東京五輪・パラリンピックの開閉会式でクリエイティブディレクターを務める佐々木宏氏が、式典に出演予定だった、お笑いタレントの渡辺直美さんを「ブタに例える演出を関係者に提案した」とニュースサイト『文春オンライン』が報じ、大きな問題になっています。サンケイスポーツによると、佐々木氏は2020年3月、五輪開閉会式の演出メンバーにLINEで、渡辺さんにブタの仮装をさせ『オリンピッグ』として出演させるアイデアを送信。これに対しメンバーの女性が「容姿のことを例えるのは気分がよくない」などと返信し、批判が相次いだため、撤回をしたといいます。この問題で、大会組織委員会の橋本聖子会長は国際オリンピック委員会(IOC)の幹部と対応を協議。佐々木氏は辞任の意向を示しています。田村淳「第三者目線で見て、嫌」2021年3月18日に放送の情報番組『グッとラック!』(TBS系)では、騒動について取り上げ、コメンテーターの意見に反響が寄せられました。渡辺さんと同じ事務所に所属するお笑いコンビ『ロンドンブーツ1号2号』の田村淳さんは、「内部のLINEが流出してしまうところにも、運営側がひとつになっていない感じがある」と発言。また、渡辺さんが事態をどのように受け取とめているのかは「本人に直接聞いていないので気持ちは分からない」としつつも、次のように語りました。第三者目線で見て、「そんなことをいわれたら嫌だろうな」と思いますよ。直美の明るい性格だと、インタビューとかで笑って答えてくれるかもしれないけど、それは本当に彼女の中の気持ちではないと思うから。グッとラック!ーより引用ヴァイオリニストの木嶋真優さんは、報道について「女性蔑視といわれているけれど、これは容姿に対しての蔑視で性別は関係ない」と指摘。さらに起業家でタレントの伊沢拓司さんは、オリンピックという国際的なイベントの演出に、差別表現があったことに対し、苦言を呈していました。人をブタ扱いするというのは、人間の差別の歴史の中で非常によく行われていて、世界的に侮蔑の象徴にあったような表現になりますから、そのあたりの文化的な背景ですら把握できていないというのは悲しいかなというところはありますけどね。受け手のことを考えられていないエンターテイメントになっているのが問題です。グッとラック!ーより引用ネット上では、視聴者からさまざまな声が寄せられています。・「女性蔑視でなく容姿蔑視」って意見に賛成。どちらも最悪だけど。・冗談だから、渡辺さんが芸人だからOKとか、そんな話ではないと思います。国際的なイベントなので。・体型を気にする人たちを励ましてきた渡辺さんは、こんな形で話題になるのは嫌だと思います。容姿をいじることをユーモアとする風潮は、本来許されるものではなく、時代遅れとなりつつあるのかもしれません。世界中の人が集まり、人々の多様性と調和の重要性を呼びかける、オリンピックという場。「誰かが傷付くような演出はしてほしくない」と多くの人が願っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月18日聖火ランナーを辞退した、左から五木ひろし、常盤貴子、斎藤工《聖火ランナーのご依頼をいただきましたが、前述のとおり既に舞台の出演が決まっていたため、お断りさせていただきました》3月1日、所属事務所のHP上であらためて、東京五輪の聖火リレーランナーの辞退を報告した常盤貴子。6月に石川県内を走る予定だったが、当初より5月から6月にかけて舞台出演が決まっていたことを理由とした。3月25日に福島県からスタートする『東京2020オリンピック』聖火リレーまで1か月を切った今、何とも雲行きが怪しくなってきた。ここにきて福井県内を走る予定だった五木ひろし、石川県の常盤、福島県の斎藤工、沖縄県の玉城ティナと芸能人ランナーの辞退が相次いでいる。これにより関係各所が代役を立てるなどの対応に追われているようだ。「やはり森喜朗元会長の“女性蔑視”発言から風向きが変わってきましたね(苦笑)。まずは愛知県のランナーに選ばれていたロンブー・田村淳が、森元会長の発言に“人の気持ちを削ぐ”と難色を示して辞退を表明。さらに自民党の二階俊博幹事長が、ランナー同様に大会ボランティアの辞退が続いていることに対し、“新たに募集するまで”と空気を読めない発言をしたことも拍車をかけたように思えます。これでは聖火ランナーも“代わりはいくらでもいる”と言われた気分にもなりますよ」(スポーツ紙記者)新型コロナウイルスの感染拡大によって医療危機が高まり、日本以上に死者、重症者が出ている世界各国では“それ”どころではない情勢だ。それでも、菅義偉首相をはじめとする与党幹部の面々は頑なに「絶対に開催!」の強行姿勢を崩そうとはしない。■“カドが立つ”のを気にする共同通信が行った世論調査によると「中止すべき」「再延期するべき」といった、開催に反対する意見が8割を占めている。そんな民主主義的に「NO」が突きつけられているだけに、ランナーを「辞退しない」イコール「開催賛成派」と世間に受け止められる恐れもある。芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は「淳さんのように理由を明確に言えるのは例外」として、「以前より、コメンテーターとして政治的発言をしてきた彼ならまだしも、日本ではいまだ芸能人が政治的発言をしたり、物申すことは良しとはされない風潮があるのも事実。なので、政府に対して“カドが立つ”のを気にして、別の理由をつけて断る必要があったと考えられますね」その“理由”として、冒頭の常盤をはじめ、五木や斎藤、玉城が揃って発表したのが「スケジュールの都合」だった。「聖火リレーの話でなくとも、例えば仕事のオファーやプライベートのお誘いがあったときに、別の用件が入っていたり、あまり気乗りしない場合には“すみません、スケジュールの都合で……”と言えば、相手側も“しょうがない”と波風を立てず、機嫌を損なうことなく体良くお断りできる、非常に使い勝手の良い言葉ではありますね」(佐々木氏)もちろん、五輪の開催が1年延期された背景が大前提としてあり、常盤や五木は昨年の時点で断りを入れていたことから、もとより2021年に組まれていたスケジュールが存在していたのだろう。それを優先するのはプロとして当然のことだ。また公開延期になった映画など、昨年に行われる予定だった撮影がずれ込んでしまった可能性もある。これもスケジュールの都合だ。本来ならば、世界的ビッグイベントに関わることができる名誉な仕事で、芸能人ならば頼み込んででもスケジュールを空けていたはず。ところが、反対の声が多数を占める現状では、聖火ランナーはリスクを伴う仕事になってしまったのか。それでも「辞退しない芸能人もいると思います」と前出の佐々木氏。「“辞退できない”と言ったほうが正確でしょうか。個人の考えとしては辞退したくとも、“大人の都合”で辞められないタレントもいるかもしれません。五木さんや常盤さんのような大御所で、しかも歌手や俳優などの“専門職”を本業とする方にとっては、たとえ五輪関係を断っても今後に差し支えはないでしょう。ところが、中堅どころや若手のタレントさんの場合、辞退することでその後の仕事や、所属する事務所にも大きく影響する可能性も考えられるのです」そもそも、五輪に携わることができる背景には、個人の人気や話題性もさることながら、政府筋や東京オリンピック・パラリンピック組織委員会、または広告代理店や関係各所との良好な関係を築いてきた事務所の努力という見向きもある。■“パイプ”をつなげておきたいとある芸能プロダクションのマネージャーは声をひそめる。「聖火ランナーを努めきれば、その後の五輪やパラリンピック関連、はたまた公共的な仕事がおりてくるかもしれない、おいしい仕事でもあるんですよ。これ以上のイメージダウンを避けたい運営や代理店としてはさらなる辞退者を出すことは避けたいわけで、“パイプ”をつなげておきたい事務所は、世論に反してもタレントを辞退させるわけにはいきませんよ。今は各事務所が様子見していると思いますが、仮に大手がこぞってタレントを引けば、その流れに乗って“辞退ドミノ”が起きかねません。でも、正直なところは“辞退する、しない”に関係なく、おのずと開催中止、延期のアナウンスがされることを今かと待つのが、タレントの価値を守る最善策だと思います」3月2日、組織委員会が聖火リレーのルートやタイムスケジュールを公式HP上で発表する一方で、茨城県を走る予定だった渡辺徹がやはり出演舞台との「スケジュールの都合」によって辞退することが明らかになった。現在、芸能人ランナーだけでなく一般ランナーにも辞退者が出ているというが、はたして聖火はつなげられるのだろうか。
2021年03月05日2021年2月28日現在、東京五輪・パラリンピックの聖火ランナーを、複数の著名人が辞退。辞退理由の多くは、「2020年に開催されるはずだったものの、延期となり、スケジュールが合わなくなったため」と公表されています。ロッチ中岡「仕上がってます!!」複数の著名人が聖火ランナーを辞退する中、お笑いコンビ『ロッチ』の中岡創一さんがInstagramを更新。「聖火ランナーをやりたい」と、立候補し話題となっています。その投稿がこちら。 この投稿をInstagramで見る ロッチ中岡(@lottinakaoka)がシェアした投稿 聖火ランナーキャンセルでお困りの皆さん中岡仕上がってます!!人が集まりにくい雪山でも大丈夫です。lottinakaokaーより引用聖火に見立てた棒を持って、雪道を走る中岡さん。確かに、聖火ランナーとして走る準備はできているようです!投稿には続けて、「中岡が走っても人は集まらない」「中岡が仕上がってて喜ぶ人皆無」と自らツッコミを入れていました。しかし、最後には「でもやりたいんやな」と意気込みをコメントしています。投稿には、さまざまな声が寄せられました。・中岡さんに走ってほしいです!本当にあり得るかもね。・さすが、仕上がってますねー!これなら選ばれるでしょう!・笑ってしまいました!本当にやってほしい。・聖火リレー関係者の人は、辞退が相次いでいて落ち込んでいただろうね。優しい投稿だと思う!投稿には17万件以上の『いいね』が寄せられ、多くの人が中岡さんの立候補を支持しているようです。同年3月25日からスタート予定の聖火リレーのランナーに、中岡さんが本当に選ばれるかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2021年02月28日東京五輪・パラリンピック組織委員会の新会長の選任をめぐって2月18日、混乱の末に橋本聖子氏(56)が正式に選出された。森喜朗氏(83)の女性蔑視発言による会長辞任に政界や経済界のトップ陣がコメントを出すものの、さらなる“失言”によって波紋が広がり続けている。自民党の竹下亘元総務会長(74)は橋本氏が会長に決定した同日、彼女が過去に起こした“セクハラ問題”について言及。だが、そのコメントに批判が殺到しているのだ。「週刊文春14年8月28日号によると、ソチ冬季五輪閉会式後の打ち上げパーティーで橋本氏はフィギュアスケート男子の高橋大輔選手(34)にキスを強要したとのこと。『初恋の先輩に似ている』と周囲に話していた橋本氏は、“大ちゃん”と呼ぶほど高橋選手がお気に入り。橋本氏は『強制した事実はない』と否定したといいます。しかし彼女から迫るような“キス写真”は、今もネット上に拡散されています。結果的にJOCは不問としましたが、今回の新会長選任をめぐって蒸し返されたかたちとなりました」(スポーツ紙記者)各メディアによると過去の騒動が問題視されている橋本氏について、竹下氏は「スケート界では男みたいな性格で、ハグなんて当たり前の世界」とコメント。さらに「セクハラと言われたらかわいそう。セクハラと思ってやっているわけではなく、当たり前の世界である」と擁護したという。その後、事務所を通じて「男勝りと言いたかった」と訂正した竹下氏。だがジェンダー問題が取り沙汰されているなかで、「男みたいな性格」や「セクハラと思っていない」「当たり前」などと主張したことに厳しい声があがっている。《ハグとキスは全く違います。なぜ男女で例えるのか。一連の騒動を全くご理解いただいていない》《ご自身が当たり前と思っている価値感自体に問題があれば、それを言動に表すことはハラスメントを起こします。ご自身は橋本氏を擁護しているつもりかもしれませんがなってないですよ》《この人は、何処に向いて、誰に対して話しているのか。危機感も無い、問題点も分からない人間は国政に要らない》■島根県知事にも“上から目線”で苦言橋本氏を擁護したつもりが、かえって物議を醸してしまった竹下氏。しかし、彼の“失言”はこれだけに留まらなかった。大会開催まであと5カ月と迫るなか、島根県の丸山達也知事(50)は17日に聖火リレー中止の意向を表明。各紙によると新型コロナウイルスに対する政府や東京都の対応が不十分として、現状のままでの大会開催に反対姿勢だという。1カ月程度の状況を踏まえて、最終判断をすることになった。すると慎重な丸山知事に対して、竹下氏は18日に「困惑している」「発言は不用意だ」などとコメント。加えて「知事を呼んで、注意をしっかりしないといけない」「知事会でも誰もついてこないのでは」などと、苦言を呈したのだ。地方行政のトップとして、執行権を持つ知事。緊急事態宣言下において改正された特別措置法では権限も強化され、その責任の重さは一段と増している。そんななかで、衆議院島根2区選出の国会議員で立場の異なる竹下氏に「上から目線」と批判の声があがっている。《県のトップは知事だ。単なる一国会議員如きに何の権限も無い。勘違いも甚だしい》《注意って言葉を選んでる時点で上から目線だなと感じますね。立場が違うので注意はおかしいなと》《は?これってパワハラやんか。 県民の事を最優先に考えた上の苦渋の決断だったのに。何を注意するつもりですか??竹下氏は何を具体的にどう注意するか説明しろ》五輪をめぐって同日中に“失言コンボ”を繰り出してしまった竹下氏。当の本人は、世間からの声をどう受け止めているのだろうか。
2021年02月19日五輪・パラ関連イベントで楽しげだった森喜朗組織委会長と小池百合子都知事(2019 年6月)《それじゃあ、そういうふうに承っておきます》2月4日、いわゆる「女性蔑視」ととれる発言への謝罪会見に立った東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長。報道陣との質疑応答では「会長職が適任か」の質問に対して、森会長は《さあ?あなたはどう思いますか?》と逆質問するも「適任ではない」と返されると憮然とした表情で冒頭のように答えたのだった。翌5日には、小池百合子都知事も「私自身も絶句し、あってはならない発言」と五輪・パラリンピック開催の“パートナー”である森会長を批判。そして「大きな事態に直面している」と、危機感を隠さなかった。「森さんは会見で、言葉こそ丁寧に対応するも節々からは納得していない様子で、“何が悪いのか”と言わんばかりのイライラした空気を醸し出していました。その威圧感に押されてか、森さんから“聞こえない”と聞き返されて萎縮する記者もいたほど。辞任する気はさらさらないようです」(全国紙記者)会見を生中継した各局のワイドショーでも、やはり注目していたのは会長職を「辞任」するかどうかだったが、まさかの“居直り”に出演者は苦笑いするしかなかった。■自分が東京五輪を開催した「先日も“コロナがどういう形でも必ずやる”と発言して大顰蹙(ひんしゅく)を買った森さん。今の彼には“自分が五輪を開催した”という歴史的“レガシー”を残すことしか頭にないのでしょう。会見の様子は世界でも報じられ、各国で《会長は辞任しない》という見出しが躍っています。このままでは森さんが辞める前に世界中のアスリートが参加をボイコットするかもしれませんね」(前出・全国紙記者)五輪・パラの開催可否について「一番の大きな問題は世論」と語っていた森会長だが、どうやら自身に対する「辞めてほしい」という世論は聞こえていないよう。しかし、言うまでもないが「辞任」とは「自ら申し出て辞める」ことで、あくまでも森会長自身が進退を決めて「会長を辞めます」答えを出すことだ。では、森会長の意思に関係なく有無を言わせずに辞めさせること、「解任」することはできるのだろうか?「一般企業で言えば、代表取締役や会長職を解任する場合、株主総会や取締役会を開いて解任案を提出し、多数決で過半数をとれば可決されます。ただし、会長解任となれば企業を揺るがしかねない大事件。例えば『日産自動車』前会長のカルロス・ゴーン被告のような“重大な背任行為”に当たる理由が求められます」(経営コンサルタント)社会派ドラマでもはしばしば描かれる“解任劇”。森会長が大好きなラグビーを例にすると、2019年放送の『ノーサイド・ゲーム』(TBS系)では、「日本蹴球協会」で絶対的な権力を振るっていた会長が、ラグビー界の改革を進めたい専務理事に反旗を翻され、理事会で「会長職の解任」を提案される。すると不満を抱えていた理事らが賛同し、賛成多数の可決により会長職を解かれたのだ。ちなみに同年4月、実際の「公益財団法人日本ラグビー協会」の定例理事会で同協会の名誉会長を辞任していた森会長。一部報道では「組織の若返りを図って」との退任理由で潔さを見せていたのだが……。■ドラマとは少々違う「解任劇」ラグビー協会と同様に、「公益財団法人」である東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会。「理事職を失するには辞任か解任のいずれかの方法によります」とは、『汐留パートナーズ司法書士法人』の代表司法書士・石川宗徳氏。実際の“解任劇”は一般企業やドラマでのあり方とは少々異なるようで。「まずは理事会を開催して“解任に関する議案を評議員に諮(はか)ること”を決議した後、評議員による評議委員会で再び解任の決議をとる流れになります。厳密には理事会ですぐに解任を決めるのではなく、評議会での決議を伺うための意思決定をすることになります」公益財団法人では、理事会の他に監事1名以上、評議員3名以上、また会計監査人を設置する義務がある。この評議員が「解任案」を決議するとその場で“職”が解かれ、当人はこれを拒否することはできないようだ。とはいえ、何でも解任できるわけではなく、財団法人に関する法律で、1.職務上の義務に違反し、又は職務を怠ったとき2.心身の故障のため、職務の執行に支障があり、又はこれに堪えないときと定められている。森会長はこれらに該当しているといえるのだろうか。「義務というところで、“会長職として義務を果たしていない”と判断されることはあるかもしれません。今回の女性蔑視に関する事案が会長職として、あるいは“当法人の理事としてふさわしくない”と判断された場合は解任もありうる話だと思います。解任は手順が多いですから、辞任の方がスムーズではありますね」(石川氏)では、辞任を“拒否”し続ける森会長が解任される動きはあるのか。公益財団法人東京五輪・パラリンピック競技大会組織委員会・広報局広報部戦略広報課に聞くと、森会長の案件で問い合わせが殺到しているのか「質問はメールで対応」とのこと。「会長職を解任できるのか」その際には「どのような手順を踏むのか」などの質問を送ると、メールで回答が寄せられた。以下が、組織委員会の答えだったーー。《理事等役員の解任手続きは以下の定款に記載されております。》と、公式HP上の「定款・規程」の項目のURLが添えられ、その内容が記されていた。《・以下のとおり、評議員会の権限の1つに理事の解任があります。(理事を解任された場合、同時に、理事の地位を前提とした会長の地位も失います。)(権限)第16条 評議員会は、次の事項について決議する。(1)理事、監事及び会計監査人の選任及び解任(2)理事及び監事の報酬等の額(3)評議員に対する報酬等の支給の基準(4)貸借対照表及び損益計算書(正味財産増減計算書)の承認(5)定款の変更(6)残余財産の処分(7)基本財産の処分又は除外の承認(8)重要な財産の処分又は譲受け(9)重要な事項として理事会が評議員会に付議した事項(10)その他評議員会で決議するものとして法令又は本定款で定められた事項があったものとみなす。・この場合、決議に必要な賛成数は過半数(21条1項)となります。(決議)第21条 評議員会の決議は、決議について特別の利害関係を有する評議員を除く評議員の過半数が出席し、その過半数をもって行う。2 前項の規定にかかわらず、次の決議は、決議について特別の利害関係を有する評議員を除く評議員の3分の2以上に当たる多数をもって行わなければならない。(1)監事の解任(2)評議員に対する報酬等の支給の基準(3)定款の変更(4)基本財産の処分又は除外の承認(5)その他法令で定められた事項3 理事又は監事を選任する議案を決議するに際しては、各候補者ごとに第1項の決議を行わなければならない。理事又は監事の候補者の合計数が第23条に定める定数を上回る場合には、過半数の賛成を得た候補者の中から得票数の多い順に定数の枠に達するまでの者を選任することとする。4 前3項の規定にかかわらず、一般法人法第194条の要件を満たしたときは、評議員会の決議があったものとみなす。・なお、以下のとおり、理事会の権限の1つに、会長の解職があります。(権限)第31条 理事会は、本定款に定めるもののほか、次の職務を行う。(1)当法人の業務執行の決定(2)理事の職務の執行の監督(3)会長、副会長、専務理事及び常務理事の選定及び解職(4)その他理事会で決議するものとして法令又は本定款で定められた事項・この場合、決議に必要な賛成数は過半数(34条1項)となります。(決議)第34条 理事会の決議は、決議について特別の利害関係を有する理事を除く理事の過半数が出席し、その過半数をもって行う。2 前項の規定にかかわらず、一般法人法第197条において準用する一般法人法第96条の要件を満たしたときは、理事会の決議があったものとみなす。何とぞよろしくお願いいたします》■森会長の“友人”らも理事に簡単にまとめると、評議会、理事会における決議で過半数が得られた場合に森会長を解任することができるのだ。大会組織員会の役員に名を連ねるのは、経団連名誉会長で『キャノン』CEOの御手洗冨士夫名誉会長をはじめ、「最後まで全うして」と擁護したJOCの山下泰裕会長ら副会長6名に監事は2名。理事には作家の秋元康氏、福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治氏、馳浩衆議院議員、丸川珠代参議院議員、スポーツ庁長官の室伏広治氏ら、専務理事等も含めた28名。評議員には日本サッカー協会の“ドン”川淵三郎氏ら6名が名を連ねている。果たして、世論を汲んで動き出す評議員、理事は何人いることやら。
2021年02月06日今夏に延期された東京五輪・パラリンピックまで残すところあと半年。未だ終息の兆しが見えないコロナ禍で開催も危ぶまれるなか、橋本聖子五輪相(56)の発言が非難を浴びている。26日に行われた衆議院予算委員会でのこと。立憲民主党の辻元清美議員(60)が予算に「Go To」事業の計上中止し、医療拡充に回すことなど政府のコロナ対策を追及。その流れで、橋本大臣は東京五輪の開催に必要な医療スタッフについて「1人5日間程度の勤務をお願いすることを前提に、大会期間中1万人程度の方に依頼をして医療スタッフ確保を図っている」と答弁した。いっぽうで橋本大臣は連日、医療従事者が新型コロナウイルス対応に追われている状況から「地域医療に支障が生じてしまってはいけない」とも述べ、「大会に協力する医療機関の負担軽減の検討も含め、準備を進める」とも語っていた。五輪開催中の医療スタッフ確保に自信をのぞかせた橋本大臣だが、状況は決してよくない。1月26日時点、東京では入院・療養調整中の人が5,540人、重症者数は148人と過去最多レベルを記録(ともに東京都のHPより)。医療体制は依然、逼迫しており、一部では“医療崩壊”を指摘する声も出ている。感染者数も東京で1,000人を下回る日はあるものの、予断を許さない状況であることに変わりはない。そんな希望の兆しが見えない状況下での、橋本大臣の発言にはSNS上から批判が相次いだ。《本気ですか?これ以上医療現場に負担をかけないで下さい。やめてください。》《絵に描いた餅の「1万人」だと思いますよ。1万人の動員力が本当にあったら、コロナ医療だってもうちょっとまともにできるでしょう。》
2021年01月27日「ヤバい女になりたくない」そうおっしゃるあなた。有名人の言動を鋭く分析するライターの仁科友里さんによれば、すべてのオンナはヤバいもの。問題は「よいヤバさ」か「悪いヤバさ」か。この連載では、仁科さんがさまざまなタイプの「ヤバい女=ヤバ女(ヤバジョ)」を分析していきます。夫の不倫が報じられる以前の8月、『ミント!』に初出演した際の投稿(優佳さんのインスタグラムより)第47回馬淵優佳『週刊新潮』が競泳男子・東京五輪代表の瀬戸大也選手の不倫を報じたとき、妻である馬淵優佳さんが気の毒だなぁと思ったのは、私だけではないはずです。若く、幼子を抱えている女性が、夫の不倫を知らされる。それだけでも十分すぎるほどショックですが、不倫のせいで、瀬戸選手はスポンサーであるANAから契約解除、味の素の広告契約も打ち切られてしまいました。瀬戸家の経済的損失は計り知れないでしょう。「トップアスリートかつイクメン夫に愛される妻」として活動していた優佳さんですが、2020年9月25日配信の『文春オンライン』によると、瀬戸選手は昨年の秋から「オリンピックに集中したい」ということで、マンションでひとり暮らしをしていたとのこと。瀬戸夫妻と言えば、味の素のCM「勝ち飯」が思い浮かびますが、別に住んでいたということは、食事もともにしていなかったのかもしれません。しかし、優佳さんはそんなことはおくびにも出さず、「#勝ち飯」のハッシュタグをつけて、食事をインスタグラムにアップしていました。「なんだ、勝ち飯なんてウソじゃないか」と思う人もいるでしょう。確かに真実でないという意味では、ウソでしょう。しかし、SNSは本当のことしかアップしてはいけないという規則はないはずですし、勝ち飯をアピールするのが“お仕事”だと考えるのなら、優佳さんの行動は正しいはずです。ただ、“愛され妻”の地位からは、すべり落ちてしまったと思います。■あまりにも「できた妻」のコメント世帯収入は減り、女性としてのプライドは傷つけられ、自分の仕事にも差し障りがあり、子どものころから打ち込んでいた飛込も結婚を機にやめてしまった。まさに踏んだり蹴ったりですが、その優佳さんが10月19日配信の『FRaU』のインタビューに応じたと聞いて、驚きました。不倫をした当事者の瀬戸選手が沈黙を守っているのに、なぜ一番の痛手をこうむっているであろう優佳さんが話さなくてはいけないのかと思ったのです。インタビューでは、優佳さんは夫をなじることなく、《彼にはプレッシャーもあった》《当時私は2人目の子を妊娠中。自分と子どものことでいっぱいいっぱいで、夫の心の内を聞いてあげられる余裕がなかった》と反省しています。あまりにもできたコメントで、私は逆にヤバさを感じましたが、一般的にこういう女性は「控えめな妻」「できた妻」として高く評価されることが多いものです。しかし、それから3日後の10月22日、スマートバンドのアンバサダーに優佳さんが就任したと発表されたとき、ネットでは「本当は出たがりだったんだ」「不倫をきっかけに自分を売り込もうとしている」と否定的な意見も出てきたのでした。商品をアピールするアンバサダーという立場の人にスキャンダルはご法度でしょう。ですから、その前に「いろいろあったけど、頑張ります」と前向きな発言をするのは、“当たり前”のことではないでしょうか。ANAと味の素という大手企業とのスポンサー契約を失った今、お子さんもいるわけですから、優佳さんが仕事をするのも当然だと私は思います。実際、優佳さんは仕事に関して、強い責任感を持っているようです。10月27日、情報番組の『ミント!』(MBSテレビ)に出演した優佳さんは「今回の出演は2か月くらい前から決まっていたので、プライベートなことでお仕事をやめることは、私の中にはまったくありませんでした」と発言しています。夫の裏切りを週刊誌に暴かれ、ネットで叩かれたら、倒れてしまってもおかしくないのに、優佳さんは騒動前と変わらぬ美しさでテレビカメラの前に現れたのでした。■優佳さんは“プロ妻”さて、優佳さんははたして「可哀想な控えめ妻」なのか、それとも「前に出ようとしているヤバい妻」なのか。私にはそのどちらでもなく、プロフェッショナルな妻のように見えるのです。不倫に関しては気味が悪いくらいに理解力がありながら、仕事に関しては、頑としてプロフェッショナルを貫き、相変わらず美しい。そんな優佳さんは妻のプロフェッショナル、略して“プロ妻”ではないでしょうか。ここで言う“プロ妻”とは、自分の希望よりも、世間やスポンサーなどが求めるあるべき姿を見せ、そんな自分の姿を称賛されることに喜びを感じる女性を指します。見せることに長けたプロ妻に必要不可欠なもの、それは“バエ(映え)る夫”だと思います。プロ妻の仕事は「外にアピールすること」ですから、まじめで家事育児を熱心にしてくれるような、外部の人に証明しにくい幸せや喜びを与えてくれる男性は、プロ妻の夫としては不向きです。日本人なら誰でも知っている有名大学や会社、もしくはイケメンなど、水戸黄門の印籠のような、世間サマが「ははぁ」とひれ伏すものを持っている人が望ましい。なぜなら、日本では「夫の出来は、妻の献身のおかげ」という考え方がいまだに根強いので、「こんなすごい夫を陰で支えた妻は、さぞできた人に違いない、すばらしい人だろう」と見上げられるからです。プロ妻も相手の期待に応えるのが好きな人たちですから、謙虚に振る舞い、ますます自身の株を上げるでしょう。プロ妻が夫とうまくいっているかどうかは、はっきり言うと、どうでもいいのです。だって、家庭内のことなんて、誰にもわかりっこないのですから。「金メダルに最も近いオトコ」と言われていた瀬戸選手はもちろん“バエ夫”と言っていいでしょう。新型コロナウイルスの影響でオリンピックは延期になってしまいましたが、神さまはプロ妻である優佳さんに「不倫されて注目される悲劇の妻」という最大の見せ場を用意した。そして、優佳さんはプロ妻として、スポンサーや世間サマ、それぞれの期待に応えた振る舞いをしているのではないでしょうか。■離婚するかは夫の成績次第ではさて、それではプロ妻はヤバいのか、ヤバくないのか。それは夫の成績次第です。もし瀬戸選手が金メダルを取れば「夫を見捨てなかった賢妻」「不倫を乗り越えた夫婦愛」と言われて、優佳さんの好感度は再び爆上がり、瀬戸選手も「いろいろあったけど、頑張った」と言ってもらえるはずです。反対にメダルが取れなければ、瀬戸選手は「不倫なんかしてるからだ」と言われるでしょうし、優佳さんも世間の予想どおり、離婚するのではないでしょうか。先述のインタビューで、《離婚をするのは、事の顛末を見極めてからでも遅くはないと思うようになった》と話していた優佳さん。「事の顛末」が具体的に何を指すのかはわかりませんが、瀬戸選手はもし妻子と別れたくないのなら、金メダルを取る以外、道はないのかもしれません。<プロフィール>仁科友里(にしな・ゆり)1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」
2020年10月31日北京五輪で“魂の413球”を投げ切り、悲願の金メダルに沸いた興奮と感動から12年。TOKYOで躍動するピッチング姿は1年先に。10代から日本代表で活躍したが、決して順風満帆ではなかったソフトボール人生。絶対的エース、チームの大黒柱の紆余曲折に迫る―。ソフトボール日本代表・上野由岐子さん写真提供/(公財)日本ソフトボール協会■ネットニュースで知った東京五輪の延期38歳の誕生日となる2020年7月22日。本来であれば、福島あづま球場でのソフトボール日本代表対オーストラリア(豪州)代表戦を皮切りに、東京五輪が華々しく幕を開けていたはずだった。絶対的エース・上野由岐子選手(ビックカメラ高崎)は世界が注目するマウンドに立ち、2度目の金メダル獲得への大きな1歩を踏み出していたに違いなかった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって世紀の大舞台の1年延期が決定。その後の世界規模での感染爆発によって開催自体も危ぶまれている。前代未聞の事態に対するアスリートたちの受け止め方はさまざまだ。「1年後が見えない」と、7人制ラグビー挑戦を断念した福岡堅樹さん、現役を退いた女子バレーボールの新鍋理沙さんらがいる一方で、今夏の引退を表明していながら競技続行を決めたスポーツクライミングの野口啓代選手のような人もいる。そんな中、上野選手は迷うことなく五輪挑戦を決意。緊急事態宣言下の自粛期間を含めた4か月間、本拠地の群馬県高崎市で地道なトレーニングに励んでいた。「1月までは、ごく普通に代表合宿に参加していたんです。コロナといってもそこまでではないだろうという気持ちもありました。でも2月~3月になって、これは完全にヤバイという感じになり、3月24日に延期が決定した。その一報はひとり自宅でネットのニュースで見ました。最初は“あと1年頑張らなきゃいけないのか”と思ったけど、“むしろ、もう1年やらせてもらえるのは感謝かな”と。“時間的猶予が生まれたおかげで、これだけのパフォーマンスができた”って言えるようになりたいと今は考えています」’08年北京五輪ではラスト2日間で413球を投げ、頂点に立ち“神様・仏様・上野様”とさえ言われ、すでにひとつの大きな達成感を得ているはず。にもかかわらず、再び金メダルを目指そうという原動力は一体、どこにあるのか……。最大のエネルギーになっているのが、日本代表を率いる宇津木麗華監督の存在だと彼女は言い切る。「麗華監督は親でも親戚でもないのに、自分に尽くしてくれる。自分のことをいちばんに考えてくれるんです。麗華監督と出会っていなかったら、ここまでソフトボールを続けることもなかった。だからこそ、恩返ししたい。熱い思いに応えたいという感情が湧いてくるんです」麗華監督は「正直、五輪延期でショックを受けたのは私のほうです」と明かす。「でも上野は問題ない。1年くらい五輪が延びたからといって、実力が落ちるわけじゃないし、まだまだ伸びると思います。上野を超えるピッチャーはそう簡単には出てこない。彼女を中心に戦っていくのは変わりません」と、大きな信頼を寄せている。恩師と二人三脚でチームを押し上げ、再び成功をつかもうとしている上野選手。その生きざまを追った。■母との口論、父の喝1982年夏。上野選手は福岡県福岡市で生を受けた。誕生時の体重は3530グラム。ビッグベイビーが、のちの日本ソフトボール界のスーパースターになるとは、その時点では誰も想像していなかった。上野家は、会社員の父・正通さん(65)、看護師の母・京都さん(63)、2つ年下の妹の4人家族。幼いころから外を駆け回る活発な少女で、書道、ピアノ、水泳などさまざまなことに興味を抱いた。「仕事より家庭が第一。子どもがやりたいことは何でもバックアップする」という考えの父は、娘の習い事を積極的にサポート。母も夜勤の多い常勤看護師を辞め、非常勤のパート看護師になるなど、子育てを最優先に考えた。上野選手が小学校3年のときに同級生に誘われてソフトボールを本格的に始めてからは、両親のサポート態勢もより強固になった。とはいえ、何でも好き勝手にさせないのが上野家流。以下のような家訓を課して、人間教育にも力を入れたという。●「はい」という素直な返事●「すみません」という謝罪の気持ち●「私がします」という積極的な行動●「おかげさまで」という謙虚な気持ち●「ありがとう」という感謝の気持ち「ウチの家訓は今も自分の中に焼きついていますけど、特に母の言葉にはハッとさせられることが多いですね。“人の悪口は言わない”“人に好かれる人間になれ”という普通のことなんですけど、自分が生きるうえでの指標になっていると思います」母は、娘の自立心の強さに驚かされたことがあるという。「小3くらいのころだったと思います。体育の時間に使った紅白帽の洗濯を私に頼んだのに翌朝、洗濯されていないことに、由岐子と言った言わないで揉めたことがありました。それからは必ずやってほしいことをメモに書いてテーブルに置くようになったんです。本当は私のほうがそうするように教えなければいけなかったのに、何も言わなくても自分で考えて行動していた。そういうところは感心させられましたね」ソフトボールではメキメキと頭角を現し、小学5年からは男子チームに入ってエースピッチャーに君臨する。柏原中学校へ進んでからはより一層、存在感を増し、’97年夏の全国中学校大会で優勝した。その決勝戦では、こんなエピソードが。相手ピッチャーの球をなかなか打てないことに苛立った上野選手は思わずヘルメットをグラウンドに投げつけた。その姿を会場で目の当たりにした父・正通さんから、試合中にもかかわらず「道具に当たるとは何事か!」と一喝された。目が覚めた彼女は次の打席でホームランを放ち、チームを全国制覇へと導いた。普段は優しいが、ソフトボールになると厳しさを前面に押し出す父から“勝負の懸かったときこそ礼儀正しく振る舞うことの大切さ”を学び、成長したという。■再起不能もありえた大ケガ’98年4月に強豪・九州女子(現、福岡大学附属若葉)高校へ進学。ソフトボールが’96年アトランタ五輪から正式種目となったのを受け、彼女への期待が高まり、2000年シドニー五輪有望選手という見方もされ始めた。そして高校2年の夏、台湾で行われた世界ジュニア選手権で優勝。五輪初出場が叶うと思った矢先、体育の授業での走り高跳びで落下。腰椎の横突起骨折という重傷を負ってしまう。一歩間違えば、下半身不随になりかねなかった大ケガで、入院はなんと88日にも及んだ。もちろんソフトボールはできず、ひたすらベッドに寝ている日々。もちろんシドニー五輪出場の夢も消えた。希望に満ちていたソフトボール人生に暗雲が立ち込めた。そのとき再認識したのが「自分にはソフトしかない」という思いと、「大好きなソフトボールをもう1度やりたい」という気持ちが強く湧き上がり、奇跡的な回復を遂げていく。リハビリもつらかったに違いないが、愚痴ひとつ言わずに真摯に取り組んだ。「“嫌なことや人の悪口を言葉にしてしまうと、ますます嫌な気持ちになるから言わない”と、由岐子は中学生のころからよく言っていました。もともと愚痴るような子ではなかったけど、苦しいときでも親の前で弱音を吐くことはなかったです」と、母・京都さんも娘の強靭なメンタリティーに驚かされた。大ケガから復活を果たした上野選手は’01年に日本リーグトップの日立高崎(’15年1月からビックカメラ高崎に)に入団。五輪への挑戦が本格的に始まった。「18歳当時の上野は口数が多いほうではなかったですね。でも周りへの気配りは飛び抜けていました。当時、チームを率いていた宇津木妙子監督(ビックカメラ高崎シニアアドバイザー)が“ピッチャーは特別なんだから、あまり雑用や用事をさせないように”という方針を示していたのに上野はいつも先に動いて練習の準備や片づけはもちろん、食事会場では率先してお皿を並べたり、配膳を手伝ったりしていました。外野手だった自分はよく怒られましたね」苦笑いしながらエピソードを明かすのは、ビックカメラ高崎の岩渕有美監督。上野選手の3つ年上の彼女は’13年に現役を引退するまでともにプレーし、苦楽を味わってきた。現在は指導者と選手という間柄に変わったが、最速121キロの剛速球を投げる有能なピッチャーに対して、敬意を払い続けている。ソフト界では時速110キロのスピードボールを投げられる選手は数えるほどしかいない。もちろん、日本では上野選手ひとりだけだ。「自分は速いボールを投げられちゃった感じ(笑)。時速120キロを投げようとして投げているわけじゃないんです。いいボールを投げたいと努力する中で、だんだんスピードが上がってきました」と淡々と言うが、やはり天賦の才によるところが大きい。「足の速さと同じで、スピードボールを投げるのも生まれ持った才能。上野も新人時代は細身だったけど、時速110キロは投げていたと思います。その後、筋力がつき、体幹も強くなり、174センチの長身をうまく使えるようになって、一段と速さが増した。あれだけのピッチャーはそうそう出てきません」と、岩渕監督。“100年にひとりの逸材”と評される彼女だが、最初から絶対的エースだったわけではない。日立高崎時代の’02年ごろまでは増淵まり子選手ら経験豊富な先輩がチームにいたし、日本代表にも高山樹里選手という主軸ピッチャーが君臨していた。若さゆえの波もあり’04年アテネ五輪では大黒柱になり切れなかった。■アテネ五輪での挫折躓(つまず)きの1歩は開幕・豪州戦。宇津木妙子監督から先発の大役を任されたが、いきなり4回3失点KO。まさかの敗戦スタートを強いられたのだ。それでも予選リーグ最終戦の中国戦では、五輪史上初の完全試合を達成。決勝進出のかかる豪州戦で雪辱を期していた。しかし、上野選手は、まさかの出番なし。チームも0対3で敗れて銅メダルに終わった。「あのときは22歳。“自分の結果を出すことが何よりのアピールだ”としか考えていませんでした。でも結果的に全くダメだった。大会中に胃腸炎になり、体調を崩したのも響いて、“自分はホントにまだまだだな”という挫折感だけが心に残りました。いちばん悔しかったのは、大事な場面を任せてもらえなかったこと。“上野、頼んだぞ”と監督やチームメートに言ってもらえるピッチャーにならなきゃいけないって思ったんです」北京までの4年間は、いかにして世界一に到達するかを模索する時間となった。そこで誰よりも親身になってくれたのが、彼女が師と仰ぐ麗華監督だ。上野が18歳で日立高崎に入ったときから日本の主砲として活躍していた偉大な先輩は、’03年から選手兼任監督となり、アテネを機に現役を引退。’04年夏以降は日立高崎から移行した日立&ルネサスの指揮官を務めていた。その麗華監督は「アテネでメダルを逃した最大の原因はピッチャー。もっとしっかりした人材がいれば、日本はより自信を持って戦えた」と分析。「上野を世界一のピッチャーに育てて、北京五輪を託すしかない」と考え、上野選手を強豪国アメリカでの“武者修行”に誘った。頂点を目指す彼女も賛同。’05年6月、ふたりでアメリカ・ヒューストンへ赴いた。異国での最初の投球練習。ボールを投げようとした上野選手は、シドニー五輪で金メダルを獲得した元アメリカ代表のクリスタ・ウィリアムズ・ピッチングコーチにいきなり制された。「あなたは今、投げる気がないでしょう。この1球を打たれたら終わりだという責任を感じながら、自信を持ってやりなさい」呆然とする愛弟子の様子を、麗華監督は傍らでじっと見つめていた。「上野はそれまでのソフトボールへの取り組みを反省したと思います。単に時速120キロのスピードボールを投げればいいわけじゃない。常に感謝と責任を感じ、人間力を高めながらプレーしなければいけない。それを学べたのは財産になりました。アメリカでは、右バッターの内角に食い込むシュートを覚えさせるのが目的でしたけど、それ以上にスポーツマンたるべき姿勢を身につけた。そちらのほうが大きかったかもしれません」上野選手は「若いころは自己チューだった」と述懐しているが、アテネ五輪くらいまでは、自分がうまくなるために必死で周りが見えていなかった。しかし、アメリカ留学で、それだけではダメだということを知った。この経験は上野選手にとって、ステップアップするために必要なものだった。■自己チューからチームのために帰国後、上野選手は’05年に大鵬薬品戦、翌年にシオノギ製薬戦でそれぞれ完全試合を達成。’07年には日本人初の1000奪三振、翌’08年には100勝を果たすなど、猛烈な勢いで駆け上がっていく。「麗華監督に“配球とは何か”を教わったのは本当にプラスになりました。ピッチャーの仕事は“個人として抑えた、打たれた”という勝負じゃない。試合に勝つか負けるかが第1なんです。打たれなくても負けは負けだし、どんなに打たれても勝ちは勝ち。それが理解できてから、あまり自分の結果にとらわれなくなりました。確かに記録は残したかもしれませんけど、あくまで重要なのはチームの勝利。そのためのピッチングをしようと気持ちを奮い立たせていたんです」そんなフォア・ザ・チーム精神の集大成となったのが北京五輪だ。「日本の勝利のために」と言い聞かせてマウンドに立った大黒柱は、予選リーグからフル回転。ラスト2日間には、準決勝・アメリカ戦、決勝進出を決める豪州戦、決勝・アメリカ戦の3試合を投げ切った。日本悲願の金メダル獲得の原動力となった上野選手の“魂の413球”は、多くの国民を感動させた。「この先、投げられなくなっても後悔しない。肩が壊れてもソフトボール人生が終わってもいいというくらい、すべてを懸けてマウンドに立ちました。誰にも譲る気などなかったです」と語気を強めた。壮絶な戦いの間、日本から支え続けてくれたのは、麗華監督だった。上野選手は神妙な面持ちで語る。「試合が終わるたびに連絡していました。“調子どう?”“こういうプランで投げられたらいいね”という軽い感じの会話でしたけど、話をするたびに迷いが吹っ切れた。“麗華さんがこう言ってくれるならやろう”と決断もできた。背中を押してもらいました」金メダルを胸にかけ、帰国した彼女を襲ったのは想像をはるかに超えた“上野フィーバー”だった。所属チームには取材が殺到。9月から始まった日本リーグにもメディアやファンが大挙して押し寄せる事態になった。これまでの態勢ではとうてい手に追えなくなり当時、選手だった岩渕監督が上野選手担当マネージャーを兼務することになった。「スケジュール管理や取材対応、テレビ収録の立ちあいを2年間やりましたけど、本当に目まぐるしい状況で、帰りが深夜になることも少なくありませんでした。本人はもともと人前に出るのが得意ではないので、疲れるうえに、緊張やストレスも重なる。競技に集中しづらくなっていきましたね」周囲が騒がしくなると、他者への気配りができず、対応もおざなりになりがちになった。日本リーグの試合後、声援を送ってくれる熱心なファンに笑顔すら見せることなく、足早に去っていく娘の立ち居振る舞いに母・京都さんは、こんな言葉をかけた。「あなたは子どもたちにとってはスターなんだから、スターらしく振る舞いなさい」上野選手はハッとさせられたという。「基本的に注目されるのが好きじゃなくて、“嫌だ嫌だ”と言っていたけど“立場上、しかたないんだから、駄々をこねずに受け入れなさい”と、母から言われた気がした。特に子どもたちから憧れの存在として見られていることに気づいて、ガッカリさせる態度はいけないと感じた。母の言うことは腑に落ちましたね。ストレートに自分を叱ってくれるのは、麗華監督と母くらい。そういう意味では胸に響くものがありました」気持ちを新たにして、子どもたちの応援を励みにマウンドに立ち続けた。しかし、北京に突き進んでいたときのような闘争心や向上心はなかなか湧かず“燃え尽き症候群”に陥った。メンタルバランスが完全に崩れているのに、試合に起用され、投げれば打者を打ち取れる。力いっぱい練習しなくても結果がついてくる。超一流のアスリートとして中途半端な状況に腹が立ってしかたがなかった。「このままだとチームに迷惑をかけるし、自分自身もダメになる……」ソフトボール人生で初めて生じた迷い。それをぶつける相手は、麗華監督以外にはいなかった。「やる気がなくてもいいから続けなさい。続けることに意味があるんだから」尊敬する人にこう言われて、上野選手は「それでいいの?」と、反発して聞き返したくなったという。麗華監督は、このときの心情をこう語る。「上野は世界一のピッチャー。彼女を失うのは日本にとって損失以外の何物でもない。ソフトボールへの思いを取り戻してくれるまで待とうと思ったんです。’10年の世界選手権も辞退したいなら、私が批判を背負おうと。“あなたは世界一。嫌なことを背負うために自分が横にいるから”と、彼女を励ましたのをよく覚えています」上野選手は落ち着きを取り戻した。「やる気が湧かなくても、続けさせてもらえるのならやろうと思ったし、どこかうれしい気持ちもありました。代表辞退のことも麗華監督が全部かぶり、いろんな批判を受け止めてくれた。自分のためにそこまでしてくれる人に、そうそう簡単に出会えるものじゃない。“麗華監督のために頑張ろう”と決心しました。彼女の言う“ソフトボールへの恩返し”を率先してやろうと前向きになれたんです」■子どもたちのスターに信頼を寄せ、強い絆で結ばれた恩師が’11年3月から日本代表監督に就任したことで、上野選手も代表に復帰。’12年ロンドン、’16年リオデジャネイロの両五輪は正式種目からはずれたため、大舞台に立つことができなかったが、’12年、’14年の世界選手権2連覇に貢献した。その一方で、’16年には肉離れや左ひざの負傷、昨年4月には下顎骨骨折で全治3か月の重傷を負ったが、乗り越えてきた。30代に入り体力的な心配もありつつ、ソフトボールへの情熱は消えることなく、大人の自覚を意識するようにもなった。「30歳になったとき、母から“あなたも30なんだから、もっと大人の対応のできる人間になりなさい”と、言われて自覚を持ったんです。人間は、年相応の振る舞いが必要ですよね。’16年にソフトボールが東京五輪の正式種目に認められてからは、注目度も上がりましたし、数多くの子どもたちがカメラを向けてくる。それに対して笑顔で明るく対応をしなければいけない。だんだんそう思えるようになりました」所属先の柳川直子マネージャーは、ファンを大事にする一面をこう明かす。「上野には老若男女問わず、たくさんのファンレターが来るんですが、可能なかぎり、直筆で返事を書いています。ご両親の教育もあって非常に礼儀正しく、マメなのが彼女のいいところ。子どもたちへの気配りは素晴らしいですね。妹さんに甥っ子2人が生まれたことも大きいのかな。以前にも増して子どもたちを可愛がるようになったと感じます」後輩たちにも気さくな素顔を見せている。チームでも日本代表でも最年長プレーヤーになっている上野選手は、日常的に若いチームメートたちと接している。とりわけ、バッテリーを組むキャッチャー・我妻悠香選手には目をかけている。「私は上野さんのひと回り年下。バッテリーを組んで6年になりますが、“ああしろこうしろ”と言われたことはないし、ぶつかり合ったことも1度もありません。私の意見を聞いてくれて、的確なアドバイスもしてくれる。チームを勝たせるために力を尽くしているのがよくわかります。グラウンドを離れると、岩渕監督の車に虫のおもちゃを置いて驚かせたりするようなイタズラ好き(笑)。甘いものも大好きですね。遠征先でスイーツを食べに行ったり、散歩がてらランチに行くこともあります。それに料理上手で、自宅で鍋を振る舞ってくれたこともありました。牛乳寒天もよく作って持ってきてくれるし、本当に面倒見のいいお姉さん。近くにいてくれて心強いです」“鉄腕”でストイックな印象から、今は女性ならではの柔軟さと人間的魅力を持ち合わせた大人のアスリートに変貌し、進化を続けている。■ネットの活用、1年後に向けた展望と勝機東京五輪の1年延期が決まっても動じなかった。コロナ自粛期間には昨年の下顎骨骨折であごに入れていたプレートの除去手術を受けた。麗華監督は「本人も違和感があったと思うので、取りはずす時間ができたのはプラスでした」と、前向きだ。プロ野球やJリーグのクラブは緊急事態宣言下では活動休止に追い込まれたり、施設を使えなかったりしたが、上野選手はチームの専用スタジアムを使うことができたため、代表活動や日本リーグの期間以上に負荷をかけたトレーニングができたという。「いつもは試合を考えて、メリハリをつけながら練習しますが、練習しかやることがなかったので、ひたすら追い込んだ感じです(笑)。こんなに時間があるのは(オフの)冬以来かな。ただ、冬は寒くて投げ込みもそんなにできない。自分のスキルアップのためにここまで時間をさけるのはなかなかない。チームの個人練習以外にはオンラインでヨガをやったり、かなり充実していたと思います」今回のコロナ禍ではインターネットの活用に注目が集まったが、上野選手もユーチューブで情報を収集したりと、これまでにない取り組みにもチャレンジした。「今まで“ネットは危ない”という印象があって消極的だったんですけど、今後、自分が指導者になったときに、群馬に居ながらにして沖縄や北海道、海外の人にも教える機会をつくることができる。そう考えると幅も広がるし、引き出しも増えますよね。自粛期間は、練習以外ほとんど自宅にいましたが、ユーチューブで配信していたお坊さんの禅の心を見て励まされたり、また頑張ろうと思えたりすることもありました。私はどちらかというと“やりたいことをやる”のがモットー。料理も自転車に乗って出かけるのもそうですけど、今の自由な感情を大事にしたい。そういう素の自分に戻れたのも大きかったですね。それを1年後に生かしたいと思っています」麗華監督は「金メダルをとるためにはピッチャーの選手層を厚くしなければいけない」と、口癖のように言っているが、北京のときのように上野選手ひとりの力に頼るわけにはいかない。“上野と並ぶ柱”と目される藤田倭選手(29)のさらなる成長は不可欠だし、ビックカメラの同僚・濱村ゆかり選手(25)や勝股美咲選手(20)、新星・後藤希友選手(19)らに成長曲線を一気に上げてもらう必要がある。「正直、この夏に東京五輪があったら……と考えると準備期間が足りなかった。来年でよかったです」と、我妻選手も偽らざる本音を口にしたように、新たな準備期間を最大限有効活用していくしかない。「私も北京のときのように若くない。“自分ひとりで投げて完投して金メダルをとる”イメージは全く湧かないですし、次の五輪はいかに周りの選手に助けてもらうかを考えていく必要がある。15人のメンバー全員でサポートしながら戦っていかなければいけないと思います」と、上野選手は冷静に客観視している。そのうえで、速球に変化球も織り交ぜながら緩急つけ、相手に揺さぶりをかけながら、駆け引きでも勝るような新たなピッチングスタイルを確立していくことが求められる。■選手としてのこれからと結婚観ライバルのアメリカには、剛速球投手のモニカ・アボット選手(35)と、変化球投手のキャット・オスターマン選手(37)を筆頭に、多彩な特徴を持ったピッチャーが何人もいる。彼女らに投げ勝つためにも、さらなるスケールアップをする必要がある。「自分の課題は、よく打たれている気がする左バッターをどれだけ抑えられるか。世界的には左バッターのほうが多いので、打たれる確率も上がるのはありますけど、そこでしっかり抑えることが最大のポイントでしょうね。チームとしてはどれだけ点を取れるか。自分を含めて今の日本ピッチャー陣を考えると、ゼロで抑えるのは難しいと思うので、点を取らなければ金メダルには手が届かないのかな。でもアメリカとは実力的には互角だし、ガチの勝負になってくる。決して勝てない相手じゃないと思いますよ」12年前の決勝アメリカ戦と同じように、堂々とマウンドで投げ切った上野選手が歓喜のガッツポーズを見せてくれれば、まさに理想的なシナリオだ。母・京都さんは心からそう願っている。「今までずっと頑張ってきて、今もまた頑張り続けている娘に私が言えることはありませんが、娘が自分らしく生きていくことを応援していますし、信じています。本当は“身体を大事にして”と、言いたいですけど、やはり“頑張って”としか言えないですね」そして恩人・麗華監督は、7月22日に開かれた代表ユニフォーム発表会見で、少し厳しい言葉を交えつつエールを送った。「今の上野はすごく調子がいいです。ただ、来年7月21日に決まった豪州との開幕戦ピッチャーにするとは断言できません。先発は1週間前じゃないと決められないし、現時点では上野はないと思います。だけど、1年あれば私の考えも相当に変化するでしょう。上野とはこれからもコミュニケーションをとりながら、成長を促していければと思います」上野選手は、力強くバックアップしてくれる人たちに恩返しをした先には何が待っているのだろうか……。「ゴールは(選手を)辞めるときでしょうけど、それは突然、来ると思う。すべて流れに身を任せます」まだハッキリした未来は、見えていない。53歳で現役を続けるサッカー界のレジェンド、・三浦知良選手のように投げ続けるかもしれないし、キッパリ辞めて電撃結婚する可能性もあるかもしれない。「今は考えられないし、余裕もないけど、自分を“普通の上野由岐子”と見てくれる男性が好きですね。いつか必要なタイミングで必要な人と出会う……。そういう運命だと信じて生きていきます」笑顔で語る彼女にとっては、東京五輪で大輪の花を咲かせることが先決だ。来年の夏、39歳になった日本の大エースが勇敢に戦う姿を楽しみに待ちたい。取材・文/元川悦子(もとかわえつこ)1967年、長野県松本市生まれ。サッカーを中心としたスポーツ取材を主に手がけており、ワールドカップは’94 年アメリカ大会から’14 年ブラジル大会まで6回連続で現地取材。著書に『黄金世代』(スキージャーナル社)、『僕らがサッカーボーイズだった頃1〜4』(カンゼン)、『勝利の街に響け凱歌、松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか。
2020年08月10日2019年3月、東京五輪・パラリンピック関連のイベントに出席したTOKIOの4人《来年の3月をもって芸能界から次の場所へ向かいたい》7月22日の夜、ファンクラブサイトで来年3月を持ってジャニーズ事務所を退社することを発表したTOKIOの長瀬智也。これに対し、《長瀬智也の選んだ、新たな道に進む決断を尊重し、他のメンバー3人は彼の生き方、考え方を納得した上で、気持ちよく、彼を次の道に送り出す方向で話がまとまりました》リーダーの城島茂、国分太一、松岡昌宏は盟友を送り出すべくコメントを発表。気になる今後だが、3人は「先代の社長から頂いた、この『TOKIO』というグループ名を閉ざすことなく」と、ジャニーズ内で新会社を設立するという異例の“社内独立”をすることに。これからもTOKIOであり続けるのだろう。突然、降って湧いたような長瀬の退社だが、以前より、まことしやかにささやかれてはいた。「彼の中でのTOKIOは、山口達也さんの脱退ですでに終わっていたのでしょう。音楽に人一倍打ち込んでいた彼は、プライベートでもバンドを組んでいたほどで、歌手活動ができないのならばグループにいても仕方がないと判断したのでしょう。退社後は、テレビなどの表舞台からは退き、独自のライブ、クリエイティブ活動を展開していくものと思われます」(スポーツ紙記者)それにしても、なぜ、このタイミングでの発表になったのか、だ。長瀬の退所も含めてまだ8か月以上ある。■ジャニー喜多川さんの特別な日来たる2021年7月23日、日本は歴史的な1日を迎える。そう、東京五輪の開幕日だ。「2016年に五輪・パラリンピックの機運を高めるフラッグツアーアンバサダーに就任したTOKIOは、各関連イベントに参加しては現場を盛り上げてきました。もちろん、当時は山口元メンバーも一緒で“今からとてもワクワクしています”と、明るい未来を見据えたコメントをしていたものです」(ワイドショースタッフ)ところが、2018年5月、彼は女子高生に対する強制わいせつという容疑で書類送検されてしまう。未来に道を示す役割を担っていたはずのTOKIOを窮地に陥れたのだった。「このときアンバサダー“職”こそ続投が決まったものの、世間から4人に向けられたのは、同情と哀れみでした。そして昨年の3月にフラッグツアーイベントは全て終了を迎えたのですが、終始浮かない表情をしていた長瀬さんが気がかりではありました」(テレビ局報道ディレクター)そして今年3月、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、東京五輪・パラリンピックの延期が正式に決定し、開会式の日程もまた来年の7月23日に変更されたのだ。「予定通りに開催されていれば、4人も何らかの役割を果たすことになっていたと言います。しかし、このコロナ禍を見れば、2021年の開催もどうなることやら。少なくとも2020年の五輪“未開催”は、長瀬がTOKIOに、ひいてはジャニーズに残る最後の“枷(かせ)”を外したのかもしれません。TOKIOは“TOKYO”からつけられたグループ。1964年の東京五輪に感銘を受け、2020年を夢見ていた名付けの親・ジャニー喜多川さんへのせめてもの報告として、この日を選んだのではないでしょうか」(前出・テレビ局報道ディレクター)手塩にかけた子どもたちが次々と去っていく現実を、ジャニーさんは天国からどんな思いで見ているのだろうか。
2020年07月23日※写真はイメージですいよいよ、夏目前!サンサンと降り注ぐ太陽の下、青い海で思いっきり身体を動かしたいところだが、まだまだ新型コロナウイルスへの不安も残る。今年は海水浴を楽しめるのだろうか──。■海開きやイベントも行いません今夏は新型コロナウイルス感染を防ぐため「3密」を避けて屋外でのレジャーを計画する人も少なくないのでは。しかし、開設か・中止か──。全国の海水浴場ではその判断に苦慮している。人気のビーチで今年も泳げるのか?各地で聞いてみた。※中止→×、開設→◎×石狩浜海水浴場(北海道)札幌から車で約40分。約800メートルの海岸線を持ち、コンロや炭を借りられる「手ぶらでバーベキュー」も楽しめる海水浴場として知られ、道内随一の人気を誇る。「安全管理体制が確保できないため、海水浴場の開設は中止となります。それに伴い、海開きやイベントも行いません。例年多くの人にご利用いただいているので、たいへん残念な気持ちです」と石狩市企画経済部商工労働観光課の担当者は語った。×千里浜海水浴場(石川県)日本で唯一、砂浜を車で走ることができる「千里浜なぎさドライブウェイ」が有名。車を降りるとすぐ目の前に海という絶好のロケーションだが、残念ながら今年は海開きも中止、海水浴場もクローズが決定している。「波打ち際のドライブ、日本海に沈む夕日は最高です。コロナ禍が1日も早く収束し、次年度以降、たくさんの方が訪れてくれることを願います」(はくい市観光協会)×根元海水浴場(千葉県)房総半島の南端にあり、伊豆七島の大島などを望むスケールの大きなロケーションが魅力。南房総市の担当者は、「新型コロナウイルスに対する安全面の確保が難しいことから海水浴場は開設せず海開きのイベントも中止することになりました。ワクチンの開発や対応グッズの早期開発を望むとともに、次年度に向けて安全に海水浴場をお楽しみいただけるように対策を検討してまいります」■お客様が訪れてくれるか心配×逗子海水浴場(神奈川県)都心からのアクセスもよく、また遠浅で波が穏やかなことからファミリーでも安心して楽しめる。例年の来場者数は30万人以上という国内有数の海水浴場だが、開設や夏季のイベントを見合わせた。 「感染拡大防止を徹底しながらの運営は困難なため断念しましたが、経済面をはじめ、多大な影響があり断腸の思いです」(逗子市経済観光課)と悔しさをにじませた。×大磯海水浴場(神奈川県)明治18(1885)年、初代軍医総監を務めた松本順によって開設された日本最初の海水浴場。例年8万人以上が訪れ、国内屈指の知名度。大磯町産業環境部産業観光課の担当者は肩を落とす。「開設に向けて準備をしてきただけにとても残念」◎熱海サンビーチ(静岡県)温泉地、熱海を代表するビーチ。ヤシの並木が続き海外リゾートのよう。さらに夜間はライトアップされ幻想的な雰囲気に。そのためたいへん人気があり、ビーチにはひと夏で15万人が訪れている。今年の海開きは7月23日で、8月30日までの開設予定。熱海市公園緑地課は、「県外からの移動の自粛を呼びかけていましたが、海水浴場を開設して経済の回復を」◎白良浜海水浴場(和歌山県)温泉、ジャイアントパンダでも知られる白浜町にある総延長620メートルのロングビーチ。文字どおり真っ白な砂が特徴で40万~50万人が訪れる近畿圏きっての人気の浜だ。今年の海開きは7月23日で、8月31日まで開設される。「白浜町が策定するガイドラインに基づき運営したい。海水浴場の開設が決定したが例年どおり、お客様が訪れてくれるか心配です」(担当者)■完全に安全と言い切れません×沙美海水浴場(岡山県)倉敷市の西南端にある瀬戸内海に面した浜。日本最古の海水浴場ともいわれ「日本の渚100選」にも選出されるほど風光明媚。「感染が広がれば大変なことなので今年は中止することにしました。海水浴に関する問い合わせも多く、その都度断っているがしのびない。長い歴史の中で初めてです」(沙美海水浴場運営委員会)◎福間海水浴場(福岡県)ビーチ沿いにはオープンスタイルのカフェなどが立ち並ぶ人気のスポット。ウインドサーフィンなどのマリンスポーツも盛んで、遊泳エリアとの間はロープで区切り、安全性も確保する。近隣のカフェやマリンショップら、地域一丸となり、安全や感染症対策を徹底する。「感染について完全に安全と言い切れませんが、ひとつでも多くの不安を取り除くため対策しています。コロナストレスの気晴らしに海沿いの散歩もおすすめ」(渡邊公義さん)◎大浜海水浴場(長崎県)長崎県五島列島の最北端、宇久島にある天然の浜。西海国立公園に指定され都会の喧騒から離れて大自然を楽しみたい人におすすめ。海開きは7月11日を予定し開設期間は8月31日まで。「港での消毒液配備や検温、田舎だからこそできるソーシャルディスタンスなどで受け入れ態勢をしっかり行っています」(宇久町観光協会)ただし、現在は感染者の多い地域からの来島は控えるよう依頼しているとのことだ。◎読谷村[よみたんそん]残波ビーチ(沖縄県)周囲にリゾートホテルが立ち並ぶ沖縄屈指の人気ビーチ。海開きは4月に行ったが、その後、自粛のためビーチはクローズ。6月中旬の自粛解除後、遊泳が可能に。「例年だと観光客や地元客でにぎわうこの時期に閑散として寂しいですね。夏へ向けてお客様に3密回避などをお願いしつつ、運営者も対策に努力します」(村担当者)◎豊崎美らSUNビーチ(沖縄県)那覇空港から車で約15分とアクセスのよさに加え、多彩なマリンメニュー、フェスやイベントも多数行われ、昨年は62万人もの人が訪れた。4月に海開きが行われたが緊急事態宣言発令とともにクローズしたが現在は再開。ビーチを管理するTSP管理共同企業体の久田友一郎さんは、「“密”にならないよう呼びかけていますが、7、8月のピーク時期にどれだけコントロールできるか」と不安をのぞかせた。■事故に遭わないために心がけること開設を中止する海水浴場の多くでライフセーバーや監視員が不在になる。砂浜で注意しながら遊ぶぶんには問題ないが、遊泳をすると危険が伴う。茨城県では6月に、監視員のいない海で水難事故が発生、2人が亡くなっている。しかし、海は公共のもの。開設中止の海岸で遊泳しても罰則があるわけでもなく、来場の禁止もできない。管理者や自治体は中止を呼びかけたり、駐車場を閉鎖するなど措置をとるが、海水浴場を開設していなくても一定数の遊泳客が訪れることが各地で予想される。神奈川県は『日本ライフセービング協会』と協定を結び、パトロールなどを依頼。他の自治体でも安全対策に頭を悩ませる。「開設中止だと例年のような安全対策が取れません。十分に注意をし、自己責任のもとで利用をしてもらうことになります」(同協会の担当者)■事故を防ぐ! 海水浴場の5つのNG行動各海水浴場は遊泳ルールを決めているはずなので、それを守ることは絶対だ。さらに事故を防ぐための5つのNG行動を担当者に聞いた。【1】子どもから目を離す「絶対に手が届く範囲で遊ばせてください」【2】浮具の使い方、サイズが間違っているライフジャケットを着用してもサイズが合わない、正しく装着されていないと危険。「海中でライフジャケットは浮き、身体は沈みます。密着してないと溺れる原因に」【3】飲酒して遊泳「お酒を飲んだら海には入らないでください」毎年、飲酒後の死亡水難事故も後を絶たないという。【4】熱中症対策を怠る「頭痛やめまいを感じ失神(意識消失)することもある」そんな状態で遊泳すれば溺れる危険性は高まる。【5】パニック状態になる自然要因で溺れた救助者の半数は離岸流が原因だった。離岸流とは海岸に打ち寄せた波が沖へ戻ろうとするときにできる早く強い流れ。波打ち際で巻き込まれ、大人も軽々と流される。離岸流の発生や危険な波の高さを判断するのは難しい。突然の強い流れでパニック状態になったり、その流れに逆らい岸に向けて泳げば疲労で逆に溺れる危険もある。泳力があれば浜に向かって45度の方向に泳ぎ、自信がなかったり、疲れていたら浜と平行に泳ぎ、強く引く流れから抜けたら岸に向かう。もしくは慌てずに浮いた状態で救助を待とう。はるか沖まで流されることはない。「また、台風も注意してください。台風がまだ沖にあり、風も強くないという状況でも打ち寄せる波は高くなっている可能性があります」コロナ感染予防では、浜では隣のグループと2メートル以上あけて座り、大声で話す行為は避ける。口をつけた飲み物や食べ物を回すこと、タオルの共用も控えよう。「海水浴の前には協会のホームページなどを参考に、事故防止や安全について学んでください。ルールを守り、譲り合いの気持ちを持って海を楽しんでもらいたい」●万が一のときは消防(119)や海上保安庁(118)にすぐ連絡を。■他府県とこんなに違う!沖縄の海水浴事情沖縄の魅力といえば南国特有の美しいビーチ。海が観光の目玉ということもあり、全国で唯一、全県的に新型コロナウイルス感染対策による遊泳禁止が解除されている。ただし、沖縄の海水浴場は他県とは異なる点があるのでピックアップした。海開きは3月下旬~4月。遊泳期間は10月ごろまでと長い。沖縄のビーチには「海の家」がなくビーチの売店でパラソルやチェアをレンタルもしくは、ビーチサイドの東屋や木陰を利用することとなる。管理されたビーチではコインロッカーやトイレ、更衣室、シャワー(有料)も完備されている。ただし、注意点もある。沖縄県の海水浴場では強烈な日差しと白い砂浜のため照り返しが強く、油断すると重度のヤケドになってしまうことがある。さらにハブクラゲやウミヘビなど危険生物も生息するためハブクラゲ侵入防止ネット内で遊泳しよう。■都道府県別海水浴場の開設状況(海なし県を除く)※取材をもとに編集部でまとめました◎全都県的にほぼ開設東京都(離島)・広島県・沖縄県×全府県的にほぼ中止茨城県・千葉県・神奈川県・福井県・大阪府・徳島県・香川県・山口県△一部中止(海水浴場ごとに要問い合わせ)上記以外の28道府県■◎開設しているビーチ◎蘭島市海水浴場(北海道小樽市)期間:7月10日~8月23日(人が集まるイベントの中止を呼びかけている)◎鰺ヶ沢海水浴場(青森県鰺ヶ沢町)期間:7月18日~8月23日◎内海海岸海水浴場(愛知県南知多町)期間:6月28日~8月31日(7月6日~8月18日はライフセーバーらを配置。海の家も開設するが各種イベントは中止)◎大浜海水浴場(静岡県西伊豆町)期間:7月23日~8月30日(海の家やイベントは中止)◎皆生温泉海水浴場(鳥取県米子市)期間:7月23日~8月16日(海の家はなし、海上アスレチックは設置)◎青島海水浴場(宮崎県宮崎市)期間:7月4日~8月30日◎田ノ浦ビーチ(大分県大分市)期間:7月1日~8月31日(海開きのイベントも実施)◎西の浜海水浴場(佐賀県唐津市)期間:4月21日~8月中旬ごろ(海開きの行事は実施ずみ)■×開設を中止しているビーチ×網代浜海水浴場(新潟県聖籠町)7月1日から8月16日まで巡回員を配置×お台場海水浴「お台場プラージュ」(東京都港区)新型コロナウイルスの影響が理由ではなく、オリンピックの関係で中止×若狭和田海水浴場(福井県高浜町)×大洗サンビーチ(茨城県大洗町)×二色の浜海水浴場(大阪府貝塚市)×有明浜海水浴場(香川県観音寺市)×しまなみビーチ(広島県尾道市)×磯海水浴場(鹿児島県鹿児島市)取材・文/伊東一洋(トラベローグ)
2020年07月03日※写真はイメージ現在、ホームレスと呼ばれる路上生活者の数は全国で4555人。この10年で7割近く減少しているという。東京都は’24年までにホームレスを“ゼロ”にする『ホームレスの自立支援等に関する東京都実施計画』を実施中。また、大阪府では’25年開催予定の万博に向け、日本最大級の日雇い労働者の街として知られる西成のあいりん地区を再開発し、観光客が歩きやすい街づくりに舵を切った。一体、ホームレスたちはどこへ行ったのか?また、このまま消えていくのか?ホームレスを取材して20年、著書『ホームレス消滅』で彼らの生活について詳しく触れている、村田らむさんに語ってもらった。■財布を落としてホームレスになった人も「ホームレスになったきっかけは、財布を落として免許証をなくしてしまったから会社を辞めた、なんて人も多いんです。再発行したり、住まいを失う前に手立てはいくらでもあるのに。ちょっと変わった人が多いのは事実」と、取材で自身が感じた彼らの印象を話し始めた村田さん。一般人にしてみると、彼らは何をするかわからない怖い人、というイメージがあるが、「確かに急に奇声を上げたり突然、追いかけてくる人もいます。ただし、そういう人は全体から見ればほんのわずかです。僕が彼らに話を聞き始めた’90年代末は、生活保護を受けるにはハードルが高くて、住所がないと申請できませんでしたし、60歳前だとまず通らなかった。いったんホームレスになってしまうと、社会復帰がものすごく難しい状況だったんです。あのころは不景気で普通の人もホームレスに転落してしまう人も多かったので、ちゃんと話を聞くことができる人もたくさんいました」しかし、彼らの救済システムが改善され、やりたくないのにホームレスだった人が減っていくと……。「好きでやっている人もいますが、精神的な疾患を抱えている人たちがかなりの数いることは確かです。そういった人たちは、自ら生活保護の申請などできませんから、ホームレスからの離脱はなかなかできません。本当はいちばん福祉の手を差しのべなくてはいけない存在だと思うのですが……」■お互い適当な距離感でやりませんか?そんなホームレスたちも、一般人が彼らを怖がるのと同じように、身の危険を感じながら生きているという。「コロナ禍でも話題になりましたけど、自警団的な行動をとる人たちがいますよね。危険な正義感というか、“役に立たない連中に対して警察は何もしないから、代わりに自分がやってやる”という。アルコール依存症や盗癖のある人もいます。ただ、本当に悪い人は捕まってしまいますから、極悪な人はほとんどいません。一般社会と彼らの社会の中にいる悪人の割合ってそんなに変わらないんです。ただ、人付き合いがうまくできなかったり、とっつきにくい人が多いのは事実。彼らを見てきた僕からすれば、お互い適当な距離感でやりませんか?と思ってしまいます」世界的なコロナの流行により、これからどんな不況が襲うかも未知数の日本。自治体などの施策により、これまで減少してきたホームレスだが、この先、どんな時代が待っているのだろうか?「最悪のシナリオでは、国が貧乏になり生活保護にお金を回せなくなると、ものすごくホームレスは増えるでしょう。今は普通に働いている人たちも、失業して国の援助もなくなればホームレスになってしまう可能性が高くなると思います」■Q.生活にかかるお金はどうやって稼いでいる?「“ホームレスは働いていない”と、彼らを否定する人がいますが、ほとんどの人は働いています。いちばん多いのはアルミ缶集めという『廃品回収業』です」厚生労働省が’16年に行った『ホームレスの実態に関する全国調査』では、55.6%が仕事をしているという結果が出ている。実際に彼らと同じ、アルミ缶集めの仕事を体験した村田さんは、「1日に3000円を稼ぐのがマックスですね。1kgで100円を目安として、30kgを集めるのは初心者には大変です。自転車を使って回収するルートを確保したり、マンションの住人に話を通しておいて分けてもらうとか。ただ、これも資源ごみとして捨てたものを勝手に持っていったりもするので、厳密に言うと窃盗に当たるんです。実際、僕も拾っていて怒られたこともありました」確かに、街中で空き缶を詰めた袋を山のように積んでリヤカーで運んでいる姿をよく見る。しかし、それだけの苦労をして“日当”3000円とは──。これに対して、路上に座ってお金をねだる人はほとんど見かけない。「日本では、ほぼ見ないですね。これは軽犯罪法第一条に引っかかる、いわゆる犯罪行為なんです。まあ、彼らがそれを理由にやっていないのかはわかりませんが、ホームレス同士で“そんなみっともないこと、やめておけ”という暗黙の了解のようなものがあります。食事は炊き出しなどでまかなっている人は多いです。ただ、生活保護や人からの施しは受けないという、プライドがある人も少なくありません」■Q.なぜ彼らはホームレスになったのか?「いろいろなケースがあります。多いのは、日雇い労働で日銭を稼ぎ、そのお金で簡易宿泊所に泊まる。そういった生活を続けていく中で、例えば病気や身体を痛めてしまうなど、働くことができなくなってしまったケースですね。それこそ、犯罪を犯して一般社会からドロップアウトする場合もあります。今だと、ネットカフェやサウナを泊まり歩いている人たちも、この境界線にいる人たちです」こういった人に対して“定職につかないのが悪い、仕事なんて選ばなければいくらでもある”といった言葉をかける人も少なくない。「そういうことを言う人は、組織に属しているサラリーマンが多いのかもしれませんが、自分とその周りの環境を基準にしているんでしょう。でも、誰もが五体満足で言葉も話せて、ちゃんとした学歴や免許もある、という人ばかりではないんです。確かに、不況などが原因でホームレスになってしまった人は、景気がよくなれば社会復帰できる可能性は高いです。でも、その人の性質として、例えば酒を飲んで朝起きられないとか、日雇い労働自体を続けることが難しい人もいるんですよ。学校でもみんなと同じ生活ができない人っていたじゃないですか。その人の生活環境も関係してくるし、現在の社会のシステムに適応できない人が常に何%かはいるということをわかってほしいです」■Q.河川敷で暮らしているのはホームレス?以前ニュースで、河川敷に家を建てて生活しているホームレスが報じられることもあった。「実際“レス”じゃないですよね。僕が取材した中では、3LDKで80平方メートルほどの庭つきの小屋がありました。僕の自宅よりもずっと広い(笑)。ただ、水害が起きたときはすべてが流されてしまうというリスクを伴っています」村田さんによると、河川敷で暮らしているホームレスは“ベテラン”なのだという。「公園、駅舎よりも、河川敷のほうが“ベテラン度”が上がるんです。ホームレス生活が長くなればなるほど、人の社会からどんどん離れていくんですね。ホームレスは、街に寄生するのが特徴なんです。公園や駅舎は街そのものですが、河川敷までいくと、街に寄生しつつも独自の社会というか、不法滞在のスラム街に近くなります。場所によっては家庭菜園をやっていたり、そこが好きだから住んでいるという人もいます」しかし河川敷は、国や自治体などの所有地で、そこに家を建てれば不法占拠となる。また、こういった報道を見た一般人からも、バッシングが増えるという。「彼らが幸せそうに暮らしているのを見ると、一般人が怒るんだそうです。毎日イヤな思いをしながら仕事して生活している俺より、なんでこいつらがこんなに幸せそうなんだ、って。不幸なら許してやるけど、自分より楽しそうというのが我慢できないという心情なのでしょう」むらた らむ◎ライター、イラストレーター、漫画家。ゴミ屋敷、新興宗教、樹海などをテーマに取材活動を続けている。近著は『ホームレス消滅』(幻冬舎刊)(取材・文/蒔田稔)
2020年07月03日ウーバーイーツの配達に向かう三宅諒選手(C)コモンズ22020年4月29日。ロンドン五輪フェンシング銀メダリストの三宅諒選手が、『note』(文章や写真、音楽、映像などさまざまな形態の作品を投稿できるウェブサービス)における自身のブログに《明日からバイトを始めます》というタイトルの記事を掲載し、話題となった。そこには「アルバイトを始めるいちばんの理由は他でもなく、お金がないからなんです」という切実な思いが綴(つづ)られ、お弁当などのデリバリーを行う『Uber Eats(ウーバーイーツ)』の配達員として働くことが記されていた。三宅選手と私は、慶應義塾大学の先輩・後輩という間柄。1か月ほど前、プライベートで“オンライン人狼”(言葉巧みに騙し合う、多人数参加型の推理ゲーム『人狼』のオンライン版)をして遊んだ。その数日後「メダリストがアルバイト開始」というニュースがネットを駆けめぐったため「もしかして一緒に遊んだ日も、本当はかなり悩んでいたのだろうか」などと勘ぐってしまい、連絡をしていいものか正直、わからなかった。しかし、そこから1か月近く経っても、日本では新型コロナの影響や五輪の中止について、スポーツ選手の声が聞こえる報道をあまり目にしない。しかし、三宅選手のことが海外で多く取り上げられていると聞き、しっかりと本人に話を伺う必要があると感じて連絡を取った。「アスリートファースト」がうたわれ東京五輪が1年延期されたが、これを受けて現役アスリートらはどのような事態に陥っているのか。三宅選手の現状や心境を、詳しく語ってもらった。■自らの意思でスポンサー支援をストップまず、彼がアルバイトを始めた本当の理由について「スポンサー支援を打ち切られたからだ」とミスリードをしている人も多いが、それは違う。三宅選手は、’12年ロンドン五輪フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得し、東京五輪にも出場することを目指してトレーニングを積んでいた。しかし、選考の対象となる大事な試合が新型コロナで中止になってしまい、代表選手も決まらないまま、東京五輪の延期が決まった。この時期は「とにかく精神的にキツい。アスリートとして自分に何ができるのかと、毎日のように悶々(もんもん)としていた」(三宅選手・以下同)という。社会人アスリートの場合、会社に所属するか、自分でスポンサーを見つけるかという2パターンが多い。三宅選手は「’18年の結果がよかったので、東京五輪を目指せます」と自ら売り込み、’19年度から不動産会社、保険会社、ガス会社の3社を個人スポンサーとしてつけていた。しかし、三宅は今年1月の入金を最後に、スポンサーからの支援を断った。そもそも、フェンシング選手が活動するにあたっては、いくらくらいお金がかかるのだろうか。五輪代表をかけたレースは国内のみに止まらず、国際大会も多く開催される。五輪延期が決定した3月24日、三宅選手はツイッターに、日本フェンシング協会から届いた請求書の写真をアップした。イタリア、フランス、エジプトで試合や合宿などを行った費用が67万円を超えており《これは高い。 しばらく払い続けてるけど、これは気合入れないと続けられないな。 #自己負担 #突かれる心》という自身のコメントが添えられていた。「また、フェンシングの場合、競技費用として年間250〜300万円ほどかかります。生活費も含めると、競技を続けていくには最低でも年間500万円は必要ですね」この額を担保するためのスポンサーを自分で見つけなければいけないから大変だ。ただ、三宅選手は新型コロナで人々がさまざまな制限を設けられ、自分たちの活動拠点である練習施設も閉鎖されているなか、お金をもらい続けることに疑問を抱き始めたという。「この状況下で無責任に“もう1年ぶん出資してください”というのは企業にとってもよくないだろうし、自分にとっても、プレッシャーが大きすぎました。代表に選ばれるかも分からない、東京五輪が開催されるのかも分からない。“結果を出します”と売り込みにいったのにも関わらずこれでは申し訳ないと思い、スポンサー支援をいったん止めて、状況が明確になるまで更新を保留してもらうことにしました」もらい続けることもできただろうに(もったいない)、という声も多かったらしい。「 アルバイトを始めたのはお金がないから。東京五輪の開催が危ぶまれ、試合どころか練習すら満足にできず、自分にどれくらいの価値があるのかも示せない。でも、今も夢を叶(かな)えるため、そしてフェンシングを続けていくために精一杯、もがいてはいる。今後はそんな自分を買ってくれ、“等身大の君でいい”と応援してくれるスポンサーが新たに見つかったらうれしいな、という気持ちもある」という。■困っている選手が救われる社会に働き口にウーバーイーツを選んだのは「時間の自由が利くし、体力の低下を防ぎ、足腰を鍛えることにも繋がるから」。自転車を有酸素運動と捉えるのは、アスリートならではだと感じた。確かに新型コロナが拡大してから、黒字に緑色のロゴが入った大きなバッグを背負って、自転車で弁当を届けるウーバー配達員らの姿を以前より多く見かけるようになった。私も週に2回は利用している。昨今ではアルバイトの配達員が増えすぎて仕事の奪い合いになっており、1日にあまり多くは稼げない、という話をよく聞く。現在、三宅選手は週に3〜4日ほど配達員をしているという。剣を持って広い場所での練習ができないので、オンライン上でトレーナーから指示を受けながらの激しいトレーニングを週2回前後、行っており、その練習がない日には配達に出ているとのこと。三宅選手のもとにはSNSなどを通して、世界中の配達員たちから「俺もウーバーをやっている」という写真が届くという。一方で、「配送業をなめている」というメッセージがくることも。実際に配達をしても本人だとバレないのか聞いたところ「本名で登録し、顔写真も掲載していますが、まったく気づかれません。新型コロナの感染を防ぐために玄関先に置いておくケースも多いので、注文者とあまり顔も合わせないですし」ということだ。もしかして、あなたのお弁当を運ぶのが五輪選手かもしれないと思うとなんだか恐ろしい。三宅選手は「自分は今のところ、なんとか難を凌(しの)げているが、今後はアスリートにも“難民”が増えてくる可能性が高い」と危惧している。「スポンサーは1年契約であることが多いです。東京五輪が開催されるかわからないままの状況では、今後、契約が打ち切りになる選手も出ることが予想されます。非常事態とはいえ、文化や芸能・スポーツに対する国からの支援は、十分ではないと感じます。自分は競技歴が25年と長いほうですが、このご時世ではもっと若手の選手を含め、アスリートが自分の力で稼げるようになるのも大切です。さらには日本オリンピック協会がファンドを作ってアスリートを支援するなど、スポーツ選手のセカンドキャリアがもっと考えられる社会になればうれしいです。でも、好きで(競技を)続けているので、ある程度の苦難は仕方がないかな、と思う面もあります。ただ、今回は自分だけが運よく救われそうですが、ほかにも困っている選手がたくさんいるので、少しでも待遇が改善されればと願っています」人気のあるスポーツとないスポーツがあり、スポンサーがつきにくい競技があることは理解できる。しかし「アスリートファースト」を理由に延期したのだから、アスリートたちが少しでも安心できる環境を整えてもらえることを祈るばかりだ。メダリストがアルバイトで食いつなぐだなんて、やはり社会的な損失が大きいだろうし、現状に違和感を覚える。放映権などの利権争いや一部の人だけが儲かる五輪ビジネス。こんなご時世だからこそ、もっと選手のもとに還元される方策を考えたい。(取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな)※この記事は、私たかまつなな個人の発信です。所属する組織・勤務先とは一切関係ありません。問い合わせは、下記アドレスまでお願いします(infotaka7@gmail.com)【PROFILE】三宅諒(みやけ・りょう)◎フェンシング選手。千葉県市川市出身、慶應義塾大学文学部卒。’07年 世界ジュニア・カデ選手権男子フルーレ優勝、’12年 ロンドンオリンピックフェンシング男子フルーレ団体銀メダリスト。’14年 アジア大会男子フルーレ団体金メダリスト【INFORMATION】本件については、Youtube『たかまつななチャンネル』内の動画「なぜ、メダリストがウーバーイーツの配達員を?」でも話しています。リンクURL→
2020年05月26日櫻井翔《男子校で有り難かったですよ。キャーキャー言う人がどこにもいない(笑)》ジャニーズタレントにおいて頭脳派として知られる櫻井翔。彼が長年、『news zero』(日本テレビ系)のキャスターを務めていられるのは、努力と実力もさることながら“母校”を卒業したことも自信になっているのかもしれない。この度、そんな櫻井が“学び舎”として過ごした、慶應義塾の機関誌『三田評論』における連載企画《話題の人》に登場。櫻井が高校3年時に授業を受けもった“恩師”である、同校の名誉教諭・石川俊一郎氏のインタビューに応えたのだ。「彼が高3のとき、つまり1999年は嵐がデビューした年です。どこに行っても黄色い声援を浴び、女性ファンに追われる生活を送っていた彼にとって、気心知れた同級生がいる、しかも男子校は“避難所”にもなっていたのかもしれません」(アイドル誌編集者)アイドル業をこなしながらもナント、無遅刻無欠席を続けていたという櫻井。しかし、多忙極める仕事だけに、学生生活との切り替えには苦労したようだ。《きつかったのは、高校3年と、大学の2、3年ですね。高校の時は、デビューしばかりで、仕事のペースも分からない。でも学生だから学校を休むわけにはいかず、いわば初めての両立という意味で大変でした》石川先生の授業でも度々居眠りをしていた櫻井。周囲の学友が起こそうとするも、《櫻井くんは皆にはできない体験をしている。これは彼にとって将来糧になることだから起こすな》と、先生は許容していたのだという。■息子は将来、外交官になるものと一方で、慶應ならではの悩みも。幼稚舎から在籍していた櫻井と同様に、周囲には将来の政財界を担う“エリート”の息子たちばかりがいたわけだ。《ジャニーズ事務所に入って芸能活動をするということは、当然、一部の先生や保護者の方々から多少なりとも良く思われていないところがあったと思うんです》彼の父・俊氏もまた、総務事務次官まで上り詰めたエリート中のエリート。当然、自分とはまったく違う進路を選ぼうとする息子に当初は困惑していたという。櫻井家を知る芸能関係者が話す。「当たり前のように“息子は外交官に”と思っていたお父さんは、“芸能活動は部活みたいなもの”“高校生を卒業したら辞めるだろう”とタカを括っていたそうです。そもそも、ジャニーズに入ったのも事後報告だったんですね。意外にも熱心な翔クンに対し、嵐を続ける条件として“学校はやめるな、絶対に大学まで卒業しろ”と課したそうです」この時のことを、櫻井自身も語っている。《大学に入る時も、「もし嵐を続けるんだったら、留年したら学費は自分で払え」と親には言われました。それは、留年したら芸能活動させてもらえない、ということだなと思いました(笑)》『三田評論』のインタビューでは、2006年から始めたキャスター業にも話題が及ぶ。いまではすっかり板についた印象だが、視聴者に受け入れられた秘訣を自ら明かしている。《もう「現場で学ぶ」という感じです。僕はいわゆるアンカーマン的に自分の主義主張や意見を言う立場ではないと思うんです。(略)「僕はあくまで被災地に行って、被災者の方の声を多くの人に届けよう」と。例えば働き方改革の話でも、僕は社会人経験がないからよくは分かりませんが、だからこそ「そんなことがあるんですね」と視聴者の人に伝えられるかもしれない》そんなキャスターになったきっかけを、《慶應義塾大学を出たということを、自分の仕事に還元できるのではないかと考えた》と、恩師を前にもっともらしい経緯を話していた櫻井。実は、こんな思いもあったのだとか。「ハワイデビューこそ華々しかった嵐ですが、その後は鳴かず飛ばす。まだ大学生だった翔クンは“この先、嵐はなくなってしまうのでは”と考えていたと言います。今更、お父さんに“ジャニーズを辞める”とも言えない中で、彼が他のタレントと差別化を測った、高学歴ならではの道が司会やMCではない“報道キャスター”に辿り着いたのでしょう」(前出・芸能関係者)この櫻井の成功を機に、高学歴ジャニーズらが次々とキャスター業に進出。後輩に道を示す“先駆者”になったわけだ。昨年11月、デビュー20周年を迎えた国民的アイドル・嵐。天皇陛下御即位をお祝いする「国民祭典」で歌唱し、本来ならば今年は東京五輪でも大活躍する予定だった。《基本的には光栄で、最大の誉だなと感じるだけです。自国開催のオリンピックのお仕事をいただくとか、陛下の式典のお話を最初にいただいた時は、信じられないというか、事が大きすぎて実感がなかったですね。高校3年生の時には、想像もしなかった未来です》■次のステージに行くタイミングそして気になる今後だ。2020年をもって活動休止する嵐の「未来」を見据える。《12月31までに嵐としてやりたいことはいろいろありますが、来年以降のことは、まだ具体的に考えられません。一方、ちょうど年齢も39になるので、やはり同級生を見ても転職する人もいるし、次のステージに行くタイミングなんだな、とは感じます》一部では、五輪延期に合わせて活動延長も報じられたが、実のところはどうなのか。そして、櫻井が口にした、気になる“転職”や“次のステージ”が意味するものは?「2020年での活動休止はメンバーが長らく話し合って決まった結果です。“じゃあ、延長!”と軽々しく覆すことはないと思います。そして今後ですが、政治家との距離が近かったお父さんのもとには以前より、冗談も含めてでしょうが、“息子の出馬”についての打診も。キャスターとしてさらなる勉強に励み、ゆくゆくはアイドルとしてではなく、政治家として国民の心を動かす日が来るのかも知れませんね」(前出・芸能関係者)まずは悔いのないラストイヤーを走り抜けてほしい。
2020年05月23日「自己表現ではなく、人の役に立つモノづくりがしたい」。阪神・淡路大震災と恩師や身内の死による喪失感から、生粋の芸術家は絵が描けなくなり、デザインの仕事を始めた。大きな挫折と悲しみを乗り越え、生み出したメダルデザイン。そこには、アスリートの努力と険しい道のり、周囲の支え、つらい時期を経験したからこそ輝きが増す栄光、そんな「光と影」が繊細に表現されていた。2019年7月、東京五輪のメダルデザイン発表会見で金、銀、銅の実物が披露された(写真/共同通信)■羽生結弦選手の姿に胸を打たれた津軽三味線奏者である吉田兄弟の演奏と元新体操選手・坪井保菜美さんのダンスパフォーマンスで華々しく幕を開けた2019年7月24日の「東京2020オリンピック1年前セレモニー」。注目のメダルデザイン発表では、トップアスリートが壇上にズラリと並び、まばゆいばかりに光り輝く金・銀・銅のメダルがお披露目された。「色みが深いですね」とウエイトリフティングの三宅宏実さんが見栄えのよさを絶賛。すでに現役を引退している女子サッカーの澤穂希さんも「もう1度、選手に戻って五輪を目指したくなりますね」と目を輝かせた。このメダルをデザインしたのは、大阪・天王寺でデザイン事務所『サインズプラン』を運営する川西純市さん(52)。本業はサインデザイナー。病院や学校、商業施設内の案内板など、人々のスムーズな行動を促す案内誘導のピクトグラム(絵文字)やロゴマーク、グラフィックの計画に携わる。421人がエントリーしたコンペティションを見事に勝ち抜いた川西さんが、メダルデザインで試行錯誤した過程をこう振り返る。「最初は月桂樹をスケッチしながら、紙の上でグルグル輪を回していたんです。人が手をつないで輪を作る絵も描いたけど、宇宙人みたいになって(苦笑)。そんなとき、ふと『世界の輪、友情の輪を入れたいな』と。仲の悪い国同士でも手をつなぎ合えるのがオリンピック。多様性を認め合うことを伝えたかったんです」「光と輝き」「アスリートや周りで支える人々のエネルギー」「多様性と調和」この3つの要素がひとつの光の環になるデザイン。渦をかたどる曲線が特徴で、それぞれ異なる角度で彫られているため、向きによって「光と影」が生まれる。ここに川西さんは強い思いを込めた。「アスリートというのは家族や友達、周囲の人の支えがないと成功できない。うまくいっているときばかりではないし、調子が上がらず苦労するときもある。そんな部分も『光と影』で表現したいなと感じました。そう強く思ったのは、2018年平昌五輪の男子フィギュアで連覇した羽生結弦選手の姿を見たとき。足のケガを乗り越えて栄光をつかんだ頑張りに胸を打たれました」ネット上では「クッキーみたい!」「ジャムをのせたらおいしそう」といった書き込みもあったが、川西さんは「みなさんに親しみを持ってもらえるのならうれしいです」とやわらかな笑顔を見せる。新型コロナウイルスの感染拡大で大会の1年後ろ倒しという前代未聞の事態が起き、日本中が揺れ動いているが、川西さんは今、何より平和を願い、東京五輪が安心・安全に開かれることを祈っている。「コロナのこともそうですけど、人生というのは何が起きるかわからないですよね。予期せぬ困難が突如として目の前に現れるかもしれない。本当に油断できないと思います。そんなときこそ、今を大事にひとつひとつ、しっかりと仕事をしていきたい。それはアスリートのみなさんも同じ気持ちだと思います」五輪延期という苦難に直面した選手たちに思いを馳せつつ、自らを奮い立たせる。川西さんの人生もまた紆余曲折の連続だった。自然災害に翻弄され、愛する家族との別れに涙し、一時的に絵が描けなくなるなど、波瀾万丈の人生を送ってきた。だからこそ、選手の努力の軌跡や、周りで支える人々にも目を向けた繊細な作品を生み出せたのではないだろうか。■喘息持ちの少年、絵画の道へ1964年の東京五輪から3年後の’67年。川西さんは経済成長著しい大阪で生をうけた。両親と2歳下の弟の家族4人、東住吉区杭全町で育った。当時の大阪は光化学スモッグがひどく、喘息ぎみだった川西少年は身体を丈夫にするため、少林寺拳法の道場に通った。そんな矢先の’72年、近所を流れる平野川の大氾濫で、自宅が水害に遭う。父は絨毯を裁断して貼りつける見本帖の工場を経営していたが、機械がダメになり、廃業に追い込まれた。そこから大阪府内で2度引っ越し、さらには「松阪に引っ越すで」という父のひと声で三重県へ転居。結局、6年間で5つの小学校を転々とすることに。転校を繰り返す日々は複雑だったが、自然いっぱいの松阪への移住で、喘息は完治し、元気いっぱいの少年へと変貌した。美術の才能が開花し始めたのもこのころ。小学生のときに歯科衛生ポスターで松阪市長賞を受賞したのを皮切りに、中学時代は松阪百景の木版画で特選に入るなど、一目置かれる存在に。才能を高く評価した中学校の担任が、宇治山田商業にいた美術の先生に「こういう子がいるから面倒を見てほしい」と打診した。高校入学後は美術クラブに入り、サルバドール・ダリなど超現実主義の画家に憧れ、夢中で絵を描き、賞をとった。当時はまだ「芸術で飯を食おう」とは真剣に考えてはいなかったが、美術の先生から「推薦で大阪芸術大学に進まないか」と声をかけられ、気持ちが大きく変化する。’86年、日本中がバブル景気で華やかなころに入学。川西さんの周りにも高級車を乗り回したり、高価な画材を惜しげもなく使ったりする裕福な学生がいたが、自身は奨学金を借りて安い家賃の下宿に住み、アルバイトをしながら抽象画の制作に精を出した。3~4年時は日本屈指の洋画家・版画家、泉茂先生の研究室に入り、アトリエに通い詰めるようになった。「形にはエネルギーがある。丸を描いたときにできるひずみやゆがみは何を意味しているだろう。それを考えなさい。わからなかったら作品を描いて持ってきなさい」泉先生は常日ごろから学生にこのような問いかけをしていた。川西さんは「自分を1人のクリエイターとして扱ってくれている」とうれしくなり、創作意欲が湧いたという。「卒業制作は3mの高さの絵画を制作しました。『輪廻転生』を表現した絵画は10万円で買い手がつきましたが、実は材料費だけでその倍なんですよね……(苦笑)。それでも人生で初めて値段のついた作品ということで思い出深いものになったのは確かです」抽象画をより突き詰めたい思いが高まり、卒業後も同大学の専攻科に進学。本来、1年で修了するところを2年間、懸命に学んだ。それから3年間はデザイン学科の研究室で副手として勤務し、作品制作を継続した。■震災、恩師と父の死で絶望’95年1月17日の5時46分。兵庫県の明石海峡を震源としてマグニチュード7・3の大地震が発生する。「なんか地響きがするな……」大阪平野区の自宅兼アトリエで眠っていた川西さんは揺れの直前に異変を感じ取った。窓の外を眺めていると、部屋中がグラグラと激しく揺れ始め、身構えた。物が落ちたり、壊れたりという直接的な被害はなかったが、過去に感じたことのない感覚に襲われ、放心状態に陥った。「アパートの一部が壊れて住めなくなった彫刻家の友人が僕の家に1週間ほど来たんですが、『絵や彫刻では困っている人を直接的には助けられない。芸術やってて何の意味があるのかな……』と2人して虚無感に襲われました。泉先生は『自分のすべてをぶつけるのが表現だ』と言っていましたけど、本当にそんなことをしていていいのだろうかと迷いやジレンマを感じました。自分が生きている意味もわからなくなってきて、精神的にかなり落ち込みましたね」西淀川高校や都島工業高校の美術の非常勤講師の仕事はかろうじて続けたが、メンタル的にも、経済的にも限界が近づいていた。専攻科時代の同期で現在は絵画作家の粟国久直さん(54)は、当時の芸術界の窮状をこう明かす。「関西の経済界が大打撃を受けた影響で、活動が立ち行かなくなった芸術家や作家はたくさんいました。収入がなくなっただけでなく、勤め先を解雇されたり、住む家を失う人もいて、全く将来が見えなかった。彼みたいなきまじめな人ほど精神的に追い詰められたのかなと。僕ら友人には何の泣き言も口にしませんでしたけど、本当につらい時期を過ごしていたと思います」悪いことは重なるもので、恩師・泉先生が5月に急逝。がんを患っていた父の容体も悪化した。「余命1年」と宣告を受け、大阪と松阪を行き来しながら看病に励んだが、翌’96年2月には永遠の別れが現実に。とうとう川西さんは絵が描けなくなった。「この年は無気力状態で、フリーターみたいな生活をするのが精いっぱいでした……」そんなとき、救いの手を差しのべたのが、のちに妻となる真寿実さんだった。京都府内で開かれた個展に友人と足を運んだのが縁で知り合ったという。「夫の絵を初めて見たとき、『ああ、ナイーブな絵を描く人なんだな』と感じました。1・5m四方の大きなキャンバスに、塗り重ねた白や紫などかすかな色で染色体のイメージが描かれていて、全体に淡い色使いでしたね。しゃべったときは人当たりがよくて、作家仲間やギャラリーの人にさりげなく気配りしているのも印象的でした。『こういう絵を描く人はどんな生活してるんかな』と興味が湧きました」■サラリーマンになる!2人は徐々に信頼関係を深めていった。美術に造詣が深く、写真も手がけていた真寿実さんはよき理解者となり、彼女の存在が再起のエネルギーにもなった。「ズタボロだったんで、明るい彼女が近くにいてくれるだけで救われました」泉先生や父の死という耐えがたい苦しみに直面するたび、献身的にサポートしてくれた彼女との結婚を真剣に考えるようになった。28歳のとき、ひとつの重大な決断を下す。抽象画家の活動にいったん見切りをつけ、サラリーマンになろうと心を固めたのだ。「結婚するにあたって、僕に収入がないんじゃ、ご両親に挨拶にも行けない。モノを作りながら収入を得る方法をまじめに考えました。世の中や多くの人のためになる仕事をやりたいと思うようになって。30歳を前に生活を変えるのは思いきりのいることだったけど、飛び込むしかなかったですね」職探しを始め、『ランドスケープのデザイン』という職種の募集を見つけた。面接に行くと、経歴を見て何も言わずに採用してくれたという。転身を打ち明けられた粟国さんは「苦渋の選択だったはず」と複雑な思いを代弁する。「川西さんは在学中から作家活動をしていたし、関西のみならず、関東にも進出して知名度もあった。僕にしてみれば、頭ひとつ抜きん出た存在でした。描くのもガチガチの抽象画。『生粋の芸術家やな』と感じていました。その彼から『俺、諦めるわ』と打ち明けられたときはホンマにビックリした。確かな才能があったんでみんな『もったいない』と口をそろえていました」真寿実さんは「絵を描いたら?」とたびたびすすめたが、「今はそういう気にならへん」と返されるばかり。「『最近、川西君、描いてないね』と周りから言われるたびに何とも言えない気持ちでした。両親も生活基盤のまだない夫との結婚話に驚き、私も『どうしようか』と迷いました。そんな中、しばらくして父が『川西君の可能性に賭けろ』と、ふと言った。それが自分の心を動かしました」真寿実さんはさまざまな思いをいったん封印。新たな道を切り開こうとしている夫を支えようと決めた。「キミはもう作家じゃない。意識改革して仕事に臨んでくれ」ランドスケープのデザイン事務所での日々は、所長からの厳しい言葉とともにスタートした。それまでは好きな時間に起きて絵を描く自由な日々を送っていたが、社会人になった以上は満員電車に乗って出社し、責任ある仕事をしなければならない。「猛烈に忙しくて3日に1度は徹夜。デザイン案を出してもなかなか認めてもらえず、怒鳴られまくりました。3日徹夜して朦朧としたときには、さすがに鬼上司への憎しみしか出てきませんでした(苦笑)」劇的な環境の変化には戸惑ったものの、仕事のやりがいはあった。同社は街の花や造園整備、公園の設計など空間デザインを主に手がけていた。特に奈良県宇陀市の自然公園の仕事は強く印象に残っている。「野球場が2~3面は入るくらい広大な自然公園のどこに花や木を植え、遊具やサインを設置し、ベンチを置くかという全体プランを考える仕事でした。『試しに川西にやらせよう』と所長は考えたのでしょう。何からやっていいのかわからない僕がボンヤリとした案を出したら『お前、調べたんか。いい加減な仕事するな』と真っ先に一喝されました」すぐさま、いくつかの公園を回ってベンチの高さを測ったり、遊具の配置を事細かく調べたりして、具体的なアイデアを出した。だが、『どれもこれも使えない』と断罪されてしまう。「本当に地獄でしたね(苦笑)。ただ、所長の厳しさは『よりよいものを作りたい』という思いからなんです。ギリギリまで僕らを追い込み、最後に助けてくれるのもいいところ。1年半で退職しましたけど、社会人1年生として厳しさを覚えたことはプラスになった。心身ともに鍛えられました」■鬼上司に鍛え上げられ、独立へ川西さんが扉を叩いた次なる職場はサインメーカーの『びこう社』。前職の空間デザインとは異なり、公共・商業施設の案内図や出入り口・トイレの表示、病院の診察科やフロア案内などをデザインし、製作・施工の管理をするのが主な業務だ。川西さんは「サインデザイン」の世界に飛び込み、自分の可能性を広げていったのである。同社の同僚で、現在も一緒に仕事をする機会の多い、びこう社大阪支店長の野間口誠さん(47)が懐かしそうに語る。「3年間一緒に働きましたが、お互いよく上司に怒られていました。トラブルが起きるたびに『会社の利益がなくなるやろ。どないすんねん』とストレートに言う上司で、戦々恐々としていました。川西さんと夜、オフィスで一緒になると『今日もまた怒鳴られた』とか『こんなトラブルがあった』と、たわいのない話をしては慰め合いました。僕にとっては痛みを共有したいい仲間。穏やかな人柄にも癒されることが多かったです」8年間、再び鬼上司に鍛え上げられた。それが奏功し、実績を確実に積み上げていった。そのひとつが、2003年に三菱重工長崎造船所で建造が始まった豪華客船『ダイヤモンド・プリンセス』と『サファイア・プリンセス』の3万点に及ぶサインの施工管理。延べ半年ほど寮に泊まり込み、無事完了させたのは大きな自信になった。「僕はもともと古代遺跡巡りが大好きで、イタリアのポンペイには学生時代に行きましたし、バリ島やジャワ島にも新婚旅行で出かけましたけど、古代のいろんな絵文字を見ては『こういうのは斬新だな』『作ってみたいな』と感じていました。抽象画をやめてデザインの世界に来たころは少し複雑な気持ちもありましたけど、仕事をやればやるだけ、自分がデザインしたものが実際に形になり、社会の役に立っていく醍醐味ややりがいを感じるようになった。モノ作りに対しても真摯な姿勢と責任を持って取り組まないといけないという自覚が日に日に強まっていきました」そして迎えた2006年、またも驚くべき行動に出る。アッサリ会社を辞め、独立に向けて動き出したのだ。「辞めてどうするの?」妻・真寿実さんにとって、この出来事はショッキングなものだった。長男も2歳になったばかり。収入が途絶えたら一家は路頭に迷う。40歳を前にした大胆なチャレンジは波乱含みだった。事務所を構えたのは大阪市生野区。妻の父が経営する印刷会社の一角に間借りしてオープンした。最初の月は仕事が少なく、働いたのは10日間だけ。暇さえあれば掃除していた。義理の父も黙っていられず、「こういう仕事はどうや?」と助言をくれたが、「いえ、大丈夫です」と不安に耐えた。■またも突然にやってきた、悲しい別れ独立した噂が仲間内に広がり、広告代理店から就職の誘いもあった。待遇のいい会社だったが、「欲しいのはお金じゃない。自由にモノを作りたいから独立したんだ」という矜持があり、後ろ髪をひかれながらも断ったという。これを機に営業の電話をかけたり、プレゼンに参加するなど、アクションを起こし、徐々に仕事が入るように。「いい仕事をするサインデザイナーがいる」という評判も広がり、食えない状態からいち早く脱することができた。それから数年もたたないうちに川西さんを新たな悲しみが襲う。2008年にたった1人の弟をがんで失ったのだ。「弟は当時、不動産会社を営んでいて、多忙を極めていました。久しぶりに会ったとき、少し太ったかなと思ったら、『腹が張って身体もだるい』と言うので検査をすすめました」ドクターから告げられたのは、信じがたい病名だった。「大腸がんのステージ4です」ショックを受けた川西さんは毎週のように大阪から名古屋に通って弟を見舞ったが、半年後に命を落としてしまう。まだ30代の若さだった。父に続き、弟も亡くすという悲運。そのぶん、自分は妻や子どものためにしっかりと生きなければならない。目の前の仕事に必死に打ち込むしかなかった。そんな川西さんの頑張りを近くで見ていた人物がいる。独立前から長く仕事をしている建築家の芦澤竜一さん(48)だ。建築界の巨匠・安藤忠雄氏に師事した後、独立。国内外で斬新なデザインのホテルや住宅などを造っている彼は「柔軟性があるサインデザイナー」と川西さんに絶対の信頼を寄せる。「最初に知り合ったのは、まだ、びこう社におられた2005年。『ホテルセトレ・舞子』の案件でした。僕自身、独立後ホテルを手がけたのは初めてでしたが、サインデザインというのは非常に重要。全体の意図を要求して細かいところまで詰めていけたので、気持ちよく仕事ができました。ムチャぶりしたところもありますが、何でも笑顔で対応してくれる。そこは本当にありがたいですね」芦澤さんはその後、手がけた『セトレならまち』(奈良市)で、金属を錆びさせた素材を使って、日本の伝統である『わびさび』を表現するサインを取りつけるアイデアを示した。これが川西さんにとっては超難問。サイン業界で錆を使うなどタブーといってもよかったが、建築家の意向を酌んで挑み、形にした。「芦澤さんの建築はハラハラするものばかり(笑)。天井や壁を斜めにしたりと施工業者泣かせなんですが、すべてはモノ作りの情熱の表れ。ここまでの設計者にはお目にかかったことがない。僕も『やらなきゃイカン』という気持ちにさせられますし、大きな刺激をもらっている。難易度の高いデザインを共有することでより深い思考ができるようになったと思います」■来院者に安心感を与える空間を真摯な姿勢と確かな仕事ぶりが高く評価され、2010年代は大型プロジェクトが続々と舞い込んだ。京都製作所や和歌山信愛中学校・高校、島根県の雲南市役所、甲南大学、浜寺病院、商業施設「なんばスカイオ」と目覚ましい実績を残したのだ。「和歌山信愛中高は、先生と生徒が家族のような関係性になることを意識してピクトグラムを作りました。雲南市役所は桜の名所だからソメイヨシノや吉野桜のデザインを。甲南大学は原色をふんだんに使って学生たちの活力やエネルギーあふれる姿をイメージしましたし、浜寺病院は精神科病棟ということで、温かみのある雰囲気を出すために穏やかな色使いを意識しました。どれも思い入れのあるものばかりです」2019年に完成した神戸市・新長田合同庁舎も代表作のひとつ。ともに仕事をしたのは、びこう社で同じ釜の飯を食った野間口さんだ。「シックな壁にパステル調の案内図をあしらうなど、かなり独創的で特殊なデザインをしていただきました。川西さんはお客さんの意向を酌んで反映できる。芸術家上がりだと自分の意見を押しつける人も多いと思いますけど、そういうところが全くないからやりやすいんでしょうね」独立から14年。川西さんにはお互いを尊重し合えるいいパートナーが何人もでき、人に寄り添うデザインを心がけてきた。5月7日に和歌山市内に移転開業する予定の医療法人博文会『児玉病院』のサインデザインも心を込めてした仕事のひとつ。3~6階の病棟にはモスグリーンやオレンジ、クリーム、ベージュという温かみのある色を使い、ミツバやキキョウなど季節の草花のイラストをたくさんあしらった。その数はお蔵入りも含めて約100点。川西さんは図鑑や写真などで観察してイメージを膨らませ、筆ペンでひとつひとつ丁寧に描き、デジタル化という手間のかかる作業をして壁に設置。来院者に安心感を与えるような明るく爽やかな空間をつくった。「最初は10点くらいという話だったんですけど、70、80、90と増えて各フロアにたくさんの草花が配置される形になりました。見たことない草花も多かったので、そろえるのに何か月もかかりました。病院に来られる方というのは不安や心配事を抱えている。働くお医者さんや看護師さんも張り詰めた緊張感に包まれる中、仕事をされています。そういう方々に少しでも穏やかな気持ちになってもらいたい一心で花をひとつひとつ描いたつもりです。施工の清水建設さんも緻密な仕事をしてくれる。みなさんの協力があって自分のデザインが形になる。ありがたく感じています」サインデザイナーである川西さんが東京五輪のメダルを生み出すとは、周囲にいる人間は誰ひとり、想像していなかった。当の本人も軽い気持ちで応募したという。2019年4月25日の夜21時ごろ、オフィスに1本の電話がかかってきた。軽く晩酌していた川西さんは少しできあがった状態だったという。「『今日審査があって最終3作品に選ばれました。明日、東京に来れますか?』と。まさに青天の霹靂でした」■つらいことがあるからこそ2日後、東京のオリンピック組織委員会へ出向き、造幣局の担当者も交えて立体の試作品を作る打ち合わせをした。担当者に「これは難しいな」と言われ、ラスト1作品に残るのは無理だろうと感じた。それでも「ここまで来たら大満足」と胸を張って帰宅。真寿実さんも「実物を作ってもらえるだけでよかったやん」と笑顔で迎えた。忘れかけていた約2か月後、再び電話が鳴った。「東京五輪のメダルに内定しました」ただ、川西さんは素直に喜べなかったという。「『まだ内定なので、喜ばないでください』と言われたんです。何かあれば2番手の作品が繰り上がるということ。心から実感が湧いたのは実物のメダルができ、1年前セレモニーでのお披露目を迎えたときでした」学生時代からの友人・粟国さんは言う。「メダル内定を聞いて、僕は泣いて喜びました。美術をやめた後、苦労してる姿が浮かんできて、余計に感極まりましたね。芸術の世界は序列社会で、多摩美術大、武蔵野美術大あたりの人が受賞するんだろうと思っていたけど、大阪芸大出身の個人事務所の社長に決まったのを知って、『世の中捨てたもんじゃないな』と。まさに金字塔ですよ。川西さんの子どもさん2人も父親を改めて見直し、尊敬したんじゃないかな。そういう意味でも本当にうれしい限りです」そして、誰よりも感動したのは、そばで浮き沈みを支えてきた真寿実さんだ。「決まったときは半信半疑でしたね。夫のデザインはシンプルで、勝利のシンボルをどう光らせ、輝きを走らせるかということにこだわっていました。空間・サインデザインの経験から、日本のオリンピックという場面で最高の仕事をしようと頑張ったのかなと。そこにアーティストとしての抽象表現も加わった。長い間やってきた活動が凝縮されて、あのメダルが生まれたんだと思います。長男なのに何も言わず自由に作家活動をさせてくれた夫の父、『川西君に賭けろ』と言って応援してくれた私の父、どちらも亡くなっているんですけど、2人に報いることもできたのかなとうれしくなりました。主人は私生活では自由人だし、家庭でも満点パパではないですけど、モノ作りの才能と努力に関しては本当に尊敬しています」真寿実さんは静かにほほ笑んだ。「つらいことや影があるからこそ、光の輝きは増す」そう語る川西さん。数々の挫折を乗り越え、多くの人々に支えられながら生き抜いた経験が生かされた作品だ。「美術をやめて、ランドスケープからサインデザインへと回り道してきたけど、人の生活に寄り添うこの仕事をやっていなかったら、メダルに行きつくことは絶対になかったと思います。これからもすべての人にわかりやすいデザインを創り、みなさんの役に立てればいいなと思います」穏やかな笑みを浮かべる川西さんのメダルが真の意味で完成するのは、勝者の首にかけられたとき。どんな角度から光が当たっても美しく反射し輝きを放つように作られているからだ。1年後に感動的なその光景を目に焼きつけるのを、彼は今、心待ちにしている。取材・文/元川悦子(もとかわえつこ)1967年、松本市生まれ。サッカーなどのスポーツを軸に、人物に焦点を当てた取材を手がける。著書に『僕らがサッカーボーイズだった頃1~4』(カンゼン)など
2020年04月25日荻原博子さん世界保健機関(WHO)のパンデミック宣言から3週間。日本では五輪延期が決まり、都市封鎖の可能性も出てきた。経済へのダメージが広がる中、“世界同時不況”への不安が高まっている。生活防衛の手段はあるのだろうか──。◆◆◆■郵便貯金ですらも安心できない株式市場に衝撃が走ったのは3月16日のこと。米国株式市場で3050ドルという史上最大の一時下げ幅を記録。引きずられるように17日の日経平均株価も1万6378円の安値をつけた。1月17日の2万4115円の高値から3分の2に下落したのだ。日本銀行の黒田東彦総裁は「リーマンショックほど経済が落ち込むとは考えていない」と話し、一方では西村康稔経済再生担当大臣は「リーマンショック並みか、それ以上」とも語っている。いずれにしろ景気が悪化するという点では一致する。気になるのは、これが一時的な景気後退なのか、あるいは何年も続くような大不況の始まりなのかということだ。主婦目線でお金の動きを分析している経済ジャーナリストの荻原博子さんは、現状をどう見ているのか。「思い出してください。2019年10―12月期は、消費税を10%に引き上げたことや、大型台風や記録的な暖冬の影響もあり、GDPが年率換算でマイナス7・1%も落ち込むという事態になっていました。日本経済はデフレの泥沼でもがいていたわけで、そこに新型コロナショックです。さらにオリンピックの延期が決まり、三重苦が始まるわけです。景気の混乱は1~2年ではおさまらないと思います」(荻原さん、以下同)働く人たちに景気の実感を聞く景気ウォッチャー調査でも、リーマンショックや東日本大震災以来の低い水準になっている。すでにみんなが大きな不安を感じているのだ。これから私たちの生活はどうなっていくのか、どう対処していけばいいのか、荻原さんと一緒に考えていこう。「大きな流れだと、株価が暴落すると年金資金が毀損(きそん)します。安倍政権になって公的年金の積立金の70%はリスクのある株や外国債で運用しているので、株価の下落によって大きく目減りします。2015年度にチャイナショックと呼ばれる株の暴落があったときも、たった3か月間で約7・9兆円という損失を出しています」ただでさえ足りないといわれる年金資金が減ってしまうというのだ。当然、受け取る年金にも影響が出てくることになる。さらに、「郵便貯金の30%は、為替変動リスクのある外国証券で運用されています。こちらも全世界不況では円高になると、目減りすることが考えられます」郵便貯金は何があっても安心と思い込んでいる人が多いが、必ずしもそうとは言えないと荻原さん。■中小企業の倒産が相次ぎかねない厳しい話はまだまだ続く。以下の表を見てほしい。コロナショックの影響により多くの業種で業績が悪化するだけでなく、廃業・倒産するところも出てきている。【多くの業種でコロナ不況の影響が】《観光業》●中国人観光客の減少で旅館・ホテルは価格崩壊を起こし、京都にはピーク時の3分の1以下の価格になっているホテルも●愛知県や福島県の温泉旅館が経営破綻《運輸業》●JR西日本は運輸収入45.9%減少(3月1~7日・前年比)●バス会社51社の1~4月の予約1万1000件がキャンセル●観光船のルミナスクルーズが民事再生法を申請《エンターテイメント業》●コンサートやスポーツの試合などの中止が相次ぐ●選抜高校野球は中止、大相撲は無観客で実施●北海道のイベント会社倒産《外食産業》●飲食店には個人事業主が多く、資本面で体力が弱いところが多い●北海道のコロッケ製造販売会社が倒産●ラーメンチェーン「幸楽苑」4億円の赤字(2020年3月期)《小売業》●全国の百貨店の3月1~14日までの売り上げが去年の同時期より43%減少●大阪のアパレル会社が民事再生法を申請《製造業など》●中国生産の停滞で部品が入手困難になり製造業の6割に影響あり●建設業では中国の建材生産がストップしたため工事が遅延●東京のアミューズメント施設運営会社が倒産「コロナ騒動の当初はインバウンド(訪日外国人旅行)の激減によって観光業が打撃を受けましたが、3月に入り国内でも感染が拡大。休校要請やイベント、外出の自粛要請を受けて経済活動がマヒ状態になりました。今回のコロナショックが、金融危機から始まったリーマンショックと違うのは、国内消費の縮小によってダメージを受けるのがサービス業を支える中小企業だということ。早急にコロナ騒動が終息しなければ、資金繰りに困った中小企業の倒産が相次ぎかねない。それが最大の懸念です」民間シンクタンクの大和総研は2月末、新型コロナの感染拡大で個人消費が2~5月の4か月間で3・8兆円程度減るという試算を発表。同じように消費の自粛が広がった東日本大震災による試算額2・6兆円を超えるとした。■パンデミックが1年で終息するとは限らない日本以上に感染者や死者が急増している欧米でも、企業活動や人の移動の制限が加速している。世界同時不況の拡大を止められるのも、やはり感染拡大の終息だけだろう。「暖かくなればインフルエンザのように下火になると期待する声がありますが、一方で“新型コロナウイルスが暑さに弱いとは限らない”と警鐘を鳴らす感染症の専門家もいます。しかも、オーストラリアや南米など南半球はこれから秋、そして冬を迎える。人の往来を制限し続けない限り、北半球で秋以降に再び感染が拡大するおそれがあります。100年前のスペインかぜでは全人類の3人に1人、当時の人口で5億人が感染したといわれますが、パンデミックは1年ではおさまらず次の冬も大流行しました。新型コロナのワクチンが1年以内に開発されても世界中の人に行き渡るのには時間が必要です。来年の今ごろ、まだ世界中が大騒ぎしている可能性がある。そうなれば、東京五輪を1年延期しても無事、開催できるとは限らないんです」(コロナ騒動を取材する全国紙記者)仮に、東京五輪が“中止”という最悪の事態を迎えた場合、日本のGDPが7・8兆円減るという試算がある。そうなれば“リーマンショック超え”の大不況になるのは確実だ。中小企業にとどまらず大企業でもリストラや派遣切りが増え、失業者があふれかえるかもしれない。私たち庶民にできることを、荻原さんに聞いた。「政府は、少しでも消費を増やし景気の底上げを図るために緊急経済対策を練っています。でも私たちが今とるべき道は、借金をしないこと。住宅ローンなど借金がある人は少しでも減らしてください。そして節約をすること。現金をキープしてしっかりと家計を守りましょう。政府の言うままに、給付金(出たらの話ですが)を無駄に使ってはだめです。節約したら景気がもっと悪くなるじゃないかと言う人がいますが、もともと収入が少ない庶民にできることは、支出を抑えてひたすら耐えることしかないんです」アベノミクスで株価が上がっても、儲(もう)けたのは資金のある富裕層。リストラを繰り返した大企業が過去最高益を上げて内部留保をため込む一方で、社員の給料は上がらず非正規雇用は非正規雇用のまま。金を使えと言うのなら、一時金ではなく、給料を上げたり、非正規雇用を社員化するほうが効果的だろう。最後に、荻原さんからこんな注意も。「現金はタンス預金ではなく、銀行という金庫に預けておきましょう。“新型コロナ詐欺”が増えているそうですよ。“コロナで金が高騰しているので、今が買い時です”といった話には乗らないように気をつけてくださいね」【取材・文/つきぐみ(水口陽子)】経済ジャーナリスト・荻原博子さん◎難しい経済の仕組みをわかりやすく解説することに定評があり、家計経済のパイオニアとして活躍。著書に『最強の相続』(文春新書)など多数。
2020年04月01日2020年3月24日、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大を受けて、安倍晋三首相は東京五輪の開催の延期をIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長と合意。2021年の夏までの開催を目指すことを明らかにしました。東京五輪までに結婚するはずが…東京五輪の延期に対し、さまざまな声が上がっている中で、味噌汁ラテ(@gSk7pVFx60cQ4zf)さんの投稿に、クスッとする人が続出しています。「東京五輪までに結婚したい」という目標を立てていた独身の投稿者さん。延期になって、思ったこととは…。東京オリンピックまでに結婚できるか!?なんて無謀な目標立てたと思っていたが、まさかオリンピック側から譲歩されるとは思わなかった— 味噌汁ラテ パンケーキ添え (@gSk7pVFx60cQ4zf) 2020年3月24日 「五輪側に譲歩されるとは思わなかった」まさか東京五輪が延期になるとはだれが予想できたでしょう。思わぬデッドラインの先送りに、複雑な心境の投稿者さん。ネット上では共感の声が多数寄せられました。・目標期間延長なら!まだ間に合うかも!希望をありがとうございます!・私は産休の予定でした。相手はいませんが。・同じく目標を掲げていました。東京五輪は自分の子供と観ると。1年延期でも間に合いそうにないですが。・前向きな発想。世界規模の忖度を引き起こすとはさすがです。東京五輪の時期を目標に、人生の計画を立てている人は案外多いようです。1年後、投稿者さんが素敵なお相手と一緒に観戦を楽しめていると、いいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年03月31日嵐テレビ各局が東京五輪に向けて用意していた“特番”がすべて白紙に。7月22日から8月9日までの2週間、ポッカリと空いた番組枠を埋めるため、各局では早急な対策が取られている様子。「どの局も五輪延期が決まったことで、何の番組を放送するのか話し合いが行われています。NHKに至っては、東京五輪の放送時間として、生中継を含めると計1000時間を予定していたとのことで、頭を悩ませているようです」(テレビ誌ライター)東京五輪とパラリンピック開催期間中に大河ドラマ『麒麟がくる』を計5週分、休止する予定だったNHK。「そのため例年よりも少ない全44話でしたが、その予定が狂ってしまった。放送回数を増やすか、かわりの番組を放送するかの対応が必要になっています」(同)民放各局も、延期に伴って大きな影響を受けている。「7月下旬からオリンピックが始まるということで、どの局も夏クールのドラマにはそれほど力を入れていなかったんです。間違いなくオリンピックに視聴率を持っていかれてしまいますからね。4月からの大きな目玉となっているTBS系の『半沢直樹』やテレビ朝日系の『BG』も、オリンピックのことを考慮して春クールにシフトさせたなんて話もあるくらいです」(テレビ誌ライター)■大野以外の4人でキャスター就任はキャストは今から代えられないため、作品を見直せないかと議論が起こっている局もあるようだ。「視聴者の目がドラマに向く可能性も出てきたので、制作陣は少しでも数字が取れる作品はないかと、必死になって探しているそうですよ」(同・テレビ誌ライター)『NHKスペシャルナビゲーター』を務めている嵐だが、’20年末での活動休止はどうなるのか?休止の“延長”という可能性は……?「大野クン以外の4人は、’21年以降も個別で活動を継続します。ただし、さすがに大野クン以外の4人で引き続きNHKの五輪キャスターということになれば“角が立つ”ので可能性は限りなく低い。例えば“櫻井クンだけが引き続き担当する”という可能性はあります。でも現状は、何も決まっていないというのが実情のようです。NHKが発表した“現時点では変更を考えていない”というのは、’20年末まで、という意味です。’21年開催の場合にどうするかは今後、決めなくてはいけない課題のままです」(テレビ局関係者)昨年の紅白では、東京五輪応援ソングとして米津玄師が作詞作曲した『カイト』を歌った嵐。同曲は『NHK2020ソング』にも選ばれている。来年の東京五輪で『カイト』は誰が歌うのか……?■芸能人聖火ランナーの親たちは……SMAPは解散前の’15年に『日本財団パラリンピックスペシャルサポーター』に就任したが、解散後には『新しい地図』の香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎の3人で引き継いでいる。’15年当時は中居正広が、「SMAPの“P”の部分はパラリンピックの“P”で!」と話す場面もあり、このときの記憶を覚えているファンも少なくないはず。日本財団の笹川陽平会長もその1人のようで、「昨年9月fに笹川会長はブログで“SMAP再結成”を呼びかけたのです。大物が発言しただけに、何か動きがあるのではと期待が集まりましたが、結果、何も起こりませんでした」(スポーツ紙記者)今年2月、中居正広がジャニーズ事務所の退所を発表。「SMAP再結成のための布石だという声もあります。新しい地図との共演の話もあがっているようで、それがパラリンピックになるのでは?とも言われているのです」(芸能プロ関係者)ジャニーズに1人残った木村拓哉が合流する可能性はあるのか?「昨今のジャニーズ事務所はタレントの退所が続き、かつての影響力はガタ落ちです。また、今の社長はビジネスライクで、業界内でも協調路線に切り替えています。パラリンピック限定ということで、もしもキムタクを含めた5人が再び集まることになれば、かなり大きな話題と歓迎の声を集めるのは間違いないでしょう」(同・芸能プロ関係者)バラバラになった5人が東京五輪のマークのように再び結びつくことを期待したい。実は、紅白歌合戦は’16年から東京五輪に向けて、4年間の共通テーマ “夢を歌おう”を掲げてきた。昨年の紅白では、郷ひろみが五輪競技ユニフォーム姿のバックダンサーを従えて登場。櫻井翔が陸上のウサイン・ボルト選手にインタビューする映像も流れた。NHK2020応援ソングで、子どもたちに大人気で社会現象にもなった『パプリカ』は、米津玄師が作詞作曲で、小中学生ユニット『Foorin』が紅白で熱唱した。「今年も同じように紅白で東京五輪の企画をするのは厳しいでしょう。ただでさえ、昨年紅白の平均視聴率は37・3%(2部)と過去最低だったわけです。紅白離れが止まらない今、同じ失敗を繰り返すことはできません」(前出・テレビ誌ライター)改めて今年も五輪企画をやるのか聞くと、「現時点でお話しできることはありません」(NHK広報)3月23日にギリシャから日本に聖火が届き、26日にリレーがスタートする予定だったが、延期で中止に。走者である芸能人の地元では、さぞ楽しみにしていたはず。高知で喫茶店を営む島崎和歌子の母親は、「娘からは“店を休んでまで来なくていい”って言われていたからテレビで見るだけのつもりだったんです(笑)。お客さんから“延期になるだろうね”と言われていたので、期待はしていませんでしたが、中止になってからは誰も話題にすらしてくれない(笑)。でも、来年も選ばれたらいいなとは思いますよ」長崎県出身の仲里依紗もランナーの1人。地元・長崎に住む父親に聞くと、「本人も“大好きな故郷に恩返しがしたい、みんなを元気にしたい”と常々話していたので、聖火ランナーとして走ることを楽しみにしていましたから、中止になって残念です。来年もやってほしいとは思っていますが、正式な日程が出ない以上は仕事のスケジュールもわからないですから」来年は違うメンバーになってしまうのか?東京五輪大会組織委員会は、「現在内定している方々を優先的に考えつつも、あくまで一案として検討しています。具体的なことが何も決まっていないため、お答えできない」と回答。変更する可能性があるとも含みを持たせている。新型コロナウイルスに感染した志村けんも地元・東京都東村山市で走者を務める予定だったが……。来年には全員が元気に走る姿を見られることを期待したい。
2020年03月31日NHK東京2020オリンピックサイトより「1年程度の延期」が発表された、東京2020オリンピック・パラリンピック。あらゆる業界に延期の影響は出ているが、多くのジャニーズファンが気になるのは、嵐の活動休止も延長されたりするのか?ということだ。■嵐の活動延期の可能性昨年発表されたとおり、嵐は今年2020年いっぱいでのグループとしての活動休止を明言している。いっぽうで、嵐は東京オリンピック・パラリンピックのNHKの「スペシャルナビゲーター」を務めているのは周知の事実。来年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されることが決まったことで、嵐の休止が延期される可能性はないのだろうか。オリンピック延長が決まった3月24日、NHKのオリンピック特番の生放送に嵐5人は出演し、番組の最後に櫻井翔は、「引き続き選手のみなさんを応援していきたい」と発言した。放送翌日、NHKは定例会見で嵐について「スペシャルナビゲーターについては現時点での変更は考えていません」とコメントした。「NHK側としては、できるだけ嵐に出演してもらいたいということで、交渉中なのだと思います」と、ある芸能ジャーナリストは言う。「’15年にパラリンピックの応援サポーターに就任したSMAPが、翌年に解散してしまったように、グループの意志を尊重する可能性は高いです(その後、『新しい地図』がサポーターに就任)。嵐は、大野くんの“休みたい”ということが活動休止のきっかけになっているので、まずは大野くんが少なくとも半年以上の延長を受け入れてくれるかでしょうね。とはいえ、ファン心理としては、1日でも長く嵐と過ごしたいのが正直なところ。ほかにも二宮くんが結婚したり、櫻井くんが婚前旅行といわれる海外旅行をするなど、メンバーそれぞれが活動休止後のプライベートのあり方を考えていると思います。5人の気持ちを同じ方向に持っていくための調整期間に入ったところでしょう」(前出・ジャーナリスト)■もし嵐がNGなら?4月の嵐の北京公演が中止になり、5月に予定されている新国立競技場での『アラフェス』や9月からのファイナルツアーも、この先どうなるかわからない。新型コロナの猛威は収まることなく、まだまだ見通しが立たない。誰のせいでもないこの状況下で、嵐の活動延期、または2021年も彼らの姿を見ることはできるのだろうか。「予定どおり休止してしまった場合、オリンピックのために再集結というのは、あまりにも期間が短い気がします。しかし、大型音楽特番などで、嵐のメンバーがそれぞれの企画に取り組んだロケをすることがあります。来年以降、グループとしての出演が難しいのであれば、メンバーが各競技を担当してレポート取材し、5人でつないでいくという形ならあり得るかもしれません。櫻井くんがスタジオ進行し、ほかのメンバーとは中継でつないで、5つに分割された画面に全員が登場し、画面上で嵐の“再結成”という、ファンサービスもできますしね」(前出・ジャーナリスト)5人での活動休止であって、個々の活動が休止されるわけではないため、決して夢ではない話だ。とはいえ、また正式なアナウンスがあったわけではない。もし、嵐のグループとしての出演が難しくなった場合、ほかのジャニーズタレントやグループが代役を務める可能性はあるのだろうか。ジャニーズに詳しいテレビ誌記者が言う。「関ジャニ∞やHey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2といった、実績と人気がある程度ともなったグループなら、可能性はあると思います。しかし、その場合にも、やはり『嵐』という大きな看板にはどうしてもかなわない。もし代役を務めることになっても、櫻井くんや相葉くんをメインに据え、彼らはそのサポートといった形になるのではないでしょうか。昨年亡くなったジャニーさんが、何年も前からジャニーズJr.内に『2020』という大型ユニットを結成するなど、海外から訪れる人たちを楽しませるための舞台構想を練り続け、東京五輪の開催をずっと楽しみにしていました。事務所はその遺志をかなえるため、NHKに協力体制を敷くと思います。キンプリやSnow Man、SixTONESといった若手大抜擢の可能性も、メインに嵐メンバーがいるならアリですね。メンバーの未成年との飲酒報道が出たばかりのSnow Manは少し難しくなったかもしれませんが」2021年、嵐の活動はどうなっているのか。オリンピックの開催時期が未決定の時点ではなんともいえないが、そこに運命の鍵があることは間違いない。<取材・文/渋谷恭太郎>
2020年03月29日聖火リレーの出発点周辺で行われた「復興五輪」への抗議3月26日の聖火リレーで「復興五輪」は幕をあけるはずだった。新型コロナ禍で、9回目になる東日本大震災追悼式は早々に中止にしたが、東京オリンピックはリレー開始が目前に迫る24日まで判断を留保し、聖火は福島県まで到着したものの「1年程度の延期」が決定した。諸外国と比べ、日本の新型コロナウイルスの検査数は今なおケタ違いに少ない。それでも東京都では連日40人以上の感染者が確認され、東京を含む関東圏で今週末の「外出自粛要請」が相次ぐなど切迫した状況だ。五輪を延期した1年の間に感染拡大が収束するという保証はない。「蔓延のおそれがある」としながらも学校再開の指示を出し、感染拡大による生活困窮者の増加を認めつつ、その対策に「お肉券」「旅行券」の発行を検討する。そんな唐突で場当たり的な政府与党の姿勢は、オリンピックをめぐる発言からもうかがえる。菅官房長官は開催延期の発表後、3月25日の記者会見で、「コロナに完全勝利して五輪を迎えたい」と語った。もはや「復興五輪」を掲げたことすら忘れるつもりかもしれない。現在、聖火が保管されている楢葉町のJヴィレッジは、原発事故後に、収束作業の中継地点として東京電力が使用していた場所だ。福島県に施設が返還されてからは、子どもたちがサッカーなどを行なっていた。しかし、聖火リレー開始予定日の3日前、東電が除染をしないまま返還したという、原発事故を起こした加害者として不誠実極まりないニュースが飛び込んできた。「復興五輪」の聖火リレーはJヴィレッジからスタートする予定だった。そんな中での「復興五輪」を原発事故の被害者はどう見ているのだろうか。開催延期が決定する直前、被害者から話を聞いた。■「まだ避難者がいる、事故は終わっていない」「また(福島第一原発事故の当時と)同じような状態が訪れた感じがする」と話すのは、福島県郡山市から埼玉県に避難をしている瀬川由希さん(45)だ。放射能汚染も、ウイルスも目に見えない怖さがある。由希さんは原発事故後、4人の子どもたちと避難先で暮らしてきた。夫は福島県内で教師を続けている。「4年に1度の五輪自体は楽しみ。でも、日本での開催は今じゃないと思う」と言い、「復興五輪」には懐疑的だ。福島には、放射能汚染を気にしている人も、自宅に戻っていない人もいる。海外の人も被ばくが気になるのではないかと思う。建築資材や人手が五輪に取られ、復興に回らなくなることも問題だ。夫の芳伸さん(57)は「原発事故後の被ばくと同じように、新型コロナウイルスも調べませんよね」と指摘、国の対応への不信感を隠さない。「五輪の応援に行く人は“コロナがあるからやめたほうがいいのかな”と、漠然と不安を抱えながら行くことになりますよね。これ、原発事故当時の“被ばくしているのかな”という不安と重なるんです」(芳伸さん)由希さんが避難生活を送るにあたり、唯一の支援策だった無償の「借上住宅の提供」は2017年3月に打ち切られた。その後、家賃を払い2年間は居住できる契約を結んだが、’19年3月、退去が命じられた。しかし、子どもの生活環境を変えられない事情があった。そのため近くに引っ越し先を探したが見つからず、現在に至るまで同じ部屋に住み続けている。退去できなかった損害金として、由希さんはこれまでの家賃の2倍の額を請求されている。理不尽な思いをし続けているのに、国や周囲の人たちは、原発事故は終わったかのように振る舞う。由希さんは、オリンピックで海外の人が日本を訪れるなら「まだ避難者がいる、事故は終わっていないと知ってほしい」と話す。芳伸さんが言葉を継ぐ。「原発事故もコロナも、コントロールされていないのが現実だと思います」■「今、本当にこれでいいのか」さえ言えない「子どもも、子どもなりに考えているから、思いを聞いてほしい」そう訴えるのは斎藤さとみさん(仮名=16)。新型コロナや、今なお残る放射能汚染を思うと、人々の健康より世界的イベントのほうが大事なのだろうかと疑問が湧く。さとみさんは小学1年生で震災に遭い、一家で福島県から避難した。それから各地を転々としたが、地震のたびに当時の恐怖に襲われる。医師からはPTSDと診断された。今も心の傷は癒えず、服薬しながら学校生活を送る。オリンピックでスポーツ選手が活躍し、盛り上がることはいいけれど、原発事故で苦しむ人、自分のように避難を続ける人がいるなかで「開催していいのかな」と思う。「東京オリンピック」なのに、聖火リレーは「福島」からスタートするのも不可解だ。「復興しましたと世界にアピールしたいのかな。でも、まだ復興していないと思う」今も一生懸命、廃炉作業をする方だっているのに、と原発作業員にも思いをはせる。聖火リレーが行われることが最後に決定した双葉町は、3月4日に町の避難指示区域の一部が先行解除されたばかり。2月には、放射線量の確認をしないまま解除を決めていたことを朝日新聞が報じ、五輪に前のめりになる国の姿勢が露呈した。郡山市の佐藤茂紀さん(56)は最近、リレーのコースとなる双葉駅周辺に行ってきた。「きれいに整備された駅周辺だけを走るのは違和感がある。テレビで放映されれば、なんとなく“双葉町はOK”のイメージになるんだろう」佐藤さんは、避難先からいつ帰るか、あるいは帰らないか、住民が真剣に悩んでいることを蔑(ないがし)ろにされているように感じている。報道も、「必死に除染をしたから、なんとか聖火リレーで走ることが可能になった」と伝えるべきではないかと思う。だが現実には、「復興五輪」という大号令だけが喧伝(けんでん)されている。「帰りたい」「故郷を何とかしたい」と頑張っている人には、オリンピックはプラスになるのだろう。だから「『復興五輪』はおかしい」と言うのを佐藤さんはためらう。「上からの圧力、原発事故に対する人々の考えの違い、判断材料となる情報の少なさで“今、本当にこれでいいのか”さえ言えない」(佐藤さん)高校教師の佐藤さんには、かつての教え子に、富岡町から郡山市へ避難してきた生徒がいた。東日本大震災が起きた’11年3月11日、学校の教室にいたというその生徒は、あるとき、「机の上にノートを開きっぱなしで避難してきてしまった」と佐藤さんに明かした。そして、いつか帰る日がきたら、そのノートを閉じに学校に行きたい、と。「元どおりになって、マスクもいらない、笑顔で帰れる状況になれば学校が開くはずだと、その生徒は言ったんです。そうした純粋な思いが踏みにじられ、ゆがめられているように思えてしかたない」住民の命と健康を守るため、真っ先に考えるべき放射線量を確認しないで避難解除が決まり、ロボット産業の誘致など開発型の「復興」が浜通りを変貌させていく。これでは「元どおり」とは言い難い。教え子の願いを大切に思うからこそ、佐藤さんは憤る。■もう、よその国の話のよう双葉町から埼玉県加須市に避難をしている鵜沼久江さん(66)は「もう、勝手にやればー、だよ。最近、双葉町民9人くらいで聖火リレーの話が出たけど、みんな冷めていたよね」と、あきれ返る。かつて「30年帰れない」と言われた故郷に、10年で「帰れる」と言われた鵜沼さんは、避難指示解除には時期尚早と反対だった。そもそも、町の特定復興再生拠点区域に居住できるのは2年後。しかし町の一部は避難解除され、聖火リレーコースになった。「双葉町や大熊町を走る人は無用な被ばくをするのではないかと心配だよね。時間が短いからいいでしょ、という話ではないよ。それに、もし、そのときに原発で何かあったら……ということも考える」3月のお彼岸過ぎの春の風は、海から陸へ吹くことを鵜沼さんは肌身で知っている。五輪の話が決まったときも“何を言っているんだろう”と驚いたが、時間がたてば私も気持ちが盛り上がるのかな、とも思っていた。今となっては開いた口がふさがらない。「私たちのためじゃなくて、もう、よその国の話のようなんだもの」(鵜沼さん)聖火リレーを行うにあたり、福島県はコースの放射線量を測定し発表したが、独自に検証を行う人たちもいる。市民による放射能測定所『ちくりん舎』(NPO法人市民放射能監視センター)もそのひとつ。原発事故の影響が特に懸念される浜通りの調査を行い、3月11日に結果をまとめたパンフレットを発行した。大気中の放射線量、地表面の放射線量、土壌汚染を計測、細かく数値化している。理事の青木一政さん(67)は予想以上に汚染が残っていることに驚いた。「少なくとも聖火リレーのコース上は、安全のために徹底的に除染をしているだろうと予想して、その周辺との対比をするつもりだったんです」だが実際、聖火リレーコース上であっても高い汚染が検知された。例えば飯舘村では、1平方メートルあたり214万ベクレルにも及んだ。事故前はせいぜい500〜1500ベクレルだった。その事実があっても「原発は安全でクリーン」という宣伝のために聖火リレーが利用されるだろう、と青木さんは懸念する。「そもそもオリンピックは巨額の金を投じ、目先の経済だけをよくするイベントで原発と同じ負の遺産。私はオリンピック自体にも反対です」また3月11日には、全国の市民放射能測定所のネットワークである『みんなのデータサイト』が、東京オリンピック開催時に予測される土壌の放射能汚染を地図で示し、ホームページ上で無償公開した。原発事故が起きた’11年3月を起点に、五輪が開催される’20年7月時点の数値(理論値)をマップ化したものだ。「新型コロナウイルスのせいで、原発事故を考えるイベントの中止が相次ぎ、このままスルーされたらいけない、人が集まらなくてもできる活動は何か、という考えから、公開に踏み切りました」と、事務局長の小山貴弓さん(55)は話す。小山さんは以前から東京五輪の開催に疑問を抱いてきた。新型コロナ騒動をきっかけに「本当に開催していいの?」と言いやすくなったが、スポーツの祭典として好意的に思う人もいるだろうと考え、これまで明言してこなかった。その「語りにくさ」を振り返り、こう言い表す。「日本の病なのかもしれない。人と違うことを言ってはいけない。同じ方向を向け。“オリンピックはおかしい”と言わせない。この不寛容をいつまで続けるんだろう……」「復興」はひとりひとり、速度もゴールも違う。だが、「復興五輪」で束ねる圧力を前に人々は口をつぐむしかない。■復興のオリンピックと言えるのか2月29日と3月1日に、福島では東京オリンピックに反対する市民のスタンディング抗議が行われた。聖火リレーがスタートするJヴィレッジ前、それから野球が行われる福島市のあづま球場前には県内外から約50人が集まり、「汚染水はコントロールされていない」「避難者はまだ5万人」と、8か国語で書かれたプラカードが掲げられた。参加者のひとり、福島県三春町の武藤類子さん(66)は日に日に増える五輪報道に、「福島の人たちは、本当はどんなふうに思っているのかな」と考えていたという。ある日、新聞で大熊町の避難者が「福島はオリンピックどころでねぇ」と語っている記事を目にした。表には出さないけれど、被害を受けた人の共通の思いだと感じた。一方、「復興五輪」を銘打つ聖火リレーには、希望に胸を膨らませた子どもたちも走り、故郷をアピールする。大人は何をやっているんだろう──、そんな思いが募る。「汚染水の問題は解決せず、事故が起きた原子炉の排気筒には被ばくを覚悟で何人も上り、被害者の賠償は打ち切られ、生活は再建されていない。産業も元どおりとは言えないでしょう。アスリートや五輪を応援する人が被ばくする可能性もあるのに、本当に復興のオリンピックと言えるの?と思います」原発事故の直後、「ただちに影響はない」のでマスクをするな、怖がるなという空気があったことを覚えている。「すぐに症状が出るコロナは怖がってもいいんだ……と思うと、複雑です」(武藤さん)マスク姿があふれる景色にそんなことを思う。スタンディング抗議の際、武藤さんは「さまざまな問題がオリンピックの陰に隠され、遠のいていきます。終わったあとに何が残るのか、とても不安です」と訴えた。原発事故は終わっていない。そして、新型コロナウイルスという新たな問題も抱えている。東京オリンピックの開催延期が決まった2021年は、福島第一原発事故から10年に当たる。これまでに述べたとおり、原発事故による被害は常に矮小化され、「なかったこと」にされてきた。その傾向は、コロナ騒動が目くらましとなって拍車をかけ、さらに顕著になるかもしれない。そもそも、日本は「原子力緊急事態宣言」が解除されておらず、しかも新たな「緊急事態宣言」も出しかねない国だ。たとえ1年延期されようとも、「復興五輪」は、本当に必要なのだろうか。(取材・文/吉田千亜)吉田千亜◎1977年生まれ。フリーライター。福島第一原発事故で引き起こされたさまざまな問題や、その被害者を精力的に取材している。近著に『孤塁双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)がある
2020年03月28日東京マラソンで日本新記録を叩き出した大迫傑写真提供/共同通信イメージズ去る3月1日、東京マラソンで2時間5分29秒の日本新記録を叩き出したプロランナーの大迫傑(すぐる/28)。自身が’18年に樹立した日本記録を21秒更新する快走劇の最後、雄叫(おたけ)びをあげ、ガッツポーズを決めながらゴールに飛び込んだシーンには、コロナ禍で沈みがちだった日本中が沸いた。■中学時代から“1番になりたい”気持ちが強かった「もともと箱根駅伝のスター選手でしたが、早稲田大学卒業後、入社した実業団チームを1年で突然辞めてアメリカへ。スポーツブランド・ナイキのプロチームに所属して一気に飛躍しました。前回と今回の日本記録樹立で合計2億円もの報奨金をゲットしたことも話題に」(スポーツ紙記者)その一方で、「以前から“わがまま”なんて言われることもありましたね。早稲田時代、主将であるにもかかわらず、駅伝チームを抜けて、長期アメリカ留学をしてしまった際には、チーム内の不協和音も囁(ささや)かれたりしました。最近も自身のSNSで日本陸連に物申したり、急に丸刈りにしたり、両耳にピアスをつけて走っていたり、日本人には珍しい“わが道を行く”陸上選手です」(前出・スポーツ紙記者)そんなニューヒーローだが、冒頭のレース直後のインタビューでは、涙を流し言葉に詰まるひと幕もあった。「今回はうれし涙でしょうけれど、高校時代もレースで負けて涙を流すことは珍しくなかったので、“彼らしいなぁ”と思いました。普段、マスコミの前では冷静さを装っているんです(笑)。本当は感情が表に出やすい、感情的になりやすいタイプなんです」そう笑うのは、大迫を高校時代に指導し、現在は東海大学陸上競技部で長距離・駅伝監督を務める両角速(もろずみはやし)氏だ。「当時から“負けたくない”“1番になりたい”という気持ちが強い選手でした。私が大迫を初めて見たのは、中学校の全国大会3000mの決勝ですが、そこで彼は3位だった。負けても全国3番なら、たいていの中学生はうれしさが出るものなんですが、彼ははいていたシューズを地面に叩きつけて悔しがっていた。そんな中学生を私は見たことがなかったので“こんな子がいるんだ”と驚いたことを覚えています」(両角監督)■勝てない相手でも「常に前を走る」激しいまでの“負けず嫌い”っぷりには、大迫が中学2年の夏から通っていた陸上クラブチーム『清新JAC』の畠中康生代表も口をそろえる。「こと練習に対しては中学生とは思えないストイックさでした。当時、ウチのクラブには大迫より速い選手が2人いたんです。そのうちの1人は、当時、大迫より断然すごい選手で。その選手と大迫は、1000回……2000回は練習や試合で一緒に走っていると思いますが、中学3年間、ただの1度も勝てなかったんですから」(畠中代表)それでも、大迫はライバルに真っ向勝負を挑み続けた。「常にライバル選手の前を走ろうとしていました。でも向こうのほうが強いので、最後はどうしても抜かれてしまう。そうすると、大迫は涙を流しながら競技場のトラックを拳で殴って悔しがっていたんです。それくらい“勝ちたい”という気持ちが誰よりも強かったですね」(畠中代表)だが、それゆえ納得のいかないレース後はふて腐れたり、チームメートと衝突することも少なくなかったという。「感情的だということは周りからはわがままに見えたりしますが、彼の場合も、寮での集団生活の中で浮いて見られたりということはあったんです。でも、感情的で自我の強さこそが、彼のよさでもあって。それを教育ということで、押さえつけてしまうのは指導者としてどうなのかな……と考えました」(両角監督)そこで、思い切って高校生の大迫にこうアドバイス。「“本当に1番になりたいなら、周りや他人に気を遣いすぎるな”“自分の思っているようにやりなさい”と」高校卒業後、進学した大学でも大迫はその教えを貫き通した。当時コーチとして大迫を指導した早稲田大学競走部の相楽豊監督は入部1年目からレギュラーの座をつかんだ大迫をこう述懐する。■妻との学生結婚でも貫いた“まっすぐさ”「入部したてのころは監督やコーチから練習メニューを出して、選手たちはそれに取り組むのですが、大迫は“この練習、何でやるんですか?”とか“練習、変えたいです”とかハッキリ主張してきました(苦笑)。あの年齢で“自分が将来どういう選手になりたいのか”あれだけ見えている学生は珍しいですよ」大迫とのやりとりで、特に覚えている言葉がある。「4年生のときだったと思いますが、“相楽さん、安定は停滞ですよ”って(苦笑)。われわれ指導者はよいときのトレーニングをどうしてもなぞりがちなんです。でも大迫は違う。“自分は勝つんだ”という自分の思いにいつもまっすぐで絶対に守りに入らない。今回のマラソン前も、練習拠点をアメリカからケニアへとガラッと変えましたし。あの言葉は“常に新しい発想やチャレンジで指導してください”というメッセージだったと、いま思うんです」そんな大学時代に、現在の妻・あゆみさんと学生結婚。長女をもうけている。大学のスター選手が在学中に結婚し父親になるのは異例中の異例。相楽監督も「最初は驚いた」というが、それも大迫の「まっすぐさ」だと感じた。「そのとき彼が言ったのは、“競技のほうには支障がないように最大限の態勢をとって、これまでどおりやります”と。なかなか、そんな覚悟を持てないですよ」その大迫は、東京マラソンでのゴール直前、右手首にほんの一瞬キスする仕草を見せた。右手首には、ケニアでの合宿中に作ったという“ミサンガ”が巻かれていた。ミサンガとは細い紐を編み込んで作られるお守りの一種。「ミサンガに“YU”と“SUZU”という6文字が織り込まれていて。2人の娘さんの名前なんです」(前出・スポーツ紙記者)自分のため、愛する家族のためにも走る大迫。最強ロードはまだ続く──。
2020年03月10日大会の“象徴”ともいえる新国立競技場には、五輪の輪が掲げられてオリンピックムードを盛り上げている「東京オリンピックでしたいこと」というアンケートに対して、なんと約半数の52%の人が「特に何もするつもりはない」と回答──。株式会社クロス・マーケティングが、全国47都道府県に在住する20~69歳の男女を対象に『2020年 東京オリンピックに関するアンケート(2019年度版)』を実施したところ、前記のアンケート回答をはじめ(結果はペー下部参照)、「オリンピックへの興味度」、「スポーツ会場観戦意向」においても、東京オリンピックへの関心が高まるどころか、盛り下がっていることが顕在化している。■インフラが整った巨大都市でしか開催できない「盛り上がっていないのに大成功として喧伝(けんでん)され、記録されることを懸念しています」こう話すのは、『やっぱりいらない東京オリンピック』の著者、神戸大学教授の小笠原博毅さん。開催が迫る中、「東京オリンピックはやらないほうがいい」と警鐘を鳴らす。多くの国民が冷めている理由はいくつかある。そのひとつが、招致活動における賄賂(わいろ)疑惑など、五輪開催にまつわるお金について。全体の約8割の競技会場を半径8キロの中に集中させるなど、世界一コンパクトな五輪にすることで経費を7000億円に抑えるとしていた。ところが、今やその4倍を超える3兆円まで五輪経費は膨らみ、費用分担として東京都が計上する予定だった6000億円に2018年、追加で8100億円を計上することが発表された。小笠原さんは、「巨額の負債を抱えてしまうことを理由に、ハンブルク、ローマ、ボストンなどの自治体は、2024年のオリンピック招致レースから自発的に手を引きました。コンパクトなオリンピックなどできないことを知っているのです。今や、オリンピックはある程度インフラが整っている巨大都市でしか開催できないという状況にあります」東京の4年後はパリ、その4年後の2028年にはロサンゼルスで開催されるように、メガシティの開催が続くのは偶然ではないのだ。「費用分担として東京都が計上する予定だった6000億円を東京都の納税世帯数で割ると、都民一世帯当たりの負担額は約9万円でした。その後、新たに8100億円を上乗せすることが決まりましたから、さらに負担額は膨れ上がっています」もちろん、世帯収入や家族構成によって変わるだろうが、10万円以上のお金がオリンピックに使われていることを改めて考えると、シビアな視点で見つめざるをえない。《すでに行われている東京五輪関連のイベントへの参加状況》・オリンピック選考会関連のテレビ、動画サービスでの観戦 13.3(%)・テレビや動画サービスでニュース、特集番組を見る 12.5・関連イベントへの参加 6.0・オリンピック選考会関連の会場での観戦 3.3・東京オリンピック限定グッズの購入 1.9・会場の周辺観光 1.8・大会マスコット関連のグッズ購入 1.0・選手の関連グッズ購入 0.6・特に何もしていない 81.3《オリンピック期間にしたいこと》・テレビや動画サービスで観戦(生中継) 37.3・テレビや動画サービスでニュース、特集番組を見る 25.0・テレビや動画サービスで観戦(録画・再放送) 22.1・会場での観戦 19.1・関連イベントへの参加 12.6・東京オリンピック限定グッズの購入5.2・大会マスコット関連のグッズ購入 2.9・会場の周辺観光 2.8・選手の関連グッズ購入 1.4・その他 0.2・特に何もするつもりはない 52.0さらには、それだけお金をかけて建設した競技施設などの箱物が、負の遺産になるのではないかとも懸念されている。事実、1998年に開催された長野冬季五輪では、開催費用の利息を含めた借入金、約694億円の返済に20年かかり、ボブスレー・リュージュ競技の会場施設『スパイラル』を保有する長野市が、維持管理や改修に巨額の費用がかかることを理由に、2018年度以降の競技使用をやめると発表したほどだ。そんな中、お披露目されたばかりで注目を集める新国立競技場は、「階段や席が狭い」「ゲートで応援席が分断される」など不満の嵐……。「日本スポーツ協会やJOCは、新国立競技場を使えそうな各競技団体と協議して、どういうレイアウトで五輪後に運用していくかということを話し合わずに、建設を進めてきた。サッカー関係者から見れば、国を挙げてワールドカップ優勝を目指しているのに、メインスタジアムが“陸上のトラックつき”になってしまっている(苦笑)。足並みがそろっていないから不満だらけの競技場が誕生してしまう。しかも、その維持費は、都民が負担していくことになる」■“五輪終了”の反動で財布のひもは……アテネ、リオデジャネイロを筆頭に、巨大都市で開催したとしても膨れ上がった五輪予算に圧迫され、その後財政難に陥る自治体は少なくない。そこでワラにもすがりたくなるのは、五輪開催による経済効果だ。東京都によると、大会招致が決まった’13年から大会10年後の’30年までの18年間で、30兆円を超える効果があると試算しているが――。「フタを開けてみなければわからない」としながらも、「直近の3四半期の実質GDP成長率は、前期比年率+2%前後を維持しています。数字の上では、効果が出ているといえます」と語るのは、第一生命経済研究所首席エコノミストの永濱利廣さん。「今年上半期に関しては、6月末まで行われるキャッシュレス・ポイント還元事業に伴う形で、五輪観戦に備えたテレビの買い替えなどの駆け込み需要、さらには外国人観光客(インバウンド)増加による外需が期待できます」一方で、下半期を過ぎると内需は厳しくなると予想する。「家計においては、昨年と比べると国全体でも1兆円以上の増税という状況です。財布のひもは自ずと固くなるでしょう。また、4月から中小企業でも残業規制が導入され、大企業に同一労働同一賃金制(職務内容が同じであれば、従業員に同じ額の賃金を支う制度)が導入されることで、中高年正社員の給料は下がる可能性もある。家計も企業もマイナス傾向になるため、そもそもオリンピックというイベントがなければ上半期も期待できるものではなかった」冷え込みかねない状況を打破するべく、政府は下半期以降も補助金や助成金を付与する数々の政策を打ち出しているのだが、「家計を支援する政策は、マイナンバーカードの保有者にポイント(マイナポイント)を付与する制度くらいしかない」と、永濱さんは苦笑する。「先の実質GDP成長率が示すように、アベノミクスは、たしかに企業の景気はよくしています。ですが、企業の利益が肝心の家庭にまで波及していないことが大きな問題です。それゆえ生活者はお金を使わずにため込む。ところが日常では節約を心がけているにもかかわらず、オリンピックのような非日常が訪れると、なぜか財布のひもが緩む。そして、終了後には反動が生じる」アンケート結果が示すように、関心度が下がっていることは明らかなのに、いざ大会が近づくとワクワクしてしまい“踊らにゃ損”とばかりに調子に乗ってしまう。そして、「来月からは節約だ」とわれに返る。お祭りだから使ってもいい……それが落とし穴となる。■無理だらけの大会、“その後”にこそ関心を「アメリカの政治学者ジュールズ・ボイコフ氏は、“祝賀資本主義”という言葉を用いてオリンピックを批判しています」と語るのは、前出の小笠原さん。「スポーツの祭典に対する祝賀と割り切って、税金や公的資金が使われることをやむなしと考えてしまう。“どうせ開催するんだったら楽しまないと”と安易に考えないで、その裏でどのような犠牲が伴っていたのか、向き合わないといけない」成功例として挙げられ、東京大会が理想的なモデルとしているロンドン五輪では、イースト・ロンドン地区が主要な競技会場建設のため再開発され、集合住宅から多くの住民が退去させられたという。ここ東京でも、新宿区の都営団地『霞ヶ丘アパート』の住民が犠牲に。跡地は、新国立競技場を建設するための資材置き場やプレハブなどに使われている。「住民の暮らしを排除して資材を置く……そこまでしてオリンピックを開催する意味があるのでしょうか。元住民の方は引っ越し費用の17万円だけしか保償されていません。高齢者が数多く住んでいた団地だったので、みんなで支え合うコミュニティーだったのですが、散り散りになってしまいました」(小笠原さん)こうしたうえに、オリンピックの“感動”が約束されているのだ。「民放キー局に加え、朝日、日経、毎日、読売の大手4紙がいずれも東京五輪の公式スポンサーです。大手メディアをオフィシャルスポンサーにするオリンピックは世界初。最近になって一部批判的な記事も散見されるようになりましたが、悪く書くことができない」(小笠原さん)■閉会後こそ真価が問われる先のアンケートでは、「東京オリンピックに対する期待点」という質問項目もあったのだが、「レベルの高い競技の観戦」(26・3%)を抑え、「期待すること、楽しみは特にない」(38・9%)がトップに。再び、永濱さんが説明する。「’64年の東京大会は、日本は新興国でした。ですが、今回は先進国として迎えます。前回のような右肩上がりの成長は期待しないほうが賢明です。そもそも、今の日本経済はデフレを20年以上、放置した結果、オリンピックのような特需に頼らざるをえないという特殊な状況です」特別な需要だから特需。例えるなら、年に1回あるかないかのボーナスをあてにして、家計をやりくりしているようなもの。「その特需ですら、開催してみないとどう転ぶかわからない。終了後、会場施設を有効利用するなど試算したとおりに運用できればオリンピックの効果はあったといえるかもしれない。開催期間の盛り上がりだけで判断してはいけません」(永濱さん)閉会後こそ真価が問われてくる。小笠原氏も強調する。「無理がたたっているのは明白です。予算は膨張し、招致には贈収賄の疑惑が向けられる。猛暑に開催し、ボランティアとして強制的に学生を参加させる。そして、復興支援を後回しにしているにもかかわらず、無理やり復興と結びつける。マラソンコースの一部となった北海道大学は、補修工事費を負担することで、そこに割いた分の大学予算を減らさなければいけない。こういった無理の積み重ねは、大会後、私たちの生活に染み出してくる。そして、抑えていたアスリートたちの“ホンネ”も出てくるはずです。だからこそ、“その後”を注視しなければいけない」住民税が微増し、中心地の地価が上昇する……。そういった部分に、五輪開催の影響が及ぶなら、「オリンピック、感動をありがとう!」なんてことばかりは言っていられない。「1976年の冬季五輪は、もともとデンバー(米国)で開催される予定だったのですが、予算膨張と環境破壊を懸念した住民が反対運動を行い、住民投票で大会の返上が可決されました。湯水のように税金を使われ、無償でボランティアに参加させられる、などという丸投げ状態のオリンピックをするのであれば、せめて暮らしている人に開催の決定権を委ねてほしいもの」最後に、小笠原さんはこう提唱する。「オリンピックは、利権や政治の色が濃くなるあまり、スポーツの祭典の枠を超える巨大産業になってしまった。莫大な予算を必要とするため大都市でしか開催できず、かつてのように新興国の都市が立候補することはかないません。種目を減らし、参加者を減らす、といった縮小化を図らなければ、オリンピック自体の存続が難しくなるでしょう」背伸びをしないと開催できないオリンピック。それって一体、誰のためにやっているんだろうか?(取材・文/我妻アヅ子)※タイトルの一部に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。【識者PROFILE】永濱利廣さん◎第一生命経済研究所調査部首席エコノミスト。景気循環学会理事、総務省消費統計研究会委員。跡見学園女子大学マネジメント学部非常勤講師を兼務小笠原博毅さん◎神戸大学大学院国際文化学研究科教授。ロンドン大学ゴールドスミス校社会学部博士課程修了。スポーツやメディアにおける人種差別を主な研究テーマに据え、近代思想や現代文化を論じている
2020年02月06日マイナスイオンたっぷり!?常夏の「夢の島」撮影/渡邉智裕「夢の島」といえば、昭和を生きたミドル世代には“埋め立て地”として記憶に残る。もとは飛行場の建設地として’39年から埋め立てが始まるも、戦争の影響により、’40年に開催予定だった「東京オリンピック」とともに中止となった歴史がある。■夢の島は常夏の島だったそして“幻のオリンピック”から80年、’20年東京五輪・パラリンピックのアーチェリー競技会場に選ばれた夢の島。その世界が注目する熱~い舞台から目と鼻の先にあるのが、ビニールハウスのようなドーム型の建物が特徴的な「夢の島熱帯植物館」だ。世間の懐が温かかったバブル時代に開館(’88年)した、マリーナも近いことからデートスポットとしても人気を集めた熱帯植物館。そんなホットな時代を過ごしたミドル世代記者が、久々に熱帯植物館を直撃する!北風と海風が交差して一層寒さで身が凍えそうな日、ぶるぶると震えながらドーム内に入ると、あ、暖か~い♪そして、うるうるの湿度が乾燥お肌に浸透していく気分。「世界の熱帯・亜熱帯地方の植物を展示しているため、大温室は冬でも20度~25度を保つように管理しています。正確な湿度の調整は行っていませんが、定期的に水まきをしているため現地に近い気候を再現しています」とは、案内をしてくれた館長の高橋将さん。湿度計が示すのは65%。ムシムシするわけでもなく、上着を脱いでちょうど快適に感じるくらい。外気に比べれば極楽だ。■デカすぎる熱帯植物たち3つのドームに分けられた館内において、まずは「木生シダと水辺の景観」がテーマのAドームを行く。植物の緑がパッと広がる原生林に、室内とは思えない滝が映える。非日常空間に気分が高まる。順路をたどり、生い茂る草花の中でまず目についたのが、概念を覆す太すぎる竹。「ゾウタケといって、主に東南アジアで栽培される世界でいちばん太い竹です。現地では直径30センチメートルになるものもあります」(高橋館長、以下同)地域環境に応じて、やたらと巨大化する傾向があるのも熱帯植物の特徴のひとつ。中央にヤシの木群が生えるBドームは、その名も「ヤシと人里の景観」。10階建てマンションに相当する、高さ約28メートルの天井に届くほどのヤシに、これ以上成長したらドームが……、と勝手に心配してしまう。またところどころでなるヤシの実がと心配が絶えないが、落ちるのは無人の場所なので大丈夫だそう。そして「小笠原の植物とオウギバショウ」のCドームでは、扇を広げたような「オウギバショウ」に圧倒される。東京都でありながら“秘境”とも呼ばれる小笠原諸島は、火山島であるため独自の進化を遂げた島。そこで育った貴重な植物の数々を堪能できるのも、同館ならでは。もちろん、世界各地で咲く色とりどりの花や、珍しい形態の植物も見逃せない。各植物には、名前とともに説明書きも添えられているので、ただ見るだけでなく背景も知ることができる。「“見ごろの花”も毎月ご紹介しています。1~2月はキンカチャという、ツバキ科の黄色い大きな花が咲きます。またバレンタインデーがあるので、“夢の島カカオ&チョコレート展”(2月4日~24日)と題して、生産地の様子やチョコレートができるまでの工程を展示で紹介します。もちろん、植物館にもカカオの実がなっていますよ」■やがてはお花たちもレガシーに“チョコレート”と聞いたら、なんとな~くお腹がすいたな。ご安心あれ。植物館には、大きな窓の向こうに植物と水辺が広がる、南国リゾートのような「夢の島カフェ」も併設されているのだ。見て、学んで、嗅いで、食べて、温まる、お手軽南国旅行を満喫できる施設だった。これは来る7月の東京五輪・パラリンピック時には、世界中の観光客が植物館、並びに夢の島に押し寄せそう。「残念ながらセキュリティーの問題から、開催時の約2か月間は休館になります(苦笑)。ただわれわれは植物に携わっていますから、これまでも大会に向けた、真夏に強い草花を植える『夏花プロジェクト』やアーチェリー体験会などのイベントも開催してきました。現在は調整中ですが、大会終了後には夢の島公園を花で彩り、五輪のレガシー(遺産)として遺していければと思っております」「夢の祭典」に夢の島、熱帯植物館も花を添えそうだ。■夢の島ならではのエコ施設冬でも暖かいわけは「ゴミ」真冬でも「夢の島熱帯植物館」が暖かいのは、同じく夢の島にある「新江東清掃工場」で、ゴミを焼却した際に生じる熱源を利用しているからだった。その仕組みを高橋将館長に聞く。「一般的に温室を暖めるのはボイラーですが、植物館は清掃工場でつくられる125度、5.5気圧の高温水を熱源として利用しています。通常、水は100度を超えると水蒸気となってしまいますが、こちらでは加工液体を使用しているので蒸発しないのです」そのままでは熱くなりすぎるため、植物館の熱交換機で適温にされた70℃の温水を、館内に張り巡らされた配管を通すことで暖房として館内を暖めているのだ。また、夏場に使用する冷房も、清掃工場の熱源を再利用している。「夏場は、温室の中が必要以上に高温になってしまうので、窓の開閉や冷房を使って調整します。冷房の場合は、吸収式冷凍機で清掃工場の高温水のエネルギーを取り出し、気化熱を利用して冷風をつくって館内に送っています」。環境にやさしい、とってもエコな植物館なのだ。夢の島公園夢の島熱帯植物館東京都江東区夢の島2-1-2○9:30~17:00(入館は16:00まで)休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)12月29日~1月3日料金:一般/250円65歳以上/120円中学生/100円※小学生以下、および都内在住・在学の中学生は無料ほか詳細は取材・文/山崎ますみ
2020年02月01日台風19号の暴風雨には傘もひしゃげて=都内2020年も大きな被害をもたらす台風はくるのか。■今後増える「怖い台風」に注意読売テレビのお天気キャスターで気象予報士・蓬莱(ほうらい)大介さんは、「予想資料がまだそろっていないため、はっきりしたことは言えないんですが、ここ数年の傾向を見ると油断できないと思います」として次のように語る。「’19年は、千葉県などを襲った台風15号と、東日本に大洪水を巻き起こした台風19号の被害がひどかったですよね。実は以前から、今後、こういう台風が増えるのではないか、と予想されていたんです。地球温暖化などが招く怖い台風の代表例でした」(蓬莱さん=以下同)温暖化で「怖い台風」が生まれるとはどういうことか。「日本列島近海の海水温が高くなっており、日本のすぐ近くで台風が発生して上陸が早いケースがあります。これまでは列島から離れた南の海上で発生して1週間ぐらいかけて上陸するケースが多かったんですが、15号は発生3日目で上陸しました。勢力が強まっていくタイミングです」勢いがあるうえ、発生から上陸まで時間が少ない。怖いのはそれだけではない。「大洪水をもたらした19号は、平年よりも海水温が高くなっていたエリアをゆっくり北上し、勢力を落とさずに上陸しました。お風呂の湯気と同じで、海水が温かいため大量に発生した海上の水蒸気を巻き込み勢力を拡大しました。神奈川・箱根町では1日に922・5ミリの雨が降り、国内で1日に降った最大降水量記録を更新しました。東京の半年以上の雨が1日に降った計算です。こうした怖い台風が近年、目立っています」■夏暑く、冬暖かい1年になるか夏には東京五輪がある。涼しい夏になればいいが……。「現時点の資料を見る限り、太平洋の海水温の変化傾向などから’20年の夏も猛暑になる可能性は高いと思います。例年、暑さのピークは梅雨明け後の10〜14日間。関東地方の梅雨明けは平年なら7月21日ごろですので、7月24日に開会式を迎える東京五輪にドンピシャであたる可能性がある。梅雨明けがいつになるかが、ポイントです」こうした台風や猛暑にどう対処すればいいのだろうか。「自分は被害に遭わないとか、熱中症にならないと思い込まず、“もしかしたら自分も……”と考えるようにしましょう。天気予報は気象衛星ひまわりの進化などもあり、昔より精度が高くなっています。予報を把握して、自分が危ないと思っているよりも少し手前で線を引いて対策をしてください」ほかにも、気象災害で心配していることがあるという。「暖冬傾向で全国的に雪不足になりそうです。雪が少ないと春には水不足が心配です。また関東では1月〜2月初めにかけて大雪が降るリスクが高い。近海の海水温が平年より2度も高く、雪や雨を降らせる南岸低気圧が海上の水蒸気を巻き込みそうです。低気圧の発達具合、進む位置によっては雨かもしれませんが、寒気が流れ込むタイミングが重なるなど悪条件がそろえば大雪のおそれがあります」備えは万全に!ほうらい・だいすけ気象予報士・防災士。兵庫県明石市出身。2011年から読売テレビの気象キャスターを務め、『情報ライブミヤネ屋』などにレギュラー出演中。著書に『空がおしえてくれること』(幻冬舎)、『気象予報士・蓬莱さんのへぇ~がいっぱい!クレヨン天気ずかん』(主婦と生活社)
2020年01月10日富士通陸上競技部(駒澤大OB)中村匠吾選手’20年東京五輪のマラソン代表選考一発レース『MGC』。中村匠吾選手はラストに強靭すぎる脚力を見せつけ見事、優勝。代表権を堂々手に入れた。メディアがほぼノーマークだったこの男、大学時代には藤色の襷を胸に、箱根駅伝を3度走っている──。■大八木弘明監督の指導の熱さに惹かれて子どものころから足が速く、小学校のマラソン大会でも常に上位。何より走ることが好きだった。5年生のとき、仲のいい友人の影響で、陸上クラブチームに入ったのが陸上人生の始まりだったという。「小・中学生のころは、県大会では上位に入るものの、全国大会には全然行けないような選手でした」高校は地元の強豪・上野工業高校(現・伊賀白鳳高校)へ。3年生のときにはインターハイで3位(5000m)になるなど、めきめきと頭角を現すように。いろんな大学から誘いの声がかかったが、選んだのは駒澤大学。「高校の先輩である高林祐介さん、井上翔太さんという2人の先輩が、駒澤大で箱根駅伝を走る姿を見て“カッコいいな”“いつか自分もあの舞台で走りたいな”と憧れていました。そして、大八木弘明監督の指導の熱さに惹かれたのも理由です」1年のときはチームのサポートにまわったが、2年(’13年)で箱根デビュー。3区を任され、3人抜きを演じた。3年時(’14年)は1区。大迫傑さん(早稲田大卒/ナイキ)らと競り合い、区間2位の好走。「でも、いちばん印象深いのはやはり4年生、最後の年ですね(’15年)。主将をやらせてもらいましたし、個人としては再びの1区で初の区間賞をとれたので。でも、その年の駒澤の総合順位は2位。箱根駅伝では1度も優勝できずに卒業したのは、心残りな部分ではありますね」■小学生の頃から「いずれはオリンピックに」しかしながら、大学時代に箱根駅伝を念頭に置き、速いペースで20キロという距離を走る練習の積み重ねが、今の自分につながっていると分析する。そもそも、オリンピックを意識したのはいつのこと?「’04年のアテネ五輪で、地元・三重県出身の野口みずきさんが金メダルをとられて。当時、まだ小学6年生だったのではっきりとは覚えてないんですけど、周りがすごく盛り上がっていたのは記憶していて。“オリンピックにいずれは行きたいな”と子ども心に思いました」’20年の五輪の開催が東京に決まったのは、大学3年のとき。大八木監督に“駒澤大からはまだ五輪のマラソン選手が出ていない。一緒に目指さないか”と声をかけられた。「とてもうれしかったです。僕自身の可能性を信じ、一緒にやろうと言ってくれる指導者がいることは、とても幸せ。信じてやっていこうと思いました」五輪への夢は、リアルな目標へと変わった。富士通に入社したのちも、練習拠点は駒澤大に置いた。大八木監督の指導を受け始め9年目、ついに五輪の代表権をつかみとり、“男だろ!”の檄で有名な闘将を男泣きさせた。「目標は表彰台です。今は、そこまでプレッシャーを感じてはいません。精神面のコントロールは得意なほうですし、楽しみにすることができています。残りの時間、悔いのないように準備して、100%の状態でスタート地点に立ち、最高の走りができればと思っています」誠実でまじめな人柄がひしひしと伝わってくる。好きな食べ物は、焼き肉。そして好きな芸能人は、「……有村架純さん」顔を赤らめながら、恥ずかしそうに答えてくれました!【PROFILE】富士通 陸上競技部(駒澤大OB) 中村匠吾選手◎なかむらしょうご。三重県四日市市出身。上野工業高校から駒澤大学へ。箱根駅伝では、2年時は3区3位(総合3位)、3年時は1区2位(総合2位)、4年時は1区区間賞(総合2位)
2019年12月27日トヨタ自動車 陸上長距離部(東洋大OB)服部勇馬選手「自信は50%くらい、半々だと思ってました。ただ、やりたかった練習をやれたうえでスタートラインに立てたので、“よし、とりにいくぞ”と、みなぎるものはありました」2019年9月に開催されたMGCではラストのデッドヒートを制し、2位。’20年東京五輪のマラソン代表切符を手に入れた、トヨタ自動車陸上長距離部(東洋大OB)の服部勇馬選手。「内定にはホッとしていますが、2位は僕が目指した順位ではなかった。日に日に悔しさが芽生えてきています」しかし、マラソンの開催地は東京から札幌へ。「僕自身、最初に札幌の案が出たときはすごく動揺してしまって。悲観的な報道が多かった中で、走れることは当たり前じゃないと感じるようになりました」MGCを主導した、瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、’80年モスクワ五輪の代表に決まっていたが、ボイコットによって走れなかった悲運のランナーでもある。「瀬古さんが経験されたボイコットに比べれば、僕らが走れることは、本当にありがたいことだし、幸せなことなんです。五輪は僕の夢舞台。走らせていただけることに感謝しなくてはいけないんです」なんとも大人すぎる考え方。ビジュアルも内面もイケメンだ。■幼少期の夢は保育士だった小学校のマラソン大会は負け知らず。でも、根っからのサッカー少年だった。「中学にサッカー部がなかったので、両親のすすめで陸上部に入りました。長距離には自信もあったので」幼いころの夢はサッカー選手かと思いきや、「保育士でした。どちらかというと、年上よりも、年下と接するほうが得意なので。そして、子どもが今でもすごく好きなので」弟が2人、妹が1人いる。きっと幼少期から面倒見のいいお兄ちゃんだったのだろう。その後は高校駅伝の強豪校・仙台育英高校へ。3年のインターハイでは5位(5000m)と実力をつけ、各大学から誘いの声が多数かかった。「進学を決める前から、酒井俊幸監督は厳しいアドバイスやダメ出しをくれて。改善点を的確に言ってくれる人は本当に大事にしたい。この人のもとで走ろうと東洋大学に決めました」■箱根駅伝があったからマラソンに挑戦できた箱根駅伝への憧れは、中学生のときからあったという。1年生ながら復路のエース区間・9区を任され、区間3位。「本当に応援の方の数が多くて。今までは見る側だったので、夢舞台だなと思いながら走りましたね」2年時(’14年)は2区に抜擢され、区間3位。「何より総合優勝できたことがいちばんうれしかった。4年間の中で、このときだけなので」3年時(’15年)は初の区間賞を2区で獲得。「設楽悠太さん(東洋大卒/Honda)&啓太さん(東洋大卒/日立物流)が卒業して弱くなったと言われたらいけないと、奮起した年でした」4年時(’16年)は、2区で2年連続区間賞。かつ、歴代5位のタイムをたたき出す。また弟・弾馬さん(東洋大卒/トーエネック)への襷リレーも話題になった。「前年に区間賞をとっているので、プレッシャーとの戦いでした。今、改めて振り返ると、自分の力以上のものを発揮できるのが箱根駅伝だったと思います」その一方、大学3年でマラソンへの挑戦を始める。その前年に東京での五輪開催が決まっていたが、当時は駅伝とマラソンを両立する大学生はほぼ皆無。「箱根駅伝を走るという幼いころからの夢が1年生で叶った。“じゃあ、次は何を目指そう?”と思ったときに、もっと長い距離で、世界を舞台に戦いたいと思ったんです。マラソンに自然と挑戦できたのは、箱根駅伝があったからだと思います」大学4年で初マラソン。しかし12位だった。「思い描いていたマラソンとはまったく異なるレースでした。想像以上に厳しい競技だと思い知りました」トヨタ自動車に入社し、2回目のマラソンでも結果が出ない。順調そのものだった競技人生は、初めてトンネルに入る。「ケガもして、どうやってマラソンに取り組んだらいいのかまったくわからなくなってしまった。(MGC出場権を獲得した)福岡国際マラソンまでの約2年はつらかったですね。でも、自分の課題に向き合い、長い時間ずっとやってきたことが間違いじゃなかったことを、優勝という形で証明できた。本当にうれしかったし、MGCへの自信につながりました」■結果を出して恩返しを陸上人生で、もうひとつ激しく悩んだことがある。「長男ですから、家業を継ぐことはずっと選択肢にあって。大学2年までは、すごく悩みました」実家は『服部総業』という建設会社で、祖父・龍一さんが創業。父・好位さんが社長を務め従業員を30人以上、抱えている。「最終的に僕からは親に“走りたい”とは言えなかった。大学2年時の箱根駅伝で優勝し、帰省したときに、父親のほうから“卒業後も走ればいいんじゃないか”と言ってもらって。本当にありがたかったです」次男の弾馬さんも実業団入り。4歳下の三男の風馬さんも豊川高校で全国高校駅伝を走った有名選手。将来を期待されていたが、高校卒業後は家に入った。現在はとび職として汗を流しているという。「僕には一切言わなかった。家に入ると聞いたときは、複雑というか、逆に背負わせてしまったな、と。風馬には感謝しきれません」結果を出すことで恩返しをしなくちゃいけない──。その思いがますます強まった。爽やかすぎるオリンピアンは、どんな質問にも気さくに答えてくれる。趣味はサッカー観戦で、好きな食べ物はラーメン。「東京にマッサージを受けにいくときには、グルメサイトでかなり調べます。だいたい3軒くらいは寄って帰ってきますね(笑)。あんまり食事制限とかはないので、普段から好きなものを食べています」好きな芸能人は、吉瀬美智子。では、好きな女性のタイプは?「接しやすいのは年下なんですが、惹かれるのはどちらかというと年上の方。落ち着いている方はいいなぁと思います。あと、僕は女性の爪をけっこう見てしまいますね(笑)」きれいにネイルをしている子がいいってこと?「あ、そういうことではなくて。言葉ではうまく言えないんですが、好きな形みたいなものがあって。爪フェチ?それはあると思いますね(笑)」先月、26歳に。同級生が結婚し始めている中、陸上人生を伴侶に支えてもらいたいという思いは?「結婚は全然考えてなくて。子どもはすごく欲しいんですけど、今は完全に五輪が目標。走ることがすべて、です。それに東京五輪が終わっても、パリ五輪をもちろん目指すので。パリ五輪が終わると、ちょうど30歳。そのあたりで決められたらいいなとは思いますが、まずは東京!自分自身がやってきたことを最大限、発揮してメダル獲得に向けて精いっぱい頑張りたい。本当に苦しいとき、沿道の声援に背中を押してもらっています。札幌になりましたけど、よりたくさんの人に応援してもらって走り、結果として恩返しをしたいと思っています!」【PROFILE】トヨタ自動車 陸上長距離部(東洋大OB)服部勇馬選手◎はっとりゆうま。新潟県十日町市出身。仙台育英高校から東洋大学に進学。箱根駅伝では、1年時9区3位(総合2位)、2年時は2区3位(総合優勝)、3年時は2区区間賞(総合3位)、4年時は2年連続となる2区区間賞(総合2位)
2019年12月26日中村匠吾選手撮影/渡邊智裕9月に東京都内で行われたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)。ラストの壮絶な競り合いの末、見事優勝。2020年東京五輪の男子マラソン代表、中村匠吾(富士通)が千葉市内で練習を公開した。「MGCの後は約4週間、完全なオフを取り、精神的な疲労(回復)と身体のメンテナンスという意味でしっかり休みました」■どういう状況になっても、100%の力を!三重の実家でも過ごし、10月半ばから練習を再開するも、マラソンの開催地は東京から札幌へ。揺れに揺れた。「複雑な心境はあるんですけど、しっかり気持ちを切り替えてやっていくだけです」東京だったら、MGCとほぼ同じコースだったわけだが、「確かにアドバンテージという意味ではあったのかもしれませんが、MGCのコースも当日に初めて走っているので。基本的にやることは、東京でも札幌でも変わらない。しっかりそのコースの特徴を加味して、準備していくだけです」暑さに強いことが、中村の大きな持ち味。「札幌も8月は気温が上がれば暑いだろうし。東京であろうが札幌であろうが、当日の気候は予想できない。気温が上がってくれたほうが自分にはプラスかもしれませんが、気象条件、レース展開など、どういう状況になっても100%の力を発揮できるよう準備することが、いちばん大切だと思っています」取材時間の20分で、“準備”という言葉を実に14回も口にした中村。見据えているのは、もちろん盛夏の表彰台だ。
2019年11月21日来年7月に開幕する東京五輪の日本テレビ中継のメイン出演者として明石家さんま(64)がキャプテン、くりぃむしちゅーの上田晋也(49)がスペシャルサポーター、有働由美子アナ(50)がスペシャルキャスターを務めると発表された。各メディアによると、「どのメンバーで来るかわからないですが世界最高峰のバスケットの決勝は楽しみです。陸上の桐生(祥秀)選手とは収録でもご一緒しているし、知り合いでもあるので期待しています」とコメントを寄せているという。さんまはこれまで2000年のシドニー五輪、04年のアテネ五輪、08年の北京五輪、12年のロンドン五輪、16年のリオ五輪にも起用。夏の五輪では今回で6度目となる。そんな実績十分のさんまだが、ネット上では不安要素も囁かれている。《明るくていいが、人の話を本当に聞かない》《選手たてて主役にすることができないから向いてない》《すべてギャグに繋げようとする》《どんな状況であろうが「笑う・笑わせる」事を求める》いっぽう、現場からは期待の声が上がっているという。「バラエティー番組での“立ち位置”が世間のイメージとして浸透してしまっているようですが、大御所だけに高視聴率が狙えるはず。上田さんと有働さんが脇を固めていることもあり、バランスもとれるはず。考えうる“最強の布陣”ではないでしょうか」(テレビ局関係者)果たして、視聴者からの声を覆す仕事ぶりを見せることができるのだろうか。
2019年11月20日現在世界ランキング1位の日本が、野球の国際大会「WBSCプレミア12 2019」でどんな活躍を見せてくれるのか、注目です!悲願の五輪優勝を目指す侍ジャパン。世界の強豪が集う前哨戦に挑む!2008年の北京五輪を最後に五輪競技から外れていた野球が、2020年の東京五輪で12年ぶりに復活する。現在世界ランキング1位の日本は、まだ正式競技として五輪で金メダルを手にしたことがない。五輪の金はまさに野球大国・日本の悲願。その悲願達成の最後のチャンスとなるかもしれない東京五輪が目前に迫り、野球日本代表「侍ジャパン」はがぜん熱気を帯びている。そんな中、野球の国際大会「WBSCプレミア12 2019」が11月2日に開幕する。世界ランキング上位12か国が出場する今大会は、東京五輪の予選も兼ねており、アジア・オセアニア大陸の上位1か国、南北アメリカ大陸の上位1か国に出場権が与えられる。日本は開催国のためすでに出場権を得ているが、プレミア12は日本にとっても重要な大会だ。オープニングラウンドのグループBに属する日本は、11月5日に台湾で初戦を迎え、各グループ上位2か国が11日から日本で行われるスーパーラウンドに進出する。今大会は、侍ジャパンが東京五輪前に出場する最後の大会。優勝を目指すとともに、東京五輪で金メダルを狙うための戦力を見極める場でもある。今年セ・リーグの首位打者に輝いた鈴木誠也や、菊池涼介(共に広島)、日本のエースと期待される千賀滉大(ソフトバンク)といった侍ジャパン常連組はもちろん、勢いのある新戦力が日本をどれだけ押し上げられるかがカギになる。打線では、オリックスの若き主砲・吉田正尚。今季は打率がリーグ2位の3割2分2厘、本塁打29本と充実のシーズンを送った。今春行われたメキシコとの強化試合では豪快な満塁弾を放ち、侍ジャパンの4番争いに名乗りをあげた。投手では、チーム最年少21歳の右腕・山本由伸(オリックス)だ。今年、最優秀防御率のタイトルを獲得した“12球団一、点を取られない投手”。侍ジャパンデビュー戦となった今春のメキシコ戦では、「自信を持って投げられた」と強心臓ぶりを発揮した。昨季は中継ぎを務めており、侍ジャパンの稲葉篤紀監督は、山本を先発、中継ぎ、抑えのどこで起用するかを今大会で見定める。五輪前哨戦と位置づけられる今大会で活躍し、五輪の舞台を引き寄せるのはどの選手になるのか、注目だ。「WBSCプレミア12 2019」11月2日(土)~17日(日)グループごとに総当たりのオープニングラウンドで、各上位2チームが11日からのスーパーラウンドへ進出。6チーム中上位4チームで3位決定戦、決勝戦を行う。スーパーラウンドから、会場は東京ドームとZOZOマリンスタジアムに。日本戦はTBS系列で生中継。※『anan』2019年11月6日号より。写真・ゲッティ イメージズ文・米虫紀子(by anan編集部)
2019年11月04日《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事についてこう綴られていた。1年後に迫った東京五輪について、皇室ジャーナリストは雅子さまの活躍に期待を込める。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか。さらに雅子さまは、東京五輪で愛子さまの“国際ご公務デビュー”もお考えになっているそうです」愛子さまは現在、学習院女子高等科の3年生。来年4月には学習院大学に進学される見込みだ。これまでも雅子さまは、愛子さまが国際経験を積めるようにと心を配られてきた。「一昨年、東宮御所にデンマークやスウェーデンの王族が招かれたとき、愛子さまもご懇談に同席されたのです。愛子さまは通訳を介さず、英語で会話されました。陛下は、愛子さまの語学力はご自分以上だと話されているほどだそうです。東京五輪では、競技会場や赤坂御所、レセプションの場などで、皇族方が各国要人を接遇することになります。愛子さまが参加されることも十分に考えられます」(皇室担当記者)しかし、愛子さまが公の場で国際親善を担ったことはまだない。前出の皇室ジャーナリストは、その背景には3年前の“苦い経験”があると語る。「’16年の夏、雅子さまは長野県で開かれた『山の日』記念全国大会など、いくつかのご公務に愛子さまをお連れになりました。3年前の夏が愛子さまの国内でのご公務デビューだったのです。しかし、その秋から愛子さまは体調を崩し、一時は目に見えて“激やせ”されてしまいました。まだ中学3年生だった愛子さまには、プレッシャーが大きかったのかもしれません。それ以来、雅子さまは愛子さまのご公務への出席をセーブされてきました」それでも高校時代の3年間に数々の経験を積まれ、大きく成長されている愛子さま。「愛子さまは成績優秀なだけでなく、運動神経も抜群です。テニスではパワフルなフォアハンド、ソフトボールでは経験者の雅子さまも驚く速球をお投げになります。両陛下とご一緒にプロ野球の試合をご覧になったこともあり、スポーツ観戦もお好きです。東京五輪もたいへん楽しみにされているはずです」(宮内庁関係者)御代替わりを機に“天皇の一人娘”である愛子さまの存在感は日に日に増している。今回のご静養でも、伊豆急下田駅に到着されたのは夜9時ごろだったにもかかわらず大勢の市民が詰めかけ、「愛子さま!」と歓声が上がった。「眞子さまや佳子さまも大学進学を機に注目を集めましたが、来年の“愛子さまフィーバー”は、それをはるかに上回るものになるかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックでも、国際親善を担う愛子さまの活躍は、名誉総裁を務める天皇陛下にとって大きな支えになるはず――。それは愛子さまの強い願いでもあり、お母さまの期待に応えるために、愛子さまもその準備を進められていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)1年後の夏、愛子さまの笑顔が平和の祭典で咲き誇る――。
2019年08月12日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「東京五輪まであと1年」です。五輪のあり方も転換期。楽しく盛り上げるために。いよいよ、東京オリンピック・パラリンピック開催まであと1年となりました。観戦チケットの購入にはID登録が必要ですが、約750万人の登録者に対して、購入できたチケットは約322万枚。大会組織委員会は、落選者を対象にした「セカンドチャンス」抽選を行うことを発表しました。ID登録にあたり、物議を醸したのは規約の第33条3~5項です。撮影禁止区域以外での撮影は可能だが、写真や映像の著作権は大会組織委員会に譲渡するという内容。個人的に撮影をしてもいいけれども、インターネット上にあげてはいけない。それは多額を支払い、放映権を取得したテレビ局の利益を侵害するから、という理由です。それはやりすぎなんじゃないかという意見に対して、大会側は、平昌オリンピック・パラリンピックのときも同様の規定を入れていたので、問題があるとは思っていないとコメントしました。しかし、選手は写さず、会場で応援している自分の姿でもSNSにアップできないとなると、なんだか残念ですね。特定の企業にスポンサー料を払ってもらい、権利をガチガチにしばり、それでも資金が集まらずに苦労しているのであれば、オリンピックの従来のビジネスモデルに問題があるということ。それならば、個人の力を利用して、SNSに広告的なものを付加するなど、観客もネット上で参加できる仕組みを作ってもいいのではないでしょうか?現状では、街の商店街も「オリンピック歓迎!」というような看板は出せません。オリパラを利用して利益を得ることが禁じられているからです。スポンサーやテレビ局の声が大きくなり、放送時間に合わせて競技が深夜になるなど、選手にも負荷がかかる有り様は本末転倒な気がします。いま、商業オリンピックは本格的な方向転換を迫られています。実際にオリンピックが始まれば、現場はとてもハッピーなお祭りムードに包まれるでしょう。怖いのはトラブルやテロ。交通インフラを整えるためにも、オリンピック期間は会社を休みにしようという動きも。改元の10連休のように、オリンピックの期間が働き方改革や、外国人との共生を試してみる場になるとよいですね。堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2019年7月31日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2019年07月26日