のほうが辛かったんでしょうね。浮気もされました。それが2度目の危機です。このときは、子どもがいたので、旦那に「子どものことを考えてほしい」と伝え、夫婦で頑張っていこうと思い直してもらいました。私自身も旦那に優しくできるように変わらないといけないと思い、必死で自分も変わろうとしました。この漫画は共感が持てて、あのときのことが蘇ってしまい、涙が止まらなかったです。同じような経験をしてる方が、実はたくさんいるのかなぁと思いました。流産に関しては、自分を責めてしまう女性も多く、男性はどう接したらいいかわからず腫れ物に触るような扱いをしてしまいがち。主人公はどのようにして前を向けるようになったのでしょうか。▼漫画「悲しみの乗り越え方」
2024年01月17日1人目の妊娠、出産はすべてがとても順調で何も不安なことはありませんでした。2人目を妊娠する前に流産してしまいましたが、幸いなことに流産してからすぐに妊娠することができました。 本当にあるんだ…2人目は前置胎盤だったため帝王切開。しかも妊娠8カ月のときに切迫早産になり、入院まではせずにすみましたが絶対安静と言われて自宅で安静に過ごしていました。無事に生まれてきてくれ、その子が3歳半くらいのときに「ママのおなかの中、狭かったから早く出てきたかったの」「私の前におなかにいた子と仲良しだったけど、その子はどこかいっちゃった」などと話してくれました。 「流産してしまった子のことを知ってるのかな?」と思った私は、なんだか不思議な感覚に。ちなみに流産してしまった子は女の子だったようです。流産したことは子どもたちには伝えていなかったので、本当に胎内記憶とかあるんだなと思いました。 作画/大福著者:さとう りん中学生と小学生の子どもがいる2児のママ。日々仕事と育児に追われながら生活している。
2023年12月21日2023年11月21日、フリーアナウンサーの岡副麻希(おかぞえ・まき)さんがInstagramを更新。妊娠していることを発表しました。明るい性格と輝く笑顔が魅力の岡副アナですが、この数か月間、愛する母親と愛犬の逝去、そして流産が重なり、つらい日々を送っていたといいます。いつも支えてくれた母親が亡くなり、一時はつらい出来事をどのようにして乗り越えればいいかが分からなくなったという、岡副アナ。周囲の人たちの優しさに触れ、少しずつ元気を取り戻していく中で、お腹に新たな命が宿っていることを知ったといいます。つらい日々のさなかにつかんだ希望について、岡副アナはこのように想いをつづりました。今日は、母の月命日です。母が急逝してから、流産や愛犬との別れが続き、耐え難い悲しみや苦しみを感じました。言葉に上手くできないほどの感情を抱いたり一番支えてほしいときに今まで寄り添い続けてくれた母がいないことはあまりにも辛くどう乗り越えたらいいのかわかりませんでした。そんな中、周りの人の変わらないあたたかさに触れ、支えられ、徐々に気持ちの整理もついてきました。そんなときに新しい命が宿っていることがわかりました。前回のことがあったり悪阻がつらく安定期までは手放しで喜ぶことができずにいましたがやっと少しずつ落ち着いてきました。力強く動いてくれる姿に命を感じることができています。私が一番辛かったとき同じような境遇の方の投稿に励まされることが多々ありました。今回、報告すべきかどうかたくさん悩んだのですがこの投稿が、私のように、一人でも、誰かの心に寄り添うことが出来ればと思い今回ご報告をさせていただくことに決めました。たくさんご迷惑やご心配をお掛けしてしまっていて本当に申し訳ないのですがまだまだ、100%元気!とも言い切れないのですが私の元に来てくれた新しい命と一緒にこれからも頑張っていきたいと思っています。maki_okazoe_officialーより引用 この投稿をInstagramで見る 岡副麻希(@maki_okazoe_official)がシェアした投稿 新たな命を宿し、この世に産み出すということは、決して容易ではありません。医療が発達した現代でも、妊娠と出産は当たり前のことではないのです。流産の悲しさや苦しみを知っているからこそ、安定期に入るまで喜ぶことができず、妊娠の報告もできなかったという、岡副アナ。それでも、こうして発表することにしたのは、「自分と同じように、つらい思いをしている人の心に寄り添いたい」という想いからといいます。人の抱く苦しみには、同じ境遇の人にしか分からないものもあるはず。自らが励まされたからこそ、岡副アナは公表する勇気を振り絞ったのでしょう。マタニティマークを笑顔で持つ岡副アナの姿に、多くの人から祝福する声が上がっています。・流産をしていただなんて…。岡副アナが元気を取り戻せる日を待っていますね。・岡副さんに幸せが訪れますように!お母さんもきっと、雲の上から応援していますよ。・無理せず、安静になさってくださいね。元気な赤ちゃんと出会えますように!新たな希望によって、少しずつチャームポイントの笑顔を取り戻し始めた岡副アナ。お腹の中にいる子供と対面を果たし、その笑顔がさらに輝きを増すよう、たくさんの人が祈っているはずです。[文・構成/grape編集部]
2023年11月21日切迫早産の診断を受けて長期入院生活に※写真はイメージです1人目を妊娠中の頃、切迫流産から切迫早産の診断をうけて、自宅安静から半年間ほど病院で寝たきりの安静入院をしていました。一度流産を経験して毎日のように泣いていた過去があったため、「今度こそはお腹の子を守らなきゃ」という思いが強く、ベッドの上で真っ白の天井を眺めながら不安な毎日を送っていました。お腹が大きくなるにつれて不安な気持ちも……。そんなある日ママ友ができた※写真はイメージです服用していた飲み薬でも、早産になりやすいとされるお腹の張りが治まってくれず、1日中点滴をするようになり、さらに不安が増えていました。お腹が大きくなるにつれ、圧迫されて寝返りをうつだけでもお腹が張ります。その度にネガティブな感情においこまれ精神的にも参っていた頃でした。同じ大部屋に切迫早産で入院してきたママと出産予定日が同じことからすぐに意気投合して、トイレなどで会うと話すようになりました。ママ友の前向きさに救われた。あらためてお礼を伝えたい※写真はイメージです健診の結果が悪く、どん底に落ち込んでいる時。そのママ友に不安な思いを長文でラインしたところ「ママが不安になったら赤ちゃんにも伝わっちゃうよ!それより穏やかな気持ちで優しく話しかけた方が良い!もう少しだから頑張ろう」と返信してくれました。前向きな内容に心が救われて、ネガティブな感情を解き放つことで体調も安定してくるようになりました。その頃は本当に辛かったので、そのママ友と出会っていなければ乗り越えることができなかったかもしれません。今あらためて、お礼を伝えたいと思っています。====================※本記事は、編集部に寄せられた実際のエピソードを元に再構成しています。エピソード募集中妊娠中、子育て中に誰かに助けてもらって感謝していることはありませんか。そんな「ありがとう」の気持ちを込めたエピソードを募集しています。あなたのすてきな体験談を教えてください。投稿フォームはこちら
2023年11月20日地元である関東を離れ、夫の実家がある九州に引っ越しました。当時はつわり真っ最中であり、引っ越し作業をするのはかなり厳しい状態でした。また、切迫流産気味だったため、横になりながら夫や夫の兄弟が引っ越し作業をしているのを、そのときはただ見守ることしかできませんでした。 義姉との関係は…引っ越し作業が終わりに差し掛かったころ、義母に食事に誘われ行くことに。当然、妊娠中のためアルコールは飲まず、ソフトドリンクを飲んでいました。 すると義母に、「なんでお酒飲まないの?私がこの子たち(夫兄弟)がいるときはバンバン飲んでたよ?」と言われました。続けて「私が妊婦だったときは常におなか締めてたし、ショートパンツも履いてたよ?なんでまだお腹出てすらないのに、妊婦です!ていう恰好してるの?」「というか嫁ちゃんってかわいいよねー。妊娠=悪阻って思ってるんでしょ?」など、立て続けに耳を疑いたくなるような発言まで。 私がその話を聞いて固まったままでいると、夫がフォローしてくれました。義母はまだ何か言いたそうな顔をしていましたが、その話は私が何も意見することなく終わりました。しかし、出産してからも、義母が私に言い放った言葉、一つ一つ忘れることができません。現在は義母とできるだけ距離を置いて生活しています。 ※妊娠中の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。ご妊娠中のアルコールは控えましょう。 作画/miyuka著者:林 リリア医療関係の仕事を辞め、妊娠中に義実家がある九州へ引っ越し。右も左もわからず、友人や知り合いもいない土地で出産を経験。日々育児に奮闘中。
2023年08月29日■前回のあらすじ24時間点滴生活で点滴をさせる場所がどんどんなくなっていき、とうとう利き手の手首に点滴をさすことに。しかし、痛みと出血により2日間でギブアップ。また、夜中に点滴が切れるとアラート音が鳴ることにも困っていました。こんにちは、宝あり子です。突然、妊娠31週で切迫早産入院となり、それからは心も体もつらい入院生活でした。■分からない退院予定日入院になったときに退院予定日は伝えられなかったので、先生に退院予定日を聞きましたがハッキリしたことは言われませんでした。そのため入院当初は「1、2週間で退院できるかな」と思っていました。しかし…。トイレ以外、基本寝たきり生活なのにおなかの赤ちゃんの位置は下がっていました。「赤ちゃんが下の方にいるから、内診したら刺激で陣痛きそうだから、内診もできない」と先生に言われていました。入院してから1週間、2週間と過ぎていき…。自分の状況では37週の正期産に入るまで退院はできない、と察しました。37週に入るまで1日1日が長かったです。そして、ついに36週に入り、入院中週に1回行われる妊婦健診がありました。するとエコー検査で先生が…。ずっと「下の方にいる」と言われていた赤ちゃんの位置がついに少し上がりました! ■入院中、知らなかった衝撃の事実さらに先生は…。「入院した当初は赤ちゃんの体重増えなくて心配してたけど、ようやく体重も増えてきた」と言いました。入院中の妊婦健診では赤ちゃんの体重のことは言われませんでした。また入院中、母子手帳は病院が保管。私は赤ちゃんの体重が増えていなかったことを知りませんでした。先生は入院して情緒不安定な妊婦には言えなかったそうです。まさか赤ちゃんの体重が増えてなかったなんてショックでしたが、ようやく体重が増えてきたということには少し安心しました。それから、先生が…。突然「明日退院」と言いました。このとき36週と2日目でした。ずっと退院したくてたまらなかったけど、突然「明日退院」と言われたら、退院の準備もしていないので慌てふためいてしまいました。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年06月28日妊娠中期といわれる27週目。その日、突然言い渡された「切迫早産」によって長期入院が始まった私。コロナ禍で家族と一切面会できず心が荒む中、私はあるボーイズグループのオーディション番組にハマりました。そして産後、思いもよらぬ展開に……! 切迫早産でまさかの長期入院! 今でも忘れられない、妊娠27週目の健診で医師から告げられた「切迫早産です。このまま入院してください」という言葉。頭が真っ白になりながらも、生まれてくる赤ちゃんを守るため、私は妊娠27週から出産までの約2カ月間を病院で過ごすことに。 コロナ禍での入院生活は、家族とはいえ面会が一切禁止。3歳の娘と直接話すことができないままスタートした入院生活は、本当につらかったです。寝ても覚めてもベッドの上。世の中から隔絶された私は、少しでも外の情報を得るために朝の情報番組を欠かさずチェックしていました。猛暑のニュースが流れていても「そっか、今は夏なのか……」とピンとこない感じでした。そんな中、情報番組内で放送されたボーイズグループのオーディションコーナーをなんとなく眺めていました。デビューメンバーに選ばれるため、汗と涙を流して奮闘する男の子たち。ライバルを蹴落とすのではなく、歌やダンスなどできないことは助け合って乗り越え、どんどん成長していくのです。そんな姿があまりにもキラキラして見え、これから男の子を産む私にとっても学ぶことの多い内容でした。いつしか、このオーディションコーナーが入院中の私の唯一の楽しみに。 つらい入院生活も佳境を迎え「妊娠37週を迎えたら、もう産んでもいいからね」と助産師さん。その言葉は予言だったかのように妊娠37週0日に陣痛が! 助産師さんに、私はあのボーイズグループのデビュー曲を流してほしいとお願いしました。助産師さんも快く了承してくれ、私は彼らの曲に応援されながら元気な男の子を出産したのです。 出産後も「育児の応援歌」として聴いていたところ、なんと生後半年の息子が手をぶんぶん振って踊っているではありませんか! 試しに他の曲を流してみましたが、やはりあの曲だけに反応して踊るのです。これはきっと偶然ではないはず! 今では家族みんながボーイズグループの大ファンです。つらかった入院生活ですが、彼らのおかげで宝物のような思い出できました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/Pappayappa監修/助産師 松田玲子著者:中川ジュノン
2023年04月23日美容部員として楽しく仕事をしていた芸子ですが、ある日妊娠。ひどいつわり、切迫流産の試練を乗り越えてようやく落ち着いて職場に復帰します。そこへ先輩がやってきて、「芸子って産後どれ位で復帰するの?」と聞かれ……!?そしていよいよ出産! するとそこには思い描いていた生活とは違う、過酷な現実が待っていたのでした。 Instagramでフォロワー14万超の2児のママ、芸子さん(@geiko_tumu)が描く、リアルな社会復帰体験マンガを紹介します。 産後の生活が過酷すぎて…! 「もしかしたら2人目はつわりがないのでは?」という淡い期待は見事に打ち砕かれました。 子育てをしながらのつわりはなかなかハードでしたが、実家も頼りつつ何とか乗り越え……3年という長期の育休をとることにしたけれど、先輩たちが快く受け入れたから安心して産休育休に入ることができた。 が、そんな私を待っていたのは、過酷な育児! 生まれた長女つむは、まぁ~寝なかった。そして疲れ切った自分の顔を見て衝撃を受ける。 そんな私が2人目を妊娠、そして出産。1人目を育てた経験から余裕をもって穏やかに過ごす日々だった。もう少ししたら職場復帰!! そんな私にまさかの事件が起こったのです……。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター 芸子2017年、2019年生まれの姉妹ママ、芸子さん。Instagramでほっこり可愛い育児エピソードやあるあるネタを更新中!
2023年04月02日■前回のあらすじ切迫早産の入院中に薬を一定の速度で投与し続ける「輸液ポンプ」を使用。しかし、そのポンプにはトイレの時間制限があり、さまざまなトラブルが起こりました。こんにちは、宝あり子です。トイレトラブルの中で困ったのが、24時間点滴をしていたときに使っていた輸液ポンプです。この輸液ポンプはずっとコンセントさしっぱなしでフル充電していても、コンセントを外すと20分足らずでバッテリーが切れて、警告音が鳴り出します。警告音がならないようにするためには、輸液ポンプのコンセントを外して、病室からトイレに行く時間、手を洗う時間、戻る時間なども含めて20分以内に終わらせる必要があります。そのため、時間を気にせずゆっくりトイレに籠ることができませんでした。■便秘が悪化して食欲不振になったそして、もともと妊娠中、便秘がちだった私の便秘はさらに悪化。便秘が続き、ついに食欲もなくなりました。寝たきり生活の中で食事やおやつの時間は毎回楽しみでしたが、便秘によりおなかが苦しくてあまり食べられなくなりました。そしてついに…。トイレで便秘と格闘していたある日、突然腹痛に襲われました。あまりに痛くて目がチカチカして、脂汗も出ました。「出さない限り、この腹痛が続くのでは?」と思い、しばらくトイレで葛藤していましたが…。 ■とうとう時間切れに輸液ポンプの警告音が鳴り、時間切れ。腹痛があり目もチカチカしていたので、トイレについていた非常時の呼び出しボタンを押せば良かったのですが、「忙しい看護師さんを便秘で呼ぶのは申し訳ない」と思い、フラフラしながら病室へ戻りました。■看護師さんに便秘のことを相談病室に戻ってからも、しばらく腹痛が続いたので点滴交換のときに看護師さんに相談してみました。すると…。私は「便秘のことで忙しい看護師さんのお手をわずらわせてしまうのは…」と思い、ずっと相談せずにいましたが、切迫早産の体でトイレで踏ん張っておなかに力を入れるのは良くないとのこと。この後すぐに看護師さんが先生に相談してくださり、薬を処方されました。その薬を飲んでいたら、便秘は無事解消しました。もし便秘を我慢してしている妊婦さんがいたら、早めに先生に相談してみてくださいね。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年02月28日■前回のあらすじ切迫早産入院中は退院するまでシャワー禁止でした。頭が洗えない状態が10日以上続くと不快感やかゆみが出て…。こんにちは、宝あり子です。前回は切迫早産入院中に辛かったことをお話しましたが、今回は切迫早産入院時に困ったトイレトラブルについてです。■頻尿が辛い!おなかの張り止め、ウテメリンの点滴を使いはじめたら、頻尿に悩まされました。24時間点滴をしているので夜間もトイレに行きたくなり、夜中に何度も起きてトイレに行かなければならないのが辛かった!そんなトイレはさらに私を悩ませる問題がありました。■トイレに点滴台を入れにくい問題私が入院していた病院のトイレは、個室内の広さが狭かったため点滴台がなかなか入りませんでした。トイレの個室の入り口で必死に格闘しながらなんとか点滴台をトイレの個室に無理矢理、入れる日々。そんなある日、おそらくほかの切迫早産で入院中であろう患者さんが点滴台を個室のドアの前に出しているのを見て、衝撃を受けました。これ以降は私も点滴台を個室のドアの前に出すようになりました。余談ですが、この切迫早産入院から数年後、別の病院で乳がん治療で抗がん剤の点滴をしながらトイレに行ったら個室内の広さが大きいトイレだったので点滴台はすんなり入りました。広いトイレはストレスフリーで感動しました(笑)。しかし、トイレで困ったことはこれだけではありませんでした。 ■輸液ポンプのバッテリー問題切迫早産入院中の点滴は24時間ずっと点滴です。そのため薬を一定の速度で投与し続けるために「輸液ポンプ」を使用します。この輸液ポンプはコンセントにつながっているため、トレイに行くときは毎回この輸液ポンプのコンセントを抜いてトイレに行っていました。ですが、私はこの輸液ポンプが悩みの種でした。私は妊娠中、便秘がひどくて入院中も便秘に悩まされていました。そしてトイレにこもっていたら突然…。音が鳴りだしパニック。慌ててトイレ近くのナースステーションにかけ込みました。私が便秘でトイレにこもっていたため、輸液ポンプのバッテリーが切れかけて警告音が鳴ったのです。コンセントをさせば警告音は止まるのですが、困ったことに私が使っていた輸液ポンプはコンセントから外すと20分もたたないうちに警告音が鳴り始めてしまうため、便秘で苦しいのにトイレにゆっくりこもることができませんでした。これにより、もともと妊娠中便秘がちだった私の便秘はさらに悪化してしまい…。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年01月28日こんにちは、宝あり子です。■前回のあらすじ下の子の妊娠中に切迫早産で入院になり、病室で上の子の写真や動画を見ては泣き続け…。切迫早産の入院生活はトイレ以外は基本的に寝ているように言われていました。ということで、寝たきり切迫早産入院で大変だったことを書いていきます!入院生活の中で小さなことも毎日積み重なっていくとかなりのストレスでした。■その1:退院までシャワー禁止!退院するまでシャワーは禁止。そのため1日1回、朝ホットタオルが渡されました。最初の頃はホットタオルで我慢できたのですが、それが1週間2週間と続くと心が荒んでいき…。体を拭きながら泣くこともありました。ちなみにパジャマを着替えるときには24時間つけっぱなしの点滴を外さないといけないため、自分で着替えることができませんでした。そのため、看護師さんを呼ぶのですが…。「ごめんね、忙しくて…あとでいくね!」と、看護師さんはいつも忙しそうでした。忙しそうな看護師さんを呼ぶのが申し訳なくて、自分で着替えもままならない状況が辛かったです。■その2:10日に1度の洗髪が辛い!シャワーは退院まで禁止。その代わり洗髪がありました。点滴の副作用で汗をかいたり、病室が暑くて汗をかいてしまうのにお風呂には入れません。1週間くらいたつ頃には頭がかゆくてたまらなかったです。洗髪したときは本当に心が洗われるようでした。入院した当初、洗髪は1週間に1度の予定と言われていました。そのため、次の洗髪日が待ち遠しくてワクワクしていました。しかし、いざ洗髪日当日になると…。こうして洗髪日は当初は1週間に1度の予定でしたが、その翌週以降は10日に1回洗髪できたらラッキーという状況になりました。頭を洗えないのが10日以上続くと髪の毛がベトベトギトギトするし、かゆくて本当に辛かったです…!!■その3:個室じゃないけど消灯を自分でするのが辛い!病院では看護師さんが消灯時間になると電気を消してくれるというイメージがありました。ですが、私が切迫早産で入院していたのは、個人病院だったからなのか看護師さんによる消灯はありませんでした。とはいえ、消灯時間は決められているため、自分で消灯しなければならない状態でした。何が困るかというと“病室の誰が消すか…”ということ。私の病室には切迫早産の患者がいなかったので、同室のほかのベッドの方は出産してすぐに退院。入れ替わりが激しかったので新しい人が入院するたびに、病室の誰が消すか決めるのが面倒だったので、この病室にずっと入院している私が消灯していました。消灯すること自体は別によいのですが、毎回新しく病室に入ってきた人に消灯の話をするのと、毎日消灯の時間に「電気消してもよいですか?」と同室の方たちに確認するのが地味に大変でした…。なんだか病室の主みたいになっていました。同室に切迫早産の方がいたら励まし合ったり、いろいろなお話ができたのですが、切迫早産仲間が同室にいなかったのは、さみしかったです…。周りが出産してすぐ退院していくのが羨ましくてたまりませんでした。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年12月28日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。1度目の流産を経験してから半年が経ったころ、基礎体温の高い日が続いたため、妊娠検査薬を試したりほさん。「もし陽性が出ても浮かれない!!」「妊娠していたとしても、何が起こるかわからないから冷静に!」 祈りながら待った結果は……なんと陽性! “浮かれない”と決めていたけれど、思わずうれし涙がこぼれてしまい…… 全部、奇跡…! 妊娠がわかってから安定期までは極力外出を控え、少しのお腹の痛みで寝込み、少しのめまいで寝込み、用心しながら妊婦生活を送っていました。 つわりを乗り越えて初めて胎動を感じ、どんどんお腹が大きくなり…… ついに出産のときを迎えました。 「どんなに痛くても苦しくてもママは絶対に大丈夫だよ」 「君がいなくなってしまったときの痛みに比べたら何でもない」 「お腹に命が宿ることも、その命が産声をあげて元気に生まれてくることもこの腕にわが子を抱けることも…どれもこれも全部奇跡だ」 無事に長男くんを出産することができました。 毎日が寝不足と疲労でフラフラ! 2人目なんて考えられなかったけれど…… 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年11月03日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。旦那さんの提案で購入した花の苗に、「苗のつぼみは花が咲いたけれど私は……」と自分の妊活状況と重ねつつ話しかけるりほさん。また赤ちゃんに会いたいという一心で、妊活を続けていたのですが…… 結果を見ても浮かれないと心に決めて… 流産を経験してから半年が経ったころ。病院の先生にすすめられて、毎日基礎体温を測るようになっていました。 基礎体温の高い日が続いたため、「もしかしたら……」と、妊娠検査薬を試すことに。 「もし……もし陽性が出ても浮かれない!!」「妊娠していたとしても、何が起こるかわからないから冷静に! 落ち着いて受け止めます!」と祈りながら自分を抑えつつ、結果を待ちました。 その結果は……陽性! 「ダメだ、やっぱりうれしいよ」 浮かれない、と決めていても、やっぱりうれしくて、思わずうれし涙がこぼれてしまうのでした。 そして後日、産婦人科を受診し、無事に長男のハルくんがおなかに宿ったことがわかりました。 次回、どんなに痛くても、苦しくても、ママは絶対に大丈夫だよ! 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年11月02日今回は、こむぎさんが妊娠中のときのお話です。妊婦健診時に「切迫早産」と診断されたこむぎさん。医師からは、「トイレ以外は基本動かずに寝ているように!」と言われてしまって……!? 妊婦健診時に「切迫早産」と診断されてしまい… 今回は少し前にさかのぼって、妊娠中のお話です。 妊娠7カ月になったころ、健診で「切迫早産」と診断され、「トイレ以外は基本動かずに寝ているように!」と言われてしまいました。 それまで「妊婦でもウォーキングなどをして、なるべく運動したほうがいい」と聞いていたので、突然「動いてはいけない」と言われてビックリしたのを覚えています。 最初のうちは「ずっと寝てられるなら楽じゃない?」「寝転がったままでも本とか読めるし、好きなことしよう!」などと思っていましたが……。 「体は元気なのに、動いてはいけない」というのは思っていた以上につらく、数日経つころには、すっかり心が荒んでしまいました。 次の健診で「子宮頸管が伸びたので、動いても大丈夫」と言われたときは、本当にうれしかったです。 けれどその後、正期産の時期が近づくと、今度は「なかなか産まれないこともあるから、たくさん歩いて赤ちゃんが降りてくるよう頑張ってね」と言われ……。 動いちゃいけないの!? 動いたほうがいいの!?と、振り回された妊娠時代でした。 監修/助産師 REIKO著者:ライター こむぎ0歳女児を育てる新米ママ。夫婦そろって一年間の育休を取得。ダブル育休エッセイの文や漫画を、SNSにて更新中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モイライ主に作画で活躍中。代表作「メキシコでアミーゴ!」
2022年11月01日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。担当医から流産であることを告げられた1週間後。再び病院へ行くと、待合室にはおなかが大きな妊婦さんが……。 暗い気持ちになりそうなりほさんを励ますように、旦那さんが「花の苗を買おう」と提案。 お花を育てながら、日常を取り戻していき…… もう一度赤ちゃんに会いたくて 旦那さんの提案で購入した花の苗は、つぼみだったものも花が咲きました。自分の妊活状況と重ねながら、命名した花の“まめさん”に話しかけるりのさん。 最初のうちは2人でのんびり……そう言っていたけれど、一度妊娠してからはまた赤ちゃんに会いたくて、妊活を続けていました。 うまくいかない日々が続いても、いつかまた、ママになれる日が来ることを思いながら…… 次回、これはもしかしたら……でも冷静に! 落ち着いて受け止めます!! 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年11月01日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。初めての妊娠が終わってしまった……悲嘆に暮れるりほさんが、日常を取り戻していった方法とは? 旦那さんの提案は… 1週間後、再び病院へ行くと、そこにはおなかが大きい妊婦さんがいっぱい。 その幸せそうな姿を見て、暗い気持ちになってしまう……。 そんなりほさんを励ますように、旦那さんが「このあと、お花買いに行かない?」と提案してくれました。 かわいらしいお花を育てながら、少しずつ日常を取り戻していったのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年10月31日妊娠を機に、夫が家に帰って来なくなってしまったさちこさん。切迫流産で3カ月間入院し、1人で双子の男の子を出産。退院後、話し合いの為にかずおさんと再会し揉めていると、お義父さんが現れて謝罪。できる限りさちこさんの望む形を叶えたいと言ってくれたので、さちこさんの望みは「離婚すること」と伝えます。そして、逆上するかずおさんに「あなたみたいな父親いない方がマシだわ」と言い放ち……。他に望みはあるか聞かれ、「親権は私がもらいます。子どもたちが成人するまで養育費を振り込んで、働けるようになるまで家賃と生活費を負担してください」と望みを伝えるさちこさん。子どもたちをまるで物扱いするような発言をするお義母さんとの面会は拒否し、慰謝料も請求します。 それぞれのその後 お義父さんを介して話し合いを進め、おおむねさちこさんの希望通りになりました。 シングルの双子育児は想像を絶する大変さでしたが、友人の智子さんや行政の支援を頼り、なんとかこなしているようです。 そして、事情を知った以前の職場が、時短で再雇用してくれることになりました。 かずおさんは3人分の養育費でカツカツとなり、実家に戻り、子どもたちには1度も会いに行っていないようです。 お義母さんは、再び孫を失い憔悴しきっているようです。 思っていたのとは大分違ってしまいましたが、さちこさんにもかけがえのない家族ができました。さちこさんの決断を皆さんはどう感じましたか? 著者:マンガ家・イラストレーター もち
2022年10月11日妊娠を機に、夫が家に帰って来なくなってしまったさちこさん。切迫流産で3カ月間入院し、1人で双子の男の子を出産。退院後、話し合いのために義実家へ戻り、かずおさんと再会。揉めていると、今まで沈黙を守っていたお義父さんが登場し、謝罪してくれました。お義父さんに望んでいることを聞かれたさちこさんは「離婚してほしい」と伝えます。逆上するかずおさんに対して、さちこさんはたまっていた思いをぶつけ「あなたみたいな父親いないほうがマシだわ」と伝えました。 さちこのさらなる望み お義父さんはさちこさんの想いをくんでくれ、「他に(望み)はありますか?」と尋ねます。 「親権は私がもらいます。子どもたちが成人するまで、養育費を振り込んでください。働けるようになるまで家賃と生活費を負担してください」と望みを伝えるさちこさんに、 「離婚したら孫には会えないの?」と慌てるお義母さん。 「いいえ、面会交流のときはお義母さんも来てください」と歩み寄るさちこさん。 ですが、「そんなの不公平!かずおの血も、私の血も入っているの。双子のどっちか1人をうちで育てましょう」と言うお義母さん。 その言葉を聞いて、「お義母さんとの面会は拒否します。慰謝料も請求させてください」と付け加えます。 呆然とするお義母さんとかずおさんに代わり、お義父さんが「もちろんです。精一杯償わせてもらいます」と返事をしました。 絶対に言ってはいけないことを言ってしまった義母。子どもたちは物ではありません。ひとかけらの希望を自分の手で無くしてしまいました。 著者:マンガ家・イラストレーター もち
2022年10月09日妊娠を機に「大きなおなかが気持ち悪いから」と、夫が家に帰って来なくなってしまったさちこさん。切迫流産で3カ月間入院し、1人で双子の男の子を出産。退院後、話し合いのために義実家へ戻り、かずおさんとの再会。出産しておなかがへこんだ姿を見たとたん「愛してる」と言うかずおさんに、鳥肌が立ちます。「私も愛していたけど、生理的に無理」と気持ちがすれ違う2人は……。「DVだ!離婚だ!子どもを置いて出ていけ」と逆ギレするかずおさんを、必死に止めるお義母さん。「ごめんなさいね。でも、あなたも手を出したんだし喧嘩両成敗ってことでね?」と取り繕おうとするお義母さん。そこに、「おい!もういい加減にしないか」と声が……。 お義父さんの本心 お義父さんが登場し、さちこさんに謝罪します。「正直に言うと、かずおのことを知っていて黙っていました。前の奥さんと別れたときは死に物狂いで説得したけど無駄で……。でも、さちこさんが倒れて、私たち家族がさちこさんと孫たちを殺しかけたと気づき血の気が引きました」 さらにお義父さんは話つづけ、「さちこさんが入院中に妻と何度も話し合ったのですが、自分のことしか考えられないようで……。せめてもの償いに、さちこさんの望む形を叶えさせてください」 「私が望む形……」 今まで沈黙を守っていたお義父さんがついに動き出しました。さちこさんの望む形とはどんな形なのでしょうか?さちこさんと子どもたちが、早く落ち着いて暮らせると良いですね。 もちさんの最新投稿は、ブログから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:マンガ家・イラストレーター もち
2022年10月07日■前回のあらすじ病院で切迫早産と診断され、入院の準備をする暇なく緊急入院になり…。こんにちは、宝あり子です。突然、入院することになりパニック。まずは入院することになったことを主人に伝えようと思いました。■自分の置かれた状況がまだ理解できていなかったそこで看護師さんに「家族に入院になったことを電話をしたい」とお願いしました。すると…。「病室でメールやメッセージアプリで連絡してください」と言われて驚きました。・電話もできない・病室まで歩くこともできない緊急入院と言われましたが、自分の状況がまだ完全には理解できておらず、これほどの事態とは思っていませんでした。車いすで病室につくと、すぐにベッドに横になりました。そして、病院へ到着したときにおこなったNST(ノンストレステスト)を再び行うため、おなかにセンサーをつけて赤ちゃんの心拍数と子宮収縮回数の確認が始まりました。同時にウテメリンという、おなかの張りを抑える点滴の投与が始まりました。 ■徐々に増えていく点滴の量こうしておなかの張りを確認しながら、点滴の量が増えていきました。その量に不安になりながらも、その間にわたしは主人に連絡。着替えや飲み物など入院グッズをお願いしました。点滴投与からしばらくして、ようやくおなかの張りがおさまりました。このときの点滴の量は【2A35】でした。この量は私が退院する日まで減ることはありませんでした。おなかの張りも落ち着き、しばらくすると主人が病室へ来ました。ここで心配だったのが、長女のこと。当時1歳だった長女。この頃はまだ保育園にも通っておらず、私が自宅で育児をしていました。私が入院中の間、誰が面倒を見るのか…。主人が有休を取れたとしても数日。私の両親はこの時期ドタバタしており、何週間も長女の面倒をみることは難しい。主人の両親は遠方。悩んだ末、主人の実家に連絡しました。その結果、遠方に住んでいる義母がしばらくの間、こちらに来て滞在してくれることになりました。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年09月28日あおばさんが上の子どもを妊娠中のとき、切迫早産で入院することになったお話です。この日は32週の妊婦健診の日。先生に内診してもらうと子宮頸管(しきゅうけいかん)が1.7cmとわかりました。 それをみたあおばさんは「子宮頸管って4cmくらいないとダメじゃなかった?」と驚いてしまい……? 子宮頸管が短い理由とは…? 内診が終わり、診察室に呼ばれたあおばさん。先生によると子宮頸管が短くなってしまった理由がわかったというのです。それは「絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようえん)」です。 あおばさんの場合は、赤ちゃんも元気で問題とのこと。しかし、「今すぐ入院してもらう」と先生に言われてしまいます。一度家に帰ることもできず、健診後そのまま入院することに。 車椅子で病室に案内されると、中学2年生のときに同じクラスだったちぃがいました。 そして問題だったのが、同室となるもう1人。辛田さんという人だったのです……。 ◇◇◇ 子宮頸管が短くなってしまっていた理由は、「絨毛膜羊膜炎」。流・早産の原因となるほとんどの絨毛膜羊膜炎は、腟内や子宮頸管内の病原微生物が上行性に感染した結果だと言われており、子宮頸管熟化(子宮口が柔らかくなる)や破水、子宮収縮につながりやすく、さらに進むと子宮口が開大し、流・早産へと至るおそれがあるそうです。 「今すぐ入院してください」と言われて焦っていたあおばさんでしたが、入院準備を早めにしていたので、夫に荷物を持ってきてもらうだけで済んでよかったですね。 著者:マンガ家・イラストレーター あおばワーママで2児の母。毎日なんとかなるさ精神で生きています。精神安定剤はココア。主にブログとインスタを中心にマンガを投稿中。
2022年09月27日■前回のあらすじ妊娠31週目で突然の出血。病院に電話してすぐに来るように言われ…。こんにちは、宝あり子です。病院へ向かうためのタクシーがなかなか来なかったため、待つ時間も長く感じました。やっとタクシーに乗ることができ、病院へ到着。病院へ到着するとすぐにNST(ノンストレステスト)を行うため、看護師さんに診察室へ案内されました。■心拍数と子宮収縮数をチェックおなかにセンサーをつけ、赤ちゃんの心拍数と子宮収縮回数のチェック。赤ちゃんの心音が聞こえて少し安心はしたものの、出血があったことに不安はぬぐえませんでした。NSTが終わると、医師がやってきて今度は内診をすることに。■短くなっていた子宮頚管医師にそう聞かれ、母が付き添ってくれていることを伝えました。付き添いを確認された時点で、何か良くないことが起こっているのだと分かりました。 ■突然の緊急入院そして母もやってきて、医師から説明がありました。・出血がある・NSTの結果、子宮収縮が起きている・内診の結果、子宮頚管が短くなっている突然の緊急入院に頭は真っ白でした。そして入院することになり心配だったのが長女のこと。当時、長女は1歳だったので、日中、長女のめんどうを誰がみるのか…。すぐに退院できるのか医師に確認しました。切迫早産で妊娠37週の正期産に入るまで入院している方がいることも知っていましたが、自分もそうだとはすぐには理解することができませんでした。■帰宅はできない緊急入院突然の入院になってしまったので、何も持っていませんでした。そのため、入院の準備をしようと帰宅をしようとしましたが…。「すぐに入院する必要があるので、家に戻ることもダメです」と、病院から言われました。こうして入院の準備ができないまま入院することになりました。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年08月28日■前回のあらすじ切迫早産で急遽入院が決まり、病室に案内されると中学の時の同級生・ちぃと再会したのでした。今回は、切迫早産の入院中の生活について、ご紹介したいと思います。■点滴が辛い…!点滴は本当に辛かったです。刺すときも痛いし、ずっと点滴していたら漏れたりしてまた痛い! 私の場合は、ずっと点滴と一緒でした。そして、氷枕も手放せなくなりました。■入院中の楽しみは…我が家は共働きなので家事は分担制です。食事は作れる方が作ることにしていました。夫は料理は得意ですが、ひとりだと作るのが面倒で総菜ばかり食べていたそうで…、「メタボになる!」と危機感を持ったそうです。そんな中、私は産院の栄養バッチリな食事をいただいていました。何もしなくても食事が出てくるって本当に素晴らしい!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く「切迫早産で入院中に同室の人が辛かった話」(全32話)は17時更新!
2022年08月21日■前回のあらすじ妊娠8ヶ月、出産に向けて順調だと思っていたら、妊婦健診で子宮頸管がかなり短くなっていることが発覚して…。■子宮頸管が短くなってしまった原因は…こうして、健診後にそのまま入院となりました。荷物をまとめておいて本当に良かったと思った瞬間でした。そして、この入院中にある人と久々の再会をします…!■偶然の再会にビックリ…!最初はこの大部屋でちぃと辛田さんと私の3人で過ごすことになります。最初は良かったんですがね…。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く「切迫早産で入院中に同室の人が辛かった話」(全32話)は17時更新!
2022年08月20日女優のシャロン・ストーン(64)が、過去に9度もの流産を経験していたことを明かした。その告白は、PEOPLE誌のInstagram公式アカウントの投稿へのコメントという形で寄せられた。公式アカウントの投稿内容は、ダンスのコンテスト番組「Dancing with the Stars」に出演していた女優でダンサーのペタ・マーガトロイドと、夫のマクス・チュメルコフスキーが流産の経験を語ったという記事の告知だった。マーガトロイドが流産してしまったとき、故郷のウクライナに帰っていたというチュメルコフスキーは、「彼女と一緒にいなかったなんて……ほんとうにバカだった。どれほど自分が無力かを思い知らされた」と悔やみ、マーガトロイドも「これ以上ないほど恥ずかしくて、心がかき乱されました。こんな言葉を自分の口からどう発すればよいのか全くわからなかった。『私は流産した』なんて」と当時の苦しみを記事で語っているそうだ。この投稿のコメント欄に、シャロン・ストーンが次のように思いを綴った。「私たち女性は、この喪失の重大さを議論する場を持っていません。私は流産で9人の子どもたちを失いました。肉体的にも精神的にも小さなことではありませんが、私たちはそれを独りで背負い、ある種の挫折感を抱きながら密かにやり過ごすものだと感じています。私たちが本当に必要としているのは、思いやりや共感、癒やしであるはずなのに、それを享受することができない状況があります」ストーンは男の子3人を養子として迎えており、シングルマザーとして奮闘している。
2022年06月24日友人M子から、元夫の不倫相手・怖美が流産したようだと聞いたK代。どうしても気になることがあり、悩んだ末元夫に電話をかけることに。「流産っていうか、最初から妊娠していなかったんだ」と元夫から真相を聞かされ、予感が的中したと思ったK代。元夫は流産と言われた時点では、妊娠自体が嘘だとは思っていなかったようで……。怖美からの流産報告後、部屋の整理中に元夫が見つけたのは… 部屋の整理をしていて、今まで通っていた病院の領収書を見つけた元夫。「あれ? 産婦人科の領収書ってこれだけ?」怖美の産婦人科の領収書が、K代と一緒に行った日のみしか見当たらないのです。「まさかね……」と思いつつ、さらに探っていると産婦人科の診察券も見つけたのですが、K代と行った日意外受診した記載がなく……。もしかして最初から妊娠してなかった? 怖美の妊娠と流産に初めて疑惑を抱いた元夫。 産婦人科の領収書が1枚しかないこと、診察券に予約日が書かれていないことを怖美に問います。「間違って捨てたのかな? ちょっと覚えてない」「病院変えたのよ!」 どうにか話を取り繕おうとする怖美。 それでも元夫に「ちゃんと本当のことを言ってくれないか」と言われ……。 「実は……妊娠は嘘だったの」 ついに観念し、自分の嘘を認めたのです。 不倫相手の妊娠がまさかの嘘……。離婚後に発覚しても、もう取り返しはつきませんよね。もし皆さんが同じような状況になってしまったら……どうしますか? 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ぱるる
2022年05月13日4人目の妊活を開始して4カ月目、待望の妊娠! しかし赤ちゃんが育っておらず、医師から「自然に流産を待つしかない」と悲しい宣告が。帰宅後、腹痛に襲われトイレへ行くと、何かが「出てきてしまった」。 病院で流産を確認してもらい、ぼろぼろと涙をこぼしながら、夫に今日の出来事を伝えたいくたさん。夫に「これから、どうしたい?」と聞かれて……? 今日だけは子どもの前で笑えない 今夜だけは、どうしても子どもたちの前で明るい顔でいられない。 できれば今日は、静かで落ち着いた場所で過ごしたい……。子どもたちを夫に任せ、ひとり実家へ向かうことにしました。 次回、母が語った思いもよらぬ事実とは……?! 著者:マンガ家・イラストレーター コミックエッセイ作家 いくた はな3男1女、4人の兄妹の母。コミックエッセイ作家。書籍『夫を捨てたい。/祥伝社』。夫婦関係や子育ての体験談マンガが共感を呼び、Instagramのフォロワーは23万人超!(2021年6月時点)
2022年04月25日4人目の妊活を開始して4カ月目、待望の妊娠! しかし赤ちゃんが育っておらず、医師から「自然に流産を待つしかない」と悲しい宣告が。腹痛に襲われトイレへ行くと、何かが「出てきてしまった」。これがわが子だとわかり、急いで病院へ向かうことに。 夫に流産した瞬間の話を伝えたら……?「夫を捨てたい。」第32話 この日の朝までは、一生懸命に心臓を動かし、生きていたわが子が映っていたモニター。でも、ついに何も映らなくなってしまった。 「昼寝から起きて、トイレに行ったら、出てきちゃってさぁ……」 ぼろぼろと涙をこぼし、大泣きしながら今日の出来事を話すと、 「ごめんね」「ママのせいじゃないよ」 夫はそう言って話を聞き続けてくれました。 この日は、次男の誕生日の前日でした。 著者:マンガ家・イラストレーター コミックエッセイ作家 いくた はな3男1女、4人の兄妹の母。コミックエッセイ作家。書籍『夫を捨てたい。/祥伝社』。夫婦関係や子育ての体験談マンガが共感を呼び、Instagramのフォロワーは23万人超!(2021年6月時点)
2022年04月23日妊活を初めて1年でやっと妊娠したにもかかわらず、なかなか自分の体を労わることができず、妊娠と仕事の両立に苦しんだ彩花さん(仮名・当時33歳女性)。妊娠に対して上司からの十分な理解も得られず、同じ部署の社員が退職したことで仕事量も増えるなか、ときには上司からイヤミを言われることもあったと言います。しかし、出産後もキャリアをしっかりと積んでいきたいと考えていた彩花さんは、つわりで辛い状況でも仕事に全力投球。すると、彩花さんの体はある日突然、悲鳴をあげる事態になってしまったそう。今回は、メンタル心理カウンセラーの並木まきが、妊娠中でつらい時期にもかかわらず職場の十分な理解が得られなかったという女性の壮絶なエピソードをご紹介します。切迫流産の診断を受けるも職場からの理解は得られず「妊娠3か月の頃。無理をして働き続けていたことも関係したのか、私は病院で流産の可能性が高まっている“切迫流産”の診断を受けました。その結果、医師から“仕事や家事などを控え、2~3週間ほど自宅で安静にしてください”と言われてしまったんです。本当は仕事も妊娠も上手に両立させたかったけれど、さすがに“これはもう無理だ”と思ったため、上司に“2週間ほど休みが欲しい”と伝えました。ところが、“今は退職者が出たばかりで人がいない”“辛いのはみんな同じだから”と言われ、休日出勤までお願いされる始末…。そこで、医師に相談して診断書を書いてもらい、職場に提出。その後はなんとかテレワークにしてもらい安静にしたことで無事危機を乗り越え、安定期に入ることはできたのですが、職場からの要求はそれ以降も続きました」その後、産後の働き方に関して直属の女性の上司との面談があったものの、そこでも「産休に入るのはできるだけ遅らせて欲しい」「そもそも今の時期に妊娠するのもどうかと思っている」と言われ、彩花さんは絶句したと言います。キャリアと悩んだ挙句、職場を退職「退職を決断するまでは、ものすごく悩みました。ただやはり上司の理解が得られなさすぎることに衝撃を受けたのと、今後の自分のためにも、これから生まれてくる子どものためにも“ここで働き続けることは良くないのでは…”と考え、最終的に退職を決意しました。大好きな仕事だったので本当に悩みましたが、今はあのとき退職を決断してよかったと思っています」そのあと、彩花さんは産後に知り合った人から「よかったらウチで働きなよ」と声をかけてもらい、好条件で復職できることに。前職を辞めるときにはキャリアに対して絶望的な気持ちになっていたそうですが、今はそのご縁に感謝し、前向きに今後のキャリアについて考えられるようになっているとのことでした。「一方で、元同僚に上司の近況を聞いたところ、その女性上司は私の退職後に不妊治療を始めたものの仕事と治療を上手く両立することができず、退職に追い込まれてしまったとのことでした。自分が私と同じような状況になってみて、どれだけ苦労していたのか、上司も身に染みてわかったのかもしれないですね」女性のライフステージにおいては、さまざまな変化が訪れることもしばしば。職場によっては、必ずしも妊娠に対して十分な理解が得られるとは限らないようです。また、今回の彩花さんの上司のように、同じような境遇に身を置いたことがなければ、相手の立場を思いやって行動するのが難しいこともあるのでしょう。まだまだ女性のキャリアと私生活の両立には課題があるのも現実なのかもしれませんね。©Yazgi Bayram/gettyimages©Oscar Wong/gettyimages文・並木まき
2022年04月16日