人気グループ・なにわ男子の大橋和也が、17日放送の日本テレビ系バラエティー『踊る!さんま御殿!!』(毎週火曜後8:00)に出演する。『ウマいものに目がない芸能人SP』と題した今回、最初のテーマ「食へのこだわりが強すぎてモメたこと」では、大橋が大好きな焼肉を友人と食べに行った際、その注文でモメたことを明かす。原因は、大橋がこだわる焼肉の味付け。大橋の“大人な”焼肉の食べ方を聞いた明石家さんまは「若いのにツウ」と驚く。さらに、体型維持のため「ご飯は頼まない」という発言に「アイドルだから」と全員感心するも、「家に帰ってからご飯食べます」と言い出しスタジオ中が仰天。果たして、大橋が焼き肉屋でご飯を頼まず家で食べる理由とは…。このほか今回、初登場の貴乃花光司がさんまと初対面。「来てくれたのがすごいよね」と興奮を隠せないさんまは、いきなり「スキャンダラスな一家ですよね」と直球トーク。「俺もスキャンダルいろいろあったけど、足元にも及ばない。スキャンダルキング」と謙そんする。しかし、貴乃花は「9割以上は…」とさまざまなスキャンダルに共通していることを説明。それを聞いたさんまから「言いたい事いっぱいあるでしょ」と言われると、「あります」ときっぱり答える。佐々木彩夏(ももいろクローバーZ)は仙台で食べたからあげがあまりにおいしく食べ過ぎてしまい、東北楽天ゴールデンイーグルス・田中将大選手にドン引きされてしまったエピソードを披露。「食い意地を張って失敗した時」では、カキフライが大好きという貴乃花が“おいしいカキフライ”でやってしまった失敗エピソードを公開するも、さんまは呆然。場の空気をなんとかするため、ほかのゲストたちにムチャブリを連発するさんま。しかし「オンエアはなしで」と土下座で貴乃花に完敗宣言する。そのほか、女性芸人の浜名ランチ(ハルカラ)が、バスガイド時代に客から人気がありすぎたために起こしてしまった異例のトラブル、毎日ラーメンを食べているYouTuber・SUSURUが旅行先でもラーメンにこだわりすぎたために起こった残念な旅のエピソードや、将来像を聞かれた大橋が異次元な答えでさんまをポカンとさせる。
2022年05月17日お笑いタレントの明石家さんまが、14日放送のMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』(毎週土曜後10:00)に出演。ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(享年61)の訃報を受け、「ちょっと堪えた。さすがの俺も…」と心境を明かした。さらに「我々、お笑いの人間にとって受け止められないことが起こった。でも受け止めてあげなきゃ、竜兵がかわいそうやしな」と語り、「本当に好きな芸人、好きな後輩が、一番嫌いな死に方をしたからね。ちょっとね、腹が立っているというのが事実です」とやりきれない思いも明かしていた。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2022年05月15日16日放送のMBSテレビ『痛快!明石家電視台』(後11:56※関西ローカル)では、明石家さんまと芸人をマッチングする「マッチングさんま」を実施。土田晃之率いる太田プロダクションの芸人が参戦し、アインシュタイン・河井ゆずるが進行役を務め、トークの掛け合いから、明石家メンバーがさんまと相性の良い芸人を決定する。1組目は結成23年目、タイムマシーン3号。さんまと初対面の山本浩司は、相方・関太の「巨大化が止まらない」困った悩みを打ち明ける。体重110キロという相方の「思考がデブすぎて…」と嘆く山本は、食べたい気持ちが前面に出過ぎる関の食事シーンのエピソードを披露する。しゃぶしゃぶを食べたいあまりに「食べる順番がわからなくなっている」関のまさかの行動を明かし、一同はあ然とする。一方の関は、自身のコンビニでの衝撃体験として、ヘアワックスを買った際に、店員がレジ袋に一緒に入れたありえないものを明かし、明石家メンバーは大笑いする。2組目は結成6年目、納言。以前の女芸人マッチング企画でさんまと見事、マッチングしたやさぐれキャラ・薄幸が、相方・安部紀克の「チェリーのパワーは計り知れない」エピソードを告白する。「29年間彼女がいない」と明かす安部が、いきついた理想の女性をぶっちゃける。また、薄幸は年初の会議でマネージャーから目標を聞かれた際の安部の返答を明かし、さんまは「シュッとしたジミー(大西)なのか!」とあんぐり。さらに、土田は、安部が自費で「自分の写真集を作っている」と明かすと、安部の写真集を見たさんまは「とんでもない出来や!」とその完成度に驚きの声を上げる。3組目は芸歴26年目、ピン芸人・神宮寺しし丸。土田イチオシのベテラン芸人でもある神宮寺は、8年前に当番組に出演しさんまと共演済み。しかし、さんまの記憶にない様子で、神宮寺は自身が「先輩にかわいがられる男」として、太田プロの先輩芸人の名前を挙げ、それぞれにかわいがられるコツを伝授する。果たして、土田にかわいがられるための「ヤンキー絡み」とは。4組目は芸歴4年目、幸せのトナリ。土田イチオシの若手コンビのはずが、スタジオをざわつかせる展開に。さんまと共演経験のある不思議キャラ・飯塚高太郎の言動に、さんまは苦笑い。さらに、さんまの娘・IMALUに関する発言に「ほんまにキレさせる気か!!」とさんまが大激怒する事態に。ほかにも、小笠原侑祐が明かす相方の楽屋あいさつエピソードにスタジオが一瞬静まり返る一幕も。土田が苦々しい表情で「問題のあるやつばっかり連れてきて…」とさんまに謝罪する。
2022年05月13日吉本新喜劇ゼネラルマネージャー(GM)の間寛平(72)が27日、大阪・吉本興業本社で行われた『第三回 吉本新喜劇GM月例会見』に出席。吉本興業110周年特別公演『伝説の一日』(4月2日・3日、なんばグランド花月)を振り返り、共演した明石家さんま(66)から「エラい怒られた」と明かした。『伝説の一日』では、寛平GM体制による新喜劇のお披露目公演が実施されたほか、寛平はさんまのプログラム『さんまの駐在さん』にも出演。寛平は、服の中から余計な音が鳴って笑いをとる予定のシーンで、「音が鳴るもんがなかったんですよ」と仕込みをせず、さんまから「何で兄やん音のするもの入れへんかったんや?」と怒られたと振り返った。寛平は「73ですよ今年。まだ怒られてるんです。怒られながらでも、ずっとやっていっている」と笑わせ、「成長?止まってる」とボケながら、いくつになっても愛されるキャラクターぶりを披露していた。この日は、吉本興業110周年感謝祭『寛平GMプロデュース公演 新喜劇出前ツアー2022 ~寛平ちゃんがグングカッカ、グングカッカポッポ~♪あなたのお側に~』(7月~10月、名古屋、福岡、新潟、東京)の開催などを発表した。
2022年04月27日タレントの新山千春が18日に自身のアメブロを更新。お笑いタレントの明石家さんまへの“初出しトーク”に緊張したことを明かした。この日、新山は20日21時放送予定のバラエティ番組『ホンマでっか!?TV』(フジテレビ系)に出演することを報告。「さんまさんにとあることで!!初だしトークする日」と明かした。続けて「ドッキドキの収録だったのですが、、、」と収録中の心境を述べ「収録前日に中尾明慶さんとドライブトークさせていただきながらこの日のことを相談していた」と説明。「YouTubeもぜひぜひ見ていただけたら嬉しいです」と自身のYouTubeチャンネル『新山千春 CHIHA ROOM』の動画リンクを紹介した。また、収録後にさんまから「新山ありがとーな!」と言われたそうで「言っていただいたあのさんまさんの笑顔はもぉーー泣きそうになるほど!嬉しすぎた日でした!」と感激した様子でコメント。収録の当日は緊張していたといい「2時間以上前に楽屋入り!!してました」と明かした。最後に「明日は5時起きで長い撮影頑張りまぁーす」と述べつつ「日曜日まで毎日収録続くんだーー」と予定を明かし、ブログを締めくくった。
2022年04月20日お笑い芸人の明石家さんまが16日、宮城県石巻市・マルホンまきあーとテラスにて開催されたアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』上映会&明石家さんま・渡辺歩監督トークイベントに出席した。さんまが直木賞作家・西加奈子の小説に惚れ込み企画・プロデュースした本作。昨年6月11日に公開されるやいなや話題に。第23回富川(プチョン)国際アニメーション映画祭特別賞、第46回報知映画賞アニメ作品賞、第45回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞など、数々の映画賞を受賞し、海外でも高い評価を受けている。今回、公開以来『漁港の肉子ちゃん』上映の機会がなかった石巻で、1200人(×2回)の特別“凱旋”上映会を実施。イベントには、さんまと渡辺歩監督が参加した。震災直後、11年前に番組で訪れて以来、久々に石巻に来たというさんま。「お招きいただきありがとうございます。今年こうして来られたわけですけど……遠い! 仙台駅からボロい車で来たので腰が痛い!」と愚痴をこぼして笑いを誘う。イベントでは、西氏の作品を映画にしようとした理由、アニメ化までの経緯、さらにはアフレコ現場でのエピソードを楽しく振り返り、会場を盛り上げた。そして、さんまは「石巻に来られたことに感謝しております。今日はありがとうございました!」と挨拶した。本作では、肉子ちゃんの声を大竹しのぶ、娘・キクコの声をCocomiが務めた。第一回のイベント終了後、監督とともに囲み取材に応じたさんまは、Cocomiの起用について言及した。Cocomiの父・木村拓哉と親交のあるさんまは、当時小学生のCocomiが声優の勉強をしていると聞き、冗談で「将来、俺がアニメ作るからお前主役な!」と約束したと述懐。約束を果たすためにオーディションに来てもらったものの、スタッフも驚く才能を見せ、実力で主役の座を射止めたと振り返った。そして、「(監督やスタッフ曰く)ココちゃん(Cocomi)の声が美しいらしいんですよ。声が美しいって、僕、言われたことないし、美しい声って何なん?」とさんま。初めての声優、初めての関西弁にも関わらず、完璧に仕上げたため「ココちゃんのすごさを感じました」と語った。なお、本作のBlu-ray&DVDは4月27日に発売される。Blu-rayの豪華版には、舞台裏を収めたメイキング映像や舞台挨拶など、貴重な特典映像を収録。本編&特典DISCのBlu-ray2枚組で、渡辺監督デザインの肉子ちゃんオリジナルTシャツや、泣く泣くカットした映画未映像化シーンの絵コンテ入り特製ブックレット(32P)が封入されている。何度も観ることができるため、購入者に向けて魅力や見どころを問われると、さんまは、台本以外のアドリブシーンが多く、監督に苦労をかけたと謝罪しつつ「アフレコとか確認含めると、200回は見たと思いますけど……飽きない」と笑わせる。一方、渡辺監督は「アドリブが大変多いので、もともとの台詞運びから、師匠のアレンジされた部分を探して、耳で確かめていくと楽しいかもしれません」と述べていた。
2022年04月16日お笑い芸人の明石家さんまが16日、宮城県石巻市のマルホンまきあーとテラスにて開催されたアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』上映会&明石家さんま・渡辺歩監督トークイベントに出席。復興しつつある石巻について「感動しています」と語った。さんまが直木賞作家・西加奈子の小説に惚れ込み企画・プロデュースした本作。『ドラえもんのび太の恐竜 2006』(06)『海獣の子供』(19)の渡辺歩が監督を務め、アニメーション制作を、圧倒的クオリティと世界観で世界中に多くのファンを持つ STUDIO4℃が手がけた。昨年6月11日に公開されるやいなや話題に。第23回富川(プチョン)国際アニメーション映画祭特別賞、第46回報知映画賞アニメ作品賞、第45回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞など、数々の映画賞を受賞し、海外でも高い評価を受けている。『漁港の肉子ちゃん』は、原作者の西加奈子氏が石巻市と女川町を訪れたことがきっかけで生まれた作品。その際に訪れた女川町の漁港にある1軒の焼肉屋をヒントに物語が描かれている。今回、公開以来『漁港の肉子ちゃん』上映の機会がなかった石巻で、1200人(×2回)の特別“凱旋”上映会を実施。イベントには、さんまと渡辺監督が参加した。震災直後、11年前に番組で訪れて以来、久々に石巻に来たというさんま。「お招きいただきありがとうございます。今年こうして来られたわけですけど……遠い! 仙台駅からボロい車で来たので腰が痛い!」と愚痴をこぼして笑いを誘う。イベントでは、西氏の作品を映画にしようとした理由、アニメ化までの経緯、さらにはアフレコ現場でのエピソードを楽しく振り返り、会場を盛り上げた。最後に2人は来場者に「石巻に来られたことに感謝しております。今日はありがとうございました!」(さんま)、「少し前も揺れ(地震)がありましたが、そういう中で作品を届けられたことが何よりうれしいです。『肉子』が少しでも安らぎの一部になれば幸いです」(渡辺監督)と語った。第一回のイベント終了後、囲み取材に応じたさんまと監督。会見場は広い会議室。東京や地元からきた多くの記者が会場にいたことから、さんまは「医療ミスでもしたんかと思う(光景)」と一言。また、報道陣の前に姿を現すことが珍しいと言われると「この場で言いたいのは……STAP細胞はあります!」と返して笑いを起こした。1,200人もの観客が詰めかけたイベントについて、さんまは「まさかこれだけたくさんの人が来ていただけるとは、夢にも思っていませんでした。10年経って復興していますが、1,000人も人が来るのかって思って客席を見ると、(たくさんの人で)安心しました」とコメント。そして、道中、車窓から石巻の街並みを眺めてきたと回顧。11年前に訪れた際の、悲惨な光景が目に焼き付いているとしながらも「いまは何もなかったところに、家やビルが建っていて……人の力は本当にすごいなと思いました。改めて感動しながらここに来させてもらいました」と語った。また、観た人にどんなことを感じてほしいのか問われると、「僕は、短いですけど、二千翔という自分の子どもじゃない子を何年か育ててきたことがあるんで、自分と照らし合わせながら映画を作っていました。何回観ても(作中の)病院のシーンは泣いてしまいます。“人間とはこういうもんだ”、“仲間ってこういうもんだ”って分かっていただけたらありがたいです」と思いを述べた。
2022年04月16日落語家の桂文枝が4日に自身のアメブロを更新。お笑いタレントの明石家さんまと初対面した当時を回想した。この日、桂は「伝説の男」というタイトルでブログを更新。「初めて彼をみた時10代だった」と現在のさんまの写真とともに、初めて対面した当時を回想した。続けて、自身とさんまの関係性について「ひと回り下だから弟のような存在だった」と明かしつつ「やはりセンスと感情と吸収力がすごかった」と称賛。最後に、さんまについて「立派になった」と感慨深い様子でつづり、ブログを締めくくった。
2022年04月04日吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」が2日、大阪・なんばグランド花月にてスタート。初日四回目公演として、明石家さんまらによる「さんまの駐在さん」が上演された。冒頭、1人で登場したさんまは「たくさん集まっていただいてありがとうございます」と感謝。大きな歓声が沸き起こると、「コロナの決まりで声出しちゃダメなんですよ。声出せないから体で協力してください」とお願いし、さんまの合図に観客が拍手や体で応えるとうれしそうな表情を見せた。そして、大竹しのぶのエピソードで笑いを誘ってから、今田耕司を呼び込み、さらに岡村隆史も呼び込んだ。3人でのトークでは、岡村が「晴れの舞台で私事で恐縮なんですけど、実は子供ができました。僕パパです」と第1子誕生をサプライズ発表。「もう生まれました」「もうかなり経ちます」と伝え、突然の発表でさんまと今田を驚かせた。本編では、さんま、今田、岡村、間寛平、村上ショージ、ジミー大西という事前に発表されていた出演者に加え、豪華芸人が多数登場。西川きよし、オール阪神・巨人、西川のりお・上方よしお、中川家、見取り図、EXIT、アインシュタイン、アキナ、空気階段、マヂカルラブリー、おいでやすこが、ミルクボーイなど、ベテランから若手まで続々と参戦し、NMB48の渋谷凪咲、小嶋花梨、上西怜も笑いを届けた。ベテラン勢の自由奔放なトークに、おいでやす小田が「師匠方、台本読んでくれ~!」とキレ芸を用いてツッコむ場面も。のりおは「ツッタカター」を連発し、さんまも一緒になって「ツッタカター」を楽しんでいた。エンディングでは、出演者がステージに集結。岡本昭彦社長も登場し、歓声が上がると、さんまは「どこで人気出たん」とびっくり。岡本社長は「皆さまのおかげで無事110周年を迎えることができました。我々、笑いの力を信じてこれからも精いっぱい頑張ってまいります」と挨拶した。最後は、吉本のヒットソングメドレーを披露。ラストは「笑顔のまんま」で締めくくり、さんまは「これからも吉本頑張ります!」と力強く宣言した。
2022年04月03日女優の加藤紀子が26日に自身のアメブロを更新。お笑いタレントの明石家さんまの記憶力が“尋常じゃない”と思った出来事を明かした。この日、加藤は「ヤンタンは30年経っても楽しい現場のままでした」と切り出し、同日に放送されたラジオ番組『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)に出演したことを報告。「スタジオに、二年ぶりにお邪魔」と明かし「この番組には、デビュー直前からレギュラーとして長くお世話になり、色々鍛えて頂きました」と当時を回想した。続けて、さんまについて「その間に起きた様々を、きちーっと記憶している」といい「尋常じゃない記憶力の凄さ」と感心した様子でコメント。「忘れて欲しいことから何度聞いても震える話まで(笑いすぎて)昨日もたくさん聞かせていただき」とラジオ収録の様子を振り返った。また、収録前には当時のディレクターと再会したことを明かし「懐かしいお話いっぱい」とコメント。最後に「歳を重ねるというのはこうした温かな思い出が噛み締められて良いものだな…と、帰り道しみじみ」とつづり、ブログを締めくくった。
2022年03月28日フリーアナウンサーの馬場典子が18日にアメブロを更新。お笑いタレントの明石家さんまとの2ショットを公開した。この日、馬場は「そっくりさん疑惑!?」というタイトルでブログを更新。「昨日の写真」と切り出し、自身の肩に手を置いたさんまとの2ショットを公開した。続けて「さんまさんの脱力感?がすごくてそっくりさん疑惑があるようですが(笑)」と2ショット写真について疑惑があることを説明。一方で「ご本人です」と本物のさんまであることを嬉しそうに明かした。
2022年03月18日お笑いタレントの明石家さんまさんが司会を務めるバラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)。定められたテーマに沿って、出演者や明石家さんが自身の体験談を元にトークを繰り広げる同番組は、さまざまな世代から人気を博しています。明石家さんま、今田耕司の行動に感動2022年3月8日に放送された回では、『ちょっと嫌いになった友人の言動』というテーマのもと、トークを展開。その中で、鷲見玲奈(すみ・れいな)アナウンサーが、馬場ももこアナウンサーにあげた18金のピンキーリングを失くされたことを明かしたのです。鷲見アナの話を聞いた明石家さんは「先輩にもらったものは、みんな大切にしてくれるぞ」と、馬場アナウンサーをたしなめるように、お笑いタレントの今田耕司さんとのエピソードを語りました。俺今田に感動したのが、今田がまだ仕事してない時に、お年玉あげててな。それを、財布に入れてくれてんねん。もう40何年経つのに、入れてくれてんねん。踊る!さんま御殿!!ーより引用自身が何十年も前に渡したお年玉を、今田さんが今でも大切にしまってくれていることを明かした、明石家さん。明石家さんのエピソードを聞いていた、お笑いコンビ『サバンナ』の高橋茂雄さんは、実際に今田さんがお年玉を財布に入れている光景を目にしたそうです。それを見た高橋さんは、「今田さんからもらったお年玉をずっと家に置いてたんですけど、こないだ代引きの時にどうしても足りひんから使ってしまった」と、出演者を笑わせていました。明石家さんのエピソードに、視聴者からはさまざまなコメントが寄せられています。・今田さんの行動、分かる気がするなあ。お守りみたいに持っていたくなるよね。・素敵な話。さんまさん、今田さんのことをとてもかわいがっているのだろうな。・私は、義母から「いつも息子と孫たちの面倒を見てくれてありがとう」と渡されたお年玉が嬉しすぎて、10年以上手帳に挟んでいます。自身にとっては何気ない行いも、他人にとってはかけがえのない思い出として刻まれることがあります。人と人とのつながりの温かさ、大切さを感じる明石家さんと今田さんのエピソードに、多くの人が笑顔になりました。[文・構成/grape編集部]
2022年03月09日現在はテレビやYouTubeに出ながら、障がい者自立推進機構の理事も。オフは農作業にも精を出しつつ、人のためになることをやりたいと語る(セイン・カミュ)セイン・カミュの「イングリッシュ・プリーズ!」というフレーズが人気となったのは、TBS系『さんまのSUPERからくりTV』内の『ファニエストイングリッシュ』というコーナーだった。「最初は英単語を書いたボードを持って街を歩き、僕はまったく日本語がわからないという設定でした。何回かやった後、ディレクターに“ちょっとは日本語がわかることにしませんか”って提案。そうして“イングリッシュ・プリーズ!”が生まれたんです」当初は出会った日本人に英語を話してもらう企画だったが、ネタが尽きて……。「街角でおじちゃんに“日本人は英語がしゃべれないってバカにしてるけど、外国人だって日本語をしゃべれないやつが多いだろ”って言われまして。それでディレクターに“外国人版はどうですか?”って話したら即採用。“外国人に日本語を聞こう”ということでできたのが『ファニエストジャパニーズ』です」ボビーとアドゴニーとエリックが参加して珍回答を連発。その後、セイン率いるメンバーに日本の職場体験をしてもらう『ファニエスト外語学院』が始まると人気は頂点となり、セインはいわゆる“外タレ枠”の中心的存在に。特に、ボケ役のボビーとは、セインが鋭くツッコミを入れる名コンビになった。「けっこう強くひっぱたいてましたけど“見ていて嫌悪感がない”って言われました。外国人同士でやっているから、安心して見られるって。日本人相手だと、バカにしているように見えたようですね」相性がいいように見えたが、衝突もあったという。ボビー・オロゴンに「コイツだけは辞めさせてください!」「ボビーは初め、すごく嫌いでした。ふざけてばっかりで。ボク、こう見えて根がまじめだから(笑)。ボビーが面白かったのは耳で聞こえたのを、そのまま言ってることだったんだけど、彼は頭がいいから、だんだん“こう言うと面白い”ってわかってくる。それでボクを怒らせようと、ワザとふざけたことを言うからディレクターに“コイツだけは辞めさせてください!”って言うくらい、やりづらくって。すごく苦手でした」しかし、司会の明石家さんまは面白がり、視聴者からも支持される。「さんまさんが“セイン、そんなに怒らんでもええんちゃうの~”って言っていて。オンエアを見て衝撃を受けました。“そうか、バラエティーなんだし、すごく怒っている自分、ヒドいな。みんなを楽しませなきゃ”って。さんまさんのひと言のおかげで、ちょっとずつ修正していって。イライラはするんですけど、少しずつ少しずつ……そうしたら気づいたんです。ボビーはボクを怒らせることによって、面白さが引き出されている。コイツはそれを狙ってやっていたのか!って」噛み合わない2人のやりとりが面白がられていたのだ。「“カッチーン!”とくるけれど、その裏では“ありがとね”って気持ちがありました。お互いのよいところを引き出しているのかなって。そこまでに2、3年はかかりましたよ。それで家族ぐるみで仲よくなりました。あと、アドゴニーとエリックもいてくれたのは助かった。ボビーだけだったら、きつかったから(笑)」『からくりTV』からは多くのことを学び、その後の芸能生活に生かすことができた。もともと、セインは日本のタレントになりたかったわけではない。「日本で育ち、ハリウッドを目指して入ったニューヨークの大学は演劇専攻。休学して日本に戻ってきたときに友達が働いていた芸能事務所に遊びに行ったら“マネージャーやらない?”って誘われました。裏方をしながら自分もタレントとして出るっていう、一石二鳥的な形。通訳もいらないことになりますから、すごく使いやすい人ですよね(笑)」セイン・カミュ、念願のハリウッドデビュー’02年の朝ドラ『さくら』で、当時14歳の長澤まさみと共演したことも。「僕はヒロインさくらのフィアンセ役でした。最後は僕が裏切られちゃうんだけど、視聴者のおばちゃんには“見てるわよ!なんで、さくらちゃんを追いかけないの!”って怒られて。“あれは架空の世界で”なんて言うと夢を壊しちゃうから“すいません”って謝ったりして(笑)。『西郷どん』で大河ドラマにも出ましたよ。一応、ハリウッドデビューもしましたし、念願はかないました」CMにも多数出演し、芸能活動は順調に見えた。しかし、’04年に所属事務所と出演料をめぐって対立し、争いが法廷に持ち込まれる。「’09年に裁判は勝訴して、和解しました。ボクは30年の間には浮き沈みがあった。ブラックなところも見たし、騒動はあったけれど、逆によかったのかもしれない。何もないままだったら、どこかで落ちていたかも」マネージャーをしていたことがあるから、裏方の気持ちもわかるのが強みだ。「失敗というのは“学ぶための1つの大きな教材”だと思うんです。そこから何かを学べる。大事なレッスンだと思いますよ。英語だって同じです。完璧な英語を話そうとする日本人もいるけど、いっぱい失敗した人ほど、うまくなっていくんです。大いに失敗しましょう。じゃないと何が正解かわからないから」名字でわかるように、セインは小説『異邦人』で知られる作家アルベール・カミュを大叔父に持つ。しかし、中学生になるまで知らなかった。「中学の授業でカミュが出てきて、先生に“つながりがあるの?”と言われました。それで家に帰って母親に聞いたら“うん、そうだよ”って。“なんで言ってくれなかったの?”って聞いたら“彼は彼、あなたはあなたでしょ。もし言ってたら、あなたは何か変わっていたの?”って逆に聞き返されました。“ああ、そっか”って納得しましたね」ニューヨークで生まれ、親の仕事の都合で世界各国を転々としながら育った。「レバノン、エジプト、ギリシャとか行って、牛の乳搾りをしたり、馬に乗って遊んだり。その後はエジプトに戻って、日本、シンガポール、また日本で横浜のインターナショナルスクールに入りました。ちっちゃいころからいろいろな文化を見てきたのでよかったですよね。差別的なものも見えたし、真逆なところも見てきましたし」いつもスタジオにいる明石家さんまと会えるのは…少年時代を過ごしたのは、神奈川県の湘南地区だった。中居正広の先輩にあたる。「小学4年生のときに引っ越したのですが、彼は同じ小学校の2つ下の学年だったはず。唯一いばれるのは“僕は中居クンの先輩です”ってこと(笑)」ずっと都内で暮らしていたが、3年前に実家のある茅ヶ崎に戻った。19歳と16歳の息子、13歳の娘のお父さんである。「僕が英語も日本語もしゃべれるから、子どもたちもそうするべきだろうと思っています。できるだけ国際的になってほしい。実験的に長男の育児では英語を中心で話していたら、日本語がおろそかになってしまって。次男のときは“もうちょっと日本語を集中的にやってみよう”としたら、英語が少し苦手に。一時期、上の子が英語で話して、下の子が日本語で答えているみたいなこともありました(笑)」家の中が“ファニエスト外語学院状態”に。本家の仲間たちとは、今も交流がある。ボビーやエリックとは一緒にYouTubeに出演することも。さんまとは、当時からなかなか会う機会がない。「年に1度の忘年会くらい。僕はロケで、彼はスタジオにいるのでね。たまに会ったら“セイン元気?頑張ってるね”って話しかけてくれて。新幹線に乗ったときは2時間しゃべりっぱなし(笑)」『からくりTV』で得た絆と友情が、今も心の支えになっている。
2022年02月27日1月下旬、人けのない夜の東京駅を1人で歩く明石家さんま(66)の姿を発見!関西の番組収録から帰京したところのようだ。派手なピンクのスカジャンが目を引いていたが、さんまに近いテレビ局関係者に聞くと、「それ、菅田将暉さん(28)の“お手製”スカジャンですよ」今年1月放送の『さんまのまんま』(フジテレビ系)内で菅田がさんまに贈ったものなのだとか。2人の仲は番組上にとどまらないようで、「食事に行くこともあるそうです」とは、ある芸能関係者。「菅田くんが大御所のさんまさんへ尊敬の念があるのはもちろんですが、さんまさんが菅田くんのことを気に入っているんです」2人が距離を縮めるきっかけになったのが7年前。’15年に菅田が若き日のさんまを演じたこと。「さんまさんが司会の特番内のドラマでしたが、手抜きのない熱演に、さんまさんは感心したそう。それに、菅田くんは大阪出身でお笑いが大好き。バラエティに出るときも俳優然としないので、さんまさんも共演していて楽しいみたいです」(前出・芸能関係者)さらに人柄だけでなく、さんまは菅田のスター性を高く評価。「長年、芸能界のトップを走り続けているだけに、さんまさんは本物を見抜く目がある。5〜6年前に菅田くんの印象について聞いたことがあるんですが、『あの子は本物。“持ってる”子やな』って話してましたね」(前出・芸能関係者)そんな菅田との関係で、最近、さんまはちょっぴりショックなこともあったようだ。昨年11月に菅田が小松菜奈(25)と電撃結婚したときのこと。「菅田くんから結婚報告を受けたのが、発表の前日だったそうです。テレビでは『1日俺を信用してくれた』と笑い話のように話していましたが、本心では直前だったことが寂しかったみたい(笑)。残念そうな顔で『本人から聞いたの前日やったわ』と周囲に話してましたから。かわいく思ってるぶん、気軽に話してほしかったのかもしれません」(前出・芸能関係者)ただ、そんな思いを吹き飛ばしてくれたのがスカジャンでーー。「服作りが趣味の菅田さんが、収録前の2週間、せっせとミシンで縫った力作。『ひょうきん族』の“パーデンネン”など数種類の手作りワッペンまであしらっていました。“師匠”への思いがこもった贈り物に、さんまさんは大感激でしたよ」(前出・テレビ局関係者)菅田が手間暇かけて作ってくれた特別感もあって、私生活でも愛用する一着になっているようだ。“弟子”からの愛と“パーデンネン”のワッペンを胸に、今日もさんまは笑いの戦場へと向かうーー。
2022年02月10日木村拓哉、明石家さんま明石家さんまと木村拓哉による『さんタク』(フジテレビ系)が、2022年1月1日の放送で記念すべき20回目(特別回を合わせると23回)を迎えた。2003年からスタートした同番組は、今や年明けを実感させる“お正月の顔”とも言えよう。「ビッグスターの“2人がやりたいことをやる”というゆる〜い内容ながら、ロケを通じて木村さんの素顔が垣間見えるとあって長らく視聴者を楽しませてきた番組ですね。スタートしたのは2003年で、当時のさんまさんは48歳、木村さんは31歳で『GOOD LUCK!!』(TBS系)が放送された年。それは歳を取るわけだ(笑)。でも、そんな長寿番組だけに少々“マンネリ”気味。制作サイドも毎年の“目玉”企画を考えたり、ロケ先を探すのが大変みたいですよ」(テレビ誌記者)1995年から10年間続いた『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル』(日本テレビ系)でも共演を重ねた2人だけに、その付き合いは実に25年超えと木村にとっては人生の半分。自他共に認める“親友”関係を築いている。■「最近、シてないんやろ?」片や木村の妻・工藤静香とも、飯島直子と共に『明石家さんちゃんねる』(TBS系)での共演もあって親交が深いさんま。木村家とは家族ぐるみの付き合いをしていることから、知られざる夫婦仲を把握する数少ない人物でもある。そのせいか、かつて『さんタク』内ではこんなぶっちゃけ発言も飛び出した。2008年1月3日の『第6回』放送で、木村とさんまによるゴルフ対決をした時のこと。お互いに動揺させる言葉を投げかけてミスを誘いあう展開になったのだが……、「さんまさんの口撃に耐え続けてプレーしていた木村さんですが、ボソッと“最近、シてないんやろ?”の言葉に陥落(笑)して、苦笑いしながら無言で詰め寄ったのです。夫婦のグチも聞かされているであろうさんまさん。ギャグにしては妙にリアルでした。また『さんちゃんねる』でも、今度は静香さんに対して“浮気願望、あるやろ?”と暴走する場面も。テレビで扱うには“タブー”とされる夫婦をイジれるのは、芸能界広しといえどさんまさんぐらいのもの」(前出・テレビ誌記者) 木村の長女・Cocomiや次女・Koki,にとっても、さんまは「“親戚のおじちゃん”のような存在」とは木村家を知る芸能関係者。「ココちゃんや光希ちゃんが幼い頃から会っている、本当に身内のような間柄。彼女たちがバイオリンやフルートを習い始めた時も、さんまさんはその度に“観客”として自宅演奏会に招かれていたみたいですよ。そんな姉妹のデビューに“おじちゃん”も喜びはひとしお。芸能界入りは知らされていなかったそうで、ファッション誌で大人の顔を見せる2人に“こんなに立派になって……”と、記憶の中の幼い姉妹が浮かんだのではないでしょうか」2021年6月に公開された、さんま企画・プロデュースのアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』では声優デビューを果たしたCocomi。この時も、彼女が「中学時代に声優学校に通っていた」のを覚えていたというだけに、さんまはいち早く才能を見出していたのかもしれない。■木村は50歳、『さんタク』は20周年そんな映画と同様に、最近ではドラマ『Jimmy~アホみたいなホンマの話~』(2018年、NETFLIX)などのプロデュース業も目立つさんまではあるが、依然として“お笑い怪獣”ぶりは健在。『さんタク』も例外ではなく、どうしたらもっと番組が面白くなるか、木村の良さを引き出せるかを常に考えているという。「11月に木村さんは50歳の誕生日を迎え、そして『さんタク』は2023年で放送20周年を迎えるとあって、似つかわしいお祝い企画を期待したいところ。無理を承知で言わせてもらえば、期待したいのが“前人未到”のキムタク家訪問!これはさんまさんにしかできない、尚且つ高視聴率間違いナシの特大企画。誌面も賑やかになります(笑)」(前出・テレビ誌記者)「今日はな、木村ん家に邪魔するで!」たしかに近年まれに見る“キラーコンテンツ”の予感。かつて静香が、2015年放送の音楽番組において自身が撮影したアトリエ、キッチンでの料理風景などの“自宅”を紹介したことがある。ところが、ジャニーズに詳しい芸能ライターによると、「あれは10億円とも目された自慢の木村御殿ではなく、近隣にある静香さんの実家の中だと思います。確かに“自宅”公開ではありましたけども(笑)。でも、最近は静香さんをはじめ、姉妹も含めてインスタグラムに投稿する写真には室内の様子が映り込んでいますが、あれは紛れもなく木村家でしょう。それに昨年4月には、キムタクが中国版ツイッター『weibo』でまさかの夫婦ショットを公開し、今年9月には『TOKIOカケル』(フジテレビ系)で“娘の髪を乾かしている時が愛おしい”と娘トークを“解禁”。自ら“タブー”を破ってきているように見えます」■木村の“セルフプロデュース”か芸能ジャーナリストの佐々木博之氏も「たしかにオープンになってきていると思います」と、ジャニーズのメディアプロモーションの変化を解説する。「ジャニー喜多川さん、メリー喜多川さんが退いてから特に顕著でしたが、SNSやYouTubeが解禁されるにつれてタレントの“自由度”も増しているように見えます。特に木村さんは実質、東山紀之さんに次ぐ事務所“ナンバー2”なわけですからセルフプロデュースも一任されているのかもしれません」ならば、木村家総出でさんまをもてなす「家庭訪問企画」も不可能ではない?「いや、木村さんと静香さんが一緒にテレビに収まるのはさすがにまだ難しいでしょう(苦笑)。それでも外観や室内の大部分をぼやかして、例えばガレージだったり、木村さんの書斎もあると聞きますから、そこにさんまさんを招き入れて絵を撮ったり、それこそ木村さんがカメラマンを務めて2人だけでロケをすれば可能かもしれませんね。そして姿こそ映さなくとも、Cocomiさんなりが“トト〜”と帰宅するシチュエーションを作れば、さんまさんがもう、勝手に姉妹も呼び込んでくれることでしょう。長いこと隠されてきた部分だけに、これは見てみたいですね(笑)」(佐々木氏)是非とも、さんまに尽力していただきたい。
2022年01月01日木村拓哉と明石家さんま明石家さんまと木村拓哉による正月恒例番組『さんタク』(1月1日16時〜フジテレビ系)。’21年は新型コロナウイルスの影響で生放送での放送となったが、’22年は例年通り、収録で放送される。番組が始まったのは’03年。’22年の放送でちょうど20回目となる。毎回、さんまと木村が“やりたいこと”を実現させ、ロケ先やスタジオでの仲睦まじいやりとりが見ものだ。■さんまは“親戚のおじちゃん”!?「さんまさんと木村さんは公私ともに親交深く、家族ぐるみの仲。Cocomiさんが、さんまさんのことを“親戚のおじちゃん”とインスタで紹介していたことも話題になりました。前回の『さんタク』では、さんまさんが草なぎ(剛)さんの結婚話を木村さんに振るという場面がありましたが、あれも2人の信頼関係があってこそ。家族やSMAPメンバーの話題をフランクに本人に振れるのもさんまさんくらいでしょう(笑)」(テレビ局関係者)番組では普段は見られない素顔が見れたり、プライベートな話が聞けるとあって、ファンも嬉しい反面、少し複雑な思いも。「さんまさんだから聞ける話もあるので、あの組み合わせは嬉しいのですが、いつ家族の話が飛び出すかと思うと……。前も番組の中で、奥さんの話をさんまさんがしてましたからね。正直、家族の話は聞きたいような、聞きたくないような(笑)ちょっと複雑です」(SMAPファンのひとり)2人の関係が深すぎるが故にこんな現象も。「毎年、正月はさんまさんが海外に行ってしまうため事前収録でしたが、’21年はコロナで行けなかったこともあり、番組史上初の試みで生放送となりました。いつもはロケをきっちりやって面白いところが詰め込まれているのですが、前回だけは内容がスカスカな感じで、不評でした。というのも、ゲストのみなさんが遠慮してしまって。後輩の亀梨(和也)くんとかも出ていましたが、だいぶ微妙な空気に(笑)。そのくらい、さんまさんと木村さん2人の空気が出来上がっていて呼吸も合っているんですよね。もう2人だけで“間”が持ってしまう」(前・テレビ局関係者)’21 年はさんまプロデュースの映画でCocomiが声優に抜擢されるなど、木村家とさんまの蜜な関係がより顕著に。そんな2人の“馴れ合い”のような関係に敏感になった視聴者も少なくない。ネットニュースのコメント欄にはネガディブな書き込みが目立っていた。■続けていくことに“価値”放送開始から20年ということで、「もう飽きた」「つまらなくなった」といった否定的な意見もチラホラ聞こえ始めるが、「長年やっていると、どうしてもそういう声は出てくるもの。でも、この番組は古き良き、“正月らしさ”を持った番組だと思います」そう話すのは、テレビ解説者でコラムニストの木村隆志さん。年々、スター集結や豪華共演という“正月らしい”番組は減ってきているそうで、「昔は、スターが集まって普段はできないことをゆったりやる、というような正月番組が多かった。でも今はもう、“正月番組”というカテゴリ自体が貴重なんです。最近は『芸能人格付けチェック!』(テレビ朝日系)なんかもそうですが、通常の番組の正月版というようなものが多く、全体的に正月っぽさがなくなってきました。そういう意味で『さんタク』は、お笑いのトップとアイドルのトップ、仲のいい2人がゆったりと自由気ままにロケをして、普段とは違う顔も見られる。何よりも年に1回しか見られない特別感。華があって、元日にぴったりな企画だと思います」中には“マンネリ化”や時代遅れを指摘する声もあるが、木村さんは『さんタク』の良さをこう解説する。「最初ほどのインパクトがないのは当たり前で、そこから続けていくことで味わいが出てくる。よく見るとマンネリ化しないようにちゃんと作られています。加齢問題はありますが、ジェンダー問題とか、ハラスメントがあるような番組でもなく、むしろ時代にも合っている。批判も人気の証。この20年を超えたら、そういうのもなくなっていき、続けていくことに価値がついていくんじゃないでしょうか。実際、20年もやっているので、元日は『さんタク』を定番としている人も多い。今やめたり、番組を変えたりするにはもったいない番組です」実際になくなったら「寂しいと思う人はいっぱいいると思いますよ」と木村さん。前出のSMAPファンもこう話す。「冠番組があるいということは、SMAPが戻ってくる場所があるということですから、これからも続けてもらいたいです。前回は番組の中で木村くんが『がんばりましょう』を歌ってくれたのも、すごく嬉しかった。一部からはSMAPの曲だから一人で歌わないでほしい、と嘆いている方たちもいましたが……。ファンとしては、SMAPのときからある番組なので、これからも続いてほしいです」ちなみに、木村は『さんタク』、中居正広は『中居正広のただただ話すダーケ』(テレビ東京)、稲垣吾郎・草なぎ剛・香取慎吾の「新しい地図」は、『7.2 新しい別の窓』(ABEMA)に出演予定で、元日からSMAP全員が出揃うとあってファンは大忙し。「いつの日か、5人で…いや、6人で『さんタク』に出てほしいですね(笑)」(前出のファン)番組がずっと続けば、そんな展開も“きっと夢じゃない”!?
2022年01月01日第46回報知映画賞の表彰式が16日に都内で行われ、各賞の受賞者が登場した。映画『漁港の肉子ちゃん』でアニメ作品賞を受賞した大竹しのぶは「プロデューサーが明石家さんまさんということで、断るわけにはいかないというか、『貸しを作ってやったぜ』みたいな」と会場を笑わせる。さらに大竹は「30年以上前にプライベートのパートナーだった時に、『いつか映画を作りたいんだ』とちらっと言っていて、『そんなことできるわけないのにな』なんて思っていたんですけども、夢が叶えられたことはすごいなと思います」とエピソードを披露。「現場でも本当に細かくて無謀な指示を言って、監督はすごく困ったと思います。アニメーションでは考えられないような、カットとカットの間に『イ〜!』って笑いを入れてくれとか、編集でどうなるんだろうという指示をたくさんして。しかも彼は監督がどういう監督かもわからず、有名な監督さんなんだよと言っても『あ〜そうなんや』って、そういう運の強さを持っているのかなと思いました」と明かす。大竹はプロデューサーの明石家について「今回の賞をいただけて、『なんか言うことはない?』って一応聞いてきました。そしたら『明日から報知新聞をとる』ということと、『とにかく俺を褒めてくれ』ということだったので、夢を叶えたということでは褒めてあげようと思います。なんか、ちょっと微妙な関係なのですいません」と苦笑。「こういう状況の中でこのような賞を、そしてこういう祝賀会を開いてくださるというのは作り手側にとっては大きな励みになると思います。大変だと思いますけど、どうぞ頑張ってください。私たちも現場で頑張りたいと思います」と改めて感謝の言葉を述べた。○第46回報知映画賞 受賞・登壇者一覧作品賞・邦画部門:『護られなかった者たちへ』アミューズ 筒井竜平、松竹 福島大輔作品賞・海外部門:『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』東宝東和 代表取締役社長 山崎敏 花束ゲスト:田中誠アニメ作品賞:『漁港の肉子ちゃん』渡辺歩監督、大竹しのぶ主演男優賞:木村拓哉(欠席)『マスカレード・ナイト』主演女優賞:永野芽郁『地獄の花園』『そして、バトンは渡された』 花束ゲスト:田中圭助演男優賞:鈴木亮平 『孤狼の血 LEVEL2』 花束ゲスト:東映 紀伊宗之プロデューサー助演女優賞:寺島しのぶ 『ヤクザと家族 The Family』『キネマの神様』『空白』 花束ゲスト:寺嶋眞秀監督賞:前田哲『そして、バトンは渡された』『老後の資金がありません!』花束ゲスト:市村正親新人賞:片山友希 『茜色に焼かれる』サプライズゲスト:立川志の輔新人賞:Fukase『キャラクター』サプライズゲスト:中村獅童新人賞:堀貴秀監督 『JUNK』 花束ゲスト:ギャガ 代表取締役 社長 CEO 依田巽特別賞:岡田裕介(代理受賞者 高木美也子)
2021年12月16日明石家さんまが企画・プロデュースした劇場アニメ映画『漁港の肉子ちゃん』が、第46回報知映画賞 アニメ作品賞を受賞したことが1日、発表された。さんまが直木賞作家・西加奈子氏の小説に惚れ込み企画・プロデュースした本作は、漁港の船に住む訳あり母娘・肉子ちゃんとキクコが紡ぐハートフルコメディ。『ドラえもんのび太の恐竜2006』(06)、『海獣の子供』(19)の渡辺歩氏が監督を務め、STUDIO4℃がアニメーション制作を手がけた。また、肉子ちゃんの声を大竹しのぶ、娘・キクコの声を声優初挑戦のCocomiが演じた。このたび、本作が第46回報知映画賞 アニメ作品賞を受賞。『えんとつ町のプペル』『シン・エヴァンゲリオン 劇場版』『竜とそばかすの姫』他、11作品がノミネートされた中での受賞となった。今回の受賞を受けて、明石家さんま、渡辺歩監督がコメントを寄せた。○■明石家さんまこの受賞は、完全にスタジオ4℃さん、渡辺監督の力です。アシストしただけで、もう俺の物じゃないんで。有難いことです。憧れていた報知映画賞、どうしても欲しかったので、頑張った甲斐がありました。今日から報知新聞取るようにします。○■渡辺歩監督この映画を作れてよかった。報知映画賞アニメ作品賞受賞の報を受け最初にそう思いました。数あるタイトルの中から本作を見つけて下さり、審査いただけた事に感動しております。思えば本作はとある親子のささやかな生活をささやかに描く本当にささやかな物語でして、ややもするとアニメ映画になりにくいものかもしれません。「ターゲットとかそう言うのはええねん。作る側が面白いと思う事が大切」そう言ったプロデューサーは実は誰よりも時代を見据え、それを大づかみにした上で自身のフィルターを通しプライドをかけて全力でお客さんを喜ばせる。シンプルに見えて、実は奥深い。奥深く見えて、実はシンプル。「アニメ化」のアイデアは流行への安易な迎合でなく、深く鋭い表現者の嗅覚なのだとプロジェクトが動き出してすぐに気付かされました。はたして完成した映画はその期待に応え得ているのだろうか…?はたまた観客にとって優しい映画となれたろうか?心温まると感じてもらえたろうか?心のおもむくままに笑ったり涙してもらえただろうか?私たち送り出す側ができるのは心を込めて作ることだけで、その答えを持ってはいないのです。この受賞は大切な答えのひとつです。私たちスタッフにとってこの上ない喜びです。このささやかな映画を作れて本当に本当に良かったです!ありがとうございました!(C)西加奈子/幻冬舎 (C)2021「漁港の肉子ちゃん」製作委員会
2021年12月01日明石家さんまが企画プロデュースをしたアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』が、北米でも公開されることになった。来年初めの公開が予定されているという。配給会社はニューヨークを拠点にするGKIDS。海外のアニメを専門とするこの会社は、過去に『風立ちぬ』『未来のミライ』『天気の子』『きみと、波に乗れたら』などを北米で公開してきた。来年1月に公開される『竜とそばかすの姫』のためには、積極的なアワードキャンペーンも行っている。文=猿渡由紀
2021年11月24日「炎上さすようにさすようにって、かわいそうな。こちらサイドから言うとね」こう話したのは、明石家さんま(66)。フリーアナウンサー・徳光和夫(80)の発言で“渦中の人”となったさんまは、11月13日放送の『ヤングタウン土曜日』(毎日放送ラジオ)で徳光を擁護した。さかのぼること10月30日、YouTubeにアップされた浅草キッド・水道橋博士(59)と徳光の対談動画で話題に上がったさんま。その際、徳光が“明石家さんまは年齢の衰えを知らない”ことを「まだ、AKBの1人や2人は妊娠させられますよ」と真面目な顔で表現したのだ。発言はもとより、AKB48グループの選抜総選挙で9回も司会も務めた徳光だけに、そのセクハラ発言は問題視されることに。しかし徳光の次男・正行(49)は『週刊女性PRIME』のインタビューで「たかがYouTubeでの発言じゃないですか」と父を擁護。するとネットでは《いつからYouTubeは何を言っても何をしても許されるようになったんですか?》などの声が上がり、火に油を注ぐ事態となった。そんななか、『ヤングタウン』のリスナーからのメッセージに答える形で徳光の発言に触れたさんま。そして、冒頭のように話した。続けてさんまは「昔は大丈夫やったんですよ。これぐらいのことを言っても。それが大炎上になるっていうことで」といい、テレビ業界が困っているなどと明かした。「徳光さんのやつも、テレビじゃないんやろ?YouTubeでこうなんやろ?もうちょっと、ほんとにかわいそう」といい、「『面白くなくなるぞ、お前ら』と言いたい」と語った。■「昔はOKだった」理論やめません?この日、番組のアシスタントを務めていたのは元モーニング娘。の飯窪春菜(27)。そしてゲストは、つばきファクトリーの山岸理子(22)だった。若い女性たちを前にして、「時代のせいで炎上した」と徳光を擁護したさんまだったがーー。ネットでは、厳しい声がこう上がっている。《昔も聞いてる方は嫌だったよ 言ってもOKな時代だったのではなく、不快を言えなかった時代です》《指摘する手段が乏しかっただけだろ。面白くなくなるっていうけど、面白さのために他人を利用することは許されないって話だよ》《昔はOKだったからといって、当時も傷ついていた人はいただろうし、誰かを傷つけて笑いを取るとか小馬鹿にして物を言うというのは、やはり正しいことではないよ》《もういい加減「昔はOKだった」理論やめません?あと、「笑いのためなら何してもOK」理論もやめてほしい》《昔は大丈夫だったや面白くなくなるぞというのは男性側の意見である》14日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)で武田鉄矢(72)も徳光の発言に対して「こんなことは言いますね、年取ると」といい、「70を超えますと性から遠くなりますから、自分が。ですから、性をちょっと茶化して発言したくなるんですよ」と擁護していた。「時代のせい、年のせい」と、徳光を庇うさんまと武田。しかし、彼らはAKB48に所属する女性たちの気持ちを想像しないのだろうか?
2021年11月15日徳光和夫フリーアナウンサーの徳光和夫が80歳にして大炎上している。《今、80になったんですけども、記憶とか思い出が1日に3つか4つか消えていくんですよ》10月30日に配信された「浅草キッド」水道橋博士のYouTubeチャンネル『水道橋博士の異常な対談』に、ゲスト出演した徳光和夫。すっかり歳をとったということか、のっけから自虐トークを繰り広げて場を笑わせていた。「博士のことをずっと“御茶ノ水博士”と間違えて呼んでいたことや、長嶋茂雄さんや美空ひばりさんとの交流やエピソードを披露したりと、まだまだ“しゃべり手”として健在の様子。その後も絶好調の徳光さんでしたが、明石家さんま師匠の話題に移った時に問題が起きました。かつて“さんまさんのお笑いがよく理解できなかった”として、“共演NG説”の真相などを明かしていった徳光さん。それでも最後には“本当にすごい”と持ち上げると、博士も同調して“さんまさんは年齢の衰えを知らない”と」(ネットニュース・ライター)これに《この間、(さんまさんに)お目にかかった時も本当に若々しかったですね。まだ、AKBの1人や2人は妊娠させられますよ》と、表情を変えることなく淡々と言ってのけた徳光。手を叩いて笑うそぶりを見せた博士ではあったが、ここでカットが入って次の話題に切り替わったのだった。この発言がネット上に広がると、“完全にセクハラ”“気持ち悪い”“女性をなんだと思っているのか”などと間も無く炎上。「これは言い訳できない」と首を捻るのはベテラン芸能リポーターだ。「トクさんとしては、さんまさんがまだまだ“衰え知らずの現役”であることを例えたのでしょうが、“妊娠させられる”発言はマズすぎる。本人は悪気はないのでしょうが、というよりも何が悪いのかわかっていないのかもしれません。80歳という高齢だけに思考力の低下も考えられますが、それはあまり関係なさそう。なぜなら昔から失言グセがあり、こと巨人と女性に関しては固定観念が強いように思えるんですよ」■オリンピアンにもセクハラ発言2021年8月に放送された日本テレビ系『24時間テレビ』でも、番組サポーターとして進行を助けた徳光による不用意な発言が物議を醸した。東京五輪のレスリング女子50キロ級で金メダルを獲得した須崎優衣選手が、ゲストとしてステージに上がった時のこと。この時、22歳の須崎選手は「10年後の自分へ」という手紙を読み上げたのだがーー。「彼女に“32歳でも十分に第一線で戦えている”とトクさん。ここまではよかった。ところが、続けて“結婚してお子さんが誕生したら、あなたのレスリングや生き方を教えてあげてください”と熱っぽく語ったのです。“ありがとうございます”と返していた須崎選手ですが、女性に結婚や出産を問うのは近年ではセクハラと捉えかねない発言。それこそ元五輪組織委員会会長の森喜朗氏の“女性軽視発言”や、河村たかし名古屋市長の“金メダルかじり騒動”があったばかりなのに、トクさんも時代に取り残されたままで、認識をアップデートできていないのでしょう」(前出・芸能リポーター)一方で、件の炎上発言ではわざわざ「AKB」を名指ししてみせたわけだが、芸能プロマネージャーは「これは徳光さんは“褒め言葉”のつもり」と話す。「決してフォローするわけではありませんが、『AKB総選挙』で8年にわたって司会を務めた徳光さんの中では、他意なく“AKBが今もトップアイドル”として認識されているんですよ。実際、よく使うのが“AKBよりかわいいね”という褒め言葉なんですが、もちろん、彼にとっての最上級の言葉ですよ。ただ、それも言われた側にとってはセクハラとも受け取られかねないのが現状。いずれにせよ、これはもう周囲の人間が止めるべきで、なぜ問題部分が“カット”されずにGOサインが出たのか」最も“セクハラ被害”にあったのは、名前を出されたさんまだろう。
2021年11月05日女優の前田敦子が13日、都内で行われた初のフォトエッセイ『明け方の空』の刊行記念イベントに出席。元夫で俳優の勝地涼との関係について語った。同書は、2012年8月にAKB48を卒業してから約10年、30歳を迎えた前田のワーキングママとしての今を伝える一冊。女優としての活動や事務所からの独立といった仕事面をはじめ、結婚・出産を経てシングルマザーとして奮闘する子育て、自身の世界観などプライベートについてつづっている。勝地のこともつづっているが、「本当に仲が良くて」と現在の関係について言及。「向こうは今、舞台稽古の真っ最中なので、2週間に1回くらい休みがあるときはいつも連絡くれます。そのときにタイミングが合えば3人で出かけたり、ご飯を食べたり、すごい仲良しなお友達みたいな感じです」と説明した。また、明石家さんまと大竹しのぶのような関係になったら面白いという声を聞いて、「理想なお二人だね」と勝地と話したという。「家族になったのでそれはずっとだと思う。大切な存在という意味では。だから、お互いの話は何でも、楽しい話だったら全然してもらってうれしい」と笑顔で話した。改めて勝地はどういう存在なのか聞かれると、「お互い同じくらい子供が大好きなので、親バカであり親友であり、子供がすごい『パパに会いたい』ってずっと言っているので、人としてもすごくいい人ですね」と答えた。
2021年10月13日間寛平撮影/伊藤和幸キャバレーのボーイ、タイル店の見習い、白タク運転手……友人の誘いに二つ返事であっさり乗って職業を転々としてきた。あれよあれよという間に芸人となり、地でいくギャグに目覚めた間寛平。6300万円の借金を抱えた騒動も、周囲の力を借りて上手に甘えながら、乗り越えてきた。芸能生活51年目、いまだチャレンジを続けるレジェンド芸人のあまえんぼう人生とは──。■記念ツアーには明石家さんまも登場6月6日。東京千代田区有楽町のビルにある「よみうりホール」で、『間寛平芸能生活50周年(+1)ツアー〜いくつになってもあまえんぼう〜』の公演が始まった。前半のゲストコーナーには、かまいたち、千鳥、次長課長、中川家などいくつものレギュラー番組を抱える超売れっ子芸人たちが次々と登場。楽屋で出番を控える大先輩・間寛平をいじり倒し、会場を温めるひと幕もあった。そして、いよいよ本日のメイン、吉本新喜劇の舞台の幕が開いた。うどん屋を舞台に店の従業員たちと入れ替わり立ち替わり現れる客や闖入(ちんにゅう)者がドタバタを繰り広げる喜劇。内場勝則、辻本茂雄、池乃めだかなど吉本新喜劇の座長経験者が脇を固め、ジミー大西、村上ショージなどおなじみの顔ぶれも舞台を賑わせる。遠くからバタンバタンと激しい音が聞こえると思ったら、はげ頭に着物姿の老人、座長である間寛平(72)が、杖を四方八方に振り回し、床や椅子を叩きながら登場。「最強ジジイ」と呼ばれる寛平の定番キャラである。とぼけた風体のド派手な登場で客席は一気に笑いに包まれた。そして、舞台も中盤に差し掛かったころ、「きゃー!」という歓声が沸き起こった。サプライズゲスト、着物姿の明石家さんまの登場だ。舞台中央でさんまが両手を動かすと、客席からは一糸乱れぬ手拍子がチャッチャッチャ、最後はおなじみのポーズで決めた。それからはさんまの独壇場である。ジミー大西、村上ショージ、そして寛平を相手にむちゃ振りに次ぐむちゃ振り。最初はギャグで返していた寛平も、さんまの執拗なたたみ掛けに、スベりにスベり、絶句してただ呆然。すると、場内の笑いは爆笑へと変わり、大変な盛り上がりとなった。舞台の冒頭、寛平は浪曲の節回しで自身の半生をこう唄ってみせた。「我の底力1割、9割皆のおかげです。ゴールまであと何kmかわかりませんが、皆さん、これからも支えてください。私はいくつになってもあまえんぼう」■東京のキャバレーで失望間寛平(本名=間重美)は、高知県宿毛(すくも)市に生まれ、12歳のときに家族で大阪市住之江区に転居した。高校では野球部の万年補欠。卒業後は、歌手を目指して東京へ。石原裕次郎、小林旭、宍戸錠に憧れていた。「笑われるかもしれんけど、日活映画を見ていた僕は、東京のキャバレーに行けば小林旭や裕次郎に会えると本気で思っていたんですわ」大阪のキャバレーには、スペシャルゲストとして小林旭や裕次郎が実際に来ていたし、マヒナスターズやロス・プリモスもおなじみだった。「信じて疑わなかったね。キャバレーで有名な歌手と知り合いになって、『付き人にしてください』と頼めば歌手デビューできると思ったんや」向かった先は、日暮里の『スター東京』というキャバレー。その店で中学時代の同級生が何人か集まり、ボーイとして働いていた。7人で8畳間に雑魚寝し、寛平のボーイ生活が始まった。しかし、待てど暮らせど、寛平の働くキャバレーには、裕次郎も小林旭も美空ひばりもやってはこなかった──。時は、1970年の大阪万博直前。大阪は、博覧会の準備や工事で賑わっていた。「大阪にいる中学時代の同級生から『ダンプの運転手が足らんのやけど、うちの会社で働いてくれへんか』と電話があった。わかった言うて、すぐ大阪に帰ったんですわ」東京にいても歌手にはなれない。さすがに現実に気づき、あっさりと軌道修正したのだ。「こういうときには、逆らわずに流れに任せるとうまくいくと思ってた。事件は起きるけど、うまいことなる、とね。キャバレーでの失望もあってすぐ話に乗りましたよ」ダンプの仕事はめちゃくちゃ忙しかった。運んだのは工事現場の残土。しかし万博が開催されるとお払い箱に。先行きを案じていると、今度は別の同級生と再会する。「そいつは、中学を出てから大工の見習いをしていた。話を聞いて大工の仕事がすごく羨ましくなったんですわ。家を建てる仕事は一生なくならんし。それで考えた末に、タイル屋に弟子入りすることにしたんですね」タイルは1枚貼るごとに単価を支払われる。その当時でも1日1万円くらいにはなるなかなかおいしい商売だった。「ところが、きれいに貼ったつもりのタイルが、30分もするとパタリパタリと落ちてくる(笑)。技術もないし、あれは接着剤の配合が難しいんやね。半年間頑張ったけど、一生懸命貼れども貼れども僕の貼ったタイルはパタパタと落ちてしまうだけ。しばらくして仕事に行かなくなりました」その後、母親に泣きついて買ってもらったクラウンの中古車でたまたま競艇場に向かう人を乗せてあげたのをきっかけに、白タク稼業を始めた。「こんなボロい商売ないで」と喜んでいたのもつかの間、寛平のクラウンは大型トラックに追突され、ケガをして入院。ムチ打ちで10日間の入院を余儀なくされた。入院中の楽しみといえば、テレビとラジオだけ。横山やすしと西川きよし、桂三枝、笑福亭仁鶴など、「吉本」という会社の芸人がいろいろ出てきて、本当に腹の底から笑わせてくれた。(好きなことを言えて仕事になるのはええなぁ)そんなところに、同級生が見舞いにやってきた。「俺、こんなんやってみたいんやけど」寛平がテレビを指差してつぶやくと、「ほな、俺紹介したろか?」と言う。聞くと彼がバイトしているディスコに吉本の芸人がよく来るらしいのだ。退院後、さっそく友人を訪ね、ディスコの支配人に劇場を紹介してもらった。その劇場とは鳳啓助・京唄子、海原千里・万里(上沼恵美子のコンビ)、桂ざこばなどが出演していた千日劇場だった。そこに所属する『すっとんトリオ』というお笑いグループに弟子入りさせてもらったのだ。ところが早々にメンバーの1人が言った。「コメディアンは、ストリップ劇場から叩き上げなあかん。そこで勉強してきな」寛平は、通天閣のジャンジャン通りにあった「温泉劇場」というストリップ劇場に放り込まれたのだった。■飛んできたものは投げ返すストリップ劇場は、セクシーな踊り子さんを見にくる場所である。誰もコント、それも男の芸など見向きもしない。一方でその逆境からのし上がることができれば、実力が認められたといえる。ヤジを飛ばしながらパン屑や吸い殻などの物を投げつける観客たちを相手に寛平は芸を続けた。そしてしまいには頭にきて、投げつけてきた物を客席に投げ返してやった。高校時代の野球部の腕がものを言ったのか、そのコントロールのよさが評判となり、寛平はいつしか「ジャンジャン通りの若」という愛称で呼ばれる人気者になっていた。「そこで1年やりました。高校を卒業していろいろな職業についてはみたものの、これほど長く続いたのは初めて。この仕事が自分の性に合っていると思いましたね」一方で、酔いどれ客を相手にするだけでは満足がいかないようにもなっていた。子どもやおばちゃんを楽しませる仕事をしてみたい──。寛平は、以前見舞いに来てくれた同級生にそんな悩みを打ち明けてみた。すると彼は、「今バイトしている喫茶店に吉本興業のえらい人がよく来るんや。ママと知り合いらしいからママに言うとくわ」友人がバイトする喫茶店で、吉本興業の部長、そして新喜劇の台本を書いている作家先生を紹介され、あれよあれよという間に面談に至り、晴れて吉本に合格。1970年10月10日、寛平は吉本の研修生となったのだ。■師匠を激怒させた付き人時代研修生は、舞台にも上がるが最初のうちはもっぱら雑用係である。幕を上げたり下げたり、先輩の衣装をたたんだり着せたり、靴を磨いたり、化粧前(役者が化粧をする鏡台)の道具を洗ったり、先輩の役者さんの食事を運んだりと目が回るほどの忙しさだった。「よう動く、あんな動くやつはいてない」程なくして寛平の働きぶりに推薦の声が上がり、吉本新喜劇を代表するスター花紀京さんの付き人に抜擢される。あるとき、お使いを頼まれた寛平は、ついでになぜかアメ玉の首飾りを買い、首からぶら下げていた。「付き人は舞台が暗転したら懐中電灯を持って師匠を袖に連れていくのが大事な役目。暗転直前、ぶら下げた首飾りからアメ玉を師匠に渡して、『よろしくお願いします』と頭を下げたんやね。そしたら、師匠は『……こ、こんな腐ったもん食えるか!』と怒っちゃった。で、実際に暗転になって懐中電灯持って迎えにいって、『こっちですよ、こっち』と懐中電灯を師匠の顔に当てながら言ったら、『眩しいやろ、下や下を照らせ!』って。その様子が客席にバレバレで大爆笑となって、師匠は真っ赤になって怒ってはった」結局、失敗の連続により半年でクビ。再び幕引きに逆戻り。舞台にはちょい役で出させてもらう日々が続く。そこに現れたのが、新人の木村進さん。大阪では有名な役者「博多淡海」の息子だった。幼いころから父親の芸に触れ、稽古を重ねてきただけに芸も達者で、吉本での扱いも違っていた。1歳年下の木村さんとはウマが合った。お互い酒好きでよく杯を酌み交わし、彼は寛平の芸を褒めてくれた。「寛平兄さんは面白い。兄さんのボケの味をわからん芸人は失格やと思います。僕を一緒にやらせてください」木村さんが会社にもそう進言してくれたらしく、寛平さんと木村さんのコンビで売り出すことになった。入団から4年目、24歳にして寛平は木村さんとともに吉本新喜劇の座長へと正式昇格したのであった。座長ともなれば、台本の書き換えから演出にまで口を出す。しかし、経験の浅い寛平は、台本を直すことも芝居を直すこともできない。そこで、素直に座員である先輩たちにお願いした。「わからんものは直せへん。よろしゅうたのんます。自分のできることは目いっぱいやらせてもらいますんで」見栄を張ることもなく、素直に甘えてきた年下の座長に、先輩たちは「わかった。任しといてえな」とセリフや芝居を直し、盛り上げてくれたのだ。「おっさーん、アホかアホかアホか、オッサーン!」客席にいる面白い顔をしたおっさんを指してこんなギャグを飛ばすと、子どもたちがキャッキャッと腹を抱えて笑ってくれるようになった。このとき、寛平は計算をすることもなく、地でいくギャグで勝負することを決める。「やっと俺の生きる道を見つけることができた!」と思えた瞬間だった。■“出待ち”していた女子高生と1976年、寛平にある出会いが訪れた。朝日放送の『あっちこっち丁稚』というコントバラエティー番組のレギュラーとなり、リハーサル室にいたときのことだ。部屋の隅に目をやると、見覚えのある女の子がいた。7、8年前、楽屋出口で「出待ち」をして自分を見つめていたあの子だった。聞くと、彼女は児童劇団にいて人形劇をやっていたのだが、吉本の関係者にスカウトされ、「ちょっとした役があるから」と言われてやってきたらしい。「なんでこんな世界に入ってきたんや?」と聞いたら、「もう吉本入ったんです」と言う。「そこからですわ。劇団は終わるのが遅いでしょ?夜11時くらいになる。『君、家どこやねん?』と聞くと『兵庫県の宝塚です』『じゃあ、送っていこか?』となって僕の車で彼女の家まで送っていくようになったんですね」後に寛平の妻になる光代さんは、まだ17歳。高校を出たばかりだった。その当時、新喜劇の舞台と稽古で大忙しだった寛平は、実家には帰らず、劇場に近いラブホテルを住居にしていた。「坂田利夫さん(アホの坂田で有名)と、もう1人の先輩とそのホテルに泊まってました。まあ寮みたいな感覚ですね。彼女を送ってからそこに帰るような生活でした」朝、寛平が楽屋の自分の化粧前に座ると、光代さんが作ってくれたお弁当が置かれるようになっていた。ある夜の仕事帰り。ひとりで車を運転していた寛平は、カーブでハンドルを切り損ねて道路の脇にぶつけ、歩道に乗り上げる事故を起こしてしまう。頭を打ったらしく顔中血だらけだった。救急車で病院へ。そして病院から向かった先は、ときどき泊めてもらうこともあった光代さんの実家だった。それからというもの、寛平は光代さんの家に帰ることが当たり前のようになり、彼女との結婚を考えるようになる。「付き合いだして2年くらい、彼女が二十歳になったころですね。会社も僕にしっかりしてもらうために結婚させたがっていました。お母さんも反対はしなかったですね。ちょっとずつラブホテルにあった荷物を彼女の実家に運んでいってね。そしたら見かねたお母さんがファンシーケースを買ってくれましたよ」1978年、2人は入籍。天王寺の式場で劇団員全員が集まり2人の門出を祝福した。寛平28歳、光代さん20歳。光代さんは吉本を辞め、芸人・間寛平を支える妻として奔走することになる。■借金地獄と大爆笑裁判その後、新喜劇の座長として活躍するだけでなく、レコード『ひらけ!チューリップ』で歌手デビューし、100万枚の大ヒットを記録し一躍有名になった。テレビ出演も増え、芸能界のスター街道をまっしぐらに突き進むかに見えた。しかし、程なくして先輩芸人や知人など複数の連帯保証人になっていたことがきっかけで、「借金地獄」に陥る。若いころから、流れに身を任せてきた寛平は、「甘え上手」でありながら、甘えられることも多く、断れない性格だったのだ。そんな中、1985年から放送を開始した関西テレビの『今夜はねむれナイト』から誕生したキャラクター「アメママン」が評判となる。寛平は、借金地獄から抜け出す起死回生の一手として、アメママンをモチーフにした「アメマバッジ」を製作し始めた。「グッズ販売で大儲けして借金を完済させようともくろんだんだけど、製作した10万個のほとんどが売れ残ってしまった。さらに借金は膨らみ、6300万円を超える借金を抱えてしまったんですわ」古くから寛平と仕事している池乃めだか(78)は、実は自分も悪いと苦笑する。「寛平ちゃんにアメマバッジ作って売ったらええやん、って言うたのは僕なんですわ。まさか、あんなことになるなんて思いもしませんわ(笑)」バッジの代金を払えない寛平さんを相手に製作業者は裁判を起こした。法廷で裁判官が「アメマとはどういう意味ですか?」とまじめに尋ねたのに対して、寛平さんは「アーメーマー」とギャグを披露。理解できない裁判官が再度尋ねると、再び「アーメーマー」。法廷は爆笑の渦に包まれたのだった。しかしこの「アメマ」、実は偶然生まれたヒットキャラだったと寛平はあっさり明かす。「ある番組で何でもいいから『決め』のひと言を言え、という企画があって、そこから出た言葉なんですよ。関西では赤ん坊をあやすときに、よく『マンマ、マンマ』と言う。それで僕は勢いで『マンマー!!』と叫んだ。子どもがお腹すいたときの声ですね。そしたら番組の司会者が、『何なんですか、そのアメマって?』。まぁ聞き間違いなんやけどね、そこから『アメマ!』になって、盛り上がったんや」池乃めだかによると、寛平の借金取りは劇場まで来ていたという。「新喜劇の幕が下りると、寛平ちゃんは楽屋側とは反対のほうに行く。『どないしたんや?』と聞くと『舞台降りたら借金取りが待ってるから』って。まさかと思ったら、ホンマにおるんで驚きましたわ(笑)」この借金返済生活は、後々まで続いた。返済のとき、乳飲み子を抱えた光代さんが寛平と一緒に行くこともあったらしい。「返済のために街金を回るわけですよ、嫁も一緒に。嫁は相手に『すいません、すいません』と頭を下げながら、腕に抱いた子どもの腕をこっそりつねる。そう、泣かすわけ(笑)。『何とか、今回はこれで許してもらえないでしょうか』って。そしたら、相手は、『わかった、わかった。もういいですから』と。出てくると、嫁は『次、どこ?』って(笑)。たくましいわ、ほんまに」■“お告げ”からマラソン人生へ1989年、37歳になった寛平は、突然新喜劇を退団して東京進出することを思い立つ。時は平成元年。熱病のように日本中が沸いた漫才ブームが過ぎ去り、時代を席巻した関西のお笑い芸人がみな東京を引き上げた後だった。当初は、吉本興業を辞めて東京進出するつもりだったが、東京事務所所長だった木村政雄さんに説得され、東京本社への移籍となった。担当マネージャーとなったのは、後に寛平のマラソン企画のパートナーとなる比企啓之さん(58)。当初、比企さんは寛平が東京で売れるのは難しいと思っていたが、次第に印象が変わったという。「見てたら『あ、この人売れるわ』と直感が働いた。寛平さんと一緒に酒を飲んだりしながら、それは確信に変わったんですね。『笑っていいとも!』に寛平さんが出演したときも、客席はギャグにシーンとしてるけど、タモリさんと僕はゲラゲラ笑っていたんです。いかにスベったかが肝心なんですよ。寛平さんはホームランを打つんですね(笑)」東京行きの5年ほど前のある夜のこと。寛平は自分が必死に長い距離のマラソンを走っている夢を見た。高校時代、野球部でグラウンドを何時間も走らされたことはあったが、本格的にマラソンをすることなど考えたこともなかった。たまたま早起きした朝、試しに走ってみると想像以上に走れることに自分でも驚いた。それから毎日走るようになった。やがて、その噂は吉本興業の関係者にも知られるようになっていく。’86年、テレビのプロデューサーに「ちょっと番組で30kmの青梅マラソンを走ってくれないか」と言われ、二つ返事で引き受けた。「3時間以内に完走したらギャラ倍にしたる」という会社役員の言葉に乗った寛平は、必死でゴールを目指し、2時間26分を記録。見事ギャラを倍にしてみせたのだ。さらに、「ホノルルマラソンで郷ひろみの3時間36分の記録を抜いたら100万円。ついでにギャラも倍」という賭けにも挑戦し、見事3時間13分でこれまた勝利。次第に、ある世界的な大会に目を向けるようになる。「スパルタスロン」という毎年9月にギリシャで開催される、246kmを一気に走破するレースだった。紀元前490年に起こったアテネとペルシャによる「マラトンの戦い」で、アテネ軍の使者がスパルタに援軍を頼むため、246kmを一昼夜で走り抜けたという故事にちなんだ大会だ。寛平は、’88年「スパルタスロン」第6回大会に初参加、しかし141kmでリタイア。続いて’90年第8回大会、191kmで再びリタイア。そして’91年第9回大会で見事35時間4秒のタイムでゴールしたのだった。2回目のスパルタスロンの挑戦は、1時間半のドキュメンタリー番組にまとめて放映された。実は、この寛平の挑戦を番組にしたいと思ったのは、マネージャーの比企さんだった。しかし、寛平だけではなかなか企画が通りにくい。そこで制作会社の「もしも、さんまさんが出てくれるならなぁ」という言葉をそのまま寛平に伝えたのだという。寛平は、さんま本人に直談判し、番組出演を承諾してもらったのだ。比企さんが言う。「制作会社は、もし寛平さんがスタート直後にリタイアしたら番組として成立しないけど、さんまさんがいたらギリシャの旅番組にすればいいと(笑)。スパルタスロンで僕は寛平さんの走りをずっと見ていて、これはドキュメンタリーになると確信した。そこから、24時間マラソンの発想が生まれたんですね」その後、寛平は、’92年に『24時間テレビ』の初代チャリティーマラソン走者に抜擢され、’95年には阪神・淡路大震災の復興支援に感謝の意を表した神戸─東京間約600kmのマラソンを敢行した。■仲間にブチ切れた壮絶レース数多くのマラソンイベントに参加してきた寛平だが、もう2度とやりたくないレースが1つだけあると言う。フランスのアドベンチャーレースの元祖『レイド・ゴロワーズ』だ。レースの舞台は山や川、ジャングル、湖、砂漠、氷河、前人未踏の難所である。直前に渡された地図を頼りに、徒歩、自転車、カヤック、クライミング、乗馬など複数のアウトドア競技をこなしながら、チェックポイントを通過してゴールを目指す。500kmから700km前後の長距離レースはスタートしたらノンストップで、夜間もほぼ不休状態で続けられる。チーム構成は、男女混成の4〜5人が条件だ。1994年の11月、場所はボルネオ。寛平46歳だった。「間寛平チーム」は、現在アドベンチャーレーサーとして知られる田中正人さん(当時26)を隊長に、副隊長は山岳部出身者の21歳、カヤックはアウトドアショップの店員、女性はトライアスロンの選手、そして寛平の5人。「11日間ジャングルの中を突き進む。地図を頼りにウンコだらけの道や川を歩いたり、とんでもない山道を登ったり。もう、過酷にもほどがあるという状況でチームワークはガタガタになる。この穏やかな間寛平がブチ切れるくらいやからね(笑)」多くの大会やレースに参加してきた寛平でさえこのレースはあまりに勝手が違った。体力だけでなく、精神的にも人間関係的にも極限状態に追い込まれていったのだ。レース中、シャツや下着は水で洗って干しながらゴールを目指すが、雨季のせいでなかなか乾かない。川を渡る際には、ルールとしてチームのユニフォームを着ることになっていた。「でも、俺のユニフォームはびしょびしょでまだ着てられへん。そう言うと隊長は『いや、着てください』と。そして21歳の副隊長が『隊長命令に従ってください!』と。それで俺は『何ぃ!』となった。『お前26やろ!お前21やろ!俺46や!なんでお前らに命令されなあかんねん!こんなレースやってられるか!』とブチ切れた。でも、ふと後ろを見ると、女性隊員ともう1人が俺のユニフォームを必死にギューーーッと絞ってる。それを見て、『くそーーーー!貸せ!』と言ってユニフォームをつかんで着て100mくらいある川を渡った。そういうレースなんやね」チームは133時間50分で完走。40チーム中15位で日本人としては初完走だった。「あれは2度と勘弁してほしいね」と寛平は苦笑する。そして──、想像を絶する大きな闘いが、今でも語り継がれる一大プロジェクト「アースマラソン」である。それはマラソンとヨットで地球を一周する壮大な旅だった。2008年12月17日、大阪「なんばグランド花月」をスタート。大阪から千葉、千葉からヨットで太平洋を縦断し、アメリカ大陸へ。そしてヨーロッパへと向かう。途中、2010年1月トルコ・イスタンブールで寛平が前立腺がんを発症していることが判明。治療を行いながら、続行することにしたが、サンフランシスコで放射線治療を行うために一時中断。同年6月トルクメニスタンで再開した。ウズベキスタン、カザフスタンを経て中国・青島から2011年1月4日博多港内の西福岡マリーナに到着。1月21日、大阪城音楽堂にゴールした。2年1か月の月日をかけ、4万1000kmに及ぶ長い旅を完遂させたのだ。ゴールの模様は2時間生放送特番として放映された。ちなみに、番組の締め言葉は会場にいた全員での「アメマ!」であった。■「不思議な才能の持ち主」「ア〜〜メマ!」「かい〜の」「アヘアヘアヘ」「血ぃ吸うたろか!」「脳みそパ〜ン!」など、ほとんど意味のない脱力ギャグで人気を集めた間寛平。本人は「あまえんぼう」ゆえにここまで来れたことを自覚している。「ホンマ、さんまちゃんにはいつも助けてもらってる。ギリシャのスパルタスロンのドキュメンタリーでもそうやし、借金で困ってたときもさんまちゃんの番組に出さしてもろたし、地球一周でがんになったときもサンフランシスコまで見舞いに来てくれたんや、もちろん撮影クルー連れてやけど(笑)」そして、もう1人「あまえんぼう」を許してくれたのが奥さんの光代さんである。「最近、嫁はんに『おい、俺、お前にずいぶん勉強させたよな』と言うたら、『はい。もう2度とやりたくないけど』って笑ってましたわ(笑)」間寛平の面白さとは何か。比企さんは、「時代時代に合った面白さ」だと言う。「今、寛平さんが生まれていたら、ああはならなかったでしょうね。そもそも何のあてもなく、歌手になろうと上京するなんてありえないし(笑)。24歳で新喜劇の座長昇格もありえない。時代が許してくれた人なんです。時代とともに動いてそれがマッチングするすごさ。あの人の性格、世の中の動きが不思議な力でつながっている。アースマラソンだって、リーマンショックの後だったら実現できていない。その時代における直感が結果的にマッチする、不思議な才能の持ち主ですよ。寛平さんだけは戦略を持たずに不可能を可能にしてしまう。もうあんな人は出てこないでしょう」寛平とともに数々のナンセンスギャグを生み出してきた池乃めだかは言う。「寛平ちゃんとは打ち合わせなしで、アドリブでどんなことでもできる。とんでもない返しに吹き出すことも多いんやけど、まだまだ一緒に楽しみたいですね」村上ショージは、「寛平さんはすごい」と言い切る。「借金もすごいけど、マラソンはもっとすごい。がんになって普通なら諦めるところを諦めない。前が見えなくても踏み出すすごさ。ホンマは、地球周ってくるより近所周ってもらったほうが面白かったんやけどね(笑)」寛平とショージさんは、今年の『キングオブコント』に挑戦。ファイナリストには手が届かなかったものの、合計138歳の超ベテランとして会場を盛り上げた。「準決勝は若手と一緒の大部屋楽屋やったけど、ほんまにあいつらすごいなぁ。色々勉強になった。僕自身、本番前足震えましたからね。でも令和になっても鎌倉時代のギャグは結構通用するもんやね。え?意味がわからない?もうええわ」(取材・文/小泉カツミ)こいずみ・かつみノンフィクションライター。社会問題、芸能、エンタメなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』『吉永小百合 私の生き方』がある
2021年09月18日EXITが、9月15日にリリースする初のミニアルバム『GENESIS』の収録曲に明石家さんまが参加していることが発表された。先日EXITの新曲「SUPER STAR」にコーラスとしてMISIAが参加していることが発表されたばかりだが、今回のコラボ曲は「WHAT COLOR?(feat. 明石家さんま)」と題し、EXITから明石家さんまにオファーをする形で実現した。これまで番組共演や吉本興業所属の先輩後輩として親交があったEXITからのオファーに、さんまは二つ返事で快く楽曲への参加を受け入れたとのこと。さんまとは1979年にさんまがCDデビューを果たした際のレコード会社がCBS・ソニーで、芸人としてのみならずアーティストとしてもソニーミュージック所属という共通点のほか、過去にさんまがリリースした楽曲のタイトルに「真っ赤なウソ」「蒼いタメイキ」「YELLOW SUNSHINE」という“色”を主題としたワードが使用されていたこともあり、今回のコラボレーション参加に深い縁を感じる結果となった。都内某スタジオにて行われたレコーディングは、ブースに3人が並ぶ形で和気あいあいとした雰囲気の中でスタートし、現場に現れたさんまは、数年前にEXITからプレゼントされた“SANMA”と書かれたロゴ入りのジャケットを着用。多忙なスケジュールの合間を縫いながらのレコーディングではあったものの、EXITとさんまの息はぴったりで、なんと開始から15分でレコーディングは終了した。また当日はさんまの誕生日間近だったこともあり、EXITからサプライズでケーキが運ばれるシーンもあったという。今回のコラボレーションに対してりんたろー。は「「絶対無理ですよね?」って思いましたが聞いたらいけました!!激やさしパイセンです!!レコーディングスタジオにも風のように現れて、パッとレコーディングして嵐のようにお帰りになっていきました!!これこそスターだと思わされました!!マジでありがとうございます!!」と語り、兼近大樹は「シーフードパイセンとは番組で沢山フューチャリングさせて頂いてましたが、まさか曲の方でも出来ると思っていなくて迸る喜びでした。競走馬で「シーフードパイセン」という馬がいて、これからは敬意を込めて、あの馬に全ベットしていきたいです。」と感謝の意を表している。<リリース情報>EXIT ミニアルバム『GENESIS』2021年9月15日(水) リリース●初回生産限定盤(CD+PHOTO BOOK):2,400円EXIT ミニアルバム『GENESIS』初回生産限定盤ジャケット●通常盤(CD):2,000円EXIT ミニアルバム『GENESIS』通常盤ジャケット【収録曲】1. なぁ人類2. SUPER STAR3. WHAT COLOR?(feat. 明石家さんま)4. PEN PEN PEN5. バナナナナバ6. ONE CHANCE7. サヨナラ DAY DREAMEXIT『GENESIS』全曲視聴動画EXIT「SUPER STAR」MV「SUPER STAR」先行配信URL: 『GENESIS』特設サイト:関連リンクEXIT 公式アーティストページ: 公式ファンクラブサイト:
2021年09月07日(左から)明石家さんま、松本人志、浜田雅功、ビートたけし2021年上半期テレビ番組出演本数ランキングでは、設楽統、博多大吉、小峠英二がトップ3となり、お笑い芸人の躍進はとどまるところを知らない。しかし「お笑い番組」が人気独占なのではなく、さまざまなジャンルの番組に芸人が出演しているので目にする機会が多いというのが正直なところ。過去に目を向けてみると、お笑い番組がテレビ業界を席巻していた時代には、みんなが見ていた「おばけ番組」が存在していた。そこで今回は30代以上の男女1000人に、今も印象に残っているお笑い番組についてアンケートを実施した!■1000人が答えた「伝説のお笑い番組」結果、栄えある1位はダウンタウンが今田耕司、東野幸治、YOU、篠原涼子らと共演した『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)。「毎週放送がある日曜が楽しみだった。おかんとマーくん、カッパの親子、オジャパメンなどのキャラクターを今でも覚えています」(40代・会社員女性)、「初期には女優の松雪泰子さんが出ていたり、出演者も豪華だった」(50代・会社員男性)当時世界的に活躍していた音楽家の坂本龍一がコント「AHO AHO MAN」に出演したり、シュールで哀しみに満ちた傑作コントと名高い「トカゲのおっさん」に驚いた方も多いのでは?2位はザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系)と熾烈な“土8戦争”を繰り広げた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)がランクイン。『ひょうきん族』は事務所問わずさまざまな芸人が集結してコントやパロディーを展開、台本から逸脱して、さらにはアドリブさえも取り込んで笑いにした。「小学生時代、タケちゃんマンの絵を描いていた」(50代・パート女性)、「ひょうきんベストテンが好きだった」(60代・主婦)「ひょうきん懺悔室が怖かった」(40代・会社員男性)テレビウォッチャーの神無月ららさんも『ひょうきん族』を推すひとり。「漫才ブームで人気も実力も鉄板のビートたけしを筆頭に、ピン芸人の明石家さんまやコント赤信号など、あらゆるお笑いジャンルから『作り込んだコントも、アドリブもきくトップ芸人』ばかり集めたゴールドカードに、当時の子どもたちはドリフからあっさりと寝返りました……(笑)」3位にはお笑い芸人だけでなくアイドルや俳優、ミュージシャン、局アナなど各ジャンルからのゲスト、さらには素人のスタッフまでもが出演した『とんねるずのみなさんのおかげです。』(フジテレビ系)。「当時『仮面ノリダー』の歌を歌えない小学生はいなかった」(60代・教員男性)、「宮沢りえやチェッカーズなどがふざけるのが楽しかった」(40代・主婦)■欽ちゃんはランクインならず実は今回のランキング、なんと8位まではコント中心のお笑い番組。その理由をテレビウォッチャーのくのいちこさんは、「コントには強烈なキャラが登場するので引き込まれて見ているうちに好きになり、いつまでも忘れない思い出になっているのではないでしょうか。当時は親から“教育上よろしくない”と言われたお笑い番組の視聴禁止令がある中、萩本欽一は笑いが上品だからということで『欽ちゃんの週刊欽曜日』は見ていました」と話す。’80年代前半、欽ちゃんは『欽曜日』『欽ドン!良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんのどこまでやるの!』の高視聴率3番組を合わせて「視聴率100%男」と呼ばれるほどの人気を博したが、今回は残念ながらランク外という結果に。「バラエティー色の強い9位の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』以外は、良質なコントを作り続けた番組が上位にランクインしている印象ですね、『ごっつ〜』の“トカゲのおっさん”等の名作コントは、今のコント職人たちにとってもまだ超えられない高い壁ではないでしょうか?全体的にダウンタウンとウッチャンナンチャンが今のお笑い界に与えた影響は計り知れないですね。自分たちがトップを走りつつ、後続の芸人たちをたくさん引き上げた功績も大だと思います」(神無月さん)今現在放送されている番組から伝説は生まれるのだろうか。神無月さんは、「『内村プロデュース』で奇跡の復活を遂げた有吉の看板番組『有吉の壁』(日本テレビ系)は、令和の時代の伝説のお笑い番組になりつつあると思います。今までに挙げた名作お笑い番組に似ているようで全く似ていない、オーディションで毎回出演者が決まるから、弾がなくなる心配がない。そしてメンツがネタを絞り出すから構成作家の色が出すぎない。滑っても全部有吉が面白くしてくれる。有吉の命が尽きるその日まで継続可能、というお化け番組の予感がひしひしとしています」■『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の裏側小学4年生から高校まで放送部で「いずれはテレビ局で働きたい」と思っていたんですが、就職できず、名古屋の出版社で働いていたんです。そのとき『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で放送作家予備校という企画があり、「人生変わるかもしれない!」と思って企画を考えました。番組の感想も添えて毎週送っていたら、ある日突然「来週の火曜、企画会議来られる?」と連絡が!初めて東京へ行ってみたら「じゃあ来週から毎週来てよ」と言われて会社を辞め、持っていた車を売って上京しました。企画会議は毎週30人くらいが集まって、僕は毎回10個くらい企画を出していましたが、最初は全然採用されず。「面白くないよ!」と目の前で破られてゴミ箱へ捨てられたり、「予告編を30秒で書き直せ!」と言われたりしました。怒られる恐怖でテレビ局へ入れないときもあったし、ネタが思い浮かばなくて身体が震えたことも……。メインの作家さんたちは本当にすごい人ばかりで、会議ではアイデアが卓球のラリーのようにポンポン交わされて。僕もなんとか存在感を示そうと「なるほど!」と大きな声を出して相づち打ったり(笑)。ようやく通ったのが「きんさんぎんさんの生命線はどこまで長いのか?」という企画。でもできあがったVTRを見たら、僕の台本よりもはるかに面白いんですよ。高田純次さんがきんさんぎんさんに会いに行って、ひと言も「生命線を見せて」と言わず、手を取って「うわ~すごいツルツルですねぇ~」なんて言いながらカメラに映すんです。台本どおりじゃなくて、それを超えようとしてくる……東京のテレビや芸人さんってすごい、と思わされましたね(ちなみに生命線は手首までありました)。それで初めて自分の名前がテレビに出て「本当に放送作家になった!」と親や地元の友人から連絡がありました。まさか本当になると思ってなかったらしくて。『元気が出るテレビ!!』はそれまでの台本をもとにしたお笑い番組とは全く違う、ロケで面白いもの、とんでもないものを見せるびっくり箱のような、新しい時代を作った番組です。でもひとつだけ約束があってとにかく先輩から言われたのは「誰かを傷つける企画はダメ。面白いかどうかではなく、見る人を元気にするものでないといけない」ということ。これさえ注意すれば企画としては何でもアリ。朝までかかって水風船を千個作って寝ないでロケへ行ったり、海岸でペンキ塗りさせられたり、スタジオで突然前説をやらされたりなどいろいろありました。自分の才能のなさが嫌になって人生でいちばんツラかった時期ですが、企画が採用されるようになると面白くなって、番組が終わるときに出演者とスタッフ全員で集合写真を撮ったのはいい思い出です。僕にとってはさまざまなことを教わった「何でもアリの学校」のような場所でした。PROFILE●野呂エイシロウ(のろ・えいしろう)●’67年生まれ。愛知工業大学卒。出版社勤務などを経て26歳のときに『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の放送作家予備校の公募にて放送作家に転身。『ザ・鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)、『奇跡体験!アンビリバボー』など構成。web「LEON」で絶賛連載中
2021年08月10日「お金を残したところで、ろくなことにならないからやな。娘とか息子に」こう語ったのは明石家さんま(66)。これは7月4日放送の『週刊さんまとマツコ』(TBS系)での発言だ。番組でさんまは自身の死後、金銭を国に寄付する考えを明かし、金銭を残すことで「人生甘くなってやな、変な人間になるのも嫌や」と娘・IMALU(31)への厳しい姿勢を見せていた。彼の発言の背景には、娘の交際相手への複雑な感情があるという。「現在、IMALUさんは6歳年上でミュージシャンのハーフ男性・Aさんと交際中。Aさんの業界での知名度はまだまだ低いですが、母親の大竹しのぶさん(63)も公認の仲だといいます。しかし、娘に安定した収入のある男性と付き合ってほしいさんまさんは『男を見る目ゼロや……』と不満を漏らしていたそうです。今回の発言には、Aさんが義理の息子になって、いずれ自身の財産を渡すことへの抵抗があると思います」(テレビ局関係者)昨年12月、本誌は自宅から仲よく犬の散歩に出かけるIMALUとAさんの姿を目撃。彼女は本誌に堂々と交際宣言をしていた。公の場での父の“相続拒否”発言にIMALUは何を思うのか。7月上旬、仕事終わりの彼女に話を聞くと、「(発言を)ちっとも知りませんでした」とあっけらかんとした様子でこう語った。「父が一生懸命に稼いだお金は、あくまで父のものですから。どう使おうと私には関係ありません。自分が生きていくお金は、自分で稼ぐのが当たり前。だから、元から父の遺産はいらないですよ」さんまも茫然の真っ向から“相続放棄”したIMALU。“父親の助けを借りずにAさんと2人で生きていく”という宣言なのか――。実際、子供の交際相手が理由で財産を残さない親は少なくないという。親子関係カウンセラーの横山真香さんは語る。「財産を相続させるということは愛を伝える行為。楽に稼いだわけではない大金を、いくら子供がかわいいからといってすんなり渡せません。子供の交際相手と相性が悪ければなおさらです。また交際相手が財産を狙っていて、残したら使い込まれるという懸念を抱くケースも。あえて財産を残さないことで、子供を守るという考えなのでしょう。どの親にも共通しているのは、『一生懸命育てたのに、こんな結果に……』という悲しみや喪失感を抱いているということです」Aさんをさんまが気に入ることがあれば、“逆転”の可能性も。「親としては本当は子供に残してあげたい。だから子供のパートナーと仲よくなれれば大喜びで残すと思います」(横山さん)さんまとAさんの関係について笑顔で「本人に聞いてください」と語ってその場を去ったIMALU。果たして、さんまが決断を覆す日はくるのか――。
2021年07月15日お笑いコンビ・ピースの又吉直樹が20日、YouTubeチャンネル『ピース又吉直樹【渦】公式チャンネル』に出演。動画「明石家さんまが後輩にバトンを繋いだ熱い夜…カリスマたちのリーダー論【#33 百の三】」のなかで、明石家さんまの感動秘話を明かした。今から7~8年前、さんまや相方の綾部祐二、平成ノブシコブシ・吉村崇らとカラオケに行ったという又吉は、「誰かが歌い始めるまで、まず1時間半くらい、さんまさんがずっとしゃべってるんですよ。なんか食べたり飲んだりしながら、ずっと面白いことをやって」と回顧。さんまのトークが一段落し、ようやくカラオケが始まるも、「僕が(吉田)拓郎さんの歌を歌ったら、さんまさんがすぐ消すみたいなノリがあって。こうやって遊ぶんやって思いながら」と、懐かしそうに振り返った。そんななか、さんまが「お前たちに捧げる」と言いながら、吉田拓郎の「イメージの詩」を歌ってくれたそう。同曲について、「古い船に新しい水夫が乗り込んでくるから、これからは新しい水夫の時代が来るんやって。新しい海に水夫たちが出て行くんやっていうニュアンスの、若者に力を与えるような曲」と説明した又吉は、「そのときは、“60歳で引退する”って公言されてて。本当にそういうときが来るんやと思って……」と、さんまからのメッセージに感激したことを明かした。「若い人たちにこんなことまで言ってくださるんやって感動してたんですけど」と語った又吉だったが、「いまだにバリバリ現役でやってる(笑)」とツッコむ場面も。「古い水夫が古い船の先頭に立って、新しい海に漕ぎ出しまくってるっていう。新しい水夫の方が、先に船を降りたりしてますからね」と苦笑いでジョークを飛ばしつつ、「それがやっぱりカッコいいんですけどね」と、60歳を過ぎてもなお、第一線で活躍し続けるさんまに感服していた。
2021年06月22日Koki,(左)とCocomi「木村姉妹」木村拓哉と工藤静香の次女で、モデルのKoki,に新たなキャリアが追加されそうだ。『呪怨』シリーズなどをヒットさせた清水崇監督の新作ホラー映画『牛首村』で初主演、女優デビューすることが明らかになったのだ。公開日は未定だが、6月11日に公開された明石家さんま企画・プロデュースのアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』で声優デビューした姉のCocomiとともに、“木村姉妹”の勢いは止まりそうにない。「2018年に15歳にしてファッション誌『ELLE』で鮮烈デビューを果たしたKoki,は、ハイブランドのアンバサダーなどを務め、企業CMにも起用されたりとトントン拍子に芸能界でステップアップしています。いまはまだ“キムタクの娘”というバックボーンがあってこそですが、クリエイターにとっては興味を引く素材に映るのでしょう。すでに獲得している“映画賞”に恥じない、女優・Koki,が見られるのではないでしょうか」(広告代理店営業スタッフ)そう、彼女には映画にまつわる受賞歴がある。『ELLE』が独自の視点で選出する『エルシネマアワード2018』において、「エル・ガールライジングスター賞」を獲得したのだ。映画未出演にしての受賞という離れ業にネット上では懐疑的な声も出たのだが、今回の『牛首村』は“リベンジ”の場にもなりそうだ。実はホラー作品は“アイドル・モデルの登竜門”という見向きもある。映画ライターがキャスト事情を明かす。「ホラー作品の根幹となるのはストーリーやビジュアル、サウンドなどの演出面で、恐怖心を煽ることで演技力の拙い演者だとしても見れてしまうもの。周囲にベテラン俳優が配置されたりと、与えられるセリフ回しもそれほど難しいものではないため、アイドルやモデルさんの女優デビューによく与えられる題材と言えます。近年ではAKBグループのアイドルにその傾向が多く、乃木坂46の人気メンバーたちも当初は『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)によく出演していましたね」■静香がホラー映画を選んだ狙いそして、Koki,の“プロデューサー”である静香が、ホラーの巨匠とされる清水監督に目をつけたのもしたたかな戦略がありそうだ。2002年にハリウッドでリメイクされた『ザ・リング』以降、日本のホラー映画は“ジャパニーズ・ホラー”として高く評価される実情がある。清水監督の『呪怨』もまた、2004年に『The Grudge』(英題)としてリメイクし、自らメガホンを取って全米の興行成績でトップに躍り出ると、ハリウッドでも知られる存在となった。映画配給会社幹部は「それこそ静香さんの狙いかも」と代弁する。「『牛首村』は海外進出も見据えて製作されるはずです。それもリメイク版ではなく、Koki,さん主演のオリジナルがヒットすれば、自ずとハリウッド進出への道が開けるというもの。それこそ、ホラー映画で女優デビューの狙いは、本場『アカデミー賞』のレッドカーペットに娘を送り込むことにあるのではないでしょうか」ただ、それでもKoki,は「演技に苦労する」と指摘する向きもある。前出の映画ライターは彼女の“生い立ち”に不安を覚える。「いくら“登竜門”といえども、ジャパニーズ・ホラーには、特に清水監督の作品には独特の間があって、仕草や表情など監督が納得するような細やかな演技ができるかどうか。そして余計なお世話ながら、Koki,さんの英語力はネイティブ並みと聞きます。横文字のセリフを読む際に、ネイティブ発音が出ないか、です(笑)。発音は染み付いて意外と正せないものですからね。まさか“オーマイガッ!”とは言わないでしょうが、日本のホラー映画で主人公がやたらとネイティブ感を出していたら興醒めしますし、作品自体を台無しにしかねない。ならば、設定そのものを帰国子女にしたり、あるいは海外進出を見据えて全編英語にするなんて、“Koki,ありき”の演出を考えているのかも」“何をやってもキムタク”ならぬ、“何をやってもKoki,”になる⁉︎
2021年06月17日明石家さんま、大竹しのぶ「再婚したほうがいい?」明石家さんまがプロデュースしたアニメ映画『漁港の肉子ちゃん』が公開され、話題を集めている。完成披露報告会では、公の場では久しぶりとなる元妻の大竹しのぶとツーショットを見せ、冒頭のようなトークで盛り上げた。「マツコさん、Cocomiさん、人気声優の花江夏樹さんなどが脇を固めています。大竹さんに関しては監督たちから名前が挙がってのオファーだったそうですが、さんまさんも本当に嫌ならOKは出さないでしょう」(スポーツ紙記者)夫婦仲が悪化し、メディアを使って暴露合戦する熊田曜子夫妻のようなケースがある一方で、離婚後も一緒に仕事を続ける夫婦もいる。「2011年に公開された映画『毎日かあさん』では、2004年に離婚した小泉今日子さんと永瀬正敏さんが夫婦役を演じて大きな話題になりました」(映画ライター)共演が発表された際、「いろいろあった私たちだからこそ、できることがあるはずです」とコメントを寄せていた小泉。その言葉どおり、同作品での演技が高く評価されて『第66回毎日映画コンクール』では女優主演賞に輝いた。■面白がってくれるならいい2017年に放送されたドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)では浅丘ルリ子と石坂浩二の元夫婦共演も実現。「浅丘さんは脚本家の倉本聰さんから直々のオファーを受けて出演したそうです。ふたりと仲がいい倉本さんの脚本だけに、“帝国ホテルで豪華に結婚式挙げたじゃない。そのご祝儀返してよ、離婚したんだから”といったふたりの披露宴をイジるセリフがあって話題になりましたね」(テレビ誌編集者)調べてみると意外と多い元夫婦共演。離婚後、元妻のつちやかおりと何度も共演をしている布川敏和は離婚後も共演する理由をこう明かす。「最初にオファーをもらったときは面白いなって。昔からメディアに出るからには楽しんでもらいたいというのが僕のポリシー。視聴者のみなさんが“離婚しているのに共演するの⁉”と驚いたり、面白がってくれるならいいなって。もともと離婚後も会う関係だったし、つちやさんに電話したら“いいんじゃない?”と言われたので即決しました」元夫婦だからこそやりやすい部分も大きいという。「テレビでは気まずそうにすることもありますが、僕らは17歳から交際していて結婚生活も長かったので、本音を言うと全然やりやすいですね。お互い信頼しているから、共演前に“あの話はNG”みたいに打ち合わせすることもないし、多少の暴露話はOK。うちの場合は子どもたちもそういう話をすることに理解があるというのも大きいですね。やっぱり自分がよくても、家族を傷つけてしまってはダメだと思うので」(布川)『探偵さがしのタントくん』に所属する夫婦カウンセラーの中村拓也氏にも話を聞くと、離婚後も一緒に仕事を続けるケースは一般的にもあるという。「円満に離婚に至った元夫婦に再度お話を伺いますと、離婚後も一緒に仕事を続けるケースは一定の割合でございます。そのような方々が営んでいたお仕事はやはり自営が多く、業種では飲食関係や建築・建設関係、不動産関係などが見受けられます。これまでの環境を継続できるというメリットが大きいと思います」女性の社会進出や多様性を認める時代の流れも、離婚後も関係性がいい夫婦が増えている理由だと分析する。「結婚したカップルの3~4組に1組は、離婚を選択する時代。離婚したあとの生き方や、仕事も自由に選べる時代になっています。私の友人の元夫婦もやりたいことを実現するために前向きな離婚を選択され、おふたりとも職を変え、男性は絵本作家に転身。 女性はカフェの経営を始めました。お互いにコラボして商品を開発。離婚後もビジネス上では良好な関係を築いていますよ」(中村氏)■信頼できる相手だからオファーをさんまとしのぶの共演も「関係性のよさがあってこそ」と布川も語る。「『さんま御殿』などでさんまさんと仕事をすると、“元サヤに戻れ!”と言われるんですが、僕からするとさんまさんこそ元サヤに戻ったほうがいいんじゃないの?と思うぐらい仲よしですよね。さんまさんにとってアニメ映画のプロデュースは挑戦になると思うので、そんな作品で大竹さんに依頼したというのは、それだけ信頼できる相手だからだと思います。さんまさんの性格的に、周りから提案されても自分が信頼していなかったら頼まないと思うので」永瀬正敏もウェブメディアのインタビューで、《ある時期を一緒に過ごした人だから“はじめまして”って会って、“どういう人なのかな?”と勘ぐり合いながら入っていくのとは違いますね。でも、何より一緒に現場に立ってみて、彼女は女優として素晴らしいんですよ》と共演相手としてやりやすかったと語っていた。また、いったん距離を置いたことで関係性がよくなるケースも。「冷静かつ客観的に見つめ直すことで、お互いのいい部分に焦点があたり、関係性が良好になるのだと思います。驚かれる方もいるかと思いますが、離婚後に関係性がよくなった元夫婦の中には“離婚後に新しいパートナーがいても、特に気にしない”という方も多いんですよ」(中村氏)■元夫婦共演は関係良好という証一方、布川は新しいパートナーがいないからこそ良好な関係が保てているのかも……と複雑な思いを明かす。「つちやさんに“彼女をつくれば?”と言われるけど、つくる気が起こらないんですよね。再婚したり、彼女ができたら、今までどおりつちやさんに会うのを新しいパートナーが嫌がると思うので、また関係性が変わってくるかも。子どもや孫もいるから切っても切れない仲なので、そこは難しいですね。僕は家族が住んでいた家に今も住んでいるので、彼女ができてもこの家には上げたくないかな。だから、もしも彼女ができたら引っ越すと思います」そして自分たちの関係性を踏まえて、こう続けた。「元夫婦で共演している方々は、それだけ関係性が良好という証拠。特にさんまさんや大竹さんなんて、元夫婦という話題性を使わなくても仕事に困っていないわけですから。“離婚してもああなれたらいいな”という新しい形の理想の夫婦像だと思います」離婚したから共演NGなんて、もう古い?
2021年06月16日黒柳徹子「まだ公になっていない話ですが、黒柳さんが以前住んでいた、西麻布の“豪邸”が22億円でひそかに売りに出されているんです」(不動産関係者)今年で御年88歳を迎える黒柳徹子。6月5日に放送された『徹子の部屋45周年スペシャル』(テレビ朝日系)では、明石家さんまを相手に徹子節を炸裂させて笑いを誘った。「会話は脱線しっぱなし。さんまさんがスタッフが出すカンペについて触れると“カンペが出始めたのはここ4~5年ですよ”と黒柳さん。さんまさんは“僕は48年前にデビューしましたけど、そのときからありました!!”と反論するも“それはあなたがダメだから”と黒柳さんに一蹴されていましたよ(笑)」(テレビ誌ライター)とはいえ黒柳は、テレビ草創期から活躍している、いわば歴史の生き証人。’81年刊行の自著『窓ぎわのトットちゃん』は、日本での累計発行部数は800万部を超えるベストセラーに。世界30か国で翻訳され、今も多くの人に読まれ続けている。「爆発的に売れたこの本の印税を、すべて寄付しています。この本をきっかけにユニセフの親善大使に就任し、世界各地を訪問するなど、多方面で活躍。テレビにも引っ張りだこで、’81年から5年連続で高額納税者として長者番付の上位に名を連ねていました」(同・テレビ誌ライター)■一時は借金13億の“不動産好き”’86年には西麻布にある587平米の土地に冒頭の“トットちゃん豪邸”を建てた。「黒柳さんが母親の朝さんと住むために建てた地下1階、地上2階建ての邸宅で、トレーニングルームにプールまでついている。2階に黒柳さんが住み、1階にはフジテレビ系の人気番組『料理の鉄人』に出演していた石鍋裕シェフが経営するフランス料理店がテナントとして入っていました。当時は土地と建物を合わせて10億円とウワサされた物件です」(ワイドショーデスク)’06年に他界した母親と暮らした思い出深い家なのだが、’97年には石鍋シェフに売却している。「六本木や南青山の不動産だけでなく、’94年には中央区佃の高級マンションを約3億円で購入。徹子さんは不動産好きで、その借金は一時13億円とも報じられました。その支払いに首が回らなくなり、売却を決めたようです」(同・前)その後の経緯はというと、「’19年に石鍋シェフが資産運用のコンサル会社に売却。今回、内々で売り出されることになったようです」(前出・不動関係者)時は流れて、所有者も移り代わり、黒柳もともに年月を重ねた。「コロナ自粛を機に少しずつ身辺の整理を始めているそうですよ。遺言状を作成するんだと話していました。その資産総額は10億円ともいわれています」(テレビ局関係者)押し入れから出てきた古い写真を手に取って、豪邸の窓際に佇むトットちゃんの姿を、懐かしんでいるのかも。
2021年06月15日